春になり、周作が小学校を卒業する頃、私たち家族が帰国する日もやってきた。日本から私の帰国後の内示が届いたが、それは意外なものだった。
「航空教育隊第1教育群(防府南基地)」通常、在外公館警備官からの帰国者は次の任地を希望できる慣例だが、これは全くの希望外だ。私は、この人事に報復的な臭いと危険物を隔離しようとする意図を感じていた。
あの前線視察の後、私は防衛庁への報告を行わなかった。問題になっていると知ってからもあえて連絡をしなかった。こちらの経緯に関係なく組織として臭いモノには蓋をする幹部人事はいつものことだ。
休職扱いの理美は帰国後、一旦小牧に戻って復職の手続きをしてから発令されるようだが、こちらはまだ内示どころか調整もない。
人事サイドとしては前例がない在外公館警備官夫人になって海外へ赴任したWAFの取り扱いに苦慮しているのだろうが、防府北基地へ戻れるとは限らない。なぜなら防府北基地の航空機整備は民営化され、自衛官の配置はあまりないのだ。芦屋救難隊が最寄り部隊だが、それは希望的観測と言うものだろう。
この件を相談しようにも大使自身が移動になり、それどころではない。最早、私は近々元部下になる防衛庁出向職員に過ぎなかった。
その夜、私の内示の話を聞いて、理美も困惑していた。
「どうしよう、小牧の仲間に情報を訊いてみようか?」理美は顔を覗き込んだが、私としてはまだ明確な方針は決めていなかった。
「うーん、君は小牧に残るかァ?その方が安心だよな」私としては中途半端な距離でバラバラになるよりも、実家に近い小牧の方が安心である。理美の勤務実績から言っても残ることは可能だと考えていた。
「でもどうして今更、航空教育隊なの?」今度は不満そうな顔になった。
「人事的には教育幹部を教育隊に配置するのは普通のことだけど、防衛庁的にはあの前線視察を問題視しているのかも知れないな」そう答えながら私は、常識の塊だった小牧の人事部長の顔を思い出していた。
「でも、あれはもう2年前だよ」「人事的には本人を処断しなければ終わらないんだよ」私の言葉に理美は顔を強張らせ、しばらく黙り込んだ。
「何も悪いことをしていないのに、何故、罰せられるの?」「理由は幾らでも作れるよ。人と違うことをすれば規律違反とかね」それは有能だが個性的な同期たちが退職に追い込まれる時、用いられた常套手段だった。私的な意見発表が秘密保全違反、不可抗力のミスを故意の重大事件にすることなどは人事幹部にとってお茶の子サイサイなのだ。
「でも、1輸空隊司令が勧めてくれてここに来たんじゃない」「あの人は昔の航空自衛官、今の人たちとは気質も考え方も違うんだよ」私自身、そのの古い航空自衛官に育てられきた時代遅れの遺物なのかも知れない。私は胸の中で、自分も制服を脱ぐことになるかも知れないと思い始めていた。
「イザとなったら理美に働いてもらって、俺は専業主夫になるよ」「そんな悪い冗談やめてよ。ここで踏ん張らなきゃ貴方じゃないよ」私は不在だった3年間で航空自衛隊の体質が大きく変わってしまっていることを感じ、これが冗談でない気がしていたが、理美の励ましで立ち向かう勇気が湧いてきた。
帰国した私は空幕へ申告に赴くとそのまま事情聴取を受けた。空幕の小会議室の席に座らせられ、机の向こうには人事部と防衛部の佐官が座った。
「あの内戦への参加は誰の指示だったんだ?」「大使からの口頭命令でした」「なぜ空幕に事前確認をしなかった?」「了解事項だと説明されましたし、現地では外務省職員ですから」この答えは予想通りだったのか2人は表情を変えない。しかし、人事部の佐官が皮肉に笑いながら次の質問をして来た。
「外務省職員がどうして航空自衛隊の作業服を着ていた?おまけに帽子は浜松の警備だけに特例で認められているベレー帽だろう」「それは・・・」私は「なるほど」と変なところで感心してしまった。
「では、どんな服装ならよろしかったのですか?」「空幕は参加を認めていないのだからその質問に答える必要はない」流石は航空幕僚監部だ。私のような現場の人間に太刀打ちが出来る筈がなかった。
「それで内戦はどんな状況だったんだ?」ここで攻め手が防衛部に替わった。
「車両で移動中に山道で待ち伏せされて銃撃を受けました」この答えも新聞で報じられているのだろう。それほどのインパクトはない。
「それで君は応戦したのか」「いいえ、1発も射っていません」「負傷はしなかったのか?」「はい、とっさに伏せましたから、肘をすりむいた程度です」まさか亡き妻のお告げがあったとは言えなかった。
どうやら私の起こした問題は服装関係の規律違反になりそうだ。これも聞いたことがある。上司から叱責を受けた時、たまたまエアコンが寒いからと夏服にジャンバーを羽織っていて服装規則違反。1月に昇任する予定で年末にジャンバーの階級章を付け替え、それを着ていて階級詐称の服務規律違反。「幹部は常に模範的行動を取らなければならない」と言う建前を人事幹部はトコトン利用するのだ。こうして私は服務規律違反者として全国に回報されることになった。
理美はウルトラCの転属希望を出した。それは航空教育隊第1教育群女性自衛官教育大隊の班長要員だった。
幸い青木はすでに定年退官しており、当時の空士たちの多くは任期満了で退職している。問題は官舎でどこまで理美の噂が残っているかだが、その前に妻がハーフの聖美からWAFの理美に代わっていることの方が噂のネタになるだろう。
空幕での事情聴取を終え、私は一足早く子供たちを連れて防府へ赴き、理美は発令を待って実家に預けていた荷物を送って後に続いた。
防府での私の配置は第2大隊第6中隊長だった。しかし、そこは学生を受け入れる予定のない中隊で、したがって基幹隊員もいない。まさしく座敷牢、独居房への幽閉のような配置だった。
それでも私は朝夕、理美と一緒に自転車で通勤し、午前は掃除に草刈り、午後は戦時国際法や戦史の研究に励み、夕方は長距離走か水泳で汗を流していた。
色々と耳に入る噂話を要約すると今回の人事処置は私に教育を担当させると「これが実戦的だ」と言って改革を始められ、そうなれば実戦経験がある者の言うことには反論ができないので、それを避けるためにとった予防策とのことだ。いかにも防府らしいやり方に、この部隊の体質が全く変わっていないことを痛感した。
一方、理美は教育職一筋の空曹をおだてて使い、イザとなると「戦場では・・・」の殺し文句で相手を黙らせ、着々と地盤を固めていた。やはり幹部としての素養は理美の方がありそうだ。
周作は中学校、聖也は小学校に入ったが、ひとクラス十人以下の日本人学校に比べ、大人数の学校に戸惑ったものの、相手が日本人ばかりの分、すぐに溶け込んだ。
ただ、周作はスリランカで習ったクイーンズ・イングリッシュ(イギリス英語)と日本の中学校で教えるアメリカ式英語の違いにショックを受け、英語嫌いになってしまった。
実はアメリカ式英語が通じるのは野球をやる国とほぼ同じで、海外ではクイーンズ・イングリッシュの方が正しく、アメリカ式英語は低級な方言とされている。
このため、アメリカでもブルジョア階級、エリート層は子弟をイギリスへ語学留学させて、クイーンズ・イングリッシュを学ばせているのだ。
聖也のサッカーも、海外では個人のテクニックは1人か仲間と練習し、チームでは試合形式のプレーで連携を中心に練習するのと違い、団体で基礎から始め、細かいところまで大人が型にはめるのに困惑していた。
また、サッカー自体がドリブル突破中心の海外とパス回し中心の日本の違いも大きかった。
その意味では日本の学校教育は根本から考えるべきかも知れないと思った。
防府に赴任して半年後の定期健康診断の後、基地の衛生隊に呼び出された。
「モリオ1尉、一度精密検査を受けて下さい。どうも血液検査の結果が良くないんです」医官はそう言うと検査結果を記した紙を机の上に載せ問題の項目を示した。確かに最近、身体がだる重く、体重が落ちて一向に戻らなかった。そして、背中に原因不明の刺すような痛みが続いている。それは整形外科を受診しても回復せず、相変わらずの掃除をしていても辛かった。
「スリランカでの疲れが取れないのかなァ、俺も年か・・・」と私がぼやくと「ただの夏バテだよ」と理美は笑っていたのだが。
「検査入院して下さい」医師は、カルテを見ながらそう宣告した。
「少なくともいくつかの内臓が機能していないか低下しています。さらに詳しい精密検査が必要です」「はい」そう答えながらも私は迷っていた。不祥事扱いで防府に配置されてまだ半年、このタイミングで入院すれば「ならば退職しろ」と言わせる口実を与えることになりかねない。
「入院はどのくらいになりますか」私の質問に、一瞬、医師は顔を曇らせた。
「貴方は幹部自衛官だそうですからはっきり言います。癌の疑いがあります」「エッ」私は一瞬息を呑んだ。胸に理美と周作、聖也の顔がよぎった。
「都合がつき次第入院して下さい。癌病棟です、手配はしておきます」「お願いします」私は頭を下げながらもこのことをどう理美に伝えようか迷っていた。同じ基地に勤務する理美に病気のことを隠し通すことなどは出来ないだろう。
やはり病気は癌だった。おそらくはスリランカへ赴任中に発病し、すでにかなり進行していて、手術は不可能。余命は一年以内と宣告された。
検査を終え退院した夜、久しぶりに2人で寝た布団で理美は私の胸にすがりついて泣いた。それは病院で自衛官らしく気丈に振舞っていた分も取り戻すかのような泣き方だった。
私には黙って理美の急に痩せた背中をさすることのほか出来ることは何もなかった。
検査結果を大隊長に報告すると、そのまま群司令室に連れて行かれた。
「モリオ1尉、どうしたい」群司令は向かい側のソファーで私の報告をうなづきながら聞いた後、こう言った。その顔には何故か安堵したような表情があるように見えた。
「自衛官であることが私の人生のすべてです。どうか若い隊員に遺言をさせて下さい」私の訴えに大隊長は驚いた顔で私と群司令を見比べたが、群司令はゆっくり首を振った。
「気持ちはわかる。しかし、先がないと分かっている者に教育を担当させる訳にはいかない。途中で力尽きて倒れられても迷惑だ」この言葉に私は涙が溢れて止められなくなった。しかし、同時に理美が言った「ここで踏ん張らなけりゃ貴方じゃない」の言葉と気合を入れていた顔を思い出していた。
「モリノ2曹はいくつだ?」「35です」「そうか、若いな。これからだな・・・」「モリオ1尉は夫婦とも愛知の出身だったな」「はい」群司令は一瞬天井を見上げた。
「2人で愛知へ帰って故郷で死んではどうだ?」この群司令の率直な、何よりも現実的な質問に私は胸を貫かれる思いがした。
結局、私は転属を拒否し、相変わらずの幽閉生活を送っていた。両親は自衛隊を退職して愛知へ帰ってくるように言ったが、私はそれを拒んだ。私にとって親が住む土地へ帰ることは一足先に三悪道へ堕ちるようなものであり、何よりも私は最期まで航空自衛官でいたかったのだ。
病気のことを岡崎の麻野家に電話で報告した。
「病気なんてウソだろう?声は元気そうじゃあないか」義父の口調は何故か厳しかった。
「ウソならその方が好いですけど・・・申し訳ありません」それは理美を遺して死んでいくことへの想いを込めた切実な一言だった。私の答えに義父が向こうで受話器を持ち直したのが判った。
「それで身体はどうかね」「まだ自衛官は出来ています」義父の問いに答え私は「倒れるまで自衛官でいます」と付け加えた。
「無理をしてはいかんよ」「無理も何も、今更手遅れですよ。ハハハ・・・」そう言って笑った私を義父は厳しくたしなめた。
「何言ってるんだ。最後まで希望を捨ててはいかん・・・それから夫婦はいつも一緒でな」「はい、死んだって理美を離すわけないでしょう。いつも取り憑いていますよ」「それを言うなら見守ってだろう」「そうでした。ハハハ・・・」義父の修正に私がまた笑って答えると、義父は電話口で鼻をすすった。
「国旗降下!」当直幹部である私の号令で、ラッパと共に降ろされる国旗に敬礼しながら、私は掲揚台の向こうで敬礼している学生たちの姿を見ていた。
「自衛官としての経験してきたことを形見として彼らに伝えたい」それが可能な場にいながら、それを出来ないことが歯噛みするほど無念で、国旗降下の度に残された時間が無くなってくることを思うと、ヒサシにかざした手が震えてきた。
「モリオ1尉、死ぬのは怖くないですか?」当直勤務の長い夜の雑談の中、私の病気を知っている若い当直空曹が率直に訊いて来た。彼の顔は真剣だった。
「何を言っているんだ。航空自衛隊ではなァ、昔から『一度飛んだらあとは降りるか落ちるかだ』って言うんだぜ」彼は驚いた顔をした。
「だから航空機整備員はパイロットを殺さないために仕事に万全を期する。整備する方も命がけなんだよ」私の答えに彼は真顔のままうなづいた。
「まァ、何時死ぬかわからない不安よりは、もうすぐって期限を切っておいてもらえば、やることにも優先順位がつけられて気が楽さ」「そんなもんですかね」「人の心配をしている君も、事故に遭えば先に往っちゃうぞ、御用心御用心。ハハハ・・・」私の笑いに彼も頬を引きつらせてながらも「エヘへへ・・・」と付き合ってくれた。
夜中に目を覚ますと、理美もおきていた。
「どうした?」「初めて貴方の家に泊まった日のことを思い出してたんだ・・・」理美は懐かしそうに微笑んだ。あの夜、理美は周作を風呂に入れてくれて寝かせつけながらそのまま眠ってしまったのだ。
「お風呂で周ちゃん、私のオッパイ小さいねって言ってたよ」今度は思い出し笑いをした。理美が「誰と比べて?」と言いたそうな顔をしたので、私はその前に言い訳をした。
「だって、あの頃は独身だったからグラビアは選び放題、グラマーだって金髪だって・・・」私は照れ笑いをしたが、実は理美を妄想したこともあったのだ。
「あの晩、私は貴方に抱かれるつもりだったんだよ・・・」理美はそう言うと私の顔を覗き込んだ。女性は普通、自分を守るためこのようなことは考えないものだろう。しかし、聖美も理美も、臆病な私を救うために、そうしてくれていたのだと思った。
「好きな人だからこそケジメがあるのさァ」「貴方らしいね、ウフフ・・・」私の答えに理美は感心したように笑いながら抱きついてきた。その時、病気で衰えているはずの私の体が反応した。
私は随分細くなった腕で理美を抱き締め、ゆっくりと口づけをした。
「理美、抱きたい」「エッ」理美は信じられないような顔をする。
「大丈夫?」「ウン」私は、多分これで最後になるだろう夫婦の営みをすることにした。ゆっくりゆっくり、丁寧に丁寧に惜しむように理美の体を愛したが、その間にも息切れがしてくる。そして、何とか体が結ばれることが出来た、そこで私の体力は限界だった。
「私、ずっと貴方の妻だよ」理美がささやいた言葉に私の胸は張り裂けそうになった。私の死が遠くない以上、理美はまだ35、6歳で遺されるのだ。
「次の人生を歩み、新しい幸せを掴んで欲しい」そんな大きな願いの一方で、聖美から引き継いで、共に人生に立ち向かってきた戦友・理美に対する小さな執着もある。
私は「死ぬのはもったいないなァ」と呟いた。
私は自分の死が近いことを潔く受け容れ、できる準備を始めた。遺品を整理して捨てる物と送り先を箱に記し、死亡通知を印刷して宛先まで書き、遺影も撮影した。そんな中で困惑したのが位牌だった。
作法では前妻がいた場合、夫の隣に前妻を刻み、後妻はその隣になる。それは結婚生活の長短や愛情の深さとは関係なく、例え一晩だけの夫婦でもそうするのが作法なのだ。
夫を中心に両側へ妻を刻めば良さそうだが、それでは夫を奪い合っているようになり駄目らしい。つまり私は聖美の戒名「聖光慈念信女」と並んで理美を待つのだが、それでは理美に申し訳ない気がした。
勿論、理美は聖美のことを今でも恩人として敬愛しているから異論はないだろうけど、私の中で2人は同格の妻なのだ。
そこで私はあえて一緒の家族位牌は作らず、聖美と同じコンパクト・サイズで「大空典尽首座」の物を作った。後は隣に並べてくれれば結構である。そもそも坊主の位牌に妻を刻むのも論外なのだ(一応、戒律上は独身と言う建前があるため)。
しかし、佛具店の店主が「坊さんのだけど何方のですか?」と訊いたので、「私のです」と答えると絶句した。関西から東海地方では生前に作った墓石や位牌の名前を朱字にする作法があるが、「そんな話は聞いたことがない。生前に作った人も初めてだ」と呆れていた。
もう1つの懸案は私の遺骨である。聖美の遺骨は義母と一緒に沖縄の宮里家の墓に入っているが、私まで頼むことはできないだろう。
確かにその墓を建てた時、資金の殆どを払ってはいたが、あくまでも宮里家の墓である。杉浦さんの宝林寺に墓を買うと言う選択は、御夫妻が亡くなって現在の住職とは面識もなく、第1、山口県に墓があっては今後、理美が他所の基地に転属すれば帰省先がもう1つ増えることになる。
「実在の佛国土と愛するスリランカへ葬ってもらいたい」と言う気持ちもあったが、それではスリランカ政府の許可を取り、向こうで墓地を買って埋葬しなければならず、墓参も海外旅行になってしまう。
こうして考えていると「突然死んだ人は周りが知恵を出し合うから上手くまとまるのだろう」と納得した。
しかし、自分の死後の問題を気軽に考えて楽しんでいる私は坊主としての修行が出来ているのか、それとも死に慣れているのか、自分でも判らなかった。

余命宣告から半年、ゴールデンウィークが過ぎた頃、ついに私は倒れ、防府市内の病院に入院した。
「ここの癌病棟は北のショップ長も入院していて何度か見舞いに来たことがあるんだ」「えッ?それは初耳だな」理美が防府北基地にいた頃も多くのことを語り合ってきたが、ショップの人たちの話はあまりしてこなかった。私の表情が重くなったのを感じたのか理美は無理して笑顔を作った。
「だから私、この病院には慣れているんだよ」「それは変だよ」私も無理して笑った。私は胸の中に仕舞い込んでいる病気への不安、今後への心配、焦りをここでなら吐き出せるかと思ったが今は止めておいた。
「貴方ァ、来たよォ」入院してから毎日、理美が見舞いにやってくる。仕事帰りなので理美は制服姿だが、制服フェチの私にはそれが見舞いだった。
理美はカーテンを占めてからベッドの枕元の椅子に座ると夕食の準備で帰宅する時間を気にしながら「昨日は周ちゃんが学校で・・・」「聖也が家でいきなり・・・」などと手短に家族の様子やその日の出来事を話していく。ただ、こうして間近に見つめ合うとイケナイ場面を思い出してしまいそうだ。
「モリオ3曹、私も奥さんにしたように優しく抱き締めて下さい」しかし、ベッドに寝ていては抱き締めることはできないだろう。それでも言ってみた。
「理美、頼みがあるんだけどな・・・」「何?」「抱き締めさせて欲しい」「えッ?」理美は一瞬戸惑ったが、そのまま上に重なってきた。
「理美・・・」「イエス、ダーリン」「ハニー」「マイ ダーリン」理美は嬉しそうに笑うと黙って口づけをしてきた。
癌病棟には冷厳なレールが敷かれているようだ。
始めは大部屋に入れられる一般の患者も、症状が重くなれば個室に移り、そこで点滴や採尿管、便吸引器を着けられ、さらに各種測定器具のコードもあり、雁字搦めにされる。そこから集中治療室に運ばれれば時間の問題だ。
大部屋で一緒だった患者の顔見知りの家族が呼ばれ、廊下で「終幕」を待っている姿は遠からず理美、周作、聖也も経験するのかと思うといたたまれなくなる。
そして、あの日、聖美の遺骸から感じた消毒の匂いも看護師たちが行う処置を知り理解した。
理美は新隊員の教育も佳境に入って忙しく、中々見舞いにも来られなくなった。そんなある日、周作が中学校の帰りに自転車で見舞いに来てくれた。
「お父さん、元気?」「元気だけど、寂しくてな」周作はベッドの脇に歩み寄ると枕元に立って、顔を覗き込んだ。
「部活で疲れているのに遠くまで見舞いに来てもらって悪いねェ」私の申し訳なさそうな顔を周作は感心したように見返した。
「お父さん、僕の心配よりも自分の心配をして下さい」「そうかァ」「お父さんは、いつも相手のことばかり考えていたから疲れちゃったんだよ」「フーン」私は周作の鋭い観察眼と分析に感心した。
しばらくは学校のこと、家のことの報告を受け、将来の夢について雑談していた。
「お父さん、また僕のお母さんに会えるの?」「なんで?」周作の突然の質問に私はとっさには返事が出来なかった。
「お父さんが、またお母さんに会えるなら、死んじゃっても悲しくないって思うことがあるんだ」周作は腕組みをしながら私を見下ろしている。
「それと同じことを狐狸庵先生も言ってるぞ」「そりゃあ、僕は周作だもん」そう言われて私は息子にこの名前をつけた由来を思い出してうなづいた。
「でも周作は遺されちゃうぞ」私の心配に周作は首を振った。
「大丈夫、今のお母さんもいいお母さんだから」「そうかァ」周作は「心配ご無用」と言う顔で笑った。
「でもお父さんってどうしてそんなにもてたの?」「へッ?」周作は真面目な顔で私の顔を覗き込んだ。
「お母さんも今のお母さんも美人だよ。お父さんは全然イケ面じゃないのに」これは「それを言ってはオシマイよ」の台詞だが、私は最近、聖美に似てきた周作の顔を見返した。いつの間にか身長も私を超えている。
周作はジッと答えを待っているが、私はいい答えが見つからなかった。どう説明しても聖美や理美との出会いは、中学生の周作には理解できないと思った。
結局、答えは出なかったが、「こんなにクジ運が好いのなら宝クジを買えばよかった」と言うことでオチをつけた。
痛み止めの点滴の影響で、意識を失うことが多くなった。ある日、理美は私の肩に顔をのせながら独り言のように訊いた。
「貴方、私は1日でも長く貴方と一緒にいたい、だけどそれだけ貴方を苦しませることになる、私、どうしたらいいの・・・」私は束の間の時間、目を覚ましていた。
「自然に老いて、自然に衰えて、自然に病んで、自然に死んで、自然に帰っていくのさ・・・死ねば、いつもそばで見守っていられるよ」理美は涙目でうなづいた。これが私の遺言になった。
7月1日、私は39歳になり、そして、数日後、意識を失った。
「理美、ありがとう」寝たまま理美に髭を剃ってもらっていて私は呟いた。
「えッ」「いつも・・・」そう言うと薄れいく意識の中で理美の顔が近づいたのがわかった。
「いつもそばにいて・・・」理美の声にならない声が遠くに響いたように思った。
「いつもそばにいる」との私の遺志で葬儀は行わなかった。
遺骸にはスリランカで死線を潜ってきた航空自衛隊の作業服を着せてもらい、棺はスリランカの国旗で被われている。聖美の遺品も一緒に入れてもらった。
火葬の扉が閉じられる時、周作と聖也が私の棺にむかって敬礼をした。
「やっぱりモリノ1尉の息子たちだよ」理美の言葉にその場にいた皆、義父母、義弟夫婦も涙した。やはりこの子たちはよく出来た息子なのだ。
その夜、死んだ私は家族と義父母が泊まっている官舎のベランダで佇んでいた。この官舎も間もなく空曹用に引っ越さなければならない。
理美も周作、聖也も今夜は発病以来の緊張から開放されてもう眠っている。私は骨になってしまった自分を納めた白い箱を眺めていた。
「貴方、フライングだよ」突然、後ろから声をかけられた。驚いて振り返るとそこには聖美が笑いながら立っていた。私は39歳の中年スケベ親父だが、聖美は28歳のまま美しかった。
「君こそ迎えが遅いじゃないか」「それがシマ(沖縄)時間さァ」そう言うと聖美は腕を組んで肩に頭をもたげてきた。幽霊同士で腕を組んでも肉体がないので体温は伝わらず、心臓もないので胸もときめかない。ただ気持ちがつながって一体になれた。
「でもこれじゃ、駆け落ちだよ」「私たちの場合はリメンバーターンでしょ。ウフフフ・・・」聖美の答えは相変わらずの鋭さだったが、私の感心した顔に笑い直した。
「ところであの時の子は?」その時、私は聖美の腹の中にいた子供のことを思い出した。
「もう貴方に渡したよ。生まれたでしょ、聖也君」「やっぱりな、そんな気はしてたよ」私の答えに聖美もうなづいた。
中学2年の周作、小学3年の聖也、2人ともこの歳ですでに波乱万丈を味わってしまっている。これからどう育って行くのか・・・。
「それじゃあ、一緒に家族を見守ってくれよ」「もちろん、私の家族だもん」私は聖美の両肩に手をかけて抱き締めた。
「貴方の胸って、体がなくなっても安心できるよね」聖美の台詞は理美からも聞いたことがある。その時、聖美が呟いた。
「George, I should you kiss me」・・・「OK」
- 2013/01/27(日) 08:27:41|
- 続・亜麻色の髪のドール
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
今年も正月2日の初詣帰りに義父母が寄ってくれた。私は年頭の挨拶の後、在外公館警備官の話をした。
「スリランカって、セイロンですよね」義父は頭の中で地図を思い浮かべているようだ。
「そうです、インドのすぐ南の島です」私の説明に義父はうなづいた。
「紅茶で有名ですよね」「はい、セイロンティ―ですね」義母はやはりお茶の先生だった。
「また、どうしてそんなところへ?」義父は不安、疑問を隠さずに訊いてきた。
「大使館の警備と在留邦人の安全確保が仕事です」「だからってモリオさんが行かなくても」義母も心配そうな顔で理美の顔を見た。
「モリノさんは浜松では警備の仕事でしたよね、そっちの専門家なんですか?」「まあ、警察で言えば機動隊の隊長みたいなもんです」私の説明に義父は納得したようにうなづいたが、義母はまだ不安そうな顔で今度は子供たちの顔を見ている。
「スリランカは治安が悪いって時々ニュースでやってますけど、本当に大丈夫なんですか?」「まあ、散発的内戦状態ではありますが、やり甲斐がある職場って言うことでしょう」私の自衛官としての答えに、義父母は顔を見合わせた。
「理美も連れて行くんですか?」「もちろん。私も子供たちも家族で一緒に行きます」ここで理美が話に加わった。例年の正月とは違う大人たちの固い会話に子供たちも黙って正座をしている。義父は理美の決意を聞いて自分を納得させるように大きく息を吐いた。
「まさか、自分が娘を出征させることになるとは思わなかった。しかし、それが娘と御主人の仕事なら親としても覚悟をしなければいけないんでしょう」私は義父の顔を直視した。
先日、この話を電話で訊いた私の両親はパニックになり、「うちの輸送機が中東へ行く時、インド洋の米軍基地に寄るからその連絡調整の仕事だ」となだめ取り繕ったのだ。
「でも、何かあったら家族だけでも日本に帰して下さいね」「子供だけね、私も自衛官、モリオ1尉(昨日、1尉にはなったばかりだ)の妻ですから」義母の願いを理美が拒絶した。その顔には自衛官としての決意があり、義母は哀しそうな顔で娘の顔を見返した。すると義父が正座の膝を向けて理美と向き合った。
「理美、今のお前は立派だぞ」「お父さん・・・」理美は驚いたような顔をした。
「職業人としても、妻としても、見事な覚悟だ」義母も驚いた顔で義父を見詰めている。私は感激して涙が出そうだったが、正月の涙は不吉だと思いジッとこらえていた。
「私、お父さんに褒められたの久しぶりです」「そうかァ」「そうですよ」理美の一言で急に座が明るくなり、子供たちまでホッとしたように笑った。
「中学校以来じゃあないかなァ」「ツッパリ娘だったからなァ」「本当、心配しましたよ」義父母と理美の楽しげな会話が演技であることを私は感じていた。
「また、御心配をお掛けします」「それが親の仕事だから仕方ないですよ」理美の言葉に笑って答えた義母は、そっと涙をすすった。
「武運長久も祈って来なくちゃあいけなかったな・・・」義父は一人そう呟いていた。
コロンボ空港には夜遅くに到着した。
スリランカ航空のエアバス機の機外へ出ると、夜とは言え流石に暑く、3月の日本とはかなりの温度差を感じる。
昼過ぎに成田空港を飛び立ち、時差を追いかける形でのコロンボ空港まで9時間の空の旅であったが、聖也は熟睡して来て元気なものの、周作は興奮気味で殆んど寝ておらず、こちらの方が疲れた顔だった。
「流石に暑いね」聖也の手を引きながらタラップを降りる理美は後ろから声をかけてくる。ここコロンボ空港には日本の空港のような伸び縮みして機体に接続する通路はなく、国際線でもタラップで乗降するようだ。
「お父さん、暑いです」私のすぐ後ろを降りてくる周作も理美に同調した。
「やっぱり赤道に近いからな」私の返事にも周作はピンとこないのか反応しなかった。
「お父さん、もう夏になったの?」今度は聖也が質問してきた。
「スリランカはずっと夏なんだよ」「エ―ッ、冬も春も秋もないんですか?」その答えに周作は驚いたような口調で答えた。スリランカの紹介ビデオは見せたはずなのに、どうやら象だ大トカゲだ、大リスだとそんなモノばかり見ていたらしい。
「モリオさんですね」彼はにこやかに笑いながら声をかけると握手をしてきた。
「モリオです、お世話になります」「山本です」山本と名乗った大使館員は私と同年輩だろうか、スリランカ勤務が長いのか、日本人の割には日に焼けている。
「奥さん疲れたでしょう」「御世話になります」山本は荷物運びで稼ごうと近づいてきた現地人の赤帽を追い払いながら、理美が両手に持っていたカバンの片方を取って先に立って歩き出し。理美はまた片手で聖也の手を取り、周作に「ついておいでよ」と声をかけた。
「奥さんも航空自衛官だとか?」「はい」「それは頼もしい」山本は荷物を積んだ車を押す私の前を理美と子供たちと並んで歩いて行った。周作は、興味があるのかキョロキョロと周りを見回してばかりいる。
「おや、軍人が警備していますね」空港の建物の出入り口にはAK―74自動小銃を肩からかけた兵士が二人立っていた。
「弾倉をつけているけど実弾を持っているのかな?」「流石ですね、テロが散発していますから」私の言葉に山本は振り返りながら感心したような返事をした。
やがて政府関係者専用駐車場に停めてあった日本製のワゴン車についたがナンバーは大使館のモノだ。山本は早速、車の周囲と下部まで覗きこんで点検した。
「今夜はホテルがとってあります」山本は後部ドアを開けると荷物を積みながら言った。
「そうですか、有り難うございます」「ホテル?」助手席の私が返事をすると後席で聖也が理美に訊いた。周作は外の風景に夢中で話を聞いていなかった。
翌朝、ホテルでの朝食は、イギリス風にパンとサラダ、フルーツに紅茶で子供たちも喜んで食べた。やがて、この日も山本が迎えに来てくれた。
日本大使館は、コロンボの大通りから一本裏手の通りにあり喧騒を離れ静かだった。
「Goodmorning・Sir」「Welcome・Sir」入門ゲートでは部下になる現地人の警備職員たちが私の姿を見つけて整列し、姿勢を正して敬礼してきた。
私は上番警衛隊員を点検する要領で素早く、彼らの服装態度や目つき、体型まで確かめたが、テロが散発していると言う割には緊張感を感じられなかった。
「日本はテロの対象にはなっていないんですか?」私はゲートから大使館の建物へ向かう通路で山本に訊いてみた。
「数年前に、日蓮宗の坊さんがデモに参加していて爆弾で死んだことはありましたが、日本国としては対象外になっています」山本は業務的に答えた。
「それにしても前任の海上自衛隊の方はノンビリしていましたけど、航空自衛隊の方は随分仕事熱心なんですね」「海の人は陸の上では働かないそうですからね」山本の褒め言葉には、どこか皮肉なニュアンスが感じられた。
南洋の樹木を使った不思議な日本庭園を抜けて大使館の建物に入ると壁には、英国風の内装には不似合いな日本画が飾られている。廊下のつき当たりが大使室だった。
「本日、着任したモリオ警備官をお連れしました」山本が日本人の秘書官に声をかけると、受付の現地人女性が大使室のドアを開けて入り、出てくると日本語で「どうぞ」と言った。
理美が「どうしよう?」と一緒に入室することを迷っていると秘書官が「奥さんもどうぞ」と声をかけ、その言葉を聞き子供達まで緊張した顔をした。
近藤在スリランカ大使は、温和な初老の紳士だった。
スリランカ大使は、主要国の大使とは違い、外務官僚としては必ずしもエリートコースとは言えず、大使も余りやる気は感じられなかった。
申告を終えると大使は私と後ろに並んでいる家族にソファーを勧めた。
「まあ、現地の人を刺激しない程度にやって下さい」大使は土産に理美の母を通じて買ってきた日本茶と和菓子を受け取ると、そう指導した。
「ところで奥さんも女性自衛官だそうだね」大使は私よりも理美に興味があるようで、顔を向けて理美にばかり話しかける。
「航空自衛隊の女性自衛官は、こんな美人揃いなのかね?」大使は、そう言うと遠慮なく理美の顔を見た。その言葉に理美は困ったように微笑んだ。
「政府専用機の乗務員は航空自衛官だそうだから、政治家の先生方も喜ぶだろうな」大使は「主要国には駐在している防衛駐在官がスリランカにはないから、奥さんにも制服を着て働いてもらうかも知れない」と冗談めかして話した。
公館警備官の宿舎は勤務の特性上、大使館の敷地内に家具付き一戸建てだった。つまり駐在所のお巡りさんみたいなものだ。
「お父さん、庭で遊んでもいいんですか?」周作と聖也は、宿舎の前の広い庭に目を輝かせる。
「庭木を痛めないようにな」「花も折っちゃあ駄目よ」両親が揃って注意すると子供たちもついて家に入ってきた。
「凄―い、広い家だァ」「広―い」子供たちは今度は家の広さに大喜びした。
理美は子供たちをリビングに残して家の中の点検を始めた。
「風呂は一応バスタブがあるね・・・水もチャンと出る」そう言いながら蛇口をひねって念入りに点検するところはさすがに航空機整備員だ。
「トイレが広いなァ・・・何これ?」理美の独り言の質問に、私もトイレに入って見た。するとそこには便器の横に蛇口がついた大きな低い洗面台のようなモノがある。
「これがいわゆる尻の穴を洗う奴だろう」「これが・・・ウォッシュレットみたいなものね」私の意見に理美も納得した。スリランカでは用便の後、肛門を左手で洗うため「左手では握手やあまり他のモノに触らないのがマナーだ」と本に書いてあった。
私と理美が各部屋の確認を終え、台所の点検を始めるとリビングのテレビをつけて視ていた子供たちが報告にきた。
「テレビの言葉が判りません」「子供のテレビがありません」周作は言葉が英語とシンハラ語なのに気がついていたが、聖也は番組でアニメや子供向け番組がないことを言った。
「そうかァ、ビデオが届くまでは子供たちが見るものがないね」「本を読んでいなさい」こんな場面では理美の方が厳しい。
「そのうち、子供たちの方が先に英語とシンハラ語を覚えて、テレビを見るようになるよ」私の話に周作と聖也は顔を見合わせてキョトンとしている。
理美は航空機整備員らしく念入りに炊事道具から家具の開け閉めまで点検していたが、イギリス式の家具の使い勝手や飾ってある絵のセンスがあまり気に入らないようだった。
午後からは、山本書記官に日本人学校へ周作の転校手続きに連れて行ってもらった。
日本人学校はコロンボ市の外れの住宅街の大きな川のほとりにあり、敷地は全周フェンスではなくコンクリートの高い塀で囲まれていて城のようだ。
「やっぱり治安が悪いですかね、随分、厳重な作りになっていますが」私は、塀で外から中の様子が見えないことを確かめて山本に尋ねた。
「目のつけどころが警備のプロですね、いやあ、本当に心強い」山本は前を見たまま質問とは違う反応を示し、私も黙って前を向いた。
やがて日本人学校の校門についた。校門には制服を着た警備員が配置されているが日本大使館の車であることを確認するとフリーで入門させた。
「しかし、警備員の勤務には余り緊張感がないなァ」と私が心配そうに独り言を呟くと「それもプロの意見ですね」と山本はまた感心してくれた。その口ぶりでは前任者は本当に仕事熱心ではなかったようだ。
学校には大使館を通じて私たちの必要な情報は伝えられている。
「モリオさんは愛知県の小牧からでしたね?」新5年生の周作の担任になる教師が校内を案内してくれたが、私は教師に名古屋訛りがあることが気になっていた。
「はい、そうです」私の代わりに理美が答えた。
「私は犬山市内からです」教師は嬉しそうに説明した。
「御両親も愛知県の御出身ですか?」「両親とも岡崎です」「三河のゴンジュウです」理美の返事を横から茶化すと教師は可笑しそうに笑った。
「ゴンジュウかァ、懐かしいなァ」教師が繰り返してもう一度笑い直すと、私たちの後ろについている山本書記官も意味が判らないままつられて笑う。日本大使館員でも山本たち外務省職員の子供は将来を見据えて日本人学校ではなくインターナショナルスクールへ入れている人が多いと言う。
「下のお子さんは?」「来年の入学になります」「随分と大きいなァ、周作君も大きいしね」教師は周作と聖也の身長を目で計りながら微笑みかけた。
「周作君は何かスポーツをやるの?」「スイミングと柔道です」教師の質問には周作が自分で答えた。
「学校にはプールがあるけど市内にスイミングスクールはないなァ、柔道の道場もないね」教師の説明に周作は少しがっかりした顔をした。
「サッカーは?」「サッカーはイギリスの植民地だったんだから本場だよ」隣りからの聖也の質問に教師は優しく答え、それを聞いて聖也は嬉しそうに笑った。
「ところで先生、ビデオか面白い本を貸していただけませんか」私の頼みに家族は一斉にうなづいた。
「そうかァ、スリランカの番組は子供達には判りませんよね」教師は、そう言うとそのまま図書室に連れて行ってくれた。
その日は、春休み中に読む本と視るビデオを山ほど借りて帰った。

コロンボ日本人学校
即日、勤務に入った私は警備員たちに見えるところで武道の稽古をすることにした。
警棒を使った短剣道、少林寺拳法の突き蹴り、立ち木に帯を括りつけての柔道などを気合を入れながら繰り返すのが警備官デビューのデモンストレーションだ。
私の気合を聴いて数人の書記官が建物から見物に出てきた。
「モリオ警備官は、武道家なんですか?」「はい、段位は締めて17段ですよ」一番若い書記官が好奇心丸出しの顔で質問してきた。
「得意種目はなんですか?」「少林寺拳法は全自衛隊大会で優勝しました。あとは自衛隊体育学校の格闘課程卒で、指導官の資格も持っています」私は航空自衛隊の作業服の胸に縫い付けてある格闘指導官徽章を指差して説明した。
「凄いですねェ、ここの警備員にも教えないといけませんね」年長の書記官はおだてながらけし掛けてきた。
「彼らのやる気を見てからですね」私は一応、外務省に出向という形になっており、余所者としての遠慮をするくらいの常識はもっている。しかし、すでに警備員たちが興味深々と言う顔でこちらを見ているのに気づいていた。
「大使も頼りになるボディガードが出来て心強いでしょう」一番若い書記官がおだててくれた横から一番年配の書記官が話を継いだ。確かに警備官の業務内容には要人の警護がある。ただ、政府要人が訪問することもないスリランカでは要人とは大使のことなのだろう。
私は日本国内でも要人警護の経験はあったが、武器を持てず、逮捕権限もない用心棒は、身代わりの人の盾以外の何物でもなく、それよりはやり甲斐がありそうだ。
「奥さんも何かやられるのですか?」「彼女は茶道と花道が専門ですね」「奥さん、和服が似合いそうですよね」若い書記官は変な納得の仕方をした。
こんな話が盛り上がってしまって、練習どころではなくなった。
「日本文化の紹介のために武道教室を始めてもらいましょう」また若い書記官が話を混ぜっ返した。実は昨日、日本人学校へ行って以来、私も子供に教えてもいいとは思っている。
「だったら柔道場の畳や道着が必要になりますよ」「それは無理ですね」私の具体的かつ真剣な答えに彼は「権限外です」と肩をすくめて舌を出した。
やがて一番若いスリランカ人の警備員が「昼休みに武道を習いたい」と言ってきた。
「昼休みでは時間がないし、暑いから夕方では駄目か」と訊くと「夕方では警備官に迷惑がかかるから」と答え、前任者は勤務時間外の仕事を嫌がったと付け加えた。
「俺が良いって言うんだからOKだよ、君の都合がつけば夕方にしよう」と言うと彼は人懐っこい笑顔でうなづいた。
それから彼が日勤後の夕方に武道を教え始めた。基本は徒手格闘だが、それに柔道の投げ技と少林寺拳法の関節技を加えた総合格闘技になった。
スリランカ人は脚が長く、蹴り技は重心のバランスが日本人とは違うのと、関節が柔らかいので技の効きが悪く、やや手間取ったが、若いだけに上達も早かった。
「陸軍では、こんなことは習いませんでした」彼はスリランカ陸軍に徴兵され、タミル人ゲリラとの内戦にも参加したことがある。しかし、スリランカ陸軍ではボクシングの基本を訓練したくらいで、日本の徒手格闘のような色々な技は習わなかったと言った。
「日本大使館で武道を習えば警備員として良いセールスポイントになる」と意外に計算高い動機を語ったが、それもこの国民の逞しさと言うべきかも知れない。
周作は、日本人学校に転校したが、持ち前の人懐こさで友達を作り、毎朝、理美の車で元気に通っている。しかし、聖也は遊ぶ相手もなく、大使館の敷地の中で理美を相手にサッカーなどをするだけだった。
「聖也をインターナショナルスクールのエレメンタリースクール(幼稚園)へ入れようかなと思って」ある日、理美が官舎に戻った私に相談してきた。私もサッカーチームに入れても好いかと思ってはいたが理美の方が上をいっている。
「問題は英語だな、インターナショナルスクールは授業も日常会話も英語だろう」「日常会話なら少しづつ私が教えているけどね」確かにさりげなく聖也が使う英語に気づいてはいた。
「だけど、君のはアメリカ英語だろう、ここはイギリス英語だからなァ」それは仕事で警備員と話す時も、アメリカ式に巻き舌を使うと通じなくなることがある。
「それに大使館の人の子供さんも何人か通っているんだって」「そうかァ、なら安心だな」私が同意すると理美は安心したように笑った。
「だけど小学校は日本人学校に行かせるんだよな」日本人学校は3月の入学、インターナショナルスクールは9月の入学なので半年、学年が違ってしまうのだ。
「そのつもりだけど同級生がインターナショナルスクールへ行くって言ったらねェ・・・」「逆に聖也には、始めから日本人学校へ行くって言っておいた方がいいな」「はい」私は先にスリランカ勤務をしている書記官の子供も転勤になれば、どの道別れなければならないのだから、周作と同じ日本人学校に行かせておくべきだと考えた。
「それじゃあ、書記官の奥さんに訊いて手続きをするよ」「そうだね」この分だと聖也が一番英語に熟達するかも知れない。その前に本場サッカーを習うのが楽しみだった。

