fc2ブログ

古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

4月1日・フィンランドの「白い死神」・シモ・ヘイヘ少尉の命日

2002年の明日4月1日はソ連の侵攻を受けたフィンランドが繰り広げた祖国防衛戦の第1次ソ芬戦争=冬戦争(第2次ソ芬戦争は継続戦争)で狙撃手の単独記録としては世界最高数である542名を射殺し(これはライフルのみの数でマシンガンでも同数以上の敵兵を殺害している)、ソ連軍から「白い死神」と呼ばれたシモ・ヘイヘ少尉の命日です。96歳でした。
ヘイヘ少尉は1905年にソ連との国境に近い内陸の寒村で生まれました。そのような土地での男性の仕事は狩猟と農業が中心になり、ヘイヘ少尉もライフルを子供の玩具から仕事の道具にしながら成長していきました。ヘイヘ少尉は農作業の休憩時間、仲間たちが昼寝をしている間も農地の隅に立てた標的を狙って空砲を発射する訓練に励み、それを仲間たちが起きてくるまで続けていたそうです。晩年になって受けたインタビューでヘイヘ少尉は狙撃の秘訣を訊かれ、「習熟だ」と答えていますが、習熟すること自体が余人には到達できない神技だったのでしょう。
20歳で15カ月の徴兵義務によって国防陸軍に入営すると自転車大隊に配属され、兵長に昇任したところで予備役に編入されますが、そのまま名将・マンネルヘイム元帥の民兵組織「白衛軍」に入隊しました。当然のことながらヘイヘ兵長は国防陸軍と白衛軍の射撃大会で抜群の活躍を見せ、関係者の間ではその名前を知られるようになりました。
そうして第2次世界大戦が始まって3ヶ月後の1939年11月30日にヒトラー総統と東欧と北欧を分割支配することを画策したスターリン書記長による侵攻が始まると兵長のまま招集され、フランス外人部隊出身のユーティライネン中尉の中隊に配属されました。ユーティライネン中尉はヘイヘ兵長の桁違いの射撃技量を発揮させるため狙撃手として単独行動させる任務を与え、地形地物を熟知する故郷に配置しました。ヘイヘ兵長は期待に応え、零下20度から40度の酷寒の中、純白の迷彩衣=ギリー・スーツを着て雪の中で待ち構え、前述の戦果を上げてソ連軍を恐怖させたのです。
ヘイヘ兵長は身長152センチでしたが全長120センチあるモシン・ナガンを使いこなし、また狙撃眼鏡はレンズの反射で発見される恐れがあり、銃を軽量化することと合わせて使用せず肉眼で狙撃していました。命中精度も神技の域で300メートル以内であれば確実に頭部に命中させ、450メートルの敵兵を射殺した記録も残っています。
ソ連軍も「白い死神」を抹殺することを至上命題にしたのは言うまでもなく、狙撃地点に集中砲火を加え、ヘイヘ兵長だけを標的にした狙撃兵を送り込んで発射閃光を狙っての銃撃を繰り返しました。その結果、1940年3月6日に顎を射たれ、顔の左下4分の1が吹き飛ぶ重傷を負いました。あまりの重傷に周囲は「死亡した」と思い込み、収容先の病院で葬儀が開かれたのですが、その最中に生きていることが確認されたのです。
1940年3月13日の停戦後には最高位の勲章を授与され、5階級特進で少尉に任官しましたが、1941年6月25日から1944年9月19日までの継続戦争には参戦できず、狩猟と猟犬の繁殖を営みながら静かな余生を送ったようです。
  1. 2019/03/31(日) 12:02:20|
  2. 日記(暦)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

振り向けばイエスタディ1508

アメリカ海兵隊は撤退も迅速だ。まさしく「疾風のように現れて、疾風のように去っていく」のだが気仙沼大島は例外になった。
「先日、フリー・ジャーナリストと名乗る人間が1人島に渡ってきたようですが、何も取材せずに島民と立ち話だけして帰ったようです」撤収の前日、第31海兵隊遠征部隊の拠点になっている強襲揚陸艦・エセックスに招待された気仙沼市役所大島出張所の所長が島内の最新情報を提供した。小さな島では見慣れない人間が姿を現すだけで口伝えのニュースになる。
「それにしてもこれだけ貢献していただいているのに、ニュースでは全く取り上げられていないのが残念です」所長は不満そうな顔をしたが、島への電力の復旧が進んでいないため見られるテレビは自家発電している出張所の1台だけだ。
「政府としては日米同盟が揺らぎないことを世界に、特に東アジアに向けて発信するのと同時に沖縄でも在沖縄アメリカ軍の存在意義を周知するチャンスだと考えていたようですが、アメリカ軍の災害派遣自体に強硬に反対していた民政党の千石代表代行がマスコミ報道を封印するように首相を恫喝したようです」通訳を兼ねて遠征部隊司令、艦長との面談に同席したモリヤ1佐が二国間危機対応チーム・リーダーの晩鐘将補や夫から仕入れた東京発の情報で背景を解説した。ただし、アメリカ軍の2人には通訳しなかった。
「明日の送別会では犠牲者の追悼式典を催したいんだが」ここで派遣部隊司令官が思い掛けない意向を口にした。4月1日に主力が初めて島に上陸した時、全員で海に向かって黙祷を捧げたのは坊主の妻でもあるモリヤ1佐の提案だった。しかし、海兵隊員だちは島民たちに接する間に、東北の人々の素朴な信仰心が悲哀や苦悩を救っていることを知り、慰霊にも強い使命感を抱くようになった。だから上陸後に海岸で黙祷する儀礼は現在も続いているのだ。
「しかし、送別会は学校の体育館を予定していますから、公共施設での宗教行事は控えるように行政指導が入っているので・・・」「チャップレンの慰霊は軍務です。軍務を公共施設で実施することで告発されることになれば夫に法廷戦闘を命じましょう」真面目な地方公務員である所長の躊躇をモリヤ1佐が制止した。流石に所長にはモリヤ1佐の夫が坊主で弁護士で階級が下の自衛官であることを補足説明されるまでこの強気な発言の意味は理解できなかった。
「それでは犠牲者の皆さまの冥福を祈ります。黙祷」「アメージング グレース、ザット セイブド ア レッチ ライク ミー・・・」チャップレンの呼び掛けを受けて海軍と海兵隊の女性兵士たちの聖歌隊が「アメージング グレース」を唄い始めた。
この歌は本来、プロテスタントの讃美歌なのだが、2003年のドラマ「白い巨塔」の主題歌として大ヒットしたことをモリヤ1佐から聞いたチャップレンが採用したのだ。バロック音楽で格調が高い反面、重々しいカソリックの讃美歌に比べ、プロテスタントのものは日本人の耳にも馴染みやすい。中には小声で唄っている若い女性もいる。
「・・・ウィル ビー フォーエヴァー マイアー」讃美歌が終わったところで黙祷としては場違いな拍手が起こった。すると聖歌隊は唄を続けた。
「フールイ アァルブゥム・メクーリー アーリガトーッテ・ツーヤイタ・・・」これは2001年に大ヒットした「涙そうそう」だ。唄っているのがアメリカ人だけに「アルバム」の発音が本式で上手くいかなかったが、それでも沖縄では現在も唄い継がれているので聖歌隊の女性兵士たちも知らない歌ではない。実はこれもモリヤ1佐が追悼の歌として選んだ。この歌は夫の坊主も愛唱している。本当は「千の風になって」と言う選択肢もあったのだが、夫はビートルズの日本語直訳ソングを唄っている王様の「万の土になって」の方を好んでいるので却下した。
「・・・晴れ渡る日も雨の日も 浮かぶあの笑顔・・・」するとやはり参列者の名からも合唱の声が起こった。こちらの歌の方が唄っている世代の幅が広い。聖歌隊には歌詞を英訳して説明してあるのでローマ字の歌詞を読んではいても思いは共有できているようだ。
「・・・会いたくて 会いたくて 君への想い 涙そうそう」唄い終わる頃には体育館の空気は異様な色と匂いが満ちていた。追悼・慰霊の色であれば黒や紫、そして青、匂いであれば菊の花と抹香だろう。キリスト教でも花を捧げ、カソリックは種類が違っても香を焚くので大差はない。しかし、ここでは感謝の白い光が差し、親愛の甘い香りが交差している。
迷彩服を着て整列している海兵隊員と老若男女が集団を作っている被災者たちが感激を噛み締めているのを黙って眺めながら遠征派遣部隊司令が右手に持っていた帽子を被り、前に歩み出た。
「アメリカ海兵隊が最高の誇りする戦暦はイオージマ(硫黄島)における日本軍との死闘です。今後は最も感動的な任務としてオーシマの名が在沖縄アメリカ海兵隊史に刻まれるでしょう」この言葉に海兵隊員が歓声を上げ、通訳を聞いて島民たちが拍手した。
  1. 2019/03/31(日) 12:01:23|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

3月31日・「ジェイン・エア」の作者・シャーロット・ブロンテの命日

1855年の明日3月31日は長編小説「ジェイン・エア」でイギリスの女流作家の先駆けだったシャーロット・ブロンテさんの命日です。「嵐が丘」のエミリーさんは実妹です。 
「ジェイン・エア」は「(不美人な)ジェイン・エアが孤児になり、養母とその子供たちに差別されて鬱屈した毎日を送りながら9歳の時に全寮制の学校に入れられて優しい教師や信仰心が篤い友人と出会ったのも束の間、劣悪な衛生環境によって友人は病死してしまいました。それでも生徒として6年間、教師として2年間をその学校で過ごした後、貴族であるエドワードに家庭教師として雇われ、やがて互いに恋愛感情を抱くようになり求婚を受けました。ところが結婚式場に発狂して幽閉されていた妻が現れたことで重婚であることが発覚したためジェイン・エアは倫理道徳と恋愛思慕の狭間で苦悩したまま屋敷を出たのです。しかし、生き倒れになる寸前に牧師に助けられ、その家族が従兄姉妹であることが判明したのでした。すると布教のためにインドに赴くことになった牧師から「妻として同行して欲しい」と申し入れられますが、従兄である牧師には恋愛感情を抱けないことに苦悩し、布教を手伝うことを理由に求婚を受けることを決めたジェイン・エアはエドワードが呼ぶ声を聞いたのです。牧師と別れたジェイン・エアはエドワードの下に向かいますが泊まった宿で屋敷が火事になり、妻は焼死して貴族も失明して片腕を失ったことを聞きました。するとジェイン・エアの胸に激しい恋愛感情が燃え上がり、不具の身になったことで結婚を断るエドワードの押しかけ女房になる」と言う物語です。この作品を発表した当時のイギリスでは女流作家は認められておらず、シャーロットさんはカラー・ベルと言う性別不明のペン・ネームを使っていました。
そんなシャーロットさんは1816年に大ブリテン島の中央部であるヨークシャで牧師の3女として生まれました。シャーロットさんの他にも長姉、次姉と1歳下の弟、2歳年下のエミリーさんと3歳年下の末の妹がいました。1920年にエミリーさんが「嵐が丘」の舞台のモデルにしたハワーズに転居しますが間もなく母が病没してしまい(子供を連続して産み過ぎたのでは=牧師なので性欲を妻だけに集中させたのか)、8歳の時には姉2人と6歳のエミリーさんと一緒に西海岸のランカシャーの学校に入学しましたが、劣悪な衛生状態だったため長姉と次姉が相次いで病死してエミリーさんと2人で呼び返されました。この寄宿生活は「ジェイン・エア」の中で臨場感を持って描かれています。
家に戻ると文学にふけり弟と合作で詩や戯曲を書くようになりますが15歳から私塾で学ぶことになり、卒業後には上流階級に雇われる家庭教師として各地の屋敷を転々としました。これも「ジェイン・エア」に投影されています。
その後はエミリーさんと一緒に私塾を開こうとベルギーに留学したものの生徒が集まらず、断念して小説や戯曲を書くようになったのです。
結局、ブロンテ家の6人姉弟妹は姉2人が寄宿学校で病没、弟とエミリーさんは「ジェイン・エア」が刊行された翌1848年に31歳と30歳で病没、末の妹も翌年に病没してしまい、38歳で結婚して妊娠したまま病没したシャーロットさんが最も長命でした。
  1. 2019/03/30(土) 11:29:16|
  2. 日記(暦)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

振り向けばイエスタディ1507

気仙沼市大島でのトモダチ作戦は「高い地位にある人、強い権力を有する者が緘口令を敷いたのではないか」と疑いたくなる程、一般国民に知らせられることなく終わろうとしている。勿論、それを取り上げない大手マスコミが共謀者であることは言うまでもない。
「ここまで政府が隠蔽すると言うことは沖縄みたいな問題が起こっているのかも知れないぞ」岩手県宮古市での粗探しも空振りに終わったフリー・ジャーナリストの松田俊兵はモトクロス・バイクで次の災害派遣の現場である陸前高田市に向かって走りながら、隣りの気仙沼市で行われているアメリカ海兵隊のトモダチ作戦に興味が移ってきた。
陸上自衛隊はマスコミの悪意を持った粗探しに晒され続けているため対応に関する教育が徹底されており、作業中の喫食は人目を避けて暗いトラックの荷台、休憩でも被災者の感情を傷つけないように沈痛な表情を緩めない。その点、野蛮人の集団であるアメリカ海兵隊なら粗暴な行動で住民の反発を買い、上手くすれば(=あくまでもマスコミ側の立場で)沖縄で頻発させているような性犯罪も期待できる。民政党政権が隠蔽しているのは表沙汰になれば雀山内閣が閣議決定した普天間基地の辺野古への移設に強烈な打撃を与えるような事態に陥っているからではないか。勝手な妄想を膨らましながら松田はバイクを速度超過で走らせていた。
「陸前高田は宮古市よりも酷いな」素通りすることに決めた陸前高田市の市街地を走りながら松田は口の中で独り言を呟いた。被災地の道路は砂塵が酷いので口を開けられないのだ。フリー・ジャーナリストとしては気になった光景は即座に撮影しなかればならないためフル・フェイスのヘルメットは使用できない。したがって目にはスキー用のゴーグルを掛け、鼻と口にはマスクの上からタオルを巻いている。
「ここでも自衛隊の連中はお行儀よく土木作業に励んでやがる。面白くもない」松田は津波によって市役所の庁舎を含む市街地の7割が崩壊し、1555名が犠牲になったことには関心を示さず、捜索と復興に全力を傾けている自衛隊の姿を冷ややかに眺めながら通り過ぎた。
「今は一般の方は大島には渡れません」午後には大島への連絡船の港があった場所に到着したが、連絡船は津波で流出したため運航されていなかった。大島に送る救援物資と思われる段ボール箱を運んでいる市役所の職員らしい男性に声をかけると簡単に拒否された。
「海兵隊さんが船を出してくれているんですが、島民と市役所が依頼した人以外は乗せないことになっています」断られても後をついてくる松田を追い払うように職員は説明した。
「アメリカ海兵隊が連絡船を運航しているのか」「はい、本当にきめ細かい支援をしてくれているので市役所としても感謝しています」この口ぶりでは期待したような住民との諍(いさか)いは起こっていないのかも知れない。それならば起こすのが松田流の取材術だ。
「それじゃあ船を雇って渡りたいんだが、誰か紹介してくれないか」「貴方もしつこいね。何をやっている人なんだ」流石の職員も辟易してきたようで少し口調を荒げた。
「フリー・ジャーナリストの松田俊兵だ。東京のマスコミが踏み込まない被災地の実情を取材しているんだ」自衛隊に限らず公務員はマスコミと言う世論を左右する存在に対しては過剰な警戒心を抱くものだがこの職員は反応しない。そんなことを気にしている余裕がないのだろう。
「ならば打ち上げられている小舟を借りて自分で渡ることだ。持ち主は通りがかった人に訊けばすぐに見つかるよ」それだけ言うと職員はトラックの荷台に乗っている別の職員から段ボール箱を受け取り、両手に抱えて渡船場に向かって歩き始めた。
結局、無断借用したボートで大島に渡った松田は約3キロの道を歩いて島の中心地に向かった。道路は完全に崩壊していて徒歩でも通行が困難だったが、それでも辿りつけた松田にもジャーナリストとしての病的な好奇心が残っているらしい。
「マリンコさんですか。有り難いことです」「本当に感謝してます」「ずっといてもらいたいんだけど仕方ないね」ところが出会った島民たちは台本が配られているかのように同じ台詞しか言わない。得意の誘導質問を試みても結果は同じだ。
「一体どうなってるんだ・・・やはり在沖縄海兵隊の存在を認めさせるための宣伝活動に万全を期したようだな」松田の理解は常に悪意を基盤とするためアメリカ海兵隊は自衛隊以上に凶悪な殺人狂の集団でなければならず、その凶暴な野獣たちが住民に好感を与えたのは政治的な意図を持った演技としか考えられない。こうなれば常套手段を実行する必要がある。
「しまった。迷彩服を持ってくれば若い娘をレイプして『海兵隊が本性を露わした』と書くことができたんだが、この格好では化けることはできん」仲間のフリー・ジャーナリストはアフリカで若者を金で雇って自衛隊の宿営地の周辺で発砲させ、PKO法の派遣要件である非戦闘地域を破ろうとした。その仲間が愛人を目の前でレイプされて残酷に殺害されたことは問題外だ。
  1. 2019/03/30(土) 11:28:13|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

