昭和19(1944)年の明日3月1日からインドネシアのスマラン(現在はジャワ州の州都になっている)慰安所で17歳から28歳のオランダ人女性35名が慰安婦として客を取るようになりました。
日本が第2次世界大戦に参戦して約1ヶ月が経過した昭和17(1942)年1月11日に今村均中将が指揮する帝国陸軍第16軍がボルネオ島の北東にあるタラカン島に上陸を開始してインドネシア方面での蘭印作戦が始まりました。作戦は順調に推移して3月1日にはジャワ島に上陸し、9日にオランダ軍が降伏したことで日本の占領下に置かれることになったのです。大本営の戦略目標では開戦から120日間でオランダ軍を降伏に追い込む目算でしたが、それが92日間と大幅に短縮できたのには今村中将の卓越した作戦指揮だけでなくオランダの植民地政策が極めて苛酷であったため現地民の激烈な反発を買っており、進んで日本軍に協力したことが大きかったと言われています。
現在も帝国陸軍切っての常識人と評されている今村中将の占領政策は現地視察に訪れた大本営参謀から「手ぬるい!」と非難されるほど人道に配慮した国際常識に則ったもので、逆にジュネーブ委員会の視察団からは「理想的な処遇である」と称賛を受けました。ところが今村中将が転任し、次第に戦況が悪化すると糧食や生活物資などの補給が滞るようになり、捕虜や保護している文民に対する処遇も低下し、日本の軍人たちも精神的な余裕がなくなったことで人道的な配慮を見失うようになっていきました。
そんな中、現地で開業していた慰安所の日本人の慰安婦たちの間で性病が蔓延したため兵士たちに利用させることができなくなり、精神的に追い詰められると性欲が昂揚する人間の本能から勘案すると「現地女性の強姦」と言う軍の規律においては絶対にあってはならない事態が発生する危険性が高まってきたのです。これを受けて占領軍は新たな慰安所を設置することを決定したのですが、すでにアメリカ軍の潜水艦によって日本からの航路は遮断されていたため娼婦を連れた売春業者を誘致することは不可能であり、慰安婦を現地調達せざるを得なくなりました。そこで目をつけられたのが文民として保護されていたオランダ人女性たちで、始めは公募しましたが誇り高きヨーロッパ人が劣等民族である日本人に抱かれる仕事を志願するはずがなく、担当者の焦りもあって「脅迫や強制が行われた」と戦後のB・C級戦犯の裁判や近年の国連人権委員会の調査では断定されています。しかし、刑事裁判では「被害者本人の証言は怨嗟による誇張があるので信憑性は低い」とされるのが法慣習であり、逆にそれだけを根拠に多くを処刑したオランダ軍の軍事法廷と国連人権委員会の調査は「国際法慣習・常識から逸脱している」と断罪し返すべきでしょう。
確かに強引な勧誘は日本軍内でも問題化しており、若い娘に代わって自ら志願した老女や建物に立て篭もって抵抗した女性たちの逸話が伝えられていますが、記録にある慰安婦の中には老女は含まれておらず、生活面の保障と引き換えに嫌々でも志願した女性はいたはずで、オランダが客相手の性行為を一律に「強姦」としているのは韓国と同様の歴史の歪曲と言うべきです。最近は朝日新聞でなくても簡単に一方的な虚構を流布することができますから本当に困ります。野僧も虚構ではなく誤述にならないよう十分に気をつけます。
- 2018/02/28(水) 09:39:08|
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「玉城美恵子さん、私が貴女を担当することになった国選弁護士の宮寛君(ゴン・グァンジュン)です」美恵子の国選弁護士が決まるまでに3日を要した。台湾では日本からの旅行客の金銭トラブルや企業の契約違反などで民事訴訟になることが意外に多く、日本語に堪能な弁護士たちは裁判を抱えているため応じる者が中々見つからなかったのだ。この宮弁護士も日本語はできず接見でも女性警察官の通訳で対話することになった。
「よろしくお願いします」席に着いたまま頭を下げた美恵子の挨拶に宮弁護士は少し不満そうな顔をした。台湾では日本による統治下で行われた学校教育で儒教の礼式が復興され(本来は中国の方が本家)、次にやってきた国民党政府もそれだけは踏襲したため中国本土以上に礼儀作法には厳しい。したがって弁護士料を支払うことを前提に契約するのではない国選弁護士に勤労奉仕を依頼するのであれば立って深々と礼をするのが常識だ。尤も弁護士は経験上、刑事被告人に常識を要求する方が無理なことは判っている。宮弁護士も自分を納得させて胸ポケットから携帯電話を取り出して動画の待機に操作し、足元に置いたケースからパソコンを取り出して机の上に置いた。そして女性警察官にコンセントを見せて電源につながせてそのまま立ち上げた。厳格に言えばこの電気代も裁判費用として敗訴した方に請求されるのだが美恵子がそこまで考えるはずがない。
「私が接見するまでに警察の取り調べは何回行われましたか」宮弁護士の質問を女性警察官が通訳する。これでは相互の発言を警察に都合よく歪曲されても判らないのだが、背に腹は代えられないので拒否することはできない。後で内容を確認するために録音しているのだろう。
「1日1回ずつ3回です」「所要時間は」「2時間ぐらいでした」「時間帯は」「昼御飯が終って1時間ぐらい経ってからでした」美恵子の発言を弁護士は録音と同時にパソコンに打ち込んで文章としても記録している。これは速記ではなく話の要点をまとめているようだ。
「取り調べの始めに黙秘権があることの説明は受けましたか」弁護士としては取り調べの手順に瑕疵(かし)があれば公判で不利な証言を不採用にする根拠に使えるのでこれは必要な手順だ。しかし、何も考えずに言われたことに答えていた美恵子が詳細な会話内容を憶えているはずがない。さらに通訳も誤っていなくても判りにくいように伝えているから尚更だ。やはり美恵子は首を振った。
弁護士はこの態度に「聞いていない」と言う否定を期待したが、「ウォー・ブー・ジデリアォ(我不記得了=憶えていません)」と肩透かしの通訳をされて落胆の溜め息をついた。
「貴女は自分が何の罪で逮捕されたのかを知っていますか」「ツーカン罪って言われたけど判りません」美恵子の答えに宮弁護士は唇を歪めて笑った。この女性は「日本では理容師をしている」と聞いているがこの知的レベルで資格が取れるものなのか。弁護士が抱いている日本の職人に対する敬意に似た認識が崩れていきそうだ。
「通姦罪は婚姻している者が配偶者以外の相手と肉体関係を持った場合の罪です。我が国では親告罪ですから被害者が告発しなければ罪にはなりません」「へーッ、それで罪になるねェ。だったら私は・・・」そう言って美恵子は前夫の妻だった時の矢田、矢田の時のレイプ事件の加害者3名を悪ぶれる様子もなく指で数え始め、本来は対立軸にある宮弁護士と女性警察官は呆れたように顔を見合わせた。
「それで通姦罪を認めたのですか」「はい、本人が周志竜氏に家庭があることを承知で肉体関係を持ったことを認めました」この質問には通訳が直接答えた。詳細なやり取りを美恵子に訊くことが無駄であることを察したようだ。弁護士と被疑者の対話に警察官が介入することは抗議すべき越権行為であり、接見妨害にもできる過剰な対応なのだが、宮弁護士も疲れてきていたので黙ってうなずいた。
「その他には何か訊かれましたか」「周さんが死んだ時のことを詳しく訊かれました」美恵子の説明に女性警察官は宮弁護士の背後に回った。これは焦った表情を見られれば余計な勘を働かせかねないからだ。実は現在、警察と検察の間で中華民国刑法第271条の普通殺人罪での送検を検討している。その結論を待って地方検察庁に送検することは決まっているのだが、下手に弁護士に知られると告発されている通姦罪のみの裁判を主張して阻止に動くのは至極当然だ。この女性警察官はそれを察して自衛行動を取ったようだ。
「私は周さんが亡くなった事件についてはよく知りません。知り合った経緯から時系列に従ってなるべく詳しく話して下さい」弁護士はそんな警察と検察の画策には気づかずに手順に従って事情聴取を進め始める。何にしても中華民国警察の組織としての機能は間もなく被告人になる玉城美恵子が住んでいる沖縄県の警察とは雲泥の差がある。しかし、今の美恵子にとっては沖縄県警のいい加減な仕事の方が「好い加減」なのかも知れない。
- 2018/02/28(水) 09:38:02|
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昭和30(1955)年の明日2月28日は日清戦争が終わった明治28(1895)年に富士山頂の測候所を開設し、そこに夫を気遣う妻が合流して厳寒の中で観測を続けたことで国民の感動を呼び、新田次郎さんの「芙蓉の人」を代表とする多くの小説や映画などに描かれた野中到(いたる・至はペンネーム)さんの命日です。88歳の長命でした。
野中さんは幕末の慶応3(1867)年に福岡・黒田藩士の子として生まれ、学問で身を立てるべく上京して帝国大学予備門に入学しますが、気象学に強い関心を持って中退してしまいました。普通であれば帝国大学で本格的に学び、さらに海外留学の道を探れば良いと思うのですが、この頃にはまだ公的機関による高山や離島の気象観測は始まっておらず、研究者が個人で記録を取っていたのです。ただ、野中さんは「思いついたら即実行」の性格だったようで、それは後年の富士山頂への測候所開設と越冬にも表れています。
この頃の気象観測は研究者が地点を定めて時折、出向いて温度や湿度、風向と風速、気圧や降雨量などを測定するだけで富士山頂では春から秋にかけて火口外輪の北東部にある久須志神社の洞穴に野営しながら行われていただけでした。
そんな現状を憂いた(=に目をつけた?)野中さんは富士山頂に測候所を開設して通年観測を実行することを決意し、明治28(1895)年2月の厳寒期の富士登頂に成功すると自信を深め、資金を集めると夏に再び登頂して火口外輪の西側の最高点・剣ヶ峰に約6坪の測候所を建設したのです。剣ヶ峰は富士山頂の中で最も強風に晒され、厳寒に見舞われる場所なのですが、野中さんは「風が弱いところは積雪が多く観測に支障が出る。だから最も風が強い場所を選んだ」と言っています。しかし、資金が不十分な上、人力以外に建設資材の運搬手段がなかった時代では測候所の防寒対策は不十分になるのは判り切っていたことで、研究者としての論理だけでこのような過酷な場所を選んだことは「些か軽率だったのではないか」と断ぜざるを得ません。何はともあれ思いついたら即実行の野中さんは9月に1度下山して食糧や燃料などを調達すると閉山になった10月に登頂し、越冬観測を開始したのです。
そこまで思うままに暴走するのですから野中さんは独身だったのかと思えば予備門を中退した3年後に母方の従妹である女性と結婚していました。この妻は黒田藩お抱えの能楽師の娘だけに中々のな美人でした。その妻が10月半ばに登頂してきて「一緒に越冬する」と言い出したのです。当然、野中さんは禁じましたが妻の意思は固く、最後は押し切られる形で夫婦での越冬になりました。ところが12月頃から高山病と栄養不良によって体調が悪化して歩行困難に陥り(脚気と診断されている)、この頃に慰問に登頂した実弟によって発見され、12月22日に療養のため下山したのです。
この出来事は昭和23(1948)年と同42(1967)年に「富士山頂」と言う映画になりましたが昭和45(1970)年の富士山頂レーダー建設を描いた同名作品と混同してしまいます(野僧も文化祭で上映する時の解説を間違えました)。ちなみに新田さんの「芙蓉の人」は昭和46(1971)年に初刊が出版されました。
- 2018/02/27(火) 09:34:46|
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美恵子は空港で逮捕されたが、そのまま警察車両で台北市内まで移送された。後部座席では台北から来た別の女性警察官が日本語でこれからの注意事項を説明しているが、美恵子は相変わらず何も考えないで50キロ弱の道程の風景を物珍しげに眺めているだけだった。
美恵子が連行された台北警察局は日本の統治時代に建設された年代物で3階建ての外壁は煉瓦造りだ。取り調べ室も木製の床で窓枠も鉄製だった。現在、建設中の新庁舎が完成すると移転し、この建物は博物館になる予定らしいが美恵子が知るはずもない。
「ニー・スー・ユー・チョン・メイ・フゥイ・スー・マ」「貴方は玉城美恵子さんですね」取り調べを担当するベテランの警察官が中国語で質問し、同行してきた女性警察官が通訳する。
「はい、そうです」美恵子の答えも女性警察官が通訳したが記録係りの若い警察官にはニュアンスの説明を加えた。台湾の刑事訴訟法では警察での取り調べには弁護士の立ち合いが必要なのだがその説明はない。尤も、美恵子に依頼できる弁護士がいるはずがないので刑法犯には周旋される国選弁護士を申請するしかなかった。警察としては弁護士の立ち合いが始まると尋問の高圧的な口調や表情、誘導を疑われる手法などにまで制約が加わるためその前に罪を認めさせる必要がある。そのため急テンポで本題に入った。
「貴女と周志竜さんの関係は」「店の客です」「その店とは」「スナックです」ここまでは順調な質疑応答だ。ここで取り調べの警察官は通訳の女性警察官の顔を一瞥すると両手を机の上で結んで身構えた。背後では記録係りが緊張で息を止めたのだが美恵子は気づかなかった。
「どうして周さんは貴女の部屋で死亡したんですか」「それは沖縄に来た時には泊めることになっていたからです」「貴女の家は広いのですか」「いいえ、6畳一間のアパートです」台湾では土足で上がることができない不便さから統治時代に持ち込まれた日本式建築は定着しなかった。このため「6畳一間」と言う広さが理解できず通訳も説明に困っていたが、美恵子に確認することは避け、「アパート」と言うヒントから「広くない1室」と推察した。
「広くない1つの部屋に泊めたと言うことは寝る時はどうしたんですか」「一緒に寝ていました」美恵子は姦通罪がどのような行為を罪にしているのかを知らないので、全く悪ぶれることなく説明していく。その簡単過ぎる尋問にベテランの警察官は拍子抜けのような顔になった。
「成人した男女が一緒に寝ていたとなれば性的な関係が発生すると思いますが」「そんなことは死んだ時のことを知っていれば判っているでしょう」余りにも回りくどい尋問に苛立ってきた美恵子は語気を強める。尤もそれは通訳を介していることも影響しているようだ。
「ところで貴女は周さんには我が国に家庭があることを知っていましたか」「・・・はい、聞いていました」これで姦通罪は成立する。仮に周志竜が「自分は独身」と偽っていれば故意の不倫関係ではなくなり外国人である美恵子を中華民国の国内法で処罰することは不可能になるが、承知した上で関係を持ち、ワザワザ入国してきたのだから飛んで火に入る夏の虫だ。
「周さんから手当てを受け取っていましたか」「いいえ、店に高めのボトルを入れることだけです」「それでは報酬を受け取らずに肉体関係を持っていたのですか」「近いうちに理容店を持たせてくれると約束していました」台湾では2004年に売春が合法化されているが司法関係者の間では反対意見が根強く、そのため金銭目的の愛人関係にも厳しい目を向けている。この日本人が金銭目的で現地妻になっていたとなれば心証は著しく悪化するはずだ。ここまで訊き出せば警察としては立件、送検に持ち込むには十分だが、余りにも簡単な取り調べに気を好くしたベテランの警察官は少し欲をかいた。
「貴女は性行為中に周さんの異変に気づかなかったのですか」「苦しそうな息はしていましたが、イク時にはいつもなので気にしませんでした」ベテランの警察官の胸の中では恥じらいを全く見せないこの女性の言動に「定期契約の売春婦」と言う印象が強まってくる。
「でも貴女が上になっていたんですよね」「その前に約束が果たせなくなりそうだと聞かされていたからセックスで責めるつもりでした」思いがけない答えに警察官は抜いていた肩の力を入れ直した。通訳の女性警察官も少し顔を強張らせている。狭い取り調べ室の空気は一気に重くなったのだが、やはり美恵子は何も感じていない。
