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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ913

杉本は任務を終えると昂揚する性欲を解消するため韓国の内妻・郭英和(クァク・ヨンファ)を訪れている。仕事を終えた英和との夕食の後、マンションに入るとインネット上で公開された韓国人牧師の殺害の模様を撮影した動画を見せられた。当然、杉本は「この現場から戻ったばかりだ」とは口にできない。そこで傍観者としての感想を述べた。
「やはりタリバーンとアルカーイダでは殺害方法が違うようだな」「そうでしょう。アルカーイダは殺害する直前まで屈辱を与えているけどタリバーンは異教徒である牧師を侮辱している様子がないのよ」確かに2年前に続発したイラクの聖戦アルカーイダによる日本人の殺害事件でも、自衛隊の撤退に応じない日本政府を批判させ、殺害方法も頸動脈を切って血しぶきを上げさせた後、倒れ伏した遺骸から首を切断していた。ところが今回は連行していく場面では女性たちが唄う賛美歌の声が入っており、刑場でも無言のまま頭に黒い布袋をかぶせ、後方からライフルで心臓を射ち抜いている。ただ指揮官と思われる男は仕草で射手に胸部を射つように指示しており、殺害後に画像を映すことを計算する冷静さもあるようだ。
「私たち韓国のマスコミはアメリカの発表をそのまま流しているけれど、やはりアルカーイダとタリバーンは別のようね」「うん、タリバーンはイスラムの教義と戒律の純化と徹底を目指し、アルカーイダは復讐と対抗を目的にしているんだ。タリバーンが武力によって排除される理由はないな」これは英和にとっては仕事では口にできない私的見解に対する同意だった。
「当然、盧武鉉はアメリカにタリバーンの要求に応じるよう申し入れているんだけど、ブッシュは全く譲る気がないらしいのよ」「どうもアメリカ政府は『単なる誘拐事件と言うことにしろ』の一点張りらしいな」英和はアメリカから帰りのはずの杉本の言葉にジャーナリストらしい関心を示した。
「誰がそんなことを言ってるのよ。酷過ぎるじゃない」「さしずめ国務長官だな。彼女はこの戦争を利用してパウエル長官を蹴落としてその後釜に座ることに成功した策士だ。今回の人質を皆殺しにさせて、それも今回の戦争を正当化する材料にすることくらい朝飯前だろう」「そんなァ・・・」杉本の見解に英和は憮然とした表情でテーブルの上に置いてあった煙草・エッセ・アイス(エッセ・シリーズの中では1番ニコチン、タールが多い)に火を点けた。それを見て杉本はアフガニスタンで倉田、岡倉と交わした煙草談議を思い出して苦笑してしまった。その笑顔を見て英和も微笑んだが、流石はニュース番組にレギュラー出演している人気コメンテーターだけにその美貌は際立っている。杉本は音を立てずに生唾を飲んだ。
「そう言えば今日の午前4時30分が4度目の回答期限じゃあなかったか」杉本はその唇を奪おうと手を伸ばしたが、自分の腕の時計が目に入って重大なことを思い出してしまった。ソウルとカブールの時差は4時間半なので現地では本日=31日の零時と言うことだ。英和も目を閉じかけていたが、そこはプロらしく素直に延期に応じた。
「そうだったわね。何かニュースが入っていないかネットを確認するわ」英和がマウスを操作して国際ニュースを開くと丁度、その話題が取り上げられていた。
「繰り返します。本日の朝、アフガニスタン中部の△△△△で7月19日に拉致されていた韓国のキリスト教団の青年の遺骸が発見されました。7月25日に遺骸が発見された牧師に続き2人目の犠牲者です」英和は明日のニュースでコメントするためなのか手帳をテーブルの上で広げ、要点をメモし始めた。ただ、英語の国際ニュースでは要点だけを繰り返す程度の扱いだ。
「これで2人目か・・・韓国政府としては何時までも先延ばしにはできないな」「それじゃあ、直接交渉に踏み切ると言うこと?」「アメリカが交換条件を飲まない以上、韓国が独自に提供できる見返りがあるかだな」英和はこれもコメントに使えると考えたのかメモを取った。
「韓国が直接交渉するのなら役に立つ男が現地にいるけどな・・・ペルシャ語と韓国語と英語が堪能でタリバーンと韓国軍にも関係がある人間だ」杉本は独断で岡倉を売り込むことを決めた。英和が持つ人脈を使えば岡倉を交渉に参加させることも可能であろう。ただし、表舞台に立たないことが原則の情報要員としては存在を暴露する危険もある。
「名前は」「牧村だ」「貴方と同じ日系ね」杉本が自分の金田と同じく岡倉の韓国での偽名を教えたはそれでも秘匿に念を入れたのだ。
ここでようやく先ほど延期した口づけを交わし、性欲を解消する作業に入った。
  1. 2017/08/12(土) 09:13:53|
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振り向けばイエスタディ912

人々が日の出前の礼拜を終えてバザールを開く準備のため通りに出るとそこに3カ所を紐でしばった見慣れない円筒状の物が置いてあった。大きさは2メートルを少し切るくらいだが、何かにボロ布を巻きつけてある。
「何なんだ、これは」最初に近寄った男性が端を蹴ると意外に重く、煉瓦の塊りのように固かった。
「ヒエ―ッ、これは人間の遺骸だ」隣りでその物体を見ていた男性が数歩さがって声を上げた。蹴られた物体の下の地面には赤い血が広がり、鼻を働かすと辺りには生々しい血の異臭が漂っていることに気づいた。アメリカの傀儡である北部同盟軍が侵攻してきて以来、占領された地域ではタリバーン狩りが行われ、疑わしい者は正規の裁判を経ずにその場で虐殺されていた。このため市民も遺骸は見慣れているのだが、朝の礼拜直後の清々しい気分の時に出会いたくはなかった。
「やはり警察軍に知らせないといけないだろうな」「あいつらは駆けつけ料を要求するぞ」「しかし、タリバーンに知らせたことが判ると俺たちが遺骸になってしまうからな」何にしても朝のバザールで混雑する前に片づけなければならず、3人は布で包んだまま頭と腰、足を縛った紐を持ち、建物と建物の間の路地とも呼べない狭い隙間に投げ込んだ。
結局、3人のうち馬を持っている1人が警察軍の施設に向かった。ただし、下手に接触すれば「犯人ではないか」と疑いの目で見られた上、その場で逮捕されて拷問に近い取り調べを受ける羽目になりかねない。そこで簡単な地図に「ここに遺骸がある」と記した紙片を空き缶に入れ、玄関の前を通過しながら投げ込むことにした。北部同盟軍は文盲が多い上に北部の少数民族は言語が違うため、この紙片が役に立つかは判らない。しかし、通報した証拠にはなるはずだ。
バザールが始まってから警察軍がやってきた。車両を下りた下士官たちは地図で指定してある建物の隙間で遺骸を包んだ筒状の物体を見つけ、遠巻きに見ている人々の前で開封した。
「これは手配書が届いている韓国人の牧師じゃあないか」「背後から心臓を1発だ。随分と安楽死させたものだな」その場で検屍を始めるとよく聞き取れない言語で所見を言い合い始めた。遠目で見ても仰向けにされた遺骸の服の胸部には穴が開き、上半身が血で真っ赤に染まっているのが判った。
「これはリムーバー・ディスクだな。また殺害方法を撮影した動画が入っているんだろう」「それでも今回は残酷な殺し方はしていないから安心して見られるな」「馬鹿!これは即刻、カルザイに送るんだ」カルザイ政権を守っているはずの北部同盟軍隷下の警察軍だが、緊張感は全く感じられない。それでも胸の中で密かな敵意を燃え立たせている人々に包囲されていることに気づいたのか現場での検屍を適当に済ませて遺骸を荷台に乗せると早々に立ち去った。

「牧師が殺害されました。次は女性かも知れません」牧師の殺害方法を撮影した動画を確認したカルザイ政権からアメリカ政府に泣き言が飛んだ。アメリカ政府としてはアフガニスタンでの内戦が継続している事実が明らかになることで国内の厭戦気分が強まり、ジュネーブ条約に違反している捕虜の処遇が発覚すれば国際世論も批判に転じかねないことを懸念して回答を先延ばしにしてきた。しかし、タリバーンからの要求を伝え聞いた韓国政府からも事態の早期打開を申し入れられており、これ以上の逃げが許されないことを自覚するしかなかった。
「タリバーンの潜伏場所は特定できないのか。それが判れば特殊部隊で急襲して壊滅させられるぞ」「人質が死んでも犯行と言うことにすればすむだろう」「むしろ一緒に殺害して口封じしなければいけないな」追い詰められた好戦的政治屋たちの発想はこのようなものだ。それどころか人権派の韓国政府も「死ぬのが軍人なら職務だが、聖職者を殺す訳にはいかない」と言うのが悩みどころだった。何にしても戦場での人命が風の前の落ち葉のように軽いことは時代の変遷とは別なのかも知れない。

「おい、個室に来い。指揮官からお話がある」4度目の延期になった回答期限が来た31日の朝、29歳の青年が呼び出された。青年は男性に割り当てられた部屋で牧師を一緒に暮らしていたため、処刑される前に個室に呼び出されるところを見ていた。つまり今度は自分の番と言うことだ。
「嫌だ!死にたくない。俺よりも年上の者たちがいるだろう。そっちが先だ」青年は部屋の角に自分の身体を押し込み、手足を振って激しく抵抗し始めたが、別の男性たちは部屋の隅で黙って見つめている。ここではキリスト教が金箇条にしている「自己犠牲=殉教」は実践されないようだ。
  1. 2017/08/11(金) 10:01:37|
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8月11日・大分県の九重山系で医学生2名が遭難死した。

(8月11日の「山の日」は登山を楽しむ休日ですが)昭和5(1930)年の明日8月11日に大分県の九重山系(連山とも言う)で九州帝国大学の医学生・広崎秀雄さんと渡辺邦彦さんが遭難死しました。
最初から余談ながら九重山系はこの地域の北麓に九重山(くじゅうさん)白水寺、南麓に久住山(くじゅうさん)猪鹿寺が開かれたことで明治になってそれぞれ九重町と久住町ができて、同じ読みの山にどちらの漢字を当てるかと言う論争が起ったのです。結局、地域名としては九重山系、山の名称としては久住山を用いることでお互いに納得しているようです。
野僧も九重山系には定番通り中央の盆地である坊ヶ鶴にテントを張り(夜は法華院温泉に通った)、3泊4日で1700メートル以上の久住山(くじゅうさん)=1787メートル、中岳=1791メートル、稲星山=1774メートル、星生山(ほしおさん)=1762メートル、三俣山(みまたやま)=1745メートル、大船山(だいせんさん)=1786メートル、北大船山=1706メートルに登りましたが、海抜1303メートルの坊ヶ鶴からならば午前に1つ、午後に1つでも登頂可能(尾根伝いに2つ、3つのこともある)な山なので「遭難者が出たことがある」と聞いて積雪がある冬場なのかと思いましたが、逆に真夏の事故でした。
この事故は夏休みを利用して英彦山から日田、竹田を通って阿蘇山を踏破していた2人が九州本土の最高峰である「中岳から月を見よう」と思い立ち、九重登山のメインストリートである本山(ほんやま)ルートから入山したものの折から接近中の台風に巻き込まれ、中岳の頂上から一段下がった台状の火口湖・御池の近くにある山小屋=石室(いしむろ)へ退避しようとしたのですが辿りつけず、2人とも過労凍死で死亡したのです。
九重山に限らず切り立った岩山では強風が稜線で遮られるため、その圧力を感じることなく登山を継続してしまい、尾根に近づいたところで急に暴風雨に晒されることがあります。また気温は高度が100メートル上がるごとに0・6度低下すると言われますから中岳の山頂付近であれば海岸線よりも13度弱低いことになり、真夏の九州とは言え豪雨でズブ濡れになった上に暴風に晒されれば急激に体温を奪われ、疲労と重なって命を落とすことは十分に考えられます。
ただ彼らは21歳の医学生であり、互いの身体状況を診断し合うことも可能だったはずですが、暴風の中でさまよい、石室の入口に気づかずに通り過ぎて力尽きて数百メートル離れて倒れていたのですから、余程凄まじい自然の猛威に晒されていたのでしょう。
ちなみにこの日、中岳には4組11人が入山していたのですが日没前には下山しており、2人と入れ替わる形になっていました。当時は携帯式ラジオがなく、天気予報を知るには山小屋などで聴くしかなかったのですが、山から山へ登山繰り返していた2人はそのような機会もないままこの地での「死の彷徨」に入ってしまったようです。
九重山系では昭和37年にも7名が死亡する遭難事故が発生しています。こちらは「三俣山の頂から初日の出を拜もう」と入山した福岡の2組9人が長者原から硫黄山の下を通り、三俣山の手前の北千里に至ったところでリング・ワンデリング(方向を見失い、同じ場所を何度もさ迷い歩く状態。パイロットのバーディゴ=空間識失調に近い)に陥り、スガモリ小屋(当時は有人だった)に凍傷を負いながら辿り着いた2名を除く7名が死亡しました。
このため三俣山には雪の中でも登山ルートが判るように登山者が積んだケルン(小石を積み上げた塔)が点々と並び、彼らが辿りついていれば助かったであろうスガモリ小屋(現在は無人の待避所)の前を通過する時には位置を知らせる鐘を打ち鳴らす習慣があります。九重山系は名曲「坊がつる讃歌」で謳われる景勝地だけではないのです。
それにしても本州の登山家たちには海抜1700メートルの山で遭難事故が発生すること自体が信じられないかも知れませんが、野僧が防府で勤務している時、基地の傍にある海抜222メートルの田島山で山菜採りに行ったお婆さんが遭難して死亡しました(低い崖から落ちて腰を痛め、持病を発症したことで捜索隊に発見されないまま死亡した)。
  1. 2017/08/10(木) 09:34:37|
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振り向けばイエスタディ911

