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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1024

放置して2週間が経過したある日、私は想定外の人物の面会を受けることになった。
「陸幕の法務官室のモリヤ2佐さんですよね」突然、駐屯地の門衛所から電話が入った。市ヶ谷駐屯地の門衛は自衛官ではなく委託の警備保障会社の警備員のため言葉遣いはどこかおかしい。
「実は面会の方が来られているのですが・・・」「来たのは誰ですか」「愛知県豊川市の近野秀之さんだそうです」それは妹の夫だった。義弟の職業は長距離トラックの運転手なので東京に仕事で来たついでに寄ったのだろう。
「それでは迎えに出ますから待たせておいて下さい」「面会者の駐車場には入らないので業務隊の駐車場に停めさせてもらうように依頼しました。そちらに回って下さい」どうやら義弟は10トン・トラックで来たようだ。これでは駐車場は入らないだけでなく正門からの道路も塞いでいるはずだ。
「お義兄さん、お久しぶりです」緑色の車両が並ぶ駐屯地業務隊の駐車場で義弟のトラックは目立っている。それを目指して歩いて行くと義弟は運転席から降りて挨拶してきた。
「夜間の長距離は不眠で来るんだろう。仮眠時間に寝ないで大丈夫か」「東京は近いんで届け先が受け付けを始めるまで仮眠できますから大丈夫です」やはり義弟は文太兄ィのトラック野郎とは真逆の模範的な優良ドライバーらしい。
「それじゃあ喫茶店で話を聞こう」そう言って佳織と一緒に勤務していた頃にはよく利用したPXの喫茶店に誘うと義弟は急に緊張した顔になって後に続いた。
「借金したのはどんな金融業者なんだね」喫茶店に入ってコーヒーを注文すると単刀直入に本題に入った。義弟は愛知県に戻る復路にも荷物を載せる予定なので短時間で切り上げなければないのだ。それにしても実家の家屋が義弟の名義になっていることを調べ上げる程度の調査能力があるのなら個人経営の金貸しではなさそうだ。その一方で住宅ローンを抱えている義弟を保証人として認めるようでは大手の業者とも思えない。何よりも家屋自体が住宅ローンの抵当になっている。
「一応、サラリーマン金融として登録している業者らしいんですが、名前を聞いたことがありませんから大手ではないようです」何にしても会社の経営資金を借りるのに金利が高いサラリーマン金融を使うこと自体、始めから返済するつもりがなかったと言うことだ。
「それにしても君は住宅ローンを返済しているんだろう。おまけに今回の借金まで加われば給料の全額を返済に充てなければならなくなるな」「はい、弟の不始末で迷惑をかけて本当に申し訳なく思っています」この申し訳なく思っている相手が相談に乗っている私なのか自分の妻とウチの両親なのかは判らないが、義弟の顔は本心から詫びているようだ。こんな夫を「離婚すれば迷惑がかからないで済むのか」などと計算ずくで切り捨てようとしている妹とそれを許している両親には本当に腹が立って来る。むしろ私同様にあの家と縁を切った方が義弟のためなのかも知れない。
ここで新しく入ったらしい若いアルバイトのウェイトレスがコーヒーを運んできた。
「それで家を抵当に入れることに君は同意したのか」「向こうが作ってきた書類を弟が説明しましたから訳が判らないままそれも仕方ないことになっていました」私としては契約上の瑕疵を見つけて無効に持って行きたいのだが、相手もプロだけにそうは問屋が卸さないようだ。手続きに関して色々な質問を繰り返してもギリギリの線から踏み外してくれなかった。
「本来は銀行で借りてサラリーマン金融に返済するのが常識的な線だが、住宅ローンと一緒にでは受けつけないだろう。何にしても貸金業者法が遠からず改正される予定だからそれが施行されて金利が下がった時点で借金をし直して少しでも負担を軽くするべきだね」「どのくらい下がるんですか」この助言に義弟は飲みかけていたコーヒーを皿に戻して身を乗り出した。やはり平静を装ってはいても内心ではかなり切羽詰まっているようだ。
「弁護士会で聞いている話じゃあ、現在の年利29・2パーセントの上限を10万円未満が20パーセント、10万円から100万円が18パーセント、100万円超えが15パーセントになるらしい。2010年の施行を目指しているようだからあと2年弱だ」「それまでに弟が就職すれば自分で返済を始めるんでしょうけど・・・」義弟が言葉を濁したことでも問題の弟が自分の不始末をそこまで真摯に受け止めていないことが判る。義弟は父親が高校時代に亡くなって以降、初任給から母親と弟の生活のために家に入れ、若者らしい遊びもせずに支え続けてきたのだ。長男として生まれたことが不幸の原因になると言う不条理は義兄としてではなく同じ長男として許せなかった。
  1. 2017/11/30(木) 10:20:57|
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11月30日・第1次ソ・芬戦争が勃発した。

ヨーロッパでの第2次世界大戦が勃発して丁度3カ月後にあたる1939年の明日11月30日に「冬戦争」とも呼ばれるソ連のフィンランドへの侵攻が始まりました。戦史に詳しくない人がこの対戦を見るとソ連が一方的に勝利してフィンランドは短期間で占領されたと思ってしまうかも知れませんが、実際はフィンランド軍が正規軍によるゲリラ戦の手本とも言えるモッティ戦術でソ連の機甲部隊を散々に翻弄して各個撃破を繰り広げて敗走させたのです。この惨めな敗走を見たヒトラー総統はソ連軍の実力を侮り、独ソ不可侵条約を破って軍事侵攻することを考えるようになったとも言われています。
第2次世界大戦の1週間前にヒトラー総統と独ソ不可侵条約を結んだスターリン首相はバルト3国とフィンランドへの侵略意図を公然化させて軍事基地を設置することを要求しました(フィンランドには国境線の後退も)。弱小国のバルト3国はこれに従ったのですがフィンランドは決然と拒否したのです。このため「フィンランド軍から砲撃を受けた」と言う声明を発するのと同時に25万人のフィンランド軍の4倍の100万人の兵員、戦車30両に対して6541両、航空機130機に対して3800機の圧倒的戦力で侵攻を開始しました。
これに対してフィンランド軍は各所に点在する湖沼が凍結して雪が積もり、平原にしか見えなくなっていることを利用し、ソ連軍の戦車が泥濘にはまり込んで動けなくなったところを包囲して攻撃するのと同時に雪道で速度を上げることができない輸送トラックを抜群のノルディック・スキー技量を有する兵士たちに襲撃させて後方を遮断し、先行する戦車部隊の燃料・弾薬・食糧を枯渇させたのです。
野僧は高校時代からこの戦争を研究していて航空自衛官になってからは管理隊が輸送小隊と警備小隊で編成されている意義は有事における輸送と警護の共同運用にあると確信するようになりました。ところが第3術科学校の輸送幹部課程で教官にこの見解を開陳したところ「有事の輸送ですか・・・」と困惑するだけだったので独学を進めるしかなかったのです。その後、幹部学校に入校した時、陸上自衛隊の1佐の講義があったため「ソ連軍と陸上自衛隊の戦力格差を考えるとフィンランド軍のモッティ戦術の応用以外の運用は考えられないのではないか(河川の堤防を湖沼の代用にする)」と質問したのですが、それに対して「陸上自衛隊は正規軍としての運用を考えて編成されている」と強弁してきたため「ソ連軍は150個もの空挺師団と自動車化狙撃師団を保有している。仮に20個師団を空挺降下させてきたのなら陸上自衛隊の13個師団でこれをどう迎え撃つのか」と反論したところ「君は何者だ」とだけ言って絶句してしまいました。
確かに陸上自衛隊は歩兵=普通科、砲兵=特科、機甲=戦車科、工兵=施設科などの正規軍としての編成を執っていますが、どれも小規模で戦車を横一線に並べて突進させて敵陣を打ち破るような運用はできません。特科も圧倒的な火力で敵を撃滅するだけの砲弾を備蓄していないので数発射っては移動して、次の陣地を構築して射つことになります(敵に反撃されるため陣地が必要になる)。ましてや普通科は砲撃によって沈黙させた敵陣地を占領する基本的運用は期待できないため旅順要塞攻撃そのままの万歳突撃を常用することが日米協同演習などで米軍側から問題点として指摘されています。
第2次世界大戦で離島を守備する海軍陸戦隊が陸軍部隊以上の強さを発揮したのは、陸軍が前に向かって攻撃するヨーロッパ式戦術一辺倒だったのに対して海軍は艦砲の発想で砲門を全方位に向ける柔軟性があり、突撃する前にできることをやり尽くす粘り強さも潔さのみを美学として早々に万歳突撃して全滅した陸軍とは違いました。似たような条件の戦訓に学ばなければ陸上自衛隊は帝国陸軍の二の舞です。なお、この戦争には続編があります。
  1. 2017/11/29(水) 09:30:47|
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振り向けばイエスタディ1023

母親からの書簡を読んでも内容は愚痴と悪口ばかりで状況は全く把握できない。これでは弁護・調停の依頼ではなく単なる人生相談なのでこのまま放置することにした。
それにしても親は私の勤務先をどうやって調べたのか。知っていたのは守山までだが訊けるような知人はいないはずだ。そんな推理で時間を空費していると意外な下手人から電話が入った。
「もしもし、陸幕法務官室のモリヤ2佐です」「おーッ、モリヤくん、久しぶりだね」それは豊川・第6施設群に帰っている小椋1尉からだった。転属案内では本部管理中隊長になっているはずだ。
「親御さんから手紙がいっただろう」「どうしてそれを」「親御さんに音信不通とは穏やかじゃあないな。親は大切にしなければいけないよ」小椋1尉は一方的に兄貴分になって指導してくる。仰ることは一々ご尤もなのだが、ウチの場合は特殊事情と長い経緯があるのだ。
「実は元1科長の岡崎さんから問い合わせがあって俺が教えたんだ。俺は今、1科長も兼務しているからね」岡崎さんと言えば母親と奥さんは幼馴染だった。つまり困った母親が奥さんに相談して岡崎さんを通じて陸上自衛隊の人事情報を入手したようだ。
「私は親とは縁を切っていますから今後はやめて下さい。実は個人情報の不正漏洩の服務事案として調査を始めようとしていたところなんです」これは半分以上、脅しだが小椋1尉は私の勤務先を考えて真剣に受け取ったらしく電話の向こうで生唾を飲んだ。
「お主も随分と恐ろしい人間になったものだな。昔はもっと愉快な奴だったけどね」「1年も拘置所に入っていると人格もつや消しのブラックになってしまいますよ」「そうか。あの時、親御さんが新聞とテレビで喋ったことが原因なんだな」小椋1尉の推理はかすっているが当たってはいない。何にしろ下手人が判ったので、ことを荒立てないで済みそうだ。

放置すること2週間で続報が届いてしまった。今度は親不孝を叱責する内容だ。この論理展開は幼い頃から「全てお前が悪い」「お前が我慢するから家は丸く収まる」「親に育ててもらった恩を忘れることは人間として許されない」と言われてきたそのままだ。今度こそシュレッターに投じようと思ったが、別紙に事情が書いてあり、それを読むまで思いとどまった。
「秀くんには弟がいて、その弟の会社が倒産しそうだから融資を受けるための保証人になってくれと頼まれたそうです」妹の夫の秀之くんの実家についてはあまり知らないが、弟が1人いることは聞いている。その弟が大変な色男で母親が溺愛したため我まま放題に育ってしまったらしい。
「ところがすぐに会社は倒産して、社長が融資を受けた資金を持ち逃げして行方不明になってしまいました。弟も失業したので収入がなくて保証人になった秀くんが返済しなければいけなくなりました」ここまででも弟思いの兄の善意につけ入った悪質な詐欺事件として民事告訴できるだろう。ところが事態はさらに悪質だった。
「弟の社長が手を回してウチの家の名義が秀くんになっていることまで調べていて、家を抵当にして借金をしたから恐ろしいような金額なんです」確かに今の家屋は妹夫婦が建てたので、名義が義弟になっていても不思議はない。土地は父親の名義だったはずだが、妹の性格から言えば一緒に名義変更した可能性も高い。そうなれば借金の返済が滞ったところで家を追い出されることになる。それにしても長男の私に相談もなく妹に家を建て替えさせ、財産分与もないまま名義まで変更しておきながら良くもこんな相談をしてきたものだ。それでも今回は筆不精の母親にしては珍しく長文の書簡になっている。やはりワープロを覚えると少しは文章力が向上するようだ。
「晴美は離婚すればこの借金から逃れることができないかと考えています。自分に相談もなく勝手に保証人になっただけでなく、家を抵当に入れたことが許せないようです」やはり一方的に妹の肩を持つウチの親の病癖は治っていない。これが私の落ち度なら即刻勘当されただろう。
ここまでで終われば相談として受け付ける気にもなるのだが、そうは問屋が卸さなかった。
「そんな訳でウチには弁護士さんに相談するお金がありません。貴方が裁判してくれれば今までの親不孝は許すとお父さんも言ってくれています。妹も苦労を押しつけたことを忘れてあげると言っています。お母さんもそうして欲しいです」やはり読後の所見は「モリヤ家につける薬はない」「モリヤ家は死ななきゃ治らない」になる。そもそも弁護士が裁判をするはずがない。
「民事訴訟は専門ではない」と回答しようと思ったが、やはり放置・無視することにした。
  1. 2017/11/29(水) 09:29:20|
  2. 夜の連続小説8
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振り向けばイエスタディ1022

伊丹から帰った翌朝、佳織から電話が入った。ハワイと日本は19時間の時差があるから向うは土曜日の昼時になる。
「昨日、伊丹に行ってきたよ」「うん、毎年、この時期に行ってくれるからそう思ってたんや。有り難う」佳織からの電話は毎週の定期便なのだが、昨日、ママさんから聞いた件が気になっているため気持ちのどこかが身構えているように感じる。あれから私なりに色々考えてきたが、志織本人だけでなく佳織や義父などの考えが判らないので「頭中の空論」の域を出なかった。
「志織は元気なのか」「うん、ダディが新学年のお祝いに服を買ってくれるって緒に出かけているよ」言われてみればアメリカは9月から新学年になっている。日本のように一番過ごしやすい時期に2週間近くの春休みを与えることもなく夏休みが終われば新学年、新入学だ。
「お義父さん、志織を目に入れても本当に痛くないみたいだね」「私が日本へ行ってしまったのと同じ年頃だから父親としてしたかったことを1つ1つ実現してるみたい」佳織の説明に義父の愛着が「亡き息子の代用」と言う認識が表面的だったことに気がついた。義父・ノザキ中佐の苦悩を思えば私の淳之介に対する態度はやや薄情なのかも知れない。
「それじゃあ、もう手放せないって言っていないか」「あと1年でお別れって言うことを認めたくないんだよ。志織が望むならハワイに残れば良いって言ってるんや」この「志織が望むなら」を前提にするところがどこぞの親とは違うところだ。あの親と縁を切って8年になるが「憎まれっ子世にはばかる」と言うから生きてはいるのだろう。
「それにしても淳之介が沖縄へ行ってしまって志織がハワイとなると・・・」「初めての新婚生活やね」意外にも電話口で佳織の顔がパッと光ったのが判るくらい声が明るくなった。
「そうかァ、ワシと結婚した時には淳之介と3人家族だったもんな」言われてみれば私たちに新婚生活はなかった。佳織は新婚早々から妊婦として志織を身ごもり、母親として淳之介を育ててくれたのだ。しかし、それを理由に志織を置いてくることを認める訳にはいかない。
「だからって志織を置いて帰ろうなんて考えるなよ」「勿論、志織が望んだら考えるんや。貴方と相談しなければ決められへん」自分の発言に佳織との信頼関係に少し緩みが生じているのを感じた。佳織との別居生活が長くなり、呼吸を合わせる機会を失っているのは確かだ。現在の職場で日常的に色々な隊員たちの離婚調停・訴訟に関わっていることも影響しているようだ。
「ワシも2人だけの生活に憧れはあるけど一番の歓びがね・・・」そこから先は言わなくても判るはずだ。親鸞聖人は肉欲から逃れられない自分を「破戒の大罪を犯す極悪人」と自己卑下したが、夫婦の絆としての営みさえ奪われた苦しみに比べれば公家の坊ちゃんの甘い現実否定にしか思えなくなってくる。
「ウチは好きな人に抱いてもらえただけで十分や。もう過去形で良いんよ」佳織の声が急に湿っぽくなった。どうやら拘置所での1年間で失った肉体の機能は、無駄な抵抗に過ぎない性的リハビリ=エロ動画鑑賞などは止めてきっぱり諦めるしかないらしい。
「それじゃあ、志織の気持ちを優先すると言うことで静観しているよ」「うん、母子で話し合っていきます」これでママさんから与えられた研究課題の方向は決まった。
それにしても今日の電話では私自身の劣化を自覚させられた。やはり佳織とのパジャマ・ミーティングがなければ馬鹿な頭をフル稼働させ続けることはできないようだ。

