古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

7月28日・靖国神社の賊徒・二本松藩少年隊が出陣した。

慶応4(1968)年の明日7月28日(太陰暦)に薩長土肥の反乱軍を迎え討つために会津藩の白虎隊以上に年若い二本松藩の少年隊が出陣しました。ちなみに少年隊(東山・錦織・植草のジャニーズ3人組とは別)は白虎隊のような正式な隊名ではなく49年後=50回忌に贈られた通称です。
白虎隊は16歳、17歳を対象として編成されましたが少年隊は12歳から17歳でした。白虎隊でも年齢を偽った15歳の少年や下働きとして加わった13歳の少年がいましたが、二本松藩では戦時には2歳さばを読むことが認められていたため満12歳でも元服の年齢になり、少年隊に参加できたのです(既に発行していたハーグ条約=陸戦規則では戦闘に参加できるのは18歳以上と定められていた)。
二本松藩は古くから会津の属領でしたが、豊臣の治世下で会津には越後から上杉景勝さまが入ったものの関ヶ原の合戦で西軍に加わって敗れたため大幅の減封で山形に追いやられ、次は蒲生氏郷さまでしたが継嗣がなく改易になりました。その後に会津に入ったのは賎ヶ岳七本槍の加藤嘉明さまで、その娘婿の松下家が入ったことで二本松藩として独立したのです。ところが松下家は上杉の時代からの圧政で領民の離反が相次いだため福島の三春へ転封され、代りに加藤家の3男が入ったのですがやはり領内は収まらず、むしろ会津の築城や江戸での請負工事のため増税したことで不満は爆発寸前になり、結局、二本松藩の加藤家も嘉明さまの孫の代で改易されてしまいました。
その後に入ったのが幕末まで続く丹羽家ですが、初代藩主は織田信長公の柴田勝家さんと並ぶ側近だった丹羽長秀さんの嫡子です(秀吉が木下藤吉郎から改名を許された時、2人から1字ずつ取って羽柴とした)。
丹羽家は関ヶ原の合戦で西軍について改易されていたのですが、東照神君・家康公と2代将軍・秀忠公の温情により家名は存続させてもらっていたため大名として復権することができたのでした。丹羽家ではこの大恩を忘れず城下に秀忠公と3代将軍・家光公の廟所を建立していたのです。一方、会津には蒲生家の後、秀忠公の隠し子であり、信州高遠の保科家に養子に出されていた松平正之さまが入っており、こちらも徳川家・幕府に対する絶対的な忠誠を藩の使命としていました。
そんな両藩は王政復古の大号令により、徳川家の裏切り者=水戸藩主の息子である15代将軍・慶喜公が朝敵の汚名を受けることを避けることだけに執着して大政奉還したため、天皇を利用した薩長土肥の反乱軍に対しても恭順の意を表していたのですが、その上申書を会津に私怨を抱く長州藩の桂小五郎が握りつぶし、征討軍参謀として乗り込んだ長州藩士の世良修蔵が「戦争を仕掛けて滅亡させるべし」と記した報告者が発覚したことで否応なしに戦乱に引き込まれ、その矢面に立たされることになったのです。
しかし、寒冷な気候にある東北の諸藩は年中作物が収穫できる薩長土肥など西国の諸藩に比べて格段に貧しく、然も長崎だけを海外の窓口にしていた時代では最新の学問も行きわたらず、ましてや貿易の機会などはないに等しい状況でした。その点、薩摩は琉球の砂糖の専売と密貿易、長州は北前船などに対する労役費や荷物の保管料、朝鮮との密貿易などで得た潤沢な資金でアメリカ南北戦争の終結で余剰になった武器を大量に購入していたため勝負は既についていたのです。
また二本松藩は会津以上に貧しい上、藩祖以来、善政を敷いてきた会津藩とは逆に上杉時代からの過酷な重税と圧政のため民心が武士階級から離れていて、完全に自滅するための戦いでした。