「牧師、アッラーの広大無辺の慈悲により祈りを捧げる時間を与えよう。お前たちが信ずるカミに祈るが良い」3度目の延長だった回答期限が過ぎた25日の朝、食事を終えた牧師に指揮官の男が英語で告げた。その表情には一切の感情を排し、暗い目は吸い込まれるほど深く、周囲の空気が凍りつくような冷たい気配を発していた。
「まさかッ、私を・・・」牧師はこの指揮官の態度に自分に死刑が宣告されたことを察し、完全に取り乱してしまった。
「どうして私から・・・」「それが貴方の立場だろう」指揮官の返事に牧師は崩れるように椅子から下り、床に膝をついた。そして震える手を組むと顎を震わせながら「アイゴー(=絶望を表す感嘆語・『哀号』の当て字は間違い)」「アイゴー」と命乞いを始めた。これがアメリカ人であれば即座に「オー マイ ゴッド(我がカミよ)」と絶叫するのだろうが韓国人は口癖になるまで言い慣れてはいないようだ。指揮官は何時までも聖書の言葉を唱え始めない牧師を暗く冷たい目で眺めていたが、やがて「ハナニム(カミよ)」「ハナニム」と韓国語での懇願になったので、そのまま続けさせた。
指揮官は牧師が落ち着いたのを見極めて、これも感情を交えずに次の手順の説明を始めた。
「通常、我々の処刑はイスラムの聖なる大地にその血を捧げさせるため刃物で執行するのだが、貴方は異教徒とは言え聖職者なので不要の苦痛を与えぬよう銃で死なせてやろう。これもアッラーの広大無辺の慈悲と感謝しなさい」「アッラーに慈悲があるのなら私を助けて下さい。私たちはアフガニスタンの人々を救うために来ているのです」この牧師の弁明は拘束されて以来、何度も繰り返していることだ。そしてその度にハラールではない肉で調理した食料を配っていることがイスラムの戒律に背き、教育に名を借りた布教はイスラムの民を邪教に勧誘する大罪であることを説明してきた。
イスラム教原理主義運動の指導者でもある指揮官は同じ宗教者として冷静を演じてはいるが内心では憎悪が燃え上がり、この場で射殺したい衝動と戦っているのだった。
「貴方も聖職者なら自分のカミに救いを求めるべきではないのか。1426年ムハッラム(=ヒジュラ暦の年頭)にイラクで死を与えられた日本人は潔く首を斬られたぞ」それは2004年10月下旬にニュージーランドからイラクに入った日本人の青年が殺害された事件のことを指している。犯行声明を発表したイラクの聖戦アルカーイダは殺害の一部始終と首を切断された遺骸の動画をインターネットで公開していた。
「日本人は首を斬られることになれているんだ。我々とは違う」指揮官はこの牧師が死に臨んでも覚悟が定まらない俗物であることを知り、沸き起こる怒りを隠すために背中を向けた。それは侮蔑と言うよりも裏切られた者の怨嗟に近い感情だった。しかし、死に関する宣告を簡単に翻すことはできない。やはり銃で殺すことにした。

「牧師さま」銃を突きつけられて刑場に引き出される牧師を見つけ、建物内に収監されている女性たちが窓から声をかけてきた。中には鉄格子の間から両手を伸ばし、泣き叫んでいる者もいる。それを見てそれまで足元が定まらないでいた牧師は急に姿勢を正し、堂々とした態度で歩き始めた。
そして女性たちが入れられている幾つかの窓の中央に立つと背後の男に目配せをして立ち止まった。
「皆さん、ごきげんよう。慈しみ深き我らのカミの恵が皆さんを守って下さることを信じて・・・私は今、殉教できる慶びに胸躍る思いです。アーメン」牧師は縄で縛られている両手を組み、深く頭を下げ、女性たちは悲鳴のような声で「セサング・エ(韓国語の『オー マイ ゴッド』)」と叫んだ。
「こいつは牧師よりも役者になるべきだったな」最後尾を付いている指揮官は先ほどまで怯え切って失禁しそうになっていたこの牧師が人前では見事に聖職者を演じていることに感心していた。
「神よ 守りたまえ 道を歩む者を 遠く広き世界をゆく者たちを 彼らをいつも見守りたまえ  暗い嵐の時も 明るい日の輝く時も 我らの祈りに耳を傾けたまえ 危険にさらされた 彼らを守りたまえ アーメン」誰ともなしに女性たちの中から起こった賛美歌に送られて、牧師は施設の外の荒野に連れて行かれた。牧師たちは深夜にコンテナ・トラックで連行されてきたためこれは始めて見る風景だ。かつては家内工業の工場だったらしい壊れかけた屋根と前にあるあまり広くはない空き地、周囲に広がる赤い岩肌の荒野、これが最後に見るこの世界の情景になる。
「袋をかぶせろ」指揮官の指示で座らされた牧師の頭に背後から黒い布袋が被せられた。
  1. 2017/08/10(木) 09:33:21|
  2. 夜の連続小説8
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8月10日・道路利権推進デー=道の日

明日8月10日は政治屋への道路利権の分配を存在理由にしている国土交通省の前々身である内務省(地方行政、警察、土木、衛生、国家神道を所掌していた)が成立させた「近代的道路整備を推進する法律」に基づき大正9(1920)年に「第1次道路改良計画」を開始したことを記念して前身の運輸省が昭和61(1986)年に制定した「道の日」です。
野僧は現役時代、輸送に携わる職種でもあったため空輸、鉄道、船舶に強い関心を持って研究を重ねていたのですが、自動車に関しては免許を取った頃から興味を失い、どちらかと言えば嫌悪していました。実際、自転車で彼女とドライブならぬサイクリング、田舎道では2人乗りで青春を謳歌していたのです。したがって自動車での移動時は助手席に座って地図を見ていることが多く、地図上のデータを現地確認するような経験を積み重ねてきました。そこで感じたのが道路行政の実態が露骨な利権の分配であり、日本全国が政治屋の利権によって不要な道路を張り巡らす結果になっていることです。
現在、住んでいる山口県はその代表例であり、他県に比べて交通量が極めて少ない道路事情でありながら、戦前、戦後を通じて有力な政治屋を輩出してきたことで国家予算が湯水の如く注ぎ込まれ、現在では人家がない山間部にまで両側にガードレールと路側帯がついた立派な舗装道路が通り、前後に車影を見ることなく対向車もない貸し切り状態で走っているのです。然も山口県の道路利権の悪どいところは、国道では整備の必要性・優先度を算定するための交通量が足りないので県に予算を配分して県道を建設し、県内の土建業者に利権をばら撒いています。さらに最近では県道の建設・整備が完了してしまったため、今度は道路建設ではなく農林関係の予算による広域農道を作り始め、こちらも貸し切りで走ることになっているため、山口県や沿道の市町村では「せめて自転車で走ってもらおう」とサイクリング大会を開催しています。
似たようなことは宮城、岩手、青森の3県でも見られます。この地域は土地が比較的安価なので比較的低予算で道路が建設できるのですが、その道路関係予算は冬季の除雪でも使用されるため積雪期間が長引いた時に備えて中々新規の道路建設に注ぎ込むことができないのですが、それを補うように広域農道を建設し、土建業者の夏場の収入にしています。こちらは大震災による復興予算も絡んで巨大化していますが、土建業者への利権分配は小沢一郎が握っていますから山口県とは別ルートでしょう。小沢があれだけ追い詰められても政治生命を失わない秘密はこの潤沢な利権なのかも知れません。
逆に静岡県は驚くほど道路が貧弱でした。静岡県は静岡市と浜松市の東西二極に多くの大企業が所在しているのですがそれ以上に県が広く、かつては愛知県から静岡県に入るとそれまでガードレールがあり、路側帯まで付いていた対向2車線の道路が片側は断崖絶壁、片側は剥き出しの崖と言う状態になり、然も離合できないため坂道の所々に設けられている停車場で待って交互通行するしかなかったのです。これは神奈川県から伊豆に入った時も同様だったそうです。
静岡県の不運はある程度大企業からの税収があるので予算が逼迫している貧窮な県には該当せず、おまけに県選出の有力議員がいないため国に山口・岩手のように脅すか、逆に泣きついて予算を奪い取ってくることができないことがあります。その点が産業もない貧困な県が産業振興の名目で道路利権をばら撒かれているのとは別の辛いところです(北海道と沖縄は別枠)。
もう1つ、自民党道路族議員と国土交通省の官僚が結託して巨額に予算を私物化しているのは、それこそ貸し切りになっている高速道路の建設があります。
中国地方にはかつて中国山地を横断する中国自動車道が建設され、そこを起点にして日本海側と瀬戸内海側に道路を整備する計画だったのですが、予想通り瀬戸内海側の利用車数が圧倒的になり、それを口実に山陽自動車道が建設されました。
「需要予測」は建設行政の基本中の基本のはずですが、地方空港の建設でも全く意味を持たず、むしろ同じ国土交通省が所管する新幹線と高速道路の3者で利用者を奪い合って共倒れになっているのです。
全国に高速道路を建設しようと言う計画が自民党で起こった昭和30年代、日本には高速度を持続して走行できる国産自動車はありませんでした。つまり行き当たりばったり、利権のばらまきが目的と言うのが日本の道路行政の実態なのです。
「日本のような国土では遠距離は鉄道、近距離は自動車輸送に住み分けるべきだ」「道路行政は高速道路よりも一般道の整備を進めるべきだ」これはヤマト運輸の創業者から直接聞いた提言です。
  1. 2017/08/09(水) 10:14:46|
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振り向けばイエスタディ910

「続きまして昨夜、アフガニスタンで発生した韓国キリスト教団の集団拉致事件の続報です」岡倉は24時間連続のニュース放送を聞いていても母国の「ジャパン」、妻が住む「コリア」、そして現在の職場である「アフガニスタン」の地名で反応する。第1報は礼拜を終え、昨夕にバザールで買っておいたパンを紅茶で喉に流し込んでいる時だったが、今回は現場になった××××に向かう途中にあった露天市場で昼食を買いに出る直前だった。
「アフガニスタンで壊滅させられたタリバーンがカルザイ政権に対して犯行声明を送達してきました」やはり英語の放送だけにアフガニスタンでの戦局はアメリカ、イギリス両政府の公式発表に基づいて報道しているようだ。しかし、今回、潜入して見ると市民のタリバーンに対する支持は維持されており、むしろ侵略軍に対する反発と北部の少数部族が樹立したアメリカの傀儡政権への不信から期待が強まっているように感じている。
「タリバーンは人質と捕獲されている自軍の兵士の交換を要求していますが、カルザイ政権としてはアメリカと協議する必要があるため回答は保留した模様です」「ふーん、捕虜と人質の交換かァ」この報送は受信電波が弱く電池を節約していては音量が低くなるため、地名に反応した時だけ携帯ラジオを耳に当てるようにしている。今回はここまでのようだ。
「カルザイ政権と言ってもアメリカの傀儡なのは間違いないから全てが指示待ちになるな。ワシントンの連中が目覚めて出勤して、会議を開いてからだと・・・時差は8時間30分だったな」岡倉はそのアメリカの東海岸からアフガニスタンに来ているため時差は即座に確認できた。
「問題はタリバーンが回答期限を何時にしているかだ。8時間半の時差があっては1日24時間が32時間半で進行することになる。明日の回答がその半日後では交渉にならんだろう」本来、外交事案に於いては決定権を持つ主要幹部も緊急招集に応じるものだ。しかし、アメリカ政府の首脳陣は相手に気を使われる癖がついているのか、余程のことがない限りマイペースを堅持する。この事件も当事者は韓国なので期待はできない。
岡倉はラジオの電源を切り、カバンの中にしまってから手荷物を持って車を下りた。タリバーンが支配していた頃には窃盗などは心配しなかったが、今回は隙を見せると小物を奪われることがある。
イラクのサッダーム・フセイン大統領も同様だが、アメリカのブッシュ政権が勝手な倫理観で排除したイスラム圏の政治指導者たちはその強権で無法者たちを押さえていたのであって、一般市民に弾圧を加えていた訳ではない。結局、イラクでの戦争はフセインを逮捕・処刑すると言う目標は達成したものの、新政権に反抗する武装勢力が山岳地帯を越えてシリアに逃げ込み、そこを拠点にして神出鬼没のゲリラ戦を展開している。アフガニスタンでもタリバーンは組織的戦闘を維持しており、治安維持に当たっている各国軍の車両や兵員への攻撃が頻発しているのだ。

「今回も延期要請かァ、タリバーンがどこまで我慢するかだな」岡倉は現場になった××××に到着したが、現場周辺はカルザイ政権の武装警察官が封鎖しており、地域住民への取材も韓国人と疑われて何も聞き出せなかった。つまり今の岡倉にはラジオ以外に情報収集の手段はないのだが、案の定、カルザイ政権とタリバーンの交渉は難航と言うよりも遅延しているようだ。最初の犯行声明で21日と設定してきた回答期限が、アメリカとの協議が進まず24時間延期になり、22日と23日にも24時間の延長が繰り返されている。これは時差の問題だけでなく、ブッシュ政権内でも対応に苦慮していることが容易に想像できた。
ブッシュ政権は「タリバーンを撃滅し、アフガニスタンでの戦闘は終結した」と公式発表しており、有志連合軍の損害については単純なテロ=犯罪としている。今回の事件が組織としてのタリバーンとの交渉になれば「壊滅」と言う説明が虚構であることが白日の下に晒されてしまう。さらにタリバーンの捕虜はアルカーイダ、イラクの武装組織の戦争犯罪者と同列に扱われてキューバにある海兵隊のキャンプ・グアンダナモ内に収容されており、その苛烈な攻撃による損害の増大によってアメリカ兵たちの憎悪が強まり、拷問や侮辱が横行していると言う。結局、タリバーンとしてはこれ以上ない最高の取引材料が自分から目の前にやってきたことで簡単に手中に収め、ブッシュ政権を窮地に追い込んだことになる。
「佛の顔も三度と言うが、アッラーは何度かなァ」カルザイ政権の回答延期要請は3度目だった。
  1. 2017/08/09(水) 10:13:30|
  2. 夜の連続小説8
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8月9日・マスコミは長崎のカソリック信者を殉教者扱いするのは止めろ!

