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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

5月1日・メーデー

明日5月1日は労働者の祭典・メーデーです。最近は歌われなくなりましたが、昔はデモ行進をしながら労働者の小父さんたちはこの歌を怒鳴っていました。ところがこの歌は軍歌「歩兵の本領」の替え歌なのです。教育隊で隊歌を教える時、こちらの歌詞(1番のみ)も教えたら掃除をしながら口ずさんでいる奴がいて、耳にした幹部から怒られてしまいました。

聞け万国の労働者(作詞・大場 勇/作曲・栗林早一)

聞け万国の労働者 とどろきわたるメーデーの 示威者に起る足どりと 未来をつくる鬨の声

汝の部署を放棄せよ 汝の価値に目醒むべし 全1日の休業は 社会の虚偽をうつものぞ

永き搾取に悩みたる 無産の民よ決起せよ 今や廿四時間の 階級戦は来りたり

起て労働者奮い立て 奪い去られし生産を 正義の手もて取り返せ 彼らの力何ものぞ

我らが歩武の先頭に 掲げられたる赤旗を 守れメーデー労働者 守れメーデー労働者

こちらは大学生が愛唱していた歌ですが、「闘いの炎を燃やせ」の部分が軍歌ぽいので隊歌として教えたら、こちらも幹部に聞かれて怒られました。「お前は右翼か、左翼かハッキリしろ」と言われても「自衛官はノン・ポリです」としか答えられませんでした。

 友よ(作詞曲・岡林信康)

友よ 夜明け前の 闇の中で 友よ 闘いの炎を燃やせ
※夜明けは近い 夜明けは近い 友よ この闇の向こうには 友よ 輝く明日がある ※

友よ 君の泪 君の汗が 友よ 報われる その日が来る 
※繰り返し

友よ 昇りくる 朝日の中で 友よ 歓びを 分かち合おう
※繰り返し
  1. 2014/04/30(水) 09:39:24|
  2. 日記(暦)
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完成した素描画

「完成した素描画」

「モリノ、アラシマは脈があるぞ!アタックしろ」その日の仕事を終えた後、生徒会室に残って雑談している時、副会長のチアンことアンドウが言い出した。
「そうだァ、イケイケ」書記のナスことスズキも同調してけし掛ける。ちなみに私とチアン、ナスは同じ3年普通科F組だ。

その日の放課後、生徒会室に集まった執行部員たちは、それぞれの仕事をしていた。そんな中、会計のアラシマが自分の机に向い何か必死にノートに書きものをしていた。
私は何度か声を掛けたがアラシマは気がつかないでいる。そこで私はそっと近づいて机越しにアラシマが書いているものを覗いてみると、それは商業科の課題らしかった。
「何だァ、感心して損したな」と思っていると突然、アラシマが顔を上げた。
「わッ、カイチョー。何を見てるんですかァ」アラシマは驚いて大きな声を上げ、それにみんなが一斉に私たちの方を見た。覗き込んでいる私と見上げたアラシマの顔は至近距離にある。
それに気がついたアラシマは慌てて椅子の背もたれにのけ反って逃げ、顔は見る見る真っ赤に染まった。

「あんなに真っ赤になるところを見ると、アラシマはお前に気があるぞ」チアンは勝手なことを言う。
「うんうん、デートに誘え」ナスもいい加減なことを言ってくる。
「そうかなァ・・・?」柔道部の私と弓道部のアラシマは生徒会以外でも武道館への経路でよく会う。会えば「カイチョー」と言う独特のイントネーションで声を掛け、微笑むと言うよりも顔中で笑って会釈してくれるが、それ以上のことはない。
ただ、いつも元気印で美人ではないが愛嬌があり、陽気だが真面目なアラシマのことを「可愛いな」とは思っていた。

アラシマとの初対面は昭和54年度前期生徒会モリノ内閣の組閣の時だ。
生徒会室に集まった執行部員がそれぞれの席についてミーティングをしていた。私はすぐ左の席に座っているアラシマの顔を見ていた。
「お袋さんって感じの子だな」それが第一印象だった。
私はミ―ティングも上の空で紙にアラシマの似顔絵を描き始めた。私は中学時代、美術部部長で人物画が得意、気になる人がいると素描画を描く癖がある。
「モリノ、何を描いてるんだァ」休憩になったところで副会長席のチアンが私の描いた似顔絵に気がつき、ナスもすぐに飛んできた。
「これアラシマだろう、上手ェなァ」チアンは感心しながらその紙を取り上げてアラシマに見せた。
「酷―い!」似顔絵を見てアラシマは声を上げ、頬を膨らましながら私を見た。
「プンプン」アラシマが怒っている音が聞えてきそうだ。
「馬鹿だなァ、アラシマが美人ならそっくりな似顔絵も喜ぶけど・・・」ナスが余計なことを言いかける。こいつは女心が判っているのかいないのか。
「カンカン」さらに怒ったアラシマの音が響いてきそうだった。アラシマは唇を尖らせてそっぽを向いた。こんな初対面をした私にアラシマが気があるとはとても思えなかった。

「モリノ、やれッ!」次の日、仕事を終えた後、チアンとナスはほかの執行部員を生徒会室から連れ出し。私とアラシマだけを部屋に残した。
「何ですか?」「お前は残れ!」とナスに出口で止められたアラシマは戸惑いながら振り返った。私はまだ生徒会長席に座っている。
「カイチョー、何なんですか?」ナスが扉を閉めて2人部屋に取り残されるとアラシマは真面目な顔をして私を見た。今まであがったことのない私だったが、この時ばかりは緊張した。
「アラシマ、今度デートしよう」私はチアンとナスから習っていた告白のための手順を忘れ、いきなり本題に入ってしまった。2人の指導では先ずは雑談で女の子の緊張を解いて興味を探り、それから本題に入るように言われていたのだが、そんなことはどこかへ吹っ飛んでいた。アラシマは驚いた顔をした。
「カイチョー、私をからかってるでしょう!」アラシマは顔を真っ赤にして怒りだした。
「副会長も一緒ですね。スズキさんも!」「えッ?」一気に話すアラシマ、想定外の展開に私は目の前で何が起っているのかさえ判らなかった。
「失礼します」そう言うとアラシマは強く扉を開けて部屋から出て行き、私は呆然としながら見送った。その時、アラシマは涙ぐんでいるように見えた。
「下手糞ォ!」アラシマと入れ替わりにチアンとナスが部屋に入ってきた。
「いきなりあんなことを言われたら、アラシマじゃなくてもビックリするぞォ」チアンは呆れたように言った。どうやら2人とも扉の向こうで聞き耳を立てていたらしい。
2人は無責任に笑い、私に同情しながらからかってきたが、私は執行部をまとめるはずの生徒会長が、自ら和を乱してしまったことを後悔し、そして何よりも決して冗談やからかった訳ではないが、真面目なアラシマを傷つけてしまったのではないかと心配していた。

「よう、練習は終わったかァ?」柔道部の練習を終えて武道館から渡り廊下を下校して行くと弓道場からアラシマが出てきたので私はいつものように声をかけた。しかし、アラシマは視線を合わせず、会釈だけをして足早に帰って行った。
「まずいなァ」私はアラシマの後姿を見送りながら呟いた。

「モリノさん、チカエをからかったでしょう」数日後、朝の電車の中でアラシマと同じクラスのナカニシチエちゃんに叱られた。
「チカエは真面目なんだから駄目ですよォ」「うん」私は黙ってうつむくしかない。
「チャンと謝りなさいよ」「はい」1学年下だが、いつも電車で一緒に通っているチエちゃんは妹のように遠慮がない。私は黙ってうなづいた。ただ、今思えば「真剣なんだ」と言ってチエちゃんに仲をとりもってもらう手もあったのだが・・・。

「アラシマ、この間はごめん」生徒会室の前の廊下でアラシマに会って私は素直に謝った。しかし、いつもはさっぱりしているアラシマにしては珍しくまだ怒っているようで、「もういいです」と私の顔を見ずにそう答えた。
生徒会室に入っていったアラシマの後ろからチアンとナスがやって来た。
「馬鹿だなァ、そこで『俺はマジだぜ』ってきめなきゃ」ナスはまた判ったようなことを言う。
「振られちゃったな」チアンが私の肩を叩いて、「うん」と私はがっくりしながら2人と一緒に生徒会室に入った。その頃、私はまだオクテだったようだ。

そんなことをしながら前期生徒会も大詰め、文化祭、体育祭がやってきた。
あの一件以来、私たち3人は何故かアラシマから目が離せなくなっている。しかし、アラシマはそんなことには気づくこともなく、ほかの執行部員たちと一緒に行事の準備に頑張っていた。
文化祭は何とか成功した。そして3日目は体育祭だ。
午後1番の競技「応援合戦」のため執行部員たちは本部テントに集まってきた。執行部員も当然、各クラスの一員として競技、応援に参加するため服装もまちまちだ。
私は柔道着、アラシマは弓道衣、チアンに至っては女子が持ってきた花柄の浴衣で女装をしている。ラグビー部員で背が低く丸い体形のチアンは妙に女装が似合っていた。
「副カイチョー、可愛い!」アラシマはチアンの女装に大喜びしてケラケラと笑った。口は4つに切った西瓜だ。その時、ナスが私たち2人にだけ聞えるように言った。
「アラシマって意外にスタイルいいなァ」「うん、胸も大きいしな」チアンも賛成した。確かにアラシマの白い道衣の胸は格好よく膨らみ、袴の紐を締めた腰は細かった。
私たち3人は鼻の下を伸ばしながら椅子に座っているアラシマの道衣の襟の間から見える白いうなじと首筋、胸元を見下ろして目が離せなくなっていた。そんな怪しい視線を感じたのか、アラシマが突然こちらを見た。
「カイチョー」「な、何?」私たちは慌てて一斉に視線を反らした。
「応援合戦、始めますよ」アラシマは焦っている私たちを不思議そうに見ながら確認した。
「OK」私の答えでアナウンス係のアラシマが応援合戦の開始を放送する。
応援合戦の採点は執行部員の9人を3つに分けてトラックを回り、各学年ごとに行う手はずで、アラシマはチアンと(おまけに2年学年代表も)一緒に左回りで1年生担当だ。
「アラシマ、行くぞ」「はーい」チアンに声をかけられてアラシマは嬉しそうに後に続いた。女装のチアンと袴姿のアラシマのカップルは何故かお似合いだ。
私はアラシマの嬉しそうな笑顔を見て、「アラシマはチアンが好きなのかなァ」と思った。
「チアンが(俺に)告白させたからあんなに怒ったのかもな」そんなことを考えながら、自分の採点担当の2学年の応援席に向った。
チアンとアラシマ+1名の採点員一行は行く先々でやたらに受けていた。

文化祭、体育祭が終われば前期生徒会は終わったも同然だ。ただ、会計のアラシマは前期生徒会の収支報告の作成で、顧問のモモノ先生と一緒に何やら難しい仕事をやっている。
「流石に商業科だなァ」机の上に領収書を広げ、電卓を叩きながら頑張っているアラシマを見ながらチアンが感心した。
その頃には私たち生徒会の馬鹿者トリオは「もう終わった」と言う気分で、私は柔道着、チアンはラグビー、ナスはバスケットのユニフォームのまま生徒会室と道場、グランド、体育館を往復するだけだった。
この3人は生徒議会までそんな恰好で出て、さすがに顧問から怒られ、その後からアラシマにも「もっとシッカリして下さいよォ」ときつく叱られた。
「はい、どうもすみません」会長、副会長、書記の3年生3人はうなだれて反省した。

「後期はアラシマを会長にしようぜ」突然、チアンが言い出した。
「うん、いいな」私も前から「是非、商業科から会長を出したい」と思っており、アラシマなら初の女子の生徒会長にもなる。
「でも、意外とアラシマは引っ込み思案なところがあるからな」流石にナスの女性観察眼は鋭い。この頃、ナスは不届きにも彼女ができていた。
「まア、副会長ってところかな」私の結論に2人もうなづいて同意した。
「副会長がシッカリしていれば会長が頼りなくても大丈夫だし」チアンが失礼なこと言うとナスも「そうだな」と追い討ちをかけた。こうして本人の意思に関係なく後期生徒会執行部の人事案がまとまった。

「副会長・アラシマチカエ」この悪戯のような人事は最後に思わぬ感動をくれた。
「予餞会(卒業生を送る会)」は生徒会副会長の「送別の言葉」で締めくくられる。アラシマは蒲郡市民会館大ホールの広いステージの真ん中に一人、スポットライトを浴びて立った。
私たち3年普通科F組は卒業生のお礼の演目として1番最後に脚本家志望である女子の企画・原作・演出で「アラビアンナイト版源氏物語」を演じていた。
その時もチアンは母の役でアラビアのハーレム風の女装、私は坊さん役で寺から借りてきた法衣姿だった。私たちは舞台の袖でアラシマを見守った。
生徒たちのざわめきの中で恥しそうに小声で話すアラシマの挨拶は、内容はあまりよく聞きとれなかったが困ったようにはにかんだ表情は前期の頃のままだ。
「アラシマ、頑張れェ!」私の横でチアンが声をかけた。その声が聞えたのかアラシマの声はさらに小さくなる。私たちはステージに飛び出して周りで支えてやりたいと思った。
「行くか」ナスの言葉に2人がうなづいた時、短いアラシマの挨拶は終わってしまった。
「ア・ラ・シ・マ」舞台の袖に戻ってきたアラシマを私たちはとり囲む。
「ありがとう」元会長の特権で私から握手する。アラシマの手は少し汗ばんでいた。
「お疲れェ」ナスが逆の手を取って、アラシマは困ったような顔をしている。
「イエーッ」チアンが両手でアラシマの肩を掴むと、「キャーッ」と悲鳴をあげながらもアラシマは嬉しそうに笑った。
私はその笑顔を見て「頬にキスでもしてやれ」と思ったが、三枚目を演じながらも実はクールなチアンは私のようにセンチメンタルに浸ることはなかった。
私たち3人はアラシマが自分たちのアイドルだったことに気がついた。

卒業式の後、担任への挨拶が終ってからも私たちは教室で騒いでいて中々帰らなかった。
私のクラスは男子6人に女子は35人だったが、その男子は生徒会長、副会長、書記が出るほど個性派揃いで存在感があり、女子とも仲が良かったのだ。それでも女子が帰り始めた頃、その内の1人が廊下から私に声をかけてきた。
「モリノォ、副会長が待ってるよ」「えッ?」私は思わずチアンの顔を見たが、女子とふざけ合っている。
「今のだよ」その女子は手招きをした後、手を振って歩いていった。
私の中では副会長と言えばチアンなのだが、廊下へ出るとそこにはアラシマが待っていた。
「おう、アラシマじゃないかァ」「御卒業、おめでとうございます」私の顔を見てアラシマは丁寧な挨拶をして頭を下げた。
「何だ、チアンか?」「いいえ、会長です」私はアラシマが好きなのはチアンだと思っていたので確認したのだが首を振る。
私は下校して行く卒業生の邪魔にならないようにアラシマを階段へ連れて行った。
「それで何だい?」「会長、私をデートに誘ってくれたのは本気だったんですか?」私は一瞬何のことだか判らなかったが、すぐに1年前の出来事が胸に甦った。
「勿論、マジだったよ」「そうですか・・・スミマセンでした」私自身が忘れていたことをアラシマは覚えている。それが少し申し訳なくなった。
「私、会長のことは尊敬していましたけど好きとか嫌いでは考えていませんでした」そう言って私の顔を見たアラシマを見返すと、正面から見詰められて少し頬を赤らめた。
それからしばらく私たちは生徒会での思い出や今後について語り合った。
「でも、『今日でお別れだ』と思うともう一度会っておきたくて」「そうかァ、俺も嬉しいよ。ありがとう」話の区切りでアラシマが口にした言葉に私は答えながらもまだピンときていない。そんな私の顔を見ながらアラシマは意を決したような顔をして言った。
「会長、第2ボタンをくれませんか?」「えッ?」卒業の日、女子が好きな男子の第2ボタンを貰うと言う話は聞いたことはある。それを自分で外して見栄を張る奴もいるらしい。しかし、その役が自分に回ってくるとは思ってもいなかったのだ。
「いいよ、待っててな、外すから・・・」そう言って学生服を脱ぎ階段の手すりの上でボタンの止め具を外すとアラシマに手渡した。
「ありがとうございます」アラシマはボタンを左手に持ち替えて右手を差し出した。
「チカエ、好きだったよ」私もようやく言うべき台詞を口にしながらその手を握った。

半年後、ラジオの人気番組「FMバラエティー」を聞きながら中期の試験勉強をしているとDJの青木さよ子さんがリスナーからのリクエスト曲をかけ、葉書を紹介するコーナーになった。
私は「蒲郡の」と言う住所で興味を持ったがペンネームだったので差出人は判らなかった。そのまま聞いていると青木さよ子さんは葉書を読み上げたが、それは「生徒会でお世話になった会長にこの曲をリクエストします。先輩のことを心から尊敬していました。卒業式の日にもらった第2ボタン、大切にしています」と言うもので、私はこの葉書がアラシマからのモノだと知り、リクエスト曲を待った。すぐに聞き覚えがある伴奏が流れたが、それは「小さな日記」だ。
「小さな日記に綴られた。小さな過去のことでした。私と彼との過去でした。忘れたはずの恋でした」私はこの歌に込められたアラシマの気持ちを考えてみた。
「ちょっぴりすねて横向いて 黙ったままでいつまでも やがて笑って仲直り そんな可愛い恋でした」あの頃のアラシマの笑顔が浮かんだが、やがて曲は最終章になった。
「山に初雪降る頃に還らぬ人になった彼、二度と笑わぬ彼の顔、2度と聞こえぬ彼の声」私はアラシマの中で死んだことにされてしまったのかと思った。
曲が終った後、青木さよ子さんは「後輩の女の子が卒業生のボタンをもらいに行くなんて勇気があるなァ。よっぽど好きだったんだね」とコメントした。
私はアラシマに手紙を書いてみようかと思ったが、この曲が別れを意味しているような気がして止めた。

高校を卒業してからも、私とアラシマには不思議な縁があった。ある日、商社マンである父が仕事から帰ってくるなり言った。
「お前、後輩でアラシマチカエさんって子を知ってるか?」「うん」私が何事かと思いながらうなづくと父は話を続けた。
「今、蒲郡の農協にいてな、元気で礼儀正しい子だな」「うん」私はまたうなづいた。
「気に入ったから、ウチの息子の嫁にこいって頼んでおいたぞ」「それはマズイ!高校時代の古傷にもう一度触るようなモノじゃないか」私は絶句した。
「そう言ったら恥しそうにしていたから脈があるぞ」「・・・こいつはナスか」私の胸には真っ赤になっているアラシマの顔が浮かび、呆れながら父の顔を見た。
その後、父とアラシマは会えば楽しく会話するくらい仲よくなったそうだ。その点では父の勝ちである。

それから2年が経った頃、私は航空自衛官になり、浜松で航空機整備員の教育を受けていた。その夜も自習時間、同期たちと自習室で机に向かっていた。突然、耳元で「カイチョー」と聞き覚えがある声が聞えた。
「はい」思わず返事をした声は静かな自習室に響いたらしく、周囲の連中が怪訝そうに私の顔を見た。
「何を返事してるんだ?」隣りの席の同期が尋ねた。
「いや、別に・・・」私は首を捻りながらまた勉強を再開した。

それから1週間が過ぎた頃、実家からナカニシチエちゃんの手紙が転送されてきた。
そこには「今月××日、モリノさんが会長をした時、会計だったアラシマチカエさんが亡くなりました。私も葬儀に行ってきました」とあった。

次の週末の外出で私はアラシマの家に行った。通された部屋の祭壇には微笑んでいるアラシマの遺影が飾られている。それはまるで初対面の時、私が描いた素描画を完成させたような写真だった。
遺影の前には赤ワインが置いてある。それを見た時、今にも「カイチョー、飲みましょう」とアラシマが部屋に入って来そうな気がした。
しかし、その前に置かれた小さな木箱の中の白い喉佛(ノドボトケ)を見た時、体育祭の時のアラシマの白い首筋を思い出し、その死を実感した。
  1. 2014/04/30(水) 09:31:25|
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4月29日・みどりの日から昭和の日へ

現在、4月29日は「昭和の日」ですが、2006年までは「みどりの日」でした。
昭和の陛下が1989年の1月7日に崩御されると、62年間も休日だった上、ゴールデン・ウィークの始まりでもあるこの日を維持するため、陛下が生前、自然を愛しておられたことから「自然にしたしむとともに、その恩恵に感謝し、豊かな心を育む」を趣旨とする「みどりの日」にしたもののグリーンジャンボ宝くじの記念日のようなので(あくまでも風説です)、2005年5月の国会で「昭和の日」に改正されたのです。しかし、カレンダーを印刷する会社への影響を考慮して、施行を1年半先の2007年1月1日にしたので、2006年は「みどりの日」のままでした。しかし、昭和64年が1週間で終わって平成元年になった時でも、「平成元年」に刷り直して配った業者もありましたから、やや甘やかし過ぎのように思います。
「昭和の日」の趣旨は「激動の日々を終えて復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす日」ですが、戦後生まれの我々世代でも復興と高度成長の違いがハッキリしませんから、平成生まれには大震災から復興を目指している現在と何が違うのか判らないかも知れません。
戦前までは先代の天皇誕生日を祝う「先帝祭」があったため次の天皇の御代にも休日だったのですが、明治天皇の11月3日は44年にわたって慣れ親しまれていたため「明治節」と言う独立した祝日になっていたのです。それは戦後も踏襲され、明治と言えば文明開化の「文化の日」になっていますが、趣旨は「自由と平和を愛し、文化をすすめる」と意味不明です。
大正天皇の8月31日は消えてしまいましたが、今上さんの12月23日はどうなるのでしょう?すでに26年も続いていますから、何か名目(=趣旨)をつけて残すかも知れません。明治が文明開化で「文化の日」、昭和が自然を愛したから「みどりの日」ならば、愛妻一筋の今上さんと言うことで「夫婦の日」ではどうでしょう。11月22日が語呂合わせで「いい夫婦の日」ですから、こちらを祝日にするのは拙いですね。
ただ、本音ベースでは「年末の業務多忙な時期の余計な休日」「子供の冬休みがややこしくなった」と迷惑がっている人も多いようです。ちなみに外国人は「何故、クリスマスの前々日を休日にするのか?」と不思議がっています。
昭和天皇崩御
  1. 2014/04/29(火) 08:46:06|
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4月26日・ゲルニカ爆撃

第2次世界大戦前の1937年の明日4月26日に北部スペイン・バスク地方のゲルニカが爆撃され、多数の死傷者が出ました(中国の南京虐殺並みに数字が躍っており、死者数は300人から2000人弱まで諸説がある)。
この爆撃はスペイン内戦の流れの中で起きましたが、野僧は中学時代にヘミングウェイの「For whom the Bell tolls(誰がために鐘は鳴る)」を読んで興味を持ち、高校時代にはフランコ総統の伝記などを読んで勉強しました。
スペイン内戦は1936年7月から1939年4月1日まで左派・人民戦線政府と右派・フランコの反乱軍(自称ではない)の間で行われ、人民戦線政府をソ連やメキシコ、ファシストであるフランシスコ・フランコ将軍の反乱軍はイタリアとドイツが支援していました。一方、当時のイギリスはファシズム融和政策を取っていたため中立=不介入で、隣国・フランスの左派政権は人民戦線を支援しましたが、内部対立で政権が崩落すると中立に転じました。
スペインでは第1次世界大戦後、極端な政治主張を持つ左右両派による政権の争奪戦が繰り返され、1931年には左派が政権を奪取して王を廃位させ共和制に移行しましたが、33年の総選挙では右派が勝利し、政局は混乱と膠着状態に陥っていたのです。
そんな1936年の総選挙で左派が再び勝利すると警察を使って右派の中心人物を暗殺するなど排除を始め、これを受けて将軍たちがクーデターを起こしたのです。
危険人物としてカタリナ諸島に左遷されていたフランコ将軍は植民地・モロッコで起こった反乱に呼応して合流、そこからスペイン本土に攻め込みました。すると左派による共産化に危機感を抱いていたカトリック教会、地主、資本家などが支持し、内戦はスペイン国内に拡大、深刻化していったのです。
やがて戦功を上げて名声を高めていったフランコが反乱軍の総司令官兼元首に選出されると、イタリアとドイツから軍需物資の提供だけでなく、部隊の空輸など作戦面での直接支援を受けるようになりました。
反乱軍は順調に北部を制圧し、バスク地方は完全に支配下に入っていたのですが、この日、ゲルニカはドイツから送り込まれた義勇軍・コンドル軍団の輸送機を改造した航空機24機によって無差別・絨毯爆撃を受けたのです。
その目的は「交通の要衝であったため前線への補給路を破壊しようとした」「人民戦線の焦土作戦と宣伝して批判する口実を作る」などの推測がされていますが、当時のゲルニカに人民戦線軍は存在しておらず未だに謎となっています。
第2次世界大戦においてアメリカ軍は日本への無差別爆撃で軍事施設がある地域を外して殊更に市街地を狙っていますが、敵の市民を殺傷することにキリスト教徒は何か美意識を感じているのでしょうか?確かに旧約聖書を見ても堕落した都市を老若男女の別なく丸ごと滅ぼす説話ばかりですから、それがカミの正義なのかも知れません。
余談ながらスペイン内戦は反乱軍の勝利に終わり、フランコは総統に就任したものの第2次世界大戦では中立を取ったため、戦後もファシスト政権が維持されました。
  1. 2014/04/25(金) 09:16:37|
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4月25日・エルベの誓い

1945年の明日4月25日にドイツを流れるエルベ川岸・ザクセン州トルガウで米軍とソ連軍が出会いました。先ずはアメリカ軍側が陸軍第1軍の第69歩兵師団第273歩兵連隊第2大隊G中隊の哨戒隊とソ連側は馬に乗った1名の兵隊でした。続いて同連隊の1大隊の情報将校・ウィリアム・D・ロバートソン中尉たちがソ連軍の第1ウクライナ方面軍第5親衛軍の狙撃兵連隊の一部と出会ったのです。その後、旧東西ドイツの国境線の一部はエルベ川になっており、ここが連合軍とソ連軍の縄張りの境界線だったようです。
この時、撮影された両軍兵士が握手している写真が「エルベの誓い」として世界に配信され、東西冷戦・対立が深刻だった時代の教科書にも掲載されていました。
ソ連軍は4月16日の時点でベルリン占領を目的とする作戦を開始し、この25日には事実上の包囲を完了しており、ヨーロッパにおける第2次世界大戦の最終幕の主役の座はソ連のものになっていたことが判ります。
映画「PATTON(邦題・パットン大戦車軍団)」ではジョージ・スミス・パットン将軍が戦車軍団を率いてベルリンを目指して突き進む激闘の連続が後半の見せ場でしたが、実際にはソ連に先を越され、ソ連軍との戦勝パーティーで挑発的な毒舌を吐いたのには、そんな欲求不満があったのかも知れません。しかし、連合軍が出遅れたのにはナチスに降伏していたフランスの解放に手間取ったことが大きいでしょう。
亡命した敗軍の将・ド・ゴールはイギリスやアメリカの首脳と会談し、「自分こそが自由・フランスの指導者である」とアピールしながらフランス国内で抵抗しているレジスタンスに呼びかけるラジオ放送を行っていましたが、実際にはどれ程の戦果があったかのか疑わしく(放送を聴いていた一般市民は殆どなかったと言われています)、むしろナポレオンを尊敬していたヒトラーが占領政策についてフランス人のプライドを傷つけない配慮を命じていたため、実質的に同盟国=属国化していたのかも知れません。
実際、地中海の海軍基地に対する投降の呼びかけをフランス艦隊は拒否し、米英艦隊による威嚇に猛烈な反撃を行って壊滅させられています。
つまり戦後の東西冷戦構造を作った原因の1つはフランスが米英の足を引っ張ったことであり、それが戦勝国の一翼を担ったようなデカイ態度で国連の常任理事国になってフランス語を公用語にさせていること自体が厚顔無恥と言うべきでしょう。

  1. 2014/04/24(木) 09:36:25|
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4月21日・レッド・バロン=リヒトホーフェン男爵が戦死した。

1918年の明日4月21日、第1次世界大戦で敵味方双方からレッド・バロンと称賛された撃墜王・マンフレード・アルブレヒト・リヒトホーフェン男爵が空中戦でオーストリア軍の対空射撃を受けて戦死しました。騎兵大尉・25歳でした。
野僧は現役時代、リヒトホーフェン男爵を崇敬していたパイロット(2尉)から暗記するほど詳細な伝記を聞きました。そのパイロットは「大空のサムライ」坂井三郎を尊敬する同僚がFー104J戦闘機をゼロ戦色に塗装したのに倣い、「自分の愛機を赤にしたい」と言っていましたが、「それでは迷彩にならない」と却下されていました。
彼は「リヒトホーフェン男爵は第1次世界大戦に於いて撃墜80機、非公認2機と言う前人未到の偉業を達成した」と熱弁を奮っていましたが、第1次世界大戦が空中戦の始まりですから、どんな記録でも前人未到でしょう(と言って怒られました)。
リヒトホーフェン男爵は1892年5月2日に現在のポーランであるシェレジエン地方を領していたプロイセン貴族の長男として生まれると男爵家の継承者として厳格に育てられたのです。11歳で士官候補生になると19歳で任官し、槍騎兵となりました。
1914年に第1次世界大戦が勃発すると東部戦線に赴き、騎兵として偵察任務などに当たっていたのですが、ロシア領内で敵兵に包囲され、危うく脱出したものの自宅には戦死の公告が届き、帰還すると葬儀の準備が始まっていたそうです。その後、西部戦線に転戦しますが互いに陣地に籠って対峙する膠着状態で騎兵の活躍の場がなく、心機一転、飛行訓練所への入校を希望しパイロットへの道を歩み始めたのです。当時、飛行機の主な任務は偵察と砲撃の弾着観測で、リヒトホーフェン男爵も1915年にロシア戦線での偵察任務に就きましたが初の撃墜を経験しています。
戦争が科学技術発展の原動力であることに変わりはなく、飛行機も急速に発達して大型の飛行機から爆弾を投げる爆撃などの戦闘行為が始まり、やがて上空でパイロットが拳銃やライフルを射ち合う空中戦も頻発するようになって、単座式で高速度、機関銃を装備した戦闘機が開発されたのです。リヒトホーフェン男爵も空中戦に参加しましたが、当初は戦果が上がらずエース・パイロットであったベルケに教えを乞うています。その時、「近くに寄って射て」と言われたそうですが前述のパイロットも「ミサイルの時代になったと言っても最後は空中戦だ」と座右の銘にしていました。
そんなある日、飛行訓練中にバランスを崩して墜落し、それで「突然に飛ぶコツを覚えた」そうです。後は主にイギリス軍機を相手に撃墜記録を重ねていきますが、その度に空中戦の日付と敵機の機種を刻んだ銀杯を作らせ、これは戦争の長期化により銀の入手が困難になるまで続けられたとのことです。
そして、前日に80機目の撃墜を記録したリヒトホーフェン男爵は3枚翼のフォッカーDr・I425/17に搭乗し、フランスのヴォー・シュル・ソンム近郊の上空でイギリス軍と遭遇し、空中戦で逃げる敵機を追う間に敵の領域に入り、地上のオーストリア軍の機関銃の銃撃を胸と腹に受けて戦死したのです。遺体が身に着けていた財布には非常に美しい女性の写真が入っていたそうですが、それが誰であったのかは不明です。
リヒトホーフェン男爵の遺体はフランスのベルタングル墓地にプロペラを改造した十字架を立てて埋葬されましたが、終戦後の1920年に母親の熱望で故郷へ改葬するため発掘されたものの途中のドイツで国葬と共にベルリンに埋葬されました。この墓石には第2次大戦のベルリン陥落の戦闘での弾痕が残っているそうです。また撃墜記録の銀杯を含む遺品はソ連兵によって持ち去られ、行方不明になっているとのことです。
  1. 2014/04/20(日) 00:12:07|
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私のニライカナイ3

私のニライカナイ3

その日も私は護衛艦「せけんなみ」の艦橋で不審船の行動を確認していた。この艦の副長は幹部候補生学校、1術校の同期だが階級には1つ差がついていた。
指揮所(CSI)の隊員は艦長への報告と同時に私にも情報をくれている。今日も日本の商船が数隻、スエズ運河を抜けてインド洋に向う航路を進んでいるようだ。先週もNATO軍の艦艇がミサイル攻撃を受けて乗員が数名死んでいた。
「マツノ3佐、操艦したいだろう」副長がからかうように声をかけてきた。
「いいよ、俺は海軍陸戦隊士官だからな」「確かにその方が向いているよ」同期である彼は私の適性をよく知っている。
「不審船です」その時、指揮所からの一報が入り、私は副長ともに指揮所に向った。
「この船の国籍は?」「日本の商船です」副長が不審船が向かっている船を指差して国籍を質問すると指揮所要員は即答した。
「この航跡から見ると日本の船を狙っているな」私と副長は顔を見合わせた。

「よし、臨検準備」副長が艦橋に戻って報告すると、艦長は私の顔を見て命令を下した。それは淡々とした、いつもの作業を指示するような口調だった。
「はい、臨検準備、ヨウソロ」私は復唱すると臨検要員の待機室になっているガンルームに向い、横から副長が「頼むぞ」と声をかけた。
「臨検準備」私の指示で、江田島の教え子でもある臨検要員たちは手順通りに服装点検、個人の申告の後、ガンルームから短機関銃を取り出し、弾倉に入れた実弾を配った。
「臨検準備完了」携帯無線で報告すると「不審船はまだ航路を変えない、乗船準備」と艦長が指示を出し、それをモニターしていた臨検要員は顔を見合わせて表情を引き締めた。
「乗船準備ヨウソロ」私たちはドアを開けて甲板に出て後方の臨検用内火艇に向った。
甲板では既に隊員たちが内火艇を点検し、下ろす準備を始めていて、私たちは梯子を使って内火艇に乗り込んだ。
「臨検開始」艦長の命令でクレーンを使って内火艇が海に下ろされた。

前方に商船の船影が見えて来た時、連続した発砲音が聞こえ、ほぼ同時に海面に弾着を示す水飛沫が上がった。
「伏せろ!」私の指示で隊員たちは船体の影に身を伏せた。
「アルファ(A)、こちらデルタ(D)」「こちらアルファ、おくれ」「こちらデルタ、不審船から機銃掃射を受けている。おくれ」私が無線で報告している時、船体に機銃弾が命中して禿げた塗装が舞い散った。
「隊長、応戦しますか?」「待て、こちらは短機関銃だ。射程距離まで接近する」私の指示を聞いて防弾構造になっている操舵室の操舵手は不審船に向かって舵を切った。
「これから短機関銃の射程距離まで接近する。おくれ」「スタンバイ」私の判断に艦橋は即答しなかった。私の胸に幹部候補生学校、1術校の航海課程でも慎重居士だった同期=副長の顔が浮んだ。
「頭を上げるな」我々はヘルメットを被り防弾チョッキを着けているが、機銃弾が直撃すれば無事ではすまない。
隊員たちにはそう指示しておいて私は頭を上げて状況を確認した。不審船はこちらへ発砲を続けながら商船に向って接近しているのが判った。
「商船との間に割り込ませろ」私の指示に操舵手は復唱して舵を操作した。その間に私はハッキリしてきた不審船をデジカメで撮影したが、その時、不審船で一点の閃光が光った。
「ミサイル?頭を上げるなァ」私の直感が働いて隊員に伏せるように指示すると同時に恐怖に固まっている操舵手を抱えて自分も船底に伏せた。
その時、空気を引き裂く不気味な音を立てながら細く白い煙をひいた光が海を越えて内火艇に向かって飛んで来た。
隊員たちの顔が凍りついた瞬間、1発のミサイルが内火艇の船尾のエンジン室に突き刺さり、燃料が爆発を起こし、船底に伏せている私の背中を爆風と炎が焦した。
「退艦ーン、飛び込めェ」爆発の後、私は伏せている隊員たちに命じた。
移乗のため船首付近にいた隊員たちは全員無事で、素早く立ち上がり、海に飛び込んだ。
私は脚を負傷して立ち上がれない操舵手に肩を貸しながら海に投げ込んだ。
彼らが救命胴衣を兼ねている防弾チョッキの浮力で海に浮び上っているのを確認すると、黒煙に包まれた艇内に残っている者がないか確認して飛び込もうとした。
その時、内火艇が大さな爆発を起し、舳先を上に直立し私は振り落とされた。そしてその上に覆いかぶさるように船体が倒れ込んだ。

私は内火艇に閉じ込められていた。
真っ暗な空間から見える海面は赤く染まっており、弾けるような音や振動と共に船体が燃えていることが判る。このままでは酸欠で窒息するだろう。
「脱出しなければ」私は半分沈んでいる船体の縁に辿り着いたが、50センチほど沈んでおり、救命胴衣を着けていては下を潜ることはできない。私は思い切って救命胴衣を脱ぎ、潜って脱出ようとした。
その時、船体に残っている燃料が誘爆し、私を海の底へいざなった。肺の中に残っていた最後の空気を口から吐き出すと大きな気泡が目の前を浮かび上がっていく。遠くなる意識の中、「海は続いているのさァ」と言う直美の声が耳に響き、私は「南無・・・直美」と唱え、そこへ還って往った。

海に飛び込んだ隊員たちは救命胴衣の浮力で海に浮び上ると立ち泳ぎしていた。重く浮力のないヘルメットは全員脱ぎ棄てている。その時、内火艇が小さな爆発を繰り返しながら炎上し始めた。
「指揮官は?」「逃げ遅れたのでは」「最後に確認しておられました」私がいないことを確認し、先任の海曹が一名ずつ異常の有無を点呼したが1名が脚に負傷、2名が火傷した以外は異常はなかった。
「あの中に閉じ込められてるのでは」「うん」「どうしましょう」「うん」海に浮かびながら隊員たちは救助の方法を相談し始めたが、その時、船体が爆発し内火艇は沈没していった。
我々を攻撃した不審船は内火艇の爆発を見届けると逃亡したが、商船団は非難のため自衛隊側から全速で遠ざかるように指示されたため、隊員たちは護衛艦に救助されるまで立ち泳ぎすることになった。「せけんなみ」は搭載ヘリコプターで追跡したが、対空ミサイルを持っていることを考慮して深追いはしなかった。いかにも慎重居士の副長らしいスタッフサポートだった。

「コマリアで海上自衛隊のボートが沈没かァ」直美が市役所に帰り、その日の仕事を記録していると市民用につけっ放しになっているテレビでニュースを覗いていた若い職員が大声で呟いたのが耳に入ってきた。
「コマリアで・・・いつ?」直美が声をかけて歩み寄ると、その職員は振り返って「うん、日本時間の昼頃だって」と教えてくれた。彼も直美が海上自衛官の妻だと言うことは知っている。直美はテレビの画面を見たが、まだ画像は届いていないらしく海上自衛隊の艦隊の出港とコマリア沖でアメリカ海軍のヘリコプターが海賊の船を攻撃している資料映像だけだった。直美はそれを眺めながら夫が出発する時のやり取りを思い出してみた。
出撃を知らせる電話で夫は「仕事だ」と言っていた。それは今回の任務が海軍の仕事=実戦であることを承知していたのだろう。明らかに死を覚悟していたのだ。
「『指揮官たる者、突入は先頭、退避は最後』が口癖の夫はこの船に乗っていたのではないか・・・」と言う不安が胸に広がってくるのを否定できないでいた。
ニュースでは「詳細の発表はない」とアナウンサーが説明し、直美はその顔を見つめながら「被害がない」と言う言葉を自分に言い聞かせた。
その日の昼頃、車を運転していた直美の耳に「直美・・・すまん」と言う夫の声が聞えてきた。それは耳に聞えたと言うよりも胸に直接響く不思議なメッセージだった。
「貴方?」「後を頼む・・・いつも一緒だ」直美の問いかけにも夫は答えた。あれは空耳だったと自分に言いきかせているのだ。
「もしかして旦那さんも行ってるの?」職員は直美の真剣な顔を見て訊いてきたが黙って首を振った。

直美が急いで帰宅すると間もなくタクシーが到着し、白の制服を着た男女の幹部自衛官が下りたのが見えた。玄関へ迎えに出た直美はその姿を見て固まったようになった。
「マツノ3佐の奥さんですね」「はい・・・」「よろしいですか?」「はい、どうぞ」直美は「急遽、民航機で来た」と言う2人を自宅に入れた。
居間の卓机の向うに並んだ2人は帽子を置いた上面に手をついて頭を下げた。
「基地広報の村上2佐です。御主人は現在、行方不明になっています」「それはニュースで言っていたボートの撃沈ですか?」「申し訳ありませんが、その質問にはお答えできません」そう答えて2人はまた頭を下げた。
「マツノ3佐はコマリア派遣艦隊で日本船保護の任務に当たっていますが、臨検隊指揮官として乗船していた内火艇が沈没しました。現在、捜索活動を実施しています」階級が上の村上2佐者が意を決したようにそう説明し、直美の顔を見た。
「夫は生きていますよね。無事に連れて帰って下さい」「救命胴衣は回収されていますが、沈没する内火艇に巻き込まれたようで・・・確認はできていません」もう1人の若い女性自衛官の近藤2尉が説明しかけたが言葉を途中で濁した。直美はそこに「死亡」と言う言葉が入ることを感じ取った。
夫が救命胴衣を外したことが「命を救う」術を失ったことを暗示しているように思われ、直美の胸に先ほど診療所で聞こえた夫の言葉が録音を再生するように甦ってくる。
「直美・・・すまん」「後を頼む・・・いつも一緒だ」女性自衛官の近藤2尉は心配そうに直美の顔を見詰めたが、直美には目の前で繰り広げられている情景は夫が好きだった映画「ライトスタッフ」の一場面に重なるだけだった。
テストパイロットが墜落死すると従軍牧師がそれを知らせに家を訪ねてくる。妻は怯えた顔で我が子を抱きながら「No、No・・・」と呟きやがて叫ぶ、それを自分も演じなければならないのだろうか・・・?

直美は「ホテルで基地からの連絡を待つ」と言う2人を送り出し、テレビのニュースをつけた。どの局も「海上自衛隊の臨検用ボートが沈没」「自衛隊が初の戦闘行動か?」と報じるだけで被害が出ていることは伝えていない。おそらく防衛庁が発表していないのだろう。
直美は立ち上がって窓から海を見た。そこには夏から秋に向かう空が傾きかかった夕日に染まり始めていた。母は老人会の集まりに出掛けている。しかし、日没になれば帰ってくるだろう。その時、チャイムが鳴り、玄関を開けると市役所の課長と同僚の女性が立っていた。
「マツノさん・・・」玄関で立ちすくんだ女性は無表情を装って課長の横で言葉を詰まらせた。課長は制服の海上自衛官が2人、空港で下りたと言う目撃情報と先ほどのニュースを結びつけたと説明した。
「まだ、何の発表もないんだから・・・気をしっかり持って・・・信じて・・・」女性は激励の言葉をつづりながらも涙声になっていった。
「マツノさん、休暇は自由に申請して下さい・・・」課長は女たちの重苦しい空気に堪え切れず、直美の顔を見て声をかけた。
直美は2人に深く頭を下げた。

「直美、テレビ変えるさァ」「うん」間もなく帰ってきた母は直美が見ていたニュースを変えようとリモコンを持って訊いた。
「それで何を見るの?」「うーん、この時間って何をやってたかなァ」そう言って母がリモコンを操作しようとした時、ニュースが防衛庁、海上幕僚監部の記者会見を映し始め、直美は母を止めた。
1等海佐の制服を着た担当者が用意してきた紙を感情を交えず読み始める。
「本日のコマリア沖で日本船籍の商船護衛を遂行していた護衛艦『せけんなみ』から臨検に向かおうとしていた内火艇が爆発・炎上し指揮官が行方不明になっているます。なお現時点で安否は不明です」担当者が状況を読み上げると記者たちが矢継ぎ早に質問を始め、内局の背広の官僚がそれに答えた。
「爆発・炎上したのは不審船からの攻撃を受けたのか?」「現在、調査中です」「臨検は誰の命令か?」「コマリア沖の商船護衛を命ぜられている艦隊には職務権限が付与されており、正当な公務の執行です」官僚はこの質問は予想していたのか淡々と答えている。
「行方不明者の所属、氏名は?」「護衛艦『せけんなみ』乗員、3等海佐、マツノテンジン、45歳」「生存の可能性は?」「状況から言って極めて厳しい事態が予想されます」この回答に記者会見場内が騒がしくなった。
「直美、今、テレビでマツノさんの名前を言ってたさァ。何かあったんねェ?」母もそれに気づいて娘の顔を見る。直美は顔をそむけて肩を震わせ、涙が頬をつたって流れ落ちた。

間もなく愛知県から電話が入り、電話口で義父はいきなり怒鳴った。
「一体、何をやってるんだ!」仕事から帰っても義母は夕食の支度をしていてニュースは見ていない。義父が最初にこれを知ったのだ。直美は黙って受話器を握り直した。
「私もニュースで言っている以上のことは聞いていません」「それじゃあ、まだ行方不明と言うことか?」「はい、自衛隊も捜索しているようです」「だったら見つかる可能性はあるんだな」「そう信じています」この義父も先ほどの会見で非情な質問を投げつけていた記者と変わらないように思った。
「何か判ったことがあればすぐに知らせろ」「はい、そうします」ここで義母と電話を代わったが、義母は完全に取り乱している。
「どう言うこと?、事故なの?」「まだ判りません」「あの子、無事でしょ、生きているよね」「そうです、あの人に何かあるはずありません」「絶対だよね。生きているんでしょ」「はい・・・」義母の質問は直美がすがるように信じている願いに疑問を投げかけるようなものだった。何の情報もない相手にどんな答えを求めているのか?義母は自分だけが当事者であると言っているように思える。しかし、義母は昂ぶる感情をさらに直美にぶつけてきた。
「何かあったら貴女を許さないよ。あの子を返して!」義母にとって素直に育ててきたはずの息子が背いたのはこの嫁との結婚が最初だった。
「親の許さぬ嫁との結婚が今日の事態を招いたのだ」と感情が暴走したのだろう。その余りに非常識な言葉を聞いた義父が受話器を奪い取った。
「兎に角、落ち着いて慎重に対応しなさい。何かあったら言ってくれ」義父はそう言って一方的に電話を切った。直美は受話器を置きながら涙を流し、母は黙ってそれを見ていた。

母が用意してくれた夕食を食べていると今度は光太郎から電話が入った。
「お母さん、ニュースで言っていること本当か?」光太郎のかすれた声は震えている。
「うん、基地の人が説明に来てくれたけどニュース以上のことは判らないって」「だったら行方不明ってことだね」光太郎は電話口でホッと溜め息をついた。しかし、直美は光太郎のように安堵はできない1つの記憶が鮮明になってきた。
「どうしたの?」返事をしない母に光太郎は一息飲んだ後、訊いてきた。
「うん、あの時間、お父さんの声を聞いたのさァ」「声を?」「すまん・・・後をたのむ・・・いつも一緒だって」「・・・それは」光太郎は絶句し、荒い息づかいだけが聞えてくる。
「だから私、お父さんの魂が会いに来たとしか思えないのさァ」「うん・・・」光太郎の返事は涙声になり、鼻をすする音が聞えた。
「そっちへ一緒に行くさァ、落ち着いて待っていてくれよ」「うん」その時、電話の向こうでみるくが泣き始め、ジェニーが黙らせようとしている声が聞こえてきた。夫はまだ初孫の顔を見ていないことを思い出した。

その夜、直美は1人、テレビのニュースを見ていた。
海上自衛隊のニュースは防衛庁が発表を控えているためか夕方の内容に推測が加わっているだけだが、中には「自衛官、戦死か」とアカラサマな見出しを入れている局もある。
アナウンサーが「行方不明になっているマツノ3佐は絶望的」と読み上げるのに耐えられなくなった直美がチャンネルを変えると音楽番組が懐かしのヒット曲を流した。
「・・・貴方 夢のように死んでしまったの・・・貴方約束したじゃない 会いたい」それは沢田知可子の「会いたい」だった。しかし、看護婦である直美はこの歌を耳にすると患者の死を思い出すためラジオで流れるとスィッチを切っていた。
歌を聞きながら直美は額に入れて飾っている家族写真を手に取って見た。その写真でも夫は直美と一緒にいることが嬉しくて仕方ないような笑顔でいる。直美には今までの出来事が遠い昔になって行くように思えた。
「貴方、会いたいよ・・・会いに行ってもいい?」そう言って直美は涙をこぼした。
直美は舞鶴時代、夫の不規則な勤務の合間に「熟睡できるように」と医師から睡眠薬を処方されていた。看護婦である直美には致死量はよく解っていた。
「貴方、待っていて・・・」「今ならまだ夫が遠くへ旅立つ前、追いつけるのだろうか・・・」直美がそんなことばかりを考えている時、耳に夫の声が聞こえてきた。
「直美、もう何時でも一緒にいるよ」「直美、好きだよ、ずっと・・・」驚いたように直美は顔を上げると、誰かが自分を後ろから優しく抱き締めた。その腕も抱き方も間違いなくいつもの夫だった。
「貴方・・・?」「ダーリンと呼んで」「馬鹿・・・」直美は抱き締められている胸を手で押さえ、笑いながら涙をこぼした。
私のニライカナイ・モリノ2尉遺影
翌日、防衛庁は「臨検に向かう内火艇がミサイル攻撃を受け、指揮官が行方不明になった」ことを正式に認めた。一方、私の捜索は継続されていたが救命胴衣が回収された以上、それを脱いだ状態で泳ぎ続けられる時間は限られ、「死亡」と言う事実が公然と語られるようになった。
突然、電話が鳴り、直美が受話器を取ると相手は一方的に話し始めた。
「マツノさんですね。△△テレビの者です。御主人が自衛官として初めて戦死されたことについてコメントをいただきたいのですが」私が「黙って切れ」と言うと直美もそうした。
また電話が鳴り、直美は取った。
「マツノさん、XX新聞です。貴女の夫は平和憲法を踏み躙るようなことをやったんです。それについて何か一言を」そんな電話が鳴り続け、やがて直美は受話器を外しておいた。彼らは電話帳で自宅の電話番号を調べ掛けてくるのだろうが、そこに家族の不安や苦しみを想いやる分別は微塵もなかった。
直美はこれ以上、自宅にいると母が取材を受けるのではないかと心配し、那覇の官舎へ行くことを決めたが、それは的中した。直美が休暇の申請に市役所に向かうと記者らしい男が玄関の案内係に「マツノさんのお宅は?」と訊いている。直美は突き倒したい衝動を感じたが、案内係と目を合わせないように通り過ぎた。
同級生である課長に必要事項を記入した休暇表を渡すと「どうも職員の間で『御主人が悪いことした』って評判でね。困ったことになったよ」と言った。沖縄県の職員労働組合は過激な活動で有名だが同僚の家族の安否不明まで平気で誹謗中傷する態度に直美は怒ると同時に哀しかった。
夫はそんな人たちを守るために命を掛けたのかと思うといたたまれず、市役所を後にして那覇に向かった。

「ネェネ、大丈夫ねェ」那覇空港には昌美が待っていた。実家に電話をして母に教えてもらったと言う。
「うん、何て言ったらいいのか分からないさァ」直美は無表情なままうなづいた。昌美は夜勤のため長くはいられないと申し訳なさそうに頭を下げたが、かえって直美は「忙しいのに悪いさァ」と詫びた。2人でタクシーに乗り、官舎へ向かった。
「自衛隊は何て言ってるねェ」「ニュースよりも少し早いだけ・・・でも、その話はここではまずいのさァ」直美は「自衛隊」と言う単語にこちらを見たルームミラーの運転手の目に気がついて言葉を濁した。
官舎の玄関を開けると、部屋の中はガランとしている。ただ、相変わらず部屋中に直美の写真が飾ってあるのを見て、昌美は呆れたように笑った後、哀しげな顔になった。
「二ィ二って浮気なんて絶対にしないよね」「浮気?そんなこと考えたことないさァ」直美と昌美はテーブルに向かい合って座ると自動販売機で買ってきた缶ジュースの栓を開けた。
「ニィニがネェネを悲しませるようなことする訳ないさァ。そのうちどうもスミマセンって出てくるよ」黙っていると部屋の空気が耐えきれないほど重くなってくるようで、昌美は場違いな軽口を叩き続けた。
「海を泳いで宮古島まで帰ってくるかも・・・」「うん・・・海はつながっているのさァ」直美のつぶやきに昌美は黙ってジュースを飲み、涙をこぼした。

そんな中、青森から光太郎と紀美が駆けつけてきた。
「お母さん!」光太郎はタクシーを下りるとそう叫びながら階段を駆け上がってきて、直美が玄関を開けるとそのまま抱き締めて涙を流し始めた。
「コラコラ、俺んだぞ」私が後ろで文句を言うと直美は肩を振って光太郎の腕を振りほどき、そこへ紀美が両手に荷物を抱えて上ってきた。
「ネェネ・・・少しは落ち着いたみたいで安心したさァ」紀美は姉の顔を見て少し表情を緩めた。直美はあの夜、抱き締められて以来、以前よりも身近に夫の存在を感じるようになっている。こうしていても問えば答えてくれることが実感できていた。
「あの人、ここにいるのさァ」「うん、いるよ」居間で2人を前に説明する直美の隣りで私も返事をする。それは直美を遺して死んでいることに想いが至らない自然な感覚なのだ。
「何言ってるのさ、まだ諦めては駄目」紀美は涙目をしながらも姉をたしなめ、光太郎は隣で腕を組み顔を強張らせている。でも本当にピッタリ寄り添っていた。
「それで部隊はどう言ってるねェ」「毎日、訪ねて来て説明してくれるけどニュースよりも少し早いだけで内容は同じなのさァ」光太郎の問いに直美は少し不満そうに答える。
宮古島まで説明に来た村上2佐と近藤2尉が交代で夕方、その日に判ったことを説明に来てくれるが、テレビを点けると同じことを言っているのが実際なのだ。
その横で私が「何でも訊いてくれ」と口を挟むと直美はうなづいて質問を始めた。
「テンジンさん、私、これからどうしたらいいねェ・・・」これも2人には独り言にしか見えず、怪訝そうな顔で互いを見合っている。
「死ねばずっとそばに、いつも一緒にいられるさァ」私の返事に直美は涙を浮かべる。
「直美が迷惑でなければ24時間、365日ずっとくっついて離れないよ」直美は涙目でもう一度うなづき「迷惑な訳ないじゃない。そばにいて・・・」と呟いたが、2人はむしろ母・姉の精神状態が心配になり顔を見合わせ小声でささやき合った。ただ、直美は私の腕の中で目を閉じて微笑んでいた。

夜、直美は愛知に電話した。
今日、基地から伝達された内容はすでにニュースでも報じており、義父はそれが不満そうだった。その鬱憤を嫁に向かってぶつけてきた。
「何度も電話をしたのに話し中だったぞ、どこに電話していたんだ」「いいえ、新聞社から取材の電話が鳴り続けるので受話器を上げていました・・・」「それじゃあ、ウチからの連絡ができないじゃないか。何とかしろ」「何とかしろと言われてもどうしようも・・・」直美は連日の取材攻勢を思い出し、悔し涙をこぼした。
直美が那覇の官舎に来たことを知った記者たちは取材に押し掛け、電話も鳴りっぱなしになっている。基地は記者の官舎地区への立ち入りを禁じてくれたが、出入りする奥さんや子供に取材を掛けている。最近では「悲劇の妻」として直美個人の情報まで漏れ始めているのだ。
そんな妻の姿が辛く「ごめん」と謝ると直美は「うん」とうなづいて受話器を置いた。

そんな1週間が過ぎて紀美が三沢へ帰る前日、直美のもとに先日と同じ村上2佐と近藤2尉が2人で訪ねてきた。
居間の座卓の向うで村上2佐がアタッシュケースから書類を取り出して話を切り出した。
「マツノさん、今日は御主人の死亡手続きについて御説明に伺いました」村上2佐の横で女性自衛官の近藤2尉が心配そうに顔を覗き込むようにしている。
「先ず戸籍法89条の規定により水難、火災、その他の事変によって死亡した者がある場合には、その取り調べ官庁又は公署は死亡地の市長村長に死亡の報告をしなければならないとあり、今回の場合、防衛庁・海上自衛隊がこれに当ります」ここで村上2佐は紀美が出した茶をすすり、近藤2尉もそれに倣った。
「また民法30条第2項には、戦地の臨みたる者、沈没したる船舶に在りたる者、その他死亡の原因たる危難に遭遇したる者の生死が、戦争の止みたる後、船舶の沈没したる後、又はその他の危難の去りたる後、1年間分明ならざる時は失踪の宣告をなし得る。これはマツノ3佐の行方不明の場合、1年が経過した時点でその権利が生じるのですが・・・」ここまでの説明に直美は「権利ですか・・・」と呟いた。
「しかし、御主人は行方不明直後から捜索を実施し、詳細な状況も判明しており、何よりも救命胴衣なしで外洋から陸に泳ぐつくことは不可能と考えざるを得ませんから・・・失踪宣告ではなく事実として認定死亡を報告せざるを得ないのです」村上2佐はあえて感情を交えず事務的に説明した。
家族にとって夫の死を認めないですむのなら永遠に待ち続けると言う選択もあるだろう。これはむしろ手続きを求める周囲の都合なのかも知れなかった。
「もちろん1年を待つことも選択ですが、それでは何も進まないことになり・・・」近藤2尉はそこまで言って女性の気持ちに想いが至ったのか言葉を詰まらせた。自分が将来結婚し、夫が同じことになれば妻として帰還を最後まで待つことを望むかも知れない。その様子を見て村上2佐が言葉を接いだ。
「奥さんのお気持ちも理解できますが、色々な手続きもありますから・・・」公務員にとって遺族手当などの手続きは死亡の認定から始まる。何よりも死亡の認定により区切りをつけなければ、現在の捜索を縮小することはできないのだ。
「判りました。手続きをさせます」黙っている直美に替わり光太郎が答え頭を下げた。
「それでいい?」「うん、仕方ないさァ」独り言の問い掛けに私が答えると直美は少し口元を緩めゆっくりうなづいた。その不思議な表情を見て村上2佐と近藤2尉、妹と息子も顔を見合わせていた。

「いつも一緒にいる」との私の遺志で部隊葬は辞退したが、海軍軍人の作法として水葬が行われた。
直美はその日、看護師の白衣を着て、たまたま沖縄周辺海域で行動していた護衛艦「しろたえ」に乗艦したが、愛知からきた父は「仕事着で何だ」と立腹し、沖縄の家族は「思い出の服だから」と納得していた。しかし、私だけはその真意が判っている。白の喪服は妻の「二夫に嫁さない」=再婚しない覚悟を表しているのだ。私は直美の気持ちは胸に深く受け留めたが、これからの人生を想うと迷っていた。
水葬の遺骸は出動中殉職の2階級特進(通常の殉職は1階級)により1佐の階級章を着けた白の詰襟の第2種夏服の中に毛布で身体を作り、露出部位には包帯を撒いて人間のようにする衛生隊の技法で、棺ではなく布袋に納められ、上には軍艦旗が掛けられた。
ホワイトビーチから沖へ航行する「しろたえ」の後部甲板に関係者が整列し、佐世保音楽隊が儀礼曲「海の防人」を演奏し、参列者が「・・・我らこそ海の防人」と口ずさむ中、儀仗隊員が捧げ銃の後、弔銃を発射し、板に乗せられた遺体袋が海中に投じられた。その時、賀真、岸田と一緒に光太郎が私の遺骸にむかって敬礼をした。
「やっぱり2尉ィニの息子さんだね(もう1佐だよ)」賀真の言葉にその場にいた義父母、父母、5人の義妹たち夫婦も涙した。やはり光太郎はよく出来た息子なのだ。
列席していた「しろたえ」の臨検隊員たちは艦尾の自衛艦旗に向かって「マツノ1尉!」と絶叫を続け、何だか我が海軍の英雄・広瀬武夫中佐のようになってしまった。
しかし、「遺骨は海に」と言う直美が許さなかった希望だけは実現したのだ(後日、某新聞は「海上自衛隊が廃棄物を海上投棄」と皮肉に報じたが)。

官舎に戻った直美は第5航空隊本部に出向き夫の遺品を受け取った。
夫の遺品は意外なほど何もなく、ロッカーや机の引き出しを開けても中はきちんと整理されていて、生前、夫が「軍人たる者、何時死んでも見苦しいことがあってはならない」を口癖にして几帳面な生活態度に努めていたことの意味が哀しいほど解った。
ただ、どこにも直美の写真が入っていて、ロッカーのドアには若い日の恥ずかしいような写真があり、家族は涙をこぼしたが、愛知の父だけは「トロイ」と怒っていた。
段ボール箱に詰めた私物品は求める人には形見として配ったが、「お守りにします」と小物を希望する人が多く、「貴方らしいね・・・」と思いながら直美は手渡した。

その夜、私は沖縄の母と賀真夫婦が泊まっている官舎のベランダで佇んでいた。直美も光太郎も事件以来の緊張から開放されてもう眠っている。私は直美の上の重なり、大好きな寝顔に、そっと口づけをしてみた。
「ここが安心・・・」直美は寝言を呟いた後、涙を一筋流した。

愛知の両親は長男の嫁として地元に来るように言ったが直美はそれを拒んだ。結婚が決まったお通りの夜、夫が言っていた「親が変わるのを待つだけです。変わらなければもう愛知には帰りません」との言葉の意味を今回噛み締めたのだ。
愛知の両親は何も変わっていない。ハッキリ拒絶した直美に愛知の親は「だから沖縄何かで結婚するからだ」と吐き捨てた。そんな直美を責める言葉が私も許せなかった。何よりも私は海軍軍人、シマンチュウなのだ。

愛知の父は帰宅した後、「世間体が立たない」と地元で葬儀をやったが、遺骸も遺骨もなく、遺影は高校時代の写真、何よりも妻子が出席しない葬儀ではかえって世間からあらぬ噂を立てられたらしい。
私としても浄土真宗の坊主に禅宗の坊主から引導を渡され、戒名をつけられては堪ったものでなく、無視したから単なるセレモニー=無駄遣いになったようだ。

官舎を退去する時、厚生隊に戻っていた大下美幸2曹が点検に来た。
「マツノ1佐の奥様ですか?」「はい」「私、マツノ1佐には江田島でもお世話になって・・・」そこまで言って大下2曹は口をつぐんだ。
「そうですか、それは主人が大変お世話になりました」「はい、私・・・」それでも大下2曹は何も言えないでいる。
「スイマセン、誤解しないで下さい。私が勝手に・・・マツノ1佐は奥様のことだけを想っていて私なんかが入り込む隙間はありませんでした」大下2曹は涙をこぼした。これでは誤解が益々深くなってしまう。私は両者に掛ける言葉に悩んでいた。
「マツノ1佐には色々と相談にのっていただいたのですが・・・」ここまでで大下2曹は両手で顔をおおい声を上げて泣き崩れた。
「ねェ、こんなに貴方のことを思っていてくれる人がいるんだよ」「うん、彼女は哀しいことを抱えていたんだ」膝をついて泣いている大下2曹の前で私と直美は会話した。
「私だけじゃなくてこの人も見守ってあげなさいよ」「うん、君が許してくれるなら」話がまとまり直美は大下2曹の肩に手を置いて語りかけた。
「大下さん、ウチの人が貴女も見守っているって」「えッ、マツノ1佐がですか?」大下2曹は怪訝そうな顔を見上げ、直美は自信に満ちた顔で見返した。
「マツノ1佐は『自分にどんなことがあっても奥様とお子さんの幸せだけを願っている』と言っておられました」「それに貴女も一緒にって言うことさァ」大下2曹はようやく立ち上がり、官舎の中の点検を始めた。
「何だかマツノ1佐の匂いがするみたいです。ジバンシーの柑橘系ですよね」大下2曹が妙なことを言い出し、後ろで直美が私を問い詰め始めた。
「貴方、どうしてこの人がそんなことまで知ってるねェ」「それは違う、女の勘だよ」「だってあれは私があげたジバンシーのシ―クワサーさァ」我が家では柑橘系のオーデコロンを沖縄の果実・シ―クワサーと呼んでいたのだ。リアルな独り言に大下2曹は呆れて振り返り、直美と顔を見合わせ、「ひょっとしてハンカチの人?」と言われうなづいた。
大下2曹は「思い出があるから」と私の水泳パンツを形見に希望したため、また疑われてしまったが水泳パンツだけに濡れ衣である。

お宮参りに行くため直美は晩秋・初冬の青森へ出かけた。
「お母さん、いらっしゃい」「光太郎、おめでとう」「出産と間もなくお誕生日さァ」青森空港のロビーで待っていた光太郎に直美は笑顔で声をかけた。私の悲報に駆け付けてくれた光太郎・22歳直前は、この経験を通じてどことなく一皮むけて大人の風格が身についたようだ。
「ジェニーもみるくも元気?」「おかげ様で」こんな挨拶もどこか板についている。青森から三沢に向かう車の中で親子隣り合って坐りながら光太郎は色々な話をした。
「紀美叔母さんには本当にお世話になっているよ、それからお祝いとお悔やみは一緒に出来ないって昌美叔母ちゃん、安美叔母ちゃん、育美叔母ちゃん、賀真叔父さんから送ってもらったさァ」「里美はくれなかったねェ?」「あっ、抜けてたよ」「やっぱりね、ハハハ・・・」直美の7人姉弟には光太郎は未だに手こずるらしい。

「メンソーレ」光太郎がアパートの呼び鈴を鳴らすと、みるくを抱いてジェニーがドアを開けた。ジェニーは光太郎以上に母親の顔になっている。
「みるく、グランドマミィだよ」先に直美がみるくの顔を覗き込みながら声を掛けた。
「イエス、グランドマミィ」ジェニーはみるくを見せながら、直美の言葉を繰り返した。
「この子、ジィジに似てるさァ」直美の意外な指摘にジェニーと光太郎は顔を見合わせた。
「そうかなァ、紀美叔母さんはジェニー似でハンサムだって言ってるよ」「ジィジも若い頃は『私に似て』ハンサムだったのさァ、この子は砂川家の顔なのさァ」そう言いながら直美はみるくの頭を優しく撫でた。
「おトォのひ孫だ・・・」直美はもう一度、嬉しそうに、そして自慢そうに繰り返した。
「砂川家の顔、つまりマツノ家に似ていない」ことに、私も何故か安心していた。
「そうそう、君は綺麗だよ」隣で私が同意すると「でしょ」と直美はうなづいた。
「お父さんも同じ意見だって」「ジィジって砂川賀満さんでしょ・・・」直美の言葉に光太郎は考え込み、ジェニーは母子の顔を見比べて困った顔をしていた。
「どっちにしてもハンサムなのは間違いないのさァ、あまり深く考えないこと」「うん」直美が出した結論にようやく光太郎は安心して微笑んだ。
「そう言えば紀美叔母さんが、お母さんは優等生、お父さんは勉強家だったけど、俺は誰に似たのかって言ってるさァ」光太郎は少し口を尖らせて質問した。光太郎の半分冗談、半分切実なこの質問に、ジェニーも直美の答えを期待半分、心配半分の顔で待っている。直美は愉快そうに笑いながら答えた。
「それは本多光太郎先生さァ、本多先生は大器晩成だったのさァ」「うん」「Yes」直美のいつもの答えに光太郎とジェニーは黙ってうなづいた。
「俺って名前の通りの人間なんだァ」そう言いながら光太郎は沖縄の本尊・ミルクユガフの名前をもらった我が子が、どんな人間になるのか先走った心配を始めた。
「この子は、私たちに似てもジェニーに似ても優等生、アンタに似たら大器晩成なのさァ」直美の言葉にジェニーは大きくうなづいた。

翌日は大安吉日、直美と光太郎、ジェニーとみるくはお宮参りに出かけた。
「お義母さん、マツノ家は佛教徒のはずなのに神社へお参りするんですか?」スーツに着替え、化粧を終えたジェニーが、リビングでみるくを抱いている直美に訊いてきた。
「日本は神も佛もある国なんだって。神様だって八百万柱もいるんだから」よくわからない直美の説明にジェニーは首をかしげた。実は直美自身も夫の請け売りでよく判っていないのだ。
スーツに着替えた光太郎は、そんなことにはお構いなしに隣でカメラの準備をしている。
「ところでどこの神社に行くねェ?」その背中に直美が声をかけた。
「やっぱりサムライらしく八戸の櫛引八幡宮さァ」質問に光太郎が答えた。
「櫛引八幡宮は近いねェ?」「俺の職場に方だけど基地とは反対だなァ」「神主さんのお祓いは受けるねェ」「もちろん、予約済みさァ」「すごーい本格的さァ、私も初めてだよ」直美が感心すると光太郎が訊き返した。
「俺の時は、お祓いはしてもらわなかったの?」「官舎の近所のお宮には普段は神主さんがいないのさァ、だからお父さんがお経をあげてお参りしたのさァ」「それじゃ本当に佛教も神道もゴッチャのお参りだったんだ」今度は光太郎が感心した。
「本当に日本は不思議な国ですね」ジェニーは益々訳が判らなくなったようだ。
「だから神様にも佛様にも守ってもらえるのさァ」この答えが直美式の信心だった。
「ハワイだって島の神様とキリスト教の神様の両方を信じているじゃないかァ」光太郎がそう補足するとジェニーは、ようやく納得した顔でうなづいた。それを見ながら光太郎は今、思いついたような顔で直美に訊いた。
「それとも『みるく』って名前を考えたらお寺にもお参りした方がいいのかなァ」「だったらお寺と梯子すれば好いさァ」今度は直美が珍しく自信なさそうな顔をした。
「本当?」「どう、テンジンさん?」光太郎の確認に直美が私に助けを求めてきた。
「それが好いね」「よかったァ」私の答えにまず直美、次に光太郎とジェニーが安心した顔でうなづいた。しかし、主役のみるくは直美の腕で眠ってしまっている。

お宮参り、お寺参りに家族写真撮影から帰るとジェニーの胸でミルクをもらい満腹になったみるくを直美が受け取って寝かせつけ始めた。
「天からの恵み 受けてこの世界に 生まれたる我が子・・・」直美が「童神」と言う沖縄の子守歌を唄い始めると、それを光太郎とジェニーは並んでジッと聞いていた。
「お母さん、好い歌だねェ」「本当、涙がでそうです」2人が口々に褒めてくれた。
「これはお父さんに習ったのさァ」「へーッ」若夫婦は顔を見合わせた。
「お父さんは子守りが趣味で、いつもアンタを抱いて沖縄の子守唄を唄っていたのさァ」直美の説明にジェニーが羨ましそうに顔を見と光太郎はゆっくりうなづいた。
「俺、覚えてないなァ」「そりゃそうだ」直美は可笑しそうに笑った。
「童神」が終ったところでみるくは目を閉じて眠ったようだ。それを見て光太郎が隣の部屋へ子供布団を敷きに行った。
「うふむらうどゥんぬ かどなかいい みみちりぼうじぬ たっちょんどォ・・・」直美の子守唄は、「耳切り坊主」になった。ジェニーはまた聞き入っている。
「これもお義父さんに習ったんですか?」「そうさァ、これは少し怖い歌さァ」これは沖縄方言の歌でジェニーには少し難しいようだった。
ジェ二―は光太郎が戻ってくると通訳を頼み、「大きな村の御殿の角に、耳切り坊さんが立っている」と言う意味を聞いて大袈裟に「怖いですねェ」と相槌を打った。
「お父さん、どこでこんなに沖縄の歌を習ったのかなァ」「それは謎さァ、ただ沖縄のことは何でも好きでよく勉強していたさァ」「やっぱり勉強家だったんだねェ」光太郎はいつも紀美に言われていることを思い出して言った。
「でも沖縄のモノでは直美が一番好きだよ」私が耳元で呟くと「うん、ありがとう」と直美が嬉しそうに答え、その様子を光太郎とジェニーは呆れた顔で見た。
「お父さん、何だって?」「内緒さァ」光太郎の質問に直美は笑って答えなかった。
突然、直美は思い出したように「アロハオエ」を唄い始めた。
「お義母さん、どうしたんですか?」ジェニーが驚いて訊いてきた。
「お父さんは光太郎に『英語を教える』ってハワイアンを唄うこともあったのさァ」「へーッ」「光太郎はアロハオエも子守唄にしていたんだよ」「何だか、ジェニーと結婚出来たのもお父さんのおかげみたいな気がしてきたよ」ここでジェ二―が代わって現地語のアロハオエを歌い始め、本場の歌に「流石さァ」と言いながら直美と光太郎は聴き惚れていた。
やがてジェニーは、みるくが眠ったのを確かめて直美から受け取り布団へ連れて行った。直美は息子夫婦の連係プレーに感心と安心した表情で母子の背中を見守っていた。

沖縄へ戻った直美は砂川家の隣に作らせてもらった私の墓に参った。碑銘には「海軍大佐 マツノテンジン」と並んで「直美」と刻まれている。遺骨はないので骨壺には夫が朝まで使った歯ブラシと髭剃りが入っていて、直美も「自分が死んだら同じ海に散骨して欲しい」と願っていた。
「テンジンさん、私たちの孫は可愛かったさァ」「君に似てな」「うん、ありがとう」直美の言葉に私が応えると祖父母の会話が始まった。
「貴方と私の命が続いていくんだよ、見守って下さい」そう言うと直美は手を合わせ目を閉じ、唇をキュッとつぶった。その唇に口づけたのが直美には分かるようだ。
墓へは海からの風が吹き抜けていて直美の髪をなびかせている。その時、直美の耳に歌声が聞こえてきた。
「誰もいない海 2人の愛を確かめたくて・・・走る海辺の眩しさ 生きもできないくらい・・・」それは始めてキスをした時、私が口ずさんでいた南沙織の歌だった。
「好きなんだもの 私は今 生きている」直美は続きを口ずさんだ。 

光太郎は曹候補士としてはやや遅れ気味ながら3等海曹に昇任し、横須賀での初任海曹課程を終えて部隊に戻った。
「マツノ3曹、君の今後のことだが」部隊に戻ると光太郎は整備分隊長と先任海曹の面接を受けた。
「沖縄へ転属させて下さい」光太郎は即答した。これはジェニーとも話し合い、入校中にも考え続けていた希望だった。
分隊長と先任海曹は顔を見合わせてうなづき合ったが、部隊としても自衛隊初の戦死者の息子をどう扱うかは難しい問題であり、沖縄へ帰せば未亡人となった母親を守るためと言う大義名分も立つのだ。
「問題は妻の方ですが」「奥さんは米海軍だろう。こちらからお願いはできんな」と分隊長は首を振ったが、ジェニーはすでに嘉手納への転属希望を上げていて、光太郎が実現すれば同時進行で実現する手はずになっているのだ。

出勤前に私の墓を参ることが直美の日課になっていた。
そんなある日、前日に供えた花が抜き取られ、地面に踏み躙ってあった。
さらにある日、墓の前に汚物が撒かれていた。
そしてある日、墓石に赤いペンキがかけられ、「戦争犯罪者を許すな」と書かれた板が立て掛けられていた。
直美には心当たりがあった。それは市役所の職員でも労働組合の活動に積極的な者が島内の公立学校の教員たちと共同で直美の周辺で情報を収集していると言う話を親しい同僚から教えられたのだ。しかし、課長に相談しても「労組には手を出せない」と首を振るばかりだった。
彼らは私の死を「日本が戦争になだれ込む口火を切った戦争犯罪」と糾弾し、その断罪と称して嫌がらせを始めているのだ。
直美はこのような者を守るために私が命を捧げたのかと思うと悔しさと哀しみが抑えられなくなり、墓の前で声を上げて泣いた。私はその背中をさすりながら「俺の骨壺は出しておいた方がいいな」とアドバイスをして直美は墓の前部を開け遺品が入った骨壺を取り出して家に持ち帰った。案の定、次には墓が暴いてあったが中身は無事だった。
やがて直美は市役所を退職することを申し出たが、勧誘したはずの課長は引き止めなかった。

「おカァ、行ってくるさァ」「元気でね、心配いらないよ、チバリヨウ」直美は母に見送られて宮古港からのフェリーに乗り込んだ。あの島の保健師に復帰したのだ。

「マツノさーん、お帰りィ」連絡船が到着すると、島の人たちが出迎えてくれていた。
小父さんはお爺さんに、小母さんはお婆さんになっていたが、20代だった直美も40を過ぎている。あの頃のお爺さん、お婆さんたちは殆んど亡くなっているだろう。
「元気そうさァ」「また来てくれてありがとう」「よろしく」小母さんが次々と手を握ってきた。どの顔にも見覚えがあり名前も呼べそうだ。
「今日は、旦那さんは?」小母さんの1人が連絡船の方を探しながら訊いてきた。
「一緒に来てるさァ」「エッ?」直美がそう返事をすると小母さんたちは顔を見合わせた。
直美が肩にかけていたショルダーバッグから今回作った「海軍大佐 マツノテンジン」の
小さな位牌を取り出して見せると小母さんたちは一瞬、黙った後にかすれた声で訊いた。
「いつねェ?」「もう1年になるさァ、でも息子に孫が生まれたから私もまた頑張ることにしたのさァ」直美の話に小母さんたちは一斉に涙目になった。
「結末、哀しかったね」「ううん、今も一緒さァ」直美がそう言って位牌にキスして見せると小母さんたちはようやく笑ってくれた。
「君の夢なら一緒に見たいのさァ」「うん、がんばろうねェ」私が呟いた台詞に答えて直美は潮風の中で大きく伸びをした。

光太郎とジェニー、みるくが宮古島に帰省して来たのに合わせて直美も休暇を取った。
「お母さん、お帰りィ」「マミィ、お帰りなさい」フェリーターミナルまでは光太郎とジェニー、みるくが義母の車で迎えに来ていた。
身長180センチを超える光太郎は小柄な人が多い沖縄ではよく目立ち、揃いのTシャツとキャップにサングラスをかけて、ジェニーと並んでいると外国人のカップルのようだ。
「オーイ」直美が船の上から声をかけ手を振ると、それを見つけた光太郎が水兵らしくラッタルを一気に駆け登り直美の荷物を受け取った。
「帰ったさァ」直美は光太郎より先に立って下船してジェニーと腕に抱かれたみるくに歩み寄った。直美がミルクに顔を近づけていると光太郎に習ったのかジェニーが「ハイサイ」と沖縄式に挨拶をする。
「ハハハ・・・ハイサイ」直美の笑い声に続けた挨拶に光太郎とジェニーは大笑いした。
「3人とも元気そうさァ」「お母さんは元気ねェ?」「保健師が病気にはなれないさァ」こうして久し振りに会うと光太郎とジェニーは並んで立つ姿も夫婦らしくサマになっている。直美は安心したように笑いながら何度もうなづいた。
「お父さんにも挨拶するさァ」そう言って直美がショルダーバッグから私の携帯位牌を取り出して見せると2人は顔を見合わせた。
「お母さん、相変わらずベッタリ一緒ねェ」光太郎の言葉にジェニーは少し羨ましそうな顔をした。その時、いきなり光太郎が気をつけをしてジェニーも反射的にそれに合わせた。
「お父さん、服務中異常なし」光太郎が敬礼をするとジェニーもそれに倣って敬礼をした。
「やっぱりそうなるかァ、ハハハ・・・」直美は2人の様子を呆れたように見ながら、また可笑しそうに空を見上げ口を開けて笑った。
「カモメの子はカモメさァ」光太郎の上手い造語に直美はさらに大笑いをした。

光太郎とジェニー、みるくは那覇市のスーパーへ子供用品の買い物に出かけた。
「マツノ君?」3人で子供服の棚を除いていると光太郎は突然、後ろから声をかけられた。振り返るとそこには内田麻子が立っていた
「内田さん?」麻子は同年輩の男性と一緒だった。
「こちら主人です」「仲村です」麻子の紹介に男性は名乗って会釈をした。
「こちらマツノ君、江田島で近所だったの」麻子の紹介に合わせて光太郎も会釈をする。
「マツノ君は海上自衛隊員さァ」麻子の説明に一瞬、夫は顔を強張らせた。
「妻のジェニーです」光太郎がジェニーを紹介すると麻子は少し対抗心の、夫は羨望の表情を見せたが、ジェニーは黙って光太郎の顔を見た。
「奥さん、赤ちゃん・・・」麻子はジェニーが抱いているみるくの顔を見た。
「はい、もう8カ月になります」ジェニーが自然な日本語で答えると2人は一瞬驚いた顔をした。
「内田さん、ゴメン仲村さんかァ、仕事は?」「今は那覇の大学で講師をやってるよ」光太郎は麻子の答えに麻子同様に優等生そうな旦那さんの顔を見て、「教師仲間かなァ」と勝手に納得していた。
「それじゃあ、またね」麻子は小さく手を振ると夫婦で歩き出した。
「あの人、前にビーチで会った人ね」麻子たちの背中を見送りながらジェニーは呟いた。
「ただの幼馴染だよ」光太郎の返事にジェニーは黙ったままうなづいた。

ある日、宮古島の実家経由で直美の元に妙な手紙が届いた。それは防衛協力会からの「マツノテンジン1佐の靖国神社への合祀について」と言う賛同趣意書だった。
文面には夫の経歴から家族構成、そしてコマリアでの戦死の経緯が詳しく並べられ、戦死者である以上、英霊として靖国神社に合祀されるべきだと結論づけてある。
その時、直美の胸に光太郎の入隊式の帰り、夫と賀真が電車の中で話し合っていた言葉が浮かんだ。
「俺は靖国が嫌いなんだ」日頃、言葉を選んで話す夫には珍しく、あの時は興奮気味に語っていた。それほど靖国に対しては強い嫌悪感を抱いていたのだろう。
「貴方、どうしよう」「勿論、断固拒否」「だよね」直美はうなづいた、
「だけど相手が防衛協力会だからなァ」「手強いの?」「自分たちだけが味方だぞって顔で、勝手なことを押しつけて来るんだ」「これもそうだね」「うん」直美と話をしながら私はかつて山口県在住の殉職自衛官のクリスチャンの妻が、護国神社への合祀を強行され、信仰を理由に告訴したことを思い出した。しかし、光太郎や賀真、岸田が現職でいる以上、手荒なことはしたくない。そこで直美にこの3人に連絡を取ることを指示した。

「お父さん、靖国神社が嫌いだったの?意外だなァ」電話を受けた光太郎は呆気にとられた。確かに「軍神」と仇名されていた生前のイメージから想像できないことだろう。
しかし、生前、父が賀真叔父に語っていた拒否の理由を説明すると光太郎は納得した。

「うん、覚えてるさァ。ニィニは靖国が許せんって怒っていたさァ」次の賀真は即座に納得した。むしろ直美を通して今後の戦術を相談し始め、私の存在を認めたようだった。

「それは困りますね。防衛協力会は自衛隊の支援団体ですから」やはり岸田の反応は自衛隊の常識の枠にはまっていた。これは予想されたことだったので私は直美にこう言わせた。
「あの人が何で靖国が許せなかったと言うと馬関戦争の時、戦死した高杉晋作の長州兵は軍神として祀っても、小倉藩の兵は賊軍として踏みにじっているからだって」「えッ、それはマコトね?それは初耳たい。俺も靖国が許せんばい」これで岸田も同調した。

そして直美は趣意書の記名欄にマツノテンジンの妻として夫が生前、山口県の護国神社訴訟に関連して殉職しても合祀されることは拒否すると明言していたこと。また浄土真宗で得度を受けた僧侶であったこと。さらに遺族としても本人の意志を尊重したいこと。これは親族の総意であることを記して返送した。
続いて直美にむつ市の菩提寺へ「靖国神社への合祀を強制された時には協力を願う」と電話をさせた。あとは相手の出方次第だ。

直美の合祀拒否の回答を受けて防衛協力会は対応に悩んでいた。
趣意書を全国に発送してしまった以上、これを取り下げることはできず、かと言って裁判に持ち込まれることは最近、続いている靖国訴訟へのマスコムの報道を見ても避けたい。
そこで搦め手から攻めてきた。故人(私)の両親が健在であることを確認すると地元の神社を通じて合祀への賛同を申し入れたのだ。
年老いて社会から忘れられていくことを不満に思っていた父親は、地元の名士である宮司の来訪を受けて舞い上がり、その場で賛同趣意書に署名、捺印したが、断絶状態の嫁の説得はやはり無理だった。さらにこの件を嗅ぎつけた麻子の夫・仲村が取材を申し入れてきたことも今回は後押しになった。

光太郎は沖縄に赴任して苦労していた。寒冷な八戸と高温多湿の沖縄では機体にかかる負担が異なり、発生する故障も微妙に違うため今までの経験が活かせないのだ。
「なんだァ、即戦力を期待していたが、外れクジだったな」「軍神・マツノ1佐の息子も鷹がトンビを生んだみたいだ」「親の七光も眩しくないよ」などとベテラン海曹から言われ、家に帰ってジェニーに慰められることが多かった。
「光太郎、貴方は仕事を1人でやろうとしていない?」ジェニーは同じ整備員としてのアドバイスをする。
「1人でって言われても職人は自分の腕で勝負だろ」光太郎は水産高校出身だが、航海科であったため機関科の出身者ほど機械いじりには馴れていない。だから人に負けないよう努力を積み重ねてきたことだけが誇りなのだ。
「結局、整備の仕事はチームプレイよ。チームマネージャーが統制して、その指示通りに各プレイヤーが自分の役割を確実に果たしていくことで航空機が飛べるのよ」光太郎は妻からのアドバイスが説教に聞こえ素直にうなづけなかった。仕方ないのでみるくをあやしながらそれを考えてみた。

そんな3月に砂川3佐=賀真が83空隊検査隊長として那覇へ転属して来た。
賀真は千歳に家を建てたため、日本縦断の単身赴任になっている。
「おーい、元気か?」海上自衛隊と航空自衛隊の格納庫は道路を挟んで隣り合っていて、光太郎が歩いていると会うこともあり、会うとこうして声をかけてくれる。
「御苦労様です」光太郎が真面目に敬礼をすると賀真は「おう」と気軽に答礼した。
「昼飯は弁当か?」「はい、ジェニーが作ります」とは言っても最近のオカズは「健康に良い」「ダイエットに好い」からと野菜中心の日本食で、それを見たベテランたちからは「何だ、ウチと変わらないなァ」と呆れられていた。
「御家族は皆さん、お元気ですか?」「俺にまでそんな喋り方をするなよ」「はい・・・」と言われてもそれは光太郎の性格だから仕方ないだろう。
「こう暑くては北海道に残って正解だよ」「やっぱり」「それに野菜も魚も美味しくないってさ」「やっぱり・・・」賀真は妻の出身地である北海道や青森の海の幸、山の幸に口が馴染んでしまい、やはり沖縄の食材は口に合わないのかも知れないと思いながら光太郎も八戸の頃に食べた美味しい食べ物を思い出して喉を鳴らした。
「その分、子供たちは海で泳ぎたいって言ってくるけどな」「そうですか」賀真の子供は中学生の姉と小学生の弟で、弟は光太郎の父から一字もらって「賀典」と言う。
「宮古島へは?」「ゴールデンウィークには帰るワ」賀真には何年ぶりかの帰省になる。
「たまには航空自衛隊の整備も見てみるかァ、こっちは本格的だぞォ」「いいんですか?」賀真の誘いに光太郎は素直に喜んで、一緒に昼休み中の格納庫へ入っていった。
父が若い頃、航空機整備員としてこの格納庫で頑張っていたことがあり、床のコンクリートの染みが父の汗の跡のように思えた。
「流石に構造が複雑ですね」「そうだろう」光太郎が整備中の機体を覗き込みながら感心すると賀真は自慢そうに答えた。
光太郎は興味深そうに機体の下をくぐりながら見て回り、賀真は横に立って声をかけてきた。
「そう言えば、嫁さんも嘉手納で同じ機体を整備しているんだろう」「はい」「家で仕事の相談なんてするのか?」「うーん、ノーコメントです」「そうだな、米軍も一応は外国軍だから秘密保全もあるしな」「はい」自衛隊以上に秘密保全が厳格な米軍の整備員が口が軽い訳がない。ジェニーは急な残業が入っても具体的な仕事の内容は一切、説明しないのだ。
「それにしても航空自衛隊のパイロットって、よくこんな窮屈なところに座って何時間も飛んでいられますねェ」光太郎はラダ―に登り、コクピットを覗きながら感心した。
「海上みたいな長時間飛行はないからな」「ウチは半日飛びっぱなしです」「航空自衛隊も空中給油機が導入されたから、これからそうなるかなァ」そこまでで光太郎は腕時計を見て、賀真にお礼を言って見学を終了した。
「何だか、父に会えたような気分です」「そうか・・・」格納庫の外まで送って出た賀真に感想を言うと、賀真も光太郎の父が若い頃、ここで勤務していたことに気づいて、シミジミと思い出を噛み締めるような顔をした。

みるくが1歳になり、ジェニーが職場復帰して数カ月がたった頃、政情不安定が続いていたアフリカ中部で地下資源を巡る大規模な戦争が始まって、米国政府はEUとともに軍事介入を決定し、NATO軍と合同軍を編成し、本格投入した。

戦争が始まって数カ月のある日、いつものようにみるくを託児所に迎えに行った光太郎がアパートに帰ると、ジェニーは先に帰っていた。
ジェニーは薄暗くなっている部屋で、明かりも点けずに迷彩服のまま窓辺に立っている。ジェニーに気がついたみるくは最近覚えた「マミィ」と呼びながら腕で喜んで両手を伸ばし、光太郎は大股に妻に歩み寄った。
「光太郎、私に出撃命令が出ました」ジェニーはみるくを抱きとめながらつぶやくように言った。その声はかすれ、少し震えている。
「リアリィ(本当)?」光太郎はまだ信じられないでいた。信じたくはなかった。
「私は戦争に行きます」ジェニーはもう一度繰り返すとみるくを抱き締めて、頬にキスをした。みるくは頬がくすぐったそうにしながら嬉しそうに笑っている。光太郎の胸にはジェニーと出会ってから今日までの思い出と親子3人の生活、そしてテレビや新聞のニュースと部隊での教育で知る戦争の状況が一気に迫って来て、何も考えることすらできないでいた。
今度の戦争では戦争当事国の軍だけではなく、重武装した過激派、強盗海賊団による米軍、NATO軍の基地、兵員へのゲリラ攻撃が多発していて、現地の混乱はピークに達し、最早、安全な米軍、NATO軍基地などはない。それ故に日本政府は米国からの強い要請にも関わらず自衛隊の派遣を躊躇っているのだ。
その時、光太郎は同じくアフリカへ出撃する前、父が「お前はジェニーと生まれてくる子供を守ることを考えろ」と言っていたのを思い出した。光太郎はもう一歩、歩み寄るとジェニーとみるくを一緒に抱き締めた。
「光太郎・・・」ジェニーは一瞬ビクッと体を硬くしたが黙って光太郎の胸に顔をうずめた。ジェニーの髪からは汗と少し航空燃料の匂いがした。
その時、2人の間でみるくが苦しそうに「グエッ」と呻り、父母は心配して我が子の顔をのぞいた後、お互いを見つめ合って涙を流しながら笑った。

