fc2ブログ

古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

8月1日・由来なき市名・愛知県豊橋市の市制記念日

明治39(1906)年8月1日は67万人が居住し、昔の東海道、現在の国道1号線が通り、新幹線のこだま号の停車駅を有しながら埋没している東三河のド田舎の中核都市・豊橋市の市制記念日です。実際、鉄道唱歌でも豊橋は「豊橋下りて乗る汽車は これぞ豊川稲荷道、東海道にて優れたる 海の眺めは蒲郡」と地元のことは唄っていません。
豊橋市と言う地名の由来を正確に理解している者は地元でも滅多にいません(=教員を含め質問して答えられた者がいなかった)。ところが野僧は愛知県豊田市(当時は挙母町)から元近衛騎兵士官から住職になった叔父の寺に下宿して豊橋市内の旧制中学校(旧藩校)に通学した祖父が興味を持って調べ、小坊主時代に極めて丁寧に伝授してくれたおかげで嫌々ながら熟知しています(親に強制された大学は豊橋市内にあるため中退した)。
豊橋市は古来、「吉田」と呼ばれ平安時代の公文書にも荘園の所在地としての記載があります。その一方で室町3代将軍・足利義満さんの時代になると唐突に「今橋」と言う地名が登場しました。郷土史家の中にはこれを「豊川(とよがわ)に吉田大橋が架かった=後の『豊橋』の由来」と主張する者もいますが、当時は飽海川(あくみがわ)と呼ばれていた市内を流れる1級河川・豊川(とよがわ)を横切るような橋は架かっておらず、舟や浅瀬を徒歩で渡っていました。後述する吉田大橋を架けたのは安土桃山期に東三河の領地経営を行っていた酒井忠次さんなので、むしろ支流にやっと(=今)架かった橋を地名にした狭い地域に荘園があり、それが記述された可能性も考えられるでしょう。
その後は駿河・遠江の守護大名・今川氏に与して東三河を領した牧野氏や渥美半島の戸田氏、三河の再統一を果たした徳川氏の公文書や訴状、書簡などでも「今橋」の地名は用いられなくなり、江戸時代には吉田藩・吉田城・吉田宿に統一されました。
ところが幕末に戊辰戦争が起こると小田原藩の箱根の関所と同様に枝胤・松平氏として浜名湖畔の新居の関所を守備する任務を負っていた吉田藩は一切抵抗せずに反乱軍の通行を許しただけでなく馬や荷車に馬方や人夫を付けて提供する背信・醜態を晒しましたが、その甲斐あって明治になっても藩は無事に存続したものの反乱軍側の宇和島藩(小藩で藩主が有能だったため薩長土のような藩内抗争は起こらず、対外戦争でも中立を保ったので目立たない)の支藩「伊予吉田藩と紛らわしい」と言う嫌がらせのような指摘を受けて改称を強要されたのです。そこで藩主の松平信古さんが「豊橋・関屋(城下の町名)・今橋」の3つ候補を記して提出したところ一方的に「豊橋」に決められたのですが、信古さんがこの3つを選んだ理由は判りません。当然、反乱軍側が選んだ理由も。
その一方で明治以降、豊川(とよがわ)には続々と橋が架かりましたが、酒井さんが架けて江戸時代は幕府が維持・管理していた東海道の吉田大橋は明治になって「豊橋」に改称され、昭和に入って東海道が国道1号線として現在のルートに変更されると新たに架けた橋で「吉田大橋」が復活し、県道になった旧東海道の「豊橋」は市の名称と混同しないため「とよばし」と濁音で呼ぶようになりました(同時期、豊川も市名は「とよかわ」、川は「とよがわ」と使い分けるようになった)。豊橋市がそんな顛末で改名した記念日です。
  1. 2021/07/31(土) 15:24:31|
  2. 日記(暦)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

振り向けばイエスタディ2354

「貴方、謙作から周作の画像が届いているわよ」森田3佐が防府北基地から南基地の南側にある官舎まで自転車で帰宅すると玄関まで飛び出してきた秀子がスマートホンの画面を見せた。携帯電話の写メだった頃は解像度が低く、謙作が名寄から送ってくる風景や自衛隊生活の写真も迫力不足だったが、今ではプリントした写真以上に鮮明になり、必要であれば拡大することができるので使用頻度が上がっている。
「ほう・・・俺似で男前だな」「私似でイケメンなのよ」6月に生まれた周作は謙作と照子の2番目の長男で森田3佐と秀子夫婦の2番目の孫になる。今度は男の子だったので照子の大橋家では牧場の跡取りと期待しているが愛媛に帰る森田家としても独り息子を婿に渡した見返りに取り戻したいところだ。そんな訳で本来は再就職を決めるために愛媛へ帰省するべき夏季休暇は北海道旅行になる予定だ。それにしても防府から北海道でも旭川へは宇部空港から羽田空港で乗り換えになるので移動だけで1日仕事だ。
「泣き声も聞けるように動画にすれば良いのに」「まだオギャー、オギャーとしか言わないだろう。機嫌が好い笑顔で十分だ」この当たりの意見の相違は男女の差異だろう。
「それにしても作が付く名前ばかりで混がらがって困るわ」「敬作、謙作に周作か。これは通り字になったな」「通り字」とは直系男子の諱・名前で代々継承される漢字のことで源氏の「義」か「頼」(源氏では下の漢字「家」や「朝」も踏襲している)、足利家の「義」や織田氏の「信」、徳川家の「家」などが有名なので上の1文字と思われがちだが、皇室の「仁」や平家の「盛」もある。ただし、豊臣家の「秀」は2代で途絶えたので「通り字」とは言えない。
「俺の敬作は二男だから伊予宇和島藩医の二宮敬作先生みたいに広い世間で活躍する大人物になるようにって親父がつけたんだ。謙作こそお前が千葉県知事のファンでつけたんじゃあないか」妙な話題から言い合いが始まってしまった。二宮敬作は伊予宇和島城下の町医者で西洋医学を学ぶため長崎にシーボルトが開いた鳴滝塾に入門すると塾頭を務めた。シーボルトがオランダのスパイだったことが発覚すると投獄されたが、帰藩すると伊予宇和島藩の藩医に取り立てられた。さらに鳴滝塾で同門だった高野長英が鳥居耀蔵の策略・蛮社の獄で入牢した伝馬町から逃亡してくると自宅で匿い、英明な藩主・伊達宗城の下で藩の近代化を指導させた。そして欧米列強の脅威が増した幕末には高野長英の後継者を探している伊達宗城に大阪の緒方洪庵の適塾の塾頭だった村田蔵六を推薦して招聘させ、日本初の蒸気船を製作させている。しかし、全国的な知名度は低くてもこれだけ偉大な業績を残した人物では名前負けしているのは間違いなく、同じ宇和島出身ならゴム動力の模型飛行機の飛行に成功した二宮忠八にしてくれれば航空自衛官として自慢できたはずだ。
「貴方が嫌がったから漢字を換えたでしょう」「読みは同じだろう。俺はアイツの青春モノは嫌いなんだ。アンナ高校生がいるか」「貴方は幼馴染の女生徒の部屋に忍び込むエロ高校生だったもんね」玄関での言い合いが続くと森田3佐の方が劣勢に陥ってしまった。
「さよならは誰に言う さよならは悲しみに 雨の降る日を待って さらば涙と言おう・・・吉川くん」仕方ないので森田3佐は短靴を脱ぎ、秀子が大好きだった森田健作の青春ドラマ「俺は男だ」の主題歌を口ずさみながら横をすり抜けてリビングに向かった。あのドラマが放送された時、2人は小学校2年生だったが、森田3佐がアイドルに興味を持ったのは高学年になってからだ。その意味では秀子も随分ませたエロ小学生だったのではないか。それにしてもあのドラマに出演していた頃の千葉県知事は23歳、吉川くんの早瀬久美は20歳だったのでかなり無理がある配役だ。そのおかげで早瀬久美が海で溺れるシーンの水着姿(人工呼吸のために胸の水着を外された)に興奮したのは中学生になっていた再放送だ。
「照子の産後の肥立ちは大丈夫なのか」「何も言ってないから大丈夫なんでしょう。初産じゃあないし」「日和は元気でやっているのか」「何も言ってないから元気なんでしょう。もう4歳だし」箪笥が置いてある部屋で着替えながら森田3佐が声をかけると夕食の支度を始めた秀子は関心なさそうに答えた。森田3佐は高校時代に夜這いをかけて純潔を奪った責任を取って秀子と結婚したが、あの頃は別の同級生相手に女の味を憶えて鼻血を吹くほど性欲が爆発寸前で取り敢えず手近なところで間に合わせたのだ。その秀子と30年以上も夫婦として過ごし、定年後も強制連行される故郷で暮らしていかなければならない。
「お前は日和の祖母なんだから心配するべきだろう」「心配してるわよ。謙作が北海道の女なんかと結婚しなければ手元で育てるはずだった。原因を作ったのは謙作だから仕方ないでしょう」着替え終ってリビングに戻ると森田3佐は叱責したが秀子の反論は毎度の不満だった。テーブルの席に座り、テレビのニュースをつけた森田3佐は秀子の横顔を冷めた目で見詰めた。
  1. 2021/07/31(土) 15:23:13|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

7月31日・スウェーデン政府公認のユダヤの英雄・ラウル・ワレンバーグの命日

1952年の7月31日は母国のスウェーデン政府が2016年10月31日に公式に認定したナチス占領下のハンガリーにおいてユダヤ人救済に多大な功績を残した外交官・ラウル・グスタフ・ワレンバーグ(スウェーデン語ではヴァッレンベリ)さんの命日です。ただし、本人は第2次世界大戦中に進駐したソ連軍に出向いたまま消息を絶っているため死亡に関する資料は確認されておらず、スウェーデン政府以上にハンガリーでワレンバーグさんの外交特権の乱用によって救済されたユダヤ人=イスラエル政府が恩人の死の真相を解明するべく巨額の資金を投入し、ユダヤ人社会の調査能力を動員しても推測以上の結果が出ないためソ連政府が公式に死亡を通知した日付で区切りをつけただけです。
ワレンバーグさんは1912年にストックホルムの東側にあるリーディング島で生まれましたが、父親が数ヶ月前に病死していたため名前を受け継ぎました。ワレンバーグ家は銀行家の祖父が明治初期に初代公使として日本に駐在した名門資産家であり、ワレンバーグさんも十分な教育を受けて育ち、高校を卒業して兵役を終えるとアメリカのミシガン州立大学に留学して帰国後は祖父の「世界を見て欲しい」と言う意向を受けて南アフリカやパレスチナで貿易商や銀行家として働いたことでナチスやソ連の迫害から逃れてきたユダヤ人たちと知り合い、中でもユダヤ系ハンガリー人の実業家に見出されて片腕になりました。
1939年に第2次世界大戦が始まるとナチス・ドイツは占領した地域でもユダヤ人の抹殺を進め、非占領地のユダヤ人組織は国際社会に救済を呼びかけましたが、当時はカソリックによる魔女狩りの延長でヨーロッパ全土でユダヤ人が迫害されていたため反応はなく、1944年3月にハンガリーがナチス・ドイツに占領されるとここでもユダヤ人狩りが始まったのです。このため非占領地のユダヤ人組織はハンガリーで起きる迫害の実態を国際社会に発信する人材を中立国に求め、ワレンバーグさんを肩腕にしていた実業家が諮問を受けたことでスウェーデン政府から外交官として派遣されました。この外交官と言う肩書はワレンバーグさんが受諾の条件にしたものでした。こうして1944年7月にハンガリーに赴任すると国際的に認められていない「保護証書(スウェーデン政府の保護下に置く証明書)」を捏造し、意外に中立国を尊重するナチスの気質(オランダ進攻もイギリス軍の情報士官を国境付近で逮捕した中立国義務違反が理由だった)を利用してユダヤ人にばら撒き、時には収容所に向かう列車を停めて配り、徒歩での移動では最後尾に続行して動けなくなったユダヤ人が殺害される前に手渡して多くのユダヤ人を救済したのです。
しかし、1945年1月にナチス・ドイツが撤退してソ連軍が進駐してくるとソ連が帝政ロシアのユダヤ人弾圧を踏襲していることを熟知するワレンバーグさんは占領軍司令部にユダヤ人の保護を申し入れようと赴いたまま消息を絶ちました。
1987年に始まったゴルバチョフ政権の情報公開では秘密警察にアメリカのスパイと疑われて拘束され、「1947年7月17日に収容所で心筋梗塞を起こして死亡した」と言う記録が発見され1989年に遺品が引き渡されましたが、1947年以降の目撃証言もありスウェーデン政府は遺族に請求されるまで認定を先送りにしていたようです。
  1. 2021/07/30(金) 15:08:59|
  2. 日記(暦)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

振り向けばイエスタディ2353

「森田3佐、まだ愛媛での就職が決まりませんか」防府北基地の第12飛行教育団基地業務群本部では夏季休暇明けから定年前の「付」になる森田3佐に8月1日付で後任の業務主任として着任した輸送幹部の3佐が毎日同じ質問を繰り返している。本来、「付」の2カ月間は定年前の人間ドックで見つかった持病を治療し、再就職先で研修=実習を受け、即戦力として入社することを目的にしているので、この出遅れは送り出す側としても深刻な問題だ。
基地業務群には施設隊、業務隊、通信隊、会計隊、管理隊、飛行場勤務隊(航空機を持たない部隊では補給隊も)と言う全く職種が異なる部隊が所属しているため群司令を補佐し、これらを統括・調整する業務主任には担当業務の専門性が高い施設や通信のベテラン3佐が配属されるのが一般的だが、森田3佐が自己開拓で獲得したこのポストを九州出身者の定年前の配属先として確保したい航空幕僚監部輸送室が強引に送り込んできたのがこの3佐だ。
「当然、警備保障会社の管理職を探しているんだが、一般の守衛は幾らでも募集しても管理職は警察の天下り先だから自衛隊に喰い込ませる訳にはいかないって受けつけないんだ。民間企業の守衛の仕事は警察の犯罪捜査や交番勤務、機動隊よりも自衛隊の警衛に近いから迂闊に採用すると立場を失くしてしまうことが判っているんだろう」「警察らしい組織防衛ですね」輸送幹部も警察署の交通課とは縁があるので比較的お人好しな自衛隊とは比較にならないほど強烈な警察の組織防衛=縄張り意識には3佐も呆れてきた。
「私としては松山空港や伊方原発の警備を請け負っている会社に売り込んでもらいたいんだが、地本(地方協力本部)の担当者は松山駐屯地の元同僚を優先して航空自衛隊を割り込ませる気はないようだ。と言っても政府がテロ対策として空港や原発の警備の強化を命じても警察官僚が決めたのは守衛が携帯する警棒を警杖にしただけだ。本来であれば地方空港にも主要空港並みに警察官を張りつけなければならないだが、それができないなら民間の警備保障会社にテロに対応する能力を与えるべきだろう。ところが銃刀法の規制の緩和や私人逮捕の拡大を阻止したい警察官僚は『強化した』と言う実績だけで逃げた。大臣には『ご指示に従い現行法で可能な範囲で民間警備会社の警備能力を強化しました』とでも報告するんだ」「それも警察らしい胡麻化し方ですね」森田3佐の怒りがこもった熱弁に3佐は「門外漢」と言う顔で相槌を打った。しかし、この3佐は出身地とは真逆の北国の複数基地で管理隊長を経験してきたのだから警備も担当業務だったはずだ。
「いっそのこと輸送幹部に戻って運輸関係の仕事を探してはどうですか。愛媛なら農産物を本土へ大量に発送しているからJA関連の運送会社があるでしょう。都会の若者の間ではパワー・スポットとして四国88カ所巡りがブームになっていますから旅客輸送の会社も管理職を募集しているはずです。四国でなければ輸送人脈で探すことができるんですが、四国の空自は土佐清水市にしかないから仕事のつながりがないんですよ」今度は3佐が熱弁を奮った。昔の輸送幹部の管理隊長は国家試験の運転免許を保有する輸送の隊員は優秀で、術科教育さえ受けていない警備は馬鹿と決めつけていたが、所詮は馬と犬、荷駄引きと門番の違いしかなく警戒管制出身の森田3佐から見れば阿呆が馬鹿を笑っているに過ぎなかった。そんな古い意識を温存している3佐に業務を引き継ぐことには人事上の輸送幹部として内心忸怩(じくじ)たるものがあるが、「付」の期間中でも定年直前の10月の総合演習には基地警備訓練に参加させてもらうつもりなので喧嘩を売る訳にはいかない。
「ここは1つ、警備保障の会社を立ち上げるかな。入社資格は自衛隊OBで予備自衛官。途中退職は不可。それを売りにすれば民間企業も信頼して契約するだろう」「陸海空は不問なんですね」唐突に思いついたような言い方をしたが、実は府中基地での定年退官予定者を対象とする業務管理講習を受講した時から考えていた構想だった。資本金には退職金を充てることになるが、家は愛媛の兄に探してもらった中古住宅を購入していて、妻の秀子も定年後に愛媛に戻ることを希望した立場上、反対はしていない。何よりも兄の農作業を手伝えば喰うに困らない。
「予備自衛官なら集合訓練で無料の健康診断を受けられるし、訓練もしてくれる。制服も退職前に私物の制服を買わせれば十分だ」「官品で良いんですか」「警備保障会社の制服には胸と袖に巨大なワッペンを装着しなければならんが警察に登録すれば問題ない」「随分、具体的な服案なんですね。本当は以前から構想を練っていたんでしょう」ここは3佐に察知されてしまった。同じ階級の輸送幹部同士だから頭のレベルに大差がないのは当然ではある。
「それなら会社の名前も決めているんでしょう」「うん、ウルトラ警備保障」「・・・」「若しくは防人(さきもり)ガード」「・・・」「さらに愛国桜組」「真面目に答えていますか」常識的な3佐は冗談と受け取って苦笑したが森田3佐としては本気だった。
  1. 2021/07/30(金) 15:07:09|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

