アフガニスタンでは岡倉と本名不明のリンゾー1尉に同行したおかげでタリバーンと行動を共にすることができた。するとタリバーンは2代目ブッシュ政権によって排除されるまでの行政統治を復活するだけでなく過度の原理主義を修正して近代化を図る姿勢も標榜していた。アメリカ軍の撤退に際して逃亡を図った市民を背信者と断定して殺害していたのは過激派組織のイスラミック・ステーツで治安維持に当たっていたタリバーンとは銃撃戦が発生していた。
「問題はアメリカとヨーロッパがタリバーンを敵視して今までの手厚い支援を打ち切ることだな。食料が滞れば飢餓が発生してタリバーンが原因にされる。新型コロナの予防ワクチンを供給しなければ中国製が流入する」「加倍政権だったからタイやフィリピンに国内分の予防ワクチンを分け与える高度な外交判断ができたが、それもマスコミと野党は接種の遅れ、地方への配分不足として批判して支持率の低下を招いた。そうなると管(くだ)政権が同じ措置を実施するのは難しいだろう」別れ際、岡倉と意見交換したが「民政党政権当時の就職難で仕方なく入隊したものの加倍政権に替わって国家意識に目覚め、使命感が湧き上がった」と言うリンゾー1尉は難しい顔で考え込んでいた。
「残念、やっぱり間に合わなかったか」9月中旬になってオランダに帰った私は茶山元3佐から届いていた8月分の日本の新聞を速読した。帰路は岡倉がタリバーンの人脈で入手した車両と通行手形で意外に平穏な道中になったが、パキスタンの空港で購入したアメリカやイギリスの英字新聞でもアフガニスタン国内の市民の迫害をタリバーンの凶行と断定していた。こうなると日本の報道を確認したかったのだが、事態が動いたのは8月31日なので新聞は9月1日の掲載になり茶山元3佐の梱包には間に合わなかったようだ。
「1ヶ月待つよりも実家に頼んで送ってもらおうかしら」必死になって読み進めながら次第に落胆していく私に梢が提案した。結局、茶山元3佐の新聞では8月下旬になって管政権が在留邦人の救出と協力者を脱出させるために航空自衛隊のCー2とCー130の2機種の輸送機をパキスタンに派遣したことを揶揄する内容に終始していただけだった。
「安里家が取っているのは地元2大紙だろう。人民日報の日本語訳を送ってもらっても日本の報道の確認にならないよ」「でも国際欄は本土の新聞の記事を引用してるはずよ」「A日とM日だな。こっちも人民日報とプラウダだ」日本人の多くはプラウダをソ連共産党の機関紙と認識しているためソ連崩壊後は廃刊になったと思っているが、現在もソ連政府の広報紙だったイズベスチャと共にロシア共産党の機関紙として存続している。しかし、1991年12月26日にソ連が崩壊してから30年が経過し、東西冷戦を知っている世代は日本の社会でも退潮し始めている。個人的には私の定年退官が象徴的な出来事だ。
「日没後は海からの風が冷たくなってきたけど大丈夫」「迷彩服にこだわる必要はなくなったからこれからはウィンド・ブレーカーやジャンバーを着るよ」予防ワクチン2回の接種済証明書を持って夜の散歩にでかけると梢が作務衣姿の私に聞いてきた。作務衣に限らず和服は襟元が開いているため首筋が冷たいのは確かだが、法要に出る訳ではないのでトレーナーやセーター、フリースを着ることができる。むしろ冬場には帽子を被らなくなった禿げ頭が凍えてしまいそうだ。今回の帰国では法衣店で茶人帽(円筒状の帽子=利休帽とも言う)を買ってきたが、オランダではトルコ帽と間違えられることも多い。それよりも私は長年にわたり上面が平らな戦闘帽をかぶり慣れているのでヒサシがない違和感が中々解消できない。
「これはプリースト(坊さん)、無事に帰りましたか」車が通らない海岸通りに入り、歩く速度を上げたところで前から巡回の警察官に声をかけられた。私と梢がマスクを外すと街灯の薄暗い明りで確認して仕草ではめるように促した。始めから「プリースト」と声をかけているのだから確認は必要ないはずだがそこは手順だ。警察官たちは私が自衛隊を定年退官し、今度は坊主として生活すると説明を受けて新たな興味を持ったらしく職務質問代わりの雑談も弾んでいる。
「やはりタリバーンはアメリカへの協力者を虐殺していますか」若い警察官の質問はオランダで流れているニュースの請け売りだ。これには坊主ではなく現地調査から戻った国際刑事裁判所の次席検察官として答えなければならない。
