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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ2022

2月2日の選挙が迫ると反政府デモは過激な声明を続発させ、意図的なのか重要施設への襲撃計画を漏洩するようになった。杉本と本間は反政府側と華僑側の双方から入手した情報を持ち寄って整合を図った上でニューヨークに送っている。
「どう見てもインラック政権側の方が追い詰められているようだな」「はい、華僑の上層部もかなり深刻な危機感を持っているようです」2人揃って朝帰りなのだが、途中で買ってきた英字新聞の記事とも読み比べてながら話し合った。タイとニューヨークの時差は11時間なので今は夫婦水入らずで勤務している松山1も連日の残業になっているはずだ。その松山1佐は2人が送った情報を防衛駐在官・渡辺将補を通じて関係する各方面に流しているらしい。
「この間はインラックがこのまま退陣しなければ武装デモ隊を首相府に突入させて身柄を拘束すると宣言してたぞ」これは代表者がインタビューに答えた発言で興奮状態のデモ隊からは「華僑女を殺せ」「なぶり殺しだ」「犯せ」「輪姦(まわ)せ」と言う絶叫が起こっていた。確かにインラック首相の若さと美貌であれば身柄を拘束されれば上流階級の女性として耐え難い凌辱を受ける可能性は高い。SF趣味もある杉本としては御相伴に与りたいところだ。あの美貌が苦痛に歪み、肉体を弄ばれ、下卑た男たちに代わる代わる犯される光景は想像しただけで興奮してくる。これもトミタ少佐と会わなくなって以来の禁欲生活が長くなったためなのか。しかし、本間と暮らしていてはニューヨークのように街角の女を買う訳には行かない。
「インラック政権は反政府デモに選挙の延期を含めた妥協案の提示を求めているようですが、交渉相手とは認めないと拒否されたようです」本間は新聞の「政府は交渉による解決を求めている」「選挙の延期を提案」と言う見出しを指差して説明した。本間の情報は公式発表を待っているだけの新聞記者よりも早く正確なのだ。
「それは尾崎秀実とは逆の誤報になるな」情報では完全に遅れを取っている杉本は解説者のような返事をした。尾崎秀実は朝日新聞の記者でスターリンが送り込んだドイツ人スパイのリヒャルト・ゾルゲの配下だった。近衛文麿首相に上海駐在の経験を買われて外交顧問に抜擢されたのだが、昭和6年9月18日に満州事変が勃発すると「関東軍を南進させろ」と言うスターリンの指令を受け、外交交渉による解決を模索していた政府の方針に反して「蒋介石政権を相手にせず」と言う近衛首相の談話を朝日新聞に大々的に掲載した。これを中国でも配信することで蒋介石政権を激昂させ、外交交渉による解決を頓挫させたのだ。その後も朝日新聞が「連戦連勝」の扇動記事を掲載して大陸戦線を拡大させたのは歴史的事実だ。
「タイの華僑マスコミとしてはインラック政権が平和的な解決に努力していることを海外向けにアピールしたいんでしょうけど、反政府デモはどうするつもりなんですか」「先ずは選挙を阻止して無政府状態に陥らせることだ。おそらく裏では国軍とインラック政権を退陣させた後の軍事クーデターによる事態の収拾を話し合ってるんじゃあないかな。しかし、これは俺個人の推理に過ぎないから今はお前の胸にしまっておいてくれ」杉本の要望を受けて本間は「秘密の共有」に感激して両腕で胸を抱いた。その仕草を見て杉本は路地の奥で男たちに強姦されそうになっていた本間の裸身を思い出してしまった。あの見事な腹筋と膨らみのない乳房には呆れながら感心したが性的な刺激は受けなかった。
「空港と証券取引所の占拠はないな。どちらも海外からの批判を招くだけで政権に直接与える打撃は弱い」「と報告するんですね」話に区切りがついたところでニューヨークに報告する内容のまとめにかかった。この時間であれば松山1佐の帰宅は愛娘の就寝に間に合うはずだ。
「朝ご飯の支度をしますね。いつものご飯と味噌汁で好いですか」「おう、頼むわ」杉本がテーブルで松山1佐が個人で携帯している業務用のスマートホンに今日の情報を送信し始めると本間は台所に立って声をかけた。味噌は日本人が利用するバンコク市内の大手スーパー・マーケットで購入した。杉本がハワイに行っている間に本間はタイで入手できる食材での日本式の家庭料理の研究に励んでおり、新潟の実家で食べていた母の手料理を思い出させるようになっている。
「貴方の実家はどんな味噌ったんですか」朝食が並び向かいの席に本間が座ったところで手を合わせた。本間の合掌は相変らず少林寺拳法式だ。日本の作法が済み、2人揃って味噌汁に口をつけると本間が質問してきた。
「新潟は越後味噌って言って塩っ気が強い赤味噌なんだが、米麹の粒が浮いてるんだよ」本間は杉本が出身地を明かしたことに驚いて飲みかけた味噌汁を口から外した。
「私は黒い八丁味噌ですけど、これはマルコメの白だから好みじゃあないですよね」「いや、こうして作ってもらった温かい味噌汁を飲めるだけで幸せだよ」本間にとっては味噌汁以上に杉本の似合わない温かい台詞と追加の「秘密の共有」が幸せだった。
  1. 2020/08/31(月) 12:28:17|
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8月31日・沖縄で自衛官爆死事故=事件が発生した。

2003年の明日8月31日の16時頃に沖縄県沖縄市で航空自衛隊那覇基地の第83航空隊(現在の第9航空団)整備補給群車両器材隊(航空機整備用機材や各種車両の整備担当)所属の53歳の空曹が私有車のワゴン車から友人に借りている倉庫に運び入れていた荷物が爆発して負傷と火傷のため搬送先の病院で死亡する事故=事件が発生しました。爆発時の現場には倉庫の所有者の沖縄県在住の調理師兼廃品回収業者の男性と倉庫付近に駐車していたトラックの運転手がいましたが負傷はしなかったようです。
沖縄県警は被疑者死亡のまま火薬類取締法違反の容疑で現場や空曹の自宅と別のアパート、那覇地方警務隊が職場を捜査した結果、ワゴン車の助手席からビニール袋に入れたアメリカ軍の訓練用対戦車40ミリ擲弾が発見されただけでなく、自宅からはアメリカ軍の訓練用ロケット弾の尾翼、Mー16軍用小銃のモデルガン、薬莢ベルト、導火線点火具に始まり、対戦車用ロケット弾の実弾2発、本物のMー16軍用小銃などが発見され、さらに倉庫として借りていたアパートでは本物の対戦車ロケット・ランチャーと本物のMー1カービン騎銃、実弾660発など、職場でもボディ・アーマーベスト(防弾チョッキ)と手投げ発煙筒が押収され、合計ではロケット弾の実弾5発、小銃弾の実弾が689発、空砲弾が1636発、本物のMー16軍用小銃とMー1カービン騎銃、ロケット・ランチャーが1丁ずつになり、まさしく街中の武器庫、弾薬庫でした。この本物のロケット・ランチャーとロケット弾の実弾の両方が使用可能品であれば警察機動隊の装甲車両くらいは簡単に破壊できたはずで、このため発見現場から警察署に移送する際には爆発の危険性に配慮して周囲100メートルの住人を避難させる騒ぎになりました。
この事件を受けて沖縄県警は空曹が取り引きしていたアメリカ軍放出物資の販売店など24カ所を家宅捜査して2名が逮捕され、インターネットで本土の軍用品マニアにアメリカ軍から流出した物資を販売する裏稼業を営んでいたことが明らかになりました。実は第83航空隊の別称は「ヤーサン空」で、野僧が勤務していた時にも愛人にスナックを経営させている古参空曹が複数いて、当直勤務は休店日限定、それ以外は毎晩外出して店の売り上げを回収していたので、この事件も納得できました。
ちなみに野僧が警備小隊長だった時にも沖縄から戻って数年で定年退官した空曹の更衣室のロッカーからMー16軍用小銃の実弾が見つかったことがありますが、野僧はペンチで弾頭を外して薬莢内の発火薬を出した上で部外者の目につかない広い屋内で固定して雷管を釘で叩くように指示しました。その結果、この実弾は「発射済み」になりましたから何もありません。また陸上自衛隊の知人が富士演習場の草むらで本物のMー16軍用小銃を拾って帰ったことがありましたが(始めはモデルガンだと思っていた)、本人が怖くなって次の外出時に私有車で射撃場へ行って同じ場所に捨てて来たそうです。
当時のアメリカ兵は母国での銃器の規制が極めて緩いため日本の特殊事情が理解できず、行軍訓練で疲れれば草むらに投げ捨て、買い手がつけば小遣い稼ぎに売ることが横行していましたが、今は管理と指導がかなり厳しくなっているので根絶されたはずです。
  1. 2020/08/30(日) 10:57:32|
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振り向けばイエスタディ2021

杉本と本間が手分けして敵対する双方への接触を強化していた1月13日に反政府デモ側は「バンコク封鎖」を宣言した。これまでデモと座り込みの人的障壁によって交通を遮断していた中心街の交差点にバリケードを築く一方で、武装デモ隊に防御させながら電気や水道の設備を破壊して外国企業が営業を維持できない状況を生起させたのだ。
「いよいよ始まりましたね。インラック政権側はデモ隊が証券取引所を占拠すると言う情報も入手しているようです」「結局、インラック政権の高支持率が好調な国内景気を背景にしていると見たデモ隊が非常手段に訴えたと言うところだろう。日本で景気が失速すれば国民の反発を招くだけだがな」本間から集中講義を受けて休暇不在間のタイの国内情勢の推移を理解した杉本は似合わない体育会系の反応を示した。ここは本間に染められたのかも知れない。
「問題はインラック政権も警戒している国際空港の占拠と閉鎖ですが、実行されると我々も出国できなくなります」「俺は長丁場を覚悟しているがお前は帰りたいのか」「勿論、貴方と一緒なら・・・」杉本と本間は意外にもまだ口づけも交わさない清く正しく美しい関係なのだが、意識はかなり強く結びついてきた。これは波長の同期と言うものか。
「貴方はどこを区切りと考えているの」「一応、インラック政権の退陣だが、それが追い込まれての辞任になるのか、国軍のクーデターによるのか、それ以外の力が働くのかを見ておきたい」杉本が言う「退陣」は日本では徳川慶喜による大政奉還、「それ以外の力」は2・26事件における昭和天皇の意向=威光を差す。しかし、本間は華僑の指導者の口から「タクシン政権の時のように憲法裁判所が違憲を宣告する事態を怖れている」と聞いている。彼はそれを司法クーデターと呼んでいた。実際、憲法が完全に機能停止している中で政権を担当していれば司法に「違憲」と断定されるような事態があっても不思議はない。
「私も同感ですが、台湾の学生の反馬英九政権運動も活発になってきていますから主担当としてはこちらを優先しなければいけません」「あちらは事態の急変が迫っているのか」「台湾は高度なネット社会なので情報の周知や活動の拡大が急速なんです。本当は貴方にも一緒に来てもらいたいんですが」深刻な事態について話し合っていながら妙に甘い空気が漂い出した。何にしても事態の鎮静化の可能性は皆無に等しく、逆に過激な方向に暴走を始めている以上、杉本と本間の変則的同棲生活は当面維持される。
「杉本が私に接触してきた目的は・・・」クミコ・トミタ少佐は夢心地の年末年始休暇を終えてサッタヒープに戻ってからは杉本と連絡が取れなくなっていた。雑誌記者としては現在の緊迫する事態の取材を逃すことができないことは在韓アメリカ海軍司令部の広報官だった経験で熟知している。その一方で「子供が欲しい」と言う女として切実な願いを拒否されたことが不信感を生み、会えない苛立ちと空港に出迎えていた女性の同僚=本間への嫉妬が重なり、源氏物語で光源氏が自分を捨てて愛するようになった葵の上を呪詛によって殺そうとした一条の御息所のように鬼気迫るほどの悶々とした生活を送っていた。
「あの時、私が抱かれてしまったのは・・・」杉本との出会いは韓国海軍のコルベット(=小型戦闘艦)・天安の沈没事故の記者会見だった。会見場の外で待っていた杉本に事故とは別の重大案件の取材を申し込まれ、ホテルで夕食を共にして酒を飲んだ。その時、今まで経験したことがない性的衝動を感じ、そのまま肉体関係を持ってしまった。
「あの時の飲み物に何か薬を混ぜたのかも知れない」トミタ少佐の多くはない性体験であのように身体の底から湧き起こるような性的衝動を感じたことはなかった。下腹部が熱く焼けるようになり、それを冷却するはずの理性が蒸発して制御不能になった。
「媚薬って興奮剤があるって聞いたけど、私を抱くために使ったんじゃあないかしら」自分の醜態を打ち消すため推理は杉本に悪人役を押しつけた。トミタ少佐は厳格な貞操観念を日系人の両親から植えつけられて育ったため、初体験はハワイの大学を卒業して海軍に入ってからだった。同じ艦に乗務していた中国系の上官が助力してくれることに心を許して寄港地で一緒に酒を飲んだ後、抱かれてしまった。しかし、上官はトミタ少佐の純潔を奪ったことで占有物として扱うようになり、艦内でも関係を持つようになってしまった。それが乗員の間で評判になり、やがて上官の妻に知られたことで艦を下ろされたのが司令部勤務になった理由だ。
「杉本は本当に日本人なのかしら。母国語のように英語と韓国語を話すし、今度はタイ語を学んでいる。雑誌記者が取材に使うには幅が広過ぎるわ」所詮、トミタ少佐が抱く疑惑は軍事常識限定だ。確かに杉本と出会った2010年3月26日のコルベット・天安の撃沈事件以降、北朝鮮は敵対的態度を激化させ、11月23日には延坪島砲撃事件を起こしている。トミタ少佐は「杉本は北朝鮮の工作員として自分に接近した」と言う勝手な推理に納得してしまった。
TamlynTomita7イメージ画像
  1. 2020/08/30(日) 10:55:17|
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8月29日・東京朝日新聞が「野球と其害毒」を連載した。

明治44(1911)年8月29日から9月22日まで東京朝日新聞(大阪朝日新聞と合併して朝日新聞になったのは昭和15=1940年)が当時、早慶戦を中心に大流行していた野球を徹底的に批判する「野球と其(その)害毒」22回の連載を開始しました。
実際、明治39(1906)年の早慶戦では1勝1敗で迎えた第3戦を前に早慶双方だけでなく審判をする予定だった学習院にまで脅迫が相次いだため中止となり、その後は渡米・招請して日米野球を開催するなど現在も続く大学の宣伝として野球を利用する悪習が始まっていました。選手も大学での好待遇と人気を維持するため留年を繰り返し、大学生と呼ぶには違和感がある年齢の選手が目立つようになり、「体育教育としての趣旨に反する」と言う批判が各方面で起り、野球を禁止する大学も続出していたのです。
これを受けて東京朝日新聞の特集連載は著名人の野球を批判する談話から始まり、最後は全国の蝶党学校の校長に対するアンケート結果の紹介と分析で締め括りましたが、「天下の朝日」の威光を受けて寄稿した著名人は驚くような顔ぶれでした。
例えば後の国際連盟事務次長、当時は第1高等学校校長だった旧5000円札の新渡戸稲造さんは「野球は悪く言えば巾着切りの遊戯である。常に対戦相手をペテンにかけよう、計略に陥れよう、ベースを盗もうなどと眼を四方八方に配り、神経を鋭くしてやる遊びである。ゆえにアメリカ人には適するが、イギリスやドイツ人には決してできない賎技なり、剛勇の気なし」とヨーロッパ人の一般的認識を代弁しています。野僧はクリケットを愛好していましたが、投手は野球のように打者が「打ちにくい」球ではなく、中央に「打てない」剛速球を投げ込みます。この真っ向勝負が野球とは真逆でヨーロッパの騎士道に適うのでしょう。ちなみにクリケットの競技人口はサッカーの次、柔道の上の2位です。また日露戦争で軍人として無能であることが知られて明治天皇が適職として命じた学習院院長の乃木希典大将は「対外試合のごときは勝負に熱中したり、あまり長い時間を要するなど弊害を伴う」と疑問を呈していますが、乃木大将自身は学生・生徒に剣道を勧めていたので西洋式の球技には興味がなかったのでしょう。中でも日本式ドッジボールを考案し、徒手体操を普及させて体育教育を確立した永井道明東京師範学校教授は「野球は時間を空費し、身体を疲労衰弱させるので野球選手は学科ができない」「学生野球で入場料を取って観衆に見せるのは教育上問題があり、野球を利益手段とする大学は論外で学生が哀れである」と7回にわたり徹底的に批判しています。
しかし、野球人気を購読者拡大に利用して積極的に支援していた読売新聞や東京日日新聞(後の東京毎日新聞)が大々的に反論を展開したこともあって人気に水を差すことはできず、おまけに大正4(1915)年には大阪朝日新聞が全国中等学校優勝野球大会を開催したため、朝日の得意技「気がつけば始めから逆の意見を述べていたかのように論説を変更する」で現在も堂々と=偉そうに全国高等学校野球選手権大会=夏の甲子園を主催しています。
ちなみに読売新聞は昭和9(1934)年に、毎日新聞は昭和24(1949)年に、おまけで中日新聞は昭和11(1936)年にプロ野球の球団を創設しました。
  1. 2020/08/29(土) 11:20:29|
  2. 日記(暦)
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振り向けばイエスタディ2020

