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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ533

パジャマ・ミーティングで披露されたインターナショナル・スクールの勉強の内容はカルチャーショックの連発だった。先ず驚いたのは教科書がないことだ。佳織が同期から借りてコピーを取ってくるプリントが授業の教材なのだ。
「教科書は?」「やっぱりアメリカ式なんやて」プリントの束に目を通しながら訊くと意外な答えが返ってきた。佳織の説明ではアメリカの小学校では教科書を使うのは高学年になってからで、それまでは担任の教師が作るプリントで授業が進んで行くのだそうだ。
「それじゃあ、地域格差どころか学校格差、クラス格差が出来てしまうだろう」「先生の授業が難しければ親は学校に改善を要求するのよ」そんなところにも訴訟社会の片鱗があるようで少し恐ろしくなる。それにしても佳織はアメリカの小学校を卒業しているから熟知しているが、私は「アメリカ式自主学習」と言う授業の進め方のテスト校だったに過ぎず、やはり少し変わった日本の小学生だったと言うだけだ。
「英語を教えるのは無理だ」日本の国語にあたる課目のプリントを読みながら私は白旗を上げた。その課目は難解と言うよりも教えるポイントが判らないのだ。
「英語ってフォニックスのこと?」「ワシの英語は聞いて話せて読めても書けないんだよ」フォニックスと言うのは綴り方のことで英単語の法則性を教え込むのだが、日本の英語の授業では何故か教えられていない。
「これを学んでいれば単語の書き取りで丸暗記しなくても自然に組み立てられたのにな」「日本じゃあローマ字なんて変なものをやるもんね」確かにローマ字の綴りはあまり英語では役に立たず、かえってテストで間違える原因だったような気がする、
「それじゃあフォニックスとアルファベットはウチが教えるわ」「ついでに淳之介も習った方が良いんじゃないか」淳之介の部屋に声を掛けてみたが反応はない。男の子も中学生になると親が見てはいけないことをやっている可能性があるのでそれ以上は踏み込まなかった。
「この算数は良いな」「そうかなァ?」算数は0から100までの数字の読み方から始まり、全部・半分の概念、大きい・小さい・同じの比較、時計の読み方やコインの数え方、それに1ケタの足し算、引き算なのだが、その計算を横線で説明している。つまり線上の点の数字に数字分を加えれば幅が広がり、引けば縮まる。計算が量として目で理解できるのだ。
「ウチはお母さんから日本式で教えられていたから回りくどくて面倒くさかったけどな」「だって数字で1に1を足したら2になるって言われてもその1をどこから持ってくるのかって考えちゃうだろう」「そんなこと考えへん!」私が小学生以来、抱え続けてきた数字嫌いの原因は即座に却下された。やはり私は頭の作りが普通ではないようだ。
「理科は日本と変わらないな。これを英語で説明すればいいんだね」理科で花の観察や空を見上げて太陽の動きや雲の名前を覚えるのは私も楽しんだ記憶がある。小学校から大学まで自然科学は得意だったが、物理、化学などの数字や記号の科学は目も当てられなかった。小学校の低学年であれば日本の教科書の予習にもなるかも知れない。
「社会は日本とアメリカが中心なんだな」「米軍基地内にあるインターナショナル・スクールは世界規格やけど日本国内のスクールは専門学校扱いやから学歴にならへんのや」この説明には驚いた。三重県の松坂市を始めインターナショナル・スクールを誘致・開設する運動が広がっているが、それが学歴として認められないのでは入学する子供たちは長期欠席扱いではないか。結局、国内の学校教育基準と国際標準の差異を文部科学省が認めないのだろう。
「それから試験はペーパーよりも先生との面接が重視されるんや。それで学力を見極めて学年も決まるんやて」「学年も?」「アメリカの小学校は成績が悪ければ留年もあるんやで」そんな教育環境に娘を入れようとする妻の強さにはホトホト感心してしまった。
  1. 2016/07/31(日) 08:55:01|
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7月30日・文豪・性豪(?)・谷崎潤一郎の命日

昭和40(1965年)の本日7月30日は作家・谷崎潤一郎先生の命日です。
野僧が谷崎作品を読むことになった切っ掛けは中学3年の冬休みに公開された山口百恵さんと三浦友和さんの「春琴抄」を見に行く相談をしていた女子たちに粗筋の説明を求められたことでした。
野僧は中学1年の冬休み公開の「伊豆の踊子(川端康成先生)」、中学2年のゴールデンウィークの「潮騒(三島由紀夫先生)」の原作を読んでいて、同様の相談をしていた女子たちに説明したため「(他の生徒が見向きもしない)難しい本のことはアイツに訊け」と思われていたようでした。しかし、流石に谷崎文学は読んだことがなく、家に帰って日本文学全集を開いたのですが、何とも複雑な印象を持ったのです。
文体は川端先生や三島先生と同様に格調高いものの句読点がほとんどないため1つの文章が異常に長くて読み辛く、速読な野僧も意外に手こずってしまいました。さらに「春琴抄」の次に読んだ「痴人の愛」の愛欲シーンは刺激的過ぎて、初めて日本文学全集を夜のオカズにしてしまったのです(三島先生の「憂国」の愛欲シーンよりもはるかに格調高く、リアルだった)。
翌々日、女子には粗筋を説明したのですが、主人公の琴=春琴が未婚の母になり、その父親は三浦友和さんが演じる佐助らしいと言う話は「映画のパンフレットと違う」と信じてもらえませんでした。
どうやら映画では山口百恵さんのイメージを守るため主人公は原作で描かれているような我まま放題に育って金遣いが荒く、弟子を選り好みして嫌いな者には人格を否定するような苛めをする問題の多い人物ではなく、幼くして視力を失って琴の腕で自立を目指す健気な女性に変質させているようでした。本来であればそのような問題が多い女性の方が、苛めに耐えながら仕え、逆恨みした弟子に熱湯を浴びせられて美貌を失った後は「もう目で貴女を見ない」と言って視力まで捧げた佐助の愛の深さが際立つのですが(然も純愛ではない)、ミーちゃんハーちゃんの中学生に難しい話は必要ないと言う大人の判断だったのでしょう
したがって未婚の母になる部分も削除されていたのかも知れませんが、映画は見ていないので断定はできません(3学期に入って映画を見てきた女子たちが「嘘つき」と言ったところを見るとかなり変質されていたのは間違いないようです)。
何にしても原作では「主人公の目は開いているが視力がない」との設定で、それが美貌を際立たせる場面もあったのですが、山口百恵さんの演技力では視力がない人物にはならず目を閉じていましたから、谷崎作品として見る方が馬鹿なのです。
一方、オカズにしてしまった「痴人の愛」ですが、これは格調高い純文学ポルノか、ロリコン官能小説のような名作で、谷崎先生自身が「実体験に基づく私小説」と述べています。
この作品では宇都宮から上京した28歳の会社員が抱いていた「年若い娘を自分の理想通りに育てて結婚する」と言う夢を実現しようと15歳のカフェのウェイトレスを引き取りながら、その娘の奔放さに振り回され、やがては肉体的魅力に溺れ、最後には絶対服従するようになる人間の醜悪さと愚かさを描いているのですが、その従属物にするつもりだった娘の肉体に溺れていく過程で繰り返される愛欲の描写は童貞の少年の妄想を駆り立てました。
実際、谷崎先生は最初の妻と結婚して数年後、成長してくる妹(後に女優になるほどの美少女)に魅かれるようになって不倫関係に陥り、置き去られた妻を友人の佐藤春夫先生が愛するようになって三角関係になっています。
失楽園の作者・渡辺淳一先生も多くの不倫を題材にした作品を「実体験に基づいている」と明言していましたが、その先駆けのような文豪・性豪だったようです。
谷崎先生は昭和24(1949)年には文化勲章を受章していますが、渡辺先生も存命なら受章されたのか?現在の官僚は世論の反発を必要以上に懼れるので無理かも知れません。
  1. 2016/07/30(土) 09:06:41|
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振り向けばイエスタディ532

今年の新隊員は景気の悪化が進んでいる分、質が向上していた。昨年はバブルの募集難の時期に生徒を入隊させてくれた高校出身の優秀とは言えない若者が混じっていたが、その比率はかなり下がっている。つまり「精神教育の時間に小難しい話をしても理解してくれるかも知れない」と余計な期待を抱いてしまうのだ。
「今年の入隊者の身上の打ち分けです」身体検査、初度面接などが一段落したところで村上2尉が書類を持ってきた。昨年は入れ墨騒動があったが地連の方も教訓にしたようで、入隊前に羽目を外さないよう注意喚起していたらしい。
「大卒者9名以外は全員が高卒です」「ほう、大卒が1割に迫りましたか」大学中退の私よりも高学歴な者が新隊員として入隊してきた。そこで書類の学歴欄の余白に羅列してある出身大学名を確認してみた。
「ふーん、ワシの部外の同期の後輩がいますね」「愛知大学はいないようですが」村上2尉は気を遣ってくれたが、私自身は愛知大学中退よりも一般曹侯補学生卒に誇りを持っているので、あまり意味はなかった。それにしてもバブル華やかなりし時代の部外の幹部候補生は新隊員並みなのかと身に詰まされるデータではある。
「運動部で活躍した者はいますか?」「駅伝部で1500メートル走のベストタイムが3分台と言う自己申告がいます」村上2尉はかなり期待している様子だ。確かに体育学校のスカウト部の話では1500メートル走で4分台は努力で達成できるが3分台は才能が必要とのことだった。その一方で円谷幸吉選手は幹部候補生学校に入校して半長靴で走ったことでアキレス腱を痛めたことが思い出された。
「今時の運動部の人間は専門的に身体を作っていますから自衛隊的な訓練には意外と弱いんです。アキレス腱や膝を痛めないように対策を講じないと折角の金の卵が潰れてしまいますよ」「早く体育学校の特体生(字が違う)に推薦できればいいのですが」「それは考えておきましょう」何はともあれ自己申告であり、記録を出した時期も不明だ。体育学校への相談=情報提供は最初の体力検定の結果を見てからにした。
「家庭面では母子家庭の者が10名います」「それは全国平均よりも高いですね」この頃、独り親家庭と呼ばれる母子・父子家庭の比率は6パーセント前後だったので、10パーセントとなるとかなり高い。これも自衛隊が個人の家庭の事情を選考基準にしていないことと不安定な家庭の子供たちが国家公務員の安定した就職先として希望することが理由だろう。
「親御さんも心配しているでしょうから家庭通信をまめにさせるよう気をつけないといけませんね」若し私が佳織と結婚していなければ淳之介と父子家庭だった。そして現在は子供2人を抱えて父子家庭をやっている。この指導は東京に単身赴任している佳織を想う気持ちから出たものだ。

そんな私の元に勝田の小椋1尉から意外な便りが届いた。それは船岡へ転属した茶山3佐が4月1日に定年退官したと言うものだった。自衛隊の定年は年齢で定められているため、誕生日付で退官する。つまり茶山3佐は4月1日生まれと言うことだ。
「茶山3佐は退官日の朝に駐屯地当直幹部を下番して、国旗掲揚を指揮してから駐屯地朝礼に臨んだそうだ」と言う小椋1尉の説明に誤りがあるとは思えないが、そんなことが本当に可能なのだろうか?自衛隊では定年退官する3カ月前から準備期間として非常勤になる。その期間中に特別勤務の当直につくことは常識としては考えられない。そんな無理が通るとはやはり茶山3佐は「只者」ではなかったと言うことだろう。
  1. 2016/07/30(土) 09:05:19|
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振り向けばイエスタディ531

志織の入学式は平日のため佳織は出席できず、私も新隊員の着隊直後の多忙な時期と重なり大変だった。入学式には通学路を親子で確認するため一緒に歩いて登校するのが決まりだ。
「ダディ、桜、終わっちゃったね」似合わない背広を着た私と手をつなぎながら志織は通学路の桜の並木を見上げている。地球温暖化の影響なのか桜は3月下旬で満開になり、4月に入るとかなり散り始めている。尤も淳之介が入学した時には満開だったので、気象変動にしては急激過ぎるような気もしていた。
「桜咲いたら1年生 1人で行けるかな 隣に座る子 良い子かな 友達になれるかな」志織が「ドキドキドン!1年生」を唄い出したので私も合わせた。昔は「1年生になったら」だったが、今はこちらが定番だ。
「誰でも最初は1年生 ドキドキするけどドンと行け ドキドキドン!1年生・・・」歌声が大きくなったので前を歩いている母子が振り返った。
「あッ、子守唄の小父ちゃんだ」「やっぱり歌が好きなんだね」子供の指摘に母親も同意をしながら頭を下げ、私も頭を下げたが10度の敬礼になってしまった。
「ダディ、ウチはドキドキしてないけどみんなはドキドキしてるのかなァ」やはり志織は佳織の血が濃いだけに度胸の座り方が半端ではない。運動会や発表会では出番が近づくと眼の中に炎が燃え上がっているのが判るほどだ。
「うん、新しい場所に行って、知らない人に会うのってドキドキするみたいだね」私の説明にも志織は首を傾げている。
「ダディもドキドキするの?」「ダディはしないよ」「マミィも楽しみだって」確かに佳織は好奇心旺盛で初体験を楽しむ意識が強い。それは私も同様なのだが中学時代を過ごした環境では許されなかった。志織にも目立ち過ぎないように注意すべきか迷ったが、佳織の意向通りにするのなら日本的な躾は不要、むしろ有害だと考えて控えた。
「あッ、蝶チョだ」小学校のフェンス沿いに植えてある花に紋白蝶が集まっているのを志織が見つけた。そこで私が先ほどの続きを唄い始めた。
「蝶チョ飛んだら1年生 カバンは重いかな 眠たくなったらどうしよう 給食は美味いかな みんなもおんなじ1年生・・・」この歌声に間隔が詰まってきた母子たちが一斉に顔を向けて、1番から合唱が始まってしまった。

4月からNHKの朝の連続ドラマは沖縄が舞台の「ちゅらさん」だった。私にとって沖縄は今でも故郷であり、何処よりも大切な土地なのでビデオで録画することにした。
部隊でも事務室では昼休みの終わりを知らせる時報代りに見ているが、中隊長・幹部室では村上2尉と臨時勤務の塚本3尉が午後の教育の確認しているためテレビは点けていない。
「お父さん、これって沖縄のドラマなの」「おう、そうだよ」夕食後、食器の片づけや洗濯物の処理を終えた私がビデオを見始めると淳之介が声を掛けてきた。
「でもお父さんは沖縄が嫌いでしょう」「へッ?何を言ってるんだ!」思い掛けない淳之介の言葉に私は少し声を荒げてしまった。すると淳之介は真顔になって説明を始めた。
「愛知のお祖母ちゃんは沖縄の人間は悪いことをするから、お人好しのお父さんは騙されたって言ってたよ」「何ちゅうことを言うんだ」私は激怒して座卓を叩き割りそうになった。
「お祖父ちゃんは僕がBeginを聴いていると『それは沖縄の歌か』って怒ったんだ」淳之介に沖縄の血が半分流れている事実は祖父母が否定してもどうしようもないことだ。それを無理強いして孫が傷つくことに気づかない両親にはトコトン愛想が尽きた。
「沖縄はワシの故郷だ。お前も見たいなら一緒に見よう」「うん、沖縄のことを知りたかったんだ」これには当然、志織も参加するので家族揃ってビデオの時間になってしまった。
  1. 2016/07/29(金) 08:49:32|
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振り向けばイエスタディ530

