fc2ブログ

古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

続・振り向けばイエスタディ303

「モリヤ将補は退職を了承しました」「何故だ。幕長(陸上幕僚長)は将官の配置の固定が解除されたのを機に彼女をアメリカ軍とのパイプとして総隊の幕僚長に移動させるつもりなんだ」陸上自衛隊教育訓練研究本部の人事課長からモリヤ将補の回答を伝えられた陸上幕僚監部人事教育部長は語気を強めてしまった。人事教育部長は内局の将官人事担当者から防衛大臣の意向でモリヤ佳織将補が勧奨退職の対象になったことを聞いた時にも厳しく反論したが、情に訴えるためモリヤ将補の夫のモリヤ元2佐がシベリアでロシア軍に拘束されていることを先にしたのが失敗だった。内局の官僚は冷淡に「私的事情」と切って捨てて補足説明になった陸上幕僚長の人事構想も「同様の経歴の持ち主は他にもいるだろう」と軽くあしらった。確かにアメリカ陸軍の指揮幕僚大学院や上級士官課程に留学した経歴を持つ高級幹部はそれなりの人数がいて太平洋軍司令部の連絡官は常駐しているのでさらに多い。しかし、モリヤ将補の父親は元アメリカ空軍の輸送機パイロット、娘もアメリカ海軍の現役パイロットであり、ここまでアメリカ軍と密接な関係を持つ将官は他にはいない。加倍政権当時の歴代防衛大臣と浜防衛大臣なら内局の官僚の説明と現場の事情が齟齬していれば直接説明することも可能だったが、現在の大臣はそれを制服の直訴として旧来の日本式シビリアン・コントロール(武力組織の政治による統制ではなく官僚による指図)の復活を目論む内局の官僚に十重二十重に取り囲まれていて制服が説明する機会は容易に見つからない。これが日本の有事なのだ。
「しかし、将官の出処進退は自己判断に任せなければなりませんから本人が了承した以上、それを尊重しなければなりません」「大臣の意向だからな」人事課長の釋迦に説法に人事教育部長は重い口調で同意した。実は人事教育部長は陸上幕僚長の直接の指示で自ら将官の配置替えの人事構想を練っていた。人事教育部長としては陸上幕僚長の意向とは別にモリヤ将補を自分の後任に据える腹案を持っている。その他にも航空自衛隊の通信課程を担当する第4術科学校長がWAFの空将補なのに合わせて通信学校長と言う線も頭をよぎったが、本人が副校長を経験しているので取り消した。陸上自衛隊でモリヤ将補は幹部候補生学校長として辣腕以上の剛腕を奮い短期間に旧弊を排除して現在の緊急事態に対処できる真に実戦向きの若手幹部を育成したことで部隊でも評価が高い。ただし、それは緊急事態に陥ったから評価されたのであってそれまでは悪名高い夫のモリヤ元2佐と同様の出る杭を大量生産して部隊に迷惑をかけた馬鹿な女帝と呼ばれていた。内局の官僚はどこかでこの頃の評価を聞いたのかも知れない。
「モリヤ佳織陸将補かァ・・・ウチの組織体質では能力が高過ぎても上手くいかないんだよな」電話を切った人事教育部長はパソコンが表示している陸将補の名簿を見直しながら呟いた。陸将補の順番は全ての職域の隊員を同一基準で評価した幹部候補生学校の卒業序列を最優先し、各職域の学校での基礎課程(BOC)と上級課程(AOC)の序列、部隊配置後の入校経験、そして部隊での勤務評定などを加味しているがモリヤ将補は同期の中では群を抜いている。
しかし、陸上自衛隊には「防外内特」と言う出身別階層が隠然として存在している。これはトップはあくまでも防衛大学校出身者、次は一般(部外)幹部候補生出身者、続いて一般(部内)幹部候補生出身の叩き上げ、そして特幹と呼ばれる准尉・曹長から昇任する3尉候補者のことで、部外でも国公立大学や有名私立出身者と無名な馬鹿大学、そして部隊で勤務しながら夜間や通信制大学を修了した部内部外で序列がつく。さらに部内では自衛隊生徒出身者だけは別格扱いされる。これは昇任の順番だけではなく部隊での会議の席で部外出身者が防衛大学校出身者の知らない知識をひけらかし、回答できない質問を投げかけることは法度とされている。その点、海上自衛隊や航空自衛隊は技量の上下優劣と言う教育課程の成績とは別次元の評価基準が存在するためこのような馬鹿げた自縄自縛は緩い。
「島田人事だけは避けないと俺の名前が今度の戦史に負の教訓として刻まれてしまうな」人事教育部長は海上幕僚監部の高級幹部たちが釜田防衛大臣を再任させた石田首相の人事を第2次世界大戦中にも実戦経験や操艦と戦闘指揮の能力ではなく海軍兵学校の卒業序列=ハンモック・ナンバーや海軍大学校など各種学校の入校歴などの平時と同じ基準で司令官を選任していた島田繁太郎海軍大臣の「島田人事」になぞらえて「石田人事」と呼んで揶揄していることを思い出した。帝国海軍では山本権兵衛海軍大臣の日露開戦に際して東郷平八郎元帥を常備艦隊司令長官(戦時の連合艦隊司令長官)に抜擢した人事の冴に対して第1次世界大戦後の海軍軍縮条約を巡って勃発した海軍内の派閥抗争を鎮めるため指導的立場にある有能な人材を予備役に編入した大角岑生海軍大臣の「大隅人事」と並ぶ人事の大失策とされている。
「島田人事」は対米対英戦史では「戦闘ではない最大の敗因」とされているが、防衛大学校出身ではない今の陸上幕僚長なら山本権兵衛人事のような英断を下してくれそうだ。
  1. 2022/11/10(木) 15:00:17|
  2. 夜の連続小説9
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

11月10日・東大寺大佛殿がキリシタン兵の放火で全焼した。

永禄10(1567)年の4月18日から半年にわたり松永久秀さん、三好義継さん+三好3人衆と筒井順慶さん、池田勝正さんが奈良各地の古寺名刹に陣を置き、殺生を繰り広げた罰当たりな合戦の最終局面として11月10日に松永・三好軍が本陣を置いていた東大寺を筒井・池田軍が攻撃し、関西に滞在していたイエズス会のルイス・フロイス宣教師の著書「日本史」によれば混戦の中で三好軍のキリシタンの雑兵が「邪教の信仰施設の焼失」を目的で起こした火災によって大佛殿が全焼しました。なお、日本側の記述では撤退後に敵方の本陣に使われないように松永・三好軍が放火したとあります。
奈良の大佛さま=盧舎那佛坐像は聖武天皇の「佛教による国家鎮護」の発願によって各律令国に創建された国分寺・国分尼寺の総本山である東大寺の本尊として天平19(747)年に造立が始まり、天平勝宝元(752)年に開眼しました。その座所・堂宇である大佛殿は開眼後に建設が始まり、天平宝字2(758)年に完成しています。創建当時は高さと奥行きは現在と同規模でも横幅は3倍の長さがあったとされ、より壮大な建築物だったことが想像できます。しかし、400年後の治承4(1181)年12月28日に比叡山延暦寺と並ぶ興福寺の僧兵を討伐するために派遣された平重衡さんが放った焼き討ちの火が折からの強風によって燃え広がり、東大寺も類焼して天平以来の大佛殿が焼失、大佛さんも頭部と手が溶解して転げ落ちてしまったのです。この時の再建は後白河法皇の発願でも平家に代わる武家政権の樹立を狙っていた源頼朝公の全面的な支援を受けて建久元(1190)年から建久6(1195)年にかけて行われ、現在と同程度に縮小された大佛殿が完成しました。落慶法要には後白河法皇と源頼朝公、妻の政子さんが参列しています。
そして今回の消失は合戦の最中に大佛殿の周囲にあった居住区画の穀倉が放火され、多くの堂宇が類焼した飛び火が回廊に燃え広がって大佛殿に火が点き、翌日の午後2時頃まで燃え続けたとされています。今回の延焼でも頭部が溶解して落下したため応急的に銅板で作った顔を模した頭部を載せ、仮設の佛堂を建設しましたが、新たな権力者の豊臣秀吉さんは一向一揆や延暦寺焼き討ち、根来攻めなどで佛教勢力と敵対していたため再建には関心を示さず、京都に新たに奈良の大佛さまの身の丈14・メートルを大きく超える19メートルの木造の大佛さんを造佛して方広寺を創建したのです。しかし、方広寺の大佛さんも失火で焼失し、その再建は東照神君・徳川家康公が息子の秀頼くんに軍資金を浪費させるために持ちかけた策謀で、豊臣家滅亡の一助になりました。ちなみに秀頼くんが再建した木造大佛さんと大佛殿も寛政10(1798)年に落雷で焼失しています。
そして今回の再建は江戸幕府の全面的支援を受けて貞享元(1685)年から始まりましたが、方広寺の建設で全国の巨木が切り尽くされていたため大佛殿の構造を組木式に変更して、大佛さまは元禄5(1692)年に開眼供養、大佛殿は宝永6(1709)年に落慶法要が催されて再建は完成しました。これが現在の大佛さまと大佛殿です。
奈良の大佛さまはやはり国家鎮護の守護尊さまで2度の焼失後、どちらの当事者も間もなく悲惨な末路をたどり、国内では天変地異・大規模災害が続発しています。
  1. 2022/11/09(水) 14:04:00|
  2. 日記(暦)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

