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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

沖縄の反米・反日運動の真実

沖縄の反米、反日運動の真実
果たしてマスコミは沖縄をどうしたいのでしょうか?マスコミが沖縄県民を在日米軍の基地の大半を押し付けられた被害者だと言うのなら、普天間に代わる飛行場を海兵隊の部隊と共に本土へ移転させるように世論を喚起しなければならないはずですが、やっていることは沖縄の反対運動を無批判に報じ、あわよくば本土でも反米運動が激化することを狙っているようです。
また沖縄は琉球王家を明治政府に廃位され、日本に併合された上、戦争末期には本土の捨て石として鉄の暴風と呼ぶ悲惨な戦闘が吹き荒れて多くの県民が犠牲になり、しかも日本兵によって殺される県民も少なくなかった。さらに戦後も米軍の占領下に置かれ、苦労を強いられたと言うのですが、明治以降、沖縄を近代化させるため政府は本土の他の地域以上の投資を行い、江戸時代に緩やかながら発展していた本土並みの生活水準に追いつけるよう諸施策を取っていました(確かに沖縄の風習、文化への無理解、後進性への侮蔑はありましたが、それは東北も同様です)。
沖縄戦も意図的に本土の捨て石にされたのではなく、地理的な位置関係でそうなっただけのことで、次は本土決戦で、それ以上の惨劇が繰り拡げられるはずでした。
さらに戦後のアメリカによる占領政策(そもそも軍政ではなく文民による行政統治だった)は日本政府が為し得なかったほどの巨額の投資を行い、さらに占領国の強権を行使し、日本政府が地元の慣習を尊重するため強制できなかった社会改革を断行して、衛生環境、学校教育、公共施設、社会制度を改善し、近代的民主主義をしっかりと根付かせました。
ところが本土では大江健三郎などの左翼文化人が、沖縄を被害者とする論陣を張り、それに洗脳された学者と教え子の学生たちは反米運動の舞台として沖縄を狙いを定め、本土復帰を待ち構えていたのです。
そして本土復帰と同時に各中央官庁からは監督、指導する職員を沖縄へ派遣することになり、左翼的活動で持て余していた職員が希望すれば、その目的を審査することなく送り込み、彼らは沖縄県庁や各官公庁の在沖縄事務所で職員を左翼化する施策を実施していったのです。その影響で運輸省の那覇空港は公務員労組過激派の巣窟となり、航空自衛隊の緊急発進や災害派遣を公然と妨害し、さらに本土からの左翼系職員によって沖縄県地方自治体労働組合と沖縄県教職員組合は、本土とは比べ物にならないほど過激な活動家の集団と化し、当時の左翼がかぶれていた毛沢東主義に毒され、反米が反日に転換し、最近では親中を公然と主張して、公務員の身分保障に胡坐をかき、公休を取って基地反対運動に参加し、学校教育の場では米軍人や自衛官の子弟を迫害していました。
さらに本土復帰に際しては沖縄の各企業に対して本土の企業から指導・調整の職員が派遣され、琉球新報には朝日新聞、沖縄タイムスには毎日新聞、NHKを始めとする放送局へも、本土の左翼系職員が希望通りに派遣されてきました。
しばらく、そんな実話を紹介していきたいと思います。

