1993年の明日2月1日はオランダ駐在武官だった時にヨーロッパでの第2次世界大戦が始まるとナチス・ドイツのオランダ侵攻の情報を察知・通報してオレンジナッソー勲章を受けた渡名喜守定(となきしゅてい)大佐の命日です。
渡名喜大佐は明治35(1902)年に沖縄県で生まれ、大正11(1922)年に海軍兵学校を50期生として修了しました。同期には海軍体操の考案者で海軍陸戦隊の落下傘部隊の指揮官、敗戦後にオランダの逆恨みで事実無根の戦争犯罪で銃殺された堀内豊秋大佐や後の航空幕僚長の佐薙毅空将、自衛艦隊司令官の吉田英二海将がいます。
中佐の時、オランダ駐在武官として赴任すると1939年9月1日にナチス・ドイツがソ連と共にポーランドに侵攻して第2次世界大戦が始まりましたが、オランダでは第1次世界大戦でプロシア皇帝・ウィルヘルム2世の亡命を受け入れるなどナチス化とは別にドイツとは緊密な友好関係にあり、地理的にはドーバー海峡の対岸のイギリスやベルギーを隔てたフランスの援軍を期待できるため危機感を持つことはありませんでした。
ところがナチス・ドイツはポーランドに続いてフランス侵攻を計画し、平坦な大陸に戦車部隊を横一線に進行させる得意の機甲戦術には第1次世界大戦後にフランスがドイツの国境線に構築した陣地帯・マジノラインが障害になりました。そこでオランダとベルギーを攻略して迂回路を確保し、併せて航空基地を建設して対岸のイギリスへの抑えとすることを決定したのです。
しかし、ナチス・ドイツ軍内には皇帝・ウィルヘルム2世を厚遇しているオランダに対して感謝の念を抱く貴族階級の士官が多く、イギリス陸軍情報部隊の士官がドイツとの国境付近で親衛隊に逮捕された事件を「中立義務違反」として侵攻を決定すると情報を漏洩するようになりました。その情報を耳にした渡名喜中佐は1940年9月27日の日独伊三国同盟締結に向けてナチス政権内に喰い込んでいる駐ドイツ日本大使館に接触し、オランダ侵攻計画が事実であることを確認してオランダ軍に通報しました。
さらにナチス・ドイツ軍情報部の大佐は決行日時まで漏洩しましたが、空挺部隊による奇襲作戦が中心だったため悪天候で延期が繰り返されて警告を受けた連合軍は信用しなくなってしまい1940年5月10日に実施され、17日に占領されました。
この事前情報が役立ったのは女系王家の亡命で女王と娘の王太子は5月13日にアドルフ・ヒトラー総統から「女王捕縛の命令」を受けていた機甲部隊が王宮に到着する30分前に脱出し、イギリス海軍の駆逐艦で対岸に渡ったのです。
この勲功により渡名喜中佐にはライオン勲章に次ぐ主に軍人に贈られるオレンジナッソー勲章でもオランダ軍の大将や中将よりも格式が高い勲3等が授与されました。
帰国後は大佐に昇任して軍令部参謀、南西方面艦隊参謀、大本営参謀県海軍大学校教官、水上機の福山航空隊司令を歴任し、敗戦後は沖縄へ帰って沖縄銀行の理事や捕鯨・漁業・水難・海外移住公社などの団体の理事長や会社の社長を務めました。中でも沖縄観光開発事業団理事長として富見城市の海軍司令部壕の復元に尽力しています。
- 2022/01/31(月) 14:36:35|
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「最近、市役所の端末へのアクセス数が異常に増えてるよな」「それでもパスワードは正確だから違法アクセスではないでしょう」最近、総務省で地方自治体の業務情報のデジタル化推進を担当している職員たちは使用実績を確認する度に同じ言葉を交わしている。日本各地の地方自治体では新型コロナ・ウィルス感染症の予防ワクチンの接種が進まない原因が昔ながらの文書による情報管理にあると批判された管政権が提言し、石田政権が推進したデジタル化でコンピューターに入力したデーターの閲覧回数が急増しているのだ。それも同時期に全国一斉なので担当者が奇異に感じるのは当然だ。
「それもアクセスしたデーターをコピーしていますから外部への持ち出しが目的でしょう」「秘密に指定されているデーターじゃあないから法的には問題ないにしても課長に報告しておくべきだな」「この間、私が耳に入れたけど官邸主導のデジタル化にケチをつけるような話は口にするなって怒られちゃったわ」「なるほど。石田政権になって政府が細かいことばかり気にするようになったから中間管理職も神経質になってるだな。危ない危ない」同僚の体験談を保身の術と理解した担当者は余計な問題意識は放棄することにした。
「研究部の業務とは関係ありませんが中国が国家情報法を発令したようです」同じ頃、目黒駐屯地にある陸上自衛隊教育訓練研究本部では部長会同の席でモリヤ将補が本部長に場違いな報告をしていた。通信幹部でありながら通信部隊ではほとんど勤務しなかったモリヤ部長だが、通信学校の副校長兼企画室長だった頃の学生たちは敬意と親愛の情を抱いていて顔をみれば挨拶し、立ち話くらいはするようになっている。この情報も陸上自衛隊でサイバー攻撃に対処する専門部隊で勤務している中堅幹部に耳打ちされ、夫譲りの探求心を発揮した。
「国家情報法では外国で居住する中国人にも共産党への情報提供を義務づけているはずだな。何か具体的な動きがあるのかね」本部長は気疲れしたような顔をさらに険しくして質問した。本部長は日韓の対立の激化を受けて指揮幕僚課程や高級幹部課程の韓国陸軍の留学生が揃って帰国したことを耳にした首相が閣議の席で防衛大臣を叱責したため内局から非難の水を浴びせられて将官としての足元がぬかるんでいるのだ。
「これは情報保全系からの情報ですが、中国と姉妹都市になっている各地方自治体に配置されている交歓員がパスワードを聞き出して住民票のデーターを閲覧しているようです。それに韓国の交歓員も同調しているので大量の個人情報が流出しているのでしょう」「その個人情報にはどのような情報が含まれているんだね」「一番の問題は家族の職業が特定できることです。つまり官舎だけでなく自宅を購入した自衛官の住所が知られることになります。それに公立学校や教育委員会の学童生徒名一覧を照合すれば隊員の子供の行動まで把握されます」日頃からモリヤ将補の危機意識は柔軟な思考で存分に発揮されているが、今回の衝撃は想像以上に大きかった。本部長以下の各部長たちも将補の年齢になれば自宅を保有し、独立した子供以外の家族はそこで暮らしており、自衛官個人が攻撃対象になれば家族が危険に晒されることになる。
「それで中国や韓国と姉妹都市になっている市町村はどのくらいあるんだね」部長の1人が冒頭に「担当業務ではない」と断ったモリヤ将補に専門外の質問をした。それでもモリヤ将補の雑学の知識の量と質は常人を域を超えているので回答は期待できる。
「某大学教授の論文からの引用なのでデーターは古いですが1998年の段階で3300あった市町村の地方自治体が友好都市提携を結んでいったのはアメリカが393都市で30パーセント、中国が252都市で19パーセント、オーストラリアが89都市で6パーセント、続いて韓国が74都市で5パーセントです。その後の韓流ブームもあって韓国が急増しているようです。愛知県田原市のように在日韓国人の市民が帰国して戦没者や反政府デモの犠牲者の慰霊に行く戦没者霊園があるソウル特別市銅雀区と友好都市提携を結んでいる例もありますから政治的な策略の可能性も否定できません」「それを言えば名古屋市は中国が大虐殺の舞台と言っている南京と姉妹都市だろう」「あれは社会党と共産党に自治労が擁立した本山政雄市長が呼びかけたんです。南京市の友好都市第1号らしいですよ」やはりモリヤ将補の雑学の知識は只者ではない。モリヤ将補が守山で勤務した経験があることを知らない部長たちは感心を通り越して唖然とした。ただし、この雑学は第10通信大隊無線中隊長だった時に先任陸曹の島田信長元准尉に教えられた。
「私も元通信幹部として総務省が進めるデジタル化の参加企業が日本限定になっていないことを危惧していましたが、それ以前にスパイが各地方自治体に送り込まれていたと言うことですね」「しかし、石田政権に言っても無駄だろう。国家と言う視点と世界と言う視野を持ち合わせていないからな。だから中韓が攻勢に転じたんだ」本部長が出した結論は諦めだった。
- 2022/01/31(月) 14:34:51|
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昭和22(1947)年の1月31日に共産党の指揮を受けて日本の共産主義化を画策していた国鉄労働組合、国家・地方公務員、教職員、郵便局、電電公社などに一部の主要産業を加えた労働組合が吉田茂保守内閣の打倒を目指した2月1日のゼネラル・ストライキが占領軍のマックアーサー総司令官の命令によって中止になりました。
占領軍は当初、日本にアメリカ式の民主主義を定着させるため労働者に権利意識を植えつけようと労働組合を保護し、治安維持法違反の政治犯として収監されていた共産党の幹部たちを釈放して政党として合法化しました。そのため共産党も占領軍を解放軍、マックアーサー司令官を解放者と位置づけ、結党の目的だった共産主義革命は隠蔽すると労働組合を支持基盤にした選挙による政権奪取を標榜するようになりました。
そのため労働者の人気取りとして企業の業績を無視した賃上げ要求を繰り返し、一社が拒否すると他の企業の労働組合にもストライキを指示して賃上げを勝ち取る戦術を常用するようになり、これが敗戦後の経済復興の障害になっていきました。
特に公務員労組や教職員組合は経済復興を優先する保守政権が企業への課税水準を抑えていたため給与が大手企業に比べて低かったので国家の財政事情を無視して倍額の賃上げを要求し、社会への影響が大きい国鉄労働組合を巻き込むことで政府を窮地に追い込むようになり、やがてこの戦術が政治目的に利用できることに気づいたのです、
しかし、吉田首相は教職員組合や公務員労組の要求には断固として屈せず、むしろ国民への奉仕者である公務員の労働組合が共産党の指揮を受けていることを問題視して昭和22(1947)年の年頭の辞で「政争の目的のためにいたずらに経済危機を絶叫し、ただに社会不安を増進せしめ、生産を阻害せんとするのみならず、経済再建のために挙国一致を破らんとするが如き者あるにおいては、私は国民の愛国心に訴えて、彼らの行動を排撃せざるをえない(中略)しかれどもかかる不貞の輩が我が国民の中に多数ありとは信じない」と批判したため、共産党や公務員労組や教職員組合を始めとする全官公庁労働組合拡大闘争委員会が中心になって吉田内閣打倒と言う政治目的での一斉無期限ストライキ=ゼネラル・ストライキを決定したのです。
これを受けて吉田内閣はやむなく占領軍に中止命令を出すように要請しました。すると占領軍司令部も共産党指揮の労働運動が政治目的になっていることを危険視するようになっていて全官公庁労働組合拡大闘争委員会の議長を呼んで中止を勧告しましたが拒否し、逆に参加規模が拡大したためマックアーサー総司令官に国鉄や海運のストライキで軍需物資の輸送が滞ることを説明して中止命令を出すことを要求したのです。しかし、帰国後に大統領選挙に出馬する予定だったマックアーサー総司令官は労働組合の反発を危惧して口頭での伝達に留めましたが、労組側が応じないためこの日の夕方に文書を伝達した上で議長をNHKに連行して中止を放送させました。
この結果、共産党は労働組合の支持を失い、戦前の武力革命路線に回帰したため公安当局の監視対象になりました(後に武力革命路線=学生運動過激派は社会党左派に奪われた)。
- 2022/01/30(日) 15:39:42|
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「閣下、お呼びとのことで馳せ参じました」数カ月後、陸上幕僚長室には埼玉県の朝霞駐屯地から陸上総隊司令官、熊本県の建軍駐屯地から西部方面総監が呼び出されていた。陸上総隊司令官にとって陸上幕僚長は前任者なので親近感を抱いても良いはずだが、長年防衛大学校出身者で独占してきた地位を横取りした東京大学卒として内心では敵視しているようだ。
「実は書簡や電話では説明できない情報が届いたので、お2人にご足労を煩わした次第だ」陸上幕僚長は2人を促してソファーに座り、コーヒーを運んできたWACの陸曹が退室すると英文の書類を先ず陸上総隊司令官に見せた。実は北部方面総監を加えた3人は同期で、次の陸上幕僚長レースでは1期後輩の東北方面総監、私立大学卒の中部方面総監を除くライバル同士でもあり、こちらも内心では対抗意識をくすぶらせている。
「これは・・・」陸上総隊司令官は翻訳していない英文を読み終えると口ごもりながら向いの席の西部方面総監に手渡した。西部方面総監は後回しにされた不満は微塵も見せずに受け取って書面に目を落とした。英語は在日アメリカ軍との連携と調整も担当している陸上総隊司令官の方が得意かも知れない。その点、二松学舎大学卒の中部方面総監の英語力には興味が湧く。
「例の諜報組織からの報告ですか」「最近は大使館の公式文書として外務省経由で届いていたんだが、外務官僚が官邸に持ち込む危険性があるから今回は防衛駐在官がアメリカ軍の軍事通信組織に依頼したようだ」「確かに石田政権に知らせるには内容が危険過ぎますな」陸上幕僚長の説明に西部方面総監が読みながら相槌を打ち、陸上総隊司令官もうなずいた。
「それにしても中国が韓国を使って日本に軍事的挑発を仕掛け、マスコミの批判報道で石田内閣を縛った上で軍事介入すると言う事態が本当に起こると思いますか」陸上総隊司令官の質問に陸上幕僚長は険しい顔で見返し、西部方面総監は2人の顔を見比べた。
「中国としては政権継続が決まった国家主席が共産党大会で公約した任期中の台湾統一がバイデン政権の強硬姿勢の表明で実現が難しくなって、その代わりに以前から中華帝国の属国と主張していた琉球王国、つまり沖縄に食指を動かしたと言うことだ」「しかし、バイデン政権は尖閣諸島も日米安保条約5条の適用対象地域だと明言していますが」「尖閣諸島や在沖縄アメリカ軍が駐留していない離島なら可能だろう」陸上幕僚長の見解に沖縄を担当する西部方面総監が疑問を呈すると陸上総隊司令官が補足した。
「君にはさらに難問が出題される。その軍事介入の理由づけに韓国が対馬などの日本海側の離島を占領する可能性が高いと言うんだ」「確かに危険地域の一覧にTSUSHIMAとありました」文書は西部方面総監が読み終えて陸上幕僚長に返したが、通信文式の文体で用件の概略を記した後、攻撃目標となる可能性が高い地域が一覧にしてあり、その中に対馬もあった。
「OKINOSHIMA(隠岐島)とMISHIMA(見島)もありました。だから私が呼ばれたのですね」西部方面総監の指摘に陸上総隊司令官も同調した。陸上総隊司令官は航空総隊司令官とは違い各方面総監に対する指揮権を与えられておらず、複数の方面隊が共同で対処するような大規模な事態で指揮権を付与され、それ以外は調整機能を果たしているだけなのだ。その点では大湊、横須賀、舞鶴、呉、佐世保の各基地に配備されている自衛艦隊所属の外洋型艦艇は指揮しても各総監部所属の近海用艦艇は指揮できない自衛艦隊司令官に近い。
「対馬は李明博政権も軍に奪還作戦を研究させたことがありますが」「あの時は民政党政権だったから在日アメリカ軍を通じて情報を伝えられても政府には知らせなかった」「韓国が侵攻ではなく奪還と考えていることが問題なんだ」3人は李明博政権の最高幹部が慢性的な低支持率を打開するために韓国軍に対して対馬奪還作戦の研究を指示し、危機感を抱いた韓国軍が在韓アメリカ軍に相談したことでホワイトハウスに発覚した一件を前例に引いた。しかし、今回も加倍内閣の外務大臣として日韓合意を締結しながら一方的に破棄されたことに特別な反応を示さない石田首相の政権なので韓国への外交的な対応は期待できない。
「彼らは国連本部へも調査に入っているようだが、どうやら中国と韓国はこれまで歴史上の領土と主張してきた琉球と対馬を実力で回復すると主張するつもりらしい」「馬鹿な・・・しかし、中国は常任理事国ですから有り得ない話ではないですね」ここで陸上幕僚長に促されて2人も冷めてしまったコーヒーをすすった。妙に苦みが強く感じる。
