古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

5月30日・ジャンヌ・ダルクが火刑に処せられた。

1431年の明日5月30日にフランスでは聖女、イギリッスでは異端者であるジャンヌル・ダルクちゃんが火刑に処せられました。19歳だったとされています。
日本人は「ジャンヌ・ダルクは聖女だ」と思っていますが、死後44年で異端審問の無効が確定して無罪になっているものの教皇・ベネディクト15世によって列聖されたのは1920年5月6日になってからなので日本にフランスのカソリック修道女教団が進出してきた頃は単なる殉教者だったのです(列福されたのは直前の1906年)。
ジャンヌちゃんはフランスとイギリスが「百年戦争」を続けていた1412年にフランス東部にあるドンレミで農家の娘として生まれたとされます。この時代、戸籍制度が確立されていなかったため教会の洗礼の記録が発見されない限り、親か本人の申告によるしかないのです。ジャンヌちゃんについては異端審判で「19歳です」と証言しており、1月6日の誕生日と共に生年月日とされています。
幼い頃に村がイギリスの傭兵に襲われ、家族が殺されたことで強い敵愾心を持つようになったとされており(真偽・虚実不明)、13歳の時に大天使・ミカエル、アレキサンドリアのカタリナ、アンティキオのマルガリタの3聖女と出会い、「イングランドを駆逐して王子を援け、フランスの王位に就けろ」との託宣を受けたとされる聖女伝説は今風に言えば「幼時の精神的傷害」の結果と言うことになるでしょう。
この百年戦争はイギリス国内の対立とフランス王室の相続争いが複雑に絡み合い、時間の経過と共に戦争巧者のイギリスが優位に立ってフランスの王位そのものが風前の灯火に陥っていたのです。
何にしても窮地に追い込まれていたフランスの王子・後のシャッルル7世はこの田舎娘を利用することに決め、残り少ない軍を指揮させてイギリス軍に包囲されて陥落寸前だったオルレアンに派遣しました。
ジャンヌちゃんの指揮能力については古くから歴史家・軍人の間でも議論になっていますが、剣ではなく旗を掲げながら先頭に立って中央突撃した姿勢には士気を鼓舞する効果があったことは間違いなく、これまで劣勢から消極的な防戦に回っていたフランス軍が攻勢に転じて連戦連勝の奇跡を起こすことになりました。こうしてパリ解放の寸前まで迫り、シャルル7世の戴冠を実現したところでジャンヌちゃんの運命は暗転してしまいました。一度は成立していたイギリス、フランスの休戦は直ぐに破綻してイギリス軍に包囲されたコンピーニュの救援に向かったのですが、ここで捕虜になってしまったのです。
当時は捕虜になっても親族が身代金を支払うことで買い戻すことが可能だったのですが、何度も苦杯を飲まされているイギリスが放置するはずはなく、ジャンヌちゃんが「カミの託宣を受けた」と主張していることを理由に異端審判に掛けることにしたのは至極当然な処置です。この動きに戴冠させてもらった恩義があるはずのシャルル7世は何の手も打たず事実上の見殺しにしたのです。
こうしてジャンヌちゃんは当時のカソリック教会がその圧政に不満を露にする者を弾圧するために行うようになっていた異端審判で信仰の正当性と言動の真偽が審査されました。この時、最も問題になったのはジャンヌちゃんが男装をしていたことでした。何故ならカソリック教会は旧約聖書の創世記で男女の性別が定められていることを絶対化して気候や労働のための必要性は認めていおらず、男装をすることがカミに背く異端であると言う馬鹿げた論理を認めていたのです。実際、スイスの女性たちが山での仕事などでズボンを着用することを教会が禁じ、この不条理がプロテスタントで最も過激な反体制的主張を行うカルヴァン派(戦後になって日本キリスト教会も加入している)を生む原因の1つになったと言われています。
