fc2ブログ

古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

9月1日・防災の日=関東大震災が発生した。

大正12(1923)年の明日9月1日に関東大震災が発生して約10万5千人が死亡・行方不明になり、昭和35(1960)年からは防災の日(「坊さんの日」ではない)になったため全国各地では炎天下の防災訓練が行われています。
野僧が小学生時代は始業式が防災の日だったため夏休みの宿題を提出した後に防災教育が始まりましたが題材はやはり関東大震災でした。愛知県岡崎市と言う土地柄から言えば昭和20(1945)年1月13日に発生した三河地震の方が臨場感はありそうですが、この地震によって東海地方の軍需工場が壊滅的被害を受けたため発生したこと自体が軍事秘密とされた影響を元兵隊の先生も引き摺っていたのかも知れません。
その教育によると「関東大震災は午前11時58分に発生したため多くの家庭では昼食の支度で火を使っており、これが火災の原因になった。だから地震を感じたならば先ず火を消せ」と熱弁を奮っていましたが、火災の体験談は戦時中の空襲だったようです。
実際、関東大震災では地震で倒壊した家屋が炎上し、大規模な火災旋風が発生して逃げ惑う市民の多くが犠牲になりました。この時の被害をアメリカは東京大空襲の前に詳細に研究して爆弾による破壊よりも焼夷弾での炎上を選択・再現したのです。
さらに教育によると震災の前、神奈川県の「江の島が次第に浮かび上がってきている」と言う指摘があったそうです。それは岩礁に開いた貝の巣穴が海面からかなり上になっていて、海面の位置が下がっている=岩礁が浮き上がっていると言う現象でした。これも震災後は最上部まで沈んだそうですから地殻変動を確認する上での教訓になったようです。
関東大震災は東京の被害ばかりが強調されますが、火災による死者だけは人口に比例して東京が圧倒的に多いものの地震による倒壊や津波の流出での死者は神奈川県の方が多いのです。ちなみに津波は房総半島の館山で9メートル超、東京の洲崎で8メートル、熱海や三浦で6メートルを記録し、鎌倉では高徳院の大佛殿が流失した明応の地震と同じく津波によって300名以上が行方不明になっています。
さらに大震災はタイミング的にも最悪でした。この1週間前の8月24日に加藤友三郎首相が病没しており、首班指名も進んでいない中で発生したため政府の対応は後手に回らずを得ず、翌日の山本権兵衛内閣の成立を待って本格的な対策・復興は始まったのです。
そんな混乱の中で朝鮮人による暴動の噂に過剰反応した市民によって虐殺が生起したことは現在も禍根を残しています。
さらにこの大震災は世界恐慌から復興しつつあった経済面にも大打撃を与え、巨額の復興予算は財政を圧迫し、それは軍事予算も例外ではなくそうして鬱積した軍の不満が昭和に入ってからの大陸での暴走や政権を手中に収めようとする暴挙につながりました。
しかし、95年前の「震災を忘れるな」と防災教育をしても最近では現実味が湧きにくくなっていますから、そろそろ2011年3月11日の東北地区太平洋沖地震に変更した方が良いのではないでしょうか。東日本大震災の犠牲者数は約2万5千人ですが会計年度末なので余剰予算の消費と実績の宣伝にもなるでしょう。
  1. 2018/08/31(金) 09:34:31|
  2. 日記(暦)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

振り向けばイエスタディ1297

義父が育ったソウル市郊外の教会の裏手は広い森になっていて、そこには色々な形をした大きな石柱が建ち並んでいる。石柱の前面や十字架の台には碑文が刻まれており、歩きながら読んで行くと外国人が大半のようだ。
「ファーザー、御無沙汰しています」通い慣れている義父母は先に立って歩き、四角睡の石柱の前で立ち止まった。義父は石柱に手をかざし、育ての親である神父に挨拶を始めた。
続いて追いついたジアエが白い花の束を石柱の前に寝かせた。日本の墓所のように花立てなどの付属品はついていないのでこうなる。
本来、韓国のソンミョは儒教の作法に則っており、1週間ほど前から山中にある墓所の周辺の草刈りから整地、土饅頭の整形などを行い、当日は土饅頭の前に敷物を広げてそこに親族が並び、お供物の焼酎をコップに注ぎ、果物やソンピョン(餡入り餅)などを墓前に捧げる。そうして拝礼になるのだが、男性は両膝と両手を地面につける日本で言う土下座=最敬礼、女性は片膝を立てた韓国の正座で両手を目の高さで水平にして頭を下げる。後は会食で終わりだ。
ところが李家では祈る相手がアメリカ人神父のためカソリックの作法を準用しており、立ったまま石柱の前に整列した。
「タイガーは気持ちだけで良いよ」「祈るのは故人ではなくカミになのよ」向かって右から義父・聖也を抱いた岡倉・義母・ジアエの順に並んでいるので両側から声を掛けられた。カソリックでは死後は天国でカミの加護を受けているので故人の心配をする必要はなく、カミへの感謝の祈りを捧げるのだそうだ。ついでに言えば祈る対象は唯一絶対のカミだけなのだ。この論理は日本の門徒から聞いたことがある。やはり唯一絶対の存在を信仰していると洋の東西を問わざず宗教的論理構成が似てくるようだ。
「それでは」義母が前置きの独り言を呟くと讃美歌を唄い始めた。勿論、ジアエも唱和する。
「慈しみ深き 友なるイエスは 罪科(つみとが)憂いを 取り去り給う 心の嘆きを 包まず述べて などかは下ろさぬ 負える重荷を・・・アーメン」この曲は日本では教会での結婚式の定番になっているが、カソリックの聖歌集657番・讃美歌312番として登録されている正式な聖歌なのだ。女性陣の讃美歌が終わったところで義父が聖書の一節を唱え始めた。
「カミはこの独り児を賜ったほどにこの世を愛して下さった。それは御子を信ずる者が永遠の命を得るためである・・・ヨハネ3の16・・・アーメン」ここでカソリック教徒3人は基本教練のように見事に揃って指で十字を置き、祈りを捧げた。
「イン ザ ネーム オブ ザ ファーザー(父なるカミ)」で額、「アンド オブ ザ サン(カミの子・イエス)」で胸、「アンド オブ ザ ホーリー(尊き)」で左肩、そして「スピリッツ(聖霊)」で右肩に触れ、最後に手を合わせて「アーメン」と手を合わせて頭を垂れる。岡倉は聖也を抱いているので最後の祈りだけ頭を下げた。
教会での礼拝を終えると車で食事に向かった。聖也は墓所を公園と勘違いしたようで石柱の間を歩き回り、叩いて喜んでいた。それで疲れたのか暖房が聞いた車内では眠ってしまった。
「済州島にあるお義父さんの先祖の墓はどうなっているんですか」厳粛な新年を迎えられた感激を胸に岡倉は以前から気になっていることを訊いてみた。
「うん、私も幼い頃に脱出して以来、一度も帰っていないから親族が生き残っているかも判らないんだ。若し生き残っている者がいれば生死不明の子供を探そうとするだろうから、それがないところを見ると全滅したんじゃあないかな」義父は前を向いたまま感情を交えずに答えた。
「お父さんは幼い頃の記憶は」「貧しい集落の風景と李承晩が雇った暴力団に追い立てられて裏山に逃げた場面はかすかに憶えているが、住んでいた場所を特定する手がかりになるような記憶はないな」義父の声が沈んでしまったのでこれ以上の質問は避けた。
「私の祖先の墓はジアエが参ってくれていますが、父方の先祖の墓が気になっているんです」「へーッ、岐阜県の佛教寺院にあるお墓はお母さんの家のものなの」ここで助手席の義母が振り返って質問してきた。韓国では結婚しても実家の姓を維持しているくらい血統を重んじている割には秋夕(チルソク)と正月(ソルラル)の正式な墓参は婚家だけに留めるのが道徳らしい。
「父は福岡県の北九州市出身で名古屋の大学に入ってそのまま就職したので職場で母と知り合って婿養子になったんです」「ムコヨーシって何」岡倉も婿養子の韓国語の単語が浮かばなかったので、そのまま日本語で説明したが案の定、通じなかった。どうやら韓国では「婿養子=入り婿」と言う制度はないらしい。
「それではお父さんの実家のお墓の住所を教えて下さい。次のチルソクにお参りしてきます」岡倉は幼い頃には盆と正月に父の実家に帰省していたが両親が事故死してからは縁が切れている。前河原の幹部候補生学校からも帰省先がない休暇で墓参に立ち寄っただけだ。
く・李英愛イメージ画像
  1. 2018/08/31(金) 09:33:34|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

振り向けばイエスタディ1296

結局、2人は聖也の眠りが深くなったのを確認してから合体した。そのおかげ日付が変わり日本で言う「姫始め=新年最初の性行為」になった。
翌朝、ジアエの起床は早い。韓国では日本のように正月3ヶ日をオセチ料理で間に合わせる風習がないため女たちは早起きして年頭の祝い膳の支度をしなければならないのだ。尤も大半は下ごしらえしてあるので牛のスープにトック(うるち餅)を入れた韓国風雑煮を作るだけだ。
「今日も寒いわね」ジアエはベッドから抜けると部屋の隅のクローゼットから普段着を出して着替え始めた。チマチョゴリに着替えるのは仕度が終わってからだ。カレンダーでは2月中旬とは言え日本の新潟や福島と同緯度で内陸のソウル市内はまだ冷え込みが厳しい。着替え終ったジアエは聖也の毛布を直した後、夫の寝顔にキスしようとした。
その時、岡倉の腕が伸びてジアエの背中に回すとベッドに抱きよせた。ジアエの体重でベッドが揺れたが聖也は起きない。2人はそれを確認すると昨夜の余韻を楽しむかのように抱き合った。
「グッド・モーニング」キスを終えると岡倉は悪戯っぽく笑いながらこう告げた。今日は元旦なので英語の「ハッピー・ニュー・イヤー」か韓国語の「ヤヘポンマニパドゥセヨ=新年の福を沢山受け取って下さい」と新年の挨拶をするべきだが岡倉には別の企画があるのだ。
「俺のカバンを開けてみろ」「えッ、着替えは出してクローゼットに掛けたでしょ」「底に残っている物を受け取ってくれ」折角の余韻を切り上げて珍しく岡倉が命令した。ジアエは寝室の応接用の椅子の上に置いてある岡倉愛用の衣納式旅行カバンを開けて中を覗き込んだ。
「何、これ」ジアエは底から取り出した直径30センチほどの包装紙を開けてギッシリとチョコレートが並べられた籠を見つけると歓声を上げかけて黙った。やはりこれから台所に行くのに聖也を起こすことはできない。
「ハッピー・バレンタイン」ここで岡倉が種明かしをする。昨夜、カソリックでの聖バレンティヌスの祝日が正式ではなくなったことが判ったので、ここは若者の気分で愛を込めた贈り物をしたつもりだ。
「ありがとう・・・嬉しい・・・幸せ・・・」ジアエはアメリカ製のチョコレートの籠を胸に抱えるとシミジミと幸せを噛み締めるように笑顔を見せた。本来であれば余韻どころか姫始めの第2ラウンドを始めたいところだが義母も台所に出てきているはずだ。ジアエはチョコレートの籠を大切そうに自分の勉強机に置くと名残惜しそうに部屋を出て行った。
食事を終えるとは家族揃って墓参り(ソンミョ)に出かけるのが韓国の正しい正月の過ごし方だ。今までは李家の知り合いに会うことを避けるため岡倉は留守番をしていたのだが、ジアエが子供を産んだことで近所の住人に質問され、「韓国系アメリカ人のジャーナリスト」「式はアメリカで挙げた」と説明したため今回から同行できることになった。
「何だァ、バレンタインで賑わっていると思っていたけどそれ程でもないな」義父の車でソウル市でも住宅地の商店街を通ると意外にも閉っている店が多かった。例年、ソルラルでジアエの家に向かう時、商店街は新年に向けた売り出しで賑わっており、年が明けて帰る時には看板がバレンタイン・セールに変わっていた。その当日となれば活況を呈していると思っていた。
「我が国では個人商店はソルラルの3日間は休むのが普通なの。今年は2月14日だから閉店してしまったのね」「ふーん、そこが韓国だな」岡倉の返事にジアエは苦笑いして肩をすくめた。確かに日本であれば売り上げの大幅増が期待できる行事が重なれば個人商店でもそちらを優先するはずだ。しかし、このように家庭を優先する分別は逆に学ぶべきかも知れない。
「その意味では(チョコレートを)アメリカで買ってきて正解だったな」「うん、ありがとう」後席では背広を着た岡倉が聖也を抱き、チマチョゴリを汚しては困るジアエは膝に花を抱えている。聖也も一緒に寝たことでようやく父親と認めてくれたらしい。
商店街は休みでも出掛ける人が多いようで道路は混んでいる。韓国の自動車の混雑は速度が早い分、迫力はあるが車に乗っている者としては臨場感を満喫している場合ではない。
韓国では居住地域の郊外の山を一族の墓所とするのが伝統であり、最近まで土葬が主流だったため山には先祖歴代・一族郎党の土饅頭が所狭しと並んでいる。それでもソウルなどの大都市では地元とは別の墓所として公営墓苑が整備され火葬も増えてきた。
義父の李家は済州島に住んでいたが李承晩政権の親北朝鮮派に対する無差別・大量虐殺で家族は死んでしまい幼児だった義父だけが救われ、ソウル市内のカソリック教会のアメリカ人神父に育てられた。このためソンミョは教会の裏手にある聖職者の墓で勤めるのだ。
それにしても韓国は不思議な国だ。国民はキリスト教徒と佛教徒が半数ずつなのに行事の日程は儒教に基づいている。日本のクリスチャンであれば伝統行事自体を拒否するだろう。
  1. 2018/08/30(木) 10:12:08|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

漫画家・M.M.さんの訃報に茫然・号泣

8月15日の夜に漫画「ちびまる子ちゃん」の作者・M.M.(本名・旧姓)さんが亡くなっていたそうです。53歳でした。
ヒョッとして大ファンだった西城秀樹さんが5月16日に亡くなったので後を追ってしまったのでしょうか。そう言う野僧もご本人の大ファンだったので新聞で訃報を読んで茫然、我に返って号泣してしまいました。
「ちびまる子ちゃん」の連載が始まった頃、野僧は少女漫画を読む趣味はあったものの連載していた「りぼん」はメルヘンチックな作品が多いため購読はしませんでした。続くテレビのアニメが始まった1990年から92年は入校・合宿の連続で家に落ち着くことがなく、愚息1と父子家庭になって見始めると間もなく放送が終わってしまいました。
ところが浜松に転属になるとアニメのヒットでM.M.さんは静岡県の広報に貢献した人物として注目を集めており、テレビには登場しないものの新聞の地方欄ではインタビュー記事やエッセーが掲載されていました(それでも顔はイラストだった)。そんな折、職場の仲間がJリーグで活躍し始めていた「長谷川健太と中学校の同級生だ」と自慢していて周囲が真面目に聞かないとアルバムを持って来て見せたのですが、そのついでに「こいつが『ちびまる子』の作者だ」と教えてくれたのです。
野僧は毎度の悪癖で一瞬にしてM.M.と言う本名などのデータを記憶したのですが、「ちびまる子ちゃん」は静岡市内が舞台なのに同僚の出身地は隣りの清水市(現在は静岡市清水区)なので疑問を感じたもののアルバムの写真はまる子そっくりなのでその美貌(?)はシッカリと頭に焼き付けました。今回、本名の方は流石に忘れていたのですが何故か号泣している間に思い出しました。
アニメの「ちびまる子ちゃん」は1995年から再開したのですが、その頃は同居人の命令で壊れたテレビの買い替えが許されず、やはり見ることができませんでした。その後、定年になった単身赴任者のテレビをもらって見始めたのですが昭和の子供たちの日常が描かれており、愚息たちも大喜びして大ファンになりました。
中学時代は美術部部長だった野僧は昔からアニメの登場人物を描くのが得意で愚息1との父子家庭の頃にも保育園や公園で地面に描くと子供たちが集まってきて次々とリクエストされましたが(その中には母子家庭の子供もいて親同士で色々ありました)、その後、アンパンマンとちびまる子ちゃんの登場人物を専門にするようになったのです。
ちびまる子ちゃんの登場人物の多くはM.M.さんの同級生がモデルなのだそうでアルバムを見せながら説明してもらったのですが、まだアニメを見ていなかったので記憶に残りませんでした。同僚が登場していなかったのは意外に影が薄かったのでしょう。せめてメガネ美少女・穂波たまえちゃんだけでも確認したかった。
まだご冥福を祈る気持ちにはなれませんが、小庵では盂蘭盆会の法要期間中の逝去だったので西方浄土往復の団体さんに片道参加していたのかも知れません(余談ながらM.M.さんと同居人は生年月日が一緒です)。
  1. 2018/08/29(水) 09:26:35|
  2. 追悼・告別・永訣文
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