7月30日・結局何者?贋の吉田雄兎が無間地獄に堕ちた日

朝日新聞の植村隆記者が大々的に取り上げ、取材に協力した北朝鮮系反日団体の職員と再婚してからはその虚偽の主張を代弁する特集記事を不定期連載した(いわゆる)従軍慰安婦=戦時売春婦を捏造した吉田清治こと雄兎(敬称不要・福岡県遠賀郡芦屋町出身)が戸籍上は2000年7月30日に無間地獄に堕ちたことになっています。
ただし、吉田雄兎は山口県出身と自称していましたが現在の遠賀郡芦屋町西浜で生まれた記録があり、門司市立商業学校の昭和6(1931)年度の卒業者名簿に名前があるものの「昭和6年中に死亡」とされています。つまりここから先の吉田雄兎は別人で昭和58(1983)年に発刊した「私の戦争犯罪」なる捏造証言本や告白講演で用いた「東京の大学卒=朝日新聞は法政大学と報じた」「満洲国地籍整理局に就職」「中華航空上海支店に転職」「戦時中は労務報国会下関支部に所属」「元軍人」と言う経歴や朝日新聞が社是である反日報道に利用した「労務報国会として済州島で女性を強制連行して女子挺身隊に入れたが大半は慰安婦にされて死亡した」と言う証言も事実であるか以前に誰のことだったのか判らないのです(大学進学については虚偽と断定されている)。
ところがこの偽物の吉田雄兎は昭和6(1931)年の時点で戸籍が抹消されていたはずなのに朝鮮半島で反日活動家を養子にして来日させると地元企業の労働争議を扇動させており、さらに結婚して子供を儲けているのですから朝鮮半島で住民票登録するのに合わせて戸籍も捏造し、昭和15(1940)年に朝鮮独立運動の指導者の逃亡に協力した罪で逮捕・移送・強制送還されたため裁判所に掛け、刑務所に服役させるのに当局が問題の拡大を避けて継続使用できることになったのでしょう。
それでは死んだ吉田雄兎と入れ替わった偽物の吉田雄兎は何者だったのか。これは本来、現地・済州島の住人が否定している虚偽の証言を「勇気ある告白」として絶賛し、大々的な連載記事にした上、韓国マスコミにも情報を流して共同戦線を張り、支持率の低迷に悩んでいた韓国政府に外交の材料に利用させた朝日新聞が調査・発表する責任を有するのですが、おそらく朝日新聞が得意とする美辞麗文を以ってしても国民の批判が湧き起こるような極めて都合が悪い事実が判明したため責任を全て植村隆元記者個人に被せて、戦時売春婦を人権問題にすり替える逃げの一手を選択したのでしょう。
もう1つ責任を有するのは吉田雄兎の虚偽の著作物と朝日新聞の捏造記事を史実とした韓国政府の提訴によって実際には存在しない強制連行による半島人女性の戦時売春婦を戦前の日本政府の罪と断罪した国際連合人権委員会のクマラスワミ委員長とマクドゥーガル委員長です。しかし、両特別委員会とも独自の調査能力を持たず、韓国政府が推薦した被害者である元戦時売春婦を審査することなく証言させ、日本の反日活動家・戸塚悦郎弁護士(静岡県浜松市出身)の断罪妄言と合わせて全面的に採用した低次元な組織であり、人物ですから何かを期待しても虚しいだけです。
それにしてもこれだけ虚偽の戸籍であることが周知されている人物の死亡届を提出された地方自治体は調査することなく受理したのでしょうか。
  1. 2021/07/29(木) 13:57:18|
  2. 日記(暦)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

振り向けばイエスタディ2352

「学校長閣下から課題研究が届くとは思わなかったよ」土曜日の午後5時過ぎ、佳織が官舎で1人分の夕食の支度をしているとモリヤ2佐から電話が入った。手早くガスを全て消してテーブルに置いてあるスマートホンに出た佳織は夫の声に溜息をついた。オランダと日本の時差は8時間なので向うは午前9時だ。実は佳織はテキサスとハワイで過ごした夏季休暇から帰国して間もなくメールで幹部候補生学校の教育内容を実戦化するための改革案を質問したのだ。
「率直に言って私は日本には戦争の危機が迫っていると思うの。特に韓国の現政権は大統領自身が北朝鮮からの移住者だから政治的信条や功利的計算で北の金王朝を通じて中国に擦り寄っていた金大中や盧武鉉とは違って心の底から宗主国の中国に臣従して命ぜれるままに日本に敵対してくるのではないかと言うのが外交官たちの見解よ。それはフィリピン外務省や他国の駐在武官も認めていた。若し、中国が尖閣諸島に上陸するのならその前に韓国が日本と衝突して、それを華僑系マスコミが日本の武力攻撃と喧伝することで中国が安全保障理事国としての懲罰権を行使する口実を作るんじゃあないかしら」「文在寅の妻、今度の韓国のファースト・レディは北の初代王妃と同姓同名だからな。韓国の若い連中は金正淑の名前に敬意を抱くように仕向けられて気がつけば金日成夫人も崇拝していると言う寸法だ。勿論、同姓同名なのは偶然の一致だろうけどな」「それはジョークね。ハハハ・・・」佳織の反応はジョークには無理にでも笑わなければならないヨーロッパの社交儀礼だ。オランダで慣れているモリヤ2佐も「有り難う」と儀礼に対する感謝を口にした。
「ワシは日本のニュースは東北の茶山3佐が送ってくれる新聞でしか見てないが、加倍政権はアメリカとの同盟関係を盤石にしながらオバマに中国の本性を教えて危機感を与えたが、今度のトランプは商売人にしか見えない。アメリカ式の底の浅い経済観念では損得勘定を哲学にした中国の術中にはまるんじゃあないか」「限定的な情報量でその分析は流石ね」「それはジョークか。ハハハ・・・」今度はモリヤ2佐が混ぜっ返したが、佳織は夫と酒を飲みながら時事問題を語り合ったパジャマ・ミーティングを思い出して涙ぐんでいた。
「それで課題設問の幹部候補生学校の教育内容を即戦力の指揮官育成に改革する方策だが今の教育内容を知らないから回答しようがない。だから質疑応答にしてくれ」これが珍しくモリヤ2佐が電話をしてきた理由らしい。
「確かに課題を出すには資料が必要だったわね。でも内容によっては秘密指定があるからコピーするのにも手続きが必要だし、私信では郵送できなかったから許してね」「はい、元通信幹部としては厳格に対応するんでしょう」実際は南スーダンPKOの日報問題で防衛大臣が引責辞任に追い込まれ、防衛事務次官と陸上幕僚長が懲戒処分を受けて退職したため防衛省内局や陸海空自衛隊では文書とデータの管理と秘密保全が厳戒態勢になっているのだ。
「それでは第1問、相変らずの種目の武道を変更せずに実戦に役立つ格闘訓練にする方策をどうぞ」「今やっている剣道、柔道、銃剣道もスポーツ化しなければ実戦用の格闘術なんだ。ワシは武道の問題点は1本の発想だと思っている。実戦では滅多にない一撃必殺を期待するよりもボクシングのように数打ってラッキー・パンチが入ればノックアウトでなければ勝てない。だから武道の試合も1本制ではなく試合時間内のポイント制にすれば少しは考え方が変わるんじゃあないかな」「なるほど、流石は格闘指導官」「残念ながら徒手格闘の試合も1本制だったぞ。ポイント制にしたのは守山のワシの中隊限定の特別ルールだ。銃剣道は着剣した89式小銃に合わせた短木銃にすることだ。そうすれば教官連中も実戦に役立たないビリヤード格闘術だと自覚するだろう。試合に構えて射つ「発砲」と言う技を加えるのも面白しろいが、それでは銃剣道にならんな」最後の提案は非常に奇抜でもジョークではないようだ。
「1つ補足すれば試合中の気合は止めさせろ。呼吸と集中力を一致させる効果はあるにしても戦場で大声を出すのは『ここにいるぞ』と敵に知らせる大馬鹿者だ」確かにモリヤ1尉は北キボールPKOで夕闇の中、イスラム刀で斬りかかってきた現地人暴徒をナイフで刺殺した時、奥歯を噛み締めて無言だったらしい。
「それから指揮官教育で劣勢に陥った時に撤退を選択する戦術判断を学習させろ。陸上自衛隊は兵力が乏しいんだから帝国陸軍みたいに万歳突撃で集団自死させる余裕はない。叩いて逃げるゲリラ戦に徹して敵を消耗させるしかないんだ。これはPKOの駆けつけ警護にも役に立つはずだ」モリヤ2佐の指摘に佳織は人事教育部で熟読した幹部候補生課程の資料の内容を思い出した。加倍政権による安全保障関連法が成立して1年以上が経過していても教育部の講義で法律の内容を詳細に解説するようになっただけで学生隊の訓練には全く反映されていない。これではモリヤ2佐を前川原の企画担当者に強制連行するべきかも知れない。
し・モリヤ佳織イメージ画像
  1. 2021/07/29(木) 13:55:40|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

7月29日・沖縄出身の提督・漢那憲和少将の命日

昭和25(1950)年の明日7月29日は沖縄県出身では唯一の提督で昭和の陛下がヨーロッパを訪問した時には乗艦・香取の艦長を務めた漢那憲和少将の命日です。
陸軍・陸上自衛隊で沖縄出身の将官には漢那少将よりも7歳年下の長嶺亀助少将や第1混成団長を務めた桑江良逢陸将補がいます。また海軍軍人としては海軍兵学校50期生の中佐でオランダ駐在武官を務めている時、日独伊三国同盟を結んだヒトラー政権内に喰い込んでいた駐ドイツ大使館から入手した侵攻計画をオランダ政府に警告し、女王一家のイギリス亡命などの準備を進めさせた功績でオランダ軍の将軍・提督でも与えられないオレンジナッソウ勲3等を受章した渡名喜守定大佐がいます。
漢那少将は明治10(1877)年に現在の那覇市西で琉球王家時代には高級官吏のフナテイヤクニン(舟艇役人)を務めていた父親の息子として生まれました。フナテイヤクニンは世襲制ではなく試験によって選抜される役職だったため優秀な人材が多く、漢那少将も幼い頃から頭脳明晰・才気煥発で、明治25(1892)年に沖縄尋常中学校に入学すると同期には沖縄方言が鎌倉時代の日本語であることを解明した民俗学者で言語学者の伊波普猷さんがいました。ところが3学年になった明治28(1895)年に沖縄蔑視の言動を繰り返す校長の排斥を求める生徒のストライキ運動が発生すると首謀者の1人として退学処分になり、学科試験が通れば卒業は不問の海軍兵学校を受験して123名中4番の成績で合格したのです。
海軍兵学校では周囲から将来のため薩摩海軍閥に加わることを勧められましたが漢那生徒はこれを拒否し、あくまでも「初の沖縄出身者」として学業に励み、113名中3番の成績で修了しました。その後は航海・操艦の名手として海上生活を送り、日本海海戦には第3戦隊の巡洋艦・音羽に乗り込んで参加しています。日露戦争終結後は海上生活を続けながら海軍大学校を修了して琉球王(伯爵)の5女と結婚すると海軍大学校の教官になり、第1次世界大戦の勃発を受けて革命前のロシア、スウェーデン、イギリス、フランス、イタリア、スイス、アメリカの視察を命じられました。そうして大正9(1920)年に練習艦・香取の艦長に任ぜられると翌年3月3日から9月3日まで皇太子=昭和の陛下の御召し艦として香港、シンガポール、スリランカ、エジプト、マルタ島、ジブラルタル、イギリス、フランス、ベルギー、オランダ、イタリアを巡る大航海を果たしました。
しかし、大正14(1925)年には予備役に編入され、報告を受けられた昭和の陛下は「何故、漢那がそんなに早く予備役になるのか」と漏らされたそうです。
その後は沖縄選出の衆議院議員として活躍しますが敗戦で公職追放になり、肺癌でこの日に亡くなったのです。葬儀には極めて異例なことに昭和の陛下から私費でカゴ盛りと弔慰金が下賜されました。
昭和の陛下は若き日の大航海を生涯大切にされていて崩御される直前にも沖縄からの来客に「航海の途中で沖縄に寄った際、エラブウナギ=海蛇の蒲焼を食べた思い出」や漢那憲和艦長の卓越した航海術と実直な人柄を懐かしそうに語っておられたそうです。
  1. 2021/07/28(水) 14:45:07|
  2. 沖縄史
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

振り向けばイエスタディ2351

同じ頃、「陸上幕僚監部付」と発令されているモリヤ佳織将補も幹部候補生学校長として為すべき仕事について思案する毎日を送っていた。「付」とは言え将官なので狭い個室を与えられているが、在フィリピン防衛駐在官としての所見を報告すれば問い合わせに応える以外に職務はない。そのため人事教育部で幹部候補生学校に関する資料を熟読し、部長や人事教育課長、教育室長などの関係者と雑談的に思想統一を図っている。
「韓国が現政権になって我が国の周辺地域での軍事的脅威は格段に高まっています。数年以内に戦争が発生することを前提に実戦に役立つ初級指揮官を育成することが幹部候補生学校に課せられた責務でしょう」「それはフィリピンから東アジアを眺めての実感なのかね」雑談の中で飛び出したモリヤ将補の極論に1佐の課長と室長は困惑した顔を見合わせ、同じ将補でも先任の部長がなだめるように質問した。
「フィリピンでは華僑出身のベニグノ・アキノ2世大統領も中国の南沙諸島の実効支配を侵略と認識して経済面以外の国交を断絶してアメリカ軍の再駐留を実行しました。現在のズテルデ政権も同様の立場を取っています」「それが我が国の尖閣でも行われると言うんだね」「中国の狙いは尖閣ではなく沖縄諸島でしょう。尖閣の支配は琉球王家が中国皇帝の臣下であり、属領だったことを海外に示すための前段階に過ぎません。民政党政権が在沖縄アメリカ軍の撤退を公約にして選挙に勝利したのも『沖縄県民の中国への帰属意識の表明だ』と言うのがアジア地域の華僑系マスコミの報道です」モリヤ将補の所見は指揮通信システム・防衛部の情報課の担当で人事教育部としては防衛部ほど強い関心を持っていなかった。
「それで幹部候補生学校長としては何を始めるつもりなのかね」これ以上、モリヤ将補に国際情勢の熱弁を奮わせると学校教育の実戦的改革を容認しなければならなくなると考えた部長は話の腰を折るように本論に誘い水を向けた。
「幹部候補生学校長の職務権限には通信学校の企画室長(=副校長)だった時に痛感したのと同様の限界が立ちはだかっているようです。例えば海上自衛隊が第2次世界大戦の第1航空艦隊の草鹿龍之介参謀長が剣術家として日本の武道の発想で戦闘を指導したため多くの過ちを犯したことを教訓にして学生教育の武道を廃止しましたが、陸上自衛隊では日露戦争でさえ実戦の役に立たなかった銃剣道を校長命令で廃止することもできません」モリヤ将補が危機意識は強烈でも常識的な判断に踏み止まっていることが判り、3人は安堵したように苦笑した。
「銃剣道連盟は非常に多くのOBを高待遇で受け入れてくれている有力な天下り先・・・元へ、再就職先だから喧嘩を売らんでもらった方が有り難いですね」「その発想を捨てないと次の戦争が起こった時、隊員たちに連射してくる機関銃に向かって万歳突撃をさせることになるんです」安堵した気分で室長が口にした陸上自衛隊的常識をモリヤ将補は指弾した。かつて守山の第35普通科連隊の第4中隊長は連隊の銃剣道大会を個人参加にして徒手格闘の強化訓練を実施したがモリヤ将補はその掟破りな異端者の妻なのだ。
「訓練の改革については実戦経験を有する元普通科の幹部に相談していますが、最大の問題は課程学生の人物評価です。現在は客観性と合理性を確保するために学科試験の得点を重視していますが・・・」」「実は我々もその問題の解決を貴女に期待しているんですよ。ここだけの話、長引く不況で自衛隊の一般幹部候補生は上級職国家公務員試験よりも簡単に特別職国家公務員の管理職になれると学生の間でも人気で、我が防衛大学校よりも偏差値が高い国公立大学や有名私立大学からの入隊者が増えているんです。そうなると学科試験の成績では防衛大学校出身者では太刀打ちできない。おまけに候補生たちが防衛大学校出身の教官を見下すことも起きている。その点、貴女ならアメリカのミシガン州立大学出身ですから権威を保つことができるでしょう」課長の説明は完全に的を外れている。実弾射撃であれば弾痕不明だ。
「それは私も一般課程出身ですから期待に添いかねます。実力勝負を徹底しましょう。私が言いたいのは記述式の学科試験の結果ではなく実戦における天性の勘、野性的な戦闘本能を持つ候補生をどのように発掘して育成するかです。私の同期に航空自衛隊から大学を中退して曹侯学生に入った人物が特例で入っていて、陸上自衛隊で唯一の実戦経験者になっても部隊指揮官にはしなかった。結局、組織として活かし切れていないのです。今後はその同期のような平時には危険でも戦時には実力を発揮する人材を大量生産しなければなりません」ここまで説明されれば3人もその同期がモリヤ将補の夫で国際刑事裁判所の検察官としてオランダに赴任しているモリヤ・ニンジン2佐であることに気がついた。
「それで具体的には」「課程教育に将棋や囲碁を取り入れてその成績で才能を見極めますか。勿論、冗談です」部長の困ったような質問にモリヤ将補は笑顔で答えた。
  1. 2021/07/28(水) 14:43:09|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

