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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

1月1日・俳優・山本太郎の英雄?森恒夫が拘置所内で自死した。

昭和48(1973)年の明日1月1日に連合赤軍の幹部で山岳アジトにおけるリンチ殺人事件の主犯として拘束されていた森恒夫被告が東京拘置所内で自死しました。
森被告は昭和19(1944)年12月に大阪市交通局の路面電車の運転手の息子として生まれました。公立高校では剣道部に入ったのですが、試合中に頭部を打たれて気絶し、目が覚めると別の人格になったような気がしたため、それが後に「暴力によって意識を失わせれば革命戦士としての人格が生まれる」と言う論理に展開し、山岳アジトでのリンチにつながったと言いますから締め技で落ちる柔道部はもっと危ないのかも知れません。
大阪市立大学中国語学科に進学すると当時は学生運動が大流行しており、同じ大阪市立大学の学生で昭和45(1970)年のよど号ハイジャック事件で北朝鮮に亡命する田村高麿▲(=さん欠く)に出会ったことで武力革命を目指す共産主義者同盟に参加しました。この共産主義者同盟は政党として議席を得たことで暴力革命から合法的政治運動に方向転換した日本共産党と決別した過激派で、後に分裂した中から赤軍派が派生したのです(実際は日本社会党が支援しており、現在も福島瑞穂議員は公然と擁護している)。
そんな森容疑者は昭和40(1965)年には日韓条約批准阻止デモで逮捕されますが、取り調べを受けるとベラベラと自供して刑を軽くするように頼み込み、昭和44(1969)年には内ゲバで自己批判を要求されると素直に応じて「リンチにはかけないでくれ」と懇願するなどあまり勇ましい革命戦士ではなかったようです。おまけに組織が70年安保に向けて闘争を激化させると怖気づいたのか活動に参加しなくなり、人前に姿を現さなくなったのですが、大菩薩峠事件(獄中の仲間を奪還するため首相官邸と警視庁を襲撃する武装訓練を山梨県の山中で実施する計画)で主要な活動家53名が逮捕されたことで仲間たちの間で復帰を求める声が起こり、田村▲は「森は度胸がない」と難色を示したものの最高指導者の鶴の一声で復帰が決まったようです。
復帰した森被告は成田空港闘争に参加しますが、他の活動家たちが次々に逮捕され、海外に脱出する中で黙々と拠点作りに励んでおり、そのことで人望が高まって上が抜けた分だけ地位が上がり、ついには赤軍派の最高幹部にまで成り上がりました。
そうして資金調達のための銀行襲撃未遂事件で全国指名手配されると武力革命による警察組織の破壊を目指すようになり、そのために山岳アジトでの軍事訓練を始めたのですが愛人関係だった永田洋子▲とリンチによる仲間12名の殺害を指揮して自滅しました(森被告は国立と一流大学の出身者、永田▲は美貌の女性に劣等感を抱いていた)。そうして永田▲と活動資金を得るために下山したところを逮捕され、この日に独房で首を吊ったのです。遺書には「自己の責任の重さに絶望・・・自らに死刑を下す」とありました。
2001年に公開された左翼系映画「光の雨」では事件を賛美する劇中劇があり、最近は大手マスコミの不可解な支援を得ながら身体障害者を利用して政界進出を画策している3流俳優・山本太郎▲が森被告の役を演じています。有権者は山本▲の思想傾向を十分に認識した上で投票行動を選択しましょう。
  1. 2019/12/31(火) 14:09:09|
  2. 日記(暦)
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振り向けばイエスタディ1781

「松本が帰りました」「無事だったか」午後から松本は工藤と一緒にワシントンに行った。日本大使館の防衛駐在官室に案内されると諸西将補は席を立って安堵した顔で迎えてくれた。
「事前準備も予告もなしの急遽の派遣が2ヶ月になって、いくら百戦錬磨の松本くんでも流石に心配していたんだ」諸西将補は在外公館警備官室の女性職員がコーヒーを運んできたのに合わせてソファーを勧め、盗聴を妨害するための音楽をかけた。
「撮影してきた画像をお見せしながら説明したのですが」「それではパソコンを・・・」諸西将補の指示を受けて松本は机の上で使用中だったパソコンの電源を抜いてソファーのテーブルに運び、コンセントをDVDレコーダーの電源の下に差した。諸西将補は保全上の理由でインターネットをケーブルにしているためこれは接続したまま移動させた。
「フラッシュ・メモリーをよろしいですか」諸西将補が画面を終了させると松本は胸ポケットの名刺入れに隠してきたフラッシュ・メモリーを取り出した。松本としては同じような場面を削除して要点だけを見せながら説明しようと思ったのだが、現地でジェームズから入手したフラッシュ・メモリーは編集不能であり、工藤はそのままにするように指導した。やはり立場による関心を下位にある者が妨げるのは日本軍の悪しき慣習なのだ。
かつてのアメリカ軍は各部署が入手した情報は漏れなく指揮官に報告し、指揮官はその広範囲からの膨大な情報の中で総合的な判断を下すことになっていた。一方、日本軍では指揮官に負担を掛けないように参謀が情報を取捨選択して当事者にとって都合が好い物だけを報告していた。このため道路に例えればアメリカ軍では指揮官が左右を選択するのに対して、日本軍では参謀が決めた道筋を行くか止まるかだけを判断した。その結果、佐官どころか大尉クラスの策謀で満州事変が起こり、第2次世界大戦になだれ込んでしまった。愚かしいことに自衛隊でもこの日本軍式を踏襲しており、近年ではアメリカ政府内でも同様の情報操作が横行しているのだ。その点、工藤は旧来のアメリカ軍式を尊重しているようだ。
「やはりアメリカ政府の公式発表は信ずるに値しないと言うことだな」8月下旬のトリポリ市内での市街戦から始まってガッダーフィ政権幹部のニジェールへの逃亡、さらに各地での国民協議会の捜索隊とガッダーフィ派の攻防戦とNATO軍による無差別爆撃、蜂起した国民協議会派市民によるイスラムの風習を否定する破壊と迫害、そしてスルトへの攻撃とガッダーフィの死。戦場報道の専門家とは比べものにならない松本の稚拙な画像ではあったが、諸西将補は1枚1枚を詳細に確認し、質問を繰り返した。
「先日の島村(岡倉の偽名)のアフガニスタンの現地報告でもタリバーンに対する国民の支持は強固であり、現政権が進める欧米式民主主義の導入はアメリカの傀儡であることの証拠として水面下で離反が始まっていると述べていました」「私はイラクとシリアも見ていますが、リビアはサダーム・フセイン政権のイラクに近く、清濁併せ呑み、硬軟を使い分ける為政者の下で多様な存在が見事に共存していたのですが、その重しが破壊されたことで収拾不能の混乱、むしろ群雄割拠の戦乱が生起しているようです」部内出身とは思えない古典的な用語を並べた松本3佐の見解に諸西将補と工藤1佐は顔を見合わせた。
「このフラッシュ・メモリーは大使以下の外務省の人間に見せて私が説明するのに借りておく。入手先はリビアに潜入していたペンタゴンの国防情報局の担当者と言うことにしておこう」「ガダフィ大佐の死因についてはどうしますか」工藤が外務省の人間が最も関心を示しそうな事例を確認した。外務省としてはアメリカの公式発表を否定するような情報を東京に送ることができるはずはない。しばらく諸西将補も黙って思案した。
「同じ画像を使ってアメリカは例の虚構を公式発表したんだ。専門家の目から見てこの眉間の弾孔は至近距離から射殺されたものだとだけ指摘しておこう」「野畑政権では事実を知らせても無駄ですね」「野畑政権って・・・まだ民政党ですか」工藤の言葉に松本は困惑した。8月下旬にトルコへ向かい、ジェームズと合流してリビアに入った松本は9月2日に日本の首相が交代したことを知らなかった。今では年中行事になっている日本の首相の交代は海外で取り上げられるだけの関心を引かず、混乱の極致にあったリビアでは知る術もなかった。
「松本くんの決死の活躍の成果をあまり活用できなくて申し訳ないな。むしろ保全上の不安もあるんだ」工藤の返事は日本軍式の情報の取捨選択に通じるが、民政党政権は真摯に職務を遂行している官僚・国家公務員たちの貢献を否定し、冒涜してきただけでなく、各省庁からの公式な報告よりも記者会見でのマスコミの追求の方を信用して国政を踏み誤り続けている。下手な情報を渡せばインタビューでの取り引きに何の思慮分別もなく使いかねない。
「そう言えば後任者が決定しましたよ」ここで諸西将補が松本は知らない人事情報を口にした。
  1. 2019/12/31(火) 14:07:22|
  2. 夜の連続小説8
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振り向けばイエスタディ1780

ガッダーフィの殺害でリビア内戦が一段落し、松本は2カ月ぶりにニューヨークに帰った。すでにニューヨークは秋であり、空港内の売店で衣類を買い、その場で着替えて事務所に向かった。午後には工藤と一緒にワシントンの日本大使館に行き、諸西将補にリビアの現状とガッダーフィの殺害の真実を報告しなければならないのだ。
「松本くんはガッダーフィの最期についてアメリカではどのように報じられているかは知っているのか」事務所の長机で画像を掲示するためにパソコンを立ち上げていると工藤が質問してきた。2カ月ぶりに会った工藤は妙に表情が柔らかくなっているような気がする。
「はい、機内で幾つかの新聞を読みましたが、全く事実と異なる報道をしているようです」松本の回答を聞いて杉本、岡倉、本間はそれぞれ席から顔を向けた。
「どの新聞もガッダーフィは車列を組んでスルトを脱出しようとしたところに空爆が始まったので下水道に逃げ込んで死んだことになっていました」「それはアメリカ政府の公式発表であって、テレビ報道やインターネット配信でも同じことを言っているよ」松本の前置きにこちらも変に角が取れたような杉本が補足説明してきた。2カ月の間にこの事務室の人間に何があったのかは判らないが、微妙に雰囲気が変わったように感じる。
「実際は・・・」松本はジェームズから特に口止めはされていないが、アメリカ政府の公式発表に反する事実を語る言葉が出なくなった。今までもイラクやシリアで見聞したアメリカ政府の公式発表とは異なる事実をありのままを報告してきたが、今回は嫌悪感が胸に湧き上がり、吐き気さえもよおしてきた。そこで自分のマグカップにコーヒーを注ぎ、1口飲んだ。
「これがNATO軍のスルトへの空襲で、イタリアから飛来したミラージュ2000です」松本が立ち上がったパソコンにフラッシュ・メモリーを差し込んでスルトでの画像を掲示すると杉本、岡倉、本間も工藤の後ろに回り、パソコンを注視した。中でも本間は台湾空軍の新竹南寮基地でミラージュ2000を見たことがあるので身を乗り出している。
「これは新製品の無線誘導式偵察機の攻撃機バージョンです。低高度で飛行して目標に向かってヘルファイヤー・ミサイルを発射しました」空襲の場面が続くが撮影している場所が安全地帯なので迫力に欠ける。むしろ音声も入る動画の方が良かったが、電池の入手が困難だったため静止画像にせざるを得なかった。
「こここからスルト市内の破壊の状況ですが、事実上の無差別爆撃でした」松本はあえて「戦果」とも「損害」とも言わず、あくまでも中立・第3者としての報告にしている。
「それにしても空軍って連中は残酷だな」「奴らは人が死ぬのを間近で見ることがないからな」スルト市内の爆撃で破壊された家屋と殺された一般市民、ヘルファイヤーで焼き尽くされた廃墟と黒く焦げた遺骸を見ながら杉本と岡村が冷やかに評した。それを空軍=航空自衛隊の松本は苦い思いで受け取り、同じ味のコーヒーで腹の中に流し込んだ。
「これがガッダーフィ一族の長の屋敷跡です」画像では完全に破壊されているので「跡」になるが、実際は木材や人間かも知れない肉類が焼ける臭いが漂っていて過去形にはなり切っていなかった。続いて道路の情景になると全員が身を乗り出して注視した。
「これが車列かァ。これで逃走しようとしていたようには見えないな」「やはり公式発表は虚構と言うことだな」車列は整然と並んでおり、駐車中に破壊されたことは明らかだ。
「この穴が現場です」松本の説明に4人はさらに顔を突き出したが画像はコマ送りにしかならない。ワシントンに行く前に編集した上で画像を処理するべきかも知れない。
「これが引き出されたガッダーフィの遺骸です。額の中央に弾孔があります」「この画像はNATO軍とリビアの新政権も発表しているぞ」「車列から下水道の穴に逃げ込んで死んだと言うだけで、死因は明らかにしていないが・・・」ここで先ほど言いかけた事実の告白になる。松本は深めに息を吸って4人の顔を見回してから口を開いた。
「ガッダーフィの警護要員は南アフリカ人の傭兵だったようです。そこに・・・」「暗殺者を潜入させたんだな」杉本が言い当てると岡倉が悔しそうに舌打ちをした。
「それではガッダーフィが命乞いをしたとか殺害者を罵倒したと言うのは毎度の捏造だな」「本人はサッダーム・フセインの処刑を思い出して『あんな惨めな死に方はしたくない』と言っていたそうです。むしろ『銃弾で死にたいが、ムスリムは自決できないから』と望んで殺されたそうです」これはMI6の工作員=暗殺者がジェームズに語った話の請け売りだが、ガッダーフィを凶悪な独裁者にしなければならないアメリカ政府が認めるはずがない。今年の5月2日に死んだウサーマ・ヴィン・ラーディンと同様に、あくまでも死に際は見苦しく、惨めで醜悪な死に方をしなければ天罰により悪が滅びたことにならないのだ。
  1. 2019/12/30(月) 13:23:09|
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振り向けばイエスタディ1779

10月も後半に入ると新政権・国民評議会は最後まで頑強に抵抗していたガッダーフィの出身地・スルトを包囲し、NATO軍の空襲の戦果を見極めながら突入の機会を窺っていた。当然、ジェームズと松本も捜索隊=新政府軍に同行している。今回は2人ともNATO軍の連絡員と言う肩書なのでベルギー軍の迷彩服を着て短機関銃を携帯している。混乱の極致にあるリビア国内では文民と戦闘員の区別は意味を為さず、ジャーナリストでは任務を遂行できないのだ。
「NATO軍が空襲を加えたら突入だ」ジェームズは無線機で入手した情報を伝えると双眼鏡で北の空を見た。これまでもNATO軍は地中海の対岸約500キロの距離にあるイタリア半島から攻撃機を飛ばして徹底的な空襲を加えてきたので定期便のようなものだ。
「今回はアメリカ製の無人偵察機の攻撃機バージョンを使うらしい。新製品だから現地で性能を確認しろと言う要請だ」ジェームズは双眼鏡で空を見たまま追加情報を口にした。アメリカの軍事産業にとってリビアもソ連に代わって兵器の売り込みに励んでいるロシアや中国に対抗するための宣伝の会場であって、最後の出番を逃す訳にはいかないらしい。それにしても買い手である石油富豪たちもイスラム教徒であることは考慮に値しない些末事のようだ。
「来たぞ。あの音はミラージュ2000だな」松本がジェット音に気がついて顔を向けるとジェームズは振り返って声を掛けてきた。確かに聞こえてくるのはジェット音で無人機・プレデターであれば軽いプロペラ音のはずだ。
「ジェットで第1撃を加えて対空火力を沈黙させた後、無人機で生き残りを一掃すると言う手だな」ジェームズの説明に松本は航空自衛隊の幹部候補生学校で学んだドレスデンや東京での空襲でイギリス軍とアメリカ軍が行った攻撃手法を思い出した。石造りの建物が多いドレスデンでは通常爆弾で屋根を破壊した後、焼夷弾で内部に火を点け、消防隊が出動したところに再度攻撃を加え、さらに市民が防空壕から出た頃を見計らってとどめを刺した。一方、木造家屋が大半の東京では攻撃目標の周囲に焼夷弾をばら撒き、逃げ場を奪ってから爆弾で破壊し、さらに艦載機で生き残った市民を機銃掃射した。スルトの市街地でもミラージュ2000が数回通過して激しい爆発が続いた後、低速の無人機が低高度から空対地ミサイル・ヘルファイヤーを発射し始めた。ヘルファイヤーは「地獄の業火」と言う名前の通り、強烈な爆発で広範囲を焼き尽くす高性能の焼夷弾のような兵器で無人機には3発を搭載している。
「さて出番だな」「誤爆を受けないことを祈るよ」攻撃を終えた無人機が北に戻り始めたところで銃を構え、臨戦態勢の兵員を乗せた新政府軍の車両が走り出した。これから生存者と呼んだ方が適切なガッダーフィ派の残党を掃討する市街戦が始まる。しかし、2人は別行動を取る。スルトに来て夜間に逃れてきた住民から訊き出したガッダーフィ一族の長の屋敷に向かい生存を確認することにしていた。
「ここだな。屋敷は跡形もないぞ」「爆撃を受けた後にヘルファイヤーまでお見舞いされたようだ」2人は4WDを爆撃前には立派な建物があったと思われる広大な敷地の前に停車させて状況を確認した。敷地には焼け焦げた廃材と煉瓦と屋根瓦が瓦礫になって山積みになっており、前の道路には炎上した車両の残骸が列を作って並んでいる。
「車両で脱出したようだな」「そんな無謀なことを考えるほど愚かじゃあないだろう。俺なら避難民に紛れ込むよ。身長183センチだから女に化けるのは無理だがね」2人は周囲に人影=動く物がないことを確認すると車両から下りた。道路の中央には爆撃で大きな穴が開き、覗きこむと下水道だったようで汚った水が浅く流れている。その時、ジェームズが無言で左手の掌を突き出した。実は松本も数人が水を蹴って歩いてくる足音と何かを引き摺るような音を聴き、短機関銃を構えたところだった。
「フリーズ(動くな)」2人が穴の縁に伏せると暗い下水道の中から緑色の戦闘服を着た男が姿を見せた。頭と顔には北アフリカのムスリマ(イスラム教徒の男性)のように青い布を巻いているが、ジェームズの誰何に向けた目が青いのでヨーロッパ人であることが判った。
「999(トリプル・ナイン)か。仕事は終わったよ」戦闘を歩いてきた男は顔を覆っていた布を外すと笑顔を見せて答えた。999と言うのはジェームズの識別番号らしい。
「そうか。成果を見せてもらおうか」ジェームズは口元だけ表情を緩めると確認を促した。ジェームズの言葉に先頭の男は下水道の中に声をかけ、2人の男が何かを引き摺ってきた。
「眉間に一発か。随分と簡単に終わらせたな」「うん、軍人らしく素直に殺されたよ」陽が当たる場所に引き出されたのはガッダーフィの遺骸だった。警護要員と同じ緑色の戦闘服を着ているが上衣のボタンを外され胸から腹が露出している。黒い長髪を掻き分けた眉間の中央に弾孔がある。目は薄く開けているが、従容とした死に顔だった。
  1. 2019/12/29(日) 12:40:42|
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12月29日・我が矢作南小学の大先輩・飛田武幸先生の命日