振り向けばイエスタディ1295

生後1歳半と言う時期の育児は色々と難しいようだ。そろそろ奥歯も生えてきているので歯磨きにも慣れさせなければならない。その一方で離乳が始まるが水分と栄養の補給のためには完全に止めることもできず、かと言って乳成分が歯に残ると酸化して虫歯の原因にもなる。
おまけにオムツを外すためには常に観察して一瞬の表情や仕草の変化を見逃さないようにしなければならない。
李家ではジアエの軍務を優先して義母が定年まで少し残して退職した。韓国の公務員の定年は55歳が一般的なので本当にあと数年だ。尤も韓国には年金制度がないので日本のように掛け金の満了を気にする必要はないのだ。
「貴方、飲み過ぎていない」義父との大晦日の酒を飲み終えて寝室に移動するとジアエは枕元に水を入れた大きめのグラスを置いた。
「うん、大丈夫だ。今回はマッコリ(濁酒)だから身体に優しいだろう」韓国の酒の代表であるマッコリはアルコホール度数は6度から13度と低めで蛋白質と乳酸菌が含まれており、それでいてカロリーは低い健康的な酒だ。
「父も定年前に地方の校長になる予定だから地元の人たちとの交流のためにマッコリを嗜むように練習を始めたのよ」ジアエの説明でこれまで「カソリック教徒に許されている酒は赤ワインだけだ」と言っていた義父がマッコリに転向した理由が判った。
「そうなるとこの家にはお義母さんとお前と聖也だけになるな」「そうね。母は心配するなって言っているけど国内外に問題が山積だから私としては国家だけではなく家を守るためにも全力を傾注しなければいけないわ」この李知愛(イ・ジアエ)韓国陸軍少佐の口ぶりでは韓国の政治や軍事情勢にはアメリカまで伝わっていない問題が多々あるらしい。
岡倉はダブル・ベッドの中央に寝かされている聖也の傍らに横たわっているジアエの肩に手を掛けた。夫婦の営みは出産後4カ月が過ぎていた10月上旬の秋夕の帰宅の時に再開している。
「そんなことをしなくても私は貴方の妻です。大韓民国軍人としての義務と両立させながら貴方の役に立つ方法を何時も考えています」ジアエは夫の仕草に敏感に反応して眠りが浅くなった聖也の頬を優しく撫でながら拒否した。確かに性行為に溺れさせて情報を引き出すのは岡倉が初めてジアエを抱いた時と同じだ。ジアエは大きく溜息をつくと背中を向けたまま話し始めた。
「我が国の現政権は発足2年を迎えても脱却できない慢性的な低支持率に極度の危機感を抱いているんです」李明博政権の低支持率についてアメリカで報じられることは滅多にないが、韓国発の情報を入手した杉本から聞いたことがある。
「国民の不支持を打開するために取る手段は世界史にある通りで・・・」「手っ取り早く敵を作るんだな」岡倉の返事にジアエの頭がうなずいた。
「最近、北朝鮮との軍事的緊張が急速に高まっているのは間違いないけどマスコミは前々政権と前政権が推し進めた対話路線の継続を要求しているから批判的な報道はしないの」「つまり敵対行為が発生しても韓国側に非があることにされてしまうんだな」韓国のマスコミは軍事政権下では徹底的な思想統制を加えられていたが日本の朝日新聞の記事を引用する形で世論の扇動を行い軍人支配の打倒に成功した。そうして民主政権に移行してからも朝日新聞の主張の請け売りに終始しているようだが、反米軍反自衛隊の亡国報道まで受け継いでいるとは思わなかった。
「これは怒らないで聞いて下さい」「うん」ここでジアエは身体を捻って岡倉の気配を窺った。
「政権内には日本の新政権が親中反米に転換したのを利用して対馬の奪還を主張する政治家もいるみたいなの」「奪還ねェ・・・」今、ジアエは「タイチュウ(奪取)」ではなく「タイハヮン(奪還)」と言った。韓国にとって対馬は有史以来の自国領であり、その後、日本に奪われたため元寇の時に取り返そうとしたと言う歴史観を聞いたことがある。だから「奪取」ではなく「奪還」なのだ。ただし、ジアエは政権内の主張をそのまま説明しただけで本人はそのように考えてはいないはずだ。
「実際に我が軍に奪還作戦の研究を命じたんだけど軍人の中では金政権以来の政治不信が深刻化しているから敢えて在韓米軍にリークしたのよ」韓国軍では金大中政権、盧武鉉政権下で北朝鮮を敵視する常識的な軍人が排除された。そんな親北朝鮮政権が終わったと思えば今度は事実上の同盟国・日本との戦争を命じられれば見切りをつけたくもなるだろう。
「日本が政権交代して以来、日米同盟が終焉を迎えるんじゃあないかって言う不安がアジア各国に広がっているのよ。日本の異常な政権は何時まで続くの」最後はジアエの方が情報収集してきたが、岡倉は帰国した本間が語っていた先ず世論に浸透する中国の脅威を実感していた。
  1. 2018/08/29(水) 09:25:24|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

振り向けばイエスタディ1294

今年のソルラル(太陰暦の正月)は岡倉にとっては絶妙の日付だった。2月14日のセント・バレンタイン・デーなのだ。勿論、愛妻・ジアエの実家は敬虔なカソリック教徒なので聖バレンティヌスの祝日として過ごすはずだが街中にはカップルが溢れ、日本以上に浮き浮きとした空気が充満するらしい。子連れになってから恋人同士に戻るのも変だが恋愛関係を省略して夫婦になったのだからこの日付に想いを込めることも許してもらいたい。
「ただいま」「ナムピョン(貴方)、エオソオ(おかえりなさい)」玄関ではジアエと手を引かれた聖也(セオングヤ)が出迎えた。やはり聖也に言葉を覚えさせるため挨拶は韓国語になっている。ジアエの隣りで自分を見上げている聖也は随分と足腰がシッカリしていて手をつないでいるのは単に甘えているだけのようだ。岡倉は眉が太く目が細い聖也の顔を見て自分の子供時代の写真を思い出してしまった。幼い頃からあまり愛嬌があった方ではないから掛け値なし(韓国の場合、整形なし)に美人である母親似を期待していたのだがそれは叶っていない。
「聖也、お父さんに挨拶をしないさい」その時、ジアエが声をかけた。岡倉は子育ての経験はないが1歳半の子供に話ができるとは思わず少し驚いてしまった。ところが聖也は唇を尖らせると息を吹きながら元気よく「バブー」と言った。これが挨拶らしい。
「そうか、よくできたな」そう言って聖也の頭を撫でると逃げるようにジアエの足にしがみついた。やはり聖也は半年に1度帰ってくる岡倉を父親とは理解していないようだ。「父親とはそのようなものだ」と納得するにはもう少し成長しなければならないだろう。
義父母への挨拶をすませ、土産を配ってからリビングのソファーに座るとジアエがポットに入れた紅茶を運んできた。その間、聖也は義母があやしている。
「昨年11月にオバマ大統領が来韓したがアメリカでは少しは報道されていたかね」沸騰した湯で入れる紅茶はすぐには飲めないため義父は時事放談で時間を作ろうとした。韓国では太陽暦と太陰暦が同居しているが公的な話題は前者のカレンダーになる。
「いいえ、その前に日本にも寄っていますが大統領の行動日程の紹介くらいで、新聞の写真も首相との首脳会談ではなく天皇と握手しているところでした」「これと言って成果がなかったから記事にする必要がなかったんだな」義父は皮肉に笑うと紅茶の湯気を吸った。
「それにしても昨年は先代と先々代の大統領が亡くなりましたね」「うん、どっちもカソリックだったがカミに背くような大統領だった」2009年5月23日に盧武鉉大統領が飛び降り自死、8月8日には金大中大統領が病死している。2人ともカソリックだったが政治的には西側のキリスト教国よりも中国と北朝鮮に臣従しているように見えた。義父の顔が渋くなったので岡倉は手造りのクッキーを摘まみ、熱い紅茶をすすってから話題を変えた。
「明日は教会のセント・バレンタイン・デーのミサに参加するんでしょう」今度は義母に問いかけると意外な答えが返ってきた。
「昔は2月14日の聖バレンティヌスの祝日は教会に出かけたけどジアエが生まれた頃にはなくなっていたわ」「うん、1969年の第2回バチカン公会議の典礼改革で実在が確認できない聖人の祝日を整理したんだ。その時に聖バレンティヌスのミサも廃止されたようだ」つまり日本人はセント・バレンタイン・デーと呼んでいる2月14日をカソリックの祝日だと思っているがそれは過去の話で、現在は正式にチョコレートを贈る日になっていると言うことだ。
「2月14日にチョコレートを贈る風習は1800年代にイギリスの菓子メーカーがプレゼント用として売り出したのが始まりだそうだが、我が国には日本が伝えたんじゃあないか。いつ頃からそんな風習があったんだね」義父は質疑応答が続かなかったため話題を宗教から風俗に替えた。しかし、折角の気遣いも岡倉の知識は乏しい。何故なら大学時代はプロレス愛好会だったので女子部員はおらず、自衛隊に入ってからは部隊にWACはおらず(当時)、現在の職場に咲く一輪の花は女性と呼んで良いのか迷うような存在だ。幹部候補生学校にはWACの同期はいたが、入隊して10カ月が経過した2月14日ではそれぞれが意中の人を決めており、義理チョコを配る習慣もなかった。
「確かに女性が男性に送ると限定しているのは日本だけですから菓子メーカーの販売戦術の臭いがプンプン漂っていますね」岡倉も韓国でソルラルを過ごすのに慣れているのでこの時期の雰囲気は良く知っている。ソルラルが2月上旬であれば商店街はその賑わいのまま2月14日のバレンタイン商戦に移行すると言う。ただし、儒教の風習が色濃く残る韓国ではプレゼントをするのは基本的に男性の方だ。そのため岡倉もカバンの中に明日、ジアエに渡す予定のバスケット入りのチョコレートを隠している。
「我が家ではセント・バレンティヌスの祝日じゃあなくてソルラルを祝いましょう。天使がおやすみよ」男たちの話が弾まないところで義母が眠ってしまった聖也を抱き上げた。
  1. 2018/08/28(火) 09:56:30|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

振り向けばイエスタディ1293

「今、出ていったのはモリヤ2佐じゃあないのか」私が退室して間もなく司令の井上将補が田中2佐のところへ来た。井上将補はワシントンに赴任する前は冷徹な計算に基づく合理的判断しか認めない「人間コンピューター」と呼ばれていたのだが、アメリカが始めたイラク戦争を半ば当事者として経験したことで「一皮剥けて帰ってきた」と言われている。今では気軽に職場に顔を出して雑談で部下が考えていることを把握するようになっている。
「はい、先日の台湾からの書簡に断りの返事を出したと言う説明でした」田中2佐としては業務多忙な折に迷惑な来客が持ち込んだ余計な仕事を司令に知らせたくはなかった。
「彼がそれだけのためにワザワザ訪ねてくるとは思えないが」「はい・・・」やはり自分には人間コンピューターの探知能力を回避することはできない。田中2佐は頭脳のレベルの違いを噛み締めながら返事を濁した。そこにスーツ姿のWAFがコーヒーを運んできたので自分の席に戻っていた田中2佐は井上将補と一緒にソファーへ移動した。
「実は彼が担当している裁判で少し信じ難い、と言うよりも許し難い事実が明らかになったと言うのです」「『彼が』と言うことは陸幕に関連する裁判なのか」「いいえ、平成20年の2月に発生した海上自衛隊のイージス護衛艦と漁船の衝突事故の裁判です」井上将補はこの事件だけでなく裁判が始まった時点でもワシントン勤務だった。アメリカでの日本のニュースは経済面が中心で、読者に理解させることが難しい特異な風土で行われる政治については滅多に取り上げない。ましてや防衛問題は在日米軍に関係する事件以外は記事にならないのだ。
「舞鶴のイージス艦が横須賀に寄港するために房総半島の沖を航行中に前を横切った漁船と衝突して沈め、乗っていた親子が死亡した事故です。海上自衛隊側は漁船が直前を横切ろうとしたと主張していたのですが、防衛大臣が一方的に過失を認めて関係者に懲戒処分を下しました。それを受けて海難審判でも有罪判決が出て今は2名の幹部自衛官が刑事訴追されています」素人では海難審判と裁判の用語の違いが理解できないのは仕方ない。それにしても上手くまとめたものだ。流石は民間人との交流の中で自衛隊に対する危険を察知する仕事のプロだ。
「それでその裁判の何が信じ難い事実なんだね」「はい、彼の話では海難審判で有罪になった根拠と今回、告訴された根拠である船の位置関係の数字が検察官の虚偽だと判明したと言うんです」「ふーん、それは酷い話だな。しかし、それだけなら君の所へ来る必要はないだろう」ここで井上将補がコーヒーを口にしたので田中2佐も多めに飲んだ。
「彼は国土交通省がそこまで反自衛隊の態度を公然化するには政治的な力が働いているに違いない。それを調査している部署はないのかと訊きに来たんです」この説明に何故か井上将補は苦笑いしてコーヒーを飲んだ。田中2佐は滅多に見ることがない笑顔を見て困惑していた。
「流石はモリヤ佳織1佐の教官で同志だな。モリヤ2佐の発想は常に戦術ではなく戦略なんだ。戦術で言えば裁判で勝つために万全の態勢を整え、相手の弱点を突き、反撃に備えることだが、彼はその背後に存在する問題の本質を捕え、突き止めようとする。普通の佐官クラスとは話が合わないのは当然だな」田中2佐としては先ほど痛感した人間コンピューターとのレベルの違いに追い討ちを掛けられたような気がして少し憮然としながらコーヒーを飲み干した。
「以前、彼に会った時、尖閣に中国人が上陸した場合に可能な対応を訊いたことがるんだ。何て答えたと思う」唐突な質問としては難題だ。法的にも政治的にも考え合わさなければならない要素は幾らでもある。田中2佐は返事ができないで考え込んだ。
「治安出動で警察権の行使として上陸し、必要となれば武器を使用して逮捕・制圧するのだそうだ。どうだね」田中2佐の中の常識ではそのような判断は政治家と優秀な官僚が下し、自衛官はその命令に従うだけだ。余計な思索は迷いを生じるから控えるべきではないか。
「私は彼の幹候校の同期を部下に持ったことがあるんだが、候補生の時から同期ところか教官とも話が合わなくて浮いていたそうだ。そんな中で佳織1佐が惚れ込んで結婚したらしい。その後は夫婦で家庭内幹部学校を開設して戦略の研究に勤しんでいると言うことだ」田中2佐もモリヤ佳織1佐が帰国後に通信学校副校長に就任することが内定した時の身上調査を担当していたので個人情報についてもある程度は承知している。婚姻の期日から推察するとモリヤ2佐には前妻があり、佳織1佐との不倫の末の結婚だったと思われたが、見かけによらぬ熱烈な恋路に軽い羨望を覚えた。
「戦術的には担当者なしで門前払いと言うところだが、戦略的には我が組織を防衛するために可能な調査と対策を講じなければならないな。勿論、多忙な君たちの手に負える仕事ではないことは判っている」井上将補はそう言うと席を立って部屋を出ていった。残された田中2佐は「自分が凡人であること」の自覚と分別を確かめながら恒常業務に頭を切り替えた。
  1. 2018/08/27(月) 09:49:11|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

振り向けばイエスタディ1292

「ここまで滅茶苦茶な裁判だったとは・・・」僚船の船長の尋問が終わった翌日、統合幕僚監部法務官室に集まった我々は勝訴を確信した歓喜よりもあまりにも理不尽な告発を実感させられて半ば茫然としていた。それは私や法務官・堺1佐だけでなく牧野弁護士と滝沢弁護士も同様のようで日本の司法制度に対する自信まで揺らいでしまいそうだ。
「裁判は裁判として今の方針で進めていくとしても問題なのはあのような虚偽の海難審判を行って有責の裁定を下した国土交通省にどのような力が働いているかです」法務官室のソファーに座って出されたコーヒーを飲んだ私は口数が少ない3人に向かって独演会を始めた。実際は牧野弁護士と滝沢弁護士は今回の裁判の弁護を委託されているだけなので、私が言うのような政治的背景に立ち入ることはできない。境1佐も職務上、ここまでで踏みとどまるのが賢明で常識的な分別のはずだ。要するに愚か者の私だけが話を不必要に広げ、深く掘り下げようとしているのだ。そんな私に顔を向けないまま弁護士2人はコーヒーを飲んでいる。ただ境1佐は右手にマグカップを持って私に話しかけた。
「それを調べることになると事故当時の防衛大臣が海上自衛隊の相手の過失と言う主張を無視して一方的に責任を認め、懲戒処分まで下したことも関係してくるだろう。しかし、岩場登大臣は政権奪還を目指す自民党では欠くことができない政治家になっているからこのタイミングで足を引っ張るようなことはできないぞ」これが自衛官の政治への関与の限界なのだろう。私が入隊した頃は自民党だけが自衛隊の存在を認め、有力野党は非武装中立を党是としていた。今回、政権交代した与党も選挙前の現実的な主張が単なる見せ掛けに過ぎなかったことが日に日に鮮明になっている。そんな中で自衛隊の制服を着る者たちが自民党の政権奪還を願うのは至極当然なのだ。ただし、内局の官僚たちは飼い主が代われば素直に尻尾を振るつもりらしい。
「それでここまでの証人尋問の結果を整理すると・・・」私が持ち出した余談は境1佐の一言で切り捨てられ、作戦会議は正常に走りだした。

