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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

12月1日・米英中によるカイロ会談の合意事項が発表された。

1943年の11月22日から26日にエジプトのカイロでアメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領、イギリスのウィンストン・チャーチル首相、中華民国の蒋介石総統が会談し、11月28日から12月1日にはイギリス領だったテヘランで日ソ不可侵条約があったため秘密裏にソ連のヨシフ・スターリン書記長との米英ソ3者会談が行われて、
明日12月1日にカイロでの合意事項が発表されました。
この合意事項が後のポツダム宣言の基礎になっていることからカイロ宣言とする見解もありますが、当事国である台湾は参加した首脳が署名しておらず、公式文書としての発行日付や番号も付与されていないため単なる声明文としています。
合意事項としては「3大国は陸海空路から敵国に仮借なき弾圧を加える決意を表明した。その弾圧はすでに増大しつつある」「3大国は日本国の侵略を制止し、罰するために戦争を為しつつある。この同盟国は自己の利益を追求せず、領土への野心も有さない」「この同盟国の目的は1914年の第1次世界大戦以降に日本国が奪取、占領した太平洋の一切の島を剥奪し、満州・台湾・澎湖島などの日本国が清国から盗み取った一切の地域を中華民国に返還させることにある」「日本国が暴力と貪欲によって略取した他の一切の地域から駆逐し、朝鮮人の奴隷状態に留意して自由に独立させることを決意する」の4項目です。
この合意事項と読み比べるべきは日本=東條英機内閣がアメリカ側からの最後通牒と受け取って対米戦争を決定したハル・ノートです。
ハル・ノートはアメリカのルーズベルト政権のコーデル・ハル国務長官が野村吉三郎駐米大使との外交交渉の中で提示・妥結した日米諒解案の覚書で「日米両国は互いが太平洋の強国であることを承認し、共同の努力によって太平洋の平和を樹立し、友好的諒解を達成する」「欧州戦争に対しては日本の3国同盟を欧州における戦争の拡大を阻止することを目的として、軍事上の義務はドイツが現時点で交戦状態にない国からの攻撃を受けた場合に限定することを声明する。アメリカは自国の福祉と安全のみに専念する」「日中戦争については日本が中国の独立を尊重し、日中間の協定により『日本軍が中国から撤退』し、中国の領土の併合を断念し、賠償請求権を相互に放棄し、中国の門戸開放方針を復活させ、蒋介石と王兆銘両政権を合流させ、中国への日本人の大規模移民を自制し、米中が満州国を承認するとの条件を日本側が承諾した時にアメリカ大統領が蒋介石総統に和平を勧告する」「太平洋平和維持のため相互に脅威となる海空戦力を配備せず、日本はアメリカの希望により船舶を太平洋航路に就役させる。会談妥結後、両国は艦隊を相互派遣して平和を祝賀する」「両国間の通商確保、日米通商航海条約の復活」「日本の南西太平洋における発展は武力に訴えず、平和的に行われるとの保障の下、アメリカは資源開発に協力する」「太平洋の政治的安定のため日米両国は欧州諸国の進出を容認せず、両国はフィリピンの独立を保障し、日本人移民は他国民と同等無差別の処遇を受ける」の7項目でした。
どう考えてもハル・ノートを受け入れた方が国益に適ったのですが、東條英機大将が総理大臣では「中国からの撤退」の1節だけで交渉決裂するしかなかったのでしょう。
  1. 2019/11/30(土) 12:42:44|
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振り向けばイエスタディ1750

「法務官室のモリヤ2佐だけど」入室した回数は片手にもならない防衛部に入ると「戦闘員」と言う雰囲気を全身から発散する陸上自衛官たちが一斉に顔を向けた。私自身も普通科の幹部なので威圧はされないが、今では迷彩服が似合わない弁護士兼業の法務幹部だ。
「幕長もお待ちです。どうぞ」防衛部の総務担当の2佐が柔和な笑顔で声をかけたが発声と口調はどこか号令的だ。それにしても幕僚長も同席するとなるとイヨイヨ大事(おおごと)だ。私は2佐に黙礼すると平常心を保つための念佛を唱えながら部長室のドアをノックした。
「法務官室のモリヤ2佐です。入ります」「うん、入れ」返事は陸上幕僚長だった。8月末に就任したばかりなので訓示などで声は覚えている。通常、上級者が同席していても部屋の主が答えるものだが、今回は幕僚長が主客で防衛部長は場所を提供しただけなのかも知れない。
「モリヤ2佐とは災害派遣の巡回法律相談で会って以来だな」「はい、その節はお世話になりました」あの時、幕僚長は東北方面総監だったので陸上幕僚監部から派遣された私の方がお世話をしたのだが余計な分析は止めておく。そこに女性事務官が私のコーヒーを運んできた。岡田事務官なら容姿と作法に遜色はないが二村事務官では雲泥の差だ。この人選の格差は防衛部長と法務官では来客の重要度が違うと言うことなのだろう。
「ところで君に訊きたいことがあるんだ」前置きとして訊かれたイージス艦と漁船の衝突事故の裁判の現状の説明に区切りがついたところで防衛部長が切り出した。
「モリヤ2佐は岡倉信一郎と幹候校の同期だったな」唐突に懐かしい名前が出た。確かに岡倉は前川原の同期の中でも親しかった友人だが所在不明になって以降、同期会名簿からも削除され、存在したことが抹消されたような扱いになっている。
「はい、間違いありません」私は答えて良いのかに迷いながらも率直に肯定した。すると防衛部長は表情を変えずに話を続けた。
「守山では松山千秋の中隊長だったな」今度は守山の第35普通科連隊の中隊長の時に配属されてきた松山3尉だ。こちらは災害派遣の時に再会を果たしているが名寄の第3普通科連隊で中隊長をしているはずだ。それにしてもこの2人がどう結びつくのかに全く思考が及ばない。私が困惑した顔をしていると幕僚長が少し身を乗り出して口を開いた。
「この2人の人物評を訊きたい。私見で良いから率直な評価を聞かせてくれ」「しかし、岡倉とは幹候校を卒業して以来、会っていませんし、松山3佐とも守山での2年だけですから責任ある回答はしかねます」私が張った予防線に幕僚長と防衛部長は顔を見合わせて苦笑した。
「勿論、当時の印象だけで良い。岡倉はどんな人間だったね」「探究心が旺盛で私と対等に議論できる数少ない好敵手でした」本当は佳織と結婚するまでの戦略を策定した軍師でもあるが、個人情報に属するので触れなかった。
「幹部としてはどう評価していた」「指揮官としては右に向かうと決めて部隊が変進した後も何度も振り返って左の道を確認するようなところがありましたからトップよりもスタッフ・タイプだと思っていました・・・惜しい人材でした」本来は禁句である最後の補足にも幕僚長と防衛部長は何故か苦笑した。
「松山についても同様の質問だ」「彼はW稲田大学政治経済学部出身だけに戦闘員よりも軍政家として活躍させるべき大器です。だから駐屯地司令になって行政官として辣腕を揮うのを楽しみにしていたんですが、上司の狭量に潰されたようです」これは私自身も言われていることだが、司法試験に合格したおかげで分不相応な2佐になっている。一方、松山3佐は名寄の前は青森の第5普通科連隊の所属だったので東北方面総監時代の幕僚長に仕えたのかも知れない。つまり人事的な不遇への批判は幕僚長にも及ぶことになるが、眼鏡を掛けた知性的な顔を曇らせただけで怒りの色は見せなかった。
「そうなると岡倉と松山の組み合わせと言うのも面白そうだな。そんな部隊ができたらどうなる」ここで防衛部長が冗談めかして口を挟んだ。この設問は冗談としても無理があるが、気づかないで応じるのが自衛隊生活の知恵だ。
「岡倉は階級や期別などには拘らず相手の能力を上下の判断基準にする人間ですから、松山3佐のずば抜けた頭脳と強烈な探究心を目の当たりにすれば心酔するんじゃあないですか。下手すれば指揮官に担ぎ上げて自分は部下として能力を最大限に発揮するかも知れません」「そうか・・・我々は惜しい人材を埋もれさせているんだな」私の見解に防衛部長は我が意を得たりと満悦した顔になったが、幕僚長は沈んでしまった。
「この話は・・・」「はい、モリヤ2佐」最後は防衛部長が釘を刺す前に私が守秘義務を申告した。本当は佳織に聞かせたい話題だが、口封じに消されないためには忘れる方が賢明だろう(?)。
  1. 2019/11/30(土) 12:41:34|
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11月30日・アメリカでブレイディ法が発効した。

1993年の明日11月30日に合衆国憲法で国民が武器を所有する権利を明記しているアメリカで銃の販売を規制するブレイディ法が発効しました。
アメリカ合衆国憲法修正第2条では独立戦争の気分そのままに「規律ある民兵は自由な国家の安全のために必要だから、人民が武器を保有し、また携帯する権利は、これを侵してはならない」と規定しており、悲惨で凶悪な銃の乱射事件が何度発生しても国民から改定を求める声は起こりません。その理由としては合衆国憲法が目的としている国防よりも、広大な広野の一軒家に住んでいる国民が不審者に襲われてダイヤル991で警察に通報しても到着まで1時間かかる場所も珍しくないので武器を保有して自衛するしかないからです。したがって豊臣秀吉さんの刀狩り以降、武器を「人を殺める凶器」として忌み嫌うようになった大半の日本人とは違い(徴兵を経験していない戦後世代は特に)、一般的なアメリカ人は「運悪く銃の乱射に遭遇すれば犠牲になる前に避難して安全を確保した上で自衛のために武器を使用して犯人を制圧するべきだ」と言う感覚なのです。
そんなアメリカで銃の販売を規制するこの法律が成立した背景には1981年3月30日に発生したドナルド・レーガン大統領暗殺未遂事件がありました。テキサス工科大学の学生だった犯人は1976年に公開された映画「タクシードライバー」で12歳の売春婦を演じた女優に一方的な恋慕の情を抱き、その女優が大学に入学すると所在地に転居して自宅を探り当て、玄関に自作の詩を差し込んだり、電話を掛けて気を引こうとして失敗、そうなると同格の有名人になれば気が引けると思い込み、やがては大統領を暗殺しようと考えて当時のジミー・カーター大統領を狙うようになったのですが、行き先々をつけ回す間に警備陣にマークされて重火器の不法所持で逮捕されたのです。出獄後は精神衰弱の治療を受けたものの改善しないまま新たに就任したドナルド・レーガン大統領を新たな目標に選びました。そうしてワシントン市のヒルトン・ホテルで開催されるアメリカ労働総同盟の産業別組合会議で講演すること知るとホテルの外で待ち伏せてリボルバー式拳銃の弾丸6発を発射したのですが、専用車の車体での撥ね弾が大統領の左胸部に当たっただけでした。しかし、同行していたジェームズ・ブレイディ大統領報道官の頭部に命中し、警護の警察官とシークレットサービスの各1名にも軽傷を負わせたのです。
この事件で問題になったのは大統領暗殺を計画した逮捕歴があり、精神疾患の診断を受けた人間が無審査で銃を購入できたことで、銃器の販売店に注文から販売まで5日間の猶予を設け、購入者の身元確認と犯罪歴を警察に通報することを義務づけ、前科がある者や麻薬中毒者、精神病者、未成年への販売を禁じた大統領報道官の名を冠した法律が提案されました。結局、絶大な政治的影響力を持つ全米ライフル協会の反対で審議は異常に長引き、当事者だったレーガン政権ではなく銃規制に積極的な民主党のビル・クリントン政権が5年の期限つきで成立させたのです。しかし、共和党の2代目ジョージ・ブッシュ政権の時に継続が否決され、1回だけで失効してしまいました。現在は幾つかの州が州法で銃を規制していますが国家としては合衆国憲法を揺るがすつもりはないようです。
  1. 2019/11/29(金) 13:09:54|
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振り向けばイエスタディ1749

岡田恵子事務官が退官して1ヶ月、陸上幕僚監部法務官事務室の機能回復は思うに任せない状況が続いている。曹長の定年配置への移動も具体化してきたが二村由美事務官が女性同士の噂話で漏らしたため受け入れ部隊の陸曹たちから幕内各部課に問い合わせが入るようになってしまった。通常の陸曹の移動は交換トレードが基本だが、陸上幕僚監部については全国区からの選抜なので事前に情報が漏れると妙な波紋が起こりかねず厳に戒めなければならない。私は曹長が怒りの炎を噴き上げる前に二村事務官を指導することにした。
「二村事務官、少し好いですか」曹長が幕内の先任陸曹会同、1曹が補給係としての業務で席を外した時、近頃では珍しいほど手際悪くパソコンを打っている二村事務官に声を掛けた。それを見て「長年、郵政係として郵便物の受付と発送だけを仕事にしてきたことが原因」であり、「公務災害のようなものだ」と考えてしまうのは弁護士的思考ではないか。
「仕事中です。後にして下さい・・・あッ、どこまで入力したか判らなくなっちゃった。モリヤ2佐のせいですよ」一応、私は上司なのだが完全に舐められているようだ。これが懐かしくはない防府南基地の班長連中なら「あまり舐めとると舐めさすぞ」と毒づくところだが二村事務官の美貌を見ると冗談でもそんな気にはならない。私は眼鏡越しにこちらを睨んでいる二村事務官を慈眼(じがん・慈悲で包むような目)で見返すと話を続けた。
「仕事が中断したなら丁度いい。業務上の指導をさせてもらいますよ」「今、再開しないと課業中に終わらないんです。ながらで打てるほどパソコンに慣れていないので黙っていて下さい」二村事務官には先ず「佛の顔も3度」と言う古語を教えるべきかも知れない。自衛隊には「賞賛する時は大勢の前で、叱責する時は当事者だけで」と言う指導方法の原則があるが、この場に曹長がいれば暴力事件になりかねない態度だ。しかし、何よりも問題なのは二村事務官には悪意や敵意は全くなく、至極当然と言う感覚でいることだ。おそらく課業時間中に担当している業務を完了することが自分の責任で、それ以外は暇があれば請け負う余技に過ぎず、逆に暇を作らなければ拒否できると考えているらしい。監理部総務課が二村事務官を郵政係にしたのはこのバブル育ちの人間性を見切ったからであり、法務官室に回したのが厄介払いだったとすればそれこそ舐められたものである。
「それでは独り言を呟くから気にしてくれ」この前置きには皮肉を込めているが反応はない。目の動きを見ているとキーの位置を確認しながら操作している。つまり初心者と言うことだ。
「二村事務官も陸幕で10年以上勤務してるんだから人事情報に関する注意事項については十分に理解しているはずだ。噂話で漏らすのにも段階がある。少なくとも内示が出るまでは口止めしてからためらいがちの断片情報にするのが常識だろう。ところが・・・」「邪魔ですから黙って下さい」私が顔を注視しながら語りかけていたため二村事務官はパソコンの画面を見たまま指導を拒否した。広めの眉間に縦じわが入ったのは判った。
平成に入って以降、マスコミは「ハラスメント(嫌がらせ)」なる外来の概念を無制限に拡散させている。その発端となったアメリカの「セクシャル・ハラスメント」は本来、上司が地位を利用して部下の女性に性的関係を強要した心理的強姦だったのだが、日本社会ではそのような悪質な上司が見つからなかったため部下の女性の被害者意識が反応したことに適用された。この調子では二村事務官も「パワハラ」なる新造語を使ってマスコミに持ち込みかねないが、私としては法廷闘争に持ち込んで「ハラスメント」が個人の感情に基づく一方的な指弾であり、違法行為には当たらないことを判例とするために利用したいくらいだ。
「何にしても曹長には迷惑を掛けたんだから丁寧に謝罪する必要がある。少なくとも20秒間、90度の敬礼をしなさい」「・・・うるッせェな」二村事務官は私の聴力が超人的であることを知らないらしく、小声のつもりで呟いた捨て台詞も聞こえてしまった。そんな暴言を聞いても腹が立たない私は印可を受けた活き佛なので顔は4度のようだ。
「モリヤ2佐、防衛部長のところへ行ってくれ」その時、法務官室から電話が鳴る音が聞こえ、短い会話が終わったところで法務官が顔を出して声を掛けた。その瞬間に顔を愛想笑いに急変した二村事務官の反射神経には感心してしまう。
「防衛部長のところですか・・・何か事故でもありましたかね」弁護士を副業とする法務幹部になってから私は陸上自衛隊と言う組織の活動に直接関わることはなくなっている。その元締めである防衛部長からの指名となれば重大な事故が発生して損害賠償や裁判が予想されることくらいしか思い当たらない。それでも法務官は同行しないようだ。
私は机に広げている法律関係の図書と資料を整理するとパソコンの電源を切って席を立ち、ドアの前に立っている法務官に敬礼して防衛部に向かった。
  1. 2019/11/29(金) 13:08:54|
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振り向けばイエスタディ1748