3月30日・護衛艦・てるづき衝突事故

昭和38(1963)年の明日3月30日に海上自衛隊護衛艦隊の初代旗艦だった護衛艦・てるづきが浦賀水道で貨物船に衝突されて乗組員5名が死亡する事故が発生しました。
護衛艦・てるづきは帝国海軍の駆逐艦と同様にあきづき型の2番艦で(帝国海軍は秋月・照月と漢字だった)、日米の相互防衛援助協定に基づきアメリカの予算で海軍の駆逐艦として三菱重工神戸造船所で建造されてアメリカ海軍で就役した後、日本に供与されました。野僧が勤務していた第83航空隊にも同様の手順で取得していたFー104J戦闘機が配備されていて、飛行時間が満了すると日本の予算で購入したF-104Jの多くはラジコン機に改造されて硫黄島で標的機として撃墜されるのに対してこちらはアメリカに返納していました。ところがアメリカは航空自衛隊が用途廃止したF-104を中華民国に無償譲渡したため八重山方面の防空識別圏(ADIZ)に接近するアンノウンに緊急発進すると見覚えがある戦闘機で(沖縄の83空隊機は防錆ウレタン塗装してある)、おまけに中華民国空軍は国籍章を青天白日に塗り直しただけで尾翼の部隊章は207飛行隊のままだったので仲良くランデブー飛行して帰ってきたそうです。台湾軍の友人に「安全上の問題はないのか」と質問すると「航空自衛隊は整備が完璧なので大丈夫だ」との答えでした。
海軍少年だった野僧は護衛艦・てるづきのプラモデルを作って部屋に飾り、毎月購読していた雑誌「世界の艦船」で知識を仕入れましたが、全長は118メートルで駆逐艦・照月よりも16メートル短く、全幅は12メートルで50センチ広く、基準排水量は2350トンで350トン軽い艦でした。兵装は5インチ単装砲が3門、3インチ連装速射砲が2門、対潜ロケット砲と対戦迫撃砲、魚雷発射管が各1基、短魚雷発射管が2基など当時の護衛艦としては強力でした(後に「あきづき」と共に対潜迫撃砲と魚雷発射管、短魚雷発射管は撤去されて対潜ミサイル・ボフォースに換装された)。
そんな「てるづき」は伊豆大島沖での海難救助訓練を終えて横須賀基地に帰る途中、港外の第2海堡(海軍が築いた海上の砲塁跡)の北西4キロを航行中だった午前3時45分頃に日本郵船の2350トンの貨物船が右後部に舳先を喰い込ませる状態で衝突したことで舷側が4から5メートル抉られる形で破断・浸水しため後部居住区で就寝していた5名が死亡し、23名が負傷したのです。原因は貨物船が「てるづき」の尾灯を小型漁船の物と誤認して前を突っ切ろうとしたことでしたが、当時の護衛艦の尾灯は存在を秘匿するため光量が小さくそれも遠因ではありました(まだ軍事常識が通用していたため問題にはならなかった)。また帝国海軍であれば吊り床で就寝しているため衝突により浸水が始まっても閉じ込められることはなかったのですが、それを指摘したのは元海軍軍人だけだったようです。ちなみに艦長は3月16日付で東京高等商船(現在の商船大学)出身者から海軍兵学校出身者に交代したばかりでした。
「てるづき」はその後、新鋭艦の就役に追われる形で格下の艦隊の旗艦を務め、1994年7月14日に八戸沖で新型空対艦ミサイルの発射実験の標的艦として三沢基地を飛び立った航空自衛隊機によって爆沈されました。
  1. 2019/03/29(金) 11:06:29|
  2. 自衛隊史
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

振り向けばイエスタディ1506(かなり実話です)

4月6日をもって気仙沼市大島でのトモダチ作戦が終結する。3月下旬に強襲揚陸艦・エセックスが島の沖に停泊して以来、海上では津波に巻き込まれて漂流している犠牲者を収容するだけでなく、潜水員が浮遊している多くの建材や転覆している漁船の中を捜索してきた。
同時に先行して上陸した工兵隊は建設機械で島の主要な道路を啓開し、4月1日に主力300名が上陸すると倒壊した家屋を撤去して多くの遺骸を発見し、衛生隊が2008年の映画「おくりびと」のように処置して納棺した上、発見現場の消毒も行っていた。
さらに気仙沼市との連絡橋が崩落したため小型船で支援物資などの運搬も担ってきた。それだけでなく避難所で子供たちに野球やバスケットボールを教え、超初級の英会話教室も開催していて1週間とは思えない充実した支援を繰り広げてくれた。
「マリンコさん、帰っちゃうの」別れを告げた海兵隊員にバスケットを習っている子供たちは半ベソをかいて念を押してきた。子供たちだけでなく島民たちも海兵隊員が誇りを持って自称する「U・S・マリン・コー(アメリカ海兵隊)」をそのまま仇名にしている。
「うん、U・S・マリン・コーには命令が下れば『イエス・サー』以外の返事はないんだ」沖縄勤務で覚えた日本語なのであまり上手いとは言えないが子供たちに判るようには説明できた。
「だって『イエス・サー』って『はい、判りました』ってことでしょう。嫌な時はどうするの」「僕だってお父さんやお母さんに命令されても『嫌だ』って言うことあるよ」「嫌なことは嫌って言わないと損するよ。それでも良いの」子供たちの疑問に答えるにはこの上等兵の語学力はやや弱い。そこに日本語に堪能な軍曹が通り掛かった。この軍曹は日本人女性と結婚している。
「軍曹、助けて下さい」唐突に上等兵に声をかけられて軍曹は一瞬、怒ったような顔をしたが、子供たちに取り囲まれているのを見て状況を察して笑顔になった。
「どうした」「私の説明を日本語に通訳して下さい」歩み寄った軍曹に上等兵は懇願した。これは英語での遣り取りだが、子供たちも事情を察して軍曹の顔を注視した。
「それでお前は何と答えるつもりなんだ」子供たちとの質疑応答の説明を受けた軍曹は肝心の回答を確認してきた。確かに翻訳するのはここだ。
「『アメリカ海兵隊員の身体は忠誠心だけでできているから、国家からの命令が嫌なことはあり得ないんだ』と答えるつもりでした」上等兵の答えを聞いて軍曹は呆れてしまった。これはアメリカ海兵隊員としては模範回答だが日本人の子供たちに通じるとは思えない。むしろ高齢の祖父に話せば「上官の命令は天皇陛下の御命令」と教えていた帝国陸軍と同様なのかと誤解を与える危険がある。軍曹は難しい顔で考え込んでから頬を緩めて上等兵に話しかけた。
「子供たちが理解できるように表現を変えるぞ。良いな」「イエス・サー」上等兵の返事に子供たちは実演を聞いたような気がして顔を見合わせた。
「U・S・マリン・コーは自分の国をとても大切に思っているんだ。だから大切な国の命令が嫌なはずがないんだよ」これが子供の説明する上では模範回答だ。すると子供たちは目を輝かせて即席の精神教育の成果を口にし始めた。
「僕も大島が大切だよ」「うん、僕たちがマリンコさんが頑張ってくれた仕事の続きをやるんだ」「その時は呼ぶから見に来てね」思い掛けない子供たちの決意表明に軍曹は通訳を忘れて感動を噛み締めた。上等兵も子供たちの表情を見て意味が理解できたのか胸を熱くしていた。
「兵隊さん、有り難うござりる」避難所でも支援物資の最終便を届けに来た海兵隊員が被災者に取り囲まれていた。中でも高齢者たちは子供の頃に「ギブ・ミー・チョコレート」と叫んで追いかけていた頃を再現しているかのように周囲を固めて放さない。
「ワシらは進駐軍にも助けてもらったが、死ぬ前にもう一度、アメリカさんの世話になるとはな・・・これで太平洋の向こうのお国に足を向けて寝られなくなったわい」最高齢者は進駐軍の実像を知っているので感想が違う。確かに進駐軍は支配者として横柄に振舞っていた面もあるが、実際は戦火で荒廃していた日本の復興のための大規模な土木工事や消毒による伝染病予防などで助けられてきた。何よりも軍国主義・国粋主義の狂気が蔓延していた日本に江戸時代の庶民文化のような自由で闊達な社会を取り戻してくれた。その恩恵を一部の負の側面ばかりを強調して否定したのはソ連と共産党中国を賛美するマスコミと教育者たちだ。だからアメリカ海兵隊が来ることを聞いた島民の大半がレイプ事件の発生を危惧していたのだ。
「沖縄へ行って苛められたら何時でも帰って来なさい。大歓迎するよ」「ウチの家と畑を上げるから島の住民になりなさい」通訳抜きで一方的に話しかけられても海兵隊員には理解できないのだが、島民たちの表情と口調で親愛の情と感謝の意に満ち溢れていることは判った。
「記念にハグしてよ」いきなり老婆が抱きついてきた。この単語は誰に習ったのだろうか。
  1. 2019/03/29(金) 11:05:29|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

3月28日・スリーマイル島原子力発電所の放射能漏れ事故

1979年3月28日にアメリカ東北部のペンシルバニア州の州都であるハリスバーグ市郊外を流れるサスケハナ川の周囲約5キロ(=約3マイル)の中州・スリーマイル島にある原子力発電所で放射能が漏れる事故が発生しました。
当時、野僧は高校の春休みだったので個人的に新聞とテレビで見るだけでしたが、これが学期中であれば日教組の教師たちが担当科目そっち除けで原発の危険性の授業をやってくれたはずです。尤も、その方が1986年4月26日のチェルノブイリ原子力発電所や2011年3月11日の福島第1原子力発電所の事故を知る上で有益だったはずです。
この事故は2基ある原子炉のうち営業運転を開始して3カ月の2号炉で発生しました。現地時間の3月28日午前4時37分に冷却水の不純物を除去するための脱塩塔内のイオン交換樹脂を再生するために移送していた管が詰まり、溢れた水が弁を制御する計測装置に流入したことを「異常」と探知したため給水ポンプと連動するタービンが停止したことが始まりでした。このため原子炉に冷却水が供給されなくなり、炉心が過熱したことで内部圧力を排出する安全弁が開いたのです。
この時、排出されたガスの高熱で弁が固着してしまい、内部の圧力が低下しても開いた状態が続いたため蒸気になった原子炉の冷却液が噴出しました。原子炉は自動的に制御棒を炉心に入れ、核反応を停止させる装置が作動しましたが、沸騰した冷却水が水位計を押し上げたため運転員が「冷却水の過剰注水」と誤判断して手動で非常用炉心冷却装置を停止してしまったのです。同じ誤判断で冷却水ポンプも停止したため2時間20分にわたり沸騰した500トンもの冷却水の水蒸気が開きっ放しの安全弁から噴出し続け、炉心の上から3分の2が露出する事態になりました。この時、制御室では各機能単位ごとに設置されている警報装置の号音が一斉に鳴り響き、警告灯が点滅を続け、運転員の正常な判断を阻害したと言われています。結局、誤判断に気がついた運転員が冷却水を注入させたことで事故は停止しましたが、炉心溶解(メルトダウン)で燃料の45パーセントが溶解したのです。
排出されたガスの放射能濃度は比較的低く、市民が屋外で活動する時間帯ではなかったことも幸いして人的被害は軽微でしたが、当時は世界に原子炉を売り出していたアメリカで起こった事故だけに安全性への信頼は大きく損なわれました。しかし、州都の郊外に原子力発電所を建設すること自体が安全に対する過信と言えますが、逆に言えば都会で浪費する過大な電力のために危険な原子力発電所を田舎に作っている日本の原子力行政の方が問題なのでしょう。
この事故は原子力事故・故障を評価する国際原子力事象尺度では「放射性物質の限定的な外部放出」と「原子炉の炉心や放射性物質障壁への重大な損傷」による「事業所外にリスクを伴う事故」=レベル5になっています。ちなみに前述のチェルノブイリ原子力発電所と福島第1原子力発電所は「放射性物質の重大な外部流出」と「原子炉や放射性物質障壁が破壊、再建不能」による「深刻な事故」=レベル7=最上位です。
  1. 2019/03/28(木) 11:26:20|
  2. 日記(暦)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

振り向けばイエスタディ1505

結局、淳之介とあかりは4月の第2週になってから那覇に向かった。春休みの観光シーズンが終わったとは言え、真夏よりも過ごしやすい季節なので定年退職を迎えた熟年夫婦の観光客はむしろ増えており、飛び込みの休暇はもらえなかったのだ。そのおかげであかりの荷造りが余裕を持ってできたので悪くはない。
「あかり、お帰り。淳之介、ご苦労さま」日本トランスオーシャン航空の送迎ロビーには梢が迎えに来ていた。年中無休の旅行社の空港支店では平日に交代で休む。それを今日にしたらしい。
「流石に大きなお腹ね。それなら何時子供が出てきても不思議はないわ」梢は淳之介の腕にすがりながら歩み寄ったあかりの姿に感嘆したように呟いた。やはり2月上旬からの2カ月で腹=中の子供は大きく育っているようだ。一方、梢自身はあかりを7カ月で出産しているのでここまで大きなお腹にはなっていない。
「順調なの」「うん、こっちに来る前に受診したけど安心して産んで下さいだって」あかりは出発が遅れたついでに八重山病院にも通院したらしい。淳之介が「行け行けドンドン」でやっていけるのはこのあかりの念入りで慎重な生活態度があるからだ。そうなると単身赴任生活が心配になるが、そこは父となった自覚で落ち着くことを期待するしかない。
「そう言えば父から『よろしくお願いします』って伝えてくれって頼まれました」淳之介は思い出したところで忘れないうちに梢に伝えた。すると何故か梢は苦笑した。
「昨日の夜、私から携帯に電話したのよ。ニンジンさんは職場に泊まりっ放しだから消灯ラッパが聞こえて懐かしかったわ」どうやら父は若い頃、梢が残業で遅くなると消灯の時間帯に公衆電話をかけていたらしい。ガチガチの堅物の模範的自衛官だと思っていた父も梢のためになら規律違反を犯したことを知り、淳之介は義母になっている梢の顔を見直した。
「あかりの荷物が続々と届いているわ。帰る前に淳之介が開けて分類してね」「はい、今夜中に頑張ります」石垣島から沖縄本島への宅配便は割増料金を払わなければ1泊2日の船便になる。それでもあかりの愛用品だけは出発前に航空便で発送したから今日にも届くはずだ。
「今日はこのまま病院に寄ってから帰ることにするわ。あかりはそれで良いわよね」「うん、今日じゃあないとお母さんが一緒に来られないんでしょう」やはりあかりの感性は鋭い。あかりと暮らしていると淳之介には視覚と言う感性が人間を視界の範囲内、見えいている表面上に閉じ込めるための制限のように思えてくる。視覚を持たないあかりには間違いなく健常者を超えた不思議な力があるのだ。淳之介がそんなことを考えている間に母と娘はロビーからタクシー乗り場に向かって歩き出していた。
「無事に戻ってきましたね」「・・・」医師の言葉にあかりは返事をしなかった。医師としては予定日の1ヶ月前を期限にしていたため、それに遅れたことを遠回しに叱責したのだが、あかりは「戻ってきた」と言われたことに引っ掛かっていた。あかりにとっては淳之介と暮らす石垣島が居場所であって親元である那覇市は「来た」場所だ。
「あちらの病院からカルテのコピーは届いていますが、やはり出生前診断は受けていないんですね」医師は事務的に問診を進めていく。八重山病院の担当医はあかりの障害と生活環境を十分に理解した上で意思を尊重しながら助言を与える態度を守ってくれている。しかし、都市部の病院の医師は患者の個人的な事情を持ち込んでいては仕事が進まないのだろう。
「はい、どんな身体で生まれてきても大切に育てたいと思います」医師はあかりの返事にも特別な反応はしない。東京を中心とする産婦人医学界で治癒不能なは障害を持った胎児を親の意思で除去する現代版優生保護を推進しているのだが、あかりの障害が先天的な疾患であれば父親は「足手まといになる」と産むことを許さなかったはずだ。つまりあかり自身が人工中絶の対象だったことになる。八重山病院の担当師はあかりに障害児に対応する能力が欠けることを十分に説明しながらも最終的に意志を尊重してくれた。
「御家族が同意しておられるのであればこちらとしては何も申し上げることはありません。どちらにしても・・・」流石に医師は「中絶するには手遅れ」とは言わなかった。
「それではエコーで確認しましょう。ベッドに横なって下さい」医師の指示に梢が立ち上がったあかりに手を貸してベッドに寝かせた。淳之介は性器を確認することもある産婦人科の診断に立ち合うことは避けている。看護師は横目で確認しながら器材の準備をしているが、このような作業分担も随分と機械的で冷淡だ。
「ハンサムな息子さんですね。産まれてくるのが楽しみだ」エコーで映った胎児の顔の映像を見ながら医師は励ますように誉めたが、あかりは性別の事前周知を拒否していたのだ。
「・・・淳之介にも言いなさい」それを知っている梢の助言にあかりは諦めたようにうなずいた。
  1. 2019/03/28(木) 11:24:41|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