先日、亡くなった妙好人の婆さんは長崎の被爆者ですが、テレビの原爆式典の中継は嫌って見ていませんでした。と言うのもNHKを代表とするテレビ各局は長崎の式典はヒロシマに比べて政治的アピールが今一つなためか(「二番煎じ」とも言う)、番組の途中でカソリック教会のミサの模様を挟むからです。
婆さんはゆく年くる年などでも長崎と言うとカソリック教会のミサになり、最近では県や市、観光協会がそれを売り物にしていることを怒っていて、野僧が代わりに抗議の電話をかけることもありました。
今や長崎市を代表しているかのように扱われているカソリックの信者は全市民の0・7パーセントに過ぎず、全国平均に比べれば多いとは言え完全に少数派です。
更に長崎が「キリシタン弾圧」と主張している観光資源も、実際は隠れキリシタンであることが発覚すれば拷問を受けることを知っていた門徒たちが、隠せば同罪になることを承知でつき合って来て、だから明治になって尊皇攘夷を国家神道に置き換えることを狙った桂小五郎が行った大弾圧では村単位、数千人に上るキリシタンが捕縛されたのです。
ところが欧米の圧力によってキリスト教が解禁されると同じように唯一絶対の存在を信仰する門徒たちが「アンタらはゼウスさん、ワシらは阿弥陀さん、同じような信心の者同士、仲良くしよう」と手を差し伸べても「門徒は邪教を信仰している」と恩を仇で返し、それまではキリシタンであることを隠すため嫌々でも手伝っていた葬儀などを拒否するようになり、むしろ欧米人との交際を進める新政府の役人どもが教会でのミサの桜として利用することを好いことに長崎での存在感を実態以上に喧伝するようになりました。
そんなカソリック信者たちも戦時中は大人しくなったのですが、敗戦後は自分たちのカミの名を以って投下されたプルトニウム爆弾を政治利用するようになったのです。
その姑息で見事な2正面作戦は、先ず進駐軍に媚を売り、アメリカが原爆を投下したことを正当化する根拠とした「日本軍が罪を犯したからアメリカがカミに代わって懲罰を加え、ポツダム宣言により降服を勧めても応じないため原爆を投下せざるを得なかった」と言う虚構を信者を中心に一般市民にも流布しました。
その一方で日本国民に対してはカソリック信者の永井隆博士のお涙頂戴の駄文「長崎の鐘」や「この子を残して」が評判になると、まるで長崎のカソリック信者が殉教者であるかのように自己主張を展開するようになりました。
その前段階としては豊臣秀吉によるキリシタン弾圧と禁教を殊更に強調し、その過酷な拷問や残酷な処刑にも信仰を棄てることなく殉教した者たちの精神を長崎のカソリック教徒たちが受け継いでいることにしました。しかし、実態は前述のように周囲の人々の同情と年貢の確保したい代官・庄屋たちにより事実上は黙認されていたのです。
そして戦前は国家神道を強制する軍部に抵抗して迫害を受けたことにしていますが、これも組織としての日本カソリック教会はプロテスタントと共に国家神道に服従しており、信者が近所のつき合いで靖国・護国神社へ参拝することや子弟たちが遠足に行くことを認めていましたから事実ではありません。
おまけに浦上天主堂が投下目標になったことまで利用して、自分たちをカミの怒りを鎮めるため身を捧げた殉教者と言うことにしたのですから呆れて開けた口が塞がらなくなります。
そもそも2発目のプルトニウム爆弾は小倉に投下する予定が悪天候と小月の陸軍、築城の海軍の迎撃機が発進したため退避し、第2目標だった八幡は前日の通常爆撃の火災が鎮火しておらず黒煙で目標が確認できずに断念、そこで帰投する経路上にあった都市の上空で雲が切れたため捨てるように投下したのが長崎です。
核兵器禁止条約が可決され、日本が参加しなかったことを広島市長が批判したのなら、原爆の投下を正当化するようなカソリックの信者を主人公のように扱うのは絶対に許せません。やはり主役は被害者と長崎市民の大多数を占める門徒とするべきでしょう。
NHKはホリエモンが着ていたヒトラーの顔を描いた反戦Tシャツを不愉快と批判した視聴者の声を受けて謝罪したのですから原爆を正当化するカソリック信者を主役にすれば即座に抗議させてもらいます。
  1. 2017/08/08(火) 09:30:54|
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振り向けばイエスタディ909

韓国のキリスト教団に関する調査が一段落したところで倉田と杉本は報告のためアメリカに帰り、今回も岡倉が残って市民の反発の動向を探ることになった。
そんな7月19日の深夜、地方の町で活動していた教団の施設が襲撃された。施設の裏口にヨーロッパ製のワゴン車とパキスタンの食品会社の名称を記したコンテナ・トラックを横付けするとドライバー以外の男たちがドアを蹴破って侵入し、懐中電灯で照らしながら廊下を駆け巡ると各部屋で眠りについていた男女を叩き起こしたのだ。
「動くな」「静かにしろ」襲撃犯たちはペルシャ語で命令を与えているが、その施設にはペルシャ語を理解する者はいない。ただ過半数を占める女性が派手に悲鳴を上げて男たちを激怒させた。
「黙れ!」男たちの口調が怒声になっても女たちは黙らない。そこで指揮官の合図で一斉に銃を構えるとようやく静かになった。
「フリーズ(動くな)」「シャーラップ(黙れ)」指揮官らしい男が英語で命令を繰り返すと女性たちは手を取り合って震えだした。祈りを捧げることもなく怯えるばかりの女性たちを見て男たちは教団支給なのか揃いの白いネグリジェの襟首を掴むと廊下に引きずり出し始めた。そして廊下では銃を構えて待っていた男が人数を確認していった。
「責任者は私だ。人質にするなら私だけにしろ」そこに寝間着の上にガウンをまとった中年の男性が奥の部屋から出てきて指揮官と思われる男に英語で声をかけた。
「我々はタリバーンだ。お前たち全員を捕縛する。お前たち韓国人はヨーロッパのキリスト教徒たちよりも早く我が国に乗り込んできて、心正しきムスリムやムスリマたちを冒瀆している。我々はその専横を許すことができない」指揮官はそう言うと中年の牧師を別の男に引き渡し、銃を突きつけて裏口に向かわせた。そして廊下に引きずり出された女性たちに立つように命じて後を追わせたが、腰が抜けてしまっている女性は男たちが両側から腕を取り、引きずるように外へ連れ出した。
施設の裏口に止められているコンテナ・トラックの荷台の扉が開けてあり、踏み台に木製の箱が置いてある。銃を突き付けられた牧師が最初に乗り込み、続いて女性たちが乗り込んだが、段差が登れない者の尻を男たちは黙って押した。それを女性たちは性的暴行の始まりと受け取ったようだが、男たちは無表情に次々と荷台に乗りこませているだけだった。
「施設内を確認したところトイレにこいつが隠れていました」最後に残っていた男が若い韓国人の男性に銃を突きつけて連行してきた。男性は怯えているのか足取りも覚束なず何度も背中に銃口が当たり、その度に「ヒエッ」と小さく悲鳴を上げる。
「女性たちを見捨てて自分だけが助かろうとするとは宗教関係者とは思えないな。韓国のキリスト教とはそのようなものか」タリバーンと名乗った指揮官は侮蔑するように男性の顔を懐中電灯で照らし、胸の前で光った十字架を引きちぎり、コンテナの中に投げ込んだ。そうしてその男性も乗り込ませると扉を閉め、外からロックをしてエンジンをかけたままだった車を発進させた。

アフガニスタン国内のマスコミは機能を回復していない。尤もタリバーンの統治下ではパキスタンなどから欧米の軽薄な文化情報が流入することを嫌い、国民がテレビなどを視聴することを制限していたので機能不全は戦争が原因とは言い切れない。従って岡倉は短波ラジオの英語ニュースで情報を仕入れている。
「昨夜、アフガニスタン中部の××××で韓国のキリスト教団「大韓イエス教長老会」の施設が何者かに襲われ、牧師以下男女23名が拉致されました。犯行声明などはまだ出ていません」岡倉はアフガニスタンの地名で反応し、手に取って耳に近づけていたラジオを車の助手席に置いた。
「××××かァ、杉本さんの調査では牧師は42歳、男性は5、6名、あとは女性だったな」この教団施設も杉本、倉田と調査に訪れたことがあるが活動状況は他の施設と大差はなく、特別に狙われるような理由は思い浮かばなかった。
「確かにジアエが言うとおり、韓国政府は調査能力もない癖に軍を戦地に送り込んでいるが、国民への説明も不十分なようだな」かつての大本営発表を思わせるアメリカ政府の「勝った、勝った」の誇大広告を鵜呑みにして乗り込んだこの教団の軽率さを批判することは簡単だが、その解決に向けた道筋は全く見えてこなかった。
  1. 2017/08/08(火) 09:29:30|
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8月8日・台湾の父の日

明日8月8日は台湾の「父の日」です。その由来は中国語で「父親」は「パァパ」であり、数字の「8」は「パァ」なので日本で言えば「語呂合わせ」に当たります。
ちなみに台湾の「母の日」は日本と同様にアメリカ式の5月の第2日曜日で「母親節」と呼んでいるようです。こちらの由来はハッキリしませんが、明治以降、「文明開化」の名の下に何でも欧米の風習を有り難がり、真似していた日本が統治していた頃に押しつけた風習なのかも知れません。
一方、韓国では5月8日が「父母の日(オモニナル)」ですが、これは1956年から1972年までは「母の日」であったとは言うものの日本が模倣している5月の「母の日」や6月の「父の日」由来する風習ではなく、キリスト教のイースター(復活祭)の46日前から始まる準備期間の第4週目に当たることで大統領令「各種記念日に関する規定」により定められました(宗教的な意味は不明)。
アメリカの「母の日」「父の日」は南北戦争でつれ合いを亡くした父母が独力で子供を育ててくれたことに感謝を捧げる日ですが、カソリックの国では3月19日のイエスの養父・ヨセフの祝日としていることが多く、ロシアではソ連時代の1918年に第1次世界大戦の対独戦争で勝利した2月23日を「祖国防衛の日」としており、父親だけでなく夫や兄、働いている息子に感謝する祝日として継承されているようです。ならば日本でもアメリカの南北戦争の逸話程度の両親の美談に事欠くはずはなく(古事記にまでさかのぼれば幾らでもあるでしょう)、台湾式に日本語の語呂合わせで10月3日を「トーサン=父さんの日」、8月8日を「ハハ=母の日」にでもした方が良いでしょう。本当は11月で「イイ=好い」にしたいのですが、「母」の該当する日が見つかりません。
ついでに言えば日本では西洋風のように思って「パパ」「ママ」と呼ばせている家庭も少なくありませんが、英語では「ファーザー」「ダディ」と「マーザー」「マミィ」、フランス語は「パパン」「ママン」、ドイツ語は「ファーター」「ムッター」、イタリア語は「パードレ」「マードレ」です。さらにアラビア語では「アバ」「ムゥマ」、韓国語は「オムマ」「アッパ」なので、やはり中国語が一番近いようです。
ただし、前述のように実際の発音はイントネーションが難しく母親の「マァマ」も言い間違うと別の意味になってしまいます。実際、野僧が某大学に入った時の中国語の最初の講義で習ったのが「お母さんが馬に乗る」「馬は遅い」「お母さんは馬を罵る」と言う短文で、これを中国語にすると「マァマギマァ」「マァマ」「マァママァマァ」になり、これをイントネーションで言い分ける練習をすることで母音1つに4つのイントネーションがあることを叩き込むのです。ただし、やり過ぎると漢文のお経を詠む時、変なイントネーションになって困ります。
それにしても日本を代表する父と母は誰になるのでしょうか。父は平忠盛、織田信秀、伊達輝宗と問題を抱えた息子を立派に育て上げた人物が何人も浮かびますが、母となると好みの問題が影響して決めかねてしまいます(容貌、素行を含め)。
  1. 2017/08/07(月) 10:17:51|
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振り向けばイエスタディ908

