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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

12月1日・昭和の岩窟王・吉田石松の命日

昭和43(1968)年の明日12月1日は大正2(1913)年8月から昭和10(1035)年まで22年間無実の罪で服役し、昭和35(1960)年4月に無罪判決を受けるまで47年間無実の罪を負い続けて「昭和の岩窟王」と呼ばれた吉田石松さんの命日です。この「岩窟王」とはフランスのアレクサンドル・デュマ・ペールさんの小説「モンテ・クリスト伯」を日本で少年向け読み物にした名称で「船乗りのエドモン・ダンテスが無実の罪で絶海の孤島の監獄に送られ、そこで14年間過ごす間に同じく無実の罪で収監されていた神父から深い教養を与えられ、その神父が死ぬと遺体袋で入れ換わって海に捨てられて脱獄に成功すると神父に教えられた宝物を手にしてモンテ・クリスト伯爵の偽名で社交界にデビューして自分を陥れた人間たちに復讐する」と言う物語です。しかし、吉田さんは服役期間こそダンテスより長くても復讐はしていません。
吉田さんは明治12(1879)年に福井市で生まれ、名古屋へ出て働いていた大正2(1913)年8月13日の夜に現在の名古屋市千種区で繭小売業者が殺されて1円20銭奪われた強盗殺人事件で逮捕された22歳と26歳の男2人が自分の罪を軽くするため35歳の吉田さんを主犯と口裏を合わせたことで逮捕されたのです。警察では2人の証言が一致していたことで物的証拠がなく、吉田さんが主張していたアリバイの検証もせずに自白させようと拷問しましたが、あくまでも否認しました。それでも1審では従犯になった2人が無期懲役、主犯の吉田さんには死刑の判決が下ったのです。
その後の控訴審、上告審で無期懲役の実刑が確定して東京の小菅監獄で服役しました。それでも大正7(1918)年には獄中から再審請求しましたが棄却されたため容疑を否定して暴れたので「病死による死刑執行」と言われていた網走監獄に移送されましたが、ここでも一貫して容疑を否定して暴れたので今度は秋田監獄に再移送されたのです。
すると秋田監獄では所長が吉田さんに興味を持ち、警察での取り調べ調書から公判記録を詳細に再検証して吉田さんの無実を確信するようになりました。そこで所長は犯行を否認している模範囚とは言えない吉田さんの仮出獄の手続きを試み、再度の再審請求を勧めたのです。そして昭和10(1935)年に仮出獄した吉田さんは従犯の2人が先に出獄して埼玉県に住んでいることを大審院(現在の最高裁判所)担当の司法記者の協力で突き止め、偽証だったことを認める詫び状を受け取りました。
この詫び状を根拠に3度目の再審請求をしましたが棄却、敗戦後の昭和27(1952)年の4度目の再審請求も棄却になると吉田さんは法務大臣に直訴を試み、大臣との面会は拒否されたものの絨毯にしがみついて懇願する姿に同情した職員が刑事局参事官=検事に取り継ぎ、参事官の紹介で日本弁護士連合会の支援を得て昭和35(1960)年に5度目の再審請求をすると検察との攻防の末、昭和38(1962)年2月28日に名古屋高等裁判所が大審院からの差し戻し審でアリバイが成立することを認め、無罪判決を出したのです。判決文で裁判長は「我々の先輩が翁(=吉田さん)に対して冒した過誤をひたすら陳謝すると共に・・・」と述べ3人の裁判官が起立して頭を下げました。命日はこの9月後です。
  1. 2021/11/30(火) 15:35:37|
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振り向けばイエスタディ2477

1月末に春節休暇の中国人の集団が引き揚げて月が替わり、ヨーロッパがバレンタイン・デーに向けて浮かれ始めた頃、世界保健機関=WHOが警告したような発熱や急性呼吸器不全などの症状を呈する患者が急増した。それでも現時点では検査方法が確立されておらず、採取した喉の粘液を電子顕微鏡でWHOが発表した新型コロナ・ウィルスの有無を確認するしかない。一方、私はオランダ政府の不要不急の外出制限を受けて自宅で梢と濃厚接触しながらの仕事になったが、職場に届く書類やインターネットによる戦争犯罪の情報は部内秘に属するため公判資料の作成などが中心でテレビを見ながらの気楽さがある。
「前からWHOは中国の傀儡だったが、今度はコマーシャルまで流し始めたな」ヨーロッパでは毎日のようにジュネーブのWHO本部から事務局長や担当者の記者会見が放送されているが、市民の不安を和らげるつもりなのか中国製ワクチンの宣伝を始めている。それでもヨーロッパ各国は中国が開発工程や成分、効果、治験などの情報を一切公表しないため敢然と拒否し、イギリスの製薬会社・アストラゼネカとオックスフォード大学が共同開発していると関係者が非公式に口にしたワクチンに期待を寄せているようだ。
「やっぱりコロナは中国の細菌兵器だな」「中国で新型肺炎の患者が確認されたのは去年の12月8日でしょう。どう考えても早過ぎるわよね」「西側みたいな厳重な治験や診査がないにしてもこのタイミングでは前もって準備していたとしか思えないよ」新聞やテレビでは中国製のワクチンの安全性と信頼性を問題にしているが、その一方で「早期に接種すれば感染拡大に歯止めがかかる」と言う妙な期待もつけ加えている。オランダは春節休暇の中国人観光客はそれ程でもなかったが、やはり地続きなのでヨーロッパでも人から人の感染が確認された新型コロナ・ウィルス感染症の罹患者が急増し始めているのだ。さらにオランダの医療は医師の往診が基本なので都市部でも病院の収容可能な患者数は少なく、隔離を必要とする罹患者が急増すれば医療態勢が崩壊する恐れがある。何よりも予防方法が判らない未知の感染症を診察・治療・看護する医療関係者の心身両面の負担は戦場に赴く戦闘員と変わらないはずだ。
「細菌兵器はウィルスを抽出して培養し、毒性を強化するのと同時進行で予防手段と予防薬を開発しなければいけない。中国がこの段階で予防ワクチンを完成させているとすれば疑惑は濃厚だな」「元々ネット上では武漢にある細菌兵器研究所から漏れたって噂が流れていたんだから、これでネット上では原因が確定したわね」「WHOは絶対に認めないがな」インターネットでこの問題を論じ合っている投稿者の中には陸上自衛隊で言えば大宮の化学学校の教官並みの専門知識の持ち主が多く、単なるヨーロッパの軍隊経験者とは思えない。中でも細菌兵器研究所から漏れたウィルスが海鮮市場で蔓延した原因についての推理は「実験動物の死骸を食べてウィルスを体内に取り込んだネズミが運んだ」「感染して無自覚に発症していた人間が海鮮市場で買い物した」などと非常に説得力があった。
「中国はマスクを無料で提供するとも言ってるけど衛生管理は大丈夫かね」「母が送ってくれたウチのマスクも製造場所は中国だったから中国製よ」「ゲッ、危ない・・・」梢の意外な説明に私は絶句してしまった。義母が大箱で送ってくれた紙マスクは外出する機会が激減して在庫は十分あると安心していたが信頼性に問題があるらしい。最近、ヨーロッパでも感染予防のため外出時にはマスクをはめ、ウガイ、手洗いを励行するように呼びかけ始めているが、マスクの在庫と生産数は確保できているのだろうか。
「佳織の話だと日本では中国人がマスクやウガイ液、殺菌洗剤、ウェット・ティッシュなんかの衛生商品を大手薬局チェーンだけじゃなくて量販店からスーパー・マーケット、コンビニに個人経営の薬局まで根こそぎ買ってしまって紙マスクを洗って使ってるんですって」「細菌兵器を蔓延させるために日本人の予防を阻止するのか」「関西空港の国際郵便の集積場は受け入れ不能になってるそうだから中国に送るつもりなのよ」私の推理は軍事目的に偏り過ぎていた。むしろ買い占めて価格を吊り上げてから売る悪徳商売の方が現実味があった。
「沖縄は中国の観光客が多いだろう。首里は大丈夫か」「最近、両親はあまり出歩かないし、母は武漢のニュースを見て春節が危ないってウチのマスクを頼んでる薬局で買ったから準備完了みたい」同じ年齢の梢の両親もウチの両親と同年代なので足腰が弱らないように散歩するくらいになっているのは昨年の夏季休暇で確認した。
「八重山はどうだ」「淳之介の連絡船に乗る海外の観光客は最初に寄る竹島で下りるらしいわ。それでも淳之介は切符の回収をしなければならないからマスクとゴム手袋をはめてるそうよ」「流石にあの社長は手回しが良いな」日本とヨーロッパのどちらが危ないのかも予測できない細菌兵器の流出・拡散を殺人・傷害罪として刑事告発するには規模が大きくなり過ぎた。
  1. 2021/11/30(火) 15:34:25|
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11月30日・ララ物資の第1便が横浜港に到着した。

昭和21(1946)年の明日11月30日に敗戦後の日本人を救援するためにアジア各国から送られたララ物資の第1便が横浜港に到着しました。「ララ」は英語では「LARA」と書く「Licensed・Agency・for・Relief・in・Asia=アジア公認救援団体」の略称です。
戦勝国・アメリカは自国がほぼ無傷でありながら第1次世界大戦以前の正規軍同士による戦闘と軍事施設と軍需工場だけを攻撃目標にしていた戦争を文民も巻き込み、都市や工業地帯に無差別に攻撃を加える全面戦争に変質させたことを認識し、「海外事業篤志団アメリカ協議会」を中心に多大な損害を受けた敗戦国の救済を開始しましたがそれはヨーロッパに限定され、日本は放置=無視されていました。
一方、敗戦後の日本では働き手の大半が徴兵されて農業や漁業、畜産業の食糧生産量は最低水準で、そこに翌年から戦地で生き残って抑留されていた兵士たちの帰国が始まったため秋の収穫までは乏しい食料で喰いつなぐしかなく飢饉状態に陥っていました。
そんな悲惨な状況をサンフランシスコ在住の日系人ジャーナリストの浅野七之助さんが知り、在アメリカ日系人や数少ない日本に好感を抱くアメリカ人(主に日本での宣教経験を持つキリスト教聖職者)に呼びかけて「日本難民救済会」を設立し、母国へ援助物資を送る事業を開始すると強制収容所から解放されて仕事を再開したばかりの日系人たちが多くの物資を持ち寄り(全支援物資の20パーセントは在アメリカ日系人の供出だった)、アメリカ政府も昭和天皇との会見で「自分はどうなっても構わないから国民を助けて欲しい」と切願されたことに感銘を受けたマックアーサー元帥の粘り強い働きかけもあってアメリカ政府公認組織「ララ」に改編されて日本への救援物資の輸送が始まったのです。
第1便のハワード・スタンペリー号はこの日に横浜港に到着しましたが、その後も昭和27(1952)年まで継続され、重量にして約15000トン、金額にすれば当時の400億円(推定)に上る莫大な物資でした。内容としては重量割で食料が75.3パーセント、衣料品が19.7パーセント、医薬品が0.5パーセント、その他が4.4パーセントでしたが中には生きた乳牛や山羊20頭なども含まれていました。実は日本では出征した将兵の復員が本格化すると農業生産量が急増して飢餓状態を脱したため缶詰や乾燥・粉末食品が中心のララ物資は持て余されるようになり、多くはまだ食糧事情が厳しかった東京・大阪・京都・名古屋・横浜・神戸の300カ所の戦災孤児の収容施設などの給食に回されたようです。中でも学校給食や病院食に配分されていた脱脂粉乳は不人気で生きた乳牛や山羊は「新鮮な乳を飲ませたい」と言う厚意だったのかも知れません。
また救援物資はアメリカだけでなく日本の占領地だった東南アジア各国(フィリピン・ミャンマー・シンガポールを除く)からも届きました。敗戦後の日本人は平成の天皇を含め東南アジア占領を戦争犯罪だと思っていますが、実際はヨーロッパの植民地から解放し、独立に向けて国民の教育や行政組織と法律の整備、道路や治水工事、産業の育成を進めていたので実際に独立を果たすと恩を忘れず、救援の手を差し伸べてくれたのでしょう。
  1. 2021/11/29(月) 16:13:26|
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振り向けばイエスタディ2476

結局、森田敬作定年2佐は愛媛県で兄の蜜柑農園を手伝う傍ら地元の農協に勤めることになった。過疎高齢化が進む田舎では農業と農協勤めを兼務できる人材がおらず、航空自衛隊で管理隊長を経験している森田定年2佐に白羽の矢がヤマアラシの針のように立ったのだ。
「北海道も中国人のスキー客が多いから心配だな」森田定年2佐は年明けまで桜を見る会一色だった紙面が新型コロナ・ウィルス感染症に塗り替わった新聞を読みながら息子家族が住む北海道に気を配った。農協は秋から正月までの出荷のピークが収まり、出勤時間が定時の9時に戻ったため朝食後も新聞を読みながら国営放送の連続テレビ小説を見る余裕がある。今年の連続テレビ小説は東京オリンピックが開催されるため昨年の大河ドラマ「いだてん」に続いて3月から昭和の大作曲家の古関裕而が主人公の「エール」が始まるらしい。森田定年2佐も愛唱している自衛隊歌「このくには」「君のその手で」や戦史アニメ「決断」の主題歌などが古関作品なので今から楽しみにしている。しかし、3月からは農家の仕事も始動するので職場で見ることになるはずだ。そう言えば謙作が北海道に赴任する時に教えた「イヨマンテの夜」も古関作品だ。
「四国はそうでもないけど大分県は例年以上に中国人の団体が押しかけたから危ないらしいわ。フェリーの港でも空港みたいな検査をするべきよ」ところが妻の秀子は嫁が含まれる息子家族よりも自分が暮らしている愛媛県の心配をした。愛媛県では豊後水道を越えて大分県のローカル番組が受信できるので別府温泉の従業員たちの世界保健機関=WHOが中国人の春節休暇が終わってから新型コロナ・ウィルス感染症の危険性を公式発表したことへの怒りと今頃になって日本でも報道し始めた武漢の現状を見た不安の声を切実に感じていた。確かに愛媛県と大分県は佐多岬の先端の三崎から対岸の佐賀関を結ぶ国道九四フェリーや宇和島の八幡浜と別府や臼杵の宇和島フェリーが運航していて人の交流は盛んだ。
「検疫と言ってもダイアモンド・プリンスのニュースを見ただろう。新型コロナは潜伏期間が長いから2週間は船内泊で経過観察しなければならないんだよ」「あれは酷いわね。新型コロナが蔓延しているクルーズ船の中で自分にうつるのを待たされてるだもん。加倍首相は傷害罪で告発されるべきよ。死者が出れば殺人犯だわ」森田定年2佐が退官して愛媛県の出身地に帰ってからの秀子は学校を卒業した後も地元に残って結婚した旧友たちとは話が合わず、運転免許以外に資格を持たない50歳過ぎの女性の就職先は見つからず、実家の蜜柑の収穫を手伝う以外は加倍政権の粗探しに励む民放の報道番組を見て過ごしてきた。そのため愛媛県も現場になった加倍首相の支持者の学校経営者への便宜供与から桜を見る会の歪曲報道を完全に信じてしまい、今では近所の共産党員が配る機関紙や反自衛隊のパンフレットを熟読して共鳴している。
「武漢市からチャーター機で帰国させた人たちだってホテルに閉じ込められて部屋から出ることも禁止されたんだから刑務所に入れられた犯罪者と一緒よ」「だからWHOは極めて感染力が強いから危険だ。感染から発症までの潜伏期間が長いから2週間程度の隔離と経過観察が必要だって発表して、政府も中国からの入国者と濃厚接触者は自覚症状の有無に関係なく一律に2週間の隔離を要請すると説明していたじゃないか」森田定年2佐も現役時代から熱心な自民党支持者ではなかったが野党、特に悪夢の政権交代で3人の首相を立てながら失政を繰り返し、東北地区太平洋沖地震では無能ぶりを晒け出したことを反省しない立権民衆党と見比べれば加安倍政権以外の選択肢はないと言わざるを得ない。
「加倍政権は何か重大なことを隠しているのよ。管官房長官の奥歯に何かが挟まったような説明を見ても絶対に怪しいわ」「奥歯に何かじゃあなくて人類が初めて経験する感染症だから誰も正解は判らないんだ。だから言葉を選びながら話すしかないだろう」「絶対にトランプと結託して中国を叩くつもりなのよ」森田定年2佐が職場で見るのは国営放送のニュースだが、以前に比べて政権与党に批判的な論調が強くなったように感じることも多いが、それでも勝手な推察で根拠がない情報を流すことはあまりない。秀子は森田定年2佐が曹侯学生課程だった2年間は地元のキリスト教系の短大に通学していたが、お嬢さま学校と言う評判の一方でキリスト教でも原理主義で改革志向が強い会衆派なので就職しても労働組合員の活動家になる者が多く、潜在的に反自民党の左翼思想に染まっていたのかも知れない。
「何にしても小学1年生の日和は2月で7歳、周作は6月で3歳になるんだ。せめて風邪を引かないように蜜柑の追加を送ってやろう」「あの年増の嫁じゃあ3人目は期待できないから酸っぱい物はいらないね」出勤時間になって立ち上がった森田定年2佐が北海道では高価で入手が難しい蜜柑を送ることを説明すると秀子は嫌味を返してきた。管理隊長の妻だった頃には「ドライバーが冷静に運転できるように気分良く送り出せ」と言う輸送幹部の指導を守って笑顔で見送っていたが、本人の希望通りに故郷に帰ってからは気配りさえもしなくなった。
  1. 2021/11/29(月) 16:11:42|
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11月29日・日本の教育者を亡国化した元凶・家永三郎の命日