沖縄の反米、反日運動の真実2
野僧が沖縄に赴任して住民票の移動手続き行った時、部隊では「何があっても怒るな」と釘を刺されました。そして那覇市役所小禄支所へ行って書類に必要事項を記入して提出し、待ち合い席で待っていると職員は提出した書類をカウンターの上に置きっ放しにして仕事を続けていました。
後から同様の手続きをした地元の人には次々と処理しているのですが、野僧の書類はカウンターに置かれたままで、それを一般市民は面白そうに読み、職員と何かをささやき合って野僧を指差して笑っていました。
結局、3時間近く待たされた揚句、昼食前に手続きは終わったのですが、「お待たせしました」の一言もなく、一緒に請求した住民票の複写を無表情に差し出し、料金を受け取りました。
それでも部隊に帰ると「早かったな。午前中にすんだか」と感心され、先輩たちからは「職員が昼飯に行ってしまったので外食した」「夕方までかかって持っていった本を完読できた」「ソファーで熟睡した」などと苦労談を聞かされました。
後年、少林寺拳法を通じて那覇市役所の職員と友人になりましたが、彼の話によれば採用されて住民課に配属されると上司、先輩から「自衛官を長時間、拘束すれば戦争の準備を阻止することになる=平和を守る活動だ」と指導され、来た人が本土の顔なら警戒警報発令、基地の住所なら書類を放置して、苦情を言ってくれば上司が対応した上、基地に「隊員が暴言を吐いた」「市の職員を批判した」「沖縄を誹謗した」などと抗議する。つまり苦情を言ってくるのを待ち構えているのです。
本土の地方自治体の役所では、職員は自治労であっても管理職は上向け上の体制側なので(そう言う者が管理職になる)、職員の対応に問題があれば叱責し、処分などの処置もありますが、沖縄では復帰当時に本土からやってきた左翼系官僚により、「これが本土の常識」と教え込まれた世代が管理職になっているため、組織ぐるみ「反米」「反日」「親中」で固まっているのです。
何せ災害派遣でさえも「自衛隊の宣撫工作(住民を手馴けるための宣伝)」と反対し、県や那覇市の防災訓練に参加することができないくらいでした。
昭和62年の沖縄・海邦国体を自衛隊の協力により成功させたことで随分、軟化したとは言われていますが、「親中」が根底にあるため、やはり相互信頼のレベルにはなれないようです。
野僧は大学で毛沢東主義の知識を叩き込まれていましたから、聞きかじりレベルの自治労・沖教組などは論破していましたが。

沖縄の反米、反日運動の真実3
沖縄に家族同伴で赴任した隊員が心配するのは、レベルが低い沖縄の学校教育を受けさせると本土に帰ってからついていけなくなるのではないかと言うことでした。実際、沖縄の教育レベルは他の46都道府県に比べ格段に落ちるのですが、その理由を野僧は復帰前から高校教師として勤めていた友人から詳しく聞きました。
復帰後の沖縄の学校教育での最重要教育科目は「反戦平和」であり、小学校の社会・道徳の授業は勿論、国語の授業でも反戦の本を読ませ、本来の教育内容はそっちのけで、「反戦平和」、それも反米軍、反自衛隊だけを徹底的に叩き込むのです。
このことを本土の文部省(当時)が問題にしても、教育委員会は「復帰当時に派遣されてきた官僚からの指導の踏襲」と反論し、「沖縄の特殊事情」の殺し文句で封殺していました。
本土の教育委員会には日教組職員への監視も任務とされていますが、沖縄では自衛官の親が教の問題発言を教育委員会に抗議しても「嫌なら本土へ帰れ」と答えるそうです。
ですから沖縄の教員は生徒の学業習得、成績向上や躾指導には全く無関心で、テストの点がどうであれ、作文で「戦争反対」「米軍は悪」「自衛隊は米軍の手先」と書けば成績アップ、反戦平和集会に参加して教師に会えば更に加点、つまりマスコミが好んで取り上げる中学・高校生の反戦平和アピールは受験対策の一つなのです。
さらに沖教組は反米、反日だけでなく親中(最近は親北朝鮮も)を公然と主張していて、自分が人民解放軍の先兵として戦っているような気分で反戦平和教育を行うため、自衛官の子供やアメリカ軍人と日本人の間の子供たちを迫害することに良心の呵責は感じておらず、むしろ「親の罪を償わせる」と言う姿勢で苛め抜きます。
例えば歴史の授業で「沖縄戦では日本兵が住民を殺した」と教えた後に「自衛官は日本兵」と強調した揚句、自衛官の子供に「貴方のお父さんは?」と質問するのです。子供が答えられずに立っていると、教師は地元の生徒を指名し、「××君のお父さんは?」の質問に「人殺しです」と答えさせます。そして自ら音頭をとり、「日本兵は人殺し、自衛官は人殺し」の大合唱を始めるのです。
さらにアメリカ軍人と日本人の子供には、「アメリカ軍は世界中で戦争を起こしている悪の権化」と反米教育した後、黒板に列挙したアメリカ軍人の犯罪を読ませ、「貴方のお父さんはやってない?」と質問し、否定すれば「貴方が証拠じゃない」と追い打ちを掛けるのです。そして「ヤンキー・ゴー・ホーム」と大合唱を始め、「アメリカ兵の子供に生まれるからこうなるのさァ」と結論づけたそうです。
ただ、これは沖縄本島の都市部の話で、自衛隊による救急患者の空輸や尖閣諸島などへの中国の脅威を感じている離島では自衛隊への信頼は強く、この手の教師も離島勤務を希望しないため(沖教組がバックに控えているため無理な人事ができない)、比較的まともな教育が行われているようです。