「私は合衆国軍人として国家への義務を果たさなければなりません」宮古島の実家で出征することを報告したジェニーは義祖母と義母、島に住む義叔母たちの前でそう言い切った。光太郎は黙ってその決意に満ちた妻の横顔を見詰めていた。
座敷の梁からはジェニーにとっては義曽祖父母と義祖父、そして海上自衛隊の詰襟の夏制服姿の義父=私の写真が見守っている。
「息子じゃあなくて嫁が戦争に行くなんて・・・」義祖母は娘と孫の心を推し量って静かに呟いて首を振った。1歳半になり、よちよち歩きを始めているみるくは、遊び疲れたのか日が当たらないように座敷の隅に並べた座布団の上でよく眠っている。
「何だか、あんたよりジェニーの方がお父さんの娘みたいさァ」直美は意外に落ち着いていた。それは看護師と言う職業以前に「軍神」と仇名された自衛官の妻であり、まだ43歳で夫の死に立ち会った人生が、どこか達観させていたのかも知れない。
「大丈夫、お父さんに海外出張して守ってもらえば安心さァ」ジェニーは義母の言葉に黙ってうなづいた。光太郎が梁の写真を見上げると父がうなづいたように見えた。
「みるくは私たちがついているから心配いらないよ」「はい、お願いします」宮古島の保育所に勤める4女・安美の言葉にジェニーは頭を下げた。
「ネェネの所は光太郎だって私たちで育てたのさァ」「私も子守りをしたさァ」保母の4女・安美と農協勤務の5女・里美が口を挟むと妹たちの言い合いが始まった。
「私は勉強をみたさァ」「光ちゃんの成績が悪かったのはそのせいさァ」「何ねェ、それは」「今日は、止めなさい」妹たちの騒ぎを直美が一喝した。しかし、重苦しい空気が少し軽くなり、ジェニーと光太郎も顔を見合せて笑った。
「大体、男より女の方が強いのさァ、女は無理無茶はしないもん、ジェニーもいいね」直美の締めくくりの言葉にジェニーはもう一度、深くうなづいた。
「女は強い」光太郎は母の人生を想い。その言葉に納得し、信じた。

翌朝、光太郎とジェ二―、みるくは直美と一緒に砂川家と私の墓を参った。花を手向け、沖縄の線香を焚き、水を墓石に掛けた後、4人は手を合わせた。長い祈りの間、みるくは直美に手を引かれて黙って大人たちの様子を見詰めている。
「お父さん、ジェニーを守ってくれるかなァ」祈りの後、顔を上げて光太郎が呟いた。
「お父さんの前世は海軍陸戦隊の中尉で、沖縄戦で住民を逃がすため身代わりになって、戦死したのさァ。きっとジェニーも守ってくれるよ」直美は自信ありげに答えた。
「それは本当ですか?」直美の思いがけない話にジェニーは真顔で訊き返した。
「お父さんと豊見城の街を歩いていて、突然『俺はここで死んだ』って言ったことがあったのさァ。小さい時から何度も同じ夢を見て、その場所なんだって」「ふーん」「住民を逃がすためにわざと反対に走りだしたんだって」直美の話に光太郎とジェニーは真顔で聞いていた。
「あそこには海軍司令部壕があったから本当かも知れないな、うん、間違いない」光太郎が強く言うとジェニーも深くうなづいた。そして、光太郎はジェ二―に眼で合図をして、「アテ―ン ハッ(気をつけ)」と英語で号令をかけた。並んだジェニーも軍人らしく姿勢を正す。
「サルート(敬礼)」光太郎の号令で2人揃って敬礼をした。
「マツノ大佐、妻をよろしくお願いします」光太郎の叫び声は私の心に響いた。みるくは両親の軍人としての姿に興味深そうに見詰めている。
「わかった、任せておけ」私の返事を直美が2人に伝えると、「これで勇気が持てました」とジェニーは無理して笑顔を作った。
ジェニーはみるくを抱きあげて、「次に来る時は、一緒に海へ行こうね」と話しかけた。
「うん、海ィ」みるくは無邪気に答えた。みるくを見詰めるジェニーの長い髪を海からの風がなびかせていた。
森野中尉遺影
嘉手納基地から派遣される兵員の壮行式典に光太郎とみるくも出席した。
三沢、厚木、嘉手納基地の在日米軍及び在韓米軍の要員は、それぞれ別の輸送機で現地に運ばれ編成を執ることになっている。
「Stand Navy out to sea Fight our battle city・・・」アメリカ海軍歌「錨を上げて」が流れる中、すでに米空軍のC‐17輸送機が待つ海軍の駐機場で、どの兵士も家族と抱き合い、わが子を抱き上げ、束の間の時を過ごしていた。
その光景を多くの日米のテレビ局が撮影しているが、光太郎は部隊でインタビューを受けることを禁じられていた。この戦争における日本政府、自衛隊の立場は微妙であり、自衛官の妻が出撃することはマスコミにとっては格好のキャンペーン材料に利用されかねないのだ。
「みるく・・・」やはり女には優先順位は夫よりわが子だった。迷彩服のジェニーはみるくを抱くとキスと頬ずりを繰り返して、白い半袖の3等海曹の制服の光太郎はジェニーの肩に手を置いて黙って2人を見つめていた。その時、光太郎は夫として1人の軍人として妻の代わりに戦場に征きたいと思っていた。
「私もpー3Cの整備が出来ます。英語も解ります。妻の代わりに連れて行って下さい」派遣部隊の指揮官をつかまえて、そう訴えたい衝動を必死に抑えていた。やがてジェニーはみるくを抱いたまま光太郎の顔を見詰めた。
「光太郎、I loved you(愛してた)」ジェニーの言葉が過去形になっていたのは、軍人としての覚悟を意味している。
「Me too(僕もだ), I love you(愛してる)」光太郎がそれを現在形にしたのは夫としての願いだった。2人はしばらく黙って見つめ合っていた。やがて、2人は帽子のひさしを後ろに回し、抱き合って口づけた。
みるくも毎朝、見慣れているはずの両親のキスだったが、今日は特別なものを感じている
ようで、2人の間でジッと見詰めている。光太郎は妻の体の感触、体温を刻みつけようと腰に回した手に力を込めた。
その時、「集合」のアナウンスが広い駐機場に響き、家族たちの悲鳴にも似た声が上がったが、それは飛行前点検を始めた輸送機のジェット音でかき消された。
「いってきます」ジェニーはみるくを光太郎に渡すと頭を撫で、帽子を正しくかぶり直し、気をつけをして敬礼をした。
「待ってるよ」光太郎はみるくを左腕に抱くと敬礼を返した。ジェニーは先に下士官になった光太郎が手を下ろすのを待ってから直った。
その時、ようやく光太郎が米軍ではなく日本人、自衛官であることに気がついた日本のテレビ局がカメラで取り囲んだが、光太郎は彼等に視線を合わさず、一列なって輸送機に向かって行進していく妻とその同僚たちに帽子を振っていた。
みるくは光太郎の腕で家族の前ではあまり見せない自衛官の顔をした父親を不思議そうに見詰めていた。その姿は夕方のニュースで大きく映し出された。

「マツノさーん、テレビ沖縄の者です」嘉手納基地でジェニーを見送ったニュース以来、どのようなルートからか光太郎の名前、住所を知らべたマスコミ関係者が浦添のアパートに連日押しかけるようになった。これは光太郎にとって父が戦死した時の悪夢を思い出させる出来事である。しかし、ここは官舎でない分、朝から夜まで入れ替わりチャイムを鳴らす、ドアを叩いての取材申し込みで、みるくが怯え、眠らない、泣きやまないようになってしまった。
マスコミにとっては戦場に妻を送った自衛官が一言「心配している」「不安である」と言えば、「自衛官が戦争に反対している」とのセンセーションルな報道材料になるのだろう。妻を戦場に送った家族の不安まで自分たちの主張の材料に利用しようとするマスコミに光太郎は言いようのない憤りを感じていた。
「みるくをうちに預けるさァ」翌日の夜、昌美が心配して電話をしてきた。
「そんなんじゃあ、みるくが可哀想さァ」突然の申し出に光太郎は戸惑っていた。
「でも叔母さん、何で知ってるの?」「ネェネから頼まれたのさァ」母には昨夜、取材攻勢のことをこぼしたが相変わらずの対応の早さだった。
「でも、アパートも基地もマスコミに見張られているから、つけられちゃうよ」今もアパートや基地には常にマスコミが待ち伏せして、同僚や近所の人にも迷惑がかかっている。それでも皆、光太郎父子に同情し守ろうとしてくれている。
「大丈夫、アンタが朝、幼稚園に送って、夕方、私が迎えに行って連れて帰るのさァ、後でウチまで会いに来れば好いさァ」「ふーん、なるほど」
「インタビューしたいのはアンタだから私の家までは追っかけてはこないよ」昌美の自信ありそうなこのプランに光太郎は電話口で感心していた。
「ナイスなミッションだけど、叔母さんが立てた作戦ねェ」「アンタのお母さんさァ」「流石、マツノ1佐の妻だね」母の見事な状況分析と作戦に光太郎は感心し直した。
「もう、育美にも頼んであるみたいさァ」「ふーん、予備の避難所も手配済みかァ」母は、すでに本島にいる2人の妹たちに電話で指令を発していた。
「それじゃあ、お願いするワ」こうしてみるくはマスコミが諦めるまで昌美の家に預けられることになり、光太郎は基地とアパート、昌美の家の3ヶ所へ通うことになった。

通信隊の協力で現地部隊と嘉手納基地を結ぶ回線に那覇基地の回線を接続し、米軍の兵員と家族向けの連絡を那覇基地でも見ることが出来るようになり、これを現地との時差の関係で特別に課業時間中に使わせてもらえることになった。
決められた時間に通信隊の画像端末をセットするとジェニーが待っている。
「光太郎、元気?みるくも元気?」2人の会話の出だしは毎回同じだ。戦争は指揮系統すら明確ではない当事国正規軍の混乱した戦闘の間隙をついて強盗や海賊が暗躍し、合同軍地上部隊も過酷な自然環境に苦戦している。ジェニーたち対潜哨戒機部隊は、海賊の監視と空母部隊の安全確保のために行動しているが、それを妨害するため敵は携帯式対空ミサイルまで使用し始めていた。戦争の状況は、軍の秘密に属するのかジェニーも会話では触れないが、そんなニュースや新聞にも出ない戦闘の情報は上官が米軍から仕入れ、そっと教えてくれていた。
光太郎が昌美の家でみるくの写真を撮り、それを自宅でプリントアウトしてジェニーに見せると、「みるく・・・」通信端末の画面の中でジェニーは一瞬遅れて泣き顔になった。
ジェニーが出撃して半年、みるくは2歳になり日に日に成長している。時々、みるくの話し声をテープに録音して聴かせるが、電波状況がよくないのか雑音で上手く伝わらない。しかし、基地通信隊にみるくを連れて来るわけにはいかなかった。
「身体に気をつけろ、頑張るなよ」それが決まって光太郎が口にする終わりの言葉だった。そして、ジェニーがカメラに顔を近づけ光太郎がその画面にキスをする。次は光太郎が・・・。
「マツノ3曹、画面を拭いていって下さいよ」光太郎が帰ろうとすると通信隊の若い隊員が冷やかすように声をかけてくるが、彼等の顔には映画の登場人物を見るかのような憧れの表情がある。
実は光太郎自身もそれがリアリティのない自分たちが出演している映画のストーリーのように思っている部分があった。

「マツノ君、麻子です」取材攻勢が一段落して、みるくをアパートに引き取ることができた頃、突然、内田麻子、今は仲村麻子から電話があった。
「マツノ君、奥さんのことはニュースで知ってるよ。大変だね」麻子の声からは心配と同情してくれているのが伝わってくる。麻子は中学校の同級生からアパートの電話番号を訊いたのだと言った。
「今度、一緒に飲もうよ」そう言うと麻子は携帯の番号を教え訊いてきた。ジェニーへの心配、みるくの育児で疲れていた光太郎は久しぶりに麻子と話し、励まされたことが嬉しく、待ち合わせて一緒に飲む約束をした。

次の金曜日の夜、光太郎はみるくを昌美に預け、麻子が指定した店で待ち合わせた。海上自衛隊の躾で5分前についた周作は、ほかに客がいないカウンターでビールを飲みながら待っていた。やがて、沖縄式に遅刻して麻子と麻子の夫・仲村がやって来た。2人とも仕事帰りなのかスーツ姿だ。
「マツノ君、今日は夫も一緒だけど、いいでしょ?」麻子は夫・仲村を紹介しながらカウンターの光太郎の隣の椅子の坐り、仲村がその向こう側に座った。
「そりゃあ、幼馴染とは言え人妻だもんなァ」光太郎は少し残念だったが、そう納得した。
光太郎がビールを飲み終えたところで仲村と麻子とも顔馴染みらしいマスターがスコッチのキープボトルで持って来て水割りを作って勧めた。
「久しぶりィ。乾パーイ」麻子の音頭でグラスを鳴らした。
麻子と光太郎はグラスを重ねながら中学校の同級生たちの噂話を始めた。話題は「誰が結婚した」「誰は何所で働いている」と言うような取るに足らないものばかりだったが、麻子は自分が沖縄の大学で広島の原爆について教えていると付け加えた。
その間、仲村は黙って聞き役に回っているが光太郎は仲村が発する独特の油断のない雰囲気が気になっていた。「教師じゃあないな」それは光太郎の直感だった。やがて麻子と光太郎の思い出話に区切りがついたのを見計らって仲村が話に加わってきた。
「マツノさん、奥さんが戦争に行かれて大変ですね。御心配でしょう」仲村はそう言いながら名刺を差し出した。そこには国営放送の政治部記者の肩書がある。
「夫とは大学の同級生だったのさァ」麻子は広島の国立大学出のはずだ。
「戦争が早く終わらないとマツノ君も困るでしょう。だからマツノ君もマスコミに協力して戦争に反対するべきよ」麻子は強い口調でそう訴えた。しかし、光太郎の頭には仲村への警戒心から戦争開始以降繰り返し行われている職場での「保全教育(マスコミ対策)」の注意事項が次々と浮かんでいた。
「麻子、そんな言い方したらマツノさんが心配するだろう、今日は美味しい酒を飲んで、苦労話を聞いてあげなきゃあ」仲村が嗜めると麻子は素直にうなづいた。光太郎は、むしろこの仲村の優しい言い方の向こうにあるモノを警戒していた。
「妻は今も戦場にいるのさァ、僕は妻が命がけでやっていることを否定することはできな
いんだ」そう言いながら光太郎の胸に今日も通信回線で会ったジェニーの顔が浮かんでいた。戦争が長引くに連れて、あんなに陽気だったジェニーの顔にも憂いの色が濃くなっているのを感じている。麻子は小・中学校の頃と同じ優等生の眼差しで光太郎の顔を見詰めた。
「奥さんが命をかけないですむように戦争を止めるべきよ」麻子は口調をさらに強める。それは決して悪意からではなく麻子なりに光太郎を心配してのことだと判った。しかし、結局それは「麻子なりに」のことなのだ。光太郎は大きくため息をついた。
「僕も妻と一緒に戦っているのさァ」「マツノ君も戦争に征きたいの?」光太郎の答えに麻子は反論する。光太郎はまた1つため息をついた。
「代われるものなら僕が戦争に征きたい」光太郎はそう言い切ると、しばらく沈黙があった。やはり表情を変えない仲村の横で麻子は悲しみと憤りの色を顔に浮かべた。
「やっぱりマツノ君も軍人なんだね」麻子の声は少しかすれていた。
「昔からそう、マツノ君は素直で従順なお人よしだった、何も変わってないよ」そう言うと麻子はグラスの水割りを一口飲み、グラスの中で氷が鳴った。
「俺は自衛官さァ、軍人じゃないからここで妻を待っているしかないのさァ」この言葉に今度は仲村の表情が一瞬変わったのを光太郎は見逃さなかった。
3人の間に沈黙だけが流れ、店内には有線放送の昔のヒット曲が響いていた。
「さあ、堅い話は終わってカラオケでも歌うさァ」重苦しい場の雰囲気を察したマスターが、3人の前にやって来てカラオケのメニューを差し出した。麻子は森山良子の反戦歌「愛する人に歌わせないで」を唄った。

冬の休暇に光太郎がみるくを連れて直美の島までやって来た。
「これがお母さんの島かァ」みるくの手をひいて連絡船から下りた光太郎は島への第一歩と同時に辺りを見回しながら大声を出した。
「みるく、グランドマミィさァ、メンソーレ」直美は身を屈めて顔を近づけ話しかけると、みるくは元気に「ハイサイ」と挨拶をした。直美はマツノ家の伝統のようになったこの挨拶に可笑しそうに空を見上げながら笑った。
「みるく、船酔いしなかった?」「はい、大丈夫です」父子家庭生活で心配していたみるくの言葉は随分達者になっている。
「水兵の子は水兵さ」光太郎は自慢そうにみるくの頭を撫でた。
「ここからは自転車さァ」直美は自転車の荷台に光太郎の荷物を積むと船着き場から宿舎がある集落への道をハンドルを押しだして、光太郎はみるくと手をつないで後をついてきた。
「やっぱり、八重山は暖ったかいねェ」光太郎は八重山の大陽を見上げながら呟いている。直美はずっと前に、この台詞を夫から聞いたような気がした。
「みるく、歩くのが上手になったさァ」「イエス」直美が声をかけるとみるくは英語で返事をした。みるくも2歳半になり、随分、色々な事が達者になっているようだ。直美には、こんな我が子の成長を一緒に楽しめないジェニーが哀しかった。
「もうすぐ、ジェニーがアフリカに行って1年さァ」「うん、もうすぐ交代のはずだよ」嬉しそうな顔でそう答えて光太郎は「今のは秘密ね」と慌てて口に人差指を当てた。
「わかってるよ、私も自衛官の妻だもん」直美が答えると光太郎は安心した顔でうなづいた。
この島には自動車は農作業用の小型トラックが数台だけで、だから交通は安全なのだが、逆に子供たちがほかの土地へ行った時が心配だとも言われている。
「最近、お父さんは?」「アフリカへ行きっぱなしさァ」光太郎の質問に直美は最近、夫の気配を感じないことを伝えた。
「フーン、戦争も激しくなっているみたいだからなァ。アッ、これも秘密ね」また、光太郎が念を押すと直美は「自衛官のくせに口が軽いなァ」と笑って答えた。
「グランドマミィ、海に行っても好い?」「あとで行くさァ」みるくにも本島よりも八重山は暖かく、暑く感じているらしい。そう言えば父子とも随分薄着なのに気がついた。
「お母さん、水着は?」「やっぱり、お父さんの子だねェ、ハハハ・・・」夫の口癖だった台詞を光太郎の口から聞いて直美は愉快そうにのけ反って全開に笑った。
Jenny (2)
その日もジェニーは、早朝の対潜哨戒機の飛行前点検で、機体の下周りの確認をしていた。同僚の整備員たちはそれぞれ自分の担当の点検を行っている。今日も中部アフリカの高温多湿の空に2機並んだ対潜哨戒機の4発のターボフロップのエンジン音とプロペラが空気を切る音が響いていた。ジェニーがアフリカに派遣されて一年、アフリカの風景もそろそろ見飽きていた。
「海で泳ぎたいなァ」そう呟いたジェニーの頭に浮かんだのは同じサンゴ礁の海でも故郷のハワイの海ではなく夫の実家から見える宮古島の海だった。そして隣には光太郎が、腕にはみるくがいる。
「イケナイ・・・」ジェニーは点検中に考えごとをしている自分に気がついて頭を振って点検を再開した。私はそんなジェニーのすぐ後ろについて見守っていた。
その時、滑走路の向こうに広がるサバンナで一点の閃光が光った。
「危険?」私の軍人の直感が働き、とっさに後ろからジェニーに抱きついて、そのまま押し倒した。抱きつかれた時、ジェニーは「ダディ(お義父さん)?」と呟いた。
「ジェ二―、何を転んでいるんだ?」何もないコンクリートの駐機場でいきなり転んでうつ伏せになったジェニーを仲間たちが笑ったその時、細く白い煙をひいた光が滑走路を越えて点検中の対潜哨戒機に向かって飛んできた。整備員たちの顔が凍りついた瞬間、1発のミサイルが手前の機体の真ん中に突き刺さり、航空燃料と対艦用の兵器を満載した2機の対潜哨戒機は大爆発を起こし炎上した。ジェニーに覆いかぶさっている私の背中を爆風と炎が焦している。
「・・・推落大火抗 念彼観音力・・・」私はひたすら観音経を唱えていた。数度の爆発の後、ジェニーが顔を上げると目の前には先輩の白人兵士の千切れた首が転がっていた。自分を向いているその虚ろな眼を見てジェニーは気を失った。米軍が誇る最新の科学警備機材も野生動物がうろつくサバンナでは用をなさずゲリラの侵入を許してしまったのだ。
この攻撃で対潜哨戒機2機が破壊され、1名を除き乗員、整備員の全員が戦死した。生き残ったジェニー・ナラニ・マツノ3等兵曹は無傷だった。ただし肉体のみは・・・。 

「強度のPTSD(心的外傷後ストレス障害)、回復不能」と診断されたジェニーは任務満了よりも3週間早く、傷病兵として帰還した。
嘉手納基地で出迎えた光太郎は、空軍の輸送機ターミナルに迷彩服で車椅子の乗せられて連れてこられたジェニーに目を疑った。光太郎が愛したあの大きな目は一切の表情を失い、呼びかけにも何の反応も示さない。
ジェニーが「天然ソバージュ」と呼んでいた長い黒髪は男性兵士のように短く刈り込まれている。流動食のみの栄養補給のためか随分痩せ、顎が尖っていた。ジェニーはそのまま嘉手納基地に隣接する軍病院に入院した。
「身体は無傷ですが、精神は戦死・・・重傷を負ったと思って下さい」軍人でもある医官は感情を挟まずに事実を伝えた。
「あとは再び神の、いやブッダの奇跡があることを祈ることです」医官はカルテの宗教欄に「ブディスト(佛教徒)」と書いてあることに気がついて言い直した。しかし、それは光太郎にとってはどうでもいいことだった。
「妻を救ってくれるなら神でも佛でも、悪魔にでも祈ってやる」と光太郎は心の中で叫んだ。

ジェニーは病室のベッドで無表情に壁を見ながら座って1日を過ごしている。
「マミィ、みるくだよ」ジェニーが帰る日を待って、一生懸命練習していたみるくの呼びかけにもジェニーは無表情なままだった。
「マミィ・・・」みるくは寂しそうに繰り返すと光太郎の腕で泣きじゃくった。付き添って来た昌美も黙って涙を浮かべながら優しくみるくの頭を撫でていた。

「ジェニー・・・」1人で見舞いに来た光太郎は病室のベッドの脇の椅子に座り、ベッドで無表情に壁を見ている妻の横顔を見詰めていた。

光太郎とジェニーが出会ったのは。八戸の海上自衛隊航空隊と三沢の米海軍航空隊の協同訓練の後、八戸基地の隊員クラブで行われた交歓会でのことだった。
光太郎は白人の女性兵士とばかり話したがる自衛官と、日本の女性隊員に声をかける米軍の水兵たちの群れから離れて、ポツンと壁際に1人でいる若い黒人女性の2等水兵を見つけた。光太郎はグラスの水割りを飲み干すとその子に歩み寄った。 
光太郎に気がついたその子ははにかんだように笑った。大きな黒目がちの目と天真爛漫な笑顔が不思議に懐かしい。光太郎の胸はときめいた。しかし、話しかけようとした時、光太郎は自分が英語が全く駄目なことに気がついた。
「マイ ネーム イズ コウタロウ マツノ」光太郎の英語はここまでだ。
「はじめまして、ジェニーです」その子は片言だが日本語で答えた。若い2人は光太郎の超初級英語とジェニーの片言の日本語で話し始めた。
「コッタッロ?」「NO、コウタロウ」「コーターロゥ?」「NO、コウタロウ」光太郎の名前を覚えてもらうだけでも会話は弾んだ。ジェニーはハワイ出身で、ハイスクールの時、リゾートホテルでアルバイトをしていて日本語を覚えたのだと言う。光太郎が水産高校の航海実習でハワイに行ったことを話すとジェニーはとても喜んだ。ただし、「船乗りの高校へ行っていたのに、なぜ地上勤務をしているのか?」と言う質問には答えられない。まさか「先生から船乗りに不向きと言われた」「水産の科目が(とても)苦手だった」とは、(英語力がなくて?)とても言えなかったのだ。
こうして沖縄の血を持つ光太郎とハワイ育ちのジェニーは波長が絡み合って、つき合い始めたのだった。

あの時のジェニーの笑顔を思い出すと、光太郎は救いようのない悲しみに胸が張り裂けそうだった。見舞いに行っても自分が判らない母にみるくも傷ついている。
Jenny.jpg
つき合い始めて何カ月が過ぎた頃、いつものようにデートをした夜だった。三沢基地の米海軍女性兵士の兵舎の前まで送るとジェニーは振り返って立ち止り、光太郎の顔をジッと見詰めた。大きな目には兵舎から漏れてくる明かりが映っている。
ジェニーに見つめられて光太郎の鼓動は早まり、呼吸が苦しくなった(母なら「あっ、心拍数が上がってる」と言うところだが)。
「光太郎、Kiss me, please(キスして)」ジェニーは光太郎の胸に顔を持たれさせかけてきた。
「はいッ」光太郎は、いきなり「気をつけ」をした。そんな生真面目な態度をジェニーは愛おしそうに見詰め、光太郎は両腕で力任せに抱き締めた。ジェニーの体の弾力が腕に心地好く、髪が顎に触れている。
「苦しいよ」とジェニーは腕の中でもがいた後、「Relax(リラックス)」と耳元で囁いた。
そして、「Clause your eye(目を閉じて)」と言って光太郎の首に腕を回し、背伸びをしながらそっと口づけしてきた。ジェニーの唇は夕食に食べたチーズバーガーとコーラの味がした。
「あ・・・ありがとうございました」キスを終えて光太郎がお辞儀をすると2人の額と額がぶつかり、ゴツンと音がして目から火花が散った。
「Ouch! chchch(イタタタ)・・・」ジェニーは片手で額を押さえながら優しく微笑んだ。光太郎は心臓が喉から飛び出しそう、息が止まりそうだった。
「good night(おやすみ)、I love you」ジェニーは玄関の扉の前に立ち手を振った。
「good night, I love you」そう答えて光太郎は教練通りに回れ右をすると一気に駈け出した。
「やった、やった、やったァ」光太郎は踊るように飛び跳ねながら八戸へ帰って行った。
その夜、光太郎は隊舎のベッドで枕を相手にキスの練習を繰り返したのだった。

「ジェニー、Kiss me, please」光太郎は椅子から立ち上がるとベッドに座ったままのジェニーの肩に手を置いてみたが、ジェニーは無表情のまま何の反応も示さない。
光太郎は子供の頃に読んだ外国の童話のようにキスで妻が目覚めることを願った。
そのまま顔を近づけたが、やはり何の反応もない。ただ、ジェニーの吐息を頬に感じた。そして、ゆっくり唇を重ねた。ジェニーは目も閉じずに人形のようにキスをされているだけだった。

ある日、光太郎は分隊長に呼ばれ面接を受けた。分隊長室のソファーには白い制服の幹部たちと先任海曹が囲むように並び、青の作業服は光太郎1人だった。
「君は米軍を怨んでいるか?」正面に座った分隊長が膝の上に手を組んで話を始めた。幹部たちはジェニーの入院が長引くにつれ、父を戦闘で失った光太郎が「反米」「反戦」に走ることを心配し、前例がない今回の状況と、この部下の取り扱いに苦慮しているのだ。
「いいえ」光太郎は首を振ったが、この質問は許せなかった。
「俺を信じてくれていないのか・・・」それは怒りよりも残念だった。
「お父さんが分隊長だったら、何て言うのかな・・・」そんなことを考えた。そう言えば最近、部内紙で父の同期たちが将官になり始めていることを知った。
「どうせなら仇を討ちたいかと訊いて欲しいですね」光太郎の皮肉を込めた台詞に、幹部たちは一瞬呆気にとられた後、無理に笑った。
光太郎は、その後も続く建前の話を上の空で聞きながら、「怒?」「悠?」と「怨み」と言う漢字を思い出していた。ふと光太郎は麻子の携帯の番号を「まだ」消していないことに気がついた。

そんなある日、麻子から「また飲もう」と携帯にメールが入った。それには「奥さんの病気はどうですか?」とメッセージが添えられている。
ジェニーがPTSDで帰還し、沖縄の病院に入院していることは軍の秘密のはずだ。やはり、報道記者の仲村はそれを掴んでいるのだ。

ジェニーが帰還して2ヶ月が過ぎた頃、直美がようやく仕事の休職許可が下りて光太郎のアパートへやって来た。
2女・昌美と6女・育美の姉妹も光太郎、みるく父子と一緒に空港まで迎えに出た。
「昌美にも、育美にも本当に色々お世話になったさァ」ジェニーの見舞いからアパートに戻って、直美はリビングの床に手をついて頭を下げ、妹たちは姉のあらたまった態度に困ったように互いの顔を見合わせた。
「私じゃあなくて、昌美ネェネさァ。私はチョットだけ・・・」育美は照れたように笑ったが、「私が夜勤の時は、育美がやってくれたのさァ」とそれを昌美がフォローした。
「どちらにもお世話になりました」今度は光太郎が頭を下げた。
「ネェネ、いっそ退職して本島の病院に就職すればいいのに」ベテラン看護師の昌美はジェニーの病状から入院が長期化することを予測してるようだった。
「私もそう思うさァ、ネェネが来れば私たちも心強いしィ」育美も単純な理由で同調した。
「今更、大勢の中の勤務は疲れるのさァ」直美は首を振った。
「ネェネも、島暮らしが好きだもんねェ」「でも、こっちの方が条件もいいでしょう」「ネェネは定年まであと何年?」「だって2つ違いさァ、昌美ネェネももうすぐ定年ねェ」「何ねェ、それは」昌美と観光ホテルのフロント勤務の育美が勝手なことを言い合うのを直美は笑いながら聞いていたが、みるくは目の前の騒ぎを驚いた顔で見ていた。
「あの島での仕事は旦那さんの夢でもあったのさァ。最後まで頑張るさァ」妹たちの話が一段落したところで直美が静かに言った。
「やっぱり旦那さんが最優先ねェ」昌美は呆れたように笑い育美と顔を見合わせた。

昌美と育美が帰り、夕食を食べ、直美に風呂に入れてもらうとハシャギ疲れたのかみるくは今夜は早目に眠った。光太郎がみるくを寝かせつけている間に直美はリビングで土産の泡盛を用意している。
「石垣島の『宮之鶴』かァ、珍しいさァ」光太郎は座卓に坐ると、ボトルを取ってラベルを眺めた後、グラスに自分の水割りを作った。
しばらく直美はジェニーの病状、みるくの成長、何よりも光太郎の苦労話を聞いていた。話に区切りがついたところで直美は座り直した。
「光太郎、お父さんは何度も日本海で危険な任務を経験した後、アフリカの海で戦死したけど、一度だって仕事を恨んだり悔やんだりはしなかったよ」そう言うと直美は息子の顔をジッと見詰めた。
「今のあんたの顔を見ていると少し不安になるのさァ」そう言って直美は黙ってグラスの泡盛を一口ふくみ、光太郎もそれに倣った。
「お父さんは、自分の死を任務のせいにしたら、自分がやってきたこと、私とやってきたことが間違っていたことになる。そう考えていたのさァ」母の言葉に光太郎は黙って考え込んだ。最近の生活が光太郎を随分思慮深くしている。しばらくの沈黙の後、今度は光太郎が真顔で訊いた。
「お母さんは恨まなかった?」「私はどんなことでもお父さんに賛成さァ」直美は答えながら小さくうなづきを繰り返し、そんな様子を光太郎は黙って見ていた。
「お父さんなら多分、ジェニーを誉めてあげると思うよ」「誉める?」光太郎は怪訝そうな顔で直美の顔を見詰め直した。
「よく生きて帰ってくれたってさ」直美の言葉に光太郎の表情が変わった。
「お父さんは死んじゃったけど、ジェニーは生きている。『命どォ宝(命こそ宝物)』さァ」「何だか、お父さんの台詞みたいさァ」「当たり前さ、私とお父さんはいつも一緒だもん」光太郎の尊敬の気持ちを込めたからかいに直美は笑いながら答えた。
「お母さん、お父さんの位牌は?一緒に飲もう」光太郎の提案に直美は私の携帯位牌を鞄から取り出して座卓に置いた。その間に光太郎は台所からグラスをもう1つ持って来た。
「お父さんはストレートさァ」「へー?それってどんなお酒、どなん60度でもねェ?」グラスに泡盛を注ぎながら光太郎はおどけた声を出した。
杯を重ね、酔いが回るうちに次第に光太郎の口数が減って表情が暗くなってきた。突然、光太郎が位牌に向かって泣き叫ぶように話し出した。
「お父さん、あんたは俺を遺して死んじゃったんだ。今度は何とかしてくれよ」その心の中の悲しみ、苦しみ、怒り、悔しさをすべて絞り出すような叫びを隣で聞きながらも、私にはどうすることもできない、それが死ぬほど(死んではいるが)辛い。
直美が隣に歩み寄って座ると光太郎は膝にすがりついて声をあげて泣きだした。直美は光太郎の背中を優しくさすった。
「そばにいてあげなくて、ごめんね・・・」そう言って直美も涙をこぼした。

その夜、酔った光太郎を寝かせた直美は布団で仰向けになって私に話し始めた。
「ねェ、私、前から考えていたんだけど」「うん?」「あなたは、こうして私と話し合えるでしょ」「うん」「あなたなら、ジェニーと話せるんじゃあないの」「エッ?」直美は隣に寝ている私の方に寝がえりを打った。直美の息からは少し泡盛が匂う。
「やってみる価値はあるな」「でしょ」直美は自慢そうな顔をした。
「頑張ってみて・・・」そう言いかけて直美は眠りに落ちた。やはり大分酔っているようだった。私は直美の寝顔にキスをした。

私はジェニーが入院している軍病院へ飛んだ。普通、病院は死者の霊が多くたむろしているものだが、この軍病院では患者の多くは若く体力がある軍人か、その家族なので静かなものである。
私が病室に入ると暗い部屋で催眠剤を注射されてジェニーはベッドに寝かされていた。暗い部屋にはジェニーの静かな寝息の音だけが響いている。
「ジェニー」私は枕元で声をかけてみた。しかし、返事はない。
「ジェニー」もう一度、耳元で声をかけてみたがやはり返事はなかった。それを何度も繰り返したがジェニーは人形、否、死体のように横たわり、ただ静かな寝息を立てている。それが生きていることの唯一の証でもあった。
「駄目かァ・・・」私が諦めかけた時、心に直接響く囁き声が聞こえた。
「助けて・・・」その消え入りそうな声は確かにジェニーのものだった。
「ジェニーか?」「助けて・・・」私の呼びかけに返事はしないが声は続いている。
「ジェニー、大丈夫だよ、安心しなさい」私の呼びかけに呟き声が止まった。
「ジェニー、光太郎もいる、みるくもいる」「ジェニー、傍にいるよ、こっちに来なさい」「ジェニー、お前は沖縄に帰ったんだよ」私はジェニーを励ますように繰り返した。
「ダディ?」突然、ジェニーの声が私を呼んだ。
「イエス」私はジェ二―の耳に顔を近づけ呼びかけた。
「ダディ、助けて」ジェニーの声が叫び声になった。無表情だった顔が歪んでいる。
「ジェニー、大丈夫だ!俺がついている」私はジェニーの肩を抱いて呼びかけた。
「ダディ、助けて」「ジェニー、大丈夫だ」その会話が何度も、何時間も続いた。
やがて夜明けが近づいて外の光がカーテン越しに差し込み始めた。
「ダディ、有難う・・・」ジェニーはそう言うと微笑んで眠りについた。

朝から光太郎が見舞いにやって来たが、ジェニーはまだ眠っていた。光太郎はいつものようにジェニーの寝顔にキスをした。
昨夜、母が済ませてくれた洗濯物を手提げ袋から出してロッカーに納めようとドアを開けると、そのわずかな音でジェニーが目を開けた。光太郎は何気なくタオルをロッカーに納めながらジェニーの顔を見た。するとジェニーも顔を向けて真っ直ぐに見返している。視線が合ったのに気がついて光太郎はそのままの姿勢で固まってしまった。
次第にジェニーの顔に微笑が浮かんでくる。目には力があり光太郎の表情を読み取ろうとしているかのようだ。唇が何か言おうと動いているように見える。
「おはよう・・・」光太郎は声をかけてみた。
「おはよう・・・」ジェニーもかすれた声で答えた。光太郎の手からタオルが落ちて、ジェニーの目がそれを追ったのが判った。
「おはよう」光太郎がもう一度繰り返すと「おはよう」ジェニーもはっきり返事をした。
「ジェニー・・・」そこから先の言葉は出てこない。光太郎の目からは涙が溢れ出した。ジェニーはそんな光太郎を不思議そうに見ていた。光太郎は部屋を飛び出して廊下をナースステーションに駈け出した。

光太郎の知らせで駆けつけた医官と看護師は「ミラクル」「OH, my God」を連発しながらジェニーを診察した。ジェニーはなぜ自分が病院にいるのかも判らないようだった。
「君は何か特別なことをしたのか?」診察を終えた医官が振り返り訊いたので、「ブッダに祈りました」光太郎は昨夜のことをそう説明した。
「OH, my Buddha(ブッダ)」光太郎の答えに医官はそう言って看護師と顔を見合わせた。 

お母さん、ジェニーが治った。みるくを連れて来てくれ」「やっぱり」病棟のロビーの公衆電話から自宅に電話をし(病棟内は携帯禁止)、光太郎は直美の返事も聞かずに電話を切りジェニーの病室に戻った。
病室では医官がまだジェニーと何かを話をしている。病室に入ってきた光太郎をジェニーは嬉しそうに微笑んで迎えた。
「光太郎、私は・・・」ジェニーの記憶は、ところどころ欠落していて、戦争に行ったこと自体が夢なのか現実なのか判っていなかった。
「私は怖い夢を見ていた。貴方とみるくを残して戦争に行って戦死しました」光太郎は戦争のことをどう伝えるべきか迷って医官の顔を見た。戦争の記憶がPTSDを再発させないとは限らない、医官は黙って首を振った。
光太郎はジェニーの手を握り医官の顔を見ながら言葉を選んで質問に答え始めた。そんなことがしばらく続いた後、光太郎は思いついて窓のカーテンを開けてみた。
「海・・・何だかずっと海を見たかったような気がする」ジェニーは窓から見える東シナ海を眺めて懐かしそうに微笑んだ。窓際に立った光太郎はそんな妻の顔を「これが夢でないこと」を祈りながら見詰めていた。
「ジェニー!」その時、みるくの手を引いた直美が慌ただしく病室に入って来た。
「お義母さん・・・」「イエス」自分に視線を合わせたジェニーに、直美はドアの前で立ったまま黙って頷いた。ここまで来るタクシーの中で夫から説明は受けていたが、今、奇蹟を目の当たりにすると頬をつねりたい気分だった。
直美の隣には手を引かれたみるくが隠れるように立ち母の顔を見詰めていた。母子はお互い、信じられないモノを見るような顔をしている。
「みるく?」ジェニーが出征した時、みるくはまだ1歳半、足元も覚束ない幼児だった。みるくは帰還して以来、自分が判らない母に哀しい思いをさせられ続けていたのだ。
「マミィ・・・」みるくが恐る恐る呼びかけるとジェニーは、「YES、YES・・・」と驚く程大きな声で繰り返し叫び両手を伸ばした。
「マミィ!」みるくが駈け出して母の胸に飛び込んだがジェニーはその姿がまだ信じられないような顔をしていた。ただ直美は冷静な顔で繰り返しうなづき、光太郎は感激して泣き出していた
直美は窓辺に立つ息子の横に歩み寄り、泣きながらみるくを抱くジェニーと母に甘えるみるくを見守待りながら、「やっぱり私のテンジンさんさァ」とつぶやいた。そして「うん」とうなづく光太郎に「やっぱり私の光太郎さァ」ともう一度繰り返して、すっかり頼もしくなった息子の顔を見上げた。
「休職じゃなくて、休暇でよかったなァ」「そうだね」直美の現実的なボヤキに光太郎は素直に同意した。

それからジェニーは、衰えた筋力回復のためのリハビリに励み、持ち前の生真面目さで医官の見積もり以上の早さで回復し、やがて自宅療養が許された。
「お母さんは、Nurse(看護師)だそうですね」自宅へ戻る前の診察に立ち会った直美に、医官は微笑みかけた。私はそれを直美の耳元で通訳した。
「イエス サー」通訳なしでの直美の英語の返事に医官は驚いた顔をした。
「もう、特にお母さんの手を煩わすことはないけれど朝夕の血圧測定はお願いします」「イエス サー」また、通訳なしで直美は看護師の顔をして答えた。
「このマツノ3等兵曹は奇蹟の人としてわが米軍の伝説になっています。どうかよろしく」「イエス サー」直美も調子が出てきたようだった。
「お母さんは英語が判るんですか?」「いつも同時通訳がついていますから」医官の質問に直美は日本語で答え、光太郎がそれを通訳した。すると医官は「OH, My Buddha」と呟き、「まったく、この一家は・・・」と独り言を言って首を振った。要するにマツノ家のことは彼の理解を超えているらしい。
その夜、直美は夕方の血圧測定を終えると育美の家に泊まりに出かけた。親子3人、と言うよりも夫婦2人の久しぶりの夜を邪魔するほど野暮ではないのだ。

朝、光太郎は台所からの物音と人の気配で目が覚めた。入れ立てのコーヒーの匂いがする。
「おはよう」光太郎が目覚めた気配を感じたのか、台所からジェニーが顔を出した。
「起きちゃったのかァ、目覚めのキスでもしようかと思ったのになァ」ジェニーは、そう言って悪戯っぽく笑った。
「もう一度、寝ます」光太郎がわざと布団をかぶると、「総員、起こしッ(英語)」とはしゃいだ声で布団の上から覆いかぶさってきた。
光太郎は昨夜、久しぶりにジェニーを愛して全身が疲労気味だったが、自宅療養中のはずのジェニーの方は元気だった。
「あッ、スクランブルエッグが焦げてる」そう言うとジェニーは慌てて台所へ戻っていき、「アチチ・・・」と台所から元気な声が聞こえてきた。光太郎はジェニーの枕を抱き締めて幸せな気分と昨夜の余韻に浸っていた。
「お父さん、マミィは?」その時、両親の悪ふざけの声でみるくが起きてきた。
「Good morning(おはよう)、みるく」台所からジェニーが声をかけると、みるくは満面の笑顔になり、「Good morning、マミィ」と答えた。結局、目覚めのキスはみるくに先を越されてしまった。

「マミィのbreakfast(朝食)、nice taste(美味しい)」ジェニーが作った朝食にみるくは大喜びだった。ただ、あまりみるくが「nice taste」を連発したため、ジェ二―は光太郎の料理が「不味い」、若しくは「手抜き」だったのではと疑いの眼で見た。
「ダディの料理も美味かっただろう」光太郎が質問すると、みるくは「イエス、だけどマミィの方が好きィ」と答えた。
「それは俺も同じさァ」そう答えた光太郎の顔をジェニーは愛おしそうに見詰めた。

自宅療養1カ月でジェニーは全快し、仕事に復帰した。そして、直美もまた島に戻った、それからしばらくしたある夜、光太郎から電話が入った。
「お母さん、ジェニーが妊娠したみたいだ。大丈夫かなァ?」光太郎の声は妙に不安げだ。
「また早いねェ、退院してすぐの子ねェ?」「自宅療養中の子さァ」今度は急に照れたような声になり、直美も思わず噴き出した。
「まったく、自宅療養中に何をやってるのさァ」「はい、すみません。溜まってましたから」電話の向こうで反省をしている光太郎の顔が目に見えるようだった。
「医官に怒られるかなァ?」「それはイカンって医官に言われるさァ・・・冗談だよ」直美のオヤジ、オバサンギャグに光太郎は電話口でホッとため息をついた。
「ジェニーの体力が回復していれば大丈夫だと思うよ、正直に相談すること」「はい」「でも折角、職場復帰したジェニーがまた産休になったら、医官よりもジェニーの上官に怒られるんじゃあないの?」直美は、相変わらず冷静に状況分析をしている。
「そうかァ、それはジェニーは言ってなかったなァ」「奇蹟の人だそうだからねェ」米軍らしい過剰な演出を思って直美はクスッと悪戯っぽく笑った。
「どっちにしろおめでたい話さァ、ありがとう」「うん」電話を切った直美は私を振り返ったが、その幸せそうな笑顔は愛おしかった。
「2人目の孫だなァ」「うん、8人の孫の2番目さァ」直美の返事に私の胸が少し痛んだ。それでも私たちは、しみじみと抱き合った。

戦争が長期化する中、国民世論を喚起するため、「奇蹟の人」と言うジェニーの米軍の伝説作りはマスコミを使って積極的に進められた。
手始めにジェニーに対して「勇気ある兵士」として、そして、何故か周作にも「米国への貢献」として勲章が授与された。
嘉手納基地で行われた授与式にはハワイからジェ二―の家族も招待された。
「沖縄もハワイと変わらないなァ。少し雑然としているけど」米軍人とその家族専用便のフライングタイガーで嘉手納基地に到着したジェニーの家族たちは、基地からアパートへの光太郎の車中から見える南洋の風景に口々に言い合った。
「コタロー、メルクは大きくなっただろうね」助手席の義母の心配はまずそれだった。
「もう、歩きまわっているだろう」「英語も話せるかい」「悪戯もするだろう」後席の家族たちは口々に質問を並べる。この乗りは砂川家と同じだった。
「はい、でもみるくの子育てが米国への貢献になるとは思いませんでしたよ」光太郎の半分呆れてのジョークがうけて、車内は沸いた。
「いや、君の協力があったからジェニーは任務を遂行出来たんだ」義兄はそう言ってくれるが、日本人の光太郎は自分たち家族のことに「国家」が割り込んでくることを気分的にはあまり歓迎はしていない。
「君の可愛いお母さんは来るのか?」結婚式のキス騒動以来、直美のファンになってしまった義父は後席から身を乗り出して嬉しそうに訊いてきた。
「いえ、仕事の都合がつかなくて、そのかわり叔母2人と叔父が出席します」「そうか、今度こそキスをしてやろうと思ったのになァ」義父は残念そうに呟いてウィンクをして、隣で義母が呆れた顔でため息をついた。
「そう言えば叔母さんたちもチャーミングだったな、代わりにキスしてやろう」「きっと殴られますよ」義父のジョークに光太郎は真剣に心配しながら言い返した。

授与式はアメリカ式に屋外で行われた。
芝生のグランドには、低いステージが作られていて、その上に横須賀からの米海軍の司令官だけでなく光太郎の上官である海上自衛隊のエライさん=群司令も列席している。
グランドの家族席にはジェニーの家族に並んで沖縄本島在住叔母2人、昌美がみるくを、育美は私の遺影を抱き、那覇の83空隊に勤務している砂川賀真3佐も航空自衛隊の青い制服姿で座っていた。
ジェニーは米海軍の白いスーツ式の妊婦服、周作は海上自衛隊の詰襟の制服を着ていた。
その様子は米軍放送のFENをはじめ、幾つかの米国内のテレビ局が中継し、新聞も取材に来ていて、遠慮なく家族の映像、写真まで取りまわっている。
やがて、米海軍の軍楽隊が「錨を上げて」を演奏して式は始まった。式の流れは自衛隊と大差はないが演出はスケールが大きい。
ジェニーと光太郎が並んでステージに上がり、司令官に敬礼をして女性であるジェニーの胸には女性士官が勲章を付け、光太郎には司令官自らつけてくれた。同時に家族の後ろに整列している部隊から盛大な拍手が上がった。
その後、司令官の祝辞を受け、ジェニーの勇気と活躍を褒め称え、光太郎の貢献に感謝するスピーチに、ジェニーの家族は感激して涙をハンカチで拭っているが、昌美と育美には賀真が通訳しているもののピンとこないようだった。
それが終ったところで、空の向こうから航空機の編隊の音が聞こえてきた。
ジェニーの視線に合わせて光太郎もそちらを見ると、対潜哨戒機が3機編隊で接近し、真上を通過し、それと同時にまた軍楽隊が祝賀演奏を始めた。

「ジェニー、光太郎、おめでとう」基地クラブでの祝賀ガーデン・パーティー会場で砂川3佐=賀真がジェニーと光太郎、光太郎に手を引かれたみるくに声をかけた。
「メジャー・スナガワ、有難うございます」ジェ二―と光太郎は口を揃えてお礼を言って敬礼をし、みるくもそれに倣って手を額にかざした。
「私が光太郎さんと結婚できたのはメジャーのアドバイスのおかげです」「こっちこそ甥が最高の嫁さんをもらえてハッピーだよ」ジェニーは照れ笑いをした。
「本当、叔父さんが言ってた通り沖縄とハワイには共通する精神風土があります」光太郎がジェニーの手を握りながら言葉を継ぐと賀真は驚いたように光太郎の顔を見た。
「お前、しばらく会わないうちにお父さんみたいな話をするようになったなァ」国際結婚を悩む光太郎に賀真は「俺たちみたいなシマンチュウと道産子の結婚よりも風土が近い」と激励したのだ。賀真には八戸にいた頃、素直なお人好しだったが、どこか頼りなかった光太郎が急に大人びて、年齢以上に頼もしくなり、何よりもこの若い夫婦が、今回の困難を乗り越えた強固な絆で結ばれていることが嬉しく、誇らしくあった。
「メジャー、三沢では娘がお世話になったね」ジェニーの家族が話に加わってきた。
「君はまだ三沢にいるのかね?」「私は今は沖縄で勤務していますから、また遊びに来て下さい」賀真の話に、ジェニーの家族は顔を見合わせた。
「メジャーも里帰りかァ。ならばまた遊びに来るよ」「次の孫にも会いにね」「可愛いお母さんに会いに来るぞ」義父の台詞に、その場にいた全員(みるくを除く)が呆れてため息をついた。
「可愛いお母さんって、直美ネェネね?」ジェニーの父の台詞に賀真が訊いたので、「うん、お義父さんは結婚式以来のファンなのさァ」と光太郎は諦めたように答えた。
その時、料理を一通り味わい終えてグラスを持った昌美と育美も話に入ってきた。
「ところで賀真、メジャーって何ねェ?」昌美がピンボケな質問をしてきた。
「あんた、何か測りの仕事をしてるのねェ?」育美がボケに追い打ちをかける。
「はァ?」賀真は、この姉たちにどう説明すればよいのか判らない様子だった。
「メジャーって階級のことさァ、賀真叔父さんは自衛隊では偉いさんなのさァ」「へーッ」光太郎の説明に2人の姉は意外そうに顔を見合わせた。
「賀真が偉いさん?」「駄目ジャーじゃあないねェ?」昌美と育美の姉2人が失礼なことを言うと賀真と光太郎、ジェニーの3人は「ゴホン」と咳払いをした。

「マツノ3曹、君はマツノ1佐の息子さんだって?」パーテイー会場で光太郎とジェニーがお礼を言いに行くと群司令が話しかけてきた。
「はい、父を御存知なんですか?」「江田島の同期だよ」群司令は意外な話をした。
「マツノ1佐は空自上がりのくせに海自の部内組よりも帝国海軍に詳しくて、帝国海軍の生き残りみたいな不思議な人だったよ」「そうですか」「でも、海上自衛隊の制服はあまり似合わなかったなァ」「とよく言われています」「そうか、ハハハ…」確かにこの台詞は賀真叔父や岸田義叔父、さらに父を知る人たちからよく言われていた。
「それから何故か水泳が得意で遠泳でも甲組だったなァ」「空自の頃から水難救助員だったそうです」「道理でな」群司令は長年の謎が解けたような顔でうなづいた。
「それで成績は良かったんですか?」「彼の凄さは成績じゃあ量れないよ。まさか真っ先にカレーライスを食べるとは思わなかったがな」カレーライスと言うのは2佐以上の幹部の正帽のひさしに入っている刺繍のことで「2佐に昇進すること」を意味する隠語である。確かに父は3佐で止まってしまい、昇任レースからは完全に外れていた。
「それにしても今こそ彼が必要なのに惜しい人を失った」光太郎は父の知られざる一面を聞けて嬉しくなり、子供頃から父が壁に貼っていた辞世の歌をそらんじた。
「父の辞世は『いざ死なん我が屍(しかばね)を踏み越えて 征(ゆ)ける 戦友(とも)たに道を 標(四目)して』でした」群司令も「あの人らしい」とうなづいた。
「そう言えば沢口靖子似の奥さん、君のお母さんは元気かな?」「はい」「俺は入校式で会って以来、ファンだったんだ」「えっ、群司令もですか?」義父に続いて群司令まで母のファンだと知り光太郎は呆気にとられた。
「『も』とはどう言う意味だ?」「妻の父も母のファンでして、今度、挨拶にキスをするって張り切ってるんです」「何い!」突然、群司令の目が戦闘モードになる。
「でも母は、セカンドキスは嫌だって逃げているんです」「セカンドキス?」「母は父以外の人とキスをしたことがないそうです」「そうか、そうだったのかア・・・」隊司令は、しみじみと感激を噛み締めているようだった。
「江田島のプールでマツノ一家が泳いでいた時には、みんなで外出をやめてお母さんの水着姿を見にいったんだぜ」群司令はまるで青春の思い出を語るような顔になった。
「その時、私もいました」「ウーン、覚えていないなァ。奥さんに夢中で」群司令の思わぬスケベ話に今度はジェニーが呆れた顔をしていた。
「母の今の顔を見ますか?」「今でもキュートか?」「それはどうだか・・・」そう言って光太郎がポケットから携帯を取り出して登録画面の直美の近影を見せると、群司令は少年のように期待半分、不安半分の顔で写真を覗き込んだ。
「うん、変わらないなァ、やっぱり沢口靖子だ」群司令は嬉しそうに写真を眺めていた。
「母は今、八重山の離島で保健師をしています」「そうか、流石は軍神・マツノの妻だね」群司令はそう言うと光太郎の肩に手を掛けた。
「君もお父さんの後を継いで幹部にならんとな」「そればかりはチョッと・・・」群司令の励ましに隣でジェニーもうなづいているが光太郎にはまだその自信がなかった。

それからしばらして嘉手納の部隊のジェニー宛に知らない女性から手紙が届いた。差出人はシンシア・T・テイラー、米空軍の少佐だった。
「私は米空軍アラスカ州アンカレッジ基地に所属する者です。この度は困難な任務の遂行、奇蹟の生還、快復しての職場復帰をお祝い致します。大学時代、私は沖縄で勤務していた両親と暮らしていて、貴女の御主人のお父様と知り合いました。今回のニュースで貴女の御主人がお義父様のお子さんであることを知って驚き、お義父様が既に亡くなっていることを知り、とても残念に思っています。貴方のお義父様は、とても素敵な人で、優しく私を愛してくれ、私も心から愛していましたがましたが、彼は両親の反対で私との結婚を諦め、私は両親と一緒にアラスカへ転居しました。でも彼の息子である貴方の御主人はアメリカ人である貴女との愛を貫いて結婚をした。そして、可愛いお子さんもいる、それを知って私も救われた気持ちになれました。これからも御主人を大切に、お幸せにお暮らし下さい。そして、立派な軍人になって下さい」手紙には若き日の義父との写真も添えられていた。
「この手紙、お母さんに教えた方がいいのかなァ?」「うーん、難しいね・・・」手紙を読み終えて光太郎が「女性の見解」を訊くとジェニーも腕組みして首を傾げていた。

その頃、患者がいない診療室で書類を整理している直美と私は雑談をしていた。
「今度の孫は何て名前にするのかなァ」「ジェニーの意見も聞いてみないとね」「うん」「うん」私と直美はお互いに相槌を打ち合った。
「みるくは沖縄の名前だから、今度はハワイの言葉がいいかなァ」「そうだね」直美の提案に私も同感だ。でも流石にどちらもハワイの言葉は知らない。
「アロハなんてどうかなァ」「それじゃあ、ハイサイって意味さァ」「そうか、ハハハ・・・」直美の提案に私が反論すると、うけて天井を見上げて笑った。
「ミルクユガフの次はハワイの神様かなァ」「王様って言う線もあるね」「カメハメハ大王っていたっけな」「それじゃあ、ドラゴンボールだよ、ハハハ・・・」直美は嬉しくって仕方ないようだった。
「貴方のアメリカ人の彼女ってシンシアって言ったんだよね」「えっ?」突然の質問に私は返事ができない。しかし、直美の顔を見ると優しい眼をしている。
「結婚した頃、酔っぱらうと寝言で呼んでたよ」「ごめん」「何、謝ってるのさァ」私の真面目な謝罪に直美は可笑しそうに笑った。
「シンシアって月の女神の名前で、ダイアナと同じ意味なんだよね」「すごいなァ、俺より詳しいなァ」「それから南沙織の名前さァ」直美は何にしても勉強家なのだ。私は素直に感心した。
「女の子だったら、光太郎に頼んでシンシアにしてもらおうかァ」「ダメだ、却下!」私の即答に直美は悪戯っぽく笑いながら肩をすくめた。
「言っただろう、これからは直美だけだって」「うん、ありがとう」私はそっと(幽霊には「そっと」しか出来ないが)直美を抱き締めた。

「奇蹟の生還」と言うタイトルで米海軍全面協力のジェニーのドキュメンタリー番組が作られることになって、出演、協力するようにと言う指示が出された。
「夫は米軍人ではありません」命令を伝える先任下士官にジェニーは反論した。
ジェニーは自分がアフリカに行っている間に周作とみるくがマスコミに追い回され、大変な苦労をしていたことを後から知ったのだ。
「日本海軍は同盟軍だ、もう調整済みだから心配ない」先任下士官はマツノ家の事情には無頓着にそう言った。むしろ、先任下士官は自分の部隊に全国、全軍でスポットライトが当たることを名誉だと喜んでいるようだ。
「でも・・・」「何か事情があるのか?」先任下士官は初めて心配そうな顔をする。いつもは従順なこの部下がみせた想定外の反論に戸惑っているようだった。
「はい、私は妊娠していますから」ジェニーはそこに理由を持っていった。
「取材はインタビューが中心だから大丈夫だろう、何かあれば早目に言ってくれ」そう言って先任下士官は父親の顔で、膨らみ始めているジェニーの腹を眺めた。
「広報活動を通じての国民世論の喚起も重要な任務のうちだぞ」まだ迷った顔をしているジェニーにもう一度、先任下士官は命令の念を押した。

「そう言われてもなァ、お父さんのことはどう説明するんだ?」その夜、ジェニーから説明を受けた光太郎は困惑していた。部隊からまだ話はなかった。
「オカルト物じゃあないんだから幽霊に助けられたなんて・・・」「でも事実は事実だしね」そう答えてジェニーは珍しくため息をついた。
「お母さんの通訳でお父さんにインタビューなんてな」「まさかァ」ジェニーは光太郎の心配とは別に家族に迷惑がかかることを心配しているようだ。
「お義母さんや叔母さんにもインタビューを頼むことになるかも知れない・・・」「そうか、お母さんに言っておかないとな」そう言って光太郎は立ち上がり、部屋の隅の電話で母の宿舎に電話を掛けた。

「それじゃあ、まるで映画の『ゴースト』さァ」それが母の反応だった。
母は父と光太郎の親子3人で江田島から呉の映画館へこの映画を観に行ったことがあって、今では、そのストーリが自分と夫の人生を予言していたようにも思っていた。そう言えば、主演したパトリック・スウェイジは癌で亡くなったはずだ。
「そうかァ、実話の『ゴースト』かァ」母の言葉に光太郎は電話口で納得した。
「それもジェニーの仕事なら協力するしかないさァ、あとは米海軍がどうするかだね」結局、母は日頃の生活通り、事実は事実と別に隠す必要もないと言う考えのようだった。
「それじゃあ、お母さんがお父さんへのインタビューを通訳するんだね」光太郎は先ほどジェニーと話したことを母にも訊いてみた。
「それは面白いね」「うん」光太郎の話に母と父は一緒に返事をした(と伝えた)。
「この調子でいくさァ」「それを聞いて安心したよ」光太郎が母の返事を電話の横に座って聞いているジェニーに伝えると、ジェニーは「流石はお義母さん」と感心した。
「それより、ジェニーは順調ねェ」「うん、おかげ様で大分腹も目立つようになってきたよ」やはり母も心配をしていることを聞き、ジェニーはその心配が嬉しそうに微笑んだ。
「名前はもう考えているねェ?」「うん・・・」光太郎ははっきり返事をしない。
「お父さんがみるくは沖縄の名前だから、今度はハワイの言葉から考えれば好いって言ってるよ」「うん、そのつもりだよ」光太郎は母の言葉にホッと安心のため息をついた。
「マナ」「えッ?」光太郎は考えている名前を言った。
「どう言う意味ねェ?」「ハワイ語で『自然を超えた力』さァ」光太郎は「どうだァ、参ったか」と言わんばかりに自信ありげに答えた。
「ミルクユガフの次はマナかァ、すごい名前の子供ばかりだねェ」「だっからよう」「だけど女の子の名前には意味が強すぎるかもね」「なるほどォ」母の意見に光太郎とジェニーは納得してうなづいた。
「それより親が負けそうさァ」「あんたは兎も角、ジェニーは大丈夫さァ」「何ねェ、それは」「だってジェニーは奇蹟の人でしょ」光太郎の文句に母はその上をいく反論をして、後ろで私は「直美の勝ちィ」と手を叩いた。
「それでも8人の子供の名前にはネタ切れにならないように勉強しておかないとね」母は突然、トンデモナイことを言いだした。
「俺、8人の子持ちになるの?」「それが砂川家の跡取りの使命さァ」光太郎の頭に砂川家の母の妹弟の7人の強烈なキャラクターが次々と浮かんだ。と同時に「自衛隊の定年までに子供を成人させるには」と相変わらずの計算を始めた。

「こんなの一体どうするんだ?」ジェニー一家をはじめ関係者への取材を終えたテレビ局プロデューサーと担当の米海軍の広報士官は頭を抱えていた。
「これじゃあ、映画ゴーストの海軍版だよ」「それじゃあ、ドラマ化するかね」プロデューサーの皮肉な台詞に米海軍の広報部士官は皮肉で返した。
「医官まで『奇蹟だ』何て同調するんだから、どうしようもないよ」「まったくだ」プロデューサーと広報士官は顔を見合わせて一緒に深くため息をついた。
「マツノ3等兵曹が我が海軍で新興宗教の教祖になったら、海軍の水兵はみんな信者になってしまうよ」「奇蹟が現実に起きているんだからなァ」広報士官の苦し紛れのジョークにプロデューサーも同調した。
「ただ、テレビ局的には別企画で番組化する価値はあるな」「それは困るな」プロデューサーの商売的な感覚は鋭い、また、軍人の現実的な感覚は固い。
「どっちにしろウチ(海軍)の上層部にどう報告をするか一緒に考えてくれよ」広報士官の泣きごとに、プロデューサーは同情するようにうなづいた。
谷口3曹
「マツノ3曹、奥さんがオメデタなんですか?」今は整備補給隊に所属している光太郎が作業を終えてソファーで一休みしていると職場の女性自衛官から声をかけられた。
「うん、妻は事務室へ配置換えで産休待ちになっちゃってさァ」ジェ二―は整備作業の母体への影響を考慮して事務室勤務になっていた。
「やっぱり米軍って行き届いてますよねェ」「うん、全てマニュアル通りさァ」そう答えながら光太郎は最近、ジェニーが着始めたマタニティーの制服姿を思い浮かべた。
「米軍が妊娠、出産したWAVESの勤務をどうしているか、色々教えて下さい」女性自衛官は顔を覗き込んだが光太郎はすぐには返事ができなかった。
「そりゃあ、好いけど自衛隊でも同じことをやれなんて申し入れるんじゃないだろうね」光太郎の心配そうな顔を女性自衛官は「意外に小心者だな」と呆れたように見返した。
「これから出産を控えて職場には色々と迷惑をかけることもある、上司に睨まれるようなことはしたくない」と光太郎なりに色々と考えてはいたのだ。
「大丈夫、上の人と女性自衛官の懇談会の時の参考にするだけです」と光太郎を安心させるために微笑みながら説明をした。
「マツノ3曹のお父さんって海自の幹部だったんですよね」「うん、5年も前に戦死しちゃったけどね」光太郎は思わぬ話の展開に戸惑った。
「お父さん、すごく思いやりのある素敵な方だったらしいですよ」「えッ?」「厚生隊の宮城1曹は大下さんだった頃、江田島と那覇でお世話になったんだそうです。その頃、悩んでいたことを真身に相談に乗ってくれて、優しく励ましてくれたんですって」「へーッ」「宮城1曹、今でもマツノ3佐のおかげで結婚できた・・・本当は好きだったって言ってますよ」「ふーん」「いつまでも思い続けられるなんて、私も会ってみたかったなァ」「その息子なら目の前にいるけど・・・」光太郎の返事に女性自衛官は呆れた顔で首を振って歩いて行った。

「光太郎、破水したみたい。これから病院に行きます」当直室にジェニーから電話が入った。予定日よりも2週間早く、当直勤務を外したのが裏目に出た。
「みるくは?」「育美叔母さんが来てくれるって」「下番したらすぐに帰るから待ってろ」「昌美叔母さんが連れて行ってくれるって」結局、今回も両叔母の支援を受けることになり、光太郎はホッとしながらもため息をついた。
光太郎は当直を下番して、上司に申し出て休暇をもらい家に帰った。みるくは育美と一緒にテレビを見て待っていた。
「今回は早かったさァ」「うん、予定よりも2週間も早くって俺も驚いたさァ」「ジェニーは2度目だから落ち着いていたよ」育美は玄関まで出迎えて靴を脱いでいる制服姿の光太郎に話しかけてきた。
「昌美叔母さんがついて行ってくれたんだって?」「昌美ネェネが私に連絡して来たのさァ」育美は出勤前だったのかホテルの制服のブラウスの上にカーデガンを羽織っている。
「ダディ、お帰りィ」みるくも光太郎の声を聞きテレビを見るのを止めて歩み寄ってきた。
「それじゃあ、私は仕事に行くわ、みるくバイバイ」育美はみるくに向かって手を振った。
光太郎は育美に礼を言いながらみるくに話しかけた。
「みるく、保育園にこう」「僕もマミィの病院に行く」みるくが光太郎の顔を見上げながら言ったので、玄関で育美も立ち止って振り返った。
「でも、これから何時間かかるか分からないんだよね」「そうだね」「僕、お兄ちゃんだよ。病院に行く」光太郎が育美と顔を見合せながら話していると、みるくは2人の顔を見比べて、もう一度繰り返した。
「大人しく待てるか?」「うん」みるくは力強くうなづいた。
「よし、それじゃあ、お父さんと赤ちゃんを待っていよう」そう言って頭を撫でるとみるくは満面の笑顔になった。

病院に行くと、もうジェニーは分娩室に入っていて廊下で昌美が待っていた。分娩室からはジェニーの悲鳴に似た声が聞こえてくる。
「赤ちゃん、マミィを苛めちゃあ駄目だよ」分娩室のドアの前でみるくが叱るように言うと「赤ちゃんはお母さんのドアを開けようと頑張ってるんだよ」と昌美が答えた。
その言葉にみるくは納得したようになづき、お兄さんの顔で応援を始めた。
「赤ちゃん、頑張れ、マミィ、頑張れ・・・」光太郎も口の中でみるくに合わせて応援すると、やがて「オギャーッ」と言う声とともに子供が生まれた。光太郎と昌美は顔を見合わせ、みるくは光太郎の胸に飛び込んできた。
やがて分娩室から日本人の看護師が赤ん坊を抱いて見せに来てくれた。看護師は身を屈めて「ニィニになったね」と声をかけながらみるくにも見せた。2820グラムの女の子、ジェニー似の美人だ(と昌美が言っていた)。
しばらくするとベッドに乗せられたジェニーが出てきた。
「ありがとう」光太郎とみるくが両側から手を握るとジェニーはうっすらと目を開けて「女の子、マナだね」と微笑んだ。それを見て、みるくは涙ぐんだ。みるくは意外に祖父=私似の感激屋なのかも知れない。
その時、光太郎は頭の中で連絡のためにハワイとの時差を計算し始めていた。

「今度は女の子だ。2820グラム」「美人だった?」「直美似の美人さァ」私の第一報に昼休み中でテレビのお昼のニュースを見ていた直美は、嬉しそうに笑った。
「貴方のニュースはテレビよりも早いね」「うん、リアルタイムさァ」直美は返事をしながら、次にかかって来るだろう光太郎の電話を取る準備で受話器に手を伸ばしたが今回は中々かかって来ない。
「光太郎も俺が知らせるのが判ってるから後回しにしたな」「そうかもね」そう答えて直美は手を引っ込め、机の上のコーヒーを1口飲んだ。
「名前はやっぱりマナにするってさ」「マナかァ、確か『自然を超えた力』って言う意味だったよね」「そうだっけ?」私よりも直美の方が記憶は確かだった。
「ねえ」「うん?」「私と貴方がこうして話すのって自然を超えた力なの?」直美は時々、こんな咄嗟には答えられないような質問をしてくることがる。
「俺が君のそばにいるのは自然のうちさァ、それを言うなら人間の理解を超えた力だね」「そうかァ、それを奇跡って言うんだね」「そうだろうね」直美は納得した顔でうなづくとコーヒーを飲み終えた。
「でも、女の子でそんな名前にするとユタさんになっちゃいそうだね」「そうかァ、宮古島は本場だもんなァ」「相変わらず詳しいなァ」ユタもノロも青森のイタコのような沖縄の女性の霊能者で、予言、占い、お告げから人生相談、祖先供養、お祓いまで一手に引き受けている。宮古島にはそんな霊場が多いのだ。
「奇跡の人の娘なら、すごいユタさんになるぞォ」「新興宗教の教祖さんになったりしたら困るけどね」こんな冗談のような、でも現実にありそうな話で盛り上がっていると電話が鳴った。
「お母さん、子供が生まれた」「うん、おめでとう。マナちゃんだってね」直美の返事に光太郎は「やっぱり」と言って電話口でため息をついた。
「だからハワイに先に電話したんだ。マナって名前にするって言ったら感激してたよ」「ふーん」直美は結婚式以来会っていない向うの家族の顔を思い出した。
「それから今回も昌美叔母ちゃんと育美叔母ちゃんにお世話になったさァ」光太郎は「申し訳ない」「どうしましょう」と言う口調で報告してきた。
「沖縄ではモンチュウは家族だからそれは好いのさァ。アンタやジェニーの出来ることで昌美や育美に恩返しをすることさァ」「はい」光太郎は安心したように返事をした。
「またお宮参りに行くさァ」そう言って直美は電話を切った。

その日の夕方、仕事帰りの昌美がやって来た。
「病室を訊くのに英語じゃなくちゃあイケナイから困ったさァ」病室に入ってくるなり昌美は文句を言い始めた。
「叔母さんは英語が苦手ねェ?」「私はネェネみたいに優等生ではないのさ」昌美の答えに光太郎は母以上に鋭いと評判のこの叔母に「なのにアンタは」と話を振られる前に話題を変えた。
「でも、今日の受付の看護師さんは日本人だったはずさァ」「多分、そうだね、日本語が判らないような振りをしてたさァ」光太郎の言葉に昌美はもう一度怒り直した。
「沖縄の看護師なら、お爺やお婆にはシマグチさァ、相手が判ることが一番だよ」一通り怒ると昌美は、ジェニーの胸で母乳を飲んでいる赤ん坊の顔を覗んだ。
「これがさっきの赤ちゃんねェ」昌美は愛おしそうに赤ん坊の顔を見つめた。
「私がお父さんの叔母ちゃんさァ、おバァじゃあないよ」昌美の呼びかけにジェニーと光太郎は顔を見合せて笑った。
「ジェニーに似てハンサムで好かったさァ、頭も似なさいよ」結局、昌美はそちらに話を振ってきた。ジェニーは可笑しそうに光太郎は困った顔でまた見合って笑った。
昌美はジェニーに首が据わる前の赤ん坊の抱き方、授乳の仕方の説明を始めた。昌美の日本式のやり方は軍病院の看護師のアメリカ式とは少し違うようだった。ジェニーと光太郎は2人ともメモでも取り始めそうなぐらい真剣な顔をしている。1通り説明を終えると昌美は光太郎を振り返りながら聞いてきた。
「もう、名前は考えているねェ?」「マナさァ」「愛娘(まなむすめ)だからマナねェ」昌美の勘違いに光太郎とジェニーは今度は困った顔を見合わせた。
「ハワイ語で自然を越えた力って意味さァ」「あんたにしては難しい名前を考えたね」光太郎が説明すると、今度は褒めてくれた。
「ジェニーのアイディアでしょう」「はい、そうです」「やっぱり」この叔母の鋭さは相変わらずだった。光太郎は子供時代から喧嘩、失恋、成績不振について何も言わなくても全てお見通しで、隠し事ができなかったことを思い出していた。
「マナ、ミルクを飲んだら叔母ちゃんにおいでェ。そうかァ、ニィ二はみるくだったね」昌美の洒落にジェニーも笑った時、マナの授乳が終わった。
「授乳が終わったら、こうやってゲップをさせないとミルクを吐いて危ないのさァ」昌美は手慣れた手つきでマナを胸に抱き背中を擦ってゲップを吐かせた。
「気をつけないと吐いたミルクが服につくよ」昌美のアドバイスは実用的だ。ジェニーと光太郎は今度も真面目な顔でうなづきながら聞いていた。
マナは昌美の腕で安心して眠りについたが、みるくは何度も名前が出てきて戸惑った顔をしていた。

宮参りに行くため、ようやく直美は休暇をもらって本島にやって来た。
「お母さん、メンソーレ」南西航空の空港ロビーで待っていた光太郎は笑顔で声をかけると、歩み寄って直美の鞄を取った。しばらくぶりで会う光太郎は、どことなく父親の貫禄がついてきたようだった。
「ジェニーもみるくも元気?」「おかげ様で」こんな挨拶も、どこか板についてきている。空港から浦添市のアパートに向かう車内で、運転をしながら光太郎と色々な話をした。
「昌美叔母さんには本当にお世話になっているよ、それから紀美叔母ちゃん、安美叔母ちゃん、里美叔母ちゃん、育美叔母ちゃん、賀真叔父さんからお祝いを送ってもらったさァ」「今回はよくできました」「うん、練習しておいたのさァ」「やっぱりね、ハハハ・・・」直美の七人姉弟には光太郎は未だに手こずるらしい。
夫の死後、宮古島に帰り、そこから八重山へ行った直美には久しぶりの那覇から浦添までの風景が初めて見る場所のように見える。
「テンジンさん、この道を自転車で通って来てたんだ・・・」「エッ?」直美の独り言に光太郎が前を向いたまま訊きかえした。
「お父さん、私が看護学生だった頃、那覇から胡座まで自転車で通って来たのさァ」「車は?」「あの頃は、自衛隊はベテランにならないと持たせてもらえなかったのさァ」「バスは?」「時間が自由にならないから嫌なんだって」「ふーん」光太郎は深くうなづいた。
「いつも、何処へ行くのも2人乗りだったのさァ」「それってまずくない?」光太郎は自衛官らしく交通規則のことを心配した。
「どっちも若かったからねェ」直美は遠くを見る様な目をして懐かしそうに微笑んだ。その言葉に光太郎はまたゆっくりうなづいた。

翌日は大安吉日、マナのお宮参りに出かける。
「お母さん、お父さんは靖国神社が嫌いでしたけど神社へお参りしても良いんですか?」スーツに着替え、化粧を終えたジェニーが、ミルクやオムツをバスケットに詰めながら、リビングでマナを抱いて待っている直美に訊いてきた。
「貴方、どう?」「うーん、沖縄のお寺には坊さんがいないからなァ・・・」「そうだよねェ」義父母が聞こえない会話で相談を始め、ジェニーは首をかしげた。実は沖縄にも坊さんがいる寺はあるのだが、戦後に創建された新しい寺ばかりで、孫の無事生育を願うには頼りないのだ。スーツに着替えた光太郎は、そんなことにはお構いなしでカメラの準備をしていて、みるくも覗き込んでいる。
「ところで波の上宮に行くねェ?」その背中に直美が声をかけた。
「まだ決めてないけど護国神社は駄目だろう」質問に光太郎が答えた。確かに護国神社は「戦死した英霊として合祀したい」と言う申し出を拒否した靖国の末社であるから駄目であろう。そこで私は思っていることを直美に言ってみた。
「神社なんかに行かないで、首里の円覚寺と御嶽(うたき)に参りなさい」「えーッ?」突然の意見に直美も戸惑って大き目の声を上げ、光太郎とジェニーは驚いて母の顔を覗き込んだ。
「何だって?」「お父さんが神社はやめて首里の円覚寺と御嶽に参れってさ」「でも俺、円覚寺や御嶽がどこにあるか知らないさァ」首を振った光太郎の横で直美もうなづいている。宮古島出身で中部の看護学校だった直美はあまり那覇の地理には詳しくないのだ。
「竜譚池の畔だ。これはお告げだぞ」「本当にマツノ家は不思議な家ですね」直美を通じて私のお告げを聞き、ジェニーは益々訳が判らなくなったようだ。
「ハワイの神様だって同じ太平洋の守り神かも知れないじゃないかァ」私がそう補足するとジェニーは、ようやく納得した顔でうなづいた。それを見ながら光太郎は心配そうな顔で直美に訊いた。
「でも、御嶽ではどうやって祈るの?」「お父さんがやったみたいにアンタが祈るのさァ」今度は直美の意見だ。
「本当?」「どう、テンジンさん?」光太郎の確認に直美が私に助けを求めてくる。
「それが好いね」「よかったァ」直美の返事を聞いてジェニーは嬉しそうな顔で光太郎を見たが、光太郎はみるくに「一緒にやそうな」と助けを求めていた。
結局、御嶽と円覚寺では私の指導で家族が揃って手を合わせ、「南無ミルクユガフ」を合唱した。これなら兄のみるくにも加護があるだろう。

3月11日、公立の診療所だけに直美も年度末の本年度の報告書の作成に追われている時期、東北で大きな地震があり、沖縄にまで津波が押し寄せ、その大きさが推測された。
私はテレビをつけっ放しにした直美の後ろから声をかけた。
「よし、俺が一足先に行って現地を見てくるさァ」「お願いね。、様子を聞かせて」「うん、大変そうだけど、ちばるさァ(頑張る)」私は東北に向かって飛び立った。

私は宙を舞いながら三陸海岸の上空で高度を下げたが、家族でドライブしたリアス式海岸の美しい漁村は津波によって跡形もなく破壊され瓦礫が積もった平地になっており、海面には多くの瓦礫が流れ込み覆い尽くされていた。
「これは想像以上だなァ。長期戦を覚悟しないと・・・」そんな独り言を呟いていると、背後=西の方から目を覆いたくなるほどの強烈な光を放つ3人が乗った金色の巨大な雲が追い抜いて行った。
「あれは阿弥陀如来と観世音菩薩、勢至菩薩だァ」佛画では見たことがある阿弥陀三尊を目の当たりにして、私は思わず手を合わせ「南無阿弥陀佛・・・」と念佛を唱えてしまった。それは浄土真宗の坊主だった時の習慣なのだがこれは失敗だった。雲は急停止し、阿弥陀如来と観世音菩薩、勢至菩薩が振り返って声をかけた。
「お主はワシを呼んだのか?」「西方浄土へ往生したいのかな」「ニライカナイへ往生しているはずだが」私は空中で拜礼しながら説明した。
「いいえ、ミルクユガフ(弥勒世果報=ニライカナイの本尊)のお使いで被災者の救済に向かう途上でございます」「そうだろう。忙しいのだから呼び止めるな」「はい、申し訳ありません」ひたすら恐縮している私に有り難い言葉を掛けると阿弥陀三尊を乗せた雲は前へ動き始めようとしたが、そこに正面から薬師瑠璃光如来が日光菩薩、月光(がっこう)菩薩や十二支の十二神将を連れて到着し、両者は向かい合って止まった。
「おう、阿弥陀ちゃん、10万億土から遠路はるばる御苦労さん」「やあ、薬師くん、君こそ10劫伽沙から大変だったね」「それじゃあ、ワシたちは地球を何周回ったことになるんだ」「まったくだ」阿弥陀如来と薬師瑠璃光如来は経典で説いている互いの浄土までの距離の過剰な表現に呆れている。そこで阿弥陀如来が薬師瑠璃光如来の顔を見ながら訊いた。
「ところでこの辺りにも君の信者がいるのかね?」「真言宗なんかの寺があるからワシが本尊になっていることもあるんだよ」「それじゃあ、全て西へ往かせれば良い訳じゃあないのかァ」「うん、そこんとこヨロシク」佛様同士の話し合いが終わって、2つの雲は被災地に向かって高度を下げていった。

被災地に下りてみるとアチラコチラに霊魂が救いを待っていた。
一見すると山のように積もった瓦礫に、どこが道なのかさえ判らないのだが、霊魂は遺骸が埋もれている場所の上に浮かんでいるのだ。
私は不安そうな顔で迎えを待っている老人の霊魂に「お婆さん、念佛を唱えながら待っていれば大丈夫ですよ」「お爺さん、これだけ亡くなった方がいると佛さまも忙しいんですよ」などと声を掛けて回るが、阿弥陀如来の手足として観世音菩薩と勢至菩薩、薬師瑠璃光如来の方は日光・月光両菩薩と12神将が死者の霊魂の救済に励んでいる。おまけに被災地以外の死者の迎えもキッチリとこなしているのだ。
大震災の当日は即死した犠牲者の霊魂を集め、阿弥陀如来の前で西方浄土へ往く意思を確認させると西に向かって送り出した。それは被災地から西への行列だった。
そんな時も阿弥陀如来や両菩薩は家族が逝き別れにならぬよう目配りをし、特に我が子が見つからぬ親を待たせて「大丈夫」「必ず見つけてくる」と声を掛け落ち着かせていた。
一方、念佛が唱えられない幼児の霊魂は地蔵菩薩が守っている。知らずに冥界へ迷い込んでしまうと三途の川を渡られず賽ノ河原の石で回向塔を積んで過ごすことになり、夕暮れ時になると地獄の鬼がやってきては積んだ石の押し崩し、「お前は何の孝養も尽くさず、悲しみだけを与えた罪がある」と責めるのだ。
地蔵菩薩はそうならないように幼児を護り、阿弥陀如来の下へ連れて行き、口伝えで南無阿弥陀佛の念佛を唱えさせ、傍で待っていた親に引き合わせている。
そんな地蔵菩薩に阿弥陀如来は「平泉の中尊寺ではワシが本尊、お主が脇侍になっておる。東北ではワシらがタッグを組むのが本来なのかも知れんな」と声を掛けていた。
ところで観世音菩薩には負傷して動けない人や家畜を救済する現世利益の仕事もあり、被災地の上空を高速度で飛び回っている。地蔵菩薩は地面に在って黙っている霊魂を見つけては救い上げている。そんな姿には思わず手を合わせてしまう。しかし、うっかり「南無阿弥陀佛」「南無観世音菩薩」などと唱えると邪魔になるから気をつけていた。
これが都会では信仰心のない死者の霊魂がさまよい、それを狙った悪鬼が群がってくるのだろう。やはり信仰心が篤い東北では救いの手も行き届いているようだった。
私には自ら救うほどの法力はないので、自分が死んだことが受け入れられない霊魂を見つけると悪鬼・魔物に誘われぬよう守りながら、救急車のように飛び回っている観世音菩薩を呼び、駐在さんのように巡回している地蔵菩薩に知らせて過ごしている。
そんな霊魂からは時折、「アンタは西方浄土へは往かんのか?」と声をかけられるが、「私はニライカナイに往っている」と答えている。しかし、「そこは好いとこだべか?」と訊かれても私のニライカナイは直美のことなので答えに困ってしまった。

大震災2日目の朝、出勤した直美は同じ建物にある町役場の支所に呼ばれた。直美が席の前に立つと支所長は見ていた書類を机に置いて顔を上げた。
「マツノさん、県の被災者支援に加わって東北へ行ってもらいたいのさァ」「東北にですか?」直美は支所長の顔を真っ直ぐ見返した。
「マツノさんは青森にいたことがあるから冬物も準備できるでしょう、ウチの職員じゃあ冬物の衣類なんて持っていないのさァ」支所長の説明はもっともだった。
「分かりました。出発はいつですか?行き先は何処ですか?」八重山の役所でこんな反応をする職員はいないのだろう、矢継ぎ早の質問に支所長は書類を手渡して、直美はそれを確認した。
「出発は石垣発の今夜の最終便、行き先は県が決めるけど岩手県の予定さァ」支所長は念を押すように口頭で説明した。ただ冬物は宮古島に置いてあるため母に頼んで那覇の県庁に送ってもらわなければならない。
「診療所はどうしましょう」「八重山病院に交代を頼むことになるね」直美の心配に対する支所長の答えは予想通りだった。終了予定日はあえて確認しない、やはり直美は自衛官の妻であり自衛官の母なのだ。
「分りました。宿舎に戻って準備をさせて下さい」「うん、頼みます」直美の言葉に支所長はうなづいた。

「おカァ、私も東北へ行くことになったさァ」宿舎に戻った直美は母に電話をかけた。
「やっぱり行くねェ」昨夜からテレビではどの局も大震災に関するニュースばかりを流している。それを見ていた母は意外と落ち着いた返事をした。
「うん、だけど東北では雪が降っているみたいだよ」「だから急いで私の部屋の衣装ケースを開けて、セーターやジャンバーや手袋を那覇の県庁に送って欲しいのさァ」宿舎のテレビをつけると中継している現地の場面でも雪が舞っているのが判った。
「分かった。迷う物は全部送るからね」母の返事を聞いて直美は宿舎の荷物をまとめ始めたが、そんな自分に夫が航海に出る準備をしていた姿を重ねてしまった。

直美は派遣される石垣市の職員たちと一緒に南西航空の最終便に乗ったが、那覇空港には宮古島空港から荷物が届いていた。本来ならこのようなサービスはないのだが、テレビ繰り返される大震災のニュースで、そこへ派遣される職員への支援を特例として請け負ってくれたのだ。
「貴方、私も那覇へ着いたさァ」直美は手を胸の前で組むと念を送ってみた。
「そうか、頑張ろう」東北でそれを感じた私が返事を返すと直美は素直に受け止めた。
「寒い?」「うん、スバレテるだよ」私は被災地に来て2日で東北弁に戻っている。そんな独り言に一緒にバスに乗っていた離島からの派遣要員たちが驚いた顔をした。

那覇市の県庁では派遣用の作業服に着替えたがジャンバーは薄手の物しかなかった。
沖縄県では予算を節約するため防寒用の厚手のジャンバーは揃えていないらしい。この衣類を配る前、県の担当者から行き先は岩手県の三陸沿岸のどこかだと説明があった。
「きっとあっちは寒いよ」「ニュースでは雪が降っていたさァ」周囲の女性職員たちはジャンバーを手に取りながら不安そうに言い合っていたが、その雪を知っている者がどれ程いるかも判らなかった。
海開き間近の沖縄から雪が舞い暖房も不十分な被災地へ行くのだから、職員たちの健康も心配しなければいけないと直美は考えた。

直美たち看護要員は青森空港で待っていた岩手県職員により各地区に分けられ、直美は岩手県宮古市の避難所に配置されることになり、そのままバスで現地に向かった。
青森県内は津波の被害を受けた八戸市を除き大きな被害はなかったが東北電力の停電は深刻で、もうすっかり暗くなっている市街地にも電灯はなく信号機まで消えていた。交通規制が行われているのか私有車の通行も全くない。
青森空港から青森市内を抜け、陸奥湾沿いに八戸市に向かうとバスの車窓から見えるはずのむつ市の街灯りもなかった。
直美は車窓から家族で暮らした大湊の方を眺めながら夫に「青森に着いたよ」と念を送ると、少し強く「メンソーレ(ようこそ)、チバリヨウ(頑張れ)」と返事が返ってきた。

ジェニーは「オペレーション(作戦)・トモダチ」要員として三沢に展開してきた。
ただし、それは海兵隊や空母乗員のような救援活動ではなく、大震災以降、活動を活発化させているロシア海軍に対する牽制が主任務だった。
一方、光太郎は育児休暇中だったが出勤し、同じく尖閣諸島周辺海域への中国の動きに対処するため、沖縄を離れることができないでいた。
被災地で死者の西方浄土への往生を手伝う父(私)、実際に医療活動に励む母(直美)、国防の任務に当たる息子夫婦、それぞれこの大震災に対応して、懸命に頑張っているのだ。

夕方近くなり、直美が勤務している学校の体育館に行ってみた。体育館内に設置されている診療所を訪ねる前に直美が外に出てきた。
「おーい、直美ィ」「あっ、貴方ァ」直美は化粧っけのない素顔で風呂にも入っていないのか髪も乱れている。この状況ではいつもの抱擁をすることはできず、夕食が近づいて慌ただしくなった人の出入りを避けて玄関の脇で立ち話をした。
「今は何をしてるねェ?」「うん、力尽きて亡くなった人を観音さんや地蔵さんに案内する仕事だよ」「ふーん、やっぱり頑張ってるんだァ」誉めてはくれたがやはり、直美の大変そうな現場に比べるとお気楽に思えて申し訳なくなった。
その時、夕方の冷気が風になって吹きつけてきた。
「寒いけど大丈夫か?」「私は防寒具を持って来たけど、みんなはそれもなくて風邪をひきそうだよ」直美はそう言うとチャックを下ろし中に着ている厚手のセーターを見せた。
「今夜はここに泊まるよ」「そう、夢枕に来てね」直美は手を小さく振ると人波をよけながら倉庫に向って走り出した。

直美の寝床は救護所になっている体育器材倉庫の手前だった。救援用に配られた寝袋と数枚の毛布と枕だけで、電気が来ていないので体育館は日暮れとともに暗くなる。特にこの出入り口に近い場所は、かなり冷え込むため毛布1枚ではジャンバーを脱ぐこともできなかった。
患者たちが一段落した後、片づけや記録などを終えると直美たちが就寝するのは日付が変わってからだった
「貴方?」「うん、お疲れさま」寝袋に入った直美の上に重なると小声でささやき合った。
「貴方が重なってくれると抱かれているよりも一体感があって安心なのさァ」「そりゃあ、身体全体が1つになるんだからね」「うん、1つになって・・・きて」何だか色っぽい会話だが真っ暗な体育館ではイビキ以外の雑音がないため気をつけなければいけない。ただ、私たちの会話は本来、心と心のテレパシーなので音声は生前からの習慣のようなもので不要なのだ。
「貴方から見ると、この被災地はどんな感じなの」「風景は同じだけど亡くなった人の霊魂が浮かんでいるのが見えるから遺体のいる場所は判るな」「ふーん、まだ大勢の霊魂が浮かんでいるんだァ」「いいや、佛様や菩薩さんが大忙しで救っておられるから、どんどん浄土へ旅立ってるよ」「そうかァ、だったら安心だね・・・」気がつくと直美は寝息を立てている。そして夢の中で肩を揉み、全身をマッサージした。

