古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

外道(げどう)の達人を一般人の常識で縛るな。

横綱・日馬富士関が同じモンゴル出身の幕内力士をビール瓶で殴り、怪我をさせた事件で警察が暴行傷害容疑で捜索を開始したようです。事件そのものは暴行と傷害と言う刑法上の犯罪用件に該当する行為があったのですから警察が動くのは当然であり、負傷した幕内力士のみならず横綱自身も休場に追い込まれてファンの期待を裏切ったのですからそれなりの処罰を受けても仕方ないのですが、それを報じるマスコミの論調には今回も腹が立っています。
マスコミの論調は「相撲は礼に始まり礼に終わる日本の伝統文化である」と言う建前に立脚して誰も求めていないような綺麗事を並べた後、「横綱は力士の模範でなければならない」と断定するのです。そして朝青龍関の暴力事件を引き合いに出しながらコメンテーターなる素人が「やはり日本人でなければ」と呟いて原因がモンゴル人関取の増加にあるかのように結論付けています。しかし、プロの大相撲は元来、祭礼の客寄せ興行から始まった見世物なので何よりも求められるのは「強さ」であり、だから大相撲の本質を理解しない教育員会的相撲ファンたちが眉を潜めるような言動・態度を取り続けていた横綱・朝青龍も無敵の強さで圧倒的な人気を獲得していたのです。朝青龍の暴力事件の時もマスコミは街角インタビューなるものをファンの声として報道していましたが、発言をしていたのは相撲のことなど何も知らないような高齢女性ばかりで、批判する声だけを選んで報じるストーローマン手法だったことは明らかです。今回も同様の街角インタビューが行われていますが、流石に日馬富士関は「日本人力士以上に礼儀正しい好人物」と言う好印象を与えているので「意外」と言う声が圧倒的で、マスコミとしては「それでは弱い」と思ったのかどう見ても相撲に関心がなさそうな高齢女性に「がっかり」と言わせていました。
しかし、相撲は格闘技である以上、その頂点にまで登り詰めるには余人の遠く及ばない身体能力と不倒不屈の闘志が不可欠なのです。スポーツで一流とされる選手の身体能力は超人そのものです。モスクワ・オリンピックのレスリング・グレコローマンの幻の代表だった知人宅で飲んでいる時、保育園の年長だった息子さんが食卓のつまみに手を伸ばしたのを払いのけたところ壁まで吹き飛んでしまいました。この知人は腕相撲大会で勝ち抜いた若者に両手でやらせても一瞬で足が円を描いて回転させるほどの腕力の持ち主ですから、息子を軽く優しく払い除けたつもりでも吹き飛んでしまうのは当り前田のクラッカーでした。だから今回の事件で横綱がビール瓶で頭を殴ったことで前頭が頭蓋骨骨折したのも怪我をさせようとしたのではなく、ほんの軽い気持ちで打った結果なのでしょう。
さらにそれだけの腕力を持つ者としての自制心についても日頃、前述のようなモンゴル人力士を敵視する日本人の中で横綱として振る舞うために強く激しい闘志も封じ込めなければならないストレスを発散できるモンゴル人力士だけの宴席だったのですから羽目を外すことも至極当然であり、これを批判できるほど健全な生活を送っている人間はあまりいないはずです。
最近は芸人や役者の「遊びは芸の肥やし」と言う気風も同様の批判を浴びるようになっていますが、女性を見詰めるだけで口説き落す眼力は舞台の上から女性客を魅了する魔力に通じると言われており、「男女の感情の機微」を体験するための偽装恋愛を含め女遊びが芸道の修行なのは間違いなく、マスコミが賞賛するような良き家庭人ばかりになってしまっては芸道は衰退するだけなのです。
いい加減に一般人の常識の外に生きている職業人たちを自分たちの矮小な価値観で拘束するのは止めましょう。だから彼らには敬称をつけずに呼び捨てにすることが許されているのですから。
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  1. 2017/11/17(金) 09:56:31|
  2. 常々臭ッ(つねづねくさッ)
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振り向けばイエスタディ1011