当然、フランス側がカミの声を聞いたジャンヌの指揮によって勝利を収めたのではイギリスの立場は絶対悪になってしまうので始めから判決は決まっており、異端との判定が下り、ジャンヌちゃんは救国の戦歴・軍功を自ら否定することになりました。ただし、当時の異端審問でも改悛すれば死刑になることはなかったのですが、ジャンヌちゃんは通常の女性被疑者のように女子修道院に収監されることなく一般の男性監視兵に預けられたため連夜のように性的暴行を受け(フランス、カソリック側は否定している)、女性用の服を奪われたことで再び男装したため改悛を虚偽と断定されて火刑になったのです。
そしてこの日、ルーアンの広場で柱に縛られたジャンヌちゃんは燃え盛る炎で焼き殺されましたが、遺骸が炭化する前に一度、薪を除去し、裸になった身体を聴衆に確認させ聖女の復活伝説などが発生しないように処置したと言われています。その後、再び薪を積んで火を点け、骨になるまで焼き尽くした後、遺骨と灰はセーヌ川に捨てられました。
フランス人はジャンヌちゃんの火刑をイギリスの悪事と言っていますが、自分たちが見殺しにしたのです。
Joan of Arc大西巷一作「ダンス・マカブル」より
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  1. 2017/05/29(月) 10:36:47|
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振り向けばイエスタディ838

その頃、岡倉は韓国にいた。「イラクでの自衛隊を巡る動静を確認したい」と言う思いは強いのだが、前任の防衛駐在官であった野中将補が「事件に巻き込まれることで存在が明るみに出ることは避けなければならない」と判断したことを受けて傍観者にならざるを得ないのだ。ならば愛する妻が待つ韓国で夫として過ごそうと考えるのは当然のことだろう。
休暇の間、妻・ジアエ(知愛)の実家に泊まることになっている。ジアエの実家=李家はソウル市内でも旧市街にあり、教師の共稼ぎだけに思いのほか立派だった。
「タイガー、久しぶりだね」「ご無沙汰して申し訳ありません」玄関で出迎えた両親に岡倉は礼を尽くした挨拶をする。儒教の伝統を守る韓国の礼式は厳しく、岡倉が子供の頃に母方の祖父母と同居していた家庭で受けた躾通りに立ち振る舞うしかない。それにしても義父は初対面の時にジアエが説明した仇名で呼んでくる。これも少し困った気分だ。
「まあ、日本の実家に帰った気分でリラックスしてくれたまえ」「本当、遠慮しないでも良いのよ」リビングのソファーに通されて義母が紅茶を出すと2人は楽にするように言ってくれたが、この家の高級な雰囲気は遠慮ではなく少し緊張してしまう。しかし、2人が現在の岡倉の自衛官としての職務をどこまで知っているのか判らないが、少なくとも普通の日本人よりは信頼できるはずだ。
「ジゲゥム(ただいま)」岡倉が舅・姑との雑談に疲れてきた頃、ジアエが帰ってきた。一度、自分のマンションに寄り、私服に着替えて外出する偽装をしてきたのだ。岡倉が玄関に出るとジアエははにかんだように微笑んだ。
「貴方、おかえりなさい」「エォセォ(おかえり)」ジアエが日本語、岡倉が韓国語と互いの言語で話しかけるのは2人の作法だ。両親も2人だけにするためついてこない。従って遠慮なく抱き締めることができる。どうやら正月休暇でジアエが望んでいた妊娠は果たせなかったようだ。
ジアエと一緒に居間へ入ると両親もソファーからにこやかに声をかけた。これが大学時代に両親を失って以来、岡倉が忘れかけていた普通の家庭の姿なのだ。
夕食はジアエと義母が腕を奮っている。その間、岡倉はリビングで義父と雑談していたが、岡倉は秘密保全、義父は不関与を気にしながらなので話は全く弾まない。そんな重苦しい空気に2人が耐えられなくなった頃、ジアエが呼びにきた。
4人でテーブルを囲むと韓定食(色々なバンチャン=おかずを鉢に分けて並べ、好きな物を取って楽しむ)が並んでいる。岡倉が感心しながら見回すと義母とジアエは自慢と安心の顔を見合せた。
