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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

流石は戦車王国の傑作!レオパルト2が参戦

野僧の津軽在住の頃と同様に暖房もなく厳寒に耐えているウクライナ軍は春季攻勢でロシア軍を領土から撃退させるつもりのようで欧米に対して戦車の供与を要求し、それに応えてアメリカはM-1、イギリスはチャレンジャーを提供することを決定していましたが、敗戦後は永久戦争犯罪国として日本以上に腰が抜けているドイツも旧ソビエト連邦と双璧を為す戦車王国としての傑作・レオパルト2を保有国の流用を含めて参戦させることを表明しました。ちなみにドイツが保有するレオパルト2は244両で(陸上自衛隊でさえ570両)、大半は部品共喰い用なので稼働するのは68両だそうです。
レオパルト2は日本がソビエト連邦軍の新型戦車・T-72の125ミリ滑空砲には全く歯が立たないライフル式105ミリ砲の74式戦車を採用して実際は無限軌道=キャタビラが外れやすい欠点になる姿勢変換装置などを喧伝していた1976年に採用されましたが、同時期に開発されたにも関わらず砲塔や車体前面の装甲は避弾傾斜をつけない垂直・直線の2重構造(当初は中は空だったが後にセラミック製タイルを挿入した)で主砲も120ミリ滑空砲とT-72を凌駕する一世代先行する傑作戦車でした。
実際、レオパルト2は西側諸国が次世代の戦車として遅れて開発・採用したアメリカのM-1、フランスのルクレール、イギリスのチャレンジャー、おまけにイスラエルのメルガバ、日本の90式、韓国のK-1=88(パルパル)などと比べても走行性能(速度だけでなく燃費や騒音、操縦性と旋回、不整地踏破力なども含む)や防御力(砲撃や対戦車ミサイル、対戦車地雷に対する耐久力だけでなく主に乗員の生存性)、攻撃力において遜色はなく完成度では最高峰の地位を堅持しています。また動力や車内空間に余裕があるため大幅な改造や付属品の追加・換装によって性能が格段に向上していることも世界各国が現在も新規採用している理由です。
レオパルト2はアメリカのレーガン政権がソビエト連邦との対決姿勢を公然化させていた1980年代に東西冷戦の最前線の防護壁・ドイツ陸軍の主力戦車だったので戦車王国復活の象徴になりましたが、1990年9月30日に東西ドイツの統一が実現し、1991年12月26日のソビエト連邦崩壊によって東西冷戦が終結するとドイツは最前線からヨーロッパの中央の安全地帯になり、「もう軍隊は不要、これからは警察で十分」と急激な軍縮を始め、不要・余剰になった兵器を次々に売却してレオパルト2も閉店大セールのように輸出するとスウェーデンが1990年代初頭に国産のS戦車の後継として採用し、以降はスペイン、カナダ、ポーランド、シンガポール(あの狭い国土に戦車が必要なのか?)、トルコが輸入しています。ただし、オランダは1979年に導入してドイツに次ぐ445両を保有していましたが現在はドイツと同様に輸出しています。またスイスも1983年に採用して1987年からはライセンス生産に移行しています。
その結果、NATO軍のアフガニスタン侵攻やトルコのシリア侵攻で使用されて抜群の戦闘力と防御力、何よりも信頼性を発揮したため「時代遅れ=年増」と言う風評が霧散して今回の「レオパルト2さん、ご指名」になったようです。
  1. 2023/01/27(金) 12:51:04|
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続・振り向けばイエスタディ381

「それでは江弦右駐日大使並びに中国人民解放軍駐在武官の朱武烈上校による記者会見を始めます」首相官邸では沈鬱な空気の中、一向に議論が進まない閣議が行われている頃、中国大使館では駐日大使と普段は顔を見せることがない駐在武官による緊急記者会見が開かれていた。中国は国際連合常任理事国の懲罰権の行使として日本に武力攻撃を加えているため外交関係は維持している。それはロシアも同様だ。日米安全保障条約は国際連合による仲裁が機能しないことを発動要件にしているのでこれが封殺にもなっている。
