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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ655

「北キボールで日本人が拘束されたのかァ」玉城家では本土の新聞が夕方に届くため淳之介も朝の部活動の練習に出かける前の朝食を食べながら朝のニュースを見ることが許されていた。今日のトップ・ニュースは父が行っているアフリカの話題なので少し身構えている。
「政府が自衛官を捜索に当たるオランダ軍に派遣したって・・・お父さんじゃあないよね」淳之介の問い掛けに祖父は返事をしない。モリヤの立場から考えて否定はできないが孫に不安を与えるわけにもいかずテレビに夢中になっている振りをするしかなかったのだ。
「自衛隊は領土だけでなく国民を守ることも任務なんだ。外国で危険な目に遭った日本人を捜索して救出するのは自衛隊でなければいけないのさァ」祖父の意見に今度は淳之介が反応しなかった。学校では毎朝のように担任の教師から「政府は自衛隊をアフガニスタンに派遣したがっている。北キボールで国民を慣らしておいて次の戦争には参加して敵と戦わせるに違いない」と聞かされており、最近では自衛官の息子である淳之介が「戦争反対」「自衛隊反対」の意見を述べると大袈裟に称賛してくれるようになっている。淳之介も受験の調査票を考えればこのまま自衛隊反対を主張した方が得ではないかと考え始めていた。
「自衛隊は道路工事に行っているんでしょう。アフリカで日本人を守るのは仕事じゃないよ。海外に出ていくことだって戦争の準備って思われているんだからやっぱりまずいさァ」「それを誰が思っているんだ」祖父の口調が厳しくなったので祖母が淳之介に「部活に遅刻するよ」と声をかけた。

「政府は海外で自衛隊に戦争をさせる絶好の口実を見つけたね」朝のホームルームで担任の教師は予想通りの話を始めた。
「行方不明になったのは男と女のジャーナリストだから自衛官が派遣されてもマスコミは文句を言えない。捜索して発見すれば取り返すのに戦闘になる。その時、自衛官が危険な目に遭えば反撃しても問題にはならない」教師は自分の推理にかなり自信があるようでしたり顔でうなずいている。そして教室を見回すと淳之介のところで視線を止めた。
「モリヤくん、君は自衛隊が人殺しをすることをどう思うねェ」教師は淳之介の父が幹部自衛官であることは知っているが、最近はなついてきた野良犬のように思っているようだ。
「自衛隊が人を殺せば相手も自衛隊を殺そうとします。そうなるとそれがドンドン広がって戦争になってしまいます。だから自衛隊は道路工事以外はやってはいけないと思います」淳之介の意見に教師は満足そうにうなずいたが、別の生徒が異論を挟んだ。
「外国で日本人が危険な目に遭ったら、そこに自衛隊がいれば自衛隊に守ってもらいたいはずさァ」この生徒の父親は知念分屯基地の航空自衛隊に食料品を納入いる関係で自衛官とも交流しており、マスコミの偏向報道や教師の洗脳教育を鵜呑みにはしていないようだ。
「君は『外国に自衛隊がいれば』と言ったがそこに自衛隊がいなければ良いんだろう。だから自衛隊が海外に行ってはいけないんだ」教師の援護で淳之介が勝ったが嬉しくはない。教師としても「自衛隊がなくなれば良い」と言う本音まで届かず不満が残るホームルームになった。
教師は生徒指導簿に何かを記入して教室を出ていった。
「淳之介、お前は本当に自衛官の息子ねェ」「うん・・・昔はね」1時間目の放課の時間、朝の討論の相手が声をかけてきた。この同級生がテストの点の割に成績が振るわないのは教師の意見に反論を繰り返しているからだ。
「それなのにお父さんが命を賭けてやっている仕事を否定しても良いのか?」「親が命を賭けないで済むように戦争反対なんだよ」「本当はお前が親に捨てられたんだろう」淳之介は自分の綺麗事に対する痛烈な一言に何も反論できなかった。
  1. 2016/11/30(水) 08:54:43|
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写真家・ハミルトンさんとカストロ議長の逝去を悼む。

写真家・デーヴィット・ハミルトンさんの逝去を悼む
イギリスの写真家・デーヴィット・ハミルトンさんが11月25日に亡くなったそうです。83歳でした。死因は心臓発作であったとも服毒自死であったとも言われています。
野僧はかつて写真小僧でしたが、同好者たちの間で人気があったカメラマンと言えば大御所の秋山庄太郎さんは別格として篠山紀信さんと立木義浩さんが双璧、それにマニヤックな奴はアラーキー(荒木経惟)さんぐらいで、アイドルや女優の写真集を手掛けていた野村誠一さんや人気女優だった竹下恵子さんと結婚した関口照生さんなどは研究の対象にもなっていませんでした。そんな中、野僧はデーヴィット・ハミルトンさんにはまっていたのです。
秋山さんのライトを駆使して光沢を強調した作品、篠山さんの太陽光を使って日本人女性の肌の美しさと自然体の姿を魅せる激写、逆にストロボで女性の意外な一瞬の表情=個性を強調する立木義浩さん、カメラで視姦するアラーキーさんに対して夕暮れ時のようなモノトーンにソフトフォーカスと用いたハミルトンさんの写真は野僧の根暗な性格にピッタリだったのです。
ただし、当時、発売されたハミルトンさんの写真集の日本人モデルは風吹ジュンさんと美保純さんだったので購入しませんでした(「じゅん」と言う名前が好きなのかと思いました)。
当然、野僧も茶色のレンズフィルターを購入して被写界深度を絞って撮影するようになりましたが(ピントが合う範囲を狭め、モデルだけを強調する手法)、これはワインダーによる連写ではピンぼけになる可能性が高く、フィルムの浪費にもなりました。
そんな器材先行、技術後発の撮影でも聖美はハーフだったこともあり、会心の作はプロのモデルを撮影したようでした。またシンティアは金髪が美しかったものの顔や胸元はそばかすだらけで腕も茶色の体毛が濃く、ハミルトンさんが篠山さんのように太陽光を採用しなかったのはヨーロッパ人の女性には観賞に堪えるほどの肌のキメ細かさがないことが理由だったのではないかと推察したのです。
最近、ハミルトンさんは数十年前には少女だったモデルに「性的暴行を受けた」と告発されていますが、それが事実であったとしても時効は成立しているはずで、殊更に高齢者を鞭打とうとする元モデルの意図が判りません。
篠山紀信さんは1940年生まれの75歳、立木義浩さんは1937年生まれの79歳、荒木経惟さんは1940年生まれの75歳ですがまだ現役です。2003年に亡くなった秋山庄太郎さんと同じ83歳で創作が途絶えてしまったのは残念です。あのソフトフォーカスで人生の落日を表現して欲しかった。冥福を祈ります。

カストロさんの逝去を悼むべきか・・・?
11月25日にキューバのフィデル・アレハンドロ・カストロ・ルス前国家評議会議長が亡くなりました。カストロさんと言えば野僧の大学の革命闘士たち(大半は普通のノンポリ学生でしたが野僧は類が朋を呼んでいたようです)の憧れの的で、チェ・ゲバラさんと人気を2分していました。同志・毛沢東については完全に神格化されていたので文化大革命中の学内では批判は一切できなったのですが、この2人については好き勝手に論評し合い、現実の政治を取るか革命闘争を貫くかで賛否が分かれていました。
野僧はこの議論では傍聴者だったのですがカストロさんはスターリンや毛沢東とは違い健康的なスポーツマンであり、クリスチャンとして信仰は保っていたことにも魅力は感じていました。
そんなところがソ連や中国、それ以上に似たような国力の北朝鮮に比べ、キューバの革命政権に明るく開放的なイメージを与えているのでしょう。
実際は社会主義国家の常で反対派の弾圧を行っており、海外の革命勢力に支援を与えていますが、それが暗く見えないのはカストロさんの人間性の賜物かも知れません。その点だけは敬意を表し、冥福を祈ります。アーメン。
  1. 2016/11/29(火) 09:10:56|
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振り向けばイエスタディ654

「先任、今日は天気が良いので中隊長の官舎の換気に行ってきます」久居では中村昌代3曹が私の官舎と私有車の鍵を預かっている。ゴールデンウィークも無事に終わり(他中隊では飲酒運転に同乗した服務事故があった)、新隊員教育が佳境に入れば梅雨にも入る。その前に留守宅の喚起をしてくれるようだ。
「中村、中隊長は交代されたのだからモリヤ1尉と呼ばなければいかんな」「はい、モリヤ1尉の官舎です」私は9ヶ月間の臨時勤務なので人事異動はなく、第328共通教育中隊長は大隊本部の第2担当主任が兼務している。ただし、9月に帰隊した先はどうなるか判らない。
「それにしてもモリヤ1尉は凄いんですよ」「何が?」「掃除は完璧、片付けも完璧、何時でも転属できるように荷造りまでしてあるんです」「お前は花嫁修業の教官をしてもらえば良かったな」素直に感心している中村3曹を訓練係の北村1曹が冷やかした。
「まァ、モリヤ1尉は国と家庭を防衛するプロだから普通の嫁はあそこまでやらなくても良いんだよ」作野先任は中村3曹がモリヤ1尉に恋心を抱いていることを知っている。だからこの不在が冷却期間になり、臨時勤務に来ている区隊長や班長と交際が始まることを期待しているのだが、今回は彼女持ちばかりで、先日の駐屯地開庁記念日にも呼んでいた。
「ところで北キボールのPKOも中々大変みたいだな」「うん、この間は反自衛隊のデモがあったよな」「その前の技術教育ってのは粗探し以外の何物でもなかったがね」「それでも『軍事教練を始める危険がある』何て書いている新聞があったぞ」中村3曹は出かけようとしたところに北キボールの話題が始まって足が止まってしまった。
「だったらモリヤ1尉は適任じゃないか」「逆に言えば『モリヤ1尉がその担当者だ』て書かれなくて良かったよ」「武力戦争関連法の権威だからな」「武力闘争関連法だったろう」「武力紛争関係法です」各陸曹の記憶違いを中村3曹が訂正した。

中村3曹にはモリヤ1尉の留守宅に来ると実施する習慣があった。それはテーブルの上に置いてある家族写真の額を伏せるのだ。この写真でもモリヤ1尉は奥さんのモリヤ3佐を抱き寄せ、モリヤ3佐はモリヤ1尉に寄り添い自分が立ち入る隙間がないことが思い知らされる。
「こんなに愛し合っているのにどうして単身赴任何かするんだろう。専業主婦になれば良いじゃない」中村3曹にとっては夫であるモリヤ1尉に子供を託して入校を繰り返している妻のモリヤ3佐が許せなかった。作野先任は2人が結婚するまでの経緯を知っているようだが何も教えてくれない。ただモリヤ1尉が「×1(バツイチ)らしい」と言うことは守山の同期のWACから聞いている。ただ「モリヤ1尉がどうして3佐になれないのか」と言う謎の答えは誰も知らなかった。

「北キボールで日本人ジャーナリストが拉致されたらしいな」「男女2人だってよ」「自衛隊から連絡員が派遣されたってさ」翌朝、陸曹食堂ではこの話題で持ち切りだった。テレビのニュースもこの話題の繰り返しだが陸曹たちも何時になく真顔で見ているようだ。
隊員食堂の隅で売っている新聞も今日は多めに置いてあった。確かに普段はスポーツ新聞くらいしか買わない新隊員まで見出しが大きい新聞を選んで買っていく。WAC隊舎には当直が定期購読分を受け取って来ているが、先任順に回し読みするため新米3曹では出勤に間に合わない。そこで中村3曹も中部読売新聞を買って行くことにした。
中隊事務室でコーヒーとお湯をセットしてから自分の机で開くと拘束されたジャーナリストの紹介と事件の詳細状況ばかりで自衛隊の連絡要員に関しては「防衛秘密に属するため政府は姓名官職等を伏せている」としか書いていなかった。
  1. 2016/11/29(火) 09:08:22|
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11月29日・大韓航空機爆破事件が起きた。

1987年の明日11月29日に大韓航空機爆破事件が起きました。この日は日曜日でしたが昼のニュースの第1報は「大韓航空機が消息を絶った」と言うもので、外国の旅客機の事故でもありそれ程大きな扱いではありませんでした。
夕方のニュースになると「タイとミャンマーの国境付近の山岳地帯に墜落した模様」と言う未確認情報と毎度恒例の「乗客に日本人はいません」が付け加えられました。
ところが夜になると消息を絶ったボーイング707は大統領専用機として運行されていたものの大韓航空機に払い下げられてからランディングギアの不調で2度も胴体着陸事故を起こしており、上空で機体に不具合が発生した可能性が高いと強調され始めました。
野僧は「大韓航空機」と言われると昭和58(1983)年9月1日にサハリン上空でソ連軍戦闘機に撃墜された事件の方が浮んでしまいましたが、同時に昭和60(1985)年8月12日に御巣鷹山に墜落した日本航空機は過去に尻もち事故を起こしていたことを考えて「単純な事故」と言う報道を信じてしまったのです。
ところが翌日になると不審な日本人の男女が中東のバーレーンで拘束され、男性の方は青酸カリで自決したものの女性は身柄を確保されたと言う意外なニュースが流れ始め、すぐに親子と名乗る蜂谷真一と蜂谷真由美の写真が公開されました。
次の日、出勤すると事故ではなく青酸ガスを吸って意識不明になっている蜂谷真由美の話題で持ち切りで(第1教育群ですから興味は若い女だけです)、「中々の美人だがどう見ても日本人ではないな」と言うところで意見は一致し、「女工作員なら色仕掛けで迫ることもあるんだろう。あの女が知りたいような情報はないかな」と馬鹿な妄想を駆り立てる教育班長までいたのです。
その後は散発的に情報が流れるだけでしたが、墜落現場と推定される山岳地帯は反政府闘争を繰り広げている少数民族・カレン族の支配地域のためミャンマー・タイ両軍とも捜索に入ることができず確認は難航し、爆破犯とされている2名については韓国側が「北朝鮮の工作員=テロ」、北朝鮮(当時はニュースでも「朝鮮民主主義人民共和国」と呼んでいた)は「自作自演=言掛かり」と非難合戦を始めていたのですが、テレ朝のニュースステーションは両者の主張を紹介しながらも韓国政府が事故の詳細も判らない段階から爆破の可能性を示唆したことで疑問を示し、北朝鮮の主張を取り上げて自作自演する政治的効果を分析していました。
結局、12月15日になって蜂谷真由美が韓国に引き渡され、舌を噛み切らぬように猿轡(さるぐつわ)を噛まされて旅客機から連行される姿が衝撃を与えましたが(それを見て「俺ならディープキスの舌を噛み切られても良い」と言う教育班長もいました)、夜のソウル市内に連れ出され、北朝鮮で教えられてきた「貧窮に喘ぐ韓国」とは逆の繁栄した実像を見せられ、事件の全貌を証言したのです。
事件は在日朝鮮人の工作員を通じて日本人の偽造パスポートを入手した金勝一(59歳)と金賢姫(当時25歳)が、バクダッド発、金浦空港行きの大韓航空機に搭乗し、ラジオに内蔵させた時限爆弾と酒瓶に入れた液体の爆薬をセットして機内に残し、本人たちはアブダビで降りたのです。そして大韓航空機はベンガル湾上空で爆発し、墜落しました。犠牲者は乗客104名(ほとんどが中東への出稼ぎ労働者)と乗員11名でした。
韓国側の推測・見解では「ソウル・オリンピックの単独開催によって面子を失った北朝鮮の次期指導者が大韓航空機の安全性に対する信頼を失墜させて妨害しようとした」と言うのですが、1機や2機の旅客機が墜落したからと言ってオリンピックが開催できなくなるはずはなく、その指導者自身が本当に命令したのかは判りません(日本人を拉致させた人物ではありますが)。
この事件では妙な被害者が出ました。防府北基地の航空機整備員をしていた愛知県岡崎市出身の女性自衛官が蜂谷真由美に似ていると言うことで「マユミ(本名はサトミ)」と仇名をつかられ、その後は「ヒョンヒ(賢姫)」になってしまったのです。確かに似てはいましたが。
  1. 2016/11/28(月) 09:05:25|
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振り向けばイエスタディ653

