昭和29(1954)年の明日2月1日は日本が初めて参加した明治45(1912)年のストックホルム・オリンピックにマラソンの金栗四三さんと2人で出場した三島弥彦さんの命日です。
金栗さんはストックホルム・オリンピックの後も第1次世界大戦で中止になったベルリン大会に続く大正9(1920)年のアントワープ大会、大正13(1924)年のパリ大会にも出場した上、マラソンの近代化に尽力して箱根駅伝や富士登山競走を創設するなど陸上競技に関わり続けたのに対して三島さんは陸上競技自体を止めてしまったため現在の知名度では落ちますが、当時の人気は抜群だったようです。
三島さんは九州・熊本出身の田舎者だった金栗さんとは違い明治19(1886)年に現在の東京都千代田区麹町で生まれ育った都会の青年です。2歳の時に父親を失ったものの学習院に入学し、後に東京帝国大学法科に進んだ英才でした。その一方で運動神経も抜群で当時の日本人男性の平均身長が155センチだった中で170センチを超える長身を活かして学習院時代には野球のエースで主将、ボート部でも選手、東京帝国大学ではスキーに熟達し、柔道2段、相撲や乗馬も嗜む万能選手だったのです。この他にも各種目のルールにも精通していて東京六大学や色々な公式戦に審判員として呼ばれていたそうです。
そんな三島さんがオリンピックに出場することになったのは嘉納治五郎先生の執念が実ってストックホルム大会に出場することが決まった明治44(1911)年に行われた代表選手選考会に審判員としての要請を受けたものの乗り気にならず野次馬として友人と観戦に出かけたことでした。スポーツ万能の三島さんから見れば大したことがない選手たちの姿に生来の闘争本能が刺激され、黙って見てはいられなくなった揚げ句、飛び入り参加して100メートル、400メートル、800メートルで1位、200メートルで2位になり短・中距離の代表候補に指定されたのです。それにしても100メートルと400メートル、800メートルでは走法が全く違うのにぶっつけ本番で1位になれたのは当時のレベルが低かったのか、三島さんの脚力が並外れていたのか、どちらでしょうか。
結局、予算の関係で長距離の金栗さんと2人が選手に選ばれ、ここでようやく陸上競技選手だった在日アメリカ大使館の書記官の指導を受けましたが、当時の文部省は「欧米人のスポーツ・ショー=見世物で帝大生を晒し者にするとは」と反対したそうです。
ストックホルム大会の開会式の写真では日の丸を持って入場する三島さんは写っていてもプラカードを持つ金栗さんは旗で隠れて見えません。
大会では100メートル、200メートルは予選落ち、400メートルはこの両種目の優勝者が遠慮したため準決勝に進めたものの自信喪失(理由としては筋肉痛)で棄権と言う不本意な成績に終わり、金栗さんよりも5歳年上だったこともあって8年後のアントワープ大会の予選には参加せず、大学卒業後に入った銀行での仕事に邁進したようです。
それでも幅広い種目で活躍したため知名度は高く、スポーツ界から引退してからも雑誌などの人気投票で1位に選ばれたことがあったそうです。
- 2019/01/31(木) 09:41:20|
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「ユースー(郁子)、お前は奈良に詳しいか」卒論の素案を担当教授に確認してもらった中央道は唐突に本間に訊いてきた。教授から承認をもらえたようで顔には安堵の色が浮かんでいる。
中央道の卒論は帰国して中国人の学生に日本語を教育するために日本で漢文に「レ点」や「一二点」「上下点」「甲乙点」などと送り仮名を加えて訓読にする技法を現代の中国語の文章に応用する研究だった。この技法に習熟すれば中国語と日本語の文法の違いや中国人が苦手な「は」「に」「と」「や」「の」「が」などの助詞の用法も理解できるはずだ。
本間は中央道が研究材料にしていた漢文と和文の経典の対比につき合っていたためその影響で佛教の寺院巡りに興味を持ったのかと推理した。
「奈良ねェ・・・京都の方が見どころが多いし、食べ物も美味しいよ」今回は珍しく本間が反論した。奈良には小学校の修学旅行で行っただけだが、東大寺の大佛と春日大社、興福寺と猿沢の池を見ただけで近鉄奈良駅から京都に向かった記憶しかない。ならば国際観光都市・京都の方が寺院巡りだけでなく太秦の映画村や嵐山などの観光地、さらに京料理や買い物も楽しめる。初めての旅行を満喫するには絶対に京都の方が良い。
「俺はシルクロードの終着点である奈良を見てみたいんだ。それに鑑真和上の唐招提寺にも行ってみたい。美味しい物はユースーの手料理で十分だよ」中央道の返事に本間はこの人物がどこまでも学究肌なのを再認識した。何にしても初めての旅行が実現しそうだ。
「親が反対すれば家出してやる」本間は妙な覚悟を決めて唇を引き締めた。残念ながらフォーク世代ではないので恋の逃避行を唄うBGMは出てこない。
「今日は大和西大寺駅から秋篠川沿いに歩いていくことになるぞ」万事倹約の2人の旅行は名鉄で名古屋に出て近鉄に乗り換える。大和西大寺は修学旅行では行かなかった奈良の西都だ。旅行でも中央道の下調べは万全らしい。
「俺の国では外国でも共産党への批判を口にすると聞いた者が大使館に通報するから絶対に言えないんだ」三重県を南下している近鉄の中で中央道が少し暗い顔をして話し始めた。
「日本人の友人に言っても他の中国人に話されると同じことになる。だから愛大に来てからも気を許して話したことはない。でも・・・」ここで中央道は深く息を呑んだ。
「お前になら正直に話せる。だろ」「はい、私にだけ話してくれる貴方の真実を誰にも洩らすはずがありません」天性のコメディアンである本間も似合わないシリアスな役柄を演じ始めた。
「俺が愛大に来てから疑問に感じているのは日本はこんなに素晴らしい国なのに学生や教授たちは全てが悪いと批判していることだ。我が国ばかりを賞賛するけど実態を知っているのか」ここで中央道が名古屋駅で買ってきた缶コーヒーを開けたので本間も倣った。
「中学校の校長だった俺の父親は文化大革命で生徒の糾弾を受けて頭をハサミで丸刈りにされて三角帽子をかぶらされて市内を引き回されたんだ。その理由は何だと思う・・成績で優劣をつけることは資本主義の競争原理の模倣だと言うことだった」本間は私立高校に行っていたため愛知県の公立高校に巣喰う日教組の活動家の言動は知らない。ただ中学校でも日本を批判し、毛沢東の文化大革命を賞賛する教師はいた。
「糾弾の手始めは英語の教師たちだった。敵国の言語を教える売国奴、米英を賛美する資本主義の走狗。最後にはスパイだと指弾を受けて生徒の革命集会で自己批判させられたんだ。大半は退職を希望したが国家に命じられた仕事を放棄したと更に批判されて自殺した者も多い。教授たちは戦前の日本は暗黒社会だったと批判するがここまで酷くはないだろう」本間は正門の前に日本を批判して中国を賛美する看板を掲げて集会を繰り返している学生運動の活動家たちを眺めていた中央道の思いを知り、急に喉が渇いてコーヒーを半分まで飲んだ。
「結局、俺の父親は北京語も通じない地域の学校に転任されてそのまま忘れ去られている。会えるのは夏休みと冬休みだけだ」楽しい旅行でこんな話を聞かされれば普通の女子大生であれば気分を害するはずだ。しかし、本間はここでも胸が詰まって涙があふれそうになった。
「この雑誌に連載されている山崎豊子の『大地の子』って言う小説を読んでみろ」中央道は手提げカバンから駅の売店で買った雑誌を袋から取り出して渡した。それは「週刊文春」だった。保守色が強い文春は大学生には不人気なので本間も初めてだ。
「雑誌を読むのはホテルに入ってからでいいよ。今は折角の旅行を楽しもう」真顔で雑誌の表紙を見ている本間に中央道は声をかけた。今夜は奈良市内のビジネス・ホテルのツインに泊まる。そこで雑誌を読む時間を与えられるのも不満を感じてしまう。中央道は志賀直哉や会津八一、和辻哲郎が定宿にしていた日吉館に宿泊を申し込んだのだが高齢の女将の体調の関係で断られたようだ。こちらは広い部屋に雑魚寝なので本間としては実現しなくてよかった。
- 2019/01/31(木) 09:40:20|
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大学生活に慣れてくると本間は中央道に猛烈なアタックを開始した。少林寺拳法部では2列に並んでの基本練習では常に後ろに立ち、組練習の相手として個人教授化している。
部活の間に中国語の講義で判らないところを質問して次の日には図書室で待ち合わせてこちらも個人教授にしている。まるでフランス映画「個人教授」の逆の配役だ。
ここまで公然と迫られていても中央道は特別な反応はしない。段位が上の先輩として丁寧に技を教え、中国からの留学生として母国語を誠実に解説する。本間は不安になってきた。
「クィェンベイ・ゾン(前輩・中=中先輩)、私のこと好きじゃあないんですか」昼休みに図書館で勉強を教えてもらいながら唐突に質問した。今日は疑問点の解決ではなく中央道の研究につき合っているだけなので多少の雑談も許される。
「やっぱり高校生の時に身体を汚された女なんて許せないんですか」本間はあの夜の衝撃の告白以来、父親が夫婦の会話の中で自分を「傷物」と呼んでいるのを耳にしている。日本人の学生とは違い古風な堅物の中央道が強姦の被害者とは言え純潔を失った女に嫌悪感を抱いても不思議はない。すると中央道は机の上に何冊も広げている分厚い本の向こうでこちらを見ると不思議な微笑みを浮かべて口を開いた。
「今の質問を中文(チュンウェン=中国語)で言ってごらん」本間はからかわれいるような気分になったが頭の中で文章を組み立てて言ってみた。
「ニィ ブーシィファン ウォ マ(你不喜歓我嗎)?」「ダァングラェン、ウォシィファン ニィ(当然、我喜歓你=勿論、俺は君が好きだよ)」本間にとってはこれこそが衝撃の告白だった。両目から涙が溢れ出し、同時に鼻水も止らなくなった。小学生の頃から少林寺拳法をやっていた本間は苛めっ子にも立ち向かうため男子からは敬遠されていた。そのまま中学校に入り、憧れた男子生徒がいても相手にされるはずもなく受験に失敗して女子校に進学した。そこでデートも経験せずに肉体関係を経験することになった。つまり中央道が初恋なのだ。
拭いても吹いても涙と鼻水が溢れてくる。ポケットのパック・ティッシュは終わってしまった。そんな様子を他の学生たちは怪訝そうに見ている。これでは別れ話をしているようだ。
「汗を拭いたタオルだから臭うかも知れないけど使えよ」本間のハンカチが涙と鼻水で濡れたのを見て中央道が手提げカバンからタオルを取り出して手渡した。汗かきの中央道はハンカチでは吸水性が不足するためタオルを愛用している。すると本間は中央道の体臭を味わうように頬に当て、顔を覆って深呼吸をして貸した本人を呆れさせた。
それから本間は愛知大学の中国人留学生が寮として引き継いでいるアパートで勉強するようになった。勿論、卒論の追い込みに入っている中央道の邪魔はしない。むしろ夕食の支度や洗濯。掃除をして内助の功を発揮するつもりでいる。
「うん、美味い。ユースー(郁子)もチョンゴウ・カイ(中国菜=中華料理)の腕が上がったな」今夜のオカズは八宝菜だ。青龍で調理のアルバイトをしているセミプロに誉められて本間も嬉しかった。中国式の丸いまな板と包丁も使いなれてきている。
「グスンッ」嬉しいはずなのに何故か涙がこぼれ、中央道がティッシュを箱のまま手渡した。どうしてなのか中央道と過ごしていると強気な本間が泣き虫になってしまう。
本当は家族のように一緒に食事をしたいのだが父親が中央道との交際を許さず、夕食は自宅で取るように厳命している。反抗期の弟が自由に振舞う埋め合わせを娘に課しているらしい。
「前輩・中、そろそろヤオドオ(央道)って呼んでも好いですか」「うん、2人だけの時には」本間の申し出に中央道は淡々と答えた。しかし、この許可には不満がある。本間としては他の学生たちの前でこそ名前で呼んで「交際中」を宣伝したいのだ。
「俺は春には帰国する。だからユースーの残りの大学生活に影を残したくない。高校時代に味わえなかった素敵な青春を満喫することだ」本間の不満そうな顔を見て中央道が真意を説明した。中央道は愛知大学の姉妹校である北京外語学院で1年学んだ後、選ばれて派遣留学生になっているため23歳だ。その年齢以上に他の学生よりも大人に見える。
「それで私を抱いてくれないんですね」本間は涙と鼻水と一緒に胸の奥底から湧き上がってきた疑問を投げかけた。このアパートに通うようになって2ヶ月後に玄関で口づけを交わして以来、そこから先の進展はない。本間としては中央道に抱かれることで新吾と修に汚された肉体を清め、身と心に愛された記憶を刻み込みたいと願っているのだ。
「それは違うよ」「へッ」ところが中央道は八宝菜を食べ終わると冷えた烏龍茶を飲んで答えた。
「このアパートは壁が薄いから音が漏れてしまう。ユースーの喘ぎ声を聞かせたら隣室の連中が興奮するだろう」これが冗談なのか本当なのかは判らないが、本間に受けたのは間違いない。
- 2019/01/30(水) 10:50:22|
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結局、新入生たちは意識がある者は女同士で、泥酔している者は4年生がタクシーで連れて帰った。完全に酔い潰れている本間は中央道の担当だ。その前に中央道は青龍の店員として学生たちが引き揚げた後の片づけをしなければならない。長座卓の脚を折って片づけ、掃除機をかけている間も本間は2つに折った座布団を枕に部屋の隅に寝かされていた。
「ユースー(郁子)、帰るぞ」掃除に続き食器の洗浄を終えた中央道は2階に上がってくるとまだ寝ている本間を揺すった。それでも反応はない。仕方ないので中央道は本間を背負って階段を下り、店主に挨拶をして店を出た。青龍は住宅街の一角にあるため店の前の道にはタクシーは通らない。中央道は本間を背負って歩きながら入部申請に書いてあった自宅の住所を思い出していた。本間の自宅は豊橋市内でも愛知大学がある南部地区とは対角になる豊川と豊川放水路で囲まれた低地の町工場が多い地域のはずだ。
「お客さん、女の子を酔い潰して悪いことするんじゃあないよね」タクシーを停めて意識が戻らない本間を抱いて乗せると中年の運転手が下衆な勘繰りをしてきた。日本人の学生の中には女子に正体をなくすまで飲ませてカー・ホテルへ連れ込む輩がいることは聞いてはいる。しかし、中国では大学生は将来の指導者として国家の期待を担っている存在であって行動も人民の規範でなければならない。ただし、タクシーの運転手にそんなことを説明しても無駄なので行き先を告げて出発させた。
「ウッ、ウッ、ゲゲゲ・・・」タクシーが走りだして間もなく本間が痙攣したように噫気(ゲップ)を始めた。車の振動で胃の中が撹拌(かくはん)されて嘔吐を誘発したようだ。中央道は運転手に停車させると本間側のドアを開け、背中を押して顔を出させると道路に吐かせた。
「ゲッゲッ・・・ゲーゲーゲーゲー」運転手はハザード・ランプを点灯して腕を組んで待っている。タクシーにとって酔った客が車内で吐くことほど迷惑なことはない。その時点で稼ぎ時の夜の営業を中断して内装を清掃しなくてはならなくなるのだ。
「大丈夫か」「はい、目が覚めました」「それじゃあ出発します」吐き終って本間は意識を戻した。中央道が脇に手を入れて引き起こし、ドアを閉めると運転手が車を走り出させた。
「あれッ、ここは1号線じゃあないですか」「うん、家へ送って行くんだ」中央道の説明にも本間は状況が理解できないようだ。まだ「ボー」としている本間は無意識に手を握ってきた。
「大丈夫か。ふらついてるぞ」「駄目です。抱っこして下さい」タクシーを下りて家の門に入ってからも本間は千鳥足だ。腕を掴んで支えている中央道に抱きついてきた。すると家の庭に面したカーテンが開いて灯りが漏れ、中から人が覗いているのが見えた。やがて玄関が開いた。
「郁子、何をやってるんだ。見苦しい」それは本間の父親だった。時間から言えば高校時代の門限は過ぎているのかも知れないが今夜は大学のコンパだ。それを考えれば2次会に行っていない分まだ早い。それでも中央道は酔って浮かれている本間に代わって謝罪した。
「遅くまで申し訳ありませんでした。『日本の』宴会の作法で少し飲み過ぎたようでかなり酔っています」この説明を聞いて父親の眼鏡の奥の目が細くなって異様な光を点した。
「君は」「はい、愛知大学少林寺拳法部のゾン・ヤオドオと言います」中央道の自己紹介を父親は鼻で笑って明らかに侮蔑の表情を浮かべた。
「要するにチャンコロの留学生かね。大学が終わればそのまま日本に就職して稼ぎを祖国に送金するつもりだな」父親の暴言に本間が「怒り上戸」に変わった。いきなり少林寺拳法の正面突きを繰り出したので中央道が払った。それでも気がすまない本間は基本通り上中蹴り(顔面、腹部への突きと蹴り)の連続技に入ろうとしたため中央道が前から抱き止めた。