3月28日・アメリカ陸軍元帥・アイゼンハウアー大統領の命日

1969年の明日3月28日は第2次世界大戦におけるヨーロッパ戦線の連合国遠征軍最高司令官から陸軍参謀長、北大西洋条約機構(NATO)軍最高司令官を務めた陸軍元帥でもあるドワイト・デビット・アイゼンハウアー大統領の命日です。
アメリカ軍士官の友人たちの間では野僧と同世代はドナルド・ウィルソン・レーガン大統領、年長者はドワイト・アイゼンハウアー大統領が絶大な人気を獲得していました。
ところが日本ではマスコミの扇動に乗せられて60年の安保改定に反対した都市部の愚民たちがアイゼンハウアー大統領の訪日阻止を叫び始め、事前調整のために来日した大統領報道官が羽田空港から出られず海兵隊のヘリコプターで脱出するほどの憎悪の対象になっていました。しかし、実際のアイゼンハウアー大統領は大富豪のお坊ちゃんで病的女色癖を患っていたケネディ大統領などよりもはるかに日本人好みの苦労人でした。
アイゼンハウアー大統領は1890年にテキサス州のヨーロッパ系移民(姓はドイツ系)の7人兄弟の3番目として生まれました。2歳の時にカンザス州に転居し、そこで高校を卒業しましたが次兄と共に大学進学を希望したものの弟たちが就学中だったため学費が確保できず、仕方なく兄と1年交代で大学へ通い、仕事に励んで学費を稼ぐ約束を交わしたのです。このためバター工場に就職して兄の学費を稼いだのですが、約束を違えて「継続して2年次も通学したい」と言い出したため仕事を続けることになりました。そんな折、友人から「ウェストポイントの陸軍士官学校やアナポリスの海軍士官学校に入れば給料をもらって学ぶことができる」と誘われたため両方を受験し、どちらも合格しましたがアナポリスは年齢制限に引っ掛かったためウェストポイントに入営することになったのです。
1915年の卒業後は歩兵部隊で勤務し、第1次世界大戦に登場した新兵器・戦車の部隊に配属されるとヨーロッパ戦線への派遣を希望しましたが実現しませんでした。その後は将軍の副官としての勤務が続き、高所大所から考察する習慣を身につけたようです。
ところが少佐の時、ダグラス・マックアーサー将軍の副官になったことでフィリピンに同行する羽目になり、占領下の日本でも見せた君主気取りの行状で続発する問題を押しつけられたまま16年間も昇任せずに過ごすことになりました。結局、1936年に中佐に昇任すると第2次世界大戦が勃発していた1940年に本国に転属し、順調に昇任して行きましたが実戦経験がないため指揮官よりも参謀として人事管理されていたようです。
ところが1941年末にアメリカが参戦するとアイゼンハウアー准将の企画・立案・調整と苦情処理に長けた行政能力が高く評価され、連合軍最高司令官に任命されることになりました。こうしてジョージ・スミス・パットン大将やバーナード・モントゴメリー大将などの荒くれ者や虚栄心だけのフランスの軍人たちを使いこなし、ソ連の侵攻をベルリン付近で喰い止めることに成功したのです。
なお、アイゼンハウアー元帥は戦争終結後のヨーロッパからトルーマン大統領宛てに原爆の使用に反対する書簡を送っており、大統領就任後も「原爆投下はアメリカの罪」と明言していたそうです。口だけのオバマ大統領よりも尊敬に値するのではないでしょうか。
  1. 2019/03/27(水) 09:21:46|
  2. 日記(暦)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

振り向けばイエスタディ1504

石垣島の淳之介は東北地方の震災からは蚊帳の外に置かれていた。沖縄の放送局と新聞社は在沖縄アメリカ軍が震災に派遣されたことを「存在価値を肯定化するための宣伝活動」と批判しており、自衛隊と合わせて報道することを避けているためテレビや新聞では見ることができない。
本土のマスコミが連日、大きく取り上げている福島第1原子力発電所の事故と放射線漏れも沖縄には原子力発電所がないので自民党政権当時の原子力推進政策を糾弾し、都市部が使う電力を確保するために危険な原子力発電所を押しつけられた福島県は本土の安全保障のためにアメリカ軍基地を押しつけられている沖縄と同じだと繰り返している。
「お前をお母さんの家に連れて行くのは何時が良いのかな」春休みの観光シーズンが終わって久しぶりに休日をもらった淳之介はアパートであかりと過ごしながら相談を持ちかけた。
「予定日は5月6日だからそろそろ行かないとね・・・」台所で昼食後の洗い上げをしているあかりは振り返って返事をした。居間から見ていても顔より大きな腹が迫って来る。
「那覇の病院に行ったのは何時だったかな」「ウチナー正月で帰った時だから・・・2月3日の翌日の金曜日じゃあなかったかな」あかりは今年のウチナー正月(太陰暦の1月1日)が2月3日だったことを記憶しているのでそこから起算したらしい。
「あちらの先生は4月に入ったらすぐに来るように言ってたんだよな」「うん、こちらで出産するとその後の移動が困難になるから1ヶ月前には来なさいって」予定日の1ヶ月前では明日には移動しなければならない。どちらにしても覚悟の決め時なのは間違いない。
そこにあかりが居間に戻ってきた。やはり妊娠9カ月になると腹は随分大きくせり出している。淳之介はそんなあかりの姿に母の佳織が志織を生んだ時を思い出していた。志織が産まれた日の父は当直明けで母は陣痛が始まっていても1人で耐えていた。今度は兄ではなく夫として出産を迎え、父にならなければならない。
あかりは手で座卓の位置を確認して腹が当たらないよう慎重に腰を下ろした。確かにそのまま座ればせり出した腹が当たって頭を下にしている子供に怪我をさせてしまいそうだ。
「私は妊娠7カ月で生まれたから貴方は2カ月も長く母親のお腹の中で育っているんだね」あかりは自分の腹を撫でながら話しかけている。それは羨望ではなく安堵の言葉だ。あかりの母・梢は酔って帰った夫が襲いかかり、妊婦には禁じられている激しい性行為を加えたことで陣痛が始まって早産した。胎児の網膜血管は14週くらいから発生し、30週頃に完成するとされているが、未熟児で産まれると安定した母体から急激に環境が変化するため異常な増殖を起こして未熟児網膜症を発症することになる。その点、この子は大丈夫だろう。
「それじゃあ、今週中に那覇へ行くことにしよう。お母さんに飛行機を手配してもらって俺が会社で休暇をもらったら行くぞ」淳之介は「用意周到」「動脈硬化」の陸上自衛官の息子だが生まれた時は父が「勇猛果敢」「支離滅裂」の航空自衛官だったので「善は急げ、行動吉日」が行動原理なのだ。あかりにとって那覇へ行くことには淳之介との暮らしが数年にわたって中止になる哀しみも伴うのだが、夫の方が単純明快に突き進んでいては同調するしかない。
「一応、お父さんに連絡しておいた方が良いかな」淳之介はカレンダーと時計を確認すると手を伸ばして充電中の携帯電話を取った。平日の昼間では携帯電話になる。
「もしもし、陸幕法務官室・モリヤ2佐ですが」「もしもし、お父さん」やはり勤務中の父は口調が重々しい。私物の携帯電話にも仕事の肩書で出たと言うことは多忙なようだ。
「どうした。地震であかりに何かあったのか。それとも津波でお前が被害を受けたのか」「地震って半月も前じゃないか。石垣島にも小さい波が届いたらしいけど海の上じゃあ気づかなかったよ」沖縄では3月11日に東北地方で大きな地震が起こり、津波で大きな被害を受けたと言う第1報とその津波で福島県にある原子力発電所が破壊されて放射能が漏れ始めたと言う第2報以外は特別な報道はない。全国区のニュースでも被災地の中継では災害派遣で活躍している自衛隊が映るため地元のニュースを割り込ませている。
「無事なら何よりだ。あかりはもうすぐ予定日だろう。もう梢のところへ行かせたのか」父の思考回路も珍しくパンク寸前のようだ。それだけ本土では重大な事態に陥っていて多忙を極めているのかも知れない。淳之介は用件を言い忘れていることに気がついた。
「今週中にあかりを那覇へ連れて行こうと思ってるんだ。だからお父さんに連絡しておこうと思ってね。忙しいところごめんなさい」「そうか。梢に電話したいが落ち着いて話をしている余裕はないんだ。お前の方から『よろしくお願いします』って言っていたと伝えてくれ」そこまで話したところに別の電話の呼び出し音が鳴り、男の人が「モリヤ2佐、仙台の司令部から電話です」と声をかけた。本当に余裕がなさそうだ。ここまでで電話を切った。
ち・モリヤあかりイメージ画像
  1. 2019/03/27(水) 09:20:31|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

3月26日・沖縄戦の初戦・慶良間群島にアメリカ軍が上陸した。

アメリカ軍は昭和20(1945)年4月1日の沖縄本島侵攻に先立つ3月26日に久米島との間にある慶良間群島に第77師団の抽出部隊を上陸させて日本陸軍のベニヤ板製モーターボート爆雷艇の沿岸防備部隊を殲滅しました。
陸軍の爆雷艇は同型の海軍の震洋とは違って特攻専用ではなく、艦艇の損失により離島の防御を期待できなくなった陸軍が独力で沿岸防備を講じるために開発した水上兵器です。設計上の諸元は全長5.6メートル、全幅1.8メートル、喫水は25センチメートルのベニヤ板製で、トヨタと日産の60馬力の自動車用エンジンで最高速度23から25ノット、約3.5時間の連続航行が可能だったとされています。そんな爆雷艇は緑色に塗装されていたため兵士たちからは「アマガエル」の愛称で呼ばれていたようです。
戦術の建前としては操縦席の後部に250キロ爆雷1個か120キロ爆雷2個を搭載して沖で停泊している敵艦に肉薄し、急旋回による遠心力で投下後は離脱すると言うものですが、これは陸軍の特攻は「死」そのものを目的とするのではなく、日露戦争における旅順攻城戦のように生還が期し難い任務を遂行することであって、その一線を踏み超えていた海軍には同調しなかったのです。海軍も旅順港閉塞作戦では乗員の生還を前提にしていましたが、真珠湾における特殊潜航艇・甲標的の捕虜になった1名を除く11名の乗員の死を規範としたことで狂ってしまったのでしょう。守備隊が全滅する玉砕戦もインドネシア島ブナの海軍陸戦隊(一部、陸軍も加わっていた)が最初です。
慶良間群島には300隻もの爆雷艇が配備されており、沖縄本島を包囲するように停泊しているアメリカ・イギリス海軍の艦艇を背後から攻撃する命令を待っていたのですが、上陸前の爆撃が慶良間群島にも及んだことで大半が破壊されてしまい4隻のみが出撃して攻撃を加え(戦果は不明)、2隻が沖縄本島に逃げ込んでいます。
この日、アメリカ軍は「爆撃と艦載機による機銃掃射によって日本軍は壊滅した」と確信して上陸したのですが、慶良間群島は急勾配で切り立った地形のため爆弾の威力は局限されていて日本軍は山の洞窟や深い樹林などに隠れており、散発的な戦闘の結果、29日の終結までに530名が戦死、121名が捕虜になり、アメリカ軍側も31名が戦死、81名が負傷しました。移動手段がなかった第32軍は見捨てるしかなかったのです。
一方、逃げ場を失った住民の多くは「生きて虜囚の辱めを受けるなかれ」と言う東條英機大将の陸軍大臣布告「戦陣訓」を教育されていたため事前に配られていた手榴弾で集団自決(駐在所の警察官と家族を含む)を遂げてしまいました。
この上陸の報を受けて九州各地の航空基地からは海軍の神風(しんぷう)、陸軍の振武(しんぶ)特別攻撃隊の46機が出撃し、夕暮れ前に慶良間沖のアメリカ、イギリス艦隊に突入しました。この時点ではアメリカ軍も特攻への対処法が確立されておらず駆逐艦に大破1隻、中破1隻、軽巡洋艦と駆逐艦2隻に損傷を与えています。
日本軍とA級戦犯・東條英機大将の大罪は軍人だけでなく文民にまで不当な「死」を強要したことです。慶良間群島もその「犯行」現場になりました。
  1. 2019/03/26(火) 09:36:34|
  2. 沖縄史
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

振り向けばイエスタディ1503(かなり実話です)

「カーネル(1佐)・モリヤ。グランド・ジエータイ(陸上自衛隊)は本当に災害復興をやる気があるのかね」地上でのトモダチ作戦が始まって数日後の昼に強襲揚陸艦・エセックス内の第31海兵隊遠征部隊の指揮所に設けられたモリヤ1佐のオフィスに仙台駐屯地の自衛隊の統合任務部隊司令部に派遣されている連絡士官の少佐から電話が入った。口調からは不満が鬱積していることが判る。モリヤ1佐は努めて優しい声色で返事をした。
「何か不具合がありましたか。必要であれば私の方から統合幕僚監部の二国間対応チームに連絡しますから言って下さい」海兵隊の女性士官は虚勢とも思えるほど気合が入った話し方をするためモリヤ1佐の女らしい言葉づかいに連絡官も気勢を削がれたようだ。何よりもモリヤ1佐は連絡官よりも上官のVIP(1佐以上)だ。
「朝8時から始まった会議が12時の昼食前まで続くんだ。それもペーパー(書類)が配られている資料の内容の説明が延々と続く。そんなモノはペーパーを読んで疑問点を確認すれば済む話だ」連絡官は語尾に「マーム(男性の『サー』に相当する)」を付けて敬語にはしているが文体は自衛隊を誹謗している。実はモリヤ1佐も太平洋軍司令部の連絡官から帰国して通信学校の副校長になった時、中身のない長時間の会議が繰り返されることに嫌気が差したことがあった。
「おまけに各部隊の長の職務権限に属する活動を方面総監に報告して承認を得ようとする。その説明も順番待ちだ。これでは軍としての指揮系統は全く機能していないことになる」日本的組織である自衛隊では直接関係しない部署にも業務内容を周知させようとする。これは自衛隊に限らず他の官公庁や民間企業でも行われており、暗黙の合意=コンセンサスと言う場の空気を作るために必要不可欠な手順なのだ。
「英語が判るスタッフに『こんな無駄なことをやって何になるのか』を訊いても『間違いがない判断を下すためには多くの確認が必要だ』と言うんだ」ここで連絡官は舌打ちした。
「継続する作業であれば会議に関係なく進めれば良いはずだが、必ずしもそうはなっていないようだ。本格始動するのは会議で方面総監の承認を得てかららしい。午後から仕事を始めて夕方に残業しても勤務時間は長くはなっていない。こんな馬鹿げたことをやっていて戦時の指揮ができるのかね」「はい、おっしゃる通りです」モリヤ1佐としても全く同感である。陸上自衛隊は指揮所演習・ヤマサクラを通じてアメリカ軍との連携を演練しているつもりになっているが、実際は演習のための事前練習を実施して台本通りの対応に熟練しているに過ぎない。それが初めての実動協同作戦である今回の災害派遣で体質的な問題が露呈した。モリヤ1佐は連絡官からの電話を切るとそのまま東京の陸上幕僚監部の防衛部長にかけた。
「防衛部長、晩鐘です」やはり晩鐘将補は自室にいた。防衛省の中央指揮所は大臣を取り巻く内局の官僚が取り仕切っており、制服組は統合幕僚長と陸海空幕僚長だけが出席を許されている。したがって晩鐘将補が定位置で勤務していることは容易に推察できた。
「二国間対応チームのモリヤ1佐です」モリヤ1佐の声を聞いて晩鐘将補が少し身構えたことが判った。この時期に第31海兵隊遠征部隊に同行している調整官から連絡が入ったのは何か問題が発生した可能性が高い。
「どうした。マリンコ(海兵隊)が何かトラブッたか」「こちらは順調なんですが、統合任務部隊司令部に派遣している連絡官から苦情が届きまして」この説明で晩鐘将補が溜息をついた。
「会議で時間を浪費しているのは我慢ならないとの指摘がありまして」「なるほど。東北方面隊は自衛隊式にやってるんだな」どうやら晩鐘将補も同感らしい。陸上自衛隊も次第にアメリカ留学を経験している者が増えているが体質を変えるほどの人数にはなっていない。その点、アメリカ空軍の申し子・航空自衛隊だけでなく、かつては「伝統墨守」「唯我独尊」と言われていた海上自衛隊も帝国海軍臭を払拭して第7艦隊の一員になり始めている。尤も、帝国海軍自体がアメリカ海軍のマハン少将の教え子なのだ。
「判った。何とかしよう。君はそこで陸上自衛隊にもアメリカ・ナイズされた人間もいることを示してくれ」「はい、判りました」対応は晩鐘将補に一任してモリヤ1佐は電話を切った。
「カーネル・モリヤ。どんな手を使ったんですか」翌日、連絡官から再び電話が入った。その口調には驚愕と敬意が入り混じっている。
「会議が少しは短くなりましたか」「短くなったどころかトップから50分以内に終えるように指示が出たそうです」気がつくと連絡官の言葉づかいは正確な敬語になっている。どうやら晩鐘将補が何らかの方法で東北方面隊総監が兼務している統合任務部隊司令官に会議の時間短縮を申し入れたようだ。取り敢えず司令部機能が活性化すのは間違いないが、陸上自衛隊の体質が簡単に変わらなうことはモリヤ1佐も熟知している。
  1. 2019/03/26(火) 09:34:41|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