資材小屋に着くと2人は抱きついてきた。それにしても月明かりとは言え誰何(すいか)もせずに接近を許すとは戦闘員として甘過ぎるのではないか。
「大尉、遺骸の収容の車両はどうなっているのですか?」無事を確認した感動の儀式を終えると私は真顔になって質問した。
「我が軍の車両は普通のトラックだったため銃声が聞こえたところで引き返した。戦闘が終わったから貴官の無事と敵の遺骸の数が確認できれば何時でもこちらに来るようになっている」モールス大尉は当たり前な顔をしているが、味方が交戦しているのなら支援に駆けつけるべきではないのか。衛生兵であれば戦闘には参加できないのでそのような対応になったのだろう。
「そちらが斃したゲリラの遺骸は?」「遺骸の回収は衛生兵の任務だ」またモールス大尉は平然と答えたが、この若造は士官としての資質が欠けているのではないかと首を傾げたくなる。
「遅くなりました」声をかけ、懐中電灯を点けて小屋の中に入ると男性ジャーナリストの首と胴体、そして阿部真理さんの裸体はそのままになっていた。風通しが良いはずの筵の壁でも血と排出物、そして遺骸の腐敗臭が充満している。私はオランダ軍に引き渡す前に可能な限り同胞の遺骸を整えようと思った。
先ず「すみません」と謝りながら頭を下げ、2人の遺骸の現場写真を撮影する。続いて男性の胴体を仰向けにして寝かせたが既に死後硬直が始まっており、膝は完全には伸びなかった。首をつなぐように置いたものの倒れてしまうため石を頬の支えにした。
次は阿部さんだ。こちらも抱き上げるには身体が固く、バランスを取るのが難しい。それでも冷たく硬くなっている裸の背中に手を差し入れて抱き上げると、首から背中、腰が「バリバリ」「ミシミシ」と嫌な音を立てた。これは腱が無理に伸ばされるため起こる音だ。
「私なんかのお姫さま抱っこでゴメンナサイ」運びながらそんな詫びが口からこぼれた。懐中電灯は同伴者の遺骸のところに置いているが、筵の隙間から差す月明かりで阿部さんの美しい胸が目の前に見える。小さ目の乳頭が佳織を思い出させた。ジャーナリストと自衛官、どちらも女性であれば戦場で野性と化した男たちには獲物以外の何物でもない。だからこそ愛する女性を守り切れなかった同伴者の無念が痛いほど胸に迫ってきた。
阿部さんを寝かせると小屋の中を照らして剥ぎ取られた衣服を探した。するとGパンと切り裂かれたTシャツが隅に落ちていたが下着は見つからない。仕方ないのでTシャツとGパンを掛けて胸と下半身を隠した。
「後回しになってすみませんでした」ここからは阿部さんから依頼があった慰霊の儀式になる。
2人の頭元に線香を2本立てて数珠を揉みながら頭を下げた。そして戒尺を叩きながら「阿弥陀如来根本陀羅尼」と題名を唱えると「ウチは日蓮宗です」と言う阿部さんの声が聞こえた。こうなると念佛では都合が悪い。そこでもう一度、戒尺を叩き直し、妙法蓮華経では厄除けとして暗記している「観世音菩薩普門品偈=いわゆる観音経」を唱えることにした。
「妙法蓮華経観世音菩薩普門品偈」「世尊妙相具 我今重問彼 佛子何因縁 名為観世音 具足妙相尊 偈答無尽意 汝聴観音行・・・」私自身は妙法蓮華経には気持ちを高揚させる効果があり、弔いには向かないと考えているが、阿部さんの生き方を思うとその根底には日蓮宗の影響があるようにも思えてきた。
「南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経・・・」回向の後は念佛ではなく題目になった。それも村田和上式の大音声なので念佛に比べると妙に疲れてくる。そこへオランダ軍の衛生兵たちが到着してくれた。
「これは酷い・・・」彼らは阿部さんの女性器に突き刺されている鉄の棒を見て声を失った。それでも顔に掛けてある私のハンドタオルをはがすと穏やかな表情になっていた。
藍とも子イメージ画像(藍とも子さん)
  1. 2016/11/28(月) 09:04:04|
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振り向けばイエスタディ652

武力紛争関係法が定める遺骸の処置が終われば私は指揮所に報告をしなければならない。これはPKO法では認められていない集団的自衛権の発動であり、先制的自衛権の行使に他ならない。政治的判断は日本国政府に委ねるしかないが、問い合わせが返ってくる前に群長以下に事態の詳細を知っておいてもらう必要があった。
私はサラートを終えた人々に「エクズキューズ ミー(チョッと好いですか)」と呼び掛けた。これに反応すれば英語が判ると言うことだ。
「イエス サー」すると私と同世代の男性が返事をした。そこで彼に歩み寄ると「遺骸に手を触れないように」「背けばアッラーの罰が当たるぞ」と現地の言葉で注意するように依頼し、ポケットの財布に入っていた200DH(=モロッコ・ディルハム)札を10枚手渡した(約2万円に相当する)。これでも物価が安い北アフリカではかなり高額なので彼は満面の笑顔になって人々を集めて演説のように説明を始めた。
「ヒグマ、ヒグマ、こちらキツネ、キツネ、送れ」「こちらヒグマ、キツネ送れ」指揮所は即答し、その場で副群長に代わった。
「戦闘に巻き込まれたことはオランダ軍から通報があったが、君の消息は不明と言うことだった。銃声がここまで聞こえていたが無事なのか?」副群長の声は安堵のためか幾分、湿っぽく感じる。
「はい、私は異常ありませんが、現地の人間を2名射殺してしまいました」多分、交信内容が指揮所内に放送されているのだろう。マイクの向こうでザワメキが起こったのが伝わってきた。
「オランダ軍もそこまでは掌握していなかったが」「先ほどそちらに報告した帰りにオランダの軍人に向かって射撃準備している男を発見したので発砲しました。我が方は3名を射殺したと思います」「そうか・・・演習で報告を受ける戦果は数字だけだが、今回は実際に人命が失われたんだな」副群長が言葉を詰まらせたので、こちらから報告を続けた。
「ゲリラはオランダ軍の大尉と軍曹がいる場所を包囲して一斉射撃を加えるつもりだったようで、私の発砲音で銃撃戦が始まりました」そこまで話してこの通信機の周波数はUNTANK司令部がモニターしていることを思い出した。
「千光寺書記官、聞いているか?」「はい、無事で安心しました。これから大変だと思いますが・・・」若手外交官も言葉を濁した。この事態が政治問題にならないはずがない。日本国政府と国連との地位協定では現地で自衛官が起こした犯罪の司法権は日本にあり、憲法で特別法廷を認めていない日本では外国軍の軍人のように軍法会議を受けることはできない。つまり武力紛争関係法やROE(交戦規定)ではなく国内法で戦闘行為を裁かれるのだ。
通信を終えて同じ道を帰る頃には周囲は月明かりだけの闇に包まれていた。それにしてもオランダ軍の遺骸収容はどうなっているのか。私は遺骸を置いた場所に来ると2体が辱められていないか確認しようと懐中電灯を点けた。
その瞬間、月明かりが白い影を照らし出した。その手には銀色の刃物が握られている。彼は1歩半ほどの間合いに踏み込むと大きなナイフ=短刀で私の首の高さに斬りつけてきた。
私は短剣格闘の条件反射で身を沈めてかわすと腰に吊ってある短剣を抜き、勢い余って態勢を崩した男の背中に深々と突き立てた。そこは人間を即死させる急所であり、男は倒れるとそのまま痙攣を始めた。3人目は素手だった。しかし、彼らの霊魂も仲間が3人になれば寂しくないだろう。
暗い耕作地で同じ手順を踏んだ後、再び大音声の念佛を始めると阿部さんと同伴者の遺骸が置いてある小屋の前で懐中電灯を振るのが見えた。
「急所は間違いありませんでした」独り言で体育学校の教官に報告しながら足を速めた。
  1. 2016/11/27(日) 09:23:52|
  2. 夜の連続小説8
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11月27日・皇太子を愚帝化した家庭教師・ヴァイニングの命日

1999年の明日11月27日に敗戦後、皇太子=今上天皇を暗君・愚帝化するため占領軍司令部=マックアーサーが送り込んだ時限発火式家庭教師・エリザベス・ヴァイニングが死にました。97歳の長命でした。
ヴァイニングは敬虔なクエーカー教徒ですが、このクエーカー(=身震いする人)と言う呼称は創始者が神名冒瀆罪で告発された時、公判中に貧乏ゆすりを止めなかったことを判事が揶揄して呼んだものです。実際、信者たちは「カミが憑依すると身体が震えだす」と信じており、それは聖書で「イエスに会った人々は身体が震えた」と述べていることの証明としています。
また、この教派は「友会=ソサイアティ オブ フレンズ=友達の社会」とも呼ばれ(自称する時はこちらを用いる)、極めて特殊な信仰形態を持っているため発祥の地であるイギリスやヴァイニングの母国・アメリカでも少数派で、信者だけの集落を形成しているようです。
クエーカーは「イエスは人々をカミに引き合わせるために派遣された」と説き、「カミは全ての人に現れる」として前述の震えを体験させるための集会が他の教派のミサに当たります。
さらにクエーカーは「聖書はカミの言葉であってもカミそのものではない」として聖書自体を信仰対象とはせず、あくまでも神秘体験するための手引書と位置づけ、時には聖書よりも自らが聖霊から受けた啓示を尊重する思想も生起しています。
クエーカー教徒は質素な生活が聖霊を呼び寄せる上で不可欠と考えており(昔は一見して判るほど貧弱な家に住み、質素な服を着ていた)、まだ男女同権が確立されていなかった17世紀に「カミの前に平等」を提唱・実践し、何よりも戦争をカミの正義を実現する手段と考えているキリスト教の中で暴力の否定を含む平和主義を唱え、ヴァイニング自身も66歳の時、ベトナム戦争反対デモに参加してワシントンD.C.の国会議事堂の前で逮捕されました。
そんなヴァイニングは学習院に講師として招聘され(実際は占領軍司令部が送り込んだ)、生徒として学んでいた皇太子に英語を教える振りをして洗脳教育を実施したようです。
おそらくマックアーサーの占領軍司令部は占領政策を円滑に進めるため日本の伝統文化、特に神道について研究し、その神憑りや託宣などの信仰形態がクエーカーに通じるものがあると判断したことで多数の児童書を著述していたヴァイニングに白羽の矢を立て、次代の皇室を担う皇太子をキリスト教に誘い込むことを画策したのでしょう。
皇族の子供たちを育てる学問所として設立された学習院では、同級生たちも上流階級の家庭から選ばれた御学友であり、宮中の作法に基づいた学校生活が運営されていました。そこにヴァイニングはアメリカ式、クエーカー流を無遠慮に持ち込み、英語の授業では皇太子をファーストネームの「アキヒト」や「ジミー」の愛称で呼んでいたと言う伝説もあります。
皇太子が受けたカルチャーショックは信頼と尊敬に代わり、夏休みにはヴァーニングが侍従や警護の同行を禁じたためヴァーニングが借りていた軽井沢の別荘に学友たちだけで出掛け、掃除や炊事、風呂の準備などを体験したと言われています。
そうして信任を得ると皇居で天皇家姉弟の個人教授も始めたのですが、ここでも英語よりも人生相談に託けた洗脳を施していたようで(今上さんの姉は父の昭和の陛下から英語の成績を「個人教授を受けているのに何だ」と叱られたことを回想している)、後に中学校から大学までカソリックの修道院式教育を受けてきた民間女性を妻に迎えたのもこの影響かも知れません。
しかし、天皇は神道の頂点であり、毎朝に宮中の賢所でこの国に及ぶ災厄をわが身に引き受ける祈願を行っているのですが、邪教に洗脳された天皇の求めに八百万の神々が耳を貸すはずがなく、平成になってから頻発している大規模災害や異常気象は尋常ではありません。
そもそも天皇は「自我」を持たないことが本来の在り様であり、為せることを為せるように勤める自然体が身上のはずです。高齢になったからと言って退位を希望すること自体、天皇を業務と考えている証左です。ここでもマックアーサーにしてやられました。
  1. 2016/11/26(土) 09:02:05|
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振り向けばイエスタディ651