「任人くん、お元気ですか」突然、職場宛てに縁を切ったはずの愛知の親から手紙が届いた。開封せずにシュレッターにかけるべきか迷ったが「訃報かも知れない」と期待しながら開封すると書き出しから相変わらずの子離れしない文体だった。
「貴方が弁護士の資格を取ったことは聞いています。そこで相談があります」ウチの母親の文章は保育園の園長の割に稚拙なため「誰に聞いたのか」が判らない。
「後で個人情報を漏洩した実行犯と特定しよう」そんなことを考えながら読み進めると本論は思ってもいない痛快な話だった。
「実は晴美の夫が借金を作ってしまいました。このため家が抵当に入ってしまっています」妹の晴美の夫には守山時代に会っているが真面目な好青年だった。何にしても迷惑な業務依頼のようだ。
お・上白石萌歌イメージ画像
  1. 2017/11/28(火) 09:51:45|
  2. 夜の連続小説8
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振り向けばイエスタディ1021

お盆の夏季休暇はハワイに帰省したため秋彼岸(9月23日)前の土曜日に伊丹へ伊藤家の墓参に出かけた。春と秋の彼岸は本来、宮中の祖先供養の儀礼を佛教が模倣した日本だけの行事なので私は特に認めていないのだが、そこは年2回の掃除と墓参の機会として欠かさないように努めている。それでもここの墓苑は地元の人が多いようで、彼岸の入りとは言えお中日の3日前の土曜日に参っている家族は見当たらす私だけだった。
「お義祖父さん、お義祖母さん、お義母さん、どうか安らかに眠って下さい。佳織と志織はハワイで元気にやっています・・・」掃除を終えて花を飾り、線香を焚いてから手を合わせて近況報告をしたのは良いが、血がつながっていない淳之介をどうするかで言葉に詰まってしまった。淳之介とは「恋人に会って欲しい」と言う申し出を受け入れなかったためなのか、あれから音信不通だ。それでも離島航路の船乗りとしてこの夏の観光シーズンも頑張ったと信じているが連絡がなければ単なる想像に過ぎない。
「さて、お経だが・・・」ここで再び先に進まなくなってしまった。今までは伊藤家の宗旨が曹洞宗のため師僧=祖父から習ったお経で良かったのだが、私自身が浄土宗に宗旨替えして、ハワイのノザキ家も浄土宗なので最近はこちらが専門になっている。曹洞宗と浄土宗で共通したお経としては般若心経があるが、これは墓参ではあまり勤めない。そもそも曹洞宗は病んで弱気になった道元が妙法蓮華経に傾倒したのでこちらが専門なのだ。そこで余計な知識で強引な結論を出した。
「道元さんのお義兄さんは法然上人の直弟子の証空上人なんですよ。今回はそちらのお経をお楽しみ下さい」独り言で説明した後、戒尺を打ち鳴らして挙経(こきょ=経典の題名を唱える)する。
「黒谷和讃」この法語は法然上人の墓所が高野山にある関係で真言宗でも「無常和讃」として勤めている。私にとっては愛唱歌のような法語だ。
「帰命頂禮黒谷の圓光大師の教えには、人間僅か五十年、花に譬へ(たとえ)ば朝顔の、露より脆き身を持ちて、何故に後生を願はぬぞ、假令(たとえ)浮世に長らへて、楽しむ心に暮すとも、老いも若きも妻も子も遅れ先立つ世の慣(なら)い、花も紅葉も一盛り、思へば我等も一盛り、十や十五の蕾花、十九や二十(はたち)の花盛り、所帯盛りの人々も、今宵枕を傾けて、直(すぐ)に頓死をするも有り、朝なに笑ひし稚児(おさなご)も、暮には煙となるも有り、憐れ儚き我等かな、娑婆は日に日に遠ざかり、死するは年々近づきて、今日は他人の葬禮し、明日は我身も図(はか)られず、是を思へば皆人(もろびと)よ、親兄弟も夫婦とも、先立つ人の追善に、念佛唱へて信ずべし、あら有難たや阿弥陀佛、南無阿弥陀佛・・・」真言宗の「無常和讃」はもう少し短いのだがこれが丁度良い。

「あら、モリヤさん、今年もお彼岸のお墓参り。有り難いわァ」帰りにママさんのスナックに寄るとエプロンをはめて開店準備中だった。
「ママさんもお変わりなく・・・相変わらずお美しい」窓からの夕方の陽射しだけで薄暗い店内では還暦を過ぎたママさんもそれなりに美しく見える。それにしても最近、私は「自分にはイタリア人の血が流れているのではないか」と思うことがある。女性と見れば相手構わず社交儀礼として口説く癖があるのだ。
「東京でもそんな調子で遊んではいないでしょうね」ママさんは苦笑しながらコーヒーを出してくれた。今夜はこのまま東京に戻る予定だが、それは毎度のことなのでママさんも判っているらしい。
「遊びたくても私にはできませんよ」熱いコーヒーをすすりながら自嘲気味に答えると私の身体=性的不能のことを知らないママさんは佳織への貞操のためだと解釈したようで笑ってうなずいた。実は中央病院の同期の医官の助言で日活ロマンポルノのDVDを借りて鑑賞し始めたのだが、それでも一物が反応しないためより強い刺激を求めてエロ・ビデオになり、インターネットのエロ動画まで視聴するようになっていた。その意味では医療目的とは言え破戒エロ坊主に堕落している。ママさんの満足そうな顔を見て後ろめたさに私は視線を反らした。
「時々、佳織ちゃんから電話が入るんやけど、向こうのお父さんから『志織を置いて行ってくれ』って頼まれているのは聞いている」この話は初耳だった。佳織としては父親の本気度と志織の希望の確認をしている段階なのだろう。確かに1人息子を亡くしたノザキ夫妻が孫娘の志織を手元に置きたい気持ちになるのは理解できる。しかし、志織まで手放すことは私が耐えられそうもない。
  1. 2017/11/27(月) 09:07:18|
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振り向けばイエスタディ1020

「1つ、マカレルをやってくれ」訓練が学習から練度向上に移った頃、イリアがそう言ってトランプを手渡した。
「『巻かれる』って日本語ですか」「『撒かれる=逃げられる』なら業界用語ですね」「馬鹿、ババ抜きのことだ」空曹と海曹が2段重ねのボケをかませたところで勘解由が落ちをつける。本当はイリアがゲームをやらせた意味を察して背筋が冷たくなっているのを和らげるための即興の漫才だった。しかし、最年長の主水が慣れた手つきでトランプを切り始めるとやはり互いの顔を見合って黙り込んだ。
「勘解由さんにも配りますか」主水の確認は陸曹としての気配りだろう。このババ抜きが実技=殺害を実施する者を選択するためのゲームであることは全員が察している。幹部自衛官が自ら手を汚すことを覚悟しているかは勝手な想像や常識では決められなかった。
「俺にはババ入りで配ってくれ」「はい、判りました」勘解由の言葉に主水は切ったカードを確認してババを抜き取り、もう一度念入りに切り直した。そして5人に配ると最後に抜いておいたババを上に載せた。これで実施者=実行犯が決定するのだ。
「小弥太、こちらへ来てくれ」結局、ババは小弥太=塩谷2曹の手元に残った。それを見てイリアが別室に連れ出し、勘解由も続いた。小弥太が部屋のドアを閉めると3人は一斉に溜め息をつく。やはり「殺人」と言う非情な業務は1人でも後から、1秒でも遅く行いたい。それは覚悟とは別次元の健全な人間としての真情だった。
「いきなり素手で処理させるのは心配だが君の技量なら大丈夫だろう」別室では説明を終えてイリアが激励してきた。今回はすでにロンドン市内に潜入しているテロリストを処理するのだが、アラブ人ではなくイギリス人の若者なのだ。
「イラキとレバノンのイスラマン・ステート」はインターネットでの派手な宣伝を展開しており、その過激な主張に共鳴してシリアで訓練を受けているヨーロッパ人の若者は増加の一途だ。それがイギリス人であればMI5やMI6の存在は知っており、直に接触すれば警戒されるのは間違いない。そこで意表を突いて日本人に接触させ、確認の上で処理しようと言うのだ。

「貴方は随分と日に焼けていますがサーファーですか」小弥太はMI5の担当者に教えられた若者が入ったレストランでカウンター席の隣りに座って声をかけた。若者は突然アジア人に声を掛けられて驚いた顔をしたが、同様に日に焼けているのに気がついて黙ってうなずいた。若者としては「同好の士を見つけた気安さから親しげに声を掛けてきたのだろう」と推理したようだ。
「イギリスは北だから海で遊べる季節は短いですよね。私も地中海あたりへ出かけようかな」小弥太は注文した料理が届くとマナーに反する食べ方で口に運び始める。その前にイギリスでは見知らぬ人間に声をかけることが無礼であり、若者は嫌悪感を示して少し背中を向けた。
「貴方もビールを飲みませんか。おごりますよ」それでも構わず声をかけると若者は怒りを露わにして完全に背中を向けた。
「アルコホールを飲まないなんて、まさかイスラム教徒ではないでしょう。それじゃあ肉はハラールにしなければいけませんよ」その背中に軽い口調で声をかけると若者は振り返りざまにコップの水を降り掛けた。その狂気に満ちた目を見て小弥太はこの若者が目標であることを確信した。

「あれ、また会いましたね」小弥太は街灯もない暗い路地で声をかけた。ここなら防犯カメラは設置されていない。若者はその声で先ほど不快な思いをさせたアジア人であることを確認し、殴りかかってくる。その拳をかわした小弥太は腹部に前から注射を刺し、ボタンを押し切った。若者は一瞬の出来事に困惑し、自分の身体を点検し始めたが、数秒後、激しく悶え苦しみ出した。
北アフリカの毒蛇・マンバから抽出したフェンタニルは体内で神経を極度の興奮状態に陥らせ、心臓発作や呼吸困難で死に至らせる。その所要時間は数十秒だが腹部では血管を縛って毒素を止めることはできず結果は1つしかない。
「うーん、念佛でも挙げてやろうかな」まだ死に切っていない若者を残して歩き出した小弥太は日本語で独り言を呟いた後、福島の祖母から習った念佛を小声で唱え始めた。「南無阿弥陀佛・・・」
  1. 2017/11/26(日) 00:10:50|
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11月26日・浄土宗の偉大なる留守番・証空上人が遷淨した。

宝治元(1247)年の明日11月26日(太陰暦)に法然坊源空上人の傍に23年の長きにわたって仕え、流罪による不在や入滅された後もその法灯を守り、より広く高く成長させた鑑智国師・証空上人が遷淨(=淨土に還ること)しました。なお証空上人の数多い弟子たちは京を中心に教勢を誇った西山派、西山禅林寺派、西山深草派、東山派、嵯峨派を開いているため、これらの教派では法然上人と並んで阿弥陀如来の脇侍にしています
ちなみに証空上人は9歳の時、平安時代末期から鎌倉時代初期に暗躍した稀代の悪徳公家・久我通親さんの養子になっているため血はつながらないものの曹洞宗の道元禅師とは義兄弟になります(道元禅師は実子)。それにしても道元禅師は若い頃は経典を認めず「只管打坐」による現世からの逃避を説きながらも健康を害してからは一転して妙法蓮華経に傾倒しましたが、念佛には関心を示さず親鸞聖人と面談した折も一致点を見出すことはなかったと言われています。道元禅師の独善的で粘着質な性格から考えて自分が生まれる前に跡継ぎとして迎えられていた義兄に対して思うところがあって殊更に念佛を嫌っていたのかも知れません。現在も曹洞宗では商売仇の念佛門に敵意を抱いていて永平寺に祀られている過去=阿弥陀佛・現在=釋迦牟尼佛・未来=弥勒佛の三世三尊の阿弥陀佛を迦葉佛と偽名で呼ばせていたことがあります(両手を阿弥陀定印に結んでいるにも関わらず)。さらに総持寺の貫主猊下の「南無阿弥陀佛」と言う口癖を問題視して止めさせたこともあるのです。
そんな孤高を気取る義弟とは逆に済度衆生の広大無辺の法を宣揚された法然上人に仕えた証空上人は生来、比類なき理解力と記憶力の持ち主で23年間にわたって間近で聴いていた法然上人の説法を正確に暗記していたため、法然上人が晩年になって「選択本願念佛集(せんじゃくほんがんねんぶつしゅう)」記述を始められた時には傍らで説法の期日や内容、根拠として引用した経典とその項目などを説明して内容の正確性を格段に向上させています。この頃、法然上人が比叡山からの詰問に対する回答として提出した起請文には弟子として4番目に署名していますから末尾に近かった親鸞聖人とは格段に立場が違ったのでしょう。
建永2(1201)年に寵愛していた女御たちが法然上人の高弟に私淑して無断で外出したことに勝手な邪推を巡らした(他宗の讒言もあった)後鳥羽上皇が浄土宗への弾圧を開始すると、証空上人は京に在って流罪となった師の留守を護り、九州で教勢を伸ばしていた弁長上人と共に浄土宗を揺るぎなき教団に成長させたのです。その意味では法然上人の流罪による不在は世代交代を図る上で有益だったようです(浄土真宗では親鸞聖人も流罪になったため「特別な師弟関係にあった」と利用していますが、単に公然と結婚したことで破戒僧として目をつけられただけではないでしょうか)。
法然上人が流刑から戻られると前述のように著述活動を助けながら、その意向を受けて天台教学や密教の修学にも励み、允可も許されました。
建暦2(1212)に法然上人が遷淨されても浄土宗は信仰を広げ続けたためこれに危機感を抱いた比叡山は法然上人の遺著「選択本願念仏集」を批判する詰問状を別の高弟に送ったものの論破され、15年後の嘉禄3(1227)年に証空上人を含む高弟を流罪にすることを朝廷に要求したのです。しかし、証空上人は事前に弁明書を提出していた上、天台教学を修学していた時の人脈もあったため流罪は免れ、またも京に残ることになりました。こうして留守番として浄土教団を護持し、充実させた行跡(あんり)だったのです。
  1. 2017/11/25(土) 09:40:48|
  2. 日記(暦)
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振り向けばイエスタディ1019

とうとう実技を見学することになった。MI6が確認したテロリストがドーバー海峡海底トンネルを利用して入国してきたところをMI5が処理するのだ。イギリスは旧宗主国として中東地域に独自の情報もを張り巡らせており、イラク国内でアメリカ以下の有志連合軍と戦闘を繰り広げていた武装過激派が国境を越えてシリア国内に拠点を築いたことを確認している。2006年に「ダウヒードとジハード集団」と自称していた団体が「イラキとレバノンのイスラマン・ステート(ISIL)」として再編成されてからは更に監視を強化しており、ヨーロッパを中心とする有志連合参加国に対するテロ攻撃を始めていることも察知していた。
「お客さん(=目標)は終点のセント・パンクラス駅で下りてタクシーかバスでロンドンの中心街まで移動するだろう。そこで雑踏を見つければお仕事を始めると言う訳だ」今回の作業はジェームズとイリアの同僚たちが実施する。おそらくMI6は大陸側でお客さんを発見した時点でMI5に通報し、尾行を開始する。イギリス国内に入ればお客さんが仕事を始める前に共同で処理する。今回はそのお手並みを拝見するだけだ。
「お客さんの顔が送られてきたぞ」そう言ってイリアは送信されてきた画像をパソコンにアップした。周りで4人の陸曹・海曹・空曹は息を呑んで注視し始めたがジェームズと半蔵は冷やかに眺めているだけだ。2人にとってはアフガニスタン、イラクで屠って(ほふって)きた目標と何も変わりはなく、間もなくこの若者が何時ものような骸(むくろ)になり果てるのが判っていた。
「手荷物の大きさから見て小型爆弾を使うつもりではないですか」「いいや、ユールスターの中でも不審な手荷物は車掌の通報で鉄道警察隊に検査される。手荷物に注意を向けさせて隠し持った銃を乱射する可能性の方が高いんじゃあないか」「ユールスターの中なら地下鉄サリン事件のようにガスでも十分でしょう」日本人たちの勝手な推測に半蔵=杉本は少し苛立ってきた。隣りでジェームズが嘲笑していることも火に油を注いでいる。
「どんな手段を取ろうがテロを実施する確証が掴めれば十分だ。問題は処理が遅れて被害が出ることと処理を早まって犯罪になることだけだ」「我々はこのお客さんがシリアの拠点を出て、陸路でヨーロッパ大陸を横断してくる間も監視を続けてきた。途中で何度か現地の協力者と接触しているからそこで道具を手に入れたんだろう」半蔵の指導とジェームズの説明に4人は黙って画面に視線を戻し、後ろで見ていた勘解由は2人に歩み寄って口を開いた。
「私もオランダでテロ対策に追われましたが、ここまで具体的には考えていませんでした。あの時、私がしなければならなかった処置を貴方たちは実行していたのですね」勘解由の賛辞を聞きながら2人は無表情なまま目を暗く光らせた。