3月26日・韓国海軍の天安が撃沈された。

2010年の明日3月26日21時45分頃に韓国西方の黄海上の北方限界線(=海上の軍事境界線)付近で韓国海軍のコルベット(小型駆逐艦)・天安が突如、爆発を起こして沈没し、乗員104名のうち46名が行方不明になりました。
4月15日に水深40メートルの海底に2つに破断していた後部が引き揚げられて行方不明46名のうち36名の遺体が回収され、4月24日には他の部分も引き揚げられて46名の死亡が確認されましたが、それ以外にも3月30日に韓国海軍と在韓アメリカ海軍が共同で捜索活動を実施中に沈没艦の中で韓国軍のダイバーの准尉が意識不明になって殉職し、4月2日には海底の遺留物を回収していた底曳き網船がカンボジア船籍の貨物船と衝突・沈没して9名が死亡したので合計56名が犠牲になっています。
これを受けて李明博政権は韓国軍と韓国、アメリカ、イギリス、オーストラリア、スウェーデンの機械工学の大学教授と造船技師を中心とする合同調査団を編成して事故原因の調査を開始しましたが日本は含まれていませんでした。当時、日本では民主党の鳩山由紀夫政権が成立して半年が経過しており、韓国に限らず台湾やフィリピン、ベトナム、マレーシア、インドネシア、タイなどでは鳩山首相の軽薄さや素人同然の政権運営に対する不信感が高まっており、特に在沖縄アメリカ軍の県外移設と言う政権公約とオバマ大統領に対する事態収拾の確約の不履行によって日米関係が過去にないほど険悪になり、同盟が破綻するとの認識が広まっていたことを受けて慢性的な低支持率に苦慮していた李政権としては国内に根強い反日世論に迎合する方向に外交の転換を図っていたようです。
日本を除く5カ国合同調査団は5月20日に「内部爆発の形跡は確認されず、艦体の海面下の舷側に魚雷によると思われる突入痕が残っており、沈没までの時間が極めて短かったことなどから北朝鮮の潜水艦による魚雷攻撃による燃料の爆発が原因」と発表したのです。これを受けて5月24日には李大統領が「対国民談話」を発表しましたが、金大中・盧武鉉政権による南北融和を全面的に支持していたマスコミはそれを虚構とする否定報道を開始し、韓国製コルベットの構造上の欠陥(確かに韓国の造船技術は劣悪で、軍艦も就役直後から使用不能になることが多い)やアメリカ海軍の原子力潜水艦による魚雷の誤射と言う奇説まで流布されました。それは長く尾を引き李政権末期の2012年8月12日には韓国地震研究所の所長が事故当時の地震波と水中音波を解析した結果、「1970年代の朴正煕政権の頃に韓国軍が敷設した機雷に触れて爆沈した」と言う反論を発表しています。
この事態にアメリカの国務省と国防総省は全面協力した科学的調査の結果をマスコミが感情論だけで否定し、世論がそれに同調した韓国と言う国家に対する不信を決定的にしました。それは金・盧政権が南北首脳会談の時にアメリカの軍事機密を手土産に渡し、それが中国に流れた背信行為や李政権の幹部が支持率回復のための対馬侵攻(奪還と呼んでいた)作戦の研究を韓国軍に命じたことなども加わって現在に至っています。
補足すれば李政権の断罪を受けて南北対立は激化の一途を辿り、11月30日には延坪島に砲撃を加えてきましたが、マスコミは「韓国側の挑発が原因」と報道しました。
  1. 2019/03/25(月) 09:34:00|
  2. 日記(暦)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

振り向けばイエスタディ1502

松田のようなフリー・ジャーナリストに限らずマスコミ関係者の過半数は学生時代に教授の政治批判に共鳴し、反政府活動に参加して社会の改革を自分の使命と信じているらしい。そのため自衛隊はその討ち滅ぼすべき保守政治を守る飼い犬であり、明らかに敵である。ただし、会社と言う看板を背負っている以上、手放しでフリー・ジャーナリストと言う自営業者に同調する訳にはいかない。そんな彼らは姑息で巧妙な手段で自衛隊の活躍を妨害していた。
「M日新聞の畠中です」この日も首相官邸では官房長官による記者会見が行われていた。最近は福島第1原子力発電所の事故の状況説明と放射能の影響、避難させた住民への支援に終始しているため記者たちの間にはマンネリ感が漂っている。そこに一石を投じるのが今日の戦術だ。
「実は被災地では行方不明者の捜索に当たっている自衛隊が所有者の許可も取らずに家屋を破壊して室内に立ち入っていることが問題になっているようですが、政府としては許可しているんですか」これは記事としては採用されなかった情報だが、政権中枢に投げつければ効果は期待できる。案の定、杖野官房長官は険しい顔になって黙り込んだ。
「その件については現地からの報告を聞いていないのでこの場では回答はしかねます。確かに自衛隊には警察や消防のような法的特権は与えられていませんから緊急事態とは言え活動には一定の限界があります。その点については政府内で検討して自衛隊に指導したいと思います」「それは今回に限ると言うことですか」畠中記者の追い討ちに杖野官房長官は1つ息を呑んだ。
「関係法令が改定されない限り、今後の同様の事例に適用されることになります」極めて弁護士的模範解答に畠中記者は満足げにうなずいた。本来であれば保守系新聞の記者が現実的な必要性から自衛隊の立場を擁護し、官房長官の発言に疑問を呈さなければならないのだが、質問の背景にある事態を知らないので口をつぐんでいた。
「A日新聞の鈴木です」次の質問者・鈴木は机の上にA日新聞を広げた。それは1面ではなく途中の記事のようだが、自衛隊の災害派遣の光景の写真が載っている。
「これは今日の我がA日新聞の社会面ですが、この写真に写っている自衛官たちの行為に対する疑問、と言うよりも批判の声が多数寄せられています」そこまで説明して鈴木は立ち上がると紙面を掲げながら一回りして周囲の記者にも写真を見せた。記者たちは競合する他紙の記事には目を通しているので、この写真にも記憶がある。
「この隊員たちは運び出す遺骸に対して合掌して頭を下げていますが、それは宗教的儀礼に当たるのではないかと言う声が上がっています」本当は疑問や批判の声などは全く寄せられていないのだが、この記者が反戦平和運動の取材で親しくしている護憲派のキリスト教牧師に連絡を入れて感想を求めたのだ。今回も杖野官房長官は険しい顔をしかめた。頭の中では日本国憲法が定める政教分離原則だけでなく遺骸がクリスチャンだった場合の信教の自由への侵害の判例にまで思考が及んでいるのかも知れない。
「死者に儀礼を尽くすことには問題がないとは思いますが、それが特定の宗教の作法となると死者が信仰していた宗教と齟齬が生じる可能性があります。その点は慎重にするべきでしょう。この件も自衛隊に指導します」「自衛隊にだけですか」鈴木の追い討ちは牧師から申し入れられた批判の請け売りだ。牧師は3月15日の東京都知事の「天罰」発言を「旧約聖書の説話の曲解だ」と批判しており、「ならばカミの怒りに触れて死んだ被災者の慰霊はキリスト教会が行うべきだ」と強弁していた。宗教に関心を持たない現実主義者の鈴木にはどうでも良いことだが、利用し易い協力者の意向は尊重しておいて損はない。
「判りました。中央官庁に限らず地方自治体にも周知徹底します」「自治会はどうですか。公的助成金で神社の祭礼を行っているくらいだから、慰霊行事を寺院に依頼して代金に流用するのではないですか」この粘着質な追及がA日新聞とM日新聞の社風・気質の違いだ。
「流石に自治会まで指導することには問題がありそうです。公費の支出を監視するように指導します」杖野官房長官は何とか常識の範囲で踏み止まったが、どちらの記者の質問も現場の被災者たちの意思とは真逆の方向に政府を動かしている。そこまで杖野官房長官の思考が働かなかったのは慢性的な寝不足が原因なのだろうか。
「モリヤ1佐さん、政府から公的機関の宗教行為を禁ずる指導が来たんです」業務調整のためモリヤ佳織1佐が大島出張所を訪れると所長が困り切った顔で申し出た。大島ではチャップレン(宗教士官)の慰霊ミサ以来、島内の各寺院が交代で収容された遺骸の法要を勤めるようになっており、出張所としても住民を精神的に落ち着かせる効果を実感している。
「在日アメリカ軍は日本政府の強制を受けませんから大丈夫です」モリヤ1佐の即答に所長は複雑な顔をしながらうなずいた。確かにそれが「戦時も」となると恐ろしくなる。
  1. 2019/03/25(月) 09:32:51|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

3月25日・カソリックの受胎告知の祝日

3月25日は1725年に第245代教皇・ベネディクトゥス13世が定めたカソリックの「受胎告知の祝日」です。ちなみに正教会・東方教会では4月7日です。
新約聖書には受胎告知について2つの場面が述べられています。あえて日本聖書刊行会版「新約聖書」から全文を引用するので日本語訳の稚拙さを堪能して下さい。
1つはマタイの福音書の1の18から25で「イエス・キリストの誕生は次のようであった。その母マリヤはヨセフの妻と決まっていたが、2人がまだ一緒にならないうちに聖霊によって身重となっていることが判った。夫(性格には許婚)のヨゼフは正しい人であって彼女を晒し者にしたくなかったので内密に去らせようと決めた。彼がこの事を思い巡らしていた時、主の使いが夢に現れて言った。『ダビデの子ヨゼフよ。恐れないで貴方の妻であるマリヤを迎えなさい。その胎に宿っている者は精霊に依るのです。マリヤは男の子を産みます。その名はイエスとつけなさい。この方こそご自分の民をその罪から救って下さる方です。この全ての出来事は主が預言者を通して言われたことが成就するためだった。見よ。処女が身籠っている。そして男の子を産む。その名はインマヌエリと呼ばれる』。ヨゼフは眠りから覚め、主の使いに命じられた通りにしてその妻を迎え入れ、そして子供が産まれるまで彼女を知ることはなく、その子供の名をイエスとつけた」と言うものです。
もう1つはルカの福音書の1の26から38で「ところでその(洗礼者ヨハネの誕生の告知の)6か月前に御使いガブリエルが主から遣わされてガラリアのナザレと言う町の1人の処女のところに来た。この処女はダビデの家系のヨゼフと言う人の許嫁で名をマリヤと言った。御使いは入って来るとマリヤに言った。『おめでとう。恵まれた方。主が貴女と共におられます』。しかし、マリヤはこの言葉にひどく戸惑って『これは何の挨拶なのか』と考え込んだ。すると御使いが言った。『怖がることはない。マリヤ、貴女は主から恵みを受けたのです。御覧なさい。貴女は身籠って男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。その子はすぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。またカミである主は彼にその父であるダビデの王位をお与えになります。彼は永久にヤコブの家(=ユダヤ人の国)を治め、その国は終わることがありません。そこでマリヤは御使いに言った。『どうしてそのようなことになりましょう。私はまだ男の人を知りませんのに』。御使いは答えて言った。『精霊が貴女の上に臨み、いと高い方の力が貴女を覆います。それ故、産まれる者は聖なる者、カミの子と呼ばれます。御覧なさい。貴女の親類のエリザベツ(洗礼者ヨハネの母)もあの年になって男の子を宿しています。不妊の女と言われていた人なのに。今はもう6ヶ月です。主にとって不可能なことは1つもありません』。マリヤは言った。『本当に。私は主のハシダメ(召使い女・下女)です。どうぞ、貴女の言葉通りこの身になりますように』。こうして御使いは彼女のもとを去って行った」と言うものです。
「受胎告知」と言うとイタリアのフィレンツェにあるウフィツィ美術館所蔵のレオナルド・ダ・ヴィンチの作品が有名ですが、エル・グレコなどの同画題の作品などの大半は読書または糸紡ぎをしているマリヤに大天使・ガブリエルが告知しているルカの場面です。
  1. 2019/03/24(日) 10:48:45|
  2. 日記(暦)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

振り向けばイエスタディ1501(かなり実話です)

宮古市では第3普通科連隊本部管理中隊の施設作業小隊が建設機材を使って比較的被害が小さかった田尻地区への山側の迂回路を啓開したためトラックでの荷物の運搬が可能になっていた。したがって避難所での炊き出しも本格始動している。
「隊員さん、今日のオカズは何だね」演習用の野外炊飯装置の傍に立てた学校の行事用テントの下で調理に励んでいる隊員たちに避難者たちは親しげに声をかけてくる。
田尻地区では多くの漁民や水産加工場の社員が行方不明になっているが、生き残った被災者でも還暦前の勤労世代は倒壊した自宅や業務停止になっている職場の片づけと総合事務所が計画する作業に参加しており、高齢者たちは自衛隊の作業現場を見学していて遺骸が見つかれば身元確認に協力している。このため飯時ともなると空きっ腹を抱えた人だかりができてしまう。
「今日は肉ジャガと金平牛蒡、それに味噌汁です」作業長の1曹が説明すると人だかりの中で情報伝達が始まった。避難所には乳幼児から高齢者まで幅広い年齢層の被災者が入っているため献立も全ての世代が喜んでくれるように知恵を絞っている。ただし、食材は補給拠点の駐屯地が調達・加工してから県内の各災害派遣部隊に仕分けして運んでくるため融通が利かない。
「うーん、好い匂いがしてきた」「隊員さん、料理が上手いね。娘の婿さんに欲しいわァ」炊き出しが始まってからは被災者の表情にも生気が戻り、対話にも笑いが起こるようになっている。
田尻地区の寺は津波よりも高い場所にあるので地震による堂宇の損傷や墓石の崩落だけですんだ。このため住職と跡取りの若和尚が総合事務所長の要請を受けて遺骸安置所で慰霊法要を勤めている。そうしたことも被災者の気持ちを落ち着かせることにつながっているはずだ。
逆に宮古市の市街地では低地にあった寺院は軒並み被害を受け、寺族も避難所生活を送っているらしい。しかし、住職だけは本尊を避難所に運ぶことを市の担当者に拒否されたため倒壊寸前の本堂で野営生活を送っていると言う。
「えらい賑わいだが一食幾らで商売してるんだ」そこに見覚えがない中年男性が姿を見せた。この男は先ほどモトクロスのバイクで田尻地区の作業現場を走り回っていた。
「これは被災者救援物資を調理していますから代金はもらっていません」声をかけられた陸士に代わって1曹が答えた。なごやかに見学していた被災者たちは見ず知らずの男の出現に数歩後退して遠巻きに傍観者になっている。それは余所者に対する警戒心だけでなく、この男が全身から発している悪意を感じ取ってのことだった。
「と言うことはこの料理の材料は被災者のための予算で買っているんだな。つまりお前たち自衛他には食べる権利がないと言うことだ」そう言うとお男は背中のナップ・ザックから本格的なデジタル・カメラを取り出して調理している隊員と器材の撮影を始めた。
最近、東京から大手マスコミの取材陣が被災地の中でも大都市の仙台に乗り込んでくるようになり、フリー・ジャーナリストたちは追われるようにモトクロス・バイクを駆って各地に進出するようになっている。震災直後にも地元在住の地方ジャーナリストたちが同様の交通手段で取材に入っていたが、食事や宿泊場所などの確保が困難なため長期滞在はできなかったようだ。
彼らの狙いが自衛隊の災害派遣の問題点の暴露であることは言うまでもない。雲仙普賢岳の噴火と火砕流以降、奥尻津波地震、阪神大震災や大型台風などの大規模災害が起きて自衛隊が災害派遣で活躍すると国民の支持が高まる。これを阻止するために実態を国民の目に晒すことに使命感を抱いているのだが自衛隊の防御は固い。
「ご指摘は当部隊の作業指揮所に伝えます。ただし、調理した側としては味つけや加熱の状態を確認するため試食する必要がありますからその点はご理解下さい」1曹の説明も理を尽くしており、悪意に基づく挑発には乗ってこない。実はこの男・松田俊兵が東京の新聞社に売り込んだ仙台市内での「個人住宅への不法侵入」と言う現地情報は流石に受けつけなかった。今回は「被災者用の食材で作った料理を自衛隊が不正喫食」と書きたいところだが無理がありそうだ。
「やはりこっちだな」松田は人の輪を縮めて迫ってきた被災者たちの冷たい視線から逃れるため現場を離れるとデジカメの画像を戻して確認し始めた。
「自衛隊が宗教活動・・・これは憲法違反だぞ。憲法違反の自衛隊が憲法違反を犯せばどうなるんだ」松田の顔には頬を歪めた気色の悪い笑顔が浮かんでくる。
この画像は倒壊した家屋で自衛隊が遺骸を発見した場面だ。隊員たちは担架に載せた遺骸を運び出すのに列を作って見送っている。その中には手を合わせて頭を下げている者がいた。それも過半数に近い。死者に合掌するのは佛教の儀礼だ。つまり自衛官が佛教の儀礼を公的に行っていたことになる。この理屈であれば実態は護憲団体化している東京のキリスト教会も同調して批判の声を上げることが期待できる。松田はメールの宛先を思案しながらバイクに戻った。
東北地区太平洋沖地震5名寄駐屯地の広報紙から転用
  1. 2019/03/24(日) 10:47:29|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