「昨日来、我が人民解放軍の部隊が鹿児島県奄美諸島の呂論島に不法侵入しているとの虚偽報道が繰り返されていますが、我が国政府の迅速かつ綿密な調査の結果、判明した事実を説明したいと思います」この前置きは予想していたので記者たちは無反応だった。
「先ず不法集団を指揮していたのはモン・ジュェチー(孟決起)、階級は少校、日本では3等陸佐に当たります。なお、我が共産党と人民解放軍の命令に基づく行動ではないので部隊ではなく指揮官でもありません。また階級も昨日で身分停止になっています。報道する時には十分注意して下さい」本論はやはり朱武官に代わった。朱武官も日本語は流暢で言葉づかいも丁寧だが眼光に威圧感があり、記者たちは注意されたことをメモした。
「孟は我が国が安全保障理事会で再三にわたり日本の大韓民国に対する不法行為を糾弾して懲罰権を行使しても責任を認めず、それどころか在日同胞の弾圧を続けていることに強く憤り、自分の部下たちへの愛国心教育のため中日戦争における日本軍の戦争犯罪を調べている間に私的報復を決意したようです。なお、孟は日本の大学への留学経験があり、そこで知り合った日本人たちが日本軍の戦争犯罪についてあまりにも無知で無関心だったことも報復の必要性としていました」「どこの大学ですか」この質問は無視されたが、ベビー・ブ―ム世代が大学に入る頃、全国各地に乱立した大学が少子化によって募集難に陥り、欠員の埋め合わせとして中国からの留学生を大量に受け入れているので名前を載せる必要はあった。
「それで孟は部下を扇動し、一部の部下が呼応して孟の私兵になり、実行に移したのです。実行手段については孟が手配した漁船に乗り込んで東海(中国語の東シナ海、韓国語では日本海になる)に出航したことまでしか判りません。ただ孟は兵士に56式歩槍を携行させ、射撃訓練や投擲訓練で横領していた実弾と手榴弾を大量に積んで行ったことは確認できています」自衛隊の呆れるほど厳格な弾薬管理を見慣れている記者は大量に横領で来た原因を質問したくなったが司会者の男性大使館員が冷たい視線で遮った。
「問題なのは日本軍、自衛隊の対応です。51名の不法侵入者に対して航空自衛隊は2機の攻撃機で島内の集落を爆撃した上、陸上自衛隊は2機の攻撃ヘリが捜索して掃討した。その後に地上部隊を派遣して生存者を皆殺しにしようとした。その冷酷な戦闘行動に人民解放軍少校だった孟も中日戦争の日本軍が目の前に現れたような恐怖を感じて投降したのです」朱武官はマスコミが現段階まで孟少校以下による島民の無差別殺害を報道していないことを利用した。統合幕僚監部と陸上自衛隊としては第42即応機動連隊が到着した時点から実況中継式にマスコミに情報を流して印象操作を封じようとしたのだが、町役場の惨状の映像を見た内局の官僚が「国民の反戦世論を誘発する」と反対して釜田防衛大臣も同意したのだ。
「そして我が人民解放軍は孟と行動を共にした兵士が出発前にメールを送った家族から通報を受けて今回の不法侵入を知り、輸送機を派遣して全員を拘束して強制帰国させようとしたのですが、自衛隊は地対空ミサイルで全機を撃墜して搭乗していた制圧要員200名を殺害しました。これは平時の不法行為に対する処置ではなく常任理事国に対する戦闘行動であり、我が国は断固抗議し、他の常任理事国と共に新たな処罰を検討します」記者たちは尖閣諸島の周辺空域に中国空軍の大編隊が襲来して航空自衛隊の全機緊急発進が間に合わず一時的に支配されたことは昨晩の南西航空方面隊司令官の記者会見で知っているが、司令官への責任追及と危機の言及に終始して終わっていた。一方、第5高射群が知念・那覇・恩納からPAC2を発射したことはJアラームが発令されていたため目撃した市民が少なく動画を撮影しなかったからなのか編集部へのメール投稿や電話連絡はなかった。
