fc2ブログ

古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

7月1日・中国で国防動員法が正式に発効した。

2011年の明日7月1日に国際連合の常任理事国である中国で国防動員法が正式に発効しました。
日本のマスコミは先代の江沢民主席が小泉純一郎政権の対中強硬路線に対して学校での反日教育を始めるなど友好に逆行する姿勢を公然化していたこともあり、胡錦濤・温家宝指導部には過剰で勝手な期待と親近感を示していましたが、所詮は国民党を日本軍と噛み合わせて消耗させる策略によって中国の国土を奪取し、内にも外にも銃口を向けて政治体制を維持してきた共産党の政権であって常に戦争の準備を怠ることはないのです。
実際、この法律は江沢民指導部が相次いで成立させた新たな国防基本法である国防法や核攻撃を含めた空襲などに備える人民防空法、さらにハイテク時代に対応して戦闘員ではなく高度な電子技能を有する若者を国家の情報分野の中枢に動員できるようにした兵役法の改定、新たに動員することになった専門家を管理する軍の士官の分限規定を加えた現役将校法の修正、そして天安門事件やソ連崩壊による人民の共産主義離れを防ぐための愛国心教育を国家事業として実施することを定めた国防教育法の続編です。
これ以前に胡錦濤政権では中国人民解放軍政治工作条例を修正して武力行使だけでなく中国内外での世論工作にも人民解放軍を動員する法的根拠を確立し(実際にインターネットの監視や外国からの郵便物の開封・確認に動員されているらしい)、行政部局を統廃合して航空・宇宙部門の国有企業を監督する国家科技工業局を設立し、おまけに日本の特許法に相当する専利法を改定して有事に際しては登録されている特許を申請者の許可なく国家が使用する権限を明記しています。
江沢民・胡錦濤政権が推し進めた国防近代化の集大成であるこの法律の主な内容としては「中国国内で有事が発生した際、全国人民代表者大会常務委員会の決定の下、動員令が発令される」「国防義務の対象者は18歳から60歳の男性と18歳から55歳の女性とする」「国務院と中央軍事委員会が動員工作を指導する」「個人や組織が有する物資や生産設備は必要によって徴用される」「有事の際、交通、金融、マスコミ、医療機関は必要に応じて政府や軍が管理する。また中国国内に進出している外資系企業もその対象となる」「国防の義務を履行せず、また拒否する者は罰金又は刑事責任に問われることもある」と言うもので、有事に中国政府や人民解放軍が管理する交通、金融、マスコミに外資系企業も含まれていることをなど自由主義圏の常識、国際法慣習から大きく逸脱している項目も数多くあります。
特に平和惚けした日本人が見落としてしまうのはこの法律が規定している有事は武力による紛争だけでなく平時の情報戦も含まれていることで、中国は人民解放軍だけでなく国家体制が日本の自衛隊が唱えるお題目の「有事即応」ではなく「有事平時不区分=常在戦場」なのです。近衛文麿内閣が国家動員法を成立させた昭和13(1938)年の日本は満州事変から続く大陸での戦闘の最中でしたが中国には表立った武力紛争はなく平時のはずです。恐ろしい国が世界平和を指導する常任理事国を務めているものです。
  1. 2019/06/30(日) 14:06:14|
  2. 日記(暦)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

振り向けばイエスタディ1597

杉本と岡倉は日本大使館を出ると横断歩道で大通りを渡った。この場所に(いわゆる)従軍慰安婦像が設置される予定だ。歩道では殺気立った顔をした中年女性たちがビラを配っていた。
「アンニョン・ハセヨ(こんにちは)」「イレウル・バラブニダ(これをどうぞ)」「イボン・ウイ・ブジェオン・エウル・ジュアンバジャ(日本の悪事を糾弾しましょう)」杉本と岡倉が日本大使館から出てきたのを見ていた中年女性たちは国籍を確認しようと早口の韓国語で声をかけてきた。それでも2人にとって韓国語は日常会話の言語だから問題はない。
「ガムサ(ありがとう)」「ヒウナエセヨ(頑張って下さい)」2人は手渡されたビラを丁寧に受け取り、韓国語で声をかけた。そうして歩きながら目を通すとやはり(いわゆる)従軍慰安婦像の設置を推進している団体のビラで、彫像のデザイン案を紹介するものだった。思い掛けない資料提供を受けて2人は分析と意見交換を始めた。
「誰だ、この小娘は」先ず杉本が作者の下書きの少女像を見て英語で声を上げた。ここは使用する言語の選択が難しい。韓国語では周囲の人間に筒抜けになり、日本語では抗日運動のビラが敵の手に渡ったと思われる。英語ではアジア人には不自然だ。
「日本人が生理も始まる前の少女に客を取らせた人道上の大罪を永遠に刻むために少女の像とした・・・だとさ」杉本はビラを熟読している岡倉を無視して英語で話を続けた。
「確かに日本軍が前線に同伴した慰安婦の中に朝鮮人がいたのは史実ですが、それは朝鮮の妓生(キーセン)宿から買った女たちで未成年者は対象外でしょう。客になる日本兵には故郷に残してきた娘や妹がいたんですからロリ趣味に走る気分にはならなかったはずです」岡倉の正論は韓国語にさせて周囲の人間たちに聞かせたくらいだが理屈が通るような雰囲気ではない。以前から韓国人には異様な熱気を感じていたが今回はそれが殺気に変わっている。
「この像が設置されれば日本大使館の改築計画もなくなりそうだな」岡倉の見解を結論にした杉本は立林1佐から聞いた内輪ネタに結びつけた。現在の日本大使館は手狭で在韓日本人の渡航手続きや相談を受け付ける領事部と文化交流や広報を担当する広報文化院は別の建物に分散しており、改築にはこの異常な状況の解消と言う目的もある。しかし、この場所は景福宮周辺の文化財保護地区に該当するため鍾路区は友好国の大使館の建物にも高さ制限を強要しているらしい。その一方で大使館の周囲には韓国企業の高層ビルが建ち並んでおり、遠望的には屋上に掲揚している韓国の国旗が見下ろしている。これで正面に(いわゆる)従軍慰安婦少女像が設置されれば日本大使館は被害者の視線を浴びながら背後の韓国企業にも睨まれている惨めな被告人と言う構図が完成する。おそらくこれが鍾路区の金永椶区長の「抗日派」としての遠大なテーマ・パーク化構想なのだろう。
「日本政府が今の段階で公式に抗議しないとこの虚構が事実化されて外交カードになりますよ」岡倉はこの話題に深入りするのを避けて杉本の耳元で声をひそめて話しかけた。このようなビジネス街を歩いている韓国人は英語力も高く保全に警戒を要するのは間違いない。
「大体、国連でクマラスワミ報告が出て5年だぞ。それに強く反論しないまま2年後のマクドゥーガル報告まで許してしまった。そんなに朝日新聞が怖いのか」「朝日新聞の読者層は日本社会の指導的立場にある人間が多いからマスコミの中で絶対的な地位を堅持しているんですよ」岡倉は珍しく興奮気味の杉本に相変わらず冷静な見解を返した。岡倉が大学4年だった昭和62年5月3日に朝日新聞阪神支局が猟銃を持った男に襲撃されて記者が射殺された阪神支局・赤報隊事件が起きた。岡倉は元憲兵士官の松念院の住職からソ連のスパイ・ヒャルト・ゾルゲとその配下になっていた朝日新聞の記者・尾崎秀実が近衛内閣に取り入り、ソ連に圧力を加えるため配置されていた満州の関東軍を南進させて満州軍閥を皮切りに国民党軍との全面戦争にのめり込むように世論誘導したことを聞いていたので、教授や学生がこの事件に怒りの声を揚げるのを冷めた目で見ていた。ところが前川原でこの話題が出るとモリヤ任人候補生は「記者だけでなく配達員から読者まで皆殺しにしなければ駄目だ。ウチの親も購読者だから一緒に殺せば良い」とさらに過激な意見を述べ、女子の候補生1名を除く周囲からドン引きされた。モリヤ候補生は沖縄で本土復帰後は朝日・毎日新聞の傘下に入っている地元二大紙からの事実無根の批判に苦しめられて個人的に朝日新聞の世論工作を研究していたらしい。
「私が思うには朝日が主導した世論誘導で成立した民政党政権が今のような失態を演じ続ければ日本人は目を覚ましますよ。そうなれば信用を失墜して影響力は大幅に低落するでしょう」「その前に朝日新聞の捏造を証明できれば良いんだがな」「朝日新聞の捏造は従軍慰安婦だけじゃあないですからね」ここで2人は立ち止まるとビラを4つに畳んでサマ―・ジャケットの胸ポケットにしまった。後はそれぞれに待つ女性の家に向かうだけだ。
  1. 2019/06/30(日) 14:05:16|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

6月30日・国会に靖国神社法案が提出された。

昭和44(1969)年の6月30日に自由民主党からの議員立法として国会に靖国神社法案が提出されました。
野僧はこの法案が成立していればこの国を滅ぼした元凶としての敗戦責任を放棄し、国内の他宗教の信者や海外の政府や遺族からの激しい批判を受けていながら現在も日本版ナチズム=国家神道の再興を目指す神道業界が保守系政治家に愛国心の踏み絵として参拝を強要している靖国神社に汚れとして染みついた宗教色を抜き落とし、国が管理する戦没者慰霊施設として本来の機能を果たすように改革できただけに5度目の提出でも成立させなかった国会の機能不全が残念でなりません。
この法案の趣旨は「靖国神社を国の管理下に移し、国が戦没者の慰霊を行う施設として職員の人事や経費の一部は国費から支出するのと同時に日本国憲法の政教分離原則に違反しないため靖国神社を宗教法人から特別法人に変更して祭儀からは神道臭を除去する」であり、このため「法案に靖国神社の名称を用いているのは創建の由来から踏襲したのであって宗教団体としての現状を継続するものではない」と補足説明しています。
そもそも靖国神社は反乱軍総督であった有栖川宮熾仁親王がまだ函館で戊辰戦争が続いていた明治2(1869)年に毛利藩軍監の村田蔵六さんに反乱軍の戦没者慰霊施設の設置を命じたことで創建された招魂社でした。明治の政変後は兵部省が管理・運営していたのですが明治7(1874)年の佐賀の乱、明治9(1876)年の萩の乱、明治10(1877)年の西南戦争と反乱軍側の諸藩で中央での出世から取り残された不平士族が反乱を起こし、その鎮圧に賊徒として招魂社には加えられなかった旧幕臣や九州諸藩と奥羽越列藩同盟の旧藩士たちが活躍したため官軍と賊徒の区別ができなくなったことで山県有朋さんを首魁とする兵部省が宗教を所掌する内務省に圧力をかけて招魂社を別格官幣社としたのが靖国神社の始まりです。したがってこの法案は原形に戻すもので、新憲法下での改革を目指した訳ではないのです。
国民世論としては全国戦友会連合会や遺族会が賛成の署名を2000万人分集めた一方で神道以外の宗教団体は「復古趣味だ」「結局、靖国を国有化することにつながる」と反対して賛否が分かれました。しかし、まだ戦没者の遺族の大半が存命であり、審議での発言が報道されれば投票行動に大きな影響を与えることは必至だったため与野党ともに及び腰で、毎年提出されても付託された内閣委員会でさえほとんど開かれず審議凍結のまま衆議院の会期終了による審議未了で廃案になっていました。5度目の提出だった昭和49(1974)年には5月25日に衆議院で可決されたものの(野党欠席のため満場一致だった)参議院は放置し、6月3日に会期が終了して審議未了廃案になったのです。
それにしても法案が成立して国が管理することになっても帝国陸海軍と一線を画している自衛隊が管理・運営する訳にはいかず、外国の戦没者慰霊施設に倣うには自衛隊法の改定により新たな任務として非宗教的な戦没者の慰霊を加えるなどの難しい議論が続くことになったのでしょう。
  1. 2019/06/29(土) 12:03:04|
  2. 日記(暦)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

振り向けばイエスタディ1596

仁川国際空港からソウル市に着いた2人はその足で鍾路区にある日本大使館に防衛駐在官の立林1佐を訪ねた。勿論、その前にアメリカでも中国と朝鮮半島系の移民団体が大々的に喧伝し始めている(いわゆる)従軍慰安婦像の設置予定場所を確認した。この問題は日本では朝日新聞の英語版だけが戦時中に日本政府と陸軍が犯した人道上の大罪として外国向けに報道しているが、国内の新聞とテレビは相変わらず東北地区太平洋沖地震の被害と福島原発の放射能漏れの二色に塗り固められており、国民は蚊帳の外に置かれている。
「お久しぶりです」「珍しい。今回は2人一緒なんだな」韓国人の女性職員の案内で2人揃って防衛駐在官室に入ると窓際の執務机でパソコンに向かっている立林1佐は意外そうな顔をした。2人は別々に来韓してその度に顔を出しているが、「揃って」と言うのは今回が初めてだ。一緒だったのは前任の林1佐の頃だ。
「今回は(いわゆる)従軍慰安婦像の確認かな」立林1佐は女性職員がコーヒーを持ってきたところでソファーを勧め、背中に浴びせるように皮肉を吐きかけた。つまり日本大使館に雇用されているこの職員さえも銅像の設置に賛同していると言うことだ。立林1佐は2人を座らせると盗聴防止にサイド・テーブルの上のCDプレイヤーで陸上自衛隊中央音楽隊のマーチ集をかけた。やはり会話のBGMには歌詞がない曲でなければ邪魔になる。
「あれは日本政府が放置しているととんでもない外交問題に発展しますよ」「確かに大使館でも憂慮しているんだが、外務省に報告しても政権と与党の顔色を窺っているようで反応がないんだ」「民政党政権は官僚たちへの締め付けが厳しくて動きが取れないらしいですね。これはアメリカ国務省からの情報です」立林1佐の説明に岡倉が補足した。民政党は自民党が官僚と持ちつ持たれつで運営してきた政権体質を打破することを標榜して政権を奪取した。このため官僚叩きを演じることが主な役どころになって、各省庁は自民党政権時代の事業計画を全面的に見直すのにも無能な素人大臣の顔色を戦々恐々と窺っている。そのことを業務提携先であるアメリカの官僚たちも困惑と同情の目で太平洋越しに傍観している。
「民政党政権は朝日新聞の意向を尊重するから韓国の機嫌を損ねるようなことはできないんでしょう」ジャーナリストを内妻とする杉本は日韓マスコミの連携=癒着を指摘した。今回の政権交代は新聞とテレビが共同戦線を張った世論誘導を国民が鵜呑みにした結果の悪夢だ。その自民党による長期政権に対する批判を主導していたのはインテリ層が購読している朝日新聞だった。また韓国の新聞各紙は軍事政権の報道制限に対して朝日新聞の批判記事を翻訳して外信扱いで掲載していたため現在も完全に一体化している。そして(いわゆる)従軍慰安婦問題は朝日新聞が口火を切り、それを手掛けたのは韓国人の元売春婦の法廷闘争を指揮する活動家・梁順任の娘を妻とする植村隆記者だった。つまり(いわゆる)従軍慰安婦問題は朝日新聞と韓国のマスコミが日本の国際的信用を失墜させることを企図した協同謀議なのだ。
「それにしても鍾路区の金永椶区長は許せませんね」杉本がソウル市鍾路区の区長の名前を口にした。やはりこの問題を個人的にも注視しており、安楷林(アン・ヘリム)からも詳細な説明を受けているようだ。3月に金永椶区長は面談した韓国挺身隊問題対策協議会の代表者から「日本大使館前に日本を糾弾する石碑を設置したい」と申し入れられると「石碑の設置には道路専用の許可が必要だが、銅像なら芸術作品だから対象外だ」と回答した。これを受けて対策協議会は反日感情を表現する銅像を数多く手掛けている夫婦の彫像作家である金運成と金曙炅に依頼して製作中と言うのが英語版の朝日新聞が報道している現状だ。
「しかし、それは国際条約違反でしょう」「そうなんだ。外交関係に関するウィーン条約の第22条2項に違反している」岡倉の指摘を受けて立林1佐は前置きの後、大きくを息を吸った。
「接受国は侵入又は損壊に対し使節国の公館を保護するため及び公館の安寧の妨害又は公館の威厳の侵害を防止するため適当な全ての措置を執る特別の責務を有する」どうやら大使館の外交官から特別講座を受けたようだ。文章の丸暗記は防衛大学校式の学習法でもある。
「首都の外交、行政の中心地で観光でも大勢の外国人も集る鍾路区でそんな区長を野放しにしているようでは韓国も末期症状ですね」杉本の韓国に対する見方は常に冷徹だが、これは韓国での日本に対する態度の分類を反映している。韓国で「親日派」と言われることは日本による統治下で日本人に取り入って出世した者を指し、「知日派」は単に日本に関する知識・情報を持っている者のことだ。つまり杉本は自分を「知韓派」と考えているのだ。逆に「反日」は日本を敵視する感情を抱く韓国人の常識、「抗日」はそれを行動に移す模範的行動を意味する。金永鍾区長は2011年12月14日に日本大使館前に従軍慰安婦少女像が設置されると区営バスの最前列の席に同じ形を再現した樹脂製の像を座らせた「抗日派」だ。
  1. 2019/06/29(土) 12:02:01|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

