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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

石橋政嗣社会党委員長の逝去を悼む。

昭和58(1983)年9月19日月曜日の衆議院予算委員会で中曽根康弘首相と2時間に及ぶ憲法9条論の直接対決を演じた石橋政嗣社会党委員長が12月9日に亡くなっていたそうです。95歳でした。
野僧はこの対決をテレビで見た記憶がありますが(何故、職場のテレビが点いていたのかは謎)、何にしても野党の党首が衆議院の代表質問ではなく衆議院予算員会の質問に立つこと自体が極めて異例で、元海軍主計大尉の中曽根首相と元陸軍見習士官の石橋委員長の丁々発止の論戦は中々見応えがあり、「敵ながら天晴れ」と感心しました。
論戦の冒頭で石橋委員長は「皆さん方は軍事力で日本の安全を守ろうとする。私たちは非軍事的な手段、特に外交的な手段を中心に据えて日本の安全を守ろうとする」と切り出し、中曽根首相は「如何に理念が良くても結果が悪かったら、それは責任を全うできない。これが政治の世界である」と受けて立ちました。
続いて石橋委員長が「中曽根首相自身が本当に過去の戦争、日本の軍国主義が犯した犯罪と言うものに対して腹の底から反省しているのだろうか。そんな気がしてならない」と歴史観を質すと中曽根首相は「過般の戦争について我々が重大な反省をしなければならぬ事実だ。あの戦争については厳しい自己批判、自己反省をしている演説を私は各地でやっている」と同意しました。
そして石橋委員長が「日本は地理的条件も非常に恵まれている国だ。日本が自ら紛争の原因を作らない限り、他国から侵略される惧れと言うものは極めて少ない国だ。明治以降はこちらが全部侵略した」と元陸軍軍人らしい見解を披歴すると中曽根首相は「私は自分で防衛しなければ侵略される危険が出てくる。そう思っている。一番良い例が北方領土だ。あそこに日本軍、あるいはアメリカ軍がいたらソ連軍は入って来なかったと北千島作戦参謀だった人が書いた本にある」と元海軍軍人らしく切り返しました。
さらに石橋委員長は「第2次世界大戦末期の日本軍は100万人の兵力を本土に配置していたが守り切れなかった。25万人の自衛隊で守ることができるのか」と一歩間違えば大幅軍拡の口実を与えかねない核心を突いた質問で迫り(この辺りが後の女性党首たちの観念論との相違点)、中曽根首相は「降伏の白旗と日の丸は違う。白旗は単なる白い布切れだ。しかし、日の丸には歴史と1億人の国民がある」と格調高く反論しました。
最後に石橋委員長が「どんなに困難であろうとも国際的には完全全面軍縮、国内においては非武装と言うこの大理想を現実のものとする努力を絶対に私たちは怠る訳にはいかぬ。この理想を放棄する訳にはいかぬ。これが私たちの非武装中立論と言うものの根幹の考えだ」と宣言し、中曽根首相も「石橋さんの平和に対する情熱、あるいは日本のために平和を最後まで維持しようと言う熾烈なご希望については同感を禁じ得ない。しかし、現実的方法については色々議論が有り得ると思う。国民の皆さまの間で我々両党でよく説明もし、どちらがご理解をうんといただくか、これは両方の腕前にもよるが石橋さんの健闘をお祈りする」と幕を引きました。是非続きの中継を見たいものです。ご冥福をお祈りします。
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  1. 2019/12/16(月) 13:51:04|
  2. 追悼・告別・永訣文
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振り向けばイエスタディ1766

翌週、私の官舎には南城市の玉城家から2通の郵便物が届いた。1つは喪主の松岳からの淳之介に頼んだ香典の引き出物だが、もう1つの元義母からの書簡は淳之介と松真から電話が入っていたので用件は判っていたが内容は深刻だった。
「葬儀の日、あかりが閻魔大王の美恵子を地獄に堕とすと言う声を聞いたそうです」この話はあかりから直接聞いているので元義母の説明を読むまでもない。私としては美恵子の非常識ではなく非情識な言動が悪化の一途を辿り、末期症状を呈していることには愕然とした。