続・振り向けばイエスタディ302

「もしもしモリヤですが・・・失礼しました。安里ですが」「やっぱり梢も日本に帰っていたのね」その夜、佳織は梢のスマートホンに電話をかけた。KLM321便がロシア軍によってシベリアの基地に強制着陸させられたことを報じる新聞記事の搭乗者名簿でモリヤの名前を見てからは数回、オランダの自宅に連絡したのだが不在だった。梢のスマートホンの番号も登録しているが時差の関係で掛けられる時間が限定され、メールにも返信がなかった。
「ごめんなさい。父が末期癌で危篤になって介護のために私だけ帰っているの。メールは見たけど心配かけてもいけないから返信しなかったわ」「それであの人も見舞いに帰国することになったのね」「本当は葬儀に参列する予定だったんだけどウクライナの戦犯裁判の被告がロシアに協力した背信罪になったから休暇が取れたのよ」今日の梢の説明は奥歯にモノが引っ掛かっているように感じる。本当は梢の父親から直接遺言を伝えられるために来日したのではないか。しかし、いくらウクライナの戦犯裁判の特別検事の職務が対象外になったとしても梢の父親とモリヤは長期休暇を取得してまで帰国するほどの関係ではない。これは自衛官ではなく佳織の女の勘だった。すると梢はそれを察したように説明を続けた。
「でも父は意識を取り戻すことがなくなってしまってシベリアで拘束されたのは私たちには大きくて長い寄り道になってしまったわ」「モリヤさん、梢を・・・頼みます、梢を嫁に・・・」梢の電話の向こうでかすれた高齢男性の呟き声が聞こえてきた。梢の説明通りだとすればこれは意識を取り戻さない父親のウワゴトと言うことになる。梢も正妻の佳織に後半のウワゴトを聞かせるのは拙いと思ったようでスマートホンのマイクを親指で押さえた。
「父は意識が戻らないから胸の中の願望を吐き出してしまうのよ、気にしないで」「それがお父さんの本心なのね」「・・・」佳織の答えに梢は返事をしない。仮に梢がこの遺言をモリヤに聞かせるために呼んだとすればそれは梢の意思と言うことにもなる。佳織はモリヤが陸上幕僚監部で勤務していた頃、定年退官後はハワイに移住して2人でアメリカ国籍を取得する老後の計画を立てていた。モリヤは「ハワイで佛教僧になると」と意欲を見せていたが、それは日本の司法試験に合格しているだけのモリヤの法曹資格を手放させることになり、本心なのかは確認していなかった。考えてみればモリヤは結婚以来、常に佳織の夫、子供たちの父親と言う任務を遂行して自分の意思ではなく佳織と子供たちの希望だけを優先してきた。結局、モリヤは幼い頃から典型的体育会系の父親に運動部式の絶対服従を強いられ、自我意識が芽生える思春期や反抗期も圧殺されてきたので個人生活と職業の区分なく立場だけで思考する人間になってしまったのだ。そのため立場を追及することに全力を傾注するあまり適度に妥協する組織の常識からは逸脱して直属上司=中間管理職からは忌み嫌われていた。
「私、もうすぐ自衛隊を辞めてハワイに帰ることになりそうなの」「だって今の非常事態が終わるまで将官の移動はないって言ってたじゃない」「それは前の浜大臣の指示だから大臣が代われば人事も変わるのよ」梢の指摘に佳織の声が重くなった。前任の浜大臣が石田政権の内閣改造で退任し、モリヤも「馬鹿な航空幕僚長をクビにした大馬鹿の大臣」と嫌っている人物が再任されたことは茶山元3佐が送ってくれる月刊定期古新聞で読んで知っているが、国家の危機に対処している現場の自衛官が不満を募らせているとすれば大問題だ。モリヤが聞けば佳織の夫以上に元自衛官として怒るだろう。
「そのことをあの人に知らせようと思ったけど手立てがないから奥さんに伝えておこうと思って」「私は秘書よ。奥さんは貴女じゃない」「私は奥に控えていたことはないわ。いつも表舞台に出させてもらってきた。家内じゃあなくて家外ね。ついでに言えばほとんど一緒にいなかったから連れ合い、伴侶でもないのよ」佳織は唐突に自分を否定する言葉を並べ始めた。梢も父がウワゴトで口にする親としての願望に心が揺れない訳ではないが、若い時の別離を自分の方から切り出した以上、何の落ち度もない佳織に取って代わることは考えられなかった。
「さっきのお父さんのウワゴトをスマホで録画して旦那さんに見せるべきよ。間に合えば良いけれどロシア軍に拘束されれば簡単にはいかないわ」「ニンジンさんに何かあれば私も後を追うからニライカナイで話せるわ」「やっぱり奥さんは梢ね。私にはそんな覚悟はないもの」佳織は梢の言葉が本気であることを察して結論を投げ返した。梢は伯父と両親の執拗な反対で追い詰められたモリヤが「万座毛から飛び降りて心中しよう」と漏らした時、「高所恐怖症でしょう。貴方の足がすくんで飛び降りられなかったら私だけ死ぬよ」と茶化して制止した。それが別離を決めた理由だった。しかし、今は万が一、モリヤが生還しなければ40年前の希望に応えることを決めている。そうすれば死の瞬間、モリヤが強く抱き留めてくれるはずだ。後は沖縄の海邦浄土・ニライカナイで仲睦まじい夫婦として暮らすのだ。
  1. 2022/11/09(水) 14:02:33|
  2. 夜の連続小説9
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

続・振り向けばイエスタディ301

「モリヤくん、唐突だが貴女に勧奨退職の意向確認が届いた」陸上自衛隊教育訓練本部のモリヤ佳織将補は本部長に呼ばれて思いがけない人事予定を通告された。陸海空自衛隊では防衛出動待機命令を発令した当時の浜防衛大臣が指揮系統の混乱を避けるため健康上の理由ややむを得ない事情を申告した者以外の将官の職務を固定している。しかし、事態は本格的武力侵攻による防衛出動に発展することはなく治安出動での対処で安全は維持できている。その浜防衛大臣が激務によって健康を損なって交代した釜田大臣は再任で、前回は崇神航空幕僚長の懸賞作文問題で醜態を晒して隊員の信頼を失っていた。ところが再任後も内局の官僚に取り巻かれ、マスコミ受けを優先する有事とは思えない命令を続発していて隊員の士気は著しく低下した。それを官僚の報告で知った釜田大臣は故・加倍首相の実弟で政治信条を共有している浜大臣を敬慕している将官たちが原因と思い込み、内局から取り寄せた将官の人事記録を自分で精査したのだ。つまり記録に残らない経験や能力は考慮していない。
「私は夫がシベリアでロシア軍に拘束されている以上、軍事情報が入手できる現在の職務を離れるつもりはありません」モリヤ将補も私的事情で政治判断の将官人事に抵抗できるとは思っていないが、あまりにも唐突な通告を素直に承諾することはできなかった。
「私としても君たち夫婦が直面している事態を考えればこの時期にあえて移動させるのはあまりにも非情だと思っている。それにアメリカ軍の内情を熟知する貴女は現在の状況下では必要不可欠な人材だとも思っている。しかし、大臣は有事を前提とする特例人事を中止することを決定されたんだ」説明する本部長の口調には釜田大臣への不信と決定を誘導した内局の官僚に対する怒りが籠っていた。内局の官僚は陸上自衛隊では唯一の女性の将官であるモリヤ将補に興味を示した釜田大臣に「自衛隊の男女平等を宣伝するための広告塔」と説明し、「平時であれば旅団長を経験させて勧奨退職させる予定だった」と本人も知らない人事予定を補足した。すると釜田大臣はモリヤ将補の華々しい経歴は全て広告塔としての箔付けと理解して「広告塔にするには薹が立っている。賞味期限切れだ」と退職予定者に分類した。当然、官僚がシベリアで拘束されている国際司法裁判所のモリヤ次席検察官が夫であることを説明するはずがなく、大臣の意向を伝達された陸上幕僚監部の人事教育部長が喰い下がったが「私的事情」の一言で片づけられた。本部長は人事教育部長から怒りを引き継いでいるのだった。
「私は退官すればハワイに帰ってアメリカ国籍を取得する予定です。ハワイでは父が予備役編入後に役員として勤めていた日系人協会に採用してもらうことが決まっています。そうなるとこのまま日本が戦争に巻き込まれてもハワイから傍観するしかありません。それはあまりにも残念です」「そこまで決まっているのなら一刻も早く退官してハワイに帰るべきかも知れないな。遠からずロシアが参戦してくれば間違いなく防衛出動が発令される。そうなれば貴女の退官も延期になるだろう。ロシア軍はウクライナで地上兵力と航空戦力を消耗したが、弾道ミサイルと海軍力は中国とは比べ物にならない。緒戦で弾道ミサイルを撃ち込まれればその時点で我が国は焦土と化す。その前に日本を離れて海外で日本が戦争に巻き込まれていった真実を後世の歴史に記(しる)してくれ」思いがけない本部長の言葉にモリヤ将補は姿勢を正して握っていた拳に力を入れてしまった。本部長は着任して以来、目黒駐屯地に同居している防衛研究所に通って帝国陸海軍の戦史の資料を読み漁っている。そして国家機関である防衛研究所が事実を大量・詳細・綿密に調査・分析・評価していながら学校教育やマスコミ報道が敗戦後の東京裁判で帝国陸軍をドイツのナチスと同等の軍国主義の元凶として一方的に断罪した歴史観を脱していないことを心から怒っている。その深遠な歴史観は2等陸佐だった夫でさえ「航空幕僚長の知的レベルは防衛秘密にならないのか」と嘲笑していた崇神航空幕僚長とは次元が違う。本部長はモリヤ将補に歴史の証人になることを要望しているのだ。
「本部長のお考えは承(うけたま)りました。もう少し考えさせて下さい。失礼します」「うん、幕も回答期限は言って来ていないから納得できるまで考えてくれ。あくまでも自己判断だからね」モリヤ将補は握り締めていた拳の力を抜くと胸を反らし直して10度の敬礼をした。一緒に立ちあがって正面から見た本部長の目に迷彩服を中から押し出している豊かな乳房が飛び込んできた。釜田大臣は人事記録の生年月日だけで「薹が立った賞味期限切れ」と断定したが、少し年配の男性の目で見ても十分に魅力的だ。
「ところで旦那は『生きて虜囚の辱めを受けず』なんて言ってないよな」「いいえ、逆に国際法の専門家として自衛官に捕虜になる手本を示したいと言っていました」本部長は回れ右をして退室するモリヤ将補に妙な質問をした。現役時代のモリヤニンジン2佐は理解不能の奇人変人として有名だったので今回の事態にどう立ち向かうのか興味を持っていたらしい。
  1. 2022/11/08(火) 15:18:20|
  2. 夜の連続小説9
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

