「亜麻色の髪のドール」
土曜日の少林寺拳法部の練習の後、地元の仲間・名城君に誘われた。
「モリオさん、今夜飲みに行こう」「うん、行こう」私も快諾した。名城君と私は同じ歳だが、私は大学の法学部を中退して航空自衛隊一般空曹候補学生に入隊し、彼は地元の大学の法学部3年だった。同じ頃に入門して以来、妙にウマが合い以前から一緒に飲みに行く約束をしていたのだ。
「それじゃあ、7時に松山の歩道橋の下で待ち合せよう」「沖縄時間じゃあないよネ」「うん、ナイチ時間さァ」名城君の提案に私は念を押した。沖縄では待ち合わせ時間を守らないのが当たり前で、バス亭の時刻表にも時間はない。真面目な名城君とは言えシマンチュウなのに間違いはないから仕方ないだろう。
「それじゃあ、後でね」「7時だよ」手を振って出て行く名城君に私はさらに念を押した。
待ち合わせ時間の5分前に指定場所に行くと、もう名城君は待っていた。女の子とのデートではないので駆け寄りはしないが、頭をかいて歩み寄った。
「遅れてスマンす」「大丈夫、まだ5分前さァ」謝る私に名城君は笑って腕時計を見せる。と言うことは「名城君は何時から待っていたんだろう」と考えながら話を始めた。
「スタートはどの店にしよう」「俺の行きつけに行くさァ」そう言うが早いか名城君は先に立って歩き出し、私はまだ国際通り近辺しか知らず松山には詳しくないので名城君に任せることにした。
名城君は松山の飲み屋街でも一番手前にあるスナックのドアを開けて入っていった。
「ハイサーイ、賢幸、早いさァ」中で中年のママさんが声を掛けている。私は名城君の名前が賢幸(ケンコウ)と言うのを思い出した。
「あれ、今日は友達が違うさァ、こちらナイチャアねェ」続いて店に入った私を見てママさんは戸惑った顔で名城君に声をかけた。
「少林寺拳法の仲間さァ、こちらはモリオさん」「モリオです、ハイサイ」私のシマグチ(沖縄方言)の挨拶にママさんはニッコリ笑った。
「モリオさんは大学生ねェ」「国家公務員です」「自衛隊ねェ」歳から言えば大学生にしておいてもよかったが、私は嘘がつけず職業はすぐにバレた。
「自衛隊は陸ねェ」「空です」「頭が短いから陸かと思ったさァ」このママさんの分析は鋭い、確かに航空自衛隊で短髪は少数派だ。そんなところで自己紹介も終わり、ほかに客がいないカウンターの席についた。
しばらくは名城君の大学と私が中退した大学の話や少林寺拳法と名城君がやっていた琉球空手の話をしていた。ママさんは黙って聞き役に回っていたが、話に区切りがついたところで「カラオケ歌わんねェ」と言ってメニューを差し出した。
「カラオケねェ」と名城君が受け取って2人の間に広げた時、ドアのカウベルが鳴って「お待たせェ」と言いながらお客さんがきた。
ママさんが声をかけたので私も振り返ると、そこには2人づれの女性客が立っている。どちらも私と同年代だろう。前の女性は沖縄的美人だが、後ろの女性は一見してハーフの美人で、どことなく強張ったように無表情だった。
「あれ幸恵、やっぱり待ち合わせねェ」「うん、同級会さァ」幸恵と呼ばれた女性はハーフの女性に私の隣りに座るように言うと私たちを挟んで向こう側に座り、ママさんがお絞りとグラスを配った。
「賢幸、待ったねェ」「いや、丁度カラオケを始めようと思ったところさァ」幸恵と名城君は親しげに話していたが、隣りの女性は無表情なままだ。
「聖美、久しぶりさァ」「この間、同級会で会ったさ」名城君が声をかけると聖美と呼ばれた女性は淡々と答えた。
「聖美、こちらモリオさん、俺の少林寺拳法の仲間で那覇の航空自衛隊さァ」名城君はイキナリ私の職業をバラしたが、この友人たちは大丈夫と言うことだろう。
「モリオさん、これは俺の彼女で幸恵、そちらは高校の同級生で宮里聖美さァ」「こんにちは」「ハイサイ」聖美が無表情に会釈したので私は笑顔で挨拶を返した。私のシマグチの挨拶は打ち解ける切っ掛けになることが多いのだが聖美は無反応だった。
「私も聖美と賢幸と同じ高校の同級生さァ」「それじゃあ、つき合いは長いんだ」幸恵の説明に私が質問を返すと、2人は顔を見合わせて指を折り交際期間の確認を始め、私はそんな微笑ましい2人の様子を見ながら振り返ると聖美も黙って見ていた。
「宮里さんは学生さんですか、どちらかにお勤めですか?」私は、どうも聖美と言うこの女性が打ち解けられないでいるのは、私のせいではないかと心配し始めていた。
「私はお隣に勤めています」私の質問に聖美は事務的に答えた。
「隣りって?」「南陽航空で受付をしています」「グランドサービスにインフォメーションですね」聖美の答えに私が補足すると無言でうなづいた。
「モリオさんは自衛隊で何をやってるんですか?」「航空機整備員です」無言の聖美に代わりに幸恵が色々と質問してきたので私は丁寧に答え、時々話題を振ると聖美もそれには答え、次第に会話に加わってくる。
「モリオさんって賢幸が言っていた通りの人だね」「そうだろう」名城君と幸恵はそんなことを言い合うと、いきなり立ち上がった。
「それじゃあ、モリオさん、聖美、ごゆっくりィ」「私たちはこれからデートさァ」「あんたたちもデートすればいいさァ」「そうさ、お似合いさァ」2人は口々に声を掛け、呆気に取られている私と聖美を置いて出て行ってしまった。

「参ったなァ、こう言うことか・・・」私は2人を見送って椅子に腰を下ろすと独り言を呟いた。
「スミマセン、こんなこととは知らずに・・・」私が黙っている聖美に謝り始めるとママさんが割って入ってきた。
「これも友達の気持ちさァ、折角だからつき合ってみればいいさァ」ママさんの助言に私と聖美は顔を見合わせた。さっきまでは横顔しか見ていなかったが、正面から見ると知的な美人だが鳶色の目には憂いがあるような気がした。
「カラオケでも唄うさァ」それでも会話が弾まない私たちにママさんはまたメニューを差し出した。
「それじゃあ、芭蕉布をお願いします」「えーッ、芭蕉布ねェ」私のリクエストに聖美とママさんは意外そうな顔をする。沖縄県民歌である芭蕉布は最近覚えて練習中なのだ。
ママさんが手慣れた手つきで機械を操作すると直ぐに芭蕉布のイントロが流れた。
「海の青さに空の青 南の風に緑葉の 芭蕉は情けに手を招く・・・」私の歌に聖美も小声で合わせているので、間奏のところで「2番をどうぞ」とマイクを渡し、グラスの酒を飲みながら聖美の横顔をボンヤリ眺めていた。
「有り難うございました」「いいえ、こちらこそどうも有り難うございました」歌い終わった聖美は丁寧にお礼を言ったが、私の返事はさらに丁寧だった。
「次は彼女ねェ」ママさんがメニューを差し出すと聖美は困った顔をしている。そこで私がもう1曲、メニューを指さしてリクエストした。
「えーッ、これはシマウタ(沖縄民謡)さァ」ママさんの驚きの声に聖美もメニューを覗き込んだ。
「ミミチリボージヌ(坊主)」これは沖縄の本土復帰の頃、小学校で習った子守歌だった。
「ウフムラ ウドゥンヌ カドナカイイ ミミチリボ―ジヌ タッチョンドォ・・・」意味は判らないが歌としてはしっかり覚えていて、聖美もまた小声で合わせている。するとママさんはもう1本マイクを取り出して聖美に渡し、「一緒に歌え」と勧めた。
「ミーチャイ ユッチャイ タ―チョンドォ」そのまま2人で声を揃えて唄い切った。
「有り難うございました」「ユー アー ウェルカム」今度は英語で答えると聖美はクスッと笑った。
「この歌は子守唄ですけど怖い歌なんですよ」「へーッ、どんな?」「大きな村の角中に耳切り坊主が立っている。何人何人立っている。3人4人立っている」聖美は長年の謎だった歌詞を標準語で説明してくれた。
「それじゃあ、子供を脅かして眠らせてるみたいですね」「そうですね」私の感想に聖美は何故か恥ずかしそうに笑ってうなづいた。
翌日、映画へ行く約束をした。
「何か面白い映画やってましたか?」「ベストキッドはどうですか」「あれはカラテの映画ですよ。モリオさんは空手でしたか?」聖美は興味深そうに私の顔を覗き込んだ。
「いいえ、僕は少林寺拳法です。本当は琉球空手をやりたかったんだけどね。」私の答えに今度は納得した顔でうなづいたが、空手と拳法の違いは判らないかも知れない。
「ほかに宮里さんが見たいのがあればそれでもいいですけど」「いいですよ。それじゃあ、明日の9時に三越の前で」「午前9時ですよ」「はい、朝の9時です」沖縄では夜の9時に待ちあわせることもある。私の念押しに聖美は笑ってうなづいた。
名城君同様、真面目そうな聖美だけに「明日は早目に行こう」と考えた。
翌朝、8時半に三越へ行ったが流石に聖美は来ていなかった。それでも10分前にはやってきたが、本土の観光客相手の仕事なら当然と言えば当然だろう。
昨日は仕事帰りだったが、今日の服装も軽装が多い沖縄の女性としてはキチンとしている。私はトレーナーと綿パンの普段着で来たことを反省した。
映画を見終わると聖美は意外に冷めた感想を口にした。
「カラテの映画でもアクション映画じゃあなかったですね」「確かに」「モリノさんはカラテの技に興味があったんでしょう?」「そりゃあ、そうですよ」「だってダニエル(主人公)が練習(修業だよ)するシーンを真剣な目で見てましたよ」気がつかなかったが聖美は、映画館の中で私の横顔を見ていたようだ。
外に向う人たちと一緒に歩きながら映画館の廊下で聖美が訊いてきた。
「空手と少林寺拳法はどう違うんですか?」「始まりは同じなんですよ。少林寺の武術が中国に広まって沖縄に伝わったのが空手です」「それが琉球空手ですね」「昔は遣唐使の『唐』って字でカラテと書いたんです」「ふーん、それじゃあ、少林寺拳法はその原型と言うことですか?」私の説明に聖美は顔を覗き込んでくる。何にでも興味を持って知りたがる人のようだった。
「って言うのを売りにしているけど、僕はあまり信じていないねェ」「どうしてですか?」私の否定的な答えに聖美は意外そうな顔をする。
「中国武術と動きが違い過ぎるし、日本拳法って柔術の流れの武術の方が似ているからね」「モリノさんって勉強家ですね」私が感心していることを聖美に先に言われてしまった。しかし、名城君が言った「お似合い」ではないが、波長が合っているように感じていた。
映画館を出て腕時計を見るともう昼前だった。
「昼食はどうしましょう。スパゲティでも食べに行きませんか?」
私が行きつけのスパゲティ店に連れて行こうと思い提案すると、「アルデン亭ですか?あそこ美味しいですよね」と聖美も知っていた。
「いらっしゃいませェ。おや、貴方たちはそう言う関係だったんですか?」アルデン亭のマスターは一緒に入ってきた私たちを見比べて驚いたように声をかけた。
「そう言うことです」私が素直に認めると聖美は隣りで戸惑った顔をした。
「それじゃあ、モリオ君も彼女も座ったことがないカップル席に御案内します」そう言うと昼前でまだ空いている店の奥の2人掛けの席に案内してくれた。やはりマスターは私の名前は知っていても聖美の名前は知らないらしい。
「今日は何にしますか?」マスターは2人にメニューを手渡した。
「ここのメニューは沢山あり過ぎて迷っちゃいますね」「はい、本当に」相槌を打ちながら私はメニューの向こうで選んでいる聖美の顔を見ていた。
「それじゃあ、モリオ君はツナのカルボナーラ、彼女は茄子のトマトソースですね」「はい」「はい」マスターの確認に2人の返事が揃って、お互いの顔を見ながら笑った。この店に一緒に入ったのは初めてだが、マスターと言う接点では結びついている。私はそれが不思議で顔を見つめると聖美も微笑んで見つめ返してきた。
レジで2人分の会計をしているとマスターは「彼女はいい子だよ。頑張れ」と笑った。
その後、タクシーで首里へ行き守礼門、首里城址から竜譚池の周りを歩いた。竜譚池の畔には木々が茂っていて日陰になっているので歩くのには丁度いいのだ。
「首里の古城の石畳」「昔を偲び片畔」「実れる芭蕉、揺れていた」「緑葉の下・・・」歩きながら「芭蕉布」の2番を口ずさむと絶妙のハーモニーになった。
沖縄県立博物館に寄って国際通りに戻ったが、夕食のレストランで次回の予約をとった。
「来週も会ってくれますね」私はあえて「か」ではなく「ね」と念押しにすると、しばらく黙ってから聖美は返事をした。
「私、土日は片方しか休みじゃあないんです。来週は土曜日が休みですけど・・・」これは年中無休の南陽航空の仕事を考えれば当然だろう。
「それじゃあ休日の時間は貴重ですね。土曜日の12時でどうですか?」私の気配りに聖美は驚いた顔をしたが、すぐに微笑んでうなづいた。
聖美の笑顔は素敵だが、普段の硬い表情には近寄りがたい距離感があるように感じる。そして、この笑顔を見るためなら喜劇役者、道化師でも演じたいと思った。
私はテーブルの紙ナプキンを取り、持っていたボールペンで基地の電話番号を書いて手渡すと、聖美は黙って受け取ると真面目な顔でそれを確認している。
「これで基地の交換が出ますから、この内線番号を言えば修理隊当直につながります。そこでモリノって呼び出してもらって下さい」自衛隊の電話は説明がややこしいのが難点だ。しかし、聖美は一度で要領を呑み込んだようだ。ここで普通の男なら相手の電話番号も訊くのだろうけど私は何故かためらっていた。
それはどことなく伝わってくる聖美が踏み込ませない安全距離のせいだと思った。
次のデートも映画だった。今度は聖美のリクエストで「フラッシュダンス」を見た。
私は映画の中で流れる歌を頭でリズムをとりながら低く合わせて唄う聖美の英語力に感心しながら、その横顔を見ていた。
映画のラストで、ヒロインのジェニファー・ビールスが恋人の胸に飛び込むシーンでは、2人で顔を見合わせて思わず笑ってしまった。
映画の後、またアルデン亭に入ると聖美が思い出したように話し始めた。
「私の電話番号をお教えしていませんでしたね」「はい、よろしければお願いします」
私の馬鹿丁寧な返事に聖美は真顔のまま紙ナプキンを取り、私と同じようにボールペンで数字を並べて差し出した。
「でも私は夜遅くて、この間ぐらいの時間でないと帰っていません」「最終便が飛んでからですね」私の返事が正解だったようで聖美は黙ってうなづいた。
「週末に会えるなら電話はデートの相談にかけるくらいでいいでしょう」そんな会話をしているとマスターが注文したスパゲティーを運んできた。
まもなく4月1日だ。世間ではエイプリルフール=4月馬鹿だが、戦史上は沖縄戦で米軍が沖縄本島に上陸した日である。
私は沖縄に来てから外出は先輩に連れられて飲みに出るか、映画を見に行くばかりで、史跡は首里くらいにしか行っていなかった。
「一度、南部戦跡へ行ってみたいなァ」聖美への電話で私が何気なく呟くと、「そうですか、まだ行ったことがないなら一緒に行きましょう」と即座に同意してくれた。今はあまり面白い映画もなかったので丁度いい。
私が「タクシーだと幾らくらいかかるのだろう」と思案すると聖美が助言してくれた。
「だったら国際通りから南部行きの定期観光バスに乗ればいいですよ」「なるほどォ、それなら安く行けますね」何にしろ次のデートは観光小旅行と言うことになる。
「今ならまだ暑くないからいいですよ」「あッ、そうですね」そろそろ本島も海開きになるが、沖縄の夏は未体験の私には真夏の暑さが判らない。
今度はいつもキチンとしている聖美とつり合う服装をどうするかを思案することになった。
バスの出発時間は聖美が調べ、電話して来てくれた。
その時、聖美が「結構歩きますよ」とアドバイスしてくれたので軽装になった。
朝、国際通りの定期観光バスの発着場で待ち合わせたが、私は野球帽を被っていたのでいつもの癖で敬礼をしてしまい、周りから変な目で見られてしまった。そう言えば今日は聖美も白い帽子を被っていてスカートも短めだ。
発着場には南部戦跡巡り、海洋博記念公園行きに別れ、それなりの人が集まっているが満席になるほどでもない。待ちながら横顔を見ていると聖美が「何か?」と訊いたので、それも出来なくなった。
バスは乗客の数ではなく時間で出発したため座席は半分ほど空いていたが、私たちは後方の海側の席に並んで座った。
バスは国際通りを出ると基地の前を通って、ひめゆりの塔へ向う。
ひめゆりの塔では他の観光バスのガイドが説明していたが、「女生徒たちが手榴弾で自決した」と言う説明は史実に反する。実際は米軍の毒ガス攻撃を受けたのだ。
と言ってもそのバスの乗客ではないので質問も出来ず、聖美にだけその話をした。

ひめゆりの塔に続いて摩武仁の丘へ行った。
慰霊塔の観音様に私は延命十句観音経を唱えたが聖美は黙って手を合わせていた。
「今のは観音様のお経ですか?」「はい、延命十句観音経と言う1番短いお経です」「本土の人はやはりお経を覚えているんですか?」聖美の質問に私は自分の家の事情を説明することにした。
「僕の祖父はお寺の坊さんで、中学生の時に預けられていたことがあるんです」意外な話に聖美は驚いた顔をしたが、多分、坊さんを見たことはないだろう。
「子供の耳は切らないけどね」「ミミチリ坊主ですかァ」私の冗談でこの話は終わった。
慰霊塔から広場を歩いて摩武仁の丘に登ると頂きの魂魄の塔から見える初夏の海は眩しく、風が聖美の髪を乱している。その時、私はここで自決した牛島満第32軍司令官の辞世を思い出した。
「矢弾尽き 天地染めて 散るとても 魂還りつつ 皇国護らむ」
「秋待たで 枯れゆく島の 夏草は 御国の春に 甦るらむ」
隣りで怪訝そうな顔をしている聖美に私は日本軍の玉砕について説明した。
「そんなの間違ってる」日本軍の「生きて虜囚の辱めを受けず」と言う「戦陣訓」の説明に聖美は怒りを隠そうとしない。
「でも、ここでも沢山の日本兵たちがそうやって死んだんです」私はそう答えてもう一度、丘の上から海を眺めた。その時、私の胸にもう1つ、摩武仁の歌が浮かんできた。
「偲び泣く 御魂の声が この丘に かすかに響く 遠き海鳴り」聖美は何も言わず私の横顔を見詰めていた。
「モリオさん、聖美とうまくいってる?」少林寺拳法の練習が終って名城君が訊いてきた。
「うん、ありがとう。素敵な人だね」私はお礼を言って少林寺式に合掌した。
「でも聖美はガチガチに真面目でしょう。一緒にいて面白いですか?」折角、誉めたのに名城君は妙な心配をする。しかし、そんなところがあるのは確かだ。
「スナックのママさんが2人の会話を聞いていて肩がこったって言ってたさァ」そう言われればそうかもしれない、あの時は初対面で丁寧語の応酬だった。間に挟まったママさんも困ったことだろう。
「聖美は高校時代も男には絶対に近づかなくて、いつも離れていたのさァ」「うん、今もそうだよ」「うっそーッ」名城君は呆れたが、それは事実だった。聖美とつき合い始めて2カ月、私たちはまだ手もつないだことがない。
あんな美人なのに言い寄る男はいなかったのかとも思ったが今も感じている聖美の距離感がそうさせていたのかも知れないと納得した。
「モリオさんも真面目だからねェ」「そうかなァ」「だからお似合いなのさァ」名城君の言いたいことは「聖美の心を開くには誠実さが鍵だ」と言うことだろう。
そう言っている間に名城君は荷物をスポーツバッグに詰め終わった。
「また4人で飲みに行こう」「うん、そうしよう」「聖美によろしくゥ」「幸恵さんによろしくゥ」今日の別れは挨拶が違っていた。
私の母には電話を切る間際に、必ず言う口癖があった。
「そっちで彼女を作っていないだろうね。駄目だからね」それは父の考えと、その向こうにある父の長兄=伯父の言いつけなのだろう。母は常に父の考えだけを尊重し、子供たちが背くことがないように心配していた。
「だから何でそうなるんだよォ」私は電話を切ってから一人嘆いていたが、その後、聖美に電話を掛け直して気持ちをほぐしていた。
沖縄のデートは暑いので映画が定番だ。私たちもそうだった。その日は「Back to the future」と言う評判の映画を見た。
映画は前評判通り面白かったが字幕で台詞を理解する私と、そのまま英語で理解する聖美では笑い、泣くタイミングが微妙にずれて、それにガッカリした。
いつものようにスパゲティーを食べて帰る前、日が長くなってまだ薄暗い国際通りの奥の公園のベンチに並んで座った。映画の感想を話し合いながら私は映画の最高の場面の台詞を呟いてみた。
「George, I shuld you kiss me(ジョージ、キスしてくれないの)」これは主人公の両親が学校のダンスパーティーで初めてキスした場面の台詞だった。すると聖美は「発音がおかしいよ」と笑いながら私の顔を見た。
「そうかなァ」「こうだよ」聖美はキチンとした英語で言い直した。
「I shuld you kiss me」「OK」私は素早く頬に手を当てて唇を盗んだ。
聖美は驚いた顔をして唇を離した後、肩にもたれかかってきた。私は聖美の背中に手を回して抱き寄せると、もう一度キスをした。
うすく目を開けると聖美の顔が間近に映り、胸が高鳴り吐息が甘く感じた。その瞬間、母の口癖が胸をよぎったが手に触れている聖美の体温がそれを打ち消した。
「聖美さん、好きだよ」「私も・・・」聖美は最後を言わなかった。
公園を出て国際通りへ歩く間、聖美は無言だった。私は手を握ろうと思ったが聖美の発する距離感がいつもにも増して遠く感じていた。
「母に会ってくれますか?」国際通りでタクシーを停めようとする私に聖美が訊いてきた。振り返るとその顔は真剣で、鳶色の目は真っ直ぐにこちらを見ている。沖縄の初夏とは言え、夕方の涼風が亜麻色の髪を少し乱していた。
「いいよ、いつ?」私はゆっくりうなづき、その返事に聖美は安心したように微笑んだが、そこには何故か怯えにも似た不安の色がある。
私は聖美の表情に、母の話が重いモノであることを感じ取った。
翌週の日曜日の午後、聖美に教えられたアパートへ行った。
聖美のアパートは那覇市の外れの国道に面した1階が商店になった鉄筋コンクリート3階建ての2階だった。階段を上り部屋の前に立ってチャイムを押した。
すぐに聖美がドアを開けて中に入れてくれたが、しかし今日は最近見せるようになった素敵な笑顔はない。6畳の部屋には中年の女性が座っていた。
聖美の母は歳の頃は私の母よりも少し若いのだろうかハーフの聖美とはあまり似ていないが、やはり共通した面立ちがある。母の左に聖美も正座した。
「はじめまして、モリオです」私は聖美の母の前に正座すると両手をついた。
「はじめまして、娘がお世話になっています」母も両手をついて頭を下げた。
母の顔は非常に緊張し、少し強張っているように見える。
短い時候の挨拶、雑談の後、母が切り出した。
「モリオさんは、つき合って2カ月になるのに手も握らない方だと娘から聞いています」私は苦笑いしながら聖美の顔を見ると、聖美は固い表情のまま母の横顔を見ている。
「すみません、先週キスをしてしまいました」私の告白を聞いて母は一瞬呆気にとられた顔をしたが、直ぐに固い表情に戻り話を続けた。
「モリオさんがそんな方だから、お話しておきたいことがあるんです」母は深く息を飲むと話を始めた。横で聖美はまた怯えたような顔をしている。
「聖美は私が若い頃、米兵に乱暴されて出来た子供なんです」母はこう言うと私の顔を見すえた。その眼差しは私の心の迷いを見逃さないかのように鋭かった。しかし、私に動揺はない。
以前から私がハーフの女性とつき合っていると知った職場の先輩から、「復帰前の沖縄では米兵による強姦事件が多発していて、ハーフにはそんな子が多い」と聞かされており、聖美からも姉弟で父親が違うと聞いていたので可能性としては考えていた。そして、何よりも私は聖美の人柄に魅かれているのだ。
「だから私は、聖美が兵隊(自衛隊)の貴方とつき合うことには反対だったんです」思いがけない厳しい言葉に私は息を飲んだ。しかし、母も息を継いで言葉を続けた。
