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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

5月1日・曹洞宗の最高機密?豊川高校生主婦殺人事件

2000年の明日5月1日に曹洞宗妙厳寺=豊川稲荷が経営している豊川高校の生徒による主婦殺人事件が発生しました。
この事件が発生した時、野僧は雑用係として出入りしていた大寺院の住職が豊川高校の極めて重要な役職に就いていたため事件の詳細な表と隠蔽工作の裏を熟知しています。
事件は豊川高校3年生の生徒が学校の正門から右手に500メートルほどの金屋元町1丁目で玄関が少し開いていた家を表札から「高齢者夫婦だけが住んでいる」と推理して侵入し、中にいた65歳の主婦・筒I喜代さんの頭部を家から持ってきた金槌で殴ったのですが、家庭用の軽量な金槌では致命傷を与えることはできず、大声を上げて外に逃げたため台所にあった包丁で頸部を切り、背中を中心に全身を40カ所以上刺して殺害しました。そこに帰宅した夫が血だらけになって倒れている妻を発見したところに生徒が家から飛び出してきたため格闘になりましたが、包丁で頸部を切られて軽傷を負いました。その後、生徒は竹やぶにあらかじめ隠してあった私服に着替えて逃走したため夫の目撃証言から豊川高校の制服で手配していた警察は発見できず、豊川駅の公衆トイレで一夜を過ごしましたが明け方になって寒さに耐えられず駅前の派出所に出頭したのです。
この事件が私立の豊川高校だけの問題ですまなくなったのは生徒が動機を「坐禅をしていると人を殺したい気持ちが我慢できなくなった」と供述したことでした。曹洞宗は臨済宗のように公案を与えて坐禅でそれ探求するのではなく、無目的に座る只管打座を教義としており、豊川高校が宗教色を植えつけるため生徒に強要している無目的な坐禅の間に「人を殺したい」と言う妄想だけを考えていたことが殺人の衝動を激化させたとすれば教義そのものが原因になってしまうのです。実際、曹洞宗の本山や専門僧堂では摂心と言う修行期間の前に諍いを起こすと坐禅を続けている間に憎悪ばかりが燃え上がり、摂心の後で殴り合いになることも珍しくありません。
このため大寺院の住職は妙厳寺=豊川高校の顧問弁護士と協議して「マスコミには妙厳寺が経営していること以前に豊川高校の名称を報道させない」「生徒に精神異常の診断を出させ、あくまでも特異な資質の少年が起こした事件として処置する」と言う隠蔽工作を決定すると事件後の記者会見で弁護士に「これに背けば学校法人・豊川高校だけでなく宗教法人・曹洞宗に対する冒涜として断固たる法的処置を取る」と宣言させ、地域の僧侶に各新聞やテレビ各局の報道番組を監視させて、学校名を出さなくても「豊川市内の私立高校(=他には存在しない)」などと特定できる報道には抗議と警告を送ったのです。
結局、生徒は言語や知能には影響がない自閉症のアスペルガー症候群と言う診断が名古屋家庭裁判所で認定され、医療少年院送致になりましたが、祖父の代から両親も教師(両親は幼い頃に離婚している)の家庭で生まれ育ち極めて成績優秀で(科目の得意・苦手が極端で公立高校の受験には失敗した)、テニス部の選手としても人気があり、人間関係が構築できないとされる自閉症と言う診断には疑問がありますが、豊川稲荷の支配地域では誰も口にしないまま忘れ去られました。
  1. 2020/04/30(木) 13:48:38|
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振り向けばイエスタディ1901

旭川の年末は「氷点下でないのは暖房が効いている屋内だけ」と言う天気予報の最低気温と相談しながら生活を考える季節になる。それでも年明けから始まる極寒の予告編だ。牧場では春、夏、秋には放牧して草を食べさせ、排便も済まさせていた牛たちに干し草と飼料を与え、糞尿の処理も頻繁になるので仕事が増え、運動不足によるストレスで体調を崩さないかを常に観察する必要もあって心身ともに大変な時期だ。さらに北部方面隊の即応予備自衛官にとっては冬季も訓練の最盛期であり、森田予備士長には休む暇もない。
「松山中隊長の現住所は判りましたか」そんな仕事の合間を見つけて森田予備士長が安川3曹に電話をかけた。遅れ気味の年賀状を書くのに今でも「大恩人」と感謝し、「人生の師」と敬慕している松山千秋3佐を忘れる訳にはいかない。おまけに今回は愛媛の父の実家で撮った照子の花嫁姿の自信作なのだ。しかし、春先に安川3曹から届いた唐突な退職の連絡には新たな住所や職業はなく、その後も情報が届いていないので年賀状の宛先が書けないでいる。
「それが中隊本部でも判らなくて退職後に届いた郵便物なんかを転送できなくて困ってるらしいんだ」電話口で安川3曹も心底困り果てたように答えた。安川3曹が部内の幹部候補生の1次試験に合格したことは名寄の同じ中隊で仲良くしていた士長から聞いているので、こちらも年賀状で知らせたいのだろう。
「今年の夏に滋賀が辞めたんでしょう。だったら松山中隊長が辞めることなかったんですよね」「どこか田舎の議会の選挙に出て政治家になるって噂だったけど、そうじゃあなかったみたいだ」安川3曹は森田予備士長が松山3佐の退職理由を滋賀徳次郎総監の不当人事に対する反発と考えているようなのであえて否定した。このような状況判断力は幹部候補生の2次試験の面接の練習でかなり向上している。それにしても予備自衛官の森田が北部方面総監だった滋賀徳次郎陸将を呼び捨てにしたのは腹に一物どころではない怨嗟が溜まっていると言うことだ。
「それで安川3曹は今年も愛知県には帰省しないんですか」松山3佐の現住所に関する問い合わせが不調に終わったところで森田予備士長の方から話題を換えた。安川和也3曹と聡美夫婦は愛知県稲沢市の出身だが、聡美と教師である両親は絶縁していて、聡美自身も高校時代に男子生徒に弄ばれた過去があるため名寄に来てからは帰省していない。その代わり安川の両親や聡美の弟が北海道を訪れている。特に大学生の弟はスキーを目的に冬休みに来ることが多い。
「今年は弟が就職だから2人で静かに過ごすよ。俺も事故を起こせば2次試験を受ける前に不合格になってしまうから自重せんとな」「それじゃあ、ウチに遊びに来ませんか。スキーを持ってくれば久しぶりに自分のトレーニング・コースで競争しましょう」安川3曹の予定を聞いて森田予備士長は思いつきで提案を返した。この場当たり的反応は道産子=北海道人の得意技だが、伊予人=愛媛県人の血統で全国各地育ちの森田予備士長が北海道に根を下ろした証左なのかも知れない。森田予備士長は名寄に着隊した時、同じ分隊になった安川3曹から「曹侯補士は陸曹の考え方をしろ」と言われて知識を学び、訓練で鍛えられ、服務指導で躾けられ、遊びにも連れ回してもらった。その安川3曹が幹部候補生に合格すれば多分2度と会えなくなる。年末年始に屯田兵としての現在を見てもらい、酒を酌み交わして語り合いたいのだ。
一方、照子は書店の店員と地方ローカルFMのDJを続けている。春の出産は旭川市内の病院で迎える予定なので臨月までこの生活を維持するつもりだ。
「照子さん、そろそろ歩道も凍結しているから少しくらい遅れても気をつけて歩いてきてね」同じ年の店長は独身だが、地元の人気DJでもある照子が通勤の途中で母子の身に危険が及べば商売にも悪影響を与えることを経営者として心配している。照子は安定期に入って腹もかなり膨らんできているが、厚着するにもマタニティーのコートは膝に巻きつくほど長い上に厚い生地と裏地の二重構造で重く、凍った道を歩くには不便だ。
「はい、爪先で気をつけて歩くようにしていますけど、腹で足元が見えないのでつまづきそうになることもあります」今は歩道が除雪されているが、降り続く雪が凍った路面に積もるようになれば滑るだけでなく落ちている小物につまづくことを心配しなければならない。
「照子さんの交代の高校生も学年末試験が終われば就職先に実習に来れるから早めに辞めても良いわよ。旦那さんと一緒に暮らした方が赤ちゃんも安心するでしょう」「有り難うございます。夫も旭川の訓練の前後には私のアパートにも泊まっていくんですが、訓練中は駐屯地泊だからずっと一緒と言う訳にはいきません」説明しながら照子の目からは涙が溢れだした。これは本人も意図していない突然の生理現象だ。妊婦は自覚がないまま感情が高ぶり、抑制が効かなくなることがあると言われているが、客商売には少し困ってしまう。店長は独身だけに鼻をすすりながらハンカチで涙を押さえている照子を冷めた目で眺めていた。
け・音無響子イメージ画像
  1. 2020/04/30(木) 13:47:28|
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4月30日・「竹槍事件」の当事者・新名丈夫記者の命日

1981年の明日4月30日は毎日新聞的には大本営の発表の虚偽を暴露し、それに怒った東條英機首相の弾圧を受けたことになっている新名丈夫(しんみょうたけお)記者の命日です。ちなみに昭和45(1970)年公開の東宝映画「激動の昭和史・軍閥」では新井五郎の役名で加山雄三さんが演じていました。
新名記者は明治39(1906)年に香川県高松市で生まれ、慶応義塾大学に進学すると弁論部で活躍したそうです。卒業後は毎日新聞に入り、海軍の従軍記者として活躍したため第2次世界大戦への参戦後は海軍従軍記者クラブ=黒潮会の主任記者になりました。
そうして実際に戦地で日本軍が劣勢に陥っていく様を見ている新名記者は実態とかけ離れた大本営発表の通りの虚偽の記事を書かざるを得ないことにジャーナリストとして耐えられなくなり、昭和19(1944)年2月24日の朝刊1面に「勝利か滅亡か、戦局は茲(ここ)まできた」「竹槍では間に合わぬ。飛行機だ。海洋飛行機だ」と言う記事を掲載したのです。すると元来が偏狭で反対者を容認しない性格の上、戦局の悪化で苛立っていた東條首相は新名記者を抹殺することを命じ、その意を受けた陸軍は常套手段であった懲罰的徴兵を発令し、本籍地に近い丸亀の歩兵第12連隊に2等兵として入営させました。しかし、新名記者は大正時代に受けた徴兵検査では弱視のため不合格になっており、当時としては中年だった40歳を目前にした「異例の徴兵は明らかに懲罰である」と海軍省の報道担当者が新聞他社も巻き込んで陸軍省を批判したため、その帳尻合わせのために同様に大正時代に兵役年限を迎えていた中高年者を250名徴兵したのです。おまけに新名2等兵本人は日支事変当時には陸軍の従軍記者だった経歴と海軍の後ろ盾で新兵でありながら特別待遇を受け、3ヶ月で召集解除になりましたが、巻き込まれた形の250名は昭和19(1944)年7月22日にサイパン陥落により東條内閣が退陣した後も兵役を継続させられ、12連隊が硫黄島に派遣されたため世界戦史に残る激戦の末に全滅したとされています。実は陸軍としては海軍の圧力に屈した形の新名記者の兵役解除に対する批判が部内で起こっており再徴兵を画策したのですが、先に海軍が国民徴用令に基づく軍属としたことで断念させたとも言われています。
その一方で新名記者の主張は東條大将の政権下で陸軍主導の戦争に危機感を募らせていた海軍の代弁であり、戦時下で発生した陸海軍の対立の一局面とする見方もあります。
それにしても東條大将はナチス・ドイツの全権を掌握しているアドルフ・ヒトラー総統に倣って内閣総理大臣と陸軍大臣、参謀総長、教育総監を兼務しましたが、政治権力の全てを手中に収めた訳ではなく、さらに陸軍と言う巨大組織は明治以降の正式な法規に基づいて設置され、敗戦直前の狂気に陥るまでは比較的常識を維持していたはずなので戦時下とは言え東條大将の一存で懲罰的徴兵が行われ、その帳尻合わせのために250名もの異例な中高年者が召集されたまま戦地に送られ、全員が死亡したとは信じられません。
この一件は映画や敗戦後の新名記者の著書では東條大将の悪事の典型例とされていますが、毎日新聞も朝日新聞ほどではないにしても近・現代史の歪曲・捏造の常習犯です。
「軍閥」新井五郎記者「軍閥」の新井五郎記者
  1. 2020/04/29(水) 12:54:20|
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振り向けばイエスタディ1900

年末の片づけを本格化させる前の茶山家にオランダから沢庵漬けとパックライス、缶詰めの携行食の礼状が届いた。今回は手書きの葉書だったので妻の静(しずか)は山の仕事に出かけている夫に見せる前に目を通した。表の差出人は英文で「モリヤ`ズ(モリヤの)」とだけ書いてあるので女性の文字でも特に気留めなかった。
「沢庵漬けは傷まずに食べられたのね。良かったわ」裏の日本文の冒頭の謝辞を読んで静の頭の中では「沢庵が大丈夫なら次は何にするか」と思考が脇に反れて走り出した。
「パックライスと缶詰はモリヤさんがアフリカに出張するのに持っていったのかァ。アフリカに出張するって戦争じゃあないわよね」夫が入れたパックライスと缶詰の思いがけない使い道に静は困惑しながら新聞の国際欄を思い出してみた。最近もアフリカの内戦の記事を読んだ気がするが、遠い世界の話題だと思っていた。そこに静は会ったことがない友人のモリヤが行ったと知って急に世界が狭くなったような気がした。それでも「無事に帰った」と言う一文が見当たらないので、まだ帰っていないらしい。
「奥さんも心配よね」国際刑事裁判所の検察官と言う職務がどのような仕事をするのか想像もできないが、刑事裁判と言えば殺人や暴力などの凶悪事件になる。それに国際がつけば戦争ではないか。ここで静は夫から「モリヤの妻は女性自衛官で現在は1佐になっている」と聞いたことを思い出した。まさか1佐が2佐の転属のために退職するはずがない。そうなるとこの差出人は誰なのか。この疑問は夫が帰ってから訊くことにした。
「苦汁(ニガリ)かァ。オランダで豆腐を作るつもりなのね」文末には「可能であれば苦汁を送って欲しい」と書いてあった。苦汁と言えば豆乳に混ぜて豆腐にする食品添加物だ。確かに自家製の漬け物を送られないくらいなので豆腐は絶対に無理だ。ならば豆乳で豆腐を作るのが唯一の打開策だろう。それにしてもモリヤは坊主らしくかなりの豆腐好きらしい。謎の女性がその好物を食卓に供ずるため最大限に努力していることも判った。
「これはやはり妻ではないのか」しかし、夫からは「モリヤと言う人物は常識では理解できない」と聞いているので東北の良妻賢母である静には想像もできない関係なのかも知れない。
「苦汁で豆腐を作るなら、残った大豆で納豆も作れば良いわ」謎の女性の努力に共感した静の頭が前に向かって跳躍した。茶山家では試したことがないが、納豆を常食している東北人の中には納豆と茹でた大豆を混ぜて炬燵の中で一晩おき、納豆を増産している友人もいる。モリヤが豆腐好きなら納豆も嫌いではないはずだ。
「オランダに納豆って送れるのかしら」ここで静は手造りの沢庵漬けを送ろうとして郵便局に断られたことを思い出した。どれほど厳重に梱包しても汁が漏れる惧れがあり、ほかの貨物を汚せば訴訟沙汰になりかねないと言う説明に納得せざるを得なかった。結局、スーパーマーケットで買ったビニールで密封された沢庵漬けを送ったが、密封された納豆は見たことがない。
「乾燥させて送れば向こうで水をかければ戻らないかな。うん、良いアイディァだ」今度は頭が立ち止まって思案した。茶山元3佐の小学校の担任が「お嫁さんは先生が見つけて上げる」と言う約束を守って紹介してくれた静はやはり愛すべき妻なのだ。見合いの後、両家の母親は別のイタコに相談したのだが2人とも「最高の良縁だ」と即答断言したのは的中している。
「モリヤくんは結婚では苦労してるんだよ」夕方になって帰宅した茶山元3佐に葉書を見せながら静が頭から腹に移して溜めていた疑問を訊くと1つ1つ丁寧に答えてくれた。
「カンボジアで飲みながら聞いた話では、高校時代から親に彼女を作る条件を押し付けられて、折角付き合い始めても引き裂かれたって怒っていたよ。今の奥さんは前川原の同期で、前の妻はカンボジアに行っている間に浮気をして離婚したそうだ。そう言えば淳之介と飲んだ時、『あかりのお母さんはモリヤくんの昔の彼女だ』って言っていたから、この機会に復活したんじゃあないか」愛妻一筋で好いた惚れたの話題には疎いはずの茶山元3佐の勘がここでは非常に鋭い。これは状況判断と言うよりも第六感だ。ここで倫理観や道徳論を持ち出して評価しないところがこの第六感を発揮させる基盤だろう。
「納豆を作るなら稲藁を送れば良いじゃあないか」次の話題にも茶山元3佐は極めて適切に回答した。これも試したことはないが岩手の山間部にある実家で祖母が干した稲藁で編んだ叺(カマス=筵を二つ折りにして包んだ袋)に茹でた大豆を詰めて掘り炬燵に中に入れて納豆を作っていた幼い頃の記憶が甦ったのだ。静も同郷だが残念ながらこの経験はなかった。
「苦汁(にがり)は海水で作れるはずだけど流石に知らないな」岩手の茶山家では豆腐もは祖母が作っていたが流石に苦汁は買っていた。幸い苦汁は近所のスーパーマーケットでも売っていた。これを使ってモリヤのために豆腐を作る女性は果たして誰なのだろうか。
  1. 2020/04/29(水) 12:52:46|
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振り向けばイエスタディ1899

