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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

振り向けばイエスタディ2065

「次は家具と家電だ。下りて来い」安川3尉と斉藤2曹が協力しながらコンテナを塞いでいた衣装ケースと段ボール箱を運び出すと最初に積んだ冷蔵庫と洗濯機、台所用の家電や箪笥などの家具が顔を出した。それを見た斉藤2曹の大声で各階の隊員たちが駆け下りてきた。
「本当に軽そうな箪笥っすね」「1人でも運べるっすよ」重い家具を運ぶと覚悟して集まってきた隊員たちはコンテナの中の合板製の家具を覗き込むと拍子抜けした声を出した。
「バランスを崩して倒さないように1段1段階段を確認しながら運べ」「はい」「その前に箪笥の引き出しを抜いて、毛布を掛けろ」斉藤2曹は私有車から数枚の演習用毛布(=敷物や覆いにする古毛布)を持ってくると隊員に渡した。これは自衛隊の官舎の階段は狭いので踊り場で方向を換える時に角を擦らないための防護策だ。名寄でもやっていた。
「軽いから楽っす」「倒すなよ。側面や角を擦るなよ」引き出しを抜いた整理箪笥を軽々と持ち上げた2人の陸士に斉藤2曹は念を入れた注意を与えた。ここまで事細かに指示を与えるところを見ると1士だけでなく士長も2年満期前らしい。
「そう言えば富士川と糸魚川を越えてるけど周波数は大丈夫かな」陸士たちが洗濯機を運んでいくと安川3尉の頭に唐突に心配事がよぎった。確かに東西の周波数の違いで使用不能になる家電製品がある。特に強力なモーターを使う洗濯機は自動同期になっていない場合が多い。
「小隊長は初めての引っ越しなんですね。松本は東日本の周波数だから大丈夫ですよ」斉藤2曹の説明に安川3尉は安堵の溜息をついた。つまり愛知県稲沢市の実家では駄目だったが預けただけなので助かったことになる。
「お世話になりました」斉藤2曹の卓越した指揮の下、働き者の陸士たちが休まず動いたおかげで引っ越しは驚くほど短時間で終わった。作業が終われば疲労回復の糖分補給として菓子と缶ジュースの茶話会が始まる。菓子と缶ジュース、お礼として酒の代わりに配るビール券は近くのコンビニエンス・ストアで聡美と白井家の母が買ってきた。聡美は市街地から遠かった名寄駐屯地とは違い住宅に囲まれた松本駐屯地の居住環境に安心したようだ。
「小隊長は冬戦教出身の冬季レンジャーってことなので訓練指揮官として鍛えてもらえば旅団のバイアスロン大会では高田、新発田に圧勝できるって評判すっよ」缶ジュースで乾杯して斉藤2曹の大人の前口上が終わると餡子の和菓子を頬張りながら士長が話を継いだ。先ほどの家電の周波数ではないが第12旅団は豪雪地帯の信越と空っ風の関東北部にまたがっているため訓練の前提になる気象条件が全く違う。しかし、現在は治安出動と災害派遣を想定して各都道府県に分散配置しているが防衛出動では日本海側に戦力を集中させるので北関東の部隊もスキーの技量を遜色なく練成しなければ戦争の役に立たない。
「それでは期待に応えて冬戦教仕込みの極寒地獄を味あわせなけりゃいかんな。と言っても俺は中部地方の重く湿った雪には不慣れだから先ずは自分の慣熟訓練からだよ」「長野オリンピックでも評判が悪かったっす」すると長野出身らしい1士が補足した。1998年の長野オリンピックは最も南で開催された冬季オリンピックだったため雪が湿気を帯びて重く、ヨーロッパのパウダー・スノーに慣れている外国人選手には不評だった。特にノルディックの選手は体力を消耗して疲労困憊だったそうだから安川3尉も舐めてはいられない。
「私、皆さんのお仕事を拝見していて本当に感激しました」1人1言の対話が途切れたところで車座の後ろに座っている白井家の母が口を挟んだ。過分な賞賛に陸士たちは顔を見合わせたが、斉藤2曹はあまり似合わない温和な表情で母を注視した。
「こんなに若い人たちが先生の言うことに従って一生懸命に働いている。先生の指導も行き届いていて間違いがない。特に仕事の前に準備運動したのには感心しました。教育の理想を見たような気がします」隊員たちには白井家の母の職業は教えていないので斉藤2曹を「先生」と呼ぶのには困惑したようだが、風貌と発言内容で推察したかも知れない。
「災害に出動した時もあんな風にテキパキと働くんでしょう」「はい、自分は2004年と2007年の中越地震と2011年の東北の大震災には出動しました」斉藤2曹の答えに白井家の母は感動したような顔をしたが、これは毎度の政治的主張への誘導だった。
「自衛隊さんも災害への出動を専門にすれば好いのよ。戦争と違って国民に心から感謝されるでしょう」元日教組の高等戦術に陸士たちは斉藤2曹に助けを求め、それは安川3尉に回ってきた。
「僕は巨大な津波で壊滅した岩手県の宮古市に行きましたが、戦争の空襲の焼け野原と何も違いませんでした。自衛隊は相手が何であれ国民の敵と戦うんです」安川3尉の答えに白井家の母は顔を硬直させ、安川家の母と聡美は深くうなずき、斉藤2曹を含む隊員たちは目に敬意を灯して視線の集中砲火を浴びせた。この白井家の母の策略は婿に有り難い逆効果を与えてくれた。
  1. 2020/10/13(火) 12:42:32|
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10月12日・日本の空軍力の限界・台湾沖航空戦が始まった。

昭和19(1944)年の10月12日から10日に沖縄を大空襲したアメリカ海軍空母艦隊に台湾の日本海陸軍が共同で航空戦力による攻撃を加えようとした台湾沖航空戦が始まりました。
マリアナ諸島を制圧したアメリカ軍は次の攻略目標を旧保護国=植民地のフィリピンに定め、それに先立って日本軍のフィリピンへの増援拠点となる台湾と沖縄の戦力を壊滅する作戦を発動したのです。その手始めとして10月10日に沖縄本島と奄美大島と宮古島を空襲しましたが、この情報を受けた台湾の日本海陸軍は太平洋を南下することが予想されるアメリカ機動部隊に航空機による先制攻撃を加えることを決定しました。しかし、当時の日本海軍は神主的に場の空気だけを読み、平時の形式を戦時に持ち込んでいた嶋田繁太郎海軍大臣の人事で実戦を全く経験していない豊田副武大将が連合艦隊司令長官、日本海海戦の艦艇決戦の再現を信条として航空作戦については何の見識も持たない福留繁中将が航空作戦の最高指揮官=第2航空艦隊司令長官でした。そのような素人が考える作戦は当然、極めて杜撰なもので航空戦力が質量共に圧倒的劣勢になっていることへの窮余の策として夜間や荒天下での攻撃を発案したのですが、アメリカ軍の高性能のレーダーこそ最大の脅威であり、この分野では遅れていたドイツの波形式のレーダーとは比べ物にならない画像式のレーダーを使った夜間攻撃や迎撃機の誘導を実戦で発揮していました。そこに日本海軍は盲目同然の編隊を向かわせて敵艦隊上空に達した機から発光弾を投下すると言う戦術で勝機を掴むつもりだったのです。
10月11日の正午に哨戒機がアメリカ艦隊を発見すると第2航空艦隊は陸軍の爆撃機部隊と共同で夜間を待って攻撃を実施することを決定したのですが、その前にアメリカ海軍が1378機による大空襲を加えてきたため(航空作戦は「先制」が鉄則)、沖縄を無視して集結させていた最新鋭機の海軍の爆撃機「銀河」や攻撃機「天山」、陸軍の爆撃機「飛竜」の発進可能な90機余りで反撃しました。しかし、悪天候のため空母に1発、重巡洋艦に2発爆弾を命中させたほかは戦果が上がらず、逆にアメリカ艦隊のレーダー照準の対空砲火を受けて54機が未帰還になっています。翌13日には947機を出撃させて総攻撃を加えましたが損害が増える一方で、14日の夕方にアメリカ艦隊がレイテ島上陸作戦を支援するため離脱した後も15日、16日に攻撃を継続したものの日本軍側は312機の航空機を喪失したのに対してアメリカ軍は重巡洋艦2隻が大破した以外の損害は軽微(沈没はしなかった)で航空機の損失は89機でした。
ところが第2航空艦隊は投下した爆弾と魚雷の大半が命中し、最大の損害を与えたように推定し、未確認のまま連合艦隊に報告したため「空母11隻、戦艦2隻、巡洋艦3隻、駆逐艦らし1隻を撃沈、多数を撃破してアメリカ艦隊を潰走させた」との過大評価になり、大本営もそのまま発表しました。連合艦隊はそれを前提にレイテ湾突入作戦を実施したため主力艦の大半を失う敗北=壊滅を喫し、敗戦まで艦艇を持たない海軍として自滅用兵器による特攻作戦に専念することになりました。
  1. 2020/10/12(月) 13:14:09|
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振り向けばイエスタディ2064

「名寄でも女性自衛官の奥さんを駐屯地で働かせている中隊長がいましたから禁止されている訳ではないんですよ。それにお世話になった中隊長は現在家族帯同で海外に赴任しています。私もそれを目指していますから聡美にはさらに語学力を鍛えてもらいたいと思っています」白井の母はこの説明の前半にはうなずいたが後半になって怪訝そうな顔をした。相変らず自衛隊の海外派遣に反対している母としては家族帯同で赴任する職務があることが許し難いらしい。
「海外での勤務ってイラクみたいな戦争に聡美を連れて行くつもりじゃあないでしょうね」先ほどまでの和やかな会話が一気に険悪になってしまった。これも原因を作ったのは白井家の母なので文句を言われる筋合いはない。聡美も冷めた目で母を見詰めている。
「名寄の中隊長は在外公館警備官と言って大使館や領事館のような日本の在外施設の警備を担当する職務でスリランカに赴任しています」「スリランカって内戦中でしょう。少数民族弾圧で人権問題になっていたはずよ」「いいえ、内戦は5年前に終わりました。国連で問題になった人権弾圧は虚偽だと現地を視察した国際刑事裁判所の検事が確認したそうです」安川3尉が即答すると人権教育担当の同僚からの聞きかじりだった白井家の母は気まずそうに黙った。本当は名寄の中隊長でWACの妻を駐屯地で働かせていた松山3佐も家族帯同で海外に赴任しているのだが安川3尉が知るはずがない。
「それから久居で公私共にお世話になったモリヤ中隊長は・・・」「白井家の天敵よ」名前を聞いて顔色を換えた母を聡美がからかうと唇を噛んでうなずいた。しかし、モリヤ2佐が天敵なのは白井家の両親が安川2士と聡美の交際を政治的に利用としたのを阻止したのであって2人には縁結びの生き佛さまだ。
「モリヤ中隊長は国際刑事裁判所の検事としてオランダの何とかハーグに赴任しています」「スフラーフェン・ハーグでしょう」あまり横文字が得意ではない安川3尉が誤魔化すと聡美が語学力を発揮した。その正確な発音を聞いて白井家の母は満足そうにうなずいた。
「モリヤさんは司法試験に合格したんだね。あの時もとても法律に詳しくて自衛隊を馬鹿にしていたお父さんがドンドン追い詰められたけど相手が悪かったと言うことだわ」「あの人は特別ですけど僕も直弟子を自認しています」自衛隊の家族帯同で海外赴任する職務の説明のはずが、かなり反れたところで話は落ちつきそうだ。
「流石に僕には司法試験に受かる頭はありませんが、在オランダの日本大使館の在外公館警備官なら可能性はあります。若し実現すれば遊びに来て下さい」「お父さんは『世界の車窓から』が好きで毎回録画しているから和也が赴任することになった国のDVDを見て研究しちゃうよ。頑張って」「そうね。聡美が海外で子育てしているのを見学するのは教育者としてお父さんも楽しみでしょう。語学の勉強を続けなさい」白井家の母は自衛隊が海外で活動することには不満があっても海外旅行に誘われてしまうと納得するしかなかったようだ。
松本駅からタクシーで駐屯地に向かうと母2人は「布団を買う」と言って途中にあった大手量販店で下りてしまった。確かに客用の布団を持っていないので緊急調達する必要はある。両家とも今後は愛知県から通ってくるつもりなのかも知れない。安川3尉と聡美は名寄でもこのニワトリのマークの大手量販店を利用していたので不思議な懐かしさを覚えた。
「安川3尉、3中隊からの作業員、斉藤2曹以下5名であります」女性軍が入居する部屋の掃除をしている時、依頼した時間よりも20分早く、今回配属されることになった3中隊の作業員が私有車1台でやってきた。全員が戦闘帽に作業外衣を羽織り、ジャージに運動靴だ。指揮官の斉藤2曹は若手陸士4名を自衛隊式の短間隔で並ばせると最右翼に立って敬礼して申告した。
「ご苦労さま。安川3尉だ。自分の部屋は4階だから荷物を運ぶのは大変だけど家具は軽い安物だから壊さない程度に気をつけてくれ。安全第1でな」安川3尉が新任幹部としては立派な指導を与えると隊員たちは顔を引き締めた。安川3尉にも経験があるが隊員はこのような場面で上官となる幹部の人間性の値踏みをするのだ。
「作業の前に準備運動を始める。その場跳躍から。1・2・3・4、2・2・3・4・・・」安川3尉の指導が終わると斉藤2曹は隊員に「両手間隔、間隔を開け」と指示し、跳躍から膝屈伸、前後屈に続く準備体操を始めた。そこにトラックが到着した。
「上に女性が3人いるから箱類を置く場所は指示を受けてくれ」「各階に1名ずつ立て。荷物を手渡しで送るんだ。落とすなよ」コンテナの扉が開き、運転手が安川3尉に荷物の外見を確認させると作業が始まる。安川3尉と斉藤2曹の指示に隊員たちは脱いで畳んだ外衣を並べると階段を一気に駆け上がっていった。その脚力は流石に山岳戦のクレージー・サーティーンの隊員たちだ。見上げると部屋の窓から白井家の母が顔を出していた。
  1. 2020/10/12(月) 13:11:57|
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10月11日・怪獣?ヒバゴンが最後に目撃された。