「よくも親の目の前で娘を汚してくれたな。やっぱりチャンコロのやることは品がない」父親は中国語の「中国人=チョンコレン」を蔑称にした俗語を繰り返す。この世代は戦前の神国思想に基づく選民意識と文化大革命の混乱の中で自滅した中国に対して侮蔑の念を抱いており、さらに日中国交回復後に経済団体が行っている巨額の投資にも本音では強い不満を感じているようだ。その前に父親自身も酒を飲んで少し酔っているのではないか。
「お前、ウチの娘に手を出したりしていないだろうな」「馬鹿じゃあないの。私は処女なんかじゃあないよ」父親の妄想に本間が2年間隠してきた秘密を告白した。
「まさか、お前・・・」「はい、高校1年生の時、男2人に強姦されました。汚れた娘でどうもスミマセン」酔った勢いで飛び出した事実に驚愕して父親は言葉を失った。
「有り難うございました」本間は茫然としている父親を無視して中央道の腕を離れると合掌して礼を言った。玄関のドアを開けると母親が暗い顔で立っていて本間は縮み上がった
「郁子、本当なの・・・」どうやら近所中に聞こえる大声で衝撃の告白をしてしまったらしい。
- 2019/01/29(火) 10:05:31|
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まさに地獄の蓋が開いたような酷暑・猛暑に耐えた御褒美のような暖冬が続いていますが、流石に1月下旬になると順当な準冬になってきました。
それでも野良猫を庵内に入れる訳にはいかないのですがコールサイン・G(ジー=爺)、ヨソノコ(当て字・世園子)、チイサイノ(小さいの)の3匹は何とか生き抜いています。
居候することを許しているテント式の車庫の中には焼却炉にしようともらってきたドラム缶があるのですが、夏の風が強い日にはその中で過ごすようになってそのまま寝室にしたため秋には「コンクリートでは冷たかろう」とスノコを入れ、冬には「板じゃあ寒かろう」と毛布を敷いてやった上、ダンボールで天井をつけて夜には風よけを立ててやったので快適な居住空間になったようです。風が冷めたい日中には母娘で一緒に中に入って暖め合っている微笑ましい姿が見られます。
この野良一家3匹は極めて行儀がよく、顔を見せない限り餌を与えないようにしたところ同居人が起きて土間を歩く音がすると玄関のガラス戸の外で点呼を始め、「ニャ」「ニャ」「ニャ」と交代で鳴いて集合を報告していました。さすがに冬場はGには辛いようで朝は野僧が鐘を打っている間にどこかから現れ、足元で待っているようになっています。
また夕方に3匹が揃っているところに餌をやっても各猫専用の器を決めているため年の順番に与える間、座って待っていて他猫の器に割り込んで食べたりはしません。
それにしてもGはどこで寝ているのか。ドラム缶の他にもプラスチックの衣装ケースで作った密封性が完璧な寝床もあるのですが、どちらも母娘に独占されているようで夜になると姿を消しています。多分、人間と同様に加齢臭が強いので雌2匹に嫌われたのでしょう。
ちなみにGが再び野良犬に襲われて歩行困難になっていた時には餌をやる前にゴム手袋をはめて抱いて移動させていました。
早く温かくなって野良猫一家の点呼が見たいものですが、その頃になると発情期になるので野良猫が増えることを防止する対策を考えなければなりません。現実的には下関市の補助金で避妊手術をするしかないのですが、チイサイノは懐いていてもヨソノコは警戒心を完全には解いていないので捕まえるのは難しいでしょう。本当は餌に混ぜる動物用避妊薬が市販されれば一番助かります。何にしても野良猫であって飼ってはいません。

野良母娘の冬籠り(手前に写っているのはヨソノコ用の餌入れ)
- 2019/01/28(月) 10:30:48|
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運動部に限らず大学の部活動の新入生歓迎コンパでは新入生が主将以下の上級生に酒を注ぎ、返杯を受ける沖縄・宮古島の「お通り」、鹿児島・与論島の「与論献奉(よろんけんぽう)」のような習慣がある。今年の新入部員は女子ばかりだが3年生の女子が中止を許さなかった。
「本間、お前は虹ノ花なんだってな。だったら酒は飲み慣れているだろう」主将に続いてコの字型に座っている上級生たちに酒を注ぎ、返杯を受けていくと末席の2年生の男子部員が妙なことを口にした。どうやら虹ノ花高校の評判を知っている地元の人間のようだ。虹ノ花高校は地元の男子には頭と尻が軽い遊び相手の集りだと思われているのだ。
「いいえ、お酒は家でも飲んだことがありません」これは事実だ。本間は新吾に酒で酔い潰されて犯されたことが重い教訓になって正月のお屠蘇を父親に勧められても頑なに拒否してきた。
「ウチの大学に来るくらいだから真面目に勉強していたんだ。そんな子もいるんだね」2年生はそう言うと本間のグラスに半分だけビールを注いだ。
「ユースー(郁子)、そろそろ一巡したんだろう。俺の隣りに来い」酔って声が大きくなった学生たちの喧騒の中で本間を呼ぶ声が聞こえてきた。中国語で呼ぶのは1人しかいない。
「はい、ゾン(中)先輩」酔っている本間は「先輩」と言う単語の中国語が判らず妙な返事をした。つけ加えれば日本語の「はい」は返事に限らず肯定する時、行動を起こす時の合図、所有を認める場合などに使えて万能だが、中国語では状況によって用語が違う。
「初めての酒で酔っただろう。ここからは俺の酒につき合え」そう言って中央道は本間のグラスを取り上げると残っていたビールを空になった鉢に捨てて桂花陳酒を注いだ。
「これは口当たりが好くても度数がビールよりも高いから舐めるように飲むんだぞ」「はい、ゾン先輩・・・」頭はますます痺れてくる。それでも中央道が相手なら安心して酔えそうだ。
「おい、チュウオウドウ。景気づけに十八番(おはこ)を唄え」折角の甘い気分に水をかけるような主将の声が耳に届いた。会話を目的とするコンパの会場にはカラオケは置いていないが、中央道がコの字型の中央に移動すると2年生以上は十八番を知っているようで席に戻った。
「チュンベイ(準備)」中央道は正面構えになると軽く咳払いをして大きく息を吸い込んだ。
「ショーリン、ショーリン、ヨウドゥォシャオインシィォンハーニーシンヤン(少林、少林、有多少英雄豪傑都来把你敬仰)・・・」これは1982年に公開された中国のアクション映画「少林寺」の主題歌だ。本間も道院でもらった割引券で弟と一緒に母親に連れて行ってもらって感激し、レンタルビデオ店で借りたテープを家でダビングして聞き覚えで主題歌も中国語で唄えるようになっている。本間は立ち上げると座卓を飛び越えて中央道の前に出た。
「・・・チェンニィェンディグーシェン ミィディディファンソン シャンヨウグーレン レントウシィァンヂェ(千年的古寺 神秘的地方 嵩山幽谷 人人都向住)・・」中央道は驚いた顔をした後、笑って右手で拍子を取り、本間も顎で合わせた。
「ウーシュディグーシィァン ミィレンディディファン ティェンシァディミン ワングーリィゥファン。ショーリン、ショーリン(武術的故郷 迷人的地方 天下地名 万古流芳。少林、少林)」ここで新入部員は拍手したが2年生以上が制止した。続きがあるらしい。
「ハーッ」突然、中央道は腹から大きく息を吐いて姿勢を低くする。すると本間も反応した。
「ハッ、ハッ。ハッ、ハッ。ハッ、ハッ、ハッ、ハッハッハハ・・・」2人は発声しながらその場で突きと蹴りを始める。2年生以上も「ハッ、ハッ」と気合を入れながら手を突き出している。これも映画「少林寺」の名場面なのだ。
「驚いた。ユースーがあの歌が唄えるとは思わなかったよ」中央道は本間を支えられながら席に戻ると感心したように話しかけた。しかし、本間は反応しない。顔を覗くと座ったまま意識を失っている。酔って動いて酒が完全に回ってしまったらしい。中央道が本間の肩を揺するとそのまま膝に倒れ込んで寝息を立て始めた。
本当はこの映画が中国語に興味を持つようになった切っ掛けであることや「正確な歌詞を教えてもらいたい」と言う希望を伝えたかったのだが本間は中央道のズボンによだれを垂らしながら微笑みを浮かべて熟睡モードに入っていった。
「やっぱ無理だったんじゃあないか」新入部員が全員部屋の隅で酔い潰れてしまうと主将の周りに集まった4年生たちが議論を始めた。
「最近、急性アルコール中毒で死ぬ学生が多いだろう。警察も新入部員は未成年だって言うことで未成年者飲酒禁止法を適用して逮捕に踏み切る方針らしいぞ」「流石は法学科」4年生の1人の説明を別の4年生が茶化したが就職を決める4年に警察沙汰を起こせば不利になることは判っている。4年生たちは飲んでいるビールの苦味が急に強力になったように感じた。
- 2019/01/28(月) 10:27:10|
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1547年の明日1月28日に中世イギリスを悲惨な死の連鎖に陥れた魔王・ヘンリー8世が死にました。ただし、イギリス王室では今も王太子の次男=王孫にこの名前をつけていますから学術的史実とは別の評価があるのかも知れません。
ヘンリー8世は1491年にイギリス・チューダー朝のヘンリー7世の次男として生まれました。ヘンリー8世には病弱とは言え5歳年上の兄がいたため王位継承の可能性が低く、それを自分の特権ととらえて趣味に没頭しながら育ったのですが、それは遊興に留まらず学問や武術、芸術にまで及び言語はラテン語、スペイン語、フランス語に堪能で、イタリア語もローマ教皇からの書簡を読解し、返書を自筆する程度に理解していたと言われます。また音楽や詩作などの文芸を好んだため歴代国王の中で最高のインテリと言われているそうです。宗教にも造詣が深く極めて敬虔なカソリックの信者だったようです。
ところが10歳の時、兄が神聖ローマ帝国皇帝を兼務するスペイン国王の王女と結婚した直後に風邪で高熱を出して病没したことで人生が変わってしまいました。先ずスペインとの同盟を維持するため4歳年上の兄の妻と婚約することになり、思春期の異性との恋愛は経験できなくなりました。その一方で兄弟間の再婚も認めていないカソリックの戒律に背くことになるため、妻が兄と初夜を迎えていない処女であることを証明する下世話な手続きが必要になるなどこの結婚に対する嫌悪感は増すばかりでした。
1509年に父が亡くなったため即位し、2ヶ月後には婚約中だった兄の妻と結婚しますが、この頃からヘンリー8世は壮健な王太子の誕生を熱望するようになり、年上である妻には精神的重圧になっていきました。その妻は死産の後、王子を産んだものの夭折し、1516年になってようやくメアリー王女を産んだのですが、散々待たされた揚げ句の期待外れにヘンリー8世の気持ちは完全に離れ、多くの愛人を作って子作りに励むようになりました。しかし、正妻が産んだ子ではなければ王位継承者にすることは困難でそんな八方ふさがりが過激な行動に駆り立てていったのです。お気に入りの側近が嫌う重臣に冤罪を着せて処刑したことが癖になったように常套手段にして次々に処刑を繰り広げ、対外的にも他国の戦争に介入していきました。
そんな中、手をつけた妻の侍女が妊娠したことを知ると王位継承者にするには正妻にする必要があるためローマ教皇に結婚と同様に特例の離婚の許可を求めたのですが拒否されたため敬虔な信仰者であったにも関わらずカソリックから離脱してイギリス国教会を創設したのです。ただし、教義はカソリックを踏襲し、戒律も離婚を認めること以外は模倣に過ぎませんでした。こうして最初の妻と離婚してから妊娠した愛人を正妻にすることを繰り返し、やがては離婚ではなく不義密通の冤罪を着せて処刑するようになりました。
それは入れ替わり妻にした愛人が産んだ女児も同様で、最初の妻が産んだ娘・メアリーを2番目の妻が産んだ娘・エリザベスの侍女にするなど冷遇したことが禍根となってヘンリー8世の死後、カソリック復帰派とイギリス国教会派がそれぞれを担ぎ内戦が勃発しています。
それでも王太子の息子に名前を継承するのですから外国の庶民には理解し難い感覚です。
- 2019/01/27(日) 11:00:21|
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中華料理店・青龍は豊橋市高師町の住宅街の一角にある。この日は部活動が休みなので女子ばかりの新入部員たちは自宅やアパートに帰り、衣装選びや化粧などの支度を念入りにしていた。これが男子部員であれば2年生が「新入生は早めに行って会場の準備を手伝え」などの助言を与えるものだが女子大生には少し腰が腰が引けるようだ。それでも本間は「幹事である中央道を手伝おう」とかなり早い時間に会場に向かった。
「ニィハオ。愛大の少林寺拳法部ですが」店の引き戸を開けると本間は大声で挨拶した。こんなに元気が湧いてくるのは高校であの事件に巻き込まれてからはなかった。
「やァ、いらっしゃい」「ニィハオ。ベンジィォン・ユースー」厨房からは店主と思われる初老の男性と中央道が返事をする。中央道は本間の氏名を中国語で呼んだ。それを聞いて店主の妻と思われるエプロン姿の初老の女性が2人の顔を見比べた。
挨拶から始まるのはどの言語の講義でも定番だが、本間は日本人が気軽に使っている「ニンハオ」は実は丁寧語で、普段は「ニィハオ」で良いと知ったばかりだ。
「先輩、割烹着が似合いますね」本間はカウンター席から顔を入れて調理場で炒め物を作っている中央道に声をかけた。大きく重そうな中華鍋を片手で振りながら熱そうな音を立てて野菜を踊らせている中央道は確かに格好が良い。すると奥で材料を切ってボールに入れている店主が苦笑いしながら話かけてきた。
「割烹着ってのは女将さんが着る和風エプロンで俺たちのは・・・ただの調理衣だな」店主の説明に中央道も振り返ったがどうやら知らなかったらしい。ド忘れしたような顔ではない。
考えてみれば虹ノ花高校には食物科があり、調理実習の後には割烹着姿の生徒たちが校内を闊歩していた(衛生管理のため着るまでは密封している)。あの白衣も学校は調理衣と呼ばせていたが生徒は割烹着にしていた。だから呼び慣れている呼称が自然に出てしまったのだろう。
やがて中央道は調理を終えると皿に盛りつけ、冷蔵庫から副菜の搾菜(ザーサイ)の小鉢を取り出してカウンターの前の台に置く。その間に妻が丼(どんぶり)に飯を盛り、一緒に盆に乗せると「お待ちどうさま、ご注文の八宝菜です」と声をかけながら運んでいった。
「それじゃあ2階の大部屋に並べてある机を拭いてくれ」中央道は使い終わった中華鍋を調理場の台の上に置くと本間に指示を与えた。中華料理店では料理別に中華鍋が用意してあってそのまま繰り返し使う。洗うのは店を閉める時だ。
「部屋の掃除は」「前回の宴会の後にやってあるが2週間前だからな」本間の確認に中央道は困惑した顔で答えた。
「それじゃあ、そっちからやります」「でも掃除機を使われては困るぞ」これは適切な指導だ。この店の構造から見て2階で掃除機を使えば1階の店内まで響くはずだ。
「はい、箒で頑張ります」「掃除道具は2階の廊下の突き当たりのロッカーの中だ」「はい」本間は姿勢を正すと顔の前で手を合わせる少林寺拳法の合掌礼をした。
「カンパーイ」「カンペイ」コンパの乾杯の発声も本間と中央道だけは中国語だ。2年から4年生にも中国語学科の学生はいるのだが、読解の方に意識が行っているらしく日常会話で口にすることはないようだ。他の女子学生が目の前に並んだ大皿の中華料理を取り皿に載せている時、本間はビールの瓶とグラスを持って上座の中央に座っている主将の前に出た。
「おう、悟空が来たか」主将はコの字型に並べた長座卓の間に正座した本間を勝手につけた仇名で呼んだ。上下関係が厳格な体育会系の部活動では宴会が始まるのと同時に下級者が地位の高い順に酒を注ぎに回らなければならない。ここでも2年生は新入部員に指導をしなかったのだが本間は中央道から助言を受けていた。上級生の中にも女子部員はいるが彼女たちは新入部員たちが主将の機嫌を損ねることを狙っている節がある(女は怖い)。
「お前の技量は大したもんだ。子供頃からやっていたようだな」「はい、小学生の時に始めました」本間の返事に主将はうなずきながら自分の前の瓶を取った。しかし、本間は自分のグラスを持って来ていない。相手のグラス=盃を渡されて酒を飲むのは特別な儀礼に当たるためこの場合は許されない。本間が正座のまま後退さってグラスを取りに戻ろうとすると座卓越しにグラスが突き出された。それは中央道だった。
「ヨン チュェンガー(これを使いなさい)」講義を受け始めて1カ月弱の本間にはこの簡単な会話は理解できなかったが、仕草で真意を察して「シェシェ、ニン(謝謝、你)」と会釈して受け取った。これで何とか返杯を受けることができる。
「間接キスだな」本間にビールを注ぎながら主将が呟いたが、それは口を魂が出入りする穴と考える日本的感覚で中国を含む外国では回し飲みも普通の生活習慣だ。
- 2019/01/27(日) 10:58:49|