「よし、これで低血糖を起こす。あとは意識を失うだけだ」駅前通りに停車した旧式の乗用車の中で中年の男性が腹部に自己注射をしていた。今回の処理方法は運転手=執行人にインスリンを注射して低血糖を起こさせ、意識を失って暴走した車で歩行中の目標を撥ね殺すと言うものだ。勿論、運転手の手持ちカバンの中にはディアビティ(糖尿病)患者の手帳とインスリンの注射キットが入れてある。注射は過去の実験で割り出した意識を失うまでの所要時間を計算して摂取した。
「あの男だ」尾行しているMI6の合図でセント・パンクラス駅を出てバス・ターミナルに向かう歩行者の中にお客さんを確認すると運転手は車を発進させた。この運転手の経歴にMI5やMi6のみならず国家機関との関係は何もない(ことになっている)。一般の営業マンが運転中に低血糖で意識を失い死亡事故を起こしたそれだけなのだ。
「キャーッ」「ノーッ」「オー・マイ・ゴッド」間もなく駅前の歩道から女性たちの悲鳴が聞こえ、数秒後に「ドーン」と言う鈍い衝撃音が響いた。イリアと5人の仕事人たちはロンドン市内各所に設置されている監視カメラに映ることを前提にした位置でこの一部始終を見学していた。
処置の道具=乗用車はブレーキも踏まずに目標を正面から撥ね、そのまま駐車していたトラックに追突した。その悲惨な骸は2台の車両の間で立ったまま絶命していた。MI5はこの事故を演出するために流線型ではない旧式の乗用車を使ったようだ。
その日のニュースでは「セント・パンクラス駅前で死亡事故。低血糖による失神か」と報じていた。この処理方法を実行するための綿密な準備こそ教訓として持ち帰らなければならない。
  1. 2017/11/25(土) 09:35:14|
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振り向けばイエスタディ1018

「今日はポイソニング(毒殺)だ」教育の冒頭、イリアが無表情に説明すると自衛隊対テロ要員=必殺仕事人・隠密同心たちは顔を見合わせた。日本人が抱いている「毒殺」は食品や飲料水に毒物を入れて相手に飲食させるもので、とりあえず「これから出される料理や飲み物に手をつけるのは控えよう」と互いにうなずき合っている。しかし、イリアは机上に置いたポシェットのような小さなカバンからプラスチック製の筒を取り出して示した。
「これが注射器だ。ディアビティ(糖尿病)用のインスリンの注射器を利用している」これは予想外だった勘解由以下の5名は身を乗り出して注視した。
「何故、インスリンの注射器を利用するのか。それには幾つかの理由がある」イリアには一息吸ってから説明を始める癖がある。勘解由以下もその間(ま)で集中力を準備できる。
「先ずディアビティ患者の手帳を携帯していればこの注射器を所持していても疑われることはない」そう言ってイリアはカバンの中から小さなビニール製のカバーが掛った手帳を取り出して回覧した。そこには英文で「私は糖尿病患者です。若し意識を失っていたなら低血糖か高血糖の発作の疑いがあります。早急に医療機関か緊急搬送する部署に連絡して下さい。尚、携帯している注射器はインスリンであって医師の指示によるものです」と書いてある。つまり警察官に見られても疑いを解くことは容易なのだ。
「補足しておくとインスリンも大量に注射すれば無血糖状態で意識を喪失させて殺害することができる」それを担当業務に使用しているかは明言しない。あくまでも「参考までに」と言うことだ。
「次にこの注射針は世界で最も細く、太さは0・25ミリ程度だ(当時=現在、世界最細のナノパスニードルⅡは0・18ミリ)。ここまで細いと痛点を刺さない限り、痛みを感じない」そう言ってイリアは針を腕に刺して見せた。
「全員で体験してみよう」それを見て勘解由が提案したためイリアはカバンの中からアルコホール・コットン(酒精綿)が入った小さな包みを全員に配った。一斉に袋を破るとアルコホールの匂いが鼻を突き、拭いた腕が冷たくなった。
「衛生上、針は使い捨てだが、証拠を残さないために持ち帰るのが原則だぞ」そんなイリアの説明を聞きながらプラスチック製の短い筒に付いた針を腕に差してみる。すると確かに痛みは感じない。強いて言えば藪蚊に刺された程度の刺激だが、知らないで刺されても気づかないだろう。
「この針はイギリス製なんですか」「いいや、君の国のテルモと言うメーカーの製品だ」隼人の質問にイリアが答えると全員が誇らしげに笑った。やはり愛国心は堅持しているようだ。
「この注射器の便利なところは注射する薬剤の量を事前に設定しておけることだ。つまりあらかじめ致死量を設定しておけば通り過ぎながら刺して上のボタンを押し切ればそれだけで処理できると言う訳だ」この説明で殺害方法も理解できた。こうなるとこのまま訓練に移行するはずだ。
教場にしている広めのリビングの家具を片づけているとジェームズと半蔵=杉本が入ってきた。
「この注射器には無害のビタミン剤が入っている」イリアはそう言って1本ずつ注射器を渡した。
「使用する前に試し射ちを実施する。針を装着してからダイヤルを2つ回して、上に向けてボタンを押せ」イリアの指示通りに実施すると細い針から液体が噴き上がった。これで注射器内の空気も排出されて調整した量の薬物が射出される。
「この針は細い分、弱いから刺す時は可能な限り垂直にしろ。そこが秘匿との両立が難しいところだ」「位置としては骨がない脇腹が多い、臀部はズボンの尻ポケットに物が入っている可能性がある」そこまで説明してイリアは先ほど配ったアルコホール・コットンを取り出すように指示した。
「本来は衛生管理上、刺す部位の消毒が必要なんだ。諸官たちには基準通りに消毒してもらおう。勿論、テロリストを処理する時にはそんな手順は不要だ」これはイリアなりのジョークなのかも知れないが、誰も笑わなかった。
「それではジェームズと半蔵に模範動作を展示してもらう」イリアが目配せするとジェームズが腕を組んで辺りを眺めるような演技を始める。つまり街中に立って周囲を観察している状況のようだ。一方の半蔵は部屋の隅で針の装着、試し射ち、ダイヤルの調節を行い、サマージャケットの袖の中に注射器を隠して歩きだした。そしてジェームズの背後で携帯電話が鳴ったため立ち止まった。その一瞬に腕から滑り出した注射器をジェームズの脇腹に突き刺してボタンを押し切った。
  1. 2017/11/24(金) 09:46:36|
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振り向けばイエスタディ1017

勘解由=朝山3佐以下の対テロ要員の訓練は実技に差し掛かっている。ブリテン島南部にある海辺の寒村で受けている教育と訓練は体力や技術的には難しいことはなく自衛隊と大差ない。しかし、その先に「人命を奪う」と言う実技が待っていることの心理的圧迫は想像をはるかに超えていた。
その日は海岸沿いの道路を使った訓練だった。長い直線を高速道路に見立てて目標車両に並走し、運転手の目にレーザー・ビームを浴びせる。これは小五郎=杉本も半蔵=岡倉と経験した殺害方法だ。
これまでも停車している車両から隣りの車両の運転席に向けてレーザー・ビームを発射する訓練から始まり、走行中の車両から並走する車両に向けての訓練に段階を上げてきている。
「路上での目つぶしを体験してもらう。今日はドライバーに専用のサングラスをかけさせているが狙いを外すな」教官であるイリアは専用の携帯電話で道路工事を装って通行止めにする係の杉本に連絡すると勘解由に訓練の開始を指示した。
最初は小弥太がドライバー、左門がスナイパー(狙撃手)だ。先にジェームズが運転する目標車両が走りだし、数分の間を置いて2人の車両が走りだした。
「タリホー・ターゲット(目標視認)」「先ず車両ナンバーを確認せよ」左門の報告に小弥太が指導を加える。この国ではテロリストを処理することは正当な業務として隠蔽されるが、誤って一般市民を殺害すれば死亡事故=殺人事件にせざるを得ない。このため業務を実施するに当たっては何よりも目標の確認に万全を期さなければならないのだ。
「ナンバー、××ー××、間違いない」「よし、実施」テロリストの殺害を「業務」と割り切ることができない自衛官=日本人はこうして「共犯者」と相互連携を取るだけで責任が分割されるようで気分が軽くなる。そんな現実を噛み締めながら小弥太は対向車線に出て時速80マイル(=約130キロ)を超える速度で走っている目標車両の横につけた。助手席の左門は少し焦った手つきでレーザー・ビームを構え、ジェームズのサングラスを狙う。その間、左門は位置関係を乱さないようにアクセルを調整していた。すると突然、目標車両が速度を落として急速に離れて行った。
「何だ、どうしたんだ」本来の左車線に戻った後、路肩に車両を止めた2人にジェームズから電話が入った。
「並走を開始してから照射まで時間がかかり過ぎる。それでは敵に怪しまれて今のようなことになるぞ」確かに陸上自衛官である左門は射撃の癖で精密に狙うことを意識し過ぎて相手に気づかせる猶予を作ってしまった。高速道路であれば追い越し車線を並走すること自体が違和感を与えることはないが、やはりテロリストであれば助手席の人間の動作は確認するはずだ。その場合の対抗策も実に簡単なことだった。つまり反射神経で処置しなければ一度のチャンスを逃すことになる。
待機位置に戻った2人は意気消沈して結果を報告した。航空自衛隊警備教導隊と陸上自衛隊富士学校の隊員の失敗に海上自衛隊の臨検要員と陸上自衛隊特殊作戦群の2人は異様に対抗意識を燃え立たせている。この感覚はスポーツと何も変わりはない。
「次、ドライバーは隼人、スナイパーは主水」指示された2人は海岸道路を逆から進入した。この間にジェームズは方向を変えて高速度で走行を開始している。
「ナンバー、××ー××、タリホー」「よし」やはり前の者の失敗は繰り返さない。今度は期待できそうだ。しかし、残念な結果に終わった。並走を続けて照射を繰り返しても目標車両は何の反応も示さず、運転席のジェームズは拳銃を取り出して発砲の仕草をした。
「どこを狙っているんだ。あれでは作業の目的を教えているようなものだ」これが待機位置機に戻ってからジェームズが下した講評だ。つまり慌てて照射したレーザー・ビームはジェームズの目を捉えていなかったのだ。
「よし、最後は勘解由だ。運転は私がする。諸官らは助手席と後席に同乗しろ」そう言うとイリアは勘解由を促し、ジェームズと4人が乗った車に遅れて発進した。
「うん、命中」数分後、並走してきた車の助手席から赤い閃光が走り、ジェームズのサングラスの目の位置を照らした。同時にその前を遮るようにイリアが車線変更する。これが高速度を維持したままなら業務は完了なのだ。最後に模範を示したこの演出は終幕直前に大ドンデン返しを突きつけるシェークスピアやヒッチッコックにも通じるイギリス式なのかも知れない。
  1. 2017/11/23(木) 10:05:28|
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11月23日・ミス5000円札・樋口一葉の命日

明治29(1896)年の明日11月23日は今や5000円札がブロマイドになっているのかも知れない樋口一葉さんの命日です。
野僧は小学生の頃から「たけくらべ」にごりえ」「十三夜」などを収めた日本文学全集の樋口一葉さんの巻を読んでいたのですが、中でも「たけくらべ」は少女向けのアニメでも取り上げられるくらい人気の作品だったようです。ただし、野僧の小学校は「好きなのに黙っているのは卑怯者だ」と言う気風で堂々と告白することが当たり前だったので、好きなのに素気ない態度をとって互いに近づけないでいる主人公の美登利と寺の息子の信如の幼い恋心には納得できませんでした。それでも男子と違って恥じらいを知っていた女子たちは「好きな人に告白してもらえない」「好きなのに告白できない自分」を重ねていたのかも知れません。一方、「にごりえ」と「十三夜」は今考えても小学生には早い大人の愛憎劇なのですが、ウチの親は本を買って並べるだけで自分は読まないため「樋口一葉=たけくらべ=幼い純愛」と言うイメージだけで放置していたのでしょう。
「にごりえ」は評判の酌婦とそれを巡る2人の男の見得と身勝手の葛藤の物語ですが、自分に入れ上げて蒲団屋としての身代を失って土方人夫に零落れた男と新たに言い寄ってくる色男の間で揺れ動く酌婦の心情が「打算だけではない男と女の関係」を見事に描いており小学生ながら深く考えさせられました。特に息子が酌婦に飴玉をもらって帰ったことで逆上した妻を追い出したのを機に酌婦を殺して自分も割腹して果てた土方人夫の潔い人生の幕の引き方には憧れを抱いてしまいました。
「十三夜」の夫の暴力に耐えかねて家に戻った女が親に諭されて夫が待つ婚家に帰る人力車で車夫になっていたかつての想い人と再会する場面は美しい情景描写もあって非常に感動的です。
それにしても野僧は20歳で自衛隊に入ってからなら同様の修羅場を現実として目撃することができましたが、明治の20歳前後の女性が何所でこのような男女の人間模様を観察していたのかは謎です。一葉さんは東京府庁に務める官吏の娘として生まれ、学校に進むと抜群の才気を発揮しましたが長兄がいたことで母親から「女に学問はいらない」と退学させられています。それでも娘の才能を見抜いていた父親は和歌の塾に通わせるのですが間もなく長兄と父親が相次いで病没したため母親は「家を支えるのは長女のお前だ」と17歳の一葉さんに責任を負わせたのです。
と言っても17歳の娘が収入を得るには針仕事くらいしかなく、生活はどん底を這うような状態に陥りました。やがては吉原大門前に雑貨と菓子を売る小さな店を開き、ここで作品にもなる男女の機微を観察していたようです。さらに和歌の塾の先輩が小説によって収入を得たことに倣って作品を雑誌に発表することになると作家兼編集者に玩具にされてしまい女性としての官能・恍惚と悲哀・苦悶を味わったと言われています。しかし、その作家は20歳前の処女をどのように開発し、弄び、あの深過ぎる心理描写を描くほど熟成させていったのか。こちらの方が小説になりそうです。
一説によると5000円札を女性の文学者か芸術家にすることは既定方針になっていたのですが、知名度と実績から与謝野晶子さんを推す声が強かったもののあまりにも不美人であり、何よりも孫が現職の国会議員であったため活躍した期間は短く、薄幸ではあっても正統派の美女として小泉首相が即決したと言われています(あくまでもありそうな噂ですが)。他にお札に相応しい実績を上げている女性の文学者や芸術家と言えば文化勲章の女性第1号を受賞した上村松園さんくらいですが、こちらも若い頃なら兎も角、晩年の顔は少し怖いです。むしろ映画「序の舞」で上村さんを演じた名取裕子さんにすれば見栄えは最高でしょう。
  1. 2017/11/22(水) 09:36:11|
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振り向けばイエスタディ1016

