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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

まだ「対航空」は禁じ手だったのか?

日米首脳会談で押し売りされたイージスアショアを「規格が合わない」と商品が届く前に断った日本政府の決定を受けて与党=自民党は唐突に弾道ミサイルに対する「戦術」から「戦略」にまで踏み込む方針転換を検討し始めました。
勿論、「海上自衛隊のイージス護衛艦を2隻追加して日本海で常時行動させる」「地上に高性能レーダーを分散設置してイージス護衛艦や新型迎撃ミサイル搭載護衛艦と連接させる」や「日米の基本的な役割分担の維持」「情報収集や警戒監視能力の強化」などの現実的な案も出ていますが、複数の自民党関係者からは「抑止力を向上させるために新たな取り組みが必要」とこれまでの自縛を外した対応を検討していることが漏れてきます。
この自縛を外した対応と言うのは北朝鮮が弾道弾を発射するたびに一部の政治屋や過激言論人、軍事評論家などが新聞、雑誌やテレビの報道番組で主張している「敵領域内のミサイル施設や航空基地への攻撃能力の保持」であることは想像できますが、1956年に鳩山一郎内閣が「座して自滅を待つべしと言うのが憲法の趣旨とは考えられない。他に手段がないと認められる限り、誘導弾等の基地を叩くことは法理的には自衛に含まれ、可能だ」と言う政府統一見解を発表していて、これまでも可能だったのです。
実際、航空自衛隊では平成に入って間もなく改訂した作戦規定でアメリカ空軍の「カウンターメジャー(=対抗策)」を「対航空」と苦しい翻訳をした作戦を加えています。この「対航空」とは我が国の脅威となる軍事施設を攻撃・破壊して攻撃能力を喪失させることで、それが防衛出動発令後なのか平時でも実施可能なのかは明確にはしていません。野僧が教育隊で習えば「憲法との整合性」を追求して区隊長=教官を苛めまくるのですが、教官用のマスター・プラン=台本では「攻撃してくる敵機を撃退しても基地に戻って燃料・弾薬を補給すれば何度でも反復攻撃できる。だから基地を破壊するのが世界の軍事常識だ」と判り易く説明して深入りは避けるようになっていました。また「対航空」を実施するためにFー2戦闘攻撃機とKC-130空中給油機、そして早期警戒管制機=AWACSを導入しているのですが、KC-130の必要理由=使用目的については「給油のための離着陸を省いて継戦能力を維持する」。AWACSは「上空で遠距離を監視して早期に敵機を発見する」「地上基地の防空管制部隊が破壊された時の代替え機能を確保する」と嘘ではない誤魔化しを弄しています。しかし、実際は戦闘攻撃機が誘導式の大型爆弾を搭載して離陸すれば燃料の消費が増大するため空中給油が必要になり、敵の迎撃機を早期に発見して戦闘攻撃機の回避行動を指令することが使用目的のはずです。
つまり航空自衛隊は当の昔から「カウンターメジャー」を実施するための装備を保有し、訓練を重ねているのですが、今回はこれを口実にして海上自衛隊に潜水艦発射型巡航ミサイルの採用を画策していのかも知れません。むしろ1981年6月7日のイラク原子炉空襲作戦でイスラエルが主張した「先制的自衛権」の再度の議論を国際連合で提案するだけで日本の本気度を関係国は理解するはずです。現在の政治状況のままいけば標的は南北統一になりそうですが、韓国空軍は日本を仮想敵とする訓練を独立時から実施しています。
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  1. 2020/08/04(火) 12:40:47|
  2. 時事阿呆談
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振り向けばイエスタディ1995

「今晩は、今晩は、今晩は、も1つおまけに今晩は、雪うさぎです」今夜も旭川では森田照子のローカルFM番組「貴方だけ今晩は」が始まった。出産1カ月後には放送を再開したが、始めは母親に日和(ひより)を預けて夫婦でラジオ局まで来ていた。あれから半年が過ぎて日和も旭川市内くらいは平気になってきたところで今回から同伴にした。勿論、サブ・コントロール・ルーム(副調整室)で森田予備3曹が哺乳瓶を片手に面倒を見ている。