「そうなると対馬と沖縄の2正面の戦力を増強しなければなりません。しかし、沖縄はどの島に来るかが判らないと守備隊にはならないでしょう」「戦力の分散配置は日本軍が太平洋諸島で犯した大失策だ。離島防衛の基本は制空権と制海権の維持であって、我々は占領されて脅威となり得る島の奪還だ」「我が水陸機動連隊の出番か」「それが『戦略の具現と作戦の完遂』なんですね」陸上総隊司令官は前任者=陸上幕僚長の統率方針を納得したように口にした。
- 2022/01/30(日) 15:36:55|
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「バイデン政権の調停は不調に終わりそうだな」ニューヨークでも日韓の対立を超えた緊張の高まりを深刻に注視していた。新聞の回し読みをしながらの松山1佐の呟きに即座に2人が顔を向けた。杉本は愛人にしていたジャーナリストの安楷林(アン・ヘリム)を口封じのために殺害するまで朝鮮語圏の担当であり、岡倉の妻の知愛は韓国陸軍の元少佐だけに切実だ。その知愛は自宅でインターネットの韓国語のサイトを検索して情報を提供してくれている。
「国務省の友人に訊いてもバイデン大統領は加倍首相や管(くだ)首相は個人として全幅の信頼を置いていたそうですが、石田首相には不信感をつのらせているそうです。だから特別な指示は受けていないようです」先ず岡倉に連れられて国務省に顔を売ったリンゾーが報告した。つまり日本のマスコミが国民に期待を喧伝している仲介は単なる業務と言うことになる。それにしても数回会っただけの相手を「友人」にしたリンゾーの認識はかなり甘い。この業界で「友人」と呼べるのは共に死線を越えられると確信した相手だけだ。
「ペンタゴン(国防総省)に至っては米日韓の軍事同盟は最早崩壊した。これ以上、在韓米軍の軍事機密を中国に漏洩されるよりも日本と一緒に叩いた方が良いと言ってますわ。ただし、加倍首相なら誘えるが石田首相では危ないとつけ加えました。多分、ジョークにしたいのでしょう」松本が続けた説明に松山1佐は黙ってうなずいた。実はこの組織の活動成果も加倍政権の時にはワシントンの防衛駐在官を通じて管官房長官に直接報告することができたが、石田政権では非合法組織の存在を危険視して抹殺に動く可能性が否定できず、陸上幕僚長宛てに戻っている。工藤が現場で活動していた頃、自衛隊のPKO派遣が計画されたため危険を冒してカンボジアに潜入して内戦状態にある現地情報を報告したが、宮沢喜一内閣は完全に無駄にした。石田首相はその宮沢喜一首相を師と仰いでいるらしい。
「それからもう1つ、注意を要する兆候があるんだ」「やはりな」今度は杉本が口を挟むと聞く前に岡倉が相槌を打った。杉本が言おうとしたことは岡倉だけでなく全員が判っている。アメリカでは1997年に中国の政治工作員のアイリス・チャンが日本の戦争犯罪を捏造した「ザ・レイプ・オブ・南京」を出版して以降、中国は多くの華僑が移民している西海岸を拠点に反日活動を展開し、経済力の拡大でアメリカの大手マスコミの株式の買収を進め、サンフランシスコ市長を当選させるほどの組織票とロビー活動で連邦議会の議員を籠絡している。そこに戦時売春婦問題で反日を外交カードにした韓国系移民も公然と加わるようになり、今では朝鮮半島南北の移民が華僑と一体化しているのだ。
「西海岸でか」「いいや、すでに東西両岸の大都市では組織ができているようだ」杉本の説明にリンゾー以外の全員が顔を曇らせた。アメリカでは日系移民は第2次世界大戦のヨーロッパ戦線で他に類例を見ない多大な犠牲を払いながら勇戦した第442戦闘団の功績でアジア系移民の中でも別格の地位を与えられているが、アメリカ社会に溶け込もうとする美意識のためチャイナ・タウンやコリア・タウンのような移民街を造ることはなく、組織だっての政治運動を避ける傾向が強い。若しも韓国系移民が北朝鮮や中国系の移民と一緒になって反日運動を起こせば現在も中国資本に買収された大手マスコミが韓国側の主張の正当性を喧伝しているようにアメリカの世論を誘導し、日本が原因を作ったことにされてしまう。
「それでも新型コロナは変異株が続出してるからデモはできないでしょう」「中国と韓国はネット戦術も常套手段だから架空のデモはお手の物だよ」新型コロナ・ウィルスは中国の細菌兵器としての威力を存分に発揮していて、西側が予防ワクチンや治療薬を開発して普及させるとその裏をかくような変異株が次々に出現して鎮静化することがない。そのため感染者数の減少で行動規制が緩和されて市民が解放感を満喫する前に規制が再開されることが繰り返されて、それが各国の政権への不満になっている。今回はデモを阻止できることは幸いのようだが、家に引きこもってインターネットを利用する人間が多ければ政治的効果は激増する。
「どちらにしても出国は手続きが厳格になっているから控えなければならない。この際、アメリカ国内の韓国と中国華僑移民の反日活動を監視することにしよう。杉本さん夫婦は韓国と中国の軍事行動の可能性を探ってくれ」「やはり・・・」松山1佐の指示に杉本は吐きかけた言葉を呑み込んだ。対潜哨戒機の撃墜事件自体は大統領選挙で後継者の圧倒的不利を逆転する謀略であるとしても政権の継承が実現してからも韓国の敵対行為は激化していて、最近は中国も連携しているかのように東シナ海での軍事行動を常態化させている。その向こうには中韓に北朝鮮を加えた枢軸国による対日戦争がチラついてならない。
「それから国務省とペンタゴンだけでなく国連本部の動きも気になる。国連本部には僕が行こう」「所帯が小さいのが辛いところですね」岡倉の自虐的皮肉に松山1佐も苦笑した。
- 2022/01/29(土) 15:59:54|
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独り住まいになった森田定年2佐はカセット・テープでコレクションしている昭和歌謡を聞きながら警備課程の課長兼主任教官時代の研究を再開している。テレビは秀子が実家に持ち返ってしまった。それにしても映画やテレビの特集番組を録画したDVDもそうだがCDは外観では判らない劣化で再生不能になり、カビにだけ気をつけて保管すれば視聴を継続できるビデオやカセット・テープの生産を中止したのは家電メーカーの大失策だ。
「海栗島と見島に警備要員を増強するべきです」数日後、森田定年2佐は西部警戒管制団司令部防衛部に封書を出した。宛先の防衛班長は3佐なので肩書の元2佐は効き目がある。
西部航空警戒管制団隷下の第19警戒隊が所在する海栗島は対馬の北端から数百メートルに浮かぶ孤島で韓国とは直線距離で40キロしかない。それだけでなく対馬の南端にある陸上自衛隊の対馬駐屯地からは約80キロになる。一方、第17警戒隊がある見島は山口県萩市から約45キロ、朝鮮半島からは最短距離で約180キロだ。
「OBから興味深い提言が届きました」森田定年2佐の手紙を熟読した防衛班長は直属上司の防衛部長に報告した。本来は業務の参考にすればすむ私信だが、今も「基地警備の第1人者」と言われている森田定年2佐からの提言であり、実施を検討する価値があると判断したのだ。
「森田敬作3佐か、相変らず警備の神さまをやってるんだな」防衛部長は封筒の差し出し人を見て唇を歪めて呟いた。兵器管制幹部の防衛部長は離島の警戒隊長だった時に森田3佐の訪問を受け、基地警備に関する質問を2佐の自分を追及するかのように投げつけられたことがある。その内容は航空自衛隊の常識を逸脱していても傾聴に値したので同様の被害を受けた警戒隊長たちと「警備の神さま」と呼んでいた。
「確かに日本海側のサイトは海上からの攻撃には無防備に近い。人員を増強する必要性は認めざるを得ないな。しかし、日韓の対立の今後の展開を推測できない段階で増強するのは難しいだろう。人員を配置すれば食料を追加補給しなければならない。差し出した部隊は負担が重くなる。それを長期化させるのは現実的じゃあないよ」「森田2佐は西警団内で対処するのではなく防府南や芦屋の基幹隊員を使うように言っていますが」防衛部長は書簡を速読しただけなので十分には理解できていないようだ。空曹時代は警戒管制員だった森田定年2佐も日本海のコリアン・アンノウン(韓国から発進しているが飛行計画が届いていないため国籍不明機に識別している航跡)だけでなく東シナ海のチャイナ・アンノウンの出現奇数が急増していることは知らなくても緊張の激化で実動部隊の対処が増大することは体験的に理解している。
「そうなると横田(総隊司令部)に浜松(教育集団司令部)に要請させなければならん。幕(航空幕僚監部)を動かすには根拠が弱いな」「それでは森田2佐が指摘しているように官舎の家族だけでも本土に避難させないと危険に晒すことになります」森田定年2佐は韓国軍が朝鮮戦争やベトナム戦争で民間人を惨殺してきた史実を説明しながら分屯基地とは別の地域に設置されている官舎の警備の強化を提言している。兵器管制幹部の防衛班長は山頂のレーダー・サイトの運用管理班長として勤務したことがあり、森田定年2佐の指摘を読んで分屯基地から遠く離れた麓にある官舎が格好の攻撃対象になることを痛感していた。
「家族を避難させるには官舎を用意しなければならん。子供の教育の問題もある。過剰に動けばマスコミは『自衛隊が戦争の準備を始めている』と面白おかしく書き立てるぞ。少し冷静になれ」「それでは奇襲攻撃に対処できません」防衛部長の常識的な態度に苛立ちを覚えた防衛班長は語気を強めてしまった。
「失礼しました」「西警団で勤務していると韓国軍が日本を仮想敵国にしているのを目の当たりにするから現実として危機感を抱くのは理解できる。森田3佐は現場を離れた元警備職の立場で提言しているんだ。我々は現実的に可能な対策を講じなければいかん」防衛部長の指導にい防衛班長は背中に力を入れて姿勢を正した
「派遣要員を指定しておいてヘリ隊のCHー47で緊急空輸できる態勢を整えましょう」「チヌークは武装した隊員を何人乗せられるんだ」「搭乗可能人数はセンター・チェアを設置して55名になっていますが・・・」Cー1輸送機の搭乗可能人数は60名だが落下傘を装着した空挺隊員は45名になる。ただし、航空自衛隊の軽武装では55名と考えても良いはずだ。
「幕にも確認の形で警鐘を聞かせておけ。東京ではどこまで危機感を持っているのか判らん。石田政権はいまだに腹を括れんようだからヒラメ(=上しか見ない人間)の連中は余計なことは言わずに黙んまりを決め込んでいるだろう」「森田2佐には礼状を出しておきます」「次の意見具申は幕に出してもらいたいものだな」防衛部長の皮肉は森田定年2佐ではなく航空幕僚監部を揶揄している。防衛班長は黙って10度の敬礼をした。
- 2022/01/28(金) 14:51:05|
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「秀子と別れることになりました」「お前たちも定年離婚かな、もし」夕食後、秀子の松原家を訪ねて義兄に報告すると東京のテレビが垂れ流している軽薄な流行を持ち出した。確かに森田定年2佐と秀子は結婚して以来、模範的夫婦を演じてきたので他の理由が思い当たらなくても不思議はない。そんな2人の結婚は森田定年2佐が高校時代に秀子に夜這いをかけたことが高校や近所で評判になって焦った松原家が森田家に責任を取らせて決まった。
「離婚の理由は秀子の不倫です」「やっぱり・・・愛媛に帰って昔の悪い虫が騒ぎ出したのか、判りました。申し訳ありません」離婚理由を説明すると妹の結婚前の行状を知っている義兄は即座に承諾した。秀子は短期大学に入ってからは愛媛でも流行り始めたディスコ通いと男遊びを始め、外泊を繰り返して両親を悩ませていた。両親は当然、娘の恥を口外しなかったが、母と不仲だった祖母が「母親の育て方が悪い」と言い触らしたため周知の事実になって婚期が遅れたのだ。畳に両手をついて深く頭を下げた義兄は秀子が結婚した時に両親が妻の心構えを厳しく教育していた場面を思い出していた。
数日間の話し合いの末、森田定年2佐と秀子の離婚が決定した。2人の離婚は秀子の不貞行為が原因なので慰謝料の請求権は森田定年2佐にあるが、秀子は専業主婦なので残っている退職金の2分割と購入した中古自宅の所有権の放棄で相殺することになった。
「はい、問題ありません」森田定年2佐が昼休みに市役所に行って緑線の枠の離婚届を提出すると受け付けた住民課のベテランの女性職員は浮気相手の妻だった。婚姻届や出生届を受けつける時には殊更に愛想笑いを作り、「おめでとうござます」と声をかける住民課の職員も逆の離婚届や死亡届けでは努めて感情を交えずに淡々と処理する。今回もパソコンで住民票と照会しながら記載内容を確認すると事務的に受理した。今回、森田定年2佐はあえて実印を押したが事務所処理上の必要がないので印鑑登録は確認しなかった。
「貴女も時間の問題ですね」「えッ、どう言う意味でしょうか」「そんな気がしただけです。ご主人によろしく」森田定年2佐は離婚届を受け取った女性職員が左手の薬指にはめている古びた結婚指輪を見て皮肉を投げかけてしまった。ここで離婚理由を具体的に説明する報復もあるが、小石を投げて水面に波紋を立てる程度に留めた。
「自炊を始めないとな・・・」今夜の夕食はコンビニエンス・ストアで買ってきた弁当と味噌汁にサラダだ。缶ビールは箱で買い置きがあり、出勤する時に冷蔵庫の中に並べておいた。ツマミは弁当と一緒に買ってきたズナック菓子になる。
秀子は離婚の話し合い中から衣類などを実家に持ち込み、住むことになった車庫を兼ねた別宅の2階に運び込んでいた。その別宅の2階は森田定年2佐が夜這いをかけた現場でもある。
「防秘はないけどな・・・」秀子は仕事に行っている間に荷物を運び出していたので、森田定年2佐は残っている荷物を確認しながら重大な問題を考えていた。森田定年2佐が定年後も研究を続けようと手元に残していた資料は第3術科学校の警備課程の準備中に研究したアメリカ空軍憲兵隊から入手した航空基地警備の戦術と警察の機動隊の運用原則や基本動作などが中心だ。個人資格で入手できたので公的秘密には指定されていないはずだが民間人でも反政府活動家に知られて好ましい内容ではない。それを綴ったバインダーが書棚から抜けて数日後に戻ることが繰り返されるようになって職場の鍵がかかる書棚に移したのだが、防衛秘密に指定されていないので秘密漏洩に関する公的な手続きは必要ない。
「こんな警備戦術を民間人が知っても役立てる機会はないだろうが、問題は外国軍に漏れた場合だな」秀子がいなくなって書棚に戻ってきたバインダーの背表紙を眺めながら森田定年2佐は思案を巡らせた。森田定年2佐が策定した第3術科学校の警備課程では広大な航空基地と離島や山頂のレーダー・サイトの警備戦闘を教育していたが、航空基地では滑走路沿いに指向式地雷=クレイムアを並べて監視カメラで侵入者を発見すれば作動させ、警備戦闘は隊舎が建ち並ぶ地区での市街戦を想定していた。一方、人数が少なく地形が険しい上に施設が分散していて小銃弾が命中すれば電子器材が破損してしまうレーダー・サイトの警備は難問だった。森田定年2佐は視界清掃=視界の拡張のため「山を丸裸にするべきだ」と考えたが施設課程の教官から「陣地構築と並行しての伐採作業は無理」と否定された。
「秀子は自衛隊の訓練を人殺しの練習って言うようになったな。そうなるとクレイムアの導入は益々難しくなるぞ」クレイムアは対人用のため1999年に発効した対人地雷全面禁止条約では禁止対象になるかが議論になり、仕掛け式の場合は1982年に発効した特定通常兵器使用禁止制限条約のブービートラップに該当して遠隔作動式に限定されている。
「戦争で殺すのは人間ではなく敵だと理解しない国を防衛するのは無理だ」と痛感し直した。

イメージ画像・高校時代の秀子
- 2022/01/27(木) 14:14:21|
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「危ないな。海栗島と見島に警備要員を派遣しないと初動対処できないぞ」航空自衛隊を定年退官して愛媛県で蜜柑農協の支店長になっている森田敬作定年2佐は最近の日韓の対立の報道に門番=守衛に過ぎなかった警備職を航空陸戦隊=対テロ部隊に改革した現役時代の危機感が身体中に湧き上がってきた。今日の新聞には韓国海軍の艦艇が北朝鮮の工作船と疑われる小型船を護衛して日本海の見島と隠岐島に接近する訓練を実施した記事が載っている。森田定年2佐が警戒管制員として入間基地の中部航空警戒管制団で勤務していた頃、日本海で活動する北朝鮮の工作船を監視して石川県や福井県に接近すると各県警に通報したが「県労組が反発すると本部長が県知事に叱責されるから何もできない」と黙殺された。その工作船が日本人を拉致していたのだが今回は韓国の護衛付きだ。しかし、韓国も李承晩政権が人道上の理由で北朝鮮人を受け容れた新潟県の日本赤十字病院を破壊するため全国各地から多くの工作員を潜入させているので南北協同作戦になっても違和感はない。
