21世紀が始まって半年後の明日2001年6月1日に当時のネパール王国=現在のネパール連邦共和国のナラヤンヒティ王宮で月に1度の定例晩餐会の席でビレンドラ国王・アイシュワリヤ王妃以下の王族9人が殺害され、4名が負傷する惨事が起こりましたが、数多くの謎と疑惑が飛び交う中で王制が消滅した現在も真相は明らかになっていません。
事件についてネパール政府は定期晩餐会の席で他の王国では王太子に相当する地位に在った長男(ネパール王家にこの制度はなかった)の「ディペンドラ・ビール・ビクラム・シャハ王子が結婚を希望する女性が祖先は同じでも王家と政治的に敵対関係にあった将軍の末裔であることで反対され、激昂した国王夫妻から王位継承権の剝脱を宣告されたため泥酔していた王子が銃を乱射し、事件後に自死した」とする国王の次々弟の娘婿で晩餐会に同席して生き残った陸軍大佐の証言を公式発表し、現在も維持しています。
しかし、王子は右利きだったにも関わらず拳銃弾が左後側頭部から右前側頭部に貫通していて自死としては極めて不自然であり、泥酔していたはずなのに3日間の生存中に行った血液検査でアルコホール分が検出されなかったこと。さらに使用した銃器は発見された弾丸からMー16A2小銃が47発、ヘッケラー・ウント・コックMP5短機関銃が29発とされているものの泥酔状態で2種類の銃を使い分け、広い晩餐会場を逃げまどい、身を隠す人たちを射殺することが可能なのか。さらに犯行現場では前述の小銃と短機関銃の他に未使用の散弾銃と拳銃が発見されていて王宮周辺に配置されていた警備兵が誰も異変に気づかず通報しなかったことが疑惑を決定的にしています。
そこで浮かび上がってくるのが国王の次弟で2008年に自らの手で王制を廃止することになったギャネンドラ・ビール・ビクラム・デーブ王子の策謀説です。ギャネンドラ王子は地方視察に出ていて王家としては重要な行事である晩餐会を欠席していますが、事件の発生時間には首都にある別荘に到着していました。さらに晩餐会に出席していたギャネンドラ王子の妻は足に軽傷を負ったものの息子は前述の大佐の証言で「女性たちの盾になってかばった」と英雄的行動を讃えられながらも無傷で、実行犯が人物を選んで殺害していった=2人は避けたとしか考えられません。
共産党中国はインドの緩衝国であるネパールを手中に収めようと常套手段の若者の毛沢東思想への洗脳を進めていましたが、ビレンドラ国王は独自の佛教的民主化を推進して国民の絶大な支持を集めていました。一方、ギャネンドラ王子は表向きこそ親インド・反共産党中国の立場でしたが陰では共産党中国から国王と長男を抹殺すれば王位に即位させると唆され、「長男に手懐けていた王宮警備隊を指揮させてクーデターを起こした」と言う噂が事件直後からネパール国内で広まっていました。
その結果、ディペンドラ王子が3日間の在位で死亡して計画通りに即位しましたがビデンドラ国王を敬慕していた国民の反発は強く、この混乱に乗じて共産党中国も王制打倒に方針転換したため2001年に内戦が勃発するとこれを武力で弾圧したことで国民の支持を完全に失い、2008年5月28日に王制は廃止され共和制に移行しました。
- 2022/05/31(火) 14:28:57|
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バーン。「ヒエーッ」屯田局員が恐れていた通り、熱い空気の固まりが追い抜いていくのと同時に背後で銃声が響いて小さく悲鳴を上げた。弾丸は音速よりも早く、空気の固まりを引き摺ってくる現象も元自衛官の坊主から聞いている、だから本人も意外なほど冷静だった。
バーン、バーン、バーン。銃声は3発続いたが距離が離れた分、空気の固まりが追い抜くのと銃声の時間差が広がっている。屯田局員はバックミラーで確認すると地味な軽装で黒い野球帽をかぶった3人の男が山道に立ってこちらを見ているのが判った。
「ここまで来れば当たっても致命傷にはならないな。坊さんのおかげだ」屯田局員は森を抜けて集落の入り口に差し掛かったところで直進に戻り、速度を緩めた。元自衛官の坊主は日韓の軍事衝突が始まってからは配達のついでの雑談で「銃撃を受けている時の回避行動は不規則に蛇行しないと振れ幅を予測して照準される」「拳銃弾は至近距離でも週刊漫画雑誌を射ち抜けない」などの軍事知識を教育してきた。屯田局員がその理由を訊ねると「ここは韓国軍が潜入できる土地だ」と答えた。以来、屯田局員は坊主の軍事教育を真剣に聞いてきた。
「そうかここはアンテナが建ってないんだった」最初の人家の玄関先にバイクを止めた屯田局員は携帯電話で警察に通報しようとしたが、長年にわたり過疎の限界集落で高齢者しか住んでいなかったため携帯電話のアンテナが建っていないことに気がついた。携帯電話会社は現在も同時多発システム・ダウンの責任の所在が確定しないため損害賠償を請求されるか否かも不明で、新規事業を控えている。だから避難民が移住した地域へのアンテナの増設も今後の見通しが立たない以上、手を着けられないでいるのだ。
「すみません、電話を貸してもらえますか」屯田局員はバイクの音を聞いて郵便物を取りに出てきた住人に声をかけた。警察への通報が遅れれば男たちが逃走し、放置すれば帰路に襲撃される危険性もある。今回は運よく無事に回避したが向こうも失敗は繰り返さないはずだ。
「どうぞ。郵便じゃあ間に合わないような急用なの」高齢の住人は玄関に招き入れると下駄箱に置いてある電話の子機を手渡した。この憎まれ口は山口県人が共有する悪癖のようなものだが、数年前に夫を亡くして以来、一人住まいになっている老女には軽いストレス発散だ。
「栗野駐在所よりも110番だな」屯田局員は住人が好奇心満々で聞き耳を立てている横でプッシュのボタンを押した。すると住人は「110番なの」と怯えたように呟いた。
「はい、山口県警110番です。どうしましたか」初めてかけた110番は着信音が1度鳴り終わる前に山口県警の緊急指令所につながった。ここから先は向こうが誘導してくれる。
「私は下関市の栗野郵便局の屯田と言います」「はい、栗野郵便局の屯田さんですね」「今、配達中に森の中で拳銃で射たれました」「はい、お怪我は」屯田局員の説明に住人は足1つ分後退さりしたが、ここは警察官の質問に答えなければならない。
「大丈夫です」「現場は栗野郵便局の担当地域でもどこになりますか」「小川内の奥の集落に向かう森の中の道です」「小川内と言えば栗野川の橋を渡った集落ですね。ここの森と言うと・・・」警察官はパソコンで地図を検索して場所を特定しようとしているようだが、普通の地図では森は表示されていない。そこで屯田局員が機転を利かせた。
「武下正夫さんの家から先富一枝さんの家へ向かう道です」「なるほど、その中央付近ですか」「はい、森の中に隠れている人影に気がついて不審に思って通り過ぎたのですが、バックミラーで見ていると道路に飛び出してきて拳銃を構えたので蛇行運転しながら逃げました」「何発射たれたか判りますか」「全部で4発だと思います」電話を受けている警察官も屯田局員の冷静な回答に感心したような口調になった。
「今日は不審者に狙われるような配達物があるんですか」「こちらへ避難してきた対馬の島民への生活支援金の払い戻し用紙を配達しています」「新聞やテレビで報道していますね」警察官は犯人の狙いがニュースで報道している生活支援金だと推理した。
「生活支援金が届きます」「これで少し手助けになれば幸いです」と言うニュースの説明では現金書留で送ってくると誤解しても仕方なく、それを狙った犯行の標的になったらしい。
「途中で不審な車は見ませんでいたか」「そう言えば見たことがないワゴン車が森の入口に停まっていました。下関ナンバーだったと思います」ここで警察官は少し間をおいた。おそらく上司に報告し、対応の指示を受けたのだろう。
「屯田さんにお願いします。直ちにヘリコプターで機動隊員を派遣しますが、それまでその地域の住民を安全な場所に避難させて下さい。屯田さんも危険ですから森に近づかないように」仮に先ほどの男たちが後を追ってくればそろそろ姿を現すはずだ。屯田局員は玄関の隅で凍りついたように立ちすくんでいる住人に集落の集会場に行くように促してバイクにまたがった。
- 2022/05/31(火) 14:26:56|
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1795年の明日5月31日に1789年7月14日のフランス革命によって国王を頂点とする国家体制が崩壊した後の権力争いと粛清の舞台として数多くの醜悪な惨劇を上演した革命裁判所が廃止されました。
革命裁判所は革命の中、マリー・アントワネット王妃の実家であるオーストリア帝国に逃亡を図ったルイ16世国王と家族を反革命の大罪人として軟禁していたデュイルリー宮殿(ルーブル美術館の西隣)からパリの市街地の中心部にあった修道院のタンプル塔に移送・幽閉したことで革命政権内の主導権を握った蜂起市民と兵士たちのパリ・コミューンが1792年8月10日に勝手に開廷した特別重罪裁判所を前身としますが、国王一家に続き共産党中国の文化大革命式に反革命と断定された約3000人が逮捕・監禁された一方でプロイセン軍が国境のロンウェイ要塞を占領したことで「監禁されている反革命勢力が手引きして革命政権を打倒し、釈放後に報復行為に走る」との噂が流れ、恐怖に駆られて収監者を大量虐殺した9月事件(1792年9月2日から始まった)を起こしたため11月2日に廃止されました。ところが市民革命の波及を阻止するべくヨーロッパ諸国がフランスを包囲した反フランス革命戦争が始まると革命軍内で貴族士官同士の相互不信によって裏切りや陰謀の疑惑が飛び交い、再び法令ではなく革命のみを正義とする特別裁判が必要になって1793年3月10日に「あらゆる反革命行動、自由・平等・統一の侵害」の陰謀と国家犯罪のみを告訴事由として設立されました。
そんな革命裁判所も当初は裁判官や検事、陪審員を法律に精通している上流階層が独占していたため蜂起市民が感情で告発した被告人の大半を無罪にして釈放していました。するとこれに反発した革命原理主義者たちが再び主導権を握ると同年9月5日に人員が刷新され、特にマーシャル・ジョセフ・アルマン・ヘルマンが首席判事に就任してからはオーストリア帝国の報復を恐れて放置していたマリー・アントワネット王妃に死刑判決を下して執行し、それ以前は49名だった死刑判決が9月から同年末までに209名、翌1794年1月から5月までに942名に急増しました。さらに1794年6月10日からは裁判の簡素化・迅速化のために弁護士が廃止され、控訴は認められず、しかも平等原理の大義名分で有罪には一律に死刑しかなくなったので刑場がフル稼働しても追いつかず、執行待ちの死刑囚と公判待ちの被告が監獄に収監し切れないほど大量に発生しました。
この恐怖裁判は革命勢力と旧領主の抗争が続いていた地方にも広がり、革命原理主義政権を私物化していたマクシミリアン・ロベスピエールさんが派遣した地方議員が仇敵の残党を反革命の罪で一掃する手段として犠牲者を大量生産していったのです。
そんな革命裁判所は1794年7月27日に発生したクーデターによってロベスピエールさん一派が失脚して処刑されると8月10日に再び人員が刷新され、本来の機能に復帰するはずでしたが、権力者が政敵を一掃する手段に利用することの繰り返しになり、最終的にはフランス革命の終焉により革命政権の自発的廃止と言う形で廃止されました。
所詮、革命は暴動・反乱であってロシア革命、戊辰戦争、共産党中国も大差ありません。
- 2022/05/30(月) 15:09:40|
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山口県の栗野郵便局の屯田局員は今日の仕事にはかなり緊張していた。政府は防衛上の脅威を真摯に受け止め、率先して全島民の避難に踏み切った対馬の島民に生活支援金を交付している。今日は金融機関に振り込まれた生活支援金を払い戻す書類を簡易書留で配達するのだ。現金書留ではないとは言え栗野地区の過疎集落に移住してきている数十軒分の支援金の総額は軽く百万円を超え、万が一紛失すれば当分給料はない。屯田局員はこの地域住民から絶大な信頼を寄せられていて以前は郵便貯金の通帳と印鑑を預けられて現金の払い戻しを頼まれたこともあったが、これは下関市の本局に禁じられて現在は電話連絡で貯金担当者が出向いている。結局、市街地にある本局にとってはニュースで報じられる都市部の郵便局員による現金書留の横領事件の再発防止を東京の本社に指示されれば現場の局員の勤務態度や住民の利便性に関係なく徹底するのが郵政省以来の企業体質なのだ。
「今月も生活支援金がもらえるのか」屯田局員が最初の集落の島民の家でバイクを止めて玄関で声をかけると住居の隣の倉庫から出てきた小父さんは簡易書留を受け取って大声で独り言を口にした。屯田局員としては受領印をもらわなければならないのだが、そこまで気が回らないらしい。この旧郡部では平成の大合併で下関市に吸収されたため独立自尊の気風が崩壊し、隣接する町や市との境界線がなくなったことで過疎化が急激に進み、取り残された高齢者が細々と農地を維持していたが、そこに多くの島民が移住してきたことで一気に活性化している。運よく農業機械の貸出しを行っている会社があり耕作を本格的に再開できたのだ。
「移住してきたばかりの頃はこのわずかな手当てで何とか生活していたが、3カ月経ったから種で播いた野菜が収穫できるようになって多少は収入ができた。これは待ってくれているレンタ・トラクターの代金にしよう」屯田局員に促されて印鑑を持ってきた島民は朱肉を忘れて取りに戻り、ようやく受け取れた簡易書留を有り難そうに両手で持ちながら使い途を説明した。その話を聞いて屯田局員も地域が元気になっていることを感じて自分が配達しているのが栄養剤のような気がしてきた。これで青々とした水田が黄金色に染まり、稲刈りを迎えれば地域の再生も完成し、生活も安定する。その一方で島民にとってはやはり対馬に戻り、先祖代々で受け継いできた自分の農地を耕作することが悲願であり、新聞とニュースで報じられる対馬の現状には無念の歯噛みをしていることも承知している。
対馬には日本人女性と結婚して帰化した韓国人男性だけでなく日本人が経営する旅館や店舗、中小企業を買収し、移住してきた韓国人の家族が残っている。対馬市は避難するに当たり、日本政府の意向を受けて日本人女性の夫になっている韓国人男性も対象外にしたが、このことを恨んで日韓の緊張が激化するまでは極めて友好的だった態度を豹変させた。実際、自分の漁船で顔見知りの島民に頼まれた家財道具を取りに戻った漁民たちを殺害したことを「対馬防衛戦闘」「侵略者撃滅」と称してインターネットで喧伝した。それだけでなく日本人の家屋を占有して乗用車を乗り回し、島内の資産と呼べる品物は根こそぎ奪い尽し、使い切っていることも対馬領有の証として誇示していて、この事態に海上保安庁は周辺海域を封鎖しているが、韓国政府は対馬の領有権の回復を国際社会に喧伝しているため全面支援を続けている。航空自衛隊が対領空侵犯措置の警察権しか行使できないことを利用して「在留韓国人への生活物資の運搬」を目的とする飛行計画を提出した非武装の空軍の輸送機と陸軍のヘリコプターで生活物資を空輸しているだけでなく秘かに軍人と武器弾薬を運び込んで守備隊を配備したようだ。結局、日本政府が韓国との国交を断絶して防衛出動を発令しなければ治安出動中の自衛隊でも単なる不法入国者として捜査・逮捕することしかできない。
「次は小川内に唄の井だな。あそこは現金書留にして上げないと自動車を持たない島民さんには大変だよ」屯田局員は栗野川の橋に差し掛かったところで腕時計を見ながら呟いた。今日は郵便物が多いため配達予定時間を大きく過ぎている。ここから先は過疎が進んでいた分、移住者が多く人家が点在しながら軒数も多いのだ。