「今年の暖冬は異常ですね。11月に入っても雨が降るからビックリしています。ウチの旦那さまも屯田兵の訓練でノルディックが始まるのを待ち侘びています。牧場では孤独な時間との戦いだから、やっぱり人間との競争で成果を試したいようです」サブ・コントロール・ルームにも照子の音声は流れていて日和は声が聞こえてくるスピーカーを注視している。まだ目に映るガラスの向こうの母の姿よりも耳で感じる声に存在感を覚えているらしい。それを見守っている森田予備3曹は自分の話題を出してガラス越しに微笑んだ照子と目を合わせてうなずいた。
「と言う訳で最初のメールです。幌加内町のエゾ鹿のバンビさんからです。雪うさぎさん今晩は」「はい、今晩は」「雪うさぎもそろそろ体毛が雪色に変ってきたようです。ウチの草むらで会う雪うさぎは早めに生え換わったみたいです。まだ真っ白じゃあなくて茶と白の斑ですけどね」季節の話題も地域の特性が混じると意外に盛り上がる。エゾ鹿のバンビの幌加内町は旭川市の北の山間部なので動物の話題が得意だ。
「親父(ヒグマ)も雪が積もらないから餌が探せてまだ冬眠していないようです」「ヒグマも雨が降ってる間は冬眠しないのかも知れません。中旬になって何回か雪が降りましたが、また今週は雨です。雪うさぎは白が冬毛だから生え変わらないと凍えてしまうけど、保護色にならないとキツネに襲われてしまいますね」照子も牧場で暮らしているだけに動物談議は止まらなくなる。それでも正面の時計を見て話を中断した。
「それではリクエストです。これは古い曲ですね。1974年のNSPで『雨は似合わない』です」照子が視線を視線を送るとアシスタントはレコードを掛けた。前奏の前にレコードの針が溝を擦る雑音が聞こえる。古い世代にはこれが堪らないらしい。若いアシスタントはレコードの取り扱いが判らずベテランのディレクターから特別教育を受けたので、レコードの音色には興味津々のようで、いつもよりも真顔で耳を澄ませている。
「頭の中をグルグルと 色んなことが駆け回る 小さい時叱られたこと 仲間外れにされたこと・・・」ハーモニカとギターの前奏に続いて始まった歌声はバンドを組んでいる高校生のようだった。照子は東京や大阪などの大都市に行ったことがないので路上ライブを見たことはないが、森田予備3曹は高校時代に名古屋の地下道で唄っていたバンドを思い出した。
「・・・冬(冬)、冬だから(冬だから)、雨は似合わない(似合わない)、冬(冬)、冬(冬)、冬だから(冬だから)、君を思い出す」唄は素人臭いコーラスになっている。いつもは照子を連れてくると森田予備3曹もアシスタントと一緒に届いているメールの確認からリクエストされた曲の用意、唄っている歌手の下調べなどを手伝っているのだが、今回は日和を抱いて廊下に出ていたので予備知識なしだった。フォーク・ブームの中で高校時代を過ごした父親が聞いていたような気もするが、「ふきのとう」だったかも知れない。
「・・・冬(冬)、冬(冬)、冬だから(冬だから)、雨は似合わない(似合わない)、冬(冬)、冬(冬)、君はもういない」最後は微妙に歌詞を変えながらの繰り返しになった。
「『冬だから雨は似合わない』の意味が少し違いますが、素敵な曲のリクエストを有り難うございました。NSPは岩手県の一関工業高校の同級生3人で結成したバンドです。初めはロック・バンドだったので『ニュー・サディスティック・ピンク』と言う過激な名前だったんですが、東京に出てフォーク・バンドして売り出されることになったのでNSPの頭文字でデビューしたそうです。それでファンの間でNSPの意味が話題になってレコード会社がアンケートして『ネコ・サル・ペンギン』が優勝したそうです。メンバーはコンサートで『ナント・スゴイ・プロみたい』と説明していたそうですけど。他にも『夕暮れ時はさびしそう』や『冬の花火は思い出花火』が有名ですがバンビさんも好きですか・・・リーダーでボーカルの天野滋さんは2005年2月に19年ぶりの新曲を出しましたが、その年の7月1日に脳内出血で亡くなったことを補足しておきます」照子の解説は少し長めだった。そのおかげで森田予備3曹も結婚する前に照子とデートしていていて夕日を見ながら「夕暮れ時はさびしそう」を口ずさんだことを思い出した。あの歌も父親が口ずさんでいたのを聞いて憶えたのだ。森田予備3曹は眠りかけた日和を優しく抱きながら、親が「教える」などと大上段に構えなくても一緒の時間を過ごせば知識が子供の心に染み込むことを噛み締めた。