二本松藩の少年隊は23名で会津藩の白虎隊の343名に比べれば1割以下の少数ですが、白虎隊でも城下の煙を天守閣の火災と見誤り飯森山で自刃した2番隊だけが取り上げられることが多いように、西洋式射撃術を教えていた22歳の木村鉄太郎師範と33歳の二階堂衛守師範代に率いられて戦った大壇口への出陣者25名(師範と塾頭を含む)が有名です。この中には15歳の兄が病弱なため12歳の弟が代わりに志願して、それを聞いた兄も志願して共に戦傷死した久保兄弟のような例もありました。2人は共に戦傷を負って治療所になっていた寺に搬送されましたが、互いに収容されていることを知たないまま弟が先立ち、兄が後を追ってしまいました。さらに負傷して倒れているところを農民に助けられながら「師範が戦死され、仲間たちも大勢戦死したのに自分だけが生き残って恥ずかしい」と言って気がつかない間に姿を消してしまった15歳の少年もいます。
野僧は奥羽越列藩同盟と上野・彰義隊の絶望的な戦いを見るにつけ、東海道と中山道を侵攻してくる薩長土肥の反乱軍を何の抵抗もせずに素通りさせた沿道の枝胤、譜代列藩、それどころか新居の関所を守る重責を放棄して荷馬と人夫を差し出した枝胤の吉田藩、歴代老中を務めてきた譜代藩でありながら、尊皇攘夷に浮かれた領内の神職が朱色の弓を担いで先頭を歩くのを放置した浜松藩が絶対に許せません。
何にしても少年隊は靖国では賊徒として蔑まれたまま150年が経過します。
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  1. 2017/07/27(木) 10:37:43|
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振り向けばイエスタディ897

「チャーァーァー チャーァーァー チャーァーァー」結局、BGMは「仁義なき戦い」のテーマ曲になった。その警告音のような旋律を鼻ずさむと施設庁職員は「ギョッ」としたように姿勢を正した。しかし、彼の世代ではこの映画を知らないのではないだろうか。
「要するに相手は法廷闘争を仕掛けてきているんだから、防御だけではところ構わぬ攻撃で体勢を崩されて窮地に追い込まれるだけです」「はァ・・・」「試合なら試合のルールがありますが喧嘩なら喧嘩で応じないと駄目です」この辺りが「仁義なき戦い」を選曲した理由だ。
「それで具体的には?」「裁判所が夜間の緊急発進を容認したのならパイロットの技量維持のために夜間の飛行訓練は必要不可欠だとして飛行差し止め無効の訴訟を起こすことでしょう」「それで勝ち目がありますか」意外過ぎる提案に職員は困惑と関心が混在した顔になった。
「原告はパイロットの連名にします。それも『航空機事故が発生すれば本人だけでなく基地周辺の住民の生命も危険に晒すことになる。だから安全に飛行する技量を維持することに制約を加えることは許されない』と公共の利益と生命尊重を前面に出して、騒音被害を訴える個人の快適性の要求との優先順位を競い合うのです」「そう言われると勝てそうな気がしてきました」納得しかけたところで逆に反発させる。これも法廷闘争の練習だ。
「その前に騒音訴訟の原告団が基地周辺に転居してきた時期を確認して、現在の環境が家屋を選択した時点で既に常態化していなかったを明らかにするべきですね。つまり自己責任の論理です」「それって・・・」「やはり施設庁の仕事になりますね」この若い職員も役人気質を身につけているようで仕事が増えることにはアカラサマな拒絶反応を示した。
「そんなことは受けつけた時に裁判所が確認しているでしょう」「それが行政相手の民事訴訟では原告の資格審査については意外に無頓着で、被害の有無だけが確認できれば後はその実態の検証で裁判が進んでしまうんです」「へーッ、そんなもんですか」「行政相手の民事訴訟では国家権力は巨悪、被害者は迫害されている弱者と言う構図が始めから描かれてしまうんでね。特にマスコミが被害者側と結託するから行政側は叩かれっぱなしですわ」職員は呆れたように溜め息をつき、私が提供した缶コーヒーを飲み干した。
「ところで貴方もジェット機の騒音はドンドン酷くなるって思っていませんか」「へッ、違うんですか」ここで自分から話の腰を折るため元航空自衛隊の持ちネタを披露することにした。