「うん・・・人影だったな。こんな森の中で何だろう」小川内でも橋を渡って最初の数軒の人家から森の中の道を走って奥の人家に向かってバイクを走らせていた屯田局員は木立の中に身を隠すように姿勢を低くしている複数の人影に気がついた。地元の住民が山菜や茸を取りに来れば賑やかに騒ぎながら収穫を競い合っているはずだ。自分のバイクの音を聞いて身を隠すのは明らかに怪しい。屯田局員は速度を落としながらバックミラーを注視した。すると1つの人影が路上に出てきて両手で何かを突き出したのが見えた。
「発砲だ」屯田局員の頭の中では栗野地区に住む元自衛官の坊主から聞いた軍事知識が直感となって警報を鳴らした。次の瞬間、屯田局員はバイクを蛇行させながら増速した。
- 2022/05/30(月) 15:08:10|
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ロシアのウクライナ侵攻から3カ月経過してもベトナム戦争以来のアメリカを敵視してソ連=ロシアや共産党中国の軍事行動を隠蔽する報道を堅持している日本のマスコミ各社は戦況を詳細に解説するだけで当事者=加害者のロシアが隣国であり、日本も同様の脅威に直面していることには意図的に触れない報道手法を継続していますが、国民は無関心でも馬鹿ではなくロシアや共産党中国の脅威を切実に感じ取っていて、それを背景に岸田政権と自民党は防衛費の大幅な増額を検討しているようです。
しかし、何よりも問題なのは国民がマスコミの報道の隠蔽工作によって情報が遮断されている中で共産党中国の軍事的脅威=一路一帯戦略が既に末期状態に立ち至っていることを具体的に認識していないことです。共産党中国の一路一帯戦略は中国本土から中東の産油国、さらに事実上の植民地であるアフリカ大陸を結ぶ黄海・東シナ海・南シナ海・タイランド海・マラッカ海峡・インド洋の航路の制海権を奪取して維持するものですが、それは海軍力だけではなく経済支援、世論操作の情報戦も駆使した総合戦略です。
共産党中国は先ず古代から多くの華僑が移住しているタイとシンガポールに親中傀儡政権を樹立することから始めましたが、シンガポールでは香港と同様にイギリスの植民地時代からの私立大学の買収が思うように進まず若い世代の毛沢東主義への洗脳が不十分です。逆に洗脳に成功したタイでは毛沢東主義を信奉する若い世代が王制を否定する政治運動を起こすと華僑の経済独占に反発する現地人との間で内戦状態に陥り、それを鎮圧するために出動した陸軍が政権を握り、こちらも野望が頓挫しています。
ところがインド洋の航路上の拠点となるスリランカでは四半世紀に及んだ内戦の巨額の戦費を貸し付けた見返りとしてコロンボに潜水艦基地を確保し、戦費の返済によって経済破綻に追い込んで事実上の属国化を画策しています。さらにアフリカ大陸の東岸の紅海の入り口のジブチにも同様の手法で軍港を獲得し、現在はイギリス海軍が握っているインド洋の制海権を奪取する拠点は確保しました。そして植民地時代に農場開拓労働者として多くの中国人が移住したオーストラリアでは1950年代のアメリカ公民権運動に呼応して本来は原住民のアボリジニが対象だった権利拡大に中国系移民が便乗して選挙権を獲得したことで強い政治的影響力を持ち、親中政策を進めて北部の太平洋岸に軍港を獲得する寸前だったのですが、同じ旧イギリスの植民地のスリランカが落ちた共産党中国の罠に気づいて回避すると今度はソロモンに手を伸ばして軍港を獲得しています。
日本にとって共産党中国の一路一帯戦略が脅威なのはそれが日本の輸出入の主要航路と完全に重なっていることで、ここの制海権を握られれば完全に輸入に頼っている原油や多くの食糧は忽ち滞り、国民が昔ながらの米飯食に戻れば飢餓に陥ることはありませんが、電力による文化的生活は維持できません。
その一方で日本が海上防衛力を強化しても建造した艦艇に乗り組む若者が全く足らず、苦肉の策として自動化を進めていますが限界があります。制海権の奪還には足下の問題解決が前提のようです。「男と生まれ 海を征く・・・おお選ばれた自衛隊 海を守る我等」
- 2022/05/29(日) 16:25:07|
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「日本人を生かして帰すな」「日本で殺された人民の仇を討て」「日本人資本家の搾取を断罪せよ」日韓に続き日中の軍事衝突が本格化すると中国各地の経済開放地区に進出している日本企業が中国人暴徒の襲撃を受けるようになった。その中には従業員も加わっていて敷地に侵入すると工場内を案内して略奪を手引きしていた。
「日本は在日中国人を殺害していません。中国が不法に持ち込んだ銃器を所持していた犯罪者を逮捕して国外退去させているだけです」工場では日本人の工場長が社内アナウンスで暴徒たちに日本国内の実情を説明している。確かに日本では在日の中国人と韓国人による刑法犯罪が急増し、警察が逮捕に向かうと拳銃を発砲し、さらに周囲を取り込んでいる群衆からも銃撃を受ける状況になっている。このため警察官も防弾チョッキに鉄帽を着用して現場に向かい、到着する前にパトロール・カーの車内で拳銃を用意して直ちに応射できるよう構えて下車するようになっている。しかし、発砲するのは正当防衛と緊急避難に留め、警告、威嚇射撃などの手順も維持しているので射殺したのは銃撃戦になった時だけだ。それでも中国国内では銃器刀剣の不法所持で摘発され、強制退去処分を受けて帰国した(刑法犯罪で逮捕されれば拘置所に収監される)元在日中国人たちがインターネットで「日本では在日中国人を無差別逮捕している」「在日中国人の犯罪者は射殺している」と書き立て、A日新聞が提供した遺骸の写真を添えて事実のように演出していた。これは第2次世界大戦後の極東国際軍事裁判所だけでなく現地で開廷したB・C級戦犯の裁判でも用いられた証拠の捏造で、中でも南京大虐殺の犠牲者として東京裁判で証拠採用された大量の遺骸の写真は中国の満州軍閥が殺害した馬賊のものであることが後年になって確認されている。
「虚偽の言い訳を繰り返すならこの日本人も同罪だ。シャー(殺=殺せ)」「殺せ」「殺せ」暴徒たちは工場の高いフェンスに手をかけると「殺せ」と声を揃えながら一斉に揺すり始めた。するとフェンスの中で暴徒の様子を注視していた警備員たちが建物の中に歩いていった。
「何だ、君たちはデモたちの侵入を阻止するのが仕事だろう」間もなく社内アナウンスから工場長の叫び声が流れ始めた。どうやら警備員たちが放送室に乱入したようだ。この工場の警備員は契約雇用した中国の警備会社の社員であり、全員が中国人だ。
「シャーッ(殺せ)」バーン、バンッ、バンッ、バンッ。続いて社内アナウンスは男の叫び声と数発の銃声を放送した。中国でも警備保障会社の警備員は拳銃の携帯や使用を許されていないが、この様子では放送室に向かった警備員たちは隠し持っていたらしい。
「中華人民共和国、バンゼー(万歳)」「万歳」「万歳」放送を聞いた暴徒たちは拳を突き上げて絶叫を始めた。そして正門に駆け出すと工場内に侵入して倉庫に置いてある完成した製品や控室の家電製品、さらに社員食堂の食器から大型で持ち出せない冷蔵庫の中の食材まで奪ったが、今回は破壊することなく逃走した。この工場を中国が強制接収し、再稼働させることを知っているようだ。同様の事件が各地の日本企業で発生したが中国の警察は対応せずに放置した。
結局、この事件も日本国内に武器を持ち込み、内乱を発生させたが警察と治安出動した自衛隊が法令に基づいて厳格に対処し、A日新聞を中心とするマスコミによる反政府世論の扇動も効果がなく、太平洋上では世界最強の日米海軍が合同作戦を遂行して軍艦だけを揃えた中国海軍では太刀打ちできないことを見せつけられている共産党執行部の欝憤晴らしのようだ。
「在中国の日本人全員を強制退去させなければならないな」このニュースを知った石田内閣では緊急閣議を開いてこれまで先延ばしにしてきた抜本的な対策を決定した。中国在住の日本人は細菌兵器の蔓延によって観光客が激減し(事実上の消滅)、工場などの管理職と技術指導者、中国国内の企業の代理店や出店しているチェーン店に派遣されている常駐社員と家族に限られているが、それでも約12万人になる。
「問題は政府がチャーターする旅客機の乗り入れを中国が認めるかですが」「自衛隊機は無理だな」「黄海と東シナ海であれば国内用フェリーでも渡航は可能でしょう」「しかし、入国時の新型コロナの検疫には万全を期さないと」決定してから問題は百出したが、厚生労働大臣だけは指摘した問題の次元が違っていた。
「それで日中の国交も断絶するのですか」「それは拙い。あくまでも危険事態に伴う邦人保護を目的とする緊急措置だ」外務大臣の確認に石田首相は即答した。この辺りは2人が所属する計算づくの常識的な判断しかしない派閥の発想だ。
「陸路となるとベトナムに南下してそこから空輸と言うのが常識的ですが」「船舶はすでに太平洋上でタンカーが攻撃を受けていますから危険です」浜防衛大臣の指摘は本当は「未遂」なのだが閣僚たちの危機感を高めるためには適切な省略=編集だ。
- 2022/05/29(日) 16:23:30|
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昭和50(1975)年の明日5月30日に愛知県豊橋市が「ごみゼロ」の語呂合わせから「530」と命名した環境美化運動を始めました。
野僧はこの年には豊橋市に隣接する現世の三悪道に住んでいた上、昭和52(1977)年に進学した蒲郡高校では生徒会が協賛していため経緯は何度も詳しく聞いていますが、言い出しっ屁は豊橋市山岳会だそうで(蒲郡高校の教員も複数加盟していた)、他県の同様の自然環境や景観を知っている者には「ショボイ」としか言いようがない石巻山石灰岩地植物群落(海抜358メートルの石巻山の周囲の石灰質の斜面にある雑木林)や葦毛湿原(静岡県湖西市との市境の多米峠付近にある5ヘクタールばかりの湿原)、嵩山(すせ)の蛇穴(浜松市三ケ日区との市境の本坂峠にある深さ50メートルの鍾乳洞)などに自然歩道が整備されたため観光客が増加して空き缶などの投げ捨て、置き去りが目に余るようになり、山岳会の会長が主宰している豊橋自然歩道推進協議会がこの年の5月18日に「自分のゴミは自分で持ち返しましょう」を合言葉とする「530運動」を豊橋市に提唱して、5月30日に協議会独自にゴミ収集活動を実施し、その模様がテレビのローカル・ニュースで紹介されました。するとローカル・ニュースが放送された東海3県で賛同する声が起こり、同年7月には豊橋市に530運動推進連絡会が設立され、11月には第1回の一斉の530運動が開催されましたが、この頃は5月30日の日付の語呂合わせではなく「ごみゼロ」と言う行為に数字を当てはめる運動と理解されていたようで、現在も日付に関係なく「530」運動は実施されています。一方、蒲郡高校の「530運動」は戦前からの伝統行事だった毎月第1週土曜日の駅前の清掃奉仕の後追いだったため校内では「土曜駅掃除」の呼称を堅持しました。
その後は「530=ごみゼロ」と言う呼称が明解で親しみやすかったこともあって急速に全国に広まり、昭和53(1978)年3月6日には全国34都道府県に530運動連絡会が設置され、毎年5月30日や直近の日曜日を「530運動」の日に定めてゴミ拾いなどの清掃活動を開催するようになりました。
ところがこのように全国に広まり定着した市民運動が地方の発祥であることを許さないのが東京で、530運動よりも前に葦毛湿原よりもはるかに知名度が高く、規模も大きい尾瀬湿原でも観光客のゴミの投げ捨てが問題になり、豊橋市の530運動は無視した環境庁(当時)や群馬県(尾瀬湿原は新潟県と福島県にも広がっているが関東地方の専有物にしたいらしい)と同県片品村、地権者の東京電力、尾瀬保護財団が昭和47(1972)年に始めた「ごみ持ち帰り運動」を発祥として豊橋市の530運動は模倣・盗作扱いして、。とどめに1993年に宮沢喜一政権が制定した環境基本法で6月5日を「環境の日」、6月を環境月間にしたことで5月30日の日付の「530」運動を抹殺しようとしています。
それでも全国的には「ごみ持ち帰り運動」の方が「530運動」に吸収されているらしく、環境省の命令により市役所の環境課などが主催する清掃奉仕行事は雨が多い6月ではなく5月30日に開催されることが多いようです。
- 2022/05/28(土) 15:27:10|
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「海中で圧壊したようだな」「燃料も大量に浮遊しています」前進微速で現場海域に入った護衛艦・いわきの甲板では隊員たちが海面に浮遊している潜水艦の破片を確認していた。海面は大量のディーゼル燃料が覆い、太陽の光を反射して異様な光沢を放っている。軽いプラスチック製の部品と幾つかの遺骸が油に塗れて漂っていた。
「遺骸と浮遊物を収容します」「ようそろ。停船、ランチ(内火艇=動力付き小型艇)を下ろせ」副長を兼ねている甲板長が無線で艦橋に連絡すると航海長が返事をした。無線は艦長と航海長の会話を拾わなかったようだ。これでは船団護衛の隊形を乱すことになるが軍事秘密の固まりである潜水艦の部品の収集も重要な任務だ。プラスチックの材質を科学的に分析すれば中国の造艦技術の現状も確認できる。遺骸も血液検査などで潜水艦内での生活環境が判明する。
「ここまで悲惨な状況になるのはやはり水圧の関係ですかね」「艦内に海水が浸入すれば水深の圧力がかかる。そこから海中に放り出されて浮かび上がる間に水圧は大きく変わる」エンジンからの引火に細心の注意を払いながら周辺の浮遊物を回収していくと作業服を着た水兵の遺骸が仰向けに浮かんでいた。口を開けて舌を突き出しているのは肺の中の空気が抜けた結果だろう。球状の両目が飛び出して筋が延びているのは昔懐かしい玩具のアメリカン・クラッカーのようだが知っている世代の隊員はいない。
「こいつは手足が千切れているが・・・見当たらないな」「こっちは頭がない」長い竿の先の網で目立つ順に遺骸を引き寄せてゴム手袋をはめた両手で甲板に上げていくと次第に直視できないような悲惨さを呈してきた。胴体は肺の中の空気の浮力で浮かび上げるが、頭部や腕と脚は骨と大脳や筋肉の重量で沈んでしまう。
「俺は東北の震災で水死体を幾つも収容したが、あれに比べればまだ綺麗なものだ」「震災の水死体は津波で沖に流されて時間が経過していたから水を吸って腐敗が始まっていました」「鮫にも喰われていました」作業を指揮しているベテランの海曹が回想すると拾い上げた遺骸を並べている若手たちも同調した。東北地区太平洋沖地震から10年が経過したが、その経験は外国軍が戦争を経験するのとは別次元の教訓を与えている。少なくとも悲惨な現場にも動じない覚悟を組織内で共有している。
「このくらいだな。あまり船団から遅れるのは拙い。潜水艦は1隻とは限らん」1時間ほどで艦長は回収作業を終了させた。回収した部品と遺骸は第7艦隊に引き渡すことになっている。第7艦隊はヘリコプターでハワイの太平洋軍司令部に運び専門組織で徹底的な調査を行う。海上自衛隊は検屍は実施しなかったがゴム手袋越しでも作業服の中に肺や胃腸が露出していることは判った。海中で圧迫された内臓内の空気が海面に浮かび上がって膨張し、胸と腹の皮膚を破って露出したようだ。作業服の前を開けばそれこそ悲惨な姿を見ることになった。
「潜水艦はマイケル・ウルフの追跡を受けていることまでを艦隊司令部に報告しただけでASROKの発射は通報していないようです」「パニックになっていたのかな」日米合同艦隊の第7艦隊側旗艦に回収した部品と遺骸を引き渡すと護衛艦・いわきの艦橋では中国海軍の通信を傍受していた第7艦隊から提供された意外な事実が話題になった。現代戦、特に海戦と空中戦では綿密な情報交換が常識であり、敵艦の追跡を受ければ絶え間なく状況を報告するはずだ。そこでミサイルの発射を察知すれば撃沈されるまで情報を提供し続けなければならない。