「航空自衛隊が爆撃したんだろう。対領空侵犯措置の警察権を越えているぞ」「陸も中国軍の幹部が怯えるほど残酷な殺し方をしたんだ。南京事変みたいに殺した人数を競い合ったのかも知れないな」記者会見が終わると記者たちは意に反して北海道へのロシア軍の攻撃に対処している自衛隊を賞賛する記事を書いていることへの鬱憤を晴らす絶好の材料を与えられて興奮気味に記事の下書を話し合った。それにしてもマスコミ関係者は先輩が捏造した南京事変の100人斬り競争を信じているようだ。今回も日本政府の記者会見は後手に回ったらしい。
  1. 2023/01/27(金) 12:49:54|
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そこまで一体にならなくても?護衛艦と巡視船が連続座礁

新年早々の1月10日の深夜0時10分頃に因島造船所でのアイラン検査を終えて航行試検中だった海上自衛隊の「雨」シリーズ=むらさめ級護衛艦の5番艦・いなづま(6100トン)が昭和18(1943)年6月8日に戦艦・陸奥が謎の爆枕を遂げた周防大島の南方2.5キロを航行中に座礁して緊急停止・投錨しました(戦艦・陸奥は広島県柱島の連合艦隊停泊地ではなく実際は周防大島の東方2.5キロに沈没している)。
ただちに艦内を点検したところ人的被害や浸水はなかったものの日出後に艦尾付近から漏れ出した油が海面に約30平方メートルほど広がっているのを発見して吸着マットで除去すると12時になって第6管区海上保安本部に「強い衝撃を感じた。自力航行できない」と通報しました。潜水員が水面下の艦体の外部を点検すると艦首のソナードームに亀裂と凹みがあり、左右の方向舵のうち右側の舵板がずれていて、左右のスクリューが損傷して特に右スクリューのプロペラの一部が欠損して可変ピッチ・プロペラの作動油が漏れていることが判りました。そこで海上自衛隊はパテで破損個所を塞ぎましたが油を止めることができず、油漏れが止まった1月15日に因島造船所に曳航されて修理を受けています。この間、現場近くの岩礁でいなづまの物と思われる艦底部の塗膜片や削れた跡が発見され、さらに海底から脱落したスクリューの羽根が回収されています。
かつて海上自衛隊と海上保安庁は「鯱(しゃち)と鮫(さめ)の仲」で潜水艦・なだしおの衝突事故の海難審判ではマスコミの批判報道を背景に証言を揉み消してまで海上自衛隊に有責裁定を発し、艦長の刑事裁判でも有罪判決を出させています。その理由としては海上保安庁が非軍事組織として創設され、共産革命勢力である国労に同調する運輸省労組の官僚・役人が指図していたため反自衛隊は信条であり、それに防衛予算を優遇する自民党政権への不満が加わって海難救助でさえ共同訓練を実施することはありませんでした。
ところが九州南西沖工作船事件で前回の能登半島沖工作船事件で海上自衛隊に海上における警備行動が発令されたことを打ち消すように単独で対処しましたが工作船に機関銃を乱射され、携帯式ミサイルまで発射されて能力の限界を自覚したところで中国の原子力潜水艦領海侵犯事件が起きて役割分担を認めざるを得なくなりました。これ以降は尖閣周辺海域などで共同対処していて両者の距離は急接近したと言われています。
それを実践したのか今度は1月18日の午前6時30分頃、新潟県柏崎市の椎谷鼻灯台の北西約1.1キロの海上で第9管区海上保安本部のつがる級巡視船の7番船・えちご(3100トン)が浅瀬に座礁しました。こちらも負傷者はありませんでしたが船底の損傷から浸水し、スクリューのプロペラが欠損しているため自力航行できなくなりました。
原因としてはパトロール中に灯台の消灯を確認するために接近して浅瀬に座礁したと説明していますが、この時期の新潟地域の日の出時間は午前6時50分頃なので消灯を確認するには海上だけに周囲が明るいような気がします。
この2つの事故で心配になるのはバブル期に海上幕僚長が訓示した「能力が劣る隊員が組織の中核になる危機」に海上保安庁も直面しているのではないかと言う余計なお世話です。
  1. 2023/01/26(木) 14:21:16|
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続・振り向けばイエスタディ380

呂論島に派遣された陸上自衛隊は翌朝まで島内の中国軍を捜索して5名を射殺する一方で投降してきた8名を指揮官の孟少校以下の12名と一緒にヘリコプターで建軍駐屯地に連行して捕虜とした。取り調べは西部方面警務隊が実施している。
