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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

5月1日・ナチスのゲッペルス宣伝大臣が一家心中した。

1945年4月30日にアドルフ・ヒトラー総統が妻の手を握りながら自決した地下壕に家族で移り住んでいたナチスのパウル・ヨーゼフ・ゲッペルス国民啓蒙・宣伝大臣が妻と6人の子供たちと一緒に自決しました。
ゲッペルス宣伝大臣は1897年にプロイセン・ライン州のライトで貧しくも敬虔なカソリックの家庭で兄2人と姉1人、弟と妹1人ずつの間の子として生まれました。4歳の時に右下腿の小児麻痺を発症して歩行障害者になったため近所の子供たちと遊ぶことができなくなり、家で辞書を読んで過ごす孤独癖の強い子供になった一方で学校では優秀な成績を収めるようになりました。そのため父親は苦しい生活の中、上級学校へ進学させることを決め、ボン大学や当時の習慣で複数の大学にも通って歴史、文学に美術、言語学などの幅広い知識を吸収して1922年にはハイデルベルグ大学から文学博士号を取得しました。
ところが当時は第1次世界大戦終結直後の深刻な不況で博士号を往かせる職が見つからず社会主義に傾倒するようになり、やがて国家社会主義ドイツ労働者党=ナチスに入党すると左派として活動しましたが、第1次世界大戦の敗北をユダヤ系財界人の裏切りとロシア革命に呼応した革命運動が原因と憎悪する支持者が大勢を占める中で滅多にいない知的な雰囲気と抜群の頭脳に感服したヒトラー総統に見出され、宣伝担当者としてナチスの党勢拡大・政権奪取に大きく貢献したのです。ゲッペルス宣伝大臣の宣伝手法はヒトラー総統を含む一般の政治家のそれが国民に好感を与え、理解を求め、説得することを基本としているのに対して刺激的な表現で関心を引き、時には挑発によって感情を乱させることで知らない間に同調させている魔術のような高度な心理戦術でした。
そんなゲッペルス宣伝大臣の結婚は社会主義者の巣窟になっていたベルリンでの党組織の立て直しに当たっていた頃、入党してきた女性と出会い、語学力と文章能力を重宝する間に恋愛感情が芽生え、前夫との間に儲けた長男と養子縁組した上で1931年12月19日にヒトラー総統を立会人にして式を挙げたのです。
その後は愛妻家として男女6人の子供を儲け、養子にした長男を含めた最高の父親として生活しますが、宣伝大臣と言う役職上、芸能人との接触が多く何度か浮気が発覚して危機を迎えています。するとヒトラー総統は相手の女優を別れるように説得し(応じないため追放した)、ゲッペルス宣伝大臣には「自らの政権の高官がスキャンダルで退陣することは望まない」と釘を刺し、妻には夫婦が一緒に生活するように指導して丸く収めました。まるで羽柴秀吉さんの浮気に怒る妻を手紙で巧みに嗜めた織田信長公のようです。
そんなゲッペルス宣伝大臣はヒトラー総統の自決を確認した後、「首相として降伏の交渉に当たれ」との遺言に背いて家族での心中を決意し、軍医と看護師に子供たちに麻酔薬を注射させて意識を失わせた上でシアン化剤を飲ませて死なせ、妻と2人で自決しました。遺骸はヒトラー総統夫妻と同じように火葬・埋葬されましたが同じように発見されて同じようにエルベ川に散骨されています。しかし、ゲッペルス宣伝大臣は戦争に反対し、ユダヤ人虐殺にも直接関与していないので死刑にならなかった可能性が高いと言われています。
  1. 2022/04/30(土) 15:21:02|
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続・振り向けばイエスタディ100

「予想通りだな」スリランカのコロンボ市内の高層ビルの屋上から望遠鏡でハンバントタ港の一角を占有している中国海軍の基地を確認しながら田島3佐は同行しているスリランカ陸軍のニサンタ少佐とディサヤナケ大尉に声をかけた。今回、田島3佐は横田基地からアメリカ軍の輸送機に乗り、フィリピン経由でインド洋に浮かぶイギリス領ディエゴガルシア島のアメリカ軍基地に到着した。そこからは在スリランカ大使館の防衛駐在官が手配したアメリカ軍基地に食材を納入する業者の船で潜入し、在外公館警備官時代に信頼関係を構築していたスリランカ陸軍の士官たちの協力を得て中国海軍の動向を探ってきたのだ。
「ヨーロッパでは親中傀儡と言われているラージャパクサ政権も中国軍の『内戦に参戦する』と言う申し入れは流石に拒否したんだが、戦費と武器弾薬は全面的に支援を受けざるを得なかったんだ」ニサンタ少佐が口にしたラージャパクサ政権は2005年から2015年まで9年間在任し、スリランカ内戦を終結させて英雄視されたが、独裁・強権的な政治姿勢が顕著になり、2015年の大統領選挙で閣僚だったシリセーナに敗北した。
「あの頃、貴官たちに中国の下心を説明したのは俺だろう」「実はイギリス軍の駐在武官秘書官からも同じことを言われていたんだ」ニサンタ少佐の説明に田島3佐は苦笑した。大佐の駐在武官ではなく大尉で同格の秘書官と説明したところは不妄語戒(=嘘をつかない戒律)を保つ佛教徒らしいが、やはりイギリスも中国の腹黒さは見抜いているようだ。スリランカ内戦の反政府ゲリラ=タミル・イーラムの虎はイギリスが植民地時代に紅茶農園の労働力として強制移住させたタミル人にインドが軍事訓練を施した上で武器を与えた事実上の間接侵略だったが、ヨーロッパの人権団体は「佛教徒の政府がヒンドゥー教徒の少数民族を迫害している」と一方的に断定して批判したため旧・宗主国のイギリスを含めて支援を得られず、そこにつけ入ってきたのが中国だった。田島3佐は交流を持ったスリランカ軍の中隊長クラスの軍人たちに中国が経済発展によって獲得した潤沢な資金で属国化を狙う国のマスコミを買収して親中国の世論を醸成する一方で教育界に投資して将来のエリートたちを毛沢東思想に洗脳する長期戦略を説明してきた。中国にとってスリランカは中東からの原油の輸送航路と事実上の植民地であるアフリカとを結ぶ海上交通網の制海権を確保する上でのタイ、シンガポールと並ぶ拠点であり、獲得するためには手段を選ばず、金に糸目をつけなかったのは至極当然だった。
「しかし、あの軍港はラージャパクサ政権が終わった2017年に建設を始めたんだろう」「そうだ。シリセーナ政権が99年間の貸借契約を結んだんだ。シリセーナは日本やヨーロッパに復興支援を要請したんだが、例の人権弾圧問題で世論の反発をおそれて黙殺されたよ」「日本の加倍政権はインドとのクアッドの創設を優先したんだが・・・」田島3佐の答えにニサンタ少佐とディサヤナケ大尉は揃って苦虫を噛み潰した。田島3佐はシリセーナ大統領が2018年に来日した頃にはスリランカで勤務していたが、加倍政権は中国の一路一帯戦略に対抗するためアメリカと日本にオーストラリアとインドを加えた4カ国戦略対話=クアッドの創設を推進していてインドと対立しているスリランカに過度な肩入れはできなかったと防衛駐在官や親しい大使館員から説明を受けていた。
「それにしても中国はここでも万全な保全体制を確保しているんだな」協力者である2人の表情が険しくなったので田島3佐は潜入して以来、見聞してきたハンバントタ港内の中国海軍の基地の情報を評価した。すると2人も別の怒りを眼に浮かべた。
「ラージャパクサ政権はハンバントタ港の拡張整備事業で我が国の機械工業や建設業界にも多額の資金が落ちると説明を受けたんだが、それは既存の港湾施設の整備だけで軍港の増設工事には中国の企業を連れてきて建設資材から労働者まで一切関与できなかった」「それどころか現在も中国人の関係者は軍港内で生活していて外部と接触しない」「おまけに艦の燃料や消耗品も中国本土から運んで来て我が国では調達しないんだ」ここでは2人が交互に「熱弁」を奮った。その熱源は中国への敵意だけでなくまんまと術中にはまったスリランカ政府、中国の狡猾な情報戦術に共謀したヨーロッパと日本の人権団体に対する怒りだろう。
「中国は日本にある大使館や領事館でも同じことをやっているよ。大使館や領事館ではお茶汲みまで日本人を雇わないで在日中国人を採用している。その徹底的な隔離を新型コロナで発揮しなかったのは許せんがな」田島3佐はこの任務を命ぜられる前に日本国内で要人を籠絡するハニー・トラップの中国大使館の女性職員を処理したので内情には詳しい。あの時、警察の担当者は「中国やロシアはハニー・トラップを常習化しているだけに対策も万全だ」と半ば感心したように説明したが、今回の「開戦後に軍港内で中国艦艇を破壊する」と言う任務では実行手段がないことになる。兎に角、世界最悪の隣人に喧嘩を売られてしまった。
  1. 2022/04/30(土) 15:19:44|
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4月30日・アドルフ・ヒトラー総統が自決した。

1945年の明日4月30日にナチス・ドイツのアドルフ・ヒトラー総統が地下壕内の自室で結婚して40時間後の新妻・エヴァと共に自死しました。その顛末は映画「ヒトラー・最期の12日間(ドイツ語の原題『Der Untergang』の直訳は『失脚』『没落』)」を見ればリアルに理解できるでしょう。
ヒトラー総統は1889年にオーストリア=ハンガリーでオーストリア大蔵省の守衛の父親と住み込み家政婦の母親の息子として生まれ、第1次世界大戦後の1920年2月24日に自分の政治団体を国家社会主義ドイツ労働者党=頭文字の略称・ナチスと命名して以来、虚実真偽不明の活動を経て1932年7月の国政選挙で第1党になり、1933年11月30日に首相に就任しました。
それから革新的な経済政策を打ち出して経済を急激に回復させて国民の窮状を救った功績で1939年1月にはノーベル平和賞候補に推薦されましたが、実際は国力を再軍備に注ぎ込んで同年9月1日にソ連のスターリン書記長と共謀してポーランドに侵攻して第2次世界大戦を勃発させました。ところがスターリン書記長の東欧=ヴァルカン半島侵出に第3インターナショナル=世界共産革命の危険性を察知して1941年6月22日にソ連に侵攻しましたが、ナポレオン皇帝と同様に広大な国土に引き込まれて伸び切った補給線を遮断され、燃料・弾薬が欠乏した部隊が各個撃破されると劣勢に転じ、西部戦線では1944年6月6日のノルマンディー上陸作戦でアメリカ・イギリス軍が反抗を開始して1945年4月11日はベルリン西方100キロのエルベ川に達していて4月18日にはルール地区守備隊の将兵32万5千人が降伏しています。一方、東部戦線でもソ連軍はポーランド全土を制圧し、ハンガリーからの原油を遮断してベルリンを包囲し、56歳の誕生日である4月20日にはベルリンがソ連軍の砲撃を受け、4月21日の夜にはソ連軍の戦車部隊が郊外に現れ、いよいよ侵攻が迫っていることを実感させられました。そんな追い詰められた状況の中、最も信頼していたハインリッヒ・ヒムラー親衛隊全国指導者が独断でイギリスと降伏交渉を行ったことが発覚し、ヘルマン・ゲーリング副総統が政権移譲を迫ったことでヒトラー総統も敗北を自覚し、軍医に確実に死ねる方法を訊ねると「毒薬を服用してピストルでコメカミを射つ」と説明してシアン化剤を処方されたのです。
そうして4月28日の深夜に1932年以来13年間寄り添ったエヴァ・ブラウンさんと人前結婚式を挙げて夫婦になり、ソ連軍が総統官邸に手が届くポツダム広場まで侵攻したとの報告を受けて死を決意し、男性秘書に遺書を口述筆記させた後、エヴァさんと男女2人の秘書、料理人と一緒に最期の昼餉を取り、自室でエヴァさんにシアン化剤を飲ませ、自分も飲んだ後、ワルサーPPK拳銃でコメカミを射って自決したのです。
2人の遺骸は遺言に従って地下壕の出入り口前の砲弾の爆発孔の中でガソリンをかけて念入りに焼かれて埋められましたが(4月28日に殺され、遺骸を逆さ吊りにされたムッソリーニ統領と愛人のクラーラ・ベタッチさんの二の舞は避けたかった)、遺骨はソ連軍に回収され、1970年に再度完全に火葬されてエルベ川に散骨されています。
  1. 2022/04/29(金) 15:02:37|
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続・振り向けばイエスタディ109

「中国の次の一手はどうなる」目黒基地=駐屯地の陸上自衛隊教育訓練研究本部では韓国海軍による対潜哨戒機撃墜事件以来、陸将の本部長によって招集された陸将補の副本部長と各部長、空将補と海将補の空海幹部学校長による有事研究会が継続されているが、ここに来て新たな局面を迎えていた。中国は国際連合安全保障理事会の席で尖閣諸島に電波信号を建設していた漁民に沖縄県警の国境離島警備隊が毒ガスを使用して殺害したと主張し、常任理事国として日本に懲罰を加えることを宣言したのだ。実際、中国海軍の大型輸送艦を中核とする艦隊が東シナ海を奄美諸島に向かって航行し、接近した海上保安庁の巡視船に対して戦闘行動を取った艦艇を海上自衛隊の対潜哨戒機が撃沈した。すると即座に韓国軍が対馬北端の航空自衛隊海栗島分屯基地のレーダー・サイトに弾道ミサイルを射ち込んでレーダーを破壊し、事実上の開戦に至っている。研究会が開かれている本部長室の空気もこれまで以上に重苦しい。
「あの後の安全保障理事会で中国は今回の奄美大島への艦隊派遣は明治以降、日本政府に不法占拠されている琉球王国の領土を宗主国として平和的に占領して回復することを目的としていた。海上自衛隊の攻撃は国際連合常任理事国に対して再度繰り返した重大な戦争犯罪であり、韓国の弾道ミサイル発射は常任理事国による武力制裁を代行した正当行為だと主張しました」「その論理展開はこの席でも予想していた通りだな」航空の幹部学校長の解説に本部長が同調すると出席者たちもうなずいた。浜防衛大臣は日本周辺の安全保障環境の緊張激化に伴う即応態勢を維持するため上級幹部の人事異動を停止させていたが、事態の長期化を受けて定年退官者が出始めて、ここの出席者も数人が代わっている。
「そうなると今回の目標は琉球王国の領土の最北限の徳之島だったと見て間違いないのですが次回となると・・・中国からなら奄美諸島に五島列島、また韓国が代行するなら対馬と見島」「対馬は全島民の避難が終わって残っているのは韓国人の移住者だけです。日本から商品の配送が停止されて、韓国からの船舶の入港は海上保安庁が阻止しているのでそろそろ餓死しているかも知れません」実は山口県に避難した島民でも漁師たちは事前に山口県内の漁業協同組合に連絡して自分の漁船で移動していた。ところが忘れ物を取りに戻った漁民が連絡を断ち、インターネットに「テマド(対馬)奪還」と言うサイトを立ち上げた残留韓国人たちが暴行を加え、殺害したことを書き込んだのだ。そのため海上保安庁は犯罪捜査=現場保持を名目にして対馬周辺海域を封鎖する異例の報復措置を取っている。やはり相次いで巡視船を撃沈され、多くの同僚を殺害された怒りは法の番人の警察職員にも敵意を生んでいるようだ。
「可能性が一番高いとすれば対馬占領ですが、石田政権が国交断交を宣言していない以上、海上保安庁の強硬姿勢にも限界があります」「この期に及んで首相は何を考えてるんだろうか」石田政権はウクライナ侵攻では矢継ぎ早にロシアへの制裁措置とウクライナ難民の救援を決定したが、中国や韓国からは逆制裁と思われるような貿易措置を受け、その経済的打撃をマスコミに徹底的に批判されたため完全に懲りてしまっているらしい。
「ところでシーレーン防衛はどうなりましたか」ここで唐突に話題は世界に広がった。中国が日本へ本格的に侵攻するには海軍が海上自衛隊を撃破して制海権を奪取しなければならないが、前回は日清戦争の黄海海戦の再現になった。尤も海上自衛隊では陸上攻撃機がイギリス東洋艦隊を撃破したマレー沖海戦の再現と言っている。その弱い海軍力で次にやりそうなのがインド洋と南シナ海での日本の原油輸入航路の遮断だ。中国海軍はスリランカのコロンボ港に基地を持ち、ここを拠点にイギリス海軍とインド洋での制海権を争っているのだ。
「海上自衛隊としてはインド洋に潜水艦を派遣して現在航行中のタンカーを護衛させています。仮に中国の艦艇が我が国のタンカーを拿捕しようとすれば海賊船として沈んでもらうことになります。さらに自衛艦隊の主力は太平洋に展開して往復航路を確保します」「太平洋上では日米安保条約が発動されています」ここでようやくモリヤ将補が話に加わった。モリヤ将補のアメリカ海軍に関する情報は太平洋軍司令部連絡官だった時の人脈に加えて現役の海軍中尉からも入手できるので海上の幹部学校長とも遜色はない。
「しかし、大型タンカーはパナマ運河を通過できないだろう」「確かに現在のパナマックスは全長294・1メートル、幅29・1メートル、喫水深12メートルです」「パナマックスとはパナマ運河を通過できる船の大きさで戦艦ミズーリのサイズが限界値です」「だから全長330メートル、幅約70メートル、喫水深約45メートルの30万トン級の原油タンカーは通過できません」「しかし、加倍政権で鍛えられた官僚たちがアメリカ東海岸で納入した量を西海岸で受領できるようにアメリカ政府に掛け合ってアメリカ産の原油を輸入できることになりました」本部長の指摘には海上の幹部学校長とモリヤ将補が交互に答え、補足し合った。
ち・モリヤ佳織イメージ画像
  1. 2022/04/29(金) 15:01:06|
  2. 夜の連続小説9
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所詮はヨーロッパだ。チャイコフスキー音楽コンクールの排除