「自衛隊を辞めて何年も経つのにまだ戦争をしたいの」森田定年2佐の独り言を聞いて台所で朝食の準備をしている秀子が嫌味を言ってきた。秀子は森田定年2佐が退官して愛媛に帰ってからは自衛隊を批判する言動を公然化していて日に日にその度合いを強めている。先日は韓国空軍が編隊で日本海を南下して航空自衛隊のADIZ=防空識別圏を突破したため緊急発進の増強態勢が発動された記事があり、森田定年2佐が曹侯学生だった1983年9月1日に発生したサハリン上空での大韓航空機撃墜事件の時に敷かれた臨戦態勢を説明しても「自衛隊があるから戦争が起こる」と冷ややかに言い放った。
「自衛隊は我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つために存在するんだ。戦争になって真っ先に死ぬことになる人間が戦争をしたいはずがないだろう」「でも貴方も謙作も嬉しそうに戦争の練習に励んでいるじゃない。好きでなくちゃ有り得ないわ」現役時代の森田定年2佐や北の最前線の陸上自衛隊の森田謙作予備3曹が進んで自らに厳しい訓練を課しているのでは、やり遂げた達成感を満喫するためであって秀子が言う戦争=人殺しを楽しんでいる訳ではない。それにしても定年退官後に妻の精神教育をする羽目になるとは思わなかった。
「自衛隊は戦争を防ぐ力を鍛えているんだ。強い人間が守っていれば敵も手出しできないだろう」「他人を敵と思うところが自衛隊なのよ。貴方は秋山兄弟と同じ根っからの軍人で正岡子規にはなれないわ」唐突に「坂の上の雲」に例えられたが、森田家は代々が農家で戦前は平時に徴兵で軍隊に入っただけで職業軍人はいない。戦後も森田定年2佐は幹部自衛官だったが、謙作予備3曹は即応予備自衛官でも酪農家の屯田兵なのでどちらが本業なのか微妙なところだ。
「仕事に行く前に気分が悪くなることを言うな。お前も予備自衛官の母親なら息子の仕事に誇りを持つべきだろう」「私は謙作を戦争に行かせないわ。あの年増の嫁は許しても私が謙作を守ってみせる」会話の内容を見る限り、売り言葉に買い言葉ではないはずが妙に秀子が攻撃的になった。これでは宣戦布告だ。
「飯はいらん。お前が作った餌なんか喰えるか」流石に森田定年2佐の堪忍袋は緒が切れてしまった。森田定年2佐は新聞を畳むと立ち上がって寝室に向かい農協の作業服に着替えて出勤した。朝食は途中にあるコンビニエンス・ストアで弁当を買ってすませた。
「お前、あの男とはどんな関係なんだ」「あの男って・・・」「K産党の運動員だ」数日後、帰宅した森田定年2佐は夕食の支度をしている秀子に質問をした。先日の口論で2人の間に亀裂が生じ、これまでは妻を信じる気持ちで否定してきた疑惑が反動のように強まって抑えることができなくなっていた。森田定年2佐は支店長になってからは営業に回るようになり、自宅の前を通ることもあった。すると何度か玄関前に同じ乗用車が停まっているのを目撃した。さらに市内で見覚えがある男が運転し、秀子が助手席に座っている同じ車に会った。
「貴方が思っている通りの関係です」調理していたガス・レンジの火を止めた秀子は台所の手前に立っている森田定年2佐の前に歩み寄ると決意を固めた顔で口を開いた。森田定年2佐も覚悟は決めていたが、それが現実になると衝撃は大きかった。
「アイツは独身なのか」「奥さんも市役所の職員よ」「それじゃあどうするつもりなんだ」「私と離婚するの」秀子は不倫しておきながら離婚するつもりはないらしい。確かに実家は同じ集落内にあり家族も先祖代々のつき合いなので今後の人間関係を考えれば離婚は切り出せない。
「お前、俺の自衛隊時代の資料をあの男に渡したな。時々、所在不明になるから職場で保管するようにしたがやはりお前だったのか」「だってあの人が自衛隊のことを知りたいって言うから・・・」「これで終わりだ」森田定年2佐にとっては秀子が自分個人を裏切ったこと以上に自衛隊を売ったことが許せなかった。そこからは離婚協議に移ることになった。
- 2022/01/26(水) 14:42:00|
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明治12(1879)年の1月25日に日本を破滅させる方向に世論誘導する工作機関である朝日新聞の前身の大阪朝日新聞が発刊されました。
朝日新聞の危険なところは文章力が極めて高いことで、読者はその美辞麗句の奥に隠された毒に気づかずに洗脳されてしまうのですが、大阪朝日新聞は政治的な記事は無いに等しく連載小説を紙面の中心に据え、空いたところに広告を載せ、残った部分で街中の噂話を紹介するようなローカル読み物新聞でした。
ところが明治11(1878)年に大久保利通さんが暗殺されて政府の実権を握った伊藤博文さんは同じ山口閥の井上馨さんや山県有朋さんと結託して西郷南洲さんと大久保さんの2大巨頭を失った鹿児島閥を政権中枢から排除して権力を独占することを画策し、江藤新平さん亡き後の佐賀閥を率いていた大隈重信さんも排斥する政変を起こすと伊藤さん一派が関西での世論工作に利用するため三井財閥を通じて秘密裏に経営資金を提供するようになり、政府の広報紙=御用新聞としての立場を固めたのです。そのため御用新聞として明治政府が朝鮮王朝内の守旧派と改革派の抗争に介入することに賛同して日清戦争を発生させ、戦争に勝利して獲得した大陸での利権を三国干渉で放棄すると帝政ロシアを敵視して国民を勝てる見込みが全くない戦争に駆り立て、すでに日本の戦力が尽きていたにも関わらず講和に反対しました。
この頃、朝日新聞は好戦的な論調に目をつけた共産主義勢力に取り込まれ、第1次世界大戦後は軍縮に賛成し、ロシア革命による共産主義の伝播を阻止するためのシベリア出兵に反対し、労農勢力の政界進出が期待された普通選挙法を推進しながら共産主義運動を禁止する治安維持法に反対しています。そして昭和の最初期に上海支局員の尾崎秀実(おざきほつみ)記者がスターリン書記長の子飼いのスパイ・リヒャールト・ゾルゲさんの工作組織に加わると日本を破滅させるための世論誘導を本格化させました。
大陸情勢に詳しい尾崎さんは近衛文麿内閣の外交顧問になり、関東軍が支那事変を起こすとソ連に対する戦力だった関東軍を南進させることを内閣で主張するのと同時に朝日新聞で大々的に扇動して国民の目を大陸の利権漁りに向けさせ、さらに近衛首相の「蒋介石政権は相手にせず」と言う失言を国民党幹部に伝えて停戦を封じました。
こうして日本が大陸に侵攻すれば利権を持つイギリスと衝突するのは必至でこれにアメリカを巻き込めば大戦争になって日本は壊滅的被害を受けて敗北し、その廃墟にヨーロッパとの2正面作戦で疲弊し切っているアメリカに代わってソ連軍が乗り込めば革命を起こさずに占領によって共産主義化できると言う台本でした。しかし、ナチス・ドイツが侵攻する誤算が生じてソ連が戦力を消耗し、日本も本土決戦を前に昭和の陛下が無条件降伏を決断されてアメリカが占領したことで朝日新聞の謀略は頓挫しました。
それでも戦後はアメリカの同盟国としての日本の弱体化を画策し続けて、中曽根康弘内閣や安倍晋三内閣などの有力な政権の執拗な粗探しや戦前の報道姿勢への懺悔を大義名分にした反戦平和報道=反安保反自衛隊闘争も目的は一つです。
- 2022/01/25(火) 14:25:36|
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「本当に戦争になるの」茶山元3佐から届いた先月分の日本の新聞をテーブルで向い合って読みながら梢が深刻な顔で訊いてきた。海上自衛隊のPー1対潜哨戒機が撃墜されてから半年近く経過し、韓国では異例の接戦と言われていた大統領選挙が行われて保守派候補が記録的僅差で当選したが、中国を宗主国と仰ぎ北朝鮮の属国化を進めていた前政権の残滓は払拭さていない。
「今度の韓国の政権は深刻な不況から脱却するするのに日本を利用しようとしたことだけだから支持率は当選したのが不思議なくらい低いんだ。大体、反日感情は軍事政権だった頃から公然化していたから前政権が油を注いでしまった以上、後は大炎上するしかないぞ。おまけに中国の党大会で政権継続が決まったら後ろ盾は盤石だ」最近の茶山元3佐からの定期便はオランダで散発的に報道される日韓の対立についての情報を一つの流れにまとめることが目的になっているが、それ以上に日本国内では在日半島人たちの抗議活動が過激化していて暴動寸前と言う様相を呈しているようだ。
「韓国軍は戦時には在韓アメリカ軍司令官の指揮下に入ることになるから、あくまでも武力衝突の続発と言う形態を辿るんだろう」「今回みたいに自衛隊が先に手を出したって嘘はもう使えないから次はどうするのかしら」「普通は使えないとっくにバレた嘘でも平気で使うのが韓国だよ。戦時売春婦の問題でも発端を作ったA日新聞の社長が誤報だって認めて謝罪してからも嘘に嘘を積み上げてロリ売春婦像を世界中に乱立させているだろう。あの国は常識を外して見ないと意図を見誤るぞ」確かに今回の日本の新聞にも韓国政府の主張が妙に詳細に載っているが、常識を有する人間なら信じるはずがないような弁解と批難を繰り返し、すでに論理破綻していることにも気づいていないらしい。
「それにしても石田政権は万事が後手後手に回っているな。撃墜事件の政府発表も韓国に先を越されて海上自衛隊がASMを発射したから応戦したなんて嘘が世界に発信されてしまった。海底の機体を撮影した映像も視聴者のPTSDに配慮して編集したから偽造だと決めつけられた。動かぬ証拠の機体と主翼を引き揚げても残っているASMは後で装着したなんて反論された。結局、余計な配慮をするから喧嘩腰の相手に痛撃を加えられないんだ」「その点、加倍さんは腰が座ってたよね。ヨーロッパ各国が絶大な信頼を寄せていたのも理解できたわ」加倍政権は朴槿恵大統領の弾劾退陣によって成立した前政権の実態を見抜き、日本のマスコミが喧伝する「隣国」「同盟国」と言う過去の定義を捨てて厳しく対峙した。さらに加倍政権は中曽根政権がアメリカのレーガン政権と協力してソ連を崩壊に追い込んだように中国の帝国主義的野望と一路一帯戦略の危険性を粘り強く説明し、中国資本に株式を買い占められているマスコミの「軍国主義者」と言う批判報道を信じていた欧米の政治指導者たちの信頼を獲得して共同で対処する対中同盟の構築に成功した。ヨーロッパで散発的にしか日本の話題に触れない生活をしていると加倍政権の記憶が薄らぐ速度が遅いため月に1回まとめて読む石田政権の体たらくから受ける失望感はかなり重い。
「そうすると自衛隊と韓国軍が殺し合うことになるのね」「海上自衛隊は朝鮮戦争の時も触雷して沈没した掃海艇の船底の調理室にいて逃げ遅れた隊員が戦死しているよ。そして今回の11人も海上自衛隊だ」航空自衛隊では「日本が侵略を受ければ緊急発進した戦闘機が撃墜されて開戦になる」と言われていたが、事態は予想通りには進んでいない。逆に戦闘で敵を殺したのは現段階でも私だけだ(朝山元3佐たちは戦闘ではない)。
私は防府南基地で勤務している時、周防大島で戦死した中谷城太郎隊員の両親に会って話を聞いたことがあるが、日本の戦争が終わって5年後に我が子が戦死した事実を受け容れることができず、靖国に合祀を要請しても「政治問題になる」と戦死者として認めない冷淡な拒絶を突きつけられて「無念の歯噛みをしながら暮らしてきた」と語っていた。
「沖縄は大丈夫かしら。両親は高齢になってるし、あかりと子供たちを抱えた淳之介一家も心配よ」「沖縄は日本で一番安全だな。いくら中国が本格介入してもアメリカを相手にすることだけは避ける。おそらくバイデン政権が日米安保条約の適用対象地域と明言している尖閣諸島やアメリカ軍が駐留している沖縄本島には手を出さないよ。バイデン政権は台湾の防衛義務も明言しているから八重山にも近づけないだろう」佐藤栄作内閣の椎名悦三郎外務大臣は国会で「日本にとっての在日アメリカ軍の存在意義」を質問されて「アメリカ軍は日本の番犬だ」と答弁し、「それはあまりにも失礼ではないか」と追及されて「アメリカ軍は日本の番をして下さるお犬様です」と訂正したことがあるが、中国と韓国が再現する元寇ではこの番犬をどのようにして黙らせるのか。ユーラシア大陸の逆の端の住民としては現実味が欠落した好奇心が湧いてくる。これも平成の30年間に愛国心を喪失した結果ではある。
- 2022/01/25(火) 14:24:15|
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敗戦によってアメリカ式民主主義が移入され、明治以来の行政組織の改革が進んでいたはずの昭和26(1951)年の1月24日に(山口県の)警察と司法の前近代的な体質が露呈した八海事件が発生しました。
事件はこの日の深夜に山口県熊毛郡麻郷村八海(現在の田布施町)で瓦製造業を営む64歳の夫が頭部を刃物で滅多打ちにされて鈍器で胸部を強打され、64歳の妻は鼻と口を押さえて窒息死させた後で梁から首を吊った上で金銭を奪われた極めて凶悪なものでした。
山口県警の旧・室積警察の捜査の結果、26日に金に困っていて窃盗の前科があり夫婦と面識があった経木(へぎ=薄板)製造業の22歳の男性が、着衣に被害者と同じ血液B型(本人はO型)の血痕が付着していて、事件後にタクシーや遊郭で遣った10円札の番号が被害者宅に残っていた10円札と一連だったことを証拠に逮捕されました。
ところが警察は2人を殺害した上、死亡した妻を梁に吊っていることから複数犯と推定していたため睡眠時間を与えない。目を開けさせて強い照明を当てるなどの傷が残らない拷問を加えて男性を追及した結果、28日になって窃盗の前科がある24歳の人夫の男性が首謀者で、強盗と窃盗の前科がある23歳と窃盗の前科がある22歳、そして21歳と24歳の人夫の知人5人が共犯者だと供述し、29日までに全員が逮捕されましたが、前科がない24歳の男性はアリバイが確認できたため釈放された一方で首謀者とされた男性と残りの3人は同様の拷問を受けて犯行を自供しました。
こうして始まった裁判では最初に逮捕された男性は自分を従犯とする起訴内容を全面的に認めましたが、他の4人は無罪・無関係を主張して争い昭和43(1968)年10月25日まで17年間に及ぶ長い裁判が始まったのです。
一連の判決としては昭和27(1952)年の山口地方裁判所の1審では首謀者にされた男性が死刑、最初に逮捕された男性を含む別の4人は無期懲役、昭和28(1953)年の広島高等裁判所の2審では首謀者とされた男性の死刑と最初に逮捕された男性の無期懲役は変わらず、強盗と窃盗の前科がある1人が懲役15年、残りの2人は12年になりました。しかし、昭和32(1957)年の最高裁判所の上告審では「事実誤認」として差し戻しになりました(最初に逮捕された男性は2審で上告しませんでしたが、仮出所中だった1976年に殺人未遂事件を起こして翌年に死亡しています)。
ところが広島高等裁判所の昭和34(1959)年の差し戻し審が最初に逮捕された男性の単独犯行として別の4人全員に無罪の判決を出すと最高裁判所は昭和37(1962)年の上告審でこの判決を破棄して再度差し戻し、今度は広島高等裁判所が昭和40(1965)年に最初の判決を復活させ、最終的には昭和43(1968)年10月25日に最高裁判所が最初に逮捕された男性の単独犯行として別の4人の無罪が確定したのです。
判事は代わっているとは言え同じ裁判所の判断がここまで極端に振幅するのは珍しく、同じ年の2月28日に名古屋高等裁判所が吉田石松さんの47年間に及ぶ冤罪を認めた昭和の岩窟王裁判と共に敗戦後の司法に対する信頼を大きく損なう失態でした。
- 2022/01/24(月) 15:09:35|
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私と梢のオランダでの生活は自衛隊を退役しても変わりはなく、新型コロナ・ウィルス感染症の予防ワクチンの接種が進んで行動制限が緩和されたのを受けて夜の散歩を再開させている。薄暗くなった海岸通りで会った警察官は親しげに声をかけてきた。最近は警察官もマスクをはめているが長年のつき合いなので互いに影の体型と歩調で人物は判る。