岡倉はDIAの支所が設置されている某キャンプ前の商店街の書店で沖縄県版のゼンリン地図を購入した。これで店名や個人名が記入されていなければ空きビルは識別できる。尤も、最近は個人情報保護を理由に入居者名の記載を拒否する大家や所有者、管理人も増えているようなので、やはり洗濯物などで確認する必要はありそうだ。
「これだけ長期間の潜伏となると食料の調達などには出歩いているはずだから、ある程度は日本語ができると見るべきだろうな」DIAのパソコンで表示された地点は極めて大まかなものだったので、これから1軒1軒しらみ潰しに探索していくしかない。しかし、住民に怪しまれることも避けなければならず、チベットで死んだ村田の苦労が少し理解できたような気がした。
「小禄まで行って下さい」「第2ゲートねェ」書店の前で拾ったタクシーで目的地を指示すると運転手は妙な確認をしてきた。
「第2ゲートって何ですか」「自衛隊の門のことさァ。ニィニは自衛隊さんだろ」いきなり素性を言い当てられて少し驚いたが、ここは平静を演じながら話を勧めるしかない。
「いいえ、僕は雑誌記者ですよ。自衛隊ではなくて小禄の街に行きたいんです」「何だ、そうねェ。ナイチャー(本土の人)の顔してナイチャー口(ぐち=標準語)を喋るから自衛隊さんって思ったのさァ」運転手はアッサリと種明かしをすると軽快に走り出した。キャンプのゲートから商店街を少し歩いただけだが真夏の沖縄では日差しで首筋が焼けたようにヒリヒリする。その分、タクシーの強めのエアコンが心地よかった。
「雑誌記者さんが小禄へ何の取材ねェ。やっぱり騒音問題かな」「まァ、そんなところです」アメリカでは事務所でも基本的には英語を話し、日本語は盗聴から簡易に秘匿するため使うだけだ。つまり現在の岡倉は頭の中で英語から日本語に翻訳しながら会話しているのだが、そこにシマグチ(=沖縄方言)への2次変換機能は組み込まれていない。
「騒音問題なら自衛隊さんよりも普天間や嘉手納の米軍ネタの方が高く売れるらしいけどね。那覇は民間も飛んでいるからあまり批判はできないのさァ」この運転手もマスコミ関係者を乗せることがあるらしく本当の雑誌記者なら役立ちそうな助言をしてくれる。しかし、残念ながら岡倉の取材=調査目的は騒音ではないのだ。

「考えて見れば沖縄にも高射特科部隊があるんだっけな」航空自衛隊のゲートを通り過ぎて間もなく小禄の街の角でタクシーを降りた岡倉は久しぶりに自衛隊の知識を頭の中の引き出しから取り出してみた。あの頃のままなら古巣であるホーク部隊の第6高射特科群(現在は第15高射特科連隊)は沖縄本島南部の与座(現在の八重瀬)と知念、中部の中川と勝連の各駐屯地にあるはずだ。その意味では旧知の人間と接触しないように細心の注意を払わなければならない。
小禄は沖縄戦の上陸地点になったため徹底的に破壊された。そこに生き残った人々が勝手に家を建ててできた街であり、米軍相手の商売で儲かるとそのあばら屋が立派になり、やがては鉄筋コンクリートの建物になってしまった。このため市街地計画など全くないまま乱立した建物で道路は入り組み、ゼンリン地図もあまり役に立たない。すると路地の奥の全く目立たない場所に小さな煙草屋があった。ガラス戸の奥では200歳は生きていそうな老婆が猫を抱えてテレビを見ている。
「すいません。この辺りに安いホテルはありませんかね」「それでニィニ、煙草は何ねェ」老婆は岡倉の質問には答えず商売上の質問を返してきた。つまり回答は有料と言うことらしい。煙草を吸わない岡倉は仕方ないので煙草と一緒に置いてある沖縄のミネラル塩飴を買うことにした。老婆は代金と引き換えに飴の袋を手渡しながら思いがけずシッカリした口調で説明を始めた。
「この辺りにホテルはないさァ。女連れならホーミーのために泊める店はあるけどね」岡倉は老婆の話を日本語翻訳機にかけたが「ホーミー」が識別不能だ。そこで真顔で訊き直してみた。
「ホーミーって何ですか」「ホーミーはニィニが大好きなことさァ、知らないンだったら私が教えてあげるさァ」老婆の妙な笑いを見て岡倉の頭の翻訳機に2次変換機能が追加された。要するに九州のボボ、韓国語のセオグェンウィ=性行為のことのようだ。
「そうですか、それでは困った時に誘いにきます」「マチュンさァ(待ってるよ)、カナサンよォ(愛してるよ)」岡倉が飴を持って退散すると老婆は立ち上がって声をかけてきた。
  1. 2017/11/17(金) 09:54:38|
  2. 夜の連続小説8
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11月17日・イタリアの「黒猫の日」

