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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

3月1日・日露陸戦の関ヶ原・奉天会戦が始まった。

明治38(1905)年の明日3月1日から満洲軍司令官・大山巌元帥が開戦に当たり「本戦役の関ヶ原とならん」と訓示した奉天会戦が始まりました。
奉天会戦の戦力は攻撃する日本軍が24万人だったのに対して防御する帝政ロシア軍は36万人と言う戦術の常識に反する会戦でしたが、それには旅順要塞の攻囲戦で予定外の大損害を出して兵員だけでなく武器弾薬も底を尽いて補給の見込みも立たず、逆にロシア軍はヨーロッパに全軍の半数の主力が残っていてシベリア鉄道で増員することが可能な現状に満洲軍の大山元帥と児玉源太郎総参謀長の「これ以上の戦闘の継続は無理」「早期停戦のために決戦で勝利を収める」と言う戦略的判断がありました。
日本軍は全満洲軍を動員して奉天の正面に展開しましたが、2月21日に左翼側の奥保鞏大将の第2軍が攻勢をしかける準備をしていたロシア軍に奇襲的先制攻撃を加え、小競り合いの前哨戦が始まりました。こうして主導権を獲得したと判断した満洲軍司令部は奉天の左右から攻撃を加えることでロシア軍の戦力を二分させ、手薄になった正面を突破すると言う奇策を用いましたが、正面主力の攻勢も満洲の厳寒で秋に土を掘って構築した陣地が凍ってコンクリート製のように堅牢になり、砲弾が跳ね返されて容易に破壊できず、火薬が低温で発火力が低下するなどの悪条件が重なって戦果を上げることができないまま膠着状態に陥りました。一方、ロシア軍は司令官のクロパトキン大将が難攻不落と自信を持っていた旅順要塞を陥落させた乃木愚将の第3軍を過大評価していて、戦力を消耗し切った状態で参戦していたにも関わらず多数の部隊を派遣したため乃木第3軍は甚大な損害を被ったものの敵の主力を主戦場から引き離す戦功を上げました。
満洲軍司令部は膠着状態を打開するため乃木第3軍、特に秋山好古少将の騎兵旅団に奉天北方に迂回して退路を遮断する命令を与え、これを察知したロシア軍は即座に撤退を始めましたが、これはナポレオン軍をロシアの冬将軍に壊滅させた伝統的戦略の踏襲でした。
ところがこの撤退に激怒したロシア皇帝がクロパトキン大将を解任したことで欧米のマスコミは「ロシア軍の敗北」と報道するようになり、満洲軍司令部の目的は達成されました。しかし、損害を比較すると日本軍が戦死者15892名、負傷者59612名なのに対してロシア軍は戦死者が半数の8705名、負傷者51438名、俘虜を含む行方不明者28209名であり、「奉天を占領した」と言っても自発的に撤退して空き家になったところに入り込んだに過ぎず、軍事的評価としては勝利とは言えません。
おまけに東京の山県有朋元帥や桂太郎大将=首相ほかの山口陸軍閥はこの戦果に有頂天になって山口県人の長岡外史中将に屯田兵を率いさせて樺太を占領しただけでなく満洲軍にウラジオストックの占領を提案してきたため山口県人の児玉総参謀長が急遽帰国して「満洲軍=日本軍は継戦能力を喪失しており、早期停戦以外に日本が存在する道はない」と説得してようやく戦線拡大を思い止まらせることができたのです。
そろそろ日本人は欧米の軍事・歴史研究家の大半が日露戦争を日本が局地戦での辛勝を重ねただけで国家の勝利とは見ていないことを再認識するべきでしょう。
  1. 2022/02/28(月) 15:50:10|
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続・振り向けばイエスタディ48

「新型コロナで見舞いを制限されて家族に看取られることなく死んでいくのを寂しいと思っていたけど病院で穏やかに死ねるだけでも幸せと思わなければいけなくなりそうだな」茶山元3佐が船岡施設OB会の会員の葬儀に出席すると最後列に並んで座っている会員たちが声を落として語り合っていた。葬儀場は席の間隔を広く取っているが、出席者はそれぞれ会話しているので周囲を気にする必要はない。何よりも日に日に「自衛隊内の反韓過激派が暴走している」と言う疑惑の色を濃くしているマスコミの報道に危機感を積のらせている元自衛官たちが死んだ元同僚が作ってくれたこの機会に本音・真情を共有しようとするのは至極当然だ。
「俺たちはこうして無事に定年を迎えて老後を過ごしているが、戦争が始まれば現職の隊員の大半は戦死するだろう」「俺たちは老い先短いから悔いはないが、若い連中が死ぬのは耐え難いな」ここで対話に間が入ったので視線を正面に向けると自衛隊を定年退官した時に撮影した制服姿の遺影が苦衷しているように見えた。
「海自と空自が殺られた後は在日のデモ隊が基地に押し寄せていたが、今度は陸にも来ているそうだ」「東北の太平洋側は震災の災害派遣を憶えているから仙台市内でチラシを配ってる程度だが青森や弘前に秋田ではかなりの人数のデモ隊らしいぞ」茶山元3佐は陸士の頃、ソ連のミグ25戦闘機が函館空港に強行着陸した亡命事件を受けて飛行コースになった青森県の津軽半島の十三湖の近くに地対空ミサイルの基地を建設する工事に参加したことがあるが、外出時に「在日朝鮮人には気をつけろ」と指導された。津軽半島に限らず北海道から北陸までの日本海側の穀倉地帯では戦時中、働き手が根こそぎ徴兵されて生産量が大幅に減少したため朝鮮半島で労働者を募集して小作人にしたと言う。ところが終戦で生き残った農家の若者たちが復員してきても日本の先進的な生活を知った朝鮮人たちは帰国しないで居座り、東北各地で暴動に類する事件を頻発させた。今回のデモはその再現に発展する可能性もある。
「いよいよとなったら在日の連中は強制送還させないと危ないな」「戦時中のアメリカが日系移民を砂漠の強制収容所に押し込めたみたいにはいかないだろうからな」日本人の多くは第2次世界大戦中のアメリカで日系人が強制収用所に入れられた史実をフランクリン・ルーズベルト政権の人種差別による悪事と思わされているが、実際は真珠湾攻撃によって太平洋艦隊を壊滅されたアメリカには日本軍が襲来しても阻止する手段がなく、本土に上陸されて占領されると言う強い危機感を抱いていたのだ。そのためフランクリン・ルーズベルトが署名した大統領令9066号では諜報活動や軍の行動の妨害などの敵対行為を防ぐことを目的に日系人に限らず敵対国出身の移住者は全て軍が管理下に置いた地域から退去させる権限を認めていても、それ以外の地域では日系人も権利を保障されていた。また半年後に設置された強制収容所に日系人だけが入れられのはその時期、日本海軍は西海岸近海に潜水艦を多数派遣して航行する船舶を撃沈しただけでなく艦砲射撃で地上の施設も破壊していてアメリカ本土への直接の脅威となっていたのは強い海軍力を持つ日本だけだったからだ。
「それでも終戦直後は占領軍が在日の連中を敵でも味方でもない第3者の国とか言って日本の警察は取り締まれなかったが、今は違法行為を犯せば逮捕できるだろう」「それも難しい点があるんだ。海外のマスコミは今回の対立の原因は全て自衛隊側にあると報道しているから下手に取り締まれば民族弾圧だと言い出しかねん。最初の海自の事件の時も市ヶ谷の正門前の歩道に押しかけていたデモ隊を警察官が通路を確保しようと手で肩を押しただけで2人も転んで暴力を奮ったことにされた。警察も懲りてしまったんじゃあないかな」あの時は日本テレビ局が現場を撮影していて放送した時には女性アナウンサーが「警察官が暴力を奮ったのでしょうか」と疑問符をつけて解説を加えていた。今回に限らず日本のテレビの報道番組では台詞は疑問を呈していても口調や表情で断定して視聴者の印象を操作する手法を常用している。それは新聞が衝撃的な見出しの末尾に「?」をつける手法の応用かも知れない。
「石田政権はまだ対話を呼びかけているんだよな」「だったら小泉がピョンヤンに乗り込んだみたいにソウルへ飛んで行って何とか言う大統領に直談判すれば良いんだ」少し興奮気味になって話は政権批判に発展してしまった。こうなると聞き役に徹している茶山元3佐は役柄を「赤の他人」に変えたくなる。どう考えてもこの場に相応しくない、
「石田は広島出身の割には仁義なき戦いはできそうもないな」「所詮は銀行員だよ。刺青又さんの孫とは度胸の据わり方が違うんだ」刺青又さんとは小泉首相の祖父・小泉又次郎逓信大臣のことで元とび職だったので全身に倶梨伽羅紋々の刺青を彫っていたと言う。この会員は小泉首相の父親が防衛庁長官だった頃に読んだ部内紙の人物紹介記事を憶えているようだ。その父親は朝鮮人帰還事業で中心的役割を果たし、それが訪問実現の伏線にあることは知られていない。
  1. 2022/02/28(月) 15:48:52|
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2月28日・昭和の文豪4人が文化大革命を批判した。

昭和38(1963)年の明日2月28日に5年後にノーベル文学賞を受賞する川端康成先生以下、石川淳先生、安部公房先生・三島由紀夫先生の昭和の文豪たちが共産党中国で吹き荒れ、日本にも押し寄せていた文化大革命を批判する声明を発表しました。
文化大革命は農業や工業ではズブの素人で労働の経験もない毛沢東同志が勝手な思い込みで指導した大躍進政策の結果、農業生産が壊滅的打撃を受けて1500万人から7000万人の餓死者を出した責任を負って国家主席を退陣した後、産業復興のため劉少奇同志と鄧小平同志の新指導部が自由主義の競争原理を取り入れた政策を「修正主義」と批判して狂信的な若者たちを私兵化して起こした人類史上最大の凶事です。
ところが中国国内の情報が入ってこない日本でも毛沢東同志を神格化して崇拝する東京大学の菊池昌典名誉教授や辻村明名誉教授、早稲田大学の安藤彦太郎教授や新島淳良教授、菅沼正久長野大学名誉教授、秋岡家栄元朝日新聞記者、西園寺公一元ソ連のスパイなどの言論人や文化人が手放しで礼賛し、左傾マスコミや教育者も同調したため共産党中国の実態を知らずに親近感を植えつけられていた多くの国民はそれを信じていました。一方、日本共産党は毛沢東同志が「日本も反修正主義=資本主義打倒を正面から掲げろ」「日本でも文化大革命を始めろ」と扇動し、北京放送や日中友好協会、日中貿易を通じて対日干渉が始まると「内政干渉である」とこれを拒否して相互に批判の応酬になりましたが、山口県委員会(野坂参三委員長や宮本顕治委員長は山口県出身)から派生した共産党左派は資本主義を容認する日本共産党指導部を批判しました。また60年安保闘争が終結して次の展開を模索していた学生運動の活動家たちは文化大革命を武力革命と誤解して銃砲店で強奪した銃器で山中の軍事訓練を始めるなど組織を軍隊化するようになったのです。
そんな文化大革命では知識や教養がない紅衛兵や同調する若者たちが興奮状態の勝手な感覚で資本主義の信奉者と疑った職場の管理職や知識階層の人たちを公開で糾弾する人民裁判が全国各地で繰り広げられ、多くは逃れようがないことを自覚して批判されている事実を認め、自己批判の後に頭に罪状を書いた帽子をかぶらされて市内を引き回される晒し者にされましたが、1966年4月14日の全国人民代表会議で古代から現代までの中国史を研究して優れた論文を多数発表し、作家としても中国近代文学に大きく貢献していた郭沫若同志が「今日の基準から言えば私が過去に書いたものにはいささかの価値もない。全て焼き尽くすべきである」と自己批判させられたことが報じられて、多くの文学者が文化大革命を絶賛していた中で当時から海外で高く評価されていた安部公房先生と三島由紀夫先生、ベストセラー作家の石川淳先生、そして三島先生の師匠である川端康成先生(本人は政治には無関心だった)が連名で「われわれは左右いづれのイデオロギー的立場をも超えてここに学問芸術の自由の圧殺に抗議し、(中略)学問芸術を終局的に政治権力の具とするが如き思考方法に一致して反対する」と言う抗議声明を発表したのです。
しかし、1970年代の日中友好ブームの中で共産党中国の建国者である毛沢東同志の凶行は隠蔽され、多くの日本人が実態を知ったのはNHKの「大地の子」の放送でした。
  1. 2022/02/27(日) 13:16:15|
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続・振り向けばイエスタディ47

最近、茶山元3佐は愛知県の小椋元3佐と連絡を取り合っている。海上自衛隊の対潜哨戒機と航空自衛隊の緊急発進機が撃墜された時は元自衛官として殉職者の冥福を祈ったもののどこか他人事だった。しかし、今回の竹島への攻撃と警備隊員の殺害を陸上自衛隊が実施したとする疑うマスコミの報道を見ると事実を究明しなければいられなくなった。
「お手紙いただきました。相変らず強い好奇心を発揮しておられることに感服しました」小椋元3佐の手紙は総務・人事を担当する元1科長だけに折り目正しい。茶山元3佐は小椋元3佐が自分の中隊の陸曹だった頃、戦時中に出征した父親が広島の海田市にあった船舶工兵隊に配属されて、敗戦間際には隠岐島守備隊として陣地構築と島民の疎開に当たっていたと聞いたことを思い出して質問の書簡を送ったのだ。
「残念ながら私は入隊後、豊川に配属されたので滅多に実家に帰らず、おまけに遅く生まれた3男なので父親と酒を酌み交わす機会があまりないまま死んでしまいましたから船舶工兵については詳しくは聞いていません」先ず「あまり期待するな」と予防線を張るのも小椋元3佐の文体だ。茶山元3佐も出征から帰還してから生まれた息子なので父親は比較的年配だったが、80歳と長命だったおかげで自衛隊に入ってからも軍隊時代の体験談を詳しく聞くことができた。その点、小椋元3佐の父親は入隊して間もなく亡くなっているので得難い後継者になった息子に貴重な情報を語り残すことができなかったようだ。
「ただ私も施設学校の教官として渡河については研究していたのでその範疇でお答えします」「それで結構」ようやく本論に入って茶山元3佐は思わず合いの手を入れてしまった。しかし、陸曹時代の小椋元3佐は事務室で勤務させたことはなく、命令や報告などの公文章を作成させていない。つまり部内課程で幹部になってから文章力を培ったので完全に陸上自衛隊式になったらしい。それでも1科勤務の隊員の中には行政書士や司法書士の資格を取得する者もいるから得手不得手の問題のような気もする。小椋元3佐は工業高校出身のはずだ。
「今回の事件では陸上自衛隊の特殊部隊が漁船を使って竹島を奇襲したと言う疑惑が報じられていますが、当日は晴天で新月の暗夜で、照明を消して小型船舶用のレーダーと竹島の山頂にある監視所の窓灯りだけを目標にして接近し、桟橋に接岸するのは困難でしょう。しかも海が静かであればエンジン音を波で隠蔽することもできず、実際は韓国陸軍の兵士らしい監視所の隊員が気づかないはずがありません」茶山元3佐も施設科の幹部であり、昭和55年の夏には第10師団が中部方面隊の指定研究で実施した木曽川での渡河演習にも参加しているので操船には詳しいのだが流石に施設学校の元教官には敵わなかった。
「これは私の個人的見解ですが、海上自衛隊のPー1や航空自衛隊のFー2の撃墜事件も日本政府は『韓国側が攻撃していながら日本側が手を出したことにする証拠を捏造した』と言っているので今回も自作自演ではないでしょうか。インターネットに流出した海から引き揚げられた警備隊員の遺体も若い兵士ではありませんでした。画像を印刷して添付します」ここで茶山元3佐が封筒を確認するともう1つ茶封筒が入っていて表に「注意・遺体の写真」と書いてあった。茶山元3佐は深く息を吸うと中身を出して見た。
「これは還暦過ぎだな。3人ともそうだ」インターネットに流出した画像を自宅のプリンターで印刷しているのでかなり不鮮明だが、遺骸の3人は頭頂部が薄く、後頭部の毛には白髪が混じっている。本来はフリッツ(=ドイツ軍)式ヘルメットで隠蔽したかったのだろうが、遺骸を海面に浮遊させておくには邪魔だったのだろう。一方、表情は苦悶と言うよりも恐怖に慄いていて事故死ではなく殺害されたことが推察された。
「韓国がここまでやると言うことはかなり危機的状況に陥っていると考えなければなりませんが、ウチは息子2人が自衛官になっているので親として心配しています。私は2021年に即応予備自衛官を定年しましたから一般国民です」言われてみれば小椋元3佐の幼い頃からサバイバル・ゲームで鍛えられた息子2人は陸上自衛隊に入隊し、第10師団でも守山と金沢の普通科連隊の陸曹=サバゲのプロになっている。それにしても茶山元3佐と小椋元3佐の父親はどちらも軍歴があったが息子が同じ道を歩むことを決めた時、反対も激励もしなかった。今では自衛隊も世襲制の様相を呈していて息子を入隊させている元自衛官が多いが、自分が経験しなかった戦争の気配が迫ってくる現状をどのように受け止めているのだろうか。
「追伸、渥美半島の田原市は韓国ソウル市の戦没者霊園(=国立ソウル顕忠院)がある銅雀区と姉妹都市のため在日の住民が豊川や浜松の空自に抗議デモに押しかけています。元々、在日の連中が帰国して霊園で参拝したことが姉妹都市になった切っ掛けなので反日なのは当然ですが」茶山元3佐は大好きな東三河の意外な実状に複雑な思いを抱いて手紙を封筒に戻した。
  1. 2022/02/27(日) 13:14:58|
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2月27日・京都の共産党による長期府政・蜷川虎三京都府知事の命日