スイスに本部を置く国際音楽コンクール世界協会はロシアのウクライナ侵攻を受けて4月13日に臨時総会を開き、「ロシア政府=プッチン(最近は切れっ放しなので)政権から資金提供を受け、宣伝媒体と化している」と言う理由でソ連時代から日本人の若手音楽家が入賞して世界に売り出す力、国内では権威づけに利用してきたチャフコフスキー音楽コンクールを排除することを決定しました。
ヨーロッパは多様な民族が共存しているアメリカとは違い中世以来の画一的キリスト教国で万事を正悪=白黒の両極端に塗り込めてしまいますが、第2次世界大戦では開戦まで苛酷なヴェルサイユ体制によって窮乏の極致に陥っていたドイツを革新的な経済政策で急速に復興させて絶大な支持を獲得したナチス=アドルフ・ヒトラー政権を敗戦によるニュルンベルグ裁判で戦争犯罪者にすると自分たちが課したヴェルサイユ条約の不条理な要求がナチス勃興の原因であることを反省することなくナチス・ドイツを悪の帝国として徹底的否定して、国民の支持がパウル・ヨーゼフ・ゲッペルス宣伝相による狡猾な宣伝の結果、経済復興は強大な軍事力を創設してヨーロッパ全土を手中に収める帝国主義が目的と史実を歪曲し、騎士道精神を体現して規範的戦闘を指揮していたドイツ軍将校たちもナチスの手先として同罪扱いして真っ黒に塗り潰した一方で都市への無差別爆撃などのナチス以上の戦争犯罪的殺戮を重ねてきた連合軍の罪は清潔で真っ白な完全無欠の正義漢にして歴史に書き入れた過ちを21世紀になっても繰り返すつもりのようです。
確かにヒトラー総統がリヒャルト・ワーグナーさんの歌劇曲を好んでいたことを理由にドイツ国内での演奏会が控えられていた時期がありましたが、映画「ビルマの竪琴」でイギリス軍に包囲された日本軍が弾薬を積んだ荷車を安全な場所に移動させる時に唄った「埴生の宿」を聞いてイギリス兵たちが元歌の「ホーム・スイート・ホーム」を唄い出して戦闘が回避された場面は実際に東南アジアの捕虜収容所であった逸話で(野僧は航空教育隊の隊歌演習で捕虜になった時に唄うようにロシア民謡を教えていた)、芸術やスポーツは政治とは関わりなく人類の感性を共有し、肉体の極限までの追及を競い合う場として維持されるべきであり、国際紛争の制裁に加えるのは本質を見誤っています。
オリンピックでロシアの選手が国家代表の資格を奪われているのは組織的ドーピングによってロシアの各種目の連盟が推薦資格を喪失しているからですが、オリンピックが個人参加まで認めなくなれば「平和の祭典」を名乗る資格を喪失するでしょう。
現代のヨーロッパは死刑廃止をEUの加盟要件にしていながら警察の対テロ部隊はテロリストと疑った人間を取り調べや裁判を経ずに射殺していることでも論理破綻を来しているのは明らかですが、日本はABCD包囲網による苦境を国民の敵意に転換させて勝算のない対米・対英戦争を始めた大きな負の教訓を踏まえ、ロシアを追い詰めることがプッチン政権の崩壊につながるか、逆にナチスに独裁国家を作り上げさせた失策の二の舞になるかを見極めなければなりません。同時に日本は日露戦争中にロシアの革命勢力を扇動して帝政ロシアを内部崩壊させる伏線も作りましたから探せば秘策も見つかりそうです。
  1. 2022/04/28(木) 14:28:28|
  2. 常々臭ッ(つねづねくさッ)
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続・振り向けばイエスタディ108

旭川駐屯地に召集された森田謙作予備2曹はアメリから指向式散弾地雷・クレイモアと共に大量に供与された携帯式地対空誘導弾・ブロックⅠの教育と訓練を受けていた。陸上自衛隊では91式携SAM=広報用愛称・ハンドアローが高射特科の専門部隊ではなく普通科や野戦特科、機甲科などの自隊防空用に配備されているが、作戦準備として装備の共通化を進める陸上総隊の判断で西部・中部両方面隊に集中配備され、北部・東北・東部の各方面隊はブロックⅠに転換されたのだ。このブロックⅠはアメリカ空軍の横田基地で航空自衛隊のCー2輸送機に積み替えて旭川空港に到着し、それを陸上自衛隊のトラックで運んできた。森田予備2曹はその作業にも参加したが、30代半ばになっても牧場暮らしのおかげで体力は衰えていなかった。
「91式とブロックⅠの違いはブロックⅠが諸官たちも現役時代に触ったことがあるスティンガーの改良型で赤外線誘導方式なのに対して91式は赤外線とカメラ画像追尾の併用になっている点だ。ブロックⅠの方がスイッチの位置なんかは類似しているから91式よりも取り扱い易いかも知れないな」教官の2尉は到着して開封したばかりのブロックⅠと91式携SAMを長机に並べて置くと即応予備自衛官たちを周囲に集めて説明を始めた。アメリカのブロックⅠと91式携SAMは誘導方式だけでなく操作が全く異なり、それが意外に難しくスティンガーの経験者でも習熟が必要なのだ。実は91式携SAMは海上・航空自衛隊にも基地防空用に配備されているが、航空自衛隊では基地警備要員に当てる予備自衛官に操作させようとしたものの数日間の集合訓練では習得させられず基地防空隊や第2次世界大戦中の対空機関銃・M55を保有して防空の任務も担っている警備小隊に配備した。したがって海上・航空自衛隊でも同様の教育と訓練が行われているはずだ。
「携SAMの標的はジェットの攻撃機や戦闘機よりもヘリコプターだ。諸官たちが生まれる前のアフガニスタン侵攻がデビュー戦だったがレッドアイでソ連軍のヘリコプターを皆殺しにしたんだ。それで威力を認識した米ソが技術革新と対抗策を競い合って大幅に性能が向上したからウクライナ侵攻でもロシア軍の輸送ヘリを餌食にして侵攻を阻止することに成功した。今回、北海道に侵攻してくれば我々も同じ目に遭わせてやらなければならない」確かにロシア軍が北海道に侵攻してくるには海を渡らなければならず大量の物資を船から陸揚げしてトラックで侵攻部隊に追従するよりも樺太や北方領土の基地でヘリコプターに搭載して空輸する方が迅速で円滑なので当然の戦術選択だ。
「それを言えばロシア軍はソ連時代の空挺師団の多くを維持しているから大型輸送機も標的だぞ。アフガニスタンにチェチェンと南オセチア、シリアにウクライナは地続きだったから空挺作戦はなかったが島国への侵攻なら空自が制空権を失った時点で大々的に実施するはずだ」殺人的な極寒の中の冬季遊撃戦を誇る第2師団の隊員たちは殊更に最精鋭を誇示する第1空挺団や富士教導連隊に対抗意識を持っているため「ロシア軍の空挺部隊を撃墜する」と言う説明に無意識に笑いを浮かべたが、森田予備2曹は照子と結婚して岩手の広橋家の遠い親戚を訪ねた時、雫石上空での空中衝突事故で「血と肉辺の赤い雨が降った」と言う話を聞かされことを思い出して顔をしかめた。いくら戦争とは言え再現したくはない惨状だ。
「ブロックⅠも91式と同様に発射時に弾頭に入力される敵機の情報を基に自動追尾するから射ち放しにできる」「それって普通じゃあないですか」2尉の説明が具体的な操作法に移ると20歳代の予備3曹が困惑したように口を挟んだ。この遠慮のなさは現職と即応予備自衛官の気質の違いだろう。そもそも現職では3曹が2尉の説明に直接反論することが有り得ない。
「最初期のレッドアイは射手が発射機のカメラで敵機を追尾し続けることで誘導していたから身体を晒していなければならなかったんだ。君はそれを知らない世代なんだな」「スティンガーも知りません」予備3曹の返事に隊員たちは自分の経験を思い返したが、部隊では91式携SAMもスティンガーと呼んでいたので確信は持てなかった。陸上自衛隊ではスティンガーに代わり現在も主力になっている91式携SAMは名称の通り1991年に制式化されたがブロック1は翌1992年の採用で、今回の武器供与を報じた一部のマスコミは「旧式の在庫一掃処分に過ぎない」と揶揄しているがこちらの方が新式になる。それでも第2次世界大戦中の骨董品を使っていてアメリカ軍に整備能力を感嘆された時代から見れば大幅な進歩だ。さらにアメリカ軍は91式携SAMと同様の赤外線画像方式で射程距離を8000メートルにまで伸長したブロックⅡの開発に着手したが予算削減で中止してブロックⅠの改良型の採用に留めた。一方、イギリス軍のスターストリークやスウェーデン軍のRBS70(車載・据え付き式)はレーザー誘導方式なのでフレアなどの疑似赤外線に対抗できると言われているが日本の防衛装備品=アメリカの兵器開発に関する情報は現場まで漏れてこない。
  1. 2022/04/28(木) 14:27:13|
  2. 夜の連続小説9
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野良爺さんのその後

18年以上、小庵に住みついていた野良猫の爺さんが4月8日の佛陀ズ・クリスマスに急死して20日になりますが訃報に続報が発生しています。
爺さんにとっては最期の冬になった今年の1月以降、軒下の柱に祀ってある観自在菩薩像の前で日向ぼっこするようになり、それはまるですがっているかのように見えました。
岐阜県瑞浪市にはまんが日本昔ばなしでも取り上げられた「白狐の湯」と言う昔話があります。それは「土岐川の畔に庵を結んでいた坊さんが暇に飽かして彫った木製の弁財天像を庭先に祀ったところ読経中に1匹の年老いた白狐が前で聞いているようになり、その様子がすがっているように見えたため坊さんは声をかけ、白狐が咥えてくるヒトツバタコの葉に経文を書いて渡すことにしたのです。ところがある日、いつも時間になっても白狐が現れないため「書き終わる」と約束していた枚数では書き切れなかったことに気づき、坊さんが弁財天像を抱えて裏山に探しに行くと藪の中で経文を書いたヒトツバタコの葉の上で眠るように死んでいました。坊さんは約束を守れなかったことを詫び、白狐を埋葬すると上に弁財天像を置いて墓にしました。するとその夜、夢枕に白狐が現れ『自分の巣を掘れば温泉が湧く』と教えたので坊さんが村人と掘ってみると本当に温泉が湧き、それが現在の白狐の湯になった」と言うものです。
爺さんが帰依していた観自在菩薩像は野僧の主治医がデイ・サービス用の施設に改装するため購入した空き家の庭に投げ捨てて会った金属ゴミに紛れ込んでいたもので、ボロボロに錆びてはいても菩薩像なので粗末にはできず、たまたま受診した野僧に「持ってってくれ」と頼んだのでした。そこで野僧は全身を洗って錆を落とし、黒いペンキを塗って綺麗にすると意志地蔵が祀ってある柱の反対側の柱の下に鎮座させ、入魂=精入れの法要を勤めてからは毎朝夕夜に参ることを日課にしています。
小庵では1年半前に交通事故死した黒猫の音子は野僧の朝課と晩課の時、膝の上で聞いていましたが、爺さんも18年以上、土間や床下、縁側で聞いていたはずなので白狐のような信心を持つようになっても不思議はありません。
ところが爺さんが死んでからも小庵の中では時間を問わず爺さんが暮らしていたのと同じ物音が絶えず、時には鼻息やクシャミが聞えることがあります。そればかりか早朝に若い姿になって元気に庭先を走っていたのを目撃した人もいて「往生できない=迷っている」と言うよりも「死んだことを満喫している」ようです。
考えてみれば爺さんは餌と寝床を与えられた3食昼寝付きだったもののあくまでも土間限定の居候で、野良猫の作法で名前を付けてもらえませんでしたから佛間で葬儀を上げてもらった上、戒名を付けてもらえたのでやっと小庵の居住権を獲得できた気分になり、極楽へ往生するよりも小庵での生活を思う存分楽しみたいのでしょう。
野僧が小庵に入居した頃、長年供養されていなかった亡者の魂魄が多数居座っていて朝課・晩課の時には背後で並んで坐っていましたが、間もおなく1人ずつ消えて逝きましたから爺さんもそのうちゴー・ウェストで往生するのかも知れません。
観音さんと爺さん・22・1・8爺さん死去・22・4・8スミレの花咲く爺さんの墓

  1. 2022/04/27(水) 15:39:02|
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続・振り向けばイエスタディ107