2002年の明日11月26日は戦後の学校教育を亡国思想の洗脳手段に堕落させた元凶の1人・家永三郎先生(蔑称としての先生)の命日です。
家永先生は愛知県出身と言うこともあり、中学校の教員だった伯父を含め愛知県教組(数少ない共産党系)に加盟している教員の中には信奉者が多いのですが、伯父に強要されて読んだ著書には日本はこの世に存在してはならない凶悪な国家であり、アジア支配に利用しているアメリカも同罪としながら逆にソ連や共産党中国、北朝鮮を人民の楽園として絶賛していて、このような本を自衛官になっている甥に送ってよこした伯父が教員として愛知県から給料をもらっていることが許し難くなりました。
そんな家永先生は意外にも陸軍少将(予備役編入時の昇任)の息子として大正2(1913)年に名古屋で生まれました。ちなみに父親の家永直太郎少将は佐賀県出身で、陸軍士官学校は野僧の曽祖父の青山寛少将の2期先輩の6期です。
幼い頃は父親の転勤で大阪や熊本県八代に転居しましたが、大正8(1919)年に予備役に編入されてからは東京に定住して旧制・東京高等学校から東京帝国大学文学部史学科に進学して卒業後はそのまま史学科編纂所の嘱託職員になって史料の公正のかたわら上代思想史と芸術史の論文を作成しました。家永先生の専門はさらに意外なことに日本の古代精神史で、敗戦後に皇室に対する進講も務めています。
嘱託勤務は4年で退官して昭和16(1941)年に旧制・新潟高等学校の講師・教授になりますが、2年後に帝国学士院の嘱託になり、昭和19(1944)年から東京師範学校の教授になったことが人生を大きく変えました。
敗戦後の学制変更で東京師範学校が東京教育大学になると文学部史学科教授になりましたが日本の歴史学界に蔓延したマルクス史観(物的証拠に基づかない歴史は認めない)には同調せず、古典的な歴史観の継続に努めていたものの朝鮮戦争の勃発を受けて日本国内でも左右の対立が激化すると戦前の自己の仕事が軍国主義に加担した悪事と考えるようになり、極端な反権力の民主主義と反戦を主張し始めたのです。それからは思考が頭の中で煮詰まる佐賀県人気質なのか時間の経過と共に過激化してやがては祖国愛を否定し、同盟国アメリカを敵視しながらソ連や共産党中国による侵略を待望する亡国論者にまで堕ちた頃に徳川幕府の昌平坂学問所の跡地で手狭だった東京教育大学を埼玉県の筑波に移転する計画が持ち上がると学術資料の収集・閲覧と人的交流が困難になると文学部単独で反対し、学生運動の指導者になりました。さらに生徒を反日反米親ソ親中に洗脳するための日本史の教科書を作成し、文部省の検定で不合格になると検定そのものを憲法違反=表現の自由の否定とする裁判を起こして、逆に教科書検定を国家権力による思想統制と批判するマスコミや言論人と同調して反政府運動を扇動しました。
そんな家永先生は昭和52(1977)年まで東京教育大学教授を務め、偏向した政治思想を持った教員=日教組組合員を大量生産し、退官後は私学法学部の頂点・中央大学法学部の教授として昭和59(1984)年まで極左の人権派弁護士を増殖しました。
  1. 2021/11/28(日) 14:43:47|
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振り向けばイエスタディ2475

嫌な幕開けになった2020年も1カ月が過ぎてモリヤ将補の幹部候補生学校でも連日のように新型コロナ・ウィルス感染症への対策会議が繰り返されていた。幸いなことに中国人にも人気がある観光地の熊本は大震災の影響で客足が遠のいたため久留米を通過することはなかった。その一方で福岡空港から観光バスで別府温泉に向かった団体ツアーはかなり多かったらしい。つまり福岡県の伝染の危険性は急速に高まったことになる。
「福岡市方面への外出は控えさせるべきでしょう」「そうですね。部内の連中は博多の夜を満喫するつもりで入校している奴が多いからウィルスを持ち帰ると一大事だ」会議の冒頭は総務部長と学生隊長の掛け合いになった。防衛大学校出身の2人から見ると夜の遊びにも熟練している部内出身者たちは取扱注意の危険物のようだ。
「マスクの調達は困難を極めています」「やはり中国人の買い占めか」「久留米市内ではマスクだけじゃあなくてウガイ液や殺菌洗剤、ウェット・ティッシュまで売り切れだよ」今度は総務部長が主婦の苦情のような弱音を吐いた。総務部長はモリヤ将補から現在入校中の部内課程と3尉候補者課程の全員分のマスクの調達を指示されたのだが、衛生課を通じて医療保健用商品を取り扱っている業者に発注すると久留米市・福岡県・九州だけでなく全国規模で中国人による買い占めが発生していて在庫は払底しているとのことだった。またマスクのような安価な製品は中国の工場で生産しているため輸入が滞っている現状では商品が届く見込みも立たないらしい。
「アイツらは箱単位で買っていくから大手薬局でも売り切れになるわな」「それどころか普通のスーパーやコンビニにも在庫はないぞ」出席者たちは単身赴任が多いので発言に生活臭が漂ってきた。実はモリヤ将補も久留米市内でウガイ液を探し回ったのだが見つからず、水道水に含まれている消毒に期待して生水で念入りにウガイしている。
「とりあえず候補生たちにはウガイと手洗いを徹底して、風邪の兆候を感じた者は早期受診するように指導しましょう」「しかし、新型コロナの検査キッドが届かないと風邪や通常のインフルエンザとの識別ができないと医官が言っています」「医官も呼ぶべきでしたね」学生隊長の意見に衛生課を指揮下に置く総務部長が応えると副校長が受け、モリヤ将補もうなずいた。
「こいつらは何を考えてるんですかね」「連れて帰らなけりゃあ良かったんだ」「事前に国の命令に従うと誓約させなかったんですかね」そんな会議が終了した後の雑談は1月29日に政府が全日本空輸のチャーター機で都市封鎖になった武漢市の在留邦人を帰国させた話題から炎上した。政府は当然、帰国した206名に検疫を実施したのだが4名が発熱、1名が空港到着後に吐き気の症状があり、医療施設に搬送されたのは順当だとしても、残りの201名に国立国際医療研究センターでの問診と検査を要請したところ2名が拒否したと言うのだ。
「日本国憲法には非常事態を想定した条文はありませんからあくまでも要請で、当事者には拒否する権利が認められてしまうんです」「かと言ってそれを理由に放置すれば人命軽視、人権侵害と批判される」教育部長と総務部長の解説は憤りを失望に変えた。
「近いうちに政府は今度のコロナを新型インフルエンザ等特別措置法の指定感染症にするようだが、あの法律に罰則規定はないのかね」「何せ民政党政権が・・・空挺団の曹長の息子が作った法律ですから役に立つはずがないですよ」副校長の質問には学生隊長が応えたが、それは失望を増幅させただけだった。確かにマスコミは感染症法と言う略称で呼んでいる厚生労働省が策定した法律では組織が対策本部と本部幹事会の2重構造になっている上、構成も関係者全員集合状態で各大臣や専門家が自分の立場から意見を述べるとそれを集約するのは容易ではない。
「今回のチャーター機はANAなのよね。どうせJALは乗員労組が拒否したんでしょう。自衛隊機は中国が拒否したんだろうけど湾岸戦争の時を思い出すわ」出席者たちが沈鬱な表情で黙ってしまうとモリヤ将補が話題を変えた。湾岸戦争では首都・テヘランに対する多国籍軍の空爆やミサイル攻撃が始まるとサダム・フセイン政権は「在留外国人を重要施設の人の盾にする」と宣言したが国際連合が出国を認めさせた。この時、日本政府は日本航空に救出に向かうチャーター機を要請したが、管理職である機長の労働組合まで存在する搭乗員組合が強硬に拒否した。すると全日本空輸の自衛隊OBのパイロットたちが志願したものの当時の運輸省の官僚が半ば国営である日本航空の面子を潰すことを嫌い、アメリカのエバーグリーン航空機をチャーターする醜態を晒した。モリヤ将補はこの秘話をカンボジアPKOで小牧基地からの輸送機に乗る時にモリヤ2尉の航空自衛隊時代の教え子から聞いた。
「次に邦人救出があるとすればアフガニスタンだわ。今度は航空自衛隊のCー2の出番ね」出席者たちはモリヤ将補の知識が国際情勢だけではなく同業他社の航空自衛隊にまで及んでいることを知り、あらためて感心しながら冷めたコーヒーをすすり始めた。
ん4・森野佳織イメージ画像
  1. 2021/11/28(日) 14:40:50|
  2. 夜の連続小説8
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ネコ・ネコ・ネコ=ワレ捕獲ニ成功セリ

11月9日に亡き妻の魂を宿していた黒猫の音子(ねこ)が交通事故死して1年=1周忌になりました。野僧は死因だけでなく死に顔も亡き妻そっくりだったこともあり、愛する者を2度亡くした心持ちになり、せめて黒いカラスを餌付けして哀しみを紛らわしていたのですが、ある朝、カラスの餌場の近くの花畑に小庵で生まれた若緒から考えて生後1カ月未満の全身真っ黒な子猫がいたのです。すると寿来(じゅらい)が走り寄って身体を舐め、一緒に100メートル弱離れた隣りのお屋敷へ向かって歩いていきました。
野僧にはキジトラの寿来と黒猫が寄り添っている姿が若緒と音子母子に見えて、ウチで飼うべく「黒猫復活作戦=タンゴ21」計画を立案しました。実はこの1年間、野僧が愛する音子を亡くしたことを知った猫好きの人たちから「ウチで生まれた子猫をあげる」と声をかけられていたのですが、「黒猫ならもらう」と答えると「最近、黒猫は全く見ないよ。絶滅したんじゃないの」と口を揃えていたので諦めていたのです。
また寿来も母親代わりに育ててくれた音子を失ってから元気がなかったのですが、最近は食事以外は帰らず、夕食後にも外出して夜中まで戻らなくなっていたのはこの子猫の面倒を見ていたのだと理解して「タンゴ21」を発動しました。そこで先ず黒猫の居場所を探索するとお屋敷の倉庫に住みついていていることが判明しました。
そうなれば奥さんに「捕まえてくれ」と頼んだのですが、「餌づけするから自分で捕まえなさい」と言われ、子猫の通路に野良猫捕獲用のワナを仕掛けたのです。そして11月3日に捕まったのですが、家に連れてきてゲージに入れていると丸一日身動き1つせず、餌を与えても口をつけないので、方丈=居間で動けるように扉を開けてトイレに行くと3センチほどの障子の隙間から脱走してしまいました。
すると奥さんから「帰って来たよ。でも大きな野良猫が現れて苛められているから逃げてしまうかも知れない」と連絡があったため11月5日に再びワナを仕掛けたところ翌日に今度は若緒と音子を殺した憎むべき野良猫が捕まり、こちらは適切に処理しました。そして三度目の正直でワナを仕掛けると11月7日に再び黒猫が入っていたのです。「ネコ・ネコ・ネコ=ワレ捕獲ニ成功セリ」でした。
これで一応は小庵の飼い猫になったので「伽来(きゃらい=本当は『佛性』を体現していた音子にちなんで悟りの境地から俗世を顧みる『却来』だったのですが、『却下』のようなので香木の『伽羅』を当てました)」と命名しましたが、今度は餌を入れた野僧の手に猫パンチしてくる興奮状態でした。
結局、ゲージから出して奥の納戸に閉じ込めて放し飼いにしましたが、逆に伽来は安全地帯だと思ったようで、障子を開けておいても食事と用便以外は物陰に隠れて出てきませんでした。それでも寿来の気配がすると甘えた声で呼ぶので外への出入り口だけを閉めて自由に動き回れるようにすると追いかけっこを始めたのですが寿来の方が息切れして逃げてくるようになっています。したがって小庵に来て3週間が過ぎてもまだ触れさせてもらえていません。余程、野良猫に苛められたようで若緒の二の舞になるところでした。
い・伽来・21・11・3大きな目がチャームポイントの伽来
  1. 2021/11/27(土) 15:29:56|
  2. 猫記事
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振り向けばイエスタディ2474

「住んでるのがオランダで良かったァ」太陰暦では今年は1月24日の金曜日が大晦日で中国の春節休暇が始まるらしい。朝食を食べながら見ているニュースでは「パリのシャルル・ド・ゴール国際空港には早朝から昨年以上の中国人の観光客が続々と到着し始めた」と中継画像を流していて梢は皮肉混じりに呟いた。確かに中国人好みの観光地がないオランダにはあまり姿を表さないが、フランスやイタリア、スペインなどでは「中国人に街を乗っ取られたようになる」と聞いている。しかし、新型コロナ・ウィルスの流行が報道されている中で「昨年以上の観光客」とは信じ難い。それでもパリと北京の時差は7時間、直行の航空便の所要時間は11時間少々なのでこれは23日の夜に出発した第1波のようだ。
「WHOは1月になって情報を小出しにしている割に公式発表を先延ばししてるだろう。それも中国の春節の休暇が終わるのを待ってるんじゃあないのか」「WHOの公式発表があると中国人の入国拒否や検疫を強化する国が出るからそれを避けたのね。でも未知の疫病の流行を防ぐことよりも中国の都合を優先するなんて・・・それが現実だから恐ろしいわ」日本国憲法では非常事態に政府が国民の権利を制限する権限を規定していないが、大半の国家の憲法では戦争を前提とする非常事態の強権発動を明記しているので、WHOが新型コロナ・ウィルス感染症を「危機的レベルである」と公式発表すればそれを根拠に国内に外出制限や強制検査などの緊急事態対処を敷き、手始めに中国人の入国を拒否することは当然予想される。一方、日本では東日本太平洋沖地震で「要請まで」しかできない無力感を散々味わったはずの民政党も憲法改定には手を着けず、むしろ缶内閣の杖野官房長官が代表になった立権民衆党は「護憲」を党是としているそうなので加倍首相も国民に「お願い」の平身低頭を繰り返すのだろう。
「最近のニュースはイギリスのEU離脱の話題ばかりだったが、少しは中国の細菌兵器・・・新型コロナ・ウィルスの問題を直視するべきだな」「昨日のお巡りさんも判ってなかったもんね」私は在オランダ大使館の木村防衛駐在官から「自衛隊は今回の新型コロナ・ウィルス感染症が武漢の研究所から漏れた細菌兵器であるとの情報を数年前に掴んでいた」と言う話を聞いているが、昨夜の散歩で会った警察官は「遠く離れた東アジアで新型のインフルエンザが流行している」程度の認識で、私たちがはめているマスクを「風邪の予防のためですか」とからかってきた。
「フランスは台湾空軍にミラージュ2000を輸入した割に中国に肩入れしてるから細菌兵器で大変な目に遭って実態を学ぶべきだよ」「結局、フランスにとって東アジアは他人事なのね」中国人とは逆にグルメやファッション、ブランド物に興味がない梢は独善的なフランスにはあまり好い印象を持っていない。実際、EU内でも自国の利益を優先して協調を掻き乱すようなフランスの態度をオランダのマスコミも嫌悪していてアカラサマに批判はしなくても痛烈な皮肉や嫌味な嘲笑で揚げ足を取っている。尤もオランダは内心ではナポレオンに侵略された屈辱の歴史を第2次世界大戦のヒトラー以上に恨んでいるのは間違いない。
「あとはドイツだね。メルケル首相は東ドイツ出身だからマルクス主義に共感を抱いてるみたいだ。おまけに日本をナチスと同様の戦争犯罪国だと思い込んでるから連合国の中国には反射的に服従してしまう。本当の連合国は台湾なんだけどな」「その話はクライスト中佐夫婦にもしたわね」私は国際刑事裁判所検察官と言う公正中立でなければならない職務にあるので国際情勢についての発言には気をつけているが、歴史的経緯や国際法慣習でも第2次世界大戦における連合国は国民党政府の中華民国であって共産党が支配する中華人民共和国ではない。国際法慣習では国民党政府が滅亡して共産党が取って替わったのであれば連合国としての地位は継承されるが、まだ台湾に事実上の独立国として存在している以上、共産党の中国に資格はない。ところが周恩来の巧妙極まりない外交戦略と核兵器開発の成功で台湾を書類上は抹殺して安全保障理事会の常任理事国の席まで掠め取った。この事実はむしろ機会を見つけて積極的に話している。
「それにしても中国は何を狙って細菌兵器を世界に蔓延させようとしてるのかな。今や経済力は日本を抜いてアメリカに迫ろうとしているし、軍事力も同様だ。このままでも世界の盟主になれるんだからあえて事を荒立てる必要はないだろう」「下手すれば世界中から損害賠償を請求されて経済がニ度と立ち直れなるかも知れないわね」梢の見解は私も密かに期待している。1970年代の日中友好ブームに踊って中国に近代工業を植えつけたのは日本の経団連であり、その結果、ソ連に代わる世界の脅威になっている以上、日本には中国を叩き潰す責任があるはずだ。
「それは国際司法裁判所の所轄だな。発症した患者に対する傷害罪で告発すれば刑事事件にできないことはないが、何億人単位の告発状を受理すれば書類の置き場所がないよ。インターネットの書き込みにしてもコンピュータがパンクしてしまう」ここまでで出勤準備になったが、他人事と思い込んでいるヨーロッパ人の危機感の乏しさが妙に不安になってきた。
  1. 2021/11/27(土) 15:23:37|
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全斗煥韓国大統領の逝去を悼むべきか。