「うふむらうどうんぬかどなかいい みみちりぼーじぬたっちょんどー いくたいいくたいたっちょがやー みいちゃいゆっちゃいたっちょんど(=大きな村の角中に耳切り坊主が立っている。幾体=何人立ってるんだい。3体=3人、4人立っている)」歌い終わっても意味が判らないので拍手はまばらだ。そこで解説を加えることにする。
「この歌は耳切り坊主と言う妖怪が来るから早く寝なさいと脅しているのです。次も沖縄の子守唄で『チョッチョイ子守唄』です。意味は判らなくても雰囲気を味わって下さい」今度は保母さんたちが手拍手を始め、場内に広がって行く。
「ふくぎぬみあてい なちゅるチョッチョイ やーぬくしーぬあがたはらんじ なちゅくわらーにー チョッチョイうんじょーぐわー なちゅしがチョッチョイ(=福木の実が欲しいと泣いているチョッチョイ 私が預かっている幼子よ泣かないで チョッチョイ愛おしく思っているから 泣かないでチョッチョイ)・・・」哀切な雰囲気があるこちらの方が保護者たちも真面目に聴いているので2番に移った。
「わがむうてぃすだてぃーてぃる うんじょーぐわ ちゅらーにーせた ゆめむめうんどぅ チョッチョイうんじょーぐわー なちゅしがチョッチョイ(私が守り育てている愛おしい子 美しい若者になって 嫁をもらいなさい チョッチョイ愛おしく思っているから 泣かないでチョッチョイ)・・・やーやーきぬいがぐらし いちゃがすらてぃー(私は木の枝で暮らしているのだから どうしようもない)」やはり大きな拍手が起こった。
「福木と言うのはマンゴーに近い木で、葉っぱが向かい合って福を祈っているようなのでこの名がつきました。次は五木の子守唄ですが熊本県の五木村に伝わっている原曲で唄います」私は「五木村がダムで水没する」と聞き、現地まで行って老婆から習ったのだ。
「おどま盆ぎり盆ぎり 盆から先きゃあおらんと 盆が早よ来りゃ早よ戻る・・・おどんが打死んだば 道端埋(い)けろ 通る人ごち 花あげる」これも聞きなれた曲ではないので反応は今一だ。そこで九州や西日本ではカラオケでも唄われる愛唱歌「島原の子守唄」にした。
「おどみゃ島原の おどみゃ島原の 梨の木そだちよ 何のなしやら 何のなしやら 色気なしばよ しょうかいな はよ寝ろ 泣かんと オロロンバイ 鬼の池ん久助どんの 連れん来らるばい」想いを込めて唄ったもののやはり拍手はほとんど起きなかった。これでは流石に保育園に申し訳なくなってくる。
「次は大阪の子守唄なので聞いたことがあるでしょう」興味を引くように説明したが、三重県でも久居市は大阪よりも名古屋との交流の方が盛んなことに後から気がついた。
「寝んねころいち 天満(てんま)の市よ だいこ(大根)そろえて 舟に積む・・・竹が欲しけりゃ 竹屋にござれ 竹はゆらゆら 由良の助」最後の由良の助は歌舞伎の忠臣蔵の大内内蔵助のことだが解説しても無駄なようなので省略した。
「最後も沖縄の『童神(わらびがみ)』ですが、本当はサンシン(蛇味線)の伴奏で歌いたいものです」この歌は後にNHKの朝の連続ドラマで有名になったが、この時は手拍子だった。
「てぃんからのめーぐみぃ うきてぃくーぬしーけーに うまりたぁるなしぐわぁ わみぬむーてぃそだてぃ イラヨーヘー イラヨーホイ イラヨーかなしうみなしぐわぁ なくなよーやーヘイヨーヘイヨー てぃだのひかりうきぃてぃ ゆういりよーやー ヘイヨーヘイヨーヘイヨー まさてぃたぼり(=天からの恵み 受けてこの世界に 生まれたる我が子 我が身を以って育てる 愛しく大切な我が子 泣くなよ 太陽の光を浴びて 夜になるまで どうか成功して下さい)」最後は大きな拍手を受けることができた。任務を無事遂行できたことに安堵しながらステージを降りると母親が1人駆け寄ってきた。
「私はシマンチュウです」美恵子に似た顔立ちの母親の告白に心の中で一歩引いてしまった。
  1. 2016/07/28(木) 08:28:12|
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振り向けばイエスタディ529

志織の保育園では卒園を前にお遊戯会がある。そこで私は妙な出演依頼を受けた。
「お父さん、子守唄が得意でしょう」「へッ?」確かに昔から隊歌係をやっていたが、子守唄は子育ての一環の研究=趣味に過ぎない。
「お昼寝の時、志織ちゃんが唄ってくれるんですけど、色々あって勉強になります」「そうなのか?」手を引いている志織の顔を見ると「うん、みんなに唄ってあげるの」と自慢そうに答えた。
「そこでお遊戯会で披露してもらおうかと思って」「それってコンサートですか?」「そんなものです」この園には25キロ行進訓練の早出などで保母さんたちにも迷惑を掛けている。その恩返しになるのなら恥を承知で引き受けるしかないだろう。
「その時期に新隊員はまだ入っていませんが、何かあればドタキャンの可能性は否定できませんよ」「それで結構です。お願いします」立ち話で決めてしまったが、これも部外講話と考えれば大隊長の許可を得なければならない。年度末と新隊員の着隊準備で多忙な時期に余計な仕事を持ち込めば担当者の機嫌が悪くなるのは目に見えていた。

「何だいこれは?」お遊戯会での子守唄コンサートを真面目に部外発表として申請すると合議を受けた大隊本部の各担当者たちは理解不能と言う顔で呆れた。私は善通寺の頃、PKOの講話をやっているので申請には慣れているが主旨の説明には困った。
「はァ、部外者の前で歌を披露しますから、やはり保全手続きが必要かと考えまして」私は真顔で説明するが講話内容にはレパートリーの子守唄が並んでいるだけだ。各担当者たちは自分の出身地の歌を見つけると鼻歌を唄い始め、今度は私が呆れた。
「天衣無縫・猪突猛進の若武者・モリヤ1尉も年を取ったら好々爺になると言うことだ」「どうせなら老人ホームで軍歌の慰問コンサートをやったらどうだ。爺さんたちが喜ぶぞ」各担当者はそんな勝手なことを言いながら印鑑を押してくれた。確かにパチンコ屋の前で軍艦マーチを聞くと口ずさんでしまうので、そのまま路上ライブも悪くないだろう(訳がない)。

お遊戯会では弁当を食べ終えた午後一番の出し物として子守唄を披露することになった。土曜日だったので佳織は参加できたが、淳之介は部活があって家に弁当を置いてきた。
各家族が弁当を片づけ終え、子供たちが席に戻ったところで主任先生がマイクの前に立った。
「ここで素晴らしい歌手をお招きしています」ここで昼食のため明るくなっていた遊戯室が暗くなり、ステージの中央にスポット・ライトが点いた。主任先生に促されて中央に出ると子供を預けている隊員たちが一瞬驚いた後、歓声を上げた。
「中隊長、頑張ってェ」「軍歌は駄目ですよ」「隊歌、用意!」親たちの馬鹿騒ぎに子供たちは圧倒されている。勿論、自衛官ではない親も同様だ。主任先生は場内がしずまるのを待って説明を始めた。
「モリヤさんは年長の志織ちゃんのお父さんですが、子守唄の名人なんです。今日は色々な地方の子守唄を歌ってもらえます」主任先生の説明に子供たちの後ろの席の親たちが意外そうな顔で黙ったのが見える。私は手渡されたマイクを握り、直立不動の姿勢を取った。
「それでは命により、子守唄を実施します」「ここは自衛隊じゃないぞ!」観客から指摘されたが、確かにこの口上は自衛隊式だった。
「先ずは沖縄の子守唄で『ミミチリボージヌ=耳切り坊主』です。カラオケがありませんから手拍子をお願いします」私のリクエストにも暗い観客席ではあまり反応がない。すると保護者席の佳織と園児席の志織から手拍子が起こり、それが周囲に広がっていった。
  1. 2016/07/27(水) 09:20:08|
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振り向けばイエスタディ528

「志織に英語を教えて欲しいんや」志織の入学が近づいてきた頃に佳織が言い出した。
「急にどうしたんだ」「うん、やっぱり志織をインターナショナル・スクールに入れたいのよ」今夜の佳織の顔は飲みながらの談笑の場であるパジャマ・ミーティングにしては真剣だ。
「ウチ、卒業したら幕(ばく=陸上幕僚監部)勤務になる可能性が高いみたいなんよ」「幕かァ」陸上幕僚監部は昨年5月に市ヶ谷へ移転したばかりだが、そうなれば私も首都圏の第1師団の普通科連隊に転属させてもらえるはずだ。頭の中に練馬の第1連隊、大宮の第32連隊、武山の第31連隊が浮かんだが田舎者にはどこまでが通勤圏内なのか判らなかった。
「東京でニュースを見ていると学級崩壊が深刻で、同期たちも子供の学校が滅茶苦茶なことになっているって途中で親に家族を預けた人が多いんや」三重県でも学級崩壊の話題が出ないことはないがそれ程の切迫感はない。やはりバブルに浮かれた都会の若者が親となる素養や覚悟もなく作った子供たちが大挙押し寄せて、学校の秩序を根底から破壊しているのだろう。
「それにゆとり教育って言うのも信用できないのよ」「確かに淳之介の勉強を教えていてもワシたちの頃に比べてレベルが低過ぎて、将来の日本は大丈夫かって心配になるよ」この展開だけでも志織をインターナショナル・スクールに入れることに合意してしまいそうだ。ところが佳織はさらに念入りな事前調査をしていた。
「外国からの交歓士官の子供たちが使っている教科書を見せてもらったけど私がハワイでやっていた内容と変わらないんや。日本だけがレベルを下げたら国際社会で置いてきぼりになってまう」「そこまで深刻な事態だとは思わなかったな」私は深く溜め息をついてからグラスのヴォーボン=ジャック・ダニエルを大目に飲み、独特の焦げ臭い香りが鼻をついた。
「やっぱ日教組は日本人のレベルを下げて中国に太刀打ちができない劣等民族にしようとしているだな」これは教師の家系に生まれた私が、伯父や叔父の言動から抱くに至った見解だった。
「日教組は争うことはいけないって自分を鍛えるための努力や競争までを全否定して、緩い人間しかできない教育現場を作ってきたんたんや」何だか今夜のパジャマ・ミーティングは過激なようだ。やはりヴォーボンを飲むとアメリカ的な肉食獣の血が騒ぐのかも知れない。
「その緩い教育の申し子たちまで官僚になってしまったから、日教組に抑えが効かないんだな」日本を衰退させる長期戦略=ゆとり教育が始まったのは私が大学に入った1980年代からのはずなので(マークシート式試験の普及と同時期)、最近になって上級職国家公務員に合格した連中が小学校に入学した頃にはゆとり教育が花盛りだったはずだ。
「それじゃあ、淳之介の方こそ心配だな」「うん、本当は淳ちゃんも一緒に転校させたいんやけど編入試験に受かるかなァ」淳之介は教師の質が最低レベルの愛知県で小学校の5年間を過ごしたため三重県に転校してかなり落ちこぼれている。おまけに成長するにしたがって生みの母親に似た面が鮮明になってきており、頭のレベルもあちら譲りのようだ。結局、淳之介には本人の意思を確認し、希望すれば受験の勉強を始めさせることにした。
「それじゃあ、志織には英語で試験を受けられるように読み書きも教えないといけないんだな」
「うん、同期の子供が使っていた教科書を借りておくから、貴方が英語で説明すれば学校の勉強の予習と英語の聴取と読解も同時進行や」佳織はCGSに入校して企画・運営能力が飛躍的に向上している。最早、この妻には敵うはずがないようだ。
「ワシは北海道勤務を経験していないから次は北方(=北部方面隊)に行くつもりだったんだけどな」一応の結論が出てミーティングは何時もの雑談になった。
「それはウチも一緒や。だけどソ連が崩壊して北方重視も見直しが始まってるみたいだよ」「ロシアに気を許すと危ないから戦力は維持しないとな」この手の話は得意なので、やはり大隊長が言う通り学校の教官が適職なのかも知れない。やはり教員家系の人間なのだ。
  1. 2016/07/26(火) 08:57:55|
  2. 夜の連続小説8
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7月26日・マックアーサーの後任・リッジウェイ大将の命日

1993年の明日7月26日は日本の占領統治を担当する連合軍最高司令官と朝鮮戦争を指揮する国連軍最高司令官の職をダグラス・マックアーサー元帥から継承したマシュー・リッジウェイ大将の命日です。98歳でした。
リッジウェイ大将の軍人としての戦歴はマックアーサー元帥を凌駕しています。マックアーサー元帥はウェストポイントの陸軍士官学校始まって以来の優等生を言われていましたが、リッジウェイ大将も極めて優秀で卒業して少尉に任官するとそのまま語学の教官として留まったほどです。
リッジウェイ大将の優秀さは知識の幅広さと思考の柔軟さにあったとされ、その後もニカラグアの選挙監視団やフィリピンの軍事顧問など色々な任務を命ぜられますがどれも完璧にこなしていきました。
リッジウェイ大将は頭脳が優秀なだけでなく、軍人としても勇猛であり、第83空挺師団の師団長として第2次世界大戦のノルマンディー上陸などの激戦を自ら落下傘降下して陣頭指揮しました。ちなみにアメリカ陸軍には黒地に鳴き叫ぶ白頭鷲が部隊章の第101空挺師団と赤地に青の円形の中に丸くAA=ALL・AMERICANと記した部隊章の第82空挺師団がありますが、現在では輸送機からの空挺降下よりもヘリコプターによる空中機動の方が有効であるとされ、名称と訓練だけを残して実態はヘリボーン(ヘリコプターによる強行着陸展開)作戦を主任務としているようです。
第2次世界大戦が大詰めになると空挺師団の上級部隊である第18空挺軍団の司令官に就任し、アメリカ軍では役職で階級が指定されるため中将になりました(小部隊の指揮官に降格させられると階級も下がる)。こうしてヨーロッパ戦線で対独戦を指揮していたのですが、アジア戦線のマックアーサー元帥を支援するよう命令を受けたので、5月8日のナチス・ドイツ降伏のニュースは輸送機の中で聞くことになったのです。
日本の降伏により第2次世界大戦が終結するとリッジウェイ中将は指揮官ではなく行政官として能力を発揮することが求められ始め、地中海地区の連合軍副司令官やカリブ海地区でのアメリカ軍の司令官として勤務した後、陸軍参謀本部副参謀長に就任しました。
この頃、朝鮮戦争でのアメリカ軍を中心とする国際連合軍は、機銃弾を撃ち込んでもそれ以上の数で山肌を雪崩のように攻め下って来る中華人民共和国の義勇軍(=実際は正規の人民解放軍)によって敗退を続けていたのですが、名目上は国際連合軍であるためアメリカ陸軍参謀本部には作戦を立案・指導する権限がなく有効な対策を取ることができませんでした。そして1950年12月3日にアメリカ軍の第8軍司令官であるウォーカー中将が息子の所属部隊を視察するため運転していた自動車の事故(ジープで韓国軍のトラックに衝突して転落した)で死亡すると後任として参戦することになったのです。
リッジウェイ中将はここでも卓越した能力を発揮して、早急に第8軍を立て直すと当時に国際連合軍、中でも宗主国・中国や同じ民族である北朝鮮軍と戦うことを嫌う韓国軍の意識改革を図り、反転攻勢を取る態勢を整えました。これを受けてマックアーサー元帥もリッジウェイ中将に第10軍の指揮権も与え、実質的に国際連合軍の指揮を任せたのです。
こうして反転攻勢を始めた国際連合軍は北朝鮮、中共軍を押し戻し、当初の国境線である38度線付近で硬直状態に入りました。
1951年4月にマックアーサー元帥は戦局打開のため北京など中共の都市への原爆投下を主張したことでトルーマン大統領から解任され、その後任に指定されたため前述の理由で大将になりました。
この頃の日本は独立直前でしたが、国内ではソ連や東側を含む講話を「全面講和」、アメリカなど西側諸国との講話を「片道講話」と呼んで反対する世論を朝日新聞を中心とするマスコミが作っていました。これに対してリッジウェイ大将は高圧的に従属を命じたマックアーサー元帥とは違って吉田茂首相と協調を図り、日本を西側自由主義陣営の一員として独立させることを実現したのです。
その後、ドワイト・D・アイゼンハウアー元帥の後任としてNATO軍最高司令官に就任し、アイゼンハウアー政権の時には陸軍参謀総長になりましたが、インドシナ紛争への介入に反対したことで軍産複合体から圧力を受けて辞任に追い込まれ、失意の長い余生になってしまいました。
  1. 2016/07/25(月) 08:35:05|
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振り向けばイエスタディ527