振り向けばイエスタディ2350

「これが今度の校長の候補生時代の資料だ」夏季休暇が終わり、校長の交代が正式な人事調整として届いた前川原の幹部候補生学校では学生隊と教育部が保管していたモリヤ佳織将補の候補生時代の資料を回覧した。内容としては教育指導記録と課題論文、所感文のコピーのようだが当然のことながら人事記録と成績表は公表していない。
「何せ唯一のWACの将官ですから当然、校長も初めてです」右上端と左下端に「取扱注意」と「関係者限定」と言う赤いゴム印が押してある茶封筒を手渡しながら先に資料を確認した課長は判り切っていることを説明した。受け取った課長はその背後で部下の空曹たちが一斉にこちらを注視しているのを見て関心の高さを実感した。
「どんな人物ですか」「旧姓は伊藤って言ったようです。アメリカからの帰国子女で大学もアメリカの州立大学に留学した才女ですよ。離別した父親はアメリカ空軍のパイロットの中佐らしい」「アメリカ陸軍のCGSにも留学していますよね。ハワイの太平洋軍司令部の連絡官から通信学校の副校長、香川の協力本部長になってフィリピンの防衛駐在官」「まさしくスーパーエリートだね」2人の課長もモリヤ将補の経歴は部内紙の朝風などに「女性初」の役職に配属される度に写真入りで載っていたのである程度は知っているが、交代で並べると聞いている方が畏まってしまうような肩書が続いた。
課長は茶封筒を持ってきた課長が帰ると先ず学生隊の教育指導記録でも最終ページの担当した区隊長の人物評を開いてみた。素早く目を通すには結論からの方が理解は容易だ。
「帰国子女の上、大学もアメリカに留学しているので同期との人間関係を心配していたが、現代の若者気質を昇華させたような人間性で男女を問わず人望を集めていた・・・1989年と言えばバブルの真っ最中だから同期にはあまり優秀な人間はいなかっただろう。だからトップ・クラスのエリート・コースに乗ったんだが」続いて課長は指導内容をさかのぼるように通読した。すると几帳面な区隊長だったようで具体的で詳細な所見が記されていた。
「アメリカ出身にも関わらず知覧の陸軍特攻隊について極めて詳しかった・・・アメリカ出身にも関わらず元寇に非常に詳しく、黒田藩主が播磨国=兵庫県出身であることも知っていた・・・アメリカ出身にも関わらず・・・この区隊長は研修の度に同じことに驚いていたんだな」実は伊藤佳織候補生はモリヤ候補生と岡倉候補生と言う軍事と歴史の生き字引から知識を十分に吹き込まれていたので区隊長との雑談では教える側に回っていたのだ。
「徒手格闘の試合では男子の候補生を打ち負かしていた・・・これはアメリカ帰りだけに意外に危ない女かも知れないな」これも自主トレに励む格闘指導官のモリヤ候補生から個人レッスンを受けていたのだが、区隊長はそこまで記述していなかった。
「次は課題論文か。帰国子女の割には綺麗な字だな」服務指導記録の次にはB4版の原稿用紙を二つ折りにした学生隊の課題論文が入っていた。当時はまだワープロだったので論文用の原稿用紙の行間に文字を合わせる機能がなく伊藤候補生も鉛筆で手書きしている。その文字は大学時代も英語の横文字だったとは思えないほど達筆で流麗だった。区隊長は伊藤候補生が留学中に癌を発症した母に毎日のように手紙を着送っていたことは知らなかった。
「テーマは『隊員の士気を高揚させるための具体的方策』かァ。これは部隊勤務の経験がない一般課程の候補生には難題だな」課題論文には教育部から出題される戦史研究や戦術論などの学科と学生隊の服務指導の方策や精神教育の思索などがある。学生隊の課題論文では評価する側の区隊長も素人が想像で書いていることは承知しているので、候補生たちに部隊の現実を語り、理想とのギャップを覚悟させることが主たる目的になっている。
「ふーん、ベトナム戦争の行き詰まりの原因を題材にしてるんだな。流石はアメリカ帰りだ。これなら部隊勤務の経験がなくてもスラスラ書けるだろう」伊藤候補生の論文を読み始めて課長は思い掛けない内容に老眼鏡をかけ直した。
「ベトラムで住民虐殺を繰り返した韓国軍をかなり手厳しく批判しているが、日韓の候補生交流は大丈夫かな」読み終えた課長は難しい顔で思案した。目を通すだけのつもりが熟読していまうほど内容は濃かったが、韓国海兵隊が1968年2月12日にフォンニィ・フォンニャット村、2月25日にハミ村で住民を大量虐殺した事件と3月16日のアメリカ軍によるソンミ村の事件を「北ベトナムのゲリラ戦術に追い詰められた兵士の鬱憤を発散させ、士気の高揚を図ることが目的だった」と類推した上で「戦場での士気は時には狂気を呼び覚ますことにも通じる」との結論を述べている。さらに刃物による素手だった韓国軍と主に銃器による射殺だったアメリカ軍では残虐性は比較にならず、韓国軍は朝鮮戦争の共産主義者狩りでも自国民を大量虐殺しているので「協同作戦を実施する相手としては注意を要する」と補足していた。

  1. 2021/07/27(火) 14:42:41|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

7月27日・日本海軍の秘密兵器・高木惣吉少将の命日

昭和54(1979)年の明日7月27日は戊辰戦争の倒幕による政権奪取を「天下盗り」と誤解していた毛利藩閥によって作られた陸軍とは逆に政治とは無縁だった海軍の中で「非政治性が海軍の弱点」と認識する重鎮たちによって軍政の専門家として育成され、和平工作の中で実力を発揮した逸材・高木惣一少将の命日です。85歳でした。
高木少将は明治26(1893)年に現在の熊本県人吉市の極貧の農家の息子として生まれ、高等小学校を卒業するとそのまま鉄道の工事事務所に就職して働きながら通信教育で中学課程を学びました。中学課程を修了すると上京して製本会社に再就職し、2年後には現在の東京理科大学に進学しますが学資以外の雑費が不足して断念、大正元(1912)年に学力試験が通れば学歴は問わない海軍兵学校に100名中21番の成績で合格し、43期生として入営しました。ところが貧しい家庭で育ったためなのか健康体ではなく大正4(1915)年に卒業してからの艦船勤務では健康を害して鎮守府司令部の連絡員などの陸上勤務と入校の繰り返しになりましたが、戦争がない大正時代だったので人事上の瑕疵にはならず昭和2(1927)年には首席で海軍大学校を修了しています。
その年の暮れからは少佐で在フランス駐在武官の補佐官として赴任し、昭和4(1929)年に帰国すると海軍省、軍令部、海軍大学校の教官など一貫して中央の陸上勤務になりましたが、この人事の裏では第1次世界大戦後の軍縮に反発する陸軍が政治への介入を強めているのに対して海軍は大正3(1914)年の艦艇建造にまつわる海軍中枢への大汚職・シーメンス事件への反省から政治とは距離を置く姿勢を堅持していて日本に蔓延していく軍国主義の風潮に危機感を抱いていた岡田啓介大将などの重鎮から海軍の政治的立場の確立やその実現のための政策の研究と人脈の構築を命ぜられていたのです。
しかし、陸軍は昭和6(1931)年に満州事変を起こしてから政治を無視して紛争の拡大に盲進し、昭和11(1936)年に2・26事件を起こすと逆にクーデターの再発で文民の政治屋を脅迫して実権を握り、やがては日独伊三国同盟から第2次世界大戦への参戦へ突き進んでいきました。これに対して高木少将は構築してきた国内外の人脈を駆使して戦争の早期終結を追求しましたが、東條英機首相の手下の特高警察や憲兵の監視を受けることになり、人脈にも危害が及ぶ危険を察知して東條首相の暗殺による和平実現を目指す新政権の樹立を計画するようになりました。この計画は実行段階に至っていたのですが、昭和の陛下にサイパン島陥落の責任を追及された東條首相が辞任したことで中止になりました。その後は小磯国昭内閣と鈴木貫太郎内閣の米内光政海軍大臣の密命で和平に向けて国内の有力者の意思統一を図るべく活動し、本土決戦に固執する陸軍を政治的に孤立化させることに成功しています。
敗戦後は辰巳亥子夫のペンネームで明治以降の陸海軍の失敗を検証する多くの戦史の著書を執筆しましたが、最大の業績は江田島の海上自衛隊幹部候補生学校で山梨勝之進大将と2人で長期間にわたる戦史戦略の特別講師を務め、その膨大な原稿と資料を国立国会図書館と防衛研究所に閲覧可能の状態で寄贈したことでしょう(野僧も目黒で拝読しました)。
  1. 2021/07/26(月) 13:48:15|
  2. 日記(暦)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

振り向けばイエスタディ2349

今回も休暇の最後はバートラガーズのアレクサンダー・レーア大尉の民宿に泊まり、大尉が指揮官を勤めるスイス陸軍山岳歩兵部隊の訓練に見学の名目で参加する。今回は訓練の最終日の射撃訓練でSIG社のSG550小銃の実弾射撃を体験させてもらう予定だ。私は内心ではこの見学をオランダの検察官生活では薄らいでいく陸上自衛官としての意識を呼び覚ます好機と捉えていて政治問題にならないように細心の注意を払いながらも真剣に臨んでいる。
「我が国(スイス)では射撃は国民の人気スポーツ競技ですから気軽に参加して下さい。民兵の訓練は人気スポーツを普及するための講習みたいなものです」レーア大尉は私有の軍用車両で森の奥の訓練場に向かいながら私をリラックスさせるために声をかけてきた。自衛隊では過剰なほど銃器と射撃の危険性を強調し、隊員に極度の緊張を強いるが本来は「平常心」でなければならず、むしろリラックスさせるべきだろう。私が守山・第35普通科連隊の中隊長だった時、射撃訓練の指揮官を命じた松山千秋3尉が「訓練の成果が上がらない原因は若い隊員が緊張しているからだ」と考えて衛生隊の医官に精神安定剤の処方を申し入れたことがあった。当然、医官は拒否して連隊本部に通報したため問題になったのだが、私は「やっぱりドーピングになりますか」と答えて副連隊長を激怒させた。実は本心では戦場での射撃は敵と自分の人命を奪い合う緊張感の中で実施するのだから「精神安定剤が射撃に及ぼす効果について検証したい」と言う職業的な興味があったのは確かだ。
「この地区の民兵の号令はドイツ語なのでモリヤ中佐には通じないでしょう。単独で日本式の射撃方法を展示すると言うことでどうですか」「前もって『初めて扱う小銃だから操作に戸惑うかも知れない』と隊員たちに説明しておいてくれ。その上で指示に従おう」車内で話が決まったところで訓練場に着くと今回は数台の私有の軍用車両が停まり、隊員たちは楽しげに射撃予習に励んでいる。これは完全にスポーツの試合前の雰囲気だ。
「本日は最初に日本のグランド・ジエータイ(陸上自衛隊)のモリヤ中佐に日本式の射撃方法を展示してもらう。モリヤ中佐は元歩兵中隊長だが、この銃を扱うのは初めてだから操作に戸惑うかも知れない。技量不足と誤解しないように。それではモリヤ中佐どうぞ」「日本の号令もかけるから参考にしてくれ」私の補足もレーア大尉はドイツ語で説明した。スイス軍では槓桿(こうかん)を引けば射撃可能の状態で射座に上がるので、レーア大尉に借りて射撃予習しておいたSG550に手渡された実弾20発入り弾倉を装着して射座の手前に移動した。
「射手とコーチは位置につけ」スイス軍式の実弾射撃では補助のコーチはつかないが実弾射撃は10年ぶりだけに丸暗記している号令を修正する余裕はない。
「目標正面のテーキ(的)・寝射ち」この号令で射手は射撃姿勢を取る。アメリカ軍式の寝射ちでは両膝と小銃の床尾を地面につけて支点にしながら腹這いになるが、自衛隊式では柔道の横受け身のように小銃を腰に固定して左手をついて身体を横向きにして倒れ込んでから足を開く。陸上自衛隊もアメリカ製のM1ガーランド小銃やM1カービン騎銃を使っていた頃にはアメリカ軍式だったのだが、国産の64式小銃では床尾への衝撃で不時発射・暴発する事例が続発したため長い歩兵銃を使っていた帝国陸軍式の伏せ方を復活させたのだ。
「弾薬手はコーチに弾を渡せ」「コーチは射手に弾を渡せ」「射手、安全(装置)確かめ、弾を込め」0点規正単射3パーツ(発)、射撃ヨーイ(用意)」「射て」スイス軍式では必要がない号令が続くが、実際の射撃でも射手とコーチは大声で復唱するので違和感はない。ただし、最後の「射て」の号令までに呼吸を調整しなければならないので初弾発射が数秒遅れた。
「うん、やはり銃身長が64式よりも長い分、命中精度が高いな。重心も手で安定し易いように設計されている。やはり射撃を熟知した狙撃用の小銃だ」私は善通寺・第15普通科連隊の小隊長時代に射撃大会前の中隊の訓練指揮官になり、64式小銃を飽きるほど射ったので飛んでゆく弾丸が肉眼で見える。自衛隊であれば採点射撃5発の前に0点規正として3発を2回射って小銃や射手の癖をクリック修正するのだが、今回は肉眼で確認しながら勘で射った。
「射ち方止めーッ」「射手とコーチ、その場に立て」本当は「安全確かめ、銃を置け」「射ち空薬莢の回収」「的の上下」「採点」ほかの号令が入るのだが流石にそれは省略した。
「随分、射つ前の号令が多いですが何を命じているんですか」案の定、孔が開いたはずの標的を交換するために300メートルの射場を歩きながらレーア大尉が質問してきた。
「ジエータイでは安全管理を重視するんで射手には補助するコーチがつくんだ。弾薬は射つ直前に配るから色々な係にかける号令が多いんだよ」「それにしても初めて射った小銃で全弾を標的に当てたのは流石です」標的を外す前に開いた弾孔を数えると弾痕不明はなかった。
スイス軍スイス軍のSG550小銃
  1. 2021/07/26(月) 13:47:17|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