「これは身内の恥になっていまいますが、聖美も私の夫(その後、母が聖美を連れて結婚した日本人男性)から風呂や着替えを覗かれたり、寝ているところを抱きつかれたりして嫌な目に遭っていたのです」聖美はうつむいて膝の上で両手を固く握った。だから母は聖美を沖縄市から一人下宿させて那覇市の高校へ入れたのだった。
「でも、この子は幼い頃から好奇の目の中で育ってきて、しなくてもいい苦労をさせてしまって・・・」ここまで話して母は涙ぐんで鼻をすすると、もう一度、私を見すえた。
「もし、これからも娘とつき合って下さるのなら、このことを知っておいて下さい」そう言うと母は再び両手をついた。その言葉には「傷つけ合う前に別れてくれ」と言う意味があるように感じる。しかし、私は自分の正直な気持ちを口にしていた。
「はい、ありがとうございました。よろしくお願いします」私も両手をついて「2人にとって重い事実を話してくれた」その信頼に礼を言った。
母は私の返事に初めて表情を緩め、聖美も涙を浮かべて私と母を見つめていた。
それからまた数カ月が過ぎ、私は時々聖美のアパートに遊びに行くようになっていた。
「眠い・・・」警備勤務明けでアパートへ行った私は、聖美が作った昼食を食べた後、思わずそう言って畳の上に横になった。
「そうかァ、御苦労様でした」聖美は微笑みながら、そっとタオルケットを掛けてくれた。
目を覚ますと横に聖美が寝ていた。窓から射す日差しは大分翳っている。
私はしばらく初めて見る聖美の寝顔に見とれていた。よくとおった鼻筋、長い睫毛、小さな唇がミケランジェロのピエタ像の聖母のようで美しい。私が聖美にもタオルケットを掛けようと手を伸ばすと肩を抱く形になった。
「私を抱くんですか」聖美は薄眼を開けて静かに訊いてきた。気持ちは「駄目だ」と言っているが、身体はもうそのつもりになっている。私のそんな迷っている顔を見て、聖美は何も言わず身体を寄せてきた。
私は聖美の首に左腕を回すと重なって抱き締めた。胸の下で乳房がつぶれているのがわかる。ゆっくり顔を近づけて唇を重ねた。
「ごめんなさい。私、始めてじゃあないんです」唇を離した後、聖美は顔を見上げながら言った。その瞳には深くて暗い影があるように見える。
「私は・・・」聖美は唇だけで「チチニ」と呟いた。その時、聖美の目から涙が一筋流れ落ちた。
私は先日の母の言葉にあった父との真実を察して、哀しみが胸に迫ってきた。
「ごめん、今は止めておこう」私がそう言うと聖美は怪訝そうな顔をした。「この人が負っている傷をいたわりたい」と言う気持ちが身体に勝ったのだ。
「抱くのはもっと君に責任が持てるようになってからだよ」そう言って私はもう一度口づけ、私の目を見ていた聖美は、あわてて目を閉じた。
「責任が持てる」それは「結婚」と言う答えに自分の中で自信が持てた時を意味している。
「抱き締めさせてくれ」私の言葉に聖美は黙ってうなづいた。

「ハロー」夜、2人で国際通りを歩いていると歩道ですれ違いざまに本土からの観光客と思われる女の子たちから声を掛けられた。聖美は立ち止まって哀しそうな顔をした。
本土でハーフは国際結婚した夫婦の子供たちであり、インターナショナルやバイリンガルと表現されるあの頃でも「時代の先端を行く」イメージだった。
しかし、沖縄では聖美のような境遇の子供たちも少なくないのだ。聖美にとってこの仕打ちは特別な重みがある。私は無神経な本土の人たちに腹が立ち、哀しくなった。
「モリオさん、私ってやっぱり・・・」聖美は私の顔を見た。
その目にはやはり哀しさ、寂しさ、怒りなどの複雑な色がある。
「君は、聖美さんだよ」私はそう言って聖美の手を握った。
「うん」聖美は固い表情のままうなづくと手をギュッと握り返してくる。
歩道で立ち止まって見つめ合っている私たちを、ほかの歩行者たちが怪訝そうな顔で追い越していった。
2人で聖美の高校からの友人・順子さんがアルバイトをしている喫茶スナックへ行った。
「ねェ、テレサ・テンって好き?」何曲かカラオケを歌ったところで聖美が私の顔を覗き込んで訊いてきた。
「テレサ・テンね?」「この間の打ち上げで覚えたのさァ」どうも演歌と聖美のイメージが結び付かないが、聖美は少し自慢そうな顔をしている。
聖美はゴールデンウィークが終わって「御苦労さん会」があったばかりだ。
「『愛人』ねェ」そう言ってカウンター越しに順子が「つくして 泣き濡れて そして愛されて・・・」と口ずさんだ。順子は地元の大学の4年でもある。
「違うさァ」そう言いながら女同士で顔を寄せてカラオケのメニューを覗き込んだ。
やがて「時の流れに身をまかせ」のイントロが流れた。
「もしも貴方に 会えずにいたら 私は何を してたでしょうか・・・時の流れに身をまかせ 貴方の色に染められ・・・」何事にも一生懸命な聖美は、真顔でカラオケの画面を見ながら歌っている。私はそんな横顔をボンヤリと見ていた。
「聖美もモリオさんに染められているさァ」順子はそう言いながら私の顔を見た。
「そうかなァ」「最近、聖美はよく笑うさァ」「うん」「モリオさんに愛されて自信を持ってきたみたい」私は照れくさかったが嬉しかった。
「聖美は高校の頃、笑ったことがなかったのさァ」「ふーん」確かに出会った頃の聖美は、いつも真顔、むしろ無表情だったような気がする。
「でもモリオさん、聖美を『今は』じゃなくて、『ずっと』愛してあげて」順子はそう言うと「ずっと貴方しか愛せない」と口ずさんで悪戯っぽく笑った。
歌い終わって聖美は薄く作った水割りを口にした。目尻が赤くなっている。
「ねェ、何の話?」聖美は拍手をしている私たちに話の内容を訊いてきた。
「聖美は『ずっと貴方しか愛せない』だねって言ってたのさァ」「うん、そうさァ」聖美もあっさりと同意する。 こんな台詞もお酒の「おかげ」かも知れない。
「ラフテー(豚の角煮)、作ってみたさァ」ある日、聖美は台所で鍋を持って振り返った。
先日、一緒に行ったソバ屋(沖縄ソバ)で、私がソーキのラフテーを美味しそうに食べるのを見てチャレンジしてみたのだと言う。
「すごい、ご馳走だね」「でも、一人で作るのは初めてさァ」
最近揃えた2人分の食器に料理を入れて運んできた聖美は心配80%、自信20%の顔をしている。
「カッチィサビタン(いただきます)」と手を合わせて早速、ラフテーに箸をつけた。
「マーサイ(美味しい)ねェ?」「イッペィマーサイビン(とても美味しい)どォ」私の返事に心配そうに見ていた聖美はパッと笑顔をほころばした。
「よかったァ、(料理酒の)泡盛が残ったさァ、飲んでね」食卓の向こうで微笑んでグラスを差し出す聖美の顔に私は「妻」を感じた。
ある日、聖美を行きつけの居酒屋・ウチナー屋へ連れて行った。
まだ夕方の開店直後で、ママさんはカウンターの中で食材の準備をしていた。
このママさんは私の沖縄の母のような存在で、沖縄の家庭料理を食べ、泡盛を飲みながら、色々な本音を話し、ママさんは優しく励まし、時には叱りながら、本土、特に私の実家のそれとは異なる「家族の温もり」を教えてくれていた。ママさんには聖美とつき合い始めたことは話してあった。
「これがモリオの彼女ねェ、美人さァ」2人並んで席に座るとママさんはカウンター越しにお絞りを手渡しながら嬉しそうに言った。
「彼女、家はどこねェ」「コザです」この一言でママさんは聖美の生い立ちを察したようだ。コザ=沖縄市は米兵が多く、強姦事件や結婚しながら置き去りにされた現地妻も多い。
「彼女、大変だったね」ママさんはポツリと呟き、聖美も黙ってうなづいた。私はこの簡潔だが優しさといたわりに満ちた言葉に涙が出そうになった。
カウンターに置いてあるメニューを取って間に広げて置き、2人で覗きながら料理を選んでいるとママさんは嬉しそうに訊いてきた。
「モリオ、彼女のチャンプルは食べたねェ」「うん、マーサイさァ」私の返事にママさんは満足そうに、聖美は照れたように笑った。
「彼女、チャンプルが得意なら大丈夫さァ。安くて美味しくて、身体にもよくってさ」「はい」聖美も「同感」とうなづいた。
「モリオ、いい彼女さァ。大切にしないと」「うん」私も嬉しかった。
「彼女もモリオはいい人さァ。優しくて真面目で沖縄の男にはいないさァ」「はい」私はメニューを見ながら、この女同士の照れ臭いやり取りを聞こえないふりをしていた。
「そのうち、ウチの娘を紹介しようと思ってたよ。うーん、残念さァ」「えッ」思わぬ台詞に顔を上げるとママさんは悪戯っぽく笑っている。私も聖美と顔を見合わせて笑った。
この後、ウチナ―屋はデートで必ず寄るチェックポイントになった。

「モリオさん、4人でドライブに行こう」練習の後、名城君が誘ってきた。
「いいけど聖美の休みは今日なのさァ」実はこれから聖美と国際通りで待ち合わせ、食事と飲みに行く予定なのだ。本当は少林寺拳法の練習などはパスして昼間から映画でも見に行きたいのだが、自分のために私が何を止めることは聖美が許さなかった。
「ふーん、来週は?」「確か日曜日のはずだよ」「だったら来週にしよう」「残念ながら俺が警備なのさァ」ようやく学生の名城君も私と聖美のスケジュール調整が難しいことを理解したようだ。
「だったら何時ならいいのさァ」「その次は演習が始まるから判らないねェ」私の返事に名城君は溜め息をついたが、こちらがつきたかった。
夜、ウチナ―屋で夕食をとった後、順子がアルバイトをしている喫茶スナックへ行くと名城君と幸恵さんが待っていた。
カウンターに並んでいる2人を見て私と聖美は呆気にとられたが、2人は悪戯の成功を喜ぶようにハシャイだ声を掛けてきた。
「モリオさん、聖美、ハイサーイ」「ありゃりゃ、3時間ぶりにハイサイさァ」「ウフフ・・・」私の惚けた返事に聖美が可笑しそうに笑うと名城君と幸恵は驚いたように顔を見合わせた。
「モリオさん、聖美、いらっしゃい」その時、奥から順子が出てきた。
「これは何事ねェ、同級会でも始まるねェ」突然に聖美が順子を問い詰め始めた。私は見たことがない聖美の剣幕に驚きながらカウンターの席に座った。
「この間、幸恵に聖美とモリオさんがうちの店に来ているって言ったのさァ」「そうしたら今日、突然2人が来たのさァ」順子は一生懸命に言い訳をしているが聖美は憮然としたままだった。
私は聖美が怒っている理由が判らず助け船を出せないでいたが、名城君と幸恵はそれが判っているようで黙って2人を見ていた。
「私たちは今夜しか・・・」聖美が何を言いかけて黙ったので、順子はグラスとお絞りを取りに奥へ戻った。
私が隣りに座るように言うと聖美は「うん」とうなづいて席についた。
「すごいさァ、聖美のこんなところ初めて見たさァ」「高校時代のあれは何だったのさァ、こっちが素顔ねェ」2人がからかうように声をかけると、今度は名城君に向って怒りだした。
「今日は一体何ねェ」私の目の前には今まで見たこともない聖美のキツイ顔がある。私は事態を収拾する方策を考えていたが、その事態自体がよく判らない。
「2人のスケジュールを待ってたら、何時になるか判らないから割り込みに来たのさァ」名城君は惚けて答えたが聖美は納得しなかった。
「本当に割り込みだよ。2人は学生だけど私たちは社会人だから色々難しいのさァ」私は聖美と名城君たちの態度のギャップに戸惑いながらも少したしなめた。
「聖美さん、名城君たちは折角、会いに来てくれたんだからさ・・・」すると聖美は私の顔を見て思いがけない言葉を口にした。
「だって明日は私が仕事、来週は貴方が仕事、その後は貴方が演習、会えるのは今夜だけさァ」そう言った聖美の目は少し潤んで見える。
その時、順子がカウンター越しに「割り込んで」きた。
「だから賢幸、私が言ったさァ。聖美はモリオさんにぞっこんだって」考えてみれば私たちはウチナ―屋で泡盛を飲んできた。つまり今夜の聖美は少し悪酔いしているのかも知れない。
「でもよかったさァ、聖美が幸せそうで」「うん、有り難う仲人君」言いたいことを言って聖美もスッキリしたのか、今度は甘えたような顔で私を見た。(やはり、かなり酔っているようだ)
9月下旬から作戦準備が始まり、10月上旬に本番の総合演習が終わって休みになった日、私は朝から自転車に乗って基地の隣りにある南陽航空へ行った。
「あのォ、すみませんが今月の予約状況を教えて下さい」サービスカウンターにいる聖美に声をかけると、オレンジ色のハイビスカスがプリントされたブラウスの制服を着た聖美は、一瞬驚いたような、困ったような顔をしたが、すぐに仕事の顔に戻った。
「どちらまでですか?」聖美の確認に「アパートです」と答えると「コラッ」と小声で言ってから悪戯っぽく笑った。
「こことここは満席で、こことここには空席がございます」とカレンダーを示しながら今月の勤務予定を教えてくれたが、今週末は土曜日が休みらしい。
「行き先はどうしようかなァ?」私の質問にもすぐにピンと来た。
「ビルマはどうでしょう」つまり上映中の映画「『ビルマの竪琴』を見に行こう」と言うことのようだ。では「Back to the future」なら「未来」になるのだろうか?
「わかりました。どうもありがとう」私は悪戯の成功を喜んで笑い、聖美も営業スマイルプラスアルファーの笑顔を見せてお辞儀をした。
「まったくもう驚いたよ」次に会った時、聖美は怒って唇を尖らせたが、目は嬉しそうに笑っていた。
「だって我慢出来なかったんだもん」私がワザとおどけて答えると「私も嬉しかったよ」と聖美も思い出し笑いをした。
「だったら今度、警備で南陽ゲートに当たったら会いに来る?」警備の勤務では南陽航空との間にある通用門である「南西ゲート」に当たることがある。あそこなら聖美は通勤時間に寄っていけるだろう。
「そんなことしていいの?」「あそこは暇だからいいさァ」私の答えに聖美は半信半疑だったが、実は私も自信はなかった。
「そうだ、それより毎日柵沿いに走っているんだから、どこかで待ち合わせればいい」「柵越しに会うなんて、映画にありそうね」映画好きの聖美は目を輝かせて笑った。
聖美の答えに私は「何の映画だったかなァ」と考えてみた。国境を隔てた恋、憎み合う家の恋人同士、確かにありそうだが思い浮かばない。
「ビルマの竪琴かァ」そう言えば私のことを中井貴一に似ていると言ってくれたっけ。
ウチナー屋を出て順子の店に行こうとドアを開けると雨が降っていた。
傘を持っておらず困っている私たちを見て、珍しく送りに出ていたママさんは店に戻り、古びた傘を1本持ってきた。
「お客が忘れっぱなしで置いてある傘さ、相合傘で行くさァ」ママさんは笑いながら傘を私に渡すと手を振って店に入っていった。
ウチナー屋がある三越の裏路地から国際通りに出ると急な雨だったようで、傘を持たない人たちが店の軒先で雨宿りをしている。その羨ましいそうな視線を感じながら私たちは相合傘で歩いて行った。
聖美は始め腕に手を絡めてきたが、それでは濡れてしまうので私は手を伸ばし肩を抱いた。
「助かったね」「うん、次は忘れないように返さないとね」私の返事を聞いて聖美は納得したようにうなずいた。
ウチナー屋は国際通りの中央付近、順子がアルバイトしているスナックは入り口にあり、相合傘のデートには丁度いい距離だった。話が途切れたところで私はいつもの癖で歌を口ずさみ始めた。
「雨が小粒の真珠なら 恋はピンクのバラの花 肩を寄せ合う小さな傘が 若い心を燃えさせる・・・」これは祖母が好きな橋幸夫の「雨の中の2人」だった。1番が終わったところで聖美が訊いてきた。
「ねェ、誰の歌?」「橋幸夫さァ。祖母さんが好きなのさァ」「橋幸夫ねェ・・・」聖美はあまり知らないようでハッキリ返事をしなかった。
橋幸夫の全盛期は沖縄が本土に復帰する前なので、あまり知られていないのだろう。何よりも聖美が母と暮らしたアパートにはテレビがなかったので歌番組を見ることもなかったはずだ。
「続きは?」「流石に一番しか知らないよ。子供の頃に祖母さんがレコードを聞いていたのを覚えただけだからね」「でも、いい歌さァ、今の私たち見たい」聖美の言葉に私は肩を抱いた手を引き寄せた。
順子の店につくと私はカラオケのメニューで橋幸夫の歌を探してみた。沖縄民謡以外のレーザーディスクは本土製なのであるはずだ。歌手別のベージをのぞくとやはりあった。祖母が聞いていた歌のオンパレードだ。
「今日は何を唄うねェ?そんな一生懸命探して・・・」順子が訊いてきたので私は千円札を百円玉にくずして「雨の中の2人」をリクエストした。
「エーッ、これは懐メロさァ」順子は呆れた声を出したが、聖美は納得した顔でうなずいた。
すぐに聞き覚えのある歌のイントロが流れ始めた。
「雨が小粒の真珠なら 恋はピンクのバラの花・・・」聖美も先ほど隣りで聞いてメロディを覚えたのか、画面を見ながら小声で唄っている。
「好きと初めて打ち明けた あれも小雨のこんな夜・・・・」聖美は微笑んで私の顔を見る。それを見て私は間奏でマイクを手渡した。
「よし、唄ってみよう」「うん、隣りで唄ってね」そう言うと聖美は真剣な目で画面を見ながら3番の始まりを待っている。やがて画面の歌詞の色が変わり始めた。
「夜はこれから2人きり 君を帰すにゃ早すぎる・・・別れたくない2人なら 濡れて行こうよ何処までも」聖美はそんな歌詞を唄いながら私の顔を見た。
私は胸の中で聖美のアパートに泊まっていくことを考えたが、それはまだやめておいた。
その日は橋幸夫と吉永小百合の「いつでも夢を」を練習して2人にデュエット曲ができた。
今年の正月休暇は聖美と沖縄で過ごすつもりだった。
ただし、観光シーズンでもあり聖美はまとまった休みは取れず、大晦日、正月も勤務だ。
「どこかに行こうか?」それでも予定を立てながら私たちはウキウキしていた。
「海洋博記念公園なんかはやってるのかなァ?」「さァ」聖美は首をかしげる。
「南陽航空のくせに」「ごめんなさい」私の意地悪な台詞に聖美は申し訳なさそうな顔で謝り、今度は私が申し訳なくなって「冗談だよ。ごめん」と謝った。
謝りのキャッチボールになってしまい2人揃って噴出してしまった。
「ここで一緒に年を越したいな」私が独り言のように呟くと「いいよ」と聖美は当り前のように答える。
「ごめん、冗談だよ」と私はまた謝ったが、聖美は「わかってるよ」と答えながら、「でも、本当にいいよ。無理しないでね」とつけ加えた。
こんな言葉を聞くと私の中の男性が悪いことをしそうで我慢が辛くなる。私たちのつき合いも10カ月になるが、まだプラトニックな関係なのだ。
「アパートで2人で静かに過ごせたらいい」私は本当にそう思っていた。
こうしていると気持ちが安らぐ、こんな普通の時間がしみじみ幸せだった。
私は1月上旬から山口県の防府南基地で曹候学生の卒業課程に入校する。
「3曹に昇任すると言う区切りがあるなら、帰って報告しろ」親から年末年始に帰省するように命令してきた。こうなったら有無を言わせないのがウチの親だ。私は聖美とのプランをキャンセルして帰省しなければならなくなった。
年明け早々、父の実家に年始の挨拶に連れて行かれた。
父の両親の遺影が飾ってある奥の座敷の卓机2つを囲んで、父の兄弟とその妻、従兄弟が座った。私は父の長兄である伯父の正面の席になった。
御馳走が並び、酒盃が重ねられる中、恒例の伯父に対する父兄弟からの近況報告が始まって、先ず父が話し始めた。
「これ(私)も今月から曹候学生の卒業課程に入校して、3月には3曹になります」父は自慢げだった。しかし、伯父はそのことには大した興味を示さず、むしろ自衛隊を否定するような見解を示した。
「3曹だ、下士官だと言っても所詮は自衛隊のだろう。世間の評価はどんなもんかな」「井の中の蛙になるなよ」従兄が皮肉に笑いながら追い討ちをかけた。
父は不本意そうな顔をしたが黙ってしまい、座は白け、しばらく皆も黙った。しばらくは皆、無言で料理を口に運んでいた。
「沖縄はどんなところ?」叔母が助け船のつもりで話を替えてくれた。
「いいとこですよ」私はホッとしながら話し始めた。そのまま観光案内的な沖縄の話題で盛り上がってきて、そこで私は何気なく「沖縄でハーフの子と知り合ったんですよ」と口にした。すると叔母は女性らしい興味を示した。
「もし、その子と結婚したら子供は何になるの?」「クォーターかな」従弟が答えた。私は「気が早いなあ」と思いながらも満更ではなかった。聖美の母は、娘がハーフゆえに殊更に厳しくしつけていて、聖美は同世代の女性に比べても芯が強く、思慮深く、私はそんな人間性に魅かれている。ただ、それは私が3曹になってから考えるつもりだった。
突然、伯父が口を開いた。
「ハーフなんて言っても、混血児のことだろう」伯父はいつもの「沖縄人は文化も歴史も民族も違う」と言う持論を語気も荒く語り始めた。
その横で伯母が母に向って説教を始めた。
「そんなアイノコとつき合わせちゃ駄目だよ。南洋の女は情熱的で男に迫ってくるそうだから気をつけさせないと」。すると母はうなづきながら「だから沖縄で彼女を作っちゃ駄目って言ってあったのに・・・」とこぼすように答えた。
伯父は説教をしながら酔いもあって興奮し、「そんな女と結婚すれば血が汚れる」とまで言った。私はうつむきながら怒りがこみ上げてくるのを耐えていた。
その時、父が口を開いた。その口調は諭すように静かだった。
「どうせ将来はないんだから、そんな混血児とは手を切るんだな」これが判決だ。この家の子供である私には反論の余地もなく、ただ聖美を裏切る決心をしなければならなかった。私の胸には聖美は見せるようになった幸せそうな笑顔が浮んで離れない。
従兄弟たちは伯父の逆鱗に触れてしまった私のドジを嘲笑するかのように、また自分たちに説教が及ばなかったことを安堵するかのように冷ややかに笑っていた。
「本土は寒いんでしょ」「訓練って厳しいんでしょ」沖縄に戻り、防府に出発する前の夜、聖美は私の身体の心配ばかりしていた。
「フライトは何時?」「9時かな」「いつもの迷彩の飛行機でしょ」「多分ね」「その時間、ランウェイを見てるよ」そんなたわいのない会話で時間は過ぎていった。
そして帰り際、アパートの玄関でキスをした後、優しく微笑みながらこう言った。
「無理しないでね」私は口を固く結び、黙ってうなづいた。
「自分は今、この人を裏切ろうとしている」私は聖美の何の疑いも抱いていない目が怖かった。暗い廊下からは部屋の明りが逆光になって聖美の亜麻色の髪だけが光って見えた。
「モリオ3曹、出発」聖美は右手を額にかざして敬礼をした。
その時の聖美の目は、しばらく会えなくなる不安よりも、その後に続くはずの未来を見ているようだった、私は答礼すると踵を返し早足で歩き始めた。
聖美が廊下まで出て見送っているのが判ったが、振り返ることが出来なかった。
この時の沖縄の1月の夜は本土以上に寒く、私は心が凍えた。
私は防府から聖美に一度も連絡することはなかった。
毎週届く手紙にも返事を書かず、教育を終えて沖縄に帰る日も知らせなかった。
「理由を告げない一方的な別れ」この非情な作業を時間だけに任せたのだ。
このことは親たちにとっては、子供が見つけてきた玩具を「気に入らないから」と取り上げた程度のことだろう。しかし、聖美は決して人形などではなかった。
私は、人でなしになったのだ。
防府から戻ってすぐの土曜日、私は航空自衛隊の濃紺の制服を着て南西航空へ行った。3月末の沖縄は、すでに冬服では暑い。私は自転車をこぎながら汗をかいていた。
南西航空のロビーは春休みの観光客で賑やかだった。
「あッ、パイロットだ」親子連れの子供が私を見て声をかけてくる。
「ごめんね。整備員だよ」心の中でそう苦笑しながら人々の中を通り抜け、受付カウンターに向った。やはり聖美はカウンターで勤務していた。
私は聖美の前に出来た列の3番目に並んだ。私の前は家族連れらしく人垣になって聖美からは私が見えないようだった。やがて前の客の用件が終わり私の番がきた。