6月29日・東海ラジオ「聞いてみやーち」が打ち切りになった。

極めてローカルな話題で恐縮ですが、2016年の明日6月9日に東海ラジオの人気番組「宮地佑紀生の聞いてみやーち」が宮地さんの相方の神野三枝さんへの暴行が原因で打ち切りになってしまいました。番組は東海三県限定でも事件については全国区の新聞に載っていたので記憶している方も多いでしょう。
野僧は中学に入学した時、NHKの基礎英語を聴くためラジオ・カセット(=ナショナル・MAC)を購入して以来、テレビのチェンネル権を持っていなかったこともあり、帰宅すると先ずFM愛知で青木小夜子さんの「FMバラエティ」を聴き、夕食後は勉強をしながら「モスクワ放送」、モスクワ放送が終われば柴田チコさんの「コンタクト・クラブ」で日付を越していました。そのため大寺院の手伝いで檀家さん周りをする時にはカー・ラジオを聴くようになり東海ラジオのファンになってしまったのです。午前10時から正午の「かにタクの言ったもん勝ち(蟹江篤子さんとタクマさん)」と午後1時から4時の「聞いてみやーち」を聴きながら家から家を走り回り、午後4時から5時30分の「ただきいただきラジオ・クルージング」の放送中に寺へ戻ることができれば幸いでした。
そんな「聞いてみやーち」でトッポ・ジージョが話題になり、聴取者から「どこで買えるのか」と問い合わせるメールが届いて宮地さんと神野さんが困って「名古屋にはないから東京辺りで探せば」と言い出したため、野僧が「犬山のリトル・ワールドの売店にある」と知らせたことでメールを読まれるようになったのです(添付画像はその時のお礼)。
宮地さんは昭和24(1949)年に名古屋市大須で生まれた生粋の名古屋人で流暢な名古屋弁なのは当然です。愛知高校から愛知学院大学に進学しながら(愛知高校は付属校)デザイナー専門学校も卒業して名古屋市内でアクセサリー店を始めたそうです。その後、生CMに出演したことで東海ラジオのプロデューサーに声をかけられてラジオにも進出しました。しかし、タレントと店の経営の両立には失敗し、多額の借金を抱えながらも返済したことを挫けた聴取者を叱咤激励する際のネタにしていました。
一方、神野さんは昭和40(1965)年に愛知県岡崎市で生まれ、東三河では「聖女生徒」と呼ばれてナンパすることを控えていた市内のカソリック系の高校を経て、名古屋市内のプロテスタント系の短大に進んでいます。卒業後に名古屋で開催された世界デザイン博でコンパニオンを勤めたことでスカウトされ、東海ラジオのアシスタントになった時の語り口が評価されて「聞いてみやーち」のパーソナリティーに抜擢されたのです。
2人のやり取りは暴走気味の宮地さんを16歳年下の神野さんが冷静にたしなめるのが絶妙だったのですが、この日の生放送中にプレゼントの当選者のメールを紹介していた神野さんの脚を宮地さんが蹴り、「プレゼントを頂いた方のご紹介じゃあないんですか」と言い返すと「だから頂いた人のやつ、頂きゃあエエがね」と答えてマイクで神野さんの顔を殴って唇に裂傷を負わせたのです。聴いていた友人(岐阜のローカルFMのDJ)は「最近は2人の呼吸・波長が合っていなかったように感じていた」そうですから本人たちも自覚がないまま不満が蓄積し、衝動的に爆発してしまったのでしょう。残念です。
聞いてみゃーち
  1. 2019/06/28(金) 13:32:11|
  2. 日記(暦)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

振り向けばイエスタディ1595

例年、岡倉は9月中旬の秋夕(チュソク=太陰暦8月15日)、杉本は国務省の関係者が夏季休暇を取得する期間に合わせて韓国へ帰るのだが、今回は戦没者・殉国者の慰霊を行う6月6日の顕忠日に韓国に帰ることにした。2人には韓国で急激に高まっている反日感情の原因と意図を探求することが課題として与えられており、本来は朝鮮戦争の戦没者を慰霊する軍の儀礼日だった顕忠日に1965年から殉国者が加えられて以降、抗日暴動での死亡者だけでなく李承晩政権が対日破壊活動のため潜入させようとして遭難死した工作員まで対象になっているため、その史実を紹介する報道や国民の反応を確認することも目的だった。
「それにしても工藤さんも随分と大胆になりましたね」ニューヨーク発、仁川国際空港行きのデルタ航空の機内で岡倉は杉本の隣りに座った。杉本と2人で韓国に向かうのはこの職務について間もない頃に金大中政権の実像を確認する任務の補助として同行して以来だ。あの時、杉本に渡された媚薬を使って李知愛(イ・ジアエ)の純潔を奪いながらも今では妻としている。
「確かにな。以前は俺とお前を一緒に帰すようなことは控えていたんだが、今回は松本がハワイ、今田(本間の偽名)は台湾に行っているところで俺たちまで追い出してしまって1人で留守番だ」「工藤さんの実年齢は60歳を過ぎているでしょう。そろそろ後継者を決めないと今後の活動の方向性が定まりませんよ」珍しく岡倉が批判的な口調で組織の現状を語った。工藤としては倉田と呼んでいた村田を後継者として新たな中国語の専門家を採用し、戦力化できた時点で交代するつもりだったようだ。その村田をチベットで失ったことで後継者の選定と育成は宙に浮いたままになっている。残っている杉本、岡倉、松本、本間はそれぞれに組織の長としては一長一短があることを自覚していた。
「ところで金田さんは韓国で顕忠日を過ごしたことがありますか」岡倉は杉本の韓国用の偽名を憶えていた。この姓は在日韓国人を装うことを前提にしており、韓国名も用意している。
「いや、初めてだ。杉村は」こちらは韓国に限らず岡倉が用いている偽名だ。この他に杉本と岡倉にはイギリスの諜報機関用にハンゾーとコゴローと言うふざけた通称もある。
「私も初めてですよ。妻から『貴方は帰らない方が良い』って言われて以来、足が向きませんわ」「俺もだ。不快になるだけだってな」杉本の内妻である安楷林(アン・ヘルム)はジャーナリストだから冷静な助言をするのは理解できるが、岡倉の李知愛はこの日の主役の軍人であり、その妻が立ち会わないことを勧めたのはかなり反日的な空気が充満するからだろう。
「我々のイメージでは8月15日の終戦の日のような政府主催の慰霊行事が行われるのかと思いますが」「それでも韓国は政治家たちの靖国参拝には中国以上に抗議してくるから何かが違うんだろうな」杉本の答えに岡倉は妙な人物を思い出してしまった。前川原の同期であるモリヤ任人候補生は大学卒の仲間たちからは「右翼」「民族主義者」と陰口を叩かれるような古臭い言動を弄していたが、靖国神社に関しては「朝鮮戦争で戦死した海上警備隊員の合祀を拒否した」と真っ向から批判していた。モリヤは入校前の空曹時代にも戦史の研究に励んでおり、その中谷城太郎隊員が山口県の周防大島出身と判ったため遺族を訪ねて話を聴いたらしい。おまけにモリヤは日本の第2次世界大戦が終わったのは降伏文書に調印した9月2日であり、「8月15日ではその後も継続した千島列島占守島や樺太での戦没者の慰霊が蔑ろになる」と賛同する伊藤佳織候補生と2人で12時の食事ラッパの後に黙祷を捧げていた。
「ところで韓国は日本の軍人として戦った戦死者も慰霊の対象にしてるんですかね」「それも判らんぞ。最近は朝鮮戦争さえも宗主国の中国に認められた国家元首である金日成がアメリカの傀儡だった李承晩政権を打倒して祖国統一を目指した愛国行動だったと言い出してるから、戦没者も英霊から除外されているんじゃあないのか」2人で話しているだけでも気が滅入ってきた。岡倉は顕忠日に帰ることをメールで伝えると李知愛の返信が困った文体になっていたことを思い出した。そう言えばいつもは必ず添付されてくる聖也の画像もなかった。
「これは韓国に足を踏み入れた瞬間から韓国人になった方が良いかも知れませんね」「そこまでしなくても日本の小母さんたちは能天気に観光と買い物とグルメのツアーに来てるんだろう。身元を偽るのはその必要がある任務の時だけにしておけ」杉本は最初の韓国潜入の時と同じような指導を与えた。デルタ航空は韓国人が専用にしている大韓航空とは違いアメリカ人の利用者が多く会話を日本語にすればある程度の秘匿性は確保できる。
ここで客室乗務員が酒類の機内サービスに回ってきた。アメリカの航空会社の客室乗務員は日本や韓国よりも平均年齢が高い。杉本はいつものスコッチを頼むと一気に飲み干した。
「アメリカのマスコミは李明博政権を保守系だと評価していましたが・・・」「うん、そう言うことだ。俺は眠るぞ」そう言って杉本は座席を倒すと毛布を胸に掛けて目を閉じた。
  1. 2019/06/28(金) 13:30:41|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

突然、ニャン太郎が帰ってきました。

当地もようやく梅雨に入った昨夜、音子(ねこ)の通用口に開けている玄関の硝子戸の間から若緒(にゃお)が顔を出しました。それを見て「幽霊か」と思い念佛を揚げようと手を合わせると「ニャンニャンニャーン=腹減った。腹減った。餌をくれ」と鳴き始めました。その声は若緒ではなくニャン太郎で2カ月弱ぶりの帰宅でした。そこでテント式車庫の小屋の前で餌と冷たい牛乳を与えたところ、かなり痩せていて相変わらず「ニャ、ニャ、ニャ=美味い、美味い、美味い」と鳴きながら食べて飲み始めたのです。本日も午前10時過ぎに「腹減った」と呼びましたから戻ってきたようですが、爺さんとはすれ違ってばかりで小庵では対面を果たしていません。久しぶりに幸福な気分を噛み締めています。
  1. 2019/06/27(木) 12:14:25|
  2. 猫記事
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:1

6月28日・福井地震が発生した。

昭和23(1943)年の明日6月28日午後4時13分に記録が残っている中では東北地区太平洋沖地震、阪神淡路大震災に続くマグニチュード7.1の福井地震が発生しました。この地震の規模が測定できたのは占領下だったため気象観測はアメリカ軍が担当していたからです(関東大震災や濃尾地震などは換算による推定)。
震源地は福井県坂井郡丸岡町ですが明治24(1891)年10月28日の濃尾地震=推定マグニチュード8.4を起こした根尾断層や昭和20(1945)年1月13日の三河地震=マグニチュード6.8の深溝(ふこうず)断層と同一線上にあっても深さ200メートルの堆積層で覆われているため活断層が露出しておらず存在は認識されていませんでした。この地震で坂井郡芦原町から金津町、丸岡町、松岡町、福井市に至る25キロの地割れが発生しています。また三河地震の深溝断層の延長線上にある渥美半島でも震度4を記録しました。
震源地に近い丸岡城が倒壊し、昭和9(1934)年には国宝に指定されていながら昭和25(1950)年の文化財保護法では重要文化財に格下げされました。昭和30(1955)年までに建材の70パーセントを使用して再建されたものの「日本最古」と言う謳い文句が虚構であることが判明しているので某県のように地元選出の総理大臣が出ない限り復活は無理でしょう(「女性初」の期待を担った元防衛大臣は力不足でした)。
中でも甚大な損害を受けたのは福井市と坂井郡内で、合わせて15万人だった住民のうち4000人弱が犠牲になっています。これは昭和20(1945)年7月19日の福井空襲で市街地の大半が喪失していたためバラックの仮設住宅が多く、関東大震災の昼食と同様に夕食の支度をしていた炊事の火から火災が発生すると廃材と化した家屋が瞬く間もなく炎上したことが最大の原因とされています。実際、昭和39(1964)年の新潟地震では新潟市が3発目の原爆の投下目標だったため本格的な空襲を受けておらず、豪雪地帯の堅牢な家屋はマグニチュード6.8の激震に耐えています。
福井平野での家屋の倒壊率は60パーセントを超えましたが、福井市内では中心地に在った鉄筋コンクリート7階建てのデパートが全壊し、主要産業だった繊維工場も大半の建物の屋根が落ち、壁が倒れため機械が使用不能になり、火災も発生して3日3晩燃え続けました。さらに九頭竜川の堤防が沈下したため7月23日から25日の集中豪雨によって氾濫した濁流で倒壊した家屋が流される追い討ちをかけられました。
救援活動としては福井県の対策本部が「福井市全滅す。救援乞う」と言うラジオ放送を流したことで関西を中心に巨額の義捐金と膨大な支援物資、多くの救援隊が集り、アメリカ軍も異例の支援に乗り出しました(通常は治安の維持を優先する)。
余談ながら花登筐ドラマの傑作「どてらい奴!」の主人公である山下猛造の妻・茂子(梓英子さんが演じていた)は福井地震で負傷して亡くなっています。このため昭和51(1976)年10月から昭和52(1977)年3月までの総決算編では全24話のうち前半の多くで福井地震と妻の死に関連する物語を描いていました。
  1. 2019/06/27(木) 11:57:32|
  2. 日記(暦)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

