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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

10月1日・韓国人の反米感情の発端・大邱10月事件

1946年の明日10月1日に今も韓国人の底流に流れる反米感情の発端である大邱(てぐじゅう)10月事件が発生しました。
この事件は大日本帝国の敗戦によって独立を手にしたつもりでいた韓国・朝鮮人が、日本の一部として一緒に無条件降伏した敗戦国にされて、北緯38度線を境界線にして北はソ連、南はアメリカを中心とする連合軍に占領されたことに始まります。南ではアメリカによって実際は何もやっていない独立運動の指導者である李承晩を首班として独立準備を進めている中、日本の統治時代に比べて生活が急激に困窮して米価は当地時代の10倍を超え(韓国人は統治下でそれまでのコウリャン米から白米を食べるようになったため日本政府は国内が米不足で苦しんでいても朝鮮半島に輸出していた)、社会活動は混乱したまま停滞し、さらに上下水道や電気などの復興も進まず、劣悪な衛生状態によって5月から夏に向かってコレラが流行しても有効な対策を打たず、4000名もの死者を出したことに怒った国民が各地で抗議運動を起こしたのです。
9月から始まった抗議運動は毎度のように各地に飛び火しながら規模を拡大し、10月1日に大邱府庁前で行われた集会で警察隊が群衆に向かって発砲して市民を殺害し、その日のうちに暴動が激化して収拾がつかなくなったため占領アメリカ軍が戒厳令を布告しました。ここからは李承晩お得意のアメリカ軍を「自分の政権が倒れれば朝鮮半島はソ連によって統一される」と恫喝して出兵を促し、同時に南朝鮮防衛隊(後の韓国軍)、警察隊と右翼=暴力団を使って手当たり次第に市民を弾圧していったのです。
韓国では日本による統治を植民地支配とすることで国際社会に被害者面しようとしていますが、その切っ掛けになった日清戦争自体が朝鮮王家内の「日本の文明開化に倣って近代化を進めるべきだ」とする改革派と「宗主国である清国への忠誠を堅持しなければならない」とする守旧派の対立により双方が清国と日本に軍事支援を要請したことが原因であり、日本による統治も日清戦争の勝利で主導権を握った改革派の要請に応じた信託統治と言うのが史実なのです。最近の韓国の政権は国民の血税で朝鮮半島の近代化を進めた日本の貢献を無視して国際社会でも批判の声を上げていますが、朝鮮戦争で40677名もの犠牲者を出して国土を防衛したアメリカ軍の大きな恩義もこの時の恩讐を払拭することはできず、最近では「金日成は李承晩の圧政に苦しみ、異民族であるアメリカに支配されている南朝鮮の同胞を解放するために侵攻した」と公然と語られるようになり、在韓アメリカ軍に対する感情面の反発は日本の沖縄と大差がない状態に陥っています。
対岸の半島の韓国・朝鮮は位置的に隣接しているため日本人と言うよりも朝日新聞を中心とするマスコミは一方的に「親近の情」を演出しようとしますが、朝鮮人の末裔である山口県人(周防・長門=現在の山口県の守護大名・大内氏は朝鮮王家の末裔を自称しており、一緒に渡来した側近の祖先がそのまま定住した)を除く日本人とは全くと言って良いほど共通性はありません。日本人が盲従する欧米式の常識が韓国にも通じると思うから腹が立つのであって、「怨」の前には「恩」を忘れる国民だと思ってつき合えば結構です。
  1. 2018/09/30(日) 09:20:22|
  2. 日記(暦)
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振り向けばイエスタディ1327

「貴方、流石だわァ。それなら安心してあかりの願いを叶えてやれます」淳之介に電話をして15分後に梢から電話が入った。どうやら梢も「貴方」と呼ぶことにしたらしく声を聞き間違えると大変なことになりそうだ。
「うん、東京で泊めて東北新幹線に乗せれば後は自分たちで何とかするだろう。一応、仙台の傍の船岡に古い知り合いがいるから連絡しておこうと思っているよ」その知人とはカンボジアPKO以来の知人・茶山元3佐だ。私が殺人事件の裁判の被告として収監されていた東京拘置所に面会に来てくれて以来、会ったことはないが年賀状と時候の挨拶は欠かしていない。船岡と言えば子供心に深く感動した大河ドラマ「樅の木は残った」の舞台になった土地でもあり、その意味では私も訪ねてみたい。
「全国のニュースでは最初の開化と東京の花見までで終わってしまうから東北や北海道の桜がこんなに遅くなるなんて知らなかったわ」「うん、淳之介も知らなかったと思うよ。本土では東京から西の太平洋側と福岡までが日本だと思っているから東北や日本海側のことは歴史や文化、土地柄や気候もあまり知らないんだ」実は私も曹候学生で防府に就職家出して九州人に接して以来、第1術科学校で東北人、沖縄に赴任してシマンチュウとアメリカ人と交流するようになったから世間が広いだけで、今思えば陸上自衛官として北海道での勤務を経験しておくべきだった。尤も中身はアメリカ人の佳織と結婚したから家庭内で留学はしている。
「私も東北の桜を見てみたいけど夫婦水入らずの旅行を邪魔する訳にはいかないしね」「梢も春は観光シーズンだからな。淳之介と違って予約の受けつけもあるから4月中は暇なんてないだろう」「やっぱり私の仕事を解かっていてくれるんだね。グスンッ」突然、梢は声を詰まらせ、電話口で鼻をすすった。考えてみれば梢はあかりの父親と別れて以来、1人で障害を持つ娘を育ててきたのだ。理解者は両親だけだったはずだから私の何気ない言葉が胸に響いたのだろう。
「桜は当分、我慢するにしてもワシには梢に見せなければいけない花があるんだよ」「コスモスだね」「うん(グスンッ)秋の桜だ」梢が即答したのを聞いて私まで鼻水が垂れてきた。
「淳之介が貴方はコスモスを見ると沈んでしまうって言ってたけど、今でも私との約束を大切にしてくれていたんだね」「本当は演習が終わったら梢の観光シーズンが一段落するから貯めた代休で九州に旅行しようと思ってたんだ」「九州にもコスモスが咲いているの。私は貴方の持ち歌のイメージで信州しか考えてなかったわ」私としては新田原基地から来ていた同僚から「西都原古墳群のコスモスが素晴らしい」と聞いていたので考えていたのだが、梢が言う持ち歌の方が思い当たらなかった。梢とコスモスを見に行く約束をしたのはさだまさしのコンサートで沖縄には咲いていない「秋桜」=コスモスを聞いたことが切っ掛けだった。それ以外にコスモスを描いた歌をカラオケで唄っていたのだろうか。
「ねェ、狩人のコスモス街道を唄ってよ」答え合わせは梢がしてくれた。狩人は私と同じ愛知県岡崎市出身で小学校には担任だったと言う先生がいたため子供たちも愛唱していた。ところが現世の三悪道=宝飯郡一宮町では恋愛を描く歌謡曲を子供が人前で唄うことを嫌っていたため封印せざるを得なかった。これも就職家出で解放したのだ。
「電話が長くなるぞ。そちらから掛けていることを忘れるなよ」「はい、それは判ったけどお願いします」ここまで言われては唄うしかない。梢と別れてから再び封印していた歌を25年ぶりに唄うことになった。その前に歌詞カードがないのでうっかり「あずさ2号」や「アメリカ橋」「若き旅人」と間違えないようにしないといけない。
「バスを降りればから松林 日除けの下りた白いレストラン 秋の避暑地で出会う人はみな・・・」確かにこの歌は愛唱していた記憶がある。レーザー・ディスクの映像では信州のコスモス畑の風景が映っていた。梢はさだまさしの「秋桜」を聞いた時、あのコスモスの一面の群生と庭の一輪咲きの違いでイメージができなくなったのかも知れない。
「・・・コスモスの花は今でも咲いていますか あの日の2人をまだ貴方は覚えていますか 愛されなくても最後まで 望みを捨てずにいたかった・・・」梢にとってはこの部分は自分の気持ちの代弁ではないか。しかし、私たちの場合は「愛されなくても」ではなく「(親の命令で)愛せなくなっても」だ。
「・・・右は越後に行く北の道 左は木曽まで行く中山道 続いてる コスモスの道が」(拍手)
「ありがとう。大変良くできました」「うん、久しぶりだったから自信がなかったけど何とか最後まで唄えたよ」こうなると次回、佳織とカラオケに行った時にはこちらでも封印を解除しないといけない。美恵子には梢との大切な思い出に立ち入らせるつもりなど毛頭なかったが、佳織とは共有するべきだ。勿論、いつかは梢とも昔のように唄ってみたいものだ。
  1. 2018/09/30(日) 09:18:17|
  2. 夜の連続小説8
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振り向けばイエスタディ1326

「もしもし、お母さんですか」次の電話はあかりから佳織の官舎に入った。梢から「介助を他人に頼むことなる」と指摘され、やはり「トイレや風呂の世話を頼むのは父よりも母=佳織に」と若い夫婦なりに知恵を縛ったようだ(うーん残念・父)。
「はい、その声はあかりさんだね。どうかしたの」沖縄の梢は淳之介のことを呼び捨てにしていたが、佳織はあかりを「さん」付けにしている。これは他人行儀と言うよりも立場と土地柄の違いだろう。あかりは電話口で深呼吸をしてから話を切り出した。
「お願いがあるんですけど」「うん、良いわよ。言ってごらんなさい」「実は私、本土の桜に会いたくて・・・行っても良いですか」これは意外なお願いだった。確かに佳織は副校長・企画室長として4月上旬に開催する駐屯地桜祭りの実施計画の策定を指導しているところだ。
久里浜駐屯地の場合、所在部隊である中央野外通信群と東部方面通信群、通信教育直接支援中隊を除けば通信学校単独の駐屯地なのだが、何と言っても横須賀市は帝国海軍以来の海上自衛隊の街であり、隣接する武山駐屯地では陸上自衛隊生徒=少年工科学校が昨年度末に少年高等工科学校に改編されるため入校式(自衛官ではないので入隊式ではなくなる)に出席する父母だけでなく市民の注目を集めようと必死になっているのだ。早い話が横須賀市で圧倒的な存在感を有する主役の海上自衛隊の軽い脇役コンビに過ぎない陸上自衛隊が客の奪い合いを演じているようなものだ。その点、通行人のような端役の航空自衛隊は身内で楽しんでいれば良い分、気が楽なのかも知れない。
「私は沖縄の桜を見たことがないから判らないんだけどやっぱり本土のとは違うのかしら」実はハワイでも海抜が高い地域には日系移民の手によって沖縄と同じ緋寒桜が植えられているのだが、そこまで意識が働かなかった。
「私は見えないから色や形の美しさは判らないんですけど歌や詩に出てくる花吹雪を浴びてみたいんです」夫からあかりの神懸かった感性のことは聞いているが、佳織自身もハワイから母と2人で帰ってきた春に初めて見た花吹雪に打たれたような感激を味わった記憶がある。あかりなら常人が見逃してしまうような「何か」を感じ取ることができるのだろう。
「それで2人で石垣島から那覇経由で羽田に来るんだね。チケットは梢さんに任せればいいけどホテルなんかはどうするの。やっぱり東京の官舎に泊るつもりなの」やはり義母も2人で来ることを前提にしている。然も泊めるのなら義父の官舎のつもりらしい。これが義父であれば淳之介の仕事が春休みの観光シーズンで休暇が取れるはずがないことを察して、先ずその点を確認してくるのだが義母はそこまで思考が及んでいないようだ。あかりはやはり波長は母の方が強く同期していると思った。それは娘としての自覚のない対抗意識とも言える。
「やはり2人一緒じゃあないと拙いですか」「えッ、あかりさんが1人で来るつもりなの。そうなるとウチの旦那も男だから任せる訳にはいかないわね。私が引き受けるとすれば休日限定になってしまうから平日は家で留守番してもらうわよ」淳之介としては自分の仕事が忙しくて休暇が取れないことは判っているが、どうしてもあかりの「桜吹雪を浴びてみたい」と言う願いを叶えたいとの思いで相談と依頼を持ちかけたのだ。
「少し待ちなさい。ウチの旦那さんに相談してみるから。後でこちらから電話するわ」そう言って義母は電話を切った。あかりは母と義母から「単独行動は無理である」と断定されて視覚障害者である自分が周囲の支えで生かされていることを思い知らされた。受話器を置いても振り返ることができない。涙は浮かばないが無力感がそのまま身体を動けなくしている。
「あかり、どうした」「・・・やっぱり私1人では無理だって。ごめんなさい。私の我がままでした」あかりの説明に淳之介は梢と佳織が同じことを言ったのだと理解した。こうなると自分が会社に願い出るしかない。しかし、それこそが我がままなのは社会人として学んでいる。すると電話が鳴ってあかりが出た。電話は義父からだ。
「あかりか。淳之介は何時になったら休暇が取れるんだ」唐突な質問は義父の癖だがこの嫁はまだ慣れていない。あかりが返事ができないでいると立ち上がってきた淳之介が代わった。
「休暇ですか。4月上旬で春休みが終わって下旬の大型連休が始まるまでの間なら取れると思うけど」「だったら仙台辺りの桜なら2人で見られるな」相変わらず父は突拍子がないことを考える。淳之介自身が説明したように桜の開花は九州から始まって東へ進み、関東で北上を開始してからはカレンダーを埋めるように遅れて行く。それで時期を調整しろと言うのだ。
「どうせなら恋女房が花吹雪を浴びている姿をお前も見たいだろう。東北の桜は寒さに耐えて咲くから美しいって言うぞ。あかりとどちらが綺麗かな」「そりゃあ、あかりだよ」どうやら頭の構造が普通ではない奇人親父のおかげであかりの願いが叶い。淳之介も一緒に感動を味わうことができることになった。あとは旅費を出してくれれば有り難いのだが(甘い・父)。

  1. 2018/09/29(土) 09:14:59|
  2. 夜の連続小説8
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振り向けばイエスタディ1325

安里梢は両親が定年後に買った那覇市郊外のマンションに住むようになって6畳1間が自室になっている。以前のマンションで使っていたあかりのベッド以外の家具は2人が2間のアパートに転居してから石垣島に送った。今では箪笥と鏡台、持ち帰った仕事用の小型の事務机だけが部屋の隅にあり、寝るのも布団だ。
そんな梢は今年の3月中旬は上機嫌だった。3月15日の月曜日にモリヤから20数年ぶりにバレンタイン・デーの返礼が届き、それが昔と同じマシュマロだったのだ。
「マシュマロかァ。昔からこれなんだよね」梢が初めてモリヤにバレンタイン・デーのチョコレートを送ったのはつき合い始めて間もない3度目のデートの時だった。昭和58年の2月14日は月曜日だったので前日のデートの待ち合わせ場所の三越で買っておいた少し高級なチョコレートを手渡すとモリヤは自衛隊で言う45度の敬礼をして受け取った。その後、首里に彼岸桜を見に行って円覚寺の池の石橋の上で初めてのキスをした。
1ヶ月後の3月14日も月曜日だったが、モリヤが増加警衛明けだったおかげで平日外出して待ち合わせ、同じく三越で買っていたマシュマロの抱えるほどの大袋を手渡してくれた。今回はそれほど大きくはないが口に入れて甘く溶ろける食感はモリヤとのファースト・キスのようだ。
「そう言えばあの人、不思議な話をしていたわね。マシュマロはあの世の人たちが食べられる唯一の食品だって・・・」梢は少しでも長く食べようと1日5個と決めているマシュマロの4個目を口に入れ、机の引き出しに隠しているハワイの結婚式で佳織に撮ってもらったモリヤとの2ショット写真を入れた額を眺めながら呟いた。それは昭和50年に放送された倉本聰原作のドラマ「あなただけ今晩わ」の中で語られていた話だ。モリヤは台本から書き直した小説の本を梢に贈ってくれたのだが、それは夫・谷茶に知られて破り捨てられてしまった。
「うーん、やっぱり青の航空の方が似合ってるわよ。顔に野性味がないから陸上は駄目」確かに元恋人の指摘通り、モリヤは年齢を重ねるごとに顔が坊主化していて本人が愛用している迷彩服も似合っていない。尤も、演習に行かなくなって何年も経っているから陸上自衛官を名乗る資格は喪失しているのかも知れない。
「梢、電話だよ」その時、リビングから母が呼ぶ声がした。携帯電話ではなく自宅の電話に掛けてくるのは淳之介とあかり夫婦だけだ。だから電話の子機は両親の部屋に置いている。
「若夫婦が何事だろう」梢は写真を引き出しに戻すとマシュマロを口に入れて立ち上がった。
「淳之介から、あかりも傍にいるよ」受話器を手渡しながら母は簡単に説明した。要するに自分も2人と話をしたようだ。
「もしもし」「あッ、お母さん。ご無沙汰しています」淳之介の出だしは相変わらずだ。この年齢不相応の固さは血統以外の何物でもない。
「実はお母さんに相談がありまして」「はいはい、何でもうかがいますよ」淳之介の声が重くないので深刻な相談ではないことは判る。傍らで聞いていた母は娘の口調でそれを察して安心したように自分たちの部屋に戻っていった。
「今年の春、あかりに本土の桜を見せてやろうと思うんです」「本土の桜ってソメイヨシノのこと」「いいえ、吉野の桜でなくても良いんですが」ここで話が噛み合わなくなった。梢は花の種類を確認したのだが、歴史好きの淳之介は地名で答えた。ただし、それはこの会話には影響しないので梢が先に進めた。
「どうして急に・・・淳之介が本土シックになったなら判るけどあかりは本土の桜を知らないじゃない」この「知らない」が情景ではなくあかり感性を指しているのは言うまでもない。
「昨日、2人でカラオケに行って桜の歌を唄っているうちにそんな話になりました」淳之介に説明に梢の胸で昔の傷が痛んだ。一瞬、息を呑んで受話器を握り直してから話を続けた。
「私もニンジンさんと同じ約束をしてたんだよ。さだまさしのコンサートに行って『秋桜』って言う歌を聞いて『コスモスを見てみたい』って言ったら連れて行くって約束してくれたんだ。でも・・・」「そうですか。だから父はコスモスを見ると沈んだ顔になったんですね。時々、1人で泣いてましたよ」「グスンッ」思い掛けない淳之介の返事に梢まで涙ぐんでしまった。
「私は本土の桜には詳しくないからお父さんとお母さんに相談して決めなさい。飛行機は手配して上げるから連絡してね。ところで淳之介はこの時期に休暇が取れるの」やはり母は視覚障害者であるあかりを単独で旅行させることは考えていないようだ。
「やっぱり1人では無理ですかね」「身内がつき添っていないと他人にあかりの介助を頼むことになるのよ。トイレや風呂で他人の手を借りることになるじゃない」石垣島で淳之介は「確かにそうでした」と言う反省の弁を胸の中で呟いて頭を下げた。
し・純名里沙イメージ画像

