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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ1144

ホテルで行う結納は男性側が先に来なければならない。それは会場の部屋の中央に置かれている長机の上に結納品を並べて迎えるためだ。ところが玉城家は沖縄時間だった。
「遅い」私はホテルの最上階の小宴会用の部屋で下に見える駐車場に義父のタクシーが入ってくるのをイライラしながら待っていた。結納品は私が持ってきたので並べてあるが、やはり義父母の確認を受けなければ沖縄式なのかは判らない。
今回は沖縄式の友白賀にするため最高級の素麺の木箱に張った熨斗紙に「友白賀」と書いてきた。「家内喜多留」も沖縄に来てから買った泡盛・瑞泉の古酒(くーす)の土瓶を酒樽の上に載せたものだ。そんな不安材料を抱えているだけにこの遅刻は許し難い。
それにしても玉城家の元義父母は沖縄の人でも松真は自衛隊生活を十数年経験しているのだから厳格な時間感覚が身についているはずだ。逆に梢は旅行社勤務だけに私とつき合っていた頃から時間感覚は正確だった。このままでは安里家側が先に到着してしまう。
「現在地を知らせろ」淳之介の携帯電話にメールを打っても返事が届かないところを見ると南城市から那覇市に向かう抜け道を走っているのかも知れない。あの辺りはサトウキビ畑ばかりなので携帯電話のアンテナがなくても不思議はない。
腕時計を見ると開始時間の10分前、梢とのデートなら2人とも待ち合わせ場所にやってきて「これなら10分長くデートができる」とハシャイダ頃だ。その時、ドアがノックされた。
「イエス、カムイン」イライラしていると何故か英語になる。確かに「はい、どうぞ」を乱暴に言うのは難しい。するとホテルの女性従業員が入ってきた。中年の女性従業員は陸上自衛隊の制服を着た私を見て一瞬、息を飲んだ後、用件を告げた。
「安里家の皆さまがおこしになりましたが、玉城家の皆さまは・・・」「まだなんです。南城市からなので予定外に道路事情が悪かった可能性があります」「それでは1階のラウンジでお待ちいただきましょうか」流石は梢が手配したホテルだけに配慮が行き届いている。しかし、私としては梢とあかり、交際中に会ったことがある梢の両親と話す絶好の機会だ。とは言え両親がこの結婚をどのように受け止めているかに多少の不安もあった。
「それでは玉城家側が遅れていることを説明した上で案内して下さい。私の方から改めてお詫びします」私の返事を聞いて女性従業員は頭を下げて出て行った。そこで安里家側の席からテーブルに並べた結納品を確認しているとドアがノックされ、先ほどの女性従業員が入ってきた。
「安里家の皆さまを御案内しました」そう言って横に避けると20数年ぶりに会う梢の父親を先頭に梢、母親=祖母に手を引かれたあかりの順で入ってきた。あかりは着物姿だ。
「こちらへどうぞ」私が机の向こうへ回り、手で対面側を案内すると父親が正面に座り、その隣に梢、母親があかりの手を引き、一番右の席に座らせた。本来、沖縄の結納では出席者を割れない奇数にするのが習わしなのだが、双方とも家庭の事情があるから仕方ない。むしろ同数に合わせたことで両家の調和を図ったと考えたい。
「どうもお久しぶりです」「本当にモリヤさんなんですね」梢の父親は向かい側で立ったまま私の顔を見て穏やかに声を掛けてきた。その目に怒りや嫌悪の色がないのを見て私も安堵した。
「玉城家の人たちは遅れているようです。申し訳ありませんが少し待って下さい」「はい、南城市からではウチのように歩いて来られる距離ではありませんから仕方ありませんよ」やはり父親は変わっていない。あの頃は両親共に中学校の教師だったので自衛官の私との交際に反対すると思っていたが、本土復帰前からの教師である父親は「自衛官が沖縄を守ってくれている」と言って穏やかに見守ってくれていた。
「あかりさん、その着物とても素敵だよ」「この着物は成人式の時に祖父母が買ってくれたんです」祖父と私の会話を黙って聞いているあかりに声をかけると少しはにかんだ顔で説明した。おそらく梢の両親=あかりの祖父母は視覚障害者として生まれたあかりが花嫁衣装を着ることは諦めており、せめてもの晴れ姿を愛でようとしたのだろう。
「遅くなりました」突然、ドアが開き、制服姿の松真を先頭に玉城の元義父母、最後に淳之介が入ってきた。淳之介にはホテルに来た時、会場の下見はさせてあったがフロントを通さずに駆けつけてきたようだ。思いがけない事態に困惑している女性従業員は無視して松真が歩み寄って耳打ちした。
「出発する直前に台湾から電話が入ったんです。ネエネの弁護側証人として親族に来て欲しいって」「最悪のタイミングだな」「それでオトウとオカアが驚いてしまって、何よりも淳之介がパニックになってしまったんです」それにしても淳之介にとって美恵子は疫病神以外の何物でもなくなっている。私はこの最悪の事態をどう説明するべきか悩みながら席に着いた。
け・安里あかりイメージ画像
  1. 2018/03/31(土) 10:30:44|
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振り向けばイエスタディ1143

いよいよ結納の日がやってくる。結納の紀元節=2月11日は水曜日なので日曜日に東京で結納品などを買うことにした。
「結納品は家と家の結びつきを固める意味合いが強いから自宅の玄関から持ち出さなければいけない」と言うのは仲人経験が豊富な法務官の助言だ。
そうして火曜日に沖縄へ飛んで空港で淳之介と待ち合わせることにする。淳之介は南城市の実家に泊まっているのだが、私はホテルになるので長期滞在は避けたかった。淳之介と仲人・松真一家の航空券代を大盤振る舞いする割に妙なところで節約をするのは私の性格だ。
那覇空港の待ち合わせの場所に淳之介が現れる前に梢が勤務している琉球ツーリストの窓口に向かった。ツアー客は自分で切符を手配する必要はないが、個人で来ている観光客は離島便や帰りの便の航空券を予約しなければならない。そのため意外に長い列ができていた。
着替えを入れたスポーツ・バッグと制服を入れた衣装カバー、さらに東京式の結納の風呂敷を持った私が最後尾に立つと前の客は異様な物を見る目で振り返った。結納品が東京式なので片手で持てるが、これが愛知式であれば手押しキャリーに乗せなければ運べなかったはずだ。
最後尾から覗いていると梢は列を作っている観光客の名前や時間、目的地などの必要事項を確認して航空券を手渡し、変更を受付けている。その手早い仕事で列はドンドン短くなっていき、やがて最後尾の私の番になった。
「任人さん・・・」それまで営業用の笑顔を見せていた梢は私が眼の前に立つと言葉だけでなく表情も消した。後ろに客はいないので少しぐらいの静止時間は許されるはずだ。
「梢、元気そうだな」「はい、元気でやっています」梢はかすれた声で答えると後ろの席に座っている若い社員を呼んでカウンターを離れた。そのままロビーの隅の窓際へ連れて行くと梢は目を潤ませている。私は胸の中で「抱き締めたい」と言う衝動と戦っていた。
「今後とも末長くよろしくな。あかりさんを娘に、淳之介を息子に交換するみたいなもんだ」「でも、淳之介くんを安里姓にしても良いの」これは淳之介と電話で話し合って出した結論だ。淳之介はモリヤから玉城に改姓しているので2度目になるが、玉城家の祖父母も美恵子の息子であることで被る迷惑を考えて賛成してくれた。この得難い祖父母との縁が薄くなることは残念だが仕方ないだろう。
「こちらからお願いしたんだ。迷惑じゃあなかったかの」「ううん、ウチの両親も諦めていた後継ぎができて大喜びしてるよ。安里淳之介も良いよね」梢にそう言われると本当は「安里任人」になりたかった私としては甘いと酸いと苦いが入り混じった複雑な気分になってしまった。
その時、ロビーに次の到着便の案内が一斉放送された。梢はその便で降りた客の対応をしなければならない。ここで別れても良いのだが、私は未練がましく受付まで送って行った。
「お父さん、お久しぶりです」「おう、元気そうだな。おめでとう」淳之介は祖父のタクシーで送ってもらってきた。船乗りらしく顔は真っ黒に潮焼けしてシマンチュウのハーフとは思えない雰囲気になっている。それでも言葉は標準語なのでやはり半分はナイチャアなのだろう。
大荷物を提げたままの立ち話は辛いので空港のレストランに入ってコーヒー・タイムにした。
「御帯料は持ってきたか」「うん、年収の4分の1だよね」「いや、給料の3カ月分だろう」ここでも情報は錯綜している。しかし、梢が婿の低収入に不安を抱くはずがないので無理に高めの結納金を出す必要はない。むしろそんな計算に長けていたのは美恵子の方だ。
「それで新札を揃えてきたんだろうな」「えッ、新品じゃあないといけないの」「当り前だ。手垢が付いたお札を目出度いことに使えるか。だから5円玉も新品じゃあないと駄目なんだぞ」慶事に新品のお札を使うのは初物好きな神道の風習なのかも知れないが、折角、結納を自宅から運んできたのだからそこも本土式にしたい。そうなると銀行へ行って交換しなければならない。そうと決まれば父子でコーヒーを飲み干してレストランを出た。
銀行では私の大荷物を見た女性行員が結納金であることを察して「お目出度うございます」と言いながら交換に応じてくれた。おまけに5円玉も新品にしてもらえた。
銀行からホテルに向かい、部屋で衣類の整理を終えると淳之介の前で結納品の風呂敷を解いた。
「お金をこの封筒に入れろ。札の向きを揃えろよ」「このマークってモリヤ家の家紋なの」白木のお盆の中の御帯料の封筒にお札を入れように指示すると淳之介が妙なことに関心を示した。封筒には家紋が入っているのだ。
「うん、日月二星(にちがつふたほし)って言うんだ」私の説明に淳之介は封筒を手にとった。
「丸がお日さま、半円が月、小丸は星なのかァ・・・そう言えば沖縄には家紋ってないよね」「うん、尚家は左三つ巴だけど王族や貴族、高級武士までだったみたいだな」「ふーん、勉強になりました」沖縄文化の教育をしている場合ではなかった。
古志庵・寺紋「日月二星」ウチの家紋「日月二星(にちがつふたほし)」
  1. 2018/03/30(金) 10:00:06|
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振り向けばイエスタディ1142

今年は2月11日の紀元節が大安吉日なのでその前後の10日と12日に休暇を取って玉城1曹=松真と一緒に結納を納めに行くことにした。この時期であれば冬と春の観光シーズンの間で淳之介も休暇が取れる。おまけに3月に入ると松真は引っ越しの準備が始まり、私は年度末の業務繁忙期になってしまう。そこは慶事と言うことで3人とも許可が下りた。
私自身は美恵子と佳織に結納を贈っていない。美恵子は向こうに押しまくられての結婚だったので気がついたら婚姻届を出していた。一方の佳織は受け取る親族が誰もいなかった。考えようによっては美恵子とは結納や結婚式を省略したから破局したようだが、逆に佳織は形式など無意味と確信してしまう。そんな結納を他ならぬ梢に贈るのも皮肉な話だ。
「ニイニは坊さんだから結納には詳しいんでしょう」間際になって仲人の松真が頼りないことを言ってきた。どうやら周囲に色々なことを吹き込まれて混乱しているようだ。
「坊主は縁を切るのが役目だから詳しいはずないじゃないか」これでは佛前結婚を完全否定することになってしまうが、言われてみると結納品は婿の実家が用意するものだった。
「俺の時は美代子の実家にモンチュウの松泉さんとオトウが持って行ったんだけど、沖縄式だったから驚かれちゃったんだ」「ふーん、やっぱりそんなに違うんだな」私の親戚でも東京の女性と結婚した叔父は愛知式に3つの白木の平盆に並べた仰々しい結納を持って行って、用意されていた座卓に載らず「東京では平盆1つだ」と呆れられたらしいが、そもそもどちらの流儀に合わせて選ぶのかも判らない。
「美代子が憶えていた結納品のリストがあるんだけど」「参考にするから教えてくれ」そう答えながらメモを用意する。やはり美代子さんは沖縄から北海道に届いた結納に感激したようだ。
「うーん、読み方が判らないな。物の名前だけを言うよ」それでは日本の伝統儀式も無味乾燥になってしまうが仕方ない。それにしても美代子さんは正式な呼称まで調べていたらしい。
「先ずは鰹節を2本、これは男女なんだって」「鰹節に男女があるのか」いきなり意味不明になった。ヒョッとして雄と雌の鰹で作るのだろうか。
「次に昆布が2枚」「それはヨコロンブだな」これはお節料理の聞きかじりの知識だったが正解は「子生婦」と書いて「こんぶ」と読むそうだ。
「それから素麺」「素麺かァ、お盆みたいだな。祖先への供物(くもつ)にするのかな」素麺はお盆に精進料理として食べるため寺育ちの私にとっては夏の供物の定番だ。先祖供養を宗教にしている沖縄ならこれもあり得る推察ではないか。
「後は白い扇子と樽に入った島酒だね」「扇子は末広だな。ところで島酒って泡盛だろう。あれは樽じゃあなくて土瓶(つちがめ)で醸造するんじゃあないのか」いつもの悪癖で仲人初体験の松真に疑問をぶつけてしまったが答えられるはずがない。その点を反省しながら「本土の風習を沖縄式に脚色した結果だ」と理解することにしたが、実際は「家内喜多留(やなきだる)」と呼んで樽の方に意味があると言うことだ。
「以上か?ワシの記憶では麻の紐を長寿の白髪に代えて送るはずだけどな」これは知識ではなく昔、見ていたテレビ・ドラマ「ありがとう」で主人公の結納が急に決まり、その場にある品物で縁起物を揃えた場面の記憶だった。
「白髪の代わりかァ・・・あった素麺を友白賀(ともしらが)って言うんだよ」つまりそこが沖縄式と言うことだ。祖先への供物と言う推察は外れだった。
「沖縄式に揃えるなら玉城のオトウとオカアに頼まないといけないな。東京式なら買いに行くけど」「酒を泡盛にして麻紐を素麺にすれば中身は同じじゃあないの」このお気楽な発想は世代の問題なのか、沖縄の県民性、玉城家の門風なのかは判らない。何にしても仲人の提案なので採用することにした。
「沖縄の結納は大安の日の満潮の時間までに式を終わらせるんだよ」「満ち潮かァ。沖縄の精神文化の表現が素晴らしいな」私は坊主として海洋信仰に根づいた風習に共鳴したが、船乗りである淳之介に説明すれば別の感動を覚えるはずだ。
今回は梢のマンションに訪ねて行くことはできないので、国際通りのホテルで贈ることになっている。出席者は本人同士に先方は梢とあかりの祖父母、こちらは私と玉城の祖父母、そして仲人の松真だ。かなり変則的だが安里家が梢しか出席しないのであればこちらが私だけなのは かえって丁度良いのかも知れない。
「ところで淳之介は御帯料(結納金)を用意したのか。5円足して割り切れないようにするんだけど」「給料の手取りの3倍だろう」「手取りだと安月給に見えるから年収の4分の1じゃあないの」やはりマニュアル本を買ってきて真面目に研究しなければならない。
  1. 2018/03/29(木) 10:38:39|
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振り向けばイエスタディ1141

近海用としては大型の漁船が間近を通過したため2人が乗った小型漁船は大きく動揺する。それでも艦乗りの海上自衛官だけに船首を波濤に向けながら通り過ぎるのを待った。
「あれだな」「はい、間違いありません」波が収まったところで2人は業務に移る。
「GPSを同期させよう」朝山3佐の指示で寺田2曹は先ほど見せられたアタッシュケースを開けてフラッシュライトで照らした。
「このフリィクエンシィ(周波数)って書いてある摘みで調整すれば良いんですね」「うん、アンテナを立てて電源を入れるのが先だがな」朝山3佐の指示を聞く前に寺田2曹は準備を終えている。周辺を見渡しても先ほど通過した以外に船の気配はない。つまりここでGPSを探知すれば目標が発信している周波数と言うことになる。
「ありました。これは中国の機材のようです」寺田2曹はアタッシュケースの蓋に提示されている周波数の一覧表で確認して報告してきた。
「よし。追跡開始だ。久米島の向こうに出られるとこの船では無理がある。慶良間と久米島の間で処理しよう」「アイ・アイ・サー」沖縄本島から慶良間諸島までは約40キロ、久米島までは約100キロある。その60キロの間で炎上させれば海上保安庁のヘリコプターでは対処できず巡視船が出動してくるまでに沈没しているはずだ。
「船速はこちらの方が早いので追いつくのは容易です」操舵を交代すると寺田2曹は夜の航海を楽しんでいるかのような口ぶりで声を掛けてきた。航空自衛隊でもSIF(敵味方識別装置)を作動させている時にはその発信源で位置を確認することがあるそうだが、目標は祖国への出迎えの船に知らせる電波で招かざる客を引き寄せているようだ。
「この辺りが慶良間と久米島の中間位置だろう。後方から接近しろ」「アイ・アイ・サー」朝山3佐の口調が指示から命令に変わり、寺田2曹の返事も了解から服従になる。
「赤(右)15」「赤15、ヨーソロ」GPSを頼りに進路を修正しながら進行していくと前方の海面に低速度で航行する船の影が見えてきた。双眼鏡で周辺を確認したが他に船影はない。目標もエンジンを作動させているのでこちらの接近に気づいていないようだ。
「よし、協力者を射つ。舵を安定させてくれ」「アイ・アイ・サー」今回は朝山3佐が日本人を処理するつもりらしい。協力者が操舵していれば真後ろからなら1撃必殺のはずだ。朝山3佐は船の中央部で膝射ちの姿勢を取ると撃鉄を起こした。
その時、前方の漁船の後部で赤い光が点った。協力者が煙草に火を点けるためライターを使ったようだ。その瞬間、朝山3佐のM500が火を噴き、同時に目標の漁船は不安定に迷走を始めた。どうやら操舵していた協力者に命中したらしい。船体が大きく揺れているので船は素人の殺し屋たちが反撃することは困難だろう。
「上手く並走させろ」「アイ・アイ・サー」寺田2曹は臨検要員としてボートで舷側に横付けする訓練を積んでいる。したがって小型船で並走することは苦もないことだ。
寺田2曹が迷走を続けている漁船の横に並走を始めた時、朝山3佐は2発目を発射した。今度は船体の下部を狙ったようだ。一瞬の間を置いて漁船の後部に炎が上がった。M500の12・7ミリ弾が近距離から燃料タンクに命中すれば発火するのは当然だ。
船体から吹きあがる炎で2人の姿が照らし出される。慣れない船の上で激しく揺れる足元になすすべもなく火炎から逃れようとしている2人に朝山3佐は銃を向けた。このまま放置しても焼死する可能性は高いが、万が一の瑕疵も許されないことを朝山3佐は認識している。
「ズーンッ」寺田2曹が目標の姿が見える位置に船をつける度に朝山3佐は機械的に引き金を引く。すると目標の頭部が砕け散って回転しながら床に倒れた。遺骸が海面に落ちれば銃創がある状態で回収される可能性がある。そうなれば事故ではなくなってしまう。朝山3佐はそこまで計算しながら処理しているのだ。
そんな無機質な業務を傍観しながら寺田2曹の背中は凍りついたように冷たくなった。