「先日の中華民国陸軍の法務官には断りの返事を出しておいたよ」統幕の次は自衛隊情報保全隊の田中2佐を訪ねた。表立っての用件は先日の来信に対する処置の説明だが別の話題がある。こう言う時には自販機で買ったコーヒーを持参するのも作法の1つだ。
「返事はやっぱり英文で書いたのか。お主の嫁さんはウチの司令の元部下だから英語は抜群だろう」この認識は少し間違っているが誤差の範囲内なので訂正はしなかった。すると田中2佐はソファーで座り直すと私が買ってきたコ―ヒ―を開けながら質問してきた。
「別に用事がありそうだな。お主の用件となると難問難題なのは判っているが俺も見た目ほどには暇じゃあないぞ」言われるまでもなく今日の田中2佐は背広姿なので外回りから戻ったことが判る。部屋の中を見回すと前回はコーヒーを出してくれた空曹のWAFもスーツ姿で机に向かい何か書類を作成しているので業務報告なのかも知れない。
「うん、これは秘密指定されていないから情報漏洩にはならないが、口止めはしておくべき内容なんだ」「ふーん、お主の担当業務なら法廷の話だな。例の海上の衝突事故だろう」これは推理と言うよりも話題の展開だ。
「実は昨日の公判で信じ難い証言が飛び出したんだ」「うん、このコーヒーは美味い」田中2佐は絶妙なタイミングで話の腰を折る。ここで間を置くことは話を淡々と進める上では有効だ。
「海難審判で有責の裁定が下った根拠で、今回の刑事裁判を起こした事由でもあるはずの漁船の航跡が海難審判の理事官が作成した虚構であることが判明したんだ」「それを秘密指定しなくっても良いのか」「法務省所管の公判記録を防衛秘密に指定する権限を有する人間がいないだろう」田中2佐は話に引き込まれないように距離を置いているらしい。私としてもこの冷静さを信頼し、安心して話をしているのだ。
「問題なのは海上保安庁、海難審判所がそこまで反自衛隊の姿勢を公然化している背景だ。自衛隊情報保全隊としては担当外なのは判っているが、それを調べている他の部署はないのか」ここで私も自分が買ってきた缶コーヒーを開けて1口飲んだ。その間に田中2佐は渋い顔をして自分の缶を飲み干した。
「仮にそれをやるんなら公安調査庁だろうが、あそこには国家機関を疑って調べるほど余力はないからな」これは予想された回答だ。やはり他社の仕事に期待することはできない。
「それでは海難審判の裁定が出る前に懲戒処分を下した防衛大臣がいただろう」「ウチの調査対象は陸海空自衛隊と統合幕僚監部とその直接的な脅威までだ。内局や大臣までは手がつけられない・・・」やはり無駄足だったようだ。缶コーヒーが勿体なかった。
  1. 2018/08/26(日) 10:15:37|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

名女優・菅井きんさんの逝去を悼む。

必殺シリーズの大ファンである野僧には衝撃的な訃報が入ってきました。藤田まことさんが演じる中村主水をいびり抜く姑・セン役として主演の1人である大女優・山田五十鈴さんをはるかに超える絶大な存在感を発揮していた菅井きんさんが8月10日に亡くなっていたそうです。92歳でした。
この8月は珍しく家で食事をした同居人に大河ドラマの「葵・徳川3代」を見せた直後に津川雅彦さんが急逝し、夏季休暇中に「必殺」シリーズを見せたところの訃報なので今後は故人ばかりの出演作品を選ばなければなりません。
野僧は必殺シリ-ズは再放送されていた全作を録画していたのですが、湿気が多い草庵ではCDやDVDが劣化してしまうようで大半は再生不能に陥ってしまっています。
その中で忘れ難いのは菅井さんのセンが子供の手習い塾を営む元幕臣と恋仲になる話です。日頃は「婿殿」をいびりまくるセンが恋する乙女のようになり、高齢者同士のためらい勝ちな恋路に胸を時めかせて頬を赤らめる姿は下手な若手女優よりも可愛かったのです。
野僧は自衛隊に入ってからは映画一筋になりましたが、黒沢明監督作品の「生きる」では主人公の志村喬さんの部署に陳情に来た小母さん(当時26歳)、「赤ひげ」では貧窮のあまり殺鼠剤・猫いらずを食べて心中を図った家族の子供の母親役(当時40歳)でした。どちらも脇役にもならない端役ですが記憶に残っているくらいなので存在感は強烈だったのでしょう。中でも映画「お葬式」では主人公夫婦の亡くなった父親の妻(=母親)の役でしたが要所要所で絶妙な名演技を発揮して映像を引き締めていました。
最近ではNHKの大河ドラマ「龍馬伝」で武市瑞山の母親役もありましたが、奥貫薫さんの妻・富が魅力的だったので印象に残っていません。
野僧が菅井さんの出演作品で最高傑作だと思っているのは「太陽にほえろ」の松田勇作さんが演じたジーパン刑事・柴田純の母親・タキ役です。派出所勤務だった夫を銃撃事件で失ったものの拳銃を携帯していなかったことで殉職扱いにならず、看護婦として働きながら純を育て上げた日本の母の鑑とも言うべき人物でした。
「必殺」シリーズの中村センも夫に先立たれてからは女手一つでは1人娘のリツを育てたはずですが印象は近くて遠かったようです
ジーパン刑事は激情に駆られて暴走するところが魅力でしたが菅井さんの母親には弱く、優しい気遣いを忘れず、時には甘える別の面を見せて役柄に深みを加えていました。
特にジーパン刑事が殉職する回では職場の事務員である伸子(しんこ)と結婚することが決まり、母親に紹介してようやく肩の荷が下りたところの訃報だったのですが、取り乱すことなく事実を受け入れる態度は戦争を潜り抜けてきた昭和の女そのものでした。
菅井さんは東京帝国大学の学生課の事務員をしている時に女優に憧れて劇団・俳優座に入り、やがて「仕事を辞めて本格的に女優を目指したい」と父親に打ち明けたところ「女優は美しい人がなるものだ」と猛反対されたそうです。そこで諦めていれば我々に感動を与えた名演技の数々はなかったのです。心より感謝を込めてご冥福を祈ります。
  1. 2018/08/25(土) 09:32:55|
  2. 追悼・告別・永訣文
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

振り向けばイエスタディ1291

雀山内閣は政権発足から半年を待たずに選挙前に沖縄で掘った墓穴「最低でも県外」と就任後にアメリカで掘った「トラスト・ミー(私に任せておけ)」が相互に陥没を始めていた。沖縄からは「最低でも県外」の実現を強行に迫られ、地元のマスコミも他の選択肢を否定する報道で世論を扇動している。アメリカからは国家間の共同締結事項である普天間の基地機能を辺野古へ移転する計画の実行だけでなく海兵隊のグアム島への配置転換まで「最低でも県外」の施策として予算の分担を要求され、墓穴が泥沼になったような状況に陥っていた。
そんな中、本土のマスコミは沖縄を「自民党政権の対米追従姿勢の犠牲者」として同情を示しながらも雀山政権がアメリカとの信頼関係を大きく傷つけたとする懐疑的な報道も始めており、それが防衛問題には触れないで放置する態度を発生させていた。
これはこの裁判には非常に有り難いことだ。傍聴席にもマスコミ関係者の姿はなく、何でもない弁論を政治問題化される可能性を気にせずに法廷闘争を繰り広げることができる。
「それでは弁護人として証人に質問させてもらいます」今日は牧野弁護士の担当だ。相手が自衛隊に敵意をアカラサマにしている以上、民間人の牧野弁護士の方が刺激しないですむ。それでも質問する内容に大差はないのだが人間の感情とはそのようなものらしい。
「証人と死亡した岸西丸夫氏との長年にわたる交流と固い信頼関係については十分に聞かせてもらいました」検察官の尋問は大半をこの論述に費やしていた。牧野弁護士の弁論はそれに対する皮肉から始まっている。
「そこまで精神が結びつくと人知、要するに普通の人間の常識を超えた特殊な能力も発生するようですね」牧野弁護士の前置きは徐々に質問に向かっているのだが、証人は意味が理解できず検察官の方を見て表情で困惑を訴えた。
「異義あり、弁護人の論述していることは非科学的な能力の存在を肯定するものであって現代の裁判には適合しません」「まだ質問には入っていません。これは前置きです」検察官は裁判官の指名を待たずに論述したため牧野弁護士はその場で否定した。それにしても検察官がここまで焦るのは珍しい。通常は弁護人側が興奮を演じて声を荒立てても検察官は冷静に受け流すものだ。この証人には何か重大な欠格事項があると考えるべきだろう。
「お待たせしました。証人は海難審判及び本裁判においても岸西さん父子が乗った軽得丸を進行方向8度の方角の800メートルの距離に存在していたと証言していますが、満月に近いとは言え月明かりの中でそこまで正確に僚船の位置を認識できるものなのですか」牧野弁護士いきなり喉元に刃を突きつけた。検察官は我々と証人、裁判官を見回しては視線が合う前に逸らしている。逆に証人はこの質問が持つ意味を理解せずに苦笑いしながら軽く咳払いをした。
「証人」「それは長年、海で働いていれば身につく漁師の勘と言うものだ。漁師は同じ漁場で網を下ろしても魚は取れない。だから沖に出ていきながら距離を取るんだ」傍聴席を見ると同業者たちは一斉にうなずいている。しかし、そこが素人の浅はかさだ。
「つまり、8度の方角と800メートルと言う距離は長年の勘と言うことですね」「証人」「うん、そうだ」この証言を聞いて検察官は自分の席で天上を仰ぐようにして脱力した。
「裁判官、今の証言で軽得丸と海上自衛隊の護衛艦・あまごが衝突するまでの位置関係の根拠は合理性を喪失しました。この点について再度の審査を要求します」牧野弁護士の専門用語が並んだ主張に証人は意味が判らないまま困惑し、同時に立腹し始めた。
「お前らは漁師の勘を馬鹿にするのか。俺たちは勘を頼りに大海原を小さな船で走り回り、お宝を捕まえているんだ。それの何が悪いんだ」「弁護人」「お仕事としては何も問題ありません。むしろ長年にわたって技に磨きをかけて来られたことに敬意を払います。ただ問題なのは裁判では勘で示された数字を証言として採用することはできないのです」牧野弁護士は激昂している証人に懇切丁寧に趣旨を説明している。この説明を素直に聞くのはやはり民間人の牧野弁護士だからだろう。すると証人は裁判官の指名を待たずに立ち上がり発言を始めた。
「大体、俺は軽得丸が8度の方向にいたとか800メートル離れていたなんて言ったことはねェよ。役人(=海難理事官・検察官)が並べた数字に『そんなもんだ』って答えただけだ」「裁判長、証人の指名をお願いします」「異義あり。ただ今の発言は不規則なもので質問に対する答弁ではありません」対戦車地雷を歩兵が踏んで爆発させたような(通常、対戦車地雷は人間の体重では作動しない)問題発言に牧野弁護士と検察官は気色ばんで立ち上がった。公判では指名を受けずに行った発言は証拠採用されないから内容に関わらず意味を持たない。検察官側はそれによって打ち消し、牧野弁護士は指名を得ることで証拠化しようとしている。
「弁護人」「ただいま仰ったことをもう一度お願いします」「証人」「だから俺は・・・」今回、海難審判とこの裁判の暗部に強烈な照明を当てたような証言を得ることになった。
  1. 2018/08/25(土) 09:31:36|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

8月25日・現在も痕跡が残る明応の大地震が発生した。

応仁の乱が終結して約20年が経過していた明応7(1478)年の明日8月25日(太陰暦)に東海道沖を震源とする地震が発生し、津波によって太平洋岸に甚大な被害を与え、その痕跡は現在も残っています。
推定マグニチュード8.6(東北地区・太平洋沖大震災は9.0)とされるこの地震は現在では南海トラフと呼ばれている太平洋沖の活断層を震源としており、被害の発生状況が嘉永7(1854)年の安政地震に酷似していて、津波以前の振動による建物の倒壊・破損は紀伊=和歌山県から四国の土佐=高知県にまで及んでいます。
この地震によって太平洋岸の広い範囲で巨大な津波が発生し、波高は地層や古文書の記述などから駿河湾の沿岸で8メートルから36メートル(=波が押し寄せた地点の海抜からの推定ですが勢いで逆流することもあるので信憑性は低い)、伊勢・志摩でも6メートルから10メートル(リアス式海岸の尖った湾の奥は波高が上昇する)とされています。
ただし、当時の日本人は識字能力が高くなかったため現地の記録に乏しく、このためマルクス史観に立つ現在の歴史研究者は否定的な見解を述べたがりますが、伝説も地元の人たちが納得するから語り継がれるのであって頭ごなしの全面否定には賛成できません。
この時、伊豆半島によって隔てられている三浦半島のつけ根の鎌倉にも波高8メートルから10メートルの津波が押し寄せたとされ、高徳院の大佛殿が倒壊し、現在の野晒しの阿弥陀像になったと語り継がれています。ただし、大佛殿は海岸から数百メートルの位置でも少し高台なので「大津波が建物を浚っていってしまって丸裸になった」と言う伝説には無理があり、実際は「大震災によって大きな被害を受けていた大佛殿が津波によって倒壊し、残骸を再利用しようとする有力者(この時代は木や石を加工する手間を省くため廃墟から墓石や建材を転用することが多かった)が撤去した残りも庶民が薪に使おうと拾い集めた」と言うのが真相のようです。
さらにこの大津波の痕跡としては浜名湖の「今切れ口」があります。浜名湖は古来、淡水湖で水位は今よりも高く川が太平洋に流れ込んでいたのですが、この津波で河口部分が大きく抉れられて湖面につながったため汽水湖になってしまいました。とは言え建設当時は世界最大だった支間長240メートルの浜名大橋が架かっている「今切れ口」は宝永4(1707)年の大地震(富士山の噴火を誘発した)の後の津波によるものなので「後切れ口」と呼ぶべきかも知れません。
宝永の震災以降に描かれた歌川広重さんの傑作・東海道五十三次でも新居=荒井の宿は渡し船の情景が描かれていますから旅人には交通の難所になっていたようで、東海道よりも浜名湖の北を回り、野僧の先祖が働いていた新居ではなく気賀(NHKの大河ドラマ「女城主・直虎」に登場した)の関所を通って本坂峠を越え、豊川稲荷に参ってから御油宿から合流する姫街道の方が賑わっていたと言う伝承もあります。
伊勢から紀伊の沿岸でも津波で壊滅的な被害を受けていますが生存者がいなかったため証言が伝わっていないそうです。
  1. 2018/08/24(金) 09:19:03|
  2. 日記(暦)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