「これが呂論島で行われた島民虐殺です」統合幕僚監部は「閣議に間に合わせるため」と言う名目をつけて内局・釜田防衛大臣を通さずに立野官房長官宛てで報告を届けた。昨日の事態発生は政権内でも情報共有されているので続報ではある。
「これは漁港で殺害された漁業組合長と派出所の警察官です」「ひッ」立野官房長官は陸上自衛隊が撮影した現場写真をA4判の茶封筒に入れて首相以下の参加者に配ったが、あまりにも凄惨な遺骸を見て女性の閣僚は悲鳴も上げられずに引きつった呟き声を口にした。漁業組合長は孟少校が仕掛けた手榴弾のブービートラックの爆発で上半身が吹き飛び、巻き込まれた兵士と2人分の肉塊になっている。一方、警察官は燃料タンクに被弾して炎上した車体で運転席に座ったまま黒焦げになっていて、その車体には無数の弾痕が残っていた。
「この高齢者は逃げているところを背後から射たれたようです。こちらも同様です。こちらの家は連射で銃弾を射ち込まれていますが中では住民が死んでいました。おそらく窓から様子を窺っているのを見つかったのでしょう」頭越しの報告に不快感を露わにして茶封筒に手をつけなかった釜田防衛大臣も周囲の官僚たちのただならぬ反応を無視できなくなり、画像を見たが即座に顔を背けた。閣議後に防衛省内局の官僚は「朝から大臣を不快にさせないため写真は見せなかった」と弁明したがそれも納得できた。
「これは町役場です。1階ホールは多数の手榴弾が投げ込まれて徹底的に破壊されていました。この女性職員の遺骸には手榴弾のブービートップが仕掛けてあり、隊員が1名巻き込まれて死亡しました」「これは町長の遺骸です。中国軍と会話中に射殺されたようです」「2階の各課のドアには手榴弾が仕掛けてありました」「この女性は島内一斉放送をした直後に射殺されています」立野官房長官は写真を確認しただけで裏面の解説を読み上げているが閣僚たちは悲惨な光景を見続けることになり、苦痛に耐えられなくなってきた。
「これは牧場に仕掛けてあった落し穴のブービートラップで死亡した隊員です」「もう止めてくれ。PTSDになりそうだ」画像が町役場に続き、岡元牧場で落し穴に落ちて刃物に刺されて死んだ隊員の遺骸のなると最高齢の閣僚が職務離脱を申告した。
「まだ半分にもなっていませんが・・・後で確認しておいて下さい。これが我が国固有の領土である呂論島で中国軍が犯した島民虐殺なのです」「この事態を見ても総理は防衛出動を発令されませんか」効果を確かめた立野官房長官が席に戻ると代わって双木外務大臣が石田首相に決断を迫る質問を投げ掛けた。それを聞いて閣僚たちは厳しい顔で石田首相を注視した。
「指揮官も捕虜にしたようだが本当に中国政府の命令だと証言しているのか」石田首相は手早く残りの写真を確認するとその中にあった空港で拘束された孟少校の写真に目を止めて確認してきた。すると釜田防衛大臣ではなく双木外務大臣が答えた。
「指揮官の孟少校は日本が中国の常任理事国としての懲罰に反抗しているため個人として日中戦争の犯罪行為に報復しようと志願者を集めたと証言しています。つまり侵攻したのは孟少校の私兵だと言うことになります」「そうか・・・」双木外務大臣としてはこの事態を石田首相に防衛出動を決断させる圧力にしたいのだが歴史に汚点を残すような嘘はつけない。双木外務大臣も選挙区の山口県内では絶対に口にできないが、吉田松陰の扇動を受けて討幕を実現した明治の元勲たちは「尊皇攘夷」の狂気に駆られて海外に乗り出したため外国を全て敵視していた。そのため朝鮮王朝の内紛への不要な軍事介入で日清戦争を発生させ、帝政ロシアの満洲獲得の野望に過剰反応した日露戦争にまぐれ勝ちすると、その虚言癖が対米英戦争を引き起こしてこの国を滅ぼした。戦前の尊皇攘夷・忠君愛国教育を受けた世代が消滅した今の日本では明治維新そのものを薩長土肥による反乱と捉えて否定する公正中立な歴史観が常識化していて、知性派の双木外務大臣も秘かに賛同しているのだ。案の定、石田首相は安堵したような顔で黙っている釜田防衛大臣に視線を送った。