  1. 2018/09/28(金) 09:55:22|
  2. 夜の連続小説8
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振り向けばイエスタディ1324

「貴方も何か唄って」グラスのシマグシ(=波照間島の泡波)のお湯割りを半分飲んで少し顔が赤くなったあかりがカウンターに置いたマイクを手渡しながらリクエストしてきた。淳之介はオンザロックを飲み干すとカウンターの上にメニューを広げて選曲を始めた。その向こうでママさんはアイス・クーラーから氷を足してボトルのシマグシを注いだ。
「桜シリーズできたからなァ」福山雅治の「桜坂」は淳之介が中学生の時の歌だが残念ながら知らない。他に思い当たる桜の歌と言えば・・・滝廉太郎の「花」だ。モリヤの父の音楽の趣味は手当たり次第何でもありで、目に映る情景と感情を歌で表現していた。そんな訳で桜の季節の出だしはこの歌になるのだが何故か「春のうららの矢作川」と唄わなければならない。
「えーッ、これって学校で習う歌さァ」やはりママさんは変な顔をした。ママさんの小学校時代は沖縄が日本に復帰する前なのでこの歌は習っていない。それでも知識としてはそのように理解しているらしい。そもそも沖縄では桜並木がある堤防の風景は思い当たらない。
「やっぱり変だよね。キャンセル」そう言って淳之介はメニューに視線を戻した。実は滝廉太郎の「花」は1番、2番、3番で微妙に曲が違う。父は正確に唄っていたとしても淳之介はそこまで真剣に聞いていなかったので自信もないのだ。
「それじゃあ同期の桜」「えーッ、これは軍歌さァ」今度は怖い顔になった。八重山は沖縄本島ほど極端ではないにしろやはり反戦平和の意識が強い。戦後生まれとは言えアメリカの軍政下で育ったママさんは若者に軍歌を唄わせたくないらしい。とは言っても淳之介にとってこの歌は今の両親の愛唱歌だった。両親は幹部候補生学校の同期のため毎晩のパジャマ・ミーティングで飲みながら前川原での思い出話や同期の噂になると嬉しそうにこの歌を合唱していた。そんな訳で淳之介には重くて暗いイメージは全くなかった。
「別に桜じゃあなくても良いでしょう。デートの時、唄ってくれた歌があったじゃない」折角のあかりの助け船だが、淳之介も父親ほどではないがデート中にはBGMとして場面や感情を歌で表現していた。だから曲目が多過ぎて即座に決められない。
「ゆうなの花が好い。お願い」やはりあかりはできた妻だ。一曲目は初デートの思い出の歌になった。ママさんも安心したようにうなずきながら機械を操作した。
「ゆーらゆら ゆうな ゆうなの花は さやさや風の ささやきに 色香も染まるよ ゆーらゆら・・・」このユッタリとして優しい歌に合わせてあかりも揺れている。淳之介は画面のゆうなの花よりも隣りで揺れている花の方が美しいと思いながら唄い切った。
「次は・・・」「てぃんさぐの花だろう。これは俺のテーマ・ソングだからな」あかりの桜シリーズに続いて淳之介は島歌シリーズになってきた。ただし、まだ持ち歌はあまりない。
「淳之介も随分とシマンチュウになり切ってきたね。アンタのお父さんは島歌を唄う時、歌詞のエ段はイ段、オ段はウ段で発音していて感心したんだよ。アンタも気をつけてみなさい」ママさんはメニューで曲の番号を確認しながら思い出話で助言をする。ママさんは流石に父と梢さんのことは憶えていなかったが、次第に断片的な記憶が甦ってきているようだ。
「貴方のテーマ・ソングって3番でしょう」「うん、昔はね。今では全部が俺への教えだと思っているよ」三線(さんしん=蛇味線)の伴奏の間にあかりが話しかけてきた。実はこの歌も父から習ったのだが、それは「沖縄に行きたい」と言い出した中学生になってからだった。やはり父にとって「親」は信頼に値しない存在だったのだろう。しかし、今の淳之介はモリヤの父と母、そして義母の教えはこの歌の通り素直に受け留めている。
「てぃんさぐ(=鳳仙花)ぬ花や 爪先(ちみさち)に染めて(すみてィ) 親(うや)の言(ゆ)し事(くとぅ)や 肝(ちむ)に染(す)みり=(標準語の意味)1番・鳳仙花の花は爪に染める 親の言う事は肝に染める。2番・天の群星の方位を読めば読めるが 親の言う事は読まなければならない。3番・夜走らす船に乗る子の行方を星は見守っている 私を生んでくれた親は私を見守っている・・・」ここで間奏が入り、淳之介はシマグシで口を湿らせた。
「・・・宝玉(たからだま)やてぃん 磨かにば錆びす 朝夕(あさゆ)肝(ちむ)磨ち 浮世(うちゆ)渡ら・・・ん」本当は4番の歌詞に「ん」はないが古語的には「渡らん」になるので父は間を開けてつけていた。したがってその父に習った淳之介もこう唄った。
「てぃんさぐの花って清明(シーミー)の時に墓の前で唄うにも好い歌だと思うなァ」唄い終って淳之介は意外な感想を述べた。南城市の玉城家を含め沖縄本島の清明の墓参では本土式に念佛を唱える家が増えているが、八重山ではユタさん(女性の霊能者)を呼んでオモロ(沖縄の霊歌)を詠ってもらっているようだ。淳之介も祖先に家門の繁栄を見せるため客を招く風習で見習いの頃、社長の家の清明に呼ばれて聴いたが難しくて覚えられそうもなかった。
  1. 2018/09/27(木) 10:01:26|
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振り向けばイエスタディ1323

「僕らはきっと待ってる 君とまた会える日々を さくら並木の下で・・・」あかりにはレーザー映像の画面の歌詞は読めないので記憶だけが頼りだ。そのため淳之介は小声で唄って記憶を呼び出すのを助けている。あかりは前を向いて唄っているのでママさんはカウンター越しに向かい合って優しく見守っているだけだ。マイクをもう一本手渡してデュエットにさせるような野暮なことはしない。
「どんなに苦しい時も 君は笑っているから 挫けそうになりかけても 頑張れる気がしたよ・・・」淳之介もこの歌が好きだ。あかりは淳之介にとっての桜なのだ。それは初デートで桜の下で感じた不思議な時めきから始まっている。
「・・・さくら さくら 今咲き誇る 刹那に散りゆく 運命(さだめ)と知って  さらば友よ旅立ちの時・・・」流石にあかりも2番の後半になると歌詞が怪しくなってきた。そこで淳之介も音量を上げてデュエットにした。
「・・・さらば友よ またこの場所で会おう さくら舞い散る道の上で」唄い終ってあかりは少し申し訳なさそうにマイクをカウンターに置いた。やはり最後まで唄い切れなかったことが残念だったようだ。そこで淳之介はハシャイダような声で話しかけた。
「デュエットしていてお前と最初にデートした公園の桜を思い出したよ」本当はレーザー映像の画面では本土のソメイヨシノの並木に舞い散る花吹雪が流れていたのだがあかりには判らない。淳之介の言葉にあかりもその出来事を思い出したのか懐かしそうにうなずいた。
「桜の歌ならもう1曲唄えるよ。今度も途中までになっちゃうかも知れないけど」淳之介の気遣いを感じ取ったあかりは笑顔になって次の希望をリクエストしてきた。やはり夫婦なので淳之介にはその曲名が判る。ママさんにコブクロの「蕾」を頼んだ。
このカラオケでは森山直太郎の「さくら」のイントロはピアノのソロだがコブクロの「蕾」もオルゴールのような音色のソロだ。それでも随分と物悲しく感じる。そんなイントロに合わせて顎でリズムを採っているあかりが愛おしくなってくる。
「涙こぼしても 汗にまみれた笑顔の中じゃ 誰も気づいてくれない だから貴女の涙を僕は知らない・・・」この曲の歌詞は「さくら」の数倍はある。淳之介は邪魔にならないように唄うため腰を浮かしてあかりの耳元に口を近づけた。
「・・・掌じゃあ掴めない 風に踊る花びら 肩にヒラリ 上手に乗せて笑って見せる 貴女を思い出す 1人・・・」やはり2番からはデュエットになった。コブクロは2人組なので当たり前ではある。それを察したママさんはマイクを渡そうとしたが、頬を寄せて唄っている2人を見て止めた。目の前のあかりは顔を近づけて唄っているのが本当に嬉しそうだ。
「・・・聴こえない頑張れを 握った両手に何度もくれた・・・優しく開く笑顔のような 蕾を探している 1人」唄い切って淳之介はあかりの顔を引き寄せて頬を合わせた。それを見たママさんの大きな拍手が意外に広い貸し切りの店内に響いた。
「ありがとう。やっぱり貴方と一緒だと安心」2曲唄ってあかりは喉が渇いたのか、冷めかけたお湯割りのシマグシ(八重山方言の泡盛)を口にした。それを見て淳之介も氷が解けて薄くなりかけたシマグシを飲む。さらにママさんはカウンターの奥の冷蔵庫からウーロン茶を持って来て黙って開けた。ここで「いただきます」と断られるとウーロン茶1本が千円にもなるのだが黙って開けたので自分持ちのはずだ。
「ねェ、本土の桜って何月頃に咲くの」淳之介が一口飲んだところであかりが訊いていた。飲み終わったグラスに氷が当たって鳴った音を合図にしたようだ。
「私、本土の桜に会ってみたいな」ここで言っている桜は沖縄の緋寒桜ではない。淳之介の胸に幼い頃に各地で見た本土の桜が動画ではなくスライドのように流れてきた。
「3月の下旬から4月の始めだからもうすぐだな。九州から始まって北へ向かって行くんだよ」実際は毎年、鹿児島と高知が開化の先陣争いをするのだが、淳之介の記憶にある最南端は山口県の防府と香川県の善通寺だった(どちらも北緯34度です)。
「私、桜吹雪を浴びてみたいんだ」確かにあかりが唄った2曲では「舞い落ちる」「風に踊る」と言う歌詞がある。沖縄の花冠(かかん)のまま落ちる緋寒桜では「花びらが舞う」と言う風情はない。しかし、映像・画像を見ることができないあかりは歌詞や文章で描かれている花吹雪をどのように想像しているのだろうか。
「ふーん、お前に桜吹雪のシャワーを浴びさせたいけど春休みの観光シーズンだからなァ」あかりの鋭い感性なら花吹雪を浴びれば頬や髪に舞い落ちる桜の花びらのささやきを聞くこともできるだろう。しかし、桜の季節は春休みの観光シーズンでもあり、淳之介の仕事は商売繁盛になる。ここは元恋人同士の父と義母に相談するしかない。あかりにとっては義父と母だ。
う・安里あかりイメージ画像
  1. 2018/09/26(水) 10:12:18|
  2. 夜の連続小説8
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9月26日・昭和の大災害のトドメ?伊勢湾台風が上陸した。

昭和34(1959)年の明日9月26日に昭和の3大台風のトドメである伊勢湾台風が和歌山県の潮岬に上陸し、そのまま北上して名古屋市を中心に超甚大な被害をもたらせました。野僧の母親はこの時、名古屋市南区の名鉄柴田駅前の親戚のクリーニング店に住み込みで働いていたため被災者になったのですが、そこで死んでいてくれていれば野僧は生まれず世の中に迷惑をかけずに済みました。惜しい!(=世間の声?野僧の本心?)
伊勢湾台風は昭和34年としては15号に当たりますが、最低気圧895ヘクトパスカル、最大風速75メートルの勢力だけでなく昭和9年の室戸台風の等圧線上の直径が2000キロメートルなのに対して伊勢湾台風は2500キロメートルと他の昭和の3大台風と比べても桁外れで、死者4697人・行方不明401人・計5098人の犠牲者数は阪神淡路大震災の6434人までは戦後最大の自然災害でした。国民総生産と比較した被害額も関東大震災に匹敵し、その後、昭和の間は1000人を超える犠牲者を出す規模の自然災害が発生しなかったことを考えると正にトドメだったようです。
この頃、名古屋市では伊勢湾岸の防波堤や河川の護岸工事が完成しており、通常程度の台風に対して自信を持っていたため市民の危機感は低く、市役所も避難を呼びかけることはなかったそうです。一方、当時の気象庁も数字が示す台風の規模の算定に関する基礎データーの蓄積が不十分だったのかも知れません。
しかし、何よりも問題なのは当時の小林橘川(きっせん)名古屋市長の対応でした。小林市長は朝日・毎日新聞以上に左傾の中日新聞の重役を務めた革新系であったため大型台風の接近に伴い桑原幹根愛知県知事が事前に自衛隊への災害派遣要請を行おうとするとこれを拒否し、水害に備えて名古屋市内の守山駐屯地に豊川駐屯地から第101建設大隊(現在の第6施設群)が大量の土嚢と渡河用ボートを運び込んで待機しているのを足止めしたのです。このため隊員たちは一晩中(名古屋への襲来は夜間)3.6メートルを超える海面膨張と猛烈な高波によって自慢の防波堤が破られ、市内の河川が次々に決壊して市街地が水没する災害情報を無念の歯噛みをしながら聞くことになりました。
阪神・淡路大震災でも社会党・共産党を支持母体とする笹山幸俊神戸市長は災害派遣を拒否し、政府の命令によって派遣が決まってからも公立学校への宿営を断り(撤収まで校舎への立ち入りは認めなかった)、救援物資を満載した海上自衛隊の艦艇の神戸港入港を禁じましたが、両者とも両市の資料では「復興に尽力した」と手放しで賞賛しています。
母親はクリーニング店の2階で膝まで上昇してくる水に怯えながらロウソクの灯りでお客さんから預かった衣類を濡らさないように高い棚に上げ、男性の従業員たちは暗夜の暴風雨の中で窓の外を流されていく人々を助けようと洗濯物を吊る竿を差し出していましたが多くは掴むことができず絶叫を残して消えて逝ってしまったそうです。
この台風は名古屋を通過してから速度を増し、日本海に抜けた頃には時速90キロに達して急速に勢力を衰えさせたようです。その意味では広範囲に被害を及ぼしたとは言え名古屋を狙い撃ちにしたような大災害でした。
  1. 2018/09/25(火) 10:02:06|
  2. 日記(暦)
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振り向けばイエスタディ1322