昭和56(1981)年の明日2月27日は敗戦後の京都府を7期28年間にわたり共産党の支配下に置いた蜷川(にながわ)虎三知事の命日です。
明治から大正にかけて日本は文明国に加わるため多くの科学者をヨーロッパに留学させましたがマルクス主義が大流行していた時期でもあり専門馬鹿たちは簡単に染まってしまいました。それでも国費で留学した科学者たちは帰国すれば帝国大学で教壇に立つため最先端の科学のついでにマルクス主義も教えたのですが東京帝国大学は政府当局の監視が厳しくロシア革命が勃発して治安維持法が成立すると地下に潜ることになりました。ところが関西地方では政府の関心は専ら商都・大阪に向いていたため京都帝国大学には目が届かずたちまちマルクス主義が蔓延することになりました。そして京都帝国大学の学閥に属した広島帝国大学や名古屋帝国大学に波及し、各帝国大学と人事交流があった師範学校を通じて周辺地域にも拡散したのです(東北帝国大学や九州帝国大学は東京帝国大学の学閥)。
また1000年余の歴史を誇る京都では明治政府と東京遷都は認めておらず、地方からの成り上がり者が作った政権が間違っていたことが敗戦で証明されたと考えていたので占領軍によって共産党が合法化されると即座に強固な支持基盤が構築されたのです。
蜷川知事は明治30(1897)年に現在の東京都江東区木場の裕福な材木商の息子として生まれ、農商務省水産講習所=現在の東京海洋大学を卒業して京都帝国大学経済学部に進学し、大正12(1923)年に卒業すると昭和2(1927)年に助教授になりました。この時、マルクス経済学に染まり、ドイツへ留学したことで芯まで染め抜かれたようです。帰国後は経済学の博士号を取得し、昭和17(1942)年に教授になって経済学部長で終戦を迎えると自ら「戦争責任を取る」と称して退職し、昭和23(1948)年からは吉田茂内閣の中小企業庁長官に就任しています。しかし、根っからのイギリス式資本主義者の吉田首相とマルクス経済学者の蜷川長官が上手くいくはずがなく昭和25(1950)年に辞任すると社会党公認、共産党系の全京都民主戦線統一会議推薦で京都府知事選挙に出馬して当選し、ここから7期連続28年間の長期府政が始まりました。
蜷川府政は簡単に言えば「日本国憲法の完全実施」で、府庁内に日本国憲法の前文の全文を書した屏風を置き、年頭の記者会見をその前で行うのを恒例にしていました。このため共産党は現在も「蜷川府政の成功が日本国憲法の理想を追求する共産党の政策が実現できることの証明である」と主張していますが、京都が他の地方自治体に比べて有利だったのは戦災を受けていなかったため復興予算を必要とせず、地場産業が存続していた上、観光資源が豊富なので共産党が標榜する軽負担・重福祉の政策が可能だったことです。実際、日本の復興が進んで国民の生活に余裕が生まれると京都には多くの観光客が押し寄せて多額の金を落とすようになり、蜷川府政も観光客誘致の公費での広報やブランド品の開発に励んで東京の自民党政権が進める高度経済成長の恩恵を吸収しまくりました。
その一方で支持基盤である県教組や自治労には甘い顔をして京都府の地方公務員の厚遇は同じ支持基盤の美濃部亮吉知事だった頃の東京都と双璧でした。
  1. 2022/02/26(土) 14:23:20|
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続・振り向けばイエスタディ46

「モリヤくん、仮に日韓が開戦に立ち至った時、アメリカはどう動くと思うかね。個人的見解で良いから聞かせてくれたまえ」結局、陸海空の出席者の議論は韓国軍の軍事行動が過激の度を増し、海外で日本を批判する世論が完成しつつあるのに合わせて日本国内のマスコミも自衛隊を加害者とする報道を公然化している現状に日本政府=石田政権の和解に向けた努力も限界に近づき、「開戦は不可避」と言う結論に達した。そこで本部長が出席者とは言わずおそらく現在の陸上自衛隊では最もアマリカ軍を熟知するモリヤ将補に見解の披瀝を求めた。
「日米安保条約と米韓共同防衛条約ではアメリカ軍の位置づけが全く違います」本来は簡易講堂の会議室では机を壁に沿って「コ」の字型に並べてあり、奥の上座の辺には陸上自衛隊教育訓練研究本部の本部長と空海の幹部学校長が座り、向かって左側に陸将補の副本部長と各部長に1佐が先任順に並び、右側には海空で分けて1佐が座っている。紅一点のモリヤ将補は出席者全員の注目を浴びながら口を開いた。
「在日アメリカ軍と自衛隊は対等な軍事組織として双方の国家に対する侵略行為に対処する責任を負っていますが、韓国軍は戦時には在韓アメリカ軍の指揮下に入らなければなりません。つまり韓国軍単独での開戦は有り得ないのです」モリヤ将補の説明に出席者たちは一様にうなずいた。日米安全保障条約は加倍政権が制定した安保関連法でアメリカ本土に攻撃が加えられた時に自衛隊を派遣する任務を加えたことで完全な相互防衛条約になった。一方、米韓相互防衛条約は東西冷戦が終結した1993年に韓国軍の平時の指揮権は韓国政府に移管されたが、2015年に予定されていた戦時の移管=独立は韓国の左傾政権が北朝鮮と中国に擦り寄り、自由主義陣営の防衛戦と言う立場を放棄しようとしているとの危機感から延期になっている。
「したがって現在の戦闘行為を含めて韓国軍が自衛隊に加えている攻撃は平時の自衛措置の枠を超えることはできず、我が国に侵攻してくるとすれば以前から領有を主張している対馬の奪還が限界でしょう」「中国の台湾と同様の論理だな」「琉球も中国皇帝の臣下だって言ってるぞ」席が離れているため隣りとの会話の声量が大きくなり、モリヤ将補の発言を中断させることになってしまい当事者2人は軽く頭を下げた。
「若し韓国がこの一線を超えるとすればアメリカとの軍事同盟を破棄して中国の属国となることを選択したと見るべきでしょう。そうなるとアメリカ軍は中国との直接対決を覚悟しなければなりません」モリヤ将補の見解が厳しくなり、出席者は口を「へ」の字に曲げた。確かにアメリカは2022年2月のロシア軍のウクライナ侵攻でも核保有国同士の直接対決を恐れて隣接するNATO加盟国に駐留するアメリカ軍を増派しただけで軍事行動には踏み切らなかった。逆に独裁者の一存で国民を犠牲にできるロシアや中国は最高権力者の大統領でさえ人気投票で選定されるアメリカの弱点を的確に突いているのだ。
「おそらくアメリカは武器弾薬や燃料、食料は提供しても在日アメリカ軍はグアムまで後退させて事態を静観するのではないでしょうか」「中韓と27万人弱で戦うのか・・・」この人数は陸海空の実際に所属している隊員と即応予備自衛官、予備自衛官を加えた数字だ。モリヤ将補の夫は現職時代、陸上自衛隊が普通科=歩兵、特科=砲兵、機甲科=戦車、施設科=工兵を基幹とする正規軍の編制を取り、明治の陸軍創設期にヨーロッパに留学した後の将帥たちが学んで持ち返った陣地の占領、地域の制圧を目的とする戦術を踏襲していることを否定し、散発・継続的に一撃離脱するゲリラ戦術を研究して自分の中隊に訓練させていた。モリヤ将補も幹部候補生学校長として学生隊の教官や候補生たちにゲリラ戦術を課題として研究させていたが、こちらの指揮幕僚課程では元特科連隊長の担当部長の頑強な抵抗に遭って採用されなかった。モリヤ将補も課程教育の戦術研究で特科戦闘を否定されては立つ瀬がない立場は理解できたので引き下がった。特科からの入校学生もいるから常識的な判断だろう。
「もう1つ私が個人的に懸念しているのは2022年のウクライナ侵攻の時、ロシアはアメリカやEUの経済制裁に全く怯みませんでしたが、それは背後で中国が全面的に支援していたからでしょう。そこで借りを作っていれば今度は返さなければなりません。そうなると・・・」「3正面作戦か。もう終わりだ」ここまでくると流石に出席者の中から悲痛な呟きが聞えてきた。
「ロシアが佐渡島に上陸すれば4正面作戦です。中国も小笠原に手を伸ばしていますが、こちらはアメリカ軍がグアムへの脅威として阻止するでしょう。そうしてもらわないとインド洋と南シナ海を通過するタンカーが中国に拿捕されて燃料が入ってこなくなった時、アメリカからの支援のルートまで封鎖されてしまいます」「・・・」もう誰も声を発しなかった。モリヤ将補にとっては夫がパジャマ・ミーティングで熱弁を奮っていた「日本有事」のシナリオの朗読だが、陸海空自衛隊の高級幹部たちもここまで最悪の事態は考えていなかったようだ。
ま・モリヤ佳織イメージ画像
  1. 2022/02/26(土) 14:22:00|
  2. 夜の連続小説9
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「どてらい男(やつ)」・西郷輝彦さんの逝去を悼む。

橋幸夫さん、船木一夫さんと共に昭和の芸能史を飾った御三家の1人で「君だけを」「星のフラメンコ」「星娘」などのヒット曲を飛ばす一方で俳優としても活躍した西郷輝彦さんが2月20日に亡くなったそうです。意外に若い75歳でした。
野僧の祖母は大の芸能好きで近所に人家がない山寺なのを好いことに朝から晩まで主に美空ひばりさんと橋幸夫さんの曲を流し続けていましたが、西郷さんのアップ・テンポの曲は好みではなかったようでレコードは持っていてもあまり聴きませんでした。ところが妹がテレビで見た「星のフラメンコ」の「好きなんだけど(チャチャチャ)」と顔の横で拍手する踊りが気に入ってしまって聴くようになりました。それにしても江戸っ子の橋幸夫さんや愛知県人の船木一夫さんは純和風の風貌ですが、西郷さんは薩摩隼人らしく完全な九州人で、もう1人加えて「四天王」と呼ばれた三田明さん(東京でも都下出身)の方がセットとしての収まりは好かったようです。
そのためなのか時代劇ファンでもあった祖母は西郷さんが「江戸を斬るⅡ」で遠山景元=金さんを演じるようになると「江戸っ子が似合わない」と御贔屓の杉良太郎さんの「遠山の金さん」と比較していました。
一方、野僧にとって役者の西郷さんは昭和62(1987)年の大河ドラマ「独眼竜政宗」の片倉小十郎と何と言っても関西テレビが昭和48年から52年まで放送していた花登筐ドラマ「どてらい男(やつ)」です。このドラマは野僧の小学校6年から中学校3年まで放送されていたのですが、その頃は岡崎市の小学校からド田舎(現世の三悪道)の中学校に入って閉鎖的な土地柄に馴染めず、生徒だけでなく教師からも筆舌に尽くし難い苛めに遭っていました。そんな時、親がこのドラマを見ているのを覗いて以来、こっそり見るようになりました。特に番組の主題歌が気に入り、小遣いでレコードを買ってきて聞きながら唄い、「どてらい男になるぞ!」と挫けそうな気持ちを奮い立たせたものです。花登筐ドラマと言えば老舗に嫁入りした女性が姑や古手の店員の苛めに耐えながら商売に目覚め、現実にはあり得ない嫌がらせや不運に遭いながらもやがて成功し、姑とも和解してメデタシメデタシと言うのがパターンですが、このドラマは西郷輝彦さん演じる山下猛造が極めてエネルギッシュで、丁稚奉公した機械工具問屋で店主や番頭から受ける苛めに耐えるのではなくそれを逆手にとってやり込める展開は本当に勇気と元気をもらいました。
中でも山下猛造が出征して沖縄戦に参加した後、捕虜収容所で大儲けした話は海軍陸戦隊の中尉で士官斥候中に豊見城村の集落で戦死した前世の記憶に重なって印象に残っています。また藤岡重慶さんが演じた坂田軍曹が壇団右衛門大将と名乗っている山下猛造に「山下、お前はただの2等兵やないけ」と言った口調は自衛隊に入ると古参空曹たちから聞いて懐かしくなりました。
現在、主治医が経営する特別養護老人ホームの娯楽室に毎月、毛筆で書いた昭和歌謡の歌詞を掲示していて、「そろそろ御三家にしよう」と来月は船木さんの「高校三年生」にする予定ですが西郷さんは追悼になってしまい残念です。心から冥福を祈ります。合掌

「どてらい男(作詞・花登筐、作曲・神津善行)」
男歩けば勝目(つきめ)に当たる そわそわするなよ ここらが度胸
じっくり構えて掴めばいいのさ 運は向こうで待っている
待っていなけりゃ明日があるさ どうせ一生 どでかく生きににゃ

男歩けば落ち目に当たる くよくよするなよ ここらが根性
どっかり座って耐えればいいのさ 損して得とりゃ元々だ
元がとれなきゃ裸でいよう どうせ一生 どでかく生きにゃ
  1. 2022/02/25(金) 16:12:12|
  2. 追悼・告別・永訣文
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続・振り向けばイエスタディ45

「今回の竹島の一件をどう思うかね」目黒地区では毎週のように陸上自衛隊教育訓練研究本部を中心に日韓の軍事衝突の今後についての話し合いが持たれている。新型コロナ・ウィルス感染症に配慮して席と席の間隔を取るため出席者は1佐以上に限定されているが、陸海空の上級幹部課程や指揮幕僚課程の講義でも留学生(韓国軍は帰国した)を含む入校学生の激論が続いているので教官としても他の自衛隊の見解を参考にしたいところだ。
「ウチの対潜哨戒機の時と同じく自作自演でしょう。問題は自衛官じゃなく漁民を殺したことです」本部長の質問には先ず海上自衛隊の1佐が答えた。昨日の日本のマスコミ報道ではアナウンサーが個人的見解として韓国は明言しなかった自衛隊による攻撃の可能性を島根県の漁船3隻が同時に遭難した事故に結びつけて推理して見せた。これを受けて夕刊と朝刊では「自衛隊が竹島を攻撃?」と言う見出しが躍り、今日の国会では野党が政府を追及している。
「昨日は現場海域で捜索中の海上保安庁の巡視船が韓国海軍の高速艇に威嚇射撃されたらしい」「それはニュースでは言ってなかったな」別の海上自衛隊の1佐が補足すると意外な情報に出席者たちは離れて座っている隣りの席と顔を見合わせた。かつての海上保安庁は海上自衛隊に憎悪に近い態度を取っていたが、2度の海上における警備行動が発令されてからは同じ任務で住み分ける同僚・同志としての意識を抱くようになり、情報の共有も進んでいるようだ。それにしてもこの問題が報道されなかったのは石田政権の政治判断なのか、海上保安庁の隠蔽か、マスコミ各社が自己規制を申し合わせたのかは不明だ。
「それに加えて問題なのは政府が我々を疑っていることです」次は陸上自衛隊の1佐が率直な見解を述べた。アメリカの仲介と独自の人脈で韓国との和解を模索する石田政権は日本のマスコミの韓国政府と日本政府の発表を同等に扱い、陸海空自衛隊内に反韓過激派の幹部が存在し、保守反動の加倍政権によって右傾化して韓国を敵視するようになっていると言う勝手な推察報道を半ば信じていて、閣議でも防衛大臣にマスコミ報道に沿った調査を命じているらしい。
「我々が事実を発表してもマスコミが疑問符を付けてしまうから韓国の虚偽が対等に徒競争してやがる」「アイツらはどこの国のマスコミなんだ」出席しているのは高級幹部ばかりだが、発端となった対潜哨戒機撃墜事件以降、マスコミの報道と韓国の対外宣伝工作によって国内外で虚偽が事実よりも先行している現状に鬱屈した思いを積らせているため言葉が汚くなった。それにしても自衛隊は世代交代が早いため阪神淡路大震災の災害派遣によって国民の支持が不動になる以前の反自衛隊報道を知る世代は現役を去っている。それでも沖縄で勤務すれば今でも敵意に満ちた針のムシロを体験できるが陸海では少数派だ。
「ここまでやると言うことは韓国は本気と見るべきですね」緊急発進機を撃墜された航空自衛隊の1佐が話を一段格上げした。航空自衛隊では緊急発進を実任務として通常の事故の殉職者は1階級の特進だが、緊急発進では戦死と同じ2階級にしている。そのため今回のジージョ1尉も2佐になった。あの事件の後、築城基地にマスコミが殺到したが、墜落した位置の関係で最寄りの小松救難隊が遺骸を収容したため当てが外れたマスコミは「事実を隠蔽した」「取材を拒否した」との疑惑報道を繰り広げた。そして部隊葬当日には築城基地の正門前に九州北部や中国地方西部の在日半島人が押しかけ、遺骨を抱いた妻を乗せた官用車が立ち往生し、取り囲んだデモ隊は車内をのぞき込んで罵声を浴びせ、窓を拳で叩いて威嚇した。当然、警備小隊員が駆けつけて入門させたが、現場にマスコミがいたため抵抗せずに暴力に黙って耐えていたのだ。そのため心中では戦意が固まっていても不思議はない。
「海外では中韓が一体化して反日世論の扇動を進めているようだ。本番となると中国も介入してくると見るべきだろう」ここで陸上自衛隊の将補が口を挟んだ。アメリカから届く非合法組織からの情報は出所を伏せて部内に配布されているが、アメリカ軍内ではここに来て北朝鮮が挑発行動を激化させているため一時期は大統領の署名を待つだけになっていた在韓米軍の撤退が白紙になり、同盟国としての日韓の取捨選択は不可能になっている。これも現在の北朝鮮と韓国の政権の実態を見ればアメリカ軍を足止めするための策略なのは明らかだが、アメリカ国内が中国資本に買収されたマスコミによる世論誘導で韓国の主張が事実化されている以上、親日的なバイデン政権も手がつけられないらしい。
「西部方面隊が正面になるから総監部としても秘密裏に作戦の立案に着手しているらしい」「2正面作戦か・・・苦しいな」陸上教育訓練研究本部でも防衛出動発令時の課程教育の取り扱いは定められているが、2年間の指揮幕僚課程は転属扱いになっているため2尉から3佐の課程学生を作戦中枢の幕僚か戦時に編成される部隊の指揮官として配分することになる。当然、最前線に赴かせることになるが、現在の教育で実戦が指揮できるのかは今一つ自信がない。
  1. 2022/02/25(金) 16:10:45|
  2. 夜の連続小説9
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2月25日・偽エチオピア皇帝・ホレス・コールの命日