「お母さん、お父さんは戦争の仕事のために帰って来ないんでしょう」旭川の広橋家では小学校から帰ってきた日和(ひより)が2階の居間でDJとして番組の準備に励んでいる照子に声をかけた。森田予備2曹が防衛出動待機命令を受けて北部方面混成団第52普通科連隊第2中隊所属の即応予備自衛官として旭川駐屯地に召集されて10日が過ぎている。日和の小学校は旭川市内でも駐屯地の官舎とは真逆の地域にあるため児童に自衛官の子供はおらず教員は「反戦平和」を表看板にした反自衛隊の教育を公然と口にすることがある。日和も保育園以来、母親同様の「牧場の娘」で通しているので遠慮はしないようだ。
「お父さんは北海道を守るために働いているのよ、戦争のためじゃあないわ」照子は自分が児童生徒・学生だった時に教員から受けた反戦平和の教育を思い出しながら否定した。北海道は第2次世界大戦後、満洲からシベリアに抑留されてソ連の共産主義の洗脳を受けて帰還した元兵士が多く、漁師が沖でソ連軍から受け取って持ち込んだ武器で何故か「自衛隊」と自称する革命軍を組織した時期もあった。そんな北海道の教員は元々がキリスト教の優越性を説いて多くの学生に洗礼を受けさせたウィリアム・スミス・クラーク博士を崇敬している北海道大学とその学閥の教育大学の出身者が多いので戦前から政府が強要する神国教育に反対し、戦後は共産主義に傾倒していた。日和の担任も北海道では標準的な教員なのだ。
「でもお父さんたちはロシアが攻めてきたら兵隊を殺すんでしょう。そうしたらお父さんも殺されるかも知れない。ウクライナと同じことになるって先生が言ってたよ」この論理も照子の時代と変わらない。照子の頃は自民党政権が北海道の防衛力を強化していることを批判するため教員は「抵抗するから戦争になる」と降伏による平和を勧めていた。しかし、照子は祖父から樺太に侵攻したソ連軍が無抵抗の住民を男性と老女や幼女は即座に殺し、性行為の使用対象になる女性は散々にレイプした後に殺したことを聞いていたので教員に質問した。ところが教員は「ソ連がそんなことをするはずがない」とアメリカ軍によるベトナム戦争のソンミ村の住民虐殺に話を置き替えた。今回の教材は2022年のロシア軍のウクライナ侵攻のようだが、日本のマスコミは全く報道しなくても安川2尉がオランダのモリヤ元2佐から聞いたと言う話ではロシア軍もウクライナでは女性たちをレイプしてから殺したらしい。国際刑事裁判所ではモリヤ元2佐が定年退官のため帰国中にモレソウダ首席検察官が退任し、2月の秘密選挙で決まっていた新任のハリム・ハーン首席検察官はイギリス国籍のムスリムだが頭が禿げ上がっていて3人の検察官のうち2人は禿げ頭になってしまったそうだ。モリヤ元2佐はそのハーン首席検察官の命を受け、ウクライナの現地調査に入ったようなので間違いなく事実だ。しかし、性教育も始まったばかりの小学校高学年の日和に集団レイプを説明するのは難しい。
「ロシアは戦争で攻めてくると自衛隊じゃあない人たちも残酷に殺すのよ。特に女の人は酷い目に遭わされるわ。だからお父さんは牧場の仕事をしながら即応曜日自衛官として北海道を守ってるの」日和が「酷い目」では理解できないのは承知しているが、照子も小学生の娘に「レイプ」を解説する気にはなれなかった。韓国では日本人女性に同じような凌辱が繰り返されているのだが、DJとしての調べ物以外はインターネットを閲覧しない照子は知らなかった。
「日和のお祖父ちゃんの昔のお祖父ちゃんも屯田兵って言って北海道を開拓しながら兵隊さんとしてロシアから日本を守っていたの」「その話はお正月やお盆にお父さんとお祖父ちゃんがしてるよ。下のお部屋に飾ってある学校の制服のお祖父ちゃんでしょ」日和にかかると明治時代の黒の詰襟の軍服は小学生の制服になってしまう。白黒写真なので判別できないが屯田兵の軍服は上下黒の一般の兵士とは違いズボンは灰色の霜降りで、両肩には緋色の肩章が付き、階級章は袖の金の線とお洒落だった。
「それから先生は北海道の自衛隊はもうすぐ九州と沖縄に行ってしまう。北海道を守るって言うのは嘘だって」「それは北海道だけじゃあなくて日本を守っているのよ。でもお父さんは屯田兵だから北海道を守るために残るはずよ」その郷土史も照子の担任は「日露戦争の時、満州での地上戦が優勢になると長岡外史は屯田兵を率いて樺太に侵攻した。軍隊に変わりはない」と切って捨てていた。陸上幕僚長は陸上総隊司令官から中国と韓国の脅威が迫り、実際に対馬が攻撃を受けた九州、沖縄、山陰地方への戦力集中を意見具申されたが、中国の海軍力の脆弱性が露わになった今はウクライナ侵攻以来、事実上の同盟関係にある中国の要請を受けてロシアの侵攻の危険性が高まったと反対していた。勿論、最高度の戦略判断が現場の隊員やその家族に漏れ伝わるはずがなく、ラジオ番組でも照子が即応予備自衛官の妻であることを知っている聴取者から心配するメッセージ・メールが届くことがあるがあえて読まないようにしている。
  1. 2022/04/27(水) 15:34:41|
  2. 夜の連続小説9
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いい加減にヨーロッパ式の一律主義から脱却しろ!

ロシアのウクライナ侵攻から2カ月が過ぎ世界各国の態度の色分けも定着してきましたが、マスコミはロシアを「絶対悪」と断定しているヨーロッパとアメリカに日本が同調すること当然視して、完全に同調しないアジア各国の態度に勝手な疑惑の目を向けています。
その癖、ロシアの共謀者であることを公言している共産党中国への批判は控えていますが、非難決議と人権理事会からの除名に賛成しなかったインドとパキスタン、バングラデシュ、スリランカの南アジア4カ国や東南アジアのベトナムやラオスの真意の推察は本質を見誤り、中でもインドについては安倍政権が共産党中国の一路一帯戦略に対抗するため樹立したアメリカ・日本・オーストラリア・インドの地域戦略対話=「QUADの信頼性が消滅した」と勝ち誇ったように安倍政権の失策扱いしています。
南アジアでもインドとパキスタンは長年にわたり戦火を交えてきた宿敵であり、インドとスリランカもタミル人を反政府ゲリラにして内戦による間接侵略を画策していますからこの問題で意見の一致を見るとは考えられず、それぞれの利害関係で出した結論が共通になってしまっただけでしょう。実際、インドはソ連時代から武器を輸入していて現在はそれに原油が加わっているので経済制裁に加わることはできず、パキスタンは同じ民族のアフガニスタンへのアメリカの侵攻に加担したことで国民と中東各国からの批判が湧き起こり、スリランカは内戦の巨額の戦費を共産党中国から借用してその返済期限が迫っているためロシアではなく中国に逆らうことができないなどそれぞれに事情があるようです。
ヨーロッパは多様な民族が共存しているアメリカ以上に一神教のキリスト教の画一的な正義感を堅持しているため国際情勢も事態が発生した原因や経緯に関係なく自分たちの価値観で一方的に正と悪=白と黒に分類して懲罰を加え、同調しない者も共犯者にしますが、南アジアのインドはヒンドゥー教、パキスタンとバングラデシュはイスラム教、スリランカは南方佛教、東南アジアのベトナムとラオスも佛教国です。
このうちイスラム教はキリスト教と同じく一神教ではありますが、苛酷な砂漠で生きる人々がモーセの十戒を守れない罪をアッラーが許すことを基盤としているためキリスト教のように世界を自分たちの正義で統一しようとする野望は抱くことはなく、アッラーが与えた戒律に背かなければ正義よりも生活優先で功利的な判断を専らにしています。ヒンドゥー教は雑多と思われるほどの多神教なので広い国内には多様な価値観が共存と言うよりも相互不干渉で好き勝手に振る舞っています。南方佛教は因果応報・諸法無我の世界観から原因を探求して評価は当事者の事情に応じて「適当=いい加減」を基本としています。
そのため戦後の経済復興に苦慮していたベトナムはベトナム戦争中の1968年に韓国海兵隊がフォンニィ・フォンニャット村とソンミ地区で住民を大量虐殺した罪をいまだに認めない韓国の企業の進出と都市開発を受け入れ、南沙諸島の領有権を巡って軍事衝突寸前の対立関係にある共産党中国に国内で韓国企業が生産した製品を輸出するなど経済面では極めて密接な関係を維持しています。これはナチス・ドイツを断罪し続けているヨーロッパから見れば許し難い変節ですが、アジアの柔軟性と見るのが日本人の知恵でしょう。
  1. 2022/04/26(火) 15:45:22|
  2. 常々臭ッ(つねづねくさッ)
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続・振り向けばイエスタディ106

「いよいよ始まったな」「戦争なの・・・日本もウクライナみたいな戦場になるの」愛媛県の蜜柑農協の事務所では時計代わりに点けている国営報道のニュースで某基地での指向式散弾地雷M5の起爆と何時の間にか被害者になっている侵入者の負傷についての報道を見ている森田敬作定年2佐が呟いた。それを耳にした女性事務員の圭子が怯えたように答えると森田定年2佐は困ったような顔でうなずいた。実は秀子と離婚した後、出勤途途中にコンビニに寄って弁当を買ってくるようになった森田定年2佐に松山駐屯地の陸曹だった夫を交通事故で亡くして働いている圭子が高校生の息子の分と一緒に作った弁当を手渡すようになり、間もなく再婚したのだ。おかげで森田定年2佐は北海道の旭川に事実上は婿養子に入ってしまった謙作に代わり、圭子の息子と娘との4人家族の新生活を始めることができた。一方、秀子は市役所の職員との不倫が街中に知れ渡りながらも妻が離婚に応じなかったため、無資格の雑用係として就職した松山市内の福祉施設の住み込みで惨めな暮らしをしていると謙作から電話で聞いた。結局、秀子は親に命じられた「自衛官の妻」と言う仕事をこなしていただけで夫婦にはなり切れていなかったようだ。今思えば高校生で夜這をかけた時には兄が不在の日を指定して、2階の自室のカーテンの柄を教え、窓の鍵はかけていなかった。完全に誘われた夜這で、むしろ罠にはまったような気がしてくる。
「航空の基地に置いてあった地雷はFFV113でしょう。よく死ななかったわね」「あれはM5だからBB弾のようなプラスチックやゴムの散弾が飛ぶんだ。だから火傷はしても致命傷は受けなかったんだな」森田定年2佐は圭子の1等陸曹の妻だった頃の知識と認識が3等空佐の妻だった秀子とは比べ物にならないほど高度なのを感じて秘かに反省することがある。死んだ圭子の夫は普通科のはずだが、予備知識で地雷の名称を知っていただけでなく家での雑談の話題にしていたらしい。森田定年2佐も警備職は基地に所在する部隊の業務内容を知っておく必要があるため増加警衛に上番した隊員との雑談を推奨していたが、逆に増加警衛の隊員が警備職の専門知識に関心を持って吸収していたかは不明だ。
「それを採用するように提案したのが貴方なのね」「在日米軍基地に国内留学した時、各段階別の警備態勢を教育されたんだが、普段は実弾入りの拳銃を携帯していても準戦時では実弾入りの小銃になる」「それが自衛隊で言う防衛出動待機命令ね」「その通り、そして戦時態勢になるとパトロール・カーが機関銃を装備したジープになり、基地のところどころにクレイモアを設置する。あの頃はなかったが芦屋から研修で行った岩国基地で『M5を採用した』と聞いて空自でも採用するべきだと考えたんだ」「それも準戦時態勢で使うのね」森田定年2佐は秀子が定年退官後も趣味として研究を続けようと保管していた警備に関する資料を不倫関係になった自治労の職員に渡していたことを深く反省しているが、圭子から「息子と娘を自衛官にしたい」との希望を聞いているので許される範囲の知識を与え、「できれば航空自衛官にしたい」と考えていた。それには謙作が陸上自衛隊で自衛隊生徒から防衛大学校に進んだ北部方面総監・滋賀陸将の独断と偏見による不当人事で曹侯補士としての3等陸曹への昇任が妨げられたことへの不信感もある。でき得れば一般大学に進学させて一般(部外)幹部候補生として入隊させたいが、息子は謙作から第2師団の冬季演習の話を聞いて陸上自衛隊に憧れているようだ。逆に娘を女性自衛官にするのは自衛隊内の実情を知っているだけに賛成はできない。平成の30年間に日本の価値観は大きく変わっても一般の男性よりも体力=精力が強い野性動物の群れに餌を投げ入れるのに等しい状況に変わりはないのだ。
「問題は政府が腹を括れないこととマスコミが現状を正しく報道しないことだが、その点、国営放送は事実を冷静に報じているようだな」「そうよね、基地に侵入したから怪我をしたんでしょう。だったら被害者じゃあないわよ」同時多発システム・ダウンの後、新聞は地方限定の記事で配達を再開し、続いて新幹線と民間航空の復旧によって東京と大阪の前日の記事を転載した全国版になり、旧電電公社のシステム回復によってようやく通常の新聞になっている。それにしてもA日新聞が最も早く通常の紙面に戻ったのは謎以上の疑惑を感じる。
「この調子では今までも自衛隊の基地で起こっていた在日半島人の抗議デモが、アメリカの反日デモに近い規模にまで拡大、激化する危険性が高いな。そうなると防衛出動を出さない石田政権も治安出動を検討しなければならなくなる。治安出動が発令されれば地上でも自衛隊は警察権を行使できるから基地への侵入者にM5を使用しても問題化されなくなる」「奄美沖海戦で中国海軍の実力は判ったから国内デモだけで終わってくれると有り難いわ。謙作くんが北海道から動かないのは陸上がロシアにも警戒しているからでしょう」圭子の高度過ぎる見解に森田定年2佐は唖然としてしまった。謙作は今も旭川駐屯地で待機を続けているのだ。
  1. 2022/04/26(火) 15:44:08|
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フランスの俳優・ジャック・ペランさんの逝去を悼む。

野僧のような映画好きにはたまらないイタリア映画の名作「ニュー・シネマ・パラダイス」で中年になった主人公・サルヴァトーレ=トトを演じたフランスの俳優・ジャック・ペランさんが4月21日に80歳で亡くなったそうです。
ペランさんは1941年にナチス占領下だったパリで1680年に創設された旧王立・現国立の劇団・コメディ・フランセーズの舞台美術家の父親と舞台女優の母親の間に生まれました。祖父も演出家の血統書つき(長男も俳優の脚本家で写真家、二男と三男も俳優)だったので当然のように演劇の世界に進み、フランス国立高等演劇学校・コンセルヴァトワールを優等の成績で卒業すると1957年に本名のジャック・シモネ(ペランは母親の苗字)として映画デビューを飾り、1961年のイタリア映画「鞄を持った女」で注目を集め、1962年の「家族日誌」ではイタリア第1の名優・マルチェロ・デストロヤンニさんと共演しました。1966年には「半人前の男」と「ラ・プスカ」でヴェネチア国際映画祭の男優賞を受賞し(前年の受賞者は三船敏郎さん)、その後も多くのヒット作品に出演して確かな演技力と整った風貌でアイドル的な人気を獲得しましたが、次第に年齢を重ねても童顔が変わらないことが俳優としての弱点になり(実際、前述の「家族日誌」ではデストロヤンニさんの弟役でしたが1990年の「みんな元気」では親子の役でした)、27歳で事務所を立ち上げると初プロデュース作品の「Z」がアカデミー賞外国語作品賞を受賞するなど制作者としても手腕を発揮するようになって死亡記事にも「俳優・映画製作者」と紹介されていました。
そして1989年に公開された「ニュー・シネマ・パラダイス」では冒頭にローマ在住の有名映画監督になっているペランさんが登場し、幼時から少年時代に映写室で上映している映画を無料で見せてくれた映写技師のアルフレードの訃報を伝える母親からの電話を受け、葬儀に参列するために帰郷するところから回想シーンとしてトトと呼ばれていた幼児の思い出の物語が始まります。ただし、幼児期のトトを演じたサルヴァトーレ・カシオくんは極めてイタリア的で愛くるしく、少年時代のマルコ・レオナルディくんもイタリア的な美少年だったので後半に再び登場したフランスのインテリ的な雰囲気のペランさんとはかなり違和感がありました。
それでもアルフレードの葬儀に参列して少年時代を過ごした街を歩きながら年老いた旧知の人々と言葉を交わし、昔愛したエレナの消息を聞いて連絡を取り、再会を果たして駆け落ちの約束を破ったことを責めるとそれがサルヴァトーレの映画に対する熱意と才能を認めていたアルフレードの説得によるものだったと判り、エレナに「私と結婚していれば素晴らしい映画は撮れなかった」と後悔していなことを告げられました。そしてエレナから「転居先の住所と事情の説明を映写室の上映メモの裏に記しておいた」と教えられると廃墟になった映画館の不用品が山積みになった映写室を探してメモを見つけ、アルフレードが形見に残した古い映画のフィルムを1人で見ながら感慨にふける演技は流石でした。日本では出演作があまり上映されていないことが残念です。冥福を祈ります。
  1. 2022/04/25(月) 16:30:46|
  2. 追悼・告別・永訣文
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続・振り向けばイエスタディ105