昭和49(1974)年の10月11日に広島県北部・西城町の中国山地・比婆山系で目撃談が29件に上った怪獣=ヒバゴンが最後に目撃されました。
ヒバゴンは昭和45(1970)年7月20日の夜に町内のダム湖付近の山道を軽トラックで走っていた男性が2本足で歩いて道路を横切り、木立の中に入っていった全身に黒い毛が生えた子牛ほどの大きさがある生き物を目撃したのが最初でした。3日後に農家の男性が大人ほどの身長で人間のような顔の生き物に遭遇し、その後、ダム湖の周辺3キロ以内の範囲で目撃者が続出した上、12月には比婆山の連山の吾妻山の雪原で正体不明の足跡まで発見されたことで証言を総合した結果、身長は150センチ前後、足の大きさは27センチ、全身に黒色か濃い茶色の毛が生えており、尻尾や尻ダコはなく、顎が尖った逆三角形の顔をしていて大きな吊り目、イルカのような鳴き声、2足歩行が可能で片足を引き摺っていたと言う噂の対象としての姿と生態が確定したのです。
この騒ぎを中国新聞が取り上げたことで大手マスコミも報じるようになり、折からのオカルト・ブームと相まって噂が全国に広まったため取材のマスコミや学術調査の研究者、何よりも野次馬が押し寄せて目撃者を探し出しては質問浴びせるようになりました。そのため町民から「仕事にならない」と言う苦情と相談が殺到したことで町役場は専門に対応する類人猿相談係まで設置しました。おまけに目撃者には迷惑料として5000円を支給したそうです(町役場の一般職員の初任給は14900円だった)。
それでも西城町民の間では当時、比婆山にキャンプ場などの「広島県民の森」が建設されていたことで「比婆山の神の祟りだ」と怖れる年寄りや約90キロ離れている「安佐動物園はゴリラが逃げたのを隠している」と疑う若者まで喧々諤々の議論になり、それをテレビが大々的に報じたため町役場には親戚や友人・知人から話しを聞いた町民からテレビ・アンテナ設置の要望まで殺到し、ラジオしか入らなかった西城町には一気にテレビが普及したそうです。
そんな騒動は昭和47(1972)年になると隣接する庄原市に拡大し、昭和49(1974)年8月15日には(木陰に潜む影の)写真の撮影に成功したと報じられましたが10月11日の目撃談を最後に途絶えてしまい、昭和50(1975)年6月に西城町は「ヒバゴン騒動終息宣言」を出したのです。それでも野僧が防府で勤務していた昭和63(1983)年に中国自動車道を通過した時には比婆山の麓にイラストと「ヒバゴンの町」の看板が設置されていました。
ちなみに2002年から2004年まで重松清さんが長編小説「いとしのヒバゴン」を連載し、2005年には「イナゴン」の題名で映画化(伊原剛志さんと井川遥さんが出演した)もされています。
小庵に出没するボス猿は子牛までいかなくても大型犬よりは大きく、時には2本脚で立って周囲を窺い、危険を察知するとイルカに聞こえるかも知れない甲高い声で鳴くので野僧はヒバゴンも月の輪熊よりは大猿ではないかと思っています。
  1. 2020/10/11(日) 13:01:50|
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振り向けばイエスタディ2063

男6人となれば作業は加速し、予定よりも早く荷物の積載は終わった。次は縁側に腰を下ろして休憩になる。そこに両家の母2人が茶と菓子を運んできて聡美も配るのを手伝った。
「それにしても安物の家具ばかりだな。そのうち花嫁道具として立派なのを買ってやろう」疲労回復の糖分補給で茶菓子を頬張って茶を飲んだ白井家の父は隣りに座った母に提案した。母は親としては同意しながらも安川家の意向を確認するように4人の顔を窺った。
「お気持ちは有り難いんですが、幹部自衛官は転属が多いので当分は今の安物で大丈夫です」「安物でも2人で名寄の家具店で買った思い出の品だから簡単には捨てられないわ」聡美の返事を聞いて白井家の両親よりも弟が姉たちの完全に自立した結婚生活に敬意を抱き、それを許した安川家の両親を羨ましそうに見詰めた。
休憩が終われば運送会社の3人が運転席に乗って出発する。門の前には春休み中の子供たちが名古屋っ子独自の嗅覚で集まっている。しかし、「引っ越し」と言っても預かっていた家財道具を発送しただけなので作業の合間に安川家の母が買ってきた袋詰めの菓子を配るとコンテナに小熊のマークを描いたトラックは見送りの拍手もなく走り出した。
「聡美は向こうでの引っ越しを手伝えないでしょう。どうするの」トラックを見送って母2人で手早く掃除をしておいた座敷に移ると白井家の母が声をかけた。
「どうして手伝わないんだ。幹部自衛官の妻として頑張らなけりゃ駄目だろう」すると事情を知らない白井家の父が嗜めるように口を挟んだ。こうなれば待ちに待った発表だ。
「お父さん、聡美さんは身ごもっているんですよ。だから力仕事はさせられないんです」黙ってしまった白井家の母に代わって安川家の母が事情を説明した。母親同士は仕事しながら情報を共有しており、この発表までの演出は既定路線だった。
「身ごもっているって子供ができたってことか・・・聡美が子供を産むのか・・・母親になるのか」「貴方もお祖父さんになるんですよ」「老人にはなってるけどね」事実が受け止められないでいる白井家の父に母と弟が冷やかすように声をかけた。その言葉が困惑を感激に替えた。
「ありがとう、和也くん。ありがとう、安川さん」突然、白井家の父は畳に両手をついて安川3尉と安川家の父に頭を下げた。眼鏡の奥の目が潤み、声はかすれているがそれは隠している。母2人の計画は期待以上の成果を上げたようだ。
「安心して下さい。松本には私がついて行って代わりに手伝いますから」白井家の父が怒ったような顔で感激を噛み締めているのを見ながら安川家の母が説明した。聡美も微笑んで軽く頭を下げた。そこには姑と嫁以上の絆がある。すると今度は白井の母が興奮し始めた。
「それはズルイですよ。私だって聡美の母なんですから手伝う権利があります。私も参加させて下さい」ここで「権利」と言う単語を持ちだすところはやはり元組合員だ。思いがけない母の要求に聡美は困って義母と夫の顔を見た。
「お義母さん、松本へは夕方の中央本線の特急で中津川へ行って一泊、明日の朝の特急で松本へ行くんです」「特急とホテルの予約は間に合わないと思うな」娘夫婦に丁寧に拒絶されたが、母の中で久しぶりに燃え上がった労働闘争の火は簡単には消えない。不敵に笑いながら携帯電話を取り出すと「JRの名古屋駅、緑の窓口」と呟きながら操作した。
結局、特急は3人同席の予約が入っていたためJRは空いた1席を他人で埋めることを避けていた。ホテルも母のシングルの部屋に簡易ベッドを入れることで宿泊を受けつけた。つまり松本には両家の母が同行することになった。この顛末に白井家の父は母が日教組時代に校長や教育委員会を相手の団体交渉で強談判していたこと思い出し、隣りに座っている弟に「嫁は組合員だけは止めておけ」とささやいた。
「北海道では観光ホテルのレストランの仕事で語学力を磨いたのね」「始めは英語だったけどお客さんに合わせてフランス語やドイツ語も挨拶と観光案内ぐらいはできるように勉強したわ」名古屋からの中央本線の車内では2人の母が聡美を質問攻めにして安川3尉は1人で寂しく雑誌を読んで過ごすことになった。聡美は名寄から実家に連絡しなかったので、2人の暮らしを時系列に詳細に説明しなければ生徒指導のような顔で聞いている母は納得しそうもない。
「和也さんはイラク戦争に行ったけど聡美が海外に行って語学力を使う機会はないんでしょう。勿体ないわね」「それは・・・」母の指摘に聡美は困った目で安川3尉の顔を見た。白井家の両親は弟が就職した時に日教組から脱退しているが政治信条まで変えたとは思えない。
「久留米ではホテルのルーム・サービスに変わったけど外国人の宿泊客の対応で役に立ったよ。松本でも使う機会は見つかるわ」「でも幹部自衛官の奥さんが仕事にでることは許されないんじゃあないの」やはりこの母は難物だ。困っている聡美を制して安川3尉が話に加わった。
  1. 2020/10/11(日) 13:00:30|
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10月11日・公務員の鑑?山口良忠判事が餓死した。

敗戦から2年が経過した昭和22(1947)年の明日10月11日に食料管理法の違反者を裁く立場にあった山口良忠検事が配給の食料のみで生活した結果、餓死しました。
ちなみに山口判事に2年先立つ昭和20(1945)年10月11日には「戦時下の食糧統制は国民の義務であり、教育者として範を示す」と同様に闇米を拒否していた旧制東京高等学校の亀尾英四郎ドイツ語教授も50歳で餓死しており、さらに遅れること2週間の昭和22(1947)年10月23日には青森地方裁判所の保科徳太郎判事も48歳で餓死しました。青森は穀倉地帯が収穫期を迎えていただけに別の辛さがあったはずです。
山口判事は大正2(1913)年に佐賀県で小学校教師の息子として生まれ、旧制佐賀高等学校から京都帝国大学・大学院に進み、高等文官司法試験に合格して判事になりました。敗戦後は東京民事地方裁判所の経済事犯専任判事として当時、常態化していた食糧管理法に違反する闇商売の摘発者を裁く職務に就くと裁判では弁護人が検察官に「貴方は闇米を喰っていないのですか」と質問し、回答に窮する場面が繰り返されており、この法律が空文化しているのは誰の目にも明らかだったのですが、山口判事は敢然と法の番人としての建前を貫き、法に殉ずる覚悟を決めたのです。
山口判事夫妻は昭和21(1946)年10月頃から配給米以外は食べなくなり、それは2人の子供に食べさせて夫婦は米の研ぎ汁や釜に着いた米粒を煮た粥とも呼べない汁をすする生活を始めました。庭を耕作して野菜を栽培しましたが空腹での農作業は体力を消耗するばかりで自給自足できるだけの収穫は得られなかったようです。このことを聞いた都内の妻の実家や周囲は心配して食料を渡し、食事に招待したのですが、山口判事はこれも拒否して頑なに食糧管理法を厳守したのです。当然、栄養失調の症状が現れ始めましたが、山口判事は「自分が休めば100名の被告が未決のまま待つことになる」と療養することもありませんでした。そして8月27日に地方裁判所の階段で倒れ、9月1日に判決文を作成した後、事実上強制的に故郷の佐賀へ帰省させられましたが、すでに手遅れで栄養失調に伴う肺結核で亡くなったのです。わずか33歳でした。
山口判事の死は新聞に大きく取り上げられ、悲壮な覚悟を綴った日記が掲載されたことで「裁判官の鑑」「現代のソクラテス」と称賛する声と「食糧管理法が悪法であることを命を賭けて証明した」と話を反らす声が起こりましたが、文化人を中心に「異常性格」「病的」と揶揄する声もあり、当時の社会党の片山哲首相の妻は「夫婦の工夫が足りない」と非難して国民の怒りを買いました。
野僧は山口判事の生家は佐賀藩士の家系であり、幼い頃から精神教育として「葉隠」を教えられていたのではないかと推察しています。「葉隠」は聞書第1の冒頭で「武士道と言うは死ぬ事と見つけたり」と述べているように「死」を忌み嫌うことなく問題解決の手段と考えており、「生きるか死ぬかを選ぶ時には死を選ぶのが武士の道」と説いています。山口判事もこの精神に従って特別な悲壮感もなく淡々と死に向かって進んでいったのではないでしょうか。野僧も自衛官として「死」を追い求めて生きていました。
  1. 2020/10/10(土) 13:18:57|
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振り向けばイエスタディ2062