「周さんが苦しそうにしていたのにも関わらず性行為を継続したと言うんですね。貴女は周さんに心臓の持病があったことは知っていましたか」「はい、薬を飲んでいることは知っていました」これで罪状が変わる可能性が出てきた。例え明確な殺意がなくてもその結果(=死亡)を予測できる状況で原因となる行為することを「未必の故意」と言う。つまり「殺人罪」での告発も視野に入ってきたのだ。
「貴女には国選弁護士を申請する権利があります」この警察官の説明は完全に手遅れだろう。
- 2018/02/27(火) 09:33:35|
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2月21日に原爆の投下を命じたトルーマン大統領からその原爆の使用を不用意に批判したため、かえって核兵器の拡散を招いたオバマ大統領に到るまでの歴代アメリカ政権に大きな影響力を持っていたとされる宗教者のビリー・グラハムさん(宗教者なので「師」と呼ぶべきなのですがあえて用いません)が死んだそうです。99歳でした。
野僧の知人のアメリカ人の牧師は業績を絶賛しながら「死によってカミの祝福を受けるだろう」と言っていますが、日本人のキリスト教大学の元教授は「来日した時に会ったことがあるが狂信的な人物だった」と疑問視していました。
グラハムさんの最大の罪はジョージ・ブッシュ・ジュニア大統領に多大な影響を与え、対イスラムの第3次世界大戦に踏み出させたことです。
ブッシュ・ジュニア大統領は学生時代、優秀な父親に対する反発と劣等感から運動部以外は酒と遊興に明け暮れる自堕落な生活を送っていたそうです。ところがグラハムさんの「イエス・キリストは我々の罪の身代わりとなって死んだ。復活した救い主として我が身に受け入れよ」と言う説教を聞いて強い感銘を受け、強烈な信仰心を抱くようになりました。実際、ブッシュ・ジュニア大統領はホワイト・ハウスでも修道院のような敬虔な信仰生活を送っていたそうで、退任後に暴かれることが多い「スキャンダルなどは起こるはずがない」と言われており、実際、現職中に発覚した不祥事では被害者扱いされていました。
そんなグラハムさんは1918年にノースカロライナ州の大農場の息子として生まれ、16歳の時にアメリカでは広く崇敬を集めていた伝教師・モルデカイ・ハムの説教を聞いて信仰に目覚めて聖書学校に入学しました。そこで女学生に惚れて婚約にまでこぎつけましたが「貴方が敬虔なカミの僕(しもべ)になるようには見えない」と言われて逃げられたことに衝撃を受け、近くのゴルフ場に跪いて「絶対的帰依」を誓い、立木を相手に説教の練習を始めたそうです。その後は宗教者の常でどこまで真実か判らないような活躍によって信者を増やしてアメリカのキリスト教会を代表する実力になったと言われています。
野僧はブッシュ・ジュニア大統領が9・11をそれまでキリスト教国がイスラム圏に行ってきた侵略と冒瀆に原因があることを一切認めず、キリスト教の正義に対する反抗として理由にならない口実と強引な手続きによって戦争に踏み出させた大罪の元凶はグラハムさんであると考えています。例え軍事産業の要求で政権内の要職にある人間たちが戦争の準備を進めていたとしても、ブッシュ・ジュニア大統領がサインをしなければ絶対に戦端は開かれませんでした。それをさせたのはグラハムさんの「キリスト教による世界制覇」と言う狂気に等しい宗教観だったのは間違いありません。
つまりグラハムさんは日本が第2次世界大戦にのめり込んでいく原因となった幕末の「尊皇攘夷」の狂気を弟子たちに扇動した吉田松陰と同じ役割を果たしてきたのです。結局、日本は明治以降も山口陸軍閥がその狂気を帝国陸軍と徴兵によって国民全般に植えつけ、幕末と同じ手法で軍国主義を実現したことで破滅しました。若しアメリカに安政の大獄が起きればグラハムさんも粛清され、敗戦ならA級戦犯として絞首刑になったはずです。
- 2018/02/26(月) 09:22:35|
- 追悼・告別・永訣文
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美恵子は台湾の台湾桃園(タイワン・タオユアン)国際空港に下り立った。あの日、周志竜の食品会社の社員と名乗る男から招待を受け、指定された期日にパスポートの発行が間に合ったため初めての海外旅行を兼ねてやって来たのだ。
「先ずはお参りだよね。やっぱり礼儀正しいところを見せないと・・・」その続きは喉から腹の中へ呑み込んだ。社員には「遺産分けの話し合いがある」と聞いている。つまり周に尽してきた目的である「自分の理容店を持つ」と言う夢が実現できるのかも知れない。そうなれば沖縄県内の理容店に雇ってもらえない苦境も一気に解決し、自分の実力なら他の店の客を奪い取る自信がある。
「そうかァ、手荷物を受け取らなきゃあいけないんだった」乗ってきたガメラ・エアには日本人の客が多いから周りの話し声でも情報収集はできる。
「日本の空港みたいに早く手荷物が出てくると良いのに」「慌てて乱暴に扱われても困るだろう」旅慣れた様子の客たちは手荷物のコンベアーを囲みながら好き勝手な話をしている。確かに少し待ったようだが、やがて大きな音がして荷物が流れてきた。しかし、日本の空港のように乗客は取り易いように配慮した並べ方ではない。美恵子が那覇のレンタルショップで借りたキャリア・バッグも取っ手が奥に向いていてしがみつくようにして引きずり下ろした。
「次はパスポートかァ」荷物を受け取った客たちはセカンド・バッグの中からパスポートを取り出して入国手続きのカウンターに向かって列を作り始めている。美恵子も先ほど手荷物談義をしていた初老の夫婦の後について列の後ろに並んだ。
「間違いなく玉城美恵子さんですね」やがて美恵子の順番が来てパスポートを見せると入国審査の係員は写真と顔を見比べた後、前の客にはしなかった確認をしてきた。
「はい、私が玉城美恵子です」流石の美恵子もこんな時は標準語になる。それを聞いて係員はパスポートにゴム印を押し、必要事項を書き込んで手渡した後、振り返って別の係員に台湾語で何かを伝えた。その中に「玉城美恵子(ユー・チョン・メイ・フゥイ・スー)」と中国語での名前があったのだが本人に判るはずがない。何も考えない美恵子はキャリア・バッグを引きながらガラス張りの壁の一角にある出口から広く賑わっているロビーに出た。その時、後ろに入国審査の係官がついてきて指差して誰かに知らせていたのには気づかなかった。
すると4名の制服を着た男女が早足で歩み寄り、2人の男性が両側から腕を掴み、1人がキャリア・バッグを抑え、前に女性が立った。着ている制服には胸ポケット以外にボタンがなく、ジャンバー式に見える。左肩には赤いワッペンが縫い付けられ、両襟に鷲のような形の金属製のバッチ、右胸のポケットの上には階級章のような徽章を付けている。美恵子も制服を着る職業の男たちと夫婦だったのだが、あまりにも軽装に見えるので「警備員か」と思った。
「アンタたち何ねェ。変なことすると警察を呼ぶよ」美恵子は両腕を振りほどこうと身体を揺すりながら抗議すると女性が流暢な日本語で話を始めた。
「貴女は日本国沖縄県那覇市から来た玉城美恵子さんですね」「・・・はい、そうです」その毅然とした態度に美恵子も素直になった。
「我々は中華民国警察の空港警察隊の者です」つまり警察官に「警察を呼ぶよ」と恫喝したらしい。こうなると美恵子も大人しくなるしかない。
「抵抗しなければ手錠はかけません」「はい」美恵子の返事を聞いて女性警察官はうなずいた。
「貴女は中華民国刑法第239条違反で告発されています」女性警察官は手順通りに説明していくが、美恵子にとっては「中華民国」と言う国名が理解できない。パスポートの手続きで記入した時も「やっぱり台湾は中国なんだ」と思った程度だった。
「この違反要件は通姦罪(日本で言う姦通罪)です」さらに理解不能な言葉が出てきた。「ツーカンザイ」と言われても漢字が浮かんでこないから何故、警察官に捕まるのかが判らない。
「したがって刑事訴訟法の規定に従って貴女の身柄を拘束します。以上、質問は」締め括りに「質問は」と言われても咄嗟に何か浮かぶはずがない。
警察官たちは何も答えない美恵子の両腕を引き詰所に向かって歩き出した。周囲には日本以上の野次馬が集まり前を遮っている。女性警察官は先に立って特殊警棒でそれを押し広げながら歩いていく。そのため両側にできた人の壁の中を連行されるような形になってしまった。
「警察の人が言っていたツーカン罪って何なの」その壁の中で中年の妻が夫に質問した。
「不倫した罪だよ」「嘘ッ、台湾って不倫で逮捕されるのォ」妻の声が大きかったため周囲の日本人たちにも聞こえ、それが水滴で起きた波紋のように広がっていった。同時に美恵子に向いている視線からは同情が消え、脂ぎった侮蔑に塗り変わっていった。

中華民国警察の制服(略衣)
- 2018/02/26(月) 09:20:55|
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昭和11(1936)年に起きた2・26事件で陸軍教育総監だった渡辺錠太郎大将が私邸を襲撃され、9歳の娘の面前で機関銃の連射を浴びて死亡しました。
昭和に入って以降、第1次世界大戦後のヨーロッパから波及した厭戦と軍縮の気運によって圧迫を受けていた帝国陸海軍、特に山口県人が作った陸軍は吉田松陰の狂気を信奉した門弟たちが反対者を暗殺することで毛利藩内の主導権を握り、公武合体を進める孝明天皇も暗殺して年少の明治天皇を担ぎ出すことで戊辰戦争を起こし、それによって国家を手に入れたのと同じ手法で巻き返しを図ろうとしていました。
陸軍内では吉田松陰の狂気を継承する皇道派と現実主義者の統制派に分かれて内部抗争を繰り広げていたのですが、犬養毅内閣の陸軍大臣に就任していた皇道派の首魁・荒木貞夫大将が病気を理由に辞職すると後任には同列と目されていた林銑十郎大将が就任したものの時代錯誤の皇道派には見切りをつけて統制派を軍中枢に抜擢し始めたのです。これに教育総監になっていた荒木の子分・真崎甚三郎大将が反対すると林陸相は皇族の閑院宮参謀総長の同意を得た上で真崎を更迭し、後任には渡辺大将が就任しました。
渡辺大将と真崎大将の確執は後任に座ったことを「自分を追い落とした」と一方的に邪推したことに始まり、クーデター未遂の「三月事件」を審査する会議の席で真崎大将が機密文書を提出して「クーデターの首魁は永田軍務局長である」と追及したのに対して渡辺大将が「何故、軍事参議官に過ぎない真崎大将が機密文書を私的に持っているのか」と指摘してこの主張を否定したことで決定的になりました。尤も、渡辺大将は当時の陸軍切っての常識人であり、無派閥でもあったので真崎大将の勝手な逆恨みと嫌悪だったようです。
しかし、真崎大将は自宅に集まって宴を繰り広げる陸軍士官学校長時代の教え子たちに自分の処遇の不満を交えた統制派への敵意を煽り立てており、この会議でのやり取りも「渡辺は統制派の陰の本尊だ」と断定して襲撃目標に加えさせました。
渡辺大将は現在の愛知県小牧市の煙草製造販売業者の息子で家庭が困窮していたため尋常小学校を中退し、元々が医師志望だったこともあり「看護卒になりたい」と軍隊を志願した苦労人です。しかも清廉潔白で温厚篤実、頭脳明晰な読書家のインテリだったため権力志向は持ち合わせておらず、決起将校たちが「君側の奸」として人選した首相や内大臣、侍従長の海軍大将たちや高橋是清大蔵大臣、牧野伸顕伯爵とは別種の立場であり、真崎大将の画策・扇動以外に標的にされる理由が見つかりません。
この日、2名の少尉が指揮する30名の兵士に襲撃された渡辺大将は覚悟を決めて一緒に寝ていた9歳の次女を部屋の隅に押しやると畳の上に伏せて拳銃を構えたそうです。ところが襲撃部隊は襖越しに機関銃を乱射したため肉片が飛び散り、骨が露出するような状態になって即死したようです。他の襲撃ではこれほど過剰な殺害方法は採っておらず、何故、ここまでやったのか全く理解できません。
野僧は第5術科学校に入校中、小牧市内の渡辺大将の足跡を訪ね歩きましたが、若し存命であれば開戦・滅亡に到る道程で大きな役割を果たしたかも知れず本当に残念です。
- 2018/02/25(日) 09:33:36|
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次は工藤がマスコミ業界を体験させるためジェニファーの編集部へ連れて行った。工藤は井上将補から他の情報要員と同様に今田の経歴の概略についても説明を受けているのだが、1つ、理解できないことがある。それはジェニファーにも共通している疑問だ。
「ジェニファーさん、こちらが新たに配属されてきた今田菊子です」工藤とジェニファーは事実上の夫婦関係になっているのだが、ここは仕事の関係だけであるかのように演じている。
「キクコさん、よくいらっしゃいました」ジェニファーは編集長室の会議用テーブルの手前で出迎えると手を差し出して握手した。
「はい、お世話になります。私はマスコミに関しては無知なので基礎から教えて下さい」今田の言葉にジェニファーは納得したようにうなずいた。
「ウチはファッション関係の雑誌なんだけど貴女はあまり・・・全く興味がないみたいね」そう言いながらジェニファーは今田の服装を確認する。今日の今田の装いも岡倉とワシントンに行った時と同じ垢抜けないパンツ・スーツで「ファッショナブル」とは決して言えない。工藤は呆れて溜め息をついた。
「ファッション雑誌だからって記者もファッショナブルでなければいけない訳ではないわ。私としては貴女の年齢と立場に似合った服装を着るべきだと思うの」「年齢に合っていませんか」ジェニファーの説明に今田は少し語気を強めて質問した。
「貴女の年齢は37歳と聞いているから私と同世代です。この服装は10年以上前に日本で普及した仕事着でしょう」確かに自衛官は制服と戦闘服、そしてジャージがあれば用が足りるから洒落込んで外出する若手でなければ服装には無頓着になりがちだ。今田の服装も大学時代に着ていた一張羅を使い続けているのかも知れない。
「それでは帰りに私と一緒に買い物に行きましょう。せめて仕事で初対面の人に会う時、失礼にならない程度の服装は持っていないとシビリアンを演じることはできないわ」ジェニファーの口から自分の本来の職業を知っているかのような言葉が出て今田は絶句したが、工藤が手でテーブルの席に追いやり、3人揃って腰を下ろした。
「ジェニファーは君の前任者の事実上の奥さんだったんだ。だから許容範囲内で我々の活動のことを話し、こうして協力を願っている」工藤の説明に今田は複雑な顔をした。東京で陸上幕僚長や防衛部長の面接を受けた時も前任者についての説明はなかった。その前任者の妻が過去形になっていることで考えられる事実は「死」以外にない。それは覚悟の上だが今田は陸上自衛隊に入って以来、この職業が最も「死」から遠いことを噛み締めてきたのだ。
「ダーリン、もう1つ、言い忘れているでしょう。今は貴方の事実上の妻であることを」ここで今田の顔を見てジェニファーが話題をややこしくする。すると逆に今田の顔は単純明確に驚愕になった。
「そうなんですか」「うん、そうなっている」余程、驚いたのか今田は日本語で訊いてくる。そのため工藤も日本語で答えた。それにしても英語でも「リアリィ」で済む質問なのだからもっと自然に使いこなせるようになって貰わないと困る。
「ところで今田くんは大学時代に同棲していた中国人の留学生が天安門事件で殺されたことが入隊動機だと言うことだが」「はい、そうです。だからこの任務を与えられて嬉しく思っています」ここはジェニファーにも聞かせるためあえて英語にした。
「そこまで恋人のことを愛していながら入隊後に複数の男性隊員と肉体関係を持ったのは何故だい」この質問は今後の任務でレイプされた時の受け留め方を確認している。
