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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

4月1日・原点に帰れ!琉球政府が成立した。

2月10日のサンフランシスコ講和条約への調印によって日本が独立を果たした昭和27(1952)年の明日4月1日にアメリカ占領下の沖縄では琉球政府が成立しました。
現在の沖縄県は本土のノーベル賞作家・大江健三郎(敬称不要)に代表される亡国言論人と結託した琉球大学の教授の大田昌秀(後の知事でもあえて肩書は省略する)が県内のエリート候補者たちを反米反日臣中(親中ではない)に洗脳した虚偽の歴史観が蔓延していますが、野僧が赴任した復帰10年の沖縄にはこの時代の熱い愛国心が残っていました。
沖縄が本土の歴史に登場するのは「日本書紀」に続く公式歴史書「続日本紀」で飛鳥時代の文武天皇2(698)年に朝廷が奄美諸島に従属=朝貢する意思があるかの調査に派遣した使者が久米島や石垣島にも足を伸ばしたとあり、和銅8(715)年に奄美と沖縄の島から朝貢があり、養老4(720)年に奄美と沖縄の島や蝦夷地に対して位階を授与し、神亀4(727)年にも奄美と沖縄に同様の授与が行われたようです。また琉球王家の歴史書「中山世鑑」には保元の乱で敗れて八丈島に流刑になった源八郎為朝さんが討手から逃れて沖縄本島の本部半島に漂着して運天と名乗り、初代琉球王・舜天の父親になったとあり、これは伝説ではなく正史=史実とされています。その後、14世紀後半になると広くはない沖縄本島での戦国時代を制した第2尚王家が中国皇帝への朝貢を積極的に行って文化を吸収するようになりましたが、慶長14(1609)年に「日本の皇室に対する朝貢を怠っていること」を理由として島津藩が侵攻し、支配ではなく管理監督下に置かれました。そして本土の政変直後の明治4(1971)年10月に首里に年貢を納めた宮古島の船が遭難して台湾に漂着し、現地民に殺害される事件が発生すると日本政府が軍を派遣したため対外的にも日本の属国になり、明治12(1879)年の本土の廃藩置県に合わせて琉球王国も消滅し、沖縄県が置かれたことで完全に日本の一部になりきました。
大田とその信者たちは「琉球王家が中国皇帝に朝貢していた」と言う一事を以って「中国の属国だった」と断定していますが、実際は本土の皇室と幕府にも朝貢・贈物する二正面外交で、「島津藩に植民地として搾取された」と言う被害者史観も八重山や宮古島の郷土史家の友人によれば琉球王家こそ沖縄本島以外の島民を奴隷化していて島津藩は上から目線で均一化を図っていたと肯定的に評価しています。何よりも沖縄戦を「本土決戦の準備の時間稼ぎとして長期化させた」と言う批判は軍事の常識を意図的に無視した大嘘です。
沖縄戦の敗戦で日本の行政組織である県庁がなくなってアメリカ軍の占領下に置かれると沖縄本島と周辺の島々とは別に八重山群島と宮古島群島が直接統治を受けることになり、同じく占領下にあった北緯30度以南の奄美群島も加えられて4つの自治政府が成立しましたが、民選の知事の下、議会が本土復帰決議を繰り返したためアメリカ占領軍は殊更に公共施設の整備を進めて近代化し、アメリカ式の文化や物資を持ち込んで沖縄の人々を手懐けようとしましたが上手くいかず、日本の独立に合わせて自治政府を解消して1つの傀儡政府にしようとしたのです。しかし、それからの20年間、沖縄本島最北端の辺戸岬と奄美諸島最南端の与論島では「本土復帰の篝火(かがりび)」を燃やし続けていました。
  1. 2022/03/31(木) 14:41:47|
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続・振り向けばイエスタディ80

海栗島分屯基地では火焔瓶により炎上・爆発・沈没した連絡船の残骸の回収作業を分屯基地司令以下が桟橋で指揮していた。すると鰐浦の漁港から見覚えがない数隻の漁船が出港し、海栗島の横をかすめるように通り過ぎていった。生簀で作業をしている漁民とは別のようだ。
「チャルモゴッスムニダ(韓国語で『ごちそうさま』)」「マシッソッソ(同『美味しかった』)」船上の男たちは海岸で作業中の自衛官たちを嘲笑するように声をかけてくる。韓国語が判る隊員が意味を説明したが、隊員たちにはここで「食後の挨拶」を言ってくる理由が判らず首を傾げて顔を見合わせただけだった。
「警務隊と警察には連絡したんだな」「はい、警務隊は緊急車両として急行するそうですが到着までに1時間以上かかるそうです」「どちらにしろ水上警察にも来てもらわないとならないが、アイツらが密入国者だとすれば海上保安庁にも通報しておくべきかも知れんぞ」桟橋で漁船の男たちの挑発的な態度を見ていた分屯基地司令は随行している運用班長に声をかけた。今回の連絡船への放火事件は分屯基地の桟橋で発生したため対馬駐屯地の西部方面警務隊の所管になる。しかし、海面での犯行でもあるので対馬北警察署の水上警察も関係する。さらに外洋に逃走したから海上保安庁にも出陣を仰がなければならない。
「それで漁協に連絡船の代わの漁船を提供してもらう話はついたのか」「それが漁協の事務所が電話に出なくて連絡がつかないんです」「夜勤明けの隊員たちは待ちかねてるぞ。何とかしろ」続いて分屯基地司令は電話番として事務室に残った総務人事班長の代理として随行している先任空曹の曹長に声をかけた。
「運用班長、妙なことがあります。夜勤明けの隊員たちが帰宅が遅くなることを奥さんに連絡したんですが、どこも電話に出ないそうです。固定電話とスマホでいくら呼び出しても駄目です」「全員か」「はい、監視小隊の1名、警通小隊(警戒通信小隊)の1名、基業小隊(基地業務小隊)の1名の計3名です」3人が漁協の事務所と連絡がつかない理由を推理し始めると残骸を載せる軽4輪トラックに乗ってきた総務人事班の空曹が運用班長に報告し、当然、分屯基地司令の耳にも届いた。海栗島の山上と桟橋の間には岩肌を削って作った車両1台分の幅の道路しかなく前進とバックで往復するしかない。今回はバックで下ってきた。
「漁協だけじゃあなくて官舎でもか・・・」謎が深まり、3人の推理は無言になった。通常、シフト勤務する隊員の妻は帰宅した夫の仮眠を邪魔しないように騒音を発する掃除や洗濯を先にすませてから朝食の準備を始め、温かい手料理で出迎えるはずなので朝から揃って不在と言う事態は考えられない。仮に官舎で異常があれば気づいた隊員や妻が部隊に連絡してくるはずだがそれも入っていない。有り得るとすれば官舎の住人に急病人や事故が発生して非常呼集状態で対応していることだが、桟橋にいても救急車のサイレン音は聞いていない。
「警務には官舎に寄ってもらった方が良いかも知れないな。私と総人班長は単身赴任だから運用班長の奥さんに対応してもらおう」「判りました。連絡しておきます」分屯基地司令の指示を受けて運用班長はスマート・ホンで対馬駐屯地の警務隊に電話をかけ、こちらに向かっている警務車両への伝言を頼み、続いて妻のスマート・ホンに連絡した。
「貴方・・・ごめんなさい」呼び出しに異常な時間がかかった後に出た妻は着信音で夫からの電話と察していて唐突に暗い声で謝罪を始めた。スマート・ホンを耳に当てながら最初は困惑、続いて驚愕、そして憤怒に表情を変えていく運用班長を見ている分屯基地司令と先任空曹に残骸を桟橋に運んできたベテランの空曹が声をかけた。
「先ほどの漁船の連中は韓国語で『ごちそうさま』『美味しかった』って言っていたそうですが、喰い逃げでもしたんですかね」この言葉は運用班長の耳にも入り、3人が息を呑むほど険しい目で振り返った。「美味しかった」のは隊員の妻たちなのだ。
「テマド(=対馬)の日軍(=自衛隊)の慰安所に行ってきたぞ」その日の午後、インターネットの「日本人女を慰安婦にしろ」と題するようになったサイトには官舎の妻たちがレイプされているいわゆるハメ撮り画像に韓国語と日本語を併記した文章の投稿記事が書き込まれた。レイプしながらスマート・ホンで撮影した画像なので大半は着衣を引き裂いて露出させた乳房から上しか写っていないが、中には虚脱状態になったのか全裸にされ、全身をくまなく撮影された妻もいた。新婚夫婦の妻もそうだった。
「こいつは若くて美人で絶品だったぜ」新婚夫婦の妻の画像にはレイプした男の感想が添えてある。すると短時間で「本当に好い女だ。羨ましい」「俺も行きたいから場所を教えろ」などの読者の書き込みが殺到したが、日本語もあるので日本人の男が同胞の女性が実際にレイプ被害に遭っている画像で欲情していることが判った。
  1. 2022/03/31(木) 14:38:37|
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3月31日・国際司法裁判所が日本の調査捕鯨を否定する判決を下した。

2014年の明日3月31日に国際司法裁判所はオーストラリアが日本の調査捕鯨の禁止を求めて提訴した裁判でオーストラリア勝訴=日本敗訴の判決を下しました。
日本のマスコミはオーストラリアがアメリカの資本家から資金提供を受けている反捕鯨団体に母港を提供するなど全面的に支援していることからこの裁判も「動物保護が目的」と断定的に報道し、読者・視聴者を感情的に賛同・共鳴させていましたが(このため「捕鯨は残酷」と言うイメージが広まり、鯨肉の消費量が低迷する原因になった)、オーストラリアは南極条約に加盟していながら自国=オーストラリア大陸の対岸に当たる南極大陸の3分の1を領土、間の南氷洋を領海と主張していて、日本の調査捕鯨は南氷洋を公海とする行為に他ならず、この提訴には国際連合の付属機関である国際司法裁判所に領土的野心を認知させる政治的策謀が絡んでいました。
日本の捕鯨は江戸時代まで網の中に追い込み、勇者が暴れる鯨の背中に乗って銛で心臓を突いて殺す原始的な漁法でしたが、それでも享保年間から幕末までに21700頭を捕獲していて頭数の激減で近海での鯨漁は低迷していきました。そんな中、明治政府は日本の船舶の発達を見ながら遠洋での捕鯨を推奨しましたが当時は冷凍技術が不完全だったので折角の鯨肉は投棄して、世界の海で鯨の大量殺戮を繰り広げた欧米と同様に日本でも普及したランプ用の鯨油を目的にしていました。
ところが敗戦後にアメリカ式の肉食が普及しても豚や牛の増産は中々進まず、そんな中で国民に良質の動物性蛋白質を提供してくれたのは捕鯨船団が南氷洋から持ち返る鯨肉でした。こうして日本は最盛期には7つの捕鯨船団を南氷洋に送り込み、電灯の普及によって鯨油を必要としなくなった欧米の撤退も重なり、世界最大の捕鯨国になったのです。
その一方で地球規模で環境を破壊し、動物を殺戮してきた欧米人が今になって保護活動を指導しているのと同様に自分たちは必要としなくなった「鯨の保護」を主張するようになり、昭和23(1948)年11月10日に国際捕鯨員会=IWCが設立したのです。日本も独立後の昭和26(1951)年4月21日に加盟しましたが、すると「人間並みの知能を持つ鯨(大脳の重量のみの比較、表面積は格段に少ない)を大量に殺戮する残酷な民族」として常に批判の対象=サンドバックになったのです。
さらに日本が自主規制していることは無視して昭和57(1982)年に商業捕鯨の停止決議が採択されると昭和61(1986)年には南氷洋での母船式捕鯨、昭和63(1988)年には太平洋でのミンククジラとマッコウクジラの商業捕鯨が停止されました。
それに対して日本は捕鯨技術を有する唯一の国として鯨の生態を調査する目的の調査捕鯨は継続しましたが、オーストラリアは「調査目的で捕獲=殺害した鯨を食肉加工して国内で販売している」と批判し、2010年5月31日に国際司法裁判所に提訴したのです。
現在、太平洋全域では鯨の急増によって餌になる魚類の減少が顕著で、アジアや太平洋の漁業国では食料資源の枯渇が危惧されていますが、IWCやオーストラリア、国際司法裁判所は何も見解を示していません。
  1. 2022/03/30(水) 14:45:10|
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続・振り向けばイエスタディ79

対馬最北端の離島に所在する航空自衛隊海栗島分屯基地・第19警戒隊は対岸の韓国まで50キロを切っていることもあり、周囲には韓国の漁民に買い取られた魚を養殖する生簀があって毎日のように漁船でやってきては餌撒きなどの作業に励んでいる。日本の入国管理局や対馬市は「上陸しなければ入国に当たらない」と放置しているが、実際は船を鰐浦漁港に接岸して自動販売機で飲み物を購入し、時には商店で買い物していく。しかし、これも外交・安全保障問題とは次元が異なる市民レベルの国際交流の一環として黙認されている。そもそも鰐浦の集落内には取り締まる警察の駐在所がないのだ(約10キロ離れた隣の集落にある)。
「誰・・・」その日、夫が鰐浦漁港の波止場からの連絡船で出勤し、子供を学校に送り出して官舎のベランダで洗濯物を干していた隊員の妻は背後に視線を感じて振り返った。海栗島分屯基地の官舎は鰐浦の集落の中央にある鉄筋4階建ての幹部用8室、リビングが狭い空曹と独身幹部用が16室の目立つ建物だ。隊員の家は空曹用の3階にある。
「トドゥルジマ(韓国語で「騒ぐな」)」玄関の脇の和室のガラス扉を開けて汚れた作業服を着て日に焼けた男が暗い目をして立っていた。男は固まって動けなくなった妻に素早く駆け寄ると口に用意してあったガムテープを貼り、羽交い締めにして和室に引き摺り込んだ。
「嫌・・・誰か」「この建物では同じことが始まっているんだ。声を出しても無駄だぞ」馬乗りになった男は目を血走らせながら下手な日本語で声をかけてきた。平和な集落の住人になり切っている隊員の妻たちは玄関を施錠する習慣がなく土足で上がり込んでいた。
「我が国では日本人のヨジャ(同・女)に植民地時代に強制連行したオンニ(同・若い女)を慰安婦にした罪を償わせている。テマド(同・対馬島)は間もなく韓国が奪還する。俺がお前を慰安婦にするのはその予告だ」男は妻の身体の上で向きを換えて座ると体重をかけて押さえ、激しくバタつかせている両足を脱がしたGパンで封じた。続いて下着を落とすと腹這いにひっくり返した。男は後背位であれば抵抗を制御できることを計算しているようだ。
その時、壁越しに隣り家の妻の悲鳴が低く聞こえてきた。男が言う通り同じことが行われているらしい。隣りは新婚で夫が浜松基地の第2術科学校に入校中に知り合って以来、人口50万人の大都市と2重離島の遠距離恋愛を実らせた理想の夫婦だ。その妻がこの見も知らない男の仲間に汚されようとしている。妻が女としての怒りを沸き立たせた時、女性器に男の凶暴な男根が荒々しく突き刺された。妻は夫との営みを思い出しながら耐えたが、男の性行為は激しく、結婚以来10数年かけて築いてきた夫婦の絆まで破壊されそうだった。
「タップリ中出ししたぜ、子供が出来れば日韓友好の証として立派に育てろよ。日本が我が国の領土になればその子は名誉になるはずだ」服を脱がすことなく後背位だけで犯し続けた男は聞き覚えがない絶頂の溜め息を口にすると背中に倒れ伏し、その体重で妻も畳に押し潰された。股間に熱い体液が滴り落ちていくのを感じた。
「俺たちの国では姦った女は殺すのが流儀だが、皇帝陛下の国では種まきだけで終わるそうだからこのまま帰る」男は立ち上がると足が届かない位置に移動してズボンを上げた。その間も視線を離さなかったのは夫と同じで軍隊経験で身につけた警戒心かも知れない。
男がドアを開けて出ていくと向かいでも同じ音がした。そして出てきた男の嬌声と会話が聞えたので韓国語で「若かった」「美人だった」とでも自慢しているようだ。そうなると自分を犯した男は「30歳代のババアだった」とでも答えているのだろう。
「奥さん・・・」妻は上の階からも男たちが引き上げてきたのを確認すると隣りに向かった。本来であれば全身をシャワーで洗い流して股間の体液や首筋に落ちた唾液と一緒に記憶も消し去りたいところだが、新婚の妻を優先するところが官舎住まいの作法だ。すると隣りの妻は全裸で畳に背中を向けて寝かされて、肩を震わせて泣いていた。
「奥さん・・・」「大丈夫、私も同じ目に遭ったわ」この慰めは異例だが傷を分かち合うと言う意味では成立する。妻の言葉に身体を起こした隣りの妻の乳房には生々しい歯型が残っている。やはり若く美しい新妻をレイプした男の興奮度はかなり高かったようだ。
「ベランダから飛び降りれば死ねるかしら」「無理よ。馬鹿なことは考えないでシャワーを浴びなさい」妻が手を取って立ち上がらせると隣りの妻の股間から白い滴が垂れ落ちた。
その頃、海栗島分屯基地の波止場では緊急事態が発生していた。出勤する隊員を送って、退庁する夜勤者と外出する営内者を待っていた連絡船に漁船が近づき、火焔瓶を投げ込んだのだ。連絡船は炎上し、燃料に引火して爆発・沈没した。漁船はそのまま海栗島を迂回するように沖に向かい韓国の方向に逃走した。これで夜勤者は足止めされ、官舎の男性はシフト勤務がオフの人間だけになったが、早朝から揃って対馬市内の新台入れ替えのパチンコ屋に出かけていた。
女子大生イメージ画像(「俺の空・刑事編」より)
  1. 2022/03/30(水) 14:42:20|
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3月30日・日系人差別で孤軍奮闘したフレッド・コレマツの命日