「それで淳之介から貴方が浄土真宗の『悪人でも念佛を唱えれば必ず救われる』と言う教えは間違っていると言っていると聞きました」これは東京拘置所に収監中に熟読した多くの経典の中でも浄土三部経の教説に基づく私の見解(けんげ)だ。
観無量寿経では極悪非道の重罪人でも法縁を得て、自分の罪を悔い改めた上で真摯に願えば下品下生(げぼんげしょう)としてゴミ拾いのように救済されると説いており、親鸞聖人の歎異抄の「悪人正機の抄」でも罪の自覚を前提にしている。一方、田沼元准尉から勧められて読んだ両本願寺の布教用解説書では死後の世界の人権派弁護士のような無制限の免罪を語っていたが、これは「悪人正機」を信者獲得の目玉商品にした詐欺まがいの拡大解釈に過ぎない。
「淳之介はお地蔵さまなら罪人を哀れんだ他人の願いにも耳を貸してくれると言っていましたが、私が母として願えば救ってもらえるのでしょうか」元義母の筆跡は明らかにこの部分に力が入っており、この問いが切実であることが判る。おそらく美恵子に間近で接していて「地獄に堕とす」と宣告されたことに納得せざるを得ない気持ちを抱えているのだろう。
私が淳之介に延命能化地蔵願応尊のこの功徳を語ったのは八重山のアパートに泊めてもらって飲んだ時、北キボールPKOで3名の若者を殺害し、殺人罪で告発されたことを「裁判では無罪になったけど閻魔さまは許してくれるのか」と質問された回答だった。確かに地蔵菩薩は天道・人道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄の六道に常駐して亡者たちを抜済するので阿弥陀如来の誓願から洩れた重罪人も救うことになるが、沖縄には地蔵信仰そのものが存在しないはずだ。私は自宅用パソコンの電源を入れると松岳への礼状と元義母への返事を打つことにした。ただし、元義母へは安堵させるような内容にはならない。
「ご下問の件に坊主の端くれとして回答申し上げます」元義母へも目隠しのシールを貼った葉書なので文章は簡潔だ。その方が高齢になっている元義母も助かるのではないか。
「確かに地蔵菩薩にはそのような功徳があります。しかし、あかりから聞いた話では父上が戦後に産卵前の海亀を殺した報いで美恵子のような子供が生まれたようですが、その本人は罪を償うことなく悪業を重ねています。ならば地獄へ堕ちて苦しむのは因果応報・自業自得・服役贖罪と言うものです」私自身も3人を屠(ほふ)った殺人鬼だが、美恵子も私の幹部自衛官としての将来を奪った殺生の罪を犯している。そもそも戦闘で敵を殺すのは正当行為であって罪ではない。それを殺人罪として告発したのは社人党党首の福島水子の政治的暴略だった。
「ここで美恵子を自分が犯している罪を自覚せず、悔いぬままに助けることはその悪因を先延ばしすることになり、玉城松栄家の子孫に悪果をもたらしかねません」その子孫の中には淳之介や恵祥も含まれている。それを言えば淳之介は悪徳庄屋だったモリヤ家の血筋も受け継いでいるが、その悪しき血も安里家との縁によって浄められているのだろう。
「さらに言えば沖縄の祖先崇拜では人生の善悪是非に関わらずモンチュウの一員であることでだけで祖先の末席に加えられますが、美恵子は長(おさ)である松泉さんを冒瀆したそうですね。本来は無審査の救済である沖縄の伝統的信仰でも救われる術(すべ)を自ら捨てたのです」これは松真が元義母から聞いた話の又聞きだ。美恵子は松泉伯父の家で鉄血勤皇隊として沖縄戦に参加したことを憎悪の対象である私に重ねて「殺人者」と誹謗したそうだ。度量が広い松泉伯父も死の床にある自分への暴言は許さず、「地獄へ堕とす」と宣告したと言う。
「美恵子本人が自分の罪に気づき、悔い改めない限り、地獄へ堕ちることは指定券です。玉城松栄家や孝子叔母さんを含む元義母上さまの親族に類が及ばないことだけを念じながら傍観するしかないでしょう。閻魔王の真言は『ノウマク・サンマンダ・ボタナン・エンマヤ・ソワカ』ですから寛大な判決を願うならこちらにどうぞ。元婿のモリヤニンジン」葉書に余白ができたので奈良地方裁判所での司法実習の時に参拜した白毫寺の閻魔王像の写真を添付した。