ヌワラエリアのインターナショナル・スクール
スリランカでは5月中旬の太陰暦の4月8日に、1週間に亘りウェサック満月と言う祭りが行われる。私は警護任務で政府の式典に出席する大使に同行した。制服の中には実弾を込めた拳銃を装着して、公用車で会場に到着してからも大使につかず離れず辺りを警戒していた。
式典に続いて行われたパーティーの会場では、各国の警護官たちは壁際に立ち、遠くから警護対象を見ているしかない。そんな時には情報収集も行うようだ。
「ジャパン?」「「イエス サー」私は、英国空軍式の軍服を着たスリランカ人らしい将官から声を掛けられた。挨拶の後、簡単な自己紹介をしたが、この将官はコロンボ空港と同居する空軍基地の基地司令だった。
「ジャパンは今までネービーだったけど、何時からエアフォースに代わったんだね?」「今年の3月からです」私は返事をしながらも大使から目を離さない。
「ジャパン エアフォースの制服は初めて見たが、アメリカと同じデザインかな?」確かに海上自衛隊の制服は帽章が違うくらいでアメリカ海軍とほとんど同じだ。
「いいえ、アメリカ軍はセンターベンツですが、ジャパンはサイドベンツになっています」私は、その場でクルリと周り、上着の裾のスリットを見せた。
「アメリカよりもセンスがいいな」司令は感心してくれた。
「生地もこっちの方がいいぞ」司令は私の制服の袖をつまみながら誉めてくれる。但し、この制服は第1種夏服だった。
外国軍の軍人には世界の王者のように振る舞う米軍に対して内心では反発を感じている者も多い、完全に飼いならされているのは実は自衛隊だけなのかも知れなかった。
「服地はやはり英国製が最高級でしょう」「英国製はな」私が米軍とは違う落ち着いた紺色の英王室空軍と同じ色とデザインの制服を見ながら誉め返すと、「自国製」ではないことに司令は複雑な顔をしてうなづいた。
「この徽章は何だ?」次に司令は、私の左胸の防衛記念章の上に着けている格闘指導官章を指差して訊いてきた。
「マーシャルアーツ(徒手格闘)とバイヨネットファイティング(銃剣格闘)のインストラクター(教官)の徽章です」私の説明に司令は興味深そうにうなづいた。
「ジャパンは、BUDO(武道)の本場だからな」司令が質問を続けようとした時、大使が会場内を出て行こうとするのが見えた。
「すみません、仕事です」「そうか、また会おう」私は司令に挨拶をして壁際を速足で移動し、大使の先に立って会場から出た。
「おっ、流石はプロフェッショナルな仕事だな」私が先回りしたのを見て、大使が感心したように声をかけてくれる。この口ぶりでは前任者は本当に警備の素人だったようだ。
「財政支援を要望されるだけの政府要人とのパーティーは好きじゃないんだ」と少し酒が入った大使は公邸に戻る車の中で繰り返していた。
「おかえりィ」官舎に戻ると理美が出迎えてくれたが、子供たちは寝ていた。
家に帰るにも警備の詰所を通らなければならず、家と職場が同じ、つまりは基地内に住んでいるようでどうも気が休まらない。
幸い理美もWAFとして基地内に住むことには慣れているので、その点は普通の主婦よりは心配はないが、子供たちはどうなのだろうか?
「聖也のエレメンタリースクールの手続き終わったよ」「そうか、早いね」理美からこの話を聞いて、まだ2週間にもならない。スリランカ政府の仕事ぶりから考えると驚異的な早さだった。
「大使館員だと身元調査が簡単だからね」私が感心していると理美が種明かしをした。
「そうかァ、ここじゃあ自衛官の前に外務省職員だからなァ」私は制服を脱ぎながら日頃言っていることとの矛盾に自嘲した。
「でも、貴方は制服の方が格好いいよ」「君こそ、制服姿が見たいよ」制服を受け取った理美がクローゼットを開けると理美の制服がかかっている。
「あった、これこれ」私は理美の横から手を伸ばし2等空曹の階級章がついた3種夏服を取り出しクリーニングのビニール袋を剥がした。
「何をするの」「モリオ2曹へ特命、今夜は常装を着用せよ!」突然の言葉に理美は戸惑った顔をしたが苦笑してうなづいた。
理美は着替えに寝室に入り、やがて2等空曹になって出て来た。
「うん、やっぱり君も制服の方が素敵だ」久しぶりの理美の制服姿に胸がトキメいた。
「こんなことしながら言うと制服フェチみたいだよ」理美は呆れながら言う。確かにそうだが「それも悪くない」と内心で思った。私は黙って歩み寄ると後ろから抱き締めた。
「モリオ2曹、今日は帰らなくても良いんだろう・・・」設定は職場での不倫だった。
大根役者の私が言った台詞に理美も笑いながら応じる。
「駄目ですモリオ1尉、奥さんが・・・」こんな呼び方も久しぶりだ。腕の中で理美は笑いをこらえている。
「いいじゃないか、妻は気がつきはしないよ」そう言って首筋にキスをし、手が胸に伸び、ボタンにかかった。すると突然、「制服が汗になるよ」と理美が真顔で言い返した。
しかし、私は制服を着せたまま理美を抱き上げてベッドへ運び、仰向けに寝かすと制服のボタンを外して裸にした。考えてみると理美の制服を脱がすのは初めてだ。そして、その夜の営みは妙に燃え上がった。
ある休日、大使夫人のパーティ―に理美が同行することになった。
「しかし、妻は正式には大使館での任務を付与されていません・・・」大使からの指示を受けても私はすぐに了解は出来なかった。理美には在スリランカ大使館の配置がなく、したがって航空自衛隊は休職扱いになっている。ただ、赴任に際して航空幕僚監部人事部から「臨機応変に」と言われてはいた。
「ここでは私の命令が絶対なんだよ」大使は珍しくムッとした顔で念を押してきた。
「日本の国内法よりもスリランカでは大使命令の方が優先されるんだ」それには「日本政府の目が届かなければ」と言う前提がつくのだろう。
「わかりました」「それから奥さんは制服でな」大使は退出しようとする私に声をかけた。
今後こんなことが繰り返されるのなら、本当に自衛官服務規則よりも大使命令が優先するのか防衛庁、航空幕僚監部に訊いてみたかった。
「制服、久しぶりィ」(本当は数日前の夜にも来ていたが)こうして公用で制服に袖を通す理美は、やはり嬉しそうだった。
「お母さん、格好いい」「敬礼!」子供たちも第1種夏服姿の母の周りでハシャイでいる。
しかし、私は家族の様子を眺めながらも、理美が制服を着て公式のパーティ―への同行することにまだ不安を感じていた。これで若しも何かがあった場合、理美の扱いは公務になり得るのかは不明なのだ。悩んでいる私とは別に化粧など理美の支度は整った。
家族全員で家を出て公用車駐車場へ向かう。駐車場は建物の横のガレージだ。ガレージでは運転手に当たっている職員が車のほこりを払っていた。
運転手役の職員は私たちを見て、にこやかに挨拶してきた。
「モリオ警備官、奥様をお連れしますよ」「はい、お願いします」「奥さん、流石に凛々しいですね」「有り難うございます」職員に誉められて理美ははにかんだように微笑んだ。
私が話をしている間に理美が助手席のドアを開け、職員も慌てて運転席に乗り込んだ。
「モリオ2曹、大使夫人に同行します」助手席に乗り込む前、理美は開けたドア越しに姿勢を正し、挙手の敬礼をして申告し、その様子を職員は感心して見ていた。
「しっかりな」これが家の玄関ならば抱き締めてキスをするところだが、ここでは控えて敬礼を返した。子供たちが手を振ったところで理美を乗せた公用車は走り出した。

「警備官の奥さんも空軍の軍人なんですね」警備員詰め所に顔を出すと、通過した大使用公用車に乗っていた制服姿の理美を見た警備員たちは、興味深々と言う顔で質問をしてきた。
「うん、テクニカル・サージェント(2等空曹)だよ」サージェント(下士官)と聞いて元陸軍兵士の警備員たちは驚いた顔をした。
「空軍ではどんな仕事を?」「航空機整備員だよ、腕のいい」理美の意外な経歴を知って警備員たちは黙ってしまった。それからしばらく航空自衛隊の女性自衛官の話で盛り上がった。
その時、この日の勤務員の中で一番のベテランが真面目な顔で質問をした。
「これからは奥さんにも敬礼をした方が好いでしょうか」これには私も即答は出来ない。それは今、悩んでいるところなのだ。
「まあ、制服を着ている時には敬礼で挨拶してやってくれ、本人が敬礼を忘れないように」私の答えに警備員たちも納得したようにうなづいた。
「パーティ―会場で、みんなからジャパン・エア・フォースって注目されてしまって、大使の奥様よりも目立たないようにするのに苦労したよ」家に戻って先日の私と逆の形で着替えながら理美は報告した。
「しかし、制服で行けって命じたのは大使だからなァ」その前に理美に行かせたことも大使の命令だった。私の返事に理美もうなづいた。
その夜は、理美も気疲れしたのだろう、制服フェチにはなれなかった。
翌日の英字新聞に写真入りでパーティ―の記事が載っていたが、和服姿の大使夫人の後ろに立つ理美の制服姿が意外なほど目立っていた。
「これって日本では報じられないよな」「でしょう、スリランカにはあまり関心ないから」朝、食卓で新聞を広げながら2人で話し合ったが、これが防衛省、空幕に伝わったら確認の連絡が入るかも知れないと少し心配になっていた。
しかし、理美は日本の前にスリランカで目立ち始めてしまった。大使夫人の公的行事には毎回、理美に制服での同行が指示されるようになり、それが他国の大使夫人の間でも評判になってきた。
「キャプテン・モリオ、君の奥さんも軍人なんだね」大使の警護で同行した行事でも、他国の軍人が声をかけてきた。
「階級は何なんだ?」「職種は何だい?」と言う毎度の質問のほかに「上官が部下を口説いたのか?」「何歳なんだ?」と芸能レポーターのような質問をしてくる者もいる。
「何よりも中々の美人だ」「今度は奥さんに代わってもらえよ、俺も会いたいから」と誉めてくれる奴もいるが、こうなると危なくてイケナイ。
「理美にも護身術くらい教えないとなァ」私は理美の大使夫人の警護任務が続きそうなことから、そんなことを考えていた。
一方、私は理美だけが大使夫人に同行することを、ほかの外務省職員の奥さんたちから妬まれることを心配していたが、それは取り越し苦労だった。
職員の奥さんたちにとって大使夫人に同行することは、確かに夫を売り込むチャンスではあるが、その分、気苦労も多く、若い世代の奥さんたちからは敬遠されていた。
さらに言えば理美の夫である私は自衛隊からの出向であり、抜け駆けの対象にはならない。こうなると理美の警護任務は今後、本格化することを覚悟しなければならないだろう。
「キャプテン・モリオ、今度、ウチの警備隊員に格闘技を教えてくれないか?」あるパーティ―でいつものように壁際に立っていた私はスリランカ空軍コロンボ基地司令から声を掛けられた。
「エッ?」確かにスリランカ空軍の中に入ることは、在外公館警備と並んで私に課せられている情報収集には有益である。
その一方で、スリランカ軍は内戦の当事者であり、日本を含む欧米の人権団体からは「人権侵害を行っている」との謂れのない批判を受けていてスリランカ大使館員・自衛官がこれに協力することには政治的判断が必要だと思った。
「私の一存では何とも・・・大使の許可が必要です」私は即答を避けた。
「それは大丈夫だ。もう大使の許可は取ってある」その言葉に視線を大使に戻すとこちらを見て微笑んでいる。私は自衛隊の格闘技術が防衛秘密の対象でないことを頭の中で考えてみた。
「判りました。スケジュールは後日調整と言うことで」「ああ、担当者を日本大使館まで行かせよう」そう言うと基地司令は右手を差し出して握手を求めてきて私もその手を握り返した。その様子を大使は会場の中央から眺めていた。
「閣下、本当に宜しかったのですか?」私は公舎へ向かう車の中で先ほどの件を大使に確認してみた。
「別にいいだろう、むしろ君がスリランカ軍内に食い込んでくれればウチとしても助かる」大使は日本国内のことよりも、現地での業務を優先する傾向があるようだ。
「それでは週1回程度と言うことで調整します」「うん、そうしてくれ」酒が入った大使に長時間の話を求めることは節度として遠慮した。
翌週、事前の電話連絡の後、コロンボ基地の訓練担当者と言う私と同年代の空軍大尉と、もう少し若い軍曹が大使館を尋ねてきた。私は参加者のバランスを取るため理美も警備官室での調整に同席させた。
警備官室のテーブルを挟んで向かい合って座った所へ、理美が制服姿で盆にのせた紅茶を持って来て配り、私の隣の席に座った。
「コロンボ基地訓練担当課長のキャプテン・セ―ラです」「日本大使館警備官のキャプテン・モリオです」先ず、同じ階級の士官同士で挨拶を交わし、テーブル越しに握手をした。
「こちらは訓練担当下士官のサージェント・ニサンタです」「サージェント・モリオです」セーラ大尉が随行している下士官を紹介した後、私が理美を紹介すると2人は顔を見合わせて、制服姿の理美を見つめた。
「サージェント・モリノは奥様ですか?」「はい」私の返事に2人は納得したようにうなづいた。そして、ニサンタ軍曹が「ラッキー」と言う顔で手を伸ばして理美と握手し、4人で席についた。
「スリランカ陸軍の格闘訓練は陸軍出身のウチの警備員から聞いていますが、空軍ではどんな訓練をやっていますか?」私の質問にニサンタ軍曹が答えた。
「内容に大差ありませんが陸軍ほど真剣にはやっていません」「それは日本空軍も同じですよ、空軍軍人はどこでも兵士の前に技術者ですからね」軍曹の隣で気まずそうな顔をしていたセ―ラ大尉は、私の答えに安心したように笑ったが、今度は隣の理美の方が気まずそうな顔をしていた。
それは自分も航空機整備員であることを優先して、自衛官としての訓練を軽視してきたことへの反省なのだろう。
「それではボクシングの基本をやって後は試合形式の練習と言うことですね」「はい」「練習の頻度は」「警備兵だけは週1回です」「なるほど」だとすればスリランカ空軍の方が航空自衛隊よりも訓練に熱心と言うことになる。
スリランカ空軍の状況を確認して今度は私の方から説明を始めた。
「日本の格闘訓練の特色は型と言うモノを重視します」「はい」私の説明に2人はノートを開きメモを取り始める。
「始めに理想的な動きを繰り返し練習することで体に覚えさせて、それから試合に移ります」「それはBUDO方式ですね」「はい、練習方法は同じです」セーラ大尉は格闘訓練が武道だと聞いて興味を持ったようだった。
「日本軍の格闘は空手ですか?柔道ですか?」「拳法です」「KENPO?」私が日本語で「拳法」と答えたため、2人は顔を見合わせて知識を確認し合った。そこで私が極めて大雑把な説明をした。
「殴る蹴るがある柔道だと思ってもらえば、イメージは近いです」自衛隊の徒手格闘の元になっている日本拳法は柔術の流れをくんでいるので、殴り合い蹴り合いの中で相手を捉え、投げ倒して制するというのが必勝パターンだった。
この後、訓練に経験者の警備員を同行させること、シンハラ語の通訳を付けること、芝生のグランドを使うことなどを申し合わせて、その日の調整は終わった。
「訓練にはサージェント・モリオは来ないんですか?」調整が終わって理美が茶の準備に退席した時、ニサンタ軍曹が残念そうに訊いてきた。
「彼女は航空機整備員ですから格闘は専門外です」私の答えに2人はまた顔を見合わせた。
「しかし、美しいです」「とても上品でウチの女性兵士にも見習わせたい」2人が口々に理美を誉めてくれるので私はウッカリ口を滑らせた。
「彼女は華道の教授の免許を持っていますよ」「KADO?」また2人は身を乗り出した。本当は理美の専門は茶道だが、母親仕込みで華道師範の免許も持っている。
私は理美が庭の花を使って生けた警備官室の作品を指差して華道の説明をした。
「これはいい、ジャパニーズ フラワー アレジメントですね」セ―ラ大尉とニサンタ軍曹が立ち上がって作品を眺めているところへ理美が日本茶を盆にのせて入ってきた。今度は先日、岡崎から届いた羊羹が薄くスライスして皿に分けてある。
「サージェント・モリオ、素晴らしい作品ですね」「サンキュウ サー」大尉に誉められて、茶と菓子を配りながら理美ははにかみながら礼を言った。
「サージェント・モリノもウチの女性兵士にKADOを教えて下さい」「エッ?」軍曹の申し出に理美は驚いて私の顔を見たが、私は笑って誤魔化した。
「色々と道具が要りますから、無理でしょう」理美の答えに2人は花を生けてある日本製の花器を眺めながらうなづいた。
「これはジャパニーズ スイート(日本の甘味)です」全員が席に着いたところで理美は日本茶と羊羹を乗せた小皿を配りながら説明した。
「オ―、スイート(甘い)。ビュウテフル」「イエス、ナイステイスト(美味しい)、サ―」2人は皿に添えてある楊枝の使い方が判らなかったのか、指で羊羹を摘まんで食べ、満面の笑顔になった。
スリランカ人は激辛のカレーも好きだが、甘い物も好きなことを最近、知ったのだった。
私は日本の防衛省航空幕僚監部からディエゴガルシア基地における航空自衛隊輸送機の支援状況の確認を命じられ出張した。
ディエゴガルシアまでは贅沢にもチャーターした民間セスナ機で1泊2日の強行スケジュール、実際には米軍関係者への顔見せだった。
「JASDFのオフィサーが来ると言われたから、自分で操縦して来るのかと思ったよ」基地ターミナルへ出迎えてくれた迷彩服の米空軍大尉は、笑いながら握手してくる。
「私は空を飛ぶよりも地面を這うのが専門でして、ドギィ(犬ころ)と呼んで下さい」私は陸軍を意味する米軍の隠語で返答し、そのジョークに大尉は笑ってくれた。
「今日、タイからJASDFのハ―キュリーズが来るよ」「リアリィ(本当ですか)?」大尉は司令部へ向かう車の中で説明してくれた。
航空自衛隊第1輸送航空隊のCー130ハーキュリーズ輸送機は、小牧を出発し、那覇、フィリピン、タイ、ディエゴガルシアを経由して中東へ荷物を届け、逆の経路で日本へ戻る。それには中国とベトナム、フィリピンが領有をめぐって争う南沙諸島上空の飛行許可を、どこに求めるかと言う政治判断を回避したいと言う外務省の指示があった。
私は海軍基地に居候する形の空軍輸送隊本部の隊長に挨拶に行った。
「在スリランカ日本大使館公館警備官の航空自衛隊・モリオ1尉です」パイロットスーツを着た空軍中佐の隊長は私の肩書に少し戸惑った顔をした。
「防衛駐在官ではないのか?」「外務省に出向と言う形を取っています」私の答えと1尉と言う階級で隊長は状況が飲み込めたようだ。
「英語はクィーンズ・イングリッシュだね」「周りがイギリス英語ですからうつりました」「スリランカだから頭を丸めているのか?」「これは趣味です」隊長は「珍客到来」とばかりに矢継ぎ早の質問をしてくる。私がそれに一々答えていると、横から案内役の大尉が壁の時計を見て「隊長、JASDFのハーキューリーズが到着します」と声をかけた。
「オ―ッ、またJASDFのお客さんだ」そう言うと隊長は大尉が差し出した帽子を受け取り一緒に出るように手でうながした。
3人で外に向う廊下でも話は続いた。
「私はスリランカに来る前は、第1輸送航空隊司令部に勤務していました」「リアリィ?だったら隊司令の佐藤1佐を知っているか?」それは前隊司令だ。
「はい、佐藤1佐が私を公館警備官にしてくれたんです」私の説明に隊長はうなづいた。
「彼とは5年前のロディオで一緒になったんだ」「そうですか」ロディオとは4年に1回世界中のC―130を使っている空軍がアメリカに集まって、飛行、輸送、整備技術を競うハーキューリーズ・オリンピックと呼ばれる大会である。
「JASDFの第1輸送航空隊はプロフェッショナルな部隊だった」「有り難うございます」確かに第1輸送航空隊はここ数回、優勝を続けているはずだ。
ここまで話したところで隊長は隊長車、私と大尉は先ほど乗って来たワゴン車に分れた。
到着した1輸送航空隊のCー130は駐機場に停止すると飛行後点検を終え搭乗員たちが降りて来た。やはり機長も副操縦士、航法士も顔見知りだった。
機長は出迎えた隊長と握手をすると、その横で待っていた私に歩み寄り、敬礼している手を下ろす前に掴んだ。随分、強引な握手だった。
「モリオ1尉、久しぶりだなァ」「御苦労様です」「そうかァ、モリオ1尉はスリランカだったね」機長の横から副操縦士が声をかけてくる。
「そうなんです、日本語が懐かしくて会いに来ました」「俺たちに英語をやらせた罰ですよ」航法士は私の発案で始まった朝の英語スピーチのことを持ち出した。
その間にも整備員たちは機体の周りを点検し、ロードマスターは現地に向う搭乗者たちに列を作らせエプロンを横切って外来宿舎へ誘導して行った。
私とパイロットたちが話していると、機上整備員が機長に報告にきた。
「機長、飛行後点検異状ありません」「了解」機長が答えると整備員が私に気がついた。
「おっ、久しぶり」「あっ、お久しぶりです」整備員も私の顔を見て懐かしそうに笑って敬礼し、話に加わってきた。
「モリオ1尉、今度は奥さんをここへ派遣して下さいよ」「何で?」整備員の話は冗談ばかりではなさそうだった。
「電機の故障が起きた時、人手が足りなくて・・・モリオ2曹がいてくれたら助かります」「でも、彼女は救難機専門だよ」「電機屋には変わりないでしょう、助かりますわ」航空機整備WAFの草分けを自任する理美が聞けば大喜びしそうな申し出だったが、この真剣な訴えに私は1つの提案を返した。
「俺も空曹時代は電機整備員だぜ83空隊所属の・・・イザとなったら手伝うよ」「エ―ッ、マジっすか?」初耳だったらしく整備員と副操縦士は顔を見合わせている。
「絶対、根っからの教育隊だと思っていました」「モリオ1尉が整備した飛行機じゃあ怖くて飛べませんよ。奥さんが優しく整備してくれたのならいいけど」副操縦士がつけたオチで一同が爆笑してその場はおさまった。
夜、外来宿舎は機長、副操縦士、航法士と4人同室だった。
整備員やほかの搭乗員たちは米軍のクラブで騒いでいるようだが、パイロットたちは翌日もフライトなので酒は飲めなかった。
「モリオ1尉がここで飛行安全を祈願してくれていると思うと安心して飛べるなァ」機長の冗談のような呟きに私はそれを実践しようと心に誓った。
翌朝、1輸空のC―130は最終目的地・ヨルダンに向けて飛び立っていった。
朝食の後、見送りのため機長たちと駐機場に行くと、飛行前点検をしている横で故障がなければ仕事のない専門職種の整備員たちが声をかけて来た。
「モリオ1尉、お久しぶりです」「皆さんもお変わりありませんか?」その中には演習の時の徒手格闘大会で優勝した猛者もいた。
「訓練班長が代わって今年も徒手格闘の試合があるのか心配しているんですよ」彼は高校のボクシング部出身で蹴り技、投げ技は苦手だったが、流石にパンチとフットワークはずば抜けていて防具の上から相手を殴り倒して優勝したのだ。
「こっちでスリランカ空軍に徒手格闘を教えているから助教にくるか?」「それは好いですね。ここから連れて行って下さい」彼は変に乗り気になってしまった。
「その前にスリランカ軍の格闘訓練はボクシングだそうだから、その方が得意だろう」「おっ、いいですね」彼は目を輝かした。
「モリオ2曹はお元気ですか?」別の整備員が声をかけて来た。
「かげさまで元気ではりきってますよ」大使夫人の警護をしていることは言わなかった。
「でも飛行機に触れなくなって寂しがってるでしょう。整備員はやっぱり飛行機が好きですからね」彼の言葉に理美が胸の中に抱えているモノを見た思いがした。
私も航空機整備員から教育隊へ転属した時、味わった不思議な喪失感を思い出した。そして、それを埋めてくれていたのは理美が来て話す航空機整備の話だったように思った。航空機整備と縁が切れていないことが嬉しかったのだ。
「モリオ2曹がいなくなって灯が消えたみたいだって救難隊の連中が言ってますよ」「そうかァ?ほかにもWAFはいるだろう」私は彼の大袈裟な誉め言葉に謙遜して答えた。
「モリオ2曹には花がありますからね」「花道の先生だからなァ」私は先日のスリランカ空軍訓練担当者との席の話を思い出して苦笑しながら答えた。
「そうじゃあなくてェ」「相変わらずですね」私の冗談に整備員たちも笑った。
やがて飛行前点検が終了してチーフの整備員か機長に「異常なし」を報告すると、機長たちと握手を交わし、彼らはC―130に乗り込んで行った。
私はC―130を見送ると迎えに来たセスナでスリランカに帰った。
料金を考えれば2日間貸し切るよりも2往復させた方が安いのかも知れないが、緊急事態で帰ることを考えればディエゴガルシアで1泊させてもらいたかった。
何より燃料がもったいない。どのみち役所に通用する話ではないが・・・。
「小牧の人たち、元気だった?」大使館に帰ると理美は興味深そうに訊いてきた。ここでは会う日本人は大使館員と日本人学校の教師だけ、日本からの知っている来客には格別の思いがあるだろう。
「今度は君に来てもらいたいって、整備作業を手伝って欲しいんだとさ」私の話に理美は一瞬表情を変えた。
「飛行機かァ、しばらく会ってないね」理美は懐かしい旧友のことを言う口ぶりだった。
私も帰路、それが実現出来ないか考えていた。しかし、それが公務扱い出来ない以上、ディエゴガルシアへ行くのは自費になり、米軍基地に入る手続きも難しいだろう。
「俺も元整備員だって言ったのに誰も信じてくれないんだよ」「ふーん」「コパイ(副操縦士)なんてそんな飛行機怖くて乗れないってさ」「へー」私のボヤキ節に相槌を打ちながら理美がポツリと呟いた。
「私も航空基地の空気が吸いたいから、貴方と一緒にコロンボ基地へ行こうかな・・・」「うん、それなら実現性はあるな」私の答えに理美は嬉しそうに微笑んだ。
私のコロンボ基地での格闘教育は言葉の壁はあったが、助手役の警備員・デサナヤケの意外な演技力もあって順調に進んでいた。
整列して気合いを掛けながら突き蹴りを繰り返す独特の練習は人目を引くらしく関係がない将校、兵士たちも立ち止まって見学して行く。
時々、基地司令も視察に来て満足して帰って行くが、私は蹴り技に関して技術的な課題を抱えていた。
「どうも間合いが違うなァ」徒手格闘の技には、相手の蹴り足を受け止めて股間の急所を蹴り返す技があるが、脚が長いスリランカ人では相手の蹴りが遠くなり、重心も高いため、下半身が安定せず、どうしても蹴りが上手く急所にいかないのだ。私はデサナヤケと練習をしながら研究をしたが改善方法は見つからなかった。
「どうせなら足をかけて転ばしたらどうでしょう」突然、デサナヤケが言い出した。確かにこの調子では、実戦で急所を蹴って致命傷を与えるより先に相手に反撃される危険性がある。ならば長い脚を使って片足立ちになっている敵を転ばすのも一手だった。
「なるほど、試してみる価値はあるな」「でしょう」早速、練習をしながら確認したが、やはり距離が遠いのがネックになって上手くいかない。おまけに言えば試している私の脚が短いのもある。
「スリランカ軍がボクシングにしていたのも理解出来るなァ」「私もキックは苦手です」デサナヤケは残念そうに相槌を打った。
欧米で蹴りがある格闘技が発達しなかったのは、このバランスの問題のような気がしたが、日本の少林寺拳法では古代インドの武術が佛教と共に中国に伝わり、発展したのが少林寺拳法だと教えている。私はその古代インドの格闘技を見てみたいと思っていた。
その前に私の私費からデサナヤケに払っている基地での格闘訓練の手当は日本大使館かスリランカ軍の公費で何とかならないのだろうか。
日本では秋のお彼岸の前、聖美の命日が近づいてきた。我が家では毎年、沖縄の祖先供養にならって私がお経を上げた後、供えていたお菓子を食べて家族みんなで楽しく過ごす時間をもっていた。
「聖美さんの命日、今年はどうしよう?」「やり方は同じだろうけど、折角、佛教国に来ているんだからなァ」私と理美は顔を見合わせて頭を傾げていた。
「いっそ、スリランカのお寺へお参りに行くかァ」「それならキャンディの佛歯寺へ行ってみたい」話がどうしても観光になってしまうのは相変わらずだった。
「それじゃあ、そうしよう」話は決まった。キャンディなら1泊2日で十分だ。しかし、私は外泊申請をする前に治安情勢の変化について確認しなければならなかった。
「キャンディなら佛歯寺も良いですけど、植物園がお薦めですよ」私の外泊手続きを受け付けたスリランカ人の女性事務員が教えてくれた。
「でもお弔いのためのお寺参りだからね」「日本では慰霊のためにお寺へ行くのですか?」どうやらスリランカ佛教は日本の葬式佛教とは担当業務=存在理由が違うらしい。
「日本では念佛と言ってね・・・」私は一応、禅宗の坊主だが、何故か日本の念佛信仰について説明を始めてしまった。
「今の心を佛に向けて生きていけば、それで救われるんだよ、日本では」「フーン、出家や修行をしなくても良いんですか?」彼女は理解出来ないようで難しそうな顔をして訊き返してくる。
「人生そのものが修行なんだよ、日本では」佛教の本場であるスリランカでは、日本の佛教を語るのに、何にしても「日本では」を付けなければならないような気がした。
「確かに人生で幾多の苦難を乗り越えることを修行と言うのは判りますが、出家して佛道に生きることでその苦難からも救われると言うことが釈尊の教えだと思います」私も坊主の端くれだがスリランカ人の佛教理解の深さに舌を巻いた。何よりこれ以上の説明をするだけの英語力を私は持ち合わせていない。
「キャンディの植物園ね」「はい、素敵ですよ」私はボロが出る前に話を切り上げて警備官室に戻った。
キャンディのホテルがとれた土、日曜日に家族で出かけた。古都・キャンディまでは車で4時間ほどかかる。
スリランカは面積的には九州と四国を合わせたほどで、距離はそれほど離れていないが、日本のような高速道路網がないので一般道を行くしかないのだ。ただ、スリランカはイギリス式に車が左側通行なので日本と同じで運転は楽だった。
「お母さん、キャンディって飴玉を売ってるの?」聖也の子供らしい質問に両親は微笑んだ。しかし、周作は外の風景に夢中で話を聞いていない。これは集中力があると言うのか、のめり込むタイプと言うのか少し心配ではある。
「お菓子屋さんには売ってるんだろうけど、だからキャンディって言うんじゃないよ。現地の人が山って言う意味でカンナって言ったのをヨーロッパ人が勘違いしたんだ」「へーッ」私の女性事務員からの受け売りを聖也よりも理美が感心してくれた。
「キャンディは昔、スリランカの王様が住んでいた都なんだよ」「お城があるの?」「お城じゃあなくてお寺があるね」私の説明に聖也は「王様」のイメージを膨らませたようだった。しかし、佛歯寺が王宮跡に建てられたことを後から現地の英文の看板で知った。
「あっ、日本のバスだ」突然、周作がすれ違った対向車のマイクロバスを見て叫んだ。
「何?」「バスの横にXX幼稚園って書いてあったよ」それは日本から輸入した中古マイクロバス車だ。スリランカでは塗装を直さずに輸入するようで幼稚園や温泉などの名前がそのまま書いてあることは珍しくない。周作の話に、字が読めない聖也も一緒に外を見始めた。
その時、私と理美は一つ心配なことに気がついた。
「ところで旅行は好いけどシンハラ語は大丈夫か?」「エ―ッ、貴方は駄目なの?」現地の店などに入れば英語が通じない可能性はある。道に迷って尋ねるにしても現地の言葉が判らないと心配だった。
「アユボ―ワン(こんにちは)とストゥ―ティ―(ありがとう)くらいなら判るけどなァ」「私だってそのくらいは判るよ」私の強がりに理美が反論してきた。しかし、反論されても心配の解決にはならない。
「まあ、観光地だから英語が通じるだろう」「多分、京都くらいにはね」私は自分を安心させるためにそう言ったのだが、理美もそれに乗ってきた。

バナナ満載のトラック
佛歯寺は広大な敷地によく整備された庭園があり、敷地の中には王朝時代の政庁の建物が点在して、流石は王宮跡に建てられただけのことはあった。ただ、佛陀の歯を納めている本殿はタミル人ゲリラによって爆破され、再建されたものだ。このためか銃を持った警備の兵士たちが多数、配置されている。
「お父さん、象さんだよ」周作と一緒に先を歩いて行った聖也が振り返って報告する。その間に周作は象の檻の方へ歩いて行っていた。
「日本の神社には御神馬っているけど、こっちは御神象だね」「お寺だけに御佛象だろう」「ゴブツゾウじゃあ、日本語として変だよ」理美の意見に私が反論すると、理美がさらに反論してきた。
「スミマセン、日本のお坊さんですか?」その時、後ろから声を掛けられた。振り返るとそこには数人の日本人観光客らしい中年の女性たちがいた。私は作務衣に絡子を掛けて、坊主刈りの頭だけにどう見ても坊さんだ。そして、出家得度を受けた正式な坊主ではあるが宗教法人=寺院は営んでいない。
「はい、そうです」私が返事をすると女性たちは嬉しそうに取り囲んできた。
「佛教の聖地で日本のお坊さんにお会い出来るなんて光栄です」「はァ」思わぬ反応に私と理美は顔を見合わせた。女性たちは寺院の檀信徒の団体旅行でスリランカに来たのだと言った。
「どちらのお寺なんですか?」「現在はコロンボ市内です」「エ―ッ、スリランカに留学しているんですか?」「はァ、仕事もしています」話がドンドンおかしな方向へ進んで行く。しかし、私は嘘をついていない。
「お仕事ってこちらのお寺ですか?」「いいえ、日本の大使館員です」それでも私は嘘はついていない。しかし、理美は隣で呆れていた。
「すごーい、やっぱしスリランカは佛教国だから大使館に坊さんもいるんだァ」女性たちが変な納得の仕方をしたが、それを否定しなかったことは嘘になるのであろうか?だとすれば私は佛陀の前で「不妄語戒」を破ったことになる。
それでも、その日は聖美の写真を持って佛陀の歯に参り、お経も唱えてきた。これで聖美も安心しただろう。楽しい思い出が一番の供養なのだから。

佛歯寺のイルミネーション
翌日は大使館の女性職員のお薦め通り、キャンディの植物園へ行った。
植物園は南洋の植物を中心に日本では目にすることがない樹木が並び、確かに見応えがあった。子供たちも放し飼い状態で、自由に走り回っている。ただし、コブラは心配だった。
「やっとスリランカの花が判ったね」「うん、やっぱり原色で南洋の花だな」花の庭園、蘭の温室を眺めながら理美が呟いた言葉に私はうなづいた。庭園、温室の端には池があり、色鮮やかな蓮の花(スリランカの国花)が咲いている。
「でも蓮の花が綺麗だね」「スリランカは佛国土だから、極楽浄土の風景なのかもな」「南無阿弥陀佛、南無阿弥陀佛・・・」理美の念佛を聞きながら私は先日の事務員との問答を思い出していた。
広い園内を回っていくと広場の中央にひときわ大きな木があった。
「この木何の木、気なる気になる・・・」その木を見つけて周作が大きな声で唄い始めた。それは日立のCMに出てくる巨木のような形と大きさだった。
木の下まで行って見上げると空を覆うほどの大きさで、太い枝が四方に広がり、生い茂った葉がスリランカの強い日差しを遮って薄暗く、精霊の1人や2人は棲んでいそうだ。
「この木があのCMの木ですか?」周作と聖也が並んで質問をしてきた。
「あれはバウバウの木って言うハワイの木のはずだけどなァ」「エ―ッ、私はマダガスカルって聞いたことがあるよ」私たちの意見が分かれてしまったが、どちらも自分が正しいと言い切るほどの自信はない。しかし、子供たちは両親の答えを待っているので私が回答した。
「この木何の木って歌ってるくらいだから、歌っている人も判ってないんだよ。だからこの木もあの木でいいんだよ」私の迷回答に理美も同調して笑いながらうなづいた。
両親にこう言われてしまっては子供たちも反論は出来ない。と言うことで我が家では、スリランカのキャンディ―の植物園のこの木を、あのCMの木と言うことにした。

「この木、何の木」の木
「スリランカは実在の西方佛国土です」こんな手紙をキャンディで子供たちと撮った写真を同封して岡崎の両親に手紙を送った。すると「貴方たちがいる間に一度旅行に行きたい」と言う義母からの返事が届いた。
「でも、お父さんが長く休めるかなァ、私、家族旅行なんて行ったことないんだよ」それを読んで理美は自営業の子供ならでは話をした。
「でも、今は弟たちもいるし大丈夫だろう」理美には2人の弟がいて1人が経理、もう1人が営業担当で父の会社を手伝っているのだ。
「父の性格を考えるとねェ、果たして弟たちにまかせられるか・・・」私は両親の旅行が実現することを願ったが、理美はあまり期待していないようだった。
「でも下見を兼ねて家族旅行をしておかないとな」「うん、シンハラ語も覚えてね」スリランカの観光名所と言えばキャンディのほかには巨岩の上の王宮・シ―ギリアロックやイギリス人がスコットランドを真似て作った街並みのヌワラエリアなどがある。しかし、北部はタミル人ゲリラの支配地域があり、大使館が近づくことを禁じている。
「ところで貴方の御両親には手紙を出したの?」いきなり理美が余計なことに気がついて訊いてきたので私は即答した。
「パス、スリランカに来たこと自体を喜んでいないんだから」私の答えに理美はしばらく難しい顔で考えていたが、一言反論した。
「それはいけないよォ、貴方の親だけど子供たちのお祖父ちゃん、お祖母ちゃんでもあるんだから」結局、周作の手紙と聖也の象の絵に同じ写真を入れて愛知の親に送った。
スリランカは年中泳げるが雨季が明けて気候が安定した時期に家族で海に行った。
「でも、外洋だからねェ」「確かにサメの1匹や2匹いそうだなァ」車の前の席で両親がそんなことを話していると、聖也はそれを聞いていて「怖い」と言ったが、周作は海に行くことで有頂天になっていて話を聞いていなかった。
この兄弟の父親はどちらも私なのだが性格が全く違う。と言って聖美と理美の性格ともあまり共通点がない。強いて言えば空曹時代の私と幹部になってからの私にそれぞれ似ていると言えるかも知れない。
「そう言えば君のビキニを買ってかないと」私は何としても理美のビキニを見たかった。基地のプールではスポーツ水着専用だったので、このままではビキニ姿を見ないで終わってしまう。私の言葉には必死の迫力があったはずだ。
「もう、何を言ってるのよ、30代も半ばになってェ」そう言って理美は助手席でソッポを向く、いつものならそこで諦める私だが今日は食い下がった。
「4捨5入すればまだ30だよ。なッ周作」「聖也もお母さんのビキニがみたいだろ」周作には4捨5入で念を押し、聖也には同調を求めると理美は溜め息をついた。
作戦成功で子供たちが後ろで「ビキニ」「ビキニ」と騒ぎだした。
「今日は執念を感じるよ」「そりゃ、ラストチャンスだもん」「もう、スケベ親父」そう言って理美は手を伸ばして私の頬をつねった。すると今度は「スケベ親父」「スケベ親父」コールになってしまった。
ビーチの近くにあるショッピングモールへ入るとスポーツ用品店を探した。するとそれは3階にあったが何故か店名は「サムライ」と言う。
そこで私は「何か日本の武道グッズを売っているのか」を訊いたが、店長は「サムライ」が日本の言葉と言うことも知らなかった。
それから理美がビキニの水着を選んでいる間に私は店長相手に日本の武道について質疑応答していたが、周作が「柔道場はないか?」と尋ねるとやはり「ない」と言う答えだった。
「もう、これが最初で最後だよ」と言いながら理美は若い店員さんと相談して、黒い無地のビキニを選んだ。しかし、それはハイレグでもない普通のデザインだった。
「お父さん、よかったですね」「うん、長年の夢がかなったよ」理美が会計を済ませている間、夢が叶って感激している私に周作が声をかけてくれた。
ビーチで理美の背中にサンオイルを塗ることを期待して胸が高鳴ってきた。
その日、コロンボのビーチにはビキニ姿の麗しい日本人女性か現れたが、理美は海に浸かって中々浜に上がって来ず、上がると直ぐにバスタオルを肩にかけている。
日頃鍛えている理美ならビキニでも十分鑑賞に堪えると思ったが、カメラを向けるとワザとオカシナ顔をするので仕方なく目に焼き付けた。