2005年の明日3月30日はアメリカ政府・軍としては軍事的合理性があったとしても措置があまりにも性急で杜撰、処遇が過酷で劣悪だった日系人の強制収容に孤軍奮闘したフレッド・コレマツさんの命日です。
コレマツさんは1919年にカリフォルニア州オークランドでバラ農園を営む福岡からの移民の両親の4人兄弟の3男として生まれました。そのため「是松豊三郎」と命名されましたが、小学校の教員が上手く呼べないため勝手に「フレッド」を通称にしたのを英語名にしたのです。児童・生徒としては積極的な性格でハイ・スクールではテニス部と水泳部で活躍したため日系人以外の友人も多かったのですが、それでもイタリア系の彼女の両親は「ヨーロッパ人と日系人ではつり合いが取れない」と交際に反対したようです(イタリア人はヨーロッパでは最下級に見られていますが)。ハイ・スクールを終えると大学に進学しましたが、家庭の経済的な理由で働きながら学ぶことになり(野僧と同様)、どちらも行き詰ってしまい3ヶ月で中退して家業を手伝うことになりました。
1940年に成年男子(アメリカは18歳以上)の徴兵が始まるとコレマツさんは資格ができる翌年まで待っって志願書を郵送しようとしましたが、日系人であることを理由に受け付けられませんでした。それでも国防に貢献したいとの思いは強く、溶接工としての職業訓練を受けてオークランドの大型商船=輸送船を建造する造船所に就職しましたが、日米の対立が激化すると一方的に解雇されることが対日開戦までに3回繰り返されました。
1942年2月19日にフランクリン・ルーズベルト大統領が「敵となる外国に祖先を持つ移民」を軍司令官の判断で指定地域から退去を命じられる大統領令9066号に署名し、同年5月3日に真珠湾攻撃で太平洋艦隊が壊滅して日本海軍の侵攻を阻止する手段を持たないとの危機感から西部防衛管区司令官のジョン・L・デウィット中将がアメリカの市民権を持つ2世、3世を含む日系人の強制収容所への移動を命じました。これに対してコレマツさんはイタリア系の彼女と対象地域外に逃亡すること決意し、二重瞼に整形してスペイン系ハワイ人と自称して資金を稼ぐために働き始めましたが3週間で見破られてしまい、逮捕されて裁判を受けることになりました。結局、この裁判で有罪になり、その後も「不服従」を罪とする裁判を受け続けたため収容所の他の日系人からは「関わると反逆者と思われる」と敬遠され、コレマツ一家は孤立して収容所生活を送ったようです。そして1944年12月に最高裁判所で「日系人のスパイ活動は事実であり、戦時下では軍事上必要な処置である」との判決を受けるとそれから37年間は沈黙することになりました。
ところが1980年になって民主党のジミー・カーター大統領が民主党のルーズベルト政権が行った第2次世界大戦中の日系人の強制収容の実態調査を命じたことで、コレマツさんも判決の取り消しを求める裁判を起こし、1983年11月10日に北カリフォルニア地方裁判所が1944年の最高裁判決までの全ての判決の無効を宣告しました。
コレマツさんは1998年に民主党のビル・クリントン大統領から大統領自由勲章を送られましたが、9・11以降はイスラム教徒に対する差別に反対し続けていたそうです。
  1. 2022/03/29(火) 15:44:59|
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続・振り向けばイエスタディ78

「お前が国家のために働きたいと考えていることは父親として誇りに思うよ。しかしな・・・」「しかし何なの」私の躊躇いに淳之介は憮然として相槌を打った。淳之介と暮らしていた頃の私は国防と言う任務に身命を捧げていたので全面的に賛同し、激励すると思っていたようだ。
「海ンチュウなら板子一枚下地獄で働いているんだから仕事に命を賭ける覚悟は常に持っているとは思うが・・・お前に何かあればあかりはどうする。ワシは死んでも1人で生きていける女と結婚したが、あかりは収入は兎も角として生活する上ではお前の支えが必要だろう。それを考えればお前が守るべきは国家よりも家庭のはずだ」「うん・・・」私の意見に淳之介は言葉を濁して考え込んだ。確かに結婚を望んでいた梢は語学堪能で旅行社の期待の星、先妻の美恵子は理容師、そして現在進行形の妻の佳織は自衛隊士官と自立した女たちだった。ただし、美恵子に関して言えば職業を家庭よりも優先する結婚には不向きな欠陥品だった。あかりも鍼灸師とマッサージ師の国家資格を持っているから収入は維持できるが、幼い子供を2人抱えての生活は健常者の支援なしでは難しいはずだ。
「あかりは何て言ってるんだ」「あかりを怯えさせる訳にはいかないからまだ言ってないよ」「そうか、このまま黙っておけ」「うん・・・」この口調では淳之介はあかりに打ち明ける際、「親父も賛成している」と弁解するつもりだったのかも知れない。しかし、淳之介にはあかりと結婚した時にも「今後はあかりとの家庭を守ることを最優先して危険を伴う船乗りの仕事は辞めろ」と言ったことがある。するとあかりが「私のために淳之介の夢を諦めさせることはできない。私は海で生きている淳之介さんが好きなんです」と感動的な反論をして話は収まってしまった。今回も同じ台詞を吐きそうだが、子供を2人生んでいるのであかりも守るべきは淳之介の夢よりも2人で築いてきた家庭になっているのではないだろうか。
「それでも社長から派遣命令が出れば拒否はしないよ。お父さんの息子が臆病者や卑怯者になることはできないからね」「ここは玉城美恵子の息子になりなさい」「馬鹿野郎」私の茶化したような返事に淳之介は軽い罵声を口にした。
「1つ、注意しておく」「はい」「中国軍は自国や味方の女性をレイプすると死刑だが、敵の女性は徹底的にレイプする。だからベトナム戦争に北側として参戦した時には何もしなかったが、昭和54年の中越戦争で侵攻した時には占領した村の女性を片っ端からレイプしたんだ。それはチベットや新疆ウィグルでも同じだ。若しもそのようなことになればあかりは心に救われようがない深い傷を負ってしまう。だから八重山が中国軍に占領されることがあればあかりを何としても守る手立てを考えるべきだろう」「アメリカ兵のレイプ事件は嫌って言うくらい聞くけど中国軍も同じことを姦んだね」淳之介の反応は沖縄の中学校で受けた反米反日親中の洗脳教育と地元マスコミ報道の影響だ。私は幹部候補生の2次試験を海田市の第13師団司令部で受けた時、呉線の車内で反核団体に包囲されて質問責めに遭ったが、最後にこちらから「貴方たちは当然、ソ連や中国の核兵器にも反対しているんですよね」と質問すると言葉に詰まり、苦しげな顔で「ソ連と中国はまだ使っていないから問題はない。むしろアメリカに3度目を使わせない抑止力だから必要だ」と答えた。淳之介が受けた洗脳教育でも沖縄で頻発しているアメリカ兵によるレイプ事件やベトナム戦争のソンミ村虐殺事件を実例として「凶悪なアメリカ兵は女性をレイプする」とだけ教育しているに違いない。そこまでで生徒たちは「正義の中国軍が犯罪を働くはずがない」と思い込むと言う寸法だ。
「中国軍のレイプは自分たちが撤退した後も女性たちに妊娠の不安を与える心理戦の部分があるが、韓国軍は占領地とは言わず朝鮮戦争では共産主義者狩りに入った村で手当たり次第にレイプしてから皆殺しにしている。ワシが知る限りでは世界で最も残忍な兵隊は韓国軍だな」「でも今度は韓国とも戦争になりそうなんでしょう」「そうだな。北も加わるだろう」私の補足に淳之介は絶句してしまった。本当はウクライナ侵攻の裏取引でロシアが加担する可能性も考えているのだが、沖縄までは影響がないはずなので黙っておいた。
「家族は首里に預けた方が良いかな。問題は恵祥の学校だ」淳之介の独り言で日本国内の緊張の度合いが理解できた。前線になる危険性が高い沖縄県でも住民の避難については全く手をつけおらず、学校教育も現状維持のようだ。尤も、茶山元3佐から届く定期便の新聞でも「戦争の危機」を明言した記事は見当たらず、外交的解決を主張しているだけだ。本来はオランダで預かってやりたいのだが、新型コロナ・ウィルス感染症の渡航制限が解除にならないと難しい。
「そろそろ帰らないとあかりが心配するぞ」「そうだね。勉強になりました」「絶対に志願はしないように」「はい、玉城美恵子の息子になります」気がつくとかなりの長電話になっていた。淳之介の自家用船では雲島まで1時間弱かかるから帰宅すれば8時を過ぎてしまう。
  1. 2022/03/29(火) 15:42:31|
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3月29日・トシオ・ナカヤマ初代ミクロネシア大統領の命日

2007年の明日3月29日はトシオ・ナカヤマ(中山利雄)初代ミクロネシア大統領の命日です。この名前でも判るように日本人の息子です。
ナカヤマ大統領の横浜出身の父親は親戚が経営する貿易会社で働いていて大正11(1922)年にグアム島の駐在員として派遣されましたがトラック島に滞在中に会社が倒産したため日本が第1次世界大戦で連合国側に加わった恩賞でプロシア=ドイツから獲得した南洋群島で製糖業、水産業、鉱山開発を独占していた国策企業の南洋興発に就職しました。翌年にトラック島の北西の離島・ウルル島の酋長の娘と結婚しましたが、ミクロネシアは女系社会で娘の夫が後を継ぐため優秀な日本人を婿に欲しがる家が多く、同様の結婚をした子供たちからはミクロネシア連邦のイマニュエル・モリ第7代大統領、マーシャル諸島共和国のアマタ・カヴァ初代大統領とイマタ・カヴァ第2代大統領、ケーサイ・ノート第3代大統領、パラオ共和国のハルオ・レメリク初代大統領、トーマス・レメンゲソウ第2代・4代大統領、クニオ・ナカムラ第6代大統領などが多数輩出しています。
ナカヤマ大統領は昭和6(1931)年にトラック島で両親の6男1女の3男として生まれました。日本の統治時代の南洋群島には現地人5万人に対して日本人は8万4千人が居住し、道路や港湾、水道などの公共施設の整備や産業の育成と共に学校教育にも力を入れていたためトラック島でも日本人の子供が通う尋常小学校と現地人の子供が通う公立学校が並立していて父親が日本人だったナカヤマ少年は尋常小学校に入学しました。
ところが対米戦争が劣勢に陥るとハワイとフィリピンの中間に位置する南洋群島はアメリカ軍の攻撃対象になり、多くの島々で日本軍守備隊が全滅し、昭和20(1945)年9月2日に日本が降伏すると本州・北海道・九州・四国と周辺の島々以外の領土は植民地として放棄させられ日本人は強制送還されることになりました。ナカヤマ大統領の父親は英語が堪能だったため送還事業に参加し、残留を強く希望しましたが最終便で還ることになり、空襲で焼け野原になった日本に家族を帯同することは諦めて単身で帰国したのです。
その後、母の生まれ故郷のウルル島に戻りますが、「船乗りになって日本へ行き、父親に会いたい」と言う希望がつのり、アメリカ海軍が軍港を置いたチョーク諸島のウェノ島に学校を設置すると聞くと遠い親戚を頼って単独で渡航して、定員外だったため窓の外から授業を聞く聴講生として学び、やがて英語と数学に抜群の成績を上げるようになり、卒業後は中学校の教員、22歳からは信託統治政府の職員に採用されました。
そんな中、ナカヤマ大統領の向学心が父親を慕う気持であることを知ったアメリカ海軍の士官が訪日した時に父親を探して連絡する手筈をつけてくれたのです。そして信託統治政府の奨学金を受けてハワイ大学に進学して「国家建設」に必要な知識を吸収すると在学中の1957年に地方議会の議員に当選し、1961年に国際連合総会に出席した帰路、日本に寄って父親と15年ぶりの再会を果たしたのです。
ミクロネシアが1979年に連邦自治政府となると初代大統領に選出され、1986年に独立を果たすと新国家建設を指導して2期8年の任期を全うしました。
  1. 2022/03/28(月) 15:00:35|
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続・振り向けばイエスタディ77

「親父、いよいよ戦争になるみたいだ」事件当日の昼前に勤務中の私のスマート・ホンに淳之介から電話が入った。日本との時差8時間を考えれば淳之介も離島航路の最終便が終わって石垣港に戻り、自家用船で雲島への帰路についている頃だ。それにしても日頃は私の勤務時間は遠慮する淳之介が直接電話してくるのは只事ではない。
「今度は何があった」「沖縄県警の機動隊が毒ガスを使ったって中国が発表したんだ」「エラク唐突だな。事前情報を持っていないから理解できないぞ。経緯を説明しろ」私の返事に淳之介はオランダの住人は日本のニュースを見ていないことに気がついたようで、一呼吸置いた後に少し落とした声で説明を始めた。
「雲島で昼飯を喰っていた時、あかりが午前中のニュースで『尖閣諸島に中国の漁民が上陸した』って言っていたって教えてくれたんだ。それで午後に事務所で見た臨時ニュースだと中国が日本の警察が毒ガスを使って漁民を殺したって発表したんだよ。それで今やってるニュースだと中国共産党のトップが日本を懲罰するって言ったんだってさ」「前は韓国が自作自演の罪を日本に被していたが最近は中国に交代したんだな」「うん、航空自衛隊で失敗してからは海上保安庁が狙われて今度は沖縄県警だ。そう言えば今度も海上保安庁の巡視船が2隻撃沈されたみたいだよ」これで流れは判った。以前から確信している通り、韓国の前政権は北朝鮮と一緒に宗主国である中国に臣従し、その世界制覇戦略に加担することを決定した。その手始めが国際連合の常任理事国と言う立場に利用価値を認めている中国に代わって核兵器と弾道ミサイルの開発と実験を進めている北朝鮮と同様に日本との開戦を正当化する口実を造ることだ。勿論、中国資本が株式を独占したアメリカとヨーロッパのマスコミが全面支援して一方的な印象操作を展開し、在アメリカの移民団体を使って日本の犯罪的軍事行動を糾弾する世論を演出している。当然、アメリカの中央政界にも圧力をかけ、加倍政権のような強固な信頼関係を構築していない石田政権に疑惑の目を向けさせることに成功している。国際連合では事実上の同盟国=一蓮托生の巨悪としてロシアがウクライナ侵攻を擁護した恩返しの共同戦線を張り、安全保障理事会でも非常任理事国の日本を孤立化させているようだ。中国その下準備の熟成具合を見極めて次なる一歩に踏み出したに違いない。
「このままだと沖縄が戦場になりそうだよ。俺はどうしたらいいのかな」淳之介の声が深海に沈んだように重く暗くなった。確かに尖閣諸島は石垣市が管轄しているのだから市内で武力紛争が起きたことになる。ましてや海の男であれば距離感は実際の数字よりもかなり近く、海の彼方から銃声が聞こえてくるくらいの感覚だろう。
「中国軍は海上と航空の輸送力が脆弱だから大量な軍需物資の補給が必要になる離島での戦闘は避けたいはずだ。そうなると前にも言った通りアメリカ軍が駐留している沖縄本島と陸上自衛隊が配備されている宮古島、石垣島、与那国島、航空自衛隊のレーダー・サイトがある久米島は避けるだろう。問題はお前たちが住んでいる離島だが、島民を大きな島に疎開させることは地方自治体として当然の措置だ。そうなるとお前は大忙しだが国の防衛に参加するんだから頑張ってくれ」これは日韓の軍事的緊張状態が発生して以来、茶山元3佐からの定期便を熟読して情報を収集・分析する一方で淳之介とあかり、首里の安里家の両親、モリヤ佳織将補閣下とも電話でやり取りしながら考えた戦争のシナリオだ。惜しむらくは私が定年退官して制服を脱いだため在オランダ大使館の防衛駐在官・木村1佐は防衛秘密に属する情報を口にしなくなり、自衛隊の見解や対応は佳織が漏らす範囲でしか判らなくなったことだ。頼りの佳織も元通信幹部だけに秘匿装置が着いていない電話ではかなり口が堅い。
「離島の人たちを石垣島に避難させて無人島になったら俺の仕事がなくなるじゃない。そうしたら俺も海上自衛隊に入って一緒に戦おうかって思うんだ」思い掛けない淳之介の決意表明に今度は私が絶句してしまった。淳之介は自衛官の息子であり、体内に流れるシマンチュウの血に導かれて沖縄へ行ってしまうまで自衛隊士官夫婦の家庭で育っていたのだから今は船会社の社員でも普通の文民=民間人よりも強固な国防意識を持っていても不思議ではない。
「もうそんな話が出ているのか」「ううん、地元のニュースは加倍政権が沖縄県警を国境離島警備隊って言う軍隊にしてしまったって批判しているだけだよ。それからまた沖縄戦が起きないために戦争になったらアメリカ軍を追い出して大人しく中国軍を迎えようって言ってる奴もニュースに出ているね」どうやら淳之介は事務所のテレビでニュースを見ていて帰宅を遅らせているようだ。昭和16年12月8日に日本軍がマレー半島に上陸し、ハワイ真珠湾を奇襲攻撃して対米対英戦争が始まった時も禅寺では臘八接心で徹夜の坐禅を組んでいたと師僧=祖父から聞いたことがある。結局、開戦は国民生活とは無関係に決定されるものなのだ。
  1. 2022/03/28(月) 14:59:27|
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3月28日・日本人の愚かさの犠牲者・空閑昇少佐が自決した。

