3月1日は調味料を中心とする食品メーカーの「キユーピー」が制定したマヨネーズの日です。ちなみに社名の表記は「ユ」を小さくしない「キユーピー」ですが読みは「キューピー」で、これは昭和21(1946)年に内閣告示33号「現代かなづか」が公布される前に創業した企業に見られ、他にも富士フイルム、キヤノン、シヤチハタ、オンキヨーなどがあります。ただし、キユーピーについては創業者の中島菫一郎社長が若い頃に留学したアメリカで口にして虜になってしまったマヨネーズを製造・発売するため大正8(1919)年に東京都中野区に創設した食品会社の中島菫商店(現在はジャムの「アオハタ」も傘下にしている)が大正14(1925)年3月9日に発売したマヨネーズの商標=ブロンド名にしたのが始まりで、社名の正式な変更は昭和32(1957)年ですがブランドはマヨネーズの代名詞として戦前から定着していたのでそのまま維持したのです。
「マヨネーズの日」はこの発売月の「3月」と日本初を意味する「1」を組み合わせたのですが記念日にするのなら3月9日の方が良さそうです。
野僧の世代ではマヨネーズが大好きな人が多く、ありとあらゆる物にタップリかけて食べていました。生野菜や茹で卵は常識、焼きそばにお好み焼き、冷やし中華は定番ですが(「もんじゃ焼き」はお好み焼きではないので駄目だそうです)、沢庵にかけると半歩、トコロテンにかけられると一歩引き、納豆にかける人には周囲が固まりました。
また「カレーにかけるのはソースか醤油か」で口論している横でマヨネーズをかけられると「ソースと醤油ならどちらでも良い」と言う気分になりました。これは「目玉焼きにかけるのは」でも同じ論戦になりますが、ここでマヨネーズをかけると「マヨネーズには卵が入っているんだぞ」とたしなめられます。そんなマヨネーズ好きは「卵黄のキユーピーと全卵の味の素ではどちらが美味いか」で激論を交わしていました。
この他にも好きなオカズがないと白飯の上にマヨネーズでとぐろを描いて美味しそうに食べる人も珍しくありませんが、「田舎者はマヨネーズが好き」と言う定義がありました。
しかし、日本製のマヨネーズは健康のためには過剰摂取は好ましくないそうです。何故なら日本工業規格で「半固体のドレッシングのうち、卵黄又は全卵を使用し、かつ食用植物油脂、食酢若しくは柑橘類の果汁、卵黄、卵白、蛋白加水分解物、食塩、砂糖類、蜂蜜、香辛料、調味料(アミノ酸等)及び香辛料抽出物以外の原材料を使用していないものであって、原材料に占める食用植物油脂の重量の割合が65パーセント以上のものを言う」と事細かに規定されているのでカロリーが極めて高く、それを改善するために材料を変えた商品はマヨネーズと言う呼称を使えないのです。ただし、その高蛋白質で高カロリーで衛生的な食品(食酢で細菌が死滅するため腐敗しない)は遭難者の生命維持には最適で「身動きできない状況に陥ったがマヨネーズのチューブを口にできたため生還した」と言う事例はかなりあります。
野僧は亡き妻やアラスカ人の彼女の自家製=手製のマヨネーズも味わいましたが、毎回のように「成功」「失敗」「まあまあ」と真顔で自己評価するのが楽しかったです。
- 2023/02/28(火) 14:41:16|
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「Jアラートが裏目に出たな」中距離弾道ミサイルSS20の直撃を受けた新潟駅前に駆けつけた消防隊の幹部たちは言葉を失った。通常弾頭とは言え大気圏外から突入した衝撃と爆発は凄まじく弾着地点は深く陥没して地下街では通常の買い物客以上の人々が生き埋めになっていた。おそらく地上の歩行者も市の一斉放送やスマートホンでJアラートの発令を知って近くにあった入口から地下街に避難したようだ。
「大体、日本の地下街は地震や台風なんかの災害時の避難は想定していても防空壕としての機能は持っていないだろう」「確かに建設基準には強い震度を受けても崩落しない構造で水害で流入する大量の水を排出する機械は備えることになっていても爆弾に耐える強度は盛り込まれていないな」対米戦争中、新潟市は広島市、小倉市(当時)、京都市と並んで原爆の投下目標になっていたため県内の他の都市が空襲を受けても無傷だった。ところが戦後になって東京オリンピックの開催4カ月前の昭和39年6月16日に新潟地震が発生して市内は壊滅した。そのため消防でも大規模な都市災害と言えば地震になってしまう。
「ガイガーカウンターは反応しないな。核爆弾じゃあなかった」「核兵器だったらこの程度ではすまないだろう」消防隊員たちも北朝鮮の弾道ミサイルが目の前に広がる日本海に着弾していることはニュースで見ているだけにそれなりの危機意識は持っているが知識は不足しているらしい。SS20に搭載できる核弾頭は150キロ前後と推定されているが、広島のリトルボーイが4トン、長崎のファットマンは4.5トンなのに比べるとかなり小さい。とは言え核物質の濃縮と精製などの技術は飛躍的に発達しているので重量と威力は比例しない。
「韓国じゃあ空襲警報が発令されれば地下街に逃げ込んで入口を封鎖するが、あれは核兵器にも対応できるんだろうな」「あっちは戦時国家だった時に作ったから本格的な防空壕だよ。その点、うちでは・・・」地下道や地下街を防空壕にするには地震とは違い爆弾の着弾による一箇所集中的な圧力に耐える強度が必要になる。さらに核爆発を想定すれば超高熱や放射能を遮断する壁材などの本格的な戦時用地下施設になる。しかし、地下商店街として計画している施設に戦時用の機能を付加すれば自治労や野党議員がマスコミと一緒に「戦争の準備だ」と騒ぎ出して予算が成立しない。かつて航空自衛隊が地下25メートルの航空方面隊指揮所兼防空指令所を建設した時、構造物は核爆発に耐え得る強度を確保したものの換気装置に放射能除去機能を付加することを大蔵省(当時)が認めず修理名目で部品を買い集めてメーカーの指導を受けながら自力で設置した。その話を聞いて勤務する隊員たちは「身体は無事でも放射能障害でジワジワ死ぬんだぞ」「一瞬で死ぬ方が楽だな」と話し合っていた。自衛隊の施設でさえ認められなかった核攻撃が現実の危機になっている。