「だって私が彼に捧げたのは気持ちであって身体を愛されたのは経験に過ぎません」ここが男性には理解できない女性心理だ。目の前のジェニファーも村田を心から愛していながら自分に抱かれた。工藤は今もジェニファーを抱く時、村田に対する罪悪感を抱いているのだ。
「女性にとって男性に抱かれることは生命保存の本能に基づく行為であって男性が願う愛情の確認手段なんてロマンチズムとは別なのよ」ここでジェニファーも参加してきた。
「それじゃあ、レイプはどうなるんだ」「この人の子孫を残そうと決めた相手とは違う人間に性行為を強要されるから自己防衛本能が最高潮になる。それが自己否定につながることもある。判り易く言えばそんなところね」これでも工藤には理解できない説明だが今田は納得したようにうなずいている。これ以上の追及は男女の隔たりを思い知らされることになりかねないのでここまでにした。
「キクコはアジアン・ビューティーの創刊準備としてウチで研修を受けていることにしましょう」「はい、編集長」工藤の余計な確認が終わるとジェニファーが今後の仕事を簡単にまとめた。話が決まるとジェニファーと今田はもう一度、握手した。
- 2018/02/25(日) 09:32:20|
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昭和48(1973)年の明日2月25日に我が国では昭和43年12月10日に発生した東京の3億円強奪事件と共に「痛快盗難事件」と呼ばれている大阪の偽・夜間金庫事件が起こりました。ただし、東京の事件は巨額の現金を奪われた銀行側が被害者になっているので無責任に「痛快」と称賛することはできず、逆に大阪の事件は未遂に終わっているので時効が成立していても「完全犯罪」とは言えません。
この事件は大阪万博の前年に開設された阪急三番街の衣料品店の店長がその日の売り上げを地下街の一角にある三和銀行阪急梅田北支店の夜間金庫に預けようとしたところ「御利用の御客様へ・鍵の折損事故に因り投入口開閉不能となりましたので、誠に御足労ですが当銀行専用通用口の仮金庫迄御回り下さい・三和銀行」と言う貼り紙があり、店長は貼り紙に書かれていた案内図に従って銀行裏の通用口に回ったところに「夜間金庫」と言う看板が付いた仮設金庫があったそうです。その仮設金庫はアルミ製で看板は内部から照明が点っている本格的な物で、店長は疑いもせずに中央部の投入口から現金を入れたところ落下音がせず、途中でつかえているような感じだったので手を突っ込んで押し込もうとするとミシミシと音を立てて金庫の下半分が膨らんで、隙間から現金が掴み出せる状態になったのです。店長はその現金を奪うことなく警備詰所に連絡したため警備員と銀行員が駆けつけ、この仮設金庫が偽物であることが判明しました。この時点で68店舗から計2576万円が投入されており、後一歩で盗まれるところだったのです。
警察の鑑定ではこの偽・仮設金庫はベニヤの合板の表面に薄いステンレス製の板を貼った上、アルミ・サッシの枠を取り付けて重厚感を演出し、裏側には水銀電池を設置してプラスチック製の看板が薄く光るようにしてあったのです。さらにこの日は給料日直後の日曜日だったので各店の売り上げは多額になっても銀行は閉店しているため夜間金庫に預けるしかなく、それが月曜日まで回収されないと言う犯行には最適の日時でした。
惜しむらくは騙されて預ける人があまりにも多く、犯人が想定していた収容量を超えてしまったため折角の偽・夜間金庫が変形してしまい、さらに発見した店長が正直者だったので計画が発覚してしまったことでした。
当初、遺留物の多さから犯人逮捕は時間の問題だと思われていましたが、結局、7年後の昭和55(1980)年のこの日に刑事時効が成立しました。
この事件は犯人が捕まらなかったため人物や背景なども不明ですが、何よりも賑わっている地下商店街にどうやって小道具を持ち込み、設置したのかが謎になっています。偽・仮設金庫はドアの大きさがあり、例え梱包していてもそれを運んでいれば目撃者は必ずいるはずです。さらに警察も多くの人が疑うことなく現金を投入したほどの加工技術は素人の仕事ではないと言っており、その材料の購入先や製作音などから判明しなかったのも不思議です。そして犯人はどこで見ていてどのタイミングで回収しようとしていたのか。
こうした推理を楽しめるから「痛快盗難事件」なのですが、時効が成立していることなのでそろそろ犯人さんに登場していただいて謎を説明してもらいたいものです。
- 2018/02/24(土) 09:26:45|
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「テイラーさん、日本から我が支社に配属されてきた今田です」岡倉はデパートメント・オブ・ステート(国務省)のロビーに知り合いのイラン担当者を呼び出すと今田を紹介した。テイラーは岡倉の本業は知らないが、アフガニスタンに行ったことを聞いているので単なる雑誌記者とも思っていない気配がある。
「ほう、これは若い日本女性とは喜ばしい」そう言ってテイラーが手を差し出すと今田も無表情に応じて握手しながら頭を下げた。これは日本人がよく見せる失態だ。握手は頭を下げるのではなく逆に胸を反らさなければ服従したように見えてしまう。しかも今田は自己紹介をしていない。外国での作法についてはあらためて教育が必要なのかも知れない。
「氏名は今田菊子です。年齢は・・・」「37歳です」岡倉が傍らから説明を始めると今田もようやく気がついて自己紹介した。テイラーの顔には見た目よりも年長なのを知って困惑と失望が現れた。確かにアメリカ人の目に日本女性は年齢よりも若く見えるらしいが今田の場合は生活感がないことも理由だろう。
「それでキクコが堪能な外国語は何だい」テイラーは前置きなしに今田の能力が使えるものなのかも確認してきた。ここで今田は「キクコ」を自分の名前として反応しなければならない。
「チャイニーズ(中国語)とイングリッシュ(英語)を嗜みます」今田の反応は問題なかったが、答えにテイラーは苦笑し、岡倉は困惑した。そんな2人を見て今田は首を傾げた。
「お前なァ、アメリカの言語は何だ」岡倉に指摘されて今田はようやく自分が大学で選択した外国語を並べた失敗に気がついた。日常的に英語を使うアメリカ人としては「英語に堪能」と言われても何と答えて良いのか判らない。
「間違えました。堪能な外国語は日本語です」これも墓穴を広げただけだ。日本人が日本語が得意なのは訊くまでもなく判っている。流石のテイラーも腹を抱えて笑いだした。
「今のはジョークとして使えるぞ」確かにアメリカの大統領に日本の首相が「英語が上手ですね」と誉める外交官ジョークは聞いたことがある。
「まア、今田は日本のコミック・ストーリー(落語)を研究していましたからその成果なのでしょう」岡倉の弁明を聞いて今田は赤くなってうつむいた。
「うん、中々可愛らしい女性だ。オバマ政権では中国問題が最重要の外交課題になる。次回、来る時には担当者に引き合わせるから互いに協力していくことにしよう」そう言ってテイラーは再び手を差し出したので、今度は今田も胸を張って受けた。しかし、その胸に膨らみがないことにテイラーは困惑している。色々な意味で今田は規格外なのだ。
「しかし、折角、中国語に堪能でも中国人に変装することは無理なようだな。残念ながら」別れ際にテイラーが意外な所見を述べた。これには岡倉と今田も顔を見合わせた。
「中国人女性にはキクコのような痩せた顔はいない。おそらく朝鮮やモンゴル、東南アジアにもいないだろう。アジア人でも日本人だけ別種の民族のようだ」「つまりイエロー・モンキーだな」岡倉は自虐ネタで答える。それでもこれは自己卑下ではない。アメリカ人にとって小柄で猿面の日本人女性はペットのように愛らしく感じるようで、佐世保に入港したアメリカ海軍の水兵たちが連れ歩いているのは猿面の女性が多かった。
「シマムラ、キクコが少しはグラマーになるように美味しいものを食べさせてやれ」テイラーは最後にジョークにならないジョークを言って執務室に戻っていった。
「誰か中国語で話していますね」テイラーの助言を受けてワシントン市街の中華料理店に入ると今田は店内で飛び交っている客たちの会話の中に中国語を聞き取った。周囲を見回してもアジア系の人間は岡倉と今田以外に見当たらない。つまりヨーロッパ系やとアフリカ系の人間が中国語で話していると言うのだ。これはどう言う事態であろうか。
今田は目で岡倉に「こちら」とつぶやくとメニューの上で指を小さく右に向けた。岡倉が目だけをその方向に向けると隣りのテーブルで金髪と濃い茶髪の男が顔を近づけて密談している。要するに聞かれたくない会話を秘匿するために中国語を使っているらしい。
「オバマの核軍縮に向けた声明の発表でアメリカによる核抑止力は制約を受ける。その隙を狙って北朝鮮が核開発を進めていけば中国にとっては韓国を軍事的に屈服させられて、アメリカの東アジアでの攻撃目標が2つになる」「オバマにはノーベル平和賞を与えておけば世界各国のマスコミが賞賛して支持率は安泰と言う訳だ」今田は日本語で内容を同時通訳していく。どうやらデパートメント・オブ・ステーツ内に送り込まれている中国の工作員らしい。岡倉は料理が来たところで今田の写真を撮るような振りをして2人を画像に収めた。
- 2018/02/24(土) 09:25:43|
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「ところで今田(こんだ)くんは日本で演技学校に通ってきたのか」今田への任務の説明が終わったところで工藤が確認した。岡倉たちは情報要員として選抜されるとそのままアメリカへ赴任させられて実務の見習いと修習が同時進行だったが、今田はかなり出遅れているだけにいきなり実戦投入しなければならない。ただし、相手は情報戦の本家・家元の中国だけに失敗は許されないのも確かだ。工藤の質問に今田は何故か表情を緩めてうなずいた。
「実は大学時代、落研(おちけん=落語研究会)にも入っていましたから演技の基礎的な指導は受けています」「ふーん、異色の経歴だな」「落語は1人で何役も演じ分けるから舞台俳優の養成所よりも使えるかも知れないぞ」「問題は大学の落研のレベルがどこまで本格的なのかだ」今田の一言に男4人はそれぞれの見解を述べ合う。やはり可憐でなくても花一輪を愛でる気持ちは失っていないようだ。
「ウチの大学の落研が名古屋の高座で発表会を開くとキンチャンが波打ってました」「キンチャンとは?」「お客のことです」この新入りは世代だけでなく経歴でも理解不能だ。そこで4人のプロたちは今田の大学に話題を誘導し、中国語を学んだことを告白させた。
「愛知県で本格的に中国語を学べる大学と言えば愛大だな」岐阜県出身の岡倉の指摘に今田は驚いたように絶句した。個人情報は極力隠蔽しなければならないことを工藤から指導されており、だから本名も伏せているのだ。つまり自分の保全に漏れがあったことになる。ところが岡倉は自然体で追い討ちを掛けてきた。
「人民の新しき朝の光は 2つなき真理の下に明け放たれり 人類の類(たぐい)なき知を愛する者よ 今こそ固く腕(かいな)組みて 澎湃(ほうはい)寄する東海の潮(うしお)の如く 高らかに 高らかに 我等が愛知大学の名を称えよ」低い声で愛知大学の学生歌の1番を唄い切ったのだ。しかも出だしは左翼系の学生の替え歌だ。これは何を意味しているのか。今田は完全に混乱してしまった。
「島村くん、見習いさんを鍛えるのはそれぐらいにしておきなさい」「要するに愛知大学出身の知人がいると言いたいんだな」「不用意に個人情報を漏らせば即座に武器に使われて自分に向かってくるって言う教えですね」男3人の援護を受けて今田は溜め息をついた後にうなだれた。そんな様子を見て再び男たちは手を差し伸べる。今度は岡倉も加わった。
「我々は存在すること自体が最上級の防衛秘密に属する。だからプロの推理によってでも個人を特定できる情報は漏らしてはならないんだ」やはり工藤が口火を切る。
「身元不明で死ねなければ何をやってでも生き抜くことだ」村田の死に共鳴している松本はその後任である今田に同じ死を迎えさせたくはないと願っている。
「別人を演じるだけでなく別の人格を完全に自分のモノにする。そうすれば自白剤を投与されてもそのまましか語ることはない」これはイギリスで自白剤の実験に立ち合った杉本だ。
「君はまだ今田菊子と言う人格を作り上げていない。別に今田が愛知大学出身でも良いんだ。それには大学の卒業生名簿を調べられないように強固な予防線を張ることが前提になる」岡倉の言葉に今田は目の前に座っている男たちの顔を1人1人注視し始めた。今、ここにいる人物は日本の戸籍とは別の氏名を名乗り、経歴を作り上げている。ワシントンで井上将補から「今田菊子」のパスポートを渡されたが、今後はその偽名で海外に赴き、活動中に殺害、負傷、逮捕、拉致されてもその偽名で死に、治療を受け、取り調べられ、監禁されるのだ。
翌日、岡倉は試運転に今田を国務省へ同行させた。このような時は流石にパンツ・スーツ姿だ。
アムトラックの高速鉄道・アセラでニューヨークのペンシルバニア駅を発ち、3時間弱でワシントンのユニオン駅に着く。日本で言えば新幹線で東京から新大阪まで行くような感じだ。
「意外に快適な乗り心地ですね」この区間のアセラの料金は往復98ドルで新幹線よりもかなり格安だが、座席はアメリカ人サイズでゆったりしており、足も伸ばせて快適だ。
「うん、俺は1日おきに利用しているが、今では貴重な読書の時間だよ」車内では表立って盗聴器や隠しカメラの存在を確認できないため会話は日本語にしている。ワシントン・D・Cの人種別の構成ではアフリカ系が過半数、ヨーロッパ系が35・5パーセント、ヒスパニック系が約10パーセント、ネイティブを除くアジア系は3・8パーセントに過ぎないのでそれに比例して乗客にもアジア人は少ないから警戒も容易なのだ。
「俺もデパートメント・オブ・ステート(国務省)の取材パスは持っていないから知人への面会になる。今日はそのつもりで行動しろ」「はい」今田は小さくうなずくと窓の外に視線を移し、胸の中で雑誌記者の島村に同行する「今田菊子」と言う人格を組み立て始めた。
- 2018/02/23(金) 09:29:47|
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「いよいよ中国要員が見つかったらしいぞ」ニューヨークのウィクリー・ジャパンの事務所で、耳が早い杉本が集まっている同僚たちに人事情報を開示した。中国の専門家だった倉田、死後に判った本名・村田を失って1年が過ぎてようやく後任者が来ると言うのだ。
「その話は秘匿する必要がありますか」やはり松本は冷静だ。杉本の返事を待たずに盗聴器の電波を探知する装置の電源を入れる。それを見て杉本は返事の代わりに話を続けた。
「これで大丈夫だな・・・それが女らしいんだ」「えッ、まさか」完全に想定外の情報に岡倉と松本は顔を見合わせたまま絶句してしまった。
「先週、工藤さんが支社長に呼ばれて会ったらしいんだが、30代の女だったそうだ」盗聴装置の電波が出ていないことは確認できたが、録音装置が仕掛けられていれば家捜しするしかない。そのため杉本の説明もあくまでも転入者の噂話にしている。
「雑誌記者はスパイみたいなところがありますが、女スパイと言えば色仕掛けで情報を入手するものでしょう。我が社がそんな仕事をさせて良いんですか」「現代版のマタハリかァ」松本が予防線を張った上で疑問を呈するとそれに杉本が相槌を打った。マタハリとは第1次世界大戦中にフランスで活躍した女スパイだ。その抜群の美貌と強烈な色香で政府や軍の上層部を篭絡してベッドで情報を聞き出したが、戦況の劣勢の弁解に利用されて銃殺された。
「マタハリは無理でもレイプされる危険性は十分あります。杉本さんお得意の薬物だって警戒しなければいけない。やはり不安がありますよ」岡倉は杉本から媚薬を提供された経験者として引き合いに出した。確かに中国はハニートラップを常用しているが、女に仕掛けてくる場合はどうなるのかは想像するのも嫌になる。