振り向けばイエスタディ1290

不利になると裁判の引き延ばしに掛かるのは検察・弁護双方の常套手段だが、有罪率が99パーセント超える日本の場合は弁護側の馬鹿の1つ覚えになっている。それは証拠の鑑定に疑義を呈して再鑑定を要求したり、あまり必要がない証人を次々に申請するなどの姑息な手段を繰り広げるのだが今回は検察側が危機感を抱き始めているらしい。
これまでも海難審判の関係者や取り調べに当たった海上保安官、回収した軽得丸の破片の鑑定を行った国土交通省の職員などの公務員が続いていたが、年が明けてようやく軽得丸の位置を証言した僚船の船長が証人席に座った。
「貴方の氏名、本籍地、住所を言って下さい」裁判長の人定質問に続いて検察官の尋問が始まる。証人も漁師らしく浅黒く日焼けしており、眉は太く顎が大きく唇は厚く着ている背広が全く似合わない無骨な風貌だ。日蓮上人も房総半島の先端の漁師の息子だが頂相(ちんそう=僧侶の肖像画)に描かれている顔もこんな感じだったような気がする。
「貴方は千葉県の新勝浦漁業組合で岸西(きしせい)丸夫さんと岸西節広さんとはどのような関係でしたが」「証人」「漁師仲間です」この辺りの出だしは裁判では定型通りなのでこれからの展開も予想できる。
「仲間としては親密でしたか」「証人」「はい、一緒に漁に出て互いに助け合っていました」「検察官」「それだけですか」「証人」「仕事が終わると息子の節広も一緒に酒を飲んで盛り上げっていました」要するに証人と死んだ漁師父子の関係が濃密だったことを印象づけたいようだ。
「被害者とのつき合いは長かったのですね」「異義あり」「弁護人」「本裁判では死亡した2名、岸西丸夫氏と同節広氏が被害者であるとは確定していません。この表現は本法廷が2名を被害者であると認めているかのように印象づける可能性があります」私の異義に検察官は渋い顔をしたが、証人は瞬間沸かし器のように顔を紅潮させ怒りを露わにした。当然、証人の応援団である傍聴人たちの間には舌打ちと音量を落とした怒声が広がっていった。
「異義を認めます。検察官は今後の尋問においては『被害者』と言う表現を控えるようにして下さい」「はい、判りました」検察官が素直に引き下がったことで証人と傍聴人の怒りは更に高まり、怒声の音量が少し上がった。
「静粛に願います」裁判官は傍聴人たちに注意を与えたが、許し難い弁護人=私に同調した人間に素直に従うような人たちではない。法廷内は騒然とは言わないが静粛とも言えない状況になっている。これが海外の法廷であれば裁判官が卓上の台をガベル(木槌)で打ち鳴らすところだが、日本では採用されていないので裁判長はマイクに口を近づけて注意を繰り返した。
「静粛にしなさい。この警告に従わない者には退廷を命じます」流石に「やってみろ」と暴言を吐く者はいないようで傍聴人たちは私を睨みつけて憎悪の集中砲火を浴びせながら無理に黙った。本来であればこちらも制服を着た海上自衛官を傍聴人席に並べれば迫力では負けないのだが、マスコミに係れば「海上自衛隊VS漁船の抗争」の法廷劇にされてしまうはずだ。
「先ほどの質問の答えをいただいていません。証人は死亡した岸西丸夫さんとは長いつき合いだったのですか」「証人」「はい、30年以上のつき合いでした。どっちも親父の船に乗って見習いをやっていた頃からです。仕事も遊びもいつも一緒でした」ここまで話せば証人の怒りも薄れたはずだ。自衛隊にも時々いるこの手の単純な人間は加熱と冷却が一瞬で終わり、本人は何事もなかったように振舞うが被害に遭った者には怨嗟と嫌悪が残る。被告側弁護人としてはこの大きな振幅を利用しない手はない。
「それでは事故発生時の状況について伺います」検察官の前置きに証人は「ゴクリ」と音を立てて唾を飲み込んだ。これほど気合を入れる証言には第三者的な興味が湧いてくる。
「事故が発生した平成20年2月19日午前3時40分頃の現場付近は既に明るくなっていましたか」「証人」「日の出は6時過ぎだったけど月齢は満月の2日前だったんでかなり明るかったよ」傍聴人たちも一斉にうなずいたところを見ると漁業関係者の間では常識なのだろうが、月明かりだけで冬の太平洋に出漁する危険は考えないのだろうか。
「その月明かりの中を長年の友人である岸西さん父子の軽得丸と一緒に漁場に向かっていた。その時の高揚した気持ちが一瞬にして悲痛に変わってしまった。その時の気持ちはどうでしたか」「異義あり。証拠認定されている航跡図では証人の船と軽得丸の間には約800メートルの距離があります。一緒に漁場に向かっていたと言える位置関係ではありません」「補足します。この場で事故当時の心情を証言させることの合理的理由が見つかりません」ここは私と牧野弁護士の連続射撃になった。ただし、直接狙って引き金を絞る小銃射撃ではなく上方に射ち上げて落ちてきたところで爆発する迫撃砲の気分だ。
  1. 2018/08/24(金) 09:17:42|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

振り向けばイエスタディ1289

事務室に帰って王中校からの書簡を読み返してみると確かに私の性格を知った上で書かれている気配を感じる。美恵子が裁判で「私との結婚生活の圧迫感から解放されたことが奔放な生活に走る切っ掛けになった」と証言したと言われれば弁護士としての「公」と元夫の「私」の両面で興味を覚えないはずがない。それでいてあくまでも案内に留めており、無理強いするような言い方は全くしていない。何よりもこのような書簡を受け取れば返事を書かないでいられないのが私の性格だ。それにしても梢と佳織以外で私のこの性格を知っているのは・・・考えてみたが思い浮かばなかった。
愛知大学での中国語の教科書と辞書を引きながら広東語の返書を作成し終わって時計を見るとまだ午後3時、課業終了まで時間はある。そこで席を立つと古新聞とコピー機から上質紙を5枚ほど取ってきた。そうして引き出しから書道具を机の上に出して墨を摺り始める。この光景は年賀状の季節の風物詩だが、最近は裏の挨拶と表の住所と氏名までパソコンで印刷するのが多数派になっている。そんな訳で女性事務官は妙に感激したような顔で私を見ていた。
「中華民国陸軍 王茂雄 中校。你好!你的信我収到了(王茂雄中校。こんにちは!貴方からの書簡を受け取りました)・・・」返信は毛筆にした。先方の英文はパソコンではなくタイプライターで打ってあり、末尾には毛筆の署名が入っていた。つまり正式な文章に準ずる体裁が整えてあったことになる。こうなると返書は毛筆にするしかないだろう。
「私はご案内をいただいた玉城美恵子と言う女性とは関係を持ちません。また現在、重大な公判を抱えており、貴国を訪問して傍聴することは不可能です。折角のご連絡ですが当方としては玉城美恵子の裁判に関与するつもりはありません」文面はこのようなものだ。意外なことに現在の中国語の文章は横書きのため正式な書道の作法通りに腕を浮かして書かなくても乾いていない墨が手について紙を汚すことはない。その点、縦書きの日本文よりも楽だ。
「祝 健康(健康を祈念します)! 日本国陸上自衛隊2等陸佐 モリヤニンジン」最後の仕上げは花押と落款だが、相手は書道と漢字文化の本場なので少し丁寧に記入、押印した。

私が月曜日の帰宅時に駅前のポストに投函した私的書簡は金曜日の午後には台湾・桃園の王茂雄中校の下に届いた。
「ほう、モリヤ中校は毛筆で返信してきたぞ」王中校は偶然にも懐に迷い込んできた子猫・本間郁子(偽名・今田菊子)からモリヤ2佐に接触する上での助言として感心するほど詳細な人物像の説明を受けていたが、毛筆で返信を書いてくるところも図星だった。これを見てもモリヤ2佐に対する「過去の遺物」と言う人物評は納得できる。
「毛筆と言うことは日本文なのかな。まさか英文を毛筆で書いてくることはあるまい」王中校はモリヤ2佐の語学力については予備知識を持ち合わせていない。知っているのはおそらく陸上自衛隊では唯一の司法試験の合格者であり、唯一の実戦経験者であることだけだ。
「へーッ、広東語じゃあないか。誰かに頼んで翻訳してもらったんだな。しかし、投函日は1月4日と言うことは日本の業務開始日だぞ。即日の返信となると自分で翻訳したようだ」咄嗟に封筒の消印まで考え合わせる王中校の状況分析能力はかなり高度だ。
英文を日本語に訳すと表意文字である漢字が入るため文章はかなり短縮されるが、日本語を中国語に翻訳すると平仮名の部分が省略されるため更に短くなる。したがってモリヤ2佐の書簡は定型の挨拶を除く本文は数行だけだった。
「それにしてもガードが固いな。メール・アドレスや自宅の住所くらい教えてくれても良いじゃあないか」味も素気もない返信を読んで王中校は深く溜息をついた。本間の説明では「モリヤ2佐は好奇心の固まりで雑学博士と言われていた」とあった。その割にこの距離感は警戒して身構えていることが判る。どうやら立場と年齢が常識人に作り替えてしまったらしい。
「何にしても接点に育てるためには機会を見つけて連絡をすることだ。私もモリヤ中校も今田菊子と盧暁春のような若い世代ではないから簡単に意気投合といかないのは当然だ」それにしてもモリヤ2佐の中国語力は決して上級とは思えない。台湾で言えば小学校の高学年に届くか届かないかのレベルのようだ。それでも広東語で書簡を返してきたのはモリヤ2佐の律義さなのか意外に英語が苦手なのか。その割に書面の墨跡はかなり手馴れている。
「意外に面白い人物だぞ。今田に礼を言っておかないといけないな」王中校は本間の連絡先になっているニューヨークのアフリカン・ビューティー誌の編集長にメールを打った。勿論、文面は隠語で綴っていて受け取った本人にも本当の意味は通じないはずだ。何にしても台湾とニューヨークの時差は12時間なので昼夜は真逆、今は真夜中だ。
  1. 2018/08/23(木) 09:06:49|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

児童文学者で翻訳家の大塚勇三先生の逝去を悼む。

8月18日に山口県で使っていた小学2年生の教科書に採用され、NHKの「みんなの歌」でも粗筋を描いた歌が放送された名作「スーホの白い馬」の訳者である大塚勇三先生が亡くなったそうです。97歳でした。
野僧は愚息たちの勉強を見るのが趣味だったため国語の素読を聞きながら関心を持ち、お年玉の本を買うために(我が家ではお年玉は本を贈っていた)寄った書店の絵本コーナーで見つけると迷うことなく購入し、幼稚園児だった愚息2に与えました。そうして寝る前に絵本の読み聞かせをしている間にこの感動的な物語は深く心に刻まれることになったのです。
ところが第1教育群の不当人事の結果、航空自衛隊有数の大僻地である青森県の車力に左遷されるとこの物語との関係はさらに深化しました。
当時の車力村ではモンゴルとの友好事業を進めており、村役場にはボロルシ・メグさんと言う若い女性交換員が勤めていて、野僧は毎度の悪癖ですぐに仲良くなったのです。その時、役に立ったのが青森県の教科書には載っていなかった「スーホの白い馬」の知識で、メグさんは非常に感激してモンゴルの原話を詳しく教えてくれました。
原題は「フフー・ナムジェル」と言うそうで、大塚先生は「白い馬の足の速さを目にした王が無理やりスーホから奪い取り、逃走した白い馬は矢を射かけられてスーホの下に辿りついて死んだ」と言う悲劇に改作していましたが、元々は「昔々、モンゴルの西方に歌の上手いナム・ジェルという名の若者が住んでいました。カッコウのようなその声から『フフー・ナムジェル』と皆に呼ばれていました。ある日、彼は兵役で遠方へ行くことになりました。ナム・ジョルには妻がいましたが、赴任先である美しい女性に出会い、恋に落ちてしまいました。しかし、兵役を終えて故郷に帰らなければならなくなり、別れ際に恋人は『ジョノンハル』と言う名の名馬をナム・ジョルに託しました。驚いたことにその馬には翼があり、雲の上を、木々の上を信じられない速さで駆け抜けることが出来たのです。この馬で故郷に戻ったナム・ジョルは、毎日のように妻の目を盗んでは遠方に住む恋人に会っていましたが、ついに妻に恋人の存在を知られ、嫉妬に狂った妻はその馬の翼を切り落とし、とうとう殺してしまいました。嘆き悲しんだナム・ジョルは、死んだ馬の骨、革、尻尾を使って楽器を作り、会うことが出来なくなった恋人を想って、いつまでも奏で続けたと言うことです(ノートからの転記)」と言う教科書には載せられない不倫の物語なのだそうです。先にこちらを知っていればメグさんを口説く材料に使えたのですが残念です。この物語で紹介されている楽器が有名なモリンホール(馬頭琴)ですが、こちらもCDを借りてカセット・テープにダビングしました(演奏会にも行きましたが)。
この他にも大塚先生は子供の頃に妹が見ていたアニメ「小さなバイキング」の原作も翻訳していて親子2代にわたってお世話になっていたことを後年になって知りました。「ビッケ、ビッケ、ビッケは海の子バイキング・・・イギリス、オランダ、ブルガリア、氷の海もなんのその グリーンランドでお散歩さ」心よりご冥福をお祈り申し上げます。
  1. 2018/08/22(水) 09:21:58|
  2. 追悼・告別・永訣文
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

振り向けばイエスタディ1288

「ふーん、坊さんが言うことだから疑いはしないが、突然の来信としては用件が不可解だな」田中2佐に言われるまでもなく私自身も王中校と言う中華民国軍の法務官が唐突に美恵子の裁判のことを書簡で知らせてきた経緯が理解できていない。書簡には美恵子が公判の中で私との結婚生活を奔放な男性関係を持つようになった原因として証言したとある。ただ美恵子の裁判は軍の法務官が関係する軍事法廷ではない。やはり自衛隊情報保全隊が関心を払うだけの怪しい臭いがするのは間違いない。それにしても統合前の陸海空情報保全隊と区分するため自衛隊情報保全隊とフル・ネームで呼ばなければならないのは長くて煩わしくて困る。
「ワシも田中2佐個人を信じて非公開の個人情報が含まれる書簡を見せることにしよう。英文だけど目を通してちょうだい」そう言って畳んでいた書簡を手渡すと田中2佐は制服の内ポケットから別のメガネを取り出して掛け直した。やはり3歳年下でも老眼が始まっているらしい。
「ふーん、ふん、ふん、なるほど」田中2佐も私と同じように鼻で呟きながら通読した。
「確かに貴官の説明の通りの内容だな。やっぱり坊さんは嘘はつかないね」「嘘も方便と言うぞ。坊主なんて自分も見たことがない死後の世界を語る詐欺師だからな」田中2佐から書簡を受け取ると会話は雑談になった。本当は私とローマ字でミエコと書いてある女性の関係を訊きたいのだろうが、それでは公開を断っていた私的書簡を見せたこちらの厚意を裏切ることになる。その分別がプロのプロ足るところだ。
「それにしても王中校って何者なんだろうな。自衛隊情報保全隊としては何か情報を持ってないかね」「お主はそれを俺に訊くのか」「これは失礼した」確かにこちらの方が分別に欠けていた。情報に関係する職域にある者が知り得た情報を漏らすはずがない。それ以前に知っているかいないかも明らかにはしない。と言いながら弁護士である私は誘導尋問で秘密を訊き出すのも仕事なのだ。互いに苦笑いしながら冷めてしまったコーヒーを飲んでいるとそこに陸将補が入室し、最初に気がついた航空自衛隊の若手幹部が「司令入室。気をつけ」と号令を掛けた。
「ほーッ、ここでは夫の方とつき合いがあるんだな」座ったまま姿勢を正している私の後ろに歩み寄った自衛隊情報保全隊司令はそんなことを言いながらソファーに腰を下ろした。
「休め」司令が座ったのを確認して田中2佐が号令を掛けると室内には深い溜息が乱れ飛んだ。続いて先ほどのWAFがコーヒーを用意しに部屋の隅の食器棚に歩いて行った。
「夫の方と言われますと司令は妻と面識があるのですか」斜め前に座った司令の名札には「井上」とあり、私も面識があるような気がする。陸海空の幹部の人事については自衛隊の機関紙でも紹介されているが、協同機関である自衛隊情報保全隊については見落としていた。
「うん、アメリカでは随分と活躍してもらったよ」「司令はワシントンの防衛駐在官から移動されてきたんだ」つまり佳織がハワイの太平洋陸軍司令部の連絡官だった時の間接上司(直属ではない)と言うことになる。ここは当然、挨拶をしなければならない。私は力を抜いた身体にもう一度力を入れて姿勢を正した。
「その節は妻が大変お世話になりました。公私共に充実した勤務ができましたのも閣下の御指導、御鞭撻の・・・」「うんうん、判った」そこにWAFがコーヒーを運んできたので井上将補は私の中身がない挨拶を遮った。
「私としてはアメリカ軍のイラク侵攻が始まった時に最高の人材が現場にいて本当に助かったよ。英語力は申し分ない上にアメリカ陸軍のCGS出身の固い人脈もある。今までの連絡官では入手できなかった内部情報をリアルタイムで獲得できた」佳織の仕事を高く評価してもらって私としても鼻高々だが、そこで司令が手に持っている封筒に目を止めた。
「ほう、それは台湾の切手だな」「中華民国陸軍第6軍団指揮部の法務官からモリヤ2佐宛ての私信です」私の前に田中2佐が報告した。田中2佐としては上司に対する業務報告なのだ。
「モリヤ2佐も愛知大学出身だったな」「いいえ、中退です」これは余計な個人情報の告白だが、井上将補が私の経歴を知っていることの方が不思議だった。
「おそらく君と関係を結びたいと考えている人物が接触を図ってきたんだろう。ここから先は君に任すがウチが心配しなければならない相手ではないはずだ」井上将補は何もかもを知り過ぎている。この口調では手紙を出した王茂雄中校と言う人物や彼が私に書簡を送った経緯も知っているのではないか。勿論、この時の私は井上将補が愛知大学出身の本間郁子3佐を海外情報要員にスカウトしたことやその本間3佐が台湾での人脈構築のために私との接触を仲介したことなどは知るはずがなかった。実は今回、本間3佐は同期である岡倉2佐から私が書簡を受け取れば返事を書かないといられない性格であることまで訊き出していたらしい。
2010年、私は平穏無事に過ごし、職務としてはイージス艦衝突事故の裁判に全力投球するつもりでいるが、個人が関知せぬところで何かがザワメキ始めている気配がする。
  1. 2018/08/22(水) 09:20:51|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