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本間は照美ともう1人の同級生が退学した後は真面目な優等生に復帰した。しかし、成績は虹ノ花高校普通科クラスの上位であってもトップにはなれず、地元の愛知大学が順当と言うところだった。やはり心に負った傷が直向き(ひたむき)さを阻害し、集中力を削いでいたようだ。
「文学部の本間郁子2段です。よろしくお願いします」本間は愛知大学では迷わず少林寺拳法部に入った。少林寺拳法は小学生の頃、苛められっ子だった弟を心配した父親が近所にあった道院(=道場)に入門させた時、「1人じゃあ嫌だ」と言ったため一緒に始めることになったのだ。中学生の時には初段=黒帯=黒卍(当時)になったものの弟が飽きて止めてしまうと父親が「女の子が武道なんて」と嫌ったため部活動に専念することになり、高校では熱意が湧かず何とか2段になるところまでだった。大学では心機一転、気合を入れて髪も短く切っている。
「本間は有段者だから先輩部員と練習しろ。初心者の新入部員は道場の後ろに行け」新入部員の自己紹介の後、聖句(本当は南方佛教経典・ダンマ・パタの第160句と165句)と道訓を唱え終わると主将は一番左に並んでいる新入部員に声をかけた。今年の新入部員は女子ばかりで道衣を着ているのは本間だけだ。他は大学のジャージ姿だから道衣の注文から始まるようだ。
「本間、こっちに来い」新入生たちは戦時中は陸軍の兵舎だった道場の隅に集められ、取り残された本間を主将は横に並んだ部員たちの一番左を指差して移動させた。
大学でも基本的な流れは同じらしく準備運動に続いて突き、蹴りを汗がにじむまで繰り返す。続いて天地拳第1から第3、竜王拳第1と第2の単独演武が終わったところで主将が指示した。
「ここからは組練習、本間は2段だから・・・中央道(チュウオウドウ)、相手をしてやれ」少林寺拳法は格段にごとの柔法(関節技)と剛法(打撃技)の技があり、それを習得することで昇段する。したがって練習は段位が上の者と組ませて指導を受けながら新たな技を覚えるか、同じ段位の者同士で覚えた技を復習するしかない。この「チュウオウドウ」と呼ばれた男子学生は赤い卍(当時)をつけているところを見ると3段か4段のようだ。
「お願いします。本間です」1間の間合いで対峙して互いに合掌をすると一応は構える。その後は歩み寄って先ず挨拶をした。
「本間くんは文学部だけど何科かな」「中国語を専攻しています」「だったらゾン・ヤオドオです」男子学生は苦笑しながら自己紹介した。愛知大学には中国人の留学生が多いと聞いているが、この主将は「チュウオウドウ」と呼び、自分は「ゾン・ヤオドオ」と名乗った男子学生も留学生なのだろう。本間は小声で「ニンハオ」と言ってみた。
「主将は社会学部だから中国語は第2外国語で全く駄目なんだよ。その点、本間くんには発音の練習を兼ねて本名で呼んでもらいたいな」中央道は赤い卍同士で練習している主将を窺いながら小声で説明した。それを聞いて本間は技の練習の前に中央道の名前の発音を習うことにした。
「女子は本間くんのように街の道院で習った方が好いな。大学だとどうしても力任せになるから男子に習うと柔法でも剛法でも力が弱い女子では効きが弱くなる」入門時の技から始まって初段までの復習が終わったところで中央道は感心したように評した。本間の柔法は初老の道院長が懇切丁寧に教えてくれたためコツを掴んでいる。関節も微妙な角度や力を入れるタイミングで効きが全く違い力任せに捻れば良いと言うものではない。
「チュウオウドウ、新入生の歓迎コンパの幹事はお前だったよな。また青龍だろう」練習を終えて本間を含む新入生たちが2年生の指導で道場の掃除を始めると4年生たちが大声で立ち話を始めた。どうやら少林寺拳法部では新入生の歓迎コンパがあるようだ。今年は女子ばかりなので4年生も張り切っているらしい。
「コンパの日はバイトを休むからせめて商売を助けないと申し訳ないじゃないか」どうやら「青龍」と言うのは中央道がアルバイトしている中華料理屋のようだ。それにしても中央道の日本語は完璧で、これなら厨房でなくても接客も務まるはずだ。
「本間は道場の掃除も仕込まれてるな」大柄な新入部員が箒で掃き、小柄な者が雑巾で拭くように役割分担されているが、背は低くない本間も雑巾がけに加わっている。2年生の誉め言葉を聞いて4年生たちがこちらを見た。その中に中央道がいるのを見つけ、本間の胸は何故か苦しくなった。そう言えば柔法の技で掴まれた手を胸に固定する時も高校まで男子の道場生には感じたことがなかった一瞬の躊躇いがあった。
「うん、フット・ワークが軽いんだよな」「顔も孫悟空に似てねェか」「それって猿面ってことか」「確かに」4年生たちは新入部員たちが競馬の出走のように拭き始めたのを見て本間を誉めるつもりで嘲笑した。それでも本間はその中に中央道の声がないことを励みにして先頭で拭き切った。しかし、耳の上まで刈り上げた短髪はやり過ぎだったのだろうか(この時代)。
- 2019/01/26(土) 11:04:48|
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3日目が北京なのは盧暁春が参加した香港のツアーと同様だ。大気汚染の酷さに観光客たちがマスクを買いに空港の売店に殺到する場面も録画の再生のように繰り返された。
「本日は天安門広場と故宮博物院の見学、その後は食事と買い物をお楽しみいただいて夕方の便でお帰りいただきます」観光バスのガイドは北京語で説明した。参加者たちは少し違和感を覚えたような顔で隣りの知人と見合ったが苦情を口にする者はいない。中国共産党にとって台湾はあくまでも領土の一部であって、中華民国の公用語である広東語も方言に過ぎず、標準語である北京語を強要するのは至極当然なのだ。だからガイドは「帰国」とは絶対に言わない。
そんな車内で本間は黙って窓の外の風景を眺めていた。北京国際空港は建設用地の確保には苦労しない巨大な国家の割には市街地に近い。風景にも広野ではなく家屋が点在している。要するに騒音被害よりも利便性を優先する国家の決定に反対できる人民はいないと言うことだ。
「こちらが天安門広場です」観光バスの駐車場も同じなので本間はあの日、盧暁春が歩いたのと同じ経路を辿っている。しかし、本間にはこれから向かう天安門広場には別の思いがある。
1989年4月15日に病没した胡耀邦元総書記は民主化を急速に推進しようとしていた。このため学生たちが追悼の意を表して天安門広場に集まり始め、その数は10万人規模に達した。その中には共産党員でも鄧小平が進める共産主義体制下の段階的改革に飽き足らず完全な自由主義化を求める改革派や逆にマルクス主義原理主義者も含まれていたため折からソ連のゴルバチョフ政権が国民の民主化要求に苦悩しているのを目の当たりにしていた共産党首脳は反国家の暴徒と断定して6月4日に武力鎮圧を人民解放軍に命じたのだ。
「こちらが人民英雄祈念碑です」ガイドは天安門の中央にある高さ37・94メートルの巨大な石碑の前で説明を始めた。ただし、周囲には兵士が立っていて近づくことはできない。それも天安門事件で人民解放軍が無差別発砲した弾痕を外国人の目に晒さないためだと言われている。ここまでも数多くの石碑や石材彫刻を見てきたが、ここだけは台湾人の参加者たちも真顔で見入っている。ただし、それは感動や共鳴によるものではない。
「この人民英雄不垂不朽(=人民の英雄は永久に不滅である)の文字は同志・毛沢東の手によるものです」ガイドは誇らしげに説明すると碑に向かって頭を下げた。しかし、台湾人たちは苦々しい顔で無視した。ガイドはそんな反応は予想していたように裏に誘導する。碑の正面は人通りが多い広場側ではなく指導者が立つ天安門の方向なのだ。
「こちらの顕彰文は同志・周恩来の揮毫です。冒頭の『三年以来』は1946年から49年までの間、行われた蒋介石の国民党との内戦を意味しています。かつては敵として戦って多くの人民に流血を強いた蒋介石の国民党とも現在は同じ民族として友好な善隣関係を構築できています」このガイドも共産党の一方的な歴史観の解説者のようだ。共産党としてはこれが目一杯の賛辞なのだが台湾人たちはあえて無表情になった。
「次の『三十年以来』は1919年から1945年までの日帝の侵略に連合国の一員として抗した第2次世界大戦のことです」「連合国の一員になったのは国民党だろう」ガイドの高圧的な説明に初老の男性が独り言を呟き、隣りの妻らしい女性が止めた。ガイドは妻が制止したのを確認して中国共産党監修歴史講座を再開する。
「続く『由此上遡到一千八百四十年从那時起』以降はイギリスによるアヘン戦争以降の侵略戦争に決起した太平天国や義和団、そして辛亥革命の義士たちのことです」ここの部分は台湾人も納得できるようでようやくうなずき合った。
「この碑はその後も我が国の歴史の舞台になっています」ガイドは台湾人たちの反応を見てから少し表情を険しくして碑文以外の歴史を続けた。
「1976年1月8日に同志・周恩来が亡くなって最初の清明節だった4月に多くの人民がこの碑に花輪を飾り追悼の意を表しました。ところが高齢の同志・毛沢東を利用して権力を我が物にしようとたくらんだ江青、張春橋、姚文元、王洪文の4人組の命令で4月5日にその花輪が撤去されたため起こったのが天安門事件です。こうして国家をむしばんで権力を欲しいままにしていた4人組に鉄槌が下ったのはご存知でしょう」折角、和らいだ台湾人たちの顔が再び無表情になってしまった。台湾で習っている歴史では第1次、若しくは日付から45と冠される天安門事件の発端となった花輪の撤去は周恩来への敬慕が冷めないことに嫉妬し、自分への批判だと曲解した毛沢東の命令だったことになっている。何よりも台湾に限らず共産党中国以外の国々では「天安門事件」と言えば1989年6月4日の武力弾圧を指す。
「郁子・・・」その時、本間は背後から誰かに柔らかく皮膚の感覚だけで抱き締められた。
「・・・央道(ヤオドウ)」耳元でささやいた声はここで死んだ中央道だ。決して忘れはしない。
- 2019/01/25(金) 11:18:59|
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本間たちは上海浦東国際空港からバスで上海国際博覧会会場に向かった。距離的には20キロほどなので大陸の感覚では目の前なのだ。
バスを下り、駐車場側の入場門に向かうと小銃を持った兵士たちが要所要所に配置されているのが目に入ってきた。台湾人は国軍を見慣れているので特別な反応はしないが、日本人では違和感よりも恐怖心を抱くはずだ。
「本当に戒厳令が発令されているみたい」本間は独り言も広東語で口にする。ここまで警備が厳重であればツアー客の中にも共産党中国が潜入した監視要員が紛れ込んでいる可能性も否定できない。すると別のバスから下りた観光客たちが予想された反応を示した。
「やだァ。自衛隊が鉄砲を持って立ってる」「あれッて本物かしら」「こんな人が一杯いるところで本物を持っている訳がないじゃない。玩具よ」余所行きに着飾った高齢女性ばかりの客たちは軽く騒いだところで携帯を向けて兵士の姿を撮影しようとした。
「あれは警備に当たっている人民解放軍の兵士たちです。テロに備えて臨戦態勢で皆さまの安全を守っているのです。写真の撮影は控えて下さい」客たちの騒ぎ声が聞こえたらしく先導しているガイドが振り返って日本語で注意した。本間は無意識のうちにこの日本人の団体に合流しそうになったが、そこは足を速めて自分の団体に追いついた。
「本当は反日暴動が会場で起きることを警戒しているんだろう」「逆に日本人の抗議運動を阻止しているのかも知れないぞ」台湾のツアーでは中年男性たちが小声でささやき合っている。確かにその両方が目的のはずだ。
それにしても尖閣諸島近海での漁船衝突事件とそれを一方的に非難する反日暴動が発生している中、大挙して観光にやってくる日本人には呆れるしかない。振り返って眺めると大半は小金持ちの奥さまたちのようだ。それは韓国政府が反日政策を公然化させていても韓流スターを追いかけて黄色い声援を叫んでいたのと同じ人種だろう。
「あれは狙撃手じゃない。危ないなァ」本間は会場に入ると高い建物の上に配置されている人影に気がついた。彼らは一般の観光客では気づかないように巧みに存在を隠しているが、陸上自衛官の上、特殊な活動に参加している本間郁子3佐の感性は確実に捕捉した。
「あッ、あそこにも。こっちにもいるわ」本間は空を飛ぶ鳥を探すような振りをしながら狙撃手を見つけた。狙撃手は2名ずつ配置されており、位置から見て会場の全域を目標にしているようだ。これも反日暴動の阻止が目的なのか不明だが念が入り過ぎているのは間違いない。
「ふーん、これが万博かァ」雑踏に紛れながら各パビリオンを回っていると日本では写真やテレビでしか見ることがなかった万国博覧会と重なってくる。1970年の大阪万博の時は幼児だったため父親が経営する会社の従業員たちを連れて出かけたのを母親と一緒に見送った。2005年の愛知万博の時は陸上自衛隊に入隊して地元配置された春日井の第10輸送大隊で複数の部下との性的関係と言う不祥事を起こして建軍の西部方面隊総監部へ異動していたのだ。
「お嬢さん、お1人ですか」その時、同世代の男性が声をかけてきた。一見して男前で身のこなしは洗練されている。普段着の服装も高級品をセンス良くまとめている。本間が今までつき合ったことがないタイプだ。ただし、大野新吾を除外すれば本間が男性と交際したのは大学時代の中央道と第10輸送大隊の3曹と士長の自衛官だけで比較対象が限定される。
「はい、1人です」「それでは私とおつき合い願えませんか。私は民国から上海に進出している自動車輸入会社の孫武尊(ソン・ゥーズン)です」数ヶ月前、これと同じ台詞で盧暁春が声をかけられ身元を確認されたことを本間は知らない。ところが本間の反応は真逆だった。
「そうですか喜んで。この会場は初めてなんで案内してもらえれば幸せです」「はァ・・・」本間のあまりに開け広げな返事に孫武尊と名乗った男は何故か一歩後退した。
「さァ、行きましょう」すると本間は男を追いかけるように近づくと腕をからめて引っ張って歩き始めた。この態度はどう見ても美男子に声をかけられて喜んでいるようにしか思えない。
「貴女の名前は」「教えたら彼女にしてくれるの。だったら今夜は貴方の部屋に泊めてよ」この軽さはまるで頭がよくない高校生同士のデートのようだ。すると男は立ち止るとポケットから携帯電話を取り出して着信を確認し始めた。その時も本間は腕を固く胸に抱いて放さない。ただし、男の肘は乳房の弾力は感じていない。
「すみません。会社から緊急の業務連絡が入って出社しなければならなくなりました」「だって着信音は鳴らなかったじゃない」本間の追及に男は答えず腕を振りほどくと入場門の方向に歩き始めた。その後ろ姿を見送ると何度も首を傾げている。どうやら「人違いした」と思ったようだ。それよりも防諜要員以前に男性個人として危険を感じたのかも知れない。
- 2019/01/24(木) 10:42:15|
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天保12(1841)年の閏1月23日は本職を超える専門知識を発揮して辣腕を揮った名寺社奉行・脇坂安菫(やすただ)さんの命日です。
黒衣の宰相・金地院崇伝さまが起草した諸宗寺院法度や諸社禰宜神主法度によって統制されていた江戸幕府の宗教政策は明治以降や戦後と比べてもはるかに優れており、僧侶や神職たちは自分が属する宗教・宗門の戒律を厳格に守り、教義を探求し、奥義に到るべく精進することを課せられて、その実務を監督していたのが寺社奉行でした。
脇坂さんは播磨国龍野藩主です。脇坂家は元来、近江・浅井氏の家臣でしたが機を見るに敏なところがあり、主家を討った織田家に仕え、織田家では羽柴秀吉さんに近づいて賎ケ岳7本槍の1人になっています。そんな豊臣恩顧の外様大名でありながら秀吉さん没後には徳川家康公に忠誠を誓っただけでなく譜代に加えてくれるように懇願して、ついには準譜代扱いを受けることに成功していました。通常、そのような家柄では幕府中枢の役職にはつけないのですが、脇坂さんは眉目秀麗にして頭脳明晰、所作優雅、おまけに博識雄弁だったため11代将軍・家斉公の目に止り、寛政3(1791)年には異例の抜擢で寺社奉行に就任したのです。
脇坂さんが寺社奉行になって10年が過ぎた頃、谷中の延命院の住職・日道(日潤とする説もある)くんは歌舞伎役者の初代・尾上菊五郎の隠し子で元役者と噂される美男子で、説法や祈祷には江戸市中の婦女子たちだけでなく旗本の妻や娘から大名屋敷の女中まで押し寄せ、やがては噂を聞きつけた大奥の奥女中が夜通しの加持祈祷を口実にして参詣し、不義密通を働いていたのです。それを知った脇坂さんは捜査に乗り出し、手駒=囮の奥女中を大奥内での手引きで延命院に参詣させて性行為に及ぶところを自ら乗り込んで捕縛し、斬首にしました。これが享和3(1803)年の「谷中延命院一件」です。
また文化3(1806)年には浄土真宗内の教義を巡る内部抗争「三業惑乱」が発生し、これも双方の代表を相手に一歩も引かぬ論争による取り調べを行い、最終的には本山の見解(けんげ)を退ける裁定を下しました。