某基地に侵入してM5指向式散弾地雷の起爆で骨折した在日半島人2名が治療のために収容された病院には日本だけでなく韓国や中国の記者たちが詰め掛けていた。某基地は地方都市にあるため病院のマスコミ対策が緩く看護師たちは新型コロナ・ウィルス感染症の取材で懇意になった地方支局の記者たちに求められるままの情報を提供していた。
「航空自衛隊は今朝の会見で2人が戦闘機を破壊するために侵入したと発表しましたが間違いありませんね」「昨夜、当院に搬送されてきて弁護士さんと面会してからはその動機を否定しています」意外な回答に記者たちはざわめき立った。2人は在日韓国人連合会に登録している南の人間なので共産党系の弁護士が担当するようだ。
「今はどう言ってるんですか」「2人は弁護士さんに『韓国と敵対している自衛隊に嫌がらせしてやろうと駐車場に置いてある隊員の車をパンクさせるために釘を持って侵入しただけだ』と説明していました」記者たちにはでき過ぎの展開になってきた。
「貴女がそれに立ち合ったのですか」「いいえ、病院としては患者の立場によっては病室などを変更しなければなりませんから弁護士さんに伺いました。すると『あれは自衛隊の警察に脅されて言わされた』とのことでした」深夜、在宅当直だった警務官が衛生隊に駆けつけて実施した事情聴取は刑事訴訟法第198条などで規定されている条件を満たしていないため文書証拠としての調書にはならず、自白した内容を否定しても違法ではない。むしろ弁護士が法廷戦術として不利になる証言を否定させ、それが難しければ誘導尋問や拷問によって強制されたと主張することも珍しくない。
「そうなると2人が警務隊の取り調べを受けている容疑は基地への不法侵入だけになるな」「あれの法定刑は懲役3年以下、10万円以下の罰金だから軽い罪だね」「それじゃあ火傷と骨折の検査と処置が終われば退院になるかも知れませんね」今度は看護師の方が妙に力を入れた。確かに軽い犯罪で在宅起訴になれば、窓とドアは厳重に施錠できて警務官が常時監視できる2人部屋の病室を用意し、他の入院患者に行動制限を加える必要はなくなる。
「ところで刑法130条の住居不法侵入では退去を要求されても応じなかったことが犯罪の成立要件になっていますが、2人は警告を受けて捕獲される時に警備の自衛官に暴行を受けて負傷したんですか」「いいえ、突然何かが爆発したそうです。身体の前面に一過性の炎による火傷がありますから爆発物の発火を受けたようです。その上、同様の部位に細かい粒状の痣が無数にありますから間違いないでしょう」この説明に記者たちは一斉に黙り込み思案を始めた。2003年のイラク侵攻でのアメリカ軍と有志連合軍はイスラム過激派のテロとの戦いだったが、2022年のロシア軍のウクライナ侵攻では軍と軍の地上戦が繰り広げられ、軍事分野には無知・無関心だった日本のマスコミ関係者も多少は勉強することになった。その答えが夕刊と午後からのニュースで発表された。
「航空自衛隊が対人地雷を使用?」勉強したとは言え所詮は素人の記者たちは航空自衛隊が地雷を保有していないことや陸上自衛隊が対人地雷の破棄を終えていることも知らずニュースのテロップと夕刊の見出しには「?」を付けることで断定を避けた衝撃的な短文を躍らせた。ウクライナでロシア軍は撤退する時、占領地域の道路にトラックでも起爆する対戦車地雷を大量に残置し、住民が避難して空き家になった住宅には1983年に発効した特定通常兵器使用禁止制限条約で禁止されているブービートラップを仕掛けっていた。ロシアは特定通常兵器使用禁止制限条約や1999年に発効した対人地雷禁止条約には加盟していないが、日本は両方とも調印・批准している。仮にこの推察が事実であれば日本は中国が一方的に主張している尖閣諸島での化学兵器に続き再び国際条約を破ったことになる。マスコミとしては「無知な素人」と言う評価を逆説的に最大限に利用した報道戦術だった。
「日軍の憲兵が在日の同胞を拷問しました」韓国では同日の夕方のニュースで同じ事件を別の問題として取り上げていた。韓国は対人地雷禁止条約には加盟していないため批判の矛先を換え、在日韓国人の2人が「戦闘機を破壊する目的で侵入した」と自白したのは警務官から拷問を受けたためだと断定していた。日本でも敗戦後には実際は特別高等警察が行っていた思想弾圧を陸軍憎しの宣伝に合わせて憲兵に押しつけてきたが、韓国ではそれ以上に極悪非道の日本のゲシュタポとして断罪してきた。韓国軍が2020年になって「憲兵」を「軍事警察」に改称したのもこの喧伝が徹底し過ぎて悪印象を拭うことができなくなったからだ。そのため現在でも自衛隊の警務隊を憲兵と説明すれば余計な説明はしなくても視聴者は残酷な拷問を想像する。
「日本政府は日軍の暴走を制止することなくその歯牙を我らの同胞に向けています」このニュースはインターネットにも配信しているので日本とアメリカでも視聴できる。まさに扇動だ。
  1. 2022/04/25(月) 16:29:36|
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4月24日・復元までに32年間・防府天満宮が炎上した。

昭和27(1952年)の4月24日に菅原道真さんが太宰府の長官に栄転して海路赴任する途中で立ち寄り、高台からの風景を愛でて「魂はこの地に還る」と言ったとの伝承を受けて死の翌年の延喜4(904)年に創建された最古の天満宮として日本三天神を自称している防府天満宮が火災で全焼しました。
神道を本格的に学んでいない一般的な日本人は「天神は天候気象を司る天上の神さま」で「菅原道真さんは後で合祀された」と思っていますがそれは半分の正解に過ぎません。確かに「天神」は天上におわす天候気象を司る神さまであっても外来の天津神ではなく土着の国津神に属し、社(やしろ)や拝礼所を設けて祭事を勤めることはなく豪雨や日照り、暴風や時化の時には空や海に向かって怒りを鎮め、慈悲を施すように願うことが一般的でした。ただし、平安遷都に際しては西端の北野に西北・天門の鎮護、天候気象の農耕神として火雷神が祀られました。
ところが延喜3(903)年に菅原さんが太宰府の長官への栄転であっても中央政界から遠ざけられて遠方の地に赴かされたことを逆恨みしながら没すると京都では疫病が流行し、菅原さんを寵愛しながら讒訴を信じて大宰府赴任の人事を裁可した天皇の皇子が相次いで死亡し、さらに日照りによる干ばつへの祈祷の相談が行われていた清涼殿に落雷して讒訴した公家たちが死亡したため、それまでは人知を超えた気象現象を抽象的な荒ぶる神々として畏怖していた天神が菅原道真と言う実在した人物の祟り神になり、関係者を恐怖のどん底へ突き落としたのです。
こうして菅原氏の祖先である野見宿禰の出身地の奈良県桜井市の與喜天満神社や火雷神の社に菅原さんを合祀した北野天満神社、墓所に創建された太宰府天満宮などが乱立し、防府天満宮も創建時の菅原社から改称され、大宰府天満宮と緊密な関係を持つようになり、後に北野天満社の火雷神を分祀して菅原さん単独の祭事施設になりました。つまり現在の防府天満宮は学問の神さまであって豊作や大漁の御利益は放棄しています。
そんな防府天満宮は意外に地位が低く、周防一宮は同じ防府市にある旧・国幣中社の玉祖(たまのおや)神社で、防府天満宮は県社に過ぎませんでした。
この日の火災で本殿ほかの社殿が焼失すると熱心な佛教徒が多い防府市民の反応は冷ややかで、桂小五郎さん以下の山口藩閥が主導した廃佛毀釋で佛教を捨てさせられた怨みから一向に寄付が集まらず再建を始められませんでした。防府天満宮ではこの理由を「戦災で被害を受けた市内の復興を優先して建設資材の調達を控えた」と説明していますが、防府市の空襲は昭和20(1945)年7月24日の陸軍航空基地(現在の防府北基地)と鐘紡防府工場、7月28日の向島沖の船舶、8月8日の海軍通信学校(現在の防府南基地)へのグラマン戦闘機による機銃掃射と小型ミサイル=ロケット花火の発射だけで市街地の被害はほとんどありませんでした。
結局、本殿だけを再建してほかの社殿と回廊は野僧が一般空曹侯補学生として防府南基地に入隊した翌年の昭和58(1983)年4月の完成で、32年間を要したのです。
森野曹侯生まだ完成していない防府天満宮(昭和57年4月)
  1. 2022/04/24(日) 15:53:16|
  2. 日記(暦)
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続・振り向けばイエスタディ104

「警衛隊長、カメラ3号に侵入者です」数日後の深夜、某基地の警衛所では監視カメラの受像機を注視している空士の歩哨が警衛隊長の曹長に報告した。首都圏で監視カメラの導入が始まった頃、警衛所が狭くなることを嫌った基地では倉庫などを改装した別室に受像機を設置したが、深夜には座ったまま眠ってしまうことが多く、報告も不審な兆候程度では躊躇してしまうためこの基地でも警衛所内に設置している。
「とりあえず拡声器で警告して確認に行かなければいけないな」「小隊長からは逃がすことなくM5地雷を使用しろと言われています」他の職種の警衛隊長は過去の勤務経験で対処しようとしたが、仮眠中の警衛副長に代わり警備職の3曹が警備小隊長からの指示を伝えた。この指示は警衛隊長も上番時に聞いているが実際にそのような事態が発生するとは思っていなかった。警備小隊長はクレイモアとM5の導入が決まると団司令部防衛部の防衛班長と運用について協議してきた。防衛班長は航空方面隊司令部法務官から受けた「殺傷目的ではないM5の使用は現行法でも容認される」と言う見解を基地司令に説明し、基地当直幹部ではなく警衛隊独自の判断による使用許可を得ていた。確かに防衛出動待機命令の下令を受けた航空自衛隊が準戦時態勢にあることは周辺住民にとっても常識であり、その基地にあえて侵入してくる者を「破壊を目的にする工作員」と断定しても問題はないはずだ。ならば拡声器で警告を与えて逃走させるよりも負傷させてでも捕獲するのが対ゲリラ戦の基本原則だが、警衛隊長はその決断を躊躇した。まだ意識が準戦時にまで届いていないらしい。
「やはり基地当直幹部の指示を仰ごう」「勿論、電話はしますが、カメラ3号の位置では簡単にランウェイに侵入されてしまいます。M5は威力が限定的なので殺害しないでしょう。衛生隊に救護を要請する必要はありますが」警備職の3曹の反論に警衛隊長は立ち上がって歩哨の頭越しに受像機を覗くと2名の男が外周道路を越えて草むらをランウェイに向かって歩いていた。その人影は腕に箱を抱えている。平時であれば不正外出した人間が買った物を持ち返っているとも考えられるが、準戦時では最悪の事態を想定しなければならない。
「判った。地雷を爆発させろ」「はい、起爆します」警備小隊長は警備職の空曹が起爆させるように命じているため3曹が受像機の横の机に並べてあるスイッチから最寄りの番号を選んで押した。その時、警衛隊長は基地当直室に電話をしていた。
バーン。すると建ち並ぶ隊舎の奥から爆発音が響いてきた。カメラ3号はランウェイの端に近い位置なので想ったほどの大音響ではない。それでもグランド越しに建つ隊員の宿舎になっている隊舎では次々に窓に灯りが点灯した。
「警衛隊長の小林曹長です。只今・・・」「今の大音響は地雷を爆発させたのか」「はい、監視カメラで侵入者を発見しましたので基地司令の使用許可に基づいて起爆させました」「そうか・・・ご苦労さん」警衛隊長が夕方の上番時に警備小隊長から指示受けた内容を思い返しながら説明すると基地当直幹部の3佐は同じく防衛班長から受けた内容と照らし合わせながら納得した。これが平時であれば現場の空曹に侵入者を加害する権限を与えることは考えられないが、すでに準戦時なので手続きよりも発生した事態への対応を優先したのだ。
「衛生隊に救急車を要請しますが、単独では危険なので警衛所に寄らせて歩哨を同行させます。歩哨には実弾と武器を携行させたいのですがよろしいですか」「うん、当然だな」ここで起きてきて3曹の説明を受けた警衛副長が電話を代わり、矢継ぎ早に許可を求めた。平時でも警衛所には警衛隊長が携帯する拳銃の実弾は金庫に保管しているが小銃はあくまでも儀礼用なので実弾は置いていない。それでも防衛出動待機命令が発令されてからは非常事態に備えて小銃の弾倉と実弾も金庫に入れられている。
「総理があくまでも防衛出動の下達を回避して対領空侵犯措置と海上における警備行動で対処すると言われるんでしたら治安出動を発令して陸上自衛隊にも警察権を与えて下さい」事件の翌日の閣議で浜防衛大臣は石田首相に迫っていた。昨夜、某基地に侵入したのは市内に住む在日半島人の男2名で、ランウェイに接近していたためM5の爆風とBB弾を至近距離で浴び、腕と肩、大腿部を骨折して動けなくなっていた。歩哨と2人で担架に乗せ、救急車で衛生隊に運ぶと官舎で爆発音を聞いて出勤してきた衛生隊長の医官が応急処置し、そこに警務官が駆けつけて来て取り調べをした。2人が持っていた箱の中にはランウェイに撒き、戦闘機のインテイク(空気取り入れ口)に投げ入れる大量の釘が入っていて、緊急発進する戦闘機をパンクさせ、後続機はエンジンを異物吸入によって爆発させる使用目的を自白した。
一方、基地当直室には周辺住民からの抗議の電話が殺到したが、自白内容を説明たため自衛隊への批判を起こらず、むしろ当然視する世論が醸成されて浜防衛大臣も強気に出られたのだ。
  1. 2022/04/24(日) 15:52:07|
  2. 夜の連続小説9
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4月24日・宇宙開発史上初・ソユーズ1号激突死事故

1967年の明日4月24日にソビエト連邦のウラジーミル・コマロフ大佐(最終階級)が搭乗するソユーズ1号が地上に激突して宇宙開発史上初の死亡事故が発生しました。
ソユーズはユーリイ・ガガーリン大佐(最終階級)が人類初の地球周回飛行を達成した1人乗りのヴォストーク・シリーズ、それに続く2人乗りのヴォスホート・シリーズの後継機種でアメリカのアポロ計画に対抗する人類を月面に送るために開発されました。しかし、ソ連の宇宙開発を指揮していたセルゲイ・ハーヴロヴィチ・コロショフ博士が癌を発症して闘病生活に入ったため共産党指導部の政治的強制に屈従することになり、ソユーズは基礎研究が不十分なまま性能を求める悪循環の中で開発に当たった技術者たちが200ヶ所以上の致命的欠陥を報告していた上、無人での射ち上げ実験では一度も成功していない有人飛行に使用してはならない粗悪品でした。
ところが共産党指導部はアメリカのアポロ計画が宇宙飛行士3名が焼死した事故で停滞を余儀なくされたことを受けて4月22日のウラジミール・レーニン議長の誕生日に派手な成果を上げることに躍起になり、ソユーズ1号の翌日に2名を搭乗させた2号を射ち上げて宇宙遊泳で1号に乗り込んで地球に帰還する見世物的計画を強行したのです。
そんなソユーズ1号への搭乗を命じられたのは宇宙飛行士としての訓練で指導的立場を果たし、ヴォスホート1号で宇宙飛行を経験しているコマロフ大佐で、予備=待機要員にはガガーリン大佐が選ばれました。この人選には失脚したニキータ・フルシチョフ書記長の政治的宣伝に利用されていたガガーリン大佐を抹殺するために射ち上げ直前に交代させる陰謀があったと言われていますが、コマロフ大佐は英雄となったガガーリン大佐を守るため交代には応じず、逆にガガーリン大佐はソユーズ1号に向かうコマロフ大佐を制止して一緒に拒否するように勧めましたがソ連においては共産党の命令は絶対なので決められた手順でコマロフ大佐が搭乗しました。
ソユーズ1号は4月23日の深夜の午前3時35分にバイコヌール宇宙基地から射ち上げられましたが地球の周回軌道に入った時から本来は2枚開くはずの太陽光発電パネルが1枚しか開かない故障が発生して機内の電力量が不足して計器類が正常に作動しない状態に陥り、姿勢制御装置も故障してコマロフ大佐は前転横転を繰り返す船内で地球を周回することになりました。さらに手動操縦不能に陥ったため2号の発射は中止され、妻が管制室に招き入れられて最期の会話を交わした後、13周目をもって遠隔操作で逆噴射を作動させ大気圏に再突入したのです。しかし、射ち上げ前に技術者が欠陥を指摘していた通りパラシュートが開かずに時速145キロで落下を続け、着地直前に逆噴射して急減速することに最後の希望を賭けましたがこの逆噴射も作動せず、この残していた燃料は地上に衝突後にカプセルを爆発・炎上させてコマロフ大佐を火葬しました。
この事故を受けてソ連は珍しく18カ月間射ち上げを延期して欠陥の改良を徹底し、その後も不具合を確実に繰り返してきたため現在では「世界で最も安全な宇宙船」と評されて、国際宇宙ステーションへの往復などで使用され続けています。
  1. 2022/04/23(土) 15:01:40|
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続・振り向けばイエスタディ103