「直美、出発するよ。チバリヨ―」「・・・」翌朝、声を掛けて出かけたが、直美は負傷者の処置に集中しているようで返事がもらえなかった。

遺体の発見、回収は遅々として進まないが、殆どの霊魂が西・東の浄土(日蓮宗は霊山浄土)へ往生した頃、私は遺体安置所になっている中学校の体育館に行ってみた。家屋が破壊され瓦礫になっている中、鉄筋コンクリートの校舎はよく目立つ。
体育館の中に入ると棺が2メートル間隔に並べられていてホールのほぼ半分は埋まっていて、ステージの前には砂を入れた香炉があるものの線香はなく死臭が漂っていた。
私の姿を見てそこに留まっている霊魂たちが歩み寄り、揃って手を合わせてくれた。
「ここでは誰も念佛を唱えてくれねェんだよ」「公務員は宗教行為ができないんだとさ」挨拶が終わると霊魂たちは口々に不満を訴え始めた。
「政教分離」の一線を踏み越えられない地方公共団体の頑なさが、慰霊という市民の要望、社会常識を無視させていて、霊魂たちは黙って待っているしかないようだ。
「それで佛様や菩薩様も素通りしてしまうのですね」「んだ、困ってしまうだよ」「早く、浄土で落ち着きたいのに」また不満の声が始まったので私は昔取った杵柄で読経を始めた。
「帰命無量寿如来 南無不可思議光・・・」それは浄土真宗の正信念佛偈だった。むつ市の寺で暗唱させられ、節回しも若手の坊さんに習って練習に励んだものだ。
「それ人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、おおよそ儚きものは・・・」続いて蓮如聖人の「白骨の御文」を唱えた。
確かにこれは浄土真宗の法要の定番ではあるが、それ以上に何の心の準備もなく亡くなった人々の霊魂を安心させるためには一番良いと思ったのだ。
最後に大声で念佛を唱え始めるとやがてそれは大合唱になり、その声が外まで響いたのだろう、すぐに眩い光が体育館を覆った。

この土地は浄土真宗の門徒さんが多いようで、薬師瑠璃光如来樣御一行は数日で引き上げていった。ところがヤヤコシイのは日蓮宗の霊魂だ。
その日も沖合で水死した漁師さんの霊魂に会ったのだが、念佛を唱えようとすると「俺は日蓮宗だ。お題目を上げろ」と大声を出した。
確かに日蓮聖人自身が安房国の漁師の息子なので漁師には日蓮宗徒が多い。そして日蓮宗徒は聖人が念佛を厳しく批判したことを受けて毛嫌いしていることが少なくないのだ。
「それじゃあ、妙法蓮華経でも勤めますか」「おう、そうしてくれ」私は手も合さず腕組みしている小父さんの横で、唯一暗記している妙法蓮華経観世音菩薩普門品偈を唱え始めた。
「世尊妙相具 我今重聞彼 佛子何因縁・・・」リクエストで法華経を唱えていても小父さんは黙って睨んでいるだけなので私は途中で声を掛けた。
「黙っていないで手を合わせてお題目でも唱えたらどうですか?」「そうか、しかたないな」手持無沙汰にしていた小父さんは手を合わせてドスの利いた声で「南無妙法蓮華経」と唱え始めた。するとすぐに顔見知りになった観世音菩薩がやってきた。
「何だ?今日は海の上かい」「私も元はウミンチュウですからね」「そうだったな」観世音菩薩は納得したように笑った後、真顔になって隣りで呆気にとられている小父さんを見た。
「今日はこの人かァ、お題目を唱えているところを見ると法華宗かい」「日蓮宗だよ」この小父さんは遠慮を知らぬようで観世音菩薩にも反論をした。
「と言うことは阿弥陀様の下へ連れていっても仕方ないな。霊山浄土かァ・・・」「西方浄土じゃあ、ないのか?」「あそこはお前が嫌っている念佛の人が往く浄土で、法華宗では霊山って言う天竺の浄土へ往くんだよ」「天竺ってインドか?俺は暑いのは苦手だ」「仕方ないだろう。そう決まっているんだから」そう言うと観世音菩薩は小父さんを救い上げ、インドに向かって飛び立った。

「南無阿弥陀佛、南無阿弥陀佛・・・」その日も体育館で新たに運び込まれた遺体が納められた棺に向って念佛を唱えていると外でトラックが停車する音が聞えた。
しばらくして2名の陸上自衛官が担架に毛布をかけた遺体を乗せてきた。遺体の上には老婆の霊魂がついている。担架からはかなり強い死臭が漂ってくるが、肉体を失っている私の五感は特別な反応をしなかった。
玄関から付いてきた市の職員は死臭に顔をしかめながら自衛官に話しかけている。
「2週間も経っていると佛さんも傷んでるべ」「はい、腐敗も始まっています」それだけ答えると自衛官は担架を体育館の隅に置き、同時に市の職員が2人で棺を運んできて担架の横に並べて置いた。私は自分の遺体を注視している老婆の傍に寄り添った。
自衛官と職員が目で合図すると1番年長らしい自衛官が毛布をはがした。そこには老婆らしい遺骸が横たわっていて、顔は土色に変色し形も崩れていた。
「取りあえず棺に納めましょう」「うん」職員が声をかけると4人はビニール手袋をはめて老婆の脚と肩に手を添えて持ち上げた。
「えらく軽いなァ」「海に浸かっていた佛さんは重いけどな」そんな他愛のない雑談も、この悲惨な現実に正面から向き合うことを避けて、少しでも気持ちを軽くするために彼等が身につけた手立てなのかも知れなかった。
「お婆さん、どうしたの?」「・・・」「念佛を唱えなかったの?」「・・・」老婆は私の呼び掛けにも耳を閉ざしているように反応しなかった。
私は霊魂も難聴になったり、認知症が始まるのかを考えてみたが、死んで肉体を離れれば病苦や衰退から解放されるのでそんなことはないはずだ。
「このままじゃあ、迷ってしまいますよ」「・・・ワシは神も佛も頼まん」老婆は無表情にそれだけを吐き捨てた。
「でも、どうして?」「オラは夫が出征した時、無事に帰ってくれることを毎日毎日、近所の神社や家の佛壇に祈っただ。ところが夫は南方に送られる途中で船が沈められて死んでしまった・・・」老婆の言葉には怒りがこもっている。
「それだけならどこも同じじゃが、夫は靖国神社に祀られたって言うんで、オラも死んですぐに会いに行ったんだァ」「それで会えましたか?」「いいや、神社に霊魂は入れねェって、門前払いされただよ」これで老婆が神も佛も頼まないと言った理由が分かった。
夫の無事を願っても叶えられず、自分が死んで再会を果たそうと思っても邪魔されては、怒りしか感じないのも当然だろう。
「実は私も戦死者なんですよ」「えっ?だって若いベ」「数年前、海上自衛隊で戦死したんです」「そうけェ・・・奥さんも寂しかろうに」「いいえ、死んだおかげでいつも一緒にいられるようになりました」「やっぱ、オラも夫に傍にいてもらいたかっただなァ」その時、私は自分が戦死した時の状況を思い出し、ある可能性を考えた。
「お婆さん、チョッとつき合って下さい」「へッ?」私は老婆を連れて体育館を出ると上を通過する勢至菩薩の雲に手を上げた。

阿弥陀如来の前に出ると私は老婆の事情と考えている可能性を説明した。
「私が戦死して最後の息が出ていく時、念佛を唱えたんです。こちらの旦那さんも死ぬ前に念佛を唱えていれば靖国に入れられる前に西方浄土へ往生しているんではないですか?」隣りで説明を聞いていた老婆は驚いた顔で私と阿弥陀如来を見比べた。
阿弥陀如来もうなづいて脇にいる勢至菩薩に過去帳を持ってこさせた。
「あの時は今回以上に多くの者が亡くなっていたから太平洋中を駆け回ってテンテコ舞いでしたからね」勢至菩薩は老婆から夫の戦死した日付を聞くと、分厚い過去帳の中から太平洋戦争の戦死者のページを開いて調べ始めた。
「うん、確かにその日、太平洋のサイパン島沖で沈没した船から菊池雄三と言う者を往生させているぞ」勢至菩薩は阿弥陀如来に過去帳を見せ、老婆に声を掛けた。
「では靖国に祀られたと言うのは?」「単なるお役所仕事、事務処理と言うことだ」私の質問に勢至菩薩は呆れたように答え、自分が戦死した後の合祀騒動の顛末を思い出してしまった。すると阿弥陀如来は下を向いたままの老婆に声を掛けた。
「それでは特別サービスに夫に迎えに来させてやろう」すると老婆はなぜか首を振った。
「どうした?佛様のお計らいにお礼を申さぬか」勢至菩薩の注意にも老婆は首を振る。
私が顔を覗き込んでみると老婆は涙をこぼしていた。
「ウチの人は25歳で戦死しただよ。でも今のオラは80を過ぎたババアだ。会ってガッカリさせたくないだよ・・・」老婆は再会が実現することになって急に色々なことを考えてしまったのだろう。そんな老婆の小さな背中を見詰めながら阿弥陀如来が言葉を掛けた。
「大丈夫、お前が夫の死後、家を守り、親に仕え、子供を育ててきたことは西方浄土にも伝わっている。夫はお前の年老いた姿に感謝をしても、嫌うことなどはない」この慈愛に満ちた言葉に老婆は泣き崩れ、それを勢至菩薩が抱き上げると、そこへ若く凛々しい軍人はやってきた。軍人は労わるように老婆を抱き締めると2人は西に向かって旅立っていった。しかし、その後ろ姿は観世音菩薩で、これが相手の求めに応じて姿を変える化身の技だった。
2人を見送って私は急に直美が恋しくなり、仕事場へ向かおうとすると観世音菩薩と勢至菩薩が、「お主も浄土へ往生するのか?」「近くていいな」とからかってきた。

大震災から2週間が経ち、直美たち被災者支援チームは沖縄へ帰ることになった。
大半の霊魂は浄土に往生しているので私も沖縄へ帰りたいと思っていた。
その日、体育館に見送りに行くと直美は出発準備をしていた。
「直美、御苦労さん」「あっ貴方」「今日、帰るって?」「うん、もうすぐ出発さァ」そう言って直美は足下のカバンに目をやった。
「貴方も帰る?」「うん、そろそろ仕事も終わったからな」「貴方は自分で飛んで行くんでしょ」「一緒に飛行機に乗ろうかな」「うん、出会った時みたいに隣りにいて・・・」そんな内輪ネタを話しているうちに青森空港に向かう山形ナンバーのバスが到着した。バスは他の避難所を回ってきたのか、既にかなりの沖縄県職員が乗っている。
「沖縄県職員の皆さん、集合して下さい」バスのドアが開くと中から岩手県の職員が下りてメガホンで声をかけた。
「じゃあ、その前に佛様に挨拶してくるよ」「うん、追いついてね」私はそう言うと直美の肩を抱き寄せて頬にキスをした。

大震災の派遣から戻った直美には1週間の休暇が与えられた。
ある日、直美は縁側に私の携帯位牌と泡盛が入ったグラスを置き、夜風に吹かれながら酒を飲んで話をしていた。
「貴方、前に宮古島を襲った津波の話をしたでしょう」「うん、60メートルって言う大津波だろう」「それで島からハブがいなくなったんだよね」直美の話は俗説で、実際には海面上昇の度に高い山がない島は全体が没んだためハブが死滅したと言われている。
「でも実際は30メートルくらいだって言うからな」「30メートルだったら今回の宮古市と同じくらいだったんだ」「そうなるね」ただ宮古市は三陸のリアス式海岸の奥に位置するため津波が狭められて水位が上がったのだが、宮古島は直接、大津波が襲ったことになり、地震の規模は桁外れだろう。
「宮古って地名は津波に縁があるのかなァ」「うーん、全国各地にありそうな地名だけどね」そう答えながら私は思い出してみたが、他に浮かばなかった。
「今回、初めて貴方と一緒に働いたよ」「一緒に?」「だって、傷病者は私の担当、死んでしまった人は貴方の担当。どちらも救急の仕事だったさァ」私は直美が存在をそこまでリアルに認めてくれていることに感激した。
「貴方と一緒って安心だったさァ」そう言って直美は眼を閉じた。その顔を月明かりが照らし浮かび上がらせている。私には生きたミルクユガフに見え、キスよりも合掌をしてしまった。

「砂川さん、こんにちは」直美の診療所に微かに見覚えがある女性が訊ねて来た。
復職以来、自分のことを「砂川さん」と旧姓で呼ぶ人はいない。直美は懐かしさと共に一瞬、戸惑ってしまった。直美はその女性の顔を見詰めて記憶を呼び起こそうと努めた。
「御無沙汰しています。30年ぶりですゥ」それは夫が初めてこの島に泊まった朝に会って、「私が保健婦になるから」と言った少女だった。
あの時、小学生だったあの子も、もうすっかり大人、40代にはなっているのだろうか。ただ、好奇心一杯の賢そうな大きな目は変わらなかった。
直美は少女が中学生になる頃に退職し、復職したのは20年後だったので、彼女のその後は知らない。島に残った祖父母から希望通り看護師になったと言う噂だけは聞いている。
「西大浜さんだっけね」「わァ、思い出してくれたんですかァ、沙織です」直美が自分を思い出すと自己紹介をしながら沙織は嬉しそうに明るく笑った。
「沙織さん、今は?」「今は東京の病院で看護師をしています」沙織は「憧れの先輩」を見るような目で見詰め、直美は夫と一緒に沙織と出会った時の「勉強しなくちゃ」の会話を思い出して、1人「クスッ」と小声で笑った。
「家族で本土へ行ったんだよね」「はい、あれから父が東京で仕事を見つけまして」沙織の説明に直美はうなづいた。東京にいたのでは三重離島のこの島へは帰省もままならず、数年前に亡くなった祖父母の葬儀を含めて、今まで会わなかったのも仕方ない。ここで沙織は意外な話をした。
「私、今度、八重山病院に来ることになって祖父母の墓参りを兼ねて挨拶に来ました」「貴方の家族は?」「主人は九州の人なんですが・・・」沙織はここまでで言葉を濁し、直美はその表情に何か事情があることを察した。
「砂川さんだから言いますが、主人は都会生活で精神を病んでしまって、沖縄でゆっくり暮らそうと帰ることにしたんです」沙織は胸の内に溜まったものを少しずつ溢れさせるように話した。沙織の夫は九州の田舎から東京に就職して知り合い結婚したらしかった。
「それじゃあ、私の交代が出来るかも知れないんだ」直美は沙織を励ますように言った。
「沙織さん、ウチの旦那さんに『私が保健婦になるからお嫁にしても好いよ』って言ってくれたの覚えてる?」「ウンウン」と私が隣で相槌を打つと「だよね」と直美が言った。
「はい、覚えていますよ」沙織は直美の態度を不思議そうに見ながら返事をした。
「それで砂川さんの旦那さんは?」「もう、10年も前に亡くなったのさァ」直美の返事に沙織は顔を強張らせ直美は机の上に飾ってある私の写真に目をやった。
「旦那さんは生きてくれている、大事にしなきゃ」「はい」直美の言葉に沙織はうなづきながら涙ぐんで鼻をすすった。
「私も定年まであと10年ないから時々、引き継ぎを兼ねて手伝いに来てね」「はい」もう、次へのステップを考えている直美に沙織はあらためて「憧れの先輩」と言う目をして見詰め直した。

「光太郎、転属のプランニングをどうしよう」ある日、家でジェニーが訊いてきた。ジェニーも長女・マナを産んで職場復帰している。
「沖縄なら昌美叔母さんや育美叔母さんもいて何かと楽だけどなァ」「アンツ(叔母)やカズン(従妹)も、みるくとマナを可愛がってくれるしね」光太郎とジェニーは沖縄的な家族制度の有り難さを噛み締めていた。
「貴方と一緒に勤務出来る部隊だとすれば、厚木か三沢だよね」「でも日本国内に3つもあってよかったさァ」どうやらジェニーは専業主婦になるつもりはないようだった。
確かに、あのテレビドラマが頓挫して以来、ジェニーを「奇跡の人」にする米軍の伝説作りの話は聞かなくなったが、今では階級を追い抜かれて、若し、ジェニーが海外に転属になれば、光太郎が専業主夫になってついて行ってもいい気がしていた。
「厚木なら同じ基地だけど、やっぱりUS NavyとJMSDFでは別だからね」ジェニーの言葉に光太郎はうなづいた。同業者同士が同じ基地に居ながら、やはり米軍と自衛隊の間には越えられない一線があり、その意味ではあまりメリットは感じられない
「それに都会って言うのはどうも苦手だな」「うん、やっぱり水平線の上に広がった大きな空の下じゃあないとね」光太郎とジェニーは波長が合い、嬉しそうに見つめ合った。
「また三沢、八戸へ帰ろうよ」「うん、みるくとマナにスキーを覚えさせたいしね」光太郎の胸にハワイ育ちで雪も見たことがなかったジェニーにスキーを教えに通った若い日の思い出が甦った。その夜、ジェニーは3人目の子供を妊娠した。

「更年期かも知れない・・・」シャワーを浴びている直美の後ろに立っていると顔で話しかけてきた。
「えッ、だってまだ56だろう」「もう56さァ」私は男であり、親とも同居していないのであまり知識はないが、更年期は初老の女性が迎える身体の変化だと思っている。
「ううん、平均すれば50代前半だから、私は遅いくらいだよ」私は必死になってベテラン隊員の奥さんが更年期になった話を思い出してみた。イライラや無気力などの精神的不安定と腹部の痛みや発熱、動悸などの体調不良がよく聞く症状だが、言うまでもなくこれは直美の方が専門だろう。
「それで身体の方は大丈夫か?」「うん、だけど今は貴方に近づきたくないのさァ」「ふーん、そうだろうね」女性の生理とは逆の変化が起きているのだからこれも当然だ。私も心配になり何か気をつけることはないかを訊いた。
「更年期と更年期障害は違うんだよ」「へーッ、そうなんだ」「うん、自律神経失調症的な症状が重いと医者がそう診断するのさァ」「女性は大変だなァ」「仕方ないさァ。女だもん」女性の身体の強さと共に繊細さも直美から学んでいる気がした。
「それじゃあ、あまり話しかけない方がいいな」「うん、何となく貴方に接するのが怖いんだ」これは意外な反応だった。閉経ともに直美が女性も止めてしまうのかと馬鹿な心配をしてしまう。
「更年期になれば避妊をしないでいい」と馬鹿なことを言った奴もいたが、私は女性の肉体と精神の奥深さに思わず手が合わさってしまった。
「黙って何をしてるのさァ」「うん、直美の身体が有り難くて拜んでいるんだ」本気で合掌している私を察して直美が何故か怒った顔をしたが、そのまま深く頭を下げた。
蓮如聖人の友人である一休宗純禅師は「女をば 法の御蔵と 言うぞげに」と謳ったように股間を拝んで頭を下げたと言うが、そんな気分だった。ただ、心の中では「直美が1人しか生めなかった分、孫は大勢欲しい」と別のことも祈っていたが。

「ネェネ、おカァの調子があまり良くないさァ」ある時、宮古島に残っている安美から連絡が入った。それは意外だった。賀真が北海道へ出発する前に宮古島に帰省したのに合わせ、本土にいる紀美を除く姉妹、直美、昌美、安美、聡美、育美、それに光太郎が家族連れで集合したのだった。
「この間は元気そうだったけどねェ」「賀真がまた北海道へ行ってしまってがっかりしたのかも」安美の説明では、急激に血圧が下がり、何度か倒れて救急車で運ばれたらしい。
「血圧は高いよりも低い方が心配なのさァ」「ってお医者さんも言ってるさァ」どうやら医者には掛かっているらしく、直美はホッと溜息をついた。
「検査入院は?」「おカァは、大丈夫だって言って入院を嫌がってるのさァ」考えてみれば母も75歳、19歳で自分を生んで以来、11年間で7人を生み育ててきた。体力が落ちてくれば、今までの無理が出ても不思議ではない。
「昌美は?」「師長さんになって病院が忙しくて、まとまった休暇は取れないないって」昌美は最近、那覇の病院の病棟看護師長になった。管理職も現場では忙しいのだろう。
「それじゃあ、安美と里美に面倒を見てもらわないといけないねェ」「それはいいけど、私たちは子沢山の上、子供が中学、高校でしょう、中々思うように動けないのさァ」宮古島に残っている4女・安美と5女・里美は4人の子持ちで、それぞれ何人かは中学生、高校生にかかっている。結局、子供も独り立ちした直美が母についているしかないようだ。
「ふーん、このタイミングだと休職じゃあなくて退職になっちゃうけど、相談してみるワ」「私たちはやっぱり最後はネェネが頼りなのさァ」直美の言葉に安美は申し訳なさそうな口調で答えた。電話を切りながら直美は今は八重山病院にいて島にも時々顔を出す沙織の顔を思い浮かべていた。
「貴方、ゴメン。離島医療はここまでで終わりみたい」「当然さァ、親孝行しましょう」直美は看護学生の頃から一緒に追求してきた夢・「離島医療」が終わることを謝った。私は宮古島へ飛んで様子を見てこようと思った。

義母の病状は想っていたよりも重篤だった。
あれほどキチンとしていた母が身の回りの片付けさえもままならず、安美と里美が自分たちの生活の合間を見つけて来ているのか庭の草は伸び、家の中は雑然としている。義母は、そんな家の自分の部屋で万年床を敷いて寝ていた。
「おう、マツノさん」義母の枕もとには義父がつき添っている。
「如何ですか?」「これももういい年だからなァ」私の質問に義父は首を振った。そう言う義父は死んだ時のまま50代の顔をしている。
「それに大分、無理をさせてきたから・・・」義父は申し訳なさそうに顔を曇らせた。
「直美が仕事を辞めて家に帰るって言っていますよ」「そうかァ、それなら安心だが」私の言葉に義父はホッとした顔になった。
「紀美も里美も家があるから、これも遠慮して気を病んでいるんだ」義父は「沖縄のモンチュウの流儀で遠慮なく甘えろ」と言いたげだったが、その沖縄もゆっくりと時代が変わっているのだろう。
「しかし、直美は定年まであと5年を切りましたから」「直美が定年?」私の説明に義父は驚いた顔をした。義父にとって娘はいつまでたっても娘なのだ。
「何もしてやれないのが辛いよ」「見守っていることも愛情ですよ」義父の嘆きに、そう励まして私は直美の島へ帰った。
「お義母さん、ハッキリ言って悪いね」「そう・・・」覚悟をしていたのか直美は感情を挟まずにうなづいた。
「お義父さんがついていたけど、何もできないって落ち込んでいたよ」「それじゃあ、早く帰らないといけないね」「うん」直美は、深くため息をついた。

直美は、保健師の仕事を辞め、後任はやはり沙織がなった。
沙織は家族とともに空き家になっていた祖父母の家に移って来て、夫は農業を手伝うことになっている。
「マツノさんはキチンとしているから、後釜の私は大変さァ」退職までの1週間、業務の引き継ぎを受けながら沙織がぼやいた。確かにここに来て十年、直美は老人の生活相談や子供の生活指導にまで取り組んできて、高齢化が進んだ割には患者数は減少している。
「何を言ってるのさァ、大丈夫だよ」「私はこの島の子で大雑把だから・・・」確かにこの島の住人には無頓着と言うか、いい加減と言うか、大らかな人が多い。
「1つ注意をしておくと・・・」「はい」真顔になった直美に気づいて沙織も椅子に座り直した。
「昔からのつき合いだからって、公私のけじめには気をつけてね」「はい」直美もこの島での勤務が長くなり親しくなるにしたがって、島民から薬品の流用や私的な依頼を受けることがあった。
島民も生真面目な直美の性格は若い頃、この島にいた時から判っているので無理は言わないが、幼い頃から知っている沙織となると話は別だろう。
「確かにそれは心配さァ」「私以上に沙織さんは難しいかも知れないから心配なのさァ」直美の言葉に沙織は口を結んでうなづいた。

宮古島の実家に帰った直美は、門の前で立ち止まり草がのびた庭を眺めていた。
この家は、直美が中学生の時に父が建てて以来、祖母から母へと女によって守られてきた。19で父に嫁いできた母は直美同様に、この家の娘のようなものなのだ。今、母にそれが出来なくなったのは自分がやる順番になっただけのこと。直美の胸に砂川家の長女としての、やる気が湧いてきた。
「おカァ、帰ったさァ」直美は、玄関で大声を出した。いつも小ざっぱりとしていた家の中も、雑然として埃が溜まっている。
「直美ねェ・・・」奥から母の弱々しい返事が返ってきた。直美は靴を脱いで家に上がると廊下を歩いて母の寝室の襖を開けた。
朝、安美か里美が来て窓は開けてくれてはあるが、それでも部屋の中は蒸し暑く、母は敷きっぱなしの布団で、タオルケットを胸までかけて寝ていた。
母は焦点がよく定まらない目で直美の顔を見上げている。いつも身綺麗にしていて、「それが女の嗜みだ」と娘たちに教えていた母は、完全に寝たきりの病人の姿になっている。
「おカァ、帰ったさァ」直美は、母の枕もとに坐るともう一度、話しかけた。
「直美、仕事を辞めたねェ」「うん、スパッと辞めたさァ」母の詫び言を遮るように直美は気合を込めて言い切った。
「でも、島の仕事はマツノさんとの夢だったんだろう・・・」母は直美が島の保健師に再就職する時、語っていた話を思い出したように呟いた。
「いいのさァ、旦那さんもそうしろって言ってくれたから、これからはプロが住み込みで、おカァの専属になるのさァ」直美の返事に母はまだ顔をこわばらせた。
「でも島の人たちが困るだろう・・・」「大丈夫、交代で島出身の子が来たから」私はこの遣り取りを聞いていて、直美同様にどこまでも前向きでクヨクヨしない性格だった義母は心まで病んでしまっているように思えた。
「鬱なんだ、抗鬱剤ももらっている」横で義父が説明した。
「そうでしょうね、病らしい病もしたことが無くて、何でも自分でやっていた人が、何もできなくなって、娘の世話になるんじゃあ・・・」私の話に義父はゆっくりうなづいた。それを伝えると直美は「わかった」と独り言のように返事をした。
鬱病の患者には激励は禁物だ。ただ、患者の気持ちを受け入れるしかない。直美はプロらしく態度を切り替えた。
「おバァにおカァが守って来た家を今度は私が守るのさ、順番さァ」直美は、そう言って立ち上がると自分たちが使っていた部屋へ行き、窓を開けて換気をし、ポロシャツにGパンの普段着に着替えた。
「それじゃあ、おカァ、先ずは掃除から始めるさァ、何かあったら呼ぶさ」母に声をかけて、直美は仕事に掛かった。1年分の汚れは手強そうだが、遣り甲斐もある。
掃除を始めた直美は、家族で行った福井旅行の「永平寺」で掃除を巡って珍しく夫と言い合いになったことを思い出して、「クスッ」と小さく笑った。しかし、隣で私は「直美の次はジェニーがやるのだろうか」を考えていた。夫婦そろって海軍軍人では宮古島に帰って来るのは、まだ随分先になりそうだ。
光太郎とジェニーは「みるく」「マナ」「てぃだ(太陽)」「ラニカイ(天国の海)」と男女男女の4人の子持ちになっている。子供たちの名前は沖縄とハワイの言葉から交互にとった。
「そのうち光太郎夫婦にも見舞いに帰省させなければいけないなァ」と私は仕事に汗を流している直美に話しかけたが、「先ずは掃除をしないと泊るところもないさァ」と直美は手を休めることなく答えただけだった。

流石にお墓までは手が回りそうもなかったが、直美は先ず佛壇の掃除から始めた。それは祖母から母、母から直美に伝えられた美しい作法なのだ。
「おジィ、おバァ、おトォ、貴方、チョットどいてね」直美は手を合わせてから、佛壇に並んでいる位牌を取り出すと手早く埃を払い、汚れを布巾で拭きとった。
母が元気な頃は、花と供物が絶えたことが無い砂川家の佛壇だったが、妹たちはそこまでは気が回らなかったようだ。
「これじゃあ、お墓も草ボウボウだな・・・」「うん、ボウボウだよ」「ゴメンね、後廻しになって」私の答えに直美は謝ったが、それに義祖父母と義父は笑ってうなづいていた。
佛壇が綺麗になったところで乾いた布で位牌を拭き始める。
「テンジンさん、気持ちいい?」「うん、気持ちいい」直美が訊いてくるので私も素直に答えるとその隣で義父も笑った。
直美の仕事の手順が砂川家の作法に叶っていることに義祖母は安心と感心をしていた。
「お供物は土産でいいかなァ」「うん、カッチーサビタン(いただきます)」直美は庭で見つけてきた花を立て、自分が石垣島で買ってきたお菓子を供えることにした。
しかし、その前に賞味期限を確かめるところはやはり直美だ。線香を焚いて手を合わせると、いよいよ作業は本番だ。

「おカァ、布団を干すさァ、少し座っていられる?」「うん・・・」直美は隣の部屋の掃除を終えたところで、母の部屋にかかる前に移動させようとした。
「座っているとキツイのさァ」母は弱音を吐く、しかし、直美は「それじゃあ、もたれていればいい」と言って隣室に畳んだ布団を積んで母を抱えて連れて行った。
直美は母の布団と自分の布団を庭の塀に並べて干した。長い間、干していなかったのだろう布団からはカビと汗の臭いがする。布団が敷いてあった畳は色が変わっていた。
直美はハタキをかけた後。掃除機をかけ、雑巾で念入りに拭いていった。
「直美、そろそろ昼時だぞ」仕事に熱中している直美に声をかけた。
「そうかァ、おカァの分も作らなくちゃいけなかった」直美は仕事に熱中すると食事を抜くことがある。そんな生活を十年以上も続けて来たから、中々、母と一緒の生活リズムには戻らないだろうと思い声をかけたのだ。
掃除を中断して直美は手を念入りに洗った。この辺りもやはり保健師だ。
「何か材料はあるかなァ」直美は台所の冷蔵庫を覗いたが安美か里美が作っておいたオカズが古くなってそのまま残っているだけだ。そこで近所の店に材料を買いに行くことにした。
「おカァ、買い物に行って来るさァ、何か食べたい物は?」直美は鞄から財布を取り出すと自分の部屋に戻った母に声をかけた。
「食欲ないさァ、直美の好きなものを食べればいいよ」母は弱々しく答えた。
「まあ、何か探してくるさァ」「うん・・・」母は曖昧にうなづいた。
「血圧が低い方だからなァ」直美は靴を履きながらオカズを考えていた。
「食べろ」とプレッシャーをかけることも撃の患者にはタブーである。しかし、考えて見ると島では高血圧の予防に塩分を控えるように指導はしていたが、低血圧はいなかった。医学書を見ても、低血圧患者の食事は書かれていない。
「まあ、食欲が出るように好きなものを食べるさァ」直美は母の好物を思い出しながら玄関を開けた。
「テンジンさん、よろしくねェ」と声をかけて家を出た直美に、「はーい」と私が返事をして、それに直美が手を上げて答えたのを義父が呆れて見ていた。
「アンタラは生きている時よりも近くにいるみたいだなァ」「そうですよ」私たちは、この調子で死んで以来20年以上やってきたのだ。
「俺も、アイツと出来ないかなァ」「訓練すればできますよ」私は気楽にけしかけて見たが、隣で義父は真面目に考えていた。

直美が宮古島に帰って1カ月後、光太郎一家が帰省して来た。
光太郎一家は夫婦に子供が4人、それも上から中学生、小学校の高学年、低学年が2人ではタクシー1台には乗り切れない。仕方ないので直美が安美に頼んで自家用ワゴン車で空港まで迎えに行ってもらった。
「おバァ、おカァ、帰ったさァ」「グランド・マミィ、ハロー」「こんちわァ」「ハイサイ」と玄関に着いた一家6人が勝手な挨拶をしたが、これは砂川家の作法だ。そんな様子に運転席で安美は呆れていた。
その時、直美は干した家族の布団を交換していた。庭から玄関に回って来た直美を見つけて孫たちが取り囲んだ。
「ハハハ・・・、ハイサイ」みるく以外の孫たちは賀真が那覇にいた間は帰省を遠慮していたから久しぶりだが、どの孫も大きく、元気に育っているようだ。
「お母さん、お帰りなさい。長い間御苦労様でした」最初に光太郎が挨拶をする。しかし、それはどことなく自衛隊的で、直美は黙ってうなづいた。
「マミィ、ハウ・ドゥ・ユゥ・ドゥ?」次にジェニーが挨拶してきた。
「サンキュー、ハゥ・アー・ユゥ?」直美が英語で返すと孫たちが感心して直美を見た。
「おバァ、こんにちわ」と横から2番目の孫・マナが挨拶したのを直美は「私はグランド・マミィさァ」と訂正して頭を撫でた。
「だよね、グラマミ、ハイサイ」そう言って長男のみるくが言い直した。
「グラマミ、ハイサーイ」兄の言葉を聞いて、2男・てぃだと2女・ラニカイが声を揃えて挨拶し、その後ろで周作とジェニー、車の窓から安美も微笑んでいた。
「さあ、上がるさ」用事があるからと帰った安美を見送った後、直美にうながされて家族6人は久しぶりの砂川家に上がった。

「光太郎、ジェニー、孫たちも来なさい」家に上がった一家を直美が呼び集めた。
「グラマミ、何?」孫たちは好奇心旺盛な顔で直美の周りに集まった。その後ろに光太郎とジェニーは立っている。直美は1つ咳払いをすると話し始めた。
「家に帰ったら、先ず御先祖様に挨拶するんだよ」直美の言葉に周作とジェニーは顔を見合わせてうなづいた。
直美が先に立って歩き出すと光太郎一家もゾロゾロとついて来た。
「はい、お土産を上げなさい」佛壇の前に孫たちを並ばせると直美はロウソクに火を点け、線香をたいて、1番年長のみるくに土産を供えさせた。
「はい、手を合わせて」続きは光太郎が声をかけた。それを聞いて孫たちは一斉に手を合わせる。光太郎は子供たちが正しく手を合わせたことを確認してから手を合わせた。
「はい、お祈りしましょう」ジェニーの音頭で全員目を閉じて祈った。その様子を義祖父母、義父も嬉しそうに見ている。
「光太郎には私が仕込んだのさァ」義祖母は死んだ人たちの顔を見渡して自慢げ説明した。
光太郎は高校までは夏休みに帰省すると曽祖母が面倒をみてくれたのだ。
「多分、明日は墓参りも行くでしょう」私の説明に皆はうなづいた。
直美は家に帰って2日目、墓の草を抜き、墓石の雑巾がけもやっていた。毎日、掃除と草刈りを続けたおかげで、島にいた時よりも直美は日に焼けて、少し痩せたようにも見える。しかし、そのおかげでようやく砂川家は元の姿に戻ったのだ。
お参りを終えて光太郎が梁に飾っている遺影の説明を始めた。
「これがお父さんの大おジィ、こちらが大おバァ、こっちがお父さんのおジィでグラマミのお父さん、そしてこの自衛隊さんがお父さんのお父さん、お前たちのおジィさァ」
「おジィじゃないぞ、グラダディだ」光太郎の説明に私が文句を言うと、直美が言う前にマナがそれを口にした。
「お父さん、おジィじゃあないって」「エッ?」その言葉に光太郎とジェニーは勿論、直美や死んだ人たちまで驚いた。
「おジィじゃあなくて、グラダディだって」「うん、そう言ってた」マナの言葉に直美が補足すると光太郎とジェニーは顔を見合わせた。
「お母さん、お父さんがそう言ったの?」「うん、マナには聞こえたんだね」直美の言葉にそこにいる人たちは一斉にマナの顔を見たが、マナは別に不思議でもないような顔をしている。一応、その場は「そう言うこともあるのか」でおさまった。
「御先祖様が終わったら、おバァに挨拶さァ」直美に言われて孫たちは一斉に義母の部屋へ駆け出して、ジェニーから「静かに」と注意された。

予想通り、翌日は朝からお墓参りだった。
直美は孫たちに指示して墓参りグッズを準備し、その間にジェニーが庭の花を切って来た。
「光太郎もやるねェ」直美はいつのまにか砂川家の作法が身についているジェニーと孫たち、それを躾けた光太郎に感心していた。
「うん、大したもんだ」私も直美の横で感心した。
「お父さん、グラダディが『大したもんだ』って誉めてくれたよ」また直美より先にマナがそれを伝えた。直美はマナが生まれた時、夫が言っていた「ユタになるかも知れない」という予感を思い出していた。
「マナ、グラダディの声が聞こえるの?」「ううん、耳に聞こえるんじゃなくて胸に響いてくるの」直美の問いかけにマナは首を振って答えた。
光太郎とジェニーは少し不安そうな顔で直美を見ている。親の理解を超えた能力を娘が見せ始めたことに両親は不安を隠せないようだった。しかし、直美は自分もそれを当たり前にしていることもあり、別段、気にもしていない。そこで直美はマナが生まれた時の話をこの両親にした。
「マナって名前は、『自然を超えた力』と言う意味だって聞いた時、私がお父さんに訊いたのさ」直美の話を光太郎とジェニーは真顔で聞いている。
「こうしてお父さんと私が話す事も自然を超えた力かって?」「それでお父さん、何だって?」立ったまま光太郎は身を乗り出して訊いた。
「お父さんが私のそばにいるのは自然のうちで、話をするのは人間の理解を超えた力だってさ」直美の話に光太郎とジェニーは顔を見合わせた。
「だからマナには普通の人とは違う能力があるってことだけさァ」直美はそう言うとマナの頭を撫でた。両親の様子に不安げな顔をしていたマナもようやく微笑んだ。
「でも、子供の間は変な霊が近づかないように気をつけないとなァ」私が心配をすると横から祖父母が「大丈夫、私たちが守ってるさァ」と手を挙げてくれた。
「今、おジイとおバアが私たちが守ってるっていったよ」マナの言葉に今度はおジイとおバアが驚いた。
「今のは砂川家のおジイとおバアさァ」と私が説明すると、直美も「私よりすごいさァ」と感心したが、それ以上にマナの両親は驚いていた。
「どっちにしろ、あまりみんなに言わない方がいいな」「そうだね」「うん、わかった」私と直美とマナで話し合っているのを、光太郎とジェニーとみるくは狐につままれたような顔で見ていた。
マナ
この一家にはお墓参りも楽しい遊びのようだった。子供たちもはしゃぎながら石畳を掃き、墓石を水拭きしている。その横でジェニーは御供物の準備をしていた。
「お父さん、どうして朝からお墓掃除なの」墓石を水拭きしながらみるくが光太郎に訊いた。この質問は光太郎も中学生の時、祖母にしたことがあった。
「御先祖様が一番偉いから、先ずお墓から始めるのさ」光太郎の答えは祖母の請け売りで、祖母はそれを自慢そうにうなづきながら聞いていた。
「マミィ、ハワイでもお墓参りするの?」直美が私の墓を掃除しながら子供たちの会話を聞いていると、マナが一緒に墓石を拭いているジェニーに訊いていた。光太郎は男の子供たちと墓の周りの草を抜いている。
「ううん、命日や誕生日なんかにお墓へ花を持っていくくらいだよ。でも・・・」ジェニーは返事の途中で、雑巾をバケツでゆすいだ。
「沖縄のお墓参りは、ハワイの人が日曜日に教会へ行くような感じだね」雑巾がけを再開しながら、ジェニーは話を続けた。
「うん、その通りだね」直美はジェニーの沖縄文化への理解が随分深化していることに感心しながら、男の子と草を抜いている光太郎を振り返った。
「グラマミ、おジイとおバアが有り難うだって」その時、マナが直美に報告した。しかし、直美にも祖父母や父の声は聞こえない。そこで直美は私に確認してきた。
「うん、みんな嬉しそうにしているよ」私の返事に直美はあらためて感心し直した。
「それからおジイが家に帰ったらおバアと話をしたいから頼むって」祖父・賀満さんのお願いをマナが報告すると、直美も「お願いね」と微笑んでうなづいた。
「さあ、終わったさァ、みんなでやると早いさァ」直美はそう言ったが、私はこれも日頃から直美が手入れをしているおかげだと知っていた。
掃除が終わったところで、光太郎一家は墓の前に整列した。
「気をつけ」「右へならえ」光太郎の号令で、子供たちは自衛隊式に横一列に並んだ。
その後ろで直美はジェニーと線香と花を用意している。
「休め」光太郎の号令を待って、ジェニーは子供たちを呼び集めた。そこでジェニーは男の子に線香、女の子に花を手渡して、光太郎が持って来た土産を御供物に供えている直美の所へ行くように促した。これで準備は完了、最後に全員で手を合わせて祈ったが、マナが「おジイとおバアが御苦労様だって」と祖父母の言葉を伝えた。義祖父母、義父と私はマナの能力に感心しながらも、この霊的能力がおかしなことに関わらぬように注意することを確かめあっていた。
お参りを終えて、家に帰る準備をしながら、直美は子供たちの顔を見渡しながら、沖縄の祖先供養の作法を1つ補足した。
「おバアが元気なら、ここでお弁当を食べるんだけどね」「エッ、弁当?」「やったァ、遠足だ!」この一言に子供たちは一斉に笑顔を爆発させたが、それは家族の発展と融和を先祖の見せる意味がある。多分、次に一家が帰省して来る時にはそれもできるだろう。                

ある休日、光太郎から電話が入った。
「お母さん、俺とジェニーが転属になったさァ」「えっ、どこへ?」直美は十年以上移動がなかったため光太郎たちに転属があることさえ忘れていた。
「今度は2人一緒に厚木さァ」「厚木って神奈川県だね」「うん」直美は忘れかけている自衛隊の知識を頭の中で組み立て始めた。厚木基地は米海軍と海上自衛隊が同居していたはずだった。
「なら今度はジェニーと一緒に通えるんだ」「うん、勤務が合えばね」最初は光太郎が八戸、ジェニーは三沢、次は光太郎が那覇、ジェニーは嘉手納で隣接した別の基地だった。だから2人は両方の基地の中間地点にアパート借りてきたのだ。
「でも、都会だから子供たちが心配なのさァ」光太郎の声が急に深刻になった。
「特にみるくは向うで受験さァ、沖縄とはレベルが違うだろう、大丈夫かなァ」みるくもいつの間にか中学生だ。確かにノンビリした沖縄の中学校と都会の中学校ではレベルと言うよりも受験に対する気構えが違うのだろう。
「だったら、ウチに下宿させて平良高校へ入れたらいいさァ」「それはジェニーが許さないさァ」直美の助け船は光太郎の方が否定した。
ジェニーはアメリカ人らしく家族が一緒にいることを何よりも大切にしている。それはアフリカの戦場へ派遣された経験で、より強まっているようだ。そこで突然、光太郎が話題を変えた。
「ところでおバァはどうね?」「ウン、すっかり元気だよ」直美の返事を聞いて光太郎がホッと溜息をついたのが判った。
「それを聞いて1つ心配事は減ったさァ」「有り難う、アンタは孝行者だね」母親に誉められて受話器の向こうで光太郎が笑った。
「やっぱりプロがついているからね」「そうさァ」今度は光太郎が母親を誉め、親子は互いに誉め合って電話口で笑い始めた。その時、電話口でマナのハシャイだような叫び声が聞えてきた。
「大ジイと大バアが内地に行ったこともないのに東京何て大都会は心配だってェ」「だってよ」光太郎も心配そうに相槌を打った。
「迷子にならないようしっかりついて行かないとね」直美のオカルトなのか現実なのか判らない答えに電話の向こうで光太郎が笑った。
マナの話を切っ掛けに家族の討論会が始まったようだ。
「東京って那覇よりも大きいの?」「東京ディズニーランドへ行ける?」「宮古島とどっちが遠いの?」「雪が降るの?」「スキーは出来る?」子供たちの勝手な質問にジェニーとみるくがテンテコ舞いしている様子が伝わってくる。
「都会に住んだ経験も無駄にはならないさァ、行く前からあれこれ心配しないこと、親が心配すると子供にも伝わるからね」「はい、そのうちみんなで島に帰るさァ」それが話しの終わりに直美が光太郎に与えたアドバイスだった。
「と言う訳で家族は歓んでいるみたいさァ」そう言って光太郎は電話を切った。

受話器を握ったまま直美が訊いてきた。
「ところで光太郎は定年まであと何年あるんねェ?」「20年はないなァ」私の答えに直美は驚いたような顔をした。いつの間にか光太郎は35歳を過ぎている。自衛隊の定年が54歳のままだとすれば、あと20年はない。それは直美もそれだけ歳をとったと言うことだった。
「ジェニーには定年はないけどね」「へー」私の説明に直美は驚いた顔をした。
「米軍は健康で体力が続けば何歳までも勤務できるのさァ」「それは保険師も同じさァ」直美も就職しなくても生涯看護師、保健師のつもりだった。私は隣りでそんな妻の顔を誇らしく見ながら声をかけた。
「君はやっぱり看護師になるために生まれてきた人だね」「うん」その言葉に直美はうなづきながら微笑んだ。
私は受話器を置こうとして見せた直美の背中が少し寂しそうなのを感じた。以前の直美なら光太郎一家の旅立ちを悦び、新しい可能性を一緒にワクワクしながら期待しただろう。これは直美が迎えた「老い」と言うものだろうか。私は直美の横顔を眺めながら、目尻に刻まれた皺を数えてみた。
受話器を置くと直美は私の方を真っ直ぐ見て訊いてきた。
「貴方はどうするの・・・東京について行く?」その大きな目はハッキリ私の姿を捉えているかのようだった。私はその目に私の姿が映っているか確かめてみた。
「俺は直美から離れるわけないじゃないか」そう答えて抱き締めると直美はそれを感じて腕を手で押さえた。
「いつも一緒にいて」「うん、離しはしないよ」私は腕で直美の胸の鼓動と吐息を感じていた。

直美と離れながらも互いを求め合い心を強く結びあった5年の日々、共に過ごした20年の生活、そして肉体は失ったがかえって精神=魂は一体になった20年の暮らし。それが光太郎とジェニーにより受け継がれて永遠になっていく。
出会った時、場所が嵐を越える飛行機であったように、直美と私は一緒に困難を乗り越え、一体感を確かめ、強固なモノにしてきた。それは運命と言うにはあまりに強烈過ぎる出会いだった。

直美、愛している。いつも一緒だ。俺は君と言うニライカナイ(沖縄の浄土)に往生したのだから。
  1. 2014/04/20(日) 00:11:11|
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私のニライカナイ2

私のニライカナイ2

平成元年、私は海上自衛隊一般幹部候補生に合格して3月下旬から江田島の幹部候補生学校に入校することになった。その前に私は防府で冬物の衣類を買い込み、宮古島へ家族を迎えに行った。
「ニィニ、入れ替わりなんて残念さ」同じく曹候学生に合格して3月に防府にやってくることになった賀真はそう言って私と直美の顔を見た。
「学生同士さ、頑張ろうなァ」私がそう言うと賀真は真顔でうなづいた。
「自衛隊さんは本当に頑張るねェ」義父母は感心した顔でそんな私と賀真の顔を見比べる。
「ニィニの教育は面白そうだって、楽しみにしてたのになァ」「お前、ついでに面倒も見てもらおうって思ってたんだろう」義父がからかうと賀真は「図星」と言う顔をし、それを見て全員で笑った。
「だけど、何で海上なの?」賀真は不思議そうな顔で私を見た。
「航空の幹部は管理職さ、幹部になるなら一緒に艦に乗る海上って決めていたんだよ」「艦に乗るの?」「そのつもりさ」「ネェネがさみしがるさァ」「直美だから安心して家を任せられるのさ」自衛官と入隊予定者の会話を聞きながら直美も隣で「ナンクルナイサ」とうなづいた。
「ノーブレス・オブリュージェ」「何それ?」「選ばれた者の義務。曹候学生は選ばれた者だから新隊員の手本にならないとな」「ハイ、先輩」「そんな難しいことアンタにできるの」「教育隊って厳しいよォ」私の言葉に真面目にうなづいた賀真を今度は義母と直美がからかい、また全員で笑った。
「オトォ、オカァ、本土へ来て賀真とテンジンさんの入校式の梯子をすればいいさァ」直美の提案に義父母は顔を見合わせて目で相談している。
「防府と江田島は近いですし、江田島へは家族連れですから泊まる所は心配いりませんよ」私の補足説明に義父母もその気になってきたようだった。やはり光太郎と過ごした3カ月で孫への愛着もましたようだ。
「賀真、入隊前にウチで引っ越しの手伝いだな」「エーッ、俺、疲れると困るさァ」私の提案に真剣に反対する賀真にまたまた全員で声を上げて笑い、その声に義母の隣で光太郎が眠ったままビクッと伸びをした。

「テンジンさん、やっぱり愛と青春の旅立ちのリチャード・ギアみたいさァ」入校後初めての外出で、海上自衛隊の金ボタン、ダブルの制服を着て帰った私に直美は声を上げた。防府のレンタルビデオ店で借りて見た映画を思い出したらしい。
「お父さん、船長さん?」光太郎は見慣れた濃紺の制服でないことが不思議そうだった。
「ううん、海軍さん。よし、リチャード・ギアしようか?」私は光太郎に答えると荷物の間に立ち、直美を抱き上げようとした。引っ越しの荷物は沖縄の時よりは増えていて部屋にはまだ少しの片付けが残っている。ビデオを見た後、ラストシーンを気取って直美を抱き上げたことがあるのだが今回の衣装ならもっときまりそうだ。
「新品が皺になる。でも黒や白の制服だと汚れが目立って大変さァ」直美の心配は、もう主婦のそれだった。「うん」私も感心しながらうなづいた。
「光ちゃん、触っちゃ駄目だよ」、直美は興味深そうに手を伸ばす光太郎に声をかけた。
「また、週末にしか会えなくなるなァ」「今度はすぐそばだから声が聞えそうさァ」学生である以上、隣接した官舎とは言え帰宅出来るのは土日だけになる。それでも直美は那覇と離島の頃を思えば「心配ご無用」と笑顔で励ましてくれた。

直美も両親を防府まで迎えに行きながら賀真の入隊式に参加した。
両親と一緒に市内のホテルに泊まった直美と光太郎は、朝から自家用車で先月まで住んでいた防府南基地に向かった。やはり曹候学生課程の家族の受付け係は知り合いだった。
「あッ、マツノ班長の奥さん」「こんにちは」「今日は何です?」「弟が入隊するんです」そう言って直美は、名簿の中に「砂川賀真」の名前を見つけて指差した。
「マツノ班長は?」「もう、鍛えられちょるみたいです」そう言いながら先日の初外出で帰って来た時の夫の気合いの入った顔と黒ダブルの海上自衛隊の制服姿を思い出していた。
入隊式場へ案内されるまで父兄が中隊のグランドで待っていると、隊舎から学生たちが出て来て、両親と直美たちの姿を見つけた賀真が嬉しそうに笑いながら駆け寄ってきた。
「賀真、似合うさァ」自分に似て目鼻立ちがはっきりした賀真の制服姿に直美は目を輝かせた。夫で見慣れているはずの濃紺の制服が別物に見える。
「ニィ二よりも?」賀真の悪戯な質問だったが、直美は「テンジンさんは別枠さァ」と答えて両親の顔を見た。両親も別人のようになっている我が子の姿に驚いている。直美に手をひかれた光太郎も足元で、見慣れた航空自衛隊の制服を今日は父でなく、叔父が着ていることが不思議そうに見上げていた。
「写真、撮るさァ」直美が持ってきたカメラで、賀真を中心に親子交代で写真を撮った。

「太田中将の資料を見たいね」入校式に出席した義父は江田島の教育参考館(博物館)の貴重で豊富な資料に感心しながら言った。直美と光太郎は義母と一緒に外で桜の花を見ていて売店の喫茶室で待合わせている。
「『沖縄県民かく戦えり』ですか」「うん」案内している私の問いに義父は資料を見たままうなづいた。これは沖縄で玉砕した海軍陸戦隊の太田実中将が自決の前に打電した決別文の一節だ。この一文により沖縄では帝国海軍にシンパシーを感じている人も多いのだ。
「確か1階の出口の手前に有りましたよ」「そう」私の答えにうなづきながらも義父は、じっくりと資料に見入っていたが、やがて私たちは特攻隊員たちの遺書の展示室に入った。
「賀真と同じ年頃なのに・・・」義父は涙を拭おうともせず、それらを1つ1つ丹念に読みながらつぶやいた。
「みんな沖縄を守ろうとして散って逝ったんですよ」「シマンチュウもたくさん死んださ」義父は静かに反論した。
「戦争はイカン。マツノさんも賀真も死んじゃあイカンよ」「はい」私は深くうなづいた。
私のニライカナイ・直美
「私、ここの診療所で働いても好いかなァ」まだ、入校式が終わって間もないある日、外出で帰ると、脱いだ制服を受け取りながら直美が訊いてきた。
「診療所で看護婦を募集しているって公民館に張ってあったのさァ」離島の保健婦をやめて3年、私も「そろそろ仕事を再開してもいいな」と思っていた。
「光太郎はどうする?」「島の保育所はまだ空きがあるってさ、1歳半ならOKだって」直美は、もう診療所と保育所を回って確認して来ていた。相変わらずの行動力に感心しながら振り返ると直美はいつもの返事を待つ顔でジッと私を見ていた。
「光太郎は大丈夫だって?」「うん、保育所に行ったら喜んじゃって僕も行きたいってさ」そう言いながら直美は私の制服をハンガーに掛けると、部屋の隅の衣装掛けに吊った。
「ところで光太郎は?」「もう朝から友達の家へ遊びに行ってるよ」光太郎も「まだ1歳半」のつもりだったが、「もう1歳半」なのかも知れなかった。
「兵学校には来年春の卒業まで1年、遠洋航海で半年、その後1術校ならもう半年。しめて何年でしょう?」突然の私の出題に直美は戸惑った顔をしながら暗算をし始めた。
「簡単さァ、2年だよ」「ピンポーン」私は顔を近づけて頬にキスをした。
「その後は、もし呉に配置になったらいいけど、それは判らないね」「うん、わかってる」呉と江田島は海上自衛隊の連絡艇で直接結ばれているが、隊員の家族とは言え直美が利用することはできない。いざとなれば「私が江田島から通勤する」のも好いかと思った。それはあくまでも「1術校に入校し、呉に配置になったならば」の話ではあるが。
「だったらいいの?」「どうぞ江田島のために頑張って下さい」私の返事を聞き、直美はパッと笑顔になって抱きついてきた。私も「待ってました」と抱き締める。その後は、あの離島での再会の習慣通りだった。
その後、直美に給与収入が出来て私の扶養から外れ、分隊長にヤヤコシイ手続きをお願いすることになったが、江田島の診療所に勤める=貢献すると言うことで勘弁してもらった。

「お父さん、チバリヨォ!」海軍兵学校以来の伝統である毎週末の古鷹山登山走の時は、直美は患者がいなければ光太郎を連れて早目に帰り、官舎前の道端で応援してくれる。
私は一般課程の学生としては最年長だったが「元航空自衛隊=マッハの走り」と全力で走っていて応援に応える余裕はなく、2人の姿をチラッと見るのが精一杯だった。
そして同じ頃、防府で走っているだろう義弟・賀真を思うと負けるわけにはいかない。これではまるで賀真が前を走り、直美が背中を押して、姉弟の激励を受けているようだ。

制服が夏服に変わるとベランダに干してある我が家の洗濯物は私の白の半袖の制服上下と直美の白衣で真っ白になった。私は窓際に座って海からの風にあたっていた。
「これ、全部、患者さんがくれたのさァ」直美は夕食の食材になる「戦利品」を持って来て自慢そうに見せた。それは野菜だったり、魚の干物だったり、漬物だったりする。
「私が候補生の妻だって言ったら、みんな『海軍士官の奥様も働くんですか?』って不思議がるんだよ」戦利品を片づけた直美は少し不満そうな顔でそう言って私の隣に座った。
「ふーん、だったら直美に看護婦さんで働いてもらって俺は専業主夫になるかなァ」「またァ、私は看護婦の前に貴方の奥さんさァ」直美はまた少し膨れて見せた。
「でも、働いている君はティダ(太陽)みたいに輝いていて素敵だよ」「うん、ありがとう・・・」私が肩に手を伸ばすと直美は頭をもたげかけてきた。幸い光太郎は保育所で出来た友達の家に遊びに行っている。
「だったら好い?」「もう、エッチ。そろそろ光ちゃんが帰って来るから駄目さァ」そう言って直美はキスだけ許してくれた。続きは夜だった。

「テンジンさん、晩御飯さァ」夏真っ盛り、遠泳訓練が始まった頃、入校以来の私の疲れはピークだった。週末、官舎に帰ってもそのまま寝てしまうことが多い。直美は、そっとタオルケットをかけ、扇風機を回して寝かせおいてくれた。
「何時?」「もう6時さァ。お昼を食べなかったね」窓から見える江田島湾は大分日が翳っていて海風が心地よい。光太郎はもう食卓の子供の椅子でテレビを見ながら待っていた。
「疲れてるけど大丈夫?」まだボーとしている私を見ながら直美は心配そうな顔をした。
「まだ、若いからさァ」私の強がりに「賀真よりも9歳年上なのに・・・」そう言いながら直美は弟のことを思い出したようだ。
直美はここ何度か光太郎を連れて防府へ友達の官舎に泊めてもらいながら賀真に会いに行っている。その賀真も基礎課程の修了間近だ。
「二ィニも頑張ってる?」「今は水泳で頑張ってるさァ、20キロ泳ぐんだって」義弟は直美の説明に「俺、泳げないから海上は無理だ」と妙な感心をしていたそうだ。どうやら賀真は以前、私が教えた水泳も、まだそこまでは自信がないらしい。
「今年は光太郎とプールに行きたいけど家でまで泳げないよ」「無理することないさ」直美は私の顔を心配そうに見ると、そう言って光太郎を振り返った。
「でも光太郎と約束したし、直美の水着も見たいしなァ」私がそう言いながらTシャツの広く開いた襟から見える胸元を覗くと「もうエッチ、ハハハ・・・」と天井を見上げて笑った(本当は触りたかった)。私は初めて直美の実家へ行った時にも同じような会話があったことを懐かしく思い出していた。その時、海からの風がレースのカーテンを揺らした。

その夏、私は基地のプールで光太郎に、そして直美にも水泳を教えた。その前に基地のPXのスポーツ店で直美の水着を買った。
「ビキニはないなァ」「ここにはスポーツ水着しかありませんよ」私のボヤキに店員さんは呆れた顔で答え、後ろで直美は恥ずかしそうな顔をしていた。
「予定を変更して呉へビキニを買いに行って海へ行こうよ」「駄目、光ちゃんに水泳を教えるんでしょ、私はおまけなの」直美に手を引かれた光太郎は「スイミング、スイミング」と言って私を見上げている。その嬉しそうな顔を見て私は諦めることにした。
「それじゃあ、これを」結局、直美が選んだ地味なスポーツ水着を買った。しかし、これで長年の夢だった直美の水着姿を見ることができるのだ。
その時、後ろから防大組の同期たちが声をかけてきた。
「マツノ候補生、水泳ですか?」「うん、これから子供と女房に教えるんだ」「そうですかァ」彼は何故か嬉しそうな顔で帰って行った。
私の二ライカナイ・直美
「1、2、3、4」「1、2、3、4」私の指揮で家族そろって準備体操をして水に入った。光太郎を先日買ってきた幼児用の底がついた浮輪で浮かせておいて直美に教えた。
「水に顔をつけて、手を伸ばして」先ず基本から教え始めた。その間、光太郎は隣で「お母さん、ちばりよう」「お母さん、すごい」と応援している。
つづいて直美にビート板を使ってバタ足から泳ぎ方を教えた。スポーツ万能で何事にも一生懸命な直美は呑み込みが早く、すぐに水泳の形になった。
「光ちゃんの足って可愛い」水中から光太郎の足を見てそんなこと言う余裕もある。私は直美の腰に手をやったり足を持ったりしながら形を直していたが、それ以上に直美の水着姿は美しく、愛おしく、私は体が変な反応をしないか気が気ではない。
「もう大丈夫、泳げそうさァ。光ちゃんと遊んで上げて」直美は私の喜びに反してアッと言う間にマスターして光太郎へ専念するように言った。
「まだ、駄目だよ、基本が大切なんだから」「大丈夫だってェ、見ていて」私の未練がましい台詞に、そう答えるとビート板も使わず、バタ足で泳ぎ出した。光太郎はそんな母の姿を尊敬の眼差しで見ている。私はため息をついた。
その時、私は直美の向こうにいつもは外出しているはずの同期たちが泳いでいることに気がついた。彼らは水面に顔を出しながら、どうもこっちを見ている。彼らの視線は直美を追っているようだった。
「なんだァ、外出しないのか?」「こう暑くちゃあ、外出できませんよ」「遠泳で泳いでいるのに休みにまで泳いで根性があるなァ」「はい、海上自衛官ですから」私が声をかけると、彼らはあわてて泳いで逃げて行った。
結局、直美はその日のうちにクロールをマスターし、光太郎はこんがり日焼けして島の子らしくなった。そうなると「次は海かァ」と私の希望は新たな展開を迎えそうだ。

流石に疲れたのか、官舎に戻ると光太郎はおやつも食べずに夕寝をした。
「お疲れ様ァ」全開にした窓辺に座って海からの風に当たっていると、洗った水着を干し終えた直美がアイスクリームを持って来てくれた。
「バニラ、それともシャーバット?」直美は2種類のアイスクリームを両手で差し出した。
「君は?」「選んで」「直美の食べかけがいい」私の冗談に直美は肩をすくめて笑った。
「だったら口移しにする?」「うん、したい」そう言うと直美はバニラを1口食べた。
私は直美の肩に手を伸ばす。水泳の後だけに直美の唇は少し乾いている。舌からはバニラの甘い味がする。甘い甘い、美味しいキスだった。私はキスをしながら今日、長年の夢が実現した愛しい直美の水着姿を思い出していた。
「あっ、アイスが溶けちゃう」直美は急に唇を離すと1口食べたバニラを私に差し出した。

夏、賀真は防府の教育隊を卒業して希望通りの航空機整備員に指定されて浜松に赴任して行った。直美と光太郎は今度も官舎の友人宅に泊めてもらい卒業式にも出席してきた。
「ねえ、浜松ってどんなところ?」外出で家に帰って着替えている私の横に立って直美は脱いだ制服を受け取りながら訊いてきた。その顔は流石に寂しそうだった。
「都会さァ、色々なモノがあって面白いところさァ」「ふーん」直美はうなづきながらも遠くを見るような眼をしたが浜松が私の実家のそばであることには気づいていない。
「賀真がニィニによろしくって」「うん」「それから頑張りますって」「うん」ポロシャツとジャージに着替えて私も直美に振り返った。
「賀真もいよいよ航空機整備員かァ」「うん、浜松ではどんな勉強をするの?」「先ずは航空工学からかな・・・飛行機の看護婦さんになる勉強さァ」「ふーん」いつもならこんな思い出話に喜んで笑う直美だが今日はそのままうなづいた。
「勉強して実習の繰り返しと、あとは生活面の躾が厳しいのさァ」「ふーん」「航空機整備員がだらしなくちゃあ困るだろう」「看護婦と一緒さァ」「うん」直美は自分の看護学校と重ね合わせたのか納得したように頷いた。
「再来年の冬には防府に戻ってくるし、その時には江田島研修もあるのさァ」「へー」「俺が1術校に入ったら会えるな」「1術校?賀真と一緒さァ」「航空と海上じゃあ違うけどね」直美は賀真の入校先を知っていた。私は航海科を希望している。航海科員は江田島の海上自衛隊の1術校に入校するのだ。
「浜松は女性自衛官も多いから賀真はもてるぞォ」「テンジンさんはもてた?」「エッ?」私が顔を見ると直美は興味半々、心配半々の顔で見返していた。
「俺は・・・」私は頭に浜松時代の年上の彼女の顔が浮かんで一瞬答えに詰まった。
「誰を思い出しているのさァ?」直美は悪戯っぽい目で私の顔を覗き込む。
「俺は直美だけさァ」私はそう言って直美に抱きついた。
「もう、ずるいさァ、ハハハ・・・」と言って、ようやく笑ってくれた。やはり笑ってくれないと直美じゃない。

次の土曜日に江田島基地の盆踊り大会があった。
学生は揃いの法被を着せられ子持ちの学生には子供用の法被も配られた。
それよりも私はようやく直美の浴衣姿で踊るところを見られる。私は先日の水着姿に続いて念願が実現し、「江田島の神様=東郷元帥」に変な感謝をしていた。
「貴方はずっと踊っていないといけないんでしょう」自分は浴衣に着替え、光太郎に法被を着せながら直美が訊いてきた。
「うん、生徒隊と1術校の学生で交代で踊るのさァ」「それ以外は一緒にいられるね」私たち幹部候補生も夕方の体育の時間に江田島音頭などの練習をさせられていた。
江田島基地の盆踊り大会は町内の盆踊りも兼ねていて地元の老若男女が多数参加し、将来の海軍士官=幹部候補生は、地元の独身女性や親から「玉の輿」と狙われるらしい。
「かなりの人手らしいから光太郎を迷子にしないように気をつけないとな」「はい」直美が返事をした時、光太郎の準備も終わった。
私の二ライカナイ・直美
集合時間に合わせて学生官舎を出ると他の家族連れも会場に向かって歩いていた。
「マツノさん、浴衣ですかァ?」「はい」直美は顔見知りの奥さんに声をかけられていた。部内幹候のベテランの奥さんは浴衣、私たち一般課程の若い奥さんは普段着が多い。
「いいなァ、マツノさんが着付けできるんだったら私も浴衣を着ればよかった」「やっぱり浴衣って素敵ですよね」若い奥さんと同期の旦那さんはそう言って直美の浴衣姿を羨ましそうに見ている。旦那は視線を離さず、ほとんど逆向きに歩いていた。
「もう、見とれないの」いきなり旦那が背中を叩かれた。
「きっと奥さんは似合いますよォ」その様子に直美は仲裁にそう答えた。
「光ちゃん、一緒に行こう」「うん、行こう」光太郎の遊び友達の女子が声をかけてきて、手をつないだ。どちらも自衛隊から配られた背中に「桜に錨」の揃いの法被だった。
基地から聞こえてくる盆踊りの歌と、踊り装束の行列に子供たちもウキウキしている。
「迷子になっても自衛隊の子供って言うことは判るな」「はい、気をつけます」直美は、そう答えると光太郎と女の子のすぐ後ろについて歩き出した。
しかし、会場で会った地元の人たちは直美に挨拶してきて、すでに有名人だった。

11月に家族で岩国と宮島へ小旅行した。
「アキの宮島って言うだけあって紅葉が綺麗さァ」直美は参道を歩きながら、紅葉した彌山と厳島神社の朱塗りの柱、緑の屋根のコントラストに感動しながら言った。
「アキの宮島のアキは安芸の国の安芸さァ」私は直美の勘違いを訂正した。
「安芸の国って?」「広島の昔の名前さァ」「フーン、テンジンさんと居るとやっぱり勉強になるさァ」直美は相変わらず素直に感心し、「光ちゃんわかったね」と話を振ると光太郎はキョトンとした顔をした。
「直美、紅葉饅頭の食べ比べをしよう、小銭を出すさァ」「エッ」と直美は目を丸くした。
宮島名物の紅葉饅頭には普通の餡だけではなく、ジャムやチョコ、カスタードクリームにチーズ、レーズンに抹茶などのバリエーションがあってばら売りしているので、それを食べ歩きしようと言うのだ。
参道の土産物屋街を抜けて厳島神社についた頃には、一通りの味見は終わっていた。
「チーズが美味い、直美は?」「レーズンさァ、光ちゃんは?」「僕ねェ、緑の(=抹茶)」「へー」意外にシブイ光太郎の好みに両親は見合って感心した。

光太郎が持っているお菓子を狙って鹿が追いかけて来て、光太郎は驚いて駈け出した。
「光ちゃん、お菓子をポイしなさい」と直美が叫んだが、光太郎は逃げることに必死だ。すると直美は私より先に、勇敢に鹿に立ち向かい光太郎を抱きかかえた。
「光ちゃん、怖かったね」「鹿ごときに負けるな」直美の胸で泣く光太郎に父と母は全く逆
の言葉をかけた。

「卒業式に出たい」学生宛に愛知の親へ一方通行のつもりで送った葉書の返事が届いた。親の許しを得ることなく結婚して以来の4年ぶりの便りだった。両親は直美にも光太郎にも会った事がない。
「エッ、お義父さんお義母さんが?」帰宅して葉書を見せると直美は驚いて目を丸くした。
「まさかなァ」私は両親の真意を図りかねていた。大学を中退して自衛官になる時、本当は海上自衛官になりたかったのだが「長男を船乗りにはしない」との父の猛反対で諦めたことがあり、今回の転進でその夢をようやく叶えたのである。しかし、それは結婚も仕事も両親の意に背いた事にもなった。
「やっと、お義父さんお義母さんに会えるさ、光ちゃんも見てもらえるさ」直美は素直に喜んだが、私は父の頑なな性格を思うと不安の方が先に立っていた。
ただとり合えず卒業後の遠洋航海は、妻子と共に両親にも見送ってもらえることになった。

学生は卒業式の前夜、外出が許され、式からそのまま出発する東南アジア、オーストラリア、ニュージーランドへの半年間の遠洋航海前の別れを交わすことができた。
両親には私たち家族の方から宿泊先である基地に隣接する江田島荘に会いに行った。江田島荘のロビーは学生と遠方から来ている父兄たちで賑わっていた。
4年ぶりに会う両親は何も言わず、父は顔を強張らせ、母は微笑んでいた。
「光太郎、お父さんのお祖父ちゃん、お祖母ちゃんだよ」私は両親に先ず光太郎を見せた。
「お祖父ちゃん?お父さんの?」直美に手を引かれた光太郎は驚いた顔で私の顔を見上げた。私の言葉に意表を突かれたのか父は思わず腰をかがめ光太郎の顔を覗きこんだ。
「お祖父ちゃん?」「ウンウン」父は急に顔をほころばせ、光太郎と見合った。そんな父の横で母は直美と私の顔を見比べた。
「直美さんね」「はい、はじめまして」直美と母は微笑んで会釈を交わした。
「お祖父ちゃん、抱っこ」こんな時人見知りをしない光太郎は都合がいい、手を伸ばして父の腕に抱かれようとした。父は「ヨイショー、重いなァ」と言いながら抱き上げた。
「お祖母ちゃんだよ」父が抱いた光太郎を母も愛おしそうに見た。直美は私に寄り添い、安心した笑顔でそんな両親の姿を見ていた。

「お前、何か言うことはないのか」小1時間の面会の後、帰り際、父は厳しい目で私に問うた。その目は長年にわたる親不孝への謝罪を求めているようだった。
「ない」私はきっぱり答えた。
「俺は今幸せだよ、それだけだ」「親孝行とは子供が幸せになること」それは先年亡くなった祖父の教えであり、直美の両親の励ましでもあった。
「そうか」父と私の間で静かな睨み合いのような重苦しい空気が流れた。隣で直美は顔を強張らせて私と父を見ていたが、母は「また始まった」と呆れ顔をしている。父と私、相容れぬ頑固者同士。私ももう独り立ちした大人になっているのだ。
「お祖父ちゃん、バイバイね」その時、直美の腕で光太郎が手を振った、すると父は急に優しく微笑んで光太郎の顔を見た。この子は本当によくできた息子であった。

海上自衛隊の幹部候補生学校の卒業式は、海軍兵学校からの伝統と格式を守り、厳粛かつ厳格だ。私たちは式の後も同期や家族と談笑する間もなく、教官や家族の見送りの列の前を敬礼しながら行進し、そのまま遠洋航海の練習艦に乗り込むことになる。
「オメデトウ」「頑張れ」制服の来賓や教官たちに続いて家族たちが並んでいた。私は敬礼でかざした掌越しに見える家族たちの中に直美と光太郎の姿を探した。
「光ちゃん、お父さんだよ」人々のざわめきの中に聞きなれた母の声が聞こえてきた。通過する数秒の間、母が光太郎を抱き指差しているのとその両側で直美と父が涙目をしているのが見える。光太郎には私がわからないようだが無邪気に一生懸命手を振っている。
「チバリヨー」直美の悲鳴に似た声が耳に届き、私は一瞬、敬礼している手を小さく振って見せた。それが出航にあたっての挨拶である。決戦に向かう艦隊の乗組員、特攻に出撃する搭乗員たちも皆こうして淡々と愛する者と訣れて逝ったのだ。
「本艦隊は練習艦隊とは言え日本海軍の艦隊である。各員、海軍軍人たるの覚悟を忘るる
なかれ」練習艦隊司令官の訓示の後、私たちが舷側に整列し、勇壮な軍歌「軍艦」が流れる中、練習艦「かとり」護衛艦「はやりかぜ」「はなかぜ」は出航した。
「帽振れー」の号令に私たちは今日から被ることになった幹部の正帽を大きく頭上で輪を
描くように振った。岸壁には家族が並んで手を振っているが客船ではないので紙テープなどはない。私は家族たちの中に直美と両親の姿を見つけ顔を向けて思いっきり帽子を振った。
直美が顔をクシャクシャにしているのがわかる。父もしきりに鼻をハンカチで拭っていた。
ただ母だけは指差して光太郎に私を教えているようだった。
私の職種は航海科に決まっていた。遠洋航海を終えた後も引き続き江田島の第1術科学校に入校する予定だ。

10月、イラクのクエート侵攻で湾岸危機が叫ばれている中、練習艦隊は江田島に帰還した。流石に本家・海上自衛隊呉音楽隊の軍艦マーチは、外国の軍楽隊の演奏よりも見事だった。波止場には出発時の半分くらいの家族が出迎えていた。
人数が少ない分、直美と光太郎はすぐに見つけられた。出発時には祖母に抱かれていた光太郎が今日は手を引かれながら直美が指差す私の方を見て手を振っていた。
2人とも夏服で直美は綿の半袖ワンピース、光太郎も襟があるポロシャツを着ている。
着岸して式典があり、最後に艦隊司令から「編成を解く」の命が下り解散になった。独身者が多い防大出と我々一般大課程の実習生の出迎えは家族が殆んどで一部だけ恋人と思われる若い女性が来ている。
中には途中で寄港したタイやシンガポール、オーストラリア、ニュージランドまで恋人を呼んだ者もいたが、私は直美の仕事がありそれはできなかった。
「お帰りィ」「ただいまァ」直美は、私が荷物を足元に置くのを待ちきれんないように抱きついてきた。私もあの島での再会と同じように両手で直美を抱き締めてキスをした。
それを見て若い恋人たちも一斉に抱き合ってキスを始め、それを家族連れ、特に帝国海軍ファンと思われる父親は「不謹慎」と怒った顔をして見ていた。
「あれ、光太郎は?」キスを終えて探すと光太郎は直美の後ろに隠れこちらを覗いている。
「光太郎、ただいま」私は身をかがめて話しかけたが光太郎は直美の後ろに隠れた。
「光ちゃん、お父さんにお帰りは」光太郎は直美に促されてようやく恥ずかしそうに「おかえり」と言った。私は掴まえて抱き上げると頭に正帽を被せた。
「お父さん、お帰りィ」光太郎は帽子が嬉しくてハシャイダ声でもう一度言い直してくれた。その様子を先ほどは怒った顔をしていた家族連れが今度は「感激した」顔で見ていた。

「長いこと、ありがとう」「うん、貴方こそご苦労様でした」その夜、布団の中で並んで天井を見上げながら静かに話し始めた。本当はさっきから鼻血が出そうなのだが、そこはグッと堪えていた。いつもは夜のことには恥じらう直美も今夜は息遣いが少し荒くなっているようだった。
「直美、トトト・・・(突撃)」「はい」私は、そう宣言すると直美の上に覆いかぶさった。
焦る両手でパジャマを脱がすと懐かしい、美しい、愛おしい、夢にまで見た乳房が現れる。
「焦るな、焦るな、優しく、優しく」私は自分に言い聞かせながら愛撫を始めた。直美はそれを見通しているかのように優しく微笑みながらされるに任せている。
「少しグラマーになったか?」「うん、貴方がいないと食べ物が余ちゃってェ」乳房を愛撫しながらの感激を込めた呟きに、直美は申し訳なさそうに答え、私の顔を胸に抱き留めてくれた。懐かしい体温、鼓動、吐息だった。
私は感激を味わうように全身を愛し、直美もそれを確かめるように反応してくれた。
「やっと帰って来てくれた・・・」体で結ばれた時、今夜は直美の方が涙をこぼした。

2月、賀真たちが江田島研修にやって来た。私は昼休み、参考館の前で休憩中の懐かしい濃紺の制服の集団を見かけると歩み寄った。
「オー、マツノちゃん、久しぶり」「へー、立派になって」まずは顔見知りの班長連中が声をかけてくる。「海上の制服は似合わないなァ」と相変わらず口が悪い奴もいる。その会話に気が付いた学生たちが振り向いて、一斉に気を付けをして敬礼をしてきた。
「砂川曹候生はいないか?」と私が声をかけるのが早いか「マツノ3尉!」と賀真が列から飛び出してきた。二年ぶりに見る義弟は随分大人びている。今は百里の飛行隊に配属されているはずだ。私は手を差し出して握手した。
「元気か」「はい」「ネェネには売店で待っておくように言っておいたから、会えるさァ」「そうか、砂川はマツノちゃんの義弟だったけか」私たちを取り囲んだ班長連中が納得顔で話し合っている。その時突然、先任班長が学生たちに声をかけた。
「みんな聞け、こちらはマツノ3尉。元航空自衛官で曹候の7期、お前たちの先輩だ・・・マツノ3尉、一言どうぞ」先任班長の紹介に私は挨拶することになってしまった。
「海自もやっぱりきついか?随分痩せたみたいだが」別れ際に知り合いの区隊長が声をかけた。そして「まァ、見習い3尉はどこでも同じだろうけど、頑張れや」とつけ加えた。
私のニライカナイ・直美
私は護衛艦「なごりゆき」に配属されて大湊へ赴任した。ただし「なごりゆき」の航海科士官の配置は航海長と気象長だけしかなく、船務長を兼ねている副長の下で見張りなどの実務を経験しながらの操艦の練成を受けることになる。
午前中に引っ越し荷物を出して、そのまま江田島をたって途中で大阪に1泊した。
「あッ、沢口靖子や」夕暮れ時の大阪の街を私が周作を抱いて三人で歩いていると、すれ違う人たちが声をかけてきた。確か沢口靖子は大阪の出身のはずだ。
でも、あちらは女優で磨きをかけているが、こちらは主婦で1児の母、最近は少し負けているかも知れない。そう言えばやや太り気味でもある。
「靖子ちゃん、子連れの男と一緒で不倫か?」もう酔っぱらっている小父さんたちがからかって来たのには、流石の直美もカチンときたようだった。
「何言っちょるさァ、私はこの人の奥さんさァ」直美が言いかえすと小父さんたちは顔を見合わせてそっぽを向いた。私は腕で驚いている光太郎をアヤシテいた。
「腕を組んで歩こう」そう言うと直美は「うん」とうなづいて両手で光太郎を抱いている私の左腕に腕を絡めてもたれ掛かってきた。
「このお好み焼き、マーサイさァ」3人で入ったお好み焼き屋で、大阪名物のお好み焼きに直美は感激していた。でも、私たちはお好み焼きの本場・広島から来たばかりだ。
「広島のモダン焼きとどっちがマーサイねェ?」直美は江田島で広島のお好み焼きにはまり、何度も広島市内へお好み焼き巡りをしてマスターしたはずだった。
「うん、こっちのは焼きソバが入っちょっらんし、粉を出汁で溶いちゃるみたいさァ」相変わらず直美は研究熱心である。それにしても少し広島弁になっているような気がする。
「ソースはお多福じゃあないみたいじゃけど、売っちょるんかねェ」将来、舞鶴に転属すると大阪へお好み焼き巡りをすることになるのかと思った。
「このタコ焼き、マーサイさァちゃねェ」今度はタコ焼きだった。
「粉は何で溶くんですか?」「具には何を入れるんですか?」「ひっくり返すタイミングは?」直美は作り売りしている店で調理場を覗き込みながら店長を質問攻めにした。
「沢口靖子はんでっか?よく似てまんなァ」店長はそう訊きながら質問に答えてくれた。それを直美はうなづきながらメモ帳に書き留めていた。
結局、ホテルのそばのスーパーで家庭用電気タコ焼き機を買い、大湊に着いてからしばらくは直美の研究と練習を兼ねてタコ焼きが続いた。

「マツノ3尉、君は自動車の運転は得意か?」最初の航海に出て舵を握らせてもらった後、航海長からこう訊かれた。
「はァ、あまり得意ではありません」「だろうな、どうも理屈で考え過ぎるところがある」いきなりの手厳しい評価に私は少しうなだれた。
「舵を何度切ったらどちらに向くと言うのはあくまでも理屈であって、潮の流れ、風の向きを受ければ同じように舵を切っても同じ方向に向くとは限らないんだ」「はい・・・」私のうなだれはさらに深くなる。
車の運転でも「危険だからブレーキを踏む」などと頭で考えて操縦するため反応が遅れることがあると教官から指摘されていた。最近では運転が上達した直美に任せることも多いのだ。
「まァ、慣れることだ。艦は生き物だぞ、頭で考えた理屈通りには動いてくれんが、熟練すれば調教師の思う通りに動くようになる」「はい」大湊基地がある陸奥湾は豊かな漁場であり漁船が多く、また津軽海峡は国際航路を行きかう船でラッシュしている。その意味では初心者の練習には難しい場所ではあった。

4月下旬、私たちは待ち切れなように弘前城址へ花見に出かけた。
朝、脇野沢港からフェーリーに乗り、陸奥湾を横断すると蟹田港に着いた。そこからは一路、陸奥湾沿いに南下し浪岡の峠を過ぎると、目の前に津軽平野が広がり、その向こうには岩木山がそびえ立っている。
「スゴイ、高い山だねェ」助手席の直美は後席の光太郎と歓声を上げた。
「岩手山とどちらが高いのかなァ」「うーん、岩木山が1625メートル、岩手山が2041メートルだね」私の質問に直美はロードマップで海抜を確認して教えてくれた。
「大分、岩手山の方が高いけどそうは見えないね」「うん、平野の真ん中の山と山並みの中の山の違いかな」岩手山は大湊に赴任する時、東北自動車道から見たのだった。
「岩手山は南部富士、岩木山は津軽富士だから、こっちに来てもう2つもローカル富士を見たね」「旅行で鹿児島の薩摩富士、四国の讃岐富士も見たさァ」直美の頭は相変わらずデータのアウトプット速度が速かった。
「ねえ」「うん?」助手席から声を掛けられて私は直美の顔を見た。弘前への道は平野だけに広く真っ直ぐなので脇見運転も一瞬なら大丈夫そうだ。
「私たち、まだ富士山を見たことないよ」「エッ?」これは迂闊だった。確かに大湊へ赴任する時は大阪から名神高速に乗り、中央道に乗り換えて日本海側へ出たため東名高速は通らなかった。
「それじゃあ、沖縄へ帰る前に行かないとな」「うん、富士山1周かなァ」直美は嬉しそうに周作と笑い合ったが、私は愛知の実家に近づくのだけは嫌だった。
弘前城址の桜は見事だった。防府南基地の桜も綺麗だったが、東北の桜は一斉に咲くので、花の密度が違い眩しいほどだった。また城の堀の水面が花びらで覆われる「花筏」と呼ばれる風景もまた格別だ。
「君と一緒だと負ける花が可哀想さァ」と言ういつもの台詞が今日は出てこなかったが、直美も花に夢中でそんなことは気にも留めていなかった。

大湊に赴任して間もないゴールデンウィークに2女・昌美が国立沖縄病院から移った那覇市の病院で知り合った医療機器会社の社員と結婚することになり、六女・育美が務める那覇市内のホテルで行われる式には私たちも招待された。直美も昌美の同期、つまり看護学校の後輩たちに会えることを楽しみにしていた。
「ニィニ、昌美ネェネの結婚式に制服で行きませんか?」結婚式が近づいたある日、百里の賀真から電話が入った。
「制服でかァ、沖縄で大丈夫かな?」「紀美ネェネが制服で来いって言ってるのさァ」私たちが防府へ転勤した年に沖縄で行われた海邦国体以降、自衛隊に対する県民感情は随分和らいだように聞いてはいるが、まだ不安である。
「紀美ネェネの彼氏が宮古島の自衛隊らしいのさァ、ついでに呼びたいんだって」「そうかァ、うち等をダシに使いたいんだな」「ダシって何ですか?」「ようするに利用したいってことさァ」古い言葉がピンと来なかった賀真も私の説明で理解したようだ。
「制服なら名刺はいらないし、黒い礼服じゃあ暑苦しいからな」「俺、礼服なんてもってないさァ」それも賀真の申し出の理由のようだ。
「それで制服は3種(半袖夏服)か?ウチの冬服じゃあ、礼服と変わらないからなァ」「荷物になるから3種にしましょう」確かに沖縄の結婚式で黒の礼服を着ることはないのかも知れない(見たことがない)。何より私たちの結婚式は宮古島の自宅で私がブレザー、直美はワンピースの平服だった。ここで電話を直美に替わった。
「ところで賀真は彼女できたねェ」これが直美の第一声だ。
「どんな子なの?」直美の質問の展開からすると賀真にも彼女ができたらしい。
「北海道の子ォ?すごいさァ」「士長さん?」「補給隊ねェ?」会話の内容から察するに彼女はWAFのようだ。
「どうせならあんたも彼女を連れて来なさいよォ」直美のノリは両親譲りだ。
「まだそんな付き合いじゃあない?沖縄の結婚式はそんな固く考えなくてもいいのさァ」「沖縄の結婚式の見物のつもりで連れておいで」ここでまた電話を私に替わった。
「ニィニ、どうしよう・・・ネェネには逆らえないさァ」と言いながら賀真の声は必ずしも困ってはいないようだ。
「いい子だって自信があれば連れてくればいいさ、彼女が来るって言えば決まりだな」私は賀真の本心を確認するつもりで直美に同調してみた。
「うん、ニィニたちみたいになれればそれもいいかなァ」「それが砂川家さァ」横で私の話を聞きながら、直美も自分たちの勢いでした結婚を思い出して笑っている。
「彼女も制服ですかァ」一応、賀真がオチをつけて長電話を終わった。

私と直美、光太郎の三人は青森発、羽田経由、那覇行の民航で結婚式に出席した。ウェディングドレスを着た新婦・昌美がロービーで出迎えているのも沖縄式だろう。
「昌美、おめでとう」「ニィニ、カッコいいさァ」約束通りに海上自衛隊の純白の3種夏服で出席した私に昌美は目を輝かした。
「何を言ってるのさァ、昌美こそ綺麗だよ」「ありがとう」私は直美に似た顔立ちの昌美のドレス姿に、着せていない直美のウェディング姿を重ね合わせた。
気がつくといつのまにか私たちを砂川家の人たちが取り囲んでいた。光太郎は義父に抱き上げられ、義母に「オバァさァ」と声をかけられて驚いている。
私と直美は沖縄の長幼の序の礼式にしたがって、まず祖父母に挨拶をし始めたが、この家族は相変わらずで、堅苦しい挨拶もソコソコに横から4女・里美が声をかけてきた。
「メンソーレ。ネェネ、雪国暮らしはどうねェ」確かに青森県の下北半島は雪国ではあるが3月に赴任したばかりではまだ本格的な雪は経験していない。
「海沿いで明るい好いとこだよ」直美の説明に里美は戸惑った顔をした。
「雪の中じゃあないねェ?」「北海道とは違うさァ、津軽海峡の向こうは函館だけど」直美の想像外の答えに義妹たちは顔を見合わせた。その時、3女・紀美が見慣れた3等空曹の制服を着た若者を紹介した。
「マツノ3尉、お久しぶりですゥ」彼はいきなり握手をしてきた。彼は私の班員ではなかったが防府での曹候学生課程の教え子で顔は覚えている。
「何ねェ、お前が紀美の彼氏かァ」「はい、紀美さんと付き合わせてもらっています」そう言って彼は照れたように頭をかき、隣で紀美は「しっかり」と見守っていた。
「今は?」「エーシャン(AC&W)で頑張っています」彼は警戒管制員だった。
「私、ニィニとネェネみたいな夫婦になりたくてこの人と付き合い始めたのさァ」「そうかァ、砂川家の女は強いぞォ」私は紀美の気持ちを聞いて彼に声をかけた。
「ですよね」彼の返事に紀美と一緒に義妹たちも頬を膨らませた。
その時、私は直美を振り返ったが、すでに昌美の同期=後輩たちに囲まれている。
「わァ、直美先輩だァ」「本物だァ」「動いてるさァ」と言う大騒ぎと爆笑の後で後輩の1
人が「旦那さんは?」と質問した。直美がこちらを見ると、それに合わせて彼女らは私に視線の集中砲火を浴びせた。しかし、彼女らの興味はやはり制服に向いた。
「旦那さん、愛と青春の旅立ちのリチャード・ギアみたいさァ」「トップガンのトム・クルーズじゃあないねェ?」後輩の台詞に直美が言い返した。
「それにはちょっと無理がありますよォ」後輩の困ったような言い方にみんなは爆笑した。
「ニィニ、ご苦労様です」賀真が3歩手前で自衛隊の教練通りの10度の敬礼をしてきた。賀真の隣ではワンピースを着た若い女性がそれに倣って敬礼をしている。彼女は目鼻のはっきりした顔立ちだが、何よりも色が抜けるように白い。
「よし、直れ」私の海上自衛隊式の答礼で賀真と彼女は姿勢を正した。
「折角、素敵な服を着て来たなら教練は忘れないと駄目だよ」「はい」私が彼女に声をかけると二人は顔を見合わせて恥ずかしそうに笑い合っていた。

夜、私たちは賀真と彼女を連れて久しぶりにウチナー屋へ行った。
「マツノォ、久しぶりさァ」ママさんは大喜びしてくれた。ウチナー屋は直美と防府へ出発する前夜に来て以来だった。
「今日は里帰りねェ?」「妹の結婚式です」「それはめでたいねェ、かりゆしどゥ」ママさんはそう言いながらカウンターの陰で私たちの間に立っている光太郎に気がついた。
「これがあんたたちの子供ねェ、お母さんに似て男前さァ」ママさんカウンターから出てきて光太郎を抱き上げてくれて、光太郎は嬉しそうに笑った。
ママさんは光太郎をあやした後、下におろして私たちにカウンターの席をすすめた。
「マツノ、今はどこにいるねェ」「青森県の大湊です」「青森ねェ?」「と言っても下北半島の海辺ですよ」昼間の里美の勘違いと同じことになりそうなので私は先に説明をしたが、やはりママさんもピンとこないようだった。
彼女は沖縄の小物が雑然と置かれている店内を興味深そうに見回していた。
「彼女、ここで沖縄料理を味見してみれば好いさァ」私はそう言ってメニューを渡した。
「彼女はどこの人ねェ、色白の美人さァ」「北海道です」ママさんに褒められて彼女は少しはにかんで答えた。
「今日、結婚式で出てたのは琉球料理、ここにあるのは沖縄料理さァ」「へえ、どう違うんですかァ」「琉球料理は宮廷料理、沖縄料理は家庭料理なのさァ」私の説明には感心した彼女の横で賀真まで「へえ」と驚いた。結局、大人の分のチャンプル各種と全員分のフーチバジュウシー(蓬雑炊)を頼んだ。
ママさんが光太郎にジュース、大人に宮古島の泡盛「多良川」の水割りセットを出して、チャンプルの野菜を刻み始めたところで雑談が始まった。
「ニィニたちは明日帰るねェ」「うん、赴任してすぐだから休暇は遠慮したのさァ」賀真の質問に直美が答えた。私は休暇は取らず祝日と土日で帰省したのだった。
「幹部になってもそんなことを考えるんだね」「そりゃあ、3尉なんて幹部の初心者マークさァ」私の返事に同じく自衛官の彼女もうなづいた。
「ニィ二、海上自衛隊はどうですか?」賀真が身を乗り出して訊いてきた。
「うん、長年の夢が実現したのさ。毎日頑張ってるよ」私はそう答えて泡盛を飲んだ。
「海の上に出ると大変でしょう」「幹部も曹士も一緒に海の上で頑張る、それがやりたかったのさァ」彼女の質問には素直に答えた。
「マツノ3尉って本当に、賀真さんがいつも言ってる通りの方ですね」彼女はそう言うとあらためて私の顔をジッと見つめた。私は若い娘に見つめられて視線のやりどころに困ってしまった。
「陸の孤島も大変だろう。デートはどうしてるねェ?」私は照れ隠しに2人を冷やかした。
「俺の下宿ばっかりです」「それって同棲中てことかァ?」私の指摘に若い2人は今度は赤くなって下を向いた。