7月29日・昭和の青春!篠島の吉田拓郎コンサート

野僧が高校3年=生徒会長だった昭和54(1979)年の明日7月26日に三河湾に浮かぶ篠島で吉田拓郎さんのコンサートが開かれ島民の10倍の2万人が集まりました。
野僧の蒲郡高校の生活指導部は夕方7時から翌朝4時までのコンサートは深夜徘徊になるため生徒の参加を容認できず生徒会に自粛させるように言ってきたのですが、副会長を含む多くの生徒がチケットを購入していることを把握していたので野僧は生徒会長として板挟みになり、妥協案として「他校の生徒や大学生、社会人とのトラブル防止」「飲酒の厳禁」「不純異性交遊の自粛」と言う注意事項を通知しました。さらに副会長に監視係を命ずると参加できなくなった後輩のチケット(=3000円)を野僧に売りつけ、生徒会長が監視係=引率者と言うことで生活指導部も黙認することになりました。結局、夕方になって師崎から連絡船で篠島に渡ったものの2万人の観衆の中で私服の生徒を確認するのは不可能でした=生徒指導部ではない男女の教員もアベックで来ていた。
こうして日が陰ってきた7時前から恒例(と副会長に聞いた)の337拍子と共にコンサートが始まりましたが、最初はレコードの「ローリング30」、そして本人が登場して「ああ青春(ドラマ『俺たちの勲章』の主題歌)」、それからは記憶にあるところで「伽草子」「されど私の人生」「襟裳岬」「結婚しようよ」「まにあうかもしれない」「歌にはならないけれど」を短い喋りを入れながら熱く唄いました。観衆も手拍子で応じ、次第に会場は一体化して日没後の海からの風が冷却しなければ炎上するような雰囲気でした。
ここでブラスバンドの演奏で小休止が入り、続いて記憶にあるところでは「春だったね」「人生を語らず」「ビートルズが教えてくれた」「たどり着いたらいつも雨ふり」「今日までそして明日から」「ペニーレインでバーボンを」「たえこマイラブ」、2部の最後に「洛陽」を唄いながら「70年代が終わって80年代に入ることへの焦りがこのコンサートを企画した動機だ」と語りました。つまりそれまで若者に独立した個人で生きることを説いてきた拓郎さんがこのコンサートでは一体感を強調している理由を明らかにしたのです。
ところがゲストの長淵剛くんが登場すると観衆からブーイングが起こり、それに長淵くんが「俺の唄が聞きたくない奴は帰れ」と応じたためかなりの人数が会場から出ていって港に向かったのですが、連絡船は運航していないので素人のギター演奏で拓郎さんの歌を合唱し始めました。結局、係員が駆けつけて「会場に戻るように」との拓郎さんのメッセージを伝えて事なきを得ました(出ていった生徒からの伝聞情報)。その頃、野僧が残った会場ではもう1人のゲストの小室等さんが熟練のステージを堪能させてくれていました。
2時から始まった最終幕でも記憶にあるところで「知識」「イメージの詩」「流星」「旅の宿」「夏休み」「舞姫」「どうしてこんなに悲しいのだろう(野僧が一番好きな歌)」「外は白い冬の夜」などが続き、3時半頃に拓郎さんが「サンキューッ、唄ったか?俺よりでけェ声で唄えよ。それではやらねばならん曲が・・・」と言った後、定番の「人間なんて」が始まり、全員が燃え尽きました。昭和の青春は熱く汗臭かった!
余談ながら2学期の文化祭の会長挨拶では女生徒から「拓郎を唄って」とリクエストが飛び、ステージで「人生を語らず」を唄う羽目になりました。
  1. 2021/07/25(日) 14:25:50|
  2. 日記(暦)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

振り向けばイエスタディ2348

滞在時間と私の高所恐怖症でエギューユ・デュ・ミディまでのロープウェイを断念した梢はモンタンヴェール登山鉄道でメール・ド・グラース氷河を見に行くことを提案した。
「モリヤ中佐じゃあないですか」シャモニー=モン=ブラン駅で列車に乗り込むと4人掛けの席に座っていた若くて美しい女性に英語で声をかけられた。若い頃の交際中には一緒にいて私が別の女性に声をかけられた経験がない梢は驚いて握っていた手を離した。
「素敵な私服だから判らなかったがオージェ大尉じゃないか」「モリヤ中佐は迷彩服なので一目で判りました。公務中ですか」「日本のジエータイは常在戦場なんだよ」一方、梢と引き裂かれてからは女性遍歴を重ねている私は冷静に返事をした。ちなみに「常在戦場」は東三河南部の領主から越後・長岡藩主になった牧野家の家訓だ。
「コンニャク・ヌードルのオージェ大尉だ」梢にはコート・ジボアールで通訳兼案内として同行したオージェ大尉の話はしてあるが、今年の年賀状でダンネット食品としての糸蒟蒻の調理方法を質問してきたフランス人として記憶に残っているはずなので紹介はこうなった。
「ご夫婦でバカンスですか」「日本の猛暑に比べればオランダの夏は快適なんだが、ヨーロッパに住んでいる間に観光しておかないと勿体ないからね」空いている席の窓側に梢がオージェ大尉と向かい合って座り、私が梢の隣に座ると本格的に会話が始まった。モンタンヴェール鉄道の所要時間はメール・ド・グラース氷河の最上部にあるホテル・ド・モンタンヴェール駅まで20分なのであまり長話はできない。
「どのホテルに泊まっているんですか」「私たちはスイス旅行だから今夜はレマン湖の東側のコー村の民宿だよ」私の返事を聞いてオージェ大尉は落胆した顔をした。こうして夏の休暇を1人で行動しているところを見るといまだ独身で交際相手もいないようだ。今夜は一緒に飲むことを期待したのかも知れない。
「スイスに泊っているならユングフラウのアレッチ氷河を見れば良いじゃあないですか。メール・ド・グラースは我が国(フランス)最大の氷河と言っても長さ7キロだからアレッチの23キロに比べれば3分の1未満ですよ」誇大宣伝を弄する悪癖が東アジアの韓国を思わせるフランス人にしてはオージェ大尉の説明は謙虚で正確だ。
「実はワシは高所恐怖症でロープウェイは恐いって嫌がっただよ」「モリヤ中佐は歩兵ですよね。山岳踏破訓練はやらないんですか」先ほど「常在戦場」と大見得を切った割に意気地がない理由を告白するとオージェ大尉は呆れたように質問してきた。
「ワシが勤務していたのは都市部の部隊だったから山岳戦の訓練はなかったな」「それでも市街戦の訓練ではビルでの掃討戦はあったでしょう」私の告白を信じていないらしくオージェ大尉は妙に真剣に追及を始めた。しかし、私は守山の第35普通科連隊時代、「名古屋市を防衛する任務を担っている以上、市街戦の訓練は必須である」と主張して陸上自衛隊の常識に凝り固まっていた副連隊長に嫌われたが、フランス軍の都市部の部隊では常識らしい。
「ヒョッとしてモリヤ中佐も我が国(フランス)の環境団体が騒いでいる『遠からず地球温暖化で氷河は消滅する』と言う警告を信じているんですか」あくまでも「高所恐怖症で恐がった」と言う正直な告白を信用しないオージェ大尉は勝手に推理を広げて質問していたが、これは私には逆鱗で反論すると喧嘩腰になりかねない。するとそれを遮るように梢が答えた。
「昔はシャモニー=モン=ブランから見えた氷河が今は見えなくなっているんだから間違いなく消えていってるんでしょう。でもそれが人間社会の排出ガスの増加だけが原因とは言えないはずよ。ヨーロッパの環境団体は自由主義社会の大量生産と消費だけが原因って断定しているけど東アジアでは中国の排出ガスの影響は深刻なのよ」梢がフランス語で強弁するとオージェ大尉は感服したようにうなずいた。実はオージェ大尉も異端審問・魔女狩りが横行しているヨーロッパでは絶対に許されない環境問題に対する疑問を共有しているのだろう。
「ところでコンニャク・ヌードルのレシピを有り難うございました。ソース味で野菜と一緒に炒める焼きヌードルは簡単で助かります」「日本のダシ(出汁)があれば色々な調理方法があるんだけどフランスでは無理でしょう」「ソイ・ソース(醤油)では駄目ですか」「醤油ならスキ焼きに使えるけどダイエットにはならないわね」突然、話題が換わって女性同士の対話が弾みだした。やはりオージェ大尉は禁句を明言した梢に敬意と共感を抱いたようだ。
「自家製の鰹節と煮干しを送ったらどうだ。茶山さんに送ってもらった出汁の元って手もあるぞ」私が提案したところでホテル・ド・モンタンヴェール駅に着いた。
確かに4000メートル級の9つの山々から流れ下る雪と氷が合流する幅9キロのアレッチ氷河に比べるとメール・ド・グラース氷河は谷1本が凍っているだけでかなり見劣りした。
オージェ大尉(MarionCotillard)イメージ画像
  1. 2021/07/25(日) 14:24:39|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

東京オリンピックの開会式の雑感

東京ではオリンピックが始まったようですが、過去にオリンピックに間近で接していた人間としては直前に予選大会も行われず過去の栄冠だけで代表面している連中の厚顔無恥が許し難く、何の関係・影響もない田舎の住民として無視するつもりでした。
ところが夏の供物が届いたお礼で青森の彼女に電話すると涙ぐんだような声で「開会式のテレビ見てる」と訊くのです。そこで「興味がない」と答えると今度は立腹したような声に換わって「色々と批判されてたけどこうして開会に漕ぎつけた関係者の苦労を思うと感激して涙が止まらないのよ」と訴えました。彼女は元青森県庁の職員で2003年に青森で開催された冬季アジア大会の準備から運営に参加した経験があり、青森アジア大会も長野冬季オリンピックから5年しか経っていなかったため全国区のマスコミは必要性に対する疑問一色、地元でも財政赤字の青森県が巨額の予算を計上したことへの批判に晒され、準備にあたっては競技会場に何度も通って大会の意義を説明して協力者を発掘することから始めなければならなかったそうです。
彼女は元々自治労の闘士で自民党政権がやることは全て反対だったのですが(「自衛隊は嫌いだけど貴方だから好き」と言っていた)、県庁を退官して年月を経る間に自分の苦労を今回の関係者に重ねることができる心境になったのでしょう。
そう言う訳で嫌々ながらNHKの開会式中継を見る羽目になったのですが、劇団四季の浅利慶太さんの演出で完全に着想倒れ(雅楽で君が代を演奏したものの音が小さかったなど)と時代錯誤(60年安保世代の懐メロ歌手になっている森山良子さんに唄わせたなど)だった長野オリンピックよりは見応えがあったもののやはり無観客なので反応がなく劇場中継のようでした。
続く選手団の入場行進ではグランドの中央を横切る演出や順番がアルファーベットではなく日本の「あいうえお」順と言う意表を突いた着想には感心しましたが、行進曲が日本のアニメ映画の主題歌をオーケストラ演奏に編曲したもので選手の年齢層には受けても野僧のような高齢の視聴者には訳が判らず軽さばかりが印象に残りました。これもアスリート・ファーストというものなのでしょうか。また「あいうえお」順ではアメリカは早い段階で入場することになるため次回のパリと次々回のロサンゼルスの開催国と言う名目でフランスと最後の日本の前々と前に入場させたのは苦肉の策にしても特別扱いが過剰だったようです。いっそのこと「いろは」順にすれば「あ」は後半になりました。
そして何よりも腹が立ったのがNHKの入場国の紹介で、最近はニュース解説の報道番組や深夜放送の地方局制作の歴史検証番組だけでなくニュースでも顕在化している左傾化が前面に押し出されていて、コスタリカでは「憲法で常設の軍隊を持たないことになっている」と力説しながら、逆に自衛隊がPKOや人道派遣、復興支援で赴いたカンボジアやルワンダ、イラク、東チモール、南スーダンなどでは全く触れませんでした。
ところで国立競技場の屋根から大量の花火を打ち上げましたが、木造でも引火=火災の心配はなかったのでしょうか。
  1. 2021/07/24(土) 13:57:43|
  2. 常々臭ッ(つねづねくさッ)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

振り向けばイエスタディ2347

「ジュネーブからシャモニー=モン=ブランまではバスの方が早いのね」ジュネーブ駅で下りると梢はフランス語の観光案内を立ち読みして意外な情報を口にした。
「どうしてバスの方が早いんだ。速度はどう考えても鉄道の方が早いだろう」「鉄道は遠回りになるみたい。その点、バスは峠を越えて直行できるから移動距離が短いのよ」梢の説明は理にかなっている。しかし、バス嫌い、列車好きの私としては簡単に賛成はできない。
「どのくらい違うんだ」「列車は乗り換えがあるけどバスは直行だから30分以上違うみたい・・・地図を見る限り絶壁の上の道路はないはずよ」私の確認を聞いて梢は本心ではあまり乗り気ではないことを察した。私のバス嫌いは小学2年生の8月18日に発生した飛騨川バス転落事故のニュースで見た遠足で乗る岡崎観光のバスの残骸の記憶が影響していることを梢は知っている。だから断崖絶壁がない沖縄では、自家用車を持たない2人が島内旅行を楽しむ唯一の交通手段として大いに愛用していた。
「コ―村まで行くことを考えると早いに越したことはないな。バスにしよう」私の決定を受けて梢はもう一度掲示板を読み直した。私の外国語は会話が中心で読解は苦手から先に進まない。その点、梢は会話と読解だけでなく記述まで同時進行で習得し、思考まで外国語化する卓越した語学力を持っている。やはり頭の出来が違うのだ。
「やったァ。串刺しになった太陽が見られた」2時間ほどバスに揺られてシャモニー=モン=ブランに着くと梢は諦めていた昼の12時にエギューユ・デュ・ミディの時計の針のような山頂に串刺しにされる太陽を見ることができた。ただし、少し時間が過ぎているので刺さって抜けた状態だった。おそらく国境での検問がなければ間に合ったはずだ。
「これを狙ってバスにしたんだな」「うん、思いがけず念願が叶ったわ」梢はサングラスをかけているので目は見えないが口調は満足げで口元は全開の笑顔になっていた。梢の念願が叶えば私も満足だ。そんな幸せな気分で手をつないで歩きだした。
シャモニー=モン=ブランはマッターホルンのシェルマットやユングフラウとアイガーのインターラーケンが山麓の丘陵地だったのに対して両側にモンブランの裾の稜線がそびえる谷間の街だった。街の標高はシェルマットの約1600メートルとインターラーケンの約570メートルの中間で約1040メートルだ。ところが人口はスイスの2つの町が約5700人前後なのに対して9000人を超えている。これはモンブランが登山と言うスポーツの発祥の地とされている上、ロープウェイで山頂から1000メートル下まで行けるため登山者が多く、さらに幅広い難易度のスキー場が集中しているので夏冬を問わず観光業が盛んなことがある。
「7月に1966年に墜落したエア・インディアのエンジンと遺骸の一部が発見されたんですって」街中に掲示してある地元のニュース記事を読んで梢が教えてくれた。モンブランでのエア・インディアの墜落事故については第1術科学校で天候気象と地形が飛行に及ぼす危険についての実例として習ったが、1950年と1966年の2回発生していてどちらも山頂付近だったため機体や遺骸はほとんど回収できなかったはずだ。
「1966年の事故は厳冬期の1月24日にロンドン発のインドのボンベイ行きのボーイング707が経由地のジュネーブに着陸しようと高度を下げて雲中飛行になった時、横を通過したと思っていた機長が管制官に山頂との距離を確認したんだが、管制官は前方と言う意味で『5マイルある』答えたためそのまま激突したんだ」「流石ね。勉強になるわ」最近は志織との対話で埋もれていた記憶を掘り返すことが多いので今回も30年以上思い出す必要がなく雑学になっていた知識がスラスラと出た。それを聞いて感心してくれる梢がいることが嬉しい。
「へェーッ、ここは富士吉田市と姉妹都市なんだ」町の施設と思われる建物の掲示板には姉妹都市の一覧表が掲示してあった。するとスイスとイタリア、アメリカとドイツの国旗の横に見覚えがある白地に赤い丸の国旗があり、表記を読むと山梨県の富士吉田市だった。
「富士吉田市には北富士演習場があって富士学校に入校中は訓練に行ったもんだ」「富士山の麓だから姉妹都市になったのね」やはりフランス語の説明を読んだ梢の理解は早くて適切だ。同じ姉妹都市でもスイスのマルティニ―とダヴォス、イタリアのアオスタとクールマイユールは歴史的交流、ドイツのガルミシュ=パルテンキルフェンは冬季オリンピックつながり、アメリカのアスペンはスキー観光つながりらしいので富士吉田市だけ特異だ。
「知名度で言えば富士山も2013年に世界遺産になったが、姉妹都市とどっちが先なんだろう」「協定締結は1978年みたいよ」「それはかなり僭越な申し入れだったな」オランダに来て以来、日本で「世界的」と自慢している人物や事柄が海外では全く知られていないことを実感し続けている私にとってこの順序は意外に大問題だった。
  1. 2021/07/24(土) 13:55:57|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