「貴方が旭川に来るのを楽しみにしてたけど・・・」最近、照子の電話の声は沈みがちだ。森田曹侯補士は旭川駐屯地の自動車訓練隊に入校したのだが、距離は近づいても時間は逆に遠のいてしまっている。名寄では外出許可権者である松山3佐の全面的支援を受け、土・日曜日の特別勤務で代休を取得すると照子の店の休業日に合わせて休暇日数を使わない「空」休暇証で外泊していた。ところが旭川での外出は照子の勤務日である土・日曜日の普通外出に限定され、好かったのはマンションを出発する時間が10時前になったことくらいだ。
「大特(大型特殊車両)の時は休暇だったからお前のアパート泊になったけど、今回は入校だから仕方ないよ」照子をなだめるように返事をしたが森田曹侯補士自身も欲求不満気味だ。森田曹侯補士は本部管理中隊の施設作業小隊で私的個人講習を受け、旭川市内の運転免許試験場で一発試験に臨んだが、2007年までは文字通り1日だけの一発だった試験が実技を中心に拡大されて1週間以上かかるようになっており(料金も7000円弱から40000円程度に)、そのおかげで夫婦生活の実技練習にもなったが、森田曹侯補士にとっての夫婦生活とは夜の営みが最重要科目だから今回の入校の欲求不満は切実なのだ。とは言え入校中の陸士が特別外出できるようになるはずがないので話題を前向きに変進した。
「明日はDコースの3番だから10時半頃に通過するよ」訓練隊には携帯電話は持ち込み禁止なので予定表で確認してきた路上教習のコースを知らせている。照子の店は交通量が多い中心地にあるのであまり路上教習のコースには入っていない。それでも教習生に市街地の通行を体験させる必要があるためDコースだけは通過する。明日はその貴重なコースだった。
「はい、待ってます」やはり照子の声が少し軽くなった。この連絡を受けると照子は店先に出て前の歩道に並べた植木鉢に水を撒いたり、ドアのガラスを拭いて待っている。昔は店先に雑誌の棚が置いてあって店員が数量の確認と整頓をしていたが、万引きが日常化している現代では窃盗犯を餌で誘っているようなものなのでどこの書店でも維持していない。
「そろそろね」照子は歩道の鉢植えに水を撒きながら前の道路の旭川駐屯地の方向を見た。通るのは向こう側の車線だがその分、運転席はこちら側になる。それでも教官が助手席から監視しているので視線を送ることもできない。照子は短期大学を卒業して旭川に戻り、市内の自動車学校で免許を取った時、あそこまで真剣に運転したかを思い出してみたが、教官は若い娘に教えるのを楽しんでいるようで途中の喫茶店に寄ったこともあった。
「あッ、来た来た」待ち人が乗った教習トラックは毎回、時計で測ったように同じ時間にやってくる。武骨に角ばった旧3トン半が妙に格好良く感じる。このトラックでデートに誘われれば喜んで乗ってしまうかも知れない。照子は歩道で森田曹侯補士から習った通りに直立不動の姿勢になるとジョウロを左手に持ち替えて右手を額に挙げた。今回も森田曹侯補士は無反応だったが右側の頬だけで笑ったような気がした。
入校中の外出は慌ただしい。休日は来店する客が多く、売り上げも多くなるので帰宅するのは遅くなり、そこで手作りの夕食を楽しめば時計は9時を回っている。いつもの喫茶店で待ち合わせて外食にしても壁時計の長針の1回りは違わない。今夜は外食だった。
「日没後は急に冷えるようになったわね」マンションのドアを開けると外気と大差がない冷たい空気に満ちていた。これからシャワーを浴びれば出発時間になるが、湯冷めしないように厚着させなければ心配だ。そんな気配りにも妻と母を実感して照子は幸せを噛み締め、編みかけのベストをセーターに変更するべきかと思案した。
「一緒にシャワーを浴びよう」。照子が家に置いてある下着とトレーナー、そしてバスタオルを脱衣場に持っていくと上半身裸になっていた森田曹侯補士が命令した。年下の男の子の命令にためらいながら視線を下げると股間は臨戦態勢になっていた。照子の胸に恥じらいと期待が湧き上って来た。森田曹侯補士の年齢不相応に熟練した性技は未開発だった照子の身心を年齢相応に成熟させ、女の官能を与えている。以前は直視できなかった猛々しい男性自身も愛おしい存在になっていた。照子は頬を染めながら黙ってうなずいた。
「風邪ひかないでね」「うん、次の土曜日は冬物を取りに名寄へ行ってくるよ」シャワー室で欲求不満を解消したところで森田曹侯補士は部隊に帰ることになった。照子も快感に溺れそうになったがシャワーなので顔が沈む湯船はない。それでも玄関で抱き締められると身体の中で炎が点り、上半身が熱くなった。
マンションの外に出ると森田曹侯補士は父から送ってもらった航空ジャンバーのチャックを上げて歩道を歩き始めた。寒くても背中を丸めないところが自衛官だ。
か・音無響子イメージ画像
  1. 2019/11/28(木) 13:12:46|
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振り向けばイエスタディ1747

秋になって森田曹侯補士は旭川駐屯地の自動車訓練隊で大型免許を取得している。普通免許証を持っているため学科は免除で1日2回の実技で教習段階は進行していく。気がつけばコースは路上になり、平原が枯れ野になって冬を待つ北北海道の秋の風景を眺めながら運転する毎日だ。ただし、北海道は針葉樹が多いため紅葉は公園や郊外の雑木林までいかないと楽しめない。
「4番、森田士長、車両点検異常なし」「よし、乗車」「お願いします」教習生は出発前、車両の周囲を目視点検して運転席の横で教官を待ち、歩いて来れば最高の動作で敬礼して報告しなければならない。陸士にとって大型運転免許の取得は入隊目的に等しい意味があり、その生殺与奪の権限を握っている教官は専制君主のような存在なのだ。
「前方よし、後方よし」ドアを開ける前には前後の安全を確認し、それを口でも呼称する。続いてドアの下の梯子に足をかけて上り、ドアを開けて乗り込む。その頃には教官は助手席に座ってこちらを見ている。運転に入る前から気を緩めることはできない。
「安全ベルトよし。バックミラーよし。キーよし。エンジン始動」1つ1つの動作を呼称しながら差しっ放しになっているキーでエンジンを始動する。教習車両は部隊では姿を見たことがない旧3トン半、73式3か2分の1トン大型トラックだ。このトラックの運転席は操縦席と助手席の間がエンジンを収納する突起で隔たれている。これは教習生にとって非常に有り難いことだった。かつての教習車両はOD色に塗装した日野レンジャーや三菱フソー、いすずエルフなどだったが、ベンチシートのため運転操作の失敗を繰り返す教習生に鉄拳が飛び、脇腹を蹴られることもあった。その点、この車両には防護壁が付いているようなものだ。ただし、指示棒にしては太い棍棒を携帯している教官もいる。
「前方よし、右よし、左よし、後方よし、発車」ギアをローに入れると呼称した後、クラッチを接続する。最近の民間のトラックはオート・マチック式が多いようだが旧73式の名称は採用された年度だ。森田曹侯補士はまだ生まれていない1973年=昭和48年当時はオート・マチック式は乗用車限定の少数派だったはずだ。
「こんな道路では路上教習の意味がないよな」教習所の外周を回って路上に出ると珍しく教官が雑談を始めた。今回のコースは旭川市街の外れにある駐屯地から郊外の農地を走るため午後の時間帯は交通量が少なく、貸し切り状態になる。
「いいえ、北海道では普通の道路ですから完熟する必要があります」今も長い直線道路に対向車は全く見えない。これではハンドルを固定してアクセルの調整をしているだけなので運転技量の向上になるとは思えないが、陸上自衛隊生活では批判・不満に同調することには気をつけなければならない。すると教官は森田曹侯補士の若い割に見事な建前を皮肉に笑いながら話を続けた。ガラス越しに午後の日差しを浴びて睡魔に襲われているのかも知れない。
「お前はオリンピック選手揃いの3普連でバイアスロンの期待の星だったそうじゃあないか」「はい、陸曹になれば冬戦教に入ってオリンピックを目指すつもりでした。前方に鹿3頭、注意」返事をしながらも前方の農地で刈った草を食べている鹿を確認して呼称した。
「確かに北海道では普通の道だな。対向車や歩行者じゃあなくて野生動物に対処する技量を磨くんだよ」教官がそう言った時、路肩にキタキツネが轢かれて死んでいた。
「若し、熊が出たらどうしますか」運転中、教習生から話しかけることは許されていないが、教習終了後にあらためて質問するような内容ではないため雑談の流れで呟いた。
「お前はオヤジ(=ヒグマ)に会ったことがあるのか」教官は森田曹侯補士の注意力が十分に働いていることを確認しているため質問に答えた。
「はい、演習では何度か見ましたが避難しましたから至近距離ではありません」「それなら俺と同じだ。炊き出ししてると臭いを嗅ぎつけてやってくるんだよな。森の中からガサガサ音が聞こえたら緊急避難だ」これで単なる体験談だが森田曹侯補士も同様の経験をしている。
「撥ね殺せば駆除になるが、手負いにすると危険度が倍増するから停車して立ち退くのを待つしかないな。それから小熊を殺すと親熊が怒り狂うからこちらの方が要注意だ」ヒグマの成獣は軽自動車並みの大きさがあり(東北のツノワグマはオートバイ、西日本なら原付程度)乗用車で撥ねても簡単には殺せない。トラックであっても致命傷にならなければ怪我の傷みに苦悶する手負い熊になるので猟銃で射殺するまで手が付けられなくなる。そのライフル弾でも頭蓋骨を貫通させることは至難の業と聞いている。アラスカのグリズリーと同種のヒグマは「世界最強の猛獣」と言われており、中世ヨーロッパでライオンや虎と対戦させても毛皮の強靭さと皮下脂肪の厚さで牙の噛みつきを撥ね退け、猫科の猛獣の引っ掻きとは別次元の前足の打撃と遜色がない顎の力で倒してしまったらしい。果たして広橋牧場にもオヤジは出没するのだろうか。
熊出没注意
  1. 2019/11/27(水) 13:09:28|
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11月27日・パラオ・ペリリュー島が占領された。

昭和19(1944)年の9月5日に南北9キロ、東西3キロのパラオ・ペリリュー島に上陸して以来、第14師団歩兵第2連隊長・中川州男(くにお)大佐を指揮官とする日本軍守備隊の頑強な抵抗に苦しめられていたアメリカ軍が11月24日の指揮官の自決と翌25日の万歳突撃による組織戦の終結で明日11月27日にようやく占領しました。
太平洋方面のアメリカ軍はハワイを起点に陸軍を主力とするマックアーサー大将の部隊がニューギニア方面からの南周りでフィリピンを攻略し、ニミッツ大将の海軍と海兵隊に陸軍航空軍団を加えた部隊がタラワ、マーシャル、トラックの太平洋諸島を西に向かって台湾を狙う2正面の対日戦略を進めていましたが、ニミッツ大将が担当する太平洋諸島では日本軍守備隊の「水際阻止」や「万歳突撃」などの自滅的戦術によって短時間での陥落が続き、パラオ諸島よりも先にグアム、サイパン、テニアンも奪取したためパラオの戦略的意義は大きく低下していたのですが、アメリカ軍内のバランス感覚と両大将の面子もあって必要性に乏しいこの作戦が発令されたのです。
一方、中川大佐は満州からパラオへ配置される前に大連でアメリカ軍の戦術を熟知しているため「マックアーサーの参謀」と仇名されていた堀栄三陸将補の「敵軍戦法早わかり」の講義を受けており、それまでの日本軍守備隊のように大陸での日露戦争式戦術をそのまま離島に持ち込むことはしませんでした。先ずは洞窟を利用して地下壕を島内に掘り巡らせ、珊瑚礁の岩盤を掘って堅牢な陣地を構築しただけでなく上陸に先立ってアメリカ軍が加えて来る激烈な艦砲射撃や空襲による破壊を偽装する通常の陣地も上乗せしました。
こうして上陸してきた第1海兵師団はガダルカナル戦を経験した精鋭でしたが、人員で6倍、火力で10数倍の圧倒的戦力格差と島の狭さ(沖縄県与那国島と同程度の面積)、さらに上陸前の徹底的な艦砲射撃と空襲の戦果を過信して油断しており、師団長自ら「4日で終わる」と豪語していた作戦が2ヵ月半の地獄になったのです。
最終的に日本軍は戦死者10695人、捕虜220人と34人が昭和22(1947)年4月22日になって投降したのに対してアメリカ軍の戦死者は2336人でも戦傷者が8450人と合計すれば犠牲が上回っており、硫黄島での惨劇の予告になりました。
パラオ諸島は第1次世界大戦後にドイツの植民地から日本の信託統治領になり、それまでの奴隷的酷使と搾取とは逆に島内の公共施設の建設と農業・漁業技術の普及、鉱山の開発などと並行して島民への教育による物心両面の近代化を推進していたのです。このため島民の日本人に対する敬愛の情は篤く、アメリカ軍の上陸が迫るとペリリュー島の陣地建設に参加していた島民の大半は武器を取って一緒に戦うことを志願したのですが、中川大佐は「卑しくも帝国軍人たる者がお前たちのような土人と一緒に戦うことができるか」と罵倒して全員を強制退去させました。島民たちは裏切られた気持ちで日本軍が手配した船に乗りましたが、島を離れていくと日本兵たちが海岸に集まり、手を振りながら「有り難う」「元気でな」と声を限りに叫び、中川大佐は直立不動で敬礼していたと言います。同じデザインの国旗を用いているパラオが世界有数の親日国なのは当然なのです(一部の文化人が否定しても)。
  1. 2019/11/26(火) 11:16:26|
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振り向けばイエスタディ1746

「貴方に訊かれた女性に関する目を覆いたくなるような画像がネットに流出しています」工藤から特命を受けて1週間が経過した頃、現地調査を依頼したジアエから連絡が入った。ジアエもアフガニスタンでタリバーンに射殺された韓国人牧師の無残な遺骸を見ており、陸軍の法務官として昨年3月16日のコルベット・天安の撃沈事件や同年11月23日の延坪島砲撃事件の調査にも参加しているはずだが、その陸軍少佐が目を背覆いたくなる画像とはどのようなものなのか。岡倉は早速、自宅のパソコンで教えられた題名を検索してみた。するとそれは韓国で変質的残虐趣味の人間が開設しているサイトだった。
「かつては美人キャスターとして名を売っていた売国的ジャーナリスト・安楷林の肉体を我が民族の怒りの炎が焼いた」血の色のハングル文字で記されている題名からして悪意に満ちている。早くも岡倉は嫌悪感を覚えたが、業務としてジアエに依頼して探させた以上、確認しない訳にはいかない。
「何だこれは・・・」1枚目は十字架が立った一見してキリスト教徒の墓地と思われる場所で、2枚目では真新しい墓石の蓋が外され、花が敷きつめられた棺の中に白いロング・ドレスを着せられた女性の遺骸が横たわっている。3枚目は死化粧を施された女性の顔のアップだ。その顔は間違いなくアン・ヘリムだった。ここまでであれば過激な暴露趣味の範疇に入れられないことはないが、その先は「正常な」を付けるまでもなく人間がやることではなかった。
「ここから先は閲覧注意」と言う注意書きに続く4枚目ではアン・ヘリムの遺骸は棺から引き出されて全裸になっている。5枚目からはアン・ヘリムの遺骸を視姦するように顔から乳房、ヘソ、そして陰毛や性器を大写しにしていく。乳房に手を伸ばして死後硬直を確認し、性器に指を刺し入れている面像もあり、そこには人間の尊厳などは微塵も存在しない。この画像を見て欲情を覚える人間がいるとすれば精神鑑定の対象になるはずだ。
「この女は日帝が我が民族に加えた侮辱と搾取を弁護する主張を繰り返してきた。この肉体を商売の道具として多くの男に与え、見返りに言論人としての地位を獲得したのだろう」ここで遺骸を晒されたアン・ヘリムを糾弾するハングル文字が並んだ。要するにこのサイトを運営している韓国人は「自分の行為は民族愛に基づく正当な権利の行使だ」と言いたいらしい。
かつては杉本も愛したはずのアン・ヘリムに対する残忍な仕打ちに耐えられなくなった岡倉が次の画像に進むと赤い画面に浮き上がる黄抜きの文字で再び前置きが記されていた。
「我が民族の怒りは日帝の妓生(キーセン=娼婦)の遺骸に刻まれた」流石の岡倉も限界に達しているが業務として感情を殺し、マウスを操作して画像に移った。すると遺骸が足で横転させられて背中を晒していた。その画像も尻からの撮影で性的刺激を演出している。
「これは酷いな」アン・ヘリムの後頭部から背中、臀部にかけてはガス爆発の火炎と熱風で焼け焦げており、一部は背骨が露出していた。おそらく爆発直後にスプリンクラーが作動したので台所の火災は寝室まで燃え広がらず、遺骸の損傷も背面だけに留まったようだ。これは杉本が自分に寄り添って眠る姿を再現するように寝かせたため台所に背中を向けた結果ではないか。
「ここまで焼けていれば体内に残っている血液も検査のサンプルには使えないな」正常な人間では性的刺激を受けるはずがない画像になり、かえって岡倉は冷静に分析できるようになった。体内の血液が固形化して検査のサンプルに使えなかったのなら杉本が自白剤を使用した事実が発覚しない可能性は高まる。それは同僚として安堵しても人間としては自ら否定したい感情だ。今は黙ってアン・ヘリムの冥福を祈るしかない。
「韓国で言う『指殺人』はこの手の連中が犯しているんだな」「指殺人」とは韓国で蔓延している標的が破滅するまで続ける執拗な書き込みのことだ。韓国社会では大手マスコミが事実の論証以上に反対意見の抹殺に躍起になっているため世論が賛否の両極端に偏向し、互いに罵倒するだけで話し合いによる相互理解などは発生しない。韓国のインターネット社会はそんな大手マスコミが隠蔽している事実を暴露することで市民権を得て、一般市民がかつての日本のマスコミが「社会の木鐸」と自画自賛していたような独善性で無責任な暴露や批判を繰り広げている。日本での「知る権利」が韓国では「知らせる権利」にもなっているのだ。
「何でここまで」岡倉はこの投稿者の人物像を探るため別の投稿も確認した。すると同じように墓所を暴き、若く美しい女性の遺骸に性行為を加える屍姦の画像まであった。日本のインターネットには呆れるほどレイプ動画は多いが、ここまで変質的な画像は見当たらない。
岡倉は明日、職場で調査結果として見せるためリムーバー・ディスクに保存するとジアエに返礼のメールを打った。あの生真面目なジアエが夫=岡倉からの依頼とは言えこのような変質的な画像を見なければならかった苦痛を想うと、感謝や慰労よりも先ず謝罪しなければならない。
藍とも子イメージ画像
  1. 2019/11/26(火) 11:14:27|
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野良猫としては究極の老後?爺さんの近況