「ただいま」そう言って前に立った私に気づいて聖美の顔から表情が消え、数秒間、2人は黙ったまま見詰め合った。
「これを」私が手を差し出して小箱を手渡すと聖美は黙って受け取った。中には銀色の桜である曹候学生徽章のバッジが入っている。映画「愛と青春の旅立ち」を気取った訳ではないが、卒業の証は聖美に受け取ってもらいたかったのだ。
「明日の予約状況を教えて下さい」「・・・空席があります」質問に聖美はようやく答え、私は「まだ、気持ちは通じている」と確信した。
「ありがとう」私はかかとを鳴らして気をつけするとひさしに手をかざして敬礼した。
振り返ると私の後ろにいた家族連れが物珍しそうな顔で見ていた。
「ただいま」次の日、アパートの玄関で聖美は、昨日の続きのように信じられないものを見るような顔で私を迎えた。
「おかえりなさい」それだけを言うと聖美は笑顔を作りながら目を潤ませた。
何も言わずに思い切り抱き締めると、聖美も私の脇に腕を回してくる。聖美の吐息、髪の匂いは変わらない。背の高さ、身体の弾力も同じだ。黙って私の首筋に当てている頬の温もりが懐かしい。全て何も変わっていなかった。
3カ月ぶりの部屋に座って、私は正月に伯父の家であったことを全て話し、聖美は正座して自分の膝を見ながら話を聞いていた。
「俺は親よりも君を守りたい」そう話を締めくくった私に聖美は静かにこう答えた。
「私は親との縁が薄いから、親のない辛さはわかっています。だから貴方にも、親御さんにも同じ思いをさせたくありません」
「もし、私がいなければ・・・」そう言いかけた聖美の言葉を私はさえぎった。
「俺は君を選んだんだよ」「でも」聖美はまだ私の顔を見ないでいる。
「俺は俺らしく生きたいんだ。それには君にいて欲しいんだ」自分でもよくこんなことが言えたなと呆れるほどキザな台詞だった。これもカラオケで唄う加山雄三の影響かも知れない。聖美は顔を上げると涙をこぼした。あんなに芯の強かった人が、何だか涙もろくなったような気がする。
「1つ約束して下さい。お父さん、お母さんにわかってもらうことを諦めないで下さい。私のために親を捨てるなんてことは考えないで・・・」私は黙ってうなづきながら、この言葉を愛知の両親に聞かせてやりたいと思った。
そっと抱き寄せると聖美は恥ずかしそうな、嬉しそうな顔をして頬を寄せた。
「出発した時は寒かったけど、何だかもう暑いね」「うん」聖美は小さくうなずいた。
汗ばんだ私の頬に聖美の髪がくっついている。首筋にかかる吐息も熱い。薄いシャツ一枚の背中の感触が生々しかった。
やがて私の胸で、聖美がポツリポツリと話し始めた。
「私、寂しかったよ」「哀しかったよ」「不安だったよ」いちいちうなづきながら私の胸は申し訳なさで一杯になった。しかし、聖美の結論は違っていた。
「でも、貴方はもっと辛かったんだね・・・ごめんね」それは私の台詞のはずだった。
「馬鹿!」私は聖美の余りにも優しすぎる気持ちが悲しくて腕に力を込めた。
「やっとここに帰れた」胸に顔を埋ずめながら聖美は呟き、今度は私が涙をこぼした。
「モリオ、それが男さァ」久しぶりにウチナ―屋へ行って今までのことを話すとママさんはそう言って誉め、励ましてくれた。
「でも・・・」珍しく聖美がママさんの言葉に反論しようとする。
「聖美の気持ちもわかるさァ、だけど・・・」「だけど?」2人は真顔で見合った。
「人生、中々百点満点は取れないものなのさァ」「今、2人に何が一番大切か、優先順位をつけなければいけない時もあるのさァ」「はい」聖美が深くうなづくとママさんも優しく微笑みながらうなづいた。
「モリオは聖美といることを一番大切だと選んだのさァ」「はい」「だったら選ばれた聖美が迷ったらモリノが可哀そうさァ」「はい」ママさんの言葉は私の気持ちを代弁してくれている。聖美は黙って私の顔を見つめた。
「人生は入試じゃあないのさァ、追試もあるのさ」ママさんの話はわかり易かった。
「聖美は百点満点しか取ったことがないからなァ」「そんなことないよォ」私が場を和らげようと茶化すと聖美は少しむきになって唇を尖らせた。
「ところであんたたち、もうすることはしたねェ」ママさんの突然の大胆な質問に私たちは顔を見合わせて下を向いた。
「何だァ、始めからやり直しねェ」ママさんは呆れたように笑った。
3曹に昇任してから私の仕事へのプレッシャーは厳しくなった。
曹候学生の士長の頃には許された仕事のミス、出来ない仕事も周囲は認めてくれない。
戦闘機の故障が手に負えず助けを求める私に先輩たちは、「3曹になっても駄目か」と厳しい言葉を投げかける。そんな毎日が続いていた。
「責任を果たせ」「努力に不可能はない」私が子供の頃から父に叩き込まれてきた言葉は、不甲斐ない現状を自分自身への失望へと追い込んでいた。
「元々が不器用なんだもん、階級が上がったから『さァやれ』って言われても無理だよ」会っても愚痴をこぼすことが多くなったが、聖美はそんな励ましとも慰めとも違う言葉で私を救ってくれる。聖美の言葉には頑なな気持ちを包み込む響きがあった。
「出来るように頑張っているだけで今はいいんじゃないの」そう言うと落ち込んでいる私の顔を胸に抱き締めてくれた。その温もりと柔らかい弾力、何よりもかすかに聞こえる吐息と鼓動が安らぎだった。
「そんなことを言われたら泣いてしまうさァ」と言う呟きに「泣けばいいさァ」と静かに答えた。私は本当に泣いてしまった。
そんな情けない私を、聖美は胸に抱き締めたまま「ヨシヨシ」と頭を撫でてくれた。その時、聖美の眼差しは宗教画の聖母のように優しかった。ただ、私の気持ちは「俺がこの人を守るはずだったのに」と、大きな安らぎとともに少し複雑だった。
ゴールデンウィークが来て、聖美の仕事も大忙しだった。連休中には休みがなく、連休明けに3日ずつ交代でのみだ。
「俺も連休中の勤務について代休をためようっと」「本当ォ、そんなことできるの?」「連休中は勤務のつき手がいないから喜ばれるさァ」私の説明に聖美は「納得」と言う顔でうなづいた。
「だったらどこかへ旅行に行こうか」どちらが言うともなくこんな話になった。つき合い始めて約1年半、私たちはまだ清く正しく美しくプラトニックなのだ。
「八重山に行きたいなァ」私の希望に聖美も賛成した。
「連休明けの平日なら飛行機取れるかな、ホテルも探さないと」「流石は南陽航空!」私がからかうと聖美は「エヘッ」とお茶目な笑いを見せた。これはつき合い始めた頃には見せたことがない表情だ。あの頃は、陽気で元気な子が多い沖縄には珍しい物静かで、どちらかと言えばクールな女性のイメージだった。
「でも、南陽航空を使ったら職場の人にバレちゃうよ」「平気だよ」聖美は大袈裟に心配する私を、かえって不思議そうな顔をした。
「その前に俺が勤務につけるか、代休が取れるかだね」「あっ、そうかァ」仕事と人間関係に悩む日々の中で、数少ない胸がときめくような計画が立った。
「いやーァ、助かるよ」先任空曹は「連休中に何度でも勤務につきたい」と言う申し出に喜び、私は連休中に3度、警備勤務につくことになった。
「整備の仕事が出来ないからって警備で御奉公かァ」先輩たちの皮肉な言葉に少し傷ついたが、その後の大きな楽しみを思えばそれほど気にはならない。飛行機も民宿も聖美が手配してくれていた。
「友人と八重山旅行かァ、女の子とか?」旅行計画を確認した整備小隊長の三谷2尉は、ニヤーッと笑い、黒い顔の小さな目が好奇心に光っていた。
「まァ、お前にそんな甲斐性があるとも思えんがな・・・」そう言いながら印鑑を押してくれたが、私は心の中で舌を出した。
これで代休申請、旅行計画も提出完了、いよいよ出発だ。
「車に乗るなよ!」その頃、ウチの隊では隊員のレンタカーでの交通事故が続発していて、上司たちはかなり神経質になっている。
「はい」私は素直に、そして元気よく返事をした。
「都賀神社のお祭りには帰って来ませんでしたね。お父さんも3曹になった姿が見たいと言っています」母からこんな葉書が届いた。
しかし、こんな言葉を信じて制服で帰れば父が不機嫌になるのは目に見えている。私はあの正月の出来事がまだゆるせないでいた。多分、生涯ゆるさないだろう。
「あなた方が従順に作ったはずの息子は、今、言いつけに背いていますよ」と返事を書いてやりたかったが、あえて何もしなかった。
私は何とか空いていた昼前の飛行機に合わせて約束した時間の10分前にロビーに到着したが聖美はもう待っていた。
連休が明けても観光客は多く、離島便の南陽航空のロビーはアロハや派手なTシャツ姿のリゾート気分丸出しの観光客で混んでいた。
今日の聖美は白のブラウスに茶色のスカート、私は三張羅のポロシャツに綿パンだ。
「待たせたね」私の声に聖美は顔を向け、パッと光ったように笑った。
「大丈夫、私も今来たところ」聖美は嬉しそうに微笑んだ。
2人で受けカウンターの前に並ぶと、聖美に気がついた同僚たちが笑いかけてくる。社員教育が厳格な本土の航空会社では、こんなことはあり得ないのだろうけれど、そこは沖縄、大らかと言うかいい加減と言うかだ。
「聖美、行ってらっしゃい」チケットを受け取りながら同僚に声を掛けられて流石に聖美も恥ずかしそうにはにかんだが、私も彼女らの視線の集中砲火を浴びて困ってしまった。
石垣島行きのボーイング737は満席だった。
「よく席が取れたね」私が感心すると聖美は「エヘッ」とお茶目な笑顔を見せる。
「何か裏技を使ったなァ」と言う私の追及にも、「エヘヘヘ」とまた笑って答えない。どんな技を使ったのか興味あったがそれ以上の追及は止めておいた。何だか二人とも何時になくウキウキしている。
そのうち737はタクシング(移動)を始め、窓からは見慣れた那覇基地が見えた。
整備格納庫では整備員たちが戦闘機に取りついて仕事をしている。普段の私なら、こんな光景を見れば後ろめたさを感じて暗い気分になっただろう。とにかく私は親から、楽しむことを禁じられて育ってきたのだ。
「ところで旅行のことはお母さんは知ってるの?」「うん、よかったねって言ってたよ」737が舞い上がってところで尋ねると聖美は微笑んでうなづいた。
「それからモリオさんによろしくって」聖美の言葉に一度だけ会った母の顔が浮かび、「この人を裏切らなくてよかった」と心の底から思った。
ただ、言いかえればそれは「親を裏切ってよかった」と言うことにもなる。そんなことを口にすれば隣りのこの優しい人は悲しむだろう。
「八重山ではどこに行きたいの?」「西表かな」私の返事に聖美はうなづいた。
「あそこは連絡船の関係で1日がかりになっちゃうよ」聖美の説明に私がうなづいた。
「聖美は行ったことはあるの?」「うん」「いい所?」「うん、面白いよ」2泊の日程では与那国島や波照間島へ行くのは無理だろう。またレンタカーが禁止されている以上は石垣島の島内旅行もままならず、「まあ、悪くないな」と考えた。
石垣島への30分のフライトは、こんな会話のうちに終った。
「あッ、聖美ィ、久しぶりさァ」聖美は石垣空港のスタッフからも声を掛けられた。石垣空港ともなると那覇空港以上にアットホームになっている。
「今日は何ねェ」「旅行さァ」「いいなァ」そう言いながらその子は後ろに立っている私の顔を見た。私が会釈をすると、その子も会釈を返して聖美に何かを耳打ちした。
聖美は照れたように笑いながら私を振り向いた。
市内までは空港バス、まずは格安ホテルか民宿にチェックインするはずだった。ところが宿泊先は石垣市街の外れにある日空系列の観光ホテルだった。
「ここ高いんだろう」「シャイン・ワ・リ・ビ・キ(社員割引)」真顔で心配する私に聖美は悪戯っぽく笑って答える。確かに南陽航空は日空系列だ。
でも、この時期に予約を取るには何か裏技を使ったに違いない。今回の旅行で私は、今まで知らなかった聖美の人間性を発見して驚きの連続だった。そのパワー、逞しさ、そして意外なほどの大胆さには、「とってもかないません」ともうここらで白旗を上げるべきかと悩むほどだった。
おまけに私たちは午前中の飛行機だったのでチェックインは出来ず、「時間があるから川平湾へ行こう」と言う聖美の提案に私ものった。
川平湾は石垣島の観光名所の1つで、ホテルからはタクシーで30分ほどだ。聖美はいつの間にかホテルでタクシーの割引券をもらっていた。
「お客さん、若いけど新婚旅行ねェ?」運転手さんの質問に「はい」と答えた私を聖美は隣りから嬉しそうに見た。
川平湾に着くとタクシーを待たせて波打ち際を並んで歩いた。午後とは言え八重山の日差しは強く風もない。聖美は手をひさしのように額へかざしている。
川平湾は海のマリンブルーと珊瑚礁のコーラルグリーン、小島の濃緑のコントラストが絶妙で美しく、地元の家族連れと思われる人たちが水浴びを楽しんでいた。
そう言えば私たちは水着を持ってきていない。3月末には海開きをする八重山では今頃が泳ぐのに一番よい季節なのに、何よりも聖美の水着姿を見そこなってしまった。
「泳ごうかなァ」私がズボンのまま水に入るふりをすると「ズボンの替えはあるの?」とクールな一言、「ありません」と答えると可笑しそうに笑った。
「聖美は泳げるの?」と言う私の質問には「残念ながら泳げません」と笑って誤魔化したので、「それじゃあ、水着はなしかァ」と自分を納得させた。
砂浜を歩きながら私はいつもの癖で歌を口ずさんだ。
「君が素足で踏んだ 砂の白さがしみる 長い後れ毛 潮風がからかうよ・・・」「南こうせつね、『海と君と愛の歌』だったかな」と聖美が私の顔を覗き込んだ。
「いつまでも 変わらずにいて欲しい 君の輝きは 真夏の光・・・」かぐや姫、南こうせつファンの聖美も合わせてデュエットになり、歌いながら私の手を握り肩に頭をもたげてくる。その時、海から風が吹いてきた。
この風景には思い浮かぶ曲がもう一つあった。
「『夏の少女』とどっちにしようか迷ったさァ」私の台詞に聖美は「少女には無理があるよ」と肩をすくめて笑った。
今日の聖美はよく笑う、私はそれが嬉しかった。
私たちの部屋はダブルだった。それが聖美の決心を示していた。そして何よりも両隣の部屋はハネムーンのカップルだった。
海に面した広い部屋は、安いビジネスホテルや民宿とはまず造りが違い、ハワイかグアムのリゾートにいるようなエキゾチックな雰囲気がある。
シャワーを使い、Tシャツ、短パン姿で大きなベッドに座って待つ私には、これから聖美を抱くこと=親に背くことへの迷いはなかったが、ただ若さゆえか胸が高鳴っていた。
やがて私に続いてシャワーを使っていた聖美が同じ格好で出てきて隣に座った。下着を着けない体の線が美しく、Tシャツを透けて見える小さめの乳首にドキッとする。
しばらくは二人で黙ったまま並んで座っていたが、やがて聖美が口を開いた。
「私、『好きな人に抱かれた』って言う記憶が欲しかったんだ」そう言って聖美は、のばした自分の素足を見ている。この言葉に、今まで私が頭で考えていた「聖美を守る」と言うことが、ハッキリ言えば独りよがり、本当に聖美の気持ちを考えていなかったことに気づかされた。
中学生の時、義父に傷つけられた聖美の心の痛みを「今、聖美を抱くことでそれを救えるのなら」、そう思うと私の胸には聖美への愛おしさと同じくらいの切なさが溢れて、思わず泣き出してしまった。
「モリオさん・・・」それを見て聖美までもらい泣きをして、身も心も興奮、高揚するはずの旅の夜が妙に締めっぽくなってしまった。
「聖美さん」私はベッドの掛け布団をめくり、真ん中に座ると聖美を呼んだ。
「はい」聖美は涙目をしながらも、はにかんだ頬笑みを浮かべて並んで座る。
私がベッドの枕元のスイッチで部屋の灯りを消すと、街外れにあるこのホテルには窓からの明りはなく、部屋は小さなルームランプだけになった。
「やっぱり恥ずかしいさァ」並んで座りながら肩を抱くと聖美がささやいた。それはさっきの告白をした自分の大胆さを言っているようだった。
私たちは黙って口づけるとそのまま抱き合って横になる。直接肌に触れるのは初めてだ。
身体が1つになって、ゆっくり優しく腰を前後させると聖美もそれに合わせて顎を上下させた。呼吸が次第に荒くなってくる。私の動きと聖美の息が重ねっている。私は命も一緒につながったのだと感じていた。
「ありがとう、私、幸せだよ」終った後、腕枕をしていると聖美は静かにささやいた。
「こちらこそ、ありがとうさ」そう言ってまぶたに口づけると聖美は涙をこぼした。
その時、はじめて海鳴りが聞えていることに気づいた。
「聖美は海・・・」私の胸に、そんな不思議な言葉が思い浮かんだ。

朝、目を覚ますと隣りに聖美が眠っていた。私の左手を握っている聖美の寝顔を、カーテン越しの朝の光がやわらかく照らしている。枕元のデジタル時計はまだ6時前を表示していた。
昨夜、愛し合ったまま薄い掛け布団を掛けただけの聖美の胸元が、あれが事実だったことを証明してくれている。この愛しい寝顔と美しい肢体を眺めながら私の胸に、初めて聖美の寝顔を見た時の切ない思い出が甦り、涙がこぼれた。
「グスン」私が鼻をすすった音で聖美がぼんやりと目を覚ました。
「おはよう」聖美はかすれた声を出し、「おはよう」と私が答えると聖美は恥ずかしそうな笑顔を見せた。私は額に口づけした後、立ち上がって窓際へ行った。振り返ると聖美はベッドの中でけだるそうにまどろんでいる。
「今日もいい天気だよ」「そう、よかったァ。海は荒れてない?」カーテンを少し開けて外を見た私に聖美が訊いてくる。5階のこの部屋からベランダ越しに見える朝の海は青く輝いて穏やかだった。
「大丈夫そうだね」「ふーん、連絡船は九時だよ」いつの間にか聖美は確認していた。
「そのままシャワーを浴びてきたら」裸のままの私に後ろから聖美が声を掛けてきた。背後のベッドでは身づくろいしている音がしている。
「一緒に入ろうよ」私が本気とも冗談ともつかぬ口調で言うと「駄目です」と可笑しそうな声で答える。なならば振り向けばヌードが見られるはずだがそれはしなかった。
私は聖美の移り香を洗うのが惜しいと思いながらシャワーを浴びた。
私に続いてシャワーを使った聖美は、今日は黄色のポロシャツにGパン、白のキャップだ。
「君のGパン、初めて見たよ」「だって今日は山道を歩くんだよ」いつも女らしくキチンとしている聖美とは別の顔を見たようで、何故か嬉しくなった。
「朝ごはん食べ過ぎないようにしないとね。船に長いこと乗るんだから」「意外に世話女房だなァ」私は妙に感心しながらうなづいた。
西表島から戻り、街へ出て夕食、その後で居酒屋へ飲みに行った。八重山の色々な泡盛を味見して聖美もほろ酔い加減だ。
ホテルに帰るとベランダに出て夜の海を眺めた。海に面したベランダには海鳴りが響き、暗い水平線の上には星空が広がっている。
「あれが南十字星だね」聖美がほぼ真南の水平線に見える明るい星を指さした。
「ハイムルブシ、サザンクロスかな」私が方言と英語で言い直すと感心してくれて、「波照間島からなら上の3つが見えるんだって」とつけ加えた。
しばらく2人で星を眺めながら、私が肩に手を伸ばすと聖美は自然に体を預けてくる。そのまま抱き締めると吐息からは泡盛の甘い匂いがして、頬はいつもよりも少し熱かった。
長いキスを終えると、聖美は私が背中にまわしていた手を振りほどいた。
「シャワーを浴びなきゃ」「一緒に入ろうよ」「駄目です」
そんな毎度になった戯れの会話の後、今度も交代でシャワーを浴びた。
聖美がシャワーを浴びている間、私はかすかに聞こえてくる水音を聞きながら、あるアイディアにワクワクしてベッドに座っていた。
やがて聖美が昨夜と同じようにTシャツと短パンで髪を拭きながら出てきて、私は並んで座る前にベッドに上がり、声をかけた。
「聖美、今日は歩いて疲れただろう、マッサージをしよう」「えッ?」聖美は驚いてキョトンとした顔をする。
「ここに寝て」ベッドの真ん中に座った私は足元に立っている聖美を呼んだ。
「うん」と怪訝そうな顔でうなづきながら聖美は私が示した位置にうつぶせになった。
「では、失礼します」と私は足から少林寺拳法の「整法」と言うマッサージを始めた。
「うーん、こってますねェ」私の惚けた台詞に聖美はクスクス笑う。
さすりと指圧、もみほぐしを繰り返しながら腿、腰へゆっくりと移っていく。私は手で聖美の体の弾力を堪能していった。カウンター業務で1日立ちっぱなしの聖美は、自分で「下半身デブ」と言う通り、腰から下がしっかりしていて筋肉質だ。その弾力と体温を私は手で味わっていた。
ところが背中をさすり始めた頃、聖美は返事をしなくなった。顔を覗き込むとすっかり眠ってしまい、寝息を立てている。
「君の笑顔の向こうにある悲しみは・・・古いコートは捨てて僕の胸でおやすみ」枕元で、半ば目覚ましを期待しつつ、かぐや姫の「僕の胸でおやすみ」を低く歌ってみたが子守唄にしかならなかった。
仕方がないので私は聖美の安心しきった寝顔を見ながら2度目の歓びを諦め、頬にキスすると聖美は眠ったまま笑ってうなづいた。
「モリオ、最近陽気だな」「何だか人当りが柔らかくなった」最近は先輩たちと飲んでいても誉めてくれるようになった。
私は幼い頃から父に「楽しむことは快楽に走ることだ。卑しいことだ」と教え込まれて、遊びを楽しむ先輩や仲間たちを軽蔑し、馬鹿にしていた。そして自分は規則を守り、常に努力、責任を果たすことだけを求め、そうしている人だけを認めていた。そんな私が親の教えに背き、結婚前に女性と旅行に行った。私も肩の力を抜かざるを得なくなったのだ。
「私にこんなに優しくできるんだから、職場でもみんなに優しくなれるはずよ」人間関係に悩む私に聖美はそう言って微笑んでいた。
「モリオは、前は取っつきにくい奴だったけれど今は冗談も出るしな」「そうやって笑っていれば結構可愛いぞ」先輩たちの話では、私は冗談を言わない、笑いもしない機械のような奴だったようだ。
私は聖美に救われている自分を幸せだと思っていた。同じ歳でも幼い頃からの苦労がそうさせているのか、聖美には人に対する深い優しさと大きな包容力があり、ほとんど私の保護者だった。
「とっても敵いません」私は、自分の幼さに聖美が愛想をつかすのではと心配だった。
私は祖父に手紙を書いた。僧侶である祖父は故郷での唯一の理解者だ。
沖縄で聖美と言う愛する女性と出会ったこと。聖美の生い立ち。正月にモリノ家の人たちから「混血児」と誹謗され、別れるように命じられたこと。そして、それに背いたこと。今、聖美にどれだけ救われているか。これから2人の気持ちが深まっていけば結婚したいことなど、長文の手紙になった。
数週間後、祖父から返事が来た。
「お前は親の気持ちに背くことを親不孝だと悩んでいるようだが、本当の親孝行とは子供が幸せになることだ。それなのにモリオ家の人たちにはその視点がなく、自分たちの論理に従うことが親孝行だと思い込んでいる。お前は聖美さんに救われないさい。お前が救われることが聖美さんを救うことにもなる。お前が幸せになることが何よりもの親孝行なんだ」ただ祖父が誤解していたのは「青い目の嫁さんか」と言う一節だった。聖美の目は鳶色(茶色)であって青くはない。
その手紙を見せると聖美は読みながら泣いていた。
「お祖父さんに会ってみたいな」聖美の願いにも今は「そのうちな」と答えるしかない。
本当は私が祖父に会いたかったのだ。
6月27日の聖美と7月1日の私2人はほとんど一緒に23歳になった。7月の第1週の土曜日の夜、2人して一緒に誕生日を祝った。
石垣島での一夜以降、私たちはプラトニックな関係に戻っていた。むしろ、あの出来事が夢だったようにさえ思える。アパートの部屋で、聖美を腕枕して抱き締めていると一度はその気になっても、すぐに気持ちが優しくなってしまい、それ以上のことを求める気持ちがなくなってしまうのだ。