「インラック政権としては武装警察隊と15000人の国軍が共同で厳戒態勢を敷き、これ以上の拡大を阻止しようと言うんだな」結局、杉本は本間のワンルーム・マンションでテーブルを挟んで向かい合って座ると留守中のタイの情勢について説明を受けた。それでも開口一番は杉本が切り、ハワイでも情報収集に努めていたことを誇示したが、本間はそれには反応せずに独自に調査した事実を述べ始めた。
「デモ隊の銃器などの武力は武装警察隊を上回っているそうです。このまま国軍と全面対決になれば激しい市街戦が生起してバンコクの中心部は廃墟になりかねません」本間は杉本が不在の間に取材と称して華僑側の指導者に接触し、インラック政権側から見たデモの情報を収集していた。するとタイのマスコミは「インラック政権は紛争の激化を避けるため武力行使を控えている」と海外に向けて報じているが、実際は国軍でさえ迂闊に手を出せないほどデモ隊の武力が強化されていることが本当の理由だと判った。
「国軍が勝っているのは戦車や火砲、ヘリなどですが、下手に市街戦で使用すれば被害が大きくなり、折角、インラック政権に好意的な海外のマスコミも『軍による市民虐殺』と論調を反転させかねません。それにデモ隊側は携帯式の対戦車ミサイルや対空ミサイルを入手するでしょう。だから公然とAKー74を持ち歩いているデモ隊を傍観しているんです」本間の説明はニューヨークの松山1佐も知っていた。つまり杉本の頭越しに報告し、直接指揮を受けていたことになる。しかし、それもこの状況では責めることはできない。
「インラック政権が最も懸念しているのはベトナムの介入です。1980年代までタイとベトナムはカンボジアやラオスで軍事衝突を繰り返していましたが、どちらも親中国政権が倒れたことでベトナムが撤退して今では緩衝国になっています。ところがタイが内戦状態になればASEANが介入することになり、その主力になるのはベトナムです。ベトナムと中国は宿敵ですから中国の傀儡である華僑政権も敵視しているので、それだけは回避しなければならないと言っていました」ここまでの見解が述べられるのは華僑でも上層部の実力者に違いない。下手すればインラック政権に関わっている政府要人の可能性もある。
「こうなるといよいよ戊辰戦争の様相と重なってくるな。幕府は江戸でフランスから買った武器を使って西洋式の軍事教練を始めていたが、薩長土肥も外国船討ち払い令を口実に独自にアメリカやイギリスから武器を調達して(長=毛利潘は武器商人・坂本竜馬の仲介により島津名義でアメリカの南北戦争終結に伴う余剰武器を密輸した)、近代兵器に限定すれば4藩合わせると幕府軍を上回る兵力になっていた。つまり幕府に対抗し得る武力集団が成立した結果の内乱が戊辰戦争なんだ」「そうなるとインラック首相は遠からず大政奉還せざるを得なくなりますね」この受け答えはタイに来てから身についた呼吸だ。本間も取扱注意の珍獣から可愛いペットくらいには昇格しているのかも知れない。
「そうなると国軍は複雑な立場だな。戊辰戦争でも幕府の将軍よりも反乱軍が担ぐ天皇の方が上だって言う常識が幕軍の士気を妨げた。国軍は誰に銃を向けるべきなのか判らなくなってるんじゃあないのか」「これまで国軍は国王を軽んじている華僑に批判的でしたが、反政府デモが国王の意向に背いたことでインラック政権の方が忠臣になってしまった。しかし、心情的にはタイ人の愛国者を支持したい。おまけにデモ隊には国軍を退役して間もない士官や下士官も多いから監視している兵士が敬礼している光景もよく見ます」ここまで密着した調査は杉本も躊躇していた。これまで杉本は山岳カメラマンとして中国内陸部に何度も潜入して少数民族弾圧の動向を現地調査していた倉田に比べて周囲の制止を受けて何もしてない本間を軽んじていたが、今後は態度を改めるなければいけない。
「よく頑張ったな。感心したよ。今までの態度は・・・」「でも本当は怖くて、怖くて・・・杉本さんがいてくれないと不安で、不安で・・・早く帰ってきてって街角の佛さまに祈っていたんです」杉本が改まって賞賛し、謝罪しようとすると急に本間は震え出した。タイに来る前の本間であれば香港で刃物を持った不良少年たちを撃退した少林寺拳法を過信して男数人に阻まれても強引に踏み入るくらいのことはやってのけたはずだ。しかし、タイではムエタイ(タイ式ボクシング)の回し蹴りの1撃で昏倒させられ、強姦させられる寸前だった。一応は女性だったから強姦になったが、男性であれば拷問の末に虐殺されても不思議はない。
「可愛い女はお前には似合わないぞ。ほらッ、落ちつけ」杉本はテーブルの椅子に座ったまま身体を強張らせている本間の後ろに立ち、首筋に両手を回して抱き締めた。
「お帰りなさい。もう私を離さないで下さい」杉本の腕を手で押さえながら本間は意外に似合う可愛い女になった。それにしても回答に困る「お年玉」を要求されたものだ。
  1. 2020/08/29(土) 11:19:01|
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8月29日・洗礼者ヨハネの「斬首」の祭日

明日8月29日はカソリック(東方教会やギリシャ=ロシア正教会はユリウス暦なので9月11日)の洗礼者ヨハネの「斬首」の祭日です。
洗礼者ヨハネは旧約聖書のイザヤ書やマラギ書に「創造主の道を備える者」として出現が予言されているそうで(個人名や具体的な出自は示していない)、新約聖書のルカやマタイの福音書では「父は祭司、母のエリサベトはイエスの母のマリアと親戚」「イエスと同様に母は大天使ミカエルの受胎告知を受けた」「駱駝の皮を身にまとい皮の帯を締めていた」「ユダヤ人の選民としての思い上がりを糾弾し、悔い改めた者の清めの儀式として洗礼を行った」「イエスを洗礼した」と具体的な人物像を紹介しています。
このため東方教会やギリシャ=ロシア正教会、カソリックでは「イエスの先導者」として12使徒よりも格上とされ(12使徒のヨハネ=元漁師で最初の弟子は別人)、祝日も9月23日の懐胎、6月24日の誕生、8月29日の斬首の祭日、埋葬された首が発見された2月24日と5月29日、さらにカソリックでは6月24日を聖名の祝日としています。実際、ルネサンス期以降に描かれた宗教画では実年齢は2から6歳年長だったにも関わらず同じ年頃の幼児としてマリアの足元にイエスと一緒に描かれていることが多いのです。
そんなヨハネが斬首されたのを伝統的なキリスト教会は「殉教」としていますが、実際はイエスとは関係なく、キリスト教に対する迫害に巻き込まれた訳でもありません。
パレスチナの領主・ヘロデ・アンディパスは弟の妻であるヘロディアと不倫関係になり、正妻を追い出して後妻に迎えたことをヨハネに非難され、妻から殺すようにそそのかされていたのですが、庶民に人気があるヨハネを殺すことができませんでした。そんな時、ヘロデの誕生を祝う宴席でヘロディアの娘のサロメが踊りを披露し、それを誉めたヘロデが「褒美に望む物を与える」と約束したため、迷っている娘の耳元でヘロディアは「ヨハネの首と言え」と命じました。こうして洗礼者・ヨハネは斬首されたのです。
ただ新約聖書にはサロメと言う名前はなく、単に「ヘロディアの娘」とされていますが、古典「ユダヤ古代誌」に聖書と同じ両親の娘としてこの名前が出ています。ルネッサンス以降の宗教画でもこの名前を用いた多くの作品が残されており、ヨハネの首が載せられた銀の盆を持った少女が冷たい微笑みを浮かべているのが普通ですが、野僧は国立西洋美術館で見たギュスターヴ・モロー作の「牢獄のサロメ」が好きです。こちらは牢獄の壁際で奥の部屋で首を刎ねられるヨハネの様子を不安そうにうかがっている情景です。
日本人は洗礼と言うと密教の灌頂や禅宗の洒水のように頭上から水を降り注ぐ儀式と思いがちですが、アメリカで大きな教勢を持つバプテスト派(=邦訳すれば洗礼派)では川や湖で全身を水に入れて清める儀礼です。ヨハネがイエスを洗礼したのはヨルダン川だったとされていますから、やはり全身を水に漬けて行ったのでしょう。
ちなみに友人の福岡県春日市のバプテスト教会のアメリカ人牧師は市内に適当な場所が見つからず悩んでいたので「市営プールではどうか」と提案してのですが却下され、最終的には脊振山中の滝壷にしたのですが、そこは修験者の滝行の道場=聖地でした。
38d・洗礼者ヨハネの首を持つサロメ「洗礼者ヨハネの首を持つサロメ」
  1. 2020/08/28(金) 12:48:16|
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振り向けばイエスタディ2019

ハワイでクミコ・トミタ少佐と「夫婦水入らず」な時間を過ごした杉本はホノルル=ダニエル・K・イノウエ空港発で成田乗り換えのタイ国際航空機でバンコク=スワンナプーム空港に帰ってきた。成田では入国はしていないが空港内を移動しながら2011年に東北地区太平洋沖地震における自衛隊の災害派遣を取材する外国人記者団に同行して以来の日本の空気を吸った。あの時は本間も一緒に横田基地を利用した。
「バンコクの反政府デモは年末年始も激しくなる一方だったわね。私の我がままで貴方の仕事を邪魔してしまったみたい。ごめんなさい」機内で隣りの席に座り、頭を肩にもたげかけているクミコは呟くように謝罪した。ハワイでもバンコク情勢を報じるテレビのニュースや新聞の記事を目にすると本間にスマートホンで連絡を取っていたが、デモ隊は選挙の阻止だけでなく、年明けからは市内でも外国企業などのビルが建ち並ぶ中心街の主要幹線での大規模集会を続け、事実上の封鎖状態を現出していた。本間には単独での接近を禁じていたが、ニューヨークへの報告ではデモへの潜入を図っていたらしい。
「気にしなくて良いんだ。俺も久しぶりに骨休めができた。お前との姫始めには感激したぞ」杉本はクミコの後悔以上に自分の行動を自責しているのだが、恥じらいを与えることで重くなりかけた空気を軽くした。するとクミコは甘えたように杉本の手を指で弄び、強く握ってきた。
クミコとの姫始めはハワイでも放送されていた北島三郎の最終出演となる紅白歌合戦を見て、6時頃まで仮眠した後、7時過ぎの初日の出を見に出かけた。帰宅するとクミコは和服に着換え、手作りしたオセチ料理とホノルル市内の日系人が経営する酒店で買った日本酒で乾杯し、酔いが覚めた午後からトミタ家の墓参に行った。そうして帰ったところで和服を脱ぐクミコの帯を掴み、一気に引いて身体を回転させる時代劇の定番「独楽回し」を満喫した。独楽回しは成人式の後に初体験して以来だったが、クミコには「殿、お止め下さい」と言う定番の台詞を教えていたので時代劇のレイプ・シーンを堪能できた。ただし、レイプを重大な刑法犯罪と考えるアメリカ人のクミコにこの趣味を理解させるには時間と労力を要した。
「私、貴方の子供が欲しくなっちゃった」機内に朝日が差し込み始めた頃、手を握ったまま眠っていたクミコが目を覚まし、掠れた声でささやいた。おそらく2人で年頭の墓参に行ったことでトミタ家の血を守る責任を再認識したのだろう。ハワイでは年末の姫納めから姫始めに続く床遊びでも避妊だけは十分に気をつけていた。工藤は還暦を過ぎて40歳を超えたジェニファーを妊娠させ父親になった。松山1佐、岡倉も子供がいるが、松本は愛妻家であっても子供は儲けていない。岡倉も危険な任務に赴く前に酒を飲むと妻子への執着が躊躇になることを怖れていた。その岡倉の妻は敬虔なカソリック教徒であり、現役の韓国陸軍大尉だったが父親を明かさないで未婚の母なった。しかし、クミコの性格から言えば妊娠して出産することを決めた時点で入籍し、アメリカ海軍でも必要な手続きを取ることを要求するはずだ。
「子供は困るな。俺はお前と2人だけで人生を楽しみたいんだ。父親に邪魔にされる子供が可哀そうだろう」クミコはこの回答を予想していなかったようで、困惑と失望を目で描きながら手を離し、顔を背けて目を閉じた。
「貴方、おかえりなさい」スワンナブーム空港の到着ゲートを出ると本間が待っていた。本間は満面の笑顔で元気に手を振って駆け寄ってきた。業務連絡のついでに到着時間と便名は教えてあったが、クミコを同伴していることは知っているはずだ。
「何事だ。俺が・・・」「杉本さん、私はここで」杉本が叱責しかけるとクミコは無表情に声をかけて自分のキャリーバッグを引いてエレベーターに向かって歩き出した。確かに今日は空港でクミコと分かれてバンコク市内の本間のワンルーム・マンションに向かうつもりだった。本間が事態の推移を甘く見て任務を押しつけておきながら単独行動を禁止した杉本に憤激しても仕方ない。杉本もスマートホンから聞こえる本間の声が不機嫌なためキャリーバッグの中には山ほど土産を詰め込んでいる。
「先日、反政府デモがバンコク封鎖と言う新たな闘争戦略を表明しました。私も武装したデモ隊にスワンナブームとドンムアン国際空港の管制塔と通信施設を占拠させて国際線を発着不能にする計画を耳にしましたから杉本さんと一緒に現地を確認しようと思って来たんです」本間の説明は杉本が心の中で振り上げた拳を自分の頬に打ちつけさせた。それも口の中が切れて紅い鮮血を噴き出すほど強くだった。奥歯も砕けたかも知れない。
「私、心細くて貴方が帰ってくるのを待ち侘びていました」到着ゲートから出てくる乗客が途切れて、ロビーに取り残されたことに気づいた本間は脱力して立ち尽くしている杉本に声をかけると、キャリーバックのハンドル(=取っ手)を掴み、空いた手を握って歩き始めた。
  1. 2020/08/28(金) 12:42:15|
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振り向けばイエスタディ2018

日程は田島1尉に「1月25日の土曜日にキャンディのダラダー・マーリガーワ寺院=佛歯寺を参拜したい」と言う希望だけを伝えて検討してもらった結果、1月23日の木曜日から1月29日までの1週間になった。1月25日にこだわったのは6年前の1998年1月25日にタミル・イーラムの虎が爆発物を満載したトラックで旧王宮の国宝であるこの寺院に突入して建物が全壊した事件があったからだ。幸いにして王権の象徴だった釋尊の犬歯と容器は日本の曹洞宗の貫首がスリランカ人の弟子から「佛歯寺がテロの標的になっている」と聞き、私費で防弾ガラスを寄贈していたため無事だった。
「ヨーロッパでエア・ランカ(=スリランカ航空)が就航しているのはロンドンのヒュースロー空港だけみたい」日程が決定すればプランニングの達人・梢が始動する。先ずは英語版の旅行ガイドブックを買ってきての下調べからだ。ついでにスリランカの公用語であるシンハラ語の短期講座を探したらしいが見つからず、同じ書店で英語とシンハラ語の対比本を探してきて自主学習を始めている。
「イギリスの旧植民地だから今もつながりが深いんだな」私のスリランカに関する情報はチベット問題以降、連絡を取るようになったタイの僧侶から聞いているだけだが、スリランカと東南アジアの南方佛教は同一の教義と戒律なので交流はあるらしい。
「ところでスリランカでの交通手段はどうするつもりなの」「私的旅行だから田島1尉に頼む訳にはいかないから観光地はレンタカーで回るんだな。それでも北部の紛争地帯に立ち入るには公用車でなければ駄目だろう。紛争地帯にはワシが1人で行くからお前はホテルで待っていなさい」私の答えに梢は厳しい顔で考え込んだ。スリランカ内戦が終結したのは2009年5月18日なのでまだ5年にもならない。私がカンボジアPKOに出征した1992年3月はベトナム軍によってポルポト派が壊滅させられて7年目だったが、各地で残党によるゲリラ戦が頻発し、日本人も犠牲になった。それを考えれば梢は安全地帯で待つしかない。
「やっぱり私がついていくと現地の政府軍は迷惑なんだろうね」「対人地雷の除去も進んでいないそうだから特別な理由がない文民を立ち入らせることはできないはずだ。しかし、ワシまで拒否されれば武力紛争関係法の宗教者の通行権を行使して勝手に現地を見てくるぞ」武力紛争関係法の規定では医師や衛生要員の救命・医療行為と同じく宗教者が宗教儀礼の目的で通行することを現地部隊は拒否できない。その代わり危険は自己責任なのだが、これに「私も連れてって」と言うほど梢は子供ではない。私と一緒であれば「死をも怖れない」覚悟に変わりはないが、「足手まといになってはいけない」と言う分別が人一倍強いのだ。
「それじゃあ私はバブニアのホテルで待っていることになりそうね」「と言っても田島1尉から『現地視察の許可が下りた』って返事は届いていないんだよな」ここが私的旅行の辛いところだ。モレソウダ首席検察官には「田島1尉に懇願された」と説明したが、実際は「母国のような国ですよ」と言われただけで、業務上でも個人的な興味で現地を視察するのだ。仮に正規の手続きを踏んで国際刑事裁判所検察部としての公式な視察にすれば国連の人権委員会を刑事告発に誘うようなもので、私の見解とは逆の結果を招きかねない。
「今回の非難決議を作成したのもスリランカ人の皮をかぶった在アメリカ過激人権活動家のクマラスワミと同じくインドネシアのキリスト教系大学の名誉博士のマルシキ・ダルスマンだから、ヨーロッパのキリスト教教条主義者の人権活動家どもの意のままなんだ。これは日本のキリスト教徒にも言えるが、アジアのキリスト教徒は佛教やイスラム教、ヒンドゥー教を敵視する傾向が極端に強いから、佛教国のスリランカ政府を野蛮な邪教徒とする先入観で端(はな)から結論を出した上でその先入観を持って調査したに違いない。とワシが先入観を持っていては本末転倒になるがな」私の自嘲に梢も口元だけで応じた。
それにしても国連人権委員会は調査責任者の人選から許し難いほど姑息で、これが国際社会の人権を議論する機関なのかと怒り心頭に達してしまう。今思えばスイス旅行でジュネーブに寄った時に入った国連人権委員会の建物の壁に抗議文を貼ってくれば良かった。あの建物で「人種差別の根絶」を訴えた新渡戸稲造が泣いているだろう。
「貴方って本当に凄い検事よね。感心してしまうわ」「惚れ直したか」「私は惚れ直しようがありません」折角の誉め言葉を茶化してしまったが、その間にある事実を思い出した。
「日本で暴れ回っている東京地検特捜部の経済捜査の手法を確立した河井信太郎検事は我が蒲郡高校の先輩だからな(実話)。後輩としては後に続くしかないぞ」実際は蒲郡農学校中退なので私の某大学法学部と同じだが、蒲郡の多様な価値観全面肯定・手段を選ばず好き放題の気風に色濃く染まっているところは同種の生物なのかも知れない。
  1. 2020/08/27(木) 12:58:13|
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振り向けばイエスタディ2017