  1. 2020/08/04(火) 12:39:36|
  2. 夜の連続小説8
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そろそろ神道の実態を直視するべきだ。

日本の神道は江戸中期に湧いて出た国学者・平田篤胤(敬称を付けるに値しない)によって素朴な大自然への信仰から20世紀に入ってアドルフ・ヒトラーが主張したナチズムを先取りしたような尊皇攘夷の狂気に変質しましたが、その狂気によって成立した明治政府は必然性のない内戦と対外戦争を繰り返した揚句に合理的な勝算がないまま第2次世界大戦に参加して多大な犠牲の果てに国家を破滅させました。
ところが明治憲法を制定するに当たり、欧米の憲法を研究していた代議員からは「国家が運営資金を支出し、法的な便宜を与え、過剰な保護を加えている国家神道は欧米では宗教改革以降の常識になっている政教分離の原則に反する」との指摘があり、それに対して起案者である伊藤俊輔(=博文)は「神道は宗教ではなく国体である」と答弁しました。これを受けて国家神道は佛教やキリスト教などの宗教を超越する存在とされ、神社の祭礼など儀式や清掃などの雑務は寺の檀家や門徒の佛教徒であっても無償奉仕を強制されるようになり、初穂料や玉串料も納税のように徴収され、不足分は公費から補填されるようになりました。逆に一神教の教義を守って参加しなかったキリスト教徒は地域内で孤立して戦時下では非国民・敵性人として当局の監視下に置かれました。このような国家神道にドイツにおけるナチズムと共通する危険を感知した占領軍が信教の自由と矛盾しない形で特権を剥奪しようとしたのが宗昭和26(1951)年の教法人法でした。
この法律によって神道も佛教寺院やキリスト教会、新興宗教の団体と同格の宗教法人(実際は佛教寺院は単一の宗教法人でも大半の神社は神社本庁として宗教法人登録しているので格は落ちる)になりながら祭礼や雑務を地域の住民に無償で強制していることは変わらず、初穂料や玉串料も地域の自治会経費から支出させています。しかも時代の経過と共に神道界の政治団体・神道政治連盟は日本版ナチズム=国家神道の再興を企図するようになりました。そんな神道の実態を如実に物語っているのが現在の神社本庁の独裁的体制です。神社本庁の長である総長は2010年から京都の石清水八幡宮の宮司が勤めていますが、極めて強権的な組織運営を推し進めており、これまで事実上は世襲だった別表神社(特に格式が高い神社)の宮司を神社本庁が選任するようになり、1000年来の血統・家系を途絶えさせる暴挙を各地で繰り広げています。野僧の友人は熱田神宮の宮司の家系で源頼朝公も血族になるのですが、神社本庁が送り込んだ宮司に取って代わられてしまいました。同様の問題は金毘羅宮や宇佐八幡宮でも起こっており、特に宇佐八幡宮は総長の石清水八幡宮よりも格が上のため執着しているらしく、氏子が2016年に就任した神社本庁の総務部長だった宮司を罷免し、世襲の宮司の就任を求める署名を提出しても黙殺しています(こちらの家系からはキリシタンに入信した大友宗麟が始めた神社・寺院の破壊を阻止した正室が出ている)。
神社本庁が分裂・解体して逝くことは国家神道の再興を頓挫させることなので誠に喜ばしいのですが、地方の住民も伝統の名の下に義務でも何でもない奉仕を強いている神社の実態を見極め、関係を再考・拒絶するべきでしょう。
  1. 2020/08/03(月) 13:31:31|
  2. 常々臭ッ(つねづねくさッ)
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振り向けばイエスタディ1994