1936年の明日2月25日は2月7日の記事「イギリス海軍に痛撃!偽エチオピア皇帝事件」を企画し、主演した稀代の悪戯王・ホレス・ド・ヴィア・コールさんの命日です。
コールさんは1881年にイギリス陸軍少佐の父親とアイルランドの準男爵家の母親の裕福な家庭で生まれました。幼い頃に父親が赴任中のインドでコレラに罹って死亡し、コールさんも10歳の時にジフテリアで聴力に深刻な障害を負ったことで世の中を斜(はす)に見て嘲笑する屈折しながらも痛快な人生観が出来上がったと本人と周囲が語っています(トーリー党=保守党のチェンバレン首相と結婚した妹は大掛かりな偽労働党大会騒動について夫と「少し狂ってる」と評し合ったそうです)。
ロンドンの西郊外にある全寮制男子校のイートン・カレッジに進学しますが18歳の時にアイルランド貴族で富豪の娘と恋に落ちて結婚しましたが、新婚旅行で訪れたイタリアのヴェネツァアに馬がいないことを知ると深夜にホテルを抜け出して本土に渡り、馬糞を大量に買い集めて観光名所のサンマルコ広場に撒き散らす悪戯を行いました。朝になってそれを見つけた市民は驚愕と困惑で茫然自失だったようです。
ところが南アフリカの領有を巡ってイギリスとオランダが争った第2次ボーア戦争が勃発すると聴覚に障害がありながら陸軍に召集されて騎兵中尉として出征しました。しかし、1900年に現在は戦争法で禁止されているダムダム弾(弾頭が尖っていないため貫通しない)で重傷を負い、南アフリカの赤十字病院に入院して退院後に除隊になると1902年にケンブリッジ大学に進学しています。ケンブリッジ大学在学中には偽ザンジバル・スルタンのケンブリッジ市訪問の悪戯を成功させましたが学位は取得できませんでした。
大学卒業後の1906年に祖母が亡くなったため遺産として不動産を相続しますが管理が煩わしかったため1910年に叔父に売却して、偽エチオピア皇帝海軍視察騒動を起こし、間もなくカナダでの土地投機に失敗して全財産を失い、娘を儲けていながら28歳で妻と離婚することになりました。
そんな冴えない生活の中でもコールさんは晩年まで悪戯を続けていて、ロンドンの街中で当選したばかりの国会議員に徒競争を持ちかけ、スタートする直前に相手のポケットの中に金時計を入れておき、走りながら「泥棒」と叫んで警察官に逮捕させ、ネタばらしをすると相手は無罪でも本人は治安妨害罪で罰金を支払わされた。また演劇に頭が禿げた男性8人を雇って上流階層の高いバルコニー席の下の席に並ばせたのですが頭の頂部に「BOLLOCKS=くだらない」と書いてあったと言う秀逸な悪戯があります。
しかし、悪戯には天賦の才を発揮しても私生活では1930年にインド料理店の下働きの女性と結婚しますが、1935年に生まれた男の子はこの女性の結婚前からの愛人で、結婚後も不倫関係を続けていた画家の息子で、その翌年にコールさんはフランスのオンフルールで心臓発作を起こして亡くなっています。ちなみにこの後妻は1939年にイギリスの考古学者と再婚しますが不倫が発覚して離婚した上、不倫相手の浮気に嫉妬して射殺未遂事件を起こして6カ月間服役しました。この結婚はまるで自分への悪戯=嫌がらせです。
  1. 2022/02/24(木) 16:06:27|
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続・振り向けばイエスタディ44

「先ほど隠岐海上保安署から連絡が入りました。隠岐署のたんぺが現場海域を捜索していたんですが韓国海軍の高速艇に阻止されたようです」漁船3隻の遭難を通報した雲海漁協の稲葉は境港の境海上保安部で事情聴取を受けた後も建物内の待機室で連絡を待っていた。本来は夜勤明けで自宅に帰って妻が用意している朝食を取って仮眠している時間だが、3人の漁師が同時に消息を絶つと言う異常事態の説明を他人にまかせる訳には行かなかった。稲葉が待機室でテレビを見ていると事情聴取した海上保安官が入ってきて声をかけた。
「攻撃を受けたのですか」「それは不明ですが、しばらく捜索を中断しなければなりません」海上保安官は今回の事態が外交問題に発展する可能性を考えて一部を秘匿した。しかし、稲葉はテレビで別の情報を知らされていた。
「今、テレビで竹島の警備隊が全滅したってニュースをやっていたが、アナウンサーはウチの漁船が自衛隊を運んだんじゃあないかって言っていたぞ。だから韓国軍の軍艦に撃沈されたのかも知れないって勝手に想像していた。しかし、俺がさっき説明したようにウチの漁船は竹島の方から銃声が聞こえたって連絡してきたんだ。おまけに通話中に銃声が聞こえて消息を絶った。全く状況が違うじゃあないか。海保として訂正してくれるんだろうな」「そのニュースを見てなかったので何とも言えませんが、事情聴取で稲葉さんが申し立てた内容は第8管区を通じて本庁へも報告しますから事実誤認があれば訂正するはずです」ここでも海上保安官は明確に回答しない。海上保安庁が2010年9月7日に尖閣諸島周辺海域で発生した中国漁船による巡視船への衝突事件の記録動画を民政党政権が非公開としたことを問題視した海上保安官が独断でユーチューブに投稿した事案以来、殊更に組織保全を厳格化させていることは聞いている。がこれでは信頼関係に悪影響を与えかねない。実は海上保安庁も防衛省・自衛隊と同じく2013年に就任した43代長官まで長官や主要幹部は運輸省・国土交通省の官僚が独占していて背広組が制服組を支配する組織の構図が続いていた。官僚は現場の要求よりも政治の命令を優先するので民政党政権中枢の叱責に過剰反応したまま踏襲されているのかも知れない。稲葉が失望感を露わにすると海上保安官は気まずそうに体質しようとした。その時、民間放送の昼のニュースが事態に関係する情報を流し始めた。
「今日はニュースが混乱していて申し訳ありません。只今、韓国政府が公表した竹島近海で警備隊員の遺体を回収した時の映像が入ってきました。今回も凄惨な場面がありますから番組で編集した画像で紹介します」この説明に海上保安官は襟首を掴まれたように立ち止り、振り返って画面を注視した。隣りでは稲葉が身を乗り出して見入っている。
「韓国政府の説明では警備隊を撤収させた代わりに竹島周辺海域を封鎖している海軍の艦艇が海面に漂流している警備隊員の遺骸を発見し、捜索した結果、計3名の遺骸を回収したとのことです。なお、海軍は残り2名の捜索を継続しているようです。間もなく遺骸の背中が映りますから気分が悪くなる恐れがある方は視聴を控えて下さい」男性アナウンサーの毎度の注意の後、海上に見慣れた竹島の岩肌がそそり立っている画像が映り、次に甲板で海面を指差す海軍の隊員の姿に変わり、上官と思われる別の隊員が双眼鏡で確認している光景に続いた。
「韓国の隊員が浮遊物を発見したようです」「竹島の見え方から考えて1海里以内だな」「500メートルと言うところだろう」2人は男性アナウンサーの判り切った説明は無視して最初の画面から発見した位置を推測し合った。
「浮遊物は人間のようです」「黒の制服を着ている遺骸を海面で発見するのは肉眼では無理だろう」「そうだな。仰向けなら顔の白さで見つけられるがアジア人の黒髪では発見は至難の業だ」テレビの解説は無視することに決めた2人はそれぞれの見解を述べ合った。
「次に遺体が映ります。気をつけて下さい」「これは天野さん」画面では海面に下ろしたゴムボートが浮遊物に向かい、遺骸を引き揚げ、甲板上にうつ伏せに寝かせた遺骸の脚から背中を映した。それを見て稲葉が絶叫した。
「後ろ姿でも判るのかね」「勿論、長年のつき合いですから・・・毎朝出漁するのを見送っていた背中を見間違うはずがありません」「確かに中年男性の体型だな」海上保安官の確認に稲葉は口を「へ」の字にしてゆっくりうなずいた。
「今度は磯田さん」「今度は沖野さん」稲葉は同じように甲板にうつ伏せに寝かされた3体の遺骸を行方不明になっている「3人だ」と断言した。この証言が事実であれば韓国は漁民の遺骸に独島警備隊の特殊な警備服を着せる証拠捏造を行ったことになり、公式発表した竹島警備隊の全滅そのものに疑惑が生じる。海上保安官はこの事態が一個人や隠岐海上保安署、境海上保安部、第8管区の範疇を超えた大波を発生させたことを思い知って黙り込んだ。
  1. 2022/02/24(木) 16:05:18|
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2月24日・自衛隊諜報機関の創始者?藤原岩市陸将の命日

昭和61(1986)年の明日2月24日は自衛隊には存在しない非合法の対外諜報組織(イギリスのMI6のような)の創始者ではないはずの藤原岩市陸将の命日です。
藤原陸将は明治41(1908)年に現在の兵庫県西脇市で生まれ、陸軍幼年学校ではなく旧制・柏原中学校から陸軍予科士官学校を経て陸軍士官学校の43期生として入校、昭和6(1931)年に修了しました。同期には2・26事件で刑死した丹生誠忠中尉や陸上幕僚長になる天野良英陸将と吉江誠一陸将、航空幕僚長になる牟田弘国空将がいます。修了後は大阪に在った歩兵第37連隊に配属され、豊橋陸軍教導学校から陸軍大学校に50期として入校し、昭和13(1938)年に修了しました。修了後は歩兵第37連隊で中隊長を務め、広東攻略のために新設された第21軍の参謀、主力が大陸へ派遣されていた留守第1師団司令部で勤務しましたが、昭和14(1939)年に関東軍の服部卓四郎作戦参謀の推薦で参謀本部に転属するとチフスを患っていたため皇族が所属していた作戦課を外されて謀略と宣伝を担当する8課に回されたのが情報畑に進む切っ掛けでした。
その後は昭和13(1938)年に「防諜研究所」の名称で創設されていた陸軍中野学校の教官を務めながら情報任務について考察し、陸軍内で昭和14(1939)年にヨーロッパで開戦した第2次世界大戦に日本も参加して東南アジアに進出する南方作戦が現実味を帯びてくると藤原参謀に現地情報の収集と宣伝戦の企画と準備が命じられました。
昭和16(1941)年10月にバンコクの日本大使館付駐在武官室勤務の名目で現地入りすると11月6日に創設された南方軍参謀兼特務機関=F機関の長として現地の市民=大衆を味方にする宣撫工作を開始しました。その成果としてはタイ国内に亡命してきていたインド人の独立運動活動家たちに接近し、モハン・シン大尉を指揮官に武力でイギリスの支配を打ち破るためのインド国民軍を組織したことです。インド国民軍は対英戦が始まると指揮官をスバス・チャンドラ・ボースさんに交代させて降伏したインド兵を吸収して5万人にまで規模が拡大し、イギリスのインド支配の現実の脅威になったのです。
敗戦時は九州の病院に入院していましたが、イギリスからの独立運動関係者の裁判の検察側証人としての出頭命令でインドに赴き、帰路、藤原中佐自身の戦犯としての取り調べを受けますが、実際はイギリスの諜報機関の人間が乏しい資金と30人程度の弱小組織で東南アジアの諜報・宣伝戦で多大な成果を上げた秘訣を聞き出そうとしたようです。
昭和22(1947)年に帰国すると公職追放を解かれた昭和30(1955)年に陸上自衛隊に入隊し、自衛隊の情報要員を養成する調査学校の校長や第12師団長、第1師団長を歴任しながら昭和41(1966)年に依願退職して(=前述の幕僚長レースを棄権した)東南アジア方面で独立後の国家中枢に関わる不可解な行動を開始しました。
事実関係は不明ながらかつての自衛隊はアジア人の諜報要員を求める在日アメリカ軍の要請を受け、インドシナ紛争や東南アジアで続発する内戦の共産ゲリラの活動の調査に退職した元隊員を派遣し(秘密の任務を遂行するには手続き上の退職が前提になる)、現地に残っていた陸軍中野学校出身者と協力して表に出ない成果を上げたと言われています。
  1. 2022/02/23(水) 15:04:28|
  2. 自衛隊史
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続・振り向けばイエスタディ43