穏健なイスラム教徒のモレソウダ首席検察官は私と同様にクリスマス休暇とは言わないが年末年始休暇は取得した。ただし、閏月を設けない太陰暦であるヒジュラ暦1436年の新年=ムッハラムは2014年10月5日からなので単なる避寒の帰省だったようだ。オランダで過ごした私には土産はないが、梢手造りの伊達巻きを差し出した。沖縄のオードブル式オセチしか知らない梢が茶山夫人に作り方を訊くと手書きの解説書が届いたらしい。
「美しいお菓子ですね」ソファーで蓋を開けたモレソウダ首席検察官は伊達巻きを指で摘まむと1枚食べた。甘党だけに気に入ってくれたようだ。伊達巻きは長崎では「カステラ蒲鉾」と呼ぶように味つけと食感が菓子に近いからあえて誤解は解かなかった。
「昨年はアムステルダムのウェイスターモスクの建設が始まりましたが完成が待ち遠しいですね」新年の挨拶はイスラムの話題にした。2013年からアムステルダム市西バージェス地区の運河沿いに本格的なモスクの建設が始まっている。テレビや新聞の説明によると周辺の建物と調和を図るために外壁にはオランダ製の赤レンガを使うそうだ。
「モリヤ検察官は北キボールで殺害した暴徒たちの慰霊のために日本でモスクに通っていたって言ってましたね」年頭早々いきなり「死」に触れてしまった。尤も「死」を忌み嫌い、死につながる数字の「4=シ」まで避けるのは神道の言霊信仰だから佛教徒としては関知しない。
「はい、コートジボワールでもウラマー(=聖職者)と一緒に祈ってきましたが、オランダではコーランの詠唱のCDを流しながら祈るだけです」「しかし、イスラム法廷でもモリヤ検察官の行為は正当だと認定されたのでしょう。罪人は応分に罰せられるのがイスラムの法です。罪なき日本人の男女を凌辱の上、残酷に殺害したのだから死を受けるのは当然です。過剰に責任を感じ続ける必要はありません」こう手の話題を語るモレソウダ首席検察官は奈良の大佛に見えるから不思議だ。前置きが長くなったので本題を切り出した。
「公判は証拠調べに入れば私よりも調査担当のリミッド検察官の方が役立つでしょう」「しかし、モリヤ中佐(2佐)は法廷内の誰よりも軍事のプロフェッショナルですから素人の弁護人では太刀打ちでないはずです」日本的には謙遜によって否定する対応もあるが普通の外国人には理解されない。そこで単刀直入に希望を述べた。
「実は在スリランカの日本大使館で勤務している友人が『是非来てくれ』と懇願してきて、私としては早い時期に行きたいと思っているんです」「スリランカですか・・・それは私的旅行ですよね」やはりモレソウダ首席検察官には魂胆を見透かされているようだ。
「はい、夫や息子をテロに参加させるための人質にされて、撤退時には虐殺された老人や妻子たちの慰霊に行きたいのです」「その内戦の実相は誰に聞きましたか」私の説明が国連人権委員会の報告と異なっていることに気がついたモレソウダ首席検察官は大きな目を厳しくして確認してきた。こんな時は不動明王に近い。
「タイの僧侶の友人から聞きました。彼は日本の人権団体がヨーロッパのキリスト教系人権団体のスリランカ政府軍が少数民族弾圧や文民殺害の戦争犯罪に対する批判に同調しているのを阻止せよと詳細な資料を送ってきたんです。残念ながら私は重大な公判を抱えていたので何もできませんでしたが、義勇隊員としては佛敵・タミル・イーラムの虎との戦闘に参加したいと願っていました」「つまりタイの僧侶から聞いた内戦の詳細が事実であるかを検証したいと言うことですね」「いいえ、南方佛教の古代史跡を観光したいだけです」ここで迂闊に認めてしまうと私的旅行にならないので先ずはとぼけた。
「それでも私は日本の(いわゆる)従軍慰安婦の強制連行を事実と認めた1996年1月4日の国連の人権委員会の『女性に対する暴力とその原因及び結果に関する報告書』については意図的な事実誤認だと確信しています。おそらくスリランカ内戦に関する戦争犯罪の報告も同様の政治的意図によって虚偽の証拠を捏造したのでしょう」「そう言えば女性に対する暴力の報告書を作成したラディカ・クマラスワミはスリランカ人ですよ」「スリランカで会えば罵倒してやりますよ」本当はこのニューヨークで活躍する人権活動家を惨殺したいほど憎悪しているのだが、そこは社会人としての常識を保った。
「現在の公判はフランスが常任理事国として圧力をかけてきたから抗し切れず証拠固めも不十分なまま告訴することになったのです。スリランカ内戦で失敗を繰り返さないようにプロフェッショナルの目で事前調査しておくのは私個人としては賛成です。ただし、あくまでも休暇に同意するだけですよ」モレソウダ首席検察官は事実上の許可を与えると残り3枚の伊達巻きを立て続けに頬張った。糖尿病患者としては甘い伊達巻きの後に甘いコーヒーを飲む味覚を注意したくなる。モレソウダ首席検察官の前世は蜜蜂、むしろ花虻(アブ)なのかも知れない。
  1. 2020/08/26(水) 12:05:13|
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振り向けばイエスタディ2016

年明け早々にスリラン最大の都市・コロンボに在る日本大使館では在外公館警備官の田島1尉宛てにオランダから封書が届いた。日本以外のアジア各国では官公庁や学校の公的行事は太陽暦のカレンダーに基づいていても市民は太陰暦で生活しているため年明けと言っても新年(=太陽暦の1月31日)まで1カ月を残す年末だ。
「モリヤ2佐かァ。多分、オランダにも年賀状がないんだな」防衛駐在官室に呼ばれたついでに顔を出した事務室で庶務係のスリランカ人の女性事務員から封書を手渡された田島1尉は差出人の横文字を読んで状況を推理した。スリランカではウェサック満月が欧米のクリスマスに相当する最大の祝週のため太陽暦の新年の挨拶を尊重する習慣がない。このためオランダのモリヤ家と同様に日本の友人たちが「海外郵便だから」と早めに投函した年賀状が年末に届いていた。おそらくこの封書も中身は年賀状ではないか。
コロンボの日本大使館は交通が激しく雑然とした表通りから1本奥の博物館などが建ち並ぶ閑静な裏通りに在る。世界各国の日本大使館の建物は味も素気もない鉄筋コンクリート製が大半だがスリランカに関しては植民地時代にイギリス人の富豪が建てた私的豪邸を1973年に購入したもので、スリランカ政府は「将来、日本が手放せば購入して国宝に指定したい」と希望している貴重な文化財なのだ。そんな大使館を守る警備官室は正門のコンクリート製の小さな門衛所に隣接した事務室と倉庫、武器庫を兼ねた1戸建てだ。
「2014年に入ったら早い時期にスリランカへ行きたいかァ。相変らず走って行くから走行生だな」中身は年賀状ではなく用件を記した書簡だった。モリヤ2佐は曹侯学生の後輩である田島1尉に「走って行くから走行生」と尻を叩いて仕事の後回しや先送りを許さなかった。昨年の5月のウェサック満月には坊主でもあるモリヤ2佐に「スリランカはモリヤ2佐の母国のようです」と書いたカードを送ったが「旅行に来い」と誘ったつもりはない。
「通訳兼個人秘書と2人で行くからホテルを手配してくれってか。『同室で可』と言うことは男の秘書だな」田島1尉は結婚して数年後のモリヤ夫婦の熱愛ぶりを熟知している。夫婦は前川原の同期だったそうだが、妻のモリヤ佳織1尉は駐屯地でも評判の美人で、3尉で着任した直後から若手幹部たちが一斉に攻撃を開始したものの全滅し、気がつけば未婚の母になっていたらしい。その相手がモリヤ1尉だったのだが不倫の略奪婚だったとも聞いている。その妻は今では1佐になり、陸上幕僚監部で勤務しているはずなのでこの推理は常識だ。
「それからスリランカは2011年に国連人権委員会で内戦における戦争犯罪行為の調査報告書が受理されているから国際刑事裁判所の検察が訴追することになる可能性が高い。しかし、この調査自体に疑問を持っているので現地と資料を確認したい。可能な限り関係する部隊と当事者に協力してもらえるように手配してくれ・・・かァ。随分と人使いが荒くなったな」あの頃のモリヤ1尉は教育者のような態度で田島2尉と松山3尉を指導し、時には仕事の山を掘り崩すことを強いたが、ここまで一方的な依頼はしなかった。その一方でスリランカ政府と陸軍では人権委員会の報告内容の不当性を抗弁しており、それが国際刑事裁判所に提訴されることは何としても阻止したいはずだ、その意味では恩を売る形にもなる。
「要するに旅行計画を立てて宿泊先を手配した上で内戦の関係部隊や当事者にも会えるようにしろっと言うことだな。ヒョッとして旅行の案内と運転手も俺の仕事か」依頼の流れから言えばそうなりかねない。スリランカは鉄道の発祥の国・イギリスの植民地だっただけに主要な都市を結ぶ鉄道網は整備されているが、環境保護の意識が世界で最も強いため高速道路は建設されていない。その鉄道も観光名所のシーギリア・ロックのように島の中央部のジャングル地帯には通っていない。それでも車両はイギリス式に左側通行のため日本人には運転しやすく、レンタカーでも不安はないからそちらを勧めたいものだ。
「しかし、公務じゃあないみたいだな。私的旅行のついでに戦場に入り、おまけに戦闘経験者と面談するなんて相変らず怖れ知らずと言うか、公私の区分がないと言うかつき合う秘書も大変だな」実は田島1尉も外務省の臨時職員である在外公館警備官としての任務の他に本来は認められていない防衛駐在官の手足としての副官的な業務も果たしている。今日も午後からスリランカ陸軍の駐屯地を表敬訪問するのに同行することになっているが、仮にモリヤ2佐が防衛駐在官になれば副官役は手綱を引いても止まらない牛(本人は丑年)にどこまでも引きずられていくような覚悟でいなければ務まらない。おまけに相手は坊主なので迂闊なことをすれば罰(ばち)が当たる。それでもモリヤ連隊長の下でなら1科長をやってみたい気もするが守山で「1佐どころか2佐の芽もない」と本人の口から聞いていた。そんな人物が2佐になる奇跡は起こったのだからもう1回、1佐の種はないのだろうか。
  1. 2020/08/25(火) 12:43:01|
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「炎のランナー」ベン・クロスさんの逝去を悼む。

8月18日に1981年公開のアメリカ・イギリス合作映画「炎のランナー」で実在するユダヤ系イギリス人でオリンピックの短距離選手のハロルド・エイブラムスを演じたイギリス人俳優のベン・クロスさんが亡くなったそうです。意外に若い72歳でした。
野僧はこの映画をアラスカ人の彼女の家で毎週末にアメリカ空軍少佐の母親と1等軍曹の父親が嘉手納基地図書館のレンタル・ビデオで借りてくる名作映画の上映会で字幕なしで観賞したため細かい心理描写は理解できていなかったかも知れませんが、非常に感激して涙ぐんでしまったことは記憶しています。その後、彼女が大学で関係者や時代背景を調べてきて詳細に解説してくれたので今では理解も十分でしょう。
映画はロンドンで開かれていた1978年1月14日に亡くなったハロルド・エイブラムスの追悼ミサでのアンドリュー・リンゼイ卿=実在するのはデビット・バーリー卿のスピーチから始まります。そこから時代は60年前まで遡り、金融業で財をなした裕福な家庭で育ったハロルド・エイブラムスはケンブリッジ大学で法律を学ぶ学生で、障害走のアンドリュー(後のリンゼイ卿)や中距離走のオーブリーとヘンリーと共にケンブリッジ4人組として大学陸上界でその名を轟かしていました。そうして1920年のアントワープ・オリンピックに出場しますが、100メートルと200メートルは準決勝で敗退、走り幅跳びは20位、4人による400メートル・リレーも4位と言う不本意な成績に終わりました。映画としてはここで長老派のエジンバラの牧師のエリック・リデルがもう1人の主人公として登場し、当時のプロテスタンの「運動競技で人間の限界を超えた成績を挙げるのはカミの加護の証明」と言う「筋肉的キリスト教」を体現する姿が描かれていきます。アントワープ・オリンピックで敗北したハロルド・エイブラムスは「ユダヤ人の血を引く自分がイギリスで名声を得るためにはオリンピックで金メダルを獲得するしかない」と考えるようになり、アラブ系イタリア人のプロの陸上コーチを雇って指導を受けますが、国粋主義とアマチュアリズムを美学とする大学首脳から批判されます。それでもエリック・リデルと共にパリ・オリンピックの代表に選ばれ、ここからはエリック・リデルの出場日が旧約聖書が勤労を禁じる安息日であったことからカミへの帰依と国王への忠誠のどちらを選択するかなどの問題が中心になります。結局、エリック・リデルはハロルド・エイブラムと替わった400メートルで金メダルを獲得し、ハロルド・エイブラムスは100メートルで金メダル、200メートルは6位でも4人による400メートル・リレーも銀メダルを獲得して大歓迎の中で帰国したところで追悼ミサに戻って終わりました。しかし、この映画はアカデミー賞の作品賞や衣装デザイン賞、脚本賞、何よりも作曲賞を獲得しているものの出演者は受賞していません。
この他にもベン・クロスさんは1977年の戦争映画「遠すぎた橋」など野僧が見た作品にも出演していますが主役級ではないので記憶にありません(2009年のSF映画「スタートレック」ではミスター・スポックの父親役だったそうです)。おそらく「炎のランナー」で味わった感激は一生ものだと思います。感謝を込めて冥福を祈ります。
  1. 2020/08/24(月) 13:12:13|
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振り向けばイエスタディ2015(一部、実話です)