「これがクレイモアかァ」「1基25ドルだから3万円だな」航空自衛隊ではアメリカ国内の大都市で継続している在米中国人と南北半島人の大規模な反日デモが暴動に激化することを懼れるホワイトハウスが日米安全保障条約の発動を躊躇している代償のように武器と弾薬を供与し、森田敬作定年2佐が第3術科学校の警備幹部課程で導入を業務計画要望するように強弁していた指向式散弾地雷・クレイモアとゴムやプラスチックの散弾(BB弾)を射出するため殺傷力が弱いM5がレーダー・サイトを含む全ての基地に配分された。陸上自衛隊はスウェーデン軍の同様の指向式散弾地雷をライセンス生産したFFV113を使用しているが増産は間に合わず「航空自衛隊に分配する余裕はない」と断られていた。ただし、英文の取扱説明書の日本語訳が間に合わず、小隊長が辞書を引きながら翻訳して教育を終えてからの設置になった。森田定年2佐が浜松基地の警備小隊長時代にも暗視眼鏡の取扱説明書が英文で翻訳すると手元の地図や文書を見る機能などが判り大活躍させた。森田定年2佐は元警戒管制員だけに英語は得意だったが部内出身の警備小隊長たちは苦労したらしい。
「ランウェイ(滑走路)の両側に並べるんですよね」「今回はM5だから良いが、クレイモアになると散弾がランウェイに落ちてFODになるから5メートルほど間隔を開けるんだ」某基地でも警備小隊員たちが指揮官の小隊長に加えて第3術科学校で爆発物の取り扱いの教育を受けている施設隊と有線ケーブルの敷設を担当する通信隊のベテラン空曹の指導を受けながら作業を始めた。防衛出動待機命令の間は殺傷力が低いM5を設置し、防衛出動が下達されて戦闘が開始された時点でクレイモアに交換する予定だ。
「試射して実際の威力を見た方が良くないですか」「M5だから問題はないな」施設隊の空曹の提案に警備小隊長も同意した。警備小隊長も第3術科学校の警備幹部課程では岩国基地の海兵隊憲兵隊の研修でクレイモアの現物を見たが実際の威力は未経験だ。
バーン、ヒュンヒュン。ランウェイに並行するように設置したM5を起爆させると耳をつんざく爆発音とBB弾が空気を引き裂く悲鳴のような音が鳴り響いた。これならば防衛出動が下達された後も隊舎地区で使用できる。流石に森田定年2佐は目のつけどころが違う。
「方向を正面にしないと監視カメラで発見した侵入者を殺すことができないぞ。散弾の到達範囲は前方180度、半径16メートルだから30メートル間隔に設置しよう」警備小隊長は運用の立場で作業を指揮している。クレイモアは人間による遠隔操作で起爆するため対人地雷禁止条約から除外された。航空自衛隊では森田定年2佐の構想を採用してランウェイの両側に並べて設置して監視カメラで侵入者を発見すれば起爆する運用を考えている。これで夜間に配置する歩哨の人数と監視範囲を大幅に削減できると言う訳だ。
「しかし、有効射程50メートルだから基地外に届かないように気をつけないといけません」すると施設隊の空曹が反論した。この空曹も作業に先立って警備小隊長が実施した教育に参加していて飛散する散弾の最大射程250メートル、有効射程50メートル、加害範囲前方180度、半径16メートルと言う性能が強く記憶に残ったようだ。陸上自衛隊で地雷は施設科が取り扱うのだから興味を持っても不思議はない。
「戦争法では文民の居住地域を意図的に攻撃することは戦争犯罪だが、戦闘中の基地に近づいた人間が巻き込まれても責任は負えん」「なるほど・・・」警備小隊長の解説に施設隊の空曹は相槌を打ってうなずいた。同じ管理隊の輸送小隊は有事になっても平時の道路交通法の厳守と安全運転を隊員に徹底しているが、施設隊はあくまでも事故を防ぐ作業安全であって運用を否定・阻害するつもりはないようだ。
「遠隔操作するケーブルはどうしましょう。本体を交換する度に敷設し直すのは非効率的です」次は通信隊の空曹が声をかけてきた。クレイモアにも起爆スイッチと本体をつなぐケーブルは装着されているが監視カメラの映像を注視している警衛所までの距離が遠いため通信用の有線ケーブルを接続しなければならない。今回、クレイモアは全長3000メートル前後のランウェイでも格納庫とエプロンから外れた区域の両側に設置するためかなりの長さのカーブルと作業を必要とする。陸上自衛隊のFFV113であればリモコン式だが混信による誤作動の危険性があるためクレイモアでは有線誘導を選択した。
「接続部分の交換要領を教育してもらえれば次回からは警備小隊単独で実施できるはずだ」「指向式だからケーブルをランウェイ沿いに敷設すれば損傷することはないでしょう。それなら使用済みの本体を交換するだけですみます」通信隊の空曹の答えに作業している警備小隊員はM5と通信用有線ケーブルの接続部を確認したが、警備小隊長は交換が必要になるのは侵入者を殺傷した時であり、遺骸の収容と負傷者の救護を実施している光景を想像した。
  1. 2022/04/23(土) 15:00:33|
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色に狂った皇女が悪意に基づく皇室報道に踊らされた末路

「皇嗣」なる地位にある天皇家の二男の長女が国民の圧倒的な反対、少なくとも出自や家庭に対する疑問や職業と将来に関する不安を押し切って結婚した相手・KKくんは今年もアメリカ・ニューヨーク州の弁護士試験で不合格だったそうです。
そもそも2人の出身大学の国際基督教大学は日本の司法試験の合格者は出ておらず(予備校の偏差値は異常に高い割に)、訴訟王国のアメリカは弁護士の需要が高いため文科系随一言われる日本の司法試験に比べれば難易度が緩いとしても簡単な試験ではありません。
ところが皇室の伝統堅持を時代錯誤と批判し、皇族の人権尊重を主張する左傾マスコミは皇女が学習院大学で学友に守られることを嫌ってマックアーサー元帥が神道=皇室の消滅を目的に創設した国際基督教大学に進学したことを快挙と賞賛し、そこでハメ狂い=セックス依存症にした=された2人の結婚を全面的に支援し、保守系マスコミが「婚約者の母親が金銭目的で男性と交際し、生活費だけでなく息子=婚約者の学費まで貢がせて、婚約者もそれを当然視して贅沢な学生生活を送っていた」「相手の男性は失業して生活が困窮し、貢いだ金を返却して欲しいと訴えている」とする批判報道に対抗するように婚約者の優秀さを喧伝することに躍起になって、研修を受けているニューヨークの弁護士事務所の関係不明の上司や同僚と称する人物に人間性を絶賛させるのと同時に研修中の論文が最優等の評価を受けたと紹介し、「弁護士試験一発合格間違いなし」=「だから結婚させても大丈夫」と言う根拠がない印象を国民に流布しました。
しかし、保守系マスコミの報道バラエティ番組に出演している現職の国際派弁護士は「この論文は弁護士試験とは無関係」「出身大学のレベルから見てアメリカ、中でもニューヨーク州での弁護士試験の合格は不可能に近い」と現実を解説し、「アメリカの弁護士事務所では給与の3倍の報酬を持ってこないと一方的に解雇される(現在の事務員の方が営業ノルマがない分、収入は低くても安定しているとは言えますが)」「結婚は定職についてからにした方が好い」と助言した上で「アメリカの弁護士の友人たちから本人が『皇女の婚約者』と触れ回っていると言う噂を聞いた」と皇女に近づいたのは母親同様に功利的な目的だった可能性を指摘しました。
ところが左傾マスコミは皇女が婚約者の身上に対する疑問や不安を指摘することを「事実に基づかない批判」と受け取って人権侵害と非難した上、伯父=今上くんの元外交官の嫁がナンバー2だった間は公務を拒否する口実にしていた過度のストレスを原因とする病気の発症を模倣したため保守系のマスコミは口をつぐみ、左傾マスコミが演出する祝福ムードの中でニューヨークへ逃避行し、現地での生活はあくまでも私人として一切非公開になっています。しかし、日本の法律上は皇籍を離れて私人になったとしても海外で日本の皇室は現存する唯一最後のインペリアル・ファミリーであり、格式としてはヨーロッパの王室=ロイヤル・ファミリーよりも上位になるので敬意からくる注目と関心からは開放されず、KKくんの事務員の薄給での名もなく貧しく美しくの生活では日本の国辱です。それが左傾マスコミの応援報道の目的だったのかも知れません。
  1. 2022/04/22(金) 14:26:50|
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続・振り向けばイエスタディ102

「本日、全国規模で発生している同時多発システム障害は中国からの極めて強力な電磁波の放射とウィルスなどの破壊工作が原因と特定されました」夜になって首相官邸で石田首相による今回の同時多発システム障害に関する記者会見が行われた。今も全面的システム・アウト状態からの回復は遅々として進まないが、中でも政府から早急な機能回復を厳命されている旧電電公社は使用している機材が巨大で広範囲にわたる上、利用者が全国民に等しく情報量も膨大なのでいまだに地域限定に留まっている。それでも東北地区太平洋沖地震の巨大津波で福島第1原発が倒壊した時、記者会見で放射能漏れに関する質問に答えられないことを批判された缶内閣の杖野官房長官が不眠不休で対応に当たっている東京電力の担当者を首相官邸に呼びだして長時間拘束した愚挙を教訓にしているので石田内閣は報告待ちに留めていた。
「さらに中国から指令を受けた在日の中国人と韓国人のコンピューター技術者たちが業務を放棄し、一部は故意に回復を阻害する操作を実施したため公共機関や企業から依頼を受けたコンピューター会社は日本人や他の外国人に限定して対応せざるを得ず、企業各社は元より国民の皆さまにも多大なご迷惑をおかけしています」ここで石田首相は険しい顔で背筋を伸ばしたまま頭を20秒間下げた。この姿勢と時間が謝罪しても卑屈にならず、それでいて視聴者に心からの反省を感じさせるらしいが、スマート・ホンを使えない迷惑を被っている記者たちは慣れない手帳へのメモを止めて忌々しげにうなずいた。
「現段階では鉄道の運行再開に全力を上げていますが、点検に万全を期すため本日は終日運行停止とします」「発展途上国みたいに人力で運行すれば良いんだよ」石田内閣の四角四面の対応に記者の1人が呟いた。確かに発展途上国に限らず昔の日本でも、駅長が時計を見て発車させ、運転士も時計を見て速度で到着時間を調整していた。現在も基本的な操作は変わらないが、発車時間を中央管制するようになっているため駅長は乗客が階段を駆け上がってきても時間になれば情け容赦なく発車させてしまう。
「それでは質疑に移ります」「冒頭に総理は中国の破壊活動が原因と言われましたが、それを特定する具体的な証拠があるんですか」司会進行の官僚が声をかけると珍しく国営放送の記者が手を上げた。国営放送は局内にコンピューター担当の専門部局を持ち、熟練した職員を多数確保しているので通常のチャンネルでニュース限定の放送を再開しているのだ。各新聞社は地方の支社に記事を送ることができないので夕刊は休刊になった。
「保全上、探知した組織や場所は公表できませんが、システム障害が発生する数芬前に大陸方向から極めて表力な電磁波が放射され、国内の大型コンピューターと個人所有のパソコンやスマート・ホンが使用している中国製の電子部品が一斉に破損しました」「確かに」石田首相に代わって会場の横に控えていた担当者が説明すると国営放送の記者が相槌を返し、他の記者たちも舌打ちをして電源は入っても機能しない自分のスマート・ホンを見た。
「その直後に同じく中国から国内のインターネットにウィルスが大量に流入して次々に感染すると瞬く間に蔓延してインターネットを内部崩壊させました」「つまりハードとソフトが同時に破壊されたんですね」「その通りです」記者たちは旧電電公社とインターネットが同時に使用不能になったため車で取材に回れる首都圏限定の情報しか持っていない。これでは長期戦を前提にした対策を講じなければ社会から必要性を抹消されてしまう。
「当然、中国に抗議するんですね。損害賠償請求するとすればどのくらいと見積もっていますか」「しかし、中国とは沖縄で交戦状態に陥っていますから外交関係は断絶しているんでしょう」「どうしてこちらの問題を先に説明しなかったのですか。国家の存続に関わる安全保障上の最重大事件じゃあないですか」「午後にあった防衛大臣の緊急記者会見に補足があればお願いします」新聞記者が質疑の主導権を奪うと会見は混乱してしまった。壇上の石田首相は記者たちが勝手に始めた自由討論を黙って眺めていた。
「この場で補足するとすれば対馬の海栗島のレーダー・サイトは中国ではなく韓国軍の弾道ミサイルで破壊され、隊員3名が殉職しました。航空自衛隊は海栗島分屯基地を放棄して生存者は本土に移動させています。海栗島がカバーしていた空域はAWACSとEー2Dで補完しますから問題ありません」記者たちの自由討論が鎮まったところで石田首相が説明を始めると記者たちはメモしている手帳の次のページを開いた。
「韓国が我が国を攻撃してきた理由は」「発生時間は沖縄で中国海軍が敗走した直後ですから報復と考えて間違いないでしょう。これで中韓が軍事同盟を結んで協同作戦を開始したと見なければなりません」「いよいよ防衛出動を下達しますか」「ギリギリまで外交努力を続けます」石田首相の答えに対する記者たちの反応は賛否の2色に塗り分けられた。
  1. 2022/04/22(金) 14:25:20|
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そろそろ日本共産党は綱領の教条主義を卒業しなさい。

日本共産党の志位和夫委員長が国会内で会見して自ら執筆した日本共産党の憲法に例えるよりも宗教的な聖典と言うべき党綱領の解読本の出版を発表しました。
野僧は高校で生徒会の役員を歴任していたため日本共産党の下部組織・民主青年同盟の準会員たちが取り込もうと新聞赤旗や機関誌を「読め」と手渡して内容に関する議論を吹きかけてきたのですが、その中には当時の日本共産党の1961年綱領がありました。
大学に進学すると今度は民主青年同盟の美人女学生が集会に勧誘したため日本共産党の勉強を継続することになりました(革マル派からも誘われた)。野僧は高校時代にマルクスの「資本論」を読破していたため雑談的議論でも活動家の学生を論破することが多く、目立つ存在だったようです。
そこで「日本共産党は多種多様な立場のせめぎ合いによって複雑怪奇に変化する国内外情勢を『綱領』と言うは固定概念だけで評価する教条主義の政党」と言う結論を得て、自民党政権に対する「批判票」としてのみ1票を与える超消極的な支持者になりました。
日本共産党綱領は大正11(1922)年にソビエト連邦の第3インターナショナル=世界共産主義革命の日本支部として徳田球一さんや山川均さん、野坂参三さん、佐野学さんなどが学生や労働者たちを洗脳して非合法に創立した時に活動方針以上の精神的基盤として制定した「テーゼ=ドイツ語の『命題』」が始まりで、内容としてはマルクス主義の「唯物史観」「階級闘争論」「レーニン主義=資本主義の最終段階としての帝国主義論」「前衛党論=大衆を扇動する革命運動」「2段階革命論=社会主義から共産主義に移行する」「コミンテルンの人民戦線論」を基盤として「天皇制の廃止」「軍隊の廃止」「労働者の武装化」「朝鮮・中国からの撤退」「土地公有化」が列挙されていました。
その後、テーゼは昭和2(1927)年、昭和7(1932)年に秘密会議で改定され、敗戦後の昭和22(1947)年に合法化されたことで公式な行動綱領=政党としての政権公約になりましたが、それでも「マルクス・レーニン主義」「前衛党」「天皇制の打倒・人民共和政府の樹立」は継承し、そこに「広範な民主戦線」と「連合軍を解放軍とする」解釈規定を加えました。そして昭和26(1951)年の改定を経て昭和36(1961)年には「日本の当面する革命は2つの敵=アメリカと日本の独占資本による支配に反対する民主主義革命論」「共産党と社会党左派が国会で安定的絶対多数を占める多数者革命」「社会主義は国営企業・農場で能力に応じて働き、労働に応じて報酬を受け取るが、共産主義は能力に応じて働き、必要により生産物を分配する=2段階革命論の定義」に全面改定し、それ以降は用語の修正を繰り返してきました。
そして2020年に改定された現在の綱領では「現在の日本社会の特質は対米従属と大企業、財界支配の深刻化」と相変わらずの見解を示す一方で「国民の合意での憲法第9条の完全実施」と護憲政党としての立場を明記していますが、志位委員長は「有事への対応」を質問されて「まだ存在する自衛隊を活用する(廃止後は不明)」と苦しい回答を弄しています。そろそろ綱領による教条主義を卒業しなければ将来はありません。
  1. 2022/04/21(木) 15:55:40|
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続・振り向けばイエスタディ101