韓国陸軍士官学校の同期でエリート集団・ハナフェの同志でもある盧泰愚大統領が10月26日に死亡してから1カ月に3日欠ける11月23日に歴代大統領の中では最大の悪役にされている全斗煥大統領が亡くなったそうです。90歳でした。
全大統領は日本が統治していた1931年に朝鮮半島南西部の陜川郡の没落した日本で言えば江戸時代の代官のような支配者士族の6男4女(長兄は1915年生まれ、末弟は1942年生まれで年の差27歳)の4男として生まれました。父親は漢方医療を家業としていましたが生活は苦しく、5歳で盧大統領の出身地の大邸に移り、尋常小学校に入学しましたが休学して納豆売りなどで家計を助け、復学して小学校と1950年に工業学校を卒業すると学費が不要の陸軍英語学校=後の士官学校に11期生として入営したのです。なお、この年の6月25日から朝鮮戦争が始まりました。
士官学校を卒業した頃には朝鮮戦争は膠着状態で任官後は極度の緊張の中で部隊経験を積み、1960年6月からは大尉としてアメリカ陸軍の特殊戦教育隊のレンジャー課程と空挺課程に留学して帰国後は韓国陸軍の空挺部隊の創設に参画します。また留学前の4月に李承晩大統領が北朝鮮への併合派の暴動で失脚し、朴正煕少将が5月16日にこれを押さえるクーデターを起こすとハナフェを結成して全面支援しています。
1979年10月26日に朴大統領が暗殺されると暫定大統領は戒厳令を発令したものの独裁者の死を好機として民主化を主張するマスコミに媚を売って治安上の統制を緩め、政治犯を大量に釈放しただけでなくハナフェの加入者を陸軍の中枢から排除する動きに出たため全少将は捜査担当者として先手を打ち、「戒厳司令官の陸軍参謀総長に関与の疑惑がある」として身柄の拘束を請求しても応じなかったことを大義名分として12月12日にハナフェ加入者が指揮下の部隊を使っていわゆる粛軍クーデターを起こして暫定政権を一掃して全少将が主導する陸軍が政治の実権を握りました。全少将の陸軍は戒厳令の拡大延長を宣言すると金大中後の大統領などの野党の政治家を逮捕し、朝鮮半島南部の光州でこれに抗議する大規模なデモが発生すると自分が創設した陸軍の空挺部隊を派遣して奪った武器で武装したデモ隊との銃撃戦で多数の市民を殺害して鎮圧しました。さらに日本の戦時中に東條英機首相が反対派を年齢や身体状態に関係なく徴兵して新兵苛めで迫害したのを模倣したように学生運動の活動家や労働争議の指導者などを徴兵して陸軍内に設けた「三清教育隊」で思想矯正と称する過酷な訓練と強制労働を課しましたが、批判者の説明ではこの中には光州で拘束された無宿人や浮浪者、14歳の少女を含むデモ参加者の妻子が含まれていて全大統領の悪役を確定しました。
大統領就任後はこの悪役の低支持率に悩み続け、人気を挽回しようと朴政権が日本の巨額の財政支援で経済・産業の近代化に成功したように景気回復に全力を注ぎ、訪日した時に中曽根首相に仲介を依頼してソウル・オリンピックへの参加を契機とする中国との国交樹立を実現しましたが効果は薄く、やがて朝日新聞が捏造した戦時売春婦問題を利用して反日で国民の支持を得る政治手法の発端を作りました。それでも陸軍少将ですから弔銃3発。
  1. 2021/11/26(金) 15:49:42|
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振り向けばイエスタディ2473

「今年の海外渡航者数は700万人・・・中国は国民の海外渡航を全く制限していないのか」「そのようです。昨年の630万人に比べると逆に勧めているようです。やはり国民の不満を解消するために好景気を満喫させたいのでしょう」「今度は所得倍増計画の請け売りだな」1月25日の春節を前に行われた中国政府の公式記者会見で今年の春節休暇中に海外渡航を申請している人数が発表された。加倍首相としては中国共産党指導部も統治者の責任において武漢市以外にも拡散し始めている新型コロナ・ウィルスを流出させないために海外渡航を制限するはずだと信じていたが完全に裏切られた。むしろ祖父の浜信介首相が学生たちの暴動の中、日米安保条約の改定を成立させて退陣した後を受けた沼田隼人首相が、個人所得の増額で豊かさを実感させることで共産主義革命の必要性を打ち消した所得倍増計画を模倣しているらしい。
「それで我が国にはどのくらい来るんだ」「法務省に確認させましたが約400万人とのことです」「過半数か・・・」管官房長官の答えに加倍首相は唇を「へ」の字にして沈痛な顔になった。加倍首相の口は逆に微笑みを浮かべている形なので力を入れたことが判る。
「具体的には最大の渡航先はタイのバンコクですが、次は大阪、東京の順です。この他にも福岡空港を利用して大分の別府温泉に行く団体ツアーもかなり多いようです」「大阪が人気なのは府と市が一体になって進めた施策の成果なんだろうけど、今回は危険性を高めることになるな」加倍首相の頭の中の地図に新型コロナ・ウィルス感染症の危険性が濃淡になって表示されてきた。大阪に来る中国人観光客たちは当然「失われた古都・長安の街並みの再現」と言われている京都や奈良にも足を伸ばし、「国内よりも美味い」と評判らしい神戸の中華街にも寄るはずだ。したがって初動対処の人員と器材、何よりも予算は関西を優先しなければならないのだが、マスコミの報道は東京一極集中であり、何よりも若い頃には美貌を武器に実力者を渡り歩いた東京都知事は元ニュース・キャスターだけにマスコミは全面支援していて、ヒステリックに不満を口にすれば政府に批判の集中砲火が浴びせられる。今年はオリンピックの開催中に都知事選挙が行われるが何としても落選させるか、逆に手懐ける必要がある。それでも愛妻家の加倍首相は今では厚化粧が醜悪な都知事の相手をする気は毛頭ない。
「後はヨーロッパに200万人、アメリカに100万人のようですが、例年の春節では在アメリカ華僑が大挙して帰郷するので感染して戻れば人数は倍増、感染源は2極化することになります」「つまりアメリカは中国からの渡航者が東海岸、華僑は西海岸にウィルスを持ち込んで東西で流行させることになるんだな。それはかなり厳しいぞ」加倍首相はトランプ大統領の顔を思い浮かべたがマスコミが報じるほど親密ではなく、向うが商売相手としか見ていないようにあくまでも仕事上の相互利用を強化しているだけなので同情はしなかった。実は外務省もトランプ大統領の再選は困難と分析・評価していて密かに加倍首相がオバマ政権との間で構築した公私の強固な信頼関係を維持しているのだが、前回の大統領選挙でヒラリー・クリントンが対立候補たちの致命的なスキャンダルを暴露する掟破りの選挙戦術を繰り返したため若手の立候補予定者が見つからないことが不安材料だ。今思っても前回の大統領選挙は史上最低だった。
「戸身会長(予定者)は中国からの入国を拒否することが最高の予防措置だと言っていましたが、日中友好条約には入国拒否に関する規定はありませんから無理です」「検疫検査については中国からの入国者と入国者に長時間・近距離で接触した人間に限定して2週間の隔離観察にしろと言ってたね」加倍首相と管官房長官も非公式な会合を繰り返して戸身会長予定者の見識が交代で呼んで意見を聴取している他の専門家に比べて抜きん出ていることを実感しているが、おそらくマスコミが初めて直面する未知なるウィルスへの対処の根拠にするWHOの指導や西ヨーロッパ各国が実施することが予想される対応とはかけ離れていて、誰も正解を知らない問題でかなりの批判を覚悟しなければならない。
「総理、予算委員会の時間です」「また桜を見る会かァ・・・そう言えば質問通告と回答は目を通しただけだったな」「仮眠も十分にできなかったでしょう。アクビしないように我慢して下さい」中国の海外渡航者数の発表を受けて始まった雑談は予算委員会の出席時間になって終了した。加倍政権は新型コロナ・ウィルス感染症の発生と同時に新型インフルエンザ等対策特別措置法の改定・追加法案を提出できるように準備を進めているが、その国会で立権民衆党を始めとする野党は年が変わって次の桜の季節が近づいても昨年4月の桜を見る会の問題を馬鹿の一つ覚えにしていて、連日の深夜に及ぶ会合で睡眠不足の閣僚たちにとっては拷問になっている。兎に角、うたた寝どころかアクビを噛み殺しただけでも画像を撮影されて面白おかしく揶揄してインターネットに踊るのだ。それにしても立権民衆党は日本のマスコミも報じ始めている中国での新型コロナ・ウィルス感染症の流行を「危機」として受け止める気はないのだろうか。
  1. 2021/11/26(金) 15:48:41|
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11月26日・スイスで軍隊廃止の国民投票が実施された。

1989年11月10日にベルリンの壁の一部が破壊されて2週間と2日の明日11月26日にスイスで軍隊の廃止を問う国民投票が実施されました。
とは言えベルリンの壁の本格的な撤去は1990年6月13日からで、この時点では東ドイツ政府の「海外旅行の申請資格の緩和」の発表を国境通過の自由化と拡大解釈して国境に殺到した市民が部分的な破壊を始めただけで国境警備隊が補修していました。
オーストリア帝国の植民地時代のスイスでは大半の国民は狩猟用の武器を持っていても組織としての軍隊は存在しませんでした。1315年にウィリアム・テルの伝説にあるような統治者への反抗よって独立戦争が起こり、国家としての軍事行動に目覚めたのです。
しかし、その後も日本で言えば県程度の広さの州単位で数百人の民兵を確保し(常備正規軍は否定した)、戦時に寄せ集めて連邦軍を臨時編成すると言う武装中立制で推移しましたが、1870年から71年の普仏戦争で多くの不備が露呈し、1914年から18年の第1次世界大戦でも長期戦に対応するための改善を実施して1939年に第2次世界大戦を迎えたのです。第2次世界大戦ではナチス・ドイツが同盟国であるイタリアとの交通路として自由通行を要求し、これを拒否すると軍事的圧力を加えましたが、意外にナチス・ドイツは国際法慣習を順守したのに対して実際にスイスの中立を脅かしたのは連合国側で、ドイツの都市空襲を本格化させると領空侵犯を繰り返し、スイス空軍機や陸軍の対空砲火が爆撃機を撃墜し、逆に護衛のアメリカ軍戦闘機と空中戦になって撃墜される準・戦闘事態が頻発してアメリカ軍は報復にスイスの都市の「誤爆」を繰り返しました。
このためスイス国民は永世中立を堅持するためには不断の努力が必要であることを熟知していてこの国民投票も日本にはびこる非武装中立論者とは違い国防費の削除が目的でした。確かにナチス・ドイツに代わる驚異だった東ドイツは後ろ盾のソ連までが1991年12月25日に崩壊する末期症状を呈していて1993年11月1日には欧州連合=EUが成立するなど周辺に中立を脅かす軍事的意図を持つ国家は存在しなくなっていました。実際、東西冷戦下ではNATO軍の矢面に立つ主力だったドイツ軍は東西ドイツ統合と同時に「今後の平和の維持は軍隊ではなく治安部隊が担う」と大幅な軍縮を断行し、残った軍隊は海外での平和維持活動の専門組織化しました。スイス軍でも空軍はソ連と東ヨーロッパの社会主義国家が崩壊した後は緊急発進=ホット・スクランブルを平日の午前8時から12時と午後1時30分から5時まで限定として課業外はイタリア空軍とフランス空軍に委託しました。2014年2月17日に発生したエチオピア航空機の副機長による亡命ハイジャック事件ではイタリア空軍の戦闘機がジュネーブ空港まで随伴しています。
そんな中で実施された国民投票は賛成35・6パーセントの大差で否決され、2013年9月22日に実施された徴兵制廃止の国民投票は賛成27パーセントと減少しているのでスイス国民は節税優先主義者(題目的平和主義者ではない)に与することはないようです。むしろ対テロ初動対処と国際平和維持活動への派遣のための常備正規軍の創設を主張する保守派が台頭してきていますから逆の国民投票が実施される可能性があります。
スイス軍スイス軍民兵の集合訓練
  1. 2021/11/25(木) 16:07:46|
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振り向けばイエスタディ2472