3月24日・能登半島沖不審船事件=初の海甲行警命が発令された。

1999年の明日3月24日に能登半島沖で不審船が発見され、初めて海甲行警命=「海上における警備行動」の行動命令が発令されました。
事態は3月18日に北朝鮮の諜報員が使用する無線の交信を自衛隊の無線調査部隊が探知し、翌19日に東岸の基地から工作船が出港したことを沖で潜航・監視していた海上自衛隊の潜水艦が確認したことから始まりました(公式にはアメリカ軍から提供された偵察衛星の情報になっている)。21日の22時になって18日から継続している不審な無線電波が能登半島沖で発信されていることを自衛隊その他の外事情報関係機関が探知したため22日午後に海上自衛隊舞鶴基地から護衛艦3隻が「調査・研究」の目的で出港し、同日に警察庁は日本海側の各府・県警に警戒強化を発令しました。なお、拿捕に向けて動き始めた段階で受け入れ要員を逮捕するため海岸の捜索を命じている。
23日の6時24分に海上自衛隊八戸航空基地の対潜哨戒機P-3Cが佐渡島西方の日本の領海内で船体に「第一大西丸」、能登半島の東方で「第二大西丸」と記された小型船を発見し、「漁船にしてはアンテナが多い」「甲板に漁具が見えない」「煙突の横から排煙が出ている」「船名表記が簡単な手書き」「船尾に旗章を掲げていない」「新潟沖なのに兵庫県漁協の頭文字=HG」、何よりも「後部に観音開きの扉がある」ことから不審船と断定し、さらに同名の「第一大西丸」はすでに廃船、「第二大西丸」は兵庫沖で操業中と確認できたことで拿捕を前提とする追跡が始まりました。
海上保安庁は11時30分に新潟基地から発進させたヘリコプターで船体の写真を撮影し、船舶電話で朝鮮語・英語・日本語による交信を試みましたが反応はなく、特殊警備部隊をヘリコプターで大阪から日本海で行動中の大型巡視船に空輸して臨検に備えました。ところが日没後になると不審船は速度を上げて巡視船では追跡が困難になり、20時から20ミリ機関砲と13ミリ機銃、さらに64式小銃で威嚇射撃を始めたのです。
それでも不審船は逃走を止めず、さらに速度を上げたため海上保安庁は追跡を断念し、首相官邸では「海上における警備行動の発令」を決定しかけたのですが、親北朝鮮の野中広務官房長官が強硬に反対したことに押し切られる形で放置することになりました。
ところが不審船は「日本側が断念した」と思ったのか23時47分になって突然、停船したため防衛庁長官が運輸大臣からの「海上保安庁の能力を超えている」と言う通知を根拠に「海上における警備行動」の発令を要求し、24日深夜の閣議決定で承認され、0時50分に初の「海甲行警命」が発令されたのです。海上自衛隊は護衛艦から発光信号と無線による停船命令を実施した後、1時19分から4時30分にかけて12.7サンチ砲による警告射撃を行い、そして3時20分からはP-3Cが水しぶきによる逃走阻止を狙った爆弾投下を開始しましたが不審船は逃走を断念せず、3時20分に「第二大西丸」が、6時06分に「第1大西丸」が防空識別圏を出たことで追跡を断念しました。
当時の海上自衛隊には臨検専門要員や教育課程は存在せず、防弾チョッキがないため分厚い漫画雑誌をガムテープで身体に巻きつけて待機したそうです。また航空自衛隊には発令されなかったため戦闘機による護衛・支援は実施できませんでした。
  1. 2019/03/23(土) 10:33:07|
  2. 自衛隊史
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

振り向けばイエスタディ1500

大震災が発生して以降、連日招集されるようになった閣議の主役は原子力発電所を統括する資源エネルギー庁を傘下に置く経済産業大臣と被災地での活動に全力を傾注している警察の国家公安委員長、海上保安庁の国土交通大臣、そして防衛大臣になっている。
この中で経済産業大臣は官邸が直接、東京電力から説明を受けるようになっているため逆に突っ込まれることが多く場の空気を険悪にしている。一方、国家公安委員長、国土交通大臣、防衛大臣は被災地での警察、海上保安庁、自衛隊の活動実績を披歴するため、それを「内閣の危機管理能力」と自負している缶首相は妙に誇らしげに聞いている。特に日頃は無関心な防衛大臣の報告には自衛隊の意外な忠犬ぶりに満足しているらしい。
「続いて国土交通省からの報告です」杖野官房長官の進行に、経済評論家が本業の経済産業大臣を袋叩きにして工学部出身の理数系としての自尊心を癒した缶首相は少し表情を緩めた。
「昨日の海上保安庁の活躍だね」「いいえ、大震災が発生して以降、沖縄の尖閣諸島周辺海域での中国漁船の活動が活発化しています」国土交通大臣の報告は缶首相の期待を裏切った。
「昨年の体当たり事件以降」「あれは体当たり事件ではなく衝突事故だ」杖野官房長官が表現を訂正した。しかし、そのような気配りに関係なく缶首相の顔は発火寸前になっている。
「失礼しました。あの衝突事故以降、中国漁船は我が国の取り締まりを無視するようになっていますから数的に圧力を加えられるように巡視船と航空機を増強する必要があります。そうなると被災地で捜索活動に当たっている巡視船と航空機の一部を引き揚げなければなりません」国土交通大臣が報告を終えて顔を窺うと缶首相は無表情になって何かを考えていた。ここに千石前官房長官がいれば首相気取りで勝手な判断を下すのだが、杖野官房長官はそのように強権的な性格ではない。赤く充血した目で缶首相の横顔を見ていた。
「今は震災への対応を最優先しなければならない。海上保安庁も津波による行方不明者の救助と安否確認に専念するように」「つまり尖閣は・・・」国土交通大臣の無謀な確認を杖野官房長官が首相の隣りで首を振って制止した。
「次に防衛大臣が報告します」外見は温和な防衛大臣の登場で重くなった閣議室の空気が微かに和んだような気がした。ここは華々しい自衛隊の活躍を最高指揮官である缶首相の功績として持ち上げてもらいたいものだ。
「震災発生直後からロシア軍機と中国軍機による我が国領空への異常接近が続発しています」今度は防衛大臣が缶首相だけでなく閣僚たちの期待を裏切った。
「ロシア軍機はほぼ連日、定期便のように太平洋沿いを南下する偵察飛行を繰り返しています。これは太平洋岸の航空基地とレーダー・サイトの被害状況を確認している模様です。中国軍機も尖閣諸島空域を含む東シナ海での軍用機の飛行を頻発させおり、ロシア軍と連携して震災による我が国の防衛態勢への影響を確認している公算が大です」「それは災害派遣に直接の影響はないんですね」ここでも杖野官房長官が気を配った。
「対処しているのは航空自衛隊ですから人員的な影響は大きくありませんが」すると防衛大臣はここで一呼吸を置いた。「が」で切ったところに嫌な予感がする。
「今後、救難活動で航空燃料を大量に消費し続けると調達予算の問題で備蓄が確保できなくなり、緊急発進を優先しなければならなる可能性があります」防衛大臣は元自民党で雀山内閣からの留任のため素人の国土交通大臣とは違って結論を示して報告を締め括った。
「今後、ヘリコプターの必要性は益々高まるだろう。戦闘機の訓練を縮小して燃料を確保してはどうか」「パイロットには年次飛行時間が義務づけられています。何よりも車両での輸送が可能な事例にまで気軽にヘリコプターを要請する風潮は政府として自粛を呼び掛けるべきでしょう」防衛大臣の正論にその「自粛」を呼び掛ける役回りの杖野官房長官は渋い顔をした。
「国家公安委員長から報告します」海上保安庁、自衛隊と期待を裏切られ続けた閣僚たちは身構えて発言を待った。
「現在、首都圏を中心に治安の悪化が懸念されています」こうなれば被災地に投入されている警察官を削減することになるのは目に見えている。閣議室に一斉の溜息が響いた。
「特にアジアから不法在留している外国人の組織が生活物資を買い占めて被災地で高額で売りさばく商売を画策している模様です。その資金調達のために刑法犯罪にも手を染め始めています」流石の缶首相も政治が災害に対応するには綺麗事では済まない暗部が発生する事実を踏まえなければならないことを噛み締めたようだ。
「各省庁は所管業務の水準を維持しながら被災地で可能な限り最大の対応を実施できるよう組織と勤務態勢の検討を進めるように」結局、何の具体性もない指導で閣議は終わった。
  1. 2019/03/23(土) 10:31:23|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

3月23日・真価不明の将軍・オーキンレック元帥の命日

1981年の明日3月23日は第2次世界大戦の北アフリカやインドでイギリス軍の指揮を執ったもののバーナード・モントゴメリー元帥やのような知名度がないサー・クルード・ジョン・エア・オーキンレック元帥の命日です。
オーキンレック元帥は1884年にグレートブリテン島南部のオルダーショットで陸軍大佐の息子として生まれました。完全志願制である自衛隊では民間企業との待遇格差は募集難に直結するため世界水準から見ても給与は高額なのですが、徴兵制だった時代の軍人は可哀想なくらい薄給で、中でもヨーロッパの将校士官は貴族階級であることが前提になっていたので軍の給与は小遣い銭に過ぎず、庶民から将校士官になった軍人たちは慢性的な生活苦に悩み続けていました。オーキンレック元帥の父親も同様で息子が折角、士官学校に合格しても学費が捻出できず(イギリスの私立の士官学校は有料の上、全寮制なので高額だった)奨学金で卒業させています。
このため卒業後の任地もイギリス本国では貴族階級出身の将校士官と交際しなければならず、華美な生活水準を維持しなければならないので植民地、中でも生活費が安価なインドが人気でオーキンレック少尉も熱望したようです。実際、同様に庶民出身であるモントゴメリー元帥はインドを熱望しながらも成績が36位だったため30名の定員に入ることができず実現しませんでした。
インドでは現地人部隊である第62バンジャブ連隊に配属されると部下との信頼関係を築くため熱心に現地語を学び、流暢な会話ができるようになったことで絶大な人気を獲得し、第1次世界大戦では現地人部隊を率いて中東方面で戦い、少佐で終戦を迎えています。
その後もインドに留まり現地人部隊の近代化を進めた実績を評価されて中将にまで昇任してインド軍総司令官に就任しますが、第1次世界大戦を通じて急速に近代化した兵器と戦術からは取り残される結果になり(日本陸軍も同様)、第2次世界大戦ではナチス・ドイツ軍の侵攻を受けたノルウェーに現地人の師団を率いて派遣されたもののノルウェー国内の抗戦派と降伏派の不協和音に翻弄されただけで平和裏に撤退することになりました。
さらに1941年7月に同盟者・ベニート・ムッソリーニ統領のイタリアと連携して地中海を内海にしようとするアドルフ・ヒトラー総統の野望を受けて北アフリカに進出してきたエルヴィン・ロンメル元帥に連戦連敗していたアーチボルト・ウェーヴェル中将に代わって指揮を執りますが、中立義務に違反したアメリカの補給を受けて攻勢に転じ、一時的に押し返したものの伸び切っていた補給線を突かれて敗退してからは膠着状態に陥り、左遷されたウェーヴェル大将(貴族出身)が遅れて参戦した日本軍にも連戦連敗したまま総督に就任したためインド軍総司令官に返り咲き、インパール作戦を指揮したのです。
戦後は1947年8月15日のインドの独立を見届けて1948年に帰国して退役すると事業経営に手を出したようですが所詮は素人商いで失敗して、水彩画などを描きながら静かに96歳までの余生を送ったようです。
決して愚将ではありませんが名将と呼ぶには今一歩、そうなると凡将なのでしょうか。
  1. 2019/03/22(金) 12:32:22|
  2. 日記(暦)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:1

振り向けばイエスタディ1499 (かなり実話です)

3月11日の日没直後の18時頃、経験がない大地震の混乱が収まっていない三沢基地の北部航空方面隊防空指令所に普段であれば恒常業務であるはずの事態で緊張が走った。
「アンノウン・ピックアップ(=国籍不明機を探知)、イースト070(東方70度)、220マイル(220海里=約407キロ)※数字は英語読み」「こんな時に東京急行か」シニア・ディレクター(先任指令官)の相沢1尉=タック・ネーム(パイロットと指令官の個有コールサイン)はアイクが舌打ちした。
「東京急行」とは北方領土の基地を発進して南下することでロシア側から目が届きにくい太平洋岸のレーダー・サイトの探知能力や百里基地の戦闘機パイロットの技量を確認する偵察飛行だ。
「SOC(航空方面隊指揮所)、千歳と三沢のランウェイ(滑走路)の点検は」「完了している」通常の課業時間中はSOCへの回線は航空方面隊司令部の防衛部に接続されており、17時から当直幕僚が上番するのだが、今日は防衛部が機能しているためあちらが答えた。
三沢からはレーダー・サイトの機能停止を受けて早期警戒機・Eー2Cを緊急発進させているが、それは非常事態による特別処置で安全基準を満たす点検は未確認だった。
「山田と大滝根は機能停止のままだ」「Eー2Cとのリンク(接続)は完了しています」これで状況確認は終わった。アイクは大きく息を吸うとコンソール(レーダー情報の画像)上のシンボル(航跡)を目で追った。
「アンノウンは」「はい、現段階ではADIZに沿って南下しています」「ラジャー(了解)、フォックス(飛行隊のコールサイン・仮称)、ホット・スクランブル」アイクは千歳基地に緊急発進を命じた。その命令を受けて担当空曹がアラート・ハンガー(緊急発進用戦闘機の待機格納庫)の信号のスイッチを押し、同時に滑走路の北端にあるアラート・ハンガーの待機室ではベルが鳴り響き、パイロットと整備員が戦闘機に向かって駆け出した。
間もなく格納庫のドアが開き回転している赤色灯が目に入る。同時にFー15J戦闘機のエンジンが作動して整備員たちは機体の周りを掛け回って飛行前点検を行う。パイロットは操縦席に座り、整備員の手を借りて装着品を身に着けていく。所要時間は3分以内だ。
「アラート機、発進しました」「ラジャー」アイクとインターセプト・ディレクター(邀撃指令官)のトーマスが一緒に返事をした。トーマスは丸顔が機関車・トーマスに似ていることで命名されたのでタック・ネームでも仇名のようなものだ。
「ホット・スクランブル。フォックス37、ツー(2機)Fー15、ベクター(ベクトル=方位)090、クライムエンジェル(上昇高度)20(20000フィート=約6000メートル)、チャンネル(使用周波数)184、スコーク(SIF=敵味方識別装置)2&3ノーマル・・・オーバー(以上)」「ラジャー。フォックス37・・・」千歳のパイロットにとっては領空に近接している樺太やシベリア東岸に比べて「東京急行」は左折して北海道に向かってこない限り緊急性が低く声にも余裕がある。実際、パイロットは上昇しながら眼下の街並みを眺め、被害の状況を確認していた。
「ポジション(位置)は」「襟裳・イースト・30マイル(襟裳東方約360キロ)」「通告を実施」「ラジャー」アイクの指示でOR(指令官検定)前の3尉がマイクを口に合わせた。ORを取得して指令官にならなければこれ以外に出番はない。
「ビー、アドバイス(通告する)、ビー、アドバイス。アンノウン・エアクラフト、フライング・オーバー・ジャパニーズ・ウォーター(日本近海上空を飛行中の国籍不明機に)、イフ・ユー・メインテイン・ヘディング(このままの進路を継続すると)、ユー・ウィル・バイオレイト・ジャパニーズ・ドメイン(日本の領空を侵犯する)」「反応はありません。ロシア語で実施します」「ラジャー」3尉が報告するとアイクはコンソールを注視したまま無愛想に許可した。
「フレドプレジューム・ルスキー・サマリョート。ナズミーテ・イポスキーム・サマバローネ(ロシア機に通告する。こちら日本国自衛隊)・・・」この部内出身の3尉は空曹時代に若手幹部から台本を借りて練習したことはあるが丸暗記している訳ではない。あの時は「ソビエ―ツキ(ソ連軍機)」だったように思うが台本を棒読みするしかない。
「現時点では根室、襟裳、大湊のデーターだから誤差は低いが、このまま南下すると峰岡山が捕捉するまでEー2Cが頼りだ。それまでにタリホー(目視確認)させろ」「ラジャー」アイクの指示にトーマスが答えた。アイクとは相沢と言う姓をもじってつけたタック・ネームだが、アメリカ軍からは偉大なる英雄で大統領でもある「ドワイト・アイゼンハウアー」元帥の愛称を踏襲しているように思われている。確かにアイクは部内出身の叩き上げながらコンソール上の情報を頭の中で拡大・分析するだけの熟練性を有しているようだ。
  1. 2019/03/22(金) 10:42:00|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:1