「やはり艦乗りとしての練度が低いのでしょう。ミサイルを射たれれば回避行動だけを考えて報告などは忘れてしまったんですよ」「大陸の民族には板子一枚下地獄って覚悟は身につかないんだな」「潜水艦は地獄の中で生活していますからね」艦橋では戦死した中国海軍の潜水艦の乗員の冥福を祈って黙祷したが、戦況分析に続く評価では死者を鞭打つような辛辣な言葉が続いた。日本では潜水艦が導入された初期の明治43年4月10日に6号潜水艇が山口県新湊沖で着底して浮上不能になった事故で艇長の佐久間勉大尉以下14名の乗員は持ち場で死んでいて酸素欠乏の苦痛の中でも職務を放棄しなかったことが世界の海軍を感動させ、イギリス海軍の潜水艦の乗員教育用の教程には佐久間大尉が意識を失うまで状況を克明に記録したメモと合わせて掲載されていたと言う。一方、中国海軍は日清戦争に先立った威圧のために来日した戦艦・定遠と鎮遠は司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」でも紹介されている東郷平八郎元帥がマストに水兵の洗濯物が干してあるのを見て「清国海軍恐れるに足らず」と喝破した逸話以外にも上陸した佐世保で乗員が不祥事を頻発させて規律が低劣であることを喧伝している。
「後続の船団にも中国海軍の潜水艦が出没していることは通知しなければいけませんね」「対処手順は今回の通りで良いと付け加えろ」艦長の指示に甲板長は副長としてうなずいた。それにしてもここまで交戦状態が繰り返されても防衛出動はまだ発令されないのだろうか。
- 2022/05/28(土) 15:25:54|
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売田(ばいでん=米を売る)大統領が離日してエア・フォース1がアメリカに向かって飛行中だった日本時間の5月25日朝6時頃と37分、42分に北朝鮮が大陸弾弾道ミサイルを含む3発のミサイルを日本海に向かって発射しました。
軍服のセンスが第302保安警務隊の特別儀仗服を珍奇な国辱的なデザインにした安倍晋三元首相に似てきた北の国王はアメリカがロシアのウクライナへの軍事侵攻を厳しく糾弾していることを「自国への武力制裁も同罪=手が出せない」と受け取ったらしく過去にない頻度でミサイルの発射実験を繰り返し、核実験も公言するなど悪しき存在感を急拡大しています。それだけでなくロシアのプッチン(頭が切れた)大統領がウクライナ侵攻に対するアメリカやヨーロッパ諸国の制裁措置や軍事支援を牽制するために限定的な核攻撃を標榜してきたように今後は北の国王もこの恫喝を模倣できることになります。
これに対して就任当時はアメリカを敵視する「反核」と「反戦平和」を唱えなければ小選挙区で当選できない広島県出身で政治的判断ではなく官僚的先延ばしで業務処理する宏池会、おまけに万事が計算づくの元銀行員と言う最悪の組み合わせらしく「反核」を表看板にしていた岸田首相もロシアのウクライナ侵攻によって安倍政権の外務大臣だった頃の積極的な外交感覚を思い出したのか、対ロシア制裁とウクライナ支援では2014年に改定した防衛装備品移転3原則で対象外とされている紛争当事国のウクライナに防弾チョッキや鉄帽、防寒外衣を供与するなど欧米の期待に応え、北朝鮮に対しても「2度目の原爆は北朝鮮の弾道ミサイルだ」と危機感を前面に出して厳格な外交姿勢を鮮明にしています。ただし、次回のG7サミットの会場を自分の地元の広島=ヒロシマに決定したことは被爆地を訪問した西側先進国の首脳と同行記者だけに反核の意思を表明させて核抑止力を縛りながらそれ以外の核保有国のロシアや中国、インド、パキスタン、何よりも問題の北朝鮮には影響を与えないことになります。
そもそも北朝鮮の核開発は1980年代後半からソ連の凋落によって失職した核技術者を中国が雇用したものの常任理事国と言う立場上、表立って核開発を進められないため北朝鮮に代行させたのが発端で、その経緯を知らない西側諸国の予測を超える速度で開発が進むと国際的に圧力を加えることもできないまま核施設の建設にまで進んでしまいました。ところが当時の民主党のクリントン政権はモンロー主義を再現して南北アメリカ大陸内にのみ目を向ける閉鎖的な外交姿勢だったので、この事態に危機感を抱いた在日アメリカ軍司令部は武力行使による核施設の破壊を提言・勧告し、1992年7月14日に第7艦隊の空母部隊に日本海で海上自衛隊との協同演習を実施させて多くの艦載機を飛行させる中、三沢基地のF-16に通常爆弾で核施設を空襲させて破壊すると言う作戦が実施されるはずでしたが、地味ー・カーター元大統領が特使として北朝鮮を訪問し、金日成国家主席から空(から)手形を散々に掴まされて武力行使による根本解決の好機は失われました。
本来は北朝鮮が即応反撃能力を手に入れる前に先制的自衛権を行使するべきですが、核兵器禁止条約を制定したヨーロッパの反核団体に何とかしてもらうしかないありません。
- 2022/05/27(金) 15:46:36|
- 時事阿呆談
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アメリカ西海岸で原油を積載したタンカーが船団を組んで太平洋を日本に向かい、その周囲を海上自衛隊の護衛艦隊が護衛している。それは船団に随伴する護衛と言うよりも船団が航行する海域の制海権を確保する攻勢的海洋戦術だった。
「280度に国籍不明潜水艦」「第7艦隊に照会しろ」「該当する潜水艦はないそうです」護衛艦・いわきのCIC(戦闘指揮所)では潜航している国籍不明の潜水艦を発見したが、訓練通りに淡々と手順を踏んでいった。海上自衛隊が守る日本船団の航行海域の外には事実上、一体化しているアメリカ海軍第7艦隊の艦艇が同行している。
「第7艦隊が浮上を指示します」「敵の攻撃に対処する。対潜戦闘用意、リンク17解除」「対潜戦闘用意、リンク17解除」指揮所長の砲雷長が命令を下すとCIC内に「カンカンカン」と言う半鐘の連打のような警報音が響いた。海上自衛隊の海上における警備行動のROE(交戦規程)では潜水艦が潜行して攻撃可能な距離まで接近しても公海上では武力行使はできない。そのため平時有事、領海公海を問わず軍事的脅威に先制的対処を認めているROE(交戦規則)を持つアメリカ海軍が警告を与えている。
「こちら米日合同艦隊、我が艦隊の進行方向から方位290度、130ノーティカル・マイル(海里=)に潜航している国籍不明の潜水艦に警告する。速やかに浮上せよ。応じなければ合衆国海軍ROEに基づいて攻撃を加える」アメリカ軍においては攻撃前に警告を与えるか否かが戦時と平時の違いだ。護衛艦・いわきのCICでは連接されているアメリカ海軍の交信を傍受しながら潜水艦が発射する対艦ミサイルを迎撃する準備を終えた。
「反応ありません」「第7艦隊旗艦から駆逐艦・マイケル・ウルフに撃沈命令が下りました。急速接近を開始、射程内に入り次第、攻撃します」数分後、続報が入った。水上艦艇が発射する対艦ミサイルと対潜水艦ミサイルでは射程距離が200キロ近く違うため攻撃するには武道で言う「間」を詰めなければならない。かつて千島列島沖で日米協同演習を実施していたアメリカ海軍の空母艦載機が襟裳岬のレーダー・サイトを目標にして攻撃訓練を実施したため航空自衛隊が緊急発進をかけた。するとアメリカ海軍はROEに基づいて次々に戦闘機を発艦させて戦闘態勢に移行し、後続機を発進させた航空自衛隊と空中戦寸前になった。アメリカ海軍が自国のROEを根拠に世界各地で軍事行動を繰り返していることは熟知しているが、今回は日米安全保障条約が発動できない代用になっていることを実感した。
「我々は対艦ミサイル対処を維持する。ようそろ」「はい、スパローの発射態勢を維持します」海上自衛隊はイージス護衛艦の実用試験で成層圏外から超高速度で突入してくる弾道ミサイルを艦対空でミサイルで撃墜する神業のような戦闘技量も披露している。
「中国潜水艦が逃亡しました。スクリュー音から元級のようです」「元級か・・・非大気依存推進型の新鋭艦だな。アメリカ海軍としては是が非でも臨検したいんだろう」駆逐艦・マイケル・ウルフが対潜水艦ミサイル・VL―ASROKの射程距離に近づく前に中国海軍の潜水艦は逃亡を始めた。おそらく今回の任務は日本のタンカーの撃沈ではなく日米海軍の連携の確認だったようだ。中国は社人党と自民党の連立政権が成立すると社人党の議員が防衛庁の官僚に「政権与党としての政策資料」として秘密文書の開示を求め、部内秘の規則類を入手した。それからは東シナ海で空軍機や海軍艦艇が規則類の対処の限界を確認する行動を繰り返した。続いて民政党政権の悪夢が現出すると今度は予算資料として旧防衛施設庁の官僚にレーダー・サイトなどの施設の設計図を提出させ、内部に設置されている機材、装置の性能諸元まで添付させた。これも中国軍は能力の限界を確認する行動を継続している。中国としては中国系と南北半島系の移民による大規模なデモが暴動に発展することを恐れてアメリカ政府が日米安全保障条約の発動を躊躇している中でマスコミも目が届かない太平洋上で日米海軍が協同シーレーン防衛作戦を実施していることを確認したかったのだ。
「マイケル・ウルフがVLーASLOKを発射しました」「やはり殺ったか」「命中、水中で爆発音を探知」「外部映像で水柱が上ったことを確認」やはりアメリカ海軍第7艦隊はROEに基づいて浮上しないで逃亡を図った中国海軍の潜水艦を撃沈した。士官10名、下士官と水兵50名と言われる乗員たちは推進4000メートルの海底へ水葬された。
「救助は無駄だが残骸を回収するため現場へ向かう。350度、ようそろ」「両舷前進半速、赤(減速)、黒(加速)なし」「両舷前進半速、赤、黒なし、350度、いただきます」その時、CICのスピーカーに艦橋の艦長の命令と航海長の復唱が聞こえてきた。続いて甲板長の配置して浮遊している残骸を確認するため両舷に甲板員を配置する号令が聞こえたが、CICの映像と数字表示での戦闘とは違いこれだけは歴戦の海上自衛官たちも初体験だろう。
- 2022/05/27(金) 15:45:20|
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日本のサルベージ会社が知床半島沖の120メートルの海底に沈没している観光遊覧船に飽和潜水で5本のワイヤーを取り付けてクレーン船で水深20メートルまで吊り上げて斜里町沿岸の浅い海域に曳航していたところワイヤー2本が切断して今度は水深182メートルの海底に再沈没したようです。
切断した原因としては曳航中にかかる衝撃を緩和するため余裕を持たしていたワイヤーが水流などで擦れて切断したと説明していますが、一連の作業を見ていて昭和の時代に考えられない手際の悪さに平成の30年間で劣化した日本企業の実力を痛感させられました。
今回は斜里町沖で船体を引き揚げて作業船に搭載して岸壁まで運び、陸揚げする予定でしたが、吊り上げた現場ではなく斜里町沖で作業船に搭載する必然性の説明はなく、複数の専門家からは移動によるリスクが指摘されていてそれが的中する形になりました。
確かに観光遊覧船が沈没したような荒れた海面ではクレーン船が揺れて吊り上げ作業が困難になるにしても、強い海流に逆行する形で沈没現場から斜里町まで曳航すれば切断は予想しなくてもワイヤーが緩んで再沈没する可能性は素人でも心配になります。
そもそも昭和の仕事は全責任を負うリーダーを立てることから始まり、そのリーダーの下に集まる人間たちは組織の歯車として回転し、その機能を点検しながら潤滑油を点す管理職も絶妙に機能して一致団結した絶大な力を発揮したのです。おそらく昭和の仕事であればサルベージ会社は船体を陸揚げすることを第1義としてそのための最善の策を強力に推進したはずで、ワイヤーが外れる可能性が予測される水中に吊り下げた状態での曳航などは選択肢に上らなかったでしょう。
それが平成になると企業経営に利益だけを求める株主が口を出すようになり、経営者は目的達成のため多くの提案の中から最善の策を選択する直感と言う指揮官としての能力よりも売り上げの確保と損益の回避が至上命題になり、作業では成功・成果よりも失敗しないことを優先するようになりました。このため海面が荒れて安定性が確保できず失敗のおそれがあると指摘されれば海面が安定する海域までの曳航を選択し、曳航する間の脱落を防止するため低速度で移動し、搭載する作業船は作業予定海域で待機することなく到着後に向かわせることが決定されたようです。
その結果、曳航中の転落=再沈没と言う醜態を晒すことになったのですが、損益についてはおそらく保険を掛けているのでサルベージ会社が負うことはなく、飽和潜水で海底の船内に遺骸などが存在しないことは確認済みなので時間的な遅れも大きな問題にはならず、再度の引き揚げは可能なようなのでこちらも責任は回避できそうです。それにしても今回はワイヤーではなく外れにくいベルトを使用すると言うのなら「始めから使えよ」と文句を言いたくなります。
今回の醜態で被害を被ったのは飽和潜水で身体を長時間にわたり高い水圧に慣らすため体力を消耗し、深海での危険な作業が無駄になった潜水士たちですが、こちらも高額な手当てで納得させるのが平成式です。そう言えば元号が換わったのを忘れていました。
- 2022/05/26(木) 15:21:55|
- 常々臭ッ(つねづねくさッ)
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「私は日本を第2次世界大戦に引き込んで国家を滅亡させた元凶はA日新聞だと確信しています。A日新聞がスターリンの指令を巧妙に表現を換えた報道で日本のインテリ層を洗脳した結果、第1次世界大戦後の軍縮の気運で存在価値を失っていた青年将校たちはドイツのナチズムを模倣した軍国主義を妄信して政権奪取に暴走した。そうして大陸で王道楽土の妄想を実現させるように世論を誘導して・・・続きは先ほど言った通りです。その意味では陸海の職業軍人を除く満州事変以降の犠牲者に対する贖罪としてA日新聞の社員を皆殺しにしても当然です。しかし・・・」私の過激な見解に河瀬1佐が生唾を飲んだので続きがあることを示して冷めたコーヒーを飲み干した。河瀬1佐には私がA日新聞を断罪しているのは右翼団体が亡国報道を理由に憎悪しているのとは次元が違うことを判ってもらわないと戦前にテロ集団・血盟団を指揮した日蓮宗の井上日召の如き殺生坊主と同一視されてしまう。
「それでなくてもヨーロッパでは中国系のマスコミが配下の人権団体に日本政府による民族弾圧だって批判キャンペーンを扇動していますからね。これに言論弾圧まで加わるのは拙いでしょう」ヨーロッパでも日本と韓国の軍事衝突以降、アメリカほどの規模ではないが中国系と南北半島系の移民の団体が「日本は戦争犯罪を繰り返した」と批判する集会とデモを続けている。ただし、河瀬1佐は新任なのでロシアのウクライナ侵攻以前には中国の民族弾圧を巡ってヨーロッパの人権団体を反中親中に2分した批判合戦が起きていたことを知らない。
「あの批判キャンペーンはかえって中国がチベットや新疆ウィグルで続けている民族弾圧を思い出させることになりましたが」「ロシアのウクライナ侵攻で忘れられていたから逆効果でした」私の説明で河瀬1佐は中国が自ら墓穴を掘ったことを知り、唇を歪めて笑った。
「ここでA日新聞を実力で断罪すれば中国系のマスコミが言論弾圧に置き換えて批判キャンペーンを展開するのは間違いない。警察と自衛隊が実際に手を下したことが発覚すれば中国側の批判を事実化することになってしまいます」「確かに報道規制に留めておけば中国の批判も自国内の報道統制や報道弾圧に向けられるから二の舞は避けるでしょう」これが常識的な結論だ。