2017年の明日12月26日は我が愛知県岡崎市立矢作南小学校の先輩で世界的数学者である飛田武幸先生の命日です。90歳でした。
野僧の母校・矢作南小学校はKS磁石鋼の発明などの業績で第1回文化勲章を受章した物理学者で東北帝国大学総長だった本多光太郎博士の出身校であり、本多博士の座右の銘「つとめてやむな」を校訓にしました。
このため理数系、文科系、芸術、体育などの分野や教科書・授業に関係なく児童の探究心、向上心と切磋琢磨を尊重し、その成果を発表・披露・発揮する機会を与える独得の校風があって、野僧も小学校で培われた勉強好きを現在も堅持しています。
そんな矢作南小学校で「第2の本多」と呼ばれていていたのが飛田先生で、野僧が6年生の時にはPTAと6年生を聴衆にした講演会が催されました。とは言え矢作南小学校の校区は矢作川沿いの田園地帯のためPTAの大半は農家であり、そこに企業の社員の妻=母親が混じっている状態だったので幾ら高名な数学者でも「小学生時代の思い出話」や「大先輩である本多博士への思い」「勉学努力の体験談」などの理解できる話しを聞かせてくれるだろうだと思い込んでいたようです。
講演では最初に主催者であるPTA会長(当時は父兄会長)が飛田先生の経歴を説明しましたが「昭和2年に某所(地区名は失念しました)で生まれて矢作第3尋常小学校(現在の矢作南小学校)に入学し、昭和27(1952)年に名古屋大学理学部数学科を卒業しました」と言ったところでPTA席では「本多博士は帝大(=現在の東京大学)だったぞ」との囁きが起こりました。それでも「現在は名古屋大学教授」「最近、『確率論研究者の回想』と言う本を岩波書店から出した」と続くと「やっぱり凄い」に持ち直しました。
講演では飛田先生は聴衆の知的レベルを全く考えていなかったようで当時、研究中だったブラウン運動の話を熱く語り始めて(昭和50年に岩波書店から研究書を出版した)、理解した者はおそらく教師も含めて皆無と言うことになったのです。それでも最後は再び登壇したPTA会長に「是非、本多先生に続いて文化勲章を、ノーベル賞ならなお結構です(数学分野の最高権威はフィールズ賞)」と激励されて講演会は無事に終わりました。
しかし、それで終わらないところが矢作南小学校で、翌日に理科系が専門の1組の担任が野僧の2組にやってきてブラウン運動を判り易い言葉で解説したのです。それによるとブラウン運動とは液体の中で微粒子が不規則に運動する現象のことで、これによって原子や分子の存在が証明されたと説明しましたが、それをどうして数学者の飛田先生が研究しているのかが理解できないままでした。その後、大学で数学を専攻した友人からブラウン運動の不規則性を経済に適用した研究が数学に含まれることを聞いて納得しましたが、飛田先生はホワイトノイズ(ノイズの周波数が均等な常態=擬音では「シャー」と表現される)の数理的考察でも世界的な評価を得ていたそうなので、算盤(そろばん)の延長線でしか数学を理解できない野僧には始めから関わるのは無理な大先輩でした。それにしても文化勲章を受章できなかったのは残念です(2007年に瑞宝重光章は受章している)。
  1. 2019/12/28(土) 13:17:07|
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振り向けばイエスタディ1778

8月24日にガッダ―フィがトリポリから逃亡して以来、リビアの各市街地や集落は国民評議会が派遣する捜索隊よって制圧されている。しかし、新政権とNATO軍、そして西側のマスコミが「残党」と呼ぶガッダーフィの信奉者たちは執拗に波状攻撃を加えており、アフガニスタンやイラクと同様の状況が発生しているだけだ。その点、シリアはイラクから逃れてきたイスラム過激派が暴力で敬虔なイスラム教徒たちを迫害しているので状況が違う。
「あの時、ニジェールへ逃亡したのはガッダーフィ政権の残党だけだったよな」トリポリに戻り、散発的に起こる市街戦を遠巻きに見聞する「平和な時間」を過ごすようになって1ヶ月が過ぎ、住民が殺害されて無人になっている家屋の一室で松本はジェームズに語りかけた。それは9月上旬にアメリカ軍の無人偵察機が大規模な車列が砂漠を南下しているのを発見し、現地に向かう捜索隊に同行した事件のことだ。あの時は車列から発射された携帯式地対空誘導弾で偵察機が撃墜されたためNATO軍は車列にガッダーフィが乗っていると判断したが、国民評議会は別ルートからの情報を重視して対応が遅れ、国境を突破させてしまった。
「結局、あの車列に乗っていたのはガッダーフィ政権の残党だけだった。NATO軍としては空爆で阻止するつもりだったが、やはり新政権に正規の裁判で処分させないと国際上社会に説明がつかないんだよ」ジェームズは街角の露店で買ってきたナツメヤシの実を口にしながら答えた。ナツメヤシは甘味と渋味が程良い果実だが、何よりも栄養価が高い健康食品だ。
「ニジェール政府は国民評議会の引き渡し要求を拒否したじゃあないか。身元の確認にも応じていない。NATO軍は本当に武力でイスラム教を壊滅できると思っているのか」松本は最近、口が重くなっているジェームズに畳みかけるように話しかけた。ジェームズも本国に「国民評議会はイスラム教徒の支持を得ていない」「NATO軍の攻撃は市民の怒りを呼んでいる」「武力行使はガッダーフィへの信任を呼び戻しているだけで逆効果だ」と再三報告している。日支事変から第2次世界大戦にかけてアメリカが中国に送り込んでいたジョセフ・スティウェル大将は蒋介石が中国人だけでなく国民党軍の将兵からも嫌悪されていることを具体的に報告して日本陸軍を大陸で壊滅させると言うルーズベルト大統領の戦略を転換させたが、情報を捏造することから始まったこの戦争を情報で止めることはできないのかも知れない。
「今のガッダーフィの警護要員はボディー・ガードを除けば南アフリカの傭兵なんだ。その中に俺の同僚を紛れ込ませている。ガッダーフィ自身も警護車両で行動しているから間近で捕獲する機会を伺っていると言うことだ」この情報は初耳だった。それを語るジャームズの目を見て松本は潜入しているMI6が機会を伺っているのは「捕獲」ではなく「殺害」であることを察した。イラクのサッダーム・フセインは2006年12月30日に形式的な裁判で死刑判決を受けて即日執行されたが、ガッダーフィには最早その手間もかけないようだ。
「あの時、国民評議会は信頼できる人物からの情報としてガッダーフィはバニワリードに潜伏しているって言っていたんだよな」今夜の松本の思考は9月上旬に引き戻されて足元を確認しているようだ。唐突にジェームズが捜索隊の幹部が宿泊している家屋で朝食をすませ、歓談している間に傍受した無線機の会話が思い出された。音量を下げた無線機で聞いたNATO軍の情報要員たちは妙に訛った英語で国民評議会の見解を嘲笑していたがニジェールへの逃亡が事実誤認であった以上、こちらを再度検証するべきではないか。
「バニワリードとスルトは近いのか」ガッダーフィの出身地が地中海沿いのスルトであることを思い出した松本が声をかけるとジャームズは無線機のイヤ・ホーンを耳にはめて目を閉じていた。確かに部屋の中で足を伸ばして眠られる生活は有り難い。ジェームズはリビアに来るまでアフガニスタンでも同様の生活を送っていたのだから疲労が溜まっているのは当然だ。
仕方ないので松本は地図でトリポリを起点に2つの地名を確認して距離を測った。するとトリポリからバニワリードは内陸に向かって150キロ弱、そこからスルトは沿岸に出て200キロ強だ。反ガッダーフィ派の組織が整う前なら車両でも容易に移動できる距離だ。つまりガッダーフィはバニワリードで政権幹部と別れ、出身地のスルトに向かったと考えるのが順当だろう。イスラム社会は部族の結束が文化大革命で破壊されるまでの中国と同様に極めて強固であり、国家の法律よりも部族の慣習が厳守される。ガッダーフィの部族は国民評議会が捜索隊を仕向けても武器を取って抵抗し、絶対に引き渡すことはないはずだ。
「興味があるのかね。相棒が寝てしまったから暇つぶしに君たちの指導者が今どこにいるのかを推理していたんだ。当たっていても少しでも生き延びられるように黙っておくよ」松本が顔を上げると殺されたらしい子供が目の前で地図を覗きこんでいた。背後には3世代の家族が立っている。松本は手を合わせて実家の宗旨で「南無妙法蓮華経」と題目を唱えた。
  1. 2019/12/28(土) 13:16:05|
  2. 夜の連続小説8
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振り向けばイエスタディ1777

行方知れずのガッダーフィの捜索は広大なリビア全土に及んでいる。それは政権を奪取した国民協議会に対するアマリカ軍を含むNATO軍の全面的な支援があってのことだが、松本には日本の古典芸能・文楽のようにNATO軍が人形遣いで国民評議会はその手で演じさせられる人形のように見える。特にオバマ政権はアフガニスタンやイラクを始めとする対イスラム戦争からの撤退と不関与を表明しながらアメリカ軍はNATO軍の一員として公然と介入しており、表舞台に立たない人形遣いの役割を最大限に利用しているようだ。
「ガッダーフィはニジェールへ亡命するつもりらしいぞ」2人は国民評議会の捜索隊に同行しながら車中泊を続けているが、ジャームズは眠る時にも高性能の小型無線機のイヤ・ホーンを装着している。その無線機は日本製で、それをイギリスの情報機関が長期間にわたり荒野で活動する諜報活動用に改造したものだ。そのため砂塵や強烈な直射日光、さらに高温多湿に耐え得る補強だけでなく太陽電池や車両のエンジンの発電機でも使用できる。
「またアメリカ軍のドローンが車列を発見したって言うんだろう」松本は寝袋の中で返事をした。松本が主戦場にしているアラビア方面の砂漠地帯は夜間でも気温は30度以上のままだが、サハラ砂漠では氷点下になることもある。この登山用寝袋は岡倉がアフガニスタンで使っていた物をジェームズが持って来てくれた。
「リビアとニジェールの国境線はアルジェリアとチャドに挟まれて狭くなっているから逃亡するには不利だろう。ガッダーフィを隠すための囮じゃあないのか」松本は座席を起こすと窓の外の風景を見回しながら見解を述べた。砂漠では陽が昇れば急激に気温が上がるので、そろそろ暑くなってくるはずだ。ジェームズと行動を共にし始めて1週間だが、中国と並ぶ情報強国・イギリスの諜報要員から個人教授を受け、ようやくリビアの歴史と地理、宗教、現在の政治と軍事の情勢などの知識を備蓄できてきた。
「確かにニジェールとの国境はアルジェリアとチャドの岩場に挟まれているが、そこに逃げ込まれれば捜索は困難になる。だからその手前の砂漠で捕獲しなければならないんだ」ジェームズの口調が説教になったので松本は寝袋から出て靴を履いた。イギリス紳士のジェームズはトイレ以外で用便することを嫌うが、日本人の松本は自然現象=人間の摂理として朝一番の排尿・排便をしなければならない。荷台に置いてある段ボール箱から取り出したトイレット・ペーパーを持ってドアを開けると砂漠には珍しい快適な気温だった。
捜索隊の幹部たちは集落の民家に宿泊しているが兵士たちはトラックの荷台で寝袋だ。松本のドアの音で荷台から兵士たちの話し声が聞こえ始めた。周囲に兵士の姿はなく不寝番は立てていないらしい。このような素人にリビア軍の最精鋭であるはずのガッダーフィの警護部隊を制圧することができるのか懐疑的になってくる。松本は身体が隠れる程度の岩場まで歩いて行って死角に手で穴を掘ってからしゃがんだ。大切な水で手を洗うことはできない。
松本が車両に戻ると交代にジャームズは幹部たちが宿泊している民家に用便に行った。やはりイギリス紳士としての誇りは可能な限り捨てないらしい。松本は無線機の傍受を頼まれてイヤ・ホーンを装着したが、電池を節約するため音量は限界まで下げてあり、英語を母国語としない人間の英会話を聴き取るのに苦労した。
「国民評議会がガッダーフィはバニワリードに潜伏していると言い出した。信頼できる人物からの情報らしい」バニワリードは地中海沿いのトリポリからやや内陸にある都市なのでニジェールとは逆方向だ。これはNATO軍の情報要員の専用通信と聞いているが、かなり混乱している様子が伝わってくる。
「8月29日にアルジェリアに逃亡した妻と長男、5男、長女の団体に紛れ込んでいなかったのか。ガッダーフィは警護要員に変装するのが得意だぞ」「アルジェリア政府は30日に長女が出産したと言う続報以外に国民評議会とNATOの照会に回答していない」この状況から推理するとアフガニスタンやイラクと同様にリビアでもアメリカやEUの政権やNATO軍の思い込みのように国民に反イスラムの意識は発生しておらず、逆にガッダーフィの逃亡を助けるための偽情報を流し、本人だけでなく革命評議会関係者を匿う相当数の協力者が各地に存在するのではないか。松本がシリアで見てきたのもイラクから逃亡してきた山岳地帯の少数民族たちが反フセインの反乱を期待したアメリカに供与えられた武器をイスラム教を守る聖戦としてアメリカに向けるようになった事実だった。
用便にしては中々ジェームズが戻ってこないので松本は朝食や幹部たちとの調整を始めたと考えて空腹を満たすことにした。荷台の段ボールでも一番大きい食料用の箱からパンと缶コーヒーを取り出した。途中の街の露店で買った焼きパンは砂漠の気候で乾パンになっている。次の食料を入手できるまで野菜や果物は口にできない。栄養管理は滅茶苦茶だ。
  1. 2019/12/27(金) 13:46:28|
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振り向けばイエスタディ1776

松本は8月下旬のトリポリ陥落に合わせてリビア入りしたが、日本ではカダフィ大佐と言う不可解な呼び名が定着いている最高指導者のムアンマル・アル=ガッダーフィはその前に逃亡しており、杳(よう)として行方が判らなくなっている。松本としては日本との外交関係が薄いリビアでは国内の混乱を現地確認するだけで十分だが、相棒のジェームズのイギリスは旧宗主国であり、直接介入しているNATO軍の戦果確認を含めた詳細な調査を命ぜられているため反ガッダーフィ派の捜索に同行していた。
「軍の最高司令官が大佐と言うのも妙な話だね」反ガッダーフィ派の車列の後ろに続行しながら助手席の松本はリビアに関する情報不足を補完するための質問を始めた。今回の派遣は民政党政権下で外務省が機能停止になっていることの窮余の策として「アラビア語に堪能」と言うだけの人選で送り込まれたため事前情報は持ち合わせていないのだ。
「ガッダーフィの大佐は尊敬するエジプトのナッセールの軍人としての最終階級を真似しているだけでリビア軍での階級は中尉だったんだよ」意外な回答に松本はイギリスの情報収集能力の幅と深さを再認識した。ガッダーフィは陸軍士官学校の学生だった時から封建君主制を打倒することを目指す自由将校団(この時点では候補生だった)を組織しており、1年間のイギリス留学を経て通信隊勤務の中尉だった1969年9月1日にトリポリでクーデターを起こして政権を奪取すると海外で病気療養中だったイスラム君主の帰国を拒否して共和制国家を樹立させた。一方、アメリカでは日本の外務省やマスコミが請け売りしている通りの表面的な理解に終始している。アメリカの国務省や軍と国防総省の諜報機関も情報量では遜色はないが分析能力が格段に違う。アメリカでは政治的目的に基づく先入観を根拠づけるために事実を取捨選択し、変質させた解釈を大声で断定することが横行しているのだ。
「それでも一介の中尉が国家元首にまで上り詰めたんだから卓越した人物だったのは間違いないだろう。イラクのサッダーム・フセインもブッシュ・ジュニア政権に殺されたが、あの政治手腕を失った後の混乱は収束できてないじゃあないか」松本の指摘にジェームズは口の中で苦虫を大量に噛み潰した。イギリスのMI6にとってイラク侵攻はブッシュ・ジュニア政権に籠絡されたトニー・ブレア政権が諜報機関は否定していたイラク国内の大量破壊兵器の存在を認めた屈辱の過去であり、多くの国をイスラムとの全面戦争に引き込んだ共犯者としての罪悪感が不満や憤怒よりも失意と苦悩を与えるのだ。
「リビアは表向き直接民主制を敷いているから国家元首は存在しないんだ。ガッダーフィも国家指導評議会の議長であって大統領でも国王でもないよ」「この規模の国なら直接民主制が成立するのかな」地理の授業のような話になって松本は生徒のように考え込んだ。日本の地理で習った直接民主制と言えばスイスになるが、人口ではスイスが約787万人で世界93位なのに対してリビアは約665万人で100位にも入らない。しかし、面積はスイスが約4万平方キロメートルで131位なのにリビアは約156万平方キロメートルで16位だ(日本は約38万平方キロメートルで61位)。ただし、石油や天然ガスなどの地下資源は潤沢で国力としてはスイスに引けは取らない。要するに民主主義の概念自体が違うようだ。
「どちらにしろ民衆がここまで過激に蜂起して殺そうとする指導者は過酷な圧政を敷いていたのは間違いないな」ジェームズは一方的に結論を出したが松本には自己弁護にしか聞こえない。リビアへの派遣が決まってから事務所で乱読したスクラップ・ブックや録画してあったニュースの動画では2010年の暮れにチュニジアで発生した反政府デモに呼応して2011年2月にリビアでも民主化を求める反政府デモが始まったことになっているが、どちらもイスラム教の戒律と西欧的な自由民主主義の整合を進めるソフト・イスラム国であり、中でもリビアは富の分配には積極的でガッダーフィ政権に対する国民の支持はイラクのフセイン政権と同様に強固だったはずだ。何よりも反政府の声がインターネットを通じて拡散・勃興したことからヨーロッパ圏からの扇動と見るのが非キリスト教徒でアジア人である松本の常識だ。
「要するにブッシュがアフガニスタンとイラクで始めた対イスラムの第3次世界大戦をNATO軍が継承してエジプト、チュニジア、リビアと北アフリカに拡大したと言うことだな。結局、十字軍の使命感を持ち続けているんだね」この独り言は日本語にしたがジェームズが日本語にも堪能であることは判っている。日本人としての見解として伝えたのだ。
「ヒョッとして首謀者はバチカンの教皇か・・・」前を走る小型トラックの荷台で銃を構える兵士たちを眺めながら松木の思考は唐突に飛躍した。9・11テロへの懲罰=報復を大義名分とする今回の世界大戦はブッシュ・ジュニア政権内の軍産複合体の画策と言われているが、ここまで宗教戦争の様相を呈してくると、より根深い人類史上の悪事を考えたくなってくる。
  1. 2019/12/26(木) 13:25:34|
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12月26日・艦隊派の犠牲者・水城圭次大佐が自決した。

