昭和40(1965)年の明日6月1日の午後12時40分頃に福岡県北部の筑豊炭田でも三井系列の主力炭鉱だった山野炭鉱で553名による発破作業中にメタンガスが突出し、充満した30分後に引火・爆発して237名が死亡、279名が重軽傷を負いました(計算上、無事だったのは37名のみ)。三井系列の筑豊炭鉱では昭和38(1963)年11月9日にも大牟田市の三池炭鉱で炭塵爆発事故が発生して458名が死亡していてそれに次ぐ大惨事になりました。
三池炭鉱の事故では458名の死者よりも救出された940名のうち839名が一酸化炭素中毒に陥り、その治療費や生活補償が死者への賠償金などの一時金よりも巨額になっていたためこの事故でも多くの憶測を呼び、それをマスコミが事実確認せずに報道したため深刻な社会問題を起こしました。
三池炭鉱の爆発は労働争議による深刻な人手不足で引火の危険性が高い粉末状の炭塵を撤去することができず、それに脱線したトロッコの火花が引火したことが原因とされ、山野炭鉱でも同様に放置していていたのではないかとの推測報道が流れましたが、実際はメタンガスが排気口の役割を果たしていた坑道で発生したことで充満したとされています。
また三池炭鉱では人手不足で近隣の系列の炭鉱から作業員を集めて救助隊を編成したため最も早く到着したのが2時間後、最終は7時間後になり、これが一酸化炭素中毒を深刻にしましたが、山野炭鉱では三池炭鉱の炭塵ではなくメタンガスの充満と言う悪条件が重なったため救助隊には2次災害を防止させる対策が加わり、前回以上に到着に時間を要することになり、その理由を三井の上層部が三池炭鉱の一酸化炭素中毒者の巨額な治療費と生活補償費が継続していることを経営上の損失として、それを免れるために坑内に取り残された生存者が全員死亡するまで待たせたと言う憶測が流れました。さらに現場で家族が遅れて坑道に入る救助隊員が「そろそろ良いかな」などと時間を潰していたかのような発言をしていたと証言し、それを新聞が一斉に報じたため事実のように信じられたのです。
その上、山野炭鉱では排気口の坑道が爆発現場になって崩落したため救助隊は引火に細心の注意を払いながらの掘削と機械による排気を併用した上で十分な安全確認を進めながらでなければ立ち入ることができず、結果的に279名の生存者のうち一酸化炭素中毒は37名と極めて少なかったことが憶測を証明する形になってしまいました。
官営八幡製鉄所直轄や三井・三菱・住友・古河の各財閥に地元の庄屋だった麻生一族(現当主は太郎元首相=この事故とは無関係)などが経営する炭鉱がひしめいていた筑豊炭田でも三井系列では「大三井が経営している炭鉱で事故など起こらない」と言う神話めいた風説が流れていて多くの炭鉱労働者を集めていましたが、この続発した事故で経営は完全に行き詰まり、国内の探鉱事業から撤退することになりました。
現在も九州と山口県では三池、山野両炭鉱の事故当日になるとローカル新聞に事故の検証記事が載りますが、生存者は高齢化により大半が浄土へ旅立っている一方で今も後遺症に苦しんでいる患者も存在しているようです。
- 2021/05/31(月) 15:17:48|
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「タイに行く時にはキチンとした服装が要るよね」「服喪中だから日本人として礼を尽くさないといけないな」12月に入り、軍事政権下のタイへの入国が許可された杉本と本間は旅行の準備を始めた。タイでは北京の中国共産党に臣従している華僑や毛沢東主義に洗脳されている反体制派を含む全国民が10月13日に崩御したラーマ9世・プミポン・アドゥンヤデート国王の喪に服している。ヨーロッパ人やアメリカ人の中には軍事政権への不服従とタイの不敬罪への批判を示すためあえて派手な軽装で街を闊歩して問題を起こす者がいるらしいが、2人としては当局とのトラブルは避けなければならず、何よりも他の国であれば内戦が起きても不思議がない対立に陥っていたタイで過ごし、その混乱の中で国家の支柱であり続けた立憲君主としてのラーマ9世に心からの崇敬の想いを抱いているのだ。
「ラーマ9世の火葬は1年後らしいけど外国人でもお参りできるのかなァ」「恥知らずな日本人が多いから微妙だよ。日本が1993年の凶作で米不足になった時、ラーマ9世は国内が米不足になるほど大量に送ってくれたのに日本人は『タイ米は不味い』って開封もせずに捨てたんだ。あの時、ラーマ9世は『我々は日本から多大な恩恵を受けている。今回は残念な結果になったが受け容れよう』って怒る国民をなだめてくれた。日本も戦前の冷害の時、朝鮮統治で灌漑用水を建設して農業指導したおかげで稲が作れるようになった朝鮮人が米の味を忘れないようにって東北人に大根をかじらせながら米を送ったんだ。平成の日本人は朝鮮人並みの恥知らずな忘恩の徒になったと言うことだ」「1993年は細川政権だったわよね。あの馬鹿殿さまじゃあ恥や恩は感じないわよ」本間も熊本の建軍駐屯地で勤務したことがあるので旧藩主の末裔から熊本県知事、首相になった細川首相の地元での悪評は聞き飽きている。地元では「細川知事が貢献したのは家宝の文化財を県立博物館に寄贈したことくらいだ」「あれは戦国武将の細川家よりも母方の近衛文麿首相の公家の血が濃い」と糞味噌に言われている。ただし、本間は近衛首相の実父の近衛篤麿公爵が大アジア主義を実現するために愛知大学の前身の東亜文化書院を創設したことを説明して「母方の公家の血」説を否定していた。
「帰りは台湾に寄るけど韓国も見たいんじゃあないの」「俺は韓国での情報人脈を失ってしまったから行っても飛び込み取材のフリー・ジャーナリストと大差ないよ。今の外務省には敵わないな」話題が朝鮮に移ったのを受けた本間の確認に杉本は意外なほど謙虚に自分の現状を認めた。以前の杉本は自分で開拓した韓国軍や在韓米軍などの人脈の他は政治ジャーナリストのアン・ヘリム(安楷林)に中央官庁の官僚やマスコミ関係者を紹介させていた。その安楷林を殺害した以上、接触を完全に断っていた。
「それでも実際のデモ隊の人数をカウントして見たいな。ここで本間は先日、杉本が指摘した主催者と警察が発表しているデモ参加者の人数格差の拡大を持ち出した。
「デモの参加者は10月29日の第1次は主催者発表が3万人で警察は1万2千人で水増しは2倍強、11月5日の第2次が20万人と4万5千人で4倍強、そして主催者側が『21世紀最大』と言っている11月12日の第3次が100万人と26万人で4倍弱、11月19日の第4次は50万人と5万人で10倍ときた」「それは両方が嘘ついてるんじゃあないの。中継画像を見ても確かに少ない人数じゃあないわ」「1万人の行列なら密集もするわな」以前の日本では主催者発表は60年安保での国会包囲の過剰報道から「実数の3倍まで」と言う約束事ができたが、沖縄のマスコミがアメリカ兵による少女輪姦事件を切っ掛けに燃え上がった反米軍集会で参加者を誇大妄想を疑わせるほど過大に報じたことからその約束事は機能しなくなった。
「デモのコースは土曜日の午後に景福宮の正門真正面の光化門の交差点に集まって、西コースはソウル歴史博物館の前を通って西大門や土俗村を回って景福宮の前まで。東コースは日本大使館がある鍾路区から昌徳宮を回ってゴールは同じだ。ここ数回は参加者が光化門の交差点から溢れてしまって隣りのソウル広場で気勢を上げながら出発を待ってるらしいな。青瓦台の大統領府の周囲は厳戒態勢を敷いてるから近づけないんだろう」杉本は本間と一緒にデモ参加者が発信している大量のインターネットの画像を見ているが背景で場所を推定しているようだ。
「朴大統領の父親なら戒厳令を敷いてデモを鎮圧するはずだけど娘にはそれだけの力と覚悟がないってことね」「時代が違うんだよ。娘がやったのはひたすら謝罪することとデモ隊が今も熱烈に支持している盧武鉉政権の副首相を首相に指名して媚を売ることだった。それでも弾劾決議が圧倒的多数で可決されて、今では俎板に載せられた鯉、鉄格子の中に続くトロッコに乗せられた囚人候補者だ」結局、朴槿恵大統領は辞任することも許されず、国会が12月9日に弾劾決議を採決し、賛成234人、反対50人、棄権2人、無効7人、欠席1人の圧倒的多数で可決されたため一時期は解任しようとした黄教安国務総理に職務を代行させている。
- 2021/05/31(月) 15:09:51|
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1989年の明日5月31日は日本人の中嶋宏医師が前年7月21日から事務局長を務めていた世界保健機関=WHOが明確な理由の説明もなく期日を変更した第2回「世界禁煙デー」です。第1回は結核の撲滅に尽力したデンマーク人のハーフダン・テオドール・マーラー事務局長がWHOの創設40周年を記念して1988年4月7日に開催しました(余談ながら中嶋事務局長はAIDSの抑制に貢献しました)。
野僧は煙草を吸わず(高校時代に同級生に強要されると「ワシは酒を飲んどる=不良だ」と言って逃げていた)、自衛隊に入ってからは職場の愛煙家たちからの受動喫煙で被害を受け、おまけに最下級者の担当だった灰皿の片づけで嫌な思いをしていたので(煙缶=自衛隊の灰皿に痰を吐く親父がいた)喫煙の問題は人一倍熟知していますが、その一方で禁煙運動が嫌煙権と言う市民運動の攻撃材料を生み、現代の魔女狩りになっている実態を見ると絶対に賛成できません。
最近は健康志向の高まりを受けてテレビの報道番組に出演しているタレント医師だけでなく普通の町医者までも酒、コーヒーなどの嗜好品だけでなく一般的な食品から生活習慣まで「あれは健康に悪い」と手当たり次第に否定して使用を止めるように指導するようになっていますが、煙草はその最たるもので以前は「男の嗜み」として部屋が煙でかすむくらい堂々と大量に吸っていた喫煙者たちが部屋の隅に煙缶に置いて喫煙コーナーでキマリ悪そうに吸うようになり、それが別室になり、屋外になり、やがて「高校時代を思い出す」とボヤキながら人目を避けて吸った後、私物の携帯吸い殻入れで始末するようになりました(階級に関係なく喫煙者が片づけるようになったため)。
ところが禁煙運動を推進している厚生労働省や医師会は「煙草の廃絶」を目標に掲げているため隠れて吸うのも許さず、公共場所を全面禁煙にするのが当たり前になり、喫煙場所がないので歩いて吸うようになると煙草の火が子供の顔の高さになるため親の監督責任は不問に伏して傷害事件の原因のような扱いを受けることになりました。
さらに女性を中心とする市民団体が禁煙運動を嫌煙権として男性社会への攻撃材料するようになると家族に気を遣って隣人がマンションのベランダで吸っている煙草の煙が「換気扇で屋内に流入して受動喫煙になる」「煙草の臭いで不快感を覚える」と損害賠償と精神的慰藉料を請求する訴訟を起こすところまで進んでいます。
しかし、ベランダで発生した煙草の煙が換気扇で流入するマンションであれば周辺を走っている自動車の排気ガスも同様に流入しているはずで、目的は喫煙者への嫌がらせであって現代社会に魔女狩りを再現しているに過ぎません。
さらにその手の市民団体は現在も煙草が製造され、販売されていることも「保守政権が国民の健康よりも税収の確保を優先している証拠」と断定的に批判しますが、煙草には常習性があるため販売を中止すれば「闇」煙草が流通することになり、それが裏社会の収入源になることは容易に想像できます。それでもマスコミを後ろ盾にする市民団体は裏社会がつけ入る隙を作らせてその責任を政府に押しつける平成以降の日本で横行している言論による暴力革命を繰り広げるのでしょう。
- 2021/05/30(日) 15:15:40|
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「お母さん、お父さんは」アメリカで次の大統領が決まり、韓国では大統領の退陣を求める主催者発表で100万人、警察発表でも26万人規模のデモが発生した11月下旬、国際情勢とは全く無関係な山口県防府市の自衛隊官舎に電話が入った。
「謙作ね。お父さんはロシアのプーちゃん大統領が来るから色々な準備で残業ばかりなの」「プーちゃん大統領と親父に何の関係があるんだ」母の説明に森田予備3曹は困惑したように訊き直した。ロシアの大統領を「プーちゃん」と呼ぶのも父の悪ふざけだ。
北海道のマスコミはロシアの大統領が来日するニュースを北方領土の返還に直結させて道民の期待を煽り、成果がなければ加倍政権への失望に置き換えるのを常套手段にしているため細かい日程については取り上げておらず、定年配置で防府北基地の第12飛行教育団の業務主任として勤務している父の森田敬作3佐とロシアの大統領の来日の関連が理解できなかった。
「今回はプーちゃんが長門市の湯谷温泉の田舎臭いホテルに泊まることになったのよ。自衛隊は直接関係ないけど警察から何かあった時の緊急飛行場にする可能性を連絡されたみたい」確かに「何かあった時」に警察のヘリコプターが終結するには県の中央に位置し、道路網が完備している防府北基地は適当な緊急飛行場だ。
「それからアメリカの大統領がサミットのついでにヒロシマに寄って日本人の支持を集めたじゃない。プーちゃんが真似すると瀬戸内海側を移動するでしょう。そうなると警察車両を集合させて待機させるのに防府北基地を使うかも知れないのよ」こちらの説明は父の推察のようだ。
「まだ日程が決まってないのか」「警察が秘密にして教えてくれないんだって」「やっぱり警察だなァ」森田予備3曹も銃砲所持許可の講習で警察に通ったが、講師の警察官は質問を受けても型通りの回答だけで特に犯罪につながる銃砲の機能や使用方法に関しては黙秘していた。
「それで何の用、北海道が寒くなったからウチに来たいなら好いわよ」母は父の仕事の知識を出し尽くしたらしく話題を変えた。それにしても相変らず皮肉な台詞を付け加えてくる。
「実は2人目ができたんだ」「照子さんと」「当たり前だろう」この確認には森田予備3曹も流石に少し語調を強めた。しかし、森田予備3曹の高校時代の女生徒遍歴を知っている母とすれば皮肉の意味が違うのかも知れない。
「日和が3歳になったから照子が○高(まるこう)になる前に男を2人作らないと森田家と広橋家の跡取りができないじゃあないか」「一応、ウチのことも考えてるのね。有り難う」「・・・だからお父さんと話したかったんだ」母の皮肉の連続射撃に森田予備3曹は聞こえるように独り言を呟いた。森田予備3曹が属する平成生まれは「冬彦さん」で社会現象になった「ずっとあなたが好きだった」を1992年に放送して以降、テレビのドラマでも嫁姑の確執が描かれることはあまりなくなり、「嫁姑」と言う単語自体が知識にない。
「ただいまァ」そこに助け船のように父が帰ってきた。母は受話器を押さえて返事をしたが、幹部官舎の構造は全国共通なのでリビングに置いてある固定電話器の前で両親が演じている場面は北海道でも頭の中で視聴できる。
「おう、謙作。子供ができたそうだな」「うん、3か月になった」父の声を聞いて森田予備3曹はようやく安心して報告できた。ついでに先ほどの話題も聞いておきたい。
「ロシアの大統領が山口に行くんだって」「特別機を宇部空港に降ろして車両移動で加倍さんの地元の長門市の湯谷温泉のホテルに泊めるようだ。一応は日本海戦で流れついたロシア海軍の遺骸を埋葬した慰霊碑が長門市にあるから一緒に参拝することを目的しているが、長門出身の隊員に聞いても場所を知らないんだよな。要するに加倍さんがロシアに行った時にプーちゃんの故郷に招待された返礼のつもりなんだろう」父の説明に森田予備3曹はロシアに隣接して、ある意味ではアメリカ以上に強い関心を抱いている北海道で語られている噂話を思い出した。
「今のプーちゃんって2人目だろう。どっちの故郷に行ったのかな」「2人目ってどう言うことだ」父の声が真剣になった。やはり幹部自衛官としては軽く受け流せない情報のようだ。
「これは北海道で流れている加倍さんを馬鹿にする噂だよ。プーちゃんが首相時代に30年間夫婦だった奥さんと離婚したんだけど、その奥さんがドイツの新聞のインタビューで『主人は死んだ』って明言したんだってよ。実際、2度目に大統領になったプーちゃんは若い新体操の選手と再婚したし、クリミアへ侵攻してソ連時代の再現みたいな政治に変えてしまっただろう。だからKGBの整形手術で顔を換えた影武者が入れ換わったんじゃあないかってロシア人が語っているそうだ」「プーちゃんは1952年生まれだから60歳を過ぎているはずだ。30年越しの古女房を捨てて若い嫁をもらうのは人間技じゃあないな。痛てッ」父は後半だけを聞いた母に危害を加えられたらしい。ちなみに前妻は1963年生、後妻は1983年生まれだ。