タイにおける大規模デモの構造が把握できたところで杉本は本間を帰すことにした。杉本はデモが夜間であることもあり、約176キロの距離があるサッタヒープのトミタ少佐のマンションを定位置にしてバンコクでは野宿で過ごすつもりでいた。ところが頭部を強打した本間を介助として部屋で仮眠することを申し出たため夕食の間に仮ベッドが運び込まれ、その後も同じ部屋に泊まることになった。
そんな最後の夜はデモの現場から少し離れた高級ホテル街で会食にした。デモが常態化して場所も固定化してきたため流石に観光客は見当たらないものの外国企業の社員の姿は散見される。このレストランも商談と接待の客で賑わっているが、タイ人と華僑は極端なくらい距離を置いた席を取っている。最早、国家は分裂しているようだ。
「今回は本当にお世話になりました」本間は着任して間もなくセントラル・パークを案内されながら心を弄ばれて以来、杉本に敵意に近い感情を抱いていた。杉本自身も常に誰も近づけようとはしない拒絶感を放っているため気持ちが通じ合うことはなかった。それが今回は勝手に動き回る本間に気を配り、窮地から救い出してくれた。しかもホテルの部屋で翌朝、目を覚ますと即座に声を掛けてきたので、杉本は仮ベッドに座ったまま一睡もしなかったようだ。
「後遺症がなくて良かったよ。貴重な中国語のエキスパートの頭がおかしくなっては職場も困るが、俺が一番困るからな」相変らず返事は嫌味な皮肉だがどこか優しさを感じる。
「次に来る時はもっと役に立てるように頑張りますから何時でも呼んで下さい」「今の流れから見て今後は相互が対決姿勢を鮮明にして遠からず全面衝突が起こるだろう。国王誕生日が12月5日だからその前に決着をつけたいタイ人の反政府陣営が先に攻撃を始めるかも知れないな」「それじゃあアメリカに帰るのは数週間って言うことですか」「誰も呼ぶとは言っていないぞ」杉本の返事がオチになって本間は明るく笑った。そこにタイ式のコース料理が運ばれてきた。アメリカではココナッツ・ミルクで作るゲーンをタイ・カレーと呼んでいるがインドと同じようにタイにも「カレー」と呼ぶ料理は存在しない(観光客用の呼称は別)。今回はアメリカではお目にかかれない本場料理を選んで注文した。
「杉本さんは1週間も隣りに寝ていたのに私を抱かなかったのは何故ですか。やっぱり女としての魅力がありませんか」先ずは前菜のトーッマン・プラー(タイ風薩摩揚げ)を箸で口に運んだところで本間が突拍子もない質問をした。杉本にとって本間は生態不明の珍獣に過ぎず、隣りに寝ていても手を出すような獣姦の趣味はない。
「俺も他の野郎共と同じく妻帯者になったつもりなんだ。いきなり浮気できるはずがないだろう」喉に詰まりそうになったトーッマン・プラーを呑み込んだ杉本は少し怒ったような顔で答えた。すると本間はスプーンでトムカーガイ(鶏肉をココナッツ・ミルクで煮込んだタイ風シチュー)を口にした後、真顔で話を続けた。やはり杉本にとっては生態不明の珍獣だ。
「杉本さんの奥さんも綺麗な方だから当然ですよね」男前のスポーツマンだった杉本は大学でも女学生の間で人気が高く、彼女を乗り替える時、同じ台詞を聞いたことがある。しかし、ここは本間の目を覚ますために痛みを与えるような皮肉で答えた。
「お前を気絶させた奴らはその場でレイプしようとしたんだ。と言うことはお前を見て性的に興奮したんだろう。お前にだって女の魅力はあるんだから自信を持て」これは慰めにも励ましにもなっていない。逆に心に受けた傷に塩を塗り込んで擦ったようなものだ。並みの女性であれば傷ついて席を立っても不思議はない。
「私は何をされていましたか。身体に触れられていましたか」「いや、Tシャツを押し上げられてGパンのチャックを下げられたところまでだ。下着は外されていなかったぞ。見事に割れた腹筋は見えていたがな」杉本の説明を聞いて本間は呆れるほど黙々とタイ料理を頬張り始めた。酸味がある春雨サラダのヤムウンセン、川エビやモヤシが入った炒め米麺のバッタイ、鶏肉のカレー風味の混ぜご飯のカーオ・モク・ガイ、タイ風生ソーセージのネームの皿が空になった。残りはデザートの米寒天をココナッツ・ミルクで和えたロッチョン・ナーム・ガティだけだ。