「折角、陸海空の隊歌の楽譜とCDを送るなら行進曲も揃えたいな」年賀状を書き終えると島田信長元准尉は思いがけないオランダからの要望に応えて持ち前の最高志向を発揮し始めた。
「航空自衛隊も1994年からは自前の行進曲ができたんだったよな」島田元准尉は帝国陸軍在郷軍人会に当たる隊友会の岐阜県支部の役員なので航空自衛隊岐阜基地の航空祭や陸上自衛隊守山駐屯地の開庁記念式典だけでなく富士の火力展示演習や朝霞の中央観閲式、自衛隊音楽祭りにも父兄会や協力者を連れて行くことがある。1994年まで航空自衛隊はアメリカ海兵隊の「ブラビューダ」を別の曲のように改作した行進曲を使っていたが現在は「空の精鋭」に替えている。島田元准尉は作曲者が航空中央音楽隊所属の矢部政男准尉なのを知って以来、「准尉のテーマ」として愛聴するようになっていた。
「となると信繁には北空音楽隊に頼ませないといけないな。アイツも曹長なら音楽隊にも1人ぐらい知り合いがいるだろう」島田元准尉は勝手に話を広げておいて三沢基地で勤務している息子の島田曹長に先日、電話で命じた仕事を追加することを決めた。やはり武人の妻の鑑である順子と築いた島田家の父親の権威は絶対的なのだ。
「抜刀隊のCDはあるが楽譜はどうかな。軍艦マーチもCDはある。楽譜を探すのはこっちの方が簡単そうだ」思い立つと即行動の島田元准尉は2階の秘密基地で陸海空の隊歌「栄光の旗の下で」「海を征く」「蒼空遠く」と陸海空の行進曲「扶桑曲+抜刀隊」「軍艦」「空の精鋭」のCD、レコード、ミュージック・テープ、さらに歌詞カードと楽譜を探し始めた。案の定、陸上自衛隊の2曲はすぐに見つかったがCDはなくミュージック・テープだ。地方連絡本部で勤務していた頃はまだカセット・テープだったようだ。
「軍艦マーチは陸海空音楽隊のマーチ名曲集しかないな。『海を征く』もレコードはあるぞ。唄ってるのは藤山一郎じゃあないか」これは防衛庁・自衛隊が創立10周年を記念して制作し、関係者と協力者に配った隊歌のレコードだった。航空自衛隊の「蒼空遠く」はハワイアン歌手の三島敏夫だ。これで信繁曹長への命令、尾崎元曹長への依頼も一部削除される。
「流石に楽譜はないな。陸のは10音(第10師団音楽隊)に頼むしかないか。空は信繁に任せれば良い。問題は海だが尾崎さんなら横須賀の音楽隊に知り合いがいるだろう。年賀状じゃあ忘れられそうだから電話しておくか」書棚から引っ張り出したバインダーの中には歌詞カードはあっても楽譜はなかった。やはり音楽演奏の趣味がない島田元准尉は楽譜までは収集しなかったようだ。第10師団音楽隊には募集した新隊員が1曹になって勤務している。音楽隊要員の採用には学科試験と身体検査の他に技能確認もあるが、在学中には日教組系の教師が採用試験以外の接触を嫌うため本人の音楽経験の自己申告と中学・高校のブラスバンド部の実績で事前審査し、入隊した後に音楽隊員が教育隊に赴いて実技を確認する。それで合格すれば好いが、多くの場合は音楽隊を目的に入隊しているので落第した時には退職を申し出ることも少なくない。そこを普通科連隊の音楽隊の存在と活動を説明してつなぎ止めるのは地方連絡部広報官の仕事だった。幸いなことにこの1曹は無事に地元の第10師団音楽隊に配属されているが本人としては中央音楽隊を希望していたので今も激励はしている。
「モリヤ2佐のおかげで来年は隊歌で始まりそうだな」秘密基地のドアを締めると歌詞カードを綴ってあるバイダーを抱えて階段を下りた。これから横須賀在住の尾崎元海曹長に電話するつもりだ。普通、余計な仕事を頼まれれば迷惑がるものだが、島田元准尉に限らず自衛隊OBにとって任務を与えられることは存在を必要とされている証左であり、身体の中で遣り甲斐の炎が燃え上がってしまうのだ。
「もしもし、福田曹長ですか。岐阜の島田です」「これは島田准尉殿、ご無沙汰しているであります」海上自衛隊の尾崎曹長は陸上自衛官が大半を占めている愛知地方連絡部では帝国陸軍の軍隊用語を嘲笑するように使っていた。帝国陸軍では明治政府が進めていた江戸の山手詞を基礎とする標準語とは別に山口弁を採用していた。1人称の「自分」や文末を「であります」と締めくくるのがそれだ。その点、帝国海軍の1人称は「私(わたくし)」であり、文末は「です」「ます」だった。別に陸上自衛隊は帝国陸軍の軍隊用語を踏襲していないが、やはり日常会話の中で耳に障っていたのだろう。
「実はお願いがありまして」「はい、島田准尉殿のご命令とあらば専心職務を遂行するであります」「年明けで結構ですが、海上自衛隊歌『海を征く』の楽譜と歌詞カードを送って欲しいんです」「ほう、『海を征く』ですか。それは懐かしい」同業他隊を知っている自衛官の間では「海上自衛官は陸に上がると働かない」と言われているが、根っからの艦乗りの尾崎曹長にもそんなところがあった。それでもこの依頼には興味を覚えたようだ。
  1. 2020/04/28(火) 12:40:18|
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4月27日・今でも「婦人警官の日」

4月27日は敗戦直後の昭和21(1946)年に警視庁が採用した婦人警察官62名が初めて勤務に就いたことを記念した「婦人警官の日」です。
「婦人警察官」と言う呼称はイギリスがウーマン・ポリス・コンスタブル(女性の警察の巡査)と言う呼称からウーマンを削除した1999年に日本では「雇用分野における男女の均等な機会及び待遇の確保に関する法律」が改定されたため、国語辞典では「成人した女性」と定義されていても女性団体が「夫や組織に従属する女性」を意味すると批判していた「婦人」を「女性」に変更したので現在は「女性警察官」です。とは言え野僧が親しくしていた機動隊の幹部警察官は「あいつらは妻子ある男性警察官とも平気で寝るから不倫警官(ふりんけいかん)と呼ばれるのを嫌ったんだろう」と揶揄していました。それでも略称は長年定着してきた「ふけい=婦警」が継承されているようです(府警でも)。
野僧が大幅増員で受け入れることになった女性自衛官の処遇や勤務態様を考察する上で世界各国軍の女性兵士のついでに女性警察官も研究したところ日本の女性警察官は欧米と比較すると極めて特異な取扱いを受けているようでした。先ず欧米では制服が男女共通でスボンなのですが日本にはスカートがあり(制帽の形は半々)、制服のボタンも男女で左右が逆です。勤務態様も欧米ではSWATなどの特殊部隊を除けば基本的に男女共通ですが、日本では同一の部署に配属されていても業務の実施要領が異なっていることが多いようです。例えばアメリカでは女性警察官も単独でパトロール・カーを運転し、市内を警戒していて事件に遭遇すると拳銃を抜いて犯罪者に対処しますが、日本ではミニパトと呼ばれる軽自動車で狭い路地まで巡回して小まめに駐車違反や交通整理を実施しています。また警視庁の機動隊が女性警察官(当時は婦人警察官だった)を採用した理由は「デモ行進を監視するのに女性の方が印象が和らかく、デモ隊も女性に危害を加えれば社会的に批判されるため暴力を控えるはずだ」と言うものでした。その点、香港のデモ鎮圧のニュース映像では男性以上に逞しい女性警察官が先頭に立って逃げまどう市民を殴打していましたが、それは男女平等であっても性別差を殺しており、日本の警察の方が女性の特性を理解した上で使っているようです。ただし、白黒写真でも目立つ茶髪やパーマのロン毛などの派手な女性警察官も多く、その面の躾けは女性自衛官よりも甘いようです。
野僧は陸海空の女性自衛官とアメリカ海兵隊の女性の軍曹とつき合ったことがあったため女性警察官にも興味を持ち、独身に戻ったのを幸いに免許更新で会った女性警察官を口説き落として子連れでデートしたことがあります。すると個人の性格とは別の明らかに職業的な特質に気がつきました。その1つは人の話を素直に信じようとせず、事情聴取のように質疑応答を繰り返すことでした。確かに警察官が性善説に立っていては防犯になりませんから、それが癖になっていても不思議はありません。また高圧的な命令口調になることがありましたが、それも違反者などを指導する時の個癖なのでしょう。
それにしても風俗店でアルバイトしているのが発覚して退職した下関警察署の女性警察官はどのような化粧と髪形で勤務していたのか知りたいものです。
  1. 2020/04/27(月) 13:21:06|
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振り向けばイエスタディ1898

「貴方、外国郵便が届いているわよ」師走に入って年賀状書きも最盛期に入っている島田信長元准尉に妻の順子が封筒を手渡した。宛名書きは「ミスター」ではなく「ワーレント・オフィサー(准尉)・ノブオサ・シマダ」とある。しかし、地方連絡部本部勤務やラジオのDJで自衛隊OBとしては顔が広い島田元准尉も外国軍の知り合いはいない。
「ルテンナ・カーネル(2佐)・ニンジン・モリヤ・・・何だモリヤ2佐からじゃあないか」島田元准尉が大き目の声を上げると前で腕組みしていた順子は驚いて少し仰け反った。
「モリヤさんの旦那さんは外国に転勤したの」「いや、モリヤ1佐からは聞いていないが、住所はネーデルランドになってるな」通信員の島田元准尉はある程度の横文字の読解力はある。それでもネーデルランドと言う国名は聞いたことはあっても何処かは判らなかった。そこで封筒を開けて中の便箋を見ると日本文だった。
「モリヤ2佐はオランダの国際刑事裁判所の検事に転属したんだそうだ」「オランダなんて素敵」島田元准尉の説明に横から覗き込んでいる順子は歓声を上げた。便箋は日本語なので後で読ませればいいのだが、そこは仲の良い夫婦の作法のようなものだ。
「オランダ大使館の自衛隊記念日祝賀会で陸海空自衛隊の隊歌メドレーを披露したら大好評だったのかァ」話題が島田元准尉には大好物でも順子は食べ飽きている自衛隊の歌になり、隣の席に座って封筒から出して広げて置いてあった便箋に印刷されている写真を見た。
「それで防衛駐在官から『来年はバンドに演奏させるから楽譜を手配して欲しい』と頼まれた。防衛駐在官が依頼すると話が大きくなってしまうからモリヤ2佐が頼まれたと言うんだな」確かに陸海空自衛隊の音楽隊長に防衛大学校出身者はおらず、海上自衛官の近藤1佐は陸空の音楽隊に人脈は持たない。そうなると依頼は公式の業務命令になって必要以上に本格的な話になってしまう。本当は楽譜とCDがあれば十分なのだ。
「陸の『栄光の旗の下に』はレコードを持っているから録音すれば良いな。航空自衛隊歌は信繁に探させれば何とかなるだろう。問題は海上だな。海上の知り合いは・・・」「この女の人は誰」島田元准尉が1人で思案を始めると順子が隣りから質問してきた。島田元准尉が覗くと制服姿のモリヤ2佐がマイクを持って熱唱している写真だが、傍らには白のロング・ドレスを着た日本人女性が寄り添っている。
「パーティーに呼ばれた歌手じゃあないのか。それとも大使館員の奥さんが日本の歌を披露したとか」「それは違うわ、この女性はモリヤさんをジッと見詰めてるし、視線がとっても温かだもの。絶対に2人は愛しあっているのよ」順子の反論に島田元准尉は写真を奪い取って注視すると、順子が言った通りに傍らの女性は包み込むような視線でモリヤ2佐を見詰めており、2人の絆が光の筋になって結ばれているかのようだ。
「モリヤさんは四国に行ったままでしょう。旦那さんが外国で慣れない仕事をするのについていかなかったんだね。それじゃあ男の人としては身の回りの世話をしてくれる女性に気持ちが移ることもあるんじゃあないの。貴方」「俺はないぞ」唐突な順子の詰問に島田元准尉は大きめに首を振った。島田元准尉は入校以外に単身赴任した経験はないが、同世代の親父たちに比べて長身で男前、おまけに紳士なので職場でも女性事務官や婦人自衛官に人気があった。それでも阿蘇の叔母の紹介とは言え、惚れ抜いて結婚した順子以外に脇目を振ったことはない。
「モリヤさんもエリート幹部としての希望や責任があるんでしょうけど、このままじゃあ家庭が崩壊してしまうかも知れないよ。育ての父親として助言を与えたらどうなの」「あの2人のことだから十分に話し合って決めたんだろう。元准尉の俺が1佐と2佐の夫婦の問題に立ち入るのは遠慮するよ」この島田元准尉の見解は今回に限って外れている。今回の特異な人事は佳織が四国へ単身赴任している中で唐突に持ち上がり、渡りに船とばかりに急転直下で決まってしまったのだ。移動については毎日のように佳織に連絡したが、始めから単身赴任を前提にしていて休職して同行することなどは慮外の沙汰だった。
「お前が心配するのも親心だろうけどウチでは理解できない事情があるはずだ。推測で何か言うのは止めておけ」「うん、判ったよ」島田元准尉の言葉を軽い叱責に感じた順子は素直にうなずいた。順子としても夫から聞いている2人の結婚に至るまでの経緯とこの家を訪れた時の様子を思い返せば心変わりするとは思えない。その一方でこの写真の女性とモリヤ2佐が強い絆で結ばれているのは女の勘として確信している。夫にモリヤ1佐に助言するように勧めたのは破局への不安が単なる勘を超えていたからだ。
「そう言えば尾崎曹長に年賀状を出すな。ついでに頼もう」順子との討論が一段落したところで島田元准尉は地連絡本部時代の海上自衛官の同僚を思い出した。やはり人脈の幅は広い。
  1. 2020/04/27(月) 13:19:42|
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4月27日・「哲学の日」=ソクラテスの命日

明日4月27日は「哲学の日」です。由来はキリスト教紀元前399年に古代ギリシャの世界最初の哲学者・ソクラテスさんが刑死した日だからです。
野僧は高校に入学して校内案内で図書館に行った時、伝統校だけに県内屈指の蔵書に感動しながらも(保管専用の第2図書室があった)世界哲学全集が新品同様なのに気がついて卒業までに全巻を読破することを決意しました。その1巻がソクラテスさんでした。
弟子であるプラトンさんの「饗宴」や「ソクラテスの弁明」によればソクラテスさんはキリスト教紀元前469年頃に古代ギリシャのアテネィの石工とも彫刻家とも言われる父と産婆の母の間に生まれたとされています。青年期には重装歩兵として戦争に参加したもののその後はロクに働かず、収入にならない自然科学にうつつを抜かしながら年を重ね、晩年には日常生活には無縁の議論しかしない哲学者になったのです。
ソクラテスさんが哲学者に転身した切っ掛けはある日、弟子の1人が神殿で巫女に「ソクラテス以上の賢者はいるか」と問うてもらったところ、「ソクラテス以上の賢者はいない」との答えが返ってきたと聞き、「自分は愚か者だ」と自覚しているソクラテスさんは大いに困惑したことでした。そこでソクラテスさんは自分が愚か者であり、カミの言葉が誤りであることを証明するために賢者と呼ばれている人たちを訪ね歩いて「暗愚な私の質問に答えて下さい」と教えを乞うようになりました。ところが自他共に認める賢者たちは質問の大意には記憶している知識で答えられても質疑応答を重ねている間に知識では対応できなくなり、結局は自分としての思索は行っておらず、独自の思想を確立していないことが判明したのです。一方、ソクラテスさんは「自分が愚か者である」と自覚しているため始めから知識には頼らず、相手の回答に感じる疑問を率直で真摯に探求していたため独自の思想が深まり、やがては揺るぎなき真理に到達したのです。ソクラテスさんはこの自分の境地を「無知の知」と呼びました。
ところがアテネィでは高名な賢者たちが次々に論破されることが評判になり、ソクラテスさんが訪ね歩くとその質疑応答には観衆が集まるようになったため面目を潰された賢者たちの恨みを買い、「アテネィのカミとは別のカミを信じ、それを広めたことで若者を堕落させた」と言う罪で告発され、公開裁判の結果、死刑の判決が下ったのです。
当然、弟子や冤罪であること知っている周囲は脱獄することを勧め、看守も牢の鍵を外していましたがソクラテスさんは「単に生きるのではなく善く生きる」と言う信条に殉じて黙って毒入りニンジンを食べて死にました。
野僧も「自分こそ究極の愚者=社会の不用品」と確信しながら子供の頃からの人一倍強い知的好奇心を満たすためだけに相手構わず質疑応答を繰り返してきましたが、ある日、地域で一番の高僧から「アンタは人にコンプレックスを与える人だ。聞きかじりの知識を振り回して自慢してくれれば馬鹿にできるが、自分が素人だからと教えを乞われると答えられない我々は深々と拜むしかなくなる」と言われたことがあります。ソクラテスさんの「無知の知」も同様に自覚のないまま相手を傷つけていたのかも知れません。
  1. 2020/04/26(日) 13:59:11|
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振り向けばイエスタディ1897