続・振り向けばイエスタディ300

「KLM321便がNATO軍の指示を受けて偵察飛行していたと言うのなら飛行経路の後席データーとロシア軍の軍事施設の位置を書庫として示すべきだろう」私は相変わらずドゥース機長とポンぺ副操縦士の取り調べに立ち会っているが、ロシア軍側は当初の「1時間遅れてアムステルダム空港を離陸したKLM321便のフライトプラン=飛行計画の変更通知を受理していない=領空侵犯」とする拘束理由を疑惑としていた「NATO軍の指示を受けた偵察飛行=スパイ活動」に変更し、証拠物件として「機体底面の貨物室に装着されていた」と称する高性能カメラを提示したが、私が機体内から遠隔操作する装置が付いていないことを指摘し、外部に文字を消した跡があるのを発見して逆に「証拠偽造」の嫌疑を突きつけた。当然、ロシア軍としては手を焼いているはずなので私が抹殺される日が遠くないことを予感している。現在は「できれば切腹、駄目なら拳銃で自決、せめて楽に死なせて欲しい」だけが希望だ。
「モリヤ中佐、オランダのICC(国際刑事裁判所)から電話が入っています」今ではドゥース機長やポンぺ副操縦士を差し置いてロシア軍極東軍管区上層部と私の激論になっている取り調べが終わると司令部の女性士官がドアを開けて声をかけた。やはり軍人たちは私の現在の肩書よりも過去形になった自衛隊の階級の方が呼び易いらしい。それにしても乗客や乗員からスマートホンを取り上げなくても居住地区に妨害電波を張り巡らせて送信不能にしているロシア軍が外部からの電話を取り次ぐとは意外だ。それでもドゥース機長もKLMオランダ航空本社に電話連絡したらしいので、私たちがロシア軍に拘束されていることは事実として認識されているようだ。ドゥース機長の電話には英語が理解できる軍人が立ち会って、会話もオランダ語ではなく英語に限定されたらしいので私も同様の処置を受けるはずだ。
「ハロー、デプティ・パブリック・プロセクター・モリヤ・スピーキング(=もしもし、モリヤ次席検察官ですが)」「ハロー、そちらでは弁護士として活躍しているそうだね」軍人が立ち会う以前に電話は司令部の事務室につながれていた。相手はハリム・カサド・カマド・ハーン首席検察官で声を聞いて私と同じ剥げた頭と真逆に中東系の濃い顔が浮かんだ。ハーン首席検察官にもこちらでの私の活動は伝わっているらしい。
「そちらでの待遇はどうだね」「はい、私は基地の外れにある士官用の宿舎に入れられていますが行動の自由が認められていないので別々の兵舎に収容されているらしい日本人とオランダ人の乗客のどちらとも接触できていません」私の英語の説明を聞いて顔を向けた人物は英語が理解できることになる。しかし、この事務室での盗み聞きを警戒するよりも電話の音声に雑音が入るから基地の交換が傍受しているのは間違いない。
「こちらのニュースではKLMは機長が『日本人のキャビンアテンダント(=客室乗務員)と連絡がつかない』と報告してきたと言っていたがモリヤ検察官に確認を依頼することはできそうもないね」「その客室乗務員、小森希恵さんとは機内で話をしましたが非常に魅力的な女性だったので危険な目に遭っていないか心配です。ソ連軍は第2次世界大戦末期に満洲や樺太で日本人の集落を襲って女性たちを手当たり次第に凌辱しましたから同じことを繰り返す可能性は否定できないでしょう」ロシア兵たちが谷茶満庫を使って小森希恵を慰安婦にしていることを聞いているのだが、私がロシア語を理解できることを秘匿する必要があるため可能性として説明した。本当は間近なウクライナを例に引きたかったのだが目の前の席の女性士官も英語を理解できるようなので控えた。それでも前任のモレソウダ首席検察官以上に勘が鋭いハーン首席検察官であればこのヒントで事態を推察してくれるだろう(多分)。
「本当は日本人の高根智子判事を呼んで気分を和らげてもらおうかと思ったんだが、モリヤ次席検察官は意外に日本嫌いみたいだから今回は止めておいたよ。希望なら次回には手配するよ」「いいえ、前任の戸崎久仁子判事とは親しくしていましたが高根さんとは会っても挨拶を交わす程度です」ハーン首席検察官の意外な気配りに私は全く違う意味で落胆した。私が国際刑事裁判所に着任した頃の戸崎久仁子判事は元外交官なので電話で情報を伝えられれば日本の外務省に届くことが期待できる。一方、2018年に交代した現在の高根智子判事は司法試験に合格して裁判所を巡りをしてきた元法務官僚なので外務省や防衛省とは縁が薄いはずだ。むしろ日本大使館の河瀬直道防衛駐在官を呼んでもらった方が有り難い。
「次回がないように早く出国できれば良いんだが、ロシアが考えていることは想像が及ばないからね」「ヒョッとしてロシアは私たちを人の盾にするつもりかも知れません。あくまでも元自衛隊の推理ですが」私の返事に目の前の女性の士官は驚いたように顔を向け、机の上で何かをメモした。実は私はロシアの軍人たちの会話に「ニポンスキー・ドゥーアポンペ」と言う単語を聞き取っていた。早い話が「日本人の人質」だ。
  1. 2022/11/07(月) 16:20:47|
  2. 夜の連続小説9
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

児童書の福音堂書店・松居直社長の逝去を悼む。

1歳になる前後に預けられていた託児所で保母さんが読み聞かす絵本を片っ端から暗記してしまって保母さんが読み間違えると即座に指摘したため「ヒョッとして字が読めるのではないか」と恐れられた野僧は当然のように大の本好きになり、小学校に入学した頃には専用の本棚に溢れるほど児童書を持っていました(近所の書店が御用聞きに来るほど)。福音堂の児童書としては昭和38(1963)年発刊の「ぐりとぐら」シリーズや昭和39(1964)年発刊の「うさこちゃん=現在のミッフィー、オランダ名はナインチェ(長崎ハウステンボスで売っていた商品名も)」シリーズ、昭和42(1967)年発刊の「だるまちゃん」シリーズ、「かさじぞう」「おおきなかぶ」「ももたろう」などの童話シリーズがギッシリ並んでいましたが、父親に似て体育会系の妹は全く読まず、遊びに来た妹の友だちが気に入ると母親が上げてしまったため手元には全く残りませんでした。
その頃になると母親は単行本を買うのではなく自分が購読している福音堂書店の童話雑誌「母の友」を読ませるようになりましたが野僧は児童用漢和・国語辞書を引きながら親向けの解説まで読むようになり、物語の裏話や作者の経歴まで詳しくなって1歳の頃と同じような目で見られるようになったのです。
それでも愚息たちは野僧が熱心に読み聞かせをした影響で本が好きになって「ぐりとぐら」シリーズや「だるまちゃん」シリーズはもう一度買い揃えましたが(福音堂は明らかにキリスト教系の社名のため事前に内容を厳密に確認しました)、小隊員が結婚して子供が生まれるとお祝いとして贈ってしまったため愚息2が保育士の資格を取る時、絵本が必要になり母親と同じ過ちを犯したことを深く反省しました。
余談ながら昭和57(1982)年から昭和58(1983)年に「母の友」に連載された「魔女の宅急便」は1989年にスタジオ・ジブリ作品になり、愚息たちも大ファンでした。ただし、野僧の黒猫好きは明石元次郎大将の影響なので関係ありません。
そんな福音堂の松居社長は大正15年=年末の1週間は昭和元年の10月に京都市で近江商人の家系の6人姉兄弟の末っ子として生まれました。京都だけに日本画を身近に見ながら洋画家だった叔父の薫陶を受けて美術的素養を養い、24歳で同志社大学を卒業する頃に自宅に下宿していた女学生(5歳年下)と恋仲になり、名古屋の出版社で勤務していて戦争で帰国した外国人牧師の資産と意思を受け継いだ女学生の父親が昭和27(1952)年に故郷の金沢市で開業・創設した福音堂書店に編集長として参加したのです。
編集長としては昭和28(1953)年に前述の「母の友」や昭和31(1956)年に「こどものとも」を創刊しましたが、まだ戦後の復興期だったので人々には雑誌を定期購読する余裕はなく、そこで当時は無名だった安野光雅さん(ふしぎなえ)、いわさきちひろさん(おにたのぼうし)、赤羽末吉さん(スーホの白い馬)、田島征三さん(とべバッタ)などを作画家に抜擢して発刊した絵本が静かなヒット作になり児童書の代表的出版社としての位置を確保したのです。その後は有名画家に絵本を描かせています。野僧はおそらく普通の人の十倍はお世話になっています。敬虔なクリスチャンなので・・・アーメン。
  1. 2022/11/06(日) 15:41:47|
  2. 追悼・告別・永訣文
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