明日11月17日はイタリアの「黒猫の日」です。西ヨーロッパを「生命尊重の聖地」として信奉する日本の動物愛護団体などはイタリアがこのような日を設けていると聞けば「黒猫に特化して動物に愛情を注ぐための日」と思い込み、「是非、日本でも模倣するべきだ」と言い出しかねませんが実際は全く逆の経緯から始まったのです。
中世のヨーロッパではバチカンの教皇の絶対的権威の下、庶民にまでカソリックの戒律が周知・徹底されるようになり、その中で信仰心を持たない者を摘発し、改心させるための異端審判が全土で繰り広げられていました。このため異端者はカミではなく悪魔を信仰する「strega=伊語」「hexe=独語」「witch=英語」「sorciere=仏語」でなければならず(これらの単語に男女の区分はなく日本語の「魔女」は誤訳)、次第に悪魔のイメージが具体化していったのです。そうしたイメージの中に黒猫が含まれた上、バチカンがそれを認めたため不吉な存在として虐殺することが悪魔払いの儀式となり、黒猫を火焙りにする祭礼がヨーロッパ各地で行われるようになりました。さらに家を建てる際には魔除として黒猫を壁に塗り込むことも一般化したため、現在でも古民家を取り壊すと壁の中からミイラ化した猫の遺骸が出てくるそうです。
確かに黒猫は顔に柄がないため昼間の瞳孔が細い時には目が強調され、暗闇でも目だけが光るので不気味さを感じるのは間違いなく、さらにウチの音子は極端に知能が高く人間の言語を完全に理解していますから、それが黒猫に共通する特性であるとすれば悪魔の従者にされても不思議はありません。
イタリアの「黒猫の日」はそんな残酷な行為を懺悔するための日なのですが(=他の各国にも同様の行事があるようです)、ナチス・ドイツのユダヤ人迫害に関しては現実を無視したところまで執拗に追及しているヨーロッパ人もこの件でローマ・カソリックの罪科を指弾する動きはないようです。
ヨーロッパでは悪魔の使いにされた黒猫ですが日本では逆でした。日本は農業国であったため猫自体が貯蔵している穀類や養蚕の虫を喰い荒らす鼠を捕る家畜として大切にされており、猫が化け物になる条件=年数などが戒めとして語り継がれていたようです。野僧が調べたところでは沖縄本島の北部では13年、百里基地周辺と長野県内では12年、広島県北部では7年とされ、それまでに死ぬように飼うことになっていたらしいのですが、虐待死した猫が恨んで化け猫になる伝承も一般的ですから上手く自然死させなければならなかったのでしょう(=「飼い猫に贅沢させるな」と言う戒めかも?)。
さらに福を招く縁起物の招き猫では白と黒、まれに三毛があり、中でも黒猫は「暗闇でも目だけが光る」ことを「人生の暗闇でも先行きが見える」「暗闇から襲いかかる魔物を撃退する」と前向きにとらえて「魔除けの福(=不苦)猫」と喜ばれるようになっています。特に爪まで黒い猫は希少性から家の守り神扱いされることもあります。宮崎アニメの「魔女の宅急便」では黒猫のジジが登場しますが、どう見ても悪魔の使いと言う恐ろしげな雰囲気ではなく、むしろ細身の福猫のようです。
現在の日本で「黒猫」と言えば何と言ってもヤマト運輸でしょう。野僧はあのマークを青猫にして管理小隊のワッペンとして使わせてもらおうと面識があった当時の社長に頼んだのですが、「それでなくても不正な無断使用が後を絶たないので管理を徹底しているところだ」と断られてしまいました(警備小隊長時代にもメガネスーパーにフクロウのマークを頼んだことがありましたが同様の答えでした)。実はあのマーク自体がアメリカの大手運送会社であるアライド・ヴァンラインズのシンボル・キャラクターを模倣したものです(勿論、許可を取っているそうです)。ただし、あちらは縞模様のリアルな猫の親子で、同様の足先が白い黒猫は系列会社のものです。
黒猫ヤマトヨーロッパでもこのマークです。
  1. 2017/11/16(木) 10:44:33|
  2. 日記(暦)
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振り向けばイエスタディ1010

岡倉は嘉手納基地に降り立つと在沖縄米軍のキャンプ内にあるDIAの支所に向かった。