ジアエは12月25日のキリスト降誕祭の翌日も1日だけ休暇を取り、聖也に飛行機を見せようとインチョン(仁川)空港まで見送りに来た。搭乗手続きが終わり、空港のレストランで昼食を取った後、展望デッキに登ると聖也は離発着している飛行機に熱中したので夫婦はその後ろ姿を見守りながら会話できた。日本では今日、第2次加倍政権が成立している。
「加倍内閣の組閣は機内放送じゃあ流さないよな」「大韓航空だから無理ね」インチョンからニューヨークへの便は大韓航空とアジアン航空でどちらも韓国の航空会社だ。韓国人が大半を占める機内で今や仇敵になっている日本の政権交代のニュースを流すはずがない。
「それにしても今の韓国は開戦前夜の日本みたいだな。と言っても『ロシア討つべし』『アメリカ許すまじ』って騒いでいたのは軍部とマスコミだけで国民は淡々と日常生活を送っていたんだよ。ところが今の韓国は市民の方が大声で反日を叫んでいて、それに政府が引き摺られている。そのうち防衛協力も断絶してしまうんじゃあないか」「そうなのよ。折角、韓日の士官候補生が相互訪問していてもその前に教官が帝国陸軍の悪事と陸上自衛隊が受けている影響を悪意も持って教育するから宴席で飲むだけの友好関係に陥っているわ。日本人はお人好しだから一緒に乾杯すれば友達になったと思ってるけど、我が軍の士官候補生たちは敵の実態を見極める観察のつもりなのよ」岡倉の時代には日本の幹部候補生と韓国の士官候補生の相互訪問はなかったが、若し、あれば例のモリヤ夫婦がどのような反応をしたのかに興味がある。元航空自衛隊のモリヤ・ニンジン候補生は韓国空軍が日本からの侵攻を前提にした防空戦闘演習を繰り返していることを熟知しているだけに日韓の防衛協力には懐疑的だった。それどころかアメリカについても「戦争の目的は十字軍の再現=キリスト教による世界制覇」と日米安全保障条約を前提にした防衛構想を否定していた。その意見を巡って激論を戦わせたことも後に妻になる伊藤佳織候補生が想いを寄せるようになった原因の一つだ。それを考えればモリヤの夫こそ海外情報要員に適任ではないか。人物を熟知する同期の岡倉としては今回の異例の人事によって遅れ馳せながら国際舞台にデビューを果たしたモリヤ夫の今後の活躍を期待したい。
「我が国はこれからどうなってしまうのかしら」離陸していく航空機のエンジンをンに無邪気な歓声を上げている聖也を見ながらジアエが呟いた。今回の帰宅では連夜のように義母を交えて話し合い、ジアエが聖也を連れてアメリカに来ることで合意した。その時もジアエは陸軍少佐と言う立場を捨てることに何の躊躇も見せずに「アメリカに移住する」と断言した。
「国家としては存続できても中国の属国化するのは間違いないな。その前に南北統一を韓国側が希望するんじゃあないか」「確かにそんな雰囲気が急速に強まっているわ。今では北韓(=北朝鮮)は仮想敵じゃあないもの」岡倉はデッキの売店で軽食や飲み物を買って楽しんでいる若者たちの姿を眺めながら、それが北朝鮮でも許されるのかを考えてしまった。国家体制が変われば当然のように暮らしている生活の形も転換させられる。どう見てもこの若者たちは自由主義を満喫しているが、共産主義国家の北朝鮮でこのような奔放な青春が許されるとは到底思えない。それは共産党中国への臣従を公言している沖縄にも言えることだ。
「日本では国民が過ちに気がついて政権を元に戻したけど、我が国では例え保守派の大統領が当選してもマスコミが世論を扇動すれば有権者の投票行動よりも活動家の叫び声の方が優先されてしまう。結局、日本のA日新聞が反米反日親中に染め上げたマスコミがこの国を昔に引き戻すのね」韓国は有史以来、中国の属国であり続けることを国是としてきた。その意味では是非や損得に関係なく中国に臣従することを民族の魂が求めているのかも知れない。しかも明治以降、日本について近代化に邁進した結果の敗戦と朝鮮戦争を負の教訓にしている。一方、沖縄でも熱烈な愛国運動を指導していた地元2大紙が復帰後には急速に反米反日親中に主張を転換したが、これも本土式の紙面造りを指導する名目で送り込まれたA日新聞とM日新聞の編集員の画策だと言われている。沖縄の本土復帰ではマスコミに限らず地方行政や学校教育でも遠隔地への転勤を嫌う公務員たちの中で職場では問題視されていた自治労や日教組の活動家たちが熱望したため、厄介払いのように送り込む形になってしまった。
「アメリカ合衆国、ニューヨーク市、ジョン・F・ケネディ空港に向かいます××時××分発の大韓航空機×××便に搭乗されるお客さまに連絡します。間もなく機内にご案内しますからカウンター前に集合して下さい」その時、送迎デッキでも岡倉の便の乗客向けの案内が流れた。するとジアエは聖也を呼び寄せた。
「アメリカじゃあ日本のニュースはほとんど流れないからこっちの報道で気になったことがあったら知らせてくれ」「はい、私と聖也のためにアメリカのニュースを知らせてね」岡倉が右手で聖也を抱き上げるとジアエが顔を近づけたので目の前で口づけを交わしてしまった。
な・李英愛イメージ画像
  1. 2020/04/26(日) 13:57:13|
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振り向けばイエスタディ1896

「よくもここまで隣国の次の首相を冒涜できるものだな」韓国に来て以来、ジアエが仕事の間に聖也を連れて公園に行く以外は家でテレビを見て過ごしている岡倉はどの局の報道番組も近日中に就任する加倍晋三次期首相を非難する内容に終始しているのに呆れていた。それも日本のテレビ局は放送法で政治的中立が課せられているのに対して韓国のテレビ局は野放しのため、日本では言いたくても言えない悪口雑言を台本として持ち込んでいるような内輪ネタばかりだ。兎に角、一挙手一投足、一言一句の言動に留まらず出自=家系、学歴から前回の辞任の原因になった持病まで悪意を持って詳細に解説している。
「加倍首相の持病の潰瘍性大腸炎は単なる腹痛と下痢じゃあないですよ」岡倉はオヤツを食べて大人しくなった聖也と絵本を見ている義母にテレビの報道番組を見ながら説明を始めた。
「この番組でも単なる胃腸病としか言っていませんが日本の厚生労働省は難病に指定しています。原因不明なので完治は難しいのですが、最近は有効な治療薬が次々に開発されているようですから今度は大丈夫でしょう」岡倉も特に加倍次期首相を擁護するつもりはないが、韓国マスコミのあまりにも一方的な誹謗中傷には流石に憤りを感じていた。それにしても持病の解説に医学の専門家を呼んでいないのは印象を悪くすることが目的なのは明らかだ。
「そんな難病を患っていることが判っていたら前回は就任を辞退するべきだったんじゃあないの。そこが無責任に感じるのよ」確かに退任後は漏れなく逮捕・投獄されることが判っていても大統領に出馬する韓国の政治家に比べれば加倍次期首相は繊細かも知れない。本当は神経性胃炎や胃潰瘍などと同じようにストレスも病状を悪化させる原因なのだが、ストレスに弱い政治家も義母は認めないはずだ。
「加倍は先月30日に行われた日本記者クラブ主催の党首討論会で済州島の女性を強制連行して慰安婦にした罪を勇気を持って告白した吉田清治氏を『詐欺師のような男』と誹謗しました」ここでテレビのベテラン男性キャスターが話題を換え、今まで加倍次期首相を散々に誹謗してきたことを棚に上げて党首討論での発言を非難し始めた。
「おそらく日本が国連の常任理事国になるためには過去の罪を揉み消す必要があると計算したのでしょう。加倍の祖父は元A級戦犯でしたから日帝(=大日本帝国)の罪は祖父の恥だと思っているんじゃあないですか」テレビ局の政治記者と肩書がついている解説者がしたり顔で説明すると若い整形美人の女性キャスターが目を険しくして表情で怒りを表現した。これで視聴者の感情は誘導される。アナウンサーは単なる原稿の朗読役ではないのだ。
「どうしてA級戦犯の孫が一度は首相になり、それが務まらないで責任放棄したのに今回復活できたんですか」怒りの演技でアップになった女性キャスターが追い討ちをかける。この質問も台本通りであって女性キャスターの知識不足ではない。
「孫の加倍だけじゃあなくて祖父の岸信介自身も首相になっています。つまり日本は占領中にアメリカに取り入ることで戦争犯罪国としての立場を解消しているんです。岸はその立役者でした」「それは許せませんね。加倍政権が復活してしまった後、我が国はどのように対時するべきだとお考えですか」ここで女性キャスターが無表情になったのは、それが視聴者の注意力を高める効果を生み、高度な政治問題であることを演出している。
「2010年8月10日に当時の缶直人首相が韓日併合100周年の談話で日帝の罪を認めて謝罪しましたから、日本がこれまで我が国に対して犯した数々の罪への賠償や奪った多くの財産の返還を拒否することは国際常識としてあり得ません。我が国は今後、経済は中国との連携を強化して日本の影響を排除していくことで加倍が画策する日帝の復活に対抗しなければなりません」解説者の熱弁に女性キャスターも感激したように何度もうなずいた。どうやら韓国にとって民政党政権は歓迎すべき従僕であり、たかれば金を出す自動預け払い機だったようだ。
「2010年の8月と言えば2年半前じゃあないか。外務省が女王さまの鞭でSMされてた頃だな」この独り言は職場の上司の見解でも義母に聞かせる訳にはいかないので日本語にした。
「村山政権も終戦50周年談話で日清戦争から後の戦争を謝罪していたが、あの連中は国内にはSの癖に外国にはMなんだな。両刀使いかァ、どっちにしても変態だ」これも当然日本語だ。すると義母が怪訝そうに顔を覗き見たので聖也に声を掛けた。
「聖也、お前はこの国の幼稚園に入ってはいけない。お母さんと一緒にアメリカに来るんだぞ」唐突な意向表明に驚くと思ったが、義母はこちらが驚くほど冷静な答えを返してきた。
「それは我が家の一致した意見ですよ。夫はカソリック系の幼稚園でも若い教師は反日感情を園児に教えているから駄目だって言っているんです。ジアエも陸軍内に反日派が蔓延していることに限界を感じています」意外過ぎる展開だが胸の中で描いていた希望ではあった。
  1. 2020/04/25(土) 12:29:58|
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4月25日・これも事実誤認!スリランカ内戦の報告書が提出された。

2011年の明日4月25日に日本が今も冤罪被害を被っている(いわゆる)従軍慰安婦問題に関するクマラスワミ報告やマクドゥーガル報告と同様に国際連合人権委員会には独自の調査能力が欠落しており、一部の人権活動家に迎合して虚構を事実認定している実態を証明したスリランカ内戦における非人道行為に関する報告書が提出されました。
クマラスワミ報告は朝日新聞が吉田雄兎(=偽名は清治・福岡県遠賀郡芦屋町出身)の虚偽の告白で戦前の日本政府と日本軍の罪を捏造し、韓国のマスコミを扇動したことで社会的に抹殺されていた元売春婦たちが悲劇のヒロインになり、マスコミに唆されるままに虚構の体験談を語り始めたことを韓国政府が利用した(いわゆる)従軍慰安婦問題を事実と認定したものですが、スリランカ内戦に関する報告は国連史上最低と言う評価が定着している韓国の潘基文事務総長の指示で設置されたインドネシアのマルズキ・ダルスマン検事総長を長とする専門委員会=パネルが提出しました。ダルスマン委員長はイスラム教国のインドネシアでもキリスト教系の大学を卒業していて、検事総長を退任した後はキリスト教系人権活動家に転身していますからアジアの佛教国を殊更に敵視する欧米や日本の人権団体と同じく佛教国=野蛮な後進国、政府軍=強者=悪、反政府ゲリラ=弱者=正と言う結論ありきで調査に当たり、事実を先入観で歪曲し、自分の論理を証明する証言だけを集めて報告を作成した可能性が高く、それはクマラスワミ報告が日本の官憲や軍による強制連行の物的証拠がなくても元売春婦=被害者や日本の売国弁護士の戸塚悦郎(静岡県浜松市出身・現役)の虚偽証言を根拠に事実と認定したことでも証明されています。
野僧は内戦時のスリランカに滞在し、政府軍とも関係を持ちましたが、佛教の自律的倫理観を基盤としてイギリス軍直伝の軍規を受け継いだ極めて厳正な軍隊で、バブル期の自衛隊よりも良好な服務規律を保持しているように感じました。そして内戦の実態はイギリスの植民地時代に紅茶農園の労働力として南インドから強制移住させられたタミル人が独立後も留まりながらも生活の貧窮や地位の低さに不満を持ち、それを利用したインドが武器を与え、幹部に軍事訓練を施して発生させた間接侵略でした。ところが同じタミル人でも先住民は社会的地位が高く生活も豊かだったことで憎悪の対象になり、暗殺テロを繰り返したため急速に支持を失いました。すると反政府ゲリラ=タミル・イラームの虎は支配地域の婦女子や老人を人質にして男性をゲリラにしたため政府軍としても徹底的な攻撃ができなくなり不必要に長期化してしまいました。
この報告では政府軍がゲリラの支配地域の村民を無差別に殺害し、女性を強姦し、遺骸を晒し物にしたとする証拠写真が添付されていますが、これはゲリラが逃亡する時に口封じと見せしめのために繰り返した凶行であって、戦闘終了後も占領統治しなければならない政府軍が住民の信頼を失うような蛮行を実施するはずがありません。
日本のマスコミはミャンマーのロヒンギャ問題でもキリスト系人権団体の事実を無視した独善的偏見を代弁していますが、日本自身が奴らの活動によって多大の被害を被っている以上、それが売国行為に他ならないことを自覚するべきです。
  1. 2020/04/24(金) 11:53:43|
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振り向けばイエスタディ1895

結局、岡倉は予定通り12月19日の水曜日からクリスマスまでの1週間、韓国の李家に帰宅した。日本では党首討論で加倍総裁の挑発に乗った野畑首相が11月16日に衆議院を解散し、それを受けての党首討論会で加倍総裁から(いわゆる)従軍慰安婦問題を否定する発言が出たのだが、12月16日の投票で民政党は議席を4分の1に減らす歴史的大敗を喫し、下手すれば韓国にいる間に加倍政権が復活する。これまでは韓国世論の動向調査と言う任務を自分に課していたから反日世論が渦巻いている韓国にも乗り込めたが、単なる帰宅では特別製の鉄下駄を履いたように足が重い。むしろジアエと聖也をアメリカへ呼ぶべきかも知れない。
「ただいま」「貴方、お帰りなさい」「お父さん、お帰りなさい」李家のドアの中では門の扉を開ける音を聞いてリビングから駆け出してくるジアエと聖也が待っている。ジアエに癒され、聖也の成長を確かめることを目的にすれば帰宅は喜びだが、それはドアの中に限る。現在の韓国は仁川国際空港からの地下鉄を下りた途端に反日の張り紙が目に入り、通りを歩けば街頭演説の罵声が耳に飛び込んでくる。そんな時、岡倉は自分が韓国語を理解できることが恨めしくなり、縁を切った杉本が羨ましくなってくる。
「今日もお義父さんは修道院かい」「はい、降誕祭(=クリスマス)が近づいてミサの準備と儀式が重なっているから連絡もしてこないの。まるで軍隊ね」聖也を真ん中に両手をつないで廊下を歩きながら確認すると予想した答えが返ってきた。カソリックの修道院は日本の禅宗の本山や専門僧堂と同様に俗世と縁を切って修行に徹することを建前にしているので、家族を心配することも批判の対象になる。本来は義母と離婚しなければならないのだが、流石にそこまでは強制されなかったと聞いている。
「お義母さん、お久しぶりです」「おかえり、タイガー。元気そうね」リビングに入ると義母はテレビの報道番組を見ていた。画面には間もなく首相として復活する自民党の加倍総裁の顔が映っていて、その前でキャスターが険しい顔で解説しているから批判しているようだ。
「聖也、お土産は英語を覚えるように絵本だぞ。お祖母ちゃんに呼んでもらいなさい」聖也への最近の土産は絵本が定番だ。岡倉としては腐り堕ちていく韓国で家族を暮させていることに嫌悪感を超えた拒絶感を覚えており、ジアエが退役すれば即座にニューヨークに呼ぶことを決めている。上手くすれば松山夫婦のように一緒に働けるかも知れないが、松山裕美は2等陸曹だから万能の事務員扱いしていても陸軍少佐のジアエには難しい面もある。
「貴方、加倍晋三は前にも首相だった人よね」3世代の家族の夕食後はリビングでの談笑になる。それでもジアエは職業柄、社会情勢に関する話題から離れられないらしい。
「うん、小泉長期政権の後に就任したんだが、体調不良で短命に終わったんだよ」「腹痛と下痢だったわよね」岡倉の説明に床で聖也と絵本を広げて英語を教えている義母が横槍を入れてきた。熱烈な愛国者である義母は日本のマスコミに同調して一方的に憎悪している韓国の報道を鵜呑みにしているのではなく、体調不良で政権を投げ出したことを非難しているのだ。
「加倍の祖父はアメリカが日本の領土領海領空をソ連との戦争の舞台に使える権利だけを定めていた日米安全保障条約を防衛義務を課した本当の安全保障条約に改正した岸信介首相なんだ。ところが日本のA日新聞なんかは60年安保闘争の国民の徹底的な反対を押し切って改定を強行した戦前の軍国主義者の生き残りと極めつけて、加倍も祖父の戦前復古政治を継承する危険人物だと全人格を批判の対象にしていたらしい。偉大な中曽根康弘総理の時と同じだな」岡倉は前回の加倍政権の頃にはアメリカに移住していたのでこれは対岸からの遠望になる。ところがジアエの表情には明らかに怒りの色が浮かんだ。
「つまり我が国に岸信介のような政治家が出れば韓米軍事協定も相互防衛条約に改正されて、我が軍は大統領が指揮する我が国を守るための軍としての独立することができたのね」「在韓米軍の場合は朝鮮戦争の国連軍としての位置づけもあるから日本ほど単純にはいかないが、少なくとも日本人は在日米軍を占領軍とは思っていないよ。俺の法務士官になった同期は人質って呼んでいたな」ジアエ=李知愛少佐は韓国軍の軍人たちが秘かに抱いている韓国大統領には戦時の指揮権がなく、在韓アメリカ軍司令官の命令で戦争を始めなければならない現状への不満を吐露した。しかし、岡倉は深入りすることは避けてジアエにとっては同業他社の同期の珍獣の話題で場を和ませようとした。
「それって国際刑事裁判所の検察官になったニンジン・モリヤ2佐のことね。やっぱり普通のジエータイの士官とは違うみたいね」「自衛隊の幹部だけじゃあなくて普通の人間とは違うんだ」やはり同業者のジアエはあの珍獣の奇怪な人事を知っていた。モリヤと同期であることがバレてしまったので今後は夫婦の会話に登場することになりそうだ。でき得れば御免こうむりたい。
  1. 2020/04/24(金) 11:51:55|
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「E・T」の撮影監督・アレン・ダヴィオーさんの逝去を悼む。