昭和2(1927)年の明日12月26日にワシントン海軍軍縮条約による海軍力の制限に過剰反応した艦隊派の加藤寛治連合艦隊司令長官の無謀な訓練によって発生した美保関事故の責任を負って軽巡洋艦・神通の艦長・水城(みずしろ)圭次大佐が自決しました。
帝国海軍は大正10(1921)年に締結されたワシントン海軍軍縮条約でイギリス、アメリカとの主力艦の保有比率を10対10対7と要求していながら5対5対3に制限されたことに不満を抱いた艦隊派の首魁・加藤司令長官が認知症が始まっていた「生ける軍神」・東郷平八郎元帥に泣きついたところ「訓練に制限はない」とのご託宣を受け、殊更に困難・危険を追い求める常軌を逸した無謀な訓練を始めたのです。
しかし、条約を締結した時点での主力艦の保有数はイギリスが30隻、アメリカが20隻に対して日本は11隻だったのでこの比率はむしろ増強を容認されたと見るべきでした。実際、イギリスは30隻を保有していてもスエズ運河や南アフリカ経由でインド、シンガポールに至る長大な航路の防衛を果たさなければならず、アメリカも太平洋と大西洋の2正面に艦隊を展開しなければならないため日本のイギリス、アメリカの10に対して7と言う比率は国力を無視した妄想に等しいものでした。それでも加藤司令長官は訓練の危険性を危惧する現場の声も生ける軍神のご託宣を盾に受けつけず、艦乗りたちも勇気・技量の欠如と評されるのを惧れ、平時に死を覚悟する異常な状態に陥って行ったのです。
美保関事故は昭和2(1927)年8月24日(=月齢は4分の1強だった)に島根県美保関沖の日本海に連合艦隊が主要艦艇を終結させて実施した夜間演習で発生しました。この演習は戦艦6隻と軽巡洋艦4隻をイギリス、アメリカ艦隊に見立てた甲艦隊として、これを水雷戦隊の乙艦隊が夜間に無灯火で接近して攻撃を加えると言うものでしたが(まだレーダーはなかった)、演習直前に第1水雷戦隊の駆逐艦8隻が第2水雷戦隊に編入されて攻撃に加わることになりました。
こうして始まった演習では午後11時過ぎに甲艦隊に肉薄した軽巡洋艦・神通と那珂が探照灯の照射を受け、これを被弾と判定されて右に離脱したところ後続してきた重巡洋艦2隻と第1水雷戦隊から編入された駆逐艦8隻の艦隊に突っ込む形になり、神通と駆逐艦・蕨が衝突して神通の艦首の水面下が破損・欠落、蕨はボイラー付近が爆発して沈没、さらに事故を回避しようといた那珂も駆逐艦・葦と衝突して大破したのです。殉職者は蕨が艦長以下91名、葦が27名で遺骸はほとんど収容できませんでした。
この事故を受けて神通の水城艦長が業務上過失、艦船覆没、業務上過失罪で告発され、軍事裁判にかけられたのですが、判決前日のこの日に自宅で自決したのです。ところが自分の勝手な過剰反応で無謀な演習を強行した加藤司令長官は取材を受けると「真剣な訓練と絶対安全とは中々両立し難いものだ」と発言したように反省の色はなく、本人は元帥に色気を見せながらも大将のまま退役し、昭和14(1939)年に病没しています。
水城大佐は砲術士官だったため砲声で重度の難聴になっており、艦長としても艦橋内での会話が聴き取れず、それで判断が遅れたと言われています。
  1. 2019/12/25(水) 13:42:07|
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振り向けばイエスタディ1775

松山3佐は1科長を黙らせたところで立ち上がると廊下に出た。すると向かいの連隊長室のドアの隙間から手が伸びて手招きされた。それが白く細長い指の女性の手であれば怪しい雰囲気だが真逆の節くれ立った小父さんのものだ。状況から言えば連隊長になる。
「失礼します」小声で挨拶してドアを開けるとやはり連隊長だった。松山3佐は廊下に誰もいないことを確認してから入室した。今回はドアを閉める音にまで気を使った。
「まァ、座れ」連隊長は声を落としてソファーを勧めた。どうやらこの面談自体を隠蔽したいらしい。松山3佐も無言で席についた。密談であればコーヒーが運ばれてくるはずがない。連隊長は身を乗り出して顔を近づけると口を開いた。
「いよいよ特命に向けて踏み出すようだな」連隊長の単刀直入な質問に松山3佐は返事はせずにうなずいた。実際は採用面接だった前回の東京への出張は連隊長を通じて伝達されたが、極限された人物だけで進められる特別な任務だけに、1佐に過ぎない連隊長にまで情報が伝わっているとは思えない。松山3佐が言葉を発しないことで連隊長は真意を察したようだ。
「勿論、細部は知らされていないが私もどこかの防衛駐在官にならないとは限らない。噂程度に話を聞いたことがあるよ」連隊長はさらに声を落として内緒話のようにした。松山3佐もこの説明に応じて必要な状況を伝えることにした。
「後は軽率に依願退職した幹部が音信不通、所在不明になります。家族一緒と言うところがパターンから外れていますが」「そうか、君だけではなく奥さんの後任も確保しなければならないんだな」考えてみれば第3普通科連隊長は名寄駐屯地司令も兼務しており、駐屯地業務隊所属の妻・松山裕美2曹の上司でもあった。
「時期としては1科長が副連隊長を使って何か言ってきたのを切っ掛けに、堪忍袋の緒が切れて依願退職したことにします」「君の4中隊での人望から言えば1科長が悪役になることはあるまい。後任が決まるまでは1科長に本部管理中隊長を兼務させて本部管理中隊長を4中隊長に横滑りさせる人事も考えられるから今同様、あまり人気を獲得しないでくれたまえ」連隊長も松山3佐が超体育会系の巣窟である第3普通科連隊では異分子であり、脳まで筋肉質な隊員から敬遠されていることは承知している。その一方で森田曹侯補士の不当人事に真っ向から抵抗した態度に敬意を抱いた隊員も少なくないことも理解している。ただし、1尉への昇任年限に達していない副中隊長=1小隊長による代行は避けたいと言うのが本音だろう。
「それにしても森田士長を使った挑発は傑作だったな」これ以上の話は出ないと見切った連隊長は少し表情を緩めると雑談に移った。それでも音量は上げない。
「あれは国営放送の美術にいる友人から入手しました。坂の上の雲用の屯田兵の軍服です」「すると今年の年末には第7師団が登場するんだな」意外な説明に連隊長は無意識に声を大きくした。やはり北海道で勤務する陸上自衛官として日露戦争における屯田兵と第7師団の活躍には興味を抱いているようだ。日露戦争では北海道での徴兵開始に伴って明治29年に創設された第7師団が旅順要塞攻城戦に投入されただけでなく、残っていた屯田兵は長岡外史少将の画策でロシアがセオドア・ルーズベルト大統領の仲介による停戦交渉に応じる意思を表明してから樺太に侵攻して南半分を占領している。司馬遼太郎の原作ではこの戦闘にも触れていた。
「友人の話では撮影の準備はしていたんですが、放送時間に収まり切れないので大迫尚敏師団長が赴任してきて心境を語る場面だけだそうです」「国営放送としても衣類の保管には限界があるからな。ウチの補給科でも被服にカビを生やさないのに苦労しているから余計な物は処分しなければならないんだろう」やはり連隊長は駐屯地司令としての職務も認識していることが判った。予算が潤沢な国営放送と空調設備もない駐屯地の補給倉庫では被服の保管状況は違うはずだが、第2次世界大戦を経験した世代が急激に減少している時代に日露戦争を描いたドラマが制作されるとも思えず、新品を原価で買えたのは当然だったのかも知れない。
「しかし、坂の上の雲の軍服は第1話、第2話までは滅茶苦茶だったが、あの屯田兵の軍服を見る限り今回は修正したようだね」3年連続・隔年放送の「坂の上の雲」の最終話が近づいていることに気がついて連隊長はその話題を続けてきた。確かに第1話では陸海軍共に史実にはない珍奇な軍服が続出して、明治35年に発生した八甲田山事件の資料館を開設している青森駐屯地の第5普通科連隊でも怒りの声が上がっていた。
「国営放送にも抗議の電が殺到したそうで、友人も歴史研究家の指導で衣装を手直ししたようです」「だろうな。上下白の軍服では汚れが目立って訓練にならんよ」連隊長は陸軍の例を挙げたが、視聴者の怒りを買ったのは海軍の白ズボンと軍帽の金線だったと友人は言っていた。尤も松山3佐にはその手の趣味がないので特に気にはならなかった。
  1. 2019/12/25(水) 13:41:03|
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振り向けばイエスタディ1774(少し体験談です)

「中隊長、1科まで来て下さい」松山3佐が朝礼を終え、ゲートまで森田曹侯補士=今日からは森田士長(正式には「予備」がつく)を送って中隊長室に戻ると、待っていたかのように1科長から電話が入った。第3普通科連隊の隊舎は連隊本部と各中隊は別棟になっているため連隊本部の窓から監視している訳にはいかない。中隊事務室に戻り次第の連絡を指示していたようだ。松山3佐としては1科長の小言は聞き流しても、1尉の1科長が松山3佐を叱責するのに副連隊長を介入させるのが煩わしい。
「松山3佐だ、入るよ」1科のドアを開けると松山3佐は独り言のように声をかけた。部屋の主が1尉なので敬礼する相手がいないのだ。
「これはお呼び立てしてすみませんでした」松山3佐を見て1科長は席で立ち上がると無理な愛想笑いを浮かべて一礼した。
「どうぞこちらへ。コーヒーをお出ししろ」1科長は自分の机と総務・人事担当者の席に距離を作るように置いた1人掛け対面のソファーを勧め、当番士長にコーヒーを出すように命じた。当番士長は帝国陸軍の当番兵と同じく各中隊から1週間交代で1科に詰めている士長で連隊長・副連隊長室の清掃などの雑用を担当している。
「今日は森田士長の依願退職日でしたが、4中隊の見送りは中々奇抜でしたね」コーヒーが来たところで話が始まった。この遠回しな嫌味は「非常識」と聞き換えるべきだろう。
「スーツ姿で心機一転を表現する定年退官者もいるでしょう。森田士長は即応予備自衛官を現代の屯田兵とする新たな決意を示したんです。かなり似合っていたじゃあないですか」1科長が言いたいことは判っているがあえて同意はしない。高圧的な副連隊長の介入は回避したいが、屈服の方が耐え難い自己否定になる。
「しかし、森田士長のような特殊事情で退職する者は目立たないように朝礼後に廊下で紹介するくらいの配慮が必要で、あれでは退職を誇示して他の隊員たちに特殊事情を問題視させているようなものです」陸曹時代は内地の連隊本部で勤務し、部内で幹部になってからは地方連絡部の事務所長も経験したらしい1科長は用いる語彙が通常の自衛官とは違うようだ。
「そうですか。私としては朝礼台に一緒に上がって大声で思いの丈を吐き出させてから送り出したいところでした。勿論、私も一席打(ぶ)ちますよ」これは極めて危険な暴言だが、1科長は着任して以来、北部方面総監の一方的な決定に異を唱えない上級司令部と連隊長や自分に対して公然と批判を繰り返してきた松山3佐なら「この程度は冗談」と理解した。
「尤も4中隊は森田士長で曹侯補士は終わりですから今後は平穏な業務になるはずです。他の中隊の曹侯補士たちも普通免許を取得し次第に退職に同意していますから年内には片づくはずです」早い話が1科長にとって曹侯補士の退職は厄介払いと言うことだ。松山3佐は黙殺する代わりにコーヒーを飲んだが砂糖と乳剤が入っていた。今時、珍しい味だ。
「それにしても4中隊の森田曹侯補士への特別待遇には他の中隊の曹侯補士たちが不満を募らせて関係上司たちはなだめるのに苦労したようです。原因は松山3佐ですから今後はもう少し慎重な対応をお願いしますよ」小言は今日の朝礼だけではなかった。確かに松山3佐は森田士長に大型自動車だけでなく本人の自費で大型特殊や狩猟免許も取得させた。しかし、大型特殊は本部管理中隊の施設作業小隊に学科と実技の事前講習を依頼し、免許試験に休暇を与えただけだ。狩猟免許については広橋照子の実家で学習し、こちらも休暇を決済した以外に何もやっていない。つまり他の中隊も同じことをするのは容易だったはずだ。
「必要であれば部隊長会議の席で反省の弁を述べませんか」松山3佐が珍しく黙って話を聞いていることに1科長が少し強気になった。するとコーヒーを飲み終えた松山3佐は毎度の陰湿な目つきになり、唇を歪ませて笑いながら答えを返した。
「守山時代の中隊長なら『責任を取って腹を切ります。本当は諌死だぞ』と叫んで本当に割腹したでしょうね。僕はあの人のような古く臭い武士の美学には生きていませんが、諌死については考えないことはありません。ただし、命を捨てるところまでは行きませんがね」「それは・・・」想定外の逆襲を受けて1科長は絶句した。「諌死」とは武士が主君の過ちを正すために死を以って諌めることだ。単に訴えるだけでは自分の利益のための功利・打算や主君に存在を認めさせる売名と思われる惧れがある。そのため死と引き換えにして純粋な動機を証明するのだ。
この発言では自死まではいかないが抗議の退職は考えていることになる。1科長も駐屯地業務隊で勤務している松山3佐の妻が出処とされる退職の噂は耳にしている。幹部の依願退職は陸上幕僚長の決済になり、陸上幕僚監部人教育部補任課から事情説明を求められるのは当然だ。仮に本人が確認を受けて「曹侯補士の強制退職」を理由にすれば内部告発どころの騒ぎではない。
  1. 2019/12/24(火) 12:27:30|
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振り向けばイエスタディ1773