イメージ画像(栗原景子さん)
「モリオ警備官、大使がお呼びです」珍しく秘書官から呼び出しの電話が入った。
「どうぞ、お待ちです」「モリオ警備官、入ります」秘書官の取り次ぎの後、私は入り口で自衛隊式に挨拶をして大使室に入った。大使は部屋の奥の大きな机の向こうでこちらを見ていて、私は真っ直ぐその前に立った。
「モリオ警備官、参りました」「楽にしてくれ」大使の指示で私は自衛隊式に休めの姿勢になった。
「今度、在スリランカの各国大使館の駐在武官がタミル人ゲリラ掃討作戦の視察に行くことになった」「はい」私は単なる軍事関係の情報かと思っていた。
「我が国は防衛駐在官がいないから君に行ってもらうこととする」「はァ?」「これは外務省、防衛庁からの指示だよ」「はい」返事をしながらもまだ状況がつかめない。各大使館の駐在武官は大佐クラスで1尉の私とは階級的にかなり開きがある。そんな中に1人紛れ込んで仕事が出来るのか不安になった。しかし、戦場を見てみたいと言う自衛官の本能も働いている。私は姿勢を正すと「判りました」と答えた。
「細部の予定はこの紙に書いてある。秘書官室でコピーをしてくれ」「判りました」「暮々も気をつけてな」「はい、有り難うございます」私は大使の手から数枚の書類を受け取ると心配に対する礼を言って退室した。
夕方、官舎に戻り夕食を終えた後、今日言われた指示を理美に話した。
「理美さん、来週は2泊3日の出張だよ」「エッ、またディエゴガルシア?」理美=モリオ2曹にもスリランカ国内で警備官が行く出張は考えつかないようだった。
「よその大使館の武官と一緒に政府軍が制圧した地域を視察に行くんだ」「エ―ッ、戦場へ行くの?」予想しなかった話に理美も流石に驚いたようだ。不安げな顔をした理美を安心させようと私は話を続けた。
「制圧した地域だから戦闘は終わってるだろうけどね」「でも、相手はゲリラでしょ、何時、何処から攻撃してくるか判らないじゃない」理美も警備幹部の妻歴が長くなって、そこらのWAFとは知識のレベルが違っている。下手すれば警備音痴な航空自衛隊の幹部に勝っているだろう。
「大丈夫、各国の武官が大勢行くんだから危険なことはないよ」「でも武官って1佐クラスなんじゃないの」危険については私の説明で納得したのか、理美の興味はそちらに移ったようだ。
「うん、中には大使を兼ねてる国もあるよ」軍事政権の国の大使は、やはり軍人で武官を兼ねている場合もある。
「1尉が一人紛れ込んだら、作業員に使われるよォ」「スリランカ軍の軍人がついているから大丈夫だろう」私も自分の説明に自信はない。階級社会の軍隊では国力がどうであれ大佐は大佐、大尉は大尉なのだ。おまけに比較的年齢が若い私はその点でも低く見られそうだ。
「服装は乙武装でしょう。ところで迷彩服あったっけ?」「あッ、それだ。航空自衛隊の作業服しかないや」私は赴任に当たり航空幕僚監部に「航空迷彩服を1着受領したい」と申し出たのだが「前例がない」と断られ、ならばと陸上自衛隊の駐屯地の売店へ買いに行く暇もなかった。
「市街地なら灰色の作業服でもいいけど密林の中では迷彩服じゃないとねェ」「密林でゲリラに攻撃されたら、この作業服じゃあ目立って即アウトだね」「でも軍人に見えなくて助かったりして」理美の意見は慰めなのか励ましなのか判らない。しかし、動きやすいのは着なれた作業服であることは間違いなかった。
その夜、私はベッドの中で理美を強く抱き締めた。
それは結婚以来、危険が予想される任務に向かう前夜とり行う、今生の名残を噛み締める儀式だった。理美も私の覚悟を察していたのか黙ってされるままにしている。
私は黙って口づけると、そのまま唇を首筋から肩、胸へと這わしていく、理美も素直に反応し「貴方・・・」と喘ぐようにかすれた声を出した。
翌週の月曜日の早朝、私は公用車で集合場所の陸軍のコロンボ駐屯地に向った。時間が早いこともあり大使には金曜日の夕方に申告はしてある。こんな危険を伴う任務も事務的に処理するところはやはり外務官僚的と言える。
「それじゃあ、行ってくるよ」「気をつけてね」「お父さん、行ってらっしゃい」航空自衛隊の作業服を着て浜松時代のベレー帽を被った私は、公用車の助手席に乗り込むと窓を開けて家族に声を掛けた。出撃のキスは官舎の中で済ませてきた。走り出した車の中から振り返ると子供たちが手を振っている横で理美が敬礼していた。
「モリオ警備官、今回の出張は少し危険ですよね」「うん」運転の職員は乗せているのが私だと気楽なのか雑談をしてくる。
「恐くはないですか?」「いや、戦場に行けるのが楽しみだよ」私の返事に彼は驚いてこちらを向いたので脇見運転になった。
「流石は軍人さんですねェ」「自衛官だよ」私の返事に彼はまた脇見運転をした。
「ゲリラが何処からどう攻めて来て、政府軍がそれをどう迎え撃って撃破したかを現地で確かめるのは自衛官として本当に勉強になるよ」「そうですかァ、私は戦場と言うだけで恐ろしいですけどね」前を向いたまま答えた彼の横顔は何故か少し強張っている。
「君だって毎日、交通戦争を戦ってるんだろう」「はい、コロンボ市内は激戦地です」私のジョークに今度は前を見ながら笑ってうなづいた。
「前の警備官は絶対にそんなことは言いませんでしたけどね。出張は面倒臭い、警護は気疲れするが口癖でしたよ」「海の人は陸では働かないそうだからね」前任者は海上自衛官だったと聞いているが、最近は警備記録の書類などを見ても本当にやる気がなかったような気がしていた。
「でも奥さんも流石に自衛官ですよね。ウチの女房だったら私が戦場に行くなんて言ったらパニックになりますよ」「うん、彼女も修羅場を潜って来たからね」救難機の整備員だった理美は救難と言う過酷な任務を目の当たりにしてきたのだ。
「今の自衛隊でもそんな危険な任務があるんですか?」「それはあるさ、自衛隊だもん」私の答えに彼はまたこちらを向いて脇見運転をした。こうして同乗していると専門職ではないとは言え、運転担当者としてはやや適性にかけるような気がしていた。
「ジャパンはエラク若いカーネル(大佐)だな」集合場所の控室で待っていると、大使の警護で顔を知っている武官がからかってきた。
「ウチは駐在武官がいませんから代わりです」「そうか」下位の者としては相手が冗談を言っても冗談で返す訳にはいかない。
そう言われて集合している各国の軍人たちを見渡すと中には警備官の大尉も混じっている。部屋の隅で大尉同士が談笑しているのを見つけ、私もそこに加わることにした。
「おや、ジャパンもキャプテン(大尉)が代理かい?」「ウチにはカーネルはいないんだよ」警護任務で知り合った某国陸軍の大尉は、私の顔を見ると笑って話しかけてきた。
「ウチのボスは暑い中、戦場を歩き回りたくないってさ」そう説明して彼は肩をすくめる。私は内心、スリランカに防衛駐在官がいないことを感謝した。
そんなワガママな上官が同じ大使館にいては子飼いの部下としてマンツーマンで世話をしなければならないのだろう。下手をすれば理美が奥様に使われるかも知れない。
「しかし、こうしてみると結構、キャプテンクラスもいるなァ」「どこも同じだろう」彼の返事には妙に実感がこもっている。私たちは顔を見合わせて肩をすくめ苦笑した。
やがてスリランカ陸軍の大佐と少佐が部屋に入って来た。
「それでは集合をお願いします」大佐は会場を見渡して英語で声をかけ、少佐がスペイン語で同じことを言った(多分)。
「武官の皆様はこちらへお願いします」大佐は最右翼に大佐の武官7名を並ばせ、その横で少佐が我々警備官の大尉、12名を並ばせた。
「それでは武官の皆様はどうぞ」大佐はそう言うとニコヤカに話しかけながら先に立って部屋を出て行き、後に残った我々に少佐は英語の号令をかけ列を作って引率した。
大佐と大尉ではこれほど待遇が違うのを知り、私は隣のシンガポール海軍のバン大尉と顔を見合わせて溜め息をついた。
建物を出ると大佐たちはマイクロバスの入り口の前に列を作り、順番に乗っている。しかし、我々はそのままマイクロバスの後ろに、エンジンを掛けたまま駐車しているトラックの後ろへ引率されていった。
「えーッ、これで現地まで行くのかァ?」その時、列の後ろから文句を言う声が聞えた。振り返るとアラブ系の陸軍大尉が少佐に向かって質問の形で抗議していた。アラブでは軍の将校には王族が多いと聞いている。彼もそうかも知れない。
「大丈夫、現地まではヘリだ」「そうか、それはよかった」その答えにアラブ系の大尉はニッコリ笑ったが私としては逆に安全を心配した。
「ヘリなら理美に整備させたいな」そんなことを考えながら手分けしてカバンを荷台に積み、順番によじ登って荷台の堅い席に座った。
「スリランカ軍の整備の腕は大丈夫なのかな?」「うん・・・判らんな」隣に座ったタイ空軍のスリヤ―パン大尉が同じ空軍同士と言うことで私に話し掛けてきた。彼の心配もやはり空軍軍人らしく整備員とパイロットの腕のようだ。
「墜落の情報も撃墜されたのか整備不良なのか原因ははっきりしないからな」「そうかァ、ブッダ(佛)に祈ってるしかないね」彼の話に答えた私のジョークに佛教国のタイ国軍人の彼は愉快そうに笑った。その時、ガタンとトラックが跳ね、私は舌を噛みそうになった。
トラックは駐屯地の舗装していない道を走り抜け訓練場に向かっているようだ。やがて外から幌越しにヘリのエンジン音が聞えてきた。
「3機いるな」国籍不明のアフリカ系の陸軍大尉がエンジン音を聞いて自慢げに言ったが、それくらいは私にも判った。大佐で1機、我々大尉は2機に分かれて乗るのだろう。
「まさかヘリまで階級で機種が違うのかな?」「スリランカ軍にそんなにヘリがあるのか?」スリヤ―パン大尉と私の掛け合いに周りの大尉たちは顔を見合わせて苦笑した。
ヘリコプターは旧式のイギリス製だった。スリランカ軍の銃はソ連製だが迷彩服はアメリカ製であり、特定の輸入先はないようだ。
「エラク古いヘリだな、ウチでもこんなのは使ってないぞ」「そうかい?」タイ空軍も新鋭機を揃えているとは思えなかったが大尉の言葉に私もうなづいた。
トラックから下り、また手分けしてカバンを下ろして並んでいるとマイクロバスからは陸軍の兵隊たちが荷物を運び出している。武官たちは遠巻きにスリランカ陸軍の飛行前点検を眺めて批評し合っていた。
「2列に並べ」少佐は命令口調で私たちに指示を与えた。大使館に赴任以来、団体行動をしていないので、何だか教育隊に入り直した気分になる。ほかの大尉たちも同様なのか黙って列を作った。
やがて我々は飛行前点検を終えたヘリに分かれて乗り込んだ。予想通り1番機に武官、2番機と3番機に我々が乗り、少佐は2番機に乗るようだ。私はスリヤ―パン大尉と共に3番機に乗った。
私は席に座りベルトを締めるとエンジンの調子を確かめようと耳を澄ました。しかし、異常がないようで直ぐにヘリは舞い上がった。
理美は大使館の庭の隅の官舎の前で洗濯物を干していた。
スリランカでは洗濯物は石や屋根に広げて干すようで、日本のように日差しと同時に風にさらすと言う習慣はない。したがって洗濯竿は私が郊外から竹を切ってきて作ったのだ。
その時、大使館前の並木の向こうから数機のヘリが舞い上がるエンジン音が聞えてきた。
「うーん、聞いたことがないエンジン音だなァ」理美は手を止めてエンジン音のする方向を見たが、大きく茂った並木の影になって機影は見えない。実は陸軍の駐屯地の場所もよく知らなかった。
「あれに乗ってるんだね、いいなァ」理美の専門はプロペラ機だったが、同じ救難隊のヘリコプターにも親しみはある。懐かしさが胸に湧いてくる。
理美は黙って姿勢をただすとエンジン音に向かって敬礼をしたが、その瞬間、昨夜の激しかった営みを思い出して1人照れたように笑い、余韻を確かめようと敬礼した片手で首筋に触れてみた。

イメージ画像
大使から私の留守中は理美が警備員の交代に立ち合い、日誌を確認するように指示をうけていた。理美は2等空曹の制服を着て庭を横切り警備詰所へ向かった。
「グッドモーニング。マーム」「ノープロブレム(問題なし)。マーム」理美の姿を見つけた警備員たちはいつも以上に張り切って敬礼をし、挨拶をしてくる。
「グッドモーニング、エブリーバーディ」理美も敬礼を返しながら声をかけた。こうして敬礼を交していると理美も自分が自衛官であることが再認識出来るようだった。
警備員詰所で日誌を確認していると横から昨夜勤務だったグルゲが色々説明してくるが、特別なことはないようだ。理美は日誌の警備官の欄に英語でサインをして、その上隅に赤字で「代」と書いた。
これは自衛隊で代印を押す時のスタイルだが、サインがどちらも「Morio」なので訳が判らない。グルゲも興味深そうに理美が付け加えた漢字を見ている。
「この印は?」「代理と言う意味のチャイニーズキャラクタ―ですよ」理美の説明にグルゲは興味深そうにもう一度サインを見なおした。
3機のヘリは北部の集落の外れの空き地に着陸した。家は土台を残して完全に破壊されていて、戦闘の激しさを物語っている。我々はヘリまで出迎えた現地指揮官の中佐と数名の将校に案内されて集落の中に進んだ。
我々にはベテランの大尉が付いて案内、説明をしながら引率している。政府軍の兵士たちは集落の広場中央にある井戸の住民を収容するテントを張っているが、その外を銃を構えた警備の兵士が警戒、監視をしているのは、ここが戦場であることを雄弁に語っている。私は警備の兵士うちの数名が住民にも銃を向けているのに気がついた。
「これは酷いなァ」廃墟になっている住居を見ながらスリヤ―パン大尉が呟いた。
「同胞の街にここまでやるものかね」それにシンガポール海軍のバン大尉も同意した。その声が聞えたのか案内の大尉が振り返って説明を始めた。
「これは政府軍の攻撃ではなく、タミル・イーラムの虎(反政府ゲリラ)が逃亡する時、破壊して行きました」反政府ゲリラ=タミル・イーラムの虎は住民の成年男性の家族を人質にして、兵士として参戦させているとも聞いている。しかし、ゲリラ戦は住民を味方にして、物心両面の支援を受けることが基本のはずだ。
その意味では、すでにゲリラ側がかなり追いつめられているのが推測された。
大尉の説明の後、各国軍の大尉たちが質問を始めたが、内容はゲリラ側の装備、戦術や戦闘の様相などが中心だ。そこで私も警備小隊長当時からの研究をもとに質問をした。
「住民の中にゲリラが潜入している可能性はないのか?」私の突然の質問に案内、説明役の大尉は顔を強張らせ、各国の大尉たちは顔を見合わせた。
「それは勿論、警戒していますが、先ずは保護が先決です」大尉は返事を濁したが警備の兵士が住民も警戒をしているのは明らかだ。
「住民の身元調査は始めているのか?」「それは現実的に不可能です」私の専門的な質問に周囲の大尉たちは黙ってしまった。
その夜はヘリで移動した別の街の駐屯地の建物に泊まった。
「キャプテン・モリオ。君は空軍のくせにゲリラ戦に詳しいんだね」隣の簡易ベッドに腰をおろしてスリヤ―パン大尉が訊いてきた。
「基地の警備小隊長をやっていたことがあるからね」「そうか専門家なんだ」大尉は納得したようにうなづいたが、次にその向こうのベッドのバン大尉が質問してきた。
「この内戦は政府軍が優勢だと言っているが、実際はどうなんだ?」「ゲリラ戦は住民を味方にして支援を受けながら行うものだ。逃亡するのに集落を破壊して行くようでは勝ち目はないね」今日、訪れた幾つかの集落は、どこも学校、病院までゲリラによって破壊され、住民が死傷しているところも少なくなかった。
「タイ軍もカレン族ゲリラと戦闘中だろう」私は逆に質問してみた。
「あれは陸軍がやっているんだ。俺は空軍の整備士官だからノータッチだよ」「基地の中の安全地帯にいる訳だ」逆隣りのベッドのアラブのカイサル陸軍大尉がかけた皮肉な言葉にスリヤ―パン大尉は振り返って睨んだ。

翌日は、スリランカ島北部の最激戦地を訪れた。この地域はまだ政府軍も完全に制圧出来ておらず危険を避けて警護車両を先頭に、佐官はジープ、尉官はトラックに分乗して陸路での移動だった。
「結局、トラックかァ」すっかり打ち解けたスリヤ―パン大尉は板の堅い隣りの席でボヤキながらため息をついた。
「仕方ないよ、上空で撃たれれば落ちて終わりだけど、トラックなら逃げることが出来る」「空軍の移動はバス、宿泊は建物、寝るのはベッドだからな」私が慰めと励ましで掛けた言葉にアラブ系のカイサル大尉がうなづきながら皮肉を返した。
「空軍は空を一っ飛びするんだ。陸軍みたいに何百キロも歩かないからな」スリヤ―パン大尉も負けずに返したが、間に挟まった私は黙って笑っていた。
「ジャパンの空軍もやっぱりバスか?」カイサル大尉が今度は私に話を振ってきた。
「うん、陸軍の連中は弱い兵隊が乗る車って呼んでいるけどね」「そうだ、判ったか空軍!」私の返事にカイサル大尉は「わが意を得たり」と言う顔で私たち空軍の顔を見渡した。
「ところでジャパンの戦闘服は珍しい色だな」カイサル大尉は私が着ている航空自衛隊の鼠色の作業服を見ながら訊いてきた。
「確かにな・・・戦闘服は緑か迷彩が定番だが、それは何の色なんだ?」今度は向かい側の席のシンガポール海軍のバン大尉が訊いてきた。そう言うバン大尉は米軍と同じ柄の迷彩服を着ている。
「滑走路のコンクリート色なんだ。あとは市街戦のための建物の色だね」「なるほど」私の説明に周囲の軍人たちが納得したようで、私の服装をまじまじと眺めてきた。
「その徽章は何だ?」「マーシャルアーツのインストラクターだよ」カイサル大尉の質問に私が答えると周囲の大尉たちは驚いた顔で徽章を見ようと身を乗り出した。カイサル大尉は強さを競うアラブの陸軍だけに格闘技には興味があるようだ。
「ジャパンは空軍でもマーシャルアーツをやるんだな」「流石は武道の国だ」周りの大尉たちは口々に囁き合っていたが、私がコロンボ基地でやっている格闘指導の話にはならなかった。
政府軍キャンプでの昼休み、昼食の後、車列はゲリラの行動地域に入っていった。村落から村落は深いジャングル地帯だ。この地域の村落ではゲリラが住民の女子供を人質にして男をゲリラに加え、たとえ政府軍が村落を制圧しても住民がゲリラに通じているので安心できないと言う。
その時、轟音とともにトラックが急停車し何人かの大尉が床に転倒した。続いて乾いた銃声がジャングルの奥から聞こえ、大尉たちは後ろの席の者から飛び降りた。
車両から降りると先頭の警護車両のジープから黒い煙が立ち上っているのが見える。銃弾は前方の3台のジープへ集中し、時々トラックに向けて撃って来るが、精密に狙って命中させる様子はない。警護車両から下車した政府軍も発砲音を目標にして応戦しているが、こちらも相手の姿が見えない盲撃ちだった。
しかし、流石の私も銃撃を受けた経験はなく、時々、頭上をかすめていく銃弾の音と熱い空気の塊に恐怖を感じた。
草むらに伏せた大尉たちが腰から拳銃を抜いて弾倉を装填して弾を込めはじめたので、私も倣った。その時、トラックのタイヤに数発の命中弾があった。
「ゲリラか・・・待ち伏せされたな」隣りでヨーロッパ人の大尉が舌打ちをする。
「捕虜にされるのは嫌だな」「待遇も劣悪そうだしな」その向こうのラテン系の大尉が呟くと周りの大尉たちも顔を見合わせてうなづいた。
しばらくの銃撃戦の後、ゲリラ側の銃声が止んだ。その様子を見てスリランカ軍の少佐が兵3名を連れてジャングルの奥へ入っていく。私は見送りながら「ゲリラの逃走は反復攻撃のため」と言う行動原則を思い返していた。

理美が警備官室で過去の警備記録を確認していると机の電話が鳴った。
「奥さん、駐在武官一行がゲリラの攻撃を受けたそうです」電話口で日本人秘書官が押し殺した口調でそう言った。
「モリオ警備官の安否は現在確認中です」理美は救難隊の頃、パイロットや救難員から「安否確認」とは「絶望的な時、遺族へ予告を与えるための言葉」と習っていた。理美は返事もせずに受話器を握り締めていた。秘書官から連絡してくると言うことは大使に直接連絡が入ったのだろう。つまり公式にはまだ情報は入っていないと言うことだと判った。
「何か判れば電話しますからそこにいて下さい。いいですね」「はい、お願いします」秘書官の強い口調にようやく理美は返事をした。
強張った右手の指を左手で外しながら電話を置いた理美は立ち上がって窓に歩み寄った。窓の外には大使館の庭の向こうにスリランカの青い空が広がっている。庭木に南国の鳥がとまっているのが見えた。
理美は無意識のうちに手を合わせて祈っていた。
「聖美さん、どうかあの人を守って下さい」聖美に導かれてモリオの妻になり、周作の母になった日を思うと目頭が熱くなる。その時、理美の胸に「聖美が迎えに来たのでは」と言う不安がよぎった。
夫と聖美の結婚生活はあまりに短く、その後を引き継いだ自分は幸せ過ぎた。それは本来、聖美が受けるべき幸福であり、もし自分が聖美ならそれを取り戻そうとするかも知れない・・・理美の胸に不吉な想いがよぎる。胸の中で笑顔だった聖美の面影が、急に寂しげな眼差しになった。
「あの人をまだ連れていかないで下さい」理美はもう一度、手を合わせると目を閉じて声に出して祈った。
理美の祈りが懇願になった時、聖美の声が心に響いてきた。
「大丈夫、あの人は絶対に貴女のところへ帰ってくるよ」その声が直ぐ後ろから聞こえているように感じ、理美は振り返ったが誰もいない。
「貴女は妻なんだから信じて待っていなさい。貴女たちの幸せが私の願いなのさァ」「はい・・・すみません」理美は一瞬でも聖美を疑ったことを謝り、涙をこぼした。
「やっぱり聖美さんには勝てない・・・」理美は敗北感に打ちのめされる思いだった。
「貴方だからあの人を支えられているのよ。感謝してるさァ」聖美はそんな理美の胸の内を察して激励の言葉をつけ加えた。

イメージ画像
ケリラを追った少佐たちが戻るまで私たちはトラックの影で待機していた。トラックの荷台は武官たちが乗り込んで座っている。その時、隣りに座っているカイサル大尉が自分の拳銃を眺めながら訊いてきた。
「ジャパン、弾は何発持って来たんだ?」「ウチのは7発入り弾倉でそれが3本だよ」私は答えながら恥ずかしくなる。案の定、大尉は嘲笑うように唇を歪めた。
「7発?それは軍用拳銃じゃあないな。私物か?」自衛隊のザビエルP―220拳銃は世界の陸軍では構造、機能に問題があるとして採用されず警察用になっている。それなのに自衛隊は安価であることで採用したのだ。
「まあ、どちらも9ミリルガ―弾だからイザとなれば貸してやるよ」「そう言わずにくれよ」私の厚かましい返事にカイサル大尉は「日本人のくせにセコイ奴だなァ」と噴出した
「貴方、伏せて」「えっ?」突然、耳元に響いた聖美の声に私は戸惑った。
「危ない、伏せて」聖美がもう一度が繰り返したところで、私が「その場に伏せ」と日本語で叫んで地面に伏せると、周囲の大尉たちも条件反射的にそれにならった。次の瞬間、谷の対岸から機関銃の銃声が響き銃弾が車両に命中した。
「ゲリラめェ、今度はこっちからかァ」私の横に伏せたスリヤ―パン大尉がかすれた声で忌々し気に言った。
「アッラー」反対側のカイサル大尉はカミに祈っている。武官たちはあわてて荷台から下り、トラックの影に身をひそめた。
射ってくる銃火の数から見てゲリラは3名程度だ。その時、密林の奥から政府軍の兵士が駆けつけて反撃を始め、ゲリラ側の銃弾はそちらに向かいだした。しばらくの交戦の後、またゲリラは撤退したのか銃撃戦は止んだ。
「ジャパン、カミのお告げでもあったのか?」銃撃戦の後、突然、伏せるように言った私に大尉たちが不思議そうな顔で訊いてきた。彼等の顔は単なる興味、好奇心以上の真剣なモノを感じさせる。
私が曖昧にうなづくと周りの大尉たちは「それはゴッドだ」「ブッダだ」と違う問題を議論し始めたが、流石に「イスラム教徒ではない」と思ったのかカイサル大尉は黙っていた。
「ジャパン、君の宗教は何だ?」「佛教だよ」私は彼らの質問に答えた。
「やはりブッダだ」佛教国タイ空軍のスリヤ―パン大尉が勝ち誇ったように言うと、周囲の異教徒たちは「オーマイゴッド」と自分のカミに祈っていた。

しばらくして、出発した村から迎えのトラックが2台やってきた。
「目的地の村落から『予定時間を過ぎても到着しない』『ゲリラの活動が見られ危険』との連絡がありました」前のトラックの助手席から軍曹が下り、自軍の大佐に敬礼をすると報告をした。
スリランカの山道はトラック1台がギリギリの幅しかないため数百メートルごとにすれ違うための停車場が設けてある。破壊されたジープやトラックで封鎖された道では前に進めず、軍曹は「バックで停車場まで戻る」と言い、後ろのトラックの助手席からも軍曹が下り誘導を始めた。
我々もそれについていくしかない。そうしなければドライバーはさらにここまでバックで戻って来なければならなくなる。
我々は荷台から自分たちのバッグを下ろすとそれを肩にかけて歩きだした。武官たち6人分の荷物も兵士たちだけでは持ち切れず自分たちで運ぶことになった。
結局、視察研修はここまでで中止になり、我々はヘリコプターでコロンボに戻った。
大使館に戻ると警備のゲートに理美が待っていた。
「貴方ァ」公用車でゲートを通り過ぎると警備員詰所から制服姿の理美が飛び出してきた。
「止めてくれ」私はドライバーに頼むとドアを開けて車外に下り立った。私は立ちすくんだように動かないでいる理美に歩み寄ると抱き締めた。
「よかった、無事でよかったァ」「うん、心配かけたな」ドライバーと控室の警備員は、そんな姿を微笑んで見ていた。
「モリオ警備官、大変だったな」大使室に報告に入ると大使は労いながらソファーを勧めてくれた。
「はい、御心配をおかけしました」私も返事をしてファーに腰を下ろすと秘書室の女性が紅茶を入れてきた。このソファーに腰を下ろすのは着任の挨拶以来だが、今日の報告は長くなりそうだ。
「ゲリラの攻撃はどうだった?」「神出鬼没であらゆる方向から銃撃してきました」大使の質問に私は見てきた事実を答えた。
「車列を狙われたって?」「はい、待ち伏せされました」それからしばらくは車両の損害、負傷者の有無など素人の管理者的な質問が続いた。そんな質問のネタが尽きたところで大使が身を乗り出して本質的なことを訊いてきた。
「それでは内戦はまだ長引きそうだな」「いいえ」大使は私の断定的な即答に意外そうな顔をする。私は大使に判るように説明を始めた。
「ゲリラ戦は住民の支援があってこそ成立します。タミル人ゲリラは住民を迫害しているようです。これでは遠からず戦闘は維持できなくなるでしょう」「しかし、インドから武器供与を受けているのは既成事実だぞ」「はい」「住民も人質になっているらしいじゃないか」「はい」大使はあくまでも長期化するとの自分の予測を押し通そうとしているようだ。
「住民が内戦の長期化を止めるためにゲリラの情報を政府軍に提供するようになれば、そこまでで終わりでしょう」私の軍事的な見解に大使は黙ってしまった。外務官僚である大使の軍事に関する認識はその程度のものなのだ。
「しかし、軍事は最悪の事態を想定しなければなりませんから、長期戦に備えなければなないでしょう」私は場を和らげるために大使の意見を肯定する結論を出した。
その夜、何も知らない子供たちは土産がないことにガッカリした。私はひたすら謝ったが、そんな姿を見て涙ぐんだ理美に子供たちも黙ってしまった。子供たちは自分のワガママを理美が哀しんだと思ったのかも知れないがそうではないのだ。
その後、夕食を食べながら留守中の報告会になり、子供たちは普段通りに勉強をし、テレビを見て、シャワーを浴び、いつもの時間に眠った。子供たちが眠った後、私たちもシャワーを浴びた。
「貴方、肘を擦りむいてるよ」「うん、腕まくりをしたまま匍匐前進したからな」私の背中を流してくれながら理美が気がついた。
「後で薬をつけないと・・・沁みる?」「うん、舐めて」「馬鹿・・・」理美はクスッと笑った後、背中にもたれかかってきた。

イメージ画像(出所不明)
パジャマに着替え、ソファーに並んで酒を飲んだ。
「貴方、聖美さんが・・・」「うん、助けてくれたよ」私は銃撃を受ける直前、聖美が与えてくれた警告のことを話した。理美は真顔でそれを聞いた後、ソファーの前に座り私の顔を見上げた。
「私、一瞬だけど聖美さんが貴方を取り戻そうとしたのかって不安になったの」理美はクリスチャンが聖職者に罪を懺悔する時のような顔になっている。
「そうか・・・それは君の立場なら当たり前だよ」そう言って両手をとり、理美をもう一度隣に座らせた。
私はこれを2人の性格の違いではなく、家族を守る現実の世界にある理美と優しさと愛情だけの存在になった聖美の立場の違いだと理解した。
「理美には守るべき現実の生活があるんだ。それを奪うモノがあればそれを何とかしようとするのは当たり前だよ」そう言って肩に腕を伸ばすと理美は一瞬体を固くした後、そのままもたれかかってきた。
「私たちの幸せが聖美さんの願いだって・・・」「そうか、聖美らしいな」私の胸に在りし日の優しく包み込むような聖美の微笑みが浮んだ。
「どうすればあんなふうに優しくなれるのかな」私の肩で鼻をすすりながら理美は呟くように質問をして来る。私はその顔を見て答えた。
「現実の社会に生きている間は無理だね。優しさだけでは守れないモノもある」そこまで言って強く引き寄せると、理美はそれに任せて寄り掛かってきた。
「理美は理美、聖美は聖美、どちらも家族を大切に思ってくれてるんだ。感謝しているよ」「うん・・・」理美はゆっくり深くうなづいて涙をこぼした。

しばらく酒を飲んでいたが、気がつくと私はそのまま眠っていた。理美は私に毛布をかけてソファーの隣に眠っている。私は理美の寝息を確かめると立ち上がって寝室のドアを静かに開け、枕元のランプを点け、ベッドの掛け布団を上げてソファーに戻った。そして、しばらく理美の寝顔を眺めた後、そっと抱き上げた。
「貴方・・・」抱き上げられた瞬間、理美はボンヤリと目を開けたが、そのまま首筋に腕をまわして目を閉じた。理美の体から落ちた毛布をまたいでベッドに運ぶと優しく、静かに寝かせた。
朝、目を覚ますと理美が私の顔を見ていた。
「よかった、夢じゃなかった・・・」そう言って理美が胸に溶け込んでくる。
今朝の目覚めのキスは念入りになった。
それからしばらく私は日本から持ってきたワープロに向かい、今回の戦闘の詳細をレポートにまとめていた。このレポートは第1には大使に対する報告であるが、第2には戦訓として防衛庁に送りたいと思っていた。しかし、そうするには外務省の公文書と認めてもらわないとならない。ようするには大使の胸一つだった。
数日後、外務省と防衛庁の文書様式の微妙な違いに悩みながら完成したレポートを提出すると、大使は困惑した表情を見せた。
「やはり防衛庁に報告するのかね」「ハッ?」思いがけない大使の質問に私は咄嗟に返事ができなかった。
「防衛駐在官は外務省と防衛庁の兼務だが、君たち在外公館警備官は防衛庁から出向した外務省職員なんだよ」「はい」それは事前教育で説明を受けている。
「しかし、戦闘の詳細については防衛庁にこそ役立つ情報かと思いまして」私の言葉に大使は首を振った。私はそれに戸惑いながら大使の顔を見返した。
「実は今回の出張は私の一存で決めたんだ。防衛庁はノータッチだし、その権限もない」これは外務官僚の立場で言えば問題のない処置だろう。しかし、私は自分を危険に晒した今回の出張がこれほど安易に決められていたことを知って言葉が出なかった。
「よその大使館は参加してウチが断ることは出来ないだろう」「はい、確かに」現地でのバランス感覚は理解出来るが、自衛官としては納得できない。
「折角、やる気のある人が来てくれたから頑張ってもらったと言うことだ」大使は私をおだてて話を締め括ろうとする。私も状況と同時に前任者が消極的な態度を取っていた理由も理解した。
「判りました。非常にいい経験になりました。有り難うございました」私が礼を言って頭を下げると大使は少し驚いた顔をしたが、安心したように作り笑いして、レポートを未決書類の棚に入れた。
「それって酷いじゃない」夜、子供たちが眠った後、2人で酒を飲みながらこの件を話すと理美は怒りを露わにした。
「確かに俺は外務省職員なんだから、防衛庁に断る必要はないだろう」「でも何かあったらどうするのよ」「外務省職員として殉職するんだよ」私の返事に理美は顔を強張らしたが、その一歩手前まで行ったのは間違いなかった。
ここでしばらく2人とも黙ってしまい、グラスの酒を口に運んでいた。そのうちに理美の目尻が赤みを帯びて表情も緩んできた。
「でも、戦闘中に応戦しなくて好かったよ」「外務省職員って銃を発砲出来るの?」私のボヤキに理美が鋭い質問をして来た。自衛隊の海外派遣でも武器使用を巡って国会では不毛の論議が繰り返されている。外務省職員なら許されるのかは難しい政治問題だ。
「自衛官でさえ正当防衛や緊急避難でしか許されないもんなァ」「戦闘に参加したら政治問題になるよ」言っている内容は理美の方が上を行っている。私はつくづく理美を幹部にしないのは勿体ないと思った。
先日、聖美が「貴方だからあの人を支えられている」と理美を励ましたことは聞いているが、私は聖美、理美とかけがえのない妻を2度も得た我が身の幸せを噛み締めた。私はそんな思いを胸に理美を抱き寄せた。
「でも君を攻撃するのは好いんだろう」「もう、結局そうなるんだから」理美は呆れたように溜息をつくとグラスの酒をもう一口飲んで、ソファーの机に置いた。私は胸に素直に溶け込んできた理美の髪の匂いを嗅ぎながら背中に手を這わした。
「それも政治問題か?」「私は自衛官、専守防衛だよ・・・」そう答える理美に私は態度で宣戦布告する。
口づけるとそのままソファーに抱き倒してパジャマのボタンを外して乳房を掴んだ。
「ベッドへ・・・」理美は驚いたように呟いたが、私は黙って愛憮を続けた。理美はそれ以上何も言わず私の頭を両手で抱いてされるままに任せた。
数日後、私は大使に呼ばれた。
「モリオ警備官、困ったことになった」大使はそう言うと机の上に日本から届いた新聞を広げた。そこには先日の戦闘の記事がカラー写真入りで載っていて私も写っていた。
日本の新聞にスリランカのニュースが報じられること自体が珍しいのだが、外国大使館の武官が襲われたとなれば、外国経由で情報が伝わっても不思議はない。
「拝見してもよろしいですか?」「記事はコピーしてある」私が新聞を読もうとすると大使は新聞の下にあったコピーを手渡した。
礼を言って速読すると内容的には事件の概略程度で私の参加については触れていない。記事には書いてないが写真は見る者が見れば自衛官と判るだろう。
それはヘリコプターでコロンボ市内の陸軍の駐屯地に戻った時、取材に来ていた外国人記者たちが撮影したモノのようだ。その時は幸いにインタビューは受けなかったが、迷彩服の各国軍人の中に一人だけ灰色の作業服で、ベレー帽と襟の1尉の階級章もハッキリ写っている。
「それでは先手を打って先日の報告を手直して東京に送りますか」「それはいかにも航空自衛隊の発想だな。どうせ日本人はスリランカには関心はないから大した問題にはならんだろう。むしろ君の方が気をつけてくれ」ようするに本土へ送る手紙などに気をつけろと言う指導だった。
しかし、防衛庁では調査隊が常に自衛隊、軍事関係の新聞記事やニュースをチェックしている。そこでこの写真が目に留まれば追跡調査されるのは間違いないだろう。先日の大使の言葉ではないが、私の籍は外務省に移っているのだから自衛隊が気づいても何も出来ないはずで、私も何かを言われるまではオトナシの構えでいることにした。
春、と言ってもスリランカでは季節感がないが、聖也が日本人学校に入学する。
「折角だから着物にしなよ」「うん、そうしたいけど後をどうするかだね」理美が言う通りスリランカでは着物のクリーニングをどうするかが悩みの種だ。大使館でもレセプションなどで大使夫人や職員の奥さんが着物を着ることがあるが、その時は公費で日本に送りクリーニングをしている。しかし、私用では自費になるだろう。
スリランカの正装・サリーをクリーニング出来るのだから着物もやれないことはないとは思ったが、和装とは生地が違うので絶対とは言えなかった。
「私も制服じゃあどうかと思ってね」私は航空自衛隊の制服のつもりだったが、両親揃って自衛隊の制服なら目立つことは間違いない。
「それってペアルックかァ?」「そうなるねェ、ウフフフ・・・」折角の理美の和服姿だが、それは別の機会の楽しみにすることにした。
聖也の入学式は4月20日、日本人学校のホールで行われた。新入生は5人だけ、聖也以外はコロンボ市内にある日本企業の駐在員と日本企業に勤めるスリランカ人の子供ばかりだ。
確かに4月下旬とは言えスリランカに着物では暑く、他の奥さんもワンピースが殆どで第1種夏服が正解だった。
私は幹部の儀礼肩章をつけ儀礼刀も下げて完璧な礼装にしたかったが、理美が空曹の通常礼装なのでそれに合わせた。
式では「君が代」の斉唱から始まるが、日本大使館の国旗掲揚で聴きなれている新6年生の周作と新入生の聖也が、それと判るくらい大声で唄っていた。
ただ私はスリランカ国歌「スリランカ・マータ(母なるスリランカ)」の方が好きで、こちらも家族で声を張り上げたため、スリランカ人の出席者から拍手喝采を受けた。
「スリランカ マーター(母なるスリランカ) アバ スリーランカ ナモー ナモー ナモー マーター(私たちのスリランカ 偉大なる 偉大なる 偉大なる 偉大なる母よ) スンダラ スィリ バリニー スレンディ アティ ソーバマナ ランカー(美しくとても綺麗なスリランカ=輝ける島) ダーニャ ダナヤ ネカ マル ハラトゥル ピリ ジャヤ フーミヤ ランミャー(米や宝、花や果実に満ちあふれ 勝利の地は美しく輝いています) アパハタ サパ スィリ セタ サダナー ジイワナイェ マーター(私たちに楽しいことや美しいもの 素晴らしいものを与え 生かしてくれる母) ピリガヌ メナ アッパ バクティ プージャ ナモー ナモー マーター(私たちは敬意を捧げます 偉大なる 偉大なる母よ) アパ スリー ランカ ナモー ナモー ナモー ナモー マータ(私たちのスリランカ 偉大なる 偉大なる 偉大なる 偉大なる母よ) アパ スリー ランカ ナモー ナモー ナモー ナモー マーター」
夏のボーナスをもらったある日、家族で買い物に出た私には1つのプランがあった。大使館のスリランカ人の職員から市内でも有名な宝石店を教えてもらっておいたのだ。
その店P・B グナダサ&サンズは教えられたGULE通りにあった。私は店の前で立ち止まるとウィンドを覗いている理美に声をかけた。
「折角、スリランカに来てるんだから宝石を買おう」「えッ、どうして突然?」「だって君に婚約指輪を贈ってないよ」結婚直後、理美は聖美の形見の真珠の指輪を見つけ、「これがいい」と言われたままだった。今回の入学式で理美がそれをはめているのを見て、私はこの機会に買いたいと思ったのだ。
「でも、聖美さんは真珠の指輪だったんでしょ」「あの時はあの時の経済状態だったけど、今は今の経済状態なんだよ」理美の遠慮に似たためらいに私は反論をしたが、聖美が真珠を選んだのはそれだけではないことを思い出した。
「聖美はそれが誕生石だったんだよ」「でも私は9月だからサファイアだよ」どうやら理美は聖美よりも高価な物を贈られるのを避けようとしているようだった。
「だからスリランカで買うのさァ。スリランカはダイアモンド以外の宝石は土の中からザクザク出るからね」「だったら自分で掘って探すよ」ここまで来るとジョークだろう。私は子供たちを連れて先に店に入っていった。
「象さん買うの?」子供たちは店のウィンドウに飾ってある宝石をはめ込む象の置物を見つけて無邪気に訊いたがそれは予算が残った時だ。
店主のグナダサさんに「日本大使館の職員のアヤガマさんの紹介だ」と説明すると紳士的に応対してくれたが、「英語しか話せない」と申し訳なさそうに謝った。理美には予算目一杯でサファイアの指を買った。
グナダサさんが「イギリスのチャールズ皇太子がダイアナ妃に贈った指輪もスリランカ産のサファイアだった」と説明したが、私とダイアナ皇太子妃は生年月日が同じなのでこれも何かの縁かも知れない。
しかし、それをはめながら理美は「スゴーイ、日本の半額以下だよ」と言い訳のような台詞を口にしていたが、やはり目を潤ませていた。その時、「その石は涙の色ですか?」と周作が似合わないことを言って、さらに泣かせた。

日本から調査幹部の同期の手紙が届いた。時候の挨拶、日本の社会情勢、流行などの差し障りのない話題に続いて本論になった。
「モリオ1尉、君がそちらの内戦に参加したことを防衛庁では問題視している。事実関係を外務省に問い合わせているが明確な回答がない。個人的に教えて欲しい」文面から見て彼は同期としての心配と言うよりも調査幹部の職務として訊いているようだった。そもそもこのような手紙をよこすほど親しい間柄ではないのだ。しかし、事実を伝えれば大使の面子が潰れ、外務省と防衛庁の間で軋轢が生じるかも知れない。そうなればこちらでの私の実務にもいい影響はないだろう。私は大使にこの件を確認することもためらわれた。
とりあえずここにいる間は、大使の職務命令に従ったのだから問題はないにしても、大使が防衛庁からの出向者をどこまで守ってくれるかも分らない。私は自分自身が貰いモノの子犬が成犬になって玄関脇つながれている番犬のように思えた。あまり吠えると飼い主に嫌われて捨てられるかも知れない。
翌日、私が手紙の件を申し出ると大使は文面に目を通した後、一言だけコメントした。
「これは私信であって公的な照会ではない。公務上の秘密に属する事項を回答する必要はない」これは予想通りの答えだった。私も現在は外務省職員である以上、防衛庁よりも外務省に忠誠を尽くさなければならないと自分自身を納得させた。
先日の戦闘参加を経験して私の仕事への考え方は、両極端な方向に進みだした。
訓練に関してはコロンボ基地での格闘指導を含め、より実戦性を追求するようになり、一方、日常の勤務は前任者同様、肩の力を抜いて淡々と勤めるようになった。
そんな時、思い起ってコロンボ市内の僧院を訪ねてみた。
「私は日本大使館に勤務する日本の僧侶です」法衣に袈裟を掛けて挨拶する私に応対した僧侶は困惑した顔をしていた。
「出家した僧侶がどうして職業を持っているのですか?」質問は先ずそこからだった。
「仕事はしていますが佛戒を保ち、佛道を追及しています」私の答えに僧侶は首を振った。
「佛戒では世間の利得、雑事に関わることを戒めています。職業を持っていて、それは保てないでしょう。出家とは家庭だけでなく職業からも離れることです」私は得度した時、師である祖父から戒律を受けていたが、このような項目はなかった。むしろ「職業を修行とせよ」と示されたのだ。
「それから家族がいるそうですが、奥さんと肉体的な関係はないのですか?」これも全く話にならない。日本では「不邪淫戒」と言って不倫や姦淫などのフシダラ、ヨコシマな関係を禁じているが、南方佛教では僧侶が異性と接触することを戒めているのだ。
答えに詰まっている私の顔を見て僧侶は、淡々とこう言った。
「日本の僧侶は大乗菩薩戒と言う戒律を受けるそうですが、それは我々の佛戒とは違います。したがって我々は日本の僧侶を佛教僧とは認めていません」「もし、この国で佛教僧として修行をしたいのなら、仕事を辞めて、奥さんと離婚して、あらためて出家得度して、我々の佛戒を受けなければなりません」私は山口や奈良、福岡、名古屋で参加していた坐禅会のようなつもりで訪ねた自分の迂闊さを悔やんだが、その一方で南方佛教の本質に触れ大いに関心を持った。
聖也はスリランカでもサッカー一筋だったが、周作はイギリスの国技・クリーケットにはまって市内のチームにも入っている。
日本ではクリ―ケットは野球の原型になった古いスポーツで、野球にとってかわられたと思われているが、多くの点でルールやプレーが違う。何よりも野球のように打ちにくい変化球を投げたり、盗塁したりはしない。あくまでもド真ん中への速球を力一杯打って走る、力と力の勝負、騎士道のスポーツだ。したがってクリ―ケットの競技者は野球のことを「卑怯なスポーツ」と呼んでいた。
つけ加えれば野球をやるアメリカ、キューバや東アジアを除くイギリスの旧植民地の国々を中心に競技人口は野球よりもはるかに多く、ワールドカップも盛大に行われている。
試合を見に行っても、投手が助走をつけて全身で転がるように投げる直球を、ラケットと呼ぶバットで思いっきり打ち、ベースまで全力疾走する競技は、野球のような小細工と打ち合わせばかりのスポーツに比べ、テンポがよく、紳士的で気持ちいい。
ただ、日本では競技者がいないので、周作には「向こうで自分が広めるつもりで頑張れ」と言っておいた。