1月中旬になって世界保健機関=WHOが中国の武漢市で流行している新型の肺炎を自然発生の「新型コロナ・ウィルス感染症」と認定したことを公式発表すると日本では加倍内閣が非公式に発足させている新型コロナ・ウィルス対策本部準備室での議論も熱を帯びてきた。連日、野畑政権が2013年に発足させた新型インフルエンザ等対策閣僚会議の下に設置された新型インフルエンザ対策有識者会議を踏襲して新設を予定している新型コロナ・ウィルス感染症対策専門者会議の戸身会長予定者を招いて質疑応答を繰り広げているが、所詮政治家は素人であり、戸身会長予定者には大学教授時代の新入生相手の講義を思い出させるような解説に終始していた。
「官房長官は過剰反応しているんじゃあないですか。年末の中国の公式発表では感染者は27人、重傷者は6人、1月11日でも41人で1人が死亡、7人が重症、この程度であればインフルエンザと大差ないでしょう」閣僚の1人は正面中央の加倍首相の隣りの席の管官房長官の仏頂面に向かって皮肉を投げかけた。管官房長官は海外で情報活動を展開している非合法組織から武漢市にある表向きは中国科学院の病毒研究所が開発している細菌兵器に関する報告を受け取って以来、在中国の外務省の職員にも調査を命じているので実情もかなり正確に把握しているが、その情報は加倍首相にだけ報告しているので他の閣僚たちが門外漢なのは仕方ない。
「中国の発表を話半分とすれば新型コロナ・ウィルスの感染力はかなり強い。これまでの対策では伝染を阻止することは難しいでしょう。中国からの入国を完全に拒否することが最高の予防措置です」閣僚の皮肉を前を向いたまま聞いている管官房長官に加倍首相と対面の末席に座っている戸身会長予定者が助け船を出した。
「しかし、WHOの事務局長は中国の流行管理に対するアプローチを信頼していると明言したじゃあないですか」閣僚でも若手は加倍政権がWHO事務局長選挙で推薦した戸身会長予定者に敬意を払って言葉遣いを丁寧にした。そのような経歴に関係なく戸身会長予定者には他を圧する威厳があり、マスコミが嫌う「反論できない最高権威」のようだ。
「WHOの実態は中国の傀儡ですから無視することが肝要です」「しかし、マスコミはWHOを最高権威として報道するから無視することは逆効果だろう」やはり政治家たちが何よりも心配するのは批判報道による支持率の低下だ。
「中国からの入国拒否も正月と春の観光シーズンの間を埋める春節の団体旅行を期待している観光地の反発を招くのは間違いない。現実的ではないな」平成に入って以降、マスコミは影響を受けた人物の感情的な非難の声を大きく取り上げて被害者にすると、影響を与えた側を加害者として一方的に断罪する報道手法を常用している。例えば昭和までは小学校で児童に問診だけで一律に実施していた集団予防接種の副作用を社会問題化して、被害者と呼んだ母親が涙ながらに子供が味わっている苦痛を訴えるのを繰り返し放送し、副作用の発生率や子供の特異体質、圧倒的多数の児童の感染予防に果たした効果などを客観的に検証することはなかった。その母親が告発して巨額の損害賠償を奪い取ったことが日本の製薬会社を弱体化したのだからマスコミの罪は重い。今回の新型コロナ・ウィルスでも感染防止のために中国からの入国を拒否すれば、国民の安全を優先する政府の判断は否定できないので、期待していた収入を失う観光地の関係者を被害者にして感情的に批判するのが平成式報道だ。
「SADSの時のように空港での検疫を強化すればそれほど心配ないのではないですか」「しかし、中国の発表を見ても新型コロナ・ウィルスの潜伏期間は異常に長い。中国で感染しても航空機の数時間の移動では発症しない可能性が高いから発熱や咳、悪寒などの自覚症状がなければ現在の検疫手法では発見できないでしょう」今度は戸身会長予定者が「しかし」で反論した。
「何にしても検査体制の強化ですね。実態が把握できなければ対策の取りようがない」「それには反対です。おそらくWHOは中国式の検査方法を周知してヨーロッパ各国はその実施を競い合うでしょう。しかし、現段階では人から人への伝染の可能性は未確認。ウィルス進化の推察も未定、症状や経過は不明、感染拡大を予防する方法は不明、治療方法も不明、我々にできるのは発熱や呼吸困難などの症状を緩和する対処療法のみ。当然、入院期間が長くなり、病院の収容能力を超え、医師や看護師は過重労働になる。病院は新型コロナ・ウィルス以外の疾病にも対応しなければならないのです。不用意に検査を拡大すれば感染者が大量に発生して医療崩壊の原因になりかねません」「しかし、それではマスコミが・・・」やはり閣僚は批判報道を懼れて黙り込んだ。この会話を聞いていた加倍首相と管官房長官は内閣官房に配属されている厚生労働省の日頃は辛口の官僚が全幅の信頼を寄せ、率直に尊敬を表した戸身会長予定者の能力を今更のように実感した。それでも「WHO事務局長選挙の推薦も今年開催される東京オリンピックの誘致くらい力を入れるべきだった」と後悔して渋い顔を見合わせた。
  1. 2021/11/25(木) 16:05:48|
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11月25日・学園闘争世代の英雄・フィデル・カストロ第1書記の命日

2016年の明日11月25日は70年代学園闘争の活動家たちの英雄だったフィデル・アレハンドロ・「カストロ・ルス(スペイン語の正式名称は父の姓に母の姓を付す)」第1書記の命日です。なお2008年に弟のラウル・モデスト・カストロ・ルスさんが職務を引き継いだため個人名のフィデルで呼ぶことにします。
フィデルさんは1926年にキューバ島東部のビランでスペイン移民の富裕な農場経営者の息子として生まれました。ハバナのカソリック・イエズス会系の私立学校では野球に熱中し(18歳で最優秀高校スポーツ選手に選ばれ、野球がキューバの国技と呼ばれるようになった)、ハバナ大学法学部に進学すると革命反乱同盟の幹部としてコロンビアを訪問中に発生した暴動に参加して戦闘を経験しました。1950年に大学を卒業して弁護士になり、1952年の選挙に出馬して当選したもののその年の3月10日のフルエンシオ・ヴァティスタ将軍のクーデターによって失職したため憲法裁判所に提訴しましたが受け付けられず、フィデルさんは武装蜂起を決意して1953年7月26日に同志130名を率いてサンディアーゴ・デ・クーバにあるモンカダ駐屯地を襲撃して武器と弾薬を奪おうとしましたが80名の死者を出して鎮圧され、フィデル・カストロさんは裁判で懲役15年の判決を受けて服役しましたが1955年に恩赦によって釈放され、2カ月後にメキシコへ亡命したのです。この頃のフィデルさんは共産主義者ではなく晩年に「ヴァティスタ政権の打倒だけを目的にしていた」と告白しています。
そして1956年11月25日に定員12名のクルーザー=グランマ号に82名を乗せてメキシコのトゥスパンを出航し、荒天の中を12月2日にキューバ島南東部のマンサニヨに到着しますが、フィデルさんが再上陸を宣伝していたため政府軍に攻撃され、生き残った18名だけが山岳地帯に逃げ込んだのです。
それでもゲリラ戦を開始すると軍事政権の圧政に不満を持っていた若者たちが参加して兵力は800名を超え、1958年5月24日にヴァティスタ政権が17個大隊の鎮圧軍を派遣ましたが兵士の大半が戦闘を放棄したため逆に攻勢に転じて1959年1月1日にヴァティスタ大統領は国外に逃亡し、政権を奪取しました
フィデルさんは当初、アメリカとの友好強化を模索していましたがヴァティスタ政権と癒着してキューバのリゾート産業を牛耳っていたマフィアやサトウキビ農園を経営する資産家が敵視したため国交は断絶、入れ換わりに接近してきたソ連のフィリシチョフ政権と手を結ぶと急速に共産主義を志向するようになったのです。そして冷戦構造の中、ソ連がアメリカの喉元に突きつけた刃として存在感を発揮して「国民が不満を抱くと政権が維持できない」と脅しながら砂糖などの農産品を高値で輸入させて社会主義国家としては異例の経済発展を遂げました。しかし、ソ連の衰退と崩壊によって完全に依存していた経済体制も消滅し、オバマ政権と国交を回復せざるを得ない苦境の中で亡くなったのです。
ちなみに大の親日家で自宅には日本庭園があり、安倍晋三首相の私邸と同じ造園業者が手掛けています。
  1. 2021/11/24(水) 16:22:34|
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振り向けばイエスタディ2471

「やっと中国が公式発表したのか」今年も私には全く関係がない12月25日から年末年始休暇に入ったが、10月くらいから中国旅行から帰国した人たちがインターネットに書き込みを始めた中国の武漢市の新型肺炎が心配で、路面が凍結していない時間帯に自転車でスフラーフェン・ハーグ市内に外出はしても公共交通機関を利用した近傍の国への小旅行は控えている。中国では太陰暦1月1日の春節前後が正月休暇だが、学生や外国企業はカレンダー通りなので旅行費が割安になるこの時期に来ている可能性は否定できないのだ。そんな12月31日に武漢市の衛生健康委員会が開いた記者会見をオランダのテレビが報じた。それにしても日本で言えば政令都市の地方自治体に過ぎない武漢市の会見に欧米を含む海外のマスコミが多数参加しているのはこの問題が、すでに世界中に知れ渡り、注目を集めていることの証左だろう。
「ネットやテレビでは秋から武漢では新型肺炎が流行していて危険だから行ってはいけないって警告が載っているのに初めて患者が確認されたのは12月8日ですって」「何で成道会なんだ」先ず武漢市での発生状況を説明する担当者の中国語を同時通訳する英語を聞いた梢の呆れたようで少なからず憤りが籠った言葉に私は茶化して応えた。マトモに受けては大晦日の朝から2人で怒ってしまいそうなのだ。それにしても日本軍のマレー半島上陸作戦と真珠湾攻撃も釋尊が悟りに至った佛教三大法会の成道会だ。
「おまけに海鮮市場だけで集中的に発生していて患者数は27人で7人が重症で2人は間もなく退院する。武漢市としては明日に市場を閉鎖して感染の封じ込めに着手するんだって」「病気の感染拡大は1日の遅れが致命的になるぞ」やはり武漢市の中国的対応とそれを悪ぶれることなく説明する担当者の厚顔無恥に腹が立ってきた。
「原因は新型のコロナ・ウィルスの可能性が高いのではないですか」「申し訳ありませんが、我が国の人民が理解できる中国語の質問を優先します」記者会見が質疑応答に移っても担当者はひるむことなく平然と当局の見解を強弁している。この胆力は地方自治体の職員のレベルではない。おそらく北京から派遣された放送関係者ではないだろうか。
「それでは中国語で質問します。10月末に武漢市の公立病院の医師が過去に症例がないインフレンザが発生している。爆発的な感染拡大で市民に蔓延する可能性が高いと言う報告を学界のページに書き込みましたが・・・・」「貴方の中国語は聞きとれない」「その書き込みが削除されて医師は所在不明になっている。何を隠しているんだ」「それでは湖北日報の延が質問します」ヨーロッパ人の記者の質問を封殺すると担当者は中国人の記者を指名した。これがマスコミが操作する世論が政治を左右する西側では有り得ない荒業なのは間違いない。
「コロナ・ウィルスって知ってるか」「私もネットの読みかじりだけど風邪の病原体になっている4種類のウィルスのはずよ。それにSARSやMERSも加えられてこれでもう1つと言うことね」記者会見が大本営発表になったので私たちは梢が淹れてきたコーヒーを飲みながら雑談を始めた。梢が口にしたSARSが流行したのは私が南キボールPKOに参加し、殺人容疑で刑事告発された2002年で、東京拘置所内で有り余る時間を読書で過ごす中、自費購入していた週刊誌で不要な知識を溜めこんでいたが、「コロナ・ウィルス」と言う専門用語は記憶にない。
「SARDSの時には中国の細菌兵器研究所からウィルスが漏れたって噂があったが、今回もネット上では事実認定されてるよな」これも当然、週刊誌で仕入れた見解だが、当時の欧米でも同様の推察が流れていたようで、この話題がインターネット上に踊り始めた当初から書き込みが続出し、意外に高度な軍事知識を持つ人物が加わって完全に事実になっていた。
「貴方はプロとしてどう思ってるの」「ワシも果てしなく怪しいと思ってるよ。中国の核兵器とロケットの技術情報はマッカーシーの共産主義者狩りで追放された在アメリカ華僑の研究者が持ち帰ったが、生物化学兵器は731部隊が残した資料を掻き集めて再構築したんじゃあないかな」731部隊は第2次世界大戦中の満洲で防疫と治療に当たっていた医療衛生専門部隊で人気作家の森村誠一が新聞赤旗に連載した小説「悪魔の飽食」で生物化学兵器の開発を任務として人体実験を繰り返したと断定していた。731部隊はソ連軍の満州侵攻当日に施設と器材、標本を爆破・焼却して撤収しているが、部隊長の石井四郎軍医以下の証言と持ち帰った資料はアメリカ軍が押収しても破壊した施設はソ連軍と国民党軍が接収・調査した。おまけに下働きなどの中国人から聴取した目撃談は中国が独占したはずだ。
「それでもWHOは中国の発表をそのまま請け売りするのね」「WHOが信用できないのは人類の危機だな」WHO=世界保健機関は国際連合に属する専門機関だが、私が勤務している国際刑事裁判所は国際連合からは独立していて「国際連合と国際刑事裁判所の地位に関する協定」に基づいて存在・機能している。したがって批判することに遠慮は必要ない。
  1. 2021/11/24(水) 16:20:28|
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11月23日・エチオピア航空機ハイジャック着水事件

1996年の11月23日に乗客207人と乗員12名が搭乗したエチオピア航空のボーイング767が「爆発物を機内に持ち込んだ」と主張する3人の犯人によってハイジャックされました。
当時42歳の機長はエチオピア航空では最もベテランの熟練パイロットでハイジャックも2度経験していたため冷静に対応しましたが、犯人たちは副操縦士に暴力を加えてコクピットから追い出して主犯と機長の2人にしました。そして主犯はオーストラリアに向かうように指示したのですが、この機はエチオピアの首都・アディスアベバ発・ケニアのナイロビ経由・コートジボワールのアビジャン行きだったのでインド洋を横断するには燃料が全く足りず、機長はそのことを説明したのですが主犯は「767は国際線で使用されている」と納得しませんでした。そこで機長はナイロビ空港で給油することを提案し地上の管制官からも説明させましたがこれも拒否されたため、やむなく着陸できる空港を有するインド洋の島を探しながら飛行することにしました。
しかし、機長単独ではインド洋に点在する島の空港を照会しながら飛行することは不可能で、機長は主犯人の様子を観察して「爆発物を機内に持ち込んだ」と言う脅迫が虚偽であると判断したのです。そこで機長は乗客に犯人を取り押さえることを示唆する機内アナウンスを流し、これに呼応してケニア人のジャーナリストが他の男性客と共に客室にいた犯人を取り押さえて副操縦士がコクピットに戻り、機長も自動操縦に切り替えて主犯を取り押さえましたが、既に燃料は切れていて機はグライダー状態で降下していました。
この時、機長はアフリカ大陸とマダガスカル島の中間に位置するコモロ諸島を目指していましたが主犯と争っている間に手遅れになり、海面への着水を決意して可能な限り低速度(175ノット=時速324キロ以下)で降下しようとしたものの油圧系統が作動しない=フラップが下りない状態に陥り、左に10度傾いた状態でコモドの海水浴場の沖に着水したのです。そのため降下から着水、機体の損壊、沈没までの一部始終は海水客たちのビデオやカメラで撮影されて衝撃映像としてテレビや新聞で大きく取り上げられました。
着水後の機体は速度が十分に落とせなかった分、衝撃が大きく主翼の下にあるエンジンが水流を妨げ、左に傾いていたため捻じれる形で4つに分断されて機内に急激に海水が浸入しました。さらに乗客が指示を受けることなく救命胴衣を膨らませたことで脱出が遅れて犯人と取り押さえたケニア人のジャーナリストを含む163名が死亡しました。生存者は乗客44名と乗務員12名全員でした。
この事件の謎は通常のハイジャック事件では犯人が乗客を人質として犯行の目的を要求するのですが、この犯人は単に「オーストラリアへ行け」だけで全員が死亡したため動機は明らかになりません。主犯は機長との会話で「秘密警察に拘束されて拷問を受けた=亡命希望」と言っていたようですが確証はなく、その後のマスコミの取材で犯人たちを知る人々が「馬鹿な連中だったからオーストラリアへ行けば遊んで暮らせると思っていたんだろう」と口を揃えている通りなのかも知れません。
エチオピア航空961便着水するエチオピア航空961便
  1. 2021/11/23(火) 15:12:59|
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振り向けばイエスタディ2470