振り向けばイエスタディ1595

「志織がハイ・スクールでレイプされそうになったのよ」「何ィッ」夕食を終え、久里浜版パジャマ・ミーティングを始める前に佳織が大変な話を持ち出した。酒を飲む前にしたのは極めて適切な判断だ。淳之介とあかりの間に初孫の恵祥を授かり、控訴はされたものの前潟3佐と大岩3佐が現場復帰を果たした喜ばしい出来事の後にこれは重大で深刻に過ぎる。
「それで志織は何をされたんだ」「その点は大丈夫、ナイフを突きつけられて校舎の裏の倉庫に連行されそうになったけど定規で一撃して失神させたらしいわ」私としては居合道の技を使うのなら真剣で首を切り落とさせてやりたいところだが、日本よりも正当防衛の成立要件が緩いアメリカでもナイフ対日本刀では過剰防衛になる可能性が高い。それでは父子揃って刑事裁判の被告人経験者になってしまう。
「志織にはそんな性的魅力があるのか。ワシとしては色気を全く感じなくて逆の心配をしていたんだが」「確かに私の高校時代よりも子供ね・・・」佳織は自分と比較しておいて後悔したように唇を噛んだ。佳織は日本に帰国して転入した中学校で担任の教師に性行為を強要された過去がある。だから高校時代には性体験だけは大人の女だったのだ。
「相手はどんな奴なんだ。あの地域は日系人も多いがまさか同胞じゃあないだろう」「それが韓国系の同級生なんだって」韓国系と聞いて私は大震災以外のニュースを流し始めた朝日新聞が喧伝している韓国の従軍慰安婦少女像の設置運動を思い出した。この問題は日本が大震災に見舞われる直前、韓国では挺身隊問題対策協議会なる民族主義者の団体が(いわゆる)従軍慰安婦の銅像をソウル市鍾路区の日本大使館の前に設置することを区長に相談したと朝日新聞が報じたのが発端だった。すると区長は「記念碑の設置は道路専用許可が必要だが、銅像なら芸術品なので対象外だ」と回答したため反日的銅像を数多く手掛けている作家に制作を依頼したと言うのだ。日本が未曾有の大災害に見舞われて塗炭の苦しみを味わっている間も韓国では反日活動を激化させており、その発端を作った朝日新聞は大震災が発生して以降は日本国内では報道しなくなったものの英語版では海外に向けて発信し続けている。
「志織はどうして韓国系の生徒に目をつけられたんだ。訳が判らんぞ」志織は小学校からアメリカ空軍横田基地のインターナショナル・スクールに通い、アメリカ本土に留学した上、ハワイで中学校を卒業しているからアメリカ人の生徒の中では標準的な人間性のはずだ。すると佳織はグラスに泡盛を注ぎ、自分の分は水割りにしてから話を続けた。
「韓国系の生徒がホーム・ルームの時間に日系人の生徒が取り組んでいる募金活動を批判して『東北の震災はカミが罪を悔い改めない日本に下した罰だ。滅びてしまえ』って発言したから、志織がその罪に反論して完全に論破したらしいの」どうやら私に原因があるようだ。しかし、志織に教えた東洋の近代史は合理的根拠に基づいた正論であり、韓国が国際社会に向けて主張する批判に対して日本政府が堂々と反論してくれば朝日新聞が常態化させている売国的捏造報道もここまで拡大することはなかったはずだ。
「その生徒は退学になって、父が警察に志織の安全を守るための対策を呑ませたから、取り敢えずは大丈夫だろうけど・・・ハワイの韓国系移民は戦前の日韓併合中に日本人として移住してきて442部隊の犠牲的活躍で日系人の地位が向上したのに便乗して社会進出してきたから一般のアメリカ人には日系人との見分けがつけにくいのよ。だから報復される危険はつきまとうわ」「武家の娘のように懐剣(短剣を帯に差す)させないといけないな」「それも警察に呑ませたみたい」流石にアメリカ空軍中佐の政治力は弁護士でもある2等陸佐の比ではない。
「それにしても今の韓国は酷いな。日本のマスコミは『隣国だから運命共同体だ』としか言わないが実態は対岸の敵だろう」ロシアと中国は大震災後に偵察機や軍用艦艇、潜水艦を接近させて自衛隊の防衛能力の変化を公然と確認しているが、韓国軍には防空識別上のシンボルは「F=フレンドリー=友軍」に準ずる「K=コリア=韓国」を付与しているため問題視していないだけで実際は偵察行動を続けているのではないか。
「最近は幹部候補生学校の防大と一般の候補生を韓国研修に行かせて韓国陸軍の士官候補生と交流を持たせているみたいだけど本当に信頼関係が構築できているのかは不明ね」それを言えば佳織が陸上自衛隊の指揮幕僚課程に入校している時にも陸上幕僚監部から入校していた同期が韓国陸軍からの留学生に部内秘の情報を漏洩して課程免になっている。日本人は「友好」と言えば全面的に信用する大甘な軽率さがあるが、外国では親しい友人こそ裏切れば身近から危害を加えて来る脅威になるので交際には細心の注意を払う。
「志織に居合道を勧めてくれた貴方の見識には感謝するわ。他の武道では短期間でナイフを持った相手を倒せる技量は身につかなかったよ」オチは私への賛辞になって酒も美味くなった。
  1. 2019/06/27(木) 11:56:35|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

哀し過ぎる野良爺さん一家の消滅

小庵のテント式車庫での居候を認め、朝夕には餌を与えるようになっていた野良爺さん一家ですが、1年を待って消滅してしまいました。
この一家は野僧が古志庵を結んだ頃から棲んでいる「爺さん」を家長に、爺さんと同じ柄の雌の「世園子(よそのこ)」、そして世園子が生んだアメリカン・ショート柄の雄の「小さいの」の3世代家族でした。餌の心配がなくなると3匹の生活は極めて安穏になり、寒い冬にも日中は揃って日向ぼっこし、夜にも車庫の中に作った小屋で身を寄せ合って安眠していたのです(小屋の中には毛布を敷いて、入口には風除けを立てていた)。
そんな折に世園子に発情期が来たことで事態は一変しました。爺さんよりも大きな茶虎の野良猫が現れ、何度も格闘を繰り返し、小さいのや避妊手術を受けさせている小庵の飼い猫の音子(ねこ)や若緒(にゃお)を威嚇して追いかけ回すようになったのです。このため2月14日の深夜に若緒は車道に飛び出して事故死してしまいました。
すると世園子は爺さんに身体を許し、父娘なのか夫婦なのか判らなくなりました。その後は完全に夫婦として寄り添って暮らすようになって小さいのが遊びに行っている間は羨ましいほど親密に過ごしていたのです。やがて世園子の発情期は終わり、腹が膨らみ始めたため近親相姦による奇形児を心配していたところ、茶虎が威嚇して追いかけ回すようになり世園子まで事故死してしまいました。
母を失った小さいのの戸惑いは深刻で世園子と行動していた場所を探し回り、声が枯れるまで呼び続けていましたが、疲れ果てて帰って来ると爺さんは優しくいたわり、加齢臭は強烈でも一緒に小屋の中で眠るようになったのです。
野僧としても小さいのの顔が若緒と瓜二つなこともあって飼うことを決め、雄だけに「ニャン太郎」と言う名前をつけて手懐けようとしたのですが、若緒を失って攻撃的になっていた音子に対するニャン太郎の警戒心は中々解消せず、少し暖かくなると出歩るいて夕方に餌をたべるためだけに帰って来るようになってしまいました。
そんな5月上旬になって突如としてニャン太郎が姿を見せなくなったのです。道路を何度も確認しましたが遺骸は見つからず事故に遭ったのではないようでした。それでも前の晩はいつもの通り食欲旺盛で元気に爺さんに悪戯していましたから病死は考えられません。そこで若緒が生前、道路脇の一段高くなった壁の上に座っていると車が停まって窓を開けた初老の奥さんが「可愛い猫ちゃん」と声をかけたことを思い出しました。その時は首輪に気づいたようでそのまま帰りましたが、ニャン太郎にはまだ嵌めていなかったため、アメリカン・ショート柄のハンサム猫を見つけて連れ帰っても不思議はありません。
それからの爺さんの憔悴は痛々しく高齢で徒歩も覚束ない足で若いニャン太郎の立ち回り先を探し回り、餌をもらうとニャン太郎の接近経路である藪に向かって呼び続けるため声が出なくなり、最近は途中で止めて探しに行くようになっています。現在、音子が若緒の定位置に近づかないのと同様に爺さんも小屋には入らなくなってしまいました。
本当に連れ帰られたなら幸せになっていると信じたいのですが確認はできません(ニャン太郎は冷たい牛乳が大好きですから飲ませてやって下さい)。
日だまりの野良一家・19・1・13日だまりの野良爺さん一家
野良猫母娘の冬籠り・19・1.27世園子と小さいの母子

  1. 2019/06/26(水) 13:07:59|
  2. 猫記事
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

振り向けばイエスタディ1594

控訴期限である5月25日、横浜地方検察庁はイージス護衛艦・あまごの元航海長の前潟啓一郎3佐と元砲雷長の大岩智人3佐を東京高等裁判所に控訴した。横浜地方検察庁の動きは我々も察知しており、午後から統合幕僚監部首席法務官室に集まって控訴を前提にした対応を話し合いながら電話を待つことになった。
隊員、職員が関東一円から出勤してくる市ヶ谷駐屯地では課業開始が8時30分のため昼休みは30分短く12時30分に課業再開のラッパ(正式には課業開始)が鳴る。私はその時点で来たのだが牧野弁護士と滝技弁護士は駐屯地売店の食堂で昼食を取ってからだと聞いている。
「はい、統幕首席法務官、木田1佐です」1時になって2人が到着するのを待っていたかのように机上の電話が鳴った。2人はソファーに腰を下ろすのを止めて顔を向ける。私だけが座ったままだ。電話を取った木田1佐は相手には見えない顔で威圧を始めた。
「はい、はい、控訴事由は・・・はい、はい、公判前整理手続の期日は・・・はい、はい、公判開始予定日は・・・」木田1佐の受け答えを立ったまま聞いている牧野弁護地と藤沢弁護士は顔を見合わせた後、上から見おろすように私を見た。こうなると私も立ち上がるしかない。サマ―・スーツ姿の2人と迷彩服の私がソファーの指定席に立って木田1佐の独り芝居を観覧することになった。その木田1佐は1種夏服でネクタイを締めている。
「はい、はい、判りました。ご連絡を有り難うございました」木田1佐は顔では不快感を全開にしているが口調は穏やかに電話を終えた。佳織は有線通信員の心得として「表情は声でも伝わるから受け答えは無理にでも笑顔で」と言っていたが、この表情が相手に伝わったのではないだろうか。ただし、今回の控訴の中身のなさを思えば労力と時間の空費になるのは明らかであり、不快にならない方が難しい。
「予想通り検察は控訴してきた」ソファーに腰を下ろすと木田1佐は冷めたコーヒーを一気に飲んでから判り切っている電話の内容を説明し、私たち3人は苦笑しながらうなずき合った。
「それにしても検察は無罪判決を引っ繰り返すだけの新事実を提示できるのでしょうか」「一審の事実認定には重大な誤認があると言うのが控訴事由と言うことだ」藤沢弁護士の疑問に木田1佐は高等裁判所の担当職員から聞いたばかりの説明を伝達した。
「前回の裁判で海難審判から引き継いだ証言の虚偽や証拠の捏造が認定されていますから、軽得丸の船体が引き揚げられない限り有力な証拠は出ないはずです」「おそらく海難審判で海上自衛隊側の有責が認定されたことを根拠にして、法務省の司法裁判所が国土交通省の海難審判の裁決を否定するのかと迫るつもりだろう」海難関係人(海技免許を持たない事故関係者)に指定されたあまご側には司法裁判所に海難審判の2審を請求する権利はなく裁決は確定している。これは省庁間の争議を避けようとする日本の官僚気質を利用した高等戦術にも見える。
「いっそのこと虚偽告訴罪で横浜海難審判所と地方検察庁を告発するべきですよ」「・・・却下」売られた喧嘩は買う。買った喧嘩では相手に痛撃を与える。幹部自衛官よりも弁護士が本職になりつつある私の正論に特別職国家公務員の木田1佐は常識で答えた。
しかし、海上幕僚監部はこの控訴を受けても「判決が未確定の間は無罪である」との判断で5月25日付で前潟啓一郎3佐と大岩智人3佐の職場復帰を発令した。
「貴方、ママさんが送ってくれたDVDに前潟3佐が出演しているのよ」6月になって佳織の官舎に行くと伊丹のママさんから届いたDVDを見せながら意外なことを口にした。DVDにはママさんのマジック手書きで「なかじんのそこまで行って委員会・5月29日放送分」とある。この番組は関東では放送されない読売テレビの報道バラエティー番組で、外交や防衛問題を取り上げている時には録画して送ってくれている。
「それは海上自衛隊の英断だぞ。関東では放送しないから東京の反戦平和教条主義者の目には留まらないと言う判断だな」現職どころか退役後であっても自衛官がマスコミで自衛隊に関する見解を発表するには組織の長の許可を得なければならない。一審で無罪になったとは言え控訴されている時点でテレビに出演して批判的な発言をすれば、他のテレビ局は読売テレビの特ダネを打ち消すため徹底的な批判報道を繰り広げるのは目に見えており、その批判の矛先が海上自衛隊に向かうのは言うまでもない。おそらく陸上自衛隊であれば無罪が確定して世の中が忘れ去るまで沈黙させたはずだ。早い話が「定年退職してからにしてくれ」と言うことだ。航空自衛隊も祟神幕僚長の作文騒動が尾を引いているので許可しないだろう。
するとこの回では尖閣諸島で中国漁船が巡視船に故意に衝突してきた証拠映像をインターネットに投稿して退職した元海上保安官も出演していた。ただし、尾沢一郎を崇拝する過激派言論人が上から目線で番組を仕切っていたので途中で嫌になってしまった。
  1. 2019/06/26(水) 13:05:16|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

振り向けばイエスタディ1593

「松本からメールが入っているぞ」朝一番でパソコンを立ち上げた杉本がメールを確認して大き目の独り言を呟いた。その声に新聞各紙を読み比べていた工藤と岡倉が顔を向けた。ニューヨークとハワイでは6時間の時差があるが、ハワイ発の場合は18時間遅れと考えるべきだ。したがって話題は前日の出来事になる。
「彼はヨルダンから帰って今頃は愛妻に疲れを癒してもらっているんじゃあないのか」工藤が首を傾げながら答えた。松本はアメリカを中心とする有志連合のイラク侵攻を受けて国境の山岳地帯を越えてシリアに逃れたイスラム過激派が結成した武装組織であるイスラミック・ステーツの現状を確認するため中東に行っていた。イスラミック・ステーツに参加する外国人の多くはトルコから越境しているが、松本はヨルダンから潜入を試みたのだ。
「何か報告に書き漏らしたことを思い出したのかな」岡倉は立ち上がると工藤が自分のパソコンで開いた松本の報告文書を除き込んだ。最近は紙に印刷した文書を厳重なパスワードを加えた電子データ化している。これで保管庫さえ開ければ閲覧可能な印刷文書よりも保管は容易になり、保全も厳重になる。そんな2人は横目で見ながら杉本がメールを読み上げた。
「モリヤ佳織1佐の娘がハイ・スクールで韓国系の男子生徒にレイプされそうになった」「モリヤ夫婦の娘が」それを聞いて珍しく岡倉が声を上げた。岡倉にとってモリヤ夫婦は幹部候補生学校の同期であり、卒業後もアメリカに来るまでは交流を保っていた。工藤と杉本もアメリカ陸軍の指揮幕僚大学院に留学し、太平洋陸軍の連絡官だったモリヤ1佐は知っている。ただし、身元を特定される個人情報は何年経っても秘密であり、これは失言になる。
「本人は居合道の有段者なので難を逃れたが、韓国系の生徒がモリヤ1佐の娘を憎悪した理由は根が深いようだ・・・」今度は読み上げている杉本が岡倉と顔を見合わせた。2人とも韓国人女性と事実婚の関係にあり、帰宅時の生活の中で韓国の国内情勢を調査しているだけに見過ごすことはできない。
「事件の証人になった女性の話では韓国系の生徒がホーム・ルームで東北地区太平洋沖地震を日本が犯してきた罪を認めないことに対するカミの罰だと主張したためモリヤ1佐の娘が反論し、完全に論破されたことを逆恨みしたようだ」ここまでは韓国人とつき合っていれば珍しいことではない。韓国人の感情・精神・思想の基盤である「怨」は周囲と自己の対比で形成され、能力不足で敗北したことも「恥をかかされた」と恨み続けるのだ。
「問題は韓国社会の反日感情が大規模災害さえも天罰と公言してはばからないほど悪化していることだ。杉本さんが言っていたように韓国の記者が軍人だったとすればすでに敵対状態に陥っているのではないか」あの時、一緒に陸上自衛隊の災害派遣現場を取材する外国人記者団に参加した本間は台湾に行っている。台湾政府が真っ先に送り込んだ救援隊を缶政権が中国の救援隊が到着するまで東京に足止めにしていたことへの反応を確認すると言っていた。
「確かに李政権は低支持率の打開策に対馬侵攻作戦を考えたくらいだからな」「侵攻じゃあない。奪還だ」杉本の独り言をこの情報を仕入れてきた岡倉が訂正した。これは低支持率に悩む李明博政権中枢の1人が韓国軍に対して対馬への侵攻作戦の研究を命じたのだが、事態を重く見た韓国軍首脳が在韓アメリカ軍に相談して外交的圧力で撤回させた。韓国の歴史教育では「元寇の時に朝鮮王朝は宗主国である元に呼応して大規模な水軍で対馬を占領した」と教えている。しかし、対馬では領主や武士たちを皆殺しにした上、無抵抗な多くの島民も殺害したのだが(女性は散々に強姦した後から)、その蛮行も「領有した証」と主張しており、だから「奪還」なのだ。
「大半の日本人はマスコミや日教組の妄言を鵜呑みにして韓国は一番近い隣国だから友好関係を発展させなければならない。植民地にした罪を償わなければならないと信じ込んでいるが、元寇と同様に中国が侵攻してくる時の先陣を請け負いかねない潜在的仮想敵国と見る必要もあるのかな」岡倉以上に韓国語に堪能で国内事情にも通じている杉本の方が冷静な分析を示した。その点、岡倉は妻の知愛や我が子の聖也を想い職務に徹し切れないでいる。
「韓国が反日色を鮮明にしたのは何時からかな」「独立した直後の李承晩政権は完全に敵対していましたよ。日本が国連軍の後方基地の役割を果たしていたのにそれを一切認めず、実際に戦っている北朝鮮に対する以上の敵意を剥き出しにしていました」やはり韓国の歴史に関してはジャーナリストを事実上の妻にしている杉本の方が詳しい。工藤も黙ってうなずいた。
「日本の陸軍士官学校出身の朴正煕大統領の時に政治的には親日になりましたが、マスコミは反日世論を扇動し続けていますから支持率が低下すると政権はそれに迎合せざるを得ない。だから軍人政権を継承した全斗煥も反日に転じてしまった」岡倉も現役の陸軍少佐の妻と高校教師の義父母からの教育を受けているだけに普通の日本人よりも認識は正しいようだ。
  1. 2019/06/25(火) 10:55:31|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