「折角のディナーが妬け喰いでは困るな。俺はお前にも女の魅力があるって言ったんだから怒る必要はないだろう」女を口説き、利用する時には心がとろけてしまうような熱く甘い言葉を口にする杉本も本間が相手では何故か挑発的な台詞の連射になってしまう。
「そんなに一気喰いして明日飛行機の中で吐くなよ。帰りは単独だから俺は背中をさすってやれないぞ」この台詞で本間はタクシーの中で杉本に肩を抱かれていたことを思い出した。あの時、意識を失いながら本間は中央道にすがりつこうとしても手が届かず、必死になって追いかける夢を見ていた。追いついて抱き締められた時に目を覚ますと杉本の腕の中だった。
  1. 2020/08/03(月) 13:30:19|
  2. 夜の連続小説8
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台湾・李登輝総統の逝去を衷心から悼む。

7月30日に反日を戦勝国の証明と地元民=本省人を臣従させる手段にしていた蒋一族の台湾を友邦の隣国にしてくれた大恩人・李登輝総統が逝去されたそうです。97歳でした。
しかし、日本のマスコミは2016年10月13日のタイ国王・ラーマ9世=プミポン・アドゥンヤデート陛下の崩御と同様に異常に小さく扱っており、テレビの報道バラエティー番組はニュースで事実を紹介しただけでした。結局、在任中から最晩年まで台湾の独立を明言し、影響力を発揮し続けた李総統は現在の共産党中国にとっては極めて目障りな存在であり、その顔色を窺うことしか能がない日本の政治屋たちが感謝と追悼の言葉を口にすることはなく、マスコミもあえて国民に周知しようとはしないのでしょう。
李総統は台湾が日本の統治下にあった1923年に台湾北部の現在の新北市で警察官の二男として生まれました。李家は遠い昔に中国本土から台湾に移住して同化した客家で、警察官は安定した職業だったため父の転勤で転校を繰り返した以外は学業に励むことができる環境でした。1943年に台湾で旧制高等学校を卒業すると台湾帝国大学が客家を含む本省人の受け入れを制限していたため京都帝国大学で農業経済学を学ぶことになりました。「日本のマルクス主義の本拠地になっていた京都帝国大学で本質を学んだことは後に中国共産党との外交交渉で非常に役立った」と後に李総統は語っています。ところが翌年に学徒出征が始まったため名古屋の高射砲部隊で敗戦を迎えました。
1946年に国民党政権による統治に移行した台湾に帰り、台湾大学に編入学して農業経済学を学び直しました。さらに結婚して長男を儲けていた1952年にはアメリカへの留学基金を獲得してアイオワ州立大学に留学し、1965年からはロックフェラー財団の奨学金でコーネル大学に再留学しています。2度目の帰国後に国民党から勧誘を受けると敗戦直後の国民党による残留日本人と日本国籍を有する本省人の大虐殺2・28事件を目撃していたため「政権内部に入って本省人の立場を守るべきだ」と考えて蒋経国総統(蒋介石総統の息子)の側近になりました。以降は国共内戦で敗走してきた外省人が権力を揮う台湾政界で本省人として存在感を示し、やがては蒋経国総統から副総統に指名され、在任中の死によって総統に代行就任し、1996年には台湾史上初めて国民の投票によって総統に選ばれたのです。
総統としては蒋介石総統以来の「中国共産党を打倒して本土を奪い返す」「中華民国こそ正当な中国全土の国家である」と言う国是を放棄し、台湾の分離・独立論に基づく対等な立場での外交交渉を要求しました。このため国際会議などでは国名を「中華台湾」「台湾島と周辺地域」などの屈辱的な名称に変更されることも黙認しています。
李総統は成長期に日本語を学んだため「思考は日本語でする」と明言し、来日時には通訳なしで会談するほどの日本通でした。中でも国民党の馬英九政権が共産党中国に同調して尖閣諸島の領有を主張した時には「いくら美人でも他人の女房を妻にはできない。豊富な漁場でも元々が沖縄県の一部だった」と反論しています。しかし、日本の与野党の政治屋は無視し、マスコミは皮肉を返しただけでした。衷心からご冥福を祈ります。黙祷
  1. 2020/08/02(日) 13:07:46|
  2. 追悼・告別・永訣文
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