3月22日・文豪だけではない万能の天才・ゲーテの命日

1832年の明日3月22日は普通の日本人は小説「若きウェルテルの悩み」や詩劇「ファウスト」などの作者である文豪としてだけ認識しているヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテさんの命日です。
ところがゲーテさんには色彩論や形態学、生物学、地質学、自然哲学などを研究した自然科学者や法律家、現在の首相に相当する重職まで務めた政治家としての経歴もあり、文学においても小説や戯曲だけでなく詩でも優れた作品を残している万能の天才でした。
ゲーテさんは1749年にドイツ中部のフランクフルトの富豪の家庭の長男として生まれました。父親は大学を出て政治家を志したものの上手くいかず、枢密顧問官の肩書を金で買ってからは書籍や絵画、珍品の収集を生き甲斐にしているような人物でした。一方、母親は由緒正しい法律家の家系で母親の祖父はフランクフルトの市長を務めています。
父親は息子の教育に関心を示し、3歳から幼稚園に入れられて読み書きや算術を学び、5歳からは寄宿制の初等学校に進学したものの7歳の時に天然痘を発症したため自宅に戻され、以降は語学(ドイツ語、英語、フランス語、イタリア語、ギリシャ語、ラテン語、ヘブライ語)や絵画、楽器演奏、馬術、ダンス、さらにカリグラフィー(文字を美しく書く技術・日本で言えば書道)などの家庭教師による英才教育を受けることになりました。
この頃から読書に熱中し、14歳の時に初恋を経験しますが失恋に終わりました。この相手が「ファウスト」の第1部のヒロインになっています。
16歳で息子を政治家にしたくなった父親の命令でドイツ東部のライプツィヒ大学の法学部に進学しました。しかし、本人は文学志望だったため学業に身が入らず19歳の時に結核を発症したため自宅に戻ることになり、この1年半の病気療養中に自然科学に興味を持ち、多くの実験器材を買い集めて研究に没頭し、後に幅広く発展する土壌を構築しました。
病気が癒えると今度はフランス的教養を身にさせようとした父親の勧めで1770年にフランス領のシュトラースブルグ大学に編入し、ここで多くの文学青年たちと交流したことで文学者として大成する素地を創生しました。
1年後に大学を終えるとフランクフルトで弁護士になりましたが、次第に文学志向が強まって仕事への関心を失い、数年後には文学者として次々に作品を発表することになったのです。中でも1774年に発表した「若きウェルテルの悩み」は戦後の日本で若者の生活様式や服装・髪型、言動・態度にまで影響を与えた「太陽の季節」のような大ヒットになり、この本の愛読者だったナポレオン・ボナパルトさんは占領地域の領主を招集した際、随員として参加したゲーテさんと対面すると感激して「ここに人あり」と叫んだと言われています(この言葉については色々な解釈が流布しています)。
「若きウェルテルの悩み」も他の作品と同様にゲーテさんの実体験に基づいて描かれており、舞踏会で恋に落ちた19歳の少女との往復書簡によって悲恋が展開して行きます。
ゲーテさんは「ファウスト」の第2部を完成させた翌年のこの日に「もっと光を」と呟いて亡くなったそうです。82歳でした。
  1. 2019/03/21(木) 09:53:53|
  2. 日記(暦)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

振り向けばイエスタディ1498(かなり実話です)

気仙沼市大島での「トモダチ作戦」が始まって最初の休息日の前日、モリヤ1佐は強襲揚陸艦・エセックス艦内の礼拝室にチャップレン(従軍神父=宗教士官)を訪ねた。
「チャップレン、遺骸の収容は進んでいるようですが多くは身元の確認ができず放置されているようです」チャップレンは明日、艦内で行われる礼拝の準備をしているところだった。
「身元の確認ができないのは何故だね。遺族が見れば身体が痛んでいても服装で判るだろう」チャップレンも海面を捜索している小型艇に載せられた遺骸は見ているが、海水温が低いため腐敗は進んでおらず目を背けるほど悲惨な状態ではない。
「それが家族どころか地域住民の大半が行方不明になっていて確認できる者がいないんです」モリヤ1佐の説明にチャップレンは艦内に常駐していて現場を見ていない自分の迂闊さを噛み締めて「オー・マイ・ゴット」と呟いた後、胸の前に十字を画(か)いた。
武力紛争関係法ではチャップレンはドクター(医官)と同列に扱われており、負傷者と病者はドクター、死者と異常心理に陥った者はチャップレンが担当する。今回の作戦でもチャップレンは被災現場で遺骸を掘り出して精神的に追い込まれた兵士たちの相談相手が役割になっている。
「問題なのは身元が判らないと菩提寺も決められないので供養ができないままになっていることです」チャップレンは沖縄へ赴任する前には富士のキャンプで勤務していたので日本人の聖職者を通じて独自の寺院制度もある程度は研究していた。日本の佛教に限らず死者の追悼・供養・慰霊は宗教者の勤めなのだが、日本では何故か寺院を揶揄する名目になっている。そのためなのか寺院の方から供養を申し入れることを避ける傾向が強いようだ。
「市役所は何をやっているんだね」「それが日本では憲法の政教分離を根拠に公費支出を問題視する裁判が続発していて、公立学校を含む公共団体の宗教儀礼を禁ずる行政指導が徹底されているんです。だから公務員は遺骸に手を合わせることもできません」チャップレンの頭の中に宗教儀礼もなく物として扱われている棺が整然と並べられている光景が浮かび、死者たちの慟哭が聞こえてきたような気がした。思わず背筋が寒くなった。
「ですからチャップレンが遺骸安置所で慰霊のミサを勤めていただけないでしょうか」これがモリヤ1佐が訪ねてきた用件だった。モリヤ1佐自身は気仙沼市役所大島出張所から要請を受けた訳ではない。ただ制服を脱げば比類なく真面目な僧侶になる陸上自衛隊「佛法」務官幹部の妻として生活してきて夫がいれば迷わず果たした役割の代行をチャップレンに託したのだ。
「しかし、この地域に教会はないはずだ。死者の大半は佛教徒だろう。私のようなカソリックの聖職者のミサでは魂魄を救うことはできないんじゃあないかね」モリヤ1佐の申し出に黙って考え込んでいたチャップレンは真顔で質問をしてきた。
「その点は心配いりません。日本人の宗教観は『有り難いモノは何でも有り』と極めてファジー(=いい加減)なんです。私の夫は佛教の僧侶ですがアフリカで殺害したムスリムの供養のためにイスラム教のモスクに通って祈りを捧げています。家では読経と一緒にコーランを詠唱しています。ですからチャップレンの厳粛なミサに感銘を受けた魂魄は安心して浄土へ旅立つことでしょう」確かに阿弥陀如来の極楽浄土は西方にあり(薬師瑠璃光如来の浄土は東方)、キリスト教のヘブン=カミの国も「ゴー・ウェスト」と言う通り西にある。つまり「天国」と言っても空の上ではないのだ。ちなみに大島にある寺は真言宗智山派が2ヶ寺と曹洞宗が1ヶ寺だ。
「判った。明日は慰霊のミサを遺骸安置所で行うことにしよう。兵士たちも一緒に祈りを捧げれば必ずカミの加護があるはずだ。どうせなら女性兵士の聖歌隊も編成したいな」チャップレンは聖職者としての役割を見つけて急にやる気になった。それにしてもエセックスに乗り組んでいるウェーブス(女性水兵)やウーメン・マリン(海兵隊の女性兵士)たちの聖歌隊があると言うのは初耳だが、それが実現すればミサは本格的以上の内容になるだろう。
翌日、小学校の体育館に設けられた遺骸安置所でチャップレンによる犠牲者の慰霊ミサが行われた。ミサでは迷彩服姿に頭に白い布=ベールを被った女性兵士の聖歌隊が讃美歌を詠唱した。これは個人的に讃美歌を習っている兵士を集めて編成したらしい。
「有り難うござりす」ミサに出席した大島出張所長以下の職員はチャップレンに深く頭を下げた。実はこの遺骸安置所の周囲では日没後に幽霊がさまよい、人々の泣き声や呻き声が聞こえると言う相談が出張所に殺到している。しかし、宗教への不関与と非科学的な事象は認めない原則に基づき「気のせいでしょう。巡回してくる心理カウンセラーに相談して下さい」と門前払いするしかなかったのだ。ちなみにエクソシスト(除霊師)もカソリックの役職に含まれている。
「些少ですがお布施です・・・」「いいえ、裁判になっても困るでしょうから結構です」出張所長が困り切った顔をしながら茶封筒を差し出すとチャップレンは苦笑して断った。
  1. 2019/03/21(木) 09:52:56|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

振り向けばイエスタディ1497 (かなり実話です)

大島での「トモダチ作戦」として行方不明者の捜索と津波被害の復旧を始めたアメリカ海兵隊の作業を見て地元住民は困惑した。
この島でアメリカ軍を知っているのは敗戦後に進駐軍を見たことがある老人だけだ。複数の老人は戦争末期に学徒動員で海軍航空隊の矢本飛行場(現在の航空自衛隊松島基地)に動員されて本土決戦用の陣地を構築していたのだが昭和20年の7月14日、15日、17日と8月9日、10日に徹底的な空襲を受けたため陣地は勿論、滑走路も使用不能になった。そこにアメリカ軍の空挺部隊が進駐して来たのだが、自分たちが人力の手作業で陣地を作っていたのに対してアメリカ軍は初めて見るブルドーザーと言う機械を使って数週間かけて構築した陣地と無数の爆撃痕を数時間で埋め戻してしまった。あの時も老人たちは「戦車が来た。殺される」と怯えたものだ。
「黙祷」毎朝、アメリカ兵たちは宿舎にしている空母に見える強襲揚陸艦・エセックスから上陸すると必ず岸壁で海に向かって黙祷を捧げている。
「南無阿弥陀佛、南無阿弥陀佛・・・」最近はアメリカ軍が同時に沖で開始する捜索を見学しながら出迎えて一緒に手を合わせる島民も増えており、朝の風景が厳粛な空気に包まれている。
「ありがとうござりす」「お願いします」「けっぱって下さい」島民は黙祷を終えてトラックに乗り込む兵士たちに仙台弁で声をかけ、深く頭を下げる。
「ありがとうってサンキューって意味だよな」「お願いしますって何を依頼されたんだ」「けっぱって何だ(=頑張って)」トラックの荷台で兵士たちは顔を見合わせて言葉の意味を確認し始める。島民たちの顔は笑顔ではないが悪意は全く感じない。沖縄のアメリカ海兵隊の兵士たちは不祥事を防止するため夜間外出や飲酒、地元の人間との接触を制限されており、日本人の口から聞こえてくるのはキャンプを取り囲んだデモ隊の罵詈雑言ばかりだった。この島の人たちと沖縄で会う奴らでは同じ民族とは思えない。兵士たちは「弱者救済」と言うアメリカ人的使命感で派遣に志願したのだが、素朴な島民たちの姿を見ていると自分の判断が崇高な啓示だったような気がしてくる。
「今日はこの集落での行方不明者の捜索をお願いします」トラックは先導してきた大島出張所の公用車に続いて停車した。ここまでの道路は最初に上陸した工兵隊の手で啓開されているが、集落では津波で破壊された家屋が折り重なりながらも引き潮で海に流された痕跡もある。
「行方不明者の多くは海に流されたと思われますが、家屋の下敷きになっている場合も考えられます」職員の説明を通訳が説明すると兵士たちは納得したようにうなずいた。兵士たちは移動してくるまでエセックス艦内での教育で不用意に「ボディ(肉体=戦場や被災地では遺骸を指す)」と言う単語を使用しないように指導されていた。日本人は死亡が確定するまで生存の可能性を否定しないため「行方不明者」と表現する。だから「パーソン(人間=行方不明はミッシング)」と言わなければ通訳によっては感情を傷つける可能性があるのだ。
「今日はお前が係だ」職員の説明に続き指揮官が注意事項を与えると作業が始まる前、作業単位のうち1名にプラスチック製の大きな籠が配られた。それを見て職員が「何に使うのか」を訊くと意外な答えが返ってきた。
「遺品が見つかればこれに集めて貴方たちに預けるつもりだ」この遺品の回収は阪神大震災以降の自衛隊の災害派遣で始まった配慮で、避難していた生存者が受け取って亡くなった家族の形見とすることや遺骸が見つからない行方不明者の遺骨の代わりに墓に収められることもある。そんなきめ細かい配慮もアメリカ海兵隊は自衛隊から学んでいるようだ。
「ヒヤー・ウィ・ゴー」「レディー・セット・ゴー」「レッツ・ゴー」英語の掛け声は映画などでは尻を叩くように早口に言うが、作業では呼吸を合わせるため調子は似ている。
大男たちが倒れた家屋に圧し掛かっている屋根の骨材に取りつくと声を合わせて持ち上げる。職員たちが呆気に取られている間に太い梁は持ち上がり、別の兵士が支えにする廃材を差し入れた。
「アルバムだ」兵士たちが手作業で廃材を除去していくと倒れた本棚が見つかり、そこには数冊のアルバムが落ちていた。表紙の柄から見て子供の物のようだ。
「完全に濡れてしまっているが写真は大丈夫か」「待て、開くな」拾った兵士がその場で確認しようとするのを別の兵士が制止した。
「写真については海軍の写真班員にまかせよう」「そうだな。専門家にまかせた方が間違いない。できれば鮮明な状態で返したいからな」そう答えると兵士は籠を持っている回収係に手渡した。しかし、愛読書も全て思い出の遺品になる。これでは捜索と復旧の作業は進まない。そこが習った手順の限界のようだ。そんな兵士たちの様子を見て指揮官が無線機で連絡した。
「カーネル(1佐)・モリヤ。遺品を回収していては捜索や復旧の作業が進まないんだが」相手は知恵袋らしい。その答えは「パーソンの捜索が優先」と単純明快だった。
  1. 2019/03/20(水) 11:03:50|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