「つまり隠密同心・・・でしたっけ。隠密同心の活動を嗅ぎ回っている記者を個別に処理すればマスコミの体質から言って担当者が減少するのは間違いない。おまけにA日新聞の実態を政府が公的に暴露すれば影響力を低下させられるでしょう」日本のマスコミは昭和36年2月1日に皇室を揶揄する短編小説・風流夢譚を掲載した雑誌社の社長の自宅に押し掛けた右翼の少年が妻と家政婦を殺傷する事件が起きると皇室に批判的な報道を取り上げなくなった。また1994年12月6日にフジテレビの入江敏彦カイロ支局長と共同通信の沼沢均支局長が自衛隊のルワンダ難民人道派遣を取材するために搭乗していた小型機が墜落して死亡すると社員の労組が現地派遣を拒否するようになり、その穴埋めのため素性不明のフリー・ジャナリストの取材ネタを買うようになった。そのくらい口先だけの臆病者の集まりなのだ。A日新聞の体質については加倍政権がA日新聞が「勇気ある告白」と絶賛して全面支援した吉田清治の済州島での戦時売春婦の強制連行が虚偽であることを証明して以来、定期購読者以外の国民は疑いの目を向けているので現在の国情を考えれば大きな政治問題になることはないはずだ。とは言え隠密同心筆頭の田島3佐に提案しても全く意味はない。
「この結論を田島3佐に返信するにはこの部屋か隣の事務室で文書化させてもらわなければいけませんね。職場に私の日本製のパソコンを取りに行かなければ」「オランダ生活が長いモリヤ検察官でも日本製を愛用していますか」河瀬1佐の意外な返事に思い返すと前々任と前任の1等海佐たちが執務机に置いていた私物のパソコンはアップル製だったようだ。
「日本文を打つことがあるのでオランダの電気店で取り寄せています」「それでは日本で起こったシステム・ダウンの時に影響はありませんでしたか」河瀬1佐は日本が大打撃を受けた全国規模で同時多発のシステム・ダウンを経験したらしい。私は自宅でも日本製のパソコンを愛用しているがニュースで日本が直面している事態を知り、ただちにインターネットの使用は止め、梢がこちらで買ったアップル製のパソコンで情報確認するようにした。それでも日本発の情報は個人の書き込みもなく全面的なシステム・ダウンだったことを痛感した。
「発生時にはインターネットを接続していましたが機能障害は起こしていないので影響はなかったようです。予防処置としてしばらくはネットのケーブルを外していましたが、やはりヨーロッパにまでは攻撃を加えなかったのでしょう」「私は航空機が完全運休になってしまって赴任が大幅に遅れました。インターネットにスマホ、公共交通機関に買い物まで機能停止になって演習に行った時のような生活でした」意外ところで日本の苦境を知ることができた。その点、淳之介一家の離島生活はあまり影響を受けなかったそうだ。
- 2022/05/26(木) 15:20:22|
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航空自衛隊のF-2戦闘機の後継機を名前は一流・実力は二流の三菱重工業とイギリスの軍需産業大手の国策企業・BAEシステムズで共同開発することが決定したようです。
今回の開発計画は当初、アメリカ空軍限定のF-22や航空自衛隊も導入したF-35を製造しているロッキード社との共同開発が検討されていましたが、日本が主力戦闘機のF-15Jイーグルを独自開発した技術で能力向上(主に敵味方識別装置や火器管制装置などの電子装置)を図ろうとすると「改造はライセンス生産の契約にない」とこれを規制しながら日本側が求める能力に見合う機材の提供は秘密保護を理由に拒否するなど不信感が発生していて、そこにイギリスが参入する形で今回の決定に至ったようです。
現在のF-2戦闘機は国際的には攻撃機が担当する対地支援と対艦攻撃を使用目的とするため支援戦闘機と呼ばれ(主力戦闘機の予備と言う意味ではない)、当初は日本が独自に研究開発を進めていた樹脂製鋼板を使用して大幅な軽量化を図り、さらに前方にも方向舵=カナードを付けてコンピューターで制御し、これまでの尾翼と主翼の揚力によって発生させていた方向変換とは異なる運動性を発揮する画期的戦闘機として国内航空産業総力で開発・製造する計画でしたが、日本が将来的に世界の兵器市場に参入することを警戒したアメリカの軍需産業の意向を受けたレーガン政権が中曽根政権に圧力をかけてアメリカ空軍が同様の攻撃機として運用しているF-16を日本が独自開発した新技術を加える形で改良した戦闘機になり日本は別の機種のF-2として採用し、アメリカはF-2の技術をそのまま流用した新型F-16として兵器市場に投入しました。
確かに経済政策としては防衛装備品の国内開発は各分野の産業の技術水準を高度化して国際競争力を向上するために有効ですが、仮に純国産で開発を進めても当時は武器輸出が不可能だったため巨額の研究開発費を3個飛行隊分の機数だけで回収することになり、1機の調達費は極めて高価になりました。またF-2の前の支援戦闘機だったF-1は同じく三菱重工業が開発に当たりましたが独自開発する技術力はなく、ライセンス生産していたF-104Jを粗悪品にしたような代物で同型の練習機のT-2が飛行教導隊・アグレッサーや戦技研究班・ブルーインパルスでの過酷な使用によって金属疲労を生じ、空中分解などの事故を続発させた欠陥機だったように能力的には多くの問題点を抱えていましたが「国産機」と言う大前提では選択肢はありませんでした(他の国内メーカーと競い合っていれば別)。また有事を考えた時、アメリカ製の装備品であれば日米防衛協力として同型機材や部品の供与を受けられますが、国産やアメリカ以外の国との共同開発では有事が発生して原材料の輸入が途絶えた中での増産は困難であり、部品の備蓄も財務省の予算管理下では不十分にならざるを得ず、防衛政策としては正しい選択とは言えません。
実際、Fー1戦闘機のエンジンはロールスロイス社だったため分解・結合は立てた状態で実施するなどアメリカ製とは大きく違い、部品の規格がメートル法とインチ法で異なるため工具も一部は共用にできないなど平時でも問題が発生していました。契約を担当する防衛省の官僚がこれらの問題をどこまで認識しているのかが最大の不安材料です。
- 2022/05/25(水) 15:41:55|
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「モリヤ検察官、私のところへ来ていただけませんか」梢と2人でオランダのマスコミの報道やインターネットで入手できる日本の治安情勢を注視している時、在オランダ大使館の新任の防衛駐在官・河瀬1佐から連絡を受けた。河瀬1佐は海上自衛隊で申し送られていたオランダの防衛駐在官の席に久しぶりに座った1等陸佐だ。と言っても現役時代に面識はない。
「こんにちは、お招きいただいたおかげで久しぶりに自衛隊気分を思い出せます」「ご苦労さまです。お呼び立てして申し訳ありません。実は日本からモリヤ検察官宛に外交文書が届きまして、外部に持ち出すことができない内容なのでご足労を煩わした次第です」河瀬1佐は現在の職務を尊重したのか元2佐の私に対して極めて丁寧な言葉遣いで出迎えた。その辺りの気配りは陸上自衛隊的だが、袖に金の線が入った黒っぽい16式制服では3等海尉に見えてしまう。尤もこちらは作務衣で首に威儀細を掛けているから元自衛官には見えない。
「しかし、元自衛官とは言え国際刑事裁判所の次席検察官に自衛隊から秘密文書が届くのは異例ですね。日本国内で起こっている内戦で国際刑事裁判所に提訴するような戦争犯罪が発生しているんですかね」河瀬1佐に勧められて座りなれたソファーに向かい合って腰を下ろすと知らない間に世代交代したオランダ人の女性職員がコーヒーを持ってきた。彼女が退室したところで河瀬1佐は開封してある茶封筒から文書を取り出して手渡した。机に置いた茶封筒の宛先は防衛駐在官・河瀬直道1佐と横文字の「カーネル・ナオミチ・カワセ」で、下に「コンフィデンシャル(親展)」と併記されている。上下の角には「シークレット」の赤い文字があった。
「文書自体は3等陸佐からの私信に近いんですが内容は絶対に外部に漏らすことができません」私は日本文だったので先ず最後の差出人を確認した。英文であれば冒頭に宛先と差出人が記載されている。すると守山時代の教え子の田島3佐からだった。
「田島3佐はスリランカで内戦に参加したため帰国後は東京都内の駐屯地の閑職に配置されて秘密の任務を遂行する特殊部隊の指揮官を勤めています」「朝山3等海佐の後任ですか」「そうです。ご存知でしたか」私の返事に河瀬1佐は驚いたように身を乗り出した。
「陸幕法務官室で勤務している時に幕長の特命で朝山3佐の特殊部隊のために慰霊法要を勤めたことがあるんですよ。その後の活動はテレビや新聞で見つけたニュースで推理するだけでしたが、彼が定年退官する時に『出家したい』と相談を受けて推理が正しかったことを確信しました」私の説明に河瀬1佐は納得したようにうなずくとコーヒーを口に運び、私も倣った。
「奥さん、モリヤ将補からは何か」「何も聞いていません。彼女は元通信幹部ですから保全意識が強くて秘密漏洩はあり得ません」実際、佳織が私に自衛隊の秘密組織の存在を漏らしたのはアフガニスタンに現地調査に潜入する時、通訳と案内に前河原での共通の同期の岡倉を紹介してもらったくらいだ。2人とも岡倉が海外で諜報活動に従事していることは推理していたが、酒を飲みながらのパジャマ・ミーティングを含めて家庭での話題に上らせたことはない。
「朝山3佐はオランダの在外公館警備官としてイギリスのMI5とMI6やドイツのGSG9に接触する機会があって対テロ戦の専門家として抜擢されたそうだ」河瀬1佐は胸にレンジャーと空挺の徽章を装着しているので第1空挺団の所属だったのかも知れない。そうなると秘密任務を遂行する特殊部隊の指揮官に海上自衛隊の朝山3佐が選ばれたことには複雑な感情を抱いていても不思議はない。それにしても陸上自衛隊を差し置いて朝山3佐が抜擢されたのはヨーロッパでの経験が単なる接触ではなかったからだろう。
「A日新聞かァ・・・確かに守山で教育したことがあるな」「そうなんですか。田島3佐があえてモリヤさんに相談してきた真意を測りかねていたんです」河瀬1佐は前に座っているのがどう見ても坊主なので「検察官」の肩書を付けるのを忘れてしまったようだ。
「A日新聞は本来は政府の代弁者としてのタカ派の論調だったんですが、ロシア革命後にソ連共産党で実権を握ったスターリンがそれに目をつけて経営者を籠絡して世界共産革命の日本における工作機関にしたんですよ。スターリンの戦略構想ではドイツではヒトラーに政権を握らせてイギリス、フランスと戦わせる。日本では軍部を扇動して大陸での侵略を拡大させて蒋介石の国民党と衝突させることで工作員を送り込んでいたルーズベルト政権を巻き込む。その政治工作員がリヒャルト・ゾルゲの手下で近衛内閣の外交顧問だった尾崎秀実です。尾崎は満州事変の外交的解決を模索していた近衛首相から『蒋介石政権を相手とはせず』の失言を引き出すとA日新聞で大々的に報じて停戦の道を遮断した。後は『勝った、勝った、また勝った』の戦線拡大キャンペーンでした」「戦後の反戦平和を名目にした反米親ソ親中の偏向報道は知っていますが戦前はよく知りませんでした」私の説明に河瀬1佐は田島3佐が求めている回答を推察して凍りついたように厳しい顔になった。
- 2022/05/25(水) 15:40:49|
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最近はヨーロッパの人権団体の手前勝手な主張の請け売りを専らにしている法制審議会が珍しく日本独自の問題=戸籍や納税者の管理、児童・生徒・学生の呼称として極めて迷惑な「キラキラネーム」の戸籍上の取り扱いで頭を悩ませているようです。
「キラキラネーム」はバブルの狂乱景気の中で勉強よりも遊びを優先する児童・生徒・学生時代を過ごした世代が親になった1990年代から始まり、それを流行=常識として平成生まれの劣化した若者たちが踏襲して現在まで続いています。
1990年代に某新聞が娘を「キラキラネーム」で命名した一見して馬鹿そうな母親に理由を訊くと「同級生に同じ名前が多いことが嫌で仕方なかったから娘には他にはいない個性的な名前を選んでやろうと思った」と熱弁を奮っていましたが、考えてみればバブルの頃は暴走族も流行していて背中に「死」「苦」「魔」「殺」「邪」「破」「逆」「砕」「炎」「滅」などの漢字を音で組み合わせたつなぎ作業服を着てバイクに跨っていましたからその当て字を自分の子供の名前にも使ったのかも知れません。
名前に用いられる漢字は常用漢字の2136文字と人名漢字の863文字の299文字内で選択すると言う制限がありますが、常用漢字には前述の名前に相応しくない意味の漢字も多数含まれているので音と形だけで選んでしまうと「本当に子供の幸せを願って命名したのか」と疑ってしまうような名前が出来上がります。おまけに読み仮名については無制限なので日本語の用法としては存在しない読み仮名や「海=マリン」「月=ルナ」「大空=スカイ」「貴=ロイ(ロイヤル)」などの漢字に外国語の意味を当てた名前が存在します。日本の戸籍法では横文字は認められませんが漢字の当て字なら好き勝手に読み仮名できるので選んだのかも知れませんが、命名した親にそこまでの思慮と知識があるとは思われず単に奇をてらって選んだのでしょう。
野僧は母親が「同級生に同じ名前が多いことが嫌だった」と答えていた新聞記事を読んで以来、個人的に研究するようになり、新聞に氏名と顔写真(ここで区切らないと際限なくなるため)が出ている少女から1990年代生まれ以降=40歳未満の女性を知り得る居住地や肩書を含めてデータ化していますが、日本語の名前としては「奇異」な漢字を付けられている山口県内の高校生は受験時のレベルが低い高校に多く、逆に進学校と呼ばれる高校は今では古典的と区分されるような昭和風の名前が目立ちます(容姿もキラキラネームの女子高生は茶髪やパーマなどド派手です)。その傾向は大学にも当てはまり偏差値が高い大学では昭和風、日本人が集まらず留学生で数合わせしている大学では漢字が滅茶苦茶な名前の日本人の学生が入学式や卒業式で総代を勤めています。さらに社会人になって犯罪者になった40歳未満の女性でもで同様の定義が当てはまります。
要するに親の知的レベルが反映されているのですが、下手に規制を加えようとすれば日本国憲法第21条の「表現の自由」を持ち出して行政訴訟を起こす輩が現れるのは必定なので慎重にならざるを得ず(教員の呼び間違いを学校に抗議する親までいる)、法制審議会も頭を悩まし続けることになりそうです。
- 2022/05/24(火) 15:03:30|
- 常々臭ッ(つねづねくさッ)
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「最近の警察はためらいなく犯人を射殺するようになりましたね。恐ろしいことです」石田首相の出身県の某都市で銀行の現金輸送車が襲撃され、拳銃を乱射される事件が発生した。助手席に座っていた警備員は前を遮るように停車した乗用車の後席から下りた男が拳銃を構えるのと同時に握っていた通報装置を作動させたため警察の初動対処は早く、防弾構造が施してある現金輸送車に向かって拳銃を乱射している間にパトロール・カーが到着した。警察官は当然、拳銃を構えて包囲したが、その模様を沿道の建物から撮影した動画が地元ローカル放送局に投稿されるとニュースを解説する記者は警察の対応を深刻な口調で批判した。
「警察、拳銃の過剰使用が常態化」その地方ローカル局を傘下に持つA日新聞の夕刊ではこの見出しを冠して事件が銃撃戦に発展し、警備員と警察官は無事だった一方で犯人は全員死亡したことを大々的に取り上げ、ニュースで指摘した批判を結論にしていた。
「今の新聞は大都市の中心部にある社有地の借地料と昔の記事の知的所有権(=著作権)を固定収入にしているから世論の反発を買って購読者数や広告料が減っても打撃にならないんだよな」「むしろ外国政府への情報提供料と政治工作資金の方が大きいんじゃないかな」東京では伊藤警部と田島3佐がこの問題を巡って雑談形式で議論していた。田島3佐が指揮する陸上自衛隊隠密同心の活動も自衛隊の治安出動を受けて警察が躊躇なく武器を使用しようするようになってからは先日のような表立って捜査できない特殊な事例以外は一般の自衛隊員として警察業務を補完するようになっている。