そのような脇坂さんも妾を巡る醜聞で辞職に追い込まれ、自領に帰って藩主としての務めに専念していたのですが、将軍・家斉公の命により復職することになりました。これは「谷中延命院一件」以後も大奥の女性たちの同じ手口による不義密通は収まることなく(一番の原因は側室40人に55人の子供を生ませた家斉公の並外れた女好きでしょう)、その摘発を期待されたのですが、今回の業績は虚無僧になってお家騒動を直訴しようとした但馬国出石藩士の取り調べでした。この事件では藩士が虚無僧になったのが宗教的発心によるものか、単なる変装なのかの判断が問題だったのですが最終的に藩士は斬首・獄門に処せられ、武士としての身分さえも否定されました。
これらの功績で脇坂さんは次期将軍・家慶公の側近として西の丸老中に昇進しましたが、在職中に急死したのです。あまりにも唐突な突然死だったため毒殺の噂も流れましたが、74歳でしたから当時としては隠居しているべき高齢者だったのは間違いありません。
- 2019/01/23(水) 10:46:37|
- 日記(暦)
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「貴女は海外旅行に随分と慣れているようですね」桃園国際空港から上海に向かう機内で本間は隣りの席の中年男性に声をかけられた。本間はその言葉に北京訛りがないかに細心の注意を払ったが自然な広東語のようだ。
「若い頃、日本の大学に留学していましたから帰省の度に旅行していたようなものです」ここで早速、森志玲の経歴の物語を披歴することになった。
「日本の大学ですか。実は私の息子も日本に留学しているんです。大阪の大学ですが」「私は愛知県でした」会話は順調に弾み始めた。ここで男性がサマー・ジャケットの胸ポケットから名刺を取り出して手渡した。そこには周食品とある。本間にはこの社名に記憶がある。以前、宮寛君=本名・陳江河弁護士の依頼で通訳をした玉城美恵子の裁判の法人原告になっていた会社が同じ名称だったはずだ。
「周食品ですか。食材を日本の沖縄に輸出しているんですか」「はい、よくご存知で」本間の質問に男性は少し驚いたように返事をした。
「いいえ、仕事で海外に行かれるのなら営業だろうと想像しただけです。昔は沖縄との貿易が盛んだったじゃあないですか」「なるほど」本間の説明に男性は納得したようにうなずいた。
「しかし、沖縄は大陸の属国になってしまったから最近は北京への忠節を示すため殊更に我が国を冷遇しているんです。だから新たな取引相手は大陸かフィリピンを開拓するしかないですよ」男性の説明に本間は「腹上死した社長が激しく身体を求めてきた」と言う玉城美恵子の証言を思い出した。そのような経営危機に陥っていればストレスが溜まり、その発散のため愛人の肉体に溺れることも不思議はない。
「そんな危機的状況にある中、社長を失った周食品は大丈夫なのだろうか」本間も疲労感を漂わせている男性の横顔を見てわずかな縁がある会社に余計な心配をしてしまう。このまま親しくなれば王中校が文通相手と言っていた陸上幕僚監部法務官室のモリヤ2佐の元妻だったらしい玉城美恵子の事件の原告側の認識を訊き出せるかも知れないが、森志玲には関わりがない話題なのであえて深入りしないことにした。
「今では日本そのものが大陸の属国になりつつあるから、ここで乗り換えるのは天の配剤なのかも知れませんな」男性は鬱憤を日本に向けたようだ。相変わらずアジア圏では日本の政権交代を「アメリカとの同盟関係を破棄して中国に追従することを選択した」と受け止められており、特に缶政権に移行してからはそれが確信になっている。逆に台湾では政権交代によって対中強硬路線に転換したが、国民党の馬英九政権の復活で対中従属が再開している。
「今の政権で活躍している連呆(れんほう)って女は民国(台湾)人って言うことにしているが父親は外省人(大陸からの移住者)で共産党に送り込まれた工作員らしい。だから共産党の命令で日本に乗り込んで保守系政治家を籠絡する政商になったようだ。その娘も北京大学へ留学している完全な政治工作員なんだが、それを政権中枢に置いていることを見ても日本の変貌は明らかだよ」ここで男性が目で要求したので本間もセカンド・バッグの名刺入れから印刷したばかりの虚偽の肩書を記した名刺を取り出して手渡した。森志玲の肩書は実在する中小の運送会社の本店の事務次長だ。この会社は軍の輸送業務の委託を供与している協力者であって王中校の紹介だ。それでも本間が陸上自衛隊の輸送幹部として学習し、経験した専門知識が役に立つのは間違いない。
「森志玲さんですか。事務次長なら秘書も兼ねているんでは」「いいえ、私は予備の運転手です。ウチの業界も人手不足ですから運転手が休暇を取ると私の出番です」これは小隊長時代の経験を脚色した創作だが現実味はある。
「それでは貴女は大陸から到着した荷物の運搬の営業に行くんですね」いいえ、単なる上海国際博の観光です」本間の答えに男性は少し拍子抜けしたような顔をした。
「上海国際博もようやく終わりますが、当局の監視が厳しくてあまり楽しめないらしいですよ」ここで男性は意外な助言を与えたがこれから観光に行く者には湧き立つ心に水をかけられたようなものだ。それでも本間は注意喚起として受け取った。
「そうですか。暴動が起こっていることは聞いていますが上海ではないでしょう」「あの暴動は酷い。日本も大陸から撤退して我が国に乗り替えるべきですな」男性の発言に通路を挟んだ隣りの席の男性客が視線を向けたので黙って顔を背けた。共産党中国に入るには民間人でも疑惑を招かないように注意しなければ思い掛けない危険を招くこともあるようだ。
何にしても桃園国際空港から上海浦東国際空港までは1時間55分、話し込むような所要時間ではない。その時、「中華人民共和国の領空に入った」との機内アナウンスが流れた。
- 2019/01/23(水) 10:45:17|
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「私、民国(中華民国=台湾)のツアーで上海国際博と北京を観光してこようかと思っているんですが」本間の唐突な申し出に王中校はそれを予想していたかのように黙ってうなずいた。
「反日暴動が起こっている地域は中共によって封鎖されていて外国人は立ち入れないことは知っているな」「はい、今回は現場に入って実情を確認するつもりはありません」本間の返事に王中校は無表情にもう一度うなずいた。これまでの本間であれば盧暁春の死に関する痕跡を察知すれば安易に突き進む危険性があったが、今は冷静沈着に自制することができるはずだ。
「まさか上海国際博を観光したくなった訳ではあるまい。目的は何だ」「一度、中共の空気を吸っておこうと思いまして」これは嘘ではない。本間自身も今回の入国に特別な目的を持っている訳ではない。ただ中央道が最期を遂げた天安門広場と死に場所さえも判らない盧暁春の足跡を辿ってみたくなったのだ。
「中共は大気汚染が深刻だから吸っても健康を害するだけだぞ」王中校は軽いジョークで本間の申し出を承認した。実際、台湾でも偏西風に乗って汚染の物質が流れてきているのだが、何故か沖縄県は被害を認めておらず地元マスコミも全く報じていない。
「それで我が国の正式な偽造パスポートが欲しいんだな」「はい、ご無理をお願いします」真意を見抜かれて本間は苦笑しながら会釈をした。本間が台湾に来るのに用いたアメリカ政府発行のパスポートでも台湾の旅行社のツアーに参加して共産党中国に入ることは可能だが、入国手続きで別扱いになるため当局に不信感を抱かれ、監視対象にされることは間違いない。幸いにして広東語に熟練してきた本間であれば中華民国発行のパスポートでも違和感はないはずだ。
「早急に手配しよう。先ずは写真だがウチの報道部に撮影させることにする。その服装で大丈夫かな」そう言われて本間は自分の服装を思い返したが、確かに身分証明書を兼ねるパスポートの写真としては軽装に過ぎる。本来は陸上自衛隊の方面隊総監部に相当する軍団の指揮部に立ち入るにもいささか失礼な服装なのだ。
「仕方ない、年齢層は合わないがウチの事務官のブラウスを借りることにしよう。写真に写るのは上半身だけだから問題ないだろう」王中校の迅速で強引な対応は「用意周到」「動脈硬化」と評される古巣の陸上自衛隊では有り得ない。これが陸上自衛隊であれば外国軍の諜報要員に協力することの是非だけで関係者が集められ延々と会議が始まるはずだ。その点、中華民国軍は職務権限の範囲内での自己判断が確立されており、指揮官の即断即決を可能にしている。
「森志玲(セン・チーリン)さまですね」翌日、本間は何故か用意されていた白紙のパスポートに借り物のブラウスを着た写真を張った偽造品を持って台北市内の大手旅行社で上海国際博と北京観光ツアーを申し込んだ。
今回の偽名は台湾の人気モデルで女優の林志玲(リン・チーリン)の盗用だ。本当は大学時代に中央道に勧められて読んだ山崎豊子の小説「大地の子」の主人公・陸一心の妻・江白梅(ジィァン・ユェメイ)にしたかったのだが、陸上自衛隊に入ってから放送されたNHKのドラマでこの役を演じていた中国人女優・蒋文麗が丸顔だったため少なくとも顔の輪郭が似ているこちらを選んだ。似ているのはあくまでも輪郭だけだが。
「上海国際博は今月一杯で閉幕しますから大変な混雑が予想されます。それでもよろしいですね」「こんな駆け込みでも参加できるなら異存はありません」本間の答えを聞いて同世代の定員は申し込み用紙をカウンターの上で向きを変えて滑らせてよこした。本間は王中校に教えられた森志玲と言う架空の女性の生年月日、住所、電話番号、勤務先、国籍の所在地などを書き連ねていく。ここで手間取ることがあれば不信感を抱かせることになる。台湾国内であれば何とかなっても共産党中国では命取りだ。しかし、本間はまだ盧暁春の後を追うことはできない。
「急な申込みですから料金は先払いになりますが」「はい、結構です」本間が書き終えた申し込み用紙を確認した店員は事務的に仕事を進める。台湾はアジア圏では最も日本式の接客態度を踏襲しているはずだが、やはり仕事感が見え隠れする。
「失礼ですが、森さまには北京語の訛りと日本人的な癖があるようですから海外旅行には慣れておられるのでしょう。したがって細かい説明は省略させていただきます。上海は初めてですか」店員の指摘に本間は顔以外の部分で緊張した。自分としては広東語も完全にマスターしたと思っていたが接客に熟練した定員の耳は誤魔化せないらしい。つまり共産党中国で警戒している防諜要員の耳が更に敏感である以上、この指摘に合致した森志玲と言う人物像を創作し、演じ切らなければならない。広東語を急速練成する時間はないのだ。
「はい、日本に留学していた頃に大学で習った北京語を試すために1度だけ行ったことがあります」森志玲は日本の大学に留学した経験がある台湾人女性と言うことになった。

林志玲上尉(=大尉)
- 2019/01/22(火) 10:46:59|
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「菊子(本間の偽名)、今日は軍人として一本筋が通った顔になっているな」翌朝、桃園駐屯地に王茂雄(ワン・マオシィォン)中校を訪ねると表情を引き締めて声をかけてきた。
本間がホテルのロビーで読んだ朝刊には「昨夜、西門紅樓の公衆トイレで日本人観光客が急死した」と言う短い記事があり、警察が「検屍の結果、死因は心臓発作」と発表したとあった。王中校がこの記事を読んだのかは判らないが、本間の変貌と結びつけられるほど超人的な推理力を持っているとは思えない。しかし、法務官室に入る前に顔を出した事務室でも普段は年下の民間人女性として気軽に接してくる2等士官長や事務官も妙に緊張した顔をしていた。
「ここ数日、顔を出さなかった間に何があったのかは判らないが、命の遣り取りをした雰囲気が全身から発散しているぞ。何か危険な目に遭ったんじゃあないのか」やはり王中校は親身な心配をしてくれた。そこに女性事務官がコーヒーを運んできた。
「まァ、座りたまえ」それを受けて王中校は本間にソファーを勧め、女性事務官は2人が挟んだテーブルにコーヒーを並べた。
「失礼します」女性事務官は退室する時もドアの前で姿勢を正してユックリと深めの礼をする。本間は中華民国軍の文民職員への躾については知らないが、それが丁寧な挨拶であることは判った。自分でも気づかない間に相手に圧迫感を与えるような雰囲気が身についたらしい。
王中校がコーヒーを口にしたのを見て本間も倣う。前回と同じ台湾の阿里山ブランドのようだ。それを眺めていた王中校は何かを確信したような顔で口を開いた。
「軍人が殺すのは敵であって人間ではない。敵を殺さなければ自分が殺される。だから殺す。軍人が敵を殺すことは任務遂行と同時に自衛手段でもあるんだ」これも同業の年長者としての配慮なのは間違いない。しかも的の中心を射抜いている。そんな王中校の言葉を聞きながら本間はバブルの崩壊で経営する会社が倒産して母親と一緒に命を絶った本当の父親よりも敬意を抱いた。考えてみれば本間が照美につけ入られたのは豊橋第2群(愛知式学校群制度の)の受験に失敗し、滑り止めに受けていた虹ノ花高校に入学したことを父親が会う人ごとに「期待を裏切った親不孝者」と揶揄したことが理由だった。愛知県でも東三河は極端に世間体を重視し、他人に落ち度を揶揄される前に近い立場の者が酷評することが多い。しかし、受験に失敗して傷ついている娘の気持ちを踏み躙った父親への不満を利用した照美の手引きで新吾に抱かれ、修にまで汚されてしまった。本間の貞操観念はそこで崩壊したのだ。
「私も我が国が民主化される直前に軍人になったから激化する反政府運動の鎮圧を実施した。この手を血で染めていなくても指揮官として同胞の殺害を命じている。だから菊子が変った理由は理解できるつもりだ」そう言って王中校は顔の前で手を広げ、自分で見詰めてから本間に突き出した。勿論、血で染まっているはずはない。逆に本間の方が自分の手が赤く染まっているような気がした。あの後、本間は海浜公園まで行き、注射器を粉々に踏み砕いてから海に投げ捨てた。バミューダ・パンツと野球帽は紙袋に入れて公園内の別々のゴミ箱に捨てた。血に染まっていなくても敵・新吾の死に触れた物は朝の回収で焼却炉に運ばれるはずだ。
「戦後の日本では人命を奪うことは立場の如何を問わず犯罪になってしまうようだな。正当防衛、緊急避難は認められていると言っても社会的指弾を受けることに違いはない」本間が苦過ぎる感慨にふけっている間も王中校は話を続けている。本間は背中を伸ばして意識を戻した。
「君のおかげで文通相手になれた陸幕法務官室のモリヤ中校(=2佐)も北キボールで日本人ジャーナリスト2人を虐殺した凶悪犯を3名殺害したことで殺人犯として裁判を受けているだろう。君たちはそんな国のために本気で命を投げ出すことができるのかね」王中校の質問に本間は考え込んでしまった。確かに今の職場の同僚たちは日本で接してきた一般の自衛官たちとは全く違う雰囲気を漂わせている。それはレンジャーや空挺で極限まで自分を追い込み、死線を潜ったのかも知れない隊員たちとも違う。やはり口にはしなくても人命を奪う経験をしているのだろう。杉本がマンバの注射器を手渡した時の使用法の説明は極めて熟練していた。杉本は本間が盧暁春の死の真相を調べに行く以上、共産党中国にまで踏み込むことを予想して秘密の殺人用具を与え、この職務を遂行する上で必須の技術を伝授してくれたのではないか。
「祖父たちの世代はその下の人たちとは雰囲気が違いました。祖父たちは戦争を経験していますから先ほど中校が言われた命の遣り取りを体験していたのでしょう。そう言えば盧暁春にも似たようなオーラを感じましたが」「あの娘は香港で二重スパイを抹殺している。そのことで中共にマークされたのかも知れない。だから上海国際博に行くことは禁じなければいけなかったのだが・・・」王中校は珍しく最後を濁した。おそらく国家・軍として盧暁春の命よりも入手を期待する情報があったのだ。ここで2人はコーヒーを飲み終えた。

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- 2019/01/21(月) 10:21:12|
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「おっと、また小便がしたくなった」万年商業大樓を出て地下鉄の西門駅に向かって歩いていて真ん中を歩いている新吾は急に立ち止った。そこは西門紅樓の前で大通りを渡れば地下鉄の階段がある。横断歩道の信号は赤だ。
「駅まで我慢しろよ」「駄目だ。我慢できねェ」その言葉を聞いて少し距離を置いて背後に立っていた本間は先に店内に入った。本間は高校時代、新吾に連れ回されていて若い癖に尿意の間隔が短いことを知っていた。ラブホテルに入っても先ずトイレに入り、本間を抱き終えて出る前にも再びトイレに入っていた。それを見て本間は自分の中に排尿されていないか心配になったものだ。確かにその分、水分も大量に摂取していた。