クリーケット・スリランカナショナルチームのユニフォームとボール、ラケット
理美の下の弟が結婚すると言う通知が届いた。上の弟は小牧へ転属した頃に結婚したが、理美は勘当中であっため連絡もなかった。しかし、今回は「夫婦で結婚式に出席できないか」と言う話だった。
「うーん、家族4人で航空券代は幾らになるのかなァ・・・」理美は悩んでいた。こちらに来る時は公費だったので我々は料金そのものを知らないのだ。おまけにスリランカ国内では貧しいスリランカ人と裕福な外国人では公共料金に格差があり、それは郵便料金から医療費、列車の旅費、博物館の入場料にまで適用されるのだ。
「周作は今年までは子供料金だけど聖也と2人で大人分だよ」そもそも1日1便しかないランカ・エア(スリランカ航空)では移動だけで1日ずつ、最低でも3泊の休暇が必要になる。
「第1、貴方の長期休暇が取れないよね」「えッ?」理美は欠席の理由を私の仕事の都合にするつもりのようだ。
「確かに事前教育で『3年間は帰国できないつもりで赴任しろ』と言われていたな」私の返事に理美は、「でしょッ」と我が意を得たりと言う顔でうなづいた。
「でも折角、招待されたんだから君たちだけでも帰って親戚に会ってくればいいよ」「いいのよ、どうせ私は勘当された不良娘だから」「海外に掛け落ちしたって噂されるかもな」「うん、噂が好きな県民だからね」私のふざけた台詞に理美は真面目に反応した。
結局、祝電を打ち、お祝いを送ることにしたが、思いがけない返事が届いた。
「新婚旅行はサーフボードを持ってスリランカへ行きたい」下の弟は遊び人のサーファーで休日には太平洋の波を楽しんできたそうだ。その手の話にうとい私は知らなかったが、スリランカはサーファーの間では波乗りの人気スポットになっているらしい。
「げッ、あの子が来るのォ」理美の第一声は姉とは思えないものだった。
「大体、嫁さんってどの娘なんだろう・・・」その口ぶりでは弟はかなりの問題児だったらしい。
「お父さん、お母さんが来る前に、弟が下見に来てくれるならいいじゃないかァ」私の呑気な助け船に理美は大きく首を振った、
「あの子はわがまま放題に育ったから扱いづらいのよ」私は両親が過去の出来事に激怒して1人娘を勘当した理由はそこにあったのかと思った。
「でも君は自衛隊に入ってからは大人になった弟に会ってないんだろう」これは私のモリオ家のパターンだったが理美はそれにも首を振った。
「貴方に再会する前は浜松から特外で帰ってたから会ってたよ。毎回、連れてくる彼女が違って心配してたんだ」そう言って理美は溜め息をついた。
「理美は立派に更生しているじゃないか」と思っても言えるはずがなかった。
「婚約指輪はスリランカで買うから、そこんとこヨロシク」弟からさらに葉書が届いた。こうして見ると、義弟は確かに自由奔放な性格らしい。
「ヨロシクってどう言う意味かなァ?」私は矢沢永吉風の文末に引っ掛かって訊いてみた。
「さァ、代金を払えって言う訳じゃあないと思うけど・・・・」理美も心配そうだった。宝石ならグナダサさんの店で買えばいいが、結婚祝いに代金も払えとなると少し困る。
我が家は奈良への家族連れ入校で貯金をつかい果たし、聖美の事故の保険金は沖縄に墓をつくる時(沖縄の大きな墓は中古住宅一軒並み)に大半を送金し、共稼ぎとは言え今回の海外赴任の準備でもお金がかかり、それほど余裕はないのだ。
「折角、航空券代を使わなかったのになァ。来るならボーナスの後にして欲しいね」「まあ、勝手に心配しても仕方ない。歓迎準備だけは進めておこう」理美の不満そうな口ぶりに私はかえって義弟に会うのが楽しみなってきた。
弟と嫁さんが年末年始にやってきた。ただ、スリランカの正月は太陰暦なので特別のことはないが、2人が仕事を休む都合なので仕方ない。私たち家族でコロンボ空港に出迎えた。
「英幸、ウェルカム(ようこそ)」「あっ、姉貴、アローハァ」義弟・英幸はいきなりハワイ式の挨拶をして嫁さんに脇腹を肘で突っつかれた。弟は理美と同じく母親似(ハンサム)で、サーファーと言うとおり色黒だが、営業をやっているだけに髪型はキチンとしていた。ハワイにはサーフィンに行っているらしい。
「お義兄さん、お義姉さん、はじめまして。美幸と申します。よろしくお願いします」義弟の隣では半袖のワンピースを着た女性が丁寧に挨拶をした。彼女は愛知県によくある顔立ちだが、意外にも色は白い。
「彼女には、会ったことがないよね」理美が妙な言い方をするので、私が肘で腕を突っつくと「何よォ!」と反抗した。どうも弟が来て、理美まで私の妻から麻野家の娘に戻ってしまったようだ。
私はこの姉弟を観察するのが楽しみで仕方なくなった。
「遠方から大変だったでしょう。ところでサーフボードは?」手紙に書いてあった割に荷物にサーフボードがない。
「嫁さんがやらないから今回はお預けだよ」弟はそう答えて本当に不満そうな顔をした。道理で嫁さんは色が白い訳だ。これは慣れ染めにも興味が湧いてきた。
その日は市内観光の後、ホテルのレストランで弟夫婦と私たち家族の会食をした。私が理美の指示で家族の料理も運んでいると弟が声をかけてきた。
「姉貴のところはカカア天下なのかァ?」「何で?」「旦那さん、さっきから働きぱなしだろう。姉貴は子供とくつろいじゃって」その言葉に嫁さんも不思議そうに私と理美の顔を見た。
「うーん、レディーファーストを日本語に訳すとカカア天下なのかなァ」「それは違うよ」私の意見に理美は首を振った。
「スリランカのマナーはイギリス式だからレディ―ファーストなんだよ」「私、初めて見ました」理美の説明に弟の隣りで嫁さんが目を輝かせた。
「イギリスは女王陛下だけど、スリランカの大統領も女性(当時)なんだよ」「へえ、そうなんですかァ」考えてみれば当時の南アジアの旧イギリス植民地諸国ではインドのガンジー首相、パキスタンのブット首相など女性の政治指導者が多かった。
弟はいつまでも身を固めないことを心配した両親の命令で、この嫁さんと見合い結婚したが、変なところでレディ―ファーストを習ってしまい、立場が逆転するかも知れない。
そんな2人を見ながら「でも、カカア天下ってのは間違ってないよな」とささやくと、理美に「馬鹿ッ!」と怒られてしまった。
スリランカでは基本的に毎食カレーが出る。ただし、インドには「カレー」と言う名前の料理はなく、同じようにルーがかかっていても、各種香辛料の組み合わせでそれぞれ違う料理になる。
レストランでは、ライスかナン(パン)をのせた皿に好きなルーをかけるのだが、理美が嫁さんに「スリランカのカレーは世界で一番辛いんだから気をつけてね」と説明しているのを聞いて、弟が「よし、それに挑戦する」と言いだした。
「大丈夫か?」「俺、タイの激辛カレーに挑戦したことがあるから大丈夫です」弟はそう言って私にどれが一番辛いのかを訊いてきた。そこで私が「これだよ」と自分のカレーを見せると弟は呆れながらうなづいた。
「いただきます」私たち家族に合わせて新婚夫婦も手を合わせた。しかし、そこから私たち家族が指を洗うボールを使いながら手でカレーを食べ始めたのを弟たちは呆気に取られ見ていた。
「気にしなくていいよ、貴方たちはスプーンを使いなさい」理美に言われて2人はようやく安心して日本式に食べ始めた。
「美幸さん、そのカレーに入ってるオガ屑みたいなの何だかわかる?」理美の質問に嫁さんは戸惑った顔でスプーンのカレーを見た。
「それはスリランカの鰹節です」「です」周作と聖也が説明すると若夫婦は顔を見合わせた。
「スリランカに鰹節があるんですか?」「日本の技術協力か何かで?」2人の質問に「いや、伝統的な食材だよ」と私が説明すると2人はまた顔を見合わせた。
食べ終わったところで私が、スリランカ・カレー講座の最後を締めくくった。
「インドにはビーフカレーはなく、パキスタンにはポークカレーがありませんが、スリランカには全部あります。何故でしょう?」2人はしばらく顔を見合わせて考えていたが降参した。
「インドのヒンズー教では牛は聖なる動物、パキスタンのイスラム教では豚は食べてはいけない動物、スリランカの佛教は関係ないからです」私の説明に若夫婦だけでなく家族も拍手してくれた。
官公庁の年賀行事で仕事を抜けられない私を残し、理美の運転で弟夫婦と子供たちはキャンデーに2泊、中部のヌワラエリアに1泊してスリランカを半周する旅行を楽しんだ。(この点、海外日本人学校はカレンダー通りで助かった)
おかげでウチの家族も巨岩・シ―ギリヤロックやヌワラエリアの紅茶工場を改築したホテル、スコットランド風の街並みを観光できた。
そして、夜の飛行機に搭乗する前、約束通り2人をグレナダさんの店に連れていったが、取り越し苦労とは別に私は意外な収穫を得た。
グレナダさんは実はスリランカ佛教協会の重鎮で、コロンボ市内の日本から帰国したばかりの長老を紹介してくれたのだ。
コロンボ空港へは愛知式土産と言う大荷物もあるので大使館のワゴン車で行ったが、航空自衛隊の3種夏服姿の私は、警備している空軍の兵士たちから何度も敬礼された。
「お義兄さんは、やっぱりエライんですね」その様子に弟が感心したように言ったので「そんなことないよ。彼等は教え子だからね」と答えた。
すると今度は嫁さんが、「教え子ですか?」と質問してきたのに「うん、ここの基地で武道を教えているんだよ」と答えた。
コロンボ空港の見送りは日本の空港ように送迎ロビーがないので立ち話になる。荷物を預けて搭乗待ちロビーに入れば喫茶コーナー(本当に紅茶)やレストラン、売店もあるが、旅客と見送りの人々、それに商品を抱えて土産物を売る露天商、荷物を運ぶ赤帽たちで雑然とした中で話すのはどうも落ちつかない。
「帰ったら寒いから風邪をひかないように」「上に着るものは手で持って行かないとね」私たちのアドバイスに2人はうなづいて、カバンからコートを出した。
「そう言えば新婚さんを2人きりにしなくて悪かったね。家族旅行みたいにしちゃってさ」私が謝ると理美もようやくそれに気がついて、急に申し訳なさそうな顔になった。
「いや、楽しかったよ」「どうせ、ツアーで行っても団体行動でしたから」若夫婦は私たちの顔を見ながら笑いかけてくれた。
「叔父さん、叔母さん、バイバイ」その時、子供たちが2人に声を掛け、弟が「俺たち、叔父さん、叔母さんかァ」とぼやくように言った。
そこで、私たちが「早くこの子らの従弟を頼むわよ」「女の子が希望だね」と追い討ちをかけると若い2人は赤くなって下を向いた。
グレナダさんに紹介された長老・ヤラガムワ・ダミッサーラ師は日本でスリランカ佛教の布教に当たってこられた方で日本語も流暢だった。
何よりも日本の佛教についての造詣が深く、私が僧院で僧侶たちと一緒に瞑想に参加することを許してくれた。
ただ、私が修行してきた日本の坐禅と南方佛教の瞑想は作法が違い、坐禅前後の柔軟運動のような動作や時間を計る線香、巡行と言う歩いて回る係もなく、したがって眠気覚ましに背中を叩く警策もない。黙って気がすむまで坐る、まさに瞑想だった。
- 2013/01/26(土) 09:40:25|
- 続・亜麻色の髪のドール
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
「君が浜松基地の仁王様かァ」転入の申告をすると1輸空隊司令は笑顔で話しかけた。
「浜松では警備小隊長として名を挙げたらしいな」私の評判は何故かあちらこちらに広まっているらしい。ただし、それには多少尾ひれがついているような気もしていた。
「君に鍛えられれば、うちの海外派遣態勢も万全になる」「どこまで御期待に添えられるか」私は司令の過剰な期待に謙遜しておいた。これはある意味、仕事上の保険でもある。
「今時、一ヶ月も徹夜で陣頭指揮がとれる幹部なんていないよ」「はあ」その話は事実だが、あまり期待をされるのもやはり荷が重い。
「こちらでは幕僚ですから、司令の御指導のままに」「うん、思う存分やってくれ」隊司令は心から期待してくれているようだった。私も気合を入れ直した。
転属早々に、早目の夏期休暇を私と理美で一緒にもらったおかげで、引越しの片づけは、思っていたよりも早く終わった。
「基地のプールへ行こうか」片づけが一段落したところで理美が提案した。夏休み中の転校、転園だった上、夏期休暇で帰省した家も多く、子供たちには未だあまり友達がおらず、浜松以上の名古屋の蒸し暑い夏に2人とも朝からテレビばかり見ている。
「聖也の水着も買って来たことだしね。聖也ちゃん」理美が声を掛けると、茶の間でテレビを見ていた聖也が、子供部屋へ飛んで行くと水着と浮き袋、キャラクターもののバスタオルを持って来て、自慢そうに見せた。
「ヘ―、何時の間に?」「周ちゃんがスイミングを再開した時、聖也も練習しなきゃってね」理美と聖也は、顔を見合わせている。隣で周作はテレビに夢中のままだった。
「それで最近、聖也が風呂で潜ったりしてたんだ」「うん、練習したよ」私の感心と納得に聖也がまた自慢そうに答えた。
「それじゃあ、みんなで行こう」「えーッ、私もォ?」「言い出しっぺが行かなくちゃ」そう言いながら私は防府や浜松で何度か見た理美の水着姿を想い出していた。
「目がスケベだよ」「はい、すいません」これも理美のささやかな抵抗なんだろうか。
「もう、いい年なのにィ」「ううん、今の方がセクシー・ダイナマイトだぜェ」私と理美の馬鹿な問答の間も、周作はまだテレビにかじりついていた。
平日の午後だったが、基地のプールは意外に混んでいた。隊員たちも、こう暑くては水泳以外の運動をする気にはならないだろう。聖也は理美が女子更衣室に連れて行こうとしたが、「男の子用」と男子更衣室を選んだ。
少し遅れてプールサイドに出て来た理美の水着姿は日ごろ鍛えているだけに相変わらずのスタイルで、泳いでいる若いWAFたちとは別の大人の色気がある。
「ゴクッ」私は生唾を飲んだが、体が変な反応をしないうちにと周作に声を掛けた。
「さて周作君、準備運動を実施!」「はい」周作の指揮で家族揃って準備運動を始めた。前屈をした時に見える理美の胸の谷間に、私はまた「ゴクッ」と生唾を飲んだ。
気がつくとプールの中から、ベテランの隊員たちもこちらを見ている。彼らは私が目をやると、あわてて泳いで逃げていった。
体操後、水に入ったが、力任せの私の泳法よりも、きちんとスイミングで習っていた理美の方が基本に忠実で、結局、理美が聖也に教え、私は周作と競争をして鍛えることにした。

流石に疲れたのか、引っ越し以降、宵っ張りだった子供たちもその夜は晩御飯を食べると早々に眠り、私と理美はゆっくり2人の時間を過ごすことが出来た。
「君の水着は、やっぱりセクシーだったなァ」「もう、目がスケベだよ」ほろ酔い加減の私の台詞に理美はそう答えたが、結局、「行動がスケベ」になってしまった。
「ねえ、聖也のむかえに行けない?」夕方、理美からこの電話が入ることがある。
理美は定時出勤、定時退庁だった1術校の教官とは違い、小牧では現場だけにヤヤコシイ故障が出ると米留経験者としてシフト要員の作業につき合うこともある。
「ラージャ、晩飯は何にしよう?」私は返事をしながら、ついでに相談をした。
「そうだねェ、昨日のポテトサラダの残りが冷蔵庫に入ってるから・・・」「それじゃあ、帰りながらエビフリャーでも買ってくかァ」「カキフリャーでも好いね」私が名古屋弁で答えると理美は可笑しそうに同じく名古屋弁で受けた。
「君の分は?」「アンスケが長引きそうだからいいワ」電話口で理美はため息をついた。
「夜食を作っておこうか?」「大丈夫、シフト食のラーメンでも貰うから」理美はそう言うと電話口の向こうでシフト要員に「ラーメンある?」と訊いた。
「アンスケ、何?」「どうして?」「昔取った杵柄さァ」私も一応、元航空機整備員である。
「多分、コーションランプの不時作動だよ」「だったら俺も専門だな、手伝いに行こうか」「だからァ、子供たちをよろしく」私のふざけた台詞に理美は呆れながら念を押した。
「ラージャ、頑張れよ、チュッ」「うん。チュツ」電話口でキスの真似をし合って切ると、訓練班の松本1曹が呆れた顔をして見ていた。
「班長って前評判と全然違いますよね」「浜松の鬼小隊長が来るからって、私らビビってたんですよ」同室で机を並べる援護室の山田曹長もそう言ってマジマジと私の顔を見ていた。
「私は佛に仕える身ですから、鬼なんてそんなァ」私は合掌して見せた。
「て言いながら『死んでも任せておけ』って猛訓練をやったらしいじゃあないですかァ」松本1曹は、そう言いながら肩をすくめた。浜松と小牧は近いだけに色々とリアルな噂が伝わっているようだ。何より彼らには長年の自衛隊生活による豊富な人脈もある。
「でも、やってることは厳しいよな」援護室長の斎藤1尉が、話に加わってきた。
「確かに、妥協はしないですね」「それから常に陣頭指揮ですよね」「だから部下も逃げられないんだ」山田曹長と松本1曹、斎藤1尉は口々に私を論評し合った。
「それって誉めてくれてるの?」「だからビビってるんです」私の惚けた問いかけに松本1曹が絶妙の答えを返し、我々の小部屋は爆笑に包まれた。
「演習中に何か目玉になるような訓練はないのか?」航空自衛隊総合演習前の会議で、隊司令が防衛部長の顔を見ながら質問をした。
「防衛部としては演習の機動展開と総隊の緊急便への対応がアクチャルな状況です」防衛部長はそう答えながら人事部長の顔を見る。それはそのまま人事部訓練班に話を回したと言うことだった。人事部長は一瞬、迷惑そうな顔をした。
「訓練班長は、まだ着任早々で初めての演習ですから・・・」人事部長は私の顔を見ながら、「余計なことは言うな」とそっと首を振った。
「モリオ2尉、何か良いアイディアはないか?君ならあるだろう」突然、隊司令は部長の頭越しに私の顔を探しながら訊いて来た。私は隊司令の期待の表情と部長の困惑の視線を感じて2人の狭間で答えに詰まった。
「格闘訓練でもやりますか?」「格闘?銃剣道か」人事部長が訊ねてきた。
「いえ、徒手格闘です」私はこれが実行可能な無難な案と思い答えた。
「銃剣道なら武道大会の練習にもなるが、徒手格闘ではなァ」人事部長の頭の中はあくまでも常識的だった。
「いや、面白い。海外に派遣された時の護身術にもなる。いいぞ」そう言って隊司令は背もたれ椅子から身を乗り出した。
「はい、いいですね」隊司令の言葉に各部長は一転して賛同する。私はそんな上司たちの変わり身の早さに呆れながら彼らのポーカーフェイス(厚顔)を見回した。
「よし、演習最終日には試合をやろう」隊司令の言葉で話が随分大きくなってしまった。
私は守山の陸上自衛隊第35普通科連隊に、徒手格闘用防具の貸し出しと教官、審判要員の支援を要請した。しかし、陸上自衛隊にも徒手格闘のノウハウはあまりないらしく、むしろ「航空自衛隊がどんな訓練をやるのか?」と好奇心丸出しの質問を投げかけられた。
徒手格闘訓練は「格闘=銃剣道」のパターンに慣らされていた隊員たちには好評だったが、中には、空手、少林寺拳法、柔道などの武道から、ボクシング、レスリングなどの経験者もいて、彼らは自分の経験を誇り、個癖の修正にも素直に応じなかった。
「試合で最強を決めましょう」休憩時間にも彼らは私に挑戦的な目で言ってきた。そして演習最終日、基地のグランドで徒手格闘の試合が行われ、隊司令は御満悦だった。
「折角、部隊に来たのに総演に参加出来なくて残念!」子持ちWAFの特例で、演習中も定時出勤、定時退庁している理美は、夜遅く帰ってきた私に珍しく不平を言った。
「そうだよなァ、でも俺が休むわけにはいかないし・・・すまん」「ううん、わがまま言ってごめんね」そう言って理美は着替えた背中にもたれかかってきて、私はゆっくり振り返ると抱き締めてキスをした。
「WAFの奥さん同士で、順番に子供をあずかればいいけどな」「WAFには私みたいに『演習に参加したい』なんて言うのは滅多にいないよォ」そう答えて理美はため息をついた。確かに結婚したWAFの中には、「家庭優先」を当然にして、自衛隊の裏側を知っているだけに巧に手練手管を弄するたちの悪い奴もいる。
「営内のWAFたちに保育の教育をやってWAF隊舎を託児所にするかァ」「そんなの教材に使われる子供が可哀想だよォ」「それもそうだな」理美とのやり取りの中で私の胸には一瞬、「地元にいるのだから親に」と言う選択が過ぎったが、それは私たち家族にはタブーだった。
「理美さん、一度、家族で岡崎に遊びに来て下さい」突然、理美の母からハガキが届いた。
「何かあったのかな?」「わからない」それを見ながらの問いかけに理美はそっと首を振る。突然の便りに理美も困惑しているのが判った。
「最近、お母さんから電話は?」「小牧に来てからはないよ」浜松で理美が産休中だった頃には、義母は家族の目を盗んで時々電話をしてきていたが、小牧へ転属してからは理美の平日休みがなく、挨拶状も出したが当然、返事はなかった。
「また、お母さんが電話くれるといいけどなァ」「うん、こっちからは出来ないからね」理美の実家は会社経営と言うこともあり電話には父が出ることになっているそうだ。理美は座卓に置いたハガキを手に取り、母の筆跡を黙って眺めている。
「ごめんね」「何を謝ってるのさァ、俺たち家族のことだろう」「うん、そうだけど・・・」私の言葉に理美もうなづいた。
演習の代休を2人でとった平日、偶然、理美の母から電話が入った。部屋の隅に置いてある電話でのやりとりを私はテレビを消して聞いていた。
「うん、突然でびっくりしたよ」理美の答えから義母との話が先日の件だと判った。
「何かあったの?」「えっ、お父さんが?」理美の口調がやや厳しくなった。
「うん、2等空尉だよ」「教育幹部で司令部人事部の訓練班長だよ」母からの質問は私の仕事の話になっているようだ。
「愛大の法学部を中退して一般空曹候補学生に入ったんだよ、ウンウン」話が私の学歴にまで及ぶと何だか身元調査をされているような気がしてきた。
「そんな言い方ってないじゃない。ひどいよ」突然、理美が怒りだした。
「お父さんがそんな考え方を変えない限り、私は帰りません」「今だって縁は切れているんだから、もうそれでいいじゃない」「私はモリオさんの妻で十分幸せです、麻野家の娘でなくても結構です」そう答えながら理美の声は少し涙ぐんでいるように思える。やがて理美は電話を切った。
私は立ちあがると台所のコーヒーメーカーから理美と自分のペアのマグカップにコーヒーを入れて来て、座卓の席に座った理美の前に置いた。
「ありがとう」沈んだ表情の理美は、無理して笑顔を作り、黙ったままコーヒーを一口飲んでから話し始めた。
「父が、貴方が防大出の幹部なら許してやるって言ってるんだって」「ふーん」「それなら世間体が立つって言ういつもの見栄だわ」「ふーん」私はうなづきながら聞いていた。理美の目には怒りと哀しみ、悔しさの複雑な色があった。
「でも、俺の親も似たようなもんさァ」私の嘆き節に理美はビクッとして顔を見詰めた。私も、どこまでも自分たちの論理、価値観を捨てず、すでに別の生活を営む家庭に土足で踏み込んでくるような自分の両親とは距離をとっている。
聖美も理美も、私自身もその無神経さに何度も傷つけられてきたのだ。結局、私たちは「家族を守って生きていく」ことを確かめたのだった。
「モリオ2尉、君を一度海外で勤務させたいもんだな」市内のホテルで行われた司令部の忘年会で、酒を注ぎに行った私に隊司令が話しかけた。
「PKO要員ですか?」「あんなオッカナビックリのじゃあ詰まらん」これは自衛隊PKOの一翼を担うわが第1輸送航空隊司令の発言とは思えない。
「湾岸戦争みたいなのが、もう一度あれば真っ先に送り込んでやるけどな」「はっ、光栄です」私は思わず姿勢を正した。
「君は坊主だし、まるで上杉謙信みたいだもんな」「はあ、有り難きお言葉・・・」隊司令は少し酔っているのかも知れない。私は過分の褒め言葉にひたすら恐縮していた。
「君の発想は自衛隊の本質を突いているよ」「はい」「あの徒手格闘だって単なる競技ではない戦技だろう」「はい」実は徒手格闘の件では、人事部長から「常識」「安全」の優先を厳しく指導されていたのだった。
「君は在外公館警備官を希望しろよ」「はァ?」突然の隊司令の言葉に私は驚いた。何よりも私は自衛官に「在外公館警備官」と言う職務があること自体を知らなかった。
「奥さんは確か救難隊の米留要員だったな」「はい」「ならば英語の心配もないな」「はい」隊司令はうなづきながら話を続けた。
「君が希望するなら俺が六本木に話はつけてやるからな」「はい」その時、隊司令と私が話し込んでいることに気づいた人事部長が近づいて来た。
「おう、部長、モリノ2尉の次の仕事は在外公館警備官に決めたからな」「はあ」人事部長は呆気にとられながら私と隊司令の顔を見比べた。
次は理美の忘年会だった。私が子供たちを寝かせてテレビを見ていると理美が帰って来た。
「ただいまァ、酔っちゃったァ」玄関に迎えに出ると理美は倒れるように抱きついてくる。理美の目はトロンとして息からはビールとウィスキーの匂いがした。
「歩けるか?」「駄目ェ、抱っこして」理美は甘えて抱きついてきた。どうやら官舎の4階まで階段を上って来て、本当に酔いが回ってしまったらしい。
私は理美をそのまま抱き上げると、もう寝室に敷いておいた布団に連れて行った。
「もう寝るのォ?」「先ず、着替えなきゃ」そう言って布団に腰を下ろした理美のコートとジャケットを脱がしてハンガーに掛けた。
「あっちへ行って」立ち上がってスカートに手をかけた理美はそう言って私を追い出し、私は足元にハンガーとパジャマを置いて寝室を出て、そのまま台所で冷蔵庫のスポーツ飲料をグラスに入れて居間に戻った。
やがてパジャマに着替え、スカートとブラウスをハンガーに掛けた理美が居間に出て来た。
私はハンガーを受け取り、交換にグラスを渡した。
「ここの整備員は教え子ばっかりだから飲まされちゃってェ、こんなに飲んだの初めてェ」確かにこんなに酔っぱらった姿は見たことがない。理美はグラスのポカリを飲み干しながらシャックリを始めた。
「私のこと、まだ教官て呼ぶんだよ、もう現場の人間なのにィ」理美は整備員としての仕事にプライドを持っている。だから現場に戻ったこともプライドなのだ。
「そうしたら私に貴方までくっついて来たなんて失礼なことを言うのよ」「そうかもな」私は浜松で理美の上司の同期から言われた皮肉な台詞を思い出していた。
「開けてビックリおまけ付きってな」私の自重気味な台詞に理美は据わった眼で見詰めた。
「あなた」「はい」理美の強い口調に私は思わず正座に直った。
「私と結婚して幸せですか?」「何で?」「答えて下さい」「はい、幸せです」私の答えにも理美は何故かジッと見詰めている。
「正直に言っていいよ、私と結婚して失敗だったって・・・」「だって本当に幸せだもん」「嘘ばっかり」「本当だよ」「嘘つき・・・」これは甘え上戸と言うのだろうか、私は理美の酒癖を初めて知った。
「だったらキスして」「えッ?」理美は甘えて私の首に腕を回し、そっと目を閉じた。
「はい」私はそのまま抱き締めてキスをする。理美は唇は酒の味、鼻息は匂いがする。長い長いキスのまま理美は腕の中で寝息を立てて眠ってしまった。
大晦日に私は1輸空隊当直幹部勤務だったので、私たちは1日に名古屋の覚王山日泰寺へ初詣に行った以外は官舎で過ごしていた。
2日、コタツで私と理美はお屠蘇を飲みながら浜松から転送されて来た年賀状に返事を書き、正月番組に飽きた周作と聖也はテレビで子供向けのビデオを見ていた。その時、玄関のチャイムが鳴り、「はーい」と返事をして理美が立って出ていった。
「お母さん・・・?」玄関から理美の引きつった声が聞こえてくる。私は岡崎の義母の突然の来宅かと思い、コタツの上を手早く片づけ始めた。
「理美、元気そうだな」すると義母に続いて中年の男性の声が聞こえてきた。
「お父さん・・・」今度は理美の声が凍りついている。
「今、大丈夫?」義母の問いかけに理美は「どうぞ」と答え、そのまま部屋に戻って「岡崎の両親が・・・」と告げるとお茶の用意に台所へ入って行った。周作と聖也もコタツを出て理美について台所へ隠れ、私は座布団を用意した。
義父は仕立てのいい背広を着て会社経営者らしい貫録がある。義母は今日も和服だった。私はカーペットの上で正座をし、両親も座布団に正座をした。
「はじめまして、モリオです」「麻野です」「お久しぶりです」そう言って私と義父母は互いに手をついて頭を下げた。
「理美さんとの結婚に際しては、お許しも得ずに勝手をして申し訳ありませんでした」その口上の後、私はもう一度手をついて深く礼をした。
「こちらこそ、不束者な娘を引き取っていただいて感謝しています」義父がそう言って顔を見ると義母は黙ってうなづいた。私は「引き取って」という言葉に、義父の頑なな性格と内心の不満を感じ取っていた。
「今日はワザワザ?」「いえ、熱田さんに初詣の帰りです」私の質問に義母が答え、私も納得をした。
その時、理美が急須と湯呑みをのせたお盆を運んで来て、急須から湯呑みにお茶を注ぎ、「安物のお茶でごめんなさい」と言ってお茶をすすめた。理美の後をついて回っていた周作と聖也が、理美の隣に並んで正座をした。義父は値踏みをするような目で周作と聖也を見比べている。
「明けましておめでとうございます」周作の音頭で二人揃って教えられている挨拶をした。思い掛けず見事に揃った声と動作の挨拶に、義父母は顔を見合わせて笑い、私と理美は揃ってホッと安心のため息をついた。
「おめでとう、えらいなァ」「おめでとう、よく出来ました」義父母は口々に褒めてくれた。
「そうそう、お年玉をあげなくちゃ」突然、義母がはしゃいだような声を出してハンドバッグから袋に入ったお年玉を取り出して義父に手渡した。しかし、我が家の子供たちはキョトンとした顔をして、それを眺めている。
「お母さん、あれ何?」先ず周作が理美に訊いた。「何ィ?」次に聖也が私に訊いた。義父母は呆気にとられた顔をして、またお互いを見合い始めた。我が家ではお年玉としては本や玩具を与える、このため子供たちはお金のお年玉をもらった経験がないのだ。
「両親が三河武士ですから、子供たちも武人の子として育てています・・・」「武士は食わねどだね」私の説明に義父は呆れた顔をしてうなづいた。
「モリノさん、孫を立派に育てて下っていて安心しました」義父はそう言って頭を下げた。
「いえ、理美がいい母親だからです、私は何も・・・」私は本心からの言葉を返した。
「こんな常識のない馬鹿娘に母親が務まるわけない、貴方の教えがあったればこそでしょう」折角の義父の褒め言葉だったが、私は無礼を覚悟で反論した。
「理美は過分無上の妻であり母ですよ。私は仕事を抱え込んでいて申し訳ないくらいです」「貴方には幹部自衛官としての大切な仕事があるのだからそれは当然ですよ」私の反論に義父は「何を言ってるのか」と言う顔をした。
「理美の仕事も自衛隊にはなくてはならない大切な仕事です。本当は夫婦の共同作業で家事も担わなければならないのです」「そんなものかな、今の若い人が考えることは・・・」この言葉も本心だったが、やはり義父には理解してもらえないようだった。私と義父が黙ってしまったのを察して、義母が理美に話しかけた。
「理美、大切にしてもらっていることを忘れてはいけないよ」「はい」義母の言葉に理美は素直にうなづく。義父母も娘の顔を見ながらうなづいていた。
「お父さん、こんなに優しく笑う理美の顔を見るのは久しぶりですね」「うん」そう答えて義父は鼻をすすりだし、それに私ももらい泣きをしてしまった。
「もう、感激屋にならないの。平成の軍神でしょ」「はい、すいません」私たちの掛け合いに義父母はまた顔を見合わせて可笑しそうに笑ってくれた。
私が小牧に赴任して半年の冬、阪神淡路大震災が起こった。
わが第1輸送航空隊などの輸送航空隊と理美の航空救難隊は災害支援物資の空輸に多忙を極めていた。そんな時期に航空自衛隊武道大会の支援集団予選が迫ってきた。
「ねえ、武道大会って本当にあるの?」夕食時、コタツの向こうから理美が訊いてきた。
「うん・・・」私も即答は出来ないでいた。
1輸空隊でも武道の強化訓練は実施しているが、武道要員の主力は仕事でも中堅であり、練習にも思うように人が集まらないでいる。それは理美の救難隊でも同じらしい。
「だって、支援集団は災害派遣にかかりっきりでしょ、暇にしてる教育隊が優勝するのは見えてるじゃない」それは武道要員からも練習を見に行くたびに毎回言われていることだ。ただ、私たちは航空教育隊に対して「腹に一物」あるのも確かだった。
「本当、棄権したいよな」私も武道要員には言えない本音で理美に賛成した。今回の強化訓練については防衛部からも「運用優先」と釘を刺されていて、普段はこの手の訓練にはムキになる隊司令も今回は何も言わないでくれている。実は、今日も支援集団の訓練班長とその件の電話で言い合ったばかりだった。
「大体、何のための武道大会なの?」理美まで珍しくムキになってきた。
「さてねェ、俺にも判らないよ、美容と健康のためじゃないかァ」私もこうして茶化していないと遣り方ない憤懣が込み上げてくるのだ。
私は自衛隊体育学校格闘課程の教官からの「武道は戦闘技術を基本にした体育に過ぎない」」と言う教えを浜松での警備訓練を通じて確信にしている。そのことは総演の徒手格闘訓練で証明したつもりだった。
「貴方、偉くなって教育訓練を改革してよ」理美は私の顔を見ながらハッパをかけてきた。
「俺はそんな大したもんじゃあないよ」「大したもんになってよ」いつもの掛け合いだったが、今日はオチが違っていた。
結局、支援集団の予選大会で1輸空を含む各輸送航空隊、救難隊などの災害派遣に参加している部隊は全て初戦敗退した。
3月1日付で隊司令が交代された。
「モリオ2尉、君がやった徒手格闘の訓練は最高だったなァ」小牧市内のホテルで行われた送別会の席で、酒を注ぎ行った私に隊司令はシミジミ語ってくれた。それは先日の武道大会に対する皮肉にも聞こえた。
「武道大会では不本意な成績に終わりまして申し訳ありませんでした」私があらためて頭を下げると、隊司令は笑いながら腕を叩いてくれた。
「あの武道大会の時、俺は他の部隊長に、うちは銃剣道じゃあなくて徒手格闘訓練をやっている、大会もやったぞと自慢してやったよ」隊司令は痛快そうに思い出し笑いをした。
「それで他の部隊長の皆さんはどんな反応でしたか?」「羨ましがられてなァ、君が浜松の警備小隊長だって言ったら、みんな知ってたぞ」私は隊司令の話が酔って大袈裟なんではないかと思っていたが、そうではなかった。
「司令官も君のことを『航空自衛隊の三奇人』って呼んでたな」「そうですか?」その時、私と隊司令が話し込んでいることに気がついた人事部長が近づいてきた。人事部長は、自分の頭越しに私が何かを仕出かすことを心配しているようだった。
「部長、モリオ2尉を在外公館警備官にするからな、君も協力してくれよ」「はい、モリオ2尉も幹部申告にもそう書いていますから・・・」私は、先日提出した幹部申告に、次の移動希望を「在外公館警備官」にした。しかし、人事部長はこう言いながら何故か渋い顔をしている。常識人の部長には、どうやら私は「型破り」で「天衣無縫」な扱いにくい部下のようだった。
「君が空自の教育訓練を改革してくれる頃には俺はいないが、楽しみにしてるぞ」「有り難うございました」私は隊司令が差し出した手を両手で握った。
「5月からSOC(幹部学校幹部普通課程)に入校することになったよ」私は、家に帰って制服を着替えながら、台所で夕食の準備をしている理美に声をかけた。今日、今年度の報告と来年度の計画の作成が一段落し、人事部長からその確認、指導を受けながら予定を告げられたのだ。
「SOCってどこへいくの?」台所から顔を出して理美が訊いてくる。やはり理美も幹部の教育課程には疎いようだった。
「目黒だよ」「東京の?」「そう、目黒のサンマの目黒」私の落語ネタも理美には判らない。その時、理美は出来あがった料理を運ばせるため、テレビを見ていた子供たちを呼び、子供たちは「はーい」と返事をして立って行った。
「目黒ってエビス・ガーデンプレイスが出来たところでしょ、いいなァ」子供たちがおかずの皿を運んだ後に、理美はご飯と急須と湯呑みをのせたお盆を持って来ながらこう言ったが、私はガーデンプレイスの方を知らなかった。
「ガーデンプレイスって?」「ファッションとグルメと娯楽の店が詰まった高層ビルだよォ、最近、朝のテレビでやってるでしょ」説明をしながら理美は興味津々と言う顔をする。しかし、私はファッションもグルメも娯楽も門外漢、興味もなければ御縁もないのだ。
「SOCってお金がかかるんでしょ?浜松の幹部の人が入校中に百万円つかったって言ってたよ」」「そうだなァ、東京で3ヶ月も遊びまくればお金もかかるよな」確かに幹部仲間には任官直後からSOCの軍資金にと積み立て貯金を始めた者もいる。中には妻帯者でありながら新宿・歌舞伎町のソープランドの全店制覇を目指した馬鹿や田舎では入手出来ない専門書を買いまくり、それで一財産遣った勉強家もいるらしい。
「まあ、俺は美術館、博物館と座禅会巡りだな」「ふーん、お坊さんをしてくるんだね」私は最近、祖父の教えを思い出して本格的に坐禅に取り組んでいる。
今回の入校でも横浜・鶴見の総持寺や鎌倉臨済宗の本山、東京都内の座禅道場巡りをして、善き師に出会い、指導を受けられることを楽しみにしていた。
「それより夏のボーナスで遊びに来られると好いね」「うん、楽しみィ」理美も入校で不在になることよりも、東京へ遊び行くことに気持ちが向いたようだ。
「お母さん、まだですか?」その時、会話に夢中になっている私たちに、「いただきます」の姿勢で待ちくたびれた子供たちが訊いてきた。
「はい、いただきます」私たちも慌てて手を合わせた。
周作が小学2年になった春休み、岡崎公園の桜祭りの茶会で義母と待ち合わせた。義父母と再会したとは言え「勘当」を受けている以上、本宿の実家には遠慮がある。
公園の桜の下で弟子たちの野点の手前を指導していた義母はいつもの丁寧な挨拶の後、子供たちにお茶菓子の桜餅と薄茶を飲ませてくれた。子供たちには初めての抹茶で、私たちは子供たちの反応を見守っていた。
「不味い」聖也は一口飲んで顔をしかめたが、「美味しいです」と周作は顔をしかめながらも一気に飲み干した。
「周ちゃんってお父さんに似てへそ曲がりだよね」「本当ね、ウフフフ・・・」理美と義母は顔を見合わせて笑い合っている。私は幸せな気分で母娘の打ち解けた姿を眺め、防府のお寺で杉浦さんに習った作法で抹茶を頂いた。隣で理美は義母仕込みの馴れた作法で抹茶を飲む。私はそれも感心しながら見ていた。
「君は和服はないの?」「ウチに預かってますよ」私が義母の春物の和服姿を見ながら理美も「きっと似合うだろう」と思って訊いてみると、代わりに義母が答えた。
「理美は似合うでしょう」「それはどうだか、この子は所作が自衛官ですからね」そう言って義母は「和服は気持ちで着るものだ」と付け加えた。
「主人が、モリオさんは『まだ若いのに人間がわかってる』って言ってますよ」義母は私たち家族の顔を1人1人確かめるように見詰めながら言った。
「それって誉められているのかなァ」「多分・・・」私の言葉に理美はうなづいた。
その時、風が吹いて桜の花びらが雪のように舞い散って、私はそれを黙って見上げながら、少し寂しい気分になった。黙り込んだ私の顔を理美は見つめている。
「貴方の今の気分を歌にしてあげようかァ」唐突な理美の言葉に私は戸惑った。
「咲いた花なら散るのは覚悟 見事散りましょ国のため・・・正解?」「ピンポン」図星だった。私の答えに理美は嬉しそうに笑い、義母は呆れたような顔をしていた。
「やっぱり自衛官だねェ、貴方たち夫婦は」「はあ」義母のこの言葉の意味はよく判らなかったが、とりあえず笑ってうなづいておいた。