「マツノ3尉、当分は湾内での操舵はさせられないから見張りを頼むぞ」船務長をかねている副長から申し渡されたが、それは先日の航海長の評価を受けて艦長以下の首脳陣で話し合ったことなのだろう。
私は艦橋の横に突き出た見張り台で海士の見張り員と一緒に周辺海域の監視に当った。
「今は最高ですけど、冬には地獄ですよ」双眼鏡を覗きながら古参士長の監視員が話しかけてくる。確かに現在は救命胴衣を着けていると汗ばむくらいだが、冬場には外気が直接吹き付ける見張り台は極寒零下の地獄だろう。
「左10時、距離3500、漁船3隻、接近します」監視員の報告に私も双眼鏡で確認する。この時期は何の漁かは知らないが、小型の漁船が3隻、こちらの進路を横切ろうとしているのが見えた。
「左10時、距離3500、漁船3隻、前方を通過する模様」艦橋に報告すると副長の声が復唱した。小型の漁船は大型船の後方では波の影響を受けて大きく揺れるため無理にでも前を突っ切ろうとすることは事前に教育を受けている。海上の優先権は右からの船にあることもこの暴走族のような船乗りには関係ないようだ。
「漁船、左に転舵しました」また監視員が報告し、確認すると3隻のうち2隻が左に転舵してすれ違おうとしているが1隻は確認できない。
「1隻はどこだ?」「スコープでは確認できません」私は時機を失してはかえって危険と判断し、そのまま報告した。
「先ほどの3隻のうち2隻が左に転舵、すれ違います。1隻は所在が確認できません」「1隻は前方を突っ切っているのをこちらで確認している」今度は副長が情報を伝えてきた。確かに前方の視界は艦橋内の方がよいはずだ。問題は3隻が2対1に別れたのを見落としたことだろう。
「今の反省点は3隻が2対1に別れたのを見落としたことだな」「それをカバーするのがマツノ3尉の仕事でしょう」古手士長は「それはアンタの責任だ」と言わんばかりの口調で反論してきた。海上自衛隊に限らず海軍では3尉・少尉は片隅や旗(=飾り物)を意味する「Ensign」と言って「Lieutenant(陸空軍の中尉・少尉・海軍の大尉・中尉)」にもなれない半人前以下の扱いをされるのだ。
「そうか、俺も気をつけるが、佐藤士長も熟練の技を見せてくれ」私の遠回しの皮肉にも古参士長は冷ややかに笑った。
月刊「宗教」講座・恐山全景
7月の恐山の大祭に参ることができた。恐山は死者の霊が集まる霊場と言うイメージがあり暗い、怖ろしげな場所を想像していたが、実際は明るく開放的な火口湖のほとりにある寺だった。
「ねェ、イタコさんって本当に当たるのかなァ」寺の本堂の前の控所で口寄せをやっているイタコさんの姿を見ながら直美が訊いてきた。
「そりゃ、沖縄のユタさんと同じだから当たるんじゃあないの」「そうかァ、だったら当たる、当たるよォ」宮古島はユタの本場でもあり、直美も小さい頃から近所のユタのお婆さんに可愛がられていたらしい。
「私、島にいた時、絶対に貴方が迎えに来るから待ってろって言われたんだよ」この話は初耳だったが、それならば本当に当たるかも知れないと本気で信じる気になった。
私たちは口寄せをしてもらっている中年女性の後ろに並んだ。
「でも何を訊くんだ?」「いいから待ってよ」私の質問には答えず直美が料金の看板を見て財布の中身を確かめていると、やがて私たちの順番が来た。
「はい、誰を呼ぶんだべか?」やはりイタコさんは東北弁だ。
「曾祖父をお願いします」直美が答えると老齢のイタコさんは「氏名、住所、命日、死んだ年齢、依頼者の氏名を書いてくろ」と言って葉書大のメモ紙を差し出した。
直美が記入して返すと「沖縄の宮古島だべか」と言いながらイタコさんは初めて聞く曽祖父・賀賛さんの名前の読みを確認して口の中で呪文を唱え始めた。
しかし、曽祖父が亡くなったのは本土復帰前なので当時の住所は日本国ではない。
「沖縄県宮古島市XX 砂川賀賛 昭和四十五年八月XX日没の佛ェ・・・」呪文が一通り終わったところでイタコさんは直美の方に正対した。
「直美だべかァ」イタコさんの口を借りた義父の賀満さんは東北弁で話し始めた。
「うん、大オジィ・・・」それでも直美は嬉しそうに返事をした。やはりユタさんで馴れているようだ。私は黙って二人の会話に聞き耳を立てていた。
しばらくは「みんな元気か」「家庭は円満か」などと当たり障りのない話が続いていたが、「何か訊きたいことがあるんだべか?」と言うイタコさんの質問で話は本題に入った。
「宮古島の家、私たちが継いでもいいの?」直美が訊きたいことはこれだった。
「賀真は北海道の娘と結婚しそうだし、みんな結婚したら家に帰る人がいないのさァ」イタコさんは直美の話をうなづきながら聞いていたが、やがて「そうなるべ」と答えた。

夜間、大湊に帰港するのは一段の注意が必要だった。陸奥湾は深く広いため街からの距離が遠く灯りが乏しい。その暗い海を囲むように点在する漁港から漁船が夜も出ているのだが、漁を終えて戻る船の中には視界確保や燃料節約のため灯りを消している場合もあるのだ。
「左、11時方向、白波が見えます」漁船が立てる波を月明りが照らし白く見える。それを発見して監視員が報告してくるが、太平洋戦争当時なら夜間も潜水艦の潜望鏡や魚雷の航跡を見つけたのだから当然なのかも知れない。
「左、7時方向、漁船点灯」突然、後方で強烈な灯りが点き、それをスコープで見た監視
員は一瞬、視力を失った。
「7時方向、漁船が点灯、2隻は停船しています」私は双眼鏡で確認し艦橋に報告した。
「了解、漁船は2隻、停船中」復唱したのは航海長の声だった。
基地に接岸し、片づけを終えて退艦する時、艦長が声をかけてきた。
「マツノ3尉は操艦よりも監視の方に才能があるなァ」「はァ・・・」「うん、注意力は人並み以上のモノがあるよ」「はい、どうも」「何と言うか直観力だな」「野性の感かァ」艦長、副長、航海長が交互に声をかけてくるが、誉めてもらっているのものの何と返事したら好いのか判らなかった。
「あとは問題の操舵だが、こちらは上達が遅いな」誉めて持ち上げて一気に落とされると余計に辛くなる。航空学生を2次試験件で落とされたのは健康診断ではなく操縦適性がなかったのだと思い知らされた。

「おかえりィ、会いたかったよォ」訓練航海を終え、精魂尽き果てて帰宅すると直美が玄関で出迎えてくれる。私は、その嬉しさ一杯の全開の笑顔で元気を急速充電させた。
「気をつけ」私が号令をかけると直美は直立不動の姿勢になって、それを両手で抱き締めて濃厚にキスをする。これが最近始めた航空自衛隊の「出撃のキス」の反対の「帰還のキス」である。私はキスをしながら両手で少し太り気味の直美の体の感触を確かめた。
「ウ・・・ン、ウン」突然、直美が私の腕の中で唇を塞がれたまま何かを言った。
「お父さん、おかえりィ」私たちの足元で光太郎がニコニコ笑いながら立って見ていた。

その夜、私が今回の訓練航海で学んだことをノートに整理してから遅れて布団に入ると、直美はまだおきて待っていた。直美は大きな目でジッと見つめている。
「光ちゃんも四歳さァ。そろそろ弟か妹が欲しいみたい・・・」「エッ?」私は驚いて直美を見返した。今でも直美は、夫婦の営みには初々しく恥じらい、「もう、エッチ」と照れる。これはひょっとして直美からの誘いなのかと私は胸をときめかした。
「子供はいいけど直美の仕事はどうする?」、すると「仕事かァ」と直美は考え込んだ。そう言いながらも私は直美の首筋に腕を差し込み、首筋を吸い、パジャマのボタンを外して胸に手をすべり込ませ愛撫を始めた。
「もう、言ってることとやってることが違うさァ」直美は腕の中で膨れて見せた。
「だって久しぶりなんだもん」「もう、エッチ・・・」そう言いながら直美の方こそ私の首筋に手を回して口づけを求めてきた。どちらも気分はもう離島での再会に戻っている。
「まあ、看護婦のなり手はほかにいても、貴方の子供を産めるのは私だけさァ」今夜の結論が出て、私の頭の中でゴングが鳴った。直美の目が期待に潤んで見えた。
「痛い!」その時、私は腰に痛みを感じ直美の上にうつ伏した。
「どうしたのさァ?」「腰が・・・痛い」私が布団の上に転がると直美は身を起して顔を覗き込み、ボタンを外したパジャマの胸から少し豊満になった乳房が覗いた。
「大丈夫?」直美は心配そうに腰をさすりながら「どこが痛いのか」「どのように痛いのか」と問診を始めた。しかし、ようやく痛みは治まってきた。
「長時間立ちっぱなしだからなァ」航海中は激しく揺れる艦内でほとんど立ちっぱなしの勤務のため、航海科の隊員には腰痛持ちが多い。踏ん張るガニ股は職業病でもある。
「多分、ギックリ腰にはなっていないと思うけど、一度、病院に行ってみたら」直美はそう言うと私の顔を覗き込んだが腰の痛みは治まった。
「ねェ、続きはァ?」「ダメ、安静第一」私の誘いにも、直美はすっかり看護婦の顔に戻ってキッパリと拒否した。そして、いつもは光太郎の方を向いて眠る直美が今夜は私の方を向いて眠った。だが愛しい寝顔を見ながらの我慢は腰痛よりも辛かった。
「やっぱり君は看護婦になるために生れて来た人だネ」私が隣で寝息を立て始めた直美の寝顔にキスをしながら1人つぶやくと、「うん」と直美は寝たままうなづいた。

大湊基地には北陽館と言う資料館がある。ここには「操艦の神様」の資料が祀られていると聞いて見学に行った。
その方は木村昌福中将と言われ、若い頃から駆逐艦乗りとして卓越した操艦技術を見せ、第2水雷戦隊司令官の時、米艦隊に包囲されていたアリューシャン列島のキスカ島へ濃霧に紛れて迂回する航路で接近し、陸海軍の守備隊を無事撤収させた。
さらに米軍はそれに気づかぬまま上陸作戦を行い、無人で犬2頭しかいない島に激烈な攻撃を加え、姿を見せぬ日本軍への恐怖から同士撃ちの犠牲者まで出した。
しかし、木村中将の資料は勇猛な提督の華々しい戦歴を示す物ではなく、むしろ古武士然とした自筆の掛け軸や愛用の筆などの書道具であった。
私は展示されている写真に向かって柏手を打って頭を45度まで下げてしまい、一緒に来
ていた直美と光太郎までそれに倣っていた。

冬に備え、車を4WDに買い替えて試運転を兼ねたドライブに出かけた。
「すごーい、山が燃えているみたい」八甲田山へ行って紅葉の中を通ると助手席の直美はフロントガラスの向こうに広がる風景に歓声を上げた。
「こちらはカエデや銀杏じゃあなくてブナだから。赤と言うよりもオレンジだね」運転しながら私が説明すると直美は「やっぱり勉強になる」と言ってうなづいた。
「何だか眩しいくらいの色だね」「うん、すごいな」「紅葉を見に出かけたのは、君と光太郎の三人で行ったアキの宮島以来だな」「うん、でもアキの宮島のアキは安芸の国の安芸さァ」「ピンポーン、その通りィ」私の正解の判定に直美ははしゃいだように笑ったが、これは江田島から宮島へ行った時に私が言った話しの請け売りだった。
「光ちゃん、ここの鹿は野性だから追いかけられても逃げきれないよ」「今なら走って逃げます」光太郎が宮島で鹿に追いかけられた自分を救った母の心配に力を込めて答えると、直美は逞しくなった息子の顔を見てうなづいた。

その日は湯治場として有名な碇ケ関温泉に泊まった。旅館には家族風呂があった。
「やっぱりこの温泉。腰にも好いみたいさァ」直美は脱衣場に掲示してある「効能書」を読んでいる。私の艦乗りの職業病・腰痛は相変わらず続いているのだ。その間に私と光太郎は裸になり、入る準備を終えた。
「脱がないの?」いつまでも裸にならない直美に訊くと「もう、エッチ」と言って「早く入れ」と手で合図し、仕方がないので私は光太郎と先に浴室に入っていった。
私と光太郎が並んで洗っていると遅れて直美が入って来た。
「君はいつまでも綺麗だな」浴び湯をして浴槽に入った直美の裸に惚れ惚れとしながら私が言うと、「ありがとう、でも、少し太り気味さァ」と申し訳なさそうに答えた。
「グラマーになったって言うことさァ」私が形は好いがやや控えめな直美の胸を眺めると「だからァ、エッチ」とまた背中を向ける。この初々しさが堪らないのだ。
「この温泉、肌にも好いはずさァ」私が体を洗い終わって浴槽に入って直美の肩に触れると、少し赤味を帯びた肌は本当にすべすべしていた。
「シマンチュウの女は地黒だから駄目さァ」「綺麗さァ」私が直美の肩に手をかけて見つめ合おうとした時、「僕のお母さんです、駄目」と光太郎が間に割って入って来た。
「やっぱり(光太郎に)弟か妹がいるなァ」と私は納得した。
沢口靖子
冬の北部太平洋は荒れぱなしの一方、カニ漁などの最盛期でもあり遭難事故が多い。「なごりゆき」も連日、海上保安庁と共に捜索に出て家にも中々帰れないでいた。
「光ちゃんを3月から幼稚園とスイミングへ入れたいんだけど・・・」捜索担任艦が交代して家に帰り、制服の着替えをする私に直美が話しかけてきた。
「その話は聞いていなかったっけ?」「したかも知れない・・・会うの2週間ぶりだもん」赤のハンテンを着た直美は脱いだ制服を受け取ってそのままハンガーにかけてくれていた。
「幼稚園は決めたのかい?」「仲のいい友達はお寺の幼稚園って言ってるけどね」「俺はお寺の孫だけどシマンチュウだから宗派なんて気にしないよ」私の返事を聞いて直美は安心したようにうなづいた。
「それじゃあ、一緒の幼稚園とスイミングへ行かせても好い?」「うん、いいけどスイミングの前にスキー教室へ行かせたいなァ、君も一緒に」「エッ、スキー?」直美はパッと目を輝かせた。本当は一度、直美をスキー場に連れて行きたかったのだが江田島に入校したため冬休みも課題が多くて実現しなかったのだ。
「市の会報でスキー教室の募集案内があるだろう、申し込めばいいよ」「でも、貴方は?」「冬は遭難が多くてずっと待機だから無理だな、残念だけど」本当はスキーには小学校の時、2回行っただけで、あまり自信はなかった。
「スキーも貴方に教えてもらいたかったな」「うん、ゲレンデで恋人同士がしたかったなァ」私の返事に直美はそれを想像してさらに残念そうな顔になる。
「直美の仕事はどう?」私は直美が手渡した青のハンテンを着ながら話しを変えた。
「貴方の勤務が不規則だから日勤で探してるんだけど、中々見つからなくてェ」「そうなったら光太郎も幼稚園じゃあなくて、保育所に入れなくちゃね」「でも友達と一緒のところへ行きたいだろうから・・・」直美はそう答えて首を振った。

「なごりゆき」幹部の忘年会が大湊の士官クラブであった。
この直前、ソ連のゴルバチョフ大統領が辞任して崩壊の音が響き始め、あまり酒を楽しむ
雰囲気ではなかったが、それでも一杯入ればいつもの宴会になる。
「マツノ3尉、航海科を希望した理由はなんだ」酒を注ぎ行くと艦長が訊いてきた。
「そうだよ、航空自衛隊なら家を開けて航海に出ることもないし」隣の副長も訊いてくる。
「あの奥さんなら海の上に逃げることもないだろう」ここで航海長がピントを外した。
「お前の奥さんは怖いからなァ」それを副長が冷やかし、艦長も愉快そうに笑った。
「映画『南極物語』を観て以来、『しらせ』に乗って南極に行きたくなりまして」私の答えに3人は顔を見合わせた。江田島の兵学校、術科学校でも、この話をするたびに皆から「普通、あの映画を見ると南極へ行くのが嫌になるぞ」と呆れられていた。
「お前なァ、『しらせ』は半年間行きっぱなしだから希望者がいなくて手を挙げれば即、決まりだぞ」と副長が「やめておけ」と言う顔でアドバイスをしてくれたが、「いや、行きたいならいつでも推薦してやるぞ」そう艦長はいつものクールさで言った。
「そうですかァ」そう答えながら実は中学校以来の夢である南極行きが実現しそうな気がして嬉しくなった(だから映画を観たのだ)。しかし、航海長が現実に引き戻した。
「まあ、操艦の腕を上げる方が先だけどな」「はい」私の酔いが一気に冷めた。
「元が航空機整備員だったら機関科の方が近いだろう」「ミサイルを扱ってたなら砲雷科も近いですよ」いつの間にか周りを他の科の人たちが取り囲んでいる。
「なごりゆき」では今年度に配置された幹部は私一人、つまり一番下っ端だった上、航空自衛隊出身の変わり種と言うこともあって、何をやっても話のタネにされてしまうのだ。
「その前に航空部隊を希望しなかったのが立派なのか失敗なのか」航海長の言葉ではあるが確かに自分の適性を考えると即座に答えることが出来ない。
「折角、海軍士官になったのに航空部隊に行ったんじゃあァ、意味ないですよ」とりあえず私はそう曖昧に相槌をうった。その「海の男」の誇りをくすぐる台詞に周りの上官、先輩たちは酔いもあって感心したようにうなづいたが、冷静な副長だけは首を振っていた。副長は私に酒を注ぎながら話を続けた。
「『なごりゆき』にはヘリがいないからいいが、航空科の連中はどの艦でも浮いてるから、その台詞は気をつけた方が好いぞ」また、副長がアドバイスしてくれた。

交代でとった正月休暇では、かなり上達したらしい母子にスキーへ連行された。
「貴方、随分上達したじゃない」大湊の背後にそびえる恐山山系にはいくつかのスキ―場があり、私たちはゲレンデの恋人を満喫できる(ただしコブつき)。下北半島は岩木山の鰺ヶ沢や岩手の雫石と言った有名なスキー場とは違い、都会からのスキー客が少ないので比較的すいていて、その分、夫婦ともに知り合いに会ってしまう。
「やっぱりみんな上手いなァ」私はリフトの上から颯爽と急斜面を滑り降りて行く老若男女(本当に年寄りもいた)の姿に感心していた。
「地元でいつもやってるからさァ」隣で直美は当たり前と言う顔で答えたが、その割に海の近くで育ちながら泳げなかった直美を思い出して一人笑ってしまった。
リフトで中級コースのスタート地点に着くと大湊基地の建物や艦艇が小さく見える。滑り始める前、「早く行こう」と言う顔をしている直美と光太郎に話しかけた。
「こっちはパウダースノーだから感じが違うんだよ」「うん、エッジがかからないのさァ」子供の頃に行った岐阜県のスキー場では凍りついた重い雪質でエッジを立てるとつまづいたが、こちらでは雪が軽過ぎてエッジを立ててもそのままかき分けて進んでしまうのだ。
「スピードが落ちなくて怖いよ」「だからスリルがあるのさァ」真剣に怖がっている私に直美は「馴れれば大丈夫」と笑った。確かに楽しそうに滑っている直美を隣で見ながら滑っているのは嬉しい。しかし・・・。
「さあ、ここにいるうちにマスターしなくちゃ、頑張れ」そう言って直美と光太郎は先に滑り始め、私も慌てて観音経を唱えながら後に続いた。
「でも沖縄へ帰ったらスキ―はできないさァ」「こちらへ遊びにくればいいさァ」休む暇なくリフトへ向かう直美に私の意見は即座に否決された。
定年後、宮古島に帰っても真冬にはスキ―ツアーへ行くことになりそうだ。

「なごりゆき」に配置になって1年半、操艦も何とかなって来た頃、7月1日付で私は2等海尉に昇任した。その日、航海から家に帰ると玄関まで直美と光太郎が出迎えてくれた。
「貴方。おめでとう」「お父さん、おめでとう」2人は満面の笑顔だった。私は3種夏服の肩の一本細い線が増えた階級章に目をやってみた。
「2尉になって、そんなに喜んでもらえるとは思わなかったよ」「ヘっ?」私の返事に母子は顔を見合わせる。私は逆にその顔に呆気にとられた。
「だって今日は貴方の誕生日じゃない」「♪ハッピー・バースデー・ツー・ユー」直美の説明に合わせて光太郎が幼稚園で習ったお誕生日の歌を唄い出した。
「そうかァ、誕生日かァ」「そうです、31歳おめでとうございます」直美が可笑しそうに答えると光太郎も隣りで一緒に笑った。
その夜は直美と光太郎が初挑戦した手作りケーキを食べ、少し高めのワインを飲み、風呂に入り、そして、その後は布団で愛しい妻に酔って、酔って、泥酔した。

「私、仕事が見つかったのさァ」私が帰るのを待ちきれなように直美が報告をしてきた。
「待ってよ、その前に帰還のキスを」「アッ、そうだったべ」直美はうなづくと姿勢を正して抱き締められる。私は体の感触を確かめてキスをした。キスを終えて寝室に入り、制服を着替えながら話が再開した。
「それでどこの病院?」「市内の老人ホームの保健婦なんだァ」それは意外に盲点だった。今まで病院の外来か医院の看護婦と言うことで探していたが、大きな病院でも夜勤のある病棟の募集はあっても常日勤の外来はなかったのだ。
「それで光太郎の幼稚園とは合うのかい?」「はい、それなんだよ」直美は答えて考え込んだ。光太郎の幼稚園は朝8時のバスで行き、夕方4時には帰ってくる。
「あと、半年で小学校だからなァ」「そうだべ、今さらなァ」早いもので光太郎も来年は小学生だ。今から半年だけ保育園に転園するのもおかしな話だ。
「夕方の1時間ぐらい友達のところへ頼めないか?」この案には直美は難しい顔をする。
「それから幼稚園に相談するのも一計だな」この案にも直美は難しい顔のままだった。私は「お寺、宗教法人の幼稚園なら慈悲の心で何とかしろよ」と心の中で言っていた。
「判りました、どちらも当たってみるわァ」それにしても防府、江田島では広島弁がうつっていた直美が、ここでは少し東北弁になっていて妙にのどかだ。
「本当は、そろそろ光ちゃんの次の子供を産む予定なのになァ」「ごめん、仕事が不規則なんで・・・」いきなりそう言いながら直美が顔を覗き込んだので私は素直に謝った。
「ううん、することはしてるさァ」直美はシマグチに戻って最近の夫婦の営みを数えだした。やはり、こう言う話にはシマグチの方が似合うのかも知れない。
「今夜はどうしよう?」「残念、生理中です」こればかりは子作り優先にはならなかった。

「ねェ、シマグチ(沖縄方言)と東北弁ってどっちが難しい?」ある日、航海長からの指導に夢中になり遅く帰った私を出迎えて直美が訊いてきた。就職以来、直美は老人ホームの入所者だけでなく職員とも話が通じず困っているようだ。特に高齢の入所者と会話が成り立たないことは仕事にも支障があるのだ。
「貴方が沖縄に来てシマグチを覚えたみたいに、私も頑張れば話せるようになるかなって思ってさ」「うーん、俺はシマグチは不思議に違和感なく身に着いたからなァ」直美の目はヤル気に燃えているが、私は素直に肯定することができなかった。因みに我が家では直美が防府で山口弁、江田島で広島弁になったので、大湊では東北弁を標準語にしようと思っている。
「だけど東北弁とシマグチってどことなく似てないか?」「う・・・ん」突然の新説に直美は即答しなかった。私は両方を違う土地の言葉として耳にしているから冷静に分析、比較ができるが直美にはやはり難解な言葉のようだ。
「シマグチも東北弁も縄文時代の日本語だそうだから語源は同じなのさァ」「へ―ッ」これは最近読んだ本からの知識だったが私自身も地元出身の隊員、職員との会話でそれを確信していた。直美はいつもの「勉強になる」と言う顔でうなづいた。
「だから、単語を覚えればシマンチュウならすぐに判るようになるよ」「うん。先ずヒヤリングだね」何だか外国語の勉強のような話になってしまった。

「なごりゆき」は太平洋での日米協同演習に参加した。
空母を中心とする米第7艦隊と自衛艦隊は、日本近海の太平洋から北方四島への接近を繰り返し、大湊地方隊の艦艇はその訓練海域の外側を警戒して援護をするのが任務だった。
これは名目上は演習であったがソ連邦の崩壊後、西側の一員になることを表明している新生・ロシア海・空軍の能力確認と牽制、威示行動の意味があった。
航海は不連続で数週間に及んだ。
「赤45(右45度)、面かーじ」「赤45、面かーじ」私は初めて操舵を任せられた。
「マツノ2尉も何とかここまでになったな」「私の指導のおかげでしょう」
「時々神業もつかうしな」副長と航海長が隣りから誉めてくれている。
「そうしていると根っからの海軍士官みたいなだな、とても空の人だったとは思えんぞ」
「空(そら)ではなくて、空(から)の人でしょう」折角の艦長の誉め言葉を副長が混ぜ
還した。この2人の阿吽の呼吸は、こんなところは漫才師に近い。
「マツノ2尉は大韓航空機事件の時は何所にいた?」「沖縄です」前方を注視したまま艦長が訊いてくる。これは暫く直進すると言うことだ。
「やはりスクランブルが続いたのか?」「はい、約1週間、ソ連機が攻撃行動をとったため
常時、スクランブル態勢でした」私の返事に艦長以下のメンバーはうなづいた。
「今度は返り討ちにしてやりましょうよ」「ソ連が潰れちゃってロシアが相手じゃあ、第2次日本海海戦になっちゃうよなァ」副長は航海長にも突っ込む、この人は天性の突っ込み役なのだ。

「お母さん、今年もスキ―へ行こうよ」大湊に初雪が降った朝、光太郎は幼稚園へ行く準備をしながら直美にリクエストした。
「うーん、上手くなってきたから光ちゃんにも自分のスキーを買ってあげたいけど、サイズが変わるからねェ」直美と光太郎もスキーウェアは持っている。
光太郎と直美は二年前、市主催のスキー教室に参加して以来、官舎の友達と近場のスキー場に通い随分上達したらしい。
「いってきまーす」「滑るから足元に気をつけてね」「はーい」直美が乗り気なのを確認して光太郎は元気に出かけて行った。
「君も光太郎もそんなに上達したんだ?」私も鏡の前でネクタイを締めながら隣室で支度をしている直美に訊いてみた。
「うん、みんなが先生になって教えてくれるから、もう上級者コースで滑ってるよ」「それじゃあ、俺はパス。何十年振りだから今更、上級なんて無理無理」これは本音だった。スキ―は昨年やったのが小学校以来で、若い頃は、沖縄へ赴任していたのでウィンタースポーツには縁がなく、全く自信がなかった。
「大丈夫さァ、私なんて30直前になってから習ったんだよ」出かける服装に着替えた直美が玄関に出てきたが、今日はコートを着ている。
「君はスポーツ万能だからなァ」私はそう言って直美とキスをした。最近、朝は忙しいため「出撃のキス」も随分、簡略化されている。
「行ってらっしゃい」「行ってらっしゃい」2人一緒に玄関を出て階段を下ると流石に冷え込んでいたが、海上自衛隊のダブルの制服は暖かくて助かった。
幼稚園バスの集合場所で友達と遊んでいた光太郎は私に向かって敬礼をした。

今度の直美の職場で忘年会があった。離島の診療所で1人の勤務が長かった直美には職場
での宴会は初体験に近い。私が光太郎を寝かせてテレビを見ていると直美が帰ってきた。
「ただいまァ、酔っちゃったァ」玄関に迎えに出ると直美は倒れるように抱きついてきた。顔はやや上気し目はトロンとしていて、息からはビールと日本酒の匂いがする。
「歩けるか?」「駄目ェ、抱っこしてェ」直美は甘えてすがりついてきた。どうやら雪の中、官舎の四階まで階段を上って来て本当に酔いが回ってしまったらしい。私は直美をそのまま抱き上げると、もう敷いておいた布団に連れて行った。
「重いよォ、腰は大丈夫?」直美は自分の方からリクエストしておいて心配もしてくれる。でも直美が仕事を再開して、だいぶ肥り気味が解消されつつあることも確認できた。
寝室の襖を開けると直美は眠っている光太郎に「光ちゃん・・・」と小声で声をかけた。
「もう寝るのォ?」「先ず着替えなくちゃ」そう言って布団に腰を下ろした直美のコートとスーツを脱がしてハンガーに掛けた。
「ここからは駄目ェ、あっちへ行って」「それもやらせてよ」「もう、エッチィ」直美はふらつく足で立ち上がるとスカートに手をかけながら私を追い出そうとした。
私は直美の足下にパジャマと半纏、ハンガーを置いて寝室を出て、そのまま台所へ行き、冷蔵庫のスポーツ飲料を大きめのグラスに入れて居間に戻った。
やがてパジャマに着替え、半纏を羽織った直美がスカートとブラウスをハンガーに掛けて居間に戻ってきた。私はハンガーを受け取り、交換にグラスを渡した。
着替えが一段落したところで2人、何故か並んでコタツに座った(直美が入ってきた)。
「ニゴリ酒って初めて飲んださァ」「あれは口当たり好いけど、飲み過ぎると後で効くぞォ」「うん、甘くって美味しかったァ」ここで直美がシャックリをした。
「料理も美味しかったァ。こんなに飲んだの初めてェ」「でも御通りはなかったろう」「うん」私がする故郷の話に直美は相変わらずのトロンとした目でうなづいた。確かに宮古島生まれで酒は強いはずの直美がこんなに酔った姿は初めてだった。
「私が幹部自衛官の妻だって聞いたら、みんな変に緊張しちゃってさ、いきなり敬語を使うんだよ」「お年寄りに知られたらもっと驚かれるなァ、海軍士官の妻だって」「それさァ」そう笑って直美はグラスのスポーツ飲料を飲み干した。
「うんうん、血中アルコールの分解にアルカリイオン水の摂取かァ」空になったグラスを見ながら直美は1人で納得していた。
「ねえ、テンジンさん」「はい」いきなり直美が座った眼を向けて話かけてきた。
「オヤスミのキスをして下さい」「えっ?」私は突然の「命令」に戸惑った。
「貴方は出撃のキスに帰還のキスをするでしょ、私にはオヤスミのキス・・・」直美は甘えて首に腕を回して、そっと目を閉じ、私は抱き締めてキスをした。しかし、直美はキスされたまま腕の中で寝息を立てて眠ってしまった。

年明け、お屠蘇から年始酒を飲んで酔った私の布団の隣りで直美は話し始めた。
「ねェ、私、前から考えていたんだけど」「うん?」「私たち、定年後はどこに住むの?」「うん」「沖縄じゃあ、貴方の就職先もあまりないんじゃあないの」「エッ?」直美は私の方に寝がえりを打った。吐息から少し泡盛が匂ってきた。
「君に保健婦で働いてもらって、俺は専業主夫になるかなァ」「またァ」「でも、宮古島に帰るのはお義父さんとの約束、俺の夢だから実現したいね」「うん」私の返事に直美は安心した顔をした。
「これから宮古島でできる仕事を考えて資格を取るなり勉強するなりしないとね」「頑張っ
て・・・」そう言いかけて直美は眠りに落ちた。やはり少し酔っているようだった。私は直美の寝顔にキスをした。

光太郎が幼稚園を卒園して小学校に入学した。
宮古島の義父母からのお祝いでランドセルを買ったが、あの家では娘たちにこれから孫がドンドンできるだろうから、初孫とは言え周作を派手にすると後が続かない。
一方、愛知の親は光太郎が小学校に入学すること自体を忘れていて、後から慌てて多目のお祝いを送ってきたので勉強机を買った。こちらは無沙汰にしている私たちの所為とも言えるので責める訳にもいかない。
官舎の子供の入学式は旧海軍以来、父親は制服(軍服)、母親は和服で参加するのが伝統に
なっているらしく直美は艦長の奥さんに貸してもらうことになった。
前日、艦長にお礼を言うと周りから副長や航海長たちがカラかってきた。
「マツノ2尉、惚れた奥さんだからって、『殿、イケマセン』何てやるなよ」「そうそう、帯を引ぱって独楽回しってな」「靖子ちゃんなら俺がやりたいよ」実は私もそれをやりたかったのだが借りモノではそうもいかないと諦めていた。
「それも帝国海軍以来のならわしですか?奥さんが和服って言うのが伝統らしいですが」私の惚けた質問に防大時代からそちらでも歴戦の勇士と噂の副長が答えた。
「軍港と色街がセットなのは昔から、世界共通だからなァ。今も昔も、世界各国、兎に角、海軍軍人はもてるんだ」副長の自信ありげな台詞になさそうな航海長もうなづいた。副長は家での行事には海自ではなく帝国海軍少佐の軍服に短剣を下げているらしい。
「ところでエァホースはどうだ?」「エアフォースだろう」航海長の発音を副長が修正する。
「やっぱり飛行機乗りはもてますね、浜松や防府は北基地はパイロット、南基地は一般隊員の教育でしたから、街でナンパしても『あんた北基地?南基地?』何て訊かれましたね」私のリアルな体験談は士官だけでなく、海曹士たちにもうけて艦橋中が大笑いになった。
モリノ直美 (15)
入学式当日、朝から艦長の家で着付けをしてもらった直美が帰ってきた。艦長夫人の落ち着いた色の留袖も中々色っぽい。私はまたまた感激をした。
「浴衣も素敵だけど着物は格別だね」「だからって『買おう』何て言わなくてもいいよ」直美は私の言おうとしたこと先周りして断った。
「でも、海上自衛隊の官舎がどこでもこんな調子だったら、1つぐらいはいるよな」「だって子供が光ちゃん1人だけじゃあ、あと何回か着るだけさァ」それでも直美は首を振った。私は何故か子宝に恵まれないことに首をひねった。
「君が持ってれば妹たちに何かあれば貸せるじゃないかァ、6人もいるんだし」「それでも着付けをする人がいないさァ」「そりゃそうだな」この勝負は直美の勝ちだった。
「光ちゃん、おめでとう」東北らしく雪景色をバックに小学校のブレーザーの制服を着た
光太郎を中心に和服の直美と2等海尉の制服を着た私の親子で記念写真を撮った。但し、宮古島に送った写真には「着物は艦長の奥さんに借りました」と断り書きを忘れなかった。これで義父への義妹たちからの「私も買って」攻撃は回避できるだろう。

今年も恐山に参ってから私は信仰について深く思うことがあった。
恐山の山門を潜って来る人々は心の奥に何か重い物を抱えているような暗く沈んだ顔をしているが、山内を巡り歩きながらそれを捨てたかのように次第に明るい顔になり、山門を出る時には足取りまで軽やかになっていた。
いつしか私は恐山のイタコさんと宮古島のユタさんが同じならば、そんな生活に深く根差
した信仰を守り、助ける仕事をしたいと思うようになった。それは私の体の中を流れる禅僧だった祖父の血が時間をかけて沸々と熟成してきたような感情だった。夕食後の談笑の時間、直美にそれを言ってみた。
「俺、定年後は坊さんになろうかなァ」「宮古島でやる仕事を考えてみたのさァ」突然の思いがけない話に返事をしない直美に私は続けて補足説明をした。
「そうかァ、貴方は元々お寺の孫だもんねェ」私の説明にしばらく考えた後、直美はニッコリ笑って返事をした。
「でも、宮古島にはお寺はないよ」直美は少し心配そうな顔でそう言った。収入を得る手段を仕事とするのなら、それは私も考えていた。
「宮古島は本土の人が増えてるから、そのうち法要をやる坊さんが必要になるだろう」「うん、でも貴方が本当にしたいのはそんなことじゃないんでしょう」直美はうなづきながら否定した。流石に私の胸の内は全て見通しているようだった。
「どちらかと言えばユタさんに近いことがしたい」「やっぱり・・・この間、恐山に行った時の顔を見ていて、そんな気がしてたさァ」私は何でもお見通しのこの妻の方がユタやイタコの才能があると思った。

私は先ず宗派を選ぶことから始めなければならなかった。祖父は曹洞宗の僧侶であったが、私は高校時代に読み耽った佛教書でも、道元の他の信仰を認めず妥協をしない独善性が嫌いであった。
居間のコタツで本屋で買い集めてきた各宗派の本を読んでいるとのぞき込んだが、流石の直美も佛教にはあまり詳しくないようだ。難しそうな顔をしている直美に私は最近、民俗学の本で仕入れた話をした。
「昔、沖縄にはニンブチャーとかチョンダラーって言う念佛屋がいたんだよ」「ヘーッ、聞いたことないさァ」直美はまた「勉強になる」と言う顔をした。
「ニンプチャ―はシマグチ(沖縄方言)だから、本土の言葉に直すと念佛者だろう」シマグチではエ段はイ段、オ段はウ段になる。したがって「ネンブツがニンブツになった」と言うのが私の推理だった。
「それじゃあ、チョンダラーは?」こちらには「京太郎」と言う当て字がついている。
「京太郎と言って村から村へ念佛の布教に回った人みたいだね」「ふーん、大オジィ、大オバアの葬式には来なかったさァ」それは直美は幼い頃の話だが、その時は村のユタさんが念佛を唱えてくれたらしい。かつてはその役割をニンプチャ―やチョンダラーが果たしていたのだろう。
「そう言えば、東北でもイタコさんのほかに毛坊主と言うお弔いを仕事にする人たちがいたんだって」「ケボウズ?」「毛が生えた坊主のことさァ」「ふーん」直美も宗教の話は咄嗟に反応が出来ず、私の説明にも上手く相槌が打てないようだ。
「やっぱり、沖縄と青森は共通の精神文化を持っているんだよ」それで結論にした。

結局、私は高校時代に読んで感銘を受けた「歎異抄」の親鸞聖人の浄土真宗を選んだ。
次の週末、むつ市内の浄土真宗の寺を訪ねて相談してみたが、住職は「京都の真宗学園に2ヶ月間、入校しなければならないこと」や「血族か婿養子でなけれな寺院の跡取りになれないこと」などを上げて、よく考えるように言われたが、結局、むつ市内の寺に半年間毎週通って掃除などの作務や読経、念佛の稽古に励み、それで私の決意が固いことを見極めた住職が得度を許してくれた。
ただし、浄土真宗の坊さんになったことは親族では私と直美だけの極秘事項だった。

浄土真宗では京都の真宗学園に入っている間は頭を剃った修行僧スタイルだが、普段は常人としての姿を保ち、髪を剃ることはしない。私は元々が自衛官として髪は短く、かえって本職の坊さんたちよりも法衣が似合っていた。
ただし自衛隊の節度を強調する動作とゆったりと流れるような僧侶の所作では真逆で、私は僅かな仕草にも苦労していた。
「テンジンさん、それじゃ機械だべ」「本当、カチッカチッて感じですね」私の法要での所作を地元の若い坊さんたちはからかってきた。
彼等は全員が浄土真宗寺院の跡取りで大学を卒業してそのまま真宗学園に入校しているのだが、幼い頃から法要や念佛が生活の一部だったから所作も自然に身についていて、私の号令式の念佛や読経も「怒鳴っている」ように聞こえるらしい。
「テンジンさんは禅宗寺院のお孫さんでしょ、何で我が社に宗旨替えしたんですか?」「その前に海上自衛隊の幹部なんでしょう。何で坊さんになったんですか?」浄土真宗の僧侶になることを自分の宿命だと受け容れている彼等には、必要性もないのにこの道を選択した私が不思議なようだ。
「世間では坊主丸儲けって言うけど、そんなに儲かりませんよ」「そうそう、空いているのは貧乏な小寺に決まってるだよォ」小寺の子弟である僧侶たちが私の前で愚痴っぽく言い合を始めた。
「仕事で死にかけて、阿弥陀様に会ってしまったんですよ」それが私のいつもの答えだが、彼らが防衛問題に疎いのは幸いだった。あまり自衛隊の内幕を語るのは御免こうむりたいのだ。

その年の夏、妹の紀美が曹候学生の教え子の彼氏・岸田3曹と一緒に青森まで遊びにきた。
「ニィニ、ネェネ、お世話になります」「メンソーレ(いらっしゃい)」リビングで2人と対面して口々にそう言い合ったが、チグハグな挨拶は相変わらずだ。ただ、2人に会うのは昌美の結婚式以来だが、随分、距離が縮まり、関係が深まっているように見える。直美もそれを感じているのか隣で黙って微笑んでいた。
「うん、遠路はるばる御苦労様でした」そう答えると2人は何故か緊張した顔でお互いを見合い、私も直美と見合った。
「仕事、チバッテ(頑張って)るか?」「はい、小牧のアドバンスに入校して来ました」岸田の説明に私はうなづいたが、直美は「アドバンス」と言う言葉が判らず目で訊ねたので「術科学校の上級課程」と小声で答えた。
「そうかァ、紀美も寂しかったろう」「何度か名古屋に来てもらいました」「それって婚前旅行じゃないかァ」私の指摘に紀美はあわてた顔で彼氏の脇を突つく。
「でも、ニィニだってネェネの島へ会いに行ってたさァ」「俺たちは始めから離れ離れだったから仕方ないのさァ」苦し紛れの紀美の反論に私がさらに反論をすると隣の直美は懐かしそうな顔でうなづいた。

「そこで岸田と紀美が座り直したので、私たちもそれに倣った。
「マツノ2尉、お願いがあるんですが」岸田が真面目な顔で切り出した。
「私たちの仲人をお願い出来ませんか」思わぬ申し出に私は直美と顔を見合わせた。
「何で?」「私たち、2尉ィニとネェネみたいな夫婦になりたいのさァ」岸田の横から紀美が理由を説明する。私と直美はまた顔を見合わせた。
「俺たちみたいなって言っても姉妹だぜ」「それでもいいさァ」「僕は教え子です」私の断りの返事に紀美と岸田は声を揃えて反論する。
「いや、やはり仲人は何かあった時に直接相談できる人が良い。俺たちじゃあ勤務地が違うからそばにいられないよ」私の返事に直美も真顔でうなづいている。
海上と航空では何故か隣接している基地は殆んどない、同居しているのは那覇ぐらいだ。大湊は隣り近所だが海岸と山頂で別居だろう。しかし、紀美はまだ諦めなかった。
「ニィニとネェネなら何でも相談できるさァ」紀美の言葉に私は首を振った。
「相談されても俺たちはやっぱり妹が可愛いから、中立でいられないかも知れない」私の話に岸田は何かを考える顔になり、直美は紀美の顔を見た。
「紀美、気持ちは本当に嬉しいけど1人だけ特別な妹を作ることはできないのさァ」直美は優しく諭すように紀美に語って聞かせ、紀美も黙って考え込んだ。
「そうだね、みんながネェネに頼んだら5回も仲人をしなければいけなくなるね」直美の話に紀美はようやく納得したようだ。岸田も真顔でうなづいた。しかし、考えてみると私たちに仲人はいなかった。その話になる前に私は話題を変えた。
「紀美、岸田と結婚を考えているのなら自衛官には必ず転属があるから、そのことを心の片隅に置いておかないといけないよ」「はい」紀美と岸田は揃ってうなづいた。
「転属も旅行のつもりでいれば、行った先であちこち回れて面白いさァ」直美も言葉を添えて妹を励まし、今度は私がうなづいた。
「ウチの場合は北の果てまで来ちゃったから、後は戻るだけだな」「俺は稚内もありますけど・・・」私のボヤキ節に岸田は返事に詰まる。沖縄出身の紀美に零下30度になると言う稚内の生活が耐えられるか自信がなく、岸田自身も九州出身で宮古島に勤務したためまだ経験がないのだ。
「スキーって楽しいよ。ねッ、光ちゃん」「うん、面白いよ」「そうかなァ・・・」直美と光太郎の励ましに私が曖昧に答えると岸田と紀美はホッとして顔を見合わせた。

翌日は午前中に恐山に参り、午後からは岸田が恐山の上にある航空自衛隊大湊分屯基地・第42警戒群の同期に会いに行くのに着き合った。
警戒部隊はレーダーがある地区、通信アンテナがある地区、庁舎がある地区に分かれていて、レーダーと通信地区には許可を得ていない者は自衛官と言えども立ち入れない。したがって庁舎地区で岸田の同期、私の教え子・水本3曹に会った。
「あれッ、マツノ班長、お久しぶりです」「ありゃ、水本3曹はここにいたのかァ」その時、横で岸田が「ゴホン」と咳ばらいをし、「マツノ2尉だ」と耳打ちした。私服で来ているので仕方ないことだが水本は申し訳なさそうに何度も頭を下げた。
「それでマツノ2尉も旅行ですか?」「いや、俺は大湊勤務だよ」私の返事に水本は呆気にとられた顔をした。
「でもウチで紹介はないですし、会いませんよね」「うん、麓なんだよ」私の説明に水本は益々混乱したようだった。
「そうかァ、地連の募集事務所ですね」そう言って水本は「正解?」と言う顔で私を見たが、今度も岸田が「2等海尉だ」と補足説明した。
「えーッ、何で?、どうやって?」こうなると説明がややこしくなりそうなので私は海上自衛隊歌の「男と生まれ海をゆく・・・」を口ずさんで誤魔化した。そこへ少しベテランの2曹が通り掛かった。
「あれッ、マツノ君?」「おっ、岩井君かァ、久しぶりだね」彼は私の曹候学生の同期で沖縄でも南西航空警戒管制隊に所属していて、何度も遊び歩いた仲だった。
「うん、マツノ君が防府へ行ってすぐの夏に三沢へ転属して、去年、大湊へ来たんだ」「俺も3年前に大湊へ来たんだよ」私の答えに彼も戸惑った顔をしたため今度は「部外で海上自衛隊の幹部になって、護衛艦『なごりゆき』に乗っている」と説明した。
あの頃はお互い20歳代前半で若かったが、どちらも30歳前後のオッサンになっている。
「岩井2曹はマツノ2尉の同期なんですか?」「うん、防府じゃあ内務班も隣だった」「沖縄でも遊んだぜ」私たちの話に曹候学生の後輩たちは興味深そうにうなづいた。それにしても岩井は2曹になっており、空曹として順当に昇任しているのが判った。
「こちらは?」「女房の妹の旦那の岸田3曹だよ」「岸田3曹です。宮古島にいます」岩井の質問に2人で答えると水本が「それじゃあ、弟なんですかァ」と口を開けたが、岩井は「奥さんのか?」と訊いたので「うん、愛妻のさァ」と答えると「確か、離島の看護婦さんだったよな」と言う。
「うん」私は岩井の記憶力に感心しながらも、それ以上に昔の思い出が胸に甦った。
「それじゃあ、久しぶりに飲みに行こうぜ。海と空なら幹部でも関係ないだろう」「うん、そうしよう」そこで私は名刺の裏に自宅の電話番号を書いて渡した。
海上自衛隊では旧海軍が起した造船疑獄・シーメンス事件の反省から個人が業者と接触することがないように自宅の連絡先は名詞に書かないように指導されているのだ。

3か月後、航空自衛隊総合演習が終った頃、紀美が昌美と同じ育美が勤める那覇市のホテルで結婚した。それは福岡県出身の岸田が出席者の便を考えてのことだったが、今回も岸田から「自衛官は制服にしましょう」と申し合わせられた。
「秋の本土からなら夏制服じゃあ駄目かなァ、冬制服は荷物になるしね」「でも沖縄組は衣
替えだろう」「南混団はまだでしょう」賀真のさり気ない返事に私は、沖縄での勤務が遠い昔になっていることを感じた。私としても重い背広や冬制服を長時間着るよりも軽い3種夏服の方が助かる。
「ニィニは出席できるの?」「うん、そのつもりだけどな」「休暇は大丈夫ねェ?」「航海の代休がたまってるから大丈夫さァ」私の返事を聞いて直美が隣りで笑ってうなづいた。ここで電話を直美に替わった。
「今度も彼女を連れて来るねェ?」直美の第一声はやはりこれだ。
「最近、沖縄に帰っていないけど一緒に北海道へ行っているんでしょう」「やっぱり」隣で聞いていて「離れていても、この家族は隠しごとは出来ない」ことがよく判った。
「北海道へ行ったんだったら、今度は宮古島へも来ないとね」「そう言うことは同時進行で進めておいた方がいいよ、両家の顔を立てて」「ウチは特殊事情があったんだから仕方ないのさァ、掛け落ちだもん」直美の話が愛知の親の反対を無視して結婚した件になって私はうつむいた。
「ついでに宮古島で結婚しちゃいなさいよ、次に北海道でやって、最後に東京でやれば全国結婚ツアーさァ。ただし、ウチは北海道で参加するよ」直美らしいアイディアではある。今度は感心した。
「私たちの時みたいなのでも彼女がOKなら、その場ですぐにできるさァ」そう言って直美は私を振り返ってウィンクをした。
「ところであんた何歳だっけェ?」「22歳?おトウは20歳で結婚したのさァ」直美のはしゃいだような声に私も「賀真がそんな歳になったのか」と思った。
「安美、里美、育美はまだだって?そんなのはそれぞれの勝手だから気にしないこと」確かに賀真の6人の姉のうち3人にはまだ予定がない。砂川家の情報網で聞いていないと言うことは本当に話がないのだろう。ここで、また私に電話を替わった。
「ニィニ、どう思う?」電話口の賀真は妙に落ち着いた声になっていた。
「どう思うたって彼女の気持ちが第一さァ、俺だって直美が嫌なら結婚はできなかったのさァ」私の返事を隣りで聞いて直美が「嫌な訳ないじゃない」と呟いた。
「でも彼女の親に反対されている訳じゃあないだろう」「うん、大丈夫さァ」「だったら、きちんと順番通りにやっていくことだよ」「はい」「それでも何が起こるか判らないのが砂川家だけどなァ、イケイケドンドンってな」「それさァ」私の台詞に電話口の賀真と直美が別のニュアンスで同じ反応をした。
「と彼女に言ってから連れて来なさい」「うん、判った」弟は何かを考えるような声で電話を切ったが、姉は何かワクワクしたような顔をしていた。

私、本当にニィニとネェネに仲人をしてもらいたかったんだよ」式が始まる前のロビーで、隣に座った紀美はそう言って私の顔を見た。直美は紀美の市役所の同僚の中に高校の同級生がいて、そっちにつかまっている。
「私もネェネみたいに、旦那さんに思いっ切り愛してもらいたいんだ」「そんなのは別に俺じゃなくても、まず紀美が思いっ切り愛すればいいのさァ」私はそう返事をして紀美の顔を見返した。やはり化粧をすると砂川家の娘は一段と美しい。
「そうすれば彼もニィニみたいに愛してくれるかなァ」「俺みたいにじゃあなくて、岸田のように思いっ切り愛してくれるさァ」「うん」「俺を基準にすると、何でも比べるようになっちゃうから、それじゃあ岸田が可哀想だよ」私の言葉に日頃は元気過ぎてかしましいくらいの紀美が静かにうなづいた。
「はい、彼と一緒にニィニとネェネみたいな幸せな家庭を作ります」「俺と直美に負けないように、ずっと愛し合ってな・・・」義妹とのシンミリとした話に私は花嫁の父になったような気分で涙ぐみそうだった。
すでに花嫁の父も3回目のベテランになった義父は、今日も光太郎の手を引いて喜んでいるが小学2年生は手を引かれるのが少し恥ずかしそうだった。
「マツノ班長、お久しぶりです」「おう、みんな元気そうだな」その時、この海上自衛隊の幹部が航空教育隊で自分たちの班長だった私だと気がついた岸田の同期たちが集まってきた。
「マツノ班長が海上の幹部になったって噂を聞いてましたけど、本当だったんですね」「俺たちには散々エア・マンシップ(航空自衛隊精神)を語っていたのに酷いですよ」「それにしても、あまり海上自衛隊の制服は似合いませんね」教え子たちは本人を取り囲んで好き勝手なことを言い合った。これも私が航空自衛隊の幹部ではない気楽さのおかげかも知れないと1人で苦笑した。。
「でも女房はトップガンのトム・クルーズみたいだって言ってるぜ」本当は「愛と青春の旅立ち」のリチャード・ギアだったが、映画を彼等の年代に合わせた。
「それは制服がでしょう」「どちらかと言えばアイスマンかも知れませんね」「うん、女房とはまだ『愛すマン』だからな」私がジョークで返すと全員大笑いをした。
「女房の妹はまだ3人残ってるから狙うなら今だぜ」「エーッ、奥さんは何人姉妹なんですか?」「6人姉妹に弟一人だよ」私の話に彼等はロービーの出席者の中に砂川家の娘たちを探し始めた。同じ両親の娘だけに皆どことなく直美に似た顔立ち、つまり美人ではある。
私も彼らと一緒に辺りを見回していると、その向うで賀真と彼女が知り合いの自衛官と立ち話をしているのが見えた。今回、彼女は航空自衛隊の制服姿だったが、それはそれで似合って可愛く、宮古島の親戚からは「スチュワーデスか?」と訊かれていた。

紀美の結婚式の後、両親について宮古島に行っていた賀真と彼女は実家で3泊4日した後、先に帰っていた私たちに百里から電話してきた。
「ニィニ、俺たち結婚してしまったさァ」「やっぱり」隣で聞いていた直美は私の返事に何があったかを察知した。報告をしながらも賀真はまだ夢うつつのような話しぶりだった。
「モンチュウと呑んだんだろう」「そうです」賀真の返事に私は呆れてため息をついた。
「そこで2人で籍を入れて来いって言われたんだろう?」「はい、その通りです」「私たちと一緒さァ、ハハハ・・・」ここまで聞いて直美は仰け反って笑った。ここで賀真は電話を嫁さんに代わった。
「それじゃあ、あれは計画的なんですか?」「いや、勢いさァ、何も考えていないよ」嫁さんの疑問に私が答えると直美は「その通り」と相槌を打った。
「北海道の親御さんは怒ってないかい?」「電話したら呆れてました」私は心配して訊いたが、嫁さんは自分も呆れているような声で答えた。しかし、親の反応を聞き北海道にも沖縄と相通じる大らかさがあるようで安心した。
「それで衣装はどうしたね」「やっぱり制服です」「ペアルックだな」「はい」私の冷やかしを込めた台詞に嫁さんは電話口で笑った。
「そんなに忙しくちゃあ、賀真は久しぶりに帰っても友達にも会えなかったな」「とんでもない、宴会が始まったら賀真さんのお友達も口コミで集まって来て、家が満員になりましたよ」嫁さんは私の心配に驚きと感心したような口ぶりで答えた。
「それが沖縄なのさァ」「北海道では家が遠すぎて急には集まれませんよ」「そうかァ」嫁さんの話に私はうなづいた。北海道と沖縄、そこは真逆のようだ。
「それじゃあ、嫁さんは部隊に戻ったらいきなり砂川士長になってるんだね」「あっ、そうなりますね」私の心配に嫁さんは今更、気がついたような顔で答えた。
「次は北海道でも向うの親族の結婚式をやらないとね」「はい、そうします」「ウチも呼んでな、津軽海峡を越えて駆けつけるから」「はい、お願いします」私の話に嫁さんは嬉しそうに答えた。私は直美の持つ海原の大らかさとはとは違う大地の逞しさをこの彼女に感じていた。

結局、賀真と新妻・裕美さんの北海道での結婚式は正月休暇になった。この時期は待機が続き正月に休暇は取れないものだが、そこは自衛官である義弟の慶事と言うことで無理を聞いてもらえた。
大間港からフェリーで函館に渡り、そこから車で道南を北上すると裕美さんの出身地・千歳に着く。裕美さんは幼い頃から爆音を上げて飛び立つ戦闘機を見て育ち、航空自衛隊に入った申し子だった。
「お父さん、どうして飛行機で来なかったの?」冬の凍結した道を低速度で走るのに飽きた光太郎が訊いてきた。
「スキーシーズンで青森からも三沢からも千歳へのチケットが取れなかったんだよ」私の苦しい言い訳に助手席の直美もうなづいていた。確かにスキーシーズンではあるが、ワザワザ青森から北海道へスキーをしに行く者はいないだろう。単に目の前のフェリーを使わず青森まで逆コースを戻るのが嫌だったのだ。
「でもそのおかげでフェリーに乗れたじゃないかァ」「お父さんは仕事で乗ってるでしょ」我が子も小学生になると中々知恵が回るようになり手強くなってくる。直美も今度は感心したように笑って振り返った。
「しかし、賀真は今度も制服なんて本当は制服フェチなんじゃないか?」「でも私に白衣を着て来いって言わないからまだ好いよ」「それは俺が見たいなァ」両親の馬鹿な会話に光太郎はついてこれず黙って窓を拭き外を見始めた。
大沼湖に差し掛かると山は雪を被り真っ白だ。沖縄で生まれた直美には自分がこんな風景を見ること、ましてや弟がここで結婚することが信じられなかった。
「テンジンさんも沖縄に来た時、外国に来た気分だった?」「えッ、何が?」直美の突然の質問に私は訊きかえした。
「私、何だか外国に来てるみたいな気分なのさァ、テンジンさんも本土から沖縄に来た時、こんな気分だったのかなって思ったのさァ」「うん、確かに色々なことに驚いたな・・・」光太郎も「驚いた」と言うところは解ったのか黙ってうなづいた。
「でも不思議にどんなことも自然に受け止められたね、食べ物でも文化でも」「それだよね、貴方の不思議なところは」光太郎・小学1年生は首をかしげたが、直美は黙って私の顔を見詰めた。
「それは、貴方と私の運命なのさァ」「うん、そうだね」「残念、運転中だ・・・」直美の言葉に見詰め合いキスをしたかったが運転中は無理だった。

賀真と裕美さんの結婚式は宮古島の時と同じように形式ばることなく昔から行きつけのレストランで行われた。
砂川家からの出席者は当然、私たち家族だけであるが、航空自衛隊、陸上自衛隊からの出席者の中で海上自衛隊の制服は目立ってしまった。
「マツノさんは大湊の前はどちらにおられたのですか?」裕美さんの叔父と言う空曹長が酒を注ぎながら訊いてきた。
「う・・・ん、広島県です」確かに嘘はついていないが正直でもない。元航空自衛隊だと判ると説明がややこしくなりそうなのでこうなった。
「呉ですかァ。初任空曹の江田島研修で行きましたけど、色々なマナーがウチラと違って戸惑いました」確かにそれは私も江田島で悩まされたことだ。
「おッ、これで陸海空が揃うなァ」そこへ今度は下の叔父だと言う1等陸曹もやってきた。
「あれ、マツノさんは海上自衛隊でも格闘指導官なんですか?」「はい、部隊指導官ですが・・・」1等陸曹は私の胸の格闘徽章に気づいて訊いてきた。
「体育学校へ行った仲間の話では航空はいたらしいけど海上は聞いていないなァ」確かにそうだろう、体育学校へ入った時は3等空曹だったから。
そこに裕美さんの父の友人で来賓になっている千歳の2等空佐が現れ、私たちは姿勢を正
した。
「マツノ2尉だったね」「はい、義弟がお世話になります」私は10度の敬礼をした後、2佐のグラスにビールを注いだ。
「あれっ、俺は君に会ったことがあるぞ。那覇にいなかったか?」「はい、妻とは沖縄で知り合いました」話が不味い方向に進みだした。
「そうか、海上の5空群は隣りだったから、どこかですれ違ったのかも知れないな」「はい、3曹の頃は航空機体整備をやっていましたから」これは嘘でないギリギリの回答だろう。言われてみればこの2等空佐は若い頃、整備幹部として飛行隊にいたのを思い出したが、私とは直接関係はなかった。
そこへ制服姿の裕美さんが1人で挨拶に回ってきた。賀真は向こうで親戚につかまり酒を飲まされているのが見える。裕美さんは先ず2等空佐に挨拶をし、次に私、続いて叔父と階級順に挨拶をした。
「お義兄さん、今日は有り難うございます」「どうもおめでとう」「お義兄さんは千歳に勤務したことはないんですか?」「へッ?」突然の質問だった。
「何を言ってるんだ。海上自衛隊が千歳にあるかァ」横から1等陸曹の叔父が呆れ顔で裕美さんに声を掛ける。私は心の中で「ヤバイ」と叫びながらそっと首を振ったが裕美さんはそれに気づかずに叔父に説明を始めてしまった。
「だって、お義兄さんは・・・」「北海道は余市に魚雷艇部隊がありますけど、まだ勤務したことはありません」途中で話を引き取ると勘が好い裕美さんもそれを察して話題を変え、私はホッと胸を撫で下ろした。
それにしても陸・空自衛隊に誤った海上自衛隊のイメージを植えつけてしまったのかも知
れない。

結婚式の後、私たちと同じホテルに新婚夫婦も泊り、夕食に千歳市内でラーメンを食べた。そのまま部屋までやってきたが、ハシャギ疲れた光太郎はすぐにベッドで眠った。
「新婚さんは部屋でやることがあるだろう」「新婚って言っても半年も前さァ」言われてみれば賀真と裕美の結婚は秋、その前から同棲もしていたのだ。そこで賀真と裕美さんはソファーで姿勢を正し、私も条件反射で倣った。
「ニィニ、俺、裕美と結婚したから将来は千歳に家を建てるつもりさァ。そうなると宮古島へは帰らない。申し訳ないけどニィニとネェネで家を守って欲しいのさァ」その話は私と直美の間では既定の方針だったが、跡取りの長男からの申し入れとなると話は別だった。私と直美、賀真と裕美は互いに顔を見合わせた。
「長男の俺でなければ家を継ぐのは長女のネェネなのさァ」賀真は勧められるままに飲んで酔っているが、私はまだ酔ってはおらず冷静に答えた。
「いくら固い話は酒を飲んでからが砂川家の家訓だからって、一応はみんなの意見も訊かないとな」賀真は私の態度に「迷い」を感じたのか急に言葉のトーンを下げた。
「でもニィニも長男なんでしょ?」「俺は家を捨てて駆落ちしたんだから関係ナイナイ」私は茶化しながら顔の前で手を振って見せ、それでようやく賀真もホッとして笑った。
「ニィニはシマナイチャーさァ、だからネェネと出会ったのさァ」これは最近、直美との人生を振り返る時、胸に込み上げてくる感慨だった。しかし、それを言うなら賀真は道産子シマンチュウだろう。
「取り敢えず賀真の気持ちは判った。まあ定年までに結論を出すさァ」「定年?ニィニはそんな年ね」「あと20年でリタイアですがどこまで行けるやら」私の愚痴っぽい冗談にそろそろ幹部候補生の受験資格を得る賀真は顔色を変えた。
「ニィニは俺の目標さァ、いつも前を引っ張っていって欲しいのさァ」賀真は「1選抜を目指す」と言っているが曹候学生は統計上、3分の1が幹部になっている。賀真なら合格するだろう。
「海軍士官は人事には無関心でいるのが作法なのさァ。昇任なんて眼中にないね」私の答えに賀真は心配そうな目で隣の直美を見たが、直美も微笑んでうなづいていた。
しばらく3人は黙っていた。その重苦しい空気に耐えられなくなった賀真が口を開いた。
「折角、部外で海上自衛隊に行ったのに・・・将来は海上幕僚長になって欲しいのさァ」賀真の話は続かず、それで私が話を変えた。
「俺は直美と結婚できたことと光太郎が生まれたことで幸運は全部使っちゃたんだよ。あとは海軍士官になれただけで出来過ぎなのさァ」そう言って顔を見ると直美は優しい目で見詰め返していた。
「賀真、裕美さん、悪いが目をつぶってくれ」「エッ?」「いいて言うまでね」「ヘッ?」先輩と姉の2人で命令すると賀真と裕美は黙って目をつぶった。私は直美の肩を抱きよせると、そっと口づけて直美も首筋に腕をまわしてきた。
このシュチエ―ションには覚えがある。あれは賀真が高3の春休み「自衛隊に入りたい」と相談をしに防府の官舎に来た時だった。あの時も直美にキスをしたかったが高校生の賀真が見ていてできなかったのだ。

その年の1月17日、阪神・淡路大震災が発生した。本州の北の端では揺れはなかったが、私自身、3月に舞鶴への転属の調整を受けており、他人事ではなかった。
ただ、この大震災では救援物資を積んで神戸に向かった呉基地の護衛艦が、神戸港の運輸省・港湾管理事務所に「政府からの指示がない」などと入港を拒否される異常事態が生起していることが海上自衛隊内の情報として伝わってきた。
私は沖縄にいた頃、何度も目撃したスクランブル機に対する嫌がらせとしか思えない発進許可の先延ばしや患者輸送の救急支援機の着陸拒否などを思い出し、他の隊員以上に怒り心頭だった。

最近、光太郎も大きくなって一緒に風呂に入ることが窮屈になってきた。私はドアの前で順番を待ちながら湯船に漬っている光太郎に命じた。
「光太郎、九九の六の段を言ってみろ」「エ―ッ」風呂の中で光太郎は思いがけない命令に不満そうな声を出した。
「言えるまで出さないぞ」光太郎はもう一度、「エ―ッ」を繰り返した。
「六一が六、六二十二、六三十八・・・」中で一生懸命九九を言い始めた。
「六五三十、六六三十六」ここまでは順調だったが、「六七・・・六七・・・」ここで光太郎は行き詰り、悩み始めると入浴が長引き、私はドアを開けて冷気を入れた。
「はい、もう1回」「エ―ッ」私がドアを閉めてもう1回始めることを宣告すると光太郎は半分べそをかいた声で、また「六一が六」と言い始めた。
3回繰り返したところでその夜の六の段は合格した。
「光太郎、風呂の中は声が響いてしっかり勉強できただろう」「はい、よかったです」光太郎は半分のぼせながらも達成感を味わっているようだった。
「咽が渇いたァ」「光ちゃん、九九をやっていたでしょう」一緒にリビングへ行くと直美はアルカリイオン水を入れたコップを光太郎に手渡した。
「遅いから聞いていたのさァ。光ちゃん、温まりながら勉強もできて最高さァ」と直美も言い、光太郎は同じような台詞を言った両親の顔を感心して見比べていた。

紀美の結婚から2年、賀真の結婚からも2年、宮古島で保母をしていた安美が中学・高校の同級生と結婚した。
今回の結婚式は宮古島の彼の集落の公民館で行われ、百里の賀真と妻、那覇市内に勤める昌美夫婦とは那覇空港で合流した。紀美と夫・岸田は現地集合だ。
「ハイサーイ」宮古島空港へは義父が迎えに来ていた。
「光太郎、大きくなったさァ」義父はいつもの調子で抱き上げようとしたが流石に小学2年生、8歳では重いようだ。
「腰を痛めるよ、止めなさい」隣から直美に叱られて、義父はあっさり諦めた。

直美は中学、高校の後輩に囲まれて動けなくなっている。光太郎は公民館の隅で昌美の幼稚園児の娘の面倒を見ていて、賀真や岸田も顔みしりを見つけて飲んでいた。
その時、料理を運んだり、酒を注いで回ったり忙しく働いている里美が1人で座っている私のところへ寄ってくれた。
「ニィニ、飲んでる?」「飲んでるけど、寂しくてェ」私が直美がそばにいないことをボヤクと里美は呆れた顔をした。
「座れば?」「女が座って話しているとサボっているみたいでまずいのさァ」私の勧めに里美は肩をすくめて笑って答えた。
「直美はあそこで捕まってるのに里美は立ち話なんて悪いねェ」私の申し訳なさそうな顔を里美は感心したように見返した。
「ニィニはいつもそう、自分の心配よりも人の心配ばかりしてる」「そうかなァ」「ネェネもそうさァ、だからニィニとネィネはお互いに相手のことばかり考え合っていて、だから丁度いいのさァ」「フーン」私は里美の鋭い観察眼と分析に感心した。
「全力で愛情を投げ合って、キャッチボールをしてるみたいさァ」私は里美の上手い例えに感心しながらうなづいた。
「ニィニ、ネェネのどこが好きになったの?」「なんで」突然の質問に私はとっさには返事ができなかったが里美は腕組みをしながら見下ろしている。
「ニィニを見ていると、どうすればあんなにネェネのことを愛せるのかなァって不思議なのさァ」「そうかなァ」「理解を超えてるよ」里美は真面目な顔で私の顔を覗き込んだ。
その時、話に区切りをつけて直美が戻ってきた。直美は里美がいることがわかると全開の笑顔をさらにパワーアップさせた。
「ネェネの旦那さん、借りてるよ」と里美がからかうと直美は「高いよ、ハハハ・・・」といつものように笑った。
「ただいまァ~ッ」「お帰りィーッ」「寂しかった?」「離れてられないよ」私と直美がじゃれ合っている横で里美は呆れたような笑いを浮かべていた。私はポツリと里美に向って先ほどの質問に答えた。
「こんなところさァ」「こんなところねェ」里美は意外にクールな目で私と直美の顔を見まわし、呆れたように溜息で笑った。
「何?何ねェ?」直美は心配と興味の半々と言う顔で2人を見た。

「なごりゆき」に配属されて4年、艦の主要な幹部は交代しており、前任者の転出後、私は航海長を勤めている。そんな中、私に転属が発令された。
「マツノ2尉、転属の命令がきた」艦長は机の向うで私に人事発令を伝達する。
「2等海尉 マツノテンジンを自衛艦隊(舞鶴)護衛艦『しろたえ』に配置する」こう告げた艦長の潮焼けした顔の鋭い目が穏やかに笑った。
「有り難うございます。お世話になりました」これはすでに内示を受けていたことだが、こうして正式に転属を命ぜられると「なごりゆき」での日々が胸に甦ってくる。
海上自衛隊の護衛艦には自衛艦隊所属と各地方隊所属があり、各基地には両者が混在しているが指揮系統は明確に別れており、自衛艦隊所属が第一線の任務を負っているのだ。
ちなみに帝国海軍でも同様に常備艦隊と各鎮守府に属する艦艇に分かれていて、それらを司令長官の下に一括運用するのが連合艦隊だった。
「しかし、君は『しらせ』希望と聞いていたが、今回はかなわなかったな」艦長は前艦長から申し受けていたようだが正式な転属希望には書いておらず、あくまでも憧れに過ぎない話だ。
「向こうで武者修行を続け、自信がついたら正式に希望します。有り難うございます」「そうか、ならばいい」私は思いがけない配慮に感謝した。
艦長が表情を緩めてソファーを勧め、「しろたえ」の母港・舞鶴の話などの雑談を始めた。
「奥さんはむつ市内の老人ホームの保険師だったな」「はい、勤め始めて2年半です」「確か沖縄の出身だったな」「はい、そうです」ここで艦長は話をつけ加えた。
「舞鶴も雪国だが、ここまでしばれはないよ」「はい、ならば安心です」艦長の説明を聞いて私は少し安堵した。元気者の直美とは言え、下北半島の寒さは流石に堪えているのは感じている。
「向こうでまた航海長なのかは判らんぞ。船務の経験も必要だからな」「それじゃあ、舞鶴
に行ってのお楽しみですね、しかし、自衛艦隊となると・・・」艦長は不安そうな顔を見て笑ったが私には笑いごとではなかった。

官舎に帰ると直美も仕事から帰ったところだった。玄関でまだ通勤の服装のままの直美を抱き締めて帰還のキスをした後、そのまま2人で寝室へ行き制服を着替え始めると後ろから直美が訊いてきた。
「何かあったん?」直美は抱き締める腕の強さでその日の出来事を感じ取るようだ。
「転属が発令になったよ」「予定通りだべ、やっぱり舞鶴?」「んだ」大湊生活5年で私たち一家は完全に訛っている。
「それじゃあ、私も退職だべな」「んだ、悪いけど頼むだよ」「光ちゃんの小学校も転校だね・・・それから貴方のお寺も」実は私は以前相談したむつ市内の浄土真宗の寺で得度を受け、坊主になっている。しかし、それは私と直美だけの秘密だった。
「うーん、寺籍を移すことになるのか、遠距離でもこのまま好いのか判らないね」制服からジャージに着替え終って返事をしながら部屋を出た。
今度は直美が着替える番だ。続きは襖越しの会話になった。
「艦の名前は?」「しろたえ」「『しろたえ』って小倉百人一首の歌の?」「ピンポーン」返事をしながら私は「春過ぎて 夏来たるらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山」と口ずさんだ。やがて直美も着替え終って出てきた。
「それって持統天皇だったよね。天武天皇の奥さんの」「へッ?」流石にそこまでは思い出せない。やはり直美の方が優等生だ。
「ところで舞鶴って福井県なの?」「ブーッ、京都府だよ」「へーッ、京都なんだァ」地理では勝ったがいきなり直美の顔が輝いた。しかし、京都と言っても舞妓さんがいて五重塔がある京都市内ではない。しかし、直美が喜んだ訳は違っていた。
「京都なら賀真が入校する奈良の隣りさァ」言われてみれば弟の賀真が幹部候補生に合格すれば奈良基地にある幹部候補生学校に入校する。
「でも舞鶴は北の端だから奈良までは遠いな」「でも大湊からよりは近いべさァ」「そりゃあ、そうだね」どうやら賀真が合格すれば遊びに行くことになりそうだ。賀真が1選抜なら来年の春の話だ。

3月、私は大湊を後にした。見送りの曲が軍艦マーチではなくイルカの「なごり雪」なのは艦名による特例だろう。
「汽車を待つ君の横で僕は・・・東京で見る雪はこれで最後ねと寂しそうに君は・・・」この「東京」の部分を「みちのく」と言い直して隊員たちは熱唱してくれた。
私は今回の転出幹部の中では1番下だったので最後に見送る隊員たちの列の前を歩いた。
「航海長、御苦労様でした」艦橋でロクに才能がない私に基本から手取り足取り教えてくれたベテラン曹長が声をかけてきた。
「マツノ2尉、頑張って下さい」隣から一緒に見張りをやった海曹も声をかけた。海上自衛隊では初級幹部は「鍛える」と称して海曹たちに寄ってたかって苛められるものらしいが、航空自衛隊で曹候イジメに遭ってきた私は簡単にはめげず、次第に幹部として認めてもらえるようになっていた。私は立ち止まって談笑しそうになったが前の転出幹部と随分間があいている。
「今度は艦長ですね」慌てて歩調を早めた私に若い海士が声をかけ、手を上げて答えた。

4年前、江田島から大湊に赴任したのと逆コースで私たちは舞鶴に向った。大湊から移動の途中、私たちは観光がてら岩手の竜泉洞と松島に寄り、松島では先ずは島巡りの遊覧船からで、3人で乗り込んだ。ここは島とは言っても奇岩の上に松の木が茂っているような風景だった。
「これで日本三景巡りも達成確実だね」「日本三名洞は達成したぞ」「光太郎は覚えているかな」「日本三景って何?」小学校3年になる光太郎には先ず言葉の意味からだった。
「安芸の宮島って憶えてる?」「うーん、鹿に追いかけられたのを覚えているよ」「そうかァ、だったら秋芳洞と玉泉洞は?」「秋芳洞は防府から行ったね」「ピンポーン、玉泉洞は?」「憶えていません」日本三景の安芸の宮島へは江田島から、日本三名洞の秋芳洞は防府から出かけたが、沖縄の玉泉洞へは光太郎がまだ腹の中だった。
「日本三景って言うのはね、日本で綺麗な風景のベストスリーなんだよ」「それで綺麗な鍾乳洞のベストスリーが三名洞なのさァ」「ふーん・・・」両親から続けざまに説明されて光太郎は混乱したようだった。
その時、カモメたちが船の周りに群がって飛び、船員の1人が海老煎餅を撒くとそれを空
中でくわえて群がり始めた。
「ふーん、面白い客寄せだな」「光ちゃんは船もカモメも好きだよね」ほかの乗客たちが船員にならって自分のスナック菓子をばら撒き始めると、船の周りはカモメたちの泣き声で騒がしくなって、それを私たちは感心して眺めていた。
「松島や、ああ松島や 松島や」「芭蕉だね、奥の細道」私の呟きに直美が即座に答えた。
「すごーい、勉強してるな」「貴方の奥さん歴も長いからね」私が感心すると直美は自慢そうにうなづいたが、元々が優等生なのだ。しかし、私は海上の風景を眺めながらも芭蕉が感動して季語が出てこなかったと言うほど綺麗な風景とも思えないでいた。その時、上空をT―4練習機の編隊が飛行して行った。
「あっ、航空自衛隊だ」「松島の練習機だね」それを指さす直美に私が説明をした。
「松島にも航空自衛隊があるんだァ」「ブルーインパルスがいるところだよ」「ふーん、ブルーインパルスって防府北基地の航空祭で見たアクロバットチームだね」「ピンポーン、その通り」「海軍軍人の前はエアフォースの妻だったからね」防府南基地に勤務していた時に北基地の航空祭へ直美と一緒に出かけたことがあった。ただ北基地の滑走路は短いのでブルーインパルスは発進できず、築城基地から飛び立って防府上空で演技していた。松島の練習機はそんな思い出を甦らせてくれた。
月刊「宗教」講座・松島
遊覧船の次は松島水族館だった。ここには生きたマンボウがいた。
「マンボウは海洋博記念公園の水族館にはいなかったなァ」「うん、ジンベイ鮫が有名だったよね」海洋博記念公園へはコザの看護学校時代、バスに乗って遊びに行ったのだ。
「マンタ(イトマキエイ)はいたよ」「うーん、いたっけなァ?」「いたよォ」私も海洋博の水族館へは何度か行ったが、ジンベイ鮫ばかり探していてマンタの記憶はない。しかし、直美が言うのだから間違いないだろう。言われてみれば海洋博の水族館に比べるとここは展示されている魚も随分、違うようだ。
「あそこは今、ちゅらうみ館って言うんだよ」「ちゅらうみ(美しい海)かァ・・・直美はチュラ(美人な)嫁さんさァ」私のいつも誉め言葉に直美もいつものように笑った。ここでも光太郎は蚊帳の外だった。
「僕ねェ、浅虫温泉の水族館は憶えてるよ」「そうかァ、遠足で行ったよね」「宮島水族館
はどうだ?」「うーん、あまり憶えてない」光太郎にとって宮島と言えば鹿に追いかけられた場所と言うことのようだ。
水族館を出ると山に向かう緩い坂道を歩き、最後に瑞巌寺に参拝した。その道中の土産物店から民謡「大漁節」が流れていて、私もそれを口ずさんでみた。
「松島のォ、サァヨォ瑞巌寺ほどの、寺はないとよォ・・・エイトコーリャ大漁だね」直美は私の民謡を可笑しそうに聴いていたが、唄い終わったところでコメントした。
「貴方の民謡はシマウタだけじゃあないんだね」「でもシマウタの方が得意だな」そんな話をしていると瑞巌寺についた。瑞巌寺は山門から本堂までが随分長く、土手には修行僧が坐禅したと言うほら穴が幾つも掘ってあった。こうして松島旅行は終わり、その日は仙台に泊まった。

直美は早々に郊外の診療所の看護師の職を見つけ、光太郎も官舎の友達ができた。ただ、大湊で覚えた東北弁を「吉幾三」とからかわれて、家では標準語に気をつけることになった・・・はずだが京都弁の練習になるところが我が家だろう。

「しろたえ」では航海長がいて当面は船務士官として副長の見習いをすることになった。
「マツノ2尉、その徽章は格闘指導官だったな・・・」ある日、艦橋の中央にあり「サルの腰掛」と呼ばれる艦長席に座った艦長が声をかけてきた
「はい、そうです」「そうか・・・」艦長は前方を注視したまま何かを考え込んでいた。最近、日本海で行動する北朝鮮の不審船が問題になっていて、我々は北朝鮮の軍港の沖で監視しているわが海上自衛隊の潜水艦から第一報を受け、航空自衛隊のレーダー部隊からの追跡情報を基に我々は訓練航海の名目で工作船に接触、確認を試みようとしているのだ。
「マツノ2尉に特命」突然、艦長が私に顔を向けて命じた。その言葉を受けて私は姿勢を正し、そのまま大股で艦長席に歩み寄った。
「マツノ2尉を臨検の指揮官とする。副長は隊員5名を選抜してマツノ2尉の指揮を受けさせよ」「はい、5名を選抜して、マツノ2尉の指揮を受けさせます」突然、名を呼ばれて副長も姿勢を正して復唱した。
「ガンルームに集合させます」「よろしい」艦長の了解を得て、副長は私の肩を叩くと先に立ってガンルームへ向かって歩き出した。

「目標に接触して停船させたら隊員5名を指揮して移乗」「目的は乗員の捕獲」「あくまでも武器使用は正当防衛に限定」これが艦長から示された臨検の実施要領だった。しかし、防衛出動や海上における警備行動が発令されていなければ海上自衛隊に警察権はなく、あくまでもイザッと言う時の能力を練成すると言うことだ。
さらに特殊任務を帯びている工作船に移乗しながら、相手より先に武器が使えないことは即「死」を意味する。このことで先ほど艦長が徽章を質問して来た意味が分った。ようするに武器ではなく素手で戦えと言うことだった。

ガンルームには各科から武道の経験者が選抜されて集められた。任務、行動予定は副長が説明し、みな流石に顔を青ざめさせている。
「マツノ2尉、臨検の指揮経験はあるんですか?」柔道経験者の海曹が訊いてくる。
「空自の時、多少の経験はあるが、海自ではない」本当はデモ対処のことだが「そうですか」と全員がうなづいた。
それから「しろたえ」では機会を設けて臨検の訓練が繰り返されるようになり、その研究
が私の主任務になった。

「フリーズ!」私は接舷した内火艇に先頭で移乗すると大声で叫びながら銃を構えたまま甲板を小走りに駆け抜けて操舵室に向かう。同時に操舵室にいるフェーカ―(敵役)の隊員は、拳銃を構え応戦してくる。
私は後に続く隊員に手で合図しながらフェーカ―の死角に身を隠して銃を構え、援護を受けながら操舵室に飛び込んでフェーカ―を捕獲する。これがシナリオだ。
「やはり、こちらから先に撃てないとマツノ2尉がやられますねェ」これが訓練終了後、毎回繰り返される反省だった。
「まあ、早いうちにモノのいい防弾チョッキを調達してもらうしかないねェ」「でも業計(業務計画要望)じゃあ、入荷は2年後でしょう。調達では駄目なんですか?」「装備品的な物は駄目なんだよ」こんな時も補給科の隊員との話は妙に事務的だった。
「準備が整うまで、今まで通り何もしないって訳にはいかないんですかね」「やっと何かができる時代になったと言うことだろう」最年長の海曹の言葉に、そう答えながら私は、「何もないこと」を切実に祈っていた。

最初のゴールデンウィークは一家で宮古島に帰ることにした。本州最北端の大湊に比べれ
ば交通の便はかなり楽になったのだ。
「ハイサーイ」宮古島空港へは義父が迎えに来ていた。
「光ちゃん、大きくなったさァ」流石に小学4年生、10歳を抱き上げるのは無理なようで義父は頭を撫でた。

帰ってすぐに私たちは、砂川家の墓に参った。
「相変わらず若いのにエライさァ」義祖母こそ相変わらず誉めてくれた。
義祖母から借りた墓参りグッズを直美と光太郎が2人で手分けして持ち、私が水を汲んだバケツを下げて、裏の丘の墓へ向かった。
「暑いなァ」光太郎は阪神の野球帽のひさしを深くして強い日差しを遮ろうとしている。
「もう海で泳げるよ」それを見ながら直美が自慢そうに声をかける。
「本当、やったァ」前を行く2人は楽しそうに話しているが、私は舗装をしていない小石
の道でバケツの水を溢さないか気が気ではなかった。
「海水浴場はすぐそこさァ」いきなり立ち止まって直美が海水浴場の方向を指差した。
「近いんだァ」「目の前さァ」光太郎は草むらの向こうに広がる海を見て歓声を上げた。
「水着は?」「カバンに入れてあるさァ」手回しがいい母に息子は尊敬の眼差しを向ける。
「君のも?」2人の会話に私が割り込むと直美は「エッチ」と言ってソッポを向いた。私は足を早め直美に追いついて話を続けた。
「ないんだったらビキニを買おう」「もう何を言ってるのさァ、30も過ぎたのに」私の提案に直美は呆れたように先に立って歩いて行った。
光太郎は私の横に並んで「お父さん、残念だったね」と慰めてくれた。

午後から直美と光太郎と一緒に海へ泳ぎに行った。宮古島のゴールデンウィークは地元の人にはまだ早いのだろうが、本土から来た私たちには泳ぐのに十分だった。
「僕、海で泳ぐの初めてや」「いや、浮き輪で浮いていたことはあるぞ」確かに光太郎は海上自衛官の息子の割に東北・北陸育ちで、水泳はスイミングで覚えたため海で泳ぐのは江田島以来だった。
「こんなに暑いのにどうして泳がないのかなァ?」泳いでいる人がまばらなビーチを見まして光太郎が訊いてきた。
「沖縄では泳ぐにはまだ早いんだよ」「暑さ、寒さは気温だけじゃないのさァ」息子の質問に対する回答としては母の方が適切だった。
「じゃあ、何で靴を履いて泳ぐの?」「それは砂が尖っていて危ないからだよ」「沖縄の砂はサンゴが砕けたのさァ」「ふーん」光太郎にはカルチャーショックの連続のようだ。
「直美先輩じゃあないですか?」3人で休憩に砂浜に上がって休憩していると私たちは声をかけられた。見ると高校の後輩、狩俣圭子が子供を連れて立っていた。子供は可愛らしい女の子だが光太郎と同級生くらいだろうか。
「先輩の息子さんですか?」「そうさァ、光太郎、挨拶は」「ハイサイ」光太郎はこれも父親仕込みの挨拶をして圭子は今回も可笑しそうに笑った。
「聡子、ご挨拶は」「こんにちは・・・」聡子と呼ばれた女の子は母親の後ろに隠れるように挨拶を返した。
「聡子ちゃん、何歳?」「9歳です」「だったら3年生?」「はい」私は、その会話を聞きながら結婚した翌日、直美と賀真と一緒に海に来て、圭子に会った場面を思い出していた。
あの時、圭子はまだ独身だっただろう。と言うことはあれからすぐに結婚したことになる。
「今は山元って言います。先輩の御自宅の近所ですから遊びに来て下さい」この圭子の言葉に光太郎が間髪入れずにトンデモナイことを言い出した。
「明日、遊びに行っても好いですか?」私と直美は我が子の思いがけない積極性に呆気にとられながら、「どっちに似たのか」を言い合った。
自宅に戻り圭子・聡子の家を訊ねると義母は「あそこもできちゃった婚だ」と説明したが、この「あそこも」はウチではなく両親自身のことだろう。

翌日、光太郎が約束通り聡子ちゃんの家へ遊びに行っている間に直美に連れられて同じ集落のユタさんを訪ねた。
「おバア、ハイサーイ」玄関で直美は我が家に帰ったような声をかけた。
「誰さァ」奥から返事が聞こえ、ガラス戸が開く音の後、ヨチヨチとした歩調で白髪の小さな老婆が出てきた。これがユタさんだった。
「直美ねェ、久しぶりさァ」老婆はそう言ってから後ろに立っている私に気がついた。
「これは・・・旦那さんねェ」「ハイサイ」老婆が合掌したので私も合掌して頭を下げた。
老婆に案内されて家に上がると、奥の祭壇がある部屋に通された。直美は我が家のような顔で、勝手知ったる台所へ行ってお茶を入れていた。
それを待つ間、私はユタさんが火を点けたロウソクで線香を炊き、持ってきた土産を供え、並んで祭壇に参った。念佛と合掌、礼拝の後、ユタさんと向かい合って話し始めた。
「旦那さん、お坊さんですよね」「はい、ニンプチャアです」私の答えを聞いて老婆は微笑んで首を振る。しかし、何も言わないのに全てお見通しだ。
「いいえ、修行をして来た正式のお坊さんはニンプチャアではありませんよ」「そうですか」要するにニンプチャアは東北の毛坊主と同じ存在のようだった。しかし、私はむつ市の寺で見習いをやっていただけで、まだ修行にはいっていない。
「旦那さんのお念佛はミルクユガフを唱えていましたが・・・」「はい、沖縄では阿弥陀如来の西方浄土ではなくニライカナイへ往生するのでしょうから、ミルクユガフにお願いしないと」私の答えにユタさんはゆっくりうなづいた。
しかし、こうしてユタさんのこの島に根を張った信仰の話を聞いていると自分の信仰がま
だ宗教論の域を出ていないような気がした。その時、直美がお茶を載せたお盆を運んできた。
「おバア、このお菓子マァサイ(美味しい)ねェ」どうやら直美は台所でお茶菓子まで見つけてきたようだ。
「それは昨日のお供なえ物さァ、お下がりにするかァ」そう言うとユタさんはお盆から菓子を取り上げて3つに分けてくれたので、私と直美は慌てて手を合わせ受け取った。それを済ますと直美は「いただきまーす」と少女のような顔をしてそれを頬張った。
ユタさんはそれを優しい目で見ている。こうして直美はユタさんに見守られながら育って
きたのだろう。私も直美に倣ってお菓子をいただいた。
「直美、こんな徳の高い旦那さんにもらわれてアンタは幸せさァ」お茶をすすった後、ユタさんは私たちの顔を見比べながら声をかけた。
「うん」「いいえ」しかし、直美と私は正反対の返事をした。
「徳が高いのは看護師として人助けをしている直美の方ですよ。私はただの修羅ですから」修羅とは戦いを常とする世界の住人である。自衛官と言う職業も修羅の道であろう。それを最近の臨検の訓練で思い知ったのだが私の返事にユタさんは首を振った。
「旦那さんは正しい道を貫いているのです。それは前世でも同じだったでしょう」ユタさんは私の前世が海軍陸戦隊の中尉で、沖縄戦で住民を逃がすために囮になって死んだことを知っているようだった。
「そうさァ、貴方はいつも正しい道をまっすぐに突き進んでいるのさァ。私は後ろをくっ付いているだけ・・・」隣で直美も同意してくれたが私はまた首を振った。
「後ろじゃあなくて、隣りで一緒に歩いてくれてるのさ」私の言葉にユタさんは深くうなづき、「だからアンタは幸せなのさァ」と直美に呟いた。
それからしばらく私はユタさんに沖縄の信仰についての話を聞いたが、それは論理的な宗教学ではなく、生活の中心であり人生の全てを包む信仰だと感じた。
「こんなお坊さんが島に来てくれるなら私の用はなくなるさァ。後はお迎えだね」ユタさんの予言のようなお告げに私と直美は顔を見合わせた。
「何を言ってるのさァ、私が保証するんだから長生きするよォ」「もう長生きし過ぎだよ」直美の激励にユタさんは笑って答えた。このユタさんは90歳を過ぎているらしかった。