そのくせ会えない時、聖美の美しい肢体を妄想してマスターベーションする矛盾が自分でも理解出来なかった。
「モリオ君、そろそろ誕生日じゃないか」映画の後、いつものアルデン亭へ行くとマスターがメニューを持って来ながら訊いてきた。このマスターには沖縄へ来てすぐに意気投合して以来、時には飲みに連れて行ってもらい、大人の男の在り方、マナーなどを学んでいる。そんな中で知った私の誕生日を覚えていてくれたのだ。
「はい、4日違いで2人ともです」私の答えにマスターは一瞬、驚いた顔をして、なぜか悪戯っぽく笑いながらカウンターへ戻っていった。
やがて注文したスパゲティーが来た。聖美はトマトソース系、私はクリーム系が好きで、この日もそうだった。ところがマスターはイタリアの白ワインも差し出した。
「これは私からのお祝いだよ。今日は車じゃあないよな」聖美と私は驚きと感激で顔を見合わせ、一緒にマスターの優しい笑顔を見上げた。
「ありがとうございます」2人で声を揃えて礼を言うと、マスターも嬉しそうにうなづいて、若い店員さんにグラスを持ってこさせた。
こうして2人の誕生祝いは少し豪華になった。
ゴールデンウィークに続いて夏季休暇も沖縄で過ごした。
母からは「いつ帰省するのか」「連絡しなさい」と言う葉書が届いていたが、私は「帰らない」としか答えなかった。ところがお盆明けに今度は手紙が届いた。
「お寺へ行ってお祖父さんから、まだ沖縄で混血の彼女とつき合っていることを聞きました。そんな親不孝をするなんてどうしたのですか?お父さんも怒っています。
お祖父さんが何と言っても、貴方はモリオ家の息子なんですからそんなことは許されません。一度、話しに帰って来なさい」 母の手紙は父の言葉、つまり伯父の代弁だろう。
私をモリオ家につなぎ止めているのが、本当はその聖美だと言うことを両親は知らないでいるのだ。
今年も航空自衛隊総合演習が始まり、早朝4時の非常呼集で演習の幕が切って落とされた。
「モリオ、行くぞ!」隣りの部屋の先輩がドアの前で声を掛けてくれる。
「はい」私もすぐにドアを開けると、「よーし」先輩は振り返ってニヤッと笑った。
私たちは隊舎を出ると正門から滑走路に通じる緩やかな坂道をショップ(職場)に向けて駆け下りた。まだ営外者の登庁は始まっておらず車道は空いている。
「お先にィ」私が追い抜くと「待てェ、テメー」と先輩もムキになって徒競争になり、ショップに着いた時には2人とも息も絶え絶えだった。
「お前なァ、演習は始まったばかりだぞォ」先輩は肩で息をしながら呆れて笑い、その横で私も笑い返した。こうして今年の演習は始まった。
演習中のある夜、私は小銃を肩に吊ってエプロン地区の夜間警備についていた。
戦場の兵士の気分に浸りながら、私は何気なくかぐや姫の「あの人の手紙」を口ずさんだ。
「泳ぐ魚の群れに 石を投げてみる・・・戦場への招待券と言う ただ一枚の紙切れが
・・・」以前、スナックへ行った時、私がカラオケのかぐや姫メドレ―としてこの歌を唄うと聖美は怯えにも似た哀しげな眼差しで見つめた。
私が死ねば聖美はまた1人になってしまう。自衛官として死への覚悟は持っているつもりだが、それが聖美との訣れを意味するとなれば別の想いがあった。
「死にたくない・・・か」そう呟いた時、偶然にも南陽航空の最終便がフォーメーションランプを点滅させながら降りてきた。私はその尾翼のマークに敬礼した。
「さだまさしのコンサートへ行こう」私は友人からチケットを手に入れて聖美を誘った。
「さだまさしかァ・・・」即座にOKしてくれると思っていた聖美が何故か考え込んだ。
「どうした?」「私、さだまさしの歌を聞くと哀しくなるんだ・・・」言われてみれば聖美はアパートで私がさだまさしの歌、特に「無縁坂」を聴くと「母と2人きりだった頃を思い出しちゃう」と黙ってしまうのだ。
聖美が好きな南こうせつも曲調は似ているが、さだまさしの方が歌詞の内容が重いような気がした。しばらく黙った後、私は自分で助け船を出した。
「でも『関白宣言』もさだまさしだよ。あれは面白いだろう」「うん、貴方が好きな歌なら聞いてみたい」ようやく聖美もうなづいてくれた。
コンサートは平日の夕方だったので、(残念ながら)夕食はそれぞれにすませ、会場の市民会館で直接待ち合わせた。
市民会館には、いかにもさだまさしのファンと言う真面目そうな女性と暗そうな男性が大勢集まっている。聖美は約束通り玄関の柱の前に立って待っていた。
「すごい人だね」「うん、俺も驚いたよ」「よくチケットが手に入ったね」聖美もさだまさしファンの多さに驚いている。このチケットは、さだまさしのマネージャーの友人と言う長崎出身の同僚から入手したのだ。
さだまさしのコンサートは、さだ自身が国学院大学落語研究会の出身だけに歌もいいが、トークも楽しい。「哀しくなる」と言ったはずの聖美も笑いをこらえるのに必死で、時には珍しく口をあけて笑っていた。
そして、「天までとどけ」「転宅」、それに聖美自身が「哀しくなる」と言ったはずの「無縁坂」、これらの歌では、隣から声をかけても気がつかないほど夢中になっていた。
そんな中で聖美は「秋桜(コスモス)」にとても感激していた。涙ぐんでいたのか暗いコンサートホールで、そっと鼻をすすった。
コンサートが終わって市民会館を出ると外はもう暗かった。
「よかったさァ。ありがとう」市民会館からタクシーがいる大通りまでコンサート帰りの人たちに混じって歩きながら、聖美はまだ余韻に浸っていた。
「ねェ、コスモスってどんな花?」聖美は私の顔を見ながら訊いてきた。確かに沖縄にはコスモスの花は咲いていないから、見たことがないのだろう。
「コスモスはねェ、このくらい背が高くて、こう花びらがたくさんある花さァ」私は手で花の高さや手のひらで花の形を示しながら説明した。
「色は?」「大人し目のピンクが多いけど、濃い赤や白もあるね」「ふーん」私の説明ではイメージできないかも知れない。
「1つだけじゃあパッとしない花だけど、沢山咲いていると綺麗だよ」「ふーん、いつか見てみたいな・・・」聖美はうなづきながら呟いた。
「うん、一緒に行こうな」そう答えると「お願いね」と言って聖美は腕を組んできた。
「こんな小春日和の穏やかな日は・・・」私がいつもの癖で「秋桜」を口ずさむと、前を歩いていたカップルが振り返って笑いかけてきた。
年末年始にかけて聖美の仕事は忙しい。独身で実家に帰らない聖美は同僚の仕事も引き受けてもいて、それはベテランになってきた分、昨年以上であった。
今回は後段休暇の私の勤務ともスケジュールが合わず、聖美が休みの日に会うだけでいた。
「それじゃあ、帰るさァ」警備明けの休みで束の間の時間を過ごした後、立ち上がろうとする私を「ねェ」と聖美が引き止めた。
「えッ?」私が立ち上がりかけた腰で座り直すと、聖美は正面からジッと見つめた。
「明日は半日オフでしょ」「うん、そうだよ」「私も明日、休みだよ」「うん、そうだね」私は聖美が言いたいことが判らず生返事を繰り返した。
「私、もう貴方に抱かれたことがあるよ」「うん」もうそれは7カ月前になる。私は聖美の目の中に答えを探しながら次の言葉を待った。
「もっと一緒にいたいのさァ」そう言って聖美はうつむいた。聖美は日ごろの物静かさからは想像も出来ない大胆で決意に満ちた言葉を口にすることがある。あの八重山の夜もそうだった。
私は、昨年願っていた「聖美と一緒に新年を迎えたい」と言う気持ちを思い出していた。
「ありがとう・・・だけど」「だけど?」私の答えに聖美は戸惑った顔をした。
「俺は、そうするにはまだ理由がいるんだ」「理由?」「そうすることを当り前にしたくない。君が大切だから」私も若い男である。これは殆ど痩せ我慢に等しい。しかし、私は「聖美を欲望の吐け口にはしたくない」=「養父と同じことはしたくない」と言う妙な正義感を抱いていた。
「私は、貴方にそんな風に思ってもらえるような女じゃあないよ。だって私は・・・」聖美の目が哀しみに曇る。私は黙ってその目を見つめ直した。
「私を抱いて嫌になっちゃったのかなって不安になる時もあるのさァ・・・」そう言ってうつむいた聖美を、私はゆったりと抱いた。
「私も貴方を守ってあげたい」「もっと自分を楽にして欲しい」私は腕の中で聖美が繰り返す言葉を噛み締めながら感激を味わっていた。
私の身体はもう本人の意思に関係なく、その準備を完了している。このまま結ばれることを聖美は拒みはしないだろう。むしろそれが自然な流れだ。その時、私の目を見ながら聖美が呟いた。
「私、もう貴方のものだよ」結局、この言葉が私の理性を勝たせた。
その夜も私たちはプラトニックを守ったが、それはとても辛い我慢だった。
正月明けに伯父から手紙が届いた。
「正月に御両親から貴方に沖縄で交際している女性がいるとうかがいました。御両親はとても心配していました。私も年月が経つことの早さに驚いています。モリオ家は、そもそも幕府天領で代々庄屋を務めた由緒正しい家柄です。昔は年貢を納めるのに自分の土地だけを通って城まで行けたほど資産も有りました。一方、沖縄は本土復帰を果たしたといっても、元は薩摩藩の植民地であり、歴史も文化も違う外国です。また、沖縄戦で一家離散して、家系も判らない家も多いと聞いています。結婚は本人同士だけでなく家と家が結びつくことです。次男の家とは言え『モリオ』の姓を名乗る以上は、それに相応しい家柄の相手でなければ結婚は許されません。ましてや外国人と血が混じるような家庭では、社会の常識良俗に反することが行われていることが多く信用が出来ません。時代が変わって個人主義になっても、子が親から受けた恩には変わりはありません。子が親の意思に背くことは人として決して赦されないことです。御両親は、大切な貴方を遠くへ1人で行かせて心配しているのです。これ以上、心配をかけるようなことはせず、今後は、親や親戚ともよく相談して納得してもらえるような、身元がはっきりした、信用が出来る相手と結婚を考えるようにしなさい」私は、読み終えて即刻焼き捨てた。
少林寺拳法部の稽古始めで、名城君から順子の店に誘われた。
聖美とも店で待ち合わせ、5人揃うと、やはり同級会になってしまった。幸恵と順子、そして聖美の3人は高校時代の名城君の話で盛り上がっている。
「賢幸は皆が狙っていたのさァ」「フーン」「へー」「ホー」思いがけない順子の話に名城君は照れくさそうに黙り、幸恵は自慢そうに、聖美と私は無関心に相槌を打った。
「幸恵とつき合い始めたって聞いて、みんなガッカリしたのさァ」この口ぶりでは順子も名城君に憧れていたのかも知れない。私は一瞬、「聖美はどうだったのか」と思ったが、その頃の聖美の気持ちを考えればあり得ないと首を振った。
それから順子は名城君と幸恵がつき合い始めた経緯やあの頃の関係を追及したが、私たちは笑いながら聞いていた。すると突然、順子が聖美の顔を見て訊いてきた。
「聖美はモリオさんが初恋だよね」「そうさァ、男の話なんて全然しなかったさァ」順子と幸恵は可笑しそうにからかってきたが、私は真実を想うと切なくなりカウンターの下で手を握ると聖美も握り返してきた。
その時、店内の有線放送がムードのいい洋楽のブルースに替わった。私は手を握ったまま立ち上がると聖美の前に出た。
「お嬢さん、1曲お願い出来ませんか」「えッ?」聖美は戸惑った顔をしたが、私に手を引かれて立ち上がった。そのまま店内のスペースを使って部隊の講習会で習ったばかりのブルースを踊り始めた。
「これチークねェ」「違うさァ」名城君たちはそんなことを言い合いながら見ていたが、3人はディスコへも行くのだろうからスローなダンスをチークと思っても仕方ない。ただ、チークなら抱き締められるが、私は左手で聖美の手を取り、右手は腰にまわして基本通りにブルースを踊った。
聖美はダンスは知らないようだが、上手く呼吸を合わせてくれて形になってくる。それでも曲が終わる頃には、私たちはまるで古い映画のカップルのようになっていて、結局、聖美は私の胸に顔を埋ずめていた。
「私たち負けてるさァ」幸恵の言葉に聖美は自慢そうに私の顔を見た。
その年は何事もなく過ぎていた。
私は相変わらず上達しない航空機整備の仕事に悪戦苦闘し、心身ともに疲れ果てて週末に聖美のアパートへ帰る。そんな毎日だった。
今では聖美がいない生活など考えられない。
8月上旬から9月下旬までF―4EJへの転換OJTのため、福岡県の築城基地へ臨時勤務することになった。築城へ出発する前夜、私は平日の外出をした。
聖美は夏の観光シーズンで仕事の終わるのが遅く、私たちは国際通りで待ち合わせた。
食事の後、国際通りの奥の公園のベンチに並んで座り、残り時間を気にしながら話をした。この公園はファーストキスの思い出の場所でもある。
「福岡へ来られないか?」「うーん、忙しいからねェ」私の誘いにも自信がなさそうだ。夏休みから秋の連休までは、とにかく忙しいのだ。
「9月に入ってからなら何とかなるかな。でも土日は無理かも・・・」聖美は難しい顔で答えるが、私もOJT中では平日に休むことは無理だ。私は「まあ、無理は言わない。今度は築城から電話を掛けまくろう」と諦めることにしたが、それでも聖美はまだ何とかならないか考えているようだった。
私が「仕事、チバレ(頑張れ)よ」と言って肩を抱くと、「貴方こそ無理しないでね」と聖美もようやく微笑んで答えた。
曹候学生の卒業課程への入校の時、聖美を捨てることを心の中で決意しながら、この言葉で見送られたことを思い出して胸が痛んだが、私は黙ってうなづいた。
腕時計を見ると門限が迫っている。一緒に立ち上がり力一杯抱き締めた。
「苦しいよォ」と聖美は腕の中でもがいたが、「駄目、2カ月分だ」と言う私の言葉に黙ってうなづき、大人しく抱き締められた。
公園の外灯では暗くて聖美の顔はよく見えない、ただ、髪の匂いが甘かった。
「元気か?」「うん、頑張ってるよ」築城から聖美のアパートに毎晩電話をかけた。
夏の観光シーズンも追い込みで聖美も大忙しだ。時々約束の9時5分に掛けても、まだ帰っていないこともある。一方、私もFー4EJの故障があると、その作業につき合って深夜まで宿舎に戻れず電話が出来ないこともあった。それでもお互いに「頑張ってるな」と信頼し、理解し合えている。
「防府でもこうすればよかった」私の胸に刺さった棘が少し痛んだ。
こうして充実した築城での2カ月間は終わった。
「ただいまァ」私は那覇に着陸した輸送機の中で独り言を呟いた。到着予定時刻は「明日は帰る」と言う昨晩の電話で伝えてあったから、多分聖美は南陽航空の窓から、こちらを見てくれているはずだ。
「自衛隊の輸送機って外は見えるの?」「見えないさァ」私の答えに電話口の聖美はガッカリしたような声だった。
「黄色いハンカチでも振ろうかと思ってたのになァ」「そうかァ」映画好きの聖美らしい話に私は思わず笑ってしまった。
私とつき合うようになってから聖美はドンドンお茶目になってくるようで「接客業務は大丈夫かなァ」と心配したりもする。尤も、本質的に真面目で思慮深い聖美のことだから、「その前に自分の心配をしろ」と言うところだろう。
「さァ、帰ったらカミさんと子作りにでも励むかァ」タキシングする機内で、同じ電機班から築城へ行った持田2曹がハンモックのような座席で伸びをしながら言った。
「大城さんはもう駄目だよ」持田2曹は私の反対側の隣りに座っている大城2曹に声をかける。シマンチュウの大城2曹は5人の子持ちなのだ。
3人の中で一番はしゃいでいるのは新婚半年の持田2曹のようだ。
「モリオちゃんはまだ早い」私は「ハイハイ」と返事しながら聖美の顔を思い浮かべた。私が聖美を抱いたのは2年半で1回きり、これではまるで艦に乗っている海上自衛官だ。
持田2曹の変な台詞のせいで想像したのが顔だけでなくなってしまった。
築城から戻ってすぐの土曜日、聖美のアパートへ行った。
「おかえりなさい」だけで今回は特別なリアクションもなく部屋に入れてもらい、自然に出迎えてもらったことに2人の今の距離を感じられてかえって感激した。
「黄色いハンカチは?」私がワザと部屋の中を見回して訊くと、聖美は「ベランダだよ」と答え、「勝ったァ」と言う顔をした。窓からは物干し竿に黄色いハンカチが1枚、くくりつけてあるのが見える。
「参りました」私は頭を下げた。どうやってもこの人には敵わないようだ。
土産は、幾つかの和菓子と築城の隊員に連れて行ってもらった宇佐八幡宮で買った赤と紫が対になった縁結びのお守りだった。
「ありがとう」赤のお守りを手にのせ、聖美は嬉しそうに眺めている。その静かな微笑みがとても愛おしかった。
私は築城で考えていたことを切りだした。
「俺たち、つき合い始めてもう2年半だね」「はい」聖美は真顔になってうなづいた。
気がつくと2人とも正座をして向き合っている。
「これからは、俺と一緒になることを前提にしてつき合ってくれないか?」これはプロポーズのつもりだった。しかし、私の目に映る聖美の顔は何かを考え、やがて次第に重く強張っていった。
「私には貴方を幸せにする自信がありません」聖美は自分の膝を見ながら答えた。「はい」以外の返事を考えていなかった私は、この想定外の返事に言葉を失った。
「私は母の不幸で生まれ、母の苦労で育ち、世間の冷たい目の中で生きてきました。父でさえ私を玩具としか思っていませんでした。一緒にいれば貴方にも同じ思いをさせてしまう・・・」私は次の言葉に迷っていた。胸には聖美の母と愛知の両親、伯父夫婦の顔が浮かぶ、愛知の連中は嫌悪の対象だった。
その時、私はもう一人、愛知の人物を思い出した。
「祖父の手紙を憶えているかい?」「はい」「あの手紙にこう書いてあったろう」「えッ」聖美は顔を上げて私を見た。
「お前が聖美さんに救われることが、聖美さんを救うことだって・・・」うなづいた聖美の顔を見て、私は「僕を救って下さい」と強く言い切った。
しばらく、沈黙が続いた。
「私に貴方が救えますか?」「もう、救ってもらってるさァ」聖美は黙って私の顔を見詰めている。私は微笑みながら見返していた。
突然、聖美が私の胸にすがりついて泣き出した。
「ありがとう」聖美は泣きながらそう繰り返す。どうしてもこの人には私の台詞を言われてしまう。私は喜びを噛み締めながら震える背中を抱いていた。
「くたびれたァ」二週間の演習を終えて、やっとの思いでアパートにたどりついた私が玄関で聖美にもたれかかると、抱きつかれた聖美は「うわ―ッ、重い重い」とはしゃいだ後、「築城からの続きだもんね。御苦労様でした」と言った。私は部屋の真ん中に倒れるように横になった。
目を覚ますと聖美が私の横に座って優しく微笑みながら私を見ていた。
「起きた?」「何時?」「丁度お昼だよ」部屋にエアコンは効いていたが10月上旬の沖縄相応に暑い、なのに急に腹が空いてきた。
「ご飯を食べに行こう」「うん、久しぶりのデートだね」聖美は立ち上がるといつものように台所へ着替えに行った。
アルデン亭に入ったが、今日はマスターは不在だった。カップル席に向い合って座り、注文を終えると話を始めた。
「お母さんに会いたい」「はい」聖美はゆっくりうなづいた。
「この間の話、お母さんにしたの?」「ううん」今度は首を横に振る。
「どうして?」「何だか信じられなくて、私なんかでいいのかなって・・・」そう言いながらも聖美は微笑んで、幸せを噛み締めているように見える。私も嬉しくなって聖美の顔を見つめた。
「でも、突然で驚かすのも申し訳ないよね」「うん」聖美は、またうなづいた。
その時、「お待たせしました」と声をかけ、店員さんが注文したスパゲティーを運んできた。
私は、聖美の親はともかく自分の親をどうしようか考えていた。そんな気持ちを見通しているかのように聖美は優しく目で励ましてくれていた。
「私、モリオさんにプロポーズされたさァ」思いがけない娘からの電話だった。
「モリオさん?自衛隊ねェ」「うん」母も、たまに行く聖美のアパートに置いてある2人分の食器を見て、交際が続いていることは察していた。しかし、母の胸に聖美がつき合い始めた時に会った若いのに似合わない挨拶をしたモリノの顔が浮かんだ。
「それでモリオさん、お義父さんとのこと知ってるねェ」生真面目そうなモリオが、聖美の負っているあまりにも哀しい過去を受け入れてくれているのか母は不安だった。
「うん、何も言わないで抱き締めて泣いてくれたさァ」娘の答えにも「ただの同情?」「弄ぶための口実」と母の不安は拭えない。
「それで聖美はモリオさんに抱かれたねェ」「1回だけさァ」「1回だけ?」これは意外だった。「若い男なら女を求めるもの」母はモリオの気持ちを計りかねた。
「八重山旅行のあれっきりさァ」「八重山へ行ったのは1年も前さァ、それっきり?」「うん、抱き締めていれば幸せだって」「何だか変な人さァ」母は呆れた声を出し、聖美は溜め息をついた。
「でも、私は辛いのさァ」「辛い?何か嫌なことをされたんねェ」「ううん」母の口調が厳しくなり、聖美は慌てて否定した。
「優しくしてもらっても、私はあの人に何もしてあげられないのさァ」「どう言うこと?」「あの人は何も欲しがらないのさァ」母には普通の若い男女とはどこか違う、この2人の交際が判らなくなった。
「ふーん、それでモリオさんは何て言ってるのさァ」「『俺は君に救ってもらってる』って言うだけさァ」「意外にエエかっこしィさァ」「うーん、そうかも」母は愉快そうに笑い、聖美ももらい笑いした。
「それから、やっぱり愛知の親御さんは反対してるのさァ」聖美の声が重くなった。
「反対?」「それなのにあの人、親よりも私(聖美)を取るってケンカしてるのさァ」「モリオさん、あんたのことを本当に大切にしてくれてるんだね」「うん」母は胸の中の不安、不信が消えていくのを感じた。
「私は本当に、聖美が兵隊とつき合うことは不安だったのさァ」「うん」「米軍と自衛隊は違うのかねェ」「わからないけど名城君もそう言ってるさァ」「名城君?モリオさんを紹介してくれた高校の同級生ねェ」
「仲人君って呼んでるさァ」聖美の台詞に母はまた愉快そうに笑った。
以前の聖美とは、こんな笑えるような会話など出来なかった。母の胸に中学以降の何かに怯えているような表情の無い娘の顔が浮んだ。
「それで聖美はどうしたいねェ」「うん、私でもモリオさんとなら一緒に生きていけるかも」自分のことを「私でも」と言った娘が哀しかったが、それ以上に幸せそうな声が嬉しい。母は結婚を許すことに決めた。
「今度の土曜日に那覇へ行くさァ。モリオさんによろしくね」電話を切ってからコザと那覇で、母と娘はそれぞれ幸せな気持ちに浸っていた。
翌週の土曜日、聖美の母が沖縄市からやってきた。
初対面の時と同じように母は部屋の真ん中に座っていた。私は母の正面に聖美は左に座った。私が話を切り出す前に母が口を開いた。
「お話は娘から聞いています」母の顔には前回とは違った厳しさがある。
「はい、聖美さんと結婚を前提におつき合いさせて下さい」私は両手を畳について深く頭を下げたが、母はその背中に問うてきた。
「モリオさん、貴方の御両親は?」「はい、反対しています」顔を上げると母の大きな目が一瞬、厳しくなり、私の背中に冷や汗がにじんだ。
「聖美は、もう私たちの手から離れてしまってるんです。貴方まで親御さんと縁が切れてしまったら、この世に二人だけって言うことになってしまいますよ」私は返す言葉がなかった。しかし、ここで母は急に表情を緩めて微笑んだ。
「だから反対って言いたいところだけど、この子が『モリオさんと生きていきたい』って言うのだから、もう何も言うことはありません」「はい」「勝手にしなさいって言うことですよ」母の言葉は厳しいが優しかった。
聖美は黙ってうなづいている。私は呆気にとられた気分で2人を見た。