- 2021/05/30(日) 15:14:36|
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昭和53(1978)年の明日5月30日は自民党が与党に復帰するための裏技だった社会党の村山富市首相に先駆けること48年前に衆議院第1党の党首として内閣総理大臣になった片山哲首相の命日です。90歳でした。
片山首相は明治20(1887)年に和歌山県田辺市で生まれ、旧制・田辺中学校、京都の旧制・第3高等学校を経て東京帝国大学法学部に進学し、卒業後はクリスチャンだったこともありキリスト教青年会=YMCAの寄宿舎に間借りして法律相談所を開設して弁護士としての活動を始めました。大正15(1926)年に社会民衆党が結党されると書記長に就任し、昭和5(1930)年に行われた衆議院選挙に旧神奈川2区から出馬して当選しました。以降、連続ではないものの戦後まで10回の当選を果たしています。
昭和7(1932)年に社会民衆党が全国労農大衆党と合併して社会大衆党になると中央執行委員会の委員になり、武力革命とプロネタリア独裁を標榜するマルクス主義を否定し、議会で多数派になることで労働者本位の政治を実現する社会民主主義を提唱しました。
それでも戦時下では特別高等警察の監視下に置かれましたが敗戦直後の昭和20(1945)年11月に社会大衆党だけでなく治安維持法の廃止によって政治活動を開始したマルクス主義者まで参加して日本社会党が結成されると書記長に就任し、翌年には初代委員長に選任されました。こうして迎えた戦後初の衆議院選挙で143議席を獲得して第1党になり、首班指名選挙で420票と言う日本憲政史上の最高得票数で内閣総理大臣に選出されたのです。しかし、この選挙では吉田茂総裁の自由党が131議席、芦田均総裁の民主党が124議席、三木武夫中央委員長の国民協同党が31議席と保守政党が社会党に農民党の5議席、共産党の4議席を加えた左派政党よりも多数を占めていましたが(諸派と無所属は18議席)、マスコミが「国民は社会主義を求めた」と断定的に報道し、それを背景に片山内閣も炭鉱の国有化や日本的家族制度を否定する民法の改定などヨーロッパ的社会民主主義の実現に向けた政策を実行し始めたのです。しかし、党内の悪性腫瘍である左派が日本のマルクス主義化として占領軍の指令で始まった農地解放に逆行する国有化を主張し、占領軍も社会党左派が共産党以上にソ連寄りの革命勢力であることに気がついて片山内閣に不信感を抱くようになり、芦田外務大臣を通じて片山政権の政策の修正を指令してくるようになりました。
こうして昭和23(1948)年3月10日に在任284日間で退陣すると社会党の左右分裂と再合併の流れの中で戦前からの盟友である西尾末広議員(昭和15年の「満州事変の処理に関する質問=反軍演説」での斉藤隆夫議員の除名決議には一緒に欠席=棄権した)が離党・結成した民主社会党に参加しましたが、昭和38(1963)年の第30回衆議院選挙での2度目の落選を期に政界を引退しました。
日本人の多くは自民党との連立政権で社会党の村山富市委員長が首相になったことに驚愕しましたが、本来の社会党は社会民主主義を党是としていたのです。しかし、現在は趙春花党首以下、反日反米親中親北朝鮮の工作機関と左翼過激派の共済組織に堕しています。
- 2021/05/29(土) 13:20:11|
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「トランプ政権かァ、これからどうなるんだろう」ニューヨークの岡倉家では初めてアメリカの大統領選挙を経験した知愛がテレビの朝のニュースを眺めながら呟いた。通常、アメリカの大手マスコミは国民だけでなく世界中が注視している大統領選挙の結果を争うように速報するが、今回は11月8日に行われた一般有権者の投票結果を翌日になって発表し、ヒラリー・クリントン陣営が非公式に指摘した不正が行われた可能性にも言及していた。
アメリカではアナウンサーは原稿を読む口調だけでなく表情で印象を与えるため役者以上に演技力が求められるのだが、このニュースを解説しているアナウンサーの表情は冷静さを装っている割に失望と不満が見てとれて投票権を持たない岡倉としては苦笑するしかない。
「トランプ・タワーの持ち主だろう。周囲のことは気にしないで我が道を行くタイプじゃあないかな。商売人の感覚しかないから損得勘定だけで政策決定しそうだ」「政治に損得勘定以外の要素があるの。アメリカの大統領がアメリカン・ファーストなのは当たり前でしょう」岡倉としてはマンハッタンの5番街にあるトランプ・タワーの周囲との調和を無視した威容が新大統領の人間性を表現しているように思える。一方、知愛の反応は韓国の政治風土を物語っている。
有史以前から宗主国・中国の庇護を受けてきた韓国では国王以下が中国の皇帝に取り入って保身を図り、恩賜に与かることだけが政治であり、歴代大統領が退任後に揃って利権がらみの告発を受けているのもそれが常識化しているからだろう。その点、日本では江戸時代に損得づくを卑む真逆の美意識が定着しているため功利的な政治家は権力を持てても尊敬はされない。
「アメリカはメイフラワー号で迫害から逃れてきたピューリタン(清教徒)が作った国だからカミの世界を実現するために存在する。アメリカの戦争はカミに代わって悪を滅ぼし、正義を守るための殉教精神に基づいている・・・て言うのが軍事介入を正当化する口実だ。しかし、損得勘定だけじゃあ戦争は割に合わないだろう。ウッドロウ・ウィルソンはモンロー主義を放棄して第1次世界大戦に介入したが、ノーベル平和賞を受賞した時にはルシタニア号の撃沈で死んだ128人のアメリカ人の仇を討つために11万7千人を犠牲にしたって批判が起こったんだぞ」「それは湾岸戦争までの論理ね。そこから先はアメリカだって軍事産業の献金を受けた政治家が息子のブッシュをそそのかして戦争を始めたじゃない。私はアフガニスタンやイラクに私たちのカミの正義が実現されているとは思えないわ」知愛もアフガニスタンでの医療活動に従事していた予備官学校の同期の女性士官がイスラム教徒にカソリックの流儀を強制していた問題の事情聴取や現地で難民支援を名目にした布教を繰り広げていた韓国のキリスト教団体がイスラム過激派に拉致されて、牧師と若い男性信者が殺害された事件では実態を目の当たりにしている。だから父が聖職者になった敬虔なカソリッの信者でありながら宗教組織としてのタリバーンを肯定的に見ている岡倉を理解しているのだ。
「問題は日本の加倍首相との関係ね。加倍首相はバラク・オバマと強い信頼関係を築いていたじゃない。政権が替わったからって乗り換えるなんて身軽な立ち振る舞いができるのかしら」会話が息詰まったので珍しく知愛の方が日本の問題を持ち出した。
「確かに始めは日本のマスコミに『危険な右翼だ』って吹き込まれて毛嫌いしていたが、本人に会って雀山や缶とはレベルが違う本物の政治家だって判ってからは完全に信服していたよな。サミットのついでに広島の原爆ドームに寄ってくれるなんて普通は考えられないよ」日本の大手マスコミは特効薬を処方されて体調が恢復した加倍首相が政権復活を明言するようになると、自分たちが実現させた民政党政権が長くはもたないことを見越して国内外で印象操作を始めた。
国内では難病指定を受けている持病を単なる腹痛・下痢と揶揄して「無責任」批判しながら「健康不安」を煽り、国外では日米安全保障条約の全面改定を強行した浜首相の孫の「危険な軍国主義者」と言う先入観を喧伝した。ところが加倍首相と会談するとオバマ大統領の態度は一転し、加倍政権が進める安全保障関係法案の主旨が「アメリカ本土が武力攻撃を受ければ自衛隊の派遣を可能にすることである」との説明を受けると、見返りのように尖閣諸島が日米安全保障条約の適用対象であることを明言した。また加倍首相が真珠湾で日米両軍の戦没者を慰霊するとオバマ大統領もヒロシマを訪問して犠牲者に花輪を捧げた。これだけ親密な信頼関係を築いていた加倍首相が次期政権に乗り換えれば日本のマスコミは「変節漢」と批判するのだろうが、岡倉は国務省の友人から内緒話を耳打ちされていた。
「多分、加倍首相は絶妙なフットワークでトランプとも友人になるよ。先ずは共通の趣味のゴルフだな。それは祖父さんの浜首相がドワイト・アイゼンハウアーとやった手だ」加倍政権によって復活を果たした外務省は持てる能力を最大限に発揮して民政党政権で傷ついた日米同盟の修復に当たっている。そこが政治家としての力量の違いなのだ。
- 2021/05/29(土) 13:18:14|
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「大統領選挙はトランプの勝ちよね」「ネット上のアンケートでは間違いないが、テレビや新聞は相変らず接戦だって報じているんだよな」職場では時差を利用して韓国の朴槿恵大統領の行状を暴露する書き込みを確認している杉本は、自宅に帰れば愛妻の本間と晩酌を楽しみながらアメリカ在住の日本人として時事問題を語り合っている。今日は帰りに公園に寄り、色づき始めた木々の下を歩いて来たので日本酒の熱燗にした。
「最近のマスコミの報道は異常だわ。事実を伝えるんじゃあなくて世論を操作することを目的しているの隠そうともしない。6月30日のフィリピンの大統領選挙でもナバオ市長として麻薬撲滅で実績を上げていたズテルデ新大統領を密売人を組織的に大量虐殺している殺人者だって断定して『アメリカの世論で当選を阻止しろ』って扇動していたじゃない」「あれは酷かったな。杉村(岡倉の偽名)の同期の防衛駐在官が面会して報告してきた印象と全く逆だった」「モリヤ佳織1佐ね・・・」本間はハワイで行われた日米協同指揮所演習・ヤマサクラで会ったモリヤ1佐を思い出した。あの頃は本間もWACの幹部の1人としてアメリカ陸軍の指揮幕僚大学院に留学したスーパー・エリートのモリヤ1佐に憧れていた。先日は偶然にも香港の帰りに寄ったニノイ・アキノ空港で会ったがモリヤ1佐は名前まで憶えてくれていた。
「韓国の朴槿恵大統領を辞めさせようとするデモはどうなの」「10月29日が主催者発表3万人に警察が1万2千人、11月5日は主催者が20万人で警察は4万5千人、ネットでは『デモを毎週定期化しよう』と呼びかけているから11月12日にもあるはずだが、水増しが酷くなっているからマスコミよりも学生がネットで仲間を呼び集めているんじゃあないかな」「日本の大学紛争と同じね」本間の愛知大学は大アジア主義を推進するために近衛文麿首相の父親でも真逆の硬骨漢だった篤麿公爵が上海に開設した東亜同文書院を前身としているが敗戦後に抑留された学校関係者が中国共産党の徹底した洗脳教育を受けて帰国したので戦後は一転して毛沢東主義の巣窟になった。そのため全国の大学で吹き荒れた70年代の学園紛争が沈静化してノンポリ学生が増殖しても愛知大学だけは80年代にも学園紛争が続いていた。それも本間の頃には白け始めていたが一部の過激派は騒いでいたので雰囲気は判る。
「このまま任期を待たずに辞任すれば近いうちに韓国の大統領選挙も行われるわね」「ところがネット上では自発的辞任は許さない。国会の弾劾決議で退陣させろと騒いでるんだ。今の韓国のネットの力を見るとその通りになるような気がするよ」杉本は渋い顔で説明した後、本間が急須で湯呑に注いだ熱燗を飲むと懐かしそうに表情を緩めた。実は家にある杉本の出身地の新潟の日本酒は冷や向きの辛口なので、今日は世界の酒を取り揃えているリキュール・スーパーでワザワザ日本酒のワンカップを買ってきたのだ。残念ながら熱燗用の徳利とお猪口=喰い飲みはないので急須と湯呑になったが、それでも雰囲気は出ている。
「国連の潘基文事務総長の任期は今年一杯だから出馬するなら国会の弾劾の方が好都合ね」「いや、前回の大統領選挙では朴槿恵と盧武鉉の後継者の文在寅の一騎討ちだったんだ。文は学生やネット世代の圧倒的支持を受けていたから朴が退陣に追い込まれれば今度は圧勝するだろう」本間も杉本に注いでもらった熱燗を口にしたが、公園で「手が冷たい」と言いながらジャケットのポケットの中で手を握ってくれていた記憶が甦り、柄にもなく頬が熱くなった。
「それにしてもネットなんて責任を持たない素人の勝手な意見発表じゃない。それで国家のトップが交代させられるなんて韓国社会は異常だわ」「日本でもテレビの報道番組や新聞記事はネットの書き込みを取り上げるようになっているようだが、アメリカのテレビは新聞やネットをライバル視しているから基本的に同調しない。アメリカのマスコミがトランプを敵視する理由がネットを利用していることだとすればまだ分別があることになるな」日本のマスコミは海外向けの報道番組でも平気で新聞やネットの書き込みを取り上げているので、足元を脅かす新興勢力であるインターネットへの対抗意識は持ち合わせていないようだ。
「韓国のマスコミは完全に劣化していて日本も後を追っているのね」「矜持(きょうじ)と言う奴だな」ここで杉本は世代格差を見せつける古語を口にした。昭和の時代に学校教育を終えた杉本や岡倉、松本とかすったように平成に掛かってしまった本間や松山では微妙な世代格差がある。それは日本人としての民族性なのかも知れない。
「考えてみれば今年はアメリカとフィリピンの大統領と台湾の総統は交代して韓国は風前の灯火になっても日本の首相は盤石だと思っていたが、天皇は『象徴って仕事に疲れました。辞めます』って言い出したんだよな」「天皇って職業だったのね」杉本と本間は年末にタイと台湾に行く予定だが、タイの政情がどれほど混乱しても10月13日に崩御した国王の存在が確固として支えていたことは訪れる度に実感させられた。国家元首は決して職業などではない。

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- 2021/05/28(金) 14:06:53|
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「ダディ、質問があるの」「またか、お前もアメリカ海軍士官だからあまり高度な質問をして困らせるなよ」梢とサイクリングで出かけオランダの平和で豊かな秋を楽しんで帰った夕方、志織から電話が入った。フロリダとオランダの時差は6時間なので平日に電話を許されている夕方から消灯までは不便なため休日を選んでいる(夕方5時は夜11時になる)。
「そう言えば基礎課程が終わって練習機に乗り始めたんじゃあないか」「うん、Tー6初等練習機に乗ってるよ」「Tー6かッ」脇に反れた私の質問に志織は素直に答えたが思わず大声を出してしまいソファーで聞いている梢も無意識に身構えた。
「Tー6って言えば第2次世界大戦中のBCー1を改造したレシプロのプロペラ機じゃあないか。航空自衛隊は167機、海上も48機保有していたが、パイロット学生が最初に搭乗するTー34メンターと次のTー33A若鷹が前脚式なのにTー6は尾脚式だから離着陸時の操縦方法が大きく違うんだ。だから航空はTー1初鷹、海上はKMー2を導入した時点で連絡機と救難偵察機にした以外は廃止したぞ」「流石は元ジャスダフ(JASDF=航空自衛隊)ね。勉強になったわ」確かにこの知識は浜松の第1術科学校の航空機整備員課程の航空自衛隊史で習ったものだ。志織の口から「JASDF」と聞いて梢も嬉しそうにうなずいた。
「ついでに言えばTー6は昔の戦争映画で日本軍機に改造されて大活躍したぞ。塗装を緑にして単座にすれば零式艦上戦闘機、腹に魚雷を搭載すれば97式艦上攻撃機、初期型の固定脚も99式艦上爆撃機になった」「グラダディがパール・ハーバーの日に見ていたビデオの『トラ・トラ・トラ』ね」「うん、その飛行シーンを後の映画でも流用していたんだ」話題が完全に替わってしまったが、雛鳥の志織としては知っていて損はない雑学・豆知識だろう。