戦闘が終わり、私は敵の遺骸をオランダ軍に引き渡す準備をすることにした。先ずは目の前で倒れている男からだ。私は土手から上がって歩み寄ると自分が殺した男の遺骸を見た。
それはまだ髭も生え揃っていない20代前半の若者で、銃弾は胸部に集中しているため顔には傷がついておらず両目を大きく見開き、瞳孔が開いて黒くなっている瞳に空の色が映っていた。
先ずは現場写真を撮影しなければならない。私は雑納からデジタルカメラを取り出すと上からを含む全方向から遠・近距離の画像を撮影した。
続いて西から迎えに来るアッラーに会えるよう頭を東に向け、瞼の上に手を置き(体温で筋肉を緩めて)目を閉じさせてから本人のゴトラで顔を蔽い、足を揃え、胸の上で手を組ませた。
次は溝の中で最初に殺した男だ。彼も仲間と並べて寝かせてやりたい。そこで溝に下りて歩いて行くと遺骸が頭を下にして倒れていた。こちらも薄い髭を伸ばしている若者だ。
銃弾は脇から胸に命中しており、白いソーブは傷から上だけが赤く染まっている。私は背負って上ることは困難であると判断し、ソーブを脱がして体を縛り、土手の上から引き揚げた。そこからは遺骸の腕を肩に回し、背中が血で濡れる感覚を感じながらも背負い、仲間の隣に寝かせてからソーブを着せ、あとは同じ手順で横たわらせた。
すると銃声が止んだことで戦闘が終結したことを察したらしい現地の人たちが姿を見せ始めた。彼らは顔が隠してあることが不満そうに手ではがそうとするが、私が身体で遮ると後退って遠巻きにした。
私はイスラム教徒の葬儀は知らないのでアッラーと同じ西方におわす阿弥陀如来に彼らの迎えを願うことにした(「アッラーさんを誘ってきてくれ」と依頼しながら)。
先ず雑納から線香を入れた筒を取り出し、1本に火を点けると2体の頭の手前に立てた。そして数珠を揉み、戒尺を打ち鳴らして暗記している阿弥陀如来根本陀羅尼を唱え始めた。
「なうぼうあらたんなう・たらやぁやぁ・なうまく・ありやぁみたばぁやぁ・たたぎゃたや・あらかてい・さんみゃく・さんぼだやぁ。たにゃた・おん・あみりてい・あみりとう・どばんべい・あみりた・さんばむべい・あみりた・ぎゃらべい・あみりた・しっでい・あみりた・ていぜい・あみりた・びきらんでい・あみりた・びきらんだぁ・ぎゃみねい・あみりた・ぎゃぎゃなう・きちきゃれい・あみりた・どんどびそばれい・さらば・あらたさだねい・さらばきゃらま・きれいしゃ・きしゃやう・ぎゃれい・さぉわぁかぁ」これを3回繰り返した後、念佛を唱える。それも村田和上式に「西方浄土へ届け」とばかりの大音声だ。
「ナーマーンダーブ、ナーマーンダーブ ナーマーンダーブ・・・」すると周囲で眺めていた人々もイスラム式に祈りを捧げ始めた。やがてそれは念佛と合唱になり、線香が燃え尽きるまで続いた。その時、太陽が沈む前の光を放ち、大空を真っ赤に染め、2人の遺骸を包むように大地も輝きが覆った。旧約聖書では「カミの姿を見た者は死ぬ」とされているため、この光景に人々は感激よりも恐怖を感じているようだ。
「アッラーフ アクパル(アッラーは偉大である)」最長老と思われる男性が詠唱を始め、人々はその場で日没前後のサラート(礼拜)を始めた。ただしメッカは東側にあるので太陽と遺骸には尻を向けている。これもメッカを優先することによる自衛処置なのだろう。
私はサラートをしているイスラムの人々と背中合わせに自分が命を奪った若者の遺骸に向かって手を合わせ、邪魔にならないよう小声で念佛を続けた。
ところでオランダ軍の2人が射殺したもう1名の遺骸はどうしたのだろうか。武力紛争関係法では会戦終了後には負傷者の収容・処置と遺骸の収容・宗教儀礼・埋葬を実施することが義務付けられている。念佛を唱えながら見てみたが2人が動いている様子はなかった。
「私たちも忘れないで」念佛の息継ぎの時、何故か阿部さんの声が胸に響いた。
  1. 2016/11/26(土) 09:00:51|
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振り向けばイエスタディ650

指揮所の判断を受けて、念のためUNTANK司令部にも通報することにした。
「ピース、ピース、ディス イズ、キツネ、キツネ(2度呼べば2度名乗る)、レディオ(=ラジオ) チェック ハウ ドゥ ユー リード ミー オーバー」軍用通信のコールサインは4つ以下の音の単語になっているため(キャ、キュ、キョやオッ、ヘーなどは1音とするのでトップガンのマーベリックも可)UNTANK司令部は願いを込めて「ピース」だ。
「ディス イズ ピース、キツネ ホールド ミー オーバー」一度の呼び出しでUNTANK司令部が出た。その声には聞き覚えがある。
「千光寺です。今の話は傍受していました」やはり若手外交官だった。これで手間が省けたので2体の遺骸と2人の同僚が待つ現場に向かった。経路は先ほどと一緒だが、久しぶりに「中隊長のお告げ」を感じて溝の底を歩いて行った。
間もなく小屋につくから土手に上ろうと思った時、お告げの意味を得心させる光景が目に入ってきた。50メートルほど前で1人の男が溝の中から小屋の方向に小銃を構えているのだ。
男の銃はAKー74、一方、私の銃はMー6だ。AKー74の5・45ミリ小銃弾とMー6の9ミリ拳銃弾では射程距離や威力がまるで違う。つまり銃撃戦になっては勝ち目がない。そこで私はためらうことなく銃を構え、引き金を絞った。
「パパパ・・・」驚くほど軽く乾いた銃声が続き、驚いてこちらを見た男は銃を向ける暇(いとま)もなく胸から血煙りを上げながら仰け反って倒れた。
「バババ・・・」「パパパ・・・」その銃声を聞いて交戦が始まったのか溝の上ではAKー74と私と同じ9ミリ拳銃弾の連続した発砲音が響き始めた。溝の上にも何発もの銃弾が通過して弾丸の後に生じる真空が土を吸い上げていく。
AKー74の銃声の方向から考えると小屋を包囲して一斉に銃撃するつもりだったようだ。
私は銃弾が通過しなくなったところで土手を這って上り、次の目標を探した。すると畑の向こうでソーブ(白く長いアラブの民族衣装)を着た男が1名、モロヘイヤの葉の間から立ち上がって走り出した。距離から言えばMー6の拳銃弾では遠過ぎる。
「パパパ・・・」「パパパ・・・」すると小屋の方向からオランダ軍のMP5の銃声が重なって響き、男はソーブの袖を振り回すようにしながら倒れた。
「無事だったか」私はこの銃声で2人の生存を確認して溜め息をついた。
急に耕作地帯が不思議な静けさに包まれた。先ほど動画で確認した犯人は5名、阿部さんと同伴者に代わる代わる小銃を突きつけていた。つまりまだ3名の武装した敵がいることになる。
その時、目の前に続く野菜の波の影から男が立ち上がって溝に向かって走り出した。私は土手から頭と肩だけを出して銃を構えているため視界が利かず、相手が伏せていると発見が困難なのだ。一方、男は立っているため私に気がつき、懐から手榴弾を取り出してピンを外して投げようとした。私は条件反射で引き金を絞った。
「パパパ・・・」男は前から突き倒されたように倒れる。同時に頭からアガール(輪っか)が飛び、ゴトラ(白い布)が宙を舞って男の上に落ちた。手榴弾が前に転がったのを見た私は溝へ滑り下り、一呼吸置いた後に手榴弾が破裂し、空気を引き裂いて鉄片が飛散した。残る敵は2名だ。数だけで言えばこちらが優勢になった。
「ストップ(止まれ!)」私が再び土手を這って上ると突然、モールス大尉の大声が聞こえてきた。その発音は英語の「スタァップ」よりも日本語式英語に近く、逃亡していく敵に停止を命じていることが判る。敵は劣勢を覚り、逃亡を図ることにしたのだろう。
「パパパ・・・」小屋の方向からMP5の銃声が響いた。逃亡する敵に向かって発砲したのは判るが射程距離から言って弾丸の浪費なのは明らかだ。
  1. 2016/11/25(金) 09:18:23|
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振り向けばイエスタディ649

携帯電話の動画を見終わってモールス大尉は背中(正しくは腰)の無線機で報告を始めた。ところがそれはオランダ語でUNTANK司令部や陸上自衛隊の指揮所に伝えることは想定していないようだった。
「こちらの無線機の周波数は車載のモノとは別なのか?」「はい、我が軍独自のものです」私の質問にノールデルメール軍曹は平然と答えた。しかし、それでは連絡員としての任務が遂行できない。私は車両まで戻って連絡しなければならないようだ。
「今、遺骸を収容するための車両を呼んだ」「それよりもワシも自分の指揮所に報告をしなければならない。車両まで戻るからキーを貸してくれ」説明に反論するように要望するとモールス大尉は少し困惑した顔をした。それでも無残な遺骸を見て茫然自失になっていた自分たちに比べて平然と立ち振る舞っていた私に3歩ほど引いたような態度になっている。
「日本陸軍の周波数が判れば合わせるが」「それは判らないよ。いつも通信員が合わせて渡されるからな」私の返事にオランダ軍も同様なのかモールス大尉はうなずいた。
「それでは軍曹と2人で行くから・・・」「これがキーです。通信機の電源は判りますか?」私が軍曹を同行させる許可を求めると、それを遮るようにノールデルメール軍曹が答えた。これでは自慢のフェネックや通信機の保全よりも事件現場の確保が大切だと言うことになるが、本音では無残な遺骸の傍に1人で残る度胸がないのかも知れない。
「どうせ赤い丸みたいなシンボルマークが入ったスイッチだろう」「はい、赤い丸です。その前に車両のパワーをオンにして下さい」私の推理に軍曹がうなずいてキーを渡した。どうやら本当に私1人で行かせるつもりのようだ。

「ヒグマ、ヒグマ、こちらキツネ、キツネ、カンメイ(感度・明瞭度)送れ」「こちらヒグマ、キツネ送れ」「こちらキツネ、カンメイ数値の5」オランダ軍の無線機も使い方は似たようなものだったので、私も自衛隊の指揮所向けに日本語で交信した。
「モリヤ1尉か?」「はい、報告が遅れて申し訳ありません」「否、オランダ軍の交信はモニターしていたから不審車両を発見したところまでは知っている」指揮所の通信機では24時間態勢で通信員が傍受しているが、今回は情報担当の2科長に代わった。
「実は阿部さんともう1人の男性の遺骸を発見しました」「そうか・・・」最悪の報告に無線機の向こうで2科長の声が沈んだ。
「殺害の模様を撮影した携帯電話を入手しましたが、朝の時間帯に郊外の農場の資材を収納する倉庫内での集団レイプの末の殺害でした」報告は5W1Hを踏まえるため日本語としておかしくなるところがあるがそれは仕方ないだろう。私の報告を聞きながら2科長は通信員に交信内容をスピーカーで指揮所内に流すように指示している。
「これからオランダ軍の車両が遺骸を収容に来るそうですが、2人は日本人なので自衛隊が収容した方が良くありませんか?」「待て・・・」無線機の向こうで群長、副群長と各科長たちが相談を始めた声が聞こえてくる。海外で死亡した邦人の遺骸は大使館などの自国の公的機関の手に委ねられるのが慣例だが、我々の担当業務に定められていないことを独断で実施することはできない。政府からの命令を待っている間にオランダ軍が収容してしまうだろう。
オランダ軍としても治安維持を担当している以上、検屍する必要があり、遺骸を収容する必然性はある。問題は遺族の引き渡し要求に外務省が適切に対応できるかだ。
「遺骸についてはオランダ軍に収容させて政府の指示を仰いでから移管を要求することに決まった」今度は指揮所長が出たが、これが極めて常識的な落とし所のようだ。犠牲者は我々の手足を縛ってきた当事者=自業自得・因果応報とは言えやはり残念な常識であった。
  1. 2016/11/24(木) 09:12:36|
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11月23日・実にクダラナイ祝日・勤労感謝の日

本日11月23日は「勤労感謝の日」と言う祝日ですが、その由来と制定の経緯は実にクダラナイものです。
よく神道関係者と国家神道の再現を目論む保守派の人間は「宮中の祭儀である新嘗祭が発祥である」と嘘を吹き込もうとしますが、新嘗祭は太陰暦の霜月=11月の第2「卯の日」に行われており日付は固定されていません。
明治5年に太陽暦を導入した時、薩長土肥と公家の新政府首脳たちは宗教的な意義を無視して一律に太陽暦に置き換えようとしたのですが、それでは年明けの1月になってその年の祭儀が行えなくなるため太陰暦の月を太陽暦に当てはめた上で、その年11月の第2「卯の日」だった23日に決めたのです。
おまけに翌年からは虚構・捏造の11月23日に固定したのですから、神道の祭儀が何の意味もない形式であることを自ら証明してしまったようなものです(その点、佛教の盂蘭盆会は太陰暦の7月15日に近い現在の8月15日前後に霊魂は帰省しています)。
それでは何故、秋の収穫から数カ月が経った11月に収穫に感謝する祭儀が行われるようになったのかと言うとそれは至極簡単な話で、全国津々浦々で奪った収穫が当時(始まりは飛鳥時代)の交通手段で都に届き終わったのがこの時期だったと言うことです。
敗戦後、占領軍によって国家神道の行事が否定される中、そんな形式的な祭儀に基づく祝日を継続しようとする政府は(それを検討していたのは意外にも社会党の片山哲内閣の時だった)新嘗祭の祭儀とは関係ないかのように装いながら「勤労を尊び、生産を祝い、国民互いに感謝し合う」趣旨の「勤労感謝の日」にしました。しかし、実際は国民が互いに感謝し合うどころか天皇や貴族が「今年も朝貢が入ったこと」を祝う「国民搾取の日」なのです。
かつて「勤労に感謝するのなら労働者の祭典である5月1日のメーデーにするべきだ」と言う意見が議論に上りましたが、国家神道を信仰している保守系政治屋によって揉み消されてきました。
これも祝日を消費拡大の手段として乱造している現在ならゴールデン・ウィークの中休みに当たる5月1日が祝日になるので2日を何とかすれば曜日関係なしの5連休になり異存はないと思います。
そもそも11月3日の明治天皇や4月29日の昭和の陛下の誕生日は代替わりを以て止めるべきなので、そうなると11月と4月は6月と共に祝日なしの月になるのかも知れません。
逆に戦前からの祝日は全て神道の祭儀であるにも関わらず日本国憲法の国家の宗教への関与禁止を無視して継続している以上、佛教の2月15日の涅槃会、4月8日の灌佛会、太陰暦7月15日若しくは太陽暦8月15日の盂蘭盆会、12月8日の成道会も祝日にするのが筋でしょう(韓国では国民を2分する佛教の釋尊とキリスト教のイエスの降誕日を祝日にしている)。
そうなれば遠からず今上さんが崩御しても12月には祝日が残り、4月も花見の時期に祝日ができ、2月は迷信を祝う11日と中3日で祝日になります。
ちなみに佛教では釋尊の命日である2月15日は悟りが完成したことを慶賀する日です。
  1. 2016/11/23(水) 09:24:17|
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振り向けばイエスタディ648