「ジアエ、この教会に見覚えがないか?」岡倉はサンフランシスコ市街を歩きながらパリのノートルダム聖堂のような大きな教会に案内した。鉄筋コンクリート製の壁には彫刻が施され、中央にはステンドグラスもあるが、全体が排気ガスで汚れている。ジアエは見栄えがしない外観を見上げながら首を傾げていたが次第に笑顔になり、やがて歓声を上げた。
「シスター・アクトの舞台ね」「うん、日本での題名は『天使にラブソングを』だけどな」岡倉はジアエがこの映画を見たかは訊いていなかったが、勘が当たって満足そうにうなずいた。
「そうかァ、あの映画の舞台はネバダ州だったけど本当はサンフランシスコだったんだね」やはりジアエは陸軍士官であり、娯楽映画でも必要な情報は正確に記憶している。実際、日本で公開された字幕ではネバダ州と言う紹介は冒頭ぐらいで、あとはカジノがある歓楽街のリノと言う都市名だけだったはずだ(第2作ではサンフランシスコが舞台になっている)。
「入ってみよう」「いいの?」「佛教徒は関係ないんだよ」岡倉はジアエが松念院で本尊に参ったことは知らず、ただ「カソリックの信仰は頑なである」と言う先入観で答えた。ジアエは夫の返事が少し不満そうだったが、石段を登ると期待に満ちた顔になってドアを開けた。
「あれッ、映画とは違う」「うん、随分とガランとしているね」映画では教会内部の正面にはイエスと聖母の像があり、それを挟んで説教台と聖歌隊のステージがあった。その前には内装工事の足場や修道院のシスターや信者が座る長椅子が並んでいたのだが、実際のグレース大聖堂はかなり整然としていて、彫像などもあまり並んでいない。何よりも内部照明が暗く、平日で他に参拝者がいないため足音が響くほど静かだった。ジアエは高い天井を見上げながらステンドグラスや聖画が描いている場面を説明しながら奥へ進んでいく。岡倉は妻の背中を追い掛けながら歩数で距離を測っていた。
「イエスさま、従順なる娘のジアエでございます」正面の聖像の前に到着するとジアエは石畳みの床に膝まづき、額から胸、左肩から右肩に十字を描いた後、手を結んで祈りを捧げた。
「ジアエの夫のシンイチローです。妻をよろしくお願いします」岡倉も膝をついて手を合わせた。周囲に人影はないが数台の監視カメラが設置されているのは判る。それでも構わず岡倉は妻を立たせると頬に両手を当てて口づけをした。ジアエにはこれが誓いのキスであることが判ったのだろう。キスを終えるとまた正面を向いて涙を流しながら感謝の祈りを再開した。

「私、松念院で佛像に祈りました」教会を出て指輪を買いに行く途中でジアエは意外な告白をした。岡倉は佛教国の異端者として多くの点で妥協している日本のキリスト教会と異なり、国民の半数が信者である韓国のクリスチャンが佛教徒の墓に手を合わせられるのか不安だったのだ。黙っている岡倉の顔を見ながらジアエは言葉を続けた。
「貴方のご両親や先祖が信じ、その魂を守ってくれているブッダに祈ることはカソリックの教えに背くはずがありません」岡倉には宗教観が難しくなり、さらに返事ができなくなった。
「だから貴方が私と一緒に祈ってくれたことを自然に感謝しました」ジアエの結論を聞いてようやく岡倉も伝える言葉がまとまった。
「佛教は人間を苦しみ、悩み、迷いから救う術(すべ)を説いていて宗教と言うよりも道なんだ」「道って道路のことですか?」岡倉にとっては坊主の同期にも勝る名台詞のつもりだったが、韓国人には日本特有の精神文化である「道」と言う概念は伝わらなかった。
「何にしてもカソリックのカミがお前を守ってくれるなら俺も一緒に祈ることにする」「はい、松念院のお坊さまも私が佛像やお墓の前でカソリックの祈りを捧げたことを赦してくれました」
岡倉には話を聞くほどこの妻との波長が同調していることが不思議になってくる。カミにしても佛にしても2人を結びつけてくれた大いなる者に感謝しながら新世紀を一緒に歩み始めた。
  1. 2016/07/25(月) 08:33:46|
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振り向けばイエスタディ526

韓国は官公庁の公式行事を除けば太陰暦で新年を迎える。今年=2001年は1月24日が元旦だ。このため李知愛=イ・ジアエは1月下旬になって年末年始休暇を取り、アメリカの西海岸にやってきた。岡倉は秋に訪韓した時、妻・ジアエに連絡方法を教えたのだが、その難解な手順で予定を知らせてきたためロサンゼルス空港へ迎えに出ることができた。
アジアナ航空が乗り入れているトム・ブラッドリー国際線ターミナルは大混雑している。太陰暦で新年を祝っているのは日系人以外のアジア人社会では共通しており、このターミナルは全日空や中華航空などのアジアの航空会社も使用しているため、到着に合わせて西海岸に住む各国の移民たちが親族の出迎えに来ているのだ。
「貴方、お迎え有り難う」アジアナ航空の到着ロビーで待っていると妻が笑顔で歩み寄ってきた。今回の会話は韓国語のようだ。
「よく来たね。君と新年を迎えることができて嬉しいよ」岡倉もあれから少しは上達した韓国語で答えたが、太陽暦のカレンダーに慣れている日本人としては挨拶自体に違和感があった。周囲では韓国の人々が感情表現がストレートな国民性を発揮して抱擁を始めている。ジアエが少し羨ましそうな顔をしているのを見て岡倉も黙って抱き締めた。
「日本人なのに・・・」ジアエは感情表現を噛み殺すことを美徳とする夫の国民性を気遣ったが、やがて腕の中で感激を味わいながら胸に顔を埋めた。

アメリカに限らず移民たちは同じ民族で集落を形成し、母国の流儀を持ち込むことが一般的だ。そんな中で日系人はアメリカ人の社会に溶け込もうと努めているためジャパニーズ・タウンを形成していない。このため岡倉も一般のアパートを借りている。
「韓国の餅と日本の餅では味も食感も全く違うわ」2人で過ごす束の間の新婚生活の中で、ジアエは日本の雑煮に当たる「トックッ」を作ろうとして溜め息をついた。近所の日本の食品を扱っている店で買ってきた餅では思うような料理にならないらしい。確かに日本の餅はもち米を搗いて作るため粘りが強いが、韓国の餅はうるち米を練ってつくるので日本で言う牡丹餅に近い食感になる。岡倉はそんな妻の困っている顔を見て、2人で出かけることを提案した。
「正月(ソルラル)だからコリア・タウンへ食材を買いに行こう。折角だからチマチョゴリを着てな」「はい、貴方」ジアエは嬉しそうに返事をすると一部屋しかないアパートの壁に掛けてあるチマチョゴリを取り、夫に余所を向くように手で指示した。この恥じらいが岡倉の胸を時めかせる。窓のカーテンを閉めたついでに壁に掛けてある鏡の前に立った。これは少し危ない覗き見趣味だが、妻の恥じらいを守るためには許容範囲の努力だろう。

「あれキムさん、綺麗な女性を連れて」コリア・タウンでは知り合いのホーフ(居酒屋)の女将がからかってくる。岡倉が訝そうな顔をしたジアエに小声で韓国語教室での偽名を説明すると、「キム・ギョバチ」では韓国語の名前が成立しないと苦笑した。韓国語で「バチ」の漢字は「罰」が一般的で名前には用いないのだ。そこに韓国語教室の教師は通り掛かった。
「キムさん、こちらは・・・」「妻のジアエです」「李知愛です。夫がお世話になっています」2人で交互に答えると女将と教師は顔を見合わせた。韓国人であることが疑わしい岡倉とは違い、このチマチョゴリが似合う女性は言葉だけでなく挨拶も韓国の礼式にかなっている。むしろ上流階層の作法なのだ。教師は複雑な笑い顔を作って妙な挨拶を返してきた。
「こんな奥さんがいるんならウチの教室に来る必要はないわね」「そんなことはありません。妻は祖国で暮らしていますから」話の展開についてこられなくなったジアエは黙ってしまった。これはアパートに帰ってからの説明が大変なことになりそうだ。
く・李英愛イメージ画像
  1. 2016/07/24(日) 08:54:58|
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突然の珍客、念願かなって対決(?)

昨日の午後、台所で物を引っ繰り返す音がするため顔を向けると灰茶色の背中がウロウロ歩き回っていました。
始めはキジ虎の若緒(にゃお=小庵の飼い猫)かと思い「悪戯するな」と声をかけたのですが一向に止める気配はなく、立ち上がって見ると縞模様がないので巨大サイズの新たな野良猫だと判断して捕獲準備を整えました。
先ずは開け放っていた玄関を閉めて退路を断ち、続いて中型犬用ゲージを台所の入口に運び、扉を開けて置きました。そして捕獲しようと台所に踏み込むとそれは猫ではありませんでした。前足には鋭く長い爪があり、足は短く太く、背中は丸く逞しいいわゆる穴熊ですが、穴を付けるよりも熊のミニチュアと言う感じです。
野僧は武道に励んでいた頃、ツキノワグマと対決してみたいと思ってはいたものの病み衰えてから実現するとは思いませんでした(熊の身体の頑強さは全ての哺乳類の中で群を抜いており、殴打では勝てないので投げ技で勝負するつもりでした)。
警備小隊長だった頃には歩哨犬の訓練で体重50キロ超のシェパードとじゃれ合ったものですが、ヘッドロックしてねじ伏せたり、逆に馬乗りになられて首筋に噛みつこうとする口に拳を突っ込んで窒息寸前にしたりして楽しんだものです。
ところがこのミニチュア熊は背中の毛を逆立てると野性動物の攻撃態勢を取り、隙あらば襲いかかり、足などに怪我を負わせて逃げようと言う戦術を狙っているようでした。
こちらとしては若い頃のようなスピードの蹴りが出せるはずもなく、フットワークも覚束ない身体障害者ですから十分な間合いを取りつつゲージを前に進め、そのまま壁際に追い込み、中に逃げ込まそうとしたのですが、仕方ないので逃げようとした瞬間に上から首筋を抑えて土間の床に固定して頸動脈を締めて大人しくさせ(前後の足の爪には要注意ですが、猫で慣れています)、そのまま片手でプラスチック製の箱を引き寄せて上から被せました。
それでも筋力は犬や猫の比ではなく、箱の上にゲージを載せても弾き飛ばされそうになるため水を入れたバケツを加え、続いてベニア板を下に差し入れて運搬可能な状態にしてから市役所の支所の環境衛生課に引き取りを依頼したのです。
その電話を受けた女性の職員は「熊ですか?」と町内を騒がしている熊を捕獲したと早合点して興奮気味でした。
さらに回収に来た環境衛生課の檻の中でも背中の毛を逆立てて威嚇を続け、担当の若い職員は完全にビビっていました。それでもハクビシンやアライグマなどの特定外来生物ではない野性動物なので山奥で逃がすことになるそうです(=飼育も禁止)。
これだけ痛い目に遭わせたので人家には近づかないとは思いますが、逆に恐怖から「窮穴熊人を噛む」にならないように願います。
それにしても穴熊は下半身が真っ黒で「腹黒い動物」でした。
穴熊出現・16・7・22
  1. 2016/07/23(土) 08:55:13|
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振り向けばイエスタディ525

美恵子の20世紀は超多忙の中で過ぎていく。理容店は閉店過ぎまで大変な賑わいで店長と美恵子だけでは手が回らず日頃は専業主婦を決め込んでいる妻も動員されている。
それが一段落すればスナックを開店し、1人で年を越すのが嫌な独身男たちの相手をするのだ。とは言っても客たちがやることはカラオケ用のレーザー・ディスクの大画面で紅白歌合戦を視聴することなので、美恵子はグラスの水割りがなくならないように気をつけてさえいれば良い楽な仕事だった。
「今年はSPEEDが出ないから面白さも半分だな」「そうだよ。今井が歌うところが見たかったさァ」「今井よりは島袋だろう。寛子、ワッターウンジューグワさ(俺の愛おしい人だ)」若い客たちは紅白前半の定番である演歌には関心がない。そんな半分焼け糞の会話を聞きながら美恵子は自分のグラスにウーロン茶を注いだ。その時、客たちが拍手をしながら歓声を上げた。
「突然、MAXの出番さァ」「Manaが歌うさァ」Maxは安室奈美恵のバック・コーラスから発展したユニットなのでメンバーは沖縄出身だ。それにしても今回はSPEEDが出場していないとは言え沖縄出身は2組いる。これで5年前に「花」で出場した石嶺聡子や白組にBeginが加われば客たちは大喜びのはずだ。しかし、MAXの後は再び演歌が続いたため客たちの酒のピッチが上がってくる。手早く水割りを作っている美恵子の耳に前夫が好きだったさだまさしの「無縁坂」が流れ込んできた。
「こいつの歌は暗くなるさァ」「難しくて国語の勉強みたいさァ」客たちの感想も美恵子と似たようなものだ。美恵子も難しい本を読みながらさだの歌を聴いている前夫に同じ台詞を投げ掛けていた。つまりは不釣り合いな結婚だったのだろう。
紅白も後半に入ると若い人向けの曲が増える。この頃には客たちは酔いが回ってきているが帰ろうとはしないでテレビに見入っている。
「おッ、小柳ゆきだぞ」「あなたのキスを数えましょうさァ」酔いが回るにしたがって始めは大人しくテレビを見ていた客たちも気に入った曲が出ると一緒に歌うようになってきた。
「あなたのキスを数えましょう 1つ1つ想い出せない 誰よりそばにいたかった・・・」美恵子は気分良く歌っている客に背中を向けた。この歌詞には自分に重なる部分が多いのだ。
「あなたのキスを探しましょう あんな近くに触れたのに 出逢わなければよかった・・・」テレビから流れる小柳ゆきの熱唱に合わせて美恵子は無意識に口ずさんでいた。
客たちはお気に入りの小柳ゆきの次が演歌の美川憲一だったためテレビに罵声を浴びせ始めた。そろそろ潮時なのかも知れないが、まだ安室奈美恵が出ていないので帰りそうもない。美恵子も困っていたが、そこに1番聴きたくない歌が流れ始めた。
「2人の部屋の 扉を閉めて 思い出たちに さよなら告げた・・・新しい人生を 私なりに歩いてる あなたに 会いたくて 会いたくて・・・」この松田聖子の「あなたに逢いたくて」は客の連れの女性がカラオケで唄うのを聴いて歌詞が自分を責めているように思えた。
「あなたの後ろ 歩きたかった 2人で未来 築きたかった どんなに愛しても 叶うことない 愛もあることなど・・・」この歌のように前夫の愛に応えていれば積み上げていた幸せ崩すことはなかったはずだ。そんなことを思いながら画面を見ていると涙が一筋こぼれた。幸い客たちは松田聖子に夢中で美恵子の涙に気づいていない。美恵子はお絞りのタオルで涙を拭い背中を向けてコンパクトで化粧を直した。
「・・・一緒に過ごした日々を 忘れないでね 後悔しないでしょ 2人愛し合ったこと・・・」
美恵子の胸に前夫も紅白を見ていて、この歌を自分に重ねてくれないかと言う想いがよぎったが、あれから8年が過ぎていることを思い出して塗ったばかりの唇を噛んだ。
結局、安室奈美恵はトリの2人前だったので美恵子は客たちと21世紀を迎えた。
  1. 2016/07/23(土) 08:53:07|
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7月23日・潜水艦なだしおへの衝突事故