退院した安川3曹は合宿だけでなく演習にも参加できなくなっている。負傷については訓練上の事故として報告しており、先任陸曹が公務災害認定の申請をしてくれているので特に負い目に感じる必要はないのだが、レンジャーとしての誇りが自分を責めていた。
「休暇を取って休めと言いたいところだが、般命(=一般命令)中の年次休暇は認められないからな」出勤しても松葉杖をついていては出来ることがなく、事務室で電話番をして過ごしている安川3曹に演習の準備をしている古参陸曹たちが声を掛けてくる。自衛隊の規則上、演習などの実施を命じる一般命令の期間中は特別休暇と病気休暇は申請できるが、民間企業の有給に当たる年次休暇は認められていない。それなら一般命令の参加者名簿から安川和也3曹を外せば良さそうなものだが、負傷によって銃剣道の集合訓練の参加を取り消す命令が出たことを人事記録上の失点と考え、「恥を重ねさせられない」と言う陸上自衛隊的な親心らしい。そのため演習中は自宅に帰ることができずに中隊当直のベッドで仮眠し、松葉杖をつきながら隊舎内を巡回する不寝番を勤めなければならないのだ。
「今回は山下士長も居残りで謹慎だが大丈夫か」「私よりも山下士長の問題でしょう」山下士長は事故報告に当たって訓練指揮官の2小隊長から事情聴取を受け、始めは故意に怪我を負わせようとしたことを否定していたが、前夜の宴席で粗暴行為に及んだ理由を追及されて「『新兵の癖に連隊長に取り入ってイラク派遣に参加した』『先に一選抜で3曹に昇任した』『冬戦教に入った』ことが生意気で許せなかった」と本音を告白した。これに他の隊員たちから「聡美の美貌に嫉妬していた」との証言も加わり、傷害事件として訴追できる条件は整ったのだが、安川3曹はそれを断った。
「山下士長の就職は見つかったんですかね」演習の準備で慌ただしく入れ替わる隊員たちの中に山下士長の分隊の陸曹を見つけたので声を掛けてみた。
「アイツは陸上自衛隊がこの辺りで1番条件が良い仕事だって4年満期を継続したんだ。この不況の中じゃあ同じ条件の仕事なんてないだろう」1990年代初頭にバブルが弾けて以降、日本の経済の長期低落は止まっていない。特に変人内閣でアメリカ式の経済政策を持ちこんだ結果、日本の企業倫理が崩壊したことで経営者が社員を情け容赦なく切り捨てる「リストラの嵐が吹き続けている」と入院中に見ていたテレビでも言っていた。
「まァ、懲戒免職にされずに就職が決まるまで退職も延期してもらえているだけでも温情人事なんだ。お前は被害者の顔をしていれば良いぞ」陸曹はすでに善悪の決着がついている相手の肩を持つようなことはしない。この組織で不要な同情は部隊行動の歩調を乱すだけだった。

「はい、4中隊です」部隊が演習に出て山下士長は営内班で反省文を書いている時、事務室に電話が入ったため、それだけが仕事の安川3曹が出た。
「おう、安川3曹か。無事に職場復帰したようだな」それは前中隊長の田島1尉からだった。
「中隊は演習に出ています」「うん、そっちの先任から聞いているから知ってるよ」どうやら田島1尉は自分に用件があって電話してきたようだ。
「怪我の件は色々な隊員から聞いているが大変な目に遭ったな」「手術は無事に終わって今はリハビリを始めています」そう答えながら椅子に座って足を伸ばす運動を始めた。
「ノルディックはやれそうなのか」「はい、ジョギングは膝に衝撃が加わるので注意が必要ですが、ノルディックは衝撃がない上、太腿の筋力を鍛えられるので頑張れって医者に言われています」膝の故障には太腿の筋力を強化することが有効なのは運動生理学を学んだ者には常識だ。つまり安川3曹は今後、本業であるノルディック・スキー=バイアスロンに集中できると言うことだ。
「中隊長、自分のために山下士長が退職することになってしまいました」ここで安川3曹は悩んでいる=自分を責めていることを打ち明けた。中隊に配属された時、山下士長に面倒を見てもらったことも事実であり、人情を簡単には割り切れないのが安川3曹の性分なのだ。
「やはりそのことで悩んでいるんだな。だから電話したんだよ」田島1尉の声が少し厳しくなる。
「自分が犯した落ち度の責任を取ることは社会人としての責任だ。それを何とかしてやろうなどと言うのは一人前の大人と認めていないことになる。この経験で山下は社会人としての厳しさを学ぶんだろう」「はい、判りました」安川3曹は電話を握ったまま男泣きしてしまった。
  1. 2017/11/22(水) 09:34:08|
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11月21日・加賀の豪商・銭屋五兵衛が獄死した。

浦賀にペリーが来航する半年前の嘉永5(1852)年11月21日に北前船で莫大な利益を上げ、その中で「ロシアとの密貿易にまで手を染めていた」とも言われる加賀の豪商・銭屋五兵衛が獄死しました。
銭屋は越前の戦国武将・朝倉家の末裔を自称していましたが、野僧は同じく朝倉家の直系の末裔の方を知っていて10畳の座敷2部屋分に及ぶ家系図を見せてもらったことがあるのですが祖先は皇室を経由して神話の世界に至り、名前の後に「皇子(みこ)」「命(みこと)」が付いていました。そんな朝倉家が織田信長さまに討たれたことで初代となる吉衛門さんが金沢に逃れて金貸し業を始めたことで「銭屋」を名乗り、その後は手広く商売を展開して江戸時代に入ると前田藩100万石の御用商人を務めるようになったのです。銭屋では歴代当主が五兵衛を名乗っていたため「銭五」の略称で通っていました。したがってこの事件の五兵衛さんは「幕末の」と断らなければなりませんが(何代目かは不明)、別の五兵衛さんは1回しか登場しませんからご了承下さい。
この五兵衛さんは39歳だった文化8(1811)年で質流れの船を手に入れたことで父親の五兵衛さんが失敗した海運業に乗り出しました。金沢に近い港町・宮腰は北前船の重要な中継地なので上方からの積み荷を買い、代わりにここから先で商う商品を売って儲けるのですが、瀬戸内海から関門海峡を経て玄界灘、日本海を航行してくると木造の和船では北海道までの航海に耐えられない状態に陥っていることも多く、全ての商品を買い取って自分の船に積み替える海運業に力を入れるようになりました。このため最盛期には千石積み20艘以上を含む200艘の持ち船を有するまでになっています。
その頃になると日本近海にもロシアやイギリスなどの商船や軍艦が出没するようになっており、高田屋嘉兵衛さんのように拉致される懼れもありましたが五兵衛さんはその接触を商売に活かし、洋上での交易を手始めにして、千島列島や礼文島、樺太、朝鮮半島に進出してロシア人や朝鮮人、中国人と取り引きしていたと言われています。さらに香港やアモイにまで行ってアメリカやイギリスの商人と交易したと言う信じ難い話から明治になって遠くオーストラリアのタスマニアを訪れた日本人軽業師一行が「かしうぜにやごへいりようち=加州銭屋五兵衛領地」と刻んだ石碑を見つけたと言う真偽不明の伝説まであります。実際、礼文島には「銭屋五兵衛貿易の土地」の記念碑があるそうですからこの辺りまでは事実なのでしょう。
当時の日本はまだ対馬経由の朝鮮と長崎を窓口にする清、オランダとしか交易は認めておらずこれは完全な違法行為なのですが(アメリカを皮切りに諸外国との通商を始めたのは五兵衛さんの没後2年から)、島津藩は沖縄や奄美で中国のみならずヨーロッパ諸国とも密貿易を行っており、毛利藩も日本海側で朝鮮との密貿易と言うよりも通信使の船団からの荷物の横流しで利益を上げていたのです(当地の海辺の山間部にはそのための土蔵が建ち並んでいます)。したがって五兵衛さんも藩の重役に利益の一部を贈ることで黙認されていたようです。
ところが前田藩内で政治抗争が勃発したことで五兵衛さんと結んでいた権力者の追い落としを果たした反対派が禍根を断つため新田開発などの不正を申し立てて銭屋の一族郎党を捕縛・投獄しました。
この時、五兵衛さんは79歳の高齢だったため過酷な牢生活で体調を崩してしまい寒さに向かう中、病没したのです。しかし、他の者たちも獄死6名、磔2名、永牢2名になった上、財産は全て没収でしたから政敵の追い落としのための弾圧と言うよりも逼迫する藩財政を延命させる窮余の策として生贄にしたと言う見方にも説得力がありそうです。庄内・酒田の本間さんはよくぞ御無事で。
  1. 2017/11/21(火) 09:36:13|
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振り向けばイエスタディ1015

「はい、4中隊長」東1尉の電話の出方は非常に素気ない。部下や同格の相手からの電話ならこれでも良いのかも知れないが、上司や部外からでは礼を失しているように思われる。
「4中隊長の東1尉ですね」「そうだが」「名寄地方警務隊長の兵頭3佐です」「はッ、これはご苦労さまです」相手が上官と判ると口調だけでなく声質まで変わった。警務隊長としては自分からの電話で身構えない者はいないから驚きはしないが、ここまで見事に切り替える輩(やから)は珍しいので苦笑しながら話を続けた。
「実は4中隊の銃剣道の合宿で傷害事件が発生したと言う噂がありまして、捜査に入る前に中隊長に確認しておこうとお電話を差し上げました」「傷害事件ですか」自衛隊の常識で頭が固まっている東1尉としては「傷害事件」と言えば刃物などの凶器で他人を傷つける犯罪のことだ。ところが警務隊長の説明は想定外の方向につながっていく。
「試合教習中に怪我をさせることを目的に体当たりして実際に重傷を負わせたと言うのですが、そのような事実はありませんか」これは安川3曹と山下士長の件のことだ。しかし、あれは体育事故であって傷害事件ではない。つまり中隊内に警務隊に内部告発した者がいる。
「誰がそのような話を警務に・・・」東1尉は短絡的に「安川3曹が通報した」と決めているが警務隊長の説明はその推理を超えていた。
「東京弁護士会から事実確認の問い合わせがあったんです。こうなるとウチとしては捜査に乗り出すことを検討しなければなりません」「東京弁護士会って東京のですか」「他にはないでしょう」この説明は陸上幕僚監部の法務幹部との会話の中で指導された法廷戦術の1つだった。本来であれば「陸上幕僚監部法務官室の弁護士」と言うべきなのだがあえて自衛隊の人脈から外れ、しかも自衛官がある種の脅威を抱いている存在の名前を出して動揺を誘ったのだ。然も虚偽ではない。
「弁護士会が絡んでいると言うことは訴訟になると言うことですか」「むしろ人権問題として政治闘争の材料にする可能性もあります」「・・・」黙った東1尉の頭の中に反自衛隊の言動でマスコミに登場している弁護士を兼ねた政治屋たちの顔が浮かんでくる。企業や地域の問題に法律を絡めて鋭く批判する彼らに自衛隊の材料を与えることは何があっても避けなればならない。
「問題なのは貴方がこの事故を隠蔽していることです。先ほど連隊本部にも確認したのですが事故報告を上げていないんですね」「はッ、調査に手間取って遅れているだけです」「それでも1週間以上が経過していて、負傷した陸曹の手術は終わっているらしいじゃあないですか」こうして入手している情報を細切れに投げつけるのも相手を追い込むための法廷戦術の1つだ。東1尉は暗闇から飛んでくる石つぶてに後退させられて崖っぷちに追い詰められているような気分になっている。それにしても北海道の北の果ての部隊の銃剣道の合宿中の負傷事故が東京にまで届き、しかもそれが弁護士の手に落ちているとは信じ難かった。
「この件は幕の法務官室にも話が伝わっていて、遠からず指揮系統を通じて事実確認が入るようです」これがトドメだ。事故の隠蔽が法務上の問題事項として上司の耳に入れば心証は救いようがないほど悪化する。それにしても「法務官室と東京弁護士会が同一人物である」とは言わさないのは実に狡猾な策略だ。尤も、これは法務幹部自身の1人2役なのだ。
日頃は必要な相談もしない東1尉も流石に地獄の底に垂れてきた蜘蛛の糸にすがるカンダタのように質問してきた(芥川龍之介「蜘蛛の糸」より)。
「自分はどうすれば好いのでしょうか」警務隊長は最初に電話に出た時の横柄な態度とは真逆の口調に哀れを感じながら優しく助言を与えた。
「早急に事故報告を上げることでしょう。何よりも事故を起こした士長に害意がなかったは本人を厳しく追及して正確に報告する必要があります。事故の前夜の宴会でも暴行未遂を起こしていますから」前夜の話は東1尉の耳にも届いていない。こうなると自分の落ち度は棚に上げ、山下士長を血祭りに上げたくなるのが東1尉の性格だ。さらに自分に事故の隠蔽を勧めながら前夜の問題を報告しなかった佐々木1曹も同罪だ。この歪んだ思考はソースではなく個人的資質だろう。
「それにしても法廷戦術って言うのは恐ろしいなァ」電話を切って警務隊長は深く溜め息をついた。日本で軍事法廷が行われることになれば自分は検事としてこのような論戦に参加しなければならなくなる。場の空気だけに終始する陸上自衛隊の会議とは別世界の暗闘を体験してしまった。
  1. 2017/11/21(火) 09:34:45|
  2. 夜の連続小説8
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11月21日・日清戦争における旅順要塞攻略が始まって終わった。

明治27(1894)年の明日11月21日に日清戦争における旅順要塞攻略作戦が始まって1日で終わりました。
旅順要塞攻略と言うと日露戦争では明治37(1904)年8月19日から明治38(1905)年1月1日にわたり、日本軍側の戦死者は15400人、戦傷者は44000人、対するロシア軍は戦死・病死者は16000人(要塞内では伝染病が蔓延していた)、戦傷者は30000人を出した悲惨な消耗戦しか知られていませんが、こちらは大山巌大将の指揮によりわずか1日で終わっています。しかし、攻防両者の戦力を比べると日清戦争の日本軍は15000人、清軍は13000人で、日露戦争の日本軍が51000人、ロシア軍は陸・海軍とその他を合わせて62000人(ただし、旅順港に停泊中の極東艦隊の乗員を含んだ数字)だったので戦闘そのものは決して小規模な局地戦ではなかったようです。
確かに清国も朝鮮半島の付け根で満州の入口に位置し、西朝鮮湾と渤海の押さえである旅順の重要性は十分に認識しており、朝鮮王朝内で宗主国・清への忠誠を堅持する守旧派と日本を見習って近代化を図ろうとする改革派の対立が表面化した頃から要塞の建設を始めていたのですが、当時は西大后が政治の実権を握っていたため軍備よりも自分の隠居用の宮殿の建設と装飾や60歳の祝賀に予算を注ぎ込んでおり、不十分なまま開戦を迎えることになったのです。さらに兵力も数を揃えるために搔き集められた雑兵に過ぎず、開戦以来の連戦連敗に厭戦気分が蔓延しており、緒戦で苛烈な攻撃を受けると逃亡する者が続出して1日で決着がついたのは清国側の自滅に近いものでした。
ちなみに日露戦争の時の乃木第3軍の参謀長だった伊地知幸介少将は日清戦争の大山第2軍の参謀副長・中佐としてこの作戦に参加しており、ロシア軍が巨費を投じてヨーロッパの最新土木工事を施した要塞を過小評価して、同じ要領で攻略できると思い込んで正面攻撃を繰り返した結果、多大な損害を出したと言われています。
ところが問題は作戦終了後の占領下で起こりました。戦闘の模様を従軍取材していたイギリスとアメリカの大手新聞が「日本軍が占領地で捕虜や保護した女性や幼児を含む非戦闘員を劣悪な環境下で虐待しており、多くを殺害している」と報じたのです。これについては同じく従軍していた日本人記者も目撃しているので人数や手段については検証を要するものの事実としては誤報ではないようです。
現代の日本人は大山巌元帥と言えば晩年の太った肖像写真と日露戦争での泰然自若とした逸話などから悠揚な大器と言うイメージを抱きがちですが、若い頃には島津藩の過激分子に加わっており、殊更に戦いを好んで幕末の騒乱から戊辰戦争で島津藩が行った戦闘の大半に参加して、会津では冷酷無道な方法で藩士だけでなくその家族や城下の住民まで殺害したのです。さらに西南戦争でも他の島津藩出身者たちが西郷南洲翁とその側近たちと刃を交えることを躊躇する中、鎮圧軍を指揮して従兄の南洲翁以下の主要な人物を全て死に追いやっています。
実は戊辰戦争の時も欧米の新聞各社は従軍取材しており、恭順=降服している会津ほかの奥羽越列藩同盟を無理やり戦争に引き込んだ薩長土肥を批判する報道を行っていました。その先入観があってこのような報道になったのかも知れませんが、東郷平八郎大将が海戦法に基づいて清国の輸送船を撃沈したことで日本軍にも国際法を守る見識があることを証明していなければ戦争の勝利もあまり好意的には受け留められなかったでしょう。何にしても日露戦争の時に陸海軍首脳部が「武力紛争関係法の厳守」を繰り返し通達しなければならなくなった原因の1つなのは確かです。
  1. 2017/11/20(月) 08:55:33|
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振り向けばイエスタディ1014