「今朝、韓国の警察が『昨夜、韓国が実効支配している竹島で警備隊員5人が殺害された』と発表しました」「これかァ・・・」巡視船・たんぺを隠岐海上保安署専用の波止場に接岸させ、船体に損害がないことを確認した船長が報告のため署長室に入るとテレビが点いていた。
「韓国海軍は『準交戦中にある』と言っていたんだよな」「はい」入室した船長に一瞬視線を送った後、再びテレビを注視した署長が口頭で確認すると船長も返事だけで応えた。横顔で見る署長は漁船3隻の同時遭難のニュースを見るつもりで点けていたテレビが予想外の大事件を報じ始めて困惑しているらしい。一方、船長も船橋のガラス越しに聞こえてきた連続発射される砲弾が空気を引き裂く不気味な音が甦り、戦慄を覚えた。
「現場の状況を韓国の警察は動画で公表しましたが非常に凄惨な場面なので番組の担当者が編集した画像で紹介します。壁には多数の銃弾の痕跡が残り、窓ガラスも砕け散っています。床は大量の血糊が塗り込まれ、無線機やテレビにも銃弾が射ちこまれています。奥の仮眠室のベッドも血染めになっていて寝た状態で射殺されたことが判ります」男性アナウンサーは紙芝居の語り手のように画面と画面の解説の間に放送しない状況の説明も挿入してくる。これだけの銃弾が射ち込まれていれば室内にいた警備隊員の生存は有り得ないことは素人にも判る。
「竹島の警備隊は軍隊なんですか」「いいえ、所属は韓国南東部の慶尚南道警察庁になっていますが、実体は軍からの派遣された兵士が配備されているとか警察官が軍の特殊部隊で訓練を受けているとも言われています。どちらにしても精鋭が配置されていることは明らかでしょう」画像の紹介が終わったところで男性アナウンサーが解説者に話を振った。竹島の警備隊は海上保安庁の航空機が遭難者の捜索の時には無視するが、違法行為の監視のために接近すると島の頂上に据えた対空機関砲を向けてくる。そのために海上保安庁でも組織上は警察に所属していても実際は軍人が配置されていると言う見方が常識になっている。
「そんな精鋭部隊を全滅させたのは誰なんですかね」「竹島は位置関係から言えば韓国や我が国だけでなく北朝鮮やロシアからも近い。どの国にとっても日本海の支配権を確保するためには手に入れたい島なのは間違いありません」男性アナウンサーと解説者も今回は韓国側が日本の攻撃とは断定・明言しなかったため客観的な報道に留意しているようだ。
「最近、日韓の軍事衝突が続いていますが・・・」「自衛隊が攻撃することは有り得ないでしょう。先ず陸上自衛隊には海を渡る移動手段がない。確かに夜間も竹島近海で漁をしている日本漁船は多いですが、自衛隊の攻撃に協力する漁民がいるとは考えられません」以前は加倍政権を執拗に揶揄し続けて反自衛隊反日米安保をアカラサマにしている解説者も今回は妙に現実に即した説明を続けている。すると男性アナウンサーが「ハッ」としたような顔になった。
「そう言えば次にお伝えする予定のニュースが関連するかも知れません。順番が変わりますが先に紹介したいと思います。良いですか」男性アナウンサーは画面の中で映っていないディレクターに声をかけ、「はい、どうぞ。キュー」と言う返事が聞えた。
「昨日の深夜3時頃に竹島近海で漁をしていた島根県の雲海漁協所属の漁船3隻が突如、同時に消息を絶つ遭難事故が発生しました。鳥取県境港市の境海上保安部が巡視船を派遣して捜索していますが、現時点で発見の報告は入っていません・・・このニュースを先ほどの解説と考え合わせると」「自衛隊が漁船に同乗して竹島に上陸して警備隊を皆殺しにしたと言うんですか。まさかァ」「でも自衛隊は2回も飛行機を撃墜されて10人以上の隊員が死んでいますから石田内閣の弱腰ぶりを見て報復を考えても不思議はないでしょう」今度は横で聞いていた若い女性アナウンサーが口を挟んできた。
「そうなると漁船3隻は警備隊に銃撃されたか、付近にいた韓国海軍や沿岸警備隊の艦船に攻撃された・・・確証は何も有りませんが辻褄は合います」「勝手に決めるな」男性アナウンサーが納得したように答えると船長は画面に向かって罵声を浴びせた。
「しかし、雲海漁協の通報者は『銃声を聞いた』と言っていたんだよな」「はい、そのように聞いています」「それで韓国海軍が準交戦中と言って巡視船に警告射撃をしてきたとなると・・・」署長の世代は共産革命を策謀する国鉄労働組合や公務員労組を腹中に飼っていた運輸省で勤務していたため海軍の軍服に似た制服を着ていても反自衛隊反日米安保に染まり切っている。おまけに外洋で活動するには小型の巡視船しか保有できず、その小舟で嵐の海に乗り出して捜索・救助する任務の中で巨額の防衛予算で続々と大型艦艇を建造する海上自衛隊に対しては羨望や嫉妬とは次元が違う憎悪と怨嗟の念が刻み込まれているのだ。それはイージス護衛艦・あまごと漁船の衝突事故の海難審判で事実とは全く異なる航跡図を作成・提出・証拠採用して海上自衛隊の全面的な過失にした裁定でも明白になったがいまだに謝罪はしていない。
  1. 2022/02/23(水) 15:02:52|
  2. 夜の連続小説9
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続・振り向けばイエスタディ42

「ジャパン・コーストガード(日本の沿岸警備隊=海上保安庁)に告ぐ、これ以上の独島への接近を禁止する。接近を強行すれば武力行使する」雲海漁協からの通報を受けた隠岐島の境海上保安部隠岐海上保安署は巡視船を出動させ、空が白んでくるのを待って竹島付近で捜索を開始した。すると韓国海軍の高速艇が前方を遮るように通過して無線で警告してきた。
「こちら日本国海上保安庁、隠岐海上保安署の巡視船・たんぺ、昨夜0245頃、消息を絶った漁船3隻を捜索中」「日本国と我が国は準交戦中である。武装した戦闘艦の進入は拒否する。進路を変更しなければ武力行使によって阻止する」巡視船・たんぺが英語と韓国語で人道目的の捜索であることを説明したが、高速艇は回答しながら進路を変えて並走し、乗員が前部甲板と後部甲板の火砲をこちらに向けた。韓国海軍の大鷲(チャムスリ)級高速艇と180トン級巡視船・たんぺでは全長が44メートルと46メートル、排水量は210トンと195トンで大差はないが、武装は30ミリ機関砲と20ミリバルカン砲各1門に対して20ミリバルカン砲1門なのでいささか分が悪い。そもそも日本の海上保安庁は敗戦直後の厭戦気分の中で制定された海上保安庁法第25条で「この法律のいかなる規定も海上保安庁又はその職員が軍隊として組織され、訓練され、又は軍隊の機能を含むことを認めるものとこれを解釈してはならない」と規定しているように戦時には海軍の指揮下に入ることが常識の世界の海上警察の中では極めて特異な警察業務専門組織なので巡視船も戦闘艦ではない。
「我々は日本国と大韓民国が準交戦中と言う認識は持っていない。人命尊重の観点からも捜索を続行する。この海域は公海であり、日本の漁業専管水域内である」「退避しないようなので警告射撃を実施する。仮に命中しても当方の責任ではない」高速艇は巡視船・たんぺの反論に即答すると同時に後部甲板のバルカン砲が火を噴いた。
「緊急回避、面舵一杯、前進全速」「緊急回避、面舵一杯、前進全速」船橋では船長が回避行動を指示し、航海士は復唱しながら舵を目一杯右に切った。機関士は船首の向きが変わるのを待って最大出力で全速度に上げた。
「着弾は船尾から20メートル後方、被弾箇所なし」「了解、進路と速力を維持しろ」船長は背中に冷や汗が流れ落ちるのを感じながら振り返って船橋の後部窓を覗き見た。するとそれよりも先に機関士が絶叫するように報告した。
「高速艇が追尾してきます。前部甲板から発砲」「今度は主砲です。着弾は前方海面、水柱多数」機関士に続いて前方を注視している航海士が報告した。今度の警告射撃は同じ進路で射っていているので横をすり抜けた砲弾が射程距離分を飛び越えて前方に着水しているのだ。数キロ先の海面に上がる水柱が視認できるのはそれだけ口径が大きいと言うことだ。
「署に連絡、たんぺは現場水域で韓国海軍の高速艇の銃撃を受けて退避中、応戦はしていない。指示を仰ぐ・・・補足、高速艇は我が国と韓国は準交戦中であると言っている」「連絡します。たんぺは現場水域で・・・」通信員は長文の内容を正確に復唱すると隠岐海上保安署に連絡した。その間にも高速艇は現場と竹島の間に向けて発砲することで巡視船・たんぺの進路を制御し、さらに速度を上げると並走しながら遠ざけた。
「隠岐署から指示、たんぺは直ちに帰還して状況を報告せよ」「了解、隠岐に向かえ」通信士の伝達を受けて船長は航海士に指示した。高速艇は巡視船・たんぺが現場海域から離れるまで執拗に並走していたが、火砲に乗組員を配置して戦闘態勢は維持していても発砲は止め、船体に傷つけることはなかった。しかし、船長は大いに反省しなければならなかった。
「俺は銃撃を受けても乗組員の安全確保に意識が及ばなかった。何よりも乗組員に防弾ヘルメットや防弾チョッキも装着させていない。結局、九州南西沖工作船対処の教訓を学べていないんだ」2001年12月22日に発生した九州の南西海域で発見した北朝鮮の工作船の追跡では自動小銃だけでなく携帯式地対空ミサイルまで発射されたが、巡視船の乗組員は状況確認に集中していて遮蔽物に身体を隠す自己防衛動作を取らなかった。おまけに工作船に浴びせたサーチライトを巡視船にも向けて乗組員の位置を暴露していた。それは警察にも言えることで1993年5月4日にカンボジアPKOで待ち伏せていたポルポト派と思われるゲリラの銃撃を受けた文民警察官は地面に伏せる前に周囲を確認しようと姿勢を高くして銃弾を浴びた(殉職した高田晴行警部補はパトロール・カーの中で被弾した)。
「昨夜の漁協からの通報では無線連絡が途絶えた時、銃声のような音を聞いたと言っていたが、銃撃を受けたんじゃあないのか。3隻が一緒に消息を絶ったのもそれなら説明がつく」反省しながら推理に頭が働くところは海上保安庁が警察職員であることの証左だ。それにしても「準交戦中」と言うのはどのような状況を意味しているのか。
  1. 2022/02/22(火) 14:40:44|
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2022年2月22日は「スーパー猫の日」だそうな。

日本で2月22日は「ニャン、ニャン、ニャン」の語呂合わせで「猫の日」になっています。それでは「犬の日」は「ワン、ワン、ワン、ワン」で11月11日かと思いきや数を揃えたのか1月11日なのだそうです。
ただし、「ニャン、ニャン、ニャン」はあくまでも日本語の語呂合わせなので海外では世界最大の動物愛護団体の国際動物福祉基金が2002年に制定した8月8日が「世界猫の日」で、その他にもロシアは3月1日、アメリカは10月27日(6月4日は「猫を抱く日」、10月16日は「野良猫の日」)、イタリアを代表とする多くのヨーロッパ諸国は2月17日、台湾は4月4日が「猫の日」です。一方、猫を食べる食習慣がある中国本土や東南アジアでは「猫の日」は見当たりませんが、干支では東アジアは卯=兎になっている来年が東南アジアでは辰=竜と巳=蛇と同様に寅=虎と大小の対として猫年です。
またイタリアでは中世カソリックの異端審問と魔女狩りで黒猫を悪魔の使いとして見つけ次第に焼き殺していた過去を反省して10月17日を「黒猫の日」にしていますが、イギリスでは逆に船乗りが黒猫をラッキー・キャットとして航海に同行させていたため10月27日を黒猫に感謝する「黒猫の日」にしていて、アメリカでも8月17日を同じ趣旨の「黒猫の日」にしています。ただし、メイフラワー号に鼠を駆除する目的で乗せていたのはアメリカン・ショートヘアだったとする記録が残っています。日本では黒猫を暗闇で目だけが光ることから苦境から救ってくれる福の神にしていていますが「黒猫の日」はありません。強いて言えば9月6日の「クロ」でしょうか。
そんな「猫の日」も今年はキリスト教暦が2022年のため「ニャン、ニャン、ニャン、ニャン、ニャン、ニャン」と「ニャン」が5つ重なる「スーパー猫の日」なのだそうで、猫好きの間では「100年に一度」と盛り上がっていますが、22年になるのが100年に一度なのは当たり前で一般の人たちは特別な関心は示していないようです。
それを言うなら小庵が毎月12日を「ワンニャン」で動物供養の日にしているように12月12日を「愛玩動物=ペットの日」にするべきですが、最近の日本人は語学能力が著しく低下しているので語呂合わせが頭の中で組み立てられないようです。例えば「猫の日」にしても猫の鳴き声が「ニャン」であることを思い出して数字の2の音「に」と重ねられなければ理解できず、それが一種の駄洒落であることに気づいてようやく納得できるのですから今の若者たちが解説なしで理解できるのか大いに疑問です。
日本には語呂合わせの記念日が数多くありますが、最近のNHKが励んでいる「親父ギャグ」の保存運動を学校教育にも取り入れてもらわないと風前の灯火(ともしび)です。本当は民放各局も「親父ギャグ」などと昭和世代を馬鹿にするのではなく平成の若者たちの語学力の低下を指摘して「お前たちは馬鹿だ」と宣告するべきなのです。
ところで野僧は犬と猫のどちらが好きかを二者択一にされると1日数回は愛猫の音子と若緒の墓参を欠かさない一方で警備小隊長時代に部下として忠実に任務を遂行してくれていた歩哨犬たちの顔を今でも忘れていませんから悩ましいところです。
  1. 2022/02/21(月) 14:38:03|
  2. 常々臭ッ(つねづねくさッ)
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続・振り向けばイエスタディ42

「今朝8時30分の慶尚北道警察庁の緊急発表によると昨夜、我が国固有の領土である東海(=日本海)の独島(=竹島)が攻撃を受けて警備隊員5名が殺害された模様です」警備服一式を漁師の遺骸に譲ったため素足に下着だけで毛布を羽織っていた若い警察官3名が海軍に借りた水兵用の作業服を着て待機室に戻ると古参の2名はテレビのニュースを見ていた。
「ここからは慶尚北道支局からの解説です。金さん」「私は今、慶尚北道警察庁の前にいます。今朝8時に交代の警備隊員を乗せた警察ヘリが独島に到着すると待機所内は銃撃によって破壊され、床には大量の血が流れ、全員が射殺されたと推定せざるを得ない惨状でした。しかし、遺骸は残されておらず、通報受けた海上警察と海軍が間もなく捜索を開始します」金と呼ばれた支局員がメモを一気に読み上げるとソウルの男女のキャスターは怒りを露わにした。
「独島の警備隊は警察官なんですよね」「はい、中央政界の対日強硬派や慶尚北道の知事は日本に対して毅然たる態度を示すためにも軍の守備隊の配置を要求していますが、軍を配置すると領土紛争の存在を国際社会に認めることになりますから治安の維持と不法侵入の防止を目的に警察官を常駐させています。ただし、独島警備隊の警察官は徴兵中に軍で優秀な成績を収めた精鋭を選抜していますから実力は軍に引けを取らないと言われています」金支局員の説明に女性キャスターが怪訝そうな表情を作って質問を続けた。
「それ程の精鋭が全員殺害されたとなると激しい銃撃戦が行われたのですか」「いいえ、それが完全な奇襲だったようで警備隊の小銃は弾倉を装着して銃架に立てた状態で残されていました」金支局員の解説で警察当局の緊急記者会見ではかなり詳細な説明が行われたことが判った。しかし、8時に独島=竹島に到着したヘリコプターの機上無線で第1報を受けて30分後に警察庁内の記者クラブで行われた緊急会見にしては詳細に過ぎるのではないか。
「そうなるとかなり高度な戦闘能力を持つ特殊部隊の攻撃と思われますが、何か発表はありましたか」「現時点では公式発表していません。複数の記者からは『最近、軍事攻撃を繰り返している日軍(自衛隊)ではないか』と言う質問が出ましたが、警察当局は『コメントする立場にはない』と明確には回答しませんでした」「日軍にそんな強い特殊部隊があるんですかね」男性同士の質疑応答を聞いていた女性キャスターが口を挟むと男性キャスターは一瞬怒りの表情を緩めて苦笑した。韓国軍を世界最強と信じている韓国人から見れば日本国憲法の制約を受けて国民の支持もなく、事故による批判を恐れて訓練も安全優先の自衛隊は、高価な兵器を買い揃えているだけの玩具の兵隊に過ぎないのだ。
「最近は日軍にも海兵隊や対テロ専門部隊ができて特殊任務を遂行する能力が備わってきているようです。勿論、これは日軍が攻撃したと言う意味ではありませんよ」女性キャスターの疑問にはスタジオで隣に控えている初老の解説者が答えた。
「それにしても離島の守備隊を攻撃するのは領土の奪取が目的だと思うんですが、敵は警備隊を全滅させながらどうして占領しなかったんでしょうか」解説者が話に加わって男性キャスターは専門的な情報を挿入する機会を作った。これも幅広い視聴者の関心に応える報道手法だ。
「おそらく我が海軍によって周辺海域を封鎖されることを恐れたのでしょう。今回は自国の将兵を殺害された報復として攻撃した。こう考えれば理解できるでしょう。勿論、これも日軍が攻撃したと言う意味ではありませんよ」テレビ局の経営母体の新聞社の編集長が本業の解説者は巧妙に印象操作を進める。すると蚊帳の外に置かれ、画面の隅の四角い枠の中で黙っていた金支局員がマイクを構えて話に割り込んできた。
「只今、警察当局が交代の警察官が現場を撮影した動画を公開しました。先ほど説明したように大量の流血が映っているようですが・・・」「残酷な映像のようですから視聴者の皆さまはお子さんには見せないように気をつけて下さい。気分が悪くなれば視聴を控えて下さい」画面は男性キャスターの注意に続いてスマート・ホンで撮影した動画に変わった。音声は「キュンキュンキュン」とヘリコプターのローターが風を切る音で、薄暗い機内から窓越しに桟橋を兼ねたコンクリート製のヘリポートと竹島の岩肌が映っている。
「どうして誰も迎えに来てないんだ」「全員で寝過ごしたんじゃあないだろうな」「それなら厳重懲戒処分だぞ」ここからは台本通りにドラマは進んでいく。画面の隅の四角い枠の中は男女のキャスターと解説者、金支局員の顔を1人ずつ交代で映している。
「これは酷いですね。隊員たちの家族には申し訳ないですが、これでは生存を期待するのは無理でしょう」「今入ったニュースです。政府は独島警備隊を撤収させ、海軍が周辺海域を封鎖すると発表しました。すでに高速艇が現場海域に向かって出動した模様です」この報道までが台本通りだった。ここから先の展開は中韓合作の戦争活劇になる。
  1. 2022/02/21(月) 14:35:42|
  2. 夜の連続小説9
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これぞ不祥事のバルカン砲!防府南基地・第1教育群