自衛隊が中国艦隊を攻撃」「防衛出動は発令されておらず」浜防衛大臣の緊急記者会見は夕刊の締め切りには間に合ったはずだが、電話が不通になっているため記者クラブの新聞記者たちは編集部に事前情報を入られず、日頃からスマート・ホンで同時中継を見ながら質問まで指示している編集部のベテラン記者たちは出処不明の中国側の発表を全面的に採用して記事を作成していた。日本国内が完全なシステム・アウトで通信不能に陥っていても中国本国から在日中国人への情報伝達手段は機能しているようだ。
「戻りました。防衛大臣の緊急記者会見の内容です」そこに会見を終えた若手記者が戻って来た。今日は防衛省だけでなく首相官邸や各省庁、都庁などの記者クラブからも帰って口頭で報告しているので特別な反応はないが、ベテラン記者たちは何故か身体でワープロとしてしか機能していないパソコンの画面を隠し、机に置いてある中国側の発表記事のコピーを裏返した。
「沖縄の海上自衛隊が中国艦隊を撃枕して、その報復に対馬の航空自衛隊が攻撃された事件だな」「大筋はその通りですが、経緯は違います」編集長は前に立った若手記者の妙に気合が入った顔を見上げながら自分が同世代だった頃にされたように話す前に冷笑を浴びせながら腰を折った。この様子では大学時代に新聞社を志望した動機のジャーナリズムが燃え上がっているのかも知れない。しかし、それは現実のマスコミ業界には不要な表向きのプロ意識だ。
「お前も若いから加倍の弟の浜ちゃんの扇動に乗せられたのかな。加倍はロシアがウクライナに侵攻した時にプーチンの友人として抹殺されるはずが、逆に加倍の退陣でプーチンが中国に乗り換えたことが原因にされて人気が高まってしまった。加倍を熱狂的に支持しているのはお前たち若い世代だそうだから危ないな」「加倍の復活を扇動しろとでも言われてきたか」編集長の皮肉に前の席の副編集長も同調した。若手記者が振り返ると編集部に残っているベテラン記者たちは揃って顔を向けて皮肉な笑いを浮かべていた。
「取り敢えずは緊急記者会見の説明をさせて下さい」「慎んで浜ちゃんの言い訳を拝聴することにしよう」編集長は背広の胸ポケットから手帳を取り出してページをめくっている若手記者に皮肉の追い討ちをかけた。どこまでも加倍元首相を憎悪しているらしい。
「今回の防衛行動は本日8時10分過ぎに東シナ海中部を哨戒飛行中の沖縄の海上自衛隊機が奄美群島方向に進行する大型揚陸艦6隻と護衛の戦闘艦10隻の中国艦隊を発見したため海上における警備行動が発令されたんです」「それは初耳だな。官房長官は特に記者会見を開いていないぞ」「海上における警備行動は防衛大臣に発令権があります」若手記者の補足説明に編集長は渋い顔をして机の上の冷めたコーヒーをすすった。
「すると中国空軍の殲ー10戦闘機が飛来したため航空自衛隊が対領空侵犯措置として戦闘機に迎撃させ・・・」「ミサイルで撃墜したんだな」「いいえ、向うがロック・オンしてきたため正当防衛としてミサイルを発射しましたが、中国軍機が転進した時点で自爆させています」中国側の資料では一連の事件を軍事衝突と断定して「自衛隊側が先制攻撃を加えてきた」としている。手順としてはこの説明を聞かなければならないが採用するかは別の話だ。
「続いて海上保安庁の第10管区の巡視船が中国艦隊を日米海軍と誤認して接近すると護衛の戦闘艦が攻撃態勢を取ったため海上自衛隊機が緊急避難としてミサイルを発射して撃沈したんです。それからは巡視船と対潜哨戒機に攻撃行動を取った戦闘艦を撃沈しましたが、これらは海上における警備行動で自衛隊に与えられている警察権の行使に他なりません」「ふーん、それでは自衛隊側の攻撃が正当行為になってしまうじゃないか」「そうです、正当な警察権の行使です」編集長の意外な返事に若手記者は憮然としながら答えた。
「記者会見には他にどこが来ていた」「・・・記者クラブ以外では在京のテレビ局各社と主要な雑誌社、それに外国人記者クラブが数人くらいです」「システム・アウトしているのにどうやって呼んだんだ」「隊員が伝令に走ったそうです」若手記者の説明に背後のベテラン記者たちが嘲笑と感心が入り混じった相槌を打ったのが聞えた。
「テレビ局は放送再開の目途が立っていないが、それが夕方のニュースに間に合ってしまうと夕刊の内容と大きく異なると問題になるな」編集長の思考は社会の木鐸として事実の裏側まで覗き込んで本質を暴露するジャーナリストと言うよりも自己と会社の保身を優先する営業担当の中間管理職のものだった。これで出席者が記者クラブのメンバーだけであれば若手記者の報告は黙殺して中国側の発表の代弁者・宣伝媒体になるのだが、国民が夕刊以上に情報源にしているテレビのニュースとはある程度は内容を整合させなければならない。
「外国人記者の反応はどうだった」「浜大臣の説明は理路整然としていて信頼できると言っていました。中国の発表には真実はないそうです」編集長のコーヒーの後味は異様に苦かった。
  1. 2022/04/21(木) 15:54:23|
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4月20日・空襲を免れたのに・・・飯田の大火

敗戦2年後の昭和22(1947)年の4月20日に長野県で最も南にあり、実家がある愛知県の東三河とは飯田線でつながっていて意外に人の往来が多い飯田市で(中学校3年の担任で唯一野僧の文才を認めてくれていた国語の教員も飯田市から愛知教育大学に進学した)、市街地の7割の約50万平方メートルが消失する大火が発生しました。
飯田市は第2次世界大戦中にアメリカ軍が策定していた日本の都市空襲の優先順位では180都市中の177位でしたが、長野県内では昭和20(1945)年8月13日に64位の長野市と144位の上田市が空襲された以外は66位の松本市、125位の岡谷市も空襲されていません。そのため担任が子供の頃には京都を模した細かい格子状の区画に長屋を整然と配した城下町の街並みがそのまま残っていたそうですが、その分、木造家屋が密集しているため一度、火災が発生すると類焼して大火になることが多く、江戸の神田佐久間町(地名の偶然の一致)でも大火があった文政年間や前年の昭和21(1946)年にも焼損棟数198戸、焼損面積3万3500平方メートルの火災が発生しています。
この大火は4月20日の午前11時48分に市街地の中心部にあった鉄筋コンクリート製で屋上ドーム付き2階建ての八十二銀行飯田支店の裏手の民家から出火して午前中は風速4メートルと風は弱かったものの晴天続きで乾燥していて、日曜日で戦後初の衆議院選挙の投票日だったため不在にしている家が多く初期消火は行われず、さらに八十二銀行の建物が延焼を二分する形になって両方向に燃え広がり、前年の火災の記憶が生々しい市民が火の手が及んでいない地域でも延焼予防として一斉に放水したことで消火栓の水圧が下がって使用不能になる悪条件が重なって午後から吹き始めた風速15メートルの強風にあおられた火災は市内全域に広がっていきました。ちなみに飯田市内には火災に強いとされる土蔵が数多く存在しましたが、明治以降は住民が必要性を認めなくなって放置したため壁の亀裂や鼠穴などで密封性が損なわれて類焼すると中の家具や古着、掛け軸や屏風などの古道具などが炎上、倒壊して防火壁の役割を果たしませんでした。このため消防も打つ手がなく結局10時間燃え続けるのを傍観しているしかなかったのです。
その結果、焼損面積は48万1985平方メートルに達し、焼損棟数は4010戸、被災人数は17778人に及びましたが、死者・行方不明者は初期消火が機能しなかったくらい不在だったため3名に留まりました。また市街地では唯一類焼を免れた仲ノ町地区には元藩士の3男だった日本画家・菱田春草さんの生家がありましたが、現在は屋敷と庭は取り壊されて見るべき物は何もない記念公園になっています。
翌年から本格的復興事業が始まり、また大火になった時には4分の1の焼損ですむように市街地を縦横に4分割する形で防火帯の役目を果たす幅の広い道路を作り、裏路地を幅2メートルに拡張した避難痛路「裏界線」も巡らせましたが、当時、小学生だった担任は大火前の城下町風情を色濃く残す街並みを憶えているので「復興後の飯田市は戦災から復興した他の都市と同一規格の街になってしまった」=「郷土愛を喪失した」と嘆いていました。それでも現在は4分割防火道路の緑地帯に植えた林檎並木が有名です。
  1. 2022/04/20(水) 14:22:22|
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続・振り向けばイエスタディ100

屯田高彦は山口県下関市豊北町にある栗野(くりの)郵便局に勤めている。担当する栗野地区は昭和30年4月1日の大合併までは独立した栗野村だったが豊北町に統合され、その豊北町は平成の大合併で下関市に編入されたので面積は広く、海岸沿いの漁村から山奥の平家の落人集落まで点在しているため配達の苦労は都市部の日本郵政の社員たちとは比べ物にならない。おまけに過疎化が著しく集落の大半は空き家になっていて配達時に1人で住んでいる高齢者の生存を確認するのも仕事になっている。そんな屯田は最近超多忙になっていた。
「五島さんは唄の井(うたのい)だったな」山口県は加倍元首相からの依頼を受けた村山知事の陣頭指揮で対馬からの避難民の受け入れを進めた。その中で対馬市長から「避難後も自治会の機能を維持したい」と要望されたので世帯数に応じて山口県内の過疎集落を割り当てた。一方、山口県は電力会社、水道局、NTTにも早急な生活機能の復旧作業を要請し、日本郵便も対馬の住所宛の郵便物を山口県内の避難住宅に転送するようにコンピューターを操作した。そのため屯田は今まで取り残されている住民1人のために走り回っていた配達物の量と相手が数倍増になっていた。ただし、日本郵便には過去にさかのぼって失策もある。昭和の大合併の時、栗野地区の住所から集落を削除して番地だけにしたのだが、広い対象地域を数字だけで特定するのは困難だ。屯田としてはこの機会に改善を要求したいところだが、それを「組織に対する批判」として許さないのが山口の県民性だ。
「どうですか慣れましたか」「こんな立派な家に家賃なしで住めるとは思わなかったよ。おまけに家具、食器付きとはね。でも古着は困るな」屯田は空き家になっていた住宅に転居してきた対馬の島民に声をかけた。山口県内では子供たちが就職先の近傍で家を建てて親を呼ぼうとしても「迷惑がかかる」「ご先祖さんの墓を守らなければならない」「田畑を捨てていけない」などと拒むことが珍しくない。そうして高齢者が1人暮らしを続けると足腰の衰えで古民家での暮らしが辛くなり、死を目前にしてバリアフリーで新築することも多く、この家も新築同然だった。ところが親が死んでも子供が放置するため生活していた状態のままになっていて、台所には食器や鍋釜薬缶(食材や調味料は知り合いが回収する)、箪笥には衣類が残っている。
「対馬宛の郵便物を届けてもらえて有り難いよ。本土に来ている連中が心配して避難して来いって手紙をくれていたんだ。これで会いに行ける」「でも新型コロナがありますからあまり遠出はできませんね」屯田の答えに島民は少し落胆した顔になった。
「ところで買い物はどこへ出れば良いんだね。総合支所の職員が説明に来たけど本人が余所者みたいで地元の人に訊いてくれって逃げるんだ。ところが地元の人は90過ぎの婆さんが1人だけで何を訊いても『昔はあそこの店で売っていた』としか言わないから困ってるんだ。車を持ってこなかったから足がないだろう。倉庫にある自転車を直して出かけるしかないな」「ここから自転車で行けるところにスーパーやコンビニはありませんよ。強いて言えば栗野の駅から電車で長門や下関に出れば大概の物は揃います」「電車かァ・・・対馬にはないから嬉しいな」意外な反応に屯田は地理の勉強をした気分になった。
「そうだ巡回販売のトラックに会ったらここにも寄るように声をかけましょう」「そう言えば婆さんも週に1回トラックで売りに来るって言っていたな。俺たちが来たのがその間になったと言うことだ」島民は納得したようにうなずくと受け取った郵便物を確認し始めたので屯田は次の家に向かってバイクを走らせた。
「私が死んでも見つけてくれるのは屯田さんか繁永さんだと思ってたけど、急ににぎやかになって安心して死ねるよ。ナマンダブ、ナマンダブ・・・」集落に1人で住んでいた婆さんは畑仕事から返ってきたところで広告の郵便物を受け取ると毎度の口調で説明した。この皮肉な言い方も他県人に嫌われる県民性だが、山口県人である屯田は聞き慣れている。
「人が多くなれば田畑を荒らす鹿や猪、猿も少しは遠慮するでしょう」「鹿や猪は若い人が追い回して棒で殴ってくれなきゃあ逃げないよ」郵便物に広告しかないのを確認した婆さんは立腹したような顔になって皮肉を上乗せした。栗野地区でも山間部はサファリパーク状態で屯田がバイクで走っていても鹿の群れが前に立ち塞がり、バイクで近づいても逃げようとせず、警笛くらいではあまり効果がない。そこで数十メートル手前から警笛を押し続けて接近するとようやく道を開けさせることができる。突然藪から飛び出してくる猪や猿の集団も始末が悪いが、隣りの長門市や豊田町に出没している熊はこれで進入してこないはずだ。
「屯田くんかァ、小川内(おがわうち)の転入者たちは少しは落ちついた様子だったかね」屯田が集落の配達を終り、次の集落に向かうと栗野の駐在所の警察官が軽自動車のパトカーでやってきて停車すると声をかけてきた。窓越しの情報交換は地域の安全のためだ。
  1. 2022/04/20(水) 14:21:21|
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4月20日・「次郎物語」の作者・下村湖人の命日

昭和30(1955)年の明日4月20日は佐賀県人必読の書であり、他県人が佐賀県人を理解する上で最高の参考書である「次郎物語」の作者の下村湖人さんの命日です。
野僧が「次郎物語」を読んだのは中学校で生徒と教員から陰湿で姑息な苛めに遭い、昼休みを教室で過ごすのが嫌になって逃げ込んだ図書室で見つけたのですが、叔父と同じ名前の題名なので興味を持っただけでした。
「次郎物語」は元佐賀藩士の本田家の3人兄弟の二男として生まれた次郎が「孟母三遷の教え」を実践する母親の意向で学校に住み込みの用務員の家庭に預けられますが、学校の建て替えで実家に戻されると祖母は自分が育てた兄や弟と比較して次郎の品格の欠落を指摘して執拗に差別したため、嫌気が差した次郎は当てつけのように喧嘩や悪戯を繰り返し、祖母や母親とは近親憎悪の関係になりますが、父親と祖父、逃げるように訪ねた母親の実家の正木家からは温かく見守られながら佐賀人としての教えを受けて自我に目覚め、成長していく物語です。野僧には本田家の女性たちの嫌味な人間性が中学や地元で周囲にいる女生徒や小母さんたちと共通していて大いに共感を覚えました。
下村さんは明治17(1884)年に現在の佐賀県神埼市で生まれ、次郎と同じように生まれて間もなく里子に出されて4歳で実家に戻っています。旧制・佐賀中学校の頃から詩歌を雑誌に投稿するようになり、熊本の旧制第5高等学校に進学してからは生徒の交友誌の編集委員を務め、「文才は5高随一」と評されるようになりました。東京帝国大学英文科を卒業して学資援助を受けていた下村家の婿養子になると母校の佐賀中学校の教員から唐津中学校の教頭、鹿島中学校と鹿取中学校の校長を歴任した後、地元の社会教育家の勧めで台湾に渡って台中第1中学校と台北高等学校の校長を務めて帰国して昭和6(1931)年に教職を辞すると昭和7(1932)年から本格的に文筆活動に入るのと同時に昭和8(1933)年からは大日本青年団講習所の所長に就任しています。
昭和11(1836)年から雑誌「青年」に「次郎物語」の連載を始めましたが戦前・戦中・戦後まで断続的に連載は続き、第1部は「教育と母性愛」、第2部は「自己開拓者としての少年次郎」が主題だったと筆者自身が語り、昭和22(1947)年までの第4部では佐賀県出身の軍人が大きく関与した5・15事件や2・26事件による軍国主義の勃興の時代背景を描き、昭和29(1954)年に第5部を脱稿して間もなく脳軟化症(脳血管の閉塞で脳細胞に病的症状が発生する)で病床に伏すことが多くなり、この日の午後11時2分に東京都新宿区の自宅の書斎で死去しました。下村さんは5部の後書きで「戦争末期の次郎を第6部、終戦から数年たってからの次郎を第7部として描きたい」と述べていましたが未完に終わりました。
なお、「次郎物語」は昭和16(1941)年、昭和30(1955)年、昭和35(1960)年、昭和57(1982)年に映画化されていて野僧も一般空曹侯補学生基礎課程に入校中に看護学生の彼女と徳山市内の映画館で観ましたが、母親の死の場面などに多少の改作があったようでした。
  1. 2022/04/19(火) 15:26:36|
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続・振り向けばイエスタディ99