昭和63(1988)年の明日7月23日に遊漁船・第1富士丸が海上自衛隊の潜水艦なだしおに衝突して沈没し、30名が死亡・17名が重軽傷を負った事故が起きました。野僧はこの年、海上自衛隊の一般幹部候補生を受験していて8月7日には呉基地で2次試験を受けたため完全に当事者の気分でこの事故を探究しました
この事故ほど戦後一貫して自衛隊を悪者に仕立て上げてきたマスコミの偏向報道の罪過と口では自衛隊を擁護しながらマスコミが世論を誘導すれば手のひらを返して批判を加える自民党の実態をさらけ出した事例はないでしょう=この事故以降、野僧は反自民です。
事故直後、軽傷を負ったアルバイトの女性乗組員が記者会見に登場し、「潜水艦が衝突してきてあっと言う間に沈没した」「潜水艦は救助するどころか遠ざかって行った」「海に浮かんでいる人々が助けを求めても海上自衛官たちは何もしなかった」と一方的な主張を涙ながらに訴えたのです。この時、ニュースでは潜水艦の甲板で制服を着た乗員が立ち話をしている映像を被せていましたが、当時は事故現場にテレビ・カメラはなく(現在なら携帯で動画撮影が可能)別の映像の転用であることは明らかでしたが、一般の視聴者=国民は「何もしなかった」海上自衛官の姿だと思ったはずです。ちなみにこの女性が遊漁船の近藤船長の愛人であったことが報じられたのはかなり後になってからでした。
このように事故の当事者の一方的な証言を社会に広め、それが事実であるかのように世論を確定する手法は航空自衛隊機と全日空機が空中衝突した雫石事故でも行われましたが、今回も海上自衛隊が犯人、遊漁船は被害者と言う世論が確定し、マスコミは粗探しによる袋叩きを始め、自民党も袋叩きに加わることで責任を回避しようとし始めました。
その代表が防衛庁長官だった瓦力(かわらつとむ・故人)です。事故発生時、瓦は地元・石川県にお国入りしており、本来であれば防衛庁長官になったことを誇示する好機のはずが冷水を浴びせられた上、東京で東山海上幕僚長が記者会見で謝罪を要求されても「事故の原因が明確になっていない現段階で謝罪はしない」と拒否したのを越権行為と受け取ってかなり立腹していたようです。このため東京に戻った瓦は殊更に謝罪を繰り返して一方的に海上自衛隊を断罪する世論を肯定し、入院している負傷者の見舞いに東山幕僚長を制服姿で同行させ、マスコミが「海上幕僚長が自分の発言の誤りを認めて謝罪した」と報じることを容認しました。
さらに瓦は犠牲者の葬儀に海上自衛官たちを制服で参列させ、出棺の時には皇族や殉職した隊員の棺・遺骨にしか行わないト列、しかも本来は挙手の敬礼するべきところを脱帽して45度の敬礼を行う違法な指示まで出したのです(映像では土下座しているように見えた)。
余談ながら瓦は自衛隊父兄会の会長を遣り腐っていたので野僧は入会しませんでした。
しかし、この事故は海難審判の後から浮上航行してくる潜水艦を見た乗客が歓声を上げたため、遊漁船の方が転舵して接近したことが衝突の原因であることが明らかになり、近藤船長は韓国のセウォル号のイ・ジュンソク船長と同様に乗客を放置して救命ボートに乗っていたことが暴露されたのです(こちらも乗組員と愛人関係にあったようですが)。
この事故は海難審判に続いて刑事事件としても訴追されましたが、こちらは相互の過失を認め、潜水艦の山下艦長、遊漁船の近藤船長の両方が有罪になりました(山下艦長は免職の行政処分も受けている)。
野僧が2次試験を受けに行った時、航空自衛隊の防府南北基地や陸上自衛隊の山口駐屯地の納涼盆踊り大会は自粛になっていましたが、呉基地では予定通りに開催され、多くの市民が集まって踊りを楽しんでいました。野僧も世話役になっていた女性自衛官(WAVE)と一緒に踊りの輪に加わって満喫しましたが、彼女に紹介されて話すことができた幹部自衛官(1等海佐)は「自粛すれば海上自衛隊の非を認めたことになる」と言っていました。やはり合格したかった。
私のニライカナイ・モリノ2尉遺影
  1. 2016/07/22(金) 10:07:46|
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振り向けばイエスタディ524

来年は2001年、21世紀だ。これを家族で迎えられる幸せを噛み締める年末・年始休暇だった。今夜のパジャマ・ミーティングは夕食=年越し蕎麦の続きなのでBGM代りに紅白歌合戦を見ながらになる。酒は佳織の地元・灘の生一本だ。ちなみに生一本とは同一の酒造で製造された純米酒のことを言う。
「ダディとマミィはお酒を飲むんだね」いつものパジャマ・モーティングは志織が眠ってから始めるので2人で酒を酌み交わしている姿が珍しいようだ。
「うん、お酒を飲むと気持ちが溶けちゃうから混ぜて一緒になれるんだ」私の意味不明な説明に志織は首を傾げたが、佳織は「混ぜて一緒になる」の部分に反応してはにかんだ。私としては秘め始め(=新年最初の夫婦の営み)で新年と新世紀を迎えたいと願っているが、淳之介が好きな小柳ゆきが紅白歌合戦に初出場するので早く寝ることは期待できそうもない。
「やったァ、貴方のキスを数えましょうだ」紅白が最後の追い込みに入った頃、淳之介のお目当ての小柳ゆきが登場した。淳之介の大声で佳織の膝で眠っていた志織が驚いて震ったため、私が抱き上げて布団へ寝かせに行く。オシッコと歯磨きをさせていないが、それは私たちが寝る前に連れて行くことにした。
居間に戻ると小柳ゆきは終わり、美川憲一が演歌を唄っている。淳之介は入れ替わりに自分の部屋へ行ったので佳織と2人になれた。
「貴方のキスを数えましょう」そう歌いながら隣に座ると佳織も合わせて眼を閉じる。ここで息子が起きていなければ念願がかなうのだが、そこは諦めるしかない。
「さっき『未来を開こう21世紀スペシャル』って出し物をやってたやろ。もうすぐ21世紀何やね」これは小柳ゆきの前に演じられた馬鹿げたショーのことだった。
「それにしても最近は『もうすぐ21世紀』って言わなくなったよな」「ウチらが子供の頃の方が言ってたね」同調してくれても佳織はハワイで子供時代を過ごしていたはずだ。
「ハワイでもかね?」「21世紀を近未来にした物語がテレビで流れてたよ」小学生の佳織がハワイで見ていた近未来のSFドラマが数年後に日本で上映されて、中学生になっていた私が見ていたのだろう。それだけでもタイムスリップしているような気分になってくる。
「21世紀って言うとワシなんかはこの歌になっちゃうな」自分の席に戻るため立ち上がると話の途中だった佳織は真顔で待っている。そこで冷めた燗酒を盃に注いで歌い始めた。
「これから31年経ってこの世は21世紀 その時2人はどうしているの やっぱり愛しているかしら・・・21世紀の夜明けは近い」これは祖父の寺の境内で行われていた盆踊りで流れていた相良直美の歌だ。「これから31年経って」と言っているところを見ると1970年、大阪万国博覧会があった年、つまり佳織がまだ今の志織と同じ年頃の歌なのだ。
2人の世界に浸っていると紅白が終わり、行く年くる年になった。NHKの定番は全国の寺院の除夜の鐘と長崎のカソリック教会のミサだ。
「除夜の鐘ってどう言うタイミングで撞くの?」雪がない永平寺の除夜の鐘を聞きながら佳織が訊いてきた。形だけの坊主である私も祖父の寺で打っていたので知識は持っている。
「一応、今年の煩悩を今年のうちに祓うように108つ目を12時ジャストに撞くのが基本だね」「それじゃあ、この辺りで撞いているかな」「うん、ベランダに出れば聞こえるかもな」そこで2人でベランダに出てみると市内の方から幾つかの鐘の音が響き合っていた。
「21世紀を貴方と迎えられて幸せ」そう言って肩に頭をもたげ掛けてくる妻の肩を抱き、秘め始め以上の感動を味わっていると淳之介が顔を出した。
「12時になっても何もないね」「へッ?」「21世紀になったら何かが起こるのかって待っていたんだけどな」そんな理由で父親の念願と感動を妨げるとは・・・この親不孝者め!
  1. 2016/07/22(金) 10:05:09|
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振り向けばイエスタディ523

中々楽しめた2曹課程が修了する。未成年者が大半の新隊員課程とは違い終了前には入校者が主催する謝恩会が行われる。私は今回も淳之介に家のことを頼み、夕食を作り、風呂の用意をした後で参加した。
「中隊長の武力紛争関係法講座は勉強になりました」乾杯の後、ビールを注ぎに来る2曹たちは口を揃えるが、予告通り最終回に実施した試験の結果を成績に反映したことは黙っておいた。
「それにしても中隊長は愛知大学で武力紛争関係法を学ばれたのですか?」「愛大って言うとデモ隊のイメージしかないですが」確かに愛知大学が毛沢東主義の巣窟であることは東海地方では有名である。そこの法学科で武力紛争関係法を学んだと言うのは大きな違和感があるだろう。
「法律論の基礎だけ学んで自衛隊に入ってから研究を継続したんだよ」「ふーん、流石ですね」すると立ち話を聞いていた主賓の大隊長が割り込んできた。
「そんなに勉強なる講座だったか」「はい、勉強が苦手な自分たちでも隊員を指揮する時に知っておくべきことがあるのを思い知りました」「おまけに直営売店に置いている葉書と煙草とタオルと石鹸が捕虜収容所でも売ることになっているのは意外でした」2曹たちの感想が具体的だったため、大隊長も私の講座の内容を理解したようだ。
「モリヤ1尉がもう少し偉かったら幹部候補生学校の教官にするんだが、1尉では学生隊の区隊長だからな」乾杯以降、交代で酒を注がれている大隊長は少し酔っているのか禁句を吐いてしまった。すると同じく酔い始めている2曹たちもタブーを連射し始めた。
「モリヤ1尉は部外でしょう。どうして1尉をやらせているんですか?」「ウチの中隊長も部外ですが、もっと馬鹿だけど3佐です」「優秀な奥さんに階級を譲っているでしょう」「やっぱり銃剣道が嫌いだから上に睨まれているんだ」陸上自衛隊と言う閉鎖社会では個人情報の保護などは絵空事なのを痛感させる展開になってきた。ところが最後の台詞を耳にした某普通科連隊で銃剣道の猛者と評判の2曹が歩み寄ってきた。
「銃剣道が嫌いでどうして陸上自衛官をやっているんですか」2曹は有無を言わさぬ目つきでビールを注ぐと腹に溜まっていたのであろう疑問をぶつけてした。周囲の2曹たちは一歩後退さりをする。私はその2曹には注がず、自分のグラスのビールを呑み干して答えた。
「銃剣道が嫌いと言われてもワシは5段だよ。おまけに短剣道も5段で公式審判員の資格を持っている」私の説明にも2曹は表情を変えない。過去の2曹課程では実施されていた体育の銃剣道が今回はなかったことで、守山の古巣から入校している2曹から話を聞いたようだ。
「銃剣道は帝国陸軍以来のお家芸です」「それは違うな。銃剣道はフランス軍が発祥だぞ。だから昔の銃剣道着は戸山学校の体育着だったんじゃないか」いきなり銃剣道講座が始まって「君子危うきに近づかず」で退避しようとしていた他の2曹たちは立ち止まった。
「何にしても日本軍は銃剣道で太平洋戦争を戦い、その伝統を陸上自衛隊も受け継いでいるんです」「それでは訊くが、君は小銃弾の最大射程を知っているか」いきなり側面攻撃を受けて2曹が酔った頭で考え始めたが、時間が勿体ないので私が答えた。
「7・62ミリのNATO常装弾で約4千メートルだ。その弾丸が飛んでくる中を銃剣突撃して何名が生き残れる。旅順攻城戦の教訓を学ばなかったから日本軍は無用な犠牲を出して負けたんだ」「しかし・・・」「ついでに言えば護身術としても長い棒で刺突するしかない銃剣道などは役に立たん。君も銃剣道ではない競技を始めていれば、おそらく一流のスポーツ選手になっただろう。勿体ないことだ」2曹は黙って頭を下げて去っていった。すると他の2曹たちは「やっぱり偉くはなれませんね」とささやき合い、大隊長は「だろう」と答えていた。私はどうしても「出る杭」になってしまうようだ。
  1. 2016/07/21(木) 08:29:03|
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7月20日・小物ながら実質的なA級戦犯・辻政信に死亡宣告が出た。