「多分、ダディが言っているのはテキサンのことね。私が乗っているのは1995年に採用されたタボーフロップのテキサンⅡよ」「『敵さん』なんて練習機とは思えない命名だな」「テキサンはテキサス人の愛称なの。最初のTー6を作っていたのがテキサス州のダラスの工場だったから着いた愛称なんだって。今のTー6はスイスのピラタスのPCー9をライセンス生産してるのよ」志織の知識も元航空機整備員の私と遜色がない。航空自衛隊時代の知り合いのパイロットたちは操縦に関しては神の領域だったが、機体の知識は飛行中に見る計器と操作の反応としてしか理解しておらず、整備員の専門的な説明もどこまで納得しているのか不明だった。それにしてもスイス空軍のPCー9なら旅行中に飛んでいるのを見たことがある。
「私が訊きたかったのは戦争法のことなの」「それは専門だな。安心してかかって来なさい」ここで志織がようやく本題に引き戻した。私としては「ナイス・リカバリー」と賞賛するべきところだが、答えられなければ父親と検察官の両方の権威が墜落する。
「先週、イラクで捕虜になった海兵隊の女性士官の女子学生だけを対象にした講話があったんだけど・・・」「イラクで捕虜になった女性士官と言うとヘリパイ(ヘリコプターのパイロット)かな」「輸送ヘリのパイロットだって」答える志織の声が重くなった。
「イラクの山岳地帯でゲリラ掃討作戦を実施している多国籍軍部隊に物資を届けた帰りに地上から機銃掃射を受けてエンジンに被弾したから不時着したら包囲されて捕虜にされたの」私もアメリカ軍が2013年に女性の戦闘への参加を禁止する規定を解除し、2016年から運用を始めたのは知っているが、佳織と見た湾岸戦争を舞台にした映画「コレージ オブ ファイヤー(戦火の勇気)」の印象が強過ぎて「何を今更」と言う感じだった。
「彼女は当然、士官としての処遇を要求したんだけど窓がない狭い個室に入れられて看守の兵隊に毎晩レイプされたんだって」「それは明確な戦争犯罪だな」私の返事が事務的なのに気がついた志織は深く息を吸った後、言葉を続けた。
「そんな戦争犯罪を懲罰するためにアメリカ軍は復仇するべきだけど男性兵士にイラク軍の女性士官をレイプさせる訳にはいかないし、ダディは法務士官としてどうするべきだと思うの」「アメリカ軍の士官がレイプされた復仇を考える前にアメリカ兵がイラクやアフガニスタンで日常化させている性犯罪を何とかするべきだな。アメリカ軍はレイプを兵士個人の刑法犯罪として処罰すると言う原則に固執して出征で高揚した性欲を解消するための売春も認めていない。お前がレイプされればワシが弁護士として刑事告発するが、その前の事情聴取の時に被告人の睾丸を蹴り潰してやるぞ」ようやく私の口調が厳しくなって志織も溜息をついた。
「ダディはマミィが戦場でレイプされたら同じことをするつもりなのね」「佳織と梢は理屈じゃない。深く傷ついていればその怒りと絶望を代わりに晴らしてやるだけだ。逆に忘れるって言うんだったら優しく抱き締めて一緒に傷を癒すだろう」私の答えに実際にレイプを経験している梢は黙って立ち上がると電話をしている私の背中に身体を寄せてもたれかかってきた。
- 2021/05/27(木) 14:29:20|
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テレビをあまり見ない野僧でも知っているCMソングや愚息1と2が大好きだった「ひらけ!ポンキッキ」の新作童謡を数多く作詞した伊藤アキラさんが5月15日に亡くなったそうです。80歳でした。
伊藤さんは昭和15(1935)年に千葉県で生まれ、東京教育大学文学部を卒業すると放送作家で音楽家の三木鶏郎(トリオと読む)さんに師事しました。三木さんは日本初のCMソングの小西六「僕はアマチュア、カメラマン」と森永製菓「やっぱり森永ね」を始め、「いすゞの唄(現在、大友康平さんの唄で流れているのは『いすゞのトラック』で別)」や「僕の彼女はダットサン」以降の日産、トヨタの「クラウン讃歌」、ダイハツの「ダイハツのうた」、三菱と富士のスクーターなどで自動車会社を総舐めにし(ホンダと日野、スズキを除く)、ミツワの「ワ・ワ・ワ・輪が3つ」と牛乳石鹸の「牛乳石鹸、良い石鹸」、松下電器の「明るいナショナル」と日立電工の「パッとついた日立」で石鹸と家電も両手取り、さらに今も使われている三共の「くしゃみ1回、ルル3錠」、日清食品の「チキンラーメンのうた」、井関農機の「農機はヰ関」などの名曲を作詞しているので弟子の伊藤さんも後を追いました。
伊藤さんのCMソングとしてはやはり「この木何の木 気になる気になる 名前も知らない木ですから 名前を知らない木になるでしょう」の日立の木や「青雲それは 君が見た光 僕が見た希望 青雲それは ふれあいの心 幸せの青い雲」の線香の青雲ですが、その他にも「兎角この世は計算さ 数と数とのせめぎ合い 足しても駄目なら引いてミニ 掛けても駄目なら割ってミニ 答え一発 カシオミニ」や「あーらよッと、出前一丁」「エバラ焼き肉のたれ」などの忘れられない一句、さらに小学校2年生だった野僧も小川ローザさんの美脚を憶えている丸善石油のハイオク・ガソリンの「オーッ、モーレツ」などがあり、師である三木さんの続編として「ヰせきトラクター」も作詞しています。
「ひらけ!ポンキッキ」では何と言ってもまどみちおさんと山本直純さんの名曲「1年生になったら」を超えて新入生の歌になった「ドキドキドン!1年生」でしょう。野僧は桜を見ると軍国歌謡「同期の桜」を口ずさんで沈んでいましたが、今は「桜咲いたら1年生」と元気が出るようになりました。そして輸送幹部の息子として愚息たちに憶えさせ、勝手に「重い飛行機引っ張るタグトレーラー」「JP4(=航空燃料)満タン黄色い燃料車」「事故には急行化学消防車」「レーダーサイトが動くぞ移動警戒隊」「敵を倒すぞ強いぞ(間が空く)戦車」「敵弾雨飛(うひ)でも進むぞ装甲車」などと歌詞を追加して愛唱していたのが「はたらくくるま」シリーズです。一方、NHKの「みんなのうた」では「南の島のハメハメハ大王」で多くの日本人に実在のハワイのカメハメハ大王の名前を間違って憶えさせてしまいました。
歌謡曲もアイドルを中心に作詞していますが、野僧は前川清さんが英語の歌詞を唄った「魅惑・シェイプアップ」と渡辺真知子さんの「かもめが飛んだ日」くらいしか知りません。作品を口ずさみながら冥福を祈ります。「あーらよッと、南無阿弥陀佛」
- 2021/05/26(水) 13:30:35|
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志織たちのアメリカ海軍パイロット養成課程では水に沈めば次は空から飛び降りることになる。落下傘降下だ。ただし、輸送機から集団で降下して戦場を奇襲的に制圧する陸軍の空挺部隊とは異なり、パイロットの落下傘降下は救命が目的なのでヘリコプターからの体験に過ぎない。ただし、ここでも戦闘機からの脱出を前提にしているためレールに固定した操縦席に座って地上から上方に射ち上げられる射出のオマケもついていた。
「藍より青き 大空に 大空に たちまち開く百千の 真白き薔薇の花模様 見よ落下傘 空に降り 見よ落下傘 空を征く・・・」「志織、その歌は日本語ね。何の歌なの」今日は15キロの落下傘に相当する重さのリュックサックを背負って高さ11メートルの跳出塔からの降下訓練だ。この高さは立った男性の視点が人間が最も恐怖を感じる12・5メートルになるように設定されているが、志織は祖父からビルの非常階段から見下ろす訓練を受けてきたので平気だ。そのため待ち時間も父から習った日本の戦時歌謡「空の神兵」が自然に出てしまい、隣りに立っている女子の同期から怪訝そうに質問されてしまった。
「これは『空の神兵』と言う第2次世界大戦中の日本軍の空挺部隊の歌なのよ」「日本陸軍にも空挺部隊があったの」「先に実戦を経験したのは海兵隊の方ね」日本の海軍陸戦隊を英訳すると「ネービー・グランド・フォース」になるが、アメリカ人には「マリン・コー(海兵隊)」の方が理解し易いのでこちらにした。題名の「空の神兵」は「ゴッズ ソールジャー イン ザ スカイ(空の神の兵)」と直訳したが日本的宗教概念では兵自身が軍神だ。
「軽快で好い歌ね。歌詞はどんな意味なの」「日本語の意味は深くて難しいから直訳するよ」同期はこの歌が気に入ったようなので順番を確認してから説明することにした。塔の上ではパイロット志望者の割に腰が引けている男子が結構いる。確かにパイロットとして飛行する高空と意図的に恐怖心を与える12・5メートルでは感覚が違うのかも知れないが、父も高所恐怖症の癖に海上自衛隊の航空学生を受験して2次試験で落ちていた。
「イン ザ ブルー ザン インディゴ ワイド・スカイ(藍よりも靑い広い空に)。オープン イムデイトリィ(たちまち開く) ハンドレッド トゥー タウザンド(100から1000の)ホワイト ローズ フラワー パターン(白い薔薇の花模様)。ルック アット パラシュート(見よ、落下傘) フォール イン ザ スカイ(空に降り) コンキュアー ザ スカイ(空を征く)」「素晴らしい。軍歌とは思えないわ。曲に合わせられないかしら」こうなると4番まで教えなければならないが、2番から後は空挺部隊の勇戦を称えているので海軍のパイロットには合わない。むしろこれも父から習った「ラバウル海軍航空隊」の方が良いかも知れない。
「次、エンサイン・モリヤ」「イエス・エンサイン・モリヤ」跳出塔の上ではワイヤーに命綱を兼ねたベルトでつながれると海兵隊の下士官の助教は最初に上半身を乗り出して真下を見させる。同期たちはこれで腰が引けてしまったようだ。
高所恐怖症の父は「落ちて怪我をする高さが怖い。必ず死ぬなら諦めがつく」と言っているが、確かに全身を粉々に骨折するだけで死にそうもない。その一方で父は名古屋の覚王山の前山老師から「陸上自衛隊で坊主をやるのなら修験道の方が良いのでは。新義真言宗の友人を紹介しましょう」と言われたものの借りた大峯山の修験道のビデオで1650メートルの断崖絶壁に吊るされる「西の覗(にしののぞき)」の行を見て即座に辞退した。前山老師は鳳来町の寺だから新義真言宗の鳳来寺の坊主を知っているのかも知れないが、父には余計なお世話だった。
「ふーん、平気だな。それじゃあ跳べ」「イエス、エンサイン・モリヤ・・・ハツコーカー(初降下)、ニーコーカー(2降下)、サンコーカー(3降下)・・・」志織は助教の指示に元気にうなずくと台の端を爪先で強く踏み切り、大きく空中へ跳び出した。この時、志織は英語の間延びした「ワーン・ツー・スリー」のカウントではなく父に国際電話で教えられた日本の空挺部隊の数字呼称を叫んだ。父は体育学校で第1空挺団の同期から習ったらしいが、実は「空の神兵」が第1空挺団の事実上の部隊歌になっていることも補足された。
数秒間は手で掴んでいるベルト以外に何も支えがない空中遊泳状態だが間もなく全体重と衝撃が太股の付け根と背中に装着したベルトに掛かり、ワイヤーが大きく揺れた。後は落下傘が風に流されていく感覚を体験しながら地上に下りるだけだ。
「チャー・・・クチッ(着地)」地面に足が着くと志織は柔らかく転がった。男子の同期の中には踏ん張って立つ者もいるが、体重が軽い志織では風をはらんだ落下傘に引き摺られる可能性があり、アメリカ人的な蛮勇には全く関心がない。
数週間後、志織は高度340メートルのヘリコプターからの落下傘降下を経験したが、趣味でスカイダイビングを始めたいほどの快感だった。お願いだから父は誘わないで欲しい。
- 2021/05/26(水) 13:27:40|
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5月5日の子供の日に劇画的リアリティがない画風なのに妙に色気を感じさせた漫画「チンコロ姐さん」の作者の富永一朗さんが老衰で亡くなったそうです。96歳でした。
富永さんと言えば「お笑いマンガ道場」での鈴木義司さんとの罵り合い(言葉だけでなく土管で寝ている漫画など)が同じ日本テレビ系列の「笑点」の三遊亭小円遊師匠と桂歌丸師匠を連想させましたが、こちらも本当は互いに盟友と認め合う関係だったそうです。
富永さんは大正14(1925)年に父親が大丸デパートに務めていたため京都で生まれましたが、3歳の時に父親が結核で亡くなったため福島県南会津町の母親の実家に身を寄せ、2年後に父親の出身地の大分県佐伯市に転居し、小学校4年生くらいから田川水泡さんの漫画を真似して描き始めたそうです。そして旧制・大分県立佐伯中学校(現在の佐伯鶴城高校)に進学しましたが小学校の教師になっていた母親が不倫騒動を起こした揚げ句に出奔したため父方の祖母に育てられることになりました。困窮の中で中学を卒業すると学費が無料だった台湾の台南師範学校に進学しましたが、戦争の激化による学徒出征で学業は中断し、敗戦後に師範学校の卒業証書と教員免許を与えられて台南市郊外の小学校の教員になったものの大陸から敗走してきた国民党軍が日本人と台湾人協力者の弾圧を始めたため昭和21(1946)年3月に引き上げ船で帰国したのです。
帰国後は小学校の教師になり、図画の教育に熱意を注いで全国図画コンクールで特選を取りましたが、昭和26(1951)年に辞職して上京すると母親が住んでいた母子寮に潜り込み、探偵社に臨時雇いで就職して会社年鑑の編集の傍ら雑誌社への漫画の投稿を始めました。すると探偵社の向かいの雑誌社の編集者だった吉行淳之介さんに才能を認められて、吉行さんが移った雑誌社で数多くの作品を連載することになりました。さらに貸し単行本に作品を発表するようになると多くの雑誌社から依頼を受けるようになり、大人向け人気漫画家に加わったのです。
作品は別にして富永さん個人を有名にした昭和51(1976)年に始まった中京テレビの「お笑いマンガ道場」は当初は東海地方限定でしたが、知らない間に全国区になっていました。番組では柏村武彦さん(後に参議院議員に当選して自民党防衛族として大活躍する)が突っ込みの司会で前述の鈴木義司さんや車だん吉さんの男性陣にゴールデン・ハーフのエバさんが初代、秋ひとみさんが2代目、川島なお美さんが3代目(この番組で人気に火がついた)、森山祐子さんが4代目の女性アイドルとゲストが回答者でした。
内容としては最初の文字から連想するモノを漫画で描く「ひらめきスピードマンガ」やテーマごとの駄洒落を漫画にする「ダジャレマンガ(面白いとチャイム、つまらないとブザーが鳴る)」、膨らんでいく風船の下で尻取りの漫画を描く「恐怖のしりとりマンガ」、童謡やヒット曲の替え歌を漫画にして唄う「替え唄マンガ(回答者が音痴だとそれで受けた)」などがありましたが、ここでも富永さんは得意の女性の裸を描いて夕方の放送だったため朝日新聞の投書欄などに中年女性からの苦情が載っていました。
おかげで随分頭が柔らかくなりました。感謝を込めて冥福を祈ります。合掌
- 2021/05/25(火) 12:48:14|
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映画「アン オフィサー アンド ア ジェントルマン(邦題・愛と青春の旅立ち)」でも見せ場になっていた不時着水時の脱出訓練が実施された。旅客機型の対潜哨戒機を希望している志織は本来、座席に身体を固定されることはないのだが、戦闘機のパイロットを中心に教育課程が組まれているため、コクピット=操縦室のような狭い枠の中の座席にベルトで身体を固く縛りつけられてレールを不時着水のように滑り落ちて深いプールの底に落とされる。
「次、エンサイン・モリヤ(モリヤ少尉)」「イエス(はい)、エンサイン・モリヤ」男子の同期がプール・サイドに這い上がって激しく咳き込んでいるのを怯えたように身体を寄せ合って眺めている女子学生の中で最初に志織が呼ばれた。実は志織だけは平静を保ち、心配そうに男子学生の様子を窺う余裕があったのだ。終わった同期と待っている同期は生贄になる子羊を憐れむような顔でプール・サイドに設置された滑り台の階段を登っていく志織を見送った。
志織は長いレールをワイヤーで引き上げられた操縦席に座った。両側から助教たちが手際よく志織が装着しているベルトを座席に固定していく。実際の戦闘機でもこの作業は整備員の担当だ。その間に志織はヘルメットをかぶり、顎紐を締めた。