「発着機数などの問題は別にして、機体単独の騒音としては新型機の方がエンジンの出力が高まっている分、騒音が低くなっている可能性が高いのです」「私も騒音測定に行きますが、昔を知らないので比較はできません」「昔のターボ・ジェットと今のターボ・ファンでは出力が格段に違う。だからエンジンにかかる負荷も低くなるから騒音も下がる。つまり昔の騒音を知っていながら家を買った人間には現在の騒音が我慢できないと言う理屈は成り立たないと言うことですな」話が元に戻って職員が困惑したところに室長が帰ってきた。
「おや、私の来客か?」「いいえ、モリヤ2佐に騒音訴訟のことで意見を伺いました」室長は自分の伝言の当事者が意外だったようで苦笑しながらソファーに腰を下ろし、すると監理部から配置換えになった事務職の陸曹がコーヒーを持ってきた。残念ながらここには女っ気はない。
「騒音訴訟も攻勢に転じるべきだと言う御意見でしたが・・・」「攻勢に転じるのではなく攻防自在、防御しながら相手の隙を狙ってクロス・カウンターを喰らわすくらいの戦い方をしないと判例で雁字搦めにされると言うことだ」私の説明で日頃の見解を聞いている室長は大意を理解したようだ。
「今までは委託した弁護士に代弁してもらっていたから自衛隊の立場を前面に押し出すことは無理だったが、モリヤ2佐が公判に参加してくれればそれも可能になるかもな」「それではパイロット連盟で判決無効の訴訟を起こすのですか」上司として室長が私の意見に賛同してくれると職員が驚いたように質問を返した。流石にこれは自衛隊の常識から逸脱しているようで室長が心配した「バランス感覚」の問題を自白したことになった。
数日後、防衛施設庁の職員が内偵に来た理由が判った。内局としては私に陸上自衛隊を退職させた上で事務官として採用して訴訟の担当部署に配属することを考えていたようだ。地方大学中退では上級職国家公務員=官僚にはできないため思いついた苦肉の策らしい。
それもバランス感覚が欠落しているようでは不採用になるはずだが私は始めから志望していない。
  1. 2017/07/27(木) 10:36:04|
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作曲家・平尾昌晃さんの逝去を悼む。

7月21日に作曲家の平尾昌晃さんが亡くなったそうです。79歳でした。
野僧の小学校では妙に歌謡曲が流行していて遠足の観光バスの中では女子が男子のリクエストでデビュー直後の花の中3トリオやアグネス・チャンさん、天地真理さん、キャンディーズなどのアイドルや小柳ルミ子さんや南沙織さん、あべ静江さん(三重県出身なので名古屋から売り出した)など、男子は女子のリクエストで新御三家や狩人(岡崎市出身で兄は担任の教え子)、森田健作さんや石橋正次さん、おまけに何故か(多分、親の影響)沢田研二さん、布施明さん、五木ひろしさんの歌を熱唱し、ベテランのガイドさんが心配して担任に「本当に好いんですか?」と訊くほどでした。それでも子供たちは下校時のデートでもデュテットしていたのです(女子の方が早熟なので「恋って何?」「私のこと愛してる?」などと意地悪な質問をされて困りました)。
ところが穢土の中学校では「恋」や「愛」はフシダラで恥ずべきことと言う道徳教育が徹底されていたため、歌謡曲を聴くこと自体が非難=苛めの対象になり、「お宅の息子さんは歌謡曲が好きなんだってね」と言われて親に禁止されてしまいました。こうなると仕方ないのでレコードを買うとそのまま寺に行って大の歌謡曲ファンの祖母のステレオで聴くしかなくなったのです。そんな時代のヒット曲は作詞が阿久悠さんか山口洋子さん、作曲は平尾さんが定番でした。
花の中3とリオでは山口百恵は「赤い絆」、桜田淳子さんなら「玉ねぎむいたら」とどちらもテレビ・ドラマの主題歌ですが(森昌子さんは1曲もない)、アグネス・チャンさんでは「草原の輝き」「星に願いを」、天地真理さんなら「ふたりの日曜日」と観光バスでも唄ったヒット曲で、小柳ルミ子さんも「わたしの城下町」「瀬戸の花嫁」「京のにわか雨」と代表作と言える名曲ばかりです。