「タリバーンは君たちにとっての牧師と同時に治安維持の役割を果たしているんだよ。市民を虐殺しているのはアフガニスタン国内に流入しているイスラミック・ステーツなんだ」「そうなんですか。ISの犯行ならヨーロッパのテロと同じですね」素直に納得するところは若者らしく可愛いが警察官としてはまだ甘い。しかし、私自身も一般空曹侯補学生として入隊した頃は似たようなものだった。やはり振り向けばイエスタディなのだ。そのイエスタディからトゥモローに向かう人生の伴侶を二度と失わないように黙って梢の手を握った。
- 2022/01/11(火) 16:08:11|
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日本では盆を過ぎた8月下旬、オランダに隣接するドイツ西部のラインラント=プファルト州にある在ヨーロッパ・アメリカ空軍のラムシュタイン基地からアフガニスタンと往復しているCー40輸送機に同乗することになった。Cー40輸送機はボーイング737旅客機を人員輸送用に採用した機体で志織が操縦しているPー8ポセイドンと同型機なので少し嬉しい、
「モリヤ爺さん、定年したって」「お主は佳織と同じ年だけどまだなのか」「アンタと同じ特例の60歳までなんだ。あと3年ある」搭乗手続きを終えて指導されている距離を保ちながら談笑しているアメリカ軍の中で立っていると唐突に日本語で声をかけられた。アメリカ軍の迷彩服を着てマスクをはめているがメガネの奥の細い目は岡倉だ。
「7月1日付で終わったよ。これからは国際刑事裁判所の次席検察官の専業になる」「これからも坊主と兼業だろう」いきなり一本取られてしまった。私は定年退官してオランダに戻ってからは公私共に作務衣を着るようになり、今まで「中佐」と呼んでいた知人たちも「モンク(坊主)」「プリースト(同)」に変更している。まるでそれを見通されているかのようだ。
「やっぱり目的はアメリカ軍の撤退時の犯罪行為の確認か」「どっちかと言えばタリバーンの無罪とイスラミック・ステーツの犯罪を証明したいと思っている」「やはりな」私の返事を聞いて岡倉は指導よりは少し近い位置に立っているアジア系の若者に目配せをした。
「彼は俺の後任のペルシャ語圏担当だ。俺たちの活動も加倍政権下で半ば公然化したから後任も大学で中東の言語を専攻していた者の中から人選できたようだ」「多分、奥さまの薫陶を受けた新人幹部たちには我々以上に希望者が多いんじゃあないですかね」若者はアメリカ軍の大尉の階級章を付けているところを見ると1尉のようだ。サスベンダーに隠れて見えにくい名札には「RINZO(リンゾー)」とあるがこれは隠語の名前らしい。岡倉の職務が私が想像しているような非合法な組織であるとしても国際社会の諜報活動では非合法の犯罪行為を合法化するのではなく隠蔽するのが常識なので国家として不可欠の必要悪と言うことだ。
「ベトナム戦争のサイゴン陥落のようだな」「やっぱり爺さんだろ」岡倉とリンゾー1尉と一緒にハミト・アラザイ空港を出ると周囲の道路は抱え切れないほどの荷物を持った市民で溢れ返っていた。私が中学生の時にテレビで見たベトナム戦争終結のサイゴン陥落では脱出を求める市民がアメリカ軍の車両や将兵に縋りついていたが、アフガニスタンでも迷彩服を着た私たちに「ヘルプ・ミー」と懇願してくる。しかし、冷たく手で振り解くと意外に簡単に諦め、次を探し始めるから市民たちも個人の資格でできることは何もないことが判っているようだ。それにしてもアフガニスタンで新型コロナ・ウィルス感染症が蔓延していれば「3密の回避」どころか完全な集団濃厚接触だ。マスクの効果も期待できない。
「おーッ、ハンゾー」岡倉の案内についていくと片手にAKー74を提げて住宅の壁際に立ち、市民たちを監視している男に声をかけられた。「ハンゾー」と言うのは岡倉の隠語の名前のようだ。男は髭と髪を長く伸ばし、頭にはアフガニスタン特有のパコール帽を被ってイスラム社会の労働着を身につけている典型的なタリバーンの兵士だ。