イメージ画像(中山忍さん)
「戸鹿神社の大祭ぐらいは帰って来い」ゴールデンウィーク前、私の親から電話が入った。しかし、はっきり言って嫌だった。大祭には父の兄=私の伯父も実家に来るはずだ。私は聖美との交際、結婚に際して受けた仕打ちを忘れてはいなかった。
「連休明けに幹部学校に入校しなければならないから、連休中はその準備で忙しい」私が、そう電話を切って振りかえると、家族はみんな変に強張ったような顔をしている。私の断りの言葉は丁寧だったが、厳しい拒絶のメッセージを感じとったらしい。
「連休中にみんなでどこかに遊びにいこうか?」私はそのまま家族に訊いてみた。すると子供たちは、一瞬戸惑った後、急にはしゃいだ顔になり、プランを考え始めた。
「入校準備で忙しいんじゃないの?」「家族サービスも入校準備のうちさァ」からかうように聞いて来た理美も私の返事にしばらく会えなくなることを思ったようだ。
そこに聖也が「決めた」と言う顔で提案してきた。
「僕ねェ、動物園へ行ってコアラが見たい」聖也の手には、理美の友人の結婚式で周作を連れて東山動植物園へ行った時、2つ買って来たコアラのヌイグルミがあった。
「ロッテ コアラのマーチ」横から周作もCMソングを唄い賛成した。
「よし、決まりだね」理美の笑顔で我が家のプランは決定する。私は承認を与えるだけだ。
子供の日に朝から車で東山動植物園へ出かけ、動物を見て、弁当を食べて、熱帯植物を見て、遊園地で遊んでから、最後に池のそばに行った。周作と聖也は元気に池の周りを駆け回ったり、水面を覗いたりしていた。
「周ちゃん、聖也も気をつけてね」理美が声をかけると周作は聖也の方を振り返って「気をつけて」と声をかけ、私たちはそれを目で追いながら、安心したように笑い合った。
「ここの池のボートに乗ったカップルは別れるんだって」理美がポツリと話し始めた。
「本当?」私が訊き返すと理美は「愛知県の常識よ」と言う顔をした。
私は池で楽しげにボートで遊んでいるカップルたちの姿を眺めた。カップルたちはそんな伝説には無頓着に暖かい日の水遊びを楽しんでいて、池には歓声が溢れている。
「乗ってみようかァ、私たちは大丈夫でしょ」理美は一歩前に出て提案してきた。理美の顔にはむしろ目の前の若いカップルたちと同じ時間を過ごすことへの期待がある。しかし、私は黙って理美の顔を見返していた。
「やっぱりやめておこう・・・」「どうして?」私の返事に理美は不思議そうな顔をした。私は理美の顔を見てから周作と聖也に、そしてボートのカップルたちの姿に視線を移した。
「別れるのって嫌いになってだけじゃあないからね」私の答えは聖美と自分を隔てた「死」と言う「別れ」を意味している。
「もう大切な人と別れたくないんだ」「ごめんなさい・・・」そう言って手を握ると理美は涙ぐみ肩に頭をもたげかけて呟いた。
その時、公園内に夕暮れを告げる「夕焼け小焼け」の鐘の音が響いて、子供たちも唄いながら戻って来た。
「さあ、入校だ!」と家族が揃って手をつないで駐車時に向って歩き出した。
名古屋駅で上りの新幹線を待っていた。理美も休暇を取って見送りに来てくれていた。
「恋人よ 僕は旅立つ 東へと向かう列車で・・・」私は寂しさを隠し、気持ちを鼓舞するために太田裕美の「木綿のハンカチーフ」を口ずさんでいた。
「いいえ、貴方、私は欲しいモノはないのよ・・・」隣で理美も小声でそれに合わせてデュエットになっている。平日の昼前でもありホームは比較的空いていた。
「でも都会の絵の具に染まって 垢ぬけして帰ってってか」私が冗談を替え歌にすると、理美は「馬鹿・・・」と言って寂しそうに笑った。
「幹部学校が入間ならなァ、うちのMUで飛んで行っちゃうのに」「テスト飛行かい?」「業務連絡だよ、救難隊だもん」理美は少し自慢そうに笑った。
その時、ホームに警告音が響き、私が乗る新幹線の到着を告げるアナウンスが流れた。私は制服ではあったが構わずそっと理美の肩を抱いてキスをした。すると理美は私が被っている正帽を手で取って自分の頭にのせた。
「Good luck」理美が真顔で敬礼する。私は被っている正帽を取り返して答礼をした。そこから先の場面は、いきなり「愛と青春の旅立ち」になってしまった。
「Love life up us where we belong, where the eagle cry・・・」
入校して1ヶ月のある日、自宅に電話をした。
「母が子供は預かるから東京へは1人で行きなさいだって」理美の声が弾んでいる。
「えっ、それって泊りでかい?」「うん、土日でね」入校以来、禁欲生活1ヶ月の私は思わず生唾を飲んだ。頭の中に理美の裸身が浮かんで鼻血が出そうだった。
同期たちの中には、サカリがついて鎖を切った雄犬のように、積み立てた軍資金を遣ってソープランドや風俗店巡りなどで東京の夜を満喫している奴も少なくない。
一方、私は計画通りに毎週土曜日は横浜・鶴見の総持寺の座禅会、日曜日の昼間は博物館や美術館巡りか映画鑑賞、夕方はジョギングで過ごしている。だからってこんなに興奮しては「何の修行をしているのか」と理美に笑われそうだ。
「私たち2人っきりになるのって初めてだね」理美も電話口で嬉しそうに笑っている。
「いや、防府でも時々・・・」「あれは別だよ」私の返事に理美は反論した。
防府でも当直室での雑談や宴会の帰りの2次会、それから聖美公認のデートなど何度か2人だけの時間を過ごしたが、それは2人の思い出には入れていないようだ。
「でも、まだボーナス前だからねェ」「それじゃあ、泊りはグランドヒルかKKRだね」ワクワクするような話も、お金が絡むと急に現実的になった。
「すぐに予約をしないとな」「はい、お願いします、KKR希望です」防衛庁共済組合経営の「グランドヒル市ヶ谷」は陸上自衛隊市ヶ谷駐屯に隣接していて、「起床ラッパで目が覚める」と隊員には不評なのだ。
電話を切って即座に電話をしたら上野公園奥のKKRがとれた。
金曜の夜に義母が官舎まで泊りに来てくれた。
朝一番の新幹線で来た理美を東京駅まで迎えに行くと、理美はストライプの半袖ブラウスに紺の膝までのスカートの落ち着いた夏服だった。
「あなた・・・おはよう」理美は約束通りの先頭車両から降り、ホームの端で待っている私に気がつくと、穏やかに微笑みながらゆっくり歩み寄り、私は黙って理美の手からカバンを取ると並んで歩き始めた。
自衛官同士のカップルは日ごろから歩幅、歩調を合わせる訓練が出来ているだけに並んで歩くのは得意なのだ。私は歩きながらシミジミと理美の横顔を眺めた。
考えてみると理美もいつの間にか30歳を過ぎている。一緒に暮らしている時は理美が空士だった時のまま「熱愛気分」だったが、こうして久しぶりに会うと、もっと落ち着いて一緒に人生を味わいたいと感じた。
「朝早くからで眠くないか?」「ううん、新幹線の中で熟睡して来たから大丈夫だよ」「喫茶店にでも入ってコーヒーを飲もう」「うん、久しぶりのモーニングコーヒーだね」私たちは新幹線から山手線に乗り換えながら地下通路の喫茶店に入った。
席に向かい合って座りコーヒーを注文して、私が膝の上でカバンに自分の着替えが入った紙袋を入れていると理美が話し掛けてきた。
「周ちゃんがお父さんによろしくって」「うん」「聖也はいってらっしゃいって」「うん」子供たちにも会いたかったが周作の夏休みまではお預けだ。それから家族の様子を聞いているとコーヒーとモーニングセットが来た。
モーニングセットはクロワッサンにミニトマトとキュウリ、レタスのフレンチサラダ、それに茹卵だけの軽食だった。
「東京のモーニングって少ないなァ」「愛知のが大き過ぎるんだよ」確かに愛知の喫茶店では定食のようなモーニングセットが付き、十分腹が膨らむ。
「朝飯まだだろう、たりるかい?」「大丈夫、自分で食べて」そう答えながら理美は家にいる時のように「いただきます」と手を合わせた。

イメージ画像
都内の美術館を巡り、映画を見て、居酒屋で夕食と酒を飲み、上野のKKRに入った。
まず2人で風呂に入った後、ソファーに向かい合って座り、美術館と映画のパンフレットを見ながら取りとめもない雑談を楽しんだ、それがシミジミ嬉しい。しかし、理美は疲れが出たのか、それとも酔いが回ったのか、大きな欠伸をした。
「マッサージしようか?」私はダブルベッドに上がり誘ってみた。
「うん、久しぶりィ、よろしくゥ」理美もベッドに上がり、うつ伏せになって目を閉じた。私は両足から体の弾力を楽しむように少林寺拳法の整法=マッサージを始めた。
「うちの小隊長が、貴方も東京で遊びまくってるってからかうんだよ」「ふーん」「だから、お金を持たしてないから無理って言ったら、今度は可哀想だってェ」「ふんふん」理美は男同士の身勝手な言い分に「同感?」と訊きたげな顔で私を振りかえった。どこの部隊でも、SOCは若手幹部が遊びに行く所と相場が決まっているらしい。
「貴方は、私が誘惑しても迷わなかったんだから大丈夫なのにねェ」「でもあの時、キスしちゃったよなァ」「そうかァ、あれが貴方の浮気なんだァ」私が防府での別れの夜、公園で額にキスをしたことを話すと理美は呆れた顔をした。その時、マッサージは背中に移った。
「少し痩せたかァ?」「ううん、太り気味、貴方がいないと緊張感がなくてェ」私は、整備作業の力仕事で背筋、腕、肩が逞しい理美の体の感触を忘れていたようだった。
そうしているうちにマッサージは座らせての肩、首に至り、終わった。理美を座らせたまま後ろから抱き締めると手はそのまま下がって乳房を掴む。
「うん・・・」理美は切なそうな声を漏らした。私は枕元のスイッチで灯りを消した。部屋はルームランプだけで薄暗くなった。後ろから首筋に唇を這わせ、愛撫を開始すると理美も激しく反応する。その夜、私は1ヶ月ぶりに、そして初めて、思う存分に理美の体を堪能した。
駅ビルのデパートで周作の本と聖也の玩具、義母へ菓子の土産を買った。荷物を持って出発までの間、新幹線の座席に並んで座って話していた。
「来月も来るね」隣の席で理美は義母から言われていることを嬉しそうに告げた。義母は毎月1回、泊りに来てくれるつもりらしい。
「でも、お義父さんは好いのかなァ」「本当は自分も来たいのに意地を張ってるんだよ」私の大袈裟な心配に理美は「心配ご無用」と笑った。私は理美と義父母との親子関係が修復出来ていることを知り嬉しかった。
「今度は鎌倉へ行きたいなァ」「縁切り寺?」「だったら横浜にする」「総持寺で坐禅?」私のお寺尽くしの答えに理美は怒ったふりをして膨れて見せた。
「だってお寺にしか行ってないもん」「そうかァ、少しは遊んでもいいんだよ」折角の理美のお許しだったが、私にはその手の趣味がない。
「愛情は君に使わなきゃ勿体ないよ」「だから遊びだってば」私の真面目な台詞に今度は呆れたように笑った。
その時、私は腕時計で出発時間が近づいたことを確認して座席を立った。後から理美もついて来る。通路を乗客とすれ違いながら出口に向かった。
私がデッキで振り返り理美の肩を抱いてキスをした時、オルゴールの警告音とともに出発を知らせる放送が流れた。
「お義母さんによろしく」「うん」そう言ってホームへ降りると間もなくてドアが閉まった。
「君が去ったホームに残り 落ちては溶ける雪を見ていた・・・」やはりBGMは「なごり雪」だった(初夏だったが)。
「ただいまァ」お盆休暇前にSOCから帰った。
夕方、家に到着すると理美ももう帰っていて、夏休み中の周作は家で宿題をしていたが聖也は保育園からまだ帰っていなかった。玄関を上がり、そのまま聖美の佛壇に参ってお土産を供えた。
理美と周作も後ろに立って一緒に参っている。佛檀は綺麗になっていた。
「周ちゃんが毎朝、お経を挙げてたんだよ」「お経を?」「延命十句観音経です」理美の説明に周作は自慢そうに答えた。SOCへの入校に際して私は自筆で「延命十句観音経」を書き与えて、毎朝お勤めするように言っていた。
「そうかァ、偉いなァ、有難う」「はい、どう致しまして」私が褒め、お礼を言うと周作は大人びた返事をし、思わず頭を撫でた。
制服をTシャツとジャージに着替え、茶の間で先日、家族で行った上野と浅草の写真を見ていると、隣で一緒に見ていた理美が時計を見上げて言った。
「そろそろ聖也のおむかえだ」「全員で行くかァ」私の提案に理美と周作もうなづいた。
「長いこと有り難う」「貴方こそ御苦労様でした」やっと子供たちが寝て、聖也を保育園にむかえながら買ってきた白ワインを開けたが、今夜は酒よりも理美の視線に酔いそうだった。
「勉強になった?」「うん、SOCも坐禅会もね」私はうなづきながら答えた。
「私もとても勉強になったよ」「えっ、どんなこと?」理美の言葉に私は訊き返した。
「もう貴方がこんなに私の中にいること、私が貴方の中にいることがわかったんだ」「それは僕も同じだよ」理美の言葉に私はまた深くゆっくりうなづいた。
「月に一度会えたことが、とても嬉しかった・・・君の両親に感謝しないとね」5月には義母が1人で来てくれたが、6月には子供たちが岡崎へ泊りに行っていた。
そこまで話して私はワインを一口飲んだ。よく冷えたワインが喉に心地よい。2人で杯を重ね、ワインが半分になったところで布団に入った。
「結局、遊ばなかったんだね・・・」そう言って理美は腕に抱かれながら微笑んでいる。
「私、最初に貴方と出会いたかったな」突然、理美はそう呟き涙ぐんで見つめてきた。
「それは駄目だよ」「えっ」私が首を振ると理美は怪訝そうな顔をした。
「君は僕を選んでくれたんだ。最初から僕だけじゃあ、君を縛っちゃう」「あなた・・・」理美がこぼした涙を唇で拭って口づけをすると息からはワインの甘い匂いがした。
全身を味わうように、優しく、ゆっくりと手と口で愛すると、理美は声を漏らさないように指を口にくわえながら喘ぎ始めた。汗ばんだ肌は少し塩味がする。私はその体を念入りに愛し続け、やがて私たちはまた夫婦の営みに戻った。
「愛してるよ、とっても」腕の中で理美はそう呟いた。
「班長、留守中の仕事を確認して下さい」SOCを修了して小牧に戻ると、松本1曹が書類の束を机の上に置いた。8月1日付で人事部長も交代して、3月の隊司令に続き直属上司が2人も代わっていた。
昨年度が武道とサッカーだったので、今年度は駅伝とラグビーの大会がある。お盆休暇明けにはどちらも選手要員の選考を始めなければならない。
「前回の選手要員はどのくらい使えるのかなァ」私は松本1曹が用意してくれている前回の選手名簿を見ながら訊いた。
「今度の人事部長はあまり競技会には乗り気じゃないみたいですよ」「ふーん」「特技訓練優先だってはっきり言われています」松本1曹は不満そうな口ぶりだった。
「それで隊司令は?」「人事部長がそう言えば駄目だとは言えないでしょう」しかし、考えようによってはこれは当然のことなのだ。私が勤務していた西警団では長年、銃剣道の強化要員を昇任や配置で過度に優遇してきたため、人事的にバランスを崩して、私が春日へ赴任した頃、訓練班長が交代したのを機に、銃剣道の強化訓練を縮小し、それが私の最初に仕事になった。
「まあ、これから海外派遣が本格化するだろうから、うち独自にでも本当に役に立つ教育訓練を考えないといけないね」「しかし・・・」私の言葉にも教育職一筋の松本1曹はまだ納得していない顔をしている。
「棄権するとか、ボイコットするとか、手荒なことはしたくないけどなァ」「また、ご冗談を」私の台詞が必ずしも冗談ではないことを松本1曹は知っていた。
「でましたァ、モリオ節、これを聞くと班長が帰って来たって感じですね」援護室の山田曹長が斎藤1尉と顔を見合わせて笑った。
「モリオ2尉、1輸空における個人訓練の具体的眼目とは何だ?」SOCから戻って最初の会議で、隊司令が訊いてきた。人事部長も私の顔を見ている。
「英語力と護身術でしょうか」私は即答した。
「うん、噂通りの回答だな」隊司令がうなづくと各部長も一斉に私の顔を見た。この噂とは前隊司令からの申し送りなのか、本当に余所からの噂なのか分からない。
「英語力は英語弁論大会か?」人事部長が私の腹の内を試すように訊いてきた。
「代表選手の強化よりも、日常的に英語を使う習慣づけが肝要かと」「うん」「総演では徒手格闘の大会をやったそうだな」「はい、非常に実戦的な訓練でした」総演を統括する立場から防衛部長が代わりに説明してくれた。
「警備小隊員の中に教官要員を養成したいものです」「うん、それはいいな」私は浜松でやって来たことの継続を言ったのだが、隊司令は満足気な顔をしてくれた。
「今後、1輸空は海外に視点を向けないといけないからな」「はい」私も隊司令の言葉に決意を新たにしたところで人事部長が会議を進行させた。
「ところで司令、モリオ2尉から駅伝要員の選考について説明があります」人事部長の台詞で理想と現実、建前と本音のようなオチが付いてしまった。
お盆休暇の期間を過ぎて、基地の盆踊り大会がやってきた。
昨年は、転入してすぐでお客さん扱いだったが、今年は子供たちも友達が出来て楽しみにしている。理美は浴衣を着ると張り切っていた。
「母が私の浴衣を持って来るついでに、周ちゃんと聖也の甚平さんをくれたんだよ」理美は箪笥から子供用の甚平さんを出して見せ、子供たちもそれを見ながら「甚平さん、甚平さん」と喜んでいた。
「貴方も浴衣を着たら?」「どうせなら法衣の方が好いなァ」「そうかァ、お坊さんだもんね」私の返事に理美は笑ったが、そう言えばまだ理美に法衣姿を見せたことがない。
「モリオ2尉、奥さんに浴衣の着付けの指導をやってもらえませんかねェ」盆踊り大会が近づいた頃、総務のWAFの松村3曹が訓練班に来て申し入れてきた。
「頼んではみるけど、どこからそんな情報を仕入れたんだ?」「新年会の時、モリオ3曹が当直空曹で接待係のWAFに着物の着付けをやったくれたんですよ。手馴れてましたね」確かに新年会の時は正月休暇の人手不足で営外者の理美もWAF当直についていた。
「基地命令を切って集合訓練にしようかなァ」「訓練班の実績作りに利用しないで下さい」私の冗談も、「常識の塊」の総務のWAFはクールにあしらった。
「それじゃあ、お願いしますよ」「駄目もとで頼むだけだよ」「班長が言えばモリオ3曹も嫌とは言わないでしょう」彼女の台詞がどう言う意味か判らなかったが、一応、頼んでみることにした。
「いいけど、全員集めて集合訓練にしようか」私の話に理美は同じことを言った。
「それは総務の松村君に断られたよ」「もう、言ったのォ」理美は呆れた顔をする。
「うん、発想は同じってことだ」「朱に染まれば赤くなるだね」理美はため息をついた。
「そりゃあ、どう言う意味じゃい」「似た者夫婦って言うことだよ」確かに最近、理美はかつてのクールビュウティーのイメージがなくなって、私同様の「にっこり笑ってズバッと斬る」タイプになってきたような気がする。気がつけば私と理美の結婚生活は、聖美とのそれの期間を超えている。
「やったァ、今年は浴衣できめられるんだ」「だったら、実家から送ってもらいます」理美の着付け教室の話を聞いてWAFたちは大喜びをした。集合訓練はWAF隊舎の娯楽室でやるはずが、入り切れなくて基地講堂を貸した。
「盆踊り大会が華やかになるなァ」基地司令を兼ねている隊司令も喜んでくれていた。しかし、その教官の夫はTシャツにジャージで参加したのだ.
「訓練班長は、盆踊りも訓練なんですかァ?」「おう、体育訓練だよ。ファイトォ!」浴衣できめているWAFたちは男子隊員からビールを飲まさせられ、ほろ酔い気分だ。
彼女らがからかってくるのに私は半分焼け糞で答えて踊りまくった。
毎朝、朝礼時に「英語での3分間スピーチを」と言う私のアイディアは実行された。
「モリオ2尉が変なことを始めるから困りますよ」スピーチ当番に当たった隊員たちから英語の相談を受ける若手幹部たちは司令部に来るとそんな愚痴をこぼしていく。
1輸空隊の各隊には「5術校英語課程の教官には相談を受けてもらえるように事前調整済みだ」と連絡はしてあるが、内心では「これで若手幹部も勉強しろ」と考えていた。
「ところでモリオ2尉は英語は話せるですかァ?」若手は疑い眼で私の顔を見た。
私の英語は聖美仕込みなのだが、そのことを知る人は少なくなった。
「イエス、オフコース。バット ジャスト ア リトル」「モリオ2尉は英検3級ですが、奥さんは米留要員ですからね」私の英語での返事の横から松本1曹が補足説明をした。理美は英検2級で浜松では英語弁論大会の教育集団代表にもなっている。理美の軍隊英語は聖美が話していた民間航空の接客用のソフトな英語とは一味違う。
「そうかァ、訓練班長の奥さんに習えば好いですよね」「駄目、5術校へ行きなさい」申し出を即座に拒否すると彼は「ケチ」と文句を言って帰って行った。
「僕、柔道をやっても好いですか?」仕事から帰って着替え、茶の間に座ると夏休みが終わった小学三年の周作が言ってきた。どうやら柔道を始めた同級生と教室で練習ごっこをやり、投げられてコブを作ったらしい。
「でも、スイミングもやってるだろう?」「両方頑張ります」周作は簡単そうに言うが、練習の曜日が合うのか台所の理美に確認した。
「柔道は毎週水曜日に市の武道場、スイミングは毎週土曜日だから大丈夫だよ」理美が顔を出して答えた。どうやら周作は、先に理美に相談していたようだ。
「拳法ならお父さんも先生だぞ」「お父さんとやるのは駄目です」先日、私が周作の頭にボールをのせて、それを回し蹴りで飛ばすと言いながら失敗し、泣かせたばかりで、それ以来「自衛隊体育学校・格闘指導官」も信用がなくなっている。
「そうかァ、でも宿題は大丈夫か?」「はい、大丈夫です」周作は自信ありげに答えたが、その時、「今日の宿題はやったの?」と理美に訊かれ周作は「あっ、まだでした」と答えてあわてて自分の勉強机に向かって駆けて行った。呆れてそれを見送っていると、今度は保育園の年中組の聖也が前に来た。
「僕、サッカーをやっても好いですか?」「今度はサッカーかい」私がまた台所の理美に声をかけると、また顔を出して答えた。
「毎週土曜日の昼から市のグランドで幼児サッカー教室があるんだって」聖也は母の説明を黙って聞きながらも、周作の失敗の後だけに不安そうな顔をしている。
「聖也のスイミングはどうする?」「聖也は走りまわる方が好きだからね」私も日頃、聖也が遊んでいる様子を観察していて、そちらに適性はあると思っていた。
「我が家もスポーツの秋かァ」「教育幹部、訓練班長の家だからねェ」理美がつけたオチで、結局、周作の柔道も一緒に許可することになった。

「今年も徒手格闘の訓練はやるんだろう、隊司令もえらくご執心だからね」総演の命令を起案している防衛部運用班長に呼ばれて訊かれた。
「はい、35普連には防具の借り受けと教官の派遣は支援要望を出してあります」「だったら防具なんか借りないで、もう調達しちゃえよ」運用班長は気楽に言ってくれる。私も2年連続で実績を作れば調達を要望する根拠になるかとは考えていた。何にしろ、部隊訓練の予算潤沢な防衛部とは違い、ウチの個人訓練関係の予算は心細い上、スポーツ競技やイベント的な行事に喰われていてはニッチモサッチもいかないのだ。
「警備の隊員を体育学校に入校させる話はどうなってるんだ」「管理隊も人手不足だそうで、中々ウンとは言ってくれなくて・・・」昨年度総演の実績を基に徒手格闘を普及定着させる努力を私なりにやってはきたが、実際の業務に追われる現場の反応は、「総演のイベント」の認識を出ず苦労していた。
「だったら、3曹に昇任しても初任空曹に入れないだろうって言ってやれよ」確かにその通りではあるが、「それを言っちゃあ、おしまいよ」の台詞でもある。返事をしない私に、運用班長は同情するような顔で声をかけた。
「指揮官の方が気楽だろう、陣頭指揮、俺に続けで済むからな」「はい、まったくです」私は浜松での何かに憑かれたように訓練と実戦に立ち向かっていた日々を思い出した。
ある日、監理部長と人事部長が突然、一緒に訓練班にやって来た。
「モリオ2尉、慰霊祭をやるから、お経を頼むワ」「はァ?」間もなく1輸空隊のCー1輸送機2機が三重県の山に激突した事故の慰霊祭があり、例年その日には、近くの各宗派のお寺に順番で供養の読経を依頼している。但し、そのお布施の出どころは予算根拠がないため監理部の裏金だった。
「折角、現職の坊さんがいるのに余所に頼むのは勿体ないだろう」監理部長は笑っている。監理部長としても余計な金も気もつかわずに済めば、これ幸いだろう。
「しかし、自衛隊は副業が禁止されていますよ」「誰がお布施を払うって言ったァ」私が躊躇うと人事部長が笑いながら答え、監理部長もうなづいた。
「お布施をもらわなければ副業にはならない」人事部長の見解なら間違いないだろう。
「ところで法衣は持ってるんだろうなァ」「はい」私の法衣は祖父にもらった形見だが、これで理美や子供たちにも法衣姿を見せられる。どんな反応をするか私も楽しみだ。
「頭は坊主刈りだし、どうみても本職だよ、遺族も判らんだろう」と監理部長。
「自衛隊に米軍みたいな宗教職種が出来れば、お前は従軍坊主だな」と人事部長。
これ以降、私は色々な事故の慰霊祭や警備犬の供養から、管理隊の新車納入の安全祈願や施設隊の工事の地鎮祭までオーダーされることになってしまった。
正月休暇、2日には今年も義父母が熱田神宮への初詣の帰りに官舎に寄ってくれた。
「入校中は、大変お世話になりました」「モリオさんこそ御苦労様でしたね」私が頭を下げて礼を言うと、義父が社長の顔で労をねぎらってくれた。そこから話が和やかに弾みだしたところで、義父が部屋の聖美の遺影を見ながら呟いた。
「亡くなった奥さんは綺麗な方だったんですな」「貴方、正月からそれは・・・」義母が義父の思いつきのような台詞に顔を強張らせ、周作も黙って私たちの顔を見た。
「はい、綺麗で優しい妻でした。本当に沢山のいい思い出と周作を遺してくれました」
「すごく素敵な奥さんだったよ、私も奥さんのおかげで結婚出来たって感謝してます」私たちの答えを聞いて、義父が理美の顔を見詰めながら言った。
「理美が幸せになれた理由が判ったよ」「はい」理美はジッと父の顔を見返した。
「こんな優しい旦那さんに愛されていれば、幸せになれない訳がない」「うん・・・」思いがけない父の言葉に理美はみるみる涙目になり、私も危なく涙をこらえていた。
「モリオ2尉、在外公館警備官希望って言うのは変わらんか?」幹部申告を提出すると人事部長から部長室に呼ばれ希望の念を押された。
「はい、是非とも」「そうか、それじゃあ、これで行き先も選んでみろ」そう言うと人事部長は机の上で在外公館警備官の人事交流予定表を見せてくれた。
「君が転出する時期だとチリ、スリランカ、シンガポール、レバノン、コンゴかな」「はい」「残念ながらヨーロッパはないぞ」「スリランカはどうして?」スリランカは海上自衛隊からの出向だったモノが航空自衛隊に交代になっている。
「PKOでうちのCー130が二セコ・ガルシアに寄るようになった関係かな・・・」中東方面へのPKO関連物資の空輸では、インド洋のニセコ・ガルシア米海軍基地に寄るが、海上自衛隊の寄港よりも頻度はあり、確かに部長の言う通りかも知れなかった。
「行きたい所はあったか?」「はい、第1希望はスリランカ、第2希望はチリにします」「おいおい、奥さんに相談しないで勝手に決めてもいいのか?」「大丈夫です」私の即断に部長は心配をしてくれたが、この話題は我が家の茶の間ではテレビや雑誌、新聞に外国が紹介されている度にいつもしているので簡単なことだった。
「第1希望はスリランカ、第2希望はチリだな」「はい、お願いします」そう確認すると部長は机上のメモ紙にそれを書き込んだ。
「スリランカ?やっぱりお寺巡りかァ」それが夜、この話を聞いた理美の感想だった。私の中でも佛教国・スリランカのイメージは、タイとゴッチャになってしまっている。あとは紅茶と宝石の産地と言うことぐらいしか知っていることはない。
「スリランカって、猛獣はいるの?」「ライオンは聞かないけど虎はどうだろう」「ペットに象が飼えたりして、へへへ・・・」スリランカでは反政府ゲリラとの戦闘が激化していることが報道されているが、何所までも能天気な夫婦・両親だった。
2月には、どこの部隊でも耐寒訓練の仕上げの名目でマラソン大会がある。それは私の1輸空隊も、理美の救難隊も同じだった。そんな時、司令部の会議があった。
「訓練班長、先日の部隊長会議で今年は基地のマラソン大会にしようと提案されてなァ」「はァ、どなたから?」私は思わず隊司令に訊き返した。
「そんなことはどうでもいい、そうすれば準備も一度で済むだろう」「はい、確かに」「毎年、基地所在部隊で担当を持ち回りにすれば負担も軽くて済む」「はい、ごもっとも」「1回目の担当は当然うちだぞ、いいな」「御意」そう申し渡して隊司令は話題を変えた。私はこれから始める煩雑な業務調整を想い、ため息をついた。
「ウチは年寄りが多いですから、そんな長い距離は困りますよ」やはり足を引っ張ったのは教育が専門であるはずの5術校だった。
「出来れば年齢別コースにしてもらえませんかねェ、40歳以上で分けてさ」自分も定年がそう遠くなさそうな訓練班長は自分のために言っているように見える。
「それじゃあ、作業員も時間も余計に必要になってしまいますよ、やるなら5術校が担当する年にでもやって下さい」訓練班長には私の答えが冷淡に聞こえたようだった
「若いつもりのあんただって、いつかは年を取るんだよ」訓練班長は私を諭すように言う。
「しかし、退官するまではやっぱり自衛官でしょう」私の感情を交えずに答えた。
「噂通りの軍人さんだね、あんたは・・・1輸空の隊員も大変だ」訓練班長は皮肉な口調でそう言って実施原案を受け取った。
それからは企画立案をしては部長の確認を受け、所在部隊の担当者と調整する毎日だった。くたびれて家に帰った私に、遅い夕食を出して、座卓の向こうに座った理美が訊いてきた。
「やっぱりコースは男女一緒なんでしょ?」「そのつもりだけどWAFとしてはどうだい?」私の逆質問に理美は少し考えてから答えた。
「若手の元気なのはヤル気になってるけど、ベテランは『何で?』って感じだね」「それで君は?」「私は訓練班長の妻ですから、元気で張り切っていますよ、遅いけどね」これで女性自衛官の反応もわかった。この違いは適応力の問題と理解するべきか、既得権益への執着と考えるべきかは、ご飯を食べて風呂に入りながら考えることにした。
「元気に・・・いい?」「もう、エッチ」その夜、布団の中では別にやることがあったのだ。
「理美、周作、一緒に走りに行こう、聖也は自転車でついておいで」「エッ、どこへ?」休日の午後、私は家族に声を掛けてみた。周作も近いうちに小学校でマラソン大会があり、最近は一緒に走っている。聖也は自転車の補助輪がとれて理美が練習させていた。
「コースの下見につき合ってよ」「うん、わかったァ」そう答えると理美は居間で着替え始めた男子家族を残して奥に着替えに引っ込んだ。
「周作が完走出来れば定年前の連中だって文句は言えないだろう」「自分の仕事に家族まで利用する気だなァ」私の話に奥から理美が呆れた声で答えた。確かに小学校3年生の周作が完走出来たコースが走り切れないようでは自衛官失格だ。
やがて家族全員ウィンドブレーカーに着替えると、聖也の自転車を車のトランクに入れて基地へ出かけた。するとゲートの隊員が「家族で訓練ですか?」と声をかけてきた。
「お父さん、僕、自転車に乗れるよ」「よし、今日はたくさん走るから頑張れよ」聖也の自慢に私が励ましたところで、車はスタート予定地点のグランドについた。
車を下りて聖也の自転車を出している私に後ろで準備運動しながら理美が声をかけた。
「コースは何キロなの?」「5キロだな」「浜松基地の一周よりも短いね」拍子抜け気味な理美の後ろで周作が、「5キロですか・・・」と心配そうに呟いていた。
マラソン大会は5キロの年齢区分なし、男女一緒のコースで実施した。
結果は救難隊が圧勝、5術校は惨敗だった。それでエライさんの機嫌が好くなったり悪くなったりして、それをモロにかぶった訓練班長たちが1輸空隊の訓練班に来ては感謝したり、自慢したり、文句を言ったり、愚痴をこぼしたりして行った。
ちなみに周作は日頃の練習の成果を発揮し、小学校のマラソン大会で学年2位になった。
今年のゴールデンウィークも、「戸鹿神社の大祭」は無視して奈良へ家族旅行をした。
「周作は、まだ小さい頃、奈良に1年住んでいたんだよ」「覚えていません」車の中での私の話に後席の周作は首を振った。聖也は車に乗るとすぐに眠る癖がある。
「そりゃあ、まだ2歳だったからなァ」「はい、全然覚えていません」周作にとっては亡き母・聖美との思い出であるが、5年以上の歳月が次第にそれを風化させてしまっているようだ。その切ない気分を助手席の理美が微笑みで慰めてくれた。
「大佛さんを見て『あれ怪獣?』って訊いて困ったよ」「怪獣ってェ?」突然、眠っていたはずの聖也が話に入って来た。
「奈良公園では鹿に追いかけられてね」「そうですか」周作は相変わらず淡々と答えている。本当はその時、逃げる周作を聖美が抱き上げて鹿から守ったのだ。
「猿沢池の亀を欲しがってな」「今でも亀は好きです。飼いましょう」「僕もォ」お寺や佛像の話よりも「亀」のキーワードで2人はワクワクした顔になってきた。
その時、車は奈良市に入り、田圃の遥か向こうに東大寺の大佛殿の屋根がかすかに見えてきた。朝、小牧を出て、三重は伊勢、伊賀を通って、ようやく南から奈良市に入ったのだ。
私はその遠景を眺めながら「ダイブッシャンのおうち・・・」と幼い日の周作の台詞を呟いてみた。それを理美は「大佛さんのお家」と優しく言い直した。
奈良の幹部候補生学校では自転車で行動していたので、駐車場に詳しくなくて困った。
薬師寺や唐招提寺の西の寺は兎も角、東大寺や興福寺は寺領が広いため近くに見つからず、仕方ないので宿泊するホテルで早目にチェックインして停めさせてもらった。
そこからは歩いての観光だったが、前回は追いかけられた奈良公園の鹿を周作は聖也と一緒に走り回って追いかけ回している。私は我が子の成長をそんなところで確認した。
ところで聖也は大佛を見上げて、「あれロボット?」と訊いたのだった。
この時期の若草山は全体が若草に覆われ本当に若草山だ。私はここからの眺めが好きで聖美と3人で自転車を押して登ったものだった。
「大佛さんのお家が足元に見えるだろう」喜んで走り回っている子供たちを気にしながら、理美に話しかけると、「うん、奈良が一望だね」とうなづいた。
「そう言えば万葉集にこんなところを詠んだラブポエムがなかったっけ?」「うーん、額田王と大海人皇子の歌だろう」これは聖美にも教えてもらったのだが思い出せない。しばらく2人で睨めっこしていたが、理美の顔がパッと光った。
「あかねさす 紫野行き 標野(しのの)行き 野守は見ずや 君が袖振る」「うん、それだ」「それで大海子皇子からの返歌は・・・」「紫草の にほへる妹(いも)を 憎くあらば 人妻ゆえに 我れ恋ひめやも」「ピンポーン」記憶の回復は私の方が遅かった。
額田王は大海人皇子との間に娘まで儲けていたが、皇子の兄の中大兄皇子に言い寄られて後宮に入ったのだ。
「でもこれ不倫の歌でしょ。よく教科書に載せてるよね」理美が憶えていたのは愛知の女子高生的興味だったようで、私は聖美との微妙な違いに呆れながらうなづいた。
7月1日付で理美が、2等空曹に昇任する。一方、私は1等空尉への昇任から漏れた。
「2曹昇任、おめでとう」昨日、当直幹部について、幹部食堂で救難隊の整備幹部からそのことを聞き、帰って台所で料理をしている理美を後ろから抱き締めながら祝福した。
「3曹を6年で2曹なら早いなァ、流石は俺の奥さんだァ」私は逃げようともがく理美を離さないで首筋にキスをすると、その騒ぎにテレビを見ていた子供たちも集まって来た。
「でも、あなたは・・・」理美は幹部の方が先に昇任の内示があることを知っていた。
「俺かァ?俺は奈良は家族連れで遊んでいたし、クレーマーだったんだから仕方ないさァ」これは先日、人事部長からされた「昇任出来なかった理由」の説明の請け売りだった。ようするに奈良・幹部候補生学校での成績は大したことがなく、春日では父子家庭で勤務にも配慮を受け、特別事情で浜松へ転属もしている。累積マイナスポイントが高いのだ。
「浜松でもあんなに頑張ってたのに・・・」「ハンディ―があったんだから、あれでやっと人並みってことさァ」「WAFの産休はよくて、貴方は・・・」私はまだ不満そうな口ぶりの理美を腕から解いた。騒ぎが収まって子供たちもテレビの前に戻って行った。
着替えて座卓の席に座ると、すぐに子供たちと理美が夕食を運んできた。ご飯が並び、「いただきます」と手を合わせて食べ始めたところで私が提案をした。
「7月1日にはお祝いをしよう」「そんなのいいよォ」私のことを思って理美は首を振った。
「2人のお祝さァ、合同祝賀会だよ」「エッ」私の返事に理美は怪訝そうな顔をしている。
「君は昇任、俺は誕生日、35歳になります」「そうかァ、そうだったね」私の返事に理美は意表をつかれたようにホッとした顔で笑った。
「それじゃあ、来年の正月は新年と貴方の昇任でオメデトウがまた重なるね」「それはどうだか、スタートダッシュの出遅れは挽回が難しいからな」理美の励ますような言葉にも私はあまり関心がないように答えた。
「2曹になればインスペクター(検査員)だけど、1尉になったって訓練班長のままだよ」今度は私が励ます言葉を返すと、理美はうなづきを繰り返していた。
「1尉になったら教育隊に行って中隊長になる?」「それはだけは嫌だね」「でしょ」質問に私が首を振ると理美もまたうなづいた。しかし、私の教育幹部としての経歴管理を考えると在外公館警備官が実現しなければ防府を含めてこの可能性は否定できないのだ。
「3佐になってから大隊長でならなァ」「1佐になって群司令でしょう」「だから1尉になりそこなったんだって・・・」理美のきつい冗談に私はむせてしまった。
「君こそインスペクターの勉強をしないとね、テクニカル・サージェント」「はい、頑張ります。キャプテン(まだ早い)」ようやく私たちは見つめ合ってうなづいた。
「今夜は前祝いに・・・いい?」「ラージャ」私が目で口説くと理美もOKをした。私たちは思わず2人きりの世界に入りそうになった。
「お代わりいいですか?」気がつくと隣りで周作が茶碗を差しだしていた。
秋は周作の小学校と聖也の保育園の運動会、その後には続いて総合演習がやってくる。
「僕、徒競争は駄目です」運動会が近づいたある日、周作が申し訳なさそうに言った。
「マラソンは早いのになァ」「でも自衛隊でも長距離は早いのに短距離は駄目な人って結構いるじゃない」私と理美は周作を慰め、励まそうと話し始めた。
「大人は横紋筋と縦紋筋の発達が違うからだけど、まだ小学生は反射神経の問題だね」「流石は体育学校!」私の専門的な解説に理美が半分茶化して合いの手を入れた。
「周作、ヨーイ・ドンのドンを待っていると遅れるから、『ヨーイ、1、2の3』で勝手にスタートするんだよ」私の実戦的な指導が始まると聖也も周作の隣りで話を聞いていた。
「聖也は徒競争は大丈夫かァ?」「僕、駆けっこが好き、マラソンは嫌」聖也はそう言って両親の顔を見比べた。そうなると私たちも答えなければならない。
「俺は短距離は早いよ、50メートルは6秒4だからな」「エッ、そうなの?凄―い」私の答えに理美は大袈裟な声を出し、その声で子供たちも尊敬の眼差しを向けてくれた。
「長距離は1万が30分台だから平均よりも少し早いくらいかな」「それでも凄いよォ」意外に運動が苦手な理美は、自分に話を向けられないように上手く逃げているようだ。
「周作、お父さんも小学生の時は、徒競争もマラソンもドベ(最下位)だったよ」私も理美をかばって話のまとめにかかった。やはり子供たちには理美は「何でも出来る、カッコ好いお母さん」でいてもらいたい。お父さんはボケ役でいいのだ。
「何でも1つ、ずっとやれるスポーツがあればいいよ。何かあるか?」「僕、サッカー」「僕は・・・」私の言葉に即答した聖也の横で周作は口篭もっている。
「マラソン?」「スイミング?」「柔道?」聖也、理美、私の順で口々に訊くと周作は黙って考え込み、私たちは注目してその答えを待っていた。
「僕、ドラゴンズかグランパスに入ります」「はァ?」本人以外の家族3人は呆気にとられた。結局、こいつは深刻には悩んでいなかった。
今年の演習は義母が泊りに来てくれ、理美は念願の演習に完全参加することが出来た。
今回の演習からは3回目になった徒手格闘の訓練の指導に来た35普連の隊員が警備訓練のゲリラ役もやってくれることになった。
演習最終日の警備訓練で、私は補佐官として基地の外れにある補給隊燃料小隊を攻撃するゲリラに同行していた。燃料小隊は理美たち救難隊の整備格納庫と道を挟んで向かい合っている。
私が道路に立ちゲリラの行動を確認していると、足元から突然、誰何をされた。
「誰か?」「補佐官!」その声には聞き覚えがある。それは理美だった。
「キシメン」「ミソカツ」理美は手順通り合言葉に続き確認の質問をしてきた。
「今日の夕食は何だ?」「そろそろ君の手料理が食べたい」「コラッ、真面目にやれ!」久しぶりの演習で気合が入った理美に補佐官が叱られてしまった(マジに怒っていた)。

イメージ画像(航空自衛隊はここまではやらない)
演習が終わって一段落したところで、私は人事部長から部長室に呼ばれた。
「モリオ2尉、正式に在外公館警備官要員に指定されたよ」「はい、有り難うございます」私の素直な礼の返事に部長は意外そうな顔をして見上げた。
「近いうちに海外勤務要員の英語の集合教育があるからな」「ハッ、何所で?」「それは勿論、5術校だよ」5術校なら小牧内の入校で都合が好い。多分、教育内容も理美の米留英語課程と大差はなく、色々とアドバイスも貰えそうだ。
「任地については最終的には空幕と内局の調整だから、どうなるかわからんぞ」「はい」「コンゴになっても、もう断れんからな」「はい、コンゴもですか?」「今後じゃなくて可能性だ」部長は私のボケに突っ込みながら怖い話を持ち出してくる。これは人事幹部特有の「本当にそうなった時」のための予防線なのか、心の準備をしておけと言う上司としての親切心なのかは分からなかった。
「ご迷惑をお掛けしますが、よろしくお願い致します」「まあ、小牧の基地内なら勉強の合間に仕事もやってもらえるからな、頼むぞ」「はあ」これは入校する部下への言葉としては人事部長として不適切かも知れない。しかし、現実的にはそうなることは覚悟しておかなければいけないだろう。
「有り難うございました」「それから、前の隊司令にもお礼と挨拶の電話をしておけよ」もう一度、礼を言って退室しようとする私に部長が1つ助言をしてくれた。
家に帰って食事、入浴の後、子供たちが寝たところでこの話をした。
「いよいよ、海外勤務かァ」「うん、聖也は日本人学校で入学するんだなァ」「そうなるね」理美は指を折りながら聖也の歳を確認して答えた。
「周ちゃんは、あっちで卒業じゃあないのォ?」「そうかなァ」今度は、2人で周作の歳を確認する。3月異動ならギリギリで卒業になる計算だった。
「ウチの子たちは入学も卒業も桜の花の下じゃあないんだァ」「うん」「スリランカってどんな花が咲いてるの?」理美の質問には不勉強で答えられなかった。
「蓮の花かな」「それじゃあ、お浄土じゃない」理美は呆れたように笑う。私は僧侶として実家の浄土宗の信徒としての教育が行き届いていることに感心した。
「熱帯植物だろうから、東山植物園に行けば分かるかもね」「そうかァ」「でも、スリランカのガイドブックなんてあるのかなァ」「PXにはなかったよね」「名古屋に探しに行かないとね」どうも、私たちは旅行気分から抜けられないようだった。突然、理美が座り直して、真面目な顔で私を見つめた。
「前に、私と一緒ならどこでも『住めば都だ』って言ってくれたでしょう?」「うん」「それはスリランカでも?」理美は、ジッと見つめながら答えを待っている。
「『住めばお浄土』だね」「うん、フフフ・・・」私の答えに笑いながら理美は目を閉じた。私は肩に手を掛けて抱きよせた。しかし、私は口説き文句を間違えた。
「極楽浄土したい・・・」「南無阿弥陀佛、南無阿弥陀佛・・・」今夜は、ここまでだった。

スリランカ国花
- 2013/01/25(金) 09:32:03|
- 続・亜麻色の髪のドール
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
聖美を亡くして半年、私は「父子家庭」と言う特別事情により、実家に近い浜松基地へ管理隊警備小隊長として転属した。
「モリオ3尉ィ」朝、警衛所で警備日誌の確認をしていると突然、後から声をかけられた。振り返るとそこには理美=麻野3曹が立っていた。
「お久しぶりです」理美は懐かしそうに笑って頭を下げた。
「おッ、元気そうだな」私が返事をすると理美は両手で手を握って来た。その様子を周囲の若い隊員たちが、驚いたような顔で見ている。
「今日は何だい?」「受付です」「今は?」「1術校で新型機の転換課程の教官をしてます」「美人教官かァ」私が冷やかすと理美は照れたように笑った。
「若い、やり手の警備小隊長が来たって聞いてましたけど、モリオ3尉だとは思いませんでしたよ」理美はマジマジと私の顔を見直した。こんな風に見つめられると、あの防府の公園での夜を思い出してしまう。理美は都会で磨かれたのか、防府の頃よりも美しくなっているような気がする。
「よろしくな」「はい」「それから今日の勤務もな」「勿論、張り切っちゃいます」理美は気合を入れるかのように口をギュッとつむってうなずいた。