梢の提案を採用したため年末に向けて大掃除をするはずが書き初めの反対の書き納めをすることになった。と言ってもクリスマス・カードの返事として送る年賀状に相応しい言葉を選ぶのが先決だ。私は仕事用の机にA4サイズに切ってある和紙と書道具を用意してからパソコンを立ち上げ、データー化している法語、道歌、和歌、短歌を検索した。
「門松は 冥土の旅の 一里塚 馬籠もなく 泊り家もなし・・・やっぱり一休禅師のこれが良いな」キリスト教では佛教のように「死」を直視することがなく、肉親や友人の死に直面すると呆然自失してしまうことが多い。その点、この道歌なら正月早々に杖の先に髑髏(シャレコウベ)を差して家々の門前に立ち、「ご用心、ご用心、この通り、この通り、目が出てるぞ、目出度い、目出度い」と声をかけて回った一休禅師の警句を紹介できる。ところが持ってきたテーブルの椅子で隣りに座っている翻訳担当の梢は難しい顔をした。
「歌としては意味深長な割に軽妙洒脱で面白いけど、ニュアンスを変えずに英語に翻訳するのは無理じゃあないかな」「確かに・・・」言われてみれば「門松」は「ゲート・パインツリー」と直訳しても意味が通じず長々と説明せざるを得ない。「一里塚」も直訳すれば「マイル・マーク(マイルの目印)」かも知れないが欧米にそのような設備があったと言う話は聞かない。そう言う訳で一休禅師は落選になった。
「つまばつめ とまらぬ年を ふるゆきに きえのこるべき わが身ならねば・・・良寛は気取りがあるから好きじゃあない」好きでなければ読まなければ良いのだが、日本では何故か一休禅師と良寛和尚は同格一対扱いになっているので仕方ない。詠み上げて梢の顔を見ると今度は困った顔をしていた。
「ヨーロッパの人に積もった雪がやがて溶けて消えていく自然現象と人間が生まれて死んでいく事実を重ね合わせることができるかな」「まったくだ」北海沿岸のオランダやドイツ、フランスは緯度が高いだけに冬の日照時間は極めて短く(明るいのは午前9時頃から午後5時前まで)、積もった雪は凍りついて溶けるのは春になってからだ。今、この道歌を送られても理解してもらえるとは思えない。やはり始めから読まなければ良かった。
「これはどうかしら」その後も西行法師や沢庵禅師、木喰上人などの道歌を確認したが季節感が花や月であり、例えが昔の生活用具だったりして落選が続いた。そこで和歌のページを開くと梢は冒頭の一首を指差した。
「これは陛下が昭和21年に詠まれた御製だぞ」「でも意味が深くて格調高くて厳しさがあって貴方の人生訓そのものじゃあない」梢が言う通り、この御製は昭和64年1月7日に陛下が崩御された時、私の「殉死」の決意を察知した当時の中隊長の小野沢1尉に基地内監禁として1週間連続で当直勤務を命ぜられ、基地売店で購入した書籍の中から見つけたのだ。
「ふりつもる み雪にたへて いろかえぬ 松ぞををしき 人もかくあれ」梢が詠み上げるとあの時の足元が崩れ落ち、太陽が燃え尽きたような絶望感が甦ってくる。生きる支えだった梢を失って以来、美恵子との生活は過剰な暖房のようなもので私の人生は正に真冬だった。
「沖縄は雪が降らないから知る機会がなかったけど『凛』とした気迫が昭和の陛下だわ」梢は私が高校時代、愛知県で行われた全国植樹祭に生徒会長として参加して間近に拜した昭和の陛下に眩いばかりの御稜威(みいつ)を感じた体験談を聞かされているので、沖縄の教育者やマスコミが主張する「戦争責任」には同調していない。
「あの時、小野沢1尉に『乃木は愚か者でも大将だ。お前はまだ3曹に過ぎない。明治天皇は大将が殉死したのに昭和天皇が3曹ではかえって恥をかかせてしまうぞ』って制止されなければ包丁で腹を切るか、海で沖に向かって泳いで殉死しただろうな。まさかお前ともう1度暮らせる日が来るなんて思いもしなかったよ」「私は信じてたよ。私の片想いだったのね」梢の言葉に振り返ると目と口元の表情の組み合わせが滅茶苦茶な不思議な顔をしていた。要するに心の中で喜怒哀楽が同時に発生したのだろう。
送る歌が決まったところで私が墨を磨り、梢はテーブルに移って翻訳に取り掛かった。こんな時にも英和・和英辞典ではなく英英辞典(日本語の国語辞典に当たる)を使うところは流石だ。
「素敵、落款が渋いわね」新聞紙で練習をした後、清書をして署名、落款印を押すと掛け軸にしたいような出来栄えになった。この落款印はカンボジアPKOの時、茶山1尉が作業現場で拾った美しく固い石をくれたので善通寺に帰ってから親しくしていた坊さんの指導を受けて篆刻したものだ。落款印には赤地に白い文字の姓名印と枠と文字が赤の雅号印、そして形も内容も好みで良い右上に押す関防印の3つがあり、私の姓名印は「大空任人」の僧名、雅号印は「現代僧兵」と職業、関防印は「梢命」と彫っている。だから家では使えなかった。
  1. 2020/08/24(月) 13:11:11|
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振り向けばイエスタディ2014

オランダの我が家の年末は異常な事態になっている。ヨーロッパでは12月25日にクリスマス・カードが届くので日本のようにニューイヤーズ・カード=年賀状を1月1日に配達する習慣がない。日本でも佳織の官舎には東京とアメリカの指揮幕僚課程での同期やハワイの太平洋軍司令部の同僚からクリスマス・カードが届いていたが、クリスチャンの友人を持たない私には縁がなかった。ところが今年は夏にスイスを旅行した時に知り合った人たちから届いたのだが、日本で早めに投函した年賀状と同時期だったので不思議な気分だった。尤もクリスマス・カードの内容も基本的には「次のクリスマスまでカミの加護があるように祈ります」と言う挨拶なので年賀状と大差はない。
「ユルゲン・クライスト中佐って行きの寝台列車で一緒になってチューリッヒ市内を案内してくれたご夫婦よね」年賀状は宛先で分けて先にクリスマス・カードを一緒に見た。差出人がドイツとスイスなので読むのはスイス旅行以来ドイツ語もかじり始めた梢の担当だ。
「うん、ドイツ連邦軍の戦車大隊長殿だ」階級は同じでも私は指揮官として普通科中隊長と共通教育中隊長しか経験していないため元大隊長には素直に敬意を払っている。
「素敵な絵ね。見て見て」先にメッセージを読んだ梢はカードの絵を私に見せた。クリスマス・カードは年賀状のような葉書ではなく封筒に入れた2枚折りのカードなのでどれも凝っている。クライスト夫妻は古典的な聖母子の絵だ。
「やっぱりドイツのルーテル派はプロテスタントでも聖画を尊重するんだな」同じ絵を鑑賞しても坊主は感想が違う。一般的にプロテスタントはカソリックに対するアンチテーゼを標榜するため旧約聖書が偶像崇拝を禁じていることを根拠にイエスやマリア、聖人の彫刻や聖画は認めていない。その点、ドイツのルーテル派は宗教改革の先駆けだけに教義や戒律、布教への批判と反証が中心で庶民の宗教的文化財への崇敬は容認している。
「ツュエルマットのホテルからも来てるよ。雪のマッターホルンが素敵」こちらは世話になった副支配人個人からではなくチェック・インの時にフロントで記入した住所で一律に送った営業用らしいが、雪に覆われたマッターホルンの絵葉書なので「また行こう」と思わせる効果は抜群だ。流石は観光立国・スイスだけのことはある。
「アレクサンダー・レーア大尉はバートラガーツの民宿の山岳中隊長だね」「考えてみればアレクサンダー・レーアは第2次世界大戦後に銃殺された空軍大将と同姓同名だぞ」バートレガーズで宿泊した時は山岳戦闘と自宅に保管している小銃と拳銃の話題に熱中したが、「非防守都市宣言(地域内に軍事施設や軍隊を存在させず、防衛のための戦闘行為も実施しないことを前提に攻撃を回避する宣言)」していたユーゴスラビアのベオグラードを空襲した戦争犯罪で銃殺刑になったアレクサンダー・レーア大将の名前をつけられた経緯も訊いてみたかった。レーア大将は一緒に死刑判決を受けた7名が吊首刑だった中で1人だけ軍人の名誉を尊重する銃殺刑に処せられているからレーア大尉の親も敬意を抱いていたのかも知れない。
「クリスマス・カードの返事はどうしよう」この他にも職場や学校の友人たちから届いたクリスマス・カードを見終わって梢が相談してきた。確かにクリスマス・カードは宗教上の儀礼なので相手の信仰を冒涜するような返事は出せない。とは言え佛教徒の私にクリスマス・カードを送ってくる気楽さを見るとそこまで真剣に考える必要性はなさそうだ。
「そう言えば5月の中旬にスリランカの田島1尉からウェサック・カードが届いただろう。あれは佛教のカードだからコピーすれば使えないか」スリランカやタイなどの南方佛教国では太陰暦の4月8日から4月15日の満月までに釋尊の生涯を祝うウェサックと言う祭礼を盛大に行う。在スリランカ大使館の在外公館警備官として赴任した田島1尉はそれに倣って表に菩提樹の下で大悟した釋尊、裏に着飾った象を描いたカードを送ってくれた。象は兎も角として釋尊の図案なら佛教徒の返事に相応しいが、問題は来年のウェサックは5月6日から13日までなのでこの時期に佛教のカードを送る必然性がない。
「やっぱり返事は年賀状で良いんじゃないの。貴方が毛筆で書けば興味を持ってくれるわ」案の定、頭が赤いケーブルで接続されている梢は私の迷いを覚って妥協案を提示した。昔から私は悩んでいることを先回りして救おうとしてくれた。それが行き過ぎたのが哀しい別れだった。
「田島1尉さんは『スリランカは貴方の母国みたいな佛教国だ』って言ってたよね。来年は行きたいな」思い掛けないことで来年の計画が決まった。確かに国連人権委員会は2011年4月25日にスリランカ内戦における戦争犯罪を報告している以上、遠からず国際刑事裁判所が提訴することになるだろう。その前に下調べするためにも行っておくべき国ではある(職場に届いたクリスマス・カードと年賀状の中にはフランス陸軍のオージェ大尉も入っていた)。
クリスマスカード(ドイツ発)ドイツから届いたクリスマス・カード
  1. 2020/08/23(日) 13:06:35|
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8月23日・サッコとヴァンゼッティの死刑が執行された。

1927年の明日8月23日に1971年公開の映画「死刑台のメロディ」では冤罪の被害者と断定的に描かれているニコラ・サッコ死刑囚とバルトロメロ・ヴァンゼッティ死刑囚の電気椅子による死刑が執行されました。
この裁判は1919年にマサセッチューセッツ州で製靴会社の現金輸送車の強奪未遂事件と1920年4月に製靴会社で5人組の犯人に経理部長と警備員が射殺されて1600ドルを強奪された殺人強盗事件を翌5月に逮捕されたイタリア系移民で無政府主義者だった製靴職人のサッコ死刑囚と魚行商人のヴァンゼッティ死刑囚の2人の犯行として審理したものです。当時のマサセッチューセッツ州、中でも裁判所があったボストンでは第1次世界大戦後の不景気を巡る労働争議が激化していて、その原因が無政府主義者による共産主義運動の扇動と思われており、警察は2人の犯行や共謀を裏づける明確な物的証拠もなく徴兵を拒否した無政府主義者と言う経歴だけで逮捕し、5人組と言う目撃証言がありながら2人の犯行として立件し、検察も刑事告訴したのです。おまけに裁判所が選定した陪審員の多くも労働争議の被害に遭っていて無政府主義者には敵意を抱いている人物だったので裁判は検察の思うままに進行し、翌1921年7月14日には死刑判決を評決しました。
ところが警察の逮捕の不当性や検察側の証人が金で雇われた偽者だったことが次々に暴露され、無政府主義者に対する偏見による冤罪とする抗議運動が全米だけでなくヨーロッパなどでも湧き起こったのです。これに対して裁判所は弁護側の再審請求を拒否し、マサセッチューセッツ州知事も特赦を拒否しましたが、刑の執行は保留されました。しかし、抗議運動が国際化し、フランスの詩人のアナンドール・フランスさんやアメリカの哲学者のジョン・デューイさん、ドイツの物理学者のアルバート・アインシュタインさんなど多くの著名人が参加したためマサセッチューセッツ州も放置できなくなり、1927年4月9日に特別委員会を設置し、国際的な助命嘆願を棄却した上で死刑判決を支持したため刑の執行が決まったのです。この決定を受けて全米で激しい抗議運動が始まり、多くの支援者が逮捕拘束された中、刑を執行する拘置所は全周をサーチライトで照らして警察官が機関銃を構える厳戒態勢を敷き、午前0時19分にサッコ死刑囚、27分にヴァンゼッティ死刑囚の刑が電気椅子で執行されました。それにしても10分間で遺骸を担架に移し、脳髄や便尿が付着した椅子を掃除してヴァンゼッティ死刑囚を座らせての連続執行には驚きます。
それから50年後の1977年7月19日に1988年の大統領選挙の民主党候補としてジョージ・B・W・ブッシュ候補を上回る支持率を得たことで名を馳せることになるマイケル・デュカキス知事が2人の無罪を公式に発表しましたが、裁判所は誤審を認めていません。ちなみにデュカキス知事が死刑廃止論者であることをブッシュ陣営がネガティブ・キャンペーンに利用したことが逆転された理由の1つでした。冤罪と断定する人権活動家の胡散臭さは日本も同様なので「司法史」としてのみ紹介しておきます。
  1. 2020/08/22(土) 13:59:12|
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振り向けばイエスタディ2013

「一緒にハワイへ帰ってくれるんでしょう」デモ隊の動きに目立った変化がないため杉本がクミコ・トミタ少佐の宿舎に帰ると唐突に確認された。敬虔な佛教国であるタイではカソリックやプロテスタント式にイエスの誕生日を12月25日に祝う習慣はないので年末もカレンダーに教えてもらうだけだ。そのため年末年始の予定を考えるのを忘れていた。
「勿論、そのつもりだけど2月の選挙に向けてデモ隊がどう動くかに目が離せないんだよな」杉本の答えにこの内妻=愛人はクミコの顔になって口を尖らせた。
「そうなるとバンコクの同僚のマンションで過ごすんでしょう。危ないわ」これまで杉本は数え切れないほどの女性と肉体関係を持ってきたが感情で結びついたことはなく、嫉妬を受けた経験がない。高校時代に抱いた同級生の女子たちは恋愛感情を抱いていたのかも知れないが、それで心動かすような人間性ではなかった。
杉本がリビングのソファーにスポーツ・バックを置くとクミコは無断で開けて着替えと下着を取り出した。今回も本間が洗濯し、丁寧に畳んである。汚れ物を洗濯するつもりだったクミコは当てが外れて唇を噛んだ。肩が小刻みに震えているようにも見える。クミコを本間に会わせれば恋愛や性行為の対象にはならないことを納得するかも知れないが、最近は珍獣=本間の態度もおかしいから博打としては危険だ。
「実は貴方の航空券は予約してあるの。後はパスポートを添えて書類を提出すれば一緒の飛行機でハワイへ行けるのよ」これはまた強引な準備をされたものだ。反政府デモは間もなく2月に決定した選挙の拒否を公式発表するはずだが、それは同時に国王や国軍との対立を決定的にする。反政府デモは上流階級のタイ人が指導しているため資金は潤沢で、内戦が終わったカンボジアやラオス、軍事政権が議会制民主主義に移行したミャンマーなどから武器を購入して武装化を進めている。タイでは男子の新成人に出家による佛道修行と徴兵を選択させているため単純計算で半数は兵役を経験している即戦力だ(実際は危険だが給料がもらえる兵役には貧困階層が多い)。杉本も反華僑のデモ隊が持っている中国製のAKー74小銃と華僑政権の国軍兵士のMー16を見比べると背景が逆転しているような気分がしていた
「常識的には公式発表が年末、行動開始は年明けのはずだが、相互の駆け引きによる事態の急変までは予測がつかないよ」杉本にしては珍しく遠回しに拒否するとクミコはトミタ少佐になって回避行動を遮断するような説明を始めた。
「今年の正月は貴方とウォーターシェドから昇る初日の出を拝んで、朝食にお屠蘇を飲んでから和服を着て両親の墓参りをするつもりなのよ。貴方と迎える新年を待ち侘びる気持ちを抑え切れなかったの。勝手なことをしてごめんなさい」最後に涙を零したが杉本の心に訴えるかは不明だ。杉本も年増の女性の一途な恋愛感情が本人も想像しなかったほど激しく燃え上がり、理性を超えた行動に走ることがあると聞いたことはあるが、自分が実例の当事者になるとは思っていなかった。トミタ少佐を初めて抱いた時には在韓米軍内の情報を狙った業務目的だったが、今では妻として愛するようになっている。杉本は組織の秘密を守るために長年の愛人だった安楷林を自らの手で殺めたことで生身の自分を反省し、岡倉や松本が非情な任務の合間に家庭で人間性を取り戻していることに気づいたのだ。その相手に選んだクミコ・トミタ少佐は戦前にハワイへ移住した日系人だけに母親や祖母の世代のように古風な日本女性であり、男に遊びで抱かれることは貞操観念が許さないらしい。
「判った。ハワイでお前と一緒に新年を迎えよう。ハワイでは紅白歌合戦も見られるんだろう。久しぶりに日本式の大晦日を過ごすんだ。しかし、炬燵はないんだよな」「はい、ごめんなさい」杉本の胸に大学生まで新潟の実家で過ごした年末年始の情景が甦ってきた。父親の指揮を受けて大掃除を終えれば日が暮れて冷え込んでくる。母親は台所でオセチ料理作りに励みながら男たちに年越し蕎麦を出す。そこからは父親と2人で炬燵に陣取り、蕎麦に載っている天婦羅を肴に熱燗を酌み交わした。そのまま紅白歌合戦が始まれば日本の大晦日だ。
「お前は日本の『姫始め』って言う風習を知ってるか」「姫ってプリンセスのことね・・・」美しい年末の思い出は杉本個人の新年の恒例行事に続いてしまった。固定した彼女を持たなかった杉本には女生徒からの年賀状が殺到した。その中で見栄えが良い女子に返事の年賀状を届けに行き、部屋に上がれば新年早々の性行為=姫始めになる。冬の北国では友だちを部屋に迎え入れて炬燵で温まるのがもてなしなのだ。
「年明けのお楽しみだ。期待してろ」それにしてもハワイでは松本も妻と2人で新年を迎えているはずだ。一方、タイに残す本間は1人寂しく新聞とニュースを見ながら過ごすことになる。年明けにご褒美を請求されれば何でも言うことを聞かなければならないのではないか。
  1. 2020/08/22(土) 13:57:51|
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8月22日・航空自衛隊には「人罪」だった中島正空将補の命日