「さて始めるか」翌日、名鉄に勤める父の紹介で3月の転勤シーズンにも依頼ができた系列の運送会社で安川家に預けてあった家財道具を松本に発送した。男手は父と安川3尉だけなので運送会社の作業員も2人頼んである。そんな訳で妙に張り切った父が勝手に指揮官になって作業の開始を発令した。先ずは家具からだが、陸士の安月給で買った家具は当然、合板製の安物でどれも軽い。全国的に有名な「名古屋の引っ越し」に慣れている作業員たちは拍子抜けした顔で次々に家電製品と家具を運び出してコンテナに積んでいく。安川3尉と父は衣装ケースを運んで門に尻を突っ込んで止めてあるトラックの脇に積み上げていった。女性陣は姉の鶴舞は「仕事がある」と言って朝から出かけたが、母は家の中で現場監督兼雑用係として動き回り、聡美は門の外に椅子を置いてトラックを避けて通過する車の運転手に頭を下げる係になっていた。
「お姉さん、お久しぶり」対向車線が途絶えるのを待って通過した運転手に聡美が立ち上がって頭を下げていると背後から声を掛けられた。
「健人(けんと)くん、どうしたの」振り向くと白井一家が笑いながら立っていた。弟の健人は英語教師の母が「外国人にも違和感がない名前」と言って「ケント」と名づけたおかげなのかアメリカの大学に留学して帰国後は名古屋市内の県立高校の教師になっている。
「こちらのお父さんからお前たちが松本に転勤になって、『今日引っ越しする』って連絡を下さったから手伝いに来たのよ」母の説明に3人を見回すとジャージ上下に軍手をはめている。見慣れた教師一家の服装とはまるで違う。聡美が家族に会うのは入籍した後に名古屋市内のホテルのレストランで開いた結婚披露の会食以来だ。あれから5年以上の歳月を重ね、両親も50歳を過ぎて年齢相応の容姿になっている。母の髪が濃い目の茶色なのは白髪を染めているのだろう。
「あれッ、お義父さん、義母さん、じゃあないですか。健人くんまで」そこに安川3尉が聡美を心配して覗きに来た。この固い呼び方はあまり会ったことはないが聡美から話には聞いている白井家の家風に咄嗟に合わせたのかも知れない。
「和也くんじゃあないか。幹部自衛官になったんだってな。おめでとう」父が思いがけない言葉をかけたので安川3尉と聡美は口を開けた顔を見合わせてしまった。以前、安川3尉が自衛隊に入り、社会人になってからも高校生の聡美と交際を続け、性的関係を持っていることを日教組の組合員だった白井家の両親は民事訴訟を越して社会問題化しようとしたことがある。しかし、聡美はその想いを貫いて親の目も手も届かない北海道の地で2人だけの力で逞しく生活してきた。今、こうして幸せそうな姿を見せられては自分たちの独善的で軽率な行動を恥じるしかない。だから「幹部自衛官」の言葉にも素直な敬意と賛辞が込められている。
「はい、ありがとうございます。全て聡美のおかげです」「そんなことないよ。貴方の実力じゃない」2人で誉め合いっ子を始めると白井一家は呆れた後、嬉しそうに笑った。
「おい、新米ママは大丈夫か」安川3尉に続いて父が顔を出すと白井一家は慌てて整列して母が「ご連絡ありがとうございました」と声をかけた。やはり対等な立場の教師の夫婦には男尊女卑どころか夫唱婦随と言う作法もないようだ。
「折角の春休みにお手伝いいただいて助かります。男性が2人も加勢してくれるなら作業員を頼む必要はありませんでしたね。勿体ないことをしました」「さてッ、頑張らなきゃいかんぞ」「定年前のお父さんは引っ込んでおきなさい」安川家の父の言葉に白井家の父子も気合いを入れた。どうやら白井家では夫婦だけでなく教師になれば息子も対等な口をきけることが判った。
「今、お父さまが『新米ママ』って呼んだけど、どう言うこと」安川家と白井家の男性軍が家の中に入って行くと残った母が聡美に声をかけた。
「こちらのお母さんは作業が終わった後のお茶の時に発表するって言っていたけどバレちゃったら仕方ないわね。私、妊娠してるの」母に告白して聡美は腹を撫でた。今回は子供に祖母を紹介したようだ。すると母の目から涙が溢れ出した。
「私、お祖母ちゃんになれるのね・・・」聡美が中学生の頃の白井家では父は高校の教え子に手をつけ、母は同僚の体育教師と不倫関係になって夫婦関係は完全に崩壊していた。聡美は友人に紹介された若者の車から母が不倫関係の教師とホテルに入るところを目撃して深く傷つき、自棄になって純潔を奪われ、多くの男子生徒たちの性玩具にされてしまった。だから母は表面的には理想の家族を演じていても胸の中では親として自分の罪を悔やみ、責め続けてきたのだ。
「お母さんは発表を楽しみにしてるから、お父さんと健人には黙っててね」聡美の頼みに母はうなずき、首に巻いたタオルで涙を拭きながら家に入っていった。見送った聡美に呼んでもいないのに集めってきた子供たちが「お菓子まだァ」と声をかけてきた。これも出発前に荷台から袋詰めの菓子を投げる名古屋名物「引っ越しのお菓子撒き」だ(コンテナの場合は下で配る)。
  1. 2020/10/10(土) 13:17:24|
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10月10日・沖縄が大空襲を受けた。

昭和19(1944)年の10月10日にアメリカ海軍機動部隊の艦載機による大空襲が沖縄本島を中心とする南西諸島に加えられました。
戦後の日本人、特に沖縄県民はこの空襲を沖縄戦のための事前攻撃と考えていますが、実際はサイパン、テニアン、グアムなどのマリアナ諸島の制圧したアメリカ軍が次の攻撃目標を旧保護国=植民地のフィリピンと定め、その上陸作戦に先立って台湾、沖縄方面の日本軍の飛行場と停泊する艦艇を壊滅するためマーク・アンドリュー・ミッチャー中将の高速空母艦隊が実施したのです。
当時の沖縄では牛島満中将の第32軍がアメリカ帰りの八原博通参謀の指導で防衛体制の整備を進めていましたが、中央では陸海軍共にマリアナ方面に続くアメリカ軍の攻略目標が判断できず、自力で移動可能な航空戦力については配備を遅らせていたため空襲を受けても高射砲以外に迎撃する手段がありませんでした。そんな中、10月6日にミッチャー中将の高速空母艦隊は停泊地のウルシー環礁を出撃し、洋上で他の艦隊と合流して正規空母9隻、軽空母8隻の大艦隊で沖縄海域に向かい、陽動として9日には重巡洋艦3隻と駆逐艦6隻の別動隊に小笠原諸島の南鳥島を砲撃させています。
一方、日本軍はパラオ守備隊からの通報と通信解析からアメリカ海軍の主力艦隊が出撃したとの情報を把握していましたが、哨戒の駆潜艇と2式大型飛行艇が無線連絡する暇もなく撃沈・撃墜された上、沖縄方面に台風が接近していて航空機による哨戒が困難であったこともあり目標は特定できずに模様眺めの状態でした。それでも佐世保の鎮守府は「敵艦隊の目標は沖縄方面」「10日に空襲する公算が高い」と推察して沖縄根拠地隊に防護体制を命じましたが、陸軍は8日に「台湾沖にアメリカ艦隊」との第1報の後、続報がないため台風対策を優先することにしました。
そうして9日夜にはアメリカ艦隊は攻撃圏内に到着し、10日の朝6時前から艦載機を発艦させ、第1波は6時45分に陸軍の北飛行場(読谷)、続いて海軍の小禄飛行場(現在の那覇基地)や本島と伊江島、南大東島にあった飛行場を空襲し、続く第2波で港湾に停泊していた大小軍民を問わない艦船や燃料タンクを攻撃するとその火炎が那覇市内にも類焼して市街地の大半が焼失しました。午後からは第5波として慶良間諸島や宮古島方面にも攻撃を加えるなど延べ1396機を発艦させたのです。
日本軍としては台風接近でそれでなくても精度が悪いレーダーは雷雲による障害で完全に信頼性を失い、通信連絡が途絶えた哨戒任務の駆潜艇と飛行艇は台風で遭難したと判断され、おまけに航空機は飛行場、艦船は港内に退避させていたため格好の攻撃目標になり、おまけに10日から首里の司令部で予定していた図上演習を中止しなかったので全ての指揮官は前夜に那覇市内の料亭で接待を受けていてこの奇襲攻撃に指揮官不在で対応しなければならなくなり、トドメに現場には「演習」とだけ通知していたため迎撃する高射砲の砲声も「派手な演習」と思い込み、敵機が来襲してから慌てて砲撃を始める部隊が続出しましたが、大半は爆弾を投下されて手遅れでした。
  1. 2020/10/09(金) 14:18:05|
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振り向けばイエスタディ2061

運よく旭川空港から直行便が飛んでいる県営名古屋空港には聡美だけでなく両親まで出迎えに来ていた。現在の県営名古屋空港は2005年2月に中部国際空港・セントレアが開港するまで名古屋・東海地方の玄関口だったが、その頃から交通の便が悪いことは有名で、名古屋駅からの空港バスが「唯一」と言っても差支えなかった。現在はそのバスも便数が激減しているため尾張地域では空港行きのバスが出ている数少ない名鉄の駅に行くか、小牧犬山線に乗り換えて最寄りの駅からタクシーを利用するしかない。今回は父の車で来たようだ。
「貴方、お帰りなさい」「和也、おめでとう」「よくやった、よかった。よかった」安川3尉がまばらな乗客に混じって到着ロビーに出ると待っていた3人が大声で祝辞を述べた。この雰囲気では歓迎の横断幕を広げていても不思議はない。案の定、周囲の乗客たちは制服姿の安川3尉を奇異なモノを見ような目で眺めながら遠巻きに通り過ぎていった。
「3尉任官をこんなに盛大に祝ってくれるとは思わなかったよ」父親を中心にして並んでいる3人の前に立ち止まった安川3尉は足元にカバンを置くと姿勢を正して挙手の敬礼をした。
「安川和也は3月24日付で3等陸尉に任官しました」いきなりの申告に両親は驚愕と困惑で固まってしまったが、聡美は前川原の冬のボーナスで注文した私物の制服を着た安川3尉を誇らしげに見ていた。ただし、航空自衛隊の官品の制服は納入業者と空幕・補本の担当者が結託して襟や裾を森英恵のデザインよりも短く生地を節約しているため不格好だが(製造数が多いので数センチでも数着分になる)、陸上自衛隊はデザイン通りなので私物が際立つことはない。
ところが両親は顔を見合わせた後、息子夫婦の感激を否定するような言葉を返した。この辺りの自衛隊への無関心さは愛知の県民性ではないか。
「お前、何か勘違いしていないか」「私たちは聡美さんのオメデタをお祝いしているのよ」驚いて視線を移すと聡美は義父母の告白に少しはにかんだ微笑みを浮かべてユッタリとしたワンピースの腹を優しく撫でた。
「聡美、マジか」「はい、2ケ月です。貴方にはメールじゃあはなくて直接伝えたくて黙っていました。ごめんなさい」安川3尉は幹部候補生に指定されて以来、管理職らしい上品な言葉遣いを心掛けてきたが、衝撃が大き過ぎて3曹として若い隊員と接していた頃に戻ってしまった。それでも力任せに抱き締めれば妊娠初期の母体には危険であることは自覚して控えた。
慎重に歩み寄った安川3尉が両手で聡美の肩を引き寄せて口づけをすると、父は照れ笑いをして母はその手を握った。本当は羨ましいのかも知れない。久居の新隊員課程の中隊長・モリヤ1尉であれば負けずに濃厚なキスをするところだが、そこも常識的な愛知県人だ。
「俺は3等陸尉と同時に親父になるのか。どちらも目標達成だな。万々歳だ」両者が企画した再会の儀式が終わると4人で歩きながら安川3尉は感動を反芻(はんすう)した。聡美は名寄の中隊長の松山千秋3佐の娘・小春の英会話を指導する間に母性本能が目覚めたのか、子供を望むようになったが幹部候補生学校に合格すれば前川原に入校することになるため待たせていた。それが一緒に実現したのだから喜びも一入(ひとしお)だ。
「これがお父さんだよ。貴方も判ったでしょう」隣りでは聡美は握られていない方の手で腹に触れている。胎内に宿った生命との対話は先ず手の感覚から始めるようだ。
「流石に暖かいねェ」駐車場に出ると名古屋の日差しと気温は春本番だった。地元の人間には早春かも知れないが、北海道でも最寒の地・名寄と比べれば初夏のような気分だ。明後日には向かう松本の気候は判らないが、愛知県より寒冷でも北海道ほどではないだろう。
「聡美さんに無理はさせられないから松本の引っ越しには私もついて行くよ」車の中で夫婦が無言で感激を共有していると母が割って入ってきた。力仕事は男性担当でも安定期に入っていない妊婦に引っ越しはやはり危険なのだ。この子は両親にとっては姉の鶴舞が夫に渡して出戻った息子=初孫に代わる内孫になる。だから無事の誕生を願う思いは切実だ。
「そうしてもらえば有り難いね。引っ越し蕎麦に本場の信州蕎麦をご馳走するよ」「お礼にしては安くない」安川3尉の提案に母は不満そうに返事をした。勿論、これは冗談なのだが高校を卒業後、親元を離れて陸上自衛隊に入り、ほとんど帰省することもなく成人したので息子との会話には慣れていないから仕方ない。すると父が助け船のようなウンチクを語った。
「長野は海がないから魚介類は美味くないな。肉類も有名なブランド牛は聞かないから飛騨や松坂には敵わないだろう。可愛い嫁と大切な孫のために祖母さんが頑張るだけで十分だろう。雪が残る日本アルプスの風景を観光して来い」「信州に家族旅行で行ったのは和也が小学生の頃だから20年近く前になるわね。土日を使って案内してよ」話は随分と反れたが結論は出た。すると聡美が「荷造りもお義母さんがやってくれたの」とささやいた。それならば安心だ。
  1. 2020/10/09(金) 14:16:44|
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振り向けばイエスタディ2060