「そんなに期待すると裏切られるから止めておけ、工藤さんが口ぶりでは色気は全くないみたいだ」3人の中では一番女好きのはずの杉本が冷静でいられるのはこの事前情報を聞いていたからだろう。何にしても殺風景な男所帯に一輪の花が咲くらしい。
「転入者を紹介する。今田菊子(こんだきくこ)くんだ」翌週、工藤が村田の後任を連れてきた。工藤は「今田」と紹介したが、ここでは村田が倉田、岡倉が島村になっているように偽名を名乗っている。おそらく今田も共通する音(いん)を踏む本名があるのではないか。
その今田と言う女性は30代半ばくらいの容姿で、抱けば丸太を抱えている気分になりそうな細身だ。髪はショート・ボブと呼んでは誉め過ぎな直毛の短髪で確かに色気は全くない。服装も仕事着とは思えないデニム生地のジャケットでハッキリ言って舐めている。ただし、そう思った男たちの服装も普段着でネクタイを締めているのは工藤だけだった。
どう言う経緯で選ばれてきたのか判らないが少なくともハニートラップにはなれそうもない。
「今田くん、挨拶を」「はい、ご紹介にあずかりました今田菊子です。年齢は37歳、以上です。よろしくお願いします」挨拶にも愛嬌はない。それを見て杉本が岡倉の耳元で「オールド・バージンじゃあないのか」とつぶやいた。確かに受験勉強や学術研究などで男性との交際を経験しないまま思春期を過ごしてしまったエリート女性の中には円満な人間関係を構築することが不得手な者もいる。しかし、岡倉は化粧をしていない今田の顔立ちは意外に整っており、逆に仕事を離れた時には奔放なのではないかと想像していた。
挨拶の後、事務所の中央のテーブルを囲んで雑談形式のミーティングが始まった。声を抑えるため身を乗り出して顔を近づけるのだが、その中に女性がいると妙に胸がときめいてしまうのは工藤以外が単身赴任生活をしているからだろう。
「現在のアメリカでは中国の影響力がかなり強まっている。特に中国国内の好景気によって獲得した莫大な資金によってアメリカの国債とマスコミの株式を大量に購入して政治的影響力を強めながら親中への世論誘導を繰り広げているんだ」政治ネタは岡倉の得意分野だ。アメリカで習得したペルシャ語による人脈が国務省のアフガニスタン・イラク問題関係者につながり、今では公式発表以外の実情を収集している。
「我々はオバマ政権の成立によって、中国に都合が良い方向にアメリカの外交・軍事を誘導しようとしているんじゃあないかと見ている」「大体、日本のマスコミがオバマ大統領個人を手放しに賞賛しているのは中国好みだからでしょう」「うん、そうだろうね」今田の見解に杉本が珍しく素直に同意した。杉本の性格から言えば新入りが生意気な発言をすればその内容の可否は別にして反論するはずだからこれも特殊な反応に見える。
「先ず君にはアメリカの政治的な決定に中国がどのような影響力を行使しているのかの実態解明を期待する」工藤の指示に今田は無表情にうなずいた。

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- 2018/02/22(木) 10:35:15|
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あの3人組が来て以来、美恵子の店には本土からの観光客が集まるようになっている。ただし、来店の目的は美恵子に暗い歌を唄わせることで理由を訊いても「ネットで見た」と口を揃えるばかりだ。
「今日、お葬式をします どうぞ涙は流さないで なぐさめの言葉も要りません ただ名もない花を一輪 今日、お葬式をします 私の愛が死んだのです・・・お棺は秋の木の葉を二枚 そっと包みましょう 壊さないように 白い煙は哀し過ぎます どこかの小川に流しましょう・・・」 これはウィッシュの「御案内」だ。同じように暗い歌をリクエストしても女性客の場合は美恵子の気持ちにも響く優しさがある。
「ママさんも愛を失った時、泣きましたか」東京からの2人組の女性客はどちらも同棲していた男に捨てられたのだ言う。しかし、美恵子はそんな女心は持ち合わせていない。
「泣いていても何にもならないさァ。出て行った男の荷物を捨てたらそれでお仕舞い。今日からの生活のために頑張るだけだよ」それは美恵子が真剣に人を愛することをしないからできる切り替えなのだが2人は感心したようにうなずいた。
「ママさんは集団レイプされたんですよね。同じ女として絶対に許せないし、深く傷ついたんだろうなって心から同情しています」「あんなのは相手が知らない男だったと言うだけのことさァ。夫だろうと知らない相手だろうとやられることは同じだよ」こう答えた美恵子の顔を見て2人はそれが強がりではないことを察して「感心」の次の段階「感動」をした。
「どうしたらママさんみたいに強くなれるんですか」「私もママさんみたいに前向きになりたいんです」この2人は自殺サイトにアクセスしようとしていたのかも知れない。それが美恵子の話題を選んだことで繰り返し悲惨な目に遭いながらも全くめげていない図太い人間性に救いを求めたらしい。
「そんなの考えるからいけないのさァ。頭なんて髪形と帽子のお洒落を楽しむためにあるんだよ。軽ければ軽いほど楽でしょう」この偉そうな御託宣はそれを実践していた結婚生活を経験している被害者には許し難い暴言だが、この2人は神のお告げのように受け取った。
「私、彼が初めてだったんです。結婚しようと一生懸命尽くしてきたのに他の女を作って・・・でも考えるのは止めます」そう言って1人は他のお客のボトルで作った薄めの水割りを飲んだ。するともう1人が深刻な顔をして告白を始めた。
「私は彼の店の借金を背負ってしまって・・・」「私だって旦那がヤクザの女に手を出して脅し取られた金を肩代わりさせられたさァ」やはり何を言っても悲惨さでは敵いそうもない。2人は顔を見合せて敗北を認めるようにうなずいた。
「それじゃあ景気づけに明るい歌でも唄おうか」それを見て美恵子は自分からマイクを持って声をかけた。元々が能天気なだけに明るい歌のレパートリーには不自由しないのだ。
「いいえ、私たちに似合う歌をお願いします」「今の気持ちをこの歌に込めて・・・」しかし、2人はそう言うと研ナオコの「かもめはかもめ」を指定した。
「諦めました貴方のことは もう電話もかけない あなたの傍に誰かいたら 羨むだけ哀しい・・・この海をなくしても 欲しい夢はあるけれど かもめはかもめ 独りで空を行くのがお似合い」今回は2人が唄ったが、美恵子には「諦める」と言う感覚が判らない。諦めるのは何かを期待するからであって始めから期待しなければ裏切られることはないはずだ。
確かに前夫には自分の仕事を応援してくれることを期待して裏切られたが、矢田には快楽だけを求めていたから終わってもそれまでだった。国際通りで妻と歩いているのを見て怒ったのは所有物を奪われたことへの怨嗟であって嫉妬ではない。しかし、そんな難しいことを考えるのも無駄なことだろう。
「すみません。玉城美恵子さんのお店ですか」ある日、1人の男性客が来店した。暗い歌の愛好者は単独行動をしないらしく1人で来るのは珍しい。しかし、その言葉には聞き覚えのある癖があった。
「はい、そうです。お客さんは台湾の方ですね」「・・・スー(是)」美恵子に指摘されて客は戸惑った後、中国語で認めた。
「ウォー・チャン・シンピン・ゴンスー・デ・グウユエン(我 周食品公司 的 雇員=私は周食品社の社員です)」いきなり中国語で自己紹介されたが美恵子に理解できるはずがない。返事をしないで睨みつけると男は愛想笑いを作りながら言い直した。
「私、台湾の周食品社の社員です。今日は御案内に来ました」死んだ周志竜の会社の社員だ。
- 2018/02/21(水) 09:23:49|
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1941年の明日2月21日は膵臓内のランゲルハンス島で分泌されるペプチドホルモンの一種で、血糖値を抑制する作用を持つインスリンの発見により1929年のノーベル生理学・医学賞を受賞したフレデリック・バンティング博士の命日です。
野僧も膵臓の機能障害によって血糖値が制御できない持病を抱えており、医療先進都市である浜松の病院では患者への教育を重視していたため愛知県、山口県に転居してからも資料が届いていたのでバンティング博士についても少し詳しいのです。
バンティング博士は1891年11月14日にカナダのオンテリオ州アリストンで生まれました。ちなみに世界保健機関(WHO)は博士の功績を讃え、この日を糖尿病の正しい知識と予防のために心がけるべき生活習慣を普及する「糖尿病の日」に指定しています。
トロント大学を卒業後、第1次世界大戦に従軍し、終戦によりカナダへ帰還するとトロントの小児病院で整形外科の研修を受けました。
研修を修了した1920年からオンタリオ州ロンドンのウェスタンオンタリオ大学で何故か内分泌学の講義を担当することになり、その年の10月31日に膵臓の内分泌物質の採取・分離に関するアイデアを思いついたのです。バンティング博士は自分のアイデアを冷静に検討した上でその画期的な手法に歓喜し、オンタリオ大学に移ってその系統の権威・マクラウド博士の指導を受けながら更に具体化を進めました。
犬で実験したその手法とは開腹して膵臓を縛り、分泌物質が高濃度になったところで抽出した後に膵臓を切除します。こうして血糖値が急上昇した犬に分離した分泌物質を投与することで効果を確認していったのです。その結果、犬の血糖値を抑制する物質の存在が確認され、さらにマクラウド博士の仲介による化学学者・コリップ博士との共同研究によって牛でも同様の実験を行い、1921年から1922年にかけて膵臓から直接、抽出する方法が確立され、その物質はインスリンと命名されました。これによってそれまで食事療法以外に対策がなかった糖尿病がインスリンの投与によって症状を抑えることが可能になり、発症後の生存期間が大幅に伸びたのです。1922年は大正11年であり、その時点から欧米ではインスリン療法が普及していったにも関わらず日本では戦後も最近まで食事制限一辺倒の治療法しか行われてきませんでした。実際、野僧が発症した1990年代から現在でも医療関係者でさえ糖尿病の原因は「乱れた生活」と決めつける偏見が解消されていません。これは粗食の日本では「糖尿病を発症するのは贅沢な食生活をしている人間」と言う偏見が根強く、厚生労働省と医学界もそれに同調しているからでしょう。
バンティング博士はマクラウド博士とノーベル賞を共同受賞したのですが、実験に真摯に取り組んできた「ベスト助手こそが共同受賞するのに相応しい」と賞金を分け与えたそうです。一方、そう言われたマクラウド博士はコリップ博士と分け合ったようです。なお、当時のカナダはイギリス領だったため国王から「ナイト」の称号を贈られました。
すでに第2次世界大戦が始まっていたイギリスに向かうために搭乗した飛行機の事故で重傷を負い、翌日に亡くなってしまったのです。49歳の若さでした。
- 2018/02/20(火) 09:33:49|
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「僕は古い歌だけどお願いします」銀縁メガネは2杯目に違う銘柄の洋酒を頼み、美恵子が水割りを作っている時にリクエストしてきた。
「黒の舟歌」この長谷川きよしの「別れのサンバ」と並ぶ名曲は沖縄でも唄う客が多く、美恵子は自分のために作った主題歌のように思っている。
「男と女の間には 深くて暗い河がある 越すに越されぬ河なれど エンヤコラ今夜も舟を出す ロウアンドロウ ロウアンドロウ 振り返るな ロウ」歌詞が流れる画面には暗い夜に細い三日月の光に照らされた川面が映っている。沖縄にはない広い川幅の風景に美恵子は前夫と住んだ本土の風景が重なり、目つきが暗くなった。
「あれから幾年漕ぎ続け 大波小波 揺れ揺られ 極楽見えたこともある 地獄が見えたこともある ロウアンドロウ・・・」まるで三途の川を舟を漕いで渡っているかのような唄い方に今までは反応しなかった客たちも拍手した。
「ママさんが唄うと歌詞の主人公みたいで本当に感激します」「僕たちはカラオケで唄うんですがやっぱり本当に地獄を見た人には敵いません」「ママさんの歌を聴けただけで来た甲斐がありました」これも彼らとしては誉め言葉なのだろう。美恵子はもう1つグラスを出すと氷を入れ、水道の水を注いで飲んだ。客足が消滅して1ヶ月、氷は製氷機が自動的に作り、ミネラル・ウォーターは水道水をろ過するだけだが、ウーロン茶は品切れなのだ。
「最後に動画を撮りますからお願いします」美恵子に暗い歌を10曲以上も唄わせ続け、店の空気が重くなり切った後、肥満体が頼んできた。
「これで終わりだよ。流石に私も喉がおかしくなってきたさァ」そう答えて美恵子は水を飲み、3人は顔を近づけてコソコソと相談して曲を指定した。
「赤色エレジー」このあがた森魚の名曲も愛唱する客がいる。そんな客たちは幸子を美恵子の源氏名の美智子に代えて唄っていた。そう言えば前夫は三浦リカ主演の映画「サチコの幸」が好きで学生がいない時期の当直の前日に防府のレンタルビデオ・ショップで借りて部隊でダビングしてきていた。それを思い出して美恵子の目が再び険しくなった。
「愛は愛とて何になる 男・一郎 まこととて 幸子の幸は何処にある 男・一郎ままよとて・・・」疫病神が手を伸ばして画面を見ながら唄っている美恵子の顔を携帯電話で撮っている。他の2人は音をさせないように水割りを飲んでいる。この撮影には何か特別な意味があるのかも知れない。
「貴方の口からさよならは 言えないことと想ってた 裸電灯 舞踏会 踊りし日々は走馬灯・・・」美恵子にとって「さよなら」を告げられたのは矢田の方だった。前夫は何故、あそこまで優しくしていながら矢田に走った自分を責めなかったのか。
「幸子と一郎の物語 お涙頂戴ありが・・・」そんな疑問が胸に迫ってきて最後までは唄い切ることはできなかった。
「これがカッチンのママ・玉城美恵子さんだ」数日後、インターネットの例のサイトに美恵子の画像と動画が貼り付けられた。
「嘘!こんな可愛い顔して42歳なのか」「俺のタイプだ。街を連れて歩きたい」「唄う声も可愛いじゃん」「これって何て言う歌?」3人は沖縄への突撃取材を予告していたのでたちまち書き込みが始まった。
「これはあがた森魚の『赤色エレジー』だ」「この名前は何て読むんだ」「『もりお』だよ」「曲名は『せきしょくエレジー』だぞ」「へーッ、『あかいろ』じゃあないんだ」話題は美恵子から動画の歌に向かっていく。ところがそこに最初の取材目的を持ち出す奴が現れた。
「本当に精純そうなのにこれでセックスに狂っているのか」確かに薄化粧で髪形も普通にしている美恵子は年齢よりも若く精純そうに見えるから新聞の記事やテレビのワンドショーで取り上げられ、インターネットで素行を書き込まれているような淫乱な性悪女とは思えない。
「そうだった。男の上に乗って責め殺したんだろう」「不倫して沖縄へ逃げて来たんじゃあなかったか」同調した書き込みも先細りから尻切れトンボになり、さらに変質した。
「うーん、この人が若い頃ならレイプしたい」「今でも良い」「美熟女、大好き」「ハメ撮りはどうした」書き込みが危ない方向に暴走し始めた時、不可解な文章が入った。
「玉城美恵子さんの店は那覇市のどこですか」それは台湾の広東語から日本語に訳した書き込みだった。投稿者名は「DS(=ドラゴン・スピリッツ?)」とある。初めて見る名前だ。
「那覇市のバスターミナルの近くのテナント・ビルの2階です」誰かが無責任に答えた。

映画「サチコの幸」より
- 2018/02/20(火) 09:30:55|
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大正8(1919)年の明日2月20日は我が郷土・愛知県岡崎市出身の画家で詩人、おまけに小説まで書いた村山魁多さんの命日です。これだけ多彩な才能を発揮したのですからそれなりに長生きしたのかと思えばわずか22歳の生涯でした。