「このパイロットは細いから水圧で抜けないようにシッカリ締めないとな」「これで身体が座席から離れることはない。2度と外れないぞ」ヨーロッパ系とアフリカ系の下士官の整備員は志織をからかうように声をかけた。普通は学生を落ちつかせるように小声で励ますものだが、日本人で小柄な女子の志織がパイロットを目指していることに軽い反発を抱いているようだ。
「ベルトを外す金具は判るな」「アイアイ・サー」「外し方は」「アイアイ・サー」「バイザー(ヘルメットの風防プレート)を下ろせ」「アイアイ・サー」ヨーロッパ系の整備員が親指を立てて合図をすると危険防止のため教官が声をかけた。それに応えて志織は手で触れて確認した。あえてバイザーを下ろすのは実戦での状況に近づけるためだ。
「ビーッ」アフリカ系の整備員がレバーを引くとブザーが鳴るのと同時に「ガタンッ」と重い音を立てて留め金が外れ、志織が座った鉄製の枠がレールを滑り落ちた。
「ザブンッ」枠が水没すると一気にプールの底まで引き込まれた。志織は着水時の基本動作通りに目を閉じて顎を引き、両足に力を入れて身体を座席に押しつけている。
「ガシンッ」水中でも操縦席がレールの終点まで達した音が聞こえ、衝撃を感じた。志織は漏れた燃料などの有害物質で目に障害を負わないように閉じたまま冷静に動作を始める。多分、ダイバーが近づいて動作を確認しているので先ず親指を立てて挨拶した。続いて手順通りに身体を座席に固定しているベルトを外し、次にラダー・ペダルに固定されている両足を外した。最後にヘルメットを脱ぐと手で枠を掴んで間をくぐり抜け、枠を蹴って水中に離れた。後は靴に水が入って重くなった足は使わずに腕力で浮上するだけだ。肺の中の空気は吐かないで残してあるので浮力は十分だ。プールの深さは判っているが目が開けられないので水面に出るまで油断はできない。両側にダイバーがいることも水圧の変化で確認できた。
「プハァーッ」水面に出ると志織は可愛い声を上げて息を吸った。目を開けて振り返ると背後に2人のダイバーも泡を立てて浮上してきて1人がレギュレーターを外して微笑みかけた。
「完璧です。驚くほど冷静で動作は確実でした」ダイバーが講評している間に学生は泳いでプール・サイドに向かって良いのだが、志織は律儀に立ち泳ぎで待っていた。志織の立ち泳ぎは日本赤十字の水難救助員の父直伝だが足を自由に使えないのはかなり辛い。志織はダイバー2人に会釈をするとこれも父直伝の抜き手(顔を上げたままのクロール的泳法)で泳ぎ始めた。志織の会釈にダイバーは親指を立てて返したがゴーグルの中の目は笑っていた。
「志織、どうすれば水の中で息が続くの」プール・サイドに上がると女子の同期たちが取り囲んで質問してきた。この間にも次の実施者が指名されて同じように座席に固定されているが、その顔は恐怖に引き攣っていてヘルメットをかぶるのを忘れているようだ。
「水に落ちる直前に思いっ切り息を吸って止めれば良いじゃない。後は淡々と習った通りの動作をすれば逃げられるわ」「吸って息を止めるの」「私、叫ぶ代わりに吐いちゃうわ」志織の説明に同期たちは意外な反応をした。確かに座席に縛りつけられてレールを滑り落ちてくる同期たちは声こそ出さないが口では絶叫していることが多い。子供の頃から遊園地のジェット・コースターで絶叫することが癖になっているのかも知れない。
考えてみれば男子の同期たちの肺活量は志織よりもはるかに大きいはずだ。それが次々に水中で溺れかけてしまうのは日本的な基本動作が身についていないのではないだろうか。志織が水中で息を止めることを習ったのは幼い頃、守山の官舎で淳之介と一緒に風呂に入っていた時だ。久居では拒否された。淳之介との思い出に何だか胸が熱くなってしまった。
- 2021/05/25(火) 12:47:06|
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昭和22(1947)年の5月24日に4月25日投票の戦後初の衆議院選挙で143議席を獲得して第1党になった社会党の片山哲党首が首班指名選挙で420票(他は吉田茂自由党総裁と齋藤晃議員が自分に投じた1票ずつだけだった)と言う日本憲政史上の最高得票数で内閣総理大臣に選出されましたが、政治的駆け引きに翻弄されて閣僚が指名できず1人で親任式に臨み、「内閣に就任」しました。
片山首相は当初、131議席で第2党になった自由党を含めた挙国一致・大同団結内閣の発足を目指しましたが(それでも5議席の農民党と4議席の共産党は除外した)、吉田茂総裁は「今日の閣議の機密を明日にはモスクワに漏らす分子がいる社会党内閣には参加できない」「どうしても入閣して欲しいなら左派を切りなさい」と拒否したため124議席の民主党と31議席の国民協同党、諸派との連立での組閣を目指さざるを得なくなりました。しかし、労働運動の経験しかない社会党の党首は国政を担う覚悟や構想を持ち合わせておらず、戦前から政治活動を経験している芦田均民主党総裁や三木武夫国民協同党中央委員長が自由党との連立による保守内閣をチラつかせて翻弄したため閣僚の指名もできないまま親任式の時間になり、やむなく1人で宮中に参内して全ての役職を兼務する形で内閣を発足させたのです。この異常事態は1週間続き、大臣を指名してあらためて親任式に臨み片山内閣が正式に発足したのは6月1日になってからでした。
片山内閣では首相と司法大臣(現在の法務大臣)、文部大臣(同・文部科学大臣)、農林大臣(同・農林水産大臣)、商工大臣(同・通商産業大臣)、労働大臣(同・厚生労働大臣)は社会党が押さえましたが、外務大臣は芦田総裁が就任し、内務大臣(該当する大臣はない)や大蔵大臣(同・財務大臣)、厚生大臣(同・厚生労働大臣)、運輸大臣(同・国土交通大臣)、国務大臣行政調査部総裁(該当する大臣・長官はない)、国務院建設院総裁(該当する大臣・長官はない)などの重要ポストは民主党、三木武夫中央委員長の逓信大臣と国務大臣復員庁総裁は国民協同党が取り、残りは諸派が分け前にあずかりました。
片山内閣は後年の村山富市内閣と同様に首相の人柄は申し分がない上、マスコミも好意的に報道したため発足時の国民の支持率は68パーセントでしたが、党内ではこの選挙で4議席を獲得して政党になった共産党以上にソ連の忠実な政治工作組織だった左派(現在も左右に分ける人数がいない社民党の福島瑞穂=趙春花議員は公然と日本赤軍の支援している)が強い発言力を持っていて保守政党との連立を批判して内閣の政策運営を執拗に妨害したため片山首相は占領軍と連立保守政党との三方塞がりで苦労し続けました。
それでも明治以降の国家主義を護持してきた内務省を解体し、日本的家族制度や戦前の身分制度を前提にした民法や刑法の改定は実現しましたが、農地改革に対抗してマルクス主義を実現する試金石と位置づけていた炭鉱国家管理法は産業界と占領軍の反対を受け、法律は成立させても中身は完全な骨抜きで、社会党に議会制度による日本の共産主義化と反占領軍的政策を期待していた愚かな国民を失望させ(割合は議席数=3分の1)、発足から1年もたずに昭和23(1948)年3月10日に退陣しました。
- 2021/05/24(月) 13:52:36|
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フロリダ州ペンサコ―ラ海軍航空基地のアメリカ海軍のパイロット育成課程に入校している志織は頭脳と肉体を極限まで鍛えられている。入校して最初の1年間は航空法規や航空工学、航空力学、航空気象、機体構造などの座学と基礎体力作りの体育訓練だけでなく落下傘降下や不時着水時の脱出を含む水泳訓練などの基礎教育だが、ペンサコーラ海軍航空基地が優れているのは航空自衛隊で言えば防府北基地での基礎教育から防府北と静浜基地のプロペラ機による初級課程に始まり、芦屋基地や浜松基地のTー4による中級課程までの飛行操縦訓練に加えて浜松基地・第1術科学校の航空機整備課程と小牧・第5術科学校の管制課程、更に熊谷基地・第4術科学校の気象課程まで同居していて各課程の学生は予備知識についても専門家から最高度の教育が受けられるのだ。
「エンサイン(海軍少尉)・モリヤ、君の知識は空軍のものだね」座学で志織は毎回、教官から同じ指摘を受けている。ハワイの小中高校、大学時代にパイロットを目指すようになってからは元空軍の輸送機パイロットの祖父や元航空自衛隊の航空機整備員だった父から飛行機に関する知識を注がれてきたが、持ち前の旺盛な知識欲から質問を繰り返してきたため内容が高度になり、専門課程の教育並みになっていたのだ。
「空軍と海軍では違いますか」「空を飛ぶことに違いはないが運用が異なるから重視するポイントが変ってくるんだ」この話は父から帝国海軍が空母の大半を失った大戦末期になっても搭乗員を養成するのに離着艦方式に固執して時間を空費した戦史として聞いたことがある。
「空軍は機体への負荷を必要最低限にするように安全運転するが、海軍は空母の離着艦自体が過大な負荷だから機体の強度が違う」この話も父が沖縄時代の日米協同訓練で嘉手納基地の空軍と普天間基地の海兵隊と対戦すると航空自衛隊のFー104J栄光よりも2世代新鋭のFー15イーグルの空軍には圧勝しても同世代のAー4スカイホークの海兵隊には勝てなかったと言う体験談として聞いている。命知らずの航空自衛隊のパイロットたちも海兵隊の安全を無視した急旋回や急降下、急上昇には身の危険を感じたそうだ。
「もっとも君はポセイドン希望だから空軍流でも問題ないだろう」教官は志織が対潜哨戒機希望であることを配慮しながら話を締め括った。Pー8ポセイドンはPー3オリオン(日本では英語読みでオライオンと呼んでいる)シリーズの後継機だが、ボーイング737の改造機なので対潜哨戒機専用に設計された海上自衛隊のPー1と比べると多くの点で見劣りする。
WAVESの同期たちは「海軍軍人になった以上、空母には乗らなければ」と艦載回転翼機の希望者が多く、中にはFー18ホ―ネット戦闘機を目指す剛の者もいる。その点、志織は「兄・淳之介の職場である海を守る」と言う目的とヨーロッパ人女性には劣る日本人の筋力の限界を見極めて地上基地から離着陸する対潜哨戒機を選んだ。その筋力の違いで父が海兵隊との日米協同訓練の打ち上げの後、同じ航空機整備員のWM(女性海兵隊員)と何をすることになったのかを志織は聞いていない。母の佳織は相手のWMから聞いて熟知しているが。
「志織、お前は腕が細い癖にアスレチックが得意なんだよな」「身軽なんだよな。やっぱりモンキーに近いんだろう」午後は父と母が前川原で励んだ戦技障害走路のようなアスレチック・コースでのタイム計測だった。体格と筋力では勝っても身体が重く、反射神経に劣る同期たちはまるで遊んでいるかのように素早くロープを登り、障害物をすり抜けて息も切らしていない志織に皮肉な言葉を浴びせかけてくる。それにしても日本人を猿に例えるのは「イエロー・モンキー」と言う差別用語に該当するはずだが、実際に障害物と戯れているように見えるから表現としては適切なのかも知れない。
「志織の身体は空軍パイロットに日本陸軍軍人の両親の血統が加わっているから生まれついての戦闘員なのよ」同期たちの分析は先にゴールして後続者が終わるの待ちながら続く。
「水泳もハワイ育ちでズバ抜けてるわよね」「何と言うか我々みたいに筋力だけに頼るんじゃあない別のパワーを借りているみたいだ」「私は筋力トレーニングにも励んでいるわよ」ヨーロッパ系とアフリカ系の同期たちの勝手な分析に志織も反論した。バブル景気の頃には日本の異常な経済発展を「神憑り=キリスト教のゴッドではなく神道的な超自然の存在」と論評する経済学者も少なくながったが、バブルが崩壊して民政党政権を成立させる愚挙を犯して地の底に沈んでからは特別視する者はいない。志織も現実の努力の成果であることを強調した。
「今日の最高タイムはモリヤ志織少尉の××分○○秒」「ホー・・・」最終走者がゴールして海兵隊軍曹の教官が男女差別にならないように一律に結果を発表すると同期たちは感服したように低く声を上げた。母は前川原の幹部候補生学校で「戦闘員に男女の区別はない」と不満を同期の父に訴えたが、アメリカ海軍のパイロットの世界に男女の区別は介在しないのだ。

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- 2021/05/24(月) 13:50:49|
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普通、俳優と言う職業の人たちは舞台俳優か映画俳優に分類されますが、本人を含めてテレビ俳優と呼ばれ、それが賛辞になっていた田村正和さんが4月3日に亡くなっていたことが明らかになりました。77歳だったそうです。
田村さんについては父親が戦前の超二枚目俳優の坂東妻三郎さんで兄の高広さん、弟の亮さんと田村三兄弟と呼ばれていたことは有名ですが、実は高広さんと正和さんの間には実業家になった次兄がいて、時代劇俳優の水上保広さんは異母兄です。それにしても日本の芸能界で兄弟・姉妹・兄妹・姉弟は多くても3人揃って有名芸能人(1人は無名と言う場合はある)なのは他には玉元5兄妹のフィンガーファイブくらいではないでしょうか。
普通の人たちは「眠狂四郎」シリーズや「古畑任三郎」シリーズほかの田村さんのドラマをいくつも見ていて役柄も憶えているようですが、我が家で絶対的チャンネル権を握っていた父親は「自分は美男子だ」と思っていたため二枚目俳優が出るドラマは見ないでプロ野球ばかり、不在時のチャンネル権はアニメとミーハーな歌番組やドラマしか見ない妹が握っていたので野僧は母親が土曜日の昼の再放送を見ていたNHKの大河ドラマの昭和40(1965)年「太閤記」の豊臣英次さん、昭和41(1966)年「源義経」の藤原秀衡さま、昭和46(1971)年「春の坂道」の不破伴作さん、昭和47(1972)年「新平家物語」の崇徳上皇と昭和48(1973)年の「国盗り物語」の裏番組「新書太閤記」の竹中半兵衛さんくらいしか記憶にありません。この中で不破さんは(太閤記で演じた)秀次さんの小姓で切腹に際しては先に殉死したと言われ、古文書に「天下三美少年」と記録が残っているので適役でしょう。崇徳上皇は数多くの時代劇に出演していても月代を剃った役はほとんどない田村さんが出家して毛のない姿を演じています。この中で意外なのは奥州王の藤原秀衡さまですがNHKは2012年の「平清盛」でも似た雰囲気の京本正樹さんに演じさせているので「意表を突いた適役」と考えているようです。
その後、航空自衛隊に入っても那覇基地は2人部屋だったため同室の先輩のテレビの邪魔をしないように自分では持てず、音楽を聴きながら読書(主に専門書)に励むのが余暇の過ごし方になって独身時代はテレビを持たないまま過ごし、結婚後もドラマを楽しむ素養を身につけないまま今日に至っています。そんな中で唯一見ていたのが鳥居かほりさんを目当てに独身者全員が見ていた昭和61年の「女は男をどうかえる」で、幼児を作って友人の部屋に行って一緒に楽しんでいました。ただし目的は鳥居さんでした。
またテレビ局は「眠狂四郎」シリーズを放送する時、原作者の柴田錬三郎さんが田村さんを「最高の狂四郎役者」と絶賛したと言う逸話を強調していましたが、映画の市川雷蔵さんの眠狂四郎ファンの野僧とすれば見比べても納得できませんでした。
田村さんは父親と兄を尊敬していて京都での仕事があると墓参を欠かさなかったそうですが、生前に自分の墓は建てていたそうなので一緒に葬られるつもりはなかったようです。芸能人ではない奥さんと娘さんとの生活を一切明かしませんでしたが、やはり生真面目に大切にしていたのでしょう。冥福を祈ります。合掌

毛がない田村正和さん(新平家物語の崇徳上皇)
- 2021/05/23(日) 13:33:03|
- 追悼・告別・永訣文
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世界各地で大きくなりそうな波紋が起きている中、日本では5年前の3月11日に襲来した巨大な津波を巡る裁判の判決が出た。それは宮城県釜石市の新川小学校で地震が発生した後、校長が公務で不在だったため代行の教頭が児童を雪が解けて山道がぬかるんでいる裏山ではなく高台になっている飯野川橋の付け根の堤防に避難させようとしているところに津波が到達し、児童と教員が全員死亡した事故を新川小学校の過失として損害賠償を求めるものだった。