6月24日・大阪で吹田事件と枚方事件が発生した。

日本の独立を認めたサンフランシスコ講和条約が4月28日に発効して2カ月が経過する直前の昭和27(1952)年の6月24日に大阪で左翼過激派による吹田事件と牧方事件が発生しました。吹田事件は翌日に及びました。
このうち吹田事件は6月24日の夕方に大阪大学豊中キャンパス内で学生自治会連合が主催する「伊丹基地粉砕・反戦独立の夕(ゆうべ)」と言う集会が開かれて学生や勤労者、農民や女性、さらに多くの在日朝鮮人が参加していたのです(あくまでも主催者発表)。
当時は朝鮮戦争が続いており、開戦初頭には釜山付近にまで追い詰められていた韓国と国連軍が仁川上陸作戦によって形勢を逆転させ、逆に平壌付近にまで押しやって終戦直前に至っていたところに突如として共産党中国が侵攻してきて38度線付近で膠着状態に陥っていました。そして豊中キャンパスの近傍にはアメリカ陸軍のキャンプ刀根山があったため始めから反米を前面に出した集会になり、終了後には国連軍の車両が駐車している国鉄吹田操車場までデモ行進することが決まって陸路で向かう山越部隊と阪急線で移動する電車部隊に分かれて移動を開始しました。
山越部隊は警察予備隊の豊中通信所は素通りしながら途中にある笹川良一氏宅に投石し、さらに国労吹田市部長宅でも竹棒で障子を破っています。一方の電車部隊は最寄りの阪急・石橋駅で駅長と談判して運賃を支払うことを条件に臨時列車を出させ、目的地の梅田駅の1つ手前の服部駅で下車して徒歩で山越部隊と合流しました。これに対して警察は学生たちが吹田駐輪場に向かってデモ行進するには梅田駅で下車すると推理して配備を固めていたのですが裏を掻かれ、所在の確認に手間取っている間に移動した摂津市千里の須佐之男神社で迎え撃つことになりました。しかし、デモ隊の代表者が交渉に応じなかったため人数的に不利な警察が封鎖を解いたので日付が替わった6月25日になって吹田操車場への侵入と集会を許してしまいました。
集会で興奮状態になったデモ隊は吹田駅に向かう頃には暴徒化して、ここで警察隊と激しい闘争を繰り広げ、通り掛かったアメリカ陸軍の准将の車両に投石して顔面に裂傷を負わせ、警察車両に火炎瓶を投げた上、脱出した警察官を暴力したことなどで200名以上が逮捕され、111名が起訴される大騒乱事件になりました。
もう1つの枚方事件は占領中に連合軍に接収されていた帝国陸軍工廠枚方製造所が独立を契機に朝鮮戦争で使用される砲弾を大量に受注している小松製作所に譲渡されることが決まったことで共産党と在日朝鮮人が反対運動を起こし、6月24日の未明に工場内の水圧ポンプに時限爆弾を仕掛けて爆発させたものです。同じ日の夕方に市内の鬼塚山で「朝鮮戦争勃発2周年記念前夜祭」が開催され、その中で小松製作所の役員宅を襲撃することが決まり、山の竹で竹槍を作って無関係の「小松」家に押し寄せて火炎瓶で玄関と私有車、倉庫を焼く火災を起こしたため65名が逮捕されたのです。
この日は火曜日でしたが大阪府警は大忙しだったことでしょう。60年安保闘争の伏線はこの時代の大阪でも引かれていたことが判ります。
  1. 2019/06/24(月) 11:55:26|
  2. 日記(暦)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

振り向けばイエスタディ1592

それから数日間、警察当局はナイフを振り回したことによる傷害未遂容疑で韓国系の生徒・盧を取り調べ、被害者の志織と目撃者のユキ・ヒトヒラからの事情聴取を終えた後は盧の親が雇った弁護士と志織の保護者であるノザキ中佐との間で個別に協議していた。弁護士は盧が初犯であり、未遂でもあることから不起訴を主張し、警察の担当者もその方向に傾きつつある。ところがノザキ中佐は真っ向から反対した。
「警察はこの事件を傷害未遂と考えているようだがそれは認識が間違っている」「はい、ご意見は真摯に受け止めます」今回の担当者は軍で言えば中尉・少尉クラスの警部補であり、警視に当たるノザキ中佐にはかなり引いた態度だ。
「奴がナイフを持ち出したのは孫を脅して校舎の裏の倉庫に連行し、そこでレイプすることが目的だったことは第3者の清掃作業員が証言している。ならば強姦未遂を主たる罪状とするべきだろう」アメリカでは性犯罪への処罰は日本よりもはるかに重く、15年以上50年以下としている州が半数を占める。弁護士としてはそれよりも量刑が軽い傷害罪の未遂を認めることで盧が犯した罪を単なる暴力として不起訴に持ち込む戦術のようだ。
「議論で言い負けた相手を逆恨みして、その腹いせに強姦しようとするような男は再犯する危険が高いのは過去の犯罪者のデータでも明らかではないか。そもそもナイフで脅して校舎の裏手に連れ込んでレイプしようとしたこと自体、強姦未遂に脅迫も加わる重罪だ。孫が居合道の有段者だったから無事ですんだだけで、普通の女生徒であれば強姦されていたのは間違いない。再発防止のためには未遂であっても起訴するべきではないのか」ノザキ中佐の論理展開に担当の警部補は所轄管内の特別な人物の資料にあった軍暦を思い出した。ノザキ中佐は現役時代、輸送機の事故を巡る軍事法廷で検察側の事故調査委員を務め、一流大学の法学部を卒業している弁護担当の法務士官を論破して航空管制官の過失責任を認めさせたことがある。
「しかし、彼がハイ・スクールを退学になっても14歳の少年であることに変わりはない訳で、一度の過ちで立ち直る機会を奪うことは市民の生活を守るべき警察としては賛同しかねます」「極端に偏った独善的な主張を明確な根拠に基づいた反論で否定されたことを屈辱と考えて性暴力で報復しようとするような人間が野放しになっていては市民は安心して健全な生活を営むことができない。あの若造はこれからもハワイの韓国人社会で暮らすんだろう。だったら反省する機会などは与えられず、親や周囲からは日本人に対する恨みを増幅されるだけだ」ここでノザキ中佐の目が軍人としての殺気を帯びたため警部補は無意識に身体を固くした。
「私は韓国陸軍の将兵をベトナムの戦場から送り返したことがあるが、ベトコンの指や鼻、耳で作った首飾りを記念品として持ち込んでいた。機内ではベトナムの女性を何人レイプしたかの自慢話で盛り上がっていた。そんな連中に大切な孫を汚される訳にはいかない。警察は未成年であっても護身用に銃器を携帯することを許可しなさい。それができなければ登下校時には護衛の警察官を同伴させることを約束しろ。少なくとも私と孫が一緒にいるところにその盧と言う人間が姿を見せれば軍人としての敵対行動を取らせてもらう」警察の敵対行動は自己の安全を確保しながらの逮捕だが、軍は攻撃による制圧と排除、抹殺だ。つまりそこが市街地であっても銃を構え、引き金に指をかけて対峙すると言うことだ。
「それでは我々が中佐を逮捕することになります。この少年にお孫さんへの接近禁止命令を出すように裁判所に申請しましょう」「GPS足輪の装着もだ」GPS足輪は警察が性犯罪者の所在地を常時監視して再発を防止するためのもので未遂犯を対象にすることはあまりない。
「そこまでは弁護士が認めないでしょう」「弁護士の名前を教えろ。私が直接申し入れる」このアメリカ社会では絶対的な権威を有する空軍中佐が相手では地方の弁護士では抵抗し切れないのではないか。警部補は「不起訴とはせずに処分を裁判所の手に委ねた方が得策ではないか」と考え始めた。少なくとも責任は回避できる。
「これは単なる個人情報の提供だが、今後、孫には日本の父親からもらったコダチ(小太刀)を携帯させて通学させることにする。目的は居合道の練習のためで護身用ではない。コダチと言っても刃が入っていないだけで材質は真剣と同じだからプラスチック製の定規とは比べ物にならない。おそらく初太刀を受ければ即死するな。しかし、あくまでも使用目的は練習であって護身ではない」「拳銃ではないだけで十分です」この警部補は小太刀と言う武具は知らないが、ノザキ中佐の補足説明で被害者の母であるモリヤ佳織1佐が軍の式典で日本刀式の軍刀を提げていた姿が浮かんだ。彼女は紛れもなく日本の武人だった。
「やはり日本人にとって日本刀は神の力を発揮する特別な武具なのではないか」警部の整えた金髪の下に冷や汗が滲んできて、エアコンの冷気で身震いした。
  1. 2019/06/24(月) 11:54:22|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

6月24日・フェアチャイルド基地・B-52墜落事故

1994年の明日6月24日にアメリカのワシントン州にあるフェアチャイルド基地でパイロットの無謀な操縦によってB-52戦略爆撃機が墜落し、メイン・パイロット=機長のアーサー・ホランド中佐(46歳)、コー・パイロット=副操縦士のマーク・マクギーハン中佐(38歳)、ナビゲーター=航法士のケン・ヒューストン中佐(41歳)、そして安全監察官のロバート・ウルフ大佐(46歳)が殉職しました。
B-52は全長が47・55メートルなのに幅56・39メートルの主翼で揚力を確保していることでも判るように16トンを超える爆弾を搭載できる世界最大=最強の爆撃機で、1955年に核爆弾専用の爆撃機として採用されて以来、ベトナム戦争では北ベトナムを爆撃するため通常爆弾も搭載可能に改造され、後に巡航ミサイル搭載型も採用されて現在も現役としてアメリカの核戦略の一翼を担っています。野僧は沖縄で実機を見ました。
事故が起こった1994年の6月24日は金曜日でしたが、ウルフ大佐がパイロットから引退する記念行事として家族が友人たちを集めての式典が催されていて、引退する搭乗員が飛行を終えて機体から下りるとシャンパンのシャワーを浴びせる恒例の儀式の準備をしながらB-52が爆音を響かせて性能を披露しているのを見上げていたのです。
展示内容としては超低高度でのフライパス=上空通過に始まり、60度バンクで急旋回してからの急上昇、そして滑走路でのタッチ・アンド・ゴー(着陸即離陸)と言うもので急上昇までは何事もなく終了していました。ところが最後のタッチ・アンド・ゴーに入るため高度を下げ始めた時、滑走路では着陸したKC-135給油機の退避が遅れていたため管制官が管制塔を大きく旋回する形での上空待機を命じ、B-52は高度75メートルで接近して滑走路の中間地点付近から左に旋回したのです。
ところが公式には認められていないものの管制塔の後方には核貯蔵施設があり、接近禁止になっていためメイン・パイロットはそれを避けようと無理な旋回を始め、予定旋回航路の3分2を過ぎたところで機体のバンク角度は設計上の制限角度を超える90度になって失速状態で墜落したのでした。この模様は式典を撮影していたカメラマンによって撮影されており、ニュースで流れると視聴者に大きな衝撃を与えました(実際の航空事故を何度も目撃している野僧には映像では迫力不足ですが)。
当然、アメリカ空軍は事故原因を調査しましたが、B-52は機体と性能そのものが軍事機密のため公表は極めて限定されたものになりました。その中でメイン・パイロットのホランド中佐は過去にも無謀な操縦による問題を続発させており、「飛行安全規則や安全基準を常習的に破る勇猛果敢なパイロット」として有名だったことや危険を指摘する搭乗員を「臆病者」と揶揄するような「パイロットとしては不適格な人間性である」との告発が出て安全飛行の再教育を受けており、安全監察官と同乗するこの飛行もその一環だったことが明らかにされています。しかし、適性検査の結果は公表されていません。映像を見ると巨大なB-52を戦闘機のように操縦しており、急旋回中には「主翼が折れるのではないか」と思うほどしなっていました。
  1. 2019/06/23(日) 12:29:31|
  2. 日記(暦)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

振り向けばイエスタディ1592

志織を窮地から救った清掃作業員はユキ・ヒトヒラと言う。30歳代の前半まではフラダンスの名手として一流ホテルのハワイアン・ショーンで活躍していたのだが、容貌の衰えと共に脇役に回り、仕事がなければ清掃作業員のアルバイトで生計を立てている。
入籍はしていていないが20年間もニューヨークから通ってきている日本人男性と事実婚している。夫は杉孝太郎と名乗って、その名前のパスポートも携帯しているがおそらく本名ではない。職業や身の上は訊かない約束で交際を始めたので何も知らないが時折、見せる仕草には軍人の気配を感じている。日本での軍人は自衛官であろう。その夫は今夜帰ってくる。
「ユキ、ただいま」「貴方、お帰りなさい」夕食の準備をしている途中で夫は帰ってきた。呼び鈴でドアを開けると夫はいつもの優しい笑顔で立っていた。ユキのマンションはホノルル市内でもホテルが建ち並ぶ海岸沿いのワイキキ通りとは反対に閑静な傾斜地にある。
「今夜は食事の準備中なのかァ、珍しいな」「仕事先のハイ・スクールで問題があって事情聴取を受けていたから帰宅が遅くなったの。ごめんなさい」ユキは最後の言葉だけ日本語で謝った。すると夫は軽く首を振りながら肩を叩いて居間に向かって歩き出した。
夫は居間の入り口に置いてある靴入れの前で靴を脱ぐと裸足になった。家の中では裸足になる日本人としての生活習慣をニューヨークの自宅マンションとここでは頑なに守っているのだ。そのためユキは部屋の念入りな掃除だけは欠かさない。
「貴方、ご飯にする。お風呂を先にする」「お風呂が好いなァ」ユキの確認と夫の返事もハワイで見る日本の家庭を描いたドラマでは決まり文句だ。夫はユキとの生活で祖国を離れて暮らすアメリカでつきまとう精神的な違和感を軽くしているのかも知れない。
「貴方、ビールをどうぞ」風呂と言ってもシャワーを浴びて出てきた夫が席につくとユキは冷蔵庫から出したビールの栓を抜いた。この瓶のビールも日本製だ。
「お前も飲むだろう」「はい、お願いします」夫は瓶を取るとユキが差し出したグラスにもビールを注いだ。こんな風景はユキにとっては亡くなった両親の再現ドラマだ。
「それで問題って何があったんだ」乾杯の後、料理に箸をつけた夫が訊いてきた。日本であれば帰宅した夫に留守中に起きた出来事を報告するのが夕食での会話だ。ユキは食事が不味くなるような気がしたが、妻として正直に話すことに決めた。
「ハイ・スクールには日系人が多いんだけど1人だけ日米の二重国籍の女生徒がいて、その娘(こ)が韓国系の男子生徒に憎まれてレイプされそうになったの」案の定、夫は表情を厳しくして箸を止めた。それでも話は途中だ。ユキは軽く息を飲むと話を続けた。
「ところがその女生徒は定規1本でナイフを持った男子生徒を失神させてしまったのよ」痛快な結末を聞いて夫も安堵の溜息をついて料理を口に運び始めた。
「ハイ・スクールでは流石はグランド・ジエータイ(陸上自衛隊)のカーネル(1佐)の娘だって評判になっていて」「グフッ・・・」突然、夫が食事を喉に詰まらせて咳き込み始めた。ユキは口をつけただけの夫のグラスにビール注いで手渡すとそれを飲んで落ち着いた。
「その女生徒は何て言うんだ」「志織・モリヤよ」ユキの返事を聞いて夫は再び箸を止めて考え込み始めた。実は5年前にユキは志織に会ったことがある。ユキが踊り子として出演していたハワイアン・ショーに北キボールPKOで知り合ったモリヤ任人2佐が来ていて小学校の高学年くらいの娘を同伴していた。その娘が成長してハワイのハイ・スクールに入ったようだ。勿論、それは夫だけの記憶であってユキには残っていない。
「それでその女生徒は本当に無事だったんだな」「うん、イアイドー(居合道)って言うブドー(武道)の技で男子生徒のウィーク・ポイント(急所)を打って失神させたからかすり傷1つ負っていないわ」この説明に夫は半分残っていたビールを飲み干した。
「それで何故、韓国系の人間にレイプされそうになるまで憎まれたんだ」「中国系の生徒を共犯に誘っているのを聞いただけだけど、ホーム・ルームで東北の震災は日本が犯した罪に神が下した罰だって言ったら志織に徹底的に反論されて言い負けたみたい。言っている内容は韓国の政府やマスコミが日本を批判する時の被害者意識そのままだから親や周囲の大人に吹き込まれたのね」ユキは少しその男子生徒に同情しているような口調だが夫は別の意識で受け止めていた。夫のニューヨークの職場の同僚が2名、東北地区太平洋沖大震災に派遣されている陸上自衛隊を取材する外国人記者の動向を監視するため日本に出張した。2人の報告では中国と韓国は明らかに軍人を記者として送り込んでいて、陸上自衛隊を軍事的視点から調査していたと言う。中国がこのような対応をするのは常識だが同盟国である韓国のそれは極めて異例だ。
「今の韓国からは危険な臭いがするな」夫の日本語の独り言をユキは聞こえない振りをした。
  1. 2019/06/23(日) 12:28:22|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