「でも私も嬉しいんですよ。兵隊さんの貴方に聖美を救ってもらうなんて、因縁めいたものを感じますよ」母の言葉は、決して皮肉でも冗談でもない。アメリカ兵との辛い縁によって生まれた聖美が兵隊である私と結ばれる。そして、幸せになれれば、母も救われるのだろう。
「聖美、よかったね」母が顔を見て微笑むと、「お母さん・・・」と聖美の頬に涙が伝った。
「モリオさん、親(ちか)しくね」「はい」母は両手で私の手を取り、私も握り返した。
その時、私はズッシリとした責任を背中に感じた。それはまるで聖美と聖美の母を一緒に背負ったような感覚だった。
祖父に「求婚し、承諾してもらった」ことを手紙に書いた。
返事はすぐに届いた。それは現金書留だった。
「まずはおめでとう。幼い頃から両親にガンジガラメにされてきたお前が、両親の言いつけに逆らっている姿は、頼もしくあり、痛快でもある。
ただ、お前の両親は頑なだからまだまだ道は険しいだろう。ワシはお前たちの幸せを見届けてやれるほど永くはない。この世界を2人で生きていく覚悟を持ちなさい」中には「御祝・祖父母」と書かれ、3万円が入った祝儀袋が添えられていた。
冬のボーナスがやってきた。
私は「聖美に指輪を買いたい」と思い、3等空曹のボーナス約40万円を全額持って外出した。国際通りは年末が近づいたせいかとても賑やかだった
「聖美、アクセサリーはいつもどこで買ってるんだい?」国際通りを歩きながら訊くと、聖美はすぐにピンと来た顔をしたが、「私、アクセサリーは持ってないんだァ」と申し訳なさそうに答えた。
「ダイヤの指輪を買おう」私が正直に白状すると首を横に振った。
「私たち、これから2人で生きていかなければいけないんだよ。お金は大切にしないと」こんな時にも聖美の方が現実的だった。
「気持ちだけで十分」聖美はそんな顔をして私を見た。
「でも、結納も何も出来ないから、やっぱり今の気持ちを形にしたい」聖美は、私の言葉に静かに微笑みながらうなづいた。
「だったら私の誕生石はパールだから、それを下さい」聖美はそう言って私の手を握った。
結局、沖縄では有名な城間宝石の国際通り店に入った。
「いらっしゃいませ」聖美と同じ歳くらいの店員の女の子が声を掛けてきた。
「プレゼントですか?」「婚約指輪です」私の答えに店員さんは2人の若さに意外そうな顔をしたが、すぐに微笑んで聖美と目を合わせてうなづいた。
どう見てもプレゼントに宝石を買うほどリッチには見ないはずだが、そこは商売だろう。
「こちらがダイヤになっています」店員さんは縦に広い店内の一番奥のケースに案内しようとしたが、聖美は「パールを見せて下さい」と答えた。
店員さんはまた意外そうな顔で今度は私の顔を見たので、私は残念そうにうなづいた。
「6月生まれなんですか?」「はい」店員さんも何とか納得した顔になった。
聖美はケースに並ぶたくさんの素晴らしいパールのジュエリーには目もくれず、なるべく安い物を選ぼうとするので、私が店員さんの意見を聞きながら15万円の品を選んだ。
「ネックレスも買おうよ」と言う私に、聖美は「駄目です」と微笑みながら叱った。
店を出る時、店員さんは「おめでとうございます」と声を掛けてくれた。
「お祖父さんがくれたお祝いで、何か美味しいものを食べに行こう」「うん」店を出ながらの私の提案に聖美は嬉しそうにうなづいた。
聖美の手には指輪が入った小さな袋がある。ささやかな、そしてせめてものお祝いの忘年会だった。
「正月には帰って来なさい」と言う母の命令じみた葉書が届いた。
2年前の正月にモリオ家の人たちが私に何をした、否、何をさせようとしたかを考えると煮えくりかえるほど腹が立ってきた。
どうせ今年の正月も伯父の家に行って勝手な理屈を吹き込まれてくるに違いない。祖父に「宿縁とは何か」を問うてみたくなって今度は溜め息が出た。
かつての私なら馬鹿正直に帰省して親族から精神的集団リンチを受けていただろう。しかし、私は聖美から苦労を受け流す知恵を学んでいた。
「悪いけど大晦日は警備についてくれ」先任空曹に頼まれた。
「ついでにクリスマスもいいですよ」私はこの際とばかりに引き受けた。
年末年始の観光シーズンで、聖美にはクリスマスも大晦日も正月もないのだ。
今年も後段休暇だが、こうして先任空曹に貸しを作っておけば、正月明けに聖美と合わせて休むのに少しは役に立つだろう。楽しみは後に大きくと言うことだ。
「明けましておめでとうございます」「ございます」門のフェンスを挟んでお互いに深々と頭を下げた。元旦の朝、南西ゲートの勤務についているところに出勤前の聖美が寄っていったのだ。
「明日は8時まで南西ゲートだよ」と昨晩の電話で知らせておいたおかげだった。
続いて私が「気をつけ」をして敬礼しながら「服務中異常なし」と報告して見せると、「御苦労様です」と、聖美も笑いながら敬礼して答えてくれた。
沖縄に慣れた体には冬はそれなりに寒い。私はジャンバー、聖美もジャケットを着ている。
「風邪ひかないでね」聖美は微笑んで手を振っていった。
「お金を大切に」が2人のキーワードになっていた。したがって折角の正月休暇も何本かの映画を見て過ごした。
正月、冬休みが過ぎた時期、映画館も街も空いているが、あまり正月という気分にはならない。そこで少し遅いが2人で波の上宮へ初詣に行った。
波の上宮の社殿の作りは本土の神社と変わらない。私たち以外の参拝者はいなかった。
聖美は神社に参ること自体が初めてで、相変わらず興味津々、私がやることを見ながら二礼二拍手一拜の神道の作法で参ったが、長い長い祈りだった。手を合わせて目を閉じ、ギュッと唇をつぶった横顔を私はボンヤリ見とれていた。
「初詣っていいね、日本人になったって気がする」参道を帰りながら聖美はシミジミと言った。
「そうかなァ、沖縄のシーミー(清明)祭もいいよ。俺、ム―チー(餅)好きさァ」私の返事に聖美は「ウフッ」と笑った。
「何だか反対だな、シマンチュウ(沖縄の人)とナイチャア(本土の人)が」私が自分で呆れた顔をすると、「その通り」とまた「ウフフフ」と笑った。
これがずっと願い続けていた静かで平凡な正月の過ごし方なんだろう。
「寒いだろう」大して寒くない沖縄の冬の昼間に手を取ると、「うん」と言って聖美も握り返してきた。ギュッと握っていると手のひらに汗がにじんでくる。それでも心はポカポカと幸せに温かくなってきた。
「残念だけど聖美には晴れ着は似合わないかも知れないなァ、でも見てみたい」私は外人タレントの晴れ着姿と聖美のそれを思い比べながら、変なことを考えていた。
「モリオ、実家に帰らんでいいんねェ」休暇中、ウチナ―屋へ行くとママさんがカウンター越しに訊いてきた。それは「聖美を連れて帰って両親に会わせる」ことを言っているようだった。
「聖美が僕の家族さ」私の答えにママさんは、(両親が反対している)状況が相変わらずなのを察してくれたようで深く溜め息をつき、隣りで聖美も顔を曇らせた。
「本土の親は大変だ。沖縄の親は子供が笑っていることしか考えてないさァ」ママさんの感情を押し殺した口調に私はゆっくり大きくうなづいた。
「家とか、お金とか、そんなのオマケみたいなもんさァ」聖美は私とママさんの会話を黙って聞いている。私はまた大きく深くうなづいた。
「今、モリオも聖美も幸せそうさァ、それで十分さァ」ママさんはやっと微笑んでくれた。
「僕もママさんが許してくれたら、それでいいんだ」1人でも本当に解ってくれる人がいればいい、これは本心、真情だった。
「モリオ、沖縄の女を泣かせたらゆるさないよ」「わかってるよ」うなづいた私の横顔を、聖美は固い表情のまま見つめていた。
正月明けに母から手紙が届いた。
「親の許しもなしに勝手なことをして、どう言うつもりですか」正月に祖父から聖美へのプロポーズの件を聞いたのだろう文面は激烈だった。
「そちらの女性につけ込まれていることに目を覚ましなさい」これは如何にもあの伯父、伯母が言いそうな台詞だ。
こんな時、沖縄にいることは心強い、本土にいれば私たちのところへ乗り込んで来て、平和な暮らしまで滅茶苦茶にされかねない。私は、もし両親が沖縄に来ても、基地に籠城して会うまいと決心した。
「花見に行こうよ」2月上旬の日曜日の夜、電話で聖美が提案してきた。沖縄の緋寒桜は1月下旬から咲き始める。明日の月曜日は代休、天気もいいようだ。
「いいなァ、どこへ行こう」私は首里城公園辺りを考えた。
「今帰仁城が有名さァ」「だって足がないよ」「バスで行けばいいさァ」聖美はそう言うが、本島中部は本部半島の今帰仁まではバスだと一時間はかかる。
「駄目?」「いいさァ」「じゃあ、お弁当を作っていくね」思わぬ展開にワクワクしてきた。
今帰仁城祉はバスの終点だった。
バス停から城址までの坂道にも緋寒桜が並木に植えられているが、本土の桜に比べると木も花も小さく、こじんまりとした感じだ。
「桜、満開さァ」2人腕を組み、花を見上げながらゆっくり歩いて行った。
「聖美と一緒だと負ける桜が可哀想だなァ」「もう、何を言ってるのさァ」聖美は半分照れたように、半分呆れたように笑った。
「やっぱり本土の桜と違う?」「少しね」「いつか本土の桜を見てみたいなァ、私も」そう言って聖美は肩に頭をもたげてくる。
「連れていくさァ」これで花を見に行く約束は、秋のコスモス、春の桜になってしまった。
「今帰仁は源為朝が上陸したところなんだよね」「すごい、私より詳しいさァ」城壁の石垣を歩きながらの私のウンチク話に聖美は感心してくれた。
「現地の娘との間に出来たのが初代琉球王の舜天さァ」「ふーん」今度は真顔でうなづいた。
平日だけにあまり花見客がいない城址の一番奥で弁当を開いた。
「ごめん、シートがないんだ」聖美はそう言って古新聞を広げて敷いた。私がさげてきたバッグの中の聖美の弁当は、おにぎりと唐揚げ、卵焼きにウィンナー、塩胡瓜と言ったオーソドクスなものだった。
「マーサイ(美味しい)ねェ?」「うん、イッペイマーサイビン(とても美味しい)どゥ」心配そうな聖美の問いに、そう答えたが美味しいよりも手作りが嬉しかった。
「貴方って不思議な人さァ。ナイチャアなのにシマンチュウよりも沖縄に詳しくて、方言がわかって、沖縄料理が好きで、島唄が得意でさ」そう言って聖美は私の顔を覗き込む。
「でも聖美が一番好きさ、沖縄のもので」私の答えに聖美は一瞬呆気にとられた後、嬉しそうに笑った。
前歯におにぎりの海苔が付いていて、私は聖美のウッカリが嬉しかった。
その時、風が吹いて桜が散ってきた。緋寒桜は花吹雪にはならず、花弁がついたままクルクルと回りながら散る。私は黙ってそれを眺め、珍しく沈黙が続いた。
「どうしたの?」と聖美は不安そうな顔で訊いてきたので、「俺、桜が散ると哀しくなるのさァ」と桜を見上げながら答えた。
私は低く軍歌「同期の桜」を口ずさんだ。
「貴様と俺とは同期の桜・・・咲いた花なら散るのは覚悟 見事散りましょ国のため」「ごめん、場違いだな」歌い終わって謝ると聖美は首を振り、「ううん、でも今、貴方がとても遠く感じたさァ」、そう言って私の顔を見つめた。
また、風が桜を散らした。
母から「ゴールデンウィークには帰って来ますか?貴方も若いから女性に夢中になるのはわかるけど、もっと冷静になりなさい。一度、話しましょう」と言う手紙が届いた。
ゴールデンウィークには地元の神社の大祭があり、あの伯父夫婦も来るはずだ。
私は、「沖縄に僕の生活がある。宮里聖美さんを心から愛している。聖美さんを守ることが、僕の一番大切な仕事なんだ」と返事を書いたが、結局、何の反応もなかった。
ゴールデンウィークが過ぎ、夏の観光シーズンが始まる前に見つけた束の間のゆったりした休日、一緒に映画を見た帰りの喫茶店で私は決心を告げた。
「聖美、籍を入れよう」「でも、愛知のお父さん、お母さんは・・・」聖美はやはりためらいを見せた。その表情はどこか不安げだった。
「親を捨てる訳じゃあないよ。向こうが変わるのを待ってるだけさァ」私の言い訳のような説明にも首を縦に振らない。私はモリノ家にとって本当に親孝行なのはこの人なのにと思った。
しばらくの沈黙の後、聖美は意を決した時に見せる顔をした。
「私、お父さん、お母さんに手紙を書いてみます」「えッ?」私はすぐに返事が出来なかった。
「ウチの親は異常に頑固だよ」「貴方を見ていればわかるよ」私のためらいを聖美は「先刻承知のこと」と笑った。
「もう、それしかないのかな」私もうなづくしかないようだ。
聖美の手紙は、自分の生い立ち、現在の職業、私とのつき合い、私への気持ちを正直につずったもので、最後には私が本土に行く時は沖縄を捨ててついて行くという決意が添えられていた。
「お友達を連れて帰って来い」父からそれだけを書いた葉書が届いた。
この「お友達」と言う言葉に嫌な感じがしたが、聖美は「一歩前進」と笑っていた。
「そんな喧嘩腰で身構えてると、向こうもそうなっちゃうよ」「はい」聖美の言葉には人生の知恵がある。私はいつもの通り「参りました」と心の中で平伏した。
「なんくるないさ(どうってことないよ)」聖美は力を込めてこう言った。
聖美の仕事が夏の観光シーズンに入る前にと、6月中旬に2泊3日で帰省した。部隊には法事と言うことにしておいた。
名古屋空港に両親が迎えに来ていたが、「名古屋は大きな田舎」と言われるように、ハーフはまだ珍しいらしく、周りの人が好奇の目で見て通り過ぎていく。それを気にして父が怒ったような顔をしていた。とにかく人の目を気にする人だ。
「日本語わかるよね」車の中で助手席から母が無神経なことを言った。私は「馬鹿」と怒鳴りたかったが聖美は目で制した。
「はい、大丈夫です」聖美は静かに答え、車内では母と聖美が話し始めた。
「スチュワ―デスの仕事も大変ね」また母がボケをかます。
「私、地上勤務なんです」「あら、そう」考えてみれば聖美は、飛行機の欠航や遅れなどがあれば、客の無理難題に対応するのも仕事だ。私の両親との受け答えなどは、それこそ「なんくるない」だろう。
相手の気持ちを傷つけない話し方は横で聞いていても本当に感心した。
家に着くと、今度は妹が待ち構えていた。
「妹です。兄がお世話になっています」妹は相変わらずのハシャギぶりを見せる。
「聖美です。こちらこそお世話になっています」聖美は微笑んでお辞儀をした。
両親が自分たちの部屋にこもったところで、妹が小声で状況報告を始めた。
「お兄ちゃん、お父さんとお母さんが大喧嘩したんだよ。お母さんがお父さんに『貴方にとっては自分の実家が大事かも知れないけれど、私は息子をなくすわけにはいかない』ってさ、お母さん強かったなァ」妹は思い出しながら感心していた
母は祖父のところへ相談に行って「お前は、息子よりも夫の実家を取るのか」と言われ、覚悟を決めたのだと妹はつけ加えたが、聖美は複雑な顔をしていた。
夕食の準備は女3人でしていた。女たちの楽しげな声が居間まで聞えてくる。
「ウチの息子のどこがいいの、貴方ほどの美人ならほかに幾らでもいい人がいるでしょうに」単刀直入な母の言い方に聖美は可笑しそうに答えている。
「見ていて危なっかしいくらいの正直さです」「よくわかってるねェ」母は感心したように相槌を打ち、妹は「兄は糞真面目だから、私と違って」と羨ましそうな声で言った。この妹は同じ親の子とは思えないほど性格が違うのだ。
「あの子は大馬鹿正直だからね、どこで育て方を間違えたのかねェ」母の言葉に女2人は大爆笑したが、父と私は居間でずっと黙っていた。
翌日、母が運転する車で祖父の寺へ行った。
「伯父さんのところへは行かんのか?」父は不機嫌そうな顔で訊いたが行く訳がない。
「やァ、いらっしゃい」と庫裏の薄暗い部屋で、足の悪い祖父は掘り炬燵に座ったままニコヤカに笑いながら迎えてくれた。
聖美は掘り炬燵は初めてで少し戸惑ったが、私にならって祖父の右に座り、祖母は左、母は向い側に座った。茶は祖父が入れてくれた。
「聖美です。お会いできて嬉しいです」「祖父です」「祖母です」3人が和やかに挨拶を交わした後、お土産の黒糖と民芸品を渡すと、祖父は興味深そうに沖縄の話を色々と質問し、聖美も嬉しそうに答えていた。
その時、「テン君のお嫁さん?」と従妹の小学生・容子ちゃんが障子を開けた。廊下から聖美を見た容子ちゃんは「こんにちは」と声を掛けられて、恥ずかしそうに小声で返事をすると台所へ報告に行った(足音でわかる)。私は「偵察だな」内心そう思っていたが、案の定、「お嫁さん綺麗、モデルみたいだよ」と障子越しに大きな声が聞えてきた。
その報告を受けて叔父と叔母がやってきた。叔母は予想と違っていたのか意外そうな顔をしたが、伯父は逆にタイプだったのか聖美の顔をうっとり見ていた。
話が一段落したところで、「何か本土のものを食べに行こう。聖美さんには珍しいだろうし、お前には懐かしいだろう」と祖父が提案した。するとうどん好きの母が「(うどん屋の)山科へ行こう」と即答した。
祖父は、「そうか、寿司でもと思ったが」と私の顔を見たが、私も仕方なくうなづいた。母も「しまったァ」と言う顔をしていたが後の祭りだ(大体、訊かれたのは私たちだ)。
いつもの母なら「やっぱり寿司に」と平然と言うところだが、今日は遠慮があるらしい。
この日の夕方、私は思うところ(両親との決別)があって、祖父の弟子として得度を受けた。この佛教の儀式に立ち合って、聖美は非常に感激し、涙を浮かべていた。
「自衛隊の仕事を修行と思って精進せよ」これが師としての最初の教えであった。
ちなみにこれが休暇の理由にした法事だった。

名古屋空港に送って来て、母はにこやか、父は相変わらず不機嫌そうだった。
「お父さん、伯父さん家に行かなかったことを怒ってるよ」帰り際に妹が耳打ちをしたが、それは無理無体と言うものだ。
搭乗手続きを済ませ、搭乗口の前で別れの挨拶をしながら母が切り出した。
「聖美さんのお母さんは何て言ってるの?」「勝手にしなさいってさ」私が正直に答えると、父はこの言葉を真に受けてムッとした顔をし、母はその真意を察して可笑しそうに笑った。
「だったら私も同じことを言ってあげる。勝手にしないさい」すると父が口を挟んだ。
「何事も慎重にな」いつもの台詞である。父に言わせれば、先ずは伯父に相談し、仲人を決めて、それからみんなで話し合ってから決めろと言うことだろう。誰も返事をしないので私が一応、「ハイハイ」と返事しておいた。
「それから『ヨロシク』って言って手を握ってくれたよ」私がつけ加えると、母はいきなり聖美の手を取って、「よろしくね」と言った。
「ありがとうございます」突然のことで聖美は一瞬、驚いた顔をしたが、そう言って涙をこぼした。その涙を見て父ももらい泣きか、鼻をすすりだした。
私たちは帰路についた。
流石に疲れたのだろう。飛行機の中で聖美は私の手を握り、ずっと眠っていた。
無事到着の連絡をした時の母の話では、空港から帰る車の中で父は「お前は、何を勝手なことを言うか」と散々怒り、母が「だったら反対って言えばよかったのに」と反論すると、「反対とは言っていない」と答えたそうだ。
そして今度は「綺麗な子だったな」と言ったので、「それを言うならいい子でしょ」とまたやり込められたそうである。
これは母にとって結婚以来初めてのクーデターだったのかも知れない。
私の親の件が片づいたら、入籍の話が進まなくなってしまった。
聖美は、夏の観光シーズンに入って目が回るほど忙しく、それが終わる頃に今度は私の演習が始まった。それでも私たちは時間を見つけて一緒に過ごしていた。
「抱き締めていれば幸せ」のプラトニックな関係は相変わらずだ。それでも私の居場所は、もう聖美の部屋のような気がしていた。
「結婚しようと言うか、一緒に暮らしたい」「はい」聖美は静かにうなづいた。
「でも何事も慎重にね。結婚してから私が嫌になっても遅いよ」聖美が何だか父のようなことを言う。しかし、私は話しを続けた。
「君のお母さんは?」「あれっきりよ」聖美の父の話は絶対にタブーだし、私も娘を深く傷つけた父を許せないでいる。
「じゃあ、いいのかな」「はい」聖美は真顔のまま深くうなづいた。あまりにも淡々とした決まり方に、私は「結婚ってこんなものなのか」と少し不安になったが、聖美は「モリノ聖美かァ、いいよね」と嬉しそうに呟いた。
「入籍する」両親に葉書を書いた。それは相談ではなく通告だった。
「あれほど慎重にしろと言ったのに」と怒る父の顔が浮かんだが、それよりもまた自分の兄に怒られる羽目になる父が気の毒になった。
父はあれから伯父の家へ報告に行き、かなり怒られたらしい。50もとうに過ぎてまだあの伯父の弟から脱皮できないのだ。
一方、「これを機会に少しは実家から離れればいいのよ」と言う母の大胆な発言に「女は怖い」と思った。
愛知から戻ってから職場の上司や同僚たちにも公表していたが、ほとんどの人が「南陽航空勤務?スチゥワーデスか?」と訊いてきた。
「そんなのバレバレ、お前ら目立ってたぞ」と仲間たちは「何を今更」と呆れていた。
先輩の中には「ハーフは身元を調べてから決めないと危ないぞ」と、そんな大人の忠告をしてくれる人もいたが、聖美は全てを自分の口から告白してくれている。
私たちは24歳の秋に入籍した。
営舎外居住許可申請などもスムーズに終わり、私は段ボール箱に4個の荷物を持って、聖美のアパートに転がり込んだ。
ただ、6畳1間のアパートは2人が暮らすにはかなり狭い、そもそもここは独身者用で家族連れはほかにいない。くっついて居られることが幸せではあったが・・・。
そして、ようやく私たちのプラトニックな関係も解消された。
2人で暮らすと言うことは、夜寝つけない時も、夜中に目が覚めた時も、朝目覚めても、目を開ければ隣りに聖美が寝ている。そんな安心、幸せだった。ある夜、夜中にふと目を覚ますと聖美もおきて私の顔を見ていた。
「眠れないのか?」「うん」うなづく聖美を抱き寄せた。髪からシャンプーが甘く匂う。私は黙って首筋に口づけた。
「スタンプ代わりにキスマークをつけようかな。俺んだよって」「もう駄目よ」私の冗談に聖美は暗い部屋の中でクスッと笑った。
「私たち結婚したんだなって、貴方の寝顔を見てるとね」聖美が幸せそうに呟いたことは、私も日々の暮らしの中で感じている。私はもう一度キスすると、黙って手を聖美のパジャマの中に滑り込ませて胸に触れた。
「駄目、明日は仕事でしょ」「もう、今日だよ」枕元の時計は2時を指している。右手で胸を揉み始めると聖美は「もう…」と言いながら目を閉じた。ただ、この営みも仕事に影響を与えないよう必要最小限にしなければならない。
「おじゃまします」そう言って腰で膝の間に入っていく時、聖美は「うん」とうなづいた。結婚してからは聖美を抱くことも生活の一部になっていて、どうもムードがない。それでも私は結婚できて、こうすることに「何の言い訳もいらない」感激を噛み締めていた。ただ、その時の聖美の顔はあまりに美しく、何よりも「女」を感じさせて、禁断の果実を口にしているようで怖くなる。
感激を味わったところでゲームオーバーになった。
「はい、おしまい」終ったところで聖美は、さっさと下着とパジャマのズボンを履き、ボタンをとめて、横になって布団を被り、すぐに寝息をたて始めた。
「寝た振りじゃあないかなァ」と期待したが、私は余韻を楽しみながら朝まで1人、聖美の寝顔を見て過ごすことになった。それはそれで幸せではあったが。
「貴方たち、結婚式は考えているの」ある日、アパートに母から電話が入った。
「考えていない」私が答えると、こちらの事情を知らない妹が電話の向こうで、「そんなの聖美さんが可哀そうだよ」と怒鳴っているのが聞えた。私はモリノ家の親戚を呼びたくない、聖美は自分の家族を呼びたくない、それでは誰のための結婚式なのだ。このモリオ家の形式主義にはいいかげん頭が痛くなる。
それでも聖美にウェディングドレスを着せてみたい。それは想像しただけでも胸がときめいてくる。電話で話しながらも意識はそっちへ飛んでいた。
生返事を繰り返す私に母は強い口調で言った。