続いてはこの小屋の中で行われた惨劇だった。2人は銃を突きつけられて連行されてきた。小屋の中が今よりも明るいところを見ると横から日差しが当たっていた朝の時間帯なのだろう。
男性ジャーナリストは後ろ手に縛られたまま地面に座らされ、阿部さんはその前に立たされている。そのまま両側から髭面の若い2人の男に腕を取られ、尋問を受け始めた。
「×××・・・」男たちの言葉はアラビア語らしく私たちには判らない。阿部さんも同様のようで英語で「言葉が判らない」と訴えている。やがて片方の男がかなり訛りのある発音で「ネーム」と繰り返し始めた。つまり「名前は何か?」と訊いているようだ。
「マリ・アベ」阿部さんも同じように理解したのか英語式に名乗った。すると男たちが激昂し始めた。
「マリアだと!お前はクリスチャンだな」男たちの罵声でも「マリア」と「クリスチャン」の部分だけは聞き取れる。ただし、アラビア語でクリスチャンは「マシヒッュ」なのだが侮蔑する意味であえて英語を使ったようだ。
「ノー!私はクリスチャンではありません」阿部さんの絶叫に抑えつけられている同伴者が「日本語式に名乗れ」と指示した。
「阿部真理です」「今度はアベ・マリアか!」モロッコ領だった当時、トバラ市内にはスペイン系企業の駐在員向けのカソリック教会があった。イスラム教徒たちも内心では敵意を抱きながら異教徒の儀式を眺めていたため中途半端な知識を持っているようだ。
「ノー!」再び身をよじって否定した阿部さんのTシャツの首筋からネックレスが飛び出した。それは日本では普通に売られている銀の十字架だが、それを見た男は皮肉に笑うと鎖に手を掛けて引き千切り、抜いたナイフで阿部さんのTシャツを引き裂いた。
下着に覆われた胸が露わになると男たちが餌に群がる飢えた犬たち、それ以上の野性動物と化すのは現在も世界各地の戦場で繰り広げられている悲劇だ。
阿部さんは同伴者が見ている目の前で5人の男たちに次々と犯された。ある男は仰向けに寝かされている阿部さんの口に男性器を押し込み、それを見た別の男が交代する。その間も下半身に男たちが腰を沈めて激しく前後させている。乳房を掴む腕、乳頭に吸いつく口、映像はポルノ映画のレイプシーンのような様相を呈している。しかし、我々の胸に湧いてくるのは怒りであって興奮ではない。
そんな悲惨な映像には男たちの嬌声と同伴者の「止めてくれ」「頼む」「許してくれ」「お願いだ」「マリーッ」と言う日本語の懇願と悲痛な叫び声だけが録音されていた。
延々と続いた輪姦が終わると男たちは異様に興奮した顔で腰に吊っていたナイフを引き抜き、天井に向けて突き上げながらアラビア語で何かを連呼し始めた。それはイスラム教と言うよりも蛮族の雄叫びのようだ。そんな陶酔状態の中で1名の男がうつ伏せになっている男性ジャーナリストの首筋に刃を当て、体重を掛けて力任せに押し切った。
映像には転がって上を向いた男性の頭部と首から心拍に合わせて吹き出る血が大写しになっている。しかし、阿部さんの悲鳴が入っていないところを見ると茫然自失状態に陥っていたのだろう。既に命を落としていたのかも知れない。
血を見て興奮の絶頂に達した男たちの1人は、小屋の隅に積んであった農業用の支柱を取り出すとそれを振り回しながら何か歌のようなものを口ずさみ始めた。
別の2人の男たちが阿部さんを仰向けにして両足を大きく広げた。カメラは阿部さんの無表情な顔と女性器を大写しにしたが、どちらにも男たちの体液が溢れている。
やがて足を抱えた2人の男が阿部さんの下半身を持ち上げ、そこに支柱を深く貫いた。これが先ほど小屋の中で見た惨状が作られるまでの記録映像だった。
  1. 2016/11/23(水) 09:23:19|
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11月23日・いい兄さんの日

明日11月23日は単なる語呂合わせで「いい兄さんの日」だそうです。ただし、言い出しっ屁は判りません。
野僧は2歳年下の妹が生まれて以来、娘を溺愛する父親とその顔色を伺うことしかしない母親から「いいお兄さん」であることを強要され続けてきましたから、ワザワザこんな日を作るのは止めてもらいたいものです。
日本では古事記・日本書紀の「海幸山幸」や「成務天皇とヤマトタケルノミコト=倭建命(古事記)・日本武尊(日本書紀)」などに始まって奈良・平安時代の宮中の権力争いとその締め括りの保元の乱、鎌倉時代の頼朝さまが範頼くん・義経くんを滅ぼした源氏の兄弟争い、さらに戦国時代にも織田信長さまと信広くん、伊達政宗さまと政道くんなどの家督相続を巡る跡目争いの数々、江戸時代になっても徳川家光さまと忠長くんの将軍家に始まり島津斉彬さまと久光さんなど大名家まで「兄弟愛」よりも「兄弟争い」が歴史ドラマの定番になっています。
現在は「一姫二太郎」と言う古語を1女2男の3人姉弟のことだと思っている人が多いのですが、実際は1番目が女で2番目は男の方が上手くいくと言う意味です。
姉は生まれながら身についている母性本能で弟を育てることができるのに対して兄は父親代わりにはなれず、弟や妹には周囲から特別扱いされて威張っているだけの目障りな存在にならざるを得ないのでしょう。
そんな中、「いい兄さん」を描いた古典落語があります。それは「鼠穴(ねずみあな)」と言う題名で、幼い頃に田舎から江戸へ奉公に出て大店(おおだな)の主人になっている兄の元へ弟のタケ次郎が訪ねてくるところから始まります。
タケ次郎は「悪友に誘われて茶屋酒の味を覚えて父親が死んだ時に兄が譲ってくれた田畑を手放さなければならなくなった」と詫び、「江戸で商売を始めたいので雇ってくれ」と頼みました。しかし、兄は「自分で商売を打て」と勧め、元手として紙に包んだ金を渡しました。
タケ次郎は周囲の人たち聞いていた「情を持たない冷血漢」と言う悪評とは全く違う兄の態度に感激しながら店を出ると渡してくれた紙包みを開きましたが、中には3文が入っていたのです。
タケ次郎は兄の仕打ちに怒りながらもそれを元手に商売を始めました。3文で米俵を解いた藁屑を買うとそれを細い紐にして穴が開いた硬貨を通す「差し」を作り、それを売った元手で今度は俵を買い、それを打って草鞋を作り、それを繰り返しながら手を広げ、朝から晩まで働きに働き、やがて土蔵を3つ持つ大店の主人になりました。
そんなある日、タケ次郎が兄を訪ね、元手として借りた3文と利子の10両を返すと兄は大喜びして先日の真意を語ったのです。あの時のタケ次郎は茶屋酒の気分が抜けておらず、10両貸せば5両を元手に5両で前祝いと酒に手を出しかねなかった。だからこそ「二束三文」のはした金を渡したのだと言うのです。この話に感激したタケ次郎はあれから飲んでいなかった酒を勧められ、酔って泊まることになりました。
ところが夜中に火事が起こり、タケ次郎の店が全焼し、鼠が作った穴から火が入って3つの土蔵まで焼け落ちてしまいました。
そこからは立ち直ることができず再起の資金を借りに兄を訪ねますが冷たく追い返され、9歳の娘を吉原に売って作った元手もスリに掏られてしまい、首を吊ったところで目が覚めます。
うなされていたことを兄に言われて悪夢の内容を説明すると「腹の中でワシのことを恨んでいるからそんな夢を見るんだ」「夢は土蔵の疲れだ」と落ちがつきます。
この落ちは当時の医術の訓戒であった「悪夢は五臓(ごぞう=5つの臓器)の疲れ」に「土蔵」を掛けているのですが、庶民には難解であまり上手い落ちとは言えません。
やはり兄は憎まれ役となって弟を発奮させることが定番のようです。
  1. 2016/11/22(火) 09:18:35|
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振り向けばイエスタディ647

「軍曹は外を警戒せよ」掘っ立て小屋に着くとモールス大尉はノールデルメール軍曹に指示を与え、私と2人で中に入った。その時、銃を構え即座に射撃できる姿勢を取るのは当然である。
「O mijn God(英語のオー・マイ・ゴッド)・・・ウグググ・・・ゲーッ」灯火がない薄暗い小屋の中で目が慣れてくるとモールス大尉は絶望の常套句を呟いた後、地面に嘔吐した。
農業用の柱などが積んである小屋の中央部には黒い髪の男の首とそれを切り離した胴体が置いてある。その奥には黒く長い髪の女性が全裸にされた上、女性器に棒を差し込まれて死んでいた。私は雑納から懐中電灯を取り出すと江戸時代の晒し首のように地面に立てて置いてある男性の首を確認した。それはやはり何度か見かけたことがある日本人ジャーナリストだった。
続いて身体を照らすと両腕は背中に回して縛り付けてあり、前のめりの姿勢で首を切断されている。首からの出血で地面は黒く染まっていた。
私は呆然としているモールス大尉は無視して女性の遺骸に歩み寄った。先ず顔を照らすとやはり阿部真理さんだ。長く美しかった黒髪は砂にまみれて、若い隊員たちが密かに胸を時めかした美貌も白目を剥いていては見る影もない。しかも口からは男性の体液が溢れている。手順として冷たい首筋に指を当てて脈拍を確認したが始めから無意味だった。
私は目を閉じさせようと思ったが、時間が経過していると困難であり検屍を受けるまではこの状態を維持するべきであると判断してポケットから取り出したハンドタオルを顔に掛けた。
裸にされている女性の身体を見るのはためらわれたが任務として状況を確認した。形の良い乳房には歯型が残っており、かなり激しい性的暴行を受けたことが推察される。そして下半身には農業用の支柱と思われる鉄の棒が差し入れてあり、女性器には血と男性の体液が滴ったまま固まっている。その時、ノールデルメール軍曹が駆け込んできたので私はMー6短機関銃を構えて「フリーズ(止まれ)」と叫び、軍曹は両手を上げた。
「小屋の裏で携帯電話を発見しました」軍曹は入口で呆然と立っている大尉の顔を一瞥すると懐中電灯を消した私に報告した。やはり日本人女性の無残に殺害された全裸の肢体を外国人の目に晒すことは忍びなく、本当はムシロやシートを探して掛けるつもりだったのだ。
「そうか、明るい外で確認しよう」私が歩み寄る間に軍曹も目が慣れてきたのか固まったようになってしまっている。私も残酷な場面に慣れている訳ではないのだが、航空自衛隊で墜落事故現場や自死の遺骸を見ているため神経が麻痺してしまっている部分があるのは確かだ。
「大尉、軍曹、この携帯電話を操作しますから立ち合って下さい」固まってしまった2人に声をかけて無理やり外に連れ出すと初めて見る携帯電話を操作してみた。するとガラパゴスな日本製とは違い操作は比較的簡単で、携帯電話には縁が薄い私にも扱えるようだ。
登録画像を確認すると阿部さんを強姦する場面が続いている。やはり犯人の遺留品なのだ。そこでキーボタンのシンボルマークで動画に切り替えて再生して見ると音声まで始まった。最初は拉致の場面からだ。
「何?貴方たちは何?私たちをどうするの」阿部さんの恐怖に引きつった顔が大写しになっている。英語を忘れて日本語で叫んでいるところを見ると突然の襲撃だったことが判る。
「何をする!その手を放せ」最期まで名前を知らなかった阿部さんの同伴者が日本語で叫びながら抵抗するが後ろから頭を殴られた後、首筋にナイフを突きつけられた。
男性は地面に押しつけられて後ろで腕を捩られた。そしてそのままロープで縛られると無理やり立ち上がらされた。
「大丈夫?」阿部さんの心配そうな声に「大丈夫だ。俺が何とかする」と日本語で答えたが、そのままワゴン車の後部ドアが開かれると先に男性が放り込まれ、続いて阿部さんが突き倒された。後部座席から2人の姿を写し、ドアが閉められたところで第1場面は終わった。
  1. 2016/11/22(火) 09:17:20|
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11月22日・いい夫婦の日

明日11月22日は昭和63(1989)年に競輪の売り上げを元手に通商産業省が立ち上げた財団法人・余暇開発センターが決めた「いい夫婦の日」です。
この時期は昭和の陛下の病状芳しからず日本は自粛ムードに包まれていたはずですが、そんな中で単なる語呂合わせでこのような日を提唱した通商産業省はナントモハヤな役所です。
その10年後には桂文珍師匠を名誉会長とする「いい夫婦の日をすすめる会」が設立され、有名人からパートナー・オブ・ザ・イヤーを表彰するようになりました。ちなみに離婚訴訟で世間を騒がした年の差カップルの高橋ジョージさんと三船美佳さん元夫婦も受賞者です。
自分で見つけた女性と「いい夫婦」となることを親に否定された野僧はこの話題とは縁がないのですが、大好きな古古典落語には夫婦の情愛を描いた名作が数多くあり、亡き妻との人生の続きを重ねる夢を見ることができます。
(会長・桂文珍師匠の提唱で)「いい夫婦の日」の行事として古典落語「夫婦噺」の人気投票を実施すればやはり「芝浜」が選ばれるでしょう。
「芝浜」は、腕は良いが大変に酒好きな魚屋の勝五郎が師走のある日、朝の仕入れ前に芝浜を歩いていて50両もの小判が詰まった財布を拾い慌てて家に持ち帰ります。そしてその金で昼日中から近所の住人を集めて大宴会を開きました。ところが酔い潰れて寝込んでいた夕方に女房のタツが起こし、「今日は昼過ぎまで寝ていてほろ酔い加減で出掛け、近所の住人を連れ帰って宴会を始めた。年を越す金もないのに宴会代はどうするのか」と言いました。勝五郎が拾った50両の話をすると「酔って見た夢と現実の見分けがつかないところまで落ちぶれた夫には愛想が尽きた」と離別で告げました。どんなに貧乏をさせても健気に家を守っていたタツに出ていくと言われて勝五郎も目が醒め、それからは酒を止めて真面目に働き始め、元来は腕が良いだけに3年後には表通りに店を構える程になりました。
そんな大晦日の夜、タツが勝五郎に小判が詰まった財布を差し出し、芝浜で財布を拾った話が事実だったことを告げたのです。あの日、思い余ったタツが長屋の大家に相談すると「財布の金を横領すれば罪に問われ、仮に発覚しなくても堕落した人間になってしまう。ならば夢だったことにしろ」と言われ財布は大家が奉行所に届けたのでした。その財布の年季が明けて返ってきたのです。詫びるタツに勝五郎は心の底から感謝し、2人の耳に除夜の鐘が響きました。そこでタツが熱燗を勧めると勝五郎は久しぶりの酒を飲もうとしながら止めました。そして「よそう。また夢になるといけねェ」と言うのが落ちになっています。
一方、夫婦の本音を描いた噺としては「厩火事(うまやかじ)」があります。これは髪結いで稼いでいる年上で不細工な女房のサキと働かずに家で遊んでいる男前の亭主のハン公と夫婦喧嘩の仲裁をする仲人の話です。
日頃の不平不満を並びたてるサキに仲裁をしながら仲人は亭主の性根=本心を確かめる知恵を与えます。それは中国の孔子が大切にしている白馬が厩の火事で焼け死んだ時、日頃は馬の面倒に口喧しいのに「お前たちに怪我はなかった」とだけ問うたことを例に引いて、亭主が一番大切にしている骨董の丼ぶりを叩き割ってその時に何を言うかを確かめろと助言したのです。
それで実行すると亭主は「怪我はしていないか。指に怪我をしていないか」と心配したので、感激したサキが「お前さん、そんなに私の体が心配かい?」と問うと「当たり前だ。お前に怪我されてみろ。遊んでいて酒が飲めねェじゃないか」と答えました。
昔の男性にとっては「芝浜」のタツのような賢く陰から夫を支える女房が理想だったのでしょう。しかし、現代の男性は「厩火事」のサキのようにシッカリ稼いで自分は遊んでいられるやり手女房のサキの方を選ぶかも知れません。
  1. 2016/11/21(月) 08:44:34|
  2. 日記(暦)
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振り向けばイエスタディ646