「ボンズ、軍をリタイヤ(退役)しても運動は維持するんですね」最近の私は作務衣を着ているので肩書は「僧侶」になる。ところが佛教の僧侶を英単語にすると一般的な聖職者を意味するクレリック、カソリックの修道士のモンク、カソリックの聖職者のプリースト、プロテスタントのミニスターなどがあり、オランダ人たちは日頃、教会の聖職者を呼んでいる単語を流用してくる。ところが梢の説明を受けても違和感を覚えるため「ボーズと呼べ」と要求すると妙に英語的な発音で「ボンズ」になってしまった。梢によると「ボンズ」は英語の佛教の僧侶の俗称として存在するらしい。考えてみればオランダに赴任してきた頃には日本国憲法9条で否定されている「アーミー(陸軍)」と呼ばれることを嫌って「グランド・ジエータイ(陸上自衛隊)」と言わせたが、「ボンズ」は英語なので普及・定着させたいものだ。
「女房とのデートも兼ねているからね。心身共に健康になれるんだ」そう言って梢の手を取ると黙って握り返してきた。信者の前では建前を演じているヨーロッパの聖職者たちに比べると私の説明と態度はかなり俗っぽいが、自衛官時代から開けっ広げに接してきたので苦笑しただけだった。尤も最近はカソリックの聖職者が少年に同性愛を強要していることが暴露され、それがバチカンにまで波及しているので、このくらい自然体の方が良いのかも知れない。しかし、カソリックの不祥事を児童虐待として告発しているのは毎度の人権団体なので、ヨーロッパの伝統的倫理を破壊する政治的意図を感じて同調はできない。
「ところでボンズの国はコリア(韓国)と戦争になるんですか」立ち話を切り上げて歩き始めようとしたところで思いがけない質問で呼び止められた。我が家で取っている英字新聞でも海上自衛隊のPー1対潜哨戒機が韓国海軍のコルベットに撃墜されて搭乗員11名が戦死した事件以来、日韓両政府の対立の激化は散発的に報じられているが戦争の可能性を指摘されたのは初めてだ。確かに歴史研究者として見る限り、今回は韓国の歴代政権が国民の支持を回復するための常套手段にしてきた反日世論の扇動とは次元が違うようだ。少なくとも韓国軍が武力行使によって自衛隊員を殺害した前例はない。
「可能性は高いね。若し戦争が始まるとすれば背後には必ず中国がいる。1274年と1281年に日本はモンゴル帝国の攻撃を受けているが、韓国の王朝は水軍を派遣して日本の対馬と壱岐島に上陸して島民を大虐殺した。さらに1419年にも日本と中国の関係が悪化すると海賊の壊滅を名目にして対馬に上陸して島民を大虐殺した。この大虐殺と言うのは誇張ではないぞ。韓国の水軍は漁村を見つけると上陸して家屋に火を放ち、老人から幼児までの手に穴を開けて紐を通して海岸に連行するとそこで皆殺しにした。使える女性は船に乗せて沖に出ると散々に強姦してから海に投げ込んで溺死させた。それは昔話だけじゃあなくて1950年代の朝鮮戦争でも北朝鮮の支持者狩りをしていた韓国軍が女性を強姦して村民を皆殺にしている。ベトナムでも同じことを繰り返しているんだ」話が戦争の可能性から反れてしまったが、韓国軍の残虐性を説明するためには仕方がない。
「ベトナム戦争ではアメリカ軍の市民殺害が問題になってヨーロッパでも反戦運動が湧き起こりましたけど韓国軍も真似したんですね」「それは違う。韓国が先にやったんだ。韓国海兵隊は1968年の2月12日にファンニィ・フォンニャット村で少なくとも69名を殺したが、女性は老女から幼女、妊婦まで強姦している。2月26日にもハミ地区で同じように135名を虐殺した。有名なアメリカ軍のソンミ村の504名殺害は3月16日だ。アメリカ軍の軍事裁判の記録では生き残った村民が韓国軍の犯罪と残虐性を訴えようと遺骸を道路脇に並べたの見て同じことをやろうと思ったらしい」話が反れたことを反省しているとベテランの警察官が余計な返事をしたため反れたまま先に突き進んでしまった。私もヨーロッパのベトナム戦争に対する反戦運動は1969年にヒットした新谷のり子の「フランシーヌの場合」で知っているが、まだ小学校2年だったので詳しくはない。
「流石は元中佐の検察官ですね。ところで最近、ヨーロッパ各地で朝鮮半島系と中国系の移民が合同で大規模な反日デモを計画しているようです。ボンズも奴らから見れば日本人ですから気をつけて下さい」「また新型コロナ・ウィルス感染症の流行が拡大して行動規制が再開されると助かるがな」「それは困ります」今回は警察官の方が反れた話にオチをつけてくれた。この反日デモが開戦のための世論工作でないことを願いながら梢と歩き始めた。
- 2022/01/24(月) 15:08:19|
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1872年の明日1月24日は「ラグビー校のフットボール(=現在のサッカーではない)の試合中に興奮した生徒がボールを持ってゴールまで走った反則プレーが発祥」と言うラグビー伝説の主人公とされるウィリアム・ウェッブ・エリス牧師の命日です。
野僧は幹部候補生学校で約8カ月間ラグビーの教育を受け、卒業前には何回か試合も経験しているのである程度は競技を知っているのですが、サッカーのロング・パスとラグビーでボールを持って走るのではスピードやボールを回す軽快さが格段に違うのでいくら興奮したからと言ってボールを持って走った理由が理解できません。
エリス牧師は1806年にイングランド北西部のランカシャー州サルフォードで近衛騎兵士官の二男として生まれました。1812年に父がナポレオン皇帝指揮下のフランス南方軍との戦役で戦死すると母は2人の息子を学費免除になるラグビー校の地域奨学生にするためウォリックシャー州ラグビーの時計台から半径10キロ以内の対象地域に転居した上で入学させました。ラグビー伝説は1823年秋に行われた校内のフットボールの試合中に起こったとされていますが確かにエリス牧師は1816年から1825年まで在学していました。ただし、エリス牧師自身はクリケットでは活躍しましたがフットボールは好きではなく試合にはあまり参加しなかったようです。
ラグビー校を卒業するとオックスフォード大学に進学して、修了後はイギリス国教会の牧師になりロンドン市内の教会で勤めた後、イングランド南東部のエセックスの教区牧師になり、ここで21名の聖職者とクリミア戦争に出征するイギリス軍将兵へのカミの加護を祈願した文章への署名と肖像画が残っています。
晩年は病気療養のため南フランスに転居しましたがその甲斐もなく64歳で亡くなり、墓地は長い間所在不明でしたが1954年になって南フランスのマントンの教会の地下で発見され、海が見える区画に改葬されたそうです。
エリス牧師の没後、ラグビーの普及と同時進行でエリス牧師のラグビー伝説が流布されるようになると信憑性が問題になり、1895年になってラグビー校のOB会が調査するとこの伝説は卒業生の弁護士が手記の中で紹介しているだけであることが判明しました。しかも弁護士は5年間エリス牧師と一緒に在籍していたものの伝説が発生したとされる1823年には卒業していて目撃談ではなく、ラグビー校の教員だった父親や在籍していた弟からの伝聞情報の可能性が高まり、信憑性は大幅に低下しました。
その後、生存している当時のOBたちに調査を広げたところ否定する証言はありませんでしたが、「エリス牧師はクリケットでは活躍していたがフットボールでは度々反則を犯した」と言う思い出話があっただけで、肯定=証明も否定もできないまま放置して現在に至っています。
それでもエリス牧師の名前はラグビーの発祥者として定着していてラグビー校には前述の肖像画を元に制作された丸いボールを持って走るエリス少年の銅像が立ち、ワールドカップの優勝杯には「ウェッブ・エリス・カップ」の名称が冠されています。

1中隊5区隊=イチゴだけに赤いジャージ
- 2022/01/23(日) 15:03:33|
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「母国の罪を懺悔して裸身を晒した日本の女」インターネットに書き込まれた全裸の佐藤有真が日本大使館跡地の正門前に設置されたままになっている戦時売春婦少女像の隣りの空いた椅子に座った画像は日本でも閲覧者が殺到した。投稿では氏名などの個人情報は伏せているが、両腕を後ろに回して若い乳房を露わにして、男たちに膝を開かされて股間の陰毛まで晒しながら屈辱と羞恥に歪んだ顔に涙を伝わせている画像は表題の政治的メッセージには興味を持たない日本の若者たちにも性的な刺激を与え、メールによって急速に拡散した。
「これって有真(ユジン)じゃあねェ(のか)」「ユジンって佐藤の有真か」「アイツは韓国に留学したから間違いないよ」その多くの若者の中に知人や友人がいても不思議はない。1人が気づけば別の友人にメールで確認し、そのメールの情報共有がネズミ算式に増えていくのがインターネットだ。数時間後には佐藤有真の高校の同級生の大半がこの画像を閲覧していた。
「アイツは高校時代から韓国大好きだったからな」「つき合ってたのも在日の奴だっただろう」佐藤有真は幼い頃から母親の韓国趣味に同調すれば機嫌が好くなることを学んでいたため高校時代も他の日本人の女子が距離を置いていた在日韓国人の男子と親しくなり、つき合い始めると家に呼んで母親に会わせていた。父親は母親の常軌を逸した熱中振りを嫌悪していたが、バブルの崩壊で勤めている家電メーカーが韓国企業に買収されて上司が韓国人になり、家で韓国語を習うようになったので佐藤家は韓国人の家庭状態だった。
「この続きはどうなったのかな」「当然、姦られたんだろう。皆に回されたんだよ」「そっちの画像はないのか」「今のところないよ」別の場所でスマート・ホンを見ていてもメールに熟練した若者たちの会話の速度は口頭と変わらない。日本のAVの抜粋のエロ動画は見飽きている2人は韓国のインターネットに氾濫している素人のレイプや投稿で流出したリアルなエロ動画を探していてこの画像を見つけたので当然続きを期待していた。佐藤有真は同級生の中では美人で発育も良く、日本人の男子生徒たちも狙っていたのだが、入学時に親しくなった在日韓国人の同級生と3年間交際を続けていた。在日韓国人は平成に入って腐った日本人よりも伝統的な家族愛が強く、恋人として佐藤有真を守っていたので日本人の同級生たちが興味本位に性的関係や肉体の様子を質問しても一切答えずかえって妄想を掻き立てていた。そんな2人も男の方が日本の大学に進学したため別れたと聞いている。
「それでもこの顔は嫌がっていないか」「進んで裸になったような顔じゃあないな」画像を拡大して佐藤有真の股間から乳房、乳頭を観賞しながら顔に辿りつくと2人の同級生としての感情が疑問を呼び起こした。本当は画像には「女は日本の罪に耐え切れず泣き出した」とハングル語で解説してあるのだが2人には読めなかった。
「有真の親に知らせた方が良くない(か)」「アイツの親のメルアド(メール・アドレス)なんて知らねェよ」「家なら知ってるけどな。(ここから)近いぞ」深く考えない2人の同級生愛は正義感に発展し、極めて珍しいことに佐藤有真の自宅を訪ねて親に知らせることになった。その前に合流を申し合わせるところは現在の若者的だが、この娘の画像を見せられた母親に1人で対応する自信はなく、同行する側は野次馬的興味があった。
「僕たちは有真さんの××高校の同級生です」「有真の・・・今日は何の御用で」佐藤有真の自宅は住宅街の一軒家なので呼び出すとあまり似ていない母親が玄関に出てきた。母親は新型コロナ・ウィルス感染症対策でマスクをはめているので怪訝そうな目しか見えず、むしろ続発する訪問犯罪をアカラサマに疑っていた。
「実は海外のニュースを見ていたら有真さんの画像を見つけまして」「犯罪に巻き込まれているようなので知らせに来ました」「有真が・・・」ここまで説明して2人はスマート・ホンを手渡してダウンロードしておいた佐藤有真の画像を見せた。
「有真・・・何で。母国の犯罪を懺悔して裸身を晒したって・・・これは平和の少女像ね。従軍慰安婦支援組織の集会に参加して日本人であることを恥じたのね」ハングル文字が読める母親は補足してある説明で状況を理解した。そこで疑いを抱かないところが韓国ドラマを通じた思想工作に洗脳され切っているこの母親の異常性だ。
「名前も大学も書いてないわね。そこは流石に人権派団体だわ。これで有真は自分を棄てて日本の罪を償ったヒロインになるはずよ」母親は娘の裸身が世界中に拡散されていることでさえ肯定的に捉え、感激したような目でもう一度画像を注視した。
その夜、同じ投稿者は「売春婦に堕した日本人の女」と言う表題で佐藤有真が戦時売春婦少女像に連れて行かれる前に男たちに犯された痴態の動画をアップしたが、それを見た同級生は母親に知らせる手間はかけなかった。何を言っても無駄なのは確かだ。
- 2022/01/23(日) 14:59:40|
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1944年の明日1月23日は日本では抽象画の「叫び」だけが有名なノルウェーの画家・エドヴァルト・ムンクさんの命日です。
「叫び」はノルウェー語の原題「Skrik」の意味も「叫び」ですが、ムンクさんが友人と海岸沿いの歩道を歩いていて夕日が空を血のように染めて沈む光景を見て天を引き裂くような絶叫を聞いた場面を描いているので中央に描かれている人物の両手は口の前に筒を作って叫んでいるのではなく耳を押さえて、口を開いているのは恐怖におののいて茫然としているのです。
ムンクさんは1863年にノルウェー南部の内陸にあるロイデンで軍医の1歳年上の姉の下の長男として生まれました。1年後には現在のオスロへ転居して弟と妹が生まれますが、妊娠していた母が結核に感染し、下の妹を生んで間もなく亡くなり、母の妹=叔母に育てられることになりました。ところが母に代わって肉親として愛情を注いでくれていた姉も1877年に結核で亡くなり、この母と姉の死が後に死の床にある娘を看病する母親を描いた初期の代表作「病める子」になりました。
ムンクさんは成長すると画家を志望するようになり自己流で水彩や鉛筆で風景画や静物画を描いていましたが父に反対され、技師となるため工業学校に進学したもののリューマチを患って出席日数が足りずに中退し、父を説得すると本格的な油絵の画材を購入して1880年に王立絵画学校の夜間部に入ることができました。在学中はノルウェーでは一流の芸術家の指導を受け、若手芸術家と交流しましたが多くの展覧会で作品はことごとく酷評されただけでした。それでも親類の画家には才能を認められて1885年にパリへ短期留学するとサロンとルーヴル美術館に通って印象派のクロード・モネの作品を研究して色彩の表現や周囲に溶け込ませながら1点を強調する画法を学びましたが、帰国後に出品した作品はまたもや酷評を受けただけでした。さらに1889年に政府から奨学金を受けてパリに1年間留学しますが帰国後に出品した作品も酷評を受けたため、ムンクさんは評価には捉われず生活を超えた人間の本質を描く「生命のフリーズ」を生涯のテーマとすることを決意したのです。
こうして活動拠点をパリとベルリンに移して当時のヨーロッパの芸術界に蔓延していた世紀末の不安と陰鬱を表現する画法の影響を受けながら作品を発表すると高い評価を受け、ようやくノルウェーでも一定の地位を認められるようになりました。ところがアルコホール依存症を患って1909年に帰国すると母国の反応は冷淡で1989年までノーベル平和賞の授与式が行われていたオスロのクリスチャニア大学講堂の大壁画を描いた時も公募で1等に選ばれているにも関わらず大学当局が拒否し、一般国民の支持で製作が始まっても反対意見が続出し、50歳のムンクさんは心身ともに消耗し切ってしまいました。
晩年にノルウェーがナチスの占領下に置かれるとドイツでの活躍が長かったことで協力者と見なされ、没後にナチスの傀儡政権は親ドイツの芸術家として盛大な国葬を催しました。ムンクさんにとっての母国は野僧の愛知の実家の所在地のようです。
- 2022/01/22(土) 16:22:27|