「貴方、お疲れさまでした」荒れ気味の海で入院患者を運んだ淳之介は少し疲れて帰宅した。台所で夕食の支度をしながら帰宅を待っているあかりは足音でそれを察して声を掛けた。
「あかり、飯を喰ったら飲みに行こう」玄関を開けて靴を脱いだ淳之介は流し台に向かって立っているあかりを後ろから抱き締めた。普通の夫であれば妻と飲みに出ることにすればそのまま外食にして仕度してある夕食は冷蔵庫に入れて出掛けるのだが、淳之介はあかりが調理することの大変さを理解しているためそれは口にしない。
「今日は風が強かったから仕事は大変だったんでしょう。休まなくて大丈夫」「明日は休みだから久しぶりにカラオケが唄いたいんだよ」奥の部屋へ着替えに入った淳之介とあかりは少し音量を上げて会話を続ける。確かにあかりの頭の中のカレンダーでも明日は休みだ。
今日も石垣市街の外れにあるスナック・ばすきなよお(八重山方言で「忘れないで」)へ行くのだろう。この店は淳之介の父とあかりの母が八重山旅行に来るたびに寄っていた店で25年後に淳之介が石垣島へ就職した時、あかりの母から思い出話で聞いていたので探してみるとまだ営業していたのだ。流石に30歳代だったママさんは60歳前のおバアになっていたが、その分、孫のように可愛がってもらっている。
八重山では3月下旬には海開きになるので日差しはウリズン(沖縄方言の「初夏」)なのだが日没後の海からの風はまだ少し冷たい。淳之介はトレーナーにGパンの最近の普段着姿のあかりの肩を抱いて海沿いに市街地から外れる道を歩いて行った。
「そう言えばここに岡崎会館があったんでしょう。岡崎ってお父さんの出身地じゃあないの」あかりは目には見えなくても足での距離感と周囲の物音や人々の話し声で大体の位置を推定する能力が鋭い。淳之介も石垣島に住んで間もない頃、石垣港の西側の集落で徳川家康の像を見つけ、傍にいた人に訊ねてこの場所にあった会館の名前を聞いたことがある。
「うん、お父さんの沖縄好きは子供の頃からだったみたいだ」「それは違うわ。お父さんの前世は沖縄戦で戦死した海軍中尉だから生まれる前からなのよ」実の息子よりも嫁の方が父親を理解している。やはりこれもあかりが深く結ばれた父の元カノの娘だからだ。淳之介は軽い敗北感を噛み締めながら黙って歩を進めた。
「おーりとーり(いらっしゃいませ)」「くよなーらー(こんばんは)」「みーどぅはーそーなー(お久しぶり)」店のドアを開けるとヤイヤムニ(八重山方言)で挨拶を交わす。あかりには訛りになるが、ナイチャアとシマンチュウのハーフでも本土育ちの淳之介にとっては第2外国語ならぬ第2島口の勉強だ。それにしても沖縄本島の「ハイサイ(こんにちは)」は調子が好いが、八重山の「くよなーらー」と全身の力が抜けるような挨拶も悪くない。
「今日は他にお客さんはいないみたいだよ」先ず淳之介はあかりに店の中の様子を説明する。それによってあかりも表情から言葉遣いまで心の準備をする。あかりの障害のことを知っているママさんはこの若い夫婦の助け合いを見て優しく微笑んでいる。この言葉の説明であかりは全身の神経で環境を探ることなく安心できるのだ。
「さァ、お2人さん。今は貸し切りだからカウンターの真ん中にどうぞ」ママさんが声を掛けると淳之介はあかりの肘を取ってカウンターの回転椅子に連れて行って座らせた。
「今日は平日だから開店休業で店じまいになると思っていたわ。みーふぁいゆ(八重山方言の丁寧なお礼)」「僕としてはそれが狙い目でね。勿論、明日が休みだからだよ」ママさんはカウンターの正面の棚から淳之介のシマグシ(八重山方言の泡盛)のボトルを出してオンザロックとお湯割りを作った。当然、淳之介がオンザロック、あかりがお湯割りだ。
「今日はみーにし(北風)が強かったからいん(海)は荒れたでしょう」「うん、ふぅむ(雲)も重く垂れこんでいて冬に戻ったみたいだった」こうして八重山方言を勉強するのは離島便で乗客と会話するのに役に立っているからだ。そのため淳之介は無理して方言を混ぜている。
「ところで今日はカラオケを唄いに来たんだった」淳之介はあかりが掲げたグラスに自分のグラスを当てて乾杯するとママさんに声を掛けた。するとママさんは待ち構えていたようにカラオケのメニューを淳之介の前に広げた。
「あかりは花の歌が好きなんだよな」「うん、花は香りと葉の音で会話ができるから好き」あかりの返事に淳之介は出会った頃、花の香りで種類を言い当てて驚いたことを思い出した。
「それじゃあ花の曲名を言うから唄う歌を決めろよ」「はい、お願いします」2人の会話にママさんは紙ナプキンを取ってメモの用意をした。
「赤いスイトピー。アカシアの雨が止む時、これは懐メロだな。くちなしの花、これは親父の持ち歌だ・・・さくら」「私、それにする」1曲目は森山直太郎の「さくら」に決まった。
  1. 2018/09/25(火) 10:00:59|
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振り向けばイエスタディ1321

あかりの巡回マッサージは口コミで八重山の島々に広まり、淳之介が離島便に乗り組むと高齢の乗客たちから要望されて困っていた。
「船長のニィニ、今日は嫁さんは乗せとらんねェ」出港前に客室を点検に回っていても八重山の高齢者たちは遠慮がない。これも過疎が進む田舎で生き抜いている高齢者たちの生命力なのだ。
「はい、先月も2回雲島にいきましたからそのペースです」「私は雲島じゃあないさァ。ウチの島にも来てくれんねェ」「雲島の連中は身体が楽になって仕事がはかどるって言ってるよ。ウチでもやって欲しいんのさァ」淳之介としては出港前の多用な時に立ち話をしている場合ではないのだが乗客の大半が高齢者なので団体交渉状態だ。若し、自分の船会社に労働組合があったなら交渉役は知り合いのオバアたちに頼むべきかも知れない。
「はい、出港しますからいつものように大人しく乗っていて下さい。到着が遅れても困るでしょう」何とかなだめて甲板で舫(もやい)綱を外してラッタル(階段)で操舵室に上がるとエンジンと舵を操作して岸壁を離れた。冬から春先にかけては西高東低の気圧配置で本土を吹き抜ける風の影響を受けて八重山近海は少し波が高い。そんな揺れる船にあかりを乗せることは船長としてだけでなく夫としても避けたかった。
「おっと。今日は三角波が立っているな。少し風に立てないと流されるぞ」石垣港の防波堤を出て竹富島との水道に入ると海面が荒れていた。強風で波の先が尖ることを三角波と言う。このような時は風に向かうように操舵するのが基本であり、それを「風に立てる」と言うのだ。
荒れた海では小型の連絡船はかなり揺れる。いつもは八重山の太陽で海面が光り、サングラスを掛けることもあるが、今日の海は厚く重い雲を映したような鉛色だ。それでも海に慣れた乗客たちは落ち着いているから安心できる。しかし、あかりにとっては身体に感じる揺れだけが周囲の環境を知る情報だ。やはり無理な船旅はさせられない。
「はい、竹富島です。下りるのはおジイとおバアとおバアだけですね」船から波止場にタラップ(渡り板)を掛けるとその場で見送るのだが今では乗客の行先は判っている。
「今日は揺れたけど船長ニイニは落ち着いていて安心だったよ。随分と腕を上げたね」「その腕だったら嫁さんを乗せてもナンクルナイサ(どうってことないよ)」離島の乗客たちは石垣島で買った大量の荷物を持っているため狭い船内の通路を抜けるのに苦労する。それを手助けすると誉めながら自分たちの要望を伝えてくる。この精神と身体の逞しさは見習わなければならない。父は愛知県の閉鎖的な人間関係に窒息しそうになって就職家出として自衛隊に入り、任地を決める時には一番遠い沖縄を希望したと言っていた。それを思うと自分も親公認の家出だったのかも知れない。そのおかげであかりと出会い結婚できた。やはり沖縄が大好きだ。
「はい、出港します。他に乗る方はいませんね」出港時間がきて竹富島の波止場を見渡したが、降ろした荷物の集配と軽トラックへの積載を始めている業者しかいない。観光客が多い竹富島と小浜島には西表島で折り返す定期便があるため石垣島に用事がある島民はそちらを利用している。船もそちらの方が新しく乗り心地も良いのだ。
「うん、少し天候が回復したな」客室を点検した後、同じ手順をすませて操舵室に上がると雲間から太陽の光が差し込み始めていた。風が強ければ山で遮られることがない海の上の雲は流されやすい。操舵の難しさに変わりはないが気分は随分と楽になる。淳之介は操舵室のマイクで出港のアナウンスをすると波止場を離れて小浜島に向かった。
「安里くん、今日は波が荒いんじゃあない」雲島では保健師の砂川直美が患者を連れて乗ってきた。事前連絡ではかなり高齢の男性が石垣島の国立八重山病院に入院するらしい。
「はい、出発時ほどではないですが、風が強いんで波が立っています。体調が悪い方は日を改めた方が好いかも知れませんよ」「そうしたいのは海々(=山々)だけど担当医が今日しかいないのよ。大丈夫、元はウミンチュウ(漁師)だから安里くんの先輩よ」そう言われた患者は息子と思われる少し若い老人に背負われて客室に運ばれた。客室の座席は床に固定されているため動かしてベッドにすることができない。そこで事前連絡を受けてから座席と座席の間に入れる箱を用意してきた。これで長椅子と箱のベッドにして毛布を敷いて寝かせることになる。それにしても途中で容態が急変してもできることは何もない。速度を上げることはできず近道もない。冷静に操舵を続けることだけだ。
「それでは出発します」「患者のことは私に任せて貴方は無事に到着することだけを考えてね」患者を寝かせ、隣りの席で見守っている砂川はアナウンスの代わりに声を掛けた淳之介にも気を使ってくれた。それにしても淳之介が果たす役割も日に日に大きくなっていくようだ。これが沖縄に来て水産高校を希望した「志」だった。
  1. 2018/09/24(月) 10:34:18|
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振り向けばイエスタディ1320

「あらッ、おかえりなさい」杉本が昼過ぎに安楷林(アン・ヘリム)のマンションに帰ると書斎の事務机でパソコンに向かっていた。ヘリムは机の上に資料を広げ、取材の動画撮影に使っている携帯電話を再生させながらパソコンを操作していたが入口に立った杉本の顔を見て声を掛けてきた。こうして見比べてみるとやはりトミタ少佐の顔は同じアジア人でも日本的なのが判る。ヘリムは初対面の時から人工的な容貌だったが、その後も加齢対策の処理を続けており、実際の顔は想像もできない。
「お前に用意してもらった金(キム)の取材パスが役に立ったよ。ありがとう」「そう、良かったわ」今度は画面を見たまま返事をする。ジャーナリストとして新聞や雑誌に寄稿する論説原稿なのかも知れない。そう言えば最近はテレビでの仕事が減っているようだ。やはり同じジャーナリストでも男性は経験を積むだけ発言に重みが増すように思われるが、女性は場面の見栄えの賞味期限があるらしい。
「それで何か収穫はあったの」この質問も顔はパソコンと携帯の画面を見比べながらだ。
「うん、これは俺が出国するまで表沙汰にされては困るが、天安には魚雷が命中した痕跡があったよ」「ふーん、海軍の発表が正しいと言う訳ね」ここでヘリムは立ち上がり、キッチンのコーヒー・ドリッパーで2人のマグカップにコーヒーを入れてきて手渡した。
「ところがマスコミの連中は自分たちの憶測を事実と決めつけてそれを認めさせようと圧力を加えることしかない。そんな場所に日本人が単独でいたら無事では済まなかったよ」そう答えて杉本はコーヒーを口にした。大使館で出されたコーヒーは酸味が気になったが、この味には安心する。やはり舌がこの味に慣らされているのかも知れない。
「それでも貴方が朝日新聞を名乗っていたら無事に済むどころか尊敬と信頼を集めるんだろうね」「朝日は韓国でも権威を認められているんだな」考えてみるとヘリムと韓国における朝日新聞の評価を話題にしたことはなかった。
「我が国の新聞社が報道統制で何も言えなかった時期に軍事政権を徹底的に批判する朝日新聞の論説を海外ニュースの紹介として翻訳することで代弁させていたのよ。だから一心同体のように思われているわ。おまけに今でも記者会見や取材で日本の政財界の要人の問題発言を説明して感想を求めてくれるから批判する材料を提供してくれる有り難い存在なの」朝日新聞は海外での批判の声を取り上げることが多いがこのようなカラクリを用いているのだ。しかし、それは判り切ったことではある。ここで2人は同時にコーヒーを飲み終えたが、杉本にはいつになく後味が不快に感じた。
「貴方のことだから他にも何かを掴んでいても私には言えないんでしょうね」「いや、これはお前に追及してもらうべきかも知れないな」杉本の返事にヘリムは怪訝そうな顔をした。
「結局、韓国製の艦体の構造上の欠陥が1発の魚雷で2つに折れて爆沈した原因なんだ。それを隠蔽するために引き揚げた艦体をマスコミに公開せず、事故調査から日本を外したんだろう」気がつくとヘリムは身体を杉本に向けて真顔で注視している。その目には何かを迷っている時の色がある。杉本も立ったまま視線を絡ませているとヘリムは溜息の後、大きく息を吸った。
「貴方の国はアメリカに見切りをつけられたわね」「ふーん、それは唐突だな」杉本は金浦市のホテルでもテレビのニュースと新聞は欠かさなかったがそのような記事や話題には気づかなかった。今日、大使館でも何も聞いていない。おそらくヘリムが独自に入手した情報だろう。
「4月12日にワシントンで第1回核セキュリティ・サミットが開かれて雀山首相が出席したんだけどオバマ大統領とは非公式に10分間の面会しかできなかった。そこでイラク制裁への支持を伝えた返事が『キャン・アイ・トラスト・ユー(=私は貴方を信用できるのか)』だったらしいの。ところが日本の外務省はそれを公式外交記録から削除して同行記者にも緘口令を敷いたのよ」これは雀山個人にとっては自業自得だが日本の危機であることは間違いない。同じことを自民党政権が命ずればマスコミは逆に暴露・批判合戦を始めるはずだが、民政党政権を擁護するためにはジャーナリストとしての使命感や良心は忘却することができるようだ。
「これは辺野古の国連軍基地の問題よね、雀山首相はどうするのかしら」韓国にとっては在日アメリカ軍自体が第2次朝鮮戦争に備える国連軍なのだ。それを断りもなく「最低でも県外、できれば国外」などと公約した雀山民政党と政権交代を許して首相にした日本人に不信感以上の嫌悪を抱くのは至極当然だ。
「やはりアメリカに帰って事実を確認しなければならないな。日本もこの国もマスコミが潰すんだ。お前だけは客観・冷徹に真実を見極めてくれ」これは愛人ではなく同志としての杉本の願いだった。それを感じたヘリムは立ち上がり抱きついてきた。こうなると官能剤の薬効が始まってベッドにつながっていく。そこでは単なる愛人に過ぎない。
盖麗麗5イメージ画像
  1. 2018/09/23(日) 09:46:49|
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9月23日・谷川岳で銃撃による宙吊り遺体の収容が実施された。

昭和35(1960)年の明日9月19日に日本の岩登りでも有数の難所と言われている谷川岳一ノ倉沢の衝立岩で滑落して宙吊りになっている遺骸のザイルを銃撃によって切断して収容する作業が実施されました。
群馬県と新潟県の県境に位置する谷川岳は標高こそ1977メートルと日本でも高峰とは言えませんが岩場がそそり立っている上、太平洋側と日本海側の両方に流れ出る河川の源流でもあるため両方からの影響を受けて気象が急変することが多く、昭和6(1931)年からの統計では805名が遭難死しています。中でも衝立岩正面ルートは穂高岳(標高3190メートル)の屏風岩と同じくほぼ垂直に300メートルの高さがあり前年8月に東京雲稜会の南博人さんが登頂に成功しただけの難所中の難所でした。
9月19日、登山者から「衝立岩で人の声が聞こえる」と言う通報を受けた群馬県警谷川岳警備隊が現場に急行すると下から200メートルほどの位置に宙吊りになっている2人の登山者を発見し、繰り返し呼びかけても反応はなく、双眼鏡で確認した身体の状況から「死亡している」と判断しました。そうして入山記録から2人が東京の蝸牛山岳会の野中タイゾウさんと服部フジオさんであることが判明したのです。
連絡を受けた蝸牛山岳会では2人の遺骸の回収に乗り出しましたが、通常の登攀(とうはん)でさえも困難な絶壁から重い遺骸を運び下ろすことは不可能であり、現場に来ていた遺族の了承を得た上でザイルを切断して落下させる決定を下しました。ところがナイフを握った片手が届く距離までザイルに近づくことも困難で、鉄の棒の先に布を巻いて油を漬し、それに火を点けて焼き切ることも検討しましたが、気象条件や現場付近まで長い鉄棒を運ぶ危険などから却下されました。
結局、自衛隊の狙撃でザイルを切断して遺骸を落下させることが検討されたのですが、この案に勘づいた新聞記者が先走って「自衛隊が出動か」と報じたため、決定には不要な議論を要することになりました。それでも22日に群馬県警から相馬ヶ原駐屯地に出動要請が為され、第1偵察隊(=レンジャー資格が所属条件)の隊員47名が派遣されたのです。
こうして23日の朝、約140メートルの距離の岩場からM1ライフル、M1カービンで狙撃を開始しましたが、特級射手の精密射撃でも直径1センチに満たないザイルに命中させることはできず、最終的にはM1917重機関銃(重と言っても弾丸はM1ライフルと同じ)の連射で切断に成功して遺骸は落下・回収されたのです。
日本人は狙撃と言うと劇画「ゴルゴ13」のデユーク東郷がM16で1000メートルの距離から眉間などを射ち抜くことをイメージするので自衛隊の技量が低いように思ってしまいますが、あれはあくまでも架空の話であってM16の5.56ミリ弾は弾丸が軽いので遠距離では風などの影響受け、命中精度は極端に下がります。一方、M1カービンの7.62ミリ弾の弾頭は拳銃弾のような丸い形状なのでM16以上に狙撃には向かず使用目的が理解できません。約2時間で弾薬約1300発を使用したようなのでこの機会を利用して実地訓練にする目的もあったのではないでしょうか。
  1. 2018/09/22(土) 09:23:34|
  2. 自衛隊史
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振り向けばイエスタディ1319