大村哲医師殺害のニュースはヨーロッパでもタリバーンの凶悪性を示す証拠として大きく取り上げられたが、私とモレソウダ首席検察官には別の問題を突き付けた。
「貴方の母国日本のイスラム社会に対する人道的奉仕者の死を心から悼みます」「日本人の死生観から言えば危険な土地に足を踏み入れた時に死は覚悟しているはずです。むしろ自らの危険を顧みずアフガニスタンの国民を救いたいと言う尊い志に殉じた生涯を賞賛したいと思います」事件が夕方のニュースで流れた翌朝に出勤すると私はモレソウダ首席検察官に呼ばれ、机越しに哀悼の意を表し合った。その時のモレソウダ首席検察官の顔はムスリマ(女性のイスラム教徒)として大村医師を殺害したイスラム過激派の罪を詫びるような憂いを帯びていた。
「トランプ政権はこれを最大限に利用してくるわね」いつも手順でソファーに座り、巨大なマグカップの濃いコーヒーを勧められると先に一口飲んだモレソウダ首席検察官が用件を切り出した。モレソウダ首席検察官は昨年、国際刑事裁判所の上層部に却下されたアフガニスタンにおけるアメリカ軍とNATO軍を中心とする有志連合軍の戦争犯罪の刑事告発を、持ち前の粘り腰で承認させて秋に公式発表していた。するとトランプ政権は常軌を逸した嫌がらせを始め、大統領自ら口汚く非難する声明を発表し、モレソウダ首席検察官のビザを停止して国連本部への公務出張を含む入国を拒否したのだ。私にも陸上幕僚監部から「関与を控えるように」との指導が入ったが、モレソウダ首席検察官が首謀者ならば実行犯なので手遅れだ。
「先ずはタリバーンの犯行と信じさせることからね」「犯行声明を発表したと言うタリバーンの幹部も役職や顔と氏名が明らかになっていませんから真偽不明です」私は昨晩、妙に熱心にこの事件を報道するニュースを注視していたが、アナウンサーが「タリバーン」を主語にして事件を説明する割に具体的な証拠は示さず、唯一の根拠が「タリバーンの幹部」の犯行声明だった。
「それにしてもトランプが早期撤退を言い出したところにこの事件は逆効果でしょう。イスラム過激派にも焦りを感じるわ」「アフガニスタンの戦況がかなり逼迫しているんですよ。原理主義のアルカイーダが政権を奪還すればイスラム過激派は異端者として排除される。その前に過激な若者たちを集めてイスラミック・ステートを復活させるつもりなんでしょう」「トランプの困った顔が目に浮かぶわ」やはりモレソウダ首席検察官はトランプ政権の執拗な嫌がらせにかなり腹を立てているようで厚い唇を歪めて笑った。
「この事件を含めて2代目ブッシュ政権が(対ソ戦の支援者だった)タリバーンの引き渡しを拒否したアルカイーダを一方的にテロの共犯者と決めつけて武力侵攻して、実態はイスラム教を否定する傀儡政権を作ったことが全ての原因と言う認識で良いですね」「実際、そうでしょう」私の確認にモレソウダ首席検察官は無表情にうなずいた。アメリカ軍は独立戦争以降、国家が命じる戦争は全てカミに代わって悪を懲らしめる正義であり、戦場での犯罪は将兵個人の違法行為であって軍事裁判で審理し、処罰してきた。その一方で被害を受けた占領地の住民がアメリカ軍の将兵を告発することが実質的に不可能であることは「被害者が告発しない以上、犯罪は発生していない」と勝手に割り切っている。だから私とモレソウダ首席検察官はそんなアメリカの独善性の影で傷ついたアフガニスタンの人々に代わり、罪に罰を与えて償わせることを決意したのだ。これは大村医師の志に通じる点があるのかも知れない。
「EUとしてもNATO軍を派遣している以上、タリバーンの凶悪性を喧伝するしかないわね」「それでもオランダは自国軍のPKO部隊が旧ユーゴスラビアのスレブレニツァの大虐殺の原因を作った責任を認めていますからアメリカよりは独善性が弱いはずです」「少なくとも私たちの生活環境は平穏を保てると言うことね」モレソウダ首席検察官の結論に私はうなずきながら冷めたコーヒーを「ゴクリ」と音を立てて飲んだ。実は私は酒を含めて飲み物を一気呑みする癖があり、上品にチビチビすするのは苦手なのだ。
「西ヨーロッパの人権団体の女性たちがこの段階になっても声高にアフガニスタンの女性解放を叫んでいるのはNATO軍の支持と言うよりもイスラムの戒律を世界から抹消することを狙っているんでしょう」「反イスラムのマララ・ユスフザイ、環境問題のグレタ・トゥンベリ、市民団体の何も判っていない小娘に脚光を浴びせる宣伝手法は不快極まりないわ」「あれは元々中国の常套手段なんですよ。アメリカで南京大虐殺を宣伝したレイプ・オブ・ナンキンを出版したアイリス・チャンは先ず美人だったことで注目を浴びた。今回の核兵器禁止条約のベアトリス・フィンも同類だ。マララは殺されかけたことで悲劇の少女になった。グレタは自分の精神病を超能力だと言っている。どいつもこいつも主張の可否よりもイメージで看板女優になった。我々もアフガニスタンで悲劇の美少女を探しますか」私の皮肉にモレソウダ首席検察官も苦笑した。実際、探さなくても簡単に見つかるのがアフガニスタンの現実だ。
  1. 2021/11/23(火) 15:09:49|
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11月22日・史上初の三桁撃墜の達成者・メルダース大佐が事故死した。

1941年の11月22日に世界の空戦史上初の三桁=100機撃墜を達成したウェルナー・メルダース大佐が搭乗していた双発爆撃機の墜落事故で死亡しました。なお、メルダース大佐の撃墜数はスペイン内戦で14機、第2次世界大戦で101機の通算115機でしたが、敗戦まで飛び続けていればエリーヒ・ハルトマン西ドイツ空軍名誉少将の世界最高記録352機を凌駕した可能性は高いでしょう。
メルダース大佐は1913年にプロイセン中西部のゲルゼンキルフェンで軍人の息子として生まれましたが、父親が歩兵中尉として出征した第1次世界大戦のフランス戦線で戦死したため母親は実家を頼ってプロイセン中東部のブランデンブルグ・アン・デア・ハーフェンに移住しました。中等教育学校を卒業する頃に飛行士志望になり、1931年に歩兵連隊に入営して半年後には士官学校に入校し、1933年に少尉に任官して修了すると続いて工兵養成課程に入校しましたが、ここで飛行士志望を表明してドイツ飛行輸送学校に転校し、1934年に10カ月間の教育を受けることになりました。ところが飛行士志望の割には飛行機酔いがあり、不適格と判定されかけましたが最優等で卒業しています。
この時期にドイツ国防軍に独立した空軍が創設されて1935年からは5カ月間の空軍戦闘機搭乗員養成課程に入校し、卒業後はツェベリン急降下爆撃隊に配属され、翌1936年3月7日に敗戦後の取り決めで非武装地帯とすることが規定されていたライン川から50キロ内のラインランドにヒトラー政権が陸・空軍部隊を進駐させた時には一番乗りを果たしています。さらに1936年からはスペイン内戦に派遣されたコンドル軍団を志願し、メッサーシュミットBf109の高速度を活かせる2機編隊のロッテ戦法(現在も空中戦の基本)や2機編隊2組によるフォー・フィンガー戦法(別名・シュヴァルム戦法)でスペイン軍を始めとする各国義勇軍を圧倒してドイツ軍では最高の14機を撃墜しました。
さらに1939年9月1日に第2次世界大戦が勃発すると戦闘機部隊を指揮しながら個人の記録も伸ばして1940年3月に初めて20機を達成してドイツ空軍のトップを走り続けました。その一方で1940年6月5日にはフランス軍機に撃墜されて捕虜になったものの2週間後にフランスが降伏して釈放、バトル・オブ・ブリテンでは被弾負傷して戦線離脱しますが快復した時期にドイツ軍がソ連に侵攻したため他の撃墜王たちと同様に撃墜数を荒稼ぎして1941年7月15日には初の三桁の100機と101機を達成しました。
この偉業によって国民的英雄になったメルダース中佐をナチス・ドイとしても戦死させる訳には行かず大佐に昇任させて地上勤務の戦闘機隊総監に移動させましたが、第1次世界大戦でレッド・バロン=リヒトフォ-フェン大尉の未確認80機に次ぐ62機の撃墜数を持つエルンスト・ウーデット大将が自死したため、国葬に参列しようと搭乗していたハイケルンHe111が悪天候のためプレスラウ付近で墜落して事故死しました。
敗戦後の1969年から70年に西ドイツ海軍が3隻建造したリュッチェンス級駆逐艦は1番艦が海軍のギュンター・リュッチェンスト中将、2番艦が空軍のウェルナー・メルダース大佐、3番艦が陸軍のエルヴィン・ロンメル元帥から命名されています。
  1. 2021/11/22(月) 15:38:03|
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振り向けばイエスタディ2469

「貴方、アフガニスタンで大村先生が殺されてしまったわ」宮城県の船岡では冬本番の降雪を前に自作の山小屋の点検と補強に行っていた茶山元3佐が帰宅すると妻の静が庭に出てきてニュース速報を流した。茶山元3佐は朝から握り飯の弁当持ちで行っていたので昼のニュースは見ていない。携帯ラジオも乾電池が切れたのか入らなかった。
「やっぱりイスラム過激派に殺られたのか」茶山元3佐は自転車を止めると何時になく重い口調で確認した。茶山元3佐は新聞で医師としてハンセン病の予防と傷病者の診療のためアフガニスタンとパキスタンに赴きながら現地の劣悪な衛生事情を目の当たりにして井戸の掘削を始めた大村哲医師を紹介する記事を読んで以来、敬意と関心を持って注視してきたのだ。
「テレビではタリバーンの犯行だって言ってるけど・・・タリバーンの幹部も犯行を認めているそうよ」静はテレビの解説を請け売りしてきた。茶山元3佐は前月の新聞を送っている定期便にアフガニスタン情勢に関する質問を同封することがあるが、モリヤ2佐は現地に調査に入った経験から「現政権はアメリカの傀儡に過ぎず、大多数の国民はタリバーンの復活を願っている」「アフガニスタンとミャンマーにはシリアから逃れたイスラム過激派が多数流入していてテロを頻発させている」と新聞には全く書かれていない実情を力説してきた。勿論、静にもモリヤ2佐からの返事は見せているが、庶民の日常とは次元が違う政治や国際情勢に関しては夫の友人の自衛官よりも大手マスコミの報道を信用するのは仕方ない。
「前に貴方は大村先生の感慨用水の工事を手伝いに行きたいって言ってたじゃない。本当に行ってたら貴方も死んじゃったかも知れなかったわ」「それを言えばカンボジアのPKOだった似たようなものだったよ」静は大工道具を倉庫に片づけて家に入ってきた茶山元3佐が茶の間の点けっ放しになっているテレビの報道バラエティ番組を見始めるとお茶と菓子を運んできて声をかけた。しかし、カンボジアPKOでもポルポト派の残党によって日本人警察官や選挙監視の大学生が殺害される事件は起きたが、アフガニスタンのように攻撃側が主導権を握っていた訳ではなかった。茶山元3佐は大村医師の井戸の掘削事業が軌道に乗り、それを発展させて灌漑用水の建設に乗り出したことを知ると現地で協力したいと願っていた。それでも冗談めかして静に言うと「年齢を考えろ」と一笑に伏されて終わってしまった。
報道バラエティは事件の詳細な情報は入手していないようで何度も見たことがある大村医師の業績の紹介を流し始め、大村医師自身が灌漑用水の工事の現場で説明する映像になった。
「この取水口の構造は福岡県の朝倉郡にある筑後川の山田堰を参考にしていまして・・・」「ワシは筑後川の山田堰を現物を見たことがあるんだ」「へーッ、何時」茶山元3佐が大村医師の説明に自分の経験を補足すると静は意外そうに返事をした。茶山元3佐は前川原の幹部候補生学校に入校した時、久留米市に隣接する小郡駐屯地の第9施設群から入校している同期が施設科の候補生たちを案内して加藤清正が築いた熊本城下の水路網や黒田藩が手掛けた筑後川の堰堤などを見学して回ったことがある。前川原へは単身入校だったの静が知らないのは当然だ。
山田堰は朝倉郡朝倉町を流れる筑後川にある堀川用水の取水施設で、黒田藩が移封されてきた江戸時代初期には広大な平地でも海抜が高く、慢性的な水不足で野菜を作る畑の開墾も進まなかったこの地域に灌漑用水路を建設したことで一面の水田になった。この成功を見た別の地域の庄屋や代官たちも用水の延長を願い、私財を投じ、農民は工事に参加して次々に堰を拡充したため現在では九州有数の穀倉地帯になった。施設科の候補生の目で見た山田堰は水量が多く流れが早い筑後川の水圧を軽減するために上流側に20度の傾斜がつけてあり、増水した時には堰を流れ越えさせることで水と一緒に被害を受け流す日本的な構造になっていた。また取水口から用水までに段差と傾斜が設けてあり、これも流入した水の水圧を軽減するための工夫だ。まだNHKの大河ドラマ「軍師官兵衛」が放送されていなかったので施設科の候補生たちの間でも黒田官兵衛が加藤清正や藤堂高虎と並ぶ築城の名手であることは知られておらず、改めて感心したものだった。一方、大村医師は福岡市博多区堅粕の生まれだけに郷土の誇るべき史跡として知っていたのだろう。歴史作家の司馬遼太郎は「信長が壮麗な安土城を築いた頃、瀬戸内の農民たちは棚田を作って急傾斜の山肌を水田にする奇跡を起こした」と宮中や武士の事績だけを日本史にしている現状を批判したが、茶山元3佐は山田堰を見て武家が城郭建築で蓄積した技術が領民のためにも役だっていることを実感し、陣地構築や渡河などの演習で培った技術を部外工事や災害派遣に役立てることを心に誓っていた。
「大村先生の遺志を継ぐためにもアフガニスタンへ行くぞ。ワシも元自衛官だから銃撃を受ければ伏せることは身体が覚えている。銃があれば反撃もできる」「それじゃあモリヤさんと同じことになっちゃうわよ。弁護を頼むの」老骨鞭打つ決意も簡単に却下されてしまった。
  1. 2021/11/22(月) 15:36:46|
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11月22日・反省する韓国人・金泳三大統領の命日

2015年の明日11月22日は日本の保守派からは「反日」と批判されていても、野僧は個人的に「恨」の民族性で絶対に反省をしない韓国人にしては珍しく率直に自分の落ち度を認める発言をすることに好感を持っていた金泳三大統領の命日です。
金泳三大統領は日本の統治下だった1927年に距離的には日本に最も近い巨済島の当時として珍しかったプロテスタントの家で生まれました。ソウル大学を卒業後に李承晩政権の国務総理の秘書官になったのを切っ掛けに1954年の国会議員選挙に与党の自由党から出馬して当選して政界に入りました。しかし、自由党が憲法改定問題で分裂したため野党に加わることになり、1961年の5・16クーデターによって成立した朴正煕政権では金大中後の大統領と共に野党・民主派の代表的政治家として敵視され、傷害事件や議員除名処分、さらに自宅軟禁されるなどの弾圧を受けました。
1985年に国民の低支持率に悩む全斗煥政権によって政治活動が解禁されると1987年に行われた大統領選挙に出馬しますが、金大中氏も立候補したため民主派の票が2分されて陸軍士官学校出身のエリート軍人組織・ハナフェの一員だった盧泰愚予備役大将に敗北しました。すると盧泰愚大統領が野党の金泳三氏と金鍾泌氏に合併による巨大与党の結成を呼びかけ、これに応じたため保守的な国民の支持を得たものの若者を中心とする民主派の反発を買いましたが、1992年に盧泰愚大統領の後任として巨大与党から出馬して朴正煕政権以来32年ぶりの民間人出身の大統領になったのです。
大統領になってからは手始めにハナフェを潰して会員の高級将校たちを退役に追い込み、安全保障に関連する閣僚に大学教授を登用し、高級官僚の不正追及によって大法院院長(日本の最高裁判所長官)や検事総長、警察庁長官を退任させるなど朴政権以来の軍人色を消すことで国民の支持を集めようとしました。さらに政界と財界の癒着を断つため「在任中はいかなる献金も受け取らない」と宣言し、実行に移したのです。
そんな金大統領の国家指導者としての矜持は1996年9月18日に座礁した北朝鮮の潜水艇が発見された江陵湾事件で、潜入した工作員を北朝鮮に逃げのびた2名以外を捕獲・射殺する実戦を指揮したことで如何なく発揮されました。
そんな金泳三大統領の反省語録としては20歳代だった次男が政治に口を出して小統領と呼ばれ、政権末期の1997年に斡旋収賄罪で逮捕されると「何で大統領になってしまったのか」と父親として後悔の念を口にしたそうです。また北朝鮮の核開発にクリントン政権が在日米空軍機による1992年7月14日の空爆作戦を決定すると情報を中国に漏らして阻止したことを「生涯最大の誤りだった」と亡くなるまで公に後悔していました。さらに釜山市の民主派弁護士だった盧武鉉後の大統領を政界に引き入れたことも就任後に金大中政権の亡国政策を継承するのを見て「失敗だった」と大いに反省していたそうです。
日本のマスコミは金大中大統領を「親日」、金泳三大統領を「反日」と報じていましたが実際は金大中大統領の方が批判的で、金泳三大統領は「韓国では反日を口にしないと政治家になれない」と語っていたように立場を理解した上での確信犯だったようです。
  1. 2021/11/21(日) 15:55:31|
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振り向けばイエスタディ2468