1996年の明日8月22日は第2次世界大戦中はフィリピンで神風(シンプー)特別攻撃隊の部下を送り出すだけの行隊長を務め、非人間的な妄言で死に逝く者を傷つけながら敗戦後は「稀代のスタンドプレイヤー」源田実大佐の腰巾着として航空自衛隊に入り、特攻精神を持ち込んだ「人罪」中島正中佐=空将補の命日です。
中島少佐(当時)の妄言については生き残った特攻隊員たちが敗戦後に出版した回想録などで多数紹介されていますが、例えば編隊長に「レイテ湾の桟橋を目標にせよ」と命じ、編隊長が「せめて輸送船にして下さい」と要望すると「文句を言うな。特攻の目的は戦果ではなく死ぬことにあるのだ」と言い放ったそうです。この時、編隊長は「桟橋に停泊している輸送船でも艦船であれば」と無理に自分を納得させようとしたのかも知れませんが、それに気づく中島少佐ではなかったようです。また非公認の最初の特攻である10月21日の大和隊の久納好孚中尉の出撃に際しては偵察機から「敵艦隊発見」の通報が入り、整備員たちは250キロ爆弾を装着した零式艦上戦闘機に燃料を充填して出撃準備を整えていたのですが、中島少佐が意味のない精神訓話を長々と続けている間に敵機の襲撃を受け、残った戦闘機に爆弾を装着し直して水杯や見送りもなく出撃したのです。現地では中島少佐のあまりにも非人間的な言動に怒り心頭に達して目の前で拳銃を腰に提げたまま床に全弾を発射した搭乗員もいたそうですが、逆にその非人間的な妄言を吐いている中島少佐は純真そのものの目をして穏やかな微笑みを浮かべ、宗教の教祖が神の啓示を告げているような顔をしていたそうです。熊本県人的な彫りの深い男前ではありました。
そんな中島中佐(敗戦時)は敗戦後、源田実元大佐が航空自衛隊に割り込むと真珠湾とミッドウェイ海戦で航空参謀として致命的な失策を重ねながら恥じることがない源田を嫌った海軍航空隊出身者たちが揃って海上自衛隊航空隊に入ったため、四面楚歌になった源田元大佐が腰巾着の中島元中佐を引き込んで益々海軍航空隊出身者を減らしたのです。
中島元中佐は航空自衛隊では浜松北基地の第1航空団司令を務めたため野僧はここでの妄言の数々も直接聞いた人たちから教えられましたが、当時のF―86F旭光は単座式しかなかったので飛行学生=初心者は地上でランナップ(エンジンの始動)からタクシング(誘導路の走行)、滑走路での離陸滑空加速走行などを経てから単独で飛行していて墜落事故が日常化していました。すると中島空将補は「年10名の殉職は航空自衛隊に課せられたノルマだ」「死んだ特攻隊員の人数になるまで航空自衛隊のパイロットの殉職は止まらない」と明言し、さらに当時は安全手順が未確立だったため整備員の事故による殉職も頻発していましたが、それに対しても「パイロットが命を賭けて飛んでいるのだから整備員が仕事に命を賭けるのは当然だ」と訓示したそうです。
この妄言は雫石の衝突事故で脱出した自衛官が生き残ったことを非難されて以降、飛行不能に陥っても脱出が許されなかったパイロットたちが自分を納得させる金言として申し送られ、事故が起きる度に引用されていましたが、平成に入って航空幕僚長・石塚勲空将が地上の安全確認後の脱出を許可してからは聞かなくなりました。
  1. 2020/08/21(金) 11:52:48|
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振り向けばイエスタディ2012

「ベトナム人は心の中では韓国を許していないぞ。だから韓国人として行動するのには細心の注意を払う必要がある」年明けにベトナムへ出張することが決まった岡倉はタイにいる杉本に助言を求めた。岡倉がペルシャ語を学んだのはアラビア語に堪能な松本と2人で中東を担当するつもりだった。韓国語を余技にしたのは渡米して最初に住んだ西海岸では万事に控え目な日系人とは違い、アメリカに母国の街を作っている中国人華僑や南北一体の半島人たちと接触する機会が多く、アジア人であることを偽装に利用するためだった。それが杉本に誘われて訪韓してジアエと出会い、やがて結婚した。今では韓国語が第1外国語なのかも知れない。当然、日本語と英語は業務用外国語には含まれない。
「自分はベトナム戦争にはあまり詳しくないんですが、韓国軍がそこまで恨みを買うような悪事をはたらいたんですか」「意外に不勉強だな。本間でも知ってるぞ。なッ」「当然じゃん」ニューヨークとタイの時差は11時間なのでニューヨークの朝9時はタイの夜8時になる。この時間にも杉本と本間は一緒にいて妙に親密な様子だ。
「帰ったら嫁に訊いてみろ。元は専門家だろう」「そうします」国際電話が長くなるのを避けて電話を切ったが、松山1佐からベトナムへの長期出張を命ぜられた夜、知愛に韓国企業のベトナム進出の背景を確認した時も現地の激しい反韓感情の話をしていた。しかし、ベトナム戦争は岡倉が小学生だった1975年に終結しており、むしろ1978年12月25日に発生してモスクワ・オリンピックに影響を与えたソ連軍のアフガニスタン侵攻の方に興味を持っていた。中学・高校生がこれを調べるのはかなり苦労したが、それが現在につながっている。
今夜も冷えているので焼酎のお湯割りで夫婦の会話になった。聖也は岡倉の仕事部屋で始まった筋力トレーニングの疲れで熟睡している。
「韓国軍はベトナム戦争で何をやったんだ」「私は韓国軍とは決別したから話すけど、組織としては秘密指定がない極秘事項なのよ」乾杯に続きクリスマスを前にした聖也の幼稚園と韓国の両親たちの話題で盛り上がり、酒が進んだところで岡倉が本題を切り出した。最近の知愛は韓国系アメリカ人が北朝鮮系と一体化して中国系華僑と協同で反日活動を展開していることに強い嫌悪感を抱いており、日本人としての生活を尊重するようになっている。
「貴方は詳しくないのね。意外だわ」知愛にまで呆れられてしまった。そう言われても日本でのベトナム戦争はアメリカ軍による非人道的戦争犯罪としか紹介されておらず、岡倉の親はあまりにも残酷な戦場写真を見せようとはしなかった。また韓国軍についてはアメリカの命令に軍事政権が同調して激戦地に送り込んだ徴兵された市民=被害者であり、それ以上の情報は大人たちも知らなかったはずだ。
「1968年2月12日に韓国海兵隊第2海兵師団第1大隊、通称・青龍部隊が男性不在のフォンニィ・フォンニャット村で老人と女性、子供たちを村の中央広場に集めて、少女から老女、妊婦までを集団でレイプ、その後で女性の乳房を切り取り、妊婦の腹を裂き、子供は銃剣で突き刺し、老人は頭を銃で撃って69名、事件前との比較では79名を殺害した上で住居や倉庫に放火したのよ」知愛は韓国軍の法務士官の顔になってこの残虐な事件を冷静に説明した。先ほどまでの楽しげな笑顔はどこにもない。
「外の仕事から帰った村の男性たちは遺骸を道路脇に並べて通過する軍用車両に晒すことで抗議したんだけど事件は続いたわ。今度は2月25日に同じ海兵隊の青龍部隊が近くのハミ地区で同じように135人を殺害したの。ところが問題なのは1999年9月に犯行に加わった元青龍部隊の兵士が謝罪に訪れて私費で慰霊碑を建立したんだけど、韓国政府が経済的影響力を背景に圧力をかけて銘板を隠したのよ」知愛は法務士官として朝鮮戦争やベトナム戦争、アフガニスタンやイラクでの韓国軍の犯罪行為を調査・研究し、最近の政権と反日活動家が糾弾する日本軍の残虐性などは遠く及ばないことを確認したようだ。
「さらにライタイハンと言う韓国との混血児が少なくとも1500人(日本の朝日新聞の数字)、最大50万人(日本の産経新聞の数字)いるのよ。その大半も韓国軍の兵士によるレイプで妊娠した女性が産んだ子供なんだけど、韓国政府が圧力をかけて現在までベトナム政府による実態調査は行われていないわ」ここまで冷静に説明してきた知愛は急に目を険しくして少し冷めた焼酎のお湯割りを半分まで一気に飲んだ。
「それだけのことをやっておいて謝罪するどころか圧力をかけて事実を抹消しているんじゃあベトナム人は許さないわな」急に酔いが回ったのか知愛はテーブルに両肘をついてウトウトし始めた。岡倉は今回の任務が想像以上に危険であることを自覚し、愛する妻を抱き上げるとベッドに運んで大人しく眠った。ここまで残酷な話を聞いてしまうと流石に続きはない。
  1. 2020/08/21(金) 11:50:52|
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振り向けばイエスタディ2011

「自分がベトナムですか」その日、岡倉は松山1佐から長期出張の予定を聞かされていた。職場では杉本と本間がタイの反政府デモの取材で長期出張しており、松本もISILの拠点として封鎖されているレバノンに潜入する抜け穴を探りにトルコとヨルダンを公費旅行している。この上、岡倉まで出張すれば職場は松山夫婦の貸し切りになってしまう。
「これは在ベトナムの防衛駐在官から渡辺閣下に入った依頼なんだ。最近、ベトナムへの韓国企業の進出が凄まじいんだが、その実態に妙な気配が見て取れると言うんだ」松山1佐は本題に入る前に裕美2曹が出したコーヒーを口にした。その前でペルシャ語を専門とする岡倉はベトナムに派遣される理由が判らず松山1佐の顔を注視していた。
「韓国企業がベトナムに本格的に進出を始めたのは2006年、盧武鉉政権の時だ。盧武鉉政権は知っての通り、金大中政権から『太陽政策』を引き継いだが、あれは中国の従属国になることだったんだ。つまり長年にわたって中国と敵対してきたベトナムに自由主義国として進出して経済発展に寄与すれば政治的にも影響力を持つことができる」「なるほど。それは中国の一帯一路戦略にも結びつくんですね」岡倉の返事に松山1佐はユックリ深くうなずいた。
「防衛駐在官としては防衛的観点から独自に調査に着手したんだが、韓国は日本を完全に敵視していて東西対立の頃の共産圏に対するような異常に厳格な保全を敷いているとのことだ」韓国が日本を敵視していることは岡倉の方が体験的に熟知しているが、今回は韓国人として韓国企業関係者に接触することになりそうだ。
「問題は韓国が日本から輸入した最先端電子機器を使った製品をベトナムで販売していて、それが軍事転用されている疑いが高いことだ。これもかなり危険な妨害が加えられているそうだ。したがって大使館としては日本とベトナムだけでなく韓国との外交問題に発展することを危惧して手を引くように言ってるらしい」「それで我々にと言うことですね。我々の存在も認知されたようで少し燃えてきます」岡倉にしては珍しく力強く決意表明すると口をつけていなかったマグカップのコーヒーを一気飲みした。こんな時はアントニオ猪木の入場曲「炎のファイター・イノキボンバイエ」を流したいところだが、家で聴きながらプロレスのトレーニングをして身体にも気合を入れることにした。
「韓国企業がベトナムに進出した背景には何があるんだ」プロレスごっこで疲れた聖也が熟睡した後、岡倉は食卓で知愛と酒を飲みながら情報収集を始めた。今夜は冷えるのでニューヨークのリカー・ショップ(酒屋)で買ってきた日本の焼酎のお湯割りだ。敬虔なカソリック教徒として酒は嗜まなかった知愛も戒律は保つ=自己規制である佛教徒の岡倉に染められて夫婦の会話を円滑にする般若湯(=日本の佛教僧が飲む酒)として楽しむようになってきた。
「韓国がベトナムとの国交を樹立したのは1992年の盧泰愚政権の時だけど、軍人出身だったからベトナム戦争で韓国軍が犯した村民の大量虐殺や女性への集団暴行の責任を問う声が強まってあまり進展はなかったのよ。ところが日本の朝日新聞が従軍慰安婦問題を・・・」「戦時売春婦のことだな」岡倉は実態に即した自分の造語に訂正した。
「その戦時売春婦の問題を大々的に批判報道を再開したから、それを利用して『韓国こそ被害者だ』とベトナムでも喧伝し始めた。そこに1993年の河野談話で日本が罪を認め、1994年には国連の人権委員会がクマラスワミ報告を決議したからベトナムの世論が好転して、そこからは1991年にバブル景気が崩壊した日本に取って代わろうとした韓国企業が進出を開始したのよ」「韓国が中国と国交を結んだのはいつだ」「1992年の夏だったわね。8月だったと思うわ」こうして韓国の外交攻勢が始まった時期を確認すると日本では宇野宗佑、海部俊樹、宮沢喜一、細川護煕、羽田孜、村山富市政権の平成元年の1989年から1996年と見事に重なる。この6人と悪夢の民政党政権の雀山、缶、野畑の3人はどう考えても一国の首相が務まるような人間ではないのだが、それが6人も連続して首相の椅子を汚させ続けた揚げ句に2回も政権交代させている。これは「平成が打ち続く大規模な天災だけでなく人災でも佛神に見捨てられた時代だ」と言うことだろう。
「貴方は日本の政権に失望してるみたいだけど韓国だって似たようなものよ。直接選挙で当選して常識的な政策を行っていた盧泰愚政権を軍人出身と言うだけで批判して退任後は軍事法廷で有罪判決を下した。民間出身でまともなのは金泳三くらい。金大中、盧武鉉は北朝鮮の金王家に臣従する下僕、李明博は会社経営者の営業感覚のみ、そして今の朴槿恵もマスコミが扇動する世論に操られるだけ。今度は韓国が地の底へ落ちるのよ」やはり飲み慣れない酒で悪酔いしているようだ。岡倉は立ち上がって振らついた知愛を「お姫さま抱っこ」でベッドに運んだ。やはり鍛えているだけのことはある。続きは夫婦だから泥酔レイプにはならないはずだ。
李英愛3イメージ画像
  1. 2020/08/20(木) 13:00:05|
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振り向けばイエスタディ2010