「モリヤ2佐ですか。13普連の田島です」陸上自衛隊が関係する裁判を傍聴して帰ったばかりの私に懐かしい人物から電話が入った。それは守山時代に私の中隊の第1小隊長として勤務していた田島2尉、今は1尉だ。
「そう言えば松本に転属したって案内が届いていたね」「はい、北海道は4年だけで再び帰郷できました」陸上自衛隊には北海道勤務を「網走番外地の懲役」と言う隠語もあるのだが、やはり本当に塀の中の生活を経験している私に使うのは遠慮したようだ。
「この冬から北海道仕込みのスキーで松本の連隊の隊員を鍛えるんだな。それは楽しみだろう」「ところがナンバー中隊(番号がついている一般の中隊)じゃあなくて本部管理中隊長ですから高齢化対策に万全を期しています」本部管理中隊は通信班や衛生班の他にも連隊本部の陸曹たちが所属しているため平均年齢が高い。それには色々な事情はあるとは思うが、この人材を本部管理中隊にした13連隊の人事には首を傾げてしまう。ところが田島1尉の用件も人事絡みだった。
「モリヤ2佐は久居で新隊員として面倒を見た安川3曹を憶えておられますか」「うん、稲沢出身の色男だろう」安川2士は私としても現在の職務の序章のような一件の当事者なので鮮明に記憶している。北キボールPKOの事前講習中に名寄(正確には旭川)まで会いに行ったが、私の司法修習中にイラク派遣に参加し、その後は高校時代の恋人と結婚したことも風の便りに知っていた。
「彼はこの冬に冬戦教に入って冬季レンジャーになったんですが、自分の後任の中隊長が銃剣道の合宿に入れたようなんです」「3普連は晩鐘1佐の時に銃剣道は止めたんじゃあなかったのか」「銃剣道連盟が師団司令部と連隊本部に圧力をかけてきたので師団の大会に復帰することになりました」田島1尉は不本意そうな口ぶりだが連隊の年度訓練計画には明記されていたはずなので合議に印鑑を押した以上は消極的共犯になる。
「それで慣れない銃剣道で苦労しているんだね」「それどころか試合教習で暴行に近い強引な技で重傷を負ったんですよ」話が業務関連になったので私は片手でメモを用意した。
「暴行に近いって銃剣道と言えども格闘技だから多少の打撃は仕方ないだろう」「それが試合教習なのに転倒を狙った強烈な体当たりをしてきて、安川は右膝の半月板を損傷してしまったんです」「相手は久しぶりの試合教習で興奮していたんじゃあないのか」田島1尉の性格から考えて転属した前任地でのトラブルに関与することは避けるはずなのだが今回は妙に執着しているようだ。それだけ背景に深刻な問題があるのかも知れない。私はメモをノートに変えて質問を再開した。
「相手の隊員は判るかね」「山下と言う士長ですが、学科が通らなくて3曹になれずに安川に抜かれたんです」「勝手な逆恨みもあると言うことか」しかし、格闘技の練習中の行為を暴行・傷害罪に問うには明確な犯意が必要になる。昇任で先を越されたことへの逆恨み程度ではまだ弱い。
「山下は合宿の宴会の席でも絡んできて安川に抑えつけられたそうなんです」「その時は双方に怪我はなかったのかね」「関節技だったので負傷はさせていません」これもある程度の期間、陸上自衛隊で勤務していれば誰でも経験・目撃するような話だ。
「それにしても転出した前任者の割には随分と詳しいね」ここで会話は思いがけない確信に入った。
「実は現在の中隊長は安川を私の子飼いと見て嫌っているようなんです。だから手術を必要とするような重傷でありながら事故報告はしないと言っていて、それを不満に思った隊員たちが私に相談して来ているんです」「早い話が内部告発だな。君の場合は直訴かね」私個人の銃剣道に対する問題意識とは別にこの事例には陸上自衛隊に巣食う銃剣道連盟との癒着体質や帝国陸軍以来の過度な命令絶対の風潮など色々な背景が見えている。しかし、この段階で手をつけられるのは事故報告を怠り、隠蔽しようとしている中隊長の態度だろう。
「それで君の後任は何者なんだ」「はい、48普連から来た東順輔1尉です」「ソースは(出身コース)」「生徒上がりの部内です」これで大体の状況は掴めた。とりあえず田島1尉からの電話は切って名寄の警務隊に掛け直すことにした。これは荒技だが東なる1尉が自ら播いた種と言うものだ。

「はい、警務隊長です」「陸幕法務官室のモリヤ2佐と申します」「幕のモリヤ2佐と言われると司法試験に合格された・・・」「東京弁護士会にも所属しています。今回はそちらの肩書の方が良いかも知れませんね」耳元から警務隊長が受話器を握り直す音がした。
  1. 2017/11/20(月) 08:54:22|
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11月19日・ワールド・トイレット・デー=世界トイレの日

2013年から11月19日が「世界トイレの日」になっているそうです。ちなみに日本では11月10日がトイレに関する企業の団体である日本トイレ協会が語呂合わせから提唱している「良いトイレの日」なのですが、こちらは国連総会で決議されたWTO=Wold Toilet Organization=世界トイレ機関の設立を記念する日です。この日を定めた目的が「公衆衛生について問題意識を広げること」と言うのでWHO=世界保健機構が管轄する機関なのかと思えば意外にもUNICEF=国際連合児童基金が推進してきた公衆衛生の普及教育に賛同した団体によって2011年のこの日に設立され、本部は公衆衛生を国是としているシンガポールにあるそうです。
野僧は幼い頃からトイレが近く、保育園や小学校などでも間に合わずお漏らしをしたため学年が進んでトイレ掃除の当番が割り当てられるようになると自動的に指定されてしまいました。そのことを禅僧である祖父にこぼすと「東司(とうす=禅寺のトイレ)掃除が最も修行になる作務だぞ。人が嫌がることだからこそ進んでやってみろ」と励ましながら「小便も大便も身体の中から出て来る物じゃあないか。早く丁寧に掃除すれば汚くはならない」と科学的に説明してくれたのです。以来、小中学校・高校から現在に至るまで「トイレ掃除当番」の座を堅持しています(幹部自衛官だった時にも)。
帝国海軍にはトイレ掃除に関する教訓とするべき逸話があります。その1つが海軍の艦艇には「トイレ当番」と言う役職があり、古参の下士官が1日中トイレの前に詰めて清潔な状態を維持しながら使用中・後の点検を行っていたのだそうです。用便は艦長以下、2等水兵まで平等にもよおすものなので全ての乗組員がお世話にならざるを得ず、下痢や嘔吐などを察知すると医官に報告することも大切な業務でした。もう1つは乃木希典大将が江田島の海軍兵学校を視察した折、「陸軍士官学校は海軍兵学校に敗れたり」と感嘆したと言うものです。それは視察の途中でトイレに入った際、小便器の下の床に小便の染み跡が1つもなく、校長以下全ての生徒、教官、職員が放尿するにも厳格に作法を守っていることを察知したのでした。
そんな野僧のトイレ研究は歴史と地理にも広がりました。先ず日本では川の上に小屋を作って便所としていたことから「厠(かわや)」と言う呼称ができたそうです。宮中ではトイレは設けずに塗り物の移動式便器で用を足しており(男性は竹の筒を小便用に携帯していた)、恋する女を諦めるために使用後のそれを奪った公家の話が今昔物語にありました。また戦国武将のトイレは用便中に槍などで襲われないため非常に広く、武田晴信公のものは6畳敷きだったと言われています(上杉謙信公が死んだトイレもそうだったのか?)。江戸時代になると市中には近郊の農民が下肥として回収に来ていたのです。大半の現代人は誤解しているのですが下肥は生々しい大小便を撒くのでなくカメに溜めて十分発酵させてから使うので臭いはしません(小浜の僧堂でも汲み取り作務に立候補していました)。
ヨーロッパの高い建物のトイレは壁から突き出す形で設けられており、そこに座って放出した大小便は下にばら撒いていました。なお、日本の宮中と同じくベルサイユ宮殿にもトイレはなくマリー・アントワネットも社交パーティーなどでは中庭に出て用便していたようです。
野僧がトイレで感嘆したのはスリランカでした。イギリスの植民地時代に全土に上下水道が建設されたためかなりの田舎の公衆トイレも水洗で、しかもそれが極めて綺麗に維持されていたのです。その点、中国は最悪のようです。中国の友人は「中国の公衆トイレも水洗式だぞ。仕切りがない溝をまたいで用便をしてそこに係がバケツで水を流すからだ」と強弁していました。
「トイレはシコー(思考)とクーソ-(空想)の空間である」トイレ・ネタなら幾らでも書けそうです。
  1. 2017/11/19(日) 10:23:47|
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振り向けばイエスタディ1013

今夜も岡倉は「コンビニエンス・ストアでキムチを買う」と言う地道な探索を継続している。最初に朝鮮半島の人間の存在を教えてくれた大学生のアルバイトの店に入る前、岡倉は有線放送にリクエストの電話をかけた。これは店内に半島人がいた時の反応を試すための準備だった。
店に入ると顔馴染みになりつつあるアルバイトは「アンニョンハショムニカ(こんにちは・いらっしゃいませ)」と韓国語で声を掛けてくる。店内には数人の男女がいるがそれを気に留める者はいないようだ。通常、コンビニエンス・ストアの夜勤は防犯だけでなく配達されてくる商品の処理と接客を同時進行するため2人で勤務するものだが、このような郊外の店では人件費を節減する必要から単独になることも多い。
「キムチは別に取ってあります」アルバイトはレジにロックしてカウンターから出ると足早に弁当を並べた冷蔵棚に近寄り、隅の方に隠してあったキムチを手渡したが、岡倉は一緒にもう1つキムチが隠してあることを確認した。岡倉がそのまま弁当を選んでいると店内に流れている有線放送が哀しげなピアノ曲を流し始めた。
「ネゲ オル ス オッスル コラゴ、イジェン クロル ス オッタゴ、チェバル クマナラゴ、 ナルル タルレジ・・・」それは数年前、本土では大ヒットした韓流ドラマ「冬のソナタ」の主題歌「最初から今まで」だった。岡倉はジアエから習ったその歌を少し大きめの声で口ずさみ始める。沖縄の民放にはテレビ朝日系列の琉球朝日放送、TBS系列の琉球放送、フジ・テレビ系列の沖縄テレビがあるが本土ほどは熱心に宣伝しなかったためあまり人気は出なかったようだ。
「チュンマル イジョポリゴ、シッポ、タシン ポル ス オッタミョン、ナルル テャッコ インヌン、ノエ モドゥン ゴル・・・」店内の客たちが無視している中、岡倉は唄い続ける。その時、ドアが開いて店内に来客を知らせる警告音が響いた。
「いらっしゃいませ、ようこそファミリー・セブンへ」その声に振り返るとアルバイトは目配せをした。どうやら問題の半島人と思われる男らしい。アルバイトは同じようにレジをロックすると岡倉の隣りからキムチを取り出して細い吊り目の男に手渡した。
「ネガ ウッコ シップル テマダ、ノン ナルル ウロボリゲ マンドゥニカ、オヌゴ ハナド、ナエ トゥッテロ・・・」キムチを受け取った男は岡倉の韓国語の歌に気がついたのか、無表情なまま鋭い吊り目を向けて全身を観察し始めた。岡倉の中では危険を知らせる赤い回転灯とサイレン音が作動している。それでも最後まで唄い切るとキムチと弁当、そしてビールを持ってレジに向かった。男はすぐ後ろには立たず雑誌の書棚を回ってから岡倉と入れ替わりにレジに立ち、キムチだけを買った。

沖縄の郊外の道路に街灯は殆どない。これが路上でのレイプ事件が多発する原因なのだが、国からの補助金を握る沖縄県と県内企業からの税収を独占している那覇市の確執もあり改善は進んでいない。その真っ暗な道を歩いて行くと尾行してくる者がいる。その距離の取り方は明らかにプロだ。岡倉は神経を背後に張り巡らして振り返ることなく状況を確認した。
「今のところ1名だな。携帯を使っていないようだから今の所仲間を呼ぶことはないだろう」そう考えている時、次第に足音が近づいていることに気がついた。このままでは半々の確率で捕獲されるか殺される。相手が殺人のプロであれば飛び道具を持っていても不思議はない。岡倉は少しずつ歩調を速めて距離を保ちながら通り過ぎかけた路地を曲がった。そのまま走る足音を立てて暗闇に身を潜める。すると薄い街灯りに照らされた人影が路地の入口で立ち止まった。
「ノニュン スウニヤ(お前は誰だ)」影は低くドスが効いた声で誰何してくる。やはりその場、駆け足の擬音には騙されていないようだ。その一方で暗闇の中に1人で踏み込むほど無謀でもない。岡倉は男が突入してきた時に備えてズボンのベルトの内側からナイフを取り出した。
「ソンダ(撃つぞ)」今度は脅しだ。しかし、住宅地で発砲するほど軽率ではないことは既に判っている。ここは諦めて立ち去るまで見つかられないことだけだ。
そこに車が通りがかり、男の姿をハッキリ照らしだした。身をかわして立ち去った男の手には拳銃ではなくナイフが握られていた。つまり勝負としては対等な得物(えもの=武器)だったと言うことだ。
「韓国人のプロの潜入」これで北朝鮮の工作員には十分な警戒情報を与えられたはずだ。
  1. 2017/11/19(日) 10:18:05|
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振り向けばイエスタディ1012

岡倉は3日間にわたって小禄地区を探索したがDIAが言うような工作員が潜伏している建物は発見できなかった。確かに小禄地区には放置されている空きビルが点在するものの路地のあちらこちらに飲み屋があるため深夜まで人通りが絶えず、工作員が存在を隠して生活することは不可能なのだ。岡倉も何度か空きビル内から人の話し声が聞こえるので足音を潜めて入ってみたのだが若い男女が野外「ホーミー」をしている最中だった。
「DIAは送信してくる電文の内容に小禄地区を意味する表現があると言っていたな」探索の継続と中止を選択するに当たり、岡倉はこれまでの経緯を思い返してみた。
「つまり推測が根拠なんだから工作員が侵入していることは事実だとしても潜伏している地域の信憑性は低いと考えても問題はないな」高度な暗号を使用した秘密電文にハングル語が用いられている以上、それを受け取る側に朝鮮半島の人間が含まれていることに疑いの余地はない。おそらく小禄地区は位置関係から見て非常呼集で基地に向かう隊員を襲撃する場所であり、基地への攻撃を開始する際の根拠地なのだろう。
「となると潜伏している場所の探索は那覇市全域にまで広げなければいならないが、俺1人じゃあ手が回らないよ」那覇市の人口は約30万人、面積は約40平方キロメートルある。おまけに小禄地区ほどではないが、やはり戦争で廃墟になった土地に住民が勝手に家や店を建ててきたため中心部から外れれば路地は複雑に入り組んでいる。
「仕方ないモグラ叩きにするしかないな」非公式な諜報要員として世界を股に掛けて活動してきた岡倉は過去の経験を元に戦術転換を立案した。それにはDIAの協力が必要になるため教えられている連絡先の留守電に接触を求めるメッセージを英語で録音した。

「キムチないですか」岡倉は深夜になって那覇市でも外れにあるコンビニエンス・ストアで買い物巡りを始めた。このような地域に潜伏しているのであろう工作員が食料を調達するのは「客があまりいない深夜のコンビニエンス・ストア」と推理したのだ。妻のジアエは妊娠中にもキムチを食べることだけは止めなかった。つまり韓国人にとってキムチは欠かすことができない常食であり、それは北朝鮮でも同じはずだ。
「ワッサイビーン(悪かった=すみません)、シマンチュウ(沖縄の人)はキムチを食べないからあまり置いてないのさァ」店員の中年女性は忙しそうに深夜配送の弁当を冷蔵棚に並べながらシマグチで答えた。つまりこの店には朝鮮半島の人間は来ていないらしい。しかし、折角、韓国人の片言の日本語を臭わせる口調で話しかけても沖縄の人は気がつかないようだ。
「キムチないですか」「すみません、売り切れました」ところが数軒目の店では反応が違った。これは「仕入れてはいるが既に売れてしまった」と言うことになる。
「明日もご来店いただければ仕入れておきますが・・・」コンビニ的に答えながら若い男性店員は興味深そうに岡倉の顔を見ている。そこでその関心を深めるための雑談を仕掛けた。
「沖縄ではキムチが手に入らなくて困っているよ。日本のキムチは美味しいからね」「お客さんも朝鮮の方なんですか」店員は身を乗り出して少し音量を下げて質問してくる。その目には若者らしい好奇心が湧いている様子が見て取れた。
「いや、僕は韓国人だけど北の人が来るかね」「自分の口からは言いませんけど、お客さんと同じような喋り方をしますし、顔は日本人とは違う細い吊り目です」最近の韓国では男性の間でも就職の面接前に美容整形を受けることが珍しくなくなっているので、海外に来る経済力を持ちながら昔ながらの細い吊り目のままの男性は北朝鮮人の可能性が高い。
「でも韓国と朝鮮は喧嘩していますから言わない方が良いですね」「海外に出れば同じ民族だから気にしなくても良いよ。ところで貴方は沖縄の人でないね」「はい、大学生のアルバイトです」やはり本土の人間でなければ気がつかない微妙なことはあるようだ。この店で北朝鮮の工作員がキムチを買いに来店していることは判った。この店員から身近に韓国人が存在することを聞けば、警戒して本国に問い合わせるはずだ。その発信電波を探知できれば所在地はかなり絞られる。
「ガムサァ」岡倉は韓国人としての演技の仕上げに韓国語で「ありがとう」と言って店を出た。しかし、工作員が自分の立場を察知していることに気がつけばこの店員が危なくなる。
  1. 2017/11/18(土) 09:25:12|
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振り向けばイエスタディ1011