「私とモールス大尉が下車して確認しよう」私の提案にオランダ軍の2人は両側から驚きと怯えの視線を浴びせる。これが自衛隊では当たり前の判断だと思ったもののオランダ軍では危険な場所へは下士官が向い指揮官たる士官は全般状況を監督するのが役割分担のようだ。普通、ヨーロッパでも王制が維持されている国では騎士道精神を受け継いでいる士官が危険の矢面に立つのが常識なのだがオランダ王家はヒトラーの脅威が迫ると国民を捨ててイギリスへ亡命した。これでは騎士道が残っているはずがなかった。
「最低速度で接近して横から車内を確認しよう」モールス大尉の命令にノールデルメール軍曹はうなずいて車を発進させた。その間、モールス大尉は無線で「不審車両を発見した。確認を実施する」と報告していた。
「車内は空のようです」農道の路側帯に放置されている不審車両の中を運転席から確認したノールデルメール軍曹が報告した。その時も防弾ガラスの窓は開けない。この臆病とも言える慎重さがオランダ軍の身上なのだろう。
「仕方ない。周辺を捜索しよう」モールス大尉の指示にノールデルメール軍曹は座席の後ろからH&K(ヘッケラー・ウント・コック=ドイツのモーゼル社の後継メーカー)・MP5短機関銃を取り出した。私はガンマニアの小椋1尉から「人間工学に基づいて設計された最新の銃器」と聞いているFN(ベルギーのブローニング系の旧国営銃器メーカー)・P90を期待したのだが当てが外れた。
「それでは3名で手分けして探しましょう」準備を終えたノールデルメール軍曹に命令を下せないでいるモールス大尉に私が声をかけた。私としては連絡要員としての立場から指揮権を侵害するような態度は採りたくなかったのだが、大尉と1尉の2名が安全な車両内に残り、軍曹が単独で捜索するのでは自衛隊の美学に反する。しかし、軍曹は困惑した顔で私たちの顔を見比べた。
「捜索の時間も限られている。3名で探そう」一瞬、間をおいてモールス大尉も座席の後ろからMP5短機関銃を取り出した。考えてみればP90短機関銃の弾丸は5・7ミリのライフル弾のため私のMー6短機関銃の9ミリNATO拳銃弾との互換性がなく、戦闘に巻き込まれた時にはMP5の方が助かるのは間違いない。
「これから3名で捜索に出ます。車両は留守になりますから連絡は携帯式無線で実施します」モールス大尉は捜索隊本部に連絡してから自衛隊の85式野外無線機よりも少し大きく、昔懐かしいJRT・F32よりは小さ目の無線機を背負った。
車両を出ると周囲は広い耕作地だが土の栄養分や水理が良くないのか作物はあまり育っていない。それでも家畜の糞を砂に混ぜた畑には野菜の緑の葉が伸びていた。
「溝がありますから底を確認しましょう」「うん、軍曹とキャプテン(1尉)で頼む」おそらく雨期になれば用水路の役目を果たすのだろう溝が畑の中央に掘られており、砂と石の底を晒している。私と軍曹の2人は底の岩や窪みに銃を向けながら確認していった。一方、大尉は上を歩きながら周辺を警戒している。
「山羊が水を求めて入ったのでしょう。ところどころに骨が転がっていますね」「これは野犬にでも喰われたようだね。骨が噛み砕かれている」前を進む軍曹の意見に私は答えているが、オランダ訛りの英語は通じない言葉も多く半分は推理だった。
「あの建物は何だ!」突然、土手の上を歩いている大尉が大声を上げた。車両を離れて1キロ近く歩いて来ているだろう。砂っぽい風に晒されている耕作地の視界は良好とは言えない。
私は足場が悪い土手を急いで登り、大尉が指差す方向を見た。そこには木の柱にムシロのようなものを掛けた掘っ立て小屋があった。
  1. 2016/11/21(月) 08:43:32|
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振り向けばイエスタディ645

「モリヤ1尉、オランダ軍の捜索隊に連絡要員として同行してくれ」防衛庁からの派遣許可命令が届くのを待っていたかのようにUNTANK司令部から派遣要請が届いた。それを受けて群長は副群長と1科長の顔を見回してから視線を私に留め、命令を下した。
「オランダ軍の車両が出迎えに来るそうだ」「判りました」私は指揮所の入り口脇の席から立ち上がると一番奥の群長と副群長の前に歩み寄り「連絡要員」としての申告をした。
「任務はオランダ軍の動向を逐次通報すること。被害者を保護した場合は事情聴取と関係部署との調整を実施すること。最悪の事態が確認されれば・・・」申告を終えた私に指揮所長である副群長は回覧されたばかりの機密文書を読み上げて任務付与に代えた。
私は自分のロッカーから防弾チョッキを取り出して着込み、銃を保管している大型金庫からMー6短機関銃と実弾を込めた弾倉を4本、弾帯につけた弾納に納めた。
「モリヤ1尉を迎えにオランダ軍のジープ?装甲車が来ました」宿営地の門衛所から連絡が入ると間もなく指揮所の外から聞きなれないエンジン音とタイヤが石を踏む音が聞こえてきた。
「モリヤ1尉、いつもの小道具は忘れていないな」出掛ける私に1科長が声を掛けてくる。私は返事の代わりに戒尺と数珠、線香とライターを入れた雑納をさすって見せた。

「犯人はトバラ市以外の土地からやってきたネオ(=新)・アルカーイダのようです」「ネオ・アルカーイダ?何時そんな物ができたんだ」「ブッシュが敵視すればする程、イスラムの若者には英雄に思えてくるようです」オランダ軍の偵察車両・フェネックはドイツのクラウス=マッファイとオランダのダッチ・ディフェンス・ビーグル・システムが共同開発した新型車両で、3人が横並びに座る。私は真ん中に座っているため両側から話しかけられた。
「しかし、実際は無法者が暴れる口実に名乗っているだけでしょう」「この車両なら奴らの銃火器くらいにはビクともしないがね」右側に座っているオランダ軍のモールス大尉は左側の運転手のノールデルメール軍曹と自慢げな視線を私の前で結んだ。確かにフェネックはアメリカ軍のハンヴィー・ジープに比べて装甲が厚く防弾性に優れているようだ。2人は交互にフェネックの優れた性能を自慢してくるが、英語にオランダ語の単語が混ざるため理解が難しかった。すると私があまり関心を示さないことを察したモールス大尉が仕事の話を始めた。
「犯人は市街地で写真を撮られたことに激情して女性を車両に押し込み、それを止めようとした男性も一緒に乗せて走り去ったようです」「被害女性は若いようなので性的暴行を受けている可能性が高いでしょう」海外のジョークではオランダ人は同性愛者にされることが多いのだが、この2人も阿部さんがレイプされることに全く感情を挟まない。私としても2人が生存していることだけを願いながら視線を通過する市街地の路地に向けた。
「了解、こちらも不審車両は見つけていません」モールス大尉は捜索本部と無線連絡を取り合っている。周波数は自衛隊の指揮所やUNTANK司令部とも共通にしているので傍受できているのだろう。やがて捜索範囲は郊外に拡大された、
「あの車両は何だ!」市街地を抜けて郊外の耕作地に入って間もなく右側で双眼鏡を覗いていたモールス大尉が叫んだ。そのまま車両が前進すると1台のワゴン車が路肩に放置されているのが見えてきた。車体の後部には黒字に黄色い丸のアルカーイダの紋章が手書きしてある(実際はアラビア語の文字も入っている)。当然のようにナンバー・プレートはない。
「うん、手配署にある車両の特徴に酷似しているな」「犯人が乗車している可能性がありますが接近はどうしましょう」不審車両の200メートルほど手前でフェネックを止めたノールデルメール軍曹はモールス大尉に指示を仰いだ。
  1. 2016/11/20(日) 09:14:47|
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振り向けばイエスタディ644

「UNTANK司令部の千光寺です」ある日の朝、指揮所に緊迫した電話が入った。それは在モロッコ日本大使館からUNTANK司令部に派遣されている千光寺書記官からだった。
「トバラ市内で日本人ジャーナリスト2名が拉致されたとの情報が入りました」興奮気味に説明する若手外交官・千光寺書記官の電話は情報担当の2科長に回された。
「それで氏名などは判っていますか」「今のところはオランダ軍からの第1報だけなので不明です」「それでは我々にできることはありませんね」「そんなァ・・・」2科長の冷淡な回答に若手外交官は言葉を失った。しかし、PKO法の所管は外務省であり、宮沢政権下で自衛隊の任務を極限して成立させたまま手をつけることなく放置してきたのは外務官僚に他ならない。
「兎に角、オランダ軍からの協力要請があれば対応して下さい」「それは君の一存なのか?我々としては責任の所在が明らかにならなければ動く訳にはいかないぞ」指揮所内の人間には2科長の強弁しか聞こえてこないが若手外交官の言っていることは想像できた。それは群長も同様だったようで、電話を切って報告を始めた2科長に黙ってうなずいていた。
「千光寺です。外務省からも連絡要員を差し出す許可を得ました」1時間後、再び若手外交官から電話が入った。時差を考えれば日本は退庁時間を過ぎている。当直要員を通じて許可を得たとしても誰の判断なのかを確認しなければ迂闊に動くことはできない。
「外務大臣の許可なのか?」「はい、そのはずです」「自衛隊の派遣命令権者は総理大臣だ。超法規的処置は総理の許可がなければ対応できないぞ」「向こうで上司の許可を進めてくれていますから最終的には総理大臣にまで届くはずです」「我々としては総理を通じた防衛庁長官の命令が届いてからしか動けないんだ」電話では冷たくあしらっているが、我々としても異境の地で同胞が危険に晒されていることを思うと超法規でも違法でも独断専行でも良いから動き始めたいのだ。しかし、そうすることができないのが陸上自衛隊と帝国陸軍の違いだろう。
総理大臣まで話が届き、折り返しに防衛庁長官に超法規的処置の許可が下りるのとオランダ軍が2人を発見するのではどちらが早くなるかは判らないが、下手すれば国防会議を緊急招集しての判断になるかも知れない。
「それから拉致されたのは阿部真理さんと相手の男性ジャーナリストのようです」続いて千光寺書記官は女性の方だけ名前を報告した。おそらくオランダ軍からの報告は「男女」だけのもので、それに自分の知識を被せたのだろう。これも戦場での報告としては落第だ。
「しかし、阿部さんが拉致されたとなると拙いな」「はい、若い女性ですから・・・」電話を受けていた指揮所長=副群長が群長に報告すると周囲では小声で最悪の事態が語られ始めた。男性であれば身代金の要求などが目的として考えられるが、若い女性であれば話が変わってくる。拉致した犯人の情報は全くないが粗暴な連中であることは想像に難くない以上、一緒に拉致された同伴相手の奮闘に期待するのも虚しいだけだ。
「日本から緊急電です。機密文書です」宿営地の外では影が身長の倍になる時間の礼拜になる頃、通信員が通信文を手提げ金庫に入れて持ってきた。金庫の取っ手と通信員の腕は手錠でつながっているところを見ると間違いなく「機密」だろう。入口を見ると2名の警護隊員が小銃を持って立っていた。
通信員が2科長の前で金庫を開けA4版用バインダーに挟んだ文章を手渡したが、表紙には「機密」と言う赤いスタンプが2つ押してある。2科長は表紙に記載してある紙面の枚数と文書のページ数を確認すると通信員が差し出したバインダーに署名した後、受領印を押した。
「要するに朝のニュースまでに対応を決定したと言うことだな」淡々と文書に目を通した群長はバインダーを副群長に手渡しながら所見を述べた。バインダーが回ってこなくても内容は想像できる。今となってはオランダ軍からの派遣要請が日没前であることだけが願いだった。
  1. 2016/11/19(土) 08:34:08|
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振り向けばイエスタディ643

首都・トバラの街中と幹線道路の整備が進み、流通が盛んになってくると妙な若者たちも顔を見せ始めた。トバラ市内の治安維持はオランダ軍が担当しているのだが、旧宗主国から残留した警察官の再教育も同時進行しているため監視の眼が行き届かないのは仕方なかった。
「あの若者たちはアルカーイダに憧れてNATO軍の一員であるオランダ軍とスペイン軍に攻撃を加えるつもりのようです」ある日、独立を前に業務が多忙になり、顔を見せなくなっているUNTANK司令部の若手外交官が指揮所にやってきて説明した。
「ふーん、やはりアルカーイダは壊滅ではなく拡散したんだな」「それは予想されたことでしょう」群長と指揮所長の会話に全員が揃ってうなずいた。
「おまけに中国も安全保障理事会の常任理事国であることで狙われているのですが・・・」「が・・・」ここで言葉を濁した若手外交官の顔を警備担当の3科長が覗き見る。その視線に促されて話しを続けた。
「彼らは自衛隊を中国軍だと誤解しているようです」「しかし、宿営地や車両にも国旗を掲げているじゃないか」今度は1科長が疑問を挟んだ。自衛隊の車両には両側のドアや前後に白地に赤丸の国旗が描いてある。隊員のヘルメットや防弾チョッキの胸と背中、迷彩服の肩にも国旗が張り付けてあるのだが、それを外国軍は「このデザインは射撃の標的のようだ」と心配してくれていた。
「それが何故か日章旗を中国の国旗だと教えられているみたいで」「一体、誰から?」2科長が形式的に質問したがそれは言うまでもないだろう。
「何にしろ警備を強化しないとまずいな」「新たな射撃許可基準も検討しましょう」3科長と運用訓練幹部の意見に群長もうなずいて同意した。
「ところで街中をうろついている日本人たちへの注意喚起は大丈夫なんですか」ここで私が若手外交官に声をかけた。井戸の掘削の前に地鎮祭を行うと必ず顔を出し、遠慮なく写真を撮っているジャーナリストたちの態度にはウラマー(聖職者)からも苦情を言われているのだ。
銃撃戦、技術教育、抗議デモに続き彼らの狙いは「自衛官が宗教活動」と言う問題かも知れないが、イスラム教のウラマーと友好的に実施している上、お布施はもらっていないのでそれは無理だろう。
「阿部さんにはせめてスカーフを巻くように注意しましたが、首筋を隠すところまではやってくれていないようです。他の男性たちはホテルで酒を飲んで騒ぐのを止めてくれません」唯一の日本人女性である阿部真理さんは体の線を隠しているムスリマ(=女性イスラム教徒)たちの中をTシャツにGパンと言う露出的な服装で歩き回るため作業員たちも注目している。本来であれば女性としての色気を発散する首筋にスカーフを巻いて隠さなければならないはずだ。
「そう言えば先日のデモの後、作業員たちが『自衛隊を応援するデモだったが効果はあったか』と訊いてきたからウチの隊員が『抗議の横弾幕だった』と教えたら怒っていたよ」1科の総務幹部の説明に幕僚たちは顔を見合わせた。
「それではイスラム教徒はジャーナリストに敵意を持ってしまわないか」「イスラム教でも嘘は許されていないんだろう」幕僚たちの質問に私が答えた。
「イスラムの戒律では18条に『本人が知らないところで悪口を言い、恥を流布すること』、27条に『他者の中傷を流布し、嫌悪を扇動すること』とあります。さらに24条には『アッラーの言葉を故意に偽ることや偽証すること』26条には『正義を故意に妨害すること』を禁ずるとあります。これらに該当するか抵触するでしょう」スラスラとイスラム教の知識を披露した私に若手外交官は唖然としていたが、副業を知っている自衛官たちは別に驚く様子も見せなかった。
「民間人を守ることはオランダ軍に頼むしかないな」この群長の言葉が我々の現実なのだ。
  1. 2016/11/18(金) 09:31:52|
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振り向けばイエスタディ642