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「政府は日本と断交しろ」「日本の戦争犯罪を処罰しろ」日本が撃墜されたPー1対潜哨戒機の引き揚げに成功して韓国政府が公式発表した「海上自衛隊側が空対艦ミサイルを発射したため応戦した」と言う説明の虚偽が照明されると今度は「引き揚げた主翼に8発のミサイルを装着した」と反論し、マスコミの扇動報道も加わって各地で大規模な反日デモが湧き起こっている。中でも毎週水曜日にソウル特別市鍾路区の日本大使館の跡地で集会を続けている実態は北朝鮮の工作員の戦時売春婦支援組織はそれまでの知名度もあって注目を集めていた。
「有真(ユジン)、一緒に参加しようよ。後で貴女の正直な感想を聞かせて欲しいの」「そうかァ、今日は私に日本人に戻れって言うのね」ソウル市内の大学に留学している佐藤有真は韓国人の友人に集会に誘われた。有真の母親は2002年に放送された韓国ドラマ「冬のソナタ」を見て以来、熱烈な韓国ファンになり、生まれた娘にドラマのヒロインの鄭有真(チョ・ユジン)の名前を韓国語読みで付けた。そうして幼い頃から吹き替えがない韓国ドラマを見せて、高校からは韓国への留学に向けてレールを敷いていたので韓国語に堪能で、韓国人の友人たちの中では日本人であることを忘れて加倍政権の戦時売春婦問題に代表される対韓強硬外交に批判の声を上げていた。今回の問題でも当然、韓国政府を支持している。
「加倍は支援組織の専用集会場を作ったみたいね」午後の講義は休んで友人たちと日本大使館の跡地に出かけた。在韓国日本大使館は業務量の増大と老朽化から高層化を伴う改築を計画して民政党政権だった2012年に許可権者の鍾路区長に申請したが、周囲には高層ビルが林立しているにも関わらず文化財庁が「景福宮の景観を損なう」と反対して許可を保留した。ところが在日本韓国大使館も改築を計画したため許可せざるを得なくなったのだが、復活した加倍政権は理由を明らかにしないまま着工しなかったのだ。
「日本は倭寇や倭乱(豊臣秀吉の朝鮮出兵)で奪い去った文化財を返還せよ」「返還せよ。対馬島の観音だけじゃあないぞ」バスを下りて大使館跡へ歩いていくと集会は始まっていて、土台まで撤去して低くなっている敷地の中から群衆の叫び声が聞こえてきた。どうやら戦時売春婦問題だけでなく過去にさかのぼって日本から受けた損害を糾弾しているらしい。
「我が国を植民地にした賠償金はまだ足りないぞ」「5億ドルですむか。永久に貢ぎ続けろ」世界各地を植民地にしてきたヨーロッパ諸国が支配そのものに対する賠償金を支払った例はなく、だから経済援助と言う形で5億円もの金を供与したのだが、日韓合意の前提だった統治時代の損害賠償権の放棄は意図的に無視している組織なので言っていることは滅茶苦茶だ。それでも佐藤有真は素直に共鳴していた。
「日本軍と韓国総督府は生理も始まっていない少女を誘拐して売春業者に売り、前線の危険地帯で日本兵の相手をさせた。これは戦争犯罪以前に人道に対する罪だ。加倍政権の外務大臣として韓日合意を強制した石田も同罪だ」佐藤有真が友人たちと一緒に加わるとようやく集会の主題のはずの戦時売春婦問題に入った。
「それだけじゃない。石田は日軍(自衛隊)に我が国海軍の艦艇を攻撃するように命じた。加倍以上の極悪人だ」「石田を許すな」韓国人の「恨(ハン)」の論理展開では興奮に任せて事実を無視して批判を爆発的に膨張させるのは毎度のことだが、ドラマで描かれている韓国人を理想とする母親に洗脳されてきた佐藤有真は疑うことなく同調していた。
「我が国海軍は日軍機を撃墜して怒りを示した。日本軍に売春婦にされた同胞女性の怒りはどうやって示すのだ」ここで指導者=扇動者は群衆の興奮を冷ますため質問を投げかけた。鍾路区当局が本来は立ち入り禁止の日本大使館の敷地で毎週水曜日に集会を開くことを黙認しているのはこの組織が暴動に発展しないように自己規制しているからだった。
「日本の女を売春婦にしろ」その時、群衆の中から男性の叫び声が上がった。これは人権団体を標榜している戦時売春婦支援組織としては予想外の発言だったが、野次馬的に参集している若者たちの性的な興奮を呼び起こしてしまった。韓国では朝鮮戦争やベトナム戦争でも軍が集落を襲って女性を手当たり次第に強姦・殺害してきたのでこれは民族的本能なのだ。
「日本の女に同じ目に遭わせろ」「裸にして少女の隣りの椅子に座らせろ」「この女は日本人よ」興奮した男たちが猟奇的な目つきで周囲の女性たちを見回すようになると友人の1人が佐藤有真の背中を押して前に突き出した。
「助けて・・・」「日本語だ。間違いない」佐藤有真が思わず日本語を呟くとそれを耳にした男たちが襲いかかり、下着まで剥ぎ取られた。興奮状態の男たちは佐藤有真を担ぎ上げ、組織の制止を無視して運ぶと正門前の歩道にある戦時売春婦少女像の隣りの空いた椅子に座らせた。それをスマート・ホンで撮影して、その場でインターネットに投稿したのは言うまでもない。

(金井たつお「ロンリーロード」の夏見遥子)
- 2022/01/22(土) 16:21:19|
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昭和57(1982)年の明日1月22日は敗戦後の劣悪な食糧事情の中で学童に必要な栄養を与えることを目的に昭和22(1947)年から始まった学校給食の35周年に際して生徒・児童にアンケートを採った結果、圧倒的多数の支持を受けたカレーが全国の公立小中学校の統一メニューになったことを記念して全国学校栄養士会が制定した「カレーの日」です。ちなみに2月12日は世界最初のレトルト・カレーの「ボン・カレー」が発売されたことを記念して発売元の大塚食品が制定した「レトルト・カレーの日」です。
野僧も保育園や小学校の給食室や中学校に隣接していた給食センターからカレーの匂いが漂ってくるとそれだけで腹が空き、給食の時間が待ち遠しくなったものです。しかし、野僧の時代の給食は食パンだったためカレー・ライスではなくオカズとして食べるカレー・シチューでしたから慢性的米余りで米飯給食になった世代が羨ましくなります。自衛隊でもそうですが大量に作ったカレーには不思議な美味しさがありました。
その影響なのか野僧にとってカレーはスパゲティーと共に2大好物で、蒲郡高校に入学すると土曜日の昼食は乗り換えの豊橋駅で下車して市内のカレー専門店巡りを始めました(部活がある土曜日は蒲郡高校生指定のサッポロ・ラーメン店「くま」だった)。やがて航空自衛隊に入ると赴任や出張した先々で同じことを始め、そのおかげで浜松のボンベイなどの名店の味を堪能することができました。
後年、スリランカに移住することになりましたがそこで意外な事実を知りました。スリランカを始めインドやパキスタン、バングラデシュなどの南アジア、タイやマレーシアなどの東南アジアには「カレー」と言う名前の料理はないのです。
確かに日本のカレーと同様に野菜や肉、魚などの具材を香辛料のスープで煮込んだ料理はありますが、その組み合わせで別の料理になり名前も変わるのです。日本では鮪や鯛、烏賊や蛸からイクラやウニの軍艦巻き、干瓢や胡瓜に鮪の赤身の海苔巻、油揚げで包んだ稲荷まで「寿司」で一括りにしていますが、香辛料の香りと味の違いに超人的な識別能力を有する現地の人々は日本人が胡瓜は河童巻き、鮪の赤身は鉄火巻きと呼び分けている以上の差異を感じているのでカレーで一括りにする訳にはいかないようです。また手で熱を感じながら食べると美味さが倍増することにも驚きました。
日本のカレーは幕末・明治の初期にインド経由で来航していたイギリス商船が香辛料を持ち込んだことで伝わり、イギリスに留学した海軍軍人(東郷平八郎元帥とする説がある)が慣れ親しんだ味を懐かしんで肉ジャガをカレー味で作らせたのが海軍の街で流行して全国に広まったと言われています。現在も海上自衛隊は洋上では曜日感覚がなくなるため毎週金曜日の昼食をカレー・ライスにしています。
本場のカレーは辛さを競い合うことがあり、タイやスリランカでも「世界で一番辛い」と自慢していましたが、航空自衛隊時代に激辛の辛子明太子とキムチで舌を鍛えられた野僧はどちらも平気でした。
- 2022/01/21(金) 16:38:56|
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事件現場ではサルベージ船が到着し、海底からPー1対潜哨戒機の機体と2枚の主翼を回収する作業が始まっていた。捜索で確認していた数体の遺骸と散乱していた部品は海上自衛隊の潜水艦救難艦が回収を終えていて、サルベージ船は残る3つの重量物を引き揚げる。現在のサルベージ技術では水深100メートルまでは潜水士を加圧した釣鐘型のドームで沈下させてワイヤーの装着などの作業を行うが、100メートルから3000メートルまでの大深度では遠隔誘導のロボットになる。そのロボットも性能が急速に向上していて水圧と戦いながらの手作業になる潜水士と遜色はない。
「機体です」作業ロボットのカメラを見て操作している担当者は立ち合っている潜水艦救難艦の海上自衛隊士官に声を掛けた。深海救助艇による捜索と回収作業で機体と周辺の映像は見慣れている士官もうなずいて画面に見入った。
「機体が原形を留めているのでフレーム(骨組み)は損傷していないでしょう。2ヶ所にワイヤーを掛ければ引き揚げは容易です」「天候は当分、晴れの予報だから数日中には回収できるな」今回は引き揚げる機体が沈没船に比べれば軽量なためクレーンは小型だが、それでも海上が荒れればバランスを失って危険になり、作業を延期しなければならない。
「それではワイヤーを下ろします」「ヨーソロ」士官の返事を聞いて担当者が機械を操作すると室外で作動音が響いて高い位置から滑車が回る音が聞こえ始めた。間もなく正面の窓の中で水しぶきが上がり、ワイヤーが細長い竿のように直立した。
「韓国艦が接近します。方位11時30分、速度25ノット(時速46・3キロ)、距離8ノーティカル・マイル(14816メートル)」作業が始まって間もなくサルベージ船の近くに停泊して周囲を警戒している護衛艦の戦闘指揮所(CIC)が艦橋に報告した。
「この距離ではガンファイヤー(艦砲射撃)はないな。目的は何だ」「現在の本艦の位置ではサルベージ船よりも手前ですれ違う形になります」艦橋では「猿の腰掛」と呼ばれる席に座った艦長と隣りに立つ副長が話し合った。
「監視員、対向艦は」「確認、11時30分、7ノーティカル・マイル(12964メートル)、艦種は・・・イ・スンシン型です」副長の確認に艦橋の両側面に突き出した右舷のベランダの目視監視員は設置してある大型双眼鏡で見える状況を報告した。イ・スンシン級駆逐艦は正式にはチョンムゴン・イ・スンシン=忠武公・李舜臣と言い、韓国では豊臣秀吉の朝鮮出兵の時、日本の物資運搬船を水軍で海賊的に攻撃した英雄とされている李舜臣から命名され、基準排水量4400トンで速力は29ノットと言われている。その韓国海軍としては大型の駆逐艦が全速前進に近い高速でこちらに急接近してきているのだ。
「おそらく航跡波(こうせきは=曳き波)で作業を妨害しようと言うんだろう。この位置では防波堤にはなれん・・・機関接続」「機関接続」艦長は状況判断を独り言で副長に伝えると航海科士官に命令を下した。作戦行動中の艦艇は停泊中も機関を停止することはなくマニュアル式の自動車で言えばニュートラル状態を維持している。そのためエンジンとスクリューを接続すれば数秒で航行可能になるのだ。
「機関接続完了、両舷微速、青1」「よし、トリカージ(取り舵)、一杯」「取り舵ですか」「取り舵だ」想定外の命令に若い3尉の航海科士官は復唱ではなく念を押してしまった。6ノットの微速とは言えこの位置で「取り舵、一杯」で転舵すれば韓国の駆逐艦が通過するまでに進路を塞ぐことになる。艦の舷側に高速度で艦首から突っ込まれればこちらは横転するか、艦体が「く」の字に折れて沈没する。確かにサルベージ船が能登半島沖を通過してから韓国騎軍の駆逐艦は海洋法を無視して進路を遮る妨害を繰り返してきたが衝突の危険は冒さなかった。いくら目の前にサルベージ船と潜水艦救難艦・ちまたがいるとしても沈没は御免こうむりたい。そんなことを考えながらも航海科士官が舵を切ると護衛艦はユックリ左折して韓国艦の進路に艦体を投げ出し、正面が右舷から左舷に逆転した。
「韓国艦がガン(砲塔)を向けました」「ビデオ撮影しろ」「撮影します」突然、韓国艦を目の当たりにすることになった右舷の目視監視員はそれでも艦長の指示に即答した。
「距離1ノーティカル・マイル(1852メートル)、衝突まで・・・韓国艦が取り舵しました」緊張した声でレーダー情報を伝えてきた戦闘指揮所が安堵したような口調になった。やはり韓国艦は高速度で発生させる激しい航跡波でサルベージ船を動揺させて作業を妨害しようとしたらしい。ところが護衛艦が低速度で進路を塞いだため一度は戦闘態勢を発令しながらも衝突を回避したようだ。これは重い扉を閉めるように低速度で進路を塞いだ艦長の作戦勝ちだが予想していた通りの展開でもあった。
- 2022/01/21(金) 16:37:45|
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1944年の明日1月21日にデンマークの名門貴族からナチス・ドイツ空軍の夜間戦闘撃墜王になったハインリヒ・ツー・ザイン=ヴィトゲンシュタイン少佐が戦死しました。
ザイン=ヴィトゲンシュタイン家はナポレオン戦争に至る19世紀初頭の帝政ロシアの戦争で活躍したドイツ語名・ルートヴィヒ・アドルフ・ペーター・ツー・ザイン=ヴィトゲンシュタイン元帥の子孫で1916年にコペンハーゲンで3人兄弟の二男として生まれました。
少年時代はスイスのレマン湖畔で生活し、1932年にドイツ南西部のフライブルグでヒトラー・ユーゲントに入隊して翌年にはグループ長になり、20歳を過ぎた1937年4月に軍務に服することを決意してドイツ南中部のバンベルグの陸軍騎兵連隊に入営しましたが、6月にはナチス・ドイツ政権によって創設された空軍に転籍してパイロット訓練学校に入校し、翌年6月には少尉に任官しました。
その頃、デンマークはナチス・ドイツが1939年9月1日にポーランドに侵攻して第2次世界大戦が勃発すると中立・不介入を宣言したにも関わらず1940年4月9日に空挺部隊と戦車による電撃的侵攻を受けて保護国と言う属領になっています。
それでもザイン=ヴィトゲンシュタイン少尉はハインケルHe111軽爆撃機の観測員として1940年5月に始まったフランス侵攻作戦に従軍し、続くバトル・オブ・ブリテンにも参加して実戦経験を積み、1940年からパイロット訓練学校に戻って夜間飛行には必須である無視界飛行に習熟して1941年3月に実戦部隊に復帰すると6月22日に始ったソ連侵攻作戦ではバルト3国のソ連軍飛行場への空襲を実施しました。
東部戦線では性能が劣る戦闘機を操縦技量が稚拙なパイロットが操縦するソ連軍機の撃墜を量産するエース・パイロットが続出し始めた頃、爆撃機のパイロットとして150回の出撃を経験して23機を撃墜していたゲイン=ヴィトゲンシュタイン大尉は夜間戦闘機部隊を志願して1941年11月に西部戦線に転属しました。やはりデンマーク貴族であるゲイン・ヴァトゲンシュタイン大尉は雑兵のようなソ連軍のパイロットを敵とすることは戦果以前に誇りが傷つき、技量が対等でゲルマン貴族であるイギリス空軍を相手とすることを選んだのでしょう。またナチス・ドイツ空軍の夜間戦闘機は機首にレーダーを装備するため双発のユーカンスJe88やHe111軽爆撃機を戦闘機仕様に改造していたので操縦技量に問題はありませんでした。
夜間戦闘機部隊ではモスキート軽爆撃機などによる夜間空襲を迎撃し、護衛戦闘機との激戦を繰り広げ、60機=通算83機を撃墜する戦果を上げて英雄になりましたが、この日はランカスター重爆撃機を迎撃するために離陸し、22時から立て続けに4機を撃墜しましたが5機目を攻撃中に護衛戦闘機の攻撃を受けて主翼から出火したため無線兼レーダー員と機上機関士を脱出させた後から自分も脱出して垂直尾翼に衝突して戦死しました。遺体は現在、オランダで事故死したオーストリア貴族で夜間戦闘のエース・パイロットのリッペ=ヴァイセンフェルト少佐の隣に埋葬されています。
- 2022/01/20(木) 15:14:30|