沖縄の反米、反日運動の真実4
野僧は不思議にマスコミ関係の友人が多く、沖縄でも琉球新報、沖縄タイムスの記者の飲み友達がいました。おそらく向こうは情報収集を目的につき合っていたのでしょう。
彼らは沖縄ではトップの国立大学を出ているのですが、色々な問題を話し合っていても野僧が中退したローカル私立大学よりもかなりレベルが落ち、高校でもらった進路指導の資料の国公立大学の欄で格段に偏差値が低かったのを実感しました。
沖縄のマスコミは復帰前から報道規制の目を盗んで反米運動を扇動していたのですが、その続きは「本土復帰の早期実現」で、県民に日の丸を掲げる運動も推進していたそうです。
結局、ここでも本土復帰と同時に琉球新報には朝日新聞、沖縄タイムスには毎日新聞から送り込まれた左翼活動家の影響で、米軍をそのまま残す形で復帰を合意した自民党政府への抗議を理由として反米・反日に舵を切り、徐々に親中の本音を露わにしてきました。
これはNHKも同様で、視聴率を気にしないですむ分、常識を超えた親中偏向番組を放送し(特にローカル・ニュースは酷い)、中国国営放送の県内版になっていました。
沖縄のマスコミは現在、「江戸時代は薩摩に侵略されて搾取を受け、明治政府によって琉球王・尚家は廃位、県民の意志に関係なく日本に併合され、沖縄を蔑視する官僚により伝統的な文化を破壊され、戦争中には軍が横暴に振舞い、多くの県民を虐殺した。そして敗戦時、日本政府は沖縄を米軍に引き渡し、米国の植民地として屈辱と忍従の苦難を過ごした」
と沖縄は本来、独立国であり、中国と日本とバランスを取って対等につき合い、むしろ中国を敬慕していた。さらに日本と一緒にいることで不幸になっていたと言う歴史観を繰り返し流し続け、県民に親中意識が定着するよう画策しています。
現在でも米兵の犯罪は大々的に報じ、本土を巻き込んで批判の論陣を張り、東北地区太平洋沖地震で行ったトモダチ作戦は在沖縄米軍の必要性を植え付けるための工作活動と切って捨てますが、中国が尖閣で行っている違法行為は一切の批判をせず、むしろ海上保安庁と海上自衛隊が協力していることを「文民警察が軍に吸収される危険な兆候」などと揶揄しています。
沖縄の最大の不幸はテレビ、新聞ともに左翼系のマスコミしか存在せず、本土では常識になっている毛沢東の狂気に駆られた暴政、文化大革命の惨劇や現代中国のチベットなどでの民族迫害、周辺諸国への侵略的意図、国内で経済格差の深刻化などは全く報道されず、経済発展を遂げた中国の華やかな表の顔だけを見せられていることです。
このため明治以降、本土からの支援・投資によってのみ社会を営むことに馴れ切っている沖縄の政財界や県民は、日本が経済的に行き詰っているのなら、早めに中国に乗り換えた方が得策と言う近視眼的な世論が醸成されているのです。
さらに朝日新聞、毎日新聞やNHK、テレビ朝日、TBSなど本土の左翼マスコミは、自分たちが購読者の批判や視聴率を気にして控えている反米反日親中を公然と主張できる口実として沖縄を利用しており、本土や中国、北朝鮮人が演じている反対運動の実態を知りながら殊更に宣伝しています。