振り向けばイエスタディ2346

翌朝はテック夫人に無理を言って前夜にサンドイッチの弁当を作ってもらい早朝に出発した。今日はスイスを出てフランスとイタリアの国境で西ヨーロッパの最高峰(ヨーロッパの最高峰はロシアのコーカサス山脈のエルブルス山・標高5642メートル)のモンブランに向かうのだ。マッターホルンではシェルマットに当たるモンブランのフランス側の麓の村・シャモニーまではジュネーブから列車で2時間45分、そのジュネーブまでもチューリッヒから2時間45分、乗り継ぎが上手くいっても到着は昼過ぎになる。
「残念ながらモンブランのロープウェイは無理ね」朝一番の特急列車に乗って手作りのサンドイッチを頬張りながら梢が呟いた。モンブランのロープウェイは連峰と言うよりも群峰の1つ、エギーユ・デュ・ミディの山頂付近の標高3777メートルまで登ることができて1979年にシェルマットのクライン・マッターホルン山頂付近の標高3883メートルまでのロープウェイが運行を始めるまで20年以上も世界最高地点まで登れる旅客輸送手段だった。
「流石にエギーユ・デュ・ミディのロープウェイは恐いんだよな。麓のシャモニー・モン=ブランから2317メートルで乗り継いだ後は終点まで支柱が1本もないんだろう。高い山の強風であおられればゴンドラは揺れまくるぞ」私は梢がフンランス語のガイドブックを日本語に訳した文章を読んで以来、高所恐怖症が始まっていた。富士学校のAOCに入校中に佳織以下の家族と甥の雄馬で行った箱根の大湧谷のロープウェイも支柱がないが高さが違う。兎に角、富士山の山頂よりも1メートル高い場所まで登るロープウェイなのだ。
「ガイドブックで見ると『針峰』って言う名前なのが納得できるような不思議な形の山だから実際に見てみたいけど、コ―村の民宿の小父さんにモントルー駅に迎えに来てもらうのにあまり遅くはなれないもんね。マッターホルンへは2回行ったんだからモンブランも気に入れば何回も行けば良いのよ」梢が言うようにエギーユ・デュ・ミディはフランス語の「正午の時計の針」と言う名称のとおり、日本の槍ヶ岳に似た細い岩を天に突き立てている形だ。シャモニーから見上げると正午に太陽が山頂に突き立てられているように見えるらしい。今回はそれも見ることができない。そうなるとシャモニーで次回の宿泊先を探すべきかも知れない。
「お前が訳した文章にあったけどモンブランはまだ標高が確定していないのか」サンドイッチを食べ終えて駅で買ってきた缶コーヒーを飲みながら話題は毎度の雑学に移った。
「うん、山頂付近は巨大な氷の塊になっているから岩の山頂の位置と高さは推定の域を出ていないそうよ。昔は4807メートルって言われてきたけど今は4792メートルに変更されて、位置も氷の山頂から40メートルずれているんですって」梢の雑学は旅行社時代からのフランス語力があるだけに日本語と英語限定の私よりも数段上だ。実際、モンブランの標高は2002年になってフランスの国土地理院が衛星測位システム(GPS)を使用して測定した結果、4810メートルに修正され、翌年に氷河学者の調査隊が再測定すると4808メートルと2メートル低くなった上、位置も75メートルずれた。するとヨーロッパの関係学界は差異が生じた原因が測定の誤差ではなく気候変動の影響と言い出して、山体に500カ所以上も気象観測装置を設置し、2年ごとに標高を測定するようになった。梢が説明した数字は最新の測定結果のようだ。しかし、素人には気温が数度上昇・下降したからと言って岩の山体が数メートルも膨張・収縮するとは思えない。これもヨーロッパ人が常習する自分の主張に現実を当てはめることで補強する論理展開のようだ。
「ケーキのモンブランは山の形に似せたって言うけど本当に似ているわね」レマン湖に差しかかりジュネーブに向かう車窓からはモンブランが見えてくる。私たちはジュネーブとローザンヌに来ているので見るのは3回目だが、目的地となると関心が特化される。
「モンブランは芋の麺の黄色いケーキだろう。色が違うよ」「あの細長いのは漬けっ放しにしたマロングラッセのペーストだから栗よ」生クリーム好きでモンブランを食べない私が夏の日差しで山頂付近の氷河が白く輝いている風景と比べて揶揄すると梢が修正した。
「でもモンブランはフランス語で『白い山(モンが山)』って意味だからケーキも白くするべきかもね。イタリア名のモンテ・ビアンコも同じ意味よ」「あれは白山なのかァ」ケーキのモンブランで外してしまった私はボケの連発で胡麻化した。日本の白山は雷鳥が有名な石川県と岐阜県の県境にある標高2702メートルの山だ。守山の連隊の福井県出身の隊員は「福井県の山だ」と言い張っていたが地図で確認すると福井県は通っていなかった。どうやら福井県では白山信仰が盛んなため学校の遠足などで登山する伝統があって愛着が強いらしい。モンブランもフランスとイタリアの国境が山頂を通るように引いてあるが、位置がずれるためその度に外交交渉で変更し、山岳地図の記載も訂正するそうだ。
  1. 2021/07/23(金) 13:49:34|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

7月23日・全日空61便ハイジャック・機長殺害事件

1999年の明日7月23日に羽田発・千歳行きの全日空61便のボーイング747が離陸した直後に立ち上がって包丁を振りかざした西沢裕司くんがコクピット=操縦室に乱入してコパイ=副操縦士を室外に追い出した後、長島直之機長に指示を与えて飛行させながら殺害し、自分で操縦桿を握って墜落寸前の危険状態に陥らせた事件が発生しました。
この日の午前11時23分に羽田を離陸した全日空61便の機内で大声を挙げていた28歳の西沢祐司くんが立ち上がり、キャビンアテンダント=客室乗務員に包丁を突きつけてコクピットに入れるように要求したため長島機長は当時の対処規定の「犯人の言うことをきいて刺激しない」に従って11時25分に地上管制に「ハイジャック発生」を緊急通報した上で室内に入れたのです。すると西沢くんは高度を3000フィート=910メートル(=小型プロペラ機が飛行する低空)まで下げるように指示したため長島機長が従うと横須賀方向への飛行を指示して11時38分にコパイを室外に出して内鍵を掛けました。
間もなく横須賀上空を通過すると今度は低高度のまま伊豆大島への飛行を指示しましたが、数分で到着すると今度は横田基地への進路変更を指示するのと同時に操縦させるように要求したのです。当然、長島機長は西沢くんを説得しましたが、すると包丁で切りつけて致命傷を負わせ、空いていたコパイの席に座って実際に操縦を始めたため機体は急旋回と急降下を始め(航空機は速度が早いため操縦桿のわずかな動きで大きく反応する)、コクピット内の対地接近警報装置が作動し、その警告音をドアの外で聞いたコパイと千歳発の便に乗務するためデッドヘッド(非番)で搭乗していた機長がドアを蹴破って突入すると若いコパイが西沢くんを席から排除して機長が操縦桿を握って機体を上昇させて立て直したのです。この時、失速警報装置も作動していました。
61便には乗客503名(西沢くんを含む)と乗務員14名が搭乗していましたが、西沢くんが拘束されたのは八王子市の上空であり、市街地に墜落していれば御巣鷹山に墜落した日本航空123便の520名を超える犠牲者が出ていたのは間違いありません。
この事件は野僧が航空自衛隊を退役して1ヵ月半後に発生しましたが、元プロとしてはハイジャック防止対策に万全を期していた日本の空港で機長を刺殺できるほどの刃物を機内に持ち込んだ手段が謎でした。その後の新聞報道によれば西沢くんは午前中に全日空機で大阪を往復し、乗り換え用の通路が職員専用の通路に接続していることを利用して持ち物検査を逃れたと解説されていましたが、模倣犯の発生を防止するため細部は公表されていません(この欠陥を空港に指摘したが無視されたことも犯行動機と証言している)。
一方、西沢くんは都内の名門私立中高一貫校を卒業後、一浪して中央大学商学部に入学した秀才で、元々が鉄道マニアだったため大学在学中は鉄道研究会に所属していましたが、学園祭での企画が不採用になったことで飛行機に興味が移り、前述の通路の欠陥は空港の建物の構造図を研究していて発見したそうです。しかし、就職では全日空に失敗してJR貨物に入ったものの行き詰まり、失踪して自宅に戻ると精神科に通院して投薬を受けていました。それでもこの事件の刑事責任は認められて無期懲役の判決を受けています。
  1. 2021/07/22(木) 13:46:06|
  2. 日記(暦)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

振り向けばイエスタディ2345

テキサスで私と梢が議論の材料にされていた頃、当事者2人は夏の定番になっているスイス旅行に出かけた。今回も初日はアムステルダム空港からチューリッヒ空港へ飛んだ。
「昨年はベルリンのカイザー・ウィルヘルム教会近くでトラックによるテロが発生して大変でしたね」「ニュー・イヤー・カードでも心配してくれていたな。有り難う」先ずはチューリッヒ駅でクライスト中佐夫婦と待ち合わせて1年ぶりの再会を楽しんだ。初対面はドイツ経由の寝台列車の中だったからこの駅で一緒に下りたのだが、オランダからでは夜間の乗り換えが2回あり、移動で1日を使ってしまうため飛行機に変更した。
「日本の加倍首相は軍国主義者で大日本帝国のアジア侵略を再現しようとしているって言われているけど実際はどうなんだね」カバンを駅に預け、川沿いに続く古い街並みを歩きながらクライスト中佐が珍しく時事問題を持ち出した。隣りで奥さんもこちらを見ているのでドイツでは意外に関心を呼んでいる問題なのかも知れない。
「ドイツでは中国系の移住者が増殖していて都市ごとに移民団体を作っているみたいですね。最近は新聞やテレビへの組織的な投稿攻勢と購読・視聴拒否で影響力を強化して自分たちの主張に沿った報道を強要しているように見えます」先ず私は隣国としてドイツに関心が強いオランダの新聞の記事から感じるドイツへの中国の浸透戦術を指摘した。
「実際の加倍政権は中国のアジア支配を阻止するために強力な外交力を発揮しているためアカラサマに敵視されているだけです。ヨーロッパから見れば中国は巨額な資金を投入して倒産寸前の企業を建て直してくれる恩人かも知れませんが、アジアでは中華帝国の実現を公然化している重大な脅威なんです。中国はスターリンの第3インターナショナル(世界共産化革命)を継承してマスコミを使った世論操作を常套手段にしているからドイツもまんまと籠絡されたんですな。実際、メルケル首相も訪中すると『日本も過去の戦争犯罪を忘れるべきではない』なんて言質(げんち)を引き出されて反日報道に利用されていますよ」日本にいた頃から怒っていた問題を投げかけられて説明が熱弁になってしまった。それでも議論好きのドイツ人には違和感がなかったようで夫婦は納得したように顔を見合わせた。
「メルケル首相も2014年に訪中した時には1735年に清から帰国した宣教師の情報を基に作成した古地図を贈ったんだが、モンゴルやチベット、新疆ウィグル、台湾は領域外になっていたから中国共産党が贈答品として公式発表した画像では現在の支配地域に台湾、沖縄まで含めた別の古地図が掲載されてドイツでは問題になったよ」「それもヨーロッパから見れば歴史の捏造ですが、『歴史は中国が作る』と言うのが奴らの論理ですから抗議しても無駄でしょう」「うん、無駄だった」私の指摘にクライスト中佐も無表情にうなずいた。
「最近は中国と南北朝鮮からの移民の団体がベルリン市の中央官庁街があるミッテ区の公園に第2次世界大戦中に日本に売春婦にされた朝鮮人の少女の像を作る運動を始めていて、それにナチスの戦争責任を追及するユダヤ系やドイツ人の左翼の市民団体も同調しているから遠からず実現するんじゃあないかな」「あれは韓国の北朝鮮系反日団体が海外でも中国と半島系の移民が多い都市で設置運動を始めているんです。芸術作品を口実にして自治体が政治的配慮で禁止すると『表現の自由への侵害だ』と批判する。それで押し切られて設置されると反日活動の拠点になる。ドイツはナチスと言う弱みを握られているから手ごろな標的になっているんですね」今日の会話は妙に熱を帯びる。これが楽しい話題であれば「バウンセス=弾む」と表現できるのだが、「バーンス=炎上」の方が適当だろう。
「そう言えば加倍首相の顔にチョビ髭をつけてヒトラーに似せた画像が評判になっていたな。それが妙に似てるから笑うに笑えなかったんだが」「日本では『くまのプーさん』のロバのイーヨーに似ているって言われてますがね・・・ヨーロッパではディズニーは見ませんね」私としてはこの話題にオチをつけようと思ったのだが、日本とは違いディズニーをアメリカの低俗な庶民文化と見下しているドイツ人には通じないことに気がついた。
「実は私の娘がアメリカ海軍のパイロット課程でスイスのピラタスPCー9をライセンス生産した練習機に乗っていたんですよ」「テキサンⅡですね。PCー9はプロペラ機なのに射出座席を装備している自慢の機体ですよ」夜はテック曹長の民宿に泊まり、夕食の酒席で志織がフロリダ州のペンサコ―ラ基地でTー6テキサンⅡに乗っていたことを説明した。するとテック曹長は現役の航空機整備員らしく専門知識を披露してくれた。
「娘さんはアメリカ海軍のパイロットになるんですか。だったらFー18のパイロットとして我が軍に来て欲しいですな」海軍を持たないスイス軍では志織が目指す対潜哨戒機には縁がないので説明しても十分には理解してもらえなかった。
  1. 2021/07/22(木) 13:45:00|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

7月22日・豊臣秀吉の母・大政所の命日

文禄元(1592)年の明日7月22日に豊臣秀吉さんが主人公の歴史ドラマでは妻の於祢(おね)さんに次ぐ重要な女性の役どころになっている母親の大政所(おおまんどころ)=仲(なか)さんが亡くなりました。数えの77歳でした。
秀吉さんが主人公の大河ドラマで仲さんを演じたのは昭和40(1965)年の「太閤記」では浪花千栄子さん(オロナインのCMの連ドラ「おちょやん」の主人公)、昭和48(1973)年の裏大河の「新書太閤記」では沢村貞子さん、昭和56(1981)年の「おんな太閤記」では赤木春恵さん、昭和63(1988)年の「徳川家康」では鈴木光枝さん、1996年の「秀吉」では市原悦子さん、2002年の「利家とまつ」では草笛光子さん(2000年の「葵・徳川三代」では高台院=於祢役だった)、そして2020年の「麒麟がくる」では銀粉蝶さんと若干名を除けば錚々たる大女優が演じています。中でもナレーションも兼ねていた「秀吉」の市原悦子さんが記憶に残っていますが、「麒麟がくる」の銀粉蝶さんはこれまでの於祢さんと2人でチーム「良妻賢母」と言うイメージを覆して父親不明の怪しい弟を産んだ素行不良の母親でした。
実際の仲さんについては出身地の尾張国を徳川家が治めたため江戸時代には庶民の歴史家も遠慮して研究が進まず、逆に明治以降はアンチ徳川の英雄として秀吉さんが持ち上げられる中で脚光を浴びましたが、260年の間に大半の資料は散逸していて伝承の追認調査になっています。そのため出生地も永正13(1516)年に現在の名古屋市昭和区の農家、若しくは美濃国の関の刀鍛冶の娘として生まれたと言う2説があり(その他多数あり)、名古屋市昭和区説では福島正則さんや加藤清正さんの母親は妹と言うことになっていてこの2人が秀吉さん亡き後も豊臣家に盲目的に忠義を尽くしたのは主従・恩顧以上の血縁があったからだと説明されています。
やがて織田家の足軽=雑兵の木下弥右衛門さんに嫁いで大正天皇の皇后=現在の皇室の先祖になる長女(娘が公家に嫁いだ)と藤吉郎=秀吉さんを産み、間もなく弥右衛門さんが亡くなると織田信秀さんのお傍衆の竹阿弥さん(「秀吉」では財津一郎さん)と再婚して弟の秀長さんと家康公の後妻の人質にされる旭さんを産んだとされていますが、生没年の検証から4人とも弥右衛門さんの子供とする説も出ています。
その後、竹阿弥さんも亡くなると織田信長公の下で出世した秀吉さんに引き取られて嫁の於祢さんと仲良くドラマに描かれるようなチーム「良妻賢母」を作っていったようです。そうして秀吉さんが天下人になり、天正13(1585)年に関白に任官するとその母の尊称である「大政所(正確には大北政所)」を許されました。
ところが秀吉さんが家康公に上洛を促すため妹の旭さんを後妻に嫁がせてからは病気がちになり、特に天正18(1590)年に旭さん、天正19(1591)年に秀長さんが先立つと秀吉さんが半島出兵のため肥前・名護屋城に赴いていた留守中に死の床につき、危篤の報を受け取った秀吉さんが出立したその日に京都の聚楽第で亡くなったのです。
墓所は生前に建立していた大徳寺(臨済宗)の塔頭や高野山(真言宗)と山科の本国寺(日蓮宗)にあり、本国寺では木下弥右衛門さんの妻として葬られています。
  1. 2021/07/21(水) 14:06:19|
  2. 日記(暦)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