「防衛大臣が緊急記者会見を開きます。記者を派遣して下さい」発生から半日が経過しても通信網が復旧しない中、防衛省・自衛隊では東京地方協力本部の広報官たちがテレビ局と雑誌社、外国人記者クラブを車で走り回って案内していた。防衛省記者クラブに所属しているのは国内の新聞記者だけなのでこの重大事態の日本側発表を報道させるには1社でも多くの出席が必要なのだ。しかし、スマート・ホンで編集部の遠隔誘導を受け、質問さえ指示されている若い新聞記者たちがどこまでジャーナリストとしての取材能力を発揮するかは未知数だ。
「ようやく各社出揃ったようなので始めます。記者クラブの皆さんには大変お待たせしました」派遣されてきた記者たちが席につき、テレビ局のカメラの設置が終わったところで司会進行を担当する内局の官僚が場を仕切り、無理に平静な表情を作った浜防衛大臣が入場した。後には副大臣と事務次官、統合幕僚長と陸海空幕僚長が続いた。
「本日は全国規模のシステム・ダウンが発生し、現段階でも回復の目途が立っていません。そんな情報が完全に遮断されている中で我が国に対する武力攻撃が発生したことを説明しなければなりません」浜防衛大臣の説明に普段であればスマート・ホンを向けるだけの新聞記者たちはぎこちない仕草でメモを取り始めた。この様子では質問を考える余裕はなさそうだ。
「詳細な発生状況は確認中ですが午前8時10分過ぎに東シナ海中部を哨戒飛行中の海上自衛隊第5航空群所属のPー1が大型揚陸艦6隻と護衛の戦闘艦10隻からなる艦隊を発見したため午前8時55分に海上における警備行動を発令しました。これは私の職務権限です。すると中国空軍の戦闘機、機種は殲ー10が2機飛来したため航空自衛隊が対領空侵犯措置として戦術空中哨戒中の戦闘機を指向して迎撃しました」本来であれシステム・ダウンに掛かり切りの石田首相に海上における警備行動の発令に必要な「承認」を受けることができたのかを質問するべきだが編集部の指示がない新聞記者は誰も思いつかなかった。
「すると中国軍機がロック・オンしてきたためパイロット自身の正当防衛として空対空ミサイルを発射、それを回避しようと中国軍機が転進したので遠隔装置で自爆させました。ところが第10管区海上保安本部所属の巡視船が中国艦隊を日米の艦隊と誤認して接近したため中国艦が戦闘行動を取り、これを緊急避難として空対艦ミサイルで撃沈しました。これはあくまでも自衛隊法第82条の海上における警備行動で認められている警察権の行使です」「つまり自衛隊機が中国艦を撃沈したんですね」「そうです。あくまでも巡視船への攻撃を阻止するための緊急避難です」ここでようやく雑誌記者が質問した。これでも日頃の記者会見で新聞記者が繰り返す嫌がらせの粗探しの質問が編集部の古参記者の入れ知恵なのが判る。
「その後も同様の戦闘行動を取った戦闘艦6隻を撃沈した結果、10時過ぎに中国艦隊は進路を変えて杭州方面に引き返しました」「中国艦隊は単に太平洋での訓練を目的にしていたんじゃあないですか」次はテレビ局の記者が質問した。国営放送を除く民間のテレビ局は通常、系列の新聞から取材情報を受けてニュースや報道番組を編集するので独自に記者を派遣することは珍しいが今回は広報官が乗り込んで案内したため応じたらしい。
「平時であればそれを確認するのが手順ですが、現在は中国が国際連合安全保障理事会の席で我が国に対する懲罰を宣言しているので、この揚陸艦を中心とする艦隊編成は離島への侵攻と占領を目的にしていると考えるのが国際常識です」「それなら陸上自衛隊の水陸機動連隊も出動したんですね」このテレビ局の記者は水陸機動連隊がアメリカ海兵隊で訓練を受けている報道番組の制作に関わったようだ。テレビ局は新聞のように文章表現で事実を歪曲することが難しい上、視聴率が収益に直結するため政治的な独断を介在させる度合いが薄い。新聞記者であれば陸上自衛隊の新設部隊の実戦への投入と活躍を紹介する記事を書かなければならなくなるような質問はしないはずだが、そこが視聴者の興味を優先するテレビ局だ。
「作戦の具体的な内容については防衛秘密に属しますので回答できません・・・まだ続きがあります」浜防衛大臣の回答は記者の期待を裏切ったが、さらに刺激的な事実が用意されていた。ここで新聞記者たちはメモを取り疲れた手首を回してコリをほぐしたが、それは日本の新聞記者が頭脳や意識だけでなく肉体も弱体化していることを如実に表現していた。
「中国艦隊が進路反転したほぼ同時刻、突如として朝鮮半島の釜山方面から弾道ミサイルが2発発射されて対馬北端の海栗島分屯基地のレーダーに命中して完全に破壊されました。そのため生存者は本土に退避しましたから現在、対馬には日本人は存在しません」「戦死者は何人ですか」「詳細は公表できませんがレーダー・オペレーションで勤務していた数名の隊員のみです」「中国の作戦の失敗に韓国軍が呼応した報復と考えて良いですね」「韓国の意図は不明ですからコメントは避けます」浜防衛大臣の説明は外国人記者にも好意的に受け止められた。
  1. 2022/04/19(火) 15:24:10|
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声優・松島みのりさんの逝去を悼む。

野僧の世代には懐かしい名作アニメから輸入放送していたアメリカの宇宙ドラマなどの主役や準主役、端役でも何度も出演していたため声が耳に録音されてしまった声優の松島みのりさんが4月8日に亡くなっていたことが公表されました。
松島さんは昭和15(1940)年に千葉県船橋市で生まれ、小中学生の頃から子役で活躍しながら都立大学付属高校に越境入学し、卒業後はNHK演技研究所の進み、その後は劇団三十人会や劇団新劇場に所属していました。
その一方で昭和38(1963)年に放送開始した日本初の30分間の本格アニメ「鉄腕アトム」のカズスケ役で声優デビューすると主な出演作品だけでも昭和40(1965)年の「スーパージェッター」では主人公のジェッターの恋人の水島かおる役(結構、際どいシーンもあった)、昭和41(1966)年には初のちばてつやアニメ「ハリスの旋風(かぜ)」では1971年版の主題歌「国松さまのお通りだい」に名前が出てくる主人公・石田国松の憧れのヒロインのオチャラ=朝井陽子役、昭和42(1967)年の「黄金バット」では毎回ナゾーに誘拐されて黄金バットに助けられる在日外国人の少女・マリー役、昭和43(1968)年のちばてつやアニメの傑作「あかねちゃん」では主人公の上条茜役で小学生の野僧を落涙させました。この年には藤子不二男アニメの「怪物くん」で怪物くんとフランケン、ドラキュラ、狼男の友達になる人間の子供・市川ひろし役、さらに昭和44(1969)年には水木しげる作品と誤解している人も多い手塚アニメの妖怪物「どろろ」で主人公・どろろ役、「アタック№1」で主人公・鮎原こずえの富士見学園高校のライバル校の大阪の寺堂院高校のキャプテン・八木沢静役(年子の3人姉妹でキャプテンを持ち回りしていた二女)で下手な関西弁を演じ、「ウメ星デンカ」では「怪物くん」の市川ひろしと同じ役回りの中村太郎役、「ハクション大魔王」では準主役のカンちゃんの憧れの美少女・ユリ子役、「紅三四郎」では父親を殺した白虎を倒すため柔術を習うインドの少年・カミールなどがある一方で昭和40(1965)年の「宇宙家族ロビンソン」では一家の娘のペニー、昭和41(1966)年の「宇宙大作戦(=スター・トレック)」では通信士官のウフーラ中尉、「謎の円盤UFO」でも月基地のインターセプターのパイロットのゲイ・エリス中尉、おまけに昭和44(1969)年の人形劇「キャプテン・スカーレット」でも戦闘機パイロットのキャロル・エンジェルと軍人役が続いています。そう言えば昭和48(1973)年のアニメ「マジンガーZ」でアフロダイA(乳房がロケットだった)に搭乗する弓さやか役もありました。
この辺りでテレビは見なくなったのですが、妹が購読していた少女漫画雑誌「なかよし」に連載しているのを読んでしまい、それを中学生の同級生の女子に知られてその話題を振られるようになったため原作を全巻買い揃える羽目になっていた「キャンディ・キャンディ」が原作を全く無視した展開でアニメ化されて主役を演じたため声が甦ってしまいました(原作ではパイロットになった発明家のアリステアが第1次世界大戦で戦死する)。色々な作品でお世話になりました。ご冥福を祈ります。合掌
  1. 2022/04/18(月) 14:50:02|
  2. 追悼・告別・永訣文
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続・振り向けばイエスタディ98

海上自衛隊は中国艦隊の戦闘艦がロック・オンしてくると正当防衛として艦対空ミサイルを発射して撃沈した。さらに戦闘艦が稚拙な回避行動で艦隊から離脱すると直進を続ける輸送艦隊の進路に爆弾を投下して威嚇し、転進を余儀なくさせた。当然、中国空軍の戦闘機の大編隊が飛来したが、航空自衛隊はアメリカ空軍の空中給油機から燃料補給を受けて迎撃したためこれも撃退した。結局、中国艦隊の奄美諸島侵攻作戦の初回は失敗に終わった。
ヒューン、ズーン。「何だ」中国艦隊が反転して間もなく対馬の海栗島では空気を切り裂く甲高い音が聞こえると数発の爆発音が響いた。防衛出動待機命令が発令されて以来、本部隊舎内に開設されている第19警戒隊指揮所でも地響きで床が細かく振動し、窓ガラスも「カタカタ」と音を立てた。これは明らかにミサイルの着弾だ。
「監視小隊、異常はないか。監視小隊、監視小隊、異常はないか・・・応答せよ」指揮所の電話で運用班長が何度も呼びかけたが応答はない。その様子を指揮所長の席で見ていた分屯基地司令を兼務する隊長は立ち上がると窓へ歩み寄り、窓を開けてレドームと階下にある監視小隊の管制監視所の方向を確認した。するといつもは目に入る白いレドームとその下の建物は姿を消し、炎と黒煙が立ち上り始めていた。通常のレーダー・サイトでは連山の最高峰にレドームを置き、次峰に通信アンテナを設けるが、海栗島は東西800メートル、南北400メートルの小島なので、島の中央の本部庁舎から西端のレドームまでは200メートルもない。今日は北風なので煙は来ないが西風や南風ならば分屯基地が黒煙に覆われたはずだ。
「あれでは全滅だ。救助や消火も無駄だな」「そうですか・・・」分屯基地司令の言葉に受話器を置いた運用班長は顔を強張らせてうなだれた。その隣で総務人事班長は壁に掲示してある隊員名簿の監視小隊の枠を注視し、今日の勤務者を確認した。
「こうなれば次は上陸占領です。警備に全力配備を敷きます」分屯基地司令自ら救助と消火の放棄を決断したので運用班長は次に考えられる事態に意識を移した。海栗島分屯屯基地と見島分屯基地には防府南基地の第1教育群から教育職の隊員が警備の増強要員として派遣されるはずだったが、中隊長以下が揃って退職願を提出し、空曹の退職承認権を有する航空教育集団司令官が自衛隊法第40条の「承認することが自衛隊の任務遂行に著しい支障を及ぼす」を適用して拒否すると次々に所在不明になって編成すら取れなかった。
「レドームがやられれば海栗島の存在理由はない。撤退するようにヘリ空輸隊を要請しろ」「分屯基地を放棄するんですか」「防衛大臣から降伏の許可が出ている。降伏して敵に拘束されるよりも本土へ帰って次の戦力になる方が国家のためだ」「ラージャ」分屯基地司令の指示に運用班長は兵器管制幹部に戻って返事をした。運用班長は妻が官舎で強姦されて子供を連れて芦屋基地に隣接する鋳鍛鋼の元社宅を借り上げた団地に住んでいる。その経験を思えば韓国軍に降伏すればWAFたちも同じ汚辱を受ける可能性は高い。運用班長は指揮所にも接続されている運用回線で西空SOC(西部航空方面隊司令部指揮所)に電話した。
「ミサイルを2発射ち込まれてレドームとオペレーションは倒壊しました。隊員も全員死亡した模様です。したがって海栗島分屯基地を維持する意味は喪失しました。ですから敵が上陸してくる前に本土へ退避するためCHー47を派遣して下さい」「スタンバイ」電話に出たのは3佐の装備幕僚だったが1尉の運用班長は一気に捲し立てた。西部航空方面隊も浜防衛大臣の言葉として航空幕僚長から伝達された「降伏の許可」を真剣に受け止め、作戦計画で予定していた第2高射群の対馬配備を保留していた。地対空ミサイルは本来、最前線に配備して自由発射で敵機を迎撃する運用が基本なので対馬に配備すれば韓国空軍の喉元に刃を突きつけることになる。北部航空方面隊は第3高射群を稚内、第6高射群を根室方面に展開してウクライナ侵攻で中国に借りがあるロシアが侵攻してくるのに備える作戦計画だが、あちらは地続きなので全弾射ち尽くせば撤退は可能だ。一方、中部航空方面隊は首都圏防空の任務を負う第1高射群を日本海側に配備することができず、第4高射群も石川県の小松基地と金沢駐屯地、福井県の鯖江駐屯地、京都府の舞鶴基地に鎮座して若狭湾の原発銀座を守護することになっている。
「判った。ウチのチヌーク2機と陸の西方ヘリ隊の1機でそちらに向かう。搭乗可能人員は55名だから3機で間に合うが余計な荷物は持たせるな」「ラージャ」数分間の待ち時間で西空SOCは140名の所属人員を空輸するために必要な機数を確保するため陸上自衛隊にまで手配したようだ。やはり上層部も実戦態勢は万全なのが判った。
「オペレーションでは自分に向かって飛んでくるミサイルの航跡を捉えていたんだろうなァ・・・」熊本の高遊原駐屯地から飛んできた陸のCHー47に乗り込んだ分屯基地司令はまだ煙を上げ続けている隊舎の残骸を見下ろしながら運用班長に呟いた。遺骸・遺骨も置き去りだった。
  1. 2022/04/18(月) 14:48:24|
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4月18日・海洋冒険家・ヘイエルダール博士の命日