昭和43(1968)年の本日7月20日に昭和36年4月からラオスで行方不明になっていた帝国陸軍参謀・辻政信に死亡宣告が出ました。辻参謀は最終階級が大佐であることでも明らかなように帝国陸軍を動かし、戦争の帰趨を左右するような立場ではなかったにも関わらず相手を追い詰め籠絡させる特異な弁舌と越権行為を繰り広げて無謀な作戦を強行しながら失敗すれば責任を他人に押し付ける巧妙な立ち回りにより、帝国陸軍のみならずこの国を滅亡に追い込んだ元凶になりました。
辻参謀は日露開戦の前々年である明治35(1902)年に石川県の山中温泉郷がある集落の炭焼きの家の4人兄弟の3男として生まれますが、伝記によって極貧だったり比較的裕福であったりと家庭環境から真偽不明になっています。
どちらにしても田舎に住む庶民の4人兄弟の3男では十分な教育を受けることはできず、高等小学校から名古屋陸軍幼年学校に補欠合格しました。ところが卒業成績は首席で、その後も陸軍中央幼年学校、陸軍士官学校で首席、エリート中のエリートが集まる陸軍大学校でも3位と言う好成績を収めていますから、どこかで特異な能力を身につけたのかも知れません。
平時の軍隊ではこのような卒業成績が最重要視されますから当然のように人脈が広がり、参謀本部勤務で東條英機の部下になったことで、三笠宮の入校を控えた陸軍士官学校の学生隊の担当中隊長として指導に当たることになりました。ところが国内の軍国主義の高まり受けて過激な主張を弄する生徒が表れ、中には後に2・26事件で訣起する青年将校と交際している者がおり、その告白を受けた辻中隊長はその本人をスパイにして過激派の全容を把握し、陸軍上層部と憲兵隊の人脈を利用して摘発に動いたのです。この時、スパイとして利用した学生も退学にしているところが辻の辻たる処理方法でしょう。
その後、関東軍の参謀となり、いよいよ帝国陸軍を破滅させる戦争への関与を始めます。先ず手始めが満州の国境でソ連軍と衝突したノモンハン事件でした。当時は偶発的衝突と説明されていましたが、実際は関東軍側が挑発し、ソ連に手を出させて逆襲する策略だったことが明らかになっています。この策略のシナリオを書いたのも辻参謀でした。しかし、そのシナリオはソ連軍の戦力を驚くほど過小評価しており、日露戦争そのままの戦術しか知らない日本軍がドイツ軍に匹敵するソ連軍の機甲部隊と対戦したのですから事実上の大惨敗でした。ところが辻参謀は現場指揮官に責任を負わせ、負傷した指揮官の入院先に実弾を1発だけ込めた拳銃を届け、捕虜交換で帰還した指揮官を「慰労会を開く」と招きながら宴席の奥に拳銃を載せた白木の三方を並べた部屋を用意したと言われています(映画「戦争と人間」でも描かれている)。
ノモンハン事件に関する資料が完全に隠滅されているのは辻参謀の指導の成果かも知れません。
続いて対英戦争の開幕を飾ったマレー突進作戦では上級司令部どころか所属する師団長の命令さえも無視した独断専行を公然と行いながら戦果で責任を相殺する態度に軍司令官の山下奉文中将は「ずるがしこい小物だ。使い方には注意を要する」と述べています。占領したシンガポールで華僑を大量に殺害したのも辻参謀の独断でした。
その後もフィリピン、ポートモレスビー、ガダルカナル、ビルマなどでの作戦に参謀として関与しますが、彼我の物量的戦力見積もりを軽視する参謀としての決定的無能さが改まることはなく、日本軍を泥沼の消耗戦に落とし込んでいきました。そこで消耗したのは人命であったことは言うまでもありません。それでも手柄は自分が独占、失敗の責任は現場に押し付けながら、特異な弁舌でそれを周囲に信じさせたため「作戦の天才」と言う虚飾が定着したのです。
敗戦後は戦争犯罪人になることを自覚していたため中国や九州の炭鉱などに潜伏しますが、逃走する時には何故か坊主を装うのが得意でした。
戦争犯罪人の指定が解除されると作家として世に現れ、さらに石川県1区から衆議院を4期務め、参議院の1期目の途中で東南アジアを訪問して行方不明になったのです。
  1. 2016/07/20(水) 09:29:19|
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振り向けばイエスタディ522

先日の武力紛争関係法講座以来、私には余計なことを考える悪癖が発症している。それは第10衛生隊から入校している小川2曹に戦闘訓練の中で第1線救護をやらせてみたいと言うものだ。幸いなことに中隊事務室には衛生員の中村3曹がいる。つまり駐屯地の衛生隊から1人借りてくれば実行は可能なのだ。そこで衛生隊長を訪ねてみた。
「おう相棒、何か用か?」衛生隊長の樋口2佐は前川原の同期の医官で、以前から「坊主のお前と医官の俺は武力紛争関係法が定める相棒だ」と言い合っている間柄だ。
「今日はお願いがありまして」「坊主が医者にお願いって葬式の予定はないぞ」ここまでくると冗談が過ぎる。そこで真顔で用件を切り出した。
「実は1名、衛生員を貸してもらいたんですが」「1名って中村を貸してるだろう。彼女には飽きたか」「飽きるも何も使ってないよ」「やっぱり伊藤ちゃんが怖いか」それでも冗談は止まらない。2曹課程は体調を崩す者が少なくので医官も暇を持て余しているようだ。
「10衛生の小川2曹に戦闘訓練の中で第1線救護をやらせてみよかと思ってね」「ほう、それはナイスなアイディアだね」相変わらず口調は軽いが少し真顔になった。
「それでは陸士を1名貸し出そう。ついでに俺が死亡判定するから坊さんがお経を上げるってのはどうだ」「それじゃあ訓練が冗談になってしまうよ」「しかし、実際の戦闘状況ではその手順だろう」冗談ついでに最後は武力紛争関係法の講義を受けてしまった。

小川2曹が所属する2区隊の戦闘訓練の時間にそれは実施された。2区隊長の坂口2尉は私の意表を突いた指示に唖然としたが、村上2尉に「ここは328だよ」と言われて納得していた。
「本日の戦闘訓練では負傷者には衛生員による第1線救護を実施するから負傷と判定された者はその場で動くな」今回は3人とも赤十字の徽章を入れたヘルメットと腕章を着け、指揮官の小川2曹は銃を持ち、中村3曹と衛生隊から借りた士長は担架を持っている。
「第3分隊、前方10の堆土まで早駆けに」「早駆けに」「前へ」「前へ」戦闘訓練が始まったものの流石に2曹ともなると3秒以上走って銃弾命中や小移動の距離をごまかして叱責される者はおらず衛生隊員の出番は来ない。このままでは計画倒れ、衛生隊の士長は無駄足になってしまう。仕方ないので私が訓練場の中央へ行き「指揮官負傷」と叫んで堆土の影に倒れた。
「第1線救護、1番手、2番手、前へ」攻撃開始線の溝の中から小川2曹の号令が届いた。第1線救護では担架の前後を2名で持ち、戦闘訓練と同じ要領で前進するが、1番手、2番手が呼吸を合わせて動作しないと担架が真っ直ぐに進まないことになる。
「前へ」「前へ」次第に3名の声が近づいて来るのが判った。ただし負傷者は倒れているので見えないのは仕方ない。その時、発光式人的を作動させたようで突撃目標から銃声が響いた。
「伏せェ!」小川2曹の号令だけが聞こえる。これが戦闘訓練の中でやらせたかった理由だ。
やがて3名が私のところへ到着した。2人は担架を片手で引きずりながら匍匐してくる。
「大丈夫ですか?」「判りますか?」先ずは中村3曹が意識を確認した。重傷者を演じるため返事をしないと頬を本気で打ってきた。この時も銃弾が飛び交う中なので姿勢を高くすることはできず、ほとんど頬ずり状態だ。この間に藤井士長は脈拍や呼吸を確認していく。
「意識なし」「脈拍あり、呼吸正常」「負傷部位大腿部、貫通銃創」「よし、担架に乗せて後送」2人の報告を受け小川2曹が命令した。
先ず担架をうつ伏せに倒れている私の身体の上にかぶせ、胸と腿の位置にベルトを巻くと「セイノーデッ」と呼吸を合わせてひっくり返した。この間も姿勢を上げることはできない。
ここからは流石に引きずっていくことは不可能なので、姿勢を低くして早足で歩くしかない。退場していく衛生隊員たちに盛大な拍手が起こった。こうなると次は施設の地雷排除や鉄条網破壊との連携だろうか。「サミダレ(=地雷排除器具)、前へ!」
  1. 2016/07/20(水) 09:28:03|
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7月20日・ヒトラー暗殺計画が実行された。

1944年の明日7月20日にヒトラー暗殺計画と反ナチス・クーデターである「ワルキューレ作戦」が実行されましたが失敗に終わりました。この2つの事件は日付を冠して「7月20日事件」と総称しています。
不勉強な日本人は第2次世界大戦までのドイツ国防軍は完全にナチス(=国家社会主義ドイツ労働者党)の掌握下にあったと思っていますが、実際はプロシア貴族の騎士の気風を色濃く受け継ぐ高級将校たちと素性卑しい成り上がり者の集団と見られていたナチスの党幹部の間には深い亀裂があり、ヒトラー個人の野望の実現のために軍を使用されることに反発し、かなり早い時期からクーデターと暗殺の計画が繰り返し立案されていたのです。だからヒトラーは絶対的信奉者のハインリッヒ・ヒムラーが率いる親衛隊を軍よりも重用し、傍から離さなかったのでしょう。
古くは1938年に東欧のズデーデン地方を併合した時で、強引な外交政策によってイギリス、フランスとの対立が激化し、戦端が開かれることを懼れる軍上層部が反ナチス派の将校や民間有志を集めて政権の転覆を狙いましたが、この時はイギリスの首相・アーサー・ネヴェル・チェンバレンが「融和政策」を掲げて併合を容認したため決起には至りませんでした。
次は1939年9月1日に第2次世界大戦が始まり、1941年6月22日から実行されたソ連への侵攻が泥沼化するのを見てナポレオンの再現となることを憂慮した高級将校たちがヒトラーの暗殺計画を立案したのですが、実行段階で爆破装置の不具合やヒトラーの異常なまでの用心深さ(出発する直前にスケジュールを変更するなど)で失敗を繰り返すことになりました。
しかし、戦局は悪化の一途を辿り、1944年6月6日に連合軍がノルマンディーに上陸してヨーロッパが戦場となると、それに合わせるように6月22日からソ連の逆襲攻勢が始まり、ドイツの敗戦を確信するようになった軍上層部と高級将校たちの間ではヒトラーを暗殺した上でクーデターを起こしてナチスを打倒し、自ら処断した実績を以って連合軍と講話する「ワルキューレ」計画が立てられたのです。
ちなみにワルキューレとは北欧神話に登場する雌雄同体のカミで、戦場で戦士の死を定め、勝敗を決するとされています。リヒャルト・ワーグナーの楽劇「ワルキューレ」の第3楽章冒頭の「ワルキューレの騎行」はヒトラーが愛聴した曲で、映画「地獄の黙示録」でアメリカ軍のヘリコプター部隊がベトナムの農村を襲撃する場面で使用されて有名になりました。
今回の暗殺計画ではクーデターの序章としてヒトラーだけでなくヒムラー、ゲーリングなどのナチス首脳を一緒に葬るため強力な爆弾が使用されることに決まりました。
実行者はドイツ南西部の小国・ヴェルテンベルクの貴族出身で北アフリカ戦線で負傷して右腕、左目、左手の指2本を失っていたため身体検査の遠慮を受けているクラウス・フォン・シュタウフェンベルク大佐が選ばれました。これには大佐は国内予備軍の参謀長でもあり、ヒトラーが出席する会議に参加する機会も多かったこともあります。
こうしてプラスチック爆弾2個を10分後に起爆させる装置を持って会議に参加したのですが、ヒトラーとのスケジュールが合わずに空振りが続き、その間に暗殺成功の誤報によりクーデターを発動しかける失策が続発したため次第に焦りが高まり、この日、かなり無理をして決行に移されたのです。
しかし、夏で暑かったため会議は地下室ではなく屋外の建物で行われ、窓を開放していたため爆風が拡散し、おまけに爆弾を詰めたカバンをヒトラーの隣席の総統副官が邪魔にして足で押しやったことでヒトラーからは死角になって失敗したのです(この副官は左足を失い、2日後に死亡した)。
それでも会議室での爆発を知った参加者たちは「ワルキューレ」を発動しましたが、軽傷ですんだヒトラーの対応は早く、疑わしい人物の所在地に親衛隊を派遣して身柄を拘束すると共に軍の動きを監視し大粛清を実施しました。ロンメル元帥もこの事件への関与を疑われて自死を強要されたのです。
この大粛清で人材の枯渇が進んだこともナチスの敗北を早めた原因ですから、目的は達したのでしょう。何にしてもドイツ軍とナチスを一緒に断罪するのは止めるべきです。
  1. 2016/07/19(火) 08:40:41|
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振り向けばイエスタディ521

卒業が近づくと私の武力紛争関係法講座も佳境に入ってきた。自衛隊の人事制度では2曹への昇任が同時であれば先に3曹になった者が上位になるが、逆に言えば中々2曹になれなかった訳で、このような教育では若くして昇任した下位の者の方が能力を発揮することが多い。
「教官、質問をよろしいですか」この日も曹侯学生出身の2曹が手を上げた。今回、私は普通の部外出身幹部と言うことにしているので後輩であることは伏せているが、彼には田島2尉と同様の親近感を抱いている。
「武力紛争関係法では文民(=非戦闘員)への意図的な攻撃や非軍事施設への攻撃は違法であると言われましたが、太平洋戦争中にアメリカ軍がやったことは違法ではないのですか?」彼の質問を聞いて2曹たちの反応は分かれた。若手は「絶対に戦争犯罪だよな」と同調しているが、古手は「同盟国のアメリカを批判するのはまずいだろう」と常識的だ。
「確かにアメリカ軍は日本の全国各地の都市を空襲し、原爆まで投下した。おまけに艦載機で農村や漁村の子供や女性を銃撃している。これは明白な戦争犯罪であり、非人道的戦闘行為と断ぜざるを得ない」この解説には全員がうなずいたが、日本人が学ぶ戦争の悲惨さはこの違法行為によるものであり、戦争本来の様相からは乖離しているのだ。
「アメリカ軍はアリゾナの砂漠に日本の木造住宅の街を作り、日系人の職人に家具や家財道具を作らせ、どのような方法で攻撃すれば一番被害を与えられるかを研究してきた」この説明は知らなかったのか、顔を見合わせ「許せんな」との声が起こった。私が反米を叫ぶアジテーターならかなりの腕前だろう。
「その結果、爆弾による破壊よりも焼夷弾による延焼の方が確実に日本人を大量殺戮できることを確認して実行したんだ」ここまでくると流石に声は出ず顔が凍りついた。
「都市空襲では始めに避難する郊外から攻撃し、逃げ場を奪っておいて市街地を徹底的に破壊した。おまけに逃げ惑う人たちを護衛の戦闘機が機銃掃射した」「アメリカ軍はどうしてそこまでやったんですか?」堪え切れなくなった若い2曹が質問した。
「これは推測の域を出ないがアメリカ陸軍の航空軍にはヨーロッパ各国のような独立した空軍になりたいと言う願望があり、陸軍や海軍以上の戦果を上げる必要があった。その戦果とは殺した日本人の数だったんだろう。実際、1947年の9月18日に陸軍の航空軍はアメリカ空軍になっている」「詳しいな。流石は元航空自衛隊」ここで守山の古巣から入校している2曹が余計なことを口にしたので一睨みして無視した。
「原爆も広島、小倉にはあの方法で破壊しなければならない軍事目標はなかった」「小倉?2発目は長崎です」「小倉に落とす予定だったが天候が悪くて長崎に捨てたんだ」今日の講座は戦史の裏話が続出し、普段は居眠りを始める連中も真剣に聞いている。
「やっぱりアメリカはアジア人だから平気で殺したんでしょう。ベトナムでもやっていますから」ここで幼い頃にベトナム戦争の報道写真を見たのであろう世代の2曹が発言した。
「そうとも言い切れないんだ。ドイツでも古都・ドレスデンなどで滅茶苦茶な空襲をしている。尤も、こちらはイギリス空軍のお手伝いだったがね」ここまで来るとアメリカを糾弾する断罪講座のようだが、流石にそれではまずいので逆転の結論を出した。
「今言ったようにあの攻撃は戦争犯罪であり、非人道的戦闘行為だが、それでも違法ではない」「えッ?」意表を突かれた全員が耳を疑ったように顔を向ける。
「何故なら航空戦闘を規定した武力紛争関係法はまだ制定されていないんだ。だから陸戦規則や海戦規則の趣旨を準用すれば違法なのは間違いないが、あくまでも紳士協定に過ぎないことになる」この結論に納得した者は1人もいなかったが、日米同盟を尊重するため航空規則の制定を一番嫌っているのは(事実上の妨害)アメリカであることは黙っておいた。
  1. 2016/07/19(火) 08:39:32|
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7月19日・ミャンマー独立の父・アウン・サン・オンサンが暗殺された。