20数年間も空き家だった小庵に天井裏の蝙蝠と土間の青大将と一緒に棲みついていながら、そこに坊主が乗り込んできたため追い払われた野良猫の群れの一匹だった爺さんですが、現在は至福の老後を過ごしているようです。
9月上旬に西日本に襲来して前後の長雨によって大規模な水害を発生させながら千葉県全域を停電に陥れた15号、同じく関東から東北を通過して甚大な災害をもたらした19号台風の影に隠れている台風13号の時、爺さんを庵内に避難させたのですが、始めは大人しく土間で眠っていたものの夜中に活動を開始して台所に置いてあった段ボール箱を引っ繰り返して中に敷いてあった新聞紙を使って寝床を作ってそこに寝ていました。翌日も台風の影響が大きかったためそのまま自作の寝床で2泊させたのですが翌々朝に外に出すまで我慢ができなかったようで、土間に尿と糞をしたため余波の強風は吹いていたものの雨が止んだところで段ボールの寝床を縁側の影に移動させ、そこが住居になってしまいました。
その後、急激に冷え込んだことを受けて段ボール箱を大型で深い物に交換して居住環境を改善し、さらに昨冬、与園子やニャン太郎と暮らしていた頃に使わせていた毛布を敷いて防寒対策を講じたのですが、哀しい思い出が甦るのか中で眠らなくなってしまったのです。それでも日に日に寒さが募り、縁側で昼寝しているところに掛けて体臭=加齢臭をつけたところ再び段ボール箱の中で眠るようになり、おまけに餌入れに顔だけを動かして食べる横着な生活態度まで覚えてしまいました。
そんな屋外の段ボール生活が辛くなってきたところに超意外な来訪者が現れたのです。特に冷え込みが厳しいある夜、「ニャ、ニャ、ニャ」と言う聞き覚えがある小刻みな鳴き声がしたため外を見ると爺さん柄の猫が段ボール箱から身体をはみ出させて餌を食べており、懐中電灯で照らして振り返った顔は若緒でした。一瞬、霊魂が帰って来たのかと思いましたが(寿来が下で寝ている時、天井裏で音子と話している声が聞こえることがある)、鳴き声から考えればニャン太郎でした。それからニャン太郎は夜にやってきて餌を食べた後は爺さんと一緒に眠り、朝の餌を食べるとどこかに出かけていくようになりました。夜にしか来ないため箱入り娘の寿来との対面は果たしていません。爺さんも寂しさが消えた穏やかな顔で昼間は陽の当たり方を選んで場所を変えながら日向ぼっこで過ごしています
問題は夜の冷え込みが厳しくない夜にはニャン太郎は一緒に泊まらないようなので気紛れにどこかへ行ってしまわないかです。でき得れば爺さんの余生に付き添って最期を看取ってもらいたいものです。
それにしても前回、姿を表したのは行方不明になって3ヶ月後、今回もそれから3ヶ月後です。ただし、前回に比べると痩せておらず飢えた様子はありません。一体、どこで過ごしているのやらと謎は深まります。仮に飼われているのなら飼い主さんは心配していることでしょう(首輪はしていない)。誠に申し訳ありません。
爺さん自作の住居・19・9・7自作の寝床=後に住居(新聞を丸めたのも爺さん)
  1. 2019/11/25(月) 13:05:33|
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振り向けばイエスタディ1745

ニューヨークに帰った杉本は工藤に安楷林(アン・ヘリム)を「処理」したことを報告した。今回の訪韓に当たってはジャーナリストとしての立場上、これまでのような協力が期待できなくなっている安楷林とは別れ、在韓アメリカ海軍の広報官であるクミコ・トミタ少佐に乗り換える予定を報告していた。それが予定の半分以下での早期帰国になったので工藤も理由は推察していた。おそらくトミタ少佐とは接触できなかったのではないか。
「安は私の身元調査を始めていたようです」「長いつき合いだから薄々は感じていたのだろうが、何か切っ掛けがあったのかね」工藤の質問は遠回しに杉本の失策を確認している。諜報要員が家族を持つには岡村のように事実は知らせなくても暗黙の了解を獲得して消極的協力者にするか、松本のように惚け通し、騙し抜いて無関係を維持するかを選択しなければならない。ところが杉本は安楷林を性欲と業務に利用しただけで人間としての配慮が欠落していたようだ。
「私がコルベット・天安を調査した時の資料を盗み読んだと自白しました。データの保管は厳重にしていたのですが、安のパソコンを使って入力したため何らかの手段で検索することに成功したのかも知れません」杉本の説明に工藤は苦い顔をして当番の本間が出したコーヒーを飲んだ。杉本は倉田の死後はこの職場でのコンピューター操作の第1人者であり、ジャーナリストとは言え素人にアクセスされるような保全処置はしていないはずだ。
「一度も聞かせたことがない私のアメリカでの名前を知っていたので自白剤を使用してそれを漏らした相手を確認しました」「それで漏洩先は」「念入りに尋問しましたが、漏洩した可能性は低いと判断して処理したんです。つまり事前の防護処置と言うことです」工藤は「念入りな尋問」に拷問が伴うことは承知している。それにしても杉本の説明は時折、言い訳に聞こえることがある。工藤はその点を最上位に立つ者としての器量不足と見ていた。
「即断即決は結構だが過剰処置だった可能性も否定できんな。彼女は著名人だから突然の死について詮索されることは十分に考えられる。彼女はクリスチャンではなかったかね」「はい、そうです」「だったら遺骸は火葬されないから、死因に対する疑惑が生ずれば薬物反応を調べられる惧れもある。ガス爆発の後の火災で遺骸がどの程度、焼けたのかを調べる必要はあるな」ここまで話して工藤は長机の端で本間と一緒に聴き耳を立てている岡倉の顔を見た。つまりこの仕事の担当は岡倉を指名したのだ。
「実は私としては希望を提案したいんです」杉本はしばらく黙りこんだ後、意を決したように工藤に向かって口を開いた。杉本の顔から目を離さないでいる工藤は黙ってうなずいた。
「韓国の情報については陸軍内に人脈を持つ杉村(岡倉の職場での偽名)で十分でしょう。私としては長年の希望を実現するためにも北への潜入を試みたいと考えています」「拉致被害者の所在確認だね」「今となっては生存確認が先になります」杉本は日本海側の中心都市の出身で近隣の町や対岸の島でもカップルや母娘の失踪事件が発生していた。地元の大学を卒業後に一般(部外)幹部候補生で入隊して北海道の特科連隊の幹部として勤務している頃から全国各地で頻発した日本人失踪事件が北朝鮮による拉致であるとの報道が始まり、強い関心を持って研究してきた。その後、地元を管轄する師団司令部に転属すると子供の頃から在日半島人の同級生から習ってきた半島語の語学力を買われて現在の職務に採用された。この時、勧誘に応じた動機は「拉致被害者の救出には自衛隊による強行奪還しかない」との確信とその前提作りに貢献できると言う希望があった。
「北朝鮮の鎖国は中国共産党によるチベット支配と大差がないはずだ。私としては倉田くんの二の舞を踏ませる訳にはいかないな」工藤は複雑な顔をして首を振った。この表情は「組織としては必要性を認めるが危険度を勘案すると賛成はできない」と言う判断を示している。
「逆にフリー・ジャーナリストとしての取材名目で入国して監視係を買収しながら人脈を構築していくべきではないですか」岡倉も倉田が遂げた非業の死は忘れておらず、杉本まであえて危険を冒すことには賛成できないようだ。
「それでも現在の中国共産党の身元調査は完璧ですから中国経由での入国は無理でしょう。それが可能なら私が先に潜入していますよ」本間の顔には中国担当者でありながら台湾からの上海国際博への観光ツアーで入国して以来、共産党本国への潜入を果たしていないことへの焦燥が浮かんでいる。実際、中国では郵便物の内容確認や電話の盗聴、さらにインターネットの監視に人民解放軍に徴兵した専門家を動員しており、入国審査では国内の担当者だけでなく在外中国人に身元調査を実施させているのだ。それは先進国のような抽出ではなく例外を作らない完全実施だからまさしく完璧な防諜・監視体制だ。
「あくまでも希望だな」工藤はこの件をまだ確定していない後任者へ引き継ぐことを決めた。
  1. 2019/11/25(月) 13:02:06|
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振り向けばイエスタディ1744

安楷林(アン・ヘリム)は首筋に注射されたのは殺害するための毒物だと思っていた。実際、意識は朦朧としてきたが、それは思考が鈍ってきただけでむしろ感覚は痛いほど鋭くなっている。「死」を待ちくたびれて目を開けると常夜灯の中、杉本が服を着てこちらを注視していた。
「そろそろ効いてきたな」杉本は安楷林の両目の下瞼(まぶた)を親指で開くと薄笑いを浮かべて呟いた。その声も遠くから響いてくるように聞こえる。
「殺してくれないの」「俺のことを誰に話した」安楷林の問いかけに杉本は鼻で笑い、枕元に座って見下ろした。この質問を投げかけて来たと言うことは注射されたのは自白剤だ。それが判っても思考が麻痺しているため条件反射で回答してしまう。
「まだ誰にも話していない。貴方が別れを切り出した時、外交部の知人に相談しようと思っていただけ・・・」通常の人間であれば自白剤を投与・注射されれば単純な説明しかできなくなるため簡単な質問と複雑な質問を繰り返しながら真実を探るのだが、流石はジャーナリストだけに最初から理路整然とした回答だ。
「本当かな。これならどうだ」視界の杉本が上半身を捻ると性器に堅い異物が差し込まれた感覚と同時に激痛が走った。杉本は台所から持ってきた棒状の道具を性器に挿入したようだ。
「ウ・・・」安楷林は絶叫しようとしたが口は体重をかけて手で押さえられた。自白剤を使用した尋問では肉体的苦痛から逃れるため隠していた事実を告白する場合もある。
「本当です。貴方が日軍の人間だと疑ったのは天安の事故の時の調査結果を盗み見した時です。確信が持てなかったから誰にも言えませんでした」安楷林の説明を聞きながら杉本は性器の中の棒を前後させる。性器の感覚は人間の本能に直結しているため残っている理性を破壊するのに効果的なのだ。それにしても杉本は長年にわたり愛人関係を続け、堪能してきた肉体を自白を引き出す拷問の材料としてだけ使っている。この切り替えは余りにも非情だ。
「どうやら嘘はついていないようだな。ご褒美に楽に殺してやろう。お前の身体は最高だったが、抱くのは止めておく。体液を残せば余計な物的証拠になりかねないからな」性器への拷問と乳房への愛撫を繰り返しながら尋問する間に自白剤の効果が進み、安楷林の目の焦点が合わなくなった。今回の試薬「真実の血清」の量を精密に設定することができなかったため過剰投与になったらしい。ナチス・ドイツが開発した自白剤「真実の血清」は主に茄子科の植物から抽出するアトロピンを含むベラドンナを原料として強力な中枢抑制作用を発揮する。ただし、使用量を誤ると大脳皮質が破壊されて廃人になるか、ショック死することもある。
杉本は未練ではなく薬物を業務で使用する者としての興味から安楷林の性感帯を刺激してみた。すると人間としての理性と知性をつかさどる大脳皮質が機能停止した安楷林にはインテリ女性としての面影はなく一匹の雌獣として悶え狂った。こうなれば未練などあるはずがない。
杉本はもう1度、首筋に今度は毒蛇・マンタから抽出した毒薬を注射した。すると1分経たずに痙攣を始め、呼吸が停止した。死因は心不全だ。
杉本は首筋に指を当てて脈がないことを確かめると知名度が高いジャーナリストである安楷林の死を事故にするための偽装工作を始めた。先ず安楷林との生活を思い出しながら抱く前に脱がした下着と掛けてあったネグリジェを着せる。次にまだ体温が残っている遺骸を寝相のように横たえて就寝中を偽装する。最後に寝乱れたように毛布をかければベッドの作業は完了する。
続いて台所に向かいガス・レンジに接続しているパイプに裂け目を入れた。ここは高級マンションだけにガス漏れや火災防止の安全装置も完備している。警報器の電源コードも爆風で千切れたように処置した。
「これで沸騰した湯で火が消えてガス漏れしたと言う寸法だ。電化製品のタイマーをセットしておくから作動時の電気信号で爆発するだろう。火災になれば完璧だが爆発だけでも司法解剖は無理だぞ」杉本は生前にしたように安楷林の遺骸に独り言で説明した。このマンションの監視カメラの位置と撮影方向は確認している。出入りする時にはカツラをかぶり、眼鏡をかけ、服装も普段とは違う物を着用し、冬場には腹に詰め物をして体形も変え、夏場は半袖から見える腕に韓国式彫り物のシールまで貼っている。その変装を整えれば逃げの一手だ。
杉本は昼前には仁川国際空港に到着し、韓国の司法当局の手が届かないように出国手続きを終えた。そんな安全地帯の搭乗待ちロビーでテレビを見ると昼のニュースをやっていた。
「今朝、ソウル特別市××区のマンションでガス爆発があり、火災が発生しましたが3時間ほどで沈下しました。現場から保守派ジャーナリストの安楷林さんの遺体が発見されました。なお、警察による検屍の結果、安さんは心臓発作による病死の模様です」アナウンサーの悲痛な顔の横に安楷林の顔写真が映った。しかし、特別な感情はない。むしろ一仕事を終えた安堵感から腹が減ってきた。考えてみれば緊急手配を警戒して朝食抜きで逃亡してきたのだ。
盖麗麗5イメージ画像
  1. 2019/11/24(日) 12:42:11|
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11月24日・今ならオリンピック担当大臣?大松博文監督の命日