翌日の地元新聞の本島欄には「慶良間沖で漁船が火災・沈没」と言う記事が載っていた。記事には漁船の持ち主の顔と略歴、暗い海面で炎上する船の不鮮明な写真が添付されているが、記事の中心は原因の推測と一緒に悲しみにくれる家族の嘆きだ。一方、漁協関係者は「行方不明になっている漁師は事故を起こした海域に出ることはなく、何故、夜間に慶良間諸島と久米島の間を航行していたのか理解できない」と疑問を述べていた。
中国の協力者として自衛隊のパイロットを狙う殺し屋を支援しているような人物も、家族にとっては愛する夫・優しい父親であり、同業者には親しい仕事仲間だったようだ。
  1. 2018/03/28(水) 10:29:04|
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3月27日・女優・坂口良子の命日

平成25(2013)年の3月27日は野僧世代にとっては圧倒的人気女優であった坂口良子さんの命日です。信じがたいことに57歳になっていました。
野僧は父親から女性に「好み」を持つことを禁じられたため、感覚的に嫌悪感を抱く人以外は基本的に誰でも好きになることができるのですが、そんな中でも坂口良子さんは別格でした。とは言っても昭和46(1971)年に北海道余市町の中学生がミス・セブンティーン・コンテストで優勝し、テレビ・ドラマでデビューした頃は野僧が小学生で、かすみちゃん役で不動の人気を獲得した「前略おふくろ様」は父親がグループ・サウンズ出身のショーケンを嫌っていたため視聴できず、祖母が購読していた週刊明星や平凡で美貌を見て胸を時めかせていただけでした。
その後、昭和51(1976)年=中学3年の夏休みに9月一杯を加えた期間に放送された「グッドバイ・ママ」は幸いにして父親が単身赴任を始めたこともあり、毎週水曜日の午後9時から1時間だけはテレビの前に陣取って鑑賞したのです。
「グッドバイ・ママ」は坂口さんが演じる未婚の母・あざみが不治の病を発症したことで自分の死後に遺すことになる娘を案じて奔走・努力をする感動の物語なのですが、ウチの父親にかかれば「未婚の母になるようなフシダラな生活をしていたから病気になったんだ」と決めつけ、絶対に見せてはもらえなかったでしょう。
高校2年の昭和53年には「3男3女婿1匹」の第2シリーズに出演しましたが、父親の単身赴任が終わったため視聴できませんでした。
大学に入学すると代表作とされる「池中玄太80キロ」が始まったものの美男子を自認する父親が西田敏行さんを「ブ男の癖に俳優をやるなんて許せん」と毛嫌いしていたため家では見ることができず、結局、家のテレビでは会う機会はなかったのです
そうして航空自衛隊に入隊すると案の定、坂口良子さんファンがあふれていて「出身地の北海道へ行けば似たタイプの女性と知り合うことができるのか」と言う熱い議論が交わされていました。その後、北海道に赴任した同期たちによると「あのタイプは全くいなかった」「頬っぺたが赤い丸顔ばかりだ」そうです。
一方、野僧も沖縄に赴任する時、小学生時代からファンだった「南沙織さんのような人ばかりだろう」と期待していたのですが、実際はシーサー似の女性が大半で、今なら元プロゴルファーの宮里藍さん似と言うところでしょうか。
沖縄でも坂口良子さんのファンはかなりいてカメラ小僧の野僧が勉強のため昭和58(1983)年と61(1986)年に購入した写真集は2冊とも先輩たちが回し見して返ってきませんでした。考えてみると「篠山紀信と135人の女ともだち」や岡田有希子さんなどの写真集も同様に紛失していますが、今ならお宝的価値が出ているかも知れません。
母親に瓜二つの娘は女優になったものの坂口さんのような天真爛漫さがなく、大胆な露出と猥褻な艶技で売っているようです。早い話が母親のファンが果たせなかった妄想を映像化してイメージを汚すことで稼いでいるのでしょう。
坂口良子・母・坂口良子さんのレイプ・シーン(娘だったらどんな場面になるのやら)
  1. 2018/03/27(火) 09:57:41|
  2. 日記(暦)
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振り向けばイエスタディ1140

「携帯の電波はここまでが限界のようです」夜釣りに出た勘解由と隼人=朝山3佐と寺田2曹は先ず海上で携帯電話の電波の到達範囲を確認した。あまり本格的な無線装置を搭載すると海上保安庁や水上警察の巡回検査で素人の夜釣り用と言う使用目的に疑いを持たれる可能性があるため携帯電話が使える近海で待機せざるを得なかった。
「今夜は新月ですから漁船の発見が難しくなりそうです」「相手にはそれも狙い目なんだろう」海面は真っ暗だが陸から10キロ程度の距離なのでビルの照明や自動車のヘッドライトが水平線上にチラチラと光っている。
「まァ、こちらも必要な備えはしてある」そう言って朝山3佐はアルミ製の大きなアタッシュケースを取り出して青いガラスをはめたフラッシュ・ライト(懐中電灯)の下で開いた。
「これは何ですか」「GPSの逆探知装置だ。目標の漁船は貨物船に知らせるために位置情報を発信するはずだ。つまり周波数を同期させてセットすればこちらも位置情報を探知できると言う訳だ」「これも市販品ですか」「アメリカ製とだけ言っておこう」寺田2曹がうなずいた時、朝山3佐の携帯電話が胸ポケットの中で振動した。
「イエス」朝山3佐はDIAからの電話と見越して応答する。今日は情報保全隊からも連絡が入るはずなのでこれは直感、若しくは状況判断だろう。
「イエス、サンキュー」電話を切った朝山3佐は寺田2曹の影を向くと今の連絡事項を説明した。闇の中では表情は判らないが、口調は淡々としたままだ。
「目標の漁船は糸満漁港から出るらしい。あちらなら海上保安庁の目も届きにくいからな」沖縄の周辺海域を担任する第11管区海上保安部は本部を那覇港の合同庁舎内に置き、名護市の分署の他には沖縄市に中域海上保安本部、石垣島と宮古島にそれぞれの海上保安本部を設けている。その意味では糸満漁港は停泊する漁船の数が多い上、監視の目は届きにくく協力者としても行動し易いのだ。続いて携帯電話が振動した。
「はい、はい、判った」今度は情報保全隊のようだ。朝山3佐は全く同じ口調で説明した。
「2カ所のビルから出たターゲットがタクシーで出発したらしい」「つまり目標は協力者を含めて3名と言うことになりますね」寺田2曹としては射殺できなかった場合には格闘になることを考えている。船上での格闘となると協力者を含めて3名が相手ではかなり不利になるのではないか。しかし、朝山3佐の影が発する気配は何も変わっていない。
「よし、今から糸満漁港の沖へ移動すればタクシーで到着して出航するのとかち合うだろう。私が操船するから途中で拳銃の試射をしておけ。目標は浮遊物を適当に選べ」朝山3佐は事務的に指示を与えると船尾の操舵席に座った。そしてエンジンを始動させると「ガクン」と言う音と衝撃の後、小型漁船は進みだした。
寺田2曹はもう1つのアルミ製のアタッシュケースからスミス&ウェッソン社製のM500を取り出して異様に大きく重い弾丸を5発装填した。アメリカ軍ではハンド・キャノン(手持ちの大砲)と呼ばれていたコルトM1911A1の弾丸でも直径は11・4ミリなのにM500は12・7ミリもあるのだ。寺田2曹は漁船の舳先で膝射ちの姿勢を取ると海面の浮遊物を探した。すると暗い星明かりに白い箱が目に入った。おそらく発泡スチロールの箱のようだ。
「ズーンッ」暗い海面で漁船のエンジン音よりも大きな銃声が響いた。マズル・フラッシュ(発射炎)もかなり大きい。しかし握把の形状が手のひらに合っている上、銃身が長く重いため反動は思ったほどではない。これなら上達は容易だろう。
寺田3曹は移動していく漁船から続けざまに試射を行い、発泡スチロールの箱を四散させた。
「あの船だな」糸満漁港の沖でエンジンを動かしたままポリタンクで搭載した燃料を補充していると暗い海面に別のエンジン音が聞こえてきた。
背後には糸満市の街明かりと道路を走る車のヘッド・ライトがあるため海面には波が白く立っているのが判る。問題はこの船が中国への協力者が北朝鮮の殺し屋を運んでいる目標であることを確認する手段だ。テロリストと協力者を殺害することは国際的軍事常識の業務であっても関係のない文民を手に掛けることはプロとして許されない。
ここで朝山3佐は燃料を入れ終わったエンジンを起動して前進を開始した。このまま進めば接近してくる船の右側から交差することになる。海上衝突予防法では右舷側から接近する船に優先権があり、左側の船に回避義務がある。つまり朝山3佐はこの船主の順法意識を確認することから始めるようだ。
「隼人、ライトを点けろ」「アイ・アイ・サー」朝山3佐の指示を受けて寺田2曹は前照灯を点けた。これでこちらが右舷側から接近していることは判ったはずだ。しかし、強引に突っ切ろうとするその船体を照らすと普段着姿の男2名がこちらに拳銃を向けていた。
  1. 2018/03/27(火) 09:50:48|
  2. 夜の連続小説8
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3月27日・アンチ・ヒーローの旗本奴・水野十郎左衛門が切腹した。

寛文4(1630)年の明日3月27日(太陰暦)に庶民のヒーローである町奴の幡随長兵衛さんを殺した仇役なのに妙な人気がある旗本奴の水野十郎左衛門成之さんが切腹しました。当時としては立派に中年の34歳でした。
時代劇が消滅してしまった現在では幡随院長兵衛さんの名前を知っているのは祖父母に育てられた人を除けば高齢者に限られるかも知れませんが、講談や映画では身分を嵩(かさ)に着て乱暴狼藉を振るう旗本奴に立ち向かい、入浴中に槍で殺されると言う悲劇的な最期を遂げた庶民のヒーローでした。特に旗本奴と町奴の喧嘩の仲裁に登場する時の「お若けェの、お待ちなせェ」の名台詞は野僧の小学校でも喧嘩を止める時に使っていました(岡崎市でも農業地帯だったため祖父がチャンネル権を持つ家庭の子供が多かった)。
水野十郎左衛門さんはそのヒーローを卑怯な手段で殺害した完全な仇役のはずなのですが、名門中の名門出身でありながら不良親父になったことや映画で描かれる装束と立ち振る舞いに品格があることなどから体制への反逆者として意外に人気があったようです。
水野十郎左衛門さんの出自は東照神君・徳川家康公の生母である水野家の縁戚(嫡流は信長さまの命で誅殺されている)で祖父は家康公に従って数々の武勲を立て、江戸開府後も大坂の陣や75歳の高齢になっていた島原の合戦で手柄を上げた功で安芸国・福山藩主となった水野勝成さまです。しかし、父の成貞さんは3男だったため3代将軍・家光公の小姓から3000石取りの旗本にはなれたものの藩主になった兄とは違う息が詰まるような城勤めに嫌気が差して不良になってしまったようです。
つまりこの父は上流階級の不良青年の集団である傾奇(かぶき)者=旗本奴の元祖のような存在であり、十郎左衛門さんは由緒正しい後継者と言うことになります。
一方の長兵衛さんは武士の息子であったとされているものの明確ではなく、兄が江戸(東京都小金井市)にある知恩院の末寺・幡随院の住職になっていたため父の死後、これを頼って江戸に出てきたとされています。江戸で口利き業(私設の職業紹介所)を営む間に庶民の不良青年の集団である町奴の頭目になり、旗本奴と町奴の揉め事を仲裁したことで十郎左衛門さんの憎悪を買ってしまい(講談や映画では抜刀した相手に素手で立ち向かい勝ったように描かれている)、その手打ちとして屋敷に招かれ、風呂を勧められて入浴中に長柄の槍で刺殺されたのです。
十郎左衛門さんは「無礼討ち」として届け出ましたが、事件そのものではなく行跡不行き届きで親戚である蜂須賀家預かりになり、翌日に評定所に召喚されると着流し姿だったことで不敬不遜な態度を理由に切腹になりました。この時、2歳の嫡男も連座しています。
十郎左衛門さんは正式な作法に背いて短刀で膝を刺し、切れ味を試してから腹を切ったと言われています。死に方まで不良小父さんとしての態度を貫いたこともアンチ・ヒーロー的人気の理由でしょう。
そんな十郎左衛門さんの辞世は「落とすなら 地獄の釜を 突ん抜いて 阿呆羅刹(らさつ=ここでは地獄の鬼)に 損をさすべい」です。確かに格好良いです。
水野十郎左衛門みなもと太郎作「風雲児たち」より
  1. 2018/03/26(月) 09:32:13|
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振り向けばイエスタディ1139

その夜、朝山3佐は隼人=寺田2曹に赤い鉢巻をした石地蔵の画像をメールした。これは言うまでもなく「大江戸捜査網」で隠密同心を集める時の合図だ。つまり「命令が下る前に覚悟を決め、準備を整えておけ」と言う予告のメールだった。
翌々日、沖縄行きの定期便で横須賀基地陸警隊の寺田3曹が出張してきた。朝山3佐が定期便発着場に出迎えると寺田2曹は冬服で降りてきた。
「流石に暑いですね」寺田2曹は白い半袖の3種夏服姿の朝山3佐に敬礼しながら声を掛けてくる。これは士官は貴族、水兵は庶民と言うイギリス海軍の身分意識も学んだ帝国海軍の流れを汲む海上自衛隊では極めて非礼な振る舞いだ。しかし、朝山3佐と寺田2曹の間には幹部と海曹とは別の人間関係がある。
「うん、八重山では3月には海開きするからな。ご苦労さん」朝山3佐はそう言って答礼すると先に立って歩き出した。幹部と海曹が肩を並べて歩くのもあまり見ない光景だ。しかし、情報保全を考えれば職場に着くまでに周囲との距離を取りながら話すのが適切だろう。
「こちらへはどんな命令で来たんだ」「はい、『アメリカ海兵隊の射撃訓練を体験せよ』と言うことになっています」寺田2曹はDIAに統合幕僚監部への通知を依頼して中1日でやってきた。この迅速な対応がどのような根拠だったのかに興味を抱いたのだ。
「それなら横須賀でも可能だろう」「艦艇乗り組みの海兵隊ではあまり戦闘的ではないですからね」確かに横須賀基地に駐留している海兵隊は艦艇内の規律を維持し、不測事態に対処する任務を付与されており、戦闘員と言うよりも憲兵に近い。したがって射撃訓練も朝山3佐が励んでいるような戦闘射撃ではなく自衛隊と同様の精密射撃になる。
「アメリカからの情報ではターゲットを交代させると思われる貨物船が久米島沖を通過するのは明後日の夜と言うことだ。今回は私が経験している訓練の資料を渡すからそれで報告書を作成しろ」「はい、私個人としては訓練にも興味があるんですが、今回は諦めましょう」そこまで話した時、一緒にCー130を降りた海曹が後ろに追いついてきた。2人は足音でそれを察知すると自然な流れで雑談に切り替えた。
「そうか、厚木のサッカー部は全自の連覇を続けているのか」「はい、最近はサッカー・ブーム世代が主力になっていますから全体的にレベルアップしているんですが、やはり首都圏に練習相手を持っている厚木の強さは揺るがないようです」寺田2曹もサッカー部員であることを踏まえた話題の切り替えだったが、その海曹は「同じスポーツの愛好者同士の幹部と海曹だから親しげにしているのか」と納得したような表情で通り過ぎた。
「明後日は夜釣りに出る」「金曜日ですから丁度良いですね」朝山3佐は沖縄に赴任してすぐに秘密資金で小型の釣り船を購入している。それは任務から考えて艦艇や航空機を使用することはおろか協力も期待できない以上、個人で対処するためだ。
DTAから決行日時の連絡を受ければ船を預けている那覇市内の係留場から寺田2曹と2人で夜釣りに出掛ける。船には航続距離を伸ばすため予備の燃料を満載しなければならない。そうして沖でDIAからの連絡を待って協力者の漁船に接触する手はずだ。
「武器は何を」隊舎が近づく前に寺田2曹は立ち止って最も秘匿を要する質問をしてきた。相手が殺人のプロであるなら拳銃程度の武器を携帯している可能性は高い。仮に素手で戦うことになると船上では2対1でも倒せるとは限らない。
「DIAのガン・マニアから拳銃を2丁借用してある。それを1丁ずつ使うことにする」「それでは訓練ではなくて実戦を経験するんですね」寺田2曹は目を輝かせて笑った。こんな様子を第三者が見ても殺人の打ち合わせをしているようには映らないはずだ。
「拳銃はリボルバーだ。それもスミス&ウェッソンのM500だぞ」「それはまた強力ですね」M500は市販の拳銃用弾丸としては最も威力が大きい50口径マグナム弾を発射できる。海上で射撃することを考えれば1撃で射殺できる威力が必要なのは当然であり、何よりもリボルバー式は握把の形状から自動式拳銃よりも命中精度が高いのだ。
「仕事の前に試射できますか」「沖に出て練習するくらいの弾は買ってあるぞ」残りは処理後の幕引きだ。隊舎の正面玄関も目の前に迫っている。
「当然、協力者も処理して船ごと火葬にする。遺骸を発見されて銃で処理されたことが発覚すると面倒だからエンジンから火災が発生したように放火してだ」これで打ち合わせは終わった。
そのまま朝山3佐の個人訓練担当参謀の職場で先ほど話したアメリカ海兵隊の戦闘射撃の資料を見せ、処理に関する質疑応答はパソコンの画面で筆談しながら課業終了を待つ。周囲の隊員たちとは異次元の時間が2人の間に流れていった。
  1. 2018/03/26(月) 09:31:03|
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振り向けばイエスタディ1138