昭和7(1932)年の明日3月28日に第1次上海事変の激戦の中で重傷を負い、意識を失っていた状態で国民党軍に収容され、捕虜になったことを軍人だけでなく一般市民にまで口汚く誹謗された空閑(くが)昇大尉が生還後に訪れた現場近くで拳銃自決しました。
空閑少佐は明治20(1887)年に佐賀県佐賀市の竜造寺家の末裔で江戸時代には代々槍術指南役を務めた家柄で佐賀の乱に参戦した経験がある地方裁判所の監督書記官だった父親の長男として生まれました。
尋常高等小学校を卒業すると広島陸軍幼年学校、中央幼年学校を経て明治43(1910)年に第22期生として陸軍士官学校を修了し(同期には同郷の陸軍の恥・牟田口廉也中将やニューギニア方面軍司令官として降伏・自決した安達二十三中将、永田鉄山軍務局長を斬殺した相沢三郎中佐、水戸徳川家当主の徳川圀順少尉などがいます)、富山にあった歩兵第69連隊に配属されました。その後は北陸を中心に勤務し、昭和3(1928)年に少佐に昇任すると昭和5(1930)年に金沢の第7連隊第2大隊長に就任して昭和7(1932)年1月に発生した第1次上海事変に出征しました。
第7連隊は第1次総攻撃で江湾鎮方面の敵正面を担当しましたが、戦時歌謡「上海便り」にあるようにドイツ軍譲りの塹壕戦に慣れた国民党軍に苦戦し、そこで旅団長から「連隊主力は正面攻撃を継続しながら一部が北側から背後に回り、夜襲による挟撃」を命じられ、空閑少佐の第2大隊が背後に回ることになったのです。
この時、空閑少佐は4個歩兵小隊と1個機関銃小隊で夜襲部隊を編成し、身軽にするため弾薬は必要最小限、食料も現地調達として携帯せずに出発しましたが国民党軍は陣地を後方にも構築していて、夜9時頃に目標地点に到着したものの全周からの機銃射撃を受けて動けなくなり、月明りで記述した戦況報告に援護を要請して伝令に旅団司令部へ届けさせましたが正面攻撃を優先して黙殺され、空閑少佐は2月22日(正面では爆弾三勇士による鉄条網破壊が行われた)の朝に右肩から左脇に抜ける貫通銃創を負って意識を失い、代わって指揮を執った中尉も戦死したため夜になって空閑少佐に土をかけて仮埋葬し、予備少尉が形見として軍刀と拳銃を持って生き残った兵を指揮して撤退したのです。
ところが25日になって中国の新聞に「空閑少佐を捕虜にした」と言う記事が載り、3月16日の捕虜交換で帰還すると師団司令部内に幽閉し、軍法会議で処断するべく取り調べましたが軍規違反は全くなく隠蔽するしかなくなりました。そんな空閑少佐の病床には牟田口中佐などの陸軍士官学校の同期たちから自決を迫る電報や書簡が殺到し、金沢の留守宅にも噂を聞いた市民が押しかけ、投石する者が後を絶たない状態に陥っていました。
そして病床を離れた空閑少佐は3月28日に旅団司令部が用意した車両で連隊長が戦死した場所を参拜した後、随行者を下がらせて拳銃で自決したのです。それでも現地軍の中には「恥知らずは切腹もできないのか」と誹謗する中隊長がいたそうです。
ところが内地では爆弾三勇士の美談が飽きられ始めていたため一躍英雄に祭り上げられて靖国に合祀されたのです。この一件が日本の軍人から捕虜と言う選択肢を奪いました。
  1. 2022/03/27(日) 16:31:05|
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続・振り向けばイエスタディ76

「金城同志、ご苦労だったな」事件当日、金城事務官は浦添市の牧港漁港から出漁する漁船に乗って東シナ海を西に向かっていた。漁船には業者として沖縄県内に住んでいる中国人の工作員が同乗していた。金城が職場から姿を消したことで捜索が始まれば、探すのはプロだけに軽い依頼として那覇市内の派出所に手配が回り、経路が一車線の糸満漁港では移動中に発見される可能性がある。そこで交通量が多い那覇市から北上する国道58号線を私有車で移動したのだ。密航する漁船の手配を含む全ての準備はこの工作員が整えた。今頃、金城の私有車もナンバー・プレートを交換して中国系の中古車輸出業者に持ち込まれているはずだ。
「金城(ジンチョン)」久米島を通り過ぎた日中両国の中間海域で待ち合わせていた中国の漁船には職員旅行で知り合って以来、何度も沖縄で逢瀬を重ねてきた中国人女性・陳雅花(チャン・ヤーファ)が待っていた。陳は船上で両手を振り、全身で歓びを表現していた。
「雅花(ヤーファ)」金城は横付けした漁船に飛び移るのを待って抱きついてきた陳を受け止め、求められるままに口づけをした。40歳代の金城には家庭があり、同世代で専業主婦の妻がいる。陳は数年前の公務員労組の旅行で上海へ行った時のガイドだった。今までも北京や洛陽、万里の長城、南京などを旅行したことがあり、上海も2010年の国際博覧会に行っていたが、予定していた香港で民主化運動が激化して急遽変更したのだった。そのため2度目の参加者たちは若いガイドの陳の説明に興味を示さずに好き勝手な行動を取っていたが、警察署の職員である金城の注意には素直に従ったので何度も助けていた。そうして最終日の夕食後に陳は飲酒に誘い、酔ってアパートに送らせて肉体関係を持った。金城が結婚して20年近い妻とは違い、若く美しい陳の肉体に溺れるのにはこの一回で十分だった。その後は年に数度は沖縄に来て肉体関係を持ち、気がつけば沖縄在住の工作員を紹介されて、不倫関係の暴露を臭わせて指図を受けるようになった。今回は以前に要求された催涙ガス弾の画像に酷似した弾頭を手渡されて、それを出動する国境離島警備隊に供与するように命じられた。金城も国境離島警備隊が尖閣諸島に上陸した中国の漁民を逮捕するために出動したことは知っているが、その弾頭が何であり、何を目的に交換させたのかはあずかり知らないことだった。ただ、この逃避行の先には日本を超えた繁栄を続ける中国国内で陳との甘い生活が用意されているはずなのだ。
「そろそろだな」本来は漁網を収める船倉で陳を抱いていると突然、上蓋を開けて船長が声をかけてきた。漁網の上で仰向けになって金城に抱かれていた陳も今までの恍惚の表情が嘘のような冷たい目つきになり、腰を引いて挿入している金城の男根を抜いた。
「愛しのジンチョン、終わらせて上げられなくて悪いけど、ここが指定されている場所だから諦めてね。ここまでは夢を見させて上げたの。それも我が中国共産党が与えた恩恵よ」呆気に取られている金城を押しのけた陳は立ち上がって下着をつけ、脱いであったワンピースを頭からかぶって一瞬にして服装を整えた。それを待つように2人の漁民が下りてきて手際よく金城の両腕と身体を紐で縛り、甲板から斜めにかけた長い板の上を滑らせて引き上げた。見回しても甲板からは陸や船影が視界に入らず全ては海だった。
「愛しのジンチョン、お別れね。我が中国共産党のために働いてくれて謝々你(シェシェ・ニン=どうもありがとう)。御褒美にキスしてあげる」いまだに事態が理解できてない金城に陳は凍りつくような冷たい笑顔で声をかけ、頬を両手で挟んで口づけしてきた。それが終わるのを待って船長が声をかけてきた。顔には皮肉な笑みを浮かべている。
「もう1つ教えて上げよう。君が我が中国共産党のために果たした貢献により、日本国沖縄県警国境離島警備隊は釣魚群島に上陸していた漁民20名を毒ガスによって殺害し、その懲罰として我が海警の警備船・定遠による砲撃で全滅し、同時に海上保安庁の巡視船2隻も撃沈された。これにより我が中華人民共和国は国際連合安全保障理事会に懲罰動議を提出し、日本への軍事行動を常任理事国としての正当な懲罰行為とすることができる。これで君が生まれ育った琉球も中国の支配下に戻るのだ。トゥーファー(祝賀=おめでとう)」この台詞が合図だったようで背後に立っていた漁民が蛮刀で首を斬りつけた。
ブシュッ、シュー。頸部大動脈と一緒に気管支も斬られた金城は噴出音と共に血飛沫を撒き散らしながら倒れ、手足が痙攣を始めた。その時、陳は服が汚れないように距離を取り、漁民が額を蹴って死んだことを確認するのを好奇心一杯で注視していた。
「これだけ血を吹けば遺骸は鮫が処理してくれるでしょう」「先ほど豚の血を撒いておきましたからすでに集っているはずです」漁民2人は金城の遺骸の足と両脇に手をかけて持ち上げながら雑談を交わした。実際、2人が遺骸を海に投げ込むと大型の鮫の背ビレが集り、沈まない金城の遺骸に喰らいついて引き千切った。これで実行犯=証人は存在を消した。
  1. 2022/03/27(日) 16:29:39|
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やはり今の日本人は駄目だ!成人年齢の引き下げ騒動

少年法の改定に伴い2022年4月1日から成人年齢がこれまでの20歳から18歳に引き下げられ、被保護者である高校生にも成人としての権利が与えられることになりますが、その議論を見ていると平成の30年間で腐った日本人の馬鹿さ加減が見えてきます。
先ず成人と言えば飲酒や喫煙が解禁されるはずですが、医療関係者から「若年層の飲酒は記憶力を劣化させ、馬鹿になる」と反対の声が上がっています。この医療関係者たちはアルコホールが脳や内臓に与える影響だけで「飲酒は百害あって一利なし」「喫煙は万病の元・社会悪」と断定しているようですが、適度の酔いはストレスの解消に絶大な効果があり、頭が痺れて遠慮がなくなった会話は人間関係を濃密にすることを知らないのでしょう。そもそも飲酒は高校卒で就職すれば職場で、大学に進学すれば部活動で18歳から教えられて鍛えられるのですからこの医療関係者は社会の実情が視界に入らないか、未成年の飲酒と喫煙を犯罪として厳格に取り締まるべきだと考えているのかも知れません。
また選挙権も18歳に引き下げられるため高校生にも国家の命運を左右する投票行動が認められます。野僧の蒲郡高校は歴代生徒会長が蒲郡市長や国会議員、市会議員になるなど極めて政治性が強い校風で、学園紛争が吹き荒れた1970年代には校則の改定と生徒指導部の交代を要求する生徒の授業ボイコットが発生しました。そのため週に1時間のクラブ活動には「新聞を読む会」と言う図書室が取っている新聞を読みながら時事問題を語り合うクラブがあって野僧も所属していました。またフォークダンス・クラブには民主青年同盟(日本共産党の下部組織)の準会員が揃っていて風紀委員出身の野僧が生徒会役員になると「生徒会は労働組合のように生徒の要求を学校に突きつけて戦う組織だ」と生徒指導室寄りの野僧を批判しました。しかし、他の高校生と比べれば政治に強い関心を持っていた野僧も所詮は高校生であり、投票権を与えられても国政全般を考えて候補者を選択できたのかと言えば自信はありません。
安倍晋三政権の当時、特定秘密保護法や安全保障関連法の審議中にデモの先頭に立っていた女子高校生をマスコミは「現代のジャンヌダルク」と持て囃していましたが、実際は教師の「推薦で進学させる」と言う撒き餌に群がったに過ぎないのです。
また成人者から無作為な抽選で選ばれる裁判員の対象にもなるため文部科学省は裁判に参加するため学校を欠席することを特別扱いするように各都道府県教育委員会に通知したようですが、裁判員は日本の司法が判例や法令の規定を固執して国民感情からかけ離れた判決を下しているとの批判を受けて裁判に社会的通念を反映させことが目的なので、親の保護・監督を受けている高校生を加えることはその判断によって有罪・無罪・服役期間を決められ、人生を左右される被告と原告には到底受け入れられないことでしょう。そもそも災害や事故、身近で発生した殺人事件で悲惨な遺骸や負傷者を見れば「PTSD(心的外傷後ストレス障害)を起こす」とカウンセリングを受けさせている高校生に残酷極まりない証拠写真を見せることができるのか。
平成の30年間で日本人は老若男女・上下左右が本質を考える能力を喪失したようです。
  1. 2022/03/26(土) 15:35:12|
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続・振り向けばイエスタディ75