振り向けばイエスタディ1592

「志織・モリヤ、アイツだけは許せん」韓国系の生徒は1時限目の授業の後、トイレの洗面台で別のクラスの中国系の生徒に今朝のホーム・ルームでの出来事を訴え、復讐への協力を求めた。2人の会話は秘匿のため中国語だ。
「それでどうするつもりだ」中国系の移民は韓国系よりも政治性に長けているので反日感情だけで同調はしないが、学校内で圧倒的優位を占めている日系人に対抗するために不本意ながら手を握ることを選択した。それでも中国系の生徒は問題が発覚した時にも責任を回避できるように立案から計画まで本人に決めさせている。
「男なら足腰が立たないほど痛めつけた後で絶対服従を誓わせるんだが、アメリカ社会は女への暴力には厳しいからそれはできない」中国系の生徒は「絶対服従を誓わせること」の意味に首をひねったが、韓国社会では名誉を損なうことが精神的な痛手になるようだ。
「そうなると女としての誇りを奪う方法は1つだな。俺とお前で輪姦(まわ)してハメ撮りすれば今後は玩具にできる」「志織は武道はやっていないのか」中国系の生徒はあくまでも現実的だ。この生徒が言う通り強姦するにしても相手の抵抗力を計算しなければ危ない橋を渡ることはできない。できれば携帯電話で動画を撮影するところまでにしておきたい。
「アイツは学校ではジャパニーズ・フラワー・アレジメントのサークルに入っているからブドー(武道)ではなくてカドー(華道)だ。やはり高級将校のお嬢さまだな」日本人と言えば武道と言うイメージがあるが、この韓国系の生徒も跆拳道(タイコンドー)はやっていない。
「3時限目の授業をパスしてアイツをナイフで脅して校舎の裏手の倉庫で姦(や)っちまおう。日本人は生理も始まっていない韓国人の少女に客を取らせたんだ。その子孫の女が身体で償うのは当然だ」これは朝日新聞の扇動に韓国世論が同調している従軍慰安婦のことだ。アメリカでの強姦は日本や韓国などとは比べ物にならない重罪だが、「反日行動であれば免罪される」と言う韓国の論理がハワイでも通用すると思っているらしい。
「俺は先に行って待っているよ」ここでも中国系の生徒は消極的共犯者としての立場を踏み越えない。この態度であれば「本気だとは思わなった」と言う弁明が成立するはずだ。
ところがその会話をトイレを清掃していた作業員の日系人女性が聞いていた。彼女は中国人の富豪宅の家政婦として勤めたことがあり、中国語が理解できた。
「貴女がモリヤ志織さんね。急いで注意しておきたいことがあるの」2時限目の教室に向かうため廊下を歩いていた志織を清掃作業員が呼び止めた。この作業員は日系人らしい丁寧な仕事ぶりで生徒からも信頼され、時には悩みを打ち明けられることもある。志織も顔を合わせれば挨拶をして名前とクラスは憶えられていた。
「貴女のクラスの韓国系の生徒・・・盧だったわね」朝から不快な思いをさせられた相手の名前が出て志織は顔から微笑を消した。
「盧が貴女をレイプする相談をしていたのよ。相手は中国系の・・・名前は思い出せないわ」盧の韓国人の悪しき面を凝縮したような性格を考えればそのくらい卑劣な報復を考えても不思議はない。それは大韓民国と言う国家が繰り広げている外交が象徴している。
「ナイフで貴女を脅して校舎の裏手の倉庫へ連れて行くつもりみたい。先生に通報しなさい。私も証言するから」「有り難うございます。でも授業が始まってしまうので2時間目の授業の後にします」志織はいつもよりも深く頭を下げると廊下を小走りに移動していった。
「お前、あまり調子づいてるんじゃあないぞ」志織が2時限目の授業が終わって担任の教師の個室に向かって歩いていると人気がない場所で後ろからつけてきた男子生徒に声をかけられた。志織がユックリ振り返ると盧が血走った目で睨んでいる。右手には刃渡り10センチほどの折り畳みナイフが握られている。口元が妙に緩んでいるのはこれで屈服させたと思い込んでいるようだ。逆に志織の手には製図用の45センチのプラスチック製の定規が握られている。
「調子づいているのは貴方じゃあない。完全に間違っている馬鹿な意見を勝手な思い込みで発表して授業を妨害している。少しは勉強をした方が良いわよ」志織の言葉が終わるのと同時に盧はナイフを肩まで振り上げて切り掛かってきた。しかし、志織は身をひるがえすと体勢を崩すことなく位置を変えた。居合道の有段者になっている志織は日本刀の太刀筋を見極めることにも慣れており、素人が振り回すナイフくらいでは恐怖すら感じない。
続いてナイフを突き出す前に志織の定規が盧のこめかみを強打した。これは居合道の基本動作の初太刀だ。北辰一刀流薙刀の免許を受けていた坂本龍馬も面談していた暗殺者に居合道の初太刀で側頭部を斬られたことが致命傷になったと言われている。
「糞ッ・・・」こめかみは急所であり、盧は罵声を浴びせようと口を開けたまま気を失って痙攣し始めた。結局、盧は警察に連行され、退学処分になった。中国系の生徒はお咎めなしだ。
い・JunJiHyunイメージ画像
  1. 2019/06/22(土) 11:41:41|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

6月22日・ナスカの地上絵が発見された。

1939年の明日6月22日にアメリカ人の考古学者であるポール・コソック博士が南アメリカ大陸のペルーのナスカ川とインヘニオ川に挟まれた盆地状の高原に描かれた巨大な絵画を発見しました。
これはこの地が人跡未踏で誰も見たことがなかったのでなく、巨大なため飛行機や気球で上空から見なければ絵画とは判別できなかったのです。
ナスカ文化は紀元前100年ぐらいから紀元800年ぐらいまでペルーの海岸地帯で発生・発展しましたが文字を用いなかったため詳細は不明です。したがってこの絵が描かれた目的も文字による記録がないため不明であり、研究者の空想・推理が正式な学説になっていますが、「天上の神なる存在に見せるため」と言う推理も愚かな妄想と否定するにはあまりにも見事な造形であり、人智を超えた壮大さが説得力を生んでいます。
出土品の土器などに描かれている図形などからナスカでは天空を司る神を信仰し、鷹やコンドルなどの猛禽類を天からの使者、ピューマやジャガーなどの猛獣は大地の守護者、鯱(しゃち)は海の統治者としていたと推察されています。地上絵もこれらに共通する図柄が多く、長さ46メートルの蜘蛛、55メートルの猿、65メートルの鯱(しゃち)、96メートルのハチドリ、135メートルのコンドル、180メートルのイグアナなどがあり、285メートルのペリカンか鷺(さぎ)、又はフラミンゴを推定される鳥類が最大とされています。
ところがアメリカの資源探査衛星・ランドサットが撮影した画像に長さ50キロを超える正確な矢印が写っていたため、「新発見の最大級の幾何学模様」と研究者や愛好者の間で大きな評判を呼びましたが、2009年になって日本の研究者の団体が「道路と電線」と言う身も蓋もない鑑定をしたため立ち消えになっていまいました。その一方で日本の山形大学文化人類学部アンデス考古学科(このような学界があることにロマンを感じます)の研究者グループは2011年に幅4.2メートル、縦3.1メートルの両目、口、右耳がある人の顔や横2.7メートル、縦6.9メートルの種類不明の動物の絵を発見し、2012年には現地にナスカ研究所を開設し、さらに2013年にも並んだ2人の人物の絵を発見するなど真摯な取り組みも果たしています。
目的は謎のままとしてもこのような巨大な絵画をどのように描いたのかについては野僧が小学校の時に少年雑誌を読んだ同級生たちと実験したことがあります。それは主に直線と真円で構成した下図を描き、その長さ(円については半径)を計って同じ倍率で拡大し、下絵で決めた起点から計算した数値で地面に描いて行くのです。円の部分は支点と紐の長さでした。その結果、校庭全面を使った魚の絵を描くことに成功しましたが(先生は校舎の3階から見ているだけであえて何も言わなかった)、ナスカ文化には文字がなかったので「どのように計算をしたのか」と言う手前の疑問は解決しませんでした。
それにしてもこのような子供の教科書にはない疑問を解決するための実験を笑って応援してくれる愛知県岡崎市立矢作南小学校を卒業できたことは人生の幸いでした。
  1. 2019/06/21(金) 11:11:36|
  2. 日記(暦)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

振り向けばイエスタディ1591

志織の東北の歌による街頭募金が好評を博し、1回目の送金の準備を始めた頃、学校内では思い掛けない批判の罵声が上った。
「先生、学校はどうして日系人の募金を認めているんですか」担任による朝のホーム・ルームの時間に韓国系の生徒が指名も受けずに立ち上がると一方的に抗議を始めた。
「私は君を指名していないぞ。マナーを弁えなさい」「日系人が偉そうに校門の前で募金をすれば日本軍の真珠湾の騙し討ちによって犠牲になった遺族は憤りを覚えるはずです。奴らがやっていることの方がマナー違反です」韓国人の生徒は教師の指導にも公然と反論した。生徒は教師がたしなめる言葉を選んでいる間に同級生の方を向き、今では一番目立つ存在になっている志織に敵意を込めた視線を注いだ。
「最近、日本に大規模な災害が続いているのは過去に働いた多くの悪事を悔い改めないことに対するカミの処罰だ。俺は全く同情なんかしないし、むしろ早く滅びてしまえと願っている」担任の教師はこの生徒が心理状態に異常を来していることを心配したようで刺激を避けて静観している。これもアメリカ式マニュアルに基づく対応だ。
「お前たち日系人は第2次世界大戦の戦争犯罪国なんだからハワイから立ち去って日本で一緒にカミの罰を受けるべきなんだよ」「そう言う貴方たち半島の人間も連合国と戦った戦争犯罪国の国民じゃあない。今更、戦勝国に入れてもらおうなんて厚かましいにも程があるわ」担任の教師が控えた刺激を数倍増させた反論を志織が開始すると一方的に指弾されて唇を噛んでいた日系人の生徒たちも怒りを目に燃え上がらせた。
「それは日本が武力で韓国を占領して植民地にしたからだ。韓国人は抵抗運動で日本の侵略戦争を妨害していた」「日本が朝鮮半島に軍を派遣して日清戦争が起きたのは李王朝内の保守派が清に出兵を依頼したことに対抗して改革派が日本に要請したからよ。それに日本は朝鮮半島を植民地にはしていない。合法的な信託統治の手続きを踏んでいたわ」幼い頃から雑学の権威、中でもプロ裸足の歴史研究者である父から個人講座を受けてきた志織に勝てる高校生は滅多にいない。韓国系の生徒も量質共に太刀打ちできない志織の反論を持て余してきた。
「それを利用して韓国人を弾圧して資産を収奪した上、労働力として搾取したんだ」「「日本は信託統治下で朝鮮半島の近代化を進めたのを知らないの。行政機関を整え、法令を整備し、教育制度や医療保険機関も日本が作ったんじゃあない。敗戦時にそれをそのまま無償で韓国に渡しただけじゃあなくて半島で働いていた日本人の個人資産まで置いてきたのよ」日頃の授業でもこの生徒は一方的な意見で教師の説明を妨害するのだが、今回の志織の理路整然とした解説を聞いて日系人の生徒たちはノートを取りたい気分になってきた。
「そんな貢献をしたんだったら何故、韓国人が抵抗運動を繰り広げたんだ」「韓国が抵抗運動と言っているのは海外に移住していた韓国人がアジアの植民地の独立運動を真似して現地で始めたデモのことで、朝鮮半島では日本の統治を支持する国民が多くてかえって石を投げられたのよ」韓国系の人間ばかりのコリア・タウンに住むこの生徒が親や周囲の大人たちから吹き込まれている韓国の学校教育直輸入の知識はネタ切れになった。すると志織は母が制服を着ている時にだけ見せる冷めた表情になって話を締めくくった。
「最後に付け加えるけど私の曽祖父は442部隊で出征してヨーロッパ戦線で戦死してパンチ・ボールに葬られているわ。新たな祖国であるアメリカ合衆国に生命を捧げたのよ。立ち去る理由は微塵もない。少なくとも日本人に紛れ込んで移民してきた貴方たち半島人よりは我が祖国に貢献しているわね」生徒だけでなく教師までも志織の曽祖父がハワイのみならず全米で英雄とされている442部隊の戦死者と知り、驚愕の声を挙げた。
日系2世による442戦闘団は第2次世界大戦のヨーロッパ戦線において常にアメリカ軍の前面に立ち、「ゴー・フォー・ブローク=当たって砕けろ」を合言葉に日本軍式突貫攻撃で多大の犠牲を出しながらも引き下がることはなく、死傷率97パーセントと言う事実上の全滅によって任務を解かれるまで戦い続けたことで第2次世界大戦におけるアメリカ軍最多の勲章5525個、部隊感状10回を得た。ただし、ハリウッドの戦争映画に出てこない。
「それじゃあ志織も軍人になるのね。曾祖父さんは陸軍、お祖父さんは空軍、お母さんは陸軍だから順番から言えば空軍ね」「でも空軍も元は陸軍航空軍団だぞ」ホーム・ルームの連絡事項の伝達が終わると生徒と教師は志織の将来を話題にして盛り上がった。
「いいえ、私は海軍です。兄は船乗りですから私が海を守ります」志織が学校で海軍志望を告白チしたの初めてだ。アメリカでは意外に世襲制的に一族で同じ職業を継承していることが多いので空軍中佐の孫娘が海軍志望と言うのには違和感がある。その理由も不可解だった。
  1. 2019/06/21(金) 11:09:27|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