「俺たちはここで待ってるからな」「全部、絞り出してこいよ」本間が1階のトイレに向かって歩いていくと玄関の方から日本語の呼びかけが聞こえてきた。つまり新吾も西門紅樓のトイレに来ると言うことだ。
本間は男性用トイレに入ると防犯カメラが設置されていないことを確認し、セカンド・バッグから杉本にもらった注射器を取り出した。これは糖尿病患者が自己接種するインシュリン用だ。ダイヤルで薬剤の摂取量を調整する。本間は感情を交えず機械的に杉本に教えられた致死量に合わせた。そうして注射器を手に提げた紙袋に入れると1番奥の小便器の前に立った。この時、軽く膝を曲げるのが真実味を出すための演技だ。そこに焦った足取りで新吾が入ってきた。酔いも回っているのか便器にたどりつく前にズボンのチャックを下ろし、嫌と言うほど見たことがある男根を引きずり出した。
「うーん、間に合った・・・極楽、極楽」本間が野球帽のひさし越しに1つ置いた小便器で放尿を始めた新吾を確認すると顎を上げて安堵と快感を味わっている。
「そうよ、極楽へ往けると好いわね」本間は「引導」を呟きながら存在しない男根をズボンに収める仕草を演じた。そうして歩きながら紙袋から注射器を取り出すと新吾の背後で立ち止り、ベルトのすぐ上の脇腹に針を突き差し、筒の上部のボタンを一気に圧した。
「痛てッ」インシュリン用の注射針は蚊の口の針よりも細いためほとんど痛みを感じない。新吾は筒の先が脇腹に当たった衝撃を「痛い」と言ったようだ。怪訝そうに振り返ろうとしたが放尿中ではそれはできない。本間は10秒間の摂取時間を数えると注射を抜いて歩き出した。
「おいッ、待て」「お前、何をした」新吾は本間の背中に声をかけてくる。ここで振り返って憎悪を込めた視線で見てやれば復讐になるが、本間が新吾を処理したのは私怨ではなく国家の命運を担う最高秘密の任務を遂行する組織と個人の保全が目的だ。
「このガキ、待て・・・」やはり本間を少年だと思っているようだ。用便をした役柄を完結するため本間が洗面台で手を洗っていると中から「ドサッ」「ゴツン」と床に倒れ、頭を打つ音がした。地上最強の毒蛇・マンバの毒が神経を極度の興奮状態にして心不全を起こさせるまでの所要時間は数分、その通りの結果になった。
本間は店内を見回してトイレに来る客がいないことを確認するとそのまま女性用に移った。先ず確認したところ1人が利用中のようだ。本間は個室に入ると用便する動作を実施して先客が出ていくのを待つ。数分後、トイレット・ペーパーを取るロールの回転音と水を流す音が聞こえ、ドアを開けて出ていく足音が聞こえた。
本間は手早くバミューダ―・パンツをキュロット・スカートに履き替えた。帽子を脱いで紙袋に収め、注射器に残っていたマンバの毒を便器に流し(インシュリン用注射は過剰摂取を防ぐため決まった上限以上は設定できないようになっている)、セカンド・バッグにしまった。そこに次の利用者が入ってきたが問題はない。それよりも男性用トイレが騒がしくなった。本間は次の使用者が個室の扉を締めるのと入れ替わりにトイレを出た。
「大丈夫か」「意識を失っている」「目を覚ませ」本間は洗面台で顔を洗っていると男性用トイレからは数人の叫び声が聞こえてくる。全て広東語だ。倒れた新吾を発見した人が周囲に呼び掛け、救急処置を施そうとしているらしい。
そんな騒ぎを他人事として聞きながら本間は鏡に自分の顔を写してみた。言うまでもなく本間が人を殺めたのはこれが最初だ。その罪の意識と後悔に戦慄するのが普通だ。しかし、鏡の中の自分は何の感情も見せずに冷静にこちらを見返している。
「呼吸をしてない」「駄目だ。鼓動もない」「119番だ。救急車を呼べ」「それよりも110番だ。警察に連絡しろ」台湾では緊急番号が日本と共通している。救急車は兎も角として警察の目に触れることは避けた方が得策だ。本間は手で髪を整え、口紅を塗るとトイレから出た。脇の通用口に向かって廊下を歩いていくと外から救急車の高いサイレン音が聞こえてきた。
- 2019/01/20(日) 10:49:52|
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「いい加減に止めろ。この人に訴えられたらお前は台湾に残って裁判を受けることになるぞ」偶然に万年商業大樓の公衆トイレで本間を見つけた大野新吾は時間を20年以上巻き戻したかのような態度で身体に触れてきた。しかし、それは常識的に見て痴漢行為であり強制猥褻に踏み込みつつある。会社の同僚らしい仲間たちは新吾を制止しようとするが執拗に本間を掴まえて放さない。本間の胸には高校時代に味わった屈辱の記憶が甦ってきた。
「あの時、ジャンケンで負けなければ俺が女にしてやったのになァ」あの日、修は新吾と照美が快楽を満喫している布団の脇で本間の上に覆いかぶさると独り言を呟いた。2学期の中間試験が終わった夜、本間が純潔を奪われたのは本当に軽いゲーム感覚だったようだ。修は本間の首筋に強く激しく吸いつき耳に舌を差し入れた。
「キスマークを付けて学校に行ったら先生に怒られちゃうかな」この台詞は本間を現実に引き戻し、その瞬間、修は挿入した。
「郁子ちゃん、2人目ェ」「俺たち兄弟」修が嬌声をあげると照美を抱きながら新吾が顔を向けて笑い、対抗するかのように激しく照美を責め始めた。本間は挿入されている異物=男根の大きさ、固さが違うことを感じていた。修の男根は細長く思えた。それはあくまでも新吾と比べてではあったが・・・。
「郁子ちゃん、照美が使えない時に姦ってやるよ」「不感症でもセンズリよりはましかァ」本間の頬に再び涙が流れた。それは本間が女として流した最後の悔し涙だった。
消息を絶った同志・盧暁春が中国当局に拘束されて殺されたとすれば、その前に極限に達する凌辱を受けたことはあの美貌から考えて間違いない。それは本間自身が経験した女性としての屈辱などとは比べ物にならないはずだ。
「バン ウォ(助けて)、ヨウレン ライリ(誰か来て)」ここで本間が大声で叫び始めた。今までは警察沙汰になって身元調査を受けることを避けるため黙って耐えてきたのだ。
「馬鹿、大声を出すな」慌てて新吾は掴む乳房はないので胸に押し当てていた手で口を塞いだ。その指を本間は前歯で噛み、中国語で叫び続けた。
「ほら見ろ、やっぱり中国人じゃあないか。お前の人違いなんだよ」そう言って仲間の男は財布から数枚の台湾ドル札を取り出すと本間が手をついている洗面台に置き、もう1人と新吾の両腕を引いて商店が並ぶ狭い廊下へ出ていった。
「絶対に間違いない。アイツは郁子だ。俺が女にしてやったんだ・・・帰ったらトコトン調べてやるぞ」廊下から新吾の叫び声が響いてくる。それと入れ替わりに警備員が早足でやってきた。本間の叫び声を聞いて知らせた人がいたようだ。
「貴女が被害者ですか」警備員はトイレから出てきた本間に声をかけたが、「メイヨウ(いいえ)、ウォ ブーシー(違います)」とだけ答えて早足で歩き去った。
本間はキュロット・スカートを衣料品店で買ったバミューダ―・パンツにはき替え、パットが入った胸部の下着を外している。こうしてひさしが大きい野球帽を目深(まぶか)にかぶれば短髪で女性としての肉感がない本間は小柄で細身の少年にしか見えない。
本間は万年商業大樓の入り口の脇に立って中から出てくる客と前の歩道を通る人々を眺めていた。おそらく新吾たち3人は初めての台湾旅行であり、未知の外国では道を探しながら歩くのには不安を感じるものだ。ましてや中国語が理解できないとなるとホテルに戻るのも同じ経路を引き返すはずだ。本間は衣類を買って公衆トイレで着替えただけなのでそれほど時間は要していない。その一方であの3人は騒ぎを起こしたことを気にしていれば早急に退去するはずだが、そこまで理性的に行動するかは判断しかねる。
「台湾は去年で売春が禁止になったんだってよ」「誰だ、台湾に行けば若い娘を抱き放題なんて言いやがったのは」店内のロビーから下卑た日本語が聞こえてきた。本間が入口の柱の陰に身を隠すと案の定、先ほどの3人組が出てきた。どうやら日本語が通じる案内カウンターで売春街の場所を訊いたようだ。それにしてもデパートの形式を取っている万年商業大樓の案内係は制服を着た若い女性だったはずだ。そこで恥じらいもなく質問したらしい。
「だから郁子を捕まえておけば好かったんだよ。そうしてらお前らに回してやったのに。アイツが高校時代にも仲間と回したんだぜ。ただの観光旅行にするよりか年増でも一発姦った方が好いじゃんか」前を通り過ぎて歩道に出た3人の尾行を始めると大声で聞くに堪えない暴言を連発している。新吾は四半世紀の時間が経過しても人間として全く成長していないことが判った。
本間は家族を失い痕跡を消してきた自分の存在を日本の地元で再生させる危険性が高いこの男を処理することを決めている。この確認は躊躇を解消するのには極めて有効だ。
- 2019/01/19(土) 10:37:52|
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3学期に入って虹ノ花高校ではこれまで実態とは関係なく東三河地域で築き上げてきた「お嬢さま学校」としての信頼を根底から崩壊させる不祥事が発生していた。1年生が売春の疑いで警察に補導されたのだ。その生徒は警察での取り調べで同級生に紹介された成人男性と肉体関係を持ち、その男の卓越した性技で快楽に溺れさせられて肉体を金に替える術を教えられたと言う。その同級生は照美だった。
「君は商業高校を失敗してウチに来たんだろう。成績だって悪くない。どうしてこんなことをしたんだ」警察から戻った照美は教師からの事情聴取を受けた。会議室のコの字型に並んだ机の中央に椅子を置き、正面に教頭、向かって左に生徒指導部長、右に担任が座っている。照美にとっては受験時の面接試験の再現のようなものだ。すでに警察には高校の顧問弁護士を通じて不起訴とするように強く働きかけ、マスコミへの口止めも手を打ってある。
「だって学校の前に並んでいる車はウチらをナンパしようと集まっているんだもん。紹介して金を取れば好い商売になるじゃない」照美は悪ぶれることなく軽い口調で答えた。確かに下校時間には虹ノ花高校の正門から市電の駅に続く道沿いには車が列を作り、若い男が通る生徒に声をかけている。生徒の方は高級車を選んで乗り込み、駅まで送るだけのアッシーくんにするか、夜のドライブにつき合って朝まで過ごすかは気分次第だ。そのような生徒の家庭は放任主義が多く反抗的な学校としては登校さえすれば言うべきことはない。
「売春が犯罪だと言うことを知らないのか」あまりにも平然としている照美の態度に生徒指導部長が社会常識を確認した。
「犯罪の訳ないじゃん。私が子供の頃に愛人バンクって言う会社の宣伝をテレビがやってたよ。社長の筒見待子か『笑っていいとも』に出てたのを見たもん」思いがけない答えに面接試験の要領で対面している教師たちは困惑した顔を見合わせた。
愛人バンク・夕ぐれ族がマスコミに登場して公然と愛人契約を募っていたのは1982年頃の話だ。翌年には売春防止法違反・売春斡旋罪で摘発され、筒見待子=本名・鶴見雅子も逮捕されている。大人であればこの顛末を見て契約愛人も犯罪であることを理解するのだが、この生徒たちは小学校の低学年だった。親としても生理が始まっていない子供に性教育をすることはなく人気番組に出演して脚光を浴びる存在として記憶に刷り込まれたようだ。
「それで同級生を男たちに紹介して金を取ったのか」「ううん、若い男は金を持ってないからネンネを調教させてやるだけ。それで使えるのを選んで仕事をさせるんだよ。だから男もテクニシャンじゃなくっちゃあ駄目」照美の仕事の段取りはかつて娼婦を遊郭に斡旋していた女衒(せげん)そのものだ。おそらく男たちのテクニックも自分で試したのだろう。
教師たちにも家庭があり、生徒指導部長には同世代の娘がいる。日頃は世間知らずな言動を物足らなく感じていたが果たしてそれが素顔なのかが不安になった。
「君の紹介で男と肉体関係を持った同級生は何人いる」担任の質問は自分の指導責任の不行き届きを証言させるための自爆に等しい。教頭と生活指導部長は青ざめて汗をかいている担任の横顔を一瞥してから照美を注視した。こちらは平然としたままだ。
「まだ両手かな。市電で通学してないと車の前を通らないから紹介できないだらァ(三河弁の語尾)」担任は頭の中で生徒の指導簿の家庭の欄を開いた。10人では市電で通学している生徒の過半数になってしまう。その中には公立の進学校を失敗して虹ノ花高校にきた模範生と信頼している生徒も少なくない。担任は沈痛な表情でうなだれた。
「それだけの生徒が純潔を失ったんだな」ここで教頭が妙な質問をした。話を聞いていると背筋が凍りつくほど恐ろしくなる照美も昨年までは中学生だった1学年であり、同級生たちも子供から大人に脱皮し始める時期だと考えているのだ。
「ううん、バージンだったのは郁子だけじゃあないかな。みんな中学の彼氏と春休みに姦ったんだって。クラスでバージンなんて貴重品だよ。郁子も姦られたから絶滅したかな」「そうか・・・」教師たちは照美の口か意外な事実を聞かされて言葉を失った。お嬢さま学校を自負している虹ノ花高校としては生徒が清純無垢であることを前提に教育している。だから照美と補導された生徒だけを退学処分にして厄介払いすれば残りの生徒は不問に伏すつもりだったのだ。そんな教師たちを照美は嘲笑するかのように脚を組んだ。
郁子と言う名前を聞いてそれが本間であることを知ったのは担任だけだ。担任にとって本間は成績優秀で生真面目な最も信頼している生徒だった。その本間も「小」がつかない悪魔・照美の手にかかってしまった。本間が照美につけ入れられる隙を作った原因に気づけなかった自分の迂闊さが教師として許せなくなる。担任が強く噛んだ唇から血が流れ始めた。

筒見待子
- 2019/01/18(金) 09:20:10|
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「いい加減、ホテル代が勿体ねェな」そう言って新吾は本間を最初に犯した友達・修の部屋に連れ込んだ。修は仕事に出ているのかカーテンが閉めてある。あの日は畳んであった蒲団は引きっぱなしで缶ビールやカップラーメンの器、エロ雑誌などが散乱し、タバコと酒と汗の臭いが充満している。本間は全ての始まりになったあの夜を思い出し玄関で立ちすくんでいた。
「何をしているんだ。こっちに来な」先に部屋に入った新吾は修の万年床の上で服を脱ぎながら声をかけてきた。それでも本間が動かないでいると全裸になった新吾は歩み寄り、腕を掴んで部屋に引き込み、布団に突き倒した。本間は靴を履いたままだった。
「もう、気取っても遅いんだよ、黙って姦らせりゃあいいんだ」そう言うと新吾は慣れた手つきで本間を全裸に剥き、そのまま押し倒し、靴を玄関に投げ、馬乗りになった。
「郁子ちゃん、ここが僕たちが初めて結ばれた思い出の部屋だね」新吾は薄笑いを浮かべながら、そんな戯言を耳元でささやき、精神を踏みにじることから始めた。
本間はいつものように心を閉ざして時間を過ごそうとしたが、この言葉が引き留めて心を閉じられないまま新吾を身体に受け入れてしまった。初めて本間は涙をこぼした。
「いいぞ、泣くならヒーヒー泣け」新吾はそう言いながらいきなり本間を座位で責めまくった。それは本間の心に深く杭を打ち込むような荒々しい責めだった。
「今度はお前が上になれ、腰を使え」座位から新吾は仰向けに寝るとそのまま本間を上にした。新吾は腹の上に座った本間の身体を手で撫でまわし乳房を鷲掴みにした。
「腰を振れ」新吾はそう命じると腹を上下させ手で腰を掴んで前後させ、その度に猛々しい男根が体の中で暴れまくったが本間は無表情なまま顎を上下させていた。
「新吾、郁子と姦ってる」突然、照美がドアを開けて入って来た。その瞬間、本間は閉じかけていた心をまた開いてしまった。
照美は玄関・台所と居間を仕切る襖に寄りかかって全裸に剥かれ新吾の上に座り、深く挿入され腰を使わせられている本間の痴態を冷やかに見下ろしている。
「お前、教えてやれよ、いつまでたっても覚えが悪くてな」新吾は本間の乳房を揉む手を休めることなく照美に答え2人は目で笑い合った。
「そりゃあ、アンタが下手なんだよ」照美はそう言って皮肉に笑いながら真吾が本間を犯している布団のそばに歩み寄った。本間は固く目を閉じて心を閉ざそうとしたが新吾は腹を使って腰を振ることを止めさせない。
「郁子ォ、あたしゃアンタの優等生面が嫌いでね。いつも気取ってやがって・・・でも、こうしてヨガッてりゃあ優等生も同じさね。真吾、頑張れェ」照美はそう言って嘲笑すると本間の背中に回ってしゃがんで乳房を揉み始めた。
「どう優等生の本間郁子さん、好い。感じる」照美は固く目を閉じている本間の耳元でささやいた。その言葉に新吾はさらに激しく腰を浮か本間の体を上下させる。
「新吾、後で私が楽しませてやるよ、こんな不感症女!」「たのむわ」この2人の会話にも本間は何の反応も示さず、ただ、真吾の腹の上で腰を振らさせられているだけだった。