「本日付で転出する森田謙作士長を紹介する」結局、森田曹侯補士の紹介は依願退職扱いで4中隊の朝礼になった。中隊長・松山3佐への「頭・右」の敬礼に続いて先任陸曹の進行で森田曹侯補士が松山3佐の前に出て敬礼した。森田曹侯補士は送別会で松山3佐から贈られた屯田兵の軍服を着て、足には白脚絆を巻き、腰には牛蒡剣まで提げている。各中隊の朝礼は訓練場で行われているため非常に目立っていた。
「休め。森田士長は本日付で第3普通科連隊第4中隊から第52普通科連隊第2中隊に転属になる。立場は即応予備自衛官だが本人は牧場で畜産に励みながら国防の任務を遂行する屯田兵になる決意だ。どうだ似合うだろう」松山3佐の紹介に4中隊だけでなく他の中隊の隊員まで顔を向けて注目し、訓練場の朝礼台の下に並んでいる連隊本部の幕僚たちまで振り返った。
「続きは国旗掲揚後に実施する。気をつけ。国旗の方向へ、右向け、右」国旗掲揚の5分前では説明し切れないと考えた松山3佐は話を途中で切って中隊を国旗掲揚台に向けた。
間もなくラッパが鳴った。最近は音楽隊から本来の職種である普通科連隊へ配属替えになっている音楽隊員もいるため生のラッパ吹奏も見事なものだ。昔はマイクの前に立って緊張したラッパ手が音程を外して笑いを取ったものだが今ではテープと遜色がない。
「休め。それでは続きを始める。陸士の中には激励会に出ていなかった者もいるので説明するとこの軍服は明治29年に第7師団(だいしちしだん=明治天皇がそう読んだことに由来する呼び仮名)が編成された頃のものだ。最大の特徴はズボンの霜降り生地でこれは屯田兵だけだった。袖の赤い星はサッポロ・ビールのマークにもなっている屯田兵の徽章だ。国営放送では年末に放送する『坂の上の雲』で旅順要塞攻撃に動員された第7師団に屯田兵が含まれていたことを見せるためにこの衣装を作ったらしいが放送時間の関係で採用されなかったそうだ。つまり新品だ」国旗掲揚で解散になった他の中隊の隊員たちも周りに集まってきてこの説明に聞き入りだした。松山3佐としては事実上の連隊による見送りにするための策略でもあったようだ。それでもこれだけの人数が集まったのは、やはりバイアスロン有望選手として活躍してきた森田曹侯補士を惜しむ隊員が多いのだろう。
「話が長くなったので最後は森田士長の挨拶に替える。どうぞ」「自分は本日付で屯田兵になります。父から聞いた話では朝霞駐屯地には円谷(つむらや)幸吉3尉が自分で計測して作った1周10キロのコースがあるそうです。自分も嫁の牧場にコースを作ってノルディックの練習に励み、義叔父のライフルで腕を磨いてオリンピックを目指したいと思います。覚悟して下さい」松山3佐に続く森田曹侯補士の挨拶も陸士とは思えない内容だった。4中隊だけでなく周りで聞いていた隊員たちは失うことになった人材を惜しみながら拍手した。
「相互に敬礼」「気をつけ。敬礼」最後は先任陸曹の進行で送別の作法になる。周囲にいる隊員たちも敬礼したため森田曹侯補士は中隊長のように顔を左右に流して敬礼した。
「虹の地平を歩み出て 影たちが近づく手を取り合って 「虹の地平を歩み出て 影たちが近づく手を取り合って 街ができる美しい街が あふれる旗 叫び そして唄・・・」4中隊の隊員と希望者が訓練場の隅に並ぶと森田曹侯補士と松山3佐の後ろに安川3曹がCDレコーダーを持って立ってスイッチを入れた。BGMはトワエ・モアが唄った1972年札幌オリンピックの大会主題曲「虹と雪のバラード」だ。
札幌オリンピックの時には森田曹侯補士は勿論、安川3曹も生まれていないが、第3連隊の冬季オリンピック要員がカラオケで唄い継いでいるためノルディックの強化要員は自然に覚えている、即応予備自衛官になっても冬季オリンピック出場を目指す森田曹侯補士への激励と変わらぬ友情の表現として若手陸曹たちで選曲・準備した。
「森田、これは選別だ」相互に敬礼を交わしながら歩いて行くと冬季オリンピックを経験している陸曹が腕時計を外して手渡した。これは多機能のストップ・ウォッチ式の高級品だ。
「それでタイムを計りながら森田コースを滑るんだ」どうやらこの陸曹も朝霞駐屯地の「円谷コース」を知っているらしい。体育学校の長距離選手たちは1人で走っていて背後に足音が聞えると「円谷さんと一緒だ」と信じ、「次の大会で勝てる」と言われている。
「・・・生まれかわるサッポロの地に 君の名を書くオリンピックと」4中隊に希望者が加わって列が長くなったため歩き終るのは曲と一緒になった。、
「それでは森田謙作曹侯補士の今後の健闘と幸福を祈って万歳三唱を実施します」2人についていた安川3曹がそのまま音頭係にもなった。それでも経験不足らしく定型句を外している。
「森田謙作曹侯補士、万歳、万歳、万歳」「・・・万歳の掌は内側に向けるんだぞ。前向きは降参だ」松山3佐は解散の前に指導した。「次回の参考にしろ」と言うことのようだ。
  1. 2019/12/23(月) 13:22:04|
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振り向けばイエスタディ1772

「少し失礼します」乾杯が終わり、両隣の松山3佐と1小隊長にビールを注ぎ、注がれたところで森田曹侯補士は席を立ち、端席に置いてあるビールのケースに向かった。本日の主役とは言え階級が士長である以上、陸曹たちには注いで回らなければならないのだ。
「中隊長、あまり今回の人事のことを公然と批判されるのは拙くないですか」森田曹侯補士が抜けた席に1小隊長が横滑りし、そこに2小隊長が座った。先ず1小隊長がビールを注ぎ、言葉を選びながら話を始めた。訓練幹部も兼務している1小隊長は副中隊長でもある。
「そうかね。問題を指摘する者がいなければ組織は同じ過ちを繰り返すことになる。今回の曹侯補士に対する処遇は明らかな不当人事じゃあないか。本来は内部告発すべきなんだが、ここまでで踏み止まっているのは森田士長が自分で納得したからに過ぎんよ」松山3佐は着任以来、森田曹侯補士の退職に関しては関係者を相手に徹底抗戦を繰り広げてきた。それは中隊長としての職務権限を逸脱することはないが、陸上自衛隊としての常軌を逸しているのも間違いない。そもそも陸上自衛隊ではレールの上の列車として走ることだけが許され、命令には反論はおろか疑問を持つことすら認められない。
「両小隊長は部内だろう。無難に勤めても3佐で定年だ。今後は連隊本部の科長か中隊長を歴任するかしかない。そんな自衛隊生活で満足かね」注がれたビールを飲み干した松山3佐はいつも以上に神質な目つきになり、諫言に徴発を返した。隣りで聞いている2小隊長も部内出身なのでこれは2人への挑発にもなる。
「そう言う中隊長も東京6大学卒の部外のエリートでありながらCGSにも行っていない万年3佐じゃあないですか」1小隊長は松山3佐に注がれたビールを飲まずに脇にやると口調を強めて反論した。2小隊長もうなずいている。どうやらこれが松山3佐に対する評価のようだ。
「僕は自衛隊の階級には全く興味がないから3佐でも1佐でも不満はないよ。守山時代の中隊長は部外出身の逸材だったが幹部名簿の1尉のトップのまま刑事被告人になったからな」モリヤ1尉の北キボールでの暴徒殺害事件も東北地区太平洋沖地震の衝撃の影に消えかけているようで2人の若手幹部は全く関心を示さなかった。
「これは業務隊辺りから聞こえてくる噂話なんですが、中隊長は陸上自衛隊に愛想が尽きて退職を考えておられるとか」1小隊長が自分の暴言に気づいて口ごもってしまうと2小隊長が代わって話を継いだ。この噂が出処は妻の松山裕美2曹なのは言うまでもない。厚生班は駐屯地に所在する全部隊の隊員が出入りするので噂の拡散は極めて早いのだ。
「元々愛想は抱いていないが、嫌悪感が増大したのは間違いないな。このまま諸官らと同じ階級、同じ中間管理職として夫婦共働きしながら朽ち果てていくのかな」これも部内出身者の最終階級・最終役職を「朽ち果てる」と揶揄する皮肉だった。しかし、2人の小隊長は退職の可能性に意識が行ってそれには気づかなかった。
陸曹たちは幹部たちが難しい顔で議論している間は近づかず、耳だけを演習中のように働かせて会話の内容を傍受していたが、今回は「中隊長の依願退職」と言う重大情報が漏れ聞こえたため宴会は密談の場のような雰囲気になってしまった。
サークル・イズ・バンブー・ロープ=円も竹縄=宴も酣(たけなわ)になってきたところで森田曹侯補士が席に戻ってきた。かなり飲まされたようで珍しく顔が紅潮している。すると松山3佐が後ろに置いてあった紙袋を取って立ち上がった。
「ここで松山屯田兵に記念品を渡したいと思う」松山3佐の顔と口調が快活に戻り、出席者たちも安堵して注目を浴びせた。森田曹侯補士も少しふらつきながら立ち上がった。
「出してみろ」「はい、有り難うございます」紙袋を受け取った森田曹侯補士に松山3佐が指示を与えた。重さと大きさ、弾力から見て衣類らしい。森田曹侯補士が取り出すとそれは学生服と学生帽のようだ。しかし、生地は自衛隊の冬制服のような羅紗で幾つかの刺繍が見える。
「これは・・・」「屯田兵の軍服だ。僕の大学の友人が国営放送の美術部にいて、坂の上の雲の撮影で大量に用意した明治時代の軍服の不用品を送ってもらったんだ」松山3佐の説明に森田曹侯補士は上衣を広げて披露した。すると胸ポケットはなく襟には赤い筋、両肩には赤い肩章が縫い付けてあり、両袖口には2センチ半と5ミリくらいの金筋、左袖の上部には赤い星が刺繍してある。続いてズボンを出すと側面に赤い線が入った紺地だが色に濃淡がある霜降りだ。帽子は学生帽のような形でジャバラと呼ばれる腰の部分は黄色。正面には金の星の帽章だ。紙袋の底には白の脚絆まで入っている。
「袖の階級章は2等軍曹、いわゆる伍長のものだ。これもおまけだ」最後に松山3佐はで別の袋から革製のベルトと牛蒡剣と呼ばれる30年式銃剣、さらに編み上げ靴を手渡した。
  1. 2019/12/22(日) 14:02:18|
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振り向けばイエスタディ1771

北海道の主峰・旭岳が白い冬用迷彩服を着こんだ頃、森田曹侯補士は依願退職した。これは「秋の演習が終わってから」と言う連隊1科の意向だったが、その癖、あくまでも依願退職扱いに固執している。任期満了退職者の時には定年退官者に準じて連隊の朝礼で紹介し、朝礼場に並んだ隊員たちの前を歩かせるのだが(定年退官者は正門まで並ぶ)、これを全て省略するらしい。それでも松山3佐は中隊長として最大限の儀礼を尽くした。
「これより11月1日付で退職します森田謙作士長の送別会を開催します」4中隊主催の森田曹侯補士の送別会が隊員クラブの大部屋を借り切って行われた。参加者は陸曹以上だが陸士の希望者も出席できる。通常、陸士の送別会は小隊や営内班までで中隊として催すのは異例だ。
「退職じゃあない。即応予備自衛官への配置換えだ」司会進行役の先任陸曹の開式の辞に早速、松山3佐がケチをつけた。つまり転属者の送別会と言う扱いなのだ。
「失礼しました。11月1日付で旭川駐屯地の第52連隊第2中隊に配置換えになる森田士長の激励会を始めます」言い直した先任陸曹が主賓席の松山3佐の顔を見ると少し表情を緩めてうなずいた。どうやら及第点だったようだ。本部を真駒内駐屯地に置く第52普通科連隊は北部方面隊の即応予備自衛官を一括して訓練・管理する専門部隊で第2師団の旭川駐屯地に第2中隊、第5師団の帯広駐屯地に第3中隊を配置している。
「それでは中隊長、訓示をお願いします」「森田曹侯補士も座ったままで聞け」指名を受けた松山3佐は隣りで立ち上がろうとした森田曹侯補士に声をかけて正座に座り直した。こうなると出席者たちも倣うことになるが、冬制服の営外者たちはズボンのシワに顔をしかめた。
「知っての通り森田士長は曹侯補士として入隊しながら契約を一方的に破棄されて退職することになった」いきなり禁句が飛び出したため陸曹たちは条件反射で視線を背ける。これは問題になった時、「聞いていない=無関係」と弁明するための予防処置だ。
「しかし、本人の国防に対する意識は揺るぐことなく即応予備自衛官と言う現代の屯田兵として引き続き任務を遂行することになった。本来であれば6年満期の隊員と同じく予備3曹に昇任させたいのだが人事(ひとごと)担当者が認めないので申し訳ないことになった。もう1つ、つけ加えれば冬季オリンピック経験者の尽力でスキー連盟に選手要員として登録されたから第3連隊の精鋭を差し置いてオリンピックに出場するかも知れないぞ。僕としてはそれを期待している。以上」終わってみれば松山3佐にしては珍しく軽めの挨拶になった。陸曹たちも毎度の小難しい話を聞かずにすんで安堵したように顔を見合わせた。
「次は森田士長の挨拶ですが、立たなくてよろしいですか」「オフ・コース」先任陸曹の確認に松山3佐は英語で答えた。今日の松山3佐は妙に軽い雰囲気だ。着任以来、悩まされ続けてきた森田曹侯補士の退職に不本意ながら結論が出て少し気が晴れたのかも知れない。
「今日は僕のために中隊の送別会を催していただきまして有り難うございました。お忙しい中、陸曹の皆さんに集っていただき本当に申し訳ありません」「吽(ウーン)」森田曹侯補士の大人びた挨拶に陸曹たちは感心したように呻り声を漏らした。
「僕は嫁の牧場で働きながら体力練成に励み、狩猟免許を取得しましたから自宅で射撃の技量を磨き、嫁の曾々祖父の跡を継いで屯田兵になります」「お前、いつ結婚したんだ」ここで営内班長の2曹が声をかけた。営内班長は人気DJの雪うさぎと交際していることは承知していたが、結婚を考えているところまでは把握していなかった。これでは退職時に提出する生活指導簿に不備ができてしまう。森田曹侯補士は申し訳なさそうな顔で頭を上げると話を続けた。
「籍は入れていませんが遠からず正式に結婚する予定です。式にはこの中からも何人か招待しますのでご出席下さい。話が長くなりましたからこれで終わります。本当に有り難うございました」最後に正座のまま深く頭を下げると陸曹は一斉に拍手し、連られて頭を下げた末席の陸士たちも遅れて加わった。4中隊では森田が最後の曹侯補士だった。
「次は乾杯です。グラスにビールを用意して下さい。音頭は直属上司である2小隊長にお願いします」先任陸曹の指示で宴席ではビールの栓を抜く射撃音とグラスに注ぐ歌声が鳴りわたった。中隊本部の総務係の1曹が部屋の隅の先任陸曹にグラスを持っていって手渡した。
「それではご指名に与りましたので僭越ながら2小隊長の鈴木3尉が乾杯の音頭を取らせていただきます」2小隊長も立ち上がることなく正座に座り直して前口上を始めた。
「森田士長は曹侯補士として陸士の模範であるのと同時に陸曹の補助としても活躍してくれました。小隊長としても大いに期待していたのですが・・・」「その話は飲んでからにしろ」2小隊長の前口上が松山3佐と同様の人事批判になりかけたところで1小隊長が制止した。この宴席は和室なので「壁に耳あり」どころではなく襖1枚では声は筒抜けなのだ。
  1. 2019/12/21(土) 12:33:27|
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12月20日・シーラカンスの日

12月20日は1952年にアフリカ沖のインド洋のマダガスカル島とモザンビークの間にあるコモロ諸島のアンジュアン島付近の海底で中生代末期に絶滅したと考えられていた「生きている化石」シーラカンスが発見された記念日です。
シーラカンスは世界各地の古生代中期=デボン期の地層から化石が発見されており、広く繁殖していましたが、約6500万年前の隕石の落下に伴う巨大な津波と急激な気候の変動で恐竜と共に絶滅したと考えられていました。
ところが1938年12月22日に南アフリカ沖で漁船の網に体長1.5メートルの奇怪な魚が1匹掛かり、現地で魚類の収集を担当していた東ロンドン博物館の女性学芸員に引き渡されたのですが手元の図鑑などで調べても種類が特定できず、アフリカの高温で腐敗が始まっていたため漁港の冷凍会社に保管を依頼しても「巨大過ぎる」「悪臭を発している」と断られ、仕方ないので頭部と一部の表皮だけを塩漬けにして保管し、後は簡単なスケッチにして南アフリカ・ロードス大学の生物学者の友人に送ったのです。すると本人が現地で標本を確認して絶滅したはずの古代魚・シーラカンスの現生種であると断定し、ラティメリア・カルムナエの学術名を申請しました。その後、生物学者は完全な標本を求めて漁師たちに100ポンドの懸賞金を賭けて捜索させましたが発見・捕獲には至らず、それから14年目の2日前のこの日に朗報が届いたのです。
コモロ諸島ではシーラカンスが捕獲されても肉が不味いため(少年ジャンプの企画でこの海域の魚体を試食したドラゴンボールの作者は「カニをさらに薄くした味」と表現している)、「ゴンべッサ=役に立たない」と呼ばれて捨てられていたのですが連絡を受けた生物学者は南アフリカ政府が用意した特別機で現地に向かい念願の対面を果たしました。ただし、この個体には第1背ビレがなかったため同族別類と判断しましたが、後に何らかの事故で欠損したものと判明し、最初の標本と同じ学術名になりました。
ところが1997年9月18日に新婚旅行でインドネシアのメナド・トゥア島を訪れていたカリフォルニア大学の生物学者が魚市場で地元の漁師たちが「海の王」と呼んでいる奇怪な巨大魚を見つけ、「これはシーラカンスである」と確信しました。調査の結果、これも別類のシーラカンスであることが確認され、地名からラディメリア・メナドエンシスの学術名が付与されたのです(カルムナエは黒色で、メナドエンシスは茶色)。
その後、2006年5月30日に日本のアクアマリンふくしまのシーラカンス調査隊がメナド・トゥア島に近いスラヴェシ島の海底で生きたシーラカンスの撮影に成功しましたが、国際自然保護連合のレッドブックで絶滅寸前種に指定されたため学術目的でも捕獲・飼育は不可能であり、観察が難しい深海魚であることもあって生態については謎が多く、寿命も100年程度と推定されているだけです。
瀬戸内海沿岸から佐賀県の伊万里湾にも三葉虫の現生種と言われている「生きている化石」カブトガニがいますが、こちらも食用にならず(料理にしたのは下関のみ。中国では卵をはらんだメスを食べる)、昔は田畑に撒いて肥料にしていたそうです。
  1. 2019/12/20(金) 12:43:13|
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振り向けばイエスタディ1770