問題の教団の外からの観察を終えると杉本は韓国人記者を装って関係者に接触を試みた。
「アンニョンハセヨ(こんにちは)」建物の外に並べたプランターの花にバケツと柄杓で水をやっている地味な服装の中年の女性に声をかけると突然の韓国語に驚いたように振り返った。
「私は大韓日報の記者で平(ピョン)と言いますが、少しお話を伺わせて下さい」杉本は「金(キム)」「李(イ)」「朴(パク)」「張(チャン)」「林(イム)」などの一般的な姓ではなく、あえて少数派の姓を名乗った(260しかない韓国人の姓の中では192位)。これも韓国人であることに疑いを抱かせないための工夫のようだ。
「これはようこそ。私ではなく責任者に引き合わせますから中にどうぞ」女性は柄杓をバケツの中に入れると右手で案内した。やはり宗教活動で海外にまでやってくるような女性は謙虚で、韓国国内でよく会う、良くも悪くも自己主張の塊のような中年女性とは別人種のようだ。
「いいえ、現場で地元の人たちに接している方の声を聞きたいのです。話せる範囲で結構ですからお願います」「はい、私でよろしければどうぞ」杉本の申し出に女性は上品に返事をすると両手を腹の前で結んで正対した。そこで杉本は表紙にハングル文字で「防備録」と書いた手帳を取り出した。
「タリバーンと言う凶悪な支配者に邪教を強要されていた迷える子羊たちをカミの祝福に導くことはできていますか」最初から重い質問を投げかけられて女性は一瞬たじろいだ。しかし、深く息を吸うと自信ありげな表情になり力強く答え始めた。
「勿論、彼らの命をつなぐために食料を施しています。女性たちには現代的な生活習慣を広めています。子供たちに教育も行っています」やはり「自分たちがカミの代理者になっている」と信じ込んでいる者には目の前の人々の内に秘めた反発や嫌悪は見えても見えないようだ。
「それでは布教の成果は上がっていると」「はい、暴力で強制されていたとは言え、生活の全てを戒律で縛られてきた人々が解放されたのですから不安も感じているはずです。その不安を正しき道に導くことができていると実感しています。子供たちに賛美歌を教えると言葉が判らなくても嬉しそうに鼻歌で合わせるんですよ」杉本はその子供たちが郊外で地面に立てた手製の十字架に石を投げて遊んでいるのを見ている。これが旧約聖書以来の「石打ち刑」=処刑方法を模していることは言うまでもない。杉本にはこの何の疑いも抱かずに聖職者になっているつもりの女性こそ狼の群れに迷い込んだ哀れな子羊に思えてきた。

「お前は韓国人か」ペルシャ語を駆使して岡倉は街中で地元住民との接触を始めていた。しかし、地元住民たちの韓国人に対する敵意は激しく、その目には殺気に似た暗い炎が灯っているのを感じる。
「いや、私は日系アメリカ人だ」「日本人か。日本は軍を派遣していないな」岡倉を取り囲んだ男たちは少し表情を緩めて何故か半歩後ずさり、これで圧迫感はかなり弱まった。
「やはりあの韓国の教団には問題がありますか」岡倉は折角緩んだ彼らの敵意を再燃させることを覚悟した上で本質の質問をぶつけた。
「問題?そんな物ではない。奴らは存在してはならない土地に勝手に入り込んで、アッラーを冒瀆して戒律に背く行為を広めている」「街に入ってくる食材も奴らが買い占めてしまうため配給を受けるしかない。そこでイーサー(コーランに出てくる『イエス』)の教えを説いているんだ」「タリバーンがいてくれたら絶対に許さないのに」幸いなことに彼らの怒りは韓国の教団に向って燃え上がり、岡倉は傍観者になることができた。そうして地元住民の本心を聞き出していると突然、1人の男が思い出したように叫んだ。
「以前、日本から来たマスコミは『日本は海軍をインド洋に派遣してアメリカに協力している。日本の首相はアメリカの大統領の盟友だ』と言っていたぞ」「何?それでは日本も敵なのか」韓国に向かっていた怒りの炎が岡倉に振りかかってきた。本音を聞き出すため炎に油を注いでいたことが仇になっている。このままでは撲殺されかねない。
岡倉が逃げるべきか覚悟をするべきかを迷っている時、高い詠唱の声が聞こえてきた。興奮していた男たちは急に態度を鎮め、一列に広がると西を向いて並んだ。
「マッカへの祈りの時間か・・・」岡倉はその左端に立ち、一緒にタリバーンから学んだ作法通りに礼拜した。礼拜を終えると岡倉は「同志」になっていた。これもタリバーンの助力だろう。
  1. 2017/08/07(月) 10:16:28|
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劇作家で俳優のサム・シェパードさんの逝去を悼む。

7月27日にアメリカの劇作家で俳優のサム・シェパードさんが筋委縮性側索硬化症で亡くなったそうです。73歳でした。
サム・シェパードさんと言えば日本では昭和59(1984)年の秋(本土では9月1日だったらしい)に公開された「ライトスタッフ」で演じたチャック・イエーガーさんでしょう。
当時、野僧はアメリカ空軍軍人の娘とつき合っていたため那覇市内の映画館で上映される前に嘉手納基地内の映画館か、父親が借りてきたビデオで見たのだと思いますが、字幕がないので微妙な感情表現が理解できず後で各場面の感想を聞かれて困った記憶があります。
もう1つ、アメリカ版は3時間を超える長編でしたが、日本版は2時間40分に短縮されているので、字幕入りのこちらを見ても話がかなり飛んでいるように思われて感動は今一つです。実は「トップガン」や「アン オフィサー アンド ア ジェントルマン=日本語名・愛と青春の旅立ち」でも同じことがあって、日本版「トップガン」のベッド・シーンでは教官=シャーリー役のケリー・マクギリスさんのバスト・トップは写っていません。
野僧がこの映画を見て異様に感激して号泣してしまったためか、その後、彼女の両親がチャック・イエーガー准将(当時)の解説をしてくれるようになり(パイロットの友人たちに話を訊いてくれたらしい)、映画の中の事実と創作にも詳しくなりました。
あの映画の中でシェパードさんが演じるイエーガーさんは落馬して肋骨を骨折した状態でベルⅩー1に乗って音速を突破しますがこれは事実です。また機体を奥さんの名前からグラマラス・グレニスと名付けたのも事実で、その奥さんとは第2次世界大戦中の1945年2月に結婚して、当時の愛機・Pー51にもグラマラス・グレニストの愛称をつけていたそうです。
ただし、イエーガーさんが乗るまでXー1は何度も墜落して同僚パイロットが殉職したことになっていましたがそれは創作で、アメリカ空軍は日本軍ではないのでそこまで人命軽視の無茶はしなかったようです。
また映画では実力ではなく人事基準で選ばれなかったマーキュリー計画に対抗するようにロッキードNF-104でソ連が持っていた最高高度記録に挑戦していますが、それは1963年12月10日のことなのでマーキュリー計画の最終発射1963年5月15日よりも後です。
また映画では飛行計画を提出せずに勝手に飛び立ったように描いていますがこれは創作で、記録挑戦の許可を得なかったことを脚色したようです。
その一方でNF―104で墜落したのは事実で、本当に射出座席の噴射炎で顔と腕に火傷を負ったそうです。
この映画でシェパードさんがアカデミー賞の「助演」男優賞にノミネートされたと聞いて、野僧たちは主役がチャック・イエーガーさんではなくマーキュリー計画に選ばれた宇宙飛行士たちの方だと知りました。
確かに題名は宇宙飛行士の呼び名だった「ライトスタッフ」ですが、その意味するところの「自己にしかない正しい資質」を体現するイエーガーさんを主人公として描くことでこの映画は単なる宇宙飛行士の英雄譚を超えた人生ドラマになったのではないでしょうか。日本人である航空自衛官たちはそのように理解していたのですが、アメリカ人の精神風土では英雄はあくまでも英雄であって脇役は脇役と割り切り、別に評価するようでした。
ちなみにシェパードさんの本業は劇作家であって、ニューヨークで上演された優れた演劇に贈られるオピー賞(全米を対象とするトニー賞に次ぐ権威を持つ)を何度も受賞しており、この映画が日本で公開される5年前にはピューリツアー賞も受けています。ただし「ライトスタッフ」にはあくまでも俳優として参加しており、制作には携わっていません。
野僧にとっては整備していたFー104のコクピット内や勇姿、そして何よりエンジン音を思い出させてくれる名作映画です。その主人公として心より冥福を祈ります。合掌
  1. 2017/08/06(日) 09:28:14|
  2. 追悼・告別・永訣文
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振り向けばイエスタディ907

隣町に入ると問題の教団はすぐに判った。市街地の中心に残っていた何かの役所だったと思われる建物にハングル語と英語の看板を掲げ、玄関の屋根には十字架を立て、前に立てた支柱には韓国国旗が掲揚してある。本来であれば大屋根の角に十字架を立てて教会のような外観にしたいのだろう。
「ふーん、強烈な違和感を発しているな」「完全に浮いている」「喧嘩を売っているとしか思えないよ」あまり接近はせずに遠目で観察した3人は口を揃えて同じような所見を述べた。
「韓国軍の診療所は入院病棟の中は修道院のようにしていましたが、外観はここまでアカラサマではありませんでした」「そこが軍と民間の宗教団体の違いなんだろう」「それにしてもこれでよく投石などを受けませんね」杉本が指摘した通り、このような建物が無事ですんでいると言うことはアフガニスタンの民衆の信仰はアメリカが喧伝するようにタリバーンによる暴力的な強制だったことになる。つまりタリバーンが排除されればキリスト教に改宗する者が出ているのかも知れない。しかし、岡倉は戦争前のアフガニスタンで出会った民衆たちの真摯な信仰が暴力的な強制によるものであったとは信じられなかった。その時、建物の中から出てきた韓国人と思われる中年男性が鐘を振ってからハンド・マイクで案内を始めた。
「レディス アンド ジェントルマン。大韓イエス教長老会からの食糧配給の案内です」それはあまり流暢とは言えない英語だった。全上等兵のように韓国語でないだけましだが、一般庶民で英語を理解する者がどれ程いるのだろうか。
岡倉は左側の運転席から建物の前につながる道路を観察していたが、しばらくすると廃屋かと思った建物の中からみすぼらしい格好をした人々が食器を持って集まってきた。同時に建物の中から数名の女性たちが姿を見せ、男性の後ろに整列した。
「はい、よくお集まり下さいました。これから天地一切を創造された父なるカミの御恵みの食料を皆さんに配給します。この尊き御恵みに感謝の祈りを捧げましょう」男性の英語の口上に続いて建物中から録音したパイプ・オルガンの演奏が流れ、それに合わせて女性たちが賛美歌を唄い始めた。
「要するに餌で釣って改宗させる戦術だな。そんなことでイスラムの強固な信仰が覆るとも思えんが」「そもそもあの料理に入っている肉類はハラールにしてあるんですかね」岡倉が2度目の潜入で見た韓国軍の診療所では米軍から配給を受けている携帯食を入院患者に配っており、イスラム教徒たちは肉類を口にしなかった。ここで配られた食料がイスラムの儀式を施した後に屠殺した動物の物でなければ非ハラールの肉になる。若し、それを民衆が平気で口にするようであれば、それこそイスラム教への信仰が喪失していることになってしまう。杉本は右側の助手席からでは写真が撮影しにくいらしく、ドアを開けて外に出るとボンネット上で望遠レンズをつけたカメラを構えた。
その間にも教団の女性たちは優しい笑顔を向けながら人々が差し出す食器に大鍋の中の食料を注いでいく。1人に1杯などの制限は設けていないらしい。ただし、人々が持ってくる食器が限られているためなのか穀類に色々な食材を入れ、汁で煮込んだ雑炊のような食料のようだ。
「おい、あれを撮影しろ」その時、倉田が窓から顔を出して杉本に日本語で声をかけた。杉本が顔を向けると倉田は食料を配給している場所から少し離れた建物の影を指差している。岡倉も双眼鏡を向けるとそこでは母親と思われるイスラムの装束を着た女性が子供たちに食器の中の何かを取り出して捨てさせている。その周囲には野良犬が集まっており、捨てているのが肉片だと判った。イスラムの戒律では肉汁も許されないのだが、そこはアッラーの広大無辺の慈悲に甘えているのだろう。
「やはりハラールではない肉類を口にしないようですね」「飢えているはずなのに勿体ないことするな」岡倉の見解に倉田は無頓着に答えた。倉田は中国問題が専門で、イスラム教徒と接触した経験が乏しので仕方ないことではあるが、これでは感覚まで中国人的な功利主義に染まっているように見えてしまう。
「イスラムの戒律はアッラーとの契約ですから背くことをすれば自分が許せなくなるんです。母親はそのことを子供たちに教えているんでしょう」「日本でも『誰かが見ているよ』が躾の始まりだからな」倉田の年齢は知らないが、言うことはかなり年寄り染みている。それが年齢によるものなのか育った地域・環境によるものなんかは判らない。しかし、これでアフガニスタンの人々の信仰がタリバーンの強要によるだけのモノではないことが確認できた。逆に言えばこの教団の活動は食料と言う餌を与えてくれているから容認しているに過ぎず、危険なことは間違いない。
  1. 2017/08/06(日) 09:26:59|
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8月5日・英米仏蘭連合艦隊が馬関砲台を攻撃した。