新吾が本間の中に精液を注ぎ込むのを確かめて照美は服を脱いで裸になった。新吾が身体を放すと本間は枕元に置いてあるティッシュを取り、股間に溢れている精液を拭い取る作業をした。
「すぐできるんだろう・・・面倒臭いから早く入れな」照美は背後の布団の上に仰向けに寝ると両手を伸ばして新吾を受け入れた。
「お前、今日は準備が好いな」「郁子が姦られているのを見てたらこっちも燃えちゃって」照美は新吾に答えながら大きく口を開けて快楽に身をまかせ始めた。新吾はいつもの仕草で乳房を両手で鷲掴みにして揉んでいる。
「照美のすぐに感じるところが好いんだよな」新吾と照美は本間を嘲笑した。
「こっちの方が好いだろ」「照美が最高ォ、アイツなんてただの人形だよ」2人の喘ぎながらの痴話を背中で聞きながら本間は黙ってうつむいていた。
「新吾、終わったかァ?」その時、ドアを開けて部屋の借主である修が入って来た。
「早ええなァ、もう姦ってるのか」「第2ラウンドだぜ」修が感心したように声をかけると新吾は照美と激しく交わりながら自慢げに返事をした。修は靴を脱ぎ自分の部屋に上がると隅でうずくまっている本間に歩み寄った。本間が黙って見上げると修の顔には冷たい笑いが浮かんでいる。
「今度は俺の番だ、俺は新吾より激しいぜ」そう言って修は本間の手を引いてカーペットの上に仰向けに引き倒した。敷き放しのカーペットの毛が裸の本間の背中に刺さった。
- 2019/01/17(木) 10:33:15|
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1月12日に在家でありながら釋迦十大弟子を凌駕する境地に至っていた維摩居士のような哲学者・梅原猛先生が逝去されました。93歳でした。
野僧は沖縄で勤務していた空曹時代に先生の著書集「仏教の思想」を購入して時折開いていたのですが先生の巨大な知性に迫るには基礎知識が決定的に不足していて、そのまま死蔵することになりました。その後、転属・入校する先々で各宗派の寺院を訪ねて生き残っていた明治生まれの名僧・傑僧たちの教えを受けるようになり、その著書をもらって読むうちに各宗派の教義を研究するようになったのです。
こうして宗教雑学を蓄積していった頃、防府南・航空教育隊での不当人事で左遷された青森県で暖房嫌いの同居人の命令で氷点下の家で暮らしていたため持病の定期検査を受けると即刻入院することになって前述の「仏教の思想」を熟読する機会を得ました。この頃になると少しは先生の思想も理解することができて疑問、と言うよりも理解が及ばない点ができるとその解決に別の著書も購入するようになったのです。
やがて毎度の悪癖で先生の役職宛てに質問の書簡を送るようになりました。するとご多用中にも関わらず返事を下さるようになり(多くは回答になる書籍の紹介だった)、やがては個人授業のようになっていきました。
実は先生と野僧には妙な機縁がありました。先生の実父は愛知県知多郡の出身で愛知第1中学校(現在の旭丘高校)から名古屋の第8高等学校を経て東北帝国大学に進学し、大正14(1925)年に下宿していた魚問屋の娘との間に生まれたのです。ところが両親は学生であり、結婚していなかった私生児だったため知多郡の伯父の養子にされ、そのまま愛知県で育ちました。梅原家は知多郡の名門で先生は浄土宗系の私立中学の東海中学校(現在の愛知県の私立高校ではトップの東海高校)に入学し、戦時下の昭和17(1942)年に広島師範学校に進学しますが2カ月で退学しています。この時、そのまま在学していれば昭和20(1945)年に被爆した可能性が高いでしょう。翌年、第8高等学校に進学し直し、西田幾多郎先生や田辺元先生に憧れて京都帝国大学の哲学科で学ぶことになったのです。ちなみに大学時代は大学の助教授を退任後、東京でのキャバレー経営を経てトヨタ自動車の重役になっていた実父を頼って岡崎市の矢作に下宿していたそうです。
先生の佛教に対する見識は日本の宗教哲学界の主流を為す佛教系大学の宗門の教義の論理的検証を放棄して優越性のみを誇示する身贔屓とは対極にあり、教義の矛盾や欠陥を率直に指摘し、その上で功罪を評価して肯定的結論に至ると言うものです(あくまでも暗愚なる野僧の理解では)。このため宗祖や高僧が残した著作物の文字面の読解と教条主義的な解釈に終始する宗教哲学者たちとは違って信仰者である衆生の生活態様や宗門から派生した工芸、さらに演芸などに及ぼした影響なども網羅した1つの荘厳な巨塊として読者に提示しておられました。まさに文章や言葉を超えた「不立文字」の真髄を在家の立場から探究されていたのです。心より冥福をお祈り申し上げます。五体投地。
- 2019/01/16(水) 10:17:46|
- 追悼・告別・永訣文
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金曜日の下校時間、歩道を歩いて帰宅する本間に路側帯に駐車している赤いスプリンターから男が声をかけてきた。その声には聞き覚えがある。
「郁子ちゃーん」それは新吾だった。本間は視線をそらして足を速めた。すると新吾は車から下りて大声を出した。
「またセックスしよーよ」周囲を歩く同じ高校の生徒たちが立ち止まって一斉に2人を見る。
「またオッパイ吸わせてよ」「今度はイクーッコって言わせてやるよォ」本間は周囲の好奇の目に耐えられなくなって新吾の車に駆け寄った。
「止めて!」「だったらつき合いな」社会人であり女遊びに慣れている新吾に世間知らずな本間が対抗することは不可能なことだった。本間は新吾の車に乗せられた。車の中は煙草のむせるような臭いが充満している。本間は助手席で黙ったまま下を向いてこれから起こることを考えていた。
「今日はここだ」新吾は街外れのラブホテルの前でウィンカーを出して一気に駐車場へ乗り入れた。そして、制服姿の本間を隠すように肩を抱えて部屋に連れ込んだ。
「俺がお前を女にしてやったんだ。だから女の悦びを教えてやるよ」そう言って真吾は幼い本間の体を弄ぶ。真吾は手慣れた手つきで制服を剥き、全裸にした。そして煙草臭い唇で本間の唇をふさぎ、ベトついた舌を差し込み、舌を千切れるほど吸った。しかし、いつの間にか本間はそうされることにも慣れてきた、否、心が麻痺してきていた。本間は玩具としてされるままに任せるしかない。もう涙も出ない。それは逃れようのない儀式なのだ。
本間は次の週末も同じ手口でホテルに連れ込まれた。同じ手順でベッドに寝かせられると新吾の唇が自分の乳房の上を這い、乳頭を吸い、時には噛むことにも反応しない。それは新吾が満足してこの儀式を終わらせるための手続きに過ぎないと自分を納得させていた。
新吾はまるで生贄に捕らえた小動物を弄ぶようにそれを楽しんでいる。新吾の長い愛撫、性交の間、本間はベッドに寝かされたまま天井を見ながらこの儀式が終わるのだけを待っていた。
それから毎週のように新吾は学校帰りの本間を待ち伏せるようになり、「社会見学」と称して市内のホテルを巡って回った。
「少しは感じろ・・・悦んで見せろ」その日、新吾は本間の身体に入ってくると腰を前後させながらそう命じた。
「感じる・・・」それは本間には理解できない要求だった。本間にとって新吾に抱かれることはこの過ちを家や周囲に知らされることのないようにするために課せられた取引以外の何ものでもない。新吾に挿入されていても異物が体に差し入れられている意外の感覚はなかった。
「どうだ、これで感じるだろう」真吾はそう言うと本間を抱きかかえて胡坐を掻いた。挿入された男根が深く突き刺さる。
「ヒッ」本間が漏らした小さな悲鳴に刺激されたのか新吾はいつもの臆病さを忘れたかのように激しく責め始めた。腿に本間を乗せると激しく上下させ、乳房で握力運動を始め、舌を千切れるほど吸った。肉体労働者であり、日頃、力仕事をやっている真吾は有り余る体力で幼い本間の身体を軽々と上下させその度に身体の中で男根は深く、激しく暴れ狂った。
「うッ、締まる」新吾は顔をしかめながら一度目の絶頂を迎えた。避妊は気にしていないらしい。考えてみれば2学期になって夏休みに妊娠した同級生の中絶費用のカンパが回ってくることがある。虹ノ花高校の女生徒は地元の男たちの間では性玩具扱いされているのだ。
続いて新吾は本間の身体を逆にして背後から座位で責め始めた。荒々しい息の中で「感じろ、感じろ」と耳元で呟き続けている。今夜のこの男は精神まで服従することを命じているのだ。
座位の次は後背位、新吾は本間に手をつかせるとそのまま後ろから責め始めた。手に入れた可愛い獲物を弄ぶ快楽が理性を麻痺させて攻撃が過酷になっていく。
「感じろ、感じろ」そう繰り返す新吾の腹と本間の尻が当たり音をたてている。新吾の指が腰に食い込んでいた。しかし、それは新吾にとって徒労に過ぎなかった。本間はやはり何の反応もしない。やがて中で果てた新吾は布団に崩れ落ちた本間の背中に残酷な言葉を投げつけた。
「郁子ちゃんは不感症かァ、もっとセックスして治さなけりゃな」本間は思いを遂げた真吾が横になって煙草に火を点けるとシャワーで体を洗った。それは股間に注がれた新吾の精液や全身に塗りつけられた唾液、体臭、この悪夢を洗い流すための作業だった。
シャワーを終えて脱衣場で本間は浴室の鏡に映った自分の裸から眼をそむけた。乳房と同じ肌色だった乳頭はいつしか赤く色づき、乳房には真吾が残した歯形が痣になって残っている。肩と腰の指の跡が激しかった性行為を物語っていた。本間郁子、まだ高校1年の初冬だった。
- 2019/01/16(水) 10:16:37|
- 夜の連続小説8
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新聞やテレビでは「家政婦は見た!」が代表作になっているらしい女優・市原悦子さんが1月12日に亡くなったそうです。82歳でした。
ただし、野僧は映画では1970年の富士山測候所建設を描いた石原プロ作品「富士山頂」と1989年の原爆投下後に降った雨を浴びて放射線障害になるスーちゃん=田中好子さんの叔母役だった「黒い雨」のみ。レギュラー出演していたドラマとしては大政所(おおまんどころ)=母のなか役を演じた大河ドラマ「秀吉」しか記憶になく、他のドラマでは1話だけの主人公としては何度も見たものの思い出せません。このため市原さんと言えば常田富士夫さんと2人だけで全ての出演者の台詞を語っていた「まんが日本昔はなし」になります。このアニメは野僧が中学生だった昭和50(1975)年から始まり、2003年9月までは愛知県でローカル放送していたため愚息たちも見ることができました。ただし、青森県では放送していなかったため全編のビデオ・テープを購入して外で遊べなくなる冬季には観賞会を開催し(暖房がない我が家に10人以上の子供が集まった)、それが評判になると愚息2が通っていた幼稚園にも無料で貸し出していたのです。
野僧は中学時代に妹とタレントの好き嫌い談義をしていて、妹が野僧の好きなアイドルを「あんなブス」と扱き下ろしたことで父親から「外見で人を評価するのは許さん」と激怒されたのですが、美人とは言えない母親の顔を見て黙って従うことになりました。ところが父親は音羽信子さんや市原悦子さんなどの丸顔の女優が好きで(流石に悠木千帆=樹木希林さんは不明)、母親も丸い顔と小さい目が市原さんに似てないことはないので自分は好みの女性と結婚していたようです。野僧が市原さんの女優としての作品に興味を持たなかったのはこの時の秘めた反発があったのかも知れません。
数少ない市原さんの出演作品である「秀吉」では農家の母親のまま息子の立身出世で高い地位に引き吊り上げられた大政所を好演していました。中でも秀吉さんが城主になると息子の出世を喜びながら合戦に出る息子たち(弟・秀長=高島政伸さんと両方)の無事を祈り、妻のおね=沢口靖子さんを気遣いながらもどこか居心地が悪そうな風情で、天下人となってからは思い上がって道を踏み外していく秀吉さんに苦言を呈しても耳を貸さなくなると「それも母親に原因がある」と自戒し、黙って見詰めている姿は普通の親子関係で育った人には感動的だったことでしょう。
「まんが日本昔ばなし」では男女の子供から娘さん、おカミさん、婆さん、時には若者の声まで演じていましたが、どれも違和感がなくナレーションまで合わせると最大1人何役を担当したのか全作を確認してみたくなります。ヒョッとして牛や馬、犬や猫、雀や鳩などの鳴き声も2人で演じていたのでしょうか。
何にしてもこの昨年7月13日に常田さんが亡くなって、今回、市原さんまで逝ってしまっては日本の精神文化を守るために必要不可欠なこのドラマを完全な形で復活させることはできなくなりました。著作権上の問題がなくインターネットで流す方法を教えてもらえれば野僧のDVDで再放送を始めます。感謝を込めて心より冥福を祈ります。合掌
- 2019/01/15(火) 10:51:58|
- 追悼・告別・永訣文
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高校1年生の2学期の中間テストが終わった夜、本間郁子は「打ち上げ」に誘われて同級生の照美の男友達のアパートに連れられていかれた。そこには男友達と新吾と呼ばれる若い男がいた。
新吾はオールック・バックの髪をポマードで固めており、年齢は20代半ばくらいだろう。
6畳1間の狭い部屋に男女4人、本間以外は煙草を吸い部屋は煙でかすんでいる。照美と男たちがスケベ話で盛り上がったところで新吾が持ち込んだブランデーを取り出して「飲もう」と言った。すると照美が台所からコップと水割りのセットを持ってきた。
本間は初めてのブレンデーを口にした。そして注がれるままに飲み、「強い」と誉められるままに杯を重ね、始めは薄く作ってあったブレンデーは次第に濃くなっていった。しかもそれ以上に酔わす「何か」が入っていると思った時、本間は意識を失った。
「苦しい・・・」本間は何か重いモノにのしかかられた苦しさで目を覚ました。するとルーム・ランプだけの薄暗い部屋で何か黒い大きな影が上から覆いかぶさっている。
「夢?」本間は恐怖に凍りつきながら必死にそう思おうとした。すると影は「声を出すな」と言うと左手で口を塞いだ。その声は先ほど照美と男友達が新吾と呼んでいた若い男だ。男友達と同じ機械工場で工員として働いていると言っていた。
「郁子ちゃん、好い子だからお兄さんの言うことをききなさい」新吾はブランデー臭い息で声をかけながら胸までかけていた毛布を剥ぎ取った。
「嫌ァーッ!」本間は真吾の手のひらの中で叫ぶと体をよじって逃れようとする。しかし、体は重く痺れ思うように動かない。真吾は馬乗りになって脚で下半身、右腕でクビを固めてこの獲物を逃さなかった。
「郁子ちゃん、いまさら遅いんだよ。照美の紹介なんだからね」新吾はかすれた声で本間の耳元でささやいた。本間の脳裏に照美の顔がよぎり、公立高校に失敗して虹ノ花高校に入学したことを「恥」と公言する父親への不満を聞いて同調し、街で楽しく遊び歩くことを教えてくれた照美との付き合いが甦った。照美は男友達と出かけているらしく他の人間の気配はない。
「言うことをきけばいいんだ、お前も大人の世界を知りたいんだろう」幼い本間には真吾の言い訳を今から自分の体に起きるのであろう事とどう計ればいいのか判らなかった。本間は全身の力が抜けて人形、真吾の性玩具になった。
「そうだ、好い子だ」真吾は好色に笑いながらブラウスの胸元に手をかける。そしてアルコホール臭がする息を荒く吐きながらボタンを外し、スカート、ショーツまで手際よく脱がせて、この女子高校生を全裸に剥いた。
「郁子ちゃんの身体は照美よりも格好良く引き締まってるね。こう言う女はナニの締まりも良いんだってな」新吾は何の意味も持たない誉め言葉を口にしながら再び本間の上に覆いかぶさって唇を重ねてきた。本間には口づけさえも初めての経験だった。
新吾にブランデーの味がする舌を口に入れられ本間は吐き気がした。新吾は少女から大人になりつつある本間の乳房を両手で鷲掴みにして揉み始めた。幼い頃から少林寺拳法に励んできた本間の胸に膨らみはなく逆に筋肉質で固い。その白い平面に肌色の乳頭が飾られている。
「青い果実ってのはいいな」真吾は、そう言うと乳房の弾力を作るようにしつこく愛撫を続ける。本間には今、自分の体で行われている経験のない行為が理解できないでいた。
突然、乳頭が熱くヌルッとしたものに吸いつかれ本間はゾクッと悪寒を覚えた。新吾はチュウチュウと音を立てながら、まだ固い乳頭を吸っている。新吾のざらついた舌が乳頭を嘗め回す感触に本間の体が小刻みに震えた。
「美味しいよ」新吾はこの残酷な儀式の手を緩るめず快楽のままに任せていた。
「ヒッ」真吾はいきなり性器に指を差し込み本間は体の一部を引き裂かれたような痛みに小さく叫び声を上げた。
「黙れ」新吾はあわてて逆の手で口を塞いだ。小心なこの男は隣人に女子高生を犯していることを知られることを心配しているようだ。
真吾は差し入れた指で本間のまだ何も受け入れたことのない性器をゆっくりかきまぜるように刺激し始める。それは痛みを与えるだけの拷問であった。