この見解は淳之介と松真にも電話で伝えていたが、2人とも私が受けてきた苦衷を知っているだけに何も言わなかった。しかし、元義母は親心ですがってきたのだから芥川龍之介の名作「蜘蛛の糸」で釈尊が地獄の底の血の池で苦しむカンダタに垂らした一筋の糸のような希望を託してきたはずだ。それに対して余りにも非情であることは自覚している。
閻魔王像(白毫寺)白豪寺・閻魔王像
  1. 2019/12/16(月) 13:44:02|
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12月15日・ソ連軍の狙撃王・ザィチェフ大尉の命日

ソ連崩壊の10日前の1991年の12月15日は第2次世界大戦における独ソ戦において257名のナチス・ドイツ軍将兵を殺害したヴァシリグリコー・リュヴィチ・ザィチェフ大尉の命日です。人数ではソ連軍のフィンランド侵攻で公認だけでも542名を殺害したシモ・ヘイヘ少尉に遠く及びませんが戦果としては同等の意義がありました。
ザィチェフ大尉は1915年にウラル山脈南部のチェリヴィンスク州で生まれましたが、本人は勿論のこと先祖代々が狩猟の名手でザィチェフと言う姓も獲物のウサギを意味するザイカに由来するそうです。近傍の建築専門学校を卒業後、1936年に海軍の軍事経済学校に入営し、卒業後はウラジオストックの太平洋艦隊の会計班長として勤務しながら中尉で第2次世界大戦を迎えました。ところが1941年6月22日にナチス・ドイツが突如としてソ連に侵攻すると卓越した狩猟=射撃の腕を買われて陸軍に移籍して第284狙撃師団の第1047狙撃連隊に配属され、1942年9月にソ連南部のヴォルガ側沿いの工業都市・スターリーグラードにおける攻防戦に参加することになりました。
ザィチェフ中尉は市街地の大半が制圧されていた9月からソ連軍による反攻が始まる11月上旬までに32名のドイツ軍将兵を殺害し、本格的反攻が始まって以降は12月中旬までにドイツ軍狙撃兵11名を含む225名を殺害しています。それと同時に市内の化学工場跡で狙撃兵を育成して28名を実戦に投入したため、この地域でナチス・ドイツ軍は3000名以上が狙撃によって戦死したと言われています。
スターリーグラードの攻防戦ではナチス・ドイツ軍が送り込んだ狙撃の名手・エルヴィン・ゲ―ニッヒ少佐、若しくはハインツ・ルートヴァルト少佐との対決が伝説として語られています。これはザィチェフ中尉の狙撃による戦死者があまりにも多いことに危機感を持ったナチス・ドイツがベルリンの狙撃学校の教官だった少佐を送り込み、ザィチェフ中尉を狙わせたと言うものです。粗筋としては熟練した狙撃手の出現にソ連軍もザィチェフ中尉に始末を命じ、相棒である観測手と見届け役の政治将校の3人で廃墟となった市街地を捜索して瓦礫とトタンで偽装している少佐を発見すると政治将校が狙撃されて負傷したものの観測手が鉄帽で狙撃を誘い、正確な位置を確認したザィチェフ中尉が一撃で射殺したとされています。ただし、ソ連軍の公式記録には記載がなく、ナチス・ドイツ側にも該当する時期の士官の転属に関する記録がない上、ベルリンには狙撃手を育成する専門の学校は存在しませんでしたから後世の創作の可能性が高いようです。
そんなザィチェフ中尉は翌1943年1月に目を負傷して戦線離脱しますが、角膜移植の先駆者であるオデッサ大学のウラディーミル・フィラトフ教授の治療を受けて回復し、大尉に昇任して戦線に復帰しています。復帰後は狙撃に関する教範を2冊執筆しましたが、ソ連領内から出ることなく終戦を迎えました。
終戦後はキエフの工場の管理職を務め、死に際してはスターリーグラード(=ヴォルゴグラードに地名が変更された)への埋葬を希望したものの一度はキエフに埋葬され、2006年になってスターリーグラード攻防戦の戦没者墓苑に改葬されました。
  1. 2019/12/15(日) 12:32:35|
  2. 日記(暦)
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振り向けばイエスタディ1765

義母の勝子が葬儀社から届いた仕出し弁当を持って家に戻るとあかりが打ちひしがれたような顔で居間に座っていた。恵祥は眠ったままだ。