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海上自衛隊を定年退官した朝山元3佐はモリヤ元2佐に紹介された都下の浄土宗の寺で得度を受け、妻を厚木基地で勤務していた頃に購入したマンションに残して住み込みの納所務めをしながら都内で開講されている加行(けぎょう=伝宗伝戒道場)の僧侶養成講座に通っている。そんな世俗とは縁を切って新たな人生を歩み始めた朝山元3佐も今回の事件には強い関心を持ち、講座と葬儀や法要がない日には古巣でもある市ヶ谷地区に行って連日のように押し掛けているデモ隊を観察するようになった。デモ隊に占拠されている歩道には顔覚えがある隊員たちが私服を着て通って行くが、自衛官は体格や姿勢、目つきが民間人とは違うのでやはり違和感がある。その点、朝山元3佐は頭を坊主刈りに丸め(剃髪が伸びた状態)、作務衣を着て首には略威儀を掛けているので警戒されることなく接近できる。
「やっぱりサルベージ船の派遣は何としても阻止したいらしいな。それでもあれの船足では東京湾から現場まで2週間はかかるぞ」朝山元3佐は異様に殺気立っているデモ隊の後ろ姿を見回しながら現在の状況を反芻した。日本政府は潜水艦救難艦が発見したPー1対潜哨戒機の機体と2枚の主翼を引き上げることを決定し、水深420メートルに対応できるサルベージ船を保有する専門会社に発注したが、韓国政府は一方的に「独島近海での資源探査」と断定して「安全は保障しない」と恫喝した。実際、現場海域に海軍の艦艇を派遣して海上自衛隊の潜水艦救難艦を包囲し、舞鶴から急行した護衛艦の進路に割り込んで海上封鎖している。韓国政府にとっては機体と主翼を引き揚げられて物的証拠を突きつけられる以前に日本政府が発表した場所にこれらの物品が存在すれば国務総理の記者会見で「偽造映像」と指弾した説明が根底から崩壊してしまう。下手すれば再び武力行使してでも阻止する可能性がある。
「本来なら威嚇射撃して強行突破すれば良いんだが、石田政権にはそんな根性はないだろうな」石田政権は防衛大臣の公用車に大量の生卵を投げつけられた件も「警察官がデモの参加者を押し倒した」と言う民間放送の報道に配慮して摘発しなかった。その結果、韓国政府に「在日韓国人の抗議活動に対する弾圧」と言う歪曲した批判を国際社会に発信させる外交的失点を招いたのだが、宏池会伝統の「放置すればやがて鎮静化する=時間が解決する」と言う官僚的楽観主義を踏襲していて加倍政権のような危機意識は欠落している。
「かなり中国人も混じってるな。むしろ中国人の方が多いんじゃないか」若者が大半を占めるデモ隊は交差点がない市ヶ谷地区側の歩道に広がり、韓国と北朝鮮の国旗を掲げ、抗議の台詞を大書した横断幕を広げている。背後から見るとその横断幕は某左傾政党の広報用ポスターの裏紙だ。正門前の交差点の角では若い女性がマイクを持って自衛隊を糾弾する声を上げている。朝山元3佐は女性の絶叫に合わせて声を上げる時以外の雑談は日本語でも中国の訛りがあるのを察知した。一方、在日韓国人でも日本で生まれ育った若い世代は家庭の会話も日本語なので流石に聞き分けることはできない。
「日本政府は墜落した軍用機を回収すると称して我が国の固有の領土の独島(竹島)近海で資源探査しようとしている。しかもその探査船を海上自衛隊の艦艇が護衛する軍事作戦だ。この暴挙を許すな」「ヨンソハダ(許すな)」「不要原諒(許すな)」案の定、拳を突き出しての絶叫は韓国語よりも中国語の方が多い。韓国人は海外では南北に関係なく朝鮮半島出身者として一体化し、反日運動では在留中国人華僑の指揮を受けているが、日本国内では自民党政権の外交姿勢に取り入るため南の在日大韓民国民団は北の在日朝鮮人総連合会と対立関係を演じている。しかし、韓国国内で反日世論が沸騰し、宏池会の宮沢政権が河野談話を発表して反日が外交カードになって以降は殊更に近親憎悪を演じる必要がなくなったのかも知れない。
「それは変装ですか」市ヶ谷地区の角まで続くデモ隊が途切れたところで警務隊本部時代の顔見知りの幹部警察官に声を掛けられた。事件が発生した翌朝のデモは無届けだったが、その後は所轄の牛込警察署に都の集会、集団行進,集団示威運動に関する条例が定める届けを提出しているため車道に警察官が配置されているのだ。
「今は出家して正式に坊主になりました。尤も、まだ修行中の見習いだけどね」「それは有り難い。警察は死亡事故や殺人事件で死人に関わることが多いから坊さんの知り合いは助かります」意外な好評に朝山元3佐は困惑したが、互いに判っている出家した動機には触れなかった。
「しかし、Pー1の母基地の厚木には来てないんだよな」「その他の海上自衛隊の基地では横須賀や岩国にも来ていませんから在日アメリカ軍を刺激するのは避けるつもりのようです」やはり幹部警察官は現場で対処するだけでなくこの抗議活動の全体像を把握していた。今回の場合、海上自衛隊の基地前で抗議活動を行うのが常套手段だが、在日アメリカ軍と同居している厚木と岩国の航空機基地と横須賀基地を避けたのには政治的な意図が臭ってくる。
- 2022/01/20(木) 15:13:17|
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寛永10(1633)年の明日1月20日に江戸幕府が始まるに当たり、各種法令=法度の大半を起草し、諸外国との外交交渉や対宮中政策を指揮して264年の天下泰平の基礎と屋台骨を構築して、その行政手腕と絶大な権力から「黒衣の宰相」とある面では賞賛、ある面では揶揄された以心宗伝(いしんすうでん)師が遷化しました。
宗伝師は永禄12(1562)年に足利幕府の重臣・一色家の次男として京都で生まれました。しかし、4歳の時に15代将軍・義昭さんが織田信長さまによって放逐されて幕府が崩壊したため約束されていた将来は消滅してしまい父は禅宗寺院では最も格式が高い南禅寺の貫主の下で得度を受けさせて僧侶としての将来を与えましたが、結果的に徳川幕府で御三家に次ぐ事実上の重臣筆頭になりました。
僧侶としては鷹峯(たかがみね)の金地院(こんちいん)の住持に嗣法し、真言宗醍醐寺派の三宝院に参学し、24歳の文禄2(1593)年には摂津国の福厳寺の住職になると1ヶ月後には相模国の禅興寺に転任しました。そうして関東に根を下ろしたと思わせて37歳で鎌倉五山の建長寺の貫主になると数カ月後に南禅寺の貫主になり、後陽成天皇から紫衣を受けました。この立ち回りは僧侶と言うよりも政治的で、慶長13(1608)年には相国寺の貫主の推薦で東照神君・家康公の招請を受けて駿府に赴き、開府から5年目の幕政に参画しました。
最初の仕事は明や朝鮮、タイやベトナムを始め渡来する西欧諸国との対外貿易での外交文書の作成と朱印状の発行事務で、卓越した漢文の語学力と交渉力で家康公の信任を獲得し、宮中と結びついて特権を振り回していた寺社の取り締まりを命じられると手の内を熟知しているだけに京都所司代に恫喝と実力行使を任せて着実に成果を上げ、この実績で武家諸法度や禁中並びに公家諸法度などの法整備を担当することになりました。
宗伝師が起草する法度は例えば寺社諸法度では僧侶に各宗派の戒律を守り、修行に専念することを義務づけ、それを宗派として監督する本山を頂点とする寺院の組織網を形成し、外から寺社奉行が行政の立場で取り締まると言う当事者も文句のつけようがない仕組みになっていて、この組織に檀家制度を加えることでキリシタン禁教取り締まりと現在の戸籍に相当する過去帳による住民の把握と記録を確立しました。
また禁中並びに公家諸法度によってそれまで朝廷の専断事項だった高僧への紫衣の勅許に幕府の承認を必要としたことで紫衣事件が発生して宗教界からは「天魔外道」と裏切り者扱いされることになったものの宮中と寺社の関係に楔を打ち込みました。
そんな宗伝師は家康公没後に朝廷から贈られる神号を一般的な吉田神道の「明神」とするか唐突に天海大僧正が持ち出した山王之神道の「権現」にするかの論争で敗れて幕政の中枢から去りますが、それは失脚したのではなく三河以来の戦国武将の重臣から世代交代した老中が成長し、幕府内の組織制度が確立したため世俗の行政からは手を引き、寺社諸法度の運用を中心とする宗教政策に専念したのです。実際、江戸城内に建立された金地院で遷化しています。
- 2022/01/19(水) 15:43:54|
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「日本政府が捏造した画像を公表して我が国海軍の艦艇を撃沈した事実を否定したことに断固抗議する」立野官房長官の緊急記者会見から数時間後、韓国政府も記者会見を開いた。今回の弁士が軍の指揮権を持たず行政実務と統括する国務総理なのは韓国政府がこの問題を軍事衝突ではなく外交問題と考えていることを国際社会にアピールする演出だろう。それでも国務総理は冒頭から厳しい表情で批判を切り出した。
「昔の日本の特撮技術は世界最高水準だったが、CG(コンピューター・グラフィックス)の時代になってその地位を我が国に奪われている。だからこのような不鮮明な素人騙しの映像しか作れなかったんだろう。おまけに下手な理由をつけて編集を加えている。仮に視聴者にPTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症させるくらい残酷な場面があったとしても編集はマスコミが任意に行うべきで、公式の記者会見では可能な限り真実を公開するべきだ。我が国のようにね」冒頭の厳しい表情を妙に緩めた国務総理は話しの切れ目に皮肉を挟んだ。国交断絶や宣戦布告も予想される会見の趣旨に身構えて参加している記者たちは流石にこの皮肉をジョークとは受け取れず、戸惑いながら隣りの席同士で顔を見合わせた。
「日本の加倍政権は2018年12月20日にも我が国の駆逐艦・広開土大王が火器管制レーダーを照射したと言う虚偽の音声と画像を一方的に公表したが、今回は我が国の人道的配慮で独島(=竹島)近海にまで捜索機が侵入することを黙認した恩義を仇で返すように政治利用した。これを儒教倫理では『亡恩の徒』と言うことをこの場を借りて教育したい」今度の皮肉に韓国人の記者たちはあざけりの笑いの声を上げたが、韓国語力で選ばれたはずの日本人の記者は「亡恩の徒」と言う古語が理解できず反応しなかった。
「したがって今後は人道的配慮を停止し、日本の軍用機と軍用艦艇の接近に対しては自衛措置を講じることになる。これは非常に残念であり、極めて憂慮すべき事態であることは言うまでもない」発見現場は韓国にとっては一方的に占拠している竹島の近海であっても日本から見れば隠岐島の沖であり、何よりも公海上なので軍事力による自衛隊の救難活動の阻止を自衛措置とするのは国際法の無理がある。その一方で軍事知識に疎い日本人の記者たちは韓国政府の真の狙いが発見した対潜哨戒機の機体と主翼を海上自衛隊が引き揚げて日本が物的証拠を入手することの阻止だとは気づかなかった。
日本政府は1999年3月24日に九州南西海上で追跡する海上保安庁の巡視船と携帯式ミサイルの発射を含む激しい銃撃戦を繰り広げた後に東シナ海で「党よ。この子は永遠に貴方の忠臣となろう。万歳」との決別の電文を打って自沈した北朝鮮の工作船を2002年9月11日に引き上げることに成功している。その現場海域の水深は東シナ海の大陸棚の150メートル程度だが日本のサルベージ技術で言えば今回の420メートルなら問題なく可能だ。
「もう1つ、日本政府は事件の翌朝、防衛省前の歩道で防衛大臣に対する抗議活動を行っていた在日の我が国同胞を警察官に暴力で弾圧させた。その模様は日本の民間放送がテレビ中継して、我が国でも放送されているから国民の多くは知っていると思う。この問題も加倍政権に替わって発足した石田政権が自国の海軍の犯罪行為を全く反省せず、逆に言論封殺に走り、在日の我が国同胞を弾圧する意図の表れと受け止めている。やはり軍国主義者の加倍首相の長期政権で日本は戦前の帝国主義が復活して我が国が最大の被害者になった戦争犯罪を再び繰り返すのかも知れない。石田政権がそれを否定するのなら今回の事件の責任を認めて真摯に謝罪するべきだ。キリスト教では悔い改める者は許されると説いていることもついでに教育したい」ここまでで国務総理の記者会見は質疑応答に移った。この皮肉2連発がジョークだとすれば韓国政府の批判のトーンは幾分弱まるようだが、むしろ背中に刃物を隠し持って殊更な笑顔で手を差し出し、固く握って逃げられないようにする外交手法と見るべきだ。
「若し日本海軍が今回の事件と同様に我が国の艦艇に攻撃してきたら受けて立ちますか」「それは当然だ。敵対行為を採る相手に情けは無用だ。そうなれば我が国の造船技術の粋を集めて建造した最新鋭の艦艇が戦争犯罪の象徴である旭日の軍艦旗を掲げて沈んだ軍艦の亡霊の名前を冠した艦艇をことごとく沈めるのを見ることになるだろう。しかし、我が国はあくまでも平和的な解決を望んでいるよ」韓国政府は証拠映像を突きつけられてもそれを公然と否定した。しかし、この会見内容を韓国のマスコミは中国資本の報道機関を使って世界社会に大々的に発信するが、日本のマスコミは政府の発表を黙殺している。逆に大手マスコミが世界各国に派遣している駐在記者が個人的に日本に不利になるように歪曲した情報を流布して国際世論が形成されるのだ。実際、(いわゆる)従軍慰安婦問題を捏造したA日新聞は海外に訂正とは逆に従軍慰安婦=戦時売春婦を人権問題にすり替える自己弁護を繰り返している。
- 2022/01/19(水) 15:40:49|
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享保13(1728)年の明日1月19日は学校の授業では「幕府の御用学問の儒学=朱子学の型に押し込められ、異端者は社会から抹殺された」と習った江戸時代に公然と朱子学に異を唱えながら将軍に重用された荻生徂徠(おぎゅうそらい)さんの命日です。
徂徠さんは寛文6(1666)年に館林藩医の息子として江戸で生まれました。館林藩主は後に5代将軍になり、武士を殺生を生業とする戦闘員から泰平の世に相応しく学問と礼節を専らとして世に範を示す存在に転換した徳川綱吉さまで、藩主時代から学問を奨励していたため徂徠くんも幼い頃から勉学に励み、英才と賞されていました。
ところが延宝7(1679)年に父が綱吉さまの怒りに触れて放逐・蟄居することになったため14歳で現在の千葉県茂原市の母の実家に預けられました。この実家での13年間に所蔵していた膨大な漢籍、和文、佛典を読破して後年、徂徠さん自身も「自分の学問が成ったのは南総の力」と回想しています。
元禄5(1692)年に父が赦免されて江戸に戻ると芝・増上寺の門前で私塾を開きますが、生活は苦しくこの頃の困窮ぶりが後に落語の「徂徠豆腐」になりました。元禄9(1696)年に将軍・綱吉公の側用人の柳沢吉保さんに取り立てられ、所領の川越で学問の講師と相談役に任じられました。この頃の有名な逸話に吉良邸に討ち入った赤穂浪士の取り扱いを巡る論争があります。当時の江戸では幕閣から大名、庶民まで赤穂浪士を「忠臣の鑑」と賞賛する声が蔓延していて、諮問を受けた朱子学者たちも忠義を重んじる立場から助命を要求したのですが、徂徠さんだけは「公儀の許可を得ない仇討ちは私怨による犯罪行為」と断じて武士としての名誉を与える切腹を主張したのです。
落語「徂徠豆腐」は若い頃、代金を持たずに豆腐を食べた徂徠さんを「出世払い」と許した豆腐屋の店が火事になり、その恩義を憶えていた徂徠さんが大金を持って訪ねると「江戸っ子として赤穂の忠臣を切腹にした先生の施しを受けることはできない」と拒否したため、徂徠さんが「武士たる者が美しく咲いた以上、見事に散らせるのも情けの内、武士の大刀は敵のため、小刀は自分のためにある」と説明して納得させ、豆腐屋が「先生はあっしのために自腹を切って下さった」とオチがつく噺です。実際の論争での発言内容は不明ですが結果的に徂徠さんの主張が採用され、赤穂浪士は以て瞑しました。
宝永6(1709)年に綱吉公が亡くなり、柳沢さんが失脚すると日本橋で私塾を開き、ここで硬直した朱子学の教条主義を否定して人間の心情を尊重する荻生派と呼ばれることになる学説を唱えました(明治以降の忠君愛国教育では否定された)。