「お義父さん、土産はカリフォルニア・ワインの赤です。確かバーガンティがお好みだったはずですが」「ほーッ、イエスの血だね。これも父からの慈しみとしていただくこととしよう」食事の祈りの前に紙袋からワインを差し出すと義父は笑いながら受け取った。そして祈りが始まる。4人でテーブルの上で両手を組んで頭を下げ、義父に指名されたジアエが先唱した。
「父よ、貴方の慈しみに感謝してこの食事をいただきます。ここに用意された物を祝福し、私たちの心と身体を支える福として下さい。私たちの主イエス・キリストによって・・・アーメン」最後のアーメンの前に額、胸、両肩に十字を置き、全員で唱える。ジアエは岡倉と食事をする時にも必ず祈っているのでおぼえてしまっている。そんな岡倉の様子を義母は安心したように見ていた。
「本当はこの祈りは古いのよ。今は公教会式の祈りが一般的なの」食事が始まり、ワインでの乾杯がすむとジアエが李家の娘の顔になって何時になく熱弁を奮い始めた。
「へーッ、カソリックでも公教会って言う別の教団の祈りを採用するんだ」「いいや、公教会と言うのは天主公教会のことでカソリックの別の呼び方だよ」義父が説明してくれたが、折角、祈りの作法で安心させた義母を落胆させるような勘違い=知識不足を晒してしまった。
「軍でもカソリック信者のミサの後の会食では新しい祈りに変更しているのよ」それでもジアエは気に留めることなく熱弁を奮い続ける。この自己主張の強さは今まで見ることがなかった韓国人としての素顔なのかも知れない。
「もう食事をいただいてしまったが、雑談上の知識として新しい祈りを説明してみなさい」義父に促されてジアエは姿勢を正して深く息を吸った。
「主、願わくは我らを祝し、また主の御恵みによりて我らの食せんとするこの賜物を祝し給え。我らの主イエス・キリストによりて願い奉る」アーメンを唱えないところが知識の説明だった。
  1. 2017/05/29(月) 10:31:59|
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イギリス俳優・ロジャー・ムーアの逝去を悼む。

5月23日に007シリーズのジェームズ・ボンド役で有名なイギリス俳優・ロジャー・ムーアさんが亡くなりました。89歳でした。
ムーアさんは4代目(3代目のジョン・キャビンさんの出演作は後述の理由で製作されなかった)のボンドのため初代のショーン・コネリーさんよりも若いと思われがちですが実際は3歳年上で、コネリーさんは第2次世界大戦には出征していないのですが(海軍に入ったのは戦後)、ムーアさんは陸軍の広報映画制作と娯楽演芸を担当する芸能部隊に奉職しています。
野僧は父親が「007シリーズにはジェームズ・ボンドとボンド・ガールの愛欲シーンがある」と誤解していたためテレビのロードショーで取り上げても見ることができず、中学生になってから映画館で見るようになったのでムーアさんのボンドが先でした。
自衛隊に入ってレンタル・ビデオが始まってからコネリー作品も見ましたが、先にムーアさんのスマートで洗練されたボンドのイメージを植え付けられていたため、その酷い訛りの英語や脂ぎった風貌・態度がイギリス人には見えず、全作品を借りてはきたもののあまり好きにはなれませんでした。
実際はコネリーさんの方が先なので、原作にはないジェームズ・ボンドの個性はスコットランド人で癖が強いコネリーさんによって作られたのだそうです。
例えば「アイ アム ボンド、ジェームズ・ボンド」と言う自己紹介はコネリーさんの口調になり、極端なスコットランド訛りからドイツ生まれで両親がフランス領アルプスでの山岳事故で死亡したためスコットランドに住む叔母に育てられたと言う設定が映画で付け加えられたのです。
この他にもボンドの愛用品である高級腕時計(ロレックスやオメガ、日本が舞台の「2度死ぬ」ではセイコー)やライター(ロンソンやデュボン)、愛車の1931年製ベントレー・ブロワー(前述の「2度死ぬ」ではトヨタ2000GT)、さらに紙巻き煙草(パーラメントやラーク、「2度死ぬ」ではしんせい)などもコネリーさん本人の愛用品だったと言われています。