「モリオ家としては、やっぱり世間に披露しない訳にはいかないよ」それは父の意見なのか、それとも入籍で反対を諦めた伯父夫婦の入れ知恵なのかはわからないが、さっぱりした性格が身上の母にしては珍しく食い下がった。
「それじゃあ、衣装を着て写真を撮って送るから沖縄で内輪でやったことにして、世間に披露して回れよ」そう言って電話を切った。
「お義母さん、何だって?」振り返ると後ろで聖美が聞いていた。
「結婚式をどうするかだって」私の答えに聖美は顔を曇らせる。
「やっぱり親としてはそうだよね」聖美はいつもの深刻な顔で考え始めた。
「君は?」私が質問をかぶせると、聖美は「私はいいの」と首を振った。
そこで私が先ほどの考えを再提案した。
「親にも言ったんだけど写真だけ撮って送ろう。聖美のウェディングドレスも見たいしさ」聖美はうなづいたが、その顔は決して嬉しそうではない。やはり愛知の親のことを考えているのだろう。
「モリオさん、結婚式やらんねェ?」少林寺拳法部の練習の後、私たちを引き合わせてくれた仲人君・名城君が訊いてきた。名城君は大学を卒業して、那覇市役所に就職してからも少林寺拳法を続けているのだ。
「うん、お互いに色々ややこしくってね」私が複雑な顔でうなづくと名城君は拳法をやっている時とは別人のような優しい顔で笑った。
「友達でパーティーをやろう。俺たちも聖美の花嫁姿が見たいしさァ」「そんなの悪いさァ」私がためらうと、名城君は「こっちがやりたいのさァ、そっちはつき合ってよ」ともう決まったような顔をしている。
私がためらいながらうなづくと、「よーし、決まったァ。聖美によろしくねェ」と言ってスキップするような足取りで帰っていった。
「新婚さん、嫁さんを待たしちゃあいけないよォ」出口で振り返ってそうつけ加えた。
名城君が言うパーティーとはクラス会だった。
「忘年会シーズンになる前に」と11月のある日、名城君行きつけの居酒屋を貸し切ってそれは行われた。
そこに私の航空自衛隊から5人、聖美の南陽航空から5人の友人が特別参加することが許されたが、大人(?)は担任の先生1人だけ、親も親戚も呼ばないものだった。
「それって合コンだよな」職場の先輩たちはこぞって参加を希望して、あっと言う間に航空自衛隊の5人の枠は埋まってしまった。
「ターゲット サウザンサンライト エア ライン(目標 南陽航空)」これが先輩たちの合言葉で、この話を聖美にすると「そう言う友達を呼ぶね」と自信がありそうに笑った。
パーティーの参加者は普段着だったが、聖美は最近買った白いコットンのワンピースを着て、薬指にはあのパールが光っている。名城君は「航空自衛隊の制服で」と言ったが、沖縄の県民感情を考えて私はスーツにした。
会場は、私たちが一番奥と言う以外は席も決めず、先生のお祝いの言葉と仲人君の音頭での乾杯以外は、いつの間にか始まり、勝手に盛り上がる沖縄方式だった。
自衛隊の参加者たちは可愛い子を「タリフォー(目標発見)」すると、果敢にアタックしていたが、「ビンゴ(撃墜)」できたかは定かでない。
パーティーが始まると同級生たちが、代わる代わる私たちのところへ酒を注ぎに来た。
みんなが口々に言っていたのが、聖美は「糞真面目で成績優秀な優等生だった」が「みんなから少し離れているような大人しい生徒だった」こと。
そして、驚いていたのが「こんなに笑う子だとは思わなかった」と言うことだった。女の友人たちに「幸せ?」と訊かれて「うん」と答える聖美に、「自衛隊も意外にいいさァ」と先輩たちが聞けば喜びそうな台詞を言っていた。
「私は自衛隊反対だけど、これからは少し控えることをするよ。君や君の友達を見ていると自衛隊も同じ若者なんだね」と担任の先生は私に酒を注ぎながら静かに言った。先生は同級生たちと楽しそうに騒いでいる先輩の姿をシミジミと眺めていた。
パーティーが盛り上がってきた頃に、南陽航空の同僚の女の子たちが私たちの前に来た。
「皆さん、見て下さい。私たちからのプレゼントです」
彼女たちの呼び掛けに騒がしかった会場は静かになり、みんなが一斉に注目した。
女の子の一人が聖美を立たせると頭に花嫁用の花飾りがついた白いベールをかぶせ、ブーケを渡した。聖美が着ている白いワンピースに白のベールとプルメリアのブーケがよく映えて、まるでウェディングドレスのようだ。
「聖美、オメデトウ」「カリユシ(めでたい)どォ」会場は一段と騒がしくなった。
聖美は静かな眼差しをベール越しに私に向けた。その目からは涙が溢れている。
その美しさと愛おしさに私の心臓そうは止まりそうになり、もらい泣きした。
最近は、どうも聖美まで感激屋になって、夫婦揃って泣き虫になってきたようだ。

「モリオ、チョッと来い」ある日、ショップ長の平曹長と一緒に整備小隊長の三谷2尉に呼ばれた。小隊長室に入るとソファーに平曹長と並んで座らせられた。三谷2尉は私たちの前に座ると深刻な顔で話を切り出した。
「お前の嫁さんの母親は米軍基地反対運動に参加しているのか?」それは私も知らないことだったが、義母の人生を考えればあり得ることである。
私が「わかりません」と答えると、三谷2尉は「お前が先日提出した特防秘が駄目になった」と言って厳しい顔をした。特防秘とは「特別防衛秘密取扱者適格性審査」の略で、レーダーや戦闘機、秘密文書などの防衛秘密を取り扱う隊員の身元調査のことである。したがって身内に自衛隊や米軍に反対する人がいては当然まずい。
「確認してみます」「いや、もう遅い」私の答えに三谷2尉は首を振った。
「特防秘が駄目になった以上、お前はもう航空機整備員にしておけないんだ」三谷2尉は身を乗り出して私の顔を見て、平曹長は横で顔を強張らせていた。
「職種変更をしなければならないから、そのつもりでいろ」「はい」私の中で航空機整備員として取り組んできた苦労、やり遂げた達成感、将来の夢などが次々に浮かんでは消えていった。そんな様子を見ながら三谷2尉は判決を下した。
「来週から総括班(事務室)に行ってもらうから、西村3曹の見習いで申し送りを受けろ」「はい」私と平曹長は何故か一緒に溜め息をついた。
「まァ、不器用者のお前には丁度よかったのかもな」三谷2尉が私をなぐさめるようにつけ加えると、平曹長も諦め顔でうなづいた。
私の特防秘の件は、アッと言う間に修理隊中の噂になった。
「沖縄で嫁さんをもらうのは気をつけないとなァ」聖美の母に責任があるかのような言われ方には腹が立ったが仕方なかった。
「事務室勤務になったよ」「突然ね、どうしたの?」帰宅して夕食時に、このことを話すと聖美は怪訝そうな顔をした。
「元々向いてなかったからね」「そう、頑張っていたのにね」そう答えながらも聖美は納得し切れてない顔をしている。
「職種変更って言うのもしなければいけないみたいだ」「それって、整備員を止めるって言うこと?」聖美が真顔で私を見たので、思わず視線をそらした。
「何か理由があるんじゃないの?」「ご飯が冷めるさァ」私は苦し紛れに話題を変えた、今夜もおかずはチャンプルだった。聖美はうなづきながらも、まだ私の顔を見ている。
「美味しいなァ、イッペーマーサイビンどォ」私のおどけた台詞にも反応しない。
「こんな時、頭がいい嫁さんは困るなァ」私は食べながら少し悩んでいた。
「お前、教育隊に臨時勤務にいけないか?」総括班勤務になって3カ月、そろそろ仕事も一通り覚えた頃、総括班長も兼ねている三谷2尉から言われた。
「もし教育隊で勤まりそうなら、班長要員として転属させて職種変更だ」「新婚さんには気の毒だがな」三谷2尉は本当に気の毒そうな顔をした。
どうも防府と言う土地に因縁めいたものを感じるが、航空自衛官を続ける以上、この話を断ることは出来ない。
「はい、わかりました」返事をしながら私の頭には聖美の顔が浮かんだ。
「3月の始めから防府へ臨時勤務に行かなければいけなくなったよ」夕食の後、この件を聖美に話すと一瞬驚いた顔をした。
「それって長いの?」「4カ月くらいになるかな」「ふーん」聖美はまた納得し切れない顔をしている。確かに突然の総括班への配置換え以来、色々なことがあり過ぎる。
「これは職種変更の下見になるかも知れないんだ」そこで聖美は私の前に座り直した。
「ねェ、私は貴方に秘密はないよ」「はい」私も正座になった。
「何があったの?」「はい」ここまで聖美に言われては誤魔化すことは出来ない。聖美は常に私のことを真っ直ぐに見ているのだ。私は観念して白状した。
「特別防衛秘密取扱者適格性審査って言うのがあってね・・・・」ただ特防秘は、その審査自体が秘密に属するので説明が難しかった。
「ごめんなさい」話を聞き終えて聖美は深刻な顔をして謝った。
「謝ることないさァ、君が謝ったらお母さんが悪いことになってしまうよ」「はい」聖美はいつものように私の顔を見てうなづいた。
「母がそれを止めても駄目なの?」「調査結果が出てしまったから多分駄目だね」最後のすがるような質問を私が否定すると、聖美の顔は強張り暗く沈んだ。
「これも御縁さァ、元々が向いていなかったんだよ」私は、聖美がまた謝ろうとするのを遮るように言った。これは自衛官と言うよりも坊主の台詞だ。聖美は私の本当の気持ちを探ろうと目の奥を見ていたが、これは本音だった。
「それより君と離れてなきゃあいけないのが辛いさァ」「うん」聖美も寂しそうな顔になってうなづいた。
「今度は防府に来いよ。住むことになるかも知れない街だから」「うん」「防府ってどんなところ?」「向こうではどんな仕事をするの?」ようやく未来に向けた話になった(卒業課程の話にならなくてよかった)。
「若い隊員の教育かァ。(整備員より)向いているかもね」ようやく聖美は微笑んでくれた。これで頑張れる。
「モリオ班長の奥さんって美人ですか?」「写真はないんですか?」高校を卒業したばかりの若い隊員たちは、私が妻帯者だと知ると興味津々と言う顔で訊いてきた(私が入隊したのは20歳を過ぎていたからここまでストレートではなかった)。
「もうすぐ来るから見られるよ」「会っても邪魔するなよ」私は心の中で「驚くなよ」と言いながらも笑って相手にしなかった。
ゴールデンウィークが過ぎ、観光シーズンが一段落したところで聖美はやってくる。私はもう教育も上の空、学生の前で号令を間違えては笑われていた。
「落ちついた街だね」聖美は、防府駅前の古びた街並みを見てこう言った。
その時、私に気がついた他の中隊の制服姿の隊員が声をかけ敬礼してきた。
「はい、こんにちは」聖美が微笑んで挨拶すると、彼らは驚いて早足で逃げていった。
「あの班長の奥さん、外人だったぞ」「俺、英語がわかったぞ」彼らの会話が聞えてくる。
「馬鹿、国産だよ」私は心の中で笑いながら、久しぶりに会う聖美の手を取った。
結婚以来、聖美はこんなことを気に留めなくなったが、外国人が少ない防府では沖縄以上に目立つことは確かだ。
先ずは防府天満宮へ行った。聖美は大きな神社は初めてだ。
「綺麗な建物ね。波の上宮よりも大きい」聖美は朱塗りの社殿に感心していた。
2人並んで拝礼したが、こうしてお参りするのは去年の正月に波の上宮に初詣に行って以来だ。聖美はあの時に教えた二礼二拍手一拜の作法を覚えていた。
私は聖美の長い祈りの間、久しぶりに会った妻の横顔を見ながら、「結婚できたのも波の上宮の御利益かな」と考えていた。
天神造りの回廊から石段を降りながら聖美に「何を祈っていたのか」を訊いてみたが、「話しちゃいけないんでしょ」と首を振る。ただ横で見ていた唇の動きでは、「ヨロシク」と言っていたと思う。
それは防府にいる私のことなのか、それともこの街に来ることになればなのかは判らなかった。
夕食後、聖美を曹候学生卒業課程以来行きつけのスナック「一番街」へ連れて行った。
「これがモリオちゃんの奥さんかァ、勿体ない美人だね」長いつき合いのマスターはカウンター越しに聖美の顔を遠慮なしに見た。
「主人がお世話になっています」「こちらこそ、どうも」そんな挨拶が終わって席につくとマスターは奥から小鉢の酢の物を持ってきた。
「モリオちゃんが昔から女の子に目もくれなかった理由がわかったよ」「そうなんですかァ」「ゴホン」マスターの話が変な方向へ流れたので私は咳払いをした。
聖美は興味があるのかマスターの顔を見返して続きを待っている。
「ウチが女の子を雇っても、ほかの隊員さんは彼女を目当てに通ってきたのに、モリノちゃんはガバガバ飲むだけだったからね」それは卒業課程の話で、入校直前に親から聖美と別れることを命じられ、その苦しみ、悲しみ、怒りを忘れるため外出しては酒をあおっていたのだ。
「それが今回はすっかり落ち着いてしまって、そんな気はなさそうだしね」そう言うとマスターは私に向ってウィンクをしたが男にされても嬉しくない。これは私の単身赴任中の品行方正を証言してくれているつもりだろうが、私は疑われていないだろう。
それからしばらくは私の卒業課程の思い出と2人の慣れ染めへの質疑応答が続いたが、聖美は卒業課程中に私が苦しんでいたことを確認したようだった。
「カラオケでも唄いますか」話に区切りがついたところでマスターがメニューを聖美に渡したので、私が千円札を出し、マスターはそれを百円玉に替えて2人の間に積み上げた。
「何を唄おう?」「カラオケ久しぶりだね」聖美はメニューを間に広げて相談を始めた。
順子が就職して喫茶スナックのアルバイトを辞めて以来、カラオケを歌いに行っていない。おかげで2人で練習していたシマウタのデュエット曲も中断のままだ。
「これを」「これ?」始めに聖美が選曲した。マスターは百円玉を1枚取ると機械を操作し、やがて安全地帯の「悲しみにさようなら」のイントロが流れた。これは本当なら私が聖美のために唄うレパートリーだった。
「泣かないで一人で 微笑んで見つめて 貴方のそばにいるから・・・」相変わらず聖美は画面を見ながら一生懸命唄っている。私はそんな愛しい妻の横顔を一生懸命見ていて、マスターはそんな二人を呆れて眺めていた。
「それじゃあ、安全地帯つながりでこれを唄おう」「へーッ、これを?」私のリクエスト「夏の終わりのハーモニー」にマスターは意外そうな顔をした。
「モリオちゃんが軍歌以外の歌を知ってるなんて思わなかったなァ」マスターの惚けた台詞に聖美は呆れた顔で私を見たが、確かに沖縄では御法度の軍歌をこちらでは熱唱していて、マスターからは「軍国酒場へ行け!」と言われていた。
第1、この歌は学生に習って最近覚えた歌だった。
「今日のささやきと 昨日の争う声が それが僕と君のハーモニー・・・」今度は聖美が私の顔を見詰めているので、それを見返して微笑んだ。
「・・・誰よりも 貴方が好きだから・・・・」ようするにこの部分が唄いたかったのだ。
その夜、私は久しぶりに聖美を抱けることに興奮気味で、「一番街」からは聖美の手を引くようにホテルへ向った。しかし、その願いは無残にも打ち砕かれた。
「ごめん、私、生理中なんだ」ホテルのドアを締めながら聖美は、本当に申し訳なさそうな顔で言った。
私は「ワオーン」と狼のように月に向かって吠えたい気分を馬鹿な言葉で誤魔化した。
「そうかァ・・・大丈夫、鼻血が出れば君とおそろいさァ」「・・・」私の下ネタは全くうけなかった。ひょっとして防府に来て品が悪くなったのかも知れない。
結局、私たちは結婚前を思い出しながら腕枕で眠った。「あの頃、よく我慢できたなァ・・・」と自分に感心しながら。
「モリオ班長の奥さんって外国の方なんですか?」次の週には基地内で私と聖美のことが噂になっていた。
特に女性自衛官は興味があるらしく、隊員食堂や売店でも声を掛けられた。
「米軍のWAF(女性兵士)って本当ですか?」「やっぱり告白は『I LOVE YOU』ですか?」などと期待を込めて質問されると、「日本人だよ」とは言い出せなくなる。
「日本人の女とどっちがいい」「はァ、何が?」「何がって、ナニに決まってるだろう」などと無遠慮な質問をしてくる男の隊員も少なくない。私は「人の気も知らないで」と腹を立てながらも、この品のない田舎部隊に転属して聖美を連れてくるのが不安になった。
私たちは聖美のアパートで生活をスタートさせたため、まだ官舎と言うものを知らない。
「奥さん連中までこの調子じゃァ怖いなァ」生真面目な聖美が悩む顔が浮かんだ。
2人の誕生日も過ぎた7月3日に沖縄へ帰った。転属がどうなるかは蓋を開けてみなければわからない。
盆休暇は観光シーズン前の7月中旬にもらい、聖美が休める二泊三日で帰省した。そしてこの時、祖父の寺で2人きりの佛前結婚式を上げさせてもらった。
私は航空自衛隊の制服、聖美は仲人君のパーティ―と同じ白のワンピースに、あの時もらったベールを被りブーケを持った。
祖母は本堂への通り道に赤い絨毯を敷いてくれていた。
「聖美さん、バージンロードだよ」祖母の意表を突く台詞に、聖美は戸惑い、笑い、そして泣き、祖母の性格を知っている私はただ苦笑した。
祖父は、簡素だが丁寧に式を行ってくれたが、「誓いのキスを」佛前結婚なのに祖父は最後にこう言ってニヤリと笑った。これは祖父一流のモダニズム、ジョーク、何よりもサービスだろう。
私は聖美のベールを上げて頬に手を当ててキスをしたが、祖父母と写真係の叔母にまで見られていては、流石に少し恥ずかしかった。
式の後、祖父母は奥の座敷に、心づくしの宴席を用意してくれていた。
「聖美さん、貴女の人生を思うと子供を産むのが怖いのかも知れんな」祖父は前置きもなく切り出し、聖美は「はい」とうなづいた。私は2人だけの秘密をいきなり指摘されてドキッとしていた。
「子供が出来て私と同じような辛さを味あわせるのが怖い」聖美は私が体の中で果てることを恐れていた。
私も今まで聖美が味わってきた苦労を思うと「大丈夫だ」と言い切るだけの自信がなく、両親の「赤ちゃんは?」と言う問いにも、「まだ、忙しいから」と答えていたのだ。
しかし、祖父は全てを見通しているようだった。
「だがな、苦労なんて多かれ少なかれ誰でも背負っているものだ」祖父は幼い頃に両親が離別し、母が大寺の住職に再嫁、その後生まれた弟が後継ぎになり、捨てられるように修行に出された。祖父の人生もまた苦労の連続だった。
それは聖美にも話している。だからこそ祖父の言葉には聖美を救う力がある。
「今は幸せじゃろうが」「はい」「ならば自分たちの子供にも、そうして幸せをつかませてやればいいんじゃよ」「はい」聖美は涙ぐんだ。
「泣いたら折角の料理の味がわからなくなる。お前まで泣くな」祖父は隣りでもらい泣きをしている私を笑った。
転属の話が音沙汰なしなので、冬のボーナスでついに自家用車を購入した。と言ってもエアコンも付いていない中古の安物だった。エアコン付きの中古車は十万円以上高かったのだ。
私は取りあえず基地内に車を置いて、毎日運転の練習に励んでいて、ある休日、聖美を連れて基地内でドライブをしてみた。
「基地の中って沖縄じゃあないみたい」「それを言うなら日本じゃあないみたいだよ」那覇基地は米軍が作っただけに一面広々とした芝生で風景はアメリカだった。
「狭い沖縄にこんなに広いスペースをとってたんだァ」聖美は助手席で興味深そうにあたりを見ながら、少し批判的な言い方をした。
「基地に入るのは初めてかァ?」「うん、自衛隊の人なんて貴方しか知らないもの」言われてみればそうだろう、しかし、基地の隣りの南陽航空に何年も勤めていて、柵越しにしか見たことがないのも不思議だった。
「朝、一緒に出勤しようよ。南陽航空の前で下ろしてあげるから」聖美は7時、私は6時半が出勤時間だ。それも聖美はバス、私は原付で通勤している。
「でも、7時到着じゃあ早過ぎるよ。それに貴方が出掛けた後の30分って貴重なんだよ」確かに聖美は、その時間に洗濯物を干し、身支度、化粧をしているのだ。
「それもそうだね。毎朝ご苦労さまです」私の答えに聖美は安心したようにうなづいた。
基地の車道を全部走り終わって、修理隊の駐車場に車を停めた。
「そろそろ家に持って帰ってドライブしたいな。どうだい?」「うん、貴方の運転は安心だけど、周りがシマンチュウのドライバーなのが心配さァ」確かに、こちらが安全運転していても、周りがいい加減な運転をしていてはもらい事故になる。自家用車通勤するようになって私は毎日そのスリルを味わうことになった。
3月、防府に転属することが決まった。
退職を申し出た聖美に上司は冗談か本気かは判らないが、「婿さんを南西航空に(整備員として)雇うから残らないか」と引き留めたらしい。
そして、この内示を受けた頃、子供が出来た。
「ギリギリでシマンチュウさァ」私の言葉に聖美は複雑な顔をした。
「貴方似ならいいな」この言葉には重すぎる響きがある。
私は「君に似て美人で、賢い子がいい」と言いたかったが口に出せなかった。
ただ、元気ないい子を願うことにした。
箪笥も持たない私たちの引っ越し準備は簡単だ。ただ、考えてみたら私たちは冬物を全く持っていない。向こうでは出費がかさみそうだ。
そんな訳で引っ越しは冷蔵庫と洗濯機以外、船で送った車に荷物を詰め込んで出来た。
「聖美、これでよかったんだよ。身体に気をつけて」出発の日、空港に見送りに来た義母は聖美の手を握って涙をこぼし、聖美も私も泣いていた。
「旅立ちに涙は禁物」と言う決まり文句は、この感激屋の夫婦には通じないのだ。
「モリオさん、よろしくお願いします」義母は何度もお辞儀を繰り返した。
「聖美、元気な赤ちゃんを産むんだよ」この子は義母にとっては初孫になる。
ただ出産予定日は晩秋なので、沖縄から本土に来ることはどうだろう。
その時、大日空の出発ロビーに、オレンジ色のハイビスカスがプリントされたブラウスを着た南陽航空の職員たちがやって来た。
「聖美、頑張って」「宮里先輩、お元気で」「聖美、マダン・メンソ―レ(また来てね)」彼女たちは聖美を取り囲み、手を両側から握り、口ぐちに声を掛けた。そうなると当然、夫婦揃って号泣した。
こうして私たちは桜咲く防府へ引っ越した。
「綺麗、これが本土の桜かァ」休日、私は聖美を連れて、花見がてら基地の外周を歩いてみた。防府南基地は外周の全てが桜並木で囲まれているのだ。
私たちは沖縄で今帰仁城などの桜の名所に行ってはいたが、あちらの緋寒桜はもう少し小ぶりで、花は赤色が強く、花弁が揃って散る。
「何だか、とても清らかな感じがする」聖美は、風に散る花びらを手で受けながら花を見上げていた。空は春霞か花曇りで白っぽかった。
「君と一緒だと負ける桜が可哀そうさァ」私の台詞に「エヘッ」と照れ笑いをした。最近は、私のストレートな誉め言葉にも慣れてきて素直に笑ってくれる。でも、本当に聖美は桜よりも綺麗だった。
その時、私はカメラを持ってくるのを忘れていたことに気がついた。
外周走路では、まだ入ったばかりの新入隊員たちが駆け足をしながら私たちを追い抜き、振り返っていく、聖美は「頑張るなァ」と感心しながら彼らの背中を見送っていた。
「班長の奥さんですかァ?」その時、今度担当することになった曹候学生の後輩たちが走って来て私たちに気がつき声を掛けてきた。
「オウ」「こんにちは」2人で返事をすると、彼らは「班長の奥さんがハーフって本当なんですね」と感心したように言った。元気で楽しい連中だ。
「いいだろう」私の自慢げな台詞に、彼らは「はい」と素直に答えたが、隣りで聖美が少し困ったような顔をした。
「俺、みんなに教えてこよ」突然、学生の1人が逆方向にダッシュして行った。
2人で呆気に取られて見送っていると、しばらくして何人かの学生が走って来た。
「わ―ッ、本当だァ」「班長には勿体ないですね」「握手して下さい」いきなり若い学生たちに取り囲まれて、聖美も困っている。
考えてみれば本土ではハーフに対して物珍しさはあっても、沖縄のような出生への偏見はない。学生たちの素直な態度に私は少し救われた気分になった。しかし、こんな環境が胎教に良いのか悪いのか?