村上さんは明治29(1896)年に前述のように愛知県岡崎市(当時は額田郡岡崎町)で生まれました。母は東京の森鴎外さんの家で女中勤めをしており、知り合った男=父との間に子供ができたため臨月になってから岡崎市の実家に戻り、婚姻届を出して2週間後に出産したのだそうです。母が帰郷することが決まった時、森さんは餞別として子供の名前を贈ってくれたので「魁多」は本名なのです。
翌年には高知県に移住し、さらに4歳の時には京都市へ転居したためここで教育を受けることになりました。13歳の時、母方の従兄の版画家で西洋画家の山本鼎さんから油絵のセットをもらったことで美術に目覚めますが、同時にボードレールやエドガー・アランボーなどのデカダン(=退廃)的作家の小説を読み耽り、さらに15歳の頃には詩を作って同好の友人たちと回覧雑誌にしていたようです。
この頃の詩は「血染めのラッパ吹き鳴らせ 耽美の風は濃く薄く われらの胸にせまるなり」と強烈な言葉を用いており、後の絵画に通じる激しさを感じさせます。なお。この回覧雑誌に発表した作品は村上さん没後の大正10(1921)年に「魁多の歌へる」と言う詩集になり、芥川龍之介さんや室生犀星さんに絶賛されました。
旧制中学校を卒業した15歳の夏に上京すると田端に住んでいた洋画家の小杉未醒さんの家に寄宿しながら日本美術院研究所に通い始め、小杉さんの娘をモデルに描いた作品を二科会展に出品して入賞、翌年には日本美術院展に同様の作品を出品して院賞を受けています。その後も毎年入賞を重ねていきますが、画家として活動したのは5年弱なので回数は4回に留まっています。
村上さんの作品は「炎の人」と称されるヴァン・ゴッホと同様に激情をキャンパスに描き殴っているような画風で、色彩は原色を多用しながらも深く、特に「ガランス」と呼ばれる血のような赤は鮮烈です。
この頃には絵画だけでなく小説の執筆にも取り組んでおり、多くは未完でしたが「悪魔の舌」と言う幻想怪奇小説は高い評価を受けているそうです(野僧は読んでいません)。
こんな激烈で破滅的な村上さんの生き方を親交があった高村光太郎さんは「強くて悲しい 火だるま魁多」と評しました。
大正7(1918)年4月に結核性肺炎を発症すると「私は落ちゆく事がその命でありました(中略)たとえ此の生が小生の罪でないにしろ 私は地獄へ堕ちるでしゃう(中略)さらば」との遺書をしたため、燃え尽きるように作品を描き続けたのです。そして当時、大流行していたスペイン風邪に罹患するとその高熱に浮かされたのか、霙(みぞれ)交じりの強風が吹く屋外に飛び出して畑に倒れているところを発見されました。
教師は村上さんを紹介した後、何時ものように「こんな人になれ」とは言いませんでした。
- 2018/02/19(月) 10:10:56|
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美恵子がスナックの店内で暮らし始めて1ヶ月が経った頃、突然、妙な客たちがやって来た。
「あったここだ」「やっぱりカッチンって言うんだ」その3人の客たちは恐る恐るドアを開けて店内に入るとカウンターの椅子に座って有線放送を聞いていた美恵子を見て何故か頭を下げた。現在の美恵子は失業保険だけで生活しており、化粧品を節約するため薄化粧で髪型は自分で整えるしかない。そうなると服装も地味になるから先客と勘違いしたのだろう。
「あのう・・・今日は営業しているんですか」客の1人が美恵子に訊ねた。どう見ても本土から来た観光客だが、揃ってネクラそうであまり好ましい雰囲気ではない。
「はい、いらっしゃいませ」美恵子が立ち上がってカウンターに入ると客たちは顔を見合せて小声でささやき合った。
「この人がママさんだったのか」「予想とは違うな」「本当にこの店なのか」美恵子はそんな評価は無視してカウンターにコースターを並べ、その上にグラスを置いてサービス料を取る形式を整えた。それを見て客たちは諦めたように席に着いた。
「初めてですよね」「はい、旅行ですから」こうして顔を見比べると度が強いメガネを掛けた肥満体の男と逆に痩せて目ばかりが異様に光っている疫病神のような男、そして銀縁メガネの奥の神経質そうな目が辺りを見回している男の3人組だ。
「ママさんがタマシロ美恵子さんですか」「はい、タマキって読みますけど」美恵子の答えに質問した肥満体が軽く頭を下げた。
「僕たち不幸な気分を味わえる店って聞いてきたんです」真ん中に座っている銀縁メガネの説明に両側の2人もうなずく。それが来店の目的と言うことだ。
「何ねェ、それは」「ママさんは不幸に憑りつかれていて近づくと祟りがあるってネットで読んだんです」「僕たちも不幸なんで少し軽くしてもらえれば良いなって思いました」「僕たちの不幸を受け取って下さい」美恵子はインターネットをやらないので知らなかったが、周志竜が死んだ事件が本土のテレビで紹介されており、その話題がインターネットで流れ、今では人生の辛酸を舐め尽くした悲劇の女王扱いされているらしい。
「確かに私は失敗ばかりしてるけどアンタたちみたいに負けてないさァ。自分が不幸だなんて思ってないよ」美恵子が語気を強めると3人は異様に感激したような顔になった。
「でも愛人をセックスで責め殺したんでしょう」「集団レイプされたって見ましたよ」「不倫相手に借金を残して逃げられたって言うのは本当ですか」3人は遠慮なく予備知識を確認してくる。ただし、「聞きました」ではなく「見ました」と言うのはインターネットをやっていなければ理解できない感覚だ。
「何でそんなことを知ってるのさァ。アンタたちは探偵ねェ」「だってネットでは評判ですよ」「ネットって網のことねェ」美恵子の無知は客たちには新鮮な驚きだったようだ。3人は顔を近づけて小声でささやき合う。どうもコソコソする流儀の団体のようだ。
「でも思ったよりも綺麗なママさんで、来られてラッキーでした」「本当、精純派ですよね」今度は誉められて美恵子も少し気分を直した。考えてみれば事件以来、初めての客なのだ。
「観光じゃあキープする訳にはいかないだろうから、ここに並んでいるボトルを味見すれば良いよ。どうせ来なくなった客のだからグラス1杯1000円で良いさァ」飲み屋ではグラス1杯はボトルの原価の10分の1が基準だからこれは暴利に近い。それでも関税が高い本土では高級酒に属する銘柄を見て3人は納得したようにうなずいた。
「カラオケを唄わんねェ」馴染み客のボトルで勝手に水割りを作り、3人が無言で飲み始めるとそのドンヨリした空気に耐えきれなくなった美恵子が声をかけた。すると3人はまた顔を近づけてコソコソとささやき始める。そして真ん中の銀縁メガネが返事をした。
「俺たちが金を払いますからママさんが唄って下さい」「リクエストします」「僕もお願いします」そう言うと3人はカラオケのメニューを開き、歌手のページで選曲を始めた。
「これをお願いします」「えーッ、これって暗いさァ」最初は矢田と離婚した頃、馴染み客に教えられた中島みゆきの曲「うらみます」だ。美恵子が拒否してもリクエストした肥満体は目で強要してくる。仕方ないので画面で曲目をリクエストしてマイクを持った。
「うらみまず うらみます 私、優しくなんてないもの うらみます 良い奴だと 思われなくても 良いもの・・・うらみます うらみます アンタのことを死ぬまで」普通はリクエストして唄わせた時には拍手するものだが、この客たちはコソコソと評価するだけだ。それでも疫病神が次をリクエストしてきた。今度は山崎ハコの「握り拳」だ。
「好きな名前で呼んで良いのよ、私を 割り箸片手に2人で唄おうよ 恨みばかりで何もない空だけど・・・固い握り拳、恐いよ 湯呑の中の酒も 震えてる・・・」気がつくと疫病神はお通しの割り箸を片手に小声でデュエットしている。銀縁メガネはグラスを震わせていた。

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- 2018/02/19(月) 10:09:25|
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「おカァ、美恵子ネエネは何をやってるねェ」南城市の実家に松真から電話が入った。その声はかなり怒っている。
「何ねェ、どうしてアンタまで知ってるのさァ」「本土でもテレビで放送してたんだよ」松真の説明に母は言葉を失った。沖縄では人の噂も月が変わった頃から鎮まってきたが、これでは本土発のニュースとして再燃しかねない。
「結局、ネエネはあの台湾人と一緒に暮らしていたのか」「そうじゃあなくて日本に商売できた時に泊めていたみたいさァ」松真は例のインターネットに沖縄の人間が書き込んでいる現地情報が事実であることを母の口から聞かされて言葉が出なくなった。
「美恵子は床屋をクビになってアパートも追い出されて今はカッチンに住んでいるのさァ」カッチンは母の血統の女たちが受け継いできた飲み屋だがそれも風前の灯火(ともしび)らしい。
「狭い店なのに住む場所なんてあるの」「ボックスのソファーを並べてベッドにしてるみたいさァ」この口調では母も実際に見には行っていないようだ。
「美恵子を家に呼び戻そうと思ってるんだけどアンタはそれで良いねェ」「仕方ないね」やはり松真にも姉は姉だった。それはシマンチュウの血が決めさせる結論なのかも知れない。
「あかり、ごめんな」最近、淳之介の声は沈んでいる。今までも些細なことにも自分の非を認めるどこか引いたところがあったが、最近は普通の会話の切れ目に口癖のように謝罪の言葉が入るようになってきた。
「ううん、何も悪くないよ。どうしたの」「何だかお母さんのことであかりにも迷惑がかかっているような気がしてさ」あかりも母から淳之介の母親が起こした事件についての概略の説明を受けている。それは58歳の台湾人男性が母親のアパートで心臓発作を起こして死んだと言うことだけだが、母親とその男性との関係には色々な問題があり、社会的に非難を浴びていると言うことも補足していた。ただ、母は「一番傷ついているのは淳之介だからシッカリ支えることがあかりの勤めだ」とも付け加えた。
「私は淳之介さんのお母さんには会ったことないもの全然関係ないよ。気にしないで」これは取りようによっては「そんな母親は認めない」と言っていることにもなるが、淳之介は素直に激励として受け取った。
「でも俺にはあの母親の血が半分流れているんだ。何かで狂ってしまったら周囲が自分中心に動かないことに我慢できなるかも知れない。そう思うとあかりを幸せにできる自信が時化って(しけって=海が荒れる)くるんだ」ここまでネクラに深く物を考えるのなら絶対に母親の血は薄いのだが、あかりは肝心の母親を知らないので違う反応を返した。
「私にだってお母さんが絶対に話さないような酷い父親の血が流れているんだよ。私が狂っちゃったら淳之介さんはどうするの」「・・・ごめん」この謝罪は口癖ではない。
「私たちの子供にはそんな血が流れることになる。それが怖いから子供を作らない何て言わないでしょう」淳之介はあかりが「私たちの子供」と言ったことに驚き、同時に胸の奥から感動が湧き起こってきた。知らない間にあかりは自分の妻になることだけでなく子供を産み育てる覚悟もしているのだ。
「淳之介さんは今のお父さんとお母さんに育てられて素敵な男の人になった。私はお母さんに育てられて淳之介さんに愛される女になった。違うかな」「うん、そうだね。だから俺たちの子供は立派な人間にしなければいけないし、そうできる親にならなければいけないな」あかりは淳之介の声に気迫がこもってきたことを感じて受話器を握り直した。
「あかり」「はい」ここで淳之介は急にあらたまった口調になった。那覇と石垣島が赤い糸の電話で結ばれているあかりにはこれから聞く言葉が予測できる。受話器を握っていない方の手で淳之介の顔の形を思い出しながら一瞬の間を待った。
「早く一緒に暮らしたい。あかりがいないと灯台がない暗夜航路みたいなんだ」あかりには後半の部分のトーダイやアンヤコーロと言う単語が何を意味しているのかが判らない。ただ自分を必要としていることは間違いないだろう。
「私も淳之介さんと暮らしたい。迷惑を掛けることしかできないけど・・・」「迷惑じゃなくて協力だろう。夫婦になるんだから」本土、沖縄を問わず常識的な親であれば実の母親が社会的指弾を受けるような不始末を犯してしまった以上、ほとぼりが冷めるまで結婚などの慶事は先送りにするはずだ。その点、淳之介の両親とあかりの母親は「常識」ではなく「良識」で思考するから世間一般とは出す結論が違う。いよいよ2人の結婚には出港の汽笛が鳴ったようだ。
- 2018/02/18(日) 10:10:04|
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1587年の明日2月18日(グレゴリオ暦)にスコットランド女王・メアリー・スチュアート陛下が亡命先のロンドンで処刑されました。
いきなり余談ながら野僧の沖縄時代、行きつけのスナックのマスターがカクテル作りに凝ってしまい練習作品を試飲する羽目になったのですが、「ブラッディ・マリー」と言うトマト・ジュース=10(比率)に40度のウオッカ=4・5とレモン・ジュース=0・5を加え、さらに塩、胡椒、タバスコで味つけするカクテルを出しながら「斬首されたスコットランドのメアリー女王の血に由来する」とウンチクを語ったのですが、本当はカソリック教徒として父王・ヘンリー8世が創設したプロテスタント=イギリス国教会の信者300人を処刑したメアリー1世の残虐さを揶揄した命名のようです。
メアリー女王は1542年にスコットランド王・ジェームズ5世とフランスの有力貴族出身のメアリー王妃との間に生まれましたが、6日後に父王が崩御したため新生児で女王に即位したのです。こうして王女を飛び越したメアリー女王が成長していくとイングランド王・ヘンリー8世が食指を伸ばしてきました。ヘンリー8世は生まれてくる男子が相次いで早逝しており、残った男子は先天性梅毒で病弱なエドワードだけだったためメアリー女王と結婚させてグレートブリンテン島を2分するイングランドとスコットランドを1王による連合国家にしようと画策したのです。これを察知した母親は母国であるフランスに王太子との結婚を申し込んで阻止したもののイングランドの攻撃を受けてフランスへ亡命することになりました。こうしてメアリー女王は王太子とノートルダム大聖堂で結婚し、間もなくフランス王妃にもなったのですが、即位した夫は国王としての武威を保とうと無理な鍛錬を重ねたため16歳で亡くなってメアリー女王は18歳で寡婦になったのです。
その頃、スコットランドにはドイツから宗教改革の風が吹き始め、ブラッディのメアリー1世の下、カソリックに復帰していたイングランドに対してプロテスタン信者が反乱を起こしたためスコットランドへ戻ることになりました。そこで問題になったのが呼び戻したのはプロテスタントでありながらメアリー女王はカソリックであることでした。
そんな不安定な地位にありながらもメアリー女王は自由に振舞い始め、若い有力貴族と再婚し、その再婚相手との仲が冷めると音楽家と愛人関係になり、やがて男子を出産したのです。この男子が現在のイングランド+スコットランド=イギリス王家の始祖・ジェームズ1世なのですが、父親が夫なのか愛人なのかの議論は当時からあったそうです。勿論、メアリー女王自身は「夫の子供」と主張していました。
ところが夫が殺害されて別の貴族と再々婚すると国民の不信・不満はイングランドの扇動工作も加わって反乱になり、メアリー女王は反乱軍に投降して廃位させられ、宿敵であるエリザベス1世を頼ってイングランドに亡命したのです。ところが独身のエリザベス1世の王位を継承する権利を公言するようになったことで危険視されるようになり、処刑されてしまいました。メアリー女王のデスマスクは現存しているので実際の顔立ちが判るのですが、現代の感覚でも大変な美人で多くの男性を虜にしたこともうなずけます。
- 2018/02/17(土) 09:23:19|
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「これってお前の姉さんじゃあないか」小松・第6航空団の整備統制班の玉城松真1曹は浜松基地の同期からの携帯メールを見て昼休みに自分のパソコンを立ち上げた。