そんなわがまま放題に振る舞うコネリーさんは集客力で配給元の支持は受けていても製作者とは相容れず、交代の可否を巡って両者が対立していた中、ジョージ・レーゼンビーさんを2代目ボンドとして製作した「女王陛下の007」が興行的に大失敗すると製作者側は前述のキャビンさんを3代目に建てたものの配給元はコネリーさんの復活を強く要求したため、1度きりの復活作品「ダイアモンドは永遠に」になってしまったのです。
実は人気小説「007シリーズ」の映画化が決まった時点でムーアさんはジェームズ・ボンド役の最有力候補だったのですが当時はテレビの人気番組に主演していたため応じることができず、コネリーさんが譲り受けることになったとジョークにしています。ただし2代目、3代目の時も同様の理由だったようですから本当にジョークなのかは判りません。
こうして4度目の正直で主演することが決まってからはファンが抱いているコネリー・ボンドのイメージを大きく崩さないように細心の注意を払いながら少しずつ原作で描いているボンド像に戻していきました。
先ずはコネリーさんの黒髪を尊重して2代目のレーゼンビーさん、3代目のキャビンさんも黒髪なので選ばれたと言われていますがムーアさんは自然な茶色です。紙巻き煙草も葉巻(モーランド)になりました。
何よりもスコットランド独立派であるコネリーさんの極端な訛りをクイーンズ・イングリッシュに近づけ、回を重ねるごとに訛りは消え、日本人には聞き易いイギリス英語になりました。
そしてコネリーさんのジョークはその毒々しい風貌から悪意を感じさせましたが、ムーアさんが温和な微笑みを浮かべて軽く飛ばすジョークはイギリス伝統のジョーク文化を堪能させてくれました。
非常に残念なのは昭和58年に公開された「オクトパシ―」とは別に「ピンク・パンサー5・クルーゾーは2度死ぬ」にそれまで主演していたピーター・セラーズさんが死去したのを受け、「クルーゾー警部補が整形手術を受けた」と言う設定で友情出演したのですが、沖縄では公開されず見られなかったことです。
何にしてもムーア作品から007シリーズを見ることができた野僧は幸運だったのかも知れません。ご冥福を祈ります。
  1. 2017/05/28(日) 10:14:16|
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振り向けばイエスタディ837

福岡地方検察庁での修習が本格始動した頃、私は北キボールで3名の命を奪った日、敵となった若者たちの3回忌を迎えた。昨年は拘置所内の教誨師のところで念佛を唱えさせてもらい冥福を祈ったが、今年も寺で読経させてもらいたいと思い仕事が終わってから博多に出た。博多の地下鉄の乗客たちは仕事帰りの疲れを全く感じさせない。むしろ帰りに寄る屋台や居酒屋の相談で盛り上がっているが、私は2年前の出来事を思い出して1人沈痛な思いを噛み締めていた。
「次は博多、博多でございます」車内アナウンスが流れる前から乗り慣れているらしい乗客たちは座席を立って昇降口に歩み寄った。私も遅れて立ち上がり、乗客たちの後ろに並んだ。念佛を唱える寺なら浄土宗か浄土真宗が良いのだが、博多の寺は仙厓義梵禅師の聖福寺と曹洞宗の専門僧堂である明光寺くらいしか知らない。駅前の派出所や観光案内で寺の宗派まで判るかは不明だが他に方法がないので仕方なかった。
博多で下車した多くの乗客の流れについて地上に出るとまだ明るい街にはビルの照明が点り独特の雰囲気が溢れている。その時、駅のーホルの正面で白い箱を抱えて募金を呼びかけているムスリマ(女性のイスラム教徒)たちが目に入った。彼女たちは頭から首にかけてネッカチーフで被い、長袖のTシャツとズボンの上にワンピースを着ている。呼びかけに耳を澄ますと正確な日本語だった。
「福岡にモスクを建設する募金をお願いします」「日本で学ぶ私たちに祈りの場を与えて下さい」「イスラム教は危険な宗教ではありません」どうやら福岡市内の大学の留学生たちのようだ。ただし、アラビア系ではなくインドネシア人かマレーシア人のような顔立ちだ。私はこの特別な日にイスラム教徒と出会ったことがアッラーと御佛の引き合わせのように感じ、胸ポケットから財布を取り出すと彼女たちの前に立った。すると眼鏡をかけたムスリマは遠慮がちに箱を差し出した。