「何だ。この判決は」宮城県舩岡の自宅の居間で新聞を広げながら朝のニュースを見ていた茶山元3佐が家中に響くような大声を上げた。驚いて庭で飼い犬が吠え始めた。
「大きな声を出してどうしたの」食卓に朝食を運んできた静が困惑したように声をかけた。確かに茶山元3佐が興奮・激昂することは珍しい。茶山元3佐はテレビに見入っているので静は食卓に置いてある新聞を片づけたが、まだ読んでいなかったようだ。
「それで何があったの」「仙台の地方裁判所が大震災の津波で子供が犠牲になったのは新川小学校が裏山に避難しなかった過失だって判決を出したんだ」テレビが字幕で補足しながら解説している内容を茶山元3佐は音量を上げて強弁した。しかし、静はあえて淡々と食卓にご飯と味噌汁とオカズを並べ、急須で湯呑にお茶を注いだ。それを見て茶山元3佐もニュースが替わったテレビから視線を食卓に移した。
「誰も経験がない天災の対応で完璧を求めるのは無理だろう。後になってああすれば良かった。あれはおかしいと言うのは死んだ人への冒涜だ」手を合わせて箸を取った茶山元3佐は日頃は重い口で驚くほど滑舌に見解を語り出した。静も東北地区太平洋沖地震の後、舩岡の工兵OB隊として被災地での復旧作業に参加した茶山元3佐が、帰宅するとモリヤ2佐からもらった「南無阿弥陀佛」の掛け軸(佛説無量寿経の全文で南無阿弥陀佛を白抜きしてある)に線香を立て、大震災の犠牲者のために手を合わせるようになったの見ている。中でも釜石市の新川小学校は教師と児童が犠牲になった現場を見てきて、最期まで子供たちを守ろうとしたのであろう教師たちには心からの敬意を表している。
「冷めちゃうわよ。どうぞ」「はい、いただきます」静としては茶山元3佐の気持ちは十分過ぎるほど理解しているが、ここで同調しても得るものはないので冷淡に見えるほど不関与を維持した。それが判っている茶山元3佐も素直に茶碗を取ってご飯を口に運んだ。
「あれだけの大地震を経験すれば裏山に登る道が崩れている可能性を考えるはずだ。雪解けでぬかるんいるだけじゃあない。飯野橋までは1キロないから子供の足でも10分だ。極めて真っ当な選択だろう」食事を終えて静が洗い上げから戻ると新聞の関連記事に目を通した茶山元3佐は続きを始めた。ここまでニュースにこだわるのも珍しい。
「裁判所は新川小学校だけが大規模災害の避難計画を整備していなかったことが過失だ、職務怠慢だと断罪しているが、あれだけ立派な堤防ができれば先生たちも洪水が起きるとは思わないだろう。ましてや何百年に1回の津波なんて考えもしないよ」さらに新川小学校は地域の避難所になっていて集っていた地元の住民たちが勝手な意見を言い合って、判断を迫られている代行者の教頭を大いに迷わせたらしい。
「学校でも避難計画を考えるのは何かが起きるかもしれないって不安があるからなのね」静の理解に茶山元3佐もうなずいた。大震災では宮古市も津波情報を受けながら巨大堤防を過信して避難しなかった多くの市民が犠牲になっているが、テレビや市の広報車が津波の到来を周知しても防災設備に全幅の信頼を置いていれば対岸の火事に過ぎないだろう。
「モリヤくんの話では子供たちの親は先生も一緒に犠牲になってくれたって感謝していたそうだ。それを東京のマスコミが小学校の判断が間違っていた。犠牲者だってけしかけて弁護士を連れてきたんだ」茶山元3佐は大震災の後、モリヤ2佐と書簡の往復を繰り返して大量に裏話を仕入れたが、この話題の文面はかなり激烈に批判していた。
「東京のマスコミは福島でも同じことをやってるけど、何がしたいのかしら」茶山元3佐はモリヤ2佐が繰り返していた「売国奴」「亡国者」と言う故語が喉元まで出かかったがお茶で呑み込んだ。すると静が急須でおかわりを注いだ。
「モリヤくんが日本にいたら弁護士を引き受けて法廷闘争を始めるんじゃあないか。凄腕弁護士らしいから次は逆転判決になるかも知れないぞ」「でもモリヤさんは検察官になったんじゃあなかった」「そうだったな・・・」裁判とは無縁の茶山夫婦としてはモリヤ2佐の職務の変更は理解できないが、この判決が許せないのは間違いない。被告になっているのが宮城県と釜石市であって職務に殉じた犠牲者ではないことがせめてもの救いだ。それでも死者を鞭打っていることに替わりはない。
- 2021/05/23(日) 13:30:22|
- 夜の連続小説8
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先日は北九州市小倉北区(小倉在住の同期からの情報によれば小倉駅前らしい)にある「九州唯一」のストリップ劇場「A級小倉劇場」が客の減少などで赤字が続いている上、経営者の女性の体調不良も重なって「6月9日に閉館する」と報じられたところ常連客だけでなく来場したことがない若者や女性からも「小倉の大衆文化の財産」として存続を求める声が殺到し、実際に入場者数も増加したため経営は引き継ぐものの当面は閉館しないことになったと言うニュースに感動していたところ今度は広島市中区薬研堀のお好み村の近くにある「中国地方唯一」のストリップ劇場「広島第1劇場」が5月20日に最後のショーが催されて1975年の開館から46年間の歴史に幕を下ろしたそうです。
「広島第1劇場」は山口県徳山市(現在の周南市)、岡山県岡山市、香川県高松市、兵庫県神戸市、広島県福山市にもあった6カ所の第1劇場グループで最後に残っていたストリップ劇場ですが、他の劇場と同様に「第1ホテル」になる予定です。その「広島第1劇場」は全国屈指の広いステージが売り物で2019年の映画「彼女は夢で踊る」で有名になって客足が戻り、最後のステージでは午前10時半の開館の前から120人が列を作って待っていたそうです。
野僧が防府南基地の一般空曹侯補学生に入隊した頃には徳山第1劇場は営業していて部隊から入校した現職組が制服姿で入場したことを通報されて禁止されたことがあります。しかし、(埼玉県の熊谷基地の自衛隊生徒でなければ)自衛官は18歳以上なので制服姿であれば逆に堂々と入場して良いはずですが同時に日活ロマンポルノの映画館も禁止されました。(さらに「女の裸の雑誌はプレイボーイ、平凡パンチ、GOROまで」とエロ本も禁止され、高射部隊出身者がアメリカで買ってきたノーカット雑誌は没収されました)。
広島と言うと野僧の幹部候補生の同期で女性のウェッポン・ディレクター=兵器指令官第1号になったWAFの出身地ですが、OR(技量検定に合格)になってタックネーム(パイロットとウェッポン・ディレクターの個人のコールサイン)を決める際、上司が「棘がある花」で「リリー(薔薇)」と命名しようとすると「女生徒の頃から呼ばれ慣れている『バン』にしてくれ」と言い張ったため「元スケ番」だったことがバレました(氏名に「バン」と読む漢字は含まれていない)。そのバンは野僧が日本軍の軍服を見せるため別のWAFに貸した鶴田浩二さんの写真集が気に入って「下さい」「ちょうだい」「くれ!」とせがんで奪い取りながら「本当は菅原文太の方が良かった」とほざき腐りよりました。
要するにバンは映画「仁義なき戦い」の舞台である広島をこよなく愛する任侠に生きる女番長であり、同じヤクザ映画でも「花と竜」との違いが大衆芸術であるストリップを守ろうとする観客の熱意に応えて存続させた小倉=北九州市と社長は「寂しい気持ちだが、最後まで沢山の人に愛されて恵まれたストリップ人生だった」と言いながら経営を優先して閉館した広島市で如実に表れた出来事でした。
早く本物のストリップを見ておかないと野僧の中では加藤茶さんの「ちょっとだけよ」「アンタも好きねェ」のイメージが固定されてしまいます(BGMは「タブー」)。
- 2021/05/22(土) 14:56:33|
- 常々臭ッ(つねづねくさッ)
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韓国も日本と同じくニューヨークとの時差が13時間のためインターネットの書き込みの最盛期になる時間帯は昼日中だ。職場では松山夫婦が娘・小春の小学校の行事で休んでいるので、韓国語に堪能な杉本と岡倉が手当たり次第に検索し、信憑性がある記事だけを確認している。すると韓国で社会問題になっているインターネットでの誹謗中傷で芸能人などが自死に追い込まれる「指先殺人」が理解できる様相を呈していた。
「韓国のネットでは独身の朴槿恵のことをイギリスのバージンクイーンのエリザベス1世になぞらえて国家と結婚したバージンプレジデントって呼んでいたことがあったが、今は逆の書き込みが炎上しているな」世越(セウォル)号の事故の時、朴槿恵大統領とチェ・スンシルと過ごしていた7時間を醜悪な同性愛劇のように書いている記事を読んで岡倉はコーヒーを飲み、席に座ったまま軽くストレッチを始めた。その前にはまだ20歳代前半だった朴槿恵がチェ・テミンに純潔を奪われる安っぽいエロ小説もあった。エロ小説では朴槿恵が純潔だった理由としてカソリック系の女子中学校に在学中に洗礼を受け、同じ系列の高校を出ていたことが書いてあった。つまり朴正煕大統領がチェ・テミンを使ってキリスト教の排除を始めたのは欧米の軍事政権批判の代弁者になったことが原因だったようだ。その意味ではこのエロ小説も役には立った。ついでに朴槿恵が知愛の中学と高校の先輩だったことも判った。
「次から次と暴露の書き込みが続いているがネタ元は時系列や場所が具体的なところを見ると素人やマスコミと言うよりも政権内の若手官僚のようだな。つまり内部告発だ」岡倉が休憩したのを見て杉本も検索の手を止めた。すると本間が立ち上がってコーヒーを汲みに向かった。知らない間に本当にできた世話女房になっている。
「ネット上では朴槿恵の若い頃のビキニの画像も載ってるがプリントアウトする必要はないな」「確かに鑑賞に堪えないよ」ネット上に踊っている情報をメモした紙を松本と本間が回し読みし始めると2人が補足説明した。その他にもエロ小説まがいの記事には映画やAVのラブシーンに2人の顔を合成した画像が添付してあったが、こちらも韓国人のインターネット技術と熱意に感心する以上の意味はない。以前、韓国のインターネットでは中国に急接近する朴槿恵大統領と習近平最高指導者は「怪しい関係ではないか」と言う書き込みがあったが、全く評判にならなかったのは習最高指導者の妻が抜群の美貌と豊満な肢体を持つ元女優であることが判り、「相手にされるはずがない」と揃って納得したからだろう。
「政権内部でもチェ・スンシルの専横に対する不満が鬱積していたと言うことだね」「マスコミは国家の私物化に対する憂国行動と報じるだろうがな」日本でも平成に入ってバブル景気に悪酔いした国民は民族の美徳だった組織への忠誠心を捨てて欲望を叶えるための収入を目的に働くようになった。ところがバブル景気が崩壊して長期不況に陥ると転職ができなくなって組織に留まりながらも仕事上の不満を内部告発で発散するようになった。しかも内部告発を利用して政権を奪取した野党は社会正義を実現するための手段として擁護したので定着しそうになった。しかし、2013年に加倍政権が特定秘密の保護に関する法律を制定したことで官僚・公務員に限らず広く国民はあらためて保全意識を自覚して節度が身についたと言う。
「そう言えばデモの呼びかけが始まってるだろう」「一部の大学生が自分の大学の学生に呼びかけたのに反応して自分の大学も負けるな式に爆発的に増えてるな」日本でも安全保障関連法案や特定秘密保護法案が国会で審議されている時、左翼政党や活動家がインターネットでデモを呼びかけ、教師に引率された女子生徒が参加したことをマスコミが異常なほど大きく取り上げていたが、その内容が「60年安保の再現」と時代錯誤だったためそれを知らない若い世代は一気に白けてしまった。日本の学校教育の歴史の授業は明治までで終わり、生徒たちは受験に役立たない知識は学ばないことをマスコミ関係者は知らないらしい。
「台湾の向日葵運動みたいになるかしら」「韓国人は台湾人よりも過剰反応する上にマスコミが政治利用するから下手すれば朴槿恵は任期を待たずに退陣に追い込まれるかも知れないぞ」本間の疑問には杉本が答えた。これでは家庭の延長だ。
「あの時は3月18日から4月10日まで学生が国務院を占拠したんだけど、馬英九は支持率10パーセントまで落ちても2年間も総統の地位に留まって任期を全うしたわ」「それが許されたのは台湾の民主主義の成熟度だろう。韓国では暴動が起きるよ」「国会を占拠するのは暴動じゃあないんだ」ここで関西人の松本が絶妙なボケをかました。2014年に起きた台湾の向日葵運動=学生による国務院占拠事件の時、本間は大規模デモの調査のため杉本とタイに行っていて松山1佐が驚くべき広東語力を発揮して情報を分析していた。それよりも岡倉と松本にとっては犬猿の仲だった2人が熱愛の夫婦になって帰ってきたことの方が驚きだった。

習近平夫人=彭麗媛さん
- 2021/05/22(土) 14:54:37|
- 夜の連続小説8
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「今回の問題はどうしようか」朝のミーティングが終わったところで杉本が元韓国担当者として松山1佐に確認した。朴槿恵大統領とチェ・スンシルの問題については松山1佐が呟いた通り、2018年2月までの任期を全うできるかだけが注目点だからこれに自衛隊の諜報機関が関与する理由はない。もう1つ杉本が気になっているのは今まで噂としては半ば公然とささやかれていた両者の疑惑がこの時期に政治問題化した経緯だ。昨年末の日韓合意を受けてマスコミが敵意を剥き出しにしたのだとすれば韓国の反日姿勢は危機的段階だ。
「加倍政権は韓国を必ずしも信用してはいない。むしろ潜在的敵性国家と見ているから今年の8月に交代した大使も今までのような御用聞きではなく剛腕の外交官を送り込んだんだ。ここはワシントンの大使館に通って外交官たちの活躍を観戦することだね」流石に杉本も日本の外務省の大使の人事の情報までは掴んでいなかった。2016年8月に交代した長棟(ながむね)安政大使は外務官僚でも条約・国際法畑の第1人者で、民政党の野畑政権の時にオランダ大使に任命されたがテロが続発し始めたヨーロッパ情勢を過去の外交貴族とは異なる客観的かつ冷静な視点で分析・報告して加倍政権の信頼を獲得した。
「加倍政権が長く続けば良いですが、もう4年目ですからそろそろ期限切れでしょう」「いや、加倍首相は大叔父の佐藤A作首相が長期政権を維持した手法を踏襲しているからこのまま在任記録を更新するかも知れないぞ」本間が横から口を挟むと松山1佐が反論した。
明治18年に伊藤博文が初代首相に就任して以来、現在に至るまでの3分の1は山口県出身者が首相を務めているので当然かも知れないが、在任期間の上位も4位(2016年当時)の土佐ッポの吉田茂までは桂太郎、佐藤A作、伊藤博文の山口県勢が独占している。このうち佐藤A作首相は「政界の玉三郎」と呼ばれた端正な風貌がテレビ時代に合致し、政策は1960年の日米安全保障条約の全面改定を実現しながらマスコミの策謀と教育者の扇動による激しい反対運動を受けて志半ばで退陣した実兄の浜信介首相の指図を受け、人事では若手を閣僚に起用することで人材を育成しているように見せながら実際は敵対心を煽って後継者となるのを阻んでいた。加倍首相も政策面では浜首相が目指した独立自尊の国家の実現を基本路線にしていて、風貌は180センチを越える長身と共に外国の首脳と並んでも見劣りしない品格がある。そして人事でもアメリカのマスコミが紹介するほど目立った後継者は出ていない。
「問題は下痢の持病ですね」「今のところ特効薬を処方されて改善しているみたいだが、生真面目な性格みたいだからストレスが集中すると再発するかも知れないな」加倍首相の健康を気遣う裕美2曹やは良妻賢母だ。それに松山1佐が答えたが自宅でもこの調子なのだろうか。職場で見ていても何となく解る気がする。
「この機会にウチの旦那が韓国に入国できないか、向うの大使館に調査してもらってはどうですか」今度は新たに妻になった本間が幹部自衛官らしい意見を述べた。確かに杉本は愛人関係だった政治ジャーナリストの安楷林(アン・ヘリム)が裏切ったと判断して殺害したため警察の捜査が及ぶことを警戒して韓国への入国を避けている。しかし、岡倉が韓国陸軍の法務士官だった知愛に警察の内情を探らせても安楷林の死に対して疑惑を持っている様子はなく、噂話が氾濫する韓国のインターネットでも書き込みは見当たらない。