一方、我々男子が唄った新御三家では野口五郎さんの「愛よ甦れ」だけで西条秀樹さんは豊橋市出身の馬飼野康二さん、郷ひろみさんは筒美京平さんが作曲した歌が多かったようです。狩人ではすでにヒットから遠ざかってしまった頃の「白馬山麓」だけですから、やはり初期の都倉俊一さんの作品には敵いません。
五木ひろしさんの「よこはま・だそがれ」「長崎から船に乗って」、布施明さんの「霧の摩周湖」、沢田研二さんの「あなただけでいい」も平尾さんの作品ですが、子供たちの間ではザ・ドリフターズの「ミヨちゃん」でしょう。これは「いい湯だな」に続く2曲目で、これ以降は「ズンドコ節(原曲は海軍小唄)」や「ほんとにほんとにご苦労さん(原曲は軍隊小唄)」「誰かさんと誰かさん(原曲は故郷の空)」などの替え歌になってしまいました。
平尾さんの作品で驚くのはそのジャンルが五木さんや小柳さんの演歌から布施さんや沢田さんのバラード、アグネスさんのアイドル・ソングまで多岐にわたっていることです。それでは平尾さん自身はどのような音楽的経歴を持っているのかと言えばアメリカ直輸入のロカビリー・バンド出身なのです(伯父はクラシックの作曲家ですが)。
昭和12(1932)年に東京の新宿で生まれますが、終戦後は神奈川県の湘南に移住して、典型的な翔南ボーイとして成長したそうです。小学生時代からジャズなどの洋楽に親しんで11歳で歌合戦に出場して英語の歌で合格点をもらうと、ジャズ喫茶で唄っているのを芸能最大手のプロダクションの社長が見てスカウトされました。こうして芸能界入りするとロカビリー・ブームに乗ってスター街道を邁進するのですが、ハワイでのアメリカン・ポップス大会に出場した時に拳銃を知り合いの暴力団の組長への土産として密輸したことが発覚し、警察に22日間拘束され、それを切っ掛けに人気は下降してしまったのです。
ところが歌手としての人気の低落と反比例するように過去に作曲した歌がヒットしたため作曲家として転身することに成功しました。
その後も重度の結核での闘病などの苦労はしましたが、東京の本校の他にも札幌、所沢、茨城、名古屋、大阪、福岡、鹿児島に分校を有する平尾昌晃音楽学校を設立して、狩人さん、川島なお美さん、石野真子さん、松田聖子さん、川崎真世さん、大沢逸美さん、森口博子さん、芳本美代子さん、倖田未来さんを発掘、育成しています。ついでに言えば「カナダからの手紙」でデュエットした畑中葉子さんも卒業生ですが、日活ロマンポルノでの活躍がめざまし過ぎて歌手としてのイメージは薄くなってしまっています。
そんな平尾さんはやはり作品で送るべきでしょう。それはささきいさおさんが唄った「銀河鉄道999」の主題歌です。「汽車は闇を抜けて光の海に 夢が広がる無限の宇宙へ・・・人は誰でも幸せ探す旅人のようなもの・・・きっといつかは君も出会うさ 青い小鳥に」ポー
  1. 2017/07/26(水) 09:49:15|
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振り向けばイエスタディ896

「弁護士と言う連中はそんな政治目的で訴訟を起こしても問題にならないのですか」ここで施設庁の職員もそれなりの問題意識を披歴した。一般の国民にとっては法廷自体が覗き見る機会すらない暗幕の中であり、報道では結果と解説だけが流れてくるだけだ。傍観者としては裁判官や検事が国家公務員としての厳しい倫理規定を厳守しているのに弁護士ばかりが公然と反政府の政治主張を繰り広げていることが納得できなくても不思議はない。
「弁護士は判事や検事とは違って国家公務員ではないから法的な規制は受けないんだよ」「それでは国家試験に合格すればあとは好き勝手にできると言う訳ですか」「一応、日弁連に登録しなければならないが、それは事務手続きのようなものだな」「ふーん、何だか甘過ぎるように感じますがね」これは弁護の司法修習や集合研修でも強調されていた精神徳目「弁護士倫理」だ。基本は弁護士自身が被告人の有罪、無罪を確信できなければ依頼を受けてはならないと言うのだが、否応なしに国選弁護士になることもあり、それは建前と本音にせざるを得ない。結局、弁護士はあくまでも個人資格であり、職業倫理も個人の判断に任せるしかないのだ。