「お母さん、お父さんが変なことをしてるよ」ニューヨークの岡倉家での日常会話用は日本語になっている。松山1佐から杉村姓の公式に作成された偽造パスポートを受け取り、アメリカ在住の日本人として暮らし始めた以上、聖也には頭脳内での思考も日本語にさせなければならない。そんな聖也が台所で夕食の片づけをしている知愛に日本語で報告に来た。
「お父さんはお部屋で仕事をしているんでしょう。邪魔になるから覗いては駄目よ」「ううん、変な体操をしてるよ」聖也の顔が真剣なので知愛は洗い終わった食器を水切りカゴに立てて手を拭きながら後についていった。
「貴方、何をしてるの」2LDKの岡倉の仕事部屋に入ると床に置いたクッションで頭を支柱にしてブリッジしていた。何度もソウルの実家で一緒に過ごしているがこんな場面は見たことがない。呆気に取られながら声を掛けた知愛に岡倉はブリッジをしたまま照れたように笑った。
「とうとう見られちまったな。俺は大学時代からプロレスのトレーニングを欠かさないんだ。ヒンズー・スワットを1000回、猪木式アーム・スワット(=柔道の「すくい」のような腕立て伏せ)を1000回、ブリッジを1時間、その他もろもろ」説明しながら岡倉は首の筋肉を鍛えるように前後左右に身体を動かした。言われてみれば岡倉はボディービルダーのような不自然な体型ではないが引き締まった強靭な筋肉が備わっている。ただし、この数字は仕事部屋にこもっている時間から考えると過剰申告かも知れない。何にして仕事部屋から汗だくになって出てくるとそのままシャワーを浴びる理由が判った。
「つまり貴方は今もタイガー・ジェット・シンイチローなのね」「そんなところだ」岡倉は頭を支点にして体の向きを変えると手をついて立ち上がった。
「お父さん、プロレスって何」「そうか、アメリカではレスリングって言うんだったな」今日も汗ビッショリになっている岡倉に聖也は少し憧れがこもった視線を送りながら質問した。アメリカではオリンピック種目のレスリングはグレコやフリーと呼んでスポーツと考えているのに対して観客を集めて興行するレスリングのショーはエンターテイメントと見ている。そのため日本のようなプロとアマの区分は介在しないのだ。
「僕にプロレスを教えて」「シャワーを浴びてからな」岡倉は聖也の頭を撫でて部屋を出ると知愛は後に続いて下着を取りに寝室に向かった。
シャワーを出た岡倉は何故か猿股(サルマタ)一丁で家族を寝室に連れていった。早い話がリング・コスチュームなのだが、大学時代は外国人レスラー=仇役だったのでバスローブでリングガウンと洒落こむつもりはないようだ。
「基礎練習は次回からにして今日は技を体験させてやる」「食べた物を吐かないかな」「1時間たっているから大丈夫だろう。舌を噛まないように奥歯を噛み締めるんだ」指示した岡倉は聖也を抱き上げると逆さまにしてベッドに仰向けに倒れながら背中から落とした。
「これがブレンバスターだ」夫婦用のダブルベッドは聖也には小さめのリングになる。聖也は大喜びしたが知愛は半分立腹した顔で畳んであった掛け布団をマットの全面に広げた。
「やっぱり安全な投げ技はあまりないな」本当はルー・テーズのバックドロップの方が基本なのだが頭から落とす技は初心者には危険なので避けた。そうなるとカール・ゴッチのジャーマン・スープレックス・ホールドも体験させられない。
「次は痛いぞ」仕方ないのでザ・デストロイヤーの=フィギア・4・レッグロック=4の字固めにした。勿論、力は入れていないが聖也は「痛い」「痛い」と言いながらも逃れようと暴れる。この闘争本能なら見込みはある。股裂き、海老固め、逆海老固めと続けたが、それでも過度な苦痛を与えない関節技もあまりない。
「そうなるとコブラ・ツイストだが・・・」岡倉は独り言を呟くと大喜びしている聖也の後ろで心配そうに見ている知愛の顔を見た。どう考えてもコブラ・ツイストやオクトパス・ホールド=卍固めは聖也には無理だ。そうなると相手は1人しかいない。
「優しくしてね」「勿論、痛かった言えよ」岡倉に促されてベッドの前に立ち、背後から抱きつかれた知愛は手で姿勢を変えられて困惑しながら訴えた。
「痛い」知愛の身体が岡倉の下半身で固定されて腕を巻きこむように捩じり上げられると思わず悲鳴を上げてしまった。すると興味深そうに見ていた聖也が蹴りを入れてきた。
「お母さんを苛めるな」本当はストレッチされているように気持ち良かったのだが、聖也に効果を判らせるため悪戯っ気を出して口にした冗談だった。
「聖也、お父さんがいなくてもそうやってお母さんを守ってくれよ」本気で攻撃してくる聖也に岡倉は優しく話しかけた。知愛はその言葉に夫が新たな仕事を持ち帰っていることを察した。
  1. 2020/08/19(水) 13:08:10|
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名優・渡哲也さんの逝去を悼む。

8月10日に一般的にはアクション刑事ドラマのスターでも野僧には演じる人物の度量を感じさせてくれた名優・渡哲也さんが亡くなりました。78歳でした。今頃、2015年に先立った実弟の渡瀬恒彦さんや昭和62(1987)年に亡くなった石原裕次郎さんと再会を果たし、感涙にむせんでいることでしょう。
渡さんは青山学院大学の空手部主将だった硬派な体育会系ですが、昭和49(1974)年の大河ドラマ「勝海舟」を肋膜炎で途中降板した頃から大病を患い続け、報道バラエティー番組で紹介される病名が深刻なのに復帰を果たして変わらぬ名演技を披露するだけでなく、石原プロダクションのボランティア活動にも率先して参加しているのを見るたびに「無理はしないで下さい」と願っていましたが、やはり限界は来てしまったようです。
野僧には渡さんが演じた役柄で強く印象に残っているのは国営放送の大河ドラマ「秀吉」の織田信長公と年末特別番組「坂の上の雲」の東郷平八郎元帥、そして映画「わが心の銀河鉄道・宮沢賢治物語」の厳父・宮沢政次郎さんです。
大河ドラマの織田信長公と言えば野僧が見た作品だけでも昭和40(1965)年の「太閤記」と昭和53(1978)年の「黄金の日々」の高橋幸治さん、昭和44(1969)年の「天と地と」の杉良太郎さん、昭和48(1973)年の「国盗り物語」の高橋英樹さん、昭和63(1988)年の「武田信玄」の石橋凌さん、1997年の「秀吉」の渡さん、2014年の「軍師官兵衛」の江口洋介さん、2017年の「おんな城主直虎」の市川海老蔵さん、2020年の「麒麟がくる」の染谷将太さんが演じていますが、これ以外の若手(石橋さんと江口さんを含む)では体育会系のキャプテン風に魅力的でも好き嫌いが激しい役造りが基本のようです。この中で高橋英樹さんは1つの信長像を作り上げてしまい、それ以降の役者たちは視聴者が持つ高橋信長像が超えられなかったのですが、渡さんの信長公は体育会系のリーダーではなく卓越した組織の長であり、鬼気迫る市川海老蔵さんとも違う深い暗闇のような冷徹さと逆に温かい包容力を併せ持っていました。
一方、東郷平八郎元帥は長らく昭和44(1969)年の映画「日本海大海戦」の三船敏郎さんに固定されていましたが(昭和52=1977年のドラマ「海は甦る」の芦田伸介さんでも超えられなかった)、渡さんの東郷元帥は三船さんのような熱や力ではなく大きさを感じさせ、「部下として仕えるなら渡さんの方だ」と実感しつつ指揮官としての自分を反省しました。
宮沢政次郎さんは独りよがりな善意を振り回す跡取り息子の賢治さんを嗜める厳父でしたが死の床でも淡々と死後の支持を与える姿に「お前も中々偉い」と誉め、賢治さんが「俺もとうとう父さんに誉められたじゃあ」と喜んで倒れる場面と賢治さんの死後、雨が落ちる軒先で手帳に書いてあった「雨ニモ負ケズ」を朗読する最終幕は愚かな父親に苦しめられ続けていた野僧には涙が溢れるほど羨ましかったものです。
渡さんと言えば「みちづれ」「くちなしの花」「ほおずき」などの名曲がありますからこれらを口ずさみながら感謝を込めて冥福を祈ります。合掌
  1. 2020/08/18(火) 13:34:10|
  2. 追悼・告別・永訣文
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振り向けばイエスタディ2009

2013年が押し迫ってもタイの政情は沈静化しなかった。マスコミは華僑の政党だけが単独で臨んだ選挙で完勝したしたことを誤りと認め、下院を解散しての再選挙を決定したインラック政権を絶賛し、国王の全面的な信任を得ていると報じているが、反政府デモ=野党は今回も選挙を拒否し、立候補手続きの阻止と投票の妨害を公言している。
「反華僑を掲げたデモも国王の意向に背けば国民の支持を失うんじゃあないの」マンネリ化し始めた反政府デモにつき合うのに疲れてきた杉本はサッタヒープのクミコ・トミタ少佐の宿舎に帰って骨休みすることにした。本間は洗濯物を手渡しながら悔し涙で鼻をすすったが「アメリカの立場を確認する」と理由を説明した。実際、数週間ぶりに会ったクミコもタイの政情には強い関心を持っており、夕食からベッドに入るまでトミタ少佐の顔で質疑応答を繰り返してきた。
「インラック政権としてはマスコミの世論操作の効果から見て何度選挙を繰り返しても圧勝できると踏んでいるんだな。逆に野党側も同じ認識だからタイの世論は華僑政権支持で固まっていると言うことになる」本間とは幕末や戦前の日本に例えて分析したが、トミタ少佐は前任地の韓国だった。
「韓国の大統領選挙もマスコミの扇動が激しいけど、保守系と左派系の色分けが明確だから有権者が自分の政治信条を替えることはないのよ。その分、新たに参政権を得た若年層が大学や高校の教師に左派系のマスコミを勧められるから左派支持者が急増してるわね」この分析は韓国のジャーナリストを愛人にしていた杉本の方が専門だが、トミタ少佐には「アメリカから取材に来た雑誌記者」を肩書にしているので黙ってうなずいた。
「その点、タイのマスコミは大半が中国資本に買収されているから完全な情報統制状態だよ。今の韓国のマスコミも左右に関係なく『反日』でなければ国民から批判の集中砲火を浴びせられるから大差はないな」杉本の修正にトミタ少佐も黙ってうなずいた。
「それにしても選挙制度が民意を国政に反映させる手段であるとするなら、今のタイでは国王と佛教は過去の遺物として存在だけを認めながら朝夕には毛沢東語録を唱える中国共産教に改宗しなければいけない。オバマ政権はそんな現状を知った上で反政府デモを批判しているのか」アメリカのマスコミは「憲法に基づく選挙によって成立した政権が正当であって政権交代も選挙によらなければならない」「軍事クーデターは一律に悪事であり、国際社会は制裁を加えて崩壊させるべきだ」とする教条主義に陥っていて、タイのマスコミはそれに合致する情報を流してオバマ政権の外交政策を誘導している。
「アメリカ大使館としてもタイの経済が中国から国家予算を与えられている華僑によって買い進められている現状や中国の代弁者になったマスコミの報道で世論が固められて選挙制度が機能していない事情を説明しているんだけど、オバマ政権はマスコミの支持を唯一の存在基盤にしているから何も手を打とうとしないのよ。それに苛立ったデモ隊が大使館に乱入すれば前回の包囲どころの騒ぎでは済まなくなるわ」実際、反政府デモ側の苛立ちは激化の一途で、マスコミの取材に陸軍省とアメリカ大使館の占拠を口にする指導者もいる。それをタイのマスコミはアメリカでの批判世論の喚起・扇動に利用しているのだ。
「しかし、大使館を占拠したりすればアメリカでは1979年11月に起きたイランでの事件の記憶が消えていないから危険度が限界点まで上昇するな」「デモ隊としてはそれが狙いかも知れないわ」ジミー・カーター政権は在イランのアメリカ大使館がイスラム革命に興奮した学生たちに占拠された事件を解決できずに異例の1期で落選した。同じ事態を引き起こせば事実上は中国追従の外交政策を取っているオバマ政権に痛撃を与え、事態を解決できないインラック政権を崩壊に追い込む博打にも勝算が生まれるかも知れない。
「貴方、バンコクでは同僚の女性のマンションに泊まっているんでしょう。それで・・・」思っていた以上に深い質疑応答に疲れが出た杉本が先にベッドに横になると一緒にシャワーを浴びて髪を乾かしていたクミコが上になってきた。帰宅すれば必ず夜の営みを始める杉本が今夜は眠りに落ちかけていることに不信感を抱いたらしい。
「俺は徹夜で取材しているからアイツのマンションに行ってもシャワーを浴びて食事と仮眠をするだけだ」「でも洗濯物も綺麗に洗って丁寧に畳んであるわ。貴方に尽くしたいって気持ちが伝わってくるのよ」杉本も前回、路地で現地の若者のムエタイの回し蹴りを受けて昏倒し、性的暴行を受ける寸前に救って以来、本間の態度が変わったことには気づいている。最近、ソファーで仮眠していると本間が寝顔を見詰めていることがある。しかし、同僚と特別な関係になれば危険に直面した時に冷静な判断が採れず、愛着と言う感情に引きずられてしまう危険性がある。仮に本間を抱くとすれば互いの快楽のための性玩具として使うだけだ。
  1. 2020/08/18(火) 13:32:58|
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8月17日・303高地の虐殺事件が発生した。

1950年6月25日に朝鮮戦争が勃発して1ヶ月半が経過していた8月17日に韓国南東部の慶尚北道漆谷郡の洛東江を見下ろす303高地で捕虜になっていたアメリカ兵41名が北朝鮮軍兵士に虐殺される戦争犯罪が発生しました。
朝鮮戦争は北朝鮮軍がソ連から兵器・弾薬の供与や軍事顧問の派遣などの援助を受けて秘かに準備を整えていたのに対して韓国では日本統治の末期からソ連が潜入させていた共産主義者=親北朝鮮の工作員の暗躍に手を焼いていて国軍にする予定の南朝鮮国防警備隊は治安維持に専念させるしかありませんでした。このため開戦早々に首都・京城を奪取されると連戦連敗で後退を続け、韓国の防衛も兼務していた在日アメリカ軍は日本国内での朝鮮人・韓国人の抗争や凶悪事件の頻発と共産革命を標榜する労働運動の激化によってポツダム宣言で規定されている治安維持を放棄することはできず、やむなく在韓連合軍司令官は釜山周辺地域を橋頭堡として戦力を集中させて北朝鮮軍を喰い止め、本格反抗を待つ持久戦略を発動しました。この持久戦略は効果絶大で敗走してくる連合軍部隊と韓国の国防警備隊を吸収しながら北朝鮮軍を迎撃し、甚大な損害を与えたのです。
北朝鮮軍としては連合軍が本格反抗してくる前に釜山を陥落させればソ連を通じて国際社会に戦争の勝利を喧伝し、半島を統一できるため全力で攻撃を繰り返しましたが、第2次世界大戦を経験している連合軍側も態勢が整えば戦闘力に遜色はなく、つけ入る隙を与えませんでした。
そんな激戦の中、北朝鮮軍は8月5日から釜山地区橋頭堡の中央部で日本から派遣されたアメリカ第8軍が司令部を置いた大邱を奪取しようと攻撃を開始し、洛東江の北岸の韓国の国防警備隊と南岸のアメリカ陸軍の第5騎兵連隊を迂回する形で深夜に渡河したのです。8月15日になって303高地を守備していた第5騎兵連隊重迫撃砲小隊が戦車を含む200名程度の部隊が接近していることに気がついて連隊本部に通報すると「韓国の部隊が増援に向かっている」と回答されたため斜面を登ってくる朝鮮人を味方と思い込み、陣地の間近まで接近されて帽章の赤い星でようやく敵に包囲されていることに気がつきました。こうなると指揮官の中尉は合理的判断で降伏することを決め、全員(31から42名)が捕虜となりました。捕虜たちは武装解除の上、麓の果樹園に移動させられて逃走防止用に靴を奪われ、後ろ手に縛られて拘束されました。
ところが303高地は洛東江を確保する上での要地のためアメリカ軍は早急に奪還に動き、攻撃が開始されると北朝鮮軍は捕虜を渡河させて京城の捕虜収容所に移送しようとしましたがアメリカ軍の銃撃によって阻まれ、再び果樹園内に留め置かれました。その間、他の戦闘で捕虜になったアメリカ兵も加えられ、総数は67名になったとの証言もあります。
そうして8月16日になってアメリカ軍の戦車を含む部隊が303高地に接近すると北朝鮮軍は捕虜たちを岩場の谷間に押し込み、退却に際して監視係の下士官が捕虜の処分を命じると14名の兵士が短機関銃の乱射を始め、多くは後ろ手に縛られたまま射殺されたのです。ちなみに北朝鮮軍は7月28日付で「捕虜殺害厳禁」の命令を出していました。
  1. 2020/08/17(月) 13:15:38|
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振り向けばイエスタディ2008