続・振り向けばイエスタディ299

「岡倉くん、間宮くんを連れてイランへ行ってもらいたい」「ロシアへの武器供与の調査ならウクライナ侵攻の時にも行きましたが」「うん、そうだったね」アメリカでは松山1佐と岡倉が帖佐将補に呼ばれていた。すると外務省の外交官が1名同席していた。岡倉が赴任してきたばかりの頃は大使館の外務省職員でさえ信用せず、会話の内容を盗聴されないように低く音楽を流していたが、加倍政権の7年間でニューヨークの非合法組織の存在も加部首相や管官房長官などの一部の関係者に認知され、外務省が公式には対応できない国際情勢の現地調査を依頼されるようになっている。しかし、あくまでも存在は非合法だ。
「そうでしたね。あの時は侵攻が予定外に長期化してロシア軍が部隊を増強するのに武器が足りないと言うことで、イラクに輸出した武器をロシアが買い戻しているのではないかと言う疑惑の実態調査でした」「結局、軍内の一部の不心得者が弾薬と燃料を売っていただけで政府や軍は関与していませんでしたが」「それを調査できたのはやはりミリタリー同士だったからでしょう」この外交官も中曽根政権による外交戦略の転換後に入省した世代なので外交官と軍人の役割分担については正しく認識している。軍人は相手が同業者=軍人でなければ信用せず、情報を渡さないのは国際常識だ。ところが敗戦後の日本政府や外務省はヨーロッパでは社交の場で高級将校に接触して話を聞き出し、発展途上国では金で軍人から情報を買う侮辱的な諜報活動に終始していた。確かに当時の外務省にとって安全保障は相手の機嫌を損なわないように気を使うことだったのでそうで十分だったのだろう。しかし、アメリカ軍は自衛隊を海外で共に活動する同盟軍にするため政府や防衛庁の官僚を通さず直接、トップクラスの自衛官に独自の情報組織の設置を提言し、この非合法組織が創設された。
「今回はKLMのロシア、シベリアへの強制着陸ですか」「流石です」外交官が主題を切り出すと岡倉が先回りした。岡倉も安全保障理事会の議事を傍聴している松山1佐から「ロシアが中国と韓国の日本への懲罰に同調する」と言う見解を聞いて以来、杉本とロシアの動静をインターネットで綿密に調査しているので、シベリア在住の一般市民の「シベリアの防空軍基地にKLMの旅客機が着陸して動く様子がない」と言う書き込み情報は注視していた。
「しかし、私の中ではロシア軍のKLMの強制着陸とイラクが結びつかないのですが」「要するに外務大臣はロシアが軍事介入するにはイラクからの武器の買い戻しが必要不可欠だと言うのですね」岡倉の疑問に松山1佐が補足すると外交官は深くなずいて身を乗り出した。
「そうです、あのKLMには47名の日本人が乗っています。ウチの大臣はロシアがこの47人を開戦時にサハリンや国後島の基地に配置して人の盾にするのではないか。下手すれば我が国を攻撃する爆撃機や輸送機に同乗させる可能性もあると懸念しておられます」「つまり日本への攻撃は間近に迫っていると言う認識なのですね」「ところでウチの大臣は何か言って来ていないのですか」今度は岡倉の理解に松山1佐が帖佐将補に向けて質問を補足した。
「ウチの大臣はマスコミの『ロシアと戦争になれば日本がウクライナのようになる』と言う反戦報道に反論できずに困り果てているようだ。大臣室に内局の官僚を呼んで意見を求めているらしいが制服組の暴走を抑える以外の回答がないらしい」「双木大臣が防衛大臣だったなら陣頭指揮を執られたんでしょうね」帖佐将補の説明に松山1佐は相槌のように同調した。双木外務大臣は軍事オタクの岩場大臣が防衛商社と防衛官僚と自衛隊の高級幹部の癒着やイージス護衛艦と漁船の衝突事故の囲み取材を受けて記者に要求されるままに謝罪して隊員の信頼を喪失して辞職した後、組織の立て直しの専門家として防衛大臣に就任している。幸い現在は外務省と防衛省が二人三脚で安全保障問題に取り組んでいるのでどちらかの席に座っていてくれれば現場としては安心できる。
「それで双木大臣はKLMをどのように取り戻すつもりなんですか」「大臣としてはオランダにはロシアに対抗する力はないと見切っておられて直接EUに交渉への参加を要望されています。さらに乗客の中に国際司法裁判所の次席検察官がいたのでこちらにも協力を求めていますが昨日拘束された機長からKLM本社に連絡が入って、次席検察官はロシア軍の事情聴取に弁護人として立ち会っているので単独での脱出と帰国は本人が拒否するだろうと言うことでした」「モリヤはロシア語が得意だから脱出してくれれば助かるんですが」「あの人ならすでに重要な情報を探り出しているんじゃあないですかね」非合法組織ではKLMが公表した搭乗者名簿でモリヤ元2佐が搭乗していたことを把握してからは本人を知っている岡倉や松山1佐が独自の諜報活動を期待するようになっている。勿論、本人は知らない。
「それでは国際刑事裁判所に本人と連絡を取らせるようにロシアへ要求させましょう」双木外務大臣の下で外務省も抜群の性能を発揮して国家安全保障に邁進していることが実感された。
  1. 2022/11/06(日) 15:39:27|
  2. 夜の連続小説9
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

続・振り向けばイエスタディ298

男性の更年期とされる60歳を過ぎても野性的に性欲と精力を維持している谷茶は兵士たちに交代で抱かれている小森希恵の痴態を眺めていて勃起した男根を口に差し込んだ。小森希恵も条件反射のように舌を使って口腔性交を始めた。股間は兵士たちの白い体液があふれている。
「女ってのは有り難いものだな」沖縄出身の谷茶は暖房が効かない劣悪な生活環境の刑務所で服役していたが、日本語の通訳として司令部に呼び出された時、トルコフ中佐から「兵士の性犯罪を防止するために日本人の慰安婦を作れ」と依頼された。その交換条件がロシア人女性に売春させた罪の揉み消しだった。軍に罪の揉み消しが可能なのかは不明だが、少なくとも牢獄から出て、こうして女を抱くことも可能になった。これも全て小森希恵のおかげだ。
「お前、上手いな・・・」清純そうに見えた小森希恵は意外にも口腔性交に熟練していて舌を巧みに使って男の局部的性感帯を刺激してくる。そんな快感を満喫していてある女性の顔が胸に浮かんだ。その女性も谷茶には有り難い存在だった。
「飲ませ過ぎてしまいました。本当にすみません」「いいえ、主人は接待で飲む機会が多いから弱いはずがないんです。旅行の疲れが出たんでしょう」ある時、谷茶は東京からの高級ツアーの添乗員として八重山離島巡りに同行した。最終日は那覇市内泊で旅行中に親しくなった夫婦を観光ガイドには載っていない穴場の郷土料理店や島々の泡盛を飲ませる居酒屋に案内した。そこで谷茶は夫に睡眠薬を飲ませ、ホテルに戻るタクシーの中で熟睡させた。谷茶は妻にフロントに事情を説明させると夫を背負って最上階のスイート・ルームに運んだ。
「貴方、着いたわよ」「駄目ですね。熟睡しています。ベッドまで運びましょう」カード・キーでドアを開けた妻が谷茶の背中の夫に声をかけたが目を覚ますはずがない。3泊4日の旅行で谷茶に好感を抱いていた妻は緩やかにうなずいて部屋に入れた。
「貴方、谷茶さんがベッドまで運んでくれたわよ。ここで眠るんだから服を脱ぎなさい」谷茶が夫をベッドに寝かすと妻はまだ耳元で声をかけ、肩を揺すった。その間に谷茶は妻が応接セットのサイド・テーブルに置いたカード・キーを取ってズボンのポケットに入れた。
「それじゃあ失礼します。明日になれば元気一杯、ご機嫌ですよ」「本当にお世話になりました」谷茶が後退さりしながら声をかけると妻はベッドに腰を下ろしたまま礼を言った。年齢は40歳代後半だが沖縄でも名前を聞いたことがある会社の経営者の妻だけに上品で何よりも磨き上げた美貌と肢体は「一度は抱いてみたい」との欲情を誘った。
部屋を出た谷茶は巡回してくるホテルマンを警戒しながらドアに耳を当てて中の様子を探った。間もなくバス・ルームのドアを閉める音が聞こえた。数分待ってトイレの水を流す音がしなければ妻はシャワーを浴びている。それを確信した谷茶はカード・キーでドアを開けて室内に侵入した。やはり夫はベッドで大の字になって熟睡している。バス・ルームからはシャワーの音が漏れてくる。谷茶はドアの前で全裸になるとポケットから離島ツアー用の小型防水カメラを取り出してストロボの電源を入れるとドアを開けて中に踏み込んだ。
「貴方、目が覚めたのね」シャワー・カッテンの向こうで妻が声をかけた。谷茶は右手でカメラを構えると左手でカーテンを引き開けて妻の裸身を撮影した。やはり想像していた通りの美しい肢体だ。入社以来、狙っている安里梢とは違う大人の色香がすでに凶器と化している男根に力を込めた。妻は身体の前面が陰毛からつながる濃い胸毛に覆われた谷茶を野獣のように思ったようで絶句してバス・タブの中に座り込んだ。谷茶はバス・タブの縁を跨いで中に入ると胸に心地好い湯をかけてくるシャワーを止めて妻の顔の前に拳を握った腕のようになっている男根を突き出した。すると自分が置かれている逃れようがない立場を察した妻は抵抗することなく男根を口に咥えた。その口腔性技も熟練していた。結局、谷茶はバスルームで妻を散々に弄び、上流階層の女性は経験していないであろうアヌス(肛門)の純潔も奪った。そうして脱力している妻の裸身の写真をフィルム1本撮り切った。
「奥さん、お久しぶりです」「やっぱり貴方だったのね」その後、谷茶は安里梢が妊娠中に添乗員として離島に同行したツアーの女子大生を妊娠させた不祥事で退職させられると東京に出てツアー参加者名簿で調べておいた夫婦の自宅に連絡して妻を都内の安ホテルに呼び出した。
「今日はこれを買ってもらいたいんですよ」「これは脅迫・・・刑法犯罪ですよ」妻はあの時のホテルとは比べ物にならない粗末なラウンジのテーブルで見せられた写真とネガと引き換えに用意していた予定以上の金額が入った銀行の封筒を差し出した。谷茶はそれを元手にソビエト連邦崩壊前後の生活苦で日本に来ていたロシア人女性の風俗業を始め、そこでロシア語を習得したおかげで今の仕事が始められたのだ。谷茶は心から「女は有り難い」と呟きながら小森希恵の口の中に果てた。小森希恵は無表情にそれを呑んだ。
お・鳥居かほりイメージ画像
  1. 2022/11/05(土) 15:35:54|
  2. 夜の連続小説9
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

