これは夢物語だが事実と思わせるような書き方をしていることが問題だそうです。野僧は事実だと信じていますから当然でしょう。
本当は「漫湖」に業界禁止用語の「まんこ」と振り仮名をつけたかったのですが、記事が却下になってはそれも無理でした。
もしかすると日本軍の士官が住民を守ろうとして犠牲になったことが問題なのかも知れません。
本当は最後の一行が一番、言いたかったのですが。
沖縄戦の記憶
野僧は幼い頃から同じ夢を繰り返し見ていました。あの日、上衣を脱した中尉の海軍第3種軍装(脚は兵隊用の軍靴に脚絆でした)の野僧と汚れたブラウスにモンペ姿の若い母親、膝までの着物の五歳と三歳くらいの男の子の四人で民家の崩れた石垣の影に隠れていました。集落は艦砲射撃と爆撃で破壊されて家屋はほとんど残っておらず、ただ集落の向うには藪がありました。その時、車両のエンジン音と英語の話し声が聞え、のぞくと数名のアメリカ兵が坂を登ってくるのが見えます。野僧は母親に「私が囮になるから藪に逃げ込んでアメリカ兵が通り過ぎるの待て」と指示し、怯えた母親の横でこちらを見ている子供の頭を撫で、藪の反対側の坂道を登るように駆け出しました。走りながら「軍刀が邪魔だなァ」と思ったところで米兵の甲高い叫び声と機関銃の乾いた銃声が聞こえ、同時に背中に焼けた石を投げつけられたような衝撃を感じ、突き倒されたように転がって仰向けになりました。そして見上げた青い空と白い雲、冷たく感じる背中、ハシャイだようなアメリカ兵の歓声、遠くなっていく意識・・・後年、デートで漫湖の東側の豊見城村の街から城址公園へ行く途中でその場所を見つけたのです(詳しくはブログ「戦士の戦史」をどうぞ)。六月二十三日の沖縄慰霊の日に小庵では慰霊法要を厳修します。
(下関市・托鉢僧)6月19日・8回予定
- 2013/06/16(日) 00:21:38|
- 「東流西流」却下原稿
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これは内情暴露だそうですが、「東流西流」では色々な職業の方がかなりきわどい体験談を語っているにも関わらず航空自衛隊は許されないようです。
丁度、今夜の「空飛ぶ広報室」はそんな話みたいですが。
大韓航空機撃墜事件
昭和五十八年九月一日、早朝に非常呼集がかかりました。ただ、そのアナウンスには、いつもの「訓練」の符合がなく、テレビでは「大韓航空機がサハリン沖で消息を断った」と言うニュースが流れていましたが、「民間旅客機の遭難」と今朝の非常呼集は結びつきませんでした。その後、ソ連軍は全国の航空自衛隊の基地にミサイルを発射する態勢で接近を繰り返す威示行為を繰り返し、南西航空混成団では米空軍の主力が三沢に展開した後の沖縄周辺空域の防空能力の低下を補完するため、可動の戦闘機を武装した上、待機させる緊急発進増強態勢をとり、急速整備を実施して全機を可動状態にしました。それと同時に基地の警備態勢を強化し、弾薬、ミサイルを搭載した戦闘機を並べたエプロン地区では空曹(下士官)が小銃と実弾を持って勤務につきました。ある夜、野僧は滑走路側のポストに配置されましたが、夜間飛行のボーイング747が着陸し、目の前をタクシングして行きました。窓からは明りが漏れていて旅客のシルエットが見えます。
「あの人たちは今、日本で何が起きているのか知らないんだな・・・撃墜されたのも747だった」そう思うと、戦闘態勢にある自分たちが目の前の平和な風景とは別世界の住人のようでした。
(下関市・托鉢僧)6月12日・7回予定
本来はこれに続けるつもりだったのですが、同様の理由で却下でした。
若い世代へのエールにもなると思ったのですが。と言ってもあの頃の若い連中はもう40代ですね。
湾岸戦争
平成二年、湾岸戦争が勃発した時、小牧の第5術科学校の要撃管制幹部課程に入校していました。当時の海部内閣は財政支援で対応し、米国の非難を受けて巨額の追加支援に、そして二転三転、右往左往、優柔不断、右顧左眄の末、結局は「輸送機による難民輸送」と言う妥協案を決定しました。政府から小牧・第1輸送航空隊に対して輸送機派遣の準備命令が発令された日、基地は異様な静寂に包まれました。派遣要員の選定で幹部たちは当初、「ベテランは了解してくれるだろうが、嫌がる若手をどう説得するか」を心配していましたが、実際の選任作業を始めると若手は「外国軍がやっていることを自衛隊もやるのは当然です」と志願し、中には任期満了退職する予定で就職先が決まっていた空士までが「同期が派遣されるなら俺も」と退職を取り消して志願することも少なくなかったそうです。一方、ベテランの方はかえって「定年まであと数年なのに今更戦死できるか」と断る者が多く、さらに同じ小牧基地でも派遣には直接関係のない第5術科学
校へは学生の親から「息子は派遣されるのか」との問い合わせが殺到し、中には泣きながら「退職させる」と申し入れる母親もあったそうです。「今の若者は素晴らしい」との第1輸送航空隊司令の感動のコメントに野僧も同感です。
- 2013/06/09(日) 00:29:05|
- 「東流西流」却下原稿
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これは完全な銃剣道批判です。特に銃剣道大会を大々的にニュースにしている山口の連隊と金で買える段位を重宝がって県連盟と癒着を続ける防府の航空教育隊への痛撃のつもりでした。