「有り難う、勉強になったよ」私は歩いて帰りながら直美にお礼を言った。
「ねえ、やっぱり真宗学園に行きたいの?」直美は興味と心配の入り混じった顔で訊いてきた。
「うん、折角、京都に勤務しているなら機会があればな」「でも休暇がねェ・・・」真宗学園の修学は約2カ月間だ。現役ではこの長期休暇は無理だろう。
「まあ、京都のお寺でもっと本格的に坊さんをさせてもらうよ」私の返事を聞いて直美は真顔になった。
「ところでユタさんと貴方の浄土真宗の教えは一緒なの?」「うん、似て非なるモノと言うか、非だけど似たようなモノって言うかだね」「何それ?」「ようするに酔って極楽気分になるのに泡盛を飲むか、洋酒を飲むか、ビールを飲むかの違いみたいなものだな」「ふーん、浄土真宗は泡盛なの?」「うーん、飲めば必ず酔えるからドナン六〇度(与那国島の強い泡盛)かな」私の答えに直美は考え込んだが、これ以上の突っ込みはしなかった。
それからユタさんとの思い出話を聞いていたが、突然、直美がさらに鋭い質問をした。
「ところで死んだ人は遠くへ行っちゃうの?」西方浄土は十万億土と言うからとてつもなく遠いが、それは浄土へ往生することが困難であることを強調した表現であろう。また、ニライカナイの浄土は海の向こうにあると言うが距離は示されていない。と言うことは水平線の向こうに見えるのかも知れない。
「ニライカナイを見に行こう」「うん」私の誘いに直美はうなづいた。
歩いて行ける海岸は残念ながら西に向いていないので海に沈む夕陽は見られないが、西の
空からの光が海も空も、直美も紅く染めていた。
「ねえ、海に浄土があるんならおジィもおバァも往ってるのかなァ」「う・・・ん、何だか
もっと傍にいるような気もするけどなァ」直美の家にいても先祖代々が揃って見守ってくれているような気がしていた。
「南無ミルクユガフ、南無ミルク・・・」2人揃って紅く染まった水平線に手を合わせた。

舞鶴から日本三景の最後、天橋立は近くて遠かった。車で西に向かうと京都ならぬ滋賀県へ向う道路との分岐点に入り、そこで丹後半島側へ曲がれば後は山あり海あり断崖絶壁ありの風景が続く。そして、宮津市に入り道路の左右に観光駐車場の看板に見え始めるとそこが天橋立だった。
と言っても天橋立は街や智恩寺がある付け根から遥か長く海に突き出していて、先ずはそ
こを歩かなければ楽しめない。
「ふーん、博多の海の中道みたいだな」松林が続く天橋立を歩きなが私は防府から訪れた福岡県の海の中道を思い出した。海の中道も金印で有名な志賀の島まで伸びた細長い半島だが天橋立の方が幅が狭く、両側に海が見え特異な地形であることが実感できる。直美は波打ち際まで行って秋の海の冷い水に手を浸した。
「海は沖縄にも大湊にも続いているのさァ、こうしていると沖にいる貴方に体温が伝わるかなァ」「そんなこと島でも言ってたなァ」私は離島の港で別れ際に直美が言った台詞を思い出して答えた。
「貴方は風に乗せた方が早いって言ったさァ」「あの頃は航空自衛隊だったからなァ」「何それ・・・」直美もその場面を思い出したようだ。
「貴方が海を見る時、私も見ているよ」「だって海の上じゃあ、ずっと見っぱなしさァ」直美の言葉に涙ぐみそうになり、私はワザと茶化した。
「俺が死んだら、骨は海に沈めて欲しいな・・・」私の独り言のようなつぶやきに直美は怒った様な顔をする。
「何を言ってるのさ、貴方の体は私のものさァ」そう言うと腕を絡め、肩に頭をもたれ掛けてきた。直美が鼻をすする音を聞きながら私は黙って海を見ていた。やがて周りに息子以外の人影がないことを確かめて直美を抱き締めた。
「直美さん、結婚してくれて有り難う」私の言葉に直美は首を振った。
「これからもずっと一緒さァ。私は貴方の妻だよ・・・」直美は無理して笑顔を作った。
「うん・・・」完全に我が子は意識から外れてしまっていた。私は「死ぬのはもったいないなァ」と呟いた。
私の二ライカナイ・直美
天橋立の半ばには岩見重太郎仇討ちの場と言う石碑があり、そこで引き返して今度は遊覧ボートに乗って又潜りの傘松公園に向かう。
「貴方、運転したいんでしょう」「うん、最近、操舵していないからな」操舵室を覗いていると後ろから直美が声をかけてきた。
「ほかにお客さんがいなければやらせてもらえるかも知れないけどね」自動車だと営業用のⅡ種免許があるが、船舶海技の免許にはそのような区分はないはずだ。ところがその会話が聞こえたのか操舵している船長が苦笑いしながら首を振った。
「それはそうだろう」と納得しながら妙な結論を出した。
「よし、こんどはミサイル艇の艇長になって家族を乗せて走ろう」「うん、楽しみィ」そんなことができる訳がない。そもそもミサイル艇は北海道の余市基地にある。言っておいて私は自分に呆れてしまった。

遊覧ボートで対岸に渡ると高台にある傘松公園で逆さ股潜りをすることになる。直美と光太郎はベンチくらいの高さの台の上で反対を向き、前屈して天橋立の逆さの風景を見ている。一方、私は台の上で前屈すると転倒しそうで遠慮していた。
「そうやって見ると天に続く道みたいに見えるから天橋立って言うんだよ」そんなウンチクを語りながら楽しそうに眺めを楽しんでいる母子の写真を撮った。
続いて正面からも撮ると直美の尻のアップになり妙に嬉しく触りたくなる。
「何を喜んでいるのさァ、エッチ」逆さまのまま直美は文句を言い、光太郎も逆さまのま
ま「エッチ」と唱和した。

夏、宮古島から義父母に里美、育美がくっついて舞鶴までやって来た。私は訓練航海でつき合えなかったが、直美は光太郎を連れて伊丹空港まで電車で出かけ、一緒に京都泊で観光して帰って来た。
訓練を終えて家に帰ってみると幹部官舎とは言えこの人数では流石に手狭だった。
「ハイサーイ」「メンソーレ」玄関での帰還のキスを終えて居間に入ると義父母と義妹たちはもうスッカリくつろいでいて懐かしい挨拶をしてくる。
「京都は暑かったでしょう」「それさァ、沖縄よりも暑くって驚いたさァ」義父の呆れたような台詞に、義母と義妹たちも「同感」とうなづいた。
「舞鶴は涼しいですよ」「本当、日が陰ったら好い風が吹くさァ」義父のその言葉で私はエアコンは入れず、窓を全開にしているのに気がついた。その分、座卓の上にはホットプレートとタコ焼き機が乗せてある。
私は寝室に入って制服を着替えたが、いつもは受け取って掛けてくれる直美は台所だ。
「何か美味しいモノは食べましたか?」「うん、何でもマーサイだったさァ」「お菓子も上等だったさァ」私の質問に義妹たちははしゃいだような声で答えたが、しかし、直美からは「京都では観光ホテルではなくビジネスホテルだった」と聞いている。
「着物が綺麗だっただろう?」「それさァ、きっと私に似合ったのにさ」「浴衣で好かったのに、沖縄ではあんなにいい浴衣は売ってないさァ」どうやら京都の街で浴衣を着て歩いている女性に会ったらしい。
「気に入ったから買ってくれって言われても、まだ家には3人もいるから困るのさァ」義父の台詞で遠慮をした経緯も分かったが、義妹たちは残念そうにうなづき合っている。
「まあ、ボーナスを貯めて、自分たちだけでまた来るさァ」「うん、今度は神戸がいいさァ」「大阪の食べ歩きも美味しそうさァ」私の提案に義妹たちは口々に言い合った。結局、この家族は少人数に分かれてもパワー全開なのだ。
「と言う訳で今夜は大阪風にお好み焼きとタコ焼きさァ」そこで直美が2時間、冷蔵庫でねかした小麦粉などの材料をおぼんに乗せてやってきた。
今回は舞鶴の刺身に土産の宮古島の泡盛「多良川」もついた、イッぺーマーサイビン。

臨検訓練も試行錯誤の中、何とか形になってきた頃、また不審船の接近が報じられ我々は出航した。今回も訓練航海の名目で工作船に接触、確認を試みようとしている。
「艦長、11時方向、距離7マイルです」その時、レーダー係士官が報告をした。
「相変わらずか?」「はい、東へ向かっています。このままなら能登半島に接近します」艦長の質問にレーダー係士官は簡潔に報告した。
「そうか、接触まであと・・・」「30分です」艦長の呟きに隣に立つ副長が補足した。
「マツノ2尉、目標に接触したら隊員5名を指揮して移乗せよ」「はい、目標に接触後、隊員五名を指揮して移乗します」私は艦長の命令を確認しながら復唱する。
「目的は乗員の捕獲」「はい、目的は乗員の捕獲します」「あくまでも武器使用は正当防衛に限定」「はい、武器使用は正当防衛に限定します」これは最初に示されたことの確認だ。しかし、根拠命令がない以上、これは超法規的処置になる。何かあっても「海の上」と言うことで済ますしかない。
「副長、臨検要員をマツノ2尉の指揮を受けさせよ」「「はい、臨検要員をモリノ2尉の指揮を受けさせます。ガンルームを待機室にします」「よろしい」艦長の了解を得て、副長は私の顔を見てうなづくと先に立ってガンルームへ向かって歩き出した。

ガンルームには共に訓練に励んでいる臨検要員が集まってきた。任務、行動予定は副長が確認し、みな顔を引き締めている。
「マツノ2尉、訓練通りの要領で行くんですか?」先任の海曹が訊いてくる。
「もちろんいつものように俺が行く。後に続け」「はい」全員がうなづいた。
「今度は実弾を射ってきますよね」「俺が撃たれたら正当防衛として応戦しろ」そう言ったが法的根拠がない以上、私が確実に殺されなければ隊員たちが過剰防衛、殺人罪に問われかねないのが日本の法体系だ
私は掌を合わせる代わりに両手を握り、口の中で「南無阿弥陀佛」と唱えた。

工作船は「しろたえ」の接近を察知して進路を反転し、領海から遠ざかって行った。夕方、「しろたえ」は舞鶴基地に無事帰還し、舞鶴地方隊総監部への報告会議が行われ、それが終了してから私は帰宅した。
「ただいまァ」「お帰りィ、遅かったね」いつものように玄関で直美が出迎えてくれた。私は正帽を玄関のフックにかけると直美を抱き締めて念入りに「帰還のキス」をした。
「何かあったの?」いつもより抱き締める腕に力がこもっていることを感じた直美はキスの合間に目を見ながら訊いてきた。
「光太郎は?」「もう寝てるよ」「そう・・・」私は質問には答えず、否、答えられずにそのまま直美を抱き上げた。直美は私の気持ちを感じとって黙って抱き上げられた。家の灯りを消しながら直美を寝室に運んだ。
「制服がシワに・・・」腕の中で私の首に手を回しながら直美は囁いた。
私は光太郎のシングルの隣に敷いてあった私たちのダブルに直美を寝かし、制服を手早く脱ぐと畳んで枕元に置いた。
「掛けないとシワに・・・」そう言って体を起こそうとする直美を私は上から抱き倒し、そのまま口づけると下から首筋に腕をまわしてきた。
「潮の匂いがする・・・」直美は首筋に顔をうずめながら囁いた。
残っている小さな明かりを消すと、部屋はカーテン越しの官舎の街灯だけになった。いつもは恥じらってささやかな抵抗を示す直美が今夜は黙って目を閉じている。
今夜の私は、いつもの優しさを捨てて、獣が獲物を貪るように直美の体を愛し続けた。そして、直美は黙ってされるままに任していた。私は直美の体の温りに「生きて帰ったこと」を確かめていた。
「もう、君に会えないかと思った・・・」それが直美に伝えられる今日の真実だった。網戸の窓からはカーテン越しに、日本海の海鳴りが聞こえてきた。

遠洋航海訓練の代休で、家族で晩秋の福井旅行へ出かけた。
「万座毛みたいさァ」東尋坊の断崖に直美は平気で近づいて海を見下ろすが、高所恐怖症の私は光太郎の手をひいて遠目に見ていた。
「佛ヶ浦なら下から見上げられるからいいけどな・・・」下北半島の佛ヶ浦も同様に高い断崖絶壁だが、砂浜に下りて白い岩肌を見上げることができるのだ。
「そう言えば万座毛でも怖がってたさァ」直美は思い出し笑いをした。
「嫌いなモノは嫌いなのさァ」「ふーん」直美はうなづいた。
「でも好きなモノは好きさ、直美のこと」と私が付け加えると「キャハハハ・・・」と相
わらずのけ反って笑ったが、私は崖の上で転げないか気が気ではなかった。

永平寺では私たちには珍しく言い合いになった。
「綺麗に掃除してあるさァ」直美と周作は目の前で修行僧が走るように雑巾掛けしているのに驚きながら、隅々まで掃除が行きとどいている回廊に感心していた。
「我が海軍には負けるけどな」私がそう言うと直美はムッとした顔をした。
「人が一生懸命している仕事にケチをつけちゃあ駄目さァ」直美は大きな目で叱っている。
「仕事だからケチをつけるのさァ」「そんなの変さァ」私たちは黙ってしまった。その時、どこかから鐘の音が聞こえた。
「ハイ、終わりのゴング」そう言うと直美は微笑んだ。
「ごめん」私が謝ると「ううん、ごめんね」と直美は首を振って手を握ってきた。私たちのほかに見学者がいないことをいいことにジッと見つめ合った。
「すいませんが、山内では控えて下さい」案内係の若い修行僧に注意されてしまった。

光太郎の熱望もあり、冬休みの休日は家族で福井県のスキー場へ出かけた。
「何だか雪が重うおすなァ」「そうどすなァ」直美と光太郎は少し戸惑っている。海に近い下北半島のスキー場に比べて気温が高い北陸のスキー場は日中に溶けた雪が夜中に凍ってかき氷のようになっていて、エッジを立てるとつんのめってしまうのだ。しかし、数回滑り降りるうちに2人は要領を覚え上級コースへ行っていた。
相変わらず転げまくっている父親は1人中級コースで受け身の練習。心の中で「俺は海の
男だァ」と叫んでいた。

日本海で日米協同訓練が行われ、当然「しろたえ」も参加した。
「今回の航海は訓練にあらず」出港前、艦内放送で自衛艦隊司令官の訓示が流れている。出港準備で忙しい艦橋の中央で艦長は副長と並んで立ちながらそれを聞いていた。
北朝鮮の核開発疑惑を受けて米第7艦隊と自衛艦隊が日本海に進出してきた。この行動の目的は米軍による核施設への限定的な攻撃も視野に入ってのことだった。
「Z旗でも上げたいところだな」総監の訓示を聞き終えて艦長は呟いた。
「艦長、各科出港準備ヨロシ」「出港にあらず出撃だな」副長の報告を艦長は言い直した。毎回の演習同様、我々は米艦隊の一員として行動し、対潜哨戒と艦隊防空を担当する。
「マツノ2尉」「はい」艦橋で操舵の準備をしている私に艦長が声をかけた。
「今回も船艇に接触する不審船があれば移乗して乗員を捕獲せよ」「はい、船艇に接触する不審船があれば移乗して乗員を捕獲します」私はそのまま復唱した。
日米の艦隊への攻撃のため北朝鮮の船艇が接近してくれば、これを阻止するのが我々の任務だ。前回同様の任務ではあるが危険なこと、困難なことには変わりはない。ただ、試行錯誤の中で訓練をさせてもらっている分、少し要領は判ってきている。
「艦長、出港命令が出ました」「よし、出掛けるか」副長は指揮所からの報告を艦長に伝え、艦長は艦長席に腰を下ろした。
「もやい解け」「もやい解け」「機関始動」「機関始動」「両舷微速航行」「両舷微速航行」艦長の各科への指示を復唱しながら、「しろたえ」はエンジン音を響かせて動き始めた。
再びこの岸壁に戻れる保証はない。寧ろ、それを覚悟しなければならないのだ。今朝、出掛けに抱き締めた直美の体温が弾力が形見になるかも知れない。私は直美の体温がのこる手を握り締めながら家族と暮らす官舎の方向を見てみた。今頃、直美は周作を送って、もう職場について仕事を始めているのだろうか。
この航海はカーター元大統領の電撃訪朝で合意するまで数カ月に及んだ。
1等海尉
7月1日、私は1尉に昇任し、間もなく航海長に指定される。
前夜、半袖夏制服の階級章をつけ替えていると、直美がそれを覗きこんでいた。
「階級章、2尉と1尉じゃあ、どう違うの?」「3尉から2尉なら一本筋が増えるけど、1尉は同じ太さが2本になるだけだからな」そう言いながら私は外した2尉の階級章を見せて変わったところを説明した。
3尉は太い線一本、2尉は太い細い線の2本、1尉は太い線2本=2等航海士だ。
「でも、航海長になるんでしょう?」「うん、来年の夏に今の航海長が定年準備に入ったら交代さァ」「なごりゆきは2尉だったじゃない」「あちらは艦が小さいから艦長も2佐だったろ」そう答えながら胸の中で「ミサイル艇なら艇長だァ」と思ってしまった。

賀真が幹部候補生に合格し、奈良・幹部候補生学校に入校した。
ただ、賀真は妻を百里に残しての単身赴任であり、時間や金銭が自由にならずウチの家族が押し掛ける訳にはいかないようだった。

「ニィニ、俺、遠泳で高浜へ行くさァ」突然、奈良の賀真から電話が入った。
航空自衛隊では幹部を目指していなかったので知らなかったが幹部候補生学校では夏に敦賀湾の高浜町で遠泳訓練があるらしい。
「高浜から舞鶴って近いのかなァ?」「遠くはないさァ、電車ですぐだよ」高浜から舞鶴へ来るには小浜線で数駅だ。車でも一時間はかからないだろう。
「ニィニ、勤務は?」「今は交代で夏期休暇をとるから休めないね」私の返事に賀真は残念そうにため息をついた。
「大体、訓練じゃあ、外出もできないだろう」「終わったら夜はフリーなのさァ」しかし、訓練の合間の黙認の外出では高浜町を離れることは無理だろう。
ここで電話を代わるといきなり直美が叱った。
「賀真、訓練で来るんだから遊ぶことは後にしなさい」「私だって近くに来るなら会いたいさァ、だけど仕事は仕事、遊びは遊びなのさァ」「テンジンさんの仕事だって、任務で海に出たらいつ帰れるか判らないのさァ」「何かあれば帰って来れないかも知れないのさァ、それが自衛官の仕事なんだよ」直美が一気にまくし立てた後、また私に電話を代わった。
「ネェネ、自衛官の妻になり切ってるさァ」電話口で賀真は驚きと感心の声をしている。
「ニィニもそんな危ない仕事をしてるねェ」「そりゃあ、色々あるさァ、自衛隊だもん」私の答えに賀真は黙って何かを考え、ただ深い吐息だけが聞こえてきた。
「高浜に着いたらもう一度、電話しておいで、時間が合えばこっちから行くさァ」「はい、そうします」そう言って賀真は電話を切った。私は感激しながら直美の顔を見詰めた。
「直美、1つだけ間違ってるぞ」「エッ、何?」私の台詞に直美は戸惑った顔をした。
「俺が君の島に行ったのは野外訓練、あれも仕事だよ」私は半分冗談のつもりだった。
「私に会いに来たのは遊びじゃあないさァ」しかし、直美の答えは真剣だった。
「あの時、貴方は仕事よりも、もっと大事なことをしに来たのさァ」「うん・・・」直美の目は私の心を捕えて離さない、私も黙って見返してうなづいた。

結局、家族3人で高浜へ義弟に会いに行った。候補生たちは夏休み中の高浜小学校に宿泊していて夕食後はフリーらしい。小浜戦の高浜駅で待ち合わせた。
「砂川候補生、お疲れ様」「どうも、ワザワザすみませんでした」兄弟で頭を下げ合っているのを直美と光太郎は呆れて見ていた。
「俺も航空自衛隊がどんな遠泳訓練をやっているか見たかったのさァ」「海上に比べたら俺たちの何て遊びみたいなものさァ」私の台詞に賀真は首を振った。
「航空は何キロ泳ぐんだ?」「上級は7キロ、中級は5キロ、初級は3キロです」「叔父さん、スゴーイ」私がコメントする前に隣りで光太郎が感心し、賀真は頭を撫でた。
続きは自走販売機で買ったビール、ジュースを飲みながら海に向かって歩きながらにした。街には候補生たちがたむろし貸し切り状態になっている。おそらく高浜町にとっても貴重な固定客であり、得難い財源なのだろう。中には曹候学生の教え子もいて、時々「マツノ班長ですか?」と声をかけられた。
「ところで賀真は上級クラスか?」「うん、B組だよ」「Aにはなれんかったのか」元々泳げなかった義弟が上級クラスに入ったことを誉めるべきか、トップになれなかったことを反省させるべきか迷ったが、幹部の先輩として後者を取った。
「どうせやるならトップを取らないとな、与えられた仕事なんだから自分にハンディーをつけるのは甘えだぞ」「はい」私の厳しい指導に賀真も真顔でうなづいた。
「そう言えば遠泳が終わったら江田島研修があるのさァ」「そうかァ、我が母校へ行ったらシッカリ堪能してくれ」そんな話をしていると海岸に着いた。
暗い海からは海鳴りの「ドーン」と言う音だけが聞こえ、波打ち際だけが街明かりで照らされ、黒に白の線が寄せているのが判る。
「賀真、裕美さんとは会ってるねェ?」「うん、月に一度、帰っているけど百里までだと時間が勿体ないから東京で待ち合せているのさァ」「それじゃあ、毎月、旅費とホテル代がかかるんだ」「うん、共働きだからできるのさァ」そう答えて賀真は溜め息をついた。
「ところでニィニ、舞鶴には何年くらいいるの?」「うーん、やっぱり5年だね」「どこで定年を迎えるつもりねェ?」私は三十四歳になったばかりで、まだ早い話題だがそれなりにプランはを立てている。
「ホワイトビーチだな、沖縄の・・・あそこの海で何があったかネェネに訊いてみな」突然の私の台詞に直美は驚いた顔をした後、笑い始めた。そんな様子に賀真と光太郎は興味深々と言う顔で直美を見た。
「お母さん、何があったんですか?」「内緒さァ」「ずるいさァ」「勿体ないよ」光太郎の質問と賀真の突っ込みに直美は首を振ったが私がばらした。
「お母さんのファーストキスを奪ったのさ」思いがけない答えに賀真と光太郎は呆れて顔を見合わせたが、突然、直美が想定外の反応をした。
「テンジンさん」「はい」直美の強い口調に私は思わず姿勢を正した。
「私のファーストキスってどういう意味ねェ?」「エッ?」「やっぱり貴方は私の前に他の女の人とキスしてことがあったんねェ?」「ゲッ」直美の厳しい追及に答えられないでいる私に賀真と光太郎は「やっぱりお母さん(ネェネ)の方が強い」と大笑いをした。

平成11年9月21日、能登半島沖の不審船に対処するため海上自衛隊に対して初の海上警備行動が発令された。その日も私は「しろたえ」の艦橋で不審船の行動を確認していた。
指揮所(CSI)の隊員は艦長への報告と同時に私にも情報をくれている。今日も不審船
は山陰地方の海岸を目指して進んでいるようだ。
「不審船です」その時、指揮所からの一報が入り、私は副長ともに指揮所に向った。
「この船だな目標は」「はい、日本、韓国の漁船ではありません」副長が不審船を指差して国籍を質問すると指揮所要員は即答した。
「この航跡から見ると日本の沿岸を狙っているな」私と副長は顔を見合わせた。

「よし、臨検準備」副長が艦橋に戻って報告すると艦長は私の顔を見て命令を下した。それは淡々とした、いつもの作業を指示するような口調だった。
海上における警備行動が発令されている以上、我々には海上保安庁同様の警察権が付与されている。危険を除けば何の憂いもなく任務を遂行できるのだ。
「はい、臨検準備、ヨウソロ」私は復唱すると臨検要員の待機室になっているガンルームに向い、横から副長が「頼むぞ」と声をかけた。
「臨検準備」私の指示で訓練の仲間である臨検要員たちは手順通りに服装点検、個人の申告の後、ガンルームから小銃を取り出し、弾倉に入れた実弾を配った。
「臨検準備完了」携帯無線で報告すると「不審船はまだ航路を変えない、乗船準備」と艦長が指示を出した。それをモニターしていた臨検要員は顔を見合わせて表情を引き締めた。
「乗船準備ヨウソロ」私たちはドアを開けて甲板に出て後方の臨検用内火艇に向った。
甲板では既に隊員たちが内火艇を点検し、下ろす準備を始めていて、私たちは梯子を使って内火艇に乗り込んだ。しかし、事態の拡大を避けようとする外務省とその言いなりの内局の指揮権干渉により臨検は実施されず、我々の初陣は待機までだった。
これを命拾いとして官僚に感謝するか、武人の誇りを傷つけられたと怒るべきなのかは各人の胸の中で決めることにした。

「海上自衛隊に警備行動発令かァ」直美がその日のカルテと投薬記録を整理していると、待合室に残ってテレビでニュースを覗いていた高齢者が大声で呟いたのが耳に入ってきた。
「海上自衛隊に・・・いつ?」直美が窓越しに声をかけると、その老人は「うん、日本海やって」と教えてくれた。彼も直美が海上自衛官の妻だと言うことは知っている。
直美は窓から顔を出しテレビの画面を見たが、まだ画像は届いていないらしく見慣れた舞鶴基地の風景と海上自衛隊の演習の画像が交互に流れているだけだった。
厳しい任務を潜り抜けてきたらしい夜に夫は「もう君に逢えないかと思った・・・」とつぶやいた。直美は画面を眺めながら「それはこんな任務に参加しているのではないか・・・」と胸に不安が広がってくるのを否定できないでいる。ニュースでは「詳細の発表はない」とアナウンサーが説明し、直美はその顔を見つめながら「大丈夫」と自分に言い聞かせた。
「もしかして旦那さんも出動してるの?」老人は直美の真剣な顔を見て訊いてきたが黙って首を振った。

その夜、私は直美を思いっきり愛した。
それは初めて臨検隊指揮官を命ぜられて北朝鮮の工作船に対処した時、そのままだった。
風呂を上がった直美が布団に横になると私は待ち切れないようにパジャマを脱がして自分
も裸になり、そのまま重なって口づけをした。乳房を揉みながら全身を唇で愛すると直美の吐息が激しくなってくる。
その間にも指で熟知している各所のポイントを押さえていくとやがて直美の体は私を受け容れる準備を整え、ゆっくりと中に入っていくと直美は小さく声を漏らした
一体感を確かめながら私にとって帰還とは直美の元へ帰ることなのだと思った。
「貴方・・・」激しい営みが終って腕枕をすると直美は私を見詰めた。窓からの月明りが裸のままの直美の胸を白く浮き上がらせている。
若い頃なら、その愛おしさにもう一度挑みかかるところであるが、34歳の私は今日の激務の疲れを感じて無理だった。黙って薄い掛け布団を汗ばんだ直美の肩にかけた。
「ありがとう」直美は月明りの中で微笑んで私の胸に溶け込んできた。
「わかってるよ、こんな愛し方をする時、何があったのか・・・」胸の中で呟く直美の額に私は黙ってキスをした。

北朝鮮対処が一段落した頃、舞鶴基地は海上幕僚長の視察を受け、私は不審船との接触時の対処訓練を展示することになった。
「自衛艦隊・護衛艦『しろたえ』 マツノ1尉以下5名。訓練展示を実施します」私は桟橋に設けられた壇上の海上幕僚長に申告すると4名の隊員が待つ内火艇に乗り込んで港内を円を描くように走っている仮想敵船に向って出航した。
「停船せよ、停船せよ、こちら日本国海上自衛隊護衛艦『しろたえ』。ただ今から貴船を臨検する。停船せよ」仮想敵船に向って英語と朝鮮語で警告を発し、それを文字にした横幕を広げながら、我々の内火艇は並走する。その様子を幕僚長以下の主要幹部が双眼鏡で見ていた。
しばらく並走した後、シナリオ通りに仮想敵船が警告に応じないのを確認すると、我々は内火艇を仮想敵船に接触させアルミ製の工事用足場のラッタル(渡り板)をかけた。
「行くぞ」私は後ろに並ぶ四名の隊員に声をかけ、最初に仮想敵船に飛び移った。同時に仮想敵役の隊員が銃を構えて発砲を始めて空砲が港内に響いた。
「フリーズ」私と2番手の隊員は大声で叫びながら、銃を構え、ダッシュで操舵室に向う。その間にほかの3名が、甲板の仮想敵を銃と武道の技で制圧していった。
私は操舵している仮想敵に銃を突きつけて引き摺り出し、一緒に来た隊員が甲板に伏せさせて身体検査をする。その間に航海科の幹部である私が仮想敵船を停船させた。
桟橋の壇上では幕僚長以下のエライさんが立ち上がって拍手してくれていた。
最後に私が仮想敵船を操舵して桟橋に接岸し、エンジンを停止させて訓練展示は終わった。
「しろたえ」を振り返ると、艦橋のデッキで艦長も双眼鏡で見ていてくれていた。私は重責を無事果たし終えてホッと溜息をついた。
「訓練展示、終わります」今度は参加者全員を後ろに並べて申告すると壇上の幕僚長から労いの言葉とともに対処する上での問題点に関する質問があった。
「まず防弾チョッキが必要です。それから銃は小銃ではなく短機関銃の方がよいと考えます」私は日頃、訓練後のミーティングで出ている改善点を答えた。幕僚長はうなづくと隣にいる副官にメモをさせた。
「あとはないか?」「出来れば格闘訓練の場所と防具も必要です」私が答え終わると副官が幕僚長に「マツノ1尉は体育学校格闘課程卒とのことです」と説明しているのがマイクを通して聞こえ、幕僚長はうなづきながら隣りの総監に目配せをした。
総監の「御苦労、帰艦せよ」の指示を受け、もう一度敬礼をして帰艦した。

交代でとった遅い正月休暇が過ぎたある日、私は副長とともに艦長室に呼ばれた。
「マツノ1尉、君には艦を降りてもらうことになった」艦長はそう言うと私と副長にソファーを勧めて、自分は向かい側の席に座った。私と副長は戸惑いながら艦長に続いて腰を下ろした。
「今度、江田島に臨検の特別課程ができて君にはそこの教官になってもらうことになった」艦長はこう言うと私と副長の顔を見渡した。
副長は隣で私の顔を見ながら、「判りました」の返事を待っている。しかし、私は海軍士官の作法通りに答えることができなかった。
「艦に乗ることは私の長年の夢でした、折角、ここまで来て艦を下りるのは残念です」私の訴えに副長は驚いた顔で私と艦長を見比べた。人事上の命令に異を唱えることは海軍士官としては絶対的なタブーなのだ。
そのタブーを破った部下に艦長が激怒することを副長は怖れている。しかし、艦長は、むしろそれを予想していたように穏やかな目で、ゆっくり首を振った。
「海に生きる者として気持ちはわかる。しかし、この人事は海上幕僚長から直接のお声掛かりなんだ」「この段階で艦を下りれば航海科士官は続けられません」今までの努力が無駄になることも辛い、私の言葉に今度は副長もうなづいている。しかし、艦長は私の迷いを断つように言葉を続けた。
「こう言っては何だが、航海科士官のなり手はほかにもいるが、この仕事は君以外に適任者がいないんだよ」艦長の言葉は厳しいが優しい、私は一瞬天井を見上げた。
私は幼い頃から海軍陸戦隊の中尉として戦い、米軍との戦闘で住民を逃がすため囮になり射殺された夢を何度も見ていた。その場所を直美と一緒に沖縄で見つけたのだった。
「君以外にやり手がいない」この言葉に私は海軍陸戦隊士官として生きる運命を感じた。私は大きく息を吐くとはっきりと「判りました」と答えた。
「そうか、判ってくれたか」「どうも取り乱してすいませんでした」私は先程からの海軍士官にあるまじき態度を謝った。
「いいんだ、君の経歴を考えれば当然の反応だ」艦長が表情を緩めて、航海手当がカットされてこれから給料が減る話や、「しらね」への転属希望の話などの雑談を始めると、副長は私の教育の苦労話を持ち出した。
「まあ、マツノ1尉は操艦にそれほど適性があったとは言えないからな」「そうなんですか?」「確かに努力だけでは何ともならないことはある」艦長まで副長の意見に同調する。確かに上達が早かったとは言えないが、これでは私の立つ瀬がない。しかも艦長は冗談を言わない一本気の人なのだ。
「これじゃあ、江田島に出戻りですね、しかも航空の時と同じ仕事なんて・・・」私のボヤキに艦長と副長は顔を見合わせて笑ったが、私には笑いごとではなかった。

官舎に帰ると直美も仕事から帰ったところだった。玄関でまだ通勤の服装のままの直美を抱き締めて帰還のキスをした後、そのまま2人で寝室へ行き制服を着替え始めると後ろから直美が訊いてきた。
「何かあったん?」直美は抱き締める腕の強さでその日の出来事を感じ取るようだ。
「3月に転属になったよ」「急どすな、どこへェ?」流石に直美も少し驚いた顔をする。直美も官舎の幹部たちが五年目を境に転属し始めていること知っているようだ。
「江田島なんだ」「えーっ、だって6年前に出て来たばかりじゃない」「それさァ」私も同感とばかりに大声を出した。
「江田島に艦あったっけ?」「カッタ―と展示艦ぐらいだね」江田島には当然護衛艦はない。展示用の旧式艦とオールで漕ぐカッタ―ぐらいのものだ。
「江田島でどんな仕事をするの?まさか教育隊」「ピンポーン」制服からジャージに着替え終って返事をしながら部屋を出た。今度は直美が着替える番だ。続きは襖越しの会話になった。
「江田島って兵学校(幹部候補生学校)?」「いや、1術校だよ」「あそこは艦に関係する教育じゃあなかった?」「ピンポーン」江田島を卒業して六年、1術校のことを直美もまだ覚えていた。海上自衛隊では1術校は甲板より上の仕事、2術校は下の仕事を教える学校と分類している(最近では単純にそうとは言い切れいないが)。
「どんな教育をするん?」着替え終わった直美が襖を開けて出て来た。
「臨検課程の教官さァ」「リンケンって最近やっていた逮捕みたいな訓練やろ」「それさァ」直美は相変わらず私との雑談の内容までしっかり覚えている。
「それじゃあ、私も仕事を辞めないといけへんな」「すまん」直美が診療所に勤め始めてまだ3年目だった。
「仕方ないわァ、海軍士官の妻だもん」「ありがとう」「それより光ちゃんは5年生から転校だね」「うん、悪いな・・・」私が申し訳なさそうな顔をしていると、そっと頬へキスをしてくれた。

3月、私は江田島の第1術科学校への転属を発令された。見送りの軍艦マーチで勇壮に送られるのだが、私の行き先は軍艦ではなく学校なのだ。
「守るも攻むるもクロガネの 浮かべる城ぞ たのみなる・・・真金のその艦 日の本に 仇なす国を 攻めよかし」ただ臨検も乗艦する任務であることは間違いない。
今回は1尉なので転出幹部の2番目に見送る隊員たちの列の前を歩いた。
「マツノ1尉、お世話になりました」最初に北朝鮮の不審船への対処要員として選抜されて以来、一緒に訓練に取り組んで来た海曹が声をかけてきた。
「マツノ1尉、頑張って下さい」隣から別の海曹も声をかける。この臨検課程を海曹たちが「鍛えられる=嫌だ」と噂していることは聞いている。私は立ち止まって談笑しそうになったが、後ろの転出幹部がつかえてきた。
「向うで待ってるよ」慌てて歩調を早めた私の置き土産の返事に彼らは顔を見合わせた。
新たに始まる臨検の特別課程は教育内容も入校対象者もまだ決まっていないのだ。

6年前、江田島から舞鶴に赴任したのと逆コースで私たちは江田島に向った。
大阪で一泊し、山陽道を西へ走ると窓からは懐かしい瀬戸内海が見えて来た。
「光太郎、江田島は覚えてる?」江田島へ向かう車の後席で直美が訊いている。
「うーん、プールで泳いだのと鹿に追いかけられたのを覚えているよ」光太郎の答えは基地のプールで直美と一緒に水泳を教えたのと宮島で鹿に追いかけられ、それを直美が救った思い出だった。私も運転をしながらその場面、特に直美の水着姿を思い出していた。
「小学校に保育所で一緒だった友達がいると好いね」「うん、真ちゃんと拓ちゃんと麻子ちゃんと・・・」江田島では光太郎はまだ2歳から3歳だったが、保育所には地元の子が多かったのでそれは大丈夫かも知れない。麻子ちゃんは知らないが・・・。
光太郎が友達のことを思い出そうと黙ったところで私と直美はルームミラー越しに見つめ合った。直美の顔は思い出と期待で少し高揚しているようだった。
「君がまた診療所に勤められるといけどなァ」「そうどすなァ」折角、身についた直美の京都弁もまた広島弁に戻るのかと思うと少し残念だった。

江田島に着任してしばらくは東京の海上幕僚監部への業務調整と横須賀の米海軍、広島県警機動隊や呉の海上保安大学校への研修で家を開けることが多かった。
直美は早々に診療所の看護師に復職し、光太郎も保育所の友達と再会できた。
しばらくすると光太郎は官舎の出口で麻子ちゃんと待ち合わせ、一緒に学校へ行くようになり、黒と赤のランドセルが並んで歩く低学年が通勤時の我が子の目印だった。

「あれ、マツノ候補生じゃあないですか?」舞鶴へ赴任してすぐに基地隊の共済組合に手続きに行くと見覚えがあるWAVEに声を掛けられた。
「おッ、大下くんかァ」「はい、憶えていて下さったんですね」大下3曹は私が候補生の時にも共済組合にいたのだが、兄が航空自衛隊官だと言うことで色々雑談を交わしていたのだ。
「そうかァ、もう1尉なんですね」「うん、君も3曹になったんだね」「はい、呉の初任海曹を終えても相変わらずの江田島勤務です」あの頃、大下士長だったが今は3曹の階級章が見える。ただし、男子の海士隊員はセーラー服、海曹はダブルの制服なので一目瞭然だが、WAVEにはその違いがない。
「ところでお兄さんは?」「相変わらず新田原で油まみれになっているみたいです。同じ曹候出身でもマツノ1尉みたいに優秀じゃないんです」言われて兄の大下3曹は曹候学生の2期後輩で、航空機整備員だったことを思い出した。、
「それでも苗字は大下だなァ」「はい・・・」私は独身であることをカラカウつもりだったが、何故か大下3曹は顔を強張らせた。
「それじゃあ、またよろしく」「はい、よろしくお願いします」大下3曹の思いがけない態度に私は深入りすることを避けて用件の担当者の所へ向った。

最初のゴールデンウィークは一家で宮古島に帰ることにした。愛知の両親は地元の神社の祭りに帰ってくるように言ったが私はそれを拒んだ。
「わざわざ海上へ行ったのに」と江田島への転属を知った父の私を嘲笑うような言葉が許せなかった。父は息子が自分の命令に背いたことをまだ根に持っているのだ。
そして、何よりも私はシマンチュウであり、帰省する先は宮古島しかない。

賀真が幹部になった翌年、紀美の夫・岸田が幹部候補生になっていた。したがって岸田は単身赴任中で昼間から子供たちを連れて実家にやって来た。
砂川家の7人姉弟はそれぞれ独立し、家には祖父母と両親だけで随分、静かになって大人数だった時には狭く感じた家にもポカンとした空間ができている。
「ネェネ、本土って面白いね?」「そりゃあ、色々ある所さァ」居間で紀美は祖母と母と姉・直美、おまけで私を相手に茶飲み話をしながら訊いてきた。紀美もいつの間にか2人の子持ちになって子供たちは庭で「光太郎ニィニ」と遊んでいる。
「前に住んでた山口県から福岡県は隣りさァ、ネェネは行ったことがあるねェ?」「そりゃあ、何度か行ったけど光太郎がまだ小さかったからねェ」「私も空港と駅だけしか知らないけど大都会さァ」直美の返事に母も付け加えた。岸田は兵器管制幹部希望で、任地は春日にすると言っているらしい。
「そんな大都会に、こんな島の子が行って大丈夫かなァ」紀美は不安そうな顔をした。そう言う紀美も何度か岸田の実家がある北九州市には行っている。
「私なんて那覇でも迷子になっちゃうさァ」紀美は宮古島の高校も就職も島内だった。
「そりゃあ、私も一緒さ」直美の返事に母、祖母も「同感」と笑い合った。
「あの人の実家に行った時、男の人が威張っていて驚いたさァ」「うん、九州はそんなところがあるね」紀美の訴えに直美もうなづくと母と祖母は心配そうに顔を見合わせ、それを見て紀美はさらに不安そうな顔になった。
「単身で行ってもらいたい」紀美の顔にはそう書いてある。
「だから、岸田がついているのさァ」そこで私は話に加わった。
「2尉ィニ(1尉だって)は私が結婚した時もそう言ってたね、覚悟をしておけって」紀美は急に懐かしそうな顔になり、それを見てみなも安心して部屋の空気も和んだ。
「鬼や魔物が棲んでいる所じゃあないんだから、あまり先走って心配しないこと」「まあ、賀真なんて北海道の子と結婚して帰って来ないんだから大丈夫さァ」「九州と中国地方を全部見て回ったら、また転属さァ」祖母、母、直美の順番で紀美を励ますための言葉を掛けた。
「ネェネ、あっちでどこが好かったねェ?」「兎に角、美味しいモノが一杯あったさァ」紀美の質問に直美がこう答えると女たちの顔色が変わった。
「博多の豚骨ラーメン、長崎のチャンポンと皿うどん、熊本の辛子レンコン、鹿児島の薩摩揚げに黒豚、大分の鯖・・・それから広島のお好み焼きって言うのもあったさァ」直美が並べた各県の美味しいモノの名前に女性たちは生唾を飲んだ。そこで私はお菓子尽くしで追い討ちを掛けてみた。
「博多のひよこ、長崎のカステラ、熊本の誉の陣太鼓、鹿児島のカルカンにボンタン飴、宮崎の青島サブレ・・・」大分が出てこなかった。
「どれが一番、マーサイねェ?」紀美の質問に今度は直美が悩んだ顔で首をかしげた。
「全部、食べ歩くのさァ」「うん、楽しみィ」直美の出した結論に紀美は明るく笑った。やはり女性を誘うには食べ物が一番なのだ。ただし、最初の任地は蓋を開けなければ判らないのは海も空も同じだろう。

家に帰る宮古島空港で、私と見送りに来た義父母と紀美、安美、里美が話している間、売店で光太郎と直美が何か相談しながら買い物をしていた。
「これなんかどう?」「うーん、判るかなァ」「光ちゃんが説明すれば話がはずむさァ」選んでいる品物を見るとどうやら女の子への土産らしい。
「ニィニ、また遊びに来てね」「わかったよ、岸田によろしくな」「うん」紀美と話しながら私は岸田が江田島研修に来ることを思い出していた。
岸田も教え子であり、家で一緒に飲みたいところだが学生の身では仕方なかった。
「マツノさん、紀美が岸田さんの家に行く時、親代わりに行ってもらえませんか?」突然、義父がとんでもない話を持ち出した。確かに岸田は福岡県小倉の出身なので春日が任地になれば挨拶に行くべきかも知れない。
「仲人の次は親代わりかァ?」私が訊ねると紀美は困った顔をしている。親代わりとなれば夫婦で行かなければならないだろう。
「おーい、直美さーん」私は振り返って直美に声をかけた。すると直美と光太郎は土産を決めたようで、レジでお金を払っていた。
「はーい」とロビーに響く声で返事をすると直美と光太郎が小走りでやって来た。
「紀美が岸田の家に行く時、おトォとおカァの代わりに行ってくれってさァ」私の話に直美は一瞬驚いた顔をしたが、すぐ笑顔になった。
「岸田さん、小倉だっけ?」「うん」「だったら焼うどんの本場さァ。ロールケーキも発祥の地だった」突然、直美が始めた食べ物の話に義母と妹たちが一歩踏み出した。
「小倉なら江田島から遠くはないから大丈夫だね」私が口を挟む前に話は決まってしまった。

「今度、保健師になるかも知れないよ」「エッ?」突然の直美の話に私はすぐに返事ができなかった。直美は復職してまだ3ヶ月なのだ。
「来年、定年になる先生の後任を探すのを止めたってさ」「何で?」「予算削減なのさァ」直美は少し不満そうに膨れて見せた。
「それでどうするの?」「市役所の担当者は私が資格を持っているのを聞いて保健師をやれって言うのさァ」直美の説明で状況はつかめた。過疎化が進む江田島町では行政改革流行りの昨今だけに利用者が年々減少している診療所が縮小の対象になっても不思議はない。
「でも君は臨時職員だろう?」「そうなったら正式の地方公務員さァ」「海軍士官は5年で移動って言うけど大湊は4年、舞鶴は2年だったろ、いつ転属になるか判らないって担当者に行っておかないと」「うん」直美の仕事にとって悪い話ではないが、あまり責任を負わせられるのも困るのだ。

夏になって、岸田たち航空自衛隊の幹部候補生が江田島研修にやって来た。ただ、賀真の時の遠泳訓練とは違い、江田島では分刻みのスケジュールなので教育参考館で立ち話をしただけだった。そんな中、売店で曹候学生の教え子の候補生に会った。
「マツノ・・・班長ですよね」「おう、お久しぶりだな、1尉だよ」「スミマセン、海上の階級章が判らなくて」私の指摘に彼は素直に謝ったが、海だけ陸空自衛隊とは違うのだから仕方ないだろう。
「さっき、『似た人がいるなァ』って皆で言っていたんですよ」彼は海空の候補生で混み合っている売店内で目敏く私を見つけたらしい。
「江田島では何を?」「1術校の教官さ。と言っても航空機整備じゃないぞ」流石にここで防府の教育隊と同じような仕事をすることになったとは言えなかった。
「そうですか、やっぱり教官向きなんですね。判るような気がします」気がつくと周りには教え子の候補生たちが集まっていて一斉に航空自衛隊式の敬礼をした。

ある日の昼休み売店に行くと大下3曹が手伝っていた。大下3曹は買い物をしている私の隣に並んで歩きながら質問をしてきた。
「マツノ1尉の奥様ってどんな方ですか?」突然の質問で私の胸に直美の顔が浮かんだ。こうして白い制服を着たWAVEさんを見ていると直美の白衣姿と重なってくる。
「俺の愛妻かァ。ナイチンゲールみたいな非の打ちどころのないパーフェクトワイフだよ」私の答えが思いがけなかったのか大下3曹は呆れたように私の顔を見た。
「でも普通、男の人ってあまり奥さんを誉めたりしないですよね」「だってウチの愛妻は美人で若々しくて、優しくて賢くて、陽気で元気で、ケチのつけようがないのさァ」そこまで言うと流石に私も照れ臭かったが本心でもあった。私の惚気た答えに大下3曹は可笑しそうに笑いながらうなづいた。
「それじゃあ、航海中は寂しかったですよね」「うん、寂しくって泣きたくなったよ」「愛してるんですね」「勿論、相思相愛、過去も未来も永久に熱愛さァ」この冗談めかした台詞を聞いた時、大下3曹の顔が悲しげに曇った。私は大下3曹に対して疑問を感じながら買い物を終えた。

「降ろせ!」の号令で日没とともに幹部候補生の手で降ろされる国旗に敬礼しながら、私は掲揚台の向うに建つ海軍兵学校以来の煉瓦造りの隊舎を見つめていた。
「海軍軍人」それに憧れて自衛官を志し、親の反対でそれを断念して航空自衛隊に入り、奇跡のように海上自衛隊の一般幹部候補生に合格してこの江田島に入校した。
再び江田島に帰って来た今、海軍の先人たちが私に何をさせようとしているのか、そんなことを思っている間に国旗降下が終わった。
「マツノ1尉、艦を下りて残念ではないですか?」学校当直勤務の長い夜の雑談の中、私
の経歴を知っている当直伍長の若い海曹が訊いてきた。
「何を言っているのさァ。昔の海軍陸戦隊は陸軍よりも強かったんだぞ、俺はそれを我が海上自衛隊に再生するんだよ」彼は驚いた顔をした。
「何処で勤務していても『桜に錨』の制服は同じだよ。艦乗りだけが海軍軍人じゃないのさァ」そう言って私は笑ったが、彼は真顔のままだ。
「でも折角、試験を受けて海上自衛隊に来て、希望通り艦に乗れたのに・・・」「海軍旗の下ならそれで充分なんだよ」「そんなもんですかね」「何なら君もウチの課程に入って海軍陸戦隊員になるか?鍛え上げてやるぞ、ハハハ・・・」私の笑いに彼も頬を引きつらせてながらも「エヘへへ・・・」とつき合った。

臨検は小型艇で行動するため転落の危険が高く泳力の維持が必要だ。海上自衛隊の基地には温水ではないが屋内プールがあり、私は時間を見つけて泳ぐように心がけている。
昼食後、基地のプールに向かって歩いていると大下3曹が声をかけてきた。共済組合の昼休みは一般の隊員とずらすため13時から14時になっているのだ。
「マツノ1尉、課業時間中に何事ですかァ?」「うん、課程準備に体力練成しようと思ってね」「それなら御一緒させて下さい」「エッ?基地のプールだよ」基地のプールは無料なのが取り柄だが体力練成に泳ぐだけで楽しいことは何もないのだ。それに一緒に行く必然性は全くなかった。
「私もダイエットに励まないと」「それで十分、スタイル抜群だよ」私は今回の再会以来、大下3曹が急接近してくるのに少し戸惑っていた。それでなくても基地内での行動は官舎の情報網で直美に筒抜けなのだ。
「幹部が隊員の意欲を削いでもいいんですか?」大下3曹は少し意地悪な顔で私を見た。確かに隊員の運動不足解消と体力維持のための施策をアレコレ考えるのは教育に当たる立場の幹部としての役割ではあろう。
「そりゃあ、WAVEさんも海軍軍人だから泳力を鍛えてもらうに越したことはないけど」「でしょう、内務班で水着を取って来ますから待っていて下さい」私が何かを言う前に大下3曹は丁度通りがかったWAVE隊舎に入っていった。

WAVE隊舎の前で待っているとわずか数分で大下3曹は出てきた。しかも私は幹部用の作業服だが、大下3曹はジャージになっている。
「ほい、じゃあ行くか」「はい、お伴します」大下3曹は「お伴」と言ったが同行を申し出たのは大下3曹の方だ。
大下3曹は基地の外れにあるプールに向けう道中も楽し気に話しかけてくる。
「マツノ1尉は水泳も体育学校で習ったんですか?」「俺は格闘課程だから体育学校では習っていないけど、昔、赤十字の水難救助員の資格を持っていたのさァ」「ライフセーバーですね」「うん、今風に言えばね」江田島時代、胸の格闘徽章を質問されてした私の説明を大下3曹は憶えていた。
「それじゃあ、私が溺れても人工呼吸をしてもらえますね」いきなり大下3曹はオカシナことを言い出して私は答えに困った。
「そりゃあ、水難救助員には救助する義務があるけどね・・・」私は曖昧に答えたが丁度通りがかった隊員に敬礼されて、そちらを向くことができた。やはりこの急接近は危険かも知れない。
「でも海上自衛官が溺れると、それは海軍の恥だぜ」「新聞に大々的に載りますね。海上自衛官溺死なんて」「鍛え方が足らん、舞鶴基地は何をやってるんだって海幕に怒られちゃうよ」そんなやり取りの間にプールについた。
私の姿を見つけてプール監視当番の海曹が声をかけてきた。
「マツノ1尉、訓練ですか?」「いやァ、利用実績を作りさァ」私が惚けたことを言っている後ろで大下3曹は笑いながら待っていた。
「それに大下3曹も協力する訳だ」「私も海上自衛官ですから鍛えないとね」当番の海曹と大下3曹が親し気に話しているのを見て私は先にプールへ入っていった。
プールサイドで準備運動をやっていると大下3曹も着替えて入ってきた。直美のスポーツ水着よりはだいぶ新しいタイプで体の線がくっきりして動きやすそうだ。何よりも大下3曹には直美にほとんどない胸の膨らみがあった。
「準備運動をしっかりやってな」「はい、一緒にお願いします」と言う訳で私と大下2曹は向い合ってもう一度始めからやり直すことになった。しかし、大下2曹が前屈をすると胸の谷間が見え、目のやりどころに困った。何より身体が変な反応しないよう私は準備体操に集中した。

大下3曹は昼休みを気にして先に帰ったが、私は十分に泳いで帰ると「なごりゆき」に電話が入った。
「さっきは御苦労さんだったね」「マツノ1尉、今日の夕方は?」「家に帰なるだけだよ」「でしたら少しいいですか?」「エッ?」「話を聞いて下さい」大下3曹はそう言う「夕方に基地の談話室に来て欲しい」と言って電話を切った。
厚生センターの談話室がある2階に上がる前、私は1階の自動販売機で2人分の缶コーヒーを買った。談話室の前に大下3曹が待っていて無人だった部屋のソファーに向かい合って座った。私は買ってきた缶コーヒーを見せて選ばさせると、大下3曹は「有り難うございます」と言いながらブラックを受け取り、私が開けるのを待って栓を開けた。
一口飲んだところで大下3曹が話を始めた。
「私、マツノ1尉の次の期の候補生とつき合っていたんです」「ふーん、そうなんだ」大下士長(当時)は我々の期でも若い候補生の間で人気があったが、ナンパに成功した話は聞いていない。仲よくしていた私に紹介を頼む奴もいたが、その時は大下士長に断られた。私は何だか身の上話を聞かされているような気がして少し座り直した。
「彼はTACCO(戦術航空士)になって私が3曹になったら結婚しようと思っていたんですが・・・」しかし、現在も大下3曹は独身であり、私は「それには何か理由があるのだろうか」と思って顔を見詰めるとしばらく黙った後、話を続けた。
「でも、彼はPSー1の墜落事故で殉職してしまって・・・」それは私が大湊の頃の話で終礼時に黙とうを捧げた記憶がある。しかし、大下3曹の話はそこで終わらなかった。
「私、彼の子供を妊娠したんですけど初任海曹に入校するために堕ろしたんです。あの子が彼の忘れ形見になったはずなのに・・・彼は私を許してくれるでしょうか?」ここまで告白して大下3曹は缶コーヒーを飲み、答えを求めて私の目を見詰めた。しかし、これはあまりに重い問いかけだった。考えても答えは見つかりそうもない。
しばらくの沈黙の後、私は胸に浮かんだ気持ちを話し始めた。
「許すも何も彼は多分、君の幸せだけを祈っているよ。俺は自分に何かあっても願いは女房、子供の幸せだけだから」ここまで話して私は深く溜め息をついた。
「それって私の結婚なんかもですか?」大下2曹は真顔になって質問してきた。
「それは君次第だろう。君が新しい幸せを見つけたのなら祝福する気持ちになるけど、忘れるためとか理由を作ってのことだったら許せないかも知れないな」私の答えに大下3曹は黙って何かを考え込んだ。

「お父さん、古鷹山に登ってみたい」冬休みのある休日、光太郎が突然言いだした。
「どうしたんだ?」「ずっとマラソン大会は2位だから今度は優勝したいんだ」横に立っている光太郎を見上げると、その顔は真剣だった。
「自衛隊の人たちは走って登るでしょう、僕にもできるかなァ」光太郎は前回の江田島の時は直美に手を引かれて私の応援をしていたが、今回は学校帰りに麻子ちゃんと学生を応援しているらしい。
「麻子ちゃんが、格好いいって言うんだ」理由はそう言うことだった。私は子供ながらの男心に感じ入って光太郎を連れて出掛けることにした。

下に降りて準備運動をした後、2人揃って速足で歩き出した。
「今日は歩いて登ろうな」「うん」私は小学校5年の光太郎に、いきなり山道の駆け足は無理だろうと考え速足のまま登り口に向った。
古鷹山は官舎を迂回する形で山道が始まる。私は光太郎を振り返りながら、走りなれた道をゆっくり登っていくが、かつては海軍兵学校生徒、現在も海上自衛隊幹部候補生、自衛隊生徒、第1術科学校学生が走って登る登山道には浮石やつまづくような凹凸はなく、安全な登山コースと言える。歩きとは言え、少し汗をかいたところで、やがて山頂に着いた。
山頂からは眼下に海軍兵学校の赤煉瓦の隊舎や石積みの参考館などの建物と葉の落ちた桜並木が見える。江田島湾の向うには瀬戸内海が広がり島々が重なりあっている。
「お父さん、この道を走って登ってたんですか」「そうだよ、今でも走って登れるぞ」私の返事に光太郎は尊敬の眼差しを向けてくれた。
そこで私は兵学校の方向を向くと腰に手を当てて隊歌の姿勢をとり、「江田島健児の歌」を大声で唄い始めた。大湊・舞鶴では海上自衛隊歌「海をゆく」だったが。
「澎湃寄する海原の 大波砕け散るところ・・・」光太郎は黙って私の歌を聞いている。唄いながら私はこの歌の歌詞に江田島の名が出て来ないことが残念になった。
「古鷹山下水清く 松籟の音冴ゆる時・・・」3番に入り、歌詞に古鷹山が出てきたところで隊歌を止め、2人で山を下り始めた。
「今日はこれで帰るか?」「少し走りたいです」官舎の前で訊くと光太郎はそう答えた。そこで私は光太郎と2人で直美の診療所まで往復した。

冬休みが終わると光太郎の小学校ではマラソン大会がある。
「お父さん、僕、マラソンは得意です」「そうかァ?」夕食の時、光太郎の自信ありげな報告に私と直美は顔を見合わせた。光太郎は徒競争が苦手で運動会ではあまり活躍出来ないのだ。
「練習で走ってもいつも一番です」光太郎の笑顔はさらにヒートアップした。
「父さんと一緒に走っているおかげさァ」「はい」直美の言葉に光太郎はうなづいた。
「学校のコースは何キロだ?」「2キロです」「それじゃあ、いつも2分の1だな」「はい、楽勝です」直美の診療所までは片道2キロ、往復なら4キロはある。それを考えればマラソンと呼ぶのもはばかれるぐらい楽なものだろう。
「それじゃあ、マラソン大会が楽しみだなァ」「はい、優勝します」光太郎の自信に満ちた宣言に、両親は嬉しそうにうなづいた。
「麻子ちゃん、応援してくれてるの?」「うん、頑張れって言ってくれるよ」直美の質問に光太郎は急に照れたような顔をした。私たちは我が子の成長を噛み締めた。
「だったら沢山食べてスタミナをつけなきゃ」「いただきまーす」直美の台詞に光太郎は、うなづいて御飯を頬張った。

マラソン大会は残念ながら2位だった。自衛官の息子が優勝したが「その子は練習では力を抜いていて本番では早かった」と光太郎は悔しそうだった。その子の父親は自衛隊でも持続走の選手だ。
「来年は勝てるように頑張ります」光太郎の決意表明に父親としても一緒に頑張るしかない。しかし、直美は少し心配そうに私の顔を見ていた。

春の心地好い夜、何故か目を覚ますと、直美もおきていた。
「どうした?」「初めてテンジンさんが私の家に泊まった日のことを思い出していたさァ」直美は懐かしそうに微笑んだ。
あの夜、私は義父やモンチュウの小父たちと宮古島の風習の「御通り」で大酒を飲み、酔いつぶれて直美は心配して添い寝してくれたのだった。
「朝、テンジンさん、『俺、何もしてないよなァ?』って、真剣に訊いてたさァ」今度は思い出し笑いをした。
「だって酔った勢いでおそったりしてたら困るさァ」私も照れ笑いをした。
「あの時、もう貴方に抱かれたことあったよ・・・」直美はいつもの大きな目で私の顔を見つめた。
「だけど、結婚しようと決めたらけじめがあるのさァ」「貴方らしいね、ウフフ」直美は感心したように笑いながら抱きついてきた。
学生が入校し、連日の猛訓練で疲れ果てて、最近は御無沙汰のはずの私の体が反応した。私は直美を抱き締め、ゆっくりと口づけをした。
「直美、抱きたい」「エッ」直美は驚いた顔をした。
「大丈夫?」「ウン」私は、うなづくともう一度口づけをした。直美は首筋に腕をまわし、口づけを味わっている。その間も手は愛おしい妻の身体を辿っていく、そして、ゆっくりゆっくり、丁寧に丁寧に直美を愛した。
結婚して十年、直美の体温、胸の鼓動は、やはり安らぎだった。

江田島に転属して1年、ようやく第1術科学校臨検特別課程が開始された。
教育期間は約2カ月、内容は格闘、逮捕術、射撃、船上動作、操艇などの実技と刑法、海事関係法、戦時国際法などの学科だった。
格闘については私が自衛隊体育学校で習った徒手格闘を基本に柔道、少林寺拳法などの技も参考にして船上での臨検用に整理したものだ。
射撃は「狙って撃つ」と言う自衛隊の基本を離れ、敵に応戦、制圧することを目的にしたもので、銃は小銃ではなく今回採用された短機関銃だ。
我々は濡れた甲板でも滑りにくい特殊な靴や防弾チョッキも貸与され、後は学生の入校と訓練開始を待つだけだった。

「フリーズ」桟橋に接岸している仮想敵船の上で学生たちが臨検要領を演練していた。
私の発案で教官要員には仮想敵役ができるように十分に訓練してあるので、「なごりゆき」の時の素人とは違い敵は手強く、学生たちもウカウカしていると海に投げ込まれてしまう。格闘訓練が中心メニューであるためか学生たちはどうしても挑みかかり、それで掴まれてしまうのだ。
「止めェ」学生が全員返り討ちに会ったところで私は状況終了のホイッスルを吹いた。銃は軽機関銃と同じ形のモデルガンだが、やはり紐で身体に繋いであり、海に落とされた学生たちは立ち泳ぎをしながらそれを手繰り寄せている。
彼らが這い上がって来て整列すると私は先に着替えて教場に集合するように命じた。夏ならその場で反省会を行うが晩秋では風邪をひかせてしまうからだ。
「敵わないと思ったら銃で威嚇することだ」「掴みかかる前に打撃技を使え」反省会では教官役の海曹たちから具体的な指導が飛び、学生たちはメモをしながら聞いているが毎回、あまり進歩がない。
「何よりも冷静さを失わないことだ。これが走っている船だったら助からんぞ」最後の私の指導も前回と同じだった。

祖父・賀慶(がけい)さんが急逝し、久しぶりに直美の妹弟7人が揃った。今では娘半分と息子が結婚したため祖父の葬儀は砂川家らしい賑やかなモノになった。
「ニィニはナイチャ―なのにどうして沖縄のことに詳しいの?」葬儀の後、近所の公民館に参列者が集まって精進落としをしている時、育美が訊いてきた。
直美の姉妹たちエプロンをして忙しく酒や料理を運び、賀真と娘の夫たちは接待に回るはずだったが部屋の隅にかたまって飲んでいて光太郎もそこに入っていた。
「そうかなァ」「今日の葬式でも作法がチャンと判っていたさァ」育美は礼拜や焼香の動作のことを言っているようだった。
「あれは本土と変わらないよ。俺は一応お寺の孫だからね」自分が浄土真宗の坊主になったことは隠しておくことにした。
「でも話をしても沖縄の歴史や歌や食べ物のこと、何でもよく知ってるさァ」育美は那覇のホテルに就職してフロント係をしているため、観光客から沖縄に関する初歩的な質問をされることが多いようだ。それに比べると確かに詳しく見えるかも知れない。
「俺はシマナイチャーだから沖縄の魂を持って生まれて来たのさァ」「フーン、それじゃあ始めからネェネと結ばれる運命だったんだね」突然、話がおかしな方向へ流れ始めた。こうなるとテレパシーが伝わるのが砂川家だ。案の定、エプロンをした直美がお盆を抱えて通りがかった。
「育美、忙しいんだからウチの旦那を掴まえてちゃ駄目だよ」「チョッと話を訊いてたのさァ」「貴方、接待よろしくねェ」育美が反論する暇もなく直美は私に手を振って通り過ぎて行った。
「おトウもニィニにシマンチュウになれって言ってるさァ」「うん」「ニィニは、ネェネとこの島に帰って来るの?」「エッ?」あまりに突然の話だった。1人息子の賀真は北海道に家を建てると言い、昌美は沖縄本島、紀美は九州の人と結婚した。宮古島にいる安美、里美の交際相手も長男だ。誰かがこの家と墓を守らないといけないのは確かだった。

「マツノ1尉、御世話になります」自衛艦隊の各護衛艦からの要員を順番に受け入れてきた我が臨検特別課程だったが、ついに「しろたえ」からも1人が入校してきた。
「おう、久しぶりだなァ、『しろたえ』なら現場教育はいらんだろう」「何だか本格化してしまって、レベルが違うらしいじゃあないですか?」私が言った台詞に彼は首を振って答える。
確かに試行錯誤の中で手探りで訓練していた「しろたえ」に比べれば、教官要員も訓練施設も充実した江田島での教育は格段にレベルアップしている。
「教育はきついぞ、頑張れ」「はい、お願いします」私の激励に彼も甘えが許されぬ特別課程を再認識したようだ。
こうして私たちが蒔いた種が、全国の護衛艦に根付き、花を咲かせれば、かつての海軍陸戦隊のDNAを受け継ぐ者としての責任を果たせたことになるだろう。

中学生になった光太郎は陸上部に入り長距離走に励んでいた。
同じ春、私も5年間の1術校臨検特別課程の主任教官勤務を終え呉基地業務隊の陸警隊長
として赴任した。と言っても官舎はそのまま江田島で毎朝、海を渡って出勤している。
「マツノ1尉、操船したいんでしょう」「うん、懐かしいな」操舵室を覗いていると私が元航海科だと知っている操船係のWAVEがからかってきた。
「ほかにお客さんがいなければやらせてあげますが、乗客がいたら安全第一ですから」彼女は舵を握りながら江田島での夜勤を終えて呉へ帰る船上のWAVEたちを見回した。
「何を言ってるんだい、津軽海峡・日本海の荒波で鍛えた航海科士官の腕を舐めんなよ」「はい、そうでした」私のふざけた返事に彼女は悪戯っぽく笑うとまた前を向いた。しかし、本当は久しぶりに舵を握ってみたかったのだ。

「陸警隊員の訓練はどうなっているんだ?」着任早々私は先任海曹に尋ねた。
「ハッ、交代勤務ですから警衛要員のやり繰りで手一杯なんです。中々訓練にまでは手が回りません。教練とラッパの練習くらいです」先任海曹の言い訳に私は首を振った。
「自衛隊の警備は定年後のオッサンがやっている会社の守衛ではないんだ。警衛は戦闘員が余技でやっている仕事だと考えるように隊員にもそう伝えなさい」「判りました」私の指導に先任海曹は返事をしながらも「エライ人が来た」と言う顔で溜め息をついた。
しかし、私の指導方針は海上自衛隊の中で自分たちの存在意義について迷い悩んでいた若い陸警隊員たちには、驚きをもって歓迎された。
呉の陸警隊では、いつしか格闘と射撃などの戦闘技術を磨く訓練が本業になり、「呉海軍陸戦隊」と呼ばれるようになっていった。

「光ちゃん、おはよう」「麻子ちゃん、おはよう」官舎前で麻子ちゃんと待ち合わせて出掛ける光太郎の習慣は中学になっても変わらなかった。しかし、優等生の麻子と勉強が苦手な光太郎では次第に波長が合わなくなっている。麻子は、いたわるような温かい目で光太郎を見てくれていたが、それがかえって光太郎のプライドを傷つけ、やがて高校受験が迫ると麻子が目指す呉市内の進学校へは手が届かない自分の成績をコンプレックスに感じるようになった。

ある日、中3になって部活がなくなり早く帰って来た光太郎が診療所の仕事を終え夕食の支度を始めている直美に訊いた。
「お母さん、俺、誰に似たんかなァ?」「何が?」直美が台所から振り返ると光太郎はボンヤリとテレビを眺めながら深刻な顔をしている。
「お父さんは自衛隊の幹部で今でも勉強家っちゃあ。お母さんは頑張り屋の優等生ってみんな言っちょるよ。俺は成績が悪くて行ける高校がないよ・・・」直美は忙しさの中で光太郎がそんな悩みを抱えていることに気がつかなかった自分が親として恥ずかしくなり、支度を止めて光太郎の隣に座った。
「アンタは本多光太郎先生に似たのさァ」「エッ?」思いがけない答えに光太郎は母の顔を見た。母はいつもの優しい眼差しで自分を見ている。
「アンタの名前は、お父さんが小学校の先輩の本多光太郎博士からもらってつけたのさァ」「うん、知ってるよ」この話は名前を友達からカラカワレた時に父や母から聞いたことがある。
「本多先生は子供の頃、ウドンのことがウロンとしか言えなくて、少し足りないって言われてたけど、努力、努力で勉強して日本一の金属学者になったのさァ」直美はそう言って立ち上がると本棚から薄い本を取り出して光太郎に手渡した。それは「つとめてやむな」と言う本多光太郎博士の伝記だった。
「私も光太郎がお腹にいた頃、お父さんに借りて読んだけど、努力、努力で研究する先生の生き方に感激したのさァ」光太郎はテレビを消して茶の間で読み始めた。

帰宅した私は直美からその話を聞いて夕食を食べ終えながら雑談の形で話をした。食べ終わるタイミングなのは私の父が食事中に説教を始めると味も何も判らなかった苦い経験からの我が家のマナ―だった。
「俺は高校の時、成績が無茶苦茶悪かったのさァ」意外な話に光太郎と直美は食卓の向こうで顔を見合わせた。
「数学が全く駄目で2年間の6学期、赤点しか取ったことがなかったのさァ」「へー」呆れたのか感心したのか母子は声を揃えて相槌を打った。
「俺の叔父さんは高校の数学の先生で教えてもらったけど中間7点、期末5点なんて成績で『教師としての自信がなくなる』って嘆いてたよ」光太郎は安心たようにうなづいた。
「でも、お父さんは高校で生徒会長だったんでしょう?」光太郎の質問に直美も私を見た。
「その分、社会は得意で殆んど百点、倫理社会は120点だったね」「120点?」光太郎は不思議そうな顔でさらに質問した。
「答えのほかに答案用紙の裏に問題についての論文を書いてたから先生がオマケをくれたのさァ」「すごーい」母子は声を揃えて感心してくれた。
「高校に入って図書館の世界哲学全集を読むぞと決心して受験勉強そっちのけで読んでいたから、授業で習う哲学なんて初歩の初歩だったのさ」光太郎は何かを考えるような顔になってきた。
「俺は、本当は大学の哲学科へ行きたくて先生も『行ってもっと深く勉強しろ』って言ってくれていたけど親父が反対して諦めたんだ」光太郎は私の顔を真面目な目で見た。
「高校も海上の自衛隊生徒を受けて合格したけど親の反対で諦めて、水産高校の通信科へ行きたかったけどそれも反対されて諦めたのさァ」私の話に直美が唇だけで「結婚もね」と相槌を打って私もうなづいた。
「だから光太郎の成績が悪いのは俺に似たんだ。頑張り家なのはお母さんに似たんだよ。光太郎が得意なことが学校の成績と言う形で表れないだけだなのさァ」私は自分の親のように子供が掲げている志、抱いている夢、持っている可能性を自分の常識と言う枠に押し込めるようなことだけはしたくなかった。それは直美も同じだろう。光太郎は真面目な顔でうなづいて「ごちそうさまでした」と手を合わせた。

この話は宮古島の砂川家に飛び火していた。夕食の後、直美から「親としての至らなさ」を反省する電話を受けた義母が義父・義祖母と泡盛を飲みながら話し合ったのだ。家族で何でも話し合うのは砂川家の家風だろう。
「俺も高校の時、成績が無茶苦茶悪かったのさァ」「そんなの知ってるさァ」義父の話は出だしから同級生の義母に水をかけられた。
「英語が全く駄目で3年間の9学期、赤点しか取ったことがなかったのさァ」「うん、全く駄目だったさァ」呆れたのか感心したのか義母と義祖母は声を揃えて相槌を打った。
「あの頃はアメリカ式だったから高校までは義務教育だったけど卒業できないって真剣に心配したのさァ」義祖母は懐かしそうにうなづいた。
「「その分、体育は得意でスーパーヒーローだったのさ」「スーパーヒーロー?要するに運動馬鹿なのさァ。テストの時、いつも私の答案を見せてあげたんだよ」「どうも、ありがとうございました」思いがけない告発に義祖母は仕方ないので感謝した。
「その答案に『好き』って書いたのは誰さァ」「体育倉庫で押し倒したのは誰さァ」夫婦の会話が痴話に落ち、義祖母が「ゴホン」と咳払いをした。
「だから直美は、頭が母親似で身体は父親似なのさ」そこで義祖母が無理に落ちをつけ、両親はお互いの顔を見合って何かを考えた。

光太郎は本人の熱望で廿日市の宮島水産高校の漁業科へ入学して寮生活を送っていた。江田島からでは朝一番の連絡船で対岸に渡り、呉線に乗っても広島市の向こうにある高校では授業に間に合わないのだ。
直美は寂しがるかと思ったが、かえって私との第2次新婚生活を楽しんでいた。考えてみると私と直美は結婚前後は那覇と離島で離ればなれ、同居を始めてすぐに光太郎ができたので2人きりの生活は意外なほど呆気なかった。私には第2次新婚生活と言うよりも恋人同士に帰った気分だった。

夏休み、まとまった休暇が取れない両親に代わって光太郎が1人で宮古島に帰省した。
「どうせ俺、宮古島には帰ってこないから、ネェネが家に住めばいいさァ」と以前、賀真が直美と私が実家に住むことを提案してくれたことに向けた橋頭保でもある。
「自衛隊に賀真は捕られたけれど、光ちゃんをもらったさァ」義父母も義祖父母も義妹たちも、そう言って光太郎を愛してくれている。
「光太郎、お墓の掃除に行くよ」居間でごろ寝しながらテレビを見始めた光太郎に台所から曽祖母が声をかけた。
「はい」光太郎は返事をしながらも動かない。もう、祖父は農協、祖母は市場、里美叔母も保育所へそれぞれの仕事に出ている。寝坊した光太郎には曽祖母が朝食を食べさせてくれたのだ。
「まだ、早いちゃあ」「昼間は暑くなるから涼しいうちに働くのさ」光太郎が面倒臭そうに文句を言うと曽祖母は笑いながら教えた。
「何でお墓から始めるんねェ」「御先祖様が一番偉いから、順番さァ」曽祖母の説明にも、まだ光太郎は動かなかった。

「もう、みんな働いているよ、勉強をするか、お墓に行くか選びなさい」「この口調はお母さんに似ている・・・お母さんが似ているのか」そう思いながら光太郎はテレビを切って、体を起こした。
「砂川家のお墓のお守りはオバァの仕事だけど、働かないなら手伝いなさい」居間まで呼びに来た曽祖母は光太郎がテレビを切って起きたの確認した。
「お墓参りが終わらないと1日が始まらないよ」「はい、行きます」ようやく光太郎は立ち上がって曽祖母と一緒に玄関へ向かった。

光太郎が言われた手順でバケツに水を汲む間に曽祖母は庭に咲いている花を切り花にしている。2人とも準備を終えると並んで家を出た。
曽祖母の手には雑巾と柄杓、花、洗米などの墓参りグッズが入ったバケツと沖縄の線香、ローソク、ライターが入った小箱がある。
家から集落裏の小高い丘にある砂川家の墓までは約百メ―トルほどだった。光太郎は舗装されていない砂利道で水がコボレないように気をつけながら歩いている。
「オバァは毎朝、お墓に行って何があるねェ?」光太郎は隣りを歩く曽祖母に訊いてみた。
「そんなことを訊くなんて、あんたはやっぱり本土の子だねェ」曽祖母はそう答えると自分より随分背が高くなった光太郎の顔を見上げた。
「お墓に行けばジィジや御先祖様に会えるのさァ。光太郎だって会えるよ」「でも、お父さんは家でも念佛してるよ」光太郎は父の生活ぶりを思ってみた。
「あんたのお父さんは特別さァ、お寺の孫として生まれたから信心が身についているのさァ」曽祖母はそう言うと優しく微笑んだ。
「さっきオバァは、俺のことを『本土の子だねェ』って言ったさァ、どういう意味ねェ?」「沖縄の人なら、そんなことは教えなくても当たり前のことさァ、本土の人はお墓参りもワザワザすることなのさァ」曽祖母の言葉に光太郎は自分の中に流れる父と母の血を思った。しかし、沖縄人以上に沖縄的と言われる父を思うと、それは本土で生まれ、育ってきた幼児期の環境のせいかと考え直した。
それから帰省中、光太郎は曽祖母との墓参りが日課になった。
遠洋航海(愛知丸)
高校3年の春、光太郎はハワイへの航海実習に出発した。
「お父さん、お母さん、行ってきます」実習船「みやじま丸」が接岸している桟橋で光太郎は見送りにやって来た私と直美に向って敬礼して見せた。光太郎のリクエストで3等海佐の冬制服を着てきた私も敬礼で答えた。
「そんなことをしたら、お父さんみたいさァ」直美は江田島の幹部候補生学校で私の遠洋航海を見送った日のことを思い出して涙ぐんだ。
「光太郎、気をつけてな。海外を楽しんでこいよ」「はい」泣いてしまい言葉にならない直美の横から声をかけると光太郎は笑顔でうなづいた。
「お父さんの土産は酒が好いなァ」「無理です」私の注文に光太郎は口を尖らせる。
「相手は高校生さァ」直美まで一緒になって口を尖らすので「冗談さァ」と私は笑って顔の前で手を振ると、それを見て母子は安心したように顔を見合わせて笑った。
「実習生は乗船しなさい。実習生は乗船しなさい」その時、船の拡声器から乗船の指示が流れた。桟橋に集まっている父兄からは「エーッ」と言う声が上がった。
その時突然、光太郎が大股で一歩近づき両手で直美を抱き締めた。
「お母さん、頑張って来るさァ」光太郎は直美の耳元でそれだけを言うと腕を解き踵を返して船に掛けてあるラッタル(渡し板)を駆け上がっていった。
「光太郎、やることまで俺に似てきたなァ」背中を見送って私が呟くと、また直美が鼻をすすりだした。光太郎は振り向きもしない。その姿を私と重ねていたのだろう。
やがて生徒が甲板に整列し、汽笛とともにエンジン音を響かせて実習船は出港して行った。
手を振る生徒たちの中で周作だけ私が教えた帽振れをし、私もそれを返した。
それにしても我が子とは言え、愛しい妻を抱き締めるとは許せん(?)。

「俺の入隊式には光ちゃんとお母さんも出てくれたんだよ」
海上自衛隊の曹候補士に合格した光太郎の横須賀基地での入隊式には浜松の第1術科学校で整備幹部として教官勤務をしている賀真も出席してくれた。
「それにしても何で親子揃って海上なんだ?」賀真は熱心に航空自衛隊を勧めてくれたが、光太郎は迷わず海上を選択したため少し不満そうだった。
すると光太郎は「僕はウミンチュウですから艦に乗ります」と力強く答えた。
「まァ、水産高校へ行ってたんだからね」直美も補足する、光太郎は廿日市の宮島水産高校へ3年間寮生活を送ってこの春卒業したのだ。
「2尉ニは(3佐だぞ)、はっきり言って海上よりも航空の制服の方が似合ってたけど、光ちゃんはよく似合ってるね」賀真は叔父よりも先輩として頼もしそうな顔でうなづき、黒の詰襟、桜に錨の七つボタンの制服姿の光太郎と直美を並べて写真を撮り始めた。
「でも、ネェネは反対しなかったのか」「それがアンタの選んだ道なら最後までやり遂げなさいって」「流石はモリノ3佐(そうだ)の妻だね」光太郎の説明に賀真は真顔で姉の顔を見た。隣で私は「これで砂川家の多数決では海が勝ったのさァ」と呟いていた。
「お父さんの敬礼はピシッと決まってたぞ、やってみろ」叔父の命令で光太郎は「気を付け」をして敬礼して見せ、それも写真に撮った。
「まだお父さんには敵わないな」「はい」叔父の言葉に光太郎は顔を引き締めてうなづいた。私は隣で誉められて照れくさかったが直美は嬉しそうに微笑んでいた。
「3人で並んで敬礼しなさいよォ」直美のリクエストで親子と叔父が海空揃って敬礼し、それを直美が写真に撮った。賀真だけが肘を張る航空式だった。
「光ちゃんは、どこで嫁さんを見つけるのかなァ」その様子を見ながら賀真が呟いた。賀真は百里に勤務している時、北海道出身のWAFと結婚したのだ。
「どこで見つけてもいいから、家に連れてきなさいって」光太郎は母からの教えを答えた。
「その子が良い子なら、どこの子でもいいさァ」直美が付け加えた。
「まず叔父さんに会わせなよ」「はい、誰か紹介して下さい」光太郎の素直で厚かましい台詞に私と直美、賀真は顔を見合わせて笑った。

入隊式を終え、ひかりに乗るため東京駅に戻る電車の中で賀真が私に声を掛けてきた。
「ニィニ、靖国神社に行きませんか?」「靖国へ・・・何で?」私の素気ない返事に賀真は意外そうな顔をした。
「ニィニだったら東京に来たら必ず靖国神社へ参拝すると思ってたけどな」「俺がか?それは絶対にないね」今度は不思議そうな顔になって私と直美を見比べた。
私は靖国神社でも境内にある遊就館なら博物館として見学するが、神社は認めていないのだ。遊就館も陸軍関連の資料は物珍しいとしても江田島の教育参考館と比べて展示に政治的な意図を感じさせて随分と見劣りする。
「俺は靖国が嫌いなんだ」「えッ?何故さァ」「あんな物は戦没者の慰霊の場なんかじゃないよ。ただのセンズリのための慰安施設だ」「それは酷いさァ」流石に賀真は顔をしかめた。
「靖国は幕末の馬関戦争の時、戦死した高杉晋作の長州兵は軍神として祀っているが、小倉藩兵は賊軍として差別しているんだ」「へー、知らなかったさァ」「同じように国を想い、武士道に殉じた魂魄を勝者、敗者で差別しているような施設に戦没者の慰霊を任せられるか?」「うーん、難しいさァ」向いの席で賀真は難しい顔をした。
「それにA級戦犯も軍神として祀っているんだぞ」「A級戦犯って東條英機ねェ?」「他にも絞首刑になった奴と服役中に死んだ連中がいるのさァ」日頃、先人には敬意を示した言葉づかいをする私の明らかに侮蔑した口調に賀真は戸惑っている。
「国を勝てる見込みのない戦争に引き込んで300万人を超える国民を殺した加害者と殺された被害者を同格にして集めているのが靖国なのさァ」「その言い方は酷すぎるよ」向いの席の賀真の目が少し険しくなり、こちらを睨むように見た。
「結局、父や夫、兄や弟を殺しておいて『はい、名誉の戦死です。軍神にしましたから靖国にどうぞ』って言うA級戦犯のセンズリだろう」「・・・」賀真は黙ってしまった。
「俺は自衛官だから戦死することも覚悟の上だ。しかし、死んでからまで兵隊だけ集められるなんてごめんだね。今度こそ愛する女房を傍で見守っていたいのさァ」私の結論に賀真は表情を変えて考え始めた。
「賀真も自分が戦死したことを考えてみろ。もう一度、軍人だけで集められて軍隊生活の続きをする方がいいか、それとも肩の荷を下ろして裕美さんの傍にいる方がいいか」「そりゃあ、俺だって裕美の傍にいたいさァ・・・でも」ここで賀真は少し座り直した。
「日本にも戦没者の慰霊施設は必要さァ」「うん、それは当然だ」「ニィニはどうしたらいいと思うね?」賀真の顔が興味に変わった。
「俺は戦艦・三笠の記念公園に慰霊施設を作ればいいと思っているのさ」「三笠に?」「うん、あそこなら太平洋戦争だけでなく明治以降の戦没者慰霊施設であることをハッキリ示せる」「うん、確かに」「それに三笠だけでも人が集まってくるだろう」「なるほど」賀真がうなづいたところで私は大切なことを思い出した。
「しまったァ、横須賀に行って戦艦・三笠を見に行くのを忘れてた」「ニィニらしくもない。ハハハ・・・」賀真は大笑いしたが直美は隣の席で「死んじゃあ駄目。ずっと一緒にいて」とささやいて手を握った。

「お母さん、今度、彼女を連れて行くさァ、いいだろう」突然の光太郎からの電話だった。
「彼女?」「ウン」「どんな子なの?」「ウン・・・」直美の問いに光太郎は返事を濁した。光太郎は結局、艦には乗れず、青森を懐かしがって希望した八戸の第2航空群列線整備隊にPー3Cの航空機整備員として赴任し、海曹を目指して航空機整備の腕を磨いているはずである。
「とりあえず正月休暇は後段さァ」「楽しみに待ってるさ」電話を切ると直美はそのままべランダに出て下の道を見ながら私の帰りを待った。私は夕方の連絡船で帰ってくる。昔、光太郎と走っていた港から官舎までは自転車だった。
玄関で相変わらずの帰還のキスをすると直美は私の後ろについて話を切り出した。
「今度、光ちゃんが彼女を連れて来るってさ」「彼女?」突然の報告に私が驚いて立ち止まって振り返ると直美はいつも以上の全開の笑顔だ。直美は母親にありがちな心配やジェラシーは全く感じてなさそうだった。
「どんな子だって?」「それが言わないのさァ」私は着替えながら質問したが直美もそれ以上のことは判らない。
「光太郎の彼女・・・」楽しみではあるが返事を濁した息子の態度が少し心配だった。

光太郎は後段休暇で1月中旬に帰って来た。土曜日、私と直美は広島空港まで迎えに出た。待ちながら私と直美は空港ロビーで話していたが話題はやはり彼女のことだ。
その時、光太郎が羽田で乗り継いだ便の到着がインフォメーションされた。
「来たさァ」直美と私は顔を見合わせると到着出口へ向かった。
「お父さん、お母さん、帰ったァ」到着出口から出て来た光太郎は元気に声をかけてきた。私が両手に提げている荷物の片方を受け取ると光太郎はモジモジしている。
「早く彼女に会わせなさいよォ」直美の言葉に私もうなづいた。
「はい」光太郎は照れ笑いをしながら振り返ると後ろに声をかけた。
「ジェニー」「ハーイ」人ごみの中から陽気な声がした。
「ジェニー?」直美と私が顔を見合わせているとジェニーと呼ばれた黒人女性が現れた。今度は私の目が点、直美の目は丸くなる。
「お父さん、お母さん、ジェニーだよ」「ハジメマシタ、ジェニーデス」ジェニーは微笑みながら光太郎の横に立った。クリーム色のワンピースが褐色の肌と黒く長い髪によく似合い、長身が光太郎と釣り合っている。よく見るとジェニーはアフリカ系の黒人ではなく太平洋諸島系のようで黒目がちの大きな目と天真爛漫な笑顔が印象的だ。
「ジェニーは米海軍のWAVESなんだァ。日米協同訓練で知り合ったんだよ」「ハーイ、ヨロシークオネガイシマース」光太郎とジェニーは並んで頭を下げた。
「ハーイ、ヨロシーク」私と直美まで日本語のアクセントがおかしくなっていた。

光太郎とジェニーを車の後部座席に乗せて、江田島まで走りながら色々と話を聞いた。
ジェニーはハワイ出身で三沢の米海軍航空隊のAM(Aviation‐Structural Mechani=航空機整備員)だ。光太郎とは日米海軍の親睦会で知り合い、毎週デートを重ね、1泊の旅行もしたことがあると白状した。
「道理で八戸から帰ってこなかった訳だ」直美はうなづいて納得したが、その横で私は余計なことを考えてしまった。
「(初体験が)俺よりも早いなァ」「何がさァ」思わずもらした親父の台詞の意味を直美に訊かれ、笑って誤魔化した。
「愛知のお義父さん、お義母さんの気持ちが少しわかってきたさァ」助手席で缶のお茶を飲みながら直美が呟いた。
「反対するねェ?」光太郎が驚いて座席の間から直美の顔を覗き込んだが「反対も何も手遅れさァ」と言う直美の返事に笑いながらうなづいた。
「あの時代だったから愛知の親御さんは『沖縄の娘を嫁に』なんて言われたら、光ちゃん
がアメリカ人をつれてくるくらいの驚きだったろうね」夫婦で顔を見合わせうなづいた。
「俺たちなんか勝手に結婚しちゃったよなァ」「それが私たちの運命だったのさァ」そう言いながら夫婦は懐かしそうな目で微笑み合い、危なく脇見運転になりそうだった。
「息子の嫁は北海道、孫の嫁はアメリカ人なんて砂川家はどうなっちゃうのかねェ」「まあ、砂川家は元々中国人だよ」直美のボヤキを私が茶化すと、その話は初耳だったのか光太郎が突然、とんでもないことを言い出した。
「僕は中国とのハーフだったんですか?」「何ねェ、それは?」「だって今、砂川家は中国人だって」私と直美はまた脇見運転で顔を見合わせた。両親は殆んど呆れている。
「昔々、先祖が中国から沖縄へ移住してきたんだよ。ジェニーだって先祖は太平洋を渡って移住したウミンチュウの末裔だろう」「はい、ポリネシア人の末裔です」どうも息子よりもアメリカ人の彼女の方が理解は早かった。
「ところで賀真は知ってたのか?」「そうか、賀真は今、三沢だったっけ」「自衛隊同士で秘密にしてたな」「守秘義務がありますから」「ハハハ・・・」「ハハハ・・・」光太郎の絶妙の回答に両親は、またまた脇見運転で顔を見合わせて大笑いした。

「よし、賀真に電話してみよう」直美は官舎に帰り、玄関を上がると早速電話をかけた。
「いい子だったろう」直美の電話に賀真は悪ぶれることもなく答えた。
「まさかネェネは反対しないだろう」「今更、手遅れさァ」「そりゃそうだ」直美は弟と話しているうちに不思議にはしゃいだような気分になってきた。
「ハワイは軍隊の人気があって入るのは難しいのさ、だからあの子は優秀さァ」直美が振り返るとジェニーは賢そうな顔で微笑んだ。
「それに、ジェニーはどこかネェネに似てるさ」「そうねェ?」「目がでかいところなんかそっくりさァ」「なんねェ、それは」直美は自分の顔とジェニーの顔を思い比べてみた。
「光ちゃんはマザコンかねェ」「お父さんと好みが一緒って言うことさ、へへへ・・・」「それは思い上がりさァ」直美の自信たっぷりの答えに賀真は電話口で大笑いをした。
「でも光ちゃんはまだ20歳さァ、大丈夫かなァ」「おトウの孫さァ、同じ歳だよ」「そりゃそうだ、ハハハハ・・・」直美の答えに賀真は電話口で大笑いをした。