朝山3佐は個人訓練担当参謀としての業務以外はアメリカ海兵隊の訓練に参加して戦闘技能の練磨に励んでいる。勿論、そこで岡倉が開拓した国防情報局(DIA)の在沖縄支所との接触を図っているのは言うまでもない。
アメリカ軍から自衛隊にもたらされた沖縄県内に潜伏した北朝鮮人殺し屋の動向は統合幕僚長の秘密命令を受けた情報保全隊によって監視が継続されている。しかし、それは張り込みなどの人的手段に限られ、交信の傍受などの情報はDIAから入手するしかなかった。
今日の訓練は戦闘射撃。これは自衛隊式の精密射撃ではなく銃を持って野山を駆け巡りながら各射場に現示される目標を敵味方の判断をしながら撃って行く訓練だ。
訓練を終えた後、海兵隊員たちから少し離れて休憩している朝山3佐を海兵隊のゴードン少佐を演じているDIAの支局員が手招きした。
「メジャー・アサヤマ(朝山3佐)、君の戦闘射撃の腕前は素晴らしいね」先ずは世間話から入るのは周囲に違和感を抱かせないための演出だろう。
「うん、サッカーをやってきたから動きながら状況判断することには慣れているよ」「確かにパスをする時、ボールを敵に渡しては話にならないからな」ゴードン少佐はアメリカ人には珍しくサッカー通らしい。ここで笑顔を作って話題を変えた。
「メジャー・アサヤマ(朝山3佐)、アスク ディス アズ ナイトー(これはナイトーとして聞いてくれ)」つまり内藤勘解由=自衛隊対テロ要員の指揮官として聞けと言うのだ。朝山3佐は乾いている唇を舌で舐めてから半歩近づいた。
「キムチが交代するらしい。来週、沖縄沖を通過する北朝鮮の貨物船で実施するようだ」ここらの話は日本語になった。キムチとは岡倉が確認した不審者に由来するターゲット=殺し屋の隠語だ。沖縄沖を通過する貨物船に新たな殺し屋を乗船させておいて協力者の漁船で待ち合わせて、そこで交代するらしい。
「そうですか・・・この機会に処理しますか」朝山3佐は表情を変えずに提案した。作戦の実施は市ヶ谷の許可=命令がなければ独断専行になってしまう。その非情な判断を最高級幹部に求めることには多少の躊躇は感じるものの必要な手続きは踏まなければならない。
「ふーん、流石は秘密対テロ要員の指揮官だな。自衛官には人殺しはできないと思っていたよ。殺し屋とは言え日本国内ではまだ殺人は犯していないんだからな」支局員の見解は普通の自衛官であれば間違いなく適用されるものだ。自衛官が人に危害を加えるには正当防衛か緊急避難の大義名分が必要であり、戦場で発見した敵を躊躇なく射殺できる覚悟=反射神経を持っている者は一種の狂人、少なくとも危険人物に分類される。
「テロリストは存在することが敵対行為だろう。敵を殺すのが我々の任務だ。犯罪者として摘発するのは警察に任せておけば良いじゃないか」朝山3佐の言葉に支局員はユックリとうなずいた。アメリカ軍だけでなく世界の軍隊でも敵を殺すことは通常の業務なのだが、軍隊ではないジエータイでは正当行為とするために自分を縛る基準があるようだ。
「それで東京には君たちが通知してくれるのか」これは思い掛けない確認だった。指揮系統や情報保全を考えれば朝山3佐が報告するのが軍事常識だ。それなのにあえてDIAに通知させる理由が判らない。そんなゴードン少佐の疑問を見透かしたように朝山3佐は補足した。
「自衛隊には現場からの報告よりも権威を認めている相手からの助言の方を重視する不可解な気質がある。だから俺が報告しても重要度や信頼性を疑われて確認している間に勝機を逸してしまうかも知れない。その点、アメリカから情報を提供されれば否応もなしに命令が届くと言う寸法だ」この朝山優二3佐と言う人間は幹部自衛官でありながら自衛隊と言う組織を妙に冷めた目で眺めているところがある。それは人間関係に於いても守り支えようとする人情と仕事で必要となれば平然と使い捨てる冷淡さが同居しているようだ。
ゴードン少佐は知らないが塩谷2曹からの相談を受けて杉本に連絡を取った時、薬物を投与した当事者であるシェリーの派遣を要望したのも朝山3佐だった。そこには例え人体実験が再開・継続されることになっても研究者の手に委ねるのが最善と言う冷静な判断があった。
「それではジエータイで処分すると言うことだな」「それは東京の判断だ。私としては君たちがやってくれるのなら手柄は譲るぞ」テロリストを殺害することはアメリカでは手柄だが日本では犯罪になる。それをやるかやらないかは上の判断次第、自分は歯車として動くだけだ。朝山3佐は本当に冷たい金属製の歯車になり切れる組織人なのだ。
支局員はこの喰えない男の相手をしているのが恐ろしくなってきた。この男は背筋が凍りつくような台詞を温和な笑顔を浮かべながら喋っているのだから。
AY2尉イメージ画像(着ているのは航空迷彩服=陸上の旧迷彩に砂茶色を被せただけの代物)
  1. 2018/03/25(日) 10:03:35|
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振り向けばイエスタディ1137

塩谷はその夜は悪夢に苦しめられることもなく、シェリーを抱いて燃え尽きたまま熟睡できた。
翌朝、5時30分に携帯電話の目覚ましのアラームが鳴ると塩谷は腕枕で眠っているシェリーの頬にキスをしてそのまま起き上がった。キスで目を覚ましたシェリーは寝ぼけ眼(まなこ)でこの場所を確かめている。確かに狭い6畳間にシングル・ベッドが置いてある空間で朝を迎えるのは初めてのはずだ。
塩谷は台所で朝食の準備を始めた。福島県須賀川市出身だけに徹底的な和食党であり、朝食はご飯と味噌汁、そして納豆と沢庵漬けになる。これでは外国人が食べられない和食のオカズのオンパレードだ。そこで塩谷はシェリーのために目玉焼きを作ることにした。
「グッド・モーニング。コーイチ(幸一)」フライパンに水を差し、蓋をしたところにネグリジェを着たシェリーがやってきた。塩谷もこれまで何人かの彼女をこの部屋に泊めたことがあったが、ネグリジェを着た女はいなかった。シャリーも自分と同世代のはずだが、やはりイギリス人は嗜みが違うのかも知れない。
「グッド・モーニング、シェリー。朝飯は和食だけど大丈夫か」「それはフライド・エッグね。それもジャパニーズ・フードなの」かなり日本語を学んでいてもシェリーは「ワショク(和食)」と言う音読みの単語は理解できなかったようだ。
「やっぱり和洋折衷なのかな」シェリーの指摘に塩谷は別の音読みの単語を使ってしまった。おそらく今度の方が難易度は高いはずだ。通じない塩谷と理解できないシェリーで顔を見合わせているとフライパンから焦げた匂いがした。
「しまった。半熟にするつもりが」「アメニティにするつもりだったのね」そんな塩谷の嘆きをシェリーはようやく理解できたようだ。
塩谷は飲み物も日本茶だ。イギリス人は基本的に紅茶のはずだが洋風はインスタント・コーヒーしかない。するとシェリーは日本茶を選んだ。
金髪の女性と座卓を挟んで座っているだけでも不思議な光景だが、昔の彼女が使っていた茶碗にご飯を盛り、同じく汁椀に味噌汁、塩谷は納豆と沢庵漬け、シェリーは皿にフライド・エッグ=目玉焼きだ。ただし調味料は醤油だからやはり和食になっている。
「いただきます」「アーメン」食前の祈りは相手と言葉は違うがタイミングだけは合った。そうして朝食が始めると塩谷は恋人のように話しかけた。
「俺は出勤するがお前はどうするんだ」シェリーの困惑した顔を見て英語で言い直そうと考えたがイギリスから帰って以来、使っていないので自白剤とは別に頭の翻訳機能が作動しない。
「今日は仕事なのね。私はここで暮らすための道具を買いに行きます」今度は塩谷が困惑を通り越して驚愕した。シェリーがここで暮らすと言うことは目立つことこの上なく、同じアパートに住んでいる自衛官とその家族に知られるのに時間を必要としないはずだ。
「それにしてもよくこのアパートが判ったな」「それは色々なルートで調べたから・・・」流石に単なる塩谷個人の住居をイギリスの情報機関が把握している理由については言葉を濁した。おそらくイギリスで受けた対テロ訓練に参加する前に素行調査が行われたのだろう。
「ただ、ヒャクリキチ(百里基地)の住所がオガワ・チョー(小川町)ではなくて・・・」「うん、2006年に小川町と美野里町と玉里村が合併して小美玉市になったんだ」塩谷は当り前に説明したが、シェリーにとっては知っていたオガワチョーはまだしもミノサトチョー、タマサトムラ、オミタマシと音読みの単語の連続では理解不能だ。それにしても「小美玉市」と書いて「オミタマシ」と読める者は日本人でも少数派ではないか。
「それじゃあ合い鍵を渡すから用事が終われば帰ってきてくれ。誰かに声を掛けられても日本語が判らない振りをしておけば良いぞ」この説明もどこまで通じたかは判らない。しかし、「日本語が判らない」のは事実なので演じる必要はなかった。
何にしてもイギリスから訪ねてきた女を追い出すことは塩谷の男気が許さないのだ。

その日、シェリーは市内で公衆電話を探し、在日イギリス大使館の駐在武官に連絡した。携帯電話の電波を傍受されていればイギリス大使館の番号を入力した時点で盗聴が始まる。それを避けるには不特定多数が使う固定式の公衆電話を利用するのが常識だ。
「ハロー、シェリーです」駐在官にこの名前を名乗ったところを見ると業務用の偽名のようだ。
「うん、実験動物の様子はどうだ」「はい、相変わらず素直な好い子です。昨夜は性欲に突き動かされて症状は出なかったようです」男女を問わず性行為を公然と口にすることは常識的なイギリス人としてはマナー違反なのだが、シェリーは研究者の観察結果として報告しているので駐在武官も納得した。どうやら塩谷は動物実験を自ら再開・継続させてしまったらしい。
SherylLee3イメージ画像
  1. 2018/03/24(土) 09:29:06|
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振り向けばイエスタディ1136

翌日は勤務だったが塩谷は悪夢ではなく夜通し淫夢に溺れることに決めた。そのため深酒は中止して片づけを始めた。シェリーは日本のアパートの構造に興味を持ったのか周囲を見回しながらついてきたが、このアパートの間取りは玄関に入って右手がシャワールーム、洗面台と洗濯機、トイレ、台所、左手が6畳2間になっている。狭い空間の絶妙の配置に感心しながら台所まで来ると塩谷が手際よく洗い上げを始めたのを覗き込んだ。
「シャワーを浴びよう」塩谷の言葉にシェリーは黙ってうなずいた。愛情表現とは言い難い状況だったがシャリーとはイギリスで2度、性的関係を持っている。帰国後も自慰行為をしてから眠らないと夢精してしまうほど本能がシャリーの肉体を求めていたのだ。
シェリーは居間で旅行カバンを開けると下着とネグリジェを取り出した。その間に塩谷2曹も寝室のクローゼットから自分の下着を出した。塩谷2曹は非常呼集が掛かった時、そのまま作業服が着られるように下着で就寝する自衛隊の習慣を下宿でも守っているようだ。
塩谷が洗面台の前でスエットを脱いでいると迷路のような廊下を通ってシェリーが来た。シェリーはトランクス1枚になっている塩谷の鍛え抜いた肉体に一瞬、怯えたように後退ったが、意を決したように立ち止り、その場で服を脱ぎ始めた。塩谷としては無料のストリップ・ショーなのだが、まだ理性は機能するようで先に浴室に入った。
「このバス・タブは床と一体構造になっているのね」シャリーにとって日本の浴室も初体験だ。日本の場合、浴槽は湯船につかるための設備なので、あふれた湯が排水に流れるような構造になっている。一方、イギリスではあくまでも身体を洗う道具なので使用後は片付けられる可動式になっている場合も珍しくない。
「うん、日本ではここに貯めた湯に身体を沈めて温まるんだ」「それがジャパニーズ・リラクゼーションなのね」「うん、2人で入ることもあるよ」「そっちはスキンシップね」シェリーはある意味では専門用語の会話も日本語でできるまでの語学力と知識を身につけている。それも半年と言う期間を考えると恐るべきことだ。しかし、その動機をシェリーが言った「自分に会いたいから」と信じるほど塩谷は単純ではない。
「先ず髪を洗うんだろう。だったらそのシャンプーを使えよ。お前の金髪に合うかは判らんが人体実験してみろ」この厳しい皮肉にシェリーは顔を強張らせてうなずいた。
「日本では身体を洗う時、この椅子に座るんだ」シェリーのカルチャー・ショックは備品だけではない。洗い方まで作法が違うらしい。
シェリーは塩谷が浴槽の湯をかけた椅子に腰を下ろすとシャンプーのノズルを押して手に取った。そして十分に泡を立ててから髪を洗い始める。それは短髪にシャンプーをかける塩谷から見れば逆にカルチャー・ショックだった。
両手で長い髪を洗っているシェリーの乳房が揺れている。泡の中には長い金髪が生き物のように踊っている。先に身体を洗った塩谷は湯船につかってそれを眺めていた。
「このシャワーはコックが1つだけなのね」髪を洗い終えたシェリーは別の発見をしたようだ。確かにイギリスでは宿舎が古かったこともあって湯と水のコックが別々で、それを調整しながらシャワーを浴びていた。シャリーが住んでいる家も似たような方式なのだろう。塩谷はコックを捻るだけで温度と湯の量が調整できることを説明した。
「それから背中はタオルを使って洗う」続いてシェリーが背中を洗うブラシを探しているので説明した。それでも使い方が判らないようなので湯船から上がって背後に立った。
「今日は俺が洗ってやろう」そう言うと塩谷はタオルにボディ・ソープを取って背中を洗い始めた。脰(うなじ)から背中、肩、腕、脇の下、立ち上がらせて腰、太腿、ふくらはぎ、身体の向きを変えて首筋から胸、腹、そして薄い茶色の陰毛に隠された(金髪ではない)股間。
塩谷も彼女がいない時期にはソープランドへ通っているがソープ嬢の身体を洗った経験はない。こうして全裸の女性の隅々まで肌に磨きをかけると言う行為も中々に興奮を誘うものだ。客がソープ嬢の身体を好きなように洗う逆ボディ洗いと言うサービスを始めても良さそうだ。
洗い終わり、シャワーで全身の泡を流している時、塩谷の身体は臨戦態勢に入った。それに気づいたシェリーが手を伸ばす。しかし、塩谷はそれを振り払って浴槽の縁に手を掛けさせると後ろから攻め始めた。眼の前には長い金髪が白い背中に川の流れを作っている。塩谷の大きめの手でも掴み切れない重い乳房が胸の下で揺れている。
この性的衝動は大脳皮質を麻痺させる自白剤の副作用なのか、単なる健康な男性の本能なのかは判らない。ただ塩谷はベッドで見るはずの淫夢を浴室で鑑賞し始めた。シェリーも研究者としての観察を忘れたかのように再会の目的を堪能しているようだった。
  1. 2018/03/23(金) 09:49:51|
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3月23日・羽柴秀吉による根来寺の焼き討ちが始まった。