「厄介なのはA日新聞が内藤(勘解由=朝山3佐の任務上の偽名)さんの頃からの処理(=殺害)をいまだに嗅ぎまわっていることだ。内藤さんたちが東京で処理したのは不法在留の外国人ばかりだったから身元不明で片づけたが、記者はその不法在留の連中にも接触して情報を収集しているようだ」「むしろ奴らを送り込んだ中国から真相究明、つまり俺たちの組織の実態解明を命令されている可能性もある」やはり伊藤警部も日本が民政党政権になって政治能力を喪失したことを好機ととらえた中国が沖縄に送り込んだ自衛隊のパイロットを標的とした殺し屋たちを処理するため秘密裏に結成された朝山元3佐の組織を在外公館警備関として勤務していたフィリピンで知って東京に呼び寄せた立場上、追跡調査も徹底しているようだ。
「今の治安状態では隠密同心たちも家族を狙われては防ぎ切れない。前回は娘がレイプされて、動画が韓国に渡ってしまったが、妻子が拉致されて人質にされればそれを見捨てろと命ぜられる自信はないよ」「あのレイプ事件は韓国海軍が海自の対潜哨戒機を撃墜して軍事的緊張が高まった頃に地方自治体で勤務している中国人の交歓職員が自衛官の家族を調査した情報が韓国国内の日本人女性レイプを日本でも始めようと画策した在日韓国人団体に提供されたんだ。それを教職員組合の活動家に協力させて実行に移したと言う背景がある」田島3佐にとって最も許せないのは教育者と言う社会から尊敬を受ける職業にありながら自分たちの勝手な革命ゴッコのために教え子を犠牲にして悔やむことがない組合活動家の教員たちだ。処理に自己判断が許されるのならば真っ先に残酷な方法で抹殺し、実像を暴露したいところだ。
「被害に遭った娘たちのことを思うと父親に手を下させてやりたかったが、我々の代行で納得してもらうしかないな。それよりも韓国の動画サイトは何とかならんのかね」「愛国活動専門サイトと名乗っているから難しいんだよ。先ず韓国でもレイプは親告罪だから被害者が届け出ない限り犯罪として成立しない。あの国では日本人妻が家族の恥を晒すことは絶対に許されないだろう。おまけに前政権が日本人女性のレイプを従軍慰安婦への贖罪と言う名目で正当化したから韓国人に罪の意識はない。マスコミは被害者を聖女扱いして煽り立てているくらいだ」「潜入できればサイトを運営している人間を皆殺しにしてやるんだが」「運営しているのは世界中に従軍慰安婦少女像を建てている従軍慰安婦支援の人権団体だけどな」今日の雑談は生徒に反戦平和を吹き込んでいる組合活動家の教員と戦後、韓国人の同朋から「民族の恥」として虐待を受けてきた戦時売春婦=従軍慰安婦の救済団体の醜悪な実態を再確認することになった。
「せめてこの間、我々が処理した連中がレイプ事件の犯人だと言うことを日本国内で周知したいものだが」「個人情報の保護が必要だから難しいな。韓国のサイトが削除できない以上、日本人の関心が薄れるのを待つしかない。被害者に『犯人が殺された』『誰かが仇を取ってくれた』と納得してもらうしかないよ」ここまでで脇に反れた話題にはオチがついた。
「ところでA日新聞の反警察キャンパーンはどうしたいんだ」「マスコミを敵に回すのは極めて危険だが・・・」「下手すれば赤報隊と同類扱いされかねないな」赤報隊とは1987年5月3日にA日新聞阪神支局に乱入し、猟銃で記者2名を射殺した行動派右翼だ。この事件に関する報道では全てのマスコミが「暴力による言論弾圧」と口を極めて批判する。
- 2022/05/24(火) 15:01:34|
- 夜の連続小説9
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5月17日に野僧にとっては今でも人生の行進曲になっている映画「炎のランナー」の主題曲を作曲したヴァンゲリス=本名・エヴァングロス・オディセアス・パパサナスィウさんが亡くなったそうです。79歳でした。
「炎のランナー」は昭和56(1981)年の公開で野僧は「陸上競技の映画ならマラソン・ランナーの物語だろう、関係ないね」と思い込んでいたのですが、大学の夏休みに街で同級生の女子に会って「映画にでも連れてってよ」とせがまれて見ると1924年のパリ・オリンピックの時代背景とイギリス代表団の競技者としての努力や人間模様を描いた傑作で感激して大量に涙を流して女子に借りたハンカチで鼻までかんでしまい、帰りに映画館が入っているデパートで買って返すとそれからは彼女のように振舞うようになってしまいました(中退して航空自衛隊に入る時には反戦歌を唄って号泣しながら見送った)。
そんな「炎のランナー」の主題曲でヴァンゲリスさんは1982年のアカデミー賞作曲賞を受賞しましたが、通常、ランナーを音楽で描くと歩調や呼吸をイメージしたテンポの曲になることが多いのですが「炎のランナー」は全く違って、ヴァンゲリスさんの母国・ギリシャの民族音楽風の曲調で、全力で走って空気の壁を押し開きながら背後に風を沸き起こすような印象でした。そのためなのか100メートルを12秒4で走った時や長距離走で気分がハイになると耳の奥で主題曲が流れるようになりました。その後、「炎のランナー」は2012年のロンドン・オリンピックの開会式でも演奏されました。
それは野僧だけではないようで西部航空警戒管制団司令部の人事部訓練班で勤務していた時、西部航空方面隊の駅伝大会で優勝した選手団が凱旋した出迎えにこの曲を流したところ出迎えている隊員は苦笑していたものの選手たちは感極まって泣きながら歩いてきました。余談ながらこの時、選手用のユニホームを発注するのに野僧は当時、瀬古利彦選手を擁して大学駅伝や箱根駅伝で無敵の強さを誇っていた早稲田大学にあやかって臙脂色に大きく白の「W=西部航空警戒管制団のウェスタンの頭文字」と描いたデザインを推薦したのですが、選手たちから「かえってプレッシャーを感じてしまう」と拒否されて旭化成式の白地に胸に青の横線、そこに黒字の西警団で落ち着きました。ところが瀬古選手が入社してS&B食品が強くなると沖縄の南西航空警戒管制隊はオレンジ色に「S&W=南西航空管制隊のサウザン・アンド・ウェスタンの頭文字」のユニホームを採用しました。どうやら西警団から転属した選手が野僧の提案を覚えていたようです。
その後、野僧は航空自衛隊に入隊して沖縄に赴任するとアラスカ人の彼女とつき合うようになりましたが、珍しく日本映画の「南極物語」を見にいくと主題曲はやはりヴァンゲリスさんでした。その時は彼女がオーロラのシーンで号泣したのでハンカチを手渡しましたが、その時、BGMに流れていた不可解な曲もヴァンゲリスさんでした。
その後も数多くの映画の主題曲を作曲して何度も賞を受賞しているそうですが、残念ながらテレビの映画劇場やレンタル・ビデオを含めて見ていません。
「炎のランナー」は野僧が生きている間は聴き続けるでしょう。冥福を祈ります。
- 2022/05/23(月) 14:33:54|
- 追悼・告別・永訣文
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「日本人が無理だとしたら海外で募集するしかないな」「日本人の若者は都会で何をやってるのかしら」愛媛のミカン農協の支店長になっている森田敬作定年2佐は妻になった事務員の育代と深刻に話し合っていた。四国では他の地域で頻発している在日中国人・韓国人による暴動や犯罪はそれほど波及していないものの都市部での拳銃の不法所持による摘発が進み、拘束・強制退去された在日中韓人の就労者が十万人を超えると全国規模の人手不足が発生し、各企業はベトナムやフィリピン、ブラジルやネパール、インドネシアやタイなどからの技能実習生の大幅増員を申請したが、厚生労働省は新型コロナ・ウィルス感染症の感染拡大防止を理由に却下した。その一方で故郷を捨てて都市部に出ている日本人の若者たちは田舎の不便な生活を嫌って親の苦労を見向きもしない。その点、森田家の長男・謙作は北海道の屯田兵として国防の任務を遂行しているので他家の子供たちを批判する資格はある。
「政府としては加倍政権のように先手先手を打ちたいんだろうけれど最近の中央官僚は前例踏襲と海外の模倣だけの昔に戻っているから後手後手に回ってしまうんだ。今の最優先事項はこの間のシステム・ダウンに懲りて日本人プログラマーの急速練成ってところだろう」「あの時は驚いたわ。日本の社会があそこまで東京のコンピューターで一括管理されてるなんて思いもしなかった。おまけにそのコンピューターを外国人が操作しているのを初めて知ったわ」「お前のパソコンもネットでやられてしまったもんな」育代は農家からの種苗や肥料、農薬の注文と入荷の連絡、農業機械のレンタルと販売に点検と整備、作物の生育状況や収穫量などをインターネットで処理しているが、その系統のどこかから強力な破壊工作が加えられたためパソコン内部が機能崩壊してしまった。あの時、インターネットで破壊工作を操作したのは勤務実績から在日の中国人と韓国人だったことは特定されているが、パソコンで使用されている中国や韓国製の電子部品が一斉に破壊された方法が不明のままで警察も逮捕・告発できないでいる。おまけに電話などの連絡手段も使用不能に陥り、行政系統の政府や県や業務系統のJA中央と県農協、さらにインターネットのサービス系統が事態の把握に動き始めたのは数時間後で、それも機能回復を優先していて1カ月以上経った現在も原因究明は終わっていない。
「それでもインドが人材を派遣してくれたからインターネットは何とかなっているけど農家の手伝いはねェ・・・このままじゃあ秋の収穫期には全国で農業実習生の争奪戦が起こってしまうわ」「確かに秋の果物と言えば青森と長野の林檎に静岡に和歌山、宮崎の蜜柑、山梨の葡萄に岡山の桃、山形のサクランボ、おまけに全国の水田稲作とくれば我が愛媛ブランドの蜜柑も喰い込むのは難しいな」「本州から見ると四国って外国人が敬遠してしまうような遠隔地なんでしょう。やっぱり不利よね」育代の亡くなった前夫も愛媛県出身で新隊員課程終了後に北海道に赴任して陸曹になって松山駐屯地に帰ってきているので転属は地方協力本部の広報官だけで県外に住んだ経験はない。その点、森田定年2佐は育代が言うとおり、瀬戸内海を隔てた本州を「閉鎖的な四国とは別世界」と思って当時は四国に基地や分屯基地がなかった航空自衛隊に入隊した。だから母国を離れて来日している外国人の農業実習生たちが日本国内の2重の遠隔地である四国に応募しないのも理解はできる。
「俺は昔から陸上の予備自(予備自衛官)を農村に配置して屯田兵にすれば農業後継者の確保と隙のない防衛力の整備が可能になるって考えていたんだ。だから謙作が北海道に赴任した時に屯田兵の本を探させたんだが、屯田兵の訓練は今の即応予備自衛官並みだったんだな」「それなら謙作が屯田兵を名乗っても英霊のお叱りは受けないわね」この返事でも森田定年2佐は事故死した育代の陸曹だった夫の家庭での影響力に感服してしまった。今時、会話の中で死んだ軍人の魂魄を「英霊」と呼ぶこの世代の女性がどれ程いるのか。少なくとも長年、「軍神」と仇名されていた幹部自衛官の妻だった松原秀子ではあり得ない。
「何にしろ秋までには人員を確保して戦力化しなければならん。県とJAに掛け合ってくる」「ついでに教育委員会にも行って中学生と高校生の学徒動員も検討させたら。ウチの子供たちにも親の仕事を理解させる良い機会になるわ」これでは亡き夫は陸曹と言うよりも右翼のようだ。しかし、思い返してみると森田定年2佐が体育学校の格闘課程に入校した時、教官と助教は体育学校歌と格闘課程の歌に始まり、各種の隊歌と軍歌を教えて休憩時間に唄わせていた。その情景が訓練の内容と共に鮮明に心に刻まれていたので芦屋の第3術科学校警備課程でも浜松の警備小隊に伝わる「浜松基地警備男の歌」などの隊歌演習を取り入れた。
「花も蕾の若桜 五尺の命引っ提げて 国の大事に殉ずるは 我ら学徒の面目ぞ・・・」「ああ紅の血は燃える」森田定年2佐が注文を受けた農薬の配達と県やJAへの掛け合いのため事務所を出ながら「学徒出征の歌」を口ずさむと育代が唱和した。本当に出来過ぎの女房だ。
- 2022/05/23(月) 14:32:39|
- 夜の連続小説9
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1910年の5月22日は児童小説の傑作「にんじん(=フランス語の原題は『人参の髪』の意)」の作者・ジュール・ルナールさんの命日です。
「にんじん」は赤い癖っ毛だったため家族から『にんじん』と呼ばれているフランスの片田舎で暮らすフランソワ・ルピック少年が主人公で、母親は容姿が奇異で突拍子もない発想を示し、思いがけない悪戯を好むフランソワ少年を毛嫌いして兄と姉ばかりを偏愛し、兄と姉は母親が冷淡に扱う弟を馬鹿にして父親は無関心」と言う家族の日常をフランソワ少年の目で描いた物語で、最後に母親の愛情に気づく場面以外は山場と言えるような展開はなく登場人物の言動や人間模様を少し屈折した皮肉な視点で描いていきますがその視点が次第に大人びていくことを実感できるところが面白みです。野僧はその前に夏目漱石さんの「吾輩は猫である」を読んでいたので猫が人間の少年に、明治の東京がフランスの片田舎に替わっただけのように感じました。
作者のルナールさんは1864年にフランス北部のマイエルン県の村落で地方役人の息子として生まれ、生後間もなく県内の両親の出身地に転居します。17歳でパリの中等学校に進学して高等師範学校を目指しますが、成績不振と興味が文学や演劇、ジャーナリズムに移ったため方向転換し、卒業後は働きながらの創作活動を始め、先ず詩集を自費出版しました。兵役後に詩や小説の執筆を再開すると篤志家の夫婦と知り合い、援助を受けて執筆活動を本格化して24歳で結婚、25歳で1672年に創刊され、何度も廃刊と復刊を繰り返してきた文芸雑誌「メルキュール・ド・フランス」の複刊に他の詩人や作家たちと共に尽力してこの雑誌に小説や詩、評論を掲載したことで知名度を獲得していきます。
やがて多くの雑誌や新聞にも投稿するようになり、1892年に「根なしかずら」、1894年に「ぶどう畑のぶどう作り」「にんじん」を発表しました。そうして1895年には郊外の村の古い農家を買い取ってラ・グロリエット荘と命名すると春から秋を過ごすようになり、1896年に「博物誌」と「愛人」、1897年に「別れも楽し」を発表すると作品が劇化されて人気を博したことで一流作家と認められることができました。晩年には住んでいた村の村長に就任しています。
ちなみに「にんじん」も劇化されていますがあらすじは小説とはかなり違い(夏休みにテレビの劇場中継で見ました)、1幕の短編になっている関係で登場人物が主人公のフランソワ少年=にんじんと両親、小説には登場しない家政婦のアネットの4人だけで、小説では物語の展開に比較的重要な役割を果たしている物臭で冷淡、学校では劣等生の兄は会話だけ、大人びた性格で必要最小限の愛情を示す美人の姉、ガールフレンドのマチルド、そして家政婦のオノリーヌは出てきませんでした。また小説ではフランソワ少年と母親のやり取りが次第に愛情の確認に発展していきますが、劇では父親との会話による心理描写が中心になっています。
現在の日本社会では母親が吐きかける皮肉な言葉や嫌がらせのような仕打ちが児童虐待と極めつけれれば学校の図書室には置いてないかも知れません。
- 2022/05/22(日) 15:16:54|