11月5日・世界の大衆車の頂点・トヨタ・カローラが発売された。

昭和41(1966)年の明日11月5日に1974年に車別生産台数で世界1位になり、1997年には累計販売台数でフォルクスワーゲン・ビートルを抜いてギネス世界記録に登録され、現在も年間販売台数1位を記録し続けている日本だけでなく世界の大衆車の頂点・トヨタ・カローラの販売が開始されました。
発売当時、野僧はトヨタの本社工場がある豊田市の隣りの岡崎市に住んでいましたが、父親が系列会社に出向していたので社宅には軽自動車ばかりでした。ところが小学6年で親会社に戻って社宅を変わると普通車の展示場になっていて日産のサニーやマツダのファミリアよりもトヨタのカローラが絶対多数でした(カローラ・スプリンターも混じっていた)。思い返して見ると登下校の途中で見たハイヤーや黒塗りの社用車・公用車も日産のセドリックやグロリアよりもトヨタのクラウンでした。余談ながら毎朝、白い鬚を蓄えたお爺さんが山高帽をかぶって運転するかなり古いタイプのロールスロイスが通って行きましたが(エンジン音で気がついて振り返って待っていた)、岡崎市内でも大手の老舗理髪店のご隠居で毎朝、食後のドライブを楽しんでいるとのことでした。
そんな幼い頃から慣れ親しんだカローラですが、自動車マニアの児童が揃って出かけたトヨタ本社への工場見学で聞いた開発された経緯は800ccクラスの小型乗用車のパブリカと1500ccクラスのクラウンに次ぐ準・高級車のコロナの間隙を埋める大衆車として企画されたそうです。ところが開発中に名神高速道路が開通し、機能性に特化した「パブリカでは高速道路の最高速度100キロが維持できない」との利用者からの苦情が殺到したためカローラでは走行性も重視することになりました。
さらにライバル社の日産は当時、コロナを凌駕するブルーバードの爆発的ヒットに慢心して社長自ら「金がない人はブルーバードの中古を買いなさい」と公言する状態でしたが、1963年に発売されたマツダのファミリやトヨタのパブリカなどの800ccクラスの小型車が売れ行きを伸ばしていることに危機感を抱いた営業と生産の現場が1000ccクラスの大衆車の参入を強く提言して後のサニーの開発が始まっていて(発売日は7カ月早い同年4月7日)、この情報を得たトヨタは当初の水冷4気筒1000ccのエンジンを1100ccに拡大してこれまでの大衆車の概念を超えた実用性に嗜好性、高級感を併せ持った画期的な車両となったのです。
この性能的余裕が多くの派生形を生み、バン・タイプやスポーツ車のスプリンター、クーペから何が何だか判らないセレスやレビン、スパシオなどが続出してアジア圏ではスポーツカー、南アメリカでは高級車に分類されています。
そのおかげで2002年にホンダ・フィットに明け渡すまで1969年度から21世紀の幕が開けた2001年度まで車名別日本国内販売台数1位を維持してきてトヨタが製造した車両の4台に1台がカローラだったことになり、世界のトヨタの工場で10秒に1台製造されていることになります。ちなみにトヨタは全ての部品をセットで輸出して現地の工場で組み立てるノックダウン生産方式を採用しています。
  1. 2022/11/04(金) 15:53:15|
  2. 日記(暦)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

続・振り向けばイエスタディ297

「こんな高級品を扱ってると安里梢を思い出してしまうな」谷茶は日本人の男性から始まった事情聴取に通訳として立ち会う以外は小森希恵と同じ小部屋の空いているベッドで過ごし、目を覚ますと媚薬を与える生活を送っている。その度に人格が崩壊していく小森希恵を見ているとかつて結婚した安里梢を思い出した。兵員食堂で向かい合って話した正気だった時の小森希恵は沖縄の旅行社の同期だった元妻に共通した知性と気品、凛とした雰囲気があった。
「アイツは優等生がそのまま就職したような堅物だったんだよな」谷茶は高校の英語の成績が良く、面接で見せた人懐こい笑顔が好印象を与えたため卒業後は県下最大手の旅行社に添乗員として就職することができた。そこで同期入社した安里梢に出会ったのだ。教師夫婦の娘の安里梢は生真面目過ぎたので上司が接客業のイロハを教えていた。そうなると新入社員の谷茶は接触できず挨拶のついでに入社同期として雑談を交す程度だった。それでも秘かに清純そのものの安里梢を犯し、弄ぶ妄想を抱くようになり、意外に豊かな乳房が露出する夏制服の写真を隠し撮りして自慰行為に耽っていた。安里梢の幼い美貌は美味しいオカズだった。
「そうしたらイキナリ綺麗になりやがって」そんな安里梢が唐突に朗らかな笑顔を見せるようになり、男性社員の間では「男とつき合い始めた」との分析が交わされるようになった。その後、街で明らかに本土の、どう見ても自衛官の男と歩いている姿を目撃した男性社員の話を聞いた嫉妬心が妄想を更に燃え立たせた。この頃になると社員名簿で住所を調べた安里梢のアパートに隙があれば押し入って強姦する計画まで立てていた。
「それで初体験しやがったんだよな」大型連休が終わって交代で休暇を取った後、安里梢は女の色香を発するようになり、「初体験したに違いない」と男性社員たちは推理していた。谷茶としては日活ロマンポルノ風に泣き叫び、暴れる安里梢を押さえつけて「純潔を奪う」楽しみを失って落胆したが、男に抱かれている痴態を想像して妄想をリアルにしていた。安里梢のアパートに近いビルの非常階段から窓を覗いたこともあったがカーテンを閉めていた。
そんな暗い生活が2年続いた頃、安里梢が「男と別れた」「捨てられた」と言う噂が流れ、それに合わせるように観光シーズンの打ち上げ会が催された。これまで谷茶は安里梢を犯すための研究に励んできて、添乗員として赴いた海外で麻酔薬や睡眠薬などを買い揃えていた。その中の少量でも効果が大きい液状の睡眠薬を使うことにした。
「安里さん、珍しく飲み過ぎだぞ。これで少しは楽になるよ」宴席で安里梢は噂を知った男性社員たちに酒を飲まされて職場の席に1人で座っていた。すると谷茶は男性陣が引き揚げるのを待って営業用の人懐こい笑顔を見せながらコップに注いできた酔い覚ましの水を勧めた。普段は宴席でも酒を口にしない安里梢がこの日は勧められるまま飲んでいるのを見ていた谷茶は手際よく睡眠薬を入れたミネラルウォーターを用意したのだ。
「有り難う。飲み過ぎちゃったわ」「同期じゃあないか。酒に酔って哀しみを忘れろって言っても無理な場合もあるよね」「うん、そうよね」谷茶は安里梢が冷えた水を美味しそうに飲むのを冷ややかに見ていた。それでも笑顔は維持したままだった。
「安里さん、気分が悪いみたいだから送っていきます」「やはり傷心なところに酒はいけなかったみたいだな」谷茶は意識が朦朧としている安里梢を立ち上がらせて腕を肩にかけると席に戻ってきた男性社員に声をかけた。やはり同じ職場の男性社員たちも心配していたようだ。2人の身長は同じ位なのでこの態勢に無理はない。そのまま会場から運び出した。
「これが安里梢の胸か・・・」安里梢をアパートに運び込んでシングル・ベッドに寝かすと谷茶は馬乗りになって服を脱がした。ジャケットのボタンを外して前を開き、ブラウスのボタンも外すと上半身を抱え起こして2枚一緒に脱がした。脱がした服はベッドの下に投げた。すると胸の下着が露わになった。谷茶は夏服になると安里梢の背後に回り、背中の下着の留め金を見て興奮していた。それが今、目の前で乳房を覆って存在している。谷茶は寝かせたまま手を差し入れると片手で留め金を外し、匂いを嗅いでからベッドの下に投げ捨てた。
「先ずは写真を撮っておかないとな」続いてスカート、ストッキング、下着を脱がして全裸に剥くと下着を頭に被った谷茶はズボンのポケットから小型カメラを取り出した。宴会場で撮影した写真のフィルムは抜いて新たな専用フィルムを装填してある。谷茶は現像とプリントの器材を持っているのでは犯罪的な場面でも自分で写真にできるのだ。
谷茶は安里梢の全身から顔、乳房、乳首、陰毛、脚を広げた性器までフィルム数本分を撮影した。そして乳房を揉み、乳首を噛み、全身を舐め回し、性器を念入りに舌で愛撫した後、男根を挿入して中に射精した。挿入している部位も撮影することを忘れなかった。しかし、これだけの凌辱を加えても安里梢が意識を取り戻すことはなく人形を抱いているようなものだった。
  1. 2022/11/04(金) 15:51:52|
  2. 夜の連続小説9
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