「大村哲医師が殺された・・・」12月に入って間もなくニューヨークの事務所でインターネットのニュースを確認していた杉本が悲痛な呻き声を上げた。それを聞いて松山1佐以下の全員が後ろに集まって画面を注視した。杉本は12月に入ってアメリカのマスコミが「近日中にWHOが中国の武漢市で拡大している肺炎についての公式見解を発表する」と報じ始めたため医療関係とアジアのサイトを中心に検索しているが、日本のテレビ局の海外向けニュースで思い掛けない悲報に突き当たってしまったのだ。
「だからデジャバール会に警告したのに・・・やはりガジ・ミール・マスジット・カーン勲章を受章したのが致命的だったな」岡倉の呟きに杉本もうなずいた。岡倉はアフガニスタンに潜入して大村医師が現地の人々だけでなくタリバーンの兵士たちからも心から尊敬されていることを知り、杉本は岡倉の「現政権からの勲章は危険だ」と言う指摘に関心を持って調べた結果、アジアの人々を救う献身的な活動に敬意を寄せるようになっていた。
「しかし、同乗していた運転手と護衛の5名も一緒に射殺されたとあるから警戒はしていたんだろう」杉本がヘッドホーンのジャック・アダプターを外して音声を流すと松本が加わってきた。
事件は12月4日の朝、アフガニスタン東部のジェラーラーバード市内の飲食店やホテルが建ち並ぶ大通りで最初に4WD車2台が停車して武器を持った男たちが下車して道路に立ちはだかり、そこに灌漑工事の作業現場に向かう大村哲医師と運転手、武装した護衛の6名を乗せた4WD車が差し掛かると前後左右から銃撃を加えた。目撃者の証言によれば銃撃後、犯人たちは「死んだか」「全員死んだ」と確認した上で逃走したようなので大村医師を狙った犯行であることは間違いない。他の5名は即死状態だったが大村医師だけは右胸に銃弾を受けていても意識はあり、市内の病院に搬送されて応急処置を受けた後、本格的な治療のためアメリカ空軍の軍病院に移送される途中で死亡したとのことだ。
「イスラム過激派としては傀儡政権が続々と逃亡しているから次は協力者、支持者の抹殺に手を広げたと言うことだな」「特に大村医師がガジ・ミール・ミール・マスジット・カーン勲章を贈られたことは世界中で報道されたから傀儡政権への協力者のシンボルとして格好の標的になったんだ」松山1佐の見解には岡倉が応えた。アメリカでは今年の1月1日にマティス国防長官が退任して以降、損得勘定だけで軍事行動を考えるトランプ大統領を制止する閣僚がいなくなり、アフガニスタンについても現地情勢の推移は度外視して次の大統領選挙で再任された後の撤退の意向を臭わすようになっている。
「このままいくとカブール市内でアメリカ式の肌を露出した服装で歩いていた娘たちも餌食だな」「イスラムの装束、特にアフガニスタンのブルカなら身元が隠せるから大丈夫だろう」「密告されたら終わりだよ」画面が日本のテレビ局の得意技の大村医師の個人情報の紹介になって話は反れ始めたが、趣旨はやはりアフガニスタンの人々の心配だ。
「結局、大村医師も2代目ブッシュが世界の秩序を破壊したことによる犠牲者の1人だな」「あの時の政権のメンバーを戦争犯罪者として裁かないと人類には天罰が下るよ」「当然、A級戦犯としてだね」最近、アメリカでも2代目ブッシュが始めた対イスラム戦争=第3次世界大戦に対する再検証が始まっているが、それは日本の加倍政権が特定秘密保護法や安全保障関連法を成立させた時に定年直前の70年代学園紛争世代のマスコミや教員たちが自分たちの闘争=青春を再現しようと若者を扇動したのと同じように、ベトナム戦争の反対運動に参加した世代が主導している。そのため戦争の本質よりも兵士個人の罪の意識や恐怖によるPTSD=心的外傷症候群ばかりが注目されてアメリカが国家として犯した「平和に対する罪」については触れられることなく2代目ブッシュも平穏な引退生活を送っている。かつてヨーロッパの植民地だった東南アジアを解放して独立させた日本の指導者たちが「平和に対する罪」を犯したA級戦犯として断罪されたことに比べれば2代目ブッシュ政権の罪は数倍の重さがあり、死刑判決が下れば吊首刑ではなくイスラム法に基づく石打ちの刑で殺さなければならない。
「デジャバール会のホームページに弔電の代わりに追悼の書き込みをするべきかな」「前回の警告をどう扱ったかによるよ。警護5人を雇ったので精一杯だったと言えば日本的な対応だが、無視したのなら大村医師を見殺しにしたのも同然だ」「今後のページの更新を見なければ決められないな」代わり映えがしない日本のテレビ局の映像は無視して岡倉と杉本が雑談的に相談を始めると席に戻った松山1佐が釘を刺した。
「それは止めておけ。マスコミもデジャバール会のホームページには注目しているはずだ。余計な興味を持たれては保全上の危険性が高い。それよりも中国の細菌兵器の情報を探索しなさい」この冷静さが1佐の松山と2佐の杉本・岡倉の器量の違いかも知れない・
  1. 2021/11/21(日) 15:53:28|
  2. 夜の連続小説8
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小説の舞台になった土地に虚構を訂正する責任はないのか?

共産党中国の細菌兵器が小休止している中で秋の観光シーズンを迎えた下関市では相も変わらぬ茶番劇で客寄せをやっています。
下関市と言えば幕末のテロリストたちを組織化した奇兵隊を率いて藩主への迷惑や重臣の決定を無視して内乱を起こして藩政の主導権を奪取すると関門海峡を渡って小倉に侵攻して城下町で武士と庶民を無差別に殺害し、商家での略奪と放火や破壊、婦女子の輪姦などを指揮した高杉晋作(敬称不要)が一番の売り物ですが、関門海峡に浮かぶ船島(江戸時代までは小倉藩領だったが現在は山口県下関市になっている)で対戦したと言われる佐々木厳流さんと宮本武蔵さんも根強い人気を保っているようです。
その茶番劇に登場する佐々木さんは大衆作家の吉川英治さんが戦前の昭和10(1935)年から14(1939)年に朝日新聞に連載して絶大な人気を獲得した小説「宮本武蔵」の中で創作=捏造し、戦後に映画化された時、佐々木さんを演じた高倉健さん(福岡県中間市出身)の扮装そのままに頭は稚児髷で白い着物に派手な袴と赤い陣羽織を着ていて宮本さんも中村錦之助(後の萬屋錦之助)さんの模倣です。
小説「宮本武蔵」は本人が語った真偽不明の回想を元に晩年の門弟たちがまとめた「二天記」以外に資料がない宮本さんを主人公にしているだけに極めて虚構が多く、脇役の沢庵和尚からの薫陶や多くの武芸者たちとの対決の大半は史実ではありません。ところが吉川さんが昭和35(1960)年に文化勲章を受章すると軽い読物だった大衆小説が権威ある文学作品になってしまい虚構が史実のように扱われるようになりました。
中でも山口県は戊辰戦争によって国家権力を握った薩長土肥が自分たちの討幕を正当化するために実際は極めて優れていた幕府の外交交渉を完全に否定しただけでなく幕臣だけでなく西洋事情に通じていた学者や外国人の暗殺テロを繰り返し、尊皇攘夷を唱えながら西洋式の兵器と軍制を導入して反乱の準備を整えると公武合体による挙国一致を願う孝明天皇を暗殺した陰謀・犯罪を隠蔽した虚偽・捏造の歴史を学校教育で徹底した首謀者だけに歴史が事実であるかには興味がなく、自分に利用価値があるかだけが問題なのです。
下関市の観光キャンパーン実行委員会では近年、幕末史に対する見直しが進んで高杉や奇兵隊では観光客が呼べなくなったためもう1つの宣伝材料の吉川さんの虚構作品を全面に押し出すようになっています。
しかし、実際の佐々木さんは当時としては熟年の38歳で小倉藩主・細川家の剣術指南役だったので吉川さんが書いているように仕官先を探すために目立つ扮装で闊歩する必要はなく、むしろ珍奇な派手な扮装では藩主に恥をかかすことになるため江戸時代の浮世絵などでも紋入りの黒の着物と袴姿で鉢巻を締め、袖を襷でまとめた通常の武芸者としての正装で描かれています。そもそもこの対戦は技を披露することが目的(殺害する必要はない)だったので宮本さんが「下関市から遅れて船島に向かった」と言うこと自体が吉川さんの虚構です。岩国市も小説「宮本武蔵」の中で佐々木さんの出身地になっていることを観光に利用していますから山口県の風土病なのかも知れません(実際は福井か大分)。
  1. 2021/11/20(土) 15:37:57|
  2. 常々臭ッ(つねづねくさッ)
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振り向けばイエスタディ2467

「いっそのこと加倍さんは紅葉を見る会もやれば良いんだよ」岐阜県可児市では島田元准尉が新聞を読みながら怒っていた。80歳が間近に迫ってもローカルFMラジオのDJを続けている島田元准尉は聴取者からのメールや葉書に応えるため社会の流れを観察する必要があり、数紙の新聞を取って熱心に読んでいるのだが、5月に衆議院予算委員会で「桜を見る会」問題が取り上げられて以降、それ一色に塗り潰されていて目を通すのも苦痛になっていた。
「だって予算の遣い過ぎが問題なんでしょう。2回もやったら火に油を注ぐようなものじゃない」リビングのテーブルの前の席で別の新聞を広げている順子は最近毎日のように耳にする島田元准尉の文句を半分受け流しながら反論した。
「始めは呼んだ支持者が多過ぎると批判していたのが『文書の管理が杜撰だ』『都合が悪い情報の隠蔽だ』『ホテルでやった前夜祭の会費が安過ぎるのは買収だ』って粗探しになっているだろう。だったら『これならどうですか』って遣り直して見せるのも皮肉になるじゃないか」「そうかしら」やはり順子の反応は最近の外の空気のように冷たかった。
島田元准尉も順子と連れ立って紅葉狩りを楽しんでいるが、岐阜県内は山が市街地に迫っているため人工的な寺院の庭や公園の並木よりも山を紅く染める錦模様が好みだ。中でも暗いダムの湖面との対比が印象的な恵那峡には何度も行ったが、最近は遠出を避けて大垣市の多良峡にしている。そう言えばラジオに「養老の滝の駐車場から続く紅葉のトンネルが素晴らしい」と言う投稿かあったが、リクエスト曲は昭和歌謡としては新しい岩崎宏美の「思秋期」だった。
「私としては中国の武漢で大流行している新型インフルエンザが心配なのよ。テレビも『SADSよりも危険だ』って言い出したから日本にも伝染しそうじゃない。中国は本当のことを発表しないから恐いわ」順子の話を聞いて島田元准尉も紙面を見ると国際欄の下の方に写真なしの記事が載っていた。まだテレビほど危機感を煽っていないようだ。
「信繁の頃には学校の集団予防接種のおかげで流感(流行性感冒=インフルエンザ)もそんなに心配しなかったけど、今は大流行するからうっかり医者にもかかれないわ」「確かに高齢者の定期検診で病院に行ったらインフルエンザにかかったなんて馬鹿げているな」「でも貴方の不整脈は心配・・・」あれほど健康だった島田元准尉も流石に高齢者検診で引っ掛かる項目が出てきた。おまけに病院での再検査を指導されると決まった手順のように薬を処方され、それを受け取るための定期検診が命令された。島田元准尉としては元会社員でありながら自宅で意識を失って救急搬送されるまで病院とは縁を持たず、そのまま亡くなった父や畑を耕していて鍬を握った姿勢で死んでいるのが見つかった阿蘇の順子の祖父を理想としていたが、国民の健康状態まで行政が管理するようになった現代の日本では許されなかった。
「俺は香港の民主化デモの現状が知りたいんだよな」「貴方は学生運動が嫌いでしょ。早く鎮圧されるのを期待しているの」「逆だ。俺たちの頃の学生運動の連中は労働を知らない癖に『これは労働者の革命だ』『日本も中国になる』って叫んでいたが、香港の学生運動は中国による支配に反対して民主主義の復活を訴えているんだ。本当はラジオで応援したいんだが、政治的な発言は市役所が許さないから代わりにテレサ・テンの曲を流してるよ」言われてみれば最近の島田元准尉の番組では今も香港民主化運動の象徴とされているテレサ・テンの曲が流れることが多いような気がする。基本的にはリクエストに応える形での選曲なので希望者がいるはずだが、岐阜県内に香港問題に関心を持っている聴取者が何人いるのか。
「それにしても今度の香港の民主化デモは3月に始まって加倍さんの桜を見る会は5月からだろう。民主化デモが長いのはそれだけ香港の若者たちの意志が強固だと言うことだが、桜を見る会が長いのは何なんだ」「やっぱりマスコミの加倍さんを憎む気持ちが強いのかしら。奥さんまで悪者にされて可哀そうよ」順子の返事はやはり女性の立場になった。大阪で幼稚園を経営する加倍首相の熱心な支持者が小学校を建設するのに政治権力を使って便宜を図ったとする疑惑が報じられた時、夫人が幼稚園を訪問していたことから実務を取り仕切った黒幕扱いされ、今回の桜を見る会の問題にも夫人の知人が招待されていると指摘されている。しかし、島田元准尉の地元の小倉と加倍首相の選挙区の下関市は越県合併を模索しているほど密接で、同窓会で飲んだ下関市在住の同級生は「地元では夫人のファンが極めて多く、新聞の不買ならぬテレビの不視聴運動まで起こっている」と言っていた。確かに笑顔が魅力的な女性ではある。
「ソフトバンクは日本一になったがドラゴンズは5位で終わったし、5月に令和になってからは平成以上に災害が頻発していてロクでもない1年だったな」「6月の山形の地震では皇后の新潟の地元が被害を受けたんでしょう。それに過去に経験したことがない台風が幾つも来て・・・日本が元気だった昭和が懐かしいわ」順子が出した結論は昭和一郎=島田元准尉も我が意を得た。
  1. 2021/11/20(土) 15:35:28|
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真逆の台湾と共産党中国の歴史再評価

中国共産党は今年の7月1日に結党100周年を迎えたことを受けて、この100年間を総括する「歴史決議」を採択しました。
これまで歴史決議は毛沢東時代の1945年と鄧小平時代の1981年に行われていて40年振りであるの同時に習近平政権が両者と並ぶ権力基盤を確立したことを内外に誇示しました。毛沢東時代の結党20年の決議では日本との戦争を国民党軍に任せながら農村を中心に浸透を図り、日本がアメリカに降伏し、国民党軍が消耗し切っているところで攻勢に転じるまでの道筋を述べていたのに対して第1次天安門事件で5人組が失脚して復権を果たした鄧小平時代の決議では毛沢東を完全無謬の存在として神格化していた「文化大革命」を「内乱」と否定して「功績第1、誤り第2」とする再評価しています。そして今回は毛沢東の国家指導理念を基礎に鄧小平の改革開放路線を加味して習近平の卓越した指導の下で世界の頂=中華となると今度は習近平を神格化しています。その一方で民主化運動=ペレストロイカをソ連崩壊の予兆と見ていた鄧小平指導部が胡燿邦総書記の追悼ために集っていた若者たちを反革命分子と決めつけて武力弾圧した第2次天安門事件を「暴乱」と否定して現在、香港で推し進めている民主化運動の弾圧の根拠にしています。
しかし、中国共産党は朝日新聞などの日本のマスコミが感想を求める取材に名を借りた注進=告げ口による歴史教科書の記述内容を韓国と声を揃えて外交問題化しますが、日本を除く自由主義先進国では度重なる失政(実例・毛沢東が雀を「害鳥」と言ったことで全滅させ、農作物の害虫が大量発生して飢餓が発生した)によって少なくとも6000万人の自国民の命を奪った世界最大の虐殺者と言う評価が定まっている毛沢東の誤りは5人組の口車に乗って利用された「文化大革命」だけで、鄧小平についてはイギリスの錆びた鉄の女・マーガレット・サッチャーを恫喝して奪還した香港での「1国2制度」の空手形については現在も弾圧中なので言うまでもなく肯定していて認識は大きく乖離しています。
そんな中、習近平政権が併合を至上命題にしている台湾でも2017年に蔡英文総統が「移行期の正義を促進する特別法」を制定してこれまで絶対視=神格化させられてきた蒋介石(台湾では蒋中正)総統の資料の発掘と再評価が進められています。台湾では現在も蒋介石総統を神格化するための施設「中正記念堂」の正面玄関にある巨大な銅像を陸海空軍の儀仗隊が警備していて交代の儀式はイギリスの近衛兵と同様に観光名所になっていますが、これも廃止の方向で検討しているようです。
内省人(台湾の土着民族)である蔡総統にとって蒋介石総統は国共内戦に敗れて台湾に逃れてきながら中国皇帝の治世と文明が及ばない「化外の地」と蔑視していた上、戦争犯罪国・日本に統治され、戦争に協力した共犯者・敵性人として国民党員とその家族を最上位、それ以前の大陸からの移住者、土着の現地人=本省人、日本人との間に生まれた混血児、そして残留日本人を最下層とする身分格差を設け、1947年からの長期間(解除は没後の1987年)の戒厳令下で徹底的な弾圧を加えてきた暴君ですから再評価することに躊躇はないはずですが、先ず事実の調査から始めるところが中国共産党にはない姿勢です。
  1. 2021/11/19(金) 15:00:04|
  2. 時事阿呆談
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振り向けばイエスタディ2466