元治元(1864)年の8月5日(太陰暦)に当時の国際法規を無視して通行する軍艦・民間船を無差別に砲撃を加えていた毛利藩の馬関砲台を英米仏蘭の17隻からなる連合艦隊が攻撃しました。
国際社会は大航海時代から帝国主義の萌芽期に移行し、日本にも外国船が頻繁に来航するようになったことを受けて幕府は将軍・家慶公自ら欧米の政治情勢や最新の兵学や科学技術に強い関心を持って積極的に吸収しており(鳥居耀蔵が画策した蛮社の獄で停滞はしたものの)、その武力の差を正確に認識していたため国交を求める欧米からの要求に対しても、国際規範に基づいてギリギリの外交交渉を繰り広げていました。その成果は小笠原諸島の領有を強行に主張するアメリカを交渉だけで撃退し、対馬に軍艦を寄港させて割譲を要求するロシアをイギリスの対抗意識を利用して退去させ、寸土も奪われることもなく平和裏に国交を樹立したことでも明らかです。ところが幕府は外国以上の難敵を抱えていました。
それは外国船の来航に過剰反応して怯え切っていた孝明天皇で、この頃の朝廷では狂人・平田篤胤が提唱した神国思想に扇動されていた公家が多く、西洋人が足跡を印すことだけで「国土が蛮族夷敵に汚された」とする狂気の中で、そんな連中だけに囲まれていた若き天皇が正常な判断力を身につけられるはずがなく、本来は幕府が独断で決定し、朝廷は勅許も何も与えていない「鎖国を堅持せよ」と言う書簡を送り、それを老中筆頭の阿部正弘が黙って受け取ったことで勅命となってしまっていたのです。
特に毛利藩では平田と並ぶ狂人・吉田松陰が、2代藩主・光圀が趣味で始めた大日本史編纂によって徳川御三家でありながら尊皇思想を過激化させていた水戸学に心酔して、それを総大将として敗れた関ヶ原後の大幅な減封への逆恨みと重ねて「尊皇=武家の頭領たる将軍家よりも天皇を尊重すべし=討幕して関ヶ原の恨みを張らずべし」「攘夷=夷敵討つべし=弱腰の幕府を倒して南北朝以来の天皇親政による政治を回復すべし」と私塾=松下村塾の門弟に扇動したことで過激思想が藩内に蔓延していました。
この尊皇攘夷運動は京都でも非主流派の公家の間に広がっており、これを「流行の最先端」と思い込んで帰国した留学生たちによって全国に拡散していったのですが、苦労して締結した外国との条約が国際常識を微塵も持たず、現実を全く知らない天皇の許可を得なければならなくなった幕府こそ好い面の皮でした。
結局、天皇の権威を利用する公家たちと尊皇攘夷の過激分子たちが頭上と足元から国交断絶を迫り、「それが果たせなければ武力を以って排除せよ」との妄言を天皇の大御心として申し渡されるため、将軍としては「建前は攘夷、本音は開国」と言う危ない綱渡りをする羽目になり、そんな中でイギリスやロシアの船舶が来航し、問題を起こしたことへの緊急処置だった「外国船討ち払い令」の再確認が表明されたのです。
これを受けても他藩が幕府の立場と真意を忖度して何もしなかった中、毛利藩だけは「神州不滅」「討ちてし止まん大和魂」の国家神道の狂気に染まり切っており、文久3(1863)年5月に馬関(=関門)海峡を封鎖すると、航行中の米仏蘭の軍艦と民間船に砲撃を加えました。これに対して英国を加えた4カ国の連合艦隊は半月後の6月に毛利藩の砲台と停泊中の軍艦(商船に大砲を搭載しだだけの代物)に報復攻撃を加えて破壊・撃沈したのです。
まともな神経であれば圧倒的な武力の差に意気消沈するものですが、流石は必然性がない日清・日露戦争で徴兵した庶民を大量に殺戮し、やがてはどう見ても勝ち目がない対米戦争にこの国を引き込んでいった山口軍閥の祖父・父親たちで、砲台を修復すると小倉藩領の対岸まで占領して砲台を築き、両岸からの砲撃による海峡封鎖を再開しました。
これによって香港など中国からの航路が遮断されて迷惑を被っていた英国が怒り、4カ国による連合艦隊を編成して艦砲射撃により馬関、彦島の砲台を攻撃し、陸戦隊を上陸させて占領すると修復不能になるまで徹底的に破壊したのです。
これで毛利藩はようやく目が覚めたのですが、そこは策略の毛利であり、表看板は「尊皇攘夷」を掲げたまま稀代の悪徳武器商人・坂本龍馬を通じて南北戦争の終結で余剰になった武器と弾薬を大量に購入すると同時に天才軍師・村田蔵六の指導で藩兵を西洋式軍隊に改革して討幕の反乱に勝利することになりました。
早い話が昭和20(1945)年9月2日に日本を滅ぼす81年前に自藩を滅ぼしかけたのですが、それを全く教訓にしなかったところが山口県人です。むしろ「日本で唯一、尊皇攘夷を実行した雄藩」と表看板を派手に装飾していました。その尊皇も公武合体を揺るがせない孝明天皇を毒殺しておきながらです。
  1. 2017/08/05(土) 10:14:22|
  2. 日記(暦)
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振り向けばイエスタディ906

「全上等兵だな」杉本は数歩下がった兵士の胸のハングル語で書かれた名札を読み、襟の階級章と合わせて呼んだ。全上等兵にはこの「アメリカの記者」と名乗ったアジア人たちが韓国人としか思えなくなってきた。そうなると自分の言動が母国で軍の不祥事として報じられることになる。
「韓国軍は外国に駐留する上でのマナー教育がなってないようだな。これは問題提起として報道する必要がある」どうやら杉本は韓国系アメリカ人記者を演じるつもりらしく岡倉に韓国語で話しかけてくる。ここまで脅しをかければ次は用件だ。
「お前の顔を見ていると写真は使えないな。そんな姿を報じれば現地軍の士気が低く、兵士は怯えているように思われてしまう。お前の親も心配するだろう」車を下りて杉本は全上等兵の傍に歩み寄り、安心させるように声をかけた。すると全上等兵はようやく姿勢を正して礼を言った。
「ガムサハムンニダ(ありがとうございます)・・・」そこに杉本は間髪を入れず質問を投げつけた。
「大韓イエス教長老会がこちらに来て活動しているだろう。場所はどこだ」冷静になれば兵士が不用意に知り得た情報を民間人、ましてやマスコミ関係者に漏らすようなことはしない。この呼吸が杉本一流の交渉術なのだ。
「長老会を名乗るキリスト教団は複数来ていてアフガニスタン中部から南部を中心に分散しているようです。近いところでは隣町でも礼拝所を作っています」思いがけずこの頼りない全上等兵は詳しい情報を提供した。これも韓国軍がアフガニスタンで活動する同胞の安全確保を任務に加えられているからなのかも知れない。
「隣町にいる会派の責任者は誰だ」「知りません」確かに「大韓イエス教長老会」は19世紀末に李王朝末期の朝鮮に持ち込まれ、正統派プロテスタント教団として発展し、日本の統治下で強要された神社への参拝を拒否して国家神道による洗脳に抵抗している。こうした姿勢が国民の支持を集めたのだが戦後には路線対立が生じて、現在は11の教派、170余りの組織に分裂しているらしい。信者として礼拝に行かない限り、詳しいことを知らなくても仕方ないだろう。
「グロンガ(そうか)、ガムサ(ありがとう)」話が長くなるとこちらの身分を探られかねないため、杉本は用件だけで戻ってきた。
「どうも工藤さんからの情報はあまり正確ではないようだな。韓国のキリスト教の団体は複数来ていて各地に礼拝所を作って活動しているらしい」「それでは活動している街を回って実態を観察して、地元のイスラム教徒の評判を確認するところまでで報告を作りましょう」「それが常識的な線だね」「所詮は韓国の人手不足の代行だからな」3人の日本語での相談がまとまり、先ずは教団の1つが所在する隣町へ向かうことにした。車を発進させると全上等兵が小銃を肩に吊って待っているので、杉本は窓越しに韓国製の煙草・THISを投げて渡した。若い全上等兵はそのラベルを見て急に表情を崩し、涙をこぼした。やはり杉本は優しさなどではなく望郷を誘う効果を狙ったようだ。
「金田さんはTHISでしたっけ」全上等兵から聞いた地名の街に向って車を走らせながら、岡倉はあえて韓国での偽名で呼んだ。これは杉本の韓国での活動の一端を知っていることを思い出させる意味がある。
「つれ合いはエッセ・シリーズだが俺はレゾンだ。明石元二郎大将は黒猫を可愛がっておられたからな」金田の愛人が韓国の人気キャスターであることは本人の口から聞いているが、エッセとは「彼女たち」を意味するフランス語の単語でこの命名でも女性向きの銘柄であることが判る。一方、レゾンのパッケージには色々な姿勢の黒猫が描かれており、日本陸軍の諜報活動の神様である明石元二郎大将が黒猫を可愛がっていた逸話と重ねて愛飲しているようだ。その前にレゾンはバニラ味の煙草だ。ついでに言えばTHISは韓国の煙草では過半数の売上を維持している固定銘柄だ。煙草を吸わない岡倉には判らないが日本のマイルドセブンに似た味がするそうだ。
「やはり軍人は煙草なしではいられない職業みたいだな」「捕虜収容所での販売義務も解除されないみたいだから間違いないよ」世間一般では嫌煙権が常識化しているが、軍隊内は治外法権になっているらしい(自衛隊は一般常識に迎合するので別)。だから捕虜の処遇を定めるジュネーブ条約でも切手、葉書、石鹸、タオルなどと並び煙草が捕虜収容所内の売店で販売する義務を課せられているのだ。
「イスラムでは酒は禁止だが、煙草は良いんだったよな」杉本は胸ポケットから取り出したTHISをくわえながら呟いた。
  1. 2017/08/05(土) 10:13:18|
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8月4日・日本赤軍によるクアランプール事件が発生した。

昭和50(1975)年の8月4日に日本赤軍の5名がマレーシアの首都・クアランプールにあるアメリカとスウェーデンの大使館を襲撃(アメリカ大使館では警察官1名を射殺している)・占拠してアメリカの総領事やスウェーデンの代理大使、大使館員など52名を人質に日本国内で逮捕・収監中だった活動家7名の釈放を要求する事件が発生しました。
犯人は5・15事件や2・26事件の決起将校に憧れる右翼少年からベ平連の影響で左翼に走り、この後もダッカ、クアラルンプールでのハイジャック事件を指揮し、金日成の命令でソウル・オリンピックを妨害するため帰国したところを逮捕され、無期懲役刑で服役中に死亡した丸岡修。下関市出身(当地には現在も根強いファンが存在する)で京都大学在学中に左翼過激派に参加して、この事件の後、逮捕されたもののダッカ事件で釈放された奥平純三(現在も逃亡中)。仙台市出身で慶応大学の映画少年から左翼映画人の影響で日本赤軍に走って1974年のシンガポール事件、ハーグ事件にも参加した和光晴生(日本で服役中)。大手電機メーカーの技術者からソ連経由で渡欧して日本赤軍に参加、奥平と共に逮捕され、取り調べを受けていたヨルダンの公安当局のトイレで首吊り自死した日高敏彦。大学受験に失敗して就職しながら給料を貯め、その資金で渡欧して日本赤軍に参加したものの37歳で「体力的にやっていけなくなった」と出頭して逮捕・服役して刑期を勤め上げた山田義昭でした。
一方、犯人が釈放を要求したのは京都産業大学在学中から左翼革命運動に染まり、日本赤軍に参加してからは1974年9月18日にオランのハーグのフランス大使館を占拠した事件で逮捕されていた西川純、日本赤軍のメンバーとしてヨーロッパで活動を開始した直後に逮捕されていた戸平和夫、赤軍派の幹部として山岳ベース事件(=集団リンチ殺人事件)や浅間山荘事件などに参加した坂東國男、同じく山岳ベース事件の首謀者であった永田洋子の事実上の夫だった坂口弘、赤軍派の資金調達のため銀行を襲撃した松浦順一、同じく銀行襲撃事件で逮捕され、刑が確定していた松田久(確定刑は刑事訴追とは異なり、国外逃亡中も継続されるため時効が成立している)、赤軍派など左翼革命ではなくアイヌ解放運動の過激派で連続企業爆破事件に参加した佐々木規夫でしたが、このうち坂口と松浦は保釈を拒否しています。
この時、三木首相は訪米中だったため留守を預かる福田赳夫副首相と井手官房長官が対応を協議して、要求を全面的に呑むことを決定したのです。しかし、マレーシア政府は武装警察官、若しくは軍の特殊部隊を突入させての強攻解決を検討しており、日本政府は犯人のご機嫌を窺いながらマレーシア政府に自重を促す異常な事態に陥りました(釈放を拒否した2名を事態の悪化を懸念して説得したと言う話もある)。
結局、この事件によって日本政府にはテロに対しては強硬手段を取る能力と覚悟すらないことを国際社会に知らしめてしまったことになり、2年後の1977年9月29日に発生したダッカ日本航空機ハイジャック事件では左翼革命運動による服役囚だけでなく単なる刑法犯まで要求されるままに釈放し、巨額の身代金まで付けて送り届ける醜態を晒しました、
最近、佐藤栄作や田中角栄の表面面を持ち出して「敗戦後でも昭和の首相は立派だった」と賞賛する懐古趣味の政治評論を耳にすることがありますが、占領軍の意のままに動くことしかなかった東久邇宮稔彦、幣原喜重郎、片山哲(社会党)、芦田均は論外として、シンガポールの石油施設を破壊した日本赤軍に屈服した田中角栄、この事件の三木武夫、そしてダッカ事件の福田赳夫にしても大したことはやっていないでしょう。「立派だった」のは吉田茂、(嫌いだけど)岸信介、池田隼人、大平正芳と中曽根康弘くらいです。
日本ではこのような事件が起きた時の交渉は外務省が担当しますが、所詮は役人であって国内の発想で外交交渉を行う傾向があります。国内的には前例踏襲が基本なのでハーグ事件の時、フランス政府が犯人の要求に従って収監中だった日本赤軍の活動家・山田義昭を釈放して身代金を支払っているためこれを基本姿勢にしたのでしょう。しかし、フランス政府にとって日本赤軍の活動家を釈放することは批判の声をテロリストを国内で逮捕せずに出国させた日本に向ける目算があってのことで、実際、国際世論は日本に対して厳しくなり、その後の一連の事件、特に直後にドイツが同様のハイジャック事件を強硬手段で解決したダッカ事件で完全に嘲笑と軽蔑の対象になってしまいました
ついでに言えばこの事件の対応に憤激した右翼活動家によって1977年3月3日に経団連襲撃・占拠事件が発生しています。
  1. 2017/08/04(金) 09:29:29|
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振り向けばイエスタディ905