沖縄の反米・反日運動の真実5
沖縄の運輸省(現在の国土交通省)には強烈な公務員労組があって、御多聞に漏れず過激な反自衛隊活動を展開していました。
航空管制官が労組の時に緊急発進(ホットスクランブル)がかかると、3分以内で発進準備を終え、滑走路に向かったスクランブル機が、「着陸機がある、待て」と発信許可が下りず、はるか遠くで姿も見えない旅客機を滑走路の手前で何分も待つことがあり、アラート
ハンガー(緊急発進機格納庫)の前で見送っている整備員たちも、「何のための『緊急』発進なのか」と怒っていました。
空港を管理するCAB職員が労組の時には、滑走路の点検中に緊急発進がかかっても、いつもよりも念入りに点検を始め、スクランブル機は滑走路の手前で、CABのライトバンが退くのをジッと待つことになりました。
また、急患空輸の陸上自衛隊のヘリコプターが、「県の要請が入っていない」と離島の空港から着陸を拒否され那覇に引き返したことがありましたが、そのため患者が亡くなると、「自衛隊に要請しているのが原因だ。県独自に急患空輸の体制を整備しろ」と地元マスコミは問題をすり替えていました。
さらに自衛隊機が不具合で緊急着陸すると、運輸省にしか知らせていない情報がたちまち地元マスコミに流れ、「危険な軍民共用をやめろ。県民の安全のため自衛隊は那覇空港から出ていけ」と言う基地反対運動につながっていきました。
そんな那覇空港は運輸省の管制官が航空自衛隊の戦闘機を管制する唯一の基地であるため(小牧空港は主に輸送機)、管制官は戦闘機の速度に不慣れで、右左の指示のタイミングがずれ、誘導通りに着陸すると基地の前の道路、海の上に下ろされそうになるから、自分の判断で下りる格好の訓練になるとベテラン・パイロットたちは言っていました。
その素人管制官によって引き起こされた悲劇を野僧は目の当たりにしました。
昭和59年6月21日、ECM(対電子戦)訓練のためチャフポット(細かく裁断したアルミ箔を詰めたタンク)を装着したTー33Aが離陸しようとした時、漏れていたチャフを煙と誤解したタワー(管制塔)の管制官が離陸中止を命じ、Tー33Aは飛び立てず、滑走路の北端のテトラポットに突っ込んで炎上、前席の本井昭雄2尉が死亡、後席の宮代久成2尉が重傷を負いました。
野僧もその一部始終を目撃していましたが、確かに離陸するTー33Aは白い筋を引いていたものの火災を疑うような状態ではなく、チャフの知識があればポットから漏れていると判断できたでしょう。さらにTー33Aはすでに滑走路の半分近くに達していて、離陸を中止できる位置ではありませんでした。
野僧は事故調査委員会の依頼で事故機のスイッチ類の検証を行いましたが、前席のスイッチはテイクオフ(離陸)に操作されていて、パイロットは離陸と停止に迷った挙句、市街地に損害を与えず停止させるため突っ込んだことがうかがえました。
つまり管制官の判断ミスが原因なのは明らかなのですが、沖縄のマスコミは運輸省の主張のみを代弁し、航空自衛隊側の説明は言い訳として否定するだけでした。しかし、誰が見ても落ち度は運輸省側にあり、最後には「チャフポットの不具合=整備不良が原因」と言い出して整備員としては大変な迷惑でした。
その殉職した本井1尉(殉職後に特別昇任)の部隊葬の時、遺骨を抱いた奥さんが乗った官用車に向かって「馬鹿野郎」と罵声を浴びせ、「謝罪しろ」との蛮声で頭を下げさせたのも「那覇空港公務員労組」「沖縄県自治労」「沖教組」の赤旗を掲げたデモ隊でした。