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「これで自分の身を守れ。鉄橋の下や山の中で練習しておけ」「組織として守ってくれないんですか・・・」数日後、某地方都市では在日韓国人の地方組織の幹部が中国製の94式手槍と実弾が入った小箱2つを市内の大学に通っている同胞の若者に渡しながら指示していた。すると大学生は悲痛な声で反論した。この大学生も教職員組合の活動家の手引きで自衛官の娘の女子高生を校内の防音設備が施されたLL教室でレイプして撮影した動画を韓国の愛国活動専門サイトに投稿していた。ところが同時期に投稿されていた「自衛官の娘」と題するレイプ動画の加害者たちが次々に殺害されて一緒にレイプした同じ大学の学生も自宅マンションの非常階段から転落して死亡した。警察は「全国各地で続発している殺人事件で追い詰められての自死」と発表している。この大学生は自分の犯行を含め自衛官の娘たちがレイプされている動画を自慰のオカズに閲覧しているので自分が最後の生き残りになったことを知っていた。
「それじゃあお前はどうして欲しいんだ」「韓国に逃がして下さい。中国でも良いです。もうすぐ日本が中国軍と韓国軍に占領されれば帰って来られます」大学生は本人たちなりに考えていた「助かる方法」を要求した。実は死んだ大学生とは犯行直後からメールや電話で話し合っていたのだが突然、加害者の連続殺害が始まり、逃走計画の相談を始めて間もなく共犯者が死んでしまった。そんな時に受けた呼び出しだったので「口封じ」の恐怖に怯えていた。
「日本政府がここまで我々を公然と敵視するのは異例だ。おそらく弾圧を本格化させるつもりなんだろう」「今後はお前たちに関わることは止めるから自分の手で自分を守ってもらうしかない」「北京は暴動を起こしている在日同胞を平気で口封じしているが、我々は可能な限りの支援をしている。母国の温情に感謝して愛国心を堅持してくれ」周囲を取り囲んでいる幹部たちの最後に正面から声をかけた大幹部は受け取った拳銃と実弾の小箱を胸の前で抱えている大学生の両手を右手で押した。これで用件は終わった。
「犯人は誰なんだ。あの女子高生の父親じゃあないのか」地方組織の事務所を出た大学生は原付バイクで市内を流れる川の河川敷の鉄道の鉄橋の下に来ていた。本当は渡された拳銃と実弾を持って警察署に駆け込んで自首し、犯行を自供する引き換えに拘置所で保護してもらうことを考えたが、事務所の敷地を出た時から尾行されているように感じたので、取り敢えず指示された通りに射撃の練習をすることにしたのだ。
「レイプされた娘の父親の犯行」と言うのは拳銃の弾倉を抜いて実弾を詰めていて思いついた勝手な推理だ。こうして本物の拳銃が簡単に入手できるのなら自衛官たちが娘をレイプされた報復に使用しても不思議はない。大学生が2人でレイプした女子高生はバージンではなかったものの激しく抵抗し、泣き叫びながら「お父さん、助けて」と叫び続けていた。それを聞いて共犯者の大学生は「お前の父親が自衛官だからこんな目に遭うんだ」と言って激しく腰を動かしたが女子高生は大粒の涙を溢れさせただけで性的な反応はしなかった。あの光景を思い出しても父親の自衛官が家庭を大事にしていることが判る。そんな自衛官たちが愛する娘を傷つけ汚された報復を決意し、実行しても不思議はない。
共犯者になった大学の同級生と地方組織に呼び出され、幹部から指令を受けた時には日頃から自慰のオカズに利用している日本人女性の強姦サイトに出演できると軽薄に応諾したが、投稿した動画はサイトを運営する韓国の反日愛国団体に所有権が移譲されているため日本政府が韓国政府を通じて削除を要求しても拒否し、犯罪の証拠として韓国国内で刑事告訴しようとしても被害者の日本人女性たちが周囲の圧力で応じず、ここまで放置されてきたのだ。一方、あの時、2人をLL教室で待たせ、女子高生を呼び出した活動家の教員は犯行中、機械操作室で傍観していたが、下手をすれば自分専用の動画を作成していたのかも知れない。
「来たな」大学生は頭上の鉄橋が地鳴りのような音を立て始めたところで拳銃を標的としてコンクリート製の橋脚に積んでおいた段ボール箱に向けた。先ずは試射だ。
「はい、一発目は自分に向けて」「弾丸は美味しいかな」その時、大学生の腕を何者かが掴み、素早く拳銃を奪い取った。しかし、大学生は射撃の前に周囲を確認したが人影はなかったはずだ。草むらに潜んで人の気配を消し、わずかな時間で足音も立てずに駆け寄ったらしい。
「ヒーッ、助けて」拳銃を奪った男は大学生が悲鳴を上げた口に銃口を突っ込むと淡々と引き金を引いた。銃声は列車が通過した音にかき消された。今回も後頭部が吹き飛び、鮮やかなピンク色の脳髄が飛び散り、心臓が止まるまでの数秒間だけ赤い血が噴き上がった。
「今回も自殺ですね」「今時の大学生も悩みが多いんだな」拳銃を持ってきたウェス(布切れ)で拭いて指紋を消し、前のめりに倒れている大学生の右手で握らせると陸曹は田島3佐とこの街での仕事の終了を確認し合った。飛び降りは別として拳銃は入手経路が問題になりそうだ。
- 2022/05/22(日) 15:14:07|
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正中3(1326)年の明日5月22日(太陰暦)に鎌倉幕府第14代執権の北条高時さんが地方豪族と有力御家人の相次ぐ謀反に遭い、上野国地頭の新田義貞さんが鎌倉に攻め込んだため菩提寺の長勝寺で自刃して鎌倉幕府は滅びました。満年齢で29歳でした。
高時さんは嘉元元(1304)年に第9代執権・北条貞時さんの3男として生れました。この頃の北条氏は安達氏との婚姻が続いていて近親結婚の悪影響なのか2人の兄は夭折し、高時さんも当時の歴史書で「頗る亡気の体で将軍家の執権も叶い難かりけり」「正体無き」と評されるほど病弱で、知恵遅れだったようです。
延喜2(1309)年に7歳で元服すると執権の北条氏は烏帽子親の皇族の宮将軍から1字受けるのが慣習だったにも関わらず当時の将軍・守邦親王には該当しない高時の諱(いみな)を名乗りました。父親の貞時さんも北条氏と伊勢平氏の家祖で従兄弟の平将門さんを討った平貞盛さんに由来すると言われているので桓武天皇の皇子で平氏の始祖の平高望(たかもち)親王からから採った可能性もあります。どちらにしてもこの頃になると北条氏が源氏の宿敵・平氏の嫡流であることを隠す必要はなくなっていたようです
病弱で知恵遅れだったとされる高時さんが7歳で元服して2年後に父の貞時さんが亡くなると母の実家の安達氏と幕府の要職に就いていた長崎氏を後見にして北条一族で執権を持ち回りにしながら貞時さんが執権になった14歳まで待つことになりました。しかし、貞時さんは父親の時宗さんが元寇の国難に全身全霊を傾注して精根尽き果てて32歳で早逝した時には14歳だったので真摯に政務に取り組む姿勢は学び取っていましたが、高時さんは病弱だったため御所に近づかず闘犬と田楽を好んで遊芸に耽っていたと言われています。このため正和5(1316)年に14歳で執権になった時には幕府の実権は後見だった長崎氏が握って機能不全に陥っており、その一方で守護地頭の取り締まりの弛緩によって各地で盗賊や悪党が跋扈し、東北では原住部族の乱が続発した上、夜空に彗星が現れて京都の皇族や公家たちの間では「彗星=妖霊星は亡国の兆し=鎌倉幕府の滅亡は近い」と評判になって後醍醐天皇が討幕を画策する非常事態が発生しました。
しかし、高時さんは政務を側近に丸投げして趣味の闘犬と田楽にうつつを抜かし、武力はあっても政治力を喪失した幕府は乱を場当たり的に鎮圧するだけで有効な対策は取れず、執念深く決起を繰り返す後醍醐天皇に呼応する地方豪族が相次ぎ、この年の5月7日に笠木山で決起した後醍醐天皇の鎮圧に派遣された御家人筆頭の下野国地頭の足利高氏(この時は高時さんから1字受けた諱だったが、後に後醍醐天皇の尊治の1字を下賜されて改名した)さんが六波羅探題を襲撃して京都所司代を討つと上野国地頭の新田さんが関東で蜂起して5月18日には鎌倉に侵攻し、4日間の攻防の果てにこの日を迎えました。
後醍醐天皇の即位から鎌倉・足利幕府の滅亡と成立、南北朝、2代将軍・足利義詮さんの死去までを描いた「大平記」には初代執権の北条時政さんが江の島弁財天に参詣した時、「7代までは加護するから安泰だ」とのお告げを受けましたが高時さんは嫡流としては8代目なので加護を失っていたとされています。
- 2022/05/21(土) 13:17:34|
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「これがプロの仕事かァ・・・」田島3佐と陸曹が殺害した在日韓国人の会社員・張田忠史の遺骸は数分後には車道を走ってきた乗用車の運転手に発見され警察に通報された。パトロール・カーで現場に駆け付けた幹部警察官は遺骸の写真を撮影している若手警察官の隣で厳格に口封じされている感想を胸の中で呟いた。眉間に銃弾を命中させる射撃技量の持ち主は警察官にもいるが、何よりも驚いたのは土地勘がないこの街で帰宅ラッシュの時間帯に通行が途絶える場所を選んだ状況判断で、直属上司から今回の処理を伝達された時には半信半疑だったプロの仕事を目の当たりにして背筋が凍りつく思いだった。
「ガイシャ(被害者)は張田と言う○○工業の社員のようですが、○暴(まるぼう=暴力団)の抗争にでも巻き込まれたんでしょうか」警察官は身体を横に向けて倒れている張田の作業服の胸に刺繍されている社名と苗字を確認すると報告しながら写真を撮った。しかし、幹部警察官は「張田忠史」と言う氏名も標的として説明を受けていた。直属上司も必要最小限の情報しか聞いていないようだが、この張田がもう1人の標的と学習塾に行くため市内の公園を通った小学6年生の自衛官の娘を公衆便所に連れ込んでレイプした上、その犯行の模様を韓国のインターネットの愛国活動専門サイトに投稿したと言う人として許し難い理由は聞かされている。幹部警察官は職責としてインターネットの専門職員に検索させてその動画が実在し、被害者の児童が小学校を休んでいることを確認した。つまり殺害理由は事実だった。
「貴方・・・」そこに女性警察官が運転する軽自動車のパトロール・カーが到着し、助手席から張田と同世代の女性が下りるとガードレール越しに遺骸を見て絶句した。どうやら張田の妻のようだ。若手警察官は頭頂部が裂けた無残な死に顔を見せないように歩道に落ちていた作業帽を上にかけた。これもPTSDを誘発しないための処置として指導を受けている。
「張田さんの奥さんですか」「はい・・・」「よろしければ家族構成を」「主人と私、中学生と小学生の娘2人です」幹部警察官は個人的な関心から家族構成を尋ねたが、やはり被害者と同世代の娘がいた。つまり張田は父親としての感情は一切交えることなく被害者を自衛官の娘、日本人として傷つけるためだけに性的暴行を加えたことになる。インターネットの担当職員に見せられた動画では公衆便所の個室に連れ込まれて洋式便器に座らされた被害者は自分の身に何が起きるのかも理解できない様子でただ怯えて震えていた。張田は共犯者に動画を撮らせながら慣れた手つきで被害者の下着を奪い、抱きかかえると自分が便器に座って言うまでもなく未使用の硬く狭い性器に一気に挿入した。張田の卑劣さは激痛から意識を失いかけている被害者の口からガムテープを剥がし、全裸に剥いた上で共犯者と交代で性玩具にしたことだ。ガムテープを剥がしたのは唇を舐め回し、口腔性交を教えるためだった。
「主人は本当に優しい父親で・・・心から慕っていた娘たちにどう伝えれば良いのか」張田の妻は警察官がパトロール・カーから持ってきた毛布を遺骸にかけるとそれを見下ろしながら女性警察官に心情を訴え始めた。それでも幹部警察官はその言葉に被害者意識が見え隠れすることから妻も在日半島人であると推理し、その優しい父親像が凶暴で冷酷な性獣が身にまとった着包みであることを実感して視線を向けなかった。
「はい、須藤です」その時、肩に着けている無線機が幹部警察官を呼んだ。幹部警察官には用件は予測できている。すると案の定、2件目の殺人事件だった。今回は在日韓国人の食料品店の店主が店から出てきたところを眉間に1発射たれて即死した。
「申し訳ありませんが次の事件が起きましたから我々は現場に向かいます。間もなく鑑識が到着して現場検証が終わり次第、司法解剖のためご主人を搬送することになります。ご自宅に戻るのは深夜から明朝になるでしょう」「主人は何故、こんな目に遭わなければならなかったんですか。私たちが何をしたと言うんですか。犯人は誰ですか」幹部警察官が新たな事態と今後の予定を説明しても張田の妻は執念深く訊き返してきた。幹部警察官はパトロール・カーの運転席に座った警察官に視線を向けると女性警察官に後事を託して助手席に乗り込んだ。
「原因と思われる強制性交事件の被害者のプライバシー保護に万全を期するために必要最小限の情報しか伝えられませんが、この射殺事件の被害者2名は1週間程度前に学習塾に向かうため市内の児童公園を通った小学生を公衆便所で強制性交した犯人である可能性が極めて高いことが判りました。その後の展開から犯行を隠蔽するため背後組織に口封じされたと見ています」数日後、現場となった警察署では捜査状況の記者説明会が開催された。地方都市では滅多に起こらない凶悪事件に市民の関心は全国各地で頻発している在日中国人と韓国人による暴動よりもはるかに強い。市民の間では被害者が在日韓国人だったことと在日中国人に拳銃が配布されていることを結びつけた推理が広まっているのでこの見解に反論はなかった。

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- 2022/05/21(土) 13:16:12|
- 夜の連続小説9
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マウリポリでウクライナ軍が最後まで立て篭もっていた製鉄所に収容されていた負傷兵たちが投降して親ロシア派住民の支配地域に搬送されて捕虜になったようです。このニュースと新聞記事を見て野僧は現役時代「是非、降伏して捕虜になりたい」と真剣に考えていたことを思い出しました。
野僧は某大学の法学科を中退して航空自衛隊に入隊したため空曹時代から「戦争法=日本では戦時国際法」に興味を持って研究を始め、防府南基地に転属すると課程教育がない時期は暇が有り余るので研究が深化し、幹部候補生学校や幹部学校に入校して防衛関係法の担当教官に質問すると「質問が高度過ぎて回答に自信が持てない」と正直に告白しながら専門書を推薦して独学を勧められました。
そんな野僧なので第1教育群本部の運用幕僚時代には課程教育を継続することが決まっていた秋の総合演習で「防府南基地が捕虜収容所になった」と言う設定で課程学生を捕虜にして作業を監督し、所属する空士に脱走させて捜索・逮捕・取り調べを実施する参加命令を起案したのですが、課程教育用教程に記載されている概要以外に戦争法の知識を有する幹部が全くおらず、野僧が航空総隊司令部に出向したため実現しませんでした。
その反動で「是非、降伏して捕虜になりたい」と考えるようになった理由は「戦争法」と並ぶ「戦史」の研究で捕虜に対する日本軍と日本人の狂気に等しい態度を知ったことでした。日本陸軍では東條英機陸軍大臣が昭和16(1941)年1月8日に「戦陣訓」で「生きて虜囚の辱めを受けず」と布告するまでもなく日露戦争で戦闘中に負傷して意識を失い、ロシア軍に救助されて捕虜になった村上正路大佐は生還後、陸軍では「投降による軍紀違反はなかった」と判定されても郷里の山口県では「地元の恥」と激しい非難を受け、失意のうちに移住した遠方の他県で亡くなり、第1次上海作戦で同様に経緯で国民党軍の捕虜になった空閑昇少佐は生還すると留守宅に投石され、士官学校の同期たちから「自決せよ」と迫られ、戦死者の慰霊のため現場付近を訪れた際に拳銃で自決しましたが、部下の士官たちからは「臆病者は腹も切れんのか」と揶揄されました。
しかし、人手不足の自衛隊は戦闘力を使い果たした後は無駄に死ぬべきではなく可能であれば撤退・逃亡して再起を期し、包囲されて退路を開く見込みがなければ投降して部下の生命を守るのが指揮官の責務です(偽の情報で敵を混乱させる高等戦術もある)。