「消防車は石油貯蔵タンクに全車投入したが、こっちは火災が起きなかった代わりに掘り出しの土木作業になる」「遺骸を捜索しながらだから機械力も期待できないな」駅前では建物が鉄筋コンクリート製だったこともあり、爆発でガラスが砕け散り、着弾地点に面した壁と床が崩落しているが、火焔が着火することなく火災は発生しなかった。一方、新潟港の両岸に建ち並ぶ石油貯蔵タンク群にも同じ弾道ミサイルが着弾してこちらは大規模な火災が発生している。自衛消防隊の夜勤者が初期消火に当たったが着弾の衝撃や爆発でパイプが破損して流出した大量の石油に引火したため手に負えるはずもなく、新潟市内の消防署だけでなく市長の要請を受けた企業からも全ての消防車が派遣された。しかし、化学消防車は少数なので水噴霧で火の手を抑え、周囲の温度を下げて類焼を防ぐこと以上の活動はできていない。
「今、陸上自衛隊が演習で新潟県内に集ってるんだろう。災害派遣で活躍してもらうしかないよ」「東京の周りじゃあ連続放火で手が足りないぞうだから応援は頼めないな」消防隊の幹部は夜間照明の中で隊員たちが手作業で瓦礫を撤去しているのを見て完全に平時の発想で善後策を話し合った。東京で消火活動中の消防士が射殺されている事件は緘口令が敷かれて日本海側まで伝わっていないようだ。現在、陸上自衛隊が第1師団、第12師団と富士教導団を新潟県に集中させているのはそこがロシア軍の上陸が予測される主戦場だからだ。弾道ミサイルを射ち込まれたのはその攻撃が間近に迫っていることを意味している。消防にとっては石油貯蔵タンク群で発生している大規模火災が実戦なのかも知れないが、国家としての戦争は別に始まっているのだ。東京ではその戦争を決断する人物に立野官房長官が報告していた。
「総理、新潟にロシアの弾道ミサイルが2発、着弾しました。石油貯蔵タンクが炎上しています」「核兵器か」「いいえ、通常弾頭のようです」「そうか、それは良かった」かつて自社連立政権の社会人民党の首相は阪神淡路大震災のニュース映像を見て「大変なことじゃのう」と呟いたと言われるが立野官房長官には石田首相も大差がないことを実感させられた。
- 2023/02/28(火) 14:39:05|
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昭和47(1972)年の明日2月28日に連合赤軍が管理人の妻を人質にして立て篭もっていた河合楽器の保養所の浅間山荘に警察の強行突入しました。
野僧は航空陸戦士官としてこの事件を詳細に研究しましたが資料を提供してくれた某都市の警察署警備課の幹部警察官は「乃木愚将の旅順攻城戦並みの敗北だ」と言う否定的な評価を率直に認めながらも「ベトナム戦争のアメリカ軍のように政治に足を引っ張られた結果だ」と憤懣やる方ない顔で答えました。
連合赤軍は共産主義武力革命を標榜としていた永田洋子(敬称不要・以下同じ)をリーダーとする日本共産党神奈川県委員会(通称・京浜安保共闘)と森恒夫の共産主義者同盟赤軍派が合併した過激派組織で、連続銀行強盗事件や塚田銃砲店襲撃事件で資金と武器・弾薬を手に入れて軍事訓練を開始すると警察が検挙に動いたため人目が届かない群馬県の榛名山や妙義山、迦葉山に山小屋の「山岳ベース」を構築したのです。ところが若い男女29名のメンバーの間で恋愛感情が芽生え、それを察知した永田の女性に対する私的制裁が始まり、それが「革命戦士としての規律と闘争心を維持するための総括」に暴走して12名を殺害して山中に埋めるに至りました。そうして永田と森が食料調達に出て不在中に「警察の山狩りが迫っている」との情報を得たメンバー15名が逃走しましたが、地図もないまま山中を彷徨している間にバラバラになり、坂口弘、坂東国男、吉野雅邦、18歳だった加藤倫教、16歳だった加藤の弟の5人が軽井沢の分譲別荘地に迷い込み、2月19日に運転免許保有者がいないにも関わらず乗用車を奪う目的で押し入った浅間山荘に管理人の妻を人質にして立て篭もったのです。
この事件では警察の体質的問題が数多く露呈しています。先ず捜索段階で山岳アジトが所在する群馬県警と浅間山荘の長野県警、そして過激派を捜査している警視庁の間で主導権争いが発生し、これに警察官僚が介入して初動対処が非常に混乱しました。また銃と弾薬だけでなく手製爆弾まで所持し、射撃などの軍事訓練を十分に受けている過激派に対して警察は昭和45(1970)年5月13日に瀬戸内海シージャック事件の犯人を射殺した狙撃手が人権派弁護士に刑事告発されたことを受けて発砲・応射を禁止し、60年安保闘争でデモ隊に踏み殺された東京大学生の樺美智子が悲劇のヒロイン扱いされていることを懸念して無傷での逮捕を厳命しました。また当時の機動隊の盾には防弾性能がなく身を隠して接近すると弾丸が貫通して負傷することになりました。さらに服装の更新中で幹部警察官だけ新型のヘルメットを被っていたため指揮官は一目瞭然で射殺された2名の警察官は警部と警視でした。
結局、5人の犯人を1500人の警察官が包囲し、9日間=219時間で死者3名(警察官2名と「代わりに人質になる」と勝手に現場に立ち入った民間人1名)、重軽傷者27名(警察官26名と放送関係者1名)の犠牲を払って事件は解決しましたが、坂東は昭和50(1975)年のクアランプール日本航空機ハイジャック事件の超法規的措置で釈放(坂口は拒否した)されると日本赤軍に参加して現在も国際手配されています。
- 2023/02/27(月) 15:02:21|