振り向けばイエスタディ1287

「自衛隊情報保全隊本部に顔を出してくれィ」今日は牧野弁護士と滝沢弁護士は顔を見せないようなので航空幕僚監部に呼びつけられた以外は穏やかに過ぎていたが、夕方になって今度は自衛隊情報保全隊の田中2佐から出頭命令を受けた。田中2佐は一般幹部課程(部外)の1期先輩だが3歳年下だ。以前、賀真が「美恵子が有罪になると特防秘の認定が取り消されるのではないか」と不安を訴えた時、相談に乗ってもらった恩義があるため黙って出向くことにした。
「仙台地裁の公判が思わしくないのかな」同じ市ヶ谷駐屯地にある自衛隊情報保全隊本部に向かって歩きながら呼び出された用件を考えたが思い当たるものがない。自衛隊情報保全隊は2003年に調査隊が陸海空自衛隊の情報保全隊に改編され、さらに2009年7月に防衛大臣直轄の統合組織に再改編されたのだが、2007年に仙台市在住の写真家や共産党の地方議員4人、社会福祉協議会職員を代表とする107名の原告に監視活動の停止と精神的苦痛に対する損害賠償を求める訴訟を起こされている。しかし、この裁判は仙台地裁と言うこともあり、現地の弁護士と契約しているので私は関与していない。
「まさか空幕が本気でワシが内部情報を入手していると思い込んで情報保全隊に調査を依頼したのか」そんな頭の柔軟体操が終わったところで目的地に到着した。
「これはモリヤ2佐、呼び出してスミマセン」田中2佐は課業時間中であっても背広を着ていることが多いが流石に今日は2等陸佐の階級章を付けている。
「先ずは新春の喜びを心より申し上げます」「これはご丁寧に。明けましておめでとうございます」私の皮肉を込めた挨拶に田中2佐は満面の笑顔で応えた。自衛隊情報保全隊は民間人に溶け込んで調査活動を行うので私のような武骨者には務まらない。それでも田中2佐からは「坊主に化ける時には指導をよろしく」と頼まれている。
田中2佐に勧められてソファーに腰を下ろすと珍しくWAFの空曹がコーヒーを出してくれた。
「今日、来てもらったのは貴官宛の書簡の件なんだよ」私の向かいの席に坐った田中2佐はファイルから外国の定型サイズの封書を取り出した。日本の郵便の定型、特に葉書は極端に小さい。葉書はサイズで書ける文字数が変わってくるので海外に葉書を送る日本人は損していることになる。そんな余計なことを考えながら封書を受取った。
「王茂雄中校かァ・・・知らないな」差し出し人の名前を確認して独り言を呟くと田中2佐はうなずきながら後ろの席に座っている航空自衛隊の若手幹部に何かをメモさせた。
「差出人の肩書は中華民国陸軍の第6軍指揮部法務官とあるが、我が社で言えば方面総監部の法務官だから同業者として仕事上のつき合いがあるんじゃあないのか」「いや、台湾軍の知り合いはいないな」どうやら用件は私宛てに届いた外国軍の軍人からの書簡の確認だったようだ。確かに台湾の中華民国軍と自衛隊の間に公式の交流はない。ただし、那覇の航空自衛隊は台湾海峡の対領空侵犯措置で発進した戦闘機同士が上空で接触し、機体信号や手の仕草で友好を確かめているらしい。また沖縄時代に中華料理店で働いていた台湾人女性と知り合いアパートに遊びに行ったことはある。何にしても手紙をもらう理由が思い当たらない。
「開封して中身を見せてもらっても良いか」「うん、良いけど中国語で書いてあったら翻訳を頼むぞ」私の答えに田中2佐は後ろの席の航空自衛官を振り返ったが視線が合わないように机に向かっていた。台湾は広東語なので比較的読解が容易なことを知らないようだ。
「中校ってことは日本で言えば2佐だな。同じ階級となると命令的な用件ではないな」封書を開けるためのハサミを待っている間に軍事知識を披露した。私は無骨な戦闘員であっても粗雑者ではない。したがって封書を手で破るような無作法なことはしないのだ。やがて先ほどのWAFが自分のハサミを手渡したので端を切って便箋を取り出した。
「ほう、英語で書いてあるぞ。読むか」「読んで内容を聞かせてくれ」田中2佐は渋い顔をしたが、これを「英語力に自信がない」と受け取るのはいささかお人好しだ。おそらく後でコピーを取らせて私の説明と内容を照合し、私が虚偽を述べていないかを確認するのだろう。
「ふーん、ふん、ふん、なるほど」とりあえず田中2佐の前で速読した。文面は私の英語力でも容易に読解できる内容だが、用件は個人情報に分類されるべきものだった。
「これはプライバシーに属するから説明はできないな。軍事的な内容はないよ」私の説明に田中2佐は一瞬、困惑した顔をしたが拒否された時に強制する調査権は自衛隊情報保全隊には付与されていない。それでも穏やかな表情を崩さないところは流石のプロだ。
「概略を言えばある日本人女性の台湾での裁判が間もなく結審するので立ち合った方が良いと言う案内だ。その女性は昔の知り合いだから証言にワシの名前と肩書が出ているらしい」やはり美恵子との過去の傷を第3者に知られることだけは避けなければならない。
  1. 2018/08/21(火) 08:48:24|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

振り向けばイエスタディ1286

私は穏やかに2010年1月4日の御用始めを迎えたが、同業他社の航空幕僚監部では異様な緊張感が張り詰めていた。私としては陸上幕僚長の年頭の訓示が終われば職場宛てに届いた年賀状を確認して公務でのつき合いであれば返事を書き、私的な関係であれば電話を掛けるスロー・スタートから踏み出すつもりだったが、いきなり空幕の法務官から呼び出しが入った。
本当は牧野弁護士と滝沢弁護士が統合幕僚監部法務官室に顔を出せば私も同席する予定なのだが、法務官の声はそれよりも優先すべき緊迫感がある。
「陸幕法務官室のモリヤ2佐、入ります」今回は呼び出しを受けているので事務室に顔を出して単独で入室した。「先ず年頭の挨拶を」といきたいところだがそんな雰囲気ではない。
「御足労を煩わせて申し訳ない」法務官は私の顔を見ると自分も立ち上がってソファーを勧めながら自分も座った。そこに事務室の女性事務官がコーヒーを運んできた。
「ここだけの話だが昨年の秋に君が知らせてくれた秘密漏洩に関連すると思われる事態が発生したんだ」法務官は事務官が退室するのが待ち切れないかのように用件を切り出した。
「内局の官僚が社人党の議員に提供した政策資料のことですか。確かレーダー・サイトの性能諸元だったのでは」「うん、そうだ。発生した事態の詳細はまだ空幕の部内秘になっているから君には話せないが、レーダーの盲点を利用して領空侵犯された」法務官は苦々しい顔をしながらホロ苦いコーヒーを口にした。それに合わせて私も飲んだが那覇や防府の直営売店で売っていた懐かしのエア・フォース・ブレンドだった。
「それではミグ25事件の再現のような事態が発生したんですね。しかし、アラート機の主力はF15ですからあの時のF4EJとは違ってルック・ダウン能力に問題はないでしょう」私の返事が余りにも専門的で法務官はコーヒーを飲むのを中断して目だけでこちらを見た。
「アラート機が迎撃していれば問題ないんだが、至近距離まで捕捉できなくて間に合わなかった。おまけに緊急発進に対する妨害まで行われたんだ」「懐かしいな。那覇空港の運輸省の職員労組でしょう。滑走路の点検中だとか民間機を優先するとか言って滑走路への発進許可を出さないんですね」これは私の体験談だが法務官は驚愕したような顔になってマグカップを置いた。
「まさか空幕内でも秘密漏洩が発生しているんじゃあないだろうな」「いいえ、四半世紀前の体験談です」私の説明にも法務官は納得しない。説明しても「2等陸佐が元3等空曹だった」と言う経歴自体が理解できないだろう。仕方ないので世間話で間をつなぐことにした。
「ミグ25事件の対策としては車力と八雲のナイキ部隊と三沢のE2Cの部隊を新設しましたが今度は那覇にE2Cを機動展開させますか。そうかッ、今はAWACSって手もありますね」「・・・絶対に秘密が漏洩している。お願いだから情報の提供者を言ってくれ。決して処罰はしないから大丈夫だ」つまり私の個人的見解は航空自衛隊が考えている対策に図星だったようだ。それにしてもこの程度は多少の軍事知識があれば誰でも思いつきそうな常識的な対策だと思うのだが「陸上自衛官は航空の知識に疎い」と見られているようだ。そこで追い討ちを掛けて陸上自衛官の航空知識を披露することにした。
「ところでナイキJは高高度の超音速機を想定した地対空ミサイルですが、超低高度での侵入を許した防衛上の欠陥への対策になったんですかね」「それはだね・・・」「それから海軍機のE2Cは空軍の通信網とのリンクに不具合がありましたが解消したんですか」「・・・お主、何者だ」私の知識は防府の教育隊の班長時代、教え子から聞いた話をその後も補備修正し続けてきただけだが「素人」と舐めていた1等空佐も絶句してしまうレベルになっているらしい。
「私は単なる軍事オタクですよ」「逆に言えばそんな君だから内局の連中が提供した資料の重要性が察知できたんだろう」ここでようやく法務官はコーヒーを飲み干し、私も倣った。
「これは前回も言ったが防衛秘密に関する法規類が自衛隊限定になっていることが本質的な問題だよ。おまけにそれを取り締まる自衛隊情報保全隊まで職務権限は名前の通りだ。つまり内局からの漏洩を調査する手段がない上、仮に当事者が判明しても処罰する法律がない。ましてや防衛秘密を中国に流した政治家を告発する場すらないんだ」法務官は今回も愚痴のように原因と限界を語ったが私としてはあえて言いたいことがある。ただし、それは禁句に近い。
「前回、私が秘密漏洩の兆候をお知らせした後、空幕としては何か調査や対策を講じられたのですか」有り得ない想定外の禁句を投げつけられて法務官は視線を反らして黙った。多少なりとも保身を考える人間であれば上官に対して相手の立場を傷つけるような質問はしない。そこが私の愚かさであり危うさでもある。
「それも空幕内の秘密保全に関する問題だから君には話すことができない。申し訳ないな」そう言って法務官は席を立ち、私も敬礼をして退室した。
  1. 2018/08/20(月) 09:19:36|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

振り向けばイエスタディ1285

マンタ28に離脱を命じ、帰投する途中で交代のアラート機マンタ30とすれ違った頃、航空混成団指揮所は国土交通省那覇航空交通管制部に国籍不明機の強制着陸がなくなったことの連絡を入れていた。応対しているのは夜勤者の長であるベテランの管理職のようだ。
「本気で強制着陸をさせるつもりだったんですか」管理職と言えども徹夜の勤務終了間際は機嫌が悪くなる。ただし、職員労組のようなアカラサマな敵意ではない。それでも一応は報告を受けていることは判った。
「強制着陸の件はあくまでも可能性の事前連絡であり、そちらの業務に対する影響を考えての予告処置です」「つまり本気だったと」「あくまでも相手が応じればになりますが」意味のない押し問答に疲れたらしい担当者は電話口でコーヒーをすする音をさせた。
「したがって先ほどの連絡は実質的に無意味になりましたから」「なかったことにしろと言うんですか」航空自衛隊としては今回の一連の対領空侵犯措置については検証しなければならない点が多く、外部に漏洩して地元マスコミが否定的な視点から詮索を始め、対応に余計な時間を取られることは避けたいところだ。
「しかし、職員個人の人間関係で話が流れることを禁ずる権限は私にはありませんから期待には添いかねます」この管理職は所詮は現場の長であり、部下でも取り扱いに注意を要する公務員労組の人間を刺激することはできないようだ。
実際、地元マスコミが繰り広げる那覇基地関係の批判報道の大半の情報源は国土交通省の職員労組であり、時には自分たちのミスを隠蔽するために事前に都合良く脚色した情報を流出させ、自衛隊の責任を追及する世論を発生させることも珍しくない。今回も那覇空港に外国軍機が強制着陸される可能性があっただけで本土復帰が実現して米軍が自衛隊に代わった時点からマスコミが主張してきた「軍民共用」の危険性を証明する格好の攻撃材料になるはずだ。
「そうですか。それでは当方としても緊急発進よりも民間旅客機の着陸を優先した那覇管制部の対応が国籍不明機の領空侵犯を招く結果になったことを政府まで報告しなければなりませんね」ここで当直幕僚は淡々とした口調で脅迫する。実はこの方が声を荒立てての恫喝よりも効果的な場合があることを2年目に入る沖縄勤務で学んできたのだ。
「政府にですか」「それは当然でしょう。我が国の安全保障と外交に関わる重大な事態なのですから政府としても放置できるはずがありません」雀山政権がそこまで安全保障を真剣に考えているとも思えないがハッタリとしては衝撃的だろう。
「判りました。責任を持って何もなかったことにしましょう」「当然、業務記録からも削除してくれますね」「はい」ここでは自衛隊側が勝利したが関係者である「帝国軍人」が聞けば火に油を注ぐだけの政治的駆け引きだった。

南西航空混成団司令と幕僚長(当時の上位者2名)は4日早朝の年頭非常呼集に備えて3日には沖縄に帰ってくる。防衛部長は2人の自宅に電話を入れて防衛秘密に抵触しない範囲で報告をして到着後に空港から基地に向かい関係者を集めた報告会議を実施することの承認を受けた。このため航空混成団指揮所の当直幕僚とパイロットのウィンドバッグとライスマン、指令官のバンとテイコクも自宅に帰ってから再び出勤することになる。
「集合終わり」午後には出席者は揃った。最先任者である当直幕僚の報告で会議が始まる。将官たちも先に出勤していた副官が用意していた制服を着ており、防衛部長と3人でコの字型に並んだ机の窓際の一角に並んで座っている。
「先ずはアンノウンをピックアップした位置だが」航空混成団司令は東京大学工学部と大学院でロケット工学を学んだ技術開発幹部であり、運用に関してはパイロットの幕僚長の方が専門だ。
「シニア・ディレクターの花山1尉に報告させます」当直幕僚に指名されてバンが立ち上がるとレーザー・ポインターで壁際の地図で尖閣諸島の東側の地点を示した。
「随分と深くまで侵入されたものだな。どのサイトも探知できなかったのか」「はい、各サイトの画像データを確認しましたがピックアップしていません」幕僚長の質問には防衛部長が答えた。南西航空混成団の場合、陸地は奄美・琉球列島しかないため探知範囲も縦にしか確保できない。しかもレーダーの設置位置が低いことで死角も近くなる。しかし、これまで中国軍はそれを利用しては来なかった。その後のパイロットたちの証言を聞いても今回、中国軍が新たに入手した航空自衛隊の弱点の検証を目的にしていたことは明らかだ。技術開発幹部である司令は機材の性能に関するデータを考え合わせているようだが表情は険しくなっていく。
「やはり最高度の防衛秘密が漏洩したと考える以外に原因は見当たりません」報告が出尽くしたところで防衛部長が結論を口にすると航空混成団司令と幕僚長も深くうなずいた。
  1. 2018/08/19(日) 10:32:54|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

8月19日・2・26事件の首謀者として北一輝と西田税が銃殺された。

昭和12(1937)年の明日8月19日に2・26事件の訣起将校を扇動した首謀者として北一輝さんと西田税さんが銃殺されました。2人とも事件そのものには参加しておらず、北さんは民間人、西田さんは予備役士官でしたが実行犯の将校たちと同じく非公開・弁護人なし・一審制の特別軍事法廷(裁判としては別)で死刑判決を受けて5日後の執行でした。
北さんは明治16(1883)年に新潟県の佐渡島の酒造業を営む富豪の長男として生まれ、創立間もない地元の旧制中学校に入学すると成績優秀であったものの眼病を患ったことで挫折し、家業が傾いたこともあって中退しています。明治34(1901)年に上京すると当時、社会主義者・幸徳秋水などが結成した平民社に関心を持ち、思想的に強く共鳴したようです。日露戦争の前年である明治36(1903)年に父が死去したことで帰郷すると地元の新聞に日露開戦論や国体論批判の論文を寄稿しています。その後、弟が早稲田大学に入学したのに同行し、自分も現在で言う聴講生として法学者の講義に参加するようになり思想を深めて行きました。その後、孫文さんの辛亥革命に参加したことで革命家としての自負と名声も加わったことで訣起将校たちの信奉を集めるようになったのです。
北さんの思想は幸徳さんなどの社会主義者が天皇制や帝国主義を批判していたのに対して「天皇は日本と言う家族の長である」と言う一体化論に立った独自の国家観に基づいており、帝国主義も「日本のためになるのであれば」と肯定していました。その一方で「明治維新によって天皇と国民の間にあった隔たりが解消したにも関わらず特権階級が作った大日本帝国憲法によって意義が失われている」と否定しており、それらが訣起将校の根本教典であった「日本改造法案大綱」などの著書の基盤になっています。
一方、西田さんは明治34(1901)年に鳥取県米子市の老舗佛具店の7人兄姉弟の4番目の次男として生まれ、兄の影響で広島陸軍幼年学校に入りましたが、中央幼年学校に入校中から新進気鋭の思想家との関係が始まり、陸軍士官学校では北さんと面会し、強く心酔するようになったようです。さらにインド独立運動の指導者であるラス・ビハリ・ボースさんや陸軍内の過激派将校の崇敬を集めていた秩父宮さんの知遇を得ています。卒業後は騎兵少尉に任官しましたが、大正13(1924)年に父親が死亡すると陸軍幼年学校在学中に兄が早逝していたため翌年に健康上の理由で予備役編入され、以降は政治闘争や流血テロを操るようになっていきました。
ただし、西田さんは部隊を動かしてのクーデターには反対だったそうですが北さんは選挙制度の下での体制変革には否定的で、単純な訣起将校たちは「明治維新のやり直し=昭和維新」と言う過激な主張だけを耳に入れて暴走していったようです。
それにしても2・26事件は思想的には社会主義革命であり、だから戦後の左傾の文化人たちは軍国主義の狂気が日本を覆う端緒であるこの事件を肯定的に評価したのでしょう。
余談ながらこの2人の興味深い共通点としてはどちらも熱烈な日蓮宗の信者だったことがあります。やはり日蓮宗は過激思想を生起させる異端の宗門のようです。大正期以降の陸軍士官学校、陸軍大学校内でも折伏(勧誘)が蔓延していましたから。
  1. 2018/08/18(土) 09:54:00|
  2. 日記(暦)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