岡倉はDIAの支所が設置されている某キャンプ前の商店街の書店で沖縄県版のゼンリン地図を購入した。これで店名や個人名が記入されていなければ空きビルは識別できる。尤も、最近は個人情報保護を理由に入居者名の記載を拒否する大家や所有者、管理人も増えているようなので、やはり洗濯物などで確認する必要はありそうだ。
「これだけ長期間の潜伏となると食料の調達などには出歩いているはずだから、ある程度は日本語ができると見るべきだろうな」DIAのパソコンで表示された地点は極めて大まかなものだったので、これから1軒1軒しらみ潰しに探索していくしかない。しかし、住民に怪しまれることも避けなければならず、チベットで死んだ村田の苦労が少し理解できたような気がした。
「小禄まで行って下さい」「第2ゲートねェ」書店の前で拾ったタクシーで目的地を指示すると運転手は妙な確認をしてきた。
「第2ゲートって何ですか」「自衛隊の門のことさァ。ニィニは自衛隊さんだろ」いきなり素性を言い当てられて少し驚いたが、ここは平静を演じながら話を勧めるしかない。
「いいえ、僕は雑誌記者ですよ。自衛隊ではなくて小禄の街に行きたいんです」「何だ、そうねェ。ナイチャー(本土の人)の顔してナイチャー口(ぐち=標準語)を喋るから自衛隊さんって思ったのさァ」運転手はアッサリと種明かしをすると軽快に走り出した。キャンプのゲートから商店街を少し歩いただけだが真夏の沖縄では日差しで首筋が焼けたようにヒリヒリする。その分、タクシーの強めのエアコンが心地よかった。
「雑誌記者さんが小禄へ何の取材ねェ。やっぱり騒音問題かな」「まァ、そんなところです」アメリカでは事務所でも基本的には英語を話し、日本語は盗聴から簡易に秘匿するため使うだけだ。つまり現在の岡倉は頭の中で英語から日本語に翻訳しながら会話しているのだが、そこにシマグチ(=沖縄方言)への2次変換機能は組み込まれていない。
「騒音問題なら自衛隊さんよりも普天間や嘉手納の米軍ネタの方が高く売れるらしいけどね。那覇は民間も飛んでいるからあまり批判はできないのさァ」この運転手もマスコミ関係者を乗せることがあるらしく本当の雑誌記者なら役立ちそうな助言をしてくれる。しかし、残念ながら岡倉の取材=調査目的は騒音ではないのだ。

「考えて見れば沖縄にも高射特科部隊があるんだっけな」航空自衛隊のゲートを通り過ぎて間もなく小禄の街の角でタクシーを降りた岡倉は久しぶりに自衛隊の知識を頭の中の引き出しから取り出してみた。あの頃のままなら古巣であるホーク部隊の第6高射特科群(現在は第15高射特科連隊)は沖縄本島南部の与座(現在の八重瀬)と知念、中部の中川と勝連の各駐屯地にあるはずだ。その意味では旧知の人間と接触しないように細心の注意を払わなければならない。
小禄は沖縄戦の上陸地点になったため徹底的に破壊された。そこに生き残った人々が勝手に家を建ててできた街であり、米軍相手の商売で儲かるとそのあばら屋が立派になり、やがては鉄筋コンクリートの建物になってしまった。このため市街地計画など全くないまま乱立した建物で道路は入り組み、ゼンリン地図もあまり役に立たない。すると路地の奥の全く目立たない場所に小さな煙草屋があった。ガラス戸の奥では200歳は生きていそうな老婆が猫を抱えてテレビを見ている。
「すいません。この辺りに安いホテルはありませんかね」「それでニィニ、煙草は何ねェ」老婆は岡倉の質問には答えず商売上の質問を返してきた。つまり回答は有料と言うことらしい。煙草を吸わない岡倉は仕方ないので煙草と一緒に置いてある沖縄のミネラル塩飴を買うことにした。老婆は代金と引き換えに飴の袋を手渡しながら思いがけずシッカリした口調で説明を始めた。
「この辺りにホテルはないさァ。女連れならホーミーのために泊める店はあるけどね」岡倉は老婆の話を日本語翻訳機にかけたが「ホーミー」が識別不能だ。そこで真顔で訊き直してみた。
「ホーミーって何ですか」「ホーミーはニィニが大好きなことさァ、知らないンだったら私が教えてあげるさァ」老婆の妙な笑いを見て岡倉の頭の翻訳機に2次変換機能が追加された。要するに九州のボボ、韓国語のセオグェンウィ=性行為のことのようだ。
「そうですか、それでは困った時に誘いにきます」「マチュンさァ(待ってるよ)、カナサンよォ(愛してるよ)」岡倉が飴を持って退散すると老婆は立ち上がって声をかけてきた。
  1. 2017/11/17(金) 09:54:38|
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11月17日・イタリアの「黒猫の日」

明日11月17日はイタリアの「黒猫の日」です。西ヨーロッパを「生命尊重の聖地」として信奉する日本の動物愛護団体などはイタリアがこのような日を設けていると聞けば「黒猫に特化して動物に愛情を注ぐための日」と思い込み、「是非、日本でも模倣するべきだ」と言い出しかねませんが実際は全く逆の経緯から始まったのです。
中世のヨーロッパではバチカンの教皇の絶対的権威の下、庶民にまでカソリックの戒律が周知・徹底されるようになり、その中で信仰心を持たない者を摘発し、改心させるための異端審判が全土で繰り広げられていました。このため異端者はカミではなく悪魔を信仰する「strega=伊語」「hexe=独語」「witch=英語」「sorciere=仏語」でなければならず(これらの単語に男女の区分はなく日本語の「魔女」は誤訳)、次第に悪魔のイメージが具体化していったのです。そうしたイメージの中に黒猫が含まれた上、バチカンがそれを認めたため不吉な存在として虐殺することが悪魔払いの儀式となり、黒猫を火焙りにする祭礼がヨーロッパ各地で行われるようになりました。さらに家を建てる際には魔除として黒猫を壁に塗り込むことも一般化したため、現在でも古民家を取り壊すと壁の中からミイラ化した猫の遺骸が出てくるそうです。
確かに黒猫は顔に柄がないため昼間の瞳孔が細い時には目が強調され、暗闇でも目だけが光るので不気味さを感じるのは間違いなく、さらにウチの音子は極端に知能が高く人間の言語を完全に理解していますから、それが黒猫に共通する特性であるとすれば悪魔の従者にされても不思議はありません。
イタリアの「黒猫の日」はそんな残酷な行為を懺悔するための日なのですが(=他の各国にも同様の行事があるようです)、ナチス・ドイツのユダヤ人迫害に関しては現実を無視したところまで執拗に追及しているヨーロッパ人もこの件でローマ・カソリックの罪科を指弾する動きはないようです。
ヨーロッパでは悪魔の使いにされた黒猫ですが日本では逆でした。日本は農業国であったため猫自体が貯蔵している穀類や養蚕の虫を喰い荒らす鼠を捕る家畜として大切にされており、猫が化け物になる条件=年数などが戒めとして語り継がれていたようです。野僧が調べたところでは沖縄本島の北部では13年、百里基地周辺と長野県内では12年、広島県北部では7年とされ、それまでに死ぬように飼うことになっていたらしいのですが、虐待死した猫が恨んで化け猫になる伝承も一般的ですから上手く自然死させなければならなかったのでしょう(=「飼い猫に贅沢させるな」と言う戒めかも?)。
さらに福を招く縁起物の招き猫では白と黒、まれに三毛があり、中でも黒猫は「暗闇でも目だけが光る」ことを「人生の暗闇でも先行きが見える」「暗闇から襲いかかる魔物を撃退する」と前向きにとらえて「魔除けの福(=不苦)猫」と喜ばれるようになっています。特に爪まで黒い猫は希少性から家の守り神扱いされることもあります。宮崎アニメの「魔女の宅急便」では黒猫のジジが登場しますが、どう見ても悪魔の使いと言う恐ろしげな雰囲気ではなく、むしろ細身の福猫のようです。
現在の日本で「黒猫」と言えば何と言ってもヤマト運輸でしょう。野僧はあのマークを青猫にして管理小隊のワッペンとして使わせてもらおうと面識があった当時の社長に頼んだのですが、「それでなくても不正な無断使用が後を絶たないので管理を徹底しているところだ」と断られてしまいました(警備小隊長時代にもメガネスーパーにフクロウのマークを頼んだことがありましたが同様の答えでした)。実はあのマーク自体がアメリカの大手運送会社であるアライド・ヴァンラインズのシンボル・キャラクターを模倣したものです(勿論、許可を取っているそうです)。ただし、あちらは縞模様のリアルな猫の親子で、同様の足先が白い黒猫は系列会社のものです。
黒猫ヤマトヨーロッパでもこのマークです。
  1. 2017/11/16(木) 10:44:33|
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振り向けばイエスタディ1010

岡倉は嘉手納基地に降り立つと在沖縄米軍のキャンプ内にあるDIAの支所に向かった。
「ルテナン・カーノー(2等陸佐)・スギムラですね。ようこそ、おかえりなさい」DIAの支所長は岡倉の階級にアメリカでの偽名をつけて呼んだ。これは情報の錯綜なのか業務上の使い分けなのかは判らないが、少なくとも岡倉の個人情報が伝わっているのは確かなようだ。
「はじめまして、我が国の法的欠陥を補完する支援に感謝します」そう言って岡倉は支所長が差し出した手を握る。こちらも支所長が海軍の中佐であることは知っているのだが、東洋の兵法で手の内は明かさずに皮肉を返すことにした。確かにテロリストを放置するしかない現在の法体系はアメリカの占領下で制定された日本国憲法が基盤となっているのは間違いない。
「それでは早速ですが、我々が把握している北朝鮮の殺し屋の情報を説明しましょう」支所長は握手の手を放しながら部屋の奥にあるテーブルを差した。そこには私服のアフリカ系の男性とヨーロッパ系の女性が立っている。机の上にはデスク・トップ型のパソコンが4台置いてあった。
「この2名は当支所のスタッフであり、当然、軍人です」「なるほど、よろしく」支所長が中佐ならその部下の階級は自分よりも下であり、岡倉の方から手を差し出して握手した。
「それでは彼から説明させます。頼む」4人が席に着くと支所長が男性を促した。すると男性は電源が入っているパソコンの画面に那覇市の地図を映し出した。4台のパソコンはケーブルで接続されており、どれか1台で操作すれば同じ画面が映るようになっているようだ。
「我々は沖縄県内では監視を受けている立場なので活動には大きな制約を受けています」説明は弁明からだった。実際、沖縄ではマスコミだけでなく本土では意図的無視と言う形で協力している警察や官公庁まで敵意を持ってアメリカ軍と軍人や家族の行動を監視しており、その情報を集約する機能が県内のどこかに存在しているのは明らかなのだ。
「そのため一見して外国人である我々が現場で行動することは困難であり、協力者の身元確認に警察の協力を求めることは我々の存在が暴露される危険を伴いますから、やむを得ず貴方の協力をお願いしたのです」つまりDIAとしては自衛隊の助けを求めることは想定外だったと言うことだ。
「それでどのようにして北朝鮮の工作員の存在を察知したんですか」前置きが長くなったので岡倉の方から具体的な方向に話を進めた。3人は岡倉が場の空気に合せることしかできない日本人とは異質の人間であること確認したように視線を重ねた後、女性がパソコンを操作して画面を消した。
「ご存知のように我々は沖縄にも通信電波を探知する施設を持っており、そこで受信した暗号電文を可能な限り解読しているのです」その施設=像の檻は幹部候補生の時の沖縄研修で見学したことがあるが、パソコンであえて所在地を見せないのは情報に関わる者としては至極当然な処置だ。
「その大半は中国共産党からの沖縄県首脳に対する政治的指導と県内マスコミへの報道内容の指示、それから公務員労組に対する活動命令なのですが、日本の首相が交代した頃からそれとは別にハングル語の電文が入るようになったのです」「つまりその時期に工作員が潜入したと言うことですね」おそらくそれは前首相が腹痛を理由に退陣した2007年9月のことだ。急場凌ぎで登場したその首相は北京オリンピックの聖火リレーなどの対応を見ても政治的指導力は発揮できておらず、対中政策では外務省のチャイナ・スクールの言い成りになっているのは明らかだ。
「勿論、その手の電文は一方通行なので返信はないのですが、電文の中に地理的な情報を窺わせるものがあるので、その蓄積から潜伏している場所を特定したんです」女性はそう説明した後、再び那覇市内の地図を映した。
「沖縄県警は日本の警察の割に怠慢なので住民の確認なども形式的になっているため空きビルの奥などに住んでいるようです」そう言いながら女性がパソコンを操作すると地図上に3カ所の地点表示が現れる。それは那覇市内でも南部の自衛隊の基地と駐屯地、官舎がある地域だった。沖縄では本土のバブル崩壊によって観光産業が深刻な打撃を受けても当時の大田県政は反米軍基地運動にうつつを抜かしていた結果、倒産する中小業者が続出し、空き家になったテナント・ビルが珍しくない。中でも中心部から外れた南部地域には空きビルが数多く存在する上、那覇市の支所や配置されている警察官にも反自衛隊の活動家・共鳴者が多いので、野放し状態なのだろう。
「それで私はそこの現地確認をすれば良いのですね」「現地ではなく人物の特定と行動把握です」この支所長の指摘は曖昧な日本語的表現と目的を明確に絞る英語の違いによる齟齬だった。
  1. 2017/11/16(木) 10:32:56|
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11月15日・真宗大谷派の凶女・大谷智子が死んだ日

平成元(1989)年の11月15日は真宗大谷派の内部抗争=お東さん騒動の元凶である大谷智子(さとこ)さんが死んだ日です。智子さんは昭和天皇の妻・良子(ながこ)皇后=後の香淳皇太后の3歳年下の妹で大正13(1924)年に真宗大谷派の次期門主(翌年に就任した)に嫁ぎました。
浄土真宗は親鸞聖人から7代目の子孫である蓮如聖人が佛法の継承よりも血統を優先するよう宗門の制度を変質させたため、本願寺が本来の正統な本山である専修寺や他の宗派の上に君臨するためにはその血統の格を上げる必要がありました。その点、皇太子妃の妹となればこれ以上ない権威付けの道具はなく三顧の礼以上の最敬礼を以て迎えたことは間違いありません。
茶道の某流派の現在の家元も皇族から嫁をもらい受けているのですが、まだ先代が家元だった頃、全国各都道府県や海外の支部長(大半は名誉職)・副支部長(実際の指導・運営責任者)が集まっての初釜の席でその若宗匠の嫁を披露することになったのだそうです。その日、大広間に揃って和やかに茶話が弾んだところへ若宗匠の嫁(茶道用ではない派手な着物、しかも振袖だったそうです)が遅れて登場すると家元は上座=亭主の席を譲り、嫁の方も何の躊躇い=遠慮もなく平然と座ったと言います。結局、皇族の娘を迎えると言うことは世間一般の常識を超えた栄誉であり、それ程まで尊重しなければならない存在なのでしょう。つまり全国の門徒たちから崇敬される立場の門主と雖もこの嫁の前では平伏するしかなく、ましてや天皇が現人神だった時代ですから本尊の阿弥陀如来よりも上位に置かなければ廃佛棄釋の余波で皇室への冒涜=「不敬罪」に問われかねない厄介な存在だったはずです。
浄土真宗には真宗教団連合に加盟しているだけでも10の宗派がありますが、西・東本願寺の本願寺派と大谷派が過半数の門徒を抱え込んでいます。その巨大教団の大谷派を分裂させたのが「お東さん騒動」と呼ばれる内部抗争でした。発端は明治初期に吹き荒れた廃佛毀釋によって内部改革の必要に迫られた教団内の路線対立です。この時は表向きだけ宗派内の若手の学者が主導する改革を推進するように見せながら裏では「伝統を守る」と言う名目をつけて旧態依然の教義と組織制度を維持したのですが、僧職の世代交代が進むにつれて全国の寺院でも改革の気運が高まり、それまでは門主を頂点とする上意下達だった宗門が地方から中央が突き上げを受ける事態に陥りました。そんな時期に大谷家に降嫁してきたのが智子さんでした。門主を取り巻く守旧派はこの嫁を最大限に利用するべく徹底的に祭り上げ、門主の権威に皇室の威光を上乗せした絶大な権力で改革派を弾圧していきました。その一方で智子さんの意向には絶対服従したため大陸での戦闘の長期化で国民の生活が困窮していた昭和14(1939)年に門徒の子女を教育する高等女学校=典型的なお嬢さま学校を京都に設立しています。つまり皇室と同様に高く高く祭り上げられた門主の妻の目には衆生の困窮と要望などは全く映っておらず、「近代化のためには女子教育が必要」と言う思いつきを口にするだけで周囲が実現に動いてしまったのでしょう。この時期に文部省は私立学校の統廃合を進めており、皇后の実妹の威光は戦時下の政府さえも屈伏させたようです。さらに智子さんは精神疾患を抱える4男を溺愛し、優秀な兄を差し置いて門主の座につけようとしたため、放漫経営や国宝を含む法人財産の私的流用の問題も絡んで長期間にわたる一大スキャンダルになり、大谷派は4つに分裂しました。
要するに智子さんも大谷家を姉の結婚をスケール・ダウンした準皇室のつもりで振る舞っていたのでしょう。それにしても真宗大谷派は明治のキリスト教の解禁を受けて対抗するための理論武装の研究は始めましたが、廃佛棄釋の暴挙を行って皇国思想による国民の洗脳を進めていた国家神道には膝を屈して威光を利用していたのです。これではこの国の破滅に加担したと言われても仕方ありません。
  1. 2017/11/15(水) 09:25:01|
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振り向けばイエスタディ1009