私たち夫婦は光太郎とジェニーを連れて江田島基地へ見学に出かけた。基地では外出しない学生たちが掛け足やソフトボールに励んでいる。
「ここが日本の海軍兵学校だよ」「ハイ、アナポリスよりも綺麗で立派ですね」ジェニーは海軍兵学校の赤煉瓦の建物を見上げながらうなづいた。
「昔、イギリスで作った軍艦の甲板にイギリス製の煉瓦を乗せて来て、それで建てた建物なんだよ」私の説明にジェ二―だけでなく光太郎まで感心した顔をした。
「歴史と伝統を感じます、それを大事にしてきた人たちの愛着も」ジェニーの文化への深い理解に私と直美は感心しながら顔を見合った。
「あの立派な建物は?」ジェニーは隣の石造りのギリシャ神殿のような建物を指差した。
「参考館、ミュージアム(博物館)だね。今から見学できるように頼んであるよ」私は光太郎の彼女がアメリカ人とは知らずに担当者に見学申し込みをしていた。
参考館の展示物は帝国海軍や特攻隊関係の資料ばかりで、かつては敵国だったアメリカ人のジェニーがどう考えるか心配だったが、あえて見せることにした。隣で光太郎は深く考えずにいつもの調子でジェニーを参考館の方へ連れて行った。
「ジェニー、ボウ(礼)しなさい」参考館の入り口に入ると正面に赤い絨毯を敷いた階段があり、その下で階上に祀られている東郷元帥、ネルソン提督の遺髪に1礼することになっている。私は先ず自分で一礼してからジェニーに説明した。
「あそこにアドミナル・トウゴウとアドミナル・ネルソンのヘアーがあるんだ」私の説明にジェニーは驚いたように大きな眼を見張って階上を見上げ頭を下げた。その様子を見てから直美と光太郎も深く頭を下げた。
ジェニ―は帝国海軍の偉大な先人たちの足跡に関する資料も同じ海軍軍人らしく敬意を持って熱心に見入っていた。ただ山本五十六長官を「ヤマモトフィフティシックス」と呼んだのには呆気にとられた。
そして、特攻隊員たちの遺書を展示した部屋では英訳したパネルを読んだの後、彼らの直筆の遺書を読み終えると怒りの表情を隠さなかった。特攻隊の資料室を出た廊下でジェニーは私に向って強い口調で話し始めた。
「お父さん、この作戦は間違っています」「うん・・・」光太郎はジェニーの厳しい表情を見たことがないのか驚いた顔をして私たちを見ている。
「軍人が危険を考えず責任を果たすのは当然ですが、死ぬための任務を命じるのは人道上、許されません」「うん、そうだね」私はジェニーの言葉を否定はしなかった。
「では何故、日本軍はカミカゼを命じたのですか?」「あれはプレイ(祈り)だよ」私の答えにジェニーは怪訝そうな顔をして見詰めた。
「プレイ?」「自分が命を捧げて日本が永遠に残ることを祈ったんだ」日本的な信仰に関わる説明は難しいと思ったがジェニーは黙って考え込んでいた。

休暇も後半、マツノ家にも馴れたジェニーは光太郎との宮島と岩国、倉敷などへの日帰り小旅行の合間を見て、仕事が忙しい直美を手伝って台所を手伝うようになった。
「オカアサン、コレドウシマスカ?」ジェニーはまな板の刻んだ野菜を見せながら訊いた。何にしても勉強熱心で素直な娘で、私たちもすっかり気に入っている。
「チャンプルにするちゃね」直美は手早いジェニーの仕事に感心、安心しながら指示した。
「OH、チャンプルね、光太郎さんも好きですね」「エーッ?」直美は意外だった。光太郎はどちらかといえば野菜嫌いで、子供の頃から叱らないと食べなかったのだ。
「ジェニーのはアメリカ風野菜炒めさァ、味つけが違うのさ」食卓に座って私と缶ビールを飲みながら光太郎が声をかけた。ジェニーが沖縄のチャンプルはどんな味つけなのか訊いて光太郎はそれを説明し始めた。
「チャンプル」「ヤサイイタメ」「テイスト」「ソルト」「ペッパー」「コンソメ」「ダシ」と英語と日本語の単語がチャンプルになっている。どうやらジェニーのチャンプルはコンソメと塩コショウで味つけするらしい。
「何にしても、彼女の手料理なら美味しいわね」直美と私はそう言うことで納得した。
「ところであんた英語得意だっけ?」直美は振り返り、光太郎の顔を見ながら訊いた。光太郎は中学時代、英語の成績が悪く(酷く)て地元の高校へ入れなかったはずだった。
「ジェニーに口移し(口伝えだろう)で教わってるのさ」「彼女と付き合おうと思えば必死さァ」その答えにジェニーもはにかみながら笑った。そこで私が英語で話しかけると当然、ジェニーも英語で返事をした。
そこから談笑が始まり、私のジョークにジェニーと直美は愉快そうに笑った。そんな楽しげな会話に1人、加われない光太郎は少しイラツキ始めた。
「お父さん、英語は得意ねェ?」「海軍軍人はインターナショナルなんだよ」口が裂けても言えないが私の英語はアメリカ空軍のWAF仕込みだった。
直美が振り返って「もっと、勉強しないとね」と言うと、光太郎は「わかってるよ」と膨
れたように答え、ジェニーも困ったように光太郎の顔を見た。
結局、その日の夕食はジェニー手製のアメリカ風野菜炒めになった。

「江田島は気に入ったかい?」休暇を終え青森空港から三沢へ帰る電車の中で光太郎は隣の席のジェニーに訊いた。車窓から見える風景は一面雪景色だ。
「ウン、綺麗なところだね」ジェニーは瀬戸内海に沈む夕日を思い出しながら答えた。
「俺の母さんはどうだい?」「とてもチャーミングな人だね」「ありがとう」光太郎は安心した顔でうなづき、ジェニーもいつも元気で陽気な母の顔を思い浮かべていた。
「それに」「それに?」ジェニーは笑顔になって光太郎の顔を見る。
「お父さん、お母さんって恋人同士みたい」「フーン、そうかも知れないな」光太郎は、いつまでも熱愛気分でいる両親の暮らしぶりを思いうなづいた。

「マツノ3佐、司令がお呼びです」ある日、本部からの電話で警備隊司令に呼び出された。陸警隊長としての業務で何か問題があったのか、それとも重大な警備事案が入ったのか思案しながら庁舎に着くと司令室に通された。
司令室には隊本部の人事担当者も同席して、勧められるまま揃ってソファーに腰掛けた。
「マツリノ3佐、個人研究ははかどっているかな?」「はい、おかげさまで」司令も私が隊長室に「陸戦研究室」の看板を出して、業務の合間に海軍陸戦隊史と戦時国際法を研究していることは知っていた。
「ここなら資料も十分あるし、研究もはかどるだろう」「しかし、時間がなくて困ります」人事担当者の皮肉を込めた言葉に私は真面目に答えた。この防大出身の人事担当の3佐は江田島の1期後輩、4歳年下になる。
「また難しい専門書ばかり読んでいるんだろう」「難しくはないですが確かに専門書です」私の答えを受けて司令と人事担当者は顔を見合わせて目で何かを相談し合った。
「マツノ3佐、実は君に那覇への移動の話がある」「えっ?」それはあまりに突然で意外な話だった。私は岩国航空基地への移動を希望している。岩国なら直美をそのまま江田島で勤務させ、単身赴任しても毎週末に帰宅できると考えていたのだ。
「奥さんは江田島の診療所の保険師だったな」「はい、勤めて10年プラス2年です」人事担当者に聞いたのだろう、司令が直美のことを知っていた。
「確か沖縄の出身だったな」「はい、そうです」今度は人事担当者が返事した。私の反応を見て2人は、また何かを確かめるようにうなづき合った、
「那覇なら里帰りだろう」「はァ、ホワイトビーチではないんですか?」航空自衛隊と同居している那覇基地に陸警幹部の私の配置はないはずだ。
「それじゃあ、那覇で研究の続きが出来るのですか?確かに太田中将の戦術を現地で確認できるのは嬉しいですが」私の返事には疑問と同時に皮肉がこもっている。すると司令は声のトーンを落とし、我々は身を乗り出した。
「君も知っているように最近は尖閣諸島で色々問題が起きている。何かあれば先ず対処するのは・・・」「海上保安庁でしょう」「自衛隊では我が海自だ」司令の言葉に私が現実的な回答をすると人事担当者はそれを遮った。
「しかし、現行法では自衛隊にできることはないでしょう」それは事実で、平時の自衛隊には不法侵入者に対して逮捕権も武器使用権限もない。
「法律は政治家と官僚に任せるとして、海上自衛隊としては対処出来る体制だけは整えておかなければならないのだ」司令の言葉に人事担当者はうなづくが、その法律の不備の責任を負わされる私はどうなるのかと心の中で思った。しかし、ここまで言われれば海軍軍人の作法に従って了解するしかない。
「判りました。それで移動はいつでしょう?」「8月の定期異動で大丈夫か?」私の質問に人事担当者が質問を返してきた。ようするにイキナリ内示と言うことだろう。私はうなづきながら直美の仕事を辞めさせることを心の中で詫びた。
「しかし、那覇へ行けと言うことは臨検ではなく、尖閣にヘリで出動と言うことですね」私の雑談的な最終の質問に司令と人事課長は意表を突かれたのか今度は感心したように顔を見合わせた。

夕方、先に官舎に帰った私は仕事から買い物に寄って帰った直美を玄関に出迎えた。
「直美、移動になったよ」「やっぱり岩国?」玄関で靴を脱いで上がって来た直美から買い物袋を1つ受け取りながらに話すと、一緒にテーブルの上に置きながら笑顔で答えた。
「それが那覇なんだ」「えッ?あそこは航空自衛隊さァ」「海軍航空隊も同居してるよ」私の返事に直美は一瞬考えてから鋭いことを答えた。
「最近、話題になってる尖閣諸島の対処だね」「それは秘密だけどな」「判ってるよ」私が素直に認めたので、直美は何度かうなづきながら自分を納得させていた。
「仕事を辞めてもらわないといけないよ」「それは仕方ないっちゃ。ここの仕事が予定外に長かったんじゃけん」直美はそう答えると買い物袋の中身を今夜使う物と冷蔵庫に入れる物に分け始め、私は黙ってそれを見ていた。
「ところで今回の異動が定年配置になるの?」「そうだったァ」相変わらずこの妻の鋭さには恐れ入るしかない。5年刻みで3回、沖縄の中の異動は難しそうだ。

光太郎は転属する前に自分の荷物を片づけようと7月に夏期休暇を取り、ジェニーと帰省してきた。本当はジェニーと瀬戸内の海で泳ぎたかったようだ。ただ、私はこの時期、転出前の業務処理と原爆の日のデモ対処や基地盆踊り大会の準備、さらに引き継ぎで呉基地に缶詰めになっていた。
「ジェニー、泳ぎに行こう」「うん」官舎から海水浴場までは歩いていけて光太郎にとっては庭のプールみたいなものだが水兵同士だけにこのカップルはどちらも水泳は得意だ。
「光太郎、お待たせ」玄関で待っているとジェニーはビキニの水着の上にTシャツを着て短パンをはいて出てきた。それは光太郎も同様だったが、こちらは短パンをはいていない。
「行ってらっしゃい」直美が台所から顔を出して羨ましそうに声をかけた。
「お母さんも水着で来る?」「お父さんみたいなことを言わないの」直美は「やっぱり親子だなァ」と自分の水着や薄着を喜んだ夫の「エッチ」な顔を思い出した。しかし、ジェニーの水着姿を嬉しそうなに見ている息子の顔に「自分も、もっと若い時に夫にも見せてあげればよかったかな」と少し胸が痛んでいた(その通り)。
「私の家からもビーチは近いんだよ」基地を外れてビーチへの下り坂を歩きながら、ジェニーは隣を歩く光太郎の顔を見上げた。舗装された道には陽炎が上っている。
「そのうちハワイにも行かないとなァ」「うん」ジェニーは嬉しそうにうなづく。光太郎は水産高校の実習航海でハワイに行ったことがあり、それが初対面でジェニーと親しくなるきっかけにもなった。
ジェニーの親には来日して八戸にきた時、会っているが今度は正式な挨拶だ。そう言いながらも光太郎は「日米協同訓練で行けないかなァ」とせこいことを考えていた。
ビーチに着くと家族連れで一杯だった。地元だけに顔馴染みも多い。歩いているとあちら
こちらから声がかかった。
「光太郎、久しぶりちゃあ」同級生の男たちは、そう声をかけながら横にいるジェニーを見ていた。それは女連れであっても同様で男の性と言うモノか。
「彼女か?」中にはあからさまに羨ましそうな顔でジェニーの全身を見まわす奴もいる。
「どうだ参ったか」光太郎は心の中でそう勝ち誇りながら、「うん」とだけ返事した。
「マツノ君?」一泳ぎして砂浜を上がっていくと突然、女の子から声をかけられた。
「内田さん?」それは光太郎の幼馴染の内田麻子だった。
光太郎は保育所以来、麻子のことが好きで小学校三年で江田島に転校してから中学を卒業
するまで朝夕一緒に通学していたが、優等生だった麻子は地元の進学校へ入学し、水産高
校の寮へ入った光太郎とは疎遠になってしまったのだ。
数年ぶりに会った麻子は大人になり、何より美しくなっている。光太郎は麻子の水着姿を眩しそうに見ている自分に気がついた。
「マツノ君、青森の自衛隊じゃあなかった?」麻子は不思議そうな顔をしていた。光太郎は高校は廿日市の寮暮らし、卒業してからも中学の同級会に出たことがなかった。
「今も青森だよ、休暇で帰ったんだ」光太郎の答えに麻子はうなづいた。
「Lover(恋人)?」麻子は周作の横に立っているジェニーの顔を見ながら訊いてきた。
「うん・・・ガールフレンドさァ」光太郎は曖昧に笑いながら答えた。
「ふーん」麻子は意外そうな顔でうなづきながら「またね」と言って手を振って向こうで待つ女友達の方へかけて言った。
「光太郎、貴方は『Fiancé(婚約者)』と言う言葉を知らないの?」砂浜に敷いたシートに並んで腰を下ろすとジェニーは海を見たままでそう言った。
「私は貴方のガールフレンドなの?」ジェニーは少し涙ぐんでいるようだ。

「それはあんたが悪いさァ」家に帰って光太郎がいつもの茶飲み話にこの話をすると母は呆れたような顔でそう答えた。ジェニーは隣で安心した顔でうなづいた。
「ジェ二―は1人で外国から日本に来ているんだよ」「うん」「日本人のあんたと結婚しようと思っているんだよ」「うん」「信じられるのも、頼れるのもあんただけなのさァ」「うん」光太郎のうなづく深さが次第に大きくなる。ジェニーは黙って母子の会話を聞きとろうとしていた。
「お父さんなら『僕の嫁さん』って抱き締めてくれるのにさ」直美の自慢げな台詞にジェニーは可笑しそうに笑ったが光太郎は後悔が胸に刺さっていた。
「あんた、まだ内田さんが好きねェ?」光太郎はドキッとした。ジェニーも驚いて光太郎の顔を見たが、直美は優しく微笑んでいる。
「片思いのまま別れて、ずっと遠くに離れていたのだから仕方ないさァ」「うん」「おまけに大人になって、綺麗になったのに会ったら迷うのも当たり前さァ」「うん」「だけど」「だけど?」ここで母子は座り直してお互いの顔を見合った。
「内田さんだって、今日まで色々あったはずさァ」「うん」「誰かを好きになって、誰かに抱かれたのかも知れないさァ」「うん」光太郎の胸に先ほど会った麻子の顔が浮かび、相手のいない不思議なジェラシーが焦げた。
「嫁さんは、アンタのことを愛してくれている人をアンタが愛し返すのがいいのさァ」ジェニーは母の出した結論に感激したのか涙ぐんで鼻をすすり始めた。

第5航空群司令の後、転入の申告をした第5航空隊司令はそのままソファーを勧め、総務課のWAVEにコーヒーを運ばせると雑談を始めた。
「君の名前はここでも鳴り響いているよ」「はァ、悪名ですか?」「いや、勇名だね」私の皮肉な答えにも隊司令の言葉は、決してお世辞や皮肉ではないようだった。
「本当なら君に陸警隊を鍛え上げてもらいたいが、残念ながらここにはそれだけの陸警要員がいないんだ」「相変わらず空自の間借りですか?」隊司令は私が元空自で那覇基地に勤務していたことは知らないようだ。
「それではどうしましょう」「訓練担当幹部としてウチの隊員を存分に錬成してくれ」結局、私の今度の配置は第5航空隊本部の個人訓練担当幕僚のようで、尖閣諸島の問題は余技で幕僚が本業と言うことだ。
「しかし、海保の対応は生ぬるい。おかしなことにならなければいいが・・・」隊司令は語気を強めてそう言うと自分のカップのコーヒーを飲み、私にも勧めた。
この予感は間もなく中国の公用船接近の頻発と言う形で現実になった。

申告を終え第5航空隊本部の事務室に入ると、懐かしい顔が待っていた。
「あッ、やっぱりマツノ3佐、本物だァ」それは大下美幸2曹だった。大下2曹は私が呉へ転出した後、那覇へ移動になったそうで、まだ独身のようだ。
「命令を見て判っていたんですが、お顔を見るまで信じられませんでした」大下2曹は私が差し出したマグカップにコーヒーを入れて出しながら話を続けた。
「そうかァ、それにしても今回は基地隊じゃあないんだね」「はい、最初は厚生隊に配属されましたが・・・」「1年契約でスカウトしました」立って話している大下2曹の横から机を並べているベテランの海曹が口を挟んできた。
「マツノ3佐の武勇伝は大下2曹から聞いていますが、お手柔らかにお願いします」その言葉に同室の海曹たちは一斉にうなづいた。

「貴方、定年後のプランニングをどうしよう」ある夜、布団の中で直美が訊いてきた。引っ越しの片付けも一段落して、早くも仕事を考えているようだ。
「本島で就職するとまた5年で辞めないといけなくなるさァ」「確かになァ」私の定年後、宮古島に帰る言うとプランに変わりはなく、本当は定年の10年前にホワイトビーチに転属し、県内移動で沖縄地方協力本部宮古島事務所長になるつもりだったのだが、それも今回の人事で頓挫した。
「私が先に宮古島で就職して単身赴任する?」「それじゃあ、離島にいた頃みたいだよ」どうやら直美は専業主婦になって待つつもりはないようだった。確かに宮古島で就職してくれれば、定年後の生活も安定し安心できる。
「単身赴任か、途中退職か?難しい選択だなァ」「あと5年だよ」これが定年配置なら私が宮古島でやる仕事も考えなければならないだろう。
「それにしても今回は沖縄の暑さが妙にこたえるなァ」「うん、やっぱり北国の生活が長かったからね、私もシマンチュウに戻れるか自信ないよ」私の言葉に直美もうなづいたので、抱き寄せようと伸ばしかけた腕を引っ込めた。
「とりあえずもう少し那覇を楽しんでから考えようよ」「うん、毎週デートしたいしね」直美の返事に那覇からコザ市へ自転車で通った月1回の公園デ―トや八重山、離島に別れてからの超遠距離恋愛と単身新婚夫婦だった若い日の思い出が2人の胸に甦り、やはり愛しい妻を抱き寄せた。

私は第5航空隊本部へ転入して以来、訓練幕僚の業務の合間を見つけ尖閣諸島の地図を眺めながら研究をしていた。しかし、現地を確認しなくては視界、足場、経路、防禦するための掩体の有無も不明で、机上の研究に過ぎないことは明らかだった。
尖閣諸島は南小島、北小島、魚釣島の3つが主な島で、国有地ではあるが中国を刺激することを懼れる政府、外務省の指導で実質的に海上保安庁が封鎖していて一般国民が立ち入ることは出来ず、ましてや自衛隊員が上陸することはできないのだ。私が机の上に広げた地図を覗きながら島田曹長が声を掛けてくる。
「結局、ウチがやることは対潜哨戒機が飛ばすことだけですね」「うん、海軍航空隊としてはそれが任務だな」「今回のことで妙に海保と連携が上手く取れるようになりまして、それを地元の新聞が批判しているんですよ」何でも反対の沖縄のマスコミは海自と海保の連携を「文民警察が軍の統制下に入ることだ」と中国人民日報のような批判をしているようだ。
「マスコミが批判することは中国が嫌がっていることだから、どんどん進めるべきだね」「問題は東京の官僚が予算の取り合いで国土交通省と対立していることでしょう」「どちらかと言えばあちらが一方的に喧嘩を売っているんだがな」自衛隊法80条には海上保安庁を防衛大臣の指揮下に入れることが規定されているが、我が国の平和が危険に晒されている時、一丸となって対処することの何が悪いと言うのだろうか。やはり中国が嫌がっていることが問題なんだろう。

直美が那覇市内の病院の看護師の仕事を見つけた頃、義父・砂川賀満さんが昌美が勤める那覇市内の病院に検査入院した。
「ネェネ、おトウの具合はよくないのさァ」見舞いに行った直美はナースステーションで昌美の話を深刻な顔で聞いていた。
「精密検査はウチの病院でやったけど、おトウは自分が癌だって判っているみたいで、どうしても宮古島へ帰るってきかないのさァ」昌美としては施設が充実し、医師も揃っている自分の病院に入院させようとしたが、義父は自分が癌であることを察して島へ戻ると言い張っているのだ。
「それで手術すれば見込みはあるの?」「それが・・・」直美の質問に昌美は返事を濁した。
「ネェネもプロだから誤魔化せないね・・・もう全身のリンパ腺に転移していて抗癌剤と放射線治療くらいしかないのさァ」直美は1つ息を呑むと首を振った。
「それじゃあ、おトウの望むとおりにしてあげよう」「でも、それは医療関係者として最善を尽くすことにならないよ」「それじゃあ、最先端の治療をして1日でも長く呼吸をさせ、1回でも多く心臓を動かすことが最高の医療ねェ・・・ごめん、言い方がきつかった」直美が謝ると昌美はかすれた声で「わかった」と呟き、鼻をすすった。

帰宅した私を玄関に出迎えて直美は用件を切り出した。
「貴方、ゴメン。しばらく単身赴任さァ」「当然さァ、親孝行しましょう」直美は一通りの状況を説明した後、、先日立てたプランを思い出して謝ったが、私も「直美がこのまま宮古島で仕事を見つけることになる」と言う予感が胸に浮かんでいた。

直美は宮古島の主治医に電話して病状を確認した後、決まっていた看護師の仕事を辞退して荷物をまとめ単身で帰省した。
「直美、マツノさんを1人にして大丈夫か?」病床の父は直美の顔を覗きながら訊いた。
「大丈夫さァ、親孝行しなさいって応援してくれてるよ」直美は母と交代で付き添っている。幼い子供たちを抱えている島在住の安美、里美は中々家を開けられないのだ。
義父はすでに自分の病名も余命も知っていたが、それは義父自身が問うたことだった。
「お前たちは離れ離れになることが多いなァ」義父は申し訳なさそうに言った。
「その分、一緒の時はベッタリくっついてるさァ」「そうだったな」直美の答えに義父は娘夫婦の日頃の生活ぶりを思い出して静かに微笑んだ。
「マツノさんは軍人らしく、死ぬことを全く怖れていないよなァ」「でも、『死ぬのは勿体ない』って呟いたことはあったよ」「フーン、そうかァ」義父は意外な話に興味深そうに直美の顔を見る。直美はその場面を思い出していた。
それは「しろたえ」の不審船対処で死を覚悟していた頃の話だ。夜、直美を抱いた後、その愛おしさに胸が一杯になり、ふと漏らした言葉だった。
「確かに死ぬのが勿体ないなァ、楽しい人生だからな・・・」「20歳で結婚して娘6人と息子1人に孫がエーと・・・」直美は指を折りながら7人の妹弟の子供たち=義父の孫たちを数えたが、両手では足りなくなった。
「俺の命を受け継ぐ子供たちがそんなにいれば、もう十分だな」義父が安心したように微笑みながら顔を見たので、直美も微笑んでうなづいた。
「直美、1人で本土へ行って不安はなかったのか?」突然の義父の質問だった。しかし、直美はそのまま首を振った。
「そうか?」義父はもう一度、確かめるように尋ねてくる。
「だってテンジンさんと一緒ならそこが私の居る場所さァ」直美の答えに義父は安心したようにうなづいた。

直美が島に帰って6ヶ月、父の病状も末期に差し掛かった頃、家に市役所の福祉課の課長が訪ねて来た。課長は直美の高校の同級生でもある。
「砂川さん、ウチで働きませんか?」「マツノです」「スミマセン、マツノさん」課長は同級生らしく旧姓で呼んだが誤りを指摘されて頭をかいた。
「でも、私ももういい歳だからね」「まだ若いさァ」同級生にそう言われては課長も立つ瀬がない。今度は少しむきになって反論した。直美は苦笑してうなづきながら、話の続きを促した。
「どんな仕事なの?」「独り暮らしのお年寄りの家を巡回して健康状態なんかを確認する仕事さァ」それなら保健師の経験が役に立ちそうだった。
課長は勤務内容、待遇、予定担当範囲などをワープロで打った書類を使って説明を始めた。ようするに介護職員が実施出来ない医療行為を巡回して担当する仕事のようだ。直美は自分が看護師を目指した動機「離島医療」をこの島でやれるような気がした。
直美の目がヤル気に光り出したの見て、課長は高校一の頑張り屋だった直美を思い出し、もう一押しと説明を加えた。
「この島の人口じゃあ、特別養護老人ホームは作っても採算が取れないから在宅介護を充実させるしかないのさァ」在宅介護の問題点は医療行為に対する制限であることは離島に住めば痛感せざるを得ない現実だった。
「と言っても病院も看護師さんの人手不足だから・・・」「だから遊んでいる私にと言う訳ね」直美は笑って落ちをつけたが課長は1本とられて頭を掻いた。
この課長は3女・紀美が市役所に就職した時、先輩として世話にもなっていて無下に断ることもできなかった。直美は手渡されたプリントを手にとって眺めながら話を締めくくった。
「父の付添いをするために島に帰って来たのさァ、母と夫とよく相談してからね」「御主人は?」課長は直美が紀美を通じて夫が海上自衛隊の幹部なのを知っている。
「私がこっちに来ちゃったから那覇に単身赴任中さァ」「それは寂しいね」「寂くて恋しいから、そろそろ帰るつもりだったのさァ」「はいはい、どうもスミマセン」直美のお惚気に課長は呆れたように返事した後、真顔になった。
「前向きに頼むさァ」「ウン、母が健康に自信が持てれば大丈夫だと思うよ」直美のヤル気に光っている目を見て課長は安心した顔で帰って行った。

その夜、直美が相談の電話をかけてきた。
いつも「元気?」から始まる2人の電話は、今回いきなり用件から始まった。
「私、市役所からスカウトされたさァ」「へーっ、宮古島市役所?」私は直美が宮古島へ帰る時から抱いていた予感が的中して思わずため息をついた。
「どんな仕事?」「うん、市内の高齢者の巡回医療の仕事だって」直美がやる気になっているのは声で判る。私の胸には直美のやる気に燃えた顔が浮かんできた。
「ふーん、でもお義父さんの付添いのために帰ったんだから、そっちは大丈夫か?」「うん、そう言って返事は保留してあるのさァ」直美も電話口でため息をついた。私は今後、定年まで単身赴任になることを思ったが、普通、妻が仕事を持った場合、夫は単身赴任するのが自衛隊の常識なのに、退職を繰り返して着いて来てくれた直美を思えば、ここは激励するしかないと決めた。
「でもお義母さんが大丈夫っって言えば頑張ればいいよ」「うん・・・」私の了解の返事にも直美はあまり明快な反応をしない。おそらく私と同様に別々に暮らすことを考えていたのだろう。そこで私はもう1つ激励の言葉を送った。
「だって離島医療が君の看護師への原点なんだろう」「そう、そうなんだよォ」電話口で直美がパッと笑ったのが判った。そこから先は市役所での仕事の内容の説明になり、私は返事をしながら励ましの言葉を繰り返した。
「今度は腰を落ち着けて頑張ってよ」「うん、頑張るさァ・・・グスン」最後に直美が鼻をすする音がした。
モリノ直美 (16)
義父が亡くなって久しぶりに直美の妹弟7人が揃った。
今では全員が結婚して子供もいるため義父の葬儀は、義祖父以上に砂川家らしい賑やかなモノになった。葬儀の後の宴席でいきなり砂川3佐・賀真と岸田1尉が私を捕獲した。
「ニィニは部外だからどこまで上がるのかな?」「海自だけに艦長ですかね」「山本五十六みたいに連合艦隊司令長官だったりして」2人はどちらも曹候学生からの部内幹部候補生だが、賀真は1選抜の26歳で3尉になり、岸田は3選抜の29歳での昇任だった。
「俺は部外たって特例のおまけみたいなもんだからな。ここまでかも知れないぞ」「それじゃあ、賀真と大差ないじゃないですか」岸田は制服を脱ぐと殊更に上官になった義弟を見下した言い方をするところがある。
賀真は整備幹部、岸田は兵器管制幹部だからどちらも防衛大学校出身者などのエリートと一緒に勤務しているのだが、幹部の数が多いだけ兵器管制幹部の方が人事的に不利な面があるらしい。
「俺なんか、後はレーダーサイトの運用班長をやって、隊長をやって、島から島、岬から岬、山から山への僻地巡りですよ。いいよなァ、航空団勤務は」岸田の話が愚痴になったところへエプロンをして忙しく酒や料理を運んでいる直美が通りがかった。
「アンタたち、接待に回るんでしょ。仕事の話は家でしなさい」「はい、はい」そう言われて賀真はビール瓶を持って立ち上がったが、岸田は私のグラスにビールを注いで放さなかった。
「紀美も弟に負けたって俺を馬鹿にするんですよ。これからサイト勤務になったら家庭がもつのかなァ」「大丈夫、砂川家の娘なら愛した分の3倍返しで愛してくれるさァ」そこへ紀美がやってきた。
「貴方、ニィニ、身内で飲んでちゃあ困るのさァ」「判っとるけん、そげん、せからしかコツ、言うな」岸田が少し声を荒げたため、紀美は肩をすくめて歩いて行った。
「岸田よ、九州の女は男をおだてて働かすけどな・・・」「おだてられてなんかいません」
「上手くおだてられてるんだよ」私があえて断定的に言うと岸田は不満そうに黙った。
「沖縄の女は一緒に頑張る。私が頑張るって言う育ち方をしてるから九州のように黙って従ったりはしないのさァ」「そうすか・・・」岸田の返事はまだ納得していない。
「だから紀美を従わすんじゃなく、競わせればいいんだよ」「競う?」「俺は仕事を頑張ってるぞ、お前も頑張れってな」自衛隊は九州男児が多く、岸田も今まで九州男児としての気風を捨てる必要はなかったのだろう。しかし、家庭までそれを押し通されては紀美には不満の元だ。私は2人から仲人を頼まれたことを思い出した。
「結婚する時、紀美から岸田も俺みたいに愛してくれるかって訊かれたんだ」「班長みたいに?」「だから、俺みたいにじゃなくて岸田のように愛してくれると言ったんだ」「はい」「相手が自分のことを愛してくれてるって信じられれば、ずっと夫婦でいられるはずだよ」私と岸田の話が真剣であることを感じたのか、砂川6姉妹も声を掛けてこなかった。
「何だか班長の教育を受け直したみたいです」「これがお義父さんへの供養だな」最後にもう一杯、ビールを飲み直して、2人で接待に立ちあがった。

義父が亡くなって1ヶ月後、家の中の片付けも一段落して、直美は市役所の仕事を始めた。
「おカァ、いってきまーす」「いっといで、頑張ってね」「貴方、行ってくるね」直美は母に声をかけるのと同時に沖縄本島の私にも声をかけた。
私もその頃、もう出勤している職場で胸に届く直美の声に合わせて、「頑張れ」と返事をするのが習慣になっていた。
砂川家から市役所までは自転車で10分の距離だ。市役所職員だった紀美もこうして毎朝、自転車で通っていた。しかし、直美は自転車をこぎながら高校時代を思い出していた。
直美の仕事は市役所での介護職員と福祉課長を交えたミ―ティングから始まる。
「マツノさん、今日は新城さんのお婆さんと狩俣さんのお爺さんの注射をお願いします」課長は病院を通じて回って来ている投薬、注射の指示を書いたリストを直美に示した。直美はそのリストと地図を見比べながら今日の行動予定を考えていた。
「今日は方向が違うから島を一周することになるね」「それは御苦労さま」直美の独り言に課長が返事をする。平良市が島内の町村と合併して宮古島市になったため、市職員の担当エリアは広い宮古島全体と言えた。
直美の横から介護職員が家を回る日程調整をしてきた。市の職員が一日に何度も来宅することを喜ぶ老人と面倒臭がる老人がいて、その辺りはベテランの介護職員の意見を聞くしかない。直美は今日も介護職員の日程と意見に沿って回ることにした。
「それじゃあ、病院に寄って注射と薬を受け取ってから回り始めるからね」「それじゃあ、あとで」介護職員には高校の先輩、後輩や同じ集落の幼馴染もいる。直美の離島医療の夢は、ここでも継続され、充実していった。

直美が宮古島で勤め始めて1カ月後、光太郎とジェニーがゴールデンウィーク(ジェニーに祝日はない)に墓参を兼ねて帰省して来て私も那覇から合流した。ジェニーはまだ結婚していないため義父の葬儀には休暇が取れず参列できなかったのだ。
「お祖母ちゃん、お母さん、帰りました」「グランド・マミィ、マミィ、ハロー」「ハイサイ」玄関に着いた光太郎、ジェニーと私が勝手な挨拶をする。これは砂川家の作法なのだろう。その様子に料金を確認している運転手は呆れて笑っていた。
その時、干した家族の布団を交換していた直美が庭から玄関に回って来て、それを見つけて光太郎とジェニーが取り囲み、私は先を越された。
「お母さん、御苦労様でした」いきなり光太郎があらたまった挨拶をしたが、それはどことなく自衛隊的で直美は黙ってうなづいた。
「お母さん、ご無沙汰しています」「はい、お久しぶりです」ジェニーは直美とは久しぶりだが自然に、光太郎以上に丁寧な挨拶をした。
その後ろで私は1カ月ぶりの愛妻に抱きつくタイミングが見つけられずにいた。息子カップルの挨拶が終わり、ようやく直美が私の前に立ち、私はそっと抱き締めて額にキスをした。その様子をみてジェニーが光太郎の手を握った。
「さあ、上がるさ」直美にうながされて光太郎は久しぶり、ジェニーは初めての砂川家に上がった。

翌日は朝からお墓参りだった。光太郎は祖母の指導を受けながら墓参りグッズを準備している。その間にジェニーは直美と一緒に庭の花を切って来た。
「光太郎もエライさァ」「うん、大したもんだ」祖母は私用の誉め言葉を光太郎に掛け、直美と私は砂川家の作法を若いカップルに教えることにワクワクしていた。。
墓までの道もピクニックにでも行くように楽しげで、墓でも家族でハシャギながら石畳を
掃き、墓石を水拭きしている。その横で直美はお供物の準備をしていた。
「光太郎、どうして朝からお墓掃除なの」墓石を水拭きしながらジェニーが光太郎に訊いている。この質問は光太郎も高校生の時、祖母にしたことがあった。
「御先祖様が一番偉いから、先ずお墓から始めるのさ」「ふーん」光太郎の答えは祖母の請け売りだったが、ジェニーは素直にうなづいた。
「ジェニー、ハワイではお墓参りなんてするの?」直美は額の汗を拭きながら墓石を拭いているジェニーに声をかけてみた。私と光太郎は墓の周りの草を抜いている。
「いいえ、命日や誕生日にお墓へ花を持っていくくらいです・・・」ジェニーは返事の途中で雑巾をバケツですすいだ。
「さあ、終わったさァ、みんなでやると早いさァ」直美はそう言ったが、私はこれも日頃から直美が手入れをしているおかげだと知っていた。
掃除が終わったところで、マツノ一家は墓の前に整列した。
「気をつけ」「右へならえ」光太郎の号令で、私とジェニーは自衛隊式に横一列に並んだ。
「3等海佐に号令をかけちゃったぜ」それを見て光太郎は妙に嬉しそうだった。その後ろで直美は線香と花を用意している。
「休め」光太郎の号令を待って直美は光太郎とジェニーを呼んだ。そこでジェニーに花、光太郎に線香を手渡して、土産を持った自分と一緒に墓に供えるように促した。これで準備は完了、、家族全員で手を合わせた。
その時、私は沖縄で信仰されているのは阿弥陀如来ではなく弥勒如来、浄土は西方ではなくニライカナイだと言うことに気がついた。
「南無弥勒世果報」「ナムミルクユガフ」「ナムミルクユガフ」「ナムミルクユガフ」・・・私に合わせて家族全員が念佛を唱えたが、私はこの発見に感動して声が少し震えていた。                
直美は隣でいつもとは違う念佛と声でこの感動に気がついたようだ。
「お父さん、お念佛が上手いねェ、プロになれるよ」念佛を終えると私が本土で修行してきたプロとは知らぬ光太郎が感心したように言った。
「号令の成果だろう」そう言って私は胡麻化したが直美は黙ってうなづいていた。

墓参りの後、居間で私と光太郎はビール、直美と義母、ジェニーはジュースを飲んだ。
「やっぱり沖縄のティダ(太陽)を浴びると元気が出るね」光太郎は少し日焼けしたように見える自分の腕を見ながら呟いた。
「ジェニーには暑かったでしょう」「いいえ、ハワイと同じで懐かしいくらいです」直美の心配にジェニーは微笑んで首を振った。
「そう言えばジェニー、ここは初めてなんだよな」「そうかァ、前回は江田島だったね」私の言葉に直美と義母、それに光太郎とジェニーはあらためてうなづき合った。
「お父さん、那覇ではどんな仕事をしてるの?」ここで光太郎が話を替えた。光太郎も江田島での充実した仕事ぶりを記憶していて今度の異動でそれがどうなったのか心配と興味があるようだった。
「配置としては隊本部の個人訓練担当幕僚だな」「クンサ(訓練幕僚)じゃないの?」「その下だよ」「同じ航空群だけど微妙に違うんだね」私の返事を聞いて光太郎は少し落胆したような顔をした。隊員の定員は定められているが実際の配置はある程度、部隊長の所定になっている。私の場合、尖閣対処と言う密命もある配置だから八戸の第2航空群にはないかも知れない。
「それでイザとなったら陸戦隊を率いて現地に乗り込むのが本業だな」「現地って尖閣諸島ですか?」「オフコース!バッド イッツ ア シークレット」私の英語の返事に光太郎は相変わらず助けを求めるようにジェニーの顔を見たが、口移しの英語力はかなりのレベルアップしているはずだ。
「でも、尖閣諸島の防衛は14旅団(沖縄の陸上自衛隊)の仕事でしょう?」「先にウチらが行くんだとさ。陸には脚がないだろう」光太郎の疑問は至極当然だったが、あくまでも机上のプランだとは言えなかった。
「お父さんって、そう言う役回りばっかりなんだね」「そうだけど沖縄に帰れてよかったよ」「ところで2佐はまだですか?」「お前こそ、海曹はまだなのか?」こんなやり取りに私と直美は、しばらく会わない間に息子が随分大人びて、モノを深く考えるようになったことを感じて顔を見合わせた。
「階級よりも愛する沖縄のために働く任務を与えられたことの方が嬉しいな」「お父さんらしいな」「本当です」私の返事に光太郎とジェニーは笑って答えた。

「沖縄は気に入ったかい?」休暇を終え、青森空港から八戸のアパートへ帰る車の中で光太郎は助手席のジェニーに訊いた。車は休暇、空港の基地の駐車場に停めていた。
「ウン、ハワイにそっくりだね」ジェニーはサンゴ礁の海に沈む夕日を見ながら答えた。光太郎も高校時代、ハワイに行った時に同じ感想を持っていた。
「でも父さんと母さんは今、本島と宮古島で別居してるんだよ」「そうなの?前よりも熱愛になってたみたいだけど」「だよね」光太郎は安心した顔でうなづく。ジェニーは以前よりも2人の距離感が近づき、ほとんど密着しているように感じたのだ。
「それに」「それに?」ジェニーは真顔になって運転している光太郎の横顔を見た。
「あの家には大勢、家族がいるみたい」「家族が?」「お墓にも家にも、貴方のお祖父さん、お祖母さんたちが皆、一緒にいるみたい」「フーン、そうかも知れないな」光太郎はご先祖さまの存在を当たり前にしている砂川家の暮らしぶりを思いうなづいた。

光太郎は正月休暇でジェニーとハワイへ行った。
「ジェニー!」ホノルル空港に出迎えてくれたジェニーの家族はかわるがわる娘を抱き締め頬にキスを繰り返している。光太郎は一歩離れ、感心しながらそれを眺めていた。
「OH、コーターロ、アロハァ」「コタロウ、ウェルカム」「コータッロ、ハワユー」一通り娘を歓迎したところで今度は光太郎の番だ。この歓迎はかつて父が宮古島へ行った時と全く同じ流れだった。光太郎はジェニーの母からレイをかけられキスをしてもらった。
ジェニーの島まではホノルル空港から飛行機を乗り継いだ。実家は海沿いの通りにあり、ジェニーの部屋の窓からは海が見え、潮騒が聞こえてくる。光太郎は何だか宮古島へ帰省しているような妙にリラックスした気分になり、ジェニーが自分の実家で我が家にいる様にリラックスしている訳がよく解った。
「コータロォ」家族たちは練習をしたのか、次第に光太郎の名前を巧く呼べるようになってきた。兄と弟はホノルルで働いていたが今回は休暇を取り実家へ帰っていた。
「弟が1人増えるだけ」「兄貴が1人増えるだけ」と兄弟はごく自然に光太郎を受け入れ、「泳ぐ」「遊びに行く」「飲む」と休暇中、あちらこちらへ連れ回して楽しませてくれた。光太郎は長年の夢だった兄弟が、それも一度に2人も出来たことが嬉かった。

「光太郎、八戸には何時までいられるんだ?」ある日、三沢の官舎へ遊びに行った光太郎に賀真が訊いてきた。ジェニーは賀真の妻と台所で食事の支度をしている。
「それなんですが、先ずは海曹になることで、その後もジェニーとワンセットにしたいと思ってるんですが・・・」「そうだろうな、折角、日米両海軍の水兵同士の結婚をうっかり別々に移動させてジェニーが退職するなんて言い出したら海自としても米海軍に申し訳ないことになりかねないからな」賀真の返事はやはり幹部のモノだった。
ただ、アメリカ海軍は軍と個人の事情の間には明確な一線を引いており、ジェニーが退職しても海自の責任を問うようなことはないだろう。
「俺はいよいよカミさんの地元に家を建てて、ここから先は単身赴任だ。上手く千歳へ戻れるといいがな」「ウチの幹部も希望通りにならないって言ってますけど、叔父さんは千歳に帰れそうですか?」「希望通りにいかないこともあるよ。紀美ネェネのところも北陸だからな」紀美の夫・岸田は兵器管制幹部だが福岡県出身だけに西部航空方面隊を希望しながらも現在は経ヶ岬の第35警戒群に勤務している。
「もし、岸田1尉が三沢に転属してくれば私は助かりますね」「そうだな」光太郎のチャッカリした話に賀真は可笑しそうに笑った。
三沢に紀美叔母が来てくれれば頼る相手が確保できるが岸田は希望していないだろう。
「まあ、2空団のメンコン(整備統制)班長はもうやったけど、司令部か、隊長なら千歳もあるかな」「幹部の人事は色々ややこしいんですね」光太郎は人事制度のからくりに混乱していた。
「海の仕組みはよくわからんぞ、幹部も1カ所で長いみたいだからな」確かに光太郎の周りでも東北出身の海曹はそのままの場合がある。
「その前にお前らはいつ結婚するんだ?」「俺はまだ20歳ですよ」「お前の祖父さんは20歳で結婚したんだぞ。ジェニーの親にも会ってきたんだろう」叔父の言葉に光太郎は黙ってうなづいた。
「先ずは2人とも海曹になることです」光太郎の意外に真面目な考えに賀真はソファーから身を起して真顔で話を続けた。
「お前は宮古島の家の跡取りだぞ」賀真の言葉に光太郎は叔父の顔を見詰めた。
「だったら1人息子の叔父さんが帰って下さいよ」「俺は駄目だ、宮古島の家はお前の両親に任せたんだからな」「ずるいなァ」賀真の身勝手な話に光太郎は不満そうだったが、同時にハワイ生まれのジェニーは宮古島を気に入るかも知れないと考えた。
それにしても厚木なら同じ基地だが、嘉手納と那覇では三沢と八戸以上に離れている。沖縄へ移動してからも共働きすることが不安だった。

3月、賀真は希望に反し入間へ転属した。ただ、入間からなら輸送機で直接千歳に帰宅できるので悪い話ではない。一方、紀美の家族はまだ経ヶ岬に住んでいる
「ネェネ、舞鶴に遊びに行ってきたさァ」紀美からの絵ハガキが宮古島に届いていた。
「経ヶ岬かァ、一緒に行った天橋立の近くだよね」「うん、日本三景でも天橋立は綺麗だったな」絵ハガキの住所を確かめながら直美が呟いた思い出話に私が答えた。
「綺麗と言うよりも変な景色だったさァ」「福岡の海の中道も同じ長い砂浜さ」私は防府から直美と光太郎と3人で行った「海の中道海浜公園」のことを話した。
「ホワイトビーチにも似たような風景があるさァ」すると直美は勝連半島から津堅島へ伸びる砂浜のことを思い出したようだ。
「うん、一緒に防波堤に座って眺めたさァ」「始めてキスした海だよ」「うん・・・」直美がうっとりした眼になったのを見て私は耳元で囁いてみた。
「キスするさァ」「貴方ってやっぱりキスするのにもチャンと断るんだね」同じ台詞を再現しながら直美は、あの時と同じように目を閉じた。私は、そっと直美の唇に唇を重ねた。あの時と同じように心臓が高なってきた。
「ねえ」「うん?」長いキスを終えたところで突然直美が意外なことを思い出した。
「そう言えば富士山にへ行くの忘れてた」実は沖縄へ帰る前に本当の富士山にも行くと決めていたのだ。
「今度のゴールデンウィーク、富士山へ行こうよ」「うん、でもあそこは車がないとなァ」富士山と富士五湖は車で1周しないと面白味がないのだ。
「入間の賀真から借りればいいさァ」「そんなこと言うとアイツも着いてくるぞ」「昔からお邪魔虫だったもんね」「そうそう・・・」直美の台詞に、何故か私たちにいつもくっ付いていた賀真の幼い頃を思い出して笑った。
また1つ、楽しみが出来たが愛知に帰省する話にならなくてよかった。

尖閣の問題が刺激になり、陸警訓練も練度が上がってきた。
「訓練、ニイタカヤマノゾメ、XXXX(時間)」の一斉放送が入ると尖閣諸島対処要員は業務、作業の有無に関わらず武器庫のある隊舎前に集合する。
この略号は言うまでもなく真珠湾攻撃の「ニイタカヤマノボレ」を言い換えて「(台湾にあ
る)新高山を望め」と洒落たものだ。
隊舎前では先任伍長が人員を確認して私に報告、編成をとり、武器、弾薬を受領するのが訓練の手順だ。私はそこまでの時間を計り、欠員の名前を確認した。
そこからグランドへトラックで移動して配備につくのだが、わが第5航空群には専門の陸警部隊がないため編成上の余裕がなく、長期間の配備には無理があった。
こうしているうちに東京の幕僚が机上で考えた尖閣諸島への対処の輪郭が、次第にはっきりしてくるようだった。

「ニイタカヤマノゾメ、1500」その日も尖閣対処の名目で基地のグランドで訓練を行った。
「不法侵入の状況現示」私の指示で指揮所にいた群本部の海曹がグランドの地図で侵入経路を確認して出て行った。彼には今回「日本語が判らない」と言う設定にさせてある。天幕の外で様子をうかがっていると、彼が不法侵入の状況を始めた。
「止まれェ!」やがて監視要員の誰何する声が闇夜に響いてくる。しかし、指示通り彼はそれを無視したようで、「止まれ」の声が繰り返された。
「ストッープ!」やがて別の声が英語で誰何をしたのが聞えてきた。しかし、彼はそれも無視したのか「スタップ」「スターップ」と発音を変えている。
「日本語が通じなければ英語で」と言う発想は悪くはないが指揮官兼指導官としてはこれをどう評価するのか難しいところだ。
「英語は国際標準語であるから、それで誰何をすれば、通じなくても可」と言う理屈は成り立つが、国際法上の明確な規定はない。
やがて「テイシ」と言う声が聞えた。どうやら「停止」のことらしい。確かに漢字の音読みではあるがそれが中国語としては通じるかは不明だ。
やがて不法侵入者になったはずの海曹の笑い声が聞こえてきた。しかし、このような咄嗟の創意工夫も隊員の問題意識と言えなくはない。そこに改善のヒントがあるのだから。

1ヶ月に1回の帰宅には宮古島空港まで直美が迎えに来てくれる。
日程は金曜日の最終便で那覇から帰り、日曜日の最終便で那覇へ戻る。つまり石垣島への遠距離恋愛の頃と同じだった。
「貴方ァ、お帰りィ」「会いたかったよ」「私もだよ」空港のロビーに出ると駆け寄ってきた直美を周囲にかまわず抱き締めた。
この歳になると流石にキスまではしないが気分はあの離島での再会に戻っている。いい歳をしたカップルが熱愛気分丸出しで抱き合っているのを観光客は驚いて、地元の人たちは呆れた顔で眺めてくるが気にはならなかった。その点でもあの頃と同じなのだ。
私のニライカナイ・直美
家に着くと義母に挨拶をし、墓参りをしてから夕食、そして直美と一緒に入浴となる。
「貴方、仕事はどう?」「うん、毎日充実してるけど限界も感じてるなァ」交代で洗い合って一緒に湯船につかると体が密着し、そこで直美が訊いてきた。
「限界って?」「政治的判断って言う奴が絡むから現場じゃあ何ともならないことが多いんだ」私の説明に直美も納得した顔でうなづいた。
「ふーん、難しいんだね」「警備行動の二の舞は嫌だからな」停止した不審船を目の前にしながら手を出せなかった政治的判断を思うと流石の私も歯ぎしりせざる得ないのだ。
「でも、今の貴方の顔、燃えているよ」「素敵かい?」「うん、素敵だよ」いつもは私が言う台詞を今夜は直美が言ってくれた。
「君も充実してるね」「うん、やっと慣れてきたさァ」こうして輝きを増した直美の目を見ているとこちらも嬉しくなり元気が湧いてくるのだ。
その時、直美が私の肩に頭をもたげ掛け、私も直美の肩に手を掛けて肌触りを確かめた。
「直美・・・」「貴方・・・あれっ、元気になったね」直美が「大発見した」かのように私の体の変化を確かめると、私は愛おしい妻の手のひらサイズの乳房に手を伸ばし、直美は手の動きに息を止めて身を任せた。
私は1カ月ぶりに触れる妻の身体を愛おしさと懐かしさを込めて愛撫した。
「準備完了、ここでいい?」「馬鹿、後でさァ」そのまま後ほど布団でする営みの予告のように口づけを交した。

翌日、義母を市民病院の定期検診に連れていくのにつき合った。義父を失くして弱っていた義母も元気になっていて、駐車場から建物まで先に立って歩いて行き、私たちは後ろについて、そんな様子を確かめながら微笑んでいた。
「流石はプロがついていると快復が早いなァ」「貴方のおかげさァ」独り言のような誉め言葉に直美はそう答えながら手を握ってきて、私は昨夜の愛の営みを思い出して胸を高鳴ならせた。そうして手をつないだまま病院の自動ドアに入り、広くはないロビーに入った。
病院の受付は待合室の奥にあり、直美に顔見知りの職員さんが声を掛けてきた。
「マツノさん、ハイサーイ」「こんにちは」沖縄では病院も元気だった。
「今日も仕事ね?」「今日は母の検診さァ」そう答えて直美は義母の診察券を差し出した。
カウンターで直美と義母が職員と受診手続きをしている間、私は数歩後ろで待っていた。その時、待合室にいる年配の患者たちが話し合っている声が聞えてきた。
「マツノさんさァ」「今日は掛かるみたいさァ」「でも、マツノさんは、いつも元気さァ」患者たちの話に私は直美の相変わらずの仕事ぶりが判って嬉しくなった。
「隣の人、お母さんだろ」「きっとそうさァ、同じ顔してるさァ」言われて眺めると確かに似た者母娘である。義母と直美は20歳しか違わないので姉妹と言っても通じるかも知れない。
「お母さんを連れて来たんだ」「いいなァ、マツノさんを貸し切り何だァ」お年寄りたちは口々に通院にも直美が付き添っている義母を羨ましそうに言うが、義母の病気のため単身赴任を始めた私としては「貸しているのは俺だァ」と言いたかった。
受付を終えたので直美を真ん中に3人揃って空いている長椅子に座ると、前の席の老人が振り返って話しかけてきた。
「マツノさん、ハイサイ」「あら、こんにちは、今日は通院ねェ」それは市役所の仕事で巡回している老人の1人だった。直美が挨拶に続き今日の受診の内容を訊いている間、私と義母は両側から直美の横顔を見ていた。するとアチラコチラの席のお年寄りが顔を向けて挨拶してきた。
「旦那さんね?」「そうさァ」「ハイサイ」1人の老婆がいきなり私を指さして訊いてきたので私もいつもの挨拶をした。
「旦那さん、ナイチャーねェ」「はい、島ナイチャーです」お年寄りたちは私の返事を聞いて呆気にとられたような顔で直美と私を見比べた。
「旦那さん、好い奥さんを持って幸せさァ」「この人が、好い旦那さんなのさァ」老婆が私にかけた台詞に直美が反論すると待合室が盛り上がってきた。
「本当、優しそうな旦那さんさァ」「離れ島まで会いに通ってたのを聞いたさァ」私たちに関する知っている情報の暴露合戦になると私と直美は聞き役に回るしかない。その間にも、お年寄りたちは1人づつ呼ばれて、それを直美は仕事の顔で確認していた。

「貴方、頑張ってね」「君も頑張ってな」日曜日の夕方、宮古島空港で見送られる時には2晩の愛の営みの余韻を引きずって2人とも熱愛が燃え上がっているから当然、送迎ロビーで熱烈な出撃のキスをした。
そして、私は作法通り姿勢を正して敬礼をし、搭乗口へ入っていくのだが、「こんな生活があと何年も続くのか・・・」と思うと引き返してもう一度、妻を抱き締めたくなった。

私は海開きしたばかりの宮古島の海で泳ぎたかった。
「直美、泳ぎに行こう」「うん、いいよ」直美は快諾してくれた。
「ビキニを買いたいなァ」「もう乳房(にゅうぼう)がないから無理さァ」確かに元々控え目だった直美の胸は最近、かなり引っ込み思案になっているようだ。引っ掛かる出っ張りがなくてはビキニが脱げてしまう。愛しい妻のヌードを一般公開する訳にはいかない。と言うことでビキニは諦めることにした。
直美がタンスから出してくれたハーフパンツ式の海パンを受け取って着替え始めると自分の水着を出した直美が追い出そうとした。
「出て行ってよ」「何でよォ、一緒に風呂に入ってるさァ」「それとは違うのさァ」直美は手で「アッチヘイケ」のゼスチャーで私を追い出すと襖を閉めてしまった。
確かにこの恥じらいが直美の魅力ではあるがヌードを見損なったのは残念であった。私は着替えながら昨夜、風呂で見た直美のヌードを思い出した。その後、布団の中の営みが続いたのだがイメージはやはりこちらだ。
私が着替え終わると直美も江田島のPXで買った水着の上にTシャツと短パンをはいて襖を開けた。私は海パンにTシャツだ。
「お待たせェ」「ううん、俺も今終わったところさァ」私たちは顔を見合わせた。やはり仕事を頑張っているだけに直美の身体はよく引き締まっている。それはそれで美しいと見惚れてしまった。

「おカァ、ビーチへ泳ぎに行って来るさァ」「2人でいいさァ」義母は居間でテレビを見ながら冷やかしてきて、それに2人で顔を見合わせた。
沖縄のビーチは砂ではなくサンゴの破片なのでビーチサンダルでは危ない。と言うことで運動靴を履いて家を出た。まだ午前なので日差しはそれほどではなかった。
「海に抱かれて男なら たとえ一つでも 燃える夢を持とう・・・」2人で歩きながら加山雄三の「海・・・その愛」を口ずさむと、もう聞きなれている直美も合わせてくれてデュエットになった。
「海よ 俺の海よ 大きなこの愛を・・・」そのまま2人で歌い切った。
「もう、完璧だね」「うん、貴方のテーマソングだもん」私が大袈裟に誉めると直美は「当たり前」と言う顔でこちらを見た。
そんなことをしているうちに海岸に着いたが、日曜日の海岸は家族ずれが水遊びをしているくらいで意外と空いている。海開き直後では地元の人にはまだ早いのかも知れない。私と直美は向い合って準備運動をすると一緒に海に入った。
「まだ水が冷たいさァ」「泳げば温まるさァ」そんなことを言いながら腿まで水に入ったところで私は直美に水を掛けた。
「ひゃーッ、冷たい」「やったなァ」「やられたァ」直美が水を掛け返して2人は年甲斐もないカップルになった。
「泳ごう」「うん」お互いシャワー代わりに頭から濡れたところで私が言った。そして、揃って沖のリーフ(サンゴ礁)に向かって泳ぎ出した。
干潮時のリーフは腰を下ろせる堤防のようなもので2人並んで休憩をしながら話をした。
「昔、宮古島も津波にやられたんだよなァ」「うん、そうさァ」琉球王国の頃、宮古島は大津波に襲われ島が壊滅したことを聞いたことがあった。その時は島の一番高台の上まで波が押し寄せたと言われているが、最近の調査では中腹くらいまでだったと言われている。
「その津波で死んだ人たちは浄土へ行けたかなァ」「うん、阿弥陀様も忙しかったろうなァ」
そんなことを考えながら私が手を合わせると直美も合わせた。
「南無阿弥陀佛、南無阿弥陀佛・・・」「南無阿弥陀佛、南無阿弥陀佛・・・」私が念佛を始めると直美も声を揃え、今度は念佛のデュエットになった。

泳いでビーチへ戻ると直美は「光太郎に送ってやろう」と言って砂浜で南洋系のタカラ貝を探し始め、私も頭をつき合わせて手伝った。
「光太郎は宮古島を故郷って思ってくれてるかなァ」「うーん、本土で育ったからね」こうして息子のため両親がやっていることの割にアベックの戯れとして楽しんでしまうのはどうしようもない。実際、直美とこうしているのは楽しかった。しかし、息子・光太郎とは前回の帰省以来、もう随分会っていない。
「ジェニーも泳ぎは得意なのかなァ」「そりゃあ、ハワイ生まれで海軍軍人だからね」「だったらゴールデンウィークと夏期休暇は宮古島に帰らそうかァ」直美が姑の顔になって提案する。しかし、ジェニーは江田島と宮古島へ1回ずつ、光太郎はハワイへ1回帰省しているので、今度はハワイへ行く番だろう。
「光太郎は帰省してくるのも役割さァ、この家の長男だもん」そう言われれば光太郎は宮古島の砂川家の跡取りだ。ただ、私自身も長男であるのに実家とは縁を切り、砂川家の長男である賀真も道産子になり切っている。それで光太郎にばかり長男の役割を求めるのは少し気が引けた。
「それよりも、いつ結婚するのかなァ?」「うーん、おトウには負けたね」義父・賀満さんは19歳で義母・直子さんを妊娠させ、20歳になってから結婚した。光太郎は21歳になっているから1年遅れたことになる。
「そんなことを競ってどうする」と呆れてしまったが。

帰り道、今度は口ずさむ曲が違った。
「目を覚ましてみると 白い砂は焼けて 眩しい日差しと いたずらな瞳が・・・」直美はこの曲の歌詞を覚えていないようで鼻歌で合わせた。
「・・・ララ 夏の少女よ 強く抱きしめて 2人のすべてをここにしるしておこう」私も一番しか覚えていなかったのでそこで終わって直美の顔を見た。
「こっちは直美のテーマソングさァ」「もう私は『夏のおバア』さ」私の台詞に直美は照れ笑いをして答えたが、私にはいつまでも「常夏の島の少女」なのだ。

家に帰って2人でシャワーを浴びようと思ったが直美が拒否した。
「なんでさァ?」「昼間から恥ずかしいさァ」先ほどまで水着姿を堪能したので今度はヌードのつもりだったが直美には直美のルールがあるらしい。それでもドア越しの話にはつき合ってくれているので納得することにした。
「貴方ァ、さっきの泳ぎ方はバタフライでしょ」「うん、練習しようかァ」直美は私が教えた平泳ぎとクロールが専門で背泳ぎとバタフライはマスターしていない。
「いいさァ、疲れそうな泳ぎ方だもん」「確かに、楽じゃあないな」「でも格好いいさァ」波をバックにしてダイナミックなバタフライは絵になるのは間違いないだろう。
そこまでで私はシャワーを終えて、直美がドアから差し入れたバスタオルで身体を拭き始めた。続いて直美は下着を差し入れてくれるが、それでも顔は出さないようだ。これも直美なりのルールなんだろう。したがって私も直美がシャワーを浴びるのを覗くことはしなかった(当然だが)。

ある日、外回りから戻って机に向かっていると突然、隊司令が部屋に入ってきた。
「司令、入室!」私の声に同室の隊員たちは一斉に起立して姿勢を正した。それに対して隊司令は「休め」と指示を与え私の前に真っ直ぐ歩み寄った。
「マツノ3佐、先っきから呼んでいるのに何故来ない」「えッ?それはスミマセン」連絡されてから時間が立っているのだろう、隊司令の顔はかなり立腹しているようだ。しかし、平身低頭したが私は「隊司令が呼んでいる」との連絡は受けていなかった。その時、視界の端に大下2曹の引きつった顔が見えた。私は咄嗟に状況を察して、もう一度隊司令に頭を下げた。
「ついでに御報告をと思いまして資料をまとめているうちに時間を過ごしました」私の説明(=言い訳)に隊司令は少し機嫌を直したような表情になった。
「そうか・・・こちらはそれほど緊急な用件ではないから一緒に報告してくれれば結構」「申し訳ありません。後ほど伺います」「うん、わかった」隊司令はそれだけを言うと部屋を出ていって、同時に隊員たちがその背中を見送りながら一斉に息を吐いた。私も溜め息をついて席に座ると作りかけていた資料作成を急いだ。
取りあえず訓練に関する資料を急ごしらえして報告を終えると、隊司令の用件は同居する航空自衛隊第83航空隊や南西航空警戒管制隊などの組織や任務の確認だった。最近、隊司令も私が航空自衛隊出身であることを知ったらしい。どちらにしろ緊急性、重要性はそれほどでもなかった。

報告と説明を終えて自分の部屋に戻ると他の隊員は出払っていて、大下美幸2曹だけが残っていた。私が席に着くと大下2曹は私の前に立った。
「マツノ3佐、先ほどはスミマセンでした。私が電話を受けていて御連絡を忘れました」大下3曹は私の目を見ながら報告すると敬礼よりも深く頭を下げた。
「そうかね、俺は自分のド忘れだと思ってたがな」この台詞は言う人によっては皮肉に聞こえるのだろうが大下2曹は私の性格を知っているようで顔をひきつらせて言葉を続けた。
「そんな風にかばって下さらなくても・・・私のミスなんですから」「いいよ、俺はミスになれているからァ、今更1つや2つ、ハッハッハッ・・・」私が場を和ませようと笑うと大下2曹の目に涙が浮かんだ。
「そんなに深く反省していたのか」と戸惑いながらも私は話を続けた。
「俺なんか飛行機を落としそうな重大ミスを何度も犯してきたんだから今更どうってことないよ。君もこれから気をつけてくれればいいさ」「そんな・・・」励まそうとすればするほど大下3曹は自分を責めてしまうようで涙を零した。
私が黙ってハンカチを渡すと、それを受け取って大下2曹は泣き出してしまった。
「大丈夫、隊司令の話はそんなに緊急性はなかったから・・・本当に雑談だったんだよ」私はハンカチで目元を拭いながら頭を下げる大下3曹に声をかけ続けた。
「大下君は笑顔が素敵なんだから、涙は似合わないよ・・・」私の慰めに大下2曹はさらに涙を流し、ハンカチで目を拭いながら自分の席に戻って鼻をかんだ。私は呆れながらそれを見ていた。

「ハンカチ、どうも有り難うございました」翌朝、出勤すると大下2曹が薄くて軽い箱を手渡した。どうやら中身は新品のハンカチらしい。大下2曹がワクワクした顔で見ているので中身を確認することにした。包装紙をはがして箱の透明の窓から中身を覗くと、それはジバンシーのロゴが入ったネービーブルーのハンカチだった。
「これはブランド物じゃあないかァ、こんな高い物をいいのかい?」「はい、私の気持ちです」大下2曹は興味深そうに覗いている周囲に気を使い「お礼」とも「お詫び」とも言わなかった。
「ジバンシーかァ・・・?」私は見るからに高そうで自分に不似合いなハンカチを眺めながら困惑し、そんな様子を大下2曹は何故か嬉しそうに見ていた。突然、私はひらめいた。
「そうか、これかァ・・・」「ピンポーン 大正解です」私がそう言いながら自分の腕をかぐと大下2曹は拍手しながら笑った。私のコロンは直美の趣味でジバンシーの柑橘系なのだ(シークワサーと呼んでいたが)。
「俺のコロン、よく判ったね。ありがとう」「いいえ、こちらこそ有り難うございました」この「有り難う」で大下2曹の「気持ち」が昨日の慰めに対する感謝であって、お詫びではないことが判った。同室の海曹たちも経緯は知っているようで黙ってうなづいていた。
「ネービーブルーって言うのがいいね」と私が誉めると大下2曹は「マツノ3佐のイメージカラーです」と笑顔で答えた。
「この包装紙は三越だな」そう言って私が席に座り包装紙を畳み始めると大下2曹はその手元を覗きこみながら「本当にマメですよねェ」と今度は感心した。
「こうしておけば包装紙もまた使えるだろう」私の所帯染みた台詞にさらに感心する。大下2曹の台詞にベテラン海曹たちは顔を見合せながら勝手なことを言い出した。
「そんな教育をWAVEたちにしていただきたいですね」「マツノ3佐の花嫁講座ですね」ベテランの海曹たちには単身赴任者も多い。しかし、内務生活であまりこの種の手間をかけることはしないようだった。
「学生長は大下2曹に決まりィ」彼女の上司の1曹がオチをつけて朝の空気が軽くなった。そう言えば大下美幸2曹は30代前半で独身、やはり浮いた噂も聞いていない。

翌週、私は宮古島に帰省した。沖縄は梅雨明けして夏本番、宮古島空港まで迎えに来た直美は少し日に焼けていた。
「貴方、おかえりなさい」「うん、ただいまァ」そう答えながら私は勝手にキスをした。
「ウ・・・ン」いきなりキスをされて直美は口の中で何かを言ったが、それでも構わずキスを続けると直美も背中に手を回してきた。最近は宮古島空港の職員たちも、この年甲斐のないアベックの素性が判っていてロビーでのキスにも驚かなくなっているようだ。
2人で車に乗り込むと直美が話を始めた。
「この間のタカラ貝を光太郎に送っておいたさァ」前回の帰省で一緒に見つけた貝を八戸に送ったらしい。それで帰省のことがどうなったのか気になったので訊いていみた。、
「ふーん、それで光太郎は何か言ってきたかい?」「ジェニーが宮古島にへ帰りたくなったって言うのさァ」「ウチに帰りたい?」「うん、ハワイの代わりだって」確かにハワイへ帰ることを思えば宮古島の方が安上がりだろう。ジェニーが宮古島を故郷と思ってくれるなら嬉しい話ではある。
「それじゃあ、帰省してくるな」「でも、ジェニーはこっちで勝手に結婚させる訳にはいかないよね」そう言うと直美は残念そうな顔で前を向いて車を発進させた。

一緒に風呂に入った後、直美の機嫌が悪くなった。
「テンジンさん、このハンカチは何ねェ」洗濯物の中に例のジバンシーのハンカチを見つけた直美は隣りで歯を磨いている私にそれを突き出して訊いてきた。私は何も考えずローテ―ションでハンカチを持ってきてしまったのだ。
「それはもらいものさァ」「誰に?」「職場のWAVEさん」「江田島で一緒だった人ねェ」「そうです」直美の驚くべき記憶力とキツイ口調に私の返事は次第に低くなった。
「何で、こんな高い物をくれたんねェ」「それは今から話すよ」「訊かれなければ隠すつもりだったんねェ」「それはウェッティ・クローズ(濡れ衣)さァ」私は冗談で誤魔化そうとしたが今夜の直美には通じなかった。怒られながら私は直美の珍しい態度に戸惑っていた。

布団の中で腕枕をしながら先日の顛末を話すと直美はため息交じりに呟いた。
「貴方は誰にでも優しくするからいけないのさァ」「はい」素直な返事に直美は私の顔を目に映しながら話を続けた。
「貴方の優しさは私だけに使いなさい」「「勿論、そうしてるさァ」「本当?」「判らないかァ」「判ってるよ・・・」そう言いながら抱き締めて、いつもの手順で身体を味わっていくと喘ぎ声の中で直美は首筋に腕をまわして「優しさ」を受け入れた。

ある時、私は訓練資料の中に懐かしい映画「日本海大海戦」のDVDを見つけ、持ち帰って直美と一緒に見ることにした。映画は最初の見せ場、広瀬中佐の旅順港閉塞作戦だった。
「この広瀬中佐って加山雄三じゃないの?」「うん、そうだね」私は加山雄三の歌をカラオケの得意ネタにしているので直美もよく知っているようだ。
「旅順港閉塞作戦って何なの?」「旅順港は出入り口が狭いから船を沈めて塞ごうって言う苦し紛れの作戦だな」「ふーん、苦し紛れかァ・・・」直美が素直に納得してしまい、英雄・広瀬中佐に申し訳なくなった。江田島では東郷平八郎元帥を本尊として広瀬中佐と佐久間艇長を両脇侍に祀っているのだ。
「そう言えば広瀬中佐にはアリアズナってロシア人の恋人がいたんだよ」「ふーん、外国人の彼女かァ・・・」直美は意味ありげな笑いを浮かべて私を見たが無視した。
続いて日本海海戦に先だって行われた地上戦のハイライト・旅順要塞攻撃になった。直美は画面に展開している第3軍の旅順要塞への肉弾攻撃を見ながら訊いてきた。
「陸上自衛隊ってこんな仕事なの?」「昔はこんなものだね」「でもあんな風にバタバタ死んじゃうなんて怖いさァ」直美の意見はやはり母のものだ。ただ、それを言うなら我が海軍も艦が沈む時にはブクブク死んでしまうのだ。
「あれは乃木が馬鹿だったんだよ。今の指揮官はあそこまで愚かじゃあないだろう」とは言ったが私自身、仕事でつき合いがある陸上自衛隊の幹部たちの常識的思考しかできない人間性には大いに疑問を感じている。兎に角、教範にある通り、上司の言う通りにしか考えることをせず、それ以上の発想はないのだ。そこで少し話題を替えてみた。
「そう言えば昔、二百三高地って映画を見たなァ」「いつ頃?」「大学1年だったね」「それじゃあ私はまだ高校生さァ。見てないよ」「そうだろうね」反戦教育が強い沖縄で戦争映画を生徒に見せるはずがないだろう。しかし、戦争の悲惨さを訴えるために見せる手もあるが、そんな手間は掛けないようだ。
「でも主題歌は知らないかァ?」「どんな歌ねェ」そこで私はテレビから目を離さずに「防人の詩」を低く口ずさんでみた。
「教えて下さい この世に生きとし生ける者の 全ての命に限りがあるのならば 海は死にますか 山は死にますか・・・」「うん、貴方がカラオケで唄ったのを聞いたことがあるよ」そう言えば、この歌のレーザーディスクの画面が二百三高地の戦闘シーンとあおい輝彦と夏目雅子のラブシーンだった。

旅順要塞が陥落して、いよいよ我が海軍の誇り日本海海戦になった。
「日本海軍の制服って品がよくて格好いいさァ、海上自衛隊もこれにすればいいのに」隣りに並んで見ていた直美は意外な反応をした。
「うん、『なごりゆき』の副長は制服代わりに愛用していたらしいけどな」「ふーん、貴方もする?」「沖縄じゃあ、マズイよ」と答えながらも私は満更でなかった。しかし、海軍陸戦隊としては緑色でネクタイを締める第3種軍装の方に憧れがある。とは言っても相変わらず反自衛隊勢力が生き残っている沖縄では着る機会もないだろう。
すると映画は宮古島の漁師が、バルチック艦隊の接近を通信施設がある石垣島までサバ二で行った場面を描いていた。
「そう言えば平良港にあるサバニは、この戦争の時の記念碑なのさァ」「ふーん」「バルチック艦隊を見つけたって通信施設がある石垣島まで漕いで行ったのさァ」「知らなかったァ」高校生まで勉強家の優等生だったはずの直美もこの話は知らないようだ。考えてみれば沖縄の教師が戦争に協力した話を教える訳がない。
「でもサバ二が石垣に着く前に海軍の哨戒船・信濃丸が見つけたんだけどね」「そうかァ、無駄になったんだ」「でも一刻も早く知らせようと必死に櫓を漕いだウミンチュウはエライなァ」「まるで貴方が自転車でコザまで来てたのみたいさァ」直美は島の英雄・ウミンチュウと若い頃の思い出を重ねてウットリした顔をした。
「うん、俺も直美に会いたくて必死だったよ」私も場面から目を離して直美の顔を見た。
何時もならそのままキスになるのだが今夜は映画が気になってそうはいかなかった。
宮古島・日本海海戦のサバニ
翌朝、平良港へサバニを見に行った。
「このサバニ、昔からなんで飾ってあるんだろうって思ってたのさァ」「ふーん、オジィやオトゥも説明してくれなかったんだァ」「うん、私が貴方と結婚するまで自衛隊や軍隊の話なんてしなかったもん」これは別に沖縄だけの話ではなく、私の実家も似たようなものだった。むしろ自分たちの常識で息子の仕事を否定する分、砂川家以上に性質が悪いのだ。
「そう言えば昨日の映画の主人公だった東郷平八郎っって江田島で名前が出てた人?」「うん、日本海軍の神様だね」やはり学校では戦争の歴史について習っていなかったようで、東郷平八郎と言う名前は憶えていても、「偉い人」以上の認識はなかったようだ。
「俺の場合、東郷元帥になろうと思ったら乃木大将になっちゃったみたいだけどな」「ふーん」私の妙な言い方に直美は首をひねった。確かに結婚した時は航空、その後海上に移り、今やっている仕事は陸戦隊なのだ。私自身も波瀾万丈、流転の自衛隊人生はそのままドラマになりそうだと思っている。
「貴方なら私の島までサバニで来てくれそうさァ」「うん、石垣島からならそうしたかもな・・・ウインドサーフィンで」日露戦争当時の海軍大臣・山本権兵衛は若い頃、売られてきたばかりの芸者に惚れて、初めて客をとる夜、同期とカッターを漕いで略奪して結婚したと言う。私は答えながら本当にそうしている自分を思い浮かべ、直美も同様なのか笑いながら手を握ってきた。

その年の年末年始休暇は光太郎たちと日程を合わせて私たちは宮古島に帰省した。
「お祖母さん、これは何ですか?」昼食の支度を手伝いながら、ジェニーはテーブルの上のシークワサ―の篭盛りを見つけた。
「食べてみるさァ」義母は笑いながら悪戯心で勧めたが、私たちも勘がいいジェニーのことだから、柑橘系の匂いでシークワサ―が酸っぱいことに気がつくだろうと思っていた。
「これ、美味しい」ジェニーはシークワサ―の皮を剥いて房を1つ口に入れると心配して見ている私たちに笑い返し、呆れている義母の前で1個目を食べた。そして、「もう一つ良いですか?」と訊いて、また1つ手に取った。
「最近、胃が悪いのか吐き気がして、酸っぱいものが食べたくてレモンとかをよく食べるんです」ジェニーの説明に義母が真顔で直美を見た。
「ジェニー、来て」直美がジェニーを連れて台所を出て行くとテーブルで私とビールを飲んでいた光太郎は驚いた顔で2人を眼で追った。
「光太郎、ひょっとするとアンタたち・・・」台所に取り残され、まだポカンとしている光太郎の顔を義母は微笑みながら見つめていた。義母は20歳で直美を生んだのだ。

「光太郎、私たち赤ちゃんができたみたい」直美の問診を終えて台所に戻ったジェニーは、喜びと戸惑いに揺れた顔で報告した。
「まだ判らないさァ、今から病院へ行ってみるさァ」直美の補足説明に光太郎はうなきながらジェニーの顔を見つめた。直美と義母と私はシミジミとそんな2人の姿を見守っていた。
「やったァ」突然、光太郎は大声で叫ぶと立ち上がり横に立つジェニーの手を取った。そして、天井を見上げて涙を流し始めた。
「光太郎・・・」その姿を見つめてジェニーも泣き始めた。
「喜ぶのはまだ早い、病院へ行って検査してからさァ」感激に浸っている若い2人の横で直美はプロらしい冷静なアドバイスをした。

病院での検査の結果、やはりジェニーは妊娠をしていた。
「お父さん、外国人の血が入った孫でも喜んでくれるの?」家に戻り、茶の間で結果を報告しながら光太郎は私の顔を見ながら訊いた。
「賀真叔父さん、お父さんは強烈な愛国者で、軍神みたいな人だって言っているよ」光太郎の言葉を理解したジェニーも少し心配そうな顔をした。
「それは大丈夫さァ」私が返事をする前に直美が自信ありげに答えると義母と光太郎、ジェ二―は3人で顔を見た。結局、私は蚊帳の外にされた。
「お父さんには私の前にアメリカ人の彼女がいたのさァ」「へー」「ふーん」意外な話に光太郎とジェニーは顔を見合わせたが、私は「何で、それを?」と青くなって固まってしまった。
「その人はアメリカ空軍の兵隊さんだったみたいさァ」直美は言葉を続けた。
「お母さんは、どうして知ってるねェ?」光太郎は子供の頃の両親の様子からは想像もできない話に戸惑いながら質問した。
「お父さんは酔っぱらうと英語で寝言を言うことがあったのさァ」「ふーん」「それで私が耳元で『I LOVE YOU』って囁くと色々と英語で話をしたのさァ」光太郎、ジェニー、義母は呆れた顔で直美の顔を見た。
「そんな悪戯って酷いさァ」「良いのさァ、テンジンさんは私だけの旦那さんだもん」光太郎が男の立場で口を尖らして抗議にすると直美は「当然」と言う顔で答えた。
「お父さんの英語はきっと、その人から習ったんだよ」「ふーん、俺と同じかァ」光太郎はジェニーと一緒に固まっている私の顔を覗き見た。
「でも、お父さん、少し可哀想だなァ」「良いのさァ、だから私と結婚出来たんだから・・・」「ねッ、あなた!」直美は固まっている私に向かって声を掛けた。
「はい」私が返事をすると直美は「よろしい」と答え、話は一段落した。
「ダディ・・・どうかこの子も愛して下さい」突然、ジェニーが直美の隣りにいる私に英語で話しかけたので、私は直美の手を握りながら答えた。
「これで俺たちの命が、また一世代先までつながったのさァ、ジェニー、本当に有難う」「はい」とジェ二―は深くうなづいて涙を浮かべた。
「俺、ひょっとしてハーフだったのかも知れなかったんだァ」しかし、光太郎は感動的な場面にもらい泣きしながらも相変わらず変なことを考えていた。

「光太郎の嫁さんが妊娠したさァ」直美はその夜、三沢に転属してきたばかりの紀美に電話した。それは母親代わりの手助けを頼むためだった。
「エーッ、ネェネもついにおバアねェ?」紀美の第一声に直美は初めて自分が「お祖母ちゃん」になることだと気がついた。
「そうかァ、ネェネもおバアかァ」紀美が感激を噛み締めながらもう一度繰り返すと、直美は「うちはグランド・マミィさァ」と言い返した。
「ハイハイ、グランド・マミィですね」紀美は呆れた口調で相槌を打った。交際期間が長かった紀美と岸田の家では子供はまだ小学校高学年の姉、小学校低学年の弟の2人だ。夫の岸田も賀真と同じく3佐になって(追いつかれた)北部警戒管制団司令部に勤務している。光太郎は賀真が転属し、千歳に家を建てた後、三沢へ転属してきた岸田・紀美の官舎へジェニーと一緒に遊びに行っている。
「光太郎もジェニーも、まだ若いからよろしくたのむさァ」「ハイハイ、面倒をみます。だけど結婚はどうするねェ?」紀美の返事に私たちは新たな問題を認識した。

東北に帰って光太郎とジェニーは三沢の岸田・紀美の官舎を訪ねた。紀美の夫・岸田と高校生の長男、中学生の長女は出かけていたが、まだ小学生の2女は土産に米軍のPXで買ってきたケーキに大喜びをした。
「光太郎、あんたもお父さんになるんだねェ」紀美は居間にケーキと飲み物を持ってくると、いきなり光太郎に気合を入れ、ジェニーは頼もしそうに紀美の顔を見た。
「でも俺、まだ若いからお父さんになる自信なんてないさァ」光太郎は時間とともに色々な事を考え不安になってきたようだ。
「大丈夫、ジィジは20歳でネエネが生まれた後、7人の子供のお父さんになったのさァ、ジィジを見習えばいいのさァ」紀美の言葉に光太郎もうなづいた。
「でもジィジは優しくしてくれるばっかりで、あまり怒られなかったなァ」「それで好いのさァ、お父さんは細かいことは気にしないで元気でね」紀美は光太郎の祖父、自分の父である砂川賀満さんの顔を思い浮かべているようだ。
「あんたのお父さんもお母さんにべったりだから家で怒ったことはないさァ」紀美のこの言葉に光太郎は先日の母の昔話を思い出した。
「そう言えば、お父さんにはお母さんの前にアメリカ人の彼女がいたんだって」「へーッ」光太郎が始めた意外な話に昌美は身を乗り出した。
「お母さん、寝ているお父さんに英語で話しかけて色々聞き出したらしいよ」「ホーッ」光太郎の話に紀美は驚きの返事を繰り返した。
「アメリカ空軍の人だった見たいです」「フーン、同業かァ、あんたらと同じさァ」ジェニーも話に入って来ると紀美はあらためて2人の顔を見比べた。
「それでネェネは怒っていたねェ」「ううん、私だけの旦那さんだから好いんだって」「ネェネもやるなァ」紀美は今更のように感心して見せた。
「ところでジェニーは、どこの病院へ行くねェ?」「やっぱり言葉のことがありますから軍病院のつもりです」紀美の質問にジェニーは光太郎と話し合った結論を答えた。
「流石にあそこは行ったことないなァ。でも好い機会だから見舞いを兼ねて見学させてもらうさァ」もう紀美は好奇心丸出しの顔をしている。この叔母にとっては見舞いも観光と同じことのようだ。
「光太郎二ィ二、お父さんになるの?」その時、ケーキを食べ終えた娘が話に入ってきた。
「そうだよ、赤ちゃんを可愛がってね」「うん」ジェニーの言葉に娘は、はにかんだようにうなづいた。

「トロイことを言うな」80を過ぎてなお愛知の義父は頑固だった。
「アメリカ人と結婚する」と写真を添えて送った光太郎の手紙に義父は怒っていたと義母が電話をしてきたが、直美は「ハァ」と返事するしかない。
「そんな国際結婚みたいなものが上手くいくはずがない」息子の時に使った台詞を義父はまた使ったが今回は本当に国際結婚だ。ただ、義父が直美の時に使った「沖縄人」と言う単語忘れていたのは光太郎には幸いだろう。もし「南洋人」「土人」などと口汚く誹謗されれば、誇り高きアメリカ軍軍人のジェニーも負けてはいまい。
「もう祖父さんの出る幕じゃあないのにねェ」義母はそう言って呆れたような声で笑っていた。一方、もう一人のナオミは「英語を勉強しなきゃ」と相変わらずのノリだったらしい。
「テンジンさんもこんな調子でやられていたんだァ」電話を切って直美はため息をついた。夫が実家とは縁を切り、官舎の連絡先を知らせていない理由も納得できた。

「ジェニーのお腹が目立つ前に」と光太郎が21歳の桜の季節に東京で結婚式を行った。それは沖縄の親戚と青森の同僚、来日するジェニーの家族、友人に配慮したのだ。
「貴方、アメリカ人って誰にでも挨拶にキスをするのかな?」結婚式の前夜、ホテルの部屋で直美が訊いてきた。先ほどロビーでジェニーの親戚たちが挨拶にキスをし合っている姿を見て驚いたようだ。
「うーん、確かにそうする人が多いなァ」私は正直に答えた。
「私は絶対に嫌さァ」「エッ?」「私は貴方だけのモノなのさァ」「ありがとう」直美の顔は怯えたように強張り、私は直美が保健婦の国家試験を終え、那覇のホテルで初めて抱いた夜のことを思い出した。
「わかった、俺が直美を守るけど念のため光太郎にも言っておこう」私の答えに直美は安心したようにいつもの笑顔に戻った。

「オ―、何て可愛い女性だろう。俺は絶対にキスするぞ」光太郎から話を聞いたジェニーの父は変に張り切ってしまった。
「NO!お義母さんはバージンみたいな人よ、絶対に駄目ェ」「だったら俺が女にしてやる」ジェニーが注意しても父は耳を貸さなかった。どうやらアメリカ人男性らしい征服欲が燃え上がってしまったようだ。父は1人でどうキスをするかを考え枕を抱き締めて練習まで始めた。そんな様子をジェ二―と母は呆れながら溜め息をついた。
「そうだ、お義父さんは海軍特殊部隊の指揮官だよ。怒らせたら殺されるよ」「ゲッ!」ジェニーの一言で父は急に弱気になり挨拶は握手だけだった。

出席者の待合室は混乱していた。ハワイからの参加者と米軍関係者の英語、沖縄からの参加者の沖縄方言、海上自衛隊関係者の標準語が飛び交い、係も案内に苦労している。それでも時間になり写真撮影からスタートしたが、アメリカではこのような集合写真の習慣がない上、ここでも日本語と英語の説明なので中々撮影にならない。今日の光太郎は海曹候補士の黒の詰襟7つボタンの制服を着ている。それはジェニーのアメリカ海軍の軍服とお揃いにもなっていた。2人はお色直しもしないのだ。
1番前の両親の席で直美と並んで座っていると、こちらが英語を聞き取れないと思ったのかジェニーの父親が大きな声で話していた。
「うーん、お母さんはチャーミングだ」「とてもエレガントだ」「やっぱりキスがしたい」「別れ際に抱き締めてディープキスをしてやる」「抱いてみたい・・・」私と同程度の英会話能力の直美は怯えた顔で私を見た。現在、勉強中の光太郎や英語が苦手な砂川家の面々には特別なリアクションはないが、賀真や岸田も呆れた顔をしている。そこで私は向こうの両親の席に聞こえるよう英語で独り言を言った。
「不心得な話が聞こえてくるな。女房に手を出したら無事じゃすまさんぞ」「半殺しにして東京の病院に入院させるから救急車を呼んでおこう」すると父親は黙ってしまった。
「はい、写しまーす」カメラマンがそう言うと係が英語に通訳したが、それでも父は顔が引きつっている。どうやらよからぬ下心があったらしい。
「お父さん、笑って下さい」何度、カメラマンに言われても父は笑えないでいる。
「これは先制攻撃ねェ」「どっちかと言えば積極的防御だな」私の答えに直美は噴き出した。
「カシャッ」その瞬間、シャッターが下り、こちらは全開の笑顔で写ってしまった。

「直美、基地の盆踊り大会に来ないか?」何度目かの帰省の時、私は直美を誘ってみた。
那覇基地の盆踊り大会は陸海空自衛隊合同で8月上旬の土曜日の夜に航空自衛隊のグランドで実施される。「宮古島から参加しに来なさい」と言うことだ。
「盆踊りかァ。久しぶりだね」直美も乗り気になったようだ。実は先日の本土への出張で直美に新しい浴衣を買ってきたのだった。私が大好きな藍染の浴衣も光太郎が生まれた20代半ばで買ったものなので、「そろそろイメージチェンジを」と考えていた。
「那覇基地の盆踊りは初めてだろう。米軍も来て面白いぞ」「うん、土曜日に那覇へ行って日曜日に帰る日程なら大丈夫だよ」今年の自分への誕生日プレゼントは直美の新たな浴衣姿なのだ。

盆踊りの当日は朝から勤務になり、直美は午後の飛行機で留守の官舎にやってくる。
「直美さん、これを着てみてよ。気に入ったらそれで基地へ来てちょうだい。絶対似合うはずだよ」私は官舎の食卓の上に真新しい浴衣と帯、下駄を置いて、置き手紙をしてきた。新しい浴衣は白地に柄が入ったもので、前の物とは全くイメージが違う。
私は仕事をしながらも直美が気に入るかワクワクしていて大下2曹にも呆れられていた。その時、私の携帯に直美のメールが届いた。
「貴方、ありがとう。気に入りました。夜をお楽しみに」「よっしゃーッ」思わず大声を出してしまい、大下2曹以外の隊員たちを驚かせてしまった。

夕方、事務室で直美を待っていると大下2曹も浴衣姿になってきた。
「マツノ3佐、奥さんはまだですか?」「うん、こんな時はシマ時間なんだなァ」私は浴衣ではなく、灰色の着物の上に僧侶の略衣を羽織っている。
「大下くんの浴衣も素敵だね」「またァ、奥さんの浴衣姿が待ち遠しいくせに」私の誉め言葉に大下2曹は本心をズバリ指摘した。
「でも本当に綺麗だよ。着付けは誰がやったんだい?」「基地盆踊り大会に何回も参加していれば嫌でも覚えますよ」大下2曹はそう言って肩をすくめた。
「そうかァ、WAVEに講習会をやらなければいけなかったな」「でも、最近は法被にすることも多いですから」言われてみれば江田島や舞鶴でも若いWAVEには法被が配られ、中年オヤジの目には彼女らの白い胸元とむき出しの足が眩しかった。
「法被は20代前半まで、小母さんは浴衣でしょう」「いや、それも煩悩がくすぐられるよ」私の坊主らしい誉め言葉に今度は大下2曹も笑った。
「それじゃあ、お先に会場へ行きます」「うん、盆踊りは死者の霊を慰めるために踊った一遍上人の踊り念佛が起源だから沖縄戦の犠牲者の慰霊のためにも踊りましょう」最近、口から出る台詞がドンドン坊主になってきているような気がする。それを感じたのか大下2曹も呆れた顔をして出ていったが、廊下、階段からは軽やかな下駄の音が響いてきた。