天正13(1585)年の明日3月23日(太陰暦)に羽柴秀吉さんによる紀州侵攻の目的であった根来寺の焼き討ちが始まりました。
小中高校の歴史の授業では織田信長さんによる比叡山焼き討ちと石山本願寺との攻防戦は習っても紀州侵攻にはついては全く触れず、羽柴さんが宗教を敵視した史実としてはキリシタン弾圧だけになっていました。
紀州は古くから那智の滝を御神体とする熊野宮が存在する聖地であり、弘法大師・空海さまが高野山金剛峯寺を創建してからは密教・修験道の修行道場として全国各地から多くの求道者が集まり、公家だけでなく武士の支配も及ばない独立国でした。実際、鎌倉・足利幕府が置いた守護も寺社の協力なしでは租税を徴収することができず、犯罪者も寺に逃げ込めば手出しできなかったようです。その勢力と繁栄を信長さんの時代に来日したカソリックの宣教師は「一大共和国の如し」と母国と教団に報告しています。
ところが信長さんは「天下布武=武力による国内制覇」を目的にしていたため独立国を認めるはずがなく、服従しない宗教勢力を殊更に敵視して武力による攻撃を繰り広げました。
その最大の敵は蓮如さんによって全国に門徒組織を張り巡らしていた浄土真宗の石山本願寺でしたがそれに協力する佛教教団にも容赦はなく、こうして伝教大師・最澄さまの開山以来、日本佛教の最高学府だった比叡山延暦寺は根本中堂を含む堂宇だけでなく幾多の経典・宝物も灰燼に帰し、高僧と僧兵の区分なく殺戮されたのです。
一方、密教の高野山と修験道の根来寺を中心とする紀州の佛教勢力は距離だけでなく交通網も石山本願寺に近く、その経路上に当時の鉄砲の最大の生産地であった堺(火縄銃は境筒と呼ばれていた)が存在していたこともあり比叡山以上の脅威でした。
そこに織田軍が侵攻するのは当然であり、石山本願寺が和議を結んだ後には高野山も比叡山同様に灰燼に帰す寸前だったのですが、そこに本能寺の変が起こったことで危機を脱することができたのです。それでも信長さんは東海から近畿・北陸に及ぶ領内で大規模な高野聖(こうやひじり=真言宗の旅僧)狩りを行い安土に集めて大量虐殺しています。
高野山はこの危機を真摯に受け止め、次に覇権を握った羽柴秀吉さんには表だった反抗はしなかったのですが、当時は高野山以上の勢力を誇っていた根来寺は僧兵が修験道で身心を鍛錬した猛者揃いだったこともあって危機感が弱く、信長公の紀州侵攻に際して徹底抗戦を主張していた強硬派に同調して独立を保持しようとしました。
さらに羽柴さんと徳川家康公と織田信雄くんの連合軍が争った小牧・長久手の合戦では徳川・織田側についたため羽柴秀吉さんによる紀州侵攻では攻撃目標にされたのです。
当時、根来寺には痕跡が確認できている450棟、伝承では2700棟もの坊舎があり、1万人を超える僧侶がいたそうですが、開山の興教大師・覚鑁さまを祭る大師堂や大伝法堂、大塔などの数棟を残して焼け落ちました。また大半の僧侶たちは全国各地に逃がれましたが、この時、根来寺の法具や日用雑器に施していた漆器の技法・根来塗りも伝承されたため日本各地に漆器工芸が広まる結果になりました。
  1. 2018/03/22(木) 10:02:52|
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振り向けばイエスタディ1135

玄関の電灯を点けてドアを開けるとチェーンの隙間に外国人の女性が立っているのが見えた。
「コヤタ、大丈夫」その女性は隙間に顔を差し込むようにして声を掛けてくる。薄暗い電灯に照らされたその顔は間違いなくシェリーだ。
あの夜、ホテルで自白剤を投与した張本人が眼の前に立っている。今の苦しみの原因を作った人間を前にして塩谷2曹は理性をつかさどる大脳皮質が麻痺してしまったようだ。
ドアの隙間から腕を差し出すとシェリーのコートの胸元を掴み、強く引き寄せた。シェリーは悲鳴も上げる間もなく顔を強打して呻き声を漏らした。
「コヤタ、許して・・・お願い、落ち着いて」シェリーの懇願に我に返った塩谷2曹は手を離すとチェーンを外してドアを大きく開いた。シェリーは金属製のドアで打った頬をさすりながら床に置いたカバンの横に立った。どうやら夢ではないらしい。
「シェリー・・・アー ユー OK(大丈夫か)?」冷静になって考えると女性に対して暴力をふるうことは自分自身の美意識に背く行為だ。その謝罪の気持ちを表現するために両手を伸ばすとシェリーの手を外させて頬の傷を確認した。両頬にはドアの角で打った箇所が赤い線になっているが傷にはなってはいない。塩谷2曹はホッと溜め息をつくと両手で頬を覆った。
「コヤタ、会いたかった」シェリーは塩谷2曹の両手の上に自分の手を重ねると片言の日本語でつぶやいた。安っぽいドラマならここは抱き締めて熱いキスを交わすところだ。しかし、先ほどの衝突音を聞いたらしい隣室の住人が窓を開けて様子をうかがう気配がしたのでジェニファーを中に入れ、手を伸ばして鞄を持ち込んだ。
6畳2間のアパートの居間に上げたもののテレビには一時停止にしたアドル映画のセックス・シーンが大映しになっている。それも自慰行為の準備を整え、手元にはティッシュの箱まで用意してある。日本女性であれば恥じらって顔をそむけるはずだがシェリーは逆に注視し始めた。塩谷2曹はきまり悪そうにテレビのリモコンを取ると電源を消してからDVDも停止した。こんなところでも判断力が正常になっていることが判る。
塩谷2曹はテレビに背中を向ける席に座布団を敷くと座るように促した。流石にイギリス人には畳=グラス(草製)・カーペットが敷いてあっても床に座る習慣はないようで塩谷2曹が座るのに合わせて腰を下ろした。
シェリーが落ち着いたのを確認して塩谷2曹は立ち上がって台所へ行くとタオルを濡らして絞り、もう1つグラスを持ってきた。そして絞りタオルで頬を冷やすように仕草で指示してから自分のグラスと並べて2リットル・パックの焼酎を注いだ。
「再会を祝して。乾杯」「アイ ミスドゥ ユー(会いたかった)、チアーズ(乾杯)」2人が互いの言語をどこまで理解しているかは不明だが一致した音頭でグラスを重ねるとシェリーはストレートの焼酎を口に運んだ。こうなれば会話が始まる。
「コヤタ」「その名前は使うな」「それではシオヤニソー(塩谷2曹)ね」「それもここでは嫌だ」塩谷2曹はシェリーに自白剤を投与された時、所属と姓階級を口にしている。それを憶えていて呼びかけたのだろうが、「コヤタ」は特殊任務のために活動する時の偽名であり、気軽に使われては困る。かと言って下宿では自衛隊式の呼び方も止めてもらいたい。そこで塩谷2曹は下の名前を教えることにした。
「幸一(こういち)と呼んでくれ」「それがファースト・ネームなのね」塩谷2曹の告白にシェリーは嬉しそうな笑顔を見せた。欧米でも下の名前で呼ぶのは親密さの表現だが、特に紳士・淑女の国・イギリスでは万事に気楽なアメリカのように簡単には許されない。シェリーは塩谷2曹に許してもらったように受け止めたのだろう。ただし、アメリカで活動している幹部の情報要員であれば絶対に本名を教えないのだがそこは空曹であり、純朴な田舎者なのだ。
「それにしても誰がお前に知らせたんだ」確認はそこからになる。朝山3佐へは「夜が怖い」としか伝えていない。あれから1週間でイギリスの情報機関の薬物の研究者であり、人体実験の実施者であるジェニファーが駆けつけてくるのは手回しが良過ぎる。
「コゴローから貴方が後遺症で苦しんでいるとイリアに連絡がありました。これは友軍に対して人体実験を行った我々の責任として実施者である私が派遣されたのです。でも・・・」ここで顔を向きながら説明していたシェリーは身を乗り出して目を覗き込むように見詰めた。
「貴方に会いたくて私から志願したんです」そう言われて塩谷2曹はシェリーが片言であっても日本語で話していることに気がついた。これは「会いたくて」と言う気持ちが偽りでないことの証明なのかも知れない。
塩谷2曹はグラスの焼酎を一口飲むと座卓越しに頬の傷を避けながら顔を押さえ、唇を重ねた。
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  1. 2018/03/22(木) 10:01:33|
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振り向けばイエスタディ1134

百里基地にある警備教導隊の小弥太こと塩谷2曹は苦しんでいた。イギリスで受けた対テロ訓練の時、シェリーと名乗る女に投与された自白剤の後遺症が半年経っても消えていないのだ。自白剤は大脳皮質を麻痺させることで論理的思考や理性を抑制し、深層心理や記憶を前面に押し出す効果がある。時間の経過と共に日中は問題なく生活することができるようになっていても就寝すると毎夜のように悪夢に襲われていた。
講習として見たテロの現場や犠牲者の遺骸、さらに処分されたテロリストたちの無残な写真が動画になって呻き声まで上げ始める。続いてインシュリンを注射することで故意に低血糖状態になってテロリストを事故死させた現場の映像が繰り返し再生される。そして最後は自分が殺害した金髪の若いテロリストが部屋の隅に立ち、黙ってこちらを見ているのだ。
警備教導隊は基地業務を担当する管理隊の警備小隊のように日常的に警衛勤務につくことはないが、当直の夜、酷くうなされて内務班の営内者に起こされたことがある。
「勘解由(かげゆ)さんに相談するしかないな」塩谷2曹は「このままでは精神を病んでしまう」と言う深刻な不安から事実上の指揮官だった勘解由=朝山3佐に連絡することを決めた。あの訓練は実施したこと自体が防衛秘密の指定を超えた秘密事項であり、当然のように参加者が個人的に連絡を取り合うことは許されていない。しかし、このまま放置して精神科に受診する事態に陥れば診断の中で何を話してしまうか判らない。
「これは秘匿のための防護措置なのだ」塩谷2曹は自己弁護の口実を考えてから海上自衛隊の幹部である朝山3佐の連絡先を探すことにした。その意味では覚醒時の思考機能への影響はほぼ解消しているようだ。
「はい、個人訓練参謀・朝山3佐ですが」数日後、塩谷2曹はようやく探し当てた朝山3佐に電話した。朝山3佐は沖縄航空基地の第5航空群司令部で個人訓練参謀として勤務していた。海上自衛隊の沖縄航空基地は航空自衛隊の那覇基地と同居しており、警衛勤務は航空自衛隊が主体なため陸警幹部の配置はない。そこに無理やり配置を作った人事のようだ。
「私は航空自衛隊警備教導隊の塩谷2曹と言います。以前から朝山3佐が江田島の第1術科学校の臨検課程で教えておられた捕獲術に興味を持って資料を収集してきたのですが、内容に疑問点があって質問の電話をしました」この言い訳も航空自衛隊の警備職の2曹が海上自衛隊の陸警幹部に電話する理由として考えたものだ。すると本来はあってはならない電話のはずなのに朝山3佐は戸惑うことなく話を受け止めた。
「用件は判りましたが今から所用で席を外さなければなりませんからよろしければ貴方の連絡先を教えて下さい。後でこちらから電話しましょう・・・携帯に」最後の部分は声量を抑えて付け加えた。要するに自衛隊の部内専用電話でも秘匿に対する信頼がおけず、私物の携帯電話で用件を聞こうと言うのだ。携帯電話も電波を傍受される危険性はあるが、具体的に説明することは避け、相手の直感力に期待してヒントを与える会話にすれば不特定多数である分、塵の中に紛れることができる。塩谷2曹は控室から昼休みで誰もいない訓練場に出て携帯が鳴るのを待った。やがて携帯電話が鳴り、声量を抑えられるように受話器を口元に近づけた。
「はい、塩谷2曹です」「朝山です」朝山3佐は勘解由と言う偽名も秘密であるため、階級を抜いた姓を名乗った。これはこの電話が私的な目的であることを伝えたのかも知れない。
「本日の天候は」「雲一つない快晴です」これで周囲に人がいないかを確認したようだ。
「で、用件はなんだい」「実は夜が怖いんです」これで伝われば大したものだ。しかし、流石は朝山3佐だった。この意味不明の説明で用件の概略を理解したらしい。
「薬の影響だな。かなり深刻なようだね」「はい、このままでは医者に掛かることになりそうで・・・そうなる前に相談の電話をさせていただきました」「よし、判った」これで会話は終わりだ。そのまま朝山3佐の方が電話を切った。後は互いに着信履歴から電話番号を消し、何事もなかったことにするだけだ。

それから1週間が過ぎた夜、塩谷2曹が下宿に帰って眠りを深くするための酒を飲んでいるとドアをノックする音がした。すでに10時を過ぎている。
イギリスに行ってからの塩谷2曹からは近寄りがたい殺気を感じるそうで訪ねてきて飲み明かす若い隊員はいない。通販を注文した憶えもないので宅配便でもなさそうだ。
「はい、ただいま」塩谷2曹はDVDで再生していたアドルト映画を一時停止にすると立ち上がって玄関に向かった。それにしてもチャイムを使わなかった理由も判らない。
「どちら様ですか」「・・・コヤタ」ドアに声をかけると向こうからかすれた女の声が返ってきた。塩谷2曹はこれがいつもの悪夢なのではないかと思い自分の頬を打ってみた。
  1. 2018/03/21(水) 10:15:47|
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振り向けばイエスタディ1133

宮寛君弁護士としては完全に手詰まりに陥っていても反対尋問を省略してもらう訳にはいかない。検察官と主治医の見事な連携で被告人・玉城美恵子の過激な性行為によって周志竜の持病である心臓の血管の狭搾が急速に悪化して死に至ったことは宮弁護士自身も納得してしまった。こうなっては国選弁護士としての責任としてのみ形式的な質疑を始めるだけだ。
「周志竜氏の死因については私も先ほどの説明で納得してしまいました。したがって別の医師の証人申請は行いません」つまり始めから白旗を上げたようだ。この言葉に主治医は軽く溜め息をつくと検察官と視線を合わせてうなずいた。
「そこで一件だけ証人に伺いたいことがあるんです。素人のつまらない質問ですがお答え下さい」反対尋問で弁護人が下手に出ることは珍しい。むしろ不利であればある程、高圧的な態度で強弁し、僅かな疑問点を無理やり押し開き、そこに手を突っ込んで中身をかき出そうとするものだ。しかし、法曹関係者ではない主治医はむしろ日頃から患者のこのような態度に慣れているため違和感もなく温和な笑顔を見せてもう一度うなずいた。そこで宮弁護士は証人席に歩み寄ると間近から顔を見ながら質問を始めた。
「死因は兎も角として被告人が周氏の異変に気づいて何らかの処置を取っていれば助かったものでしょうか」検察・弁護双方の尋問内容の概要は事前に裁判長に提出しており、互いに粗筋は認識している。ところがこの質問は未通知だったので検察官が気色ばんだ顔で弁護人を睨みつけたが、違法ではないため裁判長は事務的に証人を指名した。
「証人」「はい、先ほど申しましたように死因を確定できない以上、こちらも断言はできませんがおそらく無理だったでしょう」これは苦し紛れの質問だったが、意外に痛打になったかも知れない。検察官は慌てて反論を考え始めたがそれを遮るように宮弁護士は念を押した。
「私も心臓マッサージや人工呼吸などの救急処置を聞いたことがありますが、それらを施しても蘇生は難しいということですね」「証人」「はい、心臓そのものの機能が損なわれているとすれば素人の蘇生措置では難しいと考えます」美恵子にとってこの展開は地獄の底の血の池に天上から蜘蛛の糸が垂れてきたようなものだが、通訳を通してでは理解が難しいらしく反応は見せない。宮弁護士はそんな様子に緩みかけた口元で苦虫を噛み締めた。
「救急の蘇生措置による効果が期待できないとなるとこの裁判の訴追事由の1つである刑法276条の過失致死でも被告人が周氏を死に至らしめた過失と言うのは過激な性行為によって心臓の持病を悪化させたことだけになりますね」「異議あり。弁護人は証人が可能性として示した見解を断定的に事実化しています」検察官は意表を突かれた痛打の影響を最小限に留めるため防護柵を建てる。ここで裁判長が検察官と弁護人を呼び寄せて何かの相談を始めたため証人は水差しの水をコップに注いで飲んだ。表情に見せなくてもやはり焦りは感じているらしい。水を飲み終えると今度は額の汗をハンカチで拭いた。
「異議を一部認めます。弁護人は証言があくまでも可能性を示したものであることを踏まえて尋問をするように」「はい、判りました」今度も宮弁護士は証人席の前で裁判長に正対すると深く頭を下げた。
「先ほど一件だけと申しましたが、もう一つお願いします」宮弁護士は折角、優位に立った質問を取り止めて別の責め口から攻撃するらしい。当然、これも事前の通知はしていない。
「被告人は周氏の異変に気づいた時、男性自身が抜けなくなって身動きができなかったと証言していますが、このような症状は医学的にあるものですか」この質問に傍聴席では男性たちが好色な顔になって「膣痙攣(ちつけいれん)だな」とささやき合った。
「証人」「医学的にはそのような症例は確認されていません。ヴァニズム(ドイツ語)と呼ばれる症状は女性が外発的な刺激や精神的な動揺によって膣の痙攣を起こすことで性行為でも陰茎(いんけい=男性器)の挿入ができなくなるのが一般的です。挿入中の陰茎が抜けなくなると言うのは噂の類でしょう」宮弁護士は美恵子がこの証言の通訳を聞き終えるまで待った。
「裁判長、ここで今の証人の見解に対して被告人に体験を証言させたいと思うのですが」「異議あり。ここで被告人に証言させる必然性は認められません」「被告人は証人が『噂の類』と否定した症状になっていたため蘇生措置や救急通報ができなかったのです。この場でそれを確認する必要があります」宮弁護士は法曹関係者に珍しく論理的思考よりも直観的反応を得意とするらしい。逆に論理的に台本を組み立てることを専らにする検察官は対応に苦慮し始めた。
「それでは被告人の証言を認めます。被告人」ここで畳み掛けるように質問を始められれば形勢逆転を演出できるのだが、美恵子はこの問答の通訳を聞かなければ理解ができない。何にしても傍聴人たちは再び猥褻な話題で妄想をかき立てられることになる。
  1. 2018/03/20(火) 09:47:52|
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振り向けばイエスタディ1132