「すでに治安の維持はタリバーンに移管されているようだな」「アメリカ軍は期限内に1人残らず撤退するから治安の維持は我々に任せて移動準備に取り掛かっているんだろう」岡倉は前を遮る市民たちを掻き分けて歩み寄ると親しげに話し始めた。岡倉とは初めてアフガニスタンに潜入した時に「何度も現地調査に来ている」と聞いているがタリバーンに人脈を構築しているのには感心した。確かに行動を共にしていても現地の人々と同一目線で実情を捉えていた。
「この人たちはイスラム教の教義と戒律に背く生活をしていたからタリバーンに弾圧されることを恐れてるんですね」我々も追いついて岡倉がタリバーンの兵士に紹介するとリンゾー1尉が流暢な現地語で不躾な見解を述べた。内容は岡倉が同時通訳してくれた。
「コイツらは我々の迫害を名目にしてヨーロッパやアメリカに移住しようとしているんだ。寛大で慈悲深いアッラーは過ちを悔い改めて信仰生活に戻った者は許すと仰っている。それを知りながら逃げようとするのはキリスト教徒は我々が背信者を虐待するのを当然視していて、逃亡者を難民扱いしようとしているからだ。我々としてはアッラーを棄てて母国から去る背信者を引き留めるつもりは毛頭ないが、イスラミック・ステーツは罰を与えると明言している」「それを確認しに来たんだ」タリバーンの兵士は私の英語の相槌に真顔でうなずいた。
結局、アメリカ軍は8月31日の期限までに撤退を完了し、国務省は「アフガニスタン在住のアメリカ人と傀儡政権の関係者と家族、攻撃対象になる市民12万2千人を国外退避させた」と発表したが、イスラミック・ステーツは空港周辺や市内の群衆への銃撃を繰り返し、多くの犠牲者が出た。それを欧米と日本のマスコミは「タリバーンによる虐殺」と断定していた。
- 2022/01/10(月) 14:44:03|
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「貴方、徽章のつけ替えが終わったわ。これで良い」やはり私と梢はオランダに帰ってから2週間の自宅待機になったが、7月一杯合計31日間の不在はヨーロッパ人並みの夏季休暇の先取りのようなものだ。その自宅待機中に市ヶ谷の美玉に注文していた刺繍の徽章が届き、梢がミシンで迷彩服の階級章と付け替えてくれた。陸上幕僚監部法務官室のままだった名札も「ICC(国際刑事裁判所)」と「MORIYA」の横文字に変わっている。
「これは国際刑事裁判所のマークでしょう。こっちは何」襟は2等陸佐の階級章が縫い付けてあった箇所に国際連合の月桂樹で囲まれた地球を司法を象徴する天秤に替えた国際司法裁判所のマークに換えたが、胸の格闘指導官徽章の上の弁護士徽章も中央の赤い丸から上下左右に白の菊の花弁が広がっている徽章に付け替えさせた。確かに梢は初めて見るはずだ。
「これは秋霜烈日と言って日本の検事徽章だよ。国際的には通用しないけど日本人の国際刑事裁判所の検察官と言う立場を明示しようと思ったんだ」私自身は日本の法務省から検察官の身分を与えられていないのでこの徽章を装着する権利はないが、この迷彩服を着用するのは紛争地帯への現地調査に限定されるので日本の軽犯罪法第1条15号は適用されない。
「弁護士のひまわりは私が就職した頃のドラマの題名で憶えてるけどシューソーレツジツは知らなかったわ」「ドラマは『ひまわりの詩』だな。大学の民法の教授が見るように勧めたけど親父と妹が『固くてつまらん』って言って見られなかったんだよ」「それでシューソーは何」私がモリヤ家での嫌な思い出に引っ掛かると梢が説明を催促した。それにしても妹が「高校の同級生が面白いと言っている」と訴えれば喜んでチャンネル権を譲る父親は私が大学の教授に「法曹界を描いたドラマだから」と勧められた番組は拒否したのは価値観を誤っているとしか思えない。正しく天秤にかけてみたくなる。
「秋霜烈日と言うのは検事の職務が秋に霜が下りた冷え込みや夏の苛烈な日差しの厳しい気候のようなものであると言っているんだが、本当は清廉潔白で偏りのない公平な姿勢を表現しているらしい。つまり名称と意味は後付けだな」これも大学の講義で仕入れた知識だが、教授は判事の「八咫の鏡に裁の漢字」、検事の秋霜烈日、弁護士のひまわりを説明しながら「この大学の卒業生で司法試験に受かった者はいない。君たちの中から合格者が出ることを願っている」と言っていたが、まさか中退した私が実現するとは思っていなかった。