直美は大分、遅刻してきたが、「官舎の前でひろったタクシーが基地前道路の渋滞で近づけず慣れない浴衣姿で歩いて来た」と事情を説明した。それでも私は新しい浴衣を着た直美に見惚れてしまい説明をボーと聞いていた。
「どう似合う?」そんな私の顔を見て直美は初めて浴衣を着た時のようにクルリと回って見せ、それに煩悩がくすぐられた(当然、職場では何もできないが)。
「うん、似合うよ。素敵だ。綺麗だ。チュラカ―ギだ・・・」「はいはい、どうもありがとう」愛妻が何歳になってもこのパターンは変わらない。ただ、年齢を重ねた分、シットリとした色気を醸し出しているように感じた。
「さて行こうかァ」そう言って隊舎から出ると、もうすっかり暗くなっている基地をかなり遠い航空自衛隊のグランドに向って下駄を鳴らして歩き出した。
海上自衛隊のエリアでは角々に立つ隊員たちが「御苦労様です」と敬礼をしてきて、それに私が合掌して礼を返すと、後ろから彼らが「今のはマツノ3佐だろう」「坊さんか?」などと言い合っているのが聞こえた。
「貴方のこと、坊さんだって」「うん、認識は間違っていないな」「そうだよね。ハハハ・・・」そんなことを言いながら私たちは顔を見合せて笑った。
「ところで前の浴衣は持ってきたのか?」「うん、言っておいてくれれば荷物は半分だったのに」直美は少し不満そうな顔をしたが、私の気持ちを察してそれ以上何も言わなかった。
「あの浴衣はジェニーに送ってやろうか」「三沢でも盆踊りってあるのかなァ?」「もう、光太郎が買ってるかも知れないな」「貴方の息子だからね」そんな話をしながら私たちはハワイアンのジェニーの浴衣姿を思い浮かべた。
「そう言えば昔、高知の播磨屋橋で坊さんがかんざしを買って大騒動になったって昔話があるけど、坊主と娘が歩いていたらどうなったのかなァ」「そうかァ、坊さんの貴方と歩くのは初めてだよね」直美はあらためて私の法衣姿を見たが、私のように見惚れはしなかった。
やがて私たちは航空自衛隊のエリアに入り、そこで私は突然思いついたことを言った。
「直美、腕を組もう」「エーッ、本当にいいのォ?」私の提案に直美はためらいながらも腕に手を差し込んできた。
「土佐ァのォ 高ォ知の 播磨屋橋で 坊さんカンザシ 買うを見た・・・」そんな民謡を唄いながら坊主と浴衣の女性が腕組んで歩いている姿に航空自衛隊の警備の隊員たちは驚いた後、羨ましそうに見ていた。
私の二ライカナイ・直美
那覇基地の盆踊り大会は航空自衛隊以来だが相変わらず盛大だった。会場には陸海空のテントが張られ、あの頃とは違い県知事、那覇市長などの来賓も席について接待を受けているが、それは航空自衛隊の担当だ。
海上自衛隊のテントには嘉手納の海軍航空隊やホワイトビーチの米海軍関係者がいたが、大下2曹たちWAVEも浴衣や法被姿で、お盆にビールや露店から持ってきた焼き鳥やタコ焼きをのせて、テーブルを歩き回っている。
私はウッカリ知り合いにつかまると折角の直美との時間を不意にすると考え、「君子危うきに近づかず」で、いい匂いを漂わせている露店をのぞくことにした。
「直美、晩飯は食べたのか?」「ううん、まださァ。貴方は?」「俺は基地で軽くな」と答えながら、焼きソバの香ばしいソースの匂いを嗅いで急に腹が空いてきた。
露店には隊員よりも地元の親子連れが多かった。私たちは混み合っている露店から少し離れたところで立ち止まって相談を始めた。
「何を食べよう?」「うーん、焼きソバにしようか、お好み焼きにしようか迷ってるのさ」私の確認に直美は店を見比べながら首を傾げた。
「お好み焼きとタコ焼きは直美の方が本場のプロ直伝だろう」「そりゃあ、そうだね」と言う私の意見で焼きソバにすることにした。
焼きソバのテントでは鉄板の前で隊員が汗をかきながらソバを焼いている。材料はあらかじめ刻んであって、ソバが解れるとそれを鷲掴みにして鉄板に乗せて焼くだけ、したがって調理はドンドン進んでいた。
焼きソバ2つとビール2本を頼んで受け取り、会計しようとすると、そのベテランの隊員は航空自衛隊時代の知り合いだった。
「あれッ、マツノくん?」「おっ、堺くんかァ、久しぶりだね」彼は同じ修理隊のエンジン整備員で、私が防府に転属した翌年に3曹に昇任して冬の初任空曹課程に入校してきた。
「うん、沖縄も2度目だよ」「俺も同じく2度目なんだ」あの頃はお互い20歳代で若かったが、どちらも40歳を過ぎたオッサンになっている。私は頭を短く刈っているが、彼も帽子の裾の髪は少し白くなっていた。
「奥さんか?」「うん、愛妻さァ」「確か、離島の看護婦さんだったよな」「うん」彼の記憶力に感心しながらも、それ以上に昔の思い出が胸に甦った。直美も同様だったのだろう、私の隣りで軽く会釈をして微笑んだ。
「それにしてもどこの所属なんだ。同じ基地でも全く会わないなァ」彼は不思議そうな顔で私の顔を見た。
「5空群だよ」「5高群?ミサイル屋になったのか?」今度は呆気にとられた顔をしたが、私はそれに追い打ちをかけた。
「海上自衛隊第5航空群ですわ」「海上自衛隊?」「群本部の訓練担当幹部ですよ」「へーッ、幹部さんかァ」私の説明にも彼は理解不能の顔でさらなる説明を求めていたが、後ろにお客が並んだので話を切り上げて会計を済ませた。
「それじゃあ、また里帰りしに来てよ」「うん、そっちも遊びに来てね」私と直美が背を向けると「境1曹、お知り合いですか?」と若い隊員が彼に声をかけていた。
「それで坊さん何ですか?」「お寺の孫だから跡を継いだんだろう」この友人とはアチラコチラへ遊び歩いた仲だったが、ここまで記憶されていると言うことは余程印象が強かったのだろう。そう言えば直美の離島に会いに行った石垣島の野外訓練でも一緒だったはずだ。

2人で腰を下ろして食べられる場所を探していると、別の知り合いに会った。
「ありゃ、マツノ3曹かァ」「あれッ、さっき境クンに会ったよ」「ああ、堺1曹は総括班の訓練係ですよ」あの頃、空士だった彼も随分貫禄がついていて、声を掛けられても一瞬誰か判らなかった。
「竹内くんは?」「竹内2曹です。オウパイ(オウトパイロット=自動操縦装置)のショップ長です」「そうかァ、あの頃は1士だったけどな」「はい、お世話になりました」私が談笑していると直美は後ろから袖を引っ張った。おそらく「先に行くからユックリどうぞ」と言う合図だろう。すると竹内1曹が直美に声をかけた。
「奥さんですか?」「はい、主人がお世話になりました」「私は内務班で奥さんの写真を見たことがありますよ。額に入れて部屋中に飾ってありましたよね」「うん、確かに飾ってたよ」意外な昔話に直美は恥しそうに笑って私の顔を見た。私は直美と遠距離恋愛の頃、写真を大きく引き伸ばして額に入れ、自分の部屋の全周に並べてあったのだ。本当は時々、抱いた記憶でマスターベーションにも使っていたが。
竹内2曹と話し込んでいると通りがかった海上自衛隊の隊員が挨拶してきた。
「マツノ3佐、御苦労様です」「おう、こんばんは」「こんばんは」彼の呼び掛けに2人で返事をすると、竹内2曹は一瞬顔を強張らせながら姿勢を正した。
「3佐なんですか?」「うん、3等海佐だがね」先ほどの堺曹長に続き、また身元を明かしてしまい、航空自衛隊の知り合いの間に広まることは覚悟しなければならないと1人うなづいた。

体育館のコンクリートの階段に並んで腰を下ろすと、私が袋に下げていた焼きソバとビー
ルを分けた。しかし、焼きソバは冷め、ビールはかなり温くなっている。
「ごめん、話が長くなって」「ううん、久しぶりだったんでしょ」直美はビニール製の焼きソバの容器のゴムを外し、ふたを開けながら首を振った。
ビールの栓に指を掛けた時、直美は「泡を吹くかも」と心配したが大丈夫だった。そして、そのまま乾杯をして1口飲んだ。
「あの頃、公園デートじゃあ、いつも自販機の缶ジュースを飲んだよな」「うん、乾パ―イってね」私の思い出話に直美も懐かしそうにうなづいた。それからしばらくは看護学生から離島までの思い出話に花が咲いた。
「でも、私の写真をそんなに一杯飾ってたの?」「うん、どこを向いても直美の顔が目に入るようにね」私の説明に直美は照れたように笑った。私は現在の単身赴任生活が、あの頃の想いを蘇らせる効果があることを自覚していた。
「あれ、辛い」突然、直美は焼きソバを噛みながらビールを飲んだ。
「コショウの固まりがあったみたいさァ」ビールでおさまったのか直美が説明する。
「ふーん、修理隊の連中なってないなァ。今度、堺曹長に文句を言ってやろう」「そんなのいいよォ、折角再会したのに」私の軽い冗談に直美は真面目に受け答えする。どうやら熱愛夫婦でも単身赴任をすると意思疎通が鈍くなるようだ。
腹ごしらえが終った後は直美の本土仕込みの盆踊りを鑑賞し、テントでビールを勧められてほろ酔い気分になり、官舎の布団では直美に泥酔した。

夏の休暇で私たちが八戸へ出かけ、岸田の幹部官舎で光太郎とジェニーに合流した。ジェニーはハワイから届いたマタニティ―を着ている。
「沖縄では子供の名前は親から1字取るんだよね」夕食の後、岸田・紀美夫婦を交えた6人での茶飲み話の席で光太郎が言い出した。もう子供の名前を考えているらしい。
「うん、そうだね」紀美がうなづきながら答えた。
「大ジィジは賀慶、ジィジは賀満で、叔父さんは賀真さァ」隣で直美が補足したが、「でも、お父さんと俺はつながってないさァ」と光太郎は首を傾げた。
「アンタは一応、本土の家の子供だからね」直美がまた補足した。
「俺の名前は、生まれた時にお父さんの小学校の先輩の名前をもらったんだったよね」「そうだよ、俺は小学校の時から本多光太郎先生の生き方が好きだったんだよ」「フーン」光太郎は私の説明にゆっくりうなづき、直美も懐かしそうな顔で息子の顔を見つめていた。
「私、仙台の東北大学で本多光太郎先生の資料を見ました」「すごいさァ、どう想ったねェ」
親子の会話にジェニーも加わってきた。光太郎は父からもらった本多光太郎博士の伝記を読んで一緒に仙台の東北大学を訪ねたらしい。
「金属研究の第1人者ですから私の仕事にも関係があります」「ジェニーは勉強家さァ、俺なんか資料館に行っても退屈だよ」「お前は江田島の教育参考館でも同じこと言ってたなァ」ジェニーと光太郎の話に私が加わって直美は笑った。
「この子の名前はどうしたらいいのかなァ」光太郎がジェニーの腹に手を伸ばし、撫でながら話を変えたので、そんな姿を両親と叔母夫婦は嬉しそうに見つめた。
「お父さん、はじめは女の子って決めていて、女の子の名前しか考えていなかったのさァ」「へーッ、どんな?」意外な話に光太郎は身を乗り出して直美の顔を見る。
「みるくって名前さァ」「みるく?」隣でジェニーも「メルク?」と英語での発音で訊き返
し、光太郎は首を傾げた。
「違うよ、弥勒菩薩のことだよ。沖縄のニライカナイ浄土の佛様はミルクユガフって言うんだ」私の説明をジェニーは光太郎に質問したが流石に宗教の話は難しいらしく、答えに苦労しているので仕方なく私が英語で説明した。
「深くて、沖縄らしくて、可愛くて、覚え易くて好い名前さァ、それもらった」光太郎はジェニーと顔を見つめ合い、うなづき合いながらそう言った。
「あんたも女の子って決めてるねェ」「男でも好い名前さァ」光太郎は直美の台詞に反論しながら、もう一度ジェニーの顔を見た。
「みるく・・・」ジェニーは幸せそうに自分の腹を優しく擦りながら呼びかけていた。本当なら光太郎に妹ができればつけるつもりの名前が孫に命名されることになりそうだ。

「マツノ3佐、空自の方がお見えです」ある日、木下2曹が部屋に入ってきながら声をかけ、後ろから水色の制服を着た堺1曹が少し緊張した顔をのぞかせた。
「ありゃ、堺1曹じゃないか」「マツノ3佐、御苦労様です」「どうぞお入り下さい」堺1曹は入り口で礼式通りの挨拶をしようか迷っていたので私が声をかけて招き入れた。
「今日はワザワザ?」「これはどうも・・・」堺1曹は大下2曹が私の正面に出した椅子に腰を掛けたが、私の質問にも大下2曹が出したコーヒーのお礼を先に言う。そんな態度は旧友としては心外に感じた。
「堺ちゃんらしくないなァ。用件は何ねェ」「実は・・・」私の口調が強くなり堺曹長は姿勢を正した。
「実は、ウチの隊員教育で防衛講話をお願いしたいんですよ」「防衛講話?」これは思いがけない申し出だった。私は空自時代、海自の幹部の講話を聞いたのは曹候学生の後期課程で行った江田島研修であったくらいだろう。
「はい、マツノ3佐が海上警備行動の出動で不審船に乗り込む現場にいたことを聞きまして、これは是非にと思いまして・・・」堺1曹は妙に緊張した顔で話を区切った。
「エライさんは知ってるのかね」「勿論、隊長からの指示です」隊員たちの間で元修理隊の海自幹部がいることが話題になり、それを聞いたエンジン小隊長が防衛大学校の同期に訊いて海上警備行動のことを知ったとのことだ。
「ふーん、でも海上警備行動なんて航空自衛隊の参考になるのかなァ」「北朝鮮の拉致の話題ですから隊員も何かを感じるでしょう」考えてみれば私は海上自衛隊でも1術校以外では海上警備行動の経験を話したことがない、それは政治的なタブーとして暗黙のうちに封印されているのだ。海自内でも許されていないことが空自で認められるとも思えないが、一応、確認してみることにした。
「用件は判りました。こちらの担当者と相談して返事します」「はい、講話の予定は総演前を考えています」要するに演習前の気合を入れるネタにしようと言うことのようだ。しかし、その時期は私も各種訓練で多忙なのでそちらの方が心配になった。

「お知り合いですか?」堺1曹が帰った後、木下2層が訊いてきた。
「うん、空自時代の友人だよ」「それじゃあ、同じ歳なんですか?」木下2曹の訊き方は少し戸惑いがあるように感じ、堺1曹の顔と自分のそれを想い比べてみたが、確かに私の方が老けているようだ。
「うん、確か同じ歳だったはずだよ。向こうは何時までも若いけどね」「マツノ3佐は歳よりも老けていますからねェ」そこで同室の海曹が話に加わってきた。
「そう言う君だって彼よりも年下だろう、かなりベテランに見えるけど」私がやりかえすと本人は黙り、木下2曹は愉快そうに笑った。
こんな幹部と海曹との自由な会話が「この部屋は海上自衛隊らしくない」と言われる由縁だが、それは私が航空自衛隊で身につけた自由討議の気風かも知れない。

早速、カリサ(管理幕僚)に相談を持ち掛けるとあからさまに「多忙な時期に迷惑な」と言う顔をした。
「部内と言えば部内ですが、海自外と言えば海自外です」「そうだなァ」このカリサの2佐は江田島では私よりも後輩で、年齢もかなり若くやりにくいらしい。その割に向こうは席に座ったまま机越しに立っている私を見上げている。私は航空自衛隊時代から公務員的常識の塊である監理、人事職種の人間は苦手だった。
カリサは私が説明する今回の経緯をメモしながら聞いていたが話の区切りで顔を上げた。その顔には「余計な仕事」と言う気持ちが見て取れる。
「海幕に訊いてみた方がいいかも知れんが、その前に司令に伺いを立てんとな・・・」「どうもスミマセン、あちらも隊長の指示だそうですから無下に断ることも出来ませんので」私はこの若造の煮え切らない態度に腹が立っていたが丁重にお願いをした。
「それじゃあ、司令室に一緒に行こう」「クンサ(訓練幕僚)は好いですか?」クンサは私の直属上司であるが、この話は業務に当らないので雑談程度で済ませている。
「話は通してあるんだろう」「一応は」「私に話を持ってくることは?」「これも一応は」私の曖昧な返事にカリサは呆れたようで不満そうな2色染めの顔をした。そもそもカリサに話したのも意見を求める相談であって、結論を出そうとした訳ではない。どうやらこの若造にとって私は「何をやらかすか判らない要注意人物」のようだ。何にしろ結論が出るならばそれに越したことではないだろう。

「それは面白い、是非やれ」「えッ?」「はッ!」カリサからの報告と私の説明を聞いて隊司令は胸の前に手を組み大きくうなづいた。
「しかし、海上警備行動の詳細を海自外に漏らすことは問題があるのでは」結局、これがカリサの認識である。私は隣りから彼の横顔を見つめた。
「マツノ3佐だからリアルな体験談が語れるんだろう。それの何が問題なんだ?」司令は椅子で体を起こすとカリサの顔を直視した。カリサにとって私は「空自から紛れ込んだ厄介者」と言う評価なのだろう。
「政治的判断って奴は東京に任せておけ。相手はマツノ3佐の古巣の航空自衛隊だ。その人脈で頼んできたんだから悪いようにはせんだろう」「それで海幕には?」「部内での教育の実施の可否を訊く必要があるのか」司令も対潜哨戒機の歴戦のパイロットである。カリサとは認識が違うようだった。黙りこんだカリサから私へ視線を移し、司令は笑いながら声をかけた。
「たとえ問題になってもマツノ3佐には『何を今更』だよな」「はい、ごもっとも」「本当ならウチでやってもらいたいんだがな、面白そうだし」「下手すると講談の類になりそうです」「確かに血沸き肉躍るな」最後は司令と私の談笑になって終った。
隊司令の出した結論を聞いて退室した廊下でカリサは忌々しげな顔で私を見た。
「内容には十分注意するように・・・部内秘にするように念を押してな」「はい、気をつけます」私の返事も聞かずカリサは廊下を自室に戻っていった。

講話はエンジン小隊の整備格納庫に椅子を並べ、ホワイトボードを置いた会場に修理隊の
隊員を集めて行われたが、何故か整備補給群の幹部も数人混じっている。これを見て私としては念を押したはずの「部内秘」に少し不安を感じた。
会場には大下2曹もついて来て、後でカリサに講話内容を報告するように言われていると教えてくれたが、その前にFー15を見学させてもらって喜んでいた。
開会にあたり先ず修理隊長の3佐が私への礼を含む短い挨拶を行い、その後、エンジン小隊長の若い1尉が私を紹介した。
「講師のマツノ3等海佐を紹介します。マツノ3佐は昭和57年に第7期一般空曹候補学生として・・・」私は隊員たちの中に知り合いがいないか探していたが、案の定、1曹、2曹になった教え子たちと目が合い彼等は嬉しそうに笑って会釈した。
「一般幹部候補生として海上自衛隊に転換され・・・」この辺りから説明が怪しくなり小隊長も履歴書のコピーの棒読みになる。確かに空自の頃、大湊、舞鶴、江田島と言われてもあまりピンとは来なかっただろう。講話はあくまでも海上警備行動の臨検準備だけの予定で、その原稿はクンサとカリサの確認を受けている、しかし、質問次第で話がどのようになるかは自信がなかった。
「以上、講師の紹介を終わります」小隊長は隊員に「気をつけ」の号令をかけて隊長に報告し、修理隊長が「それではマツノ3佐、お願いします」と私に声をかけた。私はホワイトボードの斜め前の講師の台に立つと「休め」と指示した。
「自己紹介はもうやっていただきましたから省略します。質問はその都度にドンドンやって下さい。ただし、部内秘ですから飲み屋で話さないようにお願いします」「飲み屋で」と言う例えで少し笑いが起り私の講話が始まった。

講話は中学生の時の社会の授業で「日本は資源の殆どを輸入している」と学び、「海上輸送路が生命線だ」と言う思いから海上自衛官を目指すようになったが、父親の反対で断念し航空自衛隊を受験した入隊動機から始まり、航空自衛隊時代の駄目整備員として悪戦苦闘していた思い出話、航空教育隊の裏話、そして江田島から舞鶴での不審船対処とその訓練臨検課程の教官になった話へと入っていった。
駄目整備員時代の思い出話では堺1曹は笑ってうなづいていたが、私が在隊した頃の第83航空隊はリタイア直前のFー104Jと共に生きてきた古手整備員たちが最後の花を咲かせていた職人の時代でもあった。それが当時の最新鋭戦闘機だったFー15が配備されていることを思うと遠い昔話のような気がした。ただ、最後列に坐った大下2曹が手を上げたそうにしていたのが判った。
航空教育隊の裏話はそこで教育を受けてきた隊員たちにはショックだったようで、根掘り葉掘りの質問が続いたが、勿論、十年以上昔の話だと言い訳も忘れなかった。
海上自衛隊一般幹部候補生として江田島へ入校した話は「何故ワザワザきつい海上自衛隊
に入ったのか?」や「家族は賛成したのか」と言う質問があったが初志貫徹と言うことで
納得してもらった。ただ「航空自衛隊は嫌々だったのか」と言う教え子からの質問には答えに困った。
不審船対処の話は大下2曹もノートを取り出してメモを始めた。しかし、、拉致問題が未解決なのでワイドショー的に大いに盛り上がったが、臨検時の職務権限についての質問には「海の上は治外法権」と言うジョークで誤魔化した。
「若し、敵を射殺することになったら引金が引けますか?」この質問をしてきた若い隊員の目は真剣だった。これが航空自衛隊が私に語らせたいことなのだろう。私は1つ息を飲むと言葉を選んで答えた。
「それはスクランブル発進したパイロットも悩んでいる問題でしょう。ただ私は最初に射殺されて正当防衛の要件を成立させるつもりだったので考えていませんでした」私の答えに会場の空気が凍りついたの判った。これは予定以上の重みがあったようで修理隊長の顔も強張っている。私も話の続きが始められなくなった。
しばらく沈黙が続いた後、それを収めるためか堺1曹が手を上げた。
「マツノ3佐は可愛い奥さんと熱愛の末に結婚したはずですが、その奥さんを遺すことにためらいはありませんか?」この質問で盆踊り大会の時、焼きそばの露店で会った隊員たちが小声でささやき合い、それに聞き耳を立てながら答えを考えた。
「勿論、妻とは今も熱愛中ですから死んでも離す訳がありません。ズッととり憑いているつもりです」この答えでようやく会場は和んだが、大下2曹だけは黙ってうなづいていた。

「ジェニーのお腹が目立つようになってきた」と言う電話で初孫の話題が嬉しくなってきた頃、アフリカ近海に出没する海賊に対処するため、国連は加盟各国に関隊の派遣を要請し、これに日本も歩調を合わせ、相変わらず不毛の国会審議の末、自国の商船保護の名目で海上自衛隊の護衛艦、補給艦を投入することを決定した。

その夜、電話をかけると私はいつもの前置きはなしで用件を切り出した。その声は自分でも意外なほど穏やかだった。
「直美さん、俺に出撃命令が出たよ」「えッ、アフリカねェ?」電話の向こうで直美が受話器を握り直したのが判った。
「本当?」直美はまだ信じられないような声で問い返す。
「俺は戦いに行く、いよいよ仕事だ」「うん・・・」私はもう一度繰り返したが直美はハッキリ返事をしなかった。私の胸には出会ってから今日までの思い出と親子3人の生活が甦ってくる。直美の荒い息遣いだけが受話器から聞こえてきたきた。
「艦に乗るんだね」「うん、昔取った杵柄をもう一度握るみたいだな」海上自衛隊に派遣には毎度繰り返されるマスコミの反対報道が飛び交い、細部は防衛秘密に属し、防衛省も神経質になっているので夫婦の会話にも気をつけなければならない。
「今回は見送り行事なんかもあるみたいだけど来られるか?」「うん、勿論いくさァ」現時点で確認出来たのは横須賀で編成を取り、艦艇で出港し、現地に向かうと言うことだけだった。
「いつ行くの?」「それも判らんが、そんなに遠くないよ」電話の向こうで直美が溜息をついた。
「私、休暇を取ってそっちへ行くから」その言葉で直美が単身赴任させていることを後悔していることが判った。
「今までと違って君が1人で待ってるんじゃないからかえって安心だよ」大湊、舞鶴でも直美は仕事をしながら独りで光太郎と留守を守っていた。それを思えば生まれた家で母親と一緒にいることは大いに安心ではある。
「うん・・・わかった」一呼吸置いて直美はようやく納得してくれた。私は子供を得た幸せの中にいる我が子が派遣される代わりなれるのならと思っていた。

空港からタクシーで駆けつけた直美を玄関に出迎え、私は強く抱き締めた。
「貴方・・・」直美は一瞬ビクッと体を硬くしたが、黙って私の胸に顔をうずめてくる。直美の髪からは汗と少し潮風の匂いがした。

「俺は海軍軍人としてこの機会を得たことを喜んでいる」私は直美の到着を待って今回の出撃を八戸の光太郎に電話で伝えた。我が子は言葉を失って返事をしなかった。
「俺じゃあなくてお父さんが戦争に行くなんて・・・」ようやく絞り出すように周作が呟いた言葉に私はこちらで首を振った。
「お前はジェニーと生まれてくる子供を守ることを第一に考え、お母さんにも気を配ってやってくれ」私の言葉に直美は立ち上がると、黙って背中にもたれかかってきた。背中に直美の頬が温かく感じる。吐息が重なっているのが判った。
その時、光太郎が「お母さんに代わって」と言ったので受話器を渡した。
「大丈夫、お父さんに何かある訳ないさァ」直美は意外に落ち着いていた。それは看護師と言う職業以前に、「軍神」と仇名された自衛官の妻であり、今まで軍人の妻
として夫と共に生きて来た人生が、どこか達観させていたのかも知れない。
「大丈夫、お父さんにアンタの分まで頑張ってきてもらえばいいのさァ」直美の言葉に私は光太郎が自分も征くこと訴っているのを察した。
振り返ると結婚式で光太郎、ジェニーと一緒に撮った写真が梁の上から見下ろしていた。
「アンタは何よりもジェニーとお腹の子を守ることを考えなさい」直美の言葉はやはり母親のモノだった。直美の言葉に私はもう一度、深くうなづいた。

その夜、布団の中でいつものように腕枕で寝ていたが、眠れない者同士で話をした。
「ねえ、昔、一緒に豊見城の街を歩いていて、『俺はここで死んだ』って言ったことがあったよね。前世は海軍陸戦隊の中尉で、沖縄戦で住民を逃がすため身代わりになって戦死したって」「うん」私がゆっくりうなづくと、顎が直美の髪に触れた。
「住民を逃がすためにわざと反対に走りだしたって」薄暗い部屋で直美が真顔で見詰めている。
「でも今度は身代わりになんかなっちゃ駄目だよ」直美は強い口調になった。
「絶対に駄目だよ」「うん」直美の声が少し震えていた。
「貴方は私のために生きて帰って来て・・・私、貴方が迎えに来てくれるのをずっと待ってたんだから」「うん」私は直美を抱き締めて体温を確かめ、すべてを愛した。

出発の朝、私たちは早く起きて車で海まで行った。直美は波打ち際まで行って海の水に手を浸していた。
「海はアフリカまで続いているのさァ、こうしていると貴方に体温が伝わるかなァ」「そんなこと天橋立でも言ってたなァ」私は舞鶴から行った天橋立で直美が言った台詞を思い出して答えた。
「これは私の島で言ったのさァ」直美もその場面を思い出したようだ。
「貴方が海を見る時、私を感じてね」「うん、会いたくなったら直美さーんって叫ぶよ」直美の言葉に涙ぐみそうになり、ワザと茶化した。私は周りに人影がないことを確かめて直美を抱き締めた。
「直美さん、結婚してくれて有り難う」私の言葉に直美は首を振った。
「これからもずっと一緒さァ。私は貴方の妻だよ・・・」直美は無理して笑顔を作った。
「うん・・・」出撃のキスをここでした。

横須賀基地で行われた派遣隊員の壮行式典に直美と光太郎、ジェニーも出席した。大湊、舞鶴、呉、佐世保基地から出港する隊員は現地で、横須賀からの艦艇に乗り組む者は海上自衛隊の輸送機で厚木基地に運ばれ、ここで編成を執ることになっていた。
家族はそれぞれの基地で見送ったため、横須賀の式典へ出席するのは個人資格になった。海上自衛隊音楽隊の「軍艦」とアメリカ海軍軍楽隊の「錨を上げて」が流れる中、式が始まるまでの束の間の時間、どの隊員も家族と記念写真を撮り、わが子を抱き上げ、名残を惜しんで過ごしていたが、ほぼ全隊員の家族が出席しているのが判った。
その光景を日米のテレビ局が撮影しているが、隊員はインタビューを受けることを禁じられている。この戦争における日本政府、自衛隊の立場は微妙であり、海上自衛隊の派遣はあくまでも国連決議には関係なく自国の商船保護が目的であった。
「光太郎、遠い所まで悪いなァ」「流石に休暇許可はすぐ下りたよ」「私もです」私が声をかけると光太郎とジェニーは日米の内輪ネタを答えた。今日のジェニーはマタニティー式の軍服を着ているが、黒の詰め襟7つボタンの制服を着た光太郎と2人、一般隊員の制服の集団の中では目立っている。軍の作法をわきまえて冷静な態度でいるジェニーの横で、光太郎の顔には「俺もいきたい」と書いてあり、直美はそんな2人を見詰めていた。
「光太郎、今はジェニーと生まれてくる子供を守ることを考えなさい。命令が出たら家族の願いとは関係なしに行かなければならないのがアンタとお父さんの仕事なんだから」直美の言葉は軍人の妻としての覚悟を意味している。
「自分から手を上げるようなことはするなよ。戦争に行くのは一家に1人で十分だ」戦争に行くことを「軍人の本懐」と言っていた私の言葉に光太郎が意外そうな顔をした。
任務に殉ずることに迷いはない、しかし、「死ぬのが勿体ない」と言う気持ちも間違いない
のだ。私は今、それを切実に噛み締めていた。やがて、壮行式典への集合がアナウンスされた。

式典が終わり、隊員たちは関係者、家族の列の前を敬礼しながら歩いてそれぞれの艦に乗り組んだ。その情景は江田島の遠洋航海の時と同じだった。直美は私が前を通り過ぎた時、あの時と同じ「チバリヨ―」と言う言葉を叫んだ。私もあの時と同じように小さく敬礼の手を振って答えた。違うのは、あの時、祖母の腕に抱かれていた光太郎が、直美の隣で曹候補士の制服を着て、妻とともに敬礼をして見送っていることだ。
出撃していく海上自衛隊の艦に向って光太郎も水産高校の遠洋航海の時、私から習った「帽振れ」をして見送っていた。

東北の晩秋の晴れた朝、ジェニーは陣痛が来て三沢の軍病院に入院した。病室のベッドで陣痛に耐えている妻の背中を光太郎はさすりながら励ましていた。
「大丈夫か?」「これは日米協同作戦よ、大丈夫・・・」ジェニーはそんな強がりを言いながら無理に笑顔を作って見せるが、額には汗がにじんでいる。
午後、陣痛の間隔が短くなり、ジェニーは分娩室へ連れられて行った。分娩室ではマッサージは看護師に代わられて、光太郎は廊下で待つように促された。
「お願いします」とスタッフにお辞儀をしてから、「頑張れ」と声をかけると、ベッドに横になっているジェ二―は「Good luck」と親指を立てて笑って見せた。
何を思ったのか光太郎は廊下の飲み物の自動販売機でパックの牛乳を買ってきた。どうやらミルクを飲んでいる時に生まれたから「みるく」のつもりのようだ。その間にも「ウーン」分娩室からジェニーの悲鳴にも似た、いきむ声が聞こえてくる。光太郎は落ち着かない様子だが禁煙が厳しい病院ではタバコで気を紛らわすことは出来ない。飲み終えたパック牛乳のストローを煙草代わりにくわえ始めた。
「ウン、ウン・・・」ジェニーの声の間隔が短く、祈りのように響いてきた。光太郎は額に汗を滲ませながら両手で拳を作って一緒に耐えていた。
「アーッ」ジェニーの叫び声とともに「OH」と言う歓声が分娩室から聞こえてきた。光太郎が顔を上げ分娩室のドアを見た瞬間、「オギャーッ」と言う赤ん坊の泣き声が聞こえた。
「英語でも発音は同じだなァ」光太郎は相変わらず変なことを感心している。
「男の子だよ、元気だね」分娩室から聞こえる赤ん坊の大きな鳴き声とジェニーとスタッ
フの英語の会話にホッとため息をついた後、涙をこぼした。光太郎はゆっくりと立ち上がると分娩室のドアの前に行き、中での会話をジッと聞いた。
「指の数、1、2、3、4、5。OK」「体重8ポンド(約3623グラム)」看護師たちは手際良く、ジェニーに赤ん坊の体を確認させている。それを光太郎も一々頷きながら確認し、感激を味わっていた。
やがて赤ん坊が看護師に抱かれて出てきた。髪は黒色、目鼻立ちはジェニーに似てハッキリしており、肌は色黒の日本人と言う感じだ。
「元気なしっかりした赤ちゃんですよ」看護師の説明に光太郎は黙ってうなづき、我が子の顔を見詰めながら「ウェルカム」と呟いた。つづいてベッドに寝かされたジェニーが出てきた。光太郎がジェニーの額にキスをして、「Thank you」と声を掛けると、うっすら目を開けたジェ二―は「Me too(こちらこそ)」と答えた。
ジェニーに付添いながら光太郎は「お父さん、お母さん、俺も親父になったよ」と呟いた。

直美が事務室でその日の巡回医療の記録を書いている時、机の上の携帯電話が鳴った。
「生まれたよ、男だァ。8ポンドで元気だよ(グラム換算は出来なかった)」直美の声を聞くなり光太郎は興奮して一気に報告した。直美は受話器を握り直して「本当ォ!」と大声で答えた。直美の突然の台詞といきなりの全開の笑顔に、それぞれの仕事をしていた同僚たちも驚いて顔を見合わせた。
「どうしたのさァ?」「私に孫が生まれたァ、息子が知らせてくれたのさァ」直美の答えに同僚たちは同時に呆気にとられた後、顔を見合わせた。光太郎はこの感動を母に伝えたくて仕方ないようで子供が生まれるまでのドラマを報告しようとしたが、そこは職場だった。
「それじゃあ、仕事があるから、夜、家にもう一度かけてくるさァ」「う・・・ん」「ジェニーに『御苦労さん』って伝えてね」直美は、まだ何か話したそうにしている光太郎に、そう言って電話を切った。
「オメデトウ」「マツノさんもお祖母ちゃんかァ」直美に同僚たちが声をかけてくれた。奥の椅子に座った課長も嬉しそうに笑っている。
「ううん、ウチはグランド・マミィさァ」直美の返事に同僚たちは、また呆気にとられたが、「そうか、お嫁さん、アメリカ人だったねェ」と課長が思い出した。光太郎の嫁がアメリカ人なのは巡回医療で訊かれる度の説明で知られている。
仕事を再開させながら直美は「貴方もグランド・ダディになったよ」と笑って呟いた。

光太郎は母に続いてジェニーの実家へ電話した。しかし、感激で興奮していた光太郎は時差でハワイがまだ早朝なのを忘れていた。
「ハローッ」長い呼び出しの後、義父が怒ったような声で電話に出た。
「ハロー、アイ アム コウタロウ。コール フロム ジャパン アオモリ・・・」「OH、コーターロ」一呼吸置いて義父はいつもの陽気な声に戻り、不思議なアクセントで名前を呼んだ。
電話の向こうで「日本の光太郎からだ(英語で)」と義母に話しているのが聞こえてきた。
「先ほどジェニーが子供を産みました。男の子です。ジェニーも子供も元気です(英語)」最近は自然に同時通訳出来るはずの英語が、今日はどうもギコチナイ説明になってしまう。義父が返事をしないので光太郎は心配になり、もう一度言い直そうかと思った。
「OH、マイ ゴッド」その時、突然、義父が電話口で絶叫した。同時に「OH,マイ ベービー」と言う義母の声も聞こえてきた。義父母が電話そっちのけで感激して抱き合ってキスしているのが判った。ジェニーの兄も弟も独身なので、この子は義父母にとって初孫になるのだ。
「ハロー、ハロー、ハローハロー・・・」光太郎は相手が出ない国際電話の料金が気になって仕方ない、相変わらずセコイ奴でもあった。

夕方、直美の仕事が終わった頃を見計らって光太郎がもう一度電話を掛けてきた。
「お母さん、初七日ってどうやるねェ」光太郎は前置きなしで用件を切り出した。
「マツノ家は一応本土の家だから本土式にやった方がいいかと思ってさァ」直美は光太郎の質問には答えず電話口で首をかしげていた。
「初七日?なんか変だねェ」「生まれてすぐにやる儀式さァ」「うん・・・」光太郎の説明にも、直美はまだ考えている。突然、直美が大声を出した。
「アンタ馬鹿だねェ、それを言うならお七夜さァ、初七日はお悔やみさァ」「ヘッ?」謎が光太郎の勘違いと解って、直美は大笑いをした。
「そうか、お七夜かァ」光太郎も我が子の御祝いをお悔やみと間違えた自分に呆れた。それにしてもジェニーが傍にいなくてよかった。気真面目なジェニーが聞いていれば出産直後に怒らせかねない。一方、直美は夫の帰国後に笑うネタができたと喜んでいた。
「アンタの時はお父さんと2人だったから判ることだけ、できることだけをやったのさァ」「お七夜は?」「パスしたから、どうやるか知らないさァ」直美があっさりと答えたので、光太郎も安心したのかホッとため息をついた。
「お宮参りは一緒に行ったけど、アンタは寒い時に生まれたから心配だったのさァ」直美は説明をしながら小春日和に恵まれた午後、天満宮は混んでいるからと親子3人で出かけた近所のお宮を思い出していた。
「嫁さんとよく話して、日米と沖縄の儀式でできることをすればいいさァ」「うん」光太郎は病室で目覚め、みるくに母乳をやりながら、もう母親の顔になっているジェニーの顔を思い浮かべていた。
「判らないことは愛知に訊きなさい」「俺、あそこ苦手さァ」「やっぱり、ハハハ・・・」光太郎の真剣に嫌そうな口調に直美は愉快そうに大笑いした。


  1. 2014/04/19(土) 09:29:59|
  2. 私のニライカナイ
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私のニライカナイ1

私のニライカナイ1

「すいません、隣に座らせてもらってもいいですか」休暇から帰る名古屋発・沖縄行きの全日空の中で、私は若い女性から声をかけられた。顔立ちはその頃、東宝シンデレラガールとしてデビューした沢口靖子に似ているが言葉のアクセントはシマグチ(沖縄訛り)で観光客ではなさそうだ。
「揺れて怖くて」「どうぞ」私がうなづくと彼女は安心したように微笑み、空いていた私の隣の席に座りベルトを締めた。
この日は奄美付近に季節外れの台風があり、その上を越えて行くために機体は揺れ、小さなエアポケットを繰り返していた。
「私、砂川直美です」「マツノです」直美と名乗ったその女性は、黒目がちの大きな目で私の顔を見つめた。私は「ナオミ」と言う名前を聞いて一瞬、妹の「尚美」の顔を思い浮かべてしまったが彼女は「直美」だった。
「その制服は何なんですか?」直美は私が着ている航空自衛隊の制服を見ながら尋ねた。
「航空自衛隊です。那覇基地で航空機整備員をしています」私は「航空自衛隊=パイロット?」と言う毎度の質問の前に説明をした。
「私は、(国立)沖縄病院看護学校の学生です」直美はそう自己紹介した。
「看護学生?」「いいえ、看護課程を終えて保健婦養成課程に入っています」私は看護婦と保健婦の違いは判らなかったが、年齢が近いのは理解できた。
「それじゃあ、似たような仕事だ」「エッ?」「僕は飛行機の保健婦ですよ」「そうかァ、ハハハ・・・」直美が笑った時、旅客機がまた小さなエアポケットに入り、直美は「キャッ」と小さく悲鳴を上げた。
「マツノさんは怖くないんですか?」直美は大きな目で私の顔を見ながら訊いてきた。
「飛行機なんて一度飛んだらあとは降りるか落ちるかですよ。ジタバタしても仕方ない」「落ちる」と言う台詞に直美が怯えたような顔をしたので私は話を続けた。
「それに航空機整備員をしていると、このくらいなら大丈夫ってことは分かりますから」「それにしても落ち着いていて、すごいです」直美は頼もしげに私の顔を見た。
「マツノさんはお幾つなんですか?」「23ですよ」「ならば私より1つ上ですね」直美がそう言った時、今度は大きなエアポケットに入って機内に男女の悲鳴が上がった。そろそろ奄美上空、台風の真上を通過している。
「すいません、手を握っていてもらえませんか」直美が青い顔をしてすがるように訊いてきた。
「ラージャ(了解)」私は内心思わぬ役得に喜んだが、そんなことは億尾にも見せずにうなづいた。「安心・・・」直美は私の手を握り返しながらそうつぶやいた。
その後も機体は何度もエアポケットを繰り返したが、もう直美は怯えた顔はしなかった。私たちはそのまま手を握り合いながら自己紹介の続きのような会話をしていたが、そのうち直美が返事をしなくなった。見ると直美は私の肩に頭をもたれかけて眠っている。そして、知らぬ間に私も眠り、2人でもたれあったまま那覇空港まで眠ってしまった。
私のニライカナイ・砂川直美
「明日、那覇まで遊びに行くよ」あれ以来、直美から電話がかかって来るようになり、ある金曜日の電話で直美が嬉しそうにこう言った。直美の沖縄病院は沖縄本島中部の具志川市にあり、学生の身ではあまり那覇までは出てはこられないのだ。
「会える?」「うん」「よかったァ」私の返事に、電話口で直美が笑ったのが分かる。私は直美の真面目そうな顔に似合わぬ大らかな笑顔を思い浮かべた。

直美は友達と四人でやって来た。今夜はこの中の那覇市出身の子の実家に泊めてもらうのだと言う。
「こちらマツノさん」「ワー、はじめまして」私は思いがけず若い、元気な女の子に囲まれて喜びながらも、彼女らの遠慮のない興味津々と言う視線を浴びせられて困っていた。
「それじゃあ、直美先輩ごゆっくり」そのうちの2人の女の子が手を振り分かれていった。そして、1人だけ直美より少し年下と言う感じの女の子が残った。
「こちら昌美、私の後輩さァ」「マツノです」「はじめまして」直美が昌美と紹介したその子は、挨拶をしながらも何かを点検するような目で私を見ていた。私の行きつけの居酒屋・ウチナー屋へ入った。私と直美は泡盛=直美の故郷・宮古島の「菊之露」、昌美はまだ未成年と言うことでウーロン茶を飲んでいた。
私は前回の続きの自己紹介や仕事の話をし、直美からの質問に答え、昌美は聞き役に回っている。そして、直美は私との話の合間に時々、昌美と2人で何かを確認し合うようなことを繰り返していた。
2時間ほどした所で時計が9時を指し、直美は「そろそろ集合時間だ」と言った。これから先程の待ち合わせ場所にもう一度集まって、泊めてもらう家に行くのだと言う。
その時、直美が昌美を振り返って「どう?」と訊いた。
私は一瞬、何のことかわからず目で話し合っている2人の顔を見比べていた。すると昌美が「優しそうで、真面目そうで良いんじゃない」と答えた。
直美は安心半分、嬉しさ半分と言う笑顔で私の顔を見つめ、その横で昌美も微笑みながら「姉をよろしく」と言って頭を下げた。これは彼女姉妹の私に対する面接試験だったようだ。
ちなみに直美は7人姉妹の長女で、父親が「男の子ができるまで」と続けざまに子作りをしたため、6人姉妹の下が中学生の弟なのだそうだ。

「待った?」月に一度の待ち合わせ場所に、直美は早足でやって来る。そして、公園の入り口で待つ私の姿を見つけると、手を振って駈け出してくる。
「また、自転車?」「ウン」「大変でしょう」「いや、君に会えるんだから」「ハハハ・・・」私の返事に直美は素直に喜ぶ、そんな時は口をあけて空を見上げながら声を出して笑った。
那覇から直美がいる具志川市までは自転車で2時間はかかる。それを私は月1回やって来るのだ。真夏には日焼けで背中にTシャツの柄がプリントされた。
保健婦養成課程の学生である直美は実習や国家試験の勉強で忙しく、ゆっくりデートをしている時間もない。さらに姉妹で実家に仕送りもしている。
だからこうして学生寮の近くの公園の木陰のベンチに並んで座り、自動販売機で買った缶ジュースを飲みながら2時間ぐらい話しをするので精一杯だった。
直美は故郷・宮古島で医療過疎の問題に直面した経験から離島医療の仕事がしたくて看護婦を目指し、妹・昌美は自立した女になるために同じ道を選んだのだと言う。
「勉強、頑張ってる?」「うん、貴方は?」「悪戦苦闘中」「そうか、もう学生じゃあなくて仕事だもんね」直美はそう言うと大きくうなづいた。
直美の話は看護実習で行く色々な科や出会った患者さんの話で面白かったが、私の方は仕事の失敗談や人間関係の苦労話ばかりでどうも愚痴っぽくていけない。
「やっぱり自衛隊さんって厳しいな・・・」女々しい私の泣き言にも直美は大きな目でジッと見つめてパワーをくれる。
「(一緒に)頑張ろうね」1歳半下の直美だが7人姉妹の長女らしく、まるで姉のようだ。
「お茶しよう」直美の言葉に公園の入り口の自動販売機で買った缶ジュースを2人で同時に開けて飲む、そんなささやかなデートだった。

「マツノさん、私の名前って嫌い?」ある日、直美が訊いてきた。
「別に、何で?」「マツノさん、『直美』って呼ぶ時、変な顔をするんだよね」確かに私は「直美」と呼ぶ度に、妹「尚美」の顔が頭に浮かんで困っていた。
「僕の妹もナオミって言うのさァ、字は違うけどね」「ヘー」私の説明に直美は大きな目をさらに丸くした。
それからしばらくは妹「尚美」の強烈なキャラクターについての話で盛り上がった。直美は私の大袈裟な話(でも実話)を可笑しそうに聞いている。
「私が貴方と結婚したら、マツノナオミが2人になって、ややこしくなるね」「エッ」突然の直美の台詞に私は呆気に取られた。
「会った時、お互いに『ナオミさん』って呼びあったりして」私にはこの話が冗談なのか、本気なのか分からず曖昧に笑いながらうなづいているしかなかった。
「じゃあ、それまでに妹には嫁に行ってもらわないとね」「そうかァ、ハハハ・・・」私が無理してつけたオチに直美は天真爛漫に笑う。
ちなみに直美の姉妹は、上から直美、昌美、紀美、安美、里美、育美で、頭文字を並べると「生の野菜」になると笑っていた。
これ以来、直美は、「お兄ちゃん、ナオミだよ」と悪戯電話をしてくるようになってしまった。

その日は、海まで自転車に2人乗りで行き、泡瀬干潟の防波堤に並んで腰を下ろしていた。沖縄の海も、随分秋色が深まり風は心地よかった。
直美は髪を風に乱されることを気にしている。私はいつもの癖で歌を口ずさんでいた。
「誰もいない海 二人の愛を確かめたくって・・・」「ねェ、誰の歌?」私の歌に直美は興味深げに訊いてきた。
「南沙織さァ」「南沙織って沖縄の人さァ、初めて聞いたよ」直美はそう言うと続きを歌えと顎でリズムを取った。
「走る水辺のまぶしさ 息も出来ないくらい・・・好きなんだもの 私は今 生きている」「いい歌さァ」直美は何度もうなづいて感心してくれた。
「好きなんだもの 私は今 生きている」直美はそこだけを覚えたのか、また顎でリズムを取りながら口ずさんだ。そして、歌い終わると黙って頭を肩にもたげかけてきた。
私は黙って直美の肩に手をかけて海を見ていた。直美の肩が吐息に合わせて揺れている、私はその動きが自分の吐息と重なっていることを感じていた。
「キスするさァ」私はそう言うと直美の肩に掛けた手を引き寄せた。
「やっぱりマツノさんって、キスするのにもチャンと断るんだね」直美はそう言った後、そっと目を閉じた・・・直美の唇はさっき飲んだコーラの味がした。
いつもは話しが止まらない私たちには珍しく沈黙が続く、海から吹いてくる風が心地よかった。
「あっ、心拍数が上がってる」突然、直美は自分の手首で脈を測り始めた。
「流石は看護婦だなァ」私は急に愉快になり、直美が心から愛おしくて微笑みながら直美の横顔を見つめていた。それでもまだ直美は脈を測るのに一生懸命な振りをしていたが、やがて「グスン」と鼻をすすった。
「ありがとう」「そんなこと言われたら泣いちゃうよ」私の呟きにそう言って空を見上げた直美の頬は夕日で真っ赤に染まっていた。
私のニライカナイ・砂川直美
「もしもし、保健婦課程の砂川直美さんをお願いします」今日は私が電話をする番だった。
電話のオルゴールの向こうで直美を呼び出すアナウンスと「ありがとうございます」「マツノさんて言う人から」と話している声が聞こえてくる。
「もしもし」すぐに直美が電話に出た(と思った)。
「今晩は、元気?」「ウン」いつもは「貴方は?」と聞き返してくる直美が今日はそれを言わない。私はどことなくルズムが違うのが気になっていた。
「頑張ってる?」「ウン」ここからは自分からそれまでの出来事を嬉しそうに話しだす直美が今日は返事しかしない。それでも私は色々話しかけてみた。
「どうした?元気がないね」「ウフフ・・・」私の心配そうな声に突然、直美が笑い出した。
「私、昌美です、姉は今お風呂に入っています」電話で話していたのは妹の昌美だった。
「マツノさんって電話でも優しいんですね」昌美は感心したように言った。私の頭に直美よりも(次女らしく)少し気が強そうな昌美の顔が思い浮ぶ、それからしばらく昌美は直美が恥ずかしがるような内緒話を聞かせてくれた。
「姉は昔から勉強とバスケット部と家の手伝いに一生懸命で、男の人と付き合ったことなんてないんですよ」これは私には意外な話だった、直美はどちらかと言えば美人の部類だろう。初対面の時の無防備さは何だったのかとも思った。
「多分、マツノさんが姉の初恋ですよ」昌美の言葉は顔が見えないので本当か冗談かは分からない、ただ私は素直に感激した。
「それからファーストキスも」「ゲッ」絶句した私に昌美は可笑しそうに続けた。
「姉は何でも顔に出ますから・・・追求したら白状しました」私は寮で直美がどんな顔をしてたのかを想像してみた。いつもの全開の笑顔だろうか。
「ありがとう、お姉さんを大切にするよ」「お願いします。お兄さん」昌美にからかわれてこの内緒話は終わった。

ある日、私は風邪をひき熱を出していた。
「ゴメン、会うの1週間延期」私は、内務班(寮)の公衆電話から直美に電話した。
「どうしたの?」「風邪をひいて少し熱がある」「熱は高いの?」「37度チョッと」「そう、微熱だね」何だか衛生隊で問診を受けているような気分になってくる。
「薬は飲んだの?」「これぐらいの風邪、ガブガブとポカリを飲んで走れば汗をかいて治っちゃうよ」私が自衛隊式の治療法を言うと一瞬間を置いて直美が珍しく大きな声を出した。
「馬鹿!風邪は安静第一、消化のいい物を食べて大人しく寝てなさい」「はい」「まったく、そばにいたら見張ってるのに、わかった!」「はい」結局、私は「風邪なんて体の中からアルコール消毒をすれば治る」と言う先輩からの「飲みに行く」誘いも断り、直美の命令通り土曜日、日曜日を部屋で寝て過ごし、おかげで月曜日には体調も快復して仕事に支障はなかった。やはり持つべきは看護婦の彼女であった。
「飲みに行こう」と誘いに来た先輩は枕元で見張っている直美の写真を見つけて「沢口靖子か?(ブロマイドを飾るなんて)お前も意外にミーハーだな」と勘違いしていた。
ただし、デートは「風邪は治りかけが大事」と言う直美の心配で、さらに1週間延期されてしまった。

直美の国家試験が近づいて、デートはもちろん駄目、電話も直美がかけて来るのを待つようになった。
私は、せめてもと「夢に向かって頑張れ・返事は試験の後に」と言うイラスト付きのメッセージを書いたハガキを毎日送ったが、そんな時、沖縄民謡「十九の春」の「1銭2銭の葉書さえ 千里万里と旅をする 同じコザ市(具志川市はコザ市の隣)に住みながら 会えぬ此の身の切なさよ」の歌詞を口ずさみながら、「これって名曲だなァ」とシミジミと感心していた。

やがて国家試験が終わって初めて直美が1人、泊まりで那覇までやって来た。
「試験はどうだった?」「うん、多分・・・」そう言って直美はため息をついた。
「大丈夫さァ、君は看護婦さんになるために生まれて来たような人だもん」「うん」私は、励ましと褒め言葉のつもりだったが、なぜか直美は哀しそうな顔をする。私は「試験に自信がないのかなァ」と少し心配になった。
「ハガキ有難う、元気が出たよ」「あんなことしか出来なくてさ」「ううん」そう言うと直美はギュッと手を握ってくる。キスをしてから時々、直美はこうして私の体温を確かめようとするようになった。
その日、私たちは初めて2人で街を歩き、映画や食事、少しお酒も楽しんだ。ウチナー屋は2回目だったが、ママさんは前回、妹の昌美と3人で来たことを覚えていて
「今日は2人きりねェ、マツノ大喜び」とからかって祝福してくれた。ただ、この店には以前つき合っていた彼女とも来ていて、ママさんは私が両親や親戚から無理やり引き裂かれたことも知っている。後日、ママさんは1人で来た私に「マツノ、もう沖縄で女を泣かせたら許さないよ」と厳しい目で言った。
ウチナー屋から直美を国際通りより1本奥の通りにある観光ホテルへ送っていった。こんな時、私のナイチャー(本土の人)の顔は、ロビーでも観光客にしか見られず疑われなくて便利である。
直美の部屋は外の喧騒もなく薄暗く静かで、シングルなのでソファーは1つしかない。私がソファー、直美はベッドに座って話をしていた。
「私、八重山病院へ行ってもいいの?」直美は薄暗い部屋で私の顔を見つめながら訊いた。石垣島にある八重山病院に行くことは、「離島医療の仕事がしたい」と言う直美の夢を実現するための第一1歩になるはずだ。
「それが君の夢だったんだろう、頑張れよ」私は直美の顔を見つめながら答えた。
「うん・・・」と返事しながら、いつもは名前の通り真っ直ぐ私を見返す直美が視線を床に落とした。
本当は曹候学生課程を卒業し、3曹に昇任して1年、相変わらず上達しない仕事とそれを許さない人間関係に悩み、それを救ってくれている直美と遠く離れることは辛い。
「行かないでくれ」と膝間づいて縋りつきたいのが本心だった。
もう1つ、私は重荷を背負っていた。私には「沖縄の女性との結婚は許さない」と言う両親の厳命で、直美の前に愛し合っていた女性と有無を言わさず引き裂かれた心の傷があり、その痛み、恐れから直美に将来への約束も決心もできないでいた。
部屋の空気が重くなるような沈黙の中、私は何気なく腕時計を見た。時刻は十時を過ぎて
いる。そんな仕草を直美は怯えたような顔で見た。
「もう遅いね、明日迎えに来るよ」私は立ち上がり、ファーストキス以降の習慣「またねのキス」をしようと肩に手を伸ばすと直美がその手を握った。
「私、1人になるのは嫌!」直美の手と大きな目が私をとらえて離さない。私も若い男だ。直美から「1人で、1泊で那覇に来る」と聞いた時から、こんな期待を抱かなかった訳ではない。しかし、私の中の臆病がそれを許さなかったのだ。
私たちは黙って見つめ合っていた。それは武道の試合で相手への初手を探り合う時のような息詰まるような緊張感だった。
突然、直美の頬に涙が一筋零れ落ちた。その瞬間、私の中で何かが弾け散った。
私は黙って立ち上がると直美を抱き締めた。

2人、交代でシャワーを浴びてから直美は無口になった。ベッドに並んで座っていても、少し震えているのが伝わってくる。
「直美さん・・・」私の呼びかけに直美はギュッと唇をつぶってうなづいた。
私は黙って立ち上がると直美を抱きかかえてベッドに寝かした。そして、ゆっくりゆっくり、優しく優しく、深く深く直美を女にした。
私のニライカナイ・砂川直美
朝、目を覚ますと直美はもう起きていていつもの大きな目で私の顔を見ていた。
「どうした・・・」「まだ、貴方が私の中にいるみたい」心配そうな私の問いかけに直美はそう言って恥ずかしそうに微笑んだ。これは夢ではない。
朝の光で見た直美の裸身はやはり美しく、愛おしかった。

直美は国家試験に合格し、八重山病院に配属されることが決まり、私はお祝いにストップウォッチ機能がついた小型の腕時計を贈った。
それには「これからの時間も一緒に」と言う願いも込めたつもりだった。
「これでいつも一緒だね」今度は一緒に泊まったホテルの部屋で箱を開けて直美はブレスレットのように腕にはめて見せた。

直美が石垣島に出発する日、私は夜勤シフトだった。
「昼前の南西航空」と言う直美と私は、南西航空に隣接する基地のゲートで会った。基地の外れにあるゲートまで自転車で行き待っていると、やがて一台のタクシーが停まり、直美が下りた。直美は濃い色のブレザースーツを着て、初めて会った時と同じ鞄を提げ、今日は薄く化粧もしているようだ。
「今夜はシフトだから内線×××(職場)に電話しなよ」「うん。必ず電話する」ゲートのフェンス越しに手を握り合って話している私たちを中年の警備員の小父さんは映画かドラマでも観るような顔で見ていたが、聞き耳を立てているのは見え見えである。
「自衛隊さん、あっち向いてるからキスでもするさァ」小父さんはニヤッと笑うとそう言ってそっぽを向いてくれた。幸いほかに人影はない。私たちはお言葉に甘えた。
フェンスに頬と鼻が食い込んだが気にはならない。キスをしながら直美はまた「グスン」と鼻をすすった。
「彼女、どこへ行くんねェ?」「石垣島、八重山病院です」「それは遠いねェ、彼女、看護婦ねェ」「はい」直美を見送った私に小父さんは心から同情した顔をしてくれている。
「今は飛行機もあるし、また会えるさァ」小父さんの励ましにお礼を言って私は自転車にまたがった。

その夜、直美は職場に電話してきた。その時、私は丁度、整備作業が一段落して整備記録を書いている最中だった。
「遠くへ来ちゃった」「そんなことはないさ、声はいつもと同じだよ」「ウン」本当は今まで聞いたことがないほど直美の声は不安げだった。
「飛行機、長かったよ」「でも台風はいなかっただろう」「うん」いつもならこんな思い出話を喜ぶ直美だが声は不安そうなままだ。
「台風がいたら貴方が隣に座っていてくれそうだから、台風がいた方がよかったな」話題を変えて励まそうとした私の話にも直美はかえって哀しそうな声を出した。
「もうすぐ仕事が終わるから、そうしたら南に向かって『直美さーん』って呼ぶから、耳をすませておきなよ」「うん・・・グスン」私は冗談で笑わそうとしたが、直美はまた鼻をすすった。あんなに大らかで陽気だった直美が泣いてばかりいる。
「マツノちゃんも沖チョン(沖縄単身赴任者)かァ」短めに電話を切ると、本当に単身赴
任のクルーチーフが、冷やかしとも同情ともつかない顔で声をかけてきた。
「彼女、会いたいって泣いてただろう」先輩がからかってきたが図星、冗談にもならない。
「はい・・・」と返事をして私は一気に暗くなり、先輩は「シマッタ」と言う顔をした。

「マツノ3曹、電話」シフト明けの土曜日、当直空曹のアナウンスで呼び出された。
「砂川さんって女の子」当直空曹は曹候学生の3期先輩の加藤3曹だ。
「もしもし」いつものように電話に出ると、それは妹の昌美からだった。
「なぜ姉を引き留めてくれなかったんですか?」昌美は前置きなしで、いつになく厳しい口調で切り出した。私には返す言葉がない。深刻そうな会話を察したのか加藤3曹は黙って部屋を出て行ってくれた。
「『離島医療の仕事』は直美の夢だったんだろう」私は何とかそれだけを答えた。
「それは男の人の考え方です。姉は出発する朝まで貴方が引き留めてくれるのを待っていましたよ」昌美は電話口で泣いていた。
「マツノさんが姉に仕事を選ばせたんですよ」「でも、そのために頑張って来たんじゃないか」昌美の一方的な叱責に私は反論した。
「今の姉に好きな人以外の何がいるって言うんですか」昌美の言葉を聞いて、ウチナー屋のママさんの「もう沖縄で女を泣かせたら許さないよ」と言う言葉と厳しい顔が浮かんだ。結局、私の臆病と鈍感が、また大切な人に哀しい思いをさせてしまったのだ。
私の胸に、あの夜ホテルで直美が見せた哀しげな顔、寂しげな顔、決意した顔、そして私の胸で震えていた顔、痛みに耐えていた顔、朝に見せた恥ずかしそうな微笑がアルバムの写真をたどるように1つ1つ浮かんで消えていった。

直美の仕事が本格的に動き始めたところで、私は石垣島へ行くことにした。
「エッ、本当?」電話でこの事を提案すると、最近は疲れたような声をしていた直美が、久しぶりに元気な声になり、私には電話の向こうの直美の全開の笑顔が見えるようだった。
直美は病棟勤務になり、朝から夕方、夕方から深夜、深夜から朝の3交代勤務で、直美がまだ新米で休みが取れないため、この空いた時間と私の休みが上手く重なるようにしようと言うわけだ。
結局、深夜から朝8時半まで勤務して、翌日の朝8時に出勤するまでの1日の休みが私の休みに重なる週を選び、金曜日の最終便で石垣島へ行き、(翌週の準備のため)日曜日の昼には那覇へ戻ってくることにした。

春の観光シーズンにも何とか予約出来た民宿のオヤジさんに事情を話すと「八重山病院には俺もお世話になってるよ」と快く部屋で2人で過ごすことを許してくれた。
翌朝、私はロビーで新聞を読みながら待っていると9時過ぎに直美がタクシーで民宿に来た。白のポロシャツにGパンの直美は少し痩せたように見える。
「元気か?」「うん、貴方は?」「うん、頑張ってる?」「うん、貴方は?」こうして会っていても会話の出だしは電話と同じだった。
「朝飯は?」「病院で摘み食い、エヘヘ・・・」直美は照れ笑いをした。
「やァ、いらっしゃい」私たちの声が聞こえたのか、奥からフロントのカウンターにオヤジさんが出て来た。直美は少し恥ずかしそうな顔をしてお辞儀した。
部屋でシャワーを浴びた直美は、Tシャツに短パンに着替えている。
「夜勤明けだろう、寝ろよ」「でも・・・」直美は迷っているようだった。
「直美の寝顔を見たいしさァ」「もう、エッチ!ハハハ・・・」直美は少し唇を尖らせてから、全開の笑顔を見せてくれた。
「この笑顔に会いに来きている」私は心から救われていた。
「隣にいて・・・」シングルのベッドに横になると直美は大きな目で私の顔を見つめた。
言われるまでもなく私は添い寝をするつもりだ。
「ここが安心・・・」腕枕をすると直美は私の胸でそう呟いて、やがて寝息を立て始めた。

直美は昼過ぎまで眠った。
「こんなに睫毛が長かったのかァ」寝つかれない私は、カーテンを閉めた薄暗い部屋で直美の無防備な寝顔を見ながら過ごしていた。
腕枕をしている腕は些か痺れていたが、私が腕を外そうとすると直美はビクッとして、一瞬目覚めてしまうのだ。
私は、またしばらくは会えない直美の体温、体の弾力、唇の色、髪の匂い、吐息の音を忘れないようにと切実に願っていた(そう思いながらも若い男なりの欲望も感じていたが)。
何度か悪戯に額や頬にそっとキスをすると直美は眠ったまま笑った。

ある時、直美の方が「花いちもんめ」と言う映画を見るため本島にやってきた。
それは痴呆症(=認知症)の老人を描いた作品だったが、映画を食い入るように見ているその真剣な眼差しに直美の仕事に対する姿勢を感じ取った。
直美と始めて映画を見たのは国家試験が終わった後、1人で那覇に来た時だが、それは「刑
事物語・潮騒の歌」だった。
この映画は沢口靖子のデビュー作品でもあり、画面のセーラー服姿の靖子を見て隣を見ると同じ顔があるのには不思議な感じだった。
この時の同時上映は松田聖子と中井喜一の「プルメリアの伝説」でこちらは中井喜一を見て直美が隣を見ていた。

ある時、本島に来た直美が「赤十字病院へ行きたい」と言った。直美の離島から八重山病院に入院していた患者さんが赤十字病院に転院になったらしい。
空港からホテルに向かい、チェックインして荷物を預け、島から預かってきた小物が入った紙袋を持ってタクシーで沖縄赤十字病院へ向かったが、沖縄赤十字病院は漫湖の畔にあり、直美が見舞っている間、私は漫湖の周囲を歩いて時間を過ごした。
「お待たせェ」「もう良いの?」「うん、ありがとう」小1時間が過ぎた頃、直美が歩いてきた。島から預かってきた紙袋は病院に置いてきたのだが、代わりにお菓子をもらってきていた。
「病院には食事制限があるから、見舞いにお菓子をもらうと困る患者もいるのさァ」その患者さんも食事制限を受けているようで同室の患者からのお裾分けも看護師に取り上げられてしまうようだ。
「折角だから漫湖の周りを歩いてみよう」「うん、もう夕方だから暑くないさァ」そう言って手をつなぐと2人揃って歩き出した。
途中の公園のベンチに座り、あの頃と同じように自動販売機で買った缶ジュースを飲み、お菓子を頬張ると幸せな気分になった。

やがて漫湖の奥の豊見城村に入ったが、私は突然、見覚えのある風景に直面し立ちつくした。
「どうしたのさァ?」固まったように動かなくなった私を直美は怪訝そうな顔で覗き見る。
「俺、ここで死んだ・・・」「えっ?」私は幼い頃から同じ夢を繰り返し見ていた。
あの日、上衣を脱した海軍第3種軍装(鉄帽は被っておらず、脚は兵隊用の軍靴に脚絆だった)の私と汚れたブラウスにモンペ姿の若い母親、膝までの着物の5歳と3歳くらいの男の子の4人で民家の崩れた石垣の影に隠れていたのだ。集落は艦砲射撃と爆撃で破壊されて家屋はほとんど残っておらず、ただ集落の向うには藪があった。
その時、車両のエンジン音と英語の話し声が聞え、のぞくと数名のアメリカ兵が坂を登ってくるのが見えた。私は母親に「囮になるから藪に逃げ込んでアメリカ兵が通り過ぎるの待て」と指示し、怯えた母親の横でこちらを見ている子供の頭を撫で藪の反対側の坂道を登るように駆け出した。
走りながら「軍刀が邪魔だなァ」と思ったところで米兵の甲高い叫び声と機関銃の乾いた銃声が聞こえ、同時に背中に焼けた石を投げ付けられたような衝撃を感じ、突き倒されたように転がって仰向けになった。
そして見上げた青い空と白い雲、冷たく感じる背中、ハシャイだようなアメリカ兵の歓声、遠くなっていく意識・・・今、その場所を見つけたのだ。
「やっぱり貴方って沖縄のために命を捧げた人だったんだね」私の説明を聞いて直美は感激したように何度もうなづいた。普通なら「そんな馬鹿な」と笑われるような話を直美は真実として受け留めてくれたのだ。
「だって貴方と一緒にいると何だか安心できるし、ナイチャーやシマンチュウなんて関係なくなっちゃうのさァ」確かに私自身も親から逃れるために最も遠い任地を選んだのだが、初めて沖縄の地に降り立った時、空気そのものに包まれるような安らぎを感じ、愛知の実家に帰る以上の懐かしさを噛み締めたのだ。
そう言えば複雑に入り組んだ沖縄の街でも道に迷うことなく歩き回ることができ、難解なシマグチ(沖縄方言)もすぐにマスターした。今では島唄がカラオケの十八番なのだ。これも前世の経験が私の中で蘇っているのかも知れない。
「やっぱり、貴方って私と一緒になる運命なのさァ」直美が出した結論は、やや飛躍し過ぎのようだが、それも納得してうなづいた。
その夜、抱いている直美の顔があの時の母親に重なったが、それは単なる思い込みだろう。前世の私が住民である人妻とそんな関係になっているとは考えたくないのだ。

私の石垣島行きは4回で終わった(直美も2回、本島に来たが)。直美は欠員だった離島の診療所に転勤し、今までの日程では会えなくなったのだ。そして私が防府の教育隊に臨時勤務したのを境に次第に連絡が取れなくなっていった。

「盆、正月くらいは帰って来い」と親から「年末年始休暇の帰省」を命令してきた。こうなったら有無を言わさないのがウチの親だ。本当は「5月の連休も地元の神社の大祭にも帰ってこい」とうるさいのだ。
私は宮古島の直美の実家で沖縄式の正月を楽しみたいと思っていたが、そんな予定はキャンセルして帰省しなければならなくなった。
「ならば」と私は重大な決意をして帰省することにした。

長兄である伯父の意向を受けて父は私の沖縄の女性との交際を禁じ、父の顔色だけを伺う母は子供がそれに背くないように心がけている。したがって実家では私の沖縄での交遊関係、つまり女性と交際の話題は「危うきに近づかず」状態でタブーになっていた。
私は得度を受けた坊主として祖父の寺の年末の大掃除から新年の檀家さんの参賀の準備、年頭の挨拶回りまで修行僧のように時間を過ごした。このおかげで父の実家への年始の挨拶を逃れることができたが、寺にこもりっきりの私に父は不機嫌だった。
明日は沖縄に帰ると言う夜、母が夕食の片づけを終えて戻って来たところで、私は意を決
して切りだした。
「俺、沖縄に彼女がいるよ」母は驚いて私を見たが父はテレビを眺めたままだった。
「もう長いつき合いなんだよ。将来は結婚も考えてる」母は顔を強張らせた。
「何言ってるの、沖縄の彼女は駄目だって言ってあるじゃない」母がこう言うと父が私の顔は見ないで口を開いた。
「それは沖縄人の娘か?そんな国際結婚みたいなものが上手くいくはずがない」これは伯父の意見の請け売りである。母は父の顔を窺いながら私の顔を不満そうに見た。
「その子はどんな子なの?」母は座の重い空気を払うためだけに一応は訊いてきた。
「元気で明るい子です。23歳の保健婦さんだよ」私はホッとしながら話し始めた。
両親はしばらく直美の仕事と家族、生い立ちなどの私の説明を聞いていた。そこで母が「どこで働いているの?」と訊いた。
「八重山の離島の診療所で勤務しているんだ」私は直美の高い志を説明したくて正直に答えた。
「八重山と言うのは何処だ?」「石垣島や西表島の辺りだけど、そこの小さい離島だよ」「離れ島に飛ばされたのか?」父が声を荒立て母は不満そうに顔を歪めた。
「離島医療の仕事がしたくて希望して行ったんだ」私の説明も両親には言い訳にしか聞こえないようだった。父が言葉を続けた。
「そんな家庭的なことを考えない仕事優先の女は駄目だ」「沖縄の離島は無医村が多くて、そんな仕事がしたくて看護婦になったんだ。この辺りの若い女の子でこんな高い志を立てる人がいるか」私の説明にも父はさらに「女は結婚して家を守るものだ」「夫の仕事を支えるのが妻の役割だ」と母が保母になった時、「家事の手抜きは許さん」と命じた持論を語気も荒く言い始め、それで苦労しているはずの母も父に同調して説教を始めた。
「そんな仕事優先の子とつき合っちゃあ駄目だよ。だから沖縄の女の人は駄目だって言っていたでしょう・・・」そこで父が諭すように静かな口調で話し始めた。
「どうせ将来はないんだから深入りする前に手を切るんだな」これが結論だった。
予想された事態だったが「深入り前に」と言われても、それは手遅れだろう。
「直美は純潔(処女)を捧げてくれたのだ」と告白しようかと思ったが、それも無駄と覚
り、密かに両親に背き、故郷を捨てる決心をしていた。
ヒョッとすると私は薄笑いを浮かべていたのかも知れない。

突然、妹の昌美から電話があった。
「私も国家試験に合格しました」「おめでとう、もうそんな時期かァ」昌美と話すのは直美が本島に来た時、空港で見送った時以来だった。
「昌美はどこの病院になったんだい?」「私は沖縄病院に残ります」そう答えた後、昌美は「やっぱり都会が好い、私は姉ほどエラクはないんです」とつけ加えて笑った。
しばらくの雑談の後、突然、昌美が声を一オクターブ落とした。
「マツノさん、姉を許してやって下さい」「エッ」「姉も今、頑張っているみたいです」「ウン」私は直美から届いた島と職場の写真を思い出した。
「あんな素敵な人が幸せになれないはずがないさァ」この台詞には大分無理がある。すると昌美は、そんな私の本心を見抜いているかのように言葉を続けた。
「姉は多分、結婚はしないって言っています」「エッ?」思いがけない言葉だった。
「最初に好きになった人に、あんな愛され方したら、もう誰も愛せないって言っています」「それはどう言う意味?」私はまた何か直美を傷つけるようなことをしたのか不安になり問い返した。昌美は一呼吸を置いた後、こう付け加えた。
「マツノさんって、ただ愛すだけで、何も欲しがらないでしょう」「エッ?」「そんな愛し方する人、ほかにいないですよ」私はまだよく意味が分からないでいた。
昌美も「少し考えなさい」と言うように黙っている。
「でも、私はマツノさんみたいな人とつき合うのはコワいな」やがて昌美は少し意地悪そうな声でこう言って電話を終えた。

夏、私は部隊の野外訓練・現地研修で5度目の石垣島に行った。
石垣島には3泊して日程に余裕があり、真ん中の1日で私は直美が勤める離島へ行くことにした。「離島医療に励む彼女の激励ね、結構」指揮官は笑って単独行動を許してくれた。
朝、石垣港を出て、夕方、石垣港へ戻る1日1往復、片道2時間半の船旅だ。小さな船は外洋ではよく揺れる。有名な観光名所もない離島への便には観光客はなく、船内には数人の地元の人たちのほかは新聞や食料品などの荷物がほとんどだった。
「マツノさーん」直美は島の港まで迎えに来ていて、岸壁から大きな声で呼びながら手を振っていた。その姿に船員さんとお客さんが一斉に私の顔を見た。
「ニィニは砂川さんのお客さんねェ」「砂川さん、最近嬉しそうにしていたわけさァ」みんなは口々に私に話しかけ、お互いに噂し合った。
「本当に来てくれたんだァ」少し日に焼けた直美は久しぶりの全開の笑顔で抱きつこうと手を伸ばしたが、周囲を見回してその両手で私の手を握った。
港から直美が勤める診療所までは自転車で2人乗りだった。無医村であるこの島の診療所は広くはない島の中央にある役場の出張所の建物に同居しているのだ。
直美が診療室のエアコンを入れ、冷蔵庫から麦茶を出すと、私たちは保健婦と患者の席に
向かい合って座った。
「頑張ってるね」「うん、毎日充実しているよ」直美の顔には八重山病院にいた頃よりも自信と充実感があった。それは大きな目がパワーアップしていることでも分かる。
それからしばらくはお互いの近況と思い出を話していた。時折、島の人が小さな怪我や軽い病気でやって来て、直美は電話で医師の指示を仰ぎながら手当や薬を出していた。私はその度に廊下へ出て、そんな仕事ぶりを見ていた。
昼食は島一軒の食堂で食べた。そこでも直美は皆から声をかけられ、「彼氏ねェ?」と私のことを訊かれると、「私の大事な人さァ」と自慢そうな顔をした。
「ニィニ、砂川さんを嫁さんにしてもいいけど、ニィニがこの島に来ないと駄目さァ」突然、食堂の小父さんが言った。
「砂川さんが島にいなくなっては困るのさァ」昼間から泡盛を飲んでいるお客の小父さんもそれに同調した。私が顔を見ると直美は黙ってうなづいた。
私のニライカナイ・砂川直美
「私、貴方の赤ちゃんが欲しかったんだ」診療所に戻り、保健婦と患者の席に座ると直美がポツリと呟いた。
「何言ってるのさァ、看護婦さんが」「またそれを言う、私は看護婦の前に女だよ」直美は「相変わらず解ってないなァ」と呆れた顔をして私を見つめた。
「でも、そう言いながら、赤ちゃんが出来たら大喜びしてくれるんだよね、貴方って」直美は、そう言って今度は静かに笑った。
確かに何も解っていない、私の中の鈍感と臆病が治っていないことが腹立たしく、哀しくなった。そして、直美は私自身以上に私を解っていた。
「そろそろ(船の)時間だ」やがて直美が腕時計を見た。それは私が看護婦の国家試験の合格のお祝いに贈ったものだ。「使ってるよ」と直美は腕時計を見せた。
2人揃って立ち上がると手が届く距離だった。私は黙って直美を抱き締めた。懐かしい弾力、体温、髪の匂い、私はまだ直美の身体を覚えていた。腕は自然に背中に回って直美の顔を近づけ、唇はそのまま重なる。長い長いキスだった。

「時々、自衛隊の戦闘機が飛んで行くんだよ」港で船を待つ間、直美は空を見上げながら言った。
「それは台湾へのスクランブルだね」私はどうでもいいことを一生懸命説明している。そうしなければこの重い時間に耐えられなかったのだ。
「海はつながってるから流せば貴方に届くかなァ」「何を?」「何でもさァ」「それなら風に乗せればいいさァ」「そうかその方が早いね」そう言って直美が空を見上げて無理に笑った時、乗船が始まった。
「私、ずっと貴方が好きだよ・・・ありがとう」連絡船に乗り込む私に直美は顔を近づけてこう言った。大きな目は私の心の奥まで見通しているように見える。
「私は看護婦の前に女だよ」その時、私の胸に先ほどの直美の言葉が甦り、不思議な熱い
感情が噴き上がってきた。
「直美、迎えに来るまで待ってろ」気がつくと私は直美に向ってこう言っていた。
「エッ?何」しかし、丁度、吹かし始めた連絡船のエンジンの音にかき消されて私の声が直美には聞こえないようだ。直美は耳に手を当てた。
「迎えに来るから待っていてくれ」私は声を大きくして繰り返した。
「エッ?」直美は、それでもその言葉が信じられないような顔をしている。私は大股で引き返すと力任せに直美を抱き締めて、耳元でもう一度繰り返した。
「直美、待っていてくれ、結婚しよう」直美は一瞬、驚いたように体を固くしたが、すぐに「はい」と返事をして深くうなづいた。
波止場には用事のあるなしに関わらず大勢の島民が来ていて、年寄りが殆どの皆は私と直美の様子を驚きと好奇の目で眺めている。連絡船の船員さんも乗船を促すのを忘れて黙って私達を見ていた。
「じゃあ、また来る」「うん、待ってるよ」腕を解くと、私は連絡船に、直美は波止場に後ずさりした。直美は、笑顔と泣き顔の入り混じった不思議な顔で大きく手を振り始めた。
私が乗船し、船員が手摺の乗降口に鎖をかけると、やがて「ガクン」と言う衝撃とともに大きなエンジン音を立てて小さな連絡船は出港した。
私は、かぶっていた空色の帽子をとると頭の上で直美に向って思い切り振った。直美も波止場で飛び跳ねるようにして両手を振っていて、後ろでは島民たちが相変わらず噂をし合っている。
「やったな・・・」船が島の港を出て直美の姿が見えなくなると私は、長年の直美への想いに結論が出せたことの安心感と初めて親の意向に背いて自分の意思を通したと言う達成感とで胸が高鳴るのを抑えることができなかった。
これから先、那覇と離島と言う超遠距離恋愛をどう続けていくのか、直美の離島医療の仕事をどうさせるべきか、何より沖縄での結婚に反対している親と親戚をどうするのか、それは後で考えることにした。

「マツノさん、姉にプロポーズして下さったそうですね」本島に帰るとすぐに妹の昌美から電話があった。昌美はまだ国立沖縄病院にいるはずだ。
「姉から何だか夢を見ているようだから、現実かどうか確かめてって言われたんですよ」昌美の口ぶりは、真剣でありながら、どこか呆れているような軽さが感じられる。
「うん、お姉さんをもらいたい」私の返事に昌美は黙って一呼吸を置いて答えた。
「そうですかァ。有難うございます」それは何かが弾けたような声だった。
「姉は、いい奥さんになりますよ、妹の私が言うのも変ですけど」「それに姉はマツノさん一筋ですから」いつもはクールな昌美が珍しく一気にまくし立てる。
「うん、そう思ったから決めたんだよ」私は、あらためて喜びが込み上げてくるのを感じていた。ただ、その頃には少し冷静になり色々な問題を考えてもいたが。

「沖縄に結婚したい女性がいる」私は親に電話をかけた。しかし、反応は冷ややかだった。
「それは駄目だって言ってあるでしょう」母は、最初から聞く耳も持たない。
「前の人で懲りたでしょう」母は数年前、「混血とは、清んだ血が濁ることだ」と言う父の長兄の独断としか言いようのない意向を受けて、アメリカ空軍の女性兵士と無理やり引き裂かれたことを持ち出した。
「何でそうなるんだよ」私が、なお食い下がろうとすると、母は追い打ちをかける。
「そんなことをして伯父さんと仲違いすれば、お父さんが困るんだよ」母は、ただ父の立場だけを強調する。これが私の家の絶対的ルールなのだ。
しかし、私は今回「親の恩よりも直美への愛を選ぶ」と親に背く覚悟をしていた。
「それじゃあ、もう愛知には帰らないから」私がそう言うと母は慌てて何かを言い返そうとしたが、私はそのまま電話を切った。

「地元の神社の大祭にぐらい帰って来なさい」と言う親からの葉書を無視して私は連休に直美の島へ行くことにした。
今度は前日の夕方の飛行機で石垣島に行き、あの民宿に1泊して、朝の連絡船で直美の島に渡り、直美の宿舎に1泊する予定だ。
私はハムやソーセージの加工品や缶詰、野菜に果物とインスタント食品などを石垣島のスーパーで山ほど買い込んで連絡船に乗った。
「二ィ二、砂川さんの旦那さんねェ?」今度は連絡船に乗り込んだ直後から同乗した小母さんから声をかけられた。もう噂は島中に行き渡っているようだ。
「ハイ、まだその手前ですけど」「砂川さん、島から連れて行ってしまうんねェ?」この話は前回、島に行った時も食堂で島の小父さんたちから言われたことがある。
「それはまだ判りません」「こんな離れ島に来てくれる保健婦さんなんて、中々いないんだよ」小母さんがそう言った時、隣に座っていたお爺さんが小母さんに声をかけた。
「砂川さんだって若いんだから、いつまでも1人と言うわけにもいかんじゃろう」お爺さんの言葉には少し嗜める響きがある。小母さんはそれが少し不満そうだった。
「そりゃあ、そうだけど」小母さんが黙るとお爺さんは遠い眼をしながら話を続けた。
「ニィニに島に来てくれって言ったって、島には仕事もないし・・・ニィニなら、砂川さんを幸せにしてくれそうじゃ」お爺さんの言葉に小母さんもうなづきながら私を品定めするように見はじめた。
「砂川さんは、いい娘さんだよ」「まったくだ、明るくて元気で優しくて」小母さんはお爺さんと口々に直美を褒めてくれた。
「はい、ありがとうございます」お礼を言いながらも私は、直美との結婚の前に乗り越え
なければならない問題の大きさを思った。

直美の宿舎は診療所に程近いコンクリート作りの1軒家、6六畳1間に台所とシャワーだけの小さなものだった。私は1人で本を読みながら直美を待っていた。
夕方、仕事を終えて「ただいまァ」と言いながら帰って来た直美は、そのまま私が持ってきた食材を使って、「今日は御馳走だ」とハシャギながら手際よく調理し始めた。考えてみると直美の手料理を食べるのは初めてだ。
「貴方が、シマナイチャーで助かるさァ」直美の料理はやっぱりチャンプルだった。
「野菜は島の人たちが入れ替わり差し入れてくれるから不自由しないのさァ」と言って直美は大皿に盛ったチャンプルを座卓の真ん中に置いた。
食器は1つずつしかないので、私は麺類用の丼ぶりでご飯を食べ、お茶は直美は湯のみ、私はコップで飲む。箸は割りばしを買ってきた。
「俺の分の食器も置いておかないとなァ」「うん、借りておけばよかったね」直美は申し訳なさそうに言いながらも嬉しそうにうなづいた。
「でも、食器を借りたりしたら島中に知れてしまうよ」「もう、手遅れさァ」今度は直美は可笑しそうに笑った、確かに連絡船に乗った所ですでにバレテいる。
昼過ぎには受診してきたお婆さんから、「旦那さん、来たねェ」と言われたそうだ。この島ではもう私のことは「旦那さん」で通っているようだ(気が早い)。
「だったら、明日は堂々と島の中を歩けるね」「うん、案内するよ」直美は別に気にする様子もなくアッケカランと返事した。
直美が麦茶のボトルを持って来て坐ると2人揃って「カッチーサビタン(いただきます)」と手を合わせる。
「マーサイねェ?」「イッペイマーサイビン」「よかったァ」直美はホッとした顔をした。直美のチャンプルはウチナー家で食べている味とは少し違ったが美味しかった。
「ところで俺が来ていること、宮古の家は知ってるの?」「もう昌美が言ってるよ、私の家では内緒は出来ないのさァ」そう言う直美の口にチャンプルが1箸入っていく、私は小さな箪笥の上に私の写真と並べて飾ってある家族の写真を見た。
祖父母に両親、7人姉妹弟の11人家族が勢揃いすると少なめのクラス写真のようだ。

「シマザケ、飲む?」直美は夕食後、洗い上げを済ませると泡盛の小瓶を取り出した。
「これも『旦那さんと飲め』って、近所の小父さんの差し入れさァ」直美は私の顔を見た。
「直美は?」「エヘヘヘ・・・飲む」直美は何故か恥ずかしそうに笑った。
「また、ストレート?体に悪いよ」直美は自分の水割りの準備をしながら声をかけた。
「宮古島へ行った時の『御通り』の練習さァ」私は近いうちに直美の実家に挨拶に行くつもりだった。その時には「御通り」と言う車座で泡盛の回し飲みをする宮古島の風習をしなければならないことは知っている。
「そうか、『御通り』かァ・・・」直美は少し困った顔をした。最近、時々電話してくる昌美の話では、中々帰れない直美に代わって昌美が帰省する度に私たちのことを家族に話していて、親も「一度、連れて来い」と言ってくれているらしい。
ただ、中学生になった弟だけは「直美ネェネ、お嫁に行っちゃうの?」と悲しそうにしていたそうだ。弟は幼い頃、大家族を支えて忙しく働く母を援けて直美が育てたのだ。
「ニィニができるのさァ」昌美の説明に弟もようやく明るい顔になったが、かえって妹たちの方が「エッ、ニィニ?」と興味深々と目を輝かせたとも言っていた。

「ハイムルブシ(南十字星)が見たい」私の希望で直美は街灯りもない夜道を懐中電灯を持って、集落の外れの高台まで連れて行ってくれた。
「ハブは?」「この島にはいないよ」「フーン」「宮古島にもいないんだよ」「フーン」そう言いながらも直美は足下を照らしてみせる。
「あれがハイムルブシさァ」直美は真南の水平線に1つ見える星を指差した。
「波照間島なら上の3つが見えるんだよ」「へー、いつか見たいなァ」「うん」今夜は満月に近く、夜空が明るくて折角のハイムルブシもあまりはっきりしない。ただ、ほろ酔いの頬に夜風が心地よい。
「この人をお嫁に下さい」私はハイムルブシに向って手を合わせて呟いた。
「エッ、何?」「ハイムルブシに直美をお嫁にくれってお願いしたのさ」「もう、ロマンチストなんだから、ハハハ・・・」私のキザな答えに直美は夜空を見上げながら嬉しそうに笑ったが、その後で「グスン」と鼻をすすった。
「ねェ、誓いのキスは?」私のリクエストに「それって宗教が違うんじゃあないのォ」と言いながら直美は黙って目を閉じる、今夜の直美の唇は泡盛の匂いがした。

宿舎に帰ると交代でシャワーを浴び、2人ともTシャツと短パンに着替えた。
「ごめん、蒲団もシングルが一組しかないんだ」直美は掛け布団を敷布団と並べて敷きながら謝った。ただ、狭い部屋はそれで一杯になる。
「一緒の布団に寝ようかァ」「もうエッチ、ククク・・・」直美は少し恥じらって笑う。
「だけど食器は兎も角、布団は揃えてと言うわけにはいかないね」「うん」「冬場は寝袋でも持って来るよ」そう言いながら私は、胸の中でいつまで直美はこの島に居させるのかを思い、直美も同じことを思ったのだろう、何も返事をしなかった。
部屋の灯りは私が消した。直美は先に布団で仰向けに寝ている。灯りを消すとどこかの家の酒宴の声が聞こえてきた。
「私、貴方に抱かれるのがコワい・・・」直美は天井を見ながらつぶやいた。
「コワい?」部屋に刺し込む月の光で、直美が大きな目を開いているのがわかる。
「私は、貴方に抱かれてしまったから、もうこれ以上あげられるものがないさァ」そう言うと直美は私の方に体を向けて大きな目でじっと見つめた。しばらく2人で見つめ合っていた。
「俺、まだ直美にもらいたいのがあるのさァ」「エッ?」直美は私の目を見返した。
「これからの時間さァ」「時間?」直美は戸惑っている。
「これからは一緒に生きていて下さい」そう言うと私は直美の布団に入り、首筋に腕をま
わして抱き締めた。
「でも私がこの島にいる間は離ればなれだよ・・・」「離れ離れは始めからさァ」「うん」直美も私に首筋に腕を回してくる。
「だからこうして会っている時は一生懸命に君を愛するのさァ」「うん、グスン」うなづきながら直美はまた鼻をすすった。口づけると今度は少し塩味がした。その夜、直美を心を込めて愛した。

翌朝は、早くから直美に案内されて島の中を歩き回った。とは言っても狭い島では集落の外はサトウキビ畑ばかりで、その向こうは海岸だ。
「このヘリポートは救急患者を自衛隊のヘリコプターで運んでもらう時に使うのさァ」集落のはずれの少し高くなった場所にサトウキビ畑のはずれにコンクリートで舗装し、丸にHと描かれたヘリポートがあった。
「貴方が乗って来れるなら、バンバン要請しちゃうのになァ」直美は大胆な冗談を言って悪戯っぽく笑い、私は呆れながら答えた。
「あれは陸上自衛隊のヘリだから駄目さァ」「そうなの?空を飛ぶのは全部航空自衛隊だと
思ってた」私はさらに呆れてしまった。
「でも、この間、緊急要請で離島へ行ったら、そのまま家族が乗り込んで来て困ったって
陸のヘリ隊の連中が言ってたよ」「そりゃいいね?それじゃあ、私が乗ってっちゃおう、ハハハ・・・」直美は相変わらず空を見上げて口をあけて笑う。私は「冗談じゃないよ」と思いながらもつられて笑った。
「あー、砂川さんの旦那さんだ」集落へ戻ると出会った子供たちが声をかけてきた。
「おはよう」「おはようございます」私たちが揃って声をかけると、子供たちも元気に返事した。すると、女の子の一人が私の顔を見上げながら言った。
「旦那さん、私が保健婦になるから、砂川さんをお嫁さんにしてもいいよ」「エッ?」私は驚いて女の子の顔を見た。眼のクリクリした賢そうな子だ。
「だったら勉強を一生懸命しないとね」「うん、砂川さんも勉強したの?」「うん、すごく頑張ってたよ」あわてて否定しようとする直美に代わって私が答えた。
「すごーい」子供たちは改めて直美に尊敬の眼差しを浴びせる。
「もう」「だってデートもしてくれなかったじゃあないか」私たちは小声で言い合った。

波止場で連絡船の出港を待つ間も話は続いた。しかし、今回は将来へ向けての相談だった。
「夏の休暇には、宮古島へ行きたい」「はい」「直美も帰れるかい?」「早目に申請しておけば大丈夫だと思うけど・・・いつ?」「お盆の時期は外してもらった方が間違いないね」「はい」直美は真顔でうなづいた。
「私の家は賑やかだよ」「そりゃ、十一人家族だからね」私が納得したつもりでうなづくと直美は話を続けた。
「それだけじゃないのさァ、みんな元気なのが揃っているのさァ」「何だかコワいな」「大丈夫、家族って信じ合える人の集まりだから、多い方が幸せなのさ」直美のこの言葉に「この人を選んでよかった」と私は心の底から思った。

私は石垣島で絵葉書を買い、親に短い手紙を書いた。
「彼女とは心から愛し合っています。プロポーズをして了解してもらいました。近いうちに向こうの親にも挨拶に行きます。もう、そちらが認める以外に道はありません」言葉は丁寧だったが内容は最後通告だった。やはり何の返事もなかった。