次の検察側が申請した証人は周志竜の主治医だった。始まりの手順は原告である妻の劉青賢と同じで、裁判長の「本人と認めます」の確認でゴングが鳴る。
「証人には当方が申請した証拠物件2をご覧いただきました」「日本国の沖縄県警の検視医が作成した死亡診断書ですね」裁判長の言葉に検察官はうなずいた。
「証人は被害者である周志竜さんの健康状態を熟知しておられたと思いますが、死亡診断書の記述内容から死因は何だったと考えますか」「証人」裁判長の指名を受けて渋いスーツ姿の主治医は老眼鏡をかけて手元の死亡診断書の訳文のコピーに視線を落とした。
「日本の警察では病死、つまり自然死と判断したようで解剖は行っておらず、外見からの推定のみですから発症後の心臓の状態は不明です。したがって死因の断定はできません」主治医の答えに検察官は大袈裟に失望の表情を見せる。それに法廷内の傍聴人たちも同調して不満の声を上げた。その声は広がるのと同時に大きくなっていく。
「静粛に願います」裁判長は映画などで見る机の上のガベル=木槌を叩いて注意を与えた。
「それでも日本の検視医が病死を判断したからにはその根拠となった所見があったのではないですか」「証人」「検視医は被告人の死亡時の状態に関する証言から類推したようです」この主治医は年齢相応に慎重に言葉を選ぶ人物のようだ。確かに最近の日本の医師のようには訊かれてもいない症状と今後の予見を並び立てるよりは口が重いくらいの方が信頼はできる。
「それでは死因と思われる病名とそれを示す症状を説明して下さい」「異議あり。検察官は法廷に推測に基づく診断を証言させようとしています。これは物的証拠のみを採用する司法の原則に背く行為です」突然、宮弁護士が意表をついた異議を申し立てたため裁判長は黙ってしまった。確かに近代的司法では当事者の証言や物的証拠のみを採用し、伝聞情報や想像は努めて排除するのが原則だ。しかし、司法院が医師の症状から原因を推理することを不確かな想像と認めてしまうと今後の医療活動に与える影響はあまりにも大きい。今回の裁判では判事は単独なので相談する相手もおらず正面を向いたまま口を結んで考えていた(単独の判事と言う意味では裁判長ではないが、裁判全体を統率する役職のためこの呼称を用いることも多い)。
裁判長は思いがけない中断で傍聴人たちの間に困惑が広まり始めた頃、ようやく口を開いた。
「異議を却下します。この証言は通常の医療行為における医師の判断の範疇であり、その信憑性は他の医師への確認によって検証することは可能です。弁護人が必要であると考えるのであれば証人申請することを勧めます」「はい、判りました」宮弁護士は深く頭を下げて席に座った。実は宮弁護士自身もこの異議が無理なことは判っている。ただこの後の反対尋問で証言を翻せるだけの疑問点が見つかっておらず、せめて心理的な動揺を誘いたかったのだ。
「お待たせしましたが、先ほど伺った死因と思われる病名とそれを示す症状の説明をお願いします」「証人」「先ずは呼吸が苦しそうになった。それは『呻き声を上げた』と言う証言になっています。それでも被告人は上に乗った体位で激しく腰を振って周さんを責め立てました。その結果、呻き声も激しくなり、呼吸が困難な状況に陥った・・・すみませんが証言台にもっと強い照明をいただけませんか」ここで主治医は検察官に思いがけない要求をした。確かに天井が高い法廷の照明では日本語の死亡診断書を翻訳したコピーは見辛いのかも知れない。広東語は繁字体なので薄暗い場所では黒い四角や三角の図形が並んでいるようにしか見えなくなる。
裁判長の指示で係員が電気スタンドと延長コードを持ってきて壁のコンセントに差して灯りを点けると主治医は訳文を確認して証言を再開した。
「さらに被告人が激しく腰を激しく上下前後左右に振ると窒息したような息づかいになって苦悶の表情を浮かべた。やがて身悶えするような動作の後、動かなくなった。これは心臓発作の典型的な症状です。おそらく解剖すれば狭搾している血管が詰まり充血した状態が確認できたでしょう。心臓の動脈は強靭なので破裂することは考えにくいですが、逆に心筋の一部が壊死していたかも知れません」あまりにも具体的で真に迫った症状の説明に傍聴人たちは思わず自分の左胸を押さえて心臓の鼓動を確認した。さらに法廷内の男性たちの頭にはその時、周志竜の上で激しく腰を振っていた美恵子の痴態まで浮かび、被告人席に座っている主演女優の横顔を注視した。今日も美恵子は化粧気がなく同じジャケット・スーツを着ているが、そのような淫乱には見えない。その落差が男たちの不謹慎な妄想をかき立てさせるようだ。
「それで被告人が周氏の異変に気づかないと言うことはあり得るのですか」「証人」「上から見下ろしていれば苦しんでいる表情と悶え苦しんでいる動作に異変を察知するはずです。余程、オルガスムス(ドイツ語の「性的絶頂」)に溺れていたのではないでしょうか」これで男たちの妄想の炎に油が注がれてしまった。
  1. 2018/03/19(月) 10:23:47|
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3月19日・ヨセフの祝日=カソリックの父の日

明日3月19日は婚約中の超清純派だったらしいマリアちゃんが「ヤハウェ(=ヘブライ語のカミ。エホバとも言う)」と名乗る男との性交渉によって妊娠し、その噂を聞いたヘロデ王による嬰児・妊婦殺しが始まると臨月のマリアちゃんを連れてエジプトへ逃亡し、その途中で生まれた子供・イエスくんを我が子として育て上げる献身的な愛情を注ぎながらも、イエスくんの父ではなく義父とされているヨセフさんの祝日です。ちなみにバチカンのお膝元・イタリアなどのカソリック国ではこの日を「Fesra del Papa=父の日(流石に『義父の日』ではない)」にしているようです。
そんなヨセフさんはローマ・カソリックだけでなくギリシャとロシアの正教会、それ以外の東方教会、コプト、プロテスタントでもイギリス国教会やルーテル派などではイエスくんの義父として崇敬されてきましたが、ローマ・カソリックで正式に聖人と認められたのは1870年になってからで、それだけでなく1955年にはローマ教皇が祝日とは別に5月1日のメーデーを「労働者・ヨセフの日」とする布告を出しています。
野僧も具体的には語れないもののヨセフさんと同じ奇跡を経験していますからイエスくんとマリアちゃんの権威づけのためにヨセフさんを殊更に貶めてきたキリスト教会の態度は許しがたいのですが、普通の小父さんに過ぎない夫よりも傍目には真面目そうに見える美人妻の方が人気を集めるのは古今東西の常なので仕方ないのでしょう。
実際、ヨセフさんはキリスト教を布教する上で疑問が生じると不貞妻・マリアちゃんの方は「無原罪の宿り=何もしてないのに出来ちゃった聖母」であることが絶対に揺るがせないため、その疑問の解決するための経歴操作を押しつけられ続けています。
例えばナザレの街の大工(当時の中東では石積み職人と言う方が適切な仕事内容だった)=庶民でありながらイエスが由緒正しい家柄で育ったことにする必要からダビデ王の42代の末裔と言うことにされました。しかし、本人はあくまでも大工であり、イエスくんも大工になったことに変わりはないのですからあまり意味のない家系詐称でしょう。
またヨセフさんはマリアちゃんとの間にヤコブ、ヨセフ、ユダ、シモンと言う4人の息子を儲けていますが、それではイエスを産んだ後は「やることをやって出来ちゃった」ことになるため、弟たちがイエスくんよりも年長のヨセフさんの連れ子と言うことになりました。おまけに結婚しても肉体関係が持てなかったことにするためルネッサンス以降に盛んに描かれた聖家族画の多くでは異様に若いマリアちゃんに対してヨセフさんは完全に性的能力を失っている老人=50歳以上の年の差婚にされています。
おまけにイエスくんが成人するまでで役目が終わったのか新約聖書の布教には登場することもなく、すでに死んでいたことにされてしまいました。
一方のマリアちゃんは新約聖書でも救世主と思い込んだイエスくんの聖母として振舞っていますから大恩あるヨセフさんよりも子種の男「エホバ」を思い起こしていたのでしょう。
コーランでは「天地を創造できるアッラー=カミが人間の女に子供を産ませる必要はない」とイエスくんを単なる預言者としています。極めて理に適った見解です。
  1. 2018/03/18(日) 09:53:03|
  2. 日記(暦)
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振り向けばイエスタディ1131

証人尋問は先攻後攻で進められるのは日本と同じだ。先攻は証人申請した側で申請理由の説明として証言をさせる。後攻は反対尋問とも呼ばれ、申請理由の問題点を追及し証言が無効であることを証明していく。証人・周志竜の妻の独演会が終わったところで尋問は後攻に移った。
「弁護側から質問させていただきます」宮弁護士が裁判長に一礼してから証人の傍に歩み寄ると周の妻・劉青賢は品格を保とうと殊更に柔和な表情を浮かべた。
「貴女は先ほど『周氏が日本国で被告人の誘惑に迷わされたとしても中華民国の国民であることに変わりはない。周氏が存命であれば一緒に裁判を受けるべきだが死亡しているので免除せざるを得ない。一方、被告人は我が国に来た以上、中華民国の法律で裁かれなければならない』とおっしゃいましたが、海外での行為は現地の法律に従わなければならない原則をご存知ないのですか」宮弁護士は周の妻の長い演説を記録していたかのように正確に引用した。中国語は画数が多い漢字を並べるため速記には向かない。おそらくその場で頭に録音したのだろう。
「証人」この質問で周の妻の顔から柔和な表情が消え、眉の間隔が狭まり口角が下がった。
「中華民国の国民は海外では尚更、母国の名誉を守り、尊敬と信頼を獲得するように振る舞わなければなりません。卑しい日本の商売女の誘惑に引っ掛かって我が国の名誉を傷つけた以上、可能な法的手段を講じてこれを処罰するのは当然ではないですか」周の妻はどこまでも雄弁だ。この程度の質問は雇っている弁護士からの事前講義で練習済みらしい。
「証人は卑しい日本の商売女と誹謗しましたが、被告人は周氏から情婦としての手当ては受け取っていません。むしろ日本での家庭を提供して商売に励めるように支えていたのです。このことはご存知でしたか」「証人」「刑法が禁じている通姦罪は手当の授受に関係なく婚姻している者が配偶者以外の異性と性的関係を持つことです。被告人はその法律を犯したのです」この反論も見事なものだ。周の妻は夫の留守中は社長代行として会社の経営に辣腕を揮っていたそうだが、顧問弁護士ともかなり密接に連携していたようだ。
「通姦罪の必要理由について『結婚している相手と肉体関係を持てば家庭内の信頼関係は傷つき崩壊につながる』と言われましたが、周氏が日本で被告人を情婦にしていることはご存知でしたか」宮弁護士は質問しながら美恵子の顔を振り返ったが通訳が追いつかず他を見ていた。
「証人」「経費にホテル代が計上されていませんでしたから宿泊先を問い質したことがありましたが日本人の知人宅に泊めてもらっていると言うことでした。普段から真面目な人でしたから疑うことはありませんでした」「つまり、知らなかったと言うことですか」「証人」「はい、信じていましたから」宮弁護士は同じ男として周志竜がこの完璧な妻と暮らすことに窒息しそうになり、沖縄での仕事を束の間の息抜きにしていたように思われてきた。その相手としてどこまでも軽い美恵子は最適だったのかも知れない。
「それでは『我が国の刑法には不貞行為を禁ずる罪状が定められており、その違法行為を犯した者を告発することは被害を受けた者の正当な権利だ』と言われたことに関して質問します。
宮弁護士は同じテンポで進めてきた質問にここで少し間を取った。難攻不落のこの証人への質問が単調になっていることに気づいたようだ。
「ご存知なようにイスラム教では4人まで正式に妻を迎えることができます。若し、我が国の女性がイスラム教徒と結婚し、相手の男性が我が国内で4人の妻と暮らし始めれば我が国の刑法で告発するべきだと考えられますか」「異議あり、質問が本件の証人尋問の趣旨から逸脱しています」ここで黙って聞いていた検察官が突然、手を上げて意見を述べた。その強い口調に通訳を聞かなければ意味が判らない美恵子も驚いて顔を向けた。
「異議を認めます。弁護人はあまり本件からかけ離れた事例を引いた質問をしないように」「はい、失礼しました」裁判長の裁定に宮弁護士は正対して頭を下げる。宮弁護士としては中華民国の儒教の倫理・道徳が決して普遍的なものではなく、海外で起きた事案は現地の法律で裁かれると言う国際法慣習を原告である証人に認めさせ、親告罪である通姦罪の告発を取り下げさせるところまで追い込むつもりだった。何にしても宮弁護士は被告人が一緒に戦う気すら見せない以上、当事者でもない自分の頭の中で戦術を考えるほか手段がないのだ。
「貴女は周氏には心臓の血管の狭窄があり、被告人がそれを知りながら過激な性行為を強いたとすれば過失致死ではなく殺人に該当すると言いましたが、被告人が周氏の持病を知っていたと言う根拠を聞かせて下さい」宮弁護士は長めの間を取ってから尋問を再開した。
「それは被告人が逮捕された時の警察での取り調べで『責めるように腰を振った』と言ったことです。女が上になって激しく腰を振ることは我が国では売春婦がする淫らな行為です。心臓の持病も夫は薬を飲んでいたので被告人も判っていたはずです。つまり性行為で殺そうとした。そう考えても不思議はないでしょう」この模範解答に宮弁護士は深く溜め息をついた。
  1. 2018/03/18(日) 09:50:25|
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振り向けばイエスタディ1130

美恵子の裁判は罪状認否、証拠調べに続いて証人尋問に入った。罪状認否については逮捕直後の取り調べで全面的に認めており、弁護人立ち合いでの確認でも同様だったので素通りせざるを得なかった。証拠調べは物的証拠が何もない以上、検察側が沖縄県警から入手した死亡診断書と死亡現場の検証記録を採用するか否か以外に議論の余地はなく、こちらも素通りだった。
検察側が申請した証人は美恵子を告発した張本人である周志竜の妻・劉青賢(リュウ・グィンシャアン)だ。周が沖縄で使っていた偽名・劉青然は妻の氏名の変造だったのかも知れない。
高級そうなスーツ上下を着こなし、品の良い丸顔で広い額が印象的な妻は被告人席に座っている美恵子を憎悪と侮蔑の目で睨みつけてから証言台に立った。
「貴方の氏名と国籍所在地、現在の居住場所を言って下さい」証言に先立って人定質問が行われるのは被告人と変わりはないが言葉遣いは少し丁寧なようだ。
「劉青賢、国籍は台北市××に置いています。現在の居住場所も国籍の所在地と同じです」「はい、証人本人と認めます」裁判長は机の上の書類と違いないことを確かめると簡単に許可した。
それにしても台湾も儒教の家族制度が社会規範になっている韓国や中国と同様に夫婦別姓が一般的なので、日本人の美恵子には通訳を聞いても違和感がある。
「それでは検察から証人に対する尋問を始めさせてもらいます」検察官も何時になく丁寧な言葉遣いだがそれは年上である証人への礼儀のようだ。
「証人はこの被告人が貴女の夫・周志竜さんと肉体関係を持った問題を何故、告発したのですか」「証人」裁判長の指名を受けて証人はユックリと優雅に立ち上がった。
「結婚している相手と肉体関係を持てば家庭内の信頼関係は傷つき崩壊につながります。それを防ぐため我が国の刑法には不貞行為を禁ずる罪状が定められており、その違法行為を犯した者を告発することは被害を受けた者の正当な権利だからです」そう証言しながら妻は美恵子を見たが、その眼には紅蓮の炎が燃えている。それは憎悪と言うよりも嫉妬なのかも知れない。
「しかし、それは婚姻関係にある者と肉体関係を持つことを禁ずる法律を持たない日本での行為であり、証人のような厳格な貞操観念を有さない被告人にとっては当り前の関係だったのではないのですか」「証人」「例え日本国に貞操観念が存在しなくても我が中華民国では厳格に守られています。夫は日本国で被告人の誘惑に迷わされたとしても中華民国の国民であることに変わりはありません。夫が存命であれば一緒に裁判を受けるべきですが死亡しているので免除せざるを得ません。一方、被告人は我が国に来た以上、中華民国の法律で裁かれなければなりません」周の妻はかなり雄弁だ。しかも理が通っている。どうやら弁護士などの法律の専門家の指導を十分に受けてきているようだ。
「今回、貴女からの告発を受けての刑法239条の通姦罪と性行為によって被害者・周志竜さんを死に至らしめた刑法276条の過失致死での告発になりましたが、この点について何か意見があれば言って下さい」「証人」「夫には高コレストロールによる心臓の血管の狭窄がありました。被告人がそれを知りながら過激な性行為を強いたとすれば過失致死ではなく殺人に該当すると思います。そちらでの告発と処罰を望みます」これは原告がより重罪での訴追を希望しているが、それを検察が押し留めているように見せる演出のようだ。弁護士席の宮弁護士は美恵子の様子を見たが「殺人」と言う通訳を聞いても表情を変えていない。
宮弁護士にはこの女性が自分自身を含めて周囲の出来事に無関心でいられる心理状態が理解できなくなっている。実際、その無関心な無思慮につけ込まれて台湾に呼び寄せられ、逮捕されたのだから身を滅ぼした悪癖・致命傷とも言えるだろう。
「それでは刑法271条の殺人での告発を希望すると言うことですね」「証人」「はい、裁判のやり直しができるのなら不貞行為の果てに夫の命を奪ったこの女に相応しい厳罰を与えて下さい」ここまで熱弁を奮ったところで妻は突然、号泣を始めた。
この公判もテレビで中継されている。本来は共犯者である周志竜も今では被害者と言うことになっており、その妻の涙は常識ある台湾人には美恵子への憎悪として響くはずだ。
台湾では2011年から陪審員制度が導入される予定であり、一般市民の裁判への関心は高まっている。このため司法院では各立場で一般市民の共感を呼ぶ法廷戦術を研究しており、これもその検証のようだ。
そんな悲劇の主人公を熱演している妻の横で無表情に舞台を眺めている美恵子の態度は「反省がない」「無神経」「冷血人間」と言う反発を買うのは間違いないが、実際に全く反省をせずに無神経なのは確かだ。国選弁護士とは言え宮弁護士はこのように無意味な手順は飛ばして有罪を前提に量刑の長短だけの裁判にしてもらいたくなってきた。
  1. 2018/03/17(土) 08:44:44|
  2. 夜の連続小説8
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振り向けばイエスタディ1129