3月20日・最後の即身佛・佛海上人が入定した。

明治36(1903)年の明日3月20日に佛海上人が最後の即身成佛を満願しました。
即身佛は肉体を永遠に残し、そこに宿る魂によって衆生を済度し続けようと生きながらに穴に入って生命を絶つ行(ぎょう)で、現存最古は新潟県長岡市の西生寺にお姿を留めておられる南北朝の時代の貞治2(1363)年に入定した弘智法印です。それ以降も古い順に慶長18(1613)年の弾誓上人、天和3(1683)年の本明海上人と宥貞法印、貞享3(1686)年の舜義上人、貞享4(1687)年の全海上人と心宗行順法師、宝暦5(1755)年の忠海上人、安永9(1780)年の秀快上人、天明3(1783)年の真如海上人、文化14(1817)年の妙心法師、文政5(1822)年の円明海上人、文政12(1829)年の鉄門海上人、嘉永7(1854)年の光明海上人、文久3(1863)年の明海上人、そして即身佛を自死と断じた明治政府が明治10(1877)年に墳墓発掘禁止令を発していた明治14(1881)年の鉄龍海上人に続き、20世紀では最後の17人目でした。
佛海上人は文政11(1828)年に現在の村上市の近藤家に生まれ、18歳で湯殿山の注連寺で得度を受け、蔵王山の仙人沢で15年にわたる荒行を続ける一方、鶴岡市の本明寺、酒田市の海向寺(どちらにも即身佛が鎮座している)や伊豆の天城山で修行を重ね、35歳からは五穀断ちの木食行を始め、慶応3(1867)年に37歳で本明寺の住職に就任したものの明治7(1874)年に故郷の村上の観音寺に戻りました。ところが明治21(1888)年に得度を受けた注連寺が全焼したため住職に就任して復興を成し遂げてから故郷に戻り、50年余りの難行の仕上げとして76歳で入定したのです。
即身佛になるためには肉体の血行が止まった瞬間から腐敗を始める脂肪分を徹底的に削ぎ落とし、肝臓を極力縮小しなければなりません。このため米、麦、大豆、小豆、胡麻の五穀に蕎麦、稗、粟、黍、唐黍の五穀を加えた十穀を絶ち、さらに水分も減らして生きながらの乾燥状態を作り、皮膚を強固にするために漆などを舐めることもあるようです。こうして木の皮や木の実、山菜などで命をつなぎながら行を続けますが、いよいよ命が尽きることを察知すると行者は棺桶の中に坐り、前もって掘っておいた穴に入れられて生き埋めにされます。この棺桶の蓋から地面までは節を抜いた竹竿が装着されており、行者はそれで呼吸しながら読経し、持鈴を振り続け、その音が止んだ時が入定です。それから千日後、若しくは3年3カ月後などの定められた日に穴を掘り起こして棺桶を引き上げ、遺骸が即身佛として残っていれば姿形を整え、装束を改めて丁重に祀られるのです。
実は墳墓発掘禁止令が発せられる前後には駆け込みのように即身佛になるべく穴に入った行者も相当数いましたが、官憲による取り締まりによって放置されたため単なる土葬になってしまったようです。以前、某テレビ局が特別番組で明治11(1878)年に入定した新潟市・大円寺の観海上人を発掘しましたが、やはり白骨になっていました(それ以外にも鎮座していた寺の火事で火葬になった方も少なくない)。しかし、佛海上人には現在も新潟県村上市肴町の観音寺で対面することができます。
  1. 2019/03/19(火) 09:40:33|
  2. 日記(暦)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

振り向けばイエスタディ1496(かなり実話です)

モリヤ1佐は相模湾沖を北上中のアメリカ海軍の強襲揚陸艦・エセックスにヘリコプターで搭乗した。強襲揚陸艦と言っても上甲板はヘリコプターの離発着場になっており、外観は小型空母だ。
「カーネル(1佐)・モリヤ、ようこそエセックスへ」「キャンプ・バトラーへようこそ」飛行甲板から艦長室に案内されると海軍大佐の艦長と海兵隊大佐の第31海兵隊遠征部隊司令に出迎えられた。どちらにも太平洋軍司令部で会ったことがある。
日本のマスコミはキャンプ・バトラーを在沖縄アメリカ海兵隊の駐屯地の1つだと思っているが、実際は沖縄に所在する普天間基地を除く各基地・駐屯地・演習場を管轄する組織の名称だ。今回の災害派遣では在沖縄の第3海兵隊遠征軍は即応動員を発令し、呼び集めた全隊員の中から志願者を中心に第31海兵隊遠征部隊を改編してきた。
「現地に到着するまでに全隊員に対して現地での注意事項を教育してくれ。特に文化的な慣習の違いを理解させておかないと善意を悪意と受け取られかねない」遠征部隊司令は沖縄のマスコミから受けている極悪非道の犯罪者扱いが災害派遣先でも始まることを危惧しているようだ。実際、説明のため現地に入った東北方面隊の連絡官の報告では敗戦後に頻発した進駐軍の兵士による強姦事件や沖縄のマスコミが過大に報じる海兵隊員による性犯罪が起きることを警戒して中年女性から女子小学生にまで夜間外出や単独行動の禁止が指導されているらしい。
「判りました。私も日米の文化の違いでは苦労してきましたから体験談として説明しましょう」「それでは艦内放送設備を使うことを許可しよう。作業の手が空いている乗員はテレビ受像機が設置されている場所でカーネルの教育を聞くことを命じる」艦長は部屋の隅に控えている中尉に指示内容を実行するように命じた。
3月下旬、エセックスは気仙沼市の離島・大島沖に錨を下ろし、ただちに上陸用舟艇に救援物資を満載して届けた。同時に小型艇で周辺海域を捜索し、海軍の潜水士が水中まで確認して多くの遺骸や遺品を回収した。
続いて工事用器材と電気技師と工兵を上陸させ、電気と主要な道路の応急的復旧作業を実施して通信と交通が確保できた4月1日に第5海兵連隊第2大隊上陸チームの300名が上陸した。出迎えた気仙沼市役所大島出張所の2人の男性職員は東京のマスコミ関係者からの取材の電話で「凶暴な野獣」と聞いているアメリカ海兵隊の出現に緊張以上の怯えた態度になっている。今日は住民にも避難所や自宅での待機と接触回避を指導していた。
「この近くで海が見渡せる場所はどこですか」上陸部隊の先頭を歩いてきた若い兵士が流暢な日本で訊いてきた。どうやら通訳のようだ。
「船酔いしたのかな」「しかし、説明に来た自衛隊は上陸専門部隊だって言っていたぞ」職員たちは困惑した顔を見合わせて小声で相談すると少し歩いた場所にある防波堤に案内した。すると上陸した兵士たち全員がついてきた。
「整列」指揮官と思われる海兵隊員が指示すると見上げるような大男たちは神妙な面持ちでコンクリートの端に一直線に整列した。
「アテーン・ハッ(気をつけ)。ドレース・ライトッ(右へならえ)」そのままでも見事な整列が指揮官の号令でさらに整っていく。職員たちは感心しながら見学していた。
「リムービング・ヨー・キャップ(君たちの帽子を取れ)」職員たちは英語に堪能な訳ではない。それでも海兵隊員たちが一斉に帽子を取って短く刈り上げた頭を海風に晒したことで指揮官が「脱帽」と言ったことが判った。次に何が起こるのかは固唾を呑んで見守るしかない。
「サイレント・プレイ」指揮官の号令で全員が姿勢を正したまま頭(こうべ)を垂れ、目を閉じた。つまり「黙祷」したのだ。職員たちは唖然とした後、我に返って一緒に頭を垂れた。
「止め。ウェア・ヨー・キャップ(着帽)」指揮官が号令をかけると全員が帽子を被った。これが命令による儀礼であれば兵士たちの表情が緩み、動作も乱れるはずだが兵士たちの顔はさらに沈痛になり、頭を下げてから帽子を被った者も少なくない。
「本気で犠牲者を弔ってくれたんだな」「うん・・・グスン」東京のマスコミから「凶暴な野獣」と吹き込まれていたアメリカ海兵隊の思い掛けない態度に職員たちの胸は熱くなり、涙が止められなくなった。2人は作業の打ち合わせのため通訳と一緒に歩み寄った指揮官の手を両側から握り、何度も頭を下げた。
「彼らはどうしたんだ」「謝罪しています」想定外の対応に困惑した指揮官が通訳に訊ねると2人が口にしている「すみません」を「謝罪」と説明した。確かに誤解をしていたことを詫びる気持ちもこもっているから間違いではないが正しくは「感謝」と半々だろう。この出来事は狭い島ではすぐに広まり、アメリカ海兵隊に対する誤解は急速に修正された。
  1. 2019/03/19(火) 09:39:30|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

振り向けばイエスタディ1495

「貴方、お疲れさま」災統合任務部隊の活動が本格化して仙台空港はアメリカ軍の活躍で輸送拠点として機能し始めた頃、私の職場に妻であるモリヤ佳織1佐が顔を出した。
「何事だ。まだ通信学校には派遣命令は出ていないはずだぞ」私の意識は有事態勢に切り替わっており、数週間ぶりの妻との再会も職務離脱を疑ってしまった。逆に1佐が入室すれば「気をつけ」を掛けて敬礼すべきところでもあるがそちらには意識が回らなかった。
「私も災害派遣に行くことになったのよ。今日はウチの幕長と統幕長に申告に来たの」思い掛けない説明に私は困惑してしまった。通信学校が災害派遣に投入されれば陸上幕僚長に申告することは理解できるが、それは校長の役目だ。何よりも統合幕僚長に申告する理由が判らない。私が黙っているとモリヤ1佐が説明を続けた。
「統幕の二国間危機対応チームとして在日アメリカ軍のトモダチ作戦に参加するのよ。私は連絡官兼調整官兼アドバイザーとして海兵隊に同行するわ」私も担当していている裁判の関係で顔を出す統合幕僚監部でこの奇妙な名称の組織が設立されたことは聞いているが新聞やテレビでは報じられていない。大手マスコミの最近の報道は福島第1原子力発電所の原子炉破壊に関する解説で紙面・時間の半分を潰している。すると私の中で不安がよぎった。
「まさかアメリカ軍のCBIRF(化学生物事態対処部隊)に同行して福島の原発に行くんじゃあないだろうな」私の質問にモリヤ1佐はユックリ首を振った。その顔には妙な安堵感がある。
「流石は私の旦那さまね。着想が的を射ているわ。政府から要請があればCBIRFが派遣される可能性はあるけど、もう手遅れね」確かに初動対処であればCBIRFの活躍を期待できるが、ここまで事態が深刻になると軍の現地対処部隊の手には負えないのかも知れない。
「自衛隊も大宮に作っておけば独自の対応が取れたんだがな」私の嘆きは地下鉄サリン事件の時にも吐いた覚えがある。かつて陸上自衛隊が大宮の化学学校の中に核戦争と生物・化学兵器による攻撃に対処する部署を設立しようとした時、社会党が「核戦争や生物・化学兵器による攻撃を想定しているのか」と批判し、左傾マスコミが「自衛隊が生物・化学兵器攻撃の準備に着手」と曲解報道を始めたため頓挫した。その社会党の委員長が首相になっている時に地下鉄サリン事件が起きたのだが、今回は市民団体の活動家が首相だ。
「そう言う訳で厚木から海兵隊のヘリコプターで強襲揚陸艦エセックスに向かうの。派遣先は気仙沼の大島の予定よ」先ほどは福島第1原子力発電所への派遣を心配した私の推察を誉めてくれたが、今のモリヤ1佐も妙に溌剌としていて守山の通信大隊時代を思い出させる。やはりアメリカの軍人の娘は困難な任務に立ち向かう時に血が湧き立つらしい。そうなるとその血統を受け継ぐ志織が同じ気質であっても不思議はない。
「それじゃあ、行くわ」「待て」モリヤ1佐が壁の時計を見て立ち去ろうとするのを私が呼び止めた。先ず机の中から駐屯地のPXの紙袋を取り出して手渡した。
「マシュマロ・デーの贈り物だ。会った時に渡そうと思っていたんだ」「ありがとう・・・梢さんには送ったの」「うん、3月14日には間に合わなかっただろうけどね」11日に大震災が発生してからは気軽に買い物ができなくなり梢にもPXで買って駐屯地内のポストに投函した。佳織には市販のマシュマロの消費期限は意外にも数カ月先なので、それまでには会う機会があるだろう」と机の中にしまっていたのだ。次は周囲の協力を得なればならない。
「すみません。30秒間目をつぶっていて下さい」こうなればやることは決まっている。「廊下に出て」と言う選択もあるがあちらは不特定多数が通過する危険性がある。曹長と1曹、女性事務官が目をつぶっただけでなく顔を背けたのを確認してからモリヤ1佐を抱き締めた。
カンボジアPKOに出発する前にはまだ伊藤佳織2尉だったモリヤ1佐を初めて抱いた。北キボールPKOでは1人で旅立った。今回は職場での抱擁だが出陣する妻を送る作法としては不謹慎ではないはずだ。私たちは互いの体温と私は弾力、佳織は腕力を確認した。
「もう好いですか」「はい、どうぞ」抱擁と口づけを終えて余韻に浸っているところに1曹が声をかけてきた。モリヤ1佐は通信学校の官用車で来ているのでドライバーをあまり待たせることはできない。丁度良い合の手だった。
私はエレベーターまで見送ったが、ドアが閉まる時、モリヤ1佐は姿勢を正して挙手の敬礼をした。その凛々しい姿が目に焼きついた。
「モリヤ2佐ご夫婦の抱擁シーンってハリウッド映画みたいですね。ドキドキしてしまいました」部屋に戻ると女性事務官が変なことを言ってきた。
「ガラスに映っていたんですが、奥さんが羨ましくなりましたよ」還暦目前の女性事務官は地震発生時に準レイプ・シーンを演じて以来、私に送る視線が熱いようだがやはり危ない。
  1. 2019/03/18(月) 10:22:17|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

振り向けばイエスタディ1494(かなり実話です)

「この家の住人はどうですか」「高齢者夫婦だが行方不明になっているな」宮古市での行方不明者の捜索と倒壊家屋の撤去作業も市役所との連携が緊密になったことで順調に進み出している。分隊長以上の指揮官には担当地区の住民の情報が記入された住宅地図が配られ、捜索と撤去を同時進行で実施できるようになった。
「この辺りは津波が海まで引き込んでいる可能性は低いから中に仏さんが残っているかも知れん。そのつもりで捜索しろ」命令を受けて隊員たちは倒壊している屋根の破れた個所を探し始める。人力では屋根全体を撤去することが難しいため破損個所を広げて分解して行くしかない。
「ありました。ここが壊れています」瓦が落ちた屋根の倒壊した衝撃で歪んで破損した箇所を見つけた隊員が報告すると指揮官は確認に向かい木工用具を持った隊員たちが続いた。
「この位置なら居間か台所だな。作業始め」指揮官の命令で屋根材の裂け目にバール(鉄梃=かねてこ)を打ち込んで押し広げていく。そうして人間が中には入れるようになれば天井板を撤去して室内の捜索にかかる。4月になって気温が高くなる前に捜索を完了したいものだ。
そうした家屋の捜索と同時進行で道路と通路の啓開作業も進んでいる。道路は大型の建設器材を持ち込むだけでなく撤去した廃材の運び出し、何よりも発見した遺骸の移動のためにも迅速に整備を進めなければならない。このため隊員たちは「ショベル全部」と言う一覧表を鵜呑みにして積んだ雪掻き用の平スコップ(先が平らなショベル)で土砂をどかす作業に励んでいる。勿論、パンクの原因になる釘やガラス片などには細心の注意を払わなければならない。
宮古市に限らず田舎の被災地では各自治体と自衛隊の緊密な連携と固い信頼によって災害派遣が成果を上げ始めている中で仙台市内では自衛隊は苦悩させるような敵が跋扈していた。
災統合任務部隊に投入された東部方面隊は東北自動車道や主要幹線道路など首都圏からの大動脈の啓開を進めていた。ところが3月16日になってアメリカ政府が福島第1原子力発電所の破壊に伴う放射能漏れに対して在日アメリカ軍を含む全てのアメリカ人に原子炉から80キロ圏内への立ち入りを避けるように勧告したのだ。このため3月12日に日本政府が出した20キロ圏内からの避難指示に対する疑問が生じたことで復旧作業は中断を余儀なくされた。
大手マスコミは交通網が寸断されている上、放射能に汚染された地域での取材に社員労組が反対しているため記者を派遣できないでいる。こうなればフリー・ジャーナリストが取材した現地情報を買わなければ報道を維持できない。ところが同じ話題が長期化すれば刺激が強い情報でなければ高値で売れなくなるのは至極当然だ。
「お前たちはここに立ち入る許可を取っているのか」仙台市内でも海沿いの倒壊した家屋の住民の捜索を始めた部隊に首に本格的なレンズをつけたデジタル・カメラを提げた男が声をかけてきた。指揮官は分隊長の1曹だったが、小隊長から担当地域を命じられているだけで立ち入り許可の手続きについては聞いていない。何よりもこの地区の住民の多くは津波で行方不明になっており、生き残った人たちは避難所に行っている。今回の津波では若林区役所も被災した上、業務が殺到・錯綜していて綿密な連携を図る余裕などはない。
「公的命令で捜索を実施してるんです。手続きに問題はないでしょう」1曹は手を止めて見ている隊員たちに「作業、始め」と声をかけた。
「捜索にはこの家を壊すんだろう。許可もなく他人の所有地に侵入して勝手に家屋を破壊することは家宅侵入罪と器物破損になるんじゃあないのか。お前たち自衛隊には警察官や消防士のような権限は与えられていないはずだ」背中を向けて作業を監督している1曹に男は声をかけ続けた。
「そう言う君は公務執行妨害を犯しているじゃあないか。人に声をかけるのなら姓名官職を名乗るべきだろう」1曹は振り返ると努めて平静を装いながら反論した。ただし、「姓名官職」と言うのは自衛隊を含む公務員の業界用語で民間人に対しては誤用だ。
「俺はジャーナリストの松田俊兵だ。名乗った以上は取材にさせてもらうぞ」松田と名乗った男は一方的に宣言するとデジタル・カメラを構えて捜索作業をしている隊員たちを撮影し始めた。それが次第に中に入っていく。隊員たちは困惑して放置している。1曹はジャーナリストと言うテレビでは聞くことがある人種と接触した経験がなく取り扱いが判らなかった。
「お前たちは金目の物が出てきたらどうするんだ。誰も見ていないことを幸いに山分けするんだろう。そう言うのを火事場泥棒って言うんだ」松田は捜索のために屋根の隙間から中を覗いている若い陸士に近づくと質問のような侮辱を加えた。これでは作業に集中できない。1曹は腹を決めると松田に歩み寄って声をかけた。
「作業には危険が伴いますから民間人の立ち入りはお断りします」「やはり何か悪事を働くつもりだな」1曹は松田の出現で災害派遣における「敵」の存在を認識することになった。
東北地区太平洋沖地震4名寄駐屯地の広報紙から転用
  1. 2019/03/17(日) 11:15:18|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