私は、お盆前にも親に「「沖縄で結婚したいと思います。その人は離島の診療所で勤務している保健婦で砂川直美さんと言います。お盆には帰らず、彼女の島(宮古島)へ行く予定です」と手紙を書いたが無視を決め込んでいるのか返事は来なかった。
ところが、すぐに母から「諦めさせる」相談を受けたと言う祖父から手紙が届いた、
「お前の人生はお前のものだ。お前が選んだ人なら、きっと素晴らしい人なんだろう。いつも親の言いなりだったお前が、自分の気持ちを曲げないでいることは痛快であり、頼もしくもある。応援してるから頑張れ。直美さんにもよろしく伝えてくれ」とあった。やはり、祖父は故郷における唯一の理解者なのだ。

「マツノさーん」宮古島空港のロビーで直美が待っていた。流石に地元へ帰るとリラックスしているのか直美は大柄のイラストがプリントされているピンクのTシャツにデニムのバミューダーパンツ、サンダルだった(妹たちと共用)。一方、私は一兆羅の夏用ブレザーにネクタイまで締めている。
「結婚のお願いに行くのだから」とあらたまればこう言う格好になるのがモリノ家式だ。
「すごい格好、初めて見たよ、別人みたい」「似合うか?」「うん、ハハハ・・・」直美のこの笑いは何なのかと考えながら並んで歩き出した。
「おトウが車で迎えに来ているのさァ」「ゲッ、いきなり?」「大丈夫だよォ」私の親が反対していることは直美、昌美経由で伝わっているはずだ。
「さて何と挨拶するべきか」、そんなことを悩み、挨拶の練習しながらだと歩調がゆっくりになった。すると、直美は先に立って駐車場に向かって早足で歩き出した。
冷房が効いた空港の建物を出ると汗が噴き出したが、それは暑さだけではないだろう。
「ハイサーイ」直美の父・砂川賀満さんは駐車場の奥に停めた年代物のワゴン車の前に立って待っていて、私たちの姿を見つけると大声で挨拶してきた。色は黒く、目は大きく、背は沖縄の人としては長身で、何より笑顔は全開だった。
「はじめまして、マツノです・・・」「暑いから、乗った乗った」父は挨拶もそこそこに冷房が効いた車に「乗れ」と勧めた。そして、運転席に座ってから「はじめまして」と言った、父はやはり直美の父だった。

直美の家は平良市の外れにあった。平良市農協に勤める父が建てたのか築十年ぐらいの鉄筋の平屋だ。11人家族が住むにはこじんまりしていて、裏はサトウキビ畑が広がっている。
「マツノさん、来たさァ」最初に車を降りた直美が玄関で大声をかけると家の中から、年
齢、性別バラバラの家族がぞろぞろ出てきて「こんにちは」「はじめまして」「ハイサーイ」
「ようこそ」「メンソーレ」と勝手に挨拶をした。昌美を除く5人の女の子が揃うと流石に圧巻だった。
「はじめまして、マツノです。本日は、お世話になります」私が挨拶をすると「スゴーイ、ちゃんとネクタイをしてる」と感心する妹、「わかったねェ、これが本土の正しい挨拶なんだよ」と教育する姉妹、「本当、真面目そうさァ」とささやき合う祖母と母。祖父と父、弟・賀真は女たちの勢いに圧倒されている。これが直美が言う「賑やか」な家族なのだ。

夜はモンチュウが集まって、砂川家の座敷2間の襖を外した部屋で宴会になった。
私を上座に座らせ、父と本家の主人が挟んだ。座敷には地元料理に揚げ物を盛った大皿が並んでいる。父の横には祖父、女性陣は部屋の反対の隅に向かい合う形で並んでいた。
「こちらマツノさん、直美をもらいに来たさァ」いきなり父が紹介した。家についてシャワーを勧められ、その間に母と直美は料理の準備、父は山羊をつぶすと出かけ、着替えた私は妹弟に近所を案内され、まだ、正式に結婚の申し込みをしていない。
「マツノさん、堅い話はなしで一言」挨拶もいきなりだった。
「はじめまして、マツノです」と言いかけたところで「ヒュー、ヒュー」と指笛が響き、「カリユシドォ(めでたい)」「乾パーイ」と声がかかり、酒盛りが始まった。
「マツノさん、この家では話は飲んでから」呆気に取られている私に父が耳打ちをした。
「マツノさん、シマザケ飲めるねェ?」本家さんが、背後に置いてあった丼ぶりと地泡盛「菊の露」の一升瓶を取ると、私の前に座りなおした。私は「いよいよ、御通りか」と覚悟を決めた。その時、直美が小母や妹たちに囲まれた中で心配そうに見ているのと目が合った。
「少しなら」とうなづくと、本家さんはニヤッと笑い、菊の露を私に渡すと、丼ぶりに注がせて一気に飲んで私に渡した。
「大丈夫、倒れても看護婦が付いているさァ」本家さんはそう言いながら私が飲んだ丼ぶりを隣に座って居る父に渡すようにうながした。
こうして全員がそれぞれ起点になった丼ぶりが何度も何度も回ってきて、それを全て飲ま
なければいけないのだ。
「御通り」は、いつ終ったのかは判らなかった。ただ私は、御通りを飲み遂げて身内として認めてもらえたようだった。
私は同じように酔っぱらった父と小父たちに囲まれて勝手な質問に答えていた。いつの間にか直美が心配そうな顔で隣に座っている。
「マツノさん、親御さんが反対してるってェ」「はい、すみません」父がいきなり痛い質問をしてきた。直美が顔を強張らせたのが分かった。
「親御さんは、直美の何が気に入らんねェ」「直美だからではなくて、沖縄の人だと遠いし、風習が違うんで親戚つき合いが出来ないと言うんです」私は酔っていて長い説明はしんどかったが、直美も隣でうなづいて聞いている。
「それでマツノさんは、どうするねェ」「親が変わるのを待つだけです。変わらなければもう愛知には帰りません」「ふーん」父はゆっくり深くうなづき一つ大きく息を吐いた。
「マツノさん、いっそシマンチュウにならんねェ」「エッ?」酔った頭では即答は出来なかった。
「でも、自衛隊には転勤があるんです」「それは仕事さァ、帰る所がこの家ならばいいのさァ」父の言葉に直美は私の顔を見て返事を待っている。
「はい、そうさせてもらえるなら私も沖縄を・・・直美を愛していますから嬉しいです」これは本心だった。自分たちの論理を通してしか世間を見ず、それにはめ込むことのみを絶対とする愛知の実家の考えには、もう付き合い切れないと思っていた。
「この人は沖縄料理が好きで、島唄も得意なシマナイチャーさァ」横から直美が言った。
「そうねェ、ヤギは食べれるねェ?」その言葉に小父が自分の前の山羊の刺身を盛った皿を差し出しながら訊いた。私は「はい」と返事をして箸をのばして数切れを食べ、「マーサイです」と言う私の返事に周囲の小父たちも感心したようにうなづいた。
突然、本家さんが私と直美の顔を見まわしながら訊いた。
「マツノさん、もう直美とは寝たねェ」直美が膝の上で手を握って下を向く。
「すみません」私も謝りながら下を向くと本家さんはニヤーッと笑った。
「そりゃあ、マツノさんが元気な証拠さァ、それじゃ、早く結婚しないといかんさァ」「エッ?」意外な台詞に今度は直美と私は顔をあげて本家さんの顔を見た。
「子供が先に出来たら困るさァ、親子続いて」「エッ?」横で父が慌てた顔をする。
「直美が出来たのも賀満が結婚する前、20歳の時なのさァ」「へーッ、道理で両親が若いわけだ」と私が父の顔を見ると今度は下を向き、なぜか直美もまた下を向いた。
「マツノさん、本当に直美をもらってくれるねェ」「はい、お願いします」本家さんの言葉に私がうなづくと、このやり取りに聞き耳を立てていた周りの小父たちが拍手をし、指笛を吹きはじめた。
それが合図になったかのように拍手が部屋中に広がり、口伝えで話が広がり、「カリユシドォ(めでたい)」「直美、よかったねェ」と言う声が起こり、私は呆気に取られていた。
「でも、酒の席でこんな大事なことを決めていいんですか」「だから本音が聞けるのさァ」父がうなづきながら答えると、直美が私の肩にすがりついて泣き出した。

台所で子供たちが食事をする声と音で目が覚めた。私は、まだ酒が残っている頭で昨夜のことを思い出してみた。
直美と結婚する話が決まって、出席者たちが帰ったり、酔いつぶれて勝手に寝転んだりし始めた頃、「直美ィ、もう俺んだよォ」と言って後ろから抱きつくと「こんなに酔っぱらちゃってェ」と引きずって蒲団まで連れてきてくれた・・・そこまでで終わり。
寝返りを打つと隣にその直美が寝ていた。
「ゲッ」私は必死に寝てからのことを思い返してみた。
「起きたねェ・・・」直美がぼんやり眼を開けた。直美は当たり前な顔をしている。
「俺、何もしていないよなァ?」私は急に不安になり訊いてみた。
「もう、何を言ってるのさァ、大丈夫だよ」直美は可笑しそうに笑った。
「喉乾いた?水取ってくるね」そう言うと直美は立ち上がって出て行った。
「ネェネ、おはよう」と台所から直美が母や妹弟たちと挨拶をする声が聞こえてきた。
「マツノさん、もう起きたねェ、おトウよりも強いさァ」と母の声が聞こえる。
「昨日のこと少しは覚えている?」戻って来て、まだボーと坐っている私の横に正座すると直美はコップを手渡して、少し心配そうな目で訊いてきた。
「うん、君はマツノ直美になるのさァ」私の答えに直美はホッとしてうなづいた。
「今日、入籍するのは?」「エッ」確かに「郵送で婚姻届をやり取りするよりは2人揃って手続きをしてこい」と言われ了解した覚えはある。
「うん、覚えてるよ」「本当にいいの?」「君は?」「私は貴方さえよければ安心さァ」直美は大きな目で私の目を覗き込んだ。私に迷いはなく、むしろそう願っていたのだ。
「僕と結婚して下さい」「はい」私の最終確認に直美はうなづいた。
その時、開けっ放しの廊下で母が「グスン」と鼻をすする音が聞こえ、忍び足で台所に戻っていくのが判った。

その日の午後、私と直美は、直美の本籍がある平良市役所に婚姻届を提出した。印鑑は自衛隊の躾で三文印を持って来ていた。
その時、私は自分の名前の振り仮名を「ノリヒト」ではなく「テンジン」と音読みにした。それは沖縄の風習に倣い、シマンチュウになるためのケジメのつもりだった。
「テンジンさん・・・」隣で直美は英単語を覚えるように何度も繰り返していた。そして、「マツノナオミが2人になったね」とポツリとつぶやいた。
市役所の売店で宮古島の絵葉書を買い、その場で「入籍しました。マツノテンジン、直美。
この島が妻の故郷です」とだけ書いて市役所の前のポストから両親と祖父宛に送った。

婚姻届を出した午後、私は砂川家の墓参りに行った。
「若いのに感心さァ」と祖父は私の申し出を褒めてくれた。
「お盆の前で助かるさァ」と掃除道具とお供物を渡しながら祖母が笑った。
「エーッ、草ボウボウねェ?」直美が困ったような声を出すと「大丈夫、おバァの仕事さ」と微笑んでうなづいた。
砂川家の墓は、家の裏手のなだらかな丘の中腹にある小ぶりな亀甲墓だった。朝からおバアが「仕事」をしたのだろう掃除が行き届き、花もまだ新しかった。
「砂川家は、中国からの渡来なんだよ」「フーン、それじゃあ直美の先祖は中国人かァ」「嫌?」「まるで国際結婚したみたいさァ」私は軽い冗談のつもりだったが、そう言った瞬間、親の反対で引き裂かれたアメリカ空軍の女性の顔が胸をよぎった。
「お墓まいりは本土と同じでいいのかなァ」「いいさァ」直美は簡単に答える。
そこで私は湯呑と花壺に水を入れ、墓の前にお供物を備え、沖縄式の線香に火を点けて寝かせた(立たない)。そして、ゆっくり舎利礼文と言うお経を上げた。
「これが私の旦那さんです」隣で手を合わせながら直美が呟いた。
「私もこの家の人になります、宜しくお願いします」私の言葉に直美は一瞬、驚いた目をしたが、「貴方と結婚出来てよかったァ」と言って涙を一筋流した。
先祖代々のお墓の前で不謹慎だとは思ったが、そのまま直美を抱き締めて口づけをした。誓いのキスだった。

「マツノさん、飲まんねェ」と夕食後、義父が1升瓶を取り出したが義母と直美に睨みつけられ、妹たちからもブーイングの嵐が起こった。
それで義父も今夜が「新婚初夜」だと言う事に気がついたようだ。
「そうか・・・頑張るさァ」義父が、よく判らない台詞を言って1升瓶を抱えて部屋に引っ込むとテーブルを囲んで義母と直美、妹たちが顔を寄せあって小声で話し始めた。
私は少し離れた席で賀真の飛行機に関する質問に答えていた。
「ニィニ、F―15イーグルとFー14トムキャットじゃあ、どっちが強いねェ?」「そりゃあ、Fー15さァ、艦載機は色々な制約があって設計に無理があるのさァ。だから航空自衛隊もFー15を選んだのさァ」「フーン」賀真は、感心しながら尊敬の眼差しで見てくれるが、私としては整備員としての能力不足に悩む日々だけに素直に喜べなかった。
その時、女たちの会話も佳境に入って来たようで声が少し大きくなった。
「マツノさん、優しいねェ」「うん」「夜も?」「エッ?」3女・紀美のマセタ質問にほかの妹たちも一斉に見て。直美は真っ赤になった。
年頃の賀真も、このリアルな「夜の話題」に興味津々、質問そっちのけで聞き耳を立てている。私は、これが直美の言う「隠し事が出来ない家族か」と納得していた。
「ネェネ、初めての時、痛かった?」「そりゃあ、体の一部が裂傷を負うんだから痛いさァ」直美の答えはやはり看護婦的だ。しかし、私はこんな冷静なことを言いながら、あの夜、私の胸で震えていた直美を思い出して苦笑いをした。

シャワーを浴びて寝室に入ると私の隣に直美の布団が敷いてあった。
「そうか、夫婦になったんだ」私は布団に座り直美の枕を眺めながら感激に耽っていた。
扉越しに台所から私に続いてシャワーを浴びた直美と義母の会話が聞こえてくる。
「また、離れ離れになるんだから思いっきり愛してもらうといいさァ」「うん、そうする」「そうか・・・」今度はワクワクしてきて、私は直美の枕を抱き締めて興奮していた。
すると直美が扉を開けて部屋に入って来た。黄色の綿の半袖パジャマが可愛い。
「何してるさァ・・・それ私の枕ァ」直美は私が抱き締めている自分の枕を見つけて呆れたような顔をしたが、そのまま黙って私の前に正座し、私も座り直した。
「テンジンさん」「はい」「不束者ですが、宜しくお願いします」そう言って直美は布団に両手をいた。今度は私の番だ。
「直美さん」「はい」「結婚してくれてありがとう」「はい・・・」私は蛍光灯の紐を引き電気を消すと直美の肩を抱き寄せて口づけをし、そのままゆっくりと押し倒した。差し込む月明かりが直美の大きな目に映っている。
「直美、愛してるよ」「私もだよ」抱き合って見つめ合いながらそんな言葉を交わした。私は掌で正式に自分のモノになった妻の体の弾力と温もりを確かめていった。やはり優しい、優しい私たちらしい新婚初夜になった。

それから3日間、朝から直美と弟・賀真の金槌姉弟を連れて海に行った。水着を持たない直美は黒のタンクトップの上にTシャツを着て短パンを穿いている。
「(ビキニの)水着を買おう」と言う私に直美は「もう、エッチ」と拒否したのだ。
私が賀真にクロールや平泳ぎを教えているのを妹に借りた麦藁帽子をかぶった直美は腿まで水に入ったり、砂に上がったりして眺めていた。
やがて私と賀真が水から上がって休憩をしにシートに行くと直美が女の子と話していた。私たちは邪魔をしないように数歩手前で立ち止った。
「砂川先輩じゃあないですか」「今は、マツノさんさァ」「エーッ、結婚したんですか?」「うん・・・」直美が海に私を探したので、「はーい」と女の子の後ろから大声で返事をした。
「あれが旦那さんさァ」直美は笑いながら私に手を振った。
「はじめまして」「ハイサイ」シマンチュウとナイチャーの挨拶が逆になって、女の子と私は顔を見合わせて笑った。
「こちらは高校の後輩の狩俣圭子さんさァ」「マツノです、妻がお世話になってます」「圭子は昌美と同級生さァ」「妹もお世話になっています」私の挨拶が可笑しかったのか直美と圭子、賀真までが大笑いした。

夕方は庭で賀真に少林寺拳法を教えた。賀真は、空手を習っていて剛法(突き・蹴り)はその癖が抜けず中々上達しなかったが、柔法(関節技)は呑み込みが早かった。
私に腕を捻じられて「痛い、痛い」と言いながら、次の技をリクエストしてくる。初心者向けの技を1通り練習して、縁側に腰をおろして休憩をすると丁度、夕食の支度を終えて直美が呼びに来た。その時、私と直美の顔を見まわしながら賀真が訊いてきた。
「ニィニ、ネェネと喧嘩する時も少林寺拳法の技を使うねェ?」「何言ってるのさァ、私たちは喧嘩なんてしないさァ」直美が反論した。
「そうだなァ、直美には柔道の寝技だな」と私が答えると「もうエッチ、ハハハ・・・」と笑い飛ばされた。やはり直美には勝てない。

私と直美が休暇を終えて帰る前夜、またモンチュウが集まって簡単な、しかし、心のこもった杯の会をやってくれた。
私のブレーザーとネクタイが役にたち、直美は淡い色のワンピースだった。きちんと化粧をした直美はいつもに増して美しく愛おしい。
私は直美の花嫁姿に感激で涙が止まらず、その涙に直美がもらい泣きをし、その涙に母も妹も小母たちも泣き、義弟になった賀真は一番泣いていた。
三三九度は泡盛で、末の妹・育美が泡(ダチ)瓶から注いでくれた。と言っても酒が入れば毎度のパターンで、結局は賑やかで楽しい宴会になったが、ただ、すっかり兄弟になれた賀真が「ニィニ、直美ネェネをよろしくお願いします」と酒を注ぎに来た時には、また泣いてしまった。
「マツノさんは、泣き上戸ねェ」モンチュウは呆れていたが仕方ないでしょう。

出発の朝、部屋で荷物をまとめている私に直美が小さな箱を見せた。
「オカァが指輪をくれたさァ」そう言いながら直美は箱の口を開いて見せた。そこには古びた紅色サンゴの指輪が入っている。
「素敵だね」「うん、私、小さい頃からオカァの指輪が欲しかったのさァ」そう言うと直美は顔の前に箱をかざし大切そうに眺めた。
「でも、那覇で一緒に選んで買おうと思ってたのになァ」「それは気持ちだけで十分さァ」私の残念そうな口ぶりに直美は首を振って微笑んだ。
「はめてみる?」そう言って私は直美の手から箱を受け取り、指輪を取り出した。
「サイズ、合うかな・・・」「バスケットやってたもんなァ」直美は心配そうに指輪をはめるため私がとった自分の左手を見る。私は直美の左手の薬指に指輪をはめたがサイズは丁度いいようだ。
「オカァが、本土へ行ったら助けてやれないから一緒に連れて行けってさ」直美はそう言いながら今度は自分の指にはめた指輪を眺めている。
「よく似合うさァ」「オカァの指輪・・・」私の言葉も耳に入らないかのように直美はそう繰り返しながらいつまでも指輪を眺めていた。私は値段や自分の好みよりも気持ちを喜ぶ直美がたまらなく愛おしかった。
「あッ、これ貰ったのは妹たちには内緒だった」突然、直美は思い出したように言い、隣で感激していた私は呆気にとられた。
「オカァ、6つも指輪を持ってないさァ」「そうかァ」指輪をはずしながらの直美の説明に私は納得した。確かに6人姉妹に同じように配るとすれば指輪が六個は要るはずだ。
直美は指からはずした指輪を箱に納めると、自分のショルダーバッグの中にしまった。

平良港から石垣港行きフェリーに乗り込む前、桟橋で直美は私の顔を見つめた。
「今度はいつ会えるの?」「10月に演習が終わったら代休で行けると思うよ」私がそう答えると直美は真顔で私の顔を見つめた。
「私の島が貴方の帰って来る家なの?」「それは・・・」私は直美の大きな目で見つめられて咄嗟に答えられなかった。2人の間に沈黙が流れる。重い空気を察して義母が助け船を出してくれた。
「そのうち、嫌でも一緒に暮らすことになるのさァ、笑って別れなさい」「ごめんね、泣いちゃいそうで・・・」そう言って直美は無理に笑顔を作ろうとする。
「失礼します」私は砂川家の人たちに断ってから直美を抱き締めた。直美は私に髪を撫でられながら胸で泣いている。私は妹たちの視線を背中に感じていた。
「そうか・・・もうそこが直美ネェネの家なのかァ」「でもネェネがこんなに泣き虫で、甘えん坊なんて知らなかったさァ」妹たちの台詞に家族は皆うなづいている。
「馬鹿、うるさい」私の腕の中で直美は文句を言ったが、その声はやはり涙声だった。

「お義兄さん、昌美です」休暇から戻ったその夜、昌美から電話があった。その日は、突然の前置きなしの入籍を上司、先輩、同僚に説明し、散々呆れられ、叱られ、励まされてクタクタだったが、昌美に「お義兄さん」と呼ばれて照れながらも嬉しかった。
「本当に急ですよね、うちの親はいつもそうなんですよ」昌美は何故か申し訳なさそうな声で、私は強烈な砂川家の面々を思い出して笑った。
「でも、私も立ち会えなくて残念だったなァ」「うん、昌美にも見て欲しかったなァ、直美はとても、とっても綺麗だったよ」「はいはい、御馳走様です」昌美は呆れた声で笑った。
「ところでお義兄さん、姉をいつまで島で勤めさせるんですか?」昌美は急に真面目な声になったが、実は私もそれを思案の最中だった。
「直美が納得できるまで頑張ってもらいたいね」すると昌美は厳しい声になった。
「お義兄さんは姉が必要じゃあないですか?」「エッ?」「本当に好きなら、一日でも早く一緒に暮らしたいって思うはずでしょう」「うん」私はようやく昌美の言葉の意味が理解できた。これは直美が看護学校を卒業し、八重山病院に赴任した時にも昌美から言われたことだ。
「俺が転勤になればどっち道、辞めてもらわなければならなくなる、今は直美の夢を一緒に見ていたいのさァ」「ふーん、私には解らないなァ」昌美は難しそうな声で答えた。

秋の演習が終わり、私は貯めていた代休を使って直美の島に行った。
「旦那さん、マツノさんを連れに来たねェ」連絡船の中で小父さんに訊かれた。
「いえ、まだです」すると小父さんは意外なことを言った。
「早く、嫁さんを迎えに来なきゃあ駄目さァ」隣で聞いていた小母さんもうなづいた。
「女は、いつでも好きな人のそばにいたいもんさァ」今度は小父さんがうなづいた。
「でも折角、頑張っている仕事を僕のために途中で止めさせるのは嫌なんです」私の話に小母さんが意外な話をした。
「マツノさんは砂川さんだった頃から、よく自衛隊の戦闘機の音がすると空を見上げて嬉しそうに何か言っていたのさァ」「ふーん」「私が何を言っているのか訊いたら、大事な人に伝言だって笑っていたのさァ」「ふーん」「それから、『台風が好き』って変なことを言うのさァ」「台風が?」「台風が旦那さんと会わせてくれたから、また連れて来てくれそうだってさァ」「はい・・・」小父さん小母さんの話で直美の本心を知り私は胸が熱くなった。
「旦那さんが、自分のために途中で止めさせるのが嫌なの以上に、ワシらのために折角、好きな人と結婚出来た砂川さんを一人ぼっちで引き留めるのは辛いのさァ」小父さんの温かい思いやりに満ちた「とどめ」の言葉に私は涙を止められなくなった。
波止場で涙目をしている私を見た直美は、「また何かに感激したでしょう、まったく泣き上
戸なんだから・・・」と言い当てた、鋭い嫁さんは恐ろしいものである。

私たちの遠距離新婚生活は半年で終わった。私は部隊の機種転換による航空機整備員の定員削減に伴って、3月に山口県の防府南基地に教育班長要員として転属することになり、直美は1月1日付で退職し、正月休暇で私が迎えに行った。
「あなたーッ」今回も直美は波止場で、全開の笑顔で手を振っていた。
「ただいまァ」私が船を下りると、最近は遠慮なく抱きついてくる。島の人たちも、そんな直美の姿を嬉しそうな顔で見ていた。
「流石に八重山は本島よりも暖かいね」「そう?」海の上はそれなりに風が冷たいが、こうして島に上がると八重山のティダ(太陽)は明るく暖かい。
「荷造りは終わったかい?」「うん、仕舞い過ぎて不自由してるよ。エヘヘヘ・・・」直美は「だって嬉しくて、待ちどおしくて」と付け加えた。
自転車の後ろに直美を乗せると波止場から宿舎に向けてこぎ出した。
「今夜、島の人が貴方と一緒に飲みに来いってさ」「えーッ、久しぶりに直美と・・・」私が続きを言わないと後ろで「もーう、エッチ、ハハハ・・・」と声を立てて笑った。腰に回した腕が突っ張ったことで、のけ反ったのが判る。
規則の関係で宿舎には退職の翌日までしか居られなかったが連絡船が再開する1月3日の午後までは島の人の家でもう1日を過ごした。
「砂川さんを島がお嫁に出すのさァ」波止場には島中の人が見送りに来てくれた。
「砂川さん、ありがとう」「御苦労さま」「元気でね」「お幸せに」島の花で作った花束を渡されて泣いている直美の隣でこんな言葉を聞いていれば・・・・当然、号泣した。

「私、これから何をしようかなァ」那覇のアパートに着いて直美の第一声はこれだった。直美は小学生以降、大きくなるにしたがって家の仕事を分担してきた。島での生活は忙しくはないものの緩々と常に仕事があった。アパート住まいも専業主婦も未経験だし想像もできないようだ。
「自動車の免許を取りに行こう」「エッ、自動車の?」直美は驚いた顔をして私を見返した。
「本土でも仕事をするんだろう、だったら免許がないと大変さァ」「そうか、本土かァ」直美は大きくうなづいて目を輝かした。
私のニライカナイ・直美
1月4日の仕事始めは訓練非常呼集で明けるのが航空自衛隊の恒例だ。早朝5時10分に電話が入り、私は布団から起き抜けてそのまま電話を取った。
「訓練非常呼集、オールジャパン・コックドピストル・0500」呼集系統の次の人に電話をかけ、同じことを伝えて振り返ると直美が立っていた。
「何?戦争?」直美は不安そうな顔をしている。
「訓練だよ、大丈夫」「訓練?」そう言えば非常呼集の話を直美にしていなかった。
私はいつものように着替えを済ませて3分、「それじゃあ、行って来る」と玄関に向かうと、不安そうな顔をしたまま直美がついてきた。私は靴を履いて振り返った。
「直美、キスさせてくれ」エッ?」「出撃の挨拶さァ」これは米空軍から伝えられた航空自衛官の暗黙のマナーだ。直美は黙って目を閉じた。
「行ってきます」キスを終えると私は踵を鳴らして気をつけで敬礼をし、玄関を開けて廊下、階段を駆け抜けた。自転車置き場で隣の旦那さんに会い、年頭の挨拶もそこそこに一緒に自転車をこぎ出した。
アパートの前の道路に出て振り返ると直美がベランダから、まだ不安そうな顔で見送っていた。私が投げキッスをすると、ようやく笑って投げキッスを返してくれた。
「新婚さんは熱いねェ」後ろからお隣さんがからかってきた。
基地からは飛行前点検を始めた戦闘機のエンジン音が早朝の空気に響き始め、道路には基地へ急ぐ制服を着た隊員の私有車が何台も通って行った。

2人の写真入りの年賀状を両親に送ったが返事はなかった。ただ、祖父から「母が『同じマツノナオミでも、妹の尚美よりも美人だ』と言っていた」と添えた手紙が届いた。

夜中に目を覚ますと、直美も目覚めていて私の顔を見つめていた。
「眠れないのか?」「うん、こうして目を覚ますと貴方が隣にいるのさァ」「それが結婚したって言うことさァ」「やっと結婚できたんだね」その時、アパートの前の道を通った車のヘッドライトが差し込んで直美の幸せそうな微笑みを暗い部屋に浮かび上がれせた。そんな愛おしさが私の体をイケナイ形に反応させた。
「直美・・・」私が腕を伸ばすと直美は「もう、エッチ・・・」と少し恥じらいながら溶け込んできて、いつまでも変わらぬ初々しさがさらにイケナイ事に拍車をかけた。しかし、この夜のことが思わぬ幸せを運んで来たのだった。

シマ正月(旧暦の正月が沖縄では休日になる)で昌美が遊びに来た。
「ネェネ、免許の勉強してる?」「うん、もうすぐ本免さァ」「やっぱりニィニさァ、普通の旦那さんなら、料理の勉強でもしろって言うところさァ」「だって直美の料理はマーサイさァ」「エヘヘヘ・・・」私たちが見つめ合って笑うと昌美は、「(イチャつくなら)もう、帰るよォ」と怒ったふりをして笑った。
「でも、ネェネは本土の料理は知らないさァ」「うん」直美は不安そうにうなづいた。
「俺、シマンチュウだからいいのさ、それに直美が作ってくれればそれで十分さァ」「うん」「やっぱり帰ろうねェ」また見つめ合って笑う私たちに昌美は唇を尖らせた。
「こんなんで、よく『ネェネに島で頑張ってもらいたい』なんて言えたものさァ」そう言うと昌美は少し意地悪な目で私の顔を覗き込んだ。
「うん、本当は傍にいて欲しかったのさ」「でしょう、正直にならなくちゃ」「それは昌美のおかげさ」「そうさァ、ウフフフ・・・」今度は私と昌美が見合って笑うと直美が「何?何ねェ?」と2人の顔を見まわして訊いた。しかし、どちらも答えないと直美は「夫婦と姉妹で秘密はいけないさァ」と膨れて見せた。
それを見て私と昌美はまた見合って笑った。この義妹も中々に楽しい。

3月に入り、転属の内示が出た頃、食事を終えてテレビのニュースを見ていると、片づけを終えた直美が私の前に正座した。
「テンジンさん」「はい」私が返事をすると、直美は大きな目で私を真っ直ぐに見ている。私も座り直して正対すると直美は真顔のまま口を開いた。
「赤ちゃんができたかも知れない」「本当?」「看護婦が言うのだから間違いないさァ」私の胸は突然のことで混乱した。避妊には気を付けていたつもりだったが強いて言えば夜中に目を覚ましてイケナイことをしたあの夜だけだ。しかし、私の胸にはそんなことなど、どうでもよくなるほどの感激が沸き上がってきた。直美と出会ってから今日までの事が思い浮かび、親子3人の暮らしを想った。
「直美さん」「はい」「ありがとう・・・」ここまで言って続きは出てこなかった。私が黙って抱き寄せると直美も泣きだした。
「お母さんは泣いちゃ駄目だ。泣き虫な子になるぞ」「うん」私の言葉に直美は私の胸でうなづいた。だが、私がさらに感激したところで「お父さんはいいの?」と呟いた。やっぱり直美には勝てない。

防府へ旅立つ日、那覇空港のロビーに、砂川家の10人家族が勢揃いして見送ってくれた。
宮古島からは朝一番の飛行機でやって来て、夕方の飛行機で帰る。この人数では宿泊代も馬鹿にならないのだ。昌美たち本島組も合流した。
「マツノさん、よろしくお願いします」両親と祖父母は私にお辞儀を繰り返していた。
「ニィニ、本土に遊びに行ってもいい?」「メンソーレ(いらっしゃい)さァ」義妹たちのお願いに私は義兄の顔をして答えたが、「旅費は自分持ちだよ」と直美が付け加えると手を叩きかけた義妹たちは本当にガッカリした顔をした。
「直美、立派な赤ちゃんを産むんだよ」母の心配はやはりお腹の子供のことだった。
「ニィニ、新婚生活が短くて残念だったね」昌美の言葉は図星、この義妹の鋭さは直美の上を行っている。
「あんたも7人産むんかねェ」「うん、もっと頑張るさァ」祖母の言葉に「負けないぞ」と言う顔で答えた直美に砂川家の人たちは応援するかのように一緒にうなづいた。
私は8人の子供を抱えた自分を想像して固まってしまった。やはり、この両親は凄い。
ところが賀真は、そんな家族から少し離れて黙っている。
「賀真。高校頑張れよ」私が呼び寄せて握手の手を差し出すと賀真は少し戸惑った顔で握り返してきた。賀真は姉たちの高校の後輩になっていた。
「ニィニ、ネェネを・・・」「大切にするさァ」「してもらってるさァ」賀真の台詞を途中から夫婦で引き取って返してやると、ようやく賀真は笑った。
こうして私たちは桜咲く防府へ転属した。

引っ越しの片付けが一段落した所で私たちは花見がてら近傍の温泉ヘ出かけた。
「気持ち好かったさァ」温泉初体験の直美は少し上気した顔で待合室に出てきた。
「お腹は大丈夫か?」「うん、この子も気持ち好かったってさ」待合室の自販機で牛乳を買って飲んでいた私が訊ねると直美はお腹をさすって見せた。直美は昨日買ったばかりの淡い色のマタニティ―を着てカーテガンを羽織っている。
「何だか長生きしそうな気がする」直美は衣類を袋にまとめながら呟いていた。
「それって医学的根拠はあるの?」「もう、何言ってるのさァ、ハハハ・・・」私の真面目な質問に直美は呆れながら笑って答えた。
そんな楽しげな姿を見ながら、待合室で休憩していたお婆さんが声をかけてきた。
「奥さん赤ちゃんがいるの?」「はい」お婆さんはまだ目立たない直美の腹を眺めた。
「奥さん、沢口靖子に似てるっちゃね」他の待合室でたむろしている年配のお客たちが直美の顔を見ながら言った。若手女優の沢口靖子の認知度は本土の方が高いようだ。
「似ているんじゃなくて同じ顔っちゃァ」「もっと美人じゃのう」「どうもありがとうございます」「キャハハハ・・・」私とお客たちの掛け合い漫才を横で聞いていた直美は照れていつも以上に可笑しそうに笑った。その全開の笑いに爺さん婆さんたちは呆気に取られていた。
「奥さん、いい赤ちゃんを産んで下さいね」「はい、頑張ります」お婆さんの励ましの言葉に直美は幸せそうに腹をさすっていた。

「防府南基地・第1教育群に転属しました」「子供が出来ました(予定日は11月)」と桜の下に立つ直美の写真入りの葉書を沖縄と愛知の両親と祖父に送った。
「綺麗な所だね、子供が生まれたら行くよ」と宮古島から返事が来た。
「教育の任務に精進せよ。曾孫を楽しみにしてるよ」と祖父から返事が来た。しかし、愛知の両親からは返事はなかった。我が親ながら頑固さには呆れるしかない。

私は夕方、学生たちと雑談して悩み、トラブルなどを探ってから隣接する官舎に帰宅する。そして、ジャージに着替えて、テレビのニュースを観ていると直美が夕食を出してくれるのだが、野菜が安い本土では、チャンプルは少し大盛りだった。
「カッチーサビタン」と二人で言って手を合わせた。その日、直美は定期診断で市内の産婦人科へ行ったはずだった。
「産婦人科で看護婦を募集していたのさァ」「うん」直美の目がいつもに増して光っている。
「だから診察の時、先生に『私は駄目か』って聞いて見たのさァ」「へッ?」直美は安定期に入った所で、仕事の再開を考えているようだ。
「そうしたら『初産ですからねェ』って言われたのさァ」もう、私は半分呆れている。
「『でも産婦人科は病気じゃないし、先生のそばの仕事なら安心』って言ったのさァ」確かにそうだ、直美らしい発想に今度は感心した。
「『考えておきます』だって、いい?」「訊く順番が逆だろう」「そうかァ、ククク・・・」直美はいつものように笑おうとしたが、御飯が口に入っていて全開にはできなかった。
「それで順調だって?」「うん、大き目だって」肝心の報告が一番後になってしまった。
「本土の御飯は美味しい」とよく食べるせいか、最近、直美は太り気味ではあった。

曹候学生基礎課程も大詰めの7月下旬、陸上自衛隊むつみ演習場で総合訓練が行われた。
「こんなお菓子も持っていくの?」出発前の夜、リュックサックに着替えや訓練用の小物を詰め込んでいる私の横で直美は荷物の中にビスケットや飴玉を見つけて笑った。
「それは間食さァ、山の中を走ったり這ったりするんだからね」「確かにカロリー補給は大切だよ、水分補給も十分にね」直美の指導に私もうなづいた。
「でも暑い中、大変だねェ、自衛隊ってワザワザ身体に悪いことをしているみたい」直美の意見は看護師的正論だが自衛隊的には同意できない。
「困難に立ち向かって打ち克つことが大切なんだよ」「ふーん」「その困難が大きければ大きいほど打ち克った自信も大きくなるんだ」「ふーん」私の体育会的な意見にスポーツウーマンである直美は少し考えていた。
「でも限界を超えては駄目だよ。もう倒れるって言う前に止めないと」「倒れるまでやるのも訓練なのさァ」私の反論に直美はまた難しい顔をした。
「あっ、動きだした」突然、直美が身体を起こして腹を見せた。薄いマタニティ―の腹がゆっくり膨らんだりへっ込んだりして形を変えている。
「ここエライ突っぱてるね」「そこは足だよ。蹴ってるのが判るんのさァ」私に腹をさすられながら直美は幸せそうに眼を閉じた。
「いい子で待ってろよ」私は腹に顔を近づけて話しかけてみた。
「よく動くから体育会系で、この子も自衛隊かなァ」「働き者の看護婦かも知れないよ」直美の意見に私の意見、これは反論ではない。2人で微笑みながらうなづき合った。
「留守の間に何かあったら遠慮しないで隣に頼まないとな」「うん、奥さんも判っていて、もう声を掛けてもらってるさァ」こんなところが官舎住まいの心強さであった。

紅葉の季節は暖房が必要になる季節でもある。
沖縄で所帯を持って防府に来た私たちは毎月の給料で厚手の服や毛布、そして暖房器具を買い、さらに出産準備も重なって、どこかへ遊びに行くような余裕はなかった。
「折角、本土に来たのにどこにも行けなくて残念だなァ」「仕方ないさァ。先ず家の中を整えないと寒さで凍えちゃうよ」沖縄育ちの直美は凍えた経験はないが寒さに向う季節でそれを実感しているようだ。
「せめて紅葉でも探しに行こう」「うん、ドライブだね」秋晴れの休日、私たちは山口市内へ紅葉を探しに出かけた。
紅葉した森を背景にした瑠璃光寺の五重塔の前で写真を撮り、ザビエル天主堂で写真を撮
り、雪舟庭で写真を撮って日帰りの観光は終わる。
「寒いね」「うん」そう言いながら手を握ると直美も握り返してきて手は温かくなった。でも通じ合っている心はもっと温かった。
私の二ライカナイ・直美
11月21日、朝から直美に陣痛がきた。その日は土曜日、連休初日になる。私は電話連絡の後、指示通り車で直美を産婦人科へ連れて行った。しかし、そこからが長かった。
「多分、大きな赤ちゃんですからしばらくかかりますよ」先生の言葉に直美は覚悟を決めたようだ。
「帰るけど大丈夫か?」病室で横になっている直美に声をかけると微笑んでうなづいた。
「まだ8人兄弟の最初の1人さァ」どうやら直美は本当に8人産むつもりらしかった。

翌22日の午後、秋の日差しが差す頃、我が子が生まれた。4070グラム、やはり大きな赤ん坊だった。
「ありがとう」分娩室からベッドに寝かされて出てきた直美の唇にキスをした。
「皆さん、手は握られますけどキスをされた方は始めですよ」若い看護婦さんが羨ましそうに言ったので「すみません」と私は頭を掻いたが直美は幸せそうな微笑みを浮かべた。
すぐに病院から宮古島に電話をした。
「4070グラムの男の子です、母子とも健康です」と言う私に「それは大きいねェ、直美には『御苦労さん』って言ってね。おめでとうございます」と答える義母の向こうで「カリユシドォ(めだたい)」「おめでとう」と大喜びする大家族の声が聞こえた。

病室に戻り、黙って直美の寝顔を見ていた。大好きな寝顔だが今日は触れるのもためらわれるような神聖なものを感じる。それと同時に父親になったと言う感激が胸に迫り、直美と生まれてきた我が子が愛おしく、いつもの泣き上戸になってしまった。
直美の寝息の音まで感動的な音楽のように聞こえ、窓からのカーテン越しの秋の日差しが天からの光に思えた。その時、私の頭に子供の名前が浮かんだ。
「マツノ光太郎」。私が卒業した小学校の先輩で第1回文化勲章を受章した物理学者・本多光太郎先生からいただくことにしたが良い名前だと思った。病室の机で紙に「マツノ光太郎」と縦に横に書いてみた。文字のバランスもいいようだ。
私が名前を書いた紙を眺めていると直美が目を覚ました。
「何を書いてるねェ?」「子供の名前さァ」直美はパッと目を輝かせた。
「見せて」紙を渡すと「マツノ光太郎か・・・」と言いながら由来を考えている。
「あッ、本多光太郎先生の名前をもらったな」「ピンポーン」直美は得意そうに笑った。我が家には小学校の卒業記念品である本多先生筆の「つとめてやむな」の額が飾ってあるのだ。
「本多先生の光太郎なら努力努力ね。貴方に借りた先生の伝記、すごく感心したさァ」直美も賛成なようだった。そこで私は小学校で歌っていた本多光太郎先生の歌を口ずさんでみた。
「努力、努力、努ォリョーク、ああ僕らの息子」直美は顎でリズムを取っていた。

夕方、産婦人科へ行くと直美は光太郎に母乳をやっていた。私が愛した直美の胸はもう光太郎のものになっていて、少し切ない気持で2人を見つめた。
「起きていて大丈夫か」「ゆっくり寝たから大丈夫だよ」確かにすっきりした顔をしている。
「お乳は出るのか?」「うん」直美の美しい胸は幾分、大きく張ったようだった。
「よく飲んで足りないかも知れないさァ」「それじゃあ、大きくなるな」私が心配半分、安心半分で言うと「元々が大きいからね」と直美が補足した。私は直美の顔を見た。その顔は優しく嬉しそうで、自信に満ちている。
「すっかり母親の顔をしてるなァ」私は少し不思議な気持ちだった。

光太郎の写真を祖父に送った手紙の返事には心配な事が書いてあった。
「最近、体調がすぐれない。しかし、こうして命がもう一世代先へ受け継がれたことが確かめられて安心した。その子は国の宝と心得よ。何があっても赤ちゃんは元気で」光太郎は両親には初孫のはずだが、それでも返事は来なかった。

「子供が生まれたら見に来る」と言う宮古島の両親との約束は中々果たせなかった。光太郎は晩秋に生まれたため、冬物を持たない宮古島の砂川家の人々を呼ぶことができなかったのだ。
私たちは季節が冬に向かうに従って、毎月、冬物の服や暖房器具、寝具を買いそろえ、今度はそれに光太郎のベビー用品が加わった。
その頃、私は来年、思うところがあって受験することを決意した海上自衛隊一般幹部候補生のための勉強をしていて、遅い風呂に入り、直美と光太郎が寝るダブルの布団の横に敷いた直美が島で使っていたシングル布団にもぐり込むのが日課になっていた。
「冷えるなァ、明日は雪かなァ」私が独り言をつぶやくと、隣で寝ている直美がパッと閉じかけていた目を開いて輝かせた。
「雪?初めてェ」直美は子供のように嬉しそうだ。
「雪って積もるの?」「俺が学生だった時は積もったね」「そう、積もるんだ。楽しみィ」「今夜は冷えるから光太郎の布団を気をつけないと」「うん」直美はうなづきながら光太郎の布団を手で確かめる。それを見て私が部屋の電気を消した。
「雪か・・・フフフ」隣で直美が1人で呟いていた。

翌日の土曜日はやはり雪だった。まず私がカーテン越しの雪明かりで目を覚ました。私は布団を出ると綿入れを着て窓際に行き、カーテンの隙間から外を確かめた。
「雪は?」後ろから直美が訊いてきた。
「ウン、積もってるさァ」そう言って振り返ると直美も布団から抜け出て何時になく慌ただしく綿入れを羽織ながら窓際にくる。
「ワーッ、本当だ。真っ白」官舎2階の部屋から見える山と家々の屋根の雪景色に歓声を上げた。その笑顔は寒さなど何処かに吹っ飛ばしているようだった。
その後、直美は近所の子供たちと雪ダルマ作りに挑戦し、作品の前で写真を撮り、「これが雪だよ。スゴイダロウ」と言うメッセージと共に宮古島へ送った。

家では光太郎の子守りが私の趣味だった。
休日は朝から、おび紐で光太郎を胸にくくり付けて、よく沖縄の子守歌を歌っている。
「大村(ウフムラ)うどぅんぬ かどなかい 耳ちり坊ーじぬ 立っちょんどォ・・・」の「ミミチリ坊主」や「ふく木ぬゥ 実あて泣ちょる ちょっちょい・・・」の「ちょっちょい子守唄」などが得意だったが、中でも「天からの恵み 受けてこの世界に・・・」と歌う「童神」は得意以上に愛唱歌だった。
「泣ちゅるようやー へいよー へいよー 大陽(ティダ)の光 受きてィ・・・」「貴方って本当にシマンチュウよりもシマンチュウなんだね」家事の手を止めて私の歌に合わせて口ずさみながら直美は感心したように言った。
「だって、光太郎はシマンチュウさァ」私の答えに直美は微笑みながらうなづいた。
「早く光太郎を宮古島に連れて行きたいな」「だけど飛行機の乗り継ぎがねェ・・・」福岡からは宮古島への直行便はない。気温差も大きい、水も変わる、それらに光太郎が耐えられるようになるまでは「お預け」と言うのが直美の意見だった。
「貴方の胸って、やっぱり安心出来るんだね」私の胸で眠った光太郎を覗き込みながら直美は感心したような顔で褒めてくれた。
「元は保母の息子だからね」「今もそうさァ」直美は私の皮肉な言い方に少し哀しそうな目で反論した。私は黙って光太郎の寝顔に視線を移した。
知らぬ間に妹が妊娠し、結婚して、光太郎よりも年上の従兄がいることを友人からの年賀状で知った。それを私は両親からの絶縁と受け止めていた。
直美が布団を敷くと私は優しく光太郎を手渡した。窓からの早春の日差しが暖かい。
「光太郎がおきたら梅でも探しに行こうか」「うん、梅かァ」直美は目を輝かせた。

「梅って沖縄の桜に似てるさァ」直美は近所の旧家の庭に梅を見つけると喜んだ。確かに小ぶりな花と濃い目の紅色が、本土の桜よりも沖縄の緋寒桜に似ている。
梅巡りをおえて官舎に戻ると、遊んでいた女の子たちが集まって来た。
「小父ちゃん、光ちゃん見せて」女の子たちはベビーカーを囲んで覗き込んだ。
「ごめんね、寝ちゃったんだ」と私が答えると一番年長の子が「静かにしなさいよ・・・シーッ」と唇に指を当ててほかの子を指導した。直美も6人姉妹の長女として同じことをしてきたのだろう、それを懐かしそうに見ていた。
「本当だァ、寝ちゃってる」みんな光太郎をおこさないように小声で話し合っている。
「おきないかなァ」「光ちゃん」中には小声で呼んでみる子もいる。
「こんな風に女の子は、いいお母さんになるのかァ」そんな様子を見ながら私は感動していた。私にとってその代表は、わが愛妻・直美なのだ。
「次は(直美みたいな)女の子が欲しいなァ」そう思って顔を見ると、その気持ちを感じとった直美も微笑んでうなづいた。
私の二ライカナイ・直美
春休み、賀真が1人で防府までやって来た。早いもので賀真は高3になる。先ずは学問の神様・防府天満宮への参拝や市内観光の後、家で夕食をとった。
光太郎は出歩いて疲れたのか横に敷いた子供布団でよく眠っている。
「ニィニ」「うん?」「俺、航空自衛隊に入りたいのさァ」私と直美は顔を見合わせた。直美の目は丸くなっている。私の目は点だ。
「どうしたんだ、いきなり」賀真と私、そして直美は3人真顔で見合った。
「俺、飛行機が好きなのさァ」「へー」私と直美は意外な話に顔を見合わせた。確かに以前行った賀真の部屋には飛行機のプラモデルが並んでいて、飛行機談義をしたことがあったが、きっかけはさらに意外なことだった。
「ネェネが看護学校を卒業した時、家に送ってきた荷物に『航空ファン』とか『航空情報』とか飛行機の雑誌が一杯入ってたのさァ。それを読んでいるうちに飛行機の仕事がしたくなったのさァ」「ふーん」私はうなづきながら直美の顔を見た。
「テンジンさんの仕事が知りたくて勉強していたのさァ」直美は何故かはにかんだ。
「看護学校の勉強もあったのに・・・」「ううん、貴方と一緒にいるみたいで元気が出たよ」「直美」「あ・な・た・・・」私は胸が熱くなって抱き締めようと直美の肩に手を伸ばした。
「だから、ニィニ!」私たちが2人の世界に入りかけると横から賀真が声をかけた。
「はい」慌てて返事をして私たちは下を向いたが、賀真は呆れた顔で2人を見ていた。
「航空自衛隊の仕事って面白いねェ?」「でっかい仕事さァ」私の声が思わず大きくなる。
「普通の仕事はお客さんを相手に給料のために働くさァ、航空自衛隊の仕事は空を相手に国のために働くのさ」私の演説のような話に姉弟は感心したように顔を見た。
「難しいさァ、ニィニはいつもそんなことを考えながら働いてるねェ」「うん」「ところでおトォ、おカァは何て言ってるねェ」私はまずそっちが心配だった。
「お前は1人だけの男の子だから遠くへ行かれちゃあ困るってさ」賀真は不満げだった。
「ネェネが、本土へ行っちゃって寂しいのかな」私の言葉に直美も複雑な顔をした。
「ネェネは幸せになってよかったって言ってるさァ」私たちは安心してうなづいた。
「まあ、航空自衛隊なら宮古島にもレーダーサイトがあるし、航空機整備って決めないで受けてみるのもいいかな」私の出した結論に姉と弟もうなづいて納得した。問題は「自衛隊反対」が根強い沖縄での自衛隊受験が進路を狭めることにならないかだ。
「あの子に自衛隊が務まるの」「直美の弟だから大丈夫さァ」賀真が帰った後の直美の問いかけに、私がそう答えると安心した顔でうなづいた。

3人で買い物に出た商店街の老舗呉服屋の前で直美が飾ってある浴衣を興味深そうに見ていた。間もなく基地の盆踊り大会があるのだ。
「直美、浴衣を買おう」「エッ?」直美はパッと目を輝かせて私の顔を見返した。昨年は妊娠中だったので諦めたが今年は是非とも直美の浴衣姿が見たい。
「だけど着方が分からないさァ」直美は浴衣を見ながらも首を振った。
「着方なんて習えばいいさァ、買おうよ」「もったいないさァ」直美は遠慮をするが目は相変わらず浴衣を見ている。そこで私は命令口調で選択を言い渡した。
「それじゃあ、ビキニの水着と浴衣どっちかを選びなさい」「エーッ、そんなのずるいさァ」直美は困った顔をして考え込んみ、私が腕の光太郎に「ビキニがいいなァ」と話しかけていると光太郎は訳も分からないまま笑った。
「本当に浴衣を買ってもいいの?」直美はそう言うと大きな目で私の顔を覗き込んだ。
「何だ、ビキニじゃあないの?」「当たり前さァ」直美はそう言いながら嬉しそうに、可笑しそうに笑った。大きな目が輝いている。
「よし、決まった」私はそう言うと先に立って店に入って行った。
「奥さん、似合いますよ」直美は幾つかの浴衣に袖を通した後、「長く着られる」と言う店の人の勧めもあり、少し地味な藍染めに朝顔の柄の浴衣を買った。
勉強家の直美は店で習った着つけを家でも練習して、その日のうちにマスターした。
「浴衣を買ってもらったよ」と直美の自慢をつけた写真入りの暑中見舞いを送ると、砂川家では「私も買ってェ」と妹たちから義父への「お強請り」の大合唱になったらしい。

しかし、この年の基地盆踊り大会は、海上自衛隊の潜水艦事故の影響で中止になり、直美は折角、買った浴衣を着られなかった。
8月、私は海上自衛隊の幹部候補生学校の1次試験に合格し、呉で2次試験を受験した。
「ただいまァ」夜、呉から帰宅すると直美が浴衣を着て出迎えてくれた。
「やっぱり貴方に見せたくてさァ」玄関から居間に来ると直美は和服に合わせた静かな笑顔で、その場でクルリと廻ってみせた。
「綺麗さァ、似合うさァ、色っぽいさァ、可愛いさァ、チュラカーギさァetc」私は思いつく褒め言葉を全て並べたが、それでも感激を表現し切れない。
「こんなに素敵なら、みんなに見せて自慢したかったなァ」「何言ってるのさァ」私の台詞に直美は照れたように笑ったが、それがまた堪らなく色っぽいのだ。私は、いつもとは違う魅力の妻を、いつもと同じ形で抱き締めて口付けをした。
「光太郎は?」「寝てるさァ」「だったら・・・」「もう、エッチ」「だって素敵なんだもん」私が手を浴衣の脇の下から胸に滑り込ませると、その仕草に直美が鋭い指摘をした。
「何だか着物の女の扱いに手慣れてるね」「ゲッ」「怪しい・・・」「ゲゲッ」結局、直美のこの一言で、その夜はここまでになってしまった。

曹候基礎課程が終了した頃、中隊長の小野沢1尉に呼び出された。
「マツノ3曹、体育学校の格闘課程に入校しないか?」「エッ?」「君は航空機整備からの職種転換だから教育職としては実績がない、いい経験になると思うんだがどうだ」教育隊の班長要員は皆、長距離走、武道、球技などの選手として華々しい成績を収めてきた人が多く、それが一種のハッタリとして学生教育での権威付けに使われている。それが私の班長としての弱点ではあった。
「でも、私は運動神経が悪いし、経験がありませんから・・・」「それでも少林寺拳法では結構活躍していたみたいじゃあないか」「はあ」確かに少林寺拳法では全自衛隊大会での優勝、沖縄県大会での準優勝など頑張ってはきた。
「まあ、子供さんが生まれたばかりだし奥さんにも相談してみろ。幹部候補生に行っても無駄にはならないと思うよ」「はい」小野沢1尉はいつもの温和な笑顔を見せてくれたが私はまだ迷っていた。

「それは行くべきよ」夕食後に相談すると直美は即答した。その気合の入った強い口調に隣の布団で眠っている光太郎がビクッと驚いた。
「でも、光太郎もまだ小さいしなァ・・・」私は光太郎の寝顔を見ながら呟いた。
「何言ってるのさァ、私は子供の時から母の子育てを手伝って来たんだよ、3ケ月ぐらいナンクルナイサァ」そう言うと直美は「ウンッ」と言う目で私を励ました。
直美の返事を聞いて私も入校することに決めたが、まだ考えることがあった。
「だったら宮古島に帰るか?」「そうかァ、その手もあったァ」光太郎をまだ宮古島の両親、妹弟たちに会わしていない。私の入校中に光太郎が1歳になることを考えると大家族で祝ってもらうのも一つの選択だった。
「でも、賀真は今年受験だから訊いてみないといかんなァ」「うん、賀真にね」確かにイケイケドンドンの砂川家では賀真の本音が忘れられる心配はある。
直美が電話をすると案の定、砂川家ではメンソ―レ・コールが巻き起こったようだった。もうその気になっているらしい両親に直美は賀真と代わるように頼んでいた。
「でも、アンタは受験でしょ、大丈夫?」ようやく賀真が出たらしい。
「うん、そりゃあ私たちは賑やかな中で勉強したのさ」「ううん、私も高校を卒業して長いからもう判らないよ」結局、賀真も砂川家の子でありメンソ―レだったらしい。そう言う直美も自分の経験からあまり心配はしていないようだった。
私たちは入校直前の土日に前後一日づつ休暇をつけて金曜日に宮古島へ帰省した。

ようやく宮古島の両親と祖父母、義妹、義弟たちに光太郎を合わせることができた。昌美は「交代勤務で帰れない」と言うことなので那覇空港で会って来た。
夜、座敷で祖父母、義父母と、なぜか高校生の賀真まで七人で泡盛を飲んだ。光太郎は叔母たちに遊んでもらい疲れたのか義母の横に並べた座布団でよく眠っている。
「ニイニ、自衛隊体育学校って何をするのさァ」間もなく一般空曹候補学生を受験する賀真が質問してきた。
「今回は格闘課程って拳法と棒術みたいな格闘技の指導者を養成するコースだよ」賀真にも判るように説明したつもりだが表現がいささか乱暴に思った。
「体育学校ってオリンピック選手がいる所ね?」「はい、あちらはそれ専門のコースですが」義父は自衛体育学校を少し知っているようだが、東京オリンピックの頃、沖縄はまだ本土復帰しておらずそれ以上詳しいことは判らないようだった。
仕方ないので私は円谷幸吉や三宅義信などの有名選手の名前を出して説明した。

月曜日の朝一番の飛行機で防府に戻ったが、直美と光太郎、両親まで空港に送ってくれた。
「賀真の受験勉強の邪魔にならないように気をつけてな」「ウチの子は賑やかな中で勉強するのさァ」「試験は来週だから、もう手遅れさァ」私の心配に両親だけでなく直美まで「心配ご無用」と笑って答えた。
「何にしろ、光太郎をよろしくお願いします」「ウチの初孫さァ」「なァ、光ちゃん」そう言って両親は代わる代わる直美の腕の光太郎の頭を撫でた。そして、両親がソッポを向いてくれたので光太郎を抱いたままの直美にキスをした。
私は官舎に戻り、翌週に朝霞の自衛隊体育学校へ入校した。その年はソウルオリンピックがあり、体育学校はいつも以上に非常に気合が入っていて教育職としての経験と言う以上に人生観そのものを変えるほどの経験ができた。
  1. 2014/04/18(金) 09:37:52|
  2. 私のニライカナイ
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4月17日・アポロ13号が奇跡の帰還を果たした。

大阪万博が開催され、月の石が話題になっていた1970年の明日4月17日にアポロ13号が生還を果たしました。この事故と生還の物語はトム・ハンクス主演の映画「アポロ13」で感動的に描かれましたが、野僧はアメリカ空軍の教官から映画よりも早く詳細な話を聞きました。このミッションを「successful failure(成功した失敗)」と呼ぶそうです。
アポロ13号は4月11日にケネディ宇宙センターから打ち上げられ、地球から321860キロ離れていた4月13日に機械船の2基ある酸素タンクの片方が爆発したのです。この時点で飛行士たちは隕石が衝突したと思っていたそうですが、後に事故調査委員会は絶縁のテフロン被膜が損傷していた電線がショートしたことが原因と推定しているとのことです。
ヒューストンのジョンソン宇宙センターは直ちに月面着陸船を救命ボートとして利用することを指示したのですが、それは酸素タンクを失ったことによる母船内の酸素の使用を極限する必要があったからです。
帰還の方法には2つあり、その位置でロケットを噴射して船体を反転させて地球に向かう「直接帰還」と月の周回軌道を回って戻る「月周回帰還(a circumlunar free-return trajectory)」です。アポロ13号の場合、爆発で機械船のエンジンが破損している可能性が高かったため後者を選択しましたが、本来の周回軌道よりも100キロ大周りをしたため3名の乗組員は最も地球から離れた人類になったそうです。
また、映画ではトム・ハンクスが演じていたジェームス・A・ラヴェル・Jr船長が冷静沈着に指揮を執っていたように描かれていましたが、実際には責任の重圧に追い詰められ、取り乱すこともあったそうで、むしろケヴィン・ベーコンの司令船パイロットのジョン・L・スワイガートが最後まで適切に対応し、実質的に指揮を執っていたそうです。またビル・パンクスの月着陸船パイロットのフレッド・W・ヘイズJrは映画では弱っているだけでしたが、実際には水分不足で尿路感染症に罹っていたのです。
アメリカでは13と言う数字を忌み嫌い、事故を起こしたのがアポロ13号であることから迷信めいた分析が流行したようです。例えば発射した年月日が70年4月11日であったため数字を足すと13になり、発射時間は13時13分、事故が発生した日付は13日、時間も13時13分、さらに発射台は39番で13の3倍数と言うこじつけまで評判になったそうです。ちなみに1970年4月13日は月曜日なので魔の金曜日ではありません。
ところで大阪万博のアメリカ館で月の石を見ようと並んでいた日本人は、この事件についてどこまで知っていたのでしょうか?少なくともウチの親は全く関心を示していませんでした。
  1. 2014/04/16(水) 09:06:21|
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4月14日・リンカーン大統領が狙撃された。

1865年の明日4月14日にアメリカ合衆国のエィブラハム・リンカーン第16代大統領が「Our American Cousin」を観劇中に狙撃され、翌日の朝7時22分に死亡しました。約1カ月前の3月4日に2期目に就任し、5日前に南北戦争で勝利を収めたばかりでした。
リンカーンが暗殺された最初のアメリカ大統領であり、その後は1881年のジェームズ・ガーフィールド、1901年のウィリアム・マッキンリー、1963年のジョン・F・ケネディに続きます。
実行犯はジョン・ウィルクス・ブースと言う俳優で、当初は大統領を誘拐・拉致して南部・アメリカ連合国の捕虜を解放させようとしていたのですが、戦争が終わったため大統領とアンドリュー・ジョンソン副大統領、ウィリアム・スワード国務長官を同時に暗殺し、その混乱に乗じて起死回生を図るつもりだったようです。しかし、ジョンソン副大統領は無事、スワード長官は顔面への裂傷のみで命を取り留めたため計画は頓挫しました。
この日、大統領はホワイトハウスでスパイ容疑により死刑の判決を受けたジョージ・ヴォーンの減刑の陳情を受けた後、妻のメアリーと共に遅れて到着しました。
特別席にはヘンリー・ラスボーン少佐と婚約者のクララ・ハリスが同席していましたが、暗殺未遂事件が起きていたため、誘った他の友人・知人たちには断られていたようです。
犯人のブースは背後から近づき至近距離から後頭部に向けて小型・単発式のデリンジャー拳銃を発射し、大統領は椅子に座ったまま前のめりに倒れました。すぐにラスボーン少佐が飛びかかりましたが、ブースがナイフを振り回したため捕獲できず、そのまま舞台に飛び降り、裏口に待たせてあった馬で逃走したのです。
その後、ホトマック川を渡り、ボーリンググリーンまで逃れましたが、南部支持者宅の倉庫に潜んでいるところを捜索隊に急襲され、ブースは銃撃を受け翌朝に死亡しました。
8名の共犯者たちは女性を含む4名が絞首刑、3名が終身刑、1名は懲役6年の判決を受けました。執行は判決の2日後の7月7日ですが、メアリー・サラットはアメリカ合衆国が初めて死刑を執行した女性になりました。未遂犯まで死刑に処していることを見ても、国内戦を終えたアメリカが興奮と疑心に狂っていたことが判ります。
アメリカ人の友人によるとリンカーン大統領は奴隷解放よりも祖国分裂の危機を阻止した英雄として称賛されているそうです。
実際、黒人奴隷の解放はヨーロッパからの批判に応えた外交得点を稼ぐための手段であったと言う側面が否定できず、ネイティブ・アメリカン(いわゆるインディアン)に対しては弁護士時代から徹底排除の姿勢を崩さず、義勇兵として対アパッチ戦に参加して大量虐殺を指揮しています。大統領に就任した1862年には「ホームステッド法」を制定し、全てのネイティブ・アメリカンを居留地に押し込め、狩猟民族としての伝統を禁止し、荒野での農耕を強制しました。
リンカーン大統領は居留地移住の交換条件だった年金の不払いに怒ったスー族の反乱の鎮圧に向かう部隊を「私の目的はスー族を皆殺しにすることだ。奴等は条約や妥協を結ぶ対象となるべき人間ではなく、狂人あるいは野獣として扱われるべきである」と言う過激な演説で鼓舞しています。さらに同様の理由で反乱を起こしたナバホ族の鎮圧では「この戦いはお前たちが存在するか、動くの止めるまで何でも継続されるだろう」と宣言して徹底的に弾圧し、またダコタ族は酋長や呪術師など38人を一斉同時の絞首刑に処しています。
こうなると日本の子供たちにリンカーン大統領のことを「奴隷を解放した人道主義者」として教えることが適切なのか悩んでしまいます。
  1. 2014/04/13(日) 00:30:54|
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4月9日・アメリカ南北戦争が終戦した。

1865年の明日4月9日にアメリカ南北戦争が終戦しました。
日本人は単純にリンカーン大統領は奴隷を解放した偉人として尊敬し、この戦争も奴隷解放に反対する南部を制圧した正義の戦いと理解(誤解?)していますが、アメリカ人から聞いた大統領の人物像や戦争の評価はかなり違いました。
南北戦争が起った背景には奴隷解放政策の賛否以前に経済構造とそれに伴う外交・貿易に対する考え方の違いにより、同一国家であることに無理が生じていたのです。
北部は約50年前の対英戦争の結果、機械の輸入が途絶えたため工業化が進んでいて、製品を自国内で使用させるためには貿易を制限する方が好ましく、逆に南部は綿花を中心にしたプランテーション農業が盛んなため、これを欧州に輸出する必要がありました。
さらにフランスからルイジアナを購入、メキシコから独立したテキサスとカリフォルニア、さらにニューメキシコ、ユタを併合したため州が増加し、各州から2名選出される上院議員の数が増え、議会内の勢力分布が不安定になっていたのです。
確かに1860年の大統領選では奴隷制が争点の1つでしたが、当選したリンカーンさんも私有財産である奴隷の解放には踏み切れませんでした。しかし、南部各州ではプランテーションを維持するために必要不可欠な労働力=黒人奴隷を失う不安が広がり、ついにはサウスカロライナから始まり、ミシシッピ、フロリダ、アラバマ、ジョージア、ルジアナ、テキサス州が合衆国からの脱退を宣言し、アメリカ連合国(Confederate States of America=CSA)を結成したのです。ちなみにフランスはこれを独立国として承認しました。
1861年3月4日にリンカーン大統領が就任すると4月12日に開戦しますが、するとバージニア、アーカンソー、テネシー、ノースカロライナ州も連合国に合流しました。
当時のアメリカの常備戦力は陸軍が1万6千名程度、海軍は北部側にしか軍港がなく、人口も北部が2200万人、南部は900万人程度で圧倒的に北部が有利だったのですが、今も人気があるロバート・E・リー将軍など多くの有能な指揮官が南部へ走ったため戦闘が長引くことになりました。
北軍は海軍を使って南東部に上陸して州都・リッチモンドに迫りましたが、リー将軍の軍によって退却させられ、その後も南部各地で敗退しましたが、太平洋側ではこちらも人気があるユリシーズ・グラント将軍によって北軍が勝利を収めていました。
戦局の打開を図るためリンカーン大統領が行ったのが奴隷解放宣言で、これを戦争の大義名分にすることにより奴隷制を前近代的であると批判していたヨーロッパの世論を獲得し、南部・アメリカ連合国は支持を失うことになりました。
1864年にグラント将軍が北軍の総司令官に就任すると一時期はワシントンD・Cにまで迫っていた南軍は敗退を重ね、圧倒的な陸海軍戦力によって追い詰めた結果、1865年4月3日に首都・リッチモンドが陥落し、9日にリー将軍が降伏したことにより戦争が終結したのです。
英語で内戦は「Civil War」と言いますが、アメリカでは南北戦争を「The Civil War」と定冠詞をつけています(ただし、外国では「American Civil Wa」です)。
動員された兵力は北軍・156万人、南軍・90万人ですが戦死・戦病死者も北軍・47万人、南軍・32万1千人で、これはアメリカの戦史上、最大の死者数です。
この終戦は日本の大政奉還の2年前で、その結果、余った中古武器が大量に薩長土肥へ渡り、フランスから新品を買っていた幕府を圧倒することになりました。
今でもアメリカ人はリー将軍やグラント将軍のことを日本人の戦国武将のように語っていますが、敗軍の名将・リー将軍は誰になりますか?
(4月14日「日記(暦)」が続編になります)
  1. 2014/04/08(火) 09:35:38|
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4月8日・灌佛会、花祭り、釋尊の降誕会

明日は釋迦牟尼佛・ゴータマ・シッダルダさまの誕生日です。
何かが駄目になった時、「オシャカになった」と言う俗語がありますが、これは火が強くて焦がしてしまったことを、シとヒが使い分けられない江戸弁で「シが強かった」と言い、これが「4月8日だった」に変化したことに由来します。
「灌佛会(かんぶつえ)」と言う呼び名は、釋尊が「甘露の雨」が降る中お生まれになったと言う伝承により、それに因んで小さな誕生佛の尊像に甘茶をかける風習がありますが、甘い味や香りがする雨が降った訳でなく、大地を潤す甘美な雨と言う意味です。
甘茶は飲むとスッとした口当たりで美味しいのですが、下剤の効果もあるそうなので飲み過ぎると大変なことになりますから気をつけて下さい(小庵ではその行事自体を勤めていないので「観佛会」と呼んでいます)。
また「花祭り」とも言いますが、これは母のマーヤ夫人は実家で出産するための旅の途中、休憩場所で多羅葉(たらよう)の花を愛でて採ろうと手を伸ばした時にお生まれになったと言う説話によります。このため誕生佛を祀る厨子の屋根には色々な花々を飾りますが、多羅葉は「餅の木」科の粒状の花なので少しイメージが違います。
誕生佛は右手を天、左手は地を指していますが、これは釋尊が生まれた時、東西南北に七歩ずつ歩んだ後、「天上天下唯我独尊」と告げられた場面を表しています。しかし、生まれたばかりの新生児が7歩ずつ4回歩いて言葉を話すとは些か演出が過ぎるようで、佛教の非科学性=迷信を批判する例にされることもあります。
この「天上天下唯我独尊」と言う言葉を釋尊の絶対的独善性を表す言葉と曲解する向きもありますが、野僧はむしろ「天上天下に於いて、この我が命は何と尊いのだろう」と言う感慨の発露であると理解しています。
ところで最近の日本ではイエスさんの誕生日であるクリスマスばかり盛大に祝われていますが、日本本来の伝統行事を忘れてはならないでしょう。
イエスさんは母・マリアが処女懐妊して誕生したカミの子を自称しておられますが、釋尊はあくまでも人として生まれ、悩み苦しみ悶えた末に出家し、外道(異なる教え)や苦行などに迷った後、ようやく心の平安を得られたのです。つまり佛教は、神の託宣、カミからの預言の類などではなく、ゴータマ・シッタルダさま自身の肉声なのです。
そう言えば大学時代の友人(女性)を花祭りに誘った時、「ゴータマの誕生日?」と訊かれて呆気にとられたことがあります。スリランカやタイ、中国、韓国の坊主の友人がいますが、釋尊をゴータマと呼ぶ者はいません。彼女にとって釈尊は受験勉強の知識以外の何物でもなかったようです。
月刊「宗教」講座・多羅葉多羅葉
古志庵・誕生佛小庵の誕生佛

  1. 2014/04/07(月) 09:28:19|
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俳優・蟹江敬三さん&童謡作詞家・小黒恵子さんの逝去を悼む

3月30日、俳優の蟹江敬三さんが亡くなりました。69歳でした。
蟹江さんは野僧が子供の頃には「Gメン75」や「特捜最前線」、さらに「子連れ狼」「大江戸捜査網」「暴れん坊将軍」などの悪役、斬られ役でしたが、「熱中時代」で水谷豊さんの北野広大先生に絡む交番の佐藤巡査役でイメージが変わりました。
また映画「ああ同期の桜」では不破少尉役でしたが、この作品には高倉健、鶴田浩二、西村晃、松方弘樹、千葉真一、藤純子などの主演級が顔を揃えていたので、やや影が薄かったです。
実は蟹江さんは大河ドラマの常連で「風と雲と虹と」の平良正、「草燃える」の尊長=坊主役、「葵・徳川三代」では福島正則、そして「竜馬伝」での岩崎弥太郎の父・弥次郎の好演が強く印象に残っています(他の見なかったシリーズにも出演していたらしい)。
特に「葵・徳川三代」では家康役の津川雅彦さんを相手に強気な談判をしながら思いも及ばない回答に器の違いを見せつけられてシュンとなる呼吸は他の役者さんには真似ができません。酔ってグチグチと加藤清正役の苅谷俊介さんに絡むシーンも絶妙でした。
「竜馬伝」では息子役の香川照之さんとの掛け合いがボケと突っ込みになっていて、福山雅治くんの素人・竜馬などはどこかへけし飛んでいました。
さらに自衛隊に入って先輩がレンタルビデオで上映会をやった日活ロマンポルノ作品にも数多く出演していて、特に八城夏子さんの「犯す」のエレベーター内でのレイプシーンでは「本当に姦ってないか?」と言う声が上がるほどリアルにレイプ犯を演じていました。また。水原ゆう紀さんの「天使のはらわた・赤い教室」では教室でレイプされたところをビデオに撮られ、売春婦に身を落とした女性教師に迫られて、拒もうとしながら勃起してしまう男の性を複雑な表情で好演していました。
惜しい、本当の惜しい俳優さんを失くしました。御冥福をお祈り致します。

4月1日、童謡作詞家・詩人の小黒恵子さんが亡くなりました。85歳でした。
先日には童謡作詞家の草分け・まどみちおさんが105歳の天寿を全うされましたが、小黒さんもNHKの「みんなの歌」の常連でした。
ただ、小黒さんの作品はまど先生のような夢の広がりがなく、子供の視線に迎合し過ぎて教訓にならないことも多く、あまり好きではありませんでした。
例えば「おじいちゃんっていいな」は「オジイチャンって呼んでも 返事がない 僕のお祖父ちゃん ちょっと耳が遠いんだよ 聞き違いばっかり大笑い たまにベレーをかぶり 釣りに行くのが大好き だけど何にも釣れたことがない 愉快なお祖父ちゃん 毎日、会社に行かなくても 勉強しなくても 誰にも叱られない お祖父ちゃんっていいな」です。
確かに孫の目にはこのように映るかも知れませんが、親としては「お祖父ちゃんが生懸命働いてくれたから今のこの家があるんだ。楽してもらって当然だろう」「人間、誰しも年をとれば体が不自由になるものだ。笑ったりしてはいけない」と叱らないといけないところでしょう。
もう1つ、「大きなリンゴの木の下で」は「大きな栗の木の下で」と勘違いしている人も多いようですが(ある元保育園長も間違えていました)、「貴方と私 仲良く遊びましょう」と続くのは後者です。
こちらの歌詞は「大きなリンゴの木の下で 雨がやむまで待ちましょう 誰にも聞けない遠い日の 昔の話を聞きながら アップルツリー お前はゆれるゆりかご 私は眠るの雨の子守唄」ですが、ダ・カーポの唄だったように記憶しています。
童謡として子供が唄うには歌詞が暗く(曲はもっと暗い)、意味が判りにくいようです。
あの世に逝って師のサトウハチロー先生やまど先生の指導を受けて下さい。
  1. 2014/04/06(日) 00:05:48|
  2. 追悼・告別・永訣文
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4月3日・快川紹喜和尚が死去

1582(天正10)年の明日4月3日(太陰暦)に甲斐国の恵林寺で快川紹喜和尚以下、多くの僧侶が焼き殺されました。
恵林寺で僧侶たちを焼き殺す場面は織田信長公を主人公とする歴史ドラマで長篠の合戦から甲斐・武田滅亡への流れの中で取り上げられる程度ですが、実際には少し時間の経過が異なります。
歴史ドラマの描き方では武田の残党をかくまい、その受け渡しを拒否した見せしめのため僧侶たちを鐘楼門に閉じ込めて火を掛けたように思われますが、恵林寺がかくまったのは信長公が後の15代将軍・足利義昭を奉じて上洛した時に敵対した六角義賢の息子の義弼で、武田氏を滅亡させた後の処理を任されていた嫡男・信忠の引き渡し要求を「窮鳥懐に入らば猟師もこれを殺さず」と言って拒否した結果です。したがって信長公の残酷さを示すエピソードとしては適当ではありません。
信忠は津田、長谷川、関、赤座の4人の奉行を派遣して恵林寺の僧侶150名余りを上階が鐘楼になっている三門に閉じ込めた上で、回廊から門に薪や枝、草を積み上げて火を掛けたのです。
鐘楼門内では僧侶たちが悲鳴をあげて半狂乱になる中、快川和尚だけは端然と坐り、法衣に火が点いても身動きせずに死んで逝ったと言うのですが、全員が焼殺されたのですから誰が目撃したのでしょう?いくら大きな鐘楼門であっても150名余りの僧侶が入れば足の踏み場もなく、パニック状態になって右往左往していれば黙って坐っていられたとは思えません。
さらに「安禅は必ずしも山水を須(もち)いず 心頭滅却すれば火もまた涼し」を辞世として提唱したと伝えられていますが、これは快川和尚のオリジナルではなく碧眼録・四十三則にある禅語です。
この時、六角義弼は逃亡していますから、快川和尚以下の僧侶たちは殺され損でした。
快川紹喜和尚は美濃の国主・土岐氏の出身で妙心寺の43世管長を務めた後、武田信玄公の招きで恵林寺の山主(=住職)になったのです。信玄公に機山の道号を与え、葬儀の導師を勤めたのも快川和尚です。
恵林寺に入ってからは美濃の斎藤氏と武田氏の外交交渉の仲介を行うなどの活躍をしていますが、甲斐には六角のほかにも斎藤道三に追われた土岐頼芸や尾張統一で信長と争って敗れた織田一族も亡命しており、それらを束ねる役割も果たしていたのかも知れません。
ちなみに伊達政宗の師である虎哉宗乙和尚(大河ドラマ「独眼竜政宗」では大滝秀治さんが演じていた)は恵林寺での快川紹喜和尚の弟子です。
  1. 2014/04/02(水) 09:33:59|
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第18回月刊「宗教」・道元

野僧は書類上の僧籍は曹洞宗に置いてありますが、後世の人間が作った宗派と言う組織制度には全く興味がなく、曹洞チェーンの宗教法人経営者のような道元への個人崇拜などは全く持っていませんから、タブーについても遠慮なく発言します。
また、野僧が小浜の僧堂に上山した時、25年以上も小浜にいる古参から「道元未悟(道元は悟っていない)」と言う公案を与えられました。
これは小浜の僧堂伝統の公案ですが、悟りが現実のものとして眼前に存在している小浜では、道元や達磨大師、釋尊もまた悟るための通過点、目標に過ぎず、だから新到(新入門)が過度の個人崇拝により宗派と言う枠にはまり込み、「自分が佛になるのだ」と言う菩提心を忘れ、修行が停滞することを戒めるべく、この公案を掛けるのです。
しかし、数十年前、当時の堂長・原田祖岳老師が永平寺で提唱した際、大衆に向かってこの公案を示したため、永平寺側は「小浜の僧堂は道元禅師の悟りを否定し、冒涜している」と非難し、これにより永平寺と小浜の僧堂との関係は断たれました。
つまり曹洞宗の坊さんの道元に対する個人崇拝は、それほどに強いのです。
道元は鎌倉時代の初めに京都の公家の名門・久我源家に生まれ、父は久我通親、母は藤原基房の娘と伝わっています。
父の久我通親は鎌倉時代随一の悪徳公家と言われていて、源頼朝から「征夷大将軍の官位を得たい」と斡旋の依頼を受け、多額の工作資金を受け取りながら何もせず、その大半を着服したのですから、現在の政治屋が斡旋の依頼を受け取って裏工作をして逮捕される「斡旋利得罪」の上をいく、「斡旋不履行横領罪」の重大犯でしょう。その父は道元が3歳の時に亡くなっています。
母は名門・藤原家の娘で、大変な美女だったそうですが、源義仲が京都に入り平家を追った際、その美貌に目をつけられて略奪されたのです。
源義仲には巴御前と言う武勇に優れた美貌の愛妾がおり(本妻は木曽に残してきた)、その立場は始めから慰み者以外になく、父の基房も新興勢力の義仲に近づくため進んで娘を提供したとも言われています。しかし、間もなく義仲は源義経らの鎌倉勢に敗れ、京都から逃れる途中で討ち死にします。このため敗者の慰み者だった娘は父の下に戻り、ひっそりと暮らしていたのですが、この薄幸の女性の美貌と藤原氏との姻戚関係、何よりも「傷者になった娘をめとること」で恩を売る利用価値に目をつけたのが久我通親だったのです。この母も道元が8歳の時、亡くなっています。
おそらく道元=幼名・文殊丸は幼い頃から男の身勝手に翻弄された女の悲劇、権力者の横暴と醜さ、そして世の無常と言った話を母や周囲から聞かされて育ったのでしょう。母を亡くした後は思慕の想いと共に植えつけられていた男女、権力への嫌悪感が自己暗示のように増幅され、そんな子供が極端に権力を憎み、男女の交わりを嫌う偏狭な人格に育つことは自然なことと言わざるを得ません。
道元が母を亡くした時、香の煙が立ち上るのを見て無常を感じたと言う逸話が、道元の宗教者として早熟さを示す物語として伝えられていますが、8歳でこれ程に白けた子供ができるには、母親から心が湧き立つような楽しい話などは、あまり聞かずに育ったと見るべきでしょう。
また後に「親の病が重いため、最期を看取るまで出家できない」と言う若者に、「親に修行を妨げる罪を犯させるべきでない」と病身の親を捨てて出家するように勧めています。これを曹洞宗では道元の求道心の強さ、厳しさを示していると言っていますが、自分がそうするのなら兎も角、他人にそれを求めるのは肉親の情を理解していないと言う批判を免れられないでしょう。
さらに永平寺(当時は大佛寺)に入った後、鎌倉幕府に招かれた際、同行させた玄明首座が土地の寄進を受けて戻ったことに激怒し、永平寺から追放しただけでは飽き足らず、玄明が寝起きしていた単(寝起きし、坐禅を組む生活空間)の板を剥がして焼き、その下の土まで掘り起こし捨てさせました。しかし、玄明は永平寺の経営を考えて土地の寄進を受けたのであり、玄明から要求したのでも、直服した訳でもないのですから、この道元の処置は常軌を逸していると断ぜざるを得ません。
曹洞宗の坊さんは道元を気高く、清廉高潔な人格者であるかのように言いますが、その頑なさは、むしろ生い立ちに起因する人格の歪みと見ることもできるでしょう。
近年、曹洞宗に限らず佛教の各宗派は急激に変転する時代の中で、新たな教義の展開を見い出せない言い訳に、自宗派の高僧の個人崇拝を以て檀信徒を引きつけようと躍起になっていますが、少なくとも野僧は曹洞宗の高祖・道元の人格を崇敬の対象にすることはできません。
では道元が説いた「救い」とはどのようなものなのでしょうか。
曹洞宗では「修証義」なる文章を檀家に勧め、法要などでも勤めていますが、仮に道元が「正法眼蔵」で述べていることを強烈な蒸留酒の原液だとすれば、「修証義」はそれを炭酸水で割った上、シロップを垂らして果実を添えたような代物です。
口当たりはよくても人工的で、不自然な甘味はあっても大人だけに判る原液の深い味わいは失われてしまっています。
道元は比叡山での修行中(と言っても上流貴族の子息であるエリートのそれは主に
経典の勉強ですが)に「生き物には本来、佛になる資質があると経典に説かれているのに、何故、修行をする必要があるのか」と言う疑念を抱いたそうです。
同様に中流貴族・日野氏の出身であらされる親鸞聖人も若き日に「性の悩みを断つことができない。こんな罪深い人間が救われるのだろうか」と言う疑念を抱かれたそうですが、お公家さんの御子息ともなると庶民とは些か思考回路が違うようで、我々が「当たり前」で済ませられるような瑣末事も人生の命題になってしまうようです。
ただ、親鸞聖人が問われた人間の本性の罪や愚の問題は、イエス・キリストの人間が負う原罪の問題に比肩する重大事であるのに対して道元のそれは如何でしょう。
社長の馬鹿息子でも社会の厳しさに直面すれば、「自分には社長になる資格があるのに、何故、下積みをしなければならないのか」などと言う疑問は抱かないでしょう。
兎に角、道元はこの疑問を解決するため比叡山を下り、建仁寺の栄西(ようさい)に参じ、宋の国(現在の中国)に渡航したのです。
道元の悟りは「身心脱落」の境地だったと言われています。
天童山での坐禅中、隣りの単の修行僧が居眠りしていたのを如淨禅師が一喝し(草履で殴ったらしい)、その瞬間に悟ったと言うのです。
ただ如淨禅師は「心塵脱落」と証されたのに対して、後に道元は自ら「身心脱落」の文字を当てたと言われています。
「心の塵が抜け落ちた」として認められた悟りを、自分で「身も心も抜け落ちた」とより大きなものに置き換えたのです。
しかし、普通車に乗ることを許可されたからと言って、「自分は大型車にも乗れる」と勝手に免許を書き換えることは、やはり違反です。
こうして道元は留学期間の半ばで「眼は横、鼻は直であることを悟った」、つまり「本来の自分を会得した」と言って帰国しました。
かつて自らが抱いていた疑念には、「自ら修行する資質こそが佛となる資質である」と言う解答を出したようです。
曹洞宗の教義は「只管打坐(しかんたざ)」「出家得道(しゅっけとくどう)」「威儀即佛法」「作法是宗旨」と表現されています。
「只管打坐」とは臨済宗のように悟りを求めると言う目的を立てることなく、坐禅することを安楽の法門として坐る。道元は「坐禅こそが釈尊が悟られた姿である。その姿を習い、なり切れば佛陀になれる」と言っています。
これは浄土真宗の念佛が極楽浄土への往生を願うためではなく、「人間を救いたい」と言う阿弥陀如来の本願によって救われることが決まっていること(往生決定)に報謝し、任せ切る念佛であるのと同じで、坐禅すれば、それだけで釋尊が悟られた時間、行為を共有できると言う身体でする無言の念佛と言えるのかも知れません。
「出家得道」とは佛道のために家族の情を含めたあらゆる束縛や善悪損得好嫌と言った価値観を捨て切ること。道元は出家得道について「修行しない出家者と修行をする在家者では前者の方がいい」とまで言っています。
これは安心とは自己の行為によって得るものではなく、安心できる環境によって受けるものだと言う道元独自の宗教観に基づく見解(けんげ)でしょう。
また永平寺の修行僧に対して「お前たちは飯を食べるためここにいるのか」「出家者には佛道以外に求めるものはないはずだ」と問い、「これからは食事を生命をつなぐギリギリまで減らすことにする。それでも修行する菩提心がある者だけが残れ」と宣言しています。しかし、寺院内で書物を読み、静かに修行をしている御歴々はいいですが、あの時代にもやはり堂宇を維持管理するための肉体労働に励む修行僧はいたはずで、これはあまりにも上から目線の道元ならではの独善に思われます。
「威儀即佛法」「作法是宗旨」とは理に適った姿勢・動作です。
道元は「普勧坐禅儀」「典座教訓」「赴粥飯法」など坐禅の仕方は勿論、食事の作り方、食べ方から洗面、入浴、用便、睡眠に至るまで、極めて詳細な「清規(しんぎ)」と呼ばれる規則を作っています。
それは「悟った目で見れば作法はこうなる」と言う論理で貫かれています。
ただ、それは京都の公家の邸で生まれ育ち、比叡山、天童山で修行して、興聖寺・永平寺で暮らした道元の感性の域を出ないことを、野僧は極寒の地・津軽で体験しています。真冬に暖房のない部屋で坐禅を組んでいると、鼻息で胸に霜が降りました。
そもそも「寝る時には右脇を下にして右腕を枕にして寝ろ。仰向けになるな。手を股間に持っていくな」などと言われても眠った後のことは知りません。
何にしろこれらの教えを判り易くまとめるとすれば、「既成の価値観を捨て、自己を佛道に投げ入れてそこに安住すれば、安心を得ることができる。佛道に徹すれば自ずから形は整う」と言ったところでしょうか。
つまり曹洞宗の檀信徒は結果がどうであれ、世間の評価が何であれ、そこに至るまでの精進努力そのものに満足しなければなりません。また、川の魚が死ぬまで尾を振り続けるように、死に至るまで精進を続けなければなりません。
ただし、その精進は今できる最善であればよく、粉骨砕身、刻苦奮励などは求められていません。無目的に安楽のため坐るのが只管打坐なのですから。
最後に一つ、曹洞宗の歴史で付け加えておかなければならないことがあります。
道元亡き後、カリスマを失った永平寺は百年を待たずして廃寺と化しました。それを復興したのは曹洞宗が太祖と称し、道元と対等の両祖と奉る瑩山です。瑩山は山奥の永平寺に対して能登半島の先端の平野に總持寺を開きました。
そして「お経を詠むな。念佛など唱えるな。そんな暇があったら坐禅を組め」と言った道元とは異なり、真言宗の祈祷や民間信仰を取り入れ、孤高の求道から庶民への布教に宗風を変質させました(と言いながら道元は健康を害してからは妙法蓮華経に心酔し、療養のため京都の信者邸で過ごした室を「妙法蓮華経庵」と名づけました)。
これが真言宗の寺院を吸収しながら曹洞宗が全国に拡大していく下地になりましたが、そこには現在も解決されていない重大な矛盾が存在します。
法華宗は日蓮聖人の生前から天台宗の復興、妙法蓮華経の普及、さらに御題目の勤行へと主張を変質させましたが、宗門も祈祷を取り入れていくため修行に本格的な修験を導入し、現在では法華修験と呼ばれる独自の修験道に発展しました。ちなみに現在も祈祷で多くの人々を集めている身延山、成田山は法華宗です。
また同じ禅宗でも臨済宗は、悟りの境地を「佛が佛に祈る」と言う論理に展開させ、坐禅を修験に替わる修行として祈祷と整合させました。祈祷で有名な浜松の奥山半僧坊は方広寺派の本山 一畑薬師は妙心寺派です。
これに対して曹洞宗の教義と言えば祈祷はおろか念佛や祖先供養すら認めない元気な頃の道元のままであり、修行は悟りを求めない只管打坐、ところが箱根の最乗寺、袋井市の可睡斎、豊川稲荷など真言宗張りの祈祷寺が大はやり、一般寺院でも檀信徒を集めるのは正月の大般若や彼岸・盆の祈祷法要だけで、「坐禅会で檀信徒を集めてこそ曹洞宗」などと言う心意気は小浜の僧堂出身の原理主義者くらいでしょう。
このため心ある曹洞宗の坊さんたちは祈祷の法要のたびに高祖・道元への背信行為に悩み抱いているのです。ならば曹洞宗は最早、高祖・道元ではなく、大祖・瑩山の宗派であると認めることです。
そして正直に道元の看板を片づけ、「私たちは瑩山の宗派です」と宣言して、「曹洞宗の祈祷はこれだ」と「作法是宗旨」を唱えながら堂々と祈祷坊主をやれば良いのです。
それは内容変更ではなく、実態追認であることは言うまでもありません。顧客(檀家)のニーズに応えるのは宗教法人を経営する上の基本ですから(野僧は「住職に」と誘われた寺で、跡取りでもないのに出家したことで「坐禅会でも始めるのではないか」と警戒され、話が流れたことが少なからずありました)。
南無妙法蓮華経
  1. 2014/04/01(火) 09:51:23|
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