それでも戦後の日本人は新たに軍事常識を学ぶことはなく日本軍の悪しき前例を常識にしているため自衛隊に「生きて虜囚の辱めを受けず」の誤った倫理観をあてはめる可能性は高く、戦争法が定める投降方法や捕虜の処遇、違法行為への対処方法を熟知している野僧が規範的投降を示し、新たな前例にしたいと考えました。ただし、相手は正規軍や軍隊化された武装組織でなければ捕虜ではなく人質になり、捕虜にした国家に順法義務を問うことができず、帰還も捕虜交換ではなく身代金になってしまいます。
帰還後は当然、指揮官である野僧は部内外からの激烈な批判、侮蔑、嘲笑、誹謗に晒されますが、その点は入隊以来の常軌を逸した「曹候苛め」で慣れていました。
- 2022/05/20(金) 15:13:31|
- 時事阿呆談
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田島3佐は失意のうちに帰国していた。スリランカに潜入してコロンボ市のハンバントタ港の中国海軍の基地と艦艇を破壊する任務は中国軍の完璧な防御態勢に阻まれて断念せざるを得なかったのだ。最終的には満潮時に漁船で基地の沖に接近して重油を流し、火を点ける戦術も提案したが、スリランカ軍の協力者のニサンタ少佐は「接近するだけで中国軍の警備兵に射殺される」と反対し、ディサナヤケ大尉は「それは海洋汚染だ」と批判した。このディサナヤケ大尉の言葉に田島3佐は二千年来環境保護を国是としてきたスリランカでは環境破壊につながる戦術は支持されないことを再認識させられた。
「レンジャーを10名派遣してもらえば何とかできます」在スリランカ大使館の防衛駐在官を通じて状況報告を受けた陸上幕僚長は帰国と秘密任務への復帰・再開を命じてきた。しかし、田島3佐は命令を伝える防衛駐在官に喰い下がってしまった。守山時代、初級幹部としての教育を受けたモリヤ1尉からは「自衛隊は人手不足だから過度に任務に執着することなく適切な時期に諦めて次に向かう転進の決断も学ばなければいけない」と説かれたが、今回は撤退命令を伝達されても自分を制止することが心できなかった。
「この手の隊員家族への犯罪を阻止するためには投稿者を見つけ次第に殺害するしかないですね」「それにしてもこの中学生はバージンだぞ。泣き叫んでいるじゃあないか」「今度の女子大生はアパートに押し入られている。このベッドで恋人に抱かれているんだろうに」「この子はまだ小学生じゃあないのか。これは公園の公衆便所の中だろう」帰国した田島3佐は治安出動を命じられた警察職員として警視庁の伊藤警部の執務室で面談した。お互い表向きは閑職についているが3等陸佐と警部と言う階級のおかげで小部屋の個室を与えられている。そこで田島3佐は先日、韓国のインターネットで開設されている「日本人女を慰安婦にしろ」と言う愛国活動専用サイトに一斉に投稿された自衛官の娘たちのレイプ動画を見せられた。これまでも伊藤警部から閲覧するように言われてこのサイトを見たことがあったが、大半は韓国在住の日本人女性が韓国内で集団レイプされている動画でそれほど切実さは感じていなかったが、今回は被害者の氏名と学校、父親が勤務している駐屯地名が流暢とは言えない韓国語の音声で流れていて治安出動で不在にしている自衛官に家庭に対する不安を与え、家族には「原因は自衛官と言う職業」と思わせる卑劣な策謀があるのは明らかだ。
「それは意外に簡単な作業でしょう。中国が持ち込んだ拳銃は西側と同規格の9ミリ弾だから実行犯が特定できれば射殺するだけじゃないか」「おまけにレイプしている本人が顔を見せているんだから迅速に手配できる」これまでの韓国で撮影されたレイプ動画は字幕を挿入し、実行犯の顔を隠す画像処理が加えられているが、今回は撮影者の音声で代用し、顔は撮影方向で隠蔽しようとしているが激しい動きに対応し切れない素人の投稿であることも判った。
「都道府県警、各地方署は在日外国人の居住地を把握しているから割り出すのは数日以内に可能です。9ミリ弾を発射する拳銃を使って処理すれば在日組織内の口封じと説明すれば済む」「逆に相手も拳銃を持っているから危険性は高まるな。足音に振り返ってイキナリ射たれれば一巻の終わりだ。警察としては警邏(けいら=市内巡回)中の自衛官が殉職したで済むかも知れんがな」今日の田島3佐は妙に屈折している。やはり特別命令を断念したことへの自責の念がかなり重いようだ。帰国した田島3佐は自宅に一泊したが、これまでは人の生命を奪った自分の冷酷非情さを薄めるように優しく愛撫して抱いていた妻をこの動画と変わらない荒々しさで貫いてしまった。妻は怯えたように身を任せていた。
「アイツだ、間違いないな」「張田忠史ですね」数日後、道府県警が特定した自衛官の娘をレイプし、その動画を投稿した男たちの処理が始まった。今回は首都圏に該当者がなく今まで実施してこなかった地方へのデリバリット・フォース(派遣軍)になる。首都圏では警察組織の影の支援があり、田島3佐も処理だけに集中することができたが、今回は警察庁から該当する道府県警には秘密連絡が伝達されていても警察内部の周知は不明だ。そのため現地の警察官との接触は一切持たず、伊藤警部が事後連絡することになっている。
「小学6年生をレイプするなんて人間じゃあねェ」「射殺じゃあ許せないがそこは仕事だ」田島3佐が同行した陸曹と警察からの情報にある男2人の通勤経路で監視していると事前に確認した動画で幼さを色濃く残す小学6年生の口をガムテープで塞ぎ、公園の公衆便所の個室の洋式便器に座って最初にレイプしていた男を発見した。田島3佐は警察から提供された地元ナンバーに付け替えた私有車で男の自転車に速度を落として並走した。そして怪訝そうに顔を向けた男の額を陸曹が窓を開けた助手席から消音装置を付けた拳銃で射ち抜いた。男は帽子が吹き飛んだ後頭部からピンク色の脳髄を撒き散らして転んだ。自転車の後輪が空転していた。
- 2022/05/20(金) 15:12:21|
- 夜の連続小説9
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明日5月20日は「森林は木が5つ、画数が20画だから」と制定された「森林の日」です。制定したのは村名に「美」が入る全国の村が1989年から各村持ち回りで「全国美しい村サミット」を開催し、1999年に結成した「美し村(うましさと)連邦」ですが、野僧は個人的に「もりの日」と言う名称には嫌悪感を覚えるので公的機関の地方自治体としてはやはり「森林」は正しく「しんりん」と読んでもらいたかったです。
加盟していたのは北から茨城県美和村、茨城県美浦村、長野県美麻村、岐阜県美並村、三重県美里村、三重県美杉村、和歌山県美山村、岡山県美甘村、徳島県美郷村、愛媛県美川村の10箇村でしたが平成の大合併で茨城県美浦村を除く全村が消滅したため2003年に茨城県美和村で最後のサミットが開かれ、「美し村連邦」は解散しました。
唯一残った茨城県美浦村は県内では原子力発電用の核燃料製造の中間過程を請け負っていたJCOが臨界事故を起こしたことで有名になった東海村と2ヶ村だけになっています。
一方、消滅した茨城県美和村は霞ケ浦沿岸だった美浦村とは逆に県の北部の山地に位置し、現在は常陸大宮市に吸収されています。続いて長野県美麻村は北アルプスの麓で信濃川の上流・犀川の流域です。古来、良質な麻の産地だったことに由来する村名でしたが大町市に吸収されました。岐阜県美並村は美濃平野の北辺、飛騨高地の南端に位置し、現在は郡上郡7町村が合併して郡上市になっています。三重県美里村は航空自衛隊第1警戒隊が所在する笠取山=海抜842メートルの北斜面を有する山村でしたが(分屯基地の住所は久居市榊原町)、広島県ではない安芸郡と一志郡の9箇町村が津市に吸収される形で合併しました。三重県美杉村も同じく津市に吸収されましたが山で隔てられていた太郎生地区は名張川の流域であることもあり、古くから伊賀の名張市との結びつきが強く住民は分村合併を要求しましたが津市議会と美杉村議会が否決したため実現しませんでした(愛知県豊川市や山口県下関市でも同様の事態を目撃しましたが中央官庁にとって住民感情などは無視しても構わない些末事のようです)。和歌山県美山村は紀伊半島の最南端に位置し、村域の大半は山地で耕作地は少なかったため山以外に売り出すものがなくこの村名になったようです。現在は川辺町と中津村と合併して日高川市になっています。岡山県美甘村(みかもそん)は古くから中国山地を抜けて山陽と山陰を結ぶ交通の要衝でしたが、山村だったため発展からは阻害され、とうとう平成の大合併に飲み込まれて真庭市になり、平安時代初期の文献にも記載がある美甘の地名は大字になってしまいました。徳島県美郷村は吉野川の支流・川田川の流域で鴨島町、川島町、山川町と合併して吉野川市になっています。そして最後の愛媛県美川村は四国山地に48ヶ所の集落が点在するだけの村ですが、村内で面河川と久万川が合流して仁淀川になることから3つの川で美川と命名したようです。こちらは市ではなく上浮穴郡4箇町村の合併で久万高原町になりました。
それにしても平成の大合併は当地を含めて過疎だった村から独立自尊の気概を奪い、境界線を破壊したことで消滅に追い込んだだけでした。平成の30年間で劣化した中央官僚の「小事を追って大局を見失う」愚策の最たるものでしょう。
- 2022/05/19(木) 14:24:41|
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「先生、さようなら」「ああ、さようなら」ある日の夕方、愛知県名古屋市の北東部に隣接する住宅街にある中学校の校門で初老の教員が若い男2人と立ち話していた。部活動を終えた2人の女生徒が通り過ぎ、教員に気がつくと快活に挨拶していった。
男たちは日韓の武力衝突が発生した後、日本全国の地方自治体で勤務している日中交歓職員が調査した現職自衛官の官舎以外の住宅に関する情報の提供を受けて、この中学校に自衛官の子供が多数通っていることを知り、教職員組合の活動家のこの教員を訪ねてきたのだった。
「あの右側が幹部自衛官の娘だ」教員は男に目配せして声を落として呟いた。女生徒は運動部の練習を終えてシャワーを浴びたのかセーラー服の上にジャージを羽織っている。長い髪も少し湿っているようだ。若い男たちは無表情に2人の女子中学生の後ろ姿を眺め、楽しげな話し声を聞いていたが、人通りが途絶えたところで無味乾燥した言葉を口にした。
「あの娘を従軍慰安婦にしても良いんだな」「君たちも気分は軍人なんだね」「日韓戦争を遂行している在日韓国軍だ」「それならどうぞ」教員の返事を聞いて2人は顔を見合せると唇を歪めて笑った。愛知県の日教組は全国では少数派の共産党系だ。社人党が朝鮮労働党と従属関係にあるのに対して共産党は韓国政界と同盟状態にある。そのため日韓が武力衝突して以降は自衛隊と警察の活動を執拗に妨害し、国土交通省内の公務員労組を使って自衛隊と在日アメリカ軍の飛行情報を収集して中韓両軍に送り、海上保安庁の行動に制約を加えてきた。
今回は官舎の妻たちをレイプしたことが自衛隊の対馬からの撤退につながったと考える韓国の依頼を受けて自衛官の家庭に危害を与える戦術に協力するよう教職員組合の活動家に指令してきたのだ。この教員は東京でバブルに浮かれ呆けた大学生活を送りながらも安定志向で地元・愛知県の教員になったが、楽勝な試験で採用された教員は職業意識など持ち合わせておらず目の前の青い果実を次々に味見し、熟女ならPTAに手を出してきた。だから教え子を日本軍が犯した従軍慰安婦の罪を償うため被害国に提供することに良心の呵責は感じていない。所詮、この教え子も同級生を相手に性行為を体験していて特殊な経験が増えるだけなのだ。
「鈴木元幸さんの家を教えてくれませんか」女子中学生は同じ部活動の同級生とは住宅街の入り口で別れた。するとすぐに走ってきたワゴン車が停まり、窓を開けた男が声をかけてきた。
「それはお隣りです」「だったら連れて行ってよ。乗りなさい」女子中学生の答えに男は優しい口調で声をかけるとワゴン車の側面のドアを開けた。それは在日中国人の組織から提供された現職自衛官の自宅住所でこの教え子の自宅を下見して目にした隣の家の表札の名前を口にしただけだったが名古屋市から外れた郡部の住宅街では十分だった。
「ウチまでは坂道だから助かります」「それは良かった。先ずは真っ直ぐだね」女子中学生は疑うことなく運転席の後ろの席に腰を落とすと素直に礼を言った。すると男も丁寧な相槌を打ったが、そこに奥の長い座席で寝転んでいた別の男が前に出てきて背もたれに手を掛けたので、女子中学生は少し驚いたように振り返った。
「加藤陽子ちゃんだね」「お父さんは幹部自衛官だって」すると脇に立っている男が女子中学生の氏名を言い当て運転席に男が職業を口にした。この女子中学生・加藤陽子の父親は名古屋市内の陸上自衛隊で勤務している1等陸尉だが治安出動が発令されてからは帰宅していない。母親や弟とは父親の習慣を守って食事の時に点けているテレビのニュースで報道されている在日中国人の家宅捜査を指揮していると話し合っていた。
「そこを右です」「ふーん、そうなの」女子中学生が道を教えても運転席の男は皮肉な返事をして無視した。このまま直進すれば住宅街を通り抜けて背後の山林に入ってしまう。
「従軍慰安婦って知ってる」「学校で先生が教えてくれました、でもお父さんは日本の売春業者が韓国の風俗店で女性を買い足しただけで強制連行はしていないって言っています」「それはお父さんが間違ってるな。日本軍は韓国の陽子ちゃんくらいの少女を・・・」女子中学生の説明に立っていた男は床にしゃがむと膝の上に置いていたスポーツ・バックを奪い羽織っているジャージを引き剥がした。その時、ワゴン車は舗装されていない山道に入っていた。
「陽子ちゃん、今日は一杯勉強したね。これもお父さんのせいだからね」「美味しかったよ。やっぱり初物は最高だな」数時間後、女子中学生は自宅の前に横付けしたワゴン車から下された。あれから山中に連れ込まれると2人に代わる代わる、時には同時にレイプされ、その光景をスマート・ホンで撮影されていたのだ。女子中学生はバージンだった。男たちは女子中学生をレイプしながら「日本兵も幼い慰安婦に同じことをやった」「自衛隊は日本軍と同じだからお前が償うことになった」と吹き込み続けた。その夜、多くの自衛官の娘たちのレイプ動画が韓国のインターネットの専用サイト「日本人女を慰安婦にしろ」に投稿された。

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- 2022/05/19(木) 14:23:21|
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2001年の明日5月19日は陸軍中野学校二俣分校を修了してベトナムへ渡り、第2次世界大戦後に植民地支配の再開を企図したフランス軍に抵抗するベトナム人ゲリラ=ベトナム軍にその教育内容を伝授した谷本喜久男少尉の命日です。
陸軍中野学校は諜報活動=スパイや占領地での宣撫工作などの情報・謀略戦を目的に創設されましたが現在の静岡県浜松市天竜区二俣町に新設された二俣分校はゲリラ戦術や破壊工作を中心にした半年間の短期集中教育でした。中野学校と二俣分校では東條英機陸軍大臣が公布した戦陣訓の「生きて虜囚の辱めを受けず」とは反対に「たとえ国賊の汚名を着ても、どんな生き恥を晒しても生きよ」「できる限り生きて任務を遂行せよ」が精神徳目だったと伝わっています。また出身者の小野田寛郎少尉の回想によると卒業前には二俣から夜間行動で約70キロある現在の航空自衛隊浜松基地を襲撃したそうです。