「貴方、今日は定期受診だったんでしょう。どうだったの」遅れて帰ってきた聡美は玄関で防寒用の長靴を脱いで部屋に入ってくると顔を見るなり声をかけてきた。
「うん、順調だって。春からはリハビリにローラー・スキーを始めるよ」安川の返事を聞いた聡美は安心の笑顔になった。
「今度は無理しないでね」「俺だって無理するつもりは・・・なかったはずだ」冷静に考えてみると自分自身もはやる気持ちを抑え切れなかったのは間違いない。安川は衛生隊長から前中隊長の人間性が歪んだ理由を聞いてから心の中のどこかで同情を感じ始めているのだ。
「燃えている貴方って素敵だけど今年みたいに怪我してくすぶっていると私まで悔しくなっちゃうの」聡美はマフラーとコートをハンガー・ラックにかけ、手袋をセカンドバックと並べて棚に置くと振り返って優しく微笑んだ。その顔を見ていて安川の胸に訊くのがためらわれる疑問が湧いてきた。するとそんな夫の態度を感じ取った聡美の方から訊いてきた。
「どうしたの。何か訊きたいことがあるんでしょう」「うん・・・やっぱり止めておこう」「言いなさいよ。夫婦の間に隠し事はなしよ」聡美の顔が少し不機嫌になったので安川は仕方なしに質問を始めた。
「お前は高校に入学してきた頃、ボロボロのギスギスだったじゃあないか」安川が本人にとって消し去りたい過去を持ち出しても聡美は表情を変えない。むしろ真意を探るように目を覗き込んでいる。安川は唾を1つ飲み込むと質問を続けた。
「どうやって立ち直ることができたんだ」「私にそんなことを訊くなんて呆れちゃう」聡美は本当に呆れたように肩をすくめた。それを見て安川は聡美の過去に触れたことを後悔した。
「やっぱり悪い質問だったな。すまん。忘れてくれ」「馬鹿、違うのよ」すると今度は勘違いに唇を尖らせる。思いがけない聡美の百面相に安川は首を傾げて黙ってしまった。
「私が女の子に戻れたのは安川先輩に会えたからに決まってるじゃない」つまり聡美は高校1年生だった自分が「女の子」ではなかったと思っているらしい。確かに聡美が入ってきた時、高校には「誰とでも寝る美少女が行く」と言う噂が中学校から流れていて入学式の後には男子生徒たちが声をかけていた。そんな存在を「女の子」と呼ぶのは無理がある。
「だけど安川先輩は私を抱くためだけじゃあなくて1人の女生徒として守ってくれた」「でも、俺も抱いたぞ」「ううん、私は愛されたって思っているよ」確かに安川は他の男子生徒たちが早く抱くために自宅へ直行=連行していたのとは違い、通学路の途中にある公園に寄り、楽しい語らいの時間を過ごしていた。聡美にとってあれが初デートだったのかも知れない。
「それに私が貴方以外の人に抱かれるのは嫌だって言ったら喧嘩して停学になったでしょう」それは聡美の拒絶に「噂を流す」と脅してきた同級生を安川が屋上に呼び出して殴り合いになったのだ。その時、サッカー部員の安川の蹴りで相手が負傷したため停学になってしまった。高校3年の停学は就職や進学には大きな失点になり、それが陸上自衛隊に入る理由にもなった。安川としては「若気の至り」とも言える青春の一幕なのだが聡美には強い愛情に守られていることを実感する出来事だったようだ。
「そうだよ。東1尉も心の傷を癒してくれるような人と出会えばあそこまで歪んだ人間にはならなかったんだ」ここで安川が独り言で納得すると聡美は困惑したように顔を見返してきた。安川は暖房で赤くなってきた頬を両手で挟むとゆっくり引き寄せて口づけをした。
「貴方、さっきの質問は何だったの」食事を終え、晩酌のワインを飲みながら聡美が訊いてきた。自衛官とってワインなどはアルコール入りのジュースのような軽い飲み物なのだが、聡美の好みにつき合っている。したがって2日で1本のハイペースになってしまう。
「うん、前の中隊長がどうしてあんな性格になったのかを聞いて、どうして立ち直ることができなかったのかなって考えたんだ」「だって中隊長は幹部なんでしょう」「うん、1等陸尉殿だよ」聡美にとって中隊長は名寄に来た時、妻にも世話になった田島1尉の印象が強い。そんな尊敬の気持ちを東1尉は完全に打ち砕いてくれている。
「少校(少年工科学校=陸上自衛隊生徒)の時、徹底的に苛められたんだってさ」「でも卒業して20年も経っているんでしょう。それで立ち直らないのは生まれついての性格よ」やはり聡美にとっては夫に重傷を負わせ、それを反省せずに同じことを繰り返した東修輔1尉は同情の余地がない不倶戴天の敵のようだ。東1尉も結婚はしているが職場と家庭では別の人格を演じているのかも知れない。
以前、所属していた重迫撃砲中隊にも生徒出身者がいたが幹部や陸曹と陸士の前では全くの別人だった。果たして自衛官としての高校生活に当り前の青春はあるのだろうか。
く・葦田伊織イメージ画像
  1. 2018/03/16(金) 09:50:06|
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3月16日・アメリカ史上最年少の大統領候補・デューイの命日

1971年の明日3月16日は当選していれば43歳のジョン・フィッシュランド・ケネディ大統領よりも若かった大統領候補・トーマス・エドマント・デューイさんの命日です。
デューイさんは20世紀が始まった翌年の1902年にミシガン州で地方新聞社の経営者の子供として生まれました。1923年にミシガン大学を卒業し、そのままニューヨークのコロンビア大学の法律学校を終えて法学士の学位を取得しています。
その後はニューヨーク市の裁判所の検事を務め、1935年に1920年から1933年まで施行されていた禁酒法によってアメリカの裏社会を形成していたマフィアの撲滅を担当する特別検察官に任命されると多大の成果を上げ、シチリアからの移民の子供からアル・カポネさんと並ぶマフィア界の大物になり、古いしきたりを廃してビジネス的な組織経営手法を導入して表社会にも絶大な影響力を誇示していたラッキー・チャールズ・ルチアーノことサルヴァトーレ・ルチアーノさんを摘発して、高額の報酬で雇った有名弁護士たちを相手に「公共の敵・ナンバー1」と呼びながら身の危険を顧みずに激しい法廷闘争を繰り広げ、有罪を勝ち取ったのです。ただし、その裁判については「マフィアの撲滅」と言う政治的な目的が先行し、現在の感覚では冤罪に類別される強引な訴追も目立ちます。
ルチアーノさんが訴追された容疑は殺人・酒の密造と密売・労働組合の恐喝・カジノの取り立てなど多岐にわたりましたが強制売春だけは本人が絶対に認めませんでした。ところがデューイさんは街角に立つ娼婦たちを「『ルチアーノに強制されている』と言わなければ逮捕する」と脅した上で証言させて有罪にしただけでなく、強制売春の量刑としては異例の懲役30年から50年の判決を押しつけたのです。ただし、ルチアーノさんは最も居住環境が厳しいと言われていた刑務所に収監されたとは言え表社会との人脈によって特別待遇を受け、ラジオ付きの部屋で新聞を購読して、懲役の労務からは除外されて快適に10年間を過ごしていたと言われています。
更にデューイさんはアメリカ・ナチス党の中心人物を摘発して有罪にしたことで壊滅に追い込み、これらの活躍によりマフィアやナチスの報復を恐れずに法廷闘争を戦い抜いた勇敢な勝利者として市民の絶大な支持を集めるようになりました。
そこで1938年にはニューヨーク州知事選挙に出馬しますがこの時は僅差で敗れたものの1942年に再挑戦すると地滑り的圧勝を果たしたのです。知事としては全米で初めて雇用の人種差別を禁止する州法の制定や教育関係予算の大幅な総額とニューヨーク州立大学の創設などの手腕を発揮して、行政官としての人気も確立しました。
そして第2次世界大戦中の1944年の大統領選挙では大統領の任期を2期までと定める憲法を戦時の特例として3期目に出馬した民主党のフランクリン・ルーズベルトさんの対抗馬として出馬したのです。デューイさんは42歳でした。この時、デューイさんが当選していれば果たして原爆投下命令にサインをしたのでしょうか。
そのデューイさんは1948年の大統領選挙にも極めて異例な再出馬(通常は敗れた人物を選ばない)しながらも現職のトルーマンさんに敗れています。
  1. 2018/03/15(木) 10:19:27|
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振り向けばイエスタディ1128

安川3曹は演習の合間に衛生隊で定期受診した。すると衛生隊長でもある医官はズボンを下ろさせた。診察室には助手として看護士のWACがいるのだが命令なので気にしない。
「うん、ここまで大腿筋を鍛えておけば多少の無理をしても半月板が損傷するような衝撃にはならんだろう」医官は立ち上がっている太腿に筋肉の割れ目が出ているのを見て感心したように誉めた。これは「脚の筋肉を鍛えることで膝への衝撃を抑えれば訓練に復帰することができる」と言う指導と激励を受けて冬の間、サーキット・トレーニングに励んできた成果だった。
確かにスキーの強化訓練に入っていた時から太腿の側面には割れ目があったのだが、今ではそれが深くなって簡単に分解できそうに見える。さらに膝の上にも筋肉が盛り上がり、ふくらはぎも堅くなって太い角材のようだ。
「よし、ズボンをはけ。リハビリとしては雪が解けてもローラー・スキーにしろ。ジョギングは膝に衝撃がかかるから舗装された道路は避けて走るように」「はい、気をつけます」ズボンのベルトを締めながら安川3曹は返事をした。2度目の負傷の時も本人はリハビリのつもりだったのだが、それを前中隊長・東1尉が無理な訓練を強要したのだ。その東1尉は衛生隊と同じ駐屯地業務隊の糧食班長になっている。
「そう言えば君に怪我をさせた某1尉は・・・」衛生隊長は看護士がカルテを薬剤係に持って行った間に顔を近づけて内輪話を始めた。
「・・・高校1年の時に父親が会社でリストラされたから通い始めていた私立高校を退学して自衛隊生徒を受験したらしい。ところが年齢が同じ2年生に対等な態度を取ったことで目をつけられて徹底的に苛められたみたいだ。だから異常に権力志向が強くて猜疑心の塊のような屈折した人間ができあがったと言う訳だな」「どうしてそんな人間が幹部になれるんですか」安川3曹としては「身体検査で特異な精神性を審査できないのか」と言いたいのだが、衛生隊長は返事をしなかった。そこに看護士が帰ってきたので最近、気になっていたことを質問した。
「今はサーキット・トレーニングでエアロ・バイクをやっているんですが、春になれば自転車にしても良いですか」「エアロ・バイクって・・・自転車こぎのことか」衛生隊長も流石にサーキット・トレーニング器材の名前までは知らないようだ。
「確かに競輪選手の太腿は芸術作品の域だからな。膝への荷重のかかり方も滑らかだから申し分ない。交通事故にさえ気をつければ推薦しよう」医官の推薦を受けてローラー・スキーの他に励む競技ができた。しかし、普通科連隊の隊員が自転車を訓練にすれば第2次世界大戦の開戦直後に行われたマレー半島突進作戦で活躍した銀輪部隊のようではないか。そう言えばこの戦史は久居の教育隊の中隊長の精神教育で習ったものだ。田島1尉も知っていると言っていたが、あの中隊長の影響は今でも妙なところで気がつくことがある。本当に不思議な人だった。

「先任、医官から快復は順調だと言われました」4中隊に帰った安川3曹は先任陸曹に診断結果を報告した。中隊事務室も東1尉の時の互いに声を潜めて話をするような重苦しい雰囲気が消え、普通の中隊のように快活に質疑応答ができるようになっている。
「そうか、年度が変われば演習に復帰できそうか」「先ずはリハビリからだと釘を刺されました」先任の横から訓練係陸曹が声をかけてくる。やはり冬季レンジャーを終えた安川3曹にはこの冬の演習でも雪中斥候としての活躍を期待していたようだ。
「そう言えば医官からジョギングよりもローラー・スキー、それから自転車の方が膝への衝撃が軽いのでお勧めだそうです」「自転車かァ」「バイアスロンでも始めるみたいだな」今度は先任陸曹と訓練係陸曹が交互に話を引き取った。それにしても20歳代前半の安川3曹が銀輪部隊を連想したのに40歳代も半ばに差し掛かっている上級陸曹たちはバイアスロンとくる。モリヤ中隊長の精神教育は頭脳内の暦を逆行させる効果があるのかも知れない。
「おう、安川3曹、どうだった」そこに中隊長の天野1尉が入ってきた。東1尉の時にはその顔を見た瞬間に全員が身構え、先任陸曹が緊張した口調で業務内容を報告したものだが、天野1尉には目が合った者だけが軽く会釈するだけだ。
「衛生隊長は順調に快復していると診断して下さいました。春になるのに合わせてリハビリとして訓練を始めても良いとのことです」「それは当り前のことだな。外科手術を受けたばかりの隊員に無茶をさせるような者は・・・おらんはずだが」「普通はいません」今度は人事係陸曹が突っ込みに加わった。そんな天野1尉のところには連日のように糧食班の陸曹たちが愚痴をこぼしにきている。糧食班の陸士たちは調理師免許の取得を目的にして臨時勤務しているのだが東1尉は「動機が不純だ」と仮眠時間に精神教育を始めたらしい。
「アイツも犠牲者なのかな・・・」事務室の陸曹たちの東1尉を揶揄するような雑談を聞きながら安川3曹は衛生隊長から教えられたその原因を思い出していた。
  1. 2018/03/15(木) 10:15:44|
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振り向けばイエスタディ1127

今年の名寄の冬は安川3曹には何時になく辛いものだった。冬に入ってから半月板を損傷した膝には常に疼痛があり、踏ん張ろうとしても力が入らない。また2度目の負傷を診た医官の指示で演習への参加は管理要員に限定され、通常のスキー訓練も許されていない。このためサーキット・トレーニングに励み、ボディ・ビルダーのような肉体になってきた。
幸いなことは中隊長の東1尉が突然、駐屯地業務隊の糧食班長と交代して定年前の天野1尉が着任したことぐらいだ。天野1尉は定年間近のベテランだが、北海道出身なのでスキーの技量は申し分がなく、何よりも長い自衛隊生活で身につけた組織経営の手腕は東1尉が着任して以来、勝手な思い込みでかき回されてきた第4中隊の混乱を鎮静化するのに必要だった。
今回の演習も安川3曹は管理要員なので隣接する演習場から駐屯地の糧食班に出向いて運搬食を受領しなければならない。糧食班の裏にトラックをつけ、作業員の陸士たちを連れて中に入ると静まりかえっている炊事場に声をかけた。
「3連隊ですが演習糧食の受領に来ました」この時間帯は昼食が終わり、夕食の準備にはまだかかっていない空き時間なのだ。運搬食は昼食のついでに飯缶(ばっかん)と呼ばれる金属製の容器に分けて並べてあるのだが、勝手に持っていく訳にはいかない。
「すみません。第3普通科連隊ですが演習糧食の受領に来ました」もう一度、大声で繰り返すと炊事場の奥でドアが開く音がして革靴の足音がした。調理員であれば白の長靴なので「キュッ・キュッ」と滑るような足音になる。案の定、天敵・東1尉が姿を見せた。
「受領時間から30分以上遅れているぞ。そろそろ残飯として破棄するところだった」東1尉は安川3曹の顔を見るとイキナリ嫌味を口にした。冬も末期のこの時期は強くなってきた日差しで雪の表面が溶けても日が陰ってくればすぐに凍結する。このためトラックの運転には真冬以上の注意を要するのは常識だ。しかし、東1尉は受領の遅延だけを叱責してくる。
「それはすみません。思うように動けない身体になっていますから」「だったら陸上自衛隊を辞めた方が良いんじゃあないか」安川3曹の皮肉に東1尉は上乗せするような嫌味を返した。
「部隊が待っていますからいただいて帰ります。有り難うございました」「次は遅れるなよ。本当に残飯にするぞ」通常であれば「ご苦労さん」と労をねぎらい、「気をつけて行け」と注意するのが作法だ。東1尉はそれを無視して自分が勝手に抱いている嫌悪感、それ以上の憎悪をぶつけてくる。安川3曹は何故、ここまで嫌われるのかを考えているが思い当たる理由がみつからない。何にしてもこんな人物が幹部になれるのなら自分が合格しても不思議はないはずだ。この元中隊長の横暴で肉体を鍛えることができなくなっている今こそ部内選抜幹部候補生の受験に向けての勉強に励む好機しなければならない。