「それにしても中国とアフガニスタンの国境が接しているのは1箇所だけですよ」助手席の杉本が後席の倉田に話しかけた。パキスタンから入国して取り敢えず首都・カブールに向かっているのだが、取材目的としている中国の商人に会うにはその移動経路へ行くしかないはずだ。
「うん、新彊ウィグル自治区の喀什地区と和田地区の中間あたりになるな。アフガニスタン側にはオアラ・エ・マファシャドと言う城塞都市があるよ」「へーッ、流石ですね」岡倉と杉本も中国の地図で下調べはしてきたのだが、地名もないような辺境の地では場所を説明することができなかった。ところが倉田はその地図が頭の中に入っているようだ。
「勿論、隊商たちはそんなところで商売はしていないでしょうけれど、カブールへの経路を遡ってみますか」「と言うよりも隊商たちは戦争中も変わらず商売をしていたんだろう。中国西域には敬虔なイスラム教徒が多いからタリバーンも同士扱いだったからな」どうやら倉田は自分の取材目的はあくまでもアフガニスタンへ向かう2人に同行するための口実と捉えているらしい。
「それにしてもかなり激しい攻撃だったようですね。この辺りにあった街は痕跡しか残っていないですよ」岡倉は運転しながら感情が波立つのを抑えられなくなった。過去2回の潜入で見てきた村々を通過しているはずだが、山や谷、丘や坂には見覚えがあっても長閑(のどか)な街並みは残っていない。同じ道路を走っていても風景はあの時と違っている。つまりタリバーンの支配地域と断定されれば無差別に爆撃を加えられ、その後に仕上げの破壊が施されたのだろう。しかし、戦争前のアフガニスタンにタリバーンの支配を受けていなかった地域などはないに等しく、つまり全土が攻撃対象であり、アメリカの支援を受けて新たな支配者となった北部の少数部族が容赦なく殺戮を繰り広げたことを壁紙はそのままに家具を置き替えたような風景が証明している。あの時、タリバーンを慕って追いかけてきた子供たちがどうなったのか考えるのも辛くなるような変化だった。
「ここに韓国軍の診療所がありました」数ヶ所の街を通過して差し掛かった小さな市街地で岡倉は車を止めた。そこは小学校を診療室と入院病棟にしていた韓国陸軍衛生隊の宿営地だった。
「韓国軍は4年前からイラクへも600名規模の部隊を派遣していますから、ここは縮小したのでしょう」韓国軍に関する情報は杉本の出番だ。ただし、岡倉もこの派遣についてはジアエから政府への不信、職務上の不満として聞いている。
「しかし、まだ小学校には韓国の国旗が揚がっているようです」「うん、確かにな」岡倉の指摘に後席で双眼鏡を覗いた倉田も同調した。あの時、カソリックの信者である高仁智中尉は入院患者にイスラムの作法を全面的に否定してカソリックの流儀を強要していた。それがイスラム教徒たちの強い反発を買い、白一日1等兵と田智賢1等兵と言う若いカップルの身に降りかかったこともジアエから聞いている。ただし、その後の韓国軍が地元住民の信頼を回復し、患者を呼び戻すことができたのかは聞いていなかった。
小学校と派遣部隊司令部があった旧町役場の間に車を止めて中の様子を窺っていると小銃を構えた動哨の兵士が歩いてきた。
「ここで誰何されても良いのですが、どうしますか」「問題は韓国のキリスト教団がどこで活動しているのかを調べることだな」「それではあの兵隊に訊いてみましょう」話が決まるのと兵士が開けてある窓に銃を向けるのは同時だった。このような対応はイラクでスーパー・うぐいす嬢作戦を実施した自衛隊では考えられないことだ。
「ヌグヤ(誰だ)?」兵士は韓国語で誰何してきた。ここはアフガニスタンであり、韓国語が判る人間の方が珍しい異郷の地だ。それでも構わず自国流を押し通すようでは事態の改善は期待できない。しかし、この車には韓国語を第2母国語にしている人間が2人も乗っている。
「ミググ ギシャ イダ(アメリカの記者だ)」銃を突き付けられた杉本が冷静に韓国語で答えると兵士は困惑したように言葉に詰まった。相手が東アジアの人間であることで国籍を絞り、どのような対応するかを想定することもできなかったようだ。
「ネガ チョング・エウル シスゴイッシネウン サジン・エウル ジジッゲ ハエ ジュエオド ドエリッケ(君が銃を構えている写真を撮らせてもらっても良いか)」続いて杉本がカメラを持ち出しながら流暢な韓国語で確認すると兵士はようやく事態を理解したようで、硬直した姿勢で数歩下がった。これで主導権はこちらのものだ。
  1. 2017/08/04(金) 09:27:37|
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8月3日・「ヤーさん」の日

8月3日は「8つ(やっつ)」と「3(さん)」の語呂合わせで「ヤーさんの日」だそうです(誰が言っているのかは不明)。「ヤーさん」と言えば現在は反社会的勢力、若しくは暴力団と呼ばれている業界の人たちのことで、昔は「八九三」と書いて「ヤクザ」と呼ばれていたのです。
この呼称については花札を使った賭博「おいちょかぶ」の札を3枚引いて合計の1の位の低さを競う勝負の中で8と9の目が出れば17となり、普通の人間なら次を引くことを躊躇するのですが、血気にはやる者は迷わず1枚引いて、それが3になって合計は20で勝利を手中にする。そんな生き方をする者を数字で表していると言われています。つまり賭博師を差す呼称であって暴力団とは別でした。
また歌舞伎役者のような派手な着物で街を歩く無頼者を「役者もどき」「役者かぶれ」などと呼ぶようになって、その「ヤクシャ」が訛って「ヤクザ」になったと言う説や儒教や中国の占術で8と9と3が縁起の悪い数字であることから「関わりたくない存在」としてこの呼び名が生まれたとする説もあります。
ただし、一昔前の人気時代劇「遠山の金さん」の主題歌では「気前が良くて 二枚目で チョイとヤクザな 遠山桜 ご存知長屋の金さんが もろ肌脱いでベランメイ」と歌っていたように、決して忌み嫌われる存在ではなく、四角四面、雁字搦めの社会の道徳・規範からはみ出した猛々しい自由人として社会の飼い犬でいるしかない凡人たちに憧れと畏れを抱かせる漢(おとこ)たちだったことは間違いありません。
一般社会の道徳・規範に対して「極道」と呼ばれるヤクザな漢たちが命を掛けて貫いていたのは「任侠」とも呼ばれる独自の倫理であり、それは生命尊重の社会常識に反し、時として相手の命を奪い、そのため自分の命も失うことも織り込み済みの行動原理だったのです。と言いながら友人の親分は「昔の出入り(抗争)は斬るか斬られるかの度胸を据えてヤッパ(刃物)を振り回して突っ込んでいったものだが、今時のヤクザは電柱の陰に隠れて近づいてくる者を手を伸ばして突くだけだ。だからチャカ(拳銃)ばかりを使いたがるんだ」と嘆いていました。一方、野僧の高校には地元の親分の娘さんが在学していて(広瀬すずさんと瓜二つの美女でしたが、それも40年前の話ですから際立っていました)、家に遊びに行った同級生は客間の大きな佛壇にラッキョウ漬の瓶が置いてあるので不思議に思い、1人なった時に手に取って見るとそれはエンコ詰めした小指で、「驚いて危なく落としそうになった」と語りながら震えていました。
そんなヤクザ業界も平成3(1991)年5月15日に成立した「暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律」によって国家権力による不当な弾圧を受けるようになったのです。
ここで敢えて「不当な」と述べたのは野僧も現役時代、反戦平和=反自衛隊の活動家たちから「憲法違反」「人殺し」「戦争屋」と徹底的な職業差別を受け、警備中に立ち入り禁止地区に突入してきたトラックにはね跳ばされたこともあります。然も、当時の居住地の市長は市の教員や職員による自衛官と家族に対する嫌がらせを追及されて「憲法違反の自衛官に憲法が保障する人権はない」と言ってのけました。
結局、この法律も四角四面の道徳、規範を国民に徹底することを存在理由にする中央の官僚が、地域に根付き一定の役割を果たしているヤクザ業界の存在を「反社会的勢力」「人殺し」「戦争屋」と一方的に処断し、徹底的に壊滅することを画策するために策定したものなのでしょう。その点にかつて自衛官たちが受けてきた屈辱と苦痛に共通する(自分たちの論理だけを絶対正義とする)狂信的な差別意識を感じます
ヤクザ業界は一般社会の道徳・規範とは別の世界に身を置いていてもその圧倒的な存在感で社会の規律を維持する役割も果たしていました。例えば娘が不良少年に誘惑されて肉体を弄ばれた時、警察は民事不介入の原則で何もしてくれず、親が取り返しに行っても暴力では太刀打ちできず、娘も夢中になってそのまま破滅に向かって進んでいく中、知り合いの親分に相談したことで不良少年が焼きを入れられ、2度と娘の前には現れなくなったと言う非常手段で解決した実話があります。
江戸時代からこの悪法が成立するまではヤクザを堅気(かたぎ=一般人)とは別の存在として認めており、ヤクザ同士の抗争で死者が出ても一般の殺人事件とは別扱いでした。その一方で巻き添えを含めヤクザが堅気に手を出した時には厳罰に処し、この境界線を守ることだけを強制していたのです。しかし、バブル景気で狂った堅気の人間の方が薬物や賭博、売春などの快楽を求めてヤクザ業界に入り込み、ヤクザの方も金を稼ぐ手段として境界線を踏み越えてしまったのですが、欲望のままに境界線を踏み越えた側の自己責任を問わずに提供する業界の方を一方的に処断する甘えの論理がこの悪法の根底にあるようです。
中国の暴力組織の脅威が迫っている中、本当に日本のヤクザを壊滅しても良いものなのでしょうか。警察や海上保安庁ではできることに限界があるはずです。
  1. 2017/08/03(木) 16:50:54|
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振り向けばイエスタディ904

「倉田くんと杉本くん、島村くん、君たちに取材してもらいたいところがあるんだ」日本の雑誌社のニューヨーク支所の看板を掲げているビルの1室に集まられた3人に工藤が久しぶりの任務の説明を始めた。松本は現在、クエートにある航空自衛隊の活動拠点・アル・アルサレム基地周辺で治安情報を収集しており、これで総出演となる。
「この3人とは珍しい組み合わせですね」その中では最もベテランらしい倉田が雑談的に確認した。確かに北京語と中国国内の幾つかの少数民族語を専門とする倉田と朝鮮語と韓国語(方言程度の違い)と中国東北部の少数民族語を専門とする杉本、そして韓国語とペルシャ語を使う島村こと岡倉では共通する地域が思いつかない。
「うん、中々、面白いネタなんだよ」工藤は応接セットの代わりにしている丸テーブルを囲んだ椅子に座っている3人の顔を見回して前置き口上を述べた。
「実はアフガニスタンに中国の業者が進出して商売を始めているんらしいんだ」「もうですか」「流石ですね」中国と聞いて倉田、アフガニスタンで岡倉が反応した。アメリカは「タリバーンは壊滅された」「戦闘は終了した」と公式発表しているが、国内で頻発しているテロは明らかに組織的であり、事実上は内戦状態にある。そんな危険地帯に民間業者が進出するとは花登筐ドラマ「どてらい男(やつ)」を思わせる脅威の商人根性だが、中国人となると商売目的とは言い切れない。確かに「取材」する価値がありそうだ。しかし、それでは杉本が同行する意味が判らない。すると工藤が話を続けた。
「それからアフガニスタンには韓国のキリスト教団が布教活動に乗り込んでいるらしい」「阿呆か」今度は杉本が反応する。然も罵声だ。誰が考えても無謀な行動に本来は怒りを感じるべきところだが、岡倉はアフガニスタンで会った妻・ジアエの同期・高仁智の顔を思い浮かべていた。
「韓国では日本以上にアメリカ発の情報の垂れ流しになっていますから民間人は戦争が終わった。キリスト教を広めるチャンスだと思い込んだのでしょう」「うん、政府は制止したんだが無視して出発したそうだ」「何名ですか」「42歳の牧師をリーダーにして25名前後らしい」イラクで拉致された日本人たちは難民救済や報道を名目にしながらも明らかに政治的意図を持っていたが、こちらは純粋に宗教的使命感だったのだろうか。工藤と倉田、杉本は互いの表情の中に応えを探り合った。
「それでは今回も韓国軍からの要望ですね」「うん・・・そのようだな」そんな重くなりかけた空気を破るように岡倉が確認した。前回=2度目のアフガニスタン潜入は中央情報部が解散させられながら部隊を派遣することになった韓国軍から相談を受けた在ソウル防衛駐在官からの依頼で派遣された。岡倉は今回も似たような経緯を嗅ぎだしたようだ。
「それでは現地で取材目的を確認されれば中国商人の活躍と応え、実際は馬鹿な韓国人の動向確認と言うことになりますね」「まァ、そんなところだ」倉田が話をまとめ工藤も同意した。
それにしても野中将補は自衛隊の対外情報要員の存在が発覚することを避けるため世界中のマスコミと情報機関が集中しているイラクでの情報収集を拒否した。それに対して井上将補のこの判断はどう受け止めるべきなのだろうか。
倉田が言う「取材目的の確認」を受ける相手はアメリカの傀儡政権の人間なのか、それともタリバーンの生き残りなのか。岡倉個人としてはタリバーンの友人に会いたかった。