旅行2日目は森田曹侯補士にとっては退職後の就職先でもある広橋牧場を見学し、照子の両親に会った。移動は照子の叔父が陸上自衛隊と同じ4WDでホテルまで迎えに来た。
「以前、北海道に住んでいたことがあるそうですね」「八雲の高射部隊で勤務していました」叔父は初対面の両親に屈託なく話しかける。広橋家の人たちには岩手人の大地に根を下ろしたような土着的な気質と道産子の快活で奔放な逞しさが同居しているようだ。
「息子から広橋家は屯田兵として入植して家族で牧場を開かれたと聞いていますが」後席に座った父は窓の外の雄大な風景を眺めながら質問した。八雲は財政が破綻して廃藩置県の言い出しっ屁になった尾張徳川家が藩士を入植させて開拓させた土地だけに気候や地形は比較的緩やかで、名寄から旭川にかけて広がる「北海道はでっかいどう」とはかなり違う。
「原生林を切り開いて、根を掘り起こして、地面をならして牧場にしました。だから牧場の土には岩手から移住してきた一族の血と汗と笑いが染み込んでいるんです」「涙じゃあなくて笑いですか」「泣いたって仕方ないでしょう。冬に泣いたら凍りついてしまいますよ」叔父の説明に質問した母は深く納得したようだ。助手席の森田曹侯補士もうなずいていた。
「照子の父です。こちらは母です」「森田です」牧場に着くとソファー・セットが置いてある広い洋間に通されて照子の両親との対面になった。今回は人数を合わせて今朝、旭川のアパートから来た照子を含めて両家3人だけでの話し合いになる。客間のソファーは3人掛け対面の8人掛けだが、両家の父を中心に母と子供が両脇に座った。飲み物は温めた牛乳だ。
「これが先祖代々の家族写真ですか」世間話も始まる前に森田3佐が客間の梁に並んでいる額の大きく引き伸ばした写真を見上げながら質問した。
「一番右が初代の家族です。真ん中で軍服を着ているのが私の曾祖父になります」「やはり明治の軍人の顔をしておられますね」屯田兵の下士官だった初代は歴史の書籍などに載っている将軍たちとは違い髭は伸ばしていないが、目つきには武人の気迫が満ちている。森田3佐の評価に照子の父は意外な話で応えた。
「照子は息子さんの目に祖父(実際は曾々祖父)と同じ迫力を感じて心を射抜かれたそうです。そのまま森田さんに釘づけにされてしまったんですわ」唐突な父の暴露に照子は赤くなってうつむき、森田曹侯補士の母は何故か嬉しそうに微笑んだ。ところが照子の父の話はフワフワと浮き上がった次はストーンと急落下した。
「照子は畜産大学を出てこの牧場で働いていた若者と結婚させたんですが、平成になった頃から乳産品の企業が中小の牧場を買収して自社経営の牧場を始めたことに危機感を持って、頭で色々と打開策を考えている間に無理な新規事業を計画して失敗したんです。それが離婚の原因です」「その人も一生懸命だったんでしょうけど」「やはり大地に足がついていなかったんですよ」父親同士の会話に母と子供は黙って聞き入っている。すると森田3佐が意外な確認をした。
「そんな畜産大学で学んだ専門家が打開策を考えなければならないほど牧場の経営は厳しいんですか」母と森田曹侯補士も森田3佐が経済問題に詳しいとは思っていない。しかし、息子の就職先の安全性を確認するための常識的な手順ではある。
「ウチの場合は親族で共同経営していますから人件費の負担が軽い分、問題は深刻ではありません。道路沿いに小さな直販店を出したことぐらいが企業努力です。だから逆に・・・」ここまで明解に話していた照子の父が突然口ごもった。森田3佐は正面からその重くなった表情を注視しながら待っている。天井が高い客間の空気まで重くなった。
「冷める前にどうぞ」そこで照子の母がと牛乳を勧め、森田家と照子の4人は揃ってグラスを口にした。ここでは照子も森田家の一員になっている。
「・・・親族での経営を維持するためには長男である私の子供は牧場を継がなければならないんです。照子は女ですから婿にはここで働いてもらわなければなりません」「そうですね。長男の子供が責任を放棄すれば次男以下の子供が同調するのは当然です。牧場が楽で儲かっていれば乗っ取りを考えるかも知れませんが、半分は使命感ですからね」森田3佐は自分の言葉を昨夜の妻の台詞に重ねて苦笑してしまった。
「私は愛媛の田舎の蜜柑農家の2男ですから跡を取るような家ではありません。それでも老後の心配はしない訳にはいきません」「定年後はどこに住むのかも決めないと」ここで母も参加してきた。森田3佐は50歳代寸前だが自衛隊の定年までは5年少々になっている。このまま話が決まれば遠い将来には介護施設に入ることも視野に加えなければならなくなる。
「俺は親父の転属で根なし草に育ってきたけど照子に根を下ろすことに決めたんだ」この森田曹侯補士の言葉に両家の親は互いを見合い、照子は黙って正面を見詰めた。
お・音無響子イメージ画像
  1. 2019/12/20(金) 12:42:14|
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12月20日・果ての二十日

明日12月20日は古来、京都や関西地方では凶事が起こる「果ての二十日」と忌み(12月を年末の「果ての月」と呼んでいた経緯もある)、年末の多用な時期であっても何もしないように努め、外部との接触を避けて身を正して家の中で過ごしていました。
その由来としては平安中期の武将・源頼光さまの家臣=四天王の筆頭である渡辺綱さんが暗夜に京都一条戻り橋を通りがかると若く美しい娘に「夜道は恐ろしいので家まで送って欲しい」と頼まれ、不審に思いながらも馬に乗せて進み始めると娘は鬼女に豹変し、髷(まげ)を掴んで愛宕山に向かって飛んでいったのですが、綱さんが源氏重代の銘刀・友切り(後に「髭切り」に名前を変えた)で腕を斬り落として助かったのが12月20日だったとされています。この逸話は平家物語の剣巻や今昔物語の27巻・本朝付霊鬼に記されており、腕を失った鬼女が綱さんの母に化けて屋敷に訪ねて来て「死ぬ前に息子の武勇の証である鬼の腕を見せてもらいたい」と懇願いて奪い返したと言う後日譚がつけ加えられています。ちなみに一条戻り橋は平安京が造営された時に北から流れる堀川に架けられた橋で、後に源氏一門が屋敷を構えたため綱さんも別邸(自宅は摂津=大阪市西成区渡辺にあった)に帰宅する途中だったのでしょう。また陰陽師・安倍晴明さんの屋敷(現在の晴明神社)にも近く、この橋の下に12神将の像を隠したまま亡くなり、平清盛さまの娘・徳子(なるこ)さんが高倉天皇に入内して妊娠した時、母親の時子さんが橋の上で吉凶を占うと12人の子供が姿を現して「皇子が生まれる」と手拍子を打ちながら唄い踊ったと言う伝説もあります。何よりも京都の中心部への入り口だったため千利休さんや島津歳久さんなどの首が晒され、秀吉さんによって島原で処刑されたキリシタンたちは出発前にここで耳を削ぎ落とされています。なお、一条戻り橋はその名前から嫁入りする時には「縁起が悪い」と花嫁行列は避けて通らず、逆に武士の出陣や明治以降の出征兵士は「無事の生還」を願って必ず渡っていたようです。
また江戸時代になると12月20日は東海道の京都の到着地の粟田口にあった刑場で処刑が執行される日になり、出歩くと刑死した罪人の怨霊に憑依されるからと外出を控えるようになったと言われています。江戸時代には京都における刑の執行は年3回と定められており(9月22日も)、1000名に達した時点で洛中の佛教寺院が供養塔を建立していて、その数は15基に達していたそうですが、明治期の廃佛毀釋によって全て破壊され、当時、建設を進めていた西洋風建築物の礎石に転用されたと言われています。そうなると刑死者の怨念は鎮まることなく迷い彷徨うことになりますが、明治的合理主義で「果ての二十日」と言う風俗は消えていったようです。尤も、京都は「秘かに」「ウチらだけ」が得意なのでこの日に街中を浮かれて闊歩しているのは観光客だけなのかも知れません。
余談ながらクリスマス商戦はこの時期に最盛期を迎えていますが本来は1月7日のイエスの降誕日をカソリックが冬至に合わせて12月25日にしたのであって、中国の道教でも冬至には庚申が天上に悪事を告げ口に行くのを阻止するため家で徹夜をする風習があり、あまり浮かれてばかりいては好いことはなさそうです。
  1. 2019/12/19(木) 13:23:26|
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振り向けばイエスタディ1769

その日、森田一家は名寄市内の観光ホテルに泊まった。面会後、森田一家と照子は松山3佐に案内されて名寄駐屯地を見学したが、航空陸戦隊を育成している森田3佐としては富士の普通科教導連隊と習志野の第1空挺団と共に陸上自衛隊最強と並び称されている第3普通科連隊の装備や訓練風景よりも駐屯地に充満している気迫に感激していた。
「いらっしゃいませ・・・森田さんじゃあないですか」夕食に照子を連れて観光ホテルのレストランに入ると森田曹侯補士は顔見知りの若くて美しい女性に出迎えられた。
「聡美さん、ご苦労さまです」森田曹侯補士が10度の敬礼をすると安川3曹の妻である聡美も踵を引きつけて10度の敬礼を返した。この無骨な動作は可愛らしいレストランの制服には似合わないが美少女の雰囲気が残る聡美は何をやっても絵になる。森田曹侯補士は何度も安川夫婦の官舎へ遊びに行って聡美の手料理に舌鼓を打っていた。聡美も小牧から入隊した森田曹侯補士に同郷のような親近感を抱いていて、稲沢の実家からオリエンタルや寿がきやの商品が届いた時にも安川3曹に声をかけさせて故郷の味を楽しませてくれている。
「謙作、こちらのお嬢さんは」森田曹侯補士が親しげに聡美と話していると森田3佐が確認してきた。隣りで母は妙に期待したような表情になり、照子が心配と嫉妬が入り混じった少し険しい目で見ている。森田3佐は2人の女性の態度を気にしたようだ。
「職場でお世話になっている安川3曹の奥さんの聡美さんだよ」「若くて綺麗な方ね」森田曹侯補士の紹介に母が間髪を入れずに声をかけた。松山3佐が愛妻の松山2曹に引き立て役を演じさせて照子の魅力を認識させたのも聡美の登場で水泡に帰してしまったらしい。
「夫がお世話になっています。御予約の4名さまですね。こちらへどうぞ」このレストランの仕事には熟練している聡美は社交辞令を超えない範囲で立ち話を終えて席に案内した。
「安川さんの奥さんは若くて綺麗な方ね」夕食を終えて照子を名寄駅まで送って旭川に返した後、親子で行きつけの居酒屋に入ると母が同じ台詞を言い直した。今度は父もうなずいたが事実なので仕方ない。聡美は四捨五入すればまだ20歳なのだ。
「安川3曹の高校の後輩なんだ。聡美さんが卒業するのを待って結婚したんだよ」「と言うことは18歳で名寄に嫁入りしたの」「よく親が許したな。両方の親公認の交際だったんだな」この説明に両親の関心は感心に変換したが、今度は事実誤認がある。すると案の定、母が解決したはずの不満を蒸し返した。折角、店員が料理を運んできても食欲は失せてしまう。
「謙作はあんな若いお嫁さんと10歳も年上の妻を見比べられても本当に大丈夫なの。照子さんも魅力的な人なのは認めるけど、つり合いを考えると安川さんの奥さんには敵わないわ」母の言葉はかなり冷静になっているが見解は変わっていない。森田3佐も森田曹侯補士が照子との交際を伝えた時、同じことを訊いたことがあるので黙って回答を待っている。森田曹侯補士は周囲の席に客がいないことを確認してから声を落として話し始めた。
「聡美さんは中学時代に教師の両親のダブル不倫を知って家出したことがあったんだ」思いがけない話に両親は表情を固くして身を乗り出した。これは続きを聞き逃さないためでもある。
「男の家に泊まり歩いて高校ではサセ娘(させご)と呼ばれて男子生徒の玩具にされてたんだよ」この話は安川家で飲んだ時、酔った森田曹侯補士が聡美の若さと美しさを執拗に羨ましがったため本人に告白されたのだ。聡美は「夫(=安川3曹)に救ってもらった」と強調していたが、森田曹侯補士自身は高校時代、言い寄ってくる女生徒を使い捨てにしていたため加害者としての罪の意識を抱き、それが女性に対する態度を変化させて照子との交際につながった。
「そんな過去があるようには全然見えなかったな。元々が真面目で賢い女の子だったんだろう。自分を見失っていた聡美さんを安川3曹が立ち直らせたんだな」父の評価に森田曹侯補士も職場での安川3曹の運動部の主将らしい態度や言動を思い起こして納得した。
「それにしても自衛隊ってどうして結婚にまで使命感を持ち込むの。安川さんは奥さんを守ろうとしたんでしょう。謙作だって照子さんに何かを求めるんじゃあなくて与えることしか考えていない。貴方は親の命令だったわね」母は意外な方向に分析を進めた。森田曹侯補士としては父が自衛官なので母の言う使命感の結婚を当たり前にしているが、一般社会での結婚は別の目的があるのかも知れない。両親の結婚は父が幼馴染の母に手を出して、それが近所に周知されたため母の親が責任を取るように迫った結果だったとは聞いている。しかし、母も結婚したのは父だけのはずなので比較対象は不明だ。
「確かに共同作業で夢を実現するのが世間一般の結婚だとすれば、自衛官の家庭は滅私奉公の意識が強いかも知れないな。それでお前は不幸だったのか」「・・・いいえ、幸せです」頬を赤らめてうなずいた母の顔を見てようやく食欲が湧いてきた。料理は冷めてしまったが。
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  1. 2019/12/19(木) 13:22:25|
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振り向けばイエスタディ1768

「率直に言って僕は生徒出身者を評価していません」唐突に松山3佐が陸上自衛隊内部事情に対する個人的見解を吐露した。先任陸曹が小声で「中隊長」と声をかけたが無視された。
「生徒出身者は全寮制の高校の部活動状態で鍛えられていますから訓練面や生活上の要領だけは熟練していても標準的な生活を送ってきた人間の心理を理解していないので内務面では使い物にならないと思っています。そんな歪んだ人間が陸将と言う地位と方面総監と言う権力を手にしてしまった結果が今回の不当人事なんです。私も本来は陸将になれる能力を有していますが、組織の常識に合わないため異端者として排除されています」松山3佐が初めて披露する自己評価に森田3佐と森田曹侯補士は納得したが、先任陸曹は首を傾げ、母は困惑して父子の顔を見回した。母も夫と同じ階級の幹部自衛官が「不当人事」と明言したことでこの問題の根深さを認識し、2人の顔を見てそれを了承した。
話に区切りがついたところで松山3佐は表情を緩め、話題を変えた。ただし、それは触れてはならない逆鱗を掴んで剥がすような暴挙だった。
「それにしても森田士長は素晴らしい恋人、もう嫁さんと呼んだ方が良いのかな。最高の人生の伴侶を見つけましたね」松山3佐は初めて会った照子の顔を見ながら手放しに賞賛した。松山3佐の人間性を熟知している森田曹侯補士は「我が意を得たり」とうなずいたが、父は困惑し、母は怒りはしなかったものの不満そうに松山3佐を注視した。
「照子さんは旭川では有名なアイドルなんですよ。ただし、個人情報は非公開なので先任の前では言えません」松山3佐の説明は森田夫婦と先任陸曹を翻弄していく。少なくとも母は興味を持って息子の身体越しに照子の顔を見た。
「お母さんとしては息子の結婚相手が10歳も年上で離婚歴があるとなれば理屈の前に拒絶反応を示されるのは至極当然です。私の嫁は若くて美人なのでお母さんの気持ちも判ります。会ってみますか」話の展開は森田曹侯補士以外の者には予測不能になった。先任陸曹は森田曹侯補士以上に身近で接しているのだが、長年の陸上自衛隊の常識を通してでしか人物評価ができないので本質が見えないらしい。松山3佐は立ち上がると机の電話をかけた。
「4中隊長ですが、松山2曹をお願いします・・・僕だ。チョッと来てくれ。頼むぞ」電話のやり取りを聞きながら森田曹侯補士は両親に松山3佐の妻が駐屯地業務隊の厚生班で勤務しているWACであることを説明した。これは照子には話してある。
「松山2曹、入ります。中隊長、お呼びですか」間もなくドアをノックして松山裕美2曹がやってきた。全力疾走して来たらしく額には少し汗をかいている。それでも呼吸が乱れていないのは流石に極真会館空手の黒帯である。
「こちらが若くて美人の僕の嫁です」松山3佐の紹介に森田夫婦と照子はドアを閉めて基本教練通りに回れ右をした松山2曹を注視した。松山3佐は電話をかけたまま机の椅子に座り、松山2曹に自分の席を譲った。
「でもこうしてツー・ショットで見ると照子さんには負けるかな」「いくら同世代でも旭川のアイドルには敵いませんよ。私が負けないのは体力だけです」松山3佐の謙遜に松山2曹も同調した。それを聞いて森田夫婦と先任陸曹も2人を見比べたが、どちらも魅力的ではあっても女らしさでは照子に軍配が上がる。母の照子を見る視線も柔らかくなったようだ。
「僕の恋女房は業務中なのでこれで返しますが、照子さんの魅力がお判りいただけでしょう」「私は引き立て役に呼ばれんだね。お役に立ちましたか」松山3佐のまとめに松山2曹も突っ込みを入れた。先任陸曹は松山夫婦の会話を見聞したのは初めてで、日頃の気難しいそうな雰囲気とは全く違う軽妙な対話に唖然としたように口を開けていた。
「ところでお父さんは空自の曹学7期出身とのことですが、僕が最初に指導を受けた中隊長も同期なんですよ」「モリヤ曹侯生ですか」「今は2佐です」松山2曹が中座すると話は意外な方向に流れていった。森田曹侯補士もこの話は初耳なので椅子に座っている松山3佐を見た。
「モリヤ中隊長は私以上に変な人で、型にはめるどころか僕が着ている服を脱がして全裸で自由に走り回るのを眺めているような指導をしました。曹侯学生にはそのような型破りな人材が数多く育っているようですね」「中隊長がこうなったのはモリヤ2佐のせいなんですか」松山3佐の説明に何故か先任陸曹が反応した。これでは松山3佐の人間性に問題があるようだが、常識からは逸脱した言動で余計な苦労を掛けられている以上、当然の反応でもある。
「惜しい制度を失くしましたね」「そうでもないですよ。バブルの頃には2年の短期教育で3曹にすることに見合う人材が集まらなくなりましたから」「そう言う謙虚さが生徒とは違うところです」松山3佐は今回の面会で森田3佐にもモリヤ中隊長に似た匂いを聞いたようだ。
え・WACイメージ画像
  1. 2019/12/18(水) 12:33:00|
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振り向けばイエスタディ1767