「貴方、高仁智に会ってどう思った?」その夜、妻のジアエとホテルの部屋へ入ると開口一番に困る質問をしてきた。妻とは言え外国軍の士官に自衛隊の諜報活動を知られて良いはずがなく、少し保全意識が甘くなっているのかと反省した。
「高中尉から日本人ジャーナリストが取材に来たって手紙が届いたのよ」「それに俺の名前が書いてあったのか?」「ううん、そこは妻としての直感だわ」ジアエの説明に半分だけ安堵して質問に答えることにした。
「高中尉は拙いね」「やっぱり・・・」「カソリックの倫理をイスラム教徒の入院患者に強要しているんだ。それでかなり地元住民の反発を買っているよ」夫の厳しい評価を聞き、ジアエは唇を噛んだ後、残念なニュースを話した。
「これは軍内部の秘密なんだけど、アフガニスタンで我が軍の女性兵士が集団レイプされて恋人の男性兵士が銃と弾薬を強奪した事件が起きたの」「それは白上等兵と田上等兵か?」「そうだけど流石ね」これでは夫婦揃って守秘義務違反になってしまう。しかし、岡倉の胸に倉庫で愛を確かめ合おうとしていた若い2人の顔が浮かび、親近感の裏返しの同情が湧いてきた。
「高中尉はあまりにもイスラムの戒律を蔑視し過ぎているよ。あれではイスラム過激派の武装ゲリラに襲撃されても仕方ないな」夫の酷評を聞きながらジアエは高中尉が手紙に書いてきた反発を思い出した。
「それにしても韓国人の宗教観と言うのは極端だな」「・・・」珍しく夫が韓国に対して厳しい言葉を投げかけたのでジアエは真顔になって見つめた。
「何にしても他人を尊重する余裕がないんだよ。だから相手の信仰を否定した上で自分の宗教を強制してしまう。これがヨーロッパ人なら他人の信仰には立ち入らない余裕がある。どうも韓国は儒教の感覚の上に宗教が載っているみたいだ」この見解にアメリカ人を加えなかったのは9・11以降、見続けてきたアメリカの狂気に対する軽蔑だった。
「確かにそれは言えてるわ。私の父はカソリックの神父の家で育ったからヨーロッパ式の宗教観を持っているの。だから母も父からカミの愛と許しを学んだのよ」ジアエの率直な自己分析に岡倉は納得したように深くうなずいた。
「その点、高中尉はただの信者だから伝統的な儒教道徳で自分を縛っている上にカソリックの戒律で締め上げている。それで心が身動きできなくなっているのね」日本でも江戸時代の武家は儒教倫理で凝り固まっていたが、庶民は佛教で方向づけだけをされていた。ところが明治以降は儒教を請け売りする国家神道が社会規範となったため批判どころか疑問すら許されない狂気が国を蔽い、滅亡に向けて突き進んだのだ。
「松念院の和尚は儒教が大嫌いだったけどこうして考えると碌なものではないな」「儒教の道徳は人間を型にはめるばかりで私たちのカミのような愛情が感じられないのよ」夫婦揃って儒教を批判したところで岡倉は取材先での珍事を思い出した。
「そう言えばアフガニスタンには中国の業者がイスラム教の玩具を売りに来て、住民に町から追い出されたそうだぞ」アメリカ政府が「タリバーンを壊滅させた」と宣言して間もなくアフガニスタン国内に中国の業者がアッラーやムハンマドの人形を売りに現れ、偶像崇拜が禁じられているイスラム教徒の怒りを買い、各地の町や村から追い出されたのだ。
「へーッ、そう言うのって儒教の道徳には反しないのかしら」「逆に野放しにすると何を仕出かすか判らないから雁字搦めにしようとしたんだろう。全く効き目はないみたいだけどな」今夜はこれが落ちになったようだ。
ベッドでジアエを抱きながら岡倉は「あの時、出会ったのが高仁智だったなら」と考えていた。あの頑なな人間性も男女の快楽と愛情で少しは溶かすことができたのだろうかと。
続・亜麻色の髪のドール・モリオ理美 イメージ画像
  1. 2016/11/17(木) 08:52:51|
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俳優・ロバート・ヴォーンと歌手・レオン・ラッセルさんの逝去を悼む。

アメリカの俳優・ロバート・ヴォーンさんと逝去を悼む。
11月11日にアメリカの俳優・ロバート・ヴォーンさんが急性白血病で亡くなったそうです。83歳でした。
ヴォーンさんと言えば西部劇好きの先輩がレンタルビデオで借りてきて上映会を開いた「荒野の7人」のリー役です。この作品は黒沢明監督の「7人の侍」をユル・ブリンナーさんがリメイクしたのですが、リーと同じ役割を果たした人物はいなかったようです(三船敏郎さんの菊千代が似たような死に方をしましたが)。
それでもリーは賞金稼ぎと言う金のために人の命を奪う冷酷非情な人間でありながら、銃の腕の衰えに悩み、殺した相手の亡霊に悩まされ、村人に励まされているデリケートな面を見せており、盗賊によって家に閉じ込められた村人を救うため単独で飛び込んで3人を射殺したものの村人の無事を確かめて安堵したところを撃たれて死んでしまう日本的なキャラクターでした。
その映画を見た後、気づいたのはリー役の俳優が少年時代に見ていた(愛知県では夕方に再放送していた)「0011ナポレオン・ソロ」のソロを演じていたのではないかと言うことでした。
ナポレオン・ソロは架空の諜報と防犯国際組織・アンクルの2名のスパイの活躍を描いていましたが、ソロは007のジェームズ・ボンドとは似ていて違う女好きなやり手で(もう少しエネルギッシュだった)、感情を見せないロシア人のイリアとは好対照でした。
ソロが使うワルサーP-38はルパン3世でも登場していましたが、作者のモンキー・パンチさんがナポレオン・ソロを見て決めたのかは判りません。
さらに思い出したのが映画「さよならミス・ワイスコフ」でした。35歳で独身、処女の教師・ワイスコフが体調不良で受診した医師がヴォーンさんでした。ヴォーンさんはワイスコフ先生が若い頃に憧れていた想い人だったのですが「更年期障害」と言う35歳の女性には衝撃・屈辱的な診断を告げるある意味では憎まれ役だったようです。
ナポレオン・ソロはジェームズ・ボンドのように別の俳優による新作が作られていないことでもアメリカの上流階級的な男前で少し冷淡で皮肉な笑い方をするヴォーンさんがソロの適役だったのでしょう。
角川映画の「復活の日」にも出ていたそうですがこの作品は見ていません。御冥福を祈ります。

アメリカの歌手・レオン・ラッセルさんの逝去を悼む。
11月13日にアメリカの歌手・レオン・ラッセルさんが亡くなったそうです。74歳でした。
野僧がラッセルさんの歌を知ったのは、アラスカ人の彼女の家で60から70年代のポップスが好きな父親がカーペンターズのヒット曲だった「ア ソング フォー ユー」を男性が歌っているレコードを聞いていたため歌手の名前を訊ねたことが切っ掛けでした。
続いてレコード・コレクションを聴いていると同じく「マスカレード」や「スーパースター」も入っていて驚いてしまいました。
カーペンターズのカレンさんの声は美しくよく通るのですが、ストレート過ぎてビートルズやラッセルさんのカバー曲も音楽と英語の授業で正しい音階、正しい発音を学ぶための模範歌唱のような雰囲気がありました。一方、ラッセルさんの癖がある声と独特の歌い方からはこの作品に込められた想いを訴えかけてくるようでした。
あの頃は日本でもLPレコードなどではカバー曲が珍しくありませんでしたが、大半は本来の歌手の雰囲気を壊さないように歌っていて、ラッセルさんとカーペンターズのように独自の解釈で異質なものに表現し直すことの面白さを学ばせてもらいました。御冥福を祈ります。
  1. 2016/11/16(水) 09:40:35|
  2. 追悼・告別・永訣文
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振り向けばイエスタディ641

今回、岡倉は帰国の途中、韓国に立ち寄って防衛駐在官の林1佐に直接報告することになっている。林1佐もこの牧村と名乗る自衛隊員の態度にかなり自信がついているように感じていた。
「今の韓国のニュースは戦時中の日本みたいなんだよ」林1佐は開口早々に事実を渇望している胸中を吐露した。ただし、アフガニスタンでの組織戦そのものは沈静化しているので昭和17年代の占領地での地元民との友好な関係を報じていたニュース映画の話のようだ。
「それはアメリカのニュース映像の流用でしょう。日本も当事者ではないだけで似たようなものですよ」そう言いながらも岡倉が日本のニュースを見たのは数年前までだった。
「それで実際の状況はどうなんだ」「酷いもんです」岡倉の即答に林1佐は身を乗り出した。
「遠隔誘導の航空機による空爆は識別不十分で事実上の無差別爆撃になっています」「アメリカのニュースではパイロットを危険に晒すことなく戦果を上げていると宣伝しているがね」「それは企業のコマーシャルです」岡倉の皮肉に林1佐は軽く笑った。
「北部同盟軍はタリバーンに比べて規律が低く国民の信頼は全く得られていません。逆に盗賊まがいの略奪が横行しているようです」「それもニュースでは言っていないな」林1佐の合いの手のような返事に岡倉もうなずいた。
「地位協定も未締結で占領軍と現地行政組織との役割分担が機能していません」「それで韓国軍は上手くやっているのか」ここで林1佐は導入に続き本題に入るように促した。
「韓国軍の衛生部隊はかなり地元民の反発を買っています」「やはりな」林1佐は特別な感情を交えることなく同意した。
「その原因は」「イスラム教の戒律の否定だな」「そうです」林1佐も韓国軍の高級士官の言動・態度にイスラム教への理解不足を感じているようだ。
「具体的には・・・」ここで岡倉は診療所で見聞したイスラムの戒律を否定する場面と現地の住民から聞いた苦情を具体的に説明した。その日本的な常識では考えられない内容に林1佐も流石に困惑した顔になっている。
「韓国軍はアメリカの言うイスラム教の破壊と抹殺を本気で信じているのかな?」「少なくとも現地部隊はキリスト教の倫理を国際常識として定着させようとしているようでした」岡倉の説明に林1佐の顔は益々険しくなる。これでは最近、頻発しているNATO軍への攻撃が韓国軍に向かう可能性も否定できないだろう。
「何よりもクリスチャンを中心に派遣要員を選抜したのは完全に間違いです」「それでは佛教徒の方が良かったと言うのか?」「少なくともキリスト教対イスラム教のような対立は生まないでしょう」確かにこれは正論だが韓国軍では衛生職種にはクリスチャンが多く、更に志願により派遣要員を選抜したためこのような結果になったと聞いている。さらに韓国国内ではバーミアンの石佛が爆破されて以降、佛教徒の間でも激しい反イスラムの声が上がっており、この牧村が言うような効果は薄いのかも知れない。そんな林1佐の顔を見て岡倉は自己の所見を開陳することにした。
「問題なのは韓国人に個人主義の考え方が身についていないことです」「個人主義が?」思いがけず報告が観念論になったため林1佐は怪訝そうに訊き返した。
「欧米人は個人主義が身についているので互いの宗教や倫理道徳を不関与にし合うことができますが、韓国人は他を否定して過剰に自分の考えを押しつけることが多いようです」それが儒教の倫理なのかは判らないが、そのような面は林1佐も感じている。
「韓国軍の方にこの件を話される時には、このままでは反イスラムの敵としてNATO軍以上に憎悪の対象になる恐れがあると伝えて下さい」「うん、かなり言いにくい話だがそうしよう」林1佐は渋い顔をしてうなずいた。
  1. 2016/11/16(水) 09:36:32|
  2. 夜の連続小説8
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11月16日・近代戦を定義づけたクラウゼヴィッツ少将の命日

1831年の明日11月16日は近代戦を定義づけた士官将校の必読書である「戦争論(原題・Von Kriege)」の著者であるカルル・フィーリップ・ゴートリーブ・フォン・クラウゼヴィッツ少将の命日です。野僧は誕生日が同じ7月1日なので死ぬ日も同じにしたいと願っているのですが・・・今年も日付が変わるまで期待しています!
野僧は空曹時代につき合っていたアラスカ人の彼女の母親(空軍少佐)から「戦争の定義を学ぶためにはこの本を読まなければならない」と指導され、元々の哲学好きもあって熟読するようになったのですが、那覇基地BXの書店で「クラウゼヴィッツの戦争論」と注文したところ、分厚い「戦争論の誕生・クラウゼヴィッツの生涯(=ドイツの書籍の翻訳本)」と言う伝記が来てしまい個人情報まで学ぶことになってしまいました。
その後もアルフレッド・マハン、大モルトケ、マイケル・ウォルツアーなどの戦争哲学書を愛読していたため、直属上司である幹部たちから非常に敬遠されたものです。
クラウゼヴィッツ少将は1780年にプロイセンの田舎町に住むポーランド系の税務所の役人(元陸軍士官)の息子として生まれました。1794年に12歳で王子の親衛歩兵連隊に見習士官要員として入営し、2年後にはフランス革命に抗する第1次対仏同盟軍戦争に出征しています。
15歳で少尉に任官するとその学才と探求心を高く評価していた連隊長の推挙によって士官学校に入校することになりましたが、そこで教官として勤務していたプロシア陸軍参謀本部を創設し、大モルトケなどに活躍の場を与えたゲルハルト・フォン・シャルンホルスト中将(当時は中佐)と出会うことになりました。クラウゼヴィッツ少将はシャルンホルスト中将のことを「父であり、心の友であった」と評していますから正しく運命の出会いだったのでしょう。
またシャルンホルスト中佐もクラウゼヴィッツ少尉の才覚を認め、個人的に開設した軍事学会に参加させています。この学会で数学、論理学、地理学、歴史学、文学などの一般教養を習得するのと同時に論文作成の技法を練磨し、これが後の著述活動の基礎を作ったのです。
その後は学会の会員だった王子の親衛連隊の副官として勤務し、この時期に後の愛妻・良妻・賢妻となる伯爵令嬢のマリー・フォン・ブリュールさんと知り合っています。
時代は全ヨーロッパを手中に収めようとするナポレオン・ボナパルトの侵略戦争の真っ只中であり、クラウゼヴィッツ少将も戦争に出征して実戦経験を積みながら捕虜生活も経験することになりました。プロイセンがナポレオンに屈服すると帰国が許されますが、そこで陸軍省に転属して再会を果たしたシャルンホルスト中将と共に軍制改革を進め、密かに対フランス抵抗闘争の準備を始めたのです。
そしてシャルンホルスト中将はスペインの抗仏蜂起を指導してナポレオンに初の敗北を与え、クラウゼヴィッツ少将はロシアに赴いて対仏戦争に関する助言を与えています。
帰国後は陸軍士官学校長に就任し「戦争論」の執筆を始めました。これはクラウゼヴィッツ少将が反ナポレオンであることをフランスに知られることで占領政策に悪影響を及ぼすことを危惧したプロイセン陸軍が学生に対する講義を許さなかったため、時間を持て余した暇つぶしだったとも言われています。
「戦争論」では戦争を「他の手段を以ってする政治の延長」と定義しており、その根底には人間が本来有する凶暴性があるとしています。
ただ戦争には決闘の延長線上にある通常戦と相手を完全に打倒する殲滅戦があり、政治的制御により後者は発生しないと述べていますが、第2次世界大戦に於いてドイツと日本を舞台とする殲滅戦が実現してしまいました。
「戦争論」はクラウゼヴィッツ少将がこの日にコレラで病没した時点では全8篇のうち6篇までしか脱稿しておらず、残りは賢妻のブリュールさんが7篇を執筆・編纂し、1836年にブリュールさんが病没した後には協力者たちによって8篇が出版されて完結しました。
  1. 2016/11/15(火) 09:25:15|
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振り向けばイエスタディ640