松真は3月に浜松の第1術科学校に教官として転属することが決まっており、整備上級課程=アドバンスに入校して以来、縁がない浜松基地の情報を仕入れるため第1航空団の同期とメールを交換しているのだ。松真はメールで指定しているサイト名を検索してみた。
それは真面目に時事を論じ合うサイトではなくニュースで興味を持った話題を自由参加で野次馬的に騒ぐだけのものだった。
「愛人を腹下死させた沖縄の女の名前が判った」そこにはこんな見出しが躍っている。松真はこの話題自体が判らないのでさかのぼって読んでみた。すると昼の時間帯に放送しているテレビの報道バラエティー「バッキング(罰金ぐ?)」の面白ニュース・コーナーで沖縄の新聞が紹介されていたらしい。どうやらそれで興味を持ったサイトの主催者が取り上げると全国各地と言うよりも沖縄の人間が争うように現地情報を書き込んだようだ。
「沖縄の地元紙には玉城美恵子って実名と那覇市安謝ってアパートの住所が載っています」これが同期が知らせてくれた書き込みらしい。松真としては既婚者だった姉たちの名前を同期たちに教えた記憶はないが、前年まで防府南基地の床屋で働いていたので理容師だったことくらいは知られていても不思議はない。書き込みを読み進めると「玉城美恵子」と言う人物に関する個人情報の暴露合戦が始まった。
「玉城美恵子は那覇市久茂地の△△って床屋にいるんだ。俺もやってもらったことがあるよ」「姦らせてもらったの間違いじゃあないのか」「下手に姦ったら責められて殺されちゃうぞ。上に乗ってもっともっとって」この手のサイトは1つの情報を勝手に発展させて楽しむのが目的らしい。松真としては実の姉が低次元な雑談の材料になっていることに不快感を抱いたが、ニュースを知らないので情報収集のためには閲覧を進めざるを得ない。
「玉城美恵子は自衛官の妻だったんだって」「自衛官って沖縄なら航空だろう」「沖縄には陸海空が揃っているんだぜ」「へーッ、どこにあんの」この言葉遣いで年齢を割り出すことは可能かも知れない。それにしても松真の世代なら酒を飲んで盛り上がるような雰囲気だが、これを文字でやっているのには感心するべきか呆れるべきなのか。
「何でも不倫してその相手と沖縄へ帰ってきたんだけど旦那が新しい愛人を作って逃げられたんだってよ」「ネタ元(=情報源)は誰だ」「ネットに未確認情報を流すな」「フィクションは別のサイトでやれ」松真としては事実であることが判っているのだが、どう考えても軽薄な参加者にもそれなりの秩序があることが判った。
「ネタ元は同じアパートに住んでいた元隊員の奥さん、俺の嫁の母親です」「えッ、マジ」「本当なんだ」「根っからの好き者なんだね」日付と投稿時間が記録されているので確認しながら読んでいくと1つの話題でしばらく盛り上がり、それが鎮まっても後から新たな情報を提供する奴が現れることの繰り返しのようだ。
「玉城美恵子は自衛官の妻だった時に集団レイプされたんだって」翌日の話題はあまりにも衝撃的だったようで、返事の書き込みが始まるまで数分かかっている。
「それって被害者じゃん、呼び捨てはまずいよ」「でも好き者なら喜んだりして」「それはAVの見過ぎだ」「日活ロマン・ポルノってのもあったな」「大蔵映画もあるぞ」話題が長くなってくると飽きてくるのは人の常であり、書き込みも話が反れるようになっている。
「でも何時の事件だろう。そんなニュースは記憶にないな」「若い頃だろう。今じゃあ42歳だぜ」「俺、熟女が好き」「美熟女なのかな」「床屋へ行った奴、何とか言え」文字で読むよりも音声で聞く方が実感が伝わってくるのかも知れない。松真には姉を揶揄されていることへの怒りよりも無味乾燥な文通=対話を楽しむ人間たちの不可解さに興味が湧いてきた。
「遅くなりました。結構、可愛いよ。年よりも若く見えるから新聞で知って驚いたくらいだ」どうやら美恵子の客はインターネットを開いておらず後から気がついて書き込んだらしい。
「どんなタイプ?」「写メはないのか?」「動画希望、声が聞きたい!」文章が短くなってきたので話題も終息に向かっているようだ。ところがそこに火力を増す燃料を注ぐ奴が現れた。
「玉城美恵子のスナックは『カッチン』って言うんだ。旭橋のそばにあるぞ」「変な名前だな。沖縄語か?」これは個人情報の暴露ではなく店の宣伝なのだろうか。ここで油が入った。
「よし、来月、沖縄へ行くから顔を見てこよう」「画像もよろしく」「ハメ撮り大歓迎」松真が夢中になっていると課業開始のラッパが鳴り、インターホンが「メンコン」と騒ぎだした。
- 2018/02/17(土) 09:21:48|
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結局、美恵子は大家に申し渡された期限にはアパートが見つからなかった。理容業界に続き不動産屋にも評判が広まっているらしく名前を告げただけで受け付けを拒否され、街を歩き回って入居者募集の張り紙を探しても名乗った時点で断られている。狭い沖縄では危険人物を手配するも同業者の情報網は迅速にして綿密なようだ。
思い余った美恵子はモリヤと結婚した頃に勤めていた糸満市の理容店を訪ねてみた。本来はスナックと兼業する以上、那覇市内でなければ困るのだが背に腹は代えられない。
糸満ロータリーでバスを下りて国道から1本裏手の通りを歩いていくと理容店はまだあった。
「いらっしゃいませ」「こんにちは」昔のままのガラスのドアを開けて店内に入ると年数分老けた店長が客の髪を刈りながら声をかけ、隣の席では妻が客を寝かせた席では髭を剃っている。
「ウチは散髪で美容院ではないですよ」店長は美恵子の顔を見て首を傾げながら注意した。
「そんなこと判っているさァ。私、玉城美恵子です」美恵子は遠慮なくかつての職場に踏み込むと店長の傍に立って挨拶をした。すると店長は振り返って妻と顔を見合わせた。
「そう言えばそんな人を雇っていたことがあったな」店長は美恵子を無視して仕事を再開すると独り言のように呟いた。店の空気までが美恵子を拒絶しているかのように刺々しくなる。それでもここで諦める訳にはいかない美恵子は客の裏に立って話を続けた。
「またここで・・・」「間に合ってるよ。ここは那覇市内みたいに流行を追う必要はないのさァ」
「でも・・・」「ウチは店に迷惑をかけておきながら退職金を脅し取るような店員はお断りなのさァ」「大体、理容師なら仕事中に声を掛けてはいけないことくらいわきまえているでしょう」店長の拒否に妻も同調する。そこで妻は手を止めて美恵子に向って追い討ちをかけた。
「この人は理容師じゃあなくてスナックのママの娼婦なのさァ」「うん、時には娼婦のように淫らな女になりな・・・」店長が合いの手を歌にする軽いノリは何も変わっていないが人間関係は完全に変わっていた。
「迷惑だから帰ってくれ。昔馴染みとして言っておくが、沖縄で理容師を続けるのは無理だから仕事を変えるか本土へ行くことだね」「娼婦になるには少し年増じゃあないか」トドメは頭を刈られている客が刺した。この客にも見覚えがあるが鏡越しに向ける視線に親しみはない。
「昔は可愛かったけどね」「それじゃあ30年ぐらい前だな」「復帰前かも知れん」沖縄が日本に返還されて27年だから計算は合うが本気で考える必要はないだろう。尤も、美恵子の現状は考えるべきことを怠ってきた結果なのだ。
「私が何をやったって言うのさァ」美恵子は理容店を出て大声でわめきながらロータリーに向かった。裏手の商店街の細い道でこの声は店内にまで届いているらしく店番をしている老婆たちが驚いて顔を向けている。それを睨みつけながら美恵子はバス停に向かった。今の美恵子にはタクシーで那覇へ帰る余裕もなかった。
「勝子、美恵子から何か言ってきたか」南城市(旧・玉城村)の実家では両親がこのことを確認するのが日課になっている。モンチュウから「恥晒し」と叱責されたものの娘は娘であり、窮地に陥っていれば救いの手を差し伸べたいと思うのが親心だ。
「それが何も言ってこないのさァ。まだ(事件があった)あの部屋に1人で住んでいるのかねェ」母としても美恵子が愛人が死んだ部屋で暮らし、しかも死んだ布団で寝ているとすれば我慢できない。夫とも「アパートへ行って首に縄を掛けてでも連れ帰ろう」と話し合っているのだが、こちらではモンチュウの衆目環視に晒されることになり決して居心地は良くない。
「そう言えば淳之介からは『どうなっているか知らせて欲しい』ってメールが届いてるさァ」「ふーん、アイツにも迷惑が掛っているんだろうに親孝行な息子だ」両親にとっては結婚を真剣に考えている息子の幸せに水を差すどころか荒れた海に投げ込んだような美恵子の行為は許し難いのだが、それでも娘は娘なのだ。
「日出子と夕紀子も色々と悪口を並べてたけど心配はしていたよ」現役の社会人である姉たちにも迷惑は掛っているはずだ。それでも妹は妹らしい。
「それで松真は」「何も言ってこないのさァ」「アイツは本土にいるから沖縄のニュースは届かないんだろう」確かに民放の報道バラエティーで取り上げられてはいたが名前は伏せられており、本人が見ていなければ「沖縄」「理容師」「42歳」「スナック経営」と言う情報から松真に結びつける者はいないはずだ。
「松真にはこっちから知らせておいた方が良いのかねェ」母の問いかけに父は黙って考え込んだ。長男である松真に家の中で起こっている問題を考えさせる必要はあるが、余計な心配を与えるだけのような気もする。結局、結論は先送りにした。
- 2018/02/16(金) 09:04:04|
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1947年の明日2月16日にナチス・ドイツに併合されていたオーストリア空軍のアレクサンダー・レーア上級大将の銃殺刑が執行されました。
レーア大将は1885年に現在はルーマニア領であるドロベタ・トゥルヌ・セヴェリンで生まれました。当時は東ヨーロッパの南半分を治めていたオーストリア・ハンガリー帝国の上流階級の男子として早くから軍人を志し、歩兵少尉でヘルチェゴビナに勤務したのを皮切りに1913年には参謀本部付、翌年に始まった第1次世界大戦では大隊長になっています。大戦が中盤に差し掛かった1916年に陸軍参謀本部空軍部に転任すると防空体制の構築に尽力した功績で少将に昇任して防空大臣=空軍大臣に就任しましたが、当時の航空機の性能を考えると敵対するイタリアの空軍力がそれ程深刻な脅威であったとは思えず、むしろ第1次世界大戦中の飛躍的発達により終戦後にイギリス、フランス、イタリアが空軍を独立させることになる流行に敏感に反応しただけかも知れません。
結局、オーストリア・ハンガリー帝国はプロシア=ドイツと共倒れして国の形は残っても中は滅茶苦茶になってしまいました。この国の形が残っていたことはオーストリアには現在、海がないにも関わらず映画「サウンド オブ ミュージック」のトラップ一家の父親が海軍大佐であることでも理解できるでしょう。
敗戦によって軍備を圧縮されたのはドイツと同様ですが、オーストリアではハプスブルグ家の凋落にロシア革命の波及が加わって大多数の国民はなす術もなく茫然自失状態でした。そのためナチス・ドイツの台頭により敗戦から20年を経て併合の憂き目を見ることになったのです。この時、国名もドイツ語の「オストマルク」に改称させられています。
レーア大将はアルプスを越えて亡命したトラップ大佐とは異なり、ドイツ空軍に加わるとオストマルク地域の司令官に任命され、翌年に大将に昇任して事実上のトップの地位に就き、ドイツから与えられた航空戦力・第4航空艦隊を率いることになりました。
こうして迎えたポーランドやバルカン半島侵攻にも出陣し、1941年4月6日と7日にセルビアのベオグラードを空襲して1500名を殺害したことが刑死につながったのです。
この時点でベオグラードは軍事施設がないことと部隊の駐留を認めない代わりに攻撃対象から除外される「非防守都市」を宣言していたのですが、ナチス・ドイツのセルビア侵攻の停滞を受けてその圧倒的戦力を誇示する必要から第4航空艦隊が実行したのです。
第2次世界大戦末期の1944年4月にも連合軍が同じくセルビアを空襲して1600名を殺戮していますが、この時には非防守都市ではなかったため不問に付されています。ただし、航空戦を規制する空戦法は現在も制定されておらず、中国で国民党政権の拠点であった重慶を無差別爆撃した帝国海軍の井上成美大将も戦犯の指定を受けませんでしたから「非防守都市」への空襲の一点だけで戦争犯罪となったのは間違いありません。
このユーゴスラビア軍事法廷の判決ではナチス・ドイツと共にセルビアに侵攻して大量殺戮を行った旧オーストリア軍の将官6名と大佐1名は絞首刑でしたが、レーア大将だけが軍人としての名誉を認める銃殺になりました。
- 2018/02/15(木) 09:20:12|
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理容店をクビになった美恵子は給料3カ月分の退職金と失業保険で生活している。ハローワークに登録して次の就職先の理容店を探しているが新聞で実名報道された上、強引に退職金を請求したことも噂として広まっているため名乗った時点で断られることの繰り返しだった。
一方、スナックも客足が途絶えたのではなく消滅しており、開店休業ならぬ開店閉鎖状態だ。
「玉城さん、働き口は決まったねェ」理容師を辞めれば昼間は家にいるしかない美恵子を大家が訪ねてきた。矢田と別れて入居して以来、10年近く住んでいるが家賃を滞納したことはない。それなのに訪ねてきたのには何か理由があるはずだ。勿論、それは想像できている。
「まだです。大丈夫、腕には自信があるからすぐに見つかりますよ」珍しく美恵子はナイチャア口=標準語で答えた。これは沖縄に限らず方言を常用する地域の住人たちがあらたまった時に示す作法のようなものだ。しかし、大家は真顔になって首を振った。
「こんなことは言いにくいんだが、玉城さんの事件はかなり評判になっていて、覗きに来る奴も少なくないんだ」「そんなのすぐに忘れられてしまいますよ。人の噂も100日って言うじゃないですか」「75日だよ」こんなところで美恵子は教養のなさを晒してしまった。
「それに外で遊んでいる子供に『ここがそうか』って訊く奴もいて親も心配しているんだ」「警察に事情を説明して巡回を頼めば好いですよ」一行に悪ぶれた態度を見せない美恵子に大家は遠回しに退去を要請しても無駄であることを痛感し、率直に通告することを決めた。
「ウチとしても部屋の中で死なれては空き部屋になった時に家賃を下げなけりゃならなくなるんだが・・・」「私が住んでいればそんな心配はいらないさァ」この女の頭には周囲に迷惑をかけていることを認識する機能が欠落しているのかも知れない。そろそろ堪忍袋の緒がほつれてきた大家は少し語気を強めた。
「その当事者が住み続けているのはもっと困るんだ」「私は何も悪いことはしてないさァ」美恵子は「自分は被害者」と言おうと思ったが、流石にそれを控える程度の常識は働いた。
「ワシもあんなものを見せられては寝つきが悪くていかん。アンタはよく平気でこの部屋で暮らせるね」あの日、大家は救急隊員に合鍵の提供を求められて部屋を開け、布団の上で周志竜の男根を挿入されたまま膣痙攣を起こして遺骸とつながっている美恵子の痴態を見てしまった。そして全裸のまま遺骸と引き離された美恵子の姿は醜悪以外の何物でもなかった。
通告を受けて美恵子は黙って考え込んでいるように見えたが、それは大家が想像しているような退去に向けた手順ではない。突然、美恵子の目つきが変わった。
「大家さん、新聞の取材で私の個人情報を喋ったでしょう」今までは営業用の年甲斐もない可愛らしさを演じていたが、ここからは本性だ。
「新聞は警察から聞いたんだろう。ワシは同じことを答えただけだ」この弁明はかなり苦しい。先ず大家が新聞記者の警察で取材の状況を知るはずがない。さらに大家が取材を受けたのは間違いない。美恵子は大家の額に汗が湧いてきたのを見て攻勢を強めた。