「ただいま」「おかえりなさい」最近の聡美は演習を終えて官舎に帰ってくる夫を出迎えるのが辛い。これまでの夫の顔には演習で限界を追及して完全燃焼し切った満足感があったが、今年は完全に不完全燃焼だ。晩酌しながら聞く話では三食を駐屯地から展開地に出前して配食すると部隊が食事を終えた後に食器を回収して糧食班に運び、KPと呼ばれる洗い物をするだけで過ごしているらしい。これではホテルのレストランで働く聡美に敵わない。
「お疲れさま」「ううん、疲れちゃあいないよ」これまでは演習から帰ってくると野性化しているため力任せに聡美を抱き締め、下手すればそのまま押し倒すこともあった。ところが今年は目だけは睡眠不足で潤んでいても全身から発する炎は元栓が締められているようだ。
「そうよね。ウチでバイトしているみたいな演習じゃあ安川レンジャーとしては欲求不満よね」「お前の店でバイトした方が本格的だよ」そう言って安川は大きな欠伸(あくび)をした。今までの演習では状況中は不眠不休に近く雪洞を築いて仮眠していた。ところが管理要員は夕食の食器を返納し、朝食の受領に出発するまでは天幕の寝袋で睡眠できる。それが却って間延びした感覚になって睡魔を引き寄せるらしい。
「そうだ。たまには貴方が夕食の準備をしてよ。ルーム・サービスだけの管理要員じゃあ満足できないんでしょう」聡美の提案は意表を突いているが中々面白そうだ。駐屯地からの運搬が不可能な演習場での演習になれば調理も管理要員がやらなければならない。そこで腕を揮うまでには完治したいが練習をしておくに越したことはない。
「よし、今日の献立は何だ」「冷蔵庫には鮭とマトンが入っているワ。野菜の青物はレタスと白菜、玉葱と人参とピーマンもあるよ・・・」「それで何を作る予定だったんだ」確かに材料に一貫性が感じられない。強いて言えばマトンと玉葱、人参、ピーマンでジンギスカンだろうか。
「残り物で何とかするのが野戦食でしょう」気がつけば聡美も立派な自衛官の妻になっている。
  1. 2018/03/14(水) 09:46:43|
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3月14日・π(パイ)=円周率の日

明日3月14日は世界的に「パイの日」です。「パイ」を片仮名で書くとどこかの菓子メーカーが言い出した販売促進の日のように思ってしまいますがギリシャ文字なら「π」で、日本では「円周率の日」とも言っています。したがって由来は円周率の始めの3桁「3・14」からです。ついでに言えば数学界では3・14の続きである159になるように1時59分か15時9分に祝杯を上げるそうです。さらに言えばこの日はアルベルト・アインシュタイン博士の誕生日でもあるため数学界にとっては最大の祝日なのです。
円周率は古代エジプトやバビロニア、インドの数学者たちが体験的に「円周は直径の3倍強」と言う定理を導き出しており、14世紀にインドの数学者が正方形の四辺の合計と対角線の長さから始め、その角数を増やしていくことで円に近づけると言う極めて数学的な手法で数式を構成し、「3.14159265358」の12桁まで解明しました。現在ではコンピューターによって永遠の計算が継続されていますが、現時点では各数字の出現率はほぼ均等で、僅かな差で8が最多、6が最少なのだそうです。
野僧は歌人である祖母から遺伝した超文系の頭を持っているため算数・数学はこれ以下がないほど駄目です。幼い頃に「1+1」の計算を教えられても「足した1はどこから来たの」と質問し、指を折りながら数えるように言われも「指は5本のままだよ」と答えるような大馬鹿者で、特に引き算は「消えた数字は何処へ行ってしまったのか」と考えているうちに哀しくなって涙ぐんでいたそうです。おまけに小学校3年の時に「少しでも計算ができるように」と珠算を始めるとたちまち夢中になって「読み書き算盤」の2年間を過ごした結果、その時期に習う方程式や図形などを全く理解できないままになってしまい、その後は中学・高校・大学に入っても算数のレベルを維持しています。
そんな野僧にとって数学は人生の凶事に他ならず中学時代は数学と技術家庭、体育の通知表の点が王貞治選手の背番号と同じ数字だったため社会と国語の5では挽回できず、受験ではかなり苦労しました。そうして入った高校では数学があった1、2年の6学期は全て赤点で留年のスリルを満喫したものです。
ところが赤点を取得した生徒の追認試験で数学の教師は粋な問題を出してくれました。それは前もって円周率100桁を並べた紙を渡され、「円周率の数字を書けるだけ書け」と言うものでした。つまり数学的思考とは全く関係ない単純な丸暗記で解答用紙には四角い100個の枠が並んでいるだけだったのです。そのおかげで進級できましたが、2年の時も浄土真宗の坊さんの教師は「お前はお経が得意だろう」と言って数字の桁の漢字の書き取りを出題してくれました。実際、日本の数字の桁「一、十、百、千、万、億、兆、京、垓、秭、■(じょう)、講、澗、正、載、極、恒河沙、那由多、不可思議、無量大数」と「分、厘、毛、糸、忽、微、繊、沙、塵、■(じょう)、漠、模糊、逡巡、須臾、瞬息、弾指、刹那、六徳、空虚、清浄」の大半は佛教の経典から採られているため浄土三部経や妙法蓮華経を読んでいるとその時に憶えた漢語が出てきて驚いてしまいます。尤も、この落第者の救済処置は数学に限った話ではなく化学では元素記号でやっていたようです。
  1. 2018/03/13(火) 09:33:04|
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振り向けばイエスタディ1126

スージーは街角で周囲の目を引いている服装の女性を見つけては声をかけている。今田菊子=本間郁子には必ずしもセンスが良いようには思えなかったが、幼い頃からファッショには興味を持って来なかったので黙って後をついて回っていた。
「すみません。そのファッションのコンセプトを教えて下さい」繰り返している質問は服装を組み立てている概念と主張だ。本間にとってファッションとは必要になった時、カタログや広告で気に入った品物を買うだけで「服装で自分を表現する」と言う発想は持っていなかった。
「なるほど原色の組み合わせで感情の爆発を表現しているんですね」スージーのインタビューに女性たちは堂々と答えている。興味がない者には単なる目立ちたがり屋にしか見えない女性たちでもそれなりの思想に基づいて服装を選び、着こなすための工夫を凝らしているようだ。
「素晴らしい。写真を撮らせてもらっても良いですか。採用できればウチの雑誌に掲載させてもらいます」「モデル料は出るの」アフリカ系の女性には単純明快な人物が多いようだ。こう言う人たちとつき合うには日本的な遠慮はかえって邪魔なのかも知れない。そんなことを考えながら2人の会話に耳を澄ますと妙な交渉が始まっていた。
「貴女の美貌とファッション・センスを世間に広めることが報酬です」「それでモデルのスカウトが来れば連絡をくれるんでしょうね」どうやらこの女性はモデル志望らしい。それであれば雑踏の中に入っても判る派手な服装も広告の看板のようなものだ。
「それでは貴女の電話番号を教えて下されば連絡はしましょう。勿論、個人情報は厳守します。ただし、我が社から売り込みはません」「うん、それでいいわ。貴女のアフリカン・ビューティーに載れば道は開けるはずね」女性の厚かましい返事を聞いて本間は呆れてしまったが、スージーは淡々と電話番号を聞き、手帳にメモした後、周囲を見回して背景を選ぶと数枚の写真を撮り始めた。その女性はモデル気取りでポーズをとるがかえって服装を殺しているように見える。つまり憧れと才能は別物であり、自信と過信は紙一重なのだ。
「菊子、今の娘(こ)は物になると思う」その女性と別れたスージーは次の取材対象を探して歩きながら話しかけてきた。
「難しいですね。あれでは何でも好きな物をグラスに注ぎこんでかき混ぜた酒をカクテルだと言われているみたいで売り物にはならないでしょう」本間の会心の比喩をスージーは小馬鹿にしたように鼻で笑うと冷ややかに話し始めた。
「デビュー前はあれで良いのよ。スカウトたちは磨けば光る玉か、ただの石かで選んでいる。先ず個性的であることが重要で、その個性が良質な物であるかは2の次なの。個性的であればスカウトの目にとまってデビューに向かって磨きがかけられる。そこで輝きを放たなければ砕かれて土木工事に使われるだけのこと」スージーの説明に本間は考え込んでしまった。日本ではデビューどころか応募する前の段階で自分に良質の個性=才能があるかを思い悩み、周囲も素人の基準で可否を識別する。受け容れた業界も規格に合うか否かだけで振り落とし、既成概念を破壊するような才能を発掘する気概を持たない。つまり全てが規格品なのだ。そうして失われてしまった玉の原石が日本社会には埋もれているのだろうか。
そう言えば本間の恋人・中央道(ゾン・ヤオダオ)は決められたことしかできない日本の国民性を「鉄道以外の交通手段を持たない」と揶揄していたが、2人で暮らしたアパートでは大学生協のレンタル・ビデオで借りてきたアメリカ映画ばかりを見ていたことを思うと、あの頃からすでに「島国の日本とは違い大陸の中国をアメリカ以上の自由に個性を生かせる国家にしたい」と言う途方もない夢を描いていたのかも知れない。本間はそんな日本人の男性にはないスケールの大きさに憧れ、愛していたのだ。
「あの男性のビジネス・スーツの着こなしは個性的ね。ネクタイとワイシャツの色がスーツとパンツと対照的で斬新よ」スージーは歩道の向こうから歩いてくるビジネスマン風の男性に目をつけた。考えごとをしていた本間が顔を上げるとハーレムには珍しいネクタイを締めたビジネス・スーツ姿の男性が目に入ってきた。確かに黒い髪と褐色の肌の色を意識したネクタイとカラー・ワイシャツの色が上品な個性を醸し出している。通常、アフリカ系でもエリート階層の人間たちはハーレムではなく高級住宅地に喰い込むことで地位を誇示することが多い。むしろこのような服装で歩くことは危険に遭遇する可能性もあるはずだ。
スージーは15メートルほどの間合いで本間に声をかけるように指示すると歩調を緩めて後方に離れた。アジア人の本間の方が警戒感を消せると言う計算が働いたらしい。
本間の現在の仕事は取材だが本業は諜報だ。こんな咄嗟の状況判断も学ばなければならない。
  1. 2018/03/13(火) 09:32:00|
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振り向けばイエスタディ1125

今田(こんだ)菊子=本間郁子は思いがけない人種差別に直面して困惑していた。日本人の感覚ではエイブラハム・リンカーンの伝記などで読んだヨーロッパ系の白色人種が奴隷として連れてきたアフリカ系の黒色人種を家畜に準じる扱いをしているのがアメリカの人種差別だと思っていたのだが、この編集部ではジェニファーがいないとアフリカ系の従業員たちが本間をアカラサマに侮蔑し、接触さえも敬遠するのだ。
「菊子、驚いたでしょう」職場でも孤立無援になって、やることもなく自分の席に座っている本間にジェニファーが声をかけてきた。編集長であるジェニファーの前では従業員たちは愛想笑いを向けてくるが、視線に入らない者たちは不快感を露わにしている。
「はい、アメリカでは白色人種が絶対的権力を握っているからアジア系とアフリカ系は有色人種同士の仲間になれると思っていました」これは本間だけではなく多くの日本人が思い込んでいる誤解なのだ。
「アフリカ系は気位が高いヨーロッパ系よりも優しい」と信じて在日アメリカ軍の兵士と結婚する日本人女性は少なくないが、それは軍人として健全な人権意識を学んでいるからであってアメリカの人種差別はそのように簡単なものではない。アフリカ系の人々はアメリカでの奴隷としての生活では家族を持つことができず、家畜の繁殖同様に子孫を残しても家庭教育が不可能であったため学力は極めて低く、第2次世界大戦での兵役によってようやく人権が認められ、文明社会に加わることができるようになっても必要最低限の常識さえ身につけていない者が大半だった。このためアフリカ系の人間自身で教育を行える人材を育成する目的で学力に関係なく一定枠を固定配分して高等教育を受けさせ、社会の指導者の地位につけるようにしたのがアファーティブ・アクションだ。これはアフリカ系に限定されているためある意味の特別待遇になり、対象外のアジア人を一段見下す反動的効果を生んでしまっている。
「これから貴女はアメリカで取材活動を行わなければならない。そのためには日本のように単一民族の国家では考えられないような複雑な問題の上にこの国家が成立していることを頭での理解ではなく心に刻み込んでおく必要があるの」「はい・・・やるしかないですね」本間の力無い返事を聞いてジェニファーは微笑みながら肩に手を置いて軽くゆすった。
「スージー、これから取材に行くんでしょう。菊子を同行させなさい」ジェニファーは自分の席で出かけるための準備をしている女性記者に声をかけた。
「ノー・マァム(=男性のサーにあたる敬称。フランス語のマダム)、今日はアフリカ系の住民への取材ですから菊子を連れていく訳にはいきません」スージーの顔には「仕事の邪魔」と言うよりも「アジア人への嫌悪」が見えている。実際、アフリカ系の住民の中に日本人を連れて入ることには危険も予想されるのだ。
「大丈夫、菊子は日本式護身術のブラック・ベルト(黒帯)だから銃を使われない限り心配はいらないよ。むしろ敵意を持っている相手から話を聞き出す実習として鍛えてあげてちょうだい」ジェニファーの説明にスージーは濃い口紅を塗った厚い唇を歪めて笑った。その間に本間も出かける準備を始めていたが、アメリカでは貴重品と取材用具を分けて携行しなければならず少し手間取っていた。
「菊子、もたもたしないで。置いて行くよ」結局、厄介者を押しつけられたスージーは忌々しげに声をかけてくる。それでも本間は自衛隊式に「××、ヨシ」「△△、ヨシ」「○○、ヨシ」と携行品を確認してから出発した。その動作をジェニファーは何故か懐かしそうに見ていた。

「ここがハーレムですか」スージーは本間をニューヨークでもマンハッタン北部にあるハーレム地区に連れて行った。日本で読んだアメリカ東海岸地区の観光ガイド・ブックでは「治安が悪いので日本人女性は単独で立ち入らないように」と注意書きがしてあった場所だ。
「菊子、貴女の発音はおかしいよ。ハーレム(HAREM)ではアラビアンナイトの妾宅じゃない。ここはハーレム(HARLEM)なの」日本人は「L」と「R」の発音を使い分けないので片仮名で書いてあればそのまま口にするが、元来、ニューヨークのハーレムはオランダからの移民の居住地で母国の都市「ハールレム(HEARLEM)」から名づけられたらしい。その居住地が独立戦争で破壊され、その廃屋が奴隷たちの暮らす小屋になったことで現在のアフリカ系の人々の街ができたのだと言う。
そんな説明をしながらスージーは優越感を味わっている。アフリカ系アメリカ人にとって他人に自分の知性を見せつけることには特別な快感があるようだ。
「何か質問は」「貴女のその服は素敵ですね。どこで買ったんですか」本間はその優越感を逆手に取り、日本的誉め倒し取材を始めた。勿論、スージーの満悦は益々膨れ上がった。
  1. 2018/03/12(月) 10:26:50|
  2. 夜の連続小説8
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振り向けばイエスタディ1124