「折角、忘れられている事件を探れば記憶を呼び覚まして疑惑を抱かせることになる、言いたいことは判るが却下する」「それは判っていますよ。それではコイツとタイの軍事政権の状況確認に行ってきます。帰りに台湾にも寄ってきます」松山1佐の回答には杉本が応じた。こちらも夫婦の呼吸が合っている。本間とすれば杉本の活躍の場として韓国での情報集を再開させたかったのかも知れないが、本人は2人での仕事を選んだ。
実際、タイでは軍事政権による情報統制が徹底しているため公式発表以外はインターネットを含めて国内情勢は伝わってこない。それでも欧米諸国が2014年5月22日のクーデターによって成立した軍事政権に対する批判で声を揃えていた2015年2月に加倍政権はプラユット・チャンオチャ首相を訪日させ、首脳会談を行っているので現在の外交力には恐れ入るしかない。一方、本間が活動拠点にしている台湾では2016年5月20日に民主進歩党の蔡英文政権が成立した。前任の国民党の馬英九政権は経済学者として大陸との輸出入の拡大を優先したため国内に依存体質が蔓延し、それを中国共産党に脅しの材料に使われて従属国化してしまった。今回の政権交代は台湾人の独立意志の表明と言われているから杉本としても現地を見ておきたい。案内が本間なら完璧だ。それにしても白けきった今回の大統領選挙で選ばれるアメリカの新大統領はアフガニスタンから西とは別の次元で動いている現在のアジア情勢をどう見るのか。窓口が加倍首相なら間違いはない。
- 2021/05/21(金) 13:56:27|
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「杉本はチェ・スンシルを知ってるか」翌朝、出勤した岡倉はこの仕事に入った時、韓国担当者としての指導を受けた杉本に昨晩、知愛が珍しく興奮気味に説明していたチェ・スンシルを知っているかを確認した。少なくとも助手扱いされていた岡倉は知らなかった。
「昨日のニュースだな。韓国では夜のニュースだったから俺はここで見たんだが、最近の朴槿恵は日本寄りになったから単なる嫌がらせの粗探しかと思ってあまり気にしていなかったんだ。ところが資料を調べてみたらとんでもない政治スキャンダルだと判って全員が揃ったところで発表するつもりだった」この口ぶりでは杉本もあまり詳しくは知らなかったが資料=データーだけは持っていたらしい。杉本は政治ジャーナリストのアン・ヘリム(安楷林)を通じて韓国の内情を調査していたので裏話に触れる機会も多かったはずだ。
岡倉が新聞を広げている杉本の前に座ると本間が5人分のコーヒーを運んできた。裕美2曹は松山1佐と一緒の出勤なので朝のコーヒーは相変らず交代で準備していたのだが、杉本の嫁になって以来、本間が自発的に担当者になってくれている。
「朴正煕政権の頃、韓国のキリスト教団がヨーロッパの人権団体に同調して軍事政権への批判を始めたんだ。しかし、北朝鮮の脅威に直面している中で欧米の支援を失うことができない朴はチェ・スンシルの親父のチェ・テミンにキリスト教に替わる宗教を作らせた。それが今回問題になっているセマウル奉仕団だ」杉本の説明は知愛よりも第3者的だ。やはり知愛は迫害を受けた韓国人のキリスト教徒としてかなり感情的になっていたようだ。
「セマウム奉仕団は軍事政権が終ると後ろ盾を失ったんだが、教団施設や組織は政府とは別の宗教団体として存続している。チェ・スンシルには父親のようなカリスマ性はないから経営手腕で教団を維持していると言うのが実情だ」「同じ韓国の統一教会は教祖が死んで4年経っても存続しているだろう。韓国の新興宗教は巨大化して政治権力と一体化することで簡単には崩壊しない。一体、どうなっているんだか」「統一教会か・・・」杉本の説明に岡倉が応じると松本が考え込んだ。実は松本が航空自衛隊時代につき合った女子大生が統一教会の信者で、肉体関係を頑なに拒否したため理由を訊くと「この肉体は教祖に捧げた物で他の男性に触れさせることはできない。教祖が決めた相手と結婚して代理として抱かれることしか許されない」と説明した。それを聞いて松本は車をホテルに乗り入れたのだが女子大生は座席で「教祖を裏切らせれば死ぬ」と言い放ち、その目が本気だったため諦めてそのまま別れた。朴槿恵大統領も同じように洗脳されているとすればそれは明らかに危険だ。
「だから民間人の大統領は全員クリスチャンなんだね」韓国情勢は専門外の松本が個人的体験から妙な見解を口にした。確かにタン・テミンの教団の信者の朴槿恵大統領以外は金泳三がプロテスタント、金大中はカソリック、盧武鉉もカソリック、李明博はプロテスタント(文在寅もカソリック)だ。こうして見るとカソリックの大統領は中国に臣従、北朝鮮に追従する外交姿勢を取る不可解な法則が浮かび上がってくる。
「韓国のマスコミがキリスト教団を軍事政権を打倒した立役者のように持て囃したから信者が急増したんだ。クリスチャンが佛教徒を越えたのも軍事政権が終わってからだよ」松本の見解に杉本が解説を加えたところに松山1佐と裕美2曹が出勤した。
「朝から熱気が充満しているけど・・・韓国大統領の宗教スキャンダルの話題だな」「教団の概要について説明したところです」席についた松山1佐に隣りから杉本が報告した。
「昨日の第1報が流れてからネット上では朴槿恵とチェ・スンシルの疑惑の書き込みが激増しているな」「自分が説明しましょう」松山1佐の話を杉本が引き継いだ。すると隣りの席から本間が手書きの日本文のメモを差し出した。
「今回、報道されたのは大統領から内部文書がチェ・スンシルに漏洩していた問題だが、その他にも大統領の意を受けた首席秘書官が民間企業にチェが私物化している生活支援やスポーツの財団の設立資金の供出を強要した問題。ハンファ財閥の会長の横領背任事件の裁判で執行猶予の判決を出すように圧力をかけたと言う疑惑、これは実際に執行猶予がついて釈放されている。娘のチェ・ユラが有名大学に進学できるように入試問題を事前に入手したと言う疑惑。韓国では不正受験は大問題だ。さっき出たスポーツ財団の選手育成資金を横領した疑惑。スポーツ財団が考案した体操を学校教育に取り入れさせた疑惑。オリンピック代表を自分の好みで入れ替えた疑惑。おまけに娘を馬術で不正にアジア大会代表にした疑惑・・・そして何よりも重大なのは2014年4月16日に世越(セウォル)号が沈没した事故で大統領が7時間所在不明で連絡が取れなかった時、一緒だったと言う問題だ」「朴槿恵の任期はどれくらい残ってるんだ」今回も松山1佐の呟きが結論になった。
- 2021/05/20(木) 13:12:13|
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昭和53(1978)年の明日5月20日に当時の新東京国際空港=現在の成田国際空港が本当に色々あった末に開港しました。
新東京国際空港は高度経済成長が始まった1960年代になるとジェット旅客機が急速に発達して日本に就航する国際便が急増したため手狭な東京国際空港=羽田空港では対応に限界があり、旅客機の高速化によって滑走路の延長が必要でも東京湾を埋め立てるには海上航路が過密なため別の場所に本格的国際空港を建設する計画が持ち上がったのです。
このため昭和37(1962)年から運輸省内で候補地の選定を始め、「千葉県浦安市沖の埋め立て」と「千葉県富里市と八街市」「茨城県の霞ケ浦の埋め立て」「神奈川県横浜市金沢区の八景の海上埋め立て」の4案が提案されました。すると利権に群がる与党政治屋や地方議員、官僚、地元財界の間で争奪戦が始まり、最終的に富里市と八街市に内定しました。ところが運輸省内の公務員労組から情報を察知した共産党と社会党が政府よりも早く地元で空港の建設に伴う騒音被害や航空事故の危険性、環境破壊、交通渋滞などの資料配布と説明会を展開したため政府が公式発表するのと同時に反対運動が始まる事態になり、佐藤栄作内閣は同じ千葉県内でも宮内庁払下げの牧場や県有林がある成田市に変更することを千葉県知事に通知して、わずか2週間後には建設予定地を成田市三里塚とすることを閣議決定したのです。おそらく山口県人の佐藤首相としては成田市は戦後の入植地なので住民の帰属意識が薄く、土地の買収も簡単に進められると表層的に考えたのかも知れませんが、実際は兄弟が多いなどの事情で他の地域に出ざるを得なかった入植者が大半だったので佐藤内閣の急場しのぎ的な決定に強く反発しました。当然、ここでも共産党と社会党が反対運動を扇動し、さらに70年安保闘争に向けて戦闘力を強化していた学生運動の活動家が実戦訓練の場として大挙して乗り込んだため全面対決の様相を呈することになりました。この事態に佐藤内閣は破格の地代による土地買収で多くの地主農民を籠絡・転居させたものの逆に残った農民たちは学生運動活動家と連携して徹底抗戦を叫び、土地収用委員会会長や警察官4名、社宅放火による工事作業員2名、自宅放火による航空機メーカーの役員の家族1名と反対派活動家3名、反対派農民1名、双方に自死者多数を出す武力闘争に発展すると共産党と社会党は影響下にあるマスコミ(NHKも特別番組を組んだ)を使ってベトナム戦争報道と同様に機動隊による暴力行為だけを一方的に批判する世論操作を展開したのです。この結果、昭和47(1972)年10月の開港予定が5年以上遅延しただけでなくこの年の3月30日の開港の4日前にも管制塔が侵入した学生運動活動家によって破壊されたためこの日まで遅延しました。
開港を受けて千葉県警察本部警備部には空港警備を専門とする新東京国際空港警備隊が新設され、野僧が高校3年の時には愛知県警の願書に「千葉県警志望」と書き込めるようになっていたので応募したのですが、試験日が一般海曹侯補学生の1次試験と重なったため受験できませんでした。後年、空港警備の戦術研究で交流するようになると「ウチへ来れば嫌と言うほど実戦を経験させてやったのに」と言われました。惜しいことをしました。
- 2021/05/19(水) 13:59:58|
- 日記(暦)
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最近の岡倉は長らくご無沙汰していたペルシャ語とその方言に近いアフガニスタンのダリー語やパシュトー語の復習に余念がない。自宅でも聖也との筋力トレーニングを終え、夕食をすますと自室にこもり、CDを聴きながらテキストと向き合っている。
モリヤ2佐がアフガニスタンでアメリカ軍やNATO軍の戦争犯罪を調査している目的が国際刑事裁判所での刑事告発だとすれば今後も被害者の特定や事情聴取などで繰り返し現地に入るはずだ。現代の国際社会で中国共産党やイスラム社会を後ろ盾とせずにアメリカに喧嘩を売るのは陸上自衛隊普通科連隊なら万歳突撃、今風に言えば自爆テロに等しい。しかし、アメリカが対イスラムの戦争を始める前のタリバーンによる宗教戒律の下にあった平和なアフガニスタンを知る岡倉としても軍刀を振って突撃する同期に援護射撃くらいはしてやりたいのだ。そのためには語学力に磨きをかけておかなければならない。
「貴方、韓国のネットが凄いニュースを流し始めたわ」食卓で日本語と日本史、日本文化の勉強をしていた知愛が部屋に入ってきて声をかけた。知愛は岡倉がペルシャ語圏だけでなく杉本の助手として韓国も担当していたことを確認したため、今は協力者としてテレビの報道番組や新聞・雑誌、インターネットの南北朝鮮の情報に注意を払っている。
「凄いって北朝鮮が何かしでかしたのか」昨年末に戦時売春婦を巡る問題の不可逆的かつ最終的な日韓合意が成立して以降、朴槿恵政権は慢性的な低支持率に苦慮していた李明博政権が始めた告げ口外交などの反日攻勢を控えるようになっている。したがって現在の日韓で外交問題が生起する可能性は低く、あるとすれば北の金王朝の暗躍だ。
「それが韓国のテレビ局がドイツにいる宗教財閥のチェ・スンシルが処分したタブレット式パソコンを入手して内容を確認したら公表前の日付で朴大統領の演説の原稿や内部文書が44件も入っていたんですって」「そのチェって奴を知らないから何が問題なのか判らないな。大体、宗教財閥って何なんだ」岡倉は韓国事情には精通しているつもりだが、住んでいないと判らない影の部分はあるはずだ。岡倉の答えを聞いて知愛は1つ息を吸うと真顔になった。
「チェ・スンシルは1956年生まれの佛教の僧侶の娘で」「韓国の坊主は結婚できないんだろう」「それが6回結婚していてスンシルの母親は5番目の妻で3番目の娘だそうよ」陸軍士官だった知愛がここまで詳しいと言うことはかなり有名人のようだ。
「ところが父親のチェ・テミンは1970年代に入ると佛教とキリスト教、天道教を合わせた新興宗教の永世教を始めて開祖になったの」「天道教ってのは東学党の乱を起こした連中だな」岡倉が韓国史の知識を挟むと知愛は黙ってうなずいた。
「ここからが問題なのよ。朴大統領の母親が射殺された後、チェ・テミンが朴大統領に『母親の霊から秘密を教えられた』と言って内容を説明するとそれが事実で、以来、朴大統領はチェ・テミンを絶対的に信用するようになったの」ここで知愛の目が険しくなった。いよいよ話は佳境に入るらしい。岡倉も無意識に姿勢を正した。
「父親の朴正煕大統領も娘にチェ・テミンを紹介されて信用するようになって、欧米の代弁者として軍事政権を批判していたキリスト教を排除するための新しい韓国の国教を作ることを命じたのよ。それで1975年に永世教を韓国救国宣教団に名前を換えて全土に教会と組織ができると、その教祖に収まったわ」「なるほど。それでお前も詳しいんだな」岡倉の理解に知愛は苦々しげにうなずいた。
「その頃の朴大統領はチェ・テミンと2人きりで一日中過ごすことも多くてKCIAの長の金載圭少将が父親に報告すると2人から逆に『信仰に対する冒涜だ』と反論されたから叱責したことが暗殺の動機になったって言われているわ」日本では報道されていない韓国の裏現代史に岡倉は興味が湧いて来たがあくまでも予備知識だ。
「チェ・スンシルはセマウル奉仕団に名前を換えた父親の教団に入って1979年から1985年までドイツに留学してからは事実上の後継者になったんだけど宗教よりも教団の財産を運用することに熱心で、父親から引き継いだ政界や財界の人脈を操って莫大な資産を築き上げたと言うのが韓国の常識なの」「カソリックのお前としては大統領がその宗教財閥とつながっているのが問題なのは判るが、韓国でも信仰は個人の自由だろう」岡倉の指摘に知愛は今まで見たことがない厳しい顔をした。やはり日本人には理解できない深刻な事態なのかも知れない。
「朴正煕政権は韓国救国宣教団を使ってキリスト教徒に改宗を強制しようとしたけどアメリカの反対を受けて断念したわ。その原因を作ったのは娘の朴槿恵なのよ。朴槿恵は国家を貢物としてチェ・スンシルに捧げ、はち切れんばかりに私腹を肥やさせた。この問題は大爆発するわよ」知愛の説明に岡倉は宗教が絡む問題が果てしなく深刻化する理由を考え込んでしまった。

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- 2021/05/19(水) 13:58:19|
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敗戦から一冬越した昭和21(1946)年の明日5月19日に皇居前広場で配給米の遅れや不足に抗議する「飯米獲得人民大会」が開かれ、25万人が参加しました。
敗戦後の昭和20(1945)年の秋は農村の働き手の大半が招集されて深刻な労働力不足に陥り、それを補うために朝鮮半島で募集した半島人たちは敗戦と同時に仕事を放棄して都市部に集ったため耕作と収穫が滞っていた上に「昭和3大台風」の1つとされる枕崎台風が9月の収穫期に本州を縦断して壊滅的被害を受け、さらに戦争で破壊された流通経路と手段の復興が遅れていたため都市部では慢性的な食糧難の中で冬を過ごしていたのです。さらにこの年の10月に治安維持法違反で収監されていた徳田球一さんなどが釈放されて正式に復活した共産党が労働運動を指導するようになると国会の議席を獲得していた社会党と競い合うように全国で日本の共産主義化を扇動する集会を主宰し、その表看板に「米よこせ」の食糧要求を使うようになりました。ところが占領軍司令部は政党が主導する労働運動を戦前は軍部に弾圧されて消滅していた民主主義の復活と思い込んで黙認し、むしろ実態を知る吉田茂内閣が制限しようとするのを妨害したのです。