自衛隊の武術
野僧は坐禅と共に武道に励みましたが、その後、自衛隊体育学校格闘課程に入校し、実戦で役立つ格闘技と言う視点で探求するようになりました。野僧は自衛隊が銃剣道にとらわれている間は駄目だと思っています(野僧は五段ですが)。銃剣道は元来、フランスの格闘術でフェンシングとは兄弟にあたります。導入にあたり武士出身者から日本古来の槍術の採用を求める声が上がりましたが、自身が槍の名手だった山県有朋はこれに反対したそうです。結局、久留米藩士だった担当者が藩御用の宝蔵院流を参考にしたと言われています。しかし、銃剣道は長い30式歩兵銃にこれも長い30年式銃剣(=牛蒡剣)を着けた長さの木銃での格闘術であり、丸腰では役に立ちません。また、AKー74小銃の5・45ミリ弾の射程距離を銃剣を閃かせて突撃しても敵陣地まで辿りつける者がいないことは乃木希典が旅順要塞で証明しています。野僧は警備小隊長として実戦的護身術を急速練成する必要に迫られていましたが、結論的には土俵のない相撲(初段です)を選びました。何故なら頭からの打ちかましの破壊力は拳や足での打撃の比ではなく、押しながら投げ、倒す技は柔道(こちらは2段)ほどの練度を必要としないからです。自衛官にとって武術とは単なる趣味や体育ではなく身を守り、敵を制する戦技なのです。
(下関市・托鉢僧)6月5日・6回予定
- 2013/06/03(月) 09:07:27|
- 「東流西流」却下原稿
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これは法話の会で話すと爆笑が起こる得意ネタだったのですが、本山批判と体罰容認、さらに内情告発の三重の罪で即刻却下でした。野僧としては現役の教員たちに「殴るくらいなら」と言う提案のつもりもあったのですが残念です。
最後の一言はマスコミが指摘しない事実を代弁したつもりでしたが、余計なお世話だったようです。
航空自衛隊の体罰
以前、京都にある禅宗の本山で修学旅行の体験坐禅で生徒に警策(けいさく)を入れたところ「体罰だ」と騒ぎ出し、本山が謝罪したと言う馬鹿げた話がありました。ところで自衛隊は世界で唯一の体罰を行わないミリタリーと呼ばれています。ただ、それは殴打しないと言う意味で、言って判らないことを身体で解らせる指導は当然やっており、野僧の時代は腕立て伏せでした。しかも指導力不足・監督不行き届きの責任を取って教官、指揮官も一緒にやるのです。ある日、当直について学生を入浴に行かせる前、「脱衣籠を片づけろ。後で点検して残っていた数かける十回、腕立て伏せをやらせるぞ」と宣言しました。そして点検すると十六個も片づけてありません。夜の点呼の後、残っていた数を発表すると学生からは悲鳴が上がりましたが、仕事に妥協しないのが航空自衛隊です。野僧は「腕立て伏せ用意」の号令をかけるとコの字型に並んだ学生たちの中央で腕立て伏せを始め、百六十回の腕立て伏せを終えた時、窓から見ていた他の中隊の学生たちから拍手が起こりました。翌朝、出勤してきた中隊長は「ウチの学生は挨拶だけで敬礼をしないんだよな」と不思議がっていましたが、それはそうでしょう、筋肉痛で腕が上がらないのです。(それにしても今の子供は殴られ方が下手すぎます。経験がないのですか?)
(下関市・托鉢僧)5月29日・5回予定
- 2013/05/25(土) 09:31:02|
- 「東流西流」却下原稿
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これはいじめを肯定しているから却下と言うことでした。しかし、野僧にいじめを語らせれば親や親戚から受けてきた精神的虐待や中学校での地獄のような日々などこんなものではすみません。
当たり障りのない記事にするためには刺激的な内容を切る。NHKのニュースがつまらないのと同じことが山口新聞にもあるようです。
負けじ魂
我々、一般空曹候補学生はわずか二年で一律に昇任するため仕事ができない空曹(下士官)になることは必然で、先に入隊した古参空士(兵)だけでなく、新隊員出身の空曹たちからも「駄目な奴」「不用品」と馬鹿にされていました。さらに野僧は七期であったため、ある程度経験を積んだ曹候学生の先輩たちからは「足を引っ張るな」「恥を晒すな」と突き放されるばかりで孤立無援、基地内生活だけに常時監視状態だったのです。ある補給隊の同期は古参空士たちから段ボール箱に梱包されました。そして夕方、その同期がいないと大騒ぎになったところへ入間基地から「お宅の隊員が箱の中で泣いている」と電話が入りました。彼は「絶対に声を出すな」と言われたので黙ったままトラック、輸送機に乗せられ、伝票通りに入間基地まで送られてしまったのです。当時、部隊では「曹候を辞めさせれば空士の昇任枠が広がる」と言う根拠のない風聞が広まっていて、いじめは決して悪戯などではありませんでした。そんな曹候学生には「早く実力をつけるしかない」と気負う者と、「はい、はい」といじめなど蛙の面に水と受け流す者がありましたが、現在も各分野で異彩を放っている同期たちを見ると、いじめによって鍛えられることも確かにあるようです。一般空曹候補学生課程の精神徳目は「負けじ魂」でした。
(下関市・托鉢僧)5月22日・4回予定
- 2013/05/22(水) 09:31:39|
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