「どうやら沖縄県警内にも工作員が潜入していたようです」テレビの臨時ニュースよりも前に九州管区警察局から連絡を受けた西部方面総監は最高度の秘匿機能を有する専用電話で陸上幕僚長に事態の発生を伝えた。九州管区警察局としても日韓の武力衝突を独自に検証してきて、実際は韓国側の捏造であることを確認してからは中国が黒幕の侵略を前提とする対策を研究していた。ただし、それはあくまでも中国軍と韓国軍が九州・沖縄に上陸した時の主要施設の警備と要人の警護、治安の維持、何よりも住民の保護と避難であって警察が発端を作るのに利用されるとは思っていなかった。沖縄県警の国境離島警備隊の補給係だった金城事務官は部隊が空港に向かった直後に所在不明になり、家族にも行き先は判らない。
「とうとう口火を切ったな」「開戦ですね」すると陸上幕僚長は極めて冷静に答えた。東京大学出身の陸上幕僚長は統合幕僚長の勇退を受けて転任する予定だったが、「有事が迫っている間は組織を維持する」と言う防衛大臣の意向で留任している。
「これで安全保障理事会に懲罰動議が提案されれば可決しなくても中国は動くでしょう」「アメリカでは中国人華僑と半島系移民がワシントン、ニューヨーク、ボストン、サンフランシスコ、ロサンゼルスの主要都市で数十万人規模のデモを起こして日米安保条約の発動を阻止する準備が整っているらしい」総監の見解に幕僚長もニューヨークの非合法組織からの情報を加えて同意した。中国は本来、殲ー20が墜落した時に「航空自衛隊機が正当な理由もなく撃墜した」として戦争犯罪国の常任理事国に対する武力行使への懲罰動議を提出する計画だったのだが、航空幕僚長の先制的奇襲反撃に遭って頓挫したのだ。この時、在アメリカの中国人華僑と半島系移民の団体は事前に北京と平壌、ソウルから準備を指令されていて韓国国内で常態化している日本人女性に対するレイプを楽しむつもりだっただけに欲求不満が爆発寸前らしい。警察の取り締まりも中国資本が押さえたマスコミを使って「警察のアフリカ系市民に対する差別的逮捕がアジア人にも及んだ」と言う批判報道で阻止する予定だ。
「それで常任理事国さまは何処に懲罰を加えてくると考えているのかね」「以前、閣下から日韓有事の研究を指示された時、韓国の背後には中国がいると補足されましたから韓国と中国の協同作戦を想定しています」「まるで元寇だな」幕僚長の返事に方面総監が笑った吐息が受話器から聞こえた。敗戦後の日本の学校教育では在日の北朝鮮人は朝鮮学校に通っても韓国人は日本人と同じ教育を受けているため歴史でも日韓の対立や抗争については触れないようにしている。そのため文永11年と弘安4年の元寇では朝鮮王朝が呼応して対馬と壱岐島に上陸して島民を大量虐殺した史実は教えていない。
「あの時、中国は国内のデモだけではアメリカの軍事介入は抑え切れないことが判っているから世論を刺激しないために在沖縄米軍には手を出さないと言われました。私も同感でして幅広く研究してみた結果、琉球王国の最盛期には徳之島まで領有していたことが判りました。つまり徳之島以南の奄美諸島に侵攻することは中国の属領だった琉球王国の領土の奪還と言う侵略の正当化が成立するんです。それで島内での地上戦を避けるため海上の基地がある奄美大島と航空のレーダー・サイトがある沖永良部島を除いた島が危ないのでは」「なるほど・・・それなら徳之島が危ないな。輸送機が離着陸できる空港もない小島を取っても戦略的な意味はない。その点、徳之島であれば利用価値は高い」「なるほど・・・」今度は幕僚長が方面総監の同じ返事を笑った。緊迫の会話のはずだが常在戦場の自衛官にとっては単なる本番なのだ。
「しかし、徳之島に守備隊を配置する訳にもいくまい。守備隊を置けばそこを避けて別の島に向かうだけだ」「とは言え占領されてから水陸機動団で奪還するのも馬鹿げています。自分としては地理的に極めて不利で、住民の支持もない対馬は放棄して対馬警備隊を徳之島に配備してはどうかと考えています。他の小島を占領されても戦略的な影響は小さいはずです」方面総監はバウ両庁の見解を踏襲した。しかし、幕僚長の反論は次元が違った。
「確かに防衛上の影響は大きくはないが問題はマスコミの報道だ。今でも開戦責任は日本側にあると韓国や中国の発表を紹介する形で批判報道を展開して反日世論を扇動している。これで開戦となって対馬だけでなく奄美の島まで奪われたとなるとマスコミは日本に勝ち目はない。離島を見捨てたと戦闘が始まる前に早期停戦を要求するのは目に見えている」「なるほど・・・」再び同じ返事を繰り返しながら方面総監は日露戦争における満洲軍参謀総長の児玉源太郎大将の逸話を思い出した。日露戦争緒戦の沙河会戦で日本軍がロシア軍を撃退すると東京の陸軍首脳はマスコミに「辛じて勝ちを拾った」と語り、それが海外では「ロシア軍の戦術的退却」と報じられる結果になった。これを聞いた児玉大将は同郷の山県有朋元帥や桂太郎首相、寺内正毅陸軍大臣に宣伝戦に対する認識が欠落していることに怒髪天を突いたと言う。
  1. 2022/03/26(土) 15:33:47|
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この機会に世界平和のため悪の双璧を内部崩壊させろ!

現在、日本を含む西側各国はヨーロッパでは第2次世界大戦が始まっていた1939年11月30日にソビエト連邦がフィンランドに侵攻した歴史を再現したようなロシアのウクライナ侵攻に武力行使以外の支援として徹底的な経済制裁を加えています。
これはフィンランド軍と同じくウクライナ軍のゲリラ戦によってロシア軍を消耗戦に引き摺り込み、経済制裁によって継戦能力を尽きさせる戦略ですが、ロシアと共に国際連合安全保障理事会の常任理事国である共産党中国は「プーチン政権との関係は断たない」「積極的な仲介はしない」と公言して西側の制裁の効果を削ぐ経済援助を公然と行っているだけでなくウクライナの大統領が日本の国会議員へのインターネットでの演説で「アジアで初めてロシアへの制裁に参加してくれた」と感謝したようにアジア各国に首相や外相を派遣して西側に同調することを妨害しているのです。
共産党中国がこれほどアカラサマに西側と敵対したのは新型コロナ・ウィルスが開発中の細菌兵器だったとの疑惑も払拭できない中、十分な予防措置を講じることなく極めて多くの人民を春節で海外渡航させた責任を一切認めず、逆にアフリカや東南アジアにマスクやウガイ薬、殺菌石鹸に続き開発工程や効果・副作用の検査結果も公表しない独自のワクチン(おそらく細菌兵器の伝染予防剤として開発していた)の初回分を無料提供して次回からの購入を画策した態度にそれまでの企業買収を進めていたヨーロッパでは紳士的に振る舞っていた化けの皮が剥がれ、日本の安倍晋三政権の対中強硬外交の正当性があらためて認識・共有されたことを自覚したからです。実際、共産党中国は西側社会の関心がウクライナ情勢に向いているのを利用して南沙諸島の要塞化を進めています。
そもそも国際連合の常任理事国は第2次世界大戦における戦勝国のアメリカとイギリス、ソビエト連邦と国民党中国にフランスの5ヶ国であって体制が変わったロシアと共産党中国には資格がありません。また核抑止力を保持している言う意味ではソビエト連邦から悪しき遺産を引き継いだロシアとアメリカから技術を盗み出した共産党中国も該当しますが、そうなると共産党中国がチベットに配備した核兵器に対抗するために開発したインドとそれを自分向けと誤解したパキスタン、さらに共産党中国から資金と技術を供与されて核兵器と弾道ミサイル開発した半島の金王朝も加えなければならなくなります。
半分以上は虚構とは言え国際連合発足時の常任理事国は第2次世界大戦で世界秩序を守るために血を流した連合国の戦友であり、自分たちの正当性を維持するために東西に分断した国際社会の秩序の維持と言う一線を踏み越えることはありませんでした(武力侵攻は自分の勢力圏内に限定していた)。それに対してロシアと共産党中国は秩序を破壊する行為を繰り返すばかりで、常任理事国の地位を与えていることだけでなく現体制として存在していること自体が世界の破滅の原因になってきています。
この機会に共倒れを覚悟した上でロシアだけでなく共産党中国にも徹底的な経済制裁を加え、同時に両国内で大規模な暴動を発生させて体制そのものを崩壊に追い込まなければなりません。どちらも恐るべき監視社会ですが方法はあるはずです。
  1. 2022/03/25(金) 16:32:50|
  2. 時事阿呆談
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続・振り向けばイエスタディ74

「尖閣で化学兵器使用」「陸上自衛隊が提供?」中国共産党の緊急記者会見は夕刊には間に合わない時間帯だったが沖縄の地元二大紙と本土のA日新聞は詳細に掲載し、A日新聞に至っては帰宅時間の駅頭で夕刊から関連記事を抜粋した号外を配っていた。つまり中国から事前情報を受けていたことになる。一方、石田政権は事態が重大になれば対応が慎重になる癖を発揮して沖縄県警と第11管区海上保安本部の合同捜査本部が尖閣諸島に派遣した調査団の報告を待っていて首相自身による反論の記者会見は夕方のニュースの放送中になった。
「番組の途中ですが重大な臨時ニュースが入りましたので番組を切り替えます。中国外交部が中国共産党の声明として発表したところによると本日、午前10時30分頃(東京と北京は1時間の時差がある)、沖縄県尖閣諸島に上陸して電波灯台の設置を始めていた中国漁船の乗組員を排除するためヘリコプターで着陸した沖縄県警の国境離島警備隊が化学兵器、具体的には毒ガスを使用したとのことです」当然、テレビでもそれよりも早く臨時ニュースを流し始めたが、日本政府の反論がなければ中国側の大本営発表になり、韓国海軍のコルベットが海上自衛隊の対潜哨戒機と航空自衛隊の対領空侵犯措置機を撃墜し、竹島の警備隊が全滅した時の陸上自衛隊への疑惑の四の舞いにならざるを得ない。
「この3発のガス弾で噴霧した毒ガスを吸った中国漁船の乗組員20名が即死し、これを援護するため海上保安庁の巡視船2隻が銃撃を加える動きを見せたので中国海警の警備船が先制的自衛権を行使してどちらも撃沈、さらに島にいる警備隊に投降を呼びかけても応じないため戦闘準備と判断して艦砲射撃を加えて全滅させたようです。なお、警備隊は自衛隊が秘密裏に民間の製薬会社に市販の殺虫剤の濃度を人間が死亡するまで高くして製造させていた毒ガスを入手していた可能性が高いと中国側は示唆していました」ここでもA日新聞系列だけは中国が記者会見では発表しなかった具体的な内容まで「可能性」と断って解説していた。日本製の殺虫剤は外国製のような皮膚に触れれば炎症を起こし、吸引すれば呼吸系統に障害をもたらすような危険な毒素ではなく害虫を麻痺させて体内に吸収することで心機能を停止させる神経剤なので仮に化学兵器に転用すれば極めて有用なのだ。勿論、原子力発電用の核物質の核兵器への転用を監視する国際原子力機関=IAEAの査察を受けているように殺虫剤についても現在は1997年に発効した化学兵器禁止条約を受けて設立された化学兵器禁止機関=OPCWの厳格な監督指導を受けている。
「折角のヘリが見るも無残な姿になってしまったな」「機長パイロット3人は陸上自衛隊からの移籍だったでしょう。名誉の戦死ですね」海上保安庁のヘリコプターで尖閣諸島魚釣島に到着した合同捜査本部は直撃弾を受けて爆発・墜落・炎上した大型ヘリコプターの残骸と操縦席で焼け焦げているパイロットの遺骸を目の当たりにして愕然としたが、多くの同僚を失った悲しみにひたることなく調査を開始した。警察や海上保安庁のヘリコプターと巡視船は火器管制レーダーを探知する機材を装備していないため海軍のフリゲート艦を転用した中国海警の警備船が照準していたことに気づかなかったのだろう。実は中国が日本の調査を妨害するためヘリコプターを撃墜する可能性が否定できないため東シナ海上空でCAP(コンバット・エア・パトロール=戦闘空中哨戒)している航空自衛隊の戦闘機に低空飛行を繰り返しての威嚇行動を依頼していた。CAPの戦闘機は国籍不明機が接近すれば対領空侵犯措置に移行するため武装はしているが、発砲できないことは中国側も熟知しているはずだ。
「これなら連れて帰って棺に納めることができるな」「顔を下に向けているから綺麗なものだ」「ウチのヘリは小型なので巡視船に迎えに来させないといけませんね」飛び散った土砂や砂礫を被った警備隊員たちの遺骸は陸上自衛隊仕込みの伏せた姿勢を取っていたため原形を留めている。それでも破裂した砲弾の鉄片が全身に突き刺さり、火焔が背中を焼いていた。戦後の日本の戦争映画などでは砲弾の威力は火焔と爆風だけで、間近に着弾しても将兵が吹き飛んで見せるが、実際は砲弾内の炸薬が破砕させた鉄片が広範囲に飛び散って殺傷する。そのため第2次世界大戦までの統計上は戦場での死因の第1が砲弾の破裂であり銃弾の数倍に及ぶ。
「それにしても自国民の遺骸をここまで粉砕することに抵抗はなかったのですかね」「しかも砲弾は中国人漁民が倒れていた場所に集中している」「完全な証拠隠滅だな」最後に中国人の漁民たちが死んだ現場に行ったが幾つも地面を抉った着弾孔が残り、ところどころに四散した人間の身体が落ちている。調査団は毒ガス防護用の被服を着用し、マスクをはめているので死臭は感じないが、素顔であれば血の臭いが充満しているはずだ。
「これは弾頭じゃあないか」「そうだ。これで成分が検出できる」調査団の1人が石の割れ目で小型の赤い布切れを見つけ、慎重に拾い上げると金属製の容器、弾頭だった。
  1. 2022/03/25(金) 16:31:48|
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3月25日・サウジアラビアのファイサル国王が暗殺された。

ヒジュラ暦1395年の明日Raw=3月13日(キリスト教暦1975年3月25日)にサウジアラビアをイスラーム圏の盟主にしたファイサル・ビン・アブドゥルアズイーズ・アール・サワード第3代国王が甥の王子(サウジアラビアでは息子よりも兄弟に王位継承権が優先するため甥も王子になる)に暗殺されました。
ファイサル国王はキリスト教暦1906年にアブドゥルアズイーズ・ビン・アブドゥルラフマーン・ビン・ファイサル・アル・サウード初代国王の3男として生まれました。3男と言っても生母はイスラーム教の高名な指導者の子孫でしたから36人兄弟の中でもかなり上位に位置していました。
若い頃に部族を率いてアラビア半島統一の戦いを繰り返していた頃の姿は映画「アラビアのロレンス」で描かれていますが、1925年に19歳にして半島西部のヒジャーズ王国に勝利したため占領地域の知事に指名され、1932年に父親が即位してサウジアラビア王国が建国すると外務大臣に就任しました。外務大臣としては1947年に国際連合が第2次世界大戦前のナチスによる大量虐殺を阻止しなかったことを利用したユダヤ人の要求によってパレスチナを分断してのイスラエルの建国を決議するとアメリカとの国交断絶を提言しましたが父王によって却下されています。
父王が1953年に崩御して次兄のサウード・ビン・アブドゥルアズイーズ・アール・サウード国王(長兄は1939年にスペイン風邪で病没した)が即位すると首相に就任し、現在も実質的な憲法とされている「1、クルアラーンとクンナ(伝統的道徳)を国家の法律と行政の基盤とすること」「2、地方行政制度の確立」「3、司法省、最高司法会議の設立」「4、ファトゥー(イスラム法の勧告)公布局の創設」「5、言葉と行動によるイスラームの布教」「6、イスラームの精神に則った勧善懲悪」「7、医療・教育サービスの無料提供、低廉な基本食料品の提供、射界保健事業団の設立」「8、経済・社会開発の促進」「9、道路建設と水開発のプロジェクトの実施、重・軽工業の開発、石油・鉱物資源公団の設立」「10、奴隷制度の廃止と全ての奴隷の解放」の10ケ条を布告しました。
そして1964年からは健康上の不安を抱える兄王の摂政になり、1967年に譲位されて即位しました。国王としてはイスラームの戒律と近代化の両立を図り、女性の教育を解禁して女学校を設立し(男女共学にしなかった点が両立への妥協策)、1965年からテレビ放送を開始しましたが、イスラーム教原理主義者からの反発を買い1966年に甥の王子がテレビ局を襲撃すると国王はアンテナに登った王子の射殺を命じています。
また1969年にイスラーム諸国会議機構を設立してイスラーム社会の盟主となる一方で1974年の第4次中東戦争ではイスラエルに与する西側諸国への石油の輸出停止を決定して経済に大打撃を与えて国際社会での発言力を強めました。
そんな偉大なるファイサル国王を暗殺したのはテレビ局のアンテナで射殺された王子の弟で、日頃から「怨みを晴らしたい」と口にしていたそうですが王族だけに警戒は緩かったようです。犯人の王子は6月18日にリヤド市内の公共広場で斬首されました。
  1. 2022/03/24(木) 15:17:16|
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続・振り向けばイエスタディ73