振り向けばイエスタディ1493

東北方面隊総監部では大震災が発生した直後に通常の災害派遣計画を立案する会議で妙な議論が白熱していた。それは災害復旧の優先順位の問題だった。
「ですから1日でも早く仙台空港の瓦礫を撤去して空港機能を回復させなければ東北地方最大の都市である仙台への補給は確保できません」これを主張しているのは東北方面総監部装備部で後方運用課長を務めている下西2佐だ。下西2佐は輸送幹部で3尉の時には航空自衛隊の第3術科学校の輸送幹部課程に留学したことがある。その時、美保基地の第3輸送航空隊やアメリカ空軍の横田基地を研修して迅速で大量の運搬が可能な航空輸送の効果を十分に認識していた(下西2佐は本間郁子3尉の輸送学校での恩師だがここでは関係ない)。
「仙台空港は国土交通省の管轄だ。被害復旧はあちらが責任を持って実施するだろう。こちらから作業を買って出る必要はない」防衛部が前例踏襲で提示した派遣計画の修正を執拗に要求する下西2佐を司会進行を担当している総務部長が嗜めた。下西2佐は本来、あまり積極的な性分ではなく、むしろ言われたことを黙って引き受ける凡庸な印象を与える人物だ。それが今回は人間が変わったかのように自説を強弁し続けている。周囲の幕僚たちは「未曾有の大災害を目の当たりにして精神に変調をきたしたのではないか」とささやき合っている。
「それでは相も変わらず尺取り虫のように道路を復旧していくですね。工事が進むまでトラックを渋滞させたまま救援物資を足止めするんですか」下西2佐の意見は今やは世界の軍事常識なのだが、陸上自衛隊ではこの発言を「航空自衛隊の空輸の方が優れており、現場で土木作業に汗を流している隊員の苦労を冒涜している」ように受け止められる。実際、方面総監部に配属されている北部航空方面隊の連絡幹部は口をつぐんでおり、意見を求める者もいない。
「そもそも派遣計画の立案は防衛部の所管事項です。装備部の後方運用課長は防衛部が要求した後方支援を提供してくれれば良いんです」「その通りだ。分を弁えろ」防衛課長は防衛大学校の先輩である下西2佐に遠慮していたが、場の空気が険しくなったのを見極めて攻勢に転じた。それに下西2佐の上司である装備部長も同調した。この会議が多数決で結論を出すのであれば1対多数、棄権1(航空自衛隊の連絡官の票)で即座に否決される。
「判りました。陸空自衛隊がやらなくいても在日アメリカ軍が出動すれば1週間で完全復旧するでしょう。我々はそれを教訓として学ぶことになりますが仕方ありません」「在日アメリカ軍が災害派遣するのか。それは凄いな」下西2佐の皮肉にもそれを嘲笑する反応しかなかった。
「森田さん、貴方ならどうしますか」延々と続く作戦会議が中休みになった時、会議室に置いてある停電で室温になった缶コーヒーを飲みながら下西2佐は独り言を呟いた。今日は数日分の発言を続けたため身心が消耗し切っている。そんな中、第3術科学校の同期である森田3尉を思い出した。森田3尉は空曹時代、移動警戒隊で勤務していた警戒管制員で、「運用」の発想で輸送を考えていた。キスカ島撤退作戦やルンガ沖夜戦の輸送戦史を教えてくれたのも森田3尉だった。その森田3佐は輸送幹部としては冷遇され、警備幹部に職種転換している。あの相手を圧する迫力があれば方面総監を動かし、トップダウンで採用されたかも知れない。下西2佐には甘いはずの加糖の缶コーヒーが妙に苦く感じた。
「この空港を拠点にしよう」「滑走路の復旧を2日以内に完了させなければいかんな」3月13日に横田基地から山形空港に前進していたアメリカ空軍の太平洋特殊作戦コマンドのヘリコプターは上空から被災地を確認し、仙台空港に目をつけた。日本の缶政権が承認しなくても本国のホワイトハウスの命令があれば動き始めるのが在日に限らずアメリカ軍の行動原理だ。
「ジエータイは何故手をつけていないのかな」「ジエータイは民間空港には手を出せないのが日本の官公庁のルールなんだよ」「こんな災害時でも守らなければならないルールなのか」パイロットたちは軍事常識である空港の確保を放置している自衛隊に疑問を感じつつも放置しなければならないジエータイには深く同情して横田基地に帰還した。
在日アメリカ軍は防衛省ではなく国土交通省に対して仙台空港のB滑走路の瓦礫を撤去して、MC―130P輸送機が離発着できる1500メートルの滑走路の確保を要求した(事実上の命令)。国土交通省としては羽田・成田の両国際空港を含む関東上空の航空管制権を横田基地に握られているため立場が弱く、滑走路の点検整備を委託している会社に作業を強要した。
こうして3月16日には横田基地から第320特殊戦術飛行隊の管制官と可搬式管制器材を搭載した輸送機が松島基地に着陸して陸路で仙台空港に移動、管制機能を確保してからは復旧用器材と第353特殊作戦部隊を乗せたMCー130Pが強行着陸し、さらに富士の海兵隊などが続像と投入されたことにより3月20日にはC―17大型輸送機が着陸できるまでになった。
これを見せつけられた方面総監部内での下西2佐の立場が益々危うなるのが日本の自衛隊だ。
  1. 2019/03/16(土) 11:15:22|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

振り向けばイエスタディ1492

大震災が発生して以降、杖野幸男官房長官は一睡もしていない。努力型の秀才である杖野官房長官にとって職務に万全を期すことは個人的美学を超えた生き方そのものであり、政治家としての責任でもある。関東のマスコミにとっては東北の被災地の状況よりも津波によって損傷を受けた福島第1原子力発電所の原子炉の問題の方が視聴者の関心が高く、連日の記者会見でも質問が集中している。おまけに東京工業大学出身で理数系を自負する缶首相も強い関心を持っているので記者たち同様に聞きかじりの専門知識の質問を東北大学法学部出身の杖野官房長官にぶつけてくる。このため杖野官房長官は東京電力の専門家を呼んで深夜まで説明を受けていた。
「官房長官はまだ終わりませんか」官邸の官房長官執務室前の廊下には報告に来た各省庁の官僚たちが列を作っている。各省庁とも徹夜態勢で大震災に対応しているため秘書官に確認する目も充血しているが、それはお勉強会につき合っている秘書官も同様だ。そんな列の中ほどで外務官僚と防衛官僚が立ち話を始めた。普段は背広姿なので顔見知りでなければ所属は判らないのだが、現在は所属を縫い込んだ防災服を着ているので自己紹介は要らない。
「在日アメリカ軍の災害派遣参加の承認は得られたのか」日本の中央官庁の中でも外務省は普通の上級職国家公務員、いわゆるキャリアとは別の外交官試験で任官している者が多いため採用試験の序列で優劣が決まる官僚たちとは一線を画している。このため環境官僚と並んで劣等生が多く立場が弱い防衛官僚も外務官僚とは親しくなれる。
「今日はその説明に来たところだ。在日アメリカ軍は派遣に向けて具体的に準備を進めているんだが、官房長官よりも首相が嫌っているらしい」「ウチがアメリカ大使館からの打診を伝えた時も官房長官は何時もの調子で事務的に受けつけたんだが、そのまま梨のつぶてになった。アメリカの好意を拒否すれば雀山政権の二の舞になることが判らないのかな」外務省と防衛省は辺野古にV字型滑走路を建設して普天間基地を移動させる計画を雀山政権が選挙公約で反故にした尻拭いで苦労し合った同志でもある。
「アメリカには相手の立場を洞察するような思考はないから、この申し出を断れば尖閣諸島の問題がこじれて日本側が協力を要請しても拒否する口実を与えるようなものだぞ」外務官僚の話は防衛官僚以上に安全保障に直結して行く。
「単純に考えても現場では手が足りないんだから断る理由はないはずだ」さらに防衛官僚が吐くべき台詞を外務官僚が代弁した。それだけ常識からかけ離れた政治判断なのだ。
「首相に直接説明できれば脅しもかけられるんだが、官僚の政治介入を排除するのが政権交代の表看板だから無理だな」政権交代が実現した頃にはマスコミと一緒になって各官庁の事業を叩き潰し、台湾人の元クラリオン・ガールを主演女優にした「事業仕分け」なる拷問=SMショーまで上演していた。そう言えば杖野官房長官も助演俳優だったはずだ。
「直接説明と言うのならお前のところも現場で働く制服組に説明させた方が良いんじゃあないか。在日アメリカ軍と接触しているのも自衛官だろう」ここで外務官僚が禁句を口にした。内務官僚出身の海原治が構築した悪しき体質を継承したい防衛官僚としては防衛問題に熱心だった中曽根政権以降、首相が自衛官から直接話を聞く機会が増えていることを危機感を持っているのだ。すると黙った防衛官僚に外務官僚が追い討ちをかけた。
「我が省では現場で働く外交官の声を政権中枢に聞かせることは省益につながると考えているぞ。今回だって現場で危険を顧みずに働くのは自衛官であって官僚ではないだろう。我々も自衛隊が海外派遣で果たしている貢献が日本への信頼獲得の大きな力になっていることを実感している。今後はアメリカ式に外交と防衛は一心同体、表裏一体になっていくはずだ」やはり外交交渉を本業とする外務官僚の弁舌には勝てない。防衛官僚は返事をせずに周囲を見回したが、みな疲れった顔で押し黙っている。これは徹夜続きの過重労働だけが原因とも思えない。
そこに官公庁の防災服とは色とデザインが違う作業服を着た男性が2名、執務室から出てきた。2人とも疲労・憔悴し切った顔をしている。前を通った時、作業服の胸の「東京電力」と言う文字が目に入った。本来であれば事故への対応に全力を傾注するべき専門家たちが記者会見と首相への説明のために素人の官房長官を相手に初級原子力発電講座を開いていたのだ。
「今から長官は朝食を取られます。30分間ほど時間をもらいます」その時、東京電力の社員を見送りに出てきた秘書官が廊下に並んでいる官僚たちに声をかけた。時間から言えば遅めの朝食ではあるが、各省庁からの報告内容の緊急性を考えればそんなことに時間を割いている場合ではない。しかし、官僚たちは苛立つ前に疲れ切ったように首を落としてうなだれた。
結局、缶政権はマスコミや市民の目につかない地区で活動することを条件に「トモダチ作戦」を承認した。CBIRF(化学生物事態対処部隊)の派遣については知識がないようだ。
  1. 2019/03/15(金) 11:54:25|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

振り向けばイエスタディ1491

「作戦名は『トモダチ』なんですか」司令官が列席して在日アメリカ軍の災害派遣に関する作成会議が開かれた。会議の席では在日アメリカ軍司令部が作成した資料が配布されたが、その表題には「オペーレーション・トモダチ」とある。これを見てモリヤ佳織1佐は感心して英語で大き目の独り言を口にしてしまった。
「そうだ。太平洋空軍司令部の北東アジア政策課日本担当の」「ミスター・ウェルコックスですね」モリヤ1佐は司令官の説明を先回して言い当てた。これは日本的には非礼に当たるが、司令官以下の参加者たちはこの日本のWACの1佐が太平洋軍司令部の内部事情に精通していることを改めて認識した。ただし、ウェルコックスは元空軍士官のはずだが階級は思い出せない。
「つまり1923年9月1日の関東大震災の時にジョン・カルヴァン・クーリッジ大統領が行った日本への支援を再現して下さると言うことですか」このモリヤ1佐の質問はさらにアメリカ軍関係者たちを驚嘆させた。軍人に限らずアメリカ人が英雄的大統領として尊敬するのは独立戦争のワシントンから湾岸戦争のレーガンまで戦争に勝利した人物が中心で、日本ではアフリカ系奴隷解放の人道主義者だと思われているリンカーンも南北戦争に勝利して国家分裂の危機を回避したから特別視されているのだ。モリヤ1佐はハワイの中学校のアメリカ史の授業で歴代大統領の業績を習った時、日系人の教師が普通のアメリカ人には知名度が低いクーリッジ大統領の太平洋を越える温情を強調していたため深く記憶に刻まれていた。
「勿論、それもある。しかし・・・」「アメリカ軍の存在をロシアと中国、南北朝鮮に示すことが主たる目的なんですね。確かに自衛隊の戦力の多くを災害派遣に割かれれば侵略を企図する仮想敵国には攻撃の好機を与えることになりますから」横田の空軍だけでなく横須賀の海軍、富士の海兵隊、座間の陸軍からの出席者たちも万事に控え目な自衛隊の幹部とは思えない積極性を見せるモリヤ1佐に驚愕の目を向け始めた。モリヤ1佐にとってはアメリカ陸軍のCGS課程に入校して間を置かずに赴任した太平洋軍司令部での勤務の感覚が甦っているだけなのだが、隣りに座っている晩鐘将補も生き生きと輝きを放ち始めた横顔を感心しながら見ていた。
「これが現時点、日本国内に所在する戦力による我が軍の可能行動です」前置き的討論が終わったところで防衛担当の参謀はスクリーンの前の席でコンピューターを操作すると画面に映った一覧表を紹介する。ただし、自衛隊のように細かい説明はしない。参加者は手元の資料を速読して疑問があれば質問をするだけだ。
「これは公式に打診を受けた訳ではありませんが、日本国政府としては福島で発生した原発事故の放射線対策を在日アメリカ軍に期待しているように見受けられます」ここで晩鐘将補が補足した。一覧表に列挙されている作戦行動は輸送機とヘリコプターによる救援物資の輸送や海軍の専門要員による海上の行方不明者の捜索、さらに地上部隊を派遣しての被害復旧などが中心だ。現在の日本政府=缶政権に作業所要と投入できる戦力を合理的に比較できるだけの見識があればこの作戦も有り難く受けるはずだが、勝手な政治信条を優先する態度に変わりがない以上、自衛隊に能力が欠落している分野での活動で誘惑するしかない。ところが話題が原発事故になると参加者たちの顔が一斉に青ざめた。
「福島原発の事故はそこまで深刻なのか」「政府のスポークスマンが記者会見で明言しないのはそれだけ事態が危険だからだな」アメリカ軍にとって放射能汚染は核戦争によって発生する最悪の事態であって人体への影響もそれを前提にしている。したがって事故による漏洩も人類を大量殺戮する核戦争と同じ認識で受け止めてしまう。1979年に発生したスリーマイル島の原子力発電所の放射能漏れはソ連のチェルノブイリの事故の影で記憶から消えているらしい。
「安定ヨウ素剤はどこまでの範囲に配ってあるんだ。原発の周辺住人には常備させているんだろう」「すでに服用を指示しいたのか」「ジエータイのCBIRF(化学生物事態対処部隊)の活動状況はどうなっている」参加者たちの質問が晩鐘将補に集中する。しかし、これに回答することは日本の恥を同盟国に晒すようなものだ。晩鐘将補は大きく息を呑むと説明を始めた。
「我が国には甲状腺への放射線障害を予防する安定ヨウ素剤の備蓄は殆どありません。したがって政府としては国内メーカーの製造では間に合わないためアメリカなどからの緊急輸入を要請しているところです」流石に陸幕防衛部長である晩鐘将補は核戦争に関する基礎知識は持っているようだ。しかし、実際の缶政権は場当たり的な対応、中でも記者会見での説明に追われており、福島のマスコミの関心が高い原発事故も放射能漏れを押さえることに躍起になるばかりで、周辺住民は科学的根拠のない距離に避難させた後は放置している。
「つまり東北地区に派遣する兵員には放射能対策をさせなければならないと言うことだな」やはり司令官の理解は冷静で適切だ。問題は缶政権がこのトモダチ作戦を受け入れるかだ。
  1. 2019/03/14(木) 11:35:26|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
次のページ