谷本少尉は大正11(1922)年に鳥取県で生まれ、当時としての高等教育を終えて二俣分校に入営し、昭和19(1944)年に修了すると福岡、台湾経由でベトナムに赴任しました。現地では中野学校出身者が敗戦後も東南アジア各地(谷本少尉はインドネシアの予定だった)に残って活動を継続する目的で組織した「安部隊」に参加しましたが、敗戦によって断念せざるを得なくなり独立混成第34旅団司令部の渉外部員として対外交渉全般を担当することになりました。そんな中、ベトナム中部高原の保養地ダラットに開設した捕虜収容所がベトナム人ゲリラの攻撃を受けて警備兵が連行される事件が発生して指揮官と面談すると熱い祖国愛と激しい闘志に感服して中野学校の活動地域の人々との融和団結と献身的貢献の建学の本旨が蘇り、ベトナム人ゲリラに参加することを決意したのです。こうして昭和21(1946)年にグエン・ソン少将が創立した最初の陸軍士官学校=クアンガイ陸軍中学校の教官になり、フランスとのインドシナ紛争やアメリカとのベトナム戦争で最新鋭の兵器を駆使する両軍を巧妙なゲリラ戦術で翻弄し、散々に苦しめた現場指揮官たちを養成しました(指揮官として参戦した日本軍士官も少なくなかった)。
日本のベトナム戦争当時の反戦団体やマスコミは「ベトナム軍は中国人民解放軍で毛沢東戦術を学んだ」と説明していますが、前述のグエン・ソン少将のような高級幹部は別として現場指揮官たちの大半は谷本少尉や加茂徳治少尉、中原光信少尉ほかの日本の軍人を教官として育成されたのです。おそらく日本軍の離島守備隊が戦陣訓を守った「万歳突撃」=集団自決ではなく硫黄島式のゲリラ戦を展開すれば甚大な損害と長期化でアメリカ国内に厭戦世論が発生し、ナチス・ドイツの降伏後は継戦できなかったかも知れません。
谷本少尉は昭和29(1954)年に帰国すると郷里の鳥取の小学校の校長になり、1996年には加茂少尉、中原少尉と共にベトナム軍から勲章を授与され、式典には教え子の陸軍中将以下百数十名の卒業生が参加し、学校跡地に記念碑が建立されました。
この日、79歳だった谷本少尉=校長はで鳥取県気高郡青谷町のほぼ直線の国道6号線を走行中に対向車線にはみ出してトラックと正面衝突しました。本人は熱心な日蓮宗の信徒でしたが喪主の娘夫婦が創価学会員だったため僧侶なしの学会葬になったそうです。
- 2022/05/18(水) 14:45:06|
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「いってきます」「いってらっしゃい」安川2尉が高圧鉄塔の根元に指向式散弾地雷・クレイモアを設置しながら越後山脈を越えていた頃、松本駐屯地の官舎で銃後を守っている聡美は昨年生まれた長女の梓を負ぶりながら長男の穂高の小学校への集団登校に付き添っていた。航空自衛隊海栗島分屯基地の官舎が漁船で不法侵入した韓国人に襲われた事件を教訓にして陸海空自衛隊は全国の駐屯地・基地内にある官舎地区も警備範囲に加えているが、教職員組合の活動家が在日中国人の組織に自衛官の子供の情報を流していることが判明したため集団登下校に親が付き添うことになったのだ。子供たちが校門の前で手を振って校舎の玄関に向かうのを見送ってから付き添いの親2人は官舎に戻る。
「いくら親が付き添っても拳銃で射たれたら終わりじゃない」「至近距離からだと親が盾になっても身体を貫通してしまうわね」同じ自衛官の妻でも聡美の認識は極めて現実的だ。これは同様の不安を訴えると安川2尉は新隊員課程で戦争を現実とするモリヤ中隊長の薫陶を受けただけに具体的な説明を返してくる影響だった。それを聞いた陸曹の妻は自分の身体を弾丸が貫通する場面を思い浮かべて腕を抱いて身震いした。
「そうなると旦那の防弾チョッキを借りないといけないわね」「ヘルメットもね。拳銃弾ならかなり有効よ」ここでも聡美の知識は並の自衛官の妻では太刀打ちできない。自衛隊の防弾チョッキや鉄帽は弾丸よりも砲弾の破片を繊維でからめて貫通させない構造になっているため先端が尖った小銃弾では効果が弱い。その点、先端が丸い拳銃弾ならかなり期待できる。
「新兵さんが入ってくるとグランドで『その場に伏せ』って転ぶ訓練をやってるじゃない。あれを子供たちにも習わせた方が良いわ」「転んでも怪我しなくなるかも知れないしね」自衛隊の柔道の横受け身のような「その場に伏せ」の動作は幕末に江戸幕府がフランス流の西洋式軍隊を作った時、長くて重いエンフィールド小銃を採用したが、背が低く腕力が弱い日本人ではヨーロッパ人のように小銃を腕だけで支えることができず柔術などの受け身を参考にして創案したものだ。戦後、警察予備隊が創設されると小銃を上に向けながら下半身から転んで床尾を地面に打ちつけるアメリカ式に改められたが、64式小銃は衝撃で不時発射してしまうため万事に懐古趣味を持ち込んでいた帝国陸軍出身者が復活させた。
「それでも長野県内ではそんなに拳銃は見つからなかったのよ」「ご主人は在日中国人の家宅捜査に行っていたのよね」ここで話題は夫の仕事に移った。松本駐屯地でも治安出動によって警察権を与えられた隊員たちが長野県内に住む在日中国人の家宅捜査に当たったが、都市部を中心に配分されているらしく摘発数はそれ程でもなかった。その分、極左で有名な県内のマスコミは在日中国人を対象にした捜査令状の発布を批判する報道を始め、共産党系の弁護士が行政訴訟を起こす準備を進めている。全国各地で急増している拳銃を使った強盗事件や派出所や警察官の銃撃の危機は問題ではないようだ。流石に自衛隊は警衛隊の歩哨が本物の小銃を携帯しているだけに被害は受けていない。
「ご主人は山の中に行ってるんでしょう」「ええ、今回は長野県じゃあないみたい」安川2尉は特殊任務については説明せず、聡美もあえて訊かないが山岳訓練は持っていく装備品で判る。今回はこれまでのように長野県や岐阜県ではなく群馬県から新潟県の地図を研究していたので推理はできた。これも口では言えない情報を家で待つ聡美に与える漏洩方法なのだ。
「奥さんも心配ね。ウチは市内だから遭難する危険はないわ」「でも隠し持っていた拳銃を発砲する危険はあるでしょう」「うん・・・」陸曹の妻は夫の仕事を気楽に考えることで不安を打ち消す生活の知恵を身につけている。一方、幹部の妻は部下の命を預かっている夫の職責を直視しようとする。ここでは両者の思考の差異が殊更に衝撃を与えてしまった。
「そう言えば愛知県で自衛官の娘が在日韓国人に集団レイプされたじゃない。ネットではあれは教師が犯人に教えたって言ってるけど本当かしら」「日本人の女が従軍慰安婦を償うって言う連続レイプ事件ね」ここで陸曹の妻が話題を変えた。陸曹の妻は聡美の両親と弟が愛知県の教員であることは知らないので単純な野次馬的好奇心からの質問だった。
「私はネットはあまりやらないから詳しくは知らないけど教員の中には自分の政治信条を実現するために子供を洗脳して、行政との交渉では人質にすることを当然視する人もいるみたい。その教師が韓国人の主張に共鳴していれば教え子を生贄にすることもあり得るわ」聡美は答えながら両親と弟の顔を思い浮かべたが父親は教え子に手をつけ、母親は同僚の教員と不倫した。教員の道徳観と欲望の自己矛盾は少女時代の聡美が苦しめられてきた問題だった。その父親は定年退職後、市会議員に共産党から立候補しようとしたが母親と弟に「公務員は選挙運動に協力できない」と言われて諦めた。一番迷惑を被る安川家には母親からの事後報告だった。
- 2022/05/18(水) 14:43:48|
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5月に入ってウクライナ以外にも注目すべきニュースが続きましたが、その報道内容は何故か保守系=体制寄りのはずのフジテレビ・産経新聞や日本テレビ・読売新聞と左傾=売国亡国のテレビ朝日・朝日新聞やTBS・毎日新聞で大差がなく唖然としてしまいました。
韓国では反日嫌米臣中属北朝鮮をアカラサマにしていた文在寅政権が任期を全うし、検事総長として文政権に反旗を翻した尹錫悦大統領が5月10日に就任しましたが、日本のマスコミは尹大統領が選挙への出馬を上海での天長節祝賀式典で演台に爆弾を投げて白川義則大将を殺害、重光葵後の外務大臣と野村吉三郎大将、植田謙吉中将に重傷を負わせた犯人・尹奉吉の記念館(韓国では伊藤博文初代朝鮮総督を暗殺した安重根と並ぶ英雄)の前で宣言して「反日」姿勢を公然化したにも関わらず全てのマスコミが「歴史の共通認識」を前提に文政権時代に険悪化した外交関係の修復を呼び掛けていることばかりを紹介して、日本側に歩み寄り=韓国側の歴史認識の受け容れを要求しています。
ところが同じ日に就任した李家超香港特別行政区長官は民主化運動の徹底弾圧を中国共産党指導部に高く評価された人事であることを隠蔽したいのか新聞は経歴だけを紹介し、テレビではほとんど触れませんでした。
続いて5月17日に沖縄が日本に返還されて50周年を迎えましたが、こちらの言論統制はさらに徹底していて新聞とテレビの報道の論旨は「沖縄県民の悲願・アメリカ軍基地の撤去は進んでいない」だけでした。しかし、ロシアのウクライナ侵攻を受けて長年にわたり中立政策を堅持してきたスウェーデンとフィンランドがアメリカを後ろ盾にするためNATOに加盟することを表明したことを見てもアメリカ軍の存在こそ最大の平和の防壁であり、東シナ海の対岸に共産中国が存在し、脅威に直面している沖縄にとっては在沖縄アメリカ軍の強化を要求するのが正常な国際感覚です。これは「自由主義のアメリカよりも共産主義の中国が好き。アメリカ軍は出ていけ、中国軍は大歓迎」と言う日本に返還された時に送り込まれた日教組や公務員労組の過激活動家と朝日新聞と毎日新聞の極左の編集者と記者が50年かけて歪曲・捏造した歴史を若者に刷り込み、その誤った歴史観を次の世代にも教え続けてきた結果であり、遠からず中華人民共和国琉球民族自治区になって香港ならまだしもチベットや新疆ウィグルのように完全な報道統制の下でジェノサイドに晒されるのでしょう。沖縄の女子たちは中国人=漢民族の子供を産むために毎晩、中華人民占領軍の兵士たちの夜伽の相手をすることになります。
そしてもう1つ、2019年に母親と友人家族のキャンプに参加して山梨県道志村のキャンプ場に来て行方不明になった千葉県成田市の小学1年生の女児の死亡がDNA鑑定によって確認された事件では全ての新聞からテレビが39歳になる女児の母親を悲劇のヒロイン扱いして通常は行方不明になった現場で発見された遺留物を識別するのは母親の役割であるにも関わらず当日に着用していた衣類と同じ柄であることを認めながら「本人の物ではない」と言い張る常軌を逸した現実逃避に疑問を呈し、窘めることが許されない異常な報道になっています。これも批判を恐れるマスコミの自主規制と言う言論統制でしょう。
- 2022/05/17(火) 14:23:05|
- 常々臭ッ(つねづねくさッ)
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「安川2尉、遠隔起爆装置のテストをお願いします」「待て、設置状態の確認が先だろう」第13普通科連隊の安川和也2尉は2名の山岳レンジャー=クレージー13と松本駐屯地に同居する第306施設隊のレンジャー隊員1名を指揮して日本海側の原子力発電所の電力を首都圏に送る高圧鉄塔の根元にアメリカ軍から供与された指向式散弾地雷・クレイモアを設置する作業に当たっていた。陸上自衛隊が採用しているスウェーデン軍の指向式散弾地雷をライセンス生産したFV113は西部方面隊と中部方面隊に配分されたため東部方面隊と東北方面隊、北部方面隊はアメリカ製のクレイモアになった。この使用法に適合させるため本来は有線式のクレイモアの起爆装置を遠隔操作できる無線式に改良している。しかし、経済政策としては防衛装備品の国産化を進めるのは理解できるが、備蓄が不十分で日本の防衛産業に緊急時の迅速な増産態勢が整っていない以上、防衛政策としては賛成できない。それは国産の91式携帯式地対空誘導弾とアメリカ軍から供与を受けたブロック1でも言えることだ。
「これで起爆すれば高圧鉄塔の柵の中は漏れなく散弾で清掃されます」「東京でも実証済みだな」施設隊のレンジャーは険しい岩山の頂上に建てられている高圧鉄塔の根元の四角形のフェンスを菱型に見立てて一角から敷地全体に散弾が発射されるように設置していた。破壊目的で侵入するのであれば「角(かど)」よりもフェンスに手が掛けやすい「辺(へん)」からになりそうだが、支柱の根元の方が見つかりにくい。前回の東京郊外の高圧電線では侵入者が散弾と爆風で一網打尽になることを見事に実証したが、あちらは平坦な造成地でこちらのような断崖絶壁ではない。果たしてレンジャーでもない素人がこのような接近することも困難な場所の高圧電線を破壊しようとするのかは疑問だが、在日中国人や半島人が徴兵を受けて従軍していれば素人とは言い切れず、予期せぬ場所を攻撃するのはゲリラ戦の基本だ。
「それじゃあ東京電力の監視所とテストしてみよう」「テストは接続しないで実施します」「そうだろうな、接続してスイッチを入れれば爆発するぞ」施設隊のレンジャーが記憶していた取扱説明書の注意事項を口にすると安川2尉は呆れたように答えた。同じ第13普通科連隊の陸曹であれば間もなく1尉に昇任して中隊長になると言われている安川2尉を馬鹿にしたような台詞は絶対に吐かないが、施設隊のレンジャーは油断したらしい。実は国産のFV113には熟練している第306施設隊もクレイモアを取り扱うのは初めてで、作業前には勝田の施設学校から派遣された教官の講習を受けていた。その講習には安川2尉も参加したが教官は「翻訳した取扱説明書を熟読しただけだ=全く詳しくない」と正直に告白しながらも「使用目的が同じだから機能に大差はない」と自己弁護のように補足した。つまりこの施設隊のレンジャーも「あまり自信がないのだ」と理解した。
一方、クレージー13は頂上に設置するクレイモアを背負って断崖絶壁を登る運搬係と高架電柱に登って東京電力群馬支社監視所からの作動電波を中継するアンテナを設置する高所作業員を兼務している。別の1名は移動用のジープに残り、載せてあるクレイモアを警護している。妙な話だが治安出動した自衛隊は正当防衛・緊急避難における威力均衡の原則で暴徒が拳銃を使用している場合、自衛隊も拳銃にしなければ過剰防衛になるため小銃は携行できない(=日本刀を振り回す者を制圧するのにはるかに長い銃剣道の木銃は使用できない)。したがって今日のレンジャーたちは拳銃弾を発射する短機関銃になった。
「はい、東京電力群馬支社、高圧電線監視所です」「こちら電線警備設置隊、Gライン1号の作業が終わりました。テストを願います」安川2尉は防衛回線の部内秘匿装置がついた携帯電話で東京電力群馬支社の高圧電線監視所に連絡した。東京電力に限らず全国の電力会社の高圧電線監視所のうちクレイモアを設置した地域の担当部署には陸上自衛隊の隊員が配置され、不法侵入者に対しては重要施設の防護措置として警察権を行使することになっている。この監視所にも今夜から相馬原駐屯地の第48普通科連隊から配置される予定だ。
「はい、スイッチ・オン」「ランプが点いた。正常なようだ」「ご苦労さまです。気をつけて次の設置場所に移動して下さい」東京電力群馬支所の担当者は丁寧に労った。東京電力の保線作業でも同様に危険と隣り合わせなので苦労を共有してくれているようだ。
「よし、次へ行こう」「レンジャー」安川2尉はこの高架電柱にもアンテナを設置して下りてきたクレージー13と施設隊のレンジャーに声をかけた。すると高い場所に登ったクレージー13は定番の返事をした。それにしても100メートルを超える断崖絶壁の上に建っている高さ50メートルの鉄塔の最上部まで命綱もなしに登ることを遊びの木登りのような感覚でやってのけ、戻ってくれば気分が高揚しているこの連中はやはりクレージー13だ。安川2尉はフェンスのシリンダー錠を念いりに確認すると東京電力が設置している通用路を下っていった。
- 2022/05/17(火) 14:21:29|
- 夜の連続小説9
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