「本日の北京時間の午前11時30分頃、日本国の沖縄県警の武装警察隊が我が国固有の領土である釣魚群島に船舶の航行の安全を確保するための電波信号の発信機を設置し、勤務員の宿泊施設を建設していた漁民20名に対して化学兵器と思われる攻撃を加えて全員を殺害し、同時に日本の海上保安庁の巡視船2隻が海警の警備船・定遠を銃撃してくる兆候がみられたので先制発砲して撃沈した。また武装警察隊も投降を呼びかけても応じないため艦砲射撃により壊滅させた。日本国政府が前回の同様の事態を反省せずに国際法で禁止されている化学兵器を使用して多くの人民を殺害したことに我が共産党は最大の怒りを覚え、国際連合安全保障理事会の常任理事国である中華人民共和国として非難・制裁決議を提出する用意がある」沖縄県警と第11管区海上保安本部が合同捜査本部を立ち上げ、調査団がヘリコプターで尖閣諸島に強行上陸した頃、中国共産党は緊急記者会見を開き日本を批判する声明を発表した。
「沖縄県警が化学兵器を使った確かな証拠があるんですか」「これは海警の警備船・定遠が送ってきた事件の一部始終を撮影した映像です。先ずヘリコプターから下りた兵士たちは全員、防毒マスクを装着しています。これだけでも化学兵器を使用する準備と見て間違いないでしょう」日本人の記者の質問に報道官は用意していた動画の上映を始めた。それは定遠と呼んでいる警備船が近海から撮影した尖閣諸島に大型ヘリが接近し、着陸して後部扉から出てきた国境離島警備隊員たちが地上に展開するところまでの映像だった。
「間もなくガス弾を発射します」報道官は動画を映したまま早送りし、数人の隊員がガス銃を構えたところで通常の再生に戻した。すると圧縮空気の圧力で飛ばすため火焔は出ないが、ガス弾の黒い点が青空に射ち上がっていったのが判った。間もなく上空で赤い落下傘が開き、黄色い煙を噴き出しながら下りてきた。
「ここで注目してもらいたいのは海鳥です。この弾頭が噴出しているガスを吸った鳥が落ちていきます」報道官が解説した通り、落下傘をかすめるように飛んでいた白い海鳥が次々に羽ばたきを止めてもがきながら落ち始めた。
「この現象でも毒ガスであったことに納得してもらえると思います」この念押しに会見場の記者たちが一斉にうなずいたのを確認して報道官は満足そうに大画面に視線を戻した。
「このように地上に落下した弾頭からは大量の毒ガスが噴出しましたが、海風が吹いているため短時間で飛散しました・・・見て下さい。霧が晴れると我が人民たちが倒れています」ここで報道官は動画を停止して映像を拡大した。警備船の船橋からの超望遠による撮影なので映像は不鮮明だが、草むらに白いシャツを着た男たちが倒れているのは判別できた。
「どうやら日本の武装警察隊は毒薬の効果が薄まるのを待っているようです。それだけでなくヘリコプターを呼んでローターの風圧で吹き飛ばそうとしたのですが、それを援護するため巡視船が戦闘態勢に入ったので定遠が自衛措置として発砲しました。これは定遠から撮影した日本の巡視船の画像です。主砲をこちらに向けているのが判るでしょう。海戦の映像は後で見せます」報道官は用意周到に準備した2隻の巡視船の静止画像をテレビとは逆側に置いたスクリーンに投影した。確かにバルカン砲は警備船側に向いているが、プロが見れば警告射撃のために銃口がずれていることに気づくはずだ。しかし、残念ながら軍事的常識を持ち合わせない日本人の記者たちにはバルカン砲本体がこちらを向いていれば十分だった。
「日本の警察はどこで化学兵器、毒ガス弾を入手したと思いますか」気がつけば日本人の記者たちもこの一方的な説明を信じ切っていた。おまけに日本では記者会見での発表を記事にするだけなので取材能力が欠落していることまで自己申告している。
「一般的に化学兵器を保有しているのは軍とその研究所です。この武装警察隊は軍に代わって国境と離島の警備を担当しているようなので軍から移管を受けたのではないでしょうか」「自衛隊が化学兵器を保有していると言うことですか」この記者は馬鹿を丸出しにした。それを聞いている他国の記者たちは嘲笑するように冷ややかな視線を浴びせた。
「日本は民間企業に化学兵器の世界最高峰の研究水準と有数の生産能力を有しています。秘かに保有していても不思議はありません。実際、1995年の地下鉄サリン事件で軍病院(自衛隊中央病院と防衛医科大学校付属病院のこと)は極めて早く毒物がサリンであること解明しました。これは日頃から研究を進めている証左でしょう。現在の日本軍は731部隊の後継者ですから」報道官も日本人記者への教育に熱が入ったのか、説明が脱線と言うよりも飛躍してきた。ただし、どこまでも素人の日本人記者には民間企業が研究し、製造している化学兵器が市販の殺虫剤を指しているとは思いも寄らず、731部隊については名前も知らなかった。それにしても生物兵器=新型コロナ・ウィルスを開発・蔓延させた責任は誰も追求しなかった。
  1. 2022/03/24(木) 15:14:54|
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続・振り向けばイエスタディ72

「海鳥が落ちましたから・・・」「毒ガスか」「まさかッ」警部補は分隊長たちと確認できる状況を分析した。確かに上空まで射ち上がったガス弾が落下傘を開いてガスを噴出しながら降下してくる時、周辺を飛んでいた海鳥が次々に落ちていった。警部補も警察大学校のテロ事件の講義でオウム真理教による松本と地下鉄でのサリン事件の部内限定の証拠映像は見ているが、兵器としての使用にまで踏み込まなかったので、この現象が毒ガスによるものかは確信が持てない。それはベテランの分隊長たちも大差はないはずだ。
「しかし、ガス弾は正規に補給係から受領しましたから毒ガスにすり変わる可能性はありません」「ウチの機動隊は県知事や県庁職員に教員がデモ側に加わっているから遠巻きに監視するだけで催涙ガスを使用することはないんです。だから使用実績は訓練くらいでしょう」分隊長たちは都市部の県警の特殊急襲部隊=SATから移動してきた警部補に沖縄県警の特殊事情を説明した。実際、本土の都道府県警の機動隊では陸上自衛隊以上に大日本帝国陸軍式の神教育が行われていて反政府組織や活動家に対する明確な敵意を共有しているが、沖縄県警ではそれ程でもない。そのため在沖縄アメリカ軍基地の警備には本土から機動隊が派遣されていて、加倍政権が沖縄県警の機動隊を国境離島警備隊に改編するに当たっては隊員の職務能力や服務態度と同時に思想信条も厳選しなければならなかった。
「補給係は金城事務官だな。彼は労組に加入して・・・」治安の維持に当たる警察官は自衛官や海上保安庁と同じく労働組合は結成できないが、事務官は単なる地方公務員として自治体の労働組合に加入することが黙認されている。分隊長の1人がこの推理の糸口を口にした時、警部補の無線にパイロットから通話が入った。
「指揮官の本部への報告を傍受している。早急に現場から離れた方が良い。着陸するから準備していてくれ」「待て、現場検証を・・・」「緊急事態だ。行くぞ」パイロットは警部補の返事を遮って交信を打ち切った。警部補としては先ず倒れている漁民たちの状況を確認して人工呼吸や心臓マッサージなどの蘇生措置を施し、全員の死亡が確認された時点で同時大量殺人事件として現場検証を行い、原因が推理通りに毒ガスの散布となれば成分などの証拠物件を収集しなければならないと考えていた。仮に毒ガスであれば接近するのに防護服や密封式長靴、ゴム手袋が必要になるが、ローターの強力な風圧で地上に残っている有毒成分を吹き飛ばすのを待つべきかも知れない。何よりも着陸したヘリコプターで搬送するべき生存者の確認を優先しなければならなくなった。我が身の安全は二の次だ。
「各分隊長は隊員を指揮して倒れている人間の状況を確認しろ。生存者がいれば蘇生措置を講じなければならないが、地下鉄サリン事件では被害者が吐いた息に混入していたサリンを吸って駅職員が2次被害を受けている。したがって素手で身体に触れることは厳禁、マスクを外しての人工呼吸も厳禁、被服も被害者の身体だけでなく地面や草に触れないように細心の注意を払え」「はい、実施します」分隊長たちも警察官であり、人命救助を優先することに異存はない。何よりも今起こっている事態の原因は自分たちが発射したガス弾であることは明らかで、刑法211条の業務上過失致死罪の加害者となる可能性もあり、そうなれば5年以下の懲役若しくは禁固、または50万円以下の罰金が科せられる。当然、警察官は免職だ。そのためにも人命救助に最善を尽くす必要がある。
すると中国海警の警備船と海上保安庁の巡視船が航行している海域とは逆の空から大型ヘリコプター3機の爆音が響いてきた。上空で停止した1番機からパイロットの声が聞こえてきた。
「馬鹿野郎、何をやっているんだ。海保がガードしている間に逃げるんだ。搭乗隊形で集合しろ」パイロットの言葉に遺骸になった漁民たちまで数歩の距離まで近づいていた隊員たちは顔を見合わせた。警察官の命令絶対も大日本帝国陸軍並みだが、パイロットが警部であることも知っているので警部補の指揮官の命令とどちらを優先するべきかに迷ったようだ。
「日本国沖縄警察に通告する。お前たちは我が中華人民共和国の領土内で化学兵器を使用して漁民を殺害した。速やかに投降しろ、さもなくば・・・」突然、中国海警の警備船から大音響が響いた。海上保安庁の巡視船・おもととこみが撃沈された時と同じく最後まで言い切る前に前後甲板の主砲が火を噴いた。至近距離で並走している2隻はバルカン砲で応射する間もなく船の中央部に命中弾を受けて船橋が吹き飛び、舷側に命中した2弾目が燃料タンクを爆発させて前回と同様に短時間で海中に没した。
「着陸して退避」1番機のパイロットの指揮に2番機と3番機のパイロットが答えたが、操縦する暇もなく次々に砲弾が命中して全機が撃墜された。最後は警備船の魚釣島に対する船砲射撃が始まり、漁民の遺骸と生きている沖縄県警国境離島警備隊1個小隊の隊員を粉砕した。
  1. 2022/03/23(水) 16:04:04|
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続・振り向けばイエスタディ71

「我々は日本国沖縄県警である。君たちは我が国の領土である尖閣諸島に必要とする手続きを行わず上陸している。これは昭和26年日本国政令319号出入国管理及び難民認定法に違反する行為であり、那覇地方裁判所の逮捕令状の公布を受けている。これより島に着陸する。抵抗することなく我々の指示に従え」海上保安庁の巡視船2隻に両側から牽制を受けた中国海警の大型警備船は発砲することはなく沖縄県警の大型ヘリコプターは尖閣諸島魚釣島之上空で停止した。1番機からは指揮官の警部補がマイクで日本語と英語、中国語で通告を与えた。
「ウォーッ」「ワォーッ」「ガォーッ」すると案の定、日本の右翼団体が設置した灯台の横にアンテナを立てて台風でも高波を浴びない岩陰に電波発信機と建設資材を運び上げていた男たちは手に持った工具を突き上げて猛獣のような雄叫びを始めた。上空から確認すると接岸した漁船の中には数丁の小銃が見える。魚船に残っている者はいないので助かった。
「その工具でも他人に危害を加えることを目的に使用すれば凶器となり、日本国刑法208条3号1項の危険物準備集合罪の適用を受ける可能性が生じる」警部補は一般大学出身で中国語は第2外国語として選択していた。しかし、所詮は第2外国語なので講義は慣れない簡字体の読解と朗読が中心で状況の変化に応じた台詞を組み立てるほどの語学力はない。この通告も台本の朗読だった。当然、漁民たちが叫んでいる中国語は聴き取れない。
「これは危険だな。催涙ガスを投下して眼潰しした隙に拘束しよう。人数はこちらよりも少ないようだから数分で制圧できるだろう」警部補は操縦席に行くと下の状況を確認しながらパイロットと2人だけの作戦会議を持った。階級は警部のパイロットの方が上だが警部補が指揮官なので対等な会話になっている。
「しかし、目の前に中国の軍艦がいるんだぞ。催涙ガスの投下を攻撃と判断されれば砲撃を受ける可能性がある」「それでは地上に降りてからガス銃で発射することにしよう。ヘリは離脱して安全な位置で待機してくれ」「ラージャ」話が決まると警部補は機上無線で沖縄県警本部に状況を説明し、今決まった作戦を報告した。続いて各機の分隊長にガス銃の使用準備と防ガス・マスクの装着を指示し、さらに各機に1名を待機させ、漁民が漁船に逃れた時点で拳銃と弾薬を配らせる手筈も整えた。各分隊長はこれから着陸までの数分間で指示内容を伝達し、防ガス・マスクを装着させて点検し、ガス銃の射手を指定して用意をさせる。
「よし、着陸願います」「ラージャ」警部補の指示にパイロットは応え、漁民たちの作業現場と漁船の間の上空で正三角形の隊形を作っていた3機はその位置を維持したまま着陸した。その間に警部は防ガス・マスクを装着すると吸気口を押さえて強く息を吹き、内部の空気を出してゴム製の面と顔を密着させた。防ガス・マスクに付属している無線機の試験通話も終えた。
「降りたら即、ガス銃発射、他の隊員は発進準備」「了解、射手構え」ヘリコプターの側面の扉から下りた警部補は後部扉から一斉に飛び降りた隊員たちに号令をかけた。漁民たちはヘリコプターが接近すると強烈な風をモノともせず工具や建設資材の角材を振り上げて突進してきた。やはりヘリコプターに慣れた兵士のようだ。
プシュッ、プシュッ、プシュッ。横に展開してしゃがんだ隊員たちの中で立っている3人の射手がガス銃を発射した空気圧の銃声が響いた。ガス弾は天高く射ち上げられ、小さな落下傘が開くと黄色い煙を撒き散らしながら低速度で落ちてきた。成田空港闘争では千葉県警機動隊が過激派活動家たちが作った弓式投石器による攻撃を制止するためガス銃を水平射撃した結果、鉄製のガス弾が頭部を直撃して活動家が頭蓋骨陥没で死亡した事故があった。そのため警察ではガス銃を武器として取り扱うことは厳禁されているのだ。
「どうした・・・変だぞ」ガス弾が地面に落ち、漁民たちの姿が催涙ガスの黄色い霧で覆われても何の反応も起きなかった。通常は催涙ガスで目が開けられなくなり、その沁みるような痛みに耐えかねて悲鳴を上げ、鼻腔から喉、気管支を刺激されて呼吸困難になって激しく咳き込むはずだがこちらに向かっていた漁民たちの姿が霧の中で途絶え、気配さえ消えてしまった。
「小隊長、奴らが倒れています」「全員です。動いている者はありません」十数秒後、霧が背中から吹いてくる海風に流されて薄くなると姿勢を高くして前方を確認した分隊長たちが報告してきた。警部補が立ち上がって双眼鏡で確認すると漁民たちは走ってきた姿勢で折り重なるように倒れている。数人はもがくように地面で転がっているが意識はなさそうだ。
「何事が起こったんでしょうか」「こちらは何もしていません」「おそらく生存者はいないでしょう」分隊長たちは隊員に厳重な警戒を指示すると警部補の回りに集って来た。その時には動いている漁民はいなくなっていた。防ガス・マスクをはめているため臭いは確認できないが、催涙ガス特有の酢のような刺激臭が漂っていることに確信が持てなくなってきた。
  1. 2022/03/22(火) 15:01:27|
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3月22日・初代陸軍中野学校校長・秋草俊少将の命日

昭和24(1949)年の明日3月22日に市川雷蔵さん主演で昭和41(1966)年公開の映画「陸軍中野学校」では加東大介さんが演じた校長・草薙中佐(本人は細目だったものの雰囲気は似ていた)に当たる実際の初代所長=校長だった秋草俊少将が抑留先のソビエト連邦モスクワ州のウラジミール監獄で病没しました。54歳でした。
秋草少将は日清戦争が始まった明治27(1894)年に栃木県足利市で生まれ、幼い頃に東京の同族(=同姓)の養子に出されました。就学年齢になると陸軍の依託学生として東京外語学校で学び、卒業後はハルビンに留学して修了後は陸軍参謀本部、関東軍特務機関などの諜報畑で活動したようです。
ヨーロッパではナチスが第1党になってヒトラー政権が成立し、日本が国際連盟を脱退した昭和8(1933)年に正式にハルピン特務機関の補佐官に就任するとソ連情報の第1人者として日本陸軍の諜報活動を指揮するようになりました。しかし、当時の日本陸軍は第1次世界大戦を通じて軍事力に留まらない国家の全機能を動員する総力戦を学んだヨーロッパ諸国とは違い正規軍による通常戦しか頭になく、日露戦争でも明石元次郎大佐ほかの海外駐在員の諜報と工作が影で大きな力を発揮していたことは忘れていました。
ところが陸軍がナチス・ドイツに学ぶようになるとヒトラー総統が政権を奪取するまでに繰り広げ、政権を握ってからも続けている宣伝戦や諜報の絶大な成果に驚き、それに対抗するイギリスの防諜(MI5)と諜報(MI6)機関の実力を知り、さらに満洲や日本国内でもソ連の諜報要員の暗躍が確認されると岩畔豪雄(いわくろひでお)中佐=後の少将は「諜報謀略の科学化」と題する意見書を陸軍参謀本部に提出し、これを受けて遅れ馳せながら情報戦を遂行する専門要員の育成に着手することになったのです。そうして設立されたのが後の陸軍中野学校(名称は東京府中野区の電信隊跡地に所在したため)、当初は偽名として後方勤務要員養成所でした。秋草中佐は同様の任務を負っていた岩畔中佐や福本亀治中佐などと手分けして教育内容を策定し、教官要員の選定と依頼に当たりましたが、その中には先祖代々の甲賀流忍術宗家の当主も含まれていました。
その後、秋草大佐はヨーロッパでは第2次世界大戦が始まっていた昭和15(1940)年にドイツへ渡り、昭和17(1942)年には満洲と朝鮮半島の国境線を担当する第4国境守備隊長、昭和18(1943)年に少将に昇任して関東軍情報部長=ハルビン特務機関長を歴任しましたが、敗戦時には逃亡を勧める周囲を制してソ連軍に投降してシベリアを横断したモスクワ州のウラジミール監獄に収監されました。
ソ連は捕虜の人道的な取り扱いや階級相応の処遇を与えることを定めているジュネーブ条約を無視して多くの日本兵俘虜を酷寒と栄養失調、過重労働で殺しましたが、高級将校を軍内ブルジョアジーとして劣悪な環境に置きましたから秋草少将だけでなく昭和26(1951)年2月19日には加藤泊治郎中将(大正5年以来、憲兵一筋だったため処遇の違法性に抗議していたとも伝わっています=山口県出身)も同じ監獄で病没し、隣接する市民墓地に並んで埋葬されています。
  1. 2022/03/21(月) 14:43:10|
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続・振り向けばイエスタディ70