「感じないのかァ?俺のを入れられれば今度は好くなるぜ」そう言うと本間の身体の上で位置を変え、両膝の間に腰を割り込ませてくる。固い棒状のモノが性器の入り口に触れているのを感じて本間は恐怖と嫌悪を覚え、固く目を閉じた。次の瞬間、自分の体で行われる未知の行為は想像することも恐ろしく、おぞましい。新吾はためらわず一気に貫いた。突き抜けるような痛みが本間の体と心を引き裂いた。
- 2019/01/15(火) 10:46:30|
- 夜の連続小説8
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明治7(1874)年の明日1月15日に東京警視庁が設置されました。
幕府の直轄地であった江戸は士分は大目付と目付(身分によって管轄が違った)、寺院と神社=僧侶と神職は寺社奉行、庶民は町奉行所が分担して犯罪を捜査し、治安を維持していました。他の天領地も同様の役職が設けられていましたが天領代官の配下です。
江戸には現在の東京駅付近に南町奉行所と有楽町に北町奉行所が設置され(一時的に補助機関として中町奉行所も置かれたこともある)、月交代で幕閣の町奉行が与力(旗本)や同心(足軽=御家人)を指揮して犯罪を捜査させ、その取り調べから裁判、刑の執行、さらに防疫、公共工事などの諸事を実施していましたが、実際は2から5年で交代する町奉行よりも(大岡忠相さんや根岸鎮衛さんは20年近く務めている)世襲制で実務に精通している与力が取り仕切っており、1年更新契約の隠居するまで雇用であった同心と共に庶民の絶大な信頼を維持して噂レベルの情報も聞き洩らすことなく犯罪の発生を防止していたのです。なお、銭形平次や伝七などの岡っ引きはあくまでも同心の私費で雇われた手下であって正式な捜査権や逮捕権は与えられていませんでした。
そんな江戸は同時代では世界最大の人口を有する大都市でありながら極めて治安は良好で、江戸時代260余年間の犯罪発生総数は現在の東京の1年間を下回ります。ところがそのようにして維持されていた江戸の治安は幕府が倒れたことで当初は無血開城によって占領した薩長土肥に他7つの藩を加えた11藩から差し出された兵員によって編成された府兵で旧・江戸市中の治安を維持することになりましたが、田舎者が大都会に出てきても迷子になるばかりで(この時、門に看板を掲げることが命じられた)、庶民の信用を得ることもできず日本人気質で犯罪が増加することはなくても摘発率は急落したのです。
このため明治4(1871)年には府兵を廃止して旧・与力や同心を再雇用して東京府直轄の取り締まり組を編成すると共に司法省から欧米に派遣され、警察制度を視察してきた島津藩士の川路利良さんに改革を指導させました。翌年、川路さんは治安維持と犯罪捜査を中央政府が掌握することなどを基本理念とする「警察制度改革の建議書」を提出し、その中核である首都の警察組織として内務省直轄の「警視庁」が設置されたのです。
しかし、各道府県の警察組織が「道警」「府警」「県警」であるのなら東京府(当時)も「府警」、現在は「都警」であるべきでしょう。確かに敗戦後、占領軍の公安担当者は日本の警察組織の強大な権限を危険視して内務省が一元的に掌握している幹部警察官の人事や治安維持、犯罪捜査の権能をアメリカの州単位と同様に各道府県に分割する自治体警察制度を強要し、警視庁も解散させられました。
ところが帝国陸海軍とは別組織として創立した自衛隊と違い、警察は軍以上の犯罪行為(特高警察による思想弾圧など)を繰り広げながらもその責任を問われることなく組織や関係職員・人脈は存続していたため占領が終わってからは旧来の組織制度に戻す策謀が始まり、法的な位置づけは他の道府県と変わらず「警察庁」の下部組織であるにも関わらず名称だけは「警視庁」を復活させたのです。
- 2019/01/14(月) 12:39:30|
- 日記(暦)
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その夜、本間は台北市内の安ホテルにチェック・インした後、香港で盧暁春に教えられた名物商業施設の中を気ままに歩き、屋台式店舗をのぞいて摘み喰いを楽しむことにした。
台北市内の繁華街と言えばやはり西門町だ。地下鉄(MIR)板南線の西門駅で下りて地上に出れば東京都内と言うよりも地方の大都市の中心部を思わせるようなビル街になる。ここは建物の密度は盧暁春と歩いた香港の方がはるかに濃厚でも高層ビルが少ない適度な空間と行き交う人々の大半がアジア人であることが不思議な懐かしさを感じさせる。
駅の前には台北では高級ブランドが出店していることで有名な西門紅樓があるが(名称の由来であるレンガ積み2階8角形の建物は目印でその奥の塀で囲われた広場に平屋の店舗群がある)、本間自身は台北とは比べ物にならない大都会・ニューヨークの住人なのでいくら安価でもブランド物には興味がない。ここでの目的はニューヨークのチャイナ・タウンでは味わえない本場の庶民料理だ。そうなると西門町でも万年商業大樓に移動しなければならない。ここも西門駅から西門紅樓を通り過ぎて徒歩5分だ。
「何、この匂い」長い赤いレンガの壁を通り過ぎると色々な料理の匂いが漂ってきて犬のように鼻が動き出しそうになった。台北でも西門町は朝昼夜・老若男女を問わず人通りが多く、歩道には僅かな隙間を埋めるように屋台が店を連ねている。本間も前川原の幹部候補生学校に入校中、同期に連れられて博多・天神の屋台街に行ったことがあるがやはり密度が違う。こうなると1分間に120歩、1歩の歩幅70センチ(男子は75センチ)の自衛隊式歩調は維持できなくなる。本間は屋台をのぞきながら発進停止を繰り返し始めた。
「わーッ・・・」目的地の万年商業大樓に入ると本間は歓声の続きが出なくなった。ここまでの歩道でも元ホストの杉本以上の甘い誘惑を仕掛けられたが、香港で盧暁春に教えられた万年商業大樓の屋台巡り果たすまで脇目を振らなかったのだ。今夜は「本当は養父であった」と告白した王中校から「生存の可能性は諦めている」と言われた以上、供養として2人で楽しむはずだった食べ歩きを腹が裂けるまで満喫するつもりだ。
「これじゃあ、何から食べれば良いのか・・・迷うどころじゃあないわ」万年商業大樓は7階建(多分)の各フロア一杯に屋台に毛が生えたような小さな店がひしめき合っているが、隣り合っている店が扱っている物に一貫性は全くない。料理だけでも各種麺類から台湾料理の魯肉飯(ルーロウファン)、臭豆腐(チョウドウフ)、排骨飯(パイグーファン)、それに胡椒餅(フージャオビン)、小龍包(ショウロンポウ)、餃子、焼売(シュウマイ)、春巻(アメリカではスプリング・ロール)、肉饅その他の副食的オカズなどを単品の専門店にしているようだ。大陸からの料理なら北京風、上海風、広東風、四川風が揃っているがこちらは日本人観光客が大半だ。やはり日本人の知識は街の中華料理店のメニューから出られないらしい。
「こうなったら小皿の料理を片っ端から食べるしかないな。ただし、日本人の観光客がいない店限定でね」本間は妙に気合を入れると両側から店舗が迫って日本では消防の防火審査で警告を受けそうな狭い廊下を歩きだした。
「おう、郁子じゃあないか」本間がトイレに寄り、洗面所で手を洗っていると男子トイレから出てきた男に声をかけられた。鏡に写ったその顔を見て本間の背中は冷たい悪寒が這い上り始め、いわゆる身の毛もよだつ状態になった。それは記憶から消去して存在さえも否定している男だ。本間は無視して歩き出そうとしたが男は両肩を掴んだ。
「やっぱり郁子だ。逃げることねェじゃあねェか」男は酔っているようで呂律が回っていないが、肉体労働者だった昔と同じ力で肩を押さえて放さない。
「クィシファン、ウォブシー イクコ(放して下さい。私は郁子ではありません)」本間は中国語で抗議したが男は唇を歪めて異様な笑顔を作った。
「その声は郁子だ。お前は愛大に入って中国語を勉強したんだってな。頭だけは良かったもんな」男はそう言うと本間を洗面台に押しつけて後ろから乳房を掴んだ。
「うん、この固い平面乳は郁子だ。普通のペチャパイは細いだけだがお前は妙に筋肉質だったもんな」男が首筋に唇を吸いつかせた時、トイレから別の男たちが出てきた。
「お前、待ち切れずにナンパか。こんな年増のブスは止めて若い娘にしろよ」「不景気の憂さ晴らしで台湾に来たんだぞ。街の女を買えばナンパする手間も省けるじゃあないか」どうやら社員旅行で台湾に来ているようだ。本間は救いを求めて中国人役を再演した。
「ウォ フイ トングジー ジングファ(警察に通報します)」「嫌がっているじゃあないか。止めておけ」本間の中国語を聞いた仲間が声をかけると男は鏡の中で笑って答えた。
「俺がこの女の処女を奪ったんだ。間違えるはずがないだろう」それがこの男・大野新吾だった。
- 2019/01/14(月) 12:38:25|
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「それでは香港からの情報は・・・」本間は言いかけた質問を呑み込んだ。いくらここまで信頼関係を構築してきた王中校でも自衛隊=外国軍の情報要員である自分に中華民国国軍の諜報活動の実態を教えてもらえるはずがない。本間は唇を噛んで自分の軽率さを反省した。すると王中校がユックリ顔を突き出したので本間も応じた。ただし、キス・シーンではない。
「菊子は暁春の同志だから私にとっては部下の同僚だ。つまり我が国軍の諜報活動の協力者と言うことになる」本間は王中校の言葉を聞きながら先ほど飲んだ阿里山コーヒーの匂いを感じた。
「我が国軍の諜報組織は非合法の君たちとは違って公式の機関だ。単独ではないから組織と書くんだ」ここまでで王中校は元の姿勢に戻った。つまり香港にも複数の諜報要員を配置していると言うことだ。しかし、盧暁春を失った現段階でそれを漏らすことができないのは当然だ。本間は別の諜報要員を紹介してもらうのは次の機会にした。
「盧暁春の家族は」「鄭祖賢の両親は国民党政権下で殺害されている。私は軍事法廷で加害者を裁く立場になって幼い祖賢を証人として尋問した。その毅然とした態度に感心して養女にしたんだ」意外な事実を告白されて本間は王中校の苦悩を共感した。ただし、その養女を危険極まりない任務に就かせた軍人としての冷淡さには想いが至らなかった。
「現在、中共では反日暴動が起こっているそうですが」ここまでで盧暁春の話題に幕を引くと本間は公的な問題を開演した。アメリカでも日本の店舗が略奪を受け、暴徒化したデモ参加者は日本企業の工場にまで乱入して破壊の限りを尽くしている事実は報道されているが、所詮は他人事でありアメリカ系の店舗と企業の被害の方に力点が置かれている。
「うん、凄まじいことになっているな」王中校は厳しい顔をして腕を組んだ、アメリカで見た動画は中国人が撮影して投稿したものなので現場の惨状は映っていても暴動の全体像は判らない。特に鄧小平の懇請を受けて建設された松下電器が標的にされ、徹底的に破壊されたことは常にインターネットを確認している杉本から聞いた情報だけだ。
「松下電器の工場が襲撃されたそうですが」「あれはプロの仕事だな」王中校の返事に本間は困惑した。今回の事態の「プロ」がどのような技術者を指すのかが理解できないのだ。
「松下電器の工場内に保管してあった新型製品の見本や製造準備のために配布されていた技術的資料は跡形もなく持ち去られ、その上で生産ラインの心臓部を選んで徹底的に破壊して容易に事業が再開できないようにしてあった。これは家電製品の製造を熟知した者が指揮しなければ有り得ない仕事だろう」杉本の解説ではデモが暴動化した時点で中共当局は現場付近から外国人を退去させ、マスコミ関係者も取材できなくなっていた。だからアメリカのマスコミは中国人が自分たちの行動を誇示するために撮影し、投稿した動画を流用していたのだが、日本から取り寄せている雑誌や新聞にはそのような記事はなかったように思う。思案し始めた本間の顔を見て王中校は疑問を解決するのための補足説明をした。
「欧米のメディアは中国人のネット・ユーザーが発信する情報を中共当局が遮断する前に網羅したんだが、最近は欧米在住の中国人が当局に代わって妨害を加えるようになっているらしい。その点、我が国は中共国内の送受信までほぼ完全に把握しているんだ。日本も位置的には同様の条件だが政府が報道に制限を加えたらしい。松下電器の現地社員が本社に送った被害報告の動画データーも取り上げようとしたらしいぞ」この説明は先ほどの香港で消息を絶った台湾人の存在を中共による人権問題として取り上げようとする動きを阻止した馬英九政権の対応とあまりにも似通っている。本間は喉の渇きを覚えてコーヒー・カップを見たが飲み終えたばかりだ。そんな本間を見て王中校は立ち上がり、廊下に出て事務室に声をかけ、間もなく女性事務官がカップを下げにきた。
「日本の現政権が中国に従属していることは海岸巡防署(台湾の沿岸警備隊)の巡防救難船(=巡視船)に衝突してきた漁船の船長を釈放したことでも明らかだが、それを批判しないマスコミはどのような報道統制を受けているんだね」王中校は腕を組んだまま顔を注視したが、日本にいた頃は特に政治・社会問題に関心を持っていた訳ではない本間に回答できるはずがない。これが同僚の3人であればこの場で質疑応答を始めるはずだ。
「あの事件については間近で発生しただけに我が国でも強い関心を持って注目していたんだが、現政権が司法だけでなく報道にも公然と介入している事実を目の当たりにして、我が国よりもはるかに成熟していると信じていた日本の民主主義が意外に脆いことを知って驚いているよ」そこに女性事務官がコーヒーを運んできた。
「これは阿里山です」何も訊く前に説明したところを見ると事務室に声をかけた時、王中校は銘柄を確認したようだ。本間は会釈をして乾いた唇を湿らせながらコーヒーを飲んだ。
- 2019/01/13(日) 11:14:41|
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本間は桃園国際空港から直接、中華民国陸軍桃園駐屯地に向かい第6軍団指揮部(=司令部)の王茂雄(ワン・マオシィォン)中校(2佐に相当)を訪ねた。
「菊子(本間郁子の偽名)か・・・鄭祖賢(デン・ウェンリー)のことを調べに来たんだな」面会人の来訪を知らせる連絡を受けて正門まで迎えに来た法務官室付の2等士官長(1曹に相当・中華民国軍の下士官の最上位は1等士官長)の案内で部屋に入ると王中校は表情を曇らせた。
「まァ、座れ。コーヒーを頼む」王中校は2等士官長を退室させると本間をソファーにいざなった。本間は自衛隊が使っている応接セットよりも高級な革張りのソファーに腰を沈めると真正面から王中校の顔を見た。
「鄭については・・・」「鄭祖賢が盧暁春の本名なんですね」言葉を遮った本間の確認に王中校は一瞬、顔を強張らせた後、ゆっくりうなずいた。やはり消息を絶った部下の名前を諜報活動用の盧暁春(ルー・シァォチュン)ではなく本名の鄭祖賢で呼んだのは生存の可能性を諦めたことの証左のようだ。これで本間にとって共産党中国は今も愛する中央道(ゾン。ヤオドウ)と友人と言うよりも同志であった盧暁春の2人の仇になった。
「現在、香港の中共当局に盧暁春を失踪者として存在の確認を要求している」王中校の顔は曇りから苦渋の雨に変わった。その変化が悲痛な現状を雄弁に物語っている。
「ところが中共側は盧暁春が香港に居住した記録がないと回答してきたんだ。会社の存在さえも否定している。我が国から赴任している他の社員たちも所在不明だ」「こちらから旅券のコピーや出国手続きの書類を送付しても無駄なんでしょうね」本間の理解に王中校の顔は夕立のように暗くなった。香港で盧から受けた説明では支社長を務めている台湾の家電メーカーは実在し、本物の男性社員が2名配属されているとのことだった。諜報要員である盧を抹殺するために一般市民までも巻き込む共産党中国の冷酷さは雨ではなく吹雪になりそうだ。
「こちらとしては盧と社員の失踪を中共による人権問題として国際社会に訴えるつもりなんだが馬政権が制止してきた。国民の生命財産を守るのは政治の使命なのに中共の犯罪行為を黙認しようとしている。そこまで屈従する理由が全く理解できない」そこに中年の女性事務官がコーヒーを運んできた。この所要時間から見ると新たにドリップしたようだ。
「私としては暁春と菊子であれば女性同士で協力し合ってあの国の厳重な鉄柵に入り込んで暗部を覗き見ることができると期待していたんだが・・・」ここで話に区切りをつけた王中校がコーヒーを飲み、本間もそれに倣った。
「このコーヒーは・・・」本間は始めて味わうコーヒーに暗く沈んでいた気持ちが少し明るくなった。ニューヨークの職場では当番のメンバーが好きな銘柄を入れるので、少なくとも4種類は飲み比べてはいるがこれは初めての味だ。少しずつ舐めるように味わい始めた本間の顔を王中校は動物を観察するような顔で注視している。
「そうか、珍しいか」「はい、少し酸味が強くて香りも高い。初めて味わいました」本間の質問に王中校も軽く微笑んでカップを口に運んだ。