「私は新聞で名前を書かれたから就職が見つからないのさァ。大家さんが喋ったかは新聞に訊けば簡単に判ることさァ」今度は大家の背中に冷たいモノが走った。
「どうしても『出ていけ』って言うんなら私を『追い出せ』って言っている連中から退去料を集めることさァ。それを受け取ったら出ていってやるよ」美恵子は理容店で同じような要求をしたことが就職先を失わせている事実を自覚しておらず、反射神経で金をせしめようとしているだけだ。大家は自腹を切って退去料を支払ってでもこの疫病神を追い払うことを決めた。
「わかりました。退去料は敷金では不足する部屋の改装料をウチが持つと言うことでどうだね」確かに死者が出た部屋は畳の表替えだけでなく襖と壁紙の張り替えなど内装を一新しなければならない。それでも評判が消えなければユタか坊主を呼んでお払いをする必要もある。その費用は家賃1カ月分の敷金では到底足りないのだ。
「何を言ってるねェ。そんなことは敷金でやるのが当たり前さァ。予定外の引っ越し代と新しいアパートの敷金くらいは現金でもらえないと納得できないよ」大家はこの見事な恐喝にスナックのママも兼ねているこの女が反社会的勢力とつながりがあるのではないかと不安になった。
「それじゃあ敷金と引っ越し代くらいは払うからトットと出て行ってくれ。新しいアパートが見つからなくても今週中が期限だぞ」大家としてはスナックの仕事で深夜に帰宅する美恵子に対する苦情をなだめるなど気を遣ってもきたのだ。これでは恩を仇で返されたと言うしかない。
「私の裸を鑑賞したのがお礼の代わりさ」それでも美恵子は最後まで憎まれ口を吐いてしまう。この営業用の素朴で陽気な人間性と計算高く攻撃的な素顔の落差は二重人格としか思えない。それは両親やかつての夫にも理解できない経緯で形成されたもののようだ。
- 2018/02/15(木) 09:18:35|
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昭和55(1980)年の明日2月15日は野僧も中学時代から愛読していた山岳・冒険小説の大家・新田次郎さんの命日です。67歳でした。
新田さんは熱烈な愛読者を持つ山岳や冒険小説に限らぬ極めて多くの傑作を残しているので文筆生活は長かったのだろうと想像してしまいますが、実は作家専業になったのは54歳の時で、それまでは中央気象台=現在の気象庁の技術者、それも富士山頂測候所の建設にも携わった第1人者だったのです。
新田さんは明治45(1912)年に長野県諏訪市で生まれました。ペンネームは実家があった集落の地名・角間新田(かくましんでん)と次男であったことから思いついたと言っています。地元の旧制中学校を卒業後は東京の電気系の上級学校へ進み、伯父に気象学者がいたことから中央気象台に入りました。なお入庁後に公費で電機学校を卒業しています。
27歳で女流作家と結婚しますが、当時は全国各地や離島などに測候所を建設していた時期であり、技術者として飛び回っていたようです。そして昭和18(1943)年に満州国の中央気象台に転任になり、ここで敗戦を迎え、中国共産党軍に抑留されることになりました。新田さん自身はこの経験を筆舌に尽し難い苦痛であったと述べていますが、ソ連軍にシベリアへ連行されるよりはまだ良かったのでしょう。
1年後に釈放されて帰国すると中央気象台に復職しますが、占領下での気象観測は連合軍によって運営されていたため中央気象台の職員は冷遇されおり、生活は困窮していたそうです。そんな中、奥さんが満州から引き揚げまでの経験を小説にして発表したところベストセラーになり、生活の大きな力になったことを目の当たりにした新田さんも文筆活動に強い関心を抱くようになりました。
昭和34(1959)年に東海地方などを襲った伊勢湾台風では情報不足によって甚大な被害を出し、その反省から富士山頂に高出力の気象レーダーを設置して広範囲を観測する計画が決定されました。新田さんはその技術責任者として設計から建設に至るまでを指揮し、その経験が後に小説「富士山頂」に結実しています。なお、富士山頂レーダーは当時、世界最大であり、新田さんは国際連合の気象学会で技術と経験を講演しています。
その一方で昭和31(1956)年には直木三十五賞を受賞するなど作家としても活動していて2足に金の草鞋を履いているような状態になっていました。ただし、この時期の作品は十分な取材ができなかったためなのか実話の記録と思わせるリアリティで登山者まで読者にしてしまう代表作のような迫力には欠けるようです。
このため定年まで6年を残して退職しますが、実は新田さんは登山愛好者ではなく「山岳小説家」と呼ばれることも大変に嫌っていたそうです。あのリアリズムは一流の登山家たちと長年にわたり親交を持ち、綿密な取材と調査を重ねた成果でした。
新田さんが自らの代表作と言っていたのは意外にも1988年のNHKの大河ドラマになった「武田信玄」で、亡くなったのも「武田勝頼」に続く「大久保長安」の執筆中でした。長野県人としての郷土愛は終生変わらなかったようです。
- 2018/02/14(水) 09:22:36|
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年度末に向かって業務が多用になってくる頃、私はオランダのデン・ハーグにある国際刑事裁判所で始まった公判を注視していた。と言っても日本のマスコミがアメリカと中国以外のニュースを取り上げるはずがないのでようやく覚えたインターネットと外務省、法務省をしつこく突きまくって資料を入手している。
この裁判はアフリカのコンゴの内戦で少年兵を動員して戦闘に参加させたことが18歳未満の若者を兵士にすることを禁ずるジュネーブ諸条約第1議定書・第2議定書と児童の権利に関する条約、武力紛争における児童の関与に関する児童の権利に関する条約選択議定書、さらに子どもの権利及び福祉に関するアフリカ憲章に違反した戦争犯罪であるかを裁く初の国際司法判断だった。自衛隊生徒も自衛隊の定員に加えている以上、国際法では兵士であり、日本がこれらの条約や議定書を批准していれば重大な違反と糾弾されても反論はできないはずだ。ただし、第2議定書に関しては保護対象となる文化財や施設に被害が及ぶ範囲に戦時でも陣地などを構築できないなどの過度の努力義務が日本の国情では順守できないため批准していない。
「モリヤ2佐、それは英語じゃあないですか」「うん、外務官僚は年度末で忙しいから翻訳は自分でやれってさ」昼休みも外務省からFAXで送られてきた公判資料を読んでいると同室の1曹が声を掛けてきた。実は私の英語は会話が専門で読解はあまり得意ではない。このため小声で読み上げて耳で理解している。
「裁判の資料でしょう。どんな裁判なんですか」最近、テレビを賑わしているような話題に私が関わっていることが増え、この1曹は妙な興味を抱いているらしい。
「うん、自衛隊生徒は国際条約違反だって言う裁判だよ」「国際条約違反とは穏やかじゃあないですね」この1曹は生徒ではなく曹候学生の後輩に当たるので冷静に受け取ったが、私としては自衛隊生徒が国際法に違反する存在であることを確定できれば、それを法務資料として陸幕内だけでなく全国の部隊に配布する腹案を持っている。久居の大隊長と第1部門担当主任や名寄で安田3曹を執拗に苛めている中隊長など生徒出身の幹部には人間形成に欠落がある者が多いようなので一度議論の俎上に載せて存続の可否を検証するべきなのだ。
「へーッ、腹上死じゃあなくて腹下死かァ」その時、テレビの前のソファーに座って報道バラティを見ていた曹長が歓声を上げた。その声に1曹は振り返り、私も顔を上げる。ただし、ベテランの女性事務官だけは視線を反らした。4人が黙るとテレビの音声が聞こえてくる。
「沖縄の42歳の理容師のアパートで台湾人の食材卸業者の58歳が性行為中に心臓発作で死亡しました」面白ニュースのコーナーで若手アナウンサーが画面に映った新聞の記事を解説している。その記事では氏名を黒く塗りつぶしているが地元では実名報道されたようだ。
「腹下死ってことは騎乗位だったんだな」曹長が大声で説明すると事務官は椅子を回転させて背を向けた。しかし、私は「沖縄」「理容師」「42歳」と言う情報を組み合わせると1人の女性に辿り着いてしまう。ただし、人生の過ちとしての記憶から消去したい女性だ。
「ふーん、沖縄の女性って情熱的なんですね。上に乗って死ぬまで責め立てるなんて・・・」テレビではゲスト・コメンテーターと呼ばれている芸能人が下らない解説をして、その下らない解説を若手アナウンサーが真顔で補足説明する。
「この女性はスナックも経営していて亡くなった男性はお客さんらしいですよ」「ふーん、夜のサービス付きのスナックかァ。42歳ならまだ若いよね」「僕は遠慮します」同年代の芸能人の感想にもう少し若い男性アイドルは首を振って否定した。勿論、女性タレントたちはウチの事務官と同じ反応だ。それにしても妙なところでテレビの話題に関わってしまったものだ。するとソファーに腰を下ろした1曹が曹長と意見交換を始めた。
「42歳なら先任よりも年下じゃあないですか。どうですか一手」「馬鹿、最近は女房への奉仕でも荷が重いのに沖縄へまで出張できるか」私としては2人が勝手に盛り上がってくれればこちらには目が向かないので有り難いのだが、問題は淳之介とあかりの結婚に悪影響を及ぼさないかだ。あかりの話では梢と2人暮らしをしているようなので美恵子が起こした不始末を淳之介にかぶせるようなことはない(と断言できる)。それでも世間の好奇心と嫌悪感は赤く焼けた針となって2人を突き刺すのは間違いない。
「それにしても58歳の台湾人には家庭はなかったんですかね」2人が下ネタで盛り上がっているのを無視して事務官が話しかけてきた。その目には既婚者としての真剣な問題意識が見て取れる。やはり「熟年主婦の浮気願望」などと言うのは男性の妄想の産物なのだろう。
「常識的には母国にあるだろうな」「だったら不倫ですね」日本では単なる不倫だが、台湾では男女共に適用される「姦通罪」があることを私は知っていた。
- 2018/02/14(水) 09:20:46|
- 夜の連続小説8
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「今回のヤマサクラは貴方が台本を書いたんやろ」休日の定期ラブコールで佳織が妙なことを言ってきた。確かに佳織は日米協同指揮所演習に参加して先週一杯は泊まり込みだったはずだ。しかし、陸上幕僚監部勤務とは言え法務官室の私が演習の台本を書けるはずがない。
「そんな訳ないじゃないか。法廷ドラマの台本なら兎も角、演習は防衛部の所管なのは知っているだろう」私の口調が真面目だったので佳織も2呼吸ほど黙った。
「でもシナリオ・ライター(台本作家)が貴方の意見を採用したって言ってたんよ」指揮所演習はその流れの中で逐次状況を現示するため大まかな台本を作成するのは当然だ。それにしても日米協同演習の台本の作者が誰なのかを知るはずがない。
「ふーん、思い当たる人がいないな」ここまで悩ましたのなら正解を明かせば良いのだが、今日の佳織は少し意地悪だ。
「ヒント、尖閣に上陸した武装漁民を制圧するために治安出動が発令されました」「判った。在ワシントンの防衛駐在官の・・・」「井上将補です」これで納得できた。昨年末に帰国していた井上将補はどういう理由なのか判らないが「法事のお礼」と言って私のところに訪ねてきた。
その時の雑談で「現行法内で平時に可能な尖閣諸島問題への対処」を語り合い、そこで井上将補の「防衛出動を英語に直訳するとディフェンシブ・キャストだが、キャスト(投入)は宣戦布告と曲解されかねない」との指摘に「治安出動による警察権の行使で制圧すればあくまでも国内問題になる」と提言したのだ。問題は治安出動も解散中でなければ20日以内に国会の承認を得られなければならないが尖閣諸島に上陸した漁民程度であれば数日で制圧できる。むしろ相手の反撃が強硬である程、こちらの武力行使も比例させられるので制圧は早まると言うことまで説明したはずだ。
「それで赤軍が治安出動も侵略だと言って開戦したのか」「ううん、平時のままで終わったんや。だから演習用語の赤軍(敵)、青軍(味方)も使わずに日米中のままやった」それでは日米協同演習の意味が半減してしまうのではないか。私としてはそちらの方が気になった。
「でも今度のオバマ政権は日本の政権交代が近いことを見越していて、新政権が信用できる相手かを見極めているから尖閣問題に介入するか判らへんのや。その意味では現実味がある状況設定やった」佳織が誉めてくれたことで私としては陸上自衛官でありながら縁がなくなってしまった指揮所演習に参加した気分を噛み締めることにした。
「そんなリアリズムに徹した演習やったから大きく意識改革した若手幕僚もいたんやで」1回の演習くらいで幹部が意識を変えるとは簡単には信じられないが、佳織が言うのだから本当なのだろう。ハワイでの日米協同指揮所演習ともなればそのくらいの衝撃度があっても不思議はないのかも知れない。
「その子は大学時代の恋人が天安門事件で殺されたことが入隊動機だったんやけど、陸上自衛隊の演習のための訓練に失望していたんや」「ふーん、中国人の恋人がいてよく自衛隊に入られたな。部外か」佳織が「その子」と呼ぶくらいなら3尉か2尉の本当の若手のようだ。
「うん、私たちよりも4期後輩の部外や」「だったら3佐だな。それでも実戦性を追求するところにまでは意識を向けられなかったんだな」私としては3尉に任官した時から周囲の困惑を弁えずに一貫してそれを追及してきたつもりだ。ところが話は全く違う方向に急展開した。
「それでその子は貴方と関係があるんや」「ワシは浮気してないぞ(できないけど)」「そっちの関係やない」私のボケに関西人としての突っ込みが返ってこない。今度は佳織の口調が真面目になったのでこちらが黙った。
「殺された恋人は北京外語学院からの交換留学生で、入学して少林寺拳法部で知り合ったんやて」「それって愛媛大学の姉妹校だろう」「ちゃう、愛知大学や」今度の「愛大」ネタのボケも不発だ。余程、真面目に伝えたい話題のようだ。
「今までの話からいくとその子ってWACの3佐か」「うん、輸送幹部みたい。今は人事部にいるけど」通常、輸送科や施設科から上級司令部に上がると職種の知識を活かすため装備部に配置されるものだ。そうなっていないと言うことは原隊で何か問題を起こした可能性もある。
「それにしても愛知大学から自衛隊に入るのってかなり珍しいぞ。部外は大学の推薦は必要ないから受験できるけど、他の会社の推薦はもらえなくなっただろう」「亡き恋人が卒業まで忘れられなかったやね。貴方も数少ない先輩として連絡してあげたら。あの子なら許すで」佳織はかなり気に入っているらしい。ここで名前を訊けば興味を持ったことにもなる。難しい判断だ。
「その子が幕に転属してくれば助言くらいはするだろうけど、中退した挫折者が先輩面はできないな」「ふーん、そうなんやね」佳織はしばらく黙ってから次の話題に移した。
- 2018/02/13(火) 09:56:46|
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「すまん、君たちの話が耳に入ってしまってね」井上将補は敬礼の省略許可を周知されている会場で姿勢を正している3人に笑いかけながら立ち止まった。右手のグラスにはアメリカ軍側が用意した日本酒が半分入っている。
「佳織、こちらは」「ワシントンの日本大使館付防衛駐在官の井上将補よ」ライアン中佐が確認してきたので佳織が説明した。確かに井上将補は自己紹介させるには格が違い過ぎる。
「本間3佐、君の入隊動機を聞かせてもらったが、天安門事件で殺された恋人と知り合った経緯は何だったんだね」「はい、大学に入学して中学時代からやっていた少林寺拳法部に入ったら中国人なのに練習に励んでいる先輩がいて個人レッスンを受けるようになりました」「それが彼だったんだな」井上将補の理解に本間3佐はうなずいた。