「それで貴方はアフガニスタンに行くつもりなのね」「バイデン政権は8月31日の期限までにアメリカ軍を撤退させるだろう。トランプ政権と和平合意を結んでいるタリバーンは混乱なく政権移譲するように努めるはずだが、イスラミック・ステーツの連中が混乱に乗じてアメリカの傀儡政権に与した市民を虐殺する可能性が高い。おまけに欧米のマスコミはタリバーンとイスラミック・ステーツ(IS)を区別することなく同一視しているから撤退時にISが市民に危害を加えればタリバーンの犯行と断定するだろう。ワシはその実態を現地で確認したいんだ」これまでアフガニスタンに入国するにはパキスタンからの陸路しかなかったが、今回は陸上自衛官と言う肩書がなくなった分、政治的な制約を気にすることなく国際刑事裁判所の検察官としての職務権限を存分に行使できる。実は6月の段階でNATO軍司令部の法務官を通じてアメリカ輸送軍の航空輸送部隊に接触し、カブール空港に向かう輸送機に同乗させてもらう手筈になっている。ただし、現地に赴く目的を考えれば撤退による混乱が収束するまで戻ることはできず片道通行になる可能性も決して低くはない。
「私は・・・無理ね」「タリバーンが復権するとなれば肌を露出して街を闊歩していたムスリマ(女性のイスラム教徒)たちも仕舞っていた民族衣装を着込んでブルカを被るんだろう。お前がそんな服装をしてイISの連中に見つかれば敵対者と疑われて捕獲されかねない」私の説明に梢は涙ぐんでうなずいた。私の胸には梢の深い無念な思いが伝わってきた。
「戦闘帽は桜を国際刑事裁判所のマークに替えて、ヘルメットの迷彩カバーの前後にも付けるのね」「アフガニスタンでは国際連合は2代目ブッシュ政権が侵略の正統性を主張したのに合意した共犯者と思われているから本当は危険なんだ。それでも戦闘員ではなく文民としての所属を明示しておかないとジュネーブ条約の保護を受けられないことも考えられる」私の返事を聞いて梢はテーブルに置いていたヘルメットのカバーをはがした。このヘルメットはコートジボワールの現地調査で危険を実感した私が陸上幕僚監部法務官室の補給係の陸曹に員数外を送ってもらったものだがスリランカ、フィリピン、前回のアフガニスタン、旧ユーゴスラビアなどで使用して安心させてもらった。幸いなことにまだ弾痕はない。
2週間の経過観察を終えて保健所の許可を得た私は作務衣を着て出勤し、モレソウダ首席検察官に業務への復帰を申告した。その場でアフガニスタンでの現地調査を命ぜられた。
- 2022/01/09(日) 15:04:20|
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広い体育館の壁に張りついて並んだマスクをして誰なのかも判らない隊員たちの見送りを終えて官用車でグランドヒル市ヶ谷に戻るとロビーで佳織と志織に出迎えられた。2人は梢を呼び出したが「家族の対面の邪魔になるから」と遠慮したらしい。
「貴方、長い間ご苦労さまでした」「ダディ、色々ありがとう」陸上自衛隊の16式の3種夏服の佳織とアメリカ海軍の白の半袖の軍服を着た志織は挙手の敬礼をしながらマスク越しに声をかけた。佳織が着ている16式の新制服は陸を連想させる色ではなく黄ばんだような92式よりは良いと言うだけだ。それでも在東京の機関(部隊ではない)のトップではない立場では組織の常識に従わなければならないのだろう。
「ありがとう。今後の世界の正義と日本の独立の守護は2人に任せることになる。どうぞよろしゅう」自衛隊を退役した私としては坊主らしく合掌したいところだが服装に合わせて敬礼した。本当は将官として接触を自己規制している佳織は飛ばして志織を抱き締めたかったが、アメリカ海軍の感染予防対策も厳しそうなので1間の距離を保った。
「今日はどうやって来たんだ。アメリカの軍人でも都道府県をまたぐ移動は制限を受けるだろう」「三沢で定期整備を終えたポセイドン(Pー8対潜哨戒機)を厚木まで飛ばすフライトがあったからコパイ(副操縦士)として搭乗させてもらったの。厚木は神奈川だけど東京とは一体化してるから大丈夫だったわ」ラウンジのソファーに3人で座り、ウェイトレスにコーヒーを注文すると家族の会話が始まった。しかし、日本人の国民性とは言えウェイトレスまでマスクとゴム手袋をはめて客から1間の距離を取り、直立した姿勢で注文を取られるとマスクの着用も一向に普及しないオランダのお気楽さが恋しくなる。