4月15日にスティーブン・スピルバーグ監督と組んでSF映画の傑作「E・T」やパニック&オカルト映画「トワイライト・ゾーン・超次元の体験」、異色の戦争映画「太陽の帝国」の撮影監督を務めたアレン・ダヴィオーさんがコロナ・ウィルスによる肺炎のため亡くなったそうです。77歳でした。
ダヴィオーさんは社会活動から隠居してからは映像関係者の共助団体・モーションピクチャー&テレヴィジョン基金=MPTFがロサンゼルス市の郊外のウッドランドヒルズに開設した保養施設・MPTFハウス&ホスピスで生活していましたが、施設内感染でコロナ・ウィルスによる新型肺炎が爆発的に流行したため同じ施設に居住していた映画「コットンクラブ」に出演した俳優のアレン・ガーフィルドさんが4月7日に、ディズ二―映画の「ターザン」や「ライオン・キング」を手掛けたアニメーターのアン・サリヴァンさんが4月13日に亡くなっていて、その後に続く形になりました。なお、ダヴィオーさんは収容されて治療を受けていた病院から施設に戻って死を待っていたそうです。
現在の映画はSFに限らずコンピューター・グラフィックスが多用されていて特殊撮影は前時代的遺物として製作者の趣味で採用されるだけになっていますが、「E・T」はその究極的傑作と言えるでしょう。「E・T」は12歳の小柄な役者が入って演じた縫い包みと表情などを撮る上半身の大型の模型、そして全身の動きを撮る等身大の模型が使われ、大型模型については12本のワイヤーを操作して目や瞼、口や舌、頬などのリアルで微妙な動きを演じさせたそうです。確かにワイヤーの操作で表情を演じさせるのは至難の業ですが、撮影する側も全身から顔に切り替わる場面の接続には高度な技量を必要としたことでしょう。その他にも自転車のハンドルの前に着けた箱に乗ったE・Tの表情や念力で自転車が空中に舞い上がる場面の迫力、満月の前を少年がペダルをこいでいる自転車の影が通り過ぎる幻想的な場面などもそれまでの特撮映画では見たことがありませんでした。
一方、「トワイライト・ゾーン」はファンタジックな「E・T」とは逆に不気味さが全面に出た作品でしたが、短編の連作と言う形を採りながらも「TIME OUT(邦題・差別の恐怖)」は主演のビッグ・モローさんが撮影中のヘリコプターの爆発事故で子役2人と共に殉職したため撮影中止になりました。その中で「NIGHT MARE AT 20,000 FEET(邦題・2万フィートの戦慄)」では極度の高所恐怖症の男がパニックになり、気を紛らわすために外を見て得体の知れない化け物がエンジンを破壊しているのを目撃する場面は高度と風速を考えるとリアリティーに欠けるようでした。
そして日本に占領された上海を舞台にした失敗作「太陽の帝国」では軍事マニアの航空自衛官としては「陸軍航空隊なのに何故、海軍の飛行服を着た操縦員が零式艦上戦闘機を飛ばしているのか」「出撃前に『海ゆかば』は歌わないぞ」などと粗探しに励んでしまいましたが、暗い中、格納庫の建設工事の照明と火花を背景に主人公の少年の敬礼に3人の操縦士が答礼する場面だけは感動的でした。
スピルバーグ作品を支えた職人の技に敬意を表しつつ冥福を祈ります。
太陽の帝国太陽の帝国
  1. 2020/04/23(木) 11:25:54|
  2. 追悼・告別・永訣文
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振り向けばイエスタディ1894

「私たちは日本で今度の政権交代が起こる前にアメリカに来ていますから、外務省に対する弾圧と言われても今一つ実感が湧かないんですが」ミーティングが終わると今では松山千秋を尊敬するようになっている本間が質問した。日本に関心を示さないアメリカのマスコミ報道では島国内の政治情勢が判らないのは確かだ。
「捨てたとは言え母国の恥だから語るのは嫌なんだが、民政党は自民党政権から政策を丸投げされていた中央官僚が民間に利権をばら撒いて、その見返りで私腹を肥やしてきた。だから崩壊寸前の国家財政は官民癒着を断って無駄な公共事業を中止すれば増税なしで回復できると宣言して選挙に大勝したんだ。それで始めたのが事業仕分けと言う安っぽい政治ショーだよ。元モデルの蓮亡(れんぼう)とか言う国籍不明の女がSMの女王さまのような顔で官僚を責め立てて大人気を博してたんだぞ」「蓮亡は台湾との二重国籍でも中国人の血を受け継いでいることが誇りだと公言していましたよね」ここで台湾と共産党中国の担当者である本間が補足説明の合の手を入れ、松山は口に頬張った苦虫を噛み潰しながらうなずいた。
「ところが政治的失策が続発して支持率低下が心配になると大人気の政治ショーで盛り上げなくてはならなくなって、そこで俎板に載せられたのが外務省だった。外務省が大使館で開催している式典や祝賀パーティーはエリート外交官の贅沢な社交に過ぎないと断定して、大使館が保有しているワインや貴賓室の家具の価格から雇っているシェフの給料まで公開して、全て国民の税金の浪費だと徹底的に糾弾されていたよ」「外務官僚は反論しなかったんですか。社交も人脈形成と情報収集の手段じゃあないですか」本間の質問が少し気色ばんだ。本間でなくても説明を聞いているだけで腹が立ってくる。
「どうして最高級のワインが必要なんですか。銘柄は誰が決めるんですか。社交ダンスも外交官の素養に入るんですか。何て低次元な質問に外交交渉のプロは対応できなかったんだろう。テレビの蓮亡は本当にSMの女王さまのような目つきだったから外務官僚は変な趣味に目覚めてしまったのかも知れないな。ウチにも女王さまがいるから気分は判るよ」松山千秋がつけたオチに応えて松山裕美が後頭部に正拳突きを喰らわした。最近の本間はこんな夫婦の姿を羨ましく感じるようになっている。そんな本間はこの話をワシントンの大使館に行った工藤から日本人の職員たちの愚痴として聞いていたが、あらためて同情してしまった。
「ところで国際刑事裁判所の検察官になった2等陸佐って元刑事被告人で司法試験に合格した奴じゃあないですか」ここで岡倉が話を代わった。岡倉はその「奴」とは幹部候補生学校の同期なのだが、それを言えば松山千秋には元上司であり、松本は一般空曹侯補学生の先輩で面識があり、本間は妻と会ったことがある。接点を持たないのは杉本だけだ。
「そうみたいだね。あの人は陸幕の法務官室で弁護士活動に励んでいたんだが、A日新聞に今の政権の閣僚の靖国参拝を批判するインタビュー記事が載ったんで国外追放になったらしい」「それでもこの人事は左遷じゃあなくて栄転でしょう」本人も気づいていないが実は愛知大学の後輩になる本間が反論するような口調で疑問を述べた。
「それで裁判記録を調べたらトンデモナイ事実が判明したと言うことですか。確かにアメリカのマスコミもアフリカの話題はあまり取り上げられませんから、アメリカ以外に窓を持たない日本のマスコミは蚊帳の外ですね」ここでパソコンのタイ語のテキストを開いて勉強を始めていた杉本が口を挟んできた。これは職場で蚊帳の外に置かれないために投じた一石のようだ。
「それだけじゃあなくてアフリカ情勢には中国が深く関与していると指摘してるらしい。日本では村山政権が自衛隊を海外派遣したことだけが問題になったルワンダ難民問題も実際はアフリカ大戦と呼ばれるほどの大規模で本格的な戦争の一部だったんだ」「あの時は現地部隊が武装勢力に攻撃された日本の医療NGOを保護したことを法律無視の暴走だって徹底的に批判されました」ここでも輸送幹部として事例研究していた本間が補足した。やはり反日暴動を現地で視察できたことが自信につながったようだ。
「それにしても意外な情報源に絶妙な人間を送り込みましたね。どこの仕業ですか。防衛省や自衛隊にそんな政治力があるとは思えませんが」「詳しいことは判らんが、在日米陸軍の法務官の推薦があったそうなんだ。国際刑事裁判所とアメリカは対立しているから、その相手が推薦する人間を採用すれば今後の有利に働くと言う計算があったのかも知れない。何にしても妙なお告げが聞こえる人だから目に見えない情報も探り出すんじゃあないかな」同期と言うよりもライバルだった岡倉の評価に元部下と言うよりも教え子である松山千秋は内輪ネタを持ち出してしまった。これでは個人的に知っていることを自白したようなものだ。その頃、私は時差6時間で午後になっているオランダでクシャミを連発して風邪の心配をしていた。
  1. 2020/04/23(木) 11:23:32|
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4月23日・東京裁判を変質させた梅汝璈(ばいじょこう)判事の命日

1973年の明日4月23日は東京裁判の中華民国代表判事として現在も亡国的日本人が信じ、広めている事実を歪曲した日本の罪状を告発した梅汝璈判事の命日です。
梅判事は1904年に長江の南岸内陸に位置する江西省南昌市で生まれました。1924年にアメリカへの留学生を育成する清華大学を卒業するとスタンフォード大学文学部に留学して卒業後、シカゴ大学のロー・スクールに転学して1928年には法学博士の学位を取得しました。こうして1929年に帰国すると南開大学と武漢大学の教授に就任し、さらに国民党政府の行政院院長や外交部部長の助手になった後、本人も内政部参事と立法委員を歴任しました。1945年9月2日に日本が無条件降伏してナチス・ドイツを裁くニュルンベルク裁判を模倣した東京裁判が開廷されると法曹の経験がないにも関わらず中華民国代表の判事に選ばれました。
現在も国民党政府に盗って代わった共産党中国は旧連合国=戦勝国面をして国際連合の安全保障理事会でも常任理事国の椅子を占めていますが、アメリカが軍事顧問として国民党政府に送り込んでいたジョセフ・スティウェル大将は蒋介石総統には全く人望がなく、兵士の士気と規律心が欠落していることから大陸戦線で国民党軍が帝国陸軍を敗ることは不可能と断定し、ルーズベルト政権に太平洋戦線に引き出して島を壊滅させていく戦略に転換することを提言し、それを実行したことでアメリカは勝利を収めたのです。またスティウェル大将はルーズベルト大統領とウィンストン・チャーチル首相がカイロで蒋介石総統と会って連合国の一員に加えることにも反対したのですが、梅判事はそのような立場を弁えることなくオーストラリア代表のウェッブ裁判長が裁判官の序列をアメリカ、イギリス、中国の順としたことに「中国は連合国の一員でありながらニュルンベルグ裁判に参加できなかった。これはアジア人の裁判だ」と猛反発して裁判長の隣りの席に居座りました。
公判では日本の軍国主義をドイツのナチズムと同じ「人類に対する犯罪」として検事以上の徹底的な糾弾を繰り広げました(中立な立場の判事でありながら)。中でもナチス・ドイツがユダヤ人をガス室で大量殺害したホロコーストと帝国陸軍が南京での戦闘で文民に紛れこんで識別が困難になった便衣兵を抹殺するために疑わしき者を殺害した南京事件を同一の罪とし、その死者数はヒロシマの原爆と同じ20万人としましたが、これは開戦前の南京市の人口を超えています。さらに死刑にする人数もニュルンベルク裁判の9名と同数にすることを要求し、ナチスの戦犯に比べて個人に帰するべき罪科が希薄にも関わらず7名が処刑されました。そして何よりも昭和天皇を超A級戦争犯罪者として裁判に掛けることを強硬で執拗に主張し、個人的願望として極刑を与えることを公言していました。
ところが裁判中から中国では国共内戦が始まり、帰国した時には共産党の優勢が確定的になったため国民党政府の行政司法部長の要職に就任しながらスパイ=工作員としての活動を始め、台湾への逃亡前に監察院の捜査を受けて追放されると大陸に残って堂々と共産党に加わり、国務院顧問や全国人民代表大会代表などの要職を歴任しました。しかし、文化大革命で失脚して日中国交回復の翌年に北京で死亡したのです。
  1. 2020/04/22(水) 13:01:15|
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振り向けばイエスタディ1893