「この子も将来は自衛隊かァ?」私は少し心配になった(そうなった)。
防府に転属して最初のゴールデンウィーク、私は岩国のアメリカ海兵隊航空基地のエアフェスタ(航空祭)へ学生を引率して行くことになった。
「観光バスだから奥さんも連れて行けばいいぞ」「奥さん、懐かしがるだろう」部隊の先輩たちは気楽に、そして好意で言ってくれたが、「山口にもアメリカ軍がいるのね」と聖美は複雑な顔をしていた。
聖美にとってアメリカ軍は決して好ましい存在ではないのだ。
「仕事さァ、それだけのことだよ」「ごめんなさい。気にしないで楽しんで来て」私の言い訳めいた説明に、聖美はそう言うと無理して笑顔を作った。
「でも、三沢基地に転属したりすると、もっとアメリカ軍が近くになってしまうな」私は聖美の心情を思うと、それだけは避けたいと考えていた。
岩国基地のエアフェスタは盛大だった。
私は沖縄仕込みの英語を駆使してアメリカ兵をからかったり、学生や一般人の通訳をやって楽しんだ。そして、土産にアメリカ軍の売店でピザパイとコーラ、そして人間ほどの大きさがある熊のぬいぐるみを買った。
「ただいま」玄関で声を掛けて、ぬいぐるみを抱えて家に入ると聖美は目を輝かせた。
「何これ?スゴーイ」「アメリカ価格で安かったんだ」確かに日本で同じサイズの物を買おうとすれば4倍の値段がするだろう。
「でも、こんなに大きいのどうするの?」聖美が嬉しそうにぬいぐるみの頭を撫でながら訊いたので、私は制服を脱ぎながら答えた。
「子供が生まれたら相撲を取らせるのさァ」「そうかァ」聖美は可笑しそうに笑い、あらためて熊とにらめっこを始めた。
「熊と相撲なんて金太郎さんみたいだね」「だッからよォ」聖美はやはり私の気持ちに反応してくれる。それに嬉しくなった。
「でも、女の子だったらどうするの?」聖美が私の答えに期待して興味深々と言う顔でこちらを見たので、私は答えを歌にした。
「ある日、森の中 熊さんに出会った・・・」「そうかァ、ハハハ・・・」聖美は珍しく口をあけて愉快そうに笑い、私もうけたのが嬉しくなって笑った。
「だけど、苗字がモリオだから『森お熊さん』って仇名になったらどうしよう」聖美は心配半分、おかしさ半分の顔で訊いてくる。
「それじゃあ、熊のプーさんグッズでも集めようかね」「それもいいね、フフフ・・・」笑いながら聖美はそっと自分のお腹をさすった。
「元気で生まれて来いよ」私もジャージに着替えてお腹に頬ずりしてみた。
「熊と相撲するくらいにね」聖美は幸せそうに微笑んだ。
その夜は、久しぶりに沖縄と同じ味と匂いのピザとコーラを楽しんだ。

人間関係を心配していた防府だが素敵な出会いもあった。
それは基地のそばのお寺の住職夫妻で、杉浦正信老師は脳梗塞で半身不随、奥様が夫の世話から寺の雑事、接遇までやられていた。
私は得度した僧侶として、寺の空気を吸いに毎週末には境内の掃除と坐禅、読経をしにうかがっていたが、不自由な身体でも僧侶としての威厳を保っている住職と、苦労を耐えるでもなく避けるでもなく、事実は事実として淡々と受け容れている奥様の姿には学ぶことが多かった。
そして、元教員の奥様の話には、深い洞察と広い慈悲の趣があり、それはまるで祖父(祖父も元教員)と話しているかのようだった。聖美もそれを感じるのか、一緒に行くと奥様の手伝いをしながら会話を楽しんでいる。
「聖美も歳をとったら、あんな素敵なお婆さんになるんだろうなァ」と私は思っていた。
しかし、聖美は「40を過ぎたらハーフは太るよ」と笑っていた。
予定日から1週間遅れの11月21日、土曜日の午後、陣痛が始まり聖美は防府市内の産婦人科医院に入院した。しかし、そこからが長かった。
「多分、大きな赤ちゃんですから、しばらくかかりますよ」先生の言葉に聖美は覚悟を決めたようだ。
今日は愛知の両親が予定通りなら生まれているはずの子供を見に来る。
「今日はお父さんはいいですよ」先生は帰ることを勧め、私も夕方の新幹線で着く両親を迎えに行かなければならないので素直に帰ることにした。
「帰るけど大丈夫か?」病室で横になっている聖美に声をかけると微笑んでうなづいた。
「母は一人で私を生んだんだよ。私は幸せさァ」「それより、お父さん、お母さんによろしくね」こんな時まで聖美は孝行者だった。
「赤ちゃんは生まれたの?」母は新幹線から下りてきて真っ先にこう訊いた。
「まだ、今日は生まれないみたいだ」「それじゃあ、出産に立ち会える訳ね」私の答えに母は母らしい喜び方をしたが、父は緊張した顔をした。
翌日は、両親を官舎に残して早朝から産婦人科へ行った。
病室の廊下で会った看護婦さんは、「陣痛の間隔がだいぶ短くなっています。腰をさすってあげて下さい」と言った。病室に入ると聖美は目を覚ましている。
「寝られたかい?」「少し」私の問いに聖美は微笑んでうなづいた。すると同時に陣痛が始まった。
「スースーハーハー」生真面目な聖美は、教えられた通りの呼吸法を始める。私も腰をさすりながら一緒に声を出してリズムをとると聖美の額に汗がにじんでいた。
これを繰り返すうちに陣痛の間隔がさらに短くなり、やがて聖美は分娩室に連れて行かれた。「頑張れよ」と言う私の励ましに「大丈夫」とかすれた声で答えた。
「スースーハーハー、ウウン」まだ真面目に呼吸法をしながらも、聖美は呻き声を上げるようになった。分娩室では看護婦さんが腰をさすっていた。苦痛に耐えながら聖美は顔をゆがめ、汗と涙がにじんでいる。
「さすがは自衛隊さんですね。こんなに冷静な若いお父さんは初めてだ」付き添っている私の様子に先生が感心してくれた。
私は、日頃から学生との厳しい訓練にあり、苦痛に耐え、耐えさせることには慣れている。しかし、愛しい妻の苦痛にまで冷静でいられることには素直に喜べなかった。
「俺って意外に冷たい奴なのかなァ」と自問した。
「そろそろお父さんは廊下に出て下さい」と先生に言われ、私が聖美とお腹の子に「ガンバレ」と声をかけると、聖美はそっとうなづいた。
「よろしく、お願いします」先生や看護婦さんに頭を下げてから廊下に出て、分娩室の前に置いてある長椅子に座った。そして、私は持参した本を読みながらその時を待った。
北杜夫のどくとるマンボウシリーズと遠藤周作の狐狸庵シリーズを持ってきている。あの頃のドラマなどでは、夫はイライラしながら煙草を吸って待つのだが、私にとっては本が気を紛らすアイテムだった。
子供は中々生まれない。分娩室からは聖美の呻き声と看護婦さんの励ましの声が聞えてくる。私は1冊目の北杜夫を読み終えて遠藤周作を開いた。
本を読みながら分娩室に向って、「ガンバレ」と呟いた時、「生まれたよォ」と言う看護婦長さんの声と、すぐに赤ん坊の泣き声が響いた。秋の日差しが明るい時間だった。
「はい、手の指、1、2、3、4、5本」聖美に子供の無事を確かめさせている様子が伝わってくる。わたしもそれを聞きながら安心した。
「大きな赤ちゃんねェ、スゴイわ」看護婦さんの驚いたような声に、今度は「どんな子か?」と心配になってくる。何よりも聖美の身体が心配だった。
そのうち看護婦長さんが「大きな赤ちゃんですよ」と言って、我が子を見せに来てくれた。「4070グラムもあるんですよ」と看護婦長さんは感心していた。赤ん坊の髪は黒く、私に似ているようだった。
私としては少し残念だったが、聖美の願いはかなったことになる。
「メンソ―レ(ようこそ)、我が家へ」赤ん坊に声をかけると、看護婦長さんは「おめでとうございます」と言った後、「重い重い」と繰り返しながら分娩室に戻っていった。
しばらくして聖美がベッドで運ばれてきたが、さすがにグッタリした様子で、どこかツルリと水気が増したような感じだった。
「ありがとう、ご苦労さんでした」そう言って額にキスすると、聖美はうっすらと目を開けて、「4070グラムですって」と自分でも感心したように微笑んだ。
「その大きな子供を生んだのだから、2日はかかるよな」と私は変なことを納得していた。
「皆さん、手は握られますけど、キスされた方は初めてですよ」聖美のベッドを押しながら若い看護婦さんが羨ましそうに言ったので、私は「はい、すみません」と頭をかいた。
赤ん坊は、身長も大き過ぎて、新生児用の寝床で頭と足がつかえている。
「母子ともに健康です。4070グラムもありました」初めに沖縄の義母に連絡した。
私の報告に義母は、「それは大きいねェ」と呆れた後、「オメデトウ。聖美にもそう言ってね」と嬉しそうに言った。その向こうでテレビの音が聞えてくる。まだ会ったことがない義父は、このニュースをどう受け止めるのだろうか。
官舎で待つ両親、祖父にも同じ報告をし、同じ反応を受けた後、病室に戻ると聖美はまだ眠っていた。私は椅子に腰かけ、静かに聖美の寝顔を見ていた。
大好きな寝顔だが、今日は触れるのもためらわれるような神聖なものを感じる。
それと同時に、父親になったと言う感激が胸に迫り、聖美と生まれてきた我が子が愛おしくて涙が止まらなくなった。聖美の寝息の音が感動的な音楽のように聞こえ、カーテン越しの秋の日差しが天からの光に思えた。その時、私の頭に子供の名前が浮かんだ。
「モリオ周作」、遠藤周作を読んでいる時に生まれたから「周作」では少し安易かも知れないが、いい名前だと思った。病室の机で紙に「モリノ周作」と縦、横に書いてみると文字のバランスもいいようだ。
私が名前を書いた紙をながめていると聖美が目を覚まして声を掛けてきた。
「何を書いてるの?」「子供の名前さァ」聖美はパッと目を輝かせた。
「見せて」と言う聖美に紙を渡すと「モリオ周作かァ」と呟きながら由来を考え始めた。
「遠藤周作を読んでいる時に生まれたからね」それを聞いて聖美は可笑しそうに笑った。
「遠藤周作の周作なら大器晩成ね。私、あの人の小説は深くて好きよ」聖美も賛成のようだ。しかし、その頃の私には遠藤周作の小説は深すぎて、もう少し軽い狐狸庵シリーズのエッセイの方が好きだった。
「頭はお母さんに似ろよ」と別室にいる我が子に話しかけた。
「ところでほかに何を読んでたの?」「北杜夫さァ」「だったら生まれるタイミングが違ったら、モリオ杜夫になるところだったの」そう言うと聖美は笑おうとしたが、すぐに腹を押さえた。
「痛い・・・」私が手を伸ばすと「大丈夫」と顔を起こして微笑んだ。
「モリオ周作くん」聖美は何度も繰り返している。どうやら決まったようだ。
「もう少し寝ろよ。夕方に来るから」そう言って病室を出た。
「赤ちゃんも聖美さんも元気?」官舎に戻ると母が訊いてきた。両親にとっては妹の子供に続いて2人目の孫になる。
「4070グラムもあるからね。丈夫そうだって先生も感心していたよ」母は安心した顔でうなづき「本当に巨大児だ」と呆れたように言った。
「髪の毛の色はどうだ」父が一番気にしていることはこれだった。
「黒くてふさふさしていたね」「そうか」孫が将来、いじめられることにならないかと言う父なりの心配だったのかも知れないが、聖美の亜麻色の髪を美しいと思っている私にはゆるせない質問だった。どこまでも父は世間の目が気になるらしい。
「名前を考えなくちゃね」母が嬉しそうに言ったので「決めてる」と答えた。
「モリオ周作、周防の国で生まれたからね」、「遠藤周作を読んでいる時に生まれたから」などと安易なことを言えば、父が怒るのは目に見えている。
大体、ウチの親は本を読まない。かと言って、これも安易と言えば安易な由来だろう。
「ふーん、可愛い名前じゃない」母は感心してくれたが、父は「何事も慎重にな」とXXの一つ覚えの台詞を言った。
しかし、その数分後、父が突然、思いついたように珍しく奇抜なアイディアを出した。
「山口県で生まれたから高杉晋作の晋作はどうだ」中々のアイディアだと思ったが、後でそれが父の会社の社長の名前とバレて母とガッカリした。
後日、妹が「森田健作の健作がよかったな」とミーハーなことを言ったそうだ。
夕方、3人で産婦人科へ行くと聖美は周作に母乳をやっていた。私の愛した聖美の胸は、もう周作のモノになっている。遅れて部屋に入った父は、あわてて視線をそらし、目のやり所に困っていた。
「起きていた大丈夫か」「ゆっくり寝たから大丈夫だよ」確かにすっきりした顔をしている。「お乳は出るの?」「はい」これは女の会話だ。
「でもよく飲んで、足りないかも知れません」「それじゃあ、大きくなるな」父がようやく会話に入ってきて、母が「元々大きいからね」と補足した。
父はとても優しく嬉しそうな顔で赤ん坊の顔を見ている。母は私の隣りで、「いつも、あの顔をしていればいいのよ」と呟いた。
聖美には本土で迎える初めての正月だった。
大晦日は、周作に乳を飲ませて寝かせてから、聖美が杉浦さんや官舎のベテランの奥さんから習ってきたお節料理や雑煮にチャレンジすることになった。
聖美は牛蒡や人参、里芋の皮を剥き、コンニャクや水でもどした椎茸と一緒に大鍋で煮締めにしている。それが終わったら今度は人参と大根で酢の物にかかるらしい。
私は台所の床でふかした唐芋(カライモ・沖縄では薩摩芋をこう呼ぶ)をザルでこして、瓶詰めの栗の甘露煮と混ぜて栗キントンにするのが担当だ。
台所どころか家中にそんな料理の匂いが充満している。
「沖縄のお節料理はオードブルでしょ、こんな山海の珍味なんて初めてさァ」これは私の方が以前、アパートで聖美に出されて驚いた話だった。
「黒豆は黒くなるまでマメに働く、昆布はヨロコンブ、海老は腰が曲がるまで長生き、数の子は子沢山って色々なイワレがあるのさァ」「ふーん、詳しいねェ、私も勉強しないと」今回は数の子や海老、昆布巻き、伊達巻、金時豆、黒豆などはスーパーで買ってきたが、研究熱心な聖美のことだから、そのうち全部自分で作ると言いだすかも知れない。
そんなことを思いながら顔を見ると、聖美は煮締めの牛蒡を箸で味見させてくれた。
「雑煮は全国バラバラって言うけど愛知はどんな味なの?」「愛知は鶏肉を入れるけど、俺は別に好きじゃないから習ったのでいいよ」「沖縄のモノは何でも好きなのに・・・」私の返事に聖美は呆れた顔をした。
「山陰の奥さんは小豆を入れて甘くするんだって」「それじゃあ、ゼンザイみたいだなァ」私も防府の正月は初めてなので、中国地方の雑煮は食べたことがなかった。
「そう言えば熊谷から来た奥さんが、探しても四角い餅がないって言ってたさァ」「うん、東日本は切り餅、西日本は丸餅なんだよ」「へーッ、色々あるんだァ」沖縄には餅米がないので飯を手でこねて作る「ムーチ」が伝統行事での餅代わりだった。
「あッ、今日のお昼は餅でいい?」その時、聖美は時計を見て、杉浦さんから分けてもらった餅を取り出しながら訊いた。
「焼いて海苔を巻こうか?安倍川にしようか?」私の質問にも聖美は調理のイメージが出来ないようだった。
「やっぱり貴方の方が詳しいさァ」「よし任せておけェ」聖美の尊敬のまなざしに私もその気になる。
結局、餅を水煮にして黄な粉をまぶした安倍川餅になった。
「すごーい、よくのびるねェ」聖美は安倍川餅を食べながらそれをのばして楽しみだした。
「こっちの方がのびたよ」私ものばして見せると目を丸くして喜んだが、子供の前ではこんな行儀の悪いことは出来ない。つまり今年限りの遊びだろう。
これが聖美の餅料理の初体験になった。安倍川を料理と言っていいのかは別としてだが。
「今年は来るものが来る。それでも赤ちゃんは元気」祖父の年賀状にこう書いてあった。
「周作が生まれた」と言う電話の時も、祖父の向こうで祖母が「身体の調子が悪いことを言いなよ」と言っているのが聞こえ、体調が悪いことは察していた。
「お祖父ちゃんが・・・」聖美は言葉を失い、年賀状を持つ手は震えていた。
「貴方だけでも愛知へ帰ったら、私は大丈夫だよ」聖美はそう言ったが、しかし、難産だったこともあり、聖美は産後の肥立ちが思わしくない。それに聖美にとって初めての本土の冬であり、ストーブも炬燵も初めての経験だ。霜の朝も息が白くなる寒さも、指がかじかむことさえ驚きの連続だった。冬のボーナスは、冬服と毛布、暖房器具に消えた。
「3月に周作を連れて一緒に帰ろう」そう言うと聖美は不安そうな顔でうなづいた。
「冷えるなァ、明日は雪かな?」遅い風呂に入り、本当は私たちのものだったダブルの布団の隣りに敷いた布団にもぐり込みながら呟くと、ダブルの方で周作に添い寝をしていた聖美は閉じかけていた目をパッと開いて輝かせた。
「雪?初めてェ、楽しみィ」聖美は子供のように嬉しそうだった。2月に入り、ようやく聖美の体調も快復してきている。
「今夜は冷えるから周作の布団を気をつけないと」「はい」聖美はうなづきながら周作の掛け布団を手で確かめた。それを見て私は電気を消した。
「雪かァ・・・、ウフフフ」それでも聖美は隣で1人呟いていた。
翌朝の土曜日はやはり雪だった。先ず私がカーテン越しの雪明りで目を覚まし、布団を出ると綿入れを着て窓際に行き、カーテンの隙間から外を確かめた。
「雪は?」後ろから聖美が訊いてきた。
「うん、積もってるさァ」そう答えて振り返ると、聖美も布団を抜け出て何時になく慌ただしく綿入れを羽織りながら窓際に来た。私はこんな元気になった姿が嬉しかった。
「わ―ッ、本当だ。真っ白ォ」官舎の2階から見える山と家々の屋根の雪景色に歓声をあげたその顔は、今まで見たことがない無邪気なものだった。
朝食を終えて私は洗い上げ、聖美が周作にミルクをやっていると、外から子供たちのはしゃぎ回る声が聞えてきた。
「ヨイショ、ヨイショ」と言う掛け声からして雪ダルマを作っているらしい。
「雪ダルマを作ってるな」「えッ、雪ダルマ?」聖美は興味津々と言う顔で立ち上がり周作を抱いたまま窓際へ行って外を見下ろした。
ミルクを飲み終えて周作が眠ったところで私は提案してみた。
「君もやってくれば?周作は俺が見てるから」「エーッ、恥ずかしいさァ」そう言いながら本当はやりたくて仕方なさそうである。
「来年、周作に教えるための練習だよ」「うん」私の助け船に聖美は、子供のように笑いながらうなづき、ウキウキして隣りの部屋へ着替えに行った。
「寒くないように厚着しろよ」「うん」その言葉通り、雪ダルマの前に聖美が着ダルマになっていた(ボーナスで買った冬物で)。そう言えば聖美が素顔で出かけるのも珍しい。
「あーッ、面白かったァ」小一時間もした頃、聖美は満足そうな顔で帰ってきた。
頬も鼻も寒さで真っ赤になって、額には汗もかいている。
聖美はそのまま雪と汗で濡れた服を着替えに隣りの部屋へ引っ込んだ。
さっきから「あーッ、モリオさんのおばちゃんだァ」「私もやらせてね」「赤ちゃんは?」「寝てるよ」などと言う子供たちとの楽しげな会話が聞えていた。
「上手く出来たかい?」「うん、大きなのが出来たさァ」襖越しの会話の後、聖美が元の服装に戻って出てきたが、顔ははしゃいだままだった。
その時、私たちの足元の布団で周作が母親同様に機嫌よく目を覚ました。
「周ちゃん、来年はお母さんと一緒に作ろうね」聖美は枕元に座って話かけた。
「大きくなったらスキーもやらせないとな」「えッ、スキー?」聖美はさらに興味津々、気分ワクワクな顔をした。
私は周作を聖美にまかせて外へ力作を見に行ったが、初めてにしては中々のものだった。

冷たい雨の中、屋外で行われた学生の銃剣道大会以来、私は風邪気味だった。と言っても班長が訓練や体育を見学することは出来ず、それで治り切らずにいるのだ。
その日も聖美や周作にうつさぬように、私は1人別の部屋に布団を敷いた。
熱い風呂で温まって寝ようとすると台所から聖美が熱いマグカップを手渡した。
「卵酒を作ったさァ」カップの中にはミルクセーキのような液体が湯気を立てている。
「お隣の奥さんが貴方は階段で咳をしているけど風邪かって?」私は朝夕の咳がお隣に聞えるほどの大音声とは思わなかった。
「そうしてら風邪気味の時には卵酒が一番だって教えてくれたのさァ」「へーッ、卵酒かァ、ありがとう」そう言う私は沖縄でアルコールを覚えたため卵酒を飲むのは初めてだった。
「これを飲むと身体が中から温まって、グッスリ眠れて風邪もスッキリするってさ」「ふーん、確かに温かいな」マグカップは素手で持つには熱過ぎるくらいだった。
私は冷める前に飲もうとマグカップに口をつけて一口飲んだ。すると鼻が詰まっているので強烈なアルコールは感じなかったが、酒が喉を通る時、むせて咳き込んでしまった。
「ゴホッ、ゴホッ」「どうしたの?」ゴホッ、ゴホッ」「大丈夫?」聖美はあわてて背中をさすってくれたが、私は呼吸が落ち着いたところで説明した。
「これ、シマザケ(泡盛)で作ったろう」「うん、ウチにはそれしかないさァ」私の質問に聖美は戸惑った顔をしてマグカップの中を覗き込んだ。私がシマザケしか飲まないので我が家で「酒」と言えば泡盛になるのだ。日本酒と泡盛ではアルコール度数は3倍以上の違いがあり、それに燗がつけば日頃、ストレートで飲んでいる私も流石にかなわない。
「そうなんだァ、私、日本酒は知らないさァ」とオチがついたところで顔を見合わせ、何よりも聖美のドジが可笑しくて笑った。
「これどうしよう・・・」「チビチビ飲むさ、折角作ってくれたんだから」そう言ってチビチビ飲み終えると、お隣りの奥さんが言っていた通り体が温まってよく眠れ、風邪はすっきりした。
3月、私たちは祖父の死にも、葬儀にも間に合わなかった。
「自衛隊の仕事を修行と思い精進せよ」私は師である祖父の教えを守り、担当していた学生の教育が終わるまで帰省しなかったのだ。
「それでいいんだ」母から私の決意を聞いた祖父は、うなづきながらも「あと一週間かァ」と自分の命が、私が帰るまでもたないことを実感していたと言う。
祖父の死の連絡を聞いて聖美は号泣した。こんな泣き方を見たのは始めてだった。
4カ月になった周作は寝床で、母の姿を無心に見ている。抱き寄せると聖美は私の胸でも泣き続けた。
「かけがえのない方を亡くされましたね」祖父の死の翌日の夕方、仕事を終えた後、3人で祖父のため杉原さんお寺へ参った時、奥さんがかけてくれた言葉に今度は私が号泣した。
今度は周作ももらい泣きして、聖美は周作をあやしながら、ただ優しい目で私を包み込んでくれていた。
課程教育が終了して次の課程が開始するまでの三日間、私は聖美と周作を連れて小郡から新幹線で愛知へ帰省した。
葬儀、法要は既に終わり、私は本堂に設けられている祭壇の前で、少林寺拳法の形を奉納することにした。中央の遺影の前で合掌して、気合と共に形は始まる。
僧侶の法衣と同じ少林寺拳法の道衣姿で演武する私を、居並ぶ親戚の中で周作を抱いた聖美は黙って見ていた。
「エイ」「ヤ―ッ」突き蹴りに合わせて叫ぶその気合に私は、「武の道を修行とせよ」と教示した師への供養を込めたつもりだった。
それを感じ取ったのか聖美は、周作に頬をすりよせながら目を潤ませ涙をこぼしていた。

梅雨の合間に家族で買い物に出て、アーケード街の呉服店の前で私は立ち止まった。
「浴衣を買おう」「えッ、どうして?」聖美は戸惑った顔で私を見返した。
「もうすぐ基地の盆踊り大会があるだろう。去年は結構、浴衣を着た奥さんがいたじゃないか」「でも・・・」私の理由説明にも聖美はまだ迷った顔をしている。
聖美は黙って店のショウウィンドウに飾ってある浴衣を覗きながら、ガラスに映っている自分の顔とも見比べているようだった。
私は「お母さん、似合うよなァ。どれがいいかなァ」と抱いている周作に話しかけながら、聖美の横顔を見ていたが、その顔が次第に「決めた」になってきたように感じた。
「よし、買うぞ」そう声をかけて先に店に入ると、「待って」と言いながら聖美もついてくる。エアコンが効いた店内で品のいい浴衣を着た年輩の女の店員さんが近づいてきた。
「いらっしませ。浴衣ですか?」「でも、着方がわかないんです」「大丈夫ですよ。お教えしますから」聖美の心配に店員さんは微笑んで答えた。
私が周作を抱いて店内の浴衣を見ている横で、聖美も店員さんと相談しながら選んでいる。「これはどう?」「派手だよ」私が若向きの華やかな柄の浴衣を選んでも聖美は首を振る。
「これは?」「派手です」そんな会話が何度か繰り返された後、聖美は「長く着られる」と言う店員さんの薦めをきいて、落ち着いたつゆ草の柄の藍染の浴衣を選んだ。
「どう?」袖に手を通させてもらいながら、聖美は照れたように訊いてきたが、私の答えは決まっている。
「似合うさァ、綺麗さァ、素敵さァ、美しいさァ、可愛いさァ、チュラカ―ギ(美人)さァ・・・」私は思いつく誉め言葉を全て並べたが、それでも感激は表現し切れない。
その横で店員さんは「寸法も丁度いいようですね。帯はこれでどうでしょう」と浴衣に合うベージュ系の帯を選んで見せ、業務を進めていた。
「それじゃあ、着方をお願いします」そのまま聖美が頼むと、持ち前の一生懸命さを感じたのか店員さんは感心したようにうなづいた。
それから数回、特に帯の締め方を練習して聖美はマスターした。
「どう、似合う?」最後の練習で着たままクルリと回って見せた聖美の浴衣姿に私は大感激、周作もいつもと違う母の姿に見とれていた(生後半年だが?)。
「綺麗さァ、素敵さァ・・・」「ハイハイ、わかりました。ありがとう」私が、また誉め言葉を並べ始めるとそれを中断させて微笑んだ。
「お母さん、綺麗だよなァ」「ブーッ」仕方ないので周作に話しかけると周作も嬉しそうに笑って答えた。
「ボーナス払いでいいですか?」現実的な話の後、浴衣と帯の包みを受け取って店を出た。
「誕生日おめでとう」「そうだったのかァ、だったら貴方の誕生日は?」「君の浴衣姿をお願いします」「はい、そんなことでよかったら、何時でもどうぞ」私のこの願いは誕生日の夜、実現した。勿論、その続きも・・・。
「モリオ3曹、体育学校の格闘課程に入校しないか?」中隊長の小野沢1尉に訊かれた。
「君は航空機整備からの職種転換だから教育職としての実績がない。いい経験になると思うんだがどうだ」教育隊の班長要員は長距離走、武道、球技などの選手として華々しい成績を収めてきた人が多く、それが一種のハッタリとして学生教育での権威づけに使われている。それが私の班長としての弱点ではあった。
「でも、私は運動神経が悪いし、経験がありませんから・・・」「それでも少林寺拳法では、結構活躍していたみたいじゃないか」「はァ」確かに少林寺拳法では全自衛隊大会での優勝、沖縄県大会で準優勝(優勝は名城君)など頑張ってきた。しかし、それはあくまでも部活動だった。
「まァ、子供さんが生まれたばかりだから、奥さんにも相談してみろ」小野沢1尉は、いつもの温和な笑顔を見せてくれたが、私はまだ迷っていた。
「それは行くべきよ」夕食後に相談すると聖美は即答した。
その珍しく気合が入った強い口調に、隣りの布団に寝ていた周作がビクッと驚いた。
「でも、周作もまだ小さいしなァ・・・」私は周作の寝顔を見ながら呟いた。
「何言ってるのさァ、母はずっと一人っきりで私を育てていたんだよ。3カ月くらいなんくるないさァ」そう言うと聖美は目で私の決意を促した。
私はその秋、曹候学生基礎課程が終わったところで朝霞の自衛隊体育学校へ入校した。その年はソウルオリンピックがあり、体育学校はいつも以上に気合が入っていて、教育職としての経験と言う以上に、人生観そのものを変えるほどの経験が出来た。