「デカ長は2012年8月15日に香港のテレビが上陸した時の待ち伏せに参加したんですよね」2番機では分隊長の巡査部長に若い隊員が話しかけていた。沖縄県警の機動隊は輸送用の大型ヘリコプターが配備され、本土から搭乗員と整備員付きで移動してきて2020年4月1日に国境離島警備隊に改編された。その時、指揮官の幹部警察官も本土からの出向者になったがこの巡査部長は沖縄県出身なので若い隊員たちも敬意と共に親近感を抱いていた。
「10年以上前の話だからな。あの時は中国国内でフェニックステレビを経営している香港の元人民解放軍幹部が愛国団体とカメラマンの5名を連れて上陸したんだ。俺たちは海保(海上保安庁)の巡視船で事前に上陸していて出入国管理法と難民認定法違反で現行犯逮捕したんだが、その模様を中国国内で放送されて大問題になったんだ。おまけに民政党の野畑内閣だったから外務省と警察庁の指示を受けた沖縄県警が悪者扱いされたよ」「海保が上陸して逮捕すれば良いのさァ」若い隊員は単純明快に反応した。これが世代なのか県民性なのかは判らない。
「海保の逮捕権の行使は基本的に海上なんだ、離島とは言え陸上だから俺たちに任せたんだろう。あの時点では沖縄県石垣市に所在する私有地だったからな」「上の人が決めることはヤヤコシイさァ」若い隊員の返事に巡査部長は十数年前に尖閣諸島に向かう巡視船の中で同世代の海上保安官と似たような会話をして同じ台詞を吐いたことを思い出して苦笑いした。しかし、あの時は社会的地位を持つ人間たちが逮捕される光景を中国国内で放送することが目的だったので殊更に無抵抗を演じていたが、今回は昭和63年に日本の右翼団体が設置して民法の規定で国庫に編入された照明式灯台に代わる電波発信機を設置して領有権を誇示することであり、今回は政府の指示で普通の警察官用の38口径の回転式弾倉の小型拳銃なので相手が船に軍用小銃を隠し持っていて抵抗すれば歯が立たない。
「俺、少林寺の道院に入ったことがありますが、突き蹴りが軽くって当たっても効かないっす。少林寺と香港カンフーは似ているって言うから沖縄空手の敵じゃあないさァ」「お前は上地流の2段だもんな」巡査部長の目が険しくなったのを見て別の若い隊員が天真爛漫に声をかけた。唐手=空手の発祥の地である沖縄に少林寺拳法を持ち込んだのは航空自衛隊で、隊員の部活動として那覇航空隊支部が設立された。すると映画「少林寺」が公開されたこともあり沖縄の若者たちが興味を持って入部するようになり、やがて隊員と同人数程度にまで膨らんだため基地外に豊見城道院が設置され、琉球大学内でも学生の部活動が始まって急速に普及していった。そうなると当然、地元の空手家たちは興味と対抗意識を抱き、白帯として入門すると組手=少林寺拳法で言う乱取りを要求したが、少林寺拳法では有段者になるまで乱取りは禁止されているため型としての練習で相手に胸や腹を突かせて威力を確かめることを繰り返した。この隊員もそんな郷土愛の持ち主の1人のようだ。
「中国海警に通告する。間もなく日本国沖縄県警のヘリコプターが着陸する。目的はあくまでも君たちを取り調べることだ。中国政府の主張は別として日本国及びアメリカなどの国際社会では尖閣諸島は日本国固有の領土であり、そこに許可なく立ち入った行為は警察権の行使対象になる」沖縄県警の大型ヘリコプターの接近を無線で通知された海上保安庁の巡視船・こみは島に運び上げた器材の組み立て作業を始めた漁民たちを守るように周回している中国海警の警備船にスピーカーと国際海洋周波数の通信で通告した。すると漁民たちは中国語の通告に反応して拳を突き上げながら何かを叫んだ。
「後甲板の主砲が上空を向きました。前甲板の主砲はこちらです」「そうか、向うは軍用艦艇だから武装は1つじゃあないんだな」巡視船・こみの船橋では副長が双眼鏡で確認した状況を報告し、一緒に双眼鏡を覗いている船長が今更のように応じた。
「こちらも機関砲を向けろ。ヘリを撃墜させてはいかん。発射の兆候を確認したら威嚇射撃しろ」「船首の前方50メートル付近に着弾させます」「よろしい、回避操舵で発砲を妨害しろ」船長の指示に甲板長を兼務している副長が応えた。つまり巡視船・こみは沖縄県警の国境離島警備隊員を乗せた3機の大型ヘリコプターを守るために武力行使するのであって、それが中国海警に応戦と言う発砲の口実を与えることは度外視しているのだ。今朝もこの海域に到着する前に僚船・いんぶと共に現場海域で撃沈された大型巡視船・おもとと中型巡視船・せなかの同僚たちの慰霊のために花束を投げてきたが、今は後に続く覚悟になっている。
「後甲板の主砲、目標を追尾しています」「初弾発射と同時に警告射撃、こちらに発砲すればブリッジ(=船橋)を狙って応射しろ」「了解、発射用意」巡視船・こみの武装は1分間に6000発の発射速度を持つ20ミリ多連装機関砲=バルカン砲だが軍用艦の主砲の威力とは比べ物にならない。主砲の初弾が外れることを期待して致命傷を与えるしかないのだ。
  1. 2022/03/21(月) 14:41:15|
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マスコミに騙されるな。今度の政権も反日だ!

韓国のマスコミと共謀して記録上は昭和6(1931)年に死んでいる吉田雄兎(通称・清治=福岡県芦屋町出身)が捏造した戦時売春婦=(いわゆる)従軍慰安婦の強制連行を国内外で大々的に広め、国際連合人権委員会で非難決議を採択させるなど「反日=亡国」を社是としている朝日新聞が主導する大手マスコミはあまりにもアカラサマな反日的言動に庇い切れなくなっていた文在寅政権が任期満了を迎えると国民の反感=反韓を鎮めるために記録的な接戦を制して当選した尹錫悦次期政権を「文政権とは違う」と喧伝するようになりました。
その根拠は尹次期大統領が反体制弁護士出身だった文大統領が自分の同士と言うべき法曹関係者を裁判官として配置したことに反発(したことが理由と日本のマスコミは解説している)して検察総長を辞職したことと今回の選挙に保守系野党から出馬したことですが、その大統領選挙への出馬を昭和7(1932)年4月29日に上海で行われていた天長節祝賀式典で演台に爆弾を投げて白川義則大将を殺害、重光葵後の外務大臣と野村吉三郎大将、植田謙吉中将に重傷を負わせた犯人・尹奉吉の記念館(韓国では伊藤博文初代朝鮮総督を暗殺した安重根と並ぶ英雄。同姓でも血縁関係はないようです)の前で表明したことを見ても下手をすれば文大統領以上の「反日」なのは明らかです。
今回の大統領選挙を日本のマスコミは保革対決と報じていましたが実際は文大統領と仲が好いか悪いかの違いだけで、文大統領の後継者だった対立候補が勝利すれば「日韓は最も近い隣国であり、友好は不変の普遍的国是」と強調した上で「韓国の反日感情の原因は戦前の植民地支配にある」と日本だけを断罪して安倍政権の外交姿勢を徹底的に否定し、逆に尹次期大統領が当選すれば選挙中の記者会見で「共通の歴史認識に立った友好を期待する」と表明していることを紹介して岸田首相に政治の師と仰ぐ宮沢喜一首相の屈服外交を強要して日本側からの全面的な歩み寄りを促すつもりだったのでしょう。
これまでも日本のマスコミは「拉致事件の被害者」として変に同情的・好意的に報じていた金大中政権が実際は親北朝鮮・親中の反米反日であることが明らかになると(本人は日本国内で拉致されたのは日本政府の黙認だったと逆恨みしていたらしい)、次の李明博政権を「保守派の実務型経済人」と言う前評判を立てて経済協力を推奨しましたが、日本で悪夢の政権交代が起きると経済力の復活はないと見て中国に擦り寄り、言われるままに告げ口外交を始め、挙句に現職大統領としては初めて竹島に上陸しました。また金大中から北朝鮮金王朝の臣下の座を引き継いだ盧武鉉政権の次の朴槿恵政権も日本を散々に利用した父親に倣うではないかと期待させましたが、経済力では日本を蹴落とした中国に寝返り、李政権以上の告げ口外交を展開しました。
しかし、反日一色だった文政権の国防部長官は海空陸軍の参謀総長の持ち回りで、このことでも韓国の陸海空軍はすでに完全な反日で固まっていて日本を仮想敵国としているのは間違いありません。今後は「迷惑な隣国」として警戒と防衛に心がけてなるべく関わらないように努め、アジアでもマトモな国と友好関係を結ぶことです。
  1. 2022/03/20(日) 14:46:00|
  2. 時事阿呆談
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続・振り向けばイエスタディ69

「副知事が命を失うような危険な業務に上原を選んだのは何故ですか」副知事が続いて県警本部長に電話をかけるとこちらは国家公安委員会=警察庁から連絡を受けていて即座に応諾した。副知事が電話を切ると待っていたかのように上原の直属上司に当たる監査委員が入室した。
「これは外交問題だ。相手の主張を聞きながら非を指摘することに習熟している監査の上原が適任だと考えたんだ。それに十分な事前調整をしている時間がないから臨機応変の対応が必要になる。その点でも上原は優れている」「副知事が上原を高く評価して下さっていることは有り難いのですが、上原には家族があります」これは副知事自身が悩んでいたことだった。警察官も妻帯者だけでなく独身でも親兄弟はあるがこちらは危険な職務を納得しているはずだ。その点、事務職として県庁に就職した上原にとって危険を前提にした職務は災害発生時の現場確認くらいだ。それでも副知事は詭弁に近い答えを返した、
「あくまでも外交交渉だ。それに県警の機動隊を護衛につける。危険とは限らない」「しかし・・・」「副知事、県労組の委員長が来ています」監査委員が言葉に詰まったところに秘書室の女性職員が声をかけた。すると副知事の答えを待つことなく県庁職員の労働組合の委員長が女性職員を圧し退けるように入ってきた。
「上原を釣魚群島に上陸した中国人民との交渉に派遣するそうですね」「そうだ。あくまでも外交交渉だ」労組の委員長は歩み寄ることなく机の前に立っている監査委員の背中越しに声をかけてきたので副知事は同じ返事をした。それにしてもこの労組の委員長は尖閣諸島を中国側の名称で呼び、国民とは言わず人民と呼んでいる。副知事は一瞬この人間に交渉を命ずれば友好的に解決するような気がしたが、それは大きな勘違いだった。
「釣魚群島を日本の領土だと主張しているのは内地の自民党政権だけで琉球人は中国共産党に返還するべきだと考えています。そうすれば琉球と中国の人民が漁業資源を共有分配できて平和的に解決するんだ。どうしても釣魚群島の占拠を継続したいと言うのなら日本政府が代表者を派遣するべきであって上原を含めて沖縄県が関与することには県庁労組として断固反対します」副知事としては上原に危険な任務を命じたことに抗議してきたのかと思っていたが尖閣諸島の領有そのものに反対しているらしい。その時、副知事の机の電話が鳴った。
「はい、これは知事」受話器を取った副知事の口から「知事」と言う肩書がでると流石に監査委員と労組の委員長も緊張した顔になった。
「上原の件ですか・・・はい、あくまでも県警だけで逮捕と強制排除を目的に対処すると・・・判りました」知事からの電話は今回の交渉は外交問題でありながら政府は上原の職務権限を明確にせず、失敗に終わった時の責任の所在も示していないため拒否すると言う政治判断だった。知事にも東京から連絡が入り、関係者から相談を受けているのかも知れない。沖縄県的には常識的な判断だが、副知事個人としては新型コロナ・ウィルス感染症への対応では本土の他の地域以上に手厚い支援を受けているだけに少なからず良心の呵責を感じた。
「余計な仕事が解除されたから迷わず任務を遂行しろ」1時間を要することなく那覇空港のヘリポートから飛び立った沖縄県警の3機のヘリコプターの機内では指揮官である警部補の小隊長が航空無線を使って部下たちに訓示していた。
「2010年9月7日に尖閣で巡視船に衝突した中国の漁船の船長は海軍の軍人だった。だから今回も漁民に化けた軍人と考えた方が良い。発砲してこなくても刃物を使って抵抗してくる可能性は高い」警部補の説明に機動隊員たちは緊張した顔でうなずいた。この頭の動きが揃っているところでも団体行動の練度が判定できる。
「鉄鉢(てっぱち=防弾ヘルメット)と防刃チョッキで保護されるのは頭部と胸部だけだ。したがって近接戦闘に慣れた敵は頸部を狙ってくるはずだ」今回は平和的に交渉に当たる県庁職員の警護を目的にして急遽編成したため防弾用ではなく軽量で動きやすい防刃チョッキを着用している。拳銃と弾薬は機内に残し、状況が悪化した時点で待機要員が配ることになっていた。
「漁民たちが暴れた時には催涙ガスで制圧するんでしたね」「そうだ。だからガス・マスクも携行しているんだ」警部補の返事に全員が腰に提げたガス・マスクを手で押さえた。
「しかし、無事に着陸できるんでしょうか」「海上保安庁の巡視船が撃沈されたじゃあないですか。相手は海軍の巡洋艦ですから対空戦闘も訓練しているはずです」「ウカーサン(危険)さァ」日頃は弱音や不安を口にしない機動隊員たちも戦闘の可能性を実感しているようで次第に表情が曇り、最後には最近はあまり聴かなくなった沖縄方言を呟いた。警部補とパイロットも出発時に尖閣諸島への接近と着陸に関する中国側の安全の保障は確認できていない。航空無線を使っているのは警部補だけなので1番機の機内だけに重苦しい空気が充満した。
  1. 2022/03/20(日) 14:44:50|
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3月19日・トルコが戦時下のイランから日本人を優先救出してくれた。