「アメリカのプレスだな・・・お前を同じか、お前もだな」パキスタンからアフガニスタンへの入国は今回も陸路だが、荷物を満載したトラックが車列を連ねるほど活況を呈していた。このため入国審査も慌ただしく、担当する下士官にアメリカ製の煙草を渡すと形式的に身分証明書とパスポートを見ただけで通過を許した。
「凄い量だな。これでは中国人が商売を始めても不思議はないぞ」岡倉が運転する車に乗り込むと倉田が呆れたように呟いた。しかし、岡倉は清貧だったアフガニスタンの人々にこれだけの商品を購入する経済力があるとは思えず、運転席で前を向きながら心の中で首を傾げていた。
「イスラム商人と中国商人の争いかァ、世紀の一戦だな」妙に多弁になった倉田の独り言は雑誌記者を演じる上での台詞なのだろうか。その時、助手席から杉本が前方を指差した。
「やはり奇襲攻撃があるらしいな」素顔の杉本は特科出身らしいが、確かに沿道には攻撃を受けて獲座したトラックの残骸が放置してある。やはり内戦地帯なのは間違ない。
  1. 2017/08/03(木) 10:41:39|
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8月2日・神戸で日本初のモスクの献堂式が挙行された。

昭和10(1935)年の8月2日に神戸で日本初のイスラム教の寺院・モスクの献堂式が挙行されました。バブル景気で出稼ぎに来た東南アジアを中心とするイスラム教徒たちがそのまま日本に定住するようになっているため現在では関東以西(北海道は小樽市、東北地方では仙台市に1つだけ)に大小80カ所以上のモスクが存在しているようですが完成したのはこれが最初でした。戦前としてはこの他にもロシア革命から逃れてきた中央アジアのイスラム教徒によって昭和6(1931)年に名古屋で木造の仮モスクが作られ、昭和11(1936)年に完成したものの空襲で焼失し、再建はされませんでした。また昭和13(1938)年には東京都渋谷区でも建設され、こちらは現存しています。
この神戸市中央区山本通りにあるモスクには野僧も市内でのお盆のお勤めの途中で一度、拜礼に訪れたことがありますが(佛教の法衣姿で)、男性は1階、女性は2階で礼拜ようになっていて荘厳な雰囲気と低く流れるイスラム音楽、そしてアラビアの香の強い匂いに酔いそうになった記憶があります。
このモスクは第1次世界大戦でヨーロッパの都市が大きな被害を受けたことで日本が工業生産品を輸出するようになって、仕事のため長期滞在するトルコ人、中央アジア人、インド人(当時はパキスタンとバングラデシュは分離・独立していなかった)が増えたため、モスクの建設を求める声が次第に高まり、これを受けて在日エジプト領事が実現に向けて動きかけたのですが、帰国命令を受けて端坐してしまいました。ところが昭和3(1928)年に来日したインド人貿易商が日本国内でのモスク建設の気運と資金集めの困難を耳にしてアジア各国のイスラム教徒にまで資金集めを広げたことでいよいよ実現に向けて動き始めたのです。
インドの富豪が巨額の寄付をしたことで予定よりも早く資金が確保できたため、昭和9(1934)年には建設許可が下りて、チェコ人が設計した鉄筋コンクリート3階建てのモスクが竹中工務店に発注されました。ただし、当時の日本ではイスラム教を宗教とは認めておらず、宗教法人の施設にはならなかったのは残念です。
このモスクの建設はイスラム社会では大変に注目を集めており、工事開始の定礎式にはトルコ人、中央アジア人、インド人など数百人が参集しただけでなくアジア各国でも祝賀行事が開催されたようです。
そして7月末に完成して迎えた献堂式にはインド、ロシア、ドイツ、満州、中国、トルキスタン、ジャワ、エジプト、アフガニスタン出身のイスラム教徒が出席し、1人で建設費の半額を寄付した富豪の手によって扉の鍵が開けられ、「日出づる国の初のイスラム寺院の開堂」が宣言されました。
イスラム教徒にとってはアジアの国でありながら西洋文明に追従し、全国各地にキリスト教会の建設を進めている日本(日本としては国家神道だったが欧米キリスト教団の布教や教会・学校の建設は黙認していた)でモスクの建設が実現したことは驚きであり、その宗教的寛容性に感激し、親日的感情が急速に高まる結果を呼んだのです。
イスラム教徒たちはこの出来事を「神の戸」と言う名を持つ神戸に「日出づる国」=日本で最初のモスクを建設し、この国でもアッラーの戸が開いたと賞賛し、預言者・ムハンマドが「月出づる国」=アラビアで最初に建てたモスク・クーバーと同じ響きの地名にアッラーの意志を感じると感激していました。
後の第2次世界大戦において日本が東南アジアに侵攻して植民地を解放した時、インドネシアやマレーシアで親日的な現地人が多かったのにはこのモスクの建設による効果が大きかったと言われています。
このモスクは昭和20(1945)年1月8日から敗戦までの大小128回に及んだ空襲や平成7(1995)年1月17日の阪神淡路大震災でも倒壊は免れ、現在も建設当時の姿をとどめています。
ただし、現地に行った感想から言えば市街地の外れにあるため電信柱が乱立し、道路を渡る電線が複雑に走っており、折角の異国情緒あふれる景観が台無しになっています。神戸市は観光名所である異人館や教会には気を使っている割にモスクに対しては冷淡なようです。
  1. 2017/08/02(水) 10:39:10|
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振り向けばイエスタディ903

夏季休暇が終わって現場では秋の演習シーズンが始まる9月26日、5年を超える長期政権を維持した変人首相が退陣した。国会では教育基本法の改定と並び防衛庁の省への昇格法案が審議中だが、どちらも継続されるようだ。これが衆参両院で可決されて成立すれば提出した前内閣の置き土産なのか、新内閣のお披露目になるのか、この国の政治は責任の所在が不明確だ。
「モリヤ2佐、今回の政権交代をどう思う」「ハワイで見てきた報道ではブッシュ政権は急速に求心力が低下しているようです。首相の個人的信頼関係も見切りをつける時期なのでしょう」夏季休暇のハワイで目にしてきたアメリカの新聞やニュースではイラク、アフガニスタンでの多大の損害と政府が発表する戦果の虚偽の暴露合戦になっており、厭戦気分が蔓延してきていた。
元軍人である義父も私を交えた政治談議を繰り広げ、かなり激烈にブッシュ政権を批判し、特にコリン・パウエル大将が2005年で退任した後任の座を奪い取ったコンドリーザ・ライス国務長官に対しては5・15事件や2・26事件を起こした戦前の軍人が「天誅」と叫んでいたような口ぶりで「ゴッズ パニュッシュメント=神の罰を」と繰り返していた。
「海外からの視点となると同じブッシュの盟友でも日本とイギリスの首相では末路が真逆のようだな」私が予想外な切り口から時事放談を始めたため法務官も乗ってきた。自衛隊の職場での政治談議はタブーに近いが、幹部同士の場合は情報交換・認識共有と言う意味もあり、小声で行うことも珍しくはない。日本の変人首相と並ぶブッシュ大統領の盟友であるイギリスのトニー・ブレア首相はアメリカのマスコミと同様に戦争の実態を暴露する報道に晒されて支持率が急落した上、これまでイギリスでは発生していなかったテロが起こったことで「再選は不可能」と言う評価が確定してしまっている。その点は退陣を惜しむ声が上がっている日本の首相とは真逆だ。
「私は今の首相がどうして高支持率を維持できているのか理解できないんです。経済にしても外交にしても内政でもやっていることは滅茶苦茶じゃあないですか。将来に禍根を残すことになりそうで子供が心配になります」「それでも教育基本法の改正に防衛庁の格上げ、どちらも高い支持率があったからできたことだ。イラク派遣だって成功だっただろう」「北キボールは失敗でしたが・・・」イラク派遣が多大な成果を上げて無事に終了したことを持ち出されると北キボールPKOで現地の若者を殺傷する「不祥事」を起こした私としてはかなり辛い。そのおかげで法務幹部に転身し、2佐になったのだが、それで割り切れるような性分ではないのだ。

2007年は前年12月15日に法案が可決・成立したことを受けて1月9日付で防衛省になり、内局の官僚たちは始めて予算を直接国会に要求する大事業に感激しながらも悪戦苦闘していた。
その頃、アメリカでは岡倉たち情報要員が頭を悩ませていた。前任の在ワシントン防衛駐在官・野中将補がイラク国内で続発する日本人の拉致と戦闘への関与を拒否して以降、情報要員たちは個人的に構築した人脈により国防総省や国務省からの情報収集だけに掛り切りになっている。しかし、湾岸戦争以降、自衛隊の海岸派遣が外交上有利に働くことを学んだ外務官僚たちも国防総省内に人脈を広げ始めており、個人資格ではマスコミの取材と大差がなくなってきている。
「韓国から内々に要望が入っているのだが」現在の防衛駐在官・井上将補に呼ばれて情報要員の取りまとめ役の工藤が大使館を訪れていた。軍事情報に関する韓国との協力関係について井上将補は十分な申し送りを受けていないらしい。確かにそれは金大中政権の私怨によって韓国の中央情報部が解散させられて、対外情報収集・工作能力を喪失した軍関係者から相談を受けた在ソウル防衛駐在官・林1佐が野中将補に個人的な依頼をして実施した活動だった。
「韓国に関係する活動は金大中政権が中央情報部を解散したことで必要な情報がアメリカからしか入手できなくなった軍の上層部の依頼で実施するようになりました」「確かにアメリカ発の情報に対する信頼性は今回の戦争で完全に失われてしまったからな」工藤の大まかな説明で人間コンピューターの異名を持つ井上将補は納得したようにうなずいた。
「今回はアフガニスタンでの韓国人の動向に関する調査以来だ」「軍ではないのですか」「韓国はイラクとアフガニスタンの2正面作戦になっていて、残存の情報要員を振り分けることができないようだ」「だからアフガニスタンへと言う訳ですか」今度は工藤がうなずいたが、人間コンピューターは秘密保全に最大限の注意をしている中での余計な確認に不快感を露にした。
  1. 2017/08/02(水) 10:36:20|
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第58回月刊「宗教」講座・シリーズ5・ルーテル教会とバプテスト派