イメージ画像
勤務を終えて理美が申告に警備小隊本部の私のところへ寄って行った。
「モリオ3尉、さっき若い人から聞いたんですが、奥さんを亡くされたとか・・・」「うん・・・」私は感情をいれずにうなずいた。
「あんなにお元気だったのに・・・」「交通事故じゃあ、仕方ないさァ」「そうですか、お子さんは?」「クレーマークレーマーなんだ」私は春日時代の仇名で答え、すべてを察した理美は顔を曇らしてうなずいた。そして「部隊の終礼があるから」と、理美はそこまででお辞儀をして帰って行った。
「小隊長は麻野3曹と知り合いなんですか?」理美が帰った後、先任空曹が関係命令の確認の手を止め、興味深々の顔で訊いてきた。
「彼女とは防府で一緒だった上に同郷なんですよ」「小隊長も岡崎でしたね」どこの部隊でも先任の情報収集能力には舌を巻く。
「あれだけの美人でしょう。一昨年、ここに来て以来、うちの若い奴等が何人もアタックしたんですけど総員討ち死にでした」「ふーん」私は黙ってうなずいた。
「1術校でも独身連中はみんな振られたらしいですよ」「へー」「何でも、防府に男がいるとか、いないとか・・・」「それはないね」私は先任の情報がどこまでなのか量りかねたが、取り敢えず否定をしておいた。
「それじゃ、同郷の男って話の方ですかね」「それも違うね(一応、私も同郷である)」先任の話は質問の形を借りた情報収集のニオイがして、私はまた否定した。
「まさかバージンってことはないでしょう、エエとこのお嬢様らしいですけど」話がシモに流れるのも先任たちの特性ではある。私は曖昧に笑って誤魔化した。
「あッ、終礼が遅くなると小隊長、お子さんのお迎えに遅れますね」そう言うと先任は待機室の隊員を呼びに席を立って部屋を出て行った。私はこれから周作を保育所に迎えに行き、夕食の準備をしなければならないのだ。
私は防府での噂が浜松にまで届いていなかったことに安堵し、ここで理美が新しい気持ちで頑張っていることを知り嬉しかった。
PXで理美に会った。いつも理美は1、2人の若い女性自衛官(WAF)を連れている。浜松で理美は聡明で上品な美人の、それでいて話が分かる先輩=空曹として若いWAFたちからの人望があるようだった。
「モリオ3尉、今度、奥さんのお参りをさせて下さい」理美は真顔で言ってきた。
「うん、だけど悪いさァ」私は遠慮と言うよりも理由のない懼れに似た感情でためらった。しかし、理美はそんな私の気持ちに気づかぬふりをして話を進めていく。
「それじゃあ、今度の日曜日の午前中、官舎に行きますよ」「うん」「子供さんは、何歳になったんですか?」「3歳さァ」「男の子でしたよね」「うん、周作って言うのさ」「はい、周作君ですね」理美は官舎の号棟と部屋番号を確認すると笑顔で会釈し、待たしてあったWAFの所へ「お待たせ」と言いながら戻っていった。
「麻野3曹はクレーマー3尉とお知り合いなんですか?」「私の憧れの人なんだァ」理美とWAFたちの話し声が聞こえてくる。どうやらこの基地でも私はWAFたちの間でクレーマー3尉と呼ばれているらしい。しかし、それ以上に理美の「憧れの人」と言う言葉に、若いWAFがあらためて振り返り私の顔をもう一度見直して首を傾げたのに困惑した。
「こんにちはァ」日曜日の十時過ぎに理美がやって来た。今日は黄色のポロシャツにGパンの軽装だ。手には小さな花束と買い物袋を抱えている。
「周ちゃん、こんにちは」理美は私の脇で見上げている周作に顔を近づけて挨拶し、周作は初対面の若い女性からの挨拶に、恥ずかしそうに挨拶を返した。
「周ちゃん、ケーキを買って来たから後で食べようね」「やったァ、ありがとう」無邪気に喜ぶ周作の顔を理美は優しく見つめた。
「お花を買って来ました・・・」「あッ、花瓶ね」私は台所の流しの下から聖美が遺した琉球ガラスの小さ目の花瓶を取り出して、花を受け取ろうとした。
「私がやります」理美はそう言って逆に花瓶を受け取って台所で花を生け始めた。我が家に佛壇はなく、周作の小さな箪笥の上に春日で知人の神父からもらった(聖美によく似た)マリア像と聖美の写真を飾り、花とコーヒー、果物を供え、ロウソクと線香を上げているだけだった。

私は理美が花を生けている間にロウソクに火をつけ、土産のケーキを供えた。理美は、花を飾り、私が火をつけた線香を受け取って立てて手を合わせた。
「奥さん、有難うございました」理美は目を閉じて呟いた。
「あの時の奥さんの言葉が私を生き返らせてくれました」そう言った理美の頬に一筋涙が伝う、私も隣で一緒に手を合わせながら目頭が熱くなってくる。
「お父さん、お母さんが『周ちゃん、お姉ちゃん好き?』って言ったよ」私たちにならって手を合わせていた周作が突然、言い出した。
「そんなこと言っちゃ駄目だよ」私が嗜めると、周作は哀しそうな顔をした。
「でも、私にも宜しくって言われましたよ」理美はそう言うと周作の顔を優しく見つめた。理美の言葉に周作は嬉しそうに微笑んだ。
「周ちゃん、ケーキ食べよう」理美はもう一度、手を合わせると立ち上がった。狭い台所に理美に私、周作まで入って、お湯を沸かし、紅茶とジュースの準備をし、皿とスプーンを出しているのは賑やかで楽しく久しぶりに華やいだ気分になっていた。
居間の座卓の上に、ケーキと飲み物を並べて茶飲み話を始めた。周作は2人の間で美味しそうにケーキを食べている。
「奥さん、本当に素敵な人でしたよね」「うん、素敵な人だよ」私は理美の過去形の質問に現在形で答えながら居間の本棚の聖美の写真を振り返った。この写真の聖美も優しく微笑んでいる。そんな会話の間にも理美は周作から眼を離さない、それを私は確かめていた。
「奥さんのお墓は?」「妻の母親が沖縄へ連れていっちゃたんだ」「そうですか・・・」私が寂しそうな顔をすると理美も一緒に哀しそうな顔をしてくれた。
「でも、お義母さんはどうして・・・」「俺に再婚しろってさ、でも無理な相談さァ」私は周作と2人、聖美との思い出を守って生きていく覚悟をしているのだった。
「奥さんも一緒のことを願っているのかも知れませんよ・・・」「そんなことないさァ」私は理美にからかわれているような気がして、少し語気を強めた。
「ごめんなさい」理美は謝りながら目を潤ませた。「こっちこそ、ごめん」私も自分の大人げない態度を謝りながら鼻をすすった。
その日の昼食は理美が作ってくれた。
「スゴーイ!これ全部、モリオ3尉が作ったんですかァ?」「うん」理美は、冷凍庫に作り置きしてある手作りのギョーザやハンバーグ、カレーを見つけると感心してくれる。
「これじゃあ、私の出番がないですよォ」「そんなことはないさ、期待してるよ」「はい、頑張ります」さっきから台所とテレビの前を往復している周作も嬉しそうだ。
「それじゃあ、かくし味に愛情を入れますね」そう言うと理美は鍋の蓋を開け、スープに「愛情」と声をかけた。
理美のどちらかと言えばクールな容姿に似合わぬお茶目な姿に、私は思わず噴き出し、受けたのが嬉しかったのか理美も一緒に笑った。
理美の料理はオムライスとパンプキン・スープ、周作には初めてのメニューだった。理美は大喜びで美味しそうに食べる周作に「よく噛んでね」と声をかけ、「美味しい?」と確かめていた。
午後からは3人で近所の公園に遊びに出かけ、来週の買い物にまで付き合ってくれた。
「周ちゃん、また来るね」「うん、またね」夕方、官舎の駐車場まで見送った私たちに理美は運転席の窓から顔を出して周作と指切りをした。
「理美さん、ばいばい」周作は嬉しそうに手を振って見送っていた。
「モリオ3尉、また遊び行きますよ」PXで理美が声をかけて来た。
「だって悪いよ」「駄目です、私、周ちゃんと約束したんですよ」「だって・・・」ためらっている私の顔を理美は何故か可笑しそうに見つめている。
「それに奥さんにも頼まれたんですから」「そんな悪い冗談は言わないでくれよ」私は理美の優しさに甘えること、理美に迷惑をかけること、何よりもそれが途絶えて周作を傷つけることになることが怖かった。理美はそんな私の臆病を見通しているようだ。
「冗談なんかじゃあないですよ」理美は真顔で言いかえしたが、その目には有無を言わさぬ力があり、私はゆっくりうなずいた。
「それじゃ、また日曜の十時です」そう言うと理美は手を振って後輩の所へ戻って行った。
「麻野3曹、クレーマー3尉とつき合っているんですか?」「押し掛けてるの」理美の答えに「こんなオジサンのどこが好いのか」と言うような顔で、若いWAFたちは振り返って私の顔を見た。
それから理美は、毎週末に官舎に来て、手料理を食べさせてくれるようになった。それはまるで一緒に暮らすための準備、練習をしているかのようだった。やがて周作も理美の来宅を待ちわびるようになって、私はそれを当たり前にすることを懼れていた。
そんな私に聖美は「相変わらずねェ」と呆れ、「頑張れ」と励ましていた。
「僕ねェ、理美さんと一緒にお風呂に入りたい」夕食後、いつものテレビを見た後、突然周作が言い出した。「でも・・・」流石に理美も困った顔をしている。
「駄目、理美さんはもう基地に帰らないといけないの」「私、特外ですよ」「エッ?」私が周作を諦めさせようとした言葉を、何故か理美は自分から否定した。
「周ちゃん、一緒に入ろうネ」理美は鞄から着替えの下着、Tシャツ、短パンを取り出すと周作と一緒に浴室に入っていった。
その間に私は寝室に、いつも周作と一緒に寝ているダブルの布団を敷いていると、浴室から理美と周作の楽しげな会話が聞こえてくる。
「理美さんのオッパイ、小さいね」「本当?」「うん、お父さん、裸の本が好きなんだよ」「へーッ、そうなんだァ」私は心の中で「馬鹿野郎!」と叫んだが、同時に理美の小さなオッパイを想像して少し興奮していた。
「周ちゃん、おやすみ」そのまま理美は周作に添い寝をしてくれて、私は風呂に入った。一人で風呂に入るのも久しぶりだ。先ほど理美が使ったばかりのタオルを使うのは少し胸がときめく、考えてみれば私の禁欲生活も随分長くなる。
「ごめんな」私は湯に浸かりながら、そんな自分の浅ましい気持ちを聖美と理美に謝った。
風呂を出て、理美を基地に帰そうと思って寝室をのぞくと、理美は周作に添い寝しながら、すっかり寝入ってしまい、声をかけても肩をゆすっても起きない。仕方ないので私は、理美にも布団をかけ1人居間で酒を飲んだ。
「ごめんな」聖美の写真を見ながらもう一度謝ると、「頑張れ」と言う不思議な返事が返ってきた。
朝、台所からの物音、人の気配で目が覚めた。味噌汁の匂いがする。
「おこしちゃいましたか」台所から理美が顔を出したが私は咄嗟に状況がつかめない。
「目覚めにキスでもしようと思ってたのに、残念」そう言うと理美は悪戯っぽく笑った。
「もう一度寝ます」そう言って私が布団を被ると「コラーッ」とハシャイダような声をかけてくる、私も久しぶりに朝からウキウキした気分になってきた。結局、私は居間にシングル布団を敷いて寝た。この布団は周作が生まれ、ダブルに周作と聖美が寝るようになって以来、私専用だったが使うのは久しぶりだった。
「お父さん、理美さんは?」その時、私たちがふざけ合った声で周作がおきて来た。
「周ちゃん、おはよう」理美が声をかけると「理美さん、いたァ」と周作は安心した笑顔になり、「おはよう」と返事した。結局、理美の「目覚めのキス」は周作が貰った。
「妻のでよければ着替える?」私は理美の顔を見ながら訊いてみた。
「私が着てもいいんですか?」「君ならいいさァ」私はうなづいた。聖美と理美は身長も体格も同じくらいでサイズは丁度合うはずだ。
「それじゃあ、お借りします」私が押し入れから聖美の衣装ケースを取り出して、理美の前でふたを開けると「お母さんの・・・」周作が一緒に覗き込んで呟いた。
「周ちゃん、お姉ちゃんが着てもいい?」理美が優しく尋ねると周作は黙って理美の顔を見ている。周作なりに何かを考えているようだった。
「お母さんが『いいよって』って言ったよ」周作は、パッと笑顔になって答えた。周作の言葉に理美も安心したように微笑んで、聖美のパステルカラーのポロシャツを選んだ。それは私とペアになっているものだった。
「今度、一緒にどこかへ遊びに行きましょう」理美の提案で、その日は清水の東海大学海洋博物館(水族館)へ行くことにした。
理美と一緒に楽しい休日を過ごした帰り、はしゃぎまわった周作は、後ろの座席で理美の膝で眠ってしまっていた。私と理美は声を抑えて話していた。
「今日は有難う」私の他人行儀な台詞に理美は返事をしなかった。ルームミラーで見ると、理美は真剣な目でこちらを見つめている。
「モリオ3尉、私を周ちゃんのお母さんにしてくれませんか」理美はそう言うと、ルームミラー越しに私の目を見つめ、返事を待っていた。
「君は、まだ若いんだから・・・」私が言いかけると理美はそれを遮った。
「やっぱり私では、モリオ3尉の奥さんにはふさわしくないんですね」理美の言葉には深く哀しい響きがある。
「それは違うよ・・・」私が言い訳をしかけた時、「理美さん・・・」と周作が寝言で理美を呼んだ。周作の頭を優しく撫でる理美の頬に涙がつたったのが見えた。私は黙って前方のホテルの入り口に向けてウィカーを出したが、理美は何も言わなかった。
「私を抱くんですね」ホテルの大きなベッドに腰をかけて周作を寝かせつけながら、理美は私を見つめ、私は2人の隣にゆっくりと腰をおろした。
「話をしよう」私がそう答えると理美は哀しさと苛立たしさの入り混じった目をした。
「シャワーを浴びてきます」そう言って理美は立っていった。

イメージ画像
理美に続いて私もシャワーを浴びると理美はバスローブのままベッドに座り、肩までの髪をバスタオルで乾かしていた。
同じ格好で出て来た私を見ると、少し恥ずかしそうな顔をした。そんな理美の姿に、私の身体は言葉、意思とは関係なく男として反応をしている。私が前に立つと理美は黙って見上げた。目には期待と不安の色があった。
「私のことは心配しないで下さい。貴方の好きなように」理美は、そう言うとそのままベッドに仰向けになった。その時、理美が目で周作を確かめたのを私は見逃さなかった。
それから理美は毎週遊びに来て、一緒に公園に遊びに行き、スーパーで買い物をし、食事を作り、周作を風呂に入れて、泊っていくようになった。
「私、特外の行き先をここにしちゃいました」周作を寝かした後、座卓に座り2人で酒を飲もうとした時、理美が言い出した。理美は聖美のパジャマを着ている。
「それじゃあ、みんなにばれちゃうよ」「でも、緊急時の連絡先ははっきりさせないといけないでしょ」「そりゃあ、そうだけど・・・」理美は私の真剣に心配する顔を笑った。
「迷惑ですか?」「いや、それで君が好ければ」「勿論です、私はもう貴方に抱かれました」理美は「あれが一時の感情ではない」と言いたそうに私の顔を見詰めている。
「でも、これからは君を抱くのは止めておこう」私の言葉に理美の顔が怪訝そうになった。
「どうしてですか?」「君を欲望の吐け口にはしたくない。けじめはつけないと」私は自分の言葉にうなづきながら理美の顔を見返した。
「そう言って奥さんにも手を触れなかったんですね」理美は呆れた顔をしている。
「無理はしないで下さいね。私が貴方に抱かれたい時もあるんですよ」そう言って理美は私の頬を手で引き寄せて口づけをしてきた。
基地の外周付近の草むらで隊員たちを指揮して侵入者の捜索訓練を実施していると、理美が後輩のWAFたちと3人でランニングして来た。
「ご苦労様です」WAFたちは元気に声をかけてくるが、理美は黙って私の顔を見た。
「おう、頑張るな」迷彩服姿の私はそれだけを答えて隊員たちの動きに視線を戻した。
「何の訓練ですか?」受付勤務で顔見知りの若いWAFが遠慮なく質問をしてくる。
「侵入者を探す訓練だよ」「どこに隠れているんですか?」WAFたちはランニングを中断して、草むらに隠れているはずのゲリラ役を探し始めた。
「それを言っちゃあ、訓練にならないじゃない」彼女たちに背を向けて訓練をジッと見ている私の後ろで理美が後輩たちに話している。
「第1、私たちに見つけられるようじゃあ、プロの仕事じゃないよ」私は黙って聞きながら、理美の仕事に対する厳しい認識に感心した。
WAFたちが「麻野3曹、わかってますね」「モリオ3尉のことは何でも知ってる」と口々にからかうと、「馬鹿ァ」と理美は照れたように答えて先に駆け出した。
「フリーズ!」その時、捜索側の隊員がゲリラを発見して大声で誰何し、同時にゲリラは駆け出して逃亡を図り、隊員たちは一斉に追いかけ出した。そこで私がホイッスルを吹き、隊員たちを呼び集めると若いWAFたちまで付いて来た。
「今のゲリラの逃亡が囮だったら、別のゲリラの侵入を見逃すぞ」私の厳しい指導に隊員たちの顔は険しくなり、理美を除くWAFたちも黙ってうなずいた。
「それがプロの仕事だ」私が先ほどの理美の言葉を借りて訓示をすると、理美はそれを理解して、みんなの後ろで嬉しそうにうなずいていた。
「モリオさん、最近、麻野3曹が泊っていきますね」官舎で同じ階段の旦那さんから声をかけられた。彼は1術校の所属の1等空曹のはずだ。
「あの子は美人だけど、防府じゃあ色々あったみたいですよ・・・」彼は親切に忠告をしてくれているようだった。それでなくとも官舎唯一の父子家庭は近所の心配の種、好奇心の的である。そこに同じ職場のWAFが通って来ていれば人生の先輩、近所の住人として一言耳に入れておこうと言うのも厚情だろう。だがそれは大きなお世話でもある。
「私も防府にいましたから麻野君が空士の頃から知っていますよ」私が答えると彼は急に気まずそうな顔をした。
「やっぱり、お子さんにはお母さんは必要ですよね」彼はそんな言葉でその場を取り繕って家に入って行った。私は、理美に付き纏う過去の根深さを知り、哀しく怒りを覚えた。
「ただいまァ」「おかえりなさい」「周ちゃん、おはよう」「理美さん、おはよう」理美は玄関で家に帰って来たように声をかけ、嬉しそうに出迎えた周作と挨拶をしている。
「お父さんは?」「お母さんの前にいるよ」玄関から、いつもは一緒に迎える私がいないことを訊く会話が聞こえてくる。しかし、私は聖美の位牌の前に黙って座っていた。
「どうかしたの?」部屋の入り口で私を見つけた理美が心配そうに声をかけてきた。
「うん・・・お義母さんが亡くなったんだ」「奥さんの?」「うん」「沖縄の?」「うん」私はそう答えると、また遺影に向かって手を合わせた。今朝、義母の死を知らせる通知のハガキが届き、それには男の字で「今後、連絡はお断りします」と書き添えられていた。
「私もお参りさせて下さい」理美はそう言うと線香を1本とり、灯明で火を点けて立てた。私が立てていた線香の隣りで、もう一すじ、煙が細く立ち昇った。
「周ちゃんも一緒に・・・ね」理美は私の後ろで自分の隣に周作を座られせて、「南無阿弥陀佛、南無阿弥陀佛・・・」と小声で念佛を唱え始める。理美の家は浄土宗のはずだった。周作もそれに倣って手を合わせて「ナムナムナム・・・」と唱えた。
お参りを終えて茶の間に異動しても、今日はいつものようには話が弾まない。
「お義母さんは俺たちの一番の理解者だったんだよ」「そうですか」「強くって、優しくって、聖美とは全く逆のようでよく似た親子だったね」「はい・・・」私がポツリポツリと話す義母の思い出話を理美はうなづきながら聞いてくれていた。
「結婚する時には、『勝手にしなさい』って許してくれたんだよ」「本当に優しい言葉ですね」理美は義母の厳しい言葉の向こうにある真意を理解してくれた。それは理美もまた聖美と同じような哀しみを背負っているからかも知れない。
「奥さんの実家とは?」「お義母さんと年賀状ぐらいはやり取りしてたけど、お義父さんとは会ったことも話したこともないね」「会える訳ないですよ!」突然、理美が強い口調で言ったので、テレビを見ていた周作が驚いて私たちを見た。
「お義母さんは、『もう一度、結婚しろ』って言われてたんですよね」「うん」理美は何かを確かめるような顔で訊いてくる。私は周作の横顔を見ながらうなずいた。
「いつか、沖縄へ墓参りしに行きたいと思ってたけど、もうこれで駄目になった」「大丈夫、気持ちは通じていますよ」理美がそう言った時、私の耳に「大丈夫、母に思いっ切り甘えてるよ」と言う聖美の声が聞こえてきた。
同時に周作が「お父さん、お母さんが『周ちゃん、よかったね』って言ったよ」と言い、さらに理美まで「私には『頑張って』って言われましたよ」と言った。
「そんな馬鹿なァ・・・」私たちは顔を見合わせて呆れた後、やっと笑い合った。
「小隊長、麻野3曹とのこと、大分、噂になっていますよ」小隊本部で2人きりになった時に先任が訊いて来た。その顔は小隊長、小隊先任と言う仕事上のつき合いよりも、人生の先輩として心配をくれているようだった。
「はい、御心配をかけて、すみません」私も人生の先輩に対する礼を尽くして頭を下げた。
「いいえ、私やウチの連中は小隊長の人柄をよく知っていますからいいんですが、増加警衛の連中が色々訊いてくるらしいんでね」「そうなんですか」確かに警備小隊長という立場を考えるとプライベートなことも慎重にしなければならない。
「私は、最初に麻野3曹が受付についた時の嬉しそうな顔を見てピンと来ていましたよ」先任は私が浜松に着任してすぐに、受付についた理美と再会した日のことを言っていた。
「流石ですね、でもあの時はまだ、ただの知り合いでしたよ」「それも分かっていますよ」この先任の直感力には仕事でもシバシバ助けられている。特に長年、多くの隊員と正面から向き合って培った人間関係を見抜く洞察力には舌を巻く。
「麻野3曹のことは、『個人的によく知っている』って言われましたよね」「はい、防府の時は女房とも仲良くしていて、家にも遊びに来ていました」「そのほかの人に言えないようなことも?」「はい、色々と相談されていましたから」私の返事に先任は安心したようにうなづいた。これ以上余計なことは言わないのが先任だ。
「小隊長のことだから、いい加減な付き合いではないと思ってます。全て分かってつき合っておられるなら、あとは応援するだけですよ」先任はそう言うと優しく笑ってくれた。
「真面目な付き合いです、もうプラトニックじゃあないですが・・・」「そうですかァ、やっちゃいましたか、羨ましいですねェ」先任の返事がシモに落ちたところで、ようやく私も肩の力が抜けて、ため息をついた。

「先任、無断使用スミマセン」
「ねえ、もう寝ちゃった?」ある夜、布団に入ってしばらくして理美が襖越しに声をかけて来た。私たちは以前の言葉通りに理美の布団は居間に敷いて別々に寝ている。
「まだ起きてるよ」「周ちゃんは、もう寝た?」「うん、ぐっすり」私の返事を確かめて理美が話を続ける。
「今から抱いて欲しいの」「何で?」私はドキッとしながら答えた。
「私、休暇で実家に帰るでしょ、もう一度、貴方のモノになっておきたいの・・・」「うん、いいけど・・・」私はためらっていた。
「駄目?」「今、行くよ」周作の寝息を確かめて静かに襖を開けて居間に入ると、理美は掛布団をめくり、私が入れるようにして待っていた。私は理美の隣に横になると腕枕をした。理美の吐息の匂いが甘く鼻をくすぐる。
「こんなのって恥ずかしいんだけど、でも貴方には正直でいたいから・・・」理美はそう言うとそっと目を閉じる。私はそのまま抱き締めて口づけをした。
「それじゃあ、行ってきまーす」「いってらっしゃーい」翌朝、官舎の駐車場で私と周作に見送られた理美は、自分の車で実家に向けて出発して行った。隣の棟のベランダから奥さん連中が注視しているのがわかったが気にしないことにした。
岡崎の実家に帰った理美は、翌日には早くも帰って来た。私は特別事情で浜松に来たのだが、世間体を気にする親から事実上出入り禁止になっていて、周作と夏休みを過ごしていた。
「周ちゃん、ただいまァ」玄関に入って来た理美は周作に顔を近づけて頭を撫でた。よく見ると理美は顔に傷を作っている。
「私、親に勘当されちゃいました」「殴られたのか?」「はい、父に」居間で座卓に座り、周作がテレビを見始めると理美は話し始めた。
「あまり親がしつこく縁談の話をするから、私、浜松に好きな人がいるって言ったんです」そう言いながら理美は「貴方のことよ」と私の顔を見た。
「それで貴方のことを話したら『そんなこぶつき』とか酷い事を言うから、私、腹が立って今までのことを全部話してやったんです」そこまで話して理美は何故か誇らしげな顔をしたが、私は会社経営者と聞いている両親の驚きと哀しみを想い返事が出来なかった。
「そうしたら父は怒ってビンタを張るワ、母は泣き叫ぶワで、結局、勘当されてしまいました」「そりゃあ、大変な休暇だったね」「はい、エキサイティングでした」理美は今度は思い出し笑いをするが、私は一緒に笑うことは出来ず、むそろ胸が痛んでいた。
「それで私、貴方と結婚するって宣言して、家を出てきちゃったんです」「エッ」理美の突然の言葉に私は理美の顔を見つめた。理美は聖美も何度か見せた「決意した」時と同じ目をして私を見返している。確かに聖美も、普段は臆病なくらい慎重なくせに、こうと決めたら恐ろしいほど大胆で、頑固なところがあった。その時、私の耳に「頑張れ」と言う聖美の声が聞こえてきた。それは逆に、普段は大胆で頑固なくせにイザとなると臆病な「私と言う人間」を熟知している聖美の「ここで逃げては駄目」と言う叱咤激励の声だった。
「俺の嫁さんになってくれるのか?」「はい、周ちゃんのお母さんにもです」そう言って理美は静かにうなづいた。私と理美は周作がテレビに夢中になっていることを目で確かめて、こっそりキスをした。
夜、周作を早目に寝かせてから岡崎の理美の実家に電話をした。
「浜松基地に勤務していますモリオと申します。理美さんの件で・・・」そこまでで電話を切られた。それが3度繰り返された後、父が出た。
「あんな恥知らずな奴は、わが家には関係ない。もう連絡しないでくれ」父は一方的にそう怒鳴るとまた電話を切った。私は黙って受話器を置いた。
「お互い、親では苦労するねェ」「はい」理美は呆れたようにうなづいている。先ほど、私の親に結婚することを伝える電話をした。その第一声は「今度は日本人か?」だった。その言葉に私の方が怒って電話を切ったのだ。それを理美は見ていた。
しかし、理美の顔には悲壮や不安の色は欠片もない。むしろ「迷いを断ち切った」安堵感さえ感じられる。
「女は強い」私は聖美を想い、今、目の前にいる理美を見ながらそれを噛み締めていた。
翌日、官舎の近くの浜松市役所の出張所に婚姻届を出しに行った。周作を連れての婚姻手続きに支所の中年の女性職員は好奇心丸出しの顔をしたが、書類で私が妻を亡くしたことを確認すると、笑って周作に「よかったね」と声をかけてくれた。
「これ片付けなくちゃね」家に戻り、私は飾ってある聖美の写真や思い出の品物を見渡しながら呟いた。ただ、それは周作に母の思い出から眼を閉じさせることになる。
「そんなことは気にしないで下さい」理美は静かに首を振った。
「私は奥さんに導かれて貴方の妻になれたんです。貴方が今の私を選んでくれたみたいに、私もそのままの貴方と周ちゃんを愛したいんです」理美の言葉に私は胸が熱くなり、感動の涙で鼻をすすった。
「それにしても本当に感激屋さんですね、奥さんが言ってた通り・・・」理美は可笑しそうに笑って私の顔を見た。
その夜は、ケーキ屋で買ってきたケーキを食べ、周作が眠ってから酒屋で買って来た高めのワインを飲んだ後、布団に入った。理美は自分で選んで聖美のパジャマを着ている。
「何だか、無我夢中で気がついたらここにいたって感じです」理美は私の腕の中でそう呟いた。その目には達成感のような歓びの色がある。
「うん、俺も迷う暇も、悩む暇もなかったよ」私も自分の親にも理美の親にも断ることなく、周囲に相談することもなく再婚した自分の大胆さに呆れ、感心していた。
「本当に私でいいんですか・・・」理美は私の目をジッと見上げながら訊いた。
「君こそいいのか?」「私は大丈夫です、奥さんが保証してくれてますから」「もう奥さんは君だよ」「そうですね」私の言葉を理美は静かにうなずいた。
「私、妻になれるなんて思っていませんでした」「うん」「でもずっと奥さんが・・・聖美さんが背中を押してくれていたんです」「うん」「ありがとうございます」理美は誰にか分からない礼を言って涙をこぼした。その夜は優しく噛み締めるように理美を愛した。

イメージ画像(出処不明)
休暇の時期で開店休業状態、暇にしていた1術校の人事担当者の仕事で、理美の営舎外居住の許可が早く下りた。
理美は休暇明けにいきなり「モリオ3曹」になっていて事情説明に追われたらしい。
ロッカーの衣類だけが荷物の理美の引っ越しは簡単で、許可前から特別外出扱いで同居を始め、今日は正式な営外者出勤の初日だ。これからは朝、周作を保育所に送りながら出勤するのが私たちの日課になる。
「基でなんて呼べばいいのかなァ」「そりゃあ、モリオ3尉でしょう」「他人みたいで嫌だなァ」助手席で理美は嬉しそうに悩んでいる。
実は私も理美を「モリオ3曹」と呼ぶのには、いささか違和感を感じていた。
「ダーリン、ハニーでいくか」「それもいいね」私の提案に理美は可笑しそうに笑った。その時、周作が後部座席から「お母さん」と理美を呼んだ。
「エッ?」「僕ねェ、理美さんをお母さんて呼ぶよ」と周作が言った。
「どうして?」「お母さんが『お母さんて呼びなさい』って」周作はそう言うと、また何事もなかったように座席でカーステレオにあわせてテレビのテーマソングを歌い始めた。私は思いがけないことに運転が疎かになりそうだった。
「周ちゃんたら・・・」制服を着ればクールビューティーの理美が目を潤ませ、鼻をすすりだすと、感激屋の私は、もらい泣きも重なっていよいよ運転が危なくなった。
「化粧し直さないと」理美は助手席で鞄からコンパクトを取り出したが、涙が止まらずに困っていた。
「お父さん、この自動車、動かないよ」周作のお気に入りの電動自動車が動かなくなってしまった。これは春日でのクレイマー生活の頃に博多のデパートで買ったのだが、コード付きのリモコンで前後左右に動く優れ物だ。
「どれどれ見せてごらん」すると理美が手を伸ばして受け取り、リモコンと車体を点検し始めた。周作は思いがけない展開に戸惑いながら理美がやることを見ている。
「うーん、リモコンと車体の電池は新品だからメカニックのトラブルだね」そう言うと理美は自分の荷物から本格的なテスターと工具箱を持ち出した。
「何だそれは、私物かァ?」「だって電気屋の商売道具でしょ」それはそうだが自分で買って持っている者は少ないだろう。呆れている私と興味深々の周作の前で理美はリモコンと車体のボルトを外し、導通テストを始めた。
「うん、やっぱり車体の接続部が断線してる」そう言うと今度はドライバーで車体のコードの接続部を外して断線している箇所を確認するとペンチで切断した。
「周ちゃん、すぐに直してあげるから見ててね」理美はコードを切断して少し心配そうな顔になった周作に声を掛けると工具箱から道具を取り出してアッと言う間に接続し、ビニールテープを巻いて絶縁した。あとは組み立ててテストをするだけだが、それは周作に遣らせた。すると自動車は順調に動き、父子は感心した。
「すごいなァ、やっぱり術科学校で教官をやるだけのことはあるよ」「そうかァ、貴方も電気屋さんだったね」「うん、務まらなくて首になったけどね」「ってウチの大谷1曹も言ってるよ」大谷1曹と言うのは私の中級電機整備員課程の教官で、まだ第1術科学校にいて理美の同僚になる。どうやら電機整備の才能がなかったことをバラしたらしい。
「だって謝対面の時にそう申告したじゃないか」「はい、正直でよろしい」と言うことで新モリオ家での電動玩具、電化製品の修理は理美の担当に決まった。
「貴方、どうしてうちの学生にまで厳しくするの?」珍しく理美が家で仕事の話をした。どうやら理美が「鬼」警備小隊長の妻だと知った学生たちに文句を言われたらしい。
「俺も元は航空機整備員だよ」「うん、解ってるよ」「整備員って言うのはやるべきことを一一キチンとやるのが基本なのさ」「うん、そうだね」「それは道を歩くのだってキチンと横断歩道を渡る、身分証明証の確認を受ける時には見やすいようにキチンと見せる、これもそこにつながると思うだよ」「うん、なるほど」理美はいつの間にか教官の顔になっている。
「何よりも整備員は、生活態度もやっぱりパイロットから信頼されるものじゃないといけないんじゃないかな」「ふーん」理美は話を聞きながら考え込んだ。
「つまり貴方は、航空機整備の先輩としてうちの学生に指導してくれてるんだね」「そんな大したもんじゃあないけどね」「大したもんさァ」なぜか聖美の口癖が理美にうつっている。納得したのか理美は何度かうなづいた。
「よし、今度は私が学生にはっぱをかけてやろう」「駄目だよ、美人教官のイメージを壊しちゃあ」「鬼教官になるんだよ」理美は気合を入れるように「ウンッ」と声を出した。
「気真面目な理美に気合を入れられたらエライことになるなァ」と私は虎の尾を踏んでしまった学生たちに同情した。
ある日、理美が受付勤務についた。私はいつものように整列した上番する隊員たちの前で勤務の注意事項を指導した。
「受付はモリオ3曹、しっかりな」「はい、頑張ります」私が理美に、いつもと同じように声をかけると、周りにいた隊員たちは何故か可笑しそうに笑いだした。
「何が可笑しい?」私が質問をすると隊員たちは一斉に視線をそらしたが、また私を理美を見比べながらニヤニヤし始めた。
「ン、何が可笑しい」一番若い空士を指名して質問をすると彼は緊張した顔で答えた。
「小隊長とモリオ3曹は、家でもこんな会話をしているのかと思いまして」その答えに理美を除く全員が一斉に爆笑をした。
「馬鹿者!上番前に緊張感が足りんぞ」私の一喝に理美は「ほら見たことか」と言う顔をして、俯いた隊員たちを見回した。
「小隊長、受付のモリオ3曹が体調が悪いようです」昼過ぎ頃、若い空曹が報告に来た。
「どうした?」私は冷静を装いながら質問をした。
「昼食後、気分が悪いそうで、今トイレで吐いてます」「なーんだァ」私は拍子抜けして浮かしかけた腰を椅子に下ろした。隣の席の先任も安心したように溜め息をついた。
「今日のおかずは何だっけなァ」「はい、味噌カツです」彼は思い出すように天井を見ながら答えた。
「好物を食べ過ぎたな」「そうですかァ」「どうも、ありがとう」私が礼を言うと彼は敬礼をし、回れ右をして持ち場に帰って行った。
「モリオ3曹を休ませなくても良いですか?」先任が心配をして確認してきた。先任はいつも、私の気持ちを察して先回りをして意見を言ってくれる。
「駄目なら言って来るでしょう」「そうですね、ご夫婦ですから」私の返事に先任は優しくうなづいてくれた。
「赤ちゃんが出来たみたい」その夜、周作が眠った後の夫婦の時間に理美が言った。同居を始めてまだ数か月だが、でも身に覚えはある。結婚後、私は、長い禁欲生活から解放されて毎晩のように理美を愛し、打率十割と理美にも呆れられていた。
「本当?」「多分、間違いないみたい」理美は申し訳なさそうな顔で私の顔を見ている。私は感激で咄嗟に言葉が出なかった。
「もし、貴方が嫌なら・・・」理美は、そう言いかけて言葉を飲み込んだ。先日、結婚の報告をした私に親は「今度はまま母なんだから子供は作るな」と言い、私は前回以上に怒って電話を切っていた。
「何を言っているんだ、ありがとう」「えッ?」そう言うと私は理美を抱きよせた。理美は驚いたように体を固くしている。
「いいんですか?」「当たり前さァ、うれしいよ」そう言うと私は理美を抱き締めた。
「私、赤ちゃんなんて一生産めないって思っていました」私の胸で理美は涙を流した。私は感激を噛み締めながら震える理美の背中をさすっていた。
「この背中で、背負ってきたことはあまりに重過ぎる」そんなことを想うと私も涙が止められなくなった。
「でも、タイミングが早過ぎて『出来ちゃった婚か』って疑われるなァ」「そうね」「いわゆる、初弾必中ってやつかァ」「家では自衛隊から離れてヨ」私の冗談に理美は鼻をすすりながら笑った。
「まずは病院だな」「はい、行ってきます」私の言葉に理美は深くうなづいた。
「小隊長、モリノ3曹が来られています」昼前に警衛勤務の若い隊員が呼びに来た。
「おう」私は返事をすると立ち上がり、そのまま警衛所に向かって歩いて行った。冬制服の理美は警衛所には入らず、受付の外に立っている。
「入れよ」「でも」声をかけると、理美は小さく首を振り、目で面会室へ促した。私は警衛所から出ると受付の前に回り、一緒に無人の面会室に入って行った。薄暗い面会室に入ると理美はゆっくり振り返って立ち止った。
「病院へ行って来たよ」理美の顔は何故か強張っているように見える。いつになく暗い理美の表情に私は理由のない不安を感じた。
「それでどうだった?」私は視線を合わさないままの理美の顔を覗き込んだ。すると突然、理美が満面の笑顔になった。
「赤ちゃん、3ヶ月、順調ですって」「エッ?」理美はそう言うと、まだ呆気にとられている私の首に腕を回して小さく口づけをしてきた。
「そうかァ、やったぞォ」私はそう叫ぶと抱き返して、あらためてキスをした。しばらくキスをしながら感激を味わっていると、理美が口の中で何かを言った。私も背後に視線を感じて振り返ると、ガラスのドアの向こうで警衛勤務の若い空士がニヤニヤしながらそれを見ていた。
「小隊長、家まで我慢できませんでしか?」面会所から出ると空士が冷やかしてくる。
「馬鹿、今日は特別なんだ」私は汗をかきながら言い返し、その後ろで理美は日頃のクール・ビュウティーを忘れて真っ赤になっている。しかし、空士の顔は緩みっぱなしだ。
「大丈夫です、黙っていますから」空士はそう言うと敬礼をして警衛所に戻って行ったが、数時間後には「面会所で熱烈なキスをしてた」と言う話が広まってしまっていた。
理美は、聖美の衣類の中にマタ二ティーを見つけるとそれを愛用しだしている。しかし、それは同時に聖美とともに失った下の子の思い出の品でもあったのだ。翌朝、私は理美に「このマタニティーは着ないよう」と言うつもりだった。
「貴方らしくないぞ、私たちの分まで愛してあげなさい」その時、聖美の叱責とも励ましともとれる声が心に響いて私は「うん」と1人うなずいた。
周作の誕生日プレゼントに目覚まし時計を買おうと理美とPXで待ち合わせていた。間もなく浜松基地で航空教育集団の持続走大会があり、全国の集団隷下部隊から選手が集まっていて売店も賑やかだった。
遅れてPXに行った私は、玄関のガラス越しにロビーで紺のマタニティーに航空ジャンバーを羽織った理美が待っているのを見つけた。私が扉を開けるとジャージ姿の選手が理美に声をかけていた。
「麻野じゃあないか」それは防府南基地から来た隊員で、あのメンバーの1人だった。彼は物珍しそうに5カ月に入った理美の全身を眺めている。
「何だ、お前妊婦か?まさか結婚したんじゃないだろうなァ」彼の皮肉な口調に理美の顔が強張っているのが分かる。
「おーい、お待たせ」私は彼の背中越しに大声をかけた。
「あッ、貴方ァ」理美はパッと笑うと彼の横を通り過ぎて私のそばに歩み寄ると、彼はそれについて振り返り私と顔を見合わせた。
「おッ、久しぶりだな」私が声をかけると彼は驚いた顔をして直立不動になった。
「モリノ班長・・・失礼しましたモリノ区隊長」「ここじゃあ、警備小隊長だぜ」私が指摘すると彼は「スイマセン」と言ってうなづいた。私の他基地の選手と言えども容赦しない厳しい服務指導は、すでに選手の間でも噂になっている。彼はその時、理美のジャンバーの名札が「モリオ理美」になっていることに気がつき、マジマジと私と理美の顔を見比べた。
「麻野くんを狙い通りにゲットしたぜ」そう言って手を握ると理美も握り返してきた。それでようやく状況がつかめたのだろう、彼は「失礼します」と言って会釈するとPXの奥へ入って行った。
「今は貴方しか愛せない」理美は小声で歌った後、「この歌、こんな時に歌うんだね」と呟いた。
ある日、警衛所で受付勤務についた理美の後輩の1術校のWAFから話しかけられた。
「アサモリオノ3尉って、怖い人かと思ってたら、本当は優しいんですね」理美と結婚してクレーマー3尉と言う仇名を解消出来たら、今度は理美の旧姓と合体させられたようだ。私は何の話しかと思いながら立ち話にのった。
「何で?」「アサモリオノ3曹、最近、よく笑うんです」確かに最近、理美は家でもよく笑う、どちらかと言えば笑いっぱなしだ。
「そうなの」「それにのろけ話をよく聞かせるんですよ」「ふーん」どちらかと言えば無駄話をしないはずの理美の意外な話に私は興味を持った。
「あとは、周作君の自慢話ばっかり」WAFは羨ましそうに私の顔を見た。
私は嬉しくなってWAFにジュースでもおごろうかと思ったが、それでは金毘羅船の森の石松(寿司喰いねェ)だと思い止めておいた。
「私が『小隊長って怖い人でしょ』って訊いたら、『仕事の鬼のマイホームパパ』って言ってました」「ふーん」WAFと私の談笑に、いつの間にか若い隊員たちが集まっていた。
「警備小隊長は怖いけど、モリオ3尉は優しいんだよ」隊員の一人が口を挟んだ。
「怒るのは警備の仕事で、モリオ3尉は怒ってないんだよ」別の隊員が話を継いだ。
「やっぱり」WAFは納得したようにうなずいた。
小隊員たちが私をどう見てくれているかを知り、涙がこぼれそうで困っていた。小隊長が泣くわけにはいかないのだ。
「俺はそんな大したもんじゃないよ」私がそう答えると、彼等は一斉に「御謙遜を」と言う顔をする。このシュチュエーションには覚えがあった。