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「ここは核兵器でも大丈夫なんだな」外務省からロシアが弾道ミサイルの発射準備を進めているとの情報を受けて以来、執務時間の大半を中央指揮所で過ごしている釜田防衛大臣は正面の航空総隊指揮所と接続しているモニター画面の日本海の地図に表示されている異常に長い十数本の航跡を見ながら施設担当の官僚に声をかけた。以前、「長さが飛翔体の速度を表している」と説明を受けているのでド素人の釜田大臣にもこれが弾道ミサイルなのが判ったらしい。
「はい、真上に直撃すれば耐え切れるか流石に自信はありませんが、空中爆発なら心配ありません」「そうか、だからここに居るように勧めたんだな」官僚の答えに釜田大臣は何故か忠誠心を確認したようで満足そうにうなずくと腕組みをしてモニター画面に視線を戻した。現在、釜田大臣は家族を千葉の実家に帰していて大臣室と議員会館で生活しているのだ。それにしても東京で起きる核爆発の被害は千葉にまで及ばないのだろうか。
「日本海のイージス艦隊が迎撃します・・・発射可能なのは12発とのことです」「それで全部か」「いいえ、現在捕捉中の航跡は前に12発、後に4発ですから・・・」「航空総隊が破壊措置命令の発令を求めています」「そうか忘れていたな。絶対に撃ち落とせ」運悪くパイロットの航空幕僚長は年次飛行(パイロットとしての資格を維持するため義務づけられている飛行時間)のため入間基地に行って不在なので先回りして発令を求める者がいなかった。それにしても本来は就任時の記者会見で悪意を持った質問を受けて破壊措置命令を撤回した責任上、釜田防衛大臣が自ら発令しなければならないはずだ。
「自衛艦隊から通報です。後の4発は日本に着弾する模様」「航空総隊、オール・ジャパン・アップルジャック発令」「政府がJアラートを発令しました」矢継ぎ早に報告が入り、釜田大臣は隣りの席の事務次官に説明を求めたが担当者に振るだけで理解させないまま放置した。
「航空総隊司令部から弾道ミサイル4発の予想目標は小松、経ヶ岬、輪島、佐渡・・・小松と美保に展開中の4高群がPAC3を4発発射します」日本の主要な防衛産業が集中している中京圏と3つの大都市が所在する関西圏の防空を担当する第4高射群は岐阜と滋賀県の饗庭野、三重県の白山に4個高射隊を配置しているが、韓国空軍が航空自衛隊の緊急発進機を撃墜してからも隠岐島への異常接近を繰り返しているため白山の1個高射隊を美保基地に移動させた。さらに若狭湾の原発銀座が破壊されて放射能の影響が懸念されるようになった時、饗庭野の1個高射隊を小松基地に展開させていた。幸いなことにこれが保険になったようだ。
「航空総隊の音声を流します」「美保のPAC3初弾、発射」「小松のPAC3初弾、発射」「美保の2発目、発射」「小松の2発目、発射」普通、航空自衛隊の高射隊の発射準備は手順を厳守するため呆れるほど時間がかかるが小松と美保の高射隊は発射準備を整えていたらしく弾道ミサイルが射程距離に入った時点で連続発射できた。モニター画面には日本海を東南東に進む長い4本の航跡に向かって美保基地と小松基地から新たな航跡4本が現れた。ところで高射隊のECS(射撃管制装置)は複数目標の同時追尾ができるのだろうか。あのチャチなレーダー画面を見たことがある者には全く期待できない。
「美保の初弾、目標到達まで20秒、10秒、5、4、3、2、1、命中」「小松の初弾、5、4、3、2、1、命中」「美保の2発目、3、2、1、駄目だ」「小松の、駄目だ」案の定、初弾以外は撃ち漏らしてしまった。高射部隊が「本番」=「実戦」と公言して恥じないASP=年次射撃では型通りの発射準備を終えて単独のラジコン機を目標に実弾を発射して終わる。海上自衛隊のイージス護衛艦のように高速度の艦対空ミサイルを目標する訓練とは格段に難度が違う。それでも今回は初弾の撃破には成功したが意識を切り替える暇(いとま)がなかった次弾では最接近して離れれば作動するマジック・ヒューズ=VT信管が反応する距離まで誘導することもできず、ECSが手動で空中爆発させたが手遅れだった。
「ミサイル1発が新潟に着弾、もう1発も同じ」数秒後、2発残った弾道ミサイルは新潟市内に落下した。先ほどの予想目標は弾道ミサイルの誘導装置に入力されている場所を知っていた訳ではなく、航空総隊司令部がコンピューターで弾道ミサイルの進路を延長してその線上に所在する重要地点を高度と落下角度で割り振っただけだった。
「新潟分屯基地からの報告、ミサイルのうち1発は石油貯蔵タンクに命中して爆発、現在タンクが次々に誘爆して大炎上しているとのことです」「もう1発は新潟駅付近に落下して市の中心部が破壊された模様、こちらも炎上する大量の黒煙が見えます。なお、放射能は検知されていません。発進準備が整い次第、Uー125で被害状況を確認します」この状況では4発とも目標は新潟市内で新潟空港=分屯基地ともう1カ所を破壊する2発が撃破されたのかも知れない。新潟は対米戦争で原爆投下の第3目標だったが今回は最初に狙われた。
- 2023/02/27(月) 15:01:07|
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2014年の明日2月27日にウクライナ領のクリミア自治共和国で西側ではロシア軍の兵士と推察されている武装勢力が自治政府庁舎と議会を占拠し、翌日には国籍マークを消した輸送機で飛来した兵士たちがベルベク空軍基地とシンフェロポリ空港を占領する事件が発生しました。
この事件に先立つ2月26日には数千人の親ロシアのコサック系住民と同程度のイスラム系タタール人住民が衝突したためプッチン政権は軍にロシア西部と中部での演習を命令して臨戦態勢に移行させていました。