これまで紹介してこなかった日本国内で4年制大学を経営しているプロテスタント教派には「ルーテル教会」「バプテスト派」そして「日本キリスト教会」があります。この他にも短期大学や高等学校、中・小学校、幼稚園を経営している中小の教派も少なからず存在しているのですが、今回は「4年制大学を経営」と言う基準で考察しているので、省略させてもらいます。このうち「日本キリスト教会」は次回に譲るとして先ずルーテル教会ですが、これは世界史の授業で習った通り、宗教改革の口火を切ったドイツのマルティン・ルターの教派で、ルーテルとはルターのドイツ語読みです。
ただルターはローマ・カソリックの教皇を頂点とする中央集権の下で聖職者たちが権力争いを繰り広げている現状と聖職者を民衆よりも上位とする身分制度や免罪符の販売に象徴される欲にまみれた布教方法などを「堕落」として批判したのであって、後発のプロテスタント各教派のように教義そのものの改革には「原点回帰」を強調しただけであまり手を着けておらず、他の教派が「モーセの十戒に背く」として否定している偶像崇拝や「カミと自己の契約に基づく信仰」を標榜しているため両者の間に介在させていない聖人の存在と奇跡を認めています。東京の教会で会った牧師もカソリックの聖職者のような服装をしていました。その意味では聖公会(=イギリス国教会)と同様にカソリックからプロテスタントに移行する途上の教派と言えるのかも知れません。
その一方でルーテル教会は宗教改革の先駆けだけにヨーロッパでは発祥の地であるドイツと国民の大多数を占めている北欧諸国を中心に多くの信者を持ち、アメリカ大陸でもドイツや北欧からの移民によって持ち込まれて、アメリカやカナダ、更に南アメリカでも信者数はかなり多いようです。なお、ヨハン・セバスチャン・バッハやゲレオク・フィリップ・テレマン(バッハの親友)、ヨハン・パッヘルベル(オルガン音楽の第1人者)、ヤコーブ・ルートヴィヒ・フェーリクス・メンデルスゾーンなどの音楽家も信者だったため、多くの荘厳な教会音楽=バロックを作曲しているため、ルーテル教会のミサは独特の雰囲気があり、野僧も東京の教会で聞きましたがCDとは言えクラシックのコンサートのようでした。
そんなルーテル教会はドイツや北欧諸国が幕末に日本との交流を持たなかったこともあり、伝来・布教では完全に出遅れてしまったのです。1892年になってようやくアメリカ人の宣教師が来日しましたが、東京や横浜、神戸など多くの外国人が居留している都市以外でも主要な地域は既に他の教派が組織を固めていたため、見落されたようになっていた当時は九州最大の都市だった熊本に拠点を置いたのです。そんなルーテル教会の4年制大学は名を冠した2つだけです。
次はバプテスト派ですが、野僧はこの教派のアメリカ人の牧師と日本人の牧師や西南学院大学の教授と交流があるため双方の立場を知っています。
アメリカ人の牧師は「日本のキリスト教は神学校にしても大学にしても知識を与えるだけで信仰の本質を体験させていない」と批判していますが、野僧自身も佛教者として信仰の本質を探究し続けた結果、人間としての一線を踏み越えていますから、日本人牧師や教授の生真面目さは心から尊敬しても宗教者としては認められません。ただバプテスト派はアメリカのプロテスタントでは最大勢力を誇るだけに政治権力との結びつきが強く、特に敬虔なクリスチャンでホワイトハウスを聖堂のようにしていたジョージ・ウォーカー・ブッシュ大統領(息子)をカソリックのローマ教皇のように扱うようになり、過去に遡るように旧い家族制度の復活を説き、さらに実際は軍事産業とネオコンと呼ばれる政治屋たちが始めた対イスラムの戦争を「十字軍の再現」と位置づけ、これに賛同することを要求してきました。このため現在はアメリカのバプテスト派とは距離を置いているようです。そんなバプテスト派の4年制大学は尚絅学院大学、関東学院大学、西南学院大学、西南女子学院大学の4つです。
○ルーテル学院大学
この大学は現在、東京都三鷹市に所在していますが、前身は1909年に熊本市内に設立された路貼(るーてる)神学校です。1921年になって九州学院神学部専門学校として認可され、1925年には1923年の関東大震災で焼け野原になっていた東京府中野区に移転しています。戦時中は組織を守るため国家神道に迎合していた日本基督教会の傘下に加わり、東部神学校として存続し、敗戦後は日本ルーテル神学校として独立すると千代田区を経て1969年に現在の三鷹市へ移転しました。まだ千代田区にあった1964年に日本ルーテル神学大学として認可され、1996年に現在の名称に変更しています。
○九州ルーテル学院大学
この大学は熊本市内に所在しているためルーテル大学が東京に移転した後に組織・施設を継承する形で設立されたのかと思ってしまいますが、実際は別の学校を前身としています。アメリカのルーテル教会で「日本に女子神学校を設立するべきだ」との声が起こり、資金を持って1914年に来日した女性宣教師が日本語を習得しながらアメリカの大学へ組織経営を学ぶため留学した後、1924年に九州女学院として設立したのです。それにしても女子神学校を設立する目的で派遣するのなら日本語に堪能で、組織経営に熟練した人物を選ぶべきなのですが、当時のアメリカのルーテル教会にはそんな人材はいなかったのでしょう(今でも日本語が話せるアメリカ人は珍しいのです)。ついでに言えば日本での布教も九州ルーテル大学が大学史などで説明=宣伝している程、重要視されていなかったのかも知れません。戦時中は宗教色を消した4年制高等女学校として存続し、敗戦後は5年生の九州女学院高等女学校を経て、1975年に九州女学院短期大学、そして1997年に九州ルーテル学院大学になりました。現在は男女共学です。
○尚絅(しょうけい)学院大学
この大学は宮城県名取市に所在しますが、大学名の出典はキリスト教の聖書や宗教書ではなく中国の古典「中庸」の一節「衣錦尚絅=錦を衣(き)て、絅を尚(くわ)う=立派な着物を見せびらかさないように上に薄絹を羽織る」です。1892年に尚絅女学会として設立され、1899年に尚絅女学校と校名を変更して英文科と家事科の3年制高等女学校になりましたが、戦時中は英文科と後に設立していた保姆(ほぼ)科を廃止して家事科のみになっています。敗戦後は英文科を復活しただけでなく体育科まで新設し、1950年には尚絅女学院短期大学になり、2003年に4年制を開学して短期大学と並立になりました。2010年からは男女共学になっています。
○関東学院大学
この大学は横浜市と小田原市に所在するので「関東」と称していることは適切でしょう。この大学名は箱根駅伝で耳にしたことがありますが、優勝争いに加わったのは記憶にありません。山梨学院大学の緑色のユニホームは鮮明に記憶していますけど。1884年にアメリカ人宣教師が横浜山手に設立した横浜バプテスト神学校を前身として、1895年には所在地はそのままで東京中学院、さらに東京学院と所在地詐称を犯し、1919年になってから関東学院に移行しています。戦時中は明治学院専門学校に吸収合併されますが、関東学院航空工業専門学校を開設して校名だけは残しました。敗戦後は関東学院工業専門学校に改名し、1949年の学制改革で四年制大学になったものの70年安保の学園闘争では赤軍派の拠点となったことで、何とか存続していた神学部が廃止され、キリスト教系とは言い難い校風になってしまったようです。
ただし、大学訓は「Be a man and save the world(人となれ、世界に奉仕せよ)」のキリスト教精神を堅持し、大学章も旧約聖書の創世記八章にある三枚のオリーブ(その意味はキリスト教学の「三位一体」とも大学教育の目的である「体育、知育、徳育」とも言われている)のままですから良いのでしょう。
○西南学院大学
この大学は福岡市早良区に所在し、アメリカ人宣教師によって1916年に私立中学校として設立されました。5年後、高等専門学校になり、戦前には大西洋無着陸横断の英雄・チャールズ・リンドバーグやヘレンケラーが来訪し、知名度を上げています。戦時中は英語科を閉鎖したものの敗戦後の1949年には西南学院大学として新制大学に移行しました。この時、日本基督教会では戦前の国家神道に迎合した指導者の責任を糾弾する声が上がり、急激に左傾化して反体制的色合いが強い改革派=カルヴァン派に乗っ取られると、これを巡って日本のバプテスト派内でも合流に関する路線対立が起こったのです。結局、福岡県を含む西部地区は保守色が強い南部バプテスト派としての系譜を守り、独立することを選択したのですが、前述したアメリカのバプテスト派本部から送られてきた賛同の書類への署名を拒否したため、宣教師を兼務していた学長以下の外国人教授たちが解任されました。しかし、現在の学長も署名を拒否しており、アメリカのバプテスト派の極右的な宗教性が沈静化するのを待っている状態のようです。ちなみに穏健派路線で失敗したジミー・カーター大統領は退任後に南部バプテスト派の牧師になっていますが、ネオコンと対立して除名処分を受けたようです。なお、西南学院大学は日本で最初の学生スピーチ・コンテストを開催した歴史を持ち、春日基地で開催された航空自衛隊英語弁論大会の担当者として助言を求めたことが野僧との関わり合いの始まりでした。
○西南女学院大学
この大学は意外にも福岡県北九州市に所在し、1922年に西南学院大学の創設者である宣教師と共に来日した女性宣教師によって創立されました。その後も一貫して女子校として歩み1993年になって4年制大学に移行しています。

この2つの教派は戦後になって変質していく日本基督教会・日本キリスト教会とは距離を置き、母国の教義への回帰=原理主義的な揺り戻しを選択しています。外国人からキリスト教を学んだ野僧から見るとこの選択は正しいように思います。
佛教は日本に伝来して古来の山岳信仰と融合した密教、原点回帰した禅宗、そして飛躍・超越した浄土門に発展しましたが、そこには空海、応燈関と白隠、法然と言う天才の存在がありました。
一方、神道は元来、教義を持たず宗教とも呼べない単なる神憑りな呪術に過ぎなかったのですが、それを江戸期になって平田篤胤と言う狂人が出現したことで無理に宗教とするため中国の儒教の儀礼作法と倫理、道教の世界観を模倣した結果、皇室に結びつけて権力を奪取するための尊皇思想に変質し、やがては国家神道と言うドイツのナチズムに等しい危険思想と化しました。
明治初期にキリスト教を導入した日本人たちは宗教の本質を考えることなく、欧米は全てが進歩しており、日本やアジアは遅れていると思い込み、自分たちが時代の先駆けになった気分で布教を始め、それに外国人の宣教師たちが大挙して来日すると舶来品を有り難がる国民性を発揮した愚か者の入信したに過ぎません。
その程度の人間の宗教が堕落するのは必然的ですから、むしろ日本で附着した汚れを洗い落として、原点回帰した方が宗教としての本質を語り、学べるはずです。特に戦後の日本キリスト教会は政治的な意図を隠し持った国家神道並みの危険な宗教団体になっていますから尚更です。
58・片渕茜(テレビ東京)西南学院大学OG・テレビ東京アナウンサー・片渕茜
  1. 2017/08/01(火) 08:48:20|
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振り向けばイエスタディ902

実は夏季休暇でハワイに帰省する直前の7月下旬、理解不能の問題が内局から陸幕監理部経由で持ち込まれて私は航空券をキャンセルすることにならないか不安になっていたのだった。
「要するに第10次イラク派遣隊が帰国するのに民間機をチャーターしたのはけしからんと抗議を受けたってことだ」窓口になっている法務官(=室長)も何が問題なのか十分に理解できていないような口ぶりだ。とりあえず7月1日付で陸将補に昇任したので「閣下」と呼ぶことにする。
「抗議してきたのはどこですか?閣下」「航空会社の労組が3つらしい」「3つと言われても日本航空だけでも6団体もありますから、対応のしようがありませんよ。閣下」湾岸戦争が起きた時、現地で人質になっていたイラク在住の日本人が帰国できることになって、迎えに行く旅客機を日本航空に依頼したところパイロットと客室乗務員の労組が反対したため会社から拒否されたことがある。結局、外国の航空会社と契約して「日本人は危険な場所にはいかない」と言う批判の火に油を注いだのだが、その時は全日空の自衛隊OBのパイロットたちが志願し、それに客室乗務員も賛同した。その前科から考えれば答えは出るような気がする。
「それで反対の理由は何ですか」「自衛官が搭乗していれば軍用機扱いされて攻撃される危険があったと言うんだ」法務官閣下は「そんなことはないだろう」と同意を求めているが武力紛争関係法から言えば間違ってはいない。機嫌を損ねないように細心の注意を払いながら自分の見解を述べた。
「非軍事目的で民間の航空路を飛行している民間機を攻撃することは武力紛争関係法の主旨から言えば違法です」法務官閣下はここまでで「我が意を得たり」と言う顔をしたが不味い続きがある。
「しかし、戦闘員の移動は作戦目的の使用であり、民間機と言えども攻撃目標にされても違法ではありません」逆転の反論に直属上司の顔がけわしくなったが、追い討ちをかけざるを得ない。
「さらに言えば陸戦規則や海戦規則のような戦闘方法を規定した空戦規則はまだ制定されていませんからこれも紳士協定に過ぎません」「つまり労組の抗議は正論だと言うんだな」「国際法上はそうなります」法務官閣下は苦虫を頬一杯噛み締めたような顔になった。そこで手遅れかとは思ったが政府の対応を肯定する見解も追加することにする。
「ただし、自衛官が搭乗すること明示した上で契約したんですから、労組が抗議すべき相手は会社であって防衛庁ではないでしょう」「・・・」この反応を見るとやはり手遅れだったようだ。
「逆に今後の契約で労組の存在を不安材料にして譲歩を引き出すことも可能です」「防衛庁と航空大手2社の関係は緊密だから交渉が行われる余地はないだろう」弁護士的には「緊密」を「癒着」と受け取ったが、騒いでいる航空会社の労組も親方日の丸以上の厚遇を受けているブルジョアジーなのだから何が目的なのか、どこまで本気なのか判ったものではない。
何はともあれ2年半、10次にわたった陸上自衛隊の「イラクにおける人道復興支援活動と安全確保支援活動」は1名の死者も出すことなく終結した(病死などは除く)。

陸上自衛隊のイラク派遣が終結して「ホッ」としていると今度は航空自衛隊がやらかしてくれた。
「航空自衛隊がイラクで戦闘員を空輸」8月になってすぐの新聞の1面にはこんな大見出しが躍っていた。航空自衛隊の第1輸送航空隊は陸上自衛隊が撤収してからもクエートのアリ・アルサレム空軍基地を拠点として国連の要望による空輸業務を継続しているのだが、今回、多国籍軍の兵士をイラクのバクダッド国際空港まで輸送したと言うのだ。
「これは空の問題だから基本的にノータッチだな」「それが閣下の御方針と言うことであれば従います」そうは言ってもこの法務官の指導は「下手に首を突っ込むな」と言う私に対する牽制であって、向こうから相談を持ち込まれれば応じなければならないは判っている。そのつもりで予習を始めていると困ったところから問い合わせが入った。
「もしもし、陸幕法務官室、モリヤ2佐ですが」「東京弁護士会からですが、先生に会員として伺いたいことがあるんです」これは事務職員ではなく女性弁護士だろう。法廷での遣り取りでも感じる特有の口調があるようだ。
「イラク特措法では戦闘行為への関与は除外されていますが、戦闘目的の兵員を輸送することはこれに違反します」「はい、それではこの電話を担当者に回します。切らずにお待ち下さい」私としては最善の処置をとった。「君子危うきに近づかず」これで無事に休暇を取れるはずだ。
  1. 2017/08/01(火) 08:46:48|
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