「スプハーナッ=ラー」いきなり私がアラビア語で意志表明を唱え始めると彼女は驚いて箱を引き、両側のムスリマたちと顔を見合わせた。それでも私は北キボールで憶えた祈りの言葉を続ける。
「アシュハド アン ラー イラーハ イッラ=ッラー(アッラーの他にカミはないことを証言する)」・・・「アッラー アクパル(アッラーは偉大なり)」全てを思い出せた訳ではないが、それでも村田静照和上の念佛式の大音声で詠唱すると通行人たちが立ち止まり怪訝そうな顔で視線を浴びせ始める。私としては寄付による追善供養に先立っての詠唱なのだが、通行人にとっては珍しい見世物、ムスリマたちにも集客の広告になったのかも知れない。
「はい、これを役立てて下さい」私が財布の中から1万円札4枚を取り出して箱の中に入れると3人のムスリマは「サンキュー サー」と声を揃えて頭を下げた。それでも寄付を受けたムスリマが何か言いたそうな顔をしているので私から質問した。
「君たちは何時もここで募金しているのかね」「いいえ、平日は大学が終わってからです。休日は午前10時から12時までと夕方4時から6時までです」「その時間しか警察の許可が下りていないのです」私の質問に2人が答えたが、もう1人は私に倣ったらしい通行人の寄付を受けている。そこで質問の意味を説明した。
「今日はあまり持ち合わせがなかったが、次回はその時間に十分な金額を用意してくるよ」「でも・・・」「これはイスラムの人々への懺悔と感謝の献納なんだから気にしないでくれ」それだけ言うと私は派出所に向って歩き出した。するといきなり背後から「おい」と声を掛けられたので振り返るとそれは2名の制服姿の警察官だった。
「貴方は何かイスラム教徒を支援する理由があるのですか」これは職務質問と言う奴だ。警察当局としてはイスラム過激派のテロが世界各国で頻発するようになっているため警戒を強化しているのだろう。しかし、モスク建設の寄付を呼びかけているムスリマたちまで監視対象にしていることには納得できない。そのことを抗議する前に警察官は交代で質問を繰り出してくる。
「貴方の職業は・・・」もう1人が声をかけた時、上官らしい1名が慌てて姿勢を正した。
「これは司法修習生の方とは思いませんでした」どうやら襟のバッチに気づいたらしい。2人は取って付けたように敬礼をすると人ごみの中に逃げ込もうとしたが、今度は私が声をかけた。
「この辺りに浄土宗か浄土真宗のお寺はありませんか」「浄土真宗なら万行寺がそうです」イスラムの詠唱を唱えていた司法修習生が宗派限定の寺を訊くこと自体が警察官には理解できないはずだが、それでも丁寧に教えてくれた。ちなみにこの万行寺は村田和上が若い頃に学んだ寺だった。
  1. 2017/05/28(日) 10:12:53|
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連続企業爆破犯・大道寺将司死刑囚の病死について

昭和49(1974)年から50(75)年にかけて続発し、日本人の心胆を寒からしめた連続企業爆破事件の首謀者である大道寺将司死刑囚が5月24日に多発性骨髄炎のため東京拘置所内で死亡したようです。68歳でした。
この頃は海外では日本赤軍、国内では連合赤軍のテロやハイジャックが頻発していたため国民の多くは「この事件も連合赤軍の仕業=学生の共産革命ごっこだろう」と思っていましたが、こちらはアイヌ民族の解放と虐待者である日本人への復讐を目的とした「東アジア反日武装戦線」の犯行だったのです。
大道寺死刑囚は北海道釧路市の出身で道議会議員だった母方の伯父の影響で中学時代から政治に興味を持ち、アイヌ人の同級生の悲惨な生活や就職などでの差別を目の当たりにして強い怒りを覚え、彼らに代わって日本人に復讐することを決意したそうです。