突然、杉本の背中に戦慄が走り、反射神経が身を伏せさせた。その時、カメラがコンクリートに当たり音を立てた。その固い金属音が密封空間になっているドッグに響いた。
杉本はそのままウェスト・ポーチを背中に回すと第4匍匐で艦体を50センチほど浮かせている盤木(ばんぎ=支え)の下へ前進して身をひそめた。
盤木から覗くと先ほどまで自分が立っていた位置に兵士の軍靴が見える。巡回に回ってきたようだ。艦体の確認に気を取られていれば発見されるところだった、
「確かに物音がしたんだが・・・」兵士が呟いている独り言が聞こえる。ここで無線連絡されれば拙い。むしろ潜入取材したマスコミ関係者として拘束され、謝罪して釈放を待つべきかも知れないが身元調査されると怪しい点は山ほどある。かと言って日本の在韓国防衛駐在官の特別命令と申告する訳にはいかないのは当然だ。
「下手に応援を呼んで何もなかったじゃあ文句を言われるだけだな。確認だけして気のせいと言うことにしておこう」かつては強さではイスラエルの空挺旅団と双璧と評されていた韓国海兵隊の士気も随分と落ちたものだ。これでは古巣と大差がないのではないか。
杉本がそんなことを考えている間に兵士は這って艦体の下に入ってきた。ここで発見されれば第1案は潜入取材のマスコミを演じる。第2案は・・・杉本は腰に回していたウェスト・ポーチの中から糖尿病患者用のインスリン注射器セットを取り出した。そして注射器に針を装着すると試し射ちをした。これもジェームズから入手した世界最強の毒蛇・マンバから抽出した毒薬注射だ。この薬が体内に注入されれば数秒で心臓麻痺に似た症状で死亡する。遺骸は艦体の脇まで引き出して前向きに倒しておけば巡回中に心臓麻痺を起こして死んだことにできる。杉本は第2案を選択した。
「おやッ、こんなところに大きなボルトが落ちてるぞ。これが下に落ちて音を立てたんだな。全く紛らわしい。」杉本が上から襲いかかり背中に注射器を突き差す準備を終えて待ち構えていると兵士は2メートル手前で勝手に納得して引き揚げていった。取り敢えず若い兵士の生命は救われ、杉本も目的を達して引き揚げることができる。
翌朝、ソウルに戻った杉本は韓国大使館に直行した。その前に駅のトイレでスーツに着替え、身嗜みを整えるのは取材を装うための手順だ。
「駐在官、ウィクリー・ジャパン誌の韓国特派員の金田さんが面会に来られています」大使館では陸上自衛隊・1等陸尉の制服を着た在外公館警備官が秘書のように案内した。
「おう、久しぶりだね。コーヒーを頼む」防衛駐在官の立林1佐は報告文書を作成していたようでパソコンに向かっていたが、在外公館警備官に接遇を指示するとマウスを操作して電源を落とし、立ち上がってソファーを勧めた。2人がソファーに腰を下ろすのを待ったかのように中年の女性事務官がコーヒーを運んできた。
「それで今日は報告だね」「はい、天安の引き揚げが終わりました。1つの区切りがつきましたから一度帰国します」立林1佐は事務官が退室するのを待って会話を始めた。
「夜間、天安の艦体を確認しましたが外部からの衝撃、ハッキリ言えば魚雷が命中したことは間違いないようです」「それでは韓国海軍の発表に嘘はないと言うことだな。それにしても君が無事で好かった」立林1佐は安堵したような表情を浮かべてコーヒーを口に運んだ。
「嘘はないのですが隠していることもあるようです」そこに杉本が水を差したので立林1佐は飲みかけたコーヒーにむせそうになった。
「隠蔽していると言うと沈没原因は外部からの衝撃だけじゃあないってことかね。弾薬か燃料が誘爆したんじゃあないのか」立林1佐は陸上自衛官だけに艦の構造となると専門外のようで渋い顔をしてコーヒーの続きを飲んだ。
「直接的な原因としては外部からの衝撃と誘爆ですが、あれほど簡単に沈没したのは艦体の構造に問題があったようです」答え合わせをしながら杉本も酸味が強いコーヒーを口にした。
「国産の艦艇の構造の脆弱性と復元力の弱さが露呈することになるので韓国政府は艦体を一般公開せず、日本の関与を拒否しているんでしょう」「やはり君も韓国政府の変心には気づいているようだな」立林1佐は報告とは別の反応をした。つまり韓国が軍事上の弱点を秘匿するのは日本を敵視していることを意味する。立林1佐は前回の報告の時、杉本がさりげなく対馬奪還作戦に触れたのには反応しなかったが、やはり気に留めていたようだ。
「それを含めて防衛省に報告したいんだが大使の決済を受けないと公式電文にはできない。帰国したなら君たちのルートでアメリカから報告して欲しい」これが杉本を呼んだ立林1佐の真意だったらしい。しかし、日本の雀山政権と外務省はそれどころではなかった。
  1. 2018/09/22(土) 09:22:31|
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振り向けばイエスタディ1318

杉本にはソウルの安楷林(アン・ヘリム)のマンションに帰る前にやるべき仕事があった。引き揚げられたコルベット・天安の艦体に国防部と海軍が発表した通りに外部からの衝撃の痕跡が存在することをこの目で確認しなければならない。
天安はサルベージ船で金浦港内の造船所の乾ドッグに運ばれて今は艦底まで露出している。しかし、そのドッグは韓国海兵隊によって厳重に警備されていて立ち入るどころか迂闊に接近することもできない。こうなると久しぶりに陸上自衛官としての血が騒ぎ出した。
杉本はチェックアウトする前に「金浦市内の全景を撮影したい」とフロントに断り、ホテルの屋上からドッグの方向を確認することにした。このような時にはジェームズから入手したカメラ型の望遠鏡を使う。これは通常の写真撮影用の能力を超えた解像度の望遠レンズが装着されており、夜間用の赤外線機能も有している。ただし、カメラ本体は日本製の改造だ。
「やはりドッグ周辺のビルには狙撃兵が配置されているな」ホテルの屋上もドッグの方向には目隠しのためなのか新たに看板が設置してある。杉本は監視カメラがないことを確認した上で身軽にエレベーターの乗降口の建物によじ登った。するとドッグへの接近経路上にある輸入業社のビルの屋上に人影とライフル銃の銃身が見えた。韓国軍の職務権限では特別警備の任務にある軍人には警備対象を防護するために武器を使用することが許されている。
そこまで秘匿する必要がある艦体は何が何でも確認しなければならない。ここで命を落とせばあの世で再会する予定のチベットで死んだ村田にも胸を張れるはずだ。その一方で自分の手駒に堕としたサンディ・クミコ・トミタ少佐は官能剤の副作用の狂おしい性欲の衝動を解消する手段を失うことになる。昨夜、女性器から官能剤を吸収したクミコはそれまで保っていた恥じらいとためらいを消失し、1匹の女獣と化してよがり狂った。それでも本人は身体に残る快感の余韻以外は記憶していないだろう。
深夜、杉本はドッグから遠く離れたフェンスから金浦港の敷地内に侵入した。スパイ映画などでは海を泳いで侵入するのが見せ場だが、そのような経路は海兵隊も予測しており、桟橋には実弾を装填した小銃を持った兵士が配置されていることは間違いない。車両に隠れて正面ゲートから潜入する方法もあるが映画のように上手くいくはずがない。
杉本はレンズを広角用に替えたカメラを赤外線仕様にした。靴は足音がしないようにスポーツ・シューズにしている。そして建物や設置物の間を小走りで移動しながらドッグに迫った。停止する度にカメラで周囲を確認することは言うでもない。
ドッグの周りにもフェンスが設置されているが問題は赤外線の警報装置だ。杉本がカメラで警報装置の赤外線を確認するとやはりフェンス内には3条の光線が走っているようだ。
ドッグの周囲はコンクリートで固められているため自衛隊の演習で経験したように下を掘って潜り込むことはできない。ペンチで網を切断する荒技もあるが、侵入した痕跡を残すのは素人の仕事だ。杉本は周囲を確認すると助走をつけてフェンスの支柱を蹴り、一番上の有刺鉄線を掴んで内側に身を投げ入れ、支柱を蹴って飛び降りるとそのままドッグに駆け寄った。
コルベットは小型の戦闘艦だけに艦体の高さは6メートル弱しかない(吃水高=水面から甲板までの高さは2.9メートル)。影を見る限り「2つに分離した」と言うのは正に艦橋中央で真っ二つになったようだ。
ドッグは飛び降りるにはかなり高いが階段には歩哨が配置されている可能性が高い。そこで杉本は膝を緩めて飛び降りた。これが空挺出身だった村田なら「1降下、2降下」と数えるところだ。
「やはり側面に魚雷が命中した穴がある。発表通りじゃあないか」傷む膝をさすりながら艦体に辿りついた杉本は赤外線カメラで損傷を確認した。すると吃水の下に50センチほどの穴が開き、中で爆発したらしく舷側に膨張と裂けたような切断部分が判った。どうやら魚雷の爆発で艦橋下部の燃料タンクが誘爆して一瞬のうちに艦体が断裂したようだ。
「これなら国防部は嘘を言っていないんだから一般公開すれば良いじゃあないか。何故、隠すんだろう」そう言って首を傾げた時、トミタ少佐が口にした韓国海軍の評価を思い出した。
「韓国海軍の艦艇はトップ・ヘビー(上部構図物が過重)で復元力が低いため運動性が劣る上、艦体の構造が脆弱だから外洋で行動できるだけの能力がない」トミタ少佐はアメリカ海軍よりも優れた海上自衛隊の艦艇を絶賛した後、韓国海軍を厳しく批判した。それは艦艇に留まらず訓練や規律、上級指揮官の能力も対象になっていた。
「要するに艦体の構造上の欠陥が発覚することを避けたいんだな。日本を合同調査団に加えないのは造船技術の稚拙さを隠蔽する理由もありそうだ」そう推理した時、李明博大統領が建設業の出身だったことを思い出した。この調子で欠陥住宅を建設していたのだろうか。これなら韓国が中国に乗り換えるのを後押しした方が捨てた祖国・日本のためではないか。
  1. 2018/09/21(金) 09:16:45|
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9月21日・室戸台風が関西地方に甚大な被害をもたらした。

昭和19(1934)年の明日9月21日午前5時頃に昭和の3大台風の1つである室戸台風が高知県の室戸岬付近に上陸して北上、関西地方を中心に死亡2702名、行方不明334名、歴史的建造物や学校、家屋などを倒壊させる甚大な被害をもたらしました。
この台風は最低気圧911.6ヘクトパスカル、上陸時の風速は60メートル(当時の機材では最大瞬間風速は記録できなかった)と言う度外れた勢力を維持したまま紀伊水道を北上して関西地方を縦断したため午前8時頃に到達した大阪では満潮ではなかったにも関わらず4メートルを超える高潮が発生し、海水が大阪城にまで押し寄せ、1900名以上が溺死したと推測されています。地上でも暴風によって四天王寺の五重塔と仁王門が木っ端微塵に破砕し、金堂も大きく傾いて原型を留めませんでした。市内の小学校244校と実業補習学校(義務教育を終えた若者が働きながら学んでいた学校)2校のうち、鉄筋コンクリート製と昭和3(1928)年以降に建設された校舎だった66校を除いて全てが破砕・倒壊し、児童・教師・職員と迎えに来ていた父母の267名が死亡、1571名が重軽傷を負いました。台風は続いて京都を襲い、多くの寺院と神社だけでなく民家にも全壊2890戸、半壊4096戸もの被害を与えましたが、京都府は周辺の山林の風倒木の通報を受けながらも市内での対応を優先したため増水した川の流木になって鴨川を堰き止めてしまい大洪水を引き起こすことになりました。滋賀県でも小学校が倒壊して17名の児童が犠牲、教師・職員を含めて139名が重軽傷を負ったことで暴風警報が発令された時の休校が制度化される切っ掛けになったのです。
最近は気象庁も妙なバランス感覚を働かすようで災害が起こると被害が及んだ地域全体を網羅した命名をするようになっています。例えば誰が見ても兵庫県神戸市が被害を受けた1995年1月17日の地震は当初、「阪神大震災(単に「関東大震災」を踏襲したのでは?)」と呼んでいたのですが震源地が淡路島付近と言うことで「阪神・淡路大震災」に変更しました。2011年3月11日の大震災は当初、「東北地区・太平洋沖地震」と極めて適切な呼称だったのを「関東地方でも被害が出た」と言う声が出たことで「東日本大震災」に変更しています。中でも愚かしいのは奥尻島が津波によって甚大な被害を受けた1993年7月12日の地震で誰が考えても「奥尻津波地震」になりますが他の地域でも被害が出たからと(ロシアでも死者7名と言われている)「北海道南西沖地震」と震源地が名称なってしまいました。
一方、マスコミは適当なもので1991年の台風19号は青森県の収穫直前の林檎が被害を受けたため「リンゴ台風」を通称にしていますが、九州では甚大な風倒木が発生したためその前に通過した17号と合わせて「風倒木台風」と呼ばないと通じません。
その意味ではこの台風は「四天王寺台風」や文字通り「難波台風」などと呼ぶべきなのですが、まだ「ウチも被害者だ」と不平を口にする愚か者がいなかったので上陸地点の呼称になっています。昭和36年の9月16日に上陸した「第2室戸台風」も関西地方に甚大な被害を与えていてもこの呼称なので妙なバランス感覚は何時からなのでしょうか?
  1. 2018/09/20(木) 09:53:01|
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振り向けばイエスタディ1317

合同調査団が集合し、検証が始まると韓国海軍、国防部、在韓アメリカ海軍による定例記者発表も取り止めになり、トミタ少佐は昌原(チョンウォン)市の鎮海(チネ)基地の司令部に戻り、杉本も新たな動き、つまり調査結果が発表されるまではアメリカに帰ることになった。
別れの夜、トミタ少佐は最初に待ち合わせたホテルのバーに来た。あの頃はまだ余寒を感じる気温でありジャケットを着ていたが4月も下旬になると服装も随分薄着になった。アメリカ軍には日本のような日付で区切る衣替えはなく自分の好みで夏服、冬服を使い分けている。寒冷地の民族であるヨーロッパ系は東アジアの冬くらいでは寒さを感じないらしく真冬でも半袖を着ている者がいる。逆にアフリカ系は夏に近づくまでジャンバーを羽織っていることも多い。
「レディ、フーヤー」今日も乾杯は海軍式だ。それでも前回に比べて間は詰まっている。それは2人の心の距離を表しているとトミタ少佐は信じているようで幸せそうな笑顔でバーテンダーが作ったバーボンの水割りが入ったグラスを顔の前に掲げた。
「雑誌としては李政権による対馬侵攻作戦を取材に来たんでしょう。それを載せないで出張取材費は出してもらえるのかしら。少し心配だわ」グラスの酒を1口飲んだところでトミタ少佐はクミコになって質問してきた。これがトミタ少佐のままであれば「侵攻作戦の件は雑誌には載せない」と言う約束が守られることの念押しだがクミコなら杉本の収入の心配だ。杉本はそんなクミコを心の中で拒絶しながら顔は嬉しそうに和らげて答えた。
「大丈夫、李政権が今回の事故に日本が関与することを拒否していることを書けば日系人の保守系政権に対する期待は吹き飛んでしまうよ。実際は中国に乗り換えるつもりだと言うことは認識しておかないと今後はアメリカでも韓国系移民と中国系移民が手を組んで反日運動を繰り広げることになるからね」この杉本の見解にトミタ少佐は最初に見せられたサンプルの記事に感じた高次元の論説を思い返して視線に熱を帯びさせた。それを横顔に浴びて杉本は照れたような笑顔を見せたが、胸の中では拒絶のついでに冷たく暗い淵に投げ落とすことを決めていた。
「このボトルも飲み終えてしまわないと勿体ないな」「勿体ない・・・祖母がよく言っていた教えね」杉本が呟いた日本語の台詞にトミタ少佐は懐かしそうな顔をした。トミタ少佐は日系4世なので祖母は日本からの移民の娘の2世になる。第2次世界大戦時のアメリカでは西海岸の日系人は砂漠に設けられた強制収容所に収監されたが、ハワイでは指導者でも日本への臣従を主張するアメリカにとっての危険人物だけが拘束された。それでも同世代の男たちは2世部隊を志願してヨーロッパ戦線でアメリカ陸軍の中で最大の犠牲を払いながら最高の武勲を上げた。そんな祖母の薫育を受けてトミタ少佐は軍人になったのだろう。
その時、トミタ少佐のグラスに水割りを作っているバーテンダーの手のボトルのバーボンが水滴になった。それを見てバーテンダーは杉本に「次をキープするか」を確認したが黙って首を振り多めのチップを渡した。
「クミコ、部屋へ戻るぞ」杉本は日本人の夫が妻に命ずるかのように声を掛けた。それでハワイの両親を思い出したのかトミタ少佐も貞淑な妻になって「はい」と返事をした。
先にシャワーを浴びた杉本は枕元に置く避妊具にジェームズから入手した官能剤のクリームを塗布した。この薬剤は経口で服用させると性交を求める意識が急激に発火する媚薬ではなく、女性器から吸収されることで衝撃的な快感が脳を支配し、理性の一部が損傷を受ける。
日常生活では性欲が高揚して自慰に耽る頻度が高まる程度だが、薬剤を吸収した直後に性行為を持ち快感を与えられた男の存在に接すると衝動が抑えられなくなる。
杉本はニューヨークの夜の街の女たちで試したが、性行為を商売として割り切り、決して快感に溺れることがない女たちが杉本の顔を見ただけで駆け寄って抱きつき、人気がない路地裏で抱かれようとした。それを拒絶すると大声で泣きわめき半狂乱になった。
通常の性技で与えた快感は例え絶頂に至らせても時間の経過と共に風化して単なる思い出になり、別の男との性行為で快感を味わえば意識はそちらに向かい、やがては忘却されてしまう。それを防ぐには薬物で精神を支配するしかない(あくまでも愛情を持たない人間には)。実は安楷林(アン・ヘリム)を初めて落とした時にも媚薬と官能剤を使ったのだ。
やがてシャワーからクミコが出てきた。今日はバスローブではなく胸元にバスタオルを巻いている。しかし、控え目な胸には谷間はできずタオルの全面が少し盛がっているだけだ。
クミコは自分の大胆さを誇らしげにそれでいて恥らったような顔で隣りに座った。杉本が枕元のスイッチで部屋の灯りを消してバスタオルを外すとカーテン越しの月明かりでクミコの裸身が青白く浮き上がる。杉本は口づけをしながら優しくベッドに横たえると硬直している男性自身に枕元の避妊具を装着した。
  1. 2018/09/20(木) 09:51:49|
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9月20日・根拠は滅茶苦茶な記念日「空の日」