「ルテナン・カーノー(2等陸佐)・スギムラですね。ようこそ、おかえりなさい」DIAの支所長は岡倉の階級にアメリカでの偽名をつけて呼んだ。これは情報の錯綜なのか業務上の使い分けなのかは判らないが、少なくとも岡倉の個人情報が伝わっているのは確かなようだ。
「はじめまして、我が国の法的欠陥を補完する支援に感謝します」そう言って岡倉は支所長が差し出した手を握る。こちらも支所長が海軍の中佐であることは知っているのだが、東洋の兵法で手の内は明かさずに皮肉を返すことにした。確かにテロリストを放置するしかない現在の法体系はアメリカの占領下で制定された日本国憲法が基盤となっているのは間違いない。
「それでは早速ですが、我々が把握している北朝鮮の殺し屋の情報を説明しましょう」支所長は握手の手を放しながら部屋の奥にあるテーブルを差した。そこには私服のアフリカ系の男性とヨーロッパ系の女性が立っている。机の上にはデスク・トップ型のパソコンが4台置いてあった。
「この2名は当支所のスタッフであり、当然、軍人です」「なるほど、よろしく」支所長が中佐ならその部下の階級は自分よりも下であり、岡倉の方から手を差し出して握手した。
「それでは彼から説明させます。頼む」4人が席に着くと支所長が男性を促した。すると男性は電源が入っているパソコンの画面に那覇市の地図を映し出した。4台のパソコンはケーブルで接続されており、どれか1台で操作すれば同じ画面が映るようになっているようだ。
「我々は沖縄県内では監視を受けている立場なので活動には大きな制約を受けています」説明は弁明からだった。実際、沖縄ではマスコミだけでなく本土では意図的無視と言う形で協力している警察や官公庁まで敵意を持ってアメリカ軍と軍人や家族の行動を監視しており、その情報を集約する機能が県内のどこかに存在しているのは明らかなのだ。
「そのため一見して外国人である我々が現場で行動することは困難であり、協力者の身元確認に警察の協力を求めることは我々の存在が暴露される危険を伴いますから、やむを得ず貴方の協力をお願いしたのです」つまりDIAとしては自衛隊の助けを求めることは想定外だったと言うことだ。
「それでどのようにして北朝鮮の工作員の存在を察知したんですか」前置きが長くなったので岡倉の方から具体的な方向に話を進めた。3人は岡倉が場の空気に合せることしかできない日本人とは異質の人間であること確認したように視線を重ねた後、女性がパソコンを操作して画面を消した。
「ご存知のように我々は沖縄にも通信電波を探知する施設を持っており、そこで受信した暗号電文を可能な限り解読しているのです」その施設=像の檻は幹部候補生の時の沖縄研修で見学したことがあるが、パソコンであえて所在地を見せないのは情報に関わる者としては至極当然な処置だ。
「その大半は中国共産党からの沖縄県首脳に対する政治的指導と県内マスコミへの報道内容の指示、それから公務員労組に対する活動命令なのですが、日本の首相が交代した頃からそれとは別にハングル語の電文が入るようになったのです」「つまりその時期に工作員が潜入したと言うことですね」おそらくそれは前首相が腹痛を理由に退陣した2007年9月のことだ。急場凌ぎで登場したその首相は北京オリンピックの聖火リレーなどの対応を見ても政治的指導力は発揮できておらず、対中政策では外務省のチャイナ・スクールの言い成りになっているのは明らかだ。
「勿論、その手の電文は一方通行なので返信はないのですが、電文の中に地理的な情報を窺わせるものがあるので、その蓄積から潜伏している場所を特定したんです」女性はそう説明した後、再び那覇市内の地図を映した。
「沖縄県警は日本の警察の割に怠慢なので住民の確認なども形式的になっているため空きビルの奥などに住んでいるようです」そう言いながら女性がパソコンを操作すると地図上に3カ所の地点表示が現れる。それは那覇市内でも南部の自衛隊の基地と駐屯地、官舎がある地域だった。沖縄では本土のバブル崩壊によって観光産業が深刻な打撃を受けても当時の大田県政は反米軍基地運動にうつつを抜かしていた結果、倒産する中小業者が続出し、空き家になったテナント・ビルが珍しくない。中でも中心部から外れた南部地域には空きビルが数多く存在する上、那覇市の支所や配置されている警察官にも反自衛隊の活動家・共鳴者が多いので、野放し状態なのだろう。
「それで私はそこの現地確認をすれば良いのですね」「現地ではなく人物の特定と行動把握です」この支所長の指摘は曖昧な日本語的表現と目的を明確に絞る英語の違いによる齟齬だった。