「中国の武漢で新型インフルエンザが大流行かァ」オランダが初冬に入った頃、我が家で取っている英字新聞に「中国の長江中流にある古都・武漢でインフルエンザが大流行して多くの死者が出ている」と言う記事が載っていた。記事の説明によれば武漢は海外の企業にも開放されている中国有数の国際工業地帯で、イギリスやフランス、ドイツなどの企業もアジアで販売する製品の製造拠点にしているとある。その点、オランダはドイツやフランスの大手企業の系列工場が多いので直接進出している会社は少ないようだ。
「オランダはそうでもないけどフランスやイギリス、ドイツには中国人の華僑が多くてモンチュウが観光旅行に来るから恐いわね」私がソファーでテレビのニュースを見ながら新聞を呼んでいる間に梢はテーブルに自家製納豆と味噌汁、ご飯にコーヒーの朝食を運んできて声をかけた。それにしても梢が英語の「リレイティブ(親族・身内)」を「モンチュウ」と沖縄方言に訳したのは8月の帰省の名残らしい。今回は孫の子守りが本当に楽しかった。
「中国もヨーロッパじゃあ紳士的な優等生を演じているからインフルエンザが大流行している間は出国時の検査を厳しくして感染者は渡航禁止にするくらいの配慮はするだろう。鶏インフルエンザやSARSの失敗を繰り返すほど愚かじゃないはずだ」「本当にそう思ってるの」「あまり期待していないよ」「やっぱりね・・・」経済発展を遂げた中国はアジアでは復活した中華帝国として暴弱無人に振る舞っているが、ヨーロッパでは借りてきた猫と言うよりも馴ついた虎のように紳士的な態度を取っている。その一方で本国の政府から振り込まれる潤沢な資金を使ってマスコミの株式を買収して世論誘導を進め、教育機関や研究所を資金援助して若者の洗脳と最先端技術の持ち出しを画策している。さらに世界の盟主・中華帝国の従属国であることを誇りとする半島からの移民たちは中国資本が買収したマスコミを使って反日の喧伝を繰り広げていて、ヨーロッパでも政治指導者たちは加倍政権の積極外交を高く評価しているにも関わらず一般市民の「軍国主義者」と言う先入観が払拭できないのはこれが原因だ。
「中国人の大群が押し寄せるのはウチナー正月の頃だったわよね」「それを中国では春節と言うんだぞ。判ってて言ってるだろう」「うん、当たり」先ほどのモンチュウで私が嬉しそうな顔をしたので梢は二番煎じしてきた。確かに明治新政府が文明開化に盲進して長さ・重さ・量の単位から日付まで西洋式を導入した時、日本古来の尺貫法や太陰暦と併用するのではなく、西洋式を徹底するために日本式を禁じたことは許し難い失政だと考えている私としては本土で用いる「旧正月」と言う冒涜した呼び方よりも「ウチナー正月」の方が良い。
「2月になるとパリのシャンデリゼ通りが国際通りみたいに中国語を喋るアジア人であふれかえるんだったな。ニュースで見ていて嫌になるよ」「銀座の爆買いじゃあないのね」今度は私が三番煎じしたが梢の反応は今一つだった。
「日本では銀座や大阪に限らず温泉の観光地なんかは中国人客の誘致合戦に鎬(しのぎ)を削ってるんだ。フランスでも似たような感じかな」「一流ホテルは中国人客はマナーが悪くて馴染み客が敬遠するからって逆の対応をしているところもあるみたい」それにしても中国は国産よりも安価な製品を売り込み、日本人よりも低賃金で働く労働者を送り込んで完全に依存させることも経済戦略にしているので日本の観光地の中国客への依存もかなり危険だ。
「いくら新型でもインフルエンザなら3ヶ月もあれば落ちつくだろう。若しSARSでもワクチンが行き渡っているから前回みたいな猛威は奮わないはずだ」「私たちは家ではウガイ、外ではマスクをしてるから少しは安心だけど無防備なヨーロッパ人は危ないわね」先日、梢の母から紙マスクが1箱届いて通勤や買い物、夜の散歩の時に使い始めたが、休日の人コミの中でも私たちだけだ。そう言えばテロが頻発して警察が厳戒態勢に入っていた頃、市内に立っている知らない警察官に「顔を隠すな」と指導されて「マスクは感染予防の健康用具だ」と厳重に抗議したことがある。結局、顔を隠すことやマスクの着用を禁止する法令がなかったため私の肩書を聞いた警察官の方が引き下がったが、ここまで理解がないのには首を傾げてしまう。
「布製のマスクってレオナルド・ダ・ヴィンチが発明したんでしょ」「その説はPXの薬局の小母ちゃんから聞いたことがあるよ。何でも鉱山で働く人夫が有害な塵埃を吸わないように考案したんだったんじゃあなかったかな」私の答えが知識と違っていたらしく梢は困った顔で黙ってしまった。要するに梢の方も聞きかじりであまり自信がないらしい。
「気候から言えばヨーロッパの冬の方が乾燥して冷え込むから必要性は高そうなのに」「多分、紙製と違って昔の布製だと冬場は湿ったところが凍ってしまって唇が貼りついてしまうんだよ。自信ないけど」どうも今日の会話は確認が不十分だが、たまには推理と想像で話を膨らませるのも悪くはない。今日もマスクをして自転車で出勤だ。
  1. 2021/11/19(金) 14:58:53|
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11月18日・ジム・ジョーンズと918人の集団自死事件

1978年の11月18日に南アメリカのガイアナでマルクス主義宗教団体のジム・ジョーンズ教祖と918人(人数には異説がある)の信者が集団自死する惨事が発生しました。
野僧は高校1年生でしたが小坊主だけに同じクラスのクリスチャンの女子に敵視されていて、この時も「人民寺院と言うくらいだから中国系の佛教教団だ」と批判してきましたが、野僧は学校から新聞社に電話をかけて正式な名称が「ピープル・テンプル・クリスチャン・チャーチ・フル・ゴスペル=完全な福音のキリスト教徒の教会で人々の寺」であることを突き止めて論破しました。おかげでこの事件に詳しくなり、オウム事件の時にはジョーンズ教祖と比べて松本智津夫教組の凶悪性が見劣りしてしまいました。
ジョーンズ教祖は1931年にインディアナ州クレタ島(地区名)で第1次世界大戦に従軍した経験を持ち、ヨーロッパ系至上主義者の父親の息子として生まれました。世界恐慌の影響で父親が仕事に行き詰ったため1934年に州内の荒野に転居して水道もないあばら家で生活することになり、そのため友人がおらず小動物を殺して家の周りに墓を造るのを遊びにして過ごし、次第に宗教に強い関心を持つようになりました。それでも学校でアフリカ系の友人ができましたが、父親が家に入れることを禁じたため強く反発するようになり、両親が離婚すると母親について州内の都市に移住してここで高等学校を卒業してインディアナ大学に進学しました。
この頃のジョーンズ教祖はヨシフ・スターリン書記長やカール・マルクスさん、毛沢東主席やアドルフ・ヒトラー総統、フィデル・カストロ第1書記、マハトマ・ガンジーさまに傾倒してやがてアメリカ共産党に入党しました。その一方でマルクス主義の非営利の平等原理をキリスト教の理想の社会と考えるようになり、折からのマッカーシー議員による共産主義者狩りから逃れるため大学生のままキリスト教の牧師になったのです。
しかし、ジョーンズ教組の宗教観は当時のアメリカの保守的キリスト教会とは大きく乖離していて人種差別からさらに踏み込んだ混血による人種統合主義を公然と主張したためアフリカ系の市民や人種差別撤廃運動の活動家からは絶大な支持を受けながらもキリスト教会からは排斥され、やがて独自の教団を組織することになりました。ところが「虹色の家族」と自称する人種統合主義の教団は1960年代に燃え上がった公民権運動過激派の拠点になって当初は支持していた人権派の政治屋たちが距離を置き始めるとオウム事件の末期のような批判的報道が繰り広げられる事態に陥ったのです。
こうして追い詰められた新興宗教の教祖が「カミの裁きは近い=破滅が迫っている」と予言するのは洋の東西を選ばない常套手段でジョーンズ教祖も南アメリカへの集団移住を模索しながら核戦争による破滅の前の集団自死を説くようになりました。
結局、1977年の夏にマスコミに経歴の虚偽と過去の違法行為が暴露される前にガンビアに集団移住して原始共産主義のジョーンズ・タウンを開設しましたが、調査に訪れた連邦議会の調査団を空港で殺害した夕方、大講堂に集められた304人の子供が青酸性の毒を飲まされ、614人の大人が後を追い、ジョーンズ教祖は拳銃で自死したのです。
  1. 2021/11/18(木) 15:06:36|
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振り向けばイエスタディ2465

「感染症対策なら戸身(とみ)さんに限りますよ。2012年の新型インフルエンザの実績を見ても他にいないでしょう。SADSの時はWHOの西太平洋地域事務局長に出向していたから素人の厚生労働大臣に振り回されて馬鹿げた仕事に励む羽目になりましたが、戸身さんが指揮を執っていればもっと適切な対応ができたはずです」執務室に戻った管(くだ)官房長官は内閣官房に副長官として配置されている厚生労働省の官僚を呼んで意見を求めた。管官房長官は副長官に限らず各省庁から内閣官房に詰めている官僚を殊更に重用するため、各大臣からの報告や調整を経ることなく指示を与えがちで、旧来の官僚機構を堅持したい各省庁からは不平不満を買っている面がある。加倍政権が成立してから発覚した政治スキャンダルも関係省庁の官僚がマスコミや地方検察庁に情報を漏洩したのは明らかで今後に向けた不安材料でもあった。
「あの時は入国者を機内に缶詰めにして徹底的な検疫をやったはずだが、それで日本国内への伝染を防げたんじゃあないのかね」「運よく感染者が同乗していなかったから良かったようなもので、機内に感染者がいれば検疫中に蔓延して空港から拡散することになったでしょう。本来は発症するまでの時間は外部との接触を遮断した状態で隔離して経過観察しなければなりませんでした」」「前の都知事も国民に安心感を与えるのが目的だったと苦しい言い訳をしてるからな」管官房長官の答えに腹に一物を抱える厚生労働省の官僚も苦笑した。
「戸身と言えば前回の加倍内閣の時のWHOの事務局長選挙で押したんだが、エチオピアの・・・」「テドロス・アドノムです」「・・・に負けたんだったな」管官房長官は第1加倍内閣では総務大臣だったので閣議で耳にしただけだが、この落選には現在も続くWHOの暗部が関係している。
「WHOは前任のマーガレット・チャンの時に完全に中国に乗っ取られましたから中国の属国化しているエチオピアには勝てなかったのでしょう」マーガレット・チャンは香港人女性でSARSが発生した時には香港特別行政区の衛生署長として指揮を執ったが、中国共産党の意向に盲従したため大量の患者を収容して院内で蔓延していた公立病院の封鎖が遅れ、それが香港発で世界に拡散する原因になった。ところがその責任を取って辞任したはずが4年後の2007年に中国の論功行賞を受けてWHOの事務局長に当選し、10年間にわたって在任した。事務局長としてのチャンはWHOに非公式参加している台湾の公文書上の名称を中国台湾省に変更するように通達するなど中国共産党の傀儡であることを隠そうともしなかった。
「チャンが事務局長としてやったことは多くの疑惑が指摘されているSARSを単なる感染症とするために大量の調査資料と研究成果を破棄・消却し、疑惑を指摘する研究者を国際舞台から抹殺することでした。中国としては戸身さんが当選すればチャンの隠蔽工作が水泡に帰すのは目に見えているので断固として阻止しなければならなかったのでしょう」厚生労働省の官僚はソ連のスターリンが世界共産革命戦略=第3インターナショナルで提唱したインテリ階層を革命の協力者とする思想工作を受けた医師や看護士労組などを相手にしてきた旧・厚生省と労働組合の代弁者だった旧・労働省が橋本内閣の中央省庁再編で統合されたため公務員労組に所属する反政府的思想信条の持ち主が多く、そこに医師免許を保有する専門職の医系技官も幅を利かせているのでまとまりがない。それでも戸身は絶大な信頼を獲得していることは判った。
「それで今回の感染症もやはり中国ですか」「今のところ過去に症例がない新型インフルエンザと言うことになっているが、流行するには時期が早過ぎるようだ」管官房長官の説明に厚生労働省の官僚もうなずいた。この官僚もSARSがチャン事務局長のWHOによって重症呼吸器系症候群と言う感染症にされていても、その発生経緯と強力な感染力、中国が予防ワクチンを事前に保有していたことを見る限り、秘密裏に開発していた細菌兵器を疑うのは専門家として当然だ。
「今のところ海外のマスコミが報道していないくらい限定的で、中国が公式発表していない段階だから人選だけを厚生労働省に指示しようと思っている」「中国の公式発表を待っていては手遅れになります。私も医大に留学していた中国人の医師たちに『噂でも良いから』と訊いてみましょう」「それこそ中国人が日本の政府中枢にいる君に情報を漏らす訳がないだろう」管官房長官の指摘に厚生労働省の官僚は肩をすくめると会釈して退室した。
「武漢の医師の書き込みが削除されてるな」「医学界への疾病発生の報告だから間違いがあれば訂正の文章で更新するはずだろう」「どうやら公的機関が強制的に削除したらしい」数日後、管官房長官の指示を受けてニューヨークの杉本が通報してきた医学界の専門ページに書き込まれている武漢市内の医師の病院で過去に症例がない新型インフルエンザに関する報告を追跡していた内閣官房の担当者は思い掛けない事態に困惑の声を上げて同僚に確認させた。実は中国共産党は医師が無届けで国際的な医学界に報告したことを国家秘密の漏洩と処断し、感染・発症している本人を入院したまま身柄を拘束したのだ(後に死亡した)。
  1. 2021/11/18(木) 15:05:23|
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11月18日・ウィリアム・テルが息子の頭に載せた林檎を射抜いた。