1978年の明日11月24日に過酷で徹底的な練習によって日本女子バレーボール・チームを育て上げて東京オリンピックで金メダルを獲得し、自民党の勧誘で参議院議員に当選しながら1期で使い捨てられた大松(だいまつ)博文監督の命日です。57歳でした。
大松監督は大正10(1921)年に香川県でも丸亀市と坂出市に挟まれた海岸の町・宇多田町で生まれました。旧制中学校を卒業後、関西学院大学に進学して日本紡績(=ニチボー)に就職しますが昭和16(1941)年に招集されて陸軍士官となり、中国・ビルマ・ラボール(=ラバウル)を転戦します。中でもビルまでは牟田口廉也劣将が強行した「史上最悪の作戦」=インパール作戦に参加して往復とも生き地獄を味わいました。不幸中の幸いだったのは所属していた第31師団長の佐藤幸徳中将が牟田口司令部の無責任な作戦指導に見切りをつけて独断で撤退したため九死に一生を得たことです。この経験が後の厳しくも温かい指導者としての姿勢に影響を与えたと言われています。
敗戦によって帰国すると日本紡績に復職し、昭和29(1954)年からは日本紡績の各工場に分散して活躍していたバレー部員を貝塚工場に集中させて結成されたバレボール部・ニチボー貝塚の監督に就任しますが、陸軍式の鉄拳制裁(女性だけに顔ではなく尻)を含む過酷な練習でチームを強化したもののマスコミからは批判的な視点で報道されたため「鬼の大松」が代名詞になってしまったのです。それでもニチボー貝塚は昭和33(1958)年には全日本総合と全日本実業団、都市対抗、国民体育大会の4冠を達成し、昭和36(1961)年のヨーロッパ遠征では22戦に全勝して「東洋の魔女」の異名を捧げられ、昭和37(1962)年の世界選手権には単独チームで出場して優勝するなど名実ともに日本スポーツ界でも最高の名将と評されるようになりました。指導理念としては守備を重視して徹底的なレシーブの練習を繰り返し、やがては徒歩の移動では間に合わない場所への球に飛び込んで受けながら柔道の受け身式に体勢を立て直す回転レシーブを編み出しました。こうして東京オリンピックで優勝を果たすと著書はベストセラーになり、映画化もされたことでその名声は不動の物となりました。
この人気を自民党・佐藤栄作政権が見逃すはずはなく、昭和43(1973)年の参議院議員選挙に全国区から出馬して当選しますが、当時の行政機構にはスポーツ界出身者が活躍する役職はなく、当選回数の上下序列も現在以上に厳格だったため飼い殺しのように6年の任期を過ごしたようです。おまけに昭和49(1974)年の参議院選挙では全国区の序列を下げられたため落選の憂き目に遭いました。落選後はバレボール界に復帰して全国各地で講演や指導を行い、イトーヨーカドー・バレーボール部の創立に参加しますが、その直後に心筋梗塞で亡くなったのです。
大松監督の政界進出が現代であれば脳まで筋肉の元オリンピック選手が務めている役職で卓越した指導力を発揮したはずですが、スポーツ界にまで「パワハラ」「セクハラ」なる個人的な不満を被害者意識に置き換える忘恩の感情論が蔓延している現状ではマスコミによって誅殺される危険性も高いような気もします。
  1. 2019/11/23(土) 13:20:38|
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振り向けばイエスタディ1743

「今回は俺の荷物を片づけに来た」日本では首相が交代し、2年間の民主党政権でどん底にまで堕ちた国運が果たして挽回できるのかと国内外の日本人が注視している頃、杉本はソウルの内縁の妻・安楷林(アン・ヘリム)のマンションを訪れていた。元ニュース・キャスターで現在は保守系のフリー・ジャーナリストとして活動している安楷林との関係を断つつもりだ。
「そうね。私も日本人と関係を持っていることが世間に知れるとこの世界では生きていけなくなるから助かるわ」安楷林はクローゼットの引き出しから衣類が中心の荷物を出してカバンに積めている杉本の背後で平静な口調で同意した。韓国内の反日感情は大手マスコミと日本の朝日新聞の共謀によって激化の一途を辿っており、最近は朝日新聞が捏造した虚偽の史実の被害者を名乗る高齢者たちが損害賠償は日韓請求権協定によって認められないため精神的慰謝料を請求する民事訴訟を続発させている。発足直後から慢性的低支持率に悩む李明博政権は世論に迎合して反日を公然化しており、今ではマスコミも軍事政権下の報道統制以上に厳格な言論の自主規制を強いられている。安楷林は保守系の言論人であっても、むしろそれ故に反日を標榜せざるを得ず、杉本との愛人関係は危険過ぎるタブーなのだ。
「お前には色々と協力してもらったが、俺もアメリカ国内や国際情勢に関する情報を提供してきたからギブ・アンド・テイクと言うことで決済してくれ。肉体関係も互いに快楽を楽しんできたから貸し借り無しだな」杉本はイギリスの諜報部員から入手したナチス・ドイツが開発し、貴族階級の女性たちを肉欲に溺れさせた媚薬を用いて安楷林を自分の所有物にした。その後も関係を持つ度に使用して効果を継続してきた。薬物の効果と杉本の卓越した性技による快楽に理性を忘れて肉欲に溺れてきたこのインテリ女性が果たして立ち直ることができるのか。個人的には今後の影響に興味がある。しかし、今夜は打ち止めを果たさなければならない。
「これで荷造りは終わりだ。何か見つけたら捨ててもらって良い。勿論、次の男に譲っても文句はないよ」衣類と韓国国内の政治や軍事の雑誌、報道番組を録画したDVDなどをカバンに詰め終わると杉本は両手を伸ばして腕組みして立っている安楷林の頬を挟んだ。
「愛している・・・」「あの日もそう言って私を落としたのよね」唇を重ねる前に安楷林が呟いた。在米の日系人向けの雑誌・ウィクリー・ジャパンの記者の肩書で人気キャスターだった安楷林にインタビューを申し込んだのは江陵浸透事件の時だった。江陵浸透事件とは1996年9月18日に江原道江陵で座礁している北朝鮮の潜水艇が発見され、潜入した工作員の捕獲・掃討のため11月7日まで韓国軍が出動した一連の軍事行動だ。
インタビューの席で杉本は朴正熙、全斗煥、盧泰愚の3代にわたった軍事政権を否定する世論によって成立した金泳三政権が北朝鮮の敵対行動にどこまで真剣に対応するのか報道する立場で感じている所見を訊いた。この時、杉本は「この事件は金泳三政権が北朝鮮との融和を主張してアメリカの意向を受けて敵対行動を先鋭化する軍事政権を批判してきたことへの踏み絵ではないか」との見解を力説・強弁して関心を持った安楷林をホテルの夕食に誘った。そこで巧妙に内服用媚薬を飲ませて自室に誘い込み、コンドームに塗った精神剤で完全に籠絡した。その時にも長年のファンとしての片想いを告白するように「愛している」と口にしていた。
「うん、その想いは変わらないよ」杉本は安楷林の冷めた視線を額に感じながら唇を塞ぎ、舌を差し入れた。手は肩を撫でながら胸元に下がり、乳房を掴む。この豊かな弾力も今夜が揉み収めだ。手を乳房から腰に往復させながら背中のチャックを下し、部屋の灯りを消してから抱き上げてベッドに運ぶ。この手順にも熟練している。ムードを演出しながら服と下着を脱がして全裸にするとカーテン越しの街の灯りと枕元の常夜灯で照らし出された安楷林の肉体に15年の歳月による衰えを感じた。あの頃は仰向けにしても高く盛り上がっていた乳房が重みで左右に分かれ、腹部から腰にもわずかな弛みがある。陰部の毛も濃く固くなったようだ。
杉本はこれまでの謝礼としてこの女に最後の快楽を与えることを決めた。今夜は避妊具を装着しない。もう一度、念入りな口づけをすると唇と舌を熟知している性感帯に這わしていく。しかし、安楷林の反応がいつもとは違うように感じた。それを殺意と察したところで杉本は行為を止め、胸の上に座って膝で両腕を押さえた。
「どうしたの杉本」安楷林は杉本の本名を呼んだ。韓国では在日韓国人の金田で通している。日系人向けの雑誌の記者をしているのは在米韓国人にも購読させるためだと説明していた。
「貴方が日軍(自衛隊)の諜報活動に私を利用していることは判っているのよ。今は我が国の防諜機関は機能停止しているから表沙汰にはできないけど外交当局に引き渡すつもりだった。でもプロの勘には勝てなかったみたいね」そう言って安楷林は笑みを浮かべて目を閉じた。杉本は必ず手が届くところに置いている注射器を取ると首筋に注射した。
  1. 2019/11/23(土) 13:19:20|
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11月23日・牡蠣の日

11月23日は「牡蠣の日」です。牡蠣フライが数少ない大好物の野僧としては十数年ぶりに食べてみたいところですが(その前に牡蠣の供養を勤めて)、実にクダラナイ由来を知って煩悩は終息しました。
11月23日は語呂合わせで「好い夫婦の日」ですが、その他に神道では全国で搾取した農作物が朝廷に届いたことを祝す新嘗祭であり、これを敗戦後に宗教色抜きの祝日にした「勤労感謝の日」です。「牡蠣の日」はその趣旨の「勤労を尊び、生産を祝し、国民互いに感謝し合う」に対して「栄養価が高い牡蠣を食べて疲労を回復してもらおう」と全国漁業協同組合連合会が2004年に制定した早い話が「勤労感謝の日」への便乗です。
その論理でいけば「牡蠣を食べて大人の身体を作れ」と1月第2月曜日の「成人の日」や「牡蠣を食べて元気に育て」と5月5日の「子供の日」、さらに「牡蠣を食べて長生きして下さい」と9月29日の「敬老の日」でも良くなりますが、12月から鍋の季節になって消費量が急増するためその前祝いとしての意味もあるようです。
牡蠣の調理方法には意外な歴史があります。日本では京都や主要都市が内陸だったため高い栄養価と引き換えに腐敗が早い牡蠣の生食いは海岸に近い地域の特権になっており、腐敗防止の酢締めや鍋物などの加熱した料理が発達しました。一方、欧米では漁師から買ってその場で食べる生食いが一般的で、月の呼称に「R」がつかないメイ=5月、ジュン=6月、ジュライ=7月、オウガスト=8月は産卵期に当たり、精巣と卵巣が肥大化して食用に適さなくなるため避ける習慣が発生したのです。したがって日本で牡蠣の生食いが普及したのは明治以降で外国人から生食いを学んだ数少ない食材なのです(日本では生の野菜の料理を意味するサラダも欧米では軽く加熱することが意外に多い)。
野僧はフリャー(=フライ)好きの愛知県生まれのため子供の頃から海老フリャーと牡蠣フリャーをお祝の御馳走として育ちました(トンカツは別格の贅沢品だった)。ところが野僧が赴任した頃の沖縄では牡蠣を食べる習慣がなく、亡き妻を居酒屋「養老の滝」に連れて行って食べさせたところ味には感激したものの噛み切った断面を見て「気持ち悪い」と言い出して困惑したことがあります。それでも店員に作り方を訊いてダイエー那覇店で材料を買って作ってくれましたが、珍しく1個をそのまま口に入れていました。
都市部では現在も「牡蠣は広島の名産だ」と言っていますが、下関市の海栗(ウニ)の瓶詰が濃い味付けで素材の味が全く判らないのと同様に東北の外洋に面した湾で育った牡蠣に比べれば臭みが強く、不純物の味がします。ただし、あの究極に美味な牡蠣をフリャーにしてしまうのは勿体ない。そこが悩ましいところです。
  1. 2019/11/22(金) 13:18:56|
  2. 日記(暦)
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振り向けばイエスタディ1742(一部、実話です)

「平井堅の家ってどこにあるの」中村家に一泊した翌朝、台所では朝食の支度をしながら母子の会話が弾んでいた。松山1尉と義父になることが決まった中村曹長は寝床で大鼾をかいている。男性陣は昨夜、蕗ヶ丘にある中村家行きつけの寿司登美で水戸黄門=東野英治郎に瓜二つの大将を審判にして陸自VS空自の酒呑み対決をやっていた。母子も迎えに行ってそのまま合流したが母は運転するため酒は口にせず、中村3曹は聞き役に徹していた。
「平井堅のことなら久保井さんに訊けば何でも判るよ。有名な追っかけファンなんだから」「久保井さんってウチとは逆に男3人兄弟の家よね。みんな優秀だったけど今はどんなになったのかな」久保井家は碁盤の目の分譲地で言えば1本奥の列にあり、親が建てた家の隣りに娘夫婦も家を建てて別棟の同居をしている。
「9時になったら電話で訊いてあげるから待っていなさい。それとも松山さんを披露してくる」中村3曹は久保井夫婦を知っているが、どちらも美男美女なので当然、子供たちも美少年だった。中村3曹としては同じ町内会と言う程度のつき合いなので母に電話を頼むことにした。
「あった。表札に平井って書いてある」「平井堅って本名なんだ」朝昼兼用になった食事を終えると父は酒気帯び運転を心配して駅まで送ることは辞退し、呼んだタクシーで桔梗が丘の住宅街でも外れにある平井堅の自宅に向かった。運転手は番地を言っただけで「平井堅の自宅ですね」と答えたので訪ねて来るファンは多いようだ。
「立派な家だね」平井家は桔梗が丘でも低い丘陵からの坂道と街並みを通る道路が交差する場所にある。周囲の住宅は鉄製のフェンスが多いが、平井家は全周をコンクリート製の塀が囲っており、門から見える建物や手入れが行き届いた庭と共に独得の高級感がある。表通り側の塀の下にはプランターが並べられていて色とりどりの花が咲き競っていた。
すると門から老女が出てきて家を覗いている2人に笑顔を浮かべて会釈した。手にはジョウロと柄杓を入れたバケツを提げており、手前のプランターから水を注ぎ始めた。
「あれは平井堅のお祖母さんだよ。そっくりじゃあない」「本当だ。あんなに濃い顔をしたお婆さんは他にいないぞ」一部には183センチの長身と日本人離れした顔立ちから「平井堅はハーフではないか」とする噂があるが、この祖母と思われる老女は共通する面立ちでも日本女性に間違いない。つまり父親が祖母似でそれが濃厚に進化したと言うことになる。
「久保井さんがお姉さんはお母さん似で純和風美人でもお兄さんは堅さんにソックリだって言ってたから、そんな血統なんだね」「確かに英語の発音はネイティブじゃあないからハーフとは思えんな」ここでも松山1尉は昔の男性的な悪態をつく。そう言う松山1尉は外国留学の経験はなく、外国語は学内で留学生から習ったようだ。それでも東京6大学の雄・W稲田大学だけにアジアやアメリカだけでなくヨーロッパや中南米、アフリカなど世界各国から留学してきているため政治経済学部でありながら日常会話なら十カ国語以上をこなせるらしい。それを「単なる趣味だ」と謙遜するところも父に似て昔の男性的で可愛い。
航空自衛隊は陸上自衛隊ほど階級尊重の意識が強くないので昨夜の寿司登美での討論も完全な無礼講になっており、陸上自衛隊の宴席では考えられない光景だった。
父は「福島県の大滝根山分屯基地の第27警戒群に帰りたくて航空自衛隊でも警戒管制員になったが、小牧基地の第5術科学校に入校中に名古屋に遊びに来ていた母と知り合ったため笠取山分屯基地を希望した」と妙に熱弁を揮っていた。これは「将来は久居に来ること」を期待する気持の表明だったのだろう。それに松山1尉は「間もなく母が死ねば孤児(みなしご)になるから定住先は2人で決める」と答えた。
そんな噛み合わない酔っ払いの対話を聞きながら中村3曹は何故かケンズバーのオープニング曲だった「even if」を思い出していた。あの歌で描かれている女性は別の男性との関係をアカラサマにすることで嫉妬させて楽しんでいたが、2人には別の男女は介在しない。それでもまだ理解し切れていない松山1尉の人格に対する一片の不安が中村3曹の胸に胸によぎり、この歌を思い出させたのかも知れない。
「もう雪うさぎの番組が始まってるわよ」官舎に帰り、夕食の支度をしている松山裕美2曹は台所のテーブルで娘に宿題を教えている松山千秋3佐に声をかけた。松山3佐は娘に「少し休憩」と言ってサイドテーブルの上に置いてあるCDステレオの電源を入れた。
「次は旭川市のラジオ・ネーム、雪とけ太さんのリクエストで平井堅の2004年の大ヒット曲『瞳を閉じて』をお送りします」「これも言葉を間違えてるんだよな。閉じるのは瞼(まぶた)であって瞳孔は閉じようがないじゃないか」この夫の趣味と悪癖は相変らずだった。
「はい、歌が始まります。講義は後から聞きます」それでも妻のアシライは格段に向上していた。
  1. 2019/11/22(金) 13:17:32|
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振り向けばイエスタディ1741