1985年の3月19日にイラン・イラク戦争の長期化・膠着状態に苛立ったサダーム・フセイン大統領が「イラク領空内を飛行する航空機を無差別に撃墜する」と宣言したことを受けてトルコ航空機が自国民よりも日本人を優先して救出してくれました。
イラン・イラク戦争は古代から戦火を交えてきたペルシャ帝国とアラビアが近代国家のイランとイラクになっただけの延長戦ですが、イスラム教のシーア派とスンナ派の教派対立も加わって化学兵器の応酬などの泥沼の様相を呈しただけでなく、さらにアメリカがイラン革命中のテヘランの大使館占拠事件の報復と宿敵のリビアがイラン側に参戦したことでイラクを支援したため意味なく長引き世界中をイライラさせる戦争になっていました。
そんなイライラが高じたフセイン大統領が1985年3月17日に突如として「48時間を期限にイラク領空内を飛行する航空機は無差別に撃墜する」と宣言したためイラク在住の外国人は自国が派遣した軍の輸送機やチャーター機で出国を始めましたが、日本は自衛隊機の海外派遣が認められておらず、当時は唯一国際便を運航していたフラッグ・キャリア(準国営航空会社)の日本航空は搭乗員の各労働組合が「安全の保証がない」と拒否したため流石の中曽根康弘内閣も打つ手がなくなりました。
この事態に在イラク日本大使館はイラクから脱出する他国の大使館に派遣されてくる輸送機やチャーター機の空席の有無を確認し、子供や女性だけでも割り込ませて欲しいと懇願しましたが、どの国からも「自国民さえ優先順位を付けなければならない状況である」と拒否されて途方に暮れていました。そんな時、野村豊大使が個人的に親しくしているトルコ大使に相談したところトルコ政府が派遣するトルコ航空(現在はターキッシュ・エアラインズ)のチャーター機2便に215名の日本人を搭乗させただけでなく、「トルコは地続きだから陸路でも脱出できる」と乗れなかった500名は自動車で脱出させたのです。
しかし、日本のマスコミはこの恩義や日本航空の搭乗員労働組合の在外邦人の生命を軽視した対応を国民に周知することなく、トルコから日本航空のチャーター便で帰国した日本人を被害者扱いしただけでした。これに対して日本の保守派言論人は「トルコ政府は明治23(1890)年9月16日に和歌山沖で台風に遭遇して転覆した巡洋艦・エルトウールル号を地元の漁師が嵐の海に漕ぎ出して救助し、家族が介護して69名を救った(587名が死亡)恩義に報いてくれたのだ」と日本航空の搭乗員労働組合を批判しました。
日本航空の搭乗員労働組合は管理職である機長まで独自の組織を結成していて売国省庁・運輸省の労組に与しているため処遇改善以上に政治的な運動を専らとして1990年の湾岸戦争でフセイン大統領が在留外国人を重要軍事目標に配置する「人の盾」を標榜した時も同様の要請を拒否しています。ただし、湾岸戦争では1986年から国際線に参入していた全日本空輸の自衛隊OBの機長たちが志願し、客室乗務員も同調しましたが担当の運輸省の官僚がフラッグ・キャリアの面子を優先して要請しなかったため外国の航空会社と破格の航空料金で契約することになりました。現在は航空自衛隊のCー2輸送機には110名搭乗できる上、Cー130Hと違って高速度なので迅速に対応できるでしょう。
  1. 2022/03/19(土) 16:48:57|
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続・振り向けばイエスタディ68

海上保安庁は警察と同様に「法令=正義を守る」と言う確固たる使命感を負っているため時として自衛隊以上に犠牲的精神を発揮する。中国の海警の一方的な砲撃によって2隻の巡視船が撃沈されて60名以上の乗組員が殉職しても翌日には2隻の巡視船を現場海域に派遣した。それからは2隻の船団で現場海域に到着すると配置に分かれる前に甲板に乗組員が整列する登舷礼で花束を投げて殉職者を慰霊することが習慣になっているがそれも一巡した。
「何を始めたんだ」現場に到着すると尖閣諸島では最大の魚釣島に数隻の大型漁船が接岸して資材を陸揚げしていた。立ちはだかるように主砲をこちらに向けた海警の警備船が低速度=微速で航行している。これも海軍の巡洋艦の転用船だ。
「日本国海上保安庁に通告する。現在、我が中華人民共和国固有の領土である釣魚群島(中国の尖閣諸島の呼称)の周辺海域の安全を確保するため照明式灯台と電波発信機を設置し、勤務員の待機所兼宿泊施設を建設している。当海域に接近すれば実力を以って排除する」今回も海警の警備船は大音響のスピーカーと国際海洋無線の周波数で日本語の通告を与えてきた。前回の事件では中国側の「巡視船が漁船に銃撃を加えたため緊急避難として応戦した」と言う一方的な説明にアメリカ海軍の対潜哨戒機からの情報を入手した石田政権も反論したが、国土交通省が独自の調査を進めないためマスコミが疑問を指摘し始めて、結局は一連の自衛隊と韓国軍の衝突と同様に「加倍政権下の強行外交の弊害」とする世論が形成されている。それを受けて中国は一歩一歩だった尖閣諸島の奪取を三段跳びに変更したようだ。
「これは外交問題だから上級者の判断を仰がなければならんな。本部に今の通告内容を転送しろ」今日は警備船を担当することになっている大型巡視船・こみでは船長が通信士に指示した。この「実力を以って排除する」が前回と同様の砲撃を意味する可能性は高い。あの事件の後の閣議では防衛大臣が国土交通大臣に海上における警備行動の発令を前提にした対潜哨戒機による同行警護と反撃準備を提案したのだが、検討を指示された官僚は軍との一体化を禁ずる海上保安庁法第25条を根拠に即座に否定した。
「中国による尖閣諸島の領有化は断固阻止しなければならない」この連絡を受けた石田政権では珍しく即座に方針が決まった。現在、自民党内では石田首相が韓国の新政権をマスコミが報じる保守派と誤解して対話による解決に執着して、結果的に日本を窮地に引き込んでいることに対する批判が湧き上がっていて政権基盤に震度7級の揺れが続いている。それでも国家安全保障会議を招集せずに外務大臣と国家公安委員長だけで対応を協議するところは石田政権だ。
「そうなると沖縄県警の国境離島警備隊を派遣して制圧しなければなりません」先ず国家公安委員長が具体的対応策を述べた。沖縄県警の国境離島警備隊は2020年4月1日に創設された警視庁のSATに相当する機動戦闘部隊だ。
「やはり迅速な対応が重要です。沖縄県の担当者を交渉に派遣して護衛として沖縄県警の警察官を同行させる。交渉が決裂すれば逮捕を前提に対応するべきでしょう。国境離島警備隊では前回の海上保安庁に続いて武力行使を目的に派遣したと言われかねません」外務大臣は元日中議員連盟の会長だけにあくまでも平和的解決を模索しているようだ。
「国境離島警備隊の派遣にはどのくらいの時間が必要なんだ」「派遣規模によりますが1個小隊程度であれば編成を取って那覇空港に移動すれば沖縄県警の大型ヘリで出動できます」「普通の警察官では危険だな。国境離島警備隊を軽武装で派遣しよう」石田首相の確認に国家公安委員長も渋い顔でうなずいた。問題は沖縄県、特に自治労が担当者を尖閣諸島に派遣することに応じるかと沖縄県警の機動隊に実際は人民解放軍の将兵が変装している漁民を逮捕するだけの能力があるかだが、そこは沖縄空手に期待したい(本土の警察は柔道と剣道の経験者が多いが沖縄県警は沖縄空手の方が多数派だ=警察官の体型が筋肉質)。
「上原さん、県警ヘリで尖閣へ行って下さい」「ニュースで言っている尖閣に中国の漁民が上陸した件ですね」政府の方針が決まれば立野官房長官と配下が手配する。石田政権もデジタル化を推進しているがこのような重大案件では電話で声を聞きながらの依頼になる。官房長官から電話を受けた沖縄県の副知事は執務室の壁に貼ってある幹部職員一覧表の顔写真を見ながら人選した。地方自治体である沖縄県には外交を担当する部署はない。日本のマスコミは訪米した沖縄県知事や派遣された県庁の職員が国務省や国防総省の担当者に在日アメリカ軍の問題を交渉しているかのように報道するが、実際は日本で言う陳情に過ぎない。
結局、副知事は胆力が座った監査委員室の上原に担当外で損な役回りを与えることにした。一歩間違えれば先日の海上保安官たちのように命を落とす危険性もある。日頃は反戦平和を唱えている副知事は部下に死地に赴く命令を下して軍人の気分を噛み締めながら電話を切った。
  1. 2022/03/19(土) 16:47:23|
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3月19日・空襲で国宝・名古屋城が焼失した。

昭和20(1945)年の明日3月19日の名古屋大空襲で昭和5(1930)年に24棟が城郭としては初めて国宝に指定されていた名古屋城が焼夷弾によって炎上し、本丸御殿を始め大天守、小天守、東北隅櫓、正門、屋根から下して避難させていた金鯱まで焼失してしまいました。
名古屋城は駿河の今川義元さんの父親の氏親さんが尾張に侵出する拠点として現在の城内2ノ丸の位置に砦を築いたのが始まりで、織田信長さまの父親の信秀さんが奪って整備して那古野(なごや)城になりました。しかし、尾張の領主の居城は清州城であり、その後、信長さんが稲葉山城=岐阜城を経て安土城に移ったため那古野城は廃城になっていました。ところが東照神君・家康公は4男・忠吉さんが尾張を与えられて清州城に入ったものの跡取りがないまま病没したため後任の9男の義直さまの新たな居城として名古屋城を築くことにしたのです。築城工事は加藤清正さん、福島正則さん、黒田長政さん、細川忠興さん、毛利秀就さん、前田利光さん、鍋島勝茂さん、加藤嘉明さん、浅野幸長さん、池田輝政さん、蜂須賀至鎮さん、金森可重さん、竹永重利さん他の20人の豊臣恩顧の大名に割り当てられましたが(最大の敵対勢力・島津さんは前年に沖縄に侵攻していたため外された)、軍資金を使い果たさせる目的があったとは言え仮想敵に城の内部構造まで知られることになり、これは家康公の天下人としての自信が為せる業だったのでしょう。また名古屋城はそれまでの城のように迷路や隠し門などは用いず城壁は直線で城内も広々としていますが、これは攻防戦が鉄砲によって行われることを想定した設計思想です。
そして大天守(名古屋城では「御天守」と呼んでいた)は五層五階・地下1階で天守台の19・5メートルと建物の高さの36・1メートルを合わせた55・6メートルは13階建てに相当し、向かいにある愛知県庁の39・79メートルを上回ります。また延べ床面積1338畳は後に建てられた江戸城=千代田城よりも大きく日本最大で、外観は鉄砲狭間(発射口)や石落としを隠し、千鳥破風を重ねて優美でも防御力を強化するため窓を小さくし、厚さ30センチの土壁と12センチの欅板で覆った最強の城塞でもあり、当時の建築技術の粋を結集したまさしく国宝でした。
名古屋には軍需工場が集中していたため(=現在も)昭和17(1942)年4月18日に航空母艦から発進したB-25爆撃機による日本本土初空襲でも2機が飛来して死者2名、負傷者31名が出ていて、昭和19(1944)年7月にサイパン島などのマリアナ諸島の日本軍が自滅して本土空襲が本格化すると同年12月13日から昭和20(1945)年4月7日まで7回にわたり執拗に空襲を繰り返しましたが、日本軍も迎撃戦闘機や高射砲部隊を集中させていて低高度からの精密爆撃は困難で、爆弾の命中精度が落ちることから焼夷弾を多用するようになってそれが名古屋城の焼失につながりました。
焼失後の名古屋城は小林橘川市長が「2度と焼失しないように」と鉄筋コンクリートで外観のみを再建しましたが、河村たかし市長が木造での復元を計画しているものの文部科学省が国の特別史跡になっている現在の模造建築物の撤去を認めず停滞しています。
  1. 2022/03/18(金) 15:55:58|
  2. 日記(暦)
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続・振り向けばイエスタディ67

「ここまで日本人を殺害している以上、韓国の戦意は固まっていると見るきだな」ここで本部長が口を開いた。今回の日韓の武力衝突の伏線になったのは2018年12月20日に韓国海軍の新型駆逐艦が海上自衛隊の対潜哨戒機に火器管制レーダーを照射したことだが、その後もマスコミが報じないだけで海空自衛隊に対する敵対行為は公然化していた。そんな中で大統領選挙が迫り、過去に例がない接戦になると前政権はコルベットに海上自衛隊の対潜哨戒機を撃墜しながら自爆させ、「攻撃を受けて撃沈された」と反日世論を扇動した。
「今回の韓国の大統領選挙を日本のマスコミは保革対決と報じていたが、実際は反体制派弁護士だった前大統領と仲が好いか悪いかの違いだけだった」「私は今度の大統領が出馬宣言した場所が上海爆弾事件の犯人の記念館の前だったことで実際は前大統領以上の反日だと推察したよ」「あの犯人と同じ苗字だけど子孫なのかな」「実際の孫娘は国会議員らしい」出席者たちも日韓問題には強い関心を持って同時に研究しているようだ。2022年の大統領選挙でA日新聞が主導する日本の大手マスコミは大統領選挙を機に次期政権に期待させる実態に反する情報を流布していた。しかし、左翼=親中親北朝鮮の金大中政権の次の李明博政権は「保守派の実務型経済人」と言う前評判だったが告げ口外交を始めた挙句に現職大統領としては初めて竹島に上陸した。同じく北朝鮮金王朝の臣下の盧武鉉政権の次の朴槿恵政権も日本を散々に利用した父親に倣うではないかと期待されたが、今度は経済発展を遂げた中国に擦り寄った。それよりも極左の前政権の国防部長官が海空陸の参謀総長の持ち回りだったことを見れば韓国軍内は完全に「反日」で固まり、舌舐め擦りしながら戦端を開く準備を進めていたのだ。
「それで戦端はどんな形で開くと思うかね」「・・・」本部長の重過ぎる質問に即答する者はいなかった。出席者たちもこの日韓の戦争を主題とする会合を重ねるごとに軍事の専門家でも最高位の将官や高級幹部課程の1佐教官として思索を巡らしているが、外部に漏らすことはできないため個人的見解の域を出ていない。するとやはり航空自衛隊が口火を切った。
「先ずは航空基地とレーダー・サイトの破壊からと言うのが軍事常識でしょう。日本海側の航空基地とレーダー・サイトにミサイルと射ち込むとしても運搬手段が問題です。航空機であれば空対地ミサイルと爆弾、艦艇であれば艦対地ミサイルと艦砲射撃ですが、我が国の防衛態勢を見ればどちらも空自と海自の迎撃を受けることになる。つまりいきなり戦闘開始です」1等空佐の見解に出席者たちは戦史の知識を呼び起こした。日本で出版されている戦史に関する書籍は執筆者の興味本位で論述されているため太平洋戦線であれば日米の海軍航空隊の攻防が前面にでるが、大陸戦線では将棋の局面のように部隊の動きを解説するだけで、蒋介石の国民党軍に参加していた元ドイツ軍や義勇軍のアメリカ人パイロットと日本陸軍航空隊の熾烈な空中戦に触れることは少ない。それは中東戦争やイラン・イラク戦争、湾岸戦争、アフガニスタン・イラク侵攻でも同様で、航空作戦が中心になっているのはバトル・オブ・ブリテンや旧ユーゴスラビア内戦でNAROが実施したデリバリット・フォース作戦くらいだろう。
「潜水艦で来られても大丈夫ですか」「ご心配なく。我が国の周辺海域で行動している潜水艦の所在と行動はほぼ完璧に把握しています。韓国軍もそれは熟知しているでしょうから緒戦で艦艇を失うような作戦は選択しないのではないでしょうか」航空自衛隊の独演会になりそうなので陸自の将官が海自の1佐教官に話を振ると自信に満ちた回答が返ってきた。
「しかし、海自と空自は燃料が切れれば戦争になるまい。シーレーン防衛は大丈夫なのかね」「それが問題です。石田政権は防衛出動の発令も遅れそうですから艦艇をインド洋に派遣するのは非合法になってしまう。海戦法に基づく正当な戦闘でも日本では違法行為にされる可能性が高い」この1等海佐の説明にモリヤ将補は夫が北キボールPKOで現地の暴徒を殺害したことで殺人罪の刑事告発を受けたことを思い出した。あれから夫は「自衛隊唯一の実戦経験者」と呼ばれていたが、このまま戦争が始まれば経験者は大量生産されることになる。
「しかし、最大の不安材料は現在の日本のタンカーを含む貨物船は船長以下の乗組員の大半は外国人、下手すれば全員が日本の船会社に雇われた外国人であることです。そうなると外洋で中国の艦艇の臨検を受ければその場で降伏して積み荷ごと連行される可能性が高い」「兵糧攻めか・・・我々は日干しになるな」「日本国内から日本人の船員をかき集めて外国航路に乗船させておくべきだな」1等海佐の意外な指摘に1等陸佐たちは素人として反応したが、モリヤ将補としては息子=淳之介が該当する提案だった。
「武力行使に限らず現段階でも在日の反日連合軍が駐屯地を包囲する抗議デモを繰り返しているだろう。あれが暴徒になれば駐屯地機能が破壊される危険性は高いぞ」「治安出動も遅れるんだろうな」個人的見解を披露しただけで敗戦気分が充満してしまった。
  1. 2022/03/18(金) 15:54:23|
  2. 夜の連続小説9
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3月18日・椎名悦三郎外務大臣の「番犬さま」答弁