最近の岡倉はニューヨークでも炊飯器でご飯を焚いて味噌汁を作っている。アメリカ人の健康志向が高まって日本食が人気になり、ニューヨークの市場でも食材の入手が容易になったのだ。岡倉はアメリカに移住した当初は語学力習得のため西海岸に住んだので日本食レストランを利用していたが、ニューヨークに来てからは中華料理でしか飯食は口にしていなかった。そんな生活の中で韓国に行き、愛妻・ジアエの手料理を食べることは身心共に疲労回復になっていた。ところがその韓国では日本食を好む一般市民が反日活動家の指弾を受けるようになり、需要があるから置いている店舗も目立たない棚に移動させているらしい。
「これは韓国の世論が激昂するな」岡倉が年末の予定を決めて韓国への飛行機の搭乗券を手配しようとしていた11月30日の朝のニュースでは珍しく日本の話題が紹介されていた。日付変更線の関係で日本では13時間前の夜のニュースの映像だ。
「加倍は首相だった時には真面目さだけが取り柄の頼りないお坊ちゃまに見えたけど、復活してからは一皮剥けたようだな」日本の11月30日に東京で行われた日本記者クラブ主催の党首討論会で9月26日の総裁選挙で復活を果たして以来、攻勢を強めている自民党の加倍晋三元首相が済州島での慰安婦狩りを告白してA日新聞の(いわゆる)従軍慰安婦報道の発端になった吉田清治を「詐欺師のような男と呼んだ」と言うのだ。それにしてもニューヨークのマスコミが日本の政治を取り上げることは対アメリカの政策決定以外には滅多にない。ましてや野党の党首の発言は新聞でも取り上げられないのが実情だ。
「しかし、A日新聞を敵に回して次の選挙で勝てるのか」テレビのニュースの話題が換わってから新聞の海外欄を探したが関係する記事は見当たらない。日本記者クラブ主催の党首討論会なので外国人記者は参加できなかったのかも知れない。逆にテレビは日本の放送局と画像交換の提携を結んでいれば放送は可能だが、大概はアメリカから日本への一方通行だ。それがあえて放送したのにはアメリカで中国人華僑の資金力を背景に過激な反日活動を繰り広げている韓国系移民の反発を狙った可能性もある。
「これは早めに韓国に行って反日運動を敵対世論に換える扇動者を確認するべきだな」岡倉は仕事用を兼ねている机に置いてある額のジアエと聖也の写真に向かって話しかけた。
「それは外務省の担当だろう」職場での朝のミーティングの席で岡倉が年末休暇を前倒しにしての現地調査を申し出ると松山千秋は珍しく却下した。松山夫婦もテレビのニュースで加倍元首相の発言は見ていたようだ。
「我々の任務はあくまでも外務省が見落とし、防衛駐在官が公式には収集できない軍事情報を察知して日本の防衛に資することだ。民政党政権の弾圧で外務省が機能停止していた間はいざ知らず、最近は再始動している。そうなれば韓国世論の動向は本職の外務省に任せるべきじゃあないか」岡倉や杉本にとって松山千秋は幹部自衛官として後輩だ。しかし、任務に対する認識ははるかに高く、現場では見落としがちな客観性を保持している。
「僕としては杉村(岡倉の偽名)さんには本来の任務であるペルシャ語圏での情報収集を優先してもらいたいと考えています。アフガニスタンとイラン、それにパキスタン、どこも不穏な情勢が続いていますから。韓国へは今まで通り生理休暇で行けば十分でしょう」松山千秋の意見に岡倉もうなずいた。確かに韓国は外務省だけでなく日本のマスコミも取り上げる機会が多く、北朝鮮との軍事的緊張が高まらない限り担当外だ。
「杉本さんのタイ語は上達しましたか。できれば東南アジア担当としてクメール語やベトナム語にも手を広げて欲しいんですが」在韓アメリカ海軍の広報官からタイのサッタヒープ海軍基地に転属したクミコ・トミタ少佐を新たな人脈にした杉本としてもこの任務は納得できる。ただし、少年時代から新潟で近所に住む在日朝鮮人たちに習った韓国語に比べると上達は遅い。
「それからここにはアフリカの担当者が欠けているようなので必要になれば僕が出かけようと考えています」「支社長はアフリカの言語ができるんですか」唐突な説明に反応したのはアラビア語を活かしてイスラム圏の北キボールやリビアに行ったことがある松本だった。
「うん、大学時代に留学生から習っただけだが、日常会話くらいは何とかなる」この職場では建前上は個人情報は秘密なのだが、松山に関しては決定時に紆余曲折があり学歴も知られている。東京6大学の雄のW稲田大学ならばアフリカからの留学生がいても不思議はない。
「この秋からオランダの国際刑事裁判所に2等陸佐が検察官として派遣されたんだ。その2佐が過去の公判記録を確認したところ日本では全く報道されていない事実で埋め尽くされていて、オランダの防衛駐在官を通じて通報して来たんだ。日本が国連の平和維持活動に参加するにも現地情報が不十分では隊員が犠牲になってしまう」全員がうなずきよりも深く頭を垂れた。
  1. 2020/04/22(水) 13:00:18|
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振り向けばイエスタディ1892

「コートジボワールへ行ったんだって」国際刑事裁判所検察部での報告を終えた翌日、私は梢を伴って日本大使館へ防衛駐在官の近藤1佐を訪ねた。近藤1佐には自衛隊記念日の祝賀会食の時に調査に赴く予定を伝えていたので、私の赤く日に焼けた顔を見て事情を察したようだ。
「はい、在コートジボワールの日本大使館は昨年8月1日に再開したばかりなので防衛駐在官も内戦の実態調査に着手できる状態ではないでしょう。ならば近藤1佐から市ヶ谷へ通知していただこうと思いまして」「それは有り難う」私の説明に近藤1佐は素直に謝辞を述べた。防衛駐在官は赴任している国の国防省や軍からの情報収集だけでなく各国駐在武官を通じての情報交換も任務だが、私の場合は国際刑事裁判所からの情報漏洩なのかも知れない。
「コートジボワールは一般の日本人が考えているアフリカとは少し違うことを理解しないと今回の内戦の実態は見えてきません」近藤1佐に勧められてソファーに座ると前回と同じオランダ人の女性職員が紅茶を持ってきた。私と梢が目礼してからカップを鼻の下に運び、湯気を嗅ぐと近藤1佐は視線を少し強めて身を乗り出した。
「コートジボワールは世界一のカカオ豆の輸出国なので国家財政は非常に豊かです。そのため市内は整備されていて国民の教育も行き届いています。おまけに国土はカカオ豆の耕作地になっているので未開の地と言うイメージとは程遠い近代国家なんです」「ケニアも同じことが言えるんだよな」近藤1佐の返事に私も高校時代に呼んだジョモ・ケニヤッタ大統領の評伝を思い出した。明治以降の日本人には「近代国家に仲間入りした唯一の有色人種」と言う屈折した自意識があり、アジアやアフリカを画一的に見下すところがある。しかし、どこの国にも優秀な人材は存在し、政治は国家を豊かにして国民を幸福にするための努力を続けているのだ。
「そんなコートジボワールで内戦が発生したのは33年間の長期政権を維持して国家建設を成し遂げたボワニ初代大統領が死去した後の混乱と権力闘争に部族対立も加わったことが直接の原因です。ところが鎮静化した後にアメリカの対イスラム戦争が始まってイスラム教徒とキリスト教徒の対立が激化した上、そこに国連の常任理事国であるフランスが不当に介入したことで内戦が再発したんです」「ふーん、国連の公式見解とはかなり違うようだね。モリヤ2佐の国際司法裁判所は戦争犯罪容疑で前の大統領を逮捕しているじゃあないか」コートジボワールのバグボ前大統領は2011年4月11日にフランス軍に身柄を拘束され、国際刑事裁判所に送検されて現在は同じスフラーフェン・ハーグ市内に拘禁されている。
「日本政府としては騒乱状態になった首都で大使公邸が暴徒に襲撃された時、フランス軍に救助してもらった恩義があるからフランス側に立たざるを得ないだろうけど幹部自衛官が現地で調査した見解として通知する必要はあるな」「コートジボワールの日本大使館があるのは首都ではなくて最大の都市のアビジャンです」ここで悪癖が出て細部の誤りを指摘してしまったが、近藤1佐も慣れてきたのかここでも素直にうなずいた。
「ところでフランス語の通訳探しで悩んでいたけどどうしたんだね」3人が適度に冷めた紅茶を飲んだところで話題が換わった。確かに祝賀会場でもフランス駐在武官のデュブラ大佐に日本人の外人部隊兵士の貸し出しを依頼し、それを断られると在フランス大使館の在外公館警備官の同行まで模索していた。
「コートジボワールはイギリスともカカオ豆の取引をしているそうで意外に英語が通じるんですよ。フランス軍に通訳を依頼しましたが、若い女性士官だったのでデートしたようなものでした」その時、隣に座っている梢が私の二の腕を力一杯つねった。やはり嫉妬の火は消えていないらしい。そんな2人を近藤1佐は冷やかしたように苦笑しながら見ていた。
その夜、ベッドに横になると私の身体に異常事態が発生した。東京拘置所での勾留生活のストレスで喪失していた生殖能力が唐突に復活したのだ。
「梢、下半身裸になってワシの上に座れ」私は掛け布団をめくって腕枕されようとしている梢に命令すると自分もパジャマのズボンと下着を脱いだ。
「・・・これって」梢は30年ぶりに見る私の猛々しい男根に言葉を失ったが、そのまま下半身裸になると腰を下ろして私自身を受け入れた。
「東京でも1、2回起ったことはあったが、1人じゃあ萎むまでの時間を測っているしかなかったんだ。だけど今日はお前がいたから人生最後の性交を果たすことができたよ」「私も貴方に抱かれて身体が甦ったみたい」梢の身体の中に入っていたのはほんの数分間だったが、この奇跡は涙が出るほど感動的だった。東京の官舎で起った時には「人生最後のセンズリをしよう」と思いながら虚しく過ごしたが、今夜は梢がいてくれたおかげで願いが叶った。これは佳織に対しては不貞行為だが、私の人生最後の相手としては梢の方が相応しかったようだ。
三浦リカイメージ画像
  1. 2020/04/21(火) 12:47:48|
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4月20日・プロとアマ対立の発端・柳川事件が発生した。

昭和36(1961)年の4月20日に長年にわたり日本のスポーツ界の発展を阻害してきたプロとアマの対立を確定的にした柳川事件が発生しました。
日本のプロ野球は昭和11(1936)年に創立しましたが、野球を単なる遊戯と見ている多くの日本人はプロ野球も娯楽の1つと蔑視していて首都圏では東京6大学野球の方が圧倒的な人気があり、全国的にも仕事の後に練習に励むと思っていた社会人野球(実際は仕事よりも野球を優先していた)や学校教育の高校野球が支持されていました。そんな中、プロ野球と社会人野球はそのスカウトや契約と入団に関する協定を毎年ごとに締結していたのですが、基本的には3月1日から秋の産業対抗大会が終了する10月31日までは接触しないことで合意していました。
ところが昭和35(1960)年の協定で社会人野球側が「プロ野球を退団した選手は資格審査に合格後の産業対抗大会が終了するまで社会人のチームに登録できない」「人数は3名までとする」「公式戦を経験していない2軍選手も対象とする」と一方的に通告してきたため退団させた選手の身分や生活を憂慮したプロ野球側が「期限を夏の都市対抗大会まで」とするように要求しましたが、社会人側が拒否したことで協定が破棄されたのです。
そうして無協定状態になっていたこの日に中日ドラゴンズが中京商業高校の内野手として夏の甲子園を制覇し、中京大学を卒業して日本生命に就職していた柳川福三選手と契約し、入団を発表しました。これを受けて社会人野球側は理事会を開催し、プロ野球との関係断絶と退団者の受け入れ拒否を決議して事実上の敵対関係に陥りました。さらに大分県の甲子園出場校の投手が1回戦で敗退した帰路のフェリーの船上で取材を受けて「中日への入団」を明言したことで高校野球連盟との「選手との接触は野球部を退部して以降」と言う申し合わせを無視していたことが発覚したため大学野球と高校野球を傘下に置く学生野球協会も社会人野球と同調して、それまではキャンプや地方での試合、自主トレなどの合間に行われていたプロ野球関係者による生徒や学生への指導を全面禁止しました。
これ以降、プロ野球選手は卒業生であっても母校の練習への参加は言うまでもなくOB会に出席して旧交を温めることもできなくなりました。一方、学生や社会人の選手たちも野球だけに専念しながら高額の報酬を手にして華やかな脚光を浴びても現役期間が短いプロ野球と社員として片手間の部活動に甘んじても引退後の指導者・社員としての身分が保障されている社会人野球を二者択一の天秤に掛ける異常事態が発生し、日本国憲法が定める職業選択の自由は完全に無視されていたのです。
このプロ野球とアマチュア野球の対立は他の競技団体へも少なからぬ影響を与えていて、例えば柔道やレスリングの重量級がオリンピックで勝てなくなった頃、スポーツ・マスコミ関係者から相撲界やプロレス界の経験者を選手として出場させることが提案されましたが、理事会に諮る前に受け付けられませんでした。結局、両者の対立はアマチュア・スポーツの最高権威だったオリンピックがプロ選手の参加を解禁したことで時代の変遷を直視せざるを得なくなり、1990年代になってようやく緩和、解消されたのです。
  1. 2020/04/20(月) 13:44:51|
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振り向けばイエスタディ1891

コートジボワールから帰国した翌日は午後からの出勤で、梢もオランダ語教室を午後の講座にしてあるので朝はユックリ熟睡できた。トイレに行きたくなって目を覚ますと梢は腕の中で私を見ていた。昔も目を覚ますと腕枕のままこちらを見ていることがあったが、私が抱えている苦悩をその目で見通し、包み込んで和らげてくれるようだ。
「朝昼兼用で良いよね」移動を含めて11日分たまっていた新聞に目を通してから食卓に着いたのは自衛隊で言う早飯の時間=11時30分だった。最近は顎が弱くならないように固めのフランス・パンに香ばしく焦げ目をつけるのが定番だ。
「カロリー計算上は2食分にしないから晩ご飯を少し豪華にできるでしょう」「それは楽しみだな」単身生活では食事制限も自己管理で自己責任だったが、こうして気を遣ってもらうと腹に入る以上の栄養が心に満たされてくる。梢がいつから糖尿病患者の食事管理を研究し始めたのかは不明だが、すでに熟達の域に達している。確かに朝昼兼用の食事の蛋白質の摂取量を押さえればその分を夕食で摂ることができるから肉や魚の切り身が厚くなる。そう言えば最近は乳飲料も「美味しい」と感激していたオランダ産の牛乳ではなく低脂肪乳になり、パンに塗るのもヨーロッパでは定番のバターからマーガリンになった。昔から質を落とさずに妥協する生活の知恵は梢の得意技だったからここでも本領を発揮してくれているようだ。
午後からはモレソウダ首席検察官の部屋でリミッド次席検察官も交えて私の報告を兼ねた話し合いが行われた。今回もモレソウダ首席検察官自から濃いコーヒーが振舞われた。
「今回の告発はフランスが問題化して、そこにワタラ政権も捜査を要請してきたことで調査に着手したと聞いていますが」「まだ内戦が継続中で私は何度も銃撃戦を目の当たりにしたよ」プロシアの戦争哲学者・クラウゼヴィッツ少将は「軍人は苦難や危険を経験したことを誇示する個癖を有する職業人だ」と喝破しているが検察官も該当するようだ。特にリミッド検察官は現職の軍人=自衛官である私よりも危険な状況下で職務を遂行したことに優越感を抱いているのかも知れない。私としては不用な体験談の応酬は避けて話を勧めた。
「確かに文民殺害や不当な戦闘行為は頻発していたようですが、それをバグボ政権の命令による組織的な戦争犯罪と結論づける証拠を確認できたのですか」「できたから告発に踏み切ったんだ。我が国際連合が派遣したPKF=平和維持軍を攻撃してきたことだけでも平和に対する戦争犯罪と断ずるに十分だろう」リミッド検察官は私の質問を挑発と受け取ったようで、インテリの紳士らしく語気は荒立てず声量だけを上げて反論した。
「その根拠の大半はPKFに参加したフランス軍とアフリカ連合軍関係者の証言でしたね」「物的証拠については共通の武器を使用していたため現場で回収した弾丸などの識別は不可能だった。ただし、PKFが攻撃を受けている動画は多数提供されているから、それを証拠としての事実認定は可能だった」モレソウダ首席検察官はこの説明に同意して刑事告発に踏み切っただけに私を見る目が険しくなっている。そこで私はお手ずからのブラック・コーヒーを多めに飲んで「美味い」と呟いてから攻勢に転じた。
「コートジボワールは世界最大のカカオ輸出国だから国家財政は健全で、国内の近代化はかなり進展していて国民生活も安定していました」「それをバグボは破壊したんだ」ここは話の進行を誘導するためだけの反論を無視した。
「その一方で何処にでもある部族対立はここにも存在していましたが生活の安定によって協調融和を選択させていたようです。ところが・・・」この間の取り方は日本の法廷で身につけた論法だが、丁々発矢の論争用の言語である英語では上手くいかない。
「アメリカが対イスラムの戦争を始めたことでもう1つ存在した宗教対立が先鋭化したようです。ご存知のようにコートジボワール国内にはイスラム教徒が38.6%、キリスト教徒が32.8%、土着宗教の信仰者が11.9%、特定の宗教に属さない者が16,7%存在しますが、キリスト教徒はフランスの植民地時代の上流階層だった人間なので今では多数派になっているイスラム教徒に対する侮蔑と敵意は根強く、攻撃は加えなくても執拗な嫌がらせは横行していたようです」これは私が慰霊の礼拝のために立ち寄ったモスクで聞いた話だが、すぐにウラマーが出てこなかったのも異教徒に対する警戒心が理由とのことだった。
「そうしてこージボワール国内でくすぶり出した火種をカカオ豆の生産から輸出までを独占していた企業の排除に着手したバグボ政権が邪魔になった安全保障理事会の常任理事国政府が利用したとは考えられませんか」「わずか1週間の調査で・・・」オージェ大尉を酷使して各方面をピン・ポイント攻撃して訊き集めた私の見解にモレソウダ首席検察官の目が不思議な光を放ち、私の禿げ頭の額が反射した。
ファトゥ・ベンソーダ首席検事イメージ画像
  1. 2020/04/20(月) 13:43:45|
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4月20日・「コリアン・ターゲット」の始まり・大韓航空機攻撃事件