徂徠さんの講義の特色としては中国の原典に近づくため訓読しないどころか日本語の音読ではなく中国語の発音で朗読し、心情から原典に共鳴すると言うものがあります。また講義内容は儒学者の範疇に留まらず実用の政治学や経済学、さらに孫子の兵法にまで及び8代将軍・吉宗公の諮問を受けると農本位制の経済政策と生活に困窮する下級武士を耕作で自活させる帰農を提唱しています。
出自は同じ物部氏なので野僧もかなり共通したところがあります。生まれ変わりかも知れません。
- 2022/01/18(火) 14:55:33|
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「空自のレーダーがロストした位置で機体を発見しました。隠岐島と竹島の中間地点、水深約420メートルの海域です」数日後、航空自衛隊の警戒管制レーダーが航跡を喪失した海域を捜索している潜水艦救難艦の遠隔誘導式の無人潜水艇が海底に横転したPー1対潜哨戒機の機体と2枚の主翼を発見した。Pー1は低空で飛行していたため機関砲弾が燃料タンクに命中して空中爆発したものの主翼がもげた状態で墜落しただけで原形を留めていた。
「浅い海域で助かったな。対馬盆だったら深海用潜水艇でも発見は難しかったよ」防衛部防衛課長が持ってきたUSBメモリーを自分のパソコンで再生しながら海上幕僚長は表情を引き締めた。日本海は中央に大和堆と呼ばれる水深400メートル程度の海底丘陵帯があるが最深部は3742メートル、対馬の東にある対馬盆でも2500メートルを超えるため平均水深は1752メートルになる。潜水艦救難艦に搭載している深海救難艇の限界深度は5000フィート(1524メートル)とされているので「難しい」と言うよりも無理だった。
「この画像を見る限りPー1の主翼のパイロン(ミサイルの固定具)には91式が全弾残っています。つまり・・・」「Pー1が先に攻撃したと言う韓国の発表は虚偽になるな」海上幕僚長の相槌に防衛課長はユックリうなずいた。
「機体の下部には命中弾が多数あります。これは精密照準していなければ不可能です。ASMの発射を受けての応戦にしては命中率が高過ぎるでしょう」「しかし、命中精度の問題は軍事常識の範疇だから韓国には通用しないよ。すでに世論工作では先手を打たれているから明らかな詭弁も正論になってしまう。先ずはPー1がASMを発射した事実がない証拠の画像を突きつけて我が方が先に攻撃したと言う虚構の打ち消しからだ」海上幕僚長の見解に防衛課長の胸に海上自衛隊にとって忌々しい過去が湧き上がってきた。1988年7月23日に潜水艦・なだしおと遊漁船・第1富士丸が衝突した事故では海上幕僚長が記者会見で「事故原因は明らかになっていない」と記者が要求する謝罪を拒否したにも関わらず防衛庁長官が入院している負傷者への見舞いと謝罪に制服を着て同行することを強制し、海上自衛隊側の過失と言う印象が確定してしまった。そのため「遊漁船が乗客に潜水艦を見せるために接近した」と言う生存者の証言が出たが海難審判と司法裁判では採用されず、艦長は有罪判決を受けて免職になった。一方、2008年2月19日にイージス護衛艦・あたごと漁船・清徳丸の衝突事故でも防衛大臣が発生直後の囲み取材で記者に要求されて謝罪したが、海上自衛隊はなだしおの事故の教訓を政治屋の裏切りを含めて研究し尽くしていたためマスコミの断定的な報道にも敢然と反論して司法裁判では海難審判の虚偽を認定させて無罪判決を勝ち取った。
「本日、午前9時20分頃に日本海南西部海域で墜落した対潜哨戒機の捜索に当たっている海上自衛隊の潜水艦救難艦・ちまたの深海救難艇が水深約420メートルの海域で対潜哨戒機の機体と2枚の主翼を発見し、映像の撮影に成功しました」海上幕僚長が防衛大臣に報告すると同行を命じられて首相官邸に向かった。これを受けて昼前に立野(たつの)官房長官による緊急記者会議が開かれた。この冒頭の辞にも日本人の記者たちはスマート・ホンを操作するだけで反応しなかったが、「チュッ」と韓国訛りの舌打ちが起こった。
「映像では乗員の遺骸などの残酷な場面が映っているため、PTSDを発症する惧れがない場面だけを画像にしました。あらかじめ断っておきます」ここで立野官房長官は舞台の横で控えている補佐官に台上に設置してある大画面のテレビの作動を指示した。すると暗い水中で照明が当たった海底に横たわるPー1の機体が映った。
「これは発見時で次第に接近していきます。なお、機体の横に搭乗員と思われる遺骸がありました」テレビに映っている画面が少し飛んだように感じたのは遺骸が見える部分を編集したようだ。日本人の記者たちは安堵したような表情を浮かべたが、それ以外の東アジア系の記者は再び「チュッ」と舌打ちした。
「こちらが主翼ですが、後ほど映るもう1枚を含めて空対艦ミサイルは発射することなく全弾が残っています」ここで立野官房長官は画像の進行を止めさせるとテレビに歩み寄って裏返った主翼に立っているパイロンと4発の91式空対艦誘導弾を指差した。東アジア系の記者たちは身を乗り出して喰い入るようにテレビを注視したが、日本人の記者はスマート・ホンのメールを確認するだけだ。おそらく韓国側の発表を事実と信じ切っているので新たに提起された状況が理解できていないのだろう。
「つまり海上自衛隊の対潜哨戒機が対艦ミサイルを発射した事実はなく、韓国側の一方的な銃撃によって撃墜され、搭乗員11名が消息を絶った可能性が極めて高いことになります」ここまで言われてようやく日本人記者たちも顔色を変えた。ただし、考えたのは反論だけだった。
- 2022/01/18(火) 14:53:01|
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日本では年号が明治に替わる1年前の慶応3(1867)年1月18日は遭難した一介の水夫から日本人として初めてイギリスに帰化した国際人・音吉さんの命日です。
音吉さんは文政2(1819)年に現在の知多郡美浜町で生まれました。余談ながら文化10(1813)年に伊豆沖で遭難し、記録が残っている中では世界最長の484日間の漂流の末に太平洋を横断した小栗重吉さんも三河湾に浮かぶ佐久島の出身です。
天保3(1832)年に米や陶器を積んだ宝順丸で鳥羽を出航して江戸に向かいましたが、遠州灘で暴風に遭って遭難し、14カ月間の漂流の末にアメリカ西海岸の現在のワシントン州のフラッタリー岬に流れ着き、生き残った音吉さんと久吉さんに岩吉さんはネイティブ・アメリカンに救助されたものの奴隷にされ、その後、イギリス人に売られると船に乗せられてロンドンに連れていかれました。この時、日本人としては初めて上陸を許可されてロンドン市内を観光しています。
当時のイギリスは中国のついでにオランダが貿易を独占している日本にも食指を伸ばしていて幕府に接触する口実としてこの漂流民を送り届けることにしました。そうして1835年12月にマカオに到着すると現地の貿易監督庁に中国語の通訳として雇われていたドイツ人宣教師に預けられ、聖書を日本語に翻訳して英語を学びました。これが初めて日本語への翻訳が完成した聖書で明治になって大いに活用されました。
1837年3月にフィリピンに流れ着いた熊本県飽託郡川尻の漂流者の庄蔵さん、寿三郎さん、熊太郎さん、力松さんの4人が加わり、7月にアメリカの商船・モリソン号で江戸を目指すことになりました(これで地球を1周した)。ところが三浦半島では外国船討ち払い令による砲撃を受けたため引き返し、鹿児島に立ち寄って音吉さんたちが上陸して事情を説明したものの追い返されてマカオに引き返しました。これが蛮社の獄の原因になった渡辺崋山先生が慎機論で批判したモリソン号事件です。
マニラに帰った音吉さんは上海に渡り、ここでイギリスの商社で勤め始めてマカオで宣教活動も行っていたスコットランド人女性と職場結婚しました。しかし、この最初の妻と生まれた娘には先立たれています。
嘉永2(1849)年にはイギリス軍艦・マリナー号が江戸湾に向かうのに中国人と偽って通訳として同行し、嘉永6(1853)年にアメリカに続きイギリスが開国に向けた交渉を行った時にも今度は素性を明かして同行して幕府側の通訳だった福沢諭吉さんと接触し、長崎奉行から海外事情に詳しい者として帰国を勧められましたが断りました。
その後はシンガポールでドイツ人の父とマレー系の母の間に生まれた女性と職場再婚して、文久2(1862)年には妻の出身地のシンガポールに移住して、そこで幕府の文久欧使節団に同行していた福沢さんと再会し、元治元(1864)年には日本人としては初めてイギリスに帰化してジョン・マシュー・オトソンに改名しています。
音吉さんは息子のジョン・ウィリアム・オトソンさんに「帰国して日本人になって欲しい」と要望していて、明治12(1879)年に帰国して山本音吉になりました。
- 2022/01/17(月) 15:03:32|
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翌朝、防衛省がある市ヶ谷地区の正門前には人だかりができていた。丁度、通勤時間でもあり通行人たちは迷惑そうな顔しているが、彼らが発する殺気立った雰囲気に圧倒されて黙って通り過ぎていく。そこに制服の警察官が2名早足で近づいてきた。
「このデモは何ですか。東京都公安委員会に集会、集団行進、集団示威運動に関する都条例に基づく届けは出していますか」年配の警察官は正門に曲がる歩道の角に立っている若い女性に声を掛けた。女性は大きく「謝罪要求」と墨書した紙を掲げている。
デモ行進などの示威行為は日本国憲法21条1項の「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」に該当するので破壊活動を伴わない限り禁止することはできないが、歩道を含む道路の通行障害や公共場所の占有などを発生させるため、東京都では72時間前までに所轄の警察署を通じて公安委員会に届け出ることになっている。
「私たちは自衛隊の母国に対する武力行使に抗議するため自主的に集まった在日の韓国人と朝鮮人、それに賛同する日本人です。防衛大臣は責任を認めて韓国国民に対して謝罪しなければなりません」若い女性は「自主的に」と言ったが車道側に並んでいる参集者が掲げている横断幕には「自衛隊の武力行使断罪」「憲法違反の交戦権発動」「即刻謝罪と賠償金支払」などと整合が取れた文脈が並んでいて、どう見ても組織だ。
「この時間帯は出勤する市民が多いので歩道を占拠されると通行障害が発生します。1時間ほど後にしてもらえませんか」「1時間後では防衛大臣が出勤してしまうじゃないですか。我々の怒りを直接見せつけなければなりません」年配の警察官は刺激を避けるように条例の趣旨を説明したが若い女性は口調を強め、それに呼応するように周囲がいきり立ち始めた。
「防衛省が大臣の出勤時間を公表すればその時間に来るぞ」「防衛大臣は我々と面会しろ」「逃げ回るな。恥知らず」声は次第に怒気を帯びて大きくなり、横断幕を持っていない者は拳を突き出してシュピレコールになってきた。その時、年配の警察官と若い女性の会話の内容を無線で報告している若い警察官は参集者の背後から竿に付けたマイクが突き出されていることに気がついた。振り返ると対向車線の歩道では本格的なテレビ・カメラがこちらを撮影している。車道を見回すとアンテナを立てたワゴン車がハザードランプを点滅させながら停車していた。
「おそらくテレビが中継しています」若い警察官が背後に近づき耳元で状況を説明すると、年配の警察官はマイクを確認しただけで振り返ることなく女性に向かって話を続けた。
「車道側に1列に並んで下さい。それから今後もこれだけの人数が集まるようなら都の条例が定める公安委員会への届けを牛込警察署に提出して下さい。用紙は署に常備しています」広い歩道の半分を占拠している参集者の背後では通行人たちが不快そうに睨みつけて通り過ぎていていく。立っているだけでも邪魔な人だかりが余計な動作を始めれば完全な障害物だ。
「通行の邪魔です。前に出なさい」「痛い、警察官が暴力を奮ったぞ」「日本国の警察が我々の抗議活動を弾圧したわ」「自衛隊と同罪だ」「これが日本国政府の答えだ」若い警察官が年配の警察官の指示を無視している人だかりの背後に回って柔らかく押すと男女2人が大声を上げて前に転倒した。同時に回りの参集者たちが罵声を上げ始めた。竿に付けたマイクを操作している取材者は罵声を拾おうと素早く位置を変え、どこからともなくマイクを持った見覚えがある男性レポーターが姿を現してカメラの正面の歩道に立った。
「只今、驚くべきことが起こりました。自衛隊が起こした重大な国際問題に抗議するため防衛省前に集まっていた在日の人たちに警察官が暴力を奮ったのです」「母国の皆さん、日本国政府は同胞の抗議活動を暴力で弾圧しました」実況中継とは言えない虚偽の台詞を並べている男性レポーターの横で警察官と話していた若い女性も叫び声を上げた。この虚偽をスクープのように報じて嘘で塗り固める報道手法は過去にも教科書検定による表現変更や(いわゆる)従軍慰安婦問題などで何度も繰り返されてきた常套手段だ。
「防衛大臣だ、ナンバーは間違いない」そこに黒塗りの高級車が近づいてきて左折のウィンカーと一緒にヘッドライトを点灯した。この発見報告が伝達ゲームのように歩道を走ってくるとデモ隊は一斉に車道まで駆け寄って深く息を吸った。
「謝罪せよ」「罪を認めろ」「戦争犯罪を懺悔せよ」「天安を撃沈したのも日本だろう」「世越(セウォル)号もだ」デモ隊は速度を落とした大臣車に罵声を浴びせ、防衛大臣が座っている後席の窓に向けて生卵を投げつけた。防衛大臣は視線を向けることなく前を見て通り過ぎた。
「我々の手には負えないよ」大臣車が正門に入っていくと年配の警察官は青くなって立ちすくんでいる若い警察官の肩に手を当てて落ちつかせた。生卵は数が多過ぎて投げた犯人を特定することはできなかった。運転手は洗車が大変そうだ。
- 2022/01/17(月) 15:02:13|
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「日本政府は我が国に対して謝罪し、撃沈した軍用艦の損失を賠償するべきだ」夕方の民間放送のニュースでは冒頭から韓国国防部長官の記者会見が中継されていた。現政権の国防部長官は海軍と空軍の元参謀総長を経て現在の長官は2020年8月に陸軍参謀総長から移動している。韓国と日本に時差はないので日本のニュースを意識して設定したのは間違いない。
「私も日本政府の記者会見を見たが日軍(自衛隊)の対潜哨戒機が先に攻撃したことを否定しなかった。これは外交上の常識では自己の責任を認めている態度である。日本政府が我が国を友邦と考えているのなら責任を率直に認め、真摯に謝罪するべきだろう。仮に日本政府の説明通りに上級司令部が対潜哨戒機に攻撃命令を発していないとすればパイロットの独断と言うことになる。つまり日軍には我が国を敵視する士官が増殖していて今回の事件を起こしたパイロットもその1人だったと考えれば個人による犯罪として納得できる。実際、日本陸軍の士官学校は長年続けてきた候補生交流行事を拒否している。今後は上級士官を含めて我が国を敵視する風潮を一掃し、同盟国として我が国に多大な損害を与えた歴史を直視した再教育を徹底しなければならない」この国防部長官は韓国側が日韓候補生交流事業の中止を申し入れた時の陸軍参謀総長であり、経緯は熟知しているにも関わらず平然と事実を歪曲して見せた。
「そうすれば韓国政府は日本の自衛隊が犯した罪を許して下さると言うことですか」ここで国防部長官が間を置いたため日本人の記者が韓国語で質問した。すると周囲の記者たちが小声で「甘い」「許すな」とささやき始めたが韓国語なので日本の視聴者には理解できない。
「個人の犯罪を国家としての外交関係に影響させるのは同盟国が採るべき態度ではありません。我が国にはそれだけの分別があります。後は日本政府の態度次第です。他に質問があればその都度どうぞ」ここで国防部長官は質疑応答に切り替えた。それを受けて画面の中の記者たちは慌ててスマート・ホンを操作する者とメモしていた手帳を確認する者に分かれたが、それが国籍を表していると判る日本の視聴者は少数派だった。