沖縄の反米・反日運動の真実6
ある日曜日、豊見城村の公会堂で南西航空音楽隊のコンサートが行われ、野僧は駐車場の交通整理と来場者の誘導案内の名目の会場警備につきました。案の定、会場にはコンサートの数時間前から多くのデモ隊が押し掛け、公会堂に通じる道路を閉鎖したため駐車場は空っぽ、来場者はそれ以前に自衛隊のバスでピストン輸送して会場内で待っていましたから仕事は完全に警備でした。それにしても一般道をデモ隊が閉鎖しても良いものなのでしょうか?
と言うことで警備の目でデモ隊を見ると、立ち並ぶ赤い旗には毎度お馴染みの「沖縄県自治労」「沖教組」「那覇空港公務員労組」などの他にも本土の各県の同様の労組の名前があり、公務員は休日なら沖縄までデモに駆けつけることを知りました。
デモ隊はコンサートが始まる前から妨害のため大音響で抗議の演説を始めましたが(豊見城村公会堂は最新式の防音設備だった)、その内容は相変わらずのワンパターンでした。
先ずは沖教組の歴史の教師を名乗る男が「沖縄戦で日本軍は多くの住民を虐殺した。ここ豊見城村は日本陸軍の司令部があった殺害の舞台だ(豊見城村にあったのは海軍の司令部であり、住民の殺害が確認されているのは南部地区なので間違い)」。続いて那覇空港公務員労組の代表が「自衛隊は米軍と一緒に沖縄空域を占有している。我々の空の主権と平和を取り返そう(日本の空の平和を守っているのは航空自衛隊でありこれも間違い)」。そして沖縄県自治労の代表が「航空音楽隊の目的は自衛隊の宣伝活動を通じて住民を取り込む宣撫工作である。その証拠に音楽隊長は3等空佐の少佐であり、単なるマーチングバンドの隊長としては異例の高級幹部である(確かに音楽隊の活動目的には広報活動も含まれていますが、3佐が高級幹部であるかは疑問です)」。これらの演説の終わりには短文のアピールを読み上げ、デモ隊はシュピレコールで応じるのですが、いきなり石垣島の環境保護団体の代表が登壇して「世界有数のサンゴ礁を破壊する新石垣空港建設に断固反対しよう」と意味不明な主張をしたため、流石のデモ隊も「サンゴを守れ」と小声で応じていました。
中でも傑作だったのは本土の音楽教師と言う女性が「自衛隊の音楽は兵士を戦場に送り込むための行進曲だけで芸術性は全くない」と芸術論の熱弁を振るい始めたのですが、喋っている本人が自分の高説に酔ったのか小難しい音楽論が長々と続き、デモ隊は雑談を始めていました。ちなみにそのコンサートの演奏曲はマーチではなくグレン・ミラーのヒットナンバーだったので、これを否定すれば怒るジャズ・ファンもいたはずです。
ところで順調にコンサートが進行し始めると、デモ隊の中には会場に乱入しようとする者が出て、我々の外側で警備に当たっている警察官たちと押し問答になりました。すると警察官の間隙を狙って1台の軽4輪トラックが突入して、立ちはだかった野僧を正面で撥ね飛ばしました。幸い柔道2段の野僧は後方に1回転して怪我はなかったのですが、驚いたのはそれを見ていたはずの沖縄県警の警察官の対応でした。
一部始終を見ていた警察官は撥ねたトラックの運転手ではなく、野僧に向かって「危険なことをするな」と注意を始め、その隙にトラックは「自衛隊死ね」と捨て台詞を残して逃走したにも関わらず、これを放置していました(運転手は顔や捨て台詞の口調から明らかに本土の人間だった)。
トッラクのナンバーを憶えていたので、それを言っても警察官はメモしただけで通報はせず、流石に野僧も怒り心頭で、「これは交通事故ではないのか、逃走した運転手を逮捕しろ」と抗議したのですが、「進路侵入による危険行為だ。第一、お前は怪我をしていない」と詭弁を弄しました。
それでも「相手が死ねと言った以上、殺意があった殺人未遂だ」と喰い下がると現場責任者らしい警察官が出てきて、「自衛隊がこんな行事をやらなければ警察官も暑い中、大変な勤務に就かなくてすむんだ。迷惑を掛けている立場を理解しろ」と説諭しました。
以前から私有車を購入した隊員への安全指導で、「沖縄の人間との事故を起こして警察官を呼んでも、こちらが自衛隊だと判ると全面的にこちらの過失にされるから身分は可能な限り隠せ」と説明しているのは知っていましたが、車を持っていなくても我が身に降りかかったようでした。
以前、国際通りより一本外れた裏通りの公園のトイレでレイプされた女性を見つけ、派出所まで連れて行ったことがあるのですが、その時も対応した若い警察官は野僧が自衛官だと判ると、「お前がやったのか」と決めつけ、「違う」と否定しても受けつけず、女性が「この人は助けてくれたのさァ」と言ってくれて収まりましたが(謝罪はなかった)、最近の痴漢冤罪のように「この人が姦ったのさァ」などと同調されていたら、野僧は逮捕されるところでした。警察官の口からは「米兵はレイプの常習犯だ。お前も一緒だ」と言う迷台詞
まで飛び出しましたが。
その頃、宮古島で隊員が腹を刺されて死ぬ事件があったのですが、沖縄県警は「自衛官だから腹を切って死んだ=自殺」と断定し、部隊や遺族が「遺書などは見つからず、自殺する理由はない」と訴えても受け付けず、対応した警察官は「昔の軍人は大勢腹を切ったのさァ」と嘲笑っていたそうです。最近、本土では報道される中国人警察官の不正の話題を先取りして見ていたようではありませんか?
後年、野僧は本土の警察と交流を持ち、個人的につき合いましたが、彼ら(幹部警察官)は自衛官以上にガチガチの国家主義者で、国民を規律の枠に収めることが治安維持の基本などと言う台詞を聞いていると大日本帝国陸軍の将校・士官と話しているような錯覚を覚えました。沖縄県警も所詮は沖縄県の地方公務員のようですが、幹部は埼玉県朝霞(駐屯地の隣り)の警察大学校に入校するはずで、そこでカルチャーショックを受けないのでしょうか。おそらく本土の常識に近い思想信条の持ち主が幹部として採用され、幹部に昇任するのでしょうから、逆に「ホッ」と安心するのかも知れませんけど。