翌々日から白一日上等兵の軍法会議=軍事法廷が始まった。通常、軍法会議は判事役の法務士官、検察役の憲兵士官と弁護役の法務士官で構成されることが多いのだが、この派遣先では法務士官が1名しかいないため、国防省の承認を受けて特例の法廷になった。
「本件の起訴事由は2002年5月××日午前11時56分頃に衛生隊診療所に警備用として備えつけられている小銃M2、大宇精工社製造、固有番号5番を強奪したこと。同じく小銃用5・56ミリ弾30発並びに弾倉1本を強奪したこと。及び強奪時に小銃用銃架と弾薬保管箱の鍵を破損したことであります」この起訴事由を聞いて弁護役になっている衛生隊長は深く安堵の溜め息をついた。今回の事件では罪状を銃器と弾薬の強奪とするか、それを用いての殺害未遂とするかで刑罰の重さは全く違う。少なくとも憲兵隊は情状酌量を認めたようだ。
「それでは罪状認否に移る。白一日上等兵、起立して中央へ」通常、判事役には大佐クラスの法務士官が当たるのだが今回は少佐が務めている。このため進行には不慣れなのか頻りに憲兵隊長の顔を見ていた。
「はい、その通りです。間違いありません」このような軍法会議での作法は弁護役の法務士官が教えるのだが今回は判事役になっているため弁護役の衛生隊長に助言を与え、それを白上等兵に教え込んだのだ。つまり出演者は完全な馴れ合いだった。
結局、白上等兵は本国へ強制送還の上、矯正労働1カ月(階級章を外し、草刈やペンキ塗りなど駐屯地内の雑務を実施する)と言う軽い量刑で済んだ。

「問題なのは診療所の入院患者への処遇です」軍法会議が終わった後、判事役、検事役、弁護役の3人は反省会を持ったが、その席で法務士官が衛生隊長に事件の本質を告げた。
「入院患者のですか?」衛生隊長は咄嗟に思い当たることがなく訊き返した。
「田上等兵をレイプした男たちを逮捕すればイスラム法で裁くことになるのですが、ウラマー(聖職者)は診療所で入院患者たちがイスラム法に背くような生活を強要されていると言うのです」「私はクリスチャンですから詳しくないのですが具体的にどのような」この衛生隊長の返事は問題意識が欠落していることの証左であり、法務士官と憲兵隊長は顔を見合わせた。
「例えば食事に出している肉は・・・」「米軍から提供されている物をそのまま出していますから栄養価や衛生面の問題はありません」「その肉はハラールではないでしょう」反論の前に衛生隊長は「ハラール」と言う単語が判らなかった。
「それから男女同室の病室で女性に薄着をさせている」「あれは我が国の病院と同じ入院衣です。衛生的で治療する上でも最適の服装です」衛生隊長の態度は次第に頑なになってきた。
「何よりも礼拜を許していない」「入院患者は安静第一です。無理な姿勢を取らせることは治療に悪影響があります」衛生隊長の抗弁は高中尉と共通しているが、それは衛生士官としての常識なのだろう。すると法務士官は想像以上に詳細な苦情を聞いていることを披露した。
「それではメッカの方向の柱にロザリオを掛けてあるのは衛生上、何か効果があるのですか?」「それは・・・」2人の問答を聞いていて憲兵隊長は「この法務士官が弁護役に当たっている軍法会議には出たくない」と考えていた。
「これだけの問題がある以上、犯人が逮捕されてイスラム法廷が開かれることになれば、貴方や診療所の責任者である高中尉も出廷して尋問を受けることになるかも知れません」「状況によってはそのまま被告人になる可能性もありますね」憲兵隊長も加わった2人からの反復・集中攻撃に衛生隊長の中佐は返事をしなかった。
「おそらく田上等兵も本国送還になるでしょう。そのまま白上等兵と結婚させるように仕向ければ全て丸く収まります」「軍の名誉と貴方の安泰のためにはそれが最善の策ですよ」やはり判事役と検察役の方が弁護役よりも密接に通じ合っていることを衛生隊長は噛み締めた。
  1. 2016/11/15(火) 09:23:57|
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11月15日・またも負けたぞ日蓮宗!=慶長宗論が行われた。

徳川幕府が開かれて5年、2代将軍・秀忠公と大御所・家康公の二元政治になっていた慶長13(1608)年に江戸城内で浄土宗と日蓮宗のタイトルマッチ=宗教論争が開催されました。
日蓮宗は宗祖・日蓮(聖人を付けるのが嫌になりました)が他宗派を殊更に批判していた攻撃性を受け継いでいるため折伏(しゃくぶく)と称する布教でも現在に至るまでトラブルを起こし続けていますが、日蓮自身が鎌倉での辻説法で他宗派を罵倒しているのを耳にした良忠禅師と問答を交わしたのを皮切りにタイトルマッチと呼ぶべき代表者同士の対決も公式記録が何度も残っています。
今回は日経(日本経済新聞の略称ではない)と言う当時は「日蓮宗を代表する」とされていた論客です。日経は上総国=現在の千葉県茂原市の生まれで、現在の千葉県東金市にある日什門派の長久寺で修行した後、千葉県大網白里市に方墳寺を建立しています。
京に上ると秀吉が建立した方広寺大佛(木製だった)の千僧供養への参加を巡って宗門内で論争が起こり、「日蓮宗徒ではない秀吉が主宰する法要に参加するべきではない」と強硬に主張した妙覚寺の日奥が秀吉の没後に対馬に流罪となると赦免に奔走し、強引な折伏で他宗派の寺院を自分の宗派に組み入れることを繰り返して宗門内では名声、他宗派からは罵声を一身に受けていきました。
この問答が行われる前年の慶長12年には日什門派の本山である京都の妙満寺の住職になり、そんな中で名古屋の熱田神宮で浄土宗の正覚寺の沢道さんと法論を交え、これを破ったことになっています。
ところがこの法論の結果に納得できない浄土宗は徳川家の江戸の菩提寺である増上寺を通じて異議を大御所・家康公に訴え、日経と増上寺の廓山さんとの間でリベンジマッチが開かれることになりました。
この宗論では高野山遍照光院の頼慶さんがレフリーを務め、浄土宗からは廓山さん以下、関東と京都の5名、日蓮宗は京都を中心に6名を揃えていました。
奉行も本多正純さんほかの大御所側近3名が務め、この他にも家康公の馬鹿息子である松平忠輝や幕府の重鎮・大久保忠隣さん、本多正信さん、土井利勝さん、大久保長安さんや伊達政宗公、南部利直公、浅野幸長公などの錚々たる大名が立ち会いました(尾張藩からは家老で大名格=犬山城主の成瀬正成さんが出席している)。
対戦結果は宗祖以来の「日蓮宗の信者以外からは布施を受けず、逆に救済もしない」と言う「不受不施義」を主張した日経が、「佛教本来の衆生済度を否定した」と判定されて敗北し、袈裟を剥ぎ取られて放逐されたのですが、江戸を出ると「宗論に勝った」と公言して回ったため、翌慶長14年3月25日に鼻と耳を削がれる刑を受けました。
それでも命までは取られず、家康公よりも3年早い元和6(1620)年11月22日に現在の富山市で没しました。
この両宗門の対戦は30年前の天正7年にも織田信長公の命により安土で行われ、この時も日蓮宗が破れ、折伏をしないことを誓っているのですが、宗祖以来の病癖は治癒することがないようです。
何よりも問題なのは日蓮宗が宗祖以降の敗北を全て法難にしてしまい、敗因の論理的な検証をしないまま妨害や圧迫を捏造していることです。
この敗北も日蓮宗の記録では「宗論の前に日経たちは幕府の役人から暴行を受けて口もきけない状態だった。このため延期を申し入れたが強引に戸板に載せられて会場に運ばれた」ことになっています。しかし、外様大名を含む立会人が見ている公開宗論でそんなことができるはずがなく、このように佛法のみか社会規範まで踏み外している邪宗が禁教にされなかったのが本当に不思議です。やはり家康公は東照神君なのでしょう。
  1. 2016/11/14(月) 09:10:03|
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振り向けばイエスタディ639

「白一日上等兵、銃器と弾薬の強奪容疑で逮捕する」診療所の前で2人の憲兵は拳銃を突きつけて白上等兵の背から放心状態の田智賢上等兵を下させ、肩に吊ったM2小銃を没収した。そこに診療小隊長の高中尉と警備班長の金軍曹が駆けつけてきた。
「一日(イルイル)・・・」地面に転がるように寝かされた田上等兵は目の前で手錠をはめられた恋人の名を弱々しく呼んだ。その様子に高中尉は田上等兵を、金軍曹は白上等兵を凝視しているしかなかった。
「田上等兵はレイプされたようだな。それも複数の男だろう」金軍曹が田上等兵を抱いて診療所に運ぶと回診のため残っていた医官が診断した。
「レイプを?白上等兵との性交ではないのですか」「いや、女性器の陰部に強姦による裂傷が見られる。前戯の後であれば体液が分泌されるからあのような傷にはならん。残置していた精液の量から犯人は3名以上だったようだ」医官の説明は具体的だったが高中尉自身は経験がないので想像するしかない。そんな高中尉の顔を見て医官は軽く肩をすくめると話を続けた。
「何よりもレイプされた精神的ショックは深刻なので当分は発作的に自殺する可能性もある。しばらく常時監視が必要だろう」医官の助言を聞きながらも高中尉は「汚された女」と言う嫌悪感が胸に湧いてくるのをどうしようもなかった。
「とりあえず処置は終わったから避妊薬を処方しよう」「避妊薬を?それは断ります」突然、血相を変えた高中尉の顔を医官は驚いたように見た。しかし、そのままの顔で理由を説明した。
「薬物による避妊はバチカンが許していません」「それではまだ若い田上等兵には見も知らずの男の子供を妊娠する可能性が生じてしまう。彼女はカソリックなのか?」医官の質問に高中尉の顔が強張った。クリスチャンばかりで編成されているこの診療所でもカソリックとプロテスタントは半々だ。カソリックの高中尉にとってプロテスタントの兵士たちの自由奔放な振舞いは我慢の限界に近づいていたのだ。
「確かに彼女はプロテスタントです。しかし、私の部下であることは間違いありません。例え妊娠することになってもそれはカミが授け賜った生命です。国費で購入した薬品でカミに背かせることはできないのです」この頑なな態度に医官も表情を変えた。
「私は少佐、貴女は中尉だ。処方した避妊薬を田上等兵に服用させることを命ずる」高中尉は黙ってうなずいた後に胸の前で十字を置いた。

「白上等兵、あの銃で何をするつもりだったんだ」白上等兵はPKO派遣部隊司令部が入っている建物の1階にある憲兵隊で取り調べを受けた。そこは小部屋の窓に鉄格子を取り付け、机を挟んで椅子が2つ、部屋の隅にも筆記用の机と椅子が置いてある。
「実弾まで持ち出したんだ。誰かを殺すつもりだったんだろう」憲兵たちはまだ2人に何が起こったのかを知らないようだ。その時、取り調べ室のドアがノックされた。
「何だ?」「診療所から電話がありまして」取り調べに当たっている軍曹ではなく部屋の隅で供述を記録していた中尉が問いかけると廊下から返事が戻ってきた。そこで中尉が立ち上がり、ドアを開けて立ち話をした後、白上等兵と軍曹が向かい合っている机の横に立った。
「彼女は集団レイプされたようだが、お前はその男たちを殺そうとしたんだな」この言葉に軍曹の脳裏にはこの被疑者の背中で動かなかった女性兵士の姿が浮かんだ。それは拳銃を突きつけた時、ベテランの憲兵も「死体ではないのか」と疑ったほどだった。
「理由は何であれ軍の銃器と実弾を強奪した事実に変わりはない。当然、軍法会議になるが、情状酌量の余地はあるな」中尉の言葉に白上等兵は頭を垂れて号泣し始めた。
その夜から白上等兵は地下倉庫に設置された拘置室で過ごすことになった。
  1. 2016/11/14(月) 09:07:44|
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振り向けばイエスタディ638