松山1尉は中隊長として演習と冬期の体育訓練、さらに年度末の報告や計画の策定、人事異動の調整などで多忙な時期に合間を見つけて2人で桑名の松山家と名張の中村家を訪ねた。松山家は桑名名産の鋳物と萬古焼きの卸売会社を営んでいた父は松山1尉が大学時代に癌で病没しており、母も病気がちで墓参と見舞いだった。
土産は虎屋の「ういろ」だ。「外郎(ういろう)」を元祖(実際は小田原)と言い張っている山口県人を除く他の地域の人間はキオスクや車内で売っている青柳と大須の「ういろう」を名古屋の銘菓だと思っているが、意外にも東海地方の人間は「伊勢名物・虎屋のういろが一番だ」と言っている。だから名古屋駅に行くと地下街に出店している虎屋で買ってくるのだ。
「よくお前がこんな可愛らしいお嫁さんを見つけたもんだ」病室で中村3曹と対面した母は安堵と感慨にふけりながら涙を浮かべて手を握った。中村3曹も握力を緩めて握り返した。
「この子は偏屈者だけど根は優しい正直者なんですよ。だから私が死んだ後をよろしくお願います」「死ぬなら僕が名古屋にいる間にしてくれよ。演習中じゃあない方が助かるな」母が「根は優しい」と言った傍から本人が引っ繰り返した。そこは「正直者」の方なのだろう。
一方の中村家は盆地の名張市を囲む丘に近鉄が開発して花の名を冠した住宅街の1つ蕗(ふき)ヶ丘にある。現在の名張市の中心は近鉄の桔梗ヶ丘駅なのだが、蕗ヶ丘は旧市街地にある名張駅の方が近い。ただし、出入口は駅舎とは反対側の東口を利用する。
「初めまして。松山と申します」名張駅には中村3曹の父が車で迎えに来ていた。父は航空自衛隊の曹長だが会津若松出身と聞いている。その通りに眼光鋭く古武士然とした風貌だ。
「中村・・・曹長です。松山1尉」父は返事をしながら姿勢を正して10度の敬礼をした。松山1尉と中村3曹もそれに倣った。頭脳労働者を自称する松山1尉の外見からは余り自衛官らしさは感じられないはずだが、父には何か特別な感覚が働いたのかも知れない。
蕗ヶ丘でも初期に分譲されたらしい比較的古びた作りの住宅に招き入れられて、座敷の床の間の前で両親と松山1尉、中村裕美は向かい合って座った。父は3男なのでまだ佛檀はない。
「あらためまして松山千秋1尉です。守山の陸上自衛隊第35普通科連隊で重迫撃砲中隊長を務めています」「こちらこそ中村正敏曹長です。笠取山の第1警戒群の監視隊の先任空曹をやっています。こちらは裕美の母の玲子です」こうして見比べてみると中村3曹は母親似のようだ。それでも眼光鋭いのは父親譲りのような気もする。
「唐突ですが本題を述べさせていただきます」「ゴクリ」時候の挨拶は得意でない松山1尉はいきなり畳に手をつき前口上を述べた。その奇襲攻撃に父は生唾を飲み込んで応じた。
「裕美さんを、お嬢さんを妻に貰い受けたく存じ、お願いに参上つかまつりました」隣りで畳に手をつけて聴いている中村3曹も呆れるような改まった古語が並べている。それでも父は自分の手の甲の拳胼胝(けんだこ)を見ながらうなずいている。桑名の菩提寺の松山家の墓所は格式が高そうだったので本来は育ちが良いお坊ちゃんなのかも知れない。
「裕美、お前はそれで良いんだな」「はい」「こう言う時は、よく考えて出した結論になるように少し間をおくものよ」父の確認に中村3曹が即答すると母が呆れたようにたしなめた。この家庭内の会話を聞けば中村家も旧家なのは確かだ。
「私は会津っぽでして」「それじゃあ強情な訳ですね」「やはり『坊ちゃん』は読んでおられますな」挨拶が終わって茶話会に移ると父の自己紹介から盛り上がり始めた。松山1尉の返事は夏目漱石の名作「坊ちゃん」で山嵐の自己紹介に坊ちゃんが答えた台詞だ。
「本当は姉2人が結婚する前に末っ子が先に行くなんて許されないと思っていたんですよ」「『ならぬものはならぬ』でしたか。危ないところでした」ここでも松山1尉の会津人気質を述べた返事は父の感心を呼んだ。中村3曹は松山1尉が事前に綿密に情報を収集した上で万全な計画を立案し、大胆に実行することを何度も目の当たりにしてきた。今回も難敵である父を攻略するために会津と航空自衛隊でも警戒管制員の情報収集に励んでいたに違いない。
「でも貴方が桑名藩士の家柄だと聞いて許すことにしたんです」「高須4兄弟の御縁ですね」ここまで話が高度になると中村3曹は取り残されるが父から解説を受けている母は黙って耳を傾けている。高須4兄弟とは木曽3川の河口にある3万石の小大名ながら松平家として徳川御三家を始めとする親藩・枝胤・名門譜代に養子を提供していた高須藩の4人の兄弟が尾張(2人)と会津、桑名の藩主となり、幕末の混乱期に活躍したため並び賞賛されていた。
「容保公も兄の尾張公の弱腰に不信感を抱かれてからは桑名の定敬公と協調して難局に立ち向かっていかれたのですから願ってもいない御縁だと思った次第です」実は松山家の先祖は鳥羽伏見の戦いで討ち死にして賊徒となり商人として身を立てたのだ。歴史的な結縁になった。
  1. 2019/11/21(木) 13:13:28|
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振り向けばイエスタディ1740

「ここでカバーではありませんが、僕が大好きな歌をお送りします」ステージの中央の椅子に腰をかけて軽い雑談以外は淡々と唄ってきた平井堅が珍しく曲の解説を入れた。それだけ意外な曲なのかも知れない。これまでもアメリカのジャンルを問わない流行歌だけでなくルイ・アームストロングの「ワット ア ワンダーフル ワールド」やディズニーのピノキオの主題歌「ウェン ユー ア アポン ア スター」などの古い歌まで無作為とも思われる選曲でバーのBGMのような雰囲気を演出している。するとピアノが静かに伴奏を弾き始め、マイクに平井堅の癖らしい強く息を吸う音が入った。
「大きなのっぽの古時計 お祖父さんの時計 百年いつも動いていた ご自慢の時計さ・・・」これは童謡だ。それでも息抜きではなく想いを込めた歌声が心に響いてくる。特別な思い出はない中村3曹も知らずに目が潤んできた。すると隣りの松山1尉も鼻をすすった。
ドアベルの音が響いて照明が消えた後、場内が普通の明るさに戻るとケンズバーは閉店だ。その暗くなっている間に平井堅は退場していて聴衆たちも本当のバーから帰宅するような雰囲気で席を立った。勿論、聴衆は追っかけをするような年齢層ではない。
「どうだった」「うん、酒の飲み比べは美味かったな」雑踏に紛れて歩きながら中村3曹は松山1尉に感想を訊いてみた。勿論、これは手順のようなもので本人も感激していたのは見ていて判っている。それを素直に言わないところは世代に似合わぬ昔の男性的だ。
「気に入った曲はあった」「暗くてパンフレットが見えなかったから曲名は判らなかったよ。でも英語の発音はネイティブじゃあないな」中村3曹としては気に入った曲があればCDを持って来て官舎で聴こうと思ったのだがまだ悪口は続くらしい。
「それに『大きな古時計』は歌詞が間違ってただろう」中村3曹もこの歌は知っているが特に気にならなかった。すると松山1尉が口ずさみ始めた。
「お祖父さんの生まれた朝に 買ってきた時計・・・って唄っただろう。あれは『お祖父さんが生まれた朝に』のはずだ。格助詞の『の』と『が』は連体修飾節の主格を表すのに単一と両立の違いがあるんだ。この場合・・・」中村3曹はこの高度で難解な個人教授を受けて陸曹候補生の試験に満点で合格したのだが、今回は幼稚園で習った歌詞を思い出して解決しようとした。すると松山1尉が前を向いて歩きながら思いがけない続きを口にした。
「お前は綺麗な花嫁になって僕の所へ来るんだぞ。一緒にチクタクと時計の音を刻んでいこう」「やっぱりあの時・・・」中村3曹の胸に「Life is」の間奏の時に松山1尉が何かを告げた顔が甦った。声が届かなかったので唇の動きに言葉を当てはめてみると「愛している」「結婚しよう」になった。しかし、確信が持てず返事をしなかったのだ。
「どうなんだ。返事」「押忍(おす)」中村3曹は突然、立ち止まると両拳を額の前で切り、腰に据えて構えた。腹の底から出した声には迫力があり、周囲のカップルたちが後退さりした。
「よし、もらったァ」松山1尉はその場で抱き上げると廊下を歩き始めた。後退さりしたカップルたちはそのまま通路を作り、それが前に伸びていった。
「ラブ ライフ アス アップ ウェア ウィ ビロング、ウェア ザ イーグル クライ オン ア マウンテン ハイ・・・」この時、松山1尉は似合わない洋楽を口ずさんでいたが、残念ながら中村3曹は知らなかった。
「本当に守山の官舎で好いんですね。ラブホかと思いましたよ」歌と美酒にホロ酔いした気分を持ち返るため帰りはタクシーになった。車内でも松山1尉は中村3曹の肩を抱いて離さない。ルーム・ミラーでそれを見て運転手がからかってきた。
「今日は雲がかかっているから昭和一郎は入らないかな。岐阜のローカル放送だけど面白いんだ」2人が反応しないので運転手は独り言を呟きながらラジオを操作した。すると50歳代と思われる男性DJの声が流れ始めた。女性DJと相場が決まっている夜のラジオでは意外だ。
「それでは今(地名)の野口六郎さんのリクエストで昭和57年の曲です。映画『愛と青春の旅立ち』の主題歌『アップ ウェア ウィ ビロング』をどうぞ」「洋楽かァ。やっぱ昭和一郎は懐メロとド演歌だろう」運転手は期待外れの洋楽に苦情を口にしたが、ルーム・ミラーの2人が真顔で聴き入っているのを見て黙った。
「これってさっきの歌ね」「僕は音痴だけど発音は平井堅よりもネイティブだぞ」偶然にしても出来過ぎな種明かしだ。さらに歌が終わって昭和一郎が補足説明してくれた。
「唄っているのはジョー・コッカーとジェニファー・ワーンズです。この映画はリチャード・ギアがデブラ・ウィンガ―を抱き上げて連れ去るラスト・シーンが人気でした」それにしても松山千秋1尉は完全に弾けてしまっているが人格崩壊は大丈夫なのだろうか。
  1. 2019/11/20(水) 10:23:44|
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11月20日・ロシアの文豪・トルストイの命日

1910年の明日11月20日はロシア文豪の代表格・レフ(ギリシャ語ではレオ=ライオン)・ニコラヴィッチ・トルストイさんの命日です。82歳でした。
野僧はトルストイさんの作品は小学生の高学年から中学生にかけて「戦争と平和」と「アンナ・カレーニナ」に目を通していましたが(愛読・熟読とは言えない)、邦訳があまり名文・美文・巧文ではなかったので完読するのは大変でした。
トルストイさんは1828年にモスクワの南南西172キロのヤースナ・ボリャーナで名門・伯爵家の4男として生まれました。ところが2歳で母を亡くし、9歳の時に父が帝室に出仕するためモスクワへ転居したものの半年後にはその父も亡くして祖母に引き取られ、翌年には祖母も亡くなり、父親の妹=叔母の屋敷に身を寄せるとしばらくしてこの叔母も亡くなり、最終的には13歳で騎馬民族・コッサクの土地であるカザンに住む別の叔母に引き取られると言う日本人好みの不幸な生い立ちになりました。それでもカザフで成長して大学まで進学しますが社交界に入り浸って成績は低迷し、19歳で父の領地を相続することになったのを機に中退して生まれ故郷に戻ったのです。
領地では農業経営に取り組むと共に大学時代に傾倒していたジャン=ジャック・ルソーさんの社会契約説(人民の身体と財産を社会全体で守る)を実現するため農民の生活の改善に努力しましたが簡単に挫折したそうです。その後は領地での収入でモスクワやサンクトペテルブルグ(冬と夏の首都)などを遊び歩いてしましたが23歳で帝政ロシアとコーカサス地方のイスラム教徒・チェチェン人の間で1817年から続いていた戦争に志願して貴族だけに士官として参戦しましたが、本気で戦争をしていなかったらしくこの頃から小説の執筆を始めたようです。この作品をモスクワの雑誌に発表したことで作家として注目を浴びますが、本人は文学よりも社会事業に取り組んでいたため現在でも長編に過ぎる作品の評価よりも農奴の解放者、社会改革の先駆け、非暴力主義者として聖人君子のように持て囃されることになっています(しかし、ロシア正教からは破門されている)。
トルストイさんは34歳と18歳の年の差婚したソフィア・トルスタヤさんが世界3大悪妻の1人として有名で(他の2人はソクラテスさんの妻・クサンティッペさんとモーツアルトさんの妻・コンスタンツェさん)、「恐妻は夫を(寡黙な)哲学者にし、悪妻は(自己犠牲の)宗教家にする」との金言を残しています(野僧は実感できます)。実際、妻から逃れるため家出した列車の中で肺炎を起こして駅長官舎に運び込まれ、そのまま亡くなったのです。最期の言葉は「妻を近づけるな」だったそうです(これも同感です)。その割に9男3女を儲けていますから若い頃は好かったのでしょう(何が?)。
  1. 2019/11/19(火) 11:31:28|
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振り向けばイエスタディ1739

それからも中村士長は清く正しく美しい通い妻を続け、東京六大学卒で一般(部外)幹部候補生出身の松山1尉を個人教授にしたおかげもあり1選抜で陸曹候補生に合格し、朝霞駐屯地の女性自衛官教育隊での前期課程と松戸駐屯地の需品学校での後期課程を終えて帰隊した。愛知地方連絡部本部の補給係は長期不在になるため後方支援連隊のWACの士長と交代している。
「陸曹になったら特外(特別外出=外泊)が取れるようになるけど宿泊先はここで良いでしょう」久しぶりに通ってきた妻は手際よく家事を片づけながら台所の座卓で新聞を読んで久しぶりに関白亭主を満喫している松山1尉に声をかけた。松山1尉も中村候補生が入校中に重迫撃砲中隊長に就任したが、普通科中隊に比べて人数が少なく、移動は車両が主であり、高度な計算により着弾点を修正する前進観測班を有するため自他共に認める頭脳労働者として無意識に隊員と距離ができてしまう松山1尉には適材適所だった。
「今までも携帯の番号で良いのにワザワザ連絡先をここにしてたんだろう。何を今更だよな」「でもWACの間では貴方との交際期間が1年半を過ぎても私がバージンのままなのが営内伝説になってるのよ。朝霞では貴方が性的不能じゃあないかって言うから正拳突きを喰らわしておいたわ」実は2人は本当に清く正しく美しい純愛のままなのだ。演習から帰って昼寝をしているのに添い寝をすると股間が凶暴に臨戦態勢になるのは目撃しているが、それでも寝たふりをしている。これが性技に熟練したWACであれば馬乗りになって逆レイプするところだが、中村士長も初心者なので首を傾げて寝顔を眺めているだけだった。
「僕は同じ学部の女子学生が政治屋の事務所に入り込むのに身体を提供しているのを見てきたからお前が守っている純潔を大切にしたいんだ。遊びで他の女を抱くことがあってもお前を抱くのはまだ先だ」「キェーッ」松山1尉が口を滑らせたため軽い手刀が脳天に炸裂した。
「今度、名古屋でケンズバーがあるんだけど一緒に行ってよ」裕美が3曹に昇任して「通い妻」が「泊まり妻」になっても2人の不思議な生活は変わらない。今夜も夕食の支度を終えて自分の席に着くと2つ折りの封筒に入った券を手渡した。この場面は極真会館愛知県大会の時と同じだ。あの大会で中村士長は口腔内を4針縫う重傷を負い、初めてこの部屋に泊まった。
「ケンズバーって何だ。最近は市内に飲みに出てるじゃあないか。今度はバーに行ってみたいのか」松山1尉は大学時代から酒は下宿で勉強しながら飲んでいた。自衛隊に入ってからも独身幹部宿舎の部屋に引き篭もっていたため飲み屋については門外漢だった。だからバーとスナック、パブとクラブ、ラウンジの違いは判っていない。
「ケンズバーは平井堅のお酒が出るコンサートだよ。歌とお酒に酔って楽しむんだけど、夜の開演だから松戸までだと帰隊遅延になっちゃうから諦めたんだ」「平井堅って『SHE』をカバーしてる歌手だな」この名前も初めて泊まった夜につながって行く。
「堅さんは『楽園』に続いて『even if』や『Ring』『Life is』もヒットしているし、カバーも素敵だから絶対に感激するわよ」中村3曹は熱弁を揮うが、松山1尉はインターネットで平井堅がカバーしている「SHE」を聴いてみた。すると一緒に見つけた元祖のシャルル・アナヴールの方に感激していた。
「だから来週の金曜日は予定を入れちゃあ駄目よ」「はい、判りました」どうも関白亭主の座が危うくなっているような気がする。このままでは尻に敷かれる座布団、下手すれば足で踏みつけられる玄関マットになりそうだ。少なくとも手足を使った喧嘩で勝てるはずがない。
ケンズバーの会場は一般的なコンサート・ホールではなく薄暗くした平らな広い部屋にステージを設けてそれを囲むように席が並んでいる。ところどころに酒を用意するテーブルがあり、本式の衣装を着たバーテンダーがプロの仕事でグラスに注いでくれる。
「自分を強く見せたり 自分を巧く見せたり どうして僕らはこんなに 息苦しい生き方選ぶの・・・」平井堅の初期の作品は和製ポップに分類される若者向きな曲調だったが、「楽園」のヒット以降、大人もジックリ聴けるバラード調の歌が多くなった。松山1尉も「Life is」に聴き入りながらグラスを口に運んでいる。中村3曹は歌に夢中になりたいのだが、あまり乗り気ではなかった松山1尉の反応が気になって歌と酒に酔うことができないでいた。
「・・・答えなど何処にもない 誰も教えてくれない でも君を思うとこの胸は 何かを叫んでる それだけは真実」中村3曹が歌の合間に横を見ると松山1尉もこちらを見詰めていた。その強い視線に心を射抜かれてしまった。松山1尉は歌詞に自分の気持ちを重ねるような単純な人間ではないが、肉声の熱唱が美酒で解きほぐされた心を強く捕えたのかも知れない。
「愛してる・・・結婚しよう」薄暗い空間でステージに注がれる光線に浮かび上がった松山1尉の唇がそう動いたように見えた。しかし、言葉は続きが始まった歌声で聞こえなかった。
う・中村裕美士長イメージ画像(士長時代)
  1. 2019/11/19(火) 11:30:19|
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11月19日は「いい育児の日」ですが。