沖縄の反米・反日運動の真実7
内務班にある過酷な事情を抱えた空曹が入ってきました。その2曹は半年前の3月、九州の部隊から奥さんと小学生の息子さんを連れて転属してきて家族と沖縄の夏を楽しんでいた時でした。8月15日の終戦の日を名目にした反戦平和運動のビラを配る男たちがアパートにやってきたのです。
チャイムが鳴って奥さんが鍵を外すと1人の男が九州の官舎の感覚でチェーンをしていなかった部屋のドアを引き開けました。
「こんにちは。沖縄を平和な島にする運動をしている者です。沖縄から米軍と自衛隊を追い出して再び戦争に巻き込まれることがない恒久平和の島にするための署名をお願います」男は丸暗記してきたらしい台詞を並べた後、「沖縄でアメリカ兵が起こした犯罪」と印刷されたビラを差し出したのです。
沖縄に来るまでは基地に隣接する官舎に住んでいた奥さんはこのような活動家に接したことがなく、何と言って断ったらいいのか困って(本土では)常識的な言葉を選びました。
「ウチの主人は自衛官ですから困ります・・・」この言葉に男の目が暗く光ったそうです。
「アンタの旦那は自衛隊か!」語気も荒くそう言い放った男は手に持っていた署名用のバインダーをドアに挟んで閉めると、恐怖に言葉を発することもできないまま後退りする奥さんを追うように土足のまま玄関を上がってきました。居間にまで追い詰められた奥さん
が悲鳴を上げようとした時、ドアが開いて複数の男たちが入ってきたのです。
「何だ」「どうした」男たちはすがるような眼で見ている奥さんではなく押し入った男に声を掛ける。
「ここの夫は自衛隊なんだ」押し入った男が吐き出すように言うと男たちも顔色を変え、土足のまま押し入ってきた。同時に最初の男は奥さんの口を押さえながら馬乗りになり、続いた男たちは手分けして手足を押さえました。そして馬乗りになった男は奥さんのTシャツを引き上げ、強引に下着を外した・・・。

2曹が帰宅すると子供が1人でテレビを見ていて、いつもは夕食の支度をしている奥さんは寝室でした。引き戸を開けて入ると奥さんは背中を向けて肩を震わせているのです。
「どうした・・・?」2曹が歩み寄ると奥さんはその場に泣き崩れました。

奥さんからの告白を聞いて2曹は小隊長に連絡した上で警察に通報しました。ところが警察は「犯人たちが口にしていたのが標準語であることから考えて本土からの活動家であり、すでに逃亡している可能性が高く捜査は難しい」と言っていると警務隊を通じて情報が入りました。
さらに警察署に待機していた地元新聞の記者たちがアパートへ取材に押し掛け、近所の住民たちに「××さんの奥さんが強姦された件で」とインタビューを始めたため忽ち周囲に知れ渡ってしまいました。そして地元新聞2紙は「告訴するなら記事にしたい」と了解を求めてきましたが、これは「告訴すれば県内中に知れ渡るぞ」と言う反戦活動家を守るための圧力であることは明らかでした。また被害者に了解を求めたことで反戦活動家が起こした事件として本土の新聞が取り上げることへの牽制にもなるはずです。
子供の小学校でも教師が「お母さん、大変だったね。だけどお父さんが自衛隊だから悪いんだよ」と教室で慰めたため同級生とその親たちにまで母の悲劇が知れ渡り、子供が2曹に「お父さんのせいでお母さんが酷い目に遭ったの?」と抗議の質問をするようなったそうです。こうして2曹は奥さんと子供を実家に帰し、単身赴任者として内務班に入ることになりました。