「志織、急に女っぽくなったがヤッパリ違うものか」「うん、梢が言ってたように大好きな淳ちゃんと命がつながったみたい。何時でも一緒にいるように感じるから何も恐くないわ」父親としての最大の関心事はやはり美恵子の葬儀の後、佳織が私を攻略したのと同じ作戦で想いを遂げた志織の初体験だ。確かに今日の志織にはこれまでにない若い女の瑞々しい色香を感じ、間隔を取っていなければ歩きながら尻を撫でたくなった。
「淳之介はあかりにバレていたから帰って大変だったらしいよ」「喧嘩になったの」「いや、あかりは健康的な志織を抱いて視覚障害者の自分では不満になるんじゃあないかと不安がったらしい。だから淳之介は『履き慣れた靴が最高』と頑張ったんだってさ。下手すれば3人目ができるかも知れないぞ」私の説明に佳織と志織は顔を見合わせた後、呆れたように苦笑した。実は浮気をした夫が妻を抱く時に弄する「履き慣れた靴が最高」と言う賛辞は私の挿入で、沖縄で夜遊びに励んでいた単身赴任の小父さんたちが帰宅する時に口にしていた台詞の請け売りだ。おそらく淳之介は快感を与えることであかりの不安を打ち消そうと全精力を傾注したのだろう。これなら2度目の浮気はありそうもない。
「ダディは3日の便でオランダに帰るんでしょう。私も3日に三沢に帰るけど関東空域のウェーザーはかなり悪いのよ」「梅雨の長雨だけではすまないのか」ウェイトレスが恐る恐るコーヒーを運んでくると志織が真顔になって気象情報を説明した。航空基地の気象隊は飛行空域の高度別の気象状況も予測していて低温の雲が湿気を帯びて機体に氷着するアイシングや帯電して雷が発生するサンダー・ストームなども警告するので傾聴に値するはずだ。
「伊豆半島の南方海上に張り出した優勢な雨雲は停滞しながら急激に発達しているから伊豆半島は記録的集中豪雨になるわ。その雨雲は関東地方全域まで覆うはずだからダディたちが乗ったKLMは雲中飛行することになるよ」「雲中飛行か・・・エア・ポケットを覚悟しないといけないな」「流石は元JASDF(航空自衛隊)」アメリカ海軍の現職パイロットに誉めてもらったが、私のこの知識は沖縄時代に本土と往復する飛行機が台風や優勢な雷雲の上を通過すると激しいエア・ポケットを繰り返した体験談だ。
「災害派遣になるほどじゃあないんでしょう」佳織の発想はやはり現職の陸上自衛官だ。現在の職務では東北地区太平洋沖地震規模の大災害でなければ災害派遣に参加することはないはずだが、組織人として気になるのは当然だ。
「伊豆は地盤が弱い上に河川が複雑に合流しているから難しいところだな。ワシは2日の夜は成田のホテル泊で朝1番の飛行機だから見届けられないが、志織も安全飛行で還るんだぞ」「うん、ダディと淳ちゃんがついているから大丈夫」「私は」「忘れてました」志織がオチをつけたおかげで久しぶりのモリヤ家の対面を爆笑で飾ることができた。
明日は梢と都内で日本でしか買えない佛具を中心に買い物してから成田に向かう予定だが、相合傘が楽しめないような集中豪雨では困ってしまう。
- 2022/01/08(土) 13:57:44|
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日本に到着して入国手続きを終えた私たちはそのまま貸切バスで東京都内のビジネス・ホテルに移動して個室に隔離されて2週間の経過観察を受けることになった。それでも到着後に受けたPCR検査で陰性だったが、自宅がないので予約できたグランドヒル市ヶ谷に宿泊した。自宅のはずの佳織の官舎は上層部から「将官として海外からの入国者との(絶対に濃厚になる)接触を避けるように」との指導があったそうで再会も果たしていない。
「何だか凄い雨だな」「ヨーロッパには梅雨がないから久しぶりね」退官日の7月1日は朝から大雨だった。天気予報でも「伊豆諸島北部に線上降水帯が発生しているので長期の豪雨になる」と聞き慣れない専門用語で警告していたが見送りの朝礼は体育館になりそうだ。個人的には東京裁判の法廷になった大講堂にしてもらいたい。思いがけず波乱万丈になった自衛隊生活を締め括り、法律家として生きていく私の最後の晴れ舞台にはウィリアム・ウェッブや梅汝璈が日本のA級戦犯7人に「デース・バイ・ハンギング=吊首刑」を宣告した場所が相応しいはずだ。