1947年の明日7月19日に「ミャンマー(『ビルマ』は英語表記を日本人が誤読した国際的には通用しない呼称なので用いません)の独立の父」と称されるアウン・サン・オンサンさんが暗殺されました。この人の馬鹿娘がスーチーなのは言うまでもないでしょう。
日本にとってこの人物は良い評価をするべきできはないと思います。と言うのも恩を仇で返した忘恩の徒であるだけでなく、その裏切り方は卑怯千万であり、さらに現在、日本で馬鹿娘を支持している人権団体は反軍事政権であると同時に父親が反日だったことも理由としているからです。
オンサンさんに「将軍」と冠することがありますが、当時のビルマ独立義勇軍の階級制度は明確でなく、指導者ではあっても将軍と言う階級を与えられたかの確証は見当たりません。
オンサンさんは1915年にミャンマー中央部のマグウェ県で生まれましたが、当時のミャンマーはイギリスによってインドの一部として植民地にされており、独立運動の活動家の一族だったようです。
オンサンさんも当然のようにその精神を受け継ぎ、ラングーン大学在学中から反イギリスの学生運動に加わり、次第に頭角を現していきました。
大学を卒業すると学生運動から政治運動に移行し、主にストライキを指導しました。さらに民族主義団体を設立したかと思えばビルマ共産党にも加わり、この辺りにも「ミャンマーの独立」と言う目的を達成するためには「政治的方向性などは関係ない」と言う功利性の片鱗が表れています。
こうした活躍によってイギリスから手配されるようになり中国に逃れようとしましたが、目的地が日本軍によって占領されたため、ミャンマー独立運動を英米仏による蒋介石への支援ルートの遮断に利用しようとした日本軍の工作機関の手引きで亡命しました。その後、日本軍から活動資金と軍事訓練を受けて帰国すると隣接する独立国・タイのバンコクに拠点を置き、日英開戦後に「ビルマ独立義勇軍」を設立して日本軍と共に戦闘を開始し、半年余りでイギリス軍を駆逐することに成功しました。そして1943年8月1日にバー・モウを中央行政府長官として独立を果たすと自身は国防相に就任したのです。
日本としては第2次世界大戦への参戦の名目としていた大東亜共栄圏の一員としてミャンマーを庇護下に置く独立国とするつもりだったのですがオンサンさんは完全な独立を志向しており、次第に日本への不満と不信感を抱くようになりました。
こうして独立から3カ月後にはインドのイギリス軍に「寝返りを考えている」との親書を送り、日本軍が1944年4月から7月上旬に行ったインパール作戦に失敗すると8月1日の独立1周年記念式典で「独立は虚構である」と演説し、ビルマ共産党や人民革命党と一緒に「反ファシスト組織」を設立して反日活動に転換していったのです。そして1945年3月27日に武装蜂起すると各地で日本軍を襲撃し、6月15日には対日勝利宣言を発しています。
ところがイギリスにはミャンマーの独立を認めるつもりなど毛頭なく、対日戦争に利用しただけで終戦後は再び植民地にされました。失意のオンサンさんは交渉による独立を目指しましたが戦後処理のどさくさの中で遅々として進まず、植民地として一括りにされていたインドが1947年8月15日に独立することが決まってもミャンマーには約束手形を渡されただけでした。
そしてこの日、オンサンさんは6人の官僚と一緒にいるところを襲撃され全員が射殺されました。32歳でした。ミャンマーがイギリスからの独立を果たしたのは1948年1月4日です。
イギリスはオンサンさんの子供たちをミャンマーに置くことを避け、長女のスーチーはインドで成長させた後、イギリスに留学させてクリスチャンにした上でイギリス人と結婚させました。このため馬鹿娘のスーチーは反軍事政権の熱弁を奮うことはあってもイギリスの植民地支配については完全に無関心なようです。長男のウーはアメリカで技術者になりましたが、姉の政治家としての資質を認めておらず「欧米と日本の人権団体の内政干渉に利用されているだけだ」と厳しく批判しています。
「独立の父」と英雄視されていても所詮は32歳の若造ですから、日本で「幕末の志士」と呼ばれているテロリストたちと大差のない単なる過激な武闘派だったのでしょう。田中角栄さんと同様に娘を見れば本性が判る一例かも知れません。
  1. 2016/07/18(月) 08:53:45|
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振り向けばイエスタディ520

秋と言えば読書の季節だ。佳織が入校して以来、パジャマ・ミーティングは週末だけなので、夜は読書に励んでいる。我が家の引っ越しでは家具は大したことないが本を入れた段ボールの数は膨大で作業員も苦労しているが、次回は更に大変な目に遭わせてしまいそうだ。そんな時、帰宅した佳織から無我夢中で喰いつくような情報が提供された。
「貴方を幹部学校の図書室に招待したいよ」「図書室?それは面白そうだな」陸上自衛隊の駐屯地の図書室には部内の広報誌や訓練図書として官費で購入した自衛隊関係の本が並ぶ程度なので大して興味はないが、前川原の幹部候補生学校や富士学校にはそれなりの専門書があり、かなり利用した。それが最高学府の幹部学校となれば蔵書数もかなりのものだろう。
「それが陸軍大学校以来の図書が残っていて凄いのよ」「へーッ、陸軍大学校だったら日露戦争の関係図書があるんじゃないか」私の頭の中に大山巌元帥や児玉源太郎大将、さらに黒木為楨第1軍司令官、奥保鞏第2軍司令官、秋山好古大将などの顔のスライドが流れる。
「それどころじゃないの」ここで佳織はグラスのワインを飲んだ。今夜は何故か明治の日本陸軍を育成した陸軍大学校のプロシア人教官・メッケル少佐の好物・モーゼルの白ワインた。
「それじゃあ、第2次世界大戦の詳報が並んでいるのか?」「それもあるけど貴方の大好物・・・」「まさか兵法書か」「正解!」ここで再び乾杯のグラスを鳴らした。
「それも原書みたいで和紙に墨書きなんや」「帝国陸軍はそんな物も研究していたんだな」連合艦隊の秋山真之作戦参謀が祖先の伊予水軍の戦術から敵前回頭による丁字戦術を編み出したことは司馬遼太郎の「坂の上の雲」でも紹介されているが陸軍も同様だったとは意外だった。
「ところが原書を読める人がいないみたいで保管ケースに入ったまま奥の方に置いてあるんや」「ふーん、勿体ないな。今の本になっていても漢字なんかは常用漢字に直してあることが多いから原書が一番正確なのに」そうは言っても原書は書写していることが一般的なので筆者の誤記の可能性はある。しかし、先人の手垢と汗で汚れた原書を開けば武士の魂まで受け継げるはずだ。私自身も入隊以来、ノートを何冊作ったか判らないから先人たちの学究心と通じ合えるのかも知れない。
「幹部普通課程が航空みたいに幹部学校だったら入り浸ってしまうのにな」「私はアメリカの原書ばかりを読んでいて蔵書庫の奥までは入らなかったのよ。だから気づくのが遅くなってごめんなさい」少し興奮し過ぎたようで佳織を詫びさせてしまった。ところが詫びた理由は他にもあった。
「こんな風に興味ばかりあおっておいて悪いんやけど、兵法書の原書は基地内から持ち出し禁止なんやて」「そりゃあそうだろう。『何でも鑑定団』に持ち込めば国有財産の査定になっちゃうもんな」何にしてもCGSに入校できなかった我が身の不徳の致すところなので諦めることにした
「それで他に面白そうな本はあったかい」「やっぱり陸海空で個性があるんよ。海は洋書が多いね」陸に兵法書は似合っているが、やはり海はイギリス海軍の原書なのだろう。
「空には古い本はないよ」「飛行機が飛んでからだって100年弱だからな(ライト・フライヤー号の初飛行は1903年)」「その分、航空工学から宇宙開発まで最新の技術書が原書でズラリよ」航空自衛隊は戦後生まれのアメリカ空軍の申し子だからお勉強はお父さんから習うのだ。
「空の蔵書庫に貴方から時々出るTO(テクニカル・オーダー=技術指令書)があったからJTO(日本語版)と読み比べてみたわ。貴方の英語力の源泉が良く判ったよ」確かに那覇基地ではJTOの直訳の日本語ではかえって理解ができず英語版のTOを熟読していた。それが英語力を鍛えたのは間違いないだろう。それにしても佳織なら辞書も引かずにスラスラと読み切ってしまうはずだ。やはりこの妻が上官になるのは当然の帰結と言える。幹部学校の図書室は巨大な隊舎のワンフロアーを全て使っていると聞いて益々行きたくなってしまった。
  1. 2016/07/18(月) 08:52:36|
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振り向けばイエスタディ519

秋と言えば運動会の季節だ(当時)。先ずは淳之介の中学校からだが生徒の自主的な運営が随所に見られ、それなりに楽しませてくれる。
「淳之介は小学生の頃、徒競争が苦手だったけれどバスケット部に入ってから得意になったらしいな」「やっぱり成長期は球技をやった方が体力の練成と運動神経の発達には良い影響があるみたいだね」私たち夫婦には普通の会話だが周囲の親たちは「何者だ?」と言う顔でこちらを見る。久居駐屯地は市街地にあるため(近鉄久居駅の目の前)、自衛官の息子の比率は他の駐屯地近傍に中学校に比べ高くない。すると最初の競技・男子100メートル走が始まった。
「何で男女を分けてるんやろう」「一緒にやった方が準備は一度ですむよな」親の勝手な疑問はすぐに解決した。男子の競技は女子がスターターからゴールまでの係を分担し、残った女子は応援団まで勤めている。こんな声援を受ければ男子生徒は張り切らざるを得ないはずだ。
「なるほど考えているな」私は教師が前例通りに決めた競技を毎年繰り返していた自分の中学時代の運動会よりも進歩しているように感じたが佳織は違っていた。
「それでも先生は何もやってないね」会場を見渡して教師の人数を確認すると鋭過ぎる指摘をする。どうもCGSに入校して以来、批判的な目で周囲を見る癖がついてしまったようだ。
「あッ、お兄ちゃんが走るよ」その時、志織が立ち上がってスタートラインを指差した。同時に淳之介のクラスの応援団から「淳之介、頑張ってェ」と言う歓声が上がる。
「淳ちゃん、人気者だね」「うん、ワシの中学時代よりももてるなァ」好スタートを切って先頭争いを繰り広げる淳之介に応援は絶叫に変わる。そしてラスト10メートルで引き離された時には悲鳴になっていた。
「やっぱりバスケットではダッシュだけなんだな」「そうかァ、コートでは加速して維持するだけの距離はないよね」「その点ではサッカーの方が有利だよ」ここでまた夫婦の会話が始めると、周囲は視線を合わせないようにしながら聞き耳を立てていた。

翌週は志織の保育園の番だ。こちらは父兄の出番が多く翌日が休みの土曜日にやってもらいたかった。週末に帰宅した佳織はいきなり切り出した。
「今回の見送りは良いよ。貴方は運動会を最後まで頑張って」「それは嫌だな。夕食は外食にして見送るよ」先週に行われた淳之介の運動会では生徒が余韻に浸っていて解散にならず、佳織の新幹線がかなり遅れてしまった。だから時間短縮のための腹案を立てているのだ。
「でも着替えて出かけてじゃあ、子供たちも疲れてまうやろ」「逆に家に帰ったらお母さんがいないって言うのも哀しいよ」「うん・・・」佳織が沈んだ顔になってしまったので抱き寄せて頬にキスをする。口づけは口紅がこちらの唇に着いてしまうため遠慮した(残念ながら)。
「やっぱり子供が成長する時期の単身赴任って良くないね」腕の中で佳織が呟いた。確かに入校中の2曹たちも子供が小学生と言う者が多く、久居、守山、豊川、春日井なら帰宅して参加することができるが金沢、鯖江、富山では難しい。これが我慢強い北陸人たちの方だから黙っているが、自己中心型が多い東海地方の隊員であれば苦情が起こるかも知れない。
「もう残り半分を切ったじゃないか。来年の秋には一緒に暮らせるよ」「うん、貴方には休暇を取って1人旅でもしてもらいたいな」これは意外な提案だった。私は即座に拒否した。
「それは嫌だ。旅は君とするに決まっているだろう」「でも貴方も息抜きしないと疲れてしまうよ」「だったら元気の素をもらうよ」そう言うと今度は抱き締めて濃厚なキスをした。このパワーで明日の運動会は大活躍だろう。しかし、実際は夜に頑張り過ぎて太陽が黄色くなってしまった。やはり父ちゃんは若くはないようだ。
  1. 2016/07/17(日) 08:57:06|
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7月17日・細川ガラシャの命日

慶長5(1600)年の明日7月17日(太陰暦)は関ヶ原の合戦前夜に上演された悲劇のヒロイン・細川ガラシャさんの命日です。日本史においてガラシャさんほど薄幸の美女と言う表現が似合う人はいないでしょう。そのガラシャさんは天下一の愛妻家・明智光秀さまの4女として生まれました(上の姉2人を養女とする説もある)。父の光秀さまは婚約者が疱瘡にかかって顔に酷い痘痕が残ったため「妹を代わりと」に申し入れられたのを「容貌だけに魅かれて決めたのではない」と断り、結婚後は側室を持たなかったと言われています。この夫の愛情に応えて妻も流浪の困窮生活で夫を支え、仕官先で各家持ち回りの宴席の順番がきた時には髪を売って支度したとの伝説が残っています。そんな両親の姿を見て育った娘たちですが何故か幸せな結婚生活は送っていません。
長女の綾乃さんは三河武士の恥・松平忠正に嫁ぎ、離別後は2代将軍・秀忠公の同母弟で初代尾張藩主となる松平忠吉さまに再嫁していますが、父が起こした本能寺の変の結果、再離別しています。
次女の鞍手さんはさらに薄幸で、荒木村次さんに嫁いだものの義父の村重さまが謀反を起こしたため離別し、荒木一族の悲惨な最期からは逃れられたとは言えその後は明確ではありません。
三女のシズさんは織田信長公の命を狙って殺された弟の信行の息子・津田信済さんに嫁ぎました。信済さんは父親が殺された後、柴田勝家さんに預けられたため織田姓は名乗らず、家臣として信長公に仕えていました。ところが本能寺の変の後にシズさんを離別しなかったことで「謀反に同調する意思の表れだ」と曲解され、山崎の合戦で織田信孝(信済さんの従弟にあたる)・丹羽長秀に攻め殺されてしまったのです。これは愛された妻が必ず幸せであるかを考えさせる事例でしょう。
そして4女が後に洗礼を受けてガラシャとなる珠さんですが、信長公の仲立ちによって明智光秀さまの盟友である細川藤高さまの嫡男・忠興さまに嫁いだのですから間違いなく幸せになれるはずでした。実際、2人は両親のような仲睦まじい夫婦だったようで、年子で長女と長男をもうけています。
ところが4年後に父が本能寺の変を起こしたため幸せな結婚生活は破綻してしまい、忠興さんは離別こそしなかったものの珠さん母子を明智領の丹波に移して世間の目を欺き、光秀さまが討たれた後に自領内に屋敷を設けて幽閉したのです。
天下が治まった頃に秀吉の許しが出て大阪の屋敷に迎えられ続々と息子が生まれますが、夫婦仲は元に戻らず、謀反人の娘として家中の監視下に置かれることになりました。そんな折、夫からキリシタン大名・高山右近の評判を聞いてキリシタンに興味を持ち、侍女に持ち帰らせた書物で教義を独学で研究するようになったようです。
やがて夫が九州征討に従って長期不在になったため洗礼を強く望むようになったのですが、九州に出陣した秀吉がキリシタンの侵略的意図を察知したことでバテレン追放令を発ししたため、珠さんは屋敷で洗礼の儀式を受け、ガラシャの名を受けたのです。
そして関ヶ原の合戦の序章である上杉征討に夫も出陣すると家康公と同調者の留守を狙って毛利輝元を総大将とする反徳川同盟軍が挙兵し、大阪に残っていた大名家族を人質として大阪城中に入ることを命じました。ガラシャさんはこれを拒み伝承では「キリシタンは自死を禁じられているから」と家臣が次の間(主君の妻の部屋は男子禁制だった)から薙刀で首を斬り、自分も後を追ったと言われています。
焼失した山口市のザビエル聖堂の正面内壁にはイエスとマリアを中心にして12使徒と共に島原の殉教者と細川ガラシャの姿が描かれていました。
こんな聖女のように扱われているガラシャさんですが、野僧個人としては映画「魔界転生」で佳那晃子さんが演じた妖女が一番好きです。卓越した床あしらいで将軍・家綱を性に溺れさせて衰弱死させようとした艶めしくも怪しい姿は夫・忠興さまを虜にしていた史実から見て虚構とも言い切れないのではないでしょうか。忠興さまは関ヶ原から戻るとガラシャさんに殉死しなかったことで家臣を罰し、母を守り切れなかった長男を廃嫡(名目は妻が実姉の嫁ぎ先の宇喜多家の屋敷に逃れたこと)するなど完全に常軌を逸していました。この理由を深い愛情だけとするのは「妄想力」の欠如ですな。
佳那晃子佳那晃子さんの細川ガラシャ
  1. 2016/07/16(土) 10:18:14|
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振り向けばイエスタディ518