「これは台湾コーヒーだ。銘柄は多分、阿里山だな」「台湾でもコーヒーが取れるんですか」本間の質問に王中校は苦笑した。この反応は想定外で本間は怪訝そうな顔で見返した。
「我が国でコーヒーを栽培し始めたのは日本なんだ。新たに獲得した植民地から朝廷に献上する特産品として中央山地の急傾斜に東南アジアから輸入したコーヒーの木を植えたらしい。だから山地を一周するように銘柄があるんだ。阿里山は南部の嘉義県だよ」思いがけず台湾コーヒー講座が始まり、本間もようやく背筋から肩の力を抜くことができた。
「有名なところでは中部の雲林県の古坑、東部の花蓮県の瑞穂くらいかな」「日本には輸出しているんですか」本間も日本でコーヒーの味を覚えた中央道と豊橋市内の専門店で色々買って試したことがあったが台湾ブランドは見たことがない。
「日本に輸出していたのは戦前だけだ。コーヒーは収穫に手間がかかる上、海外からの輸入物に対抗できるほどの生産量がないから戦後は大半が伐採されて檳榔(ビンロウ)に植え替えられてしまった」檳榔は細かく削った種子を噛むと軽い興奮と酩酊感が味わえる嗜好品だ。東南アジアでは噛み煙草として愛好者が多い。
「ところが檳榔は椰子科だから根が浅く傾斜地の地盤を固める効果が低い。だから1999年9月21日の大地震で斜面が崩落してしまった。一方、コーヒーが残っていた地域は無事だったので見直す気運が高まって再び栽培が始まったと言う訳だ。日本の植民地政策はこんなところでも完璧だったんだな」「有り難うございます」妙なところで誉めてもらって本間は頭を下げ、冷める前に「盧暁春もこの味と歴史を知っていたのだろうか」と考えながら飲み終えた。
- 2019/01/12(土) 10:58:07|
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「私、台湾に行きたいんですが」イラクから帰った岡倉の工藤以下のメンバーに対する現地情勢の説明が終わったところで本間郁子が工藤に希望を申し出た。
岡倉の説明では中国はイランにも着々と手を伸ばしており、それを共に探索するはずだった香港の盟友・盧暁春(ルー・シァォチュン)が上海国際博に行って消息を絶って1カ月が経過しても王茂雄(ワン・マォシィォン)中校からは何も連絡は入っていない。やはり盧が死んだとすれば後任の諜報要員が香港に送り込まれる前に接触を持ちたい。何よりも中国担当者として最近、アメリカでも報じられるようになった反日デモの情報を収集したいのだ。
「まさかそのまま中国本土へ乗り込もうと言うんじゃあないだろうね」工藤は立っている本間を見上げながら真意を確かめてきた。今回の反日デモは9月7日に発生した中国漁船による巡視船への衝突事件で船長が逮捕されて以来、中国内外で湧き起こっている抗議運動が暴動化している。それを「現地で確認したい」と言うの本間の立場であれば至極当然だ。上海国際博覧会は10月31日までなので閉幕間際の混雑を狙えば潜入は容易かも知れない。
「いいえ、今回は中華民国当局が把握している共産党中国の国内情勢を確認してくるだけです。できれば新たな香港駐在要員にも会っておきたいんです」本間は香港で盧と接触してきた以上、現地の中国当局に監視対象者とされている可能性が高い。台湾からのツアーで入国しても見逃すほど中国当局の監視は甘くない。
「そうか・・・先ほど島村くんが言っていたように海外で問題に巻き込まれて当局に拘束されるような事態に陥ればそれだけで我々の活動が暴露されることになる。それを十分に自覚しているのなら許可しよう」「はい、現地では慎重の上にも慎重に行動します」工藤の返事に本間は久しぶりに基本教練の通りに踵を引きつけて姿勢を正し、10度の敬礼をした。それを見ていた岡倉、杉本、松本は感心と呆れ、それに懐かしさが入り混じった顔を見合わせた。
「文麗、台湾に行ってくるわ。従兄への土産を預かるわよ」その日の夕方、本間は国務省に陳文麗(チェン・ウェンリー)を訪ねた。本間の台湾での人脈は陳に従兄の弁護士・陳江河(チェン・ジィァンフェア)を紹介されたことから始まった。
「江河からはハリウッド映画のDVDの注文が届いているけど甘い顔をすると調子に乗るから今回はお預けにするわ」陳は自分の答えに苦笑しながら首を振った。考えてみれば紹介された時、陳弁護士は民事訴訟で発生した危険を回避するため宮寛君(ゴン・グァンジュン)と言う偽名を使っていた。それが今では本名で通っている。これも陳と本間の信頼関係が発展した成果なのだろう。ここで陳は少し厳しい目をして顔を近づけた。
「ミスター・テイラーが海外出張から帰ってから妙に機嫌が悪くて、日本を嫌ったようなことばかり言うのよ」今朝、当事者から詳細に説明を受けたばかりの本間にはその理由が判る。
「大体、ミスター・テイラーは東アジア担当なのに韓国や日本の現政権の無能振りに嫌気が差して同じアジアでも花形の中東への移動を希望しているの。今回は大統領選挙後、保守派と改革派の対立が伝えられているイランの国内情勢の調査に行ったのに本当に観光ガイドを作ってきたのよ。馬鹿みたい」この経緯も岡倉から聞いている。要するにテイラーは飼い犬のつもりで岡倉を同行させたのだが、手を噛まれたどころか立場逆転、現地の人たちに溶け込む飼い犬に主役の座を取って代わられていた。観光ガイドも編集記者と言う肩書を事実に見せるため真面目に取材した成果なのだ。その意味では「スティユピッド(馬鹿みたい)」と言う評価は適切ではない。それにしても陳は岡倉が察知してきたイランへの中国の進出についてテイラーから聞いているのだろうか。これは日本よりもアメリカが真摯に受け止め、早急に対応しなければならない問題のはずだ。今度は本間の方が陳の耳に顔を近づけた。
「イランには海外の中国系企業が進出してきていて経済制裁で滞っている物流や金融を提供しているそうなの」やはり初耳だったようで陳は目を大きく見開いた。
「そんな馬鹿な。イランに対しては今年の6月9日にも経済制裁が可決されているわ。だから弾道ミサイルに関する活動は禁止、武器禁輸の強化、核開発計画に関する個人の渡航禁止、イスラム革命防衛隊の資産は凍結、禁止事項に関係するイランの船舶に対するサービスは禁止、イランの銀行の海外支店の開設は禁止、海外の銀行のイラン国内への支店の開設も禁止、これには中国も常任理事国として賛成したのよ。有り得ないわ」「だから中国本国は決議を順守しているの。ところが海外在住の中国人が経営している企業が送られてくる資金を使って安価で物資を提供して依存体質を構築しているのよ。アメリカはそれを見逃しているんじゃあないの」本間の追及に陳は「私は東アジア担当だから」と呟いた。確かにアメリカ人の職業意識では担当外のことに無関心なのが一般的だ。中国はそれも計算に入れているのかも知れない。
- 2019/01/11(金) 10:40:19|
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「島村(岡倉の偽名)、ジェームズが連絡を求めているぞ」岡倉がアメリカに戻り、職場に顔を出すと今日もパソコンに向かっている杉本が声をかけてきた。実は岡倉も今回のイランでの調査についてイギリスの諜報機関・MI6のジェームズに相談したことがある。
「秘匿メールは使えるのか」「うん、向こうからアクセスしてきたから身元確認したところだ」杉本はそう言って席を譲ると今日の当番・本間が入れたコーヒーを汲みに流しに向かった。このメールの回線は民間の通信業者を介在させずイギリスの軍と情報機関専用の周波数と通信衛星を使用している。このため身元確認には乱数表式のパスワードだけでなく数多くの手順を踏まなければ送受機能が作動しない。ロンドンとニューヨークでは5時間の時差があるので向こうは午後であり、こちらが出勤するのを待ってアクセスしてきたのだろう。
「ハンゾー(岡倉のイギリス用の偽名)、今回は国務省を怒らせたみたいだな」ジェームズはいきなり核心を突いてきた。どうやらテイラーはイギリスに寄って岡倉の非協力的な態度を揶揄していったようだ。相手はおそらくイギリス外務省だがその情報はMI6にも伝わる。
「イラクの時のイギリスの代役を求められたが、私には祖国を裏切るような嘘はつけない」杉本はコーヒーを入れたマグカップを持って工藤や松本、本間が新聞を広げている長机の席に座った。やはり秘匿メールでの対話は個人と個人の情報交換なので、呼ばれない限り立ち入ることはしないのだ。すると岡倉の送信にジェームズは即答しない。この間が妙に気になる。
「アメリカ国務省はオバマ政権の平和外交に苛立った軍事産業の圧力を受けて新たな戦争を画策している。それがイランなのだろう」この見解は言われるまでもなく判っている。ジェームズがあえてそれを書き送ってきたのは次の言葉に意味があるからだ。
「アメリカは日本の雀山政権の裏切りを挽回するチャンスとしてイラン制裁への参加を日本に命じてくる可能性が高い。我が国としては日章丸事件の反省を示すためにも自衛隊員に血を流してもらいたいものだが、これ以上のアメリカの暴走は制止しなければならない」あえて日章丸事件を持ち出したのはジェームズ流のイギリス式ブラック・ジョークのようだ。
やはりアメリカは雀山政権の「最低でも県外、できれば海外」との政権公約を同盟関係に対する裏切りと考えており、その後、辺野古への移設を閣議決定しても信用は回復できず、それを証明するための事実を要求してくると言うことだ。
「裏切り者」が悲惨な目に遭うのは西部劇やギャング物のハリウッド映画の定番だが、アメリカ人は日本人のように同情はしない。裏切り者は真の悪役以上の憎悪と侮蔑の対象なのだ。
「アメリカ人にとってイランはサダーム・フセインのイラク以上の宿敵だから火を点ければ産出する石油が燃えるように大炎上しそうだ」「イラン人の反米感情はどうだったんだ」岡倉の見解にジェームズが質問してきた。やはりテイラーとの調査旅行は把握されている。
「イラン人は商売の相手として利用する意識が強いようだ。若し、アメリカが撤退すれば中国が介入してくることになる。すでに中国の在外企業がかなり進出していた」岡倉の回答にジェームズは再び長めの間を置いた。
「我が国でも急速に中国が進出を始めている。長期不況で経営不振に陥っている企業の株式を在外中国人に買収させて経営権を奪取するのが常套手段だ。それに先立って新聞やテレビ局を手中に収めて親中的な世論を形成する。中国に批判的な声が起こるとアヘン戦争を持ち出したり、香港の1国2制度の成功を喧伝して打ち消しに走るんだ。今ではお前も知っているようなイギリス企業の多くが中国に乗っ取られているぞ」ジェームズの説明に今度は岡倉の方が考え込んでしまった。岡倉がアメリカに来た頃の日本はバブル経済が崩壊した直後だったが、その後の長期不況の中、日本企業の多くが人件費が安い中国に生産拠点を移し、中国版地産地消のように販売にも力を入れ始めている。つまり着々と中国への依存体質が作られつつあるのだ。それを日本のマスコミは中国に進出して業績を回復している企業を成功例として喧伝し、経営者たちの間の流行にしようと画策していることは日本発の報道でも明らかだ。
ジアエが語っていた韓国の現状がまさしくそれであり、それは台湾、フィリピン、タイと東アジア・東南アジアだけだと考えていたが相手の方が数枚上手のようだ。
「オバマ政権が国民の絶大な支持を受けて成立したのにはアメリカ国民の中にベトナム戦争後と同じような『疲戦』気分が蔓延しているからだろう。ならばインターネットを活用して反戦を扇動すれば国務省の策謀も制止できるはずだ。国務省が虚偽報告でイラク侵攻を始めさせた罪を頭が悪いアメリカ人も忘れていないだろうからな」ジェームズが「厭戦(ウォー・ウェイリネス)」ではなく「疲戦(ウォー・タイアドネス)」と言ったのは戦争に疲れることはあっても厭にはならないアメリカ人気質を表現している。「制止」と「阻止」の使い分けも同様だ。
- 2019/01/10(木) 11:48:13|
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夕食をすませ、入浴後の義父との酒席も終えてジアエの部屋で家族の時間を始めると聖也は爆睡していた。すでに日付が変わっているのだからそれも当然だ。
「あのお皿、素敵だけどイランで買ってきたの」「ううん、知り合った部族長にもらったんだ」ベッドに横になると珍しくジアエが仕事の話を口にした。聖也が眠っているので部屋の灯りは枕元の小さいライトだけだ。岡倉は自分を見詰めているジアエの目の中にも灯りを見つけた。
ミナカリの鮮やかな蒼色とイスラム式の幾何学模様が気に入った義父母からも入手した経緯を訊かれたが「ニューヨーク郊外の住宅街のガレージ・セールで見つけた」と答えた。これであれば箱に入っていない理由の説明にもなっている。義父母は「次はペルシャ絨毯が欲しい」と言っていたから信じてもらえたようだった。
「今回はイランの核開発疑惑の現地調査だったのね」「いいや、単なる世界遺産の史跡巡りだったよ」岡倉の答えをジアエは「心配をかけないための嘘」と受け取ったようだがこれが事実だ。テイラーが見せた偵察衛星の画像自体が合成による虚偽だったように思う。テイラーが行こうとする地域には大河がなく原子炉の冷却に大量の水を必要とする核開発施設が存在しないのは明らかだった。つまり自作自演の三文芝居につき合っただけだ。
「オバマ政権は戦争回避に努力しているけど軍事産業の圧力に抗し切れないんじゃあないかと言うのが韓国の見解よ」「そうなるとまだ韓国軍はイランに派遣されるのか」岡倉の返事にジアエは複雑な表情でうなずいた。韓国軍はアフガニスタンにも派遣され、人道的目的で衛生部隊が診療所を開設したがジアエの同期の高仁智中尉の殊更にイスラム教を見下す態度が現地人の強い反発を買い、若い田智賢上等兵が恋人の白一日上等兵の目の前で集団レイプされる悲劇が発生した。その後、韓国のキリスト教団が現地で難民救援を名目にした布教活動を行って、生き残っていたタリバーンに拉致され、責任者である牧師と若い男性信者が殺害された。この事件では岡倉も通訳として韓国の交渉団に加わりジアエと一緒に仕事をした。この時にジアエは聖也を身籠った。やはり独善的で偏狭な韓国軍の体質がイスラム教国では反発を招くことはこの経験が証明している。仮にイランに派遣されることになればイラクに派遣された自衛隊が繰り広げた「スーパー・ウグイス嬢作戦」を学ぶべきだろう。
「でもアフガニスタンとイランの頃の日本は小泉政権だったからブッシュとの同盟関係は盤石だったけど今の雀山じゃあなくて・・・」「・・・誰だっけな」2人揃って現在の日本の首相の名前が出てこなくなった。日本人とは言えアメリカ在住の岡倉と対岸の今は敵国の軍人であるジアエでは吹かれて飛び続けている日本の首相の名前を憶えられなくても仕方ない。
「何にしてもアフガニスタンの時のように海上での給油活動で済ませる訳にはいかないでしょう」「イラクではブーツ・オン・ザ・グランドだったからな。次はバトル・ウィズ・ミーだな。何とか言う首相にそれを拒否する気迫があるか」岡倉はアメリカでは大統領と会談してもニュースにならず、新聞に写真が掲載されない首相の顔が思い出せないでいる。ただアルファーベットで3文字の苗字だったような気がしてきた。そうなると「WAN」これでは中国人だ。「KIN」これは韓国人、「UNO」「EDA」「OTI」なら日本人だが語感が違う。馬鹿なことを考えているとジアエの目が厳しくなった。そこで首に腕を差し入れて抱き寄せるとあえて今回の仕事での確信を漏らした。
「おそらくイラクには核施設はない。あるとすれば中国やパキスタンから買った完成品だ」イランでは驚くほど多くの中国人に会った。アフガニスタンでもそうだったが国連の安全保障会議が非難決議をして経済制裁に移行すると常任理事国である中国は表向きは貿易を削減しても在外中国人が経営する企業を送り込む。こうして被制裁国が中国系企業を唯一の頼みの綱とすることで依存体質を固め、やがては意のままに操るようになる。その意味では欧米のキリスト教的教条主義が中国の覇権主義を助長しているとも言える。
「政治が無能なのは日本だけじゃあないのよ。我が国だって酷いもの。金と盧政権が中国との貿易を経済の拠り所にしてしまったから機嫌を損なうようなことは何もできない。保守派の現政権だって所詮は企業経営者出身だから経済的損失を払ってまで断行する覚悟はないわ。だから日本を敵視して国民の支持を獲得しようと躍起になってる。私も退役してアメリカへ移住しようかしら」そう言ってジアエは岡倉の身体越しに聖也の毛布を直し、上から唇を重ねてきた。
明日は休日なので早起きする必要はない。岡倉はジアエを腹の上に座らせるとパジャマのボタンを外し、離乳して元の形に戻った乳房を揉み始める。聖也に独占されていた頃には赤黒く変色していた乳頭も今は控え目な紫色になっている。岡倉は念入りな愛撫の後、ズボンと下着を脱がし、そのまま騎乗位で挿入した。これは貞淑なジアエには初めての体験だった。
- 2019/01/09(水) 11:23:57|
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