振り向けばイエスタディ2344

ノザキ一家は夕食を終えると夫婦と母娘で取った部屋に戻り、今度はホテルのバーに出直した。志織も軍服から半袖のワンピースに着替えたので少し華やいだ雰囲気になった。入り口で出迎えたマスターは家族連れの客なのでホステスを割り当てる必要がなく、少し離れた位置で注文を取るタイミングを見計っていた。
「2人ともレストランで酒をお代りしてただろう。あまり飲み過ぎるなよ」「ダディこそ飲み過ぎてスザンナに世話をかけないようにね。何時までも若くないのよ」4人でボックス席に座ると先ずノザキ中佐と佳織が軽口を叩き合い、そこにマスターが歩み寄った。
「4人さまですが女性が3人なのでボトルを入れるのはお勧めしません。グラスでの注文でいかがでしょう」「そうだな。それなら好きな酒が飲めるしな」ノザキ中佐の決定を受けてマスターは脇に挟んでいた酒のリストを開いてテーブルに置き、銘柄と生産地、素材や風味、代金を簡単に説明してから注文を訊いていった。
「さっきの話を聞いても(モリヤ)2佐の倫理観は理解し難いな。ワシも佛教徒だからキリスト教が押しつけてくる倫理に全面的に従うつもりはないが、それでも自分の娘と息子が肉体的に結ばれることを許す気にはなれんぞ」酒が進み、全員が少し酔ってきたところでノザキ中佐が腹の中に溜めていた問題を吐き出した。隣りでスザンナも厳しい目で志織を注視している。
「旦那の実家はかなり特殊なの。父親が専制君主で母親は絶対服従、その癖、妹は父親に溺愛されていて旦那は父親の常識の中で生きることしか許されなかった。おまけに父親は自分の兄に臣従していて、旦那が中学生になって議論で勝てなると実家に連行して2人がかりで抑えつけたのよ。それでも旦那が勉強して中学校の教師の伯父も論破するようになると『親に恥をかかす奴は親不孝者だ』と叱責して絶対服従を強制したのよ。だから江田島の海上自衛隊生徒に入って就職家出しようとしたけど『給料をもらいながら勉強する高校は中卒で働くのと同じだ』って合格通知を破り捨てられた。大学受験も『学資が出せない』と実家から通える地元の大学しか許されなかった。だから中退して自衛隊に就職家出したんだけど沖縄まで母親が電話してきて泣きつくようになったから心優しい旦那は暴君に耐える母親を守るために帰省することにした。その結果、梢と引き裂かれる絶望を味わうことになった。だから旦那にとって儒教の道徳やキリスト教の倫理は上に立つ者が下に置いている人間を従わせるための道具なのよ」「でも2佐は人一倍真面目そうなのに道徳や倫理を否定しているなんて不思議ね」佳織の説明にノザキ中佐は考え込んだが、少し酔ったスザンナは頭が回らないようで首を傾げた。
「私は幼い頃にダディの実家に行った記憶があるけど優しい人たちだったよ」「あの親は自分の言う通りに生きていれば間違いない。子どもを心配するのは親の責任だって思い込んでいるから悪意は全くないのよ。だけど旦那は親に敷かれたレールを走る人生は選らばなかった。親にはそれを理解する素養がなかった。私も旦那の人間性を見失っていた・・・」志織の疑問に応えると急に佳織の目が潤み、鼻声になった。
「だからダディは『己こそ己の寄るべ、己をおきて誰に寄るべぞ、良く整えし己こそ真(まこと)得難き寄るベなり』なのよ。自分を整えているから倫理や道徳を強制される必要がないんだわ」やはり志織の方がモリヤ2佐を深く理解している。佳織は敗北感で涙が零れ落ちた。
「でも淳之介には家庭があるんでしょう。志織の気持ちに応えれば妻を裏切らせることになるわよ」「そのことを梢に言ったら『私もダディのラスト・ウーマンになって佳織を裏切った。でも人生の最後の相手を勤めた幸福は誰にも譲れない。私が最初を捧げる相手も心から愛する人であることを祈っている。それが娘の夫でも構わない。でも1回だけよ』って許してくれたの」志織の答えにスザンナの目は座ってしまった。これでは近親相姦の淳之介と志織だけでなく借りられるあかりの母親からもお墨つきをもらったことになる。
「2佐は病的な理由で性的不能になったんだろう。佳織はミラクル・ミッション(奇跡の作戦)を逃して残念だったな」「それは仕方ないことよ。私にだってチャンスがあったけど別居していたから逃してしまったんだから」「貴方は70歳を過ぎてもまだ現役なのに。きっと2佐は若い頃に使い過ぎたのね」話がシモに落ちると何故か酔ったはずのスザンナが反応した。夕食中に聞いたアメリカ海兵隊のジュディ軍曹を22回連続で抱いた話がよほど強烈に記憶に刻み込まれたらしい。それを見て佳織が真顔になって問題を総括した。
「淳之介は本当に志織を可愛がっていたから物心がついた時から兄以上に慕っていたのよ。そんな大好きなお兄ちゃんと親の都合で引き裂かれたんだから唯一絶対の男性になってしまったのかも知れないわ。その点は会ったことがない和人と私とは違うのよ」この結論にノザキ中佐は酒を口にしながら黙り込み、スザンナは視線を佳織に移し、志織は唇を噛んだ。
  1. 2021/07/21(水) 14:05:07|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

振り向けばイエスタディ2343

「当レストランの夕食セット・メニューのテクス・メクス料理のコースでございます。メイン・ディッシュとしては4種類の料理を出していますから見比べて次回にオーダーして下さい」ここでウェイター2人が料理を載せたワゴンを押して歩み寄ってきた。テクス・メクス料理で有名なのは西部劇でもカウボーイが宿営地で作っている牛肉と野菜にトウモロコシの薄焼き煎餅のようなトルティーヤを合えたタコスだが、4人の前に出された皿と鉢の料理は都市部の高級レストランのような装飾的な盛りつけはしていないもののボリュームは満点のようだ。特に体力勝負の生活を送っている志織は目を輝かせた。
「私、夏季休暇中は空いているフライト・シュミレーターと水泳に励んでるからお腹が空いちゃって」「やっぱりスクイド(烏賊=ミリタリー・スラングの海軍)は泳ぎが上手くないとな。空を飛ぶよりも舟を漕いで泳ぐことだ。そう言えばスクイドも少し飛ぶな」志織の衝撃の告白に父親の裁定が下っていることを知り、ノザキ中佐は皮肉を再開させた。
「志織はハワイ育ちだから水泳は得意でしょう」「得意なんだけど泳ぎ方が日本式だからヨーロッパ系の教官からはパワー不足に見られてるの。それは訓練全部に言えるけどね」スザンナの確認に志織はチリコンカーン(肉と豆、野菜の煮込み料理=テキサスでは豆やトマトを入れない)を口に入れかけていた匙を止めて答えた。
「日本人はパワー不足を技で挽回するからね。水泳も筋力の強化よりも水の抵抗を極限しながら最大の推進力を発揮する技を練習するじゃない。スポーツはパワーを競うものと思い込んでいるヨーロッパ人には理解できないよ」「私もハワイでベース・ボールを見て日本の野球と同じスポーツとは思えなかった。日本の野球では小学生にも打ち難いコーナーへ投げることや変化球を教えてたけど、ベース・ボールは速い球をストライク・ゾーンに投げる練習だけ。大体、日本みたいに大人が指図して雁字搦めにしたら子どもたちが止めちゃうよね。その点、居合道は習ったことを鏡の前で繰り返すだけだから私には向いていたわ」話が母娘の日本批判になりノザキ中佐とスザンナは困ったように食事を進めた。
「ところで志織はダディの若い頃のセックス・フレンドを知ってたけど・・・」ご飯代わりのブリート(薄く広げたトルティーヤに具を詰めた料理)を頬張った佳織は先ほどから気になっていることを質問した。志織がモリヤ2佐の若き日の遊び相手を特定するには提供したヒントが少な過ぎる。モリヤ2佐と梢の間では「意識が接続されているから言葉の説明は不要」と聞いたことがあるが、志織まで接続されたとなると佳織の立場がない。
「ジュディ・アイランド曹長は練習機の列線整備班の先任下士官なの。若い頃に普天間や岩国で勤務していたから『日本が大好き』って私の面倒を見てくれてるわ。ジュディは『日本には素敵な思い出がある』って言ってるけどダディのことなのかしら。あの逞しくて強いジュディを惚れさせるなんてダディって男性として凄いよね」「私だって惚れてるよ」志織の熱弁に佳織は小声で補足した。フィリピンで再会する前の佳織であればこのような台詞は口にできなかったはずだ。ジュディ曹長からモリヤ3曹との関係を聞き出した時も嫉妬は全く感じておらず、単なる自衛隊の幹部の身上把握=事実確認として受け止めていた。
「それで志織が今乗っているTー44はどんな練習機なんだ」話題が航空機整備員になるとノザキ中佐の関心はジュディ・アイランド曹長ではなく扱っている航空機に向かった。
「空軍では固定翼機のコースに入るとTー38までキャリアー(輸送機)からファイター(戦闘機)やボンバー(爆撃機)も一緒に教育を受けるが、海軍には艦載機と地上基地の違いもある。お前は地上基地の対潜哨戒機だから艦載機とは別コースだろう」「私たちWAVESのパイロット学生も練習機の後席に乗って空母に着艦してアレステイング・フックでの急制動を体験する機会はあるわ。ただ空母艦載の戦闘機がFー35CになるとVTOLだから急制動が必要なくなるの。そうなるとWAVESの体験着艦がなくなる可能性が高いわね」話は反れたが興味は強まった。ノザキ中佐の視線を確認して志織は話を続けた
「私はペガサス(Tー44)からオライオン(Pー3C)、そしてポセイドン(Pー8)に進むけど、ポセイドンはボーイング737の改造だからグラダディのスターリフター(Cー141)と大差ないわ」「それでもCー141は旅客機の737ほど乗り心地が良くないぞ」ここでノザキ中佐が妙な空軍の優越性を口にすると志織も海軍軍人らしく反論した。
「軍用輸送機も安定飛行に入ればオート・パイロット(自動操縦装置)を使うでしょう。哨戒飛行中の対潜哨戒機は操縦桿から手を放すことができないのよ。私はペガサスで操縦持久力を鍛えているの」「そうか・・・スクイドとして頑張れよ」皮肉でオチをつけながらもノザキ中佐は息子の和人を空軍の戦闘機パイロットにした時と同じ感慨を噛み締めていた。
お・千葉すずイメージ画像(スクイドの志織)
  1. 2021/07/20(火) 13:56:57|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

振り向けばイエスタディ2342

「若し、私がカンボジアPKOに行った時、クメール・ルージュの残党に拉致されてレイプされたらどうしたのかしら」志織の説明が実感できるのはノザキ中佐だけだ。カンザス州の指揮幕僚大学院時代のパーティーでは定番だった地酒のウィスキー・ファイアーボールで少し頭が痺れた佳織はむしろ中学校の教師に純潔を奪われた経験をモリヤ2佐に投影していた。するとこの独り言のような質問に志織が答えた。
「ダディはマミィと梢が同じ目に遭ったら先ずは傍に寄り添って傷を癒す。それで相手を殺せと望めば殺すって言ってたよ」「殺せと言えば殺してくれるのね」佳織の胸にフィリピンに赴任する前に伊丹市の墓苑で目撃した憎むべき担任教師が家族を連れて墓参している幸せそうな姿が浮かんだ。佳織はフィリピンで「あの時、モリヤが一緒にいればどうしたのだろうか」と何度も考えていたがこれが答えらしい。
「私も高校時代にレイプされそうになったことを梢に打ち明けたら、梢もダディと引き裂かれた後、泥酔させられてレイプされたって告白してくれたの。それでどうやって立ち直ったのかを訊いたらダディに身も心も思いっ切り愛されたからそれで自分を保つことができたって。梢はダディが初めての相手なんだってね」志織は高校時代、授業中に教師の制止を無視して反日的発言を繰り返す半島系の男子生徒を完全に論破したことで逆恨みされて校内でレイプされそうになったことがある。その時は持っていた製図用の長い定規を有段者になっていた居合道の技で切りつけて難を逃れた。
「だから私も好きな人にバージンを捧げたいの」「ブッ」突然の志織の性体験希望にノザキ中佐は飲みかけていたヴォーボンを吹き出した。
「誰か好きな人がいるのか」「志織が好きなのは淳之介だけじゃない」焦りながらノザキ中佐とスザンナが声をかけると志織は何故か頬を赤らめてテーブルのラム酒のグラスのサクランボを見た。その様子に佳織の母親としての勘が働いた。
「まさか淳之介に抱かれたいって言うんじゃあないでしょうね」佳織の指摘にノザキ中佐とスザンナは唖然として固まり、志織は頭が落ちたようにうなずいた。
「淳之介は兄じゃない。そう言うのを近親相姦って言うのよ」「罪深いことだわ」佳織の声量と口調が叱責になるとスザンナは念佛のように両手をこすり合わせた。
「私、レイプされそうになった後、石垣島の淳ちゃんのところへ遊びに行ったじゃない。あの時、お義姉さんは恵祥を産んで那覇へ行っていたからアパートに淳ちゃんと2人だったんだ」「ゴクリッ」この流れは非常に重く祖父母と母親は言葉が出ずに生唾を飲んだ。
「その時、淳ちゃんに抱いてって頼んだら、馬鹿って怒られちゃった」「ホーッ」今度は聞き役の3人が深い溜息をついて頭を落としたようにうなだれた。
「だけど送ってもらった空港で私が淳ちゃんの唇を奪ったんだぞ。だから私はファースト・キスを大好きな淳ちゃんに捧げることに成功しました」志織の顔は妙に誇らしげだが、聞き役3人は複雑な顔を見合わせて発言を譲り合った。すると志織が追い討ちをかけた。
「マミィは近親相姦って言うけどそれが危険なのは妊娠した時の遺伝子異常じゃない。妊娠しなければ愛情の確認行為として何も問題ないはずよ」「それをお父さんに言ったの」「うん、ダディと梢の意見です」ここまで来ると唖然として開けた顎が外れてしまいそうだ。確かにモリヤ2佐=ニンジン和尚は儒教的道徳やキリスト教的倫理には否定的で人間の本質を突き詰めて進むべき道を示すことが多いから志織の淳之介を思う真心を尊重し、海軍パイロットとして捕虜となってレイプされる可能性を認識して出した答えかも知れない。
「お父さんは若い頃、トンデモないセックス・マシーンだったのよ。アメリカ海兵隊の軍曹と知り合って基地の体育館の裏で抱いたり、煩悩が尽きる体験がしたいって22回連続で抱いたり兎に角、滅茶苦茶だったんだから」ここは志織の目を覚ますためにモリヤ2佐の権威を落とすしかない。ところがスザンナとノザキ中佐は変な反応をした。
「貴方も若い頃、帰ってきて10回連続が自慢だったけどその2倍以上ね」「意外にクイック・ショット(早漏)じゃないのか。佳織なら判るだろう」「私は・・・」唐突に3人に注目されて佳織が赤面してしまった。佳織と結婚した時、モリヤ2佐は30歳を過ぎ、煩悩が尽きていたので連続射撃の経験はない。むしろ熟練した性技で快楽に溺れていたような気がする。
「マミィのその情報は誰に訊いたの。梢も他の女性との関係は知らないでしょう」「フィリピンで知り合ったアメリカ海兵隊の曹長がその相手だったのよ」「それってジュディ・アイランド曹長じゃないの」ここでも志織が驚愕の推理を発揮した。やはり志織の頭には佳織の知性とモリヤ2佐の感性が共存しているようだ。
  1. 2021/07/19(月) 15:01:22|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

7月19日・伝説=昔話にされた実在の武将・源頼光の命日

治安元(1021)年の明日7月19日は清和天皇のお手つきの子供が武家となった清和源氏の4代目で足柄山の金太郎をリクルートしたことで昔話に登場する源頼光(日本式には「よりみつ」でも当時の宮中人の中国風音読みで「らいこう」と呼ばれることも多い)さんの命日です。
頼光さんは天暦2(948)年に父親の源満仲さんの領地があった現在の兵庫県川西市=摂津国多田か、平安京の左京一条の屋敷で生まれたとされています。公式記録に名前が出てくるのは寛和2(986)年に後の三条天皇が皇太子になった時、生活全般の運営・管理を担当する春宮坊(現在の東宮侍従)の上から3番目の役職である大進に就任した時からです。この役職では朝廷の儀礼や年中行事に参加していたようなので公家に蔑視されていた平安時代末期の子孫の武士たちとは身分が違っていたようです。その一方で藤原道長さん主宰の競馬大会に出場したり、関白・藤原兼家さんが屋敷を新築した際には馬30頭を贈ったりと摂関家に胡麻も擂っています。
中でも正暦元(990)年には藤原兼家さんの葬儀での藤原道長さんの立ち振る舞いに感服して臣従するようになり、その甲斐あって正暦3(992)年には備前守になっていますが、京都で活動していた記録もあるので親族や家臣を代理として赴任させたようです。続いて長保3(1001)年からは美濃守も兼務し、さらに但馬国、伊予国、摂津国の守も歴任すると子孫の源義朝さんが保元の乱の軍功でついた左馬頭(さまのかみ)の次級の権頭で正4位下になり後一条天皇の即位では昇殿が許されました。その後も藤原道長さんの臣下として莫大な政治資金を提供しながら一緒に地位を上げ、ついには武門の頭領・「朝家の守護」と称されるようになりました。しかし、この経歴は権力者に巧みに取り入った公家の駆け引きのようで武門の頭領と言う評価には違和感を覚えます。
そこで登場するのが金太郎の坂田金時さんや鬼退治の渡辺=源綱さん、足柄山で金太郎さんをスカウトして頼光さんに引き合わせた碓井貞光さん、坂上田村麻呂さんの末裔とされる卜部季武さんのチーム頼光=四天王を率いての妖怪退治です。
チーム頼光としては大江山の酒呑童子と土蜘蛛、狒々が有名ですが、当時は坂上田村麻呂さんを征夷大将軍にした東北侵攻から200年経っていたものの子孫の源頼義・義家父子による前9年・後3年の役の150年前で近畿地方でも残存勢力が各地に拠点を構えて武力抗争を仕掛けていたのです。これを武士が制圧すると朝廷の神道の弥生式信仰に従わない野蛮な存在である妖怪退治として今昔物語や御伽草子に収録されました。
実際の源頼光さんが妖怪と称される武装勢力を鎮圧できるほどの武将だったのかは不明ですが、天皇の落胤=貴種としての印象が薄れた平安時代末期に抜群の政治力で桓武平氏を殿上人に引き上げた平忠盛さまも広島県竹原市に海賊退治の拠点にしたと伝えられる「忠海(ただのうみ)」と言う地名が残っているので、武士が宮中で存在を認められるには先ずは戦功であり、源綱さんの河内源氏には鬼を斬った太刀とされる「髭切り」が重代の家宝として伝わっていたのでやはり勇猛な武将だったのでしょう。
  1. 2021/07/18(日) 14:15:14|
  2. 日記(暦)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