「自衛隊は投降してきた中国軍の軍人を捕虜にしたようですが、治安出動中の準・警察職員として身柄を拘留するのは合法どしても、法務省としては駐屯地を代用刑事施設(留置場)とする法的手続きを踏んでもらわないといけません。さらに今後、どの段階で地方検察庁に送検して身柄を拘置所に移すつもりですか」ここで法務大臣が必要だが的を外した問題を持ち出した。おそらく法務省内でも現在の武力衝突を受けて戦時を想定していない日本国憲法に基づく現行法では対応できない国際法との齟齬を検討しているのだろう。それでも国際法は外務省の方が専門なので回答者は元防衛大臣の双木外務大臣になった。
  1. 2023/01/26(木) 14:19:51|
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1月26日・文化財防火デー=法隆寺金堂で火災が発生した。

昭和24(1949)年の明日1月26日に奈良県斑鳩の法隆寺の金堂で火災が発生して内陣と12面の壁画が焼失しました。この災禍を繰り返さないため翌年の5月30日に文化財保護法が制定され、この日が文化財防火デーになりました。ただし、その昭和25(1950)年7月2日には京都の金閣寺が寺僧の放火によって焼失しています。
法隆寺は18万7千平方メートルの境内に金堂と五重塔の西院伽藍と約350メートル離れた夢殿を中心とする東院伽藍があり、中でも西院伽藍は天智天皇9(670)年に焼失した後の7世紀後半に再建された世界最古の木造建築物群とされています。
金堂は外観が入母屋作りの2層3段式屋根なので2階建てのように見えますが内部に上層階はなく天井が高い1階建です。内陣には正面に本尊である釋迦牟尼佛と文殊師利菩薩・普賢菩薩の3尊像、東間に東方浄瑠璃浄土の薬師瑠璃光如来と日光菩薩・月光菩薩の3尊像、西間に西方極楽浄土の阿弥陀如来と観世音菩薩・大勢至菩薩の3尊像、東西南北には持国天、広目天、増長天、多聞天の四天王、さらに釋迦牟尼佛の3尊像の両脇には毘沙門天と吉祥天が控えています。このうち釋迦牟尼佛座像は頬笑みを浮かべている口元や杏仁形の目、図形的な衣紋の処理、首に3本の皺がないことなど平安期に成立し、鎌倉期に変貌を遂げた日本独自の佛像様式とは異なり、極めて大陸的です。
そんな金堂は満洲事変が勃発する前の昭和9(1934)年に着工しながら対米英戦争で工期は大幅に伸びていた解体大修理が終戦によって本格再始動していて、堂内の佛像は全て隣接する講堂に遷座して建物も上層部は解体されていました。
壁画についても取り外して保管・修復することが提案されましたが法隆寺側が信仰上の理由で難色を示したため当時の代表的日本画家・中村岳陵さん、荒井寛方さん、橋本明治さん、入江波光さんの4人による模写が行われ、それだけでなく京都の美術書専門店が原寸大の写真を撮影して4色刷りで着色複製しました。
法隆寺の金堂の壁画は江戸期に檀家制度による寺院の自立経営が確立する中、檀家を持たない官寺は困窮し、やむなく寺宝を一般公開することで収入を得たため全国に広く知れ渡り、明治以降は日本を代表する佛教美術の至宝として多くの外国人が拜観に訪れるようになっていました。
ところがこの日の朝7時過ぎに出火すると内陣と下層階が炎上し、午前9時過ぎに鎮火するまで燃え続けただけでなく消火活動の放水によって壁が崩落したのです。またこの工事に合わせて境内に消火用の溜め池が作られていて五重塔への類焼防止に役立ちました。
火災の原因については奈良地方検察庁が厳しく検証しましたが、法隆寺内の寺僧の諍いよる放火の噂はあったものの証拠はなく、模写に当たっていた画家が電源を切り忘れた電気座布団から出火したと断定されて法隆寺国宝保存工事事務所の所長以下3人と電気座布団の製造メーカーの社長が業務上失火と電気事業法違反で起訴されました。しかし、電気座布団からの失火も可能性の1つに過ぎず、検察側は公判を維持できずに業務上失火は無罪、電気事業法違反の罰金刑になりました。
  1. 2023/01/25(水) 14:08:52|
  2. 日記(暦)
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