3月下旬、安川候補生は3尉に任官し、田島1尉の助言と本人の希望通りに松本駐屯地の第13普通科連隊に転属する。富士学校への入校は5月の連休明けからだ。それに先立って名寄駐屯地幹部会と第3普通科連隊第4中隊で送別会が2度開かれた。ただし、幹部会の方は3月の定期移動で転出する幹部の送別会も兼ねており、安川候補生が主役ではない。一方、中隊の送別会には今回も森田予備3曹が出席した。
「お前もモノ好きだなァ。松本って言えばクレイジー・サーティーンじゃあないか」中隊長の挨拶、1小隊長の音頭による乾杯が終わり、会食が始まると2小隊長がビールを注ぎながら話しかけてきた。この2小隊長からは前川原で作成した課題論文や事例研究のコピーを持たされたが、奇才・モリヤ1尉と逸材・田島1尉の直弟子として育ってきた安川候補生とは全く考え方が違いあまり参考にならなかった。それでも同期の中には同様に持たされた部隊の小隊長の論文を丸写しにして提出する者も多く、討論会で話を合わせるのには役立った。
「自分は新隊員の時にお世話になった田島1尉に勧められたから希望したんです。松本は地元配置でもありますから自分としても良いかなって思ってます。拙かったですか」安川候補生の返事を聞いて2小隊長は呆れたように笑いながら自分のグラスを飲み干して注がせた。
「松本の13普連は日本陸軍最強の健脚を誇った歩兵第50連隊の伝統を引き継ぐ山岳レンジャー訓練の悪名でクレージー・サーティーンって呼ばれてるんだ。お前は冬戦教で極寒地獄を体験した上に日本アルプスの絶壁のザイル訓練で地獄の底を見下ろすつもりなのか」2小隊長は半ばからかうように説明した。部内出身の1小隊長と2小隊長は自衛官と言うよりも特別職国家公務員になろうと入隊した標準的安定志向で、国防と言う任務については「演習と訓練に真面目に取り組むことで十分だ」と考えていることは候補生になってから何度も聞かされてきた。2人とも名寄に赴任してノルディックの集合訓練には参加しても冬季戦技教育隊は希望していない。その点は岐阜県出身でスキーは得意でもノルデックの経験はなかった田島1尉が熱望したのとは意識が違う。勿論、安川候補生も同様だ。
「お前は何でも限界を追及する悪い癖があるから山岳訓練で危険なことをやらかすんじゃあないかって訓幹(訓練幹部=1小隊長)とも心配してるんだ。可愛い奥さんのためにも『無事是名馬』って言う言葉を座右の銘にするべきだな」「それは意味が違いませんか」安川候補生は2小隊長のこの格言を田島1尉の精神教育で聞いたことがある。田島1尉は守山の小隊長時代、中隊の安全教育でこの格言を締め括りに使ったのだが、後でモリヤ中隊長から法話のような訂正を受けたそうだ。つまり田島1尉も受け売りだった。
「名馬は馬主だった作家の菊池寛が使った造語で(作ったのは時事新報社の岡田光一郎)、本当は臨済録の無事是貴人なんです。この無事は何もないの無で、全てに無、空の境地に達した者こそ貴人だと言う意味なんです。大変に失礼しました」間もなく3尉に任官するとは言え安川候補生は3曹の頃から幹部以上の知識を持ち、精神教育や服務指導では「答えられない質問をされないか」と気になって仕方ない危険な存在だった。ところが長期入校でその注意を忘れ、迂闊に知ったか振りをしたのが運の尽きになり、最後の教訓は教育として倍返しされた。
「安川3尉、お世話になりました。頑張って下さい」2小隊長が酒を注ぎに来た古参陸曹と話し始めたのを見計らって森田予備3曹が顔を見せた。
「お主こそ師団のノルディック大会に特別参加して大活躍だったそうじゃあないか」「バイアスロンじゃあなかったのが残念です」森田予備3曹は即応予備自衛官によって編制される北部方面混成団隷下の第52普通科連隊第2中隊所属だが、第3普通科連隊時代の活躍を知っている旭川の第2師団司令部の訓練幕僚が師団のノルディック大会に特別参加させてくれて優勝した。ただし、部外者の特別参加だったため公式には認められず、タイムも参考記録にされたらしい。
「それでも52普連のバイアスロン大会には参加できたんだろう」「今年は暖冬で真駒内は雪不足で中止になりました」「そうかァ、福岡は例年よりも寒いって九州出身の連中は風邪ひきが続出したけどな」2014年の冬は気圧の西高東低とは逆に気温が東高西低になり、真冬の北海道で雨が降り、九州や中国地方では雪になった。それも安川候補生には有利だったが、入校直後の猛暑でスタート・ダッシュを切り損ねたのが響いてトップにはなれなかった。
「松本では田島中隊長と再会できるんですね。下で小隊長になれれば最高ですが」「田島1尉は在外公館警備官としてスリランカに赴任してるから会えないんだ。俺はそれを追っかけて行くつもりだけどな」「幹部になると世界が広がりますね。自分は屯田兵として北海道に根を下ろします」森田予備3曹は滋賀陸将の不当人事で奪われた自衛官としての将来を思ったのか飲む前に苦い顔をしてビールを口にした。一緒に飲んだ安川候補生も気分と顔が同じになっていた。
  1. 2020/10/08(木) 13:31:52|
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10月8日・名古屋では名君だぎゃあ!徳川宗春公の命日

明和元(1764)年の明日10月8日(太陰暦)は「暴れん坊将軍」などの8代将軍・徳川吉宗公が主人公のドラマでは倹約令や風紀粛正に反抗して遊興と贅沢に耽る馬鹿殿、下手すれば将軍の座を狙う謀反人の嫌われ役を押しつけられていても名古屋では現在の繁栄の基礎を築いた名君とされている7代尾張藩主の徳川宗春公の命日です。
宗春公は元禄9(1696)年に尾張3代藩主・徳川綱誠公の20男として名古屋で生まれました。生母は遠州掛川の浪人の娘の側室です。元禄11(1698)年に3代将軍・家光公の長女で祖母の千代の方、元禄12(1699)年に父の綱誠公、元禄13(1700)年には祖父の光友公が相次いで没したため10歳年上の10男の兄・吉通公が11歳で4代藩主になり、11男と19男の兄たちは妻子の代わりに江戸に出府したものの幼かった宗春公は名古屋に残されました。すると兄の吉通公は末弟を可愛がり、藩主の座敷での食事にも同席・相伴させたそうです。
正徳3(1713)年になると江戸に呼び出されますが随行した藩士が喀血頓死し、別の藩士が割腹自刃する事件が起きています。そのような不穏な空気の中、7月に兄の吉通公が急死し、10月には2歳で5代藩主になった兄の遺児も急死して11男の兄・通顕公が継友に改名して藩主と家督を継承しました。
ところが正徳6(1716)年に家継公が7歳で病没すると兄の継友公は紀伊藩主の徳川吉宗公と後継者争いを演じますが、大奥や幕閣への莫大な工作資金を浪費しただけで敗れ、財政破綻の危機に陥った尾張藩は吉宗公の「享保の改革」よりも早く過酷な緊縮財政を敷き、藩士・領民にも倹約令を発することになりました。一方、宗春公は享保14(1729)年に跡取りがないまま藩主が病没した枝胤の梁川藩(現在の福島県伊達郡)3万石の復興を担って松平姓を名乗りましたが、翌年に兄の継友公が病没すると遺命として7代藩主に就くことになったのです。
宗春公が藩主になった頃の幕政は享保の改革が本格的に動き出していましたが、尾張藩では兄の時代から緊縮財政と倹約令を徹底していたため消費の縮減に連動して生産力は低下して陰鬱な空気が充満していました。そこで宗春公は景気刺激策を講じ、「たまには息抜きも必要」と盛大な祭礼を催し、遊郭の営業や芝居の興行を許可して自らド派手な扮装で楽しむ姿を披露したのです。さらに「厳格な取り締まりは影の犯罪を生む」と市中を巡視する同心には目立つ格好させるなど民情に通じた施策を取ったため名古屋城下は活況を取り戻し、庶民の絶大な人気を獲得しました。しかし、「親藩が将軍に裏表を持って仕えることはできない」と江戸への参勤時にも新築披露として藩邸を庶民に開放し、生活に困窮する芸人・役者を呼んで興行させるなどの行状が風紀粛正に躍起になっていた幕閣の反発を買い、前述の嫌われ役を押しつけられる原因になりました。
ただし、実際に尾張藩は幕府の目を懼れる他藩から持ち込まれた華美で贅沢な風俗に藩士が染まり、結果的に巨額の借財を背負うことになりましたから、名君として人気はあっても神格化まではされませんでした。そこが山口県とは違うところです。
  1. 2020/10/07(水) 11:47:37|
  2. 日記(暦)
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振り向けばイエスタディ2059

「カーネル・モリヤ(モリヤ1佐)、先ほどは不用意なことを言って申し訳ありませんでした」佳織は大佐とフィリピン海軍の航空基地司令を交えた会食を終えるとアイランド曹長とBXの喫茶室で面談した。時間の経過と伴に冷静になったアイランド曹長は分不相応な会話を反省したらしく開口一番に謝罪した。
「いいえ、私は貴方と夫の思い出話を聞きたくて勤務中に時間を作ってもらったのよ。私と出会う前の夫がどんな若者で、隊員だったのか知りたいの。だから遠慮なしで正直な話を聞かせてちょうだい」喫茶室のウェイトレスが注文を取りに来たので2人ともアイス・コーヒーを頼んだ。
「スタッフ・サージェント(3曹)・モリヤとは沖縄の米日協同訓練が終わった後に那覇基地で行われた交換会で知り合いました」アイランド曹長が夫に当時の階級を冠したのは現在のモリヤ2佐とは別の人格であることを意味しているようだ。
「サージェント・モリヤは私にレディ・ファーストで接してくれて、それまで女性として扱ってもらったことがなかった私は非常に感激しました」佳織にとって夫のレディ・ファーストは女性であれば誰にでも向ける癖のように思うが、若き日のアイランド曹長は心奪われたらしい。
「航空機整備員同士お互いの仕事で意気投合して、我々のAー4とJASDFのFー104は老兵でもエア・フォースのFー15の新兵に負けない。それも整備員の腕が良いからだって大盛り上がりしました」当時、アメリカ海兵隊が使用していたダグラスAー4スカイホーネットは航空自衛隊のロッキードFー104J栄光よりも高齢者だった。その老骨に鞭打たせていた航空機整備員同士が尊敬し合っても不思議はない。
「そうしてアルコホール(酒)が進んだところでアーム・レスリング(腕相撲)をすることになって、私が勝って賞品にキスをしてもらったんです」佳織が夫の唇を奪ったのは前川原の卒業前のパーティーで酔い潰れた振りをして運ばせた学生隊舎の屋上で半ば強制した。それを思えば腕相撲の賞品として勝ち取ったアイランド曹長の方が可愛らしいような気がする。
「それで同僚たちがデートに行けって勧めるから夜の那覇基地を案内してもらいました。それで・・・」ここでアイランド曹長は口ごもった。目を伏せて頬が赤くなっているところを見ると妻には言えない何かがあったのかも知れない。
「ここまで話したんだから何があったのか言って」「体育館の裏で・・・セックスしました」これは想定外の衝撃の事実だ。出会った頃の夫は自衛隊の服務規則を生活習慣にしているような清廉潔白、石部金吉の堅物だった。それが基地内でアメリカ海兵隊の女性兵士と性行為に及ぶとは到底信じられない。まさしく別の人格だ。
「始めはベンチに座って星空を見上げていたんですけど、私が英語を誉めると急に沈んだ顔になってしまって。それで私がもう一度キスをして手を胸に触れさせると彼のコック(男根)が膨らんだのが判ったから口で・・・」夫が英語を誉められて沈んだのはそれが梢との交際で磨きをかけた大切な思い出の技だからだろう。
「そうしたら彼が無人になっている体育館の裏の別棟との間の暗くて狭い場所に連れていって・・・したんです」話を聞く限りその時の夫は伯父と両親に無理やり引き裂かれた梢への想い=未練が湧き上がり、自棄になっていたように思える。しかし、アイランド曹長には青春時代を飾る感動的な出来事だったようだ。
「それで私から彼のフィールド・メインテナンス・スコードロン(野整備隊=航空自衛隊の修理隊)のショップ(分隊)に電話をしてデートをするようになりました。彼は車を持っていなかったので私の車でドライブして予約しておいたホテルに泊まって・・・」つまり性行為に及んだのだ。ホテルを予約して連れ込むのは佳織も妻帯者だった夫を略奪するために用いた作戦だが、妙なところが共通していて嫌になる。
「サージェント・モリヤのコック(男根)は非常に硬くて、私の女性器に鉄の杭を打ち込まれているようで夢中になってしまいました。それに凄くタフで、求めればすぐに回復して応じてくれるんです」佳織の性体験は夫と帰国した時に純潔を奪われて調教された中学校の担任教師の古河しか知らないので比較はできないが「鉄の杭を打ち込まれている」と言う感覚は理解できる。
「一度、限界に挑戦するって言って22回連続で抱かれたこともありました。本当にワイルド(野性的)でエフィシエンシー(高性能)なセックス・マシーンでした」夫に対するこのような評価は聞いたことがない。佳織はこんな別の人格を梢は知っているのかと思った。
「でも彼が誘いを断るようになって、岩国で再会した時には妻帯していました」それにしてもアイランド曹長の野性的で高性能なセックス・マシーンになっていた頃の夫は淳之介を生んだ前妻と交際中だったはずだ。つまり本人に自覚がない「フィランダァル(女こまし)」なのだ。
  1. 2020/10/07(水) 11:46:20|
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振り向けばイエスタディ2058