大型自動車課程を終えた森田曹侯補士は退職に向けての準備段階に入ったが、北部方面隊から第2師団経由で第3普通科連隊に至る人事処理に怒っていた。各人事担当者は北部方面隊総監・滋賀陸将の独断によって事実上は強要された曹侯補士の退職をあくまでも依願退職として扱い、規則と過去の事例に従って一切の感情を交えずに事務処理している。
そんな中、森田曹侯補士は担当する新隊員の初級警備員課程を終えた父の森田3佐と母が北海道旅行に来たため照子を会わせることになった。
「謙作、元気でやってる」旭川空港に迎えに出た森田曹侯補士に母は早足で歩み寄ると満面の笑顔で声をかけた。後ろに控えている照子には視線を送らなかった。
「こっちは冷え込んできたけどその服なら大丈夫だね」「これは八雲の頃に買った服を見つけてきたのよ。やっぱり北海道のメーカーじゃあないと防寒性が違うわ」母は羽織っているコートの襟を摘まみながら説明した。森田曹侯補士も名寄で迎えた最初の冬には小牧時代の防寒衣類が役に立たず給料の度に買っては急速に厳しくなる寒さと競い合っていた。
「照子さんですね。謙作がお世話になっています」遅れてロビーに出てきた森田3佐は荷物を受け取ろうと森田曹侯補士が差し出した手を顎で拒んで照子の前に立ち止まった。
「初めまして広橋照子です。この度は遠路をお越しいただいて・・・」「貴女のために来た訳じゃあないわよ」照子の挨拶を母は遮った。やはり結婚どころか交際にも反対しているようだ。最近は森田曹侯補士も母が出る自宅に電話することを避け、職場の専用線で父に掛けるようになっている。これが父への嫉妬になり、その敵意まで全て照子に向いているのかも知れない。
「何を失礼なことを言うんだ。コイツはかなり感情的になっているようですからお許し下さい」森田3佐の取りなしに照子は大人の笑顔を作ってうなずいた。
「今日は駐屯地の見学と中隊長に面会だ。旭川から名寄は遠いからノンビリしてはいられないよ」「お前には隣町でも遠距離だろう」森田3佐の皮肉に森田曹侯補士と照子は顔を見合わせて笑ったが母は黙って手を握って来た。ここまで対抗意識を丸出しにされると明日の広橋家の両親との面談が心配になる。面談では結婚の可否だけでなく双方にとって1人だけの子供であることから「どちらに籍を入れるのか」「姓はどちらを名乗るのか」、何よりも「北海道に永住するのか」などの難問が待ち構えている。森田曹侯補士は「遠距離恋愛」とは本人同士だけでなく親との距離にも当てはまることを噛み締めながら母の手を握り返した。
「愚息がお世話になっています」面会は中隊長室で行われた。5人掛けのソファーの1人掛けに松山3佐と森田3佐、3人掛けの中央に森田曹侯補士、両脇に母と照子とが座っている。退職に関する話し合いも予想されるため先任陸曹も折り畳み椅子を持ち込んでいた。
「こちらこそお預かりした御子息を組織として恥ずべき事態に陥らせてしまい言葉もありません」森田3佐は松山3佐の自己防衛本能が強い陸上自衛隊の幹部とは思えない率直な謝罪に深くうなずいたが、母は抗議の声を上げようと身構えた。すると森田3佐は手を伸ばして制した。
「お前は黙ってろ。この場では中隊長が組織の過ちを認めることの重大性を理解して敬意を表さなければならないんだ」「その通りだ。お母さんは黙っていてくれ」父子に叱責されて母は何故か森田曹侯補士の向こうから顔を覗かせた照子を睨みつけた。照子が浮かべた心配そうな表情を憐れみと受け取ったらしい。
「折角ですからお母さんのお気持ちも伺いましょう」唇を尖らせて涙ぐんだ母を見て松山3佐が声をかけた。この言葉に森田3佐と先任陸曹は顔を見合わせた。折角、森田3佐が激昂した母の暴言を制止したのにワザワザそれを誘うことは組織の常識として考えられない。すると母は勝ち誇ったように父子と照子に視線を巡回させて大きく息を吸った。
「中隊長さんは息子を退職に追い込んだことをどう思っているんですか。息子はスキーでもオリンピックを目指すって頑張っていたんでしょう。それを理由にもならない理由で退職させるなんて考えられません。夫は許しても私は許しませんよ」母は一気にまくし立てた。森田3佐は目の前で拳を握ったが、松山3佐が誘ったことなので小さく頭を下げて詫びた。
「中隊長は僕のために立場を捨てて抵抗してくれたんだ。中隊長を批判すれば僕がお母さんを許さないぞ」代わりに森田曹侯補士が怒りを露わにして反論すると母は驚いて口を開けたまま押し黙った。照子は松山3佐が2人の交際にも真摯に協力してくれていることを説明したかったが、母の自分に対する嫌悪感を考えて控えた。
「お母さんが仰る通りです。どれほど懸命に努力しても結果が出せなければ敗北でしかありません。僕は息子さんを犠牲にした敗軍の将に過ぎません。この場での賛辞は慎んで辞退します」松山3佐の返事に母も驚いたように顔を強張らせた。
  1. 2019/12/17(火) 13:20:47|
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石橋政嗣社会党委員長の逝去を悼む。

昭和58(1983)年9月19日月曜日の衆議院予算委員会で中曽根康弘首相と2時間に及ぶ憲法9条論の直接対決を演じた石橋政嗣社会党委員長が12月9日に亡くなっていたそうです。95歳でした。
野僧はこの対決をテレビで見た記憶がありますが(何故、職場のテレビが点いていたのかは謎)、何にしても野党の党首が衆議院の代表質問ではなく衆議院予算員会の質問に立つこと自体が極めて異例で、元海軍主計大尉の中曽根首相と元陸軍見習士官の石橋委員長の丁々発止の論戦は中々見応えがあり、「敵ながら天晴れ」と感心しました。
論戦の冒頭で石橋委員長は「皆さん方は軍事力で日本の安全を守ろうとする。私たちは非軍事的な手段、特に外交的な手段を中心に据えて日本の安全を守ろうとする」と切り出し、中曽根首相は「如何に理念が良くても結果が悪かったら、それは責任を全うできない。これが政治の世界である」と受けて立ちました。
続いて石橋委員長が「中曽根首相自身が本当に過去の戦争、日本の軍国主義が犯した犯罪と言うものに対して腹の底から反省しているのだろうか。そんな気がしてならない」と歴史観を質すと中曽根首相は「過般の戦争について我々が重大な反省をしなければならぬ事実だ。あの戦争については厳しい自己批判、自己反省をしている演説を私は各地でやっている」と同意しました。
そして石橋委員長が「日本は地理的条件も非常に恵まれている国だ。日本が自ら紛争の原因を作らない限り、他国から侵略される惧れと言うものは極めて少ない国だ。明治以降はこちらが全部侵略した」と元陸軍軍人らしい見解を披歴すると中曽根首相は「私は自分で防衛しなければ侵略される危険が出てくる。そう思っている。一番良い例が北方領土だ。あそこに日本軍、あるいはアメリカ軍がいたらソ連軍は入って来なかったと北千島作戦参謀だった人が書いた本にある」と元海軍軍人らしく切り返しました。
さらに石橋委員長は「第2次世界大戦末期の日本軍は100万人の兵力を本土に配置していたが守り切れなかった。25万人の自衛隊で守ることができるのか」と一歩間違えば大幅軍拡の口実を与えかねない核心を突いた質問で迫り(この辺りが後の女性党首たちの観念論との相違点)、中曽根首相は「降伏の白旗と日の丸は違う。白旗は単なる白い布切れだ。しかし、日の丸には歴史と1億人の国民がある」と格調高く反論しました。
最後に石橋委員長が「どんなに困難であろうとも国際的には完全全面軍縮、国内においては非武装と言うこの大理想を現実のものとする努力を絶対に私たちは怠る訳にはいかぬ。この理想を放棄する訳にはいかぬ。これが私たちの非武装中立論と言うものの根幹の考えだ」と宣言し、中曽根首相も「石橋さんの平和に対する情熱、あるいは日本のために平和を最後まで維持しようと言う熾烈なご希望については同感を禁じ得ない。しかし、現実的方法については色々議論が有り得ると思う。国民の皆さまの間で我々両党でよく説明もし、どちらがご理解をうんといただくか、これは両方の腕前にもよるが石橋さんの健闘をお祈りする」と幕を引きました。是非続きの中継を見たいものです。ご冥福をお祈りします。
  1. 2019/12/16(月) 13:51:04|
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振り向けばイエスタディ1766

翌週、私の官舎には南城市の玉城家から2通の郵便物が届いた。1つは喪主の松岳からの淳之介に頼んだ香典の引き出物だが、もう1つの元義母からの書簡は淳之介と松真から電話が入っていたので用件は判っていたが内容は深刻だった。
「葬儀の日、あかりが閻魔大王の美恵子を地獄に堕とすと言う声を聞いたそうです」この話はあかりから直接聞いているので元義母の説明を読むまでもない。私としては美恵子の非常識ではなく非情識な言動が悪化の一途を辿り、末期症状を呈していることには愕然とした。
「それで淳之介から貴方が浄土真宗の『悪人でも念佛を唱えれば必ず救われる』と言う教えは間違っていると言っていると聞きました」これは東京拘置所に収監中に熟読した多くの経典の中でも浄土三部経の教説に基づく私の見解(けんげ)だ。
観無量寿経では極悪非道の重罪人でも法縁を得て、自分の罪を悔い改めた上で真摯に願えば下品下生(げぼんげしょう)としてゴミ拾いのように救済されると説いており、親鸞聖人の歎異抄の「悪人正機の抄」でも罪の自覚を前提にしている。一方、田沼元准尉から勧められて読んだ両本願寺の布教用解説書では死後の世界の人権派弁護士のような無制限の免罪を語っていたが、これは「悪人正機」を信者獲得の目玉商品にした詐欺まがいの拡大解釈に過ぎない。
「淳之介はお地蔵さまなら罪人を哀れんだ他人の願いにも耳を貸してくれると言っていましたが、私が母として願えば救ってもらえるのでしょうか」元義母の筆跡は明らかにこの部分に力が入っており、この問いが切実であることが判る。おそらく美恵子に間近で接していて「地獄に堕とす」と宣告されたことに納得せざるを得ない気持ちを抱えているのだろう。
私が淳之介に延命能化地蔵願応尊のこの功徳を語ったのは八重山のアパートに泊めてもらって飲んだ時、北キボールPKOで3名の若者を殺害し、殺人罪で告発されたことを「裁判では無罪になったけど閻魔さまは許してくれるのか」と質問された回答だった。確かに地蔵菩薩は天道・人道・修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄の六道に常駐して亡者たちを抜済するので阿弥陀如来の誓願から洩れた重罪人も救うことになるが、沖縄には地蔵信仰そのものが存在しないはずだ。私は自宅用パソコンの電源を入れると松岳への礼状と元義母への返事を打つことにした。ただし、元義母へは安堵させるような内容にはならない。
「ご下問の件に坊主の端くれとして回答申し上げます」元義母へも目隠しのシールを貼った葉書なので文章は簡潔だ。その方が高齢になっている元義母も助かるのではないか。
「確かに地蔵菩薩にはそのような功徳があります。しかし、あかりから聞いた話では父上が戦後に産卵前の海亀を殺した報いで美恵子のような子供が生まれたようですが、その本人は罪を償うことなく悪業を重ねています。ならば地獄へ堕ちて苦しむのは因果応報・自業自得・服役贖罪と言うものです」私自身も3人を屠(ほふ)った殺人鬼だが、美恵子も私の幹部自衛官としての将来を奪った殺生の罪を犯している。そもそも戦闘で敵を殺すのは正当行為であって罪ではない。それを殺人罪として告発したのは社人党党首の福島水子の政治的暴略だった。
「ここで美恵子を自分が犯している罪を自覚せず、悔いぬままに助けることはその悪因を先延ばしすることになり、玉城松栄家の子孫に悪果をもたらしかねません」その子孫の中には淳之介や恵祥も含まれている。それを言えば淳之介は悪徳庄屋だったモリヤ家の血筋も受け継いでいるが、その悪しき血も安里家との縁によって浄められているのだろう。
「さらに言えば沖縄の祖先崇拜では人生の善悪是非に関わらずモンチュウの一員であることでだけで祖先の末席に加えられますが、美恵子は長(おさ)である松泉さんを冒瀆したそうですね。本来は無審査の救済である沖縄の伝統的信仰でも救われる術(すべ)を自ら捨てたのです」これは松真が元義母から聞いた話の又聞きだ。美恵子は松泉伯父の家で鉄血勤皇隊として沖縄戦に参加したことを憎悪の対象である私に重ねて「殺人者」と誹謗したそうだ。度量が広い松泉伯父も死の床にある自分への暴言は許さず、「地獄へ堕とす」と宣告したと言う。
「美恵子本人が自分の罪に気づき、悔い改めない限り、地獄へ堕ちることは指定券です。玉城松栄家や孝子叔母さんを含む元義母上さまの親族に類が及ばないことだけを念じながら傍観するしかないでしょう。閻魔王の真言は『ノウマク・サンマンダ・ボタナン・エンマヤ・ソワカ』ですから寛大な判決を願うならこちらにどうぞ。元婿のモリヤニンジン」葉書に余白ができたので奈良地方裁判所での司法実習の時に参拜した白毫寺の閻魔王像の写真を添付した。
この見解は淳之介と松真にも電話で伝えていたが、2人とも私が受けてきた苦衷を知っているだけに何も言わなかった。しかし、元義母は親心ですがってきたのだから芥川龍之介の名作「蜘蛛の糸」で釈尊が地獄の底の血の池で苦しむカンダタに垂らした一筋の糸のような希望を託してきたはずだ。それに対して余りにも非情であることは自覚している。
閻魔王像(白毫寺)白豪寺・閻魔王像
  1. 2019/12/16(月) 13:44:02|
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12月15日・ソ連軍の狙撃王・ザィチェフ大尉の命日

ソ連崩壊の10日前の1991年の12月15日は第2次世界大戦における独ソ戦において257名のナチス・ドイツ軍将兵を殺害したヴァシリグリコー・リュヴィチ・ザィチェフ大尉の命日です。人数ではソ連軍のフィンランド侵攻で公認だけでも542名を殺害したシモ・ヘイヘ少尉に遠く及びませんが戦果としては同等の意義がありました。
ザィチェフ大尉は1915年にウラル山脈南部のチェリヴィンスク州で生まれましたが、本人は勿論のこと先祖代々が狩猟の名手でザィチェフと言う姓も獲物のウサギを意味するザイカに由来するそうです。近傍の建築専門学校を卒業後、1936年に海軍の軍事経済学校に入営し、卒業後はウラジオストックの太平洋艦隊の会計班長として勤務しながら中尉で第2次世界大戦を迎えました。ところが1941年6月22日にナチス・ドイツが突如としてソ連に侵攻すると卓越した狩猟=射撃の腕を買われて陸軍に移籍して第284狙撃師団の第1047狙撃連隊に配属され、1942年9月にソ連南部のヴォルガ側沿いの工業都市・スターリーグラードにおける攻防戦に参加することになりました。
ザィチェフ中尉は市街地の大半が制圧されていた9月からソ連軍による反攻が始まる11月上旬までに32名のドイツ軍将兵を殺害し、本格的反攻が始まって以降は12月中旬までにドイツ軍狙撃兵11名を含む225名を殺害しています。それと同時に市内の化学工場跡で狙撃兵を育成して28名を実戦に投入したため、この地域でナチス・ドイツ軍は3000名以上が狙撃によって戦死したと言われています。
スターリーグラードの攻防戦ではナチス・ドイツ軍が送り込んだ狙撃の名手・エルヴィン・ゲ―ニッヒ少佐、若しくはハインツ・ルートヴァルト少佐との対決が伝説として語られています。これはザィチェフ中尉の狙撃による戦死者があまりにも多いことに危機感を持ったナチス・ドイツがベルリンの狙撃学校の教官だった少佐を送り込み、ザィチェフ中尉を狙わせたと言うものです。粗筋としては熟練した狙撃手の出現にソ連軍もザィチェフ中尉に始末を命じ、相棒である観測手と見届け役の政治将校の3人で廃墟となった市街地を捜索して瓦礫とトタンで偽装している少佐を発見すると政治将校が狙撃されて負傷したものの観測手が鉄帽で狙撃を誘い、正確な位置を確認したザィチェフ中尉が一撃で射殺したとされています。ただし、ソ連軍の公式記録には記載がなく、ナチス・ドイツ側にも該当する時期の士官の転属に関する記録がない上、ベルリンには狙撃手を育成する専門の学校は存在しませんでしたから後世の創作の可能性が高いようです。
そんなザィチェフ中尉は翌1943年1月に目を負傷して戦線離脱しますが、角膜移植の先駆者であるオデッサ大学のウラディーミル・フィラトフ教授の治療を受けて回復し、大尉に昇任して戦線に復帰しています。復帰後は狙撃に関する教範を2冊執筆しましたが、ソ連領内から出ることなく終戦を迎えました。
終戦後はキエフの工場の管理職を務め、死に際してはスターリーグラード(=ヴォルゴグラードに地名が変更された)への埋葬を希望したものの一度はキエフに埋葬され、2006年になってスターリーグラード攻防戦の戦没者墓苑に改葬されました。
  1. 2019/12/15(日) 12:32:35|
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振り向けばイエスタディ1765