2曹は内務班でも酒浸りになり、入浴のついでに隊員クラブへ直行して酒をあおり、酔うと泣き叫びながら暴れる困った存在でしたが、私たちは哀しい思いで聞いていました。
「『アイツ等はお前の夫が自衛隊だから悪い』って言いながら女房を犯したんだ」「『日本軍は朝鮮人の女を慰安婦にしていたのだからお前が慰安婦になるのは当たり前だ』と言いながら代わる代わる犯したんだ」「『米軍は沖縄の女性を犯しまくっているから、その手下の自衛隊が償うのは当然だ』って言うが俺や女房に何の関係があるんだ」こう叫びながら頭を壁に打ちつける2曹の額からは血が吹き出ていました。酔いが醒めれば「これじゃあ(劇画「愛と誠」の)大賀誠みたいだな」「早乙女なら主水之介の方か(=旗本退屈男)」などと照れたように誤魔化しますが夜になれば同じことの繰り返しでした。那覇病院の医師からも「傷口が治癒する前に繰り返すと縫合が困難になる」と注意を受けていました。
2曹は警察での事情聴取で奥さんの供述内容を聞かされたと言います。事実関係の整合を図ると言う名目はあるとしても、これは本土の警察では考えられない無神経さであり、むしろ自衛官を傷つける意図であえて説明したとしか思えませんでした。

結局、2曹は奥さんの実家から「離婚するか」「自衛隊を辞めるか」の選択を求められ、単身赴任ではない営内者になったのです。

沖縄の反米・反日運動の真実8
その頃、那覇市議会では本土のマスコミが報じ始めた市職員労組や県教組などによる自衛官や家族への迫害が問題になり、少数派の保守系議員が市長を追求しました。
「公務により沖縄へ赴任してきた隊員の転入手続きを妨害したり、その子弟の転校を拒否するのは那覇市の良識の欠落を本土に宣伝しているようなもので恥ではないのか?」この常識以前の質問に那覇市長はこう答えたのです。
「自衛官は沖縄を本土決戦の時間稼ぎのため戦場にした日本軍と同じ目的で赴任して来ている。だからそれを阻止するのは沖縄の人間として当然の自衛処置だ」この暴言に議場では議員だけでなく傍聴者からも拍手が湧きました。
「しかし、自衛官にも日本国憲法が保障する基本的人権はあるはずだ。それを那覇市職員が侵害していいのか?」議場の空気が自分に不利であることを察した議員は起死回生の質問を投げ掛けましたが、市長は平然とこう言い放ったのです。
「日本国憲法に違反している自衛官に憲法が保障する人権はない」この暴言と断じてよいはずの市長の答弁を地元新聞2紙とNHKを含む地元テレビ各局は「画期的答弁」と絶賛しましたが、本土のマスコミは無視したようです(取材していなかった?)。