明日9月20日は日本の空をかつてはソビエト社会主義共和国連邦、現在は中華人民共和国に売り渡している売国官庁・国土交通省航空局が所管している記念日「空の日」です。
その由来=根拠は神道が科学的根拠もなく皇紀2600年と称した昭和15(1940)年に徳川好敏大尉と日野熊蔵大尉が明治43(1910)年に代々木練兵場で日本人初の飛行に成功して30周年を記念して6月28日に制定された「航空日」ですが、実際に2人が飛行したのは12月19日なのでこの時点からすでに根拠は破綻していました。
それでは何故、この日になったのかと言うと陸軍記念日が日露戦争の奉天会戦に勝利し、大山巌元帥が奉天城に入った3月10日、海軍記念日は日本海海戦が始まった5月27日のため春に制定しても陸海軍の祝賀式典に埋もれてしまうからと航空機の展示飛行を考慮して秋の晴天の特異日の1つである9月20日に変更したのだそうです。ところで前回の東京オリンピックの開会式が行われた10月10日も同様の理由で選定されましたが、当時でも「9月20日では残暑が厳しい」と考えたのかも知れません。果たして8月中の実施で大丈夫なのでしょうか。
この記念日は陸海軍が国民に航空戦力を誇示し、士気を高揚するとともに納税意欲を鼓舞することを主たる目的にしていたため(実際に募金で製造された機体には「××号」などと賛同者や地区名が命名・表記されていた)敗戦と同時に廃止されましたが、昭和28(1953)年に運輸省が復活させ、1992年に民間航空再開40周年を記念する「空の日」で制式化して同時に9月20日から30日までを「空の旬間」にしました。ところが民間航空業界では昭和26(1951)年に設立された日本航空(実際はノースウェスト・オリエント社への委託運航だった)の旅客機「もくせい号」が羽田から伊丹を経由して福岡まで飛行した10月15日を「民間航空記念日」にしていますからここでも根拠は破綻しています。要するに国土交通官僚が得意とする無理なこじつけなのでしょう。
ちなみに「もくせい号」は第2次世界大戦中に活躍したダグラスDC3輸送機をマーチン社がライセンス生産した双発レシプロのプロペラ機で(日本航空としては「きんせい号」「もくせい号」「すいせい号」「どせい号」「かせい号」の5機)を借用していましたが、昭和27(1952)年4月9日午前7時42分に羽田を離陸して伊丹経由で福岡に向かって濃霧・暴風雨の悪天候下で伊豆大島の三原山(標高754メートル)に激突して、日本人の乗客34名とスチュワーデス1名、アメリカ人の正副操縦士2名が死亡しました。
この「空の日」と「空の旬間」中は実際の空の主役である航空自衛隊は9月下旬から10月上旬にかけて総合演習を実施しているため航空祭が実施できず、それを狙ったかのように国土交通省が所管する民間空港などではエア・フェスタと称する行事が開催されていますが、民間の旅客機は料金を払えば乗ることができる上、機種もそれほどのバリエーションがなく、最近では若く可愛いWAFの方が年増で気位が高そうなスチュワーデス=キャビンアテンダントよりも人気があるため航空祭ほどの人手はないようです(野僧は両方とつき合った経験がありますが後者の方が・・・でも金はかかった)。
  1. 2018/09/19(水) 09:51:31|
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振り向けばイエスタディ1316

4月15日に2つに断裂していたコルベット・天安の艦体後部が引き揚げられて中から乗員36名の遺骸が収容された。艦体を確認した韓国海軍とアメリカ海軍の関係者は「外部から爆発による衝撃を受けた痕跡がある」として暗に北朝鮮からの攻撃を示唆した。
続いて24日までには前部と破損して海底に分散していた部位も引き揚げられ、前部にある弾薬の収納庫には爆発の痕はなく外部から攻撃を受けた可能性がより強まった。
そんな中、李明博政権は客観的な原因の究明を標榜して合同調査団を設立することを発表したが参加国は先日、防衛駐在官・立林1佐が言っていた通りに韓国とアメリカにオーストラリアとスウェーデンを加えた4カ国だ。この記者発表はソウルの行政院国防部で行われたため杉本は参加できなかったが金浦港での記者発表では別の問題で紛糾していた。
「どうして引き揚げた艦体を公開しないんだ」記者たちは海軍が15日に引き揚げた艦体後部に続いて24日の前部まで非公開すると宣言したことを受けて海軍のスポークスマンを激烈に追及し始めた。こうなると会見の作法もルールもない。
「本当は国防部が発表している外部の爆発による衝撃の痕跡などはないんじゃないか」「実際は内部の弾薬が爆発したんだろう」氏名を受けず名乗りもせずに総立ちの席から記者たちは質問にもならない追及の声を上げている。
「指名を受けての発言以外には回答しません」記者たちを嗜めて落ち着かせようとした海軍のスポークスマンの言葉も記者たちは揮発性の発火剤に替えた。
「説明を拒否するのか。つまり公式発表が嘘だと認めるんだな」「北朝鮮を敵に仕立て上げる政権の陰謀か」「天安は自沈させられたんじゃあないのか」「自沈じゃあなくて時限装置による爆破だろう」本来は艦体の公開を要求するべき質疑応答が公式発表への嫌疑から政権への疑惑に波及したが、それは何の切っ掛けもなく記者たちが勝手に場の空気を燃えがらせているだけだ。それにしてもこの記者発表の何を記事にするのか。今日も右端の真正面の席に座っている杉本は呆れながら顔を見るとトミタ少佐は唇を歪めた苦笑を浮かべて小さく首を振った。
騒然として収拾がつかない会場で海軍と国防部のスポークスマンは顔を見合わせて自分の腕時計を見ている。どうやら記者発表を打ち切るタイミングを計っているようだ。
「発言は指名を受けて秩序正しく願います。正式に発言する人がいないようならばこの記者発表は打ち切りとします」「はい、個人資格で参加を許されている金(キム)です」ここで杉本が手を挙げてから立ち上がった。通常であれば記者たちは異端的行動に反応して一瞬にして黙るのだが、今回の興奮は状況判断能力さえも喪失させているようで暴言は止まらない。そこで杉本は席を離れ、中央の演台に歩み寄った。その時、トミタ少佐にも手招きした。つまり4人が演台に集合して記者たちの暴言に背を向けた形になった。
「引き揚げられた艦体が公開できないのは記者たちが言うように何か見られては拙い点があるのですか」同じ質問だが口調を変えると担当者としても答えざるを得なくなる。
「いいえ、国防部としては合同調査団が客観的に検証作業を進める前にマスコミが独断で主張していることの根拠のように利用し始めるのを防ぎたいのです」「なるほど、それを彼らに言わずにすんで良かったですね」杉本の皮肉に海軍と国防部のスポークスマンは顔を見合わせて笑った。杉本は陸上幕僚監部で勤務したことはないが、経験者の工藤や岡倉から聞く話では防衛庁(当時)の内局の官僚と陸海空幕の自衛官がこうして意思疎通を図ることはなく、内局側は常に自衛官の発言を監視していて現場の立場で意見を述べると即座に否定すると言う。
「それにしても国防部では合同調査団の概要が発表になったようですが今回も日本は外すんですね」「国防部としてはスウェーデンとイギリスの2カ国をヨーロッパから招聘するくらいなら日本に参加してもらった方が予算面でも助かるんですが、政権中枢が日本との決別を公然化しているから提案もできないんですわ」前回の質問で杉本が他の記者たちとは毛色が違うことを認められたようで、国防部のスポークスマンも無防備に本音を口にした。これにはトミタ少佐、それとも安楷林(アン・ソヨン)の働きかけがあるのかも知れない。
「おそらく彼らの新聞紙面やテレビの番組は遺骸が収容された乗員の遺族の慟哭と怨嗟の特集で終わるんでしょう。だからこの場での取材はどうでも良いんですよ」杉本の分析に再び2人は顔を見合わせた。ここまで固く結ばれているとなると自分とトミタ少佐の関係になぞられて気持ちが悪いことまで想像してしまう。
「お前たち、何を密談しているんだ」4人が背中を向けての質疑応答が長くなったことで白けてしまったらしい記者たちが今度は非難の声を上げ始めた。杉本とトミタ少佐は彼らを振り返ると肩をすくめて自分の席と立ち位置に戻った。
  1. 2018/09/19(水) 09:47:45|
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名優・朱旭さんの逝去を悼む。

9月15日にNHKの放送開始70周年記念ドラマ「大地の子」で日本人残留孤児・陸一心を育て上げた養父・陸徳志役を演じ、多くの日本人の感涙を絞り尽くした名優・朱旭(チュウ・シュー)さんが北京の病院で亡くなったそうです。88歳でした。
このドラマは日中合作と言うこともあり日本側は主人公の陸一心役に上川隆也さん、一心の父親役には仲代達也さん、母親役は田中好子さん、妹役の永井真理子さんなどの演技派が出演しており、中国側の朱さん、一心の妻・江月梅役の蒋文麗さんなどと演技の火花を散らしていましたが、率直に言って日本側の完敗だったようです(永井さんは別)。
特に朱さんが日本を代表する名優・仲代さんと面談する場面では仲代さんには「演じている」と言う不自然さがあったのに対して朱さんは日常の口調と表情のままで深い感情の動きを見事に表現し、存在感と印象では完全に圧倒していました。
この他にもソ連軍の侵攻を受けて逃亡する満蒙開拓団が宿泊中を襲撃されて母親は虐殺され、一緒に逃れた妹も中国人に連れ去られて孤独になって病気に倒れていた一心を助けて育て始めた若い頃(カツラを被っていただけ)、八路軍に包囲された街から逃れる時、一心の言葉が変であると疑った兵士に「自分が代わりに戻るから息子を出してやってくれ」と訴える場面は感涙の大雨でした。
また製鉄所の技手として働き始めた一心が文化大革命の人民裁判に掛けられて、「日本人の血を引く」と言うことだけで反革命罪に処せられて労働改造所に送られた時、巡回診療で出会った江月梅からの手紙でそれを知り、無実の罪を訴えるため人民の声を聞いている周恩来首相に会おうと冬の北京で半分野宿をして順番を待ち、ようやく解放されて北京駅に戻った一心との再会シーンは感涙の豪雨です(以来、「舎利礼文」で「一心頂礼」と唱える時、あの場面の「イッシーン」と呼びかける口調になってしまいます)。
さらに一心が日本の技術協力で上海に製鉄所を建設するプロジェクトに加わったものの日本での研修中に無断で父親の家を訪ねたことを密告され、内蒙古の製鉄所に左遷された時の「お前のような才気ある人間が日本人の血を引いていると言うだけで無残に手折られてしまう。私にはそれが我慢ならないのだよ」と涙ながらに嘆いた姿では感涙は出尽くしていたものの鼻水の洪水でした。
これは野僧個人が感動したのではなく中国人の友人たちは留学していた大学などで周囲の日本人から「中国のお父さんって素晴らしいね。本当に羨ましい」と声を掛けられたそうなので共通した反応だったようです。ただし、友人たちは中国人だけに「ウチの父親はもっと立派だ」と答えたそうで、それを聞いた日本人が感心したのか呆れたのかは聞いていません(ウチの父親とは比べるのも失礼に当たりますが)。
野僧は残念ながら朱さんの別の作品を見ていないので友人に頼んでDVDを送ってもらおうかと思っています。そうなると字幕なしの中国語になりますが朱さんの演技力であれば感動は伝わるでしょう。感謝を込めて心からご冥福を祈らせてもらいます。
「謝々你。イッシーン頂礼 万徳円満・・・」合掌
朱旭・18・9・15没遺影になってしまいました(「大地の子」の放送時は65歳だった)。
  1. 2018/09/18(火) 09:40:36|
  2. 追悼・告別・永訣文
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振り向けばイエスタディ1315

サルベージ作業の進捗は順調とは言い難いがそれでも日曜日は休止になるらしい。この1日を利用して杉本は中間報告のためソウルに在韓国防衛駐在官の立林1佐を訪ねた。
立林1佐とは市内のタイ料理のレストランで待ち合わせた。日本人が外国で日本料理を食べるのは望郷の念に駆られた時くらいだが杉本には有り得ない。普通のレストランでは韓国人に囲まれることになり保全上の問題がある。それはロシア料理、中華料理でも同様だ。そんな訳で料理の好みではなく国家の親日度だけでこの選択になった。親日度と料理の好みで言えばベトナムも捨て難いがやはり社会主義国なのが引っ掛かる。
「今日は日本語にしましょう」「うん、そうだな。韓国の英語教育は日本など及びもつかないくらいハイ・レベルなのだそうだ」防衛駐在官は原則的に家族帯同だが年齢から見ると子供は成人しているはずだ。在外公館警備官が子供をソウルの学校に入れているのではないか。
「これは韓国人から聞いた話なので信憑性に自信はないのですが、韓国のハングル文字は複雑な中国語を表記できるくらいなので表音文字として世界最高峰なんだそうです。だから英語くらいは簡単に表記できるから生徒たちは耳で聞いた言葉をハングルでメモするだけで英会話は簡単に身につくそうです」「確かに日本の平仮名や片仮名ではRとLやBとVのような微妙な違いは書き分けられないからな」信憑性に自信がないと断った話に納得されても困るが、そこに一見してタイ人のウェイトレスが注文を取りに来た。
日本ではバブル景気が崩壊してからは異常な人手不足が一転して深刻な就職難に陥っており、外国人の出稼ぎも急速に収縮している。その代わりになっているのが韓国で不法残留しているタイ人は数万人に及んでいると言う。ただし、このタイ料理のレストランはソウルでは老舗のようなのでウェイトレスも不法残留者ではないだろう。やはり行き届いた躾がされていることが判る態度で声を掛けてきた。
「チャンカ・チュイクン・ディシャングライ(いらっしゃいませ)」最初に母国で挨拶して異国情緒を演出することはどこの国の料理を出すレストランでもやっていることだが、流石の杉本もタイ語は知らない。ところが立林1佐は「サワデー」と返事をした。これもタイ語らしくウェイトレスは嬉しそうな笑顔でメニューをテーブルに置いて手を合わせた。
「防大にはタイの留学生がいてね、彼らに習った『こんにちわ』を思い出したんだ」呆気に取られている杉本に立林1佐は日本語で説明した。そうしてウェイトレスがあらためて手渡したメニューを広げると料理を選び始めた。それにしても休日に小父さん2人が会食しているのは異様な光景だ。周囲の客はビジネスマン風のタイ人や韓国人の中年カップルが多い。辛い物が好きな韓国人にとっては香辛料が効いたタイ料理も好みなのかも知れない。ウェイトレスが先に持ってきたタイ・ビールで乾杯した後、時事問題の雑談式に報告に移る。
「沈没艦の引き揚げ作業は始まりましたが、原因については引き揚げた艦体の検証を待たなければ何も発表できないと言う態度のようです」「そこで海外の専門家を入れた国際調査団を編成するらしいが、韓国にアメリカ、イギリス、オーストラリア、おまけにスウェーデンなんだそうだ。日本は入っていないよ」立林1佐は不満そうな顔をしたが、杉本はサルベージ業者選定の入札を巡る質疑応答と周囲の記者たちの態度を思い出して諦め気味にビールを飲んだ。
「ソウルでは殉職したダイバーと貨物船に衝突されて沈没した底引き網漁船の乗組員の遺族を使った政権批判がようやく落ちついて来たところだが、これで遺体が発見されれば今度はそちらを使って再開するんだろうな」韓国人は「遺族の怨み」と言う演出が好きなようで朝日新聞が報じるまで地域の汚点・一族の恥として社会の影に封印されていた従軍慰安婦も日本軍の犠牲者となれば一躍、悲劇の主人公扱いになっている。
「現政権も前々政権、前政権と同様に反日姿勢は明確なようですね」「うん、財界人だから日本との関係を重視するのかと思っていたが経済も中国に乗り換えたようだ。バブルが崩壊した日本に復活の目はないと見ているらしい」現政権は雀山由紀夫首相の軽薄な言動によりアメリカの対日不信が強まり、遠からず日米同盟も崩壊すると見ているようだが、大統領個人は兎も角として政権中枢や国務院の官僚たちの国際感覚はどうなっているのか。安楷林(アン・ヘリム)に訊いてもハッキリ答えないが実際は末期的症状を呈しているのかも知れない。
「最近、この国のマスコミは北朝鮮の侵攻も日本に続いてアメリカの支配を受けている半島南部の同胞を解放するために金日成が起こした救済処置だと言いだしている。中国が支援したのは日清戦争で果たせなかった宗主国としての防衛責任を改めて実行したのだそうだ」「だから宗主国に認められた北の王朝の下で民族の悲願である統一を成し遂げようってことですな。手始めに対馬の奪還、元寇の再現ですか」そこに注文した料理が続々と運ばれてきた。
  1. 2018/09/18(火) 09:35:41|
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振り向けばイエスタディ1314