野僧が空曹・士官として2度勤務している間も1分間に6000発を発射するバルカン砲のように不祥事が日常化していて曹侯学生として入校した時に受けた教育の内容は兎も角としてその綺麗事を語っていた班長たちの実像に愕然としながらも演技力に感心したものですが、今年も相変わらずの不祥事の発表で華々しく新年を迎えたようです。
今回は昨年6月7日に基地内の浴場で20歳の男子空士長が同僚の顔を右拳で1回殴って軽傷を負わせて懲戒処分停職30日と同年6月29日に別の20歳の男子空士長が同僚の喉付近を押さえつけて軽傷を負わせて停職10日と言う暴力事犯でした。
野僧も空曹の班長として勤務している時には教え子に体罰を与えましたがそれは主に腕立て伏せで(殴打は帝国陸海軍のイメージがあるので厳禁されていた)、しかも教育不行届きの責任を負って野僧も一緒に実施しました。教え子はその1度数十回だけですが、野僧は叱責する度に実施するので毎日数百回の腕立て伏せに励むことになり、当直の時に入浴させる前に「脱衣籠を確実に片づけろ。後で点検して残っていた籠1個に10回腕立て伏せをさせるぞ」と宣言して送り出したのですが、点検すると26個も残っていて夜の点呼時に260回の腕立て伏せを一緒に実施しました。翌日、出勤してきた中隊長が「今朝のウチの兵隊は『おはようございます』と挨拶するのに敬礼をしない」と不思議がっていたので腕が上がらないほどの筋肉痛になっていることが判りました。そんな過酷な体罰も野僧が一緒にやっていたので教育として認められていましたが、今回の不祥事の被害者は同僚と言うことなので体罰ではなく単なる暴力のようです。
同じ航空教育隊でも熊谷基地の第2教育群は新隊員を教育職として残すのに運動能力だけでなく人間性も選考基準にしていますが、防府南基地の第1教育群は歴代基地司令が基地硬式野球部を実業団大会に出場させようと強化を命じるため高校球児を優先し、航空自衛隊大会での優勝にも固執するのでサッカーとラグビー、武道と持続走の選手も残しているため脳が筋肉の馬鹿ばかり揃っています。おまけに脳が筋肉の馬鹿は半ば野性動物なので気に入らないことがあれば相手かまわず吠えて噛みつく暴力沙汰が日常風景で「怪我をさせない暴力」に熟練していくのです。今回も相手が軽傷を負って証拠が残ったので懲戒処分を受けましたが、医官が診断困難であれば被害者が古参空曹に説得されて加害者が謝罪することで一件落着したのでしょう。
また防府南基地は山口県に所在するため幕末に藩士同士が血みどろの殺戮を繰り返した毛利藩の亡霊に取りつかれていて暴力行為に罪の意識を抱かない異常な殺気が充満しています。今回も航空教育隊は「隊員教育を徹底し、再発防止に努める」とコメントしていますが、新入隊員の基礎教育を担当する部隊から同じコメントを1年に何回聞くのかを思うとそろそろ治癒の見込みがない悪性の疾病と診断し、航空自衛隊と言う肉体を守るために切除=廃止を決断するべきでしょう。
新隊員の3ヶ月程度の基礎教育は全国の各航空団に分散させれば可能であり、初任空曹課程は術科学校の上級=アドバンス課程に含めれば十分です。
  1. 2022/02/20(日) 14:56:15|
  2. 時事阿呆談
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続・振り向けばイエスタディ40

「バババ・・・」兵庫県から山口県にかけての日本海側の漁港では暗夜に強烈な照明で魚や烏賊を引き寄せる漁火(いさりび)漁法が盛んに行われている。今夜も多くの漁船が隠岐島の北の海域に出漁しているが174キロ沖の竹島には近づけない。韓国が独島と呼んでいるこの島に常駐している武装警備隊は12海里内に進入する日本船には実弾で威嚇射撃してくるのだ。そんな新月で漆黒の闇になっている海上で竹島から時ならぬ銃声が響いてきた。
「銃声が聞こえたが誰か射たれたのか」漁師は近くで漁をしている仲間の漁船に漁業無線で呼びかけた。韓国の武装警備隊は慶尚北道警察庁に所属しているが、徴兵で陸軍に入営して狙撃などの技量が優れた者を選抜して出向の形で警察官にしているため、夜間に気づかずに接近すると漁船の照明を目標に銃撃してくることがある。
「異常なし、俺は竹島には近づいていないぞ」「こっちも大丈夫だ。建物の窓がチカチカと光ったのが見えた」漁師たちの情報が集まってくると銃声は警備隊の建物内で発射されたらしい。そこで最も出力が大きい無線機を積んでいる漁船の漁師が漁協に連絡することにした。
「雲海(くもみ)漁協、雲海漁協、こちら第2大国丸、こちら第2大国丸、聞こえますか」「こちら雲海漁協の稲葉だ。お前さんたちの交信を聞いていたよ。しかし、日本の警察に連絡しても何もできないから海保(海上保安庁)に通報しておくよ」「そうしてくれ・・・」第2代大国丸が返事をした時、暗い海面に強い閃光が連続し、数秒の間を置いて先ほどよりも重い砲声が聞こえてきた。第2大国丸は無線のスイッチを握ったままだった。
「ドドド・・・」「何だこの音は・・・第2大国丸どうした。大国丸応答しろ。返事をしろ」雲海漁協の宿直は戦争映画で聞いた覚えがある銃撃音を耳にして第2大国丸に呼びかけたが返事はない。傍受しているはずの他の漁船も応答しなくなった。
「何だこれは・・・」翌朝、ヘリコプターで竹島に降り立った交代要員の武装警察官はスマート・ホンで動画を撮影しながら打ち合わせ通りの演技を始めた。始めに出迎えがいないことに困惑する声を呟き、通路を歩きながら階段に付着している血痕を撮影した。そして警備隊の待機所兼宿舎に近づくとドアには無数の弾痕が残り、窓ガラスは砕け散っていた。
「おびただしい血の量だ。壁の弾痕から見て小銃を乱射したようだな」交代要員がドアを開けると待機所は無人で、転がっている椅子と事務机、床には一面に飛び散った血が広がっている。コンクリート剥き出しの壁には至近距離から連続発射した小銃弾で抉られた丸い穴が広がり、すべての窓ガラスは割れて枠に破片が残っているだけだ。壁際に置いてあるテレビの画面と無線機にも銃弾が撃ち込まれていた。
「遺骸をどこに運んだんだろう」「海に投げ込んだんじゃあないのか」待機室の奥の仮眠室のベッドの毛布と枕も血で真っ赤に染まっている。床には遺骸を引き摺ったらしい赤い線がドアに向かって伸びている。それを撮影しながら後から来た交代要員と会話した。
「これは日軍(自衛隊)の特殊部隊の仕業だな。この絶海の孤島に潜入して精鋭揃いの我々を応戦させずに全滅させられるのは日軍以外に有り得ない」「確かに暗夜に音もなく海上を移動する能力は日軍以外に持っていない。とうとう独島の侵略に踏み切ったと言うことだ」最後に桟橋から海面を映しながら2人で結論を解説した。
「何だその格好は」同じ頃、日本海に面する韓国海軍の軍港で1隻の高速艇が接岸していた。桟橋では基地司令と慶尚北道警察庁の長官が出迎えたが、高速艇から下船してきた黒の警備服姿の警察官の中の3人は下着に毛布を羽織っていた。
「彼らを収容した後に日本の漁船を3隻発見しましたから砲撃して、殺害した漁師の遺骸に3人の戦闘服を着させて独島近くで海面に投げ込んでおきました」最後に下船した艇長が事情を説明すると基地司令と長官は顔を見合わせた。
「それをウチの艦艇が発見すれば動かぬ証拠になると言う訳だな」「はい、施設内は指示取りに小銃を乱射して夕食運搬のヘリで届いた医療用血液を撒き散らしておきましたが、遺骸があれば完璧でしょう」艇長に続いて昨夜の武装警備隊の長らしい警察官が補足説明すると基地司令と長官は満足そうにうなずいた。
「間もなく朝のニュースで『日軍が独島を攻撃して警備隊を全滅させた』と言う第一報が流れるはずだ。それを受けて高速艇が出動するから昼前には政府の公式発表が行われるだろう」「問題は日本の漁師たちがウチの兵士にしては高齢だったことで、遺骸の撮影ではアングルに注意させて下さい」高速艇はレーダーで探知した3隻の漁船に高速度で接近しながら機関砲で破壊し、沈没する前に接舷して射殺した漁師の遺骸を回収した。そこで若い下っ端の警察官に脱がせた警備服を着せたのだが階級章と年齢が合致しなかったらしい。
  1. 2022/02/20(日) 14:54:53|
  2. 夜の連続小説9
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2月19日・第2次世界大戦中の大統領令9066号が廃止された。

1976年の2月19日に日米開戦から2カ月後の1942年2月19日に第32代・フランクリン・ルーズベルトの署名によって発布された大統領令9066号が第38代・ジェラルド・ルドルフ・フォード・ジュニア大統領によって廃止されました。つまり終戦後5代の大統領は放置したことになります。
アメリカ時間の1941年12月7日に日本海軍の真珠湾攻撃を受け、翌8日に連邦議会が対日宣戦布告を可決したことで国民の多数が第1次世界大戦への参戦を批判し、モンロー主義に回帰していたアメリカも連合国の一員として日本だけでなくナチス・ドイツとイタリア王国との戦争に参戦しましたが、独立戦争後は自国領土を戦場にしたことがなかったアメリカがハワイを攻撃された衝撃は大きく「ハワイの日系移民が手引きした」「奇襲に呼応して37パーセントを占める日系移民が暴動を起こして島を占領する」と言う疑心暗鬼に陥っていました。さらに日本海軍は真珠湾作戦と同時期に10数隻の潜水艦をアメリカ西海岸沖に展開させ、年明けからは航行する10隻以上の貨物船やタンカーを撃沈しただけでなく、沿岸の住宅街から数キロの沖に浮上して多くの住民の目の前で砲撃を加えて撃沈していて、「太平洋艦隊が壊滅した以上、日本軍の上陸は近い」と言う噂が広まっていた中で発布された大統領令9066号は「敵国を母国とするアメリカの居住民による諜報活動や軍の行動の妨害、破壊活動を防止すること」を目的として特定地域を軍の管理地域に指定する権限が陸軍長官に与え、現地軍司令官が必要と認めた場合は(国籍の指定はなかった)指定場所から退去させることを認める常識的な内容でした。
すると2月24日にカリフォルニア州サンタバーバラの石油精製所を潜水艦が砲撃で施設を破壊し、その翌日にはロサンゼルスで陸軍がレーダーが捕えた謎の機影に向かって激しい対空砲撃を実施し、落下した砲弾の破裂で3人が死亡、倉庫や自動車が被害を受けただけでなく日本軍上陸の誤報を聞いて3人が心臓麻痺で死亡する事態が発生しました。
この事態を受けて1942年3月2日にアメリカ本土西海岸一帯が陸軍の管理下に置かれ、日系人に強制退去が命ぜられましたが1世の多くは家業を営んでいた上、アメリカで生まれた2世や3世は市民権を保有していて、退去命令を出した現地軍が転居費用や生活保障を提示しなかったため応じる者は少なく、3月29日から日系人だけでなくドイツやオーストリア(ドイツ人とユダヤ人を区別しなかった)、イタリアからの移住者の強制収容が始まりました。逆に指定地域以外の日系人の自由は維持されました。ただし、1992年5月以降にカリフォルニア州の2カ所、アリゾナ州の2ヶ所に建設された「転住センター=強制収容所」に移送されたのは日系人だけでした。
敗戦後の歴史家たちは「これはアメリカの人種差別意識の結果だ」と反米感情を扇動するのに利用していますが、アメリカ政府と軍が前述の脅威を感じていたのは強大な海軍力を持つ日本だけだったことが理由ではないでしょうか。それでも1982年にロナルド・ウィルソン・レーガン政権が日系人に限定された強制収容を「人種的偏見、戦時のヒステリー、政治的指導力の誤った発露」として初代ブッシュ政権が損害賠償を行っています。
  1. 2022/02/19(土) 16:32:51|
  2. 日記(暦)
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続・振り向けばイエスタディ39

「アメリカで入手している情報を見る限り、中韓は本気ですね」「・・・そうか」松山1佐は日本に警告を与えてもらうため着任して間もない帖佐陸将補を頻繁に訪ねるようになっている。実際、国防総省では在日米軍の軍人の家族の避難が検討されていて杉本は接触した担当者から「日本がカウンター・メジャー(敵基地攻撃)を実施する可能性はあるのか」と確認されたらしい。つまりに自衛隊が韓国軍の基地を攻撃すれば在韓米軍の家族も対象に加えなければならなくなると言うことだ。一方、岡倉が担当する国務省も日韓両国に在留しているアメリカ人の国外脱出を研究しているようだが、日本在住のアメリカ人は6万人弱と意外に少なく新型コロナ・ウィルス感染症で旅行者数が激減している民間航空会社の旅客機を動員すれば日本国内の空港の確保だけが問題のようだ。韓国はその半数以下なので余力で間に合うはずだ。
「中国の軍事介入は安全保障理事会に韓国側の正当性を承認させた上で戦争犯罪国である日本に対する懲罰権の行使として実施するようです。国連内では中国がアフリカ諸国に日本への非難決議に賛成するように働きかけを進めていますから準備が着々と進んでいると見るべきでしょう」国際連合憲章で「敵国条項」を規定する第53条では1項「(前略)もっとも本条2項に定める敵国のいずれかに対する措置で、第107条(=安全保障の過渡的規定)に従って規定されるもの又はこの敵国による侵略政策の再現に備える地域的取極において規定されるものは関係政府の要請においてこの機関がこの敵国による新たな侵略を防止する責任を負うときまで例外とする」2項「本条1項で用いる敵国と言う語は、第2次世界大戦中にこの憲章のいずれかの署名国の敵国であった国に適用される」と明記されていて中国と韓国は2項の旧敵国である日本が「侵略行為の再現」と判定される行為を犯し、実際は犯さなくても犯したように演出しているところだ。現段階では海空自衛隊内の反韓過激派のパイロットが操縦する対潜哨戒機が韓国海軍の艦艇に空対艦ミサイルを発射して撃沈し、緊急発進機が攻撃態勢に入ったため韓国空軍機が自衛措置として撃墜したところまで来ている。
「外務省でも現状は把握していてかなりの頻度で東京に報告しているんだが、石田政権は新型コロナの打撃から経済を復興させるには中国市場への積極的な進出しかないと考えているから敵視することはできないようだ」「元銀行員だけに何でも経済優先なんですね」「バブルに踊り狂って終われば潰れた銀行だがな」帖佐陸将補は石田政権が成立してから赴任しただけに管(くだ)政権が退陣に追い込まれた経緯や都道府県知事選挙どころか片田舎の町村長選挙並みだった自民党の総裁選挙を見てきたので石田政権に対する不信感にも厳しいものがある。
「閣下は次に何をやってくると思われますか」「中国が常任理事国として懲罰権を行使するには日韓の軍事衝突では弱いな。おそらく空自機が中国軍機を撃墜するか、海自機が中国の艦艇を撃沈するかして日中の軍事衝突を演出するだろう。実際に自衛隊側が手を出さなくても自爆自沈で撃沈されたことにする報道手法は実証済みだ。海自の時は対潜哨戒機を撃墜して口封じしたが、空自の時には生き残ったパイロットを反韓過激派にして証言を全て虚偽に仕立て上げた。おまけに日本のマスコミも同調して加倍政権による自衛隊の右傾化、危険体質と批判キャンペーンを大々的に展開したから石田政権は完全に及び腰だ。今では在日半島人と中国人が全国の駐屯地と基地を包囲して抗議デモを繰り返している。日本には中国人が79万人、韓国人が44万人、朝鮮人が3万人もいるんだ。日本国内で反日暴動を起こされればアメリカの中国と半島の移民団体が計画しているような反日デモではすまないぞ。敗戦後は韓国の李承晩政権が戦争被害者だと言い立ててGHQが取り締まりを控えたのを好いことに三国人と称してしたい放題の悪事を働いたんだ。あれが再現されると自衛隊は防衛出動の前に治安出動しなければならなくなる」帖佐陸将補はモリヤ佳織陸将補よりも若く50歳代前半なので敗戦直後の混乱ば経験していないはずだが、郷中教育の気風が残る鹿児島でも大隅半島側の桑原郡の出身なので戦中戦後に八幡や小倉で働いて帰郷した大人たちから数多くの体験談を聞いて育ったのだろう。そう言えば前任者の渡辺陸将補は帰国して沖縄の第15旅団長に就任したはずなので日中開戦となれば現代の牛島満中将になる。牛島中将も鹿児島県の出身だった。
「もう1つ気になっているのは国連内で中国とロシアの接触が急速に密接になっていることです。以前からアメリカとEUの連携に対抗するように両者の距離が縮まっていましたが最近は会議の合間にも頻繁に密談しています」「加倍政権はロシアの孤立化を避けるために努力していたが、マスコミが『北方領土の返還が目的だ』と報道して妨害していた」それは松山Ⅰ佐も名寄で勤務していた頃、日露首脳会議が開かれる度に北海道のマスコミは「北方領土返還への期待」を扇動し、成果がなければ失望を前面に出して報じていた。それをプーチン政権への取材で伝えて加倍首相の高度な政治判断も低次元な領土の係争になってしまっていた。
  1. 2022/02/19(土) 16:31:39|
  2. 夜の連続小説9
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2月19日・「不管黒猫白猫抓住老鼠就是好猫」・鄧小平の命日