指揮官室での対話=雑談を終えると大佐は机の電話を掛けてから佳織と書記官を連れてエプロン=駐機場=列線に向かった。窓から見える駐機場にはアメリカ海軍と海兵隊のFー18が並んでいて整備員たちが機体に群がって点検をしている。
「ジュディ、忙しいところをすまんな」「ノー・サー」指揮所が入っている建物のドアの前では女性の下士官が待っていて大佐に敬礼した。迷彩服の左の胸ポケットの上に縫いつけてある札には「U・S・MARINES」とある。つまり海兵隊の曹長のようだ。
「佳織、こちらは列線整備小隊の先任、ジュディ・アイランド曹長だ」大佐が紹介するとアイランド曹長は作業靴のかかとを鳴らして姿勢を正した。
「ジュディ、こちらは日本の在フィリピン駐在武官のカオリ・モリヤ大佐だ」「モリヤ・・・ウェルカム・サー」大佐の口から佳織のフルネームを聞いてアイランド曹長は一瞬我を失ったような表情になったが、すぐに敬礼しながら歓迎の挨拶をした。
「エプロン地区に立ち入る前に金属製の落下物がないか確認します。その目的は・・・」「FODだね」アイランド曹長の説明に佳織が日本語で呟くと再び怪訝そうな目をして顔を凝視してきた。アイランド曹長は敵意ではないが、佳織に特別な関心を抱いているように感じる。
「理解しておられるなら詳しい説明は省略します。金属製の落下物をエンジンが吸引するとタービン・ブレードが破損する危険性あり、過去には爆発事故を起こた実例もあります。こちらのシビリアン(文民)の方は大丈夫ですか」アイランド曹長は佳織が髪をヘアピンではなくゴムでまとめているのを確認すると書記官に近寄った。すると女性とは言え鍛え抜いた筋肉質な体型に圧倒されたようで無意識に後退さった。その前に目つきも怖い。
「ネクタイピンとカフスボタンはこの袋に入れてお預かりします。見学が終わりましたらお返ししますから安心して下さい」案の定、書記官のネクタイピンとカフスボタンが回収対象品になった。アイランド曹長は腰のポケットから取り出したFODと書いたOD色の布製の袋に回収品を入れて同じポケットに収めた。
「それではご案内します」アイランド曹長は視線で大佐の承諾を求めると佳織と並んでFー18に近づいていった。それにしても袖を巻き上げて露出している腕も見惚れるほど逞しい。陸上自衛隊の古巣である通信職種の知的労働者の男性隊員では半分は負けそうだ。
「大佐はアーミーなのにどうしてFODと言う専門用語を知っているんですか」通常、下士官から士官、ましてや大佐に声をかけることはない。しかし、アイランド曹長は疑問を解消したいのか同世代の女性同士と言うこともあって遠慮がちに小声で質問してきた。
「夫が元エア・フォースだから豆知識に習ったのよ」「JASDF(ジャスダフ=航空自衛隊)ですね」「そうよ」先ほどまではWM(ウーマン・マリーン=女性海兵隊員)の標本のようだったアイランド曹長の目が少し桃色がかった不思議な色に染まった。
「それはマサヒト(任人)・モリヤ3曹ですか」「・・・そうだけど」唐突に初対面の女性の口から夫の俗名(現在は「ニンジン」)が出て、今度は佳織の方が我を失ってしまった。
「マサヒトは・・・ご主人は元気ですか」「今はグランド・セルフ・ディフェンス・フォース(陸上自衛隊)の2佐として元気で働いてるわ」ここまで話したところで見学する機体に到着した。
「コクピット(操縦席)はカオリだけだ。説明は私がしよう。ジュディはシビリアンを頼む」アイランド曹長が遠巻きに機体の周りを歩きながら部位の名称と機能を説明すると大佐が声を掛けて佳織をコクピットに掛けてあるラダー(=梯子)にいざなった。、
「部外者に見学させる時には保全が必要な画像装置や計器にカバーをするんだ。今回は予定外だったから同盟軍の大佐に限定にした」佳織を操縦席に座らせてステッキ・グリップ(操縦桿)を握らせると大佐は耳元で説明を始めた。それにしても息がかかるほど近いのは困る。
「随分、ジュディと親しそうに話していたが知り合いなのか」「いいえ、ただ何故か夫を知っているようで・・・」佳織は前を向いたまま答えた。顔を向けると口づけしそうな距離なのだ。ところが大佐は舌が届きそうな位置にまで顔を近づけて話を続けた。
「ジュディは普天間と岩国で勤務していたからそこで知り合ったのかもな。佳織が希望すれば昼食に同席させよう。そうなるとフィリピン軍のBXのレストランになるが」通常、男性は知人夫婦間の諍いでは夫の立場になって援護するものだ。ところが大佐は夫の過去の女性遍歴を暴露させようとしている。このような態度は下心が動機になっていることが多い。
「いいえ、アイランド曹長には個人として思い出話を聞きますから結構です」大佐の過剰な配慮を拒否して佳織は操縦席から前を睨んだ。すると前川原から築城基地に見学に行った時、夫の教え子の航空機整備員がFー4EJ改の説明していたことを思い出した。
USMC.jpgイメージ画像
  1. 2020/10/06(火) 11:50:09|
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振り向けばイエスタディ2057

佳織は着任後、フィリピン国防省やマニラ地区を統括する首都圏コマンドの司令部(フィリピン軍はアメリカ軍と同様に陸海空の軍種ではなく地区で部隊を編成している)と近傍の所在部隊の公式訪問を終えるとフィリピンへの正式駐留に先立って派遣されているルソン島内のアメリカ軍部隊に足を伸ばした。
「カオリじゃあないか」ルソン島の中央・ヌエバエシハ州にあるフィリピン海軍のフォート・マグサイサイ基地に間借りしている形のアメリカ海軍航空隊の指揮官はハワイの太平洋軍司令部で親しくしていた海軍大佐だった。大佐は両手で握手をした後、挨拶として抱き締めようとしたが流石に控えた。やはり佳織の後ろに立っているサマー・スーツ姿の大使館員=文民の目を気にしたのかも知れない。在外公館警備官が自衛官であれば非公式に制服を着て副官のような役割を演じるのだが、フィリピン大使館では文官の書記官になる。これも公務上の会話内容を記録するためなので断る訳にはいかない。
「座ってくれたまえ」大佐に勧められて佳織がソファーに腰を下ろすと若い大使館員も下位者の席を選んで座った。大佐は部屋の冷蔵庫から缶コーラを3本取り出して前に置いた。現在は臨時派遣部隊なので人員は必要最小限に抑えられており、接遇をさせる余裕はないようだ。
「日本のジエータイは随分とカオーリを重宝しているな。やはりUSアーミーのCGSを卒業した逸材だからかね」「そう言えば私の娘はUSネービーを目指してハワイ大学のROTC(予備役士官訓練課程)を受講していますよ。名前は志織でパイロット志望です」「ハワイ大学のミジップマン・シオリ・モリヤ(モリヤ志織候補生)だね。採用担当者に電話しておこう」大佐のお世辞を利用して志織を売り込むのに成功した佳織は自分には似合わない母親としての務めを果たしたような気がした。結局、表敬訪問の予定が旧交を温めることになった。
「アメリカとフィリピンの相互防衛条約は1991年のピナトゥボ火山の噴火でクラーク基地とスービック軍港から撤収して以来、停止状態でしたけどようやく再開するんですね」「同時多発テロへの協力が理由だが、フィリピンとしてもアメリカ軍の不在に乗じて中国が一路一帯戦略を始動させたことに対応する必要性に迫られてのことだろう」中国はアメリカ軍が1991年にフィリピンから撤収すると、それを待っていたかのように南シナ海の島々に監視兵を配置したのに続き、兵舎を設置して小規模部隊を常駐させ、今では滑走路の建設まで進めている。
「それでクラーク基地とスービック飛行場に戻るのかと思えばフィリピンの島々に分散展開するんですか」「流石に詳しいな。クラーク基地は今では国際空港として整備されてしまったから軍事基地と併用するのは好ましくない。だから南シナ海をカバーするフィリピン軍の基地で協力して南沙諸島への侵攻を阻止するのが今回のミッションだ」日本には政権与党の政治屋たちが地元にある航空自衛隊の滑走路を民間機にも使わせるように圧力をかけて併設された戦闘機の基地兼旅客機の空港が複数存在するが、今回、アメリカ軍は運用と保全上の理由からそれは回避したようだ。その点では三沢基地と岩国基地の軍民共用には重大な問題がある。
「結局、コラソン・アキノ政権が押し進めた親中と言うよりも属国化政策の成果が如実に表れているんですね」「彼女は所詮、華僑だからな。夫のベニグノ・アキノがマルコス政権を批判したのも、実際はアメリカとの相互依存体制を破壊して大量に流入している華僑が政治経済の実権を奪取することが目的だった。マルコス政権が暗殺と言う手段を用いたことでマスコミを敵に回してしまった。アメリカでもマルコス批判が凄まじかったからな」1983年8月21日にベニグド・アキノ上院議員がマニラ国際空港で暗殺されて、1986年2月25日に妻のコラソン・アキノが大統領に就任した頃、佳織はアメリカの大学で学生生活を送っていた。アメリカにとってフィリピンは旧保護国であり、学生の関心もアジアの事件としては異常に高かったが、やはり大半はマスコミの扇動に同調していた。
「フィリピン軍は『アジア最弱の軍隊』と揶揄されますが、先日、空軍のバサ基地に行ってそれを実感しました。使っている戦闘機は韓国が日本のTー4練習機を模造して無理に武装したFAー50ですもの、あれではアメリカ軍にいてもらわなければ中国軍相手に防空はできませんよ」「韓国がもう少し上手く日本のTー4をコピーしてくれればNATOのアルファ・ジェットくらいの攻撃機になっただろうけど韓国の技術では・・・安いのだけが取り柄だね」大佐は空母の戦闘機パイロットだけに戦闘機に対する見識はかなり厳しい。幸い佳織も元航空機整備員の夫から予備知識を与えられているので理解はできた。
「戦闘機に興味があるなら後で見学させてあげよう。彼は文民だからコクピットには座らせられないがカオリは許可しよう」意外な展開に対話の要点をメモしていた大使館員は顔を上げて不満そうな表情で大佐と佳織を見回した。実は隠れ軍事マニア=戦闘機オタクなのかも知れない。
  1. 2020/10/05(月) 13:33:22|
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10月5日・ユネスコが制定した「世界教育者の日」