今日の記者発表は沈没しているコルベット・天安の引き揚げ作業についてなので記者たちの中でも工業系大学出身者が技術的な質問で存在感を発揮している。それ以外の記者たちは指定されたサルベージ会社の詳細情報や作業日程などを質問しているが、スポークスマンを窮地に追い込むような追及になっていない。そこで杉本が手を上げた。
「個人資格で参加を許可されている金(キム)です」立ち上がった杉本は首に提げた安楷林(アン・ヘリム)に作らせた取材パスを掲げて見せた。ヘリムは杉本の韓国用の偽名・金田から上の1字を取ったようだ。杉本は会見場で他の記者たちが情報交換している雑談には参加していなかったので視線は興味と敵意が入り混じって刺々しい。それでも真正面に立っているトミタ少佐は表情を変えずに杉本の顔を注視している。取り敢えずキムと名乗った以上、質問は韓国語にしなければならない。
「先ほどからの説明では業者の選定は韓国のサルベージ会社の中で海軍が指名したとのことですが、やはり国家予算を使っての発注ですから複数の業者による入札を実施するべきなのではないですか」これは日本では常識化している手順だがまだ韓国では定着していないらしく記者たちの間で困惑の声が上がった。
「海軍としては過去の実績を考慮して選定しました。やはり予算支出の高い低いを信頼性よりも優先することはできません」海軍のスポークスマンも想定外の質問だったようで国防部スポークスマンと小声で話し合ってから答えた。
「それでは海軍が信頼性を優先すると言うのなら我が国(=韓国)の業者よりも日本の業者の方がはるかに高度な技術力を有し、最新の機材も保有していると思いますが選択肢に入りませんか」この質問に記者たちは困惑ではなく怨嗟と侮蔑の声を上げた。やはりマスコミ関係者の間でも反日感情は蔓延しており、その意味ではキムと名乗ったのは正解だった。
「コルベットの軍事秘密を保全する必要上、外国の業者の参加は認められません」再び海軍と国防部のスポークスマンは話し合っていたがトミタ少佐は蚊帳の外に置かれている。そこでこれを利用して話題を振ることにした。
「外国と言っても日本は最も近い同盟国ではないですか。アメリカ軍の目で見て我が国と日本のサルベージ業者ではどちらが信頼できますか」「トミタ少領(少佐)に質問ですね」トミタ少佐が回答しようと息を吸ったところに韓国海軍のスポークスマンが余計な確認を入れた。このためすでに肉体は結ばれている2人の呼吸が微妙に乱れてしまった。
「はい、私の職務上、皆さんの質問には可能な限り答えたいのですが、残念ながら私は日本と韓国のサルベージ業者に関する知識を持っていませんので回答は控えさせてもらいます」この完璧な逃げの回答に記者たちは杉本を揶揄する嘲笑を浴びせた。しかし、トミタ少佐は真正面から杉本を見詰め、口だけで「別の答えがある」とささやいた。それはやはり日本語だった。
「ガムサハムニダ(有り難うございました)」杉本が礼を言って座ると韓国人の記者たちが小声で何かを話し始めた。どうやら最後の挨拶に違和感を覚えたようだ。確かにアメリカの記者会見でも質問の終わりは「サンキュー」であって丁寧に「サンキュー・ソー・マッチ」とは言わない。一方の韓国では「ガムサ(ありがとう)」と言えばまともだが、喧嘩腰の質問の後には無言で腰を下ろし、下手すれば舌打ちまでする。そんな中で馬鹿丁寧に「ガムサハムニダ」と言ったのは日本的なへりくだった感覚の礼式の名残かも知れない。中々騒ぎが収まらない場内の様子を見ながらトミタ少佐は少し強張らせた顔を小さく振った。
「質問がないようでしたら本日の記者発表は終了します」結局、杉本は記者たちの質問が出尽くしたところに質問したようで、そのまま記者発表は打ち止めになった。
昨日は記者発表が終了する直前に退場し、ロビーでトミタ少佐を待っていたが今日は出遅れた。会見場内では記者たちが一斉に携帯電話の電源を入れ、編集部に記者発表の内容の第一報を入れ始めた。この後は同業者同士で内容の意味を確認し合ってから外に出てくるのだろう。
「突然の質問には驚いたわ」杉本が1人でロビーに出ると今日はトミタ少佐が待っていた。杉本が歩み寄り、小声が届く距離になったところで笑顔になって声を掛けてきた。
「いや、見事な退避行動でした」「本当は日韓の技術格差を指摘した上で業者のモラルの違いまで明言してやろうと思っていたの。だけど貴方の質問で記者たちの目つきが変わったのを見て急速潜航したってところね」言葉遣いに他人行儀なところがなくなっている。ホストの業務として抱いた女性たちは快楽だけを目的にしている分、割り切り方も見事だったが、この日系4世の海軍士官は逆ハニートラップの餌食になったことにも気づかずに肉体と一緒に精神も結ばれたつもりなのかも知れない。
「今夜の予定は」「はい、空いています」杉本の確認にトミタ少佐は目を潤ませてうなずいた。
  1. 2018/09/17(月) 09:18:00|
  2. 夜の連続小説8
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9月17日・これぞ天の怒りの神嵐か・枕崎台風が上陸した。

1945年9月2日に降伏文書に調印して僅か2週間後の9月17日に最低気圧916ヘクトパスカル、最大瞬間風速62.7メートルを記録し、昭和の3大台風に数えられている枕崎台風が鹿児島県の薩摩半島の西南端である枕崎に西南西から上陸しました。
この上陸地点から見るとそのまま北上して九州を縦断したのかと思ってしまいますが実際はそのまま鹿児島県を横断し、戦争で甚大な被害を受けていた太平洋岸を東に進み、中国・関西・東海・関東地方を徹底的に破壊したため死者2473名・行方不明1283人もの犠牲者を出したのです。
特に被爆から1ヶ月と11日目の広島市では避難する堅牢な建物はなく、仮設の収容所で治療を受けていた多くの被爆者たちも三角州を形成する河川の氾濫などで犠牲になってしまいました。今年の超大型台風でも甚大な被害を出した呉市では住宅地の背後の傾斜地がことごとく崩壊し、土石流が頻発して市内だけで1156名が犠牲になっています。同じく廿日市市でも多くの被爆者を収容していた陸軍病院が土石流に巻き込まれて複数の病棟などが全壊し、入院患者だけでなく医療従事者や京都帝国大学が派遣していた学術調査団など100名以上が犠牲になり、県としては2012名が犠牲になりました。つまり今年の超大型台風に限らず広島県は脆く崩れやすい地盤や海抜が低いため水捌けが悪い地形などで災害が起こり易い地域であり、そこに急激な人口増に伴って斜面の真下まで宅地造成したことで甚大な被害が発生したのですから、この枕崎台風の教訓をもっと真摯に受け留めるべきだったのでしょう。
さらにこの台風の被害が大きくなった原因としては日本の気象台の多くが戦災で機能を停止していた上、占領軍に接収されたため職員の活動も大幅に制限されており(占領軍司令部としては米英豪軍の気象要員に機材を使わせる予定でいた)観測と予報を実施できるような状態ではなく、しかもラジオや地方自治体による伝達も不可能だったことがあります。このため敗戦直後の焼け野原に建てたバラック住宅で雨露をしのぎ、毎日の食料を確保することに必死だった人たち、然もその大半は徴兵されなかった高齢者や病者と婦女子ばかりで、そこに予告もなく超大型の台風が襲来したのですからむしろ「よくぞこの程度の被害ですんだ」と感心するべきかも知れません。
日本は戦時中、「国家危急時には神風が吹く」と政府・軍の上層部から前線の将兵、銃後を守る婦女子まで大真面目で唱え、信じさせられていましたが、昭和20年には1月13日に三河地震が発生し、2306名の犠牲者を出し、空襲を免れていた東海地方の軍需工場も甚大な被害を受けており、敗戦後にこの超巨大台風が襲来したのは明治以降、自衛に名を借りた侵略戦争を繰り返し、遂には慢心し切って大局を見誤り、滅亡の道を突き進んだ大日本帝国に天が怒って下した神嵐(かみあらし)としか思えません(逆に進駐した占領軍に吹かせた手遅れな神風なのかも知れませんが)。
この台風は気象情報が有り難いものであることを再確認させますが、その一方で最近の天気予報の情報過多、過剰警告が逆に信頼性を失わせていることを忠告しておきます。
  1. 2018/09/16(日) 09:35:55|
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振り向けばイエスタディ1313

トミタ少佐は杉本に肩を抱かれてエレベ―ターに乗せられた。今夜はダブルの部屋を取ってあり、この展開は始めからの既定路線なのだ。
杉本はホストの無給アルバイトの時も自宅には帰らない女性=人妻とホテルで逢瀬を重ねていたが彼女たちは始めからこの目的でホテルについてきており、むしろ抱かれるのを待ち切れないような態度があからさまだった。しかし、トミタ少佐は壁際で唇を噛んでうつむいたままだ。そこで杉本は無言のまま歩み寄ると抱き締めて口づけをした。
トミタ少佐の唇は少し乾いている。それを舌で湿らせながら中に差し入れ、右手でジャケットの襟を押し広げて乳房を掴んだ。昨夜まで抱いていた安楷林(アン・ヘリム)に比べて随分と控え目な胸だ。それが日本女性らしいと言えるのかも知れない。
歯茎を舌で愛撫され、乳房を揉まれている間にトミタ少佐は涙を浮かべたらしい。舌に塩味の鼻水が垂れてきた。杉本は雰囲気に酔わされてホテルまで来ながらエレベーターに乗った途端、迷い悔む女性たちも結局は抱いてきた。したがってトミタ少佐の涙も特別なものではない。若しも抵抗するようなら取り敢えず中止した新しい媚薬を試すだけのことだ。
ダブルの部屋に入り、ルーム・サービスがバーボンのボトルと水割りのセットを届けに来ると杉本は行動を開始した。夜景が際立つようにカーテンを開け、暗くしていた部屋の灯りを点け、壁を背に立っているトミタ少佐にベッドの上のバスローブとタオルを手渡し、浴室に誘導する。トミタ少佐が日本女性であれば抱かれる前に身を清める美意識があるはずだ。
案の定、ためらったのであろう短くはない空き時間の後、シャワーの水音が聞こえ始めた。そこで杉本は全裸になり戦闘態勢に入った巨砲を振りかざし、浴室に入っていった。
「ヒッ・・・」「クミコ・・・」小さく悲鳴を上げかけたトミタ少佐を杉本は強引に抱き締めた。サービスに徹するホストであれば決して用いない強引な抱擁だ。ここで名前を呼んだのも性行為に愛情を感じたい女性心理を計算した手順の1つだ。
そうして先ほど手で確認した控え目な胸を鷲掴みすると背後に回って一気に貫いた。のけ反ったトミタ少佐の頭で顎を打ったが、そのようなことに構っている場合ではない。後は熟練した性技で快感を与え、ベッドで念入りに仕上げをするだけだ。
その時、身体の黒子(ほくろ)の位置、体毛の濃さなどの特徴や性感帯と反応を確認し、記憶するのはハニートラップの常套手段だが、今回は男の方がそれを実施する。流石に性行為中の動画や写真の隠し撮り、声の録音は無理だろう。それがあれば脅迫の材料にもなるのだが。
明け方、トミタ少佐は身支度をしてホテルを出ていった。やはり軍人としては指定された宿泊場所で1日を始めなければならないようだ。
「うーん、バージンではなかったが、十分に開発もされていないようだな」杉本はベッドの中でトミタ少佐を見送って、そのまま起き上がると朝の海を眺めながら独り言を呟いた。
ベッドでは女性が性感帯とする全ての部位に熟練した技法を駆使したが、性欲を自制する意識を強く働かせているようで顔を歪め、声を漏らさせるまでに想定外の労力と時間を要した。媚薬を使えばこのような労力を掛ける必要はないのだが、それは杉本には不似合いな同胞への愛着が自制させた。逆にレディ・キラー(スケこまし)としては初めて快感を味わう表情を見せた時の達成感に満足してしまっている。要するに本業は特科の杉本にとっては難攻不落の旅順城塞を28サンチ榴弾砲=要塞砲の威力で陥落させた気分なのだ。
「まァ、一度絶頂に達してからは普通に悦んでいたから年齢不相応に未完成なだけだろう」この客観冷静な分析も実は中々反応しなかったトミタ少佐に性技の達人としてのプライドが傷ついているのだ。杉本には別に適職がありそうだが年齢的な衰えは必ず来る。
それにしても今日の記者発表の時、自分と顔を合わせたトミタ少佐がどのような反応をするのか楽しみだ。この妙な加虐趣味は杉本の病癖だろう。
「本日の記者発表を行います」昨日と同じ順番で会見会場に入ってきた韓国海軍と国防部のスポークスマンに続いて軍服姿のトミタ少佐が姿を見せた。杉本は昨日は韓国の記者団の後ろの席に座っていたが、今日は最左翼の席に座っている。そこがトミタ少佐の真正面なのだ。
記者たちも昨日と同様に椅子を正面に向けて座り直すとメモ帳やレコーダーを用意する。公式な会見場では長机が置いてあるのでパソコンを使うことができるが、金浦港の港湾施設の空き部屋を借りているので贅沢は言えない。
「我が海軍は昨日からアメリカ海軍の協力を受けて2つに断裂した状態で沈没している天安の艦体の引き揚げ作業に掛かりました」この話題であればアメリカ海軍のスポークスマンに質問をしても違和感はない。杉本は無意識に舌舐めずりしてしまった。
続・亜麻色の髪のドール・モリオ理美 イメージ画像
  1. 2018/09/16(日) 09:33:18|
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振り向けばイエスタディ1312

「それは李明博大統領自身の命令なんですか。私個人としては大阪出身ということで多少は親近感を抱いていたんですがね」「そうかァ。大統領は大阪出身でしたね」重い話題の後に少し腰を折る。この話術も久しぶりに使う日本式だ。これは在韓アメリカ軍の広報担当士官でありながら現政権を批判しなければならないトミタ少佐への助け船でもある。ただし、在日出身者は日本で受けた差別や貧窮した生活から通常の韓国人よりも反日になることも珍しくない。
「李大統領はソウル特別市の市長から大統領になってしまったから国政を任せるだけの側近を確保できていないのよ。建設業界出身でソウル市長の時も都市改造で実績を上げて支持を得たから経営コンサルタントみたいな人間ばかりで、軍事面は指導力を発揮する以前に判断するための知識も持ってないわ」この説明であれば多少の弁護も混じっており、批判としてはかなり和らいでいるようだ。杉本はグラスの酒を飲み干し、バーテンダーが水割りを作りに来た。この往復の手間を考えればそろそろチップを先払いするべきかも知れない。
「結局、低支持率を打開するための具体策を要求された側近が思いついた軽挙と言うことですね」「最近の韓国のマスコミは左右共に民族主義色が強まっているから北朝鮮と事を起こすよりも日本に攻撃を仕掛けた方が支持を得られると考えたのでしょう。日本は政権交代して我が国との同盟関係が揺らいでいるから協力すると踏んだのかも知れないわね」日米同盟も随分と軽く見られたものだ。確かにアメリカ国内のマスコミにも雀山由紀夫の「トラスト・ミー」を利用して日米間に楔を打ち込もうとする勢力は存在するが、彼らも日本の政権が短命であることを熟知しており、ここまで軽率な行動には出ていない。
「それじゃあ、韓国軍の戦時の指揮権移譲を先延ばしにすることを要望しているのは・・・こちら側なんですか」全斗煥政権は戦時にアメリカ軍の指揮下に入ることになっている米韓相互防衛条約の規定を韓国大統領の指揮下で戦う完全に独立した軍に改定することを申し入れ、2015年12月1日付の実現で合意している。しかし、金大中・盧武鉉両大統領は金正日主席との会談の手土産に自ら北朝鮮に対して軍事機密を漏洩し、それが中国に流れたことが発覚したため無期限延期が検討されているのだ。
「左右のどちらが政権を握ってもこんな醜態が続くようでは韓国軍もアメリカ軍の指揮下に留まった方が安心なんでしょう・・・」気がつくと初対面の割にはかなり突っ込んだ会話になっている。トミタ少佐もそれに気づいて急に黙り込んだ。しかし、ここで中断してしまっては情報収集にはならない。そこで攻略戦術は第2段階に移行した。
「少佐も・・・クミコも立場上、言いたいことも言えないで胸に貯め込んできたから久しぶりの日本語で気持ちが軽くなったんだろう。大丈夫、こんな危ない話題は雑誌には載せられないよ」「本当に」「うん、約束する。指切りしようか」冷血漢の杉本にとっては背中がこそばゆくなるような甘い台詞だ。それでもトミタ少佐は安心したような顔で目の前に小指を立てた。幼い頃から冷め切った子供だった杉本は女の子と指切りした経験はない。それでも優しい笑顔を作ってトミタ少佐=クミコの小指に指を絡めた。2人の僅かな体温が混じり合った。
「指切り拳万(げんまん)、嘘ついたら針千本、呑ーます。指切った」トミタ少佐は少しメロディーが違う囃子歌を唄うと急に甘えたような目つきになった。
実は杉本はイギリスのジェームズから入手した媚薬を使うタイミングを謀っていたのだ。彼らは以前、岡倉に渡して今は妻となっている李中尉に試させた薬から後も続々と開発を続けている。杉本はそれをニューヨークの街角に立つ夜の女たちに使って人体実験を繰り返しているが、ヨーロッパ系とアフリカ系、アジア系では微妙に効果が違うことを発見していた。ヨーロッパ系とアフリカ系は性行為を動物としての本能として激しく燃え上がらせるのに対してアジア系は罪の意識を失わないようだ。それでも夜の女にアジア系は少なくこの海軍士官は実験材料として興味をそそられる。ところがこの雰囲気では自然な流れで目的は遂げられそうだ。ならば海軍の定期身体検査で薬物の性分を発見される危険は回避するべきだろう。
「本来であれば日本が韓国の動揺を抑える役割を果たさなければならないんだがな」「その意味では日本の政権交代は極東アジアの安全保障体制を崩壊させようとする中国の戦略の巨大な成果なのね」「それも長くは続かないが」ここで政治談議は終わりにする。杉本はバーテンダーを手招きすると多めのチップを渡し、ルーム・サービスでボトルを飲めるように手配した。
「クミコ、続きは俺の部屋で夜の海を眺めながらにしよう」「そんな・・・私、帰ります」この断り方も日本式だ。杉本は中学・高校・大学でも有名なスケこましだった。自衛隊に入ってからも女を漁るためだけに都会のホスト・クラブで無給のアルバイトに励んでいた(実在する)。
杉本は立ち上がるとトミタ少佐の顎を指で固定し、素早く唇を奪った。
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  1. 2018/09/15(土) 09:30:52|
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9月15日・山形県の誇りである写真家・土門拳の命日