議会を占領・封鎖した武装勢力は銃口を向ける中で議事を開会し、親ロシア派と反ロシア派による内戦状態に陥っていたウクライナで成立した反ロシア派の暫定政権を承認した自治共和国首相を解任して親ロシア派の新首相を任命させたのです。ところがクリミア議会によるこの解任と任命は自治共和国憲法が定めるウクライナ大統領の同意を得ておらず、議事が非公開で出席者が半数以下だったことが明らかになったため無効とされました。するとロシア系住民は新首相を支持して非ロシア系住民と抗争を繰り返すようになり、3月1日にロシア系住民がロシア政府に親政権の擁護を求めたためプッチン政権がロシア上院に軍の派遣の承認を求め、「ウクライナ及びクリミア自治共和国で同国の社会、政治情勢が正常化するまで軍事力を行使すること」が全会一致で可決されたのです。この議決に「ウクライナの正常化」が入っていることが2022年3月24日のウクライナ本国への軍事侵攻の政治的根拠になっているとも言われています。
これを受けてクリミアでは夜間に真っ黒に塗装した戦車と戦闘服ではない黒ずくめの服装の集団が軍隊式の行動で国境を突破して自治政府の施設や治安機関、放送設備を占拠したため3月2日に在クリミアの軍人では最高位になる海軍少将の総司令官が降伏して海軍の司令部を明け渡しました。ちなみにこの総司令官はロシアによるクリミア併合後にはロシア海軍の黒海艦隊副司令官に就任しています。
それからの動きは練りに練ってあったように迅速かつ着実で3月3日には黒ずくめで侵入した集団がロシア軍であったことを自己申告するように軍の増派を発表する一方でクリミアに駐留するウクライナ軍に投降を勧告し、3月5日までに投降させると大半をロシア軍の契約軍人として雇用しました(今回のウクライナ侵攻に参加しているかは不明)。3月7日にはクリミア議会がウクライナからの分離とロシアへの併合を求める議決を可決し、ロシアへの併合の可否を問う住民投票を3月16日に実施することを採択しました。
そして住民投票の結果は96.6パーセントが併合支持だったと言われていますが、今回のウクライナ侵攻でロシア国内の世論が政権によって操作されている疑惑が濃厚になって、西側諸国ではこの投票も住民の意思を反映しているとは受け止められていません。
それでもクリミア議会はこの住民投票の結果を受けて3月17日にウクライナからの分離とロシアへの併合を決議し、プッチン大統領が3月18日にクリミアの独立を承認した上でロシア上院は3月21日にクリミアの併合を全会一致で承認したのです。
- 2023/02/26(日) 14:09:41|
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「弾道ミサイルらし捕捉、1、2、3・・・12発確認」数日後の夜、日本海の中央海域で行動していたイージス護衛艦隊の旗艦・やまのCIC(戦闘指揮所)で監視係の海曹が叫ぶように報告した。艦隊では日本海での行動が長期化して艦の点検・整備と乗員の休養のために4隻のイージス護衛艦と5隻の通常型護衛艦を1隻ずつ母港に帰している。今はあまごが閉鎖中の舞鶴から移籍している大湊基地へ、のどあめは日本海を横切って佐世保基地に戻っている。
「やま、おはぐろ、あしから、可能な目標を迎撃せよ」「各艦に目標割り当てを実施します」「よろしい」「やまの担当1、2、3、4番目標、おはぐろ担当5、6、7、8番目標、あしから担当9、10、11、12番目標」日頃は氷のように冷静なやまの砲雷長が少し声を上ずらせて目標を割り当てた。それを海曹がキーボードを操作してデーターとして伝達した。弾道ミサイルの迎撃能力ではアメリカ海軍と双璧を為す海上自衛隊のイージス護衛艦のSM3ブロック2Aでも同時撃破は4発が限界と思われる。撃ち漏らした目標を受け持つ航空自衛隊のPAC3は首都圏防空のため埼玉県と千葉県、茨城県で待機している。
「SM3にデータ入力完了。操作員、退避完了。各艦、発射準備よろし」「新たに目標、弾道ミサイルらし捕捉、1、2、3、4、4発です」砲雷長が冷静さを取り戻して司令官に報告した時、監視係の海曹の悲鳴のような声が響いた。しかし、司令官は泰然自若、沈着冷静だった。
「この4発は放置するしかない。割り当てた12発の全弾撃破に集中しろ。自衛艦隊司令部に4発は日本に着弾する模様と報告」仮に先に発射した12発は囮(おとり)で、この4発に核弾頭を搭載していれば4つの都市が消滅する。それでもデーターの入力を終えたSM3ブロック2Aの誘導装置を新たな目標に変更することに要する時間と労力、人的ミスへの懸念を相殺すればこの12発の撃破に全力を傾注するべきなのかも知れない。それを察した砲雷長は先任者として各艦に「そのまま射て」と伝達した。
「弾道ミサイル、降下を始めました。高度・・・まだ大気圏外です。射程距離到達まで300秒」「やま、よし。おはぐろ、よし。あしから、よし。全艦、よろし」艦隊としての対応が決定すると各艦からの報告を伝える海曹の口調も日頃の訓練通りになった。海上自衛隊のイージス護衛艦はアメリカ海軍と世界で唯二(ゆいに)、大気圏外での弾道ミサイルの撃墜に成功していているがあの時は単体の目標だった。それを不安ではなく一段高い成果への挑戦として自分を鼓舞しているのは今も変わらぬ月月火水木金金の猛訓練の賜物だ。
「射程到達まで200秒、大気圏内に突入。上部ハッチ開放。SM3のエンジン作動開始」「各艦、発射用意、発射は各艦の判断とする」「やま、発射用意、60秒前」CICは艦橋ではないので肉眼では艦前部のSM3ブロック2Aの状況は見えないが、モニター画面の中継映像は甲板の4基のハッチが横に滑り、中から4つの炎を噴き出したのを映している。