明日10月5日は1994年に国際連合教育文化機関=ユネスコが制定した「ワールド・ティーチャーズ・デー=世界教育者の日」です。
野僧の家系は父方、母方共に教員が多く、父方の山形県の親族は小学校の校長を含む教員と大学教授、愛知県の伯父も中学校の教員。母方は祖父と叔父、従弟の3世代が教員です(母親の実家は「お」で始まる姓なので従弟は「GTO」と呼ばれていた)。そのため生身の教員と間近に接する機会が極めて多く、小中高校でも他の生徒よりも好く言えば親しく、悪く言えば馴れ馴れしく職業人としての実態を冷めた目で観察してきました。
英語の「ティーチャー」は「ティーチする人」なので直訳すれば「教育者」ですが、日本には「教師」「教諭」「教員」から「先生」まで微妙に違う呼称があります。この違いについて戦前から戦後まで小学校の教員だった母方の祖父から解説を受けましたが、「教師」は「知識を教え、道を説き、範を示す」と言う重い意味だそうで祖父は「『聖職』と同義語だ」と力説していました。「教諭」は「教え諭す」で仕事そのもの、「教員」は「教育を担当する職員」なので仕事よりも身分を表わしているそうです。一方、「先生」は先に生まれた年長者ではなく「先達」のことだそうで教員と医者が双璧ですが、関西では一般的な敬称として店員と客の間などでも常用されています。
明治・大正生まれで戦前の師範学校や大学で学んだ祖父世代の教師たちと周囲にいた戦後世代の教員を見比べると祖父たちには「聖職者」としての気概と覚悟、威厳がありましたが、戦後世代はどちらかと言えば教育の技術屋で、勉強する意義や知識を得る歓びを語るよりも教科書の内容を理解させて試験で高い得点を取らせることを自己の能力=技量としているようでした。確かに戦後も時間が経過すると受験制度が確立して高得点を取る者が優等生として志望する進路を実現するようになり、教員もその中に含まれていました。このため教員は得意で好きな学科を教える専門家になりましたが、担当の科目が苦手・不得手な生徒を救済する方法を知らず、むしろ理解不能に陥っていたようです。読書が嫌いな生徒に漢字の読み方や文法を説いても益々遠ざけるだけで物語の面白さを語ってこその国語の教育でしょう。1足す1を習って「その1はどこから持ってきたの」と質問する野僧のような児童にはドンドン高度化=数字が大きくなる算数は理解不能・無意味な時間を空費するだけの拷問に過ぎませんでした。
また60年安保、70年安保を大学で過ごした世代の教員は過半数が日教組に加盟し、一部は活動家として学校教育を生徒にマルクス主義と毛沢東思想を洗脳する道具にしていましたが、この世代は学生運動が日本の倫理道徳を保守反動と否定したため学内での集会の後には男女学生による乱交が横行していて、教員になってからもそれを実践していたことが教え子である優秀な女子大生の貞操観念が崩壊する原因になりました。
現在は日教組の加盟率が半数を大きく切り、70年安保世代も消えましたからユネスコが提唱する通り「教育者に感謝する日」に、むしろPTAの方が自己の言動を反省して教員に謝罪する日にするべきかも知れません。
  1. 2020/10/04(日) 13:08:28|
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振り向けばイエスタディ2056

「さっきから気になっているんだけど夫の現在の階級は2佐よ。司法試験に合格して法務幹部に指定されて自動昇任したの」「2佐と言えば警察では警視に相当しますね。それは大変失礼しました」佳織の指摘に山本警部は真剣に謝罪した。1尉なら警察では警部であり、追いついたつもりで話していたようだ。尤も、自衛隊の昇任については部内紙などに載っているので隊員の間では周知されていても部外者は個人的な付き合いがなければ知る術がない。現在の職務上、1佐の防衛駐在官が外務省の1等書記官と警察の警視長(1佐は補職によって警視長と警視正に分かれる)に相当するのは常識でも夫の階級まで調べる手間はかけなかったようだ。
「それでご主人は現在どちらで」「オランダの国際刑事裁判所で検事をやっています」「検事ですか。それは羨ましい」山本警部が本当に羨ましそうな口振りになったので、佳織は意味が判らずルーム・ミラーで顔を注視した。
「ご主人の公判は我々も身柄を拘束した担当者として注目していましたが、連戦不敗の検察官が妙に頼りなく見えてドンドン追い詰められていくのが判りました。敗訴後に上司は検察官から『裏で被告人が裁判を指揮していた』と聞いたそうで、公判中のご主人が焦る検察官を同情したような目で見ていたのも当然でした。その後の海上自衛隊の事故の裁判も何度か傍聴しましたが、弁護士と言うよりも検察官を弄ぶ大悪党のようで絶対に検察の方が適職だと思っていました」「そうですか・・・」佳織は夫が被告人だった時も弁護士になってからも裁判を傍聴したことはない。然も、夫が「まぐれで司法試験に合格した」と謙遜したのを信じて弁護士としての能力は認めていなかった。ところがA日新聞に閣僚の靖国参拝を揶揄する発言が載った不祥事を回避するためオランダに赴任=隔離させられたにも関わらずイージス護衛艦と漁船の衝突事故の裁判に勝訴した功績を認められて統合幕僚長から2級賞詞を授与され、こうして傍聴していた警察官も絶賛しているのを聞いていると自分の認識の誤りを自覚せざるを得なくなった。
「公判でのモリヤ2佐の弁論を聞いているとボクシングを見ているような気分になったんですが、何か格闘技をやるんですか」「夫は日本拳法3段で自衛隊の格闘指導官だけど」「日拳かァ。それなら分かる」この山本警部の返事は益々意味不明にした。
「日本人は裁判に限らず何かをやる時、武道の一本の発想で完璧な一手を繰り出そうとしますが、モリヤ2佐の場合は反射神経で戦っているようで、ボクシングのジャブやフックで痛めつけた後に極め技のストレート、むしろアッパーでノックダウンを奪うんです」「確かに・・・」佳織も前川原で出会い、守山で一緒に暮らしていた頃までは夫のそんな発想と思考を誰よりも理解していた。しかし、知らぬ間に見失い事実上の離別に立ち至ってしまった。
「夫は若い頃、坐禅にも励んでいたから禅問答が身についているんでしょう」「そんなご主人と離れ離れでは淋しいですね」山本警部と佳織の対話を聞いていてモリヤ2佐に興味を持ったのか隣りから妻が声をかけてきた。その目には深い同情の色がある。
「ウチは私のアメリカへの留学と赴任が多かったから別居には慣れてますよ。流石に2人揃っての海外赴任は私がアメリカ留学中に夫が北キボールPKOに行って以来だけど」「夫も外事課でしたから海外出張は多かったですけど長期赴任はありませんでした。それに私は専業主婦ですから赴任となればついていけます」佳織にとってこの言葉は最も辛く痛みを伴うものだった。夫婦関係の修復を願っていながら今回の人事も移動先の希望と言うささやかな抵抗を示しただけで受け容れた。山本警部は唐突に黙ってしまった佳織の顔を見ると話題を換えた。
「前任の駐在官は現地人のメイドを雇っていましたがモリヤ1佐はどうしますか。単身赴任には慣れていると言うことでしたが」「女性には他人に家事を任せるのを嫌う心理もありますから無理にではありませんよ」すかさず妻が助け船を出した。この夫婦の呼吸も中々のものだ。佳織としては長い単身生活も自力で維持していたので特に必要はない。
「どちらかと言えば屈強のボディ・ガードを雇わないといけないんじゃあないかしら。勿論、住み込みにはできないけど」佳織の返事は意表を突いているが現実的でもある。実は在フィリピン大使館でも防衛省から「女性自衛官を後任とする」との打診を受けて「警護」が問題になっていた。宿舎のマンションには高度な防犯装置が完備していても市街地で強奪的盗難や暴行傷害、さらに性的被害を受ける可能性は排除できない。山本警部は空港で出迎えた佳織が女性として十分に魅力的なのを確認して性的被害の可能性を考え、佳織の口から「護身用の武器」と言う希望が出た時、警備官としての職務の限界を痛感していた。
「私も日拳初段の黒帯だから刃物くらいなら何とかなるけど」佳織は黙ってしまった山本警部に強がって見せたが、腹の中では志織に強力なスタンガンを送らせることを考えていた。
  1. 2020/10/04(日) 13:05:45|
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振り向けばイエスタディ2055

「実は私はご主人にはお会いしたことがあるんですよ」大使館のナンバーをつけたワゴン車に乗り込むと山本警備官は意外な話を切り出した。佳織は夫の警察人脈についての話を聞いたことはないが思い当たらない訳でもない。
「弁護士でしたからね。裁判で対決しましたか」裁判では検察側の証人として警察官が出廷することは珍しくない。検察側の証人であれば弁護人が質疑応答で追及するのは当然だ。しかし、山本警部はルーム・ミラーの中で佳織の顔を見ながら首を振った。
「北キボールでの戦闘行為で帰国されたモリヤ1尉を上司と一緒に機内で身柄拘束したんです。そこから成田まで隣りの席に私が座って事情聴取したんですが・・・」ここで山本警部は何故か大きく息を吸ってから顔を引き締めて話を続けた。
「モリヤ1尉は驚くほど堂々としていて我々の対応の不備を指摘して会話の主導権を奪ってしまいました。おまけに座席では私を相手に法律談議を始めてどちらが司法警察官か判らなくなるような高度な法律の知識を披露してくれたんです」佳織にはその場面が目に浮かぶようだが、警察官と自衛官ではどちらが高度な法律に関する知識を有しているかが判らない妻は山本警部の側頭部と佳織の横顔を見比べながら首を傾げた。
「モリヤ1尉は大学では法学専攻だったそうですね」「そうです。兎に角、刑法の講義が面白くて毎回最前列中央の席で教授の話を聞いてたって言ってましたよ」「だから刑法93条の私戦の予備陰謀とか、第94条の中立義務違背なんて我々でも耳にしたことがない罪状が刑罰までスラスラ出てきたのか」山本警部は謎が1つ解けたようで納得したようにうなずいた。そんな様子を見て妻は意外な点に関心を示した。
「そんなに面白い講義ってどんな内容だったんですかね。刑法なんて殺したり、傷つけたり、盗んだりする人間の凶悪な面を罪にする法律じゃあないですか」この発言を夫に聞かせれば法律ではない法話の会を始めそうだ。
「毎回、古今東西の死刑の解説から始まったそうですよ。夫は教授から『日本の処刑方法は絞首刑ではなく吊首刑だ』って教えられたから、死刑判決を受けたら刑法の誤りを追及する裁判を起こそうと楽しみにしてたって言ってました」「あの時、モリヤ1尉は3名殺害の殺人罪で訴追を受けていたんだから死刑になる可能性もゼロではなかったでしょう。恐ろしくはないんですかね」佳織が出所後に聞いた話を織り交ぜて説明すると山本警部は真顔になって質問してきた。唖然としていた妻も目をひきつらせて佳織を見ている。
「あの人は坊さんでもあるから諸行無常・生者必滅・因果応報の真理を悟り切っているんです。この世で見事に散って浄土の池の蓮に咲きたいが希望ですから恐くはないでしょう。もう1つ、死刑になるなら切腹にしたい。それは憲法が定める表現の自由だって言う裁判も起こすつもりだったみたいです」「はァ・・・」ここまで来ると流石に警察官とその妻も呆れるしかなかった。暫く黙った後、山本警部が話を換えた。
「私たちもモリヤ1尉の裁判には注目していたんです。日本では警察官が銃で被疑者を射殺すると必ず人権派弁護士が殺人事件として刑事告訴します。しかし、今後日本でも欧米のようなテロが頻発するようになれば今の手順を簡略化して対処せざるを得なくなる。そうなった時、現在のように無罪判決を維持できるのか。そのための判例になると期待していました」「期待に答えられましたか」佳織は今の話題が久しぶりにモリヤの妻を演じさせてくれていることに気づき少し胸を時めかせながら確認した。
「半分ですね。裁判所が公務執行としての武器使用の範囲が非常事態においては警察官職務執行法の規定を超える可能性を認めたことは大きな成果でした。ただし、地裁判決なので判例としては弱い。その一方でモリヤ1尉の戦闘行動は冷静沈着過ぎて死の恐怖に駆られる凡人では真似できない。あれが判例になるとパニックになって発砲した事例では逆に不利になるかも知れません」以前の佳織であれば関西人らしく「ご迷惑をおかけします」と茶化して場の空気を軽くするのだが、今はそのような立場ではないことを自覚して黙って聞いていた。
「私としてはモリヤ1尉が海外での武器使用の前例を作ったことで政府が海外で勤務する国家公務員の武器の携行と使用を認めるようになればと期待したんですが、今回は間に合いませんでした」「私は護身用にアメリカ軍の友人から借りようかしら」ようやく佳織のお茶目が破裂し、ルーム・ミラーの山本警部は頬を引きつらして笑い、妻は困ったように顔を車窓に向けた。日本の国内法で外務省には武器を保有し、使用する権限が認められていないため、戦地で活動する外交官だけでなく緊張状態にある国で勤務する在外公館警備官さえも武器の携帯と使用は認められていない。夫が海外で真剣の軍刀を携帯しているのにはそのような事情があるのだ。
  1. 2020/10/03(土) 12:25:10|
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10月3日・東洋の大魔女・河西昌枝主将の命日