聡美は入院中の夫・和也の病室を定位置にしている。本当は付添い用の仮眠ベッドで添寝したいのだが整形外科では重傷患者でもない限り、家族の宿泊は認められない。このためホテルの朝食の時間に出勤して仕事が一段落したところで病室に顔を出し、昼食の時間にはそこから出掛けて再び戻ってくる。夕食が終われば消灯まで夫婦の時間を過ごしていた。
「貴方、整形外科には食事制限がないから私の手料理を持ってきても良いんでしょう」「ううん、この間、看護師さんに訊いてみたんだけど衛生管理上、料理の持ち込みは認められないんだってさ」和也の答えに聡美は落胆した顔をした。病院の食事時間は調理員たちの出勤の都合もあって朝食は遅く、夕食は早い。おかずも食欲が弱った高齢者の好みを優先するため若い患者が多い整形外科では不評なのは確かだ。本当は聡美も自分の弁当を持ってきて夫婦水入らずの食事を楽しみたいのだが、3食とも出勤中なのでそれは無理だった。
「安川さん、これは奥さんも・・・丁度良かった」そこに担当医がカーテンを開けて顔を出した。どうやら手術の説明に来たようだ。
「実は手術室の順番が中々取れなくて予定よりも遅れているのですが、間もなく手術を受けると言う前提で説明させてもらいます」「はい」「はい」2人が声を揃えて返事をすると30代半ばくらいの担当医は何故か照れたように頬を緩めた。
「手術は膝蓋骨(しつがいこつ)を摘出して中の半月板の断裂部位を縫合するものです」「膝蓋骨?」「膝の皿のことだよ」難しい専門用語に聡美が首を傾げたので前もって聞いていた和也が説明した。
「膝の皿を取ってしまって大丈夫なんですか」「勿論、縫合が終われば元に戻します。靭帯などもそのままですから御心配には及びません」内臓疾患の手術では後で病状が悪化した時に責任を問われないために患者や家族を安心させる言葉を選ぶのだが、整形外科ではその点は無頓着なようだ。尤も、それは人々が逞しく大らかに生きている北海道の土地柄なのかも知れない。
「それで手術料の件なんですが、保険適用でも入院費とは別に10万円程度になります」思いがけない金額を聞いて若い夫婦は黙って顔を見合わせてしまった。先日は3万円の中古防具で軽い言い合いになったばかりだ。銃剣道と言うのは本当に出費がかさむ競技らしい。
「それは分割払いにできませんか」和也の質問に医師は少し困惑した顔をした。過去にも多くの自衛官が入院しているが治療費の支払いを渋った者はいない。共働きしているはずのこの夫婦が10万円の支払いに困る理由が判らなかった。和也はイラク派遣から戻って以来、結婚、聡美を同伴しての陸曹候補生への入校、冬季戦技教育の受講などが重なり、貯金はあまりないのだ。
「支払が困難であれば真駒内にある自衛隊札幌病院に転院すれば手術は無料のはずです。紹介状は書きますよ」この医師は危険を回避するための予防線を張り始める。近年、都市部の病院では救急搬送された患者が入院費を支払うことができずそのまま滞納する例が後絶たないのだ。流石に国家公務員である自衛官をそこまで疑わないが、個人の事情で支払えないことも十分に考えられる。
「貴方、こう言う時は共済組合で借りてそちらを分割払いにするものよ」「そうだな。そう言えば先輩が訓練中の事故で公務災害認定を受けて医療費が戻ってきたこともあったぞ」中隊先任陸曹の妻の教育を受けた聡美の助言に和也も別の事例を思い出して話をまとめた。
「そう言う訳でよろしくお願いします」若い夫婦の掛け合い漫才のような会話を聞いていた担当医は安堵したように微笑みながらうなずいた。

その頃、4中隊では東1尉と先任陸曹の間で静かなる激論が交わされていた。
「安川3曹の負傷を訓練上の事故にしないのですか」「折角、銃剣道の復活で盛り上がっている時に水を差すようなことを避けるのは常識だろう」着任以来、東1尉は10歳以上年長の先任陸曹を見下したような言葉づかいをしている。先任陸曹もそれに慣れようと努めているのだが、この上官の人間的な底の浅さを見るにつけ、怒りの炎が胸にチラつくようになっていた。
「しかし、それでは公務災害認定の手続きができません」「命じられた訓練を馬鹿にした陸曹の怪我を公務にする必要はない」東1尉は山下士長の一方的な主張を鵜呑みにしているようだ。
「それは本気で言っておられるんですか」無理に感情を押し殺した先任陸曹の低い声と険しい目に流石の東1尉も「ゴクリ」と音を立てて唾を呑んだ。
  1. 2017/11/15(水) 09:19:46|
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11月14日・張作霖爆殺事件の実行犯・東宮鉄男中佐が戦死した。

 昭和12(1937)年の11月14日に満州の軍閥・張作霖爆殺事件の実行犯であり、満州開拓団の提唱者でもある東宮鉄男(とうみや・かねお)中佐が戦死しました。
張作霖爆殺事件は満州における支配権の拡大と引き換えに莫大な兵器・弾薬の供与と巨額の資金の提供を要求されたことに苦慮した関東軍が参謀・川本大作大佐を中心に蒋介石さんの国民党軍による北伐から逃れて満州に戻る途上で鉄道を爆破して暗殺する計画を立案し、その実行犯として奉天独立守備隊の中隊長だった東宮大尉(当時)が選ばれたのです。なお、爆破の専門家として朝鮮軍工兵隊の桐原貞寿中尉も共同正犯になっています。
昭和3(1928)年6月4日の早朝に張作霖さんが乗った豪華特別列車が奉天近郊の満州鉄道の京奉線と連長線の交差箇所を通過中に上の橋脚が爆発して崩落、これによって列車は大破・炎上したのですが、張作霖さん自身は両手両足を吹き飛ばされながらも生きており、奉天城内の総督府に搬送される途中で絶命しました。死の直前、張作霖さんは「日本軍の仕業だ」と言い残したとされていますが列車の中から犯人を目撃した訳ではないのでこの証言には何の意味もありません。これに先立って東宮大尉は阿片中毒患者の中国人を殺害して国民党軍の犯行に見せかける工作も行っていました。
事件そのものは山口陸軍閥の田中義一大将が首相であったこともあり、得意の「臭い物に蓋」方式で処理されるように見えましたが、始めは関東軍の関与を認め、徹底的な究明を約束していた田中首相が報告を重ねるごとに事実を隠蔽し、穏便に処理する方向へ態度を翻したことに激怒した昭和の陛下の不信によって退陣に追い込まれたため、翌年8月になって岡山県の歩兵連隊の中隊長に移動させられました。東宮大尉はエリート・コースであった満州から内地に移動させられても特に不満を感じている様子はなく他の青年将校たちとは距離を置きながら、営倉に入っている兵にまで挨拶に出向くなど自分の中隊の下士官、兵を慈しみ、人情派の中隊長として絶大な人気を獲得しながら訓練・演習では率先垂範、勇猛果敢な陸軍軍人としての姿勢を崩さず、やがては上官や同僚の将校からも「至誠の人」として評価されるようになりました。このため2年後の昭和6(1931)年12月に再び満州に赴く際には出征の時のように多くの見送りの人たちが集まったそうです。
この頃、東宮大尉は「満州の防衛と治安の維持のためには兵役の経験を持つ日本人に武器を与えて入植させるべきである」との構想を抱いており、翌年4月に関東軍司令部付が発令されるとその実行に向けて動き始めました。この役職のまま満州国の要職に就任して農本主義運動(農業を国の根幹とする思想)の推進者・加藤完治さんと協力しながら移民を募集して移住させていったのです。ただし、これが十数年後に残留孤児=「大地の子」の悲劇につながるとは思ってもいなかったのでしょう。
そうして昭和8(1933)年には少佐に昇任し、昭和12(1937)年8月に内地の歩兵連隊付が発令されて陸軍に復帰するとそのまま10月に新編部隊の大隊長に移動し、11月に中佐に昇任して大陸に出陣したのです。この日は浙江省平湖県の草原の敵陣地を突破していて左胸に銃創を負い、部下にノートと鉛筆を出させると「うれしさや 秋晴れの野に 部下と共」としたためたところで絶命しました。季語が入っているところを見ると未完の短歌ではなく俳句だったようです。
それにしてもこの一面的には魅力的な人物が悪人なのか善人なのか判断がつきません。何よりも他国の要人を爆殺する犯罪行為を躊躇なく実施できる帝国軍人の狂気は昭和7(1932)年の5・15事件、昭和11(1936)年の2・26事件でも発揮され、国家を破滅させるまで止まりませんでした。
  1. 2017/11/14(火) 08:53:59|
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振り向けばイエスタディ1008(ほぼ実話です)

「本当にあれだけで良かったんだろうか・・・」4中隊事務室では先任陸曹が悩んでいた。安川3曹が訓練中の怪我で病院に搬送されたことを妻に連絡したのだが共働きなのは判っているので、職場の電話番号を調べて連絡しようとしていた。ところがそこに帰ってきた中隊長から「自宅に電話すれば良い。不在なら留守電に用件を録音しておけ」と指導されてしまったのだ。
今度の中隊長・東1尉は前任の田島1尉のきめ細かい処置を「隊員を甘やかしている」と否定しており、本人が中隊に申告してある自宅の電話番号や携帯電話以外に連絡することは禁止している。それが今回のような緊急事態でも変わらないことに納得できないのは隊員の生活指導を担当する先任陸曹としては至極当然だろう。そこに東1尉が顔を出して用件を伝えた。
「中隊長室で2小隊長と山下士長からの事情聴取をやるから来客は断わってくれ」「私も立ち合わないでよろしいんですか」「陸曹は呼ばれた時にだけ参加すれば良い。余計な気を回すな」そう言うと東1尉は不愉快そうな顔をして隣りの中隊長室に戻って行った。しかし、その東1尉も部内で幹部になるまでは陸曹だったはずだ。少年工科学校の先輩・後輩の主従関係によって運営される4年間の寮生活で人格が形成されてしまうと、このように社会性が歪んでしまうようだ。
先任陸曹自身も長年の自衛隊生活で多くの上官に仕えてきたが、生徒出身の防衛大学校卒業者ほど嫌な連中はない。生徒から防衛大学校のエリート・コースには「純粋培養」などと言う表現は当てはまらず、究極の世間知らずが極端なエリート意識によって固められるため部下に絶対服従を強いる暴君になる例が余りにも多い。次は生徒出身の部内選抜の幹部だ。生徒から部内は防衛大学校に合格できなかった挫折感を部内で幹部になったことで自己弁護しているため、殊更に陸曹・陸士を見下した態度を取る者が大半だ。帝国陸軍でも幼年学校から士官学校、陸軍大学校に進むのがエリート・コースだったと聞いているが、そのエリートたちが世間の常識を知らないで自分たちの独善的論理で押し通した結果があの戦争ならば今の自衛隊が政治に介入できないことに感謝しなければならない。そんな難しいことを考えて頭が疲れた先任陸曹は気分転換に田島1尉時代の生活指導の基本を思い出した。
「安川の奥さんは若いから入院で病院に持って行く物が判らず困っているだろう」早速、先任陸曹は妻に電話をかけて総合病院の整形外科病棟に顔を出して若い夫婦に助言・支援することを命じた。

「安川3曹がふざけた態度を取ったから腹が立って少し乱暴な技を使ってしまいました」中隊長室での事情聴取で山下士長は自己弁護に全力を挙げていた。兎に角、原因は安川3曹側にあり、自分は真剣に情熱もって取り組んでいる銃剣道を侮辱されため冷静さを失ってしまったことにしなければならない。これは安川3曹が運び出されるまでの間に佐々木1曹から吹き込まれた入れ知恵でもある。山下士長の弁明に東1尉は妙に納得したような顔でうなずいた。
「ふざけた態度と言うと具体的には何をやったんだ」「ボクシングのように左右に飛び回りました」「確かにそれでは銃剣道ではないな」東1尉の頭には銃剣道の合宿への参加を命じた時、「今年はノルディックがやりたい」と反抗した安川3曹の顔が浮かんできた。たかが新隊員出身の3等陸曹風情が中隊長である自分に反論するようなことはあってはならない規律違反だ。
「安川3曹は銃剣道だけでなく自分を馬鹿にするためにふざけた態度を取ったのではないか」東1尉の目に赤暗い炎が点いたのを2小隊は黙って注視していた。
「安川3曹は駐屯地のサッカー部にも所属していますからボクシングのステップワークではなくサッカーの癖が抜けなかっただけでしょう」2小隊長が欠席裁判の被告になりつつある安川3曹に代わって弁明を始めると東1尉と山下士長は顔を見合せて変に呼吸を調整した。
「例えサッカーにしても銃剣道の訓練中にやる必要はないだろう。真剣味が足りないから癖が出るんだ」「しかし、本人が辞退しているのを強制参加させたのは中隊長でしょう」流石の東1尉も2小隊長が持つ防衛大学校人脈に対抗する度胸はない。この若造が自分の不適切な言動を先輩たちに告げ口すれば立場が危うくなる。この状況の打開には立場が弱い人間を悪者にするのが常套手段だ。
「山下士長の行為は試合教習としての限度を超えているな。試合教習は実戦的な動きの中で互いの技を磨くのが目的だろう」「・・・はい、そうです」突然、態度を豹変させた東1尉の指摘に山下士長は困惑しながら同意した。この変わり身の早さも生徒の4年間で身につける処世術の1つだ。
  1. 2017/11/14(火) 08:52:34|
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11月14日・世界糖尿病デー