振り向けばイエスタディ1590

ハワイの志織のハイ・スクールでも東北地区太平洋沖地震の被災者に対する義捐金の募金運動が始まっていた。活動の中心は日系人の生徒たちであり、日米の二重国籍を持つ志織も募金だけでなくアルバイトに励んで給料を寄付するなど持ち前の頑張りを発揮していた。
「トーホクの被災者に愛の手を差し伸べて下さい」今朝も志織は日系人の生徒たちと校門の前に立ち、登校してくる生徒や教職員と通行人に募金を呼び掛けている。アメリカの街頭募金では日本のように子供たちが「お願いします」と声を揃えるだけでは立ち止ってもらえない。代表者が演説のような口調で募金の趣旨を訴え、現地や活動団体に届ける方法を具体的に説明し、目標金額と現状を周知する必要がある。その上、疑問や反論をぶつけて来る人にも真摯に対応し、時には論争を辞さない確固たる自信が求められる。
「志織、お前(英語では『ユー』)が日本のことを一番判っているんだ。代わりにスピーチしろ」募金活動も時間の経過と共に生徒や市民の関心が薄れ、反応が弱まってきていて、それに苛立った代表者の3年生の男子生徒が2年生として列の中ほどに立っている志織に声をかけた。アメリカの学校教育では自己表現力を最も重視し、指名されて戸惑っているようでは将来、指導的立場に立つことはできないとされている。当然、志織はハンド・マイクを受け取った。
「私の祖先はトーホクの地に住んでいました。トーホクは私にとって魂の故郷であり、生命の源なんです」これは母から聞いただけの話なので知識はない。それでも自分と東北の深いつながりを訴えることは聞く者の気持ちを動かす力になるはずだ。
「そのトーホクの地がマーチ・イレブンスに突如として発生した激烈な地震と巨大な津波によって壊滅してしまった」ここで3年生たちが持っている板に貼った被災地の写真を高く掲げ、通行人たちの数人か立ち止った。日本では今回の大震災を「3・11」と数字で読んでいるが、古代ローマ暦を踏襲して月を神々の名で呼ぶ欧米では直訳は通じない。
「私の母は日本のグランド・ジエータイ(陸上自衛隊)のカーネル(1等陸佐)です。母は在沖縄のアメリカ海兵隊と共に被災地の復興に当たり、大きな成果を上げました。これが日米両軍協同のトモダチ作戦です」さらに数人の通行人が立ち止った。アメリカでは謙遜は必ずしも美徳とはされず、むしろ誇示する必要がある。特にアメリカ軍の活躍については尚更だ。
「アメリカ合衆国は1923年9月1日に発生し、14万人が犠牲になった関東大震災でもクーリッジ大統領が大きな支援の手を差し伸べてくれました」この知識は久居の小学校から横田のインターナショナル・スクールに転校する際、父から習った。
「その深く大きな恩を裏切った日本をアメリカ合衆国は敗戦後にも積極的支援し、現在では最も緊密な同盟国になっています」この部分は両親と祖父からの教育だ。これは日本との戦争の過去を引き摺り、今も敵視するアメリカ的国粋主義者に対する予防線でもあり、志織のスピーチを聴いている多くの通行人たちからは拍手が起こった。
「そんなアメリカの寛大な援助を元に復興を果たして経済大国となった日本ですが、今回の被害はあまりにも大きく復興には巨額の資金を必要とします。したがって目標額は設定できません。どうか私たち日系人の祖先の魂が眠り、命の源である地の復興に対するリァワード(報恩)に協力して下さい」ここでスピーチは終わった。通常であれば生徒たちが募金箱を差し出して寄付を募るのだが、志織はあの父の娘でもある。意表を突いた秘技を繰り出した。
「それではトーホクの歌を唄います」志織は大きく息を吸うと顎で数回リズムを取ってから目を閉じてハンド・マイクを口に当て直した。
「スラカバァ(白樺)、アォゾォーラ(青空)、ミィナァミィカァーゼー(南風)、コブスサグ(辛夷咲く) アノオガ(あの丘)キダグニノ(北国の)、アア キダグニノォハァルゥ(ああ北国の春)・・・」これは父がカンボジアPKOの時、岩手県人・茶山3佐から習った正調岩手弁の「北国の春」だ。ただし、茶山3佐は「千昌夫は岩手県でも南部で海岸沿いの陸前高田の出身なので北部の山村出身の自分とは方言が違う」と言っていた。16歳の娘が唄う東北讃歌のド演歌に通行人たちは「中隊、止まれ」の号令がかかったかのように足を止め、窓を開けていた車まで脇見運転を始めた。それでも追突事故は起こらなかったのは幸いである。
「・・・アノフールサァトニカエローガナー(あの故郷に帰ろかな)カァーエローォガナー(帰ろかな)」志織は祖父と一緒に自宅のカラオケで練習しているだけに3番まで完璧に歌えた。すると路上ライブのように通行人たちは拍手し、中にはクラクションを鳴らす車まであった。
「これは寄付ではなくて彼女の歌にチッピング(投げ銭)だ」「私は寄付よ。トーホクのために役立てて下さい」生徒たちが箱を差し出すと人々は時計を見ながら争うように寄付を投入した。この日の寄付は多過ぎて集計に手間取り、志織も授業に遅刻してしまった。
  1. 2019/06/20(木) 12:27:12|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

振り向けばイエスタディ1589(一部、実話です)

森田3佐が何度電話をしても息子の携帯電話は通話中でつながらない。相手は当然、恋人だろう。しかし、森田3佐は明日から太平洋岸の被災地にアメリカ空軍の兵士たちを引率して巡回慰問しなければならず携帯電話の使用は不可能になる。そこで非常手段に訴えることにした。
「森田士長、電話だぞ」「はい、森田士長」営内班の廊下に中隊当直陸曹の声が響いた。その声に人気がない階段の踊り場で雪うさぎに電話をしていた森田曹侯補士は返事をした。先ほどの母とのやり取りから「叱責の電話か」と考えて重い気分を抱えながら階段を駆け降りた。
「航空自衛隊の森田3佐からだ」中隊当直陸曹は父親とは言わずに所属と姓階級で取り次いだ。父はあえて親子関係を明かさなかったらしい。その点、少数派ではない森田姓は便利だ。
「もしもし、森田士長ですが。ご無沙汰しています」こうなると口調は自衛隊式になる。母から苦情と相談を受けて叱責するための電話なのかと思うとさらに他人行儀になっていく。
「破壊され尽くした被災地で2ヶ月間も大変だったな」父は内心では今回の災害派遣での貢献が曹侯補士一律切り捨て問題に肯定的な影響をもたらしたことを期待しているが、陸上自衛隊の硬直した体質を熟知しているだけに何も言わなかった。実際、北部方面総監・滋賀徳次郎陸将は震災直後に「現地に偵察に行く」と言い出して幕僚に東北方面隊に調整させたのだが当然拒否された。それでも懲りずに視察を繰り返し、復興作業で手一杯の現地部隊と統合任務部隊になって錯綜する業務に追われている東北方面隊に多大な迷惑をかけながら北部方面隊のホームページに「指揮官としての範を垂れた」と絶賛する記事を掲示させたほどの自己陶酔病者だから自分の独断の誤りを認めるはずがない。
「お母さんからお前の恋人の話を聞いたぞ。交際期間はどれくらいなんだ」父は急に口調を軽くして本題を切り出した。事情聴取から始まるのは服務事故を処理する手順の通りだが、口調を軽くすることで隊員に肩の力を抜かさせて真実を語らせるのは熟練の技かも知れない。警備小隊長時代の父にとって隊員が起こす服務事故の処置は恒常業務に含まれていた。
「まだ文通と2回会っただけです」想定外の返事に父は呆気にとられた。実際にはまだ交際が始まっていない相手を親に申告して事前承認を得ようとするのは男女交際に熟練している息子にしては殊勝な態度であり、それだけ真剣な交際をするつもりのようだ。
「10歳年上なんだってな」「うん、バツイチだよ」親が問題にしていることをこちらから先制するのは長年息子をやってきて身につけた知恵だ。仕事から帰った父が酒を飲みながら不祥事を起こした隊員が自分から問題を告白する態度を褒めていたところを見てきたのだ。しかし、父は息子の返事には踏み込まず指導を助言に換えた。
「10歳年上だとこれから先は女性として老(ふ)けていくばかりだぞ。縁あって結婚しても友人たちの嫁が年下で若いのにお前の嫁の顔には皺がよって頭は白髪交じりになっていく。乳と尻が垂れて腰と腿には肉がつく。裸で仰向けに寝かせると昔は盛り上がっていた乳が左右に分かれてつぶれている。お前の母親も俺と同級生だから老けるのは早かったんだ」これは父の愚痴なのかも知れない。父と母は幼馴染み同士で交際していたことが近所で噂になっていたため責任を取らされて結婚したと聞いている。別に若い彼女がいたとすれば同級生の母は食べ飽きた定食のようなものだったはずだ。それにしても母の肉体の衰えを具体例に出されると息子としては返事に困ってしまう。初めて会った時、雪うさぎは体型が判るほど薄着はしていなかった。今回は少し薄着だったが、それでも合服を着ていたので胸の豊かな膨らみが確認できただけだった。それが崩れていくのを想像するには情報不足なのは否めない。それにしても父が服務指導に熟達していることが判った。
「俺は照子の見た目に惚れたんじゃあないんだ。兎に角、お互いに強く惹かれあったんだよ」これは父の助言に対する反論ではない。2人で確認しあった事実だ。すると父はそれにも熟達した指導の助言を返してきた。
「過酷な環境で勤務して平常心を失っている時に魅力的な異性に出会えば通常では考えられないような心理状態に陥ることは珍しくない。ただし、俺は反対はしないぞ。これから交際していく中で冷静に相手を観察して今の気持ちが変わらないと言う確信を持てたなら家に連れてこい。百戦錬磨の親父の目で見極めさせてもらおう」ここで言う「百戦錬磨」とは父の女性遍歴のことではないか。息子は先ほどからの発言で父の意外な過去に気づいていた。
「1つ、指導するが機会を見つけて恋人に離婚理由を確認しろ。そこで全て相手に原因があると言うようなら結婚は止めた方が良い。逆に自分の問題点を正直に告白するようなら安心だ」ここまでで父は電話を切った。中隊への私用電話で許される時間は超えているが「3佐から」と言うことで当直陸曹は黙っていたようだ。この電話で森田曹侯補士は男としても父を見直した。
  1. 2019/06/19(水) 11:04:54|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

6月19日・衆参両院で教育勅語・軍人勅諭の排除・失効が決議された。

昭和23(1948)年の明日6月19日に「教育勅語」と「陸海軍人に賜りたる勅諭(いわゆる軍人勅諭)」の衆議院で排除、参議院で失効が決議されました。
このうち衆議院での決議は「民主平和国家として世界史的建設途上にある我が国の現実は未だ決定的な民主化を確認するを得ないのは遺憾である。これが徹底に最も緊要なことは教育基本法に則り、教育の革新と振興とをはかることにある。しかるに既に過去の文書となっている教育勅語並びに陸海軍人に賜りたる勅諭その他の教育に関する諸詔勅が、今日もなお国民道徳の指導原理としての性格を持続しているかの如く誤解されるのは従来の行政の措置が不十分であったがためである。思うにこれらの詔勅の根本的理念が主権在君並びに神話的国体観に基づいている事実は明らかに基本的人権を損い、且つ国際信義に対して疑点を残すもととなる。よって憲法第98条(憲法の最高法規性、条約及び国際法規の順守を規定している)の本旨に従い、ここに衆議院は院議を以てこれらの詔勅を排除し、その指導原理的性格を認めないことを宣言する。政府は直ちにこれらの謄本を回収し、排除の措置を完了すべきである。右決議する」と言うものです。一方、参議院では日本国憲法と教育基本法の成立による失効と言う主旨でした。
教育勅語と言うのは明治23(1890)年10月30日に明治天皇が山県有朋内閣の芳川顕正文部大臣に与えたと言う体裁を取っているものの実際は熊本藩士の儒学者である井上毅(こわし)さんと元田永孚さんが起草しました。その全文(原文は片仮名で濁音、句読点はない)は「教育に関する勅語・朕惟うに我が皇祖皇宗國を肇むること宏遠に徳を樹つること深厚なり。我が臣民克く忠に克く孝に億兆心を一にして世々厥の美を済せるは此れ我が国体の精華にして教育の淵源亦実に此に存す。爾臣民父母に孝に、兄弟に友に夫婦相和し、朋友相信じ恭倹己れを持し、博愛衆に及ぼし、学を修め業を習い、以て智能を啓発そ徳器を成就し、進て公益を広め、世務を開き、常に国憲を重じ、国法に遵い、一旦緩急あれば義勇公に奉じ、以て天壤無窮の皇運を扶翼すべし。是の如きは独り朕が忠良の臣民たるのみならず、又以て爾祖先の遺風を顕彰するに足らん。斯の道は実に我が皇祖皇宗の遺訓にして、子孫臣民の倶に遵守すべき所之を古今に通じて謬らす、之を中外に施して悖らす。朕爾臣民と倶に拳々服膺して咸其徳を一にせんことを庶幾う。明治23年10月30日・御名御璽」と言う漢文の経典よりも難解な悪文で、入学式や卒業式,、紀元節や天長節の式典でこれを読み誤ったり、言葉が詰まったため辞職や自死に追い込まれた校長先生たちには心から同情します。
保守系の人たちの中には道徳が科目になったことに便乗して教育勅語の復活を主張する輩も多いですが野僧は絶対に反対です。儒教は本来、帝王学であってこれは天皇が皇族に「国民に忠節を尽くしてもらえる君主たれ」と諭すべきものであり、日本的儒教では本質ではなく形式を強要するため「国に忠義を尽くせ」と言えば命令に従う以外の選択肢はなく、立場を賭して政府の誤りに反対する愛国行動は否定されます。特に野僧は「親に絶対服従すること」を絶対視する時代錯誤な家の子に生まれたことで人生を散々に踏みにじられましたから、この決議で違反者に対する罰則規定を設けなかったことに我慢がなりません。
  1. 2019/06/18(火) 11:46:56|
  2. 日記(暦)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

振り向けばイエスタディ1588

森田曹侯補士が電話を切り、母が受話器を置くと即座にベルが鳴った。母は「息子が言い過ぎたことを反省したのか」と期待しながら受話器を取ったが、それは夫の森田3佐からだった。
「あらッ、貴方なの」期待外れであることをアカラサマにした妻の第一声に森田3佐は立腹の前に呆れてしまった。日頃は災害派遣に取り組む夫の身体を気遣い、労をねぎらう言葉をかけて来るだけに今日の豹変ぶりには興味も湧いてくる。
「俺じゃ駄目だったのか」「今、謙作からの電話を切ったばかりなのよ。掛け直してきたのかと思ったわ」森田3佐は妻の口調に何か引っ掛かるものを感じた。妻からは息子が災害派遣に出動して以来、留守宅に一度も連絡してきていないことは聞いている。それが被災地の公共施設が徹底的に破壊されたことが理由なのは東北に来て理解した。そんな息子から連絡が入ったと言うことは宮古市から撤収して名寄駐屯地の原隊に帰ったのではないか。
「謙作は無事に名寄に戻ったんだな」「はい、そうみたい。でも・・・」妻の胸では災害派遣の激務に身を置く夫に余計な心配をかけることをためらう気遣いと親として一緒に悩んでもらいたいと言う願望が交差して言葉を途切れさせた。
「謙作が何か言ってきたのか」「それがね。恋人ができたって言うんだけど・・・」ここで一呼吸の間を置くのは夫の声を聞いて胸の中に燃え上がってしまった激情をゴジラのように吐き出すための準備だが、夫は妻の報告に期待して携帯電話を強く耳に当てた。
「相手は旭川で店員をやってる32歳でバツイチの小母さんだって言うのよ。私は絶対に許せないわ」妻の怒りの炎は東北まで届いた。謙作がどこまで考えて交際しているのかは判らないが、1人息子が恋人として申告した相手が実家から遠く離れた北海道の女性で、それも三十路を過ぎて離婚歴があるのでは母親として我慢ならないのは当然だろう。しかし、隠れキャンディーズ・ファンの森田3佐の頭の中では「年下の男の子」のレコードが回り始めた。
「真っ赤な『余市』林檎を頬張る。『アーミー・グリーン』のTシャツ、アイツはアイツは可愛い 年下の男の子」思わず口ずさんでしまいそうだが怒りに油を注ぐだけなので控えた。今の妻は恋人が謙作を「寂しがり屋で 生意気で 憎らしいのに 好きなの」と思っていると想像しているのかも知れない。尤も、妻がキャンディーズの歌を憶えているかは不明だ。
「謙作は幾つだったかな」「今年で22歳よ。だから10歳も年上のお婆さん」妻は10歳年長であることばかりに意識が行っているようだが、森田3佐としては離婚歴の方が気になっていた。好きで結婚した夫婦が離婚するのは相互に原因がある場合が多く、浮気や放蕩も家に安らぎが感じられない夫が捌け口を外に求めたと考えられなくはない。それを真摯に反省し、教訓として改めなければ同じ過ちを繰り返す可能性は否定できないはずだ。
「お前のことだから一方的に反対だって言ったんだろう。それで謙作は何も言わずに電話を切ったんだな」「そうじゃあないのよ。あの子ったら『息子は大震災で死んだと思ってくれ』って言ったの。きっと悪い女に騙されてるんだわ」森田3佐は意外にも妻が世間一般の母親であることを知り、電話口で苦笑してしまった。森田3佐としては高校時代から運動部の花形として次から次へと女子高校生との不純異性交遊に励んでいた息子を騙せる女性がいるとすれば会ってみたいくらいだが、妻の母親心を蔑ろ(ないがしろ)にすることはできない。あの頃も森田3佐は「避妊に気をつけろ」「中絶させることだけは許さん」と言って基地売店の薬局で買ったゴム製品を手渡しただけだった。
「遊び人の謙作が惚れた女性だ。きっと素晴らしい魅力があるんだろう。親に申告してきただけでも良かったじゃあないか。俺がお前を親に紹介したのは・・・」「私たちは小学校から高校まで同級生でしょ」森田3佐は航空自衛隊に入ってからは赴任先で彼女を作りながら帰省した時だけはすでに元カノにしていた妻と遊んでいた。最終的には妻の親から「娘を傷物にした責任を取れ」と言われて「吐き慣れた靴で良いか」と結婚したのだから息子の女性遍歴も父親似なのかも知れない。その一方で現地彼女の中には10歳以上年上の当時としては行き遅れの女性も含まれていたから全く抵抗はない。
「謙作には今から電話してみよう。明日からはアメリカ空軍の兵隊と一緒に岩手県の太平洋岸の町へ慰問に行くから携帯電話が使えなくなる」「それもトモダチ作戦なのね」妻の返事を聞いて森田3佐は自分の任務が単なる被災者の慰問ではなく歴史的な日米協同作戦の一部であることに気がついた。今回の慰問も気仙沼大島でアメリカ海兵隊が開いた英語講座やスポーツ教室、コンサートが被災者の心を癒したことを知った三沢基地の空軍が企画したのだ。
「慰問部隊指揮官も中々遣り甲斐がある仕事だな」電話を切って森田3佐は妙に気合いが入ってきた。以前見た異色の戦争映画「南の島に雪が降る」のような感動を届けたいものだ。
  1. 2019/06/18(火) 11:45:25|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