「日本の防衛大臣は長官に謝罪してきましたか」「今のところ連絡は一切入っていません。おそらく墜落した対潜哨戒機の捜索に掛かり切りなのでしょう。現場海域では海軍の救難飛行艇と空軍の救難ヘリコプターに加えて潜水艦救難艦が急行しているようです。しかし、日没には間に合わないでしょう」この時、国防部長は薄笑いを浮かべた。韓国政府は2014年4月16日の午前8時58分に観梅島沖で発生した大型旅客船・世越(セウォル)号の横転・沈没した事故でも日本政府の海上保安庁と海上自衛隊の救難部隊の派遣の申し入れを拒否して檀園高校の2年生325人、引率教員14人、一般の乗客108人と乗員29人を見殺しにしている。海上自衛隊機の搭乗員11名などには特に関心もないようだ。海上自衛隊の潜水艦救難艦2隻は横須賀基地と呉基地のみに配備されている。それでも潜水艦救難艦の深海・海底を捜索する能力は世界でも最高水準なので到着すれば遺骸だけでなく証拠となる何かを発見するかも知れない。国防長官の薄笑いはそれを危惧する心理の裏返しだった。
「日本海軍の艦艇に立ち入り許可を与えたのですか」「人道的見地から特例として黙認することにしました。公的文書は残しません」韓国人の記者の質問を同時通訳している女性の声が妙に低くなってきた。同時通訳は感情を交えず迅速で正確に翻訳することが役割のはずだが、何か心を乱すような発言があり、気持ちを落ち着かせようとしたらしい。
「韓国国防部長官の記者会見は続いていますが、ここで日本政府の発表をお知らせします」日本人の記者が支局長の指示のメールを確認するのに手間取って質問しないためニュースは日本のスタジオに切り替えて話題を換えた。
「事件発生から約5時間が経過した午後2時30分から首相官邸で立野官房長官が記者会見を開きました。日本政府としては事実確認を最優先して韓国政府の発表に対する見解は保留すると言うことですが・・・これは今の会見で国防部長官が指摘した通り、日本側の責任を認識していると見るべきなんですかね」最近はカメラの横に表示されるようになった原稿を読み上げた男性アナウンサーは隣りにコメンテーターとして座っている古参記者に意見を求めた。
「それが外交上の常識なのは確かです。仮に日本政府が海上自衛隊側の先制攻撃を認識しているのなら何よりも韓国政府に謝罪するべきです。そして憲法第9条が否定している国の交戦権を個人が行使できる危険な現状を厳しく受け止め、憲法改正を使命と公言していた加倍政権でさえ憲法改正を実現できなかった以上、憲法の継続が国民の意志であるとの前提で自衛隊の存在について真摯に議論するべきです」これは大手マスコミの毎度の論法だが今回は事件の重みが加わり、衝撃が強かった。ここでテレビ・カメラが引き、画面に加わった女性アナウンサーの深刻さの一方で納得したような表情が印象を決定づけた。
- 2022/01/16(日) 15:35:47|
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愛知県出身の総理大臣は2人だけで、1人は大正デモクラシーを受けての普通選挙法とロシア革命の波及を阻止することを目的とした治安維持法を並行して成立させた加藤高明首相、もう1人が1月9日に91歳と1週間で亡くなった海部俊樹首相です。
海部首相は昭和6(1931)年の正月2日に名古屋駅前の松坂屋百貨店の北側にあった中村写真店の店主の6人兄弟の長男として生まれました。尋常小学校を卒業すると旧制・愛知第1中学校を受験しましたが失敗して私立の名門・東海中学校に進学しました。敗戦後は中央大学の法科を経て早稲田大学の法律学科に編入して早稲田雄弁会の弁士として名を売りました。しかし、昭和31(1956)年には中央大学時代から見習い秘書として仕えていた衆議院議員の秘書専業になるために中退し、昭和33(1958)年に議員が死亡すると後任として当選した議員の妻を秘書として支え、次の衆議院選挙には後継者として立候補して全国最年少で当選を果たしました。
その後は会長自らが海運会社を経営しているため企業献金を必要としない清潔感を売り物にしていた派閥に所属して自民党の議員らしからぬ垢ぬけた風貌と金銭に関する噂とは無縁な政治活動で小型軽量でも名前と顔だけは知られるようになりました。しかし、実際は東レの営業マンだった父親が市営プールの人工芝を契約寸前までいきながら海部議員が支持者の会社の製品を割り込ませたため頓挫したことがあったそうです。
そんな弱小派閥も継承できず自民党の一服のお飾り的清涼剤に過ぎなかった海部議員が総裁・首相に上り詰めることになったのはリクルート事件でした。愛人騒動による女性の不支持によって参議員選挙で大敗した宇野宗佑首相が引責退陣を表明したものの当時の自民党はリクルート事件で賄賂と認定された未公開株を受け取っていた有力議員は「1年間、若しくは次の総選挙まで党の役職を辞退する」と表明していたため各派閥の長だけでなく次級者まで名乗りを上げることができず、自民党を漏れなく手懐けようとしたリクルートの社長も相手にしなかった弱小派閥の正式には後継者の指名を受けていない弁舌と清潔感だけが売り物の海部議員に白羽の矢が立つことになったのです。こうして何かの間違いのように首相に就任すると竹下登首相、金丸信、小沢一郎(どちらも敬称不要)の操り人形になりながら水玉模様のネクタイをトレードマークにして今度は女性を中心に支持率を集め、衆参両院が捻じれ状態でありながら予想以上に安定した政権運営で1990年2月の衆議院議員選挙では勝利しました。
ところが衆議院選挙から半年後の1990年8月2日にイラクがクエートに侵攻して湾岸戦争が始まるとアメリカは日本へも自衛隊の派遣を要求しましたが海部首相は腰が定まらず、小沢が命じるままに自衛隊の代わりに巨額の戦費を提供する国際社会では軽蔑の対象となる対応を続け、結局、アメリカの圧力に屈して航空自衛隊の輸送機を難民輸送の名目で派遣することを決定しましたが間に合わず、終戦後に海上自衛隊の掃海艇をペルシャ湾の機雷除去に派遣する後の祭りの軍事行動を晒して退陣に追い込まれました。その後の醜態は語る気にもなりません。それでも面識がありますから冥福は祈ります。
- 2022/01/15(土) 14:27:55|
- 追悼・告別・永訣文
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「食事時間に申し訳ないが本部長室に集まってくれないか」「私も食事どころではないと思っていたんです。と言ってこちらから閣下をお呼び立てするのも気が引けて・・・助かりました」航空自衛隊の幹部学校長が基地司令を務め、海上自衛隊の幹部学校と陸上自衛隊の教育訓練研究本部が同居している目黒基地・駐屯地では陸将の本部長が陸海空の将補を呼び集めて緊急会合を持った。議題がたった今、昼の民間放送のニュースで流れた海上自衛隊の対潜哨戒機と韓国海軍のコルベットの交戦なのは言うまでもない。
「完全に主導権を奪われたな」「相手が身構えたらこちらも柄(つか)に手を掛けないと手遅れですよ」本部長室のテレビは国営放送のニュースを流しているが、流石に韓国側の一方的な発表であることを繰り返し説明している。同じ階の陸教育訓練研究本部の副校長と各部長はソファーに座ってテレビを注視しているが、内容に大差がなくても受け取る印象は全く違う。
「海自の校長閣下が来られました・・・基地司令閣下もご一緒です」間もなく出席者が集合し、副官室のWACの陸曹がコーヒーとクッキーを配り終えて退室すると本部長は執務机の椅子からソファーの自分の指定席に移動した。
「腹つなぎにクッキーを食べながら話をしよう」本部長は穏やかな笑顔を作りながら声を掛け、手本を示すように小皿に載っているクッキーの袋を開けて頬張った。それを見て6人の将補たちも倣ったが、モリヤ将補だけは先にティッシュで口紅を拭った。
「海自としては今回の事件をどう思うね」「今、断定できるのはPー1が対艦ミサイルを発射した事実がないことです。Pー1に搭載しているASM(空対艦ミサイル)の射程は91式が80ノーティカル・マイル(海里=約150キロメートル)、新型ハープーンなら67ノーティカル・マイル(約124キロメートル)ありますから艦載の対空機関砲の有効射程距離内では近過ぎます」「なるほど・・・つまり小型駆逐艦」「コルベットです」「そのコルベットの沈没は」「間違いなく自爆でしょう。大体、ミサイルが命中・爆発して1名も死亡者が出なかったと言うことはあり得ません」民間放送のニュースが終わり、集合を連絡するまでの時間はモリヤ将補が化粧を直したのが不思議なくらい短かったので、この数字情報は下調べなしの知識らしい。考えてみれば海上自衛隊の幹部学校長はPー3C対潜哨戒機のパイロットだった。
「つまりボロが出る前に反日世論を喚起して毎度の韓国市民の怒りで事実化するのが狙いと言うところだ」「それで大統領選挙の保守派候補に『親日』とレッテルを貼れば自分の後継者が有利になる」「だからこのタイミングなのか」海将補の解説で事実に対する共通認識ができたところで男性の陸将補3人が政治的分析を始めた。
「しかし、加倍政権の頃は国交断絶寸前とまで言われていたが、石田政権になってからは批判も抑え気味で歩み寄りを模索しているように見えるんだが、あえてそれを打ち砕くような暴挙に出たのか目的が判らんな」副本部長の疑問を受けて本部長が視線でモリヤ将補に発言を促した。モリヤ将補は幹部候補生学校長時代、日韓候補生交流行事で韓国陸軍士官学校を訪問しながら翌年には2018年の火器管制レーダー照射事件で中止を通告された経験を持ち、普通の自衛官よりも韓国陸軍の内情に詳しいはずだ。
「韓国は日本どころかアメリカも同盟国とは思っていません。韓国にとっての盟主は有史以来、間近で仕えてきた中華帝国だけでアメリカは日本の植民地支配を終わらせるために利用しただけです。今の韓国では朝鮮戦争でさえ北朝鮮が日本に取って替わったアメリカの植民地支配から解放して民族による統一国家を樹立するための救国戦争と定義していて、アメリカが守ったのは韓国ではなく李承晩の傀儡政権だったと言うのが常識になっています。つまり潜在的敵対国なんです」「確かに私も韓国空軍の編隊が日本海上のADIZ(防空識別圏)で反転して韓国に戻り、それを迎撃する別の編隊とDUCT(空中戦)を始めるのを何度も見たことがある。あれは日本からの攻撃を想定した演習だろう。前の国防部長官はウチ(航空自衛隊幹部学校)のCSと上級幹部課程に留学しているが、米韓相互防衛条約では韓国軍がアメリカ軍の指揮下に入るのに日米安全保障条約では日米が独立した対等な軍として協力することになっていることにかなり激烈な不満を抱いて、酔うと『自衛隊の敵は外国だが韓国の敵は同じ民族だ。それなのにアメリカ軍の指揮を受けて肉親かも知れない敵を殺さなければならない。お前たちにその苦悩が判るか』と興奮していたそうだ」空自の幹部学校長の説明で韓国を戦前の一時期だけ禍根を残した以外は友好関係にあった隣国、今では北朝鮮と中国に共に対峙する同盟国と考えていた男性の陸将補たちは黙って顔を見合わせた。
「そうなると単なる事件で終わるかが問題だな。石田政権の事勿れ主義では後手に回らざるを得ない。喧嘩は相手に舐められるから起こるんだ」本部長の総括に全員が厳しい顔でうなずいた。
- 2022/01/15(土) 14:26:15|
- 夜の連続小説9
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「すでにマスコミ各社は韓国政府の発表をニュースとして報じていますが、本日午前9時38分に発生した海上自衛隊の対潜哨戒機の墜落事故に関する日本政府としての見解を述べさせていただきます」日本政府が午後に開いたすでに緊急とは言えない記者会見で立野(たつの)官房長官は感情を交えず定型の前置きを述べた。昭和の記者会見ではこの定型の前置きで記者たちは手帳を開き、筆記用具を出して発言内容を速記する準備を始めたが、今ではスマート・ホンの電源を入れて編集部へ映像と音声を送るだけだ。加倍政権の管官房長官は言葉遣いに大差がなくても独特の威圧感があったのでこの定型の前置きでも実際は「日本政府の見解」ではなく「反論」「抗議」「宣戦」であることを記者たちは察していた。しかし、石田首相は自民党でも官僚出身者や優等生の派閥なので闇雲に事を荒立てるようなことはしない。その腹心の側近として意を体する立野官房長官も同様なのは言うまでもない。
「本日の午前9時38分に日本海中部でも島根県竹島に近い空域で我が海上自衛隊のPー1対潜哨戒機が監視行動中に消息を絶つ事故が発生しました」立野官房長官は防衛大臣からの第1報を石田首相から伝えられて即座に内閣官房情報調査室に情報収集衛星の情報の解析を指示していたが、対潜哨戒機の主翼に記載されている番号が識別できるほど高性能の映像用カメラも現場海域が厚い雲で覆われていたためジェット・エンジンが噴射する熱の赤外線を感知して位置を確認できただけだった。一方、レーダー探知装置も別の固定翼機が雲の中で接近を繰り返し、銃撃の直前にはECM(レーダー妨害)を作動させたらしく航空自衛隊のレーダーと同様に詳細を確認できる情報はなかった。ただし、今回は韓国側が戦闘用のXバンド・レーダーを使用した形跡がないことは確認できた。
「敵さん(韓国)は殺る気ですね」内閣官房情報調査室で情報収集衛星を運用している専門家たちは国立大学で業務に関連する学部を専攻していた学生の中から選抜され、卒業後は非公式にアメリカに国費留学したため2代目ブッシュ政権が始めた対イスラム戦争で偵察衛星や無人偵察機を運用した実戦経験を持っている。そんな彼らは情報収集衛星が送ってくる映像に韓国側の「殺気」を感じ取ったらしい。確かにPー1の搭乗員11名は殺された。
「韓国政府は海上自衛隊機が先にコルベットに向けて空対艦ミサイルを発射したと発表していますが、対潜哨戒機が所属する基地と交信している通話内容を確認したところ上級部隊が攻撃命令を発出した事実はなく、攻撃許可を求めた形跡もありません」これは韓国政府に対する反論なのだが立野官房長官は全く感情を交えていないので単なる疑問にしか聞こえない。
「ただ対潜哨戒機が消息を絶つ直前に監視員が機長に『火砲が作動した』『銃口がこちらに向いた』と報告し、機長が日本語で『回避』と指示している音声が残っています。この発言内容から推察すると韓国海軍のコルベットは対潜哨戒機の搭乗員が攻撃を受ける危険性を感じるような行動を採った可能性が高く、低高度で回避のために急旋回している状態では対艦ミサイルを発射することは不可能です」ここまで説明して立野官房長官は記者席を見回したがこちらに向けられているスマート・ホンが並んでいるだけで記者たちは別のスマート・ホンで送られてきた質問のメールを確認している。古参議員の体験談によると昭和の記者会見では筆記用具を動かす動作で記者たちの反応を計ることができたそうだが、今の記者には人間としての感情を介した反応は見当たらない。
「日本政府は『韓国政府の発表は虚偽である』と公式に否定するのですね」日本側が把握している事件の発生状況と行方不明になっている搭乗員の捜索の現状を説明し終えると質疑応答になった。この質問もメールで編集部に遠隔誘導されているので真剣味が薄い。
「一方的に我が国を断罪するには疑問点が多く、いささか早計ではないかと申し上げている。今後は日韓で合同調査委員会を立ち上げて実態解明を進めるべきだと外交ルートを通じて申し入れたところです」「外交部に召喚された大使を通じて伝えたんですか。まるで大人に怒られている子供の苦し紛れの解決策みたいですね」比較的ベテランの記者が皮肉を返したが、メールの確認に熱中している若手記者たちは反応しなかった。そこで揶揄された側の立野官房長官が苦笑しておいた。官房長官も色々気を使う。
「仮に韓国海軍が対潜哨戒機を撃墜したとなれば日韓関係は決定的に険悪化して国交の断絶と言う事態も考えられますが、日本政府としてはそれも視野に入れて対応すると言うことでしょうか」「そうならないためにも合同調査委員会による実態解明が必要なのです。どちらが攻撃を仕掛けたにしても、それはおそらく自衛行動を踏み誤った事故に類するものであって敵対行為に及んだのではないと考えています」この記者会見の中継を韓国政府の首脳陣たちはサムソンのテレビで嘲笑しながら見ていた。
- 2022/01/14(金) 15:58:19|
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