2013年の明日10月3日は258連勝と言う不滅の大記録を打ち立てたニチボー貝塚と東京オリンピックのバレーボール・チームの主将だった河西昌枝さんの命日です。
河西さんは昭和8(1933)年に現在の山梨県南アルプス市で生まれ、地元の高校を卒業後、日本紡績(後のユニチカ)に就職しました。当時としては突出していた174センチの身長とずば抜けた身体能力を武器にバレーボール部で頭角を現すと昭和29(1954)年に日本紡績は各工場に散らばっていた有力選手を貝塚工場に集め、資材係長だった大松博文監督の下で徹底的に強化して日本一のチームに育成することを決定したのです。
日本紡績貝塚工場での練習は朝6時半の起床で8時から4時半まで通常の仕事を終えてから体育館に集まって清掃、そして大松監督が「終わり」と言うまで深夜に及ぶことも珍しくなかったそうです。陸軍士官出身の大松監督は女子だけに顔面には手を上げなかったものの尻を叩く体罰は日常茶飯事で部員ではない社員からは「女の敵」と非難されいましたが、河西主将以下の部員は「鬼」とは呼んでも全面的に信頼して猛特訓に耐え、超人的な技量を身につけていったのです。中でも徒歩の移動では間に合わない位置に手から飛び込み、柔道式の受け身で態勢を瞬時に立て直す回転レシーブや背後でジャンプするアタッカーに球を送るバック・トス、さらに強打に見せかけて軽く弾いてタイミングを外すフェイントなどの新たな技を編み出して昭和33(1958)年には全日本総合と全日本実業団、都市対抗、国民体育大会の4冠を達成し、昭和36(1961)年のヨーロッパ遠征では戦に全勝して「東洋の魔女」の呼び名を贈られ、昭和37(1962)年の世界選手権には単独チームで出場して優勝しました。そして昭和39(1964)年の東京オリンピックにはコーチ兼主将として出場すると、それまで伸ばして編んで縛っていた髪を短く刈り上げ、「女として認めて欲しい」と大松監督に迫り、練習中も伸ばしてマニキュアを塗っていた爪も切って試合に臨んだのです。試合では緒戦のアメリカが3-0、2回戦のルーマニアは3-0、3回戦の韓国も3-0、準決勝のポーランドは3-1で破り圧倒的な強さを見せ、10月23日に行われた決勝のソ連は流石に2桁の得点を2回許したものの(それまでポーランド戦で落とした1セット以外は全セット1桁で取っていた)3-0で勝利したのです。
オリンピック終了後、佐藤栄作首相と面談する機会を得た大松監督は青春をバレーボールに捧げ婚期を逃していた河西さんの相手探しを依頼し、昭和40(1965)年1月に引退して5月30日に2歳年上で身長は2センチ低い空挺レンジャーの中村和夫2尉と結婚したのです。翌日の披露宴は全国にテレビ中継されました。
その後もママさんバレーボールの普及に尽力し、2008年にはアメリカのマサチューセッツ州にあるバレーボールの殿堂入りを果たしましたが、5年後のこの日に脳出血で亡くなりました。80歳でした。
スポーツ選手で自衛官の妻と言えば女子マラソンの佐々木七恵さんがいますが、こちらは2009年6月27日に直腸癌で53歳の若さで亡くなっています。
  1. 2020/10/02(金) 12:33:19|
  2. 自衛隊史
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振り向けばイエスタディ2054

私と梢がオランダで妙な国際問題に熱中している頃、佳織は国際問題の渦中に飛び込んでいた。いよいよフィリピンはルソン島のケソン市にある在フィリピン日本大使館に防衛駐在官として赴任したのだ。女性の防衛駐在官は史上初めてだ。
「モリヤ駐在官ですね。在フィリピン日本大使館の在外公館警備を兼務しています山本警部です」ニノイ・アキノ国際空港には警察庁から派遣されている在外公館警備官の山本警部と妻が迎えに来ていた。かつて在外公館警備官は防衛庁、警察庁、海上保安庁、公安調査庁、入国管理局から外務省に配置換えと言う形で任命・派遣されていたため公的には制服が着用できなかったが、2000年からは防衛駐在官と同じく出向・兼務になったので外交官と自衛官、警察官、海上保安官などの身分を併用できるようになり、山本警部は半袖の夏制服を着用している。佳織も制服を着ているので相互に挙手の敬礼を交わした。
「フィリピンの警備官が警察から派遣されていることは知っていたけど私の指揮下にはないのよね」「はい、大使の直轄です」佳織の確認に山本警部は淡々と明確に答えた。防衛駐在官と在外公館警備官は指揮系統にないが、実際は自衛官の警備官は事実上の部下として手足のように働き、現場指揮官クラスの少佐や大尉に人脈を築いて視点が違う情報を入手している。今回、佳織は手足をもがれた身体で近年、中国との対立を深めているフィリピンでの軍事情報の収集とフィリピン国防省や在フィリピン・アメリカ軍との調整を果たさなければならない。佳織はキャリー・バッグを受け取った山本警部に続いて歩きながら無意識に唇を噛んでいた。
「失礼ながら現在のフィリピンにおいては防衛協力よりも犯罪捜査の連携の方が重要視されています。警察庁としても大使館に配置がないので公式には常駐させていませんが、事実上は連絡官を継続的に派遣していて、私もその業務の支援にも当たっているんです」佳織の不満そうな表情に気づいた山本警部が事情を説明した。確かに日本とフィリピンの防衛協力に関する実績は思い当たらない。強いて言えば昨年の11月から12月に超大型台風での甚大な被害に対する災害派遣と救援物資輸送を実施したくらいだ。その点、警察の犯罪捜査の連携は新聞やテレビでも頻繁に目にするからこちらを重要視するのは適切な対応と認めざるを得ない。
「それじゃあ奥さまは昨年11月8日の超大型台風を経験されたのですね」「はい、ヨランダですね(フィリピンでの呼称)」「日本では台風30号って呼んでます」佳織が同じ女性として妻の苦労話を聞き出そうとすると逆に胸に溜まっていたモノを吐き出すように話し始めた。
「私たちは鉄筋コンクリートのマンションに住んでいますから結果的には停電や断水で苦労しただけでしたけど、主人は在留邦人の所在と安危の確認のために出勤していて子供と一緒に怯えていました」妻は公務で不在だった夫を責めている訳ではないが、山本警部は女性たちとは反対側の顔に家族を守れなかったことを悔やむような表情を浮かべた。
「上陸したのは明け方の午前5時前でしたけど子供たちを着替えさせて、風下になる子供部屋に閉じ込めたんです。マンションの窓には雨戸がないから飛散物で割れてもガラスの破片を引っ掛けて止めるようにカーテンを閉めていたんですが、心配になって覗いても窓は吹きつける雨で外が見えず、下で電線が切れて火花が光っていました」「最大瞬間風速が90メートルを超えてましたものね」佳織が新聞やニュースで紹介していた桁外れな数字を思い出して補足すると妻は「理解者」と思ったようにうなずいた。
「気圧も895ヘクトパスカルでしたから凄く耳が痛くなって両手で耳を押さえて通り過ぎるのを待っていたんです。静かになって外を見たら木造の建物はなくなっていて、自動車やトラックが吹き飛んで電柱は全部折れていました。それで停電になったのは判ったんですが、冷蔵庫が使えなくなった上にガスも駄目、エレベーターが動かなくなって下にも行けない。こっちは日本みたいに非常階段が設置されていないんです」「そのくらいにしておかないとモリヤ駐在官が不安になるだろう」妻の体験談が佳境に入ってきたところで山本警備官は制止した。自衛隊であれば非常食は電気、ガス、水道などが使用できない状況を想定した缶詰などの演習用コンバット・レーションと飲料水を用意するのだが、警察がそこまで考えたかは疑問だ。佳織としては久しぶりに演習を思い返して非常食を準備することにした。
「駐在官の宿舎は別のマンションですが、大使館に届いた衣類などの荷物は運んであります。今夜はホテルですが明日からはご自宅でお過ごし下さい」「お手伝いすることがあれば言って下さい。明日には買い物などもご案内します」ロビーを出て駐車場に向かって歩きながら夫婦が交互に説明した。明日は大使に着任の申告をしてからは自由になっている。妻に安心できる食材や衣料品を買える店を案内してもらえば高松での単身赴任生活と変わりはない。女性としては治安に不安があるが、流石にフィリピン最大の都市では行動する時間と場所に注意すれば大丈夫だろう。
  1. 2020/10/02(金) 12:31:09|
  2. 夜の連続小説8
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第94回月刊宗教講座・短い経文シリーズ第10弾「大悲呪」