振り向けばイエスタディ2341

「志織、お父さんは去年の暮れにフィリピンに会いに来てくれたのよ」ダラスに着いたのは夕方だったので空港からタクシーでホテルに直行し、チェック・インするとそのまま夕食になった。レストランの丸いテーブルを4等分にする席に座ると佳織は固定メニューのテクス・メクス料理(テキサス・メキシコ流料理)が運ばれてくる前に伝えたかった事実を口にした。
「梢はどうしたの」「梢は先に沖縄の実家へ行ってお父さんが来るのを待っていたわ。向うの両親と4人で淳之介とあかりの島に行ったみたい」「やっぱりついでなんだ」志織の冷たい言い方にノザキ中佐とスザンナは困ったように顔を見合わせた。
「ついでと言われれば仕事のついでだったけど、おかげで国際刑事裁判所検察官としてのお父さんの仕事ぶりを見ることができたわ」「ふーん」志織は関心なさそうな態度を演じながらも目は興味津津になって身を乗り出している。
「恰好よかったよ。今の大統領とも対等に話し合って。あれなら国際刑事裁判所に告発される元大統領たちを被告人にしても負けることはないわ」「当然よ。ダディはエリート・コースに乗った妻のために自分を犠牲にしただけで、能力は我が軍にいても高く評価されたはずよ」「それを言うなら『我が軍にいれば』だな。2佐は自衛隊の狭くて固い枠には収まらない。だから我が軍が国際刑事裁判所に推薦したんだ」志織の見解にノサキ中佐が意外な補足をした。ノザキ中佐も娘婿であるモリヤ2佐の異例の人事に在日アメリカ軍が関与していると言う噂を日系軍人の会合で聞き、国防総省で勤める元部下を通じて調べさせたのだ。
「確かに自衛隊の人事は平時の発想しかないから軍人としての本質を評価して戦時に能力を発揮する人材を発掘して育成する機能が欠落しているわ。私だって女性の社会進出の実例としての利用価値があるから将補まで引き上げられたけど、戦時に『旅団長として指揮しろ』と言われても自信はないわ。その点、旦那は『2佐だけど旅団長だ』と言われればホイホイと指揮して強敵に勝っちゃうのよね」「だってダディは現世の護法天、守護尊だから佛さんがついているもの」ここで急に志織の表情が緩み、口調も打ち解けた。それにしても志織はかなり頻繁に電話をして薫陶を受けているようで佳織が知らない佛教の専門知識やモリヤ2佐の人生観を理解している。すると緊迫した雰囲気の会話に遠慮していたらしいウェイトレスが歩み寄り、ホールの隅のドリンク・コーナーを案内した。
「さっきグラダディは我が軍がダディを国際刑事裁判所に推薦したって言ったけど本当なの」ドリンク・コーナーでそれぞれの好みの酒を取ってきて乾杯すると海軍軍人らしくラム酒を口にした志織がノザキ中佐に質問した。
「2佐と会った在日アメリカ軍司令部の法務官が戦争法や戦史の知識と軍としての法運用に関する見識に感服してペンタゴンに通知したんだそうだ。ペンタゴンとしても自衛隊の2佐なら反アメリカ色が強い国際連合の関連機関内で数少ない友軍になってくれると期待してホワイトハウスに伝えたと言う話だ」「あの人の名前がホワイトハウスまで届いたの」ノザキ中佐の説明に佳織は驚愕したが、志織は顔を硬直させてもう一口ラム酒を飲んだ。
「実はこの間、イラクで武装勢力の捕虜になった陸軍の女性パイロットが収容所内で集団レイプされた講話を聴いてダディに『復仇』についての見解を訊いたの」「我が軍も女性を前線に出すようになったから戦死や負傷するだけじゃあなくて、そう言う屈辱に遭遇する事例が発生するのも当然だな」ノザキ中佐の冷めた感想に対面の席の佳織とスザンナは顔を見合わせたが、志織は正面の祖父の顔を見詰めたまま話を続けた。
「ダディは自軍の士官がレイプされた違法行為の復仇を考える前にアメリカ軍やNATO軍がアフガニスタンやイラクで日常的に犯している文民殺害やレイプを何とかしろ。アメリカ軍はレイプを兵士個人の刑法犯罪として慰安所の設置を絶対に認めないが、それは独立戦争や南北戦争の時代の国内戦の見解であって占領下の日本やヨーロッパでアメリカ兵が女性をレイプしたのは紛れもない事実だ。どこでもアメリカ軍は被害を受けた女性が告発すれば厳正に捜査して処罰すると言っているが占領地の女性が占領軍を告発することができないのは当たり前だ。アメリカ軍が態度を改めなければ国際刑事裁判所が処罰するって言っていたの」「それは残念ながら恥ずべき事実だ。ベトナム戦争で沖縄から乗せた兵士たちが機内で女性をレイプした自慢話をしていたのを聞いたことがある。それは現在の戦争でも変わらないだろう」ノザキ中佐は話を区切ると苦そうにヴォーボンを多めに飲んだ。
「それじゃあ私がレイプされたらダディはどうするのって訊いたら、犯人の取り調べ中に股間を蹴って睾丸を潰してやるって」「ほーッ」この展開にノザキ中佐はグラスから外した唇で感嘆符を呟きながらテーブルの下で無意識に自分の股間を押さえていた。
さ・モリヤ志織候補生イメージ画像
  1. 2021/07/18(日) 14:13:41|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

哀しみの野良爺さん

野僧が小庵を結んだ時に子猫だったまま縁の下に棲みついて十数年、今では高齢猫になっている野良爺さんですが、最近、猫生の哀しみを噛み締めるような姿を見せています。
当初、野良爺さんは餌を狙って典座(調理場)に侵入して見つかれば蹴りを入れられ、それが棒になり、BB弾になってついには追い出す前に逃げ道を塞がれて袋叩きに遭ったのですが、それでも生まれた場所なのか立ち退く様子はありませんでした。
やがて美黒猫の音子(ねこ)を飼い始めると恋心を抱いてストーカ的につきまとうようになったのですが、音子はイケメンの雉トラと相思相愛になり、同じく雉トラの若緒(にゃお)を産んだのです。すると野良爺さんはどこからともなく同じ柄の鯖トラの雌(どう見ても娘)を連れてきて縁の下で同棲を始めたのですが、その雌の鯖トラは発情期が来ると姿を消し、半年近く経過すると若緒に瓜二つの子猫(身体の柄はアメリカン・ショートヘア)を連れて戻ってきました。一方、野良爺さんは雌の鯖トラが姿を消すと探しに出て姿を見せなくなり、後にその行き先が川を挟んで10キロ以上離れた別の集落であることが判明しました。それでも雌の鯖トラが帰ってきたので野良爺さんも迷惑なことに小庵に戻り、連れ子のアメリカン・ショートヘアと3匹での生活を始めたのです。
野僧としても野良爺さんが家族を守るために他の野良猫を撃退するようになり、若緒とおそらく異母姉弟の連れ子は非常に仲が良くなったため雌の鯖トラに世園子(よそのこ)、連れ子はニャン太郎と名前をつけて倉庫にドラム缶の小屋を作り、餌を与えるようになりました。こうして野良爺さんの幸せな家庭生活が始まったのですが、世園子に発情期が来ると別の野良猫が集り、その中の茶の鯖トラは野良爺さんよりも大きく必死に戦っても撃退することができず、攻撃されても耐えながら盾になるようになったのです。
しかもその茶の鯖トラは避妊手術を受けている若緒を雌ではない=雄と見做して追い回すようになり、普段は道路に近づかない若緒が車にはねられて死んでしまいました。さらに茶の鯖トラは野良爺さんの妻として暮らしている世園子を襲うようになり、発情期が終わる頃には一緒に姿を消してしまったのです。するとニャン太郎も後を追うように姿を消したため野良爺さんは孤独の身になり、若緒を失ってその哀しみを理解する音子は接触しないものの近くで見守り、せめてもの慰めを与えていました。
1年後、ニャン太郎が突然帰ってきて冬の間、野良爺さんと暮らしましたが春になると再び姿を消し、野良爺さんも別の集落との往復の途中で野良犬に襲われて顔の左半分を喰い千切られる重傷を負ったため小庵から離れなくなったのです。
そうして野良猫を保護している女性が寿来(じゅらい)を捨てていくと野良爺さんは凶暴な子猫を祖父と孫のように躾て、今では野放図なところはあるものの飼い猫になっています。しかし、昨秋に憧れの音子も交通事故で逝ってしまいました。
最近は土間限定を条件に庵内で過ごすことを黙認していますが(飼ってはいない)、そんな高齢猫生活で野良爺さんは夕方になると倉庫の前にたたずみ世園子とニャン太郎と暮らしたドラム缶を眺めながら長い時間を過ごすようになっています。見ている方が辛いです。
野良爺さんの哀しみ・21・7・13野良猫母娘の冬籠り・19・1.27
野良爺さんの胸に浮かぶ世園子とニャン太郎

  1. 2021/07/17(土) 14:28:01|
  2. 猫記事
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

振り向けばイエスタディ2340

「広いわねェ、ニューヨークの3倍はあるわ」窓側の席に座っている佳織は上空で着陸の順番待ちをしている機内からダラス・フォートレス空港を見下ろして驚いたような声を挙げた。佳織は中学生で日本に帰国するまでもハワイから母の実家の伊丹に何度も帰省していて、大学はミシガン州に留学したのでアメリカ本土とも往復している。おまけに陸上自衛隊に入ってからはカンボジアPKOに始まり、カンザス州の指揮幕僚大学院への留学、ハワイの太平洋軍司令部の連絡官、在フィリピン大使館の防衛駐在官の海外勤務に加え、オランダ陸軍の夫への勲章の代理受章、香港の民主化デモの調査などで世界中の空港を利用してきたが、それでも広大な敷地に並ぶ7本のランウェイ=滑走路と5つのターミナルには圧倒されるような迫力がある。
「残念ながらもう少し大きいぞ。ジョン・F・ケネディ空港は20平方キロでダラス・フォートワースは70平方キロだから・・・」「3.5倍よ」ノザキ中佐が咄嗟に計算できないとスザンナが変わって説明した。この呼吸もモリヤ2佐と梢に共通している。
「ニューヨークでも成田の2倍なのにダラスは7倍ってこと。それだけの需要があるのかしら」「発着便数では全米3位、旅客数では4位だ。それでも世界最大の空港はサウジアラビアのキング・ファハド空港でダラスの・・・11倍の776平方キロだが航空所要はアメリカ国内には遠く及ばないだろう。1995年にアメリカ最大になったデンバー空港も旅客数で全米5位、発着回数で6位になっているだけで東海岸や西海岸の大空港には全く敵わない。結局、デンバー空港は市長が強引に建設を推し進めただけで本人はその実績でクリントン政権の運輸長官になっただけだ」ノザキ中佐は共和党支持者なので民主党のクリントン政権の閣僚の評価は当然厳しい。それにしても空港に関する知識が溢れるように出てくるのは空軍の輸送機パイロットとしての職務上の学習成果であり、離着陸する可能性を認識していたようだ。
「グラダディ、グラマミィ、それからゼネラル・モリヤ、いらっしゃい」ターミナルも日本とは比べ物にならないくらい広大で、年間72万回の離発着と7607万人の利用者があるダラス・フォートレス空港では時間と場所を厳密に打ち合わせておかないと巡り合うのは困難だ。実際、訪ね人のアナウンスが数カ国語で流れ続けている。その点、アメリカ空軍中佐と海軍少尉に抜かりはなく、何よりも志織の海軍少尉の白い軍服が目印になっていた。
「志織、軍服の色は気に入らんがとっても似合ってるぞ」「和人が少尉になって帰省してきた時を思い出すわ・・・」ノザキ中佐は祖父の特権で敬礼している孫娘を抱き締めて頬ずりし、隣りでスザンナは死んだ息子を思い出してハンカチで溢れる涙を拭っている。挨拶も取ってつけたように後回しにされた母親は一歩外れた位置で3人の対面シーンを眺めていた。
「志織、久しぶりに会ったお母さんに挨拶しなさい」「はい」祖父の熱烈な抱擁が終わったところでスザンナが横に移動して佳織との再会を促した。佳織は歩み寄る前にあらためて志織の全身を見たが、基本教練通りに姿勢を正し、挙手の敬礼をしていて3年ぶりの再会の感動は伝わってこなかった。この様子では佳織が答礼しなかれば手を下ろさない。そこで佳織も姿勢を正すと無帽だが額に手を掲げて日本以外の軍隊式に答礼した。
「元気そうね」「はい、閣下、有り難うございます」歩み寄って始めた母娘の対話も他人行儀を通り過ぎて上官と部下だ。おまけに志織は「マイ・オーナー」「アン・オーナー」と言うべき閣下を第3者式に「ヨー・オーナー」と言っている。あくまでも別組織の陸上自衛隊のモリヤ佳織将補として接するつもりらしい。
「お父さんとは連絡を取ってるの」「うん、ダディには判らないことや困ったことがあると電話しているよ。最近は愚痴が多いかな」「お前は私たちに愚痴なんかこぼさないじゃない」佳織がオランダのモリヤ2佐との交流を確認すると志織は父娘の絆を明解にした。呼び名も「ダディ」のままだ。ところがスザンナがそれに嫉妬した。この感覚も肉親の情と言うものだ。
「やっぱり愚痴は挫折を知ってる人じゃあないと自分が敗北者に思えてしまうのよ。グラダディは空軍中佐のパイロットとして合衆国のために貢献した偉大な軍人でしょう。仕事上の助言を仰ぐことはできても弱音を聞かせることはできないわ。その点、ダディは超強力な掃除機みたいに心に溜めている悩みや苦しみを残らず吐き出させてくれるの。そうしてスッキリしたところで梢と話すとハワイの太陽みたいに元気を補充してくれるからパワー全開で次の訓練に向かっていけるんだ」「つまり私も挫折を知らないから悩みを打ち明けられないって言うのね」志織の説明に佳織こそ敗北感を噛み締めた。大学を中退して一般空曹侯補学生になったモリヤ2佐は不得意な技術職で挫折ばかりのドン底生活を送っていた。それを支え励ましていたのが梢だ。そんな2人は愛知の親族に頭ごなしに引き裂かれる悲劇も味わっている。志織の愚痴や弱音を綺麗サッパリ取り除くことなどお手の物だろう。
  1. 2021/07/17(土) 14:19:38|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

7月17日・映画「眠狂四郎」8代目・市川雷蔵の命日

昭和44(1969)年の明日7月17日は白黒だった時代の映画「眠狂四郎」シリーズや映画「陸軍中野学校」シリーズ、さらに平岡公威=三島由紀夫さんの「金閣寺」を映画化した昭和33(1958)年の「炎上」で吃音の修行僧を演じた8代目・市川雷蔵さんの命日です。38歳の若さでした。
市川さんは昭和6(1931)年に京都市の母親の実家で生まれました。この頃、父親は身重の母親を実家に預けて陸軍特別幹部候補生として奈良に赴任していて、親族の苛めに遭った母親が助けを求めても無視したため離別を決意して自分の実家に帰っていたのです。すると父親の義兄に当たる上方歌舞伎の役者の養子になり、生後半年で本名が変更になりました。しかし、義父は市川一門とは言え京都市会議員の息子が歌舞伎好きで入門した傍流だったため実力に関係なく脇役しか与えられず、市川さんは15歳で歌舞伎役者になると同様の境遇の役者たちと分派を結成して正統派歌舞伎の興行を始めたのです。そんな折、市川さんの実力を高く評価していた演出家の仲介で25年間も継承者がなかった大名跡を襲名する話が持ち上がりましたが、死に損っていた妻が血筋を問題にして反対したため頓挫、すると上方歌舞伎の看板役者の養子になり再び本名が変わりました。しかし、これで傍流を脱することができたかと思えば今度は名門一派が「どこの馬の骨とも知れない役者」と血統を問題にしたため歌舞伎界に見切りをつけ、昭和29(1954)年に以前から時代劇スターとして売り出そうと誘われていた大映に入り、映画界に転身したのです。
大映としては市川さんを昭和38(1963)年に引退した大スター・長谷川一夫さんの後継者、東映の若手時代劇スターの中村錦之介(後の萬屋錦之介さん)の対抗馬として売り出し、次々に大作の主役を演じました。
そんな中で野僧にとっての代表作は昭和38(1963)年に始まった全12作品の「眠狂四郎」シリーズです。最近はテレビの同シリーズで演じた田村正和さんの代表作にされましたが、白黒の画面で市川さんの全身から漂う虚無感は後ろ姿でも伝わってきたのでテレビのスターでは敵うはずがありません。ちなみに大映の2枚看板と呼ばれていた勝新太郎さんは「眠狂四郎を演じている雷ちゃん(=市川さん)は鼻の下が伸びて死人の顔をしていた」と評していました。、また市川さんは下半身が弱く、時代劇の立ち回りが苦手だったそうなので動きが少ない眠狂四郎の円月殺法は有り難い演技だったのかも知れません。
もう1つが昭和41(1966)年から全5作品の「陸軍中野学校」シリーズですが(=自衛隊体育学校の木造隊舎で撮影した)、癌を発症して「開戦前夜」で終わってしまったのが残念です。こちらも市川さんがスパイになるために捨てた恋人の小川真由美さんがソ連のスパイに利用されて陸軍の情報を漏らし、憲兵に引き渡す替わりに自ら毒殺した後の演技は流石でした(台詞と表情は達成感を見せていても目には虚無感が漂っていた)。
画面の市川さんは大変な2枚目ですが、普段は洋装で眼鏡をかけていたので大映の社員が街ですれ違っても気づきませんでした。ところが楽屋にこもって1人でメイクをすると容姿だけでなく口調や表情まで役の人物に変身していたそうです。
  1. 2021/07/16(金) 15:08:30|
  2. 日記(暦)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