明日11月19日は2017年の時点の岩手・宮城・福島・長野・三重・滋賀・鳥取・岡山・広島・山口・徳島・高知・宮崎の13県の知事で作る「日本創世のための将来世代応援知事同盟」が語呂合わせで制定した「いい育児」の日です。
この13人の知事のうち今年のこの日までに交代した県はなく(再選を果たしたのは岩手、福島、長野、三重、滋賀、鳥取、山口、徳島、宮崎)、唯一、高知県知事だけは今年の12月7日に任期満了を迎えますから来年も心新たに迎えられるかは選挙の結果次第です。また岩手県知事は自民党と公明党が支持した候補者を破った知事であり、他の知事が自民党と公明党の支持若しくは推薦を受けている(無所属でも)ことを見ると政治的な意図を持った期日・行事ではなさそうです。
しかし、山口県知事も賛同者に入っていますが高齢化率が全国3位の過疎限界県では「いい育児」をするにも子供が見当たらず、あまり大声で呼びかけると県民の嘆き声が返ってくるのが判っているのか、他の県に比べてあまり積極的には取り組んでいません。
野僧が現役時代、自衛隊が隊員をド田舎の駐屯地・基地で勤務させるため給与に上乗せする「僻地手当」が満額だった青森県の某分屯基地が所在する地域でも当然のように過疎化が進み、平成の大合併では周辺の町村と合併してしまいましたが、そこに住んでいる友人からの電話では「小学校が児童数不足で統合になりそうだ」と嘆いているので人数を訊くと「10数名」と答えたので「全校か」と確認すると「学年で」とのことでした。実は山口県下関市の当町でも来年度から中学校に続き町内の全小学校が1校に統合になるのです。当地区の小学校は全校6名で当分は新入生の予定がないのですが他の地区も大差ありません。その意味では山口県の過疎・高齢化は青森県以上に深刻でこればかりは地元選出の安倍首相に陳情しても打つ手がないようです。
ここまで少子化が深刻化すると子供に社会性を身に着けさせることも困難になり、クラス替えが不可能なため互いに仲違いすることを避ける消極的な生活態度だけが身について、自己主張はせずに場の空気で意思を実現するようになってしまいます。また6年生が1名では児童会長は選挙をするまでもない指定席であり、上級生と教師からの徒弟制度のように学年と共にその椅子が近づいてくるのです。
今回、小学校が合併すればようやく各学年の人数が複数になりますから、これまでは中学校に入って初めてクラスメートができると対等な人間関係を構築する方法が判らず登校拒否になり、そのまま引き篭もりになる生徒たちが少なくなかったので、今後は少しでも改善するのではないかとはかない期待をしています。
現在46歳の山口県知事には将来が楽しみな美貌の娘さんがいますから「いい育児」にも張り合い、遣り甲斐があるのでしょうけど、当地区の住人たちが子供の声が聞こえなくなった廃校の異常に立派な校舎を見ることになる日は間近に迫っています。現在でも体育の時間以外は校庭は鹿の運動場、遊具は猿の遊び場になっていますが、来年からはサファリパークになるのでしょう。
  1. 2019/11/18(月) 10:56:50|
  2. 日記(暦)
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振り向けばイエスタディ1738

シャワーを浴びて汗を流した後、少し体温が上がってきたので中村士長を布団に寝かせた。パジャマは帯抜きの着替え用の道衣だ。次にシャワーを浴びた松山1尉は血染めになった道衣と自分で洗濯するつもりでバスタオルに包んで置いてあった下着を洗濯した。替えの下着も試合で汗になることを考えて用意してあったようだ。
「洗濯は明日、私が・・・」洗濯機が回り始めたところで様子を見に戻ると布団に仰向けに横たわっている中村士長は薄目を開けて呟いた。かなり腫れは引いているが下唇の動きはぎこちなく縫合した個所が引きつっていることが判る。松山1尉は部屋の電灯は点けずに襖を全開にして台所の照明だけでその場に座った。
「麻酔が切れただろう。痛くないか」「食後に飲んだ錠剤が効いているみたい。大丈夫です」病院では夕食後に服用する化膿止めと鎮痛剤を処方されている。しかし、食後と言っても医師は今日の食事は控えるように指示していた。確かに食事と呼べるような固形物を口に入れることは不可能だが、ゼリーだけで食後の指示がある薬を飲んでも良かったのかは判断に迷った。
「鎮痛剤なら眠気も誘うだろう。安心して眠りなさい」「でも布団は1組しかないんでしょう」腫れが引いた分、会話もできるようになってきたようだ。それでも調子に乗って話を弾ませる訳にはいかない。そこで冗談で安心させることにした。
「僕が普通科の幹部だってこと忘れてるだろう。野営に比べれば床があるだけで安眠できるよ」「だったら手をつないで眠らせて下さい」本当は中村士長が眠った後、仕事部屋のパソコンでインターネットの情報収集を始めるつもりだったのだ。それでも今日、初めて触れた中村士長の肌、と言っても手と頬・額の温もりの方が心を惹きつける。松山1尉は台所の座布団2枚と押入れから出した毛布で寝床を作った。
「でも洗濯機が止まったら干しに行くぞ」「はい、待っています」女性心理に無頓着な松山1尉は自分の汚れ物と一緒に中村士長の下着も洗濯機に入れてしまうところだが今回は道衣があるので別にしていた。余計なことをせずに洗濯するところは流石に松山1尉だ。それでも女性用下着を入れる洗濯ネットは持っていないので生地が傷んでしまう可能性はある。
「眠れないのか」中村士長の衣類の洗濯だけを終えて台所を常夜灯してから寝床に戻ると横向きになって寝ている中村士長が目を開けた。松山1尉が座布団を2つ折りにして枕を作って横になると中村士長が伸ばしてきた手を約束通り握った。
「眠れるように子守歌を唄って下さい」「子守歌ってネンネンヨーって奴か」「いいえ、静かな歌なら何でも結構です」松山1尉にも音楽の趣味がない訳ではない。ただし、大学時代から東南アジアやアフリカの民族音楽のカセット・テープとCDを集めている。彼らの祭礼の曲の多くは打楽器を打ち鳴らして士気を鼓舞するものなのでマーチや軍歌よりも直に闘争本能を湧き立たせる。当然、子守歌には使えない。松山1尉はしばらく考えた後、小声で唄い始めた。
「シー、メイ ビー ザ フェイス、アイ キャント フォーゲット(あの女性、忘れられない面影)、ア トレイス オブ プリ―シュア オア レグレット(快楽と後悔が残された足跡だ)・・・」すると中村士長も鼻歌で合わせ始め、無意識のうちに音量は上げっていく。
「・・・フォー ウェアー シー ゴーズ アイブ ゴー トゥー ビー(彼女が行く所には一緒に行かなければいけない)、ザ ミーニング オブ ライフ イズ シー(私の人生の意味はあの女性なのだから)、シー(あの女性)、シー」唄い終えると常夜灯の暗い明りで中村士長の目が潤んでいるのが照らし出された。
「これって平井堅の『SHE』ですよね」「違う。これはエルヴィス・コステロの『SHE』で『ノッティングヒル』と言う映画の挿入歌だよ」小守歌と鼻歌は完全に一致していたので同じ曲なのは間違いないが聞いた経緯は違うらしい。実は松山1尉は大学時代に「プリティー・ウーマン」を見て以来、ジュリア・ロバーツの大ファンで守山に赴任してからも名古屋で邦題「ノッティングヒルの恋人」を見て感激し、インターネットでダウンロードして繰り返し見ているのだ。歌そのものには「忘れじの面影」と言う邦題がついていて本来はフランス人歌手・シャルル・アズナヴールがヒットさせたイギリスのテレビドラマの主題歌だ。一方、中村士長が好きな平井堅は最近この曲をカバーしていた。
「『ノッティングヒル』はいつ頃の映画なんですか」「あれは一昨年だったな」「出演は」「ジュリア・ロバーツとヒュー・グラントだよ」「ストーリーは」小守歌のはずが逆効果になってきた。
「そんなに興味があるなら見せてあげよう。こっちへおいで」結局、中村士長を作業部屋へ連れていってパソコンでの映画鑑賞会になってしまった。
  1. 2019/11/18(月) 10:54:30|
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振り向けばイエスタディ1737

「申し訳ありませんが外科病棟の女性部屋は手術待ちの患者と交通事故の負傷者で満室なので、脳波に異常がなかったことですから今日は御自宅で安静にすると言うことで・・・」脳波の検査を終えて若い当直医の診断を受けていると横から責任者と思われる看護師が説明してきた。ここまで詳細に説明されなくても無理に入院を要求するつもりはないが、反論の余地がなくなったのは間違いない。唇の中を縫合して傷口が塞がったとは言え麻酔で痺れているため中村士長は話すことができない。そこで松山1尉が替わって受け答えすることになった。
「それでは自宅での生活で注意することをお願いします」松山1尉の返事を聞いて医師と看護師は安堵したように顔を見合わせた後、一般的な注意事項を印刷した紙を手渡した。これは交通事故などの外傷用で口の中の裂傷には必ずしも合致しない点もある。
「食事は明日まで控えて下さい。明日からもゼリー状の半固形物が望ましいです。水分もストローで飲むようにして下さい。なるべく唇を動かさず濡らさないように気をつけて下さい」医師は印刷物には触れていない注意事項を羅列し始めた。メモするほどの内容ではないが無意識に破ってしまうかも知れないので記憶に刻み込んだ。
「かなり出血していますから造血効果がある食品に心がけるように。赤身の魚や牡蠣、野菜なら法蓮草や苦瓜,果実なら林檎や苺、柑橘系、プルーンも良いですね」「判りました。今夜は私が付き添って介助します」松山1尉の返事を聞いて医師と看護師は再び顔を見合わせたが、今回は少し複雑な表情が交錯している。
「すると中村さんは貴方の家で泊まるのですね」松山1尉と同世代の医師は妙にぶっきら棒に確認した。言われてみれば松山1尉も一応は男性であり、そこに中村裕美を泊めるのだ。
「だったらキスの口づけは禁止です。そこから先も当分は我慢して下さい」医師は説明している間に顔に羨望の色を浮かべ、病院でもらった大きなマスクをした中村士長の顔を見た。歪んだ部分を隠せばいつもの可愛い中村裕美なのだ。
「判りました。キスは額か頬にします。そこから先の予定はありません」松山1尉の淡々とした口調と意外な答えに今度は医師と看護師は顔を見合わせた後、苦笑した。しかし、中村士長は何かを決意したような目で傍らに立っている松山1尉の顔を見上げていた。
病院からはタクシーで守山へ帰ったが、市街地から少し離れている官舎に行く前にコンビニエンス・ストアに寄った。男性店員は大きなマスクをした中村士長を見て怪訝そうな顔をしたが、女性の強盗の危険性は低いので何も言わなかった。
「カロリーメイト・ゼリーを大量に買い込んでいこう。野菜ジュースも必要だな。ストローも忘れちゃあいかん。果物もジュースで取ろう」松山1尉が陳列棚を回りながら声をかけると中村士長は返事の代わりに商品に手を伸ばしてカゴに入れていく。松山1尉はその数と重さで中村士長が自分の部屋で過ごす予定を確かめた。病院からWAC当直には「介助が必要なので官舎に泊める」と連絡し、衛生隊には「満室で入院できずに帰った」と連絡しておいた。WAC当直の士長は宿泊先を何度も訊いたがこちらは1尉であり、本人は回答不能と言うことで黙らせた。そのやり取りを聞いていた中村士長の中では覚悟が固まっているのかも知れない。少なくともWAC隊舎内は評判で持ち切りになっているはずだ。
「アナタの夕食は・・・」自分が口にして腹を満たす飲み物を決めたところで中村士長はマスクの中でささやいた。確かに病院で聞いてきた食品と飲料を思い出しながら選ぶことに熱中していて自分の食事は完全に忘れていた。日頃は冷静で客観的な状況判断に自信を持っているが、今日は完全に一点集中に陥っている、
「そうだったな。弁当を買って帰ろう。君の勝利を祝してカツ丼にするよ」すると中村士長は首を振った。その意味が判らず口に顔を近づけると「今度、私が作る」と呟いた。
官舎に戻ると松山1尉は中村士長を台所の指定席に座らせて座卓の上にカロリーメイト・ゼリーと野菜ジュース、林檎ジュースの缶を並べた。自分の天丼弁当とお茶の缶も一緒だ。
「怪我したのが昼前で2食抜きだったから腹が空っただろう。ゼリーじゃあ満腹感がないけど栄養価を確保するために多めに飲めよ」松山1尉が声をかけても中村士長はマスクをしたままうつむいて動かない。そこでゼリーを1つ取ると顔の前に差し出した。
「まだ顔が歪んでるんでしょう。貴方に見せたくない」中村士長はかすれた声で呟くと涙をこぼした。救急車に乗せられるまでは映画のロッキーの試合後の顔になったことを自嘲していたが車内で手を握り続け、こうして生活空間に招き入れられたことで中村士長の中の女性が目を覚ましたのかも知れない。松山1尉は膝で立つと両手を伸ばしてマスクを取ると熱を持っている頬を両手で優しく包んで額に口づけし、目の上に続けた。ただし、中村士長が大好きな同郷の歌手・平井堅の「瞳をとじて」が大ヒットするのは数年後のことだ。
  1. 2019/11/17(日) 13:39:27|
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11月17日・日系人部隊・第442戦闘団の任務が終了した。

1942年6月15日にハワイで編成が開始され、1943年1月28日に正式に発足し、9月22日にイタリアのサレルノに上陸して29日に戦闘を開始して以来、ヨーロッパ戦線で幾多の激戦と過酷な任務を遂行し、アメリカ陸軍史上最高の武勲・戦功を上げてきた第442戦闘団の任務が1944年の明日11月17日に終了しました。
ヨーロッパにおける第2次世界大戦そのものは1945年5月8日のナチス・ドイツの降伏まで継続しており、1944年6月6日にフランスのノルマンディーに上陸した英米軍はソ連軍と東西からベルリンを挟撃する作戦を開始し、8月25日にパリ=フランス、9月3日にブリュッセル=ベルギーを解放していましたが、モントゴメリー元帥が強行した9月17日から25日のマーケット・ガーデン作戦(=映画「遠すぎた橋」)の失敗によって攻勢は停滞し、この時期からドイツ軍は開発を勧めていたジェット戦闘機のメッサーシュミットMe262やV-1飛行爆弾、V-2弾道弾を実戦投入し始めていたのです。さらに12月16日からはベルギーとルクセンブルグの森林地帯でバルジ作戦による反攻を試みたのですから作戦終了によって任務を解かれたのではないことは明らかです。
この頃、442戦闘団はフランス東部のアルザンヌ地方でナチス・ドイツの精鋭部隊・武装親衛隊との山岳戦闘に勝利してブリュイエールを解放した直後の10月25日に受けた第141連隊第1大隊=通称・テキサス大隊の救出作戦によって216名が戦死し、600名以上が手足を失うなどの重傷を負っており、11月11日に催された第1次世界大戦の休戦記念日の式典には26名しか列席できず、それを見咎めた師団長が「全員参加を命じたはずだ」と叱責すると指揮官が「これが全員です」と答えた悲惨な状態でした。442戦闘団が1944年9月にイタリアからフランス戦線に移動して第36師団に配属された時点では2800名だった兵力がこの時点では半数の1400名になっていたのです。
ところがアメリカ軍はアメリカ人の兵士を投入することを躊躇するような過酷な作戦も迷わず命令できる日系人部隊を手放すことはなく、新たに日系人の兵士を補充して再編成を取り、再びイタリアへ送るとアフリカ系の兵士が主力の第92師団に配属するとイタリアが降伏した後、ナチス・ドイツが占領したまま半年にわたり膠着していた戦線を30分間の攻撃で突破したのです。それだけではなく442戦闘団隷下の第552野戦砲大隊はナチス・ドイツ国内に送り込まれ、ミュンヘン近郊のダッハウ強制収容所を解放しました。しかし、連合軍は第2次世界大戦におけるナチス・ドイツの共犯者だった日本人=日系人がユダヤ人を解放した事実をパパ・ブッシュ政権だった1992年まで隠蔽していました。
この戦闘を最後に442戦闘団は力尽き、単一部隊としてはアメリカ陸軍史上最多の個人の勲章と部隊感状を獲得してこの日を迎えたのです。それでも戦傷者に贈られる勲章=パープル・ハートが部隊の代名詞になっていたように無事にこの日を迎えた兵士は皆無に等しく、遺骨と魂魄として帰国を果たした英雄を除けば大半はヨーロッパの軍病院で治療を受けることになりました。生存者が帰国してトルーマン大統領の出席の下、ワシントンで歓迎と解散の式典が挙行されたのは1946年7月15日のことでした。
  1. 2019/11/16(土) 12:37:51|
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振り向けばイエスタディ1736