「勝手につかってスミマセン」
職場での私は優しいモリオ3尉ではなく怖い警備小隊長だった。それまでの小隊長は「警衛勤務で大変だ」と隊員をかばい、年次射撃以外の訓練には手をつけなかったが、私は着任時に「俺たち航空自衛隊の警備は地上戦闘のプロのはずだ。警衛などは余技でやっている副業だ」と宣言し、明けても暮れても訓練に励んでいた。
航空自衛隊ではやる気のある警備小隊長なら銃剣道や教練を表芸として訓練させているが、私は銃剣道などは実戦の用に立たぬと取り上げず、機動隊の盾の操作に通じる相撲を奨励している。それもグランドで土俵なしの倒すまでのモンゴル相撲、団体戦と称しての掴み合いまでやらせ、集団乱闘と思って警務隊(憲兵隊)が飛んで来ることもあった。
「こんなんじゃ、死んでしまいますよ」そんな弱音を吐く若い隊員には「大丈夫、供養は俺がやってやる」と答え、「小隊長はプロの坊さんですよね」と妙な納得を」せている。いつしか浜松の警備小隊は「航空陸戦隊」と呼ばれ、「モリオズ・アーミー」と陰口を叩かれ、「キ△ガイの小隊長の下では隊員が大変だ」と同情されるようになった。
ある日、倉庫を覗いて機動隊用の盾を見つけ、突然、特別警備訓練がやりたくなった。特別警備とは警察の機動隊と同様の装具をつけ盾を持ってデモ隊に対処するもので、陸上自衛隊では治安出動のための訓練とされている。
「先任、盾の操作の訓練はどうなっていますか?」「盾ですか?最近は特別警備もありませんからね」盾を抱えて事務室に戻った私に先任は呆れ顔で答えた。
「でもOJTの項目に入っているんでしょ」「そりゃそうですけど・・・」私が小隊長に着任して以来、それまで警衛勤務だけで済ませていた警備小隊が訓練に明け暮れるようになり、それが次第に過激になり、今では陸上自衛隊や警察の機動隊に劣らない猛訓練になっている。
「それでは盾の訓練の命令を起案するよう上神田1曹に指示します」「いや、ワザワザ命令を切らなくても教練みたいに日常的にやれば良いでしょう」「それじゃあ、怪我した時に困るから命令は必要です」「だって復習でしょ?」「警備職に必要な技の練磨ですよ」最後の一言は少し皮肉だったが、「今度はどんな訓練になるのか」と先任は溜め息をついた。
それから警備小隊は日勤を使って盾の操作の演練を始めた。始めは機動隊と同じ特別警備用装具の装着要領、盾の立て方、持ち方の操作法から、「必殺蹴上げ落とし」と言う盾を蹴っておいて強く下に落とし、相手の足の甲を砕く必殺技までを演練し、続いて団体でスクラムのように組んで、盾で陣地を作る要領に入った。
ここからが私の本領発揮で、先ずは投石としてゴルフボールを持ってこさせて投げつけ、続いて休日の小隊員を呼び出してデモ隊を仕立てて体当たりを繰り返す。
とどめに私自身の沖縄で車に突っ込まれた経験から、リアカーをぶつけることまでやった。
するとやはり顎を引いていなかった者がヘルメットの面の下に盾が入って顎を切り、跳ね飛ばされて後頭部を打ち、中には蹴上げ落としを使ってデモ隊役に怪我をさせる者まで出た。
「小隊長、やり過ぎですよ。死人が出る前にやめて下さい」毎日のように運び込まれる怪我人を手当てする衛生隊の医官は、顔をしかめてこう言ったが、私は「大丈夫、死んだら私がお経をあげます」と答え、意に介さなかった。
すると医官は「確かに戦時国際法上は衛生員と宗教員は同列の扱いですが・・・」と呆れ顔になって、手当てを終えた隊員に同情するかのように「頑張ってな」と声をかけた。
ところが訓練が終わった頃、岐阜の川崎重工のIRAN(アイラン・定期部外修理)に入っていたTー4が浜名湖で後部座席が乗員ともども射出される事故が起き、さらに小牧・救難隊のMuー2が演習灘に墜落した。度重なる事故を受けて、本来は関係のない浜松基地にデモ隊が押し掛け、警備小隊員の特別警備の訓練は早速役に立つことになった。
「小隊長って不思議な予知能力があるよな」「坊さんの修行をすると超能力が身に付くんですかね」デモ対処を終えた夕方、先任が訓練係の上神田1曹と話しているのを廊下で聞き、私は「ただの偶然だよ」と1人笑った。
小牧基地に勤務している理美の初任空曹の同期が結婚するとの招待状が届いたが、それは部隊宛で麻野姓になっていた。
「そう言えば結婚案内を出していなかったなァ」私自身は再婚でもあり、年賀状まで保留しておくつもりだった。
「うん、WAFの情報網で広まれば、アッと言う間に北海道から沖縄まで行き渡ると思ってたけど」確かにWAFの情報網は凄まじく、男子隊員が付き合っていたWAFに振られるとその噂が全国に広まり、「あの子のお古なんて」と何所に行っても相手にされなくなることもあるらしい。
「でもこの子とは仲が良かったのかい?」理美は新隊員の時には孤立していたことは聞いている。それが青木につけ入られる原因にもなったのだ。
「うん、初任空曹では一緒に外出していたね」「ふーん」「でも近所の基地にいる同期に声をかけたんじゃないかな」「やっぱり」自衛官同士の結婚では新郎側は部隊が丸ごと出席するが、上司ではない男性隊員が新婦側に出る訳にいかず、人数合わせに苦労すると言う話も聞いている。
「だったら君も結婚のお披露目に出席しないと」「うん」「俺は周作と東山動物園へでも行ってくるわ」「うん、それがいいね」それでも理美が出席の返事に電話をすると「モリオ3曹」と名乗ったことで結婚したことを察知され、根掘り葉掘り訊かれたらしい。そうなるとWAFの情報網がフル回転しただろう。
小牧市内のホテルで行われる結婚式に理美も出席した。理美はたっぷりしたワンピースを着て、朝から美容院に行って髪も飾っていたが、気分が悪くなるからと化粧は控え目にしている。私が運転する車で東名高速道路を西に向かう。車は岡崎を通過していた。
「同じ岡崎でも、本宿と矢作じゃあ風景が全然違うよね」矢作川を渡った所で理美は車窓から外を見ながら呟いた。
「そうだね、俺は地平線を見ながら育ったんだ」「私は山の中・・・」私の台詞に理美は少し悔しそうな口調で言葉を返した。
「お父さん、今日は動物園へ行くんだよね」「うん、そうだよ」「周ちゃんいいなァ、お母さんも行きたいなァ」後席の周作がはしゃいだ声で訊いてくると理美も羨ましそうに返事した。理美を小牧市内の結婚式場に送った後、私と周作の二人で名古屋の東山動物園へ行くことにしている。
「お母さん、お嫁さんみたい」「何で?」「すごく綺麗だよ」「ワーッ、ありがとう」私は周作と理美の会話を笑いながら聞いていた。
「ツワリは大丈夫か?」「うん、もう治まってるよ」「それじゃ料理は食べれるね」「うん、楽しみィ」理美は嬉しそうな顔をする。気がつくと車は岡崎市を抜けて豊田市に入った。
「こうしてみると岡崎もそんなに遠くはないね」「でも、遠いところだよ・・・」理美の重い返事に、私は自分の迂闊さを反省した。
披露宴の席で、理美は新郎の上司だと言う男性に話しかけられた。
「浜松のモリオさんって、モリオ3尉の奥さん?」「はい、そうです」「私は5術校の藤中と言います。モリノ君とは春日で一諸だったんですよ」「はい、主人がお世話になりました」理美は「主人」と呼んだことに少し胸がときめいた。
「モリオ君も周君も元気ですか?」「はい、おかげさまで張り切ってます」理美の答えに藤中は安心したようにうなずいた。
「モリオ君は基地でも評判のオシドリ夫婦でね、奥さんを亡くした時には後を追うんじゃあないかと皆、心配したんだよ」「はい・・・」藤中は声を落として話した。
「でも周君がいたから、彼は頑張れたんだね」「はい」理美は今頃、東山動物園を楽しんでいるだろう2人の顔を思い浮かべた。
「基地の連中からはクレーマー3尉って呼ばれていてね」「浜松でも一緒でした」藤中と理美は顔を見合せて笑った。
「でも、映画のダスティン・フォフマンよりも頑張ってたな」「はい」理美は結婚前の2人の楽しげな生活ぶりを想い出すと、この話にも納得ができる。
「モリオ君、優しいだろう」「はい、とっても」理美がうなづくと、藤中も優しい目をして随分目立つようになった理美の腹を見た。
「奥さん、赤ちゃん?」「はい、7ヶ月です」そう答えながら理美は腹を撫でた。
「モリオ君は好いお父さんだよ、幸せにしてあげて下さい」「はい、幸せにしてもらっています」理美のお惚気のような答えに藤中は呆れた顔をした。
「それにしても美人ばっかり嫁さんにして、あいつもやるなァ」そう言って笑うと藤中は次の席に移って行った。
結婚式場のロビーのソファーに理美の姿を見つけると周作は嬉しそうに駆け寄った。理美はしゃがんで周作と見合って話を始めた。
「お母さん、僕、コアラ見たよ」そう言う周作はコアラのぬいぐるみを2つに抱えている。
「2つ?」「うん、赤ちゃんのだよ」周作がぬいぐるみを1つ差し出すと「ありがとう、お兄ちゃん」と理美は笑顔で受けとった。
「お兄ちゃん」と呼ばれたのが周作は嬉しそうだった。
「こちらが麻野の旦那さん?」私たちと理美の姿に気がついた女性達が集まって来た。
「モリオです、妻が・・・」私が挨拶しかけると彼女(WAFの同期)たちは「この人が浜松基地の鬼小隊長なんだァ」と囁き合った。
「はァ?」呆気に取られている私にWAFたちは遠慮なく品評を始めた。
「旦那さん、有名ですよ、『怖い人』だって」「でも意外と優しそう」「そこに麻野が惚れたわけだァ」本当に怖いのは鬼小隊長ではなく彼女たちじゃあないかと私は思っていた。
ある日、若手の中江3曹が思いがけない提案をしてきた。
「小隊長、基地を守るんなら今みたいな空き地ばかりじゃなく、建物がある場所での戦闘も訓練しないといけないんじゃないですか?」確かにこれは正論だった。私自身は春日時代に米軍やそれの完全コピー(単なる日本語訳)の陸上自衛隊の市街戦の教範を入手し、研究を重ねていたが、まだ具体的に訓練を実施する段階ではない。
「それじゃあ、これを研究してみてよ」そう言って私は脇の本棚から陸上自衛隊の教範を取り出して手渡した。
「何だァ、良いのがあるじゃなですか。早速、研究します」「だけどドアとかを蹴破って壊さないように気をつけてな」「はい、わかりました」そう言うと中江3曹は教範を開いたまま敬礼をし、退出していった。
「今度は何の訓練ですか?」中江3曹を見送ると先任が心配そうに訊いてきた。
「市街戦です」「市街戦って街中で戦うあれですか?」「はい、太陽の日差しではありません」「また冗談を」私がかましたボケに先任は突っ込まず真顔をしたので、私も真面目に答えた。
「あれは横だけでなく縦にも警戒しないといけないから難しいんです」市街戦では建物の上階からの攻撃もあり、開けた土地での戦闘のように横だけを警戒していては敵を制圧できない。また建物内での戦闘要領は人工の工作物を取り扱うため、ドアノブを使うと敵に反撃されるためずドアは蹴破るなど独特の技術がある。
「確かに敵に侵入されれば隊舎周辺でも戦うことになりますね・・・おっと私も小隊長に染まってきたな」「だけど壊していい廃屋があればいいけど、訓練場がないですね」私の言葉に先任も一緒になって基地内に使えそうな建物がないかを考えてくれた。
中江3曹の分隊は市街戦の訓練を勝手に始めていた。ある日、中江分隊の若い隊員が建物を見上げながら「あの窓には人がいるな」「すると死角はあっちだな」などと話し合っているのを聞き、私はピンときた。中江3曹は弟分の池内3曹と一緒に戦争映画の市街戦の場面を研究して若い隊員たちに教育をし、それを内務班で実際に演練しているようだ。
私からの注意を守りドアを蹴破りはしなかったが、ロックを外しておいて蹴開け、モデルガンを構えながら室内を検索する訓練を繰り返している。おまけに警衛の夜勤明けで寝ている隊員を捕虜として廊下に引きずり出し、腹這いにして身体検査をしているらしい(そのやり方も警務隊に習わせた)。
おかげで警備小隊の内務班はオチオチ安眠できなくなり、どのドアにも靴跡が残ってペンキを塗り直さなけらばならなくなった。
またある日、歩哨犬係長の緒方1曹が新聞記事を持ってきた。
「小隊長、この記事を読んで下さい」彼が差し出した新聞には横田基地の警備部隊のレポートが載っている。その中の警備犬の写真と記事に私は興味を持った。
「このベルジャン・マラノイってどんな犬なんだ?」「でしょう。私も調べてみたんですが図鑑に載っていないんです」私の質問に緒方1曹は吾が意を得たりと微笑みながら説明した。そのまま記事を読むと日本国内では米軍だけで飼われている犬種らしい。
「よし、さっそく調べてみよう」「入間の歩哨犬訓練所も知らないそうです」緒方1曹の顔は「よろしくお願いします」と書いてある。と言うことで今日の仕事が決まってしまった。
私は以前、嘉手納、三沢、岩国基地へは研修に行ったことがあり、これで在日米軍の航空基地は全部回ったことになる。

横田基地への研修はコネクションを探すことから始めなけらばならなかった。
輸送なら何とかなっても警備部隊は憲兵隊になる。そこで懇意にしていた浜松警務隊に相談したところ警務隊本部から横田憲兵隊に派遣されている連絡官を紹介してくれた。と言うことで研修が実現することになった。
横田基地へ行くのには陸路の官用車、新幹線などの鉄道利用と言う方法もあったが、緒方1曹が入間の歩哨犬訓練所に自慢をしたため「同行させてくれ」と申し入れられ、官用機で入間へ飛んで一泊、入間の官用車で向かうことになった。輸送費の節約にもなり、おかげでメンバーも増やせたが。
入間基地で警備小隊長の歓待を受けた翌日、歩哨犬訓練所教官の畑1曹が運転する官用車で横田基地に向かった(出発前、歩哨犬の慰霊碑で供養を勤めた)。
車の中で私が緒方1曹と犬の話をしていると畑1曹は「小隊長は随分と犬に詳しいんですね」と驚いたように言う。
「へッ?」私が呆気にとられた顔をすると緒方1曹は「普通の警備小隊長は警衛だけで手一杯で、犬なんて余計な仕事なんですよ」と言った後、「ウチの小隊長は歩哨犬訓練も自分から参加してくれたんだ」と自慢する。
「だって犬もウチの大切な戦力だからね」私の補足説明に畑1曹は羨ましそうにうなずいていた。
横田基地では先ず警務隊の連絡官に挨拶したが、「憲兵隊でも警備は我々と別物だ」と興味がないことをあからさまにする。日本の警察でも捜査と防犯は連携が取れているが、機動隊や交通課は浮いていることがある。自衛隊の警務隊も意識は同じようだ。
空軍の警備隊はまるで陸軍のようだった。隊舎内を腰に拳銃を下げた迷彩服の兵士が歩き回り、案内のロビンソン大尉も同様だった。。隊長への挨拶の後、見学させてもらった武器庫にはライフルから機関銃、拳銃が並び、拳銃を試射できるクッションもある。ロビンソン大尉は「警備の緊迫度によって武器は使い分ける」と説明し、「指向式地雷・クレイムアもある」と言った。
その後、質疑応答になったが、私は基地警備戦術と訓練について、入間から同行した教官と緒方1曹は歩哨犬の管理と運用について矢継ぎ早に質問をし、非常に充実していた。
そんな中で畑1曹が「警備隊の中で歩哨犬係の地位はどうですか?」と質問をするとロビンソン大尉は「何故?」と不思議そうな顔をした。しかし、畑1曹が「航空自衛隊では歩哨犬係はそれ専門なので厄介者扱いされています」と説明すると通訳が「伝えていいのか?」と私の顔を見たので、「彼は入間基地の歩哨犬訓練所の教官です」と断った上で私が通訳した。
するとロビンソン大尉は「警備犬係は特殊技術を有しているので尊重されている」と答え、畑1曹は何度も深くうなずいていた。
続いて警備犬センターへ向かったが私はロビンソン大尉と二人で別行動、車内では基地警備戦術を具体的に話し合い、毎週月曜日の朝には建物の周りに不審物がないか確認することやクレイムアをどこに設置するのかを車を止めて説明してくれた。
歩哨犬センターではベルジャンマラノイと対面したが思ったより小型だった。そして、シェパードのヘルニアなどの持病と環境適応力などの弱点がないことと顎の力がシェパードの3倍であることや闘争心が極めて強いことなどのベルジャンマラノイの優れた点、それを活かした運用方法を説明してくれた。特に銃が使えない平時には不審者を発見すると犬を見せて「君が投降しなければ犬に襲わせる」と警告を与える手順を実演してくれた。
このほかに横田基地の空港ターミナルで活躍する爆弾犬や麻薬犬は小型の愛玩犬だったが、三度吠えればほぼ確実に爆弾や麻薬があると断言したのには感心した。
警備犬舎の中で同行した池内3曹が吠えている犬に向かって「ジョン、ジョン」と呼ぶと案内の米兵が「イエス・サー」と真顔で答えた。やはり基地内はアメリカだった。

横田憲兵隊(左端がジョン、中央の長身がロビンソン大尉)
当直下番の早朝、出産準備で休んでいた理美から、当直室に電話が入った。
「破水したみたい、これから病院に行くから」「エッ?」予定日よりはやや早いが、昨晩から陣痛が始まったと言う連絡は受けていた。
「交代したら迎えに行くから待ってろ」「大丈夫、自分で行けるから勤務優先よ!」こんな時にまで理美は模範的な自衛官の妻、女性自衛官の鑑だった。
「周ちゃんはお隣さんが預かってくれるって」それだけ言うと理美は電話を切った。私は当直を下番し、警衛隊の交代に立ち会った後、隊長に申し出て休暇をもらい、官舎に戻ると周作は隣の家でテレビを見させてもらいながら待っていた。
玄関で奥さんに礼を言い、理美の様子を聞いて、「周作、保育園に行こう」と声をかけると玄関まで出てきた周作は「僕もお母さんの病院に行く」と言いだした。奥さんの横で私を見上げている目は真剣だった。
「でも、これから何時間かかるか分からないですからねェ」と奥さんと話していると、「僕、お兄ちゃんだよ。病院に行く」と周作はもう一度繰り返す。
「大人しく待てるか?」「うん」周作は力強くうなずいた。「よし、それじゃあ、お父さんと赤ちゃんを待っていよう」そう言って頭を撫でると周作は満面の笑顔になった。
病院に行くと理美は分娩室に入る直前だった。
「大丈夫か?」「大丈夫、これでも体力検定1級だよ」と理美は強がりを言いながら、陣痛の波に顔を歪めた。
「お母さん、痛い?」周作が心配そうに顔を覗き込むと理美は「赤ちゃんがお母さんのドアを開けようと頑張ってるんだよ」と無理に笑顔を作って説明した。
「赤ちゃん、お母さんを苛めちゃ駄目だよ」周作の言葉に理美は、「赤ちゃん、頑張れって言ってあげて」と答えた。やがて看護婦さんが理美を分娩室に連れに来た。
「GOOD LUCK」肩を借りて分娩室に入りながら理美は親指を立てて笑顔を作った。

イメージ画像
廊下の長椅子に周作と並んで座っていると、分娩室から理美の悲鳴に似た声が聞こえてくる。周作は落ち着かなく立ったり座ったりを繰り返している。意外に早く子供は生まれた。
「オギャーッ」と言う第一声を聞いた瞬間の周作の顔を見ていて、私は「連れてきてよかった」と思った。その顔はもう兄のものだった。
看護婦さんが生まれたばかりの我が子を見せに連れてきてくれた。2820グラムの男の子、顔は母親似で、周作とは違ったタイプのハンサムボーイだ。やがて分娩室からベッドに乗せられて出てきた理美の両手を左右から父子で握った。
私が「ありがとう、御苦労さま」と声をかけ、額にキスすると理美はうっすらと目を開けて「名前はセイント聖也君だよ」と微笑んだ。
周作と一緒にテレビを見ながら考えた、理美の希望通り聖美の一字をとった名前だった。
「これで大丈夫だね」その時、私の耳に聖美の声が聞こえ、「お父さん、お母さんが『お兄ちゃん』って言ったよ」と隣で周作も言った。これが聖美の最後の言葉になった。
理美が無事、子供を産んだことをハガキで岡崎の親に伝えた。理美の2人の弟はまだ独身なので、この子は両親には初孫になるはずだ。勿論、それには長い間の無沙汰、非礼への謝罪の言葉を添えていた。
その前に、子供に会いに来た私の両親は褒め言葉のつもりか「今度は日本人だね」と言って私を激怒させたが、両親はその怒りも私の聖美への未練と短絡的に受け取っている。やがて理美の父から返事が届いた。
「貴方の奥さんである理美さんと当家には何の関係もありません。したがって今回『生まれた』と連絡を下さったお子さんも当家とは一切関わりはありません。ただ、法律上の必要により、将来、財産放棄の手続きをとっていただくことになるでしょう」これだけだった。しかし数日後、その手紙とは別に理美の母から現金書留が届いた。
「理美、おめでとう。赤ちゃんも、お兄ちゃんも大切に育てなさい。モリオ様、娘をよろしくお願いします」との手紙と出産祝いとしては多額な十万円が入っていた。
聖也が生まれて2週間、7月1日付で私は2等空尉に昇任した。産休に入っている理美は基地のミシン屋で2尉の階級章に付け替えた作業服にアイロンをかけてくれている。本当はミシンがけも理美が自分でやりたがったのだが、まだ退院して1週間、私が無理をさせなかった。
「モリオ2尉、モリオ2尉、ルンルンルン」理美は容姿に似合わない鼻歌を唄っている。私はその背中を幸せな気分で眺めていた。
その時、私はそろそろ理美も部内幹部候補生の受験資格が出来ることに気がついた。それを目指すなら、この産休は受験勉強をするのに好い機会だ。
「君も幹部を目指さないの?」私は作業をしている理美の後ろから声をかけてみた。理美は学科も優秀で専門的な話をしても相手に不足はしない、何よりも理美には人を惹きつける魅力がある。それはいつも一緒にいる若いWAFたちを見ても判る。
「私がァ?無理無理」理美は笑いながら首を振った。
「君なら学科は簡単、面接も一発だろ」「私なんて駄目駄目」理美はまともに取り合わない。それでも私は話を続けた。
「君の能力を思う存分に使わないのは勿体ないなァ。国家の損失だよ」その時、1着目の作業服が終わって、理美は振り返って私の顔を見た。
「私の能力は貴方との人生で思う存分に使うからいいの・・・それに」「それに?」私も理美の顔を見返した。理美は優しく笑っている。
「2人とも幹部になったら、一緒に暮らせないじゃない」そう言うと理美は抱きついて来て、私も抱き締めて口づけをした。産後間もなくでなければこのまま押し倒すところだが、それはお預けだった。
聖也のお宮参りは、岡崎城にある龍城神社にまで出かけることにした。岡崎出身者の自衛官同士、いわば現代の三河武士の両親の子だから東照大権現・神君・徳川家康公に守っていただきたかったのだ。
「それなら久能山東照宮でもいいじゃない」理美は岡崎行きをためらっている。
「ついでに矢作にも行きたいしね」「それは好いけど・・・」「知人に会いたくない」と言う理美の気持ちはよく解ったが、それで良いのかは別だった。
「周作に岡崎城を見せたいしな」「うん、お城を見たいなァ」私の説明に周作は無邪気にはしゃいだ。周作は忍者物のアニメが好きなのだ。
「周ちゃんのお宮参りは、やっぱり防府天満宮だったの?」聖也を抱いて寝かせている私に理美が訊いてきた。
「いや、天満宮は受験生で混んでいたから防府市の護国神社だったよ」「防府の護国神社って何所にあったっけ?」理美は5年以上防府市に住んでいながら知らなかった。
「桑山の山頂だよ」「そう?あそこはお寺じゃあなかった」「お寺はまだ登り口さァ」私の説明にも理美は矢張り判らないようだった。その時、私の腕で聖也が眠った。
「聖也、寝たよ」私が寝顔を見せると、理美は「うん」とうなづいてベビーベッドの布団を整えて寝かす準備を始め、周作はその隣で興味深そうに見ている。
「シーッ」周作が口に指をあてて合図をしたのを私たちは嬉しそうに見ながら聖也をベッドに運んで寝かせつけた。
「理美?」お宮参りを終えて、城内で行われている菊人形展を見学していると、私たちは背後から女性に声をかけられた。
「お母さん・・・」振り返った理美は女性の顔を見て固まったように動かなくなった。その女性は理美に似た美人で着ている和服も高級で品がいい。
「今年もココで?」「今年も菊人形展のお茶会をやっているんだよ。あなたこそ今日は?」「お宮参りです」そう言って理美が私を振り返ると義母は私たちに歩み寄った。
「モリオさんですね、はじめまして、娘が本当にお世話になっています」「はじめまして、こちらこそ勝手を致しまして申し訳ありません」義母の丁寧な挨拶に応えて、私も最敬礼をした。
「周作君?」「こんにちは」「こんにちは、えらいなァ」義母はゆったりとしゃがむと周作の頭を撫でてくれた。周作も嬉しそうに笑っている。
「これが聖也くんね」私たちへの挨拶を終えて義母は、私の腕で眠っている初孫の聖也を覗き見る。その顔は愛おしさに満ちていた。
「理美に似ているのかな?」「そうですか、それは愉しみですね」私の返事に義母は嬉しそうに笑ったが、理美は表情を変えないでいる。
「ご家族の皆さんはお変わりありませんか?」「はい、おかげさまで」私の問いかけに義母は穏やかに答えたが、理美は顔を強張らせた。その時、聖也が眠ったままクシャミをした。
「少し冷えてきたかな・・・それじゃあ」理美は私の脇から聖也の服を直しながら義母に声をかけた。
「そうね、今日は会えてよかったわ」義母は少し残念そうに答え、私の方を向き直った。
「モリオさん、不束な娘ですが、どうかよろしくお願い致します」「こちらこそ・・・」義母の丁寧な挨拶だったが、私は義父とのことを思うと続きは口に出来なかった。
「理美、元気でね。周作君と聖也君のいいお母さんになるんだよ」「もうなってますよ」私の台詞にようやく義母と理美は顔を見合わせて笑った。
「お祖母ちゃん、バイバイ」私たちの間で周作が義母を見上げながら手を振った。
「周作君、バイバイね」義母は周作に顔を近づけると優しく挨拶をしてくれた。
帰路、岡崎インターから高速に乗って、本宿を通過する車の中で理美は黙っていた。後部座席で聖也を抱いた理美の隣から周作が話しかけた。
「お母さん、あれがお母さんのお祖母ちゃん?」「うん、そうだよ」「お母さんと同じ顔をしてるね」「そう、似てたァ?」「君に似て美人だったな」「・・・」私の言葉には返事をしなかった。
「お義母さん、お茶の先生なんだ」「うん、毎年、菊人形展でお茶会をやってるんだ」「それ知ってたの?」「うん、だから・・・」ルームミラーを見ると、理美もこちらをジッと見返している。
いつもは私の意見に反対しない理美が、今回の岡崎行きをためらっていた理由が分った。
「会いに行った訳じゃあないし、お義母さんの方から声をかけてきたんだから」「うん・・・」そう答えて理美もうなづいた。
「でもお母さんに迷惑がかかるかも知れない」「そんなことないって」「私の家は父の言うことが絶対なんだ・・・家族は顔色を窺って暮しているの」それは私の実家も同じだった。母も父の思い通りになっていることだけを心掛けている。
「お互い親では苦労するね」私はいつもの台詞を言いかけたが今日は言葉を変えた。
「君のお母さんなら強いから大丈夫だよ」「私って強いの?」「地上最強の女だろ」私の励ましにルームミラーの中の理美は少し膨れた後、朗らかに笑ってくれた。
その夜、布団に入り腕枕していると理美がジッと私の目を覗き込みながら話し始めた。
「ねえ、今日、母に会ったのって本当に偶然?」私は理美のこの疑念は予測していた。
「貴方が私と会わせるために連絡してくれたのかなって思って・・・」そう言うと理美は私の胸に顔を埋めてくる。私は理美の髪の匂いを嗅いでいた。
「だって俺、君のお母さんが岡崎城でお茶会をしてるのは知らなかったさァ」「うん」理美がうなづくと髪が顎に当たる。シャンプーの匂いが甘い。
「若し、お母さんと会わせたいと思ったら、まず君の気持ちを確かめるよ」「うん」「いくら良かれと思っても、勝手に踏み越えてはいけない一線ってあるからね」「うん」理美は私の言葉にうなづいた後、何故か鼻をすすった。
「ねえ、抱き締めて」「どうして?」「貴方の胸に埋めて欲しい・・・」出産後、少し痩せた体を抱き締めると理美は私の胸で肩を震わせて泣きだした。
「貴方と結婚出来てよかった・・・」そう呟く理美の涙を私は口づけで吸い取った。
高射機関砲・Mー55の射撃訓練が行われる時期がきた。これは第2次世界大戦当時からの骨董品で、陸上自衛隊ではスイス・エリコン社製のLー90が導入されるまで後輪がキャタビラのハーフトラックと呼ばれる自走式だった。
航空自衛隊でもVADSと呼ばれる20mmバルカン砲搭載の新型の導入が進められているが、地理的条件ではなく航空総隊隷下の戦闘部隊が優先で、都市部で重要な工業地帯にある浜松基地であっても導入の予定はない。浜松基地の第2術科学校では実物を使って基地防空課程の教育をやっているが、それを借用することはできないのだ。
例年は警備小隊から集合訓練に要員を1名差し出して事を終わらすのだが、それですまないのが私だった。
「小隊長、今年のMー55要員は杉井3曹でいいですか?」作業員を選ぶように報告してきた先任の顔を見返しながら私は首を振った。
「この際、警備小隊員は全員操作できるように訓練しましょう」「えっ?」「何で?」私の言葉に先任と訓練係の上神田1曹は驚いたように声を上げる。
「突然、空襲されたら警衛隊で対応しないと迎撃できないでしょう」とは言っても太平洋側にある浜松基地が空襲されるようでは、航空自衛隊そのものが存在しているか判らない。それでも2人は納得したようにうなづいた。
「でも、基地防空要員は指揮官も差し出しで、今年は補給隊の梅田3尉だそうです」「1空団の訓練とは別に管理隊でやるんですから耳に入れておけばいいでしょう」私の返事に先任と上神田1曹は諦めたように顔を見合わせた。
訓練を始めた頃、偶然にも豊川駐屯地から第10特科連隊第6高射大隊が転地訓練にきて、私は連日、小隊員たちを見学に行かせた。そこで意気投合したベテランの陸曹はMー55と聞いて「懐かしいですなァ。ウチの若い奴にも歴史教育で触らせたいなァ」と笑っていたが、こちらはそれで戦うのだ。
1空団の集合訓練が始まる直前、管理隊は終わったが、基地業務群司令から「成果を見せろ」と言われ、訓練展示を行うことになった。すると例年は射撃準備でもたついて中々作動できず、「あれでは浜松名物の大凧も落とせない」と言われていたMー55が、陸上自衛隊のプロ仕込みだけに号令、動作ともにテキパキと進み、「あれならヘリくらいは落とせそうだ」と称賛され、見学に来ていた指揮官以下の隊員たちも気合を入れていた。


これには想定外の成果もあった。
訓練要員だった杉井3曹が急病で入院して交代要員を差し出すことになったのだが、それを選ぶのに「誰でもOK」で、先任も「訓練はやるもんですね」と喜んでいた。
ある日、私は管理隊の隊長・小隊長会議の席で提案した。
「空襲からの回避要領を体験させるためランウェイ(滑走路)をフルアクセルで走らせてみませんか」すると輸送小隊長と隊長は顔を見合わせ小声で相談を始めたが、否定的な口ぶりだった。そこで私は追い打ちをかけた。
「飛行場勤務隊長には内々に話はしてあります」「相変わらず手回しがいいね」「何で勝手に」隊長は呆れ、輸送小隊長は不快そうだ。
「いいえ、飛勤隊長が基地当直につかれた時の雑談です」「・・・」ここで二人は黙ってしまい、私はテーブルのお茶をすすった。
「それでは日頃口やかましく言っている安全指導がないがしろになってしまいます」「うん、そこまでやる必要はないんじゃないか」結局、輸送小隊長と隊長の拒否でこの話は立ち消えになった。
それでも私の実戦的訓練の追及は止まなかった。手始めは警衛隊のドラーバーに夜間の巡察(パトロール)で暗視眼鏡を着け外周を無灯火で走らせたのだ。
「無灯火だとタヌキやイタチがどかなくて困りますよ」「外柵辺りをうろついている奴等が驚いていました」そんな実体験を聞いて輸送小隊の若いドライバーたちが「俺たちにもやらせて下さい」と小隊長や古参に内緒で申し入れてきたので、私は「当直ドライバーの時に警備小隊に来い」と許可した。
「俺、ようやく運送屋でなく自衛官になった気分を味わえました」「輸送で習うのと全然違いました」「これが小隊長が言われる実戦的って奴ですね」と管理隊の終礼であった会った若手ドライバーは言ってきたが、あくまでも隊長、輸送小隊長には内緒だ。
ちなみに輸送でやっているのは車両の後部に白い目印を付け、先頭を小さなライトを持った隊員が歩いて車列を誘導する旧日本軍方式だそうだ。
とどめは横田以来の研究課題になっている歩哨犬の問題だった。三沢、横田、嘉手納の空軍、岩国の海兵隊でも警備犬は必ず人間が随伴し、自衛隊のようにつないでおく番犬にはしていない。
さらにロビンソン大尉から「シェパードは命令に服従するように改良された犬種だから単独では吠えないのではないか」と言われたことも気になっている。そこで歩哨犬係を立ち合わせて上で隊員に接近させたが、案の定、身構えはするが吠えなかった。それは別の犬も同様でロビンソン大尉が指摘した通り犬種の問題だった。
私は歩哨犬の主治獣医から紹介された動物学者と相談した結果、縄張り意識が強く、環境に順応する日本犬の方が番犬には適していると言う結論を得た。それもある程度の大きさが必要なので秋田犬や甲斐犬、紀州犬が良いと言うことだった。
それを公式に航空幕僚監部に要望しようと思ったが、隊長から「根拠が弱い」「それでは歩哨犬が必要ないと受け取られかねない」と言う極めて輸送幹部的な指導を受けて断念し、逆に隊員が随伴して運用の研究に舵を切った
高級幹部の異動で基地司令が交代し、浜松市内のホテルで基地幹部会の送別会があった。その席で、私は1術校で理美の上司に当たる整備幹部の同期と一緒になった。
「モリオォ、お前が麻野3曹に子供なんか作るからこっちは大迷惑してるんだぞォ」「すまん」「米留した教官要員はあまりいないんだからなァ」すでにかなり酒が入っている彼は呂律が回らない口で絡んできて、教官のやりくりで苦労している話などをクドクドとこぼし始めた。私は「申し訳ない」を繰り返した。
「それにしてもお前もやるなァ、麻野は基地でも抜群の美人だったからなァ」「どうも」「それでいて浮いた噂もなくてな」「うん」彼は真剣に羨ましそうな顔をしている。しかし、私は理美から聞いている彼お得意のカマカケを警戒していた。
「でも俺は、奈良でお前の死んだ奥さんを見たことがあるぞ」「そうか?」「ハーフのすげえ美人だったなァ」「ありがとう」私の胸に聖美の面影がよぎった。
「美女薄命か・・・」彼はそう呟いて酔った顔に皮肉な笑いを浮かべた。
「ところでお前ら出来ちゃった婚だよなァ」「僅差だけど結婚した後の子だぜ」「フーン」今度は聖也が生まれた月から結婚した月までを指折り逆算して確認をし始め、私は「これが彼のかまかけか」と察知していた。
「お前、特別事情がなくなって、そのうち転属だろう?」「それはどうかな」この男は話がコロコロ変わるのが酒癖らしい。あまり酒癖は好くないとも聞いている。しかし、浜松へ来てからまだ1年だったが確かに彼の言う通りかも知れなかった。
「麻野は、どうせ産休で働いていないんだから、そのまま転属して連れて行っちゃえよ。そうすればうちは交代がもらえて助かるから」「そうかァ、それを聞いて安心したよ」私は内心では腹が立っていたが、冗談ではぐらかした。
「麻野には防府で唾をつけていたんだって」「それはない、あの時は妻がいたからな」「そうかァ?」私の返事に彼は酔ったまま皮肉な笑いを浮かべていた。
「南基地の男って言うのはお前のことだろう?」「なんだそれは」私は一気に酔いが醒めた。
「身上票に書いてあることだよ」「お前なァ、プライバシー保護に気をつけろ」本当は彼の頭から水をかけて酔いを醒ましてから言いたい台詞だった。結局、それは自衛隊の幹部の質に帰すべき問題と納得するしかなかった。
産休中の理美を休ませるため、私は聖也を抱いて周作と公園に遊びに出た。
「周ちゃん、今日はお父さんと一緒?」公園で地面に絵を描いて遊んでいた女の子たちが声をかけてくる。今年、年中幼児の周作よりは少しお姉さんのようだ。
「うん、聖也君もだよ」「周ちゃんの弟?」「ワーッ、見せてェ」滑り台の男の子たちのところへ周作が駆け出すのと交代に、女の子たちが私の周りを取り囲んだ。聖也は暖かな日向で欠伸をして、ウトウトし出した。
「ごめんね、寝むそうなんだァ」「本当だァ、静かにィ」私の言葉を受けて一番年長の女の子がほかの子たちに声をかける。
「小父ちゃん、私も弟がいるよ」女の子が1人、私に話し始めた。
「ふーん、可愛がってる?」「ううん、お母さんが触っちゃいけないって言うの」その子は寂しそうに首を振り、私はその家のやり方とは言え少し同情した。
「ふーん、残念だねェ」「でも、大きくなったらお姉ちゃんって呼んでもらうんだ」その子は待ち遠しそうに笑い、私もホッと安心して笑った。
「小父ちゃん、私のお父さんは赤ちゃんを抱っこなんてしないよ」今度は別の女の子が声をかけてきた。その話は近所の奥さん連中からもよく言われている。
「お父さん、きっと忙しいんだよ」「ううん、いつもパチンコに行ってるよ」「小父ちゃんは子守りが大好きなんだ」「フーン、小母ちゃん幸せだねェ」私は官舎の奥さん連中のミニチュアのような話しっぷりに女の子は怖いと思った。
「小父ちゃん、子守り歌唄える?」「うん、唄えるよ」「唄ってェ」突然のリクエストに私は胸の中で選曲をし、唄い始めた。
「ねんねんよ おころりよ 坊やはよい子だ ねんねんよ まだ夜は明けぬ 目覚めにゃ早い よい子は泣くなよ ねんねんよ・・・」これは最近、理美から習った愛知県岡崎地方の子守り歌だった。私の子守り歌を聞きながら聖也は眠ったようだ。女の子たちが拍手をしてくれた後、年長の子が「静かに、あっちへ行こう」と指示をして、また絵の跡がある地面に戻って行った。
小1時間して周作は公園に残って家に帰ると理美が待ちかねたように報告をして来た。
「岡崎の母から電話がありました」「ふーん、何だって?」前回、岡崎公園で会ってから半年になる。私は「何かあったのか?」と一瞬心配した。
「父も弟も出掛けて暇だからって・・・」理美は何故か申し訳なさそうに答えた。
「それはよかったさァ」そう答えながら私は眠った聖也の顔を理美に見せた。
「聖也は大きくなったかって」聖也の布団を整えに行きながら理美は答えた。
「もうすぐハイハイするからねェ」私は聖也の寝顔を見ながら言葉を返した。
「本当、もう布団の中で第5匍匐してるもんね」「おッ、専門用語ですな」「しまったァ」私に指摘されて理美は舌を出して笑った。
警備小隊長になって2年、私は警備戦闘訓練に取り組んでいた。そんなある日、私は防衛部に呼ばれた。
「小隊長、実はな・・・」WOCに私を誘った防衛班長は緊張した顔で話し始めた。
「近いうちに米軍が北朝鮮の核施設を攻撃する秘密計画がある」「はい」最近、北朝鮮の核開発問題がニュースを賑わしていた。現在も米海軍の空母艦隊は日本海で行動している。
「米軍が北朝鮮を攻撃すれば、当然、在日のCS総連が騒ぎ出すだろう・・・」「はい」「そうなると航空陸戦隊の出番だ」最近、迷彩服を着て戦闘訓練や格闘訓練に明け暮れる警備小隊は「航空陸戦隊」と仇名されていた。
「でも、国内の治安状況から言って武器を使った基地への攻撃はないでしょう」「そうだな」「それで警備を強化する命令は出せますか?」「それは無理だ」「やはり・・・」米軍単独の攻撃では大規模な騒乱状態が起きない限り、自衛隊が独自に警備を強化をするわけにはいかないだろう。
「となると訓練ですか?」「毎度のな・・・頼むは」「ラージャ」「いよいよ月光の出番だ」「月光」と言うのは警備小隊でも選りすぐりの隊員に与えている尊称で、子供の頃に見ていたテレビ番組の忍者部隊「月光」に由来する。
「この話は、防衛関係の幹部しか知らないことを忘れるなよ」「イエス・サー」防衛班長とはツーと言えばカーという信頼関係が出来ていた。その時、一瞬、官舎も危険になることを想い、理美、周作、聖也の顔が胸をよぎった。
私は即日、「夜間における監視能力、対処の練成訓練」の命令を起案した。
「また陸戦訓練かァ、頑張るね」何も知らない隊長は笑いながら決済してくれた。それから警備小隊員たちは、交代で主要地区周辺に迷彩服を着て潜伏し、徹夜の監視を実施をする。私は連日徹夜で訓練指揮官としてこれを監督し、実質的に指揮を執っている。
ある日、産休を終えていた理美とPXで待ち合わせて一緒に喫茶店に入った。家にはもう1カ月近く帰っていない。
「ねえ、何があるの?」「別に、何で?」私は勘の鋭い理美の質問に答えを濁した。
「最近、警備小隊がすごい訓練をやってるって、うち(1術校)でも官舎でも評判だよ」「猛訓練はいつものことだよ」「でも、貴方の今の顔、軍人そのものだよ」そう言って理美は私の顔を見詰めた。確かに気合が入っていて疲れは感じていない。
「格好いいかい?」「もう馬鹿ァ・・・素敵だよ」理美は幹部自衛官として答えられない事情を察して冗談に乗ってくれた。
「でも周作は兎も角、聖也が顔を忘れちゃうかもなァ」「大丈夫、毎日写真を見せてるから」理美が私を安心させようとしてくれているのが分った。
「それじゃあ、遺影にお参りしてるみたいだな」「もう、縁起でもない」私の冗談に、そう答えた理美の顔が心配そうに曇った。
「本当、体に気をつけてね、家は心配しなくて良いよ」「うん、よろしく頼むな」本当はキスをしたかったが、ほかの客がいたのでテーブルの下で理美の手を握った。