いよいよ官用車で古巣である陸上幕僚監部に向かい定年退官行事の主役を演じることになった。先ずは陸上幕僚長への申告からだ。私の所属は外務省への配慮で警務官配置のまま陸上幕僚監部付になったらしいが本人に連絡もない書類上の処理なので申告は省略された。
「申告するのにマスク越しでは気持ちが伝わらないな。モリヤ2佐も外したまえ」「しかし、感染防止上・・・」「机を挟んで2メートルの距離を取れば問題ないはずだ。モリヤ2佐はPCR検査は陰性だったんだろう」初対面の陸上幕僚長は正面に立った私に意外なことを指示した。3月で交代したこの陸上幕僚長は私が幹部候補生学校に入校していた頃の東北大学卒の寺島泰三陸将の次から始まった防衛大学出身者による地位継承を遮断した東京大学卒だ。東京大学卒の陸上幕僚長は私が高校時代の栗栖弘臣陸将以来だ。やはり胸の防衛記念賞の上には体力勝負の防衛大学校出身者のようなレンジャーや空挺の徽章を装着していない。異論を挟んだ人事教育部長が黙ったので私と陸上幕僚長はマスクを外して申告を再開した。
「申告します。2等陸佐 モリヤニンジンは2021年7月1日付で定年退官します」「ふーん、やはり海外勤務が長くなると西暦じゃないと困るんだな」「モリヤ2佐には令和3年で申告するように言ってあったのですが・・・」「知らない元号なので咄嗟に出なくなりました」官公庁に提出する公式文書以外では誰も使わなくなった元号をいまだに強制している元号法に違反した私を人事教育部長は忌々しげに見たが陸上幕僚長は笑ってうなずいた。
「長い間ご苦労さまでした。モリヤ2佐の場合、普通ではない成果を上げているからお礼を述べるべきだね。長い間ありがとうございました」ここで陸上幕僚長が先に敬礼してしまい慌てて頭を下げたが、制服を脱げば私の方が1歳年上らしい。
「長年、法務官室で制服を着た弁護士として活躍してくれたモリヤニンジン2佐が本日付で定年退官する」見送りの朝礼は当然のように市ヶ谷地区の体育館で行われた。今度は陸上幕僚副長が仕切っている。それでも陸上幕僚副長は師団長経験者の配置先なので分不相応な栄誉だ。
時節柄、私の送別会は催されずグランドヒル市ヶ谷に移動してからは岡田恵子元事務官や衛生学校で勤務している中村昌代曹長などの東京や近傍に在住する友人・知人たちの来訪を受けたがロビーでコーヒーを飲んで思い出話に花を咲かせただけだった。
「後ろ髪を引かれたくても私には毛が生えていません。これで縁が切れましたからお互いに綺麗サッパリ忘れましょう。さようなら」陸上幕僚副長の複雑な経歴を持つ私の紹介が思いがけず長かったので私の挨拶は簡単に終わった。ただし、「毛が生えていません」のところでは正帽を取って後頭部を擦って見せたが、真面目に聞いている隊員たちは無反応だった。
「相互に敬礼」「ご苦労さまでした」「グッド・ラック」司会の指示で敬礼を交換する作法も無視して私は親指を立てた右手を突き出した。本当は合掌して深く頭を下げるべきかと迷ったが、航空自衛隊風に決めるのは出席できなかった梢のリクエストだ。
「これから見送りに移るが各員は2メートル以上の間隔を保って整列するように。モリヤ2佐との握手は禁止する」最後の見送りも異例な形になった。定年退官に限らず転属などの見送りでは整列して各個に敬礼する隊員の前を歩き、親交があった隊員とは握手を交わすのも感動的場面だが、人事交流が激しい陸上幕僚監部では陸曹でも知り合いはいない。
「一人歩きを始める 今日は君の卒業式 僕の扉を開けて・・・君に確かなことは もう制服は要らない 梅雨の後先の・・・」「この曲はモリヤ2佐のリクエストです」整列が終わり、私が歩き始める前、静かなピアノの前奏が流れ始めた。陸上自衛隊では「蛍の光」が定番だが閉店時間を思わせるので私は担当者にさだまさしの「つゆのあとさき」を使うことを強要した。この歌詞は私が退官する季節に合い、制服を脱ぐ儀式に相応しいので昔から決めていたのだ。
- 2022/01/07(金) 14:47:31|
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