中村士長は脳波の検査ができる総合病院に搬送された。金充珠(キム・ユンジュ)選手は会場に詰めていた医師に頸椎の過伸展=鞭打ちと診断されて整形外科に運ばれたので一緒にならずにすんだ。金選手は意識を失ったまま担架で運ばれたはずが、係員同士の会話で中村士長が負傷によって棄権をしたことを知ると「だったら私が出る」と叫んだのだ。要するに気絶は倒れたところまでで痙攣や呼び掛けに無反応だったのは反則を奪うための演技だったようだ。
「処置室に入るまでにこちらの病衣に着替えなさい」救急車はサイレンを鳴らしておらず、緊急ではなく単なる負傷者の搬送だったため病院の対応も淡々と流している。中年の看護師は入院患者が着るワンピースの服を中村士長に手渡すとバインダーを構えて寄り添っている松山1尉に質問を始めた。先ほどは反射神経で婚約者と名乗ったものの中村裕美士長の身上を詳しく知っている訳ではない。それでも質問された氏名と現住所に電話番号、職場と保険の種類には答えられた。残念ながら生年月日は判らず年齢だけになった。
その間に中村士長は頭から病衣をかぶり、服の中で道衣を脱ぎ、血染めになっている胸元と袖を見て上唇だけを歪めた。口の中には医師に止血用の脱脂綿を大量に詰められているのだ。
「それではあそこの処置室の前の椅子で待っていて下さい。今、交通事故の患者が3名入っていますからその後になります」看護師は暗い廊下の奥で明るくなっている処置室を手で示すと早足で先に歩いて行った。松山1尉は中村士長が抱えている道衣を受け取ると左手で抱えた。右手には更衣室のロッカーから持って来た私服が入ったスポーツ・バッグを提げている。中村士長は手が握れないので腕を絡めて歩き始めた。
「あッ、居た居た」「ここだ、ここだ」中村士長が処置室に入り、松山1尉が廊下の長椅子に取り残されていると2人の男性が廊下に足音を響かせて駆け寄ってきた。「病院では静粛に」と言う常識を知らないらしい。男性たちは松山1尉の前に立ち止まると一方的に話を切りだした。
「貴方は〇〇区体育館の極真会館愛知県大会女子の部の2回戦でテコンドーの選手と対戦した自衛官の付添人さんですね」どうやら試合を取材していた新聞記者のようだ。
「答える前に貴方たちの申告を求めます」「その口調はお前も自衛官だな」こちらを自衛官と推察した途端に「貴方」が「お前」になった。阪神大震災を契機にして日本人の自衛隊に対する感情は急激に好転しているらしいが、マスコミ関係者は相変らずと言うことだ。
「私はC日スポーツの岡田だ」「私はN古屋タイムスの村松だ」「名刺は」松山1尉は無反応に名刺を要求して2人の間で手を広げた。通常の自衛官はマスコミに過剰な警戒心を抱き、名乗られただけで身構えてしまうのだが、東京6大学出身の松山1尉にとって地方のスポーツ新聞と夕刊紙の記者くらいは鼻で笑ってしまう存在だ。
「申告に虚偽がないようだね。私は陸上自衛隊の松山だ」「所属はどこだ」「階級は何だ」松山1尉は手渡された名刺を確認するとこれ以上の簡略はない肩書を説明した。すると即座に質問が返ってきたが、名刺の交換を要求しないのは自衛官にそれを持ち歩き、交換する習慣がないことを知っているのだろう。
「階級は1尉だ。所属は第10師団とまで答えておこう」「1尉と言うことは幹部だな」「幹部だから国家公務員管理職に対する礼儀を失するな」先日、昇任したばかりだが1尉は警察では警部、消防では消防司令、海上保安庁では2等海上保安正に相当する。松山1尉も年明けに定年退官する中隊長が付に入った時点で交代して編成単位部隊長に就任する予定だ。
「それでは取材の申し入れをさせていただきます」C日スポーツの岡田が表情を和らげて申し入れた。流石の記者たちも若い割に悠揚迫らぬ松山1尉に態度を改めたらしい。
「取材の目的は」「日韓対決で自衛官が勝利した。その栄光を紹介すれば読者も感激して自衛隊に対する支持も高まるはずです」「おまけに名誉の負傷を折ったとなれば同情も集まりますよ」多くの自衛官はこの甘言にま気を許して本音を語り、誘導されるままに過激な発言を引き出されしまうが松山1尉は大学時代、政治報道についての講義も取っていたのでその反対の意図を嗅ぎ取っていた。松山1尉は鼻息で笑うと妙に軽い口調で答え始めた。
「要するに自衛隊と在日の対立を煽りたいんですな。この時間に来たと言うことはアチラの病院にも取材に行ったんだろう。向うが敵意を剥き出しにしてコチラが受けて立てば紙面上の対決が成立する」「それは深読みが過ぎますよ。我々はそのような・・・」N古屋タイムスの村松が反論するのを遮るように松山1尉が試合終了を宣告した。
「中村は個人資格で私的行為として大会に出場して、抽選の組み合わせで跆拳道の選手と対戦しただけだ。対戦結果と負傷について報道することは阻止できないが、自衛官と言う個人情報を表に出せば法的処置を講じることになるよ」この対戦の防御は鉄壁だった。
  1. 2019/11/16(土) 12:36:39|
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振り向けばイエスタディ1735

主審は中村士長に正座で待つように指示すると痙攣が収まっても動かない金充珠(キム・ユンジュ)選手に駆け寄り、続いて担架を運んできた係員と白衣の医師も試合場に上がった。
「呼吸はしてるか」医師は先に膝まずいて様子を確認していた主審に声をかけた。剣道の突きなどで喉を強打した場合、気管への衝撃と圧迫による窒息に緊急性があり、続いて頸動脈の損傷に起因する動脈瘤や狭窄による脳への障害が懸念される。さらに仰け反った時には頸椎の過伸展や転倒した時の後頭部の強打の危険性も高い。
「呼吸はしていますが・・・」主審は医師に場所を譲りながら回答した。膝をついて座った医師は金選手の顔を覗きこみ、首に手を当てて脈を探し、鼻に手の甲をかざして呼吸を確認した。
「頸椎の過伸展と脳震盪の可能性が高いな。動かせないから静かに担架に乗せて運ぼう。救急車を手配してくれ」医師の指示を主審が試合場の下にいる係員に伝えると静まり返っていた場内が騒然となった。在日半島人たちの応援団が席を立って試合場に向かったのを見て松山1尉は先回りして中村士長の背後に駆け寄った。
「中村士長、大丈夫か」背筋を伸ばして正座している中村士長は松山1尉の声に振り返った。下唇から顎にかけて大きく腫れ上がり、目元以外は別人のような下膨れの顔になっている。
「本当にロッキーみたいな酷い顔になっちゃいました」「そんなことはないよ。今の君は美しいぞ」「だったらキスして・・・」短い会話の途中で中村士長は座ったまま崩れるように倒れ込んだ。しかし、係員たちだけでなく観客も金選手とその横で騒いでいる在日半島人に注目していて誰も異変に気がつかない。松山1尉は靴を脱ぐと試合場に上げって中村士長に歩み寄った。すると場内照明に浮かび上がった顔は遠目に見た以上に腫れ上がり、一部が青黒く変色している。倒れて開いた口からは血が固まりになってこぼれ出ている。
「こちらもお願いします」松山1尉が大声で呼びかけると金選手を担架に乗せた係員たちと一緒に歩き始めていた医師が顔を向けた。
「どうしました」「突然、倒れました。意識がありません」医師は係員たちに注意を与えて先に行かせると大股で歩み寄った。すると試合場の下で見ていた応援団が騒ぎ始めた。
「こっちの方が重傷だ。医者は付いていけ」「充珠に何かあったらただじゃあ済まさんぞ」「我々が在日だから差別しているのか」結局、この連中は日常会話には不自由しない日本語力を有しているのだ。それも都合よく通じなくなる便利な語学力ではある。
「君は」「自衛隊の松山です」「同僚ですか」「いいえ、婚約者です」医師の確認に松山1尉は思考を抜きに反射神経で答えた。「婚約者」と名乗ったためその場に立ち合うことが許された。
「中村選手も試合中に顎に跳び膝蹴りを受けています」「それは場内モニターで見ていた。どちらかと言えばこちらの方が危ないと思っていたんだ」主審の説明を聞きながら医師は同じように脈を探り、呼吸を確認した後、横に向けている顔の唇を指で摘まんで中を覗いた。すると大量の血が床に広がった。出血は唾液で薄められて止まっていないようだ。
「これは酷いな。よく我慢して試合をやったもんだ」医師の肩越しに見た傷口は下唇が裂けたように割れていて歯が折れていないのが奇跡だ。
「傷口の縫合と脳波の検査が必要だ。こちらも病院に搬送しよう。担架をもう一度」医師の指示を主審が係員に伝えるとまだ騒いでいた応援団は歓声を上げ、日本語で「様ァ見ろ」「死ね」と叫び始めた。松山1尉にモリヤ1尉並みの武道の心得があれば懲戒免職覚悟で殴りかかりたいところだが、それは諦めて意識を失っている中村裕美に付き添うことを決めた。
「松山1尉、ここは・・・」担架で運ばれ、区立体育館の関係者出入り口で救急車の到着を待っている間に中村士長は意識を取り戻した。唇が大きく腫れているので言葉がハッキリしない。
「試合後に倒れたんだ。今から病院に行って処置と検査を受けることになっているよ」松山1尉の説明に中村士長は戻り切らない意識の中で何かを考えた。
「当直に電話を・・・」「どうせ上手く話せないだろうから僕から地連本部とWACの当直、後は衛生隊にも電話しておいた」この説明に中村士長は安堵したようにうなずいた。
「地連とWACの当直には今日は土曜日だから入院になっても外泊扱いするように頼んでおいたよ」「入院ですか・・・入院にならなかったら官舎に泊めて下さい」これは頭を打っていないのか心配になる申し出だ。それでも中村士長の目に映っている天井の灯りが揺れているのを見て率直に答えた。こんな自然体で人に接するのは思春期になってから記憶にない。
「好いよ。知っての通り布団は1組しかないぞ」「はい・・・痛い」「出血するからあまり話さないように」そこに玄関の外から戻ってきた医師が指導を与えた。それを受けて中村士長は片手を差し出し、松山1尉は固く握りしめた。やはり女性空手家の握力の方が強かった。
  1. 2019/11/15(金) 13:16:36|
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振り向けばイエスタディ1734

「始め」「ヤッ」主審の開始宣言とゴング代わりの太鼓を合図に中村士長は短く気合を入れ、左足を踏み出して両肘を張って拳を顎の前に構えた。一方の金選手は爪先で軽く跳躍しながら体勢を左右に替えている。手も構えを固定せず挑発するように自由に動かしている。中村士長が慎重に間合いを詰めていっても特別に対処する様子はない。
すると突然、左足で踏み切って身体を前屈させながら右足を胸部に振り込んできた。中村士長が後ろに飛び去るとそのまま床についた右足を支点にして身体を捻り、左足を振り抜いてくる。間合いは一気に詰まり、左足の踵が脇腹に当たった。ただし、左腕で防御していたため無効だった。世間一般では極真会館の試合はノックアウトで勝敗を決すると思われがちだが、実際は相手にダメージを与える打撃を加えれば「一本」になる。寸止め空手の打撃が形だけなのに対して実際に当てるからフルコンタクトなのだ。
金選手は主審を見て効果をアピールしたが、中村士長が即座に体勢を整えたのを指差して首を振った。中村士長は不満そうな金選手が開始位置に戻ったところで攻撃を開始した。
「エイッ」跆拳道は気合を入れないが極真空手は日本の武道であり、気合いで意識を集中し、呼吸を止める効果を認めている。中村士長は先ずはロー・キックでフットワークを封じ、体勢を崩すことから始めた。床を這わせた足の甲で脛を蹴りながら低く振り上げた足で膝を上から蹴り落とすロー・キックを不規則に繰り返す。金選手のフットワークは乱れ、忌々しげに視線を下に落とした。その間にも胸に向かって正拳突きを繰り出す。これで防御のために腕を上げれば腹に向かって正拳を突き入れる。体重をのせた正拳突きであればダメージは十分だ。
ところが金選手はステップで後退した後、強く床を蹴り、膝を立てて跳び蹴りを加えてきた。目標は顔面でも人中(じんちゅう=鼻の下の溝)だった。
「ガキッ」中村士長は腹部へ正拳を突き出すために姿勢を下げており、膝が顎をとらえた。ここで倒れれば「一本」を取られてしまう。中村士長は朦朧としている意識のまま構えると空振りと判っている突きを数回繰り返した。すると切れた唇から床に血が飛び散った。
金選手は「イッポン」と判定を要求したが、主審は「手で頭を押さえた。反則」と相殺して無効とした。それにしても人中は強打すれば生命作用をつかさどる小脳に衝撃を与え、鼻骨が折れれば脳髄を損傷させて致命傷につながりかねない。その急所を跳び蹴りで狙ってきた以上、場内の声援は本気だと言うことだ。案の定、試合が始まって静かになっていた在日半島人たちは「ジギェオラ(殺せ)」と連呼を始めた。
極真会館の試合時間は2分だ。観客には短か過ぎるように思えても、死力を尽くしている選手には無限のように感じる。それでも残り時間が少なくなっている。このままでは先ほどの膝蹴りで優勢勝ちを取られるのは間違いない。
「ヤーッ」中村士長は膝を曲げて腰を少し落とすと踏み切りながら右足で頭を狙って回し蹴りを放ち、金選手が身体を反らしてかわすと着地した右足を支点にして身体を回転させ、左足で後ろ回し蹴りを続けた。今度は踵が金選手の首を強打した。高速だが軽い跆拳道の足技とは違い、体重を乗せた極真会館の回し蹴りの威力は金選手の体勢を崩した。その時、太鼓が鳴り、時間切れによる試合終了を告げた。
「判定」主審の言葉を受けて対角に座っている2人の副審は赤白両方の旗を上げた。それを確認して主審も背後から手渡された赤白の旗を上げた。
「引き分け、延長」主審の声に道衣の乱れを直していた中村士長は腰に拳を据える構えになる。目の前の金選手の細い目には憎悪を超えて殺意が燃え上がっている。幸いなことに意識は戻っている。それでも深く息を吸うと口の中に流れている血でむせてしまい袖に吐いた。
「始め」「裕美、ファイト」主審の開始宣言と太鼓の音に続いて松山1尉の絶叫が聞こえた。それを聞いて中村士長は腫れ上がった唇で笑ってしまった。すると金選手は何故か後退さった。
「エイッ」突然、中村士長は寸止め空手の前蹴りを繰り出した。これは蹴りながら大きく直進して相手を追い詰める技でもある。中村士長は小学生まで姉たちと一緒に父から松濤館空手を習っていた。ところが上の姉に続いて下の姉も高校に進学して和道流の空手部に入ったのを機会として市内の極真会館の道場に通うようになった。だから寸止め空手も付け刃ではない。
跆拳道には前蹴りがないため金選手は防戦一方になり、試合場の端まで負い詰まられると視線を向けて境界線を確認にした。中村士長はその機を逃さなかった。
「イヤーッ」中村士長は跆拳道だけでなく極真会館でもあまり用いない足刀で金選手の顎の下を蹴り切った。金選手は仰向けに倒れ、白目を剥いて手足が痙攣を始めた。
「一本、担架を」主審は判定だけを下すと金選手に駆け寄って係員に声をかけた。
  1. 2019/11/14(木) 10:40:58|
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俳優・中山仁さんの逝去を悼む。