1978年の明日4月20日に乗客97名、乗員12名を乗せた大韓航空機がソ連領空を侵犯し、対領空侵犯措置で発進した戦闘機の空対空ミサイルが命中して氷結した湖面に不時着した事件が発生しました。
大韓航空はこの事件以降も1983年9月1日のサハリン上空での撃墜事件、1987年11月29日の北朝鮮による爆破事件の標的になったため航空自衛隊の兵器管制幹部の間では「コリアン・ターゲット」と仇名されていました。また一般的には1983年の撃墜事件と識別するため「銃撃事件」と呼ぶことが多いのですが、あくまでも空対空ミサイルだったので「攻撃事件」にしていました。
この大韓航空機はフランスのオルリー空港を離陸し、アラスカのアンカレッジ空港経由でソウルに向かう定期便でしたが、1967年就役の老朽化したボーイング707だったため当時でもかなり普及していた慣性航法装置(INS)は搭載しておらず、磁針方位計も極地のため使用できず、北極圏でソ連に近かったため管制誘導施設も少なく、船舶の航海に使う6分儀のように時間と太陽や天体との位置関係で位置を確認するしかありませんでした。ちなみに乗客の大半は発着地の韓国人とフランス人でしたが、機体が古いことで料金が割安だったため相当数の日本人の留学生や観光客も搭乗していました。
ところがアンカレッジに向けて飛行中、アイスランド上空で乱気流に遭遇して無線機が交信不能になり、コンパスも故障したにも関わらず航法士がそれを見落とし、グリーンランド付近から大きく航空路を反れてソ連領空に接近し、4時間後には領空侵犯、しかも北海艦隊の軍港付近を通過したためソ連防空軍はスホーイ15戦闘機を2機発進させ、民間機でも敵対する韓国機であることから撃墜命令を下しました。ところが戦闘機のパイロットは独断で警告射撃を行い、航空無線で呼びかけましたが応答がなく、やむなく赤外線誘導の空対空ミサイルを発射し、主翼左外側のエンジン付近に命中して翼端が脱落・飛散したのです。この飛散した部品が胴体のエコノミー・クラスの座席部分に当たり、日本人と韓国人の乗客が1名ずつ死亡し、13名が重傷を負い、機体の破損によって空気圧が急速に低下する事態に陥りました。このため機長は急降下すると同時にソ連軍パイロットの誘導を受けながら2時間飛行して、現地時間の午後6時45分にモスクワから北へ2000キロのコラ半島の南東部にあるイマンダラ湖の凍結した湖面に不時着しました。乗員と乗客は当初、機体から脱出しましたが外は酷寒な上、氷が厚く水没の恐れがないと判断して機内に戻り、2時間後にソ連の救援隊が到着するまでそのまま待ちました。その後、機長と航法士は取り調べを受けたものの他の乗員と乗客は23日にフィンランドから帰国し、2人もソ連共産党の書記長に謝罪文を提出してその1週間後には帰国しています。
それにしてもグリーンラド付近での航空路からの逸脱は急旋回に近く、太陽の方向が大きくずれているにも関わらず操縦室の機長、副操縦士、機関士、航法士の誰も気がつかないとは考えられず、サハリン上空での撃墜事件における大韓航空機の飛行も到底、偶然の連続とは信じられないほど異常でしたから、疑わしきは大韓航空機側です。
  1. 2020/04/19(日) 14:25:00|
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振り向けばイエスタディ1890

「帰ったさァ」中1週間の激務の後に再び10時間を超える空と陸の移動を終えて自宅に帰ると私は沖縄風に声を掛けてドアを開けた。これは梢と共演した青春ドラマの再現でもある。
「今、無事に帰りました。有り難うございました」梢は私の机の前で両手を合わせて祈っていた。広い部屋の玄関にまで香りが聞こえてくることで絶えず線香を焚いていたことが判る。
「お帰りなさい」灯明の火を消して歩み寄った梢の目の下には隈ができていた。やはり徹夜していたらしい。私は今朝、エヴルー=フォヴィル基地に着いてそのまま国際刑事裁判所の車両で帰ってきたためシャワーを浴びていない。少し不潔な感じはするが黙って抱き締めた。
「うん、貴方だ。貴方の匂いがする」梢は私の加齢臭を鼻で嗅ぎながら感激している。私は髪の匂いを確かめながら腕に力を込めた。身体の弾力と体温は梢だった。
「今夜は遅いから消化が良い麺類にしたのさァ」2人でシャワーを浴びた後の夕食は自衛隊なら消灯ラッパが鳴る頃になった。基地に到着して帰宅予定時間を知らせてあったから食べられない御馳走を準備する無駄な労力を使わせずにすんだが、梢は申し訳なさそうな顔をしている。
「うん、血糖値が高めだからこれで丁度好いよ」シャワーから出た後、血糖値の測定キットで測ってみるとやはり標準よりも高めだった。確かにフランス軍のミリタリー・レーション(携行食)は高カロリーだったが、それよりも酷暑のアフリカで会話は全て英語、治安も必ずしも沈静化していない中での調査活動はストレスが原因の私の糖尿病に影響は小さくはなかった。ただし、麺類と言ってもパスタを野菜や魚のほぐし身と一緒にコンソメ・スープで煮てケチャップや胡椒、微量のタバスコで味をつけた煮込みパスタだ。梢には名古屋の味噌煮込みうどんを食べさせたことはないから参考にした訳ではない。
「これを食べる時は箸の方が雰囲気はでるかな」「でも材料は全部洋食だよ」手を合わせてパスタをすすりながら早速馬鹿噺を始めた。これも長らく味わっていなかった無事に帰宅した喜びを共感する便(よすが)だ。万事に全力投球・完全燃焼する私が仕事を終えて帰宅しても、そこは無人・留守と言う生活からようやく解放された幸せをパスタと一緒に噛み締めた。
「それに丼ぶりに麺が浮いている方が似合ってるよ」「そんなに麺が食べたいなら今度お母さんにソバを送ってもらうさァ」やはり喜びの馬鹿噺は止まらない。梢が言うソバは本土の蕎麦ではなくラーメンのきし麺のような沖縄ソバだ。どちらも好物の私としては大歓迎だが、天婦羅蕎麦も食べたくなってきた。
「ズーッ、ズーッ、ズーッ、ズッ、ズッ、ズッ」話のついでに音を立ててパスタをすすってみた。実は日本の麺をズルズルと音を立てて食べるのは無音の食事を作法とする寺でも許され、禅僧の祖父もワザとのように豪快な音を立ててすすっていた。ところがヨーロッパではこちらもタブーなのだ。しかし、慣れないことはするものではない。ケチャップが飛び散って着替えた寝巻のスウェットの袖に赤い点がついてしまった。
「一昨日の夜、何かあったの」寝床に入ったのは日付が変わる直前だった。腕枕をしながら左手で身体の感触を確かめていると梢が呟くように訊いてきた。
「一昨日の夜って言えば・・・」私の頭の中では移動時間が割り込んでいる分、カレンダーが混乱している。昨日の午後から今日の朝までは輸送機の中、今日も夜まで車両での移動だったから一昨日の夜はリベリアの難民キャンプを視察した帰りに野宿した時になる。
「確かに何かあったな」「私も急に背筋が凍りついたように寒くなって、同時に胸の奥から熱い炎が湧き上がるような感じがしたの」私と梢の魂を接続している回線は本土と沖縄以上の距離があるオランダからコートジボワールでも互いの精神状態を伝達するようだ。あの時、威嚇しながら攻撃準備を整えている野獣と対峙していた私は恐怖よりも「オージェ大尉を守る」と言う使命感を燃え立たしていた。駆けつけた時、懐中電灯に浮かんだオージェ大尉の恐怖に凍りついた顔がレイプされた時の梢に重なって覚悟さえも不要だった。
「サバンナで野宿していてトイレに行ったフランス軍の士官がヒョウに襲われそうになったんだ。だから代わりに戦おうとしたんだが、ドライバーが威嚇射撃したらそれで逃げていったよ」「貴方は素手だったの」「まさか。ちゃんと軍刀を得物にしていたよ」説明を聞いて梢は窓際のクローゼットの上の刀掛けに置いてある短剣の軍刀を見た。今はカーテン越しに差す月明かりで影しか見えないが、小声で「ご苦労さま。ありがとう」と声をかけた。どうやら私を守るために働いてくれたことへの慰労と感謝らしい。
「でもフランス軍の士官は自分で戦わなかったんだね」「女性だからしゃがんで用を足していたんだろう」「若い女性なの」突然、梢の声が大きくなった。これはつき合っていた頃には焼かせなかった嫉妬だ。こうなるとフレンチ・キッスの話は封印しなければ危ない。
オージェ大尉(Milla Jovovich)イメージ画像
  1. 2020/04/19(日) 14:22:52|
  2. 夜の連続小説8
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振り向けばイエスタディ1889

「モリヤ2佐、オージェ大尉が危険なところを守ってくれたそうで上官として感謝するよ」「いいえ、こちらこそ強硬なスケジュールに同行させて危険な目に遭わせてしまったことを謝罪します」帰国する前の挨拶に行くと司令は唐突に礼を述べて手を差し出した。しかし、私は握り返しながら謝罪した。この日本的な責任観念は英語にしても通じないようで、司令は困惑した顔を隣りに立っているオージェ大尉に向けた。
「報告したようにモリヤ2佐は生理的理由で草むらに入った私がヒョウに遭遇すると身を盾にして守ってくれたんです。その時、モリヤ2佐の武器は短剣だけでしたが恐れている様子はなく、正にサムライでした」「そのサムライは罪の有無ではなく道義的責任で自分を裁くんです。私は貴女を野宿させたことを反省しています。貴女が望めばこの場で腹を切っても良い」そう言って短剣の柄を握ると司令とオージェ大尉は再び顔を見合わせた。
「トクガワ将軍の時代に日本に行った我が国の外交官や軍人たちは凶悪な殺人者のようなサムライが素直にハラキリで処刑されることが信じられないと言っていたが、21世紀にもサムライは生きているんだな」「私は大学時代にイナゾー・ニトベ(新渡戸稲造)のブシドー・ザ ソウル オブ ジャパン(武士道)を読みました」妙に話が弾んできたが、帰国する便は昼過ぎに離陸するので長居はできない。私はあらためて協力に感謝して退室した。
「今日でお別れね もう会えない 涙見せずに いたいけれど・・・」食堂にむかって廊下を歩きながらオージェ大尉が1週間の思い出話を始めたので私はいつもの癖でBGMを口ずさんだ。これは母親が熱心に見ていた歌謡番組で憶えた菅原洋一の「今日でお別れ」だが、単に唄い出しを今の状況に重ねただけだ。
「・・・突然さよなら 言えるなんて」「その歌は古いシャンソンのようですね。祖母が聴いていたかも知れません」私が憶えていた1番を唄い終えると興味深そうな顔で聞いていたオージェ大尉は意外な感想を口にした。確かにこの気取った曲調はヨーロッパ風ではあるが、それがシャンソンに分類されるとは知らなかった(作曲の宇井あきらは日本のシャンソン歌手)。
「貴方の過去など 知りたくないの すんでしまったことは 仕方ないじゃあないの・・・」1曲目が受けたので2曲目も菅原洋一のヒット・メドレーになる。これでは島田信長元准尉のローカルFM番組「昭和歌のアルバム」のようだ。
「・・・貴方の愛が まことなら ただそれだけで 幸せよ・・・」「これは祖母が聴いていました。イギリスの歌手の『アイ リアリィ ドント ウォント トゥ ノー』じゃあないですか」どうやら今度は外国の歌でもシャンソンではないらしい。この歌はエルヴィス・プレスリーに代表される多くの歌手がレコードを出しているが、私は菅原洋一しか知らない。
フュリックス・ウフェ=ボワニ国際空港内のフランス軍のターミナルでは同じ便で帰国する外人部隊の兵士たちに会った。東西冷戦が終結してヨーロッパで軍縮の気運が高まると失業した軍人たちが外人部隊に志願してきたため東ヨーロッパ人と思われる若者が多い。兵士たちはフランス陸軍士官のオージェ大尉に敬礼したが、アジア人の下士官だけが私に敬礼してきた。
「ふーん、自衛隊の階級章が判るんだな」私の独り言が聞こえたのか下士官は自分の行為を後悔したような顔をして背中を向けた。事実、自衛隊では生真面目な模範的隊員が失踪し、懸命な捜索でも発見できず、後になって旅客機でフランスに向かったと言う事実が判明することがある。それでもカンボジアPKOで実弾を購入しに行った外人部隊の中尉や在オランダ駐在武官のデュブラ大佐から「志願者は国籍を捨てている」と聞いているのであえて声はかけなかった。
「男は誰も皆 無口な兵士 笑って死ねる人生 それさえあれば好い・・・」私は異郷の地で会った同胞への激励に替えて自衛官としての主題歌である町田義人の「戦士の休息」を口ずさんでみた。これは昭和53年公開の映画「野性の証明」の主題歌なので下士官は生まれていないはずだが歌詞を聞かせたかったのだ。
「・・・頬に落ちた熱い涙 知られたくはないから この世を去る時きっと その名前呼ぶだろう」本当はアリスの「砂塵の彼方」も浮かんだのだが、「外人部隊の若い兵士は いつも夕日に呼びかけていた 故郷に残してきた人に 自分のことは忘れてくれと・・・」と言う歌詞に切実さがなく、むしろ馬鹿にしているように感じたので武人としての愛唱歌を選んだ。
「アンサンブル(集合)」その時、手にバイダーを持ったフランス空軍の下士官が1階に集まっている十数名の軍人たちにフランス語で声をかけた。言っていることは判らないがやることは航空自衛隊と大差はないはずだ。先ず搭乗者を名簿と照会するのだろう。私は短期間とは言え苦労を共にしたオージェ大尉に敬礼しようと姿勢を正した。すると大きく1歩踏み出して頬に唇を押し当ててきた。これぞ本場のフレンチ・キスだった。
オージェ大尉(フランス陸軍)・イメージ画像
  1. 2020/04/18(土) 11:40:57|
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4月18日・彫塑像の猫シリーズの作者・朝倉文夫の命日

昭和39(1964)年の明日4月18日は猫好きには堪らない傑作彫塑像・猫シリーズを製作した彫塑家の朝倉文夫さんの命日です。81歳でした。
野僧は福岡県の春日基地で勤務していた頃、東京の国立近代美術館で見た「墓守」の作者の朝倉さんの出身地に「記念館が開館した」と言う新聞記事を読んで愚息ともう1人で出かけたことがありますが、この手の施設の常で建物が先にできても中身にまで予算が回らずに数点展示されていた愛らしくリアルな猫シリーズが印象に残っているだけで、後は複製品なのが見え見えの新品で傑作の迫力は感じられませんでした。
朝倉さんは明治16(1883)年に大分県豊後大野市(当時は大野郡上井田村)の村長の11人兄弟姉妹の5番目の3男として生まれ、10歳の時に母の実家の朝倉家の養子になって改姓しました。ところが尋常中学校竹田分校(作曲家・滝廉太郎さんの後輩に当たる)で3度落第したため世間体を気にした母の命令で退学し、彫刻家として名を為していた長兄の助手として東京に行ったのです。朝倉さん本人は俳句に強い関心を抱いていて「折角、東京へ出るなら正岡子規さんに入門したい」と願っていたのですが、東京に着いたのは正岡さんの通夜の日でした。それでも兄の助手として塑像造りに取り組むうちに芸術家としての血が騒ぎ始め、やがて自分も彫刻家を目指すようになったのです。そうして猛勉強の末、明治36(1903)年に東京美術学校の彫刻専科に入学を果たすと寸暇を惜しんで塑像造りに励みますが、モデルを雇う資金がないため動物園に通って動物のスケッチを重ね、そのおかげで動物の塑像を求めていた貿易商に大量の作品を収めることができたのです。明治40(1907)年に専科を卒業して研究科に進むと文部省主催の第2回文展で青年の裸体像「闇」が最高賞の2等になり、2年連続で2等になれば公費での欧州留学が与えられるため期待を込めて「山から来た男」を出品しましたが惜しくも3等でした。しかし、その後も第8回まで連続上位入賞を果たしたため第10回からは34歳の若さで審査員になりました。その後は大正10(1921)年に東京美術学校の教授に就任し、昭和23(1948)年には第6回文化勲章を受章しています。
朝倉さんの早稲田大学構内にある大隈重信像と並ぶ代表作と言われる「墓守」は明治43(1910)年に発表され、現在は国立近代美術館に収蔵されていますが、野僧はこの像を見た時、題名の意味が判らず前に立ったまましばらく悩みました。実際はモデルが学生時代から顔見知りだった谷中の天王寺の墓守の老人だからなのですが、その説明がなければ哲学的な意味があるのかと勘違いしてしまいます。ちなみに朝倉さんの墓所は天王寺にあります。また大の猫好きで多い時には19匹も飼っていて、野僧が憶えているだけでも「産後の猫」「たま(好日)」「のび」「吊された猫」「狙う」「背伸びする」「よく獲えたり」「見つめる」「愛猫病めり」「仔猫の群れ」などの猫を飼っている者には日常の場面そのものの作品があり、中でも第5回文展出品作である「産後の猫」は愛猫・音子が1匹娘の若緒を産んだ時の姿そのもので特に好きです。一方、同じ形でも死期を悟った「愛猫病めり」の衰えた姿を見る前に野僧が逝きたいと願っています。
朝倉文夫・産後の猫産後の猫
  1. 2020/04/17(金) 12:05:28|
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振り向けばイエスタディ1888