帰宅した佳織はパジャマ・ミーティングで推理小説のように奇怪な話を持ち出した。
「同期が1人、コースアウトになったんや」「コースアウトって課程免か?CGSでもそんなことがあるんだな」エリート中のエリートであるCGS=指揮幕僚課程は選抜されることが難関なので2年間の課程の途中で挫折するような欠格者が出ることが信じられなかった。
「まさか勉強について来られなくなったなんてことはないだろう」「うん、成績は優秀な人だったよ」この言い方には多少の批判の気配がある。つまり人間性には疑問があると言うことだ。ここで軽くバーボンのグラスを鳴らして控え目に乾杯した。
「それで原因は何なんだ」「緘口令が敷かれているみたいで教官も本人も何も言わないんや」ここからが推理小説の幕開けだった。将来の将官候補がエリートコースから離脱する理由が明らかにならないことは私でなくても好奇心を駆り立てられるだろう。
「と言うことは不祥事かな。でもCGSの序列が将来につながることを考えれば軽率なことをするはずがないしね」「陸幕の1部から入校していた人だから四角四面のガチガチに真面目な堅物だったよ」ここで先日の話題を思い出した。
「陸幕1部からって交歓士官連合軍に責められた人か」「うん、そうやった」夏季休暇で三重県に来たフランス、ドイツ、トルコ陸軍からの交歓士官たちは私と意気投合し、幹部の人事を統括する陸上幕僚監部第1部から入校している同期に「自衛隊の人事制度は間違っている」と抗議してくれた話を聞いている。その被害者がコースアウトになったとなれば少し同情が加わってしまう。
「同期の間でも噂になっているんだけど『秘密漏洩らしい』って言うんや」「秘密漏洩?それは興味が湧くな」思わず手に持っていたグラスのバーボンを飲み干して身を乗り出してしまった。
「陸幕1部なら人事情報は入手できるんやろうけど、入校して1年も経っているからもう無理やろ」CGSへの入校は転属扱いなので前に籍を置いていた部隊との縁は切れている。個人的人脈で多少の情報を入手することはできても問題化する程の内容となると無理なのは当然だ。
「教育内容にも秘密はあるけどそれは外国軍にも同じ教程を使わせているから可能性は低いんや」「訳が分からないが面白くはなってきたな」ここで2人分の酒を作ったが、酔わせて詳しい話を訊き出そうと佳織の水割りは濃い目にした。
「先週、送別会があったんやけど誰も原因については触れないでお通夜みたいやった」「ワシがおったらお経を上げてやるんだがな」今夜は私の冗談もブラック・ジョークにしかならない。
「ただ、本人がした挨拶が謎っぽくてね」「挨拶?」ここで飲みかけたストレートのバーボンを
中止してグラスを座卓に置いた。つまり身構えたのだ。
「もうキムチもビビンバも食べませんってさ」「何だそれは?」キムチもビビンバも韓国料理だろう。それがCGSを課程免になる原因と何の関係があるのか全く理解できない。やはり久居の教育隊は国際情勢どころか陸上自衛隊の動向からも隔離されているようだ。
「ワシはここに隠棲しているから国際情勢は新聞とテレビからしか知らないんだけど、北朝鮮や韓国がらみの話題があったのか?」私の質問に佳織はグラスのバーボンを口にして「少し濃い」と言いながら真顔になった。
「うん、6月に南北首脳会談が合ったやろ。あの時の金大中の発言内容が部内秘で日本人学生だけに回覧されたんや」「ふーん、新聞にも載ってなかったな」本当はこの前に「教育隊には回ってこなかった」と始まるのだが情けなくなるので言わなかった。
「その内容が一般の認識とは大きく喰い違っていたんや。それを仲が良かった韓国軍の少佐に漏らしたのかも知れない」陸幕1部の人間なら事実確認するのが業務手順なのであり得る話だ。
「それにしても最近の陸幕の海外情報は充実しているね。優秀な隠密でも雇ったのかな」これが少し危ない幹部自衛官夫婦の認識だった。
  1. 2016/07/16(土) 10:14:55|
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振り向けばイエスタディ517

私の武力紛争関係法講座は回を重ねるごとに充実してきた。学生である2曹たちもこの国際法が描いている戦闘の様相を演習での状況に重ね合わせて具体的に考えるようになったのだ。
「教官、質問をよろしいですか」最近は講座中の呼び名は「中隊長」ではなく「教官」になっている。これが高校を出たばかりの新隊員であれば「先生」になりそうだ。
「おう、小川2曹、何だね」質問したのは第10衛生隊から入校している小川2曹だった。
「自分たち衛生職種の者は戦闘に参加することができないはずですが、それでも戦闘訓練をやっても良いのでしょうか」この質問は受ける側が余計な腹を探る者であれば「訓練にやる気がない」と曲解されかねないが、私は肯定的に利用した。
「これは良い質問だ。確かに衛生職種の者は戦闘に参加して敵を殺傷することはできない。しかし、だから戦闘訓練にも参加しないと言うのは日本的な法解釈だぞ」私の説明に小川2曹もノートを取り始めたところを見るとやはり真剣な質問だったようだ。
「先ず衛生員は戦闘に参加しない代わりに敵も意図的に攻撃することを禁じられている」「へーッ、ずるいな」数名の2曹が妙な声を上げたが、どいつも普通科の連中だ。
「今、声を上げた者も戦闘中に赤十字の徽章が入ったヘルメットや腕章を着用した敵兵を狙って撃つと武力紛争関係法で戦犯になるぞ」この説明を進めると幾らでも広がってしまう。そこが法解釈の面白くも難しいところだ。
「今の説明のポイントは『赤十字の徽章が入った』と言うところだ。逆に言えば衛生員であっても敵に判るように赤十字の徽章を装着していなければ攻撃を受けても文句が言えないことになる。それにしても迷彩をした戦闘車両の後ろに目立つように赤十字を描いたアンビがついてくると困るな」ここで軽く笑いを取るのは落語の手法だ。
「もう1つ、『わざと狙い撃ちにしなければ違反にならない』だ。特科が砲撃を加えたところに衛生員がいて巻き添えになっても違法ではない」これは至極当然な話だが、改めて説明すると2曹たちは安心したようにうなずいた。
「そして衛生員も自分や保護している負傷者を守るためには武器を使用しても良い。つまり戦闘行為も可能であり必要だ。さらに赤十字の徽章を外して保護される権利を放棄すれば戦闘に参加しても違法ではない」これが小川2曹の質問に対する答えだ。
「武力紛争関係法は規定を守っている者には保護される権利を与えるが、逆に保護を受けるための規定を放棄している者には義務を解除する権利を認めている。つまりこの国際法を熟知しているか否かで戦闘行動の選択肢がまるで違ってくるのだ」最後の一言に力を込めたが、前置きが難しかったのか反応は今一だった。
「我々の第1線救護も戦闘行動として考えろと言うことですね」この小川2曹の理解は少し極端だ。そこでもう1つおまけをした。
「その第1線救護だが、国際法で救護義務を規定しているのは『会戦終了後、速やかに』だ。つまり戦闘中は無理して救護する義務はないんだよ」「そんなァ・・・」小川2曹は不満そうな声を上げた。衛生員としては敵弾飛び交う中で負傷者を収容する第1線救護こそが誇りである。それが「法的義務ではない」となれば陸曹として部下を指揮する上での強制性が否定されたことになりかねない。
「誤解をしないように。法的に義務とすれば無理な状況下でも実施しなければ違法となる。災害時に負傷者を処置する順位は重症の度合いで決めるが国際法では規定していない。これも義務化しないためだ。そこのところをよく考えてくれ」この説明で小川2曹も納得したようにうなずいた。今回は小川2曹のための衛生員講座のようになってしまった。どうせなら同じ衛生員の中村3曹にも聴講させるべきだったのかも知れない。
  1. 2016/07/15(金) 09:03:19|
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振り向けばイエスタディ516

マンションを出ると李中尉は李知愛になって駆け出した。その衝動は本人にも理解できない。李知愛は敬虔なカソリック教徒の両親の下で聖女のように育てられ、将来は修道女になるのが夢だった。だからミッション系の女子校を卒業するまで男子学生と接触することはなく、陸軍に入ってからも士官として同僚や若い兵士たちを近づけることなく過ごしてきた。
「シンイチローに会いたい」駆け続けて荒くなる呼吸と共に胸の奥底からそんな気持ちが湧き起こってくる。折角、選んだ新妻としての装いも汗ばんできた。その時、李知愛は後ろを走って追ってくる足音を感じた。その距離は数歩まで迫っている。
「誰?」立ち止まって振り返ろうとした瞬間、李知愛の口が抑えられ、同時に強く抱き締められた。
「ジアエ」強い腕の中で李知愛の耳に夫・岡倉信一郎のかすれた声が響いた。そこはバス停まであと少しの暗い歩道だった。2人は人通りを避けて歩きながら日本語で話した。
「俺の本名を呼んではいかん」「はい、ごめんなさい」先ずは叱責からだった。岡倉がスーパーでの独り言のことを指摘しているのはジアエにも分かっている。
「俺のことは・・・」「タイガーね」岡倉が呼び名を決める前にジアエが提案した。
「タイガー・ウッズ?ゴルフ好きだっけ」「違う、タイガー・ジェットだよ」「Fー5のことか」岡倉の答えが惚けているのか本気なのかは判らない。ただノースロップ社のFー5タイガー戦闘機は韓国空軍も採用しているためジアエも知っていた。
「貴方の青春、私は感激しました」何時までも納得しない夫にジアエは理由を説明する。しかし、このヒントを与える前にジアエが日本に行ったことを言っていなかった。
「青春?まさか日本へ行ったのか」「はい、秋夕の休暇で行ってきました」「そうか・・・」何故か岡倉の顔が暗く沈んだ。ジアエは不安そうに覗きこんだが、それは考え続けている公安の動きに関する懸念だった。しかし、公安は住職とだけ接触し、ジアエは会っていない。
「俺のリングネームを和尚は覚えていてくれたんだな」「はい、色々な話を聞かせてくれました」これでようやく岡倉の顔も少し緩む。それを見てジアエは胸に暖かい日が差したような気がした。
「私は貴方が住職の教えを受けて育ったことを聞き本当に安心しました」「住職の?だってお前はカソリックだろう」ジアエがカソリック教徒であることは前回、食事の前の祈りを見て訊いている。しかし、ジアエは軽く首を振ると眼を見つめながら話を続けた。
「真剣な信仰を持たない人では私の夫にはなれないでしょう。だから貴方の信仰が確かめられたことが私に決意させました」ジアエの重い言葉に岡倉は返事の代わりに肩を抱き寄せた。

夕食では住職から聞かされた岡倉の少年から青春時代の話題で心から笑い合えた。特にプロレス同好会での活躍は予備知識がないジアエには好奇心が掻き立てられる。そこで岡倉は力道山や大木金太郎などの韓国出身レスラー(力道山は現在の北朝鮮・咸鏡南道出身)の説明を加え妻を同好の士に育てようと試みた。
「プロレスはアメリカやヨーロッパではレスリングだから組みついて投げる技が中心なんだ」「プロレス?プロのレスリングですか」妻は入り口で立ち止まってしまった。確かにプロレス=プロ・レスリングと言うのは和製英語であり、海外では単にレスリングであって日本で言うアマチュア・レスリングはグレコやフリーと呼ぶ。結局、この洗脳工作は失敗だった。
その夜、岡倉はツインを取ってあったホテルで再び妻を抱いた。女性によっては破瓜=ロスト・バージンを終えても痛みを伴うことがある。岡倉は「これが初夜なのだ」と思いながら優しく丁寧にジアエを愛おしんだ。
  1. 2016/07/14(木) 08:39:18|
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永六輔さんの逝去を悼む。