「30秒、25秒、20秒、15秒、10、9、8、7、6、5、4、3、2、1、今」前回、砲雷長は5秒前に発射命令を下したが今回は発射と誘導に万全を期するため発射担当の海曹のカウントを守った。するとモニター画面がハッチから吹き上がる4本のオレンジ色の炎の柱を映し、中から黒い柱のようなSM3ブロック2Aが姿を現して加速しながら飛び去っていく中継映像を流した。同時に別のモニター画面でも他のイージス護衛艦が4発のSM3ブロック2Aを発射した映像が映った。暗い夜空に12本のオレンジ色の光の線が描かれた。
「第1、第2、第3、第4目標まで5、4、3、2、1、今・・・命中」射撃係の海曹の報告にCICの隊員たちがモニター画面を注視すると月明かりで解像度が落ちる夜空に二方向から描かれてきた12本ずつのオレンジ色の線が交差した瞬間に巨大な閃光が輝き、火の塊りが落ちていく光景を映した。さらに数秒の間隔で12回同じことが繰り返された。
「次の弾道ミサイル4発、上空を通過」「自衛艦隊司令部に報告」ロシア軍は全弾撃破に成功した安堵と歓喜に浸る暇を与えず次の苦悩を投げ与えてきた。確かにモニター画面では閃光が消えた夜空に4本のオレンジ色の線が長く引かれていくのが見えた。
「放射能検知始め」「了解、乗員に甲板に出ることを禁じます」「よろし」司令官は自らの判断で放置を決定した次の弾道ミサイルに囚われることなく艦橋の副長に次の指示を与えた。この弾道ミサイルが核弾頭を搭載していればこの距離では甚大な被害を受けるはずだ。
「検知器の放射線量に変化はありません。先ほどの閃光は核のものではありませんでしたから大丈夫でしょう」数秒後、マストの頂部に設置してある放射能検知器の数値に変化がないことを報告してきた副長は艦橋で目撃した先ほどの爆発の情景を補足した。核兵器の爆発の閃光は「天上の光」と形容されるほど美しく第2次世界大戦中にネバダ砂漠で行われたマンハッタン計画の爆発実験には見学ツアー客が押しかけて被爆による放射能障害を発症した。
- 2023/02/26(日) 14:02:19|
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1941年の2月25日にスティーブン・スピルバーグ監督が「未知との遭遇」に続く第2作「1941(1979年公開)」として映画化した「バトル・オブ・ロサンゼルス=ロサンゼルスの戦い」が発生しました。
日本では反米感情を煽るために1942年2月19日にフランクリン・ルーズベルト大統領がサインした大統領令9066号による日系移民の強制収容を人種差別による非人道的行為と決めつけていますが、当時のアメリカでは1941年12月7日(現地日時)の真珠湾攻撃によって太平洋艦隊が壊滅した一方で日本海軍の艦艇は無傷であることから陸軍の大部隊が太平洋を横断してきても阻止する手段がなく、西海岸が占領される事態を現実的な危機として深刻に受け止めていたのです。
また日本海軍は末次信正大将が立案した対米戦略に基づいてパナマ運河を破壊するべく複数の大型潜水艦を派遣しましたが艦載砲では不可能と判明したため太平洋岸を北上して同じく通商破壊として航行中のタンカーや貨物船を10隻以上撃沈していて1942年2月23日には伊17潜水艦がカリフォルニア州サンタバーバラのエルウッド油田を砲撃して爆発・炎上させていました。これは1812年から1815年にイギリスと植民地のカナダ、ネイティブ・アメリカンの連合軍の攻撃を受けて以来のアメリカ本土への攻撃と被害で日本軍に対する危機意識がさらに増大しました。
そんな中、エルウッド油田への攻撃を受けてカリフォルニア州は厳戒態勢にあり、2月24日の午後7時18分に空襲警報が発令されて午後10時23分に解除されるなど緊張感が充満していました。そして4時間後の2月25日の午前2時過ぎにレーダーがロサンゼルス市西方120マイル=193.121キロの空域を飛行する航跡1点を捉えて午前2時15分に再び空襲警報が発令されたのです。これを受けて陸軍航空隊はただちに迎撃機の発進準備を始め、午前2時21分にはロサンゼルス市に灯火管制が敷かれました。
その後、航跡は消失しましたが情報局には「敵機来襲」の通報が入り、午前2時43分にロサンゼルス市南部のロングビーチ付近で飛行機の目撃情報が届き、数分後には「上空12000フィート=3657.6メートルを25機の編隊が飛来した」と具体的になったのです。さらに午前3時6分にロサンゼルス市の西隣のサンタモニカ市上空で赤い光を放つ気球1基が目撃される(戦後になってUFO説が唱えられた)と陸軍が高射砲の発砲を開始し、目標を探すサーチライトが新月2日前の暗夜を交錯する中、午前4時14分までに1433発が発射されました。
結局、灯火管制は日の出7分前の午前7時21分まで続きましたが無灯火運転による交通事故が多発して3名が死亡、2名がショック死(=心臓麻痺)した他、高射砲弾の着弾による住宅や自動車への被害が続発する被害が出ました。また日系移民20名前後が「航空機に信号を送った」として保安官に身柄を拘束されています。
翌日、海軍が「近海に日本海軍の艦艇は存在せず不安による誤報」と否定したため、陸軍は「日本軍に雇われた偵察目的の民間機の飛来」として大統領に報告しました。
- 2023/02/25(土) 13:19:13|
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パーン、パーン、「グッ」「何だ」「大丈夫か」防火服で身を包み火災現場に踏み入って放水している消防士が突然、のけ反って仰向けに倒れた。周囲の消防士たちも火災現場では珍しくない破裂音を聞いたが、防火服の胸には小さな穴が開き、頭巾の窓から覗いている顔は白目を剥いていた。最近、東京や大阪では明らかに放火と思われる火災が頻発するようになり、消火に当たっている消防士が発砲されて死傷する異常事態が発生していた。それだけでなく119番通報を受けて駆けつけた救急車が銃撃されて救急隊員自身が死傷している。