1997年の明日2月19日は「不管黒猫白猫抓住老鼠就是好猫=黒猫でも白猫でも鼠を捕る猫が好い猫だ」の現実主義で現在の共産党中国を造った鄧小平同志の命日です。
鄧小平同志は1904年に四川省で漢民族系の裕福な地主の息子として生まれました。1920年に16歳でフランスが第1次世界大戦後の労働者不足で募集した勤労学生として留学するとロシア革命の炎が飛び火していたヨーロッパで結成された中国少年共産党に加盟し、21歳を過ぎてヨーロッパ地区の指導者になると1926年1月にソ連へ逃亡し、東方勤労者共産大学でマルクス主義を学び、中国国民党が開設していたモスクワ中山大学では蔣介石総統の息子で後の蔣経国2代台湾総統と親交を結びました。
鄧小平同志は「フランスでの貧困生活で背が伸びなかった」と言いながらも満喫していたようで同じく留学していたベトナムのホー・チミンさんに案内された店で買ったクロワッサンが大好物になり(赤ワインとチーズも)、職場で憶えたトランプのコンタラクトブリッジは党と政治の職を辞した後も協会の名誉主席を務めた一生の趣味になりました。
1927年に帰国すると毛沢東同志に従って農村でのゲリラ戦を指揮しましたが、モスクワの指令で都市部の攻略を進める他のソ連からの帰国者によって失脚させられています。
1935年に周恩来同志の尽力で復帰すると実際は敗走である長征に参加し、その後は日本軍と国民党軍の戦闘のおこぼれに与るような軍功を挙げ、1946年から1949年の国共内戦では日本軍との長期戦で消耗していた国民党軍を撃破して共産党の勝利に貢献し、1952年には毛沢東同志から政務院副総理に任命されて着々と地位を上げていきました。
ところが毛沢東同志が大躍進政策の数千万人の餓死者を出す失敗で退陣すると主席に就任した劉少奇同志と共に経済と生産の復興に取り組みますが、1966年に文化大革命を起きるとこれを「革命の否定」と批判されて失脚したのです。
それでも経済が行き詰まった1973年に周恩来同志によって呼び戻されますが、1976年1月に周恩来同志が亡くなった4月の清明節に市民が供えた花輪を4人組が撤去させたことで起こった第1次天安門事件の首謀者として失脚しました。しかし、同年9月に毛沢東同志が死亡して文化大革命が終結すると再々々度復活して「豊かになれる者から豊かになれ」とする改革開放路線に政策を反転させて現在の経済大国にしてしまいました。
現在、鄧小平同志の悪事とされているのは1982年6月の香港返還交渉でイギリスの錆びた鉄の女のマーガレット・サッチャー首相を「水源と電力を止める」と恫喝して本来は大陸側の九竜半島だけだった返還対象をイギリス領の香港島を含む全土にする一方で「一国二制度でイギリス式民主主義は維持する」と約束しながら現在の大弾圧への道筋を作っていたことと「ソ連のゴルバチョフ政権のペレストロイカ=民主化が共産党体制の崩壊を招く」と言う勝手な危機感から胡燿邦同志の追悼のために天安門前広場に集まっていた1989年6月4日に学生を武力で排除しようとして結果的に大虐殺になった第2次天安門事件です。もう1つ、来日時の視察で松下幸之助会長に懇願して進出させた松下電工の工場が反日暴動で徹底的に破壊された亡恩行為も鄧小平同志の責任になっています。
  1. 2022/02/18(金) 15:54:26|
  2. 日記(暦)
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続・振り向けばイエスタディ38

「アメリカの仲介は不調に終わったな」ニューヨークの非合法組織では相変わらず新型コロナ・ウィルス感染症と呼ばれる中国の細菌兵器が機能強化した変異株の続出で出入国できないためアメリカ国内で進めている日韓の対立に関する調査結果をワシントンの新任の防衛駐在官・帖佐陸将補に報告するための整理の会合が行われていた。
「国務省では手に負えないで国防総省まで乗り出したんだが駄目だったらしい」「国防部長官を『在韓米軍を撤退するぞ』と脅しても『待ってました』とばかりに賛同したそうだ」現在、この組織では岡倉の後任の間宮リンゾー、杉本の後任で東南アジアの言語が専門の近藤ジューゾーが着任して引き継ぎを兼ねて実習中だ。今回は松山1佐が国連本部、岡倉とリンゾーが国務省、杉本とジューゾーに松本が国防総省を担当した。国防総省は内部に陸海空軍省が分立しているだけに組織が大きく、保全が厳しいため手分けしないと成果が上がらないのだ。
「確かに金泳三政権までは北朝鮮を軍事的脅威と見ていたから在韓米軍が撤退すれば朝鮮戦争の再開のゴングが鳴ってしまうとビビッたんだろう」金泳三政権では1996年9月17日に韓国北東部の江原道江陵市の日本海沿岸で座礁している潜水艇が発見され、脱出・上陸した工作員を2カ月にわたり捜索・捕獲・掃討する軍事作戦が行われた。ところが次の金大中政権は「太陽政策」と称する融和政策で南北首脳会談を実現してノーベル平和賞を受賞したが、実際は在韓米軍の最高機密を中国に接近する手土産にした。この軍事機密の中にはアメリカ海軍の航空母艦や潜水艦、最新鋭イージス艦と空軍の戦闘機、空中警戒管制機、爆撃機、ミサイルなどの技術書も含まれていたため中国は国産兵器の性能を急速に向上させることができた。その後は韓国のマスコミや教育者が朝鮮戦争を日本の植民地支配が終結したにも関わらずアメリカによって占領支配されることになった半島南部の同胞を北朝鮮の金日成政権が解放しようとした民族救済に目的を反転させて北朝鮮を敵視する意識は消滅しつつある。
「韓国の前政権が朝鮮戦争の終結を宣言しようとしたのは国連軍として駐留している在韓米軍を撤退させることが目的だった。本音では一緒に米韓相互防衛条約も破棄したいんだろう」「今では中国も経済援助を要求する北朝鮮よりも西側の最先端技術を提供する韓国を重宝してるから破棄すれば即座に中韓相互防衛条約を締結して撤退した米軍のキャンプに在韓人民解放軍を駐留させるかも知れんな」毎度恒例の岡倉と杉本の談笑が始まるとリンゾーとジューゾーは困惑して顔を見合わせた。これは極論ではあるが最悪の事態を的確に推察していることを理解するには経験不足だ。
「在アメリカ中国人と半島人の市民運動は日韓の武力衝突が国連の安全保障理事会で戦闘状態と認定された時点で中国が国防動員法を発動して、全米の中国人が半島人を引き連れてワシントンに集結させて100万人規模の反日デモを起こす計画です。ニューヨークのチャイナ・タウンでは食料や衣類、生活用品などの物資を集積し始めています。勿論、中国資本に買収されたマスコミは反日報道で全面支援して連邦議会の親中派議員が戦争への介入を阻止することになっているようです」ここでマンハッタンのチャイナ・タウンに続き、サンフランシスコやロサンゼルスに出張してきた本間も参加した。アメリカでは州も半ば独立国のようなものだが、入国審査は不要なので身元調査の心配はない。これまで本間は王茂雄中校を訪ねた台湾と上海国際博覧会以外に単独で海外出張したことがなかったが、今回の国内出張で久しぶりに経験を積んだ。サンフランシスコは尖閣諸島抗議デモを容認し、従軍慰安婦少女像の設置を許可し、法輪功を禁止するなど公然と中国共産党の工作員として振る舞っていたエドウィン・マー・リー市長が君臨した都市なので街全体にアメリカとは思えない空気が充満していた。
「連邦議会としてはアフガニスタンから撤退して日本の戦争に介入するのは矛盾している。日韓は共に同盟国だから片方に肩入れすることは許されない。日米安保条約の発動に反対する理由は幾らでも作れるぞ」「中国系のマスコミはベトナム敗戦後の厭戦気分と同様の世論を扇動しているからな」「アメリカでも厭戦気分が発生することがあるんですか」岡倉と杉本の雑談的議論が再開すると日本の外国語大学でペルシャ語を専攻していたリンゾーが口を挟んだ。かつての外務省でも外交官が専門言語の国を日本よりも大切にするスクールの弊害が指摘されていたが、大学でペルシャ語を教える教授がイランの政治的立場を代弁することは十分あり得る。
「アメリカ人の戦争好きはそれがカミに代わって正義を実現するって使命感なんだ。お前はベトナムの反戦運動を知らないだろうが、あれは『この戦争に正義があるのか』と言う疑問が理由だった。ところが今回のアフガニスタンとイラクでは将兵のPTSDが問題になっている。それを理由にされると反日デモとマスコミの世論工作以上に困ったことになるな」今回はようやく年齢と階級が下の同僚ができた松本が熱く語った。
  1. 2022/02/18(金) 15:53:07|
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2月18日・宗教改革の言い出しっ屁・ルターの命日

1546年の明日2月18日に宗教革命の切っ掛けを作ったマルティン・ルターさんが生まれ故郷のドイツ中部のアイスレーベンで亡くなりました。62歳でした。
ルターさんは1483年にアイスレーベンで炭鉱業を営む両親の次男として生まれ、カソリックの習慣で生後間もなく洗礼を受けたのがヨーロッパ人としては初めて列聖された聖マルティヌス(ローマ帝国の軍人でフランス北部のアミアンに出征した時、凍えている物乞いに羽織っていたマントを半分に切り裂いて与えるとそれがイエスだったと言う「マントの奇跡」を経験した)の祝日だったためマルティンと命名されました。
ルターさんの父親は貧しい家庭で育ちながら一代で財を為したので上昇志向が強く、息子たちを立身出世させようと学校に通わせ、ルターさんも1501年に法律家になるべくエアフルト大学に進学しました。ところが家を出て大学に向かう途中の草原で激しい雷雨に遭い、落雷の恐怖に聖アンナ(=イエスさんの祖母)に助けを請い、修道士になることを誓ったことで父親の猛反対を押し切って聖アウグスチノ修道会に入ったのです。
修道会でもルターさんの学究的な性質は変わらず聖書を哲学として深く読み込み、その真摯な信仰と学識が評価されて1506年には33歳で司祭に叙位されました。しかし、司祭になって初めてミサを務めた時、ルターさんは「弱く小さな人間に過ぎない自分がミサの主役として巨大なカミと対峙すること」に恐怖を覚え、やがて「どれだけ熱心に修道生活を送り、祈りを捧げても心の平安は得られない」と確信するようになりました。この確信は司祭として大学の教壇に立つことで哲学的に発展し、その答えとして聖パウロの使徒言行録「ローマの信徒への手紙」で説かれている「カミの義」に至りました。「カミの義」とは「どれほど禁欲的な生活を送り、罪を犯さないように務めても絶対正義の存在であるカミの前では自分の『義』を唱えることはできない」と言う概念であり、ルターさんは「人間は善なる行為ではなく信仰によってこそ義とされる。人間を義とするのはカミの恵みである」と言う結論によって自己を解放したのです。
ところがその頃、ドイツではカソリックの国内最高位であるマインツ司教が聖職位を得る工作資金を稼ぐため商人出身の教皇・レオ10世と結託して贖宥状(しょくゆうじょう=日本では「免罪符」と訳していますが、免ぜられるのは「罰」であって「罪」ではありません)を大量に売り捌いていました。贖宥状は第1次十字軍を命じた教皇・ウルバヌス2世が出征する将兵に与えたのが始まりで、十字軍が終結してからはキリスト教の祭礼などでカソリックの高位者が信仰態度を認めた者に与えるようになっていましたが、それが堕落して巨額な寄付を信仰心として売るようになっていました。これに対してルターさんは1517年の明日10月31日に修道会の玄関に贖宥状の販売を弾劾する教皇・レオ10世宛ての95箇条の質問状を掲示しました。これが宗教改革の発端とされています。
もう1つルターさんは41歳の時に「聖書は使徒の結婚を禁止していない」と26歳の修道女を還俗させて結婚すると3男2女を儲けてプロテスタントの教役者や牧師(聖職者とは呼ばない)が家庭を持つ先駆けになっています。
  1. 2022/02/17(木) 16:05:28|
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続・振り向けばイエスタディ37

「今、若狭湾岸の原発は幾つ動いてるんだ」方面総監からの出題に幕僚たちは知識不足を告白し始めた。守備範囲が広い上、大阪、京都、神戸、名古屋、広島などの大都市を抱える中部方面隊総監部の幕僚たちにとっての有事とは災害派遣であって原発事故などは想定していなかった。福島第1原子力発電所の事故でも実際に指揮を執り、身を挺して対処したのは東京電力であり、自衛隊は原子炉の冷却のために航空自衛隊の化学消防車が接近して放水し、陸上自衛隊はヘリコプターで上空から水を撒いただけだった。仮に中部方面隊管内で原発事故が発生しても「要望されたことを実施すればそれで済む」と言うのが幕僚たちの認識だ。
「今、管内で稼働中の原発は関西電力が福井県の美浜の1基、大飯が2基、高浜が2基だ。それに敦賀の1基と北陸電力の石川県の志賀が1基、中国電力の島根の1基が新規基準の適合性審査中だ」「つまり5基が稼働していて3基が追加される可能性があると言うことですね」「要するに核燃料は存在すると言うことだ」ここは出題者が下調べしていた情報を与えたが幕僚たちの反応は相変らず鈍い。方面総監は熊本地震の3年後に南九州を担当する第8師団長として赴任すると鹿児島県の川内原子発電所の原子炉増設問題が沸騰していたので、個人的にソ連のチェルノブイリ原発や福島第1原発の事故を研究していた。陸上幕僚長も第8師団長の前任者なので同様の探求心を発揮したらしい。
「福島原発の時は20キロの範囲に避難指示を出しましたよね」「始めは3キロだったけどな」「敦賀に美浜と大飯と高浜でしたっけ、各原発の間隔はどのくらいあるんですか」ここでも知識不足は何ともし難い。出題者としては原発の名前を憶えただけでも「可(よし)」とするしかない。それにしても自衛隊の常識の中で教育される防衛大学校では旺盛な知的探求心や経験を教訓とする柔軟な学習意欲があまり育たないようだ。
「敦賀と美浜、大飯と高浜は10キロ程度で隣接しているが、美浜から大飯は間に小浜市を挟むから20キロ程度離れている」結局、出題者の方面総監自身が解説することになった。幕僚長以下は姿勢を正して聞いているが、腹の中では意表を突いた質問を持ち出して恥をかかされたことに立腹しているのが目つきで判った。
「福島原発の避難指示の20キロは風向きを考慮していなかったが、北陸地方の冬場の強風は関西や東海地方に向かって吹き抜けるから影響はさらに広範囲に及ぶかも知れん」「そうなると各師団の特殊武器防護隊に出動要請がくる可能性がありますね」「関西と東海の大都市に配る沃素の備蓄があるんですかね」話が具体的になってくると流石に幕僚たちの発言も現実味を帯びてくる。放射能が拡散した時に沃素剤を服用すると言うのは東北地区太平洋沖地震の時に「在日アメリカ軍が将兵と家族に緊急配布した」と言うニュースで学んだ知識だ。
日本でも小泉内閣が2003年に制定した「武力攻撃事態等における我が国の平和と独立並びに安全の確保に関する法律」に基づく基本指針で核攻撃等の武力攻撃が発生した場合に内閣総理大臣が充たる武力攻撃事態等対策本部長又は都道府県知事が安定沃素剤を服用する時期を指示することになっているが、各都道県が備蓄用の沃素を調達したと言う話は各マスコミが年度末になると詳細に報じる次年度予算に関する新聞記事でも見たことがない。
またチェルノブイリ原子力発電所の事故で放射能を浴びた住民に甲状腺癌が多発した事態を受けてヨーロッパの研究機関は「放射能を浴びてから通常の沃素を大量に摂取するよりも、あらかじめ甲状腺を放射性沃素で飽和させておく必要がある」と提言している。実際、風下になった東ヨーロッパ諸国ではソ連が核戦争に備えて配布していた放射性沃素をニュースで事故を知った住民が自己判断で服用したため甲状腺癌の発症は極めて少なかったと言われている。
「問題は国家予算の予備費を新型コロナ対策に優先的に充当しているんで大規模災害が発生しても被害復旧の予算が確保できない状況になりつつあることです。当然、沃素剤の大量調達に回す余裕はないでしょう」「やけに気前よく休業補償をばら撒いていると思っていたが、非常事態用の予算を遣っていたんだな」日本では海外のように国家非常事態の「命令」を発する権限を政府に与えていないため大企業から個人経営の店舗までの営業制限を「要請」にせざるを得ず当然、損益補償を手厚くしなければならない。おまけにマスコミは個別の貯蓄の残高などを調べることなく窮状ばかりを取り上げて、審査なしの迅速な手当の支給を要求して野党もそれに同調した。何よりも日本は常に戦争を前提にしている海外とは違い新型コロナ・ウィルス感染症が最高度の国家非常事態なのだ。
「確かに日本は第2次大戦の戦費を国内向けの国債で賄ったから予算なしで負け戦をやらかした実績はある」やはり方面総監の知識の幅は防衛大学校出身者を超えている。幕僚たちが知っていたのは「坂の上の雲」にある海外で戦時国債を売った高橋是清の苦労話までだった。
  1. 2022/02/17(木) 16:03:48|
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2月17日・俵藤太(たわらのとうた)こと藤原秀郷の命日