明日11月14日は世界保健機構(=WHO)が定めた「世界糖尿病デー」です。活動よりもこの日の周知のため市街地で目立つ高層建築物をシンボルカラーの青色の照明で彩らせる催しが日本でも定着してきました。この日が糖尿病デーに定められた由来は血糖を調整するホルモンであるインスリンを発見したカナダ人の医学者で1923年のノーベル生理学・医学賞の受賞者であるフレデリック・ハンティング博士の誕生日(1891年生まれ)であることです。それにしても佛教国では人物の功績を記念=総括するのはその輝かしい人生が終わった命日とすることが多いのですが、キリスト教国ではその人生をカミから与えられた誕生日のようです。「感謝」と「祝賀」の違いもあるのでしょう。
野僧も1型糖尿病の患者なのでこの日と無関係ではないのですが、日本では基本的にこの病名は用いることはありません。何故なら日本では一般人だけでなく医師や看護師などまで海外ではとっくに否定されている古い原因を信じ込んでいて、それが深刻な偏見となっているからです。
野僧が発症した20年前には糖尿病の患者と言えば極端な甘党か贅沢な美食家、大酒呑みと決めつけられ、食欲が自己制御できないだらしない生活が原因と一方的に断定されていました。このため検査入院すると1日数回の血糖値検査と合併症の確認の他には生活指導が中心であって、病院食で米穀類、麺、パンなどの炭水化物や野菜類と果物、肉・魚類と豆腐・納豆などの植物性蛋白質などの種類ごとに喫食可能な量を測って確認し、退院後にも継続するように指導されるのです。おまけに妻まで呼ばれて病院の栄養士から教育を受けることになるのですが野僧の同居人も栄養士の資格を持っており、食生活も精進料理が基本だったため医師や看護師、栄養士も困惑して、他の原因を考え始めたところで西方地獄=防府南基地へ転属になってしまいました。
その後も乾燥を嫌う同居人の意向で暖房を使えない生活(青森県や寺・古民家住まいでも)だったため冬季になると血糖値が急上昇して入院することを繰り返したのですが、それでも暖房が効いた快適な病室で過ごせばたちどころに血糖値が平常値に下がるため、これを生活の乱れと断定して原因を探求することはありませんでした。
そんな中でも愛知県で入院したTH市民病院では看護師の偏見が凄まじく、そんなストレスから血糖値検査の結果が乱れると野僧が「何かを食べた」と決めつけて頭ごなしに叱責しただけでなく持ち物検査を繰り返すようになり、ついには見舞客の手荷物検査までやり始めました。実際、一緒に入院している糖尿病患者の多くは薄味で少量の病院食では我慢ができずに売店で買った菓子パンやカップ麺を待合所で食べ、見舞客に酒類を頼んでいるようでしたから看護師を一方的に責めることはできません。
しかし、現在では食生活に起因しない糖尿病、特に野僧のような膵臓の機能低下によるインスリン異常を原因とする1型に類する糖尿病が問題になっており、このような健全な生活を送っていた者にとっては「生活習慣病」と言う分類自体が屈辱なのです(「成人病」の方がまし?)。
ちなみに野僧が発症した時期には「1型糖尿病は幼児期からの先天性の病気で成人してからの症例は2型」と断定されており、このため血糖値が高いと栄養の摂取量の削減と運動によるカロリー消費を厳しく指導され、元々が厳格な食生活と過剰な運動を自分に課していた野僧は過度の無糖ダイエット状態になって現在ではその危険性が指摘されている神経障害を発症することになりました。
折角、糖尿病を啓発するための日を設けているのなら、文明病である2型だけを糖尿病として過食や偏食を戒めるのではなく、1型の患者を侮辱する偏見を解消する活動にも力を入れてもらいたいものです。先日も主治医が休診だったため代わりに診察した外科医(=絶世の美熟女)は血糖値が乱れていることを見て「何かしたのか」と頭ごなしに叱責してきましたから事態はかなり深刻なのです。
  1. 2017/11/13(月) 09:21:06|
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振り向けばイエスタディ1007

衛生隊のアンビランスが到着するまでに安川3曹は防具を外され、仰向けに寝かされたのだが右膝を伸ばすことはできなかった。やがて体育館の玄関前にアンビランスが到着して衛生隊員が担架を持って入ってきた。その後には白衣を着た医官もついてくる。
「患者はどこですか」その時には安川3曹の周りには合宿の参加者たち=野次馬が人垣を作っていて、声を掛けられると道を開けるように左右に別れた。
「受傷時はどのような状況だったのかね」「ヒザの中でバキッと音がして激痛が走りました」「それで動かなくなったのか」「はい、力が入れられません」医官は安川3曹の脚に触れながら問診を始める。そこに指揮官から連絡を受けた中隊長の東1尉もやってきた。
「アキレス腱断裂ではないな」「単なる捻挫なのか。大袈裟な」医官が診断を下す前に東1尉は勝手に自己判断して叱責する。しかし、膝をついている医官はその顔を見上げて首を振った。
「おそらく膝の靭帯の断絶か、半月板の損傷の可能性が高いようです。名寄市立総合病院で精密検査をしてもらうべきでしょう」衛生隊長を兼ねている医官は3佐であり、この助言のような口調の命令に東1尉は渋い顔でうなずいた。
話が決まったところで衛生隊員たちは担架を身体に接するように置き、身体に負担をかけないように載せたのだが、膝が動いた苦痛で安川3曹は「ウッ」と声を漏らした。
「総合病院へは車内から携帯で連絡を取ります。このまま搬送してもよろしいでしょうか」「うん、頼む。その前に衛生隊に寄って私を下して行ってくれ」指示を受けて衛生隊員たちは立ち上がって玄関に向かい医官もついて歩き出したが、このような格闘技の事故の場合、その原因を作った相手は自分を責めて取り乱すことが多いのにここではそれが見当たらないことに違和感を抱いていた。振り返って隊員たちの姿を見回すと中隊長の周りで質疑応答に加わっている者とそこから離れて陰口を交わしている者に分かれている。それが指揮官交代によって生じた不協和音であることは医官にも簡単に推理できた。

「右膝の半月板の損傷です。入院加療の必要があります。私としては断裂部位の縫合手術を勧めますが」名寄市立総合病院の整形外科で精密検査を受けた安川3曹は医師から診断を受けた。精密検査は造影剤と空気を膝に注入して内部組織を確認するものだったが、大腿骨と脛骨の間に左右2枚ある半月板の内側の1枚が裂けているのが安川3曹にも見えた。やはり横に移動しているところに体当たりをされたことで捻った状態で圧力が加わり、このような結果になったらしい。
「貴方は若いですから独身ですね」「いいえ、妻帯者です」医師がカルテを見ながら確認したので安川3曹は素直に答えた。すると後ろで若い看護師が「えッ」と小声を出したのが聞こえた。
「それでは奥さんに着替えや必要な日用品を持ってきてもらえるように連絡して下さい。あとは保証人ですが、こちらのご出身ですか」「いいえ、夫婦とも愛知県です」「それでは部隊の方で頼んで下さい」通常、このような入院に関する必要事項は病棟の看護師が説明するものだが、この医師は診断の流れで実施したようだ。それにしてもこの病院に来て数時間が経過しているはずだが聡美は顔を見せていない。整形外科の外来で診察を受けてそのまま検査室に回され、外来の待合席で車椅子に乗せられていたのだ。聡美は昼食ら夕食の間なら抜けて駆けつけることはできたはずだ。
「それでは妻が来るのを待ってから入院すると言うことで良いですか」「奥さんが来られたら病棟へ案内するように受付に手配しておきますからこのまま行って下さい」「はい、わかりました」医師の指示に看護師が答えた。つまりこれは安川3曹ではなく看護師への命令だったらしい。
病棟へ運ばれ、病棟看護師に引き渡されると後は流れ作業で病室が決まり、入院患者用の服=病衣に着替えさせられ、ベッドで家族を待つことになる。それでも安川3曹は訓練の途中で負傷したため全身が汗臭く衛生的な病衣に着替えても不快感は解消していない。そんな気分でいるところに廊下を走る足音が聞こえて聡美が駆け込んできた。
「貴方!」聡美は仕事に出掛けた時の服装のままで紅潮した顔の目は引きつっている。
「家の留守電に貴方が総合病院に入院したってメッセージが入っていたからビックリして・・・」手ぶらであるところを見ると入院の必要品どころか着替えも持って来ていないようだ。確かに中隊には中隊に聡美の携帯の電話番号までは申告していないが少し冷淡なようにも感じた。
  1. 2017/11/13(月) 09:19:29|
  2. 夜の連続小説8
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振り向けばイエスタディ1006(ほぼ実話です)

銃剣道は素振りで形を作る剣道などと違って基本動作が単調過ぎるため簡単に試合教習に入る。技は木銃を突き出す以外に何もないのだから至極当然なのだが、これほど底の浅い競技を本業にしている銃剣道のプロたちは虚しくならないのだろうか。
「よし、試合教習に入る。アキレス腱を切らないように空き時間には足首を回すことを忘れるな」指揮官の2小隊長も上座の角を定位置にして練習に参加しているため進行は全て佐々木1曹が取り仕切っている。銃剣道で頻発するアキレス腱の断絶を防止するための注意事項を加えるところはやはりベテランだ。安川3曹も2小隊長と同様に陸士の列の上座の角を定位置にして1回ごとに交代する相手と動作しているのだが試合教習となるとこちらを見る目つきが違っていた。
「それでは互いに礼!」佐々木1曹の号令で銃剣道連盟発行の教範では「30度」とある礼を自衛隊式の「10度の敬礼」にして頭を下げた。そして呼吸を合わせるように構え銃(つつ)をして佐々木1曹の号令を待った。
「始め」短切に言い切る号令が響くと相手は猛然と突進して木銃を突き出してくる。しかし、そこに安川3曹はいない。銃剣道を含む武道の擦り足ではないステップワークで横へ移動したのだ。
サッカー出身の安川3曹はドリブルで相手のディフェンスを突破する要領で試合を組み立てている。刺突の空振りと言う経験したことがない事態に困惑している相手のがら空きになっている胸部を突いた。試合であればこれで「1本」なのだが試合教習では柔道の乱取と同じく時間内は突き合いを続けなければならない。思いがけない「1本」に愕然としていた陸士は構え直すと憤怒の表情でこちらを睨んだ。それでも安川3曹はボクシングのような軽い足取りで位置を左右に変えていく。フェンシングと同じ成立過程を持つ銃剣道の刺突は相手も同一線上に立って真っ直ぐに突いてくる前提で技が構成されているため、このように横に動かれると対処のしようがなくなる。実際の試合でも横へ移動は隙を狙うと言うよりも相手が後ろに退った時、場外にならないための方向の調整の意味合いが強いのだ。
「来い!」相手の陸士も山下士長ほどの古参ではないものの銃剣道は経験しており、こちらを挑発してきた。そこで安川3曹は頭をドリブル突破に切り替えた。木銃の間合いは徒手格闘と違って遠すぎるがそこは持ち前の運動神経で計算し、猛烈な勢いで踏み込みながら木銃を突き出した。その足運びも銃剣道式ではなかったため相手は対処できず簡単に直突を決められた。
「止めーッ」ここで佐々木1曹の号令が響き、陸士は「チェッ」と舌打ちして最初の位置に戻って頭を下げずに尻だけを後ろに突き出す礼をした。
「交代」「4中、ファイト」「ファイト」「ファイト」自衛隊では小走りで交代しながら武道とは思えない掛け声をかける。定位置に固定されている安川3曹もこれに合わせなければならない。
「始め」2度目からは位置についたところで自動的に頭を下げて構える。全員が揃ったところで佐々木1曹が号令をかけた。今度の相手は私物の防具をつけている山下士長だ。流石は試合経験が豊富なだけに単純には突進してこない。構えたままジリジリと間合いを詰めてくる。木銃の先の白い端甫(たんぽ)の向こうに見える防具の面の中の目は憎悪に燃えているようだ。つまり迂闊に呼吸を合わせればどのような荒技を使ってくるか判ったものではない。そこで安川3曹は横に移動しながら間合いを外すことにした。
「エイッ、エイッ、エイッ、エイッ」するとそこに山下士長は強引な連続刺突を繰り出してきた。未熟な安川3曹では防ぎ切れず胸から肩に続けざまに刺突が入った。通常であれば後方に退って間合いを外そうとするのだが安川3曹は横に逃れようとした。そこに山下士長が体当たりしてきた。
「バキッ」その瞬間、床を蹴るために重心がかかっていた右膝が嫌な音を立て、激痛が脳天を突き抜けた。安川3曹はその場に崩れ落ちた。
「立て!早く立て!とっとと立たんかァ!」倒れている安川3曹に山下士長は罵声を浴びせてくる。それでも膝を抱えて動かないと防具がない背中を木銃で突いてきた。
「待て!」そこで佐々木1曹が大声を上げ、試合教習を中断した陸曹たちの間を駆け抜けてきた。遅れて指揮官も掛けつけて来て安川3曹の顔の前に膝をついた。
「どうした」「大丈夫か」これは愚問である。「どうしたのか」が判っていれば対処し「大丈夫」なら倒れたりしていない。結局、安川3曹は衛生隊のアンビランス(救急車)で病院に搬送された。
  1. 2017/11/12(日) 00:16:19|
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振り向けばイエスタディ1005(ほぼ実話です)

合宿が動き出した頃、参加者で団結会が行われるのは陸上自衛隊のならわしだ。そのような宴会は改まった席ではなく飲んで気勢を上げられる居酒屋や旅館の広間で行われるのが定番なのだ。安川3曹もノルディック=バイアスロンの合宿の団結会と打ち上げには毎年参加しているが、銃剣道は初めてなので少し緊張しながら居酒屋に向かった。
「いらっしゃいませ」今回は居酒屋の奥の座敷席を貸し切りにしてあるらしく店長は声をかけた後、まだ無人の掘り炬燵が並ぶ奥へ案内した。ディナー・タイムに出勤する聡美を送りながらだったので集合時間よりもかなり早い。それでも上座から先任順に自分の席を決めて座った。
「いらっしゃいませ」店長が再び声をかけたので入口の方を見ると陸士たちが大挙して入ってきた。名寄は真夏でも日没後は冷え込むためTシャツの上にはジャケットを羽織っている者が多いが、中には網目のランニング・シャツで太い腕と毛深い胸元を誇示している者もいる。彼らは先に座っている安川3曹を見つけるとよそよそしく末席から順番に座って行った。
「安川3曹殿が座っておられる場所が陸曹の末席だから、そこからこっちならどこでも良いぞ」最古参の山下士長が若い陸士たちに声をかける。この言い方にもかなり棘があり、酒が入っていないから黙っているが、宴会が始まってからこのような台詞を吐かれれば冷静でいられる自信はない。
するとそこに陸曹たちが入ってきて安川3曹を目印にして自分の席を決めて行った。こうして席が埋まったところへ佐々木1曹が入場した。本来の主役である指揮官を待つこともなく隊員たちは姿勢を正して出迎える。ノルディックの団結会ではあくまでも指揮官を立てて指導に当たっている陸曹たちも分を超えることはない。その点、銃剣道では階級よりも段位と技量が尊重されているようだ。安川3曹は自衛官としての美意識の面でも場違いであることを噛み締めていた。

「安川3曹殿は営内生活もせずに営外に出た苦労知らずの癖に、田島1尉のお気に入りだったから1選抜で3等陸曹になれたんだもんなァ」酒が入って辺りが騒がしくなってきた頃、山下士長が絡んできた。どうやらコイツも階級よりも段位と技量を尊重することを当然視しているらしい。しかし、安川3曹はそんな悪しき常識などは持ち合わせていない。飲みかけていたグラスを卓上に置くと真顔を潤んだ目をした山下士長に向けた。
「山下、貴様は誰に向って口をきいているんだ。俺は3曹、お前は士長、分を弁えろ」押し殺した叱責に周囲の陸曹たちも顔色を変える。銃剣道の合宿仲間としては山下士長を擁護したいところだが言っていることは安川3曹の方が正しい。迂闊に山下士長の肩を持てば自分たちの階級も貶めかねないことは酔い始めた頭でも判った。すると期待していた援護がもらえなかった山下士長は酔いに任せて墓穴をさらに広げた。
「何を偉そうに。お前なんか直突もまともに出せない初心者じゃあないか。試合教習になったら痛い目に遭わせてやるぞ」「試合教習まで待たなくてもこの場で痛い目に遭わせてみろ」そう言って安川3曹が唇を歪めて笑うと山下士長は銃剣道の直突のように左拳を胸に突き出してきた。勿論、「エイ!」と気合いを入れている。それを安川3曹は軽く受け流すとそのまま肘を極めて押さえつけ、炬燵の上の皿が2、3枚弾け飛び、グラスが転がってビールがこぼれた。
「山下士長、痛い目に遭っていますか」「痛い、痛い、テメェ、後で酷い目に遭わせるぞ」「それでは今から酷い目に遭わせて差し上げよう」山下士長の強がりに冷たく言い返すと安川3曹は極めている肘をさらに押し曲げる。それは徒手格闘ではなくレンジャー格闘の関節技であり、素手で相手の肉体を破壊するための技法だった。
「安川3曹、その辺で勘弁してやれ。明日からの練習に参加できなくなっても困るからな。今のは明らかに山下が悪い。安川に謝れ」ここまでで佐々木1曹が制止した。流石の山下士長も佐々木1曹には反抗できず、吐き捨てるように「すみませんでした」と言って自分の席に戻っていった。
「今のは痛かっただろうなァ。そんな技量があるんだったら銃剣道なんて必要ないだろうに」そこで指揮官の2小隊長が不用意な言葉をかけてきた。2小隊長は防衛大学校出身で名寄が最初の任地のはずだから部隊での銃剣道は未経験なのだ。
「指揮官自ら銃剣道が不要なんてことを言われては困ります」指揮官に佐々木1曹が指導する。やはりここでは階級よりも段位と技量が優先されるらしい。
  1. 2017/11/11(土) 00:22:07|
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