振り向けばイエスタディ1587

その夜、森田曹侯補士は無事に帰隊したことを報告するため航空自衛隊芦屋基地の官舎にある実家に電話をかけた。勿論、雪うさぎと交際することも説明するつもりだ。
「もしもし、森田ですが」電話には母が出た。その口調には日頃の元気がない。宮古市では近接する市町村に派遣されている陸上自衛隊の派遣部隊の情報くらいしか入ってこなかったが、陸海空自衛隊の総力戦の様相を呈している災害派遣に父も出動しているのかも知れない。
「俺だよ。今日、無事に名寄へ帰りました」「謙作なのね。無事だったの」母は今、報告したことを確認してくる。やはり心配を募らせていたようだ。
「派遣先は電話が通じなくて携帯も充電できなかったんだ。切手や葉書も手に入らなかったから連絡できなかった。御免」「ううん、大変な仕事をご苦労さまでした」ここでようやく母も落ち着きを取り戻したようで、いつもの口調に戻った。
「お父さんはどこかに行っているの」「うん、航空自衛隊は色々ややこしいみたいで私も良く判らないのよ。時々連絡が入るけど行っているところは謙作の宮古市ほど酷い被害は受けていないそうよ」派遣先は出動前に電話で知らせていたので、母もテレビや新聞が思い出したように報じる宮古市の情報に気をつけていたことが判った。
「ずっと宮古市にいたの」「うん、2ヶ月間の長期滞在になった。街が津波で滅茶苦茶になっていたんだ。おまけに宿泊施設がないから民間の工事業者は来られなくて自衛隊が頑張るしかなかったんだよ」それが改善したため派遣部隊が縮小され、ようやく名寄に帰ることができたのだが、その説明の前に母が話題を換えた。
「航空自衛隊は三沢基地に隊員を集めて陸上自衛隊の手が回らない場所へ行ってるらしいの」要するに災害派遣は航空総隊が担当しているため父のような航空教育集団の隊員も三沢基地に集合させ、そこで臨時部隊を編成してから派遣する二度手間を掛けているのだ。地理的には松島基地と2ケ所にして南北から攻めた方が良さそうだが、松島基地が航空教育集団隷下であることを陸上自衛隊の森田曹侯補士は知らない。何にしても航空教育集団を優先的に派遣した阪神大震災当時に比べると組織としての航空自衛隊の対処能力が落ちていることは確かだ。
「津波でやられた場所は手に負えないから内陸の地震で被害を受けた場所が多いみたいだよ」父は希望して航空自衛隊のSOC=幹部普通課程の代わりに陸上自衛隊富士学校の普通科AOC=幹部上級課程に入校しているので遜色はないはずだが、基地内で勤務する航空自衛隊の隊員は体力練成をスポーツに親しむことと考えているようなので、長期間の野営をしながら瓦礫の山と化した市街地での土木作業には不向きなのだろう。
「それで謙作は亡くなった人を見たの」母の質問が妙に深刻になった。日本人には昔から死に触れることを忌み嫌う信仰があり、母親としては息子を回避させたいのは当然だ。
「うん、倒壊した建物を撤去すれば下敷きになった人たちの遺骸が出てくるから運ばないといけないだろう。海岸でも津波で流されて戻ってきた人たちを探したよ。俺たちにとっては助ける人が生きていても死んでいても区別することなんかできなかったんだ」この説明に母は息子が経験にしてきた任務が九州でテレビを見ているだけの自分には想像もできない過酷で悲惨なものであったことを噛み締めた。そこで母はせめてもの救いを求めて質問してきた。
「お祓いなんかは受けてるの」「自衛隊は宗教にはノータッチだからできないんだ。それでもお父さんの同期の坊さんから除霊の呪文を習ったから大丈夫だよ」それは宮古市へ巡回法律相談に来たモリヤ2佐のことだ。モリヤ2佐は幽霊を見た時の対応を具体的に教育していったので宿営地での金縛りや幽霊騒動はかなり減少した。
「ところで俺、恋人ができたんだ」母子の会話がこれ以上はないくらい沈鬱になったところで森田曹侯補士が奇襲攻撃を仕掛けると、やはり母は呆気にとられて返事をしなかった。
「それは岩手の女性(ひと)なの」長い間を取ってから母が質問した。災害派遣先で知り合った相手と考えるのは常識的な推理だ。
「いや、旭川の女性だよ」「帰りを待っていてくれたのね」この推理も常識的だが外れている。何事にも重々しい森田家には珍しく「あッ軽い」会話なのでしばらく続けたいところだが雪うさぎにも電話したいのでまとめることにした。
「名前は広橋照子。旭川市内の友人の店を手伝っている32歳でバツイチ・・・だけど俺と彼女にとっては運命の出会いだった。以上」「待ちなさい。そんな年寄りで離婚歴がある女性なんてお母さんは反対よ。お父さんだって許さないでしょう」これも常識的な反応だ。
「そう言うと思ったよ。だったら俺は帰らないだけだ。息子は大震災で死んだと思ってくれ」森田曹侯補士はモリヤ2佐が聞けば大絶賛するであろう定番の台詞を吐いて電話を切った。
  1. 2019/06/17(月) 10:58:17|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

6月16日・新潟地震が発生した。

東京オリンピックの開幕を4ケ月後に控え、新潟国体春季大会(東京オリンピックと重複するため春に移動した)が6日前まで開催されていた昭和39(1964)年の6月16日午後1時1分に新潟県村上市沖の粟島と新潟市の中間地点の日本海を震源とする新潟地震が発生しました。
この地震で粟島は1メートル隆起したため水利が変わり、水田が維持できなりました。また最大波高4メートルの津波が新潟市や村上市、佐渡島から島根県の隠岐島にまで襲来し、沿岸にある新潟空港の滑走路は地盤の液状化も重なって完全に水没しました。
この地震は過去の大地震では見られなかった特異な被害が多数発生したことで多くの教訓を残しています。先ず新潟は日本有数の石油の採掘地だったため貯蔵タンクの配管が破損して漏れたガソリンが湧き出た地下水と津波によって押し寄せた海水の上に広がって延焼し、他のタンクを次々に類焼・誘爆させていきました。ところが新潟県内の消防署には化学消防車が装備されておらず拡大する猛火に打つ手がなく、自治省を通じて東京消防庁に化学消防車の派遣を要請するのと同時に化学消防車を保有する県内の民間企業に出動要請しようとしたのですが、電話線も寸断されて不通だったためラジオ放送で「××会社の関係者の方に対策本部から派遣要請です。化学消防車を新潟市に派遣して下さい」と繰り返してようやく消火活動が開始されました。それから20時間連続の消火活動によって火勢の拡大を喰い止めたことで最も危険な化合物や水素の貯蔵タンクへの類焼と誘爆は回避されましたが、間に合わなければ新潟市は壊滅していたと言われています。それでも延焼は12日間に及びました。
また戦後の近代化の象徴だった鉄筋コンクリート製の建造物が数多く倒壊しました。中でも信濃川の左岸にあった県営住宅の4階建て8棟のうち3棟が大きく傾き、1棟は完全に横倒しになりました。これまでの地震による建物の倒壊は柱が倒れた上に屋根が載っているのが一般的で原形を留めたまま横転している姿は驚愕と同時に別の恐怖を感じさせました。橋梁も新潟市内では昭和4(1929)年に竣工された万代橋は取り付け部分の破損と沈下だけで車両を含めて通行可能だったのに対して新潟国体に備えて昭和37(1962)年に建設された八千代橋は橋脚が倒れ、開通直後だった昭和大橋は橋桁が落ちる甚大な被害を受けました。
これほどの大地震だったのにも関わらず死者が26名ですんだのは奇跡に近いのですが、その背景には豪雪地帯である新潟県の家屋は堅牢であり、3発目の原爆の予定地だったため戦争で空襲をうけなかったことや発生したのが昼休みが終わって人々が活動を再開する時間だったこと、そして昭和23(1948)年6月28日に発生した福井地震を教訓に対策を取っていた自治体や企業、県民が多かったことが挙げられます。
ところで東北地区太平洋沖地震後、地元を選挙区とする民主党の重鎮・小沢一郎死(し)が復興事業で莫大な利権をむさぼったのは常識ですが、小沢の師である田中角栄大蔵大臣(当時)がオリンピック後に本格化した復興事業で範を垂れたのではないでしょうか。
  1. 2019/06/16(日) 12:59:48|
  2. 日記(暦)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

振り向けばイエスタディ1586

「8号車、森田士長を下車させて面会者に『あと20分待ってくれ』と伝えさせろ。森田士長はそれだけを伝えたら車両に戻るように」警衛所の前を通過して間もなく1号車の松山3佐から無線が入った。車長も事情を承知しているので「了解、終わり」と即答し、操縦手は車両を路肩に寄せて停車させた。森田曹侯補士は銃手席から後部座席を抜けるとドアを開けて下車した。
雪うさぎは警衛司令に促されて警衛所の角に立ってこちらを見ている。森田曹侯補士は全力疾走で駆け寄った。気持ちとしてはその場で抱き締めたいところだが、公務移動中に中隊長の温情で許された特別処置だから行動は慎まなければならない。したがって2メートル手前で立ち止った。雪うさぎも30歳を過ぎた大人らしく黙って顔だけを向けている。
「会いたかったです。本当に会いたかったです」出会いから1ヶ月、胸にため込んでいた想いが湧き上がってきてこの言葉しか出てこない。雪うさぎも小声で「私も」と繰り返している。しかし、車両が待っているから用件は手短に終えなければならない。
「あと20分待っていてくれ」「はい」森田曹侯補士は息を大きく吸うと胸を張って松山3佐から与えられた台詞を吐き出し、返事を聞くと挙手の敬礼をしてから回り右すると基本教練の駆け足の姿勢で走り出した。
今回、96式装輪装甲車と3トン半大型トラックに分乗して帰隊した400名は下正門通りを抜けて隊舎街を回り込むように中央グランド前の道路に到着車すると演習用の大型バッグと衣納を持って連隊長朝礼場に整列し、移動指揮官である松山3佐に人員と異常の有無を報告した。そこに連隊長が入場し、登壇、部隊の敬礼、報告、訓示、もう一度、部隊の敬礼が終われば移動は完了になる。実際は大型トラックに搭載してきた資材の卸下(しゃか)と倉庫への一時収納などの作業があるのだが森田曹侯補士は免除された。
森田曹侯補士は営内班に荷物を置いて警衛所に走っていくと警衛司令に挨拶し、羨ましいそうな顔をしている受付係の士長は無視してプレハブ別棟の面会室に向かった。すると雪うさぎは裸の蛍光灯の下の机で書き物をしていた。
「待たせたね。会いたかったよ」「番組の構成を考えながら待っていたから時間を無駄にしてないわ」雪うさぎは資料を綴ったバインダーとノートを閉じると顔を向けて微笑んだ。
「手紙を有り難う。葉書や切手が買えなくて返事が出せなかったんだ。御免」「そうね。こちらから送れば良かったわ。御免なさい」2人だけで話すのは初めてだが口調は自然に恋人同士になっている。森田曹侯補士にとっては高校時代の女生徒遍歴以来だ。
「お前がラジオでかけた『年下の男の子』『あなたに夢中』は宮古で現地先任に習ったよ。嬉しかったな」宮古市では安川3曹からの手紙で雪うさぎがラジオ番組で流したキャンディーズの2曲を松山3佐に質問したが世代が違い、翌朝、40歳代後半のベテラン陸曹たちに確認したところ現地部隊先任陸曹が大ファンだったことが判明した。そのため作業の合間にはヒット曲を習うことになってしまった。
「あれから番組にもリクエストが届くようになってシリーズ化してるのよ」この情報は現地部隊先任だった1曹に伝えなければならない。森田曹侯補士自身もキャンディーズの素朴な歌で「恋心」を再学習しているから楽しみだ。
「ところで本当に私で良いの」会話に間が入った後、雪うさぎが真顔になって訊いてきた。森田曹侯補士も安川3曹に送ってもらった切手で返事を送り率直な恋心を告白している。雪うさぎとしては交際を始めるに当たり年齢差や離婚歴の問題を確認することから始めなければならないのは常識的な手順だ。
「俺がお前に惚れたのは理屈じゃあない。だからって軽率な衝動でもない。ビビッて・・・」「来たのね。私も一緒。身体の芯まで痺れちゃった」森田曹侯補士が「似合わない」と迷いながら口にした台詞を雪うさぎが引き継いだ。いわゆる「ビビッとカップル」らしい。
「ところでお前は俺なんかで良いのか」森田曹侯補士も返事の中で略歴と自分が直面している人事上の問題も説明している。したがってこの質問への返事はうなずくだけで十分だ。気がつくと10歳年長の雪うさぎを「お前」呼ばわりしている。それに違和感がないのも「ビビッ」と感電して磁力を帯びた2人の気持ちの密着度なのかも知れない。
「それじゃあ外出できる日が決まったら電話で連絡するから」「うん、駅で待ち合わせね」森田曹侯補士は立ち上がると忘れないように最終手順を踏んだ。面会者の来訪と言う特別な事情で作業を免除してもらっているのでそろそろ中隊に戻らなければならないのだ。
「今度は『アン・ドゥ・トロワ』の予定よ」「貴方の胸に耳を当てれば・・・」唄いながら両肩に手をかけると雪うさぎは実演してきた。しかし、森田曹侯補士は窓とドアを確認していた。
  1. 2019/06/16(日) 12:58:22|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