岡倉が韓国の診療所に対する市民の評判を調査し終えて帰国の準備を始めていた頃、アフガニスタン国内ではゲリラによる攻撃が頻発していた。アメリカ軍は「タリバーンの制圧」を宣言すると次の戦争に備えて兵力の撤退を進め、後はNATO軍が引き継いでいるのだが、先ずパトロールに巡回している装甲車が地雷で擱座した後、携帯式対戦車ミサイルで破壊され、乗員が死亡する事件が各地で起こった。続いて北部同盟軍に兵器・弾薬を運搬している輸送ヘリコプターが携帯式地対空ミサイルで撃墜された。
さらにヨーロッパ人のジャーナリストやボランティアが殺害される事件が連日のように発生している。この街では表面的には平穏が保たれているように見えるが、男たちの目に憎悪と殺気の暗い光が灯っていることを岡倉は察知していた。
その日、外出を許された白一日(ぺク・イルイル)上等兵と衛生兵の田智賢(チョン・ジヒョン)上等兵は誘い合って市内に出かけた。開戦当初の空爆で破壊された市内では行商人の他に物を売る店はない。それでも2人きりの時間を過ごすだけで気持ちがウキウキと沸き立ってくるのが若さ=青春だろう。
「これってデートだよね」「うん、戦闘服だけどね」「それでもペアルックじゃない」そう言うと田上等兵は腕をからめてくる。白上等兵は肘に押し当てられた乳房の弾力に生唾を飲んだ。
「智賢、姦らせてくれよ」「馬鹿!昼間から何を言っているのよ」2人は診療所の倉庫での行為を重ねているがそれでも田上等兵は拒否した。その恥じらって膨らんだ表情に白上等兵は欲情して強く肩を抱くと破壊された街並みの奥に連れて行った。
「草むらで寝転んで野の花の中で抱かれたかったのに・・・」人の目が届かない焼け残った家の奥でズボンを下げられながら田上等兵が口にした言葉に白上等兵の頭は少し冷やされた。確かにデートならばムードも考えなければいけなったはずだ。
「ごめん、もう少し我慢するよ」「本当にいいの?嬉しい」白上等兵が恋人に戻って謝ると田上等兵も幸せそうに微笑んで、口づけしてきた。
「何だ使わないのか?」その時、3人の男たちが押し入ってきた。それを目にした田上等兵は白上等兵の口の中で悲鳴を上げる。驚いて振り返ろうとした白上等兵は首筋を掴まれ、廃材が転がっている土の床に転がされた。
「止めろ!」床に押しつけられて首筋にアラビア式のナイフを突き付けられた白上等兵は叫んだが、言語の前に願いが通じるはずはない。目の前で田上等兵がナイフに怯えながら裸になるのを見ているしかなかった。
「お前らは我々の妻や娘を裸にしているそうだな」「これはその罰なのだ」男たちは交代で田上等兵を抱きながら涙を流している白上等兵に声を掛けた。イスラム教徒にとっては女性が夫や親以外の男性の前で体型を晒すことはイスラム法に背く大罪であり、男女一緒の病室内で薄い患者服を着せていることは女性の所有者である夫・父親にとっては許し難い屈辱なのだ。
その時、白上等兵を押さえている男の順番になったようで突きつけているナイフを鞘に納めた。同時に白上等兵は身をよじって逃れると建物を飛び出して診療所の待機室に走り、銃架と金属製の弾薬箱の鍵を壊して自分の銃と実弾を取り出した。
鍵を壊す音を聞きつけた金軍曹が廊下を走ってきたが、その時には外へ駆け出していた。

現場に戻るとすでに男たちの姿はなく田上等兵が裸のまま放心状態になって寝かされていた。その頭には何故か戦闘帽を被らせてある。つまり全裸ではなかったと言うことだ。
白上等兵が服を着せた恋人を背負って診療所に帰るとそこには憲兵隊のジープが停まっており、2人の姿を見つけた憲兵たちが駆け寄って拳銃を突きつけた。
韓国軍・イメージ画像
  1. 2016/11/13(日) 00:07:38|
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振り向けばイエスタディ637

李知愛(イ・ジアエ)中尉にアフガニスタンから手紙が届いた。差出人は学士士官の同期・高仁智(ゴー・インジ)中尉だ。
「仁智かァ、久しぶりだわ」高中尉とは学士士官課程では同じカソリックの信者であったこともあり士官学校内の聖堂へ一緒に通ったものだが、卒業後は衛生士官と法務士官に道が別れたため、時候の挨拶くらいしか連絡していない。今回は公用の書簡としての体裁で私信を送っている。つまり軍の検閲を受けたくないような内容が書かれているようだ。そのため知愛も公用の書類を読むような顔をして便箋を開くと、それは自筆の英文だった。
「親愛なる知愛、私が異教徒の地・アフガニスタンに来て2ヶ月が過ぎました」ここまで読んで知愛はカレンダーを確認したが、確かに3月上旬に派遣されてから2カ月が経っている。
「この悪しき信仰に犯された地にもカミの愛が広まり根づくことを願って努力していますが、中々成果は上がりません」知愛の脳裏に人一倍生真面目で頑なだった仁智の顔が浮かんだ。彼女は佛教徒だけでなくプロテスタントの同期とも対立し、色々な場面で論争を繰り返していた。だから今回の派遣に加わった時の意気込みは強烈なモノがあったのだろう。
「食事は米軍から供給されていますが油濃いオカズが多くて、そろそろキムチが食べたくなっています」「街中には一日に何度も野蛮な歌声が響き渡るので、ウチの兵士たちと讃美歌を合掌して聖なる空気を守っています」ここで突然、筆記体の流れが滞り、一気に走り出した。
「昨日、島村と言う日本人のジャーナリストが取材に来ました」「島村・・・」知愛にはそれが誰なのか判ったような気がする。あの夜、夫には高仁智のことを話したはずだ。
「島村は勝手に診療所内を覗き、私にはイスラム教徒の信仰を尊重しろと言ってきました。だからスパイと疑って捕獲して憲兵に引き渡そうとしたのですが、パスポートとプレスのIDカードが一致した以上、取材を認めろと言う指示を受けてしまいました」この辺りから仁智の文字は濃くなり、筆圧が増していることが判る。それにしても夫と同期がアフガニスタンで対面した上、捕獲騒動を起こしていたことには呆れるしかない。
「しかし、正しい教えはイエスの使徒・パウロから伝わる我々の信仰だけだと言う私の信念は揺るぎません。島村は私の心を試すためカミが遣わされた使者だと確信しています。そうでなければ悪魔でしょう」これは旧約聖書で繰り返されている説話だ。天地を創造し、人間を生み出したカミは自分に背く者を容赦なく滅ぼしただけでなく、従う者にまで殊更な苦難を加え、それでも信仰が揺るがないことを確かめた後で祝福を与えている。何にしても疑り深いカミなのだ。
「知愛、私がこの汚れた地を浄め、カミの御旗を立て、泥にまみれ迷える子羊たちを栄光の国に導けるよう一緒に祈って下さい。こんなことを頼めるのは貴女しかいません」ここで文字は綺麗に整った。李知愛中尉は読み終えた便箋をたたんで封筒に戻すと机の引出しにしまった。
この同期からの手紙で思いがけず夫の仕事ぶりを知ることができたが、その親身な助言も高中尉には通じなかったようだ。
知愛は毎朝夕に夫の無事を祈願しており、そして休日には聖堂に赴いて十字架の前に膝まづいている。だから高中尉を加えることは容易なことなのだが何故か躊躇われた。
「仁智、貴女の信仰は貴女とカミとの約束であって、それが全てではないのよ」知愛の信仰も揺らぐことはないが、岡倉と結ばれてからカミの下に続く道の両側に建っていた塀が崩れたように感じている。松念院で住職から教えられた禅語「大道無門 千差道あり 此の関を透脱すれば 乾坤に独歩せん」の通り、天に向かう坂道は峰ごと谷ごとに千差万別なのだ。
自分や高中尉はカソリックと言う道を歩いているに過ぎないことを教えたいと思う。しかし、それは彼女が帰ってからになるだろう。
  1. 2016/11/12(土) 00:01:59|
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振り向けばイエスタディ636

銃撃戦騒動に技術教育問題と我々の活動を妨害するための画策が続発すると地元の人たちの間で「自衛隊が撤収するのではないか」と言う噂が流れ始めた。その出処は言うまでない。
「自衛隊から何か迷惑を被ったことはありませんか?」トバラ市内で粗探しに励んでいるフリー・ジャーナリストたちは視線が合った人たちにこの質問をしていた。それが銃撃戦騒動の後、日本での撤退の動きを支援するため質問を追加したのだ。
「日本では自衛隊の撤退を求める声があるのですが、何か迷惑を被ったことはありませんか?」広くはないトバラ市内で噂はアッと言う間に隅々まで広まった。
「ジエータイが帰ってしまったら我々の仕事はどうなるのですか?」「まだ手伝ってもらうことは一杯あります」「もっと仕事を教えて下さい」現場でも指揮官は作業員たちに取り囲まれて作業の指示が出せなくなっている。それでなくても先日の報道を受けて言葉には細心の注意を払わなければならず苦手な英語の構文に頭を悩ましていた。
「ジエータイは帰ってしまうみたいだな」「日本で何か問題が起きたのかも知れないな」指揮官以下の隊員たちがハッキリ返事しないため作業員たちは不安を募らせるばかりだ。自衛隊がサラート(礼拜)に合わせてくれている休憩時間でも儀式が終わればその話題になっている。
「街で見かける日本人に訊いてみよう」結局、トバラ市内で見かける日本人に確認することを決めてしまった。
「日本人、ジエータイは帰ってしまうのか?」各部族の作業員の中でも英語ができる者が帰宅途中で見かけた日本人に声を掛けてみた。この男が街中で色気を振りまいている女の相手であることは噂で知っていた。すると男は愛想笑いしながら答えた。
「自衛隊は本来、海外に出てはいけないのです。だから問題があれば帰らなければなりません」
思いがけない話に作業員は隣にいる別の作業員に通訳するのを忘れて唇を噛んだ。
「それを止める方法はないのか?」「市民が帰らないように訴えるデモをやることでしょう。それが日本に伝われば政府も考え直すかも知れませんね」作業員は希望を見出してユックリうなずいた。
「そうか、判った。次の休日にやることにしよう」「アピールの幕は私たちが用意しますよ。隊員さんには言わないようにして下さい」作業員は日本人からの支援の申し出に礼を言うと相棒に説明しながら帰って行く、男はその背中を皮肉に笑いながら見送った。

休日の朝、宿営地には数百人規模のデモ隊が押し寄せた。彼らが掲げる横断幕にはこのような言葉が並んでいた。
「ジャパン セルフ ディフェンス フォース ゴー ホーム(自衛隊は帰れ)」「コンスティテショナル バイオレーション(憲法違反)」「ジャパン エンペアル アーミーズ チャイルド(帝国陸軍の子供)」ゲート前にはフリーのジャーナリストたちがカメラの砲列を並べている。それを中から見て私たちは呆れてしまった。
「自衛隊を直訳するなんてすごい英語力だな」「帝国陸軍の子供なんて歴史にも詳しいぞ」「驚いたな憲法違反なんて楽屋ネタ(=内部事情)まで知っているよ」要するに今回も明らかにジャーナリストによる自作自演なのだ。そろそろジャーナリストたちもネタ切れになっているのかも知れない。こうなると苦し紛れの一手には要注意だろう。
「北キボールで自衛隊の撤収を求める住民デモ」数日後に届いた新聞のファックスではこのような見出しが躍っていた。それでも記事の写真では横弾幕の文字の部分はトリミングしてある。流石に大手新聞社の編集部は見え見えの演出には気がついたようだ。つまりジャーナリストたちの苦労・努力は徒労に終わってしまったことになる。ところで経費は自腹だったのだろうか?
  1. 2016/11/11(金) 08:35:56|
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振り向けばイエスタディ635

「北キボールで銃撃戦かァ」淳之介が学校から帰ると新聞が茶卓の上に置いてあった。玉城家には夕刊の代わりに本土の新聞が届く。それは美恵子のレイプ事件の時、本人の証言もないのに「アメリカ兵による犯行か?」と言う記事を掲載したことで祖父の松栄さんが地元紙の購読を拒否したからだ。父がPKOに行っているらしいことは聞いているが、その現地で銃撃戦が起きたとなると読まない訳にはいかなくなった。
「PKO法の派遣基準が破れた以上、政府は早期撤退を決断すべきである」制服を着替えずに居間で新聞を読み始めた淳之介に廊下から祖母が声をかけてきた。
「淳之介、新聞は着替えてからにしなさい」「チョッとこの記事だけ」「お父さんの話ねェ」祖母も新聞には目を通しているらしく、その場で理解した。すると祖父が庭から帰ってきた。
「おジィ、お父さんは日本に帰ってくるねェ」最近は淳之介もシマグチ(沖縄方言)に染まってきている。祖父は座卓のリモコンでテレビを点けかけたが止めて淳之介の方を見た。
「帰ってこないだろう」「どうしてねェ、新聞に書いてあるさァ」中学3年生の淳之介には新聞に書いてあることは教科書と変わらない真実のように思っている。
「この程度のことで帰ってくるなら自衛隊が行く必要はないさァ。危険なことが起きてもやり抜くから自衛隊なんだよ」祖父の話を聞いていると淳之介には愛知の祖父母よりも玉城家の祖父母の方が父の実の両親のように思えてくる。おそらく愛知の祖父であれば「隊員が死ぬ前に帰ってこさせるのが国の責任だ」と言いながら不機嫌になるだろう。
「でも自衛隊は戦争に行ってはいけないんでしょう」「戦争はこっちがやりたくなくても攻められたら始まってしまうのさァ」父の下を離れて1年近くなり、最近は淳之介も沖縄の教師の思想に染まり始めているのかも知れない。ところが祖父は父と同じ考えのようだ。
「先生は『沖縄に自衛隊があるから攻められる』って言ってるさァ」「宮古島にも軍隊はいたさ。それでも攻められなかったぞ。本島が攻められたのはそこがアメリカ軍にとって重要だったからさァ」次第に祖父の声が大きくなってきて、気がつくと淳之介は正座していた。
「今度、清明(シーミー)祭の夜、松泉(しょうせん)伯父さんの話を聞いてみるさァ」「松泉さんって僕が来た時、挨拶に行った人ねェ」松泉さんは祖父・松栄さんの長兄でありモンチュウ(門衆=親族)の長でもある。
「伯父さんは鉄血勤皇隊の生き残りなのさァ」「鉄血勤皇隊って沖縄の生徒を日本軍が戦争に使ったんでしょう。女子の姫百合部隊と同じさァ」祖父は孫・淳之介を引き取るに当たって危惧していた沖縄の教員による反日教育の影響を思っていた以上に受けていることに愕然とした。
鉄血勤皇隊と姫百合部隊は陸軍・第32軍の協力要請を受けた県知事の承認の下に動員された14歳から16歳の生徒たちだが、当時の軍法でも17歳未満の徴兵は志願者に限られていた。しかし、沖縄の学校では沖縄戦を本土防衛の捨て石にされた悲劇であり、本土の政府を恨め、許すなと教えているので、故郷を守るために鉄血勤皇隊や姫百合部隊を志願した生徒たちの遺志は「無知ゆえに軍隊に利用された犠牲者」として踏み躙られている。
「それじゃあ、お前はお父さんや叔父さんの職業をどう思っているねェ」祖父は孫が身内まで敵視するようになっていないかを確認することにした。
「お父さんは災害派遣で活躍する国家公務員さァ。叔父さんは国家公務員の航空機整備員だね」ここで沖縄の教師が自衛官の子供たちに言わせている「軍隊は人殺し」「自衛隊は軍隊」「だから自衛隊は人殺し」を口にすれば殴るつもりでいた祖父はホッと溜め息をついた。
「日本の平和はお父さんや叔父さんが守ってくれているんだ。お父さんはアフリカの国の建設に行っている。そのことを忘れてはいかん」祖父の強い言葉に淳之介は曖昧にうなずいた。
  1. 2016/11/10(木) 08:55:44|
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