振り向けばイエスタディ2339

「佳織、このままテキサスへ行くぞ。航空券は取ってある。ホテルも予約済みだ」早朝にダニエル・K・イノウエ空港に到着した佳織は出迎えのノザキ中佐とスザンナが旅支度しているのに困惑してしまった。するとノサキ中佐は将官になった佳織に一方的に予定を申し渡した。階級は逆転していてもこれは父娘としての命令だ。
「だって海外渡航申請はハワイで許可されてるんだから拙いよ」「将軍閣下にもそんな制約があるのか」これがアメリカ軍の将軍や提督であれば行動に制約を与えられるのは大統領くらいだが、自衛隊では組織の上の方に位置している高級幹部に過ぎないから手続きは無視できない。
「アメリカ国内だから大丈夫、パスポートやビザも要らないのよ」今度はスザンナが口を挟んだ。確かに日本国籍の佳織の航空券が予約できたと言うことは国境を超えない国内旅行なのだ。
「母と娘が3年も会ってなかったんだ。父と娘の旅行のついでに孫のところでノザキ一家が勢揃いすると言う作戦だ。志織にも連絡してある」「祖父母と孫は会ってるけどね」ノザキ中佐とスザンナの説明に佳織がうなずくと2人は先に立って歩き始めた。混雑している空港のロビーに使い込んであるキャリー・バッグのタイヤが「ガラガラ」と大きな音を響かせていく。
佳織自身もノザキ中佐と志織に会ったのはフィリピンに赴任する前に帰省して以来だ。あれから志織はアメリカ海軍のパイロット養成課程に入ったが入隊式には出席できなかった。しかし、3年ぶりに帰省する母親に再会することよりも自主トレを優先する志織の態度には不満よりも不安を感じる。志織は父親に対する佳織の態度を「妻失格」と非難していて、離婚して梢と再々婚することを勧めたとも聞いている。
「お前が私服で来てくれて助かったよ。まさか将軍閣下をエコノミー・クラスに座らせる訳にはいかないからな」「その前に航空会社が断るでしょう。貴方だって一緒じゃない」2人に連行されるように搭乗カウンターの手続きを待つ乗客の列に並ぶとノザキ中佐が苦笑しながら小声でささやいた。今回、佳織はアメリカでは空港や駅を使用する軍の将官に対する接遇が極めて仰々しいため私服で来たが、公務で旅客機を使用する時にはファースト・クラスになる。一方、スザンナが指摘した通り、アメリカ空軍のノザキ中佐もエコノミー・クラスでは階級不相応になり、航空会社は可能な限り座席を手配しても不可能であれば「軍に対する敬意を失する」と遠慮=拒否しそうだ。結局、今回のテキサス行きを決めたのが直前だったため3人分の座席を確保することを優先し、予約に際して航空会社に階級を知らせなかったようだ。勿論、今回は家族旅行なので何も問題はない。
「幸い直行便が取れたから今日の間にランディング(着陸)できるよ」「経由地があっても夜には到着するけどね」手続きをすませ、荷物をそのまま預けてテキサス州のダラス・フォートワース空港への旅客機に乗り込むとエコノミー・クラスの3人掛けの席に座った。佳織はスザンナに窓側の席を譲ったが、ノザキ中佐が背中を押して座らせ、夫婦は交互に話しかけた。
「テキサスまでは何時間くらいかかるの」プロの梢ほどではないにしろ旅行の下調べは念入りにする佳織も突然の国内旅行に予備知識は全く持っておらず、所要時間も知らなかった。
「今回の直行便は7時間20分少々だな。1か所経由だと10時間くらいかかる」「日本からマニラよりも遠いのね」真ん中の席のノザキ中佐の説明に佳織はフィリピンから5時間の飛行で帰国したことを思い出したが、今日は成田から7時間だった。つまり今日は合計14時間強の飛行になる。大型輸送機のパイロットだったノザキ中佐は世界各地を飛び回っていたので70歳を過ぎても身体が慣れているのだろうが、更年期を迎えた佳織にはかなり堪える。
「2重の時差ボケを解消するため眠るわ」「そうだな。疲労を軽減するにも効果的だ。ワシも眠ることにしよう。スザンナも眠れ」「1人で起きていても退屈だから私も眠るわ」そう答えてスザンナはノザキ中佐の手を握った。佳織は帰国して間もなく伊丹の母と祖父母の墓を参ってきたが、母もやはり空軍の輸送機パイロットとしてベトナムへの軍事物資や時には戦死者の遺骸を載せて飛行する過酷な任務を遂行している夫の苦難を理解する気持ちが欠けていた。この眠る時にも夫の手を求めるスザンナの態度は梢にも共通していて自分には欠けていた。それが今回はフィリピンを訪れた夫に同行して国際刑事裁判所の検察官としての職務を遂行している姿を目の当たりにして今更のように敬意を抱くようになった。守山の官舎で同居していた時には前川原の延長で同期・同格として見ていて無意識に知的労働の通信と野性的肉体労働の普通科を比較していたのかも知れない。是非、娘である志織にはこの心境の変化と深く反省していることを伝えたいのだが、志織は帰国する佳織から離れ、アメリカ人としてノザキ家に残った。佳織自身が母の過ちに気づいたのはハワイに赴任して父と再会を果たしてからなので、その父が立案したこの作戦に期待するしかない。

  1. 2021/07/16(金) 15:07:23|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

振り向けばイエスタディ2338

杉本はパイリン空港から一般道を通ってアジア・ハイウェイ1号に並走する国道に出た。その時、パイリン空港からビジネス機が離陸していったのでインラック・シナワトラ元首相は兄が待つアラブ首長国連邦のドバイに向かったのだろう。衣類や装飾品、化粧品を詰め込んだ大型の旅行カバンとパスポートと財布、カードを入れたハンドバッグは超高級車に載せたまま持ち逃げされたが「どうせ失効になる」と意に介していなかった。
「ただいま」「お疲れさまでした」昼過ぎにバンコク市内の観光ホテルに着くと本間がロビーで待っていた。明け方にクローンヤイ国境検問所を通過してからスマートホンで本間に「ホテルへ帰る」とメールしておいたのだ。
「大好きなバイクだが2日間乗りっ放しでは流石に疲れたよ」杉本は高校時代から父親のバイクを乗り回して近所の住人たちから「暴走族」と陰口を叩かれたが大学に入るとモトクロスに熱中し、偵察隊の指揮官になろうと思ったのも陸上自衛隊を志願した理由の1つだった。
「顔にサングラスの痕が白くなって逆バンダだよ」怪傑ハリマオの扮装のまま帰ってきた杉本がサングラスを外すと本間は顔を見ながら苦笑した。兎に角、中年親父の体臭が強烈で、シャツが汗で背中にくっついているので、ホテルのレストランでの昼食の前にシャワーを浴びて着替えなければならない。
「何だか高級な香水の匂いがするね」エレベーターに乗り込むと本間が女の感性を働かせた。この観光ホテルは高級ではないのでエレベータ・ボーイは乗務していない。
「元首相にこのシャツを着させたから移り香したんだろう」杉本の説明に本間は怪訝そうな顔をした。杉本の活動成果については部屋に戻ってから聞くつもりだが、流石の本間もタイの名門家庭の令嬢である元首相が杉本のバンコク市内の衣料品で買った安物の木綿のシャツに着替えた理由は思い浮かばなかった。昔の杉本であれば巧みに誘惑して性的興奮剤を呑ませて肉体を奪ったことも考えられるが、今は自分だけの夫になってくれている・・・と信じている。
「元首相はボディガードと運転手に裏切られてパイリン空港の周回道路の草むらでレイプされたんだ」ホテルの部屋に盗聴器や監視カメラが設置されていないかと発信電波の確認はすませてあるが、事情説明は音声が不明瞭になるシャワーを浴びながらにした。
「奴らは暴行した後、車から突き落とした元首相に『着ていた服や下着も高く売れる』と言って全裸のまま置き去りにしたんだ。だから俺のシャツを着させて空港まで連れていったと言う訳だ」「誇り高い元首相が国を追われて逃げ落ちる直前に家来に裏切られて肉体を奪われたなんて悲惨過ぎるよ」杉本の背中を手で洗いながら本間はここでも女の心情を口にした。杉本は暗視眼鏡を着けていたので車から突き落とされた全裸の元首相を見たが、50歳とは思えぬ美しい体型を維持していて本間の筋肉質な痩身とは全く違った。そう思った自分が許せなくなった杉本は振り返ると本間の身体を洗い始めた。当然、その続きも実施した。
昼食を終えると杉本と本間は日本大使館に防衛駐在官を訪ねた。このバイクの入手経緯は判らないが、返納時に車体と予備のタンクに燃料を満タンにするのはレンタカーのマナーだ。何にしても本間は元首相と同じ形で憧れのバイクの2人乗りを体験できた。
「やはりドバイへ亡命しましたか」防衛駐在官室にキンコンダ夫婦として案内されるとソファーに座ってインラック元首相が邸宅を脱出してから検問を突破し、パイリン空港からビジネス・ジェット機で飛び立つまでの流れをあくまでも傍観者として説明した。実は杉本は邸宅の門に配置されている警察官が届いた荷物をメイドに手渡すため中に入った隙に小型高感度盗聴マイクを仕掛けたので脱出した時の会話も傍受していた。
「それにしてもタクシン・チナワット元首相の人脈は外交上の対立を招きかねない要求を呑ませるほど強力なんだな」「人脈ではなくて財力かも知れませんよ。札束で頬を打たれて尻尾を振るのは中国人の常でしょう」防衛駐在官の見解に中国系華僑の気質を熟知する本間が反論した。
「何よりも国境突破以降はカンボジア政府は不関与と言うことになっています。国境突破もクローンヤイ国境検問所の職務怠慢として片づけられるはずです」「我が大使館としても調査すらしていないことになっているから噂話として東京に聞こえるようにするだけだ」やはり今回も手柄は外務省の在タイ大使館に譲ることになるらしい。外務省との一体化は松山1佐の指導方針なので2人にも異存はない。
ここまでで話に区切りがついたが、普通の男であれば高貴な美女がレイプされた顛末を詳しく知りたいところだろう。しかし、そこは立場を弁え、本間の前なので控えたらしい。実は杉本も超高級車の後席の窓には濃いスモークが施してあったため、暗闇の中ではギシギシと車体がきしむ音と男たちの下卑た呻き声、元首相が漏らす呟きを聞くしかなかったのだ。
  1. 2021/07/15(木) 15:21:08|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

振り向けばイエスタディ2337

暗闇の中、高級な香水の匂いに誘われるのか元首相の身体には蚊に限らず大量の虫がたかってきた。手入れが行き届いた白い肌には忽ち蚊が差した腫れが増え、伸ばした爪でかくと血が滲み、汗が染みた。これは華僑の名門家庭の9人兄妹の末っ子として生まれ育ち、同じく華僑の名門財閥の御曹司と結婚した元首相には耐え難い経験だった。
その時、ランウェイ・ライトが点灯し、月がない漆黒の闇の空からジェットのエンジン音が響いてきた。それも小型ビジネス・ジェット機の軽い音だ。
「お兄さま・・・」今回、元首相は2008年8月に「北京オリンピックの開会式に出席する」と言って出国したまま現在はアラブ首長国連邦のドバイで暮らしている兄の元首相が手配したビジネス・ジェット機で海外逃避することになっている。
「あの飛行機に乗ればお兄さまの下(もと)へ行ける」元首相が立ち上がった時、ビジネス・ジェット機は赤や緑のランウェイ・ライトを目がけて着陸し、タイヤが鳴る高い音と逆噴射の太い音を立てて短い滑走路一杯で停止した。
「これは・・・」立ち上がった元首相は太腿の内側を垂れる水滴の違和感に身体を硬直させた。それはボディガードと運転手が女性器の中に注ぎ込んでいった大量の精液だった。元首相はまだ少女だった頃に18歳年上の兄に純潔を捧げて以来、兄と夫以外の男性に肉体に触れさせたことはなかった。その高貴な至宝のような肉体を下賤な男たちに散々に弄ばれた。
日本でも高倉天皇に入内した徳子(なるこ)が兄の平宗盛と肉体関係を持っていたことを落飾して建礼門院になってから告白しているが、そこで「畜生の如き振る舞い」と述べているのは壇ノ浦の合戦の後、源義経に強姦されたことであって兄や天皇との肉体関係は指していない。
「急がなければ」「待て、動くな」元首相が裸足のまま道路を駆け出そうとするとランウェイ・ライトが消えた暗闇から男性の鋭いタイ語が聞こえた。
「誰なの」この場所に潜んでいた男性、然もタイ人が何者なのかは元首相には想像もつかない。下手をすればあの男たちと同じ行為を続けるつもりなのかも知れない。
「この状況では互いに名乗るのは省略しましょう。ただ、この空港はクメール・ルージュの拠点だったので周囲には大量の地雷が埋設されています。ですから迂闊に動くと折角、お兄さまが手配してくれた出迎えの飛行機に無駄足を踏ませることになります。どうか私と一緒に来て下さい」男はそれだけ言うと元首相の返事を待たずに再び暗闇に消えていった。すると間もなくエンジンをかける音が聞こえオフロード用のバイクにまたがった人影が現れた。
「オフロード用なので2人乗りには向きませんが不整地を走るには最適です。とりあえず私のシャツを着て下さい。汗の臭いはご容赦願います」人影は一方的説明すると確かに男性の体臭がする木綿のシャツを差し出した。
「お前は裸なのか」「いいえ、ターバンにしている布を腹に巻いています」元首相がシャツのボタンを止めている間にも人影は饒舌に説明した。そして元首相が着終わると手を伸ばして腕を掴み、座席の後ろの本来は尻を固定する台にまたがらせた。
「それでは出発しますから私の腹に両手を回してしっかり捕まっていて下さい。脚は開いておかないとマフラーで火傷します」元首相は人影に引き寄せられて初めて顔に面のような機械を装着していることに気がついた。これはおそらくナイト・スコープ=暗視眼鏡だ。つまり暗夜に行動する準備をしてこの場所にいたことになる。元首相は男の腰に回した両手に力を入れると汗ばんだ背中に頬を寄せた。疑えば果てしなく怪しいが、殺気や害意を全く発していないので信頼すれば全てを託しても良いと感じていた。
パイリン空港は簡易空港扱いのため夜間は完全に閉鎖されていてゲートは半開きで警備員は待機所内で熟睡していた。杉本は開いていた門をバイクに乗ったまま突破すると駐機場=エプロンに直行した。するとエプロンでは政府の指示で出勤した空港事務所の責任者と管制官、誘導員がビジネス・ジェット機のパイロット2人と重要人物の到着を待っていた。
「諸官がカンボジア政府から指示を受けた重要人物をお連れした。途中で部下の裏切りに遭ってこのような姿になっているが間違いない。顔を確認しろ」杉本が英語で指示すると関係者はエプロンの照明で元首相の美貌を確認して頭を下げた。
「先ずこの女性に服を用意してくれ。シャワーがあれば浴びさせて欲しい」続いて杉本は関係者に矢継ぎ早に指示を与えた。余計なことを考えさせるとそれが疑いを招きかねないのだ。元首相は誘導員が持ってきた作業服を着るとシャツを杉本に返し、関係者たちと空港事務つの建物に向かって歩き出した。そこで杉本はバイクで走り出した。
「お前の名前は」「ハリマオだ」背中に投げ掛けられた質問には手短に答えた。
  1. 2021/07/14(水) 14:43:20|
  2. 夜の連続小説8
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
次のページ