こうして始まった「米よこせ」大会には共産主義の洗脳を受けた学生や労働者だけでなく実際に生活に窮乏している戦争寡婦や主婦たちが多数参加して社会党や共産党の代表や労働活動家の扇動演説に続いて2日前に皇居の食堂に乱入した世田谷区の戦争寡婦が食料を要求する声明を発表しています。
大会が終わると参加者は3つに分かれてデモ行進を始めましたが、その中の1隊は2日前に戦争寡婦と主婦たちが乱入したのと同じ坂下門から中に入り、応対した宮内省職員に天皇との面会を要求し、拒否されると「天皇に食糧事情改善のため人民の総意を汲み取り、適切な指導をするように願う」と言う敗戦から9カ月が経過しても天皇に政治的指導力があると思っているような上奏文を手渡しました。
その一方で別の隊の共産党員の労働者が表に「詔書 曰く国体はゴジされたぞ 朕はタラフク食ってるぞ ナンジ人民飢えて死ね ギョメイギョジ」、裏に「働いても働いても何故私たちは飢えねばならぬのか 天皇ヒロヒト答えて呉れ 日本共産党田中精機細胞」と書いた看板を掲げていたため「不敬罪」で逮捕される事件が起こりました。この裁判では昭和22年10月26日に削除されるまで刑法に残っていた不敬罪の適用が争点になりましたが、最終的には不敬罪は見送ったものの裁判官の職権で名誉棄損罪が適用されました。
結局、労働運動が共産主義革命に利用されている実態を認識したマックアーサー元帥が翌5月20日に「組織的な指導の下で行われつつある大衆的暴力と物理的脅迫手段を認めない」との声明を発表し、大規模な食糧支援や復興事業を開始したことで労働者や主婦の共産主義と言う悪酒の酔いは覚め、革命運動は大学で労働を知らないインテリ・ブルジョアジーの左翼学者に洗脳された学生が主戦力になりました。
なお、昭和21(1946)年は天候に恵まれたため秋には近年にない大豊作になり、復員してきた将兵たちを温かい米の飯で迎えることができました。
- 2021/05/18(火) 15:51:56|
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「何だか政治家にでもなった気分だわ」「どちらかと言えばハリウッドのスターでしょう」我々の控訴審へのオランダのマスコミの取材は相変らず活況を呈している。毎回のように法廷を出た廊下で取り囲まれているモレソウダ首席検察官のボヤキに私は冷やかしで励ました。確かにモレソウダ首席検察官の独特の容姿や発散する存在感はスター性十分だ。
オランダではスレブにツァの虐殺が問題になり、調査に当たった国家戦争資料研究所がPKO部隊の責任を認める報告を出したことを受けて2002年4月に当時のウィル・コック内閣が総辞職したのだが、オランダの弁護士事務所が6000人もの犠牲者の遺族を代表して起こした民事訴訟では2014年に下級審で効力が及ばないと却下された国際連合分もオランダ政府に肩代わりさせる形で300人以上の犠牲者に対する賠償を命じる判決を出した。ところがスレブレニツァで死亡した国際連合の通訳と電気工事士の遺族が起こした民事訴訟では2008年に原告が逆転敗訴して控訴しているため現在のイスラム過激派のテロの続発を絡めて旧ユーゴスラビア内戦を宗教戦争と断定する報道が熱を帯びている。それにはイスラム教徒のモレソウダ首席検察官がキリスト教徒のカラジッチ大統領とムラディッチ参謀長を追求する構図は格好の材料なのだ。
「控訴審は検察・弁護双方の主張が全く噛み合いませんね」今日も足止めされたモレソウダ首席監察官にスマートホンを突きつけられての質問責めが始まった。
「起訴事由を双方が認めた上での公判ですから争点はその動機を過激な民族抗争とするか、軍事的脅威の排除とするかの解釈だけです。新たにこちらを論破する材料がない焼き直しの審理では始めから噛み合せるのが無理でしょう」要するに我々検察側としては1審即決審だった第2次世界大戦のニュルンベルグや東京の国際軍事法廷とは違い、旧ユーゴスラビアでは控訴が認められているため1審の有罪判決に対する抵抗手段として控訴したとしか考えられないのだ。そんな中で現在のテロの続発はキリスト教徒によるイスラム教徒の迫害を正当化させる逆転の秘策になり得る。それは東京裁判の日本のA級戦犯の合法的戦争行為を犠牲者数だけを根拠にナチス・ドイツのホロコーストと同等の戦争犯罪に仕立て上げた裁判手法の模倣でもある。
「旧ユーゴスラビアでもセルビア人はイスラム教徒の違法な戦闘行為の脅威に晒されていて、そんな暴徒たちが国家分裂によって正規軍になったため正当な戦争として攻撃したのであってスレブレニツァでも兵役対象者だけを殺害している。これは戦争犯罪とは断定できないでしょう。ましてやジェノサイドと言うのは明らかに常軌を逸しています」取材者の毎回繰り返される挑発的な質問に今日のモレソウダ首席検察官は不敵な微笑みを浮かべると深く息を飲み込んで感情を交えないで答えた。
「同じことはアフガニスタンでも言えるわね。私にはセルビア人部隊とアフガニスタン占領軍がやっている行為の違いが判らないわ。勿論、これは貴方たちが期待するイスラム教徒としての私個人の見解ですよ。当然、この控訴審や国際検事裁判所とは無関係です」思いがけない答えに固まった取材者たちが突き出している腕を巨体で押しのけながらモレソウダ首席検察官は廊下を歩き去った。後には同じように固まってしまったリミッド次席検察官も取り残されていたが、私はアフガニスタンの調査から戻った時、モレソウダ首席検察官から適当なタイミングに小出しに情報を漏らし、ホワイトハウスの現政権や大統領選の両候補の反応を見極め、新政権が態勢を固めた頃に告発の手続きを取るとの作戦計画を聞いているので、その始動に立ち合ったことに感激しながらも調査が本格化する緊張を噛み締めた。
「国際刑事裁判所の首席検察官がアフガニスタンの占領軍の戦争犯罪の存在を指摘したのか・・・本当にやる気なんだな」オランダのマスコミが夕刊で報じたモレソウダ首席検察官の発言は6時間の時差の関係でアメリカでは昼のニュースで流れた。ただし、時間の大半を大統領選挙でもヒラリーの応援に費やしているため通り過ぎただけだった。このニュースを見て岡倉はアフガニスタンで同行した国際刑事裁判所の次席検察官のモリヤ2佐が匂わせた現地調査の目的が確信に替わった。それはアメリカ軍を含むNATO軍がアフガニスタンで繰り広げているイスラム教徒への迫害と信仰の破壊を戦争犯罪として告発すると言う過去に例がない大胆極まりない法廷闘争の作戦計画だった。アメリカで大統領選挙が本格化しているこのタイミングを選んだのも次期政権に向けての警告射撃を放ったようなものだ。
「杉村(岡倉の偽名)はモリヤ2佐から聞いていたんじゃあないのか」「同期でも特別なライバルだって言ったぞ」「孫悟空とクリリンってところね」ニュースが変ると同僚たちが混ぜ返したが世代が若い本間の例えは岡倉にはピンとこなかった。やはり宿命のライバルと言えば星飛雄馬と花形満か佐門豊作、格闘好きとしては矢吹ジョーと力石徹が好みだ。
- 2021/05/18(火) 15:50:37|
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5月1日に意外な作品に出演していて名前は憶えていなくても顔には見憶えがある俳優の江原達怡さんが長野県松本の自宅で亡くなったそうです。84歳でした。
江原さんは昭和12(1937)年に東京で生まれ、敗戦後の昭和23(1948)年に菊田一夫さんのNHKの大人気ラジオ・ドラマが松竹で映画化された「鐘の鳴る丘」の昌夫役でデビューすると東宝に子役としてスカウトされ、多くの映画作品に出演しながら学業にも励み、やがて久米明さんと並ぶ人気看板俳優として活躍するようになりました。中でも慶応大学の同級生の私的友人でもある加山雄三さん主演の「若大将シリーズ」では憎めない嫌われ役の田中邦衛さんの影になりながらも大学の同級生で運動部のマネージャー兼スカウトの江口敏役で清潔感がある都会派の青年を好演しましたが、実際に江原さんはスポーツ万能で撮影では加山さんと腕前を競い合っていました。ところが水泳だけは全く駄目でマリンスポーツの作品だけは出演を辞退したそうです。
野僧が鮮明に思い出せる出演作品は昭和41(1966)年放送の「ウルトラQ」の第1話「ゴメスを倒せ」で後に科学特捜隊のフジ隊員になる桜井浩子さんがカメラマンの江戸川由利子として務めていた毎日新報の新田記者役で東海弾丸道路のトンネル工事の取材中に異常事態に遭遇して江戸川を呼びますが、現場に乗ってきた星川航空のパイロットの万城目淳とトンネル内に入ってしまったためパイロット助手の戸川一平と2人で掘り出された円形の物体の解明を始め、工事現場では厄介者扱いされている考古学好きの少年・次郎とその物体が古代鳥類のヒドラの卵であることを突きとめる活躍を見せていました。また昭和34(1951)年の「独立愚連隊」では従軍記者の佐藤充さんが関心を持った見習士官変死の現場の独立第90小哨で下士官勤務している石井兵長と言う難しい役でした。さらに黒沢明監督の「椿三十郎」では誘拐・監禁された城代を救出するため椿三十郎の指揮を受けて動く若侍の1人・関口信伍役、続く昭和40(1965)年の「赤ひげ」では小石川養生所の医師の1人・津川玄三役と次第に影が薄れ、昭和42(1967)年の「日本のいちばん長い日」では情報局総裁の秘書・川本信正役、昭和45(1970)年の「激動の昭和史・軍閥」では軍令部の三国参謀役で完全に薄くなっています(野僧はここで挙げたドラマと映画は「若大将シリーズ」以外のDVDを全て持っています)。
実は江原さんは昭和45(1970)年頃から実業家に転身しているため影が薄い役に甘んじたのも俳優としての必要性を消すためだったのかも知れません。冥福を祈ります。
一方、4月11日にゲーリー・クーパーさんの回で紹介したヒッチコック監督の「逃走迷路」で物語の鍵を握り、ラストシーンにも登場する重要な脇役を演じ、チャップリンさんの傑作「ライム・ライト」にも端役ながら出演したアメリカの俳優のノーマン・ロイドさんが亡くなったそうです。ロイドさんは1991年に公開されたショー・コスギさん原案・製作・主演の日米英共同制作のアクション映画「兜・カブト」にも神父役で出演しています。106歳でした。冥福を祈ります。
- 2021/05/17(月) 14:37:25|
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カラジッチ大統領とムラディッチ参謀長の控訴審とアフガニスタンでのアメリカ軍とNATO群の戦争犯罪に関する情報収集で多忙になっている私の帰宅時間は変則的で、今夜は2人の日課の散歩に出かけられそうもなかった。
「おい、帰ったぞ」いつもよりも数時間遅く家に帰ると梢は私の執務机に自分のパソコンを置き、ヘッドホーンをはめて何かに熱中していて気づかなかった。近づいて肩を叩くと驚いたように顔を向けたが、画面は倒して見せなかった。この態度が私ならリハビリにAVを見ていたことを疑がわれるが、机にノートとテキストを広げているのでインターネットでの勉強らしい。
「おかえりなさい。もうこんな時間なのね。夢中になっていて気づかなかったわ」梢は手早くノートとテキストを閉じると電源を切って閉じたパソコンの上に載せて片づけた。梢が私に隠し事をするのは珍しいが表情に暗さがないので後で確認することにした。
「今、夕食を温めるから」「散歩に出られないとシャワーを浴びるタイミングが設定できないから困るな。いつもは湯上がりで夕食じゃあないか」「確かにそうね。私もお腹があまり減ってないわ」夜の散歩は1型糖尿病を患う私にとっては必要不可欠な生活習慣だが、ヨーロッパ各地でのテロの続発によってオランダでも警備が強化されているため、あまり遅くなると市街地の巡回に当たっている警察官に迷惑をかけることになる。
「今日は豆腐チャンプルよ。貴方から散歩に行けそうもないって電話があったからカロリーを控えたの」「それは有り難い。豆腐を作るようになったおかげだな」作務衣に着替えてテレビのニュースを見ていると梢がテーブルに料理を運んできた。2人に大皿が1つずつと言うことは豆腐チャンプルは山盛りらしい。これならば野菜が中心で、炒める油もオランダ厚生省指定の保健衛生食品を使っているから腹が膨らんでもカロリーは抑えられる。
「梢くん、さっきは何の勉強をしてたんだね」2人で手を合わせて沖縄風精進料理を口に運びながら先ほどの隠し事の尋問を始めた。それでも口調には好奇心の悪戯っぽさをまぶしている。すると梢は頬張っていた野菜を噛んで飲み込んでから答えた。
「実はインターネットの英語の有料サイトでペルシャ語講座を見つけたの。貴方の仕事に役立ちそうだから始めたのよ」これは意外だった。ヘッドホーンをしていたので語学の勉強とは推理していたがスイス旅行で役に立つドイツ語だと思っていた。
「ペルシャ語を使ってるのはイランとパキスタンくらいじゃあないか」「アフガニスタンもよ」アフガニスタンで広く用いられているダリー語はアフガニスタン・ペルシャ語とも呼ばれることがあり、西部の遊牧民のパシュトー語も文字がアルファベットになるだけでイラン語=ペルシャ語に分類されている。
「アフガニスタンって、お前を連れていくつもりはないぞ」「これから調査が本格化すればアメリカの通訳さんに毎回来てもらう訳にはいかないでしょう。私が通訳できるようになれば貴方の役に立てるじゃない」私は前回のアフガニスタンの調査に幹部候補生の同期の岡倉が通訳として同行したことは言っていない。おそらく岡倉は別の人格として非公式な任務についているので全幅の信頼を置いている梢とは言え漏らすことはできないのだ。
「アフガニスタンはまだ紛争地帯なんだ。お前を戦場に連れていけば足手まといになるだけだ」「でも通訳がいなければ調査はできないじゃない」私たちは昔から言葉を投げ合う前に意識が反応するので梢の言いたいことは判っている。梢は私がアフガニスタンでの調査に死を覚悟していることを察して同行する手段として現地通訳を考えているようだ。
「2代目ブッシュのアフガニスタン侵攻ではロシアと国境を接する北部の少数部族に大量に武器を与えてタリバーンと戦闘を始めさせたがそれは形式的な手順で、実際はアメリカ軍とNATO軍が支援の名目で徹底的な攻撃を加えて全土を制圧したんだ。ところが北部の部族はソ連の侵攻に加担した上、ロシア正教の信者が多いから敬虔なイスラム教徒が大半のアフガニスタンの人たちは宗教指導者としてのタリバーンの復活を待望しているんだ。それでも伝統的なイスラムの戒律を守っていると占領軍や新政府にタリバーンの信奉者と決めつけられるから恥を忍んで肌を露出する服装をしなければならない。それどころか占領軍の兵士たちは身体検査と称するレイプまで横行させているんだ。そんなところにお前を連れていく訳にはいかない。箸が止まってるぞ」梢にはアフガニスタンの実情も詳細には教えていなかったが、危険性を理解させるため可能な範囲で説明した。
「だったら私を連れていって。そんな不正義が行われているのを放置できないわ。貴方と一緒に死ぬのは若い頃からの希望よ」私の指示で豆腐チャンプルを食べた後、梢は予想された結論を口にした。これが冷静に考えた本気だから困ってしまう。

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- 2021/05/17(月) 14:35:29|
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1920年の5月19日に第1次世界大戦で帝政ロシアの女性部隊を率いて活躍した女傑・マリア・ボチカリョーワ中尉が銃殺されました。