1990年の明日9月15日は傑作「古寺巡礼」などで有名な戦後の昭和を代表する写真家にして我が山形県の誇りである土門拳さんの命日です。
土門さんは明治42(1909)年に山形県酒田郡鷹町(現在の酒田市)で生まれました(=土門拳記念館がある最上川の畔とは別の場所)。土門さんが尋常小学校への就学年齢になった年に一家で東京へ移住したため麻布区(現在の港区麻布)で入学しましたが1年後に横浜市磯子に転居したので転校しています。
12歳の頃から絵画を描き始め、17歳の時には薔薇の油彩画が横浜美術展覧会で入選しています。同時期に考古学にも目覚め、学校の周囲で土器や石器の採取に励んでいたそうです。そうして旧制中学校を卒業すると逓信省の倉庫用務員に採用され、おまけに三味線に熱中して師匠に弟子入りしました。
そんな才気煥発・多趣多芸の土門さんは当時流行していた社会主義運動にも目覚め、23歳で農民運動に参加して検挙されています。幸いこの頃の治安維持法は社会主義暴力革命を取り締まるだけで昭和のように国体の変革を画策していると疑われるだけで摘発されて弾圧を受けるような内容ではありませんでしたから無事に放免され、遠縁に当たる写真家・宮内幸太郎さんに弟子入りして、写真技術を基礎から学ぶことになりました。
昭和10(1935)年、電車内で欠伸をする幼い兄弟を撮影した「アーアー」が写真雑誌・アサヒカメラで入選したのを皮切りに報道写真を仕事とするようになり、アメリカの雑誌・ライフに当時の外務大臣・宇垣一成大将を撮影した「日曜日の宇垣さん」を発表するなど世間の注目を浴びるようになったのです。
敗戦後は昭和14年に室生寺を撮影した流れを受けて古寺を題材に選び始め、これが後に代表作「古寺巡礼」として結実しました。その後も生来の多趣多芸を発揮して色々な対象を徹底的に撮影し尽くす仕事を続け、数々の傑作を世に送り出していきました。
土門さんの撮影は生来の不器用さを逆手に取り、膨大な労力と多額の資金を惜しげもなく投じて常軌を逸したほどの多種多様な撮影を繰り返し、その中に1枚の傑作を見つけると言う手法だったと言われています。実際、親友の棟方志功さんと沖縄を旅した時には棟方さんが油絵を仕上げるのと土門さんが撮影を終えるのが一緒だったと言う逸話が残っています。また自然光にこだわり、深夜に行われる東大寺二月堂のお水取りを撮影する時でさえも照明を使用せず、鬼神のような気迫で撮影して傑作をモノにしています。
人物写真ではあくまでもリアリズムに徹し、多くの写真家が被写界深度(ピントが合う距離)を浅くしたソフト・フォーカスを使って対象物を浮き上がらせる手法を常用していたのに対して土門さんはシャープな画像を追及したため女性の顔のうぶ毛からシミやシワ、小さなホクロやニキビの跡までハッキリ写ってしまいモデルの引き受け手がいなくなったと言われています(逆に熱望する大物女優=自信家も多かったそうですが)。
野僧は山形に帰省した折、土門拳記念館で「古寺巡礼」を始めとする作品群を見ましたが圧倒的な迫力で1枚1枚に手を合わせて頭を下げてしまいました。
  1. 2018/09/14(金) 09:57:33|
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振り向けばイエスタディ1311

「杉本さんと話すには言語を選ぶのに悩みますね」トミタ少佐が席についてバーテンダーがボウボン=バーボンの水割りを作って下がると2人はグラスを持って乾杯する用意をしたが、その前で止ってしまった。2人が英語と韓国語、さらに日本語に堪能なのは判っている。今日の話題から言えば日本語が最も秘匿性が高いのだが、乾杯の音頭までそれを採用するかは悩ましいところだ。やはりハワイの日系人社会でも「カンパーイ(乾杯)」と雄叫びを上げるのは親父のイメージなのだ。そこで杉本は目でトミタ少佐を促した。
「レディ(=用意)・・・フーヤー」「・・・フーヤー」一瞬、間を置いてトミタ少佐も唱和した。「フーヤー(Foo・Yah)」とはアメリカ海軍が訓練で気合いを入れる時に上げる雄叫びだ。ちなみに陸軍では「フーアー(Foo・Ah)」、海兵隊では「ウーラー(Oo・Rah)」だが、空軍だけは「エアー・パワー」と言うらしい(やはり少し理屈っぽいのか)。
「流石ですね。これなら今日の乾杯に最適です」グラスの水割りを一口飲んでトミタ少佐は愉快そうに笑いながら賞賛してくれた。
「ウィクリー・ジャパンを読みました。サンプルは返します」ここでトミタ少佐は隣りの椅子に置いていた茶封筒をカウンターの上を滑らせて手渡した。
「韓国から眺めていれば日本は間近ですから情報も潤沢でしょう。私たちの雑誌の記事などは読むまでもない常識ばかりだと思います」ここで杉本は珍しく日本的な謙遜をした。今回はトミタ少佐に日系人の郷愁を呼び覚まさせる戦術らしい。
「いいえ、軍事面の記事は日本のマスコミなどは足元にも及ばない高度な専門的知識に基づく論説がされていて感心しました。私も購読したいくらいです」これではトミタ少佐の方が日本的なお世辞を使っている。それでも本職の軍人に誉めてもらえば悪い気はしない。
「ところで先ほど言っていた件ですが・・・」「対馬は我が領土ですね」トミタ少佐はもう一口水割りを飲んでから本題に入った。ここからは保全のため日本語にする。バーテンダーは中年カップルと思ったようで離れた位置から2人のグラスの酒の量だけを気にしている。中国ではないので盗聴器や監視カメラも防犯用以外は設置されていないだろう。
「訊きたいのは情報の出処ですね」「はい、できれば」杉本の確認にトミタ少佐は表情を硬くしてうなずいた。しかし、この情報は杉本も旧正月で妻子の元に帰ってきた岡倉が工藤に噂として報告していたのを小耳に挿んだだけだ。杉本としてはジャーナリストとして政府要人との人脈を持っている安楷林(アン・ヘリム)は何も言っていなかったので、それほど深刻な問題ではないと考えていた。
「ネタ元を絶対に明かさないのはジャーナリストの鉄則なのはご存知ですね」「それは軍人の守秘義務と同じ命がけの責任だと聞いています」トミタ少佐は賛同してくれたが日本の毎日新聞の西山太吉記者は愛人にした外務省大臣官房の女性事務官から入手した沖縄密約の情報を記事にすることを編集部が許可しなかったため社会党に流して国会で追及させた。このため事務官から漏洩したことが発覚した事件があり、現在でも似たような事例は少なくないのだ。
「今日は忙しい中を私のために時間を使って下さいましたから一滴だけ漏らしますと呟いたのは韓国軍です」「やはり・・・韓国軍の政府不信はかなり深刻ですから我々も憂慮しているんです」ここでバーテンダーが歩み寄り2人のグラスに水割りを作った。杉本はバーテンダーが2人の前から去るのを待って続きを始めた。
「やはり金大中と盧武鉉の左傾政権が朝鮮戦争以来の仮想敵である北朝鮮と友好関係を進めたことが大きいんですか」「それは表面的な見方ですね。両政権は韓国軍内の対北強硬派を徹底的に排除したんです。でも韓国軍が北朝鮮を敵想するのは建軍以来の常識ですから大半の士官が対象になり、有能な人材ほど標的にされたんです」ここでトミタ少佐は溜息をついた。
「だから軍はかつてのようなクーデターを起こせないんですね」「噂では金大中はそのために軍を骨抜きにしたとも言われています」日本のマスコミは妙に肩入れをしていた金大中の実像が李承晩に匹敵するほど悪逆非道だったことはヘリムから聞いているが、在韓アメリカ軍から見ても許し難い点が多々あったようだ。
「そんな左傾政権が終わって保守政権が復活したと期待していたところがマスコミの非難報道で支持率はサブマリン(潜水艦)、その苦し紛れの一手が同盟国・日本への侵攻だから期待を裏切られた韓国軍の怒りも大きいと言う訳です」軍人が政権の低支持率を揶揄する隠語は陸軍では匍匐前進、空軍では低空飛行なのだが、海軍では水面下の潜水艦のようだ。
「それでは軍に研究を命じたと言うのは本当なんですか」「おまけに軍の独断で侵攻したことにして国民の反応と国際世論の動向を見て処分を決めると言うんですから話になりません」流石の杉本も自分が指揮官になって軍事クーデターを起こしたくなってきた。
  1. 2018/09/14(金) 09:56:20|
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9月14日・西ドイツ空軍機による領空侵犯事件が発生した。

東西冷戦が激昂し、一触即発で第3次世界大戦が勃発する可能性もあった1961年の明日9月14日に西ドイツ空軍の戦闘機が東ドイツの領土上空を侵犯し、西ベルリンのデンベルホーフ空港=輸送機用の航空基地に着陸する事件が発生しました。
この事件は日本ではあまり知られていませんが野僧は春日基地の西部防空管制隊での夜勤の時に教えてもらいました。野僧は警戒管制については完全な門外漢だったためは幹部から空士まで総員でイロハのイから最後のスまで教育してくれたのです。
その後、毎度の悪癖を発揮して事件の背景などを調べたのですが、かなり際どい事件だったことが判りました。
この事件の1ヶ月前の8月13日にソ連は東西ベルリンに鉄条網による障壁を設置したのに続き(壁になったのは後年)、東西ドイツの国境と西ベルリンを包囲するように鉄条網と溝、さらに塀(「地雷原も設置した」と言う噂もある)の建設を進めていたのです。
さらに1年後の10月からはソ連がキューバに核ミサイルを搬入し、基地を建設していることを察知したケネディ政権が海上封鎖を実行したキューバ危機が勃発することになり、この事件も対応を誤れば東西対決の切っ掛けになりかねませんでした。
この緊張の中で両陣営が対峙する東西ドイツ国境では「国境線から一定距離に軍隊を立ち入らせない」と言う取り決めがあり双方共に警察の特殊部隊を配備していましたが、上空については東西ドイツ軍機は接近できないことが定められていたものの西側はNATO軍としてアメリカ、フランス、イギリス軍機、東側はソ連軍機が互いの領空侵犯に対処して追い払い合戦を繰り広げていたのです。実際、事件が発生する前の8月から9月までの4週間にソ連軍機は38回領空侵犯していました(島国では考えられませんが)。
それでは接近することさえ許されていない西ドイツ空軍機が何故、東ドイツの国境を越えて領土の上空まで侵入したのかが疑問になりますがNATO軍は演習中で西ドイツ軍も参加していたのです。この時のミッションは編隊を組んでドイツ南部のレヒフェルト空軍基地から中部のヴェルツブルグ、北部のランを経由して南部のメミンゲンに帰還させる3角点通過の飛行でした。
当時の西ドイツ空軍の戦闘機は朝鮮戦争で使用されたF-84でしたが、折からの悪天候で2機が編隊からはぐれ、西からの強風で流された上、計器を読み誤ったことで国境を越えてしまったのです。この頃の地上レーダーや機体の航法装置、通信機の性能はまだ貧弱だったので厚い雲の中を飛行する航空機を識別・位置を確認することは困難でした。
NATO側の地上レーダーが2機を探知した時には東ドイツの領空を深く侵犯しており、すでにソ連機が迎撃に発進していたため逃げ切ることを祈るしかなかったのですが西ベルリンの空港の航空管制官であるアメリカ空軍の伍長が着陸許可を出したため難を逃れることができました。
この事件はソ連軍側も領空侵犯に対処できなかった負い目があるため強硬な態度には出られず、実質的には悪天候による遭難事故扱いで一件落着させたようです。
  1. 2018/09/13(木) 09:59:16|
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振り向けばイエスタディ1310

「ルテナン・コマンダー(海軍少佐)・トミタですね」金田は記者発表が終わる直前に廊下に出てトミタ少佐を待っていた。すると入場してきたのとは逆の順番で会見場から出てきたトミタ少佐は金田に気づいて立ち留まった。先ほど目で送った誘いを理解していたようだ。
「貴方は」「アメリカの日系人向け雑誌・ウィクリー・ジャパンの記者で杉本と言います」杉本はアメリカ・ジャーナリスト協会が発行した取材パスを見せて韓国用の偽名である金田ではなくアメリカでの通称・杉本を名乗った。
「私も日系人ですがウィクリー・ジャパンと言う雑誌は見たことがないですよ」トミタ少佐は杉本の本場の英語に安心したのか後ろで待っている2人に先に行くように促し、半歩近づいて質問してきた。実際はそのような雑誌は存在しないのだから当然だが対策は考えてある。
「トミタ少佐はどちらの出身ですか」「ハワイですけど」「だったら当り前だ」杉本の返事にトミタ少佐は怪訝そうな顔をしたが、そこに追い討ちをかける。
「ハワイの日系人たちは日本の新聞や雑誌の英語版を読むからウチみたいな時事問題を要約した雑誌は売れないんです。だからハワイや西海岸ではほとんど知られていないでしょう」トミタ少佐がアナポリスの海軍士官学校出身であれば東海岸での生活も経験していることになるがスポークスマン=広報担当者は純粋培養された根っからの軍人よりも一般常識を身につけている予備士官出身者を当てることが多いのは取材として訪れている各基地での経験だ。
ここで記者たちが会見会場から出てきてロビーが騒がしくなったので杉本は身体には触れずに手の仕草で壁際にいざなった。
「なる程、一度読んでみたいものですね」「それでは宣伝用のサンプルを貸しましょう。サンプルは1冊しかないので返して下さい」そう言って杉本は肩に提げていたバッグから日本の写真雑誌のようなサンプルを取り出した。受け取ったトミタ少佐は表紙の雀山首相の写真を見て顔をしかめた。やはり雀山政権、むしろ雀山由紀夫首相個人に嫌悪感を抱いているらしい。このサンプルは嘘を嘘のまま押し通して信じさせるための小道具で、杉本自身が編集した原稿をジェニファーの雑誌社で印刷してもらった自信作だ。
「すると今回の韓国海軍の事故を日系人向けの雑誌に乗せるために取材に来たんですか」トミタ少佐は抱えていたバインダーに雑誌を重ねると鋭い質問をしてきた。確かに日本国内でもあまり報道されていない韓国海軍の事故の話題をアメリカ在住の日系人に知らせる必要性に疑問を感じるのは当然だ。杉本は半歩前に出て至近距離から小声で答えを返した。
「実は別の件の取材で韓国に来たところに事故が起きたと言うのが真相です」これは嘘と真実が半々だ。実際にコルベット・天安の事故の調査のために訪韓したのだが目的は単なる取材ではない。むしろこの機会を利用して在韓アメリカ海軍に喰い込む気になっている。杉本は日本人女性の標準的な身長のトミタ少佐の耳に口を近づけると更に音量を下げて囁いた。
「我々は李明博政権が韓国軍に研究を命じた対馬奪還作戦について真相を明らかにしようと考えています」この言葉に驚いたトミタ少佐は急に顔を杉本に向けたため耳元にあった口が上唇に当たってしまった。やはりトミタ少佐は日本人の女性のように恥らってうつむいた。
「トミタ少領(韓国軍の少佐)、ミーティングを始めますが」その時、待機室から韓国海軍の少佐が出てきて韓国語で声を掛けた。トミタ少佐は日系人であっても韓国語にも堪能なようだ。
「それでは今夜、ここで待っています」話を切り上げて歩き出そうとするトミタ少佐に杉本は用意してあった英語の名刺を握らせた。裏には今夜、宿泊する予定の金浦市内のホテルのバーの場所と店名、時間が記してある。
「待ちましたか」その夜、杉本は待ち合わせているバーのカウンターで安くはない輸入品のバーボンを飲んでいると10分遅れでトミタ少佐はやってきた。帝国海軍の伝統を受け継ぐ海上自衛隊では女性自衛官にも5分前の精神が植えつけられているためデートでも5分前には待ち合わせ場所にやってくるらしいが、アメリカ海軍は身支度に時間を掛けるヨーロッパの淑女の作法を尊重するようだ。確かにキャリアウーマン風のジャケット姿には凛々しい制服姿とは別の色気を感じる。
「いいえ、キープしたボトルを開けたばかりでまだ飲んでいません」杉本は返事をしながらバーテンダーにグラスをもう1つ持ってくるように指示した。
「嘘、貴方の吐息はボウボンの匂いがするわ」トミタ少佐は顔を近づけて匂いを嗅いだ後、一本取ったかのように自慢気に笑った。
「でもそれは相手を思い遣る日本的な優しさなんですよね」ここで杉本は慣れない笑顔を作って隣りの席を勧め、トミタ少佐が腰を下ろすのを待ってバーテンダーがグラスを持ってきた。
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  1. 2018/09/13(木) 09:53:30|
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振り向けばイエスタディ1309