昭和41(1966)年の明日3月18日の第51回国会衆議院外務委員会で現在も「番犬」答弁として引用されることが多い第1次佐藤栄作内閣の椎名悦三郎外務大臣と社会党の岡良一議員の日米安全保障条約における在日アメリカ軍の位置づけに関する質疑応答が交わされました。ここでは公式議事録第5号から脚色を加えず全文を紹介します。
岡議員「それではこの資料(=米ソの地下核実験の実施状況に関する資料)が手に入るものなら我々の重要な参考でありますからできるだけ提出を願いたい。ただしかし、新聞の伝えるところでばアメリカは公表されたものでも70回、またソ連は探知されたものでも5回以上と言うふうな数字が出ておる。おそらくそれは最低の数字だと思います。こう言う訳でこの部分的核停(=核実験停止)ができてもやはり地下においては新しい核兵器の開発が進められておると言う現状なんです。そのような悪循環を一体どうして断ち切るか、これが今日世界の人類に与えられた大きな使命でなければならぬ。特に唯一の被爆国である日本にとっては当然な権利とも言える。ところがこれを安易に現実に堕して、然もその現実と言うのは万一戦いが起これば廃墟にならなければいけない。こう言う核戦争、核報復力に依存する、そうして人命を守る、これでは私は政府の対策、方針と言うものは基本的に大きな内部矛盾を持っておるんじゃないか。唯一の核被爆国であれば、いわゆる核報復力、言葉を換えて言えば核抑止力、これらはもう紙一重なんです。こう言う日本が長崎やあるいは広島の大きな犠牲を払ったこの核兵器、これを日本の守り神として神の座につけておる。こう言う矛盾した政策、方針、態度と言うものが、一体、政府として国民に納得の与え得る姿勢であるかどうか、ここが私は問題にしたいところだ。それが正しい方法だと外務大臣は言われるのですか」
椎名外務大臣「核兵器のおかげで日本が万一にも繁栄しておりますと言うような、毎晩お灯明を上げて拝むと言うような気持では私はないと思う。ただ外部の圧力があった場合にこれを排撃すると言う、言わば番犬・・・と言っちゃあ少し言い過ぎかも知れぬけれど、そう言うようなものでありまして、日本が生きる道は自ず(おのず)から崇高なものがあって、そして自ら(みずから)は核開発しない。そして日本の政治の目標としては人類の良識に訴えて共存共栄の道を歩むと言う姿勢でございます。ただ、たまたま不了見の者があって、危害を加えると言う場合にはこれを排撃する、こう言うための番犬と言って好いかも知れません、番犬さまと言うことの方が。そう言う性質のものであって、何もそれを日本の一つの目標として朝夕拝んで暮らすと言うような、そんな不了見なことは考えておらんのであります」
岡議員「しかし、大臣の先ほど来言われたことは核兵器を神の座につけると言ったのに対し貴方はお灯明と言われたが、核兵器に日本の安全を依存せざるを得ないと言うことを認めておる。したがって依存しておる。こう言うことだけは間違いないでしょう」
椎名外務大臣「遺憾ながら現実の世界においては依存せざるを得ない。こう言うことであります」この議事録は空曹時代に師事した某新聞の編集長から入手しました。
  1. 2022/03/17(木) 19:33:51|
  2. 自衛隊史
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続・振り向けばイエスタディ66

在日アメリカ軍の対潜哨戒機パイロットとして沖縄の尖閣諸島海域で発生した中国海警による海上保安庁の巡視船の撃沈事件を目撃した志織中尉から連絡を受けたモリヤ佳織将補は翌朝出勤すると副官室で陸上自衛隊教育訓練研究本部長の出勤を待ち、その場で報告した。この日は定例化している週1回の陸海空会合の予定はなかったが本部長=陸将の一言で開催された。
「とうとう開戦理由を画策する段階になったか」「ニュースを見ていて海上保安庁から攻撃を加えたと言う発表は信じ難いと思っていたよ」「目撃したのがウチのPー1なら撃墜されたのかも知れないな」冒頭にモリヤ将補が事件の真相を説明すると出席者たちには怒りに近い興奮が湧き起こった。事件は昨夜のニュースから今朝の新聞でも大きく取り上げているが内容は韓国側の代弁者になっていた海空自衛隊の時とは違い中国側の公式発表と今回も遅れた日本側の反論を対比する形を取っていた。
「海上保安庁は警察組織だけに対応が慎重だな」「ウチの幕長は南西司令官が意見具申と一緒に電送した動画を確認して即座に緊急記者会見の実施を決定したが、海保は今朝までに制服組はマスコミに登場していないからな」あまりに重大な事態に出席者たちは心の準備を必要とするらしく場違いな雑談を始めた。確かに自衛隊で事故が起こればマスコミは制服組を晒し者にして謝罪させることを定番にしているが、警察では都道府県警の本部長は背広組の官僚のため新聞の写真やテレビで制服を着た警察官が指弾される場面はあまり見ない。現在の海上保安庁は長官も海上保安大学校出身の制服組だがマスコミの方に「名誉を傷つけてはならない」と言う遠慮があるのかも知れない。
「しかし、今回の事件では海保の大中の巡視船が2隻撃沈されて60名以上が犠牲になっているんだ。その原因が海保側にあると言う断定に現場が黙っているのは不可解だな」「それが旧運輸省なんだよ。あそこは共産革命戦士の国労や運輸労組の暗部を組織ぐるみで隠蔽することに熟練していたから今回も先ずは蓋をしようとするんだろう」「おまけに大臣がKM党の指定席でマスコミに追及されることがないから遺族さえ上手くなだめれば余計な問題に関わらないですむって発想なんですわ」海上自衛隊と航空自衛隊は運輸省時代から散々煮え湯を飲まさせられているので敵意丸出しだ。モリヤ将補もこの雑談を聞いていてパジャマ・ミーティングで夫から聞いた航空自衛隊時代に飲んだ煮え湯の話題と阪神淡路大震災で呉の海上自衛隊が艦艇に支援物資を満載して神戸港に入港しようとすると自治労と日教組を支持基盤とする神戸市長と港湾労組が「軍事利用は禁じられている」と反対し、それに運輸省の港湾長も同調したため姫路港に入港して陸路で運搬することになったことを思い出した。あの時、海上自衛隊は医官による診療とシャワーと浴室を開放して避難所生活を送る被災者を慰労しようとしていたのだがそれも頓挫した。しかし、被災者の支援よりも自分たちの政治信条を優先し、地上に被害が及ばないように脱出することなく殉職したパイロットたちを冒涜する旧運輸省の体質を引き継いでいる官僚たちが身内の犠牲に無関心なのは当然なのかも知れない。実際、運輸省=国土交通省は自民党の運輸族と結託して全国各地に新幹線と高速道路を張り巡らせながら「一県一空港」と称して空港まで乱造した結果、利用者を新幹線と高速道路に奪われて閑古鳥の大群が棲みついて鳴いているにも関わらず自衛隊基地への転用は頑なに拒否している。
「下手すれば中国に命じられて戦端を開く役を演じているんじゃあないのか」「自衛隊は空幕長の対応を模範として戦機を逃さなくなるから売国官僚が取り仕切る某省の下部組織にお鉢を回したと言うことだ」「それでは本題に入りますよ」雑談が妙に盛り上がり、過激=危険になってきたところで副本部長が遮った。
「つまり近い将来、韓国と共に中国が我が国に武力行使する公算がかなり高くなった、言い替えれば国連の常任理事国として旧敵国である我が国に武力行使する口実を作り始めたと言うことだ」「国内では全くそのような危機感はありませんが」副本部長の導入の辞に部長の1人が率直な所見を述べた。日本国内では日韓の武力衝突もマスコミが執拗に報じた「自衛隊内の反韓過激派の暴走」と言うことで方が付けられ時間の経過で水に流す国民性で話題にならなくなっている。石田政権も2022年のウクライナ侵攻でロシアに課した経済政策によって日本経済も大打撃を受けたことから外交や安全保障に関わることを禁忌とするようになっていて、現在の危機にも積極的に対応する様子は見られない。
「真珠湾の時、ハワイの太平洋艦隊はのどかに日曜日の朝を迎えていましたから奇襲とはそんなものでしょう」ハワイ生まれのモリヤ将補の一言で出席者は奇襲の本質を再認識した。モリヤ将補としてはジョージ・ワシントンがクリスマスの翌日にデラウエア川を渡河した独立戦争のトレントの戦いにしたかったのだが誰も知っていそうもないのでこちらにした。
  1. 2022/03/17(木) 19:32:26|
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3月17日・夫婦別氏(姓)を定めた太政官指令が出た。

明治9(1876)年の明日3月17日に夫婦別氏(姓)を定めた太政官指令が出ました。これは明治3(1870)年9月19日の平民が氏(苗字)を使用することの許可、明治8(1875)年の2月13日の氏(苗字)の義務化に続く運用上の決定で22年後の明治31(1898)年の旧・民法で夫婦同氏(姓)に改められるまで日本では夫婦別氏(姓)になりました。
現在の日本では夫婦が結婚後も職業を継続するようになって結婚によって姓が変わる側は保険証や年金などの煩雑な改名手続きが必要になる上、公私で関係する相手に周知しなければならず、それを「不平等だ」と感じる権利意識が強い人間が敗戦後の昭和22(1947)年に改定された民法でも夫婦同氏(姓)を維持したことを問題視する民事訴訟を続発させ、マスコミも特に女性記者が同調して批判を繰り広げています。
それではこの明治9年の太政官指令が時代を150年先取りしたものなのかと言えば真逆で、万事に西洋式を進める明治新政府内で中国の儒教式を持ち込むことに躍起になっていた山県有朋や旧公家たちが画策した愚挙でした。
この一派は通貨の単位でも江戸時代に260年間も用いられて国民が慣れ親しんでいた「両」と「文」を「円」と「銭」に変更しましたが、この「円」は中国の通貨単位で、現在の「元」は旧字体の「圓」は各数が多く貨幣への刻印が困難なため中国語の同じ音で略したものです。韓国の「ウォン」も漢字表記では「圓」ですが1948年10月9日に制定されたハングル専用法によって公的には漢字が使用できないので発音だけです。さらにモンゴルの「トゥグルク」から台湾ドル、間もなくなる香港ドルも漢字表記は「圓」です。
儒教では「人間は出自の氏(姓)を一生負っていくべきだ」と言う考え方なので結婚後も改姓することはなく、逆に同姓では近親結婚を疑われるので他人であっても避ける傾向があります。これは儒教が社会制度に投影されている中国や朝鮮半島、華僑世界のシンガポールなどで採用されていますが、東南アジアではヨーロッパの植民地時代や日本の占領下に民法が制定されたため夫婦同姓若しくはヨーロッパ式に正式なフルネームでは夫の姓と結婚前の姓を続けて名乗る併用制が一般的です。
しかし、日本では「(出自の)氏」と言う概念は家系・血統を誇示する上流階級だけのこだわりで、平民=庶民は「家」と言う生活単位を確立していたため(地主以上は姓ではなく屋号を用いていた)、そこに今更儒教の制度を押しつけられても納得できるはずがなく、役所への戸籍の届出はこの制度に従っても日常生活では誰も用いず、子供が生まれれば婚家の氏(姓)を名乗るため家庭内で妻=母親だけが別姓と言う奇異な現象が生起し、徴兵で夫が出征すれば公的文書は留守宅の妻宛てになるのでこの制度に対する疑問が批判に変わり、22年後の明治31(1898)年に「氏」を「家」の名称として人間関係ではなく同じ「家」で暮らす者同士として同姓を名乗る民法が制定されたのです。
敗戦後に改定された民法でもこの「氏」=「家」の概念は踏襲されていて結婚時の合意により夫婦の姓を選択できるよう極めて日本的に発展させています。
  1. 2022/03/16(水) 16:13:12|
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続・振り向けばイエスタディ65

「アメリカ海軍の対潜哨戒機パイロットからの情報です。中国が発表した日本のコースト・ガードの巡視船の撃沈は交戦によるものではなく一方的な砲撃によって発生しました。しかも中国側の警備船は塗装を換えただけのフリゲート艦でした」志織の説明を受けて梢は自分のパソコンでイギリスのマスコミが開設しているホームページの時事問題のサイトに書き込んだ。海上保安庁を正式な英語名のマリタイム・セフティ・エージェンシーではなく知らない間に自称するようになったコースト・ガード(沿岸警備隊)にしたのは私の助言だ。したがって夜の散歩は単独になり、私はジョギング以上の長距離疾走にした。
「対潜哨戒機のレーダーは中国の漁船が日本の巡視船の両側から異常接近を繰り返していたのを捉えていて、巡視船の発砲は停船させて衝突を回避しようとした自救行為に他なりません」今回の書き込みはここまでだ。インターネットは公式に反論しない日本政府に代わり世界のマスコミを掌握している中国の虚構が事実化するのを妨害することが目的なので一人でも多くの閲覧者を獲得することを優先した。勿論、最近は記者がインターネットで情報を収集して取材は状況確認だけに縮小している日本の民間放送ほどではないが、ヨーロッパのマスコミも自社のインターネットへの書き込みを投稿扱いしているので香港問題で中国に批判的になっているイギリスのマスコミが本格的に取材に乗り出してくれれば効果は絶大だ。
「そう言えばニンジンさんはウクライナ侵攻の時もこのサイトに投稿させたのよね」梢はサイトの受付を確認してパソコンの電源を落としながら数年前の出来事を思い出した。2022年2月にロシアがウクライナに侵攻した時、ヨーロッパのマスコミは両軍の圧倒的戦力差を根拠にロシア軍の早期圧勝を予測し、包囲された都市の陥落の時期を推理しながら難民の受け入れと武器・弾薬以外の支援物資の提供を呼びかけていた。ところが陸上自衛隊時代にゲリラ戦を研究していた私は「ゲリラ戦によって長期化する」と断定してこのサイトに「1939年のフィンランド冬戦争を学習せよ」「イギリスはソ連を連合軍としてフィンランドを孤立させた失敗を繰り返すな」と書き込んで少なからぬ反響を呼んだ。その影響だったのかNATO軍は支援物資に小型の武器や弾薬を混在させてウクライナ軍に送って抵抗を支援した。梢は私と内戦終結後のスリランカを旅して「義勇軍として佛歯寺を破壊したタミル・イーラムの虎と戦いたかった」と語っていたのを聞いているだけに「ウクライナの義勇軍を志願して、陸上自衛隊時代の研究成果を発揮しようとするのではないか」と不安だったらしい。
梢はテレビのニュースを点けて台所へ向かった。今日も一緒に夜の散歩に出かけるつもりだったので夕食の下こしらえはすんでいるが、志織が作った時間の余裕を活用して日頃は空酒(からざけ=酒のみ)の晩酌にツマミをつけようと思ったのだ。
「寝る前に淳之介に現地情報を取材したいけど今日は出勤ね。あかりで判るかしら」台所で冷蔵庫の中身を確認しながら梢は独り言を呟いた。日本との8時間の時差を考えればオランダの消灯時間の夜10時が日本の起床時間の朝6時になる。ただし、淳之介は垣島まで自家用船で出勤するから6時には海の上だ。視覚障害者のあかりに戦争の可能性を訊くのは不安を煽るようだが、ラジオのニュースは聞いているはずなので難しいところだ。
「今日は続報がないみたいね」結局、ツマミは自家製豆腐の冷や奴になった。私はⅠ型糖尿病なのでカロリーを多少上げても接種するインシュリンを増量すれば問題ないが豆腐くらいが丁度良い。冷や奴では調理を必要としないのでテレビを見るとイギリスの英語のニュースでは日中武力衝突の問題は取り上げていなかった。つまり両国政府も特別な動きを見せていないようだ。それにしても加倍政権の頃には即断即決で動き始め、現場の状況を見ながら補備修正を加えていた日本の外交が今は後手後手に回った上、間違った答えしか残っていなくなってそれを呑まさせられている。外務官僚は国家公務員なので政権が代わっても大幅な入れ替わりはないはずなのでこれは石田政権の体質の反映だろう。
「あの投稿に反応してくれると良いんだけど・・・勿論、日本政府もね」梢は私や時折、電話をしている佳織も戦争の危機を確信しているが、日本政府は気づいていないように見えることが苛立たしかった。考えてみればウクライナ侵攻の時、プーチン政権は国境付近にロシア軍を集結させている理由を大演習のためだと説明し、ヨーロッパ各国やアメリカも「まさか」と言う希望的観測で実際には放置していた。あの時は私でさえ「ウクライナ政府が停戦合意を放棄したことによる威圧と部分的占領はあるかも知れない」と語っていたが、全面的な侵攻までは予測していなかった。そのことを私は「護法天のお告げがなかった」と嘆いていたが、梢は「もうお役御免になったのよ」と慰めてくれた。梢としては今回の確信も外れることを願いたいが、現職の佳織も同様の判断なので覚悟を決めておいた方が間違いない。
  1. 2022/03/16(水) 16:12:05|
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