「疲れが取れんねェ。アンタも昼寝すれば良いさァ」勝子が声をかけるとあかりは安堵した表情になり、ゆっくり首を振った。あかりの暗い表情に勝子も心配になって前に座った。
「先ほどお義母さんが帰って来られました」「美恵子が何か言ったんねェ。自分の孫と初めて対面しても喜びもしなかったんだね」勝子としては美恵子の非常識もこの辺りまでにしてもらいたいところだ。するとあかりは事実を告白するべきか悩んだように唇を噛んだ。
「私もあの子の親として事実を知りたいのさァ。正直に言って頂戴」「はい、判りました」勝子に促されてあかりは深めに息を吸ってから口を開いた。
「お義母さんから『恵祥の目が見えるか』と訊かれたので、『見える』と答えたら安心してくれました」これは嘘ではないが事実からは大きくかけ離れている。美恵子は恵祥が健常者であることに絡めてあかりと母である梢を口汚く冒涜したのだ。
「あの子がそんな親心を持っていないことは私も良く知っているから正直に言いなさい」「はい、目が見えるならまともに生きていけるって・・・私が早産だったのは母がだらしないからだって」あかりの顔は怒りではなく哀しみの色に染まっていった。むしろ勝子の方が怒っている。ところが続きはその怒りの炎を燃えたまま凍結させた。
「その時、私は閻魔大王の声を聞いたんです」勝子も淳之介からあかりがユタやノロのように天地の精霊や死者の魂魄と会話できることは聞いている。閻魔大王も子供の頃に祖母が古びた絵本を見せながら戒めの説話として語っていたので知っている。勝子も座り直した。
「閻魔大王がお義母さんを地獄へ堕とすって言ったんです」「地獄へ・・・」勝子は美恵子が松泉を「戦争で人を殺した罪で地獄に堕ちる」と誹謗した時、逆に「お前を地獄に堕とす」と宣告されたのを聞いている。あかりは松泉の声を聞いたのではないか。ならばモンチュウの長としての叱責かも知れない。そう考えた時、あかりは恐るべき続きを話し始めた。
「戦争が終わった頃、お祖母さんのお父さんは飢えに苦しむ家族のために卵を産む前の海亀を殺したそうですね」「どうしてそれを・・・」勝子は返事ができなかった。那覇市内で商店を営んでいた勝子の両親は戦火で店を失い、収容所から解放されても商売を再開することができず、海岸で魚を釣って売り歩き、飢えをしのいでいた。そんなある日、父が海亀の肉と卵を持ち返り、家族に振舞ったことがあった。しかし、この話は夫の松栄にさえしたことはない。
「お義母さんはその罪を償わなければならないのにモリヤのお義父さんを裏切り、モンチュウの松泉さんの気持ちを踏み躙った。だから地獄へ堕とすって言うんです」勝子は正座している膝の上で拳を握った。今日はこの拳で美恵子を打ちのめさなければならない。
「その話を美恵子にしたんねェ」「お義母さんは私たちと松真叔父さんが泊まるなら那覇市内のホテルに行くって出かけました」美恵子は今日は中国語教室がないにも関わらずモンチュウの長である伯父の葬儀に参列せず、久しぶりに息子に会い、初めて孫に会っても全く関心を示さない。勝子の頭の中では祖母の絵本の地獄絵図に描かれていた悶え苦しむ亡者と今の美恵子が重なっていた。あの絵本も戦災で焼失してしまった。
「あッ、私は宴席の支度の途中で抜けてきたんだった。あかりはこの弁当を昼ごはんに食べなさい。ペットボトルのお茶もついているから飲むのよ」その時、現実が勝子を救ってくれた。本土と同じく沖縄にも7日ごと49日までのナンカスークゥ―(=七日焼香)と言う風習があるが、遺族の哀しみがつのる頃に人が集まる法事を課して気を紛らすのだ。
「淳之介、地獄に堕ちるような罪深い人間が救われるにはどうしたら良いのかね」火葬を終え、遺骨を丘の下の亀甲墓に納めた後、モンチュウたちは松岳が家主になった屋敷での宴席に臨んでいる。勝子は娘の日出子や夕紀子と一緒に黒いエプロンをして給仕と酌に忙しく働き回っているが、通りがかったところで淳之介の前に正座した。すると淳之介も合わせた。
「そりゃあ念佛だろう。職場の門徒の連中はどんな極悪人でも南無阿弥陀佛と唱えれば帳消しだって言い切ってるよ」隣席から松真が口を挟んだ。しかし、勝子は孫としてではなく坊主の息子として淳之介に尋ねたのだ。松真を手で制して淳之介の答えを促した。