「これでは消火や救急に出動できません」「防火服の下に防弾チョッキを着てくれ。ヘルメットも防弾用にする」「火災現場に派遣する警察官を増員するから頑張ってくれ」これまで自衛隊と警察、海上保安庁が周辺国との武力衝突で多くの殉職者を出している中、消防だけは平常の職務を維持していたが唐突に普通では考えられない危険が降りかかり、勇敢な消防士たちもアカラサマに怯えていた。これまでも救急隊員は射殺された犠牲者を死亡確認のために病院に搬送したことはあったが、消火活動中に銃撃された同僚の遺骸は見るに忍びなかった。しかし、自衛隊の治安出動によって市街地に監視の目が行き届き、中国によって持ち込まれた銃器の摘発が進んだことで辛うじて保たれていた治安が急激に悪化している以上、警察の職務能力は限界を超えているはずなので消火現場の警備まで期待するのは酷だろう。やはり銃器を押収された在日の敵対勢力が次なる手段として放火を採用し、消防士を標的にすることで消火活動を阻害して市民に不安を与える新手のテロのようだ。
「街から自衛隊が消えてテロが頻発」「市民の安全よりも戦争が本業なのか」このような首都圏や地方の大都市の市民生活に直結する問題をマスコミが放置するはずがなく、今までは自衛隊の治安出動に批判的だった新聞やテレビ局までも市街地での隊員の配置を中止して日本海側に部隊を派遣したことが原因と論じていた。特にテレビ局は街角インタビューを放送し、幼い子供を連れた母親や60年安保世代の高齢女性に「自衛隊には戦争と治安維持、災害派遣のどれを期待するのか」と言う質問を投げ掛けていた。
「湧水元太くん」「我々も自衛隊の治安出動によって首都圏や地方の大都市の治安が維持されていることを評価しているんです」マスコミが騒げば国会で最大野党・立権民衆党が取り上げる。衆議院予算員会では容姿だけ見れば善玉の湧水代表が悪役の釜田防衛大臣を追及していた。
「本当か、反対してただろう」ここで野次が飛ぶのは予算委員会の定番だ。確かに立権民衆党はマスコミの請け売りで嫌味っぽく追及していたが反対とは明言してこなかった。
「ところが陸上自衛隊は新潟を中心とする日本海側での演習で治安出動を放棄してしまった。やはり警察を手伝って警察予備隊に戻るよりも戦争で日本軍になりたいんでしょうか」それにしても湧水代表は警察予備隊が1950年に創設されてからの年数が1871年から1945年までの大日本帝国陸軍を超えていることを知っているのだろうか。
「釜田防衛大臣」「自衛隊にとっては治安出動も自衛隊法第6章の自衛隊の行動の76条の防衛出動、78条の治安出動として列挙されている任務であって軽重、優劣はありません」やはり釜田防衛大臣の答弁は内局の官僚が書いた台本通りだった。
「湧水元太くん」「それでは陸上自衛隊は首都圏の部隊の不在で起きている現在の治安の悪化を放置することなく警察の補強を再開させるのですね」「釜田防衛大臣」「はい、そのように指示しています」釜田防衛大臣の答弁は別にして現在の陸上自衛隊は治安出動と災害派遣を目的に全国各地に均等に部隊を配置している平時体制から敵の着上陸が想定される地域に戦力を集中させる戦時体制に移行していて東部方面隊でも首都圏防衛を任務とする第1師団は練馬駐屯地の第1普通科連隊、大宮の第32普通科連隊、静岡県御殿場の板妻の第34普通科連隊、北富士の第1特科隊、朝霞の第1施設大隊などと防衛大臣直轄部隊である富士教導団、北関東から新潟県や長野県を担任する第12師団は松本駐屯地のクレージー・サーティー=第13普通科連隊以外の普通科連隊は主戦場となる新潟県内に置いているが宇都宮の第12特科隊、群馬県高崎市の新町駐屯地の第12施設中隊、第12対戦車中隊を派遣した。それは中部方面隊も同様で東海北陸の第10師団は久居駐屯地の第33普通科連隊や豊川の第10特科連隊、春日井の第10施設大隊、関西圏の第3師団も伊丹駐屯地の第36普通科連隊、信太山の第37普通科連隊、姫路の第3特科隊などを能登半島から鳥取県に配置してる。本来であれば根こそぎの派遣は戦力の空白を生じさせ、敵に呼応した暴動などの危険を招くため避けなければならないのだが、それでなくても人手不足の陸上自衛隊にはそのような余裕はない。明治以降の日本の戦史を見ても日露戦争の旅順攻城戦や奉天会戦、対米戦争の太平洋諸島では師団単位の全滅が繰り返されているのだから至極当然な対応だ。
- 2023/02/25(土) 13:18:00|
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対米戦が終結する半年前の昭和20(1945)年の2月24日に鎖国中だったチベットに2度密入国して佛教の源流を学び、貴重な佛典を持ち返った河口慧海法師が防空壕の階段で転倒して頭を打ったことによる脳溢血で遷化しました。78歳でした。
河口法師は慶応2(1866)年に現在の大阪府堺市で桶樽職人の息子として生まれました。6歳から寺小屋へ通い、学校制度が始まると小学校に移って義務教育が修了すると12歳から家業を手伝い、14歳からは夜学に通うようになりました。さらに旧領主の儒学師範の塾で漢籍を学び、外国人宣教師に英語を習うようになりました。普通、日本の偉人伝では「学問する暇があれば家の仕事を覚えろ」と親に向学心を否定される苦学の逸話がつきものですが河口法師は逆に明治19(1886)年から京都の同志社英学校に入学しています。ただし学費が支払えずに帰郷して外国人宣教師の個人教授を再開しましたから決して生家が裕福だった訳ではないようです。