11月3日・サンドウィッチの日

3月13日は「3(さん)」と「1(いち)」の語呂合わせと「3=サンで1=イチを挟んでいる」ため日本限定の「サンドイッチの日」になっていますが、11月3日もこの料理の名称の由来になったイギリスの貴族・4代目サンドウィッチ伯爵の誕生日を祝す国際的な「ナショナル・サンドウィッチ・デー(由来は前者)」と「113=好いサンド」の語呂合わせで製パン業界大手の神戸屋が制定した「サンドウィッチの日」です。
神戸屋は創業者の桐山政太郎さんが神戸の製パン会社に勤めている時に大阪で「神戸パン」の名称で商品を販売していて大正7(1918)年に独立したのを機に社名としました。大阪出入橋で創業しましたが現在は大阪市東淀川区に本社を置いています。
昭和3(1928)年にそれまでのホップス種からイースト菌を使用する製パン法に日本で初めて成功し、昭和8(1933)年には「東洋一の大工場」と呼ばれた福島工場を開設しました。その後も液体発酵法や自動包装装置を導入して生産性を向上しながら全国各地に工場を新設して社是の「焼き立てパン」を提供する体制を整えました。同時に直営の小規模な店舗「神戸屋フレッシュベーカリー」を営業して焼き立てパンを販売しているほか子会社の神戸屋レストランチェーンを展開していますが、売上高の内訳は食パンが26パーセント、菓子パンが52パーセント、サンドウィッチを含む総菜パンが7パーセントです。ところが首都圏での経営不振・収支赤字が続いているため2023年2月28日付で包装パンとデリカ食品の製造販売を神戸屋が新設する会社に分割した上で株式を山崎製パンに譲渡する予定です。山崎製パンがサンドウィッチの安売りなどの祝賀行事を継承するかは明らかになっていませんが広義ではハンバーガーやホットドッグなどの食品をパンで挟む料理をサンドウィッチと呼ぶのでこちらの大手チェーンが踏襲しても良いはずです。
さらに拡大解釈すれば巻き寿司や握り飯も参入できるかも知れません(日本の大手ハンバーガー・チェーン店にはライス・バーガーなる商品が存在する)。ただし、普通の寿司は米飯=炭水化物でネタ=具を挟んでいないので駄目です。
一方、1718年11月3日が誕生日の4代目サンドウィッチ伯爵・ジョン・モンタギューさんは大のトランプ好きで、ゲームをしながらナイフやホークを使わずに食べられる料理として発明したのか名称の由来になったと言われていましたが(フランスの歴史家で旅行作家のピエール=ジャン・グロレさんが著書で紹介した逸話)、実際はイギリスの海軍卿としてジェームズ・クック船長に探検航海を命じたことで南大西洋のサンドウィッチ諸島やハワイの独立前の旧名のサンドウィッチ諸島に名前を残した有能な政治家で、現役中はアメリカの独立戦争中の外交と内政を一手に担って超多忙だったのでゲームではなく執務しながら食べるための料理だったようです。
しかし、3月13日の「サンドイッチの日」は日本限定の単なる語呂合わせと文字遊びであり、制定者・提唱者も不明なので国際的な「ナショナル・サンドウィッチ・デー」を踏襲している11月3日の「サンドウィッチの日」の方を残すべきでしょう。発音表記としても「sandwich」は「サンドウィッチ」の方が正確です。
  1. 2022/11/03(木) 15:46:44|
  2. 日記(暦)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

続・振り向けばイエスタディ296

「軍曹、姦ったんですか」谷茶とロシア軍の軍曹=下士官が小森希恵の身体の中に男性本能を注ぎ込んで部屋を出るとドアの前には目を血走らせた兵士たちが待っていた。谷茶が飲ませた媚薬の量が多かったため小森希恵の性的反応が過度に激しくなり、喘ぎ声が叫びになって廊下で監視していた兵士にも聞こえたようだ。下士官は慌てて臨戦態勢になっていた男根を口に差し込んだが、日頃から日本人の妻たちの清楚な容貌と優雅な物腰に欲情している兵士たちが聞き逃すはずがない。職務放棄してドアの外に集まり、聞き耳を立てていたようだ。
「まだ薬が効いているから姦るなら続いてどうぞ。あの女は腰骨が性感帯のようだ。バック(後背位)から入れて腰を掴むと興奮するはずだ。それよりも軍曹さん、よろしく頼みますよ」ベッドの上で意識を失っている小森希恵に毛布を掛けて出てきた谷茶が説明すると兵士たちは極度の興奮状態になった。その様子に下士官は職務離脱に対する叱責と交代要員の確保、何よりもこの仕事の見返りに谷茶が服役しているロシア人女性を使った買春の罪を揉み消す密約を思案して困った顔をしたが、自分が率先垂範してしまった上にこの兵士たちを制止することは不可能の前に危険だった。下士官は後退さってドアの前を開けた。
「ウラーッ(万歳)」谷茶がドアを開けると兵士たちは先を争って飛び込んだ。ベッドまでの数歩が徒競争になっている。走りながらベルトを外してズボンを下ろしたため足を取られて転倒した馬鹿もいた。谷茶も時間の経過と媚薬の効果の変化を確認するため後に付いて部屋に入った。この媚薬はウラジオストックの売春宿の常連客の中国人の貨物船の船員から入手している漢方薬で、中国国内の港湾都市の裏通りの露店で買ってくるらしいのだが致死量以外の説明がなく娼婦にする女性で人体実験を繰り返している。
「アウッ」ベッドでは脱衣競争で一番乗りを掴んだ兵士が仰向けに寝ている小森希恵の毛布を剝して両脚を広げ、力が入った男根を一気に突き刺すと小森希恵は意識を取り戻すことなく呻き声を上げた。その反応を見て谷茶はスマートホンで時間を確認した。
続いて兵士は本来1人用のベッドをギシギシと軋(きし)ませながら激しく腰を前後させた。しかし、反応は先ほどに比べて弱いようだ。谷茶はあくまでも業務として身体の各部を刺激する念入りな前戯で性感帯を探り、性器の具合を確かめただけだったが、下士官は目の前で性行為を見せつけられながら待った分だけ激しく抱いていた。すると小森希恵は強く反応してアクメ=性的絶頂を繰り返して意識を失った。それに比べると今の小森希恵には性欲に悶え狂う異常性はなく人間の女性として快感を味わっているように見える。これでは娼婦=売春婦としては不適格だ。娼婦は熟練した性技で男性を歓ばせ、なるべく早く射精させなければ体力を消耗してしまう。感じているように見せるのも男性を満足させるための演技だ。本来は不感症の方が適任で性交の仕事を続けていく間にそうなってしまう娼婦も少なくない。
「オウッ、オウッ、ウラーッ」意外に短時間で兵士は欲望を発射した。その頃には小森希恵も頭が痺れたまま意識を取り戻して、泥酔したような目で自分の身体で起きている事態を思案し始めていた。この冷静さが一番厄介なのだ。
谷茶は次の兵士がベッドに上がるのに合わせて小森希恵の口の中に小瓶に入った液状の媚薬を流し込んだ。初回である今日は薬物によって強制的に快楽に溺れさせて理性を破壊し、身体への刺激や言葉での誘いで本人の意思に関係なく性欲が燃え上がるように調教しなければならない。客室乗務員と言う高級品を娼婦と言う商品にするためには今までのような出稼ぎ先で生活に困って身売りしてきた北朝鮮人労働者の妻や欲求不満を解消する小遣い稼ぎとして自ら売り込んできたロシア人の女たちとは違う高度な手法が必要なのかも知れない。下手すれば鮮やかな空色のKLMオランダ航空の制服が似合って凛としていた小森希恵が性行為の快楽ではなく薬物に溺れ、理性だけでなく人間としての精神性まで破壊され、男の肉欲を注ぎ込まれるために飼育される意思のない性玩具になってしまうことも十分に考えられる。
「その時はロシア軍に置いていけば適当に始末するだろう」二番手の兵士は谷茶の指導通りに後背位から挿入し、小森希恵の細く締まった腰に手を掛けて強く引きつけている。両手をついた身体の下では小ぶりだが形が良い乳房が悩ましく揺れている。谷茶は再び視線が合わない表情で激しく反応し始めた小森希恵を冷たい目で眺めながら日本語で呟いた。
ロシア軍がウクライナで捕虜にした女性兵士たちをクリミア半島近辺の軍事施設に抑留して前線に出征する兵士たちの慰安婦にしていることは欧米では誰も口にしない常識だが(文民の女性はその場で強姦して殺害している)、意思がない美女なら慰安婦にもならない高級性玩具だ。兵士たちが飽きるまで使った後はシベリアの密林に置き去りにすれば冬なら凍死し、夏でも野性動物が始末してくれる。ここからは職務を放棄して脱走したことにすれば済む話だ。