ボチカリョーワ中尉は1889年にロシアでもモスクワとサンクトペテルブルグの中間に位置するノヴゴロド州の農家の娘として生まれました。15歳でシベリアでも中南部にある当時は最大の都市だったトムスクの男性と結婚することになり、労働者して働き始めますが、やがて夫が暴力を奮うようになったため離別すると間もなく肉屋を営む男性と肉体関係を持ち、店を手伝うようになりました。ところが1912年に男性が窃盗容疑で逮捕されてシベリアでも東端のヤクーツクに流刑になったため主に徒歩で後を追ったのです。こうして現地で肉屋を始めましたが、翌年、男性が窃盗容疑で再び逮捕されると北極圏のアムカへ流刑になりました。それでもボチカリョーワさんは一途に後を追いましたが(これを日本では「醜女の深情」と言う)、今度は男性が酒に溺れ、粗暴になってしまいました。そんな1914年に第1次世界大戦が勃発すると単身でトムスクに戻り、現地の帝政ロシア軍予備隊に入営したのです(シベリアまで徒歩で追ったことを聞いた皇帝自らの裁可だったと言われている)。しかし、シベリアの軍隊は当時から粗暴だったためボチカリョーワさんも日常的に性的嫌がらせを受けることになり、それは前線に出て男性と変わらぬ武勇を見せ、2度の負傷と3度の勲章を受けるまで続きました。
第1次世界大戦中の1917年3月に最初の革命が起きて5月に皇帝が退位するとボチカリョーワさんは戦争大臣から少尉に任官して女性のみの部隊を編成することを命ぜられたため広く募集すると革命後の混乱の中で安定した職を求める女性が2000名も応募しました。ところが訓練が始まって軍人としての規律を強制されると退職者が続出し、最終的には300人しか残りませんでした。
それでも約1カ月間の訓練の後、女性部隊は西部戦線に送られましたが男性の兵士たちは長期戦による疲労と忠誠を尽くす皇帝が廃位されたことによる厭戦気分が蔓延していて戦線が維持できず撤退せざるを得なくなりました。この時、ボリョーカ少尉は戦傷を負って入院加療中に中尉に昇任しましたが、旧皇帝派として革命政府に逮捕されています。
するとロシア国内では旧皇帝派との内戦を続けている革命政府内での対立が激化して三つ巴で相討つ状態になり、その混乱の中で共産主義者同士の武力闘争である11月革命が起こりました。さらに前線でも女性部隊が糧食・衛生看護・弾薬運搬などの後方業務に専従するため「男性の兵士が戦闘から逃れる手段が奪われる」と言う不満の声が起こり、戦争指導部は女性部隊に解散を命じたのです。こうして役割を失ったボリョーシカ中尉は11月革命で勝利した共産党に再び拘束されて旧皇帝派として処刑されることになりましたが、逃走して国外に脱出するとアメリカとイギリスでロシアの革命阻止を訴えた後、旧皇帝派として内戦に加わるために帰国してトムスクに戻ったところを三度逮捕され、シベリア中央部のクラスノヤルスクに移送されて4カ月間の取り調べを受け、「人民の敵」と言う罪状で銃殺されたのです(エリツィン政権によって1992年に名誉回復されました)。
- 2021/05/16(日) 14:20:03|
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ヨーロッパ人の職員たちの夏の長期休暇による業務停止が終わり、旧ユーゴスラビア特別国際法廷から引き継いだラドヴァン・カラジッチ大統領とラドム・ムラディッチ参謀長の控訴審が再開した。オランダでは自国軍のPKO部隊がセルビア人部隊からの圧力に屈してスレブレニツァの管理地区からイスラム教徒を退去させたことが大虐殺の原因とする裁判が行われているのでこの裁判への関心も強く、法廷には驚くほど多くの取材者が押しかけていた。
「ユー(貴女)は現地のイスラム教徒を大量虐殺した行為をジェノサイド(=人道に対する罪)とする特別法廷の認定を踏襲するつもりですか」法廷の外の廊下でモレソウダ首席検察官が取り囲まれてしまった。昔は口元に突き出される金属製のマイクが短剣に見えたが、今は四角いスマートホンなので坊主の私には札束を喜捨してくれているみたいだ。それにしてもヨーロッパ人の取材者たちの自覚がない有色人種への差別意識は国際刑事裁判所の首席検察官に対しても向けられて姓名や肩書を用いていない。今回の裁判に参加しているリミッド次席検察官は取材者たちの人垣の後ろに立っているが非礼を指摘することはない。
「控訴したのは被告側ですから当方としては特別国際法廷の審理と認定を変更するつもりはありません」モレソウダ首席検察官の常識的な回答に取材陣は無表情にうなずいた。
「現在、我が国ではPKO部隊が圧倒的に優勢なムラディッチ大将が指揮するセルビア人部隊に包囲されて補給まで遮断されたため要求されるままに管理地区内のイスラム教徒を差し出した処置を巡る裁判が行われていますが、これもジェノサイドに対する共犯と考えているんですね」「ここはオランダ領内でも国際刑事裁判所は供与を受けている土地ですから『我が国』と言う表現は不適切です」「失礼しました。『オランダでは』です」取材者がマスコミ的に攻勢に転じるとモレソウダ首席検察官は出足払いで「技あり」を取った。体型から見て柔道をやっていても不思議はないがスポーツの趣味は聞いたことがない。
「それでオランダ軍のPKO部隊は共犯者なんですか」「国際刑事裁判所の裁判とオランダに限らず各国の国内法で審理中の裁判は明確に一線を画さなければなりません。強いて言えば特別国際法廷の判例をオランダの司法がどのように解釈するかですが、それはオランダの司法当局の判断であって私がこの場で論評するべきものではありません」「首席検察官、次の予定が・・・」話に区切りがついたところで後ろからリミッド次席検察官が声をかけた。
「それでは・・・」「貴女はムスリムだと思いますが、やはり今回の戦争犯罪をキリスト教徒によるイスラム教徒の大虐殺だと認識しているのですか」モレソウダ首席検察官が歩き始めると取材者たちは前を開けたが1人の取材者が横から声をかけた。すると一斉に人垣が復旧されて札束のようなスマートホンが取り囲んだ。
「歴史的な経緯を考えれば十字軍の昔からキリスト教徒とイスラム教徒が対立してきた土地で発生した戦争犯罪行為ですが、特別国際法廷では宗教的対立が動機とする証言は被告人側と被害者側の双方から出ていません」「そうではなくてムスリムであるモレソウダ首席検察官個人の見解を訊きたいのです」私も陸上自衛隊の旧制服で傍聴していたのでリミッド次席検察官よりも離れて聞いていたが、取材者たちの悪意に基づく質問と傲慢な態度に腹が立ってきた。
「国際刑事裁判所に限らず検察官は個人の価値観で司法の場に臨むことがあってはなりません。私もあくまでも事実の解明と法令の公正な適用だけを考えていますからムスリマとしての見解はありません」「首席検察官、時間を過ぎていますから急いで下さい」本当はモレソウダ首席検察官の部屋で私を加えた3人での今日の反省会が次の予定なのだが、リミッド次席検察官が珍しく機転を利かせて脱出させた。こうなると私も早急に退避しないと顔を知っている取材者に次の標的にされてしまう。私が同じ質問をされれば旧ユーゴスラビアに限らずアメリカが始めた対イスラム戦争を含む第3次世界大戦を十字軍の延長と糾弾するところだ。ついでにオランダ軍のPKOがカンボジアで文民警察官を見殺しにして逃げ、イラクのマーワでは自衛隊の宿営地に迫撃砲弾が撃ち込まれても無視した件もおまけしてやる。
それにしてもモレソウダ首席検察官は私から旧ユーゴスラビアの宗教弾圧やアフガニスタンでアメリカ軍やNATOが繰り広げている戦争犯罪の実態の報告を受けていながら感情を荒立てることもなく平然と受け流した。日本では今も政治家や教育者に崇敬されている吉田松陰がアメリカの小笠原諸島割譲要求を万国公法(=国際法)に基づいて拒否するなどの徳川幕府の優れた外交交渉を知ることもなく外国人の上陸を許したことだけで「国土が汚された」と怒り狂う友人たちからの手紙に煽られて弟子たちに尊皇攘夷を扇動した愚かさとは大違いだ。つまりモレソウダ首席検察官は松陰神社の祭神よりもはるかに上をゆく人物と言うことになる。私としては生(なま・いき)大佛として拜みたいところだ。
- 2021/05/16(日) 14:18:50|
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室町幕府10代将軍・義植さんの時代の明応4(1495)年の明日5月16日(太陰暦)に琉球王国に臨済禅を伝え、多くの禅寺を開山した芥隠承琥(かいいんしょうこ)老師が遷化しました。
芥隠老師は南禅寺の寺僧だった宝徳2(1450)年に琉球王家の招聘を受けると「琉球は小国なりといえども人は清廉で根器がある」と快諾して沖縄に赴き、第1尚王家の尚泰久王と尚徳王、第2尚王家の尚円王と尚真王の4代にわたって禅を説きました。中でも尚泰久王は芥隠老師の徳風に深く帰依して当時は東西南北1キロの浮島だった那覇市若狭に江戸時代には島津藩士が埋葬された広厳寺、那覇市久茂地にあったと言われる(場所を特定する史跡や資料は確認されていない)普門寺、伝承によれば浦添にあったらしい天龍寺、那覇市の国際通りの突き当たりに遺構が残る第1尚王家の菩提寺の崇元寺などの禅寺を建立して琉球国内に禅を広めています。さらに尚真王が父である尚円王の追善供養のために首里城の庭園でもある竜潭池の畔に建立した円覚寺も芥隠老師が開山になっています。円覚寺は首里城から下ってくる坂道の傍らに総門を構え、鎌倉の円覚寺を模した3つの門=三門と7堂伽藍を備える大寺院でしたが、現在は昭和43(1968)年に再建さた総門の脇から中に入ると門から拝殿跡までの石畳の途中に大きくはない池(縄文時代の遺跡で発掘された種を大賀一郎博士が発芽させた蓮が植えられている)に石の橋が架かっていますが、首里城の地下には第32軍司令部の地下壕が在ったため沖縄戦では徹底的な攻撃を受けて建物は残っていません。
芥隠老師は徳風で王家や貴族を教化しただけでなく外交でも活躍し、文正元(1466)年には特使として京都に赴いて8代将軍・義政さんに謁見していますが琉球を小国と侮り、外交特使である芥隠老師に庭に敷いた敷物で僧侶の最敬礼である3拜をさせただけでなく贈答品を進物と記録するなど従属国=家臣扱いしました。このような仕打ちを芥隠老師が帰国して報告したのかは不明ですが、中国の明と日本を天秤にかけていた琉球王家が知れば間もなく戦国時代に入る日本には見切りをつけて明との関係を強めたのは想像に難くなく、慶長14(1609)年の島津藩の侵攻が日清戦争と同じ構図の明との代理戦争になった可能性もあり、所詮は徳川8代将軍の吉宗公が享保の改革によって幕府の寿命を大幅に延長したのとは逆に応仁の乱を放置して日本を戦国の大混乱に陥れた暗君です。
野僧は勉強が大好きな亡き妻とのデートで沖縄県立博物館や図書館に通って沖縄にあった佛教寺院を調べたのですが、この5ケ寺の他にも梵鐘の銘文の拓本が残っている相国寺、那覇市東町にあった大徳寺と楞伽寺、首里で第2尚王家の廟所になっていた慈恩寺、円覚寺の隣りにあった広徳寺、寺社並立で波の上宮の隣りにあったらしい高応寺、那覇市当蔵町にあった天王寺と住持の隠居所の仙江院と万松院、那覇市山川の千手院、中城村にあった糸蒲寺、所在地不明の建忠寺、金福寺、妙厳寺、福寿寺などがあり、多くは芥隠老師とその弟子の渓隠安潜老師が開山です。おそらく琉球王家の時代には首里城から見渡すと寺院の大屋根が点在し、朝夕には梵鐘の音(ね)が響いてきたのでしょう。
- 2021/05/15(土) 15:02:37|
- 沖縄史
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平成になって以来の深刻で長期にわたる不況の影響で夏の観光シーズンの客足は減少の一途を辿っているため淳之介も適度な間隔を置いて休めるようになっている。会社の収益が落ちれば社員としても困るのだが、淳之介は家ではあかりに替わって育児に励んでいた。
「お父さん、どうしていりえはおチンチンがないの」淳之介がいりえのオムツを換えていると横から覗き込んでいる恵祥が訊いてきた。淳之介は父から「志織のオムツを換えている時に『どうしておチンチンがないの』と質問されて説明に困ったと聞いている。どうやら兄と妹の順番になると男の子は同じ疑問を抱くものらしい。ならばこれは遺伝子の問題ではない。
「だってお母さんもおチンチンはないだろう。いりえも女だからおチンチンはないんだよ」「でもお母さんは髪の毛が生えてるよ」淳之介は恵祥の反論に「あれは陰毛だ」と説明しようか迷ったが余計な知識を与えるのは避けた。
「お父さんだっておチンチンに毛が生えてるだろう。大人になると毛が生えて恥ずかしいところを隠すんだ」「ふーん、恥ずかしいんだね」恵祥は納得したが、淳之介としては自分の質問に対する父の回答を思い出そうとしたが浮かばなかった。あの父であればもう一捻りした絶妙な回答を返しそうだが、子供の頃の記憶は残念ながら記録にはならないらしい。
淳之介は便がついたオムツををトイレの水で振り洗いしてから蓋つきのバケツに入れた。そうして洗面所で手を洗っていても後ろについて離れない恵祥に声をかけた。
「恵祥、おチンチンの歌を教えてやろう。これはお祖父ちゃんに習ったんだぞ」淳之介の説明に恵祥は急に目を輝かせた。善通寺で父子家庭になった時、父は保母の息子としての本領を発揮して家事と育児を妙に楽しげに励み、生活の時々に歌を教えてくれた。この歌を習ったのは一緒に風呂に入っている時だった。
「チンチンチンチンチン チンチンチンチンチン ヤーヤーヤーヤーヤー チンチンチンチンチン」この歌は前奏にも歌詞があるので省略する訳にはいかない。オムツを換えてもらってご機嫌ないりえもあかりの腕の中で面白しろそうにこちらを見ている。
「ちっちゃい頃の雪の朝、白く積もった庭に出て チンチンつまんでオシッコで 雪に名前を書いたっけ オーチンチン オーチンチン あのチンポコよどこ行った・・・」淳之介は歌詞の確認をせずに記憶だけで唄ったが、沖縄で生まれ育った恵祥は雪を見たことがない。
「・・・夏の河原の水遊び ちっちゃく縮んだチンポコを 摘まんで伸ばして引っ張って 大きくなれよと泣いたっけ オーチンチン オーチンチン・・・」間奏を唄いながら歌詞を確認すると2番には淳之介も知らない「トンボ釣り」や雲島の集落とはイメージが違う「日暮れの町」が出てくるの跳ばして3番にした。
「オーチンチン オーチンチン あのチンポコよどこ行った」ここだけは憶えたらしい恵祥は唄いながらズボンとパンツを下ろし、チンポコを摘まんで腰を捻らせて踊り出した。淳之介も誰に似たのかノリは良い方だがここまでは行かない。その点、恵祥は軽快な音楽を聴けば自然に手をくねらせて足はステップを踏み出すが、チンチンまで披露するのは問題だ。
「昼ご飯を食べたら海に行くか。チンチンが縮んだら摘まんで伸ばして引っ張らないとな」「うん、お父さんに買ってもらったカエルさんを持っていくよ」「いりえは・・・まだ無理かな」淳之介と恵祥が勝手に話を進めるとあかりは腕の中のいりえの顔に頬を寄せて気持ちを読み取った。やはり八重山の強烈な日差しは1歳にならないいりえには危険だろう。
「恵祥、今日はビゲー(父ちゃん)が休みで好いな」「うん、海に行くんだよ」昼食を終えて淳之介が恵祥を連れて家を出ると沖縄式の家の縁側で風に当たっている近所のアッチー(八重山方言の高齢男性)が声をかけてきた。
「ビゲーに浮き輪を買ってもらったんだな。んぞーさん(可愛い)さァ」「僕もさにしゃん(嬉しい)よ」アッチーは淳之介が抱えているカエルの浮き輪を誉めてくれた。この浮き輪は海に連れて行く約束をしたため仕事の合間に石垣市内のホーム・センターで買ってきたのだが、白色のアヒルでは乳児用の便器のようなので緑色のカエルを選んだのだ。本当はあかりといりえも連れていくためビーチ・パラソルも買ったのだがやはり無理だった。
「お父さん、このカエルさんで練習したら僕もウミンチュウ(海衆=船乗り)になれるかな」「だったら泳ぎも練習しないとな。先ず顔を水につける練習からだぞ」これもホーム・センターで買ってきた子供用ゴーグルをはめている恵祥を浮き輪から下ろすと淳之介は腰までの深さの渚に立たせ、口をつぶり鼻を摘まんで息を止めることを教えると顔を水に漬けさせた。
「ガンナマ(八重山方言の蟹)がいるよ」すると恵祥は恐がることもなく底にいた蟹を見つけて報告してきた。やはりウミンチュウの血統を受け継いでいるようだ。
- 2021/05/15(土) 15:01:28|
- 夜の連続小説8
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