平安中期の天徳2(958)年の明日2月17日は平将門さまを主人公とする昭和51(1976)年の大河ドラマ「風と雲と虹と」では露口茂さんが渋く演じた俵藤太こと藤原秀郷さんの命日です。ただし、推定年齢で100歳まで生きたことになる正暦2(991)年9月25日を命日とする伝承もあります。
現代人は中臣鎌足さんを祖とする公家が名乗る「藤原」を姓=苗字だと思っていますが実際は父系の血統を意味する「氏」で、鎌足さんの2男の不比等さんの長男から南家、二男から北家、三男から式家、四男から京家の4つに分かれていて、俵さんは北家でも左大臣を務めた魚名さんの関東に赴任した子孫の流れになります。また俵藤太と言う呼び名は相模国の「田原」荘(現在の秦野市)や山城国の田原、近江国の田原郷に地縁を持つ「藤」原氏の「太」郎=長男に由来するので藤原氏としても正統な血脈だったようです。
平安期の武士には源頼光さんや渡辺綱さんの鬼、源頼政さんの鵺(ぬえ=頭は猿、胴は狸、足は虎、尻尾は蛇の化け物)などの妖怪退治の伝説が定番ですが俵さんは大百足(むかで)です。その伝説は最も簡潔な粗筋で言うと近江国の瀬田の唐橋に大蛇が横たわって人々が渡れなくなったため若き日の俵さんが踏みつけて歩いていくと棲み家の三上山(現在の野洲市)を大百足に奪われて困っていると訴えたため退治することにしました。ところが1本目2本目の矢は大百足の硬い頭部に跳ね退けられてしまい、3本目の矢じりに唾をつけて射たところ見事に突き刺さり、礼として米が尽きることがない俵と終わることがない絹織物の巻物を贈られたと言う物語です。この伝説が近江国の田原郷との地縁と俵の呼び名の由来とする説があります。
実際の俵さんは祖父の代から居住して世襲していた下野国の押領司だったとする説が一般的で、京都から赴任してくる国司に形式的に臣従しながら武力を背景に実務を取り仕切っていたようです。それでも京都に残る国府からの報告文書では延喜16(916)年に隣国の上野国の国司への反逆に加担した罪で一族17名と共に流罪の判決を受けていますが、高貴な藤原氏の系譜と絶大な武力のため執行は免れたようです。また延長7(926)年には乱行狼藉の罪で下野国司から追討命令が出ていますが、かえって唐沢山(現在の佐野市)に砦を築いて公然と反抗して沙汰止みにしています。
そんな俵さんは武蔵国の平将門さまが天慶2(939)年に決起して下野、上野、常陸、下総、上総、安房、相模の8カ国の国司の印と年貢の貯蔵庫の鍵を奪って支配すると京都からの派遣軍との大規模な戦乱によって関東が荒廃することを恐れて平貞盛さん(清盛さま、鎌倉幕府執権の北条氏の先祖)との連合軍で翌年に将門さまを敗死させました。
これだけの軍功を挙げながら官位を贈られた記録以降は名前が出てこなくなり、奥州藤原氏が末裔と称していますが奥州の官職に栄転するには年齢的に無理があるので、将門さまとの戦闘で体力・気力の限界を実感して現役を引退・隠居したのかも知れません。奥州藤原氏以外にも肥前の竜造寺氏などの多くの武士が末裔と称しているのは藤原氏の血統と俵さんの武名にあやかろうとしたのでしょう。
俵藤太(露口茂)「風と雲と虹と」の俵藤太(演じているのはヤマさん)
  1. 2022/02/16(水) 15:56:05|
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続・振り向けばイエスタディ36

同じ頃、伊丹駐屯地の中部方面総監部でも陸上幕僚長に呼ばれた方面総監が持ち返った日韓の軍事衝突に対する作戦会議が始まっていた。中部方面隊でも先行している西部方面隊の方式を踏襲して参加者の顔ぶれや議題は言うまでもなく会議の実施自体を絶対秘として、事前に情報保全隊に盗聴機の存在を確認させた総監室応接セットにしたところまで模倣した。
「日韓が開戦すれば韓国軍は先ず対馬に侵攻するでしょう。我が中方管内では見島に少数の特殊部隊が潜入して空自のレーダー・サイトを破壊する可能性が高い」「見島は山口県の萩市沖の離島だったな」「すると山口の17普連の担当か」会議が防衛部長の状況分析から始まる台本も西部方面隊式だが会議の存在さえも絶対秘のはずなので情報の出所は謎だ。中部方面隊の守備範囲は北陸東海から中国四国まで広域なので2個師団、2個旅団の31カ所の駐屯地と5カ所の分屯地が分散していて全てを頭に入れるのは簡単ではない。
「見島の空自も第17警戒隊なんだよね」「ところがあっちは航空の西方(正しくは西部航空方面隊)だぞ」幕僚の言い間違いに方面総監は海空自衛隊との関係の希薄さをあらためて認識して険しい顔をした。方面総監は日本人が文明開化に浮かれていた明治初期に英語や西洋文化を売り物にする私塾が乱立していた中で漢学と国学を専らした二松学舎大学の出身なので、陸海空が同じ学内で4年間の寮生活を送る防衛大学校出身者たちが他の自衛隊に対抗意識や無関心をアカラサマにしていることが理解できなかった。
「見島ではありませんが空自の総合演習の基地警備訓練でゲリラをやった隊員は『最近の空自は手強い』と言っていますから見島守備隊も務まるでしょう」「確かに離島への戦力の分散配置は愚の骨頂だからな」幕僚同士の見解の交換も方面総監は黙って聞いている。この航空自衛隊の基地警備能力の強化は第3術科学校での森田敬作定年2佐の教育の成果なのだが中部方面隊の総監部にまでは知られていないようだ。
「仮に韓国が日本本土にまで侵攻する事態になれば隠岐島には空港がありますから上陸占領の危険が高まります」「離島の空港では軍用機が離着陸できるような滑走路じゃあないだろう」「確か2000メートルなので・・・どうでしょう」資料を持ち込めないためここでも知識不足が露呈した。韓国空軍の主力戦闘機のFー16は機体が軽量なため武装しなければ離着陸に要する距離は1000メートルを切る。輸送機のCー130も離着陸可能なので補給も支障がない。ただし、滑走路の強度が軍用機の使用に耐え得るのかは参加者を局限しているので素人には判らない。それでもヘリコプターの基地にするには十分だ。
「隠岐島は第2次世界大戦では広島の暁部隊が守備隊として派遣されて、島民を本土に疎開させたんだよ」「それは13師団へ行った時、海田市の資料館で見たな」「残念ながら我々には船舶工兵がない。美保の空自の輸送機でピストン輸送させるしかないな」この幕僚は隠岐島の人口が13300人弱であり、美保基地の第3輸送隊が運用するCー2輸送機の着陸距離が2000メートルを超えることを知らないらしい。
「能登半島への着上陸の可能性はどうだ」「とすれば海兵隊が主力となりますが、ウチの普通科で対抗できるかは・・・」黙って聞き役になっている方面総監に代わって幕僚長が質疑応答で会議を進行すると防衛大学校の後輩の幕僚たちは回答に窮した。金沢駐屯地の第14普通科連隊は守山駐屯地に師団司令部を置く第10師団の隷下だが、帝国陸軍の時代から東海地方の第3師団は日露戦争やシベリア出兵、第2次上海事変に派遣されても「またも負けたか」と馬鹿にされていた。それは古くから東海地方は道路網が整備されていて住民の足腰が弱く、気候が温暖なため身心共に耐久力に欠け、農業と漁業の生産が豊かなので空腹を我慢できないからだと言われている。陸上自衛隊になってからも若者の大半は愛知県内の企業や大規模店に就職するので自衛隊の志願者はレベルが劣る。その点、北陸の第14普通科連隊は第10師団では最精鋭と言われているが比較対象が問題だ。幕僚たちも戦史を研究しているので朝鮮戦争やベトナム戦争での韓国海兵隊の残虐性を伴う強さは熟知していて両者が実戦で相対した時の悲惨な状況は想像するのも恐ろしかった。
「能登半島に上陸される前に舞鶴の海自に撃沈させることだ。小松の空自も頑張るだろう」戦力に自信が持てない幕僚は他人任せの見解を口にした。九州男児の集団である西部方面隊では絶対に許されない弱気な態度だ。
「ここで諸官たちに考えてもらおう。仮に北朝鮮の通常弾頭のミサイルが敦賀の原発に命中したならどうする」「何発かにもよりますが、おそらく福島第1の規模を超えますね」「それでは通常弾頭でも核弾頭と同じでしょう」幕僚たちは考えてもいなかった事態の質問に愕然としながら独り言を並べ始めた。実はこれは方面総監が陸上幕僚長から与えられた研究課題だった。
  1. 2022/02/16(水) 15:53:16|
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続・振り向けばイエスタディ35

「対馬を戦場にするべきか・・・」対馬の視察を終えて建軍に戻った西部方面総監は自問自答を重ねていた。表敬訪問した対馬市長との対話で「国境の島」の特殊事情を再認識したこともあるが、それ以上に面積708・7平方キロメートルに過ぎない対馬を戦場にするには28000人弱の島民全員を疎開させなければならない。住民の危険回避は市役所の職責だが、自衛隊にも戦争法(=戦時国際法)で文民保護は課せられている。住民が島内に留まっていれば戦闘に多大な制約を受けるが、それ以上に秘密保全上の必要がある。
「対馬の面積は熊本で言えば八代と変わらないんだな。あそこを戦場にするとなるとかなり手狭だぞ。まるでプロレスのリングだな」方面総監は立ち上がって壁に掲げている西部方面隊の担任範囲の北は対馬から南は沖縄の八重山諸島までの大地図を眺めながら独り言を呟いた。確かに熊本県南部の八代市の面積は681平方キロメートルなので対馬と大差はないが、地続きの八代と孤島の対馬では戦闘の舞台としてはかなり条件が違う。方面総監は自分の「リング」と言う例えを自賛しながらうなずいた。日本陸海軍11640人とアメリカ軍54800人が激突した沖縄本島は1199平方キロメートルだが主戦場は南半分だった。最近は玉砕戦の代表になっているサイパン島は122平方キロメートルでも日本陸海軍31624人とアメリカ軍127000人が戦った。硫黄島に至っては21平方キロメートルの小島で日本陸海軍20933人、アメリカ軍111308人が血みどろの激闘を繰り広げた。そうなればヤマネコが棲む対馬の深い森が焦土と化すのは間違いない。今回の視察で見た風景を思い出しながら方面総監も気分だけは動物愛護団体に同調した。
「東北の地震の原発事故で地元の自治体が丸ごと避難したんだったな」執務机に戻ると島民の疎開の可能性の思案を再開した。日本国憲法では緊急事態に政府が国民の権利を制限する規定がないので要請までだが、東北地区太平洋沖地震の大津波による福島第1原子力発電所の崩壊・放射能漏れ事故後に民政党政権が翌日の早朝に発した周囲20キロ以内の避難指示を受けて全域が範囲内に入る双葉町は全住民の半数を超える4000人以上が山間部の川俣町に避難した。その後、避難が長期化することが確実になり、役場を含めて住民約1200人が埼玉県内に移動した。しかし、この事実上の強制避難が実施できたのは住民が放射能に対する恐怖心を共有していたからであり、戦争は「降伏すれば回避できる」と主張する者が必ず現れるので、避難を拒否して自ら侵攻軍の人質になる事態を想定しなければならない。
「問題は韓国の侵略目的が対馬占領で終わるかだ」方面総監の思案は次の段階に展開した。在韓国防衛駐在官の報告では韓国国内ではマスコミが「対馬島は古代から朝鮮固有の領土であり、日本に占領されていた領土の奪還は正当な歴史の修復だ」と言う世論を扇動していて韓国軍内でも李明博政権当時に研究した軍事作戦の再検討が始まっているらしい。
「韓国単独なら対馬までで限界だが中国が後押ししているとなると・・・本格侵攻、全面戦争も有り得るぞ」これは陸上総隊司令官と一緒に陸上幕僚長に呼びつけられた時に聞いた話だ。自衛隊が全幅の信頼を置いていた加倍政権を除けば制服組限定の絶対秘になっている海外での諜報活動を行っている非合法組織がアメリカ国内で調査した結果、在アメリカの中国系と朝鮮半島系の移民組織は対日戦争が始まった時に日米安保条約の発動に反対する大規模な市民運動を起こす準備を進めており、親中派の政治家に多額の工作資金をバラ撒いて議会内での反対派を着々と増やしている。さらに国際連合でも中国が手中に収めている国際機関や長年にわたる武器供与と軍事指導で配下にしているアフリカ諸国を常任知事国の立場で指揮してアメリカの軍事介入を阻止する手筈を整えていると言う。外務省でもこの危機的状況を報告しているが石田政権の反応は鈍く、閣議でも立野官房長官は外務大臣と防衛大臣に過剰反応しないように釘を差すのを専らにしているようだ。
「仮に日本全土で戦争になると対馬のために最精鋭部隊を失うのは得策ではないな。あの戦闘能力は九州や本州での遊撃戦で発揮させねばならん。逆に対馬警備隊を撤退させるか」再び対馬島内の戦争反対運動に同調することになり、方面総監は苦笑してしまった。
「それにしても日本軍は戦略的価値が全くない太平洋の離島に将兵を配置して玉砕なら兎も角、兵站が遮断されて飢餓で全滅させたが一体何を考えていたんだ。俺は対馬の戦略的価値と戦力の重さを計算しているぞ」執務机から視線を再び壁の大地図に向けると沖縄方面の離島まで視界に入った。韓国と同時に中国が軍事侵攻してくるとなれば西部方面隊は2正面作戦を遂行しなければならない。沖縄戦での日本陸軍は沖縄本島に配置されていただけでも2個師団と1個旅団なので西部方面隊の全戦力だ。そうなると遊撃戦で消耗を強いる以外の戦術は選択できない。正規軍のミニチュアに過ぎない陸上自衛隊では始めから判っていることだ。
  1. 2022/02/15(火) 14:16:39|
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続・振り向けばイエスタディ34