「一応は極端な反社会的活動を行えば日弁連から除名処分を受けることになるが、日弁連自体は反政府が多数派だから自衛隊を応援する弁護士の方が足をすくわれないように用心しているよ」騒音訴訟の話題から完全に外れてしまったが、法曹界の実情に技術屋の職員も興味を持ったようで熱心に聴いている。ただし、メモなどを取っていないから完全に雑談だろう。
「日本では戦後の大学の学生寮で共産革命の思想洗脳が徹底的に行われたから一流大学の出身者ほど反政府の呪縛に頭脳を固定されているんだな。弁護士と医者はその最たる職種だよ」これは司法修習中に検事から聞かされた話だが、私自身も戦後史を研究してきて同じ見解を持っていたため、むしろ賛同者を得た思いだった。
「でも中央官僚でもエリートたちは超一流大学出身者ばかりじゃあないですか」これは誰でも突き当たる国家権力の中枢と反政府の両極に分布するエリートたちの生息地域に関する謎だ。
「ワシも一流大学を出ている訳ではないから(その前に大学を出ていない)推理しかできないけど、彼らは権力志向が庶民に比べて極端に強いんじゃないかな」「権力志向ですか・・・」「自分が優秀であることは子供時から周囲に誉められて育てば十分過ぎるほど自覚している。その凡人とは違う自分の能力で高度なモノを造り、巨大な世界を動かしたいと思うようになっても不思議はないだろう」「・・・」どうも話が逸れ過ぎて修正がきかなくなってきた。こうなると無理にでもまとめなければいけないので3段跳びの2歩目=ホップ・ステップで着地した。
「それが現実志向になれば中央官僚や大企業の経営者、理想主義に走れば反政府活動家と言うことになる」「モリヤ2佐はあまり政府寄りではないみたいですね。幹部自衛官と話しているような気がしません」「だってワシは弁護士だもん」ここで私は立ち上がって冷蔵庫の中から缶コーヒーを2本持ってきた。法務官室では監理部法務課の頃から課長への来客以外には湯茶接待はしないことになっている。このため冷蔵庫に買い置きしている缶コーヒーを出すのだが今回は忘れていたのだ。
「ところで騒音訴訟に対する防衛庁側の対応に関する意見ですが」話に区切りをつけたところで担当者が本題に戻した。どこから話が逸れたのかも思い出せないが私としても一安心だ。
「相手が政治闘争として仕掛けてくるのならこちらも訴訟で対抗するしかないだろう」「へッ?」折角、本題に戻ってもこの若い職員には想定外過ぎる回答に今度は意識が飛んでしまったようだ。
「裁判所、特に最高裁の判決は判例として法令に準ずる強制力を持つことになる。原告側の弁護士が狙っているのは自衛隊や米軍の行動に判例で制限を加えて活動を妨害することだよ。国会で自分たちの支持政党が過半数を取ることができないから次の一手として編み出した姑息な政治手段だな」ここまで説明すれば素人にも理解できたようで安心したように缶コーヒーを開けて飲んだ。ちなみにこの缶コーヒーは後で私に代金を請求される。
「それで具体的な対策は」「裁判所は在日米軍に関しては日本の司法権の適用外として判断を避けるだろう。問題は厚木や岩国のような日米共同使用の基地で自衛隊だけが制限を受ける判決が出ることだ」「それで・・」ここで私も自腹の缶コーヒーを開けて飲んで間を作った。
「おそらく救難などの夜間の緊急発進は適用除外にして訓練飛行のみを禁止するのが常識的な判決だから、それを逆手に取って・・・」ここでこの場面のBGMに何が合うかを考えてしまった。
  1. 2017/07/26(水) 09:46:56|
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東京オリンピックの企画・運営も文部科学省だったのでは?