それでも旺盛な向学心を有していたのは間違いないようで明治21(1888)年に地元の尋常小学校の教員になると翌年には上京して井上円了さんが創設した哲学館(東洋大学の前身)の定員外の学生になり、明治23(1891)年には当時は本所にあった黄檗宗の五百羅漢寺(現在は浄土宗系単立寺院として目黒区にある)で得度を受けて住み込みました。そして明治25(1983)年に教育課程を修了すると大阪の禅宗寺院に移り、坐禅を修しながら経典に読み耽りましたが、やがて漢籍の佛典に対する不信感を抱くようになって梵語やチベット語の原典を学ぶべく鎖国しているチベットへの渡航・密入国を決意したのです。そこでセイロン(=スリランカ)で南方佛教を学んで帰国した僧侶について原始佛教語のパーリ語を習得すると明治30(1897)年に神戸港をたち、シンガポール経由でカルカッタに到着して約1年間、ダージリンの学校でチベット語を学び、潜入の方法を研究しました。そして明治32(1899)年1月にダージリンを出発するとネパールの首都・カトマンズに入り、そこからチベットを目指しました。しかし、チベットの鎖国は厳格で国境の手前に滞在しながらチベット語とチベット佛教を学び、抜け道を探す日々が続き、翌々年の2月にようやくチベットの首都・ラサに到着したのです。
ラサでは大きな僧院に入って学僧になりましたが、別の学僧の脱臼を手当てしたことで医術の心得が評判になり、ダライ・ラマ13世の侍医に招聘されたため身元が発覚することを危惧して明治35(1902)年に国外脱出しました。この時、友人の薬屋の協力で大量の佛典を馬で持ち出すことに成功しています。
こうして明治36(1903)年に6年ぶりに神戸港に帰り着きましたが大正2(1913)年から大正3(1914)年にも2度目の密入国を決行しています。
帰国後の河口法師はチベットの佛典の解読に力を注ぎましたが大正15(1926)年には「中国の佛教の教義と説話は中国人による変質と捏造に過ぎない。したがって中国経由の日本の伝統宗派は佛教とは異質の教義を説いている」と批判した「在家佛教(『の勧め』を付けるべきでは)」を出版しています。これは野僧の高校時代からの愛読書です。
- 2023/02/24(金) 13:40:57|
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「大臣が1高群の新潟展開を禁止してきました」統合幕僚監部では陸海空幕僚長が集って現状報告と問題点を話し合っていた。今日の議題としては先ず航空幕僚長が航空総隊と中部航空方面隊が協議して決めた入間、霞ヶ浦、習志野の第1高射群をロシアの弾道ミサイルと爆撃機による空襲に備えて新潟へ展開する作戦を釜田防衛大臣が禁じた問題を持ち出した。北部航空方面隊は隷下の2個高射群を北海道の稚内と根室に展開させて樺太と北方領土からの奇襲攻撃に対処させていたが、稚内では期待通りの戦果を上げたものの根室では日本人工作員による破壊活動で全滅させられてしまった。そのため現在は射程距離がギリギリ目一杯の陸上自衛隊の高射特科群が知床半島に展開して任務を代行している。
「理由は何なんだ」「1高群は首都圏の防空が任務のはずだ。大臣が破壊措置命令を発令しても実施する部隊が不在では話にならないと言うんですわ」「だったら発令し放しにしておけよ」航空幕僚長の説明に海上における警備行動を常態化させている海上幕僚長が苦々しく揶揄した。釜田防衛大臣は就任時の記者会見で前任の浜防衛大臣が発令した防衛出動待機命令と治安出動、海上における警備行動、弾道ミサイル等に対する破壊措置命令が長期化していることを指摘されてその時点では情報がなかった破壊措置命令を撤回してしまった。そのためロシアが唐突に発射した中距離弾道ミサイル・SS20を海上自衛隊が日本海に展開させているイージス護衛艦を中核とする艦隊が迎撃した法的根拠は海上における警備行動に基づく警察権の行使であって航空自衛隊の高射部隊は何もできなかった。
「どうやら大臣の地元の千葉県で『習志野と霞ケ浦のPAC3がいなくなれば弾道ミサイルが射ち込まれる』って噂を流している連中がいるようなんです」「それを信じた有権者を黙らせるために作戦干渉してきたと言うのか。双木大臣と同様に選挙が近いからな」航空幕僚長の補足説明に各幕僚長はここ数日、全国区のニュースが異常に熱心に報道している双木外務大臣の山口県への帰宅の話題を思い出した。自衛隊の首脳陣としては一瞬の油断も許されない準戦時に双木外務大臣が選挙区に帰ったことに少なからず失望していたが、戦時下であっても日本やナチス・ドイツでは国政選挙は継続していた。ただし、政党は大政翼賛会と国家社会主義ドイツ労働者党=ナチス党だけだった。それでも非大政翼賛会の議員も出馬できて選挙運動を妨害した地方自治体が告発された行政訴訟で地方裁判所は有責判決を下している。
「ウチにも日本海側に派遣した首都圏の部隊を呼び戻すように言ってきています」「こっちの理由は何だい」「首都圏の治安が急激に悪化しているそうです」次に陸上幕僚長が話題を引き継いだ。本当は山口県に韓国海兵隊の暗殺要員が潜入して、それを西部方面航空隊のAHー64攻撃ヘリコプターが銃撃処理した問題を説明するつもりだったが、同次元の問題の方が議論が深まると言う判断だった。実際、陸上自衛隊は都市部に治安出動させている太平洋側の部隊の能登半島から男鹿半島への移動・配備を進めている。
「確かに都内に配置している隊員を見なくなったが犯罪の発生件数の増加は公式発表されてないだろう」「マスコミは警察筋の話題として報じているがね」「あれは自衛隊が目立っていることに対抗してるんだよ。いまだに警察庁と内局の官僚は一心別体だからな」防衛省内局では警察予備隊が創設された時、特別高等警察の廃止によって余剰になった内務省の警察官僚が流任されたため警察を上位者として仰ぎ見る体質ができ上がってしまった。中でも防衛官房長まで務めた内務官僚出身の海原治は自衛隊の任務である治安出動を「国民に銃口を向けさせない」と言う綺麗事で否定して削減した訓練や装備品の予算を警察が60年反安保闘争を機に創設した機動隊に付け替える政治工作を繰り返した。そんな防衛官僚の体質は戦争の危機が現実になって迫っていても改まらないようだ。