振り向けばイエスタディ1284

「ターゲットはセパレートした」先行して機体信号を実施しようとしていた編隊長・ウィンドバッグが絶叫した。これまで両者は2機のエレメント(編隊)で飛行していたが、緊急発進機は「強制着陸」の命令が出た時点で前後に分かれて中国軍機のエレメントを挟もうとした。すると突然、2機は左右に分かれ、1機は上昇、もう1機は降下したのだ。
航空自衛隊の防空指令所は周辺空域の監視や存在する航空機の情報提供を役割とするアメリカ空軍とは違い邀撃機も直接管制下に置くが、タリホー(目視)した段階からパイロットの判断を優先するようになる。それでもテイコクは客観的な判断を指令した。
「ウィンドバック。ライト320(右・方位320度)、クライムエンジェル145(145000フィートまで上昇)、ライスマン(パイロット・稲田1尉のタック・ネーム)。レフト085(左・方位85度)、ダウンエンジェル・ポイント9(900フィートまで降下)」「ラジャー。ウィンドバッグ」「ラジャー。ライスマン」2機のパイロットも即答した。これでは空中戦が始まってしまう。流石のテイコクも熱くなった喉に生唾を飲み込んだ。
「ID(識別係)。シンボルが『U』のままじゃない。『C』にしなさい」「あッ、すみません」「ASO(監視係幹部)。周辺空域の監視を万全に。挑発は軍事侵攻の常套手段よ」「ラジャー」すると防空指令所内の空気が重く感じるほどの緊張感の中でバンが注意喚起した。この辺りが喧嘩慣れしている元スケバンの度胸の座り方だ。バンは中学時代から愛してやまない映画「仁義なき戦い」の抗争シーンを見ているような気分でレーダーのコンソールを眺めている。本当は画面を拡大して注視したいのだが、そこはシニアと言う管理職の辛いところだ。
「ウィンドバッグ。ライスマンは4マイル・ライト(4マイル右方向)、ヘディング180(進行方位180度=真南)」「ライスマン。ウィンドバッグは4マイル・レフト、へディング090(進行方位90度=真東)」「ラ・・・ジャッ」両パイロットはテイコクのインフォメーションに答える余裕もないようだ。亜音速で飛ぶ戦闘機にとって4マイル=約6・5キロは至近距離だが高度差もあるので現場の感覚は別だろう。拡大した画像上でも目まぐるしく航跡の方向と速度を示す線が変化している。中国軍機を示す「C」と自衛隊機を示す「F(フレンドリー)」の位置関係も入れ替わりが激し過ぎてどちらが優位なのか判断できない。
大半の日本人が正月から飲み続けている深酒で心地良い眠りに落ちている1月3日の早朝、国防の最前線では2名のパイロットが決死の戦いを繰り広げている。ただし、それは法的には戦闘ではない。日本は国家としての交戦権を自ら放棄しているのだから。
「リクエスト。シグナル・ブロー」そこにウィンドバッグが警告射撃の許可を求めてきた。この航跡の動きを見る限り、中国軍機は明らかにロック・オン(射撃可能態勢)を狙っている。
武力紛争関係法には空戦規則がないため明確な規定はないが、空中戦に置いてレーダーが相手機を補足して火器管制装置上で固定するロック・オン状態は攻撃を加えたのと同じ意味を持つ。つまり中国軍機は撃墜しなくても勝利を誇示することができる。逆に自衛隊機は回避することしか許されない。早い話が反撃は許されない逃げ回るだけのボクシングのスパーリングなのだ。
せめて警察権としての警告射撃でこちらの覚悟を知らせ、この暴力シーンに幕を引きたいのは至極当然だ。しかし、警告射撃の発令権限はシニア・ディレクターにはない。
「SOCからシニア、警告射撃は許可しない。アラート機には離脱を命ずる。なお、追加のアラート機を発進させて尖閣周辺空域で空中待機させろ」「・・・ラジャー」交信を傍受している航空混成団指揮所からの思いがけない命令にバンも一瞬、息を呑んでしまった。耳のレシーバーからテイコクが舌打ちした音が聞こえてきた。
これだけ長時間にわたる空中戦を実施すれば相互の戦闘機の燃料もリカバリー(基地への帰還)に不安が生じるレベルまで減っているはずだ。したがって中国軍側も離脱しなければならない。国際社会の軍事常識で言えば領空侵犯した側が退去するまで踏み止まって、それを見届けてから帰還を命ずるべきなのだが、そこは現在の本土とは比べ物にならない沖縄の険悪な反自衛隊的政治風土と防衛問題に対する考え方が未だに定まらない雀山政権に対する不信感があり屈辱を甘受したようだ。この高度な政治判断はおそらく航空混成団司令か航空総隊作戦指揮所の指示を仰いだ結果ではないか。
「WAD。アラート2機を発進させる」「ラジャー」「次のディレクターはジョージ」「イエス、マーム」想定外の展開と結末にさざ波のように小声のささやきが広がっている防空指揮所内でバンの指示が飛ぶ。ジョージは女好きから命名されたタック・ネームで「情事」のことだ。したがって仇名としても使われている。間もなく勤務交代・下番だがマンションに帰ってもバンが「情事」を楽しむことはできそうもない。とりあえずシニア席の背もたれ椅子で伸びをして首を回した。
  1. 2018/08/18(土) 09:51:18|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

振り向けばイエスタディ1283

「マンタ28、ディス・イズ・サンセット(南西防空指令所のコールサイン・仮称)・テイコク。レディオ・チェック(交信確認)。ホーミー・オーバー(ホールド・ミー・オーバー=感度送れ)」戦闘機が基地を離陸し、航空管制との交信が終了したところから防空指令所の邀撃管制が始まる。出だしは交信確認からだ。
「ディス・イズ・マンタ28・ウィンドバッグ(=パイロットのタック・ネーム)。ラウダンクリアー(ラウド・アンド・クリア=感度明度良好)。ホーミー・オーバー」緊急発進に向かう割に特別な緊張感はなく淡々と手順をこなしていく。ただし、450キロ程度の距離はFー15であれば30分弱なのであまり念入りに手順を踏んでいると途中で到着してしまう。
「ターゲット・エンジェル・ポイント8(目標の高度800フィート=約244メートル)」アンノウンは極端に高度を下げている。今回の飛行は超低空で接近して航空自衛隊の地上レーダーの探知能力を検証しながら協力者である国土交通省職員労組の妨害行動の効果を確認したようだ。今度はパイロットの技量を試すつもりなのかも知れない。
西井1尉の「テイコク」と言うタック・ネームは「帝国軍人」と自称する口癖による。部内で幹部になる前の空曹時代は入間にある中部航空方面隊の防空指令所で勤務しており、靖国参拝を趣味にしていた。したがって事実上は中国軍機であるアンノウンの帽弱無人な行動には怒り心頭に達している。一方、シニア・ディレクターの花山1尉の「バン」は指導教官などが女性自衛官であることから「棘がある花」で「ローズ」にしようとしたところ本人が譲らなかったのだ。どうやら中学時代からスケバンのボスだったらしい。この2人の指令を受ける邀撃機は尖閣上空で旋回を繰り返しているアンノウンに接近した。
「タリホー・ターゲット(目標視認)。J11だ。2機いる」J11はロシアのスホーイ27を中国がライセンス生産している戦闘機で世代的にはFー15と同等だが、性能全般で劣る点が指摘されている。問題なのは旋回を続けている戦闘機をどのように領空外に追い出すかだ。
「警告を継続しているな」「はい、反応はありませんが英語と中国語を交互に31回目です」ここでバンが見習い3尉に確認した。つまり外交手続き上の手順は十分だ。次は直接行動に移行しなければならない。バンは混成団指揮所の当直幕僚に確認した。
「領空侵犯に伴う強制着陸に移らなければなりませんが」「スタンバイ、防衛部長が間もなく登庁されるから待て」警告射撃などの処置を命じることができる航空混成団司令、幕僚長、防衛部長のうち前段休暇期間中に勤務している防衛部長が基地に向かっているらしい。非常時であれば電話での承認も選択肢だが、まだその段階ではない。
「ラジャー。マンタにはタリホーを維持して逐次状況を報告させろ」「ラジャー。キープ・タリホー」バンの指示をテイコクが受ける。アンノウン側としては航空自衛隊の処置の限界を見極めながらも手足を縛られている憐れな姿を嘲笑しているのだろう。
その時、階上の混成団指揮所で人の出入りがあったことが判った。シニア・ディレクターの席の前のプロッター・ボード(手書きの航跡図を表示する透明の地図)に指揮所の薄暗い灯りが映っているのだ。
「シニア、防衛部長が到着された。手短に状況を説明しろ」「ラジャー。Iタイム(日本標準時)0520、尖閣付近でアンノウンをピックアップ、同時にアラート発令しましたが管制塔の離陸許可が下りずに0532に発進、0558にタリホーしました。J11、2機です」この間もテイコクが切れる寸前なのは性格を知っているバンには顔を見なくても判っていた。
「よし、領空侵犯に伴う強制着陸を実施する」「ラジャー。ミッション・フォースド・ランディング(強制着陸)」防衛部長はラジオ・レシーバーを装着したのか直接指示してきた。
「マンタ28。ミッション・フォースド・ランディング」テイコクが交信している間にも混成団指揮所では混乱が発生していた。すでに国籍が判明している中国軍機が強制着陸に応じた場合、那覇空港の管制を受けなければならない。そのため事前に通報することになるのだが、防衛行動に対する妨害を繰り返している国土交通省職員労組が飛行計画もない業務を受けつけるはずがなく、むしろマスコミへの漏洩を考えるのは間違いない。さらに年末年始休暇期間中の早朝では滑走路や駐機場に配備しなければならない警備小隊や消防小隊の指揮官の幹部が確保できない。これも中国軍の狙いであるとすれば「流石」と感心するべきではないか。
その頃、尖閣上空ではF15が強制着陸に備えて2機編隊のJ11を前後に挟もうとしていたのだがハード・ターン(急速旋回)を繰り返して上手くいかないでいた。本来であれば確実に中国軍機パイロットの視界に入る前方に出て、機体を左右に大きく振った後、右に旋回する「フォロー・ミー=我に続け」の機体信号を送らなければならないのだ。
高原由紀やはりスケバンと言えば高原由紀でしょう(「愛と誠」より)。
  1. 2018/08/17(金) 10:37:02|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

8月17日・徹底的に兄弟運が悪かった源範頼の命日

建久4(1193)年の明日8月17日(太陰暦)は弟の引き立て役を押しつけられ、猜疑心が強い兄によって殺された蒲冠者(かばのかじゃ)・源範頼さんの命日です。
範頼さんは源義朝さんが勢力拡張のため関東に赴いた折に手をつけた女性が産んだ子供で、鎌倉悪源太・義平さんや鎌倉初代将軍・頼朝さまの異母弟、判官贔屓の語の由来になっている源義経さんの異母兄にあたります。
野僧が管理人をしていた浜松市内の寺の檀家さんの1人が蒲神社の前に住んでいて、お勤めのついでに寄ってみたところ範頼さんの通称「蒲冠者」の地名であることが判りました。範頼さんの母親は旅の遊女(芸能のついでに身体を売ることを生業にしていた女性=義経さんの妾・静御前と同業)とも地元の有力者の娘とも言われていますが、当時は街道が整備されてはおらず旅人は宿泊を乞いながら集落から集落を移動していましたから武家とは言え宿泊先で遊女を買うことは些か不調法であり、やはり地方の有力者が中央の名門・源氏の嫡子に娘を差し出したと考える方が自然でしょう。実際、範頼さんは平治の乱で義朝さんが敗死して源氏が凋落の一途を辿り、平家の栄華が始まっても高倉流藤原家の範季(のりすえ)さんを養父として蒲の地で秘かに養育され(元服に際しては諱の1字を授けられている)、やがて以仁王が発した平氏追討の令旨を受けて各地の源氏が決起すると手勢を率いて甲斐源氏に合流しています。その後は甲斐源氏の下にあって鎌倉と平家の抗争に参戦し、次第に頼朝さまとの関係を強めていきました。
そうして先に京都に入り、平家を追った源義仲さんと郎党の傍若無人な振る舞いに(道元さんの母親も義仲さんの妾にされている)後白河法皇が追討を命じたことを受けて源義経さんと共に鎌倉勢を率いますが、主力は範頼さんで義経さんは少数精鋭の遊撃隊に過ぎませんでした。それでも少数で戦果を上げることの方が日本人の好みであり、合戦ではそれぞれに役割分担があったことなどは無視して全て義経さんの手柄にしているのが古くから日本人が愛読・視聴してきた物語やドラマの筋書きです。
義仲さんとの宇治川合戦では義経さんの奇襲攻撃を巡る家臣の先陣争いで勝敗が決したかのように描かれていますが、実際は範頼さんの大軍が周辺を包囲しており、逃亡する義仲さんを射殺した(いころした)のは範頼さんの手勢でした。
一ノ谷合戦でも範頼さんの軍が本拠地の福原を攻撃して後退した平家を義経さんが鵯越から奇襲しただけのことです。さらに壇ノ浦の前には平家が支配していた九州の制圧に当たっており、そのような武功は黙殺されて義経さんの引き立て役にされてきたのです。
やがて義経さんが殺され、奥州藤原氏が滅び、鎌倉に幕府が開かれた後も頼朝さまの信任は厚かったのですが曽我兄弟による仇討ち事件が発生した時、頼朝さま横死の誤報を受け取って動揺する妻の政子さんに「私がおりますから大丈夫」と言ったことで謀反の疑惑を招き、伊豆の修善寺の塔頭・信功院に幽閉され、そこからは吾妻鑑にも記載はないものの頼朝さまの内意を受けた梶原景時さんの手勢によって殺害されたと伝わっています。本当に兄弟運が悪い人だったようです。
  1. 2018/08/16(木) 10:07:50|
  2. 日記(暦)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