スイスの歴史家・アエギディウス・チュディさんの著書によれば1307年の明日11月18日はウィリアム・テルさんがオーストリア帝国の悪徳裁判人・ゲスラーさんの司法取り引きによって息子の頭の上に載せた林檎をクロスボウ(弾性が強い横板で小銃状の台の溝に設置した矢を飛ばす狩猟具=弓とする物語もありますが当時のスイスではクロスボウが普及していました)で射抜いた日とされています。
テルさんは教会の洗礼・死亡の記録(=日本の寺院の過去帳と同様に戸籍に相当する)や役所の公文書が発見されていないため実在の人物であることが証明されていませんが、各種アンケート調査では現在も6割を超える国民からオーストリア帝国とのゼンパハの戦いで自己犠牲によってスイス軍を勝利に導いたアーノルド・フォン・ヴィンゲリートさんと並ぶ独立の英雄として尊敬されています。ただし、日本では1829年にイタリアの作曲家・ジョアキーノ・ロッシーニさんが発表したオペラ「ギョーム・テル(英語のウィリアム・テルのイタリア語読み)」の挿入曲「ウィラム・テル序曲」で名前を憶え、この林檎の場面だけを知っていると言う人が大半でしょう。
テルさんの名前が最初に文献に出てきたのは1474年のスイスのオプヴァルデン準州(現在のカントン州)の副大臣だったハンス・シュライバーさんの著書「ザンネンの書」の中の「ルトリの誓い(スイスの独立神話)」にゲスラーを暗殺した人物として登場しています。また同時代には伝記の「テルの歌」が広まり、それを元にした歌も愛唱されるようになって現在も愛国歌として唄い継がれています。その後、1570年に前述のチュディさんが「ザンネンの書」に多くの逸話を加筆した伝記を発表し、それがスイスでの絶対的な崇敬を生みました。
そのチュディさんの伝記によるとオーストリア帝国がスイスを支配するために中央部のウーリー州のアルトドルフに送り込んだ裁判人(弁護人説もあるが当時の裁判は判事・検事・弁護人の役割分担はなかった)のヘルマン・ゲスラーさんは自分の帽子を西洋菩提樹の下の竿にかけて住民に拝礼することを強要していたのですが、息子と山奥の家から出てきたテルさんは拒否したため配下の役人に逮捕されたのです。するとゲスラーさんはテルさんがクロスボウの名手だと知ると「息子の頭の上に載せた林檎を射抜けば命は助ける」と言う残酷な条件を提示しました。そこでテルさんは矢を2本用意し、1本をベルトに差し、もう1本をクロスボウに設置して構えると見事に林檎を射抜きました。
ゲスラーさんが矢を2本用意した訳を尋ねると「誤って息子を射殺した時にはこの1本でお前を射殺すつもりだった」と答えたので、激怒したゲスラーさんはテルさんをルチェルン湖の対岸の要塞に投獄することにしましたが、嵐の中の渡航になったためテルさんが船を操舵して岩場に接岸して逃亡したのです。そして追跡するゲスラーさんを山中で射殺したことがスイスのオーストリア帝国への反乱=独立戦争の発端になり、1315年のモルガルテンの戦いに参戦しました。そんなテルさんは1354年にシェーヘンタール川で溺れた子供を助けようとして死亡したとされていますがあくまでも伝説です。
  1. 2021/11/17(水) 14:01:11|
  2. 日記(暦)
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振り向けばイエスタディ2465

「以前、例の隠密から報告があった中国の細菌兵器が発生したようです」国会では韓国が秘密軍事情報保護協定の破棄を通告し、香港での民主化デモが過熱している東アジア情勢には全く関係がない半年前の「桜を見る会」に加倍首相の選挙区の支持者が多数招待された問題を立権民衆党を始めとする野党が執拗に追及している中、首相官邸では管(くだ)官房長官が廊下に並んでいる官僚を飛び越し、面談中だった与党議員を退室させて報告した。
「あれは武漢の細菌研究所が新型の細菌兵器の開発を進めていると言う情報だったね」管官房長官がこのような態度を取る時はかなりの緊急事態なのでソファーから自分の席に戻った加倍首相も緊張した顔で報告を聞いた。
「中国南部から東南アジアにかけて生息している野生のコウモリの体内にいるウィルスを抽出した上で人間に感染させれば爆発的に拡散するように変質させると言う情報でしたが、アメリカに情報を渡した結果、調査団が東南アジア北部でコウモリを捕獲してウィルスの採取に成功したことは総理に報告しました」「うん、秘密裏にアメリカとイギリスの製薬会社に予防ワクチンの開発を要請したところまでは聞いてるよ」「ただし、現段階では患者が発生していないので薬品としての治験は始められていません」加倍首相の答えに管官房長官が補足した。2人としては日本独自の調査団に東南アジアのコウモリを捕獲させて国内の製薬企業に予防ワクチン、さらに治療薬まで開発させて問題が発生した時の主導権を握りたいところだが、日本の学界や企業には2013年成立させた特定秘密保護法が適用されず、アメリカのように国家の安全保障に関する政府の依頼には軍の組織と化して責務を遂行する愛国的協力は期待できない。また日本の製薬会社の多くは平成に入ってマスコミが感情的に騒ぎ立てた学校での集団予防接種による副反応の裁判に相次いで敗訴して巨額の賠償金を支払ったことで研究開発には及び腰になり、優秀な人材の多くはアメリカや中国に活躍の場を移している。
「それでどんな新たな展開があったんだね」忠臣と目される与党議員を退室させているので加倍首相としては例え緊急事態であっても大規模な災害や事故、武力衝突でもない限り、第一報は必要最小限にして詳しくは改めて受けたかった。
「実は武漢市内の病院の医師が『武漢市内で過去に症例がないインフルエンザが発生している』と言う報告をインターネットの専門学界のページに投稿したんです。まだインフルエンザの流行には早く、その割に感染の拡大が急速で感染者数は爆発的に増加している。何よりもSARSやMARSとは明らかに症状が違うと言うので例の細菌兵器を疑うべきかと思いまして報告に上がった次第です・・・」管官房長官の説明に加倍首相は少し拍子抜けしたような顔をした。
「確かに状況から見れば大いに疑うべきだね。しかし、中国としては細菌兵器の開発は極秘事項だから拡大によって情報が漏洩することは絶対に避けなければならないはずだ。強いて言えば邦人の武漢と周辺地域への立ち入り制限くらいで事態を静観すれば良いんじゃあないかな」これが統治者としての感覚を中国共産党指導部と共有しているはずの加倍首相の見解だった。すると管官房長官は補佐役としての立場で反論した。
「細菌兵器であれば在中国の外交官に調査を命じることはできませんから暗夜の手探り状態にならざるを得ません。それに武漢には我が国の企業も多数工場を置いています。仮に市内全域に感染が拡大すれば帰国する邦人によって我が国に伝染することは十分にあり得ます。事前に対応を検討したいと思いますが」「中国も大国としての威信にかけて対策には万全を期するはずだ・・・と信じたいところが最悪の事態を想定するのが政治の基本だ。準備を進めてくれ」「内々にウィルス感染の専門家による対策会議を設置する準備を進めます。人選が決まれば報告申し上げます」加倍首相の承認を得て管官房長官は姿勢を正して頭を下げた。管官房長官も現在の中国共産党の指導部が国家の威信を全面に押し出していることは十分に承知しているが、むしろ軍事秘密の保持の方に細菌兵器の拡大を阻止する動機を期待していた。
「失礼したね」「何か非常事態が発生しましたか」「いや、総理から大したことないって追い払われてしまったよ」管官房長官は廊下で待っていた退室させた与党議員に声をかけられたが、似合わない笑顔であしらった。与野党を問わず国会議員は秘密を入手すればそれを取り引き材料に使う職業であり、面談を再開すれば雑談の振りをして加倍首相に探りを入れるはずだ。
「それにしてもウィルス感染の専門家の人選は厚生労働省の担当になるが特定秘密に指定する訳にはいかないし・・・」廊下に並ぶ官僚たちのお辞儀を片手で受けながら自分の部屋に戻る管官房長官は頭を悩ませてしまった。今回、細菌兵器の情報は自衛隊の非合法組織が調査して外務省経由で届いた防衛・外交秘密だが、それを共有させるには厚生労働省の官僚は今一つ信用できない。何よりも医師の書き込みを発見したのは現地調査に赴いた自衛隊の隠密だった。
  1. 2021/11/17(水) 13:59:55|
  2. 夜の連続小説8
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勿体ない!山口県の衆議院議員の定員削減

都市部の亡国弁護士たちが選挙の度に起こした「一票の格差」の行政訴訟の結果、国会議員の当選に要する票数が3倍を超えると「日本国憲法第14条で定める『すべての国民は法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において差別されない』に違反する」とする最高裁判決が判例化したことで人口に応じて議員1名の小選挙区を割り振ることが常態化しています。
しかし、人口減少が著しい県では全ての有権者数でも都市部の小選挙区の3分の1に達しないため参議院選挙では2県が単一選挙区になり2人を選出する異常事態を呈しており、それは山口県も同様で現在は4つある衆議院の選挙区が次回から3つに削減されます。
問題なのは現在の4人の顔ぶれで、1区は野僧も防府市の少林寺拳法の宴席で隣りに座り、酒を酌み交わしてその高い見識と品格に心酔していた高村正彦外務大臣の息子さんで、地元では父上が果たせなかった首相就任を期待する声が選挙の度に強まっています。2区は安倍首相の実弟ながら生後間もなく岸信介首相の長男の養子になった岸信夫防衛大臣で、岸首相の強固な地盤を引き継いでいますから広島大学発の反戦平和に名を借りた売国思想を持ち込んだ反米活動家が少なくない岩国市を抱えていても盤石でしょう。3区は今回の選挙で大波乱が起こり、1990年から10期連続当選して小泉内閣では文部科学大臣、麻生内閣では官房長官だった河村健夫議員が次男が萩市長に当選・就任したのに続き、長男に引き継がせようとしていたところに下関市出身の参議院議員だった林芳正万能大臣=現在は外務大臣が鞍替え出馬する意向を表明し、中国地方のマスコミは「自民党が分裂して同士討ちになる=立憲民主党に勝機」と大歓迎したのですが、選挙区の党員が早い段階で林万能大臣支持で固まり、河村さんの長男は北関東地区の比例代表から出馬しましたが当選できませんでした。尤も、河村さんは長年にわたり日韓議員連盟の幹事長を務めながら韓国の政界が日本共産党と協調して反日姿勢を先鋭化してゆくのに何もできず、麻生内閣の官房長官としてはマスコミが政権交代に向けた世論操作を公然化している中での記者会見で有効な反論ができずに大敗北を喫した程度の政治家であり、次男が萩市長に当選したのも前市長が市立の小中学校や市内にある県立高校で吉田松陰のテロを扇動するアジテーションを唱和させるような時代錯誤な危険人物だったため勝って当たり前田のクラッカーでした。その点、林万能大臣は「近い将来の総理大臣」と言う評価は衆目の一致するとこなので衆議院への鞍替えは首相の選挙区になるための先行投資です。そして4区は安倍晋三(前から元になってしまった)首相の地盤で有権者の間では前回の体調不良による退陣時と同様に今回も「林さんと交代して穏やかな政治生活で長生きして欲しい」と言う声も聞かれましたが、「3度目を狙え」の掛け声の方が大きいようです。
それにしてもこの4人の誰を別の選挙区に移すのか。与野党を問わず定員合わせに粗製乱造している都市部選出の議員よりも強固な地盤に支えられて国政に専念する地方選出の実力派議員の方が国家に必要なことは明らかですから、今度は地方が「行政が及ぶ地域=面積や資産価値に対する一票の格差」で行政訴訟を起こすべきでしょう。
  1. 2021/11/16(火) 14:23:34|
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振り向けばイエスタディ2464

スカンディナヴィア半島沿いを北上する暖流の影響で緯度の割に冬も暖かいオランダで朝夕の冷え込みが厳しくなってきた10月31日に非常に残念なニュースがテレビで流れた。
「首里城の正殿が火災で焼け落ちてしまったのよ」朝食の支度をしていて先にニュースを見た梢が遅れてリビングに出てきた私に悲痛な声をかけた。本来であれば洗面所に寄ってウガイをするのが手順だが今日はテレビの前に直行した。すると日本のニュースにはあまり関心を示さないオランダのテレビが珍しく首里城の正殿が炎上している中継映像を流し続けていた。
「世界遺産を強調しているから日本の文化財と言うよりもユネスコが認定した物件が消失したことを知らせているんだな」日本からの映像の日本語の実況に同時通訳の英語を重ねているが、首里城の前に「世界遺産の」を補足しているのが耳障りだ。しかし、8時間の時差があるので実際はすでに建物は焼け落ちてしまったらしい。
「8月に行ってきたばかりなのに・・・」「恵祥といりえには失くなる前に見せられたことになるが・・・残念だな」隣りに来て一緒にテレビを見ている梢の呟きに私も共感した。恵祥は曾祖父の恵倫さんに連れられて何度も行ったことがあるようだったが沖縄本島に来たのが始めてだったいりえは写真でしか見たことがなかった首里城正殿を下から見上げて興奮していた。私は初めて奈良へ行って東大寺の大佛殿を見上げた時には巨大さに圧倒されたので、いりえの方が祖母=梢に似て度胸が座っているようだ。
「しかし、今日は10月31日だろう。茶山さんの定期便には間に合わないな」「茶山さんはキチンと毎月1日に発送してくるもんね」私が妙なことに気がつくと梢も同意した。茶山元3佐は綿密な計画を立案するとそれを確実に実施することに安心と快感を味わう陸上自衛官気質の体現者で、1カ月分の新聞を送ってくれている定期便の受付の消印は必ず1日の朝一番なのだ。多分、少しでも早く届くように前日の内に梱包を終えて郵便局が開くのと同時に発送してくれているのだろう。1日が日曜日や祝日であれば期待もできるが今年の11月1日は金曜日だ。
「そうだ。そろそろマスクを送ってもらう季節だから安里のお義母さんに頼めば良いよ」「そうね。風が冷たくなって随分乾燥してきたから頼むついでに言っておくわ」日本では風邪の予防と喉の保湿のため冬場の外出にはマスクが必需品だが、顔を隠すことを殊更に嫌うヨーロッパでは入手困難で毎年この時期に梢の母に箱単位で買って送ってもらっている。ところが高温多湿な沖縄でもマスクの需要は低く那覇市内の薬局スーパーで特別注文しているそうだ。
「それにしてもヨーロッパ人はどうしてマスクを嫌うのかな。こっちに来た頃には散歩でも不審者扱いされて職務質問の連続だっただろう。コンビニでも強盗だと思って身構えていたぞ」「最近は警察官やコンビニも慣れてきたけどね。やっぱり顔は自己主張の最高のアイテムだから隠すなんて考えられないのよ」「その割にサングラスは愛用してるけどな」確かに梢がマスクをはめると愛おしい顔の半分が隠れ、表情は目だけになってしまうから理解できないことはない。逆に日本人が「口ほどに物を言う」と評している目の表情はそれほど感じていないのかも知れない。ニュースから外れて雑談が始まってしまったが私はウガイをしていないことに気がついた。今日は出勤なので朝食を遅らせることはできない。
「首里城は結局、正殿と北殿に南殿の主要な建物が全焼してしまったみたい」「原因は判ったのか」「まだ調査中だけど火の気がないから電気系統の可能性が高いってマスコミは言っているそうよ」仕事を終えて帰宅すると実家に連絡した梢が首里城の火災の続報を説明した。
「ウチのマンションの部屋は首里城とは反対側だけど沢山の消防車のサイレンで目を覚ましてベランダに出たら風で煙が流れてきて木材が焦げる臭いが凄かったって」言われてみれば安里家は十数階建てのマンションの上の方の階だが西向きなので首里城とは反対だ。それでも風に乗って黒煙が届き、建材が焦げた臭いまで感じるとは巨大な木造建築物が全焼した火災の凄まじさが実感できた。梢と通った県立博物館で読んだ解説によれば首里城の正殿は推定で13世紀末から14世紀初頭に原形が建設され、1453年に琉球王家の王位争いの騒乱で全焼している。以降、1660年と1709年にも火災が発生したが、この時は島津藩から大量の建材が提供されて原形よりも壮大な宮殿になった。そして1945年の沖縄戦での破壊だが、今回で焼失は5回目になる。ちなみに東大寺の大佛殿の焼失は1181年の平重衡の南都焼き討ちだけだと思われているが、戦国末期に松永久秀と三好3人衆が奈良で戦った時にもキリシタンの軍兵が佛教寺院を破壊するために放火して全焼している。
「建材は沖縄裏白樫と犬槇(イヌマキ)だったよな」「正殿の高さは18メートルあるから沖縄で柱材に使える木は裏白樫しかないのよ」やはりデートで通った県立博物館で学んだ知識は思い出と一緒に頭と心に深く刻み込まれている。受験勉強も梢と励めば完璧だっただろう。
  1. 2021/11/16(火) 14:22:15|
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