「韓国在住の日本人は迫害を受けていると言っても大袈裟ではない状況なんだ」日本大使館が電話による現状聴取を終えると合星大使は東京の外務省の官僚としては後輩に当たる大臣官房在外公館課長に報告した。今回の聴取によれば韓国系企業に務めている男性の多くが職場で孤立して雑用で基本給だけを受け取っている。個人経営の店舗は周囲に「日本人の店」と張り紙されて客足が途絶え、投石やスプレー塗料などによる破壊や店頭に汚物を撒く嫌がらせも常態化している。何よりも告白しただけでもかなりの女性が性的暴行を受け、それでも韓国人の夫の命令で泣き寝入りしている現状には愕然とした。
「総理は韓国の新政権との対話で解決の糸口を探ると言う方針に執着しているから韓国の実情を伝えても事を荒立てる気はないでしょう」「外務大臣の時も我々が朴槿恵政権の弱体化を説明しても日韓友好の再開を要求するマスコミに迎合して実効性がない合意に執着したんだ。結局は恥を掻いただけだったがな」石田首相は加倍政権の外務大臣として失政を続発させた挙句に若い頃から帰依していた霊媒師との異常な関係が発覚して「任期満了は無理」と言われていた朴槿恵政権に救いの手を差し伸べるように日韓合意を締結したが、かえって早期退陣を求める世論に反日感情が加わっただけだった。
「石田首相は宏池会でも官僚出身じゃあなくてバブル崩壊で経営破綻した銀行出身でしたよね」「バブルが始まる直前に退職して父親の政策秘書になったんだ。だからバブル期の過剰投資と放漫経営には関わっていないが、破滅に向かう組織の体質には染まっている。何だか背筋が寒くなってくるよ」韓国は隣国だけに新聞も半日遅れなら航空便で購読できて日本の情報は濃密に入手できるが、現在の緊張の激化に対する日韓政府の認識の違いは厳寒の冬に熱湯風呂に投げ込まれ、酷暑の夏に冷凍倉庫に閉じ込められたくらいの温度差がある。韓国では日韓併合から鬱積してきた反日感情の導火線に火が点いているが、日本では自分が当事者であることに気づかず対岸の火事のように傍観者を決め込んでいる。
「大臣は在留邦人の国外退去について何か言ってるのか」「流石の万能大臣も所属する派閥の長の内閣では黙って従うしかないようです。今までのような手腕は影を潜めています」「派閥を継承するには御機嫌を損なうことはできないんだな」現在の外務大臣は東京大学を優秀な成績で卒業した上にハーバード大学の大学院に留学した英才で、国家公務員上級職に合格したキャリア官僚たちも歯が立たない。そのため歴代政権が自民党内の族議員から大臣を選んできた慣習を打ち破るように組織的な問題が発覚して機能不全に陥った省の大臣に抜擢され、立て直しに辣腕を奮ったことで万能大臣と仇名されている。しかし、所属派閥は石田総理が会長を務める宏池会なので政治力学の呪縛からは逃れられないようだ。
「国内の各都市で日本人女性に対する強姦事件が頻発していることを警察当局は把握しているのか」結局、これも「大使の独断」で韓国政府に接触を試みることにした。手始めは行政安全部外局の警察庁に大使館員を派遣して日本人女性の集団レイプについて問い質した。
「用件の連絡を受けて我が国内の1特別市、6広域市、9道の各地方警察庁に確認しましたが、日本人女性からの被害届は受理していませんから、『そのような犯罪は発生していない』と言うのが当局としての回答になります」大使館員の厳しい目を冷笑するかのような表情で警監(日本の警察の警視に相当する)の局長は回答した。
「ただし、ソウル特別市の鍾路区では貴方たち日本大使館の跡地で毎週水曜日に元従軍慰安婦の支援団体が開催している集会で市内のミッション系の大学に留学している日本人の留学生が『自分が代わって日本の罪を償う』と言って全裸で少女像の隣りの椅子に座り、その後に『慰安婦と同じことをされたい』と参加者の男たちに抱かれたことは把握しています。尤も、鍾路区警察としては売春と猥褻画像公開の嫌疑で関係者から事情聴取しただけですがね」局長が歪めた唇は冷笑から嘲笑になった。日本大使館があったソウル特別市鍾路区は(現在も鍾路区内の賃貸高層ビルに仮入居している)区長自ら従軍慰安婦少女像の設置を提案し、区営バスの最前席にプラスチック製の等身大人形を座らせて運行した反日一色に塗り固められた異常な地域なので警察の対応も始めから期待できない。
「あれを見て集団レイプを疑わないのは警察の姿勢として間違っていないか」「レイプは親告罪だから届け出がなければ捜査に着手できないんだ。インターネットに投稿した男の説明ではあの女子学生が抵抗したのは拉致された少女が日本兵にバージンを奪われた場面を再現する演技だったそうだ。今では聖女さまだから本人も満足してるんじゃあないのか」大使館員も女子留学生が輪姦されるインターネットへの投稿動画は「日本大使館跡地」と言う単語が検索にかかって見ることになったが現役の男性でも目を背けたくなるような悲惨な映像だった。
  1. 2022/02/14(月) 15:42:02|
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ロシアのウクライナ侵攻についての愚考察

国際連合の常任理事国でも共産党中国を除くアメリカとイギリス、フランスと第2次世界大戦のポーランド侵攻ではソ連と共謀したドイツは雪が凍結して機甲部隊の行動が容易になるとすでにウクライナ国境付近に13万人もの戦力の配置・編成を終えているロシア軍が侵攻を開始するのではないかと厳戒態勢に入っているようです。
実際、アメリカは1993年にNATOに加盟した隣国のポーランドに約4500人を常駐させているのに加えて「AA=オール・アメリカン」の部隊章で有名な第82空中機動師団(旧・空挺師団)の1700人を含む3000人程度を増派し、開戦時には2日間でウクライナの首都・キエフを制圧できる作戦準備を進めていると報じられています。
ロシアのウクライナ侵攻が現実味を帯びるようになったのは前政権の汚職の一掃と2014年から東部地区で続くドンバス戦争の終結を公約にして2019年に当選した元コメディー俳優の大統領がウクライナとロシア、ヨーロッパ安全保障協力機構(OSCE)の3者で停戦を取り決めたミンスク合意の破棄を主張したことが発端でした。
ドンバス戦争はロシアによるクリミア併合時にロシア系住民が多いウクライナ東部地区が分離独立を主張して大規模なデモを繰り返したためウクライナ政府が武力鎮圧するとロシアの支援を受けた住民が武装蜂起して発生した内戦です。ミンスク合意では東部地区で選挙を実施して高度な自治を認めることが取り決められているのですが、高度な自治が分離独立に向かうことを懸念する現政権はこれを拒否していて、逆に分離独立と吸収併合を狙うロシアは合意違反を口実に武力で占領奪取しようとしているのです。
この危機に直面したウクライナ政府がNATO軍への加盟を模索し始めたこともロシアを刺激して問題を複雑化して解決への糸口が見つからず、現時点ではNATO軍の一員としてのアメリカ軍とロシア軍の睨み合いで開戦を先送りし続ける以外にないようです。ちなみに旧ワルシャワ条約機構加盟国(旧ソ連領を含む)で現在はNATOに加盟しているのはポーランド、アルバニア、ブルガリア、クロアチア、チェコ、エストニア、ハンガリー、ラトビア、リトアニア、モンテネグロ、北マケドニア、ルーマニア、スロバキア、スロベニアでロシアの孤立化が完成しつつあります。
NATOは「冷戦構造の崩壊によって軍事的脅威は消滅した」として旧植民地の実質的な支配を続けているイギリスとフランスを除く加盟各国は同業者には信じ難いほど大規模な軍縮を実施しましたが、それでも中世以来の仮想敵である帝政ロシア=旧ソ連=現在のロシアに対する警戒心は捨てていなかったようで、現在は4000人規模の旅団3個と特殊部隊、各生物化学兵器対処専門部隊の地上部隊や空母打撃群と機雷戦対処部隊の海上戦力に1日200回の作戦行動を可能にする航空戦力の25000人を初動対処用の即応部隊として5日から30日以内に動員できる態勢で常備しています。組織戦闘としては旧ユーゴスラビア内戦のPKO活動がスレブレニツァの大虐殺を生起させて失敗に終わるとNATO軍として空軍と地上部隊(水上艦艇からも艦対地ミサイルを発射している)が攻撃を開始して軍事占領による停戦を実現しました。
  1. 2022/02/13(日) 14:57:34|
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続・振り向けばイエスタディ33

「日本の女を慰安婦にしろ」日本以上にインターネットが普及している韓国では佐藤有真(ユジン)の従軍慰安婦少女像の隣りで裸身を晒した画像と集団レイプの動画が「聖女の自己犠牲」として拡散すると閲覧者たちが危険な書き込みを始めた。幸いなことに新型コロナ・ウィルス感染症の変異株の蔓延によって日本からの渡航が制限されているので観光客の入国は皆無に等しいが韓国人と結婚して移住した日本人妻は少なくない。韓国の行政当局は国内の反日感情が高まると公的業務にもアカラサマに反映し、明確な説明がない帰化の却下だけでなく年金や社会保険の加入を拒否されるなどの冷遇を受けている。時代の変遷を考えればかつて左翼勢力の「理想の楽園」と言う虚構の喧伝を信じて夫の母国である北朝鮮と移住した日本人妻たちが家畜のように扱われ、飢えと寒さと過酷な労働で命を落としたのと大差はない。
「日本政府としては貴女とお子さんだけで帰国されることを勧めます」「それでは離婚されます」ソウル特別市の日本大使館や済州島と釜山にある領事館では日本人女性の集団レイプ事件の急増・頻発化を受けて電話での聞き取り調査を開始した。本来であれば本人を呼ぶか、大使館員を自宅に派遣して面談するべきなのだが韓国の行政当局は新型コロナの変異株の拡散防止を理由にして大使館員の個人宅への訪問を禁止している。
「離婚を心配すると言うことは家庭は円満なんですね」「・・・いいえ、私と子供が帰国すると決まれば夫にどんな目に遭わされるか判りません」大使館員は女性が真剣に怯えていることを察して個人情報の書類の横のメモに「DV(ドメスティック・バイオレンス=家庭内暴力」と書き込んだ。韓国では儒教道徳が濃厚に残っているため家族愛が強い反面、夫が絶対君主と化して妻や子供に絶対服従を強いることも珍しくない。さらに男性は異常にプライドが高いので妻が子供を連れて帰国することを裏切りと受け取って暴力を奮うことは十分にあり得る。
「夫は日本の大学に留学していたので会社では親日派と決めつけられて孤立してるんです。最近は上司まで仕事を与えなくなって雑用で最低限の基本給を受け取っています。それで私たちが帰国することになれば一家心中を考えるでしょう」日本では外国人を本人の好悪の感情や態度で親日派と反日派に分類するが、韓国での親日派は戦前の統治時代に日本の権力者に取り入り、戦後も日本企業に就職して高収入を得ていた売国奴を意味する。そのため最近では日本に関する知識が潤沢な知日派や好意的な好日派、さらに単なる反日的言動ではなく日本への攻撃的活動を実行している抗日派なる造語も使われている。
「しかし、現在のような状況が続けば貴女の身に危険が及ぶ可能性は高まるばかりです」「確かに私の友人も先日、子供に日本語で声をかけたのを聞いた男たちに集団レイプされました。子供をトイレに連れていくのに押し入ってきて、子供の目の前で散々レイプして引き揚げる時には『慰安婦の仕事だ』と声をかけたそうです」意外な情報に職員はメモ紙を1枚めくって記録する準備をした。在留日本人が犯罪に関われば大使館が対応しなければならないのだ。
「その友達は警察に届けたのですか」「いいえ、夫に訴えたんですが、『日本の女を慰安婦にする』と言うのは今の韓国では抗日運動として正当化されている。警察に届ければ愛国者の抗日運動を犯罪にしたと批判されて社会から抹殺されると説得されたそうです」この説明にも納得せざるを得ないほど韓国の反日感情は激化している。現時点の武力衝突の犠牲者は海上自衛隊の対潜哨戒機と航空自衛隊の緊急発進した戦闘機の撃墜による日本側の12名だけだが、韓国政府は対潜哨戒機を撃墜した後に自爆自沈した旧式のコルベットの損害賠償と謝罪を要求して国民の反日感情の扇動に利用している。最近の韓国軍は防衛駐在官の公務での接触を拒否し、逆に常に私服の軍人を尾行させるようになっている。
「お宅の事情は理解しますが、日本政府としては邦人の安全確保のためこれ以上事態が悪化すれば韓国外への退去を最大限の強さで要請することになります。それに応じないで残留した場合は何があっても自己責任になります」「はい・・・考えておきます」大使館員の重い説明に女性もそれ以上に重い声で答えた。大使館員は「日本政府としては」と繰り返したが実際は石田政権からの指示はまだ出ていない。石田首相はA日新聞を始めとする日本の大手マスコミが政府と防衛省・自衛隊の説明に疑惑を与える報道を続け、国民の中にも韓国政府の発表を信用する世論が広まっていることに過剰反応して謝罪と賠償による解決を模索し始めているらしい。それでも外務省としては最悪の事態に備えた対応の準備を進めなければならず、韓国駐在大使の独断としてこの業務が指示された。しかし、日本国憲法には緊急事態に政府が国民の権利を制限する規定がなく、仮に戦争が始まっても相手国に居住している邦人を強制退去させることはできない。それは東北地区太平洋沖地震や新型コロナ・ウィルス感染症でも指摘された問題だが、国民の多くが憲法を「不磨の大典」とする以上、敗戦以外の改定の手段はない。
小坂優子イメージ画像
  1. 2022/02/13(日) 14:56:31|
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2月13日・日本陸軍の前身・御親兵を創設した。

明治4(1871)年の明日2月13日(太陰暦)に天皇=国家が統括・指揮すると言う意味で大日本帝国陸軍につながる御親兵が創設されました。
古事記・日本書紀の神武東征などでは天皇が自ら軍(みいくさ)を指揮したことになっていますがあくまでも神話の世界に過ぎず、史実としての国家直轄の軍は664年に始まった防人(さきもり)制度が端緒でしょう。余談ながら野僧は「自衛官」と言う意味不明(自衛隊所属の公務員以上の意味はない)の肩書よりも「防人」の方が体を表しているので自費で印刷していた名刺では「空の防人」「防人(航空)」で通していました。
その後、律令国を統治する国司制度の確立と共に治安維持や海賊などに対処する押領使が派遣されるようになり、それが独自の軍を保有するようになると天皇や有力公家は武家を個別に雇用して武力を保持することになりました。それが幕末の戊辰戦争まで各藩単位の軍として機能していたのですが、文久2(1863)年に京都の治安悪化の原因が御所の警護を担当している毛利藩の過激藩士であることを知った孝明天皇の側近が皇室直轄の軍の必要性を幕府に訴えて10万石以上の各藩に1万石に1名の割り当てで兵を出させて設置されたのが最初の御親兵でした。ただし、この御親兵は会津藩が京都守護職として上洛することが決まると半年で廃止されました。
続いて大政奉還後の慶応4(1868)年に鳥羽伏見の戦いが発生して京都が反乱軍の手中に落ちると禁門の変で御所警備の任を解かれていた毛利藩が御所の警護に復帰して御親兵を名乗りました。しかし、これも戊辰戦争が東北と四国に拡大して反乱軍が京都から派遣されると十津川藩士の400名に縮小され、明治天皇の東京移住で廃止されました。
そして明治新政府が成立すると明治3(1870)年に毛利藩の山県有朋参議が島津藩の大久保利通参議に反乱軍の島津・毛利・山内の各藩兵(鍋島は島津・毛利と対立していた)を中心に国家の直轄軍を創設することを提言し、大久保参議は翌年に鹿児島に隠棲していた西郷南洲翁を上京させました。その背景には統一国家としての体裁を整えるには江戸時代までの各藩が独立国家として機能している統治制度を解消する廃藩置県を断行しなければならず、反抗する藩を武力で制圧するための強力な軍が必要だったのです。
こうして上京した西郷翁は島津藩の歩兵4個大隊と砲兵4個隊、山内藩の歩兵2個大隊と騎兵2個小隊に砲兵1個隊、そして毛利藩の歩兵3個大隊の計8000人程度の部隊にかつての反乱軍大総督だった有栖川宮熾仁親王を長に迎えて新・御親兵を創設しました。
その後、廃藩置県で戦闘員としての武士(実際は行政や事務職、土木工事などの実務を担っていた)は消滅し、併せて徴兵制度によって国家としての軍が拡大されると御親兵は近衛師団になりましたが、所詮は反乱軍が作った軍だけに無用の戦争を繰り返した揚句に74年後の昭和20(1945)年にこの国家自体を滅ぼして解体されました。
ちなみに大日本帝国陸軍を旧軍と呼ぶならば新軍に相当する陸上自衛隊の前身の警察予備隊が創設されたのは昭和25(1950)年8月10日なので2022年の夏には72年になり、遠からず大日本帝国陸軍を超えて名実共に国家の防人になります。
  1. 2022/02/12(土) 15:22:42|
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