それから金田は金浦市の港湾施設内に設けられた会見場兼待機室でマスコミ関係者の列に加わっていた。今回はいつも使っているアメリカ・ジャーナリスト協会発行の取材パスとは別に安楷林(アン・ヘリム)からも韓国国内のマスコミ関係者用パスを入手している。
マスコミ関係者の態度の悪さは少しでも常識を弁える人間には一緒にいることが苦痛になるほどだが韓国のマスコミは欧米や日本の比ではない。欧米のマスコミ関係者は無意識にインテリジェンスを誇示しているため紳士的な態度を失わない。それでも取材は猛烈だ。一方、日本では記者クラブと人脈で耳打ちされる情報だけで記事が成立するので心証を害するような態度は控えているようだ。その点、韓国の記者たちは「情報を売る」と言う貪欲さが体臭のように漂っていて正に一緒にいることが苦痛だった。
そこに海軍の軍服を着た男女2人と背広姿の男1人が入室してきて世間では雑談と呼ぶ情報交換にふけっている記者たちに声を掛けた。
「それでは本日未明に発生しました事故について海軍の記者発表を行います」そう言って韓国か軍の少佐が演台に立つと記者たちはザワザワと騒ぎながら椅子を前に向けて座り直した。同時にカメラマンは部屋の隅に大きな脚立を並べているカメラに向かって歩き出した。金田は記者たちの背後の席でサイドバッグからカメラとメモを取り出した。
少佐はカメラマンと記者たちの準備が整うを待って演台に置いてあった指示棒とマイクを手にした。演台の背後の壁には西韓湾と白令羽群島を中心とする大きな海図が掲示されている。少佐はその一カ所を指しながら説明を始めた。
「ニュースでも流れたように本日未明、この海域で3月26日に枕没しました我が海軍のコルベット・天安の遺留品を捜索中だった底引き網船・□■、99トンがカンボジア船籍の貨物船・●○▼△と衝突して沈没し、漁船側の乗員9名が行方不明になりました。本日10時20分までに全員を収容し、死亡が確認されました」この発表はニュースで流れていた内容よりはかなり具体的になっている。記者たちは編集部で聞いてきた情報と照らし合わせているらしく共通した論調の会社の人間と話し合い始めた。
そんな中、金田は前に並んでいる3人のスポークスマンを眺めていた。壇上の少佐は韓国海軍で、その横で背広を着ているのは国防部の担当者だろう。1人離れて立っている女性がヘリムが言っていたアメリカ海軍のサンディ・クミコ・トミタ少佐のようだ。年齢は30代前半くらい。名前から見て日系なのは間違いないが容貌は韓国人でも通りそうだ。
「事故の発生時間は正確には何時ですか」スポークスマンの進行を待たずに記者からの質問が始まった。通常、記者会見においては質問者は先ず社名と姓を名乗るのが作法なのだが、この記者はそれを忘れている。このため他の記者たちから揶揄する嘲笑が起こった。
「半島日報の金(キム)です。事故の正確な発生時間を教えて下さい」「はい、現在、貨物船の航海日誌とGPSの提出を受けて事実確認中ですから発表は後日とさせて下さい」あらためて質問し直したキム記者に少佐は感情を交えずに事務的に答えた。
「それくらいのことに何時間かけているんだ」この説明に記者の席から低い罵声が飛んだ。この辺りが記者クラブの人間だけを集めている日本の記者会見とは違うところだ。
「大韓日報の朴(パク)です。どうして夜間に作業をさせていたんですか。何か秘密裏に回収しなければならなかった物でも在ったのですか」「北朝鮮からの妨害を避けるためです。周辺海域を航行する船舶の数も考慮しました」「詭弁だ」これにも罵声が飛ぶ。アメリカの記者会意見もかなり殺気立っているが不規則発言はあまりない。そこが韓国なのだろう。
「京風新聞の金(きむ)です。海軍が救助にかかったのは何時ですか。また僚船はなかったのでしょうか」「僚船はいません。このため海軍が救助に向かったのは貨物船の連絡を受けてからですから事故発生の30分後になります」京風新聞は日本の統治時代に発行されていた新聞社を独立後に復活させたため唯一「新聞」と言う名称を使用している。論調も比較的保守的なので少佐の説明に反論はしなかった。それを見て他社の記者たちが激昂した。
「緊急通報がそんなに遅いはずがないだろう」「大体、海底の捜索を単独でやらせるのは常識では考えられない」「何か不味い物が見つかって口封じしたんじゃあないのか」金田が日本で見ていたキュース映像でも戦後間もない頃の記者会見は完全な喧嘩腰だったようだ。その意味では韓国は半世紀遅れのようだが、マスコミ本来の存在理由を考えれば基本姿勢を堅持しているとも言える。
金田が全員が立ち上がって罵声を浴びせている記者たちに呆れながらスポークスマンたちに視線を戻すとトミタ少佐と目が合った。金田は目と口と顔だけで廊下に誘った。
  1. 2018/09/12(水) 11:44:58|
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振り向けばイエスタディ1308

金田(杉本の偽名)は今回の事故に単なる事故ではない何かを感じ取り、ようやく重い腰を上げた。楷林(ヘリム)が国防部への取材を始めるのなら狙いは在韓アメリカ海軍だ。
「しばらく釜山へ取材に行ってくる」朝、ベッドから起き上がった金田はヘリムに告げた。金田の行動に計画性はなく常に唐突なので驚きはしないがこれまで釜山に出掛けたことはない。釜山は山口県下関市や福岡県福岡市、鳥取県境港市、大阪市などと定期航路で結ばれており、日本人が多いため近づくのを避けていた。
「釜山ならそのまま帰国できるじゃない。久しぶりに帰ったらどうなの」ヘリムは嫌味のような冗談を言いながら昨夜愛し合う前に脱ぎ捨てていたバスローブを拾って素肌に羽織った。自分の所有物にした頃は激しく抱いた翌朝でも美しい裸身を見ただけで奮い起ったものだったが、40歳を過ぎた肉体にはそれだけの魔力はない。体型そのものは崩れていないのだが肌や乳房、腕、腰や尻の張りが失われているようだ。
金田は上半身裸のまま玄関に向かいドアを開けて投げ捨ててある新聞の束を持ってきた。日本の新聞配達はマンションでもドアの新聞受けに差し入れていくが、韓国では防犯を優先してドアに穴を開けていないので通り過ぎながら前に投げて行くのだ。
金田はヘリムが朝食の支度を始めている台所のテーブルの上に新聞を並べて読み始めた。するとヘリムは振り返って落ちたばかりのコーヒーを出した。
あれから韓国のマスコミは殉職した韓准尉の死因や現場に関する公式発表を巡って専門家が見れば噴飯物の荒唐無稽な推測報道を繰り広げている。ダイバーの殉職事故の当日にヘリムが訊き出してきたアメリカ海軍のダイバーが潜水作業をしていた位置が艦体の沈んでいる場所ではないことが漏れており、そこに何があるかを推理し合うパズル・ゲームのような報道番組を見ていると日本のマスコミの無知と韓国の独断のどちらが良いのか悪いのか判らなくなる。
テレビの報道番組ではコルベット・天安が沈没した原因に絡めて「そこに何があるのか」を専門家たちが見解を述べているが、そんなところでも政府支持と反政府では全く違っている。政府支持派は「沈没前、天安は北朝鮮の潜水艦や戦闘艇を撃沈していた」と北朝鮮との交戦説を採り、反政府派は「天安はアメリカ海軍の原子力潜水艦と衝突事故を起こし、潜水艦は浮上できなくなっている」とアメリカに原因を押しつけている。そんな中で中立派は「浮遊していた1970年代に朴正煕政権が敷設した機雷に触れて爆発した」と原因だけを述べていた。
日本のように「報道の中立義務」を定めた放送法がない韓国では財閥系のマスコミは現政権支持、金大中、盧武鉉政権が推進した南北融和の継続を要求する反政府系は敵意をあからさまにしており、政府の公式発表を伝えると言う責任まで放棄しているようだ。
「余計なことを言っておくけどアメリカ海軍の基地がある昌原(チョンウォン)市の鎮海(チネ)区は釜山よりも手前だけど高速鉄道の路線から外れているから釜山から鉄道かバスで戻らなければ駄目よ」朝食のトーストとベーコンエッグを載せた皿を運びながらヘリムが皮肉に笑って説明した。やはり愛情のない通い婚でも10年を超えると古女房になるのかも知れない。
「鎮海は日露戦争の時の連合艦隊の集結基地だったんだよな」「うん、だから桜の名所だったんだけど光復(独立)後に大半が伐採されてしまったの」これは韓国では珍しくない話だ。ソウル市内の多くの公園でも戦前は美しい並木だった桜が全て伐採されて韓国産の樹花に植え替えられている。日本人としては「ここまで徹底するなら仕事もそうしろ」と思ってしまうがこれが「怨(ハン)」の文化なのだそうだ。
「だけどソメイヨシノが我が国原産だって判ってまた植え直したのよ」これも韓国では珍しくない話だ。中国を最高峰の文化を築いた世界の中心と信じている朝鮮半島では最も身近に存在する自分たちはそれを忠実に受け継いでおり、東夷の島国である日本に教えてやったと考えている。このため日本の優れた点は全て韓国からの恩恵であり、それは文化や学問、宗教に限らず自然までも含まれるのだ。
ヘリムが調理に使ったフライパンを流しで水に漬けて席に着くと金田はリモコンでテレビを点けた。もう朝のニュースの時間だ。
「本日2日未明、白令羽(ペニョン)群島付近の西韓湾(ソハンマン)で底引き網船が貨物船と衝突して沈没しました」アナウンサーが読み上げたニュースに口を開けてトーストを頬張ろうとしていた金田はそのままの状態でテレビに顔を向けた。マグカップのコーヒーを飲みかけていたヘリムも同様だ。
「現在、同海域は漁船の操業は認められておらず、先月30日に沈没した海軍の天安の捜索に関係した特別な任務についていた可能性もあります。ただし、まだ政府から詳細な発表はありません」ニュースの進行に合わせて2人は同時に身を乗り出した。
  1. 2018/09/11(火) 10:26:40|
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振り向けばイエスタディ1307

「お前は海軍から直接取材していないのか」この台詞を吐いた金田の目が楷林(ヘリム)を射すくめて離さない。ヘリムは甘い快楽の余韻が一気に冷めてしまった。
「私はジャーナリストでも評論家だから記者みたいに現場で取材することはしないわ。今回も現場で記者たちが取材しているのを傍観していただけよ。貴方こそ記者なのに取材に行かなくても良いの」ヘリムの目は少し侮蔑の色を帯びた。金田の肩書は在アメリカの雑誌記者だが2人の関係は10年に及び、互いを散々に利用してきたのだから実像を知らないはずはない。
「それじゃあ、お前が知っている範囲で良いから韓准尉の事故について教えてくれ」金田は声の音質を少し落として質問から要望に替えた。
「私は遺族が遺体との対面を待ち望んでいるのに海軍側が中々許可しないのを見ていて傍にいた軍人に理由を訊いたのよ」多くの乗組員だけでなく捜索に当たっていた軍人まで犠牲になった以上、裸のままベッドに横たわって交わすような話題ではないが金田とヘリムの間では日常的なことだ。2人にとっては世の中の全てが他人事なのだ。
「韓国海軍が遺族との対面をためらう特別な理由があったのか」「当初は意識不明で引き揚げられたと発表されていたけど実際は水中で窒息死していて遺骸として運んだらしいの」身体が冷えたらしくヘリムは金田の胸に顔を埋めてきた。金田はその背中に布団を掛け、肩を抱いて引き寄せた。胸毛が生えていない金田の胸で乳房が潰れ、固い乳頭が素肌を刺激する。それにしても10年の歳月は女性の肉体を確実に衰えさせている。
「確かにベテランのダイバーが危険を回避することなく窒息死するのは異常な事態だな」「やっぱり・・・」金田の本業が自衛官=軍人であることを知っているヘリムが胸の中でうなずいた。金田=杉本は前川原から江田島の海上自衛隊の幹部候補生学校に研修に行ったことがある。江田島には第1術科学校があり、そこには潜水要員を養成する訓練施設があった。潜水課程の訓練内容は部内秘と言うことで見学はさせてもらえなかったが、巨大なタンクの中での素潜りで浮き上がるのを妨害したり、水中で教官がタンクを奪うなどの危険な状況を付与して緊急時にも冷静に対処する胆力・精神力を見につけさせると聞いている。海上自衛隊に比べれば格段に能力が落ちる韓国海軍でも精鋭部隊ならそれなりの訓練を受けているはずだ。
「遺族に応対していた同僚のダイバーに訊いたんだけど現場の水深は約40メートル、海底で横転している後部の艦体内を捜索していたそうよ。ライトで照らしながら乗員の居室を確認して遺体を発見すれば回収するために運び出す作業を続けている間にボンベ内の空気が減っていることに気づかなかった。それくらい遺体が多く悲惨な状況だったみたい」冬の海では水泳に熟達し、緊急時の避難訓練を十分に受けていても急速に体温が奪われてしまうと動作そのものが不可能になるはずだ。艦体が2つに裂ければ居室にも一瞬のうちに冷たい海水が溢れて水没する。乗組員たちは水圧で開かなくなった居室のドアに阻まれてその場で折り重なるように死んでいたのだろう。それを見つけた同じ海軍のダイバーたちが仲間を海面上に連れ出すそうと必死になるのは当然のことだ。
「本当は熟練したアメリカ海軍のダイバーが一緒に作業に当たるはずだった。彼らがいれば冷静に空気の残量を確認して危険な状況になる前に浮上するように指示したはずだってダイバーは怒っていたわ」確かにアメリカ軍にはそのようなところがある。他人の喧嘩に首を突っ込んで真っ先に立って戦う癖に妙なところが冷静なのだ。この作業でもアメリカ軍がいれば感情にとらわれている韓国海軍のダイバーの様子を冷静に観察し、時計とボンベのメーターで空気の残量を確認して遺体を投げ出しても浮上を命じたはずだ。
「それにしてもアメリカ軍はどこに潜っていたんだろう」「私が質問したスポークスマン(=広報担当者)はもう1つの艦体前部だって説明していたんだけどアメリカ軍のボートの位置はそこからかなりずれていたってダイバーは言っていたわ」金田はここまでの情報を実際の場面として構成してみたがアメリカ軍の行動は設定できなかった。韓国のマスコミの取材は自分たちの主義主張を裏づけるための根拠造りに偏るから期待できない。ここは自分が乗り出すしかないようだ。金田はヘリムの乳房を掴むと耳元で質問した。
「アメリカ海軍のスポークスマンは何て言うんだ」「サンディ・クミコ・トミタって言う日系人の少佐だったかな」ヘリムは答えながら金田の乳首を吸った。女性ほどではないにしても男性にとってもここは性感帯だ。ヘリムは唇と舌を交互に遣いながら顔を下に移動させていく。それがヘソを通過した頃には金田は戦闘準備を終えていた。
「相変わらず猛々しいわね・・・素敵」ヘリムは金田自身を口に含んだ。先ほどまで同胞である海軍軍人たちの死を語っていたこの女性ジャーナリストは性欲の海で溺れ始めている。

  1. 2018/09/10(月) 10:26:53|
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