私は1週間にわたり日本列島で言えば本州に北海道を足した面積を持つコートジボワール国内を巡回した。最後に内戦と治安の悪化したコートジボワールから西隣のリベリアに逃れた難民のキャンプを視察したが、帰路に車両が対人地雷を踏んでパンクした上、車軸が歪んだため野宿することになった。私とドライバーは前席を倒し、オージェ大尉は荷台で就寝する。肌には強力な虫除けのスプレーを吹きかけているとは言え窓は締めている。
「モリヤ2佐の今回のコートジボワール訪問の本当の理由は何ですか」エンジンを切ってエアコンも止めた車内でオージェ大尉は流石に疲れた口調で質問してきた。
「今まで私に同行してきて理解できただろう。私は元弁護士だから今回の始めから結論ありきの訴追では公判が維持できないと考えて実態を再確認しに来たんだ」「始めから結論ありきですか・・・」私の言葉が厳しくなりオージェ大尉は口ごもった。英語が理解できる今回のドライバーの軍曹も暗い月明かりの中、険しい目でこちらを見た。
「今回のコートジボワール危機は大統領選挙でバグボとワタラの双方が自分の勝利を宣言しているのにフランスや国連が勝手にワタラを正当と決めつけ、バグボの退陣を要求したことに全ての原因がある。大統領選挙はあくまでもコートジボワールの国内の問題であってフランスと国連が行ったことは不当な内政干渉だ。バグボが自分の政権の正当性を主張している以上、POK部隊の派遣は外国軍の侵攻に他ならず、監視だけでなく武力行使を始めれば反撃するのは正当な権利だ。勿論、君たち一般の将兵には政治の決定に従う義務があるから罪を問うつもりはない」私の説明にオージェ大尉の影が唇を噛んだのが判った。
「私はモリヤ2佐の言動に接していて我がフランスに敵意を抱いているのかと疑いました。そしてイスラムのモスクで祈りを捧げているのを見て反キリスト教の敵対者であると確信しました。ところが各都市の我が国が建てた聖堂や教会でも同じように真剣に祈りを捧げ、日本語の讃美歌も唄っているのを聞いて真意が理解できなくなったのです」「佛教ではオール ザ エレメンツ アー ウィズアウト ア セルフ(諸法無我)と言って事実を原因と結果で受け止め、人間が下す評価はそれぞれの立場で異なることを理解するんだよ。つまり多様な価値観の共存が平和な社会の基盤となると説いているんだな」説明していて私自身が坊主なのか検察官なのか自衛官なのか判らなくなってきた。
その時、オージェ大尉は小銃と懐中電灯を持って車両を下りていった。黙って行ったので用便なのは判っているが、あえて確認しない程度の気配りはできる。すると軍曹が急に陸上自衛隊に関する下士官的な質問を連発してきた。外国軍では自衛隊以上に将校士官と下士官兵の距離感が遠いのでオージェ大尉は言葉が通じるドライバーとは業務以外は一切話さず、むしろ気軽に談笑する私を不思議そうな顔で見ている。そのため会話の他に時間をつぶす方法がない車内で私が司会進行兼ボケとツッコミを演じているのだ。
「ヒーッ」唐突に闇夜の中から締めている窓越しにオージェ大尉の引き吊った悲鳴が響いてきた。軍曹は私を座らせるために助手席に置いていた小銃を後部の荷台に移したので座席の間から後部座席に入ろうとしているが、おそらく事態は緊急を要する。
「クラクションを鳴らせ」私は日本語で声を掛けるとオージェ大尉が歩いていった藪の中に掛け込んだ。すると懐中電灯の光にオージェ大尉の金髪と白い額が浮かび上がり、その向こうに野獣の目が光った。模様から言えばヒョウだ。私は懐中電灯を左手に持ち替えると右手で腰の短剣を抜き、そのまま腰を抜かしているオージェ大尉とヒョウの間に割って入った。
「グルル・・・」懐中電灯で顔を照らしてもヒョウはたじろぐ様子がない。むしろ獲物を前にした猛獣の迫力にこちらが息を呑んでしまう。私は息を半分吐いて止めると右手を前に半身になる短剣道の構えを取った。後は襲いかかってくる時、前足をよけて頸部を斬りつけるか、腋(わき)を刺す死中に活しかない。背後でオージェ大尉が動く音がしないところを見ると恐怖で固まってしまっているらしい。用便の途中なら漏らしても大丈夫だ。
「ブーッ、ブーッ、ブッブッブッ、ブーッ・・・」闇の中でけたたましくクラクションが鳴り始めた。残念ながら車両の向きが反れているのでヒョウが怯えるほどの騒音ではない。むしろ興奮したように威嚇すると姿勢を低くして私の隙をうかがった。ここは馬頭観音に祈って興奮を静めなければならないが「オン・アミリト・ドバンバ・ウンバッタ」の真言が出てこない。
「バッバッバッバ、バッバッバッ、バッバッバッ・・・」続いて銃声が響いた。3発連射を使ったようだ。これには流石のヒョウも後退り、そこで私が「エイッ」と気合を入れて1歩踏み出すと逃げるのではなく避けるように人間よりも背が高い草むらの中に消えていった。
「ダンケ・・・」背後でージェ大尉のかすれた声が聞こえたが、感謝するべき相手は軍曹だろう。
  1. 2020/04/17(金) 12:03:36|
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振り向けばイエスタディ1887

「モスクがあるな。止めてくれ」アビジャンから北西に235キロの位置にある現在の首都のヤムスクロに向かう途中の集落で私はイスラムのモスクを見つけてドライバーに声をかけた。
「ウィ・ムッシュ(フランス語のイエス・サー)」英語での命令だったがドライバーは即答した。ドライバーは日替わりなので今日の伍長の英語力は確認していないが指さして「ストップ」と言われれば雰囲気で判っても不思議はない。
「あれはイスラムのチャーチ(教会)ですよ。モリヤ2佐はブディスト(佛教徒)でしょう」すると隣りからオージェ大尉が横槍を入れてきた。私が佛教徒であることは毎度の頭を剃髪している理由で説明している。その司令との対話にオージェ大尉は立ち合っていた。
「以前、北キボールPKOで殺害したムスリム(男性のイスラム教徒)の若者たちの慰霊をしたいんだ。デン・ハーブにはモスクがないから気になっていたんだよ」「ならばチャーチで祈ればカミの加護があるでしょう」ここまで嫌悪感をアカラサマにするところを見るとオージェ大尉は敬虔なキリスト教徒らしい。私は今回の内戦に別の背景が存在する気配を感じ取った。
「頼みましょう」伍長がモスクの前で停車させると私は正面の扉を押し開けて佛教の寺院式に挨拶をした。ちなみに「挨拶」は来訪者の境地を確認する問答を意味する佛教用語だ。
「頼みましょう・・・お留守なら勝手にサラート(礼拜)させてもらいますよ」返事がないのでもう一度、声を掛けると私はかぶっているヘルメットを取って中に入った。建物に損傷はないが、人の存在も感じられない。拝殿の正面に掛けてあるマッカ(メッカ)の方向を示す壁掛けカーペットの前に立つと東京のモスクで学んだ礼拝の作法を思い出した。
「それでは失礼します。スプハーナッ=ラー。スプハーナッ=ラー」先ずマッカに案内も乞わずに異教徒が立ち入って勝手に礼拝することを詫びてから思い出した意志表明を2度唱えた。
「アシュハド アン ラー イラーハ イッラ=ツラー(アッラーの他にカミはないことを証言する)」「アシュハド アン ムハンマダン ラスール=ツラ―(ムハンマドはアッラーの使いであることを証言する)」「ハイヤー アラッ=サラー(礼拝のために来たれ)」「ハイヤー アラ=ル=ファラー(成就のために来たれ)」「アッラー アクパル(アッラーは偉大なり)」最初の意志表明が出て来れば続きは流れだ。それぞれの言葉を2回ずつ繰り返すと最後に1度「ラー イラーハ イッラッ=ラー(アッラーの他にカミはない)」と叫ぶように唱えた。
ここからは清めの動作だが頭より身体が働く私には得意技だ。先ず両手で顔全体を撫で、右手から左手の順で指先から手首までを内側、外側の順で撫で、続いて同じ要領で手首から肘までを撫でる。最後は中国の三跪九叩頭を模倣した日本の佛教の三拜よりも念入りに拝礼する。床に膝、肘をつきながらで額で擦る。これが五体投地だ。
「阿弥陀如来根本陀羅尼」何とか拝礼の作法を終えて立ち上がると私は場違いな経文を唱えた。本当はコーランを4回詠唱し、礼拝の意志表明をするのだが、イスラム教ではアラビア語以外の言語に翻訳することを「アッラーの啓示を変質させる」と厳禁しており、浪々とした独特の節回しをつけるため異教徒の異邦人には無理なのだ。ならば佛教徒として同じ西方に鎮座されている阿弥陀如来に頼むことをお許し願うしかない。
「見事な拝礼ですがコーランの詠唱は無理なようですね。私が代わりましょう」すると拝殿の横にある扉から正装したアフリカ人のウラマー(イスラム教の聖職者)が出てきた。私はコートジボワールに来て以降、自衛隊の習慣で88式鉄帽(てっぱち=実際は樹脂製)と防弾チョッキ2号を身につけているが、昼夜30度を前後する高温による熱射病を心配している。オージェ大尉とドライバーも市街地以外ではボディー・アーマー・ベストを着用しているが、かなり参っている。ウラマーの装束は砂漠地帯の乾燥した気候の過酷な太陽光線と砂塵を防ぐためのアラビアの民族衣装であってコートジボワール南部の高温多湿な熱帯雨林気候(北部の内陸地帯はサバンナ気候)には合わないはずだ。
「この拝礼の目的は何だったんですか」コーランの詠唱を終えたウラマーは思いがけず流暢な英語で質問してきた。イスラム教の聖地であるアラビア半島は英語圏なので修学に行っていたのかも知れない。そこで私は護符代わりに持ってきた北キボールのトバラのモスクのウラマーから与えられたイスラム法廷の判決証明書の複写を図納から取り出して手渡した。
「このイスラム法廷では無罪判決を受けただけでなく、悪事を働いた者を罰した賞賛されているのに慰霊を勤められているんですね」「日本の佛教では生前の罪は死を以って断絶できるとしています。だから命を奪った者として彼らの魂魄の平安を願うのです」「アッラーの慈悲に通じる教えですね」私の説明にウラマーは深くうなずいた。敬虔なクリスチャンを待たせているので長居をできずに車両に戻ったが、今回の目的の1つは果たすことができた。
  1. 2020/04/16(木) 13:32:29|
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振り向けばイエスタディ1886

「明日は戦闘詳報にあったアビジャン市内の現場に行きたい」夕方、勤務している司令部の情報部門に戻るオージェ大尉に希望を伝えた。オージェ大尉の英訳が正確なのかを検証するには文章と現場を照らし合わせるのが早道だ。するとオージェ大尉は快諾した。
「2佐、宿舎に御案内します」オージェ大尉との立ち話が終わったところで宿営係らしい下士官が英語で声を掛けてきた。これまでもフランス軍の兵士たちに英語で声を掛けるとそのまま返事してきて通訳が必要な程には英語力が低い様子はない。オージェ大尉を必要とするのは会話よりも文書の読解と翻訳のようだ。
「こちらです。鍵はこれです」窓1枚=日本で言えば1間の幅に組み立て式の簡易ベッドと学校を思わせる机と椅子だけを置いた殺風景な狭い部屋に案内された。今夜からはこの部屋で宿泊することになる。それでもフランス陸軍工兵部隊の尽力なのか自家発電機が稼働していて必要最小限の照明は確保されている。飲用には適さないが水道は出るのでトイレは水洗だ。昨夜のホテルは1階のトイレまで行かなければならなかったことを思えば待遇は大幅に改善した。
翌朝は切ったフランス・パンに缶のオカズとコーヒーがついた朝食を取り、フランス陸軍の小型車両で司令部を出発した。ドライバーは一昨夜とは違う軍曹だ。
「そのFAーMASライフルの取り扱い方法を教えてくれないか」私は車両が走り出すと後部座席に並んで座っているオージェ大尉が持っている自動小銃の取り扱いの説明を求めた。昨日、司令官に挨拶した時、護身用の武器を貸してくれるように申し入れたのだが「国際刑事裁判所からの請求にはない」と拒否されたのだ。
「攻撃を受けた時には私とドライバーが制圧しますから大丈夫です」オージェ大尉は首を振りながらドライバーが助手席に寝かせているライフルを見た。フランス陸軍の国産小銃のFAーMASは間もなくドイツ製のHK416Fに更新されることが決まっているが、弾倉や機関部が握把よりも後方にあるブルバック方式なので私は取り扱った経験がない。
「君たちが撃たれた時、私が銃の取り扱いを知らなければ応戦できないだろう。安全装置の解除と装弾の方法だけでも教えてくれ」私の熱弁にオージェ大尉はドライバーの軍曹の横顔を見たが前を注視していて反応しない。やはり軍人の常識としては私の方が正論なのだ。
「判りました。安全装置の解除と装弾の方法だけを教えしましょう。それでも銃を持たせることはしません。私の操作を見ていて下さい」オージェ大尉はしばらく唇を噛んで思案した後、左肩に抱えていたFAーMASの弾倉を抜くと2人の間に寝かせ、私は顔を突き出して覗き込んた。ここは手を出さないのが節度だ。FAーMASはブルバック方式のため日本の89式小銃やアメリカ製のMー16のような床尾がなく銃の全体像がかなり違う。
「これがセフティー・スイッチです」自衛隊の89式小銃の安全装置は引き金から手を放さなければ切り替えられなかった64式小銃とは違い(無理すれば)人差指でも操作できるが、レバーと呼ぶ方が適切な形状だ。ところがFAーMASはスイッチと言うよりもボタンに近い。
「こちらがバースト・ユニットです。これを押せば・・・」「3発連射になるんだな。自衛隊の小銃にもついているよ」私の返事を聞いてオージェ大尉は少し困惑した。89式小銃の3発連射は安全装置の単発と連射の間にある標準機能だが、FAーMASは部品を追加するのだ。
「このレバーで弾丸が装填されて撃鉄が起きますから]「狙って引き金を落とすんだね」私の補足説明にオージェ大尉とドライバーは一緒にうなずいた。ここで「狙って」を入れたところが素人ではない。本当はオージェ大尉が弾帯に提げている銃剣を装着して銃剣格闘の技を試してみたいのだが、どう見ても銃把を握ることはできない。要するに銃剣道の発祥の軍隊では遠い昔に廃止されているらしい。
「ここで群衆がバグボ政権の退陣を求めたデモに旧政府軍が発砲したのです」フェリックス・ウフェ=ボワニ空港についた時には深夜で、郊外にある司令部に近いホテルに宿泊したため市街地を初めて見たが、戦時中の日本の東京や各都市のような惨状ではなかった。建物の壁に弾痕が残っていても崩壊したような廃墟はなく市街地の体裁は留めている。市街地を包囲する側と防御する側に分かれて交戦したため郊外の方が損害が大きかったようだ。
「1983年にヤムスクロが首都になってからも政府機関や各国の大使館の大半はアビジャンにあるんだろう。バグボ政権としては治安の維持に万全を尽くすのは責任だったんじゃあないのか」「いいえ、バグボがやったことは反対派への弾圧と市民の殺傷です」FAーMASを肩に吊って周辺を警戒しているオージェ大尉の説明に私が見解を示すと目を引き吊らせて反論してきた。言葉が通じれば遠巻きに見ている市民たちの声を訊きたいのだが、コートジボワールの公用語であるフランス語と現地語が判らないので諦めるしかない。
オージェ大尉(フランス陸軍)イメージ画像(持っているのがFA-MAS小銃。提げているのが銃剣)
  1. 2020/04/15(水) 12:56:43|
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振り向けばイエスタディ1885