「それでは護身術には自信があるね」「でも彼は4段でも撲殺されましたから3段では戦闘の役に立つかは判りません」この謙虚な態度はこの女性の中で何かが変わったことを実感させる。
「しかし、陸上自衛隊に入って彼の仇を取ろうとしたんだろう。もっと鍛えなきゃあ勝てないぞ」そう言って井上将補はグラスの日本酒を飲み干した。それを見て佳織は下士官クラブの給仕がバーテンダーになって酒を用意しているテーブルで井上将補と自分の日本酒を持ってきた。
「おっと2佐殿をホステスにしてしまったな」そんな冗談を言いながら井上将補はグラスを受け取る。しかし、これは自衛官としてよりも主婦の感覚での行動なのだ。
「天安門事件を入隊動機にしている君としてはチベット問題をどう考えているんだ」2人が再開した話を聞いていると井上将補の質問は本間3佐の面接試験になっているらしい。
「1年前に起きたラサでの騒乱については日本での報道があまりにも中国の発表の請け売りになっていましたからインターネットでも情報を収集しました。中でもアメリカで論争になっていた中国軍の兵士がチベット僧に扮して暴力を振るったと言う見解には私も賛成します」1年前と言えば本間3佐は某輸送大隊の中隊長でありながら陸士長と肉体関係を持ち、指揮官としての立場を汚していたはずだ。それがここまで真剣に国際情勢を注視していたとは驚くしかない。それは佳織の通訳を聞いたライアン中佐も同感だったようで表情を改めた。
「賛成する理由は」「僧侶の行動が軍隊的な規律によって統制されていたからです」この見解は夫とも一致する。つまり愛知大学の後輩は先輩と同等の頭脳の持ち主なのかも知れない。
「あの時、色々な動画映像が流れたが特に印象に残っているものはあるかね」「はい、狭い倉庫に押し込められた僧侶たちが投げ入れられたガス弾で窒息死する動画は、真偽を巡って激論になりましたが肯定する側の方が論理的に正しいようでした」ここで井上将補はグラスの日本酒を半分飲み、表情を引き締めて本間3佐の顔を見詰めた。
「君もそんな仕事に関わりたいと思わないか」井上将補は言葉の後に佳織を見て目で通訳を禁じた。しかし、ライアン中佐も自衛隊内の重要な話題であることを察したようで黙っている。
「そんな職務があるのなら是非」この答えで雑談の中の面接試験は終わったようだ。井上将補は急に笑顔になるとライアン中佐に声をかけた。
「この本間3佐が中国語に堪能なのは判ったが英語力は未確認だ。ここからの会話は英語にしよう」「イエス・サー」ライアン中佐が額に手を掲げて敬礼した時、アメリカ軍の宴会芸の定番である軍歌の大合唱が湧き起こった。
「レッツ、ザ アーミー ソング(陸軍歌を行くぞ)」先ずは陸軍からだ。会場の陸軍の固まりから陸軍歌「ザ アーミー ゴーズ ローリング アロング(陸軍は進んでゆく)」が始まった。
「マーチ アロング シング アワー ソング、ウィズ ザ アーミー オブ ザ フリー(行進しよう、歌おう 自由の陸軍と)・・・ウィア ザ アーミー アンド プラウディ プロクレイン(我らは誇らしく陸軍であることを宣言する)」拍手もまばらな内に次が始まった。
「スタンド ネーヴィー アウト ザ シー ファイト アワー バトル クライ(海軍は戦いの叫びを上げて海に乗り出す)・・・」これは有名な「アンカー アウィ(錨を上げて)」だ。
「・・・ソー ヴィシアウズ フォーズ ストレアー スカイ イェ イェ イェ(そうだ。邪悪なる敵は恐れ慄く)・・・」気がつくと本間3佐は海軍の「錨を上げて」まで英語で唄い、合いの手も入れている。これなら英語力も夫に引けを取らないようだ。それにしても足を開き腰に手をやって隊歌演習の姿勢なのは呆れる前に感心してしまう。
「ザ エアフォース ソング(空軍の歌)」空軍になれば空軍中佐の娘も黙っている訳にはいかない。佳織も苦笑している井上将補の前で隊歌演習の姿勢を取った。
「オフ ウィ ゴー イントゥ ザ ワイルド ブルー ヤンダー(さあ行こう、青い空の彼方へ)・・・」やはりこの妻にしてあの夫、似た者夫婦、破れ鍋に綴じ蓋なのだ。
- 2018/02/12(月) 00:20:04|
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1554年の明日2月12日に在位9日間とは言えイギリスの初代女王であるジェーン・グレイさんが処刑されました。16歳でした。
以前、東京の上野の森美術館で「怖い絵」展が開かれた時、その目玉だったのがイギリスのナショナル・ギャラリー所蔵の「レディー・ジェーン・グレイの処刑」でした。ただし、野僧は夏目漱石さんの最初期の作品「倫敦塔」の中でその名前を知っていました。
ジェーン・グレイさんは1537年にイギリスの名門貴族の娘として生まれましたが、日本で農民から天下人にまで成り上がった羽柴秀吉さんと同じ年です。当時のイギリスでは国王・ヘンリー8世の嫡系男子は先天性梅毒で病弱だったエドワードくんだけが生存していました。このためヘンリー8世はエドワードくんが王位を継承した後、一部の側近に操られることを危惧し、有力者による集団指導体制を確立するのと同時にスコットランドのメアリー・シュチュワート女王と結婚させてイングランドとスコットランドの連合国家の樹立を構想したのです。ところがフランスの有力貴族出身のメアリー女王の母親=前王の妃がフランスの王太子と結婚させたためこれは実現しませんでした。さらに集団指導体制もエドワードさんが10歳で王位に就いたことで権力を手中にした側近によって握り潰され、ヘンリー8世の忠臣も粛清されたため病弱な国王・エドワード6世は有力貴族の手によって養育されることになったのです。またヘンリー8世は娘のメアリーさんとエリザベスさんをエドワードくんに次ぐ後継者としており、有力貴族の専横に不満を抱く他の貴族たちは女王の擁立を画策するようになりました。ところがヘンリー8世は「健康な男子が生まれないのは王妃の責任である」と決めつけ、離婚を認めないカソリック教会=バチカンと敵対し、教皇庁と対立していたイギリスの聖職者の扇動もあってプロテスタントであるイギリス国教会を創設しており、本人の没後には巻き返しを図るカソリックとイギリス国教会の間で熾烈な対立が生起していました。このためエドワード6世はイギリス国教会でも妹であるメアリーさんとエリザベスさんはカソリックであり、この点が女王に擁立する上での障害になっていたのです。
そんな中、エドワード6世の病状が重篤に陥ったため有力貴族は自分の息子と自分が粛清した忠臣の娘であるジェーン・グレイさんを結婚させ、王位を継がせると遺言させました。こうしてエドワード6世が15歳で崩御すると遺言に従ってジェーン・グレイさんがイギリスの初代女王に即位したのです。しかし、即位して9日後には反対派貴族によって娘のメアリーが呼び戻されて即位し、ジェーンさんは反逆罪で結婚したばかりの夫ともに断頭台の露と消えました。前述の絵では暗い室内に白い服を着たジェーンさんが効果的に浮き上がっていますが実際は屋外での公開処刑だったようです(死刑執行人には屍姦の特権が与えられていましたが、この若い女王はどんな気分だったのでしょうか。考えるだけでおぞましい)。
なおメアリー1世は引き続きイギリス国教会の信者を300人処刑して「ブレッディ(血まみれ)・マリー」のカクテル名になりました。
イギリス王室では長くジェーンさんを正式な女王とは認めず「レディー」と呼んでいましたが現在は王位継承者に加えているそうです。
- 2018/02/11(日) 09:18:04|
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結局、今回のヤマサクラでは「中国による本格的な侵攻」「日米安保条約の発動」と言う状況は現示されなかった。通常であれば航空戦、海戦を1日で終え、本土の海上自衛隊とアメリカ第7艦隊が到着する前に陸上自衛隊が配備されていない石垣島、西表島、与那国島などの八重山地区や宮古島などの先島地区に地上部隊を侵攻させ、それを奪還する日米協同作戦が展開されるのだが、今回はリアリティーに徹して現実にあり得る政治的対応の中での作戦になった。
朝、1週間に及ぶ指揮所演習が終ると西部方面総監部の面々は待機室に移動して夕方まで爆睡し、その後は打ち上げの交換会=宴会になる。ちなみにアメリカ軍はシフト体制に追加の要員で対処しているため演習が終われば指揮所として通常の機能に戻るだけだ。
「今回の演習は色々考えさせられました」「全くだ。架空の戦闘よりもリアリズムの追及が命題だったみたいだな」将官クラスは日米のトップ会談に集まっており、1佐以下の幕僚たちは互いに同程度の階級の相手を見つけての談笑を始めている。小幕僚は小幕僚が相手なのだが、アメリカ軍の場合は日本とは逆にトップ・ダウン方式なので感想もどこか他人事に聞こえる。
「それにしてもセキュリティー・エクスサイズ(治安出動)が発令されるとわな」「予想もしていなかったから予習も何もしていませんでした」アメリカ軍の指揮所演習では幕僚の思考力を演練するため努めて不測事態の状況を現示するのだが、自衛隊は万事に丸く収めることしかない。その意味では日本の政治状況に基づいたリアリズムが逆に不測事態なのだ。
「しかし、実際に尖閣諸島に武装した漁民が上陸したら警察の機動隊の次は自衛隊の出番だが、治安出動以外に方法はないな」「誰かが言ってましたよね。防衛出動は宣戦布告と見なされる恐れがあるって」「見学の防衛駐在官閣下だな」ここまでくると日本の特殊事情を理解していなければ話についてこられない。だから普段は雄弁なアメリカ軍士官たちが珍しく聞き役に回っている。それにしても井上将補は佳織を感服させた卓見を陸上自衛隊の指揮所でも披露したらしい。本来は「防衛出動」を発令した日本政府の立場を外務省とマスコミが世界に発信して中国の世論工作に対抗しなければならないのだが日本のマスコミは中国の代弁者になりかねない。流石にリアリズムを追求していてもそれは状況になかった。
「モリヤ2佐、今回は勉強になりました」佳織がCGSの同期・マーガレット・ライアン中佐と立ち話していると本間3佐が声をかけてきた。太平洋軍の指揮所に詰めていた佳織は本間3佐に対する悪印象が拭えていない。それでも細い目が発する力に少し困惑しながら見返した。
「少しはリアルな戦争を模擬体験できたの」「はい、ようやく入隊動機を実践する覚悟ができました」本間3佐の日本語の話にライアン中佐が関心を示したので佳織が通訳した。
「貴女の入隊動機って何なの」「私は大学時代、北京外語学院からの交換留学生と同棲していまして」「北京外語学院って愛知大学の姉妹校じゃない」「はい、そうです」佳織の指摘に本間3佐は驚いたように大きめの声で返事をした。その声に井上将補が振り返った。
「彼は私が2年の時に留学期間が終わって中国に帰って復学したんですが、1989年6月4日の・・・」「天安門事件ね。亡くなったの」本間3佐の表情を見て佳織の方から辛い事実をうなずくだけですむように言葉をかけた。ライアン中佐も「テンアンモン」と言う単語で内容を察したようだ。ただし、中国語では「チアナンメン」と発音する。
「はい、逃げようとしているところを人民解放軍の兵士に撲殺されたと一緒に参加していた亡命者から聞きました」その思いを卒業するまで抱き続けていたから夫が「左翼思想が蔓延していた」と言っている愛知大学から陸上自衛隊に入ったのだろう。
「メジャー(3佐)、貴女の気持ちは私にもよく理解できます」ここでライアン中佐が本間3佐の空になったグラスに赤のカリフォルニア・ワインを注ぎながら声をかけた。
「私の夫はイラクで戦死しました。ヘリコプターを撃墜されたのです」思いがけない告白に本間3佐は飲みかけたワインを途中で止めた。佳織にはグラスの中の赤いワインがライアン中佐の夫と本間3佐の恋人が流した血のように見える。
「そんな思いを抱いて入隊した陸上自衛隊に失望してしまったのね」「訓練の目的は演習のためで建前と本音を使い分ける単なる公務員でした。でも・・・」本間3佐は佳織への答えを中断してワインを飲み干し、それから話を続けた。
「辞めようか思っている時に両親が自殺したので弟の学費を仕送りするために延期、弟が殺されたから今度こそ辞めようと思ったら阪神大震災が起こって・・・災害派遣で少しは人の役に立つ仕事なのかなって思うようになりました」佳織は入隊してからの本間3佐の男性遍歴は知らないが、心の軸が折れたままではストレスから逃れるため迷走することはあり得ることだ。その時、人の群れの間をぬって井上将補が歩み寄ってきた。
- 2018/02/11(日) 09:16:07|
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昭和56(1981)年の2月10日に精進料理の精神=心得だけでなく具体的な技法から多くのレシピまで説き示された大家にして臨済宗妙心寺派の25世師家(管長)でもあった梶浦逸外=霧隠軒・逸外宗實猊下が遷化されました。84歳でした。
精進料理と言うと日本では道元の「典座教訓(てんぞきょうくん)」ばかりが持て囃されていますが、公家のお坊っちゃまである道元自身が調理場=典座(曹洞宗では「てんぞ」)に立って実際に料理の腕を振るった記録はなく(腰巾着で大佛寺=永平寺2世の孤雲懐奨が記した道元の言行録「正法眼蔵随聞記」にもない)、また典座教訓を含む「永平大清規」や「普勧坐禅儀」の大半は中国の禅宗からの盗作ですからやはり中身はありません。兎に角、精神論ばかりで「献立は5味(甘・酸・塩・苦・旨)5色(赤・黄・藍・白・黒)を基本とせよ」と言いながら具体的にどの材料をどう調理するのかは全く説かれていないのです。それに対して梶浦猊下の名著「精進料理の極意」は全編が体験談で、しかも自分自身の失敗談を教訓として紹介しておられるため曹洞宗の本山や僧堂でも典座になった修行僧に古参が「これを読んでおけ」とコッソリ手渡してしました。そう言えばレシピ本である「精進料理口傳」も必ず書棚にありました。
梶浦猊下は明治29(1896)年に愛知県で生まれ、臨済宗大学=現在の花園大学に在学中から大徳寺で川島昭隠猊下の薫陶を受けています。その時、初めて茶碗蒸しを作ったそうです。精進料理の茶碗蒸しは鶏卵ではなく豆腐や湯葉の素麩(ソップ)に昆布か椎茸の出汁と醤油を混ぜて作るのですが、具を入れて蒸しても中々固まらず、それが気になって何度もふたを開けるため益々固まらなくなり、煮えなかった具を抜いた単なる豆腐の固まりになってしまいました。また台湾の妙心寺派の布教監督をしていた梅山玄秀老師が川島猊下を訪ねてきた時、外国帰りの老師を驚かせようと悪戯を仕掛けたそうです。それは鮪の刺身、鰻の蒲焼き、蒲鉾の煮抜き卵と言う魚三昧のフルコースでした。勿論、精進料理で魚を使うはずがなく、鮪の刺身は小豆を茹で、その紫がかった赤色の上汁を別の器に取り、さらに茹でると色が濃くなってくるのでその都度別の器に取っておいて、最後の残った半液状の汁を寒天と一緒に煮溶かして重箱に流し込むのです。同じく別の器にとっておいた汁で寒天を煮溶かして上に重ねていくと鮪の赤身のようになります。一方、鰻の蒲焼きは水を絞った木綿豆腐に山芋を混ぜて練り、それを焼き海苔に厚く塗りつけ、鰻状に筋をつけて焦げ目がつくまで焼きます。焼き海苔が鰻の皮、山芋の繊維が小骨のような食感になるのです。ただし、滋養強壮の夏バテ防止になるかは不明です(多分、駄目でしょう)。梶浦猊下は自信満々、期待にワクワクしながら梅山老師に料理を出したところ川島猊下は「坊主が偽物を作るとは何事だ」と大喝を喰らわしたそうです。
その後、川島猊下が本山の師家から若い頃に修行した臨済宗の奥の院・正眼寺僧堂に移ったのに同行して、ここで本格的に典座(臨済宗では「てんざ」)になりますが、典座教訓を奉じて「典座が最も修行になる」と言っている曹洞宗でも典座出身の管長猊下は聞いたことがありません。その点、臨済宗は「道」を尊ぶ宗風が堅持されていたのでしょう。
- 2018/02/10(土) 09:23:56|
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