昭和最後の年は体育学校を終えると幹部候補生の2次試験、合格と慌ただしく過ぎていき、そして平成元年の3月、私は奈良の幹部候補生学校に入校することになった。
「俺なんかに幹部が務まるのかなァ」合格通知をもらった夜、私は布団の中で明りを消した天井を見上げながら、独り言のように呟いた。
「大丈夫さァ」隣りの布団で寝返りを打つ音がして、聖美が声をかけてきた。
「俺、空曹もまともに務まっていないさァ、そんなんで幹部に何てなれるのかなァ」「自衛隊が幹部になれって決めたのさァ、自信を持って」暗い部屋に目が慣れてきて聖美がこちらを見ているのがわかった。
「でも、学科はともかく、人間性は面接試験だけじゃあな・・・」「人には向き不向きがあるのさァ、貴方は幹部向きなのよ」「そうかなァ?」「貴方の底抜けの優しさは幹部になった方が発揮出来るのよ」聖美の口調は何故か自信ありげだった。幹部になることを「偉くなる」と言う人も多いが、私は今回の幹部への昇任を、聖美が言う「向き不向き」で理解することにした。
「俺は空曹が務まらなかったから幹部になった」と言うのがその後の私の口癖になった。
「ありがとう、お祝いに聖美が欲しいな」「変なの・・・」そう言いながらも私が手を伸ばすと、聖美は素直に腕に入ってきた。
「また、君に苦労をかけるね」「何を言ってるのさァ、一緒に頑張るのよ」そう言うと聖美は首すじに手を回してくる。いつもはこの気配に目を覚ます周作が、その夜は眠ったままでいてくれた。本当によく出来た息子だ。
私は、今回の入校には家族を連れていくことにした。
奈良では、近鉄の大和西大寺駅のそばのワンルームマンション(アパート?)を借りた。狭いアパートには慣れているはずの私たちだったが、今度は周作がいる。
聖美は沖縄では写真でしか見られなかった歴史的な宝物を実際に見られることが大変な感激のようで、私たちは桜の季節から毎週のように奈良、京都の神社佛閣巡りを始めた。
「京都よりも奈良のお寺の方が元気ね」、聖美の意見に私も賛成だった。奈良の寺には日本が国家を建設している時代の力強さがある。また、奈良の佛さんたちは、シルクロードを通り、中国を経て日本に来た言わば元祖ハーフなのだ。奈良にはそんなインターナショナルな匂いもして妙に聖美に似合っている。
薬師寺の薬師瑠璃光如来、日光、月光菩薩の前に立つ聖美は1枚の絵のようだった。
基地から自転車で十分、土曜日の朝8時に学生の外出が許可されると同時に出発して、アパートにつくと八時半だ。これから日曜日の夜八時までが家族で過ごせる時間だった。
でもこんな生活にも、「何だか沖縄の頃みたい」と聖美は笑っている。確かに、あの頃のように一緒に過ごせる時間を切実に感じていた。
「ただいまァ」「おかえりなさい」アパートの着くと、大概、聖美と周作は朝ごはんを食べている。
「お父さん、ごはん、自衛隊」「そうだよ」私は食費の節約と聖美の負担軽減のため。朝食は基地ですませ、洗濯は金曜日の夜に洗って、乾燥室に干してくる。入校中も防府の官舎の家賃は継続して取られ、マンション代は完全に自腹なのだ。
朝食後は聖美を休ませるため、私が周作を連れて散歩に出た。
アパートからすぐの西大寺の広い境内で、周作は池の鯉を見たり、鳩を追い掛けたりして自由に遊んでいる。西大寺の本尊様は大きな立ち姿の観音様だ。私は周作の手を引いてお参りに入っていった。
周作は無心に観音様を見上げていたが、突然指さして言った。
「お父さん、あれ怪獣?」周作の罰当りな、しかし、無邪気な質問に私は苦笑し、今日の昼から行く予定の東大寺の大佛様を見たら何と言うかと考えた(大きい怪獣と呼んだ)。
午後は東大寺、興福寺を回った後、近鉄奈良駅に向いながら奈良公園を通った。すると周作は、観光客が鹿煎餅をやっているのに興味を示した。
「あれ、お菓子?」「鹿さんのご飯だよ」私の説明に周作は目を輝かせた。周作はすぐに小母さんが、台を置いて鹿煎餅を売っているのを見つけた。
「鹿さんのご飯あげたい」そう言うのが早いか、周作はもう小母さんのところへ向って駆け出した。
聖美が鹿煎餅を買って周作に渡すと、それに気がついた鹿が何頭も集まってきた。それはほかの観光客がいなくなった分、大群だった。周作は慌てて逃げようとしたが、もう鹿に取り囲まれて逃げ場がない。
「周ちゃん、(餌を)ポイしなさい」聖美は叫んだが周作は怯えて聞えないようだ。私が追い払おうとすると、その前に聖美が鹿に立ち向かって周作を抱き抱えた。
「周ちゃん、怖かったね」「鹿ごときに負けるな」聖美の胸で泣く周作に、母と父は全く逆の言葉をかけた。
「このタコ焼き、美味しい」意外にも聖美が大阪のタコ焼きにはまった。そうなると店先で店長さんの手元を覗き込んで研究を始めるのは毎度のパターンだ。
「小麦粉は何で溶くんですか?」「ひっくり返すタイミングは?」数軒食べ比べて気に入ったところでは、店長さんがタコ焼きを作る様子をジッと観察しながら、材料やコツを質問してはメモに書き込んでいた。
「おもろい外人さんやなァ、日本語うまいわ」と言って店長さんは素直に教えてくれた。
帰りには商店街で家庭用タコ焼き機を買い、次の外出の時には家でも作っていた。
「お父さん、僕ねェ、タコさん一杯食べたよ」周作の報告に聖美は「エヘッ」と笑った。道理で美味しかったはずだ。1週間毎日タコ焼きだったらしい。
「お父さん、お勉強?」「うん、頑張るよ」学生である私は、毎月のように出される課題論文や時々あるテストを抱え、食事の時以外、茶の間のコタツは私の勉強机になっていた。
そんな時、聖美は周作を連れて秋篠寺まで遠出の散歩に出てくれる。
「完成!」土曜日の夜に課題論文が完成した。聖美は部屋の隅に敷いた布団で狭そうに周作を寝かせつけていた。
「やっぱり課題がある時は基地でやって来るワ」私の言葉に、布団に起き上がった聖美は、「周ちゃんが寂しがるよ」と優しく微笑んで首を振った。
紅葉の季節、聖美の母が観光がてら沖縄から奈良まで遊びにきた。沖縄には帰省していないので、2年半ぶりの母娘の対面、周作とは初対面だった。
アパートが狭いため私と重ならないように月曜日から金曜日にかけての訪問だったが、その間、母娘孫の3人で奈良、京都、大阪を遊び歩いていた。
したがって、その土曜日の朝に帰ると、母と子はさすがに疲れて寝過ごしていた。
「ごめんなさい」珍しく聖美は起き抜けの顔で玄関に私を迎えた。そして、また母子で寝てしまった。
正月も親子3人、奈良で過ごした。愛知からは「近いのだから帰省しろ」と言ってきたが、卒業間近で課題が多く、年明けには試験もあり、それどころではない。第一、祖父のいない地元には何の魅力もなかった。
課題論文が片づいた夜、私が布団にもぐり込んで抱き寄せると聖美が訊いてきた。
「ねェ、貴方っていつも優しく抱いてくれるけど、男としてそれで満足なの?」「何で?」「ここの奥さんたちって結構、エッチな話をするんだ。それを聞いていたら少し心配になって来たのさァ」聖美は本当に心配そうな目で私を見ている。
「この間なんてハーフの身体は、日本人なのか外人なのかってストレートに訊かれちゃったさァ」そう言いながら聖美は可笑しそうに思い出し笑いをした。
今夜の前戯はワイ談のようだ。聖美は聞きかじりのエッチな話を自慢そうに披露し始めた。
「私、もう大丈夫だよ。貴方に思いっ切り愛されたい」一通り話し終えると聖美は首筋に腕を回し、自分から口づけしてきた。
こんなことは初めてだ。私は喜びを感じながらも、まだ少し心配だった。聖美は中学生の時に義父に傷つけられた。その記憶を思い出さないように私は結婚してからも夫婦の絆を確かめる手段としてのみ聖美を抱いてきたのだ。
「ウフフフ・・・」私が上になって見下ろすと、聖美は幸せそうに期待にワクワクしたような顔で見上げている。目と目が合った瞬間、私の頭の中でゴングが鳴った。
その夜、私は今までしてこなかった色々な愛憮、前戯、体位を試し、力尽きるまで愛し抜き、聖美もそれに幸せそうな顔で反応してくれた。
「私・・・気持ちいいよ」薄目で口を開いた聖美の「女の歓び」の表情は今まで見たことがない。私はつき合い始めて7年、初めて聖美を抱いて5年、結婚して3年にして、ようやく聖美の体を堪能できる感激でひたすら突き進んだ。
やがて聖美は「あッ・・・・」と切なげな声を漏らすと、そのまま私の下でグッタリと脱力して動かなくなった。
「毎回これじゃあ、身体はもたないわ、さっきの取り消し」深夜にまで及んだ夫婦の営みの後、布団にうつ伏した聖美は溜め息交じりに呟いた。
ところが、その裸のまま背中が色っぽく、私はまた欲情を覚えて挑みかかった。
「えーッ、まだ体力があるのォ」流石に聖美は逃れようとする。しかし、私は柔道の技で捕まえて離さない。聖美は腕の中で諦めたように呟いた。
「よく今まで我慢できたね」「うん」「よそで発散していたでしょう」「ううん」これは言葉でのささやかな抵抗なのかも知れない。
「ところでこんなテクニック、誰に習ったの?」「ゲッ」結局、聖美のこの一言が終了のゴングになった。
この間、全く目を覚ませなかった周作は、本当に孝行息子である。
寒さが厳しい中、若草山の山焼きが行われた。私たちはマンションから近い平城宮跡の人ごみの中からそれを見た。山焼きを我々は「幹部候補生学校の卒業イベント」とも呼んでいる。
「お父さん、お山が火事だよ」「ダイブッシャン(大佛さん)のおうち火事にならない?」周作は壮大な炎のページェントに驚きと興奮気味だった。
「綺麗、すごーい。でも、本当に楽しい入校だったわ。貴方は大変だったけど・・・」そう言って聖美は周作を肩車している私の顔をみた。言葉と一緒に白い吐息がわかった。
「うん、君も大変だったね・・・寒いだろう」私は辺りが暗いのをいいことに聖美の腰に手を回して引き寄せ、聖美も頭を肩にもたげ掛けてきた。その時、後ろから声がした。
「モリオ候補生、熱いぞ」見物の人ごみの中、すぐ後ろに同期がいた。
こんな調子で厳しく苦しいはずの奈良・幹部候補生学校は「こんなんで幹部になっていいのかなァ」と心配になるほど楽しい思い出だけが残った。その分、成績も今一つだったが。
私は特防秘の再認定を受け、3月24日、3等空尉に任官すると兵器管制幹部として西部航空警戒管制団防空管制隊に配置され、春日基地に赴任した。
聖美は2人目の子供を妊娠して、今度は春日で出産する予定だった。
西警団当直幹部についた夜、同じく基地当直幹部だった管理隊長の松浦3佐に訊かれた。
「お前の嫁さん、元スチュワーデスだそうだな」「はァ、グランドサービスですが」私は何事かと思いながら答えた。
「英語は得意か?」「私よりは」「お前よりはぐらいじゃあ、大したことはないな」どうも九州人によくいる失礼なこともズケズケ言うタイプのようだ。
隊長は足を投げ出してゆったり座っていたソファーから身を起こすと本題を切り出した。
「奥さん、今度、ウチの輸送の連中に空港の接客業務について教育してもらえんか?」「はァ?」確かに西警団管理隊は板付空港の空輸業務を担当しているが、隊員の九州気質丸出しの武骨な受け答えが問題だと度々指摘されていた。
「まァ、正式に命令を出してもいいが、隊員の家族なんだからもっと気楽にさ」「はァ」隊長が本気とも冗談ともわからない口調で話すのを私は曖昧にうなづいていた。
翌週、幹部候補生学校から顔なじみの輸送小隊長がDC地区の分衛所にやってきた。
「モリオ3尉、奥さんを貸して下さるそうですね」「恋女房を貸しませんよォ」取りあえず笑ってはぐらかしたが、実はこの件はまだ聖美に話してはいなかった。
「まァ、正式に命令を切って講師として依頼してもいいんですが、そうすると審査とかヤヤコシイ仕事も増えるでしょうから、隊長教育の一環として・・・」輸送小隊長は本題よりも私の恋女房に興味津々と言う顔でプランを説明した。
さて「驚くか、怒るか、それとも喜ぶか」頭の中では聖美の色々な顔が浮かんできた。
「えーッ、そんなの出来ないよ」結局、聖美の反応は全部だった。
「新入社員の教育でやったようなことを話せばいいのさァ」「もう辞めて5年も経つんだよ」「でも仕事ぶりは格好よかったさァ」「もう、見たこともない癖に」質疑応答、押し問答の途中で聖美は唇を尖らせた。
「本当はこっそりのぞきに行ってたのさァ」「嘘―ッ?」これは本当だった。結婚前、聖美の仕事が忙しくて会えない時には、シフトの午前中に南陽航空のロビーまで行って、遠くから仕事ぶりを見ていたことがある。
聖美は目を丸くした後、諦めたように溜め息をついた。
「もう、この子まで驚いてるよ」そう言うと聖美は安定期に入ったばかりの腹を優しくさすり、私はそれを見ながら話を続けた。
「勉強すれば胎教にもいいさァ」聖美は周作がお腹にいた頃、防府の自動車学校で免許を取った。そのおかげか周作は両親プラスアルファで本が好きだ。
「上手いなァ。ウフフフ・・・」ようやく聖美も笑ってくれた。
「それでいつ?」「2週間後だよ」「準備しないとね、なんくるあるさ(大変だ)」聖美は私が言おうとした台詞を逆手にとって、「シテヤッタリ」と言う顔をした。
その時、脇に敷いてある子供布団で周作が、万歳のようにのびをした。
それから聖美は昔の資料を引っ張り出して、熱心に内容を整理していた。
「最近、頭を使っていないから駄目だァ」聖美は肩がこったのか、座卓の前で首を回し、肩を上下させながら溜め息をついた。
「元々がいいから大丈夫さァ」私はそう言って後ろから肩を揉み始めると、「気持ちいい・・・」聖美はそう言ってウットリした顔で目を閉じた。私にはこの表情は「イケナイ」ことへのGOサインなのだ。
肩を揉みながら手を胸へとずらしていく、このまま後ろから抱き締めれば子作りのパターンだ。幸い周作はもう寝ている。
「駄―目ッ。勉強中!」しかし、聖美は笑いながら手を振りほどいて勉強を再開した。
「さすがは元優等生」私はその見事な切り替えと集中力に感心しながら諦めた。
聖美の教育は大盛況、大成功だった。
「空輸接客業務の参考」と言うテーマのはずが、空輸要員だけでなく、なぜかドライバーから警備小隊員まで業務がない管理隊員が全員参加して教場は満員だった(そうだ)。
「絶対に来ちゃあ駄目」と言う聖美の厳命を受けて、私は訓練班で周作の子守をしていたが、女性自衛官(WAF)たちが面白がって入れ替わり立ち替わりやって来て、周作をあやしてくれた。こちらはWAFへの育児教育になったのかも知れない。
聖美の教育は服装、態度から業務の進め方、確認、言葉づかい、表情まで具体的な注意点を述べ、模範演技もあって大好評だった。おまけに予定になかった英語での受け答えの質問にも適切に答えた聖美に、管理隊長以下の隊員たちは感心しきりだった。
「講師としてでなく職員で是非欲しいですな」管理隊長は基地業務群司令や人事部長にそう報告したそうだ。
これ以降、聖美は基地ゲートの前を通ると管理隊の隊員から、「教官!」と敬礼されるようになってしまった。
夏季休暇には家族で長崎へ行った。
大浦天主堂からグラバー園、オランダ坂を回ったが、天主堂の左脇に立っているマリア像の慈愛に満ちた顔は、聖美そのものだった。
私は初めて聖美の寝顔を見た時、「ピエタ像の聖母のようだ」と感激したことを思い出していたが、周作も「あッ、お母さん」とマリア像を見上げてしばらく動かなかった。
それから中華街では周作は立ち並ぶ雑貨屋の玩具に大喜び、親は中華料理に長崎チャンポンに大喜びだった(その頃は、まだハウステンボスはなかった)。
夜は嬉野温泉に泊まり、そこには家族風呂があった。
「君はいつまでも綺麗だな」一緒に裸になることを恥じらって後から入ってきた聖美に、周作を座らせて洗いながら私は言った。それはシミジミとした本心、感激だった。
「ありがとう」隣りで体を洗いながら聖美は静かに微笑んだ。湯を浴びる聖美の肌は赤みを帯びて桜色に輝いているようだ。お腹は少し目立つようになってきた。
やがて洗い終わった聖美も湯船に入り周作を抱いた。
「お母さんのおっぱい、僕の」周作が膝の上で胸に触り始めたので、「違うよ、お父さんのだよォ」と私がからかうと周作は聖美にすがりついた。最近、周作を風呂に入れるのは私の担当になっていて、聖美と入るのは久しぶりなのだ。
「周作、お父さんにおいで」「いやだ、お母さんがいい」私はお腹の子供を心配して離そうとしたが、周作は手を振り払う。私と聖美は顔を見合わせて困ってしまった。
「周ちゃん、お母さんのおっぱいは、もう生まれてくる赤ちゃんのだよ」聖美は優しく微笑みながら周作に言って聞かせた。
「赤ちゃんの?」「そうだよ、お兄ちゃん」周作はうなづいて私の腕にきた。
「お父さん、赤ちゃんのだって」「うん、残念だね。お兄ちゃん」周作の台詞に男同士で顔を見合って慰め合ったが、周作は「お兄ちゃん」と呼ばれるのが満更でもなさそうだった。
「ウフフフ・・・」聖美はそんな2人で納得し合う姿を笑いなが見ていた。
「お母さんのおっぱい、僕の」周作が眠ったところで、周作の向こうの聖美の布団にもぐり込んだ。今夜は温泉旅館の広い部屋に親子「川の字」で寝ていた。
「もう、周ちゃんよりも悪い子なんだから」聖美はゆっくりと仰向けになると、呆れたように唇を尖らせた。
「すみませんねェ」と言いながら首に腕を回して抱き寄せると、聖美は「お腹、気をつけてね」とささやいて目を閉じた。
口づけをしながら手を浴衣の襟から胸元に滑り込ませだが、その前に聖美は目を開けた。
「ねェ、私のどこが好きなの?」「えッ」突然の質問に私は黙ってしまった。出会って以来、そんなことは考えたこともない。理由など必要なかったと思う。答えがない質問には答えようがない。しかし、聖美は私の目をジッと見つめていた。
「君が、聖美さんだからだよ」「何?それ」私の答えに聖美は呆気にとられた顔をして、しばらく睨めっこのように微笑みながら見つめ合っていた。
暗い部屋の中で私の心が聖美の優しい目に吸い込まれていく。胸がときめいてきた。
「好きだよ、聖美さん」「ウフフフ・・・」大げさに言ってもう一度口づけると、聖美は口の中で笑った。浴衣を広げると先ほど周作と奪い合った愛しい胸が現れる。
「赤ちゃん、お父さんに返してね」そう断ってから愛し始めると、聖美はうなづいて肩に両手を掛けた。
その夜は、ゆっくり、浅く、さりげなく結ばれた。
「素肌に片袖 通しただけで 色とりどりに 脱ぎ散らかして・・・」帰りの車の中で後席の聖美は、南こうせつのテープに合わせて小声で口ずさんでいた。周作はハシャギ疲れたのか助手席のチャイルド・シートで眠っている。
「着ていく服がまだきまらない 苛立たしさに唇かんで 私ほんのり涙ぐむ・・・」「これって、貴方に会う時の私みたい」ここまで歌って聖美は独り言のように呟いた。
「そうなの?」私は沖縄でデートをしていた頃の聖美の素敵な姿を思い出していた。
「あの頃は、貴方に早く会いたくてさ」私は嬉しくなってルームミラーで聖美の顔を見ると聖美もルームミラーを見返している。危なく運転がおろそかになりそうだ。
「今度、大分の南こうせつの実家の寺へ行ってみようか?」南こうせつ実家の寺は曹洞宗なので寺院名鑑で調べれば住所はわかるはずだ。
「そうかァ、近いんだもんね」ルームミラーの中で聖美が目を輝かせたのが見えた。
私は運転しながら「日帰りかな、それとも別府温泉に泊まろうかな」と次のプランにワクワクしていた。
突然、聖美との訣れがやってきた。
その日も、「秋の長雨」と言われるとおりの天気だった。
私が勤務しているDC地区は司令部、官舎がある春日基地とは別の場所にある。
素人の私は、ナイト(夜勤)要員への引き継ぎのためベテラン空曹に訊きながら説明の練習をしていたが、自転車通勤の私はレーダーに映っている大きな雨雲に少し憂鬱だった。
「I should you, Kiss me」突然、耳元で聖美の声がした。これはファーストキスの時の台詞だ。「OK」私は独り言を呟いた。
「カミさんが恋しくて空耳かァ、よしッ、帰ったら玄関で抱き締めてキスしてやろう」私は一人でニヤついて、雨もあまり気にならなくなった。
しばらくして同じ小隊の若い隊員が私を呼びにきた。
「モリオ3尉、警察から電話です」周囲にいた隊員たちが驚いて私と彼を見た。私は何事かと色々な可能性を考えながら、半信半疑のまま総括班へ行き電話を取った。
「警察からの電話」と聞いている総括班の隊員たちがみな聞き耳を立てている。小隊長の吉野1尉がついて来て心配そうに机の向こうからこちらを見ていた。
「はい、モリオです」「福岡南署の交通課の者ですが、奥さんが交通事故を起こされ南病院に収容されました」「はい、南病院ですね。それで怪我の具合は」「重体です」私は意外なほど冷静だった。それが現実としての実感がわかなかったのだ。
「奥さんが事故か?」「はい」「軽いんだろう?」「重体だそうです」「病院は?」「南病院だそうです」電話を終えて吉野1尉と話しているうちに、私はそれが現実であることを実感して、受話器を握ったまま凍りついたように動けなくなった。
自衛隊では、すでに死亡しているパイロットの家族にも、パニックを起こさせないために「重体です」と伝える。私は不吉なことを思い出していた。
「お父さん、お口痛いよォ」周作は病室のベッドで私の顔を見ると片言で訴えた。横転した車の中で顔面を打った周作は、唇に裂傷を負っている。
「周ちゃんは今まで泣き声1つ上げませんでしたよ」私の横でベテランの看護婦さんが、無理に微笑みを作りながら説明した。周作に付き添ってくれている若い看護婦さんは涙目をしている。
「お母さんがとっさに腕で支えていたからこれだけですんだんです」看護婦さんはそうつけ加えた後、「周ちゃん、お父さんは御用だから待っててね」と周作の頭を撫でながら優しく言って聞かせ、私を廊下に連れ出した。
「お父さん、バイバイね」後ろから周作の声が聞えたので私は振り返って手を振った。
「ご案内します」廊下に出ると看護婦は急に表情を固くして、私をエレベ―タへと案内した。そして、エレベータに乗り込むと地下2階のボタンを押した。
「霊安室」エレベータの扉の上のプレートの地下2階の欄にはその名前がある。私は背中に冷たいものが走るのを感じた。
エレベータが止まって扉が開き、廊下を左に行くとすぐにその部屋はあった。
「南署のXXです」「△△です」ドアの前に制服を着た警察官が2人待っていた。
「奥さんは福岡市南区内の□□交差点でトラックと出合い頭に衝突されて・・・即死でした」警察官のその言葉を待って、看護婦が霊安室のドアを開けると中からは冷たい空気とともに安物の線香の香りがきこえてきた。
私が1番後から部屋に入ると聖美がそこに眠っていた。大好きだった亜麻色の髪は包帯で包まれて見えない。「ミケランジェロのピエタ像のようだ」と感激した美しい顔のまま眠っている。それは、あまりに美しすぎてよく出来た人形のようだった。

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「奥さんに間違いありませんね」「はい」私の返事を受けて警察官は、聖美の身元を確認し、事故の概要の説明を始めた。
「・・・奥さんはお子さんをかばわれたのでしょう。左腕を骨折しています」
最後にそう付け加えると、「ごゆっくり」と言って看護婦と警察官は互いに目で合図して部屋を出ていった。
「痛くなかったか」「怖くなかったか」「周作を守ってくれたんだね」私は両手で聖美のもう冷たくなった右手を握りながら話しかけたが、そんな言葉しか浮かんでこなかった。
「帰ったら玄関でキスしようと思ってた・・・」そう言って聖美のギュッとつむった冷たい唇に口づけた。
血の気のない冷たい唇には少しかさぶたがついている。似合わない浴衣を着せられた身体からは、消毒液の臭いがした。
「君は、素敵なお婆さんになるはずだったのに・・・」そう思った時、ようやく涙がこぼれた。
「貴方・・・」その時、確かに私は聖美の温もりを背中に感じた。
「モリオさん、聖美を私に帰して下さい」春日市内の斎場での葬儀、火葬の後、官舎の部屋で義母は私の前に正座して言った。私はすぐには返事が出来ず、ただ義母の顔を見つめていた。義母とこうして向き合うのは、今度で3度目になる。
「聖美は沖縄へ連れて帰ります」義母は祭壇の白い箱を見ながら話を続けた。私の両親は左隣りで顔を強張らせて固唾を飲んで黙っている。
「貴方は周ちゃんのために、もう一度結婚しなければいけない。その時、聖美がそばにいてはいけないんです」義母の言葉いつも厳しいが深く優しい、優しすぎる。
それでも私はまだ返事が出来ないでいた。すると父が口を開いた。
「そうだ、そうしてもらえ」その言葉に母までがうなづく。私は、この両親の現実への計算が働いた言葉に無性に腹が立った。しかし、それは聖美が一番悲しむことだろう。私は黙って首を横に振った。
周作は両親の向こうに座った妹の膝の上で、隣りの2つ上の従兄を気にしている。妹は泣き腫らした目をしてくれていた。
聖美を失ったばかりの私にはそれ以上の反論、抵抗をするだけの気力もなく、結局、こんな大切な問題が、多数決のように決められてしまった。
3日間泊った後、義母は聖美と焼け残らなかったお腹の子の遺骨が入った白い箱を抱いて福岡空港から帰っていった。私の両親と妹家族は、すでに昨日愛知へ帰っていた。
搭乗手続きを終え、義母は搭乗口で振り返った。今日は数年前、沖縄から防府へ旅立った時とは逆の見送りになる。
「貴方と周ちゃんが幸せにならないと聖美が哀しむんですよ」義母はそう言うと、白い箱を片腕に持ち直して私が抱いている周作の頭を撫でた。
「周ちゃん、おバアとバイバイさァ」義母が無理に作った笑顔が哀しかったが、周作はバイバイが嬉しくて無邪気に手を振っていた。
「モリオさん、ありがとうございました」そう言って深く一礼すると義母は踵をかえして、搭乗口に入っていった。その目には涙が光っていた。
「貴方、ありがとう」その時、私の耳に聖美の声が聞えた。
それと同時に「お父さん、お母さんが『周ちゃん』って言ったよ」と周作が言った。私は黙って周作の顔を見つめ涙を流した。
周作はそんな私の頭を「お父さん、痛い?」と言って撫でている。いつも聖美の優しさに包まれていた周作には、涙は「痛い」時に流すものなのだ。
「お父さん、まだ痛いの?」周作は自分が泣いた時、いつも聖美がしてくれていたように、私が泣き止むまで撫で続けてくれた。
周作と2人きりの父子家庭生活が始まった。
それから周作は、自分が「お母さん」と言うたびに涙を流す私を見て、その名を口にすることがなくなってしまった。こんなところが聖美に似てきた。
「君に会いたいよ」周作を寝かせた後、1人酒を飲みながら呟く時、「がんばれ」と言う聖美の声がいつも聞こえてきた。

思いがけない再会に涙する父子(箱根・彫刻の森美術館にて)
- 2013/01/09(水) 09:39:27|
- 亜麻色の髪のドール
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