「父は本願寺の浄土真宗の教えは間違っているって断言しています。阿弥陀如来は真摯な反省の上で救いを求める者は救って下さっても口先だけの念佛は罪を深めるだけだそうです。でも・・・」ここで淳之介はグラスの泡盛の水割りで口を湿らせた。
「地蔵菩薩なら罪人を哀れんだ他人の願いでも耳を貸して下さるから何とかしてくれるかも知れません」「お地蔵さんかァ・・・」考え込んだ勝子を松真と淳之介は困惑して見ていた。
  1. 2019/12/15(日) 12:31:19|
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陸上自衛隊高等工科学校は即刻廃止せよ。

陸上自衛隊高等工科学校の生徒1名が8月に会員交流サイトで知り合った男から大麻を購入し、それを武山駐屯地の校内で仲間に売り渡していたことが発覚して12月10日付で5名が懲戒放校処分になりました。この事件によってかつては田舎の貧しい少年たちを集めて純粋培養していた自衛隊生徒も現在では給料と就職と言う餌に惹かれて群がってくる卑しい少年の巣窟に過ぎないことが発覚しました。
陸上自衛隊高等工科学校は帝国陸軍の上層部を閉鎖的純粋培養の世間知らずで固め、独善的体質を悪化させた揚げ句に欧米列強との戦争を引き起こした首謀者である陸軍幼年学校出身の元将校たちが敗戦後、公職追放が解除されて自衛隊に入隊すると、「国家を滅ぼした」と言う大罪を反省することなく制度そのままに持ち込んだ自衛隊生徒が前身ですが、これは武力紛争関係法の「1977年ジュネーブ条約第1議定書」77条と「1977年ジュネーブ条約第2議定書(日本は批准していない)」4条だけでなく、「1989年児童の権利に関する国際条約」38条と「1998年国際刑事裁判所規定」8条や「1999年最悪の形態の児童労働の廃絶のための国際条約」並びに「2000年武力紛争における児童の関与に関する児童の権利に関する条約選定議定書」3条と4条などの後年に制定された15歳未満の少年の徴兵と参戦を禁止し、18歳未満の少年の徴兵と参戦を回避する国際諸条約の立法趣旨に反していることは明らかであり、アフリカ各地の内戦で飢餓に苦しむ少年たちが食糧欲しさに兵士になっていることが国際的な人道問題になると日本政府も国際社会に指弾されることを惧れ、自衛隊生徒を廃止したのです。この時、海上と航空は制度そのものを廃止しましたが帝国陸軍の亡霊に憑りつかれ、特別な受験対策を施した卒業生を防衛大学校に送り込んでいる陸上だけは自衛隊の定員外とする姑息な手段で存続を図り、それで湧いて出たのが陸上自衛隊高等工科学校と言う専門学校です(通信課程で高校卒の資格を取得する)。しかし、この専門学校の生徒たちは自衛官ではないにも関わらず公然と武器を取り扱い(大麻常習者を含む)、陸軍幼年学校を模倣した学年章付きの制服を着用し、教官の指揮を受けて行動している以上、陸戦規則とジュネーブ条約の戦闘員の基準に該当し、実弾射撃訓練も実施しているため戦闘要員であることも明白なので国際法条約違反は継続していることになります。
陸上自衛隊生徒=少年工科学校から防衛大学校に進んだ千葉徳次郎陸将(生徒15期、防大21期・岩手県出身)は北部方面総監に着任した時、隊員の階級構成で陸曹が陸士よりも人数が多いことを知ると「これでは指揮系統が維持できない」と陸曹を削減することを命じました。その具体的方法は自衛隊生徒=高等工科学校出身者と新隊員から選抜される陸曹候補生だけを昇任対象として既に制度が廃止されていた陸曹候補士については昇任年限に達しても認めず一律に退職に追い込んだのです。しかし、陸曹候補士は4年以降7年未満で陸曹に昇任させて定年までの終身雇用を保証して採用していたのですから完全な契約違反なのですが、生徒出身者の独善性の前には社会常識などは全く通用しないのです。このような何の必要性もない悪しき病巣こそ即座に切除・抹殺すべきでしょう。
  1. 2019/12/14(土) 13:01:54|
  2. 時事阿呆談
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