2002年の明日4月18日は太平洋の島々に住む人々の往来を検証するため筏のコンティキ号で南アメリカのペルーから南太平洋のトゥアモトゥ諸島まで102日間、約8000キロを漂流したノルウェーの学者で冒険家のトール・ヘイエルダール博士の命日です。
ヘイダール博士は1914年にノルウェー南部のラルヴィクで醸造業を営む家庭に生まれました。母親が宗教上は異端とする声が残っていたチャールズ・ダーウィンの進化論に強い関心をもって学習していたため幼い頃から知識を吸収して動物学を研究するようになり、中でも日本のマムシに近い毒蛇のヨーロッパクサリヘビを飼育していたそうです。
オスロ大学に進学すると動物学と地理を専攻し、同時にポリネシアの文化と歴史を研究するようになって父親の知己だったワイン商人が所蔵するノルウェー随一のポリネシアに関する文献と収集品を調査しました。当時、ポリネシアは世界の未開の大陸を勝手に山分けして太平洋の離島に食指を伸ばしていたヨーロッパでも関心を持たれていて島々に研究者を派遣する現地調査のプロジェクトが立ち上げられるとノルウェーの動物学者の後援を得て参加することになりました。こうしてヘイエルタール博士は1937年に大学を修了すると結婚して間もない妻を伴ってポリネシアのファツ・ビバ島に赴き、生活を共にする中でポリネシア人南アメリカ起源説に思い至ったようです。
帰国後は1940年4月8日に侵攻してきたナチス・ドイツとの祖国防衛戦に従軍し、連合軍が攻勢に転じた1944年からはフィンランド北部での北欧版レジスタンスに参加しています。そうして終戦を迎えるとポリネシアの研究は深化し、イースター島の巨石像を現地調査してそれが南アメリカの巨石文化、中でもペルーの石像に類似していることから南アメリカ起源説を確信するようになりました。しかし、現存する遺物が類似していても立地場所を隔てている距離は埋めようがなく、そのためには原始的な船での渡航が可能であることを証明するしかありませんでした。
そうして中世に南アメリカを侵略したスペイン人が描いた風物画を基にしてバルサ=葦や松、竹、マングローブ、麻縄など全て南アメリカの生産物で建造した長さ約15メートル、幅約6メートルのコンティキ号(インカ帝国の太陽神・ピラコチャの別名)で1947年4月28日に6人の乗組員と1羽のオウムでペルーのカヤオ港から出航したのです。とは言えフンボルト海流は大陸沿いに北上しているため80キロ沖まではペルー海軍の艦艇に曳航され、そこから帆だけを頼りにした航海と言うよりも漂流が始まったのです。それでもアメリカ軍から提供を受けた携行食(それ以外は魚を釣った)や天体で位置を確認する6分儀、アマチュア無線機を積載していました。そうして7月30日に島影を目視し、8月7日にフランス領ポリネシアのトゥアモトゥ諸島のラロイア環礁で座礁しました。
ヘイエルダール博士は1969年と1970年にはアステカとエジプト文明、1977年にもインダスとメソポタミア、エジプト文明の海上交流を検証するため復元船で大西洋横断とペルシャ湾とパキスタン、紅海を巡る漂流を試みましたが大西洋は2度目に成功したものの後者は5カ月後に中東戦争に抗議して紅海の入り口で火を放って炎上させました。
  1. 2022/04/17(日) 14:56:10|
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続・振り向けばイエスタディ97

「これでは中国の輸送艦隊に手を出せないまま奄美諸島に接近させることになるな」第5航空群司令部では海上における警備行動の発令を受けて中国艦隊の戦闘艦がPー1にレーダーをロック・オン=照準した時点で自衛措置としての艦対空ミサイルの発射を許可していた。先ほど航空自衛隊はPー1の監視行動を妨害、若しくは撃墜するために発進してきた中国空軍の戦闘機を要撃してロック・オンを受けたが、空対空ミサイルを発射して敵性機が回避行動を取った時点で遠隔操作によって自爆させた。これは日本式警察権の行使から国際標準の対領空侵犯措置に一歩踏み込んだ対応だ。海上における警備行動で自衛隊が許されている武器使用も警察権の行使までだが、海上保安庁は1999年3月23日の九州南西沖不審船事件で逃走する北朝鮮工作船と銃撃戦を交わして自爆させているのでここまでは許容範囲だろう。
「第11管区から照会です。第10管区の巡視船が奄美大島西方海域で国籍不明の軍用艦隊に接触しているのですが。これは海上自衛隊、若しくはアメリカ海軍かとの確認です」その時、司令部の連絡係のWAVESの海曹が那覇の第11管区海上保安本部からの直通電話を受けた。
「馬鹿な、11管区には中国艦隊の接近は通報してあるだろう」「ただちに退避せよと伝えろ」「はい、それは先ほど連絡した中国艦隊です。ただちに退避するように連絡して下さい。はい、はい」上層部の指示を電話で説明し始めたWAVWSの声が返事を繰り返しながらかすれ、重くになってきた。僅かな間に深刻な事態が発生したようだ。
「強力な妨害電波が入って連絡が取れなくなったそうです。先ほどの連絡は管区内の各海上保安署と漁協、海運会社に周知しただけで第10管区には通知していないそうです」「無線封止したと言うことは攻撃する可能性が高いな。中国は海上保安庁の巡視船も武装した戦闘艦として撃沈している。無線連絡できなければせめて旗信号で非戦闘艦であることを表示してくれれば・・・」WAVESの説明に上層部の返事も重苦しくなった。
「こちらユニコーン、中国艦隊に海上保安庁の巡視船が接近している。危険だから退避を指示してくれ」その沈痛な空気を上から圧迫するような連絡が監視中のPー1から入った。パイロット・スーツを着た第5航空群司令は身を乗り出すとマイクに手をかけ、命令を発した。
「戦闘行動を取る艦艇を緊急避難として撃沈しろ」「ラージャ、フリゲートが1隻、艦隊を離れて巡視船の方向に・・・緊急避難を行使します。ミサイルを発射」それからの数秒間は司令部内の全員が息を止めていた。上空から発射する93式空対艦誘導弾の射程距離は144キロとされていて艦艇から射ち上げる推進力を必要とする艦対空ミサイルとは比較にならないほど遠距離から攻撃できる。そのミサイルが火を噴きながら飛来する情景は頭の中で戦争映画の場面を借用した。大半は「亡国のイージス」だったが一部は「ゴジラ」シリーズだ。
「命中、航跡が消滅した」「他の艦艇は隊形を崩して回避行動を開始しました」「輸送艦は放置されています」Pー1の機上レーダー監視員から続々と状況が報告されてくる。アメリカ海空軍の戦闘機同士のドッグ・ファイト=空中戦であればミサイルが命中すればパイロットは「ビンゴ」と歓声を上げ、指令所でも拍手が沸き起こるのだが、ここでは無言で顔を見合わせた。他の選択肢はなかったとは言え開戦の幕を自らの手で切り落としたのだ。
「いよいよ始まったな」中央指揮所で航空自衛隊第9航空団と海上自衛隊第5航空群の対応を見ていた浜防衛大臣は意外に力強く声をかけた。すると指揮所に詰めている陸海空の制服組は大臣に正対して顔を注視しながら深くうなずいたが、背広組は強張った顔を背けた。その中で事務次官だけは場の主導権を掌握するため解説を始めた。
「確かに今回の武器の使用の発生用件は刑法第37条の緊急避難に該当し、海上における警備行動で容認されている警察官職務執行法第7条の規定に合致しますが、緊急避難の武器使用は刑法36条の正当防衛以上に比例の原則を厳格に適用しなければならないので、航空自衛隊のように攻撃を妨害することなく撃沈したのは・・・」「中国艦もミサイル1発で巡視船を撃沈できたんだ。機を失せば尖閣近海で死んだ同僚たちの後を追わせるところだった。これで日本の断固たる意思を明示できたんだ。それで十分だろう」防衛省の官僚は昭和25年の警察予備隊創設時に治安維持法の廃止で職務を失った内務省の思想警察担当者が配置替えされて組織を作ったため世代交代が進んでも思考形態は変わらない。何よりも内務官僚出身の海原治が「背広組=官僚が制服組=自衛官を服従させることが文民統制」と言う誤った定義を防衛庁の内外に広めたため水底(みなぞこ)にはその意識が淀みとなって残っているのだ。
「第1空挺団は間もなく入間を出発して新田原と鹿屋に移動します。ここで待機して島が確定でき次第展開します」事務次官に代わった陸上幕僚長の報告で中央指揮所内は再び本来の緊張感を取り戻した。こうなると中国艦隊が画面で晒している醜態も笑って見ていられる。
  1. 2022/04/17(日) 14:54:58|
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4月17日・神話上の女帝・神后皇后が死んだらしい日

古事記・日本書紀によればキリスト教暦4世紀に相当するらしい神后皇后摂政69年=仁徳天皇28年の4月17日に神功皇后が100歳で死去したようです。
そもそも日本が海外の文献に記録されているのはキリスト教暦280年から297年の間に刊行された古代中国・西晋の歴史書の「三国志」の30巻「魏書」の「烏丸鮮卑東夷伝倭人条」の別称「魏志倭人伝」が嚆矢ですが、そこでは倭の卑弥呼と言う女王が治める邪馬台国が使者を送って朝貢したことが記されていて、まだ統一国家は成立していなかったようです。したがって神道が主張する2680年を超える皇紀はあくまでも稗田阿礼(ひえだのあれ)が記憶していた神話・伝説上の類(たぐい)です。
神功皇后は第13代・成務天皇の治世になって40年後に第9代・開花天皇の玄孫の父と新羅からの渡来人=渡来神の天之日矛(あめのひほこ)の子孫の母の間の4人姉弟妹の長女として生まれたとされています。日本武尊の息子である第14代・仲哀天皇が即位した翌年に皇后になり、そのまま九州の熊襲(くまそ)征討に同行したと言われています。しかし、熊襲は九州全土を支配していたため穴門国(あなと=後の長門)の豊浦津に陣を置き、筑紫国まで侵攻した時に神功皇后が神懸かりになったのです。その神託は「熊襲の痩せた地を攻めても意味はない。神に田と船を捧げて海を渡れば金銀の財宝がある新羅を得ることができる」と言うものでしたが、高台に登っても海の向こうに陸地=国は見えず、仲哀天皇が神託を疑うと「お前は国を得ることができない。皇后が身籠った皇子が得る」と答え、即位から9年後の2月6日に筑紫の香椎(現在の福岡市東区にある香椎宮)の地で熊襲の矢に当たって崩御したのです。一部の日本古代史の研究者はこの年をキリスト教暦の367年と推定しています。
その後は夫の遺志を継いで熊襲征討を続けると3月に九州全域を支配下に収め、10月には筑前の芦屋(現在の福岡県遠賀郡芦屋町)の津から出帆して朝鮮半島に渡り、新羅、百済、高麗を屈服させたとされていますが韓国の歴史学界は全く認めていません。
朝鮮征討から帰国して12月14日に筑前の宇彌(うみ=現在の福岡県糟屋郡宇美町)で後の応神天皇を生んで神託が事実になり都へ凱旋しました。しかし、都に残っていた仲哀天皇の長男と二男が神功皇太后が産んだ皇子に皇位を奪われることを畏れ、播磨国で挙兵して待ち伏せしたため神功皇太后は海路で紀伊国へ向かいそこで髪を切って男装して軍勢を整えると再び海路で播磨に向かい務古川(=武庫川・現在の兵庫県尼崎市)の河口付近に上陸しました。
すると神功皇太后軍の武将・武内宿禰が計略を巡らせ、予備の剣と弓を用意して隠した上で和睦を申し入れ、その証として長男(二男は猪に襲われて死んでいた)の目の前で剣を海中に投じ、弓の弦を切ると長男も自分の軍に同じことを命じたのです。それを見計らって予備の武具で攻撃して打ち破ると琵琶湖岸まで敗走した長男は瀬田で入水自死しました。
その後は幼児で即位した息子=応神天皇の摂政として政務と軍事を取り仕切り、応神天皇が42歳で先立つと15代の仁徳天皇まで摂政を勤め、事実上の女帝として天皇に加えられていましたが大正15(1926)年の「皇統譜例」で除外されました。
  1. 2022/04/16(土) 16:19:00|
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続・振り向けばイエスタディ96

「サンセット(南西防空指令所のコールサイン=仮称)、ディス・イズ・マンタ(第9航空団の飛行隊のコールサイン=仮称)42、ホスタイル(敵機)・ジュディ(アメリカ軍の隠語=レーダーで捕捉した)」「ラージャ、アラート(スクランブル)したマンタ48とターンオーバー(交代)するまでキープ・サービランス(監視を継続)」CAP(戦闘空中哨戒)から中国空軍機に指向されたマンタ42は付き纏うように中国艦隊を監視している第5航空群のPー1に割り込むように誘導された。しかし、通常の対領空侵犯措置とは異なり任務はPー1への攻撃の阻止であり、兵器管制官とパイロットはROE(交戦規定)に基づいて対処する。何よりも今回は「アンノウン=国籍不明機」ではなく「ホスタイル=敵性機」と呼んでいる。
「機上レーダーで捕捉できているのか」「通常の航跡よりも鮮明度が落ちるからやはり殲ー10かも知れん。タリホー(視認)しよう」「危険だ。こちらの誘導に従え」防空指令官はパイロットの職業的好奇心を冷静に制止した。空対空ミサイルの射程距離はFー15が搭載している国産の99式空対空誘導弾は100キロ程度(非公開)、スパローは最新型なら70キロ、サイドワインダーでも5キロ弱だが、長射程から視程外ミサイルと呼ばれている中国空軍のPLー21が相手となると目視確認は危険極まりない。
「ユニコーン(第5航空群のコールサイン・仮称)は中国艦からロック・オンを受けた時、自衛措置として空対艦ミサイルを発射する許可を受けている。マンタ42も同様にロック・オンを受ければその時点で応戦せよ」「ラージャ、ホスタイルが殲ー10ならサイドワインダーの方が良いかな・・・」ここでSOC(航空方面指揮所)が補足した。実は防空指令官とパイロットは第8航空団のデニム27が能登半島沖で韓国空軍機に撃墜された事件以来、航空自衛隊内で秘かに開催されてきた対韓国、対中国の戦術研究に参加していた。確かにステルス機である殲ー10に対してレーダー誘導の99式空対空誘導弾やスパローと赤外線誘導のサイドワインダーの有効性を比較する実験的使用も緒戦の必須事項ではある。
「マンタ42、マンタ48はATC(交通管制)の妨害に遭ってテイク・オフ(発進)が遅れている」「ラージャ、遅れたついでにタワー(管制塔)にブロー(銃撃)してやれ」この軽口は戦闘の緊張をほぐすための冗談だが国土交通省の労組の管制官が傍受していれば沖縄の地元2大紙に電話して夕刊のネタを提供するはずだ。国土交通省は運輸省時代から航空偵察隊が北方領土のソ連空軍基地に配備されている航空機の情報を収集するための偵察飛行で規則通りにフライト・プレン=飛行計画を提出すると何故か格納庫に全機が隠蔽されていて兵員さえも歩いていなかった。そこで前もって千歳基地に移動して根室分屯基地や別海駐屯地、矢臼別演習場の写真撮影を目的とするフライト・プランを提出しながら不意に領空侵犯して通過すると軍用機を撮影できたが、それからは腹の探り合いになった。そのため多大な被害に遭っている海空自衛官の間で国土交通省は「敵性官庁」と呼ばれている。
「マンタ42、ホスタイルのヘディング(進路)はユニコーンに向かっている。前方を遮って妨害せよ」「ラージャ、ジージョと同じことをやるんだな」「交代で前を通過するだけで良い」マンタ42のパイロットも第8航空団の韓国空軍機に撃墜されてベイルアウト=緊急脱出しながら銃撃されて死んだパイロット=タックネーム・ジージョを知っていた。
「サンセット、エレメント(2機編隊)をセパレート(分離)して前方をフライパス(通過)する」「ラージャ、バット(コウモリ=パイロットのタック・ネーム)、ヘディング350」これが空中戦であれば射程距離に入ったところで空対空ミサイルを発射して航空自衛隊では1995年11月22日に小松基地の第6航空団で空中戦訓練中に誤ってサイドワインダーを発射して仇役のFー15を撃墜して以来の撃墜マークを記録するところだ。しかし、現段階では対領空侵犯措置を国際基準で実施しているので警察権の行使以上の対処はできない。中国側が先に戦闘として攻撃を加えてくればミサイルの性能次第で勝負は決まる。仮にPLー21がアメリカ軍のアミラームと同等の性能を持っていれば射程距離は180キロに達する。Fー14の売り物だったフェニックスでも150キロだった。それにしても在韓米軍の最高機密の技術情報を漏洩してロシアの兵器の盗作・模造品しか作れなかった中国に自主開発する能力を与えた韓国の金大中、盧武鉉、文在寅政権は許し難い。
「サンセット、ロック・オンされた。退避する」「ラージャ、ポッポ(鳩ポッポ=パイロットのタック・ネーム)、援護しろ」「ラージャ、AAM(空対空ミサイル)を発射する」「ラージャ、ファイヤー・パーミション(発砲許可)、ただし、空中爆発させる準備をせよ」「ラージャ」SOCの許可を受けたポッポこと鳩屋1尉は99式空対空誘導弾を発射してロック・オンを外すと空中爆発させた。これが日本式警察権の行使の限界だった。
  1. 2022/04/16(土) 16:17:38|
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