義母の勝子が葬儀社から届いた仕出し弁当を持って家に戻るとあかりが打ちひしがれたような顔で居間に座っていた。恵祥は眠ったままだ。
「疲れが取れんねェ。アンタも昼寝すれば良いさァ」勝子が声をかけるとあかりは安堵した表情になり、ゆっくり首を振った。あかりの暗い表情に勝子も心配になって前に座った。
「先ほどお義母さんが帰って来られました」「美恵子が何か言ったんねェ。自分の孫と初めて対面しても喜びもしなかったんだね」勝子としては美恵子の非常識もこの辺りまでにしてもらいたいところだ。するとあかりは事実を告白するべきか悩んだように唇を噛んだ。
「私もあの子の親として事実を知りたいのさァ。正直に言って頂戴」「はい、判りました」勝子に促されてあかりは深めに息を吸ってから口を開いた。
「お義母さんから『恵祥の目が見えるか』と訊かれたので、『見える』と答えたら安心してくれました」これは嘘ではないが事実からは大きくかけ離れている。美恵子は恵祥が健常者であることに絡めてあかりと母である梢を口汚く冒涜したのだ。
「あの子がそんな親心を持っていないことは私も良く知っているから正直に言いなさい」「はい、目が見えるならまともに生きていけるって・・・私が早産だったのは母がだらしないからだって」あかりの顔は怒りではなく哀しみの色に染まっていった。むしろ勝子の方が怒っている。ところが続きはその怒りの炎を燃えたまま凍結させた。
「その時、私は閻魔大王の声を聞いたんです」勝子も淳之介からあかりがユタやノロのように天地の精霊や死者の魂魄と会話できることは聞いている。閻魔大王も子供の頃に祖母が古びた絵本を見せながら戒めの説話として語っていたので知っている。勝子も座り直した。
「閻魔大王がお義母さんを地獄へ堕とすって言ったんです」「地獄へ・・・」勝子は美恵子が松泉を「戦争で人を殺した罪で地獄に堕ちる」と誹謗した時、逆に「お前を地獄に堕とす」と宣告されたのを聞いている。あかりは松泉の声を聞いたのではないか。ならばモンチュウの長としての叱責かも知れない。そう考えた時、あかりは恐るべき続きを話し始めた。
「戦争が終わった頃、お祖母さんのお父さんは飢えに苦しむ家族のために卵を産む前の海亀を殺したそうですね」「どうしてそれを・・・」勝子は返事ができなかった。那覇市内で商店を営んでいた勝子の両親は戦火で店を失い、収容所から解放されても商売を再開することができず、海岸で魚を釣って売り歩き、飢えをしのいでいた。そんなある日、父が海亀の肉と卵を持ち返り、家族に振舞ったことがあった。しかし、この話は夫の松栄にさえしたことはない。
「お義母さんはその罪を償わなければならないのにモリヤのお義父さんを裏切り、モンチュウの松泉さんの気持ちを踏み躙った。だから地獄へ堕とすって言うんです」勝子は正座している膝の上で拳を握った。今日はこの拳で美恵子を打ちのめさなければならない。
「その話を美恵子にしたんねェ」「お義母さんは私たちと松真叔父さんが泊まるなら那覇市内のホテルに行くって出かけました」美恵子は今日は中国語教室がないにも関わらずモンチュウの長である伯父の葬儀に参列せず、久しぶりに息子に会い、初めて孫に会っても全く関心を示さない。勝子の頭の中では祖母の絵本の地獄絵図に描かれていた悶え苦しむ亡者と今の美恵子が重なっていた。あの絵本も戦災で焼失してしまった。
「あッ、私は宴席の支度の途中で抜けてきたんだった。あかりはこの弁当を昼ごはんに食べなさい。ペットボトルのお茶もついているから飲むのよ」その時、現実が勝子を救ってくれた。本土と同じく沖縄にも7日ごと49日までのナンカスークゥ―(=七日焼香)と言う風習があるが、遺族の哀しみがつのる頃に人が集まる法事を課して気を紛らすのだ。
「淳之介、地獄に堕ちるような罪深い人間が救われるにはどうしたら良いのかね」火葬を終え、遺骨を丘の下の亀甲墓に納めた後、モンチュウたちは松岳が家主になった屋敷での宴席に臨んでいる。勝子は娘の日出子や夕紀子と一緒に黒いエプロンをして給仕と酌に忙しく働き回っているが、通りがかったところで淳之介の前に正座した。すると淳之介も合わせた。
「そりゃあ念佛だろう。職場の門徒の連中はどんな極悪人でも南無阿弥陀佛と唱えれば帳消しだって言い切ってるよ」隣席から松真が口を挟んだ。しかし、勝子は孫としてではなく坊主の息子として淳之介に尋ねたのだ。松真を手で制して淳之介の答えを促した。
「父は本願寺の浄土真宗の教えは間違っているって断言しています。阿弥陀如来は真摯な反省の上で救いを求める者は救って下さっても口先だけの念佛は罪を深めるだけだそうです。でも・・・」ここで淳之介はグラスの泡盛の水割りで口を湿らせた。
「地蔵菩薩なら罪人を哀れんだ他人の願いでも耳を貸して下さるから何とかしてくれるかも知れません」「お地蔵さんかァ・・・」考え込んだ勝子を松真と淳之介は困惑して見ていた。
  1. 2019/12/15(日) 12:31:19|
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振り向けばイエスタディ1764

葬儀が終わり、出棺になるとモンチュウたちは葬儀社のマイクロバスで火葬場に移動したが、淳之介はあかりと恵祥を松栄の家に連れていった。火葬後の納骨と松泉の屋敷で開かれる宴席に参加するつもりなのだ。恵祥は葬儀の間は大人しくしていたが玄関の混雑に驚いてぐずり始め、坂道を登りる時には淳之介の腕で泣き叫んでいた。
「お腹が空いたんだね。もう少しだから待っていてね。お家に着いたらおっぱいを上げるから」あかりは手を差し入れている淳之介の腕で泣きやまない恵祥に声を掛けた。どうやら気持ちを感じ取ったらしい。葬儀の間、恵祥は眠っていたから空腹になっても不思議はない。淳之介が恵祥の顔に息を吹きかけてあやしながら歩を進めると間もなく家に着いた。
母乳をもらって腹が膨らんだ恵祥が眠るとあかりも添い寝したまま眠ってしまった。恵祥だけでなくあかり自身も疲れたのだろう。授乳の前に普段着に替えているのでこのままで問題はない。淳之介が居間に並べた座布団で横になっている母子の寝顔を眺めていると玄関に置いてある固定式の電話が鳴った。その音であかりが目を覚ました。
「もしもし、玉城ですが」淳之介にとってこの姓はかつて名乗っていたので違和感はない。するとそれは松泉の屋敷で宴席の準備に働いている祖母からだった。
「葬儀社の人がお前を火葬場に連れて行ってくれるって。今から引き揚げるから坂道を下りていらっしゃい」どうやら祖母が頼んでくれたらしい。淳之介としても伯父の遺骨を拾いたい気持ちはある。しかし、あかりを慣れない家に1人で残していくことに不安もあった。
「火葬場に行けるんでしょう。私はこの家は初めてじゃあないから大丈夫。安心して行って下さい」居間に戻ると起きて座っているあかりが声を掛けてきた。言われてみれば交際を始めた高校生の頃、あかりを何度かこの家に呼んだことがあった。あの時、あかりは台所に立って祖母の調理を手伝っていた。見回した限り、家の中が変わった様子はない。淳之介は持ってきた荷物をあかりに触れさせて確認させると祖母の指示通りに家を出て坂道を下って行った。
あかりが恵祥の枕元に座って寝息を聞いていると、誰かが玄関を開けて入ってきて靴を脱ぎ、廊下を歩いてくる足音が聞えた。音の大きさと間隔から想像すると中年の女性のようだ。
「アンタ、誰ねェ」その音の主は乱暴に襖を開けると一瞬の間を置いて怒鳴り声を上げた。あかりは声がした方向に顔を向けると目を閉じたまま頭を下げた。
「私は安里あかりと申しましてこの家の孫の淳之介の妻です。今、男の人たちは火葬に、女の人たちは大伯父さんの家の支度に行っているので・・・」「アンタが淳之介を引っ掛けた盲(めくら)の嫁ねェ。アンタが来たって何も役に立たないのに淳之介も余計なことをするよ」あかりの説明に声の主は名乗りの代わりに罵倒した。それでもあかりにはこの人物が初めて会う淳之介の生母・美恵子であることが推察できた。この美恵子が母と義父の結婚を妨げた元凶であり、淳之介にとっても嫌悪の対象であることは当事者以外の人たちから聞いている。その一方で淳之介を産んだ母でもあり、恵祥にもその血は受け継がれている。返す言葉が浮かばなくなったあかりはそのままの姿勢で唇を噛んでいた。
「これがアンタたちの子供だね。この子はチャンと目が見えるねェ」足音がすぐ傍にまで近づいてきたため、あかりが恵祥を庇おうとすると美恵子は立ったまま上から声を掛けてきた。
「私の視覚障害は早産によるものですから遺伝はしません」「それならまともに生きていけるさァ。早産なんてアンタもだらしない母親から生まれたんだね」どこまでも相手を無神経に傷つける人間らしい。流石のあかりも胸に小さく怒りの炎が点り、その背後に大火炎が燃え上がった。あかりは光景として火炎を見たことはないが、熱い輝きが湧き起こるように激しく立ち上っている。その大火炎の奥に広がる漆黒の闇から地の底で響くような声が聞こえてきた。
「玉城美恵子を地獄に堕とす」「そんな・・・」あかりは恐怖よりも畏怖に慄き、全身を硬直させ、額には汗が噴き出ている。それでも美恵子は白濁した目を見開いて前方を注視し始めたあかりを冷ややかに眺めている。
「それはあんまりです。許してあげて下さい」「玉城美恵子の母の父親は戦後間もない頃、空腹に苦しむ家族に食べさせるため海岸に上がってきた海亀を殺した。それは産卵前だった。産卵後の海亀を食べることは許されても産卵前の母亀を殺すことは許されない。その報いとして美恵子が生まれたんだ。しかし、美恵子は罪を償うこともなくさらに大きな罪を重ねてきた。善き道へ教え導こうとした夫を裏切り、モンチュウの長・松泉の想いさえも踏み躙った」これは淳之介が父譲りの佛教説話で語っていた閻魔大王の声のようだ。
「アンタ、何を独り芝居しているのさァ。頭もおかしいねェ」そこに美恵子が声を掛けてきた。この言葉を聞いてあかりはこの過酷な裁定に納得せざるを得なくなった。
閻魔王庁図(聖衆来迎寺)聖衆来迎寺・閻魔王庁図(部分)
  1. 2019/12/14(土) 13:00:17|
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12月14日・(いわゆる)従軍慰安婦少女像第1号が設置された。

2011年の明日12月14日に韓国ソウル特別市鍾路区の日本大使館前に(いわゆる)従軍慰安婦少女像第1号が設置されました。
この像は韓国の過激反日団体・挺身隊問題対策協議会が毎週水曜日に各地で実施している日本軍慰安婦問題解決デモが1000回(場所が異なれば別に加算する)を超えた記念碑を日本大使館前に設置することを計画し、同じく反日活動家であるソウル市鍾路区のキム・ヨンジョン区長(現在も在職)に相談したところ「記念碑だと道路占用許可が必要だが、慰安婦像なら芸術作品なので許可対象ではない」と助言した上で「チマチョゴリ姿で片方が空いた2つの木製の椅子に座り、日本大使館を直視している像」を提案したのです。これを受けて挺身問題協議会は数多くの反日像を共同製作しているキム・ウンソン▲(「さん」欠く)とキム・ソギョン▲夫婦に発注し、この日に設置されたのです。
しかし、「外交関係に関するウィーン条約」の第22条には「使節団の公館(つまり大使館や公使館)は不可侵とする。接受国(ここでは韓国)の官吏は使節団の長が同意した場合を除くほか公館に立ち入ることができない。2、接受国は、侵入又は破壊に対し公館を保護するため及び公館の安寧の妨害又は公館の威厳の侵害を防止するため適当なすべての措置を執る特別な義務を有する。3、使節団の公館、公館内にある用具類その他の財産及び使節団の輸送手段は、捜索、徴発、差し押さえ又は強制執行を免除される」とある以上、正門から片側2車線の道路を挟んだ歩道上に建物を直視するように反日団体が設置した像が「公館の威厳の侵害」に該当することは明らかであり、当時の民主党政権の野田首相もそのように答弁していましたが実際は何もせず、10月18日から19日に訪韓して李明博大統領と会談した際に「ウォン安を防止するため」と要求された資金支援枠を9900億円から5兆3600億円に6倍弱も拡大する約束も維持したままでした。
その後、キム・ヨンジョン区長は多くの外国人も利用する鍾路区営バスの最前席に同じ形のプラスチック製の像を座らせ、それを朝日新聞やテレビ朝日は「韓国人の怒りはここまで激しい=日本は真摯に謝罪して、賠償に応じろ」と報じていましたが(毎日新聞とTBSも同調していた)、朝日新聞こそ本来は存在しない軍や官憲による慰安婦の徴用を韓国のマスコミに吹き込んだ元凶であることが発覚するのは翌2012年11月の党首討論で政権を奪還する直前の安倍晋三自民党総裁が「済州島で女性を強制連行した」との告白を朝日新聞が大々的に賞賛した吉田雄兎(=誠治)を「詐欺師」と呼んでからのことでした。
現在も韓国内では釜山市の日本領事館前など22カ所に、韓国外でも在外韓国人と一体化している中国系移住者の支配下に堕ちたアメリカの2カ所と中国、フィリピン、オーストラリア、ドイツなどに設置され続け、日本の名古屋でも亡国活動家・津田大介▲によって設置されてすでに50体を超えているようです(キム夫婦の作品は1体340万円)。
日本政府と外務省はこの像の存在が直接の理由とは認めていないものの在韓日本大使館は2015年から同じ鍾路区内のツインタワーと呼ばれる高層ビルの中に移転しており、空き地になった大使館の敷地では毎週水曜日の反日デモが野放しになっています。
  1. 2019/12/13(金) 13:55:08|
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振り向けばイエスタディ1763

淳之介は通夜に間に合わなかったが、翌日には那覇空港に到着して安里家に泊まり、あかりと恵祥を連れて葬儀に列席した。沖縄では忌みを避けるため妊婦とその家族、家や墓を建設中の家族、故人と干支が同じ人は葬儀に参列できないが、あかりは出産を終えているので問題はない。ただし、葬儀、火葬に続いてそのまま墓に納骨するので(高温多湿な気候で遺骸が傷むため通夜の後、先に火葬することも珍しくない)、葬儀が終われば松栄の家で待つことになる。そのためあかりは梢に借りた喪服を着ているが黒いエプロンは持って来ていない(葬儀の後、忙しく動き回るモンチュウの女性用エプロン)。
「大伯父さん、お世話になりました」淳之介は棺の蓋から松泉の顔を覗くと涙ぐみながら礼を言った。視覚障害者であるあかりは恵祥を抱いて仲人でもある松真の隣りで待っている。
「大伯父さんは父の代わりに武人の雄々しい精神を教えてくれました」淳之介が中学生の時に祖父母の家に転居してくると松泉は機会を作っては屋敷に呼び、沖縄の中学校で教師から吹き込まれる父の職業・自衛官への誹謗・冒涜を否定し、自分の戦争体験を語りながら武人の在り様(ありよう)を教え、決して尊敬の心を忘れないように説き聞かせていた。
「僕が海ンチュウとして荒れた海を恐れずに沖へ漕ぎ出せるのも大伯父さんの薫陶があったからこそです」喪主である松岳や松泉の妻だけでなく玉城家モンチュウ一同と祖父の松栄、叔父の松真は淳之介の謝辞に感激して鼻をすすり始めたが、祖母の勝子だけは美恵子の息子とは思えない格調高い言葉を聞き、「発達障害」の先天性について思案していた。
沖縄の法要で坊主が読経するのは葬儀だけなのが一般的だ。これは戦前までの女性のノロや男性のニンプシャー(念佛者=ノロの夫であることが多い)が勤めていた役割を後継者不足による需要を狙って本土から進出してきた坊主が代行しているからだ。このため坊主は本土の葬儀の導師と言う主役ではなくモンチュウの「うーとゥーとゥー(=拝み)」の幕間に1曲唄う歌手のような位置づけだ。香典も札を重ねることを忌み嫌い1000円、5000円、10000円を1枚だけ袋に入れることが多い。沖縄では知名度に関係なく死亡通知が新聞に載るので参列者もつき合いの軽重の幅が広いからこれでも不都合はないらしい。
恵祥が寝てしまったので淳之介が受け取ると葬儀社の係員が正面に略式の曲彔(きょくろく=坊主用の椅子)を置いた。すると沖縄独特の葬儀にも慣れているらしい坊主が登場した。髪を伸ばしているので本当に持ち歌を披露する演歌歌手のようで、派手な法衣はステージ衣装だ。坊主は曲彔の前に進むと無頓着に腰を下ろした。これも本来は袈裟を尻に敷かないのが作法だが、参列者が判っていないので気にしていないようだ。
「佛説阿弥陀経・・・」坊主は鐘を打ち、数珠を揉みながら挙経(こきょう)を唱えた。妙にコブシが回っていてますます演歌のように思えてくる。
「如是我聞。一時佛。在舎衛。祇樹給孤独園。与大比丘衆・・・」淳之介が一緒に暮らしていた頃の父は禅僧だったはずだが、何故かこのお経には聞き覚えがあった。考えてみれば父は津市の浄土真宗の本山・専修寺にも通っており、夕日に向かって大声で念佛を唱えていた。元々が寺の跡取りではないので宗派にこだわりはないのだろう。
「又舎利弗。極楽国土。七重欄楯。七重羅網。七重行樹・・・」こからの「又舎利弗」の繰り返しは何故か暗記している。淳之介が小声で唱えると両隣りから松真とあかりが感心したように顔を向けたので次第に音量が上がり、気がつくと坊主と合唱になっていた。
「それでは喪主の玉城松岳さまからご焼香をお願いします。モンチュウの皆さまも順番にお並び下さい」係員の案内で座敷に並んでいる参列者たちは座布団で腰を浮かした。沖縄の葬儀は佛式ではなく祖先崇拝なので本土のように無理な正座をしておらず、立てなくなっている人はあまりいない。この間に係員は曲彔を脇に移動させ、坊主は座り直して合掌した。
喪主の松岳から始まった焼香が大伯父の兄弟夫婦に続き、その子供たちに流れくる。隣りの松真が3男の松幸の子供たちの後に並んだのを見て淳之介はあかりに声をかけた。恵祥は淳之介が抱いたままだ。座敷ではあるが淳之介は立ち上がったあかりの手をひじに掛けさせ、松真の後ろに座らせた。ここからは声で誘導すれば大丈夫だ。
「これはモリヤの義父が送ってくれた抹香です。義父も参列したいと言っていましたが、弁護を担当している裁判が入っているので来られませんでした。義父の想いをこの香に託します」あかりは手に持っていた香合の蓋を外すと手で香炭の熱を探し、一撮み降りかけた。周囲に今までは格が違う高い香りが漂い、淳之介の横で見守っていた松真は感心したように覗き込んだ。
「これは伽羅(きゃら)だな。高級品だ」焼香のBGMとして低く念佛を唱えている坊主が独り言を呟いた。やはり坊主にとって抹香は自己表現の道具の1つのようだ。
  1. 2019/12/13(金) 13:54:03|
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振り向けばイエスタディ1762