10月12日に野僧の世代には昭和44(1969)年10月から翌年8月まで放送された実写版スポーツ根性ものの代表作「サインはV」で東京オリンピックの女子バレーで「東洋の魔女」を率いた大松博文監督を彷彿させる鬼監督(新聞ではコーチになっている)の牧圭介を演じた俳優・中山仁さんが亡くなっていたそうです。78歳でした。
野僧の母親は昔から中山さんの大ファンを自認していますがメロ・ドラマが好きだったようで、主人公の女優と怪しく絡む色男と汗臭い小娘たちを鍛える鬼監督ではイメージが一致しなかったそうです。
「サインはV」はマーガレットに昭和43(1968)年1月から連載されて東京オリンピックから続く女子のバレーボール人気に火を点けていた「アタック№1」に対抗するため少女フレンドが同じ年に連載を始めた少女漫画が原作です。野僧は自宅に下宿していた叔母が大の漫画好きだったこともあって小学1年生からどちらも熟読しましたが、「アタック№1」はサーブが急落下する「木の葉落とし」やスパイクを横向きに打って相手のブロックをかわす「ダブル・アタック」程度しか特殊な技はなかったのに対して「サインはV」ではサーブが大きく振動しながら落下する「稲妻落とし」や2人が斜めに跳躍してネットで交差しながらスパイクを打つ「X攻撃」などの超人技が出てきて昭和41(1966)年から少年マガジンに連載されていた「巨人の星」のようでした。それでも原作は梶原一騎さんではなく神保史郎さんです。
一方、中山さんが出演したドラマの「稲妻落とし」はボールが青白く発光して放電音が轟き、「X攻撃」ではネットの両端から跳躍して中央で交差しながら空中前転で着地するなどの演出も加わりましたが、昭和46(1971)年放送の野球の実写版スポーツ根性ものの「ガッツ・ジュン(こちらも原作は神保史郎さん)」と同様にどうしても嘘っぽさが克服できずアニメには敵わないようでした。
そんな中で中山さんの特訓シーンだけはアニメ「アタック№1」の富士見学園監督・本郷俊介以上の迫力がありました。ただし、野僧は草野球の経験から「ボールは投げるよりも打った方が早いはずなのに、どうしてこの監督たちはバレーボールを投げるんだろう」と不思議に思っていました。その後、大松監督の選手育成を紹介するNHKの番組を見て「手で投げるのは回転レシーブの練習として取り難い位置へボールを飛ばすため」と知り納得したのです。
野僧が見た「サインはV」の主人公・朝丘ユミは岡田可愛さんでしたが、昭和48(1973)年には坂口良子さんが同じ役を演じていたそうです。こちらも桂監督は中山さんだったのですから何故、母親とチャンネル権を握っていた妹が見なかったのかが口惜しくてなりません(大人が喜んでいた「へそチラッ」と「ブルマ姿」を期待した訳ではない)。
野僧は何よりも「サインはV」の主題歌が好きでしたが、「V-I―C-T-ORY」と言う出だしはコニ―・フランシスが「バケーション」で「V-A-C―A-TION」と唄っている部分の模倣でしょうか。今回は母親が冥福を祈っています。
  1. 2019/11/13(水) 12:34:10|
  2. 追悼・告別・永訣文
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振り向けばイエスタディ1733

今週も清く正しく美しい通い妻に慣れてきた中村士長は松山1尉の官舎で家事に励んでいる。掃除と洗濯を同時進行で進めながら時間になれば食事の支度を始める。最近の女性にとっては労働に過ぎない家事が中村士長には軽い運動による気分転換、何よりも奉仕の喜びになっている。
「松山1尉、試合の応援に来て下さい」中村士長は自分で買ってきたトレイで手料理の夕食を運び終わると、こちらも買ってきた座布団の席に置いてあったセカンド・バッグから2折りの封筒に入った紙片を取り出して手渡した。最近は関白亭主のように座卓で座って待つことが自然になっている松山1尉は怪訝そうな顔で受け取って中身を見た。
「試合って空手のかァ」印刷されている文字を見て松山1尉は少し顔を強張らせた。守山に配属された頃、中隊長のモリヤ1尉から幹部以前の自衛官としての最低限の素養を身につけるように指導されたが、その中に護身術も入っていた。モリヤ1尉は普通科の幹部でありながら銃剣道を「実戦の役に立たない棒突き遊戯」と否定しており、接近戦には素手で戦う格闘技を修得するように言っていた。モリヤ1尉のお勧めはボクシングだったが、思いがけず連隊の銃剣道の強化訓練に入れられたため格闘技そのものから遠ざかってしまった。
「モリヤ1尉は少林寺拳法をやってた頃、極真の黒帯と練習試合をやらかして回し蹴りで気を失ったらしいよ」当時、モリヤ3曹は少林寺拳法の全自衛隊大会で優勝した猛者だったのだが同じ初段同士で練習組み手をやり、水月(みぞおち)に会心の突きを入れたにも関わらず後頭部に回し蹴りを返されて気絶した。モリヤ1尉は中隊の徒手格闘の試合教習の前に「真剣勝負」の実例としてこの話を告白していた。
「モリヤ中隊長の武勇伝って負けた話が多いみたいですね。姉も失敗談ばかり聞かされるのにそれが尊敬する気持ちになるのが不思議だって言っています」中村士長の相槌を聞きながら入場券を見直すと料金が書いてある。本当は有料で、かなり高額なようだ。
「S席5000円ってリングサイドだろう。食べ終わったら払うから待っていてくれよ」「リングじゃあないですけど・・・料金は要りません。私が応援に来てもらいたいんです。松山1尉が見てくれれば勇気百倍、ロッキーとエイドリアンの逆の役を演じられます」意外にも映画好きな松山1尉もボクシング映画のロッキーは映画館で見て、レンタル・ビデオで借りて見て、最近はインターネットでも見ている。試合場の上でボロボロになった中村士長が「松山1尉」と叫んだなら観衆を掻き分けて駆け上がらなければいけないのか。馬鹿なことを考えていると中村士長が音を立てて手を合わせ、食事の前の挨拶になった。
愛知県大会で中村士長は順調に勝ち上がって行った。最近の極真会館は分派した団体からも同じルールを前提に出場を認めており、最近は寸止め・当て止めの伝統空手の参加者までいて他流試合大会の様相を呈している。尤もモリヤ中隊の徒手格闘の試合教習も異種格闘技戦だった。
「赤、中村裕美初段、守山区山本道場、白、金充珠(キム・ユンジュ)選手、跆拳道(テコンドー)名古屋道場」2回戦の対戦相手は在日半島人の跆拳道の選手だ。空手衣と言うよりも関東の日本拳法のような頭からかぶる方式で襟が黒色になっている道衣を着ている。すると場内が急激に騒がしくなった。先ほどから「試合中は静かにするように」と注意を受けているが、在日半島人の癖に「日本語が判らない」と反論していて一向に聞く気がないようだ。
「チェオチ(倒せ)」「タエリミェオン(殴れ)」「ゲオデオチャ(蹴れ)」「イギル(勝て)」「ユテ(討て)」会場の日本人に理解できないことを好いことに声援は興奮に合わせて汚くなり罵声と化している。本当は記述できない禁止用語が並んでいた。余計なことに松山1尉は半島語も理解できるので腹の中で怒りが燃え上がり、内臓が煮えたぎってきた。
「そいつは日軍(=自衛隊)だぞ。殺しても構わない」「殺せ(ジギェオラ)」「殺せ」「殺せ」出場している選手の個人情報を見たらしい人間の説明に罵声は武道の試合場では禁句の連呼に陥ったが、場内アナウンスは「静粛に願います」と日本語で呼び掛けるだけだった。
そんな異常な空気の中、中村士長が登場した。反対側の通路から跆拳道の金選手が姿を見せたため場内アナウンスで静かになっていた声援が再開して、まさしく「四面楚歌」状態だ。
「裕美、ファイト」松山1尉は気がつけば立ち上がって号令調整していた。今まで中村士長を名前で呼んだことはない。記憶にもない名前が口から出たのは胸の中に1人の女性として住み始めているからなのかも知れない。その声が届いたのか中村士長は顔を向けて会釈した。
両者が試合場の中央で向かい合って立つと、中村士長は顔の前で両手の拳を交差させて腰の前に据える極真会館の作法で構えたが、金選手は嘲笑するような顔で力を抜いて立っている。
「正面に、礼」「主審に、礼」「互いに、礼」主審の指示で「礼」を行う作法も、中村士長は基本教練式に模範動作だったが金選手は頭だけを下げ、「互いに」は無視した。
  1. 2019/11/13(水) 12:32:50|
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11月12日・帝国陸軍初の特別攻撃隊・万朶隊が出撃した。

連合艦隊の捷1号作戦がレイテ湾への突入直前に中止になっていた昭和19(1944)年の11月12日に帝国陸軍初の特別攻撃隊・万朶隊が出撃しました。
敗戦後の日本では帝国海軍を英雄視し、帝国陸軍を断罪する風潮が蔓延していましたが、実際は特別攻撃隊でも海軍より合理的で人道的な実施要領を採用していました。
帝国陸軍は帝国海軍が劣勢に陥り、制海権を喪失して太平洋諸島に配備している守備隊への補給どころか撤収も不可能になっていることに深刻な危機感を抱き、現有の爆撃機で対艦爆撃と雷撃戦を実施することを決定し、海軍から指導員を招聘して訓練を開始しました(この時、指導員たちは陸軍の中島製の航空機が海軍の三菱製よりも格段に優れることを目の当たりにして羨望の声を上げたそうです)。ところが陸軍の爆撃機の運用思想は大陸の地上部隊に上空から爆弾を投下することだったため安定した風の中で固定・低速度で移動する目標を精密に攻撃するのは得意でも風が大きく変化し、急速な回避行動を取る艦艇については素人に等しい状態でした。それでも猛訓練の結果、昭和19(1944)年10月12日から16日の台湾沖空中戦で初陣を飾ったもののアメリカ海軍は開戦初頭から帝国海軍航空隊の果敢な攻撃に苦しめられていたため対策も強化・高度化していて大損害だけで目覚ましい戦果は上がりませんでした。これを受けて帝国陸軍内の航空当局では爆装したままの突入攻撃の可否についての検討が始まりましたが、ここでも精神論だけで暴走した帝国海軍とは別次元の合理的な議論が繰り広げられたようです。先ず上空から投下した爆弾と爆装した航空機の突入では落下速度が格段に違い、前者なら陸用爆弾でも甲板を破壊して内部で爆発させることができても後者では艦艇の表面を破壊することしかできないと言う見解が勝り、却下されたのです。次に帝国陸軍の搭乗員の操縦技量では敵艦隊に接近することも困難であり、艦艇の対空射撃を掻い潜って突入することは不可能であると言う見解により、再度却下と言うよりも航空当局に拒否されました。それでも戦況挽回を求める東條英機首相兼陸軍大臣(元航空本部長)の強力な後押しがあって昭和19年7月中旬に茨城県の鉾田航空学校で特別攻撃隊が編成されたのです。フィリピンで万朶隊と命名された特別攻撃隊は航空士官学校教官の岩本益臣大尉を隊長として99式双発軽爆撃機で編成されましたが、帝国海軍とは違い命令でした。その理由は「志願制では全員が志願して通常の作戦との両立が困難になる」との合理的判断だったようです。
特別攻撃隊は10月22日に立川飛行場を離陸して、岐阜の各務ヶ原、福岡の雁ノ巣、台湾の嘉義の各飛行場を経由して10月29日にフィリピンに到着しました。しかし、第4航空群司令官・富永忠恭中将の「出撃前に酒を酌み交わしたい」と言う要望を受けて11月7日にクラーク飛行場から司令部があるマニラに向かった岩本隊以下4名の操縦士官が搭乗した特攻機が離陸直後にアメリカ海軍の艦載機に撃墜されて全員が戦死してしまいました。結局、万朶隊は4人乗りの99式双発軽爆撃機4機に生き残った田中逸夫曹長以下4名の下士官搭乗員と1番機のみ通信員による5名で出撃しましたが(帝国海軍は定員通りに搭乗させていた)、アメリカ海軍の記録が混乱しているため戦果は不明です。
  1. 2019/11/12(火) 12:10:52|
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振り向けばイエスタディ1732

「松山2尉の期って今度の7月1日付で1尉に昇任するんでしょう」あれから毎週のように官舎の掃除と食事の支度に通うになっている中村士長は自分で作った昼食を食べながらどこで仕入れてきたのか判らない人事情報を披露した。防衛大学校と一般(部内)出身のA幹部は1尉までは一斉昇任なので地連本部でも募集した隊員の事後情報が流れたのかも知れない。
「・・・多分な」松山2尉は素っ気なく答えて好物の茄子の味噌汁を飲んだ。最近は茶碗と汁椀、箸と湯呑に皿や小鉢と少しずつ食器が増えて料理も本格化してきている。これでは通い妻のようだが実際は手にも触れていない。
「それじゃあ戦闘服と外被(がいひ)の階級章を付け替えさせて下さい。3佐になるまでは私の仕事が残りますから」「いいよ、売店のミシン屋の小母ちゃんにやってもらうから」松山2尉はこの若く魅力的な中村士長が物心ついた頃から女性にもてたことがない自分に明らかに好意を抱いてくれていることが理解できなかった。若い娘の気紛れだとすれば去られた後に思い出が残るのは決して愉快なことではない。
「次の演習は6月29日の金曜日まででしょう。夕方に中隊へ取りに行きますから当直に預けておい下さい。1日の日曜日に届けますよ」「それは拙いよ。当直陸曹に変な疑いを持たれてしまうじゃあないか」「だったら官舎に取りに寄りますから洗濯しないで下さい」先ほど断ったことは無視して話が決まって行く。考えてみれば中村士長が何かを要求したのは初めてではないか。それが階級章の付け替え作業とは呆れるよりも愛おしさが胸に一粒湧いた。
「それじゃあ俺がWAC隊舎に持って行って当直に預けよう。それなら間違いないだろう」この提案は困らせ、諦めさせるための意地悪だ。中村士長も他のWACに自分と親密なことを知られたくはないはずだ。しかし、本人は安心したように笑うと想定外の返事をした。
「それなら大丈夫ですね。それでお願いします」「へッ・・・」これは最近、インターネットで見た極真会館空手の大技でも回し蹴りから後ろ回し蹴りへの連続攻撃のようだ。完全にノックアウト=「一本」を取られた。
6月30日の土曜日、中村士長は朝からWAC隊舎の自習室の机の電気スタンドの明りで作業外被の襟の階級章を付け替えていた。防水加工してある作業外被は洗濯ができず、洗い場のブラシで擦って演習場での泥を落としただけだ。そのため最近は鼻が慣れてきている松山2尉の体臭が残っているが、預けられたWAC当直は汚物扱いしていた。
「中村士長、乾燥室に男物の2尉の迷彩服を干したのアンタでしょう」突然、ドアが開いて師団司令部で勤務しているWACの陸曹が声をかけてきた。
「WAC隊舎に男物の衣類を持ち込むのは好くないからすぐに本人に返しなさい」陸曹は厳しい口調で命令を下した。駐屯地の服務規則やWAC限定の生活指導に男子隊員の衣類の持ち込みを禁ずる項目はないが、そのような前例を作れば男子隊員と交際しているWACたちが真似をすることは想像に難くない。何よりも半ばお局さま化している陸曹にとっては女性の下着が干してある乾燥室に男性の衣類が混在していることが生理的に我慢ならないのだろう。
「はい、今からアイロンで乾かしますからお願いします」「あの戦闘服には35普連・4中・松山って名札が縫い付けてあるから35普連の松山2尉の物でしょう。どうしてアンタが洗濯を頼まれたのよ」どうやらこの陸曹も松山2尉には嫌悪感を抱いているらしい。確かに見た目はネクラそうで口調は理屈っぽく、話題は難解で女性に好かれる要素は見当たらない。
「アイツは独身の幹部でも人づき合いしないからリッチなはずね。上手く貢くんにするつもりなの」「いいえ、外国の専門書を買い集めているからお金はあまりないみたいですよ」中村士長の反論に陸曹は呆気にとられた後、口の中で苦虫数匹を噛み潰した。
「WAC用のアイロンをアイツの作業服に触れさせるのは禁止よ。持っていけないなら屋上にでも干しておきなさい。今日の天気なら半日で乾くわ」「はい、判りました」中村士長の素直な返事を聞いて陸曹は教場のドアを閉めた。WAC隊舎の屋上にも「ぶっかんば」と呼んでいる物干場はあるが風で下着などが飛んだ時の混乱を考慮して使用していない。中村士長は電気スタンドを消すと他のWACの目につかないように畳んだ作業外被を紙袋に入れて裁縫道具を上に載せ、教場を出ていった。
「これは手縫いじゃあないか」日曜日、官舎への通い妻から力作を受け取った松山2尉は驚嘆の声を上げた。WAC隊舎にもミシンが置いてあることは聞いているので当然、そちらになると思っていたのだ。ところが中村士長は布製の階級章のミシンの縫い目に1針1針ずつ糸を刺して縫い付けている。裁縫上手でも1時間では済まない超絶技巧だ。
「これなら定年まで1尉のままの方が好いな」賞賛と感謝の辞も皮肉になるのが松山2尉だった。
  1. 2019/11/12(火) 12:09:40|
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