野僧はこの経文は「嫌い」と言っては叱られるので「苦手」なため托鉢で用いることはないのですが、曹洞宗での坊主稼業では憶えざるを得ませんでした。
「大悲呪」=「南無喝囉僤怛那。哆囉夜耶。南無阿唎耶。婆盧羯帝。爍盋囉耶。菩提薩◆(=「足」辺に「多」)婆耶。摩訶薩◆婆耶。摩訶迦嚧尼迦耶。唵薩■(=「白」辺に「番」)羅罰曳。数怛那。怛寫。南無悉吉栗。埵伊蒙阿唎耶。婆盧吉帝室佛囉。楞駄婆。南無那囉謹墀醯唎摩訶■哆。沙咩薩婆。阿他。豆輪朋。阿逝孕。薩婆薩哆。那摩婆伽。摩醯特豆。怛姪他唵。阿婆盧醯。盧迦帝。迦羅帝。夷醯唎。摩訶菩提薩埵。 薩婆薩婆。摩囉摩囉。摩醯摩醯。唎駄孕倶盧倶盧。羯蒙。度盧度盧。罰闍耶帝。摩訶罰闍耶帝。陀囉陀囉。地唎尼。室佛囉耶遮囉遮囉。麼麼罰摩囉。穆帝隷。伊醯移醯。 室那室那阿囉嘇佛羅舎利。罰沙罰嘇。佛囉舎耶。呼盧呼盧。摩羅呼盧呼盧。醯唎。裟囉裟囉。悉唎悉唎。蘇爐蘇爐。菩提夜菩提夜。菩駄夜菩駄夜。弥帝唎夜。那羅謹墀。地唎瑟尼那。婆夜摩那。裟婆訶。悉陀夜裟婆訶。摩訶悉陀夜。娑婆訶。悉陀喩藝室■羅耶。娑婆訶。那羅謹墀。娑婆訶。摩羅那羅娑婆訶。悉囉僧阿穆佉耶。娑婆訶。娑婆訶悉陀夜。娑婆訶。者吉囉。阿悉陀夜娑婆訶。波哆摩羯悉陀夜。娑婆訶。那囉謹墀。■伽囉耶娑婆訶。摩婆利勝羯囉耶娑婆訶。南無喝羅怛那哆羅夜耶。南無阿利耶婆盧吉帝。爍■羅夜。娑婆訶。悉殿都。漫多羅。跋陀耶。娑婆訶」(句点は曹洞宗式)
この経文は天台宗や真言宗でも勤めていますが禅宗の方が多用しており、臨済宗では「大悲円満無礙神呪」、曹洞宗では「大悲心陀羅尼」と呼んでいるため「大悲呪」の略称で両者に通じるようにしています。
経文自体の差異としては「ら」の当て字に「羅」と「囉」、「い」が「伊」と「移」で違っているくらいで、これは出版社の誤植の可能性もあります。ところが振り仮名だけを見比べると両者の読み方が全く違うように思われますが、曹洞宗は何も考えずに振り仮名を棒読みしますが、臨済宗では振り仮名は漢字の読みとして振っているだけで実際は勤経で口伝される読み方になり大差はありません。しかし、愛知県の東三河の曹洞宗の寺院が春の彼岸で勤めている「観音懺法」と言う天台宗の声明で大悲呪を唱えると経本の振り仮名が臨済宗式のため舌を噛みそうになりながら無理に間違った棒読みをする羽目になります。何にしても同じ音の呪文の繰り返しが極めて多く、陀羅尼は漢字が難解な上、日本語と結びつかないため頭の中で文字を思い出しても役に立たず、かなりベテランの坊さんでも単独で暗唱していると詠んでいる個所が判らなくなることがあるそうです。
臨済宗「だいひえんまんむげじんしゅう」=「なむからたんのう。とらやや。なむをりや。ばりゃきちい。しふらや。ふぢさとぼや。もこさとぼや。もこきゃるにきやや。えんさはらはえい。しゅたんのとんしゃ。なむしきりといもをりや。なむしきりといもうをりや。ぼりょきちいしふらりとぼ。なむのらきじきりもこ。ほどしゃみさぼをとぢょしゅべんをしゅいん。さぼさとのもばぎゃもはててぅ。とじとえん。をばりょきいりょぎゃちぃ。ぎゃらちぃ。いきりもこ。ふぢさと。さぼさぼ、もらもら。もきもきりといんくりょくりょけも。とりょとりょぼじゃやちぃ。もこほじゃやちぃ。とらとら。ちりに。 しふらや。しゃろしゃろももはもら。ほちり。いきいき。しのしのをらさんふらしゃり。はざはざ。ふらしゃや。くりょくりょ。もらくりょくりょ。しりしり・すりょすりょ。ふぢやふぢや。ふどやふどや。みちりや。のらきんじ。ちりしゅにの。ぼやものそもこ。しどやそもこ。もこしどやそもこ。もらのらそもこ。らすんをぼぎゃやそもこそぼもこしどやそもこ。しゃきらをしどやそもこ。ほどもぎゃしどやそもこ。のらきんじはぎゃらやそもこ。もぼりんぎゃらやそもこ。なむからたんのとらやや。なむをりや。ぼりょきちぃしふらやそもこ。してどもどらほどやそもこ」
曹洞宗「だいひしんだらに」=「なむからたんのー。とらやーやー。なむおりやー。ぼりょきーちい。ふじさとぼーやー。もこさとぼーやー。もうこーきゃーるにきゃーやー。えんさーはらはーえい。しゅうたんのー。とんしゃ。なむしきりー。といもうおりやー。ぼおりょきーちいしふらー。りんとうぼー。なーむーのーらーきんじーきーりーもーこーほーとー。しゃーみいさーぼー。おーとー。じょうしゅーべん。おーしゅーいん。さーぼーさーとー。のーもーぼーぎゃー。もーはーてーちょう。とーじーとーえん。おーぼーりょうきい。るーぎゃーちー。きゃーらーちい。いーきり。もーこー。ふじさーとー。さーぼーさーぼー。もーらーもーらー。もーきーもーきー。りーとーいんくーりょー。けーもう。とーりょーとーりょー。ほーじゃーやーちー。もーこーほーじゃーやーちい。とーらーとーらー。ちりにー。しふらーやーしゃーろーしゃーろー。もーもーはーもーらー。ほーちいりー。いーきいいーきい。しーのーしーのー。おらさんふらしゃーりー。はーざーはーざん。ふらしゃーやー。くーりょーくーりょ。もーらーくーりょー。きーりー。しゃーろーしゃーろー。しーりーしーりー。すーりょーすーりょー。ふじやーふじやー。ふどやーふどやー。みーちりやー。のらきんじー。ちりしゅにのー。ぼやもの。そもこー。しどやーそもこー。もこしどやー。そもこー。しどゆーきーしふらーやー。そもこー。もこしどやー。そもこー。いどゆーきーしふらーやー。そもこー。のらきんじー。そもこ。もうらーのーらーそもこー。しらすー。おもぎゃやー。そもこー。そぼもこしどやー。そもこー。しゃきらー。おしどーやーそもこ。ほどもぎゃしどやー。そもこ。のらきんじー。はーぎゃらやー。そもこー。もほりーしんぎゃらやー。そもこ。なむからたんのーとらやーやー。なむおりやーぼりょきーちいしふらーやー。そもこ。してどー。もどらー。ほどやー。そーもーこー」 
明治44(1911)年に横浜市鶴見区に移転した曹洞宗の大本山・總持寺が現在の能登祖院に在った頃、2世貫主の峨山韶石は現在の福井県羽咋市の永光寺の住職を兼ねていたため、こちらの朝課(朝の勤経)を終えてから約60キロの道を移動して總持寺の朝課を勤めたと言われており、修行僧たちは大悲心陀羅尼の1音1音を可能な限り伸ばして唱える「真読(しんどく)」と呼ばれる独特の勤経が継承されています。それにしても老齢だった峨山はフル・マラソンよりも長い距離をどのくらいのタイムで通ってきたのか。
大悲呪が禅宗の檀家・信徒の耳に触れるのは主に葬儀で、遺骸を棺に納める場面の入棺諷経と棺を火葬場や埋葬地に運ぶために持ち上げる場面の挙棺念誦で唱えるだけでなく、参列者が少ない時の焼香でも詠みますから坊主としては暗記せざるを得ないのです。儀式の執行者でもある導師としては遺族に人数合わせに「初心者=素人を呼んだ」と思われたくないので、口パクでも経本を開くことは許さないのです。
その他にも時間との戦いになる盂蘭盆会の棚経や臨済宗の施餓鬼法要の「広開甘露門施餓鬼文」、曹洞宗の施食の「甘露門」の前にも勤めています。ちなみに臨済宗の「広開甘露門施餓鬼文」は関西から北陸の曹洞宗でも用いられている「大施餓鬼」と言う呪文で、一般的な「甘露門」とは別なので、こちらも詠み出しの「若人欲了知(じゃにんにゅうりょうし)」を共通の呼称にしています。そんなに重宝している万能経「大悲呪」の意味を理解するために訓読を紹介します。
「大悲呪(訓読)」=「佛法僧の三宝に、大慈大悲の御心に、恐れを除く観音に、帰依せばまことの言葉あり。衆生の願いみな足りて、悪しき鬼神も得寄せず、迷える衆生を引き寄せて、清き世界に導かん。三身佛性具せる身の、この世を超える大智慧の、観音憐れみ深くして、常に衆生を導きぬ。仰ぎなんいざ観世音、貪り怒り愚かなり、出ずる三毒とく消して、清き光を浴びせかし。ときわにかきわに道を得て、隠り身ならず世にありて、凡夫を悟りに導かん、菩薩の誓いたのもしき、菩薩の道を行いて、心に障るものもなく、自在に姿現わして、獅子王のごとく勇者なり。あらゆるものに姿かえ、輪宝をえ、蓮華手に、とさまにゆきかうさまにゆき、広く衆生を導きぬ。観音大悲仰ぐべし、堅く縁を結びてぞ、得離れずに学ばなん。果てなき教え極めなん。あらゆることを成し遂げて、あらゆるものを具えてし、観音菩薩のありぬれば、すべてこの世はめでたけれ」この訓読を見る限り、特に教えは説かれておらず「観世音菩薩は有り難い」と功徳を売り込んでいるだけで野僧には禅宗が常用する理由が判りません。葬儀の読経は死によって肉体を失った魂魄の不安を鎮め、迷いを除き、邪鬼魍魎から守るために勤めるとしても臨済宗は兎も角、只管打座の曹洞宗には如来や菩薩を招き寄せる法力を鍛える修行はないので、他宗派の模倣に過ぎないのでしょう。
「大悲呪」は他の神呪・陀羅尼と同様にインドで始まった後期密教で用いられ始められましたが当初は青頸観音のための経文とされていて、それが千手観音に転用されて中国に伝わり、やがて内容に獅子王が出てくることから家畜の守護でもある馬頭観音の供養にも用いられるようになりました。そのため小庵では毎月(「ワン」と「ニャン」の)12日に勤めている動物供養で「獅子王」が明示されている訓読を詠んでいます。
94・馬頭観音(木津川市・浄瑠璃寺)馬頭観音像(京都倶木津川市・浄瑠璃寺)
観世音菩薩像にしては珍しい憤怒像で、頭上に馬頭を載せ、四面三眼八臂の異形です。
  1. 2020/10/01(木) 11:32:02|
  2. 月刊「宗教」講座
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振り向けばイエスタディ2053

「何だ、この判決は」梢と2人、今年も呼ばれた日本大使館の花見会を楽しみにしてオランダの出足が遅い春の訪れを待っていた3月31日、夕食を終えてテレビで夜の英語ニュースを見ていた私は珍しくブチ切れてしまった。
「貴方に関係する裁判なの」流しで食器を洗っていた梢が怒鳴り声に驚いて早足に歩み寄ってきた。私は自衛隊の号令で鍛えた地声は大きくても口調は坊さん風で穏やかなのだ。
「いや、国際司法裁判所の方だ。オーストラリアが日本の南氷洋での調査捕鯨が商業目的だって訴えた裁判が日本の全面敗訴になった」この裁判自体は私が国際刑事裁判所に赴任する前の2010年5月31日に提訴されているので法務幹部として個人的に興味を持って調べていただけだが、オーストラリアの主張は捕鯨妨害団体・シーシェパードの代弁に過ぎなかった。その後、オランダの国際司法裁判所と同じスフラーフェン・ハーグ市で勤務することになったが傍聴には行っていない。またオランダは裁判とは無関係なので新聞やテレビが取り上げることはなく判決がニュースになっただけだった。テレビは次のニュースに移っているが私の解説は続き、梢はソファーの隣りに座って顔を覗き込んだ。その目が演技ではなく興味津々なのが嬉しい。
「日本の調査捕鯨は鯨の頭数が増えれば餌の魚を食べる量も増えるから太平洋の魚類の減少を引き起こしていると言う事実を検証する目的で実施しているんだ。ところがそれが実証されると捕鯨を再開する根拠になるから反対派は調査そのものを認めない。調査で捕獲した鯨を日本にで肉として販売しているのを根拠に商業捕鯨と断定しているから調査用の肉は破棄しろと言うことらしい」「ヨーロッパ人ってそう言うところがあるよね。奪った命を活用するって言う発想を不純だって嫌っているみたい」それはヨーロッパ人と言うよりもキリスト教徒だろう。兎に角、正と悪、白と黒に区分して正は純白、悪は真っ黒にしないと我慢できないらしい。
「それにオーストラリアの労働党政権は日本の調査捕鯨の国際司法裁判所への提訴を公約にして選挙に勝ったからこれは国内向けの公約履行でもある」「オーストラリアはどうしてそこまで捕鯨に反対するのかしら。シーシェパードに基地を提供してたでしょう」梢も沖縄で実家が取っている本土の新聞でこの裁判の記事を熟読していたようだ。それにしても旅行社の仕事には全く関係ない話題なので動機はやはり私との意識の接続しかない。
「それには裏の理由もあるんだ」「何々」声を落として前口上を述べると梢はテーブルに身を乗り出した。本当にこの人は観客として最高だ。
「オーストラリアは南極の自国側3分の1の領有権を主張しているんだ」「だって南極を領土にすることは国際条約で認められていないんじゃないの」「それは南極条約の第4条だな。ところがオーストラリアとアルゼンチンは領有権を凍結しているに過ぎないと主張している。だから日本が調査捕鯨を行っている海域はオーストラリアの領海と経済水域であって資源の管理権の侵害だと言うナショナリズムが国民の反対の根底にあるんだ」このような解説が新聞に載っているはずはなく毎度の研究で仕入れた独自情報だ。
「でも母国語の英語の弁論で国際向けに発信するから国際裁判では有利に展開するのね。国連人権委員会のスリランカ内戦の議事録を読んで嫌になっちゃった」梢の見解に私も同感だ。オランダ生活が長くなり英語で思考するようなると日本語で考えた論理を英語に翻訳すると主張したい要点が明確にならず論戦では勝負にならないことを痛感している。外務省であれば英語で思考しながら論戦に臨むことができるのだろうが、農林水産省の官僚や日本人の学者ではそこまでの英語力は持っていないはずだ。だから1982年に国際捕鯨委員会が商業捕鯨の猶予措置を決定して1985年と86年の商業捕鯨が禁止された時、鈴木善幸政権はアメリカ政府の圧力に屈して異議申し立てを取り下げたのだ。あそこで屈したことが捕鯨反対はを勢いづけさせたのだから鈴木善幸首相が元社会党の無能な政治屋だったことは間違いない。鈴木善幸は私が一般空曹侯補学生に入隊した時の首相だったので「最高指揮官があれでは」と少し後悔していた。幸い11月27日からは偉大なる中曽根康弘首相に代わったので士気は大いに上がった。
「待てよ。加倍首相の選挙区は下関市だっただろう」唐突に妙なことを思い出したが、衆議院選挙は沖縄1区の梢は知識を持っていないらしく返事をしなかった。
「防府に住んでいた頃、下関は捕鯨の街って聞いたことがあるぞ。そうなると負けっ放しと言う訳にはいかないだろう」それは防府で購読していた新聞の地元の話題欄に「昔、大洋ホエールズのホーム・グランドは下関市民球場だった」と言う記事が載っていた。
「山口情報なら田沼准尉だけど定型外の国際郵便は高くつくからなァ」田沼元准尉は2012年12月に加倍首相が政権を奪還した時、自宅とは別の新聞をコンビニで買ってまで送ってくれたが、重量が500グラムを超えたため郵送料も500円を超えていた。
  1. 2020/10/01(木) 11:29:35|
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