電話で松泉の訃報を受けたモンチュウの女たちは漁業組合が提携している葬儀社の寝台車で遺骸と妻が帰宅するまでに交代で自宅に戻った。それぞれの子供に連絡して明日の通夜から葬儀まで参列させなければならないのだ。子供たちが就職している本土の企業も沖縄の伝統的な風習は可能な限り尊重しており、モンチュウの長の訃報については本人の両親に準ずる休暇の取得を認めているため、昨日の危篤の連絡で手続きは終わっているはずだ。
松栄の妻・勝子が家に戻ると美恵子が自分の部屋で中国語の教材CDを掛けながら会話の練習をしていた。イヤ・ホーンは耳鳴りがするので好きでないらしい。
「美恵子、伯父さんが亡くなったよ。明日は通夜、葬儀はこれからお寺さんが来てから決まるけどアンタもネエネたちと一緒に手伝うのよ」玄関まで響いてくる中国語に顔をしかめながら勝子が襖を開けると美恵子は蛍光灯の下で教科書を広げて、片仮名で書いた振り仮名をテープのイントネーションに合わせて読んでいた。
「明日は学校さァ。そのまま実習に行くから出られないよ」美恵子は母の命令口調に反抗するように言い返した。美恵子にとって松泉は前々夫・モリヤとの結婚を強く勧め、矢田との不倫で離婚したことに激怒し、モンチュウの中で孤立させていった首謀者に過ぎない。当然、死に対しても特別な感情はなく、葬儀は一族が果たす儀礼にもならない業務に過ぎなかった。
「アンタねェ・・・」勝子は怒りよりも呆れが先に立って手を振り上げる気にもならず、敷居を踏み越えることなく廊下から話を続けた。
「松真は本土から帰ってくるし、淳之介も石垣島から来るって言ってるんだよ。ネエネたちはもう家を出てこっちに向かっているのさァ。それで近所で暮らしているアンタが顔を見せなくて良いはずがないでしょう」母の声に怒気が強まったのを察して美恵子は背中を向けるとCDレコーダーを止め、振り返らないで返事をした。
「私はオトウの命令で伯父さんの髭を剃りに通ったのさァ。それで十分尽くしたはずだよ。死んでからまで面倒みないさァ」美恵子に国語の知識があれば「面倒をみる義理なんてない」と言うべきところだが、中国語教室では漢字は習っても日本語までは教えてくれないのでやはり無理だった。勝子の胸の中では感情が呆れから哀れみに移っていった。
最近、読んだ健康に関する雑誌に「発達障害」と言う特集記事が載っていた。その記事によれば発達障害は身体や学習、言語、行動などの発達が遅れた状態を指し、原因は先天的な場合が大半と言っていた。特徴としては精神の発達障害者では悪意のない自己中心の言動によって孤立することが極めて多く、さらに社会の暗黙の規範や常識を無視してもその問題点さえ自覚せず、むしろ攻撃性を発揮して激しく批判を繰り広げることが常態と解説していた。このため単独で集中して取り組む作業では通常の人間よりも高い能力を発揮するが、複数の人間との協力を要する組織に加わることには適性が低く、可能な範囲で社会から隔離することが周囲と本人の利益になると結論づけていた。夫とも4人の姉弟の中で美恵子だけが極端に成績が悪く、真逆な性格に育った原因を話し合ってきたが、本土復帰による学校教育の崩壊や優秀で真面目な姉弟への劣等感だけでは納得し切れなかった中でこの記事は勝子に確信を与えていた。
「アンタは伯父さんがどれだけ心配してくれていたかが判らないねェ」「あの人が心配していたのは私がモンチュウの恥にならないかだけさァ」この反応はやはり病的だ。勝子は興奮して目が据わった娘の顔を見ながら先天的に異常な人間として産んでしまった自分を責め始めた。美恵子が投げ散らかす暴言が常軌を逸していればいるほど自分の罪が重い気がしてくる。
「判ったわ。アンタの好きにしなさい。ただし、葬式に出ないなら参列する人たちがいなくなるまでこの辺りに近づかないようにするのよ。それこそモンチュウの恥だし、オトウの立場もなくなるから」母の言葉の裏にどれほど深い絶望がこもっているかを考えることもなく美恵子は許可を得たことに安堵し満面の笑顔になった。
「でも伯父さんの葬式なんてやっても無駄さァ。戦争で人を殺して、それから漁師で魚を殺して、殺してばかりの人間は地獄に堕ちるしかないじゃない」美恵子は襖に手をかけた母に暴言のトドメを吐きかけた。勝子は聞かなかったことにして襖を閉めた。
「朝焼け小焼けで大漁だ 大羽鰮(いわし)の大漁だ 浜はまつりのようだけど 海のなかでは何万の 鰮のとむらいするだろう」これはかつて美恵子が住んだ山口県でも長門市出身の金子みすゞと言う女流詩人の「大漁」だ。金子みすゞも結婚と育児が詩作に没頭することと両立できずに最後は自ら毒をあおって命を絶っている。美恵子は根暗な金子みすゞよりも攻撃性が強いので思い悩むよりも行動に移すから悲劇的な結末には至らないのだろう。尤も山口県が金子みすゞを観光に利用し始めたのは最近なので美恵子はこの作品を知るはずがない。
  1. 2019/12/12(木) 13:36:42|
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振り向けばイエスタディ1761

南城市新原の玉城家モンチュウの長(おさ)で美恵子の伯父である松泉の病状が重篤になった。84歳と言う年齢で肺癌を発症しているので本人や周囲も覚悟はしているが、モンチュウを支える大黒柱を失うことを理屈で割り切ることができるはずがない。
「やっとニイニは病院に行くことに納得したねェ」「ううん、昔から死ぬのは自分の家でと決めていたから意識を失ってから救急車を呼んだのさァ」「何度も救急隊員を追い返したもんなァ」急報を受けて駆けつけてきた兄弟たちは集中治療室の前の廊下で松泉の妻から情報収集を始めた。玉城家モンチュウは小高い丘に登る坂道に軒を連ねているため、元タクシー運転手の松栄が次男の松幸と3男の松慶を乗せてきたのだ。今頃、兄弟の妻たちは坂道の登り口にある松泉の屋敷で通夜と葬儀に向けた準備を始めているはずだ。
「ニイニは身体が頑丈だから末期癌って宣告されてから長いね」「先生も驚いているのさァ。全身に癌が転移しているのに血圧が落ちなくて頭にも血が行くから意識も失わなかった。肺が酸素を取り込めなくなって意識を失ったから救急車を呼んだけど、ベッドから担架に移す時も無意識に手で払ってたんだよ」妻は説明を終えて集中治療室から聞こえてくる心拍の電子音と中に詰めている2人の看護師の会話に意識を向けた。
「血圧が下がりませんね」「心拍数も落ちません」「呼吸はほとんどできていないはずなのに・・・」看護師たちの声も悲壮感が漂っている。それを耳にして妻は唇を噛んで目を落とし、兄弟たちも膝の上で拳を握って身体に力を入れた。
「お父さん、もう良いのよ。早く楽になって下さい。本当にご苦労さまでした。有り難うございました」顔を上げた妻がドアに向かって声をかけると兄弟たちも顎を揃えてうなずいた。
「ニイニ、早く楽にならんねェ」「もう心配しないで良いよ。息子は立派な大人になってるさァ」「長い間、お世話になりました」妻と兄弟の呼びかけにも中から容態が変化した様子は伝わってこない。兄弟たちは手を合わせて口の中で念佛を唱え始めた妻の横顔を眺めながら、松泉が気掛かりにしていることを思案した。そこに廊下を走る足音が聞えてきた。
「お父さんは・・・間に合ったねェ」それは松泉の長男の松岳(しょうがく)だった。松岳も父の後を継いで事実上は新原の網元だった玉城家の世襲になっている漁業組合の組合長を務めている。松泉の妻は目を開けると正面に立った息子の顔を見上げた。肩で息をしているところを見ると駐車場から全力疾走してきたらしい。
「まだ楽になれないみたい。息もできないで苦しんでいるのに・・・可哀想」涙を頬につたわせた母の言葉を聞いて松岳も状況を理解したようだ。
「お父さん、待っていてくれて有り難う。もう良いよ。後は俺に任せて見守っていて下さい」兄弟たちには松岳の声が壁を突き抜けて死の床にある松泉の耳に届いたように感じた。
「血圧が下がってきました」「心拍数も落ちてきたよ」しばらくして容態の変化を確認した看護師たちの声が聞こえ始めた。本来であれば緊迫感を帯びるものだが、むしろ待ちかねたような淡々とした口調のままだ。廊下に並ぶ遺族予定者たちも安堵の溜息をついた。
「お前のところの松真は帰ってくるねェ。名古屋の浜松に転勤したんだったな」生命が尽きるまでの時間の経過を持て余し始めた次男の松慶が末弟の松栄に声を掛けた。玉城家モンチュウの子供で本土に住んでいるのは松真だけなのだ。
「帰るって言ってたけど浜松の近くには空港がないのさァ。名古屋か東京からの飛行機になると新幹線で行っても今日中には無理だよ」松栄の説明に松慶は怪訝そうに首を傾げた。静岡県の浜松を名古屋の近傍と勘違いしている程度の地理の知識だから当然だ。
「航空自衛隊の基地なら飛行場じゃあないねェ」「松真が自分で操縦してくれば良いさァ」3番目の兄の松幸まで冗談めかして参加してきた。これは不謹慎なのではなく兄の死を待つ弟たちの現実からの逃避だった。
「血圧が微弱で測定不能です」「心拍数も同じ。先生に蘇生措置の可否を確認しなきゃ・・・」やがて集中治療室から聞こえていた心拍数の電子音が途絶え、看護師の会話が事実を伝えた。
「具志先生、玉城松泉さんが心停止した模様です。蘇生措置はどうしますか。はい、はい。お願いします」看護師が室内から連絡すると水色の医療衣を着た医師が廊下を早足で歩いてきた。医師は廊下を遮るように並んで待っていた玉城家モンチュウたちに会釈すると「覚悟して下さい」と声をかけてドアを開けて中に入って行った。その時、松岳は中を覗いたが処置台に寝かされた父は鼻と口にビニールの管を差し込まれ、裸にされた身体には幾つも測定装置が装着されている。壁際に置かれた心電図モニターが緑の光の横線を描いているのが目に入った時、ドアが閉められた。この日、玉城松泉の生命は燃え尽きた。
  1. 2019/12/11(水) 13:15:25|
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振り向けばイエスタディ1760

中国語教室の授業は会話が中心で記述と読解については旅行者が台湾や香港、マカオで書類に記入するのに使う専門用語の解説と手紙の書き方、読み方くらいだ。
「メイファイスー(美恵子)は繁字体をあまり知らないな。日本人も漢字と名づけて勝手に使っているだろう」最近は会話の時間には張り切っている美恵子も記述の授業では黙り込んでいる。元来が勉強嫌いな上、読書をする趣味がないので漢字は苦手なのだ。
「繁字体は日本の漢字の原形だから見れば判るだろう。本来は使用料を我が国に払ってもらいたいくらいだ」会話の教師とは違い記述の教師は口調も厳しい。美恵子は小学校から高校まで教師に同じことを言われ続けてきたような気がする。姉たちは読書が好きで3姉妹共同の勉強部屋の本棚には文学作品の文庫本が詰め込まれていて、2人は読んだ本の感想を楽しそうに語り合っていた。別室の松真は歴史書が専門だが、こちらも本棚に並んだ背表紙を見ただけで虫唾が走った。何よりも前々夫のモリヤは坊主が趣味で、中国語(漢文だ)の経典を自分で訓読に訳してノートに書き溜めていた。モリヤはそれを美恵子に押しつけなかったが、気持ちが冷めるに従って、かえって馬鹿にされているような気分になっていった。それが知的な趣味を持たない遊び人の前夫・矢田に惹かれた理由でもある。
「君は香港やマカオに理髪店を開くつもりだそうだね。会話の進歩は素晴らしいと評判だから記述と読解は必要な書類を確認して記入できて、知人に葉書を書ける程度には学びなさい。文字も無理に繁字体を憶えなくても日本の常用漢字は共産党中国の簡字体よりは正しい形を残しているからそれで学ぶことだ」黙ってしまった美恵子を激励するように教師は適切な助言を与えた。確かに共産党中国の簡字体は文化大革命的発想で文字を音と意味だけを表示する単なる記号と考えて原形を留めないくらいに破壊している。日本の大学生の中には入学時の外国語の選択で「中国語なら漢字だから文字は判る」と安易に考えて中国語にする者もいるらしいが、教科書を開いて部首のような文字ばかりが並んでいるのを見て愕然とすることになる。実はモリヤもその1人だった。
「台湾華語(=台湾の中国語)での手紙は冒頭に相手の名前を書きます。その点は日本とは逆ですね」中休みが終わって教師は授業を再開した。続きは手紙の書き方だ。北京語では文字の読みをピンインと呼ぶ発音記号で表記するが台湾語では用いない。その代わりに注音符号、母音の羅列でボポモフォとも言う37文字の発音記号で記述するが美恵子は片仮名にしている。微妙な発音の違いは耳で修正しているが、それで通じれば結構だ。
「アイツは辞書を引きながら英語や中国語の本を読んでたけど、何が楽しかったんだろう」午後から始まって会話と記述、読解の授業が終えれば夕方になる。美恵子はアルバイト先の中華料理店に向かって歩きながらモリヤとの生活を思い出していた。防府へ転属してからのモリヤは学生教育を担当していない時期には家でも勉強に励んでおり、基地の売店で専門書を注文して入手すると絶え間なく読破していたが、中には海外の原書もあり、使い過ぎてボロボロになった英和辞典を引きながら翻訳してノートに書き留めていた。それに疲れると今度は漢和辞典を引きながらの経典になった。その横でファッションやヘアモードの雑誌を読んでいる自分が馬鹿に思えてきた。美恵子が足元に転がっていた空き缶を蹴ると飛んでいって歩道に落ちて高い金属音が響き、通行人たちが振り返った。
「やっぱり矢田の方が好きだな。あんな奴に騙された私は馬鹿だったってことだね」美恵子にかかれば自分が勝手に惚れた結婚での失敗も騙されたことになるらしい。美恵子は空き缶に追いつくと道路脇に蹴り直し、立ち止まって鼻息を噴いた。
「自分の娘が酷い目に遭わされてるのにウチの親はどうして私を責めるのよ。こんなんじゃあ早く香港に行くしかないじゃない」美恵子は玉城家の両親や姉弟から生活態度を改めるように説教された時、淳之介の義母になったモリヤの元恋人と比較されたが、そんな女性がいながら自分と交際したモリヤも矢田に走った自分と同罪だと思っていた。今の美恵子にとってはモリヤが住む本土は言うまでもなく故郷である沖縄も全てが疎ましく嫌悪の対象でしかない。そこから逃れるためには台湾語を習得して香港に移住することが唯一の方法だ。
「チュヂェアジンヂー」美恵子は道端に立っている「駐車禁止」の看板を中国語で読んでみた。生まれつき身につけていた理容師としての天才的センスと磨いてきた技量を世界的大都会の香港で発揮できる。それは理容師として働く機会を奪ったモリヤや沖縄の理容業界に対する復讐であり、その才能と努力を認めない両親と姉弟を見返す反抗でもある。
「ファンニングァンリン(いらっしゃいませ)」中華料理店に着いてエプロンをかけると美恵子はいつもに増して溌剌と働き始めた。そんな美恵子を「魅力的だ」と思うのは危ない。
ん7・岡田奈々イメージ画像
  1. 2019/12/10(火) 13:13:24|
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