  1. 2022/11/03(木) 15:45:02|
  2. 夜の連続小説9
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

11月2日・極中歌人・島秋人=中村覚の死刑が執行された。

昭和42(1967)年の11月2日に昭和35(1960)年に新潟地方裁判所の1審で死刑判決を受けて以来、短歌を詠んで雑誌や新聞の歌壇への投稿を続け、獄中歌人・島秋人として有名になっていた中村覚(さとる)死刑囚の吊首刑が小菅刑務所=現在の東京拘置所で執行されました。33歳でした。
中村死刑囚は昭和9(1934)年に現在の北朝鮮で満洲や朝鮮半島で勤務していた日本人警察官の息子として生れました。11歳の時に敗戦で帰国すると間もなく父親が公職追放になり、貧窮の中で母親が結核を発症すると病気ではなく栄養失調で死亡しました。中村死刑囚も結核やカリエス(結核菌が脊髄や臓器に感染する病気)を患っていて学業成績も悪く、周囲からは低能・不用品扱いされていました。中学卒業後は職業を転々としますが、やがて強盗殺人未遂事件を起こして同様の刑法犯罪を繰り返すようになり、警察官の息子でありながら非行少年になって特別少年院に送致されました。
さらに20歳で少年院を退院すると頭痛を理由に勤労意欲を起こさず衣食住が与えられる刑務所生活を希望するようになり、雨宿りした空き家に放火して懲役4年の判決を受けました。ところが刑務所で「ヒステリー性性格異常」と診断されて医療刑務所に移され、昭和33(1958)年10月に出所するとそのまま精神病院に入院しています。
翌年2月に精神病院を退院すると家族の下で暮らしましたが、3月になって「東京へ行きたい」と言って家出し、それからは放浪生活を送ったようです。そして4月5日に食べ物と金品を奪うために新潟県の農家に押し入ると発見した43歳の妻や駆けつけた51歳の夫と10歳代の子供2人を縛り上げて現金2000円と背広やスーツケースを奪い、口封じに夫婦を殺害しようとしましたが殴打された夫が意識を失ったため死亡したと思い込み、妻を絞殺して逃走しました。
逮捕後はまだ永山基準がなかったため昭和35(1960)年の新潟地方裁判所の1審判決では「数多くの凶悪事件の前科と長期の服役と言う前歴がある上、さらに本件を起こし、情状酌量すべき点はない」として1名の殺人でも死刑判決を下しました。続く東京高等裁判所の2審でも昭和36(1961)年に控訴棄却、最高裁判所も昭和37(1962)年に上告棄却で死刑が確定したのです。
刑務所では開高健さんの「裸の王様」を読み、絵を描くことで心を開き、童心を取り戻していく主人公に自分を重ね、中学1年の担任が美術の時間に「君は絵は下手だが構図が良い」と人生で唯一誉めてくれたことを思い出して手紙を書いたのです。すると担任の妻が自作の短歌3首を返事に同封したため松山刑務所に服役中に俳句の手ほどきを受けた経験から短歌を詠むようになりました。それからは小説新潮歌壇で佳作、毎日歌壇で入選、昭和38(1963)年には毎日歌壇賞を受賞して熱心な支持者を獲得しましたが、昭和42(1967)年10月16日に第2次田中角栄内閣の田中伊三次法務大臣が23名の死刑執行命令を決裁したため小菅刑務所では5人の順番待ちで執行されたのです。辞世は「この澄める こころ在るとは 識らず来て 刑死の明日に 迫る夜温し」でした。 
  1. 2022/11/02(水) 15:36:51|
  2. 日記(暦)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

続・振り向けばイエスタディ295

「日本人の乗客は全員、廊下に出て兵士の指示に従いなさい。1階の教室に移動します」KLM321便がシベリアのロシア防空軍の基地に強制着陸させられた翌日、日本人の乗客47人と唯一の日本人客室乗務員の小森希恵が収監されている兵士用の兵舎で聞き慣れない男性の日本語の屋内放送が流れた。日本人の乗客たちは兵舎の3階の2段ベッドで12人用にしている部屋に男性3室、女性1室で押し込められているが、小森希恵だけは中央階段の突き当りの普段は予備室にしているらしい小部屋に1人だった。
「1人足りないぞ」「近藤さんはトイレに行っているよ」廊下では英語ができる兵士が部屋単位で人数を確認したが、英会話能力はそれほどでもないらしく乗客の簡単な説明が理解できずに遅れて来た近藤と言う乗客をロシア語で叱責した。
「皆さんの規律正しい生活態度には感心しています。流石は日本人ですね」教室と言っても机や椅子がない雨天朝礼場の広い部屋に移動すると前の教壇にトルコフ中佐が初登場の時と同じように柔和な笑顔を浮かべて立っていた。下士官が自衛隊なら「集合終わり」と報告すると流暢な英語で話を始めた。いきなり日本人の民族性を誉められて本当は苦情を訴えようと思っていた日本人たちは困惑して顔を見合わせた。
「本日、お集まりいただいたのは日本語とロシア語の通訳を紹介するためです。タンチャ、前へ」トルコフ中佐も壇上から乗客の顔を見ていて不満が鬱積しているのを感じたらしく前置きは早々に切り上げて本題を進めた。タンチャと呼ばれた中年の日本人男性はトルコフ中佐の隣りに立ったが年齢層の割には背が低く小太りで、顔は四角く味付け海苔のような濃くて太い眉が目の上に貼りついている。それでも人懐こい笑顔が好感を与えるが、オランダで活躍している商社マンの目には営業スマイルであることは一目瞭然だった。
「こちらはウラジオストック市内で商店を経営しているタンチャ・マ■コさんだ」「クッ、ククク・・・」トルコフ中佐の紹介に日本人の男性たちは一斉に苦笑した。普通、この階層の人間が他人の名前を嘲笑するような非礼な態度を見せることはないので「下卑た愛称だ」と思ったらしい。すると谷茶は笑顔のまま目だけを引きつらせて振り向くと白墨を取って黒板に「谷茶満庫」と大書して大声で「タンチャ・マ■コです」と自己紹介した。
「ようやく通訳が確保できたので今日の午後から皆さんの事情聴取を始めます」「夫婦一緒でお願いします」「あくまでも事情聴取ですから1人ずつ行います。不都合なことは黙秘できますからご心配なく。口裏合わせは不要です」トルコフ中佐は「外国人の事情聴取には通訳を立ち会わせる」とする司法関係国際法の努力義務にロシア軍が誠実に対応していることを説明したのだが、乗客は英語で要請し、トルコフ中佐も英語で回答して谷茶の出番はなかった。
「本名とは言え私の名前を女性に聞かせるのは嫌なんですよね」日本人の乗客と一緒に小森希恵が兵員食堂で昼食を取っていると自分の食事を載せた盆を持ってきた谷茶が前に座って話し掛けてきた。まだ20歳代後半の小森希恵は性行為や女性器を意味する日本語の「マ■コ」を耳にしたことはなく、男性に抱かれて口にすることもない。強いて言うなら福井県の高校時代に初体験した相手の同級生が「チャンペしよう」と口説いた方言なら記憶にある。
「谷茶さんは沖縄出身なんですか」「うん、沖縄でマ■コは禁句じゃあないんだ。だから親は倉庫が宝物で一杯になる縁起が好い名前としてつけたみたいだ」小森希恵は谷茶の説明よりも不満と諦めを同居させた表情に同情を感じてしまった。
「これは沖縄特産の滋養強壮剤だよ。元気を維持するために試してご覧。まだ先は長くなりそうだから」小森希恵が警戒心を解いたのを見て取った谷茶はジャケットのポケットから取り出した小瓶の蓋を右手の親指で開け、手を伸ばすと勝手に粉末をスープに振りかけた。
「薬が効いているみたいだな」兵舎の自分の部屋に帰った小森希恵は体験したことがない体調の異変に困惑していた。下腹部が熱く燃え、その炎が股間に走っているようだ。乳首や耳たぶ、首筋、腰などの数人の男性に開発されてきた性感帯が激しく疼き、手を触れずにいられなくなった。小森希恵はベッドに腰を下ろすと制服とブラウスのボタンを外し、下着の中に手を差し入れて乳房を揉み始めた。するとドアを開けて谷茶と下士官が入ってきて小森希恵の痴態を好色な目で注視した。それでも悲鳴を上げるような意識は働かない。
「品質保証のために俺から姦らせてもらいますよ」谷茶は下士官と手分けして小森希恵を全裸に剥くとベッドに押し倒した。後頭部で結っていた髪が解けてベッドの上に黒く広がった。谷茶が性感帯の確認として乳房を揉み始めると小森希恵の理性は吹き飛んで悶え狂い、下士官が男根で口を塞ぐほど激しく声を上げた。それを見て谷茶は媚薬の量が多過ぎたことを反省していた。こうして小森希恵を抱くのはあくまでも業務なのだ。
  1. 2022/11/02(水) 15:35:24|
  2. 夜の連続小説9
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