北朝鮮の核開発問題は、カーター元大統領の電撃訪朝で一転、解決を見て、同時に米軍による核施設への攻撃計画の存在が報道された。
「小隊長、訓練はこのためだったんですね」「そうかァ?偶然だろう」ニュースを見た隊員たちの質問に私はまだ惚けていた。しかし、隊員たちはそれで納得し達成感を噛み締めている。私は彼らの仕事の本質を見て、自信を増した顔つきに「軍人そのもの」と言った理美の言葉を送ってやりたいと思っていた。しかし、その時、私は疲れからか変に体が重かった。
「小隊長、顔が赤いですよ。熱があるんでは?」先任が声をかけてきた。
「そうですか?確かに少しだるいんですが・・・」私は返事をしながら寒気も感じていた。
「体温計を持って来い」先任は事務室にいた空士に警衛所にある体温計を取りに行かせた。
38度5分の発熱で衛生隊に受診し、警備小隊に戻ると先任が理美に連絡し、隊長へ報告、休暇の手続きも済ませてくれていた。
私がソファーに深く腰をおろして先任と向かい合って休暇中の業務の相談をしながら待っていると外で聞きなれた車のエンジン音がして理美がドアを開けて入って来た。
「貴方ァ!」理美は思いがけない大きな声を出したため、先任は驚いた顔をした。
「気合が抜けたのかなァ、俺も修行が足りん・・・」「もう、強がらないの!」私がふらつく足で立ち上がると理美が脇から肩を支えようとする。先任も手を伸ばした。
「大丈夫、歩けるから」「いいから摑まって・・・」そう言うと理美は私の腕を肩に回して手を掴んだ。先任は心配そうに、そして少し羨ましそうに見ている。
「先任」「はい」「ほかにも体調を崩す者がいるかも知れません、確認をお願いします」「判りました。小隊長こそお大事に、ゆっくり休んで下さい」そう答えると先任は先回りして小隊本部のドアを開けてくれた。
「手が熱いよ」「うん、君に触るのは久しぶりだからなァ」「そうじゃあなくてェ」私の冗談に理美は安心したように笑った。理美の車で1カ月ぶりに家に帰った。
私は3日間の安静、自宅療養をした。朝、出勤前と夜、理美は子供たちを寝かせてから体温を確認する。
「よし、36度2分、平熱に戻ったぞ」そう言って理美は嬉しそうに体温計を見せた。
「もう体はだるくない?」理美は私の顔色を見ながら訊いてくる。
「うん、腹が減ったァ」平熱に戻ったと聞いて急に食欲が湧いてきた。
「そう、消化がいいように煮込みうどんでも作ろうか?」「素うどんで好いや」煮込みでは煮るのにも、食べるのにも時間がかかる。どちらかと言えば早く食べたかった。
「それから食べたら風呂に入りたい」「大丈夫?」私は風邪ではなかったが、風呂は体力を消耗するからと控えていたのだ。
「食べてェ、風呂に入ってェ、その後は理美とエへへへ・・・」そう言ってジッと顔を見詰めると、理美は「快復が早過ぎるよ」と呆れたように笑った。
理美が作ってくれた月見うどんを食べ、風呂に入り、布団に入って、それは実行された。
「ねえ、本当に大丈夫?」私に腕枕をされながら理美が心配そうに訊いてきた。確かに1ケ月間連夜の徹夜で午前中仮眠するだけの毎日だったのだが、3日間の休養を取って不思議に気分は高揚し体は臨戦態勢になっている。
「NHKの『武田信玄』って見てたかい?」「ううん、WAF隊舎じゃあ、難しいドラマは見ないね」予想外の話の展開に戸惑いながらも理美は恥ずかしそうに首を振った。
「信玄が戦いから帰った最初の夜を『御帰還第一夜』って呼んで、奥方たちは競い合っていたのさァ」「ふーん」理美は勉強をする時の顔になっている。
「そう言えば、信玄の奥方にもサトミって言う女武者がいたなァ」「へー」「今宵は御帰還第一夜、いざ」そう言って抱き締め首筋にキスをすると「もう、結局そうなるんだからァ」と理美は呆れたように笑った。
「でも、元気になってよかった・・・」理美はそう囁くと私の胸に顔を押し当てて埋めて来る。これは最近、癖になっている。私はその額にキスをする。これは習慣であった。
「次の転属先どうしよう?」理美が転属希望調査票を持ち帰って来た。私の幹部申告に内容を合わせなければいけないので相談することにしたようだ。
「救難隊がある基地だよなァ」「うん、でも貴方は教育幹部でしょ、教育隊が普通だよね」救難隊と教育隊では同居している基地がなくて理美は困った顔をしている。
「地連や団司令部の訓練班長って言うのもあるな」「それじゃあ航空基地でも大丈夫?」理美はホッとして私の顔を覗き込んで訊いてきた。
「全国の部隊を鍛えて回るのも、教育隊の区隊長よりは面白いかもな」「そうかァ、その方が向いているかもね」理美は納得したようにうなずいた。
「だったら北から千歳救難隊」「で雪まつり」「三沢救難隊」「でネブタ祭り」私が横からチャカすと理美が「もう、真面目に考えてよ」と言って少し膨れた。
「だって君と一緒ならどこでも住めば都だろォ」「私もそうだよ、ウフフフ・・・」見詰め合って肩に手をかけると、そのままいけない世界に入りそうになった。
「こんなことをしている場合じゃあない」理美は真面目な顔に戻って話を再開した。
「三沢の米軍基地と言うのも子供たちの国際性を養うのにいいね」「そうかァ、スキーも覚えられるしね」幹部としては動機があまり真面目ではないような気がしたが、理美が「自分の部下ではないからいいか」と思った。結局、私が浜松に来て3年目の時期に、第1希望は三沢救難隊、第2希望は「仙台七夕祭り」の松島救難隊と言うことにした。ついでに転属を全国官費旅行にして楽しむことも理美は学んだようだった。
聖也も2歳を過ぎて、何にでも興味を持って訊いてくるようになった。
ある休日の午後、私が読書、理美が洗濯物を干している時、隣の部屋から玩具で遊んでいる周作と聖也の会話が聞こえて来た。
「お兄ちゃん」「何?」「あの写真の人だれ?」聖也は箪笥の上の聖美の写真を指差した。
「僕のお母さんだよ」「お母さん?」「交通事故で死んじゃったんだ」周作は淡々と答える。聖美とのことも周作にはもう記憶の中の一場面になり始めているようだった。
「お兄ちゃんのお母さん、僕のお母さん?」「う・・・ん」周作には答えが難しいようで考えている。私は子供たちが出す結論を待つことにした。
「うん、そうだよ」「僕のお母さん?」「そう、聖也君のお母さん」周作はそう答えると立ち上がって聖美の写真を覗き見て、聖也もそれにならった。
「でも、今はお母さんがお母さんだよ」「どうして?」聖也は不思議そうに周作の顔を見た。
「だってお兄ちゃんのお母さんもお母さんだもん」「うん、わかった」周作の答えに聖也はうなづいた。2人はまたしゃがんで玩具で遊び始めた。
「どうしたの、何か感激するような番組やってたァ?」涙目になっていた私の顔を洗濯物を干し終えて部屋に戻った理美が見つけた。
「うん、すごく感激した。さっきね・・・」私の説明を聞いて今度は理美まで涙ぐんだ。
「よし、晩御飯は御馳走だァ」涙を拭いて理美は変な気合を入れていた。
夏の異動で私は第1輸送航空隊司令部訓練班長、理美は小牧救難隊に転属を命じられた。それは「アメリカへ留学した経歴上、新型救難機に専門的に関わる必要があるからだ」と理美の上司の同期から説明を受けたが、それは言い替えれば幹部の私よりも空曹の理美の経歴が優先されたことになる。別れ際まで皮肉な男だった。
一方で「予算節約のため浜松から小牧になった」と言うセコイ話や「海外派遣部隊の警備小隊長として第1輸送航空隊にキープされる」と言う有り難い話もあった。何にしろ私たちは、岡崎を挟んですぐ向う側へ、近場の移動をすることになった。
私の送別会は南基地の隊員クラブでやるそうだ。
「小隊長、送別会には奥さんも招待しますよ」「でも、子供がいますからねェ」先任からの思いがけない申し出を受けて私は考え込んだ。
「お子さんたちもご一緒にどうぞ。子守りにWAFも呼んでありますから大丈夫です」「そうですか・・・」まだ不安そうな私に先任は意味ありげに微笑んでいる。
「それから小隊長も奥さんも制服でどうぞ」先任は何故かそう付け加えた。
当日、私が小学校の子供クラブへ周作を、理美が保育園に聖也を迎えに行って警備小隊で待ち合わせて隊員クラブへ行くと、会場には制服姿の参加者がだいぶ席についていた。主客席の天井からは「モリオ2尉&3曹 合同結婚祝賀・送別会」と言う横看板が下げられていて、テーブルには花まで飾られている。
「こう言うことかァ」この機会に祝ってくれようとするみんなの気持ちは嬉しかったが、私は看板を見上げて溜め息をついた。
「俺の結婚式はいつもついでなんだな・・・すまん」「何を謝ってるのよ、愛知県みたいな形だけの派手な結婚式よりもよっぽど嬉しいよ」聖也の手を引いた理美は心から感激しているようだった。
「私の結婚をみんなに祝ってもらえるなんて思っていなかった・・・」理美は涙ぐんだ。初めての場所、雰囲気に私の横の周作は興奮気味、聖也は緊張しているようだ。
「みんな、変にヨソヨソしかった訳だァ」「小隊長として監督不足だね」私と理美が呆けと突っ込みで掛け合っていると理美の後輩のWAFたちが周りに集まってきた。
「小隊長、先輩―い、オメデトウございまーす」「お子さんは、私たちがお預かりしまーす」WAFたちはハシャイダように声をかけてくる。
「大丈夫ゥ?心配だなァ」理美の母親としての心配にWAFたちは「頑張ります」と声を揃え返事して、周作の手を引き、理美から聖也を受け取った。周作は嬉しそうな、聖也は驚いた顔をしている。
「子供の食べ物は?」「トイレは?」私たちが口々に声をかけると、「大丈夫です、ベテランが付いていますから」と自分たちの席に座っているベテランWAFの森2曹を指差した。私と理美は顔を見合わせて森2曹に会釈をし、会釈を返された。
「小隊長、驚いたでしょう」先任がシテヤッタリと言う顔で近づいてきた。
「やられたァ」「軍神・モリオ2尉から一本取れれば、私も大したもんですワ」先任は快心の笑顔を見せた。確かに先任は最近、コソコソと1術校へ出かけてはいた。
「新郎新婦はあちらへどうぞ」そう言うと先任は私たちを主客席に案内する。席の両側には私の上司の隊長。理美の上司の課長がすでに待っていた。
始めに理美の教え子の浜松救難隊のWAFから理美にブーケが送られて会は始まった。
- 2013/01/24(木) 09:20:24|
- 続・亜麻色の髪のドール
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0
「続・亜麻色の髪のドール」
「モリオ3曹は、どちらの出身なんですか?」防府南北基地の愛知県人会の歓迎会で、私にビールを注ぎながら、若い女性自衛官が訊いてきた。官品=女性自衛官にしては中々の美人で、着ているブラウスとスカートも品が好い。
「愛知県の岡崎さァ」私の沖縄方言に不似合いな答えにその子は可笑しそうに笑った。
「私も岡崎なんですよ、岡崎はどちらですか?」「矢作だよ」「私は、本宿です」「それじゃあ、東西の両端、入口出口だね」「はい」「そう言えば、私は麻野理美と言います。北で飛行機の電気屋さんをやっています」「飛行機の電気屋」と言うのは我々航空機電機整備員が自己紹介する時の常用語である、順番が逆になった自己紹介に私たちは顔を見合わせて笑った。
「僕も航空機電機整備員さァ。83空から来たのさァ」「エーッ、電機の先輩なんですか?」理美は今度は尊敬の眼差しで私の顔を見る。
「私はプロペラしか知らないけど、モリオ3曹はジェットですもんね、すごいです」「整備員をクビになって防府に来たんだから駄目さァ」私の本当の話にも理美は「御謙遜を」と言う顔をした。
「また色々教えて下さい」「だから、整備員は務まらなかったのさァ」「ウフフフ…」私の話も理美はあくまでも謙遜=控え目な人と信じ込んでしまったようだ。
「モリオ班長、麻野を狙っているなら、青木1曹に頼んだ方が早いですよ」大隊の宴会で酔った若い空士がそんな話を始めた。
「麻野は青木1曹の女ですけど、頼めば俺らにも貸してくれるんですよ」「あいつはWAFにしては美人ですからね。興奮しますよ」別の空士も話に入ってきた。
「好い体してますし、ナニの具合いもいいですよ」空士たちは理美の体のほくろの位置、乳首の色、陰毛の濃さ、性感帯、好きな体位はなどのワイ談で盛り上がってくる。
現在、初任空曹に入校中の理美は私が休日に当直につくと当直室に訪ねてきて色々な話をしていくようになり、空士たちはそのことを誤解しているようだ。
「それにしても青木1曹が何で北の麻野3曹を知っているんだ」私の質問に最初に話を持ち出した空士が答えた。
「麻野が新隊員で入った時、入間(にあった婦人自衛官教育隊)へ臨時勤務で行っていて、悩みを相談されたらしいんですよ。それが男に姦られた話で、青木1曹は優しくする振りをしていただいちゃったらしいんですよ」私は女性自衛官教育大隊の青木1曹の顔を思い浮かべて心の底からの怒りを覚えた。
その宴会の酒は苦かった。
次の日曜日は大隊当直勤務で昼食の食堂で会ったまま理美は当直室についてきた。学生が卒業したウチの隊舎は静かで、ほかに人気はない。
「私の正体、バレちゃったみたいですね」理美は、あの空士の1人に会って「モリオ3曹は奥さんが妊婦で溜まってるから、今度、姦らせてやれ」と言われたと告げた。
「俺は、何も知らないし、何も知りたくはない。俺が知ってるのは北基地で航空機整備を頑張っている麻野理美3曹だけだよ」理美は当直用のベッドに腰を下ろすと、私の言葉に寂しそうに、そして冷やかに笑った。
「私に優しくしてきた男の人は皆そうです、結局、私を抱きたいだけなんですよ・・・ここでしますか?」そう言うと理美は挑発的な目で私を見つめる。
私は哀しい思いで胸が張り裂けそうになり、つい涙をこぼしてしまった。理美は私の突然の涙に驚いたような顔をして膝の上で両手を結んだ。
「俺には沖縄に結婚したかった彼女がいたのさァ」私はポツリポツリと話し始めた。
「彼女は、お母さんが若い頃、米兵にレイプされて出来た子供で、彼女も中学生の時、お母さんが結婚した義理の父親にレイプされて玩具にされていたのさァ」ここまで話すと私は1つ深いため息をついたが、理美は無表情に聞いている。
「だから俺と出会った頃、彼女はいつも無表情で、まるで自分が悪いことをしたみたいに何かに怯えていたのさァ」理美はまだ黙ってままだった。
「それで、彼女のアパートへ行った時、『私を抱きますか?』って訊かれたんだ」「それで姦っちゃったんですね」理美はいつもの朗らかな姿とは別人のような表情と口ぶりで訊いてきて、私は黙って首を振った。
「いや、ただ『抱き締めさせてくれ』って腕枕で寝てたのさ」「モリオ3曹はインポなんですか」「違うよ、妻は妊娠中さァ」ここで私は少し笑って見せ、理美もつられて笑い、重くなりかけた部屋の空気がふと軽くなった。
「ただ、その時に彼女が義父とのことを言おうとしたから、さっき君に言ったのと同じ台詞を言ったのさァ」理美は深くうなづいてから「続きを」と言う目をした。
「俺は、彼女の義父と同じことはしたくない。この人を守るんだって馬鹿みたいに思っていたのさ」「それでその人とは姦らないで終わっちゃったんですか?」「一度抱いたよ」「一度きり?」「彼女に『好きな人に抱かれた記憶が欲しい』って言われて抱いてしまったのさァ」「それでその人好かったですか?」理美は私をからかうように訊いてきた。
「好かったさァ。美人でスタイル抜群、何より愛情一杯で最高だったァ!」「やっぱり激しかった?」「いや、俺は彼女が義父にされてきたことを思い出させないように処女を抱くみたいに優しくね・・・」理美は私の正直な告白に唇を歪めて笑った。
「本当は、それからは毎回姦ったんでしょう?」「本当にそれっきりさァ」「よく我慢出来ましたね」「うん、辛かった」私の話に一応のオチがついた。
その時、突然、玄関のドアを開け、廊下を歩いて来る足音がして、空士がドアを開けた。
「アッ、最中でしたか?」「馬鹿!」私が叱ると空士は意味ありげに笑いながら外出の手続きをして「ごゆっくり」と言って出て行った。
「御迷惑が掛かっちゃいますね」理美は申し訳なさそうな顔をして頭を下げた。その顔は、もういつもの理美に戻っている。
「俺は、偉そうに言えるような人間じゃあないけどね」「はい」「俺が彼女を愛したのは」「はい」理美の目が縋るような色になった。
「彼女が気持ちまで犯されていなかったからさァ」「はい」「出会った時の彼女はとても素敵だった。それだけで十分だったのさァ」「はい」「でも、モリオ3曹はほかにいないです」「この程度の奴、幾らでもいるさァ」私の返事に、理美は「また御謙遜を」と言う顔で笑って帰って行った。
それからすぐの学生を卒業させた課程修了の宴会で、酔っぱらった若い空士たちが前回とは逆の理由で私に絡んできて、また勝手な痴話を並べ出した。
「あれから麻野は『もう嫌だ』って姦らしてくれなくなったんですよ」「青木1曹とも手を切ったらしいです」「3曹なったら態度まで変っちゃって」空士たちはその理由を勝手に言い合っていたが、1人が私に話を向けてきた。
「それもモリオ班長と当直室で姦った味が忘れられないからって評判ですよ」「ハーフのスチュワーデスの奥さんにWAFまでモノにして意外にやりますね」「少林寺拳法のツボを指で押さえる技って聞きましたよ」「今度、少林寺のテクニックを教えて下さい」「俺も少林寺習おう」「俺も入門します」彼等の口ぶりには妙な尊敬のニュアンスがあり、寧ろ理美の生き方が変わったことを知り、それを肯定することになるのなら、「敢えて否定することもないか」と考えた。
ただ、「少林寺拳法のテクニック(整法)」の話は寝る前に聖美にマッサージしていること思うと嘘とも言えなかった。
休日、聖美と市内のショッピングセンターに買物に出た。ベビー用品コーナーで、聖美とベビー服を選んでいると、突然声をかけられた。
「モリオ3曹ォ」私を見つけた理美は手を振りかけよって来た。隣で聖美が「誰?」と目で訊くので、私は「北基地の麻野くん」と答えた。
「奥さんですか?」理美はハーフの聖美を見て驚いた顔をしたが、頭のいい理美のことなので、この間の話が聖美のことだと察したのかも知れない。
「俺の愛妻さァ」「もう」私の返事に聖美は照れたような顔をした。
「麻野くんは岡崎の出身さァ、話しただろう」「ああ」聖美も納得したようにうなづいた。
「赤ちゃんの買い物ですか?」そう言って理美は、臨月が近い聖美の大きな腹を見た。
「はい」「いいですねェ」聖美と理美は見つめ合って何かを確かめている。
「奥さん、優しい旦那さんで幸せですね」「はい」はっきりと答えた聖美に理美は少し挑戦的な目をしたが、私は黙っているしかなかった。
「今度、旦那さんをお借りしますよ」「多分、無理ですよ、この人は私だけですから」この勝負は聖美の貫禄勝ちである。それに理美は挑発的な言葉を投げ返した。
「奥さんは?」すると聖美はこの歌で答えた。
「今は貴方しか愛せない・・・」そう歌って聖美は私の手をギュッと握ってきた。
「貴女もこんな人に出会えるわよ、貴女は素敵だから」聖美が私の手を握ったまま答えると理美は「はい」とうなづいた。
「あの子、貴方に好意を持ってるね」理美と別れた後、聖美がポツリとつぶやいた。
「こんにちは」理美が官舎に遊びに来た。それは聖美の招待だった。理美は初対面の宴会の時と同じクリーム色のブラウスに紺のスカート姿だ。
「今日は、お招きいただいてありがとうございます」玄関まで出迎えた私たちに理美はそうきちんと挨拶をして手土産のケーキを差し出した。
私たちは茶飲み話をしながらアルバムを見せた。
「これが出会った頃さァ、私の高校の同級生の紹介だったのさァ」最初のページを開きながら、聖美が説明した。しかし、その頃には聖美の笑顔の写真はない。
「これが八重山旅行さァ」「エーッ、婚前旅行に行ったんですかァ?」「うん、私が『好きな人に抱かれた記憶が欲しい』なんて、我儘言ったのさァ」聖美が恥ずかしそうに説明すると理美は先日の話の真実を察したように静かにうなづいた。
「奥さん、笑顔が素敵ですね。それにいつもキチンとしている」この八重山旅行からは聖美の写真は笑顔ばかりになる。私は2人で歩んできた時間を辿っていた。
「私の母が厳しかったのさァ。ハーフはそれでなくても変な目で見られるから、いつもキチンとしてなきゃいけないてさ」そう言って聖美は真顔になった。
「ハーフって華やかなイメージがあるけど、違うんですね」「それに私は訳ありだったしね・・・」聖美がそう言うと理美の顔が一瞬強張った。
「これが結婚式さァ、私の高校の同級会を兼ねて居酒屋でやったのさァ」「へー」理美は呆れ半分、感心半分の顔をしていたが、「発見」と言う顔で私の写真を指差した。
「モリオ3曹、泣いてません?」「この人は感激屋なのさァ」「やっぱり」理美はこの間の私の涙を思い出したのか私に向かってウィンクをした。
聖美が夕食の支度にかかると理美も「手伝わして欲しい」と言って、並んでキッチンに立った。長身の理美は、聖美が貸したエプロンが似合っている。
この日、愛知から取り寄せた「八丁味噌」を理美は喜んだ。
「この味、久しぶり」「私は初めて」台所から聖美と理美の楽しげな会話が聞こえてくる。
「勝ったァ」「負けたァ」2人はそんな冗談を言い合いながら笑っていた。
「これがあれば味噌煮込みうどんに味噌田楽、五平餅って言うのもあるなァ」「また来て教えてね」「はい、奥さんって本当に勉強家ですね」「あの人のことは何でも知りたいのさァ」理美の感心した褒め言葉に聖美は当り前のように答えた。
「私もそんな気持ちで愛せる人に会えるかなァ」「大丈夫さァ、自信を持って」「はい」聖美の心のこもった励ましに理美は嬉しそうに返事をした。
11月22日に子供が生まれた。
親が帰った午後、産婦人科へ向かうため自家用車で基地の前を通ると理美が1人、Gパンにトレーナー姿でバス停の前で待っていた。私は車を止めて窓を開けた。
「あっ、モリオ3曹、御苦労さまです」「御苦労さまァ」私に気がついた理美は額に手をかざして敬礼をしてきた。
「その顔は好いことがありましたね。お子さんが生まれましたか?」理美は車の窓から覗き込むと鋭い指摘をした。
「うん、昨日生まれたのさァ」「本当ですか、おめでとうございます」理美は本当に嬉しそうな顔をしてくれた。
「これから病院へ行くけど市内まで乗っていくか?」「お見舞いに連れて行って下さい」そう言うと理美は、もうドアに手をかけて乗り込んできた。
「途中で花屋さんに寄って下さいね」理美はシートベルトを締めながらそう言って微笑んだ。
理美を連れて病室に入ると聖美は周作に母乳をやっていた。
「おめでとうございます」「どうも、ありがとう、綺麗ね」聖美は理美の差し出した篭の花を周作を抱いたまま嬉しそうに眺めた。
「お花、取りあえずここに置きますよ」「うん、その前に匂いを・・・」理美は聖美に花の匂いを嗅がせると机の上に置いた。
「男の子ですか?」「そうだよ」横から私が答えた。
「大きいですよね」「4070グラムもあったんだ」「先輩の話だと3000グラムでも大きいっていいますけど・・・」「うん、巨大児なのさ」理美は生まれてまだ1日で、しっかり乳を飲んでいる周作を感心しながら覗き込んだ。
「奥さん大変でしたね、御苦労様でした」理美は女性の先輩として尊敬の眼差しで聖美の顔を見た。しかし、聖美はしずかに首を振った。
「私にはこの人が付いていたから安心だったのさァ」そう答えて聖美は私の顔を見返し、「そうですか、いいなァ」と理美は羨ましそうに2人の顔を見比べた。私は胸がホンワカと暖かくなるのを噛み締めていた。
「そうだ麻野さん、今日は暇?」「はい、特に予定はありませんけど」突然の聖美の質問に理美は戸惑いながら答えた。
「それじゃあ、うちの旦那さんとデートしてあげてよ」「ヘッ?」「えッ?」聖美の提案に私と理美は声をそろえて返事をした。
「こんな時にしか旦那さんは貸せないよ」「好いんですか?」聖美と理美は微笑みながら顔を見合わせている。
「貴女が迷惑じゃあなければね」「とんでもない、夢がかなって嬉しいです」私は口を挟む暇もなく女同士で話は決まってしまった。
「だったらもっとお洒落をしてくればよかったな」「何を言ってるのさァ」理美のボヤキに私は呆れながら返事をした。
「大丈夫、この人が行くのは固い映画か、史跡巡りだからそれで十分さァ」「やっぱり」理美はもうワクワクしたような顔をしている。
「前から行きたいって言っていた『それから』でも見に行ったら」「『それから』って、松田優作と藤谷美和子が出ている作品ですよね」「あれの原作は夏目漱石の小説さァ」「やっぱり固いですね」理美は聖美の予想通りと納得した顔でうなづいた。
徳山市まで出かけて映画を観た後、紅葉を探しにドライブをした。徳山市から防府市へ戻る途中で山沿いに道を変え峠を登ると眺望が開けている。
「ここの紅葉は綺麗だな」「まあまあですね」助手席で理美もうなづいた。峠から海へ続く丘陵のあちらこちらに赤や黄色に紅葉した木々が見える。
「妻は沖縄育ちだから紅葉を見たことがないんだ」「そうかァ、そうですよね」理美は、沖縄の気候を思い浮かべて今さらのように納得した。
「妻に紅葉を見せたかったけど、今年は無理かな・・・」私が残念そうに呟くと理美が感心したように笑った。
「モリノ3曹も奥さんも、いつもお互いのことばかり考えているんですね」「そりゃそうだろう、折角、結婚出来たんだから大事にしなけりゃ勿体ない」「そうかァ、奥さんもそう思っていますよ」理美は微笑んで私の顔を見た。
「麻野くんは、香嵐渓へ行ったことあるかい」私は話を変えた。
「勿論、岡崎で紅葉と言えばあそこでしょう」「だよね」私も同意した。
それからは子供の頃、家族で行った香嵐渓の紅葉狩りの話で盛り上がった。
「俺、あそこを思い出すと五平餅を食べたくなるんだよな」「あそこの名物ですよね」理美の返事を聞いて私は腹が減ってしまった。
「今夜、あの味噌で作ってあげましょうか」理美は悪戯っぽい目で私の顔を覗き込んだ。
私たちの視線が合って動かせない、沈黙が流れ、車内の空気が妖しくなりそうだった。
「何を言ってるのさァ、今夜は何か美味しいものを食べに行こう」「はーい」私は、理美の何かをふっ切るような返事を聞いて車を発進させ峠を下り始めた。
「スパゲティーの美味しい店」と言う質問に理美は防府市内の「7(セブン)」と言う店を教えてくれた。そこは南基地正門前のいわゆる協和発酵通りにある店で、ステーキで有名な紅屋の姉妹店だった。
古びた喫茶店のような店内に入っても特別な雰囲気はなく、私は「本当に美味いのかなァ」と少し首を傾げながら理美と向かい合って席に着いた。
すぐに店員さんがメニューを持ってきたが、スパゲティーは八種類ほどで専門店のアルデン亭とはやはり違った。それでも私は好きなツナのカルボナーラを見つけてそれを、理美は聖美と同じトマトソース系のスパゲティーを注文した。
「俺も女房もパスタ党でデートはいつもスパゲティーだったね」「へーッ、意外ですね。モリオ3曹はうどんか蕎麦って雰囲気ですけど」「そう言う麻野君はキシ麺だろう」「いいえ、味噌煮込みうどんです」私の反論は理美にやり返され、一本取られた。
「7」のスパゲティーは防府市内としては美味しく、聖美を連れてこようと思ったが乳児を抱えていては当分先になりそうだ。
食事の後、車を産婦人科の駐車場に置いてから、そのまま理美を行きつけの店「一番街」へ連れて行った。お客はまだいない貸し切りだった。
「モリオさん、今日は奥さんが違うじゃない」マスターはそう言うと訳ありなのを察してか私のボトル=シーバースリーガルで水割りを作ると奥へ引っ込んでくれた。
「私の過去のことを聞いて下さい」「もうそれは忘れろって」私は首を振る。
「忘れるために貴方に預けたいんです」理美の真剣な目に私はうなづいた。
理美はグラスのスコッチを1口ふくむと静かに話し始めた。しかし、理美の過去は、あまりに哀しいものだった。
ハンドボール部の練習が終わった後、理美は後輩が仕舞い忘れた用具を体育倉庫に片付け、部室に行こうとすると、そこにバスケット部の男子生徒が3人立っていた。
彼らの目は暗く光り、行く手を遮るように迫ってくる。中に入ると1人が扉を締めた。理美は声も立てられず倉庫の中で後ずさりし、やがて倉庫の隅に積んである体操用マットに追い詰められた。しばらくは互いに動かず、睨み合いのように動きを止めた。
理美が悲鳴を上げようとした時、彼らが一斉に襲いかかった。
最初の1人が理美をマットの上に突き倒すと、もう一人がタオルを口にねじ込み、残りの1人が腕を押さえた。
突き倒した生徒は足をバタつかせて抵抗する理美の上から圧し掛かり全身を押さえる。タオルをねじ込んだ生徒が圧し掛かった男の背後に回り込み、理美のショートパンツとショーツを引き下ろし、脚を押さえた。それは見事に役割分担された作業だった。
理美は全身をよじって逃れようとしたが、体が大きなバスケット部の男子3人に力任せに押さえられていては何も出来ない。「夢?」理美は、恐怖に凍りつきながら必死にそう思おうとした。
「嫌ァーッ!」その瞬間、理美は叫んだが声はタオルに遮られて呻きにしかならなかった。
翌日の昼休み、理美はつき合っていたハンドボール部の先輩・修に呼びだされ、指定された部室で修は待っていた。
「先輩・・・」修の顔を見ると理美は視線をそらし、入り口で立ちすくんだ。昨日、3人の男に代わる代わる犯された。この事実はまだ記憶に鮮明だった。
すると修は理美の手をとり男子ハンドボール部の部室に引き込んで扉を締めた。部室は男子生徒の汗の臭いが充満している。
「理美、お前、真吾たちに姦らせたんだって・・・」真吾とは昨日最初だった生徒だ。修の声は低く、感情を押し殺しているかのようだった。理美は今まで修の誘いを何度も拒んできたが、それは厳格な母からの躾けであった。
「あいつら3人に姦らしたんだったら俺にも姦らせろよ」修は唇を歪めてそう言うと修は理美を抱き締めて、部室の汗臭いマットの上に押し倒した。
理美は薄暗い部室の天井を見上げながら、これから起こることを考えていた。
1ヶ月後、学校の自転車置き場で部活を引退したはずの真吾が待っていた。
「麻野、お前、修に好きに姦らせてるんだって、だったら俺にもまた姦らせろよ」真吾の意味ありげな笑い顔に、理美は逃れようがない自分の運命をさとった。
理美は黙って真吾の後から自転車を押してついて行った。
「今日はここだ」真吾は両親共働きで留守の自宅の部屋に連れ込んだ。
「俺はお前を女にしてやったんだ、だから大人の女にしてやるよ」真吾は理美の制服を脱がすとベットに横たわせ、そんな理屈にもならない言い訳をしながら、当り前のように覆いかぶさってくる。
理美は玩具としてされるままに任せるしかない、これは逃れようのない儀式なのだ。
「させ女(ご)」地元でのこの「称号」を捨てるため理美は航空自衛隊に入った。
しかし、同期の中でも目立つ理美の顔立ちとお嬢さんらしい雰囲気が若い男子隊員の間で評判になり、売店や食堂、外出先でも付きまとわれ、それが基幹隊員を含むWAFたちの嫉妬を買い、中隊でも理美は孤立していた。
ある日、担当班長の青木2曹が当直勤務につき、消灯後、班長室に理美を呼び出すと心配そうな顔で面接を始めた。
「麻野、お前は美人過ぎるんだなァ」理美は青木を信頼している。
「お前、男となんて付き合ったことないんだろう」青木は、そう言うと煙草に火をつけた。
指導簿の家庭状況欄に父の職業が「会社経営」になっており、一見して育ちのよさそうな理美を青木は、まだ「処女」と想像しているのだ。
理美は、青木と机を挟んだ椅子に座り、うつむいて膝を見ていたが、やがて顔を上げた。
「私、高校生の時、男の人に強姦されたんです」「ゴク」理美の突然の告白に青木は唾を飲み、今、目の前に座っているこの若くて美しい娘が男に犯されている痴態を妄想した。
「それは辛かったな。話して楽になれるなら、私に全部話してしまいなさい」青木は教育職の隊員の演技力で男の暗い欲望を内に隠して優しさを演じた。
その熟練した演技に理美は「この人になら救ってもらえる」と信じた、否、信じたかった。理美は、この男になら全てを打ち明けてもいいと思った。
理美の哀しい告白を聞く青木の男根は机の下で勃起しぱなしだった。
次の週末、一緒に外出する友人がいない理美を青木が引率外出した。入間近郊の観光、食事、ドライブの途中、青木は街外れのホテルでウィンカーを出した。
「麻野、班長が今までのことを忘れさせてやるよ。生まれ変わるんだ」理美はこの優しい口調が「真吾・修たちとは違う」と信じようとした。こうして青木は理美を自分のモノにした。
「若い奴を慰めてやってくれ」浜松の第1術科学校を終えて防府北基地に配置された理美を抱いた青木はこう言った。
「失恋で傷ついているんだ、お前の体で救ってやってくれ」青木の言葉は美しく優しい。しかし、実際は自分に忠誠心を見せる若い隊員への報酬、道具として理美を使おうとしているのだった。
狡猾な青木は若い空士に「優しく扱え」「避妊に気をつけろ」と耳打ちすることを忘れなかった。
「麻野、よかっただろう」若い空士が「姦らせてもらった」お礼に来ると青木は、悪ぶれることなく得意げにこう言った。
「最高でしたァ」若い隊員も昨日の快感を妄想し夢心地のような顔をする。
「おっと、起ってきた」若い隊員がおどけた格好で勃起した股間を突き出して見せると、青木と空士は顔を見合わせて下卑た笑い声を上げた。
「青木班長、今度は俺も頼みますよ」2人の大声のワイ談を聞きつけて別の空士が話に入ってきた。彼の目は好色に光っている。
「俺、食堂で会うたびに、麻野って好い女だと狙ってたんですよ」「わかった、まあ待っちょけ、そう毎回じゃあ、あいつも気づいちゃうからな」青木はどこまでも狡猾だった。
「それにしてもあんな好い女を玩具にしてた地元の奴らが羨ましいですね」若い空士が口惜しそうに言うと、別の空士もうなづいた。
「今度は俺たちの番じゃ。だから北基地に来させたんじゃろうが」理美は航空機整備員として防府北基地に配属されたが、それを決めさせたのは青木だった。
「北ってのが好いですね。こっちで何を言っていても本人には聞こえない」「流石は青木班長」若い空士たちの尊敬の眼差しに、青木は自慢げにうなづいた。
「おっと、また起ってきた」「俺も」若い空士たちの馬鹿な台詞に3人は爆笑した。
「ああ、すっきりした」すべてを話し終わった理美は、何か憑きモノが落ちたかのように、呪縛から解放されたような表情になっていた。
「何だか抱えていた重い物を渡してしまったような気分です」スコッチが回ったのか、少し頬が赤くなった理美は、そう言うと微笑んで私の顔を覗き込んだ。
逆に私は重い物を受け取り、これからこの秘密を共有していくことになった責任を背中にズッシリと感じて黙って理美の顔を見つめていた。
「モリオ3曹、今日はまだ帰らなくていいんですか?」理美が腕時計を見た。理美の話に聞き入っていて気がつかなかったが時計はもう9時を過ぎている。
「帰らなくていいんだったら朝まで一緒にいたいけどなァ・・・無理かァ」理美は悪戯っぽく笑うとグラスをとり、私もグラスをとった。
「乾ぱーい」私たちのグラスが軽く鳴った。
「やっぱり、モリオ3曹は麻野と出来ているんですね」徳山市の映画館まで行ったのだが、やはり若い空士に見られていた。
「奥さん、出産で入院中に上手いことやりますね」別の空士が話に加わってくるということは、もう彼らの間で評判になっているんだろう。
「麻野くんは、うちにも遊びに来てるよ、妹みたいなものさァ」私の説明を彼らは「苦しい言い訳」と受け取ったようだ。
「妹なら、俺らにまた貸して下さいよ」「ねェ、お兄様ァ」彼らは茶化した戯言を口にする。
「どちらかと言えば女房の妹分だからね」私の反論を鼻で笑いながら、彼らは意味ありげに顔を見合わせた。
「妹と姦るっていうのも流行ってるな」「近親相姦かァ」私は腹が立ってきたが、この下衆な奴らと同じ次元で理美のことを語りたくはなかった。
「お前ら日活の見過ぎだぞ。美保純か?」「そうだ、ピンクのカーテン!」私の冗談めかした結論に彼らは単純に乗って、何とか話が変わって場が和んだ。
「モリオ3曹、私、米留要員に合格しました」いつものように当直室へ遊びに来た理美は第一声にこう報告した。しかし、航空機整備員を離れて久しい私にはピンとこない。
理美は初任空曹の後、浜松のアドバンスと入校続きで最近はあまり会っていなかった。
「機種は何だい?」「次期救難機ですよォ、MU‐2の後継機」理美は呆れ顔で説明した。
「それはすごいねェ、何時から?」「年明けに米留準備課程に入ってそのまま4月です」「それじゃあ帰ったら浜松の教官かァ」「はい、小牧の受け入れ要員かも知れませんけど」私はこの防府から離れ、青木やその子分たちとの悪縁を断ち切れることを願っていたが、理美は何故か少し寂しげな顔をしている。
「どうせなら向うで優しい人に出会って国際結婚しちゃえよ」私はそれを不安と想い、励まそうと冗談を言ったが、理美は怒った顔をした。
「そんな残酷なことを言われたら泣いちゃいますよ」理美はそう言って本当に鼻をすすった。
その時、隊舎のドアを開ける音がして大股な足音が近づいてきた。
「来たなァ」「誰かなァ?」私と理美は顔を見合わせて待ち構えていると、当直室のドアを開けて若い空士が入ってきた。
「御苦労様ですゥ・・・あッ、最中でしたか?」と彼は相変わらずの誤解をする。こいつらの頭の中はそれしかないようだ。
「でも、本当にしちゃおうかな」それは理美の冗談だった。
3月、小牧での米留準備課程を終えた理美は新型救難機導入に伴う準備要員として小牧の航空救難隊へ転属して行った。
愛知県人会の送別会の後、若手として会場の忘れ物の有無を確認してから玄関を出ると早春とは言えまだ寒い夜、理美が待っていた。私たちは、また「一番街」で2人だけの2次会、送別会をやった。
「あれ、また奥さんが違うね。モリノちゃんも意外にいけない旦那だなァ」2度目の理美の顔を見てマスターは訳知り顔でこう言った。
「この人は、僕と愛知の同郷なんだ」「それじゃあ、幼馴染かァ」「そうじゃあないけど・・・」マスターの的外れな納得の仕方に私は困惑したが上手く説明出来ないでいた。確かにややこしい。
「私、モリノさんのファンなんです」カウンターの隣に座った理美が助け船を出した。
「それから奥さんの大ファンなんです」「なんだァ、奥さんも公認なんだ」マスターは、そう言うと前回の来店時にキープしたボトルで水割りを作った。
「乾杯ーイ」グラスを鳴らすと私たちはシンミリと話し始めた。
「私が頑張ってこれたのもモリオ3曹のおかげです」「何を言ってるのさァ、君の頑張りだよ」「そうそう」マスターがカウンター越しに漫才のような合の手を入れてくる。
「モリオ3曹から自衛官の、奥さんから女の生き方を習ってきたんです」「俺はそんな大したモンじゃないよ、女房はエライ人だけど」「そうそう」マスターが、また合の手を入れると理美は「わかってないなァ」とマスターを睨んだ。
「その奥さんが、あんなに好きになるんだからモリオ3曹もすごいんですよ」「ありがとう」いつもなら照れるような褒め言葉だったが今夜は素直にうなづいた。
「マスター、カラオケある?」突然、理美がマスターに声をかけた。
「もちろん」そう言ってマスターはカウンターの下から取り出したメニューを理美に渡し、マイクの準備をしながら、「これ」「これ?」とメニューを挟んで相談を始めた。私は黙ってグラスを口に運びながら2人の様子を見ていた。
やがてカラオケから「時の流れに身をまかせ」のイントロが流れた。
「もしも貴方に 会えずにいたら 私は何をしてたでしょうか・・・」日頃、自衛官として号令をかけているせいか理美の声は意外に低かった。
「だからお願い そばにおいてね 今はあなたしか愛せない」最後のフレーズを歌いながら理美はジッと私の顔を覗き込んだ。こうして少し酔った理美に潤んだ目で見つめられると、流石にドキッとする。
「モリオ3曹も何か歌って下さい」歌い終わった理美はメニューを渡しながらリクエストをして来た。
「また、モリノちゃんは『防人の詩』だろう」マスターは先回りして機械を操作しようとしたが私はそれを裏切った。
「これ」「えーッ、これ歌えるの?」マスターの大げさな驚きに理美の顔が期待に光る。「涙のリクエスト」これは教え子たちの卒業パーティー用に踊りつきで覚えた歌だ。
「ダイヤル回す あの子に伝えて まだ好きだよと・・・最後のリクエスト・・・ 」理美は私の熱唱する姿を可笑しそうに見ていたが、何故か鼻をすすった。
店を出ると隣はビルの谷間の小さな公園だ。周囲には生垣があって内側は見えない。理美は先に立って公園に入っていった。
「モリオ3曹、私も奥さんにしたように優しく抱き締めて下さい」公園の中央で振り替ええって立ち止まると理美はそう言った。外灯の明かりにシルエットが浮かんでいる。
「大丈夫、奥さんも許してくれますよ、だって奥さんも・・・」理美は、そう言うと躊躇っている私の胸に顔を埋めてきた。私は理美の背中に腕をまわして抱き締めた。
理美は身長も体型も聖美とほぼ同じで違和感なく抱き締められた。
「やっぱり、ここ安心できますね・・・」理美は胸でそう呟いた。3月の夜はまだ寒く、抱き締めている胸だけが温かい。理美の吐息は甘い匂いがする。
やがて理美は目を閉じて顔を上げた。その美しい顔には確かに青木でなくとも心が揺れる。私はそのまま理美の冷たい額にキスをした。
「本当、奥さんって幸せですね」私が腕を解き、胸から離れると理美はそう言って肩をすくめた。私は今の出来事を聖美に、そして理美に対して少し胸が痛んでいた。
「幸せにしてもらってるのは俺の方さ」「だから奥さんは幸せなんですよ」私の答えに理美はまた「御謙遜を」と言う顔をして可笑しそうに笑った。
「ただいまァ」いつもの宴会よりも帰りが遅くなって、聖美はもう周作に添い寝していた。
私は風呂はパスして、パジャマに着替え母子の隣の布団に入った。
「遅かったね。シーバースを飲んだでしょう、匂いがするよ」聖美は布団で体の向きをかえて小声で話した。昔から聖美は匂いには敏感なのだ。
「うん、麻野くんと2次会をしてきた」私はあえて正直に言った。
「ちゃんと優しく抱き締めてあげた?」「えッ・・・」聖美は優しい目で見つめている。私は聖美の鋭い、しかし、意外な言葉に咄嗟には返事が出来ないでいた。
「女ものの化粧の匂いがするよ」「うん、ごめん」「何か謝るようなことしてきたの?」「君が言った通りです」「貴方のことだからキスもしなかったでしょう」「はい」私は半分嘘をついた。聖美は真顔で私の顔を見ながら理美の顔を思い出しているような目をした。
「あの子、若い時の私と同じ目をしているさァ。何か哀しいことを負っているのかも知れない。だから貴方が救ってあげればいいと思っていたさァ」「俺はそんな大したもんじゃあないよ」「大したもんさァ」今夜は聖美まで「御謙遜を」と言う顔をした。私はフーと大きくシーバース臭いため息をついた。
「あの子も、貴方が好きになるなんて男の人を見る目があるさァ。きっと幸せになれるよ」聖美の優しく深い目で見つめられて、私の体は違う反応をした。
「君は幸せか?」「うん」「だったらいい?」「酔っぱらいは駄目です」聖美はそう言うとまた身体を周作の方に向けて体に布団をまきつけた。
「優しくないさァ」「はい、おやすみ」私の抗議にそう答えながら、聖美は暗くした部屋で「ウフフ・・・」と一人で笑っていた。
- 2013/01/23(水) 09:17:38|
- 続・亜麻色の髪のドール
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0