作詞家としても有名な放送作家で出演者の永六輔さんが7日に亡くなったそうです。83歳でした。
永さんは元浅草にある浄土真宗の寿徳山最尊寺の二男で、子供ころから永さんが作詞した歌が好きだった野僧は前年に出版された「大往生」を読んで本人にも興味を持ち、目黒の幹部学校へ入校中に生家を訪ねたことがあります。そこは浅草でも浅草寺より南の白鷗高校と白鷗高校付属中学校の間の奥まった場所でした(妙な外観の本堂だった)。
永さんの父上の忠順さんは住職の傍ら古典や歴史の研究に励んでおり、その道ではかなり高名になっていたようで教えを受けに寺を訪ねてくる人が引きも切らず、中には浅草の演芸場に出演する噺家が演芸の時代考証を学ぶためにやってきて子供たちに芸を聞かせて帰ったそうです。
永さんは幼い頃から寺の子供であることに大きなコンプレックスを感じていたと言っていました。その理由としては先ず父親が働いていないこと。住職としての仕事はやっていても役所や会社に勤めて給料をもらうのではなく、商売として物の売り買いや修理などのサービスを提供するのでもないことが申し訳なく感じていたそうです。さらに寺は他人の不幸があれば収入になり、本音ではそれを喜びたいのに建前では悔みを言わなければならないことの偽善性にかなり屈折した気分を味わったとそうです。
確かに寺の息子の中には同様の悩みを抱えていた人も少なくありませんが、父親が真面目な坊主であれば「人々の悲しみを癒すことが仕事だ」と教え導いて菩提心に転嫁=昇華させる一方で、逆ならば「座ってお経を詠めば金になるんだ。こんな楽な仕事があるか」と宗教法人経営者の業務として割り切らせます。
さらに寺の継承を嫌がる息子に母親が「お前が跡を継いでくれなければお父さんが死んだところで私は寺を追い出されて路頭に迷うんだよ」と泣きつくようです。これは寺の娘である野僧の母親の常套手段でもあります。
また永さんは生まれた時から虚弱体質で、小学校に入学するのと同時に府内(当時は東京府だった)の大病院の療養施設に通うことになりました。ところが昭和19(1944)年の学童疎開で同級生たちが宮城県に行く中、医者に「移動だけで命取りになる」と反対されたため、長野県上田市の知人を頼って母親や弟妹たちと一緒に向かいました。
ところがこれが転地療養になったらしく忽ち健康になり、地元の子供たちに「エー」と言う名前を「外国語だ」と決めつけられてスパイ扱いされる苛めを受けたため精神も頑強になったそうです。
こうして戦争が終わって中学に入る時に帰京すると寺は空襲で焼失しており、残っていた父親と兄が建てたバラックに住むことになったのですが、唯一の楽しみだったラジオ放送にコントを投稿することが趣味になり、やがてそれでもらえる懸賞金が収入になって放送作家への道が開けたのです。このことを永さんは「幼い頃から噺家の落語を生で聴いて育ったため笑いのツボが身についていた」と言っています。
あの世代の放送作家と言うと1歳年上の青島幸男に代表されるような反権力と言う政治主張の権力を奮う輩が多いのですが、永さんの場合、毒舌と言う刺激臭を撒き散らす青島とは違い、力みが抜けた軽妙洒脱な表現方法なので思想信条が違っても知らずに噛み締めてしまう魔力がありました。ただし、お嬢さんは保守系のフジテレビのアナウンサーになりましたから青島ほど明確な反体制ではないのかも知れません。
野僧が一番好きな永さんの歌は「見上げてごらん夜の星を」です。この歌は夜間高校の生徒への応援歌として作詞したと言われ、野僧が生徒会長だった時、文化祭の準備で遅くなって夜空を見上げながらこの歌を口ずさんでいると、登校してきた夜間部の生徒も唱和してくれたことがあります。
永さんは浄土真宗のお寺の息子ですから西方浄土へ往生されるのでしょう。ならば本州の西の端の小庵を通られるはずですから四十九日までは平井堅さんと岩崎宏美さんの「見上げてごらん夜の星を」や本田路津子さんの「遠くへ行きたい」のカバー・アルバムを流し、「上を向いて歩こう」は野僧が歌うことにします。合掌
  1. 2016/07/13(水) 09:14:46|
  2. 追悼・告別・永訣文
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振り向けばイエスタディ515

大韓航空機の席で岡倉は思案に耽っていた。それはイリヤが言っていた韓国の防諜組織・国家安全企画部が廃止されたことと自分と島村が送った南北首脳会談の内容が問題化している事実の不一致に対する疑問である。韓国の国家安全企画部はその前身の中央情報部(=KCIA)が拉致事件の実行犯であったため金大中が大統領に就任した翌年に廃止された。その後は大統領直属の国家情報院が設立されたが規模は大幅に削減されており、他国の秘密文書の内容を察知するほどの機能を発揮しているとは考えられない。
「結局、CGSの学生が洩らした情報が韓国政府にまで上がったと言うことかな」そう思って溜め息をついた時、別の可能性が浮かんだ。
「外務省のコリア・スクールが別ルートで同じ情報を入手して本国よりも先に韓国へ知らせた。そこへCGSからの報告だ」こちらの方が現実味はある。岡倉は自分が出した結論で納得することにした。本来はこのような外交情報は外務省と防衛駐在官が独自に入手して本国に送り、政府中枢の専門部署が客観的に分析・判断するべきなのだが、日本にはその機能も組織もない(当時)。この弊害ばかりの縦割り行政を思えば防諜=守りを担当するMI5と諜報・工作=攻めのMI6が連携・補完し合っているイギリスが羨ましくなった。日本であれば予算の配分を巡って足の引っ張り合いを始めるところだろう。

日本から帰国した李知愛(リ・ジアエ)中尉は、秋夕(チュソク)の休暇の間に溜まっていた仕事を片づけるため残業になっている。この日もゲートを出たのは日没後だった。
借りているワンルーム・マンションまでは徒歩で15分、途中のスーパーで材料を買い、手早く調理して夕食にする。そんな材料を選びながら李中尉は禁句の独り言を呟いてしまった。
「シンイチローさんは何が好きなのか訊いてなかったな」「俺はジアエが作った物なら何でも好きだよ」李中尉が驚いて振り返ろうとすると背後の声は「前を向いて買い物を続けろ」と日本語で命じた。李中尉が指示に従うと足音が遠ざかり、別の陳列棚の向こうに消えていった。
買い物を終えてスーパーの袋を提げて歩道に出ると影が追いついて並んで歩き始めた。普段であれば軍服姿の自分にこのような態度を取る男性はいないのだが、李中尉にはその影が誰なのかが分かった。
「ジアエ、タニョワッソー(=ただいま)」影はそのまま肩を抱いて小声で呟いた。
「ヨ(あなた)、イジエオセヨ(おかえりなさい)」李中尉も身体をまかせる。すると影は再び日本語を呟いた。
「袋の中にメモを入れた。ボ(おまえ)」影は足早に歩き出し、李中尉は黙って背中を見送った。

李中尉が部屋に帰ってスーパーの袋の中を確認するとマンションに一番近いバス停の名を記したメモが出てきた。それにしても並んで歩きながらこれを入れた手際が信じられない。
手早く食材を冷蔵庫に入れると壁際の整理ダンスの前で着替え始める。普通の若い娘なら男性に会う時には抱かれる可能性を考えて下着を選ぶのだろう。しかし、李中尉にはそのような発想はない。ただ夫に見せることになっても恥ずかしくないように清潔な物を身につけた。次にローゼットから妻の装いを選び、鏡の前で髪をとかし、口紅を引いた。
「グデ ヌ アネ ヨ=貴方は妻よ」と鏡の中の自分に声をかけながら。
その頃、岡倉はマンションの周囲で韓国の情報当局の人間を警戒していた。李中尉が要注意人物としてマークされていれば先ほどの接触は十分に怪しいはずだ。しかし、動きはない。盗聴電波を探知する装置にも反応はなかった。
結局、韓国政府の一部が入手した情報を日本の外務省に相談と言う形で通知したのだろう。
き・李英愛イメージ画像
  1. 2016/07/13(水) 09:13:17|
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7月12日・日本海軍が一矢報いたコロンバンガラ島沖海戦

 昭和18(1943)年の本日7月12日に行われたコロンバンガラ島沖の海戦でミッドウェイでの敗戦以降、劣勢に陥っていた日本海軍が一矢報いました。この海戦の主役も前年11月30日に駆逐艦8隻でガダルカナル島への輸送を実施し、ルンガ沖で待ち伏せしていたアメリカ海軍の重巡洋艦4隻、軽巡洋艦1隻、駆逐艦6隻の艦隊を返り討ちにして巡洋艦の3隻を撃沈、1隻を大破させた第2水雷戦隊でした(日本側は駆逐艦1隻が炎上し、残置してあったのをアメリカ海軍が処分した)。
この年になると1月初頭にニューギニア島ブナの守備隊が全滅した上、2月末をもってガダルカナル島は放棄しており、戦線を補給力が及ぶ範囲に縮小する大方針の一方で太平洋各地に点在する守備隊への補給は行わないわけにはいかず、海軍は駆逐艦によるネズミ輸送や潜水艦でのモグラ輸送が主要な任務になりつつありました。また陸軍も海軍にばかりに依頼することもできず、本来は渡河や上陸戦などを任務とする船舶工兵を独立兵科・船舶兵として独自に潜水輸送艇の開発を始めていたのです。
この頃、アメリカ・ニュージーランド連合軍はソロモン諸島のレンドバ島、ニュージョージア島へ上陸しており、第3水雷戦隊が同諸島のコロンバンガラ島への緊急輸送を実施していました。しかし、4日、5日と相次いで連合軍の艦隊と遭遇して戦闘になり十分な成果が上がらず、5日の夜戦では壊滅的打撃を受けたため第2水雷戦隊が投入されたのです。
第2水雷戦隊にはニュージョージア島に上陸した連合軍の腹背を突くべくコロンバンガラ島の守備隊の1個連隊を移動させるとともに同島への補充部隊を輸送する船団護衛の任務が与えられ、同時に連合軍艦隊と遭遇した時の海戦も想定した編成になっていました。
こうして始まった作戦では先ず9日にコロンバンガラ島から1個連隊を移動させるのと同時に連合軍の占領地域に艦砲射撃を加えることに成功しましたが、艦隊とは遭遇せずに空振りに終わりました。
続いてコロンバンガラ島への補充部隊の輸送船団を護衛する第2水雷戦隊をレーダーで優位に立つ連合軍の艦隊は夜間を待って攻撃したのです。
しかし、この頃の日本海軍では高精度のレーダーの開発が進まない代替え品としてレーダー波を探知する逆探と呼ばれる装置が駆逐艦にも整備されていて、連合軍艦隊の接近は察知していました。
こうして始まった第1ラウンドで連合軍艦隊は先ず駆逐艦が魚雷を発射して日本艦隊を混乱させ、それをレーダーで照準した巡洋艦が砲撃する作戦を立てていましたが、日本側の反応は早く旗艦の神通が先頭に立って突入しながら連合軍艦隊をサーチライトで照射し、それを目標に魚雷を発射し、艦砲を射撃したのです。このため連合軍艦隊の攻撃は神通1隻に集中し、むしろ損害の方が大きかったようです。
第2ラウンドは30分後で、一旦戦線を離脱した第2水雷戦隊は魚雷、艦砲の射撃準備を整えて連合軍艦隊を探し始め、この動きをレーダーで探知した連合軍艦隊は攻撃を加えようとしましたが、艦影が第1ラウンドで所在不明になっていた自軍の駆逐艦隊なのか日本艦隊なのかの識別ができず、機を逸している間に攻撃を受けてしましました。連合軍艦隊も反撃しましたが、時すでに遅く日本海軍の酸素魚雷が多数命中し、フリゲート艦1隻が撃沈、軽巡洋艦3隻と駆逐艦2隻が大破の大損害をうけたのです。日本側は神通1隻の撃沈と雪風の小破だけでした。
ただ、この海戦で第2水雷戦隊は旗艦と司令官を失い、先の第3水雷戦隊の壊滅もあって連合艦隊も再編成にはかなりの苦心があったようです。これ以降、第2水雷戦隊の旗艦になったのは戦艦・大和と命運を共にした軽巡洋艦・矢矧でした(水雷戦隊の旗艦に高速度の軽巡洋艦を当てるのが日本海軍の伝統だった)。
おそらく第2水雷戦隊はルンガ沖夜戦で大きな戦果を挙げていながらも旗艦の長波が艦隊の中央に位置し、先頭艦の高波だけが撃沈されたことを「指揮官先頭の帝国海軍の伝統に背く行為」として司令官・田中頼三中将が更迭された前例に懲りて、司令官の伊崎俊二少将はその美学に殉じたのでしょう。
  1. 2016/07/12(火) 09:36:24|
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振り向けばイエスタディ514

ロンドン・ヒースロー空港に「ボンドのジェームズ」としか名前を知らない友人が迎えに来ていた。これも全て島村が手配してくれたのだ。入国手続き終えて到着ロビーに出るとこの友人はイギリス紳士らしく握手を求めてくる。
「ハンゾー、ようやく君もチームに加わったようだな」「うん、掌の中で転がされていた玩具だったみたいだね」ハンゾー=岡倉の自嘲気味な皮肉にジェームズは「フンッ」と鼻を鳴らして笑った。
「我がイギリスに入国した君を先ず引き合わせなければならない友人がいる」ここでも会話は日本語のようだ。ただし空港の雑踏では周囲に日本人がいないか確認しながらになる。
「うん、5(ご)だな」ハンゾーの相槌にジェームズは反応しなかったが、要するにイギリスの防諜機関であるMI5(エム・アイ・ファイブ)に面通しておこうと言うのだろう。
「俺たちも日本でコーアン(公安)には会うが、ジエータイ(自衛隊)とはコネクションがなくてね」「そうだろう。ジエータイは非合法組織だからな」「それはケンポー(憲法)の話か?」ジェームズは少し表情を強張らせて訊いてくる。しかし、ハンゾーは自分たちの活動の実態を言っていた。
空港のターミナルを出て駐車場に向かう時、車道を渡りながらハンゾーは妙な懐かしさを感じた。それはイギリスが日本と同じく車は左側を走ることによる道路の構造だった。アメリカでは道路を渡る時、先ず左を見て確認するが日本とイギリスは逆だ。道路を渡って駐車場に入ると人々は分散して会話も自由になる。すると今度はジェームズが語りだした。
「韓国軍の士官の無事を確かめに行くんだって。それは御丁寧なことだな」「うん、俺のために国家間の大きなうねりに巻き込んでしまったんだから・・・」ハンゾーの答えにジェームズは冷やかに笑った。
「韓国なんて元は日本の植民地だろう。植民地の人間なんて使い捨てにすれば良いじゃないか」「・・・」ハンゾーは世界各地に植民地を持っていたイギリス人の本質を知り絶句した。つまりイギリス人にとってはこの地上そのものが私有物であり、トニー・ブレア首相が運命共同体のようにつき合っているアメリカさえも使い捨てにすれば良い元植民地なのだ
「日本は100年前に同盟になった国だから対等につき合っているが他のアジア人などはヨーロッパが築き上げた文明社会の寄生虫だ。お前が韓国人に肩入れするのには賛成できんな」ジェームズの独演会が終わったところで日差しが弱いヨーロッパでは珍しくフロントガラスにまでフィルターが貼ってある車に着いた。ジェームズは右側のドアの窓を叩き、同時にドアのロックが落ちる音がした。これもアメリカなら助手席だがイギリスでは運転席になる。
「よし、お前は助手席に乗れ」そう言ってジェームズは後席のドアの前に立つ。おそらく車内では拳銃を構えてハンゾーの動きを牽制するのだろう。2人は同時にドアを開け、車内に乗り込んだ。
「5のイリヤだ」自己紹介の前にジェームズが名前を告げた。「イリヤ」と言えばスパイ・ドラマ「ナポレオン・ソロ」の脇役で、後半には主人公であるソロ以上の人気を博していた有能なスパイだ。確かにサングラス越しに覗いている眼はジェームズ以上の鋭利さを感じさせる。
「日本のハンゾーだ」「うん、韓国に行くんだってな」イリアは英語で話すようだ。
「韓国は金大中が国家安全企画部を廃止したばかりだから防諜機能はガタガタだ。問題ないだろう」イリヤの見解に後席でジェームズが鼻で笑ったことが分かる。自分の韓国への評価が肯定されたと思ったのだろう。一方、ハンゾーは安堵の溜め息をついた。
「それよりも我が国は東欧やバルト3国がEUに加入するから大忙しだ」イリヤの愚痴になって面通しは終わった。この日、ハンゾーはロンドン発、金浦行の大韓航空機に乗った。
  1. 2016/07/12(火) 09:34:49|
  2. 夜の連続小説8
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