沖縄の反米・反日運動の真実9
現在も沖縄の友人たちとは交流が続いていますが、最近の反米・反日運動は危険水域に入りつつあると口を揃えます。かつては本土から乗り込んできた左翼活動家の扇動で一部の県民が踊らされていただけでしたが、復帰後に成長した世代が社会の中核を担うようなり、彼らは沖教組の反米・反日の反戦平和教育を小中高校9年間で徹底的に叩き込まれて、耳にするニュースはこれも左翼マスコミの反米・反日・親中のものばかり、本土に働きに出れば常識を学習するのですが、それは少数派で、大多数は狭い島で井戸の中の蛙として大人になっているのです。
おまけに戦前、戦中の真実を知る世代は高齢化し、長命の沖縄県でも多くが亡くなってしまいましたから、声高に歴史を語る者も左翼マスコミや文化人、教育者が作った歪曲・偏向の資料を請け売りするばかりで、復帰前の本土以上に豊かだった庶民の生活、自由で大らかなアメリカナイズされていた社会も、占領政策としての「報道統制」「行動規制」、さらに「今も続く米兵の犯罪」などのマイナス面ばかりが強調されていれば、その捏造、歪曲されたフィクション(創作)がノンフィクション(事実)になっていくのも当然です。
さらに大きな問題は、かつては大学などで吹き荒れた毛沢東旋風に染まった日本人活動家による扇動でしたが、現在は在日中国人、在日朝鮮人などの工作員が直接、乗り込んで反米・反日・親中の活動を指導していることで、沖教組は北朝鮮の故金正日の誕生日の祝賀会を開催し、さらに沖縄県は中国の資本家を対象に離島や土地の購入を勧めるセミナーを開催しているのです。
結局、沖縄県の政財界の指導的立場にある人も日本の経済にこれ以上の発展はないと見切りをつけ、日本を越えた経済力を持つようになった中国に乗り換えようと真剣に考えているのでしょう。
かつての中国皇帝は琉球王家が朝貢すれば、御褒美としてそれ以上の土産を持たせてくれた。しかも沖縄のことには一切口出しせず、尚家の統治を温かく認めてくれた。
一方、日本は江戸時代初期に島津が侵略して以降、島津藩士が常駐し、王家のやることに細かく口を挟み、歴代国王に参勤交代のような江戸出府を強要した。
と言う反日・親中の歴史観を信じていれば、狂人・毛沢東も理想の皇帝・世界の盟主に映り、その属国になることに憧れるのかも知れません。
では本土の人間は沖縄を見限り、財政支援を止めれば良いかと言えばその逆で、国民としての帰属意識を喪失した沖縄県民が日本に属しているのは利益があるからに過ぎず、得る物がなければ早々に中国へ寝返るでしょう。
かつての韓国大統領だった盧武鉉は、北朝鮮の金正日との首脳会談の席で「私は海上の警備を弛めて貴方の国の工作員の入国を容易にし、朝鮮半島での戦闘指揮権をアメリカから奪い、在韓米軍を南に下げました」と自分の手柄を売り込んだそうですが、訪中した沖縄県の政財界の人間は「尖閣諸島の海上警備を邪魔して貴方の国の船を受け入れました。与那国島への陸上自衛隊の配備を阻止します。在沖縄米軍は縮小し、活動も妨害します。いつでもお越し下さい」と媚を売るのでしょうか。
このような状況に陥れた元凶は、沖縄県で唯一正常な報道を流すべき立場と責任を放棄して、偏向した番組を流し続けてきたNHKだと思います(本局の管理責任を含めて)。最近では在沖縄の左翼系民報よりも偏向・捏造が酷いそうです。

沖縄の反米・反日運動の真実・余談
豊見城村の公会堂でデモ対処をしている時、デモ隊と我々の周りを、どう見ても怪しい浮浪者がうろついていました。
それは本土の公園や駅などにいる、ボロボロの厚着をしてボサボサ頭で顔を真っ黒に汚した浮浪者でしたが、周囲から完全に浮いていました。
沖縄の浮浪者は厚着をしなくても凍えることがないため小ざっぱりとした軽装で、夜には公園のトイレで水浴びをしてからベンチで横になって過ごすので意外に身綺麗なのです。
その浮浪者は夏服を着ている我々を羨ましそうに見ているものの、立ち止まっては写真を撮っているようなので影で声をかけると那覇地方調査隊の隊員(空曹)でした。
そこで野僧が沖縄の浮浪者の服装を説明すると、「那覇に来たばかりなので知らなかった。だったら暑い思いをしたのは無駄だったのかァ」とガックリきていました。
確かに薄着ではカメラを隠し持つことはできませんが、目立つように変装しても意味がないのですが、デモ隊も大半は本土から来た活動家だったので違和感なく浮浪者だと思ってくれたのかも知れません。若し、疑われていたら拘束されて、それで身分が判れば大問題になったことでしょう。
後日、基地で会いましたが、カツラを取って制服を着ていれば普通の隊員でした。

  1. 2013/08/25(日) 10:02:49|
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