12月9日になってインラック首相は下院の解散と2014年2月2日に選挙を実施することを決定した。タイでの国政選挙は国王の勅許になるためラーマ9世の承認を求めると国政の混乱を鎮静化するための憲法に基づく処置として裁可された。
「帰ったぞ」「おかえりなさい」本間が下の通りで少年が立ち売りしている英字新聞を買って戻り、1面の見出しを流し読みしたところに反政府デモを見てきた杉本が帰ってきた。本間も華僑に接触を図ってはいるが政府支持のデモ活動は「挑発になる」とインラック政権によって禁止されており、香港や在米中国系雑誌と言う身元の偽証も現地華僑に確認されてしまうため使用できない。そのため杉本を待つ現地妻のような生活になっている。
「朝ご飯の準備をするから待っててね。シャワーを先に浴びるの」「そんなに汗をかいてないから後にする」日本のマンションのリビングの4倍くらいの広さに全ての生活空間が1つにまとめられている部屋に入ってくると2人は夫婦のような会話を交わした。
「朝刊をどうぞ」本間はテーブルの席に杉本を座らせると目の前に新聞を置き、台所で朝食の準備にかかった。とは言え味噌汁を温め、卵焼きを作るだけだから手間はかからない。
「昨日のデモでは選挙の阻止がスローガンになっていたな」見出しに目を止めた杉本はテレビを点けて英語ニュースに合わせた。今日は昨夜のデモよりも先にインラック首相の公式発表を流している。それでも病床の国王が署名する場画は映せないようだ。
「ここからが難しいところだね。国軍は京都守護だった会津藩のような立場で反政府デモは勤皇の志士を名乗る倒幕派過激分子、問題はインラック政権が天皇を利用して野望を果たそうとした尊皇公家なのか、国政を担って国難に当たっていた幕府なのか」テレビと新聞を交互に見ている杉本に朝食を運んできた本間が声を掛けた。
「その例えは上手いな。確かに今のタイは幕末の日本みたいに政治が2重構造になってるぞ。華僑の政権は中国が背後で糸を引いているのは明らかだが憲法に基づいていると言う点では正当な政権だ。反政府デモは選挙では勝てない政党が違法な手段に訴えて政権を奪取しようとしている。過激に尊皇攘夷を叫びながら天皇を自分を正当化するための道具にして外国の武器を買い揃えていた毛利藩にそっくりだよ」杉本の解説を聞きながら本間も席に着き、冷たい牛乳のグラスの横のマグカップに急須で茶を注いだ。バンコク市内の商店では日本の湯呑が見つからないのが残念だ。それでもペア・カップにしているので満足している。
「このままだと幕末じゃあなくて戦前の軍国主義のクーデターみたいになりそうな気がする。戦前のクーデターも尊皇攘夷の再現みたいな狂気で青年将校たちが勝手に敵視した重臣を殺害したけど昭和天皇はそれを許さなかった。今回、ラーマ9世がインラック政権を支持した以上、反政府デモは賊徒になったって言うことでしょう」杉本は意外に卵焼きにこだわりがあり、焦げ目と甘みを確かめながら食べていたが本間の見解を聞き、補足説明を加えた。
「戦前の軍国主義のクーデターは明治初期に陸軍幼年学校に入って過激な尊攘攘夷に洗脳された時代錯誤な将官たちが純粋馬鹿な若手将校を扇動した自滅行動だ。奴らに言わせれば大正デモクラシーは日本人を軟弱に堕落させる悪事に過ぎず、それに紛れて共産主義運動も始まったから絶対に許すことはできなかったんだ。大正デモクラシーで武士の気分で全国民を支配して富国強兵に成功した明治が変質した上に第1次世界大戦後の世界的軍縮で軍事予算が削減された。そこに世界恐慌が起こって冷害の東北の農民と都市部の労働者は一緒に困窮した。そこで『軍縮されるのは働いていないからで大陸に進出して膨大な資源を獲得すれば国民を救うことができる』と考えた。そのためにはロシア革命の拡大を阻止するために満州に駐留させていた主力部隊を活用する。こうして陸軍は明治の尊皇攘夷の熱病を再発させて日本を滅亡に引き込んだ。昭和天皇は祖父が利用された明治の狂気の危険性を熟知していたから決して同調することはなかった。惜しむらくは立憲君主制を守るために政府と軍の決定を却下しなかったことだ。その点、ラーマ9世の意思表示は積極的だな」「それでも昭和の日本軍は天皇の暗殺や退位を画策しなかったんですね」「中堅将校の中には昭和天皇に秩父宮に譲位させようとする動きはあったらしい」話に区切りがついたところで杉本は味噌汁を飲んだ。具の野菜は火曜日の持ち寄り市場で買ってきた冬瓜だ。タイのスーパー・マーケットは裕福な客層が相手のため高品質な反面高価格で、本間も市場で1週間分まとめ買いする生活の知恵を学んでいる。
「何よりも戦前の日本はスターリンが送り込んだ政治工作員の策謀と朝日新聞の扇動報道で国民が大陸戦線の拡大が利権獲得につながると信じ込まされていたんだ。国民が疑いもなく報道を信じ込んでいるところは今のタイと同じだな」「ソ連が中国になっていますけど、どちらも共産党政権ですね」会話の呼吸まで夫婦のようだがやはり同僚だ。
  1. 2020/08/17(月) 13:14:38|
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振り向けばイエスタディ2007

タイのアパートも欧米式に入居すればそのまま生活を始められるように家具や電化製品、食器が揃っている。そのため食材や調味料、洗剤などの消耗品を買うだけ済む。本間は「今夜もデモを見に行く」と言う杉本に手料理を振舞った。同行は「疲労回復のため休め」と拒否されてしまった。これが気遣い=優しさであれば幸せだ。
「幕末史では薩長土肥はどうやって倒幕したんでしたっけ。日本で見ていた大河ドラマも色々あり過ぎて学校で習った日本史とは一致しなくなっていました」夕食のオカズはタイでは一般的な川魚(サイズは鯖並みに大きい)をお頭つきで丸焼きにして男根おろしを載せ、醤油をかけた日本の家庭料理だ。それに味噌汁と胡瓜・ワカメの酢の物もついている。杉本が少し驚きながら手を合わせると向かいの席で少林寺拳法式に手を合わせた本間が質問してきた。
「俺は河井継之助の信奉者だから教科書通りの歴史は語らんぞ。それでも今の時点で復習しておくのは有益だな」杉本は箸を取って質問に答えた。この川魚も鱗を丁寧に取って内臓も除いてあり、料理の腕は自己申告通りのようだ。
「尊皇攘夷なんて狂気で欧米列強に対抗できる訳がないからその中心だった水戸と毛利は自滅した。水戸は関東で在留外国人の無差別テロを繰り返した揚げ句に天狗党の内乱だ。毛利は京都で尊皇攘夷派の公家を利用して幕府が万国公法に則って平和的に締結した条約を否定して、鎖国を国是として国交断絶を約束させた。それに乗せられていた孝明天皇が信を置く公家から最新の国際情勢を説明されて『尊皇攘夷の狂気が国家を滅ぼす』と考え直すと身柄を拘束して山口まで連行しようとした。それが事前に発覚して毛利が追放されたのが8月の政変で、その逆恨みの暴動が禁門の変だ」「この辺りからタイの政変に通じてきますね」タイの川魚は大味なのか醤油を多めにかけた本間は妙に難しい顔をして相槌を打った。
「毛利の狂人・吉田松陰は弟子には尊皇攘夷を説きながら実際は天皇を国家を統合するための道具としか考えていなかった。だから直弟子たちは天皇を誘拐することや皇居に発砲することに罪の意識はなかったんだ」「何だかタイの現状に近づいてきたみたいです」杉本が手料理を食べてうなずいているのを見て本間も安心して電気炊飯器で炊いたタイ米を頬張った。食感や味はアメリカで食べているカリフォルニア米に比べるとかなり落ちるがそこは仕方ない。それよりもカリフォルニア米で満足できるようになってしまった自分が残念だった。
「禁門の変の懲罰としての第1次毛利征伐、藩政が過激派に乗っ取られたことへの第2次毛利征伐、この間に島津を使って南北戦争の終結で余った大量の武器を密輸して毛利に流したのが悪徳武器商人の坂本竜馬だ。それで幕府が敗北して権威は完全に失墜した」「坂本竜馬は嫌いですか」杉本から初めてこの見解を聞いたため本間は無意識に訊き返してしまった。すると意外にも「我が意を得たり」と言う顔で答え始めた。
「戦後まで坂本竜馬は高知で子供が言うことを聞かないと母親が『竜馬さんが来るよ』と脅すような危険人物だったんだ。ところが司馬遼太郎の『竜馬がゆく』がベストセラーになり、それを国営放送が大河ドラマにしたから郷土の英雄に逆転した。しかし、やったことを見れば無用な戦争を扇動して大量に武器を売りさばいた悪徳武器商人以外の何者でもない」ここで杉本は開けてある缶ビールを飲んだ。表情から見て続きがありそうだ。
「司馬先生は河井継之助が主人公の『峠』と『竜馬がゆく』をワンセットの作品だと考えていたそうだが、国営放送は山口県出身の佐藤栄作首相の顔色を窺って『峠』は大河ドラマにはしなかった。だから現代の日本人まで歴史観が歪んでしまっているんだ」河井継之助を語った杉本は満足そうにビールを飲み干した。
「ところが孝明天皇は幕府を見捨てることなく毛利に和睦と国難に際しての協調を命じた。それで宮中の隠れ倒幕派の岩倉具視が毒を盛った。後任は14歳の明治天皇だから神輿を担げばどこへでも連れて行ける。実際、明治天皇は死の床に伏せている岩倉具視を見舞って『本当にお前が父に手を掛けたのか』と訊いたと言う逸話が伝わっているぞ」東京の聖徳記念絵画館に展示されている北蓮造の「岩倉邸行幸」はこの場面だが、最近の解説では臣下を思いやる明治天皇の慈愛と掛け布団に袴を置いて儀礼を整えて迎えた岩倉具視の感慨を描いたことにされている。
「ラーマ9世は高齢ですから暗殺するまでもないですが、タイ国民の王室への忠誠心が変わらない以上、両陣営の王太子を取り込むための策謀が激しくなりそうですね」「前もって王太子を殺して立憲君主制そのものを崩壊させる手は考えないかな。毛沢東ならそのくらいは平気でやるだろう」本間の見解に杉本は冷静ではなく冷淡な可能性を示唆した。やはり華僑の親中派の方に亡国の臭いを感じているらしい。
  1. 2020/08/16(日) 12:21:29|
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8月16日・東京都が動物園に猛獣の殺処分を命じた。

昭和18(1943)年の明日8月16日に東京都が上野動物園と井の頭自然文化園に飼育している猛獣の殺処分を命じました。
この悲劇は子供たちに戦争の残酷さを教える絵本になり、国営放送などでも朗読されていますが、幾つかの点で事実誤認があります。それは絵本では「軍隊の命令だった」として、その場面では園長と軍服の人物が描かれていますが実際は文官である大達茂雄東京都知事の命令であり、「空襲で動物園が被害を受けて猛獣が逃げ出す危険性」を理由にしていても東京は昭和17(1942)年4月18日に航空母艦から発進したBー25による通り魔的な爆撃を受けてはいてもB-29による本格的な空襲が始まったのはマリアナ諸島が陥落して基地が整備された昭和19(1944)年11月24日からです。
それではここまで良く言えば先行的な対策、悪く言えば先走った処置を命じた大達都知事とはどのような人物だったのかと言えば案の定の内務官僚です。内務官僚は地方行財政や警察(思想弾圧の特別高等警察を含む)、土木、衛生に国家神道も担当していたため周到な根回しと徹底的な取り締まりに長けた独善的で陰湿な人物が多いと評されています。大達都知事は福井県知事や満洲国の国務院総務庁、平沼騏一郎と阿部信行、米内光政各内閣の内務次官、占領下のシンガポール市長を経て東京都知事になっているので戦争の被害も現地で見ているため特別な危機感を抱いていても不思議はありませんでした。
この命令が出る前から動物園としても職員の兵役による慢性的な人手不足と檻などが老朽化しても資材不足で修理が追いつかず猛獣が脱走する危険性が高まっている以上に餌の調達困難が深刻化していました。それでも愛情を持って飼育してきた動物を自ら殺害する決心がつかず、空襲の被害が及ぶ可能性が低い地方の動物園への譲渡=疎開などを模索していましたがそこに命令が下り、上野動物園ではアジア象の「ジョン」を餓死させることを決定(8月29日に死亡した)したのを皮切りにライオンなど14種類27頭が薬物投与や刃物による頚動脈切断、餓死などの方法で殺処分されたのです。同時期に井の頭自然文化園でも熊2頭が殺処分されています。
この動きは戦局の悪化による危機意識と共に全国に広まり、昭和19(1944)年3月には大阪市立動物園で10種類25頭、京都府の丸山動物園で13頭が殺処分され、兵庫県の宝塚動植物園や仙台市立動物園、福岡市記念動物園でも殺処分が行われました。その中で名古屋市の東山動物園では昭和18(1943)年10月に陸軍の要請でライオン2頭と熊1頭だけ銃殺したものの郊外に所在していたため「空襲による脱走の危険性は低い」と考えられて殺処分を回避していたのですが、昭和19(1944)年12月13日の名古屋大空襲で事態は一転し、残っていたライオン2頭や豹2頭、虎1頭、熊9頭が猟友会によって射殺されました。
ただし、これは日本だけではなくバトル・オブ・ブリテン時のイギリスでも殺処分が行われていますが、逆にナチス・ドイツでは連合軍による空襲や戦争末期の地上戦の巻き添えになって大切に飼育されていたライオンやハイエナ、象などの動物が死んでいます。
  1. 2020/08/15(土) 12:51:16|
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振り向けばイエスタディ2006

「その後、タイの国内情勢はどうなっているんですか」ワンルーム・マンションに着き、管理人の説明を受けてから杉本と本間は近所のスーパー・マーケットに生活必需品と食材を買いに出た。活気ある通りを歩きながら本間は日本語で説明を求めた。
「前回、お前がいた頃の反政府デモは華僑を使った中国による支配に抵抗する愛国行動で、国軍とも連携を取っているように見えたが・・・」「違うんですか」杉本は話しながらの前後の歩行者との距離を確かめた。本間としては保全のために日本語で話しかけたのだが、それでも再度の確認を要するほど危険な内容らしい。
「国軍は過度な政治の混乱は高齢の国王に精神的負担を与えるから避けたいと考えているようで、今回は不介入、中立的な立場を取っているんだ」「2006年にクーデターを起こしてタクシン政権を崩壊させたはずですが、今回は常識的な対応ですね」本間の返事に杉本はうなずきながら手を取った。これは前回のような単独行動を防ぎ、位置を調整するためなのだが本間には胸が高鳴るような出来事だ。
「それで焦ったデモ隊が11月29日に陸軍省に乱入して正面玄関前に陣取って陸軍長官との面会を要求したんだ。用件は2006年と同様にインラック政権の打倒への協力の要請だったらしい。ところが長官は面会を拒否して両者の和解を呼びかけた」この解説から見て杉本は反政府デモ側に人脈を作って内部情報の収集を始めているようだ。
「何だか危ないですね」「今の国軍は治安部隊を支援して治安の維持に全面的に協力しているよ。インラック政権も治安部隊に武力行使を禁止している。デモ側としてはインラック政権が挑発に応じないのも裏で国軍が押さえていると疑い始めているようだ」日本の幕末史や昭和史でも血気にはやる暴徒たちは大所高所に立って鎮静化を図ろうとする常識人を憎悪し、敵視するようになった。タイの現状はそのような流血史の序章なのかも知れない。
「そんなデモ側と国軍の関係悪化を見てとったインラック政権は12月に入って『ここまで国内情勢が混乱した原因は2006年の野党が拒否してタクシン側が圧勝した下院議員選挙にある』と責任を認めて議会を解散して来年に総選挙を行うと発表したんだ。しかし、これにもデモ側は応じようとしない。それどころか『選挙を阻止する』と対決姿勢を強め始めたと言うのが現状だ」アメリカではタイの政治情勢については全く関心を持たれていない。相変らずイスラム過激派によるテロが9・11の延長として最大の関心事なのだ。
「何だかどっちが正義か判らなくなりますね」「すでに中国資本のマスコミと教育機関の買収によって世論操作と若者の洗脳が深刻化して有権者の投票行動が固定化してしまって言論では修正が効かなくなっている、そんな現状を前提に考えなければ何も答えは出なくなっているんだ。デモ側が議会制民主主義を否定していることをタイのマスコミは欧米に発信して巧みに利用しているが、そのマスコミが国内で流している偏向報道も原因なのは言うまでもない。最近はインターネットの英字サイトでも双方の書き込みが抗争化していて読むのが追いつかないんだが、ネット上ではインラックの美貌が苦悩に歪む画像が効果的だな。やはり美人は得だよ」杉本が他の女性を誉めたため本間は握ってもらっている手=指に関節技を掛けたくなったが、離されると哀しいので控えた。逆に強く握ったところは中々可愛らしい。
「問題はインラック政権が下院の解散と選挙の承認を国王に求めた時、それにサインをするかだな。立憲君主である国王は当然サインをするが憲法が定める議会制民主主義も否定している反政府デモはそれを認めない。そうなると反政府デモは国王に背くことになるから国軍も敵に回してしまう。華僑ならそのくらいの深謀遠慮はお茶の子さいさいだが、過激な連中が追い詰められて暴走すれば国家を破滅させてしまうのは学校の日本史で習っただろう」「それはニューヨークに来てから習いました」本間は愛知県豊橋市で小中高校から大学まで暮らしたが、高校は私立でも生徒に独自の教育を施すほどの学力がなかったため文部省の指針と大差がない日本史だった。ところがニューヨークでは酒が入ると小倉の血統の岡倉と新潟出身の杉本が明治維新を内乱と否定する幕軍側の歴史観を語り合い、本間も視点を換えれば歴史が替わることを学んでいた。おまけに松山も桑名出身なので大阪出身で中立の松本を除けば幕軍が陣揃えしている。ただし、豊橋の吉田藩は枝胤の松平家であり、新居の関所の守護を家命としながら東進する反乱軍を素通りさせただけでなく人馬と渡船を差し出して武器や弾薬、兵糧の運搬を請け負った裏切り者だ。それにしても鹿児島出身の倉田が工藤の後継者になっていればどうなったのだろうか。少なくとも本間は採用されていない。
「つまり私は華僑側に接触して情報収集すれば良いんですね」「別行動になれば助けてやらないぞ。無茶はするな」スーパー・マーケットについて杉本は手を離した。掌に汗が滲んでいた。
  1. 2020/08/15(土) 12:49:51|
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8月15日・埼玉県熊谷市が撃ち止めに空襲された。