「ネエネが有罪になったら俺は特防秘の資格を失うかも知れないんです」特防秘とは特別防衛秘密取扱者適格性資格認定審査の略称で、戦闘機や警戒レーダーなどの特別な防衛秘密を取り扱う隊員の思想信条や人間関係を調査する制度で陸上自衛隊でも通信科や武器科の隊員は該当する。私は陸上自衛隊の普通科に転換したことで自然消滅させてしまった。
「そうかァ、確かに親族に犯罪歴があると特防秘の欠格になる可能性はあるな」以前は普通の自衛官の入隊時審査でも親族に犯罪歴があると保留され、その内容を再確認されたものだが、バブル期には「3K公務員」と呼ばれて人気がなかった自衛隊では本人が非行で補導されて保護観察処分の代わりに入隊してくる者を受け入れなければ人数が揃わなかった。したがって現在の航空自衛隊の特防秘がどのようになっているのかは門外漢には想像もできない。
「まァ、審理期間が短い台湾の裁判でも半年で判決と言うことはないよ。だから浜松への転属の頃には係争中だな。向こうへ行って上司に申し出ておけば後は何とかするだろう」「でも折角、浜松へ行って熱血教官になろうって張り切っていたのにそんなことで駄目になったら残念さァ」元義弟には同情するしかないが、私自身も同じ原因で陸上自衛隊の幹部としての将来を棒に振っている。その意味では義弟の方がまだ被害は軽いはずだ。
「仮に特防秘が欠格になって教官ができなくなっても1術校なら学生隊の助教として生活指導する道もあるじゃあないか。お主は体育会系だろう」これは22年前の記憶で考えた助言なのであまり説得力はない。私にとって1術校は折角、本州の西の端・防府へ就職家出したはずなのに親元に強制送還された悪夢のような入校だった。強いて言え森山教官に女体の神秘を教えてもらったことが得難い経験なのかも知れない。
「でも曹候が今年の空候課程で終わるからアドバンスで入ってくる後輩を鍛えてシッカリ生き残らせなければいけないって思ってるんですよ。ニイニの力で曹候を止めることを阻止できなかったの」曹候学生の後輩でもある元義弟は無茶な八つ当たりをしてくる。
「吹けば飛ぶような2佐では無理だな。幹部候補生学校で当時の女房に足を引っ張られなければ何とかなったかも知れないけど」これは松真に私が美恵子から受けた被害を思い出させるための嫌味だ。実際は同期のスーパー・エリート・佳織もまだ2佐だから変わりはない。
「そうかァ、ネエネは曹候の将来まで潰したんだね。だったら無期懲役で永久追放になってしまえば好いんだ」松真の不安は怒りにもつながっているようで突然に不時発火した。
「中華民国刑法第276条の過失致死の最高刑は2年以下の徒刑だから無期懲役はないな」松真は怒りにまかせて「無期懲役」と言ったが専門家の私の説明に黙ってしまった。それにして「死刑」と言わなかったのは心の中では姉を心配している証左であろう。
「何にしても仲人は頼めるんだな」「うん、後で美代子とも話し合ってみます。ところでニイニは淳之介の嫁さんの親は知っているんですか」一難去ってまた一難だ。本来であれば淳之介が告白しておいてくれれば話は早いのだが一番辛い立場の人間が説明する羽目になった。
「うん、極めてよく知っている人だよ」「それはどう言う意味ねェ」「身も心もよく知っているんだよ」この説明では益々理解不能になったはずだ。しかし、確かに私は梢の体と心を熟知している。仕方ないので深い過去の傷を晒すことにした。
「あかりはワシが沖縄で愛した恋人の娘なんだ」「えッ・・・」流石に松真は絶句する。
「名前は安里梢と言って琉球ツーリストに勤めている。今は空港の旅券窓口の主任になっているはずだよ」「それってネエネとつき合う前の彼女ってこと・・・」「うん、お前の姉とつき合わなければ間違いなくやり直して結婚していただろう」この告白で松真の方が辛くなったのは判っている。しかし、それを承知の上で仲人を依頼しているのだ。
「どうしてその人と、安里さんと結婚しなかったの」「うん、ワシの親が反対・・・否、親に引き裂かれたんだ」私の親の反対は美恵子の時にも経験しているので松真も理解できたはずだ。美恵子の時に親を捨てる決断をしたのは梢に流させた涙を2度と見たくなかったからだった。
「それじゃあネエナが割り込んだから結婚できなかったんだ」「そうだな。ただし決めたのはワシだから自己責任ではあるな」気がつくと課業時間中の割には話が長くなっている。そこで話をまとめるため念を押すことにした。
「親同士は納得しているからその点は心配しないで欲しい。若い上に身体的なハンディを持つ2人を見守る役柄を引き受けてくれるように美代子さんとも十分に話し合ってくれ」「あかりさんのことは帰省した時にオトウとオカアから聞いているけどニイニの元恋人の娘とは言っていなかったよ。不思議な縁なんだね」「うん、ニライカナイのお導きなんだろう」松真が仲人を引き受けてくれれば新たな縁ができる。何とか気分良く電話を切れることができた。
  1. 2018/03/11(日) 10:02:02|
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3月11日・天目山の戦い=甲斐武田家が滅亡した。

天正10(1582)年の明日3月11日(太陰暦)の天目山の戦いで武田勝頼さんが自刃して平安時代から武名を馳せていた甲斐武田家が滅亡しました。37歳でした。
甲斐武田家は河内源氏の頼信さんが甲斐守に任官し、嫡男・義家さんを伴って奥州征討を行った頼義さんも継承しましたが任地に赴くことはなく、父と兄に同行した3男の新羅三郎義光さんが初めて甲斐に移り住んだため始祖と称されています。
下剋上の戦国時代にも薩摩・大隅の島津氏や豊後の大友氏、中国地方の大内氏、美濃の土岐氏、越後の上杉氏、常陸の佐竹氏、米沢の伊達氏などの守護大名が勢力を保っていましたが、最終期まで強大な覇権を保持し得たのは武田氏と島津氏くらいでしょう。
勝頼さんについては野僧の現役時代の座右の書「甲陽軍鑑」では批判的に、長野県=信濃出身の作家・新田次郎さんの著書「武田信玄」「武田勝頼」では肯定的に描かれていますが、「甲陽軍鑑」の著者(高坂弾正さん?)にとって勝頼さんは主家・武田氏を滅ぼした当主である以上、批判的になるのは当然のことで、逆に新田さんの作品の悲運の名将扱いについてはやや地元贔屓の度が過ぎるように感じています。
勝頼さんは天文15(1546)年に信玄公が滅ぼした信濃の国衆・諏訪氏の娘との間に生まれました。この時、信玄公には京都の公家・三条氏から嫁いできた正室と間に長男、と二男がいましたが(3男は夭折した)、次男は盲目だったため事実上は家督継承順位2位だったのです(現在の武田家の末裔は次男の血筋を信玄公を崇敬していた徳川将軍家が再興した)。しかし、気位が高い正室によって徹底的に冷遇されたものの諏訪氏の遺児として旧臣を納得させると言う名目で信州・高遠城主にはなれました。
しかし、長男が謀反の疑いで幽閉されて廃嫡されると嫡男に繰り上がり、ここでようやく父・信玄公から君主の在り様を学ぶことになったのです。新田さんの作品では極寒の中、凍えた雑兵たちが村の諏訪神社の社殿を壊して焚火しているのを収めるように命じられて、諏訪大社の宮守家の当主として祭神を遷座して社殿を壊すことを許した逸話が描かれています。これが史実かは不明ですが、綿密な取材に基づく創作で評価されている作家ですから少なくとも地元にはそのような伝承が残っているのでしょう。
やがて信玄公が亡くなると「三年間は喪に服することなく我が死を秘し、国の守りに徹せよ」との遺命を守りましたが、信玄公が落とせなかった遠江と駿河の国境の要衝・高天神城を制圧したことで己の力量を過信し、信長さんと家康公に奪われていた領土の奪還を画策するようになり、東三河を流れる豊川の起点である長篠城の攻略に乗り出しました。
ところが信玄公以来の武田騎馬隊を馬防柵で遮って大量の鉄砲を撃ちかける画期的な戦術に大敗を喫し、多くの重臣も失ったことで急速に衰えていきました。
そして天正10(1582)年の2月に木曽口を守っていた重臣が織田氏に寝返ったことを知って討伐軍をおくったものの雪に阻まれて果たせず、この弱体ぶりを見た家臣たちの離反が止められなくなり、2月14日に古くから凶事とされている浅間山が噴火したことも重なって完全に内部崩壊を起こしてしまったのです。本能寺の変の3カ月前でした。
  1. 2018/03/10(土) 09:55:45|
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振り向けばイエスタディ1123

淳之介の意思を聞き、私からも小松基地の玉城1曹=松真に電話をかけた。勿論、こちらから重い責任を伴う立場をお願いする以上、失礼がないように電話の前に航空幕僚監部の人事に出かけて現在の所属と階級を確認してきている。
「はい、メンコン」電話には違う隊員が出たが、この部署名を聞くと20歳から25歳までの挫折した仕事を思い出してしまう。
「陸上幕僚監部法務官室のモリヤ2佐ですが、忙しいところ申し訳ないですが玉城1曹をお願いします」「はい、1人おります。お待ち下さい」相手は私の所属と姓階級を聞いて急に口調を変えた。しかし、私の経験では航空機整備員は仕事の腕の良し悪しだけが上下の基準にしており、幹部だからと言って緊張するような人種ではなかった。それは気質が変わったのか、陸上幕僚監部法務官室に特別な圧迫感があるのかは判らない。何にしても「玉城、陸のエライさんから電話だ」と声をかけているのが聞こえた。
「はい、玉城1曹です」「おう、仲人さん」私の返事を聞いて松真が「ギクッ」と身構えた気配がする。続いて電話口で深く息を吸った音がした。
「お久しぶりです。姉が色々と迷惑をかけてすみません」これでは電話の目的が変わってしまう。仕方ないのでこちらから用件を切り出した。
「淳之介から話は聞いているか」「・・・はい、俺に仲人をやってくれって電話がありました」この口調ではまだ承諾はしていないようだ。
「今日はワシからもお願いしようと思って電話したんだ。君の自宅の電話番号は知らないから職場になったけどね」本当は空幕の人事で確認して知っているのだが、あまり上層部で個人情報を探っていることを感じさせたくはない。これも元空曹としての配慮だ。
「実は俺なんかで良いのかなって考えているんです。美代子も本気なのかなって心配しています」名前を出されて松真の妻が旧姓でも玉置美代子と言ったことを思い出した。
「玉城美代子1曹にしては弱気だな。彼女なら2つ返事で引き受けてくれるって思っていたんだが」「美代子の周りのWAFたちは幹部に仲人を頼んでいますから空曹の夫婦では荷が重いって言うんです」新隊員出身の美代子も1曹になっているようだ。30代半ばで揃って1曹になっていれば優秀な夫婦なのは間違いない。下手な幹部よりも仲人の適性がありそうだ。
「それじゃあ美代子1曹にもワシから電話してお願いしようか」「いいえ、大丈夫です。モリヤ2佐からも正式に依頼があったと伝えれば前向きに考えるでしょう」松真の返事で本人も前向きに考えてくれ始めたことが判る。そこで念押しの情報を提供した。
「仲人さん一家の航空券代はこっち持ちだから無料のハワイ旅行のつもりで引き受けてくれ」「えッ、結婚式はハワイでやるんですか」どうやら淳之介は肝心の話をしていなかったようだ。逆に言えば仲人の依頼の段階で渋られてそこから先に進めなかったのかも知れない。
「だって沖縄でやる訳にはいかないだろう」「そりゃあそうですけど」「9月に女房が帰ってくるからそれまでにって考えているんだ」「それは・・・」松真の口調が重くなった。
「実は3月に俺は1術校の教官、美代子は1空団の補給隊に転属する予定なんです。引っ越して早々に海外旅行って言うのは無理かも知れません」何だか航空自衛隊も随分と堅苦しい組織になってしまったようだ。空曹時代に入校した体育学校では自由に振舞う私を陸曹たちは「空中分解自衛隊」と揶揄していたが、これでは大差がない。
「別に法令や規則に違反する行為をする訳じゃあないんだから必要な手続きを踏めば問題ないだろう」「法令違反ですか・・・」ここで再び松真の口調が重くなった。どうやら何か心配事があるようだ。それも法令関係の問題らしい。そうなると私の専門だ。
「航空自衛隊では独自の渡航申請手続きができたのか」これは陸上式の鎌かけだ。海空で内部組織の変更があれば同じ市ヶ谷にある陸上幕僚監部が知らないはずがない。とぼけて隠し事を訊き出すのは陸上自衛隊の得意技なのだ。
「いいえ、モリヤ2佐なら相談に乗ってもらえると思いますが、ここではまずいので携帯で電話します」そう言って電話を切ってしまった。余程、深刻な問題のようなので私は携帯電話を机の上に置いて少し身構えながら待っていると他人用の着信音・ショスタコーヴィッチの交響曲第5番第4楽章が始まった。
「どうした。何か心配事があるようだな」「はい、実はネエネの台湾の裁判が有罪になると・・・」いきなり松真は口ごもる。私は美恵子の有罪になって松真に影響を及ぼすことがあるのかを考えたが咄嗟には思い浮かばない。美恵子は姉とは言え民間人だ。裁判も日本国内ではなく海外での話ではないか。すると意を決したように松真が切り出した。
  1. 2018/03/10(土) 09:54:20|
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振り向けばイエスタディ1122

「オバア、お母さんはどうなってるの」台湾で美恵子の裁判が始まった頃、淳之介が南城市の実家に電話してきた。その後、テレビや新聞では美恵子に関する続報は流れてこない。尤も、沖縄のマスコミにとって海外とは敵対国であるアメリカと宗主国の中国だけなので台湾で行われている個人の裁判に関心を示さなくても不思議はないだろう。
「アンタの方こそ近いんだから何か聞いてないねェ」確かに仕事で与那国島への便に乗り組んだ時には約200キロの距離にある台湾に立ち寄りたくなる(石垣島は157キロ)。勿論、台湾のラジオの放送も入るが台湾語が理解できなければ情報収集にはならないのだ。
「オジイが外務省に訊こうとしたんだけど沖縄には中国領事館はあっても台湾の窓口はないのさァ」「県庁は相談に乗ってくれないの」「沖縄県庁は中国の役所だから関わることを嫌がるのさァ」そう言う状況も考えず勝手に台湾に行き、そこで逮捕された母の軽率さには呆れる前に腹が立ってくる。父も直感で行動する人間だが日頃の情報収集と分析能力が並外れているから、思考する手間を必要としないだけだ。その父の意見を伝えることにした。
「お父さんがお母さんにはこれ以上関わらずにあかりと結婚しろって言ってるんだ」突然過ぎる話に祖母は返事ができなかった。自分が知っているモリヤなら別れた妻とは言え、美恵子の窮地を真剣に心配してくれているはずだ。
「でも美恵子がこんなことになっていちゃあ結婚式なんてできないよ」「だから結婚式は今のお母さんと妹がいるハワイでやれって言うんだ」祖母としてはモリヤの人間性が以前とは全く変わってしまったことを再確認して考えがまとまらなくなった。
「それじゃあ、2人だけでハワイに行って結婚式をするんだね」「ううん、モリヤの両親と妹は出席できるし、あかりのお母さんも大丈夫だよ」祖母にはモリヤが結婚式から玉城家の人間を排除しようとしているように思えてきた。確かに淳之介を返されても美恵子は全く関心を持たず、モリヤが裁判を受けている間も心配すらしなかった。ならば冷淡な態度に変わっても自業自得と言うものだろう。ところが次の言葉がそんな思い込みを打ち消した。
「俺、松真叔父さんに仲人を頼もうって思っているんだ」「松真にねェ。あの子で大丈夫かね」「お父さんも賛成してくれたよ」これで玉城家も関わることができる。祖母は勝手に「モリヤが冷淡になってしまった」と決めかけていたことを反省した。
「それからオジイとオバアの航空券代とホテル代はお父さんが出してくれるって」「えッ・・・」こうなると絶句するしかない。祖母の胸には黙っている間に別の希望が湧き上がってきた。
「それは有り難いけど・・・」「オバアは俺たちの結婚式に出るのが嫌なの」淳之介は珍しく言葉を濁した祖母に不安を感じて訊いてきた。
「私たちとしてはそのお金で台湾に行きたいのさァ」それは至極当然な希望だ。不肖の娘とは言え親にとって我が子であることに変わりはない。その我が子が異国で身柄を拘束されて裁判を受けているとなれば無理をしてでも駆けつけて本人に会い、現状を確認し、激励をしたい。実はモンチュウに借金を申し入れることを夫と話し合っていたのだ。
「それじゃあ俺も台湾に行かないといけないね」「ううん、アンタはお父さんが言う通りあかりさんと結婚しなければいけないよ。あの馬鹿な母親の手から離れないとアンタの人生まで狂ってしまうさァ」淳之介は祖父母と父がそれぞれの立場で自分とあかりの幸せを考えてくれていることを受け止めて胸が熱くなった。
「それでお父さんとも話し合ったんだけど、結婚したら俺が安里の苗字を名乗ろうかなって思ってるんだ」「それは私だけじゃあ答えられないよ。オジイが帰ったら訊いてみるさァ」祖父は夕食のオカズを釣りに漁港へ行っている。今日も釣果はタマン(フエフキダイ科)やガクガク(イサキ科)になるはずだ。どちらにしても自慢話を聞いてから切り出さなければいけない。
「それにしてもアンタには余計な苦労ばかりかけて申し訳ないね」話に区切りがついてところで祖母は胸の中に溜まった懺悔の思いを口にした。同じように育てはずの4人の子供の中で何故、美恵子だけが家族と言う土台を築き守ることを理解できなかったのか母親として自問自答を繰り返しているのだ。先日も「カッチン」が入っているテナント・ビルの管理人から休業中に来店した客からの問い合わせが増えていると言う連絡を受けて妹の孝子、長女の日出子、次女の夕紀子で今後について話し合ったばかりだ。
美恵子がやることは本人に悪意がなくても全てが裏目にしか働かない。何よりも問題なのは本人に反省し、教訓にする意識が微塵もないことだ。
「でも俺はオジイとオバアの孫になれて幸せだよ。祖父母はオジイとオバア、お父さんはお父さん、お母さんはあかりのお母さん(佳織は少し手に余る)、嫁はあかり、それが最高の組み合わせだね」究極の孝行孫・淳之介の言葉に祖母は鼻をすすった。
  1. 2018/03/09(金) 09:57:05|
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