その後、法政大学に進学すると浅間山荘事件やリンチ殺人事件により学生運動が国民の支持を喪失する前だったこともあって学内の活動家がヒーローになっており、これまでの共産革命とは別の反日闘争を主張する大道寺死刑囚は注目を集め、主催する研究会の参加者は100名を超えていたと言われています。この研究会は間もなく中国や韓国の反日活動家が強弁する戦前の日本の統治政策や軍事行動への批判と同化して、日本人の手で日本を誅殺する異常な過激派組織になっていったのです。
組織名の「東アジア反日武装戦線」は中国や韓国を同志とすることの表明であるため、大道寺死刑囚の組織は「孤高の野獣」を意味する「狼」を冠するようになりました。つまり赤軍派などの左翼過激派の意識の片隅には革命後の日本があったのかも知れませんが(実際、標的は政治権力とその配下であって一般市民を巻き込む無差別テロは行わなかった)、東アジア反日武装戦線は日本国そのものが敵であって、一般市民を殺傷することに躊躇はなかったのです。
こうした反日闘争の手始めは昭和46(1971)年12月12日のA級戦犯として刑死した松井石根大将が退役後に日中両軍の犠牲者を慰霊するために建立した東亜観音と刑死後に東條英機など他の刑死者と合わせた慰霊碑である殉国七士ノ碑の爆破からでした(東亜観音の爆弾は不発だった)。次に昭和47(1972)年4月6日に日本統治時代に朝鮮で死亡した身元特定不能の日本人の遺骨を納めた曹洞宗・総持寺の納骨堂を爆破し、半年後の10月23日には北海道旭川市の北海道100年を記念して建立された「風雪の群像」と北海道大学のアイヌ民族研究施設・北方文化研究施設を「アイヌモシリ(大和民族の侵略と搾取)」の象徴として爆破しました。
ここまでは人的被害はなかったのですが、建物や物品だけの破壊ではマスコミの扱いが小さく、その対象に歴史的意味があることも殆ど取り上げられなかったためいよいよ日本人を標的にした無差別テロに移行します。先ずは昭和49(1974)年8月30日に「狼」が防衛産業最大手である三菱重工の本社ビルでダイナマイト700本分相当の威力を持つ時限発火式爆弾を爆発させて8名が死亡、385名が負傷する大惨事(実行犯側としては戦果)を引き起こしました。続く10月14日には別動隊の「大地の牙」が三菱と同じく旧財閥系の三井物産の本社ビルを爆破して17名を負傷させ、11月25日には「狼」が帝人中央研究所を爆破しましたが人的被害はありませんでした。「帝人」と言う社名が帝国主義の象徴として狙われたと言う推察もありまする。さらに12月10日に「大地の牙」が大手ゼネコン・大成建設の本社ビルを爆破して9名を負傷させ、12月23日には別動隊「さそり」が同じく鹿島建設の資材置き場を爆破し、年が明けて昭和50(1945)年にも2月28日に「狼・大地の牙・さそり」が合同で間(はざま)組の本社ビルと大宮工場を爆破して5名を負傷させました。そして4月19日に「大地の牙」が金属加工大手のオリエンタルメタル社の韓国産業経済研究所を爆破しています。オリエンタルメタル社が狙われたのは社名のオリエンタルが東洋を意味し、韓国産業経済研究は日本の韓国支配の再現を企図していると決めつけたからだとする推理もあります。4月28日と5月4日には間組の京成電鉄の江戸川鉄橋工事の現場を繰り返し爆破していますが、警察の警戒が厳重になっている中での犯行は大胆不敵としか言いようがありません。
このような凶行に及べば死刑以外の判決はなく、87年3月には上告棄却(「上告」とは最高裁への控訴を言う)により刑が確定していましたが、それから30年以上も執行=懲罰を受けることなく病死したのは自ら引いた反日闘争劇の終幕だったのかも知れません。
大道寺あや子
妻で共犯者の大道寺あや子(ダッカ事件の超法規処置で釈放されて日本赤軍に合流している。同じく北海道出身)
  1. 2017/05/27(土) 08:59:41|
  2. 時事阿呆談
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