翌日、オージェ大尉はチャック・アウトの時間になって迎えに来た。私としてはお人好しな青年に戻ってこれも2日間の長旅で疲労した私への気配りと受け取ることにした。1983年までの首都で現在も最大の都市であるアビジャンの一流ホテルと言っても建物の損傷が比較的軽微だっただけで電気は点かず、水道は出ず、熟練した従業員は戻っていないので機能停止状態だった。それでも屋根と壁がある部屋で睡眠できたことで満足しなければならない。
「モリヤ2佐、食事はすませましたか」「バンだけだったから日本の携帯食を食べたよ」実は先日、茶山元3佐が「日本食が懐かしくなった時にどうぞ」とパックライスと焼き鳥や鯖の缶詰を漬け物と一緒に送ってくれたのだ。梢が持たせてくれたのが早速役に立った。
「昼食以降は我が軍で給食するように依頼を受けていますからどうぞ」やはり気配りではなかった。評判通りフランス人は自己中心な国民性のようだ
「するとフランス料理かね。それは楽しみだ」私の返事にオージェ大尉は顔をしかめて軽く首を振った。どうやら本人としては自軍の食事に満足していないらしい。カンボジアPKOの時、佳織が勤務していたUNTACの指揮所で参加各国の軍隊の携帯食の食べ比べが行われ、自衛隊の缶飯が圧倒的な支持を集め、「世界で最も美味なミリタリィー・レーション」の称号を獲得している。カンボジアPKOにはフランス軍も参加していたから自衛隊よりも落ちるのは間違いない。試食した佳織の話ではフランス軍の携帯食はレストランのコースのように凝った食品が少量に分けてあるため満腹感がなく不便だとのことだった。
「英語の戦闘詳報はないのかな」「我が国の言語は国連の公用語ですから問題ないでしょう」デュブラ大佐の友人と言う司令官に挨拶した後、駐留フランス軍が司令部に使っている建物の部屋でパソコンのデータになっている戦闘詳報を確認すると全文がフランス語だった。通訳として立ち合っているオージェ大尉に確認するとここでも平然と答えた。第2次世界大戦でフランスは開戦初頭にナチス・ドイツに降伏し、ビシー政権は消極的とは言え連合軍との戦闘に参加していた。ところがイギリスに逃亡したド・ゴール将軍は勝手に亡命政権を名乗り、大半の国民はナチス・ドイツに従属していたにも関わらず少数が行っていた抵抗運動をレジスタンスと誇大宣伝して気がつけば連合軍の一員に加わっていた。終戦後に設立された国際連合でフランスが安全保障理事会の常任理事国になり、フランス語が公用語になったのもド・ゴール将軍の政治力の成果であって、核兵器などの実力は終戦後に作ったものだ。その意味では使用している地域が極めて限定的なフランス語を公用語にしているのは連合国の失策に近い。
「それでは全文を読みながら英語で話してくれ。私はそれをノートに書き留める」インターネットが接続できていればフランス語から英語とは言わず日本語に翻訳することも可能だが、文章の量が膨大な上、秘匿性にも問題があるのでフランス軍の軍人に尻拭いさせることにした。それでもオージェ大尉が表情を変えないのはフランス語を公用語にしている国民としての責任感なのか、職務を遂行する軍人の使命感なのかは判らない。どちらにしても私も聞いた英語を頭の中で日本語の文章に同時通訳する離れ業をこなさなければならなくなった。
「これは告訴事由としては公判を維持できないぞ」半日かかって戦闘詳報の翻訳を終えると私は流石に疲労の色を見せているオージェ大尉に同情の眼差しを送りながら日本語で独り言を呟いた。ここでオージェ大尉が反応すればフランス軍は中国軍と同じ諜報手法を採用したことになるが、白く長い人差指で瞼を擦っただけだった。
「内戦の当事者は相互に暴徒化していて組織だった軍であると言う証拠はない。それにバグボ政権とワダラ政権はどちらも大統領選挙での勝利を宣言していたんだからフランスと国連が一方的にワタラ政権を承認したのは内政干渉だ。そうなるとPKO部隊を侵略軍として攻撃対象にすることも合法的戦闘行為と言えるはずだ」今回の裁判では2010年10月31日に行われた大統領選挙でバグボ政権とワタラ政権の両陣営が勝利を宣言し、選挙管理委員会と憲法評議会=国会がそれぞれの当選を認定したことでコートジボワール軍が分裂し、内戦が再発したとしている。そしてバグボ政権支持側がワタラ政権支持者を虐殺し、略奪や強姦などの非人道的行為を繰り広げ、やがてはPKO部隊まで攻撃を加えたのはバグボ大統領と政権中枢の指令によるものとするのが訴追事由だ。しかし、カミと言う絶対正義の存在を崇拝するキリスト教徒の法律家がこの戦闘詳報を読めば「悪はバグボ政権」と言う結論を証明する事実が列挙されているように理解し、「告訴するべき」との結論に至っても不思議はないが、「因果応報」の真理を信奉する佛教徒から見れば大半がこじつけだ。
「戦争犯罪として指弾すべき違法行為が多数あったことに間違いはないな」オージェ大尉が日本語の独り言を怪しんだような顔をしたので、最後は英語で説明した。
  1. 2020/04/14(火) 13:45:13|
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4月14日・昭和の国民的歌手・三波春夫の命日

2001年の明日4月14日は昭和39(1964)年の東京オリンピックの「東京五輪音頭」や昭和45(1970)年の大阪万国博覧会の「世界の国からこんにちは」を唄った国民的歌手・三波春夫さんの命日です。
東京オリンピックの時、野僧は3歳でしたが、祖父の寺の境内の盆踊りで万博の年に「21世紀の夜明けは近い(歌・佐良直美さん)」が始まるまで流れていたため唄えるようになりました。
「ハァー あの日 ローマで眺めた月が ソレトトントネ 今日は都の空照らす ア チョイトネ 4年経ったらまた会いましょう 固い約束夢じゃない ヨイショコーリャ 夢じゃない オリンピックの顔と顔 ソレトトントトトント 顔と顔」
この「東京五輪音頭」は三波さんの持ち歌だと思われがちですが、各レコード会社が代表歌手で発売したためテイチクの三波さんの他にもビクターは橋幸夫さん、キングは三橋美智也さん(作曲した古賀政夫さんは三橋さん用に音程を合わせていた)、東芝は坂本九さん、コロンビアの北島三郎さんと畠山みどりさんなどの実力派が競い合ったそうです。
三波さんは大正12(1923)年に新潟県長岡市で本屋・印刷業・文具商を営む裕福な家の3男として生まれました。7歳の時に母親が腸チフスで死亡すると父親は子供たちを励まし、家庭を明るくするため毎晩のように佛檀の前に集めて民謡を教えたので、それが三波さんに歌唱の基礎を作ったのかも知れません。9歳の時に父親が子供連れの女性と再婚すると理想的な母親だったおかげで元気を取り戻しましたが、深刻な不況が全国を覆っている中で次第に家業が傾き始め、13歳の時には家族で上京して米屋や製麺業者に住み込みで働くようになり、同時に大流行していた浪曲師になることを夢見るようになりました。16歳で東京の文京区本郷にあった日本浪曲学校に入って若手実力派浪曲師として人気を博していた昭和9(1944)年、徴兵によって大陸に出征すると娯楽に飢えていた将兵たちの前で園芸を披露していたのですが、敗戦によってソ連の捕虜になりシベリアへ抑留されたのです。シベリアではソ連による共産主義洗脳教育を語って回る職務につき無事に捕虜生活を送ることができましたが、それでも癌の告知を受けた1990年代になるとソ連のジュネーブ条約を無視した非人道的な捕虜の取り扱いを批判していました。
昭和24(1949)年に帰国すると浪曲師に復帰しますが、占領軍によって西洋音楽が持ち込まれた日本では浪曲は下火になり、昭和32(1957)年に三波春夫に芸名を換えて歌謡界にデビューしたのです。その後は張りのある美声で男性歌手の第一人者の地位を維持しますが、女性歌手の美空ひばりさんが女王として君臨したのとは対象的にあくまでも実力者として周囲とファンから敬愛されていました。三波さんは癌の告知を受けても妻とマネージャーを務めていた娘だけの秘密として外部には漏らさず、治療で髪の毛が抜けると植毛して隠しながらステージに立っていたそうです。
それにしても長く歌い継がれるような大会主題歌は三波さんの「東京五輪音頭」や「世界の国からこんにちは」とトワエモアさんの昭和47(1972)年の札幌冬季オリンピックの「虹と雪のバラード」まででなくなってしまいました。
  1. 2020/04/13(月) 13:26:32|
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振り向けばイエスタディ1884

エヴルー・ワォヴィル基地からはフランス空軍のCNー235輸送機だった。CNー235はスペインとインドネシアが共同開発した双発ターボフロップ機で日本の傑作輸送機・川崎Cー1に比べると3分の2程度の大きさだ。ただし、巡航速度はターボ・ファン双発のCー1が650キロなのに対してプロペラだけに460キロとこちらも3分の2で、コートジボワールまでは途中で4回着陸して15時間程度の飛行になるらしい。
「・・・」駐機場から出発する前に機内アナウンスが流れたがフランス語のみで私には理解できない。席についた時にシートベルトの確認に来たロード・マスター=機上運行員もフランス語で独り言を呟いたけで英語の注意はなかった。この調子では緊急事態が起こっても私だけ取り残されそうだ。乗客はフランス軍の迷彩服を着た中佐から少尉までの士官たちで私とは距離を置いて座っているため談笑もできない。これから15時間の長旅は読書に励むしかないようだ。
考えてみればフランス語は国際連合における公用語なので「国際刑事裁判所の職員であれば理解するのが当然」と言うのがフランス軍の論理なのだろう。しかし、フランス駐在武官のディブラ大佐は「NATO軍内では英語が共通語化しているため士官には必須の素養」と言っていた。やはりアメリカ以上に根深い人種差別が根底にあるのかも知れない。
「・・・コートギボワール・・・フリュックス・ウフェ=ボワニ・・・」機内放送で理解できる国名と地名が流れた時、主翼からのエンジン音の合間に「ボシュッ」と言う低い発射音が数回続き、私のハンモック式の座席の向かい側の窓から赤い光が差し込んできた。
「フレアーを発射したのか。やはり危険地帯だな」話し相手がいなければ独り言は日本語で間に合う。私としては赤外線誘導の地対空ミサイルを反らすために発射する熱源のフレアーを間近から見てみたいと思ったが、搭乗員たちは緊張しているはずなので控えた。それにしても国際空港とは言え甚大な内戦で被害を受けたフィリュックス・ウフェ=ボワニ空港の夜間着陸の誘導装置は復旧しているのか。向かい側の窓から見える空は完全に暗くなっている。
「国際刑事裁判所の次席検事のモリヤ2佐ですか。コートジボワール駐留フランス軍司令部のオージェ大尉です」空港に同居しているフランス空軍の駐機場に下りた頃には日付が変わっていたが、破壊を免れた建物の1階で迷彩服に黒のベレー帽をかぶった若い女性士官が待っていた。どうやらフランス軍に依頼した英語の通訳のようだ。
「はい、モリヤ2佐です。それにしても若い娘が深夜に危険だろう。このターミナルの中で寝られるように手配しておいてくれれば出迎えは朝で良かったよ。これでもジャパン・グランド・ジエータイ(日本国陸上自衛隊)の普通科士官だからね」私の返事を聞いて女性士官は苦笑しながら1歩さがって迷彩服にヘルメットをかぶり演習用の大型リュックを背負った上、腰には護身用短剣提げた全身を見回した。確かにこの扮装は陸軍の軍人であってどこを取っても検察官には見えない。オージェ大尉としてはドッキリ・カメラに出演した気分だったはずだ。
すると一緒に到着したフランス軍の士官たちが出迎えの士官に先導されてターミナルを出ていった。その時の会話もフランス語だったので、悪意を持って使用を避けた訳ではなかったようだ。士官たちの背中を見送るとオージェ大尉は姿勢を正して説明を再開した。
「司令部には明日ご案内しますから今からホテルに向かいましょう。当地での調査には私が同行して通訳を務めます」「それは拙いよ。私としては車中泊や野宿を伴う地域まで立ち入るつもりだから若い女性の同行は困るな」私には拙い事態になる能力はないのだが、世間一般の感覚では若い女性と夜間を過ごすことが疑惑を招くのは間違いない。
「私はフランス軍士官として命令を放棄することはできません。仮にモリヤ2佐が拒否されれば駐留フランス軍司令部は交代は出さず、協力も中止することになります。国際刑事裁判所検事部の調査は終了しているはずですから」私の気配りはオージェ大尉の名誉のためでもあるはずが、断固として拒否された。ここまで使命感に燃えた態度を見せられると私の中では逆の疑惑を感じてしまう。流石にフランス軍が中国やロシアのようなハニー・トラップを仕掛けてくるとは思えないが、オージェ大尉は日本語も理解できて異例な再調査の内容を把握する任務を負っているのではないか。実際、カンボジアPKOで川の両岸から架ける橋の構造を中国人民解放軍工兵隊と調整した時、会話は英語と言う約束だったが、出席者の中に日本語が堪能な人間が入っていて陸上自衛隊側の相談を聞き取っていた。
「ドライバーが待っていますからお話は車内で伺います」話が途切れたところでオージェ大尉は先に歩き始めた。男性ドライバーと3人であればハニー・トラップの可能性は薄れるが、虚偽の証言者になる危険性は否定できない。それにしても私は随分と嫌な親父になったものだ。昔は騙すよりも騙されることを望むお人好しな青年だったつもりだが・・・。
  1. 2020/04/13(月) 13:12:29|
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振り向けばイエスタディ1883(一部、実話です)

週に1回の伝染病の予防接種が終わり、いよいよ私はコートジボワールに出発する日が来た。今回はノルマンディーにあるフランス空軍のエヴルー=フォヴィル基地から輸送機でコートジボワールのフュリックス・ウフェ=ボワニ国際空港に飛ぶ予定だ。コートジボアール内戦ではバグボ前大統領が指揮する政府軍がワタラ新大統領を警護する国連のPKO部隊を空襲したため現地に駐留しているフランス軍が空軍基地を攻撃して使用不能になったらしい。国連のPKO部隊は自衛以上の戦闘行為は認められていないのでフランス軍が攻撃を代行した形だ。
スフラーフェン・ハーグからノルマンディーまではオランダからベルギー、フランスの国境を通過しなければならず、列車の乗り継ぎが不明なため国際刑事裁判所の公用車を出してもらったが、片道13時間の長旅になり、翌日の輸送機での飛行時間を考えると流石に憂鬱だ。
前の夜はオランダで揃えられた食材で梢が腕を揮った精一杯の手料理を満喫した後、一緒にシャワーを浴び、ベッドでは性器の結合は果たせなくても全身を愛して弾力と肌触りを記憶に刻み込んだ。カンボジアPKOに出発する時には妻の美恵子は不倫に溺れていて関心を示さず伊丹で佳織を抱いた。北キボールでは淳之介は沖縄へ移住し、佳織と志織はアメリカへ留学中だったので久居の官舎の鍵は自分で締めた。それに比べれば後悔のしようがない前夜だった。
「これは淳之介と佳織と志織、おまけで愛知の親宛ての遺書だ。ワシに何かあればお前は帰国するんだろう。淳之介と佳織には直接手渡してくれ。志織は佳織に預ければ良い。愛知へは郵送しておけ」家を出る時、私は毛筆でしたためた4通の封筒を示してから書棚の佛檀に預けた。最後まで一緒に時間を過ごしている梢には愛情の置き土産以外にはない。
「貴方・・・」玄関を出る前、梢が呼びとめた。これから国際刑事裁判所まで同行するが、秘書兼通訳と言う立場では人前で抱擁し、口づけすることはできない。私は上を向いて目を閉じた梢を強く抱き締め、熱く唇を重ねた。そのためなのか口紅は引いていなかった。
「ノルマンディーかァ。日本で言えば関ヶ原のような歴史の転換点になった場所だな」朝の仕事開始時間に出発してもフランス北部のノルマンディーに入る頃には日は落ちていた。運転手は現地採用のオランダ人なので日本語で独り言を呟いても反応はない。ノルマンディーと言えば1944年6月6日に156000人の連合軍が380000人のナチス・ドイツ軍が待ち構える中、120000人の損害を出して上陸を果たしたザ・ロンギストデー=史上最大の作戦の舞台だ。連合軍は海岸からの上陸に先立って防御部隊の後方を遮断するため空挺の大部隊を降下させているからこの辺りも戦場だったのかも知れない。
私が勤務していた頃は沖縄戦で海兵隊が上陸して激戦の舞台になった小禄飛行場=那覇基地には日米両軍の戦死者の亡霊がさ迷い歩いていた。そのため警衛勤務につくとヘルメットをかぶった人影が来るので誰何すると消えてしまい、亡霊かと思って放置していると生きた人間の巡察だったりしたものだ。似たような時期の戦場なのでここでも亡霊の1人や2人、下手すれば1個中隊に会っても不思議はない。実際、那覇基地では海岸で夜釣りをしていた警務隊長の3佐が日本兵の1個分隊に会って包囲されたことがあった。それを考えれば国際刑事裁判所も第2次世界大戦で連合軍の空襲で壊滅したナチス・ドイツ軍のアレクサンデル兵舎の跡地だ。
とりあえず私は後部座席の反対側の席に置いた演習用リュックから数珠を取り出してズボンのポケットにしまった。これは東北地区太平洋沖地震後に訪れた宮城県石巻市の被災地で乗っていた車が小学生の亡霊たちに取り囲まれたようなことが起これば念佛を唱えるための準備だ。
それにしてもキリスト教の慰霊は佛教やイスラム教のように死者の魂魄に届いていないようでスフラーフェン・ハーブでも亡霊の気配を感じることが多い。カソリックにはエクソシストと言う除霊の専門家がいるそうだが、その前に佛教の「供養」と言う考え方を学ぶべきだ。そう言えばスフラーフェン・ハーブにはモスクがないため北キボールで殺めた若者の供養ができていない。コートジボワールにあれば是非、勤めたいものだ。
「無事は観音さんと地蔵さんに祈れって言ってたよね」オランダ語教室を終えて帰宅した梢は買い物してきた食材をテーブルに置くとそのまま書棚の佛檀の前に立った。まだ夫=私はフランスのエヴルー=フォヴィル基地にも到着していないはずだが途中の交通事故さえ不安になる。
「朝は観音さん、夕はお地蔵さんだから延命地蔵菩薩経にしよう」私は浄土宗の「選択(せんじゃく)」と言う見解(けんげ)を尊重し、人生そのものと来世は阿弥陀如来に託しても現世の加護は観自在菩薩と地蔵菩薩に委ねている。梢も朝夕の勤行につき合っているので門前の小僧ならぬ「同棲中の恋人、習わぬ教を詠む」だった。
「佛説延命地蔵菩薩経。チーン、如是我聞一時佛、在佉羅陀山与大比丘衆三萬六千人倶。・・・ポクポクポク」これで何かあっても間違いなく極楽に往生できる(それは主旨が違うさァ=梢)。
  1. 2020/04/12(日) 10:42:11|
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