  1. 2017/11/16(木) 10:32:56|
  2. 夜の連続小説8
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11月15日・真宗大谷派の凶女・大谷智子が死んだ日

平成元(1989)年の11月15日は真宗大谷派の内部抗争=お東さん騒動の元凶である大谷智子(さとこ)さんが死んだ日です。智子さんは昭和天皇の妻・良子(ながこ)皇后=後の香淳皇太后の3歳年下の妹で大正13(1924)年に真宗大谷派の次期門主(翌年に就任した)に嫁ぎました。
浄土真宗は親鸞聖人から7代目の子孫である蓮如聖人が佛法の継承よりも血統を優先するよう宗門の制度を変質させたため、本願寺が本来の正統な本山である専修寺や他の宗派の上に君臨するためにはその血統の格を上げる必要がありました。その点、皇太子妃の妹となればこれ以上ない権威付けの道具はなく三顧の礼以上の最敬礼を以て迎えたことは間違いありません。
茶道の某流派の現在の家元も皇族から嫁をもらい受けているのですが、まだ先代が家元だった頃、全国各都道府県や海外の支部長(大半は名誉職)・副支部長(実際の指導・運営責任者)が集まっての初釜の席でその若宗匠の嫁を披露することになったのだそうです。その日、大広間に揃って和やかに茶話が弾んだところへ若宗匠の嫁(茶道用ではない派手な着物、しかも振袖だったそうです)が遅れて登場すると家元は上座=亭主の席を譲り、嫁の方も何の躊躇い=遠慮もなく平然と座ったと言います。結局、皇族の娘を迎えると言うことは世間一般の常識を超えた栄誉であり、それ程まで尊重しなければならない存在なのでしょう。つまり全国の門徒たちから崇敬される立場の門主と雖もこの嫁の前では平伏するしかなく、ましてや天皇が現人神だった時代ですから本尊の阿弥陀如来よりも上位に置かなければ廃佛棄釋の余波で皇室への冒涜=「不敬罪」に問われかねない厄介な存在だったはずです。
浄土真宗には真宗教団連合に加盟しているだけでも10の宗派がありますが、西・東本願寺の本願寺派と大谷派が過半数の門徒を抱え込んでいます。その巨大教団の大谷派を分裂させたのが「お東さん騒動」と呼ばれる内部抗争でした。発端は明治初期に吹き荒れた廃佛毀釋によって内部改革の必要に迫られた教団内の路線対立です。この時は表向きだけ宗派内の若手の学者が主導する改革を推進するように見せながら裏では「伝統を守る」と言う名目をつけて旧態依然の教義と組織制度を維持したのですが、僧職の世代交代が進むにつれて全国の寺院でも改革の気運が高まり、それまでは門主を頂点とする上意下達だった宗門が地方から中央が突き上げを受ける事態に陥りました。そんな時期に大谷家に降嫁してきたのが智子さんでした。門主を取り巻く守旧派はこの嫁を最大限に利用するべく徹底的に祭り上げ、門主の権威に皇室の威光を上乗せした絶大な権力で改革派を弾圧していきました。その一方で智子さんの意向には絶対服従したため大陸での戦闘の長期化で国民の生活が困窮していた昭和14(1939)年に門徒の子女を教育する高等女学校=典型的なお嬢さま学校を京都に設立しています。つまり皇室と同様に高く高く祭り上げられた門主の妻の目には衆生の困窮と要望などは全く映っておらず、「近代化のためには女子教育が必要」と言う思いつきを口にするだけで周囲が実現に動いてしまったのでしょう。この時期に文部省は私立学校の統廃合を進めており、皇后の実妹の威光は戦時下の政府さえも屈伏させたようです。さらに智子さんは精神疾患を抱える4男を溺愛し、優秀な兄を差し置いて門主の座につけようとしたため、放漫経営や国宝を含む法人財産の私的流用の問題も絡んで長期間にわたる一大スキャンダルになり、大谷派は4つに分裂しました。
要するに智子さんも大谷家を姉の結婚をスケール・ダウンした準皇室のつもりで振る舞っていたのでしょう。それにしても真宗大谷派は明治のキリスト教の解禁を受けて対抗するための理論武装の研究は始めましたが、廃佛棄釋の暴挙を行って皇国思想による国民の洗脳を進めていた国家神道には膝を屈して威光を利用していたのです。これではこの国の破滅に加担したと言われても仕方ありません。
  1. 2017/11/15(水) 09:25:01|
  2. 日記(暦)
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