旧・自民党型政治屋の馬鹿が表看板なので仕方ないことですが、開会まで3年になった現段階でも東京オリンピックについて聞こえてくるのは馬鹿なアイディアばかりです。エンブレムから国立競技場の設計まで味噌を付けっぱなしですが、考えてみればどちらも国内業界の既得権益を守るために文部科学省が策謀を巡らせたと言う点では現在、政治問題になっている獣医学部新設にも通じます。
そんな企画担当者(個人名・所属部署は明らかになっていません)今度は開催日の2020年7月24日をその年限定の「体育の日」にして休日にしようと言うのです。そもそも「体育の日」は昭和39(1964)年10月10日の東京オリンピックの開会日を記念して祝日になっていたのを今回の表看板の馬鹿の内閣が平成12(2000)年に制度化したハッピー・マンデーによって10月の第2月曜日に変更されたことで記念日ではなくなったため「スポーツに親しみ健康な心身を培う日」早い話が「スポーツの秋を満喫する日」になっています。
仮に7月24日に変更するとなるとそれでなくても熱中症患者が続出して天気予報などで「日中は屋外での活動は控えるように」と警告が発せられている時期ですから、冷房が効いた施設内の競技か水泳限定の「体育の日」になってしまいます。要するに「冷房が効いた家の中でテレビを見なさい」と言うことでしょう。
このような姑息な策を弄するくらいなら「体育の日」を10月10日に戻した上で趣旨を「1964年の東京オリンピックの開会を記念する」として、さらに昭和47(1972)年2月3日の札幌オリンピックと平成10(1998)年2月7日の長野オリンピックの開会日も加えて、オリンピックの開会日は「体育の日」にすることした方が判り易いのではないでしょうか。
それにしても前回の東京オリンピックが開会された10月10日は晴天の特異日であり、スポーツの秋の本番でしたが、7月24日は日本人でもまだ猛暑・酷暑に身体が慣れていないだけに健康を害し易い時期であり、海外、特に高緯度のヨーロッパから来日する選手たちが実力を発揮できるのか疑問を禁じ得ません。
近年のオリンピックは最大の収入源であるアメリカの放映権を獲得するためには視聴率が稼げる夏休みを外すことはできないそうですが、毎回のように過酷な環境下で競技する選手の健康の問題が指摘され、実際に倒れる選手も出ている中(十分な準備ができない発展途上国の選手に多い)、どうしてもこの時期にするしかなかったのでしょうか。表看板の馬鹿が大盤振る舞いした無駄な予算を節約すればスポーツの秋の開催も可能であったのではないかと首を傾げてしまいます。
それは高校野球も同様であり、現在行われている県大会でも選手は兎も角、応援団の中には熱中症になる者が続出しているようです。そのことを高校野球連盟やマスコミは全く報じていませんが、オリンピックに向けての貴重な人体実験として詳細に調査・検証して現在の日本の都市部では夏季の屋外競技がどれ程の危険性を帯びているのかを提言するのも関係者の責任であるはずです。ちなみに夏の高校野球は大阪ドームに変更すべきです。
ところで野僧の呪詛の効果が続いているようで当地選出の総理大臣も風前の灯火になっていますが、仮に内閣が変わった場合、これほど批判を浴びている表看板は掛け替えられることはないでしょうか。
青森の連隊に駆けつけ警護を命じてことで始めた倒閣の呪詛は撤退命令で撤回しようと思ったもののテロ等準備罪を強行したことで継続することになりました。
山口県知事以下、各自治体の長や県内名士が弄する「明治150年を国家事業に」との妄言に総理大臣が「50周年、100周年の時の首相は山口県出身だった(寺内正毅と佐藤栄作)。150年は私が迎える」と応じたことを目の当たりにするとやはり退陣させなければなりません。
顔色を伺って大した実績もない地元出身の元プロ野球選手に国民栄誉賞を送るような子飼いの総理大臣がいなくなれば流石に厚顔無恥な馬鹿でも大きな顔をして国家事業を失敗に導くことはできなるでしょう。
問題は第2次内閣発足時から巨額の中央利権をばら撒いてもらって水浸しになるほど潤っている当地の景気が急落することですが、自助努力を怠ってきた結果ですから自業自得です。
  1. 2017/07/25(火) 10:21:57|
  2. 常々臭ッ(つねづねくさッ)
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