振り向けばイエスタディ1282

2010年1月3日の早朝、那覇基地の南西防空指令所に時ならぬ緊張が走った。
「アンノウン、ピックアップ(=国籍不明機を探知)、ウェスト270(西方270度)、250マイル(250海里=463キロ)※数字は英語読み」「そこは尖閣上空じゃあないの」その時のシニア・ディレクター(先任指令官)はWAFの花山育子1尉=タック・ネーム(パイロットと指令官の個有コールサイン)はバンだった。
「はい、すでにADIZは突破されています」「ラジャー(了解)、マンタ(飛行隊のコールサイン・仮称)、ホット・スクランブル」この緊急発進の発令権限は先任指令官にも与えられている。その命令を受けて担当空曹がアラート・ハンガー(緊急発進用戦闘機の待機格納庫)の信号のスイッチを押し、同時に滑走路の南端にあるアラート・ハンガーの待機室ではベルが鳴り響き、パイロットと整備員が戦闘機に向かって駆け出した。
間もなく格納庫のドアが開き回転している赤色灯が目に入る。同時にFー15J戦闘機のエンジンが作動して整備員たちは機体の周りを掛け回って飛行前点検を行う。パイロットは操縦席に座り、整備員の手を借りて装着品を身に着けていく。所要時間は3分以内だ。
「領空までは」「10マイル」「通告を実施、領空侵犯と同時に警告に切り替えなさい」「ラジャー」バンの指示で見習い兵器管制幹部の3尉がマイクを口に合わせた。
「ビー、アドバイス(通告する)、ビー、アドバイス。アンノウン・エアクラフト、フライング・オーバー・イーストチャイナシー(東シナ海上空を飛行中の国籍不明機に)、イフ・ユー・メインテイン・ヘディング(このままの進路を継続すると)、ユー・ウィル・バイオレイト・ジャパニーズ・ドメイン(日本の領空を侵犯する)」「アンノウンは領空侵犯しました」通常は通告から警告への転換は先任指令官の指示によるのだが今回はそのまま移行する。
「ワーニング(警告する)、ワーニング。アンノウン・エアクラフト・フライング・オーバー・イーストチャイナシー。ユー・アー・バイオレイティング・ジャパニーズ・ドメイン・ナウ(君は今、日本の領空を侵犯している)。ジャスト・ゲラウト=ゲット・アウト(直ちに退去せよ)」「中国語での警告を実施」「ラジャー。警告、警告、飛機不為人知的国籍(=国籍不明機)・飛行中・在東海之上(=東シナ海上空)・・・」見習い3尉の中国語は振り仮名の棒読みだが、下手に通じて会話が始まってしまうと外交問題に発展する可能性もあるから手順として実施すれば十分だ。見習い3尉もそのつもりで軽く流している。
「アラート機はまだなの」その時、バンが発進後の管制を行う西井千尋1尉=タックネーム・テイコクに確認した。確かにホット・スクランブルを発令して7分が経過しており異常に遅い。
「はい、CAB(航空局)の車両が滑走路の点検中のため管制塔が進入許可を出しません」「チッ」毎度、繰り返される国土交通省職員労組による妨害行動にバンは舌打ちをした。
「シニア、アンノウン機は尖閣上空でGAP(コンバット・エア・パトロール)を始めました」監視係幹部からの報告を受けて画面上の尖閣諸島を見ると「U(アンノウン)」のシンボルを付した航跡が縄張りを主張するかのように旋回を始めている。つまり完全な手遅れだ。
それにしても今回はこれまでアンノウン=中国軍機が使用してこなかった航空自衛隊のレーダー波の盲点となる超低空を飛行してきたとしか考えられない。航空自衛隊に限らずレーダー波は直進するので丸い地球上では距離が離れると水平線の影が盲点になる。このためレーダーを可能な限り高い位置に設置するのだが沖縄では与座岳で標高168メートル、久米島で310メートル、宮古島の野原岳に至っては98メートルしかないため盲点が広いのだ。
「CAB車両は退去しましたが管制塔は民間機を先に着陸させると言っています」これも国土交通省職員労組の常套手段だ。
「当直幕僚、どうしますか」「待つしかないだろう。後で抗議できるように時系列の記録を取っておけ」バンはマイクを通して混成団指揮所の当直幕僚に声を掛けたが予想通りの答えだった。国土交通省職員労組は法的権限の優越性を熟知した上で自衛隊の行動を妨害しているのだ。
それにしても今回のアンノウンはどうして最高の防衛秘密であるレーダー・サイトの探知範囲を知ったのか。バンは画面上を我が物顔で飛んでいるUシンボルを睨みつけながら唇を噛んだ。この唇は夜勤を終えればマンションで待つ愛人に吸わせて快楽に浸るはずだったのだが。
「アラート機、発進しました」「ラジャー」バンの返事を待たずにテイコクは管制を始めた。、
「ホット・スクランブル。マンタ28、ツー(2機)Fー15、ベクター(ベクトル=方位)270、クライムエンジェル(上昇高度)18(18000フィート=約5500メートル)チャンネル(使用周波数)184、スコーク(SIF=敵味方識別装置)2&3ノーマル・・・オーバー(以上)」「ラジャー。マンタ28・・・」アンノウン=中国軍機が盲点を入手した経緯の調査は市ヶ谷に託すしかないが、南西航空混成団の2010年は大変な年になりそうだ。
  1. 2018/08/16(木) 10:06:38|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

振り向けばイエスタディ1281

2010年の新年は私の官舎で迎えた。志織は到着した直後の日曜日の夜に佳織の官舎に移動し、そこで缶詰めになって課題に励んでいた。今年は12月21日が月曜日なので街中を歩いていると補導される可能性があり、横田基地のアメリカン・スクールの同級生の大半は親の転属で日本にはいないため静かな環境で課題に取り組むのが最善の選択だった。
一方の後段休暇の佳織は公休日以外は休めないので12月31日の木曜日まで勤務し、1日の元旦、2日の土曜日、3日の日曜日の3連休で一緒に帰宅したのだ。ただし、志織の冬休みは始まりが早い分、4日までで終わるため2日の飛行機でハワイに帰らないといけない。
元旦は志織も佳織に着付けを習いながらお下がりの晴れ着姿になっている。そんな華やかな席で乾杯をすると今年は良いことがありそうな気がしてくる。それはイージス護衛艦衝突事故の裁判の勝訴なのか、それとも雀山政権の崩壊だろうか。もっと手近で切実なところでは佳織との夫婦の営みの再開があるが、無理な願望のことを私の業界では「無常住地煩悩」と言う。
「志織、課題は終わったか」「うん、お母さんが教えてくれたから完璧よ」「明日には帰らないといけないから完璧じゃあないと困るぞ」志織は海外生活が長くなっているため正座が苦手のようだ。居間の座卓で私が用意したおせちを摘まみながら腰を浮かしている。
「足が痺れたのか」「うん、茶道でも正座は苦手よ」ふーん、ハワイの先生もその点は日本以上に大変だろうなァ」私は茶道の師範の資格を持っている職場の女性事務官に裏千家の道具が買える専門店を訊いたのだが、ついでに茶道の指導の苦労話も聞かされた。最近の若者は万事に知識先行で茶道の所作も事細かに説明を求めてくるそうだ。中でも足が痺れることの対策は執拗に追及してきて「慣れるしかない」と言う説明では絶対に納得しないそうだ。
「坐っている間に痺れるのは仕方ないから立つ前に無理してでも爪先を返すんだ。やってみろ」「お尻を浮かして体重を前に掛けるのよ」これは茶道ではなく坊主からの口伝で佳織にも伝授している。そのため志織の尻を持ち上げて手伝い始めた。最近は男親がこれをやれば家庭内セクハラになるらしい。本当に難しい時代になったものだ。
「うん、足の痺れが消えたよ」「そんなところだな」オチがついたところで話題は変わる。その前に佳織に酒を注いでもらった。
「買った茶道具と着物は業者が送ってくれるけど居合道の道衣と木刀や模擬刀は始めてからで良いよね」「うん、教室を探さないといけないから見つかったら連絡するわ」実は居合道も職場の愛好家に訊いたのだが、意外にも剣道衣と居合道衣は似て非なる物のようだ。
剣道衣は試合稽古を前提にしているため吸水性が良い木綿製なのに対して居合道衣は皺になりにくく型崩れしないテトロン性が主流とのことだった。勿論、剣道衣を居合道衣に転用することは許されているが有段者になると互いの自意識で控えるようになるらしい。
そう言えば私も愛知大学の日本拳法部は空手衣だったため(体育学校では頭からかぶる筒型の道衣)那覇で少林寺拳法を始めた時、「卍(当時)」のワッペンを縫いつけて使ったところ有段者から嫌われたことがある。暑さ対策も兼ねてボクシングのトランクスで練習する訳ではないのだからどうでも良さそうだが真面目にやっている人には容認できないらしい。
「まァ、淳之介も日本拳法は茶帯まで言ったけど沖縄には道場がないからそこまでになっちゃったんだ。志織も若い間は色々なことに挑戦してみてハイ・スクールを卒業するまでに生涯の趣味を見つけることだよ。楽しむのは志織なんだから自分が好きなことを選びなさい」「貴方って本当に不思議なお坊さんだわ。普通のお坊さんなら『道を極めなさい』『精進あるのみ』って言うんじゃあないの。これじゃあ真逆ね」「だからダディなんだよ」私の年頭の訓示は上官である妻に茶化されて終わってしまった。それでも2人とも私の胸の奥底まで見渡しているのは間違いない。やはり良い正月だ。
2日の夜の飛行機で志織はハワイに帰っていった。日本の観光客が年末年始をハワイで過ごすのとは逆コースなので飛行機は比較的空いている。
「それじゃあ、ダディとスザンナによろしくね」「次は必ずハワイに伺いますって伝えてくれ」搭乗口に入る前のロビーで私たちは意外なくらい明るく見送っていた。ところが志織は深刻な顔をして思い掛けない言葉を託(ことづ)けた。
「私がお兄ちゃんに会いたかったって・・・伝えて下さい」やはり志織の中では幼い頃に分かれたままになっている兄を慕う気持ちが募っているらしい。
1日に届いた淳之介からの年賀状はあかりと2人で連絡船のデッキに立っている写真だった。背景は石垣島港ではなく離島のひなびた波止場で、あかりを離島へも連れて行って楽しんでいることが判った。再び同じような日程で来日することがあれば実現させてやりたいものだ。
  1. 2018/08/15(水) 10:37:42|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

8月15日=カソリックのマリアの命日

カソリックでは1950年のピオ12世のエクス・カテドラ宣言から8月15日をマリアさんの「被昇天=就寝の日」=命日としています。ちなみに息子であるイエスくんの誕生日を1月7日としている正教会では1月18日が同じ意味の「生神女就寝の日」です。
一方、大半のプロテスタントではマリアさんが「無原罪の宿り=処女懐妊した」と言う伝説は認めているもののカソリックや正教会のような神格化はしておらず単なるイエスくんの母親扱いのようです(一部はカソリックと同様に神格化している)。
マリアさんの呼称もカソリックでは「ザ・バージン」「ホーリー」「アワー・レディ」などを冠し、正教会では「生神女」と更に仰々しくなっています。ちなみに日本で用いられている「聖母」はマリアさん専用ではなく高潔な母親を意味する一般的な敬称です。
しかし、コルアラーンでは「天地創造で人間を造り出したアッラー(創造主)がワザワザ人間の女を妊娠させる必要はない」と喝破しており野僧も全く同感です。つまりマリアさんはヨゼフさんとの婚約中に別の男性との性行為で妊娠した訳で「ザ・バージン=処女の中の処女」と呼ぶことが果たして適切なのかは大いに疑問です。
さらに日本の禅僧・鈴木正三道人は島原の乱の後、天草の代官に任命された甥の鈴木重成さまの招聘を受けて現地に赴き、潜伏する切支丹を宗教的に納得させて改宗させるため地域の寺院や神社、村長などの有力者に配布した「破切支丹」の中で「子供ができるのは男女の交合い(まぐあい)の結果であって、それもなしに身籠るのは物の怪の類いだ」と断じています。
佛教でも東アジア、特に日本では悟境に達した如来の加護は絶大過ぎて逆に目が届かないこともあるのではないかと心配し、いまだ悟りに至らず現世に留まっている菩薩の方が気軽に助けてくれるのではないかと観音菩薩や地蔵菩薩を篤く信仰するようになったのと同じようにカソリックでもマリアさんは人間の身近にいて母の慈愛を降り注いでくれる存在として信仰されるようになり、カソリック教会で信者たちが祈っているのは十字架で苦悶しているイエスくんではなく憂いに満ちた悩ましい表情のマリアさんの像の方です。
さらにヨーロッパではマリアさんの出現が報告されており、それをバチカンが調査して事実と認めれば奇跡になりますが、野僧はこれにも人類学的な疑問を持っています。
イエスくんが生まれた頃のパレスチナ人は発掘されている人骨などから髪は黒の縮れっ毛で、唇は厚く顎が大きな(おそらく肌は褐色)アフリカ系人種の身体的特徴が濃かったことが解明されており、バチカンが奇跡として認めたマリアさんが全て金髪で色白の聖画で描かれている通りの美女であることとは矛盾します。要するに強い思い込みを抱いた純真な子供たちが何かを勘違いして、それを真剣に説明する中で聞いていた大人が勝手にイメージを固めてしまったのでしょう。
マリアさんは魂だけでなく肉体と一緒に昇天したとされていますから(=墓に埋葬したが3日後には遺骸がなくなっていた)、実際は高齢化で認知症を発症して行方不明になったのかも知れません。
亜麻色の髪のドール・ピエタ像

  1. 2018/08/14(火) 07:37:22|
  2. 日記(暦)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

振り向けばイエスタディ1280

「おかえり。志織」「おかえりなさい。マミィ」佳織は8時過ぎに帰ってきた。志織は玄関で出迎えて台所で夕食の支度を始めていた私は母子の対面には立ち会えなかった。
「貴方、ただいま」「うん、おかえり」それでも台所に寄ってくれるところは我が愛妻だ。今日の佳織は簡易ジャンバーにズボンをはいている。ハワイでは見せなかった服装に志織も興味を持って着替えに入った寝室についていった。
「ふーん、これも制服なんだ」「簡易服って言って制服に準じて着られる私物品なんだよ」「ハワイの時は夏制服と迷彩服ばかりだったもんね」「それでもセーターは着てたでしょう」襖の向こうで母子の会話は弾んでいる。ミシガン州での指揮幕僚大学院(CGS)課程やハワイ州の太平洋陸軍司令部勤務の間の2人暮らしもこのような感じだったのだろう。聞いていて私としても安堵した。ところが話は意外な方向に展開した。
「でも私はネービーの軍服が好き」「お祖父ちゃんは空軍じゃない」「結婚式でお兄ちゃんが着てたでしょ」確かに淳之介には3等航海士として金線1本の3等海尉の階級章つけた白い半袖の第3種夏服を着させていた。提供した本人が言うのも何だが似合っていたのは間違いない。
「それじゃあアナポリスを目指すの」「ううん、お祖父ちゃんがお母さんみたいにROTC(予備士官制度)で普通の大学へ進めってさ。できればディレクト・アポイントメントが良いって言うの。士官学校に入ると世間知らずなカチカチの軍人になっちゃうからお祖父ちゃんは嫌だって」これには一部、誤解がある。佳織や私の一般課程(部外)はアメリカ軍のROTCのように在学中から軍隊で教育や訓練を受けることはなく入隊後に初めて自衛官になるのだ。一方、ディレクト・アポイントメントは法務や宗教家、語学、医学、歯科、衛生、広報活動、原子力、海洋科学、生物学などの専門学部から選抜される技術士官のことで、軍が科学技術を牽引しているアメリカでは将来性が高い進路ではある。何にしてもアメリカ軍には自衛隊のような叩き上げの「部内」がないため(大卒の下士官・兵からの部内選抜はある)、士官学校出身が2割弱、ROTC出身が6割弱、ディレクト・アポイントメントが2割弱、残りは大卒の部内なのだそうだ。何にしてもアメリカでは軍人、中でも士官になることが若者の憧れなのは理解できた。それでも自分の娘になって欲しいかは別問題だが。
「そう言えば市ヶ谷の美玉で簡易服のセーターの袖に縫いつけてある『GSDF』のエンブレムを売ってないかな」着替え終った佳織は志織と一緒に出てくるなり妙な質問をしてきた。美玉とは陸海空自衛隊の注文制服の専門店で市ヶ谷駐屯地の売店にも出店している。考えてみると佳織が愛用しているミリタリー・セーターはアメリカ軍の物で色に大差はないが、自衛隊の簡易服には左上腕部に縫いつけてある三角形の「GSDF・JAPAN」のワッペンがない。
「ワシのセーターもイギリス軍のだから着いてないな。でも幕で指摘を受けたことはないぞ」「貴方は服装規則を無視する常習犯だから周囲も諦めているんだよ」私の説明に佳織は呆れ顔で答えた。言われてみれば私の略帽=ベレー帽は上野・アメ横のミリタリー・グッズの店で買ったイギリス軍の緑色のベレー帽に陸上自衛隊の帽章を付けている。やはり長い伝統を有するイギリス軍のベレー帽は生地の質が良く、色も品格が漂い、形も洗練されていてかぶり心地は最高だ。その点ではアメリカ軍のグリーン・ベレーなどは足元にも及ばない。セーターは北キボールで親しくなったオランダ軍の士官から入手した物だが彼も「ウール製品はイギリス製に限る」と絶賛していた。
「やっぱり副校長になると学生の注目を浴びるから応用動作は控えないといけないんだわ。手に入ればよろしくね」「うん、久しぶりに美玉の小母ちゃんに会いに行こう」美玉は注文の制服ではトップ・ブランドであり、地方の駐屯地の売店で売っている私物の制服とは生地や仕立てが違う。私はカンボジアPKOから帰国して善通寺市内での講話を依頼されるようになった時、愛着があった茶色の制服を着ているのを問題視されて新制服を作る羽目になった。そこで3尉に任官して紳士服店でスーツを作った時の寸法を送って美玉で制服を作ったのだ。以来、私たち夫婦の制服は3種夏服まで全て美玉製だ。
「どちらかと言うと小母ちゃんにワシのセーターを渡して同じ物を作れって言いたいけど、値段が高くなると自衛官は買わないからな」「うん、制服は官品って発想が抜けないんだね」気がつくと最近の日常風景である夫婦水入らずになっている。
「ダディ、晩ご飯は」すると存在を忘れられた愛娘・志織が憮然として口を挟んできた。今夜の献立はハワイでは材料が見つからなくて作れない食材を志織と一緒にスーパーで探してきた。生鮭に揚げ出し豆腐、イクラに生ウニ、漬物にふりかけ、お茶漬けサラサラ、ご飯も今回は特別に高級な白米も買ってきた。どうも遅くなりました。
  1. 2018/08/14(火) 07:30:34|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