6月16日・アメリカのロケット開発の中心人物・フォン・ブラウン博士の命日

1977年の明日6月16日はアメリカのロケット開発を指揮したヴェルナー・マグヌス・マクシミリアン・フライヘル・フォン・ブラウン博士の命日です。65歳でした。
フォン・ブラウン博士はフォンの称号と長い名前でも判るように名門プロシア貴族の出身で、1912年にポーランドとの国境に近いボーゼン州で生まれました。幼い頃、母親がルター派の堅信式(洗礼によって入信した気持ちを固める儀式)の記念に天体望遠鏡を与えたことで宇宙に興味を持ち、それがロケット開発に携わる動機になったと言われています。1920年に第1次世界大戦の敗戦によるヴェルサイユ条約で領地がポーランドに割譲されるとドイツ領内に移住しますが、ドイツのロケット開発の先駆者であるヘルマン・オーベルトン博士の「惑星空間宇宙ロケット」を読んで深い感銘を受け、それまでは大の苦手だった物理学と数学の猛勉強を始め、ついには得意科目してしまいました。1930年にベルリン工科大学に入学するとドイツ宇宙旅行協会にも入会して憧れのオーベルト博士の液体式ロケット・エンジンの研究を手伝うことができたのですが、ベルリン大学に再入学した頃にはナチスが政権を握っており、科学技術開発も軍事目的に限定されるようになっていたため陸軍兵器局のヴァルター・ドルンベルガー大尉と協力して研究を継続することにしました。そうして1934年末には高度2400メートル以上に達する液体式ロケットの発射実験に成功したのです。
1939年から始まった第2次世界大戦においてナチス・ドイツはヨーロッパ大陸から追い落としたイギリスの戦意を喪失させるため爆撃機による空襲を開始しましたが、護衛戦闘機を随伴できなかったのでイギリス軍の防空戦によって壊滅されると無人の飛翔体によるロンドンの空襲を画策し、フォン・ブラウン博士が開発したロケットの弾道弾への改造を命じました。これがV2です。ところがゲシュタポはV2が戦果を上げ、さらなる改良に取り組んでいるフォン・ブラウン博士がナチス党員であり親衛隊の少佐でもあったにも関わらず「開発の目的は宇宙旅行だ」と公言していることを問題にして逮捕・拘束しまいました。この時はヒトラー総統自身がゲシュタポに釈放を命じましたが、結局、ナチス・ドイツは敗北し、フォン・ブラウン博士以下のロケット開発の中心的な学者・技術者たちはソ連に連行されることを避けるため敗戦直前に逃走を図り、アメリカへ投降することに成功したのです。
アメリカでのフォン・ブラウン博士は長年の夢だった宇宙旅行の実現を期待しましたが、米ソの宇宙開発競争の目的はあくまでも宇宙の軍事的利用であり、不本意な任務を遂行することになりました。アメリカでドイツでの経歴を批判されると「宇宙に行くためなら魂を悪魔に売り渡しても良いと思っていた」と弁明していますから、アポロ計画によって月旅行を実現させたことで納得はできたのでしょう。死因が癌でした。
それにしても人工衛星を打ち上げているアメリカはフォン・ブラウン博士、ソ連はセルゲイ・コロリョフ博士、フランスはジャン=ジャック・バール博士、日本は糸川英夫博士、中国は銭学森博士と宇宙開発には唯一絶対の天才的指導者を必要とするようです。
  1. 2019/06/15(土) 12:51:45|
  2. 日記(暦)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

振り向けばイエスタディ1585

今年の大型連休は東北へのボランティア旅行がブームになっていた。都市部ではボランテイア活動で学生に単位を与える大学が続出したためブームに拍車が掛かり、テレビやインターネットで被災地として紹介されている自治体には問い合わせの電話やメールが殺到して担当者を苦慮させている。都会の人間にとって衣食住は代金を支払えば提供されるものであり、快適性を要求するのは当然の権利だ。一方、岩手県内の被災地では仮設住宅への入居によって余裕ができた体育館などをボランテイアに開放していてプライバシーの保護や快適性などは保障できない。現代の若者は必要最低限のマナーとトラブル防止の知恵だけは身につけているため前もって確認の電話をしてくるのは良いが、複数の自治体に電話を入れて申し込み、その後で条件が良いところを選び、止めた場所へは連絡しないことも珍しくない。そんな中、森田曹侯補士にもようやく宮古市から撤退する時が来た。
「森田、お前も2カ月連続の派遣になってしまったな」名寄から到着して陸曹同士で作業の引き継ぎをやっている交代要員が横で資材を確認している森田曹侯補士に声をかけた。
「森田は陸士と陸曹の1人2役で活躍してくれたから本当に重宝したよ」曹侯補士にとって陸士の期間は本来、陸曹に昇任するまでの実習であり、陸曹としての勤務を経験することも必要とされている。そのため派遣部隊が縮小されてからは残留した松山3佐の命で当直陸曹勤務にもつくようになり、それと同時に宿営地の警衛では陸士として歩哨にも立っていた。
「名寄では1週間の休息が終わってからは縮小臨時編成の部隊で戦闘力を発揮する訓練に明け暮れているんだ。今回、96(=96式装輪装甲車)を持ち返れば演習も本格化するから気を抜くことはできんぞ」それは当然と言えば当然だ。先に撤収した部隊が安楽な毎日を送っていては残留部隊は貧乏クジを引いてことになってしまう。やはり現地に残留する以上に苦しい訓練に励んでもらわなければ組織としての士気の均衡が保てない。
早朝に小樽港で北海道に上陸し、札幌から道央自動車道を北上して旭川に差しかかった頃には午後になっていた。第3普通科連隊が装備している96式装輪装甲車の最高速度は時速100キロなので高速道路を利用できるが、やはり「北海道はデッカイどォ」なのだ。
96式装輪装甲車は操縦手が車体前部右側、左側に分隊長が兼務する車長、操縦手の後ろの銃座が設置されている席に銃手が座る。その他の人員は車体後部内の座席に座るのだが、森田曹侯補士は銃手席から外を眺めていた。
「旭川の桜も流石に終わってるな」操縦手の陸曹が独り言を呟いた。操縦席は当然のことながら車長や銃手の席よりも視界が広い。森田曹侯補士が銃座の小窓から周囲を見回すと道央自動車道から見える公園や学校の桜並木は緑色の葉が生え揃い、すでに花は散ってしまったことを表していた。ようやく春本番を迎えているようだ。
「花見は宮古市ですませてきたと言うことだ」「でも旭山公園の花見ジンギスカンを食べないと春が来たって気分になりませんよ」操縦手と車長は交通量が少ないこともあり、楽しげに談笑を始めた。ジンギスカンは北海道の名物だが、旭川では満開の桜の花の下でバーべキュー式に楽しむのが花見の定番だ。観光客には周囲に羊肉を焼く特有の匂いが充満するため評判は芳しくないが、日が暮れて冷え込んできた中でビールを飲むには火を焚いて暖を取るのが一番であり、火があればジンギスカンを焼くのが北海道の常識だ。
「花見かァ・・・」2人の会話を聞きながら森田曹侯補士は胸ポケットから身分証明書入れを取り出した。そこには雪うさぎが送ってきた桜を見上げる横顔の写真が入れてある。雪うさぎは年齢を気にして正面からアップの写真は避けたらしい。今日、帰ることは保全上の指導で知らせていないが、携帯電話の番号は聞いているので到着後に電話することにしている。
「昼飯は駐屯地に帰ってからだからオヤツになっちまうな」ジンギスカンの話題で腹が空いたのか車長は腕時計を確認すると一言ぼやいた。道央自動車道は名寄市の手前の士別市までなのでは10キロ少々は一般道になる。順調に行っても到着は3時過ぎだ。車長のボヤキに森田曹侯補士も急に腹が空いてきた。このような反応も「花より団子」と言うのだろうか。
「森田士長、女の面会者が待っているぞ」駐屯地に到着して正門に入る時、歩哨の士長が声を掛けてきた。森田曹侯補士は外から見えない席なので立ち上がって上半身を出している車長のハッチ越しの声だった。しかし、車長と警衛司令が敬礼を交わし、通過するまで乗員は姿勢を正していなければならず確認はできない。
「あの人か・・・」森田曹侯補士の代わりに車長が確認しているらしく敬礼しながら独り言を呟いた。名寄まで面会に来る女性は1人しか思い当たらない。それにしても雪うさぎは何時から待っていたのだろうか。警衛所の裏手にある面会室には缶ジュースの自動販売機しかないのに。
あ・音無響子イメージ画像
  1. 2019/06/15(土) 12:50:31|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

6月15日・東大生の活動家・樺美智子がデモ隊に踏み殺された。

1960年の明日6月15日に60年安保闘争で国会に突入するデモ隊の先頭に立っていた全学連の東京大学文学部自治会副委員長だった樺美智子うん(一応、敬称)が警察隊との攻防戦の中で転倒し、押し寄せる同志たちに踏み殺されました。
60年安保闘争ではそれまでの日米安全保障条約が対ソ連、対中国、対北朝鮮との武力紛争に備えて日本国内にアメリカ軍を駐留させることと日本を舞台に戦争を行うことを認めただけの何の国益もない条約だったのを岸信介首相の粘り強い外交交渉によって国家としてのアメリカとアメリカ軍に日本の防衛義務を負わせる真の意味の安全保障条約に改定するものだったにも関わらず、それによって日本への侵攻が困難になるソ連や共産党中国の命を受けた学者やマスコミによって扇動された大学生や卒業間もない若い社会人たちが反対運動を始め、それをマスコミが大々的に喧伝したことで共産主義革命の好機として炎上し、主催者発表で数万人の大規模なデモ隊が連日のように国会議事堂を包囲して岸首相の殺害を叫ぶようになっていたのです。
樺うんは昭和12(1937)年に明治以来の学者の家系の2人の兄の下の1人娘として生まれ、父親が神戸大学社会学部の教授になったため兵庫県芦屋市で育ちました。神戸高校を卒業後、一浪して東京の理数系の専門学校である研数学館に入りましたが、授業に満足できずに都内の外国語予備校を経て2学期からは駿河台予備校に移りました。そうして20歳になって東京大学文学部に合格すると11月8日の誕生日に日本共産党に入党しました。しかし、間もなく選挙による政権奪取を目指して武力革命を否定した共産党とは路線対立していた過激派組織・共産主義者同盟(ブント)に加入し、東京大学内での書記局員、文学部自治会副委員長などの幹部としての指導的立場になり、1960年にアイゼンハウアー大統領の来日の事前調整のため羽田空港に到着した大統領報道官の入国を阻止するため空港を包囲・占拠して建物内に閉じ込めた上、アメリカ海兵隊のヘリコプターで脱出させる事件を起こして逮捕されました。この事件では不起訴になりましたが、それまで秘密にしていた革命ごっこが家族に知られることになり、母親から「警察官を憎んではいけない。彼らはお前よりも条件が悪い、貧しい育ちの青年が多い、その人たちを敵だと思ってはいけない」と諭されましたが聞く耳は持ち合わせていなかったようです。
この日、デモ隊の先頭に立っていた樺うんは警察隊が阻止のために手で支えていた鉄製の柵と押し寄せるデモ隊の間で転倒して踏み殺されたのですが、デモ隊側の一方的な発表とマスコミの報道では当初、警察隊(当時は専門の機動隊ではなかった)によって撲殺されたことにされていました。ところがニュース映像(野僧は某県警の警備課・機動隊で見せてもらいました)によって警察隊は柵の内側での防御に徹しており、押し寄せるデモ隊によって先頭が将棋倒しに転倒し、それを足蹴にしている様子が明らかになったことで虚構は消滅したのです。それでもマスコミは樺うんが全学連でも指導的に立場の活動家だったことは一切説明せず、単に「女子大生」とだけ報道して本来は自業自得に過ぎない死を反戦平和運動弾圧の犠牲者であるかのように演出し、現在も一部の言論人は継続しています。
  1. 2019/06/14(金) 11:44:16|
  2. 日記(暦)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

振り向けばイエスタディ1584

考えあぐねた淳之介は父に相談することにした。世間一般では父親が自分の趣味を押しつけるため息子からこのような相談を持ち掛けることは少ないが、この父子は不可解な距離感を保っているので心配はいらない。
「はい、お祖父ちゃんだよ」今夜も残業していることを前提に携帯電話にかけると父は非常に軽く出た。確かに恵祥の話題になるのは間違いないが、息子からの電話で「お祖父ちゃん」と名乗られても返事に困ってしまう。
「今日も恵祥は元気にスクスク育っているんだな。あかりは健康にお母さん、梢も素敵なお祖母ちゃんになっている、と言う報告をしろ」この調子では今夜は自宅に帰っているらしい。淳之介は軽く溜息をつくと携帯電話を握り直した。
「お父さんが言う通り恵祥は元気にスクスク育っているみたいだよ。あかりは健康を回復してお祖母ちゃんと曾祖母ちゃんから子育ての教育を受けているんだけど、恵祥の泣き方で腹が空いたのかオムツが濡れたのかを聞き分けてお祖母ちゃんと曾祖母ちゃんを感心させてるんだって」恵祥はまだ生後10日だ。そんな新生児の泣き声で感情を聞き分けられるのはあかりの超人的な聴力よりも母子の結びつきが特別に強固だからかも知れない。
「それで終わりか。ワシは暇だぞ」父の口からこの台詞を聞いて淳之介は少し安心した。父は7月1日付の誕生日で50歳になり、生活習慣によらない糖尿病を発症していることは義母から聞いている。その割に仕事は相変わらず手抜きを知らぬ全力投球なので離れて暮らす息子としてはそれなりに心配していた。
「俺も暇だから少し相談に乗って頂戴」早い話が暇な者同士の雑談の始まりだ。今度は電話の向こうで父が携帯電話を握り直した音が聞こえた。
「お父さんは俺が子供の頃、音楽を習わせなかったけど才能がないと思ったの」相談は唐突に厳しい追及になった。それでも父は電話口で苦笑すると平然と答えた。
「才能と言うよりも興味がなさそうだったんだな。ワシはピアノを買ってもらえずに止めさせられたから転属が多い自衛官の子供にピアノは駄目だと思ったんだ。それでもバイオリンて言う選択肢もあったんだが、小さい頃からクラシックを聴かせても全く興味を示さないから強制するのは控えたんだよ。ギターは高校に入って仲間から習えば良いだろう」やはり父の発想は普通の親とは次元が違う。この人物の妻は義母と母のような逸材にしか勤まらないはずだ。
「お父さんも高校時代にギターを弾いてたの」「ワシは指先が不器用だから手を出さなかった。その代わりにオカリナを吹いていたな。ところが家で練習をしていると父親に怒られるから学校でやっていたら女子から『暗い』と言われて止めてしまったんだ」父の青春時代の思い出は常に親からの抑圧によって結末を迎えるようだ。
「それでお父さんはピアノをやっていたことは何か役に立ってるの」「クラシックが好きと言うのは幹部自衛官としては高尚な趣味にしてもらえるかな。もう1つ、パソコンを打つ速度が異常に早いのは子供の頃から鍵盤を指で弾く練習をしてきた成果だろう」淳之介も父が自宅でワープロ(当時)を打っているのを見たことがあるが、会話の内容をメモとして同時進行で入力していた。ピアノがそんなところに役立っているのは意外で面白い。
「折角、時間ができたんだから俺も何か楽器を始めたいんだけど。恵祥に聴かせて情操教育にしたいんだよ」唐突に専門用語が飛び出した。自分の子供が生まれる時、出産と育児の勉強に励んでいた父の息子もそれを踏襲していることが判った。
「ワシは沖縄で勤務している時には蛇三線(さんしん)とエイサー太鼓を習いたかったな」「ウチの職場にも社長以下、蛇三線の先生は揃ってるけど趣味まで習うと公私ともに頭が上がらなくなるから嫌なんだ」淳之介の意外な本音は父に社会人になっていることを再認識させた。
「梢と一緒に海岸で夕陽を眺めている時、『ウクレレが弾けばハワイの気分だなァ』と思ったもんだ。沖縄には似合う楽器じゃあないかな」「ウクレレかァ。俺たちの結婚式でもプロの歌手が弾いてたよね」ハワイで催した淳之介とあかりの結婚式では地元の歌手がウクレレを弾きながら「カノホノ・ピリ・カイ」と言うハワイの自然を讃歌するハワイアンを唄った。その曲が「涙そうそう」と瓜二つだったので来賓として出席していた社長が蛇三線を弾きながら合唱して大いに盛り上がった。意外に共鳴し合える音色のようだ。
「それじゃあ東京でウクレレを買って送ってよ。練習するための本やDVDもよろしく」「お前も石垣市内にウクレレ教室がないか探せよ」息子の厚かましいお願いを黙って請け負うような父ではない。趣味として始めるのなら独学ではすまさないように指導を加えてきた。
すると石垣市内にもサークルや教室が幾つもあった。やはり沖縄に似合う楽器なのだ。
  1. 2019/06/14(金) 11:43:06|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
次のページ