第109回月刊「宗教」講座・精進料理教室3時間目「刺身もどき」

反応がないので好評なのかは不明ですが、今回も生臭物=動物性蛋白質=動物・鳥類・魚類の死肉を食べることができない修行僧たち(浄土真宗を除く)が欝憤晴らしと悪戯心で考案・工夫したもどき料理の第二弾として「刺身もどき」です。
ただし、野僧は「刺身もどき」を臨済宗と曹洞宗の各一ヶ寺でしか習っていないので経験不十分、解説はうろ覚えです。尤も、刺身もどき自体が前回の鰻もどきほど普及しておらず、典座=料理番の修行僧が何かの機会に知って個人的な好奇心と悪戯心で工夫して試行錯誤しただけの裏料理のようです。したがって材料の粉寒天も胡麻豆腐を作る時の葛粉と比較した結果、粉っぽい葛粉よりも寒天の方が赤身の鮪の刺身の食感に近いと言うことで採用しただけで寺院の伝承がある訳ではありません。また粉寒天を溶く水を小豆の茹で汁にするのは鮪の刺身の赤身の色に近くなるためで、塩などの風味を加えるのは研究者が醤油を漬けずに刺身を舐めて感じた味を再現しようとしただけです(要するに本物の刺身を食べている)。
余談ながら臨済宗の研究者は油味を加えてトロにしようとバターやマーガリンを混ぜてみたそうですが上手く固まらず失敗したそうです。

材料
粉寒天・600グラム(5等分する)
小豆・適量(あくまでも水に色を着けるためなので使用後は適当に)
小豆の茹で汁・粉寒天の梱包などの調理方法欄に記載されている水の量
塩・適量
干し昆布・好みで(あくまでも海の風味を加えるため)
大根・皿に添えるツマにする。
刺身醤油・適量
練り山葵・適量

作り方
1、鍋で小豆を干し昆布と一緒に茹でる。干し昆布を入れずに塩でも可。
2、赤い汁ができれば使用量を5等分して別容器に取る。
3、鍋に茹で5等分した汁と粉寒天を入れて中火で加熱し、かき混ぜながら沸騰させる。
4、沸騰のまま中火で2分ほど加熱して煮溶けさせる。
5、熱いうちに型に注ぎ込んで適度に冷ますことを5回繰り返して、層ができるようにする(赤身の刺身の筋の風合いを出すため)。
6、ある程度冷ましてから冷蔵庫に入れて30分ほど冷やす。
7、大根を薄く剥き、千切りにしてツマにする。
8、寒天が固まったら型から出して刺身状に切ってツマを添えた皿に盛る。
9、刺身醤油と練り山葵をつけて食べる。
10、味と食感を確認して次回で工夫する。
119・刺身もどき(上出来な)刺身もどき
  1. 2022/11/01(火) 15:18:24|
  2. 月刊「宗教」講座
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

続・振り向けばイエスタディ294

私はKLM321便が強制着陸させられた後、トルコフ中佐に連れていかれた基地の司令部で強く要求した通り、司令部の一室で行われているドゥーフ機長とポンぺ副操縦士の取り調べに立ち会っていた。2人は司令部内の小部屋で1人ずつ居住しているが士官待遇を受けているようで「意外に快適だ」と言っている。しかし、ドゥーフ機長は乗客と乗務員の処遇を教えてもらえないことで気を病んでいた。実は私も収容所になっている士官宿舎と司令部の建物を車両で往復するだけなので別々の施設に収容されたらしい日本人と外国人の乗客、客室乗務員の現状に関する情報は何も持っていない。情報収集のためロシア語が理解できることを秘匿しているので監視の兵士や往復する車両の運転手の下士官に訊くこともできなかった。
そんな数日後、腹の具合が悪くなって司令部の下士官兵用のトイレに掛け込むと兵士たちの雑談で許し難い現実を知ることになった。後から3つ並んだ個室に入った2人の若い兵士がロシア語で馬鹿話を始めた。自衛隊ではトイレの個室を自慰行為にも使うが、2人はズボンを下ろして大便器に座る音が聞こえたから確かに用便のようだ。尤も海外のトイレの個室の扉は人物を隠す程度の扉しか付いていないので用便と自慰行為は一目で識別されてしまう。
「キエ・コモリかァ、あれは好い女だな。今夜が楽しみだ」「流石はキャビンアテンダントだ。責めまくって快感に溺れさせても喘ぎ声は上品なんだ」「お前が馬鹿なことを言うから姦りたくなっちまったよ」私は大便器に座ったまま2人の下卑たワイ談に唯一の日本人客室乗務員だった小森希恵の名前が出たことに唖然とした。
「あの生真面目そうな小森希恵がどうして兵士たちの性行為の対象になっているのか」推理しても答えはレイプ以外に浮かばない。ロシア軍の戦場性犯罪はウクライナでも嫌と言うほど見聞してきたが、この基地内の文民収容所でも発生していることになる。
「我慢できねェぞ。タンチャに言って昼休みに姦りにいこう」「タンチャのマ■コって名前はパラヴォアクト(ロシア語の性行為)のことだろう」今度はさらに許し難い名前が出た。梢の元夫・谷茶満庫は同じ旅行社の添乗員で、同級生の同期入社なのを口実にして言い寄っていた。梢は内心では嫌悪していたが、それでも同僚として接していると私と別れた傷心を慰める振りをして泥酔させ、アパートに押し入ってレイプした上、裸身の写真を撮って脅して結婚に応じさせた。当然、梢から名前を聞くことはないが淳之介とあかりが結婚した時、戸籍謄本の写しを見せられて父親欄にあった名前で氏名を知ってしまった。梢が生まれた頃は本土復帰前だったので満庫と言う名前は沖縄式に音読みにしていたのかも知れないが、復帰後は本土の言葉で性行為を意味する「マ■コ」は奥武山公園の地名の漫湖でさえ口にできないので「ミツクラ」とでも訓読にしていたのだろう。谷茶が小森希恵のレイプに関わっているとすれば放置できない。本当は肛門を拭き終わって出るところだったのが、このまま3人分の悪臭が充満したトイレで情報収集することにした。ただし鼻は摘んだ。
「大体、アイツはウラジオストックで朝鮮人の女を使った買収宿を経営していて逮捕されたんだろう。日本語の通訳として呼ばれて早速、商売を再開したんだな」「キエ・コモリも商売用の薬を飲ませて姦ったらしいぞ。その薬でロシア人の女も性欲に狂わせて日本人相手に売春させたそうだ。それで逮捕されたんだって」要するに谷茶満庫はロシアの極東における海の玄関口のウラジオストックで出稼ぎに来ている北朝鮮人女性を使った売春宿を経営していたようだ。谷茶が旅行社を退職した後の経歴は知らないが、貿易港で海軍基地のウラジオストックで売春宿を開業する商売のセンスは中々のものだ。それで調子に乗ってロシア人女性の日本人相手の売春にまで手を広げたのが運の尽きだったらしい。おそらく女性を売春婦にするのにも兵士たちが売春用の薬と呼んでいる媚薬を用いて正気を失わせて快楽に溺れさせるのを常套手段にしていたのだ。問題は媚薬を小森希恵に投与して性欲を過剰に高揚させて兵士たちの慰安婦にしたことだ。突然に理解不能の嫌疑で戦闘機の要撃を受け、ロシア軍基地に強制着陸させられ、身柄を拘束されて不安に囚われている同胞女性をロシア兵の性玩具に堕としたことだ。私の胸に国際刑事裁判所の次席検察官であることを告白した時に小森希恵が見せた不思議な笑顔が浮かんだ。あの時、小森希恵は謎が解けた快感と身近に専門家を得た安堵、坊主の格好をしている理由への好奇心が入り混じった顔をしていた。あの小森希恵が兵士に性的に責められて快感に溺れ、上品な喘ぎ声を上げているのだ。
「そのおかげで俺たちは高級な慰安婦を使えるようになったんだ。昼休みが終わる前に日本人の収容所に行くぞ」「今、ケツの穴を吹いているんだ。待ってろ」私は兵士たちの前に水を流してトイレを出た。手を洗うのを省略して廊下で待っているとこれから小森希恵を抱くらしい兵士たちが出てきた。自衛隊にもよくいる普通の若者たちだった。
  1. 2022/11/01(火) 15:15:27|
  2. 夜の連続小説9
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
前のページ