昭和20(1945)年の明日8月15日の午前0時23分から1時39分にかけて埼玉県熊谷市と周辺地域でアメリカ陸軍第20航空軍団の空襲が撃ち止めになりました。
第2次世界大戦、中でも対日戦争においてアメリカ陸軍航空軍は第1次世界大戦以降のヨーロッパ各国に倣いアメリカ空軍となるため最大限の戦果を挙げることに躍起になっていました。それには陸軍による地上戦、海軍の艦隊戦と艦載機による攻撃を超える損害を与える=より多くの日本人を殺戮する必要があり、日本が降伏する目前まで空襲を続けたのです。実際、日本で鈴木貫太郎内閣が8月10日に異例の御前会議を招集して昭和の陛下が「ポツダム宣言を受諾する」との聖断を下されたことが情報としてアメリカ政府に伝わっていたにも関わらず第20航空軍団司令官は8月13日に山口県の光海軍工廠と麻里布操車場(岩国市)、大阪府の砲兵工廠、秋田県の日本石油製油所、そして群馬県伊勢崎市と埼玉県熊谷市を最大限の航空戦力で攻撃することを命じています。
この時点の熊谷市は陸軍の熊谷航空学校や第19特設警備工兵隊、陸軍通信隊などの軍の施設の他にも中島飛行機の主要部品工場やその子会社の熊谷航空工業、理研工業、小泉製作所、大宮製作所などが製造を継続していて軍需工業の中核都市と断定されていました。通常、工場を爆撃する場合には建物と工作機械を破壊するため爆弾を投下するのですが、熊谷市では市街地を延焼させるための焼夷弾が使用されていて、これが最後とばかりに工場だけでなく従業員の住宅まで消滅させる計画だったことが伺えます。
しかし、8月14日になって日本のラジオ放送がポツダム宣言を受諾することを報じたためアメリカ政府は戦闘の中止、事実上の停戦を決定したのですが、陸軍太平洋方面航空軍司令官は最後の最後まで日本から戦果を絞り取るべく「22時までに公式文書による受諾通知がなければ攻撃を開始する」と強硬に主張し、その期限よりも6時間早い16時52分から気象観測機(コールサインはダンボ)と先発隊がグアム島を離陸し、それにグアム島とテニアン島の本隊も続いて18時16分までに89機(4機は離陸に失敗した)が太平洋を北上したのです。爆撃機の編隊は千葉県銚子市にある陸軍の高射砲陣地を避けて鹿島灘方向から関東平野に侵入し、利根川を辿って熊谷市上空に達しました。そうして午前0時23分の初弾投下後は編隊を解いて各機が勝手な爆撃を開始し、400ポンド爆弾6発、焼夷弾3種類8049発を投下して熊谷市内の74パーセントを焼失させ、266人が死亡、約3000人が負傷する損害を出しました。日本の敗戦後、アメリカ軍はこの空襲を「日本の降伏を早めるために実施した」と説明していますが、編隊が飛行中に日本政府からワシントンンにポツダム宣言の受諾を伝える公式文書が伝達され、全アメリカ軍に停戦発令されたのですが、第20航空軍団から作戦中止を命じる「UTAH」の通信略号が発信されることはありませんでした。
8月15日には多くの日本人は焼け跡で正午からの玉音放送を聞きましたが、熊谷市民は瓦礫の山から死傷者を収容しながら明け方に鎮火したばかりの残り火と立ち上る煙の中で敗戦を実感させられたのです。
  1. 2020/08/14(金) 13:37:09|
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振り向けばイエスタディ2005

結局、杉本は12月になって間もなく本間をタイに呼び戻した。タイでは11月下旬になって野党党首の元副首相が選挙によらないインラック華僑政権の打倒と政権奪取を宣言し、自らの行動を「民衆クーデター」と呼称するようになっている。これに対してインラック政権を支持する華僑や学生たちもバンコク市内の競技場で集会を開催したが反政府デモ隊に包囲、銃撃されて死傷者が出る事態になったため解散・退避した。
「杉本さんのお役に立てて光栄です」バンコクのスワンナブーム国際空港で出迎えると3週間ぶりに会った本間は妙に溌剌とした笑顔で意外な挨拶をした。今まであればアメリカに帰国させて3週間で呼び戻したことに皮肉を並べたはずだ。
「アメリカではタイの反政府デモをどう報じているんだ」到着ロビーからタクシー乗り場に向かって歩きながら杉本は業務上の確認をした。それにしても今日の本間は化粧を念入りにして、服装も洒落ている。松山と岡倉の妻の助言を受けたのかも知れない。
「ニュースの中心は相変わらず世界各地で起こっているイスラム過激派のテロですけど、タイについては民主的な議会選挙を否定する暴動として反政府デモ側を批判する論調が大半ですね」本間の説明はタイでもインターネットを使えばアメリカの主要新聞やCNNのニュースは見られるので判っているが、本間の認識を確かめるためあえて質問した。
「アメリカ政府もマスコミの報道に同調してデモ隊を批判しているだろう。最近はアメリカ大使館も包囲されるようになっているんだ。ただし、投石や破壊活動はなくて代表者が応対した職員に活動の趣意書を手渡すところまでだが」「だからアメリカのマスコミも大きくは取り上げないんですね。デモ隊が紳士的に行動していては親中派政府としても困りますから」前回、本間は中国人と疑われた反政府デモ隊側の男たちに暴力を受けたのだが、その原因が自分の軽率な単独行動にあることを反省したらしく殊更に敵意を抱いてはいないようだ。
「今回は事態の発生原因が深刻過ぎて長期化するのは間違いないから渡辺支社長にタイの支社長を紹介してもらってワンルーム・マンションを探したんだ。自炊になるが大丈夫だろう」要するに在アメリカと在タイ大使館の防衛駐在官のお手を煩わせたと言うことだ。
「私は日本の女ですよ。少なくとも日系アメリカ人よりは純粋培養された日本人です」すると杉本の余計な確認に本間は剥きになって反論した。これでは秘かに胸の中に抱いている杉本の内妻・クミコ・トミタ少佐への対抗意識を自白したようなものだ。すると杉本には珍しく優しい受け流して口説き文句のような台詞を返した。
「そうか、本格的な日本の家庭料理を食べたくなったらお前のマンションに行けば良いんだな。それは楽しみが増えた」杉本はサッタヒープでのトミタ少佐との生活でもハワイの日系移民の家庭料理を食べているのだが、やはり戦前流なので戦後世代には若干の違和感がある。その点、本間ならインスタント食品に手を加えた戦後流の家庭料理を出しそうだ。バンコク市内でも日本のインスタント食品は人気なので大手のスーパー・マーケットでなら購入は可能だ。ところが本間はそんな期待を裏切る回答をした。
「はい、腕によりを掛けて本格的な日本料理を作って差し上げます。材料探しから始めますから期待していて下さい」「そうですか・・・よろしく」やはりこの辺りが波長が噛み合わないところかも知れない。職場の同僚としては適当な距離感ではある。
「実は佐田(松山の偽名)さんから台湾でも学生の反政府運動が活発化しつつあるから注意するように支持を受けているんです」タクシーに乗ると本間は小声の日本語で別に業務を命じられていることを説明した。運転手が日本語を理解するかは確認していない。
「台湾は馬英九政権だろう。親中派だと思っていたが、学生がそれに反対するデモを起こすとは意外だな」「馬英九は経済学者だから親中派と言うよりも台湾の経済発展のために急速に拡大している中国の産業を利用しようとしているんです。それに本土復帰志向の外省人の企業家たちが同調して中国資本による企業買収が続発していることを学生たちが『このままでは政治の前に先ず経済的に属国化する』と危機感を訴え始めたんです」タイの反政府デモとは経緯と様相が真逆なようだ。本間は反日暴動が発生していた中国本土への潜入を果たしてからも台湾への渡航は続けており、対岸から中国と沖縄の情勢を注視していた。だからアメリカへの長期留学経験があることと中国との連携強化を推し進める国民党政権の外交姿勢の間でアメリカでも評価が分かれている馬英九政権の実像を冷静に分析できている。
「最近、中国の周到で綿密な世論工作にも綻びが生じてきたようだな」杉本の呟きに本間もうなずいた。情報要員としてはどちらかと言えば退屈だった東・東南アジアの政治劇場も見応えが高まってきたようだ。
9・川本真琴イメージ画像
  1. 2020/08/14(金) 13:35:56|
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8月14日・ホワイトヘッドが人類初の動力飛行機の離陸に成功した?

1901年の明日8月14日にドイツからアメリカに移住していたグスターヴ・ホワイドヘッドさんが人類初の動力による飛行機の離陸に成功されたと言われています。この現場とされているコネチカット州では州議会がこの記録の認定を決議していますから、州の学校では1903年12月17日のライト兄弟ではなくホワイトヘッドさんを「人類初の動力飛行の成功者」として教えているのでしょう。ちなみに1903年8月13日にはドイツのカール・ヤトーさんも飛行に成功したと言われています。
ホワイトヘッドさんは1874年1月1日にドイツ南部のバイエルン州で生まれました。本名はグスタフ・アルビン・ヴァィスコラフ(=白髪頭の意)です。幼い頃から凧が好きで浮揚の原理を研究し、改良して実験しながら育ち、成長すると飛行船の整備士になったのです。1897年には同じドイツのリリエンタール兄弟の有人滑空実験の刺激を受けた雑誌社の経営者に滑空機=グライダーの製作を依頼され、鳥の飛翔や風、天候の研究を重ねた末に教えを受けたリリエンタール式1機を含む複数を完成させています。この滑空機は飛行、と言うよりも離陸に成功したもののホワイトヘッドさんが巨漢で体重が重かったため短距離に終わり、本人と周囲には不本意な結果だったようです。
翌1898年、新天地を求めてアメリカに渡りますが、姓のヴァィスコラフは英語の人々には発音し難く中々憶えてもらえないため、その直訳のホワイトヘッドを通称にしました。アメリカでは発動機=エンジンの製作・販売を本業としながら滑空機の製作と実験を続け、1901年8月14日にコネチカット州フェアフィールドの海岸で21番目になるエンジンを搭載した飛行機で高度15メートル、距離800メートルの飛行に成功したと言われています。この実験にはブリッジボード・ヘラルド紙、ニューヨーク・ヘラルド紙、ボストン・トランスクリプト誌の記者が立ち合っていましたが残念ながら写真は撮影しておらず、ブリッジボード・ヘラルド紙に記者が描いた詳細なスケッチが掲載された他は文章による記事だけでした。それは翌1902年1月に改良した22番目の機体でニューヨークからロングアイランド島まで10キロの飛行に成功した時も同様だったためアメリカの政府や自治体、関係団体は公式に認定しなかったのです。カール・ヤトーさんの実験成功も4人の立ち合い人による証言だけなのでドイツでもリリエンタール兄弟の名前の影に隠れています。逆にライト兄弟は立ち合い人の記者に写真撮影を依頼した可能性もありますが、当初は地方新聞に掲載されただけだったので売名手段だったのではないようです。
しかし、後世の復元機による比較ではホワイトヘッドさんの21番目の翼幅11メートル、竹の骨組みに絹布を貼った単葉機の方がライト兄弟のライトフライヤー号よりも飛行性能が優れていることが実証されていて、さらにライトフライヤー号に搭載していたエンジンはホワイトヘッドさんが製作したとする未確認の説もあります。その一方でホワイトヘッドさんはライト兄弟の飛行成功がアメリカ全土だけでなく世界中に報道されて脚光を浴びてからは飛行機の製作からは手を引いてエンジンの製造・販売に徹するようになりました。それでも1911年には回転翼を付けた飛行機を試作して有用性は実証したようです。
  1. 2020/08/13(木) 12:49:35|
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振り向けばイエスタディ2004

女性と一緒に屋外に出る時、男性がドアを開けて安全を確認するのがヨーロッパ流の紳士のマナーと聞いているので私も先回りしてドアノブに手を伸ばした。するとオージェ大尉は身体でそれを遮ってこちらを向いて立ちはだかった。
「モリヤ中佐、もう1つ質問があります」「はい、オージェ大尉」今回の目はこれまでで最も真剣で、流石に後退さりはしなかったが思わず姿勢を正してしまった。
「あの時、モリヤ中佐はパンサー(豹)と私の間に割って入って守ってくれました。モリヤ中佐はサムライの剣を構えていましたが、自分の危険は考えなかったのですか」どうやらこの質問が休暇を使ってオランダまで裁判の傍聴に来た本当の目的のようだ。
「全く考えなかったな。あの時、君は逃げられる態勢ではなかったから私が阻止する以外に対処方法はなかった。仮に私が襲われてもその間に君は逃げられる。そこまでしか頭は働いていなかったよ。軍の士官としては恥ずかしいことだが」これは事実の告白なのだがオージェ大尉は目を険しくして私を見詰めた。どうやら心理の深読みをしているらしい。ヒョッとして佳織と同じように大学で心理学を専攻していたのかも知れない。
「モリヤ佐がコートジボワールに来た時、護身用の銃器の貸与を拒否したのは我がフランス軍です。しかも調査中の警護は我が軍の担当でした。あの状況では私を見捨てても責任を問われることはなかったはずです」こうなると日本的軍人精神を語らなければならなくなる。私は心の中で念佛を唱えて心理状態を久しぶりに日本人に戻してから回答を始めた。意外に知られていないが我が浄土宗の元祖・法然坊源空上人は少年時代、押領司の父を敵視する土豪たちに屋敷を襲撃されて弓を取って戦ったことがあり、殺生の罪を犯したことを認めている。その点が女犯を止められない自分を自己嫌悪していたに過ぎない親鸞とは真剣味が違うのだ。
「カンボジアPKOで日本の文民警察官が待ち伏せしていたポルポト派の残党に銃撃された時、警護に当たっていたオランダ軍は形勢不利と判断して退却した。置き去りにされた警察官は応戦もせずに警察車両に乗ったまま射殺された。当然、日本国内ではオランダ軍の職務放棄を批判する声が上がったが、我々自衛隊だけはそれが軍の行動の常識であることを知っていた。しかし、自衛隊が警護の任務につけば警護対象を捨てて退却することは絶対に許されない。日本の自衛隊にとって命を惜しむことは臆病で卑怯な恥ずべき振る舞いなんだ」「それは第2次世界大戦のカミカゼと同じ精神ですか」「カミカゼと言うのは当時の日本のマスコミの漢字の誤読でシンプーと言うのが正しい呼称だよ」答えの前に悪癖で余計な説明を入れてしまった。
「似ているようで少し違うな。特攻は死ぬことが目的化していたが、我々は死を回避しない不動の責任感だ。責任を遂行して生還すれば素直に喜ぶよ」「だから死を恐れずに私を守ってくれた。モリヤ中佐の背中は子供の頃に聞いた童話のナイト(騎士)のようでした」ここでオージェ大尉はコートジボワールのフェリックス・ウフェ=ボワニ空港で見送った時のように1歩踏み出すと私の唇に自分の唇を押し当ててきた。2度目のフレンチ・キッスだ。ここで抱き締めればディープ・キッスに入ることもできるが、梢との満ち足りた生活を送っている私はオージェ大尉からの「感謝」として受け止めた。
「彼女は証人として使えそうですか」オージェ大尉を玄関まで送ってモレソウダ首席検察官の執務室に行くと唐突に想定外の質問を受けた。法廷から執務室に向かう間にオージェ大尉がコートジボワールに派遣されていたフランス軍の士官であること聞いて利用方法を考えていたらしい。やはり検察官として一枚上手だ。
「彼女はフランス軍は内戦の当事者だからと傍聴に来るのにも軍服を避けたそうです。それにコートジボワールに派遣されたのは内戦終結後のようなのでこちらの訴追事由を補強するような経験はしていないと思います」先ほどのオージェ大尉の態度から見て、私が証言を依頼すれば応じてくれるかも知れないが、治安部隊による反対派民衆の殺害をバグボ政権の命令とする訴追事由を目撃した可能性は低い。私の消極的な返事にソファーの向こうのモレソウダ首席検察官の大きな目に少し不満の色がよぎった。
「モリヤ検察官は現在主張している道義的責任で公判を維持できると考えているんですか。国家指導者の道義的責任は国際法に明文化されていないし、国連が創設される前の極東国際軍事裁判所の判例を国際刑事裁判所が採用するのには無理があるでしょう」「私も道義的責任論で被告を有罪にできるとは考えていません。東京裁判の判例は中国の梅汝璈判事の不当で強引な法廷運営の結果ですから。むしろ敗訴の可能性が高い。しかし、敗訴になってもバグボ被告に国家元首としての道義的責任を自覚させられれば後腐れは起きない」私の重大な本音の告白にモレソウダ首席検察官は目を見開いた大佛さまのように固まってしまった。
  1. 2020/08/13(木) 12:47:45|
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