8月14日・韓国の「(いわゆる)従軍慰安婦」の日

今年の明日8月14日は2017年11月24日に韓国の国会で可決成立した「改正慰安婦被害者生活安定支援法・記念事業法」に基づく法定の「旧日本軍の従軍慰安婦をたたえる記念日」の初回となります。
この日が選ばれた理由は1991年8月11日に朝日新聞の植村隆記者が(いわゆる)従軍慰安婦の匿名インタビュー記事を掲載したところ日本の保守派言論人などから「虚構」との疑問の声が上がったため8月14日にインタビューを受けた金学順さん(67歳)が名乗り出て記者会見を行ったことだそうです。
これにむけて韓国では日本に対する戦後補償を巡る裁判に安倍政権と朴槿恵政権の間で結ばれた日韓合意に関連して外務省が不当な圧力を加えたとする疑惑が取り立たされ、検察当局が官庁の捜索を行いました。韓国の司法では法的合理性よりも政権と世論の両方におもねって大きく揺れ動かされていることが明らかな判決が繰り返されていますから今更、驚きませんが日本のマスコミがその低レベルな司法を日本などと同等の良識と権威を有するかのような報道を行い読者に深刻な問題であるかのように誤解させていることが問題なのです。特に(いわゆる)従軍慰安婦問題の捏造情報を日本国内外で流布し続け、国際社会での反日世論を扇動してきた朝日新聞にとっては韓国の現政権が(いわゆる)従軍慰安婦の存在を反日批判の材料にすることは自ら認めた誤報=捏造を「政権による圧力の結果」と弁解する好機であり、日本の国内世論をその方向に誘導しようとすることは目に見えています。
日本政府としてもマスコミ各社が「韓国の現政権が米朝対話の橋渡しをした」と言う表面だけを撫でる報道している以上(実際は軍事攻撃が現実化したことに怯えた結果)、アカラサマに批判することは避けたいところであり、マスコミが勝手に期待を喧伝する日朝首脳会談を実現するためにも協力が必要ですから黙過するしかないのかも知れません(これでは拉致被害者は南北朝鮮が日本を黙らせるための人質=外交の道具と言うことになってしまいます)。
兎に角、この問題は(いわゆる)従軍慰安婦が存在し、人身売買によって売春婦になった女性たちが危険を伴う前線にまで赴かされて、多くの兵士たちの性行為の相手をさせられていた事実は率直に認めた上で、それはあくまでも人身売買の犠牲者であり、韓国の娘たちを売ったのは韓国の親たちであり、日本の慰安所経営者に転売したのも韓国の妓生(キーセン)業者であることを明確に主張するべきです。
その一方で朝日新聞=植村隆記者が報道した軍需工場などでの徴用工である女子挺身隊として動員した女性を慰安婦にしたと言う虚構や吉田雄兎(=清治・福岡県遠賀郡芦屋庁出身)の日本の官憲による慰安婦狩りと言う捏造は徹底的に否定しなければなりません。
むしろ日本でも民間団体が主催する「(いわゆる)従軍慰安婦問題を追及する日」を制定して朝日新聞と宮沢喜一元首相、河野洋平元官房長官を永久に糾弾し続ける必要があります。朝日新聞と河野洋平元官房長官は全く反省していませんから。
  1. 2018/08/13(月) 09:46:11|
  2. 日記(暦)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

振り向けばイエスタディ1279

「私、武道をやりたいんだ」茶道と華道の相談が終わったところで更に「道」の話が続いた。私の武道の段位は締めて17段なので種目の選定に関する相談相手としては適任だが、現地情報は持ち合わせていない。我が家では私が徒手格闘の技量向上のため大学時代にやっていた日本拳法を再開し、それにつき合って佳織も始め、淳之介は茶帯にはなったが志織は両親と兄の練習に連れて来られて道場で遊ばせていただけで練習はさせていない。強いて言えば佳織初段が個人教授したのかも知れない。
「やっぱりハワイでも護身術が必要なのか」「うん、それもあるけど何でも『道』にする日本の発想って面白いなって思って。ダディだって武道家でしょう」そう言って志織はこちらを見たが、交通量が多い「道」での脇見運転は危ないので一瞬だけで視線を前に戻した。
「でも日本拳法の道場はハワイにはないだろう」「少林寺拳法ならあるみたい」これでは私が航空自衛隊に入って沖縄に赴任した時、基地に日本拳法部がなく市内にも道場がなかったため少林寺拳法部に入る羽目になったのと同じことになる。少林寺拳法は拳骨和尚・物外不遷老師が創始した不遷流柔術の系譜を組むだけに技法は優れているが宗教法人・金剛禅を名乗っていることが問題だ。私のような佛道も修行している者から見れば開祖と称する人物の怪しげな詭弁を経典の言葉を摘まみ喰いの勝手な曲解で補強していて志織に学ばせる気には到底ならない。
「少林寺拳法は勧めないよ。あれは佛教の名を穢している暴力カルトだからな」「ふーん、だったら止めておくわ」この口ぶりでは高校の同級生に誘われただけのようだ。少林寺拳法を止めて20年以上が経つから教団の体質が変わっている可能性もあるが、私が入部した頃の後継者は少林寺拳法の経験があまりない実娘だったので開祖への個人崇拝に基づく世襲制と言うことになる。このような教団が開祖の教えを修正することなどは有り得ないだろう。
「本当は袴をはく種目が良いんだ」「袴を・・・どうしてだい」「だって袴って格好良いじゃない」これは意外な理由だ。私自身も高校時代、柔道部の隣りで練習している剣道部の女子を格好良いと思っていたが、娘に言われると少し焦ってしまう。そう言えば神道嫌いの私も巫女さんは大好きだ。尼僧や修道女よりも若くて素人っぽいところが良い。
「袴をはくって言うと剣道に弓道くらいかな」「後は合気道もはくんでしょう」意外に下調べは十分なようだ。しかし、そこまで言うのなら居合道もある。
「合気道の袴は有段者だけだったはずだぞ。それまでは普通の柔道着じゃあないかな」「帯は白帯だよね」多分な」どうも志織の武道志望はファッション性が優先されているようだ。女子高生が強さだけを求めて武道を始めるよりはこのくらい軽い方が可愛らしいが、帯の色は技量の段階表示なので始めから黒帯を締めるような武道はない。
「剣道はどうなの」「剣道かァ・・・」私にとって女性剣士と言えば日本武道館で1日だけのデートを経験した日本チャンピオン・福之上里美(現在は寺地7段)さんだ。志織があのような魅力的な女性になれるのなら剣道も悪くはない。何よりも剣道は背筋を伸ばし、爪先立ちになるため足首が細く締まったモデル体形になるらしい。ただし、道衣と防具、最近ではカーボン製が主流になっている竹刀はかなり高額だと職場の愛好家たちから聞いている。
「ワシは初段だけど小学校でしか経験していないから詳しくは知らないな」本当は小学校ではなく航空教育隊での曹侯学生基礎課程の検定試験に紛れ込んで買った初段だがそれは言えない。
「練習は面白かった」「真夏にも道衣を着た上に防具をつけるから滅茶苦茶暑かったな。ハワイでは冬の辛さはないだろうけど」「ふーん、ダディもあまり判ってないのね」やはり母親と同様にこの娘にも誤魔化しはできないらしい。
「弓道は」「弓道ってハワイに弓道場があるのか」まさかアーチェリーと間違えているのではないか。確かに道衣を着てアーチェリーをやれば弓道に・・・やはり見えない。
「うん、日本の臨済宗のお寺に剣道と弓道の道場があるんだよ」「剣道と弓道は昔から禅との結びつきが強くて禅を極めた達人も多いんだ」有名なところでは幕末の剣豪で「無刀」の境地に達した山岡鉄舟やドイツの哲学者で東北帝国大学の講師として来日し、禅と弓を学んで帰国し、「弓と禅」の名著を残したオイゲン・ヘリゲルなどがいる。ただし、臨済宗の寺でそれを広めているのは禅の効用を説くための道具にしている可能性もある。
「ウチは浄土宗だからなァ・・・」これは遠回しの拒否であり、案の定、志織も察した。
「剣道と弓道、それからアイイドー・・・」「居合道だよ。刀を振る形の稽古をするんだ」「剣道とは違うの」「うん、こっちは真剣でやるから試合はないんだ」剣道の形を真剣で演じる人もいるが、そこに必然性はない。那覇基地には居合道部もあって職場の上級空曹たちも所属していたが、基地への真剣の持ち込み・保管が認められていなかったため刃が入っていない模擬刀で練習していた。模擬刀は刃が入っていないだけで構造・材質は真剣と変わりなく太い大根くらいは一刀両断だった。義父には私の軍刀を預けてあるので志織が居合道を始めて刀の手入れを習えば好都合だが、本人は助手席で考え込んでいた。
福之上里美2福之上里美さん
  1. 2018/08/13(月) 09:44:46|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

8月13日・帝国陸軍の撃墜王・上坊良太郎の大尉の命日

2012年の明日8月13日は本人の自己申告ではなく戦友たちから帝国陸軍の撃墜王と賞賛されている上坊良太郎(じょうぼうりょうたろう)大尉の命日です。
上坊大尉は非常に謙虚な性格で(海軍の「大空のサムライ」とは真逆)、回顧録などでも撃墜数を語ることはなく、問われれば「30機くらい」と答えていましたが、戦友たちは「少なくとも76機」と口を揃えており実際はもっと多かったようです。
ただし、上坊大尉が各地で対戦した敵側(米・英・ソ・中)の損害記録と照合すると確実なのは30機前後となり自己申告の方が正しいことになります。
航空自衛隊を含め戦後の日本人の間では陸軍よりも海軍の人気が高く、航空戦を描いた映画や小説、漫画でも陸軍を題材にした作品は皆無に等しく(有名な「加藤隼戦闘隊」は昭和19年に上映)、その実像はほとんど知られていないと言っても良いでしょう。
野僧が博多の明光寺で師事した堂長老師は元陸軍航空隊の戦闘機(=隼)乗りで、野僧が参禅すると方丈(堂長室)に呼び出されて長時間にわたる戦史教育を受講できました。
堂長老師の見解では海軍の零式艦上戦闘機を製作した三菱重工は海軍の無理な要求に応えて契約を結ぶことだけを考えており、技術者も「性能の限界を追及したい」と言う子供じみた願望だけで開発したため軍用機として必要不可欠な防御力や信頼性などは度外視されていたとのことです。その点、陸軍の97式戦闘機から2式複座戦闘機・屠竜までの各戦闘機は艦載と言う制約がない分、完成度が高く「海軍も航空母艦を失った段階で機体を陸軍と供用にして生産力を確保するべきだった」と怒っていました。実際、零式戦闘機は猛訓練で鍛え上げられた搭乗員が操縦している間は無敵でも技量の低下と同時進行以上の速度で劣勢に陥りましたから日本人が信じ込んでいる神話は過大評価なのでしょう。
上坊大尉は昭和9(1934)年に滋賀県で生まれ、18歳で海軍の飛行予科練習生に相当する少年飛行兵第1期生として所沢の飛行学校に入営し、昭和12(1937)年に教育を修了すると複葉機の95式戦闘機で日中戦争に参戦し、初日に蒋国民党軍のソ連製複葉機・イー・ピトナーッツァチ15を撃墜し、11日後にも1機撃墜しました。
昭和14(1039)年にノモンハン事件が勃発すると今度は97式戦闘機でソ連軍のイー・シヂスチャート16戦闘機を18機撃墜しました。
こうした武功を評価されて昭和15(1940)年には陸軍航空士官学校への入校を命ぜられ、翌年7月に少尉に任官するのと同時に1式戦闘機・隼へ機種転換しています。
士官として中国戦線に戻ると国は中立の立場を取りながら義勇軍として個人参加していたアメリカ人のパイロットのP―40戦闘機と対戦し、2機を撃墜しています。
戦争も後半に入った昭和てスマトラ島に転属するとその頃にはインドのカルカッタを基地にしてB-29がマレー半島やシンガポールを空襲するようになっており、上坊大尉はシンガポールに常駐して1式戦闘機・隼と40ミリロケット弾を搭載した2式戦闘機・鍾馗でこれを迎撃し、2機を撃墜、未確認2機を記録しました。
敗戦間際には沖縄戦にも参加しますがこの時、特攻要員だった堂長老師と会ったようです。
  1. 2018/08/12(日) 00:00:51|
  2. 日記(暦)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

振り向けばイエスタディ1278

2010年は意外な形で迎えることになった。陸に限らず自衛隊ではトップの年末年始期間中は指揮の不在を防ぐため副の役職にある者が代行することが基本になっている。したがって副校長である佳織も休暇は後段になった。一方、私も法務官室としては副のようなものだが年明け早々からは裁判が再開するため呼び出し可能な前段休暇と言う扱いになった。したがって12月18日の金曜日から冬休みに入る志織が帰国してきた。
「ダディ、ただいまァ」成田空港に出迎えると志織はキャスター付き旅行カバンを押しながら到着ゲートから出てきた。志織に会うのは半年ぶりだが、やはり高校生ともなると急に大人びたように感じる。ただし、高校まで義務教育のアメリカでは中学校からの繰り上がりであって受験勉強に励んで難関を突破した訳ではない。
「うん、長旅お疲れさま」そう言って旅行カバンを代わって押すと志織は並んで歩き出した。
「マミィは今日もお仕事なんだよね」「ワシだって本当は仕事だぞ。でも志織を迎えに出られるならって休暇を取ったんだ」私の説明を聞いて志織は嬉しそうに腕を組んできた。肘に当たる胸も少し膨らんできたようだ。そんな父子の姿を同世代のビジネスマン風の男性たちが驚いたような顔をして通り過ぎて行く。どうやら普通の家庭では年頃の娘が父親と腕を組んで歩くことはないらしい。その点、私は果報者だ。
今日はこのまま私の官舎に帰り、夜に佳織が戻ったところから久しぶりに家族水入らずの時間を過ごす。佳織と2人だけの新婚生活も幸せだがやはり志織がいるのが本来の姿だ。
「グランド・ダディとマミィが会えなくて残念だ。次回を楽しみにしてるって」「そうだね。志織がお世話になってるんだから挨拶に伺わなくちゃあいけないよな」私の極めて日本的な返事を聞いて志織は複雑な顔になった。日系3世の祖父母との生活では日米両文化の相違と戦前と戦後世代の差異に悩むこともあるようだ。志織自身は小学生からアメリカン・スクールに通い、アメリカ式の教育を受けてきたのだが、父親は戦後生まれの明治男、別名・自衛隊の鎌倉武士であり、精神要素は複雑に絡み合っているのだろう。
「茶道を始めたんだって」「うん、華道もね」帰路の車の中で近況報告を始めさせた。志織がノザキ夫妻の要望でホノルル市内にある日系人の先生が営む茶道と華道の教室に通い始めていることは佳織から聞いている。
「それだったら日本にいる時に始めさせておけばよかったな」「先生も『日本で習ってきたんでしょう』って言うから『初心者です』って答えてるんだァ」考えてみると志織には日本人の女の子たちが通うような書道や珠算、茶道や華道などの嗜み=趣味的な習い事をさせていない。義父母もそれに気づいて遅れ馳せながら始めさせてくれているのかも知れない。
「それで茶道具なんかはハワイでも買えるのか」「ううん、先生が日本に帰るなら買ってきて欲しい物があるってリストとお金を預かってきたんだ」帰省のついでに「お使い」を言いつかっているらしい。このような実績を作るとこれからは直接私のところに注文が入りそうだ。
「ふーん、職場の女性職員がお茶とお花をやっていたはずだから訊いておくよ。流派はどこだい」「茶道は裏千家、華道は小原流よ」私も茶道は防府にいた頃、作務に通っていた宝林寺のお庫裏さんに飲み方の作法程度を教わったことがあるが確か裏千家だった。
「取り敢えず志織が必要な道具は判っているんだな」「扇子と袱紗(ふくさ)、懐紙と懐紙入れ、楊枝と古袱紗(こぶくさ)を買っておきなさいってさ」こう言われても判るのは扇子と楊枝ぐらいだ。茶道と言えば沖縄で梢と一緒に見に行った映画「ベスト・キット2」でタムリン・トミタが演じるクミコがダニエルにお茶を点てる場面で袱紗さばきを披露していた。
「まだ持ってないんだったら、今はどうしてるんだ」「先生に借りてるの。本当は扇子と袱紗と懐紙は先生から買うんだけど、私の両親が日本人だって聞いたら送ってもらいなさいだって」やはりハワイでは輸入品だけに割高な割に先生が納得できるような品物ではないようだ。
「そう言えばお母さんがお前の浴衣を送ろうって言ってたから着付けを習っておかないとな」「うん、グラ・マミ(祖母)は和服のことは判らないからお母さんに習うわ」どうせなら正月は晴れ着にして近所の浄土宗の寺へ初参りしたいところだが大人サイズになった志織の着物まで買うとなると出費が痛い。「1つ、軍人は質素を旨とすべし」を厳守している私も流石に淳之介の結婚式で大判振る舞いし過ぎたのだ。
「ハワイでも冷房が効いた茶室では正式な着物だけど普段は浴衣の下に襦袢を着ていれば良いみたい」実は茶席で着るのは無地か細かい柄の専用の着物があるそうで、やはり日本で探して送ってやなければいけないみたいだ。
  1. 2018/08/11(土) 23:59:59|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
次のページ