「どちらにしても作戦は我々の専権事項であって防衛大臣と言えども不当に干渉することは許されないはずだ」「しかし、我が国はシビリアン・コントロールの定義が確立していないからね」この問題も海原が犯した大罪だった。海原はマスコミを使って内局の官僚=背広組が自衛官=制服組を指図することをシビリアン・コントロールとする異常な定義を日本に蔓延させて、防衛庁長官を官僚が取り囲んで幕僚長にでさえ直接意見を述べる機会を与えない態勢を作り上げた。その点、アメリカでは政治と軍の役割分担が明確でシビリアン・コントロールが機能不全を起こしたのはジョンソン政権が反戦運動に過剰反応したベトナム戦争と2代目ブッシュ政権の軍産複合体が暴走した対イスラム戦争くらいだ。
「ところが内局は燃料の追加配分を認めない、予算を示達しないと言ってきていますわ」「馬鹿な・・・肝心なところで足を引っ張られてたまるか」「勿論です。間もなくを作戦準備を完了させます」これを後世の歴史はクーデターと評価するのだろうか。
- 2023/02/24(金) 13:39:26|
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1905年の明日2月24日にスイスとイタリアの国境のシンプロ峠の真下ではないもののその辺りに1979年1月25日に上越新幹線の群馬県と新潟県の県境にある大清水トンネルが貫通するまで74年間も世界最長だったシンプロン鉄道トンネルが貫通しました。
スイスはヨーロッパの中央に位置する山岳地内のため古代から各地に移動する経路であると同時に難所でした。神聖ローマ帝国の時代は「全ての道はローマに続く」と言っても北からはアルプス山脈を越えなければならず、中世に入って北のドイツ、南のイタリア、西のフランス、東のオーストリア・ハンガリーが覇権を争うようになると軍事的要衝としての重要性を増しました。それは20世紀の第2次世界大戦においてもドイツを都市爆撃する連合軍の爆撃機が「中立国として通過を認めない」と言うスイスの決定を無視して領空を侵犯したため撃墜と報復の誤爆を繰り返しました。そして近代に入るとスイスは独立国になり、住民が必要に応じて周辺国に出入りするようになりました。しかし、蒸気機関車の発明と発達によって輸送力・交通量が急激に拡大してもスイスと周辺国の間には山脈と言う障壁があり、深い谷を抜ける以外に鉄道を敷設することはできませんでした。
そこでスイス国内ではトンネルを建設して難路を解消することで周辺国と同様の輸送力を獲得しようと言う気運が盛り上がり、西部のフランス系、北部と東部のドイツ系(東部はオーストリア系)、南部のイタリア系の住民がそれぞれの母国に協力を求めて建設計画の具体化を争うになったのです。
そんな中、1878年にイタリアとの国境のシンプロン峠のトンネル建設と完成後の鉄道路線の経営を目的とするシンプロン鉄道会社が設立されましたが、これは可能な限り鉄道で登り、スイス領内の登ることが困難な区間だけトンネルを掘ると言う消極的なものだったので出資者はそれほど集りませんでした。すると1889年7月に開かれたイタリア国王とスイス大統領の会談で全長20キロのトンネルを貫通させる壮大な計画が合意され、シンプロン鉄道会社(社名は変更していた)はスイス国営鉄道に吸収されて国家事業として1898年から建設工事が開始されました。
工事はドイツのハンブルクの建設会社・ブラント・ウント・ブランダウが請け負い、1日平均で3000人のイタリア人を中心とする労働者を動員してスイス側の標高685.80メートルの北口は11月22日からイタリア側の633.48メートルの南口は12月21日から掘削が始まりました。第1トンネルは全長19803メートル、複線化のため20年後に建設された第2トンネルは19823メートルをほぼ直線で掘り抜いているため当初は作業用通路兼通気用の支坑を本坑から17メートルの両側に掘り、200メートル間隔で本坑と結ぶ横坑を設ける最新の工法が用いられました。しかし、67人が事故死してそれ以上の病死者が出る苛酷な工事をイタリア人が我慢するはずがなく、スイス軍が対処するほどの大規模なストライキが頻発して5年半の予定が7年半に延びてようやく貫通し、1906年5月19日に開通、同年6月1日に電化されました。ちなみに計画決定時の申し合わせで両方の出入口には国境封鎖用の爆薬が設置してあります。
- 2023/02/23(木) 14:31:15|
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「昨日の午後3時25分頃、治安出動中の陸上自衛隊西部方面航空隊が本県下関市内で双木外務大臣の暗殺を狙う韓国海兵隊の工作員2名を処置しました」双木外務大臣が2泊3日の日程を終えて早朝の民間機で宇部山口空港から東京に戻ると村山県知事が緊急記者会見を開いた。3日前に下関市内の喫茶レストランでMK3手榴弾が爆発して1名が死亡した事件については小伏警察署が開いた記者会見で「爆発物は調査中」「威力から見て建設工事用のダイナマイトかも知れない」と発表している。運よく暗殺要員もMK3手榴弾を携帯していたので持っているはずがない屯田局員が疑われることはなさそうだ。
「韓国の現政権は日米に擦り寄って中国や北朝鮮とは敵対しているんじゃあないですか。どうして双木外務大臣を狙うんですか」「質問は指名を受けて下さい」「A日新聞山口総局の南です」記者たちも下関市でも旧豊浦郡の農道でパトロールカーが不可解な事故を起こして警察官2名が死亡し、隣接する山間部で陸上自衛隊のヘリコプターが地上を銃撃したと言う市民からの通報を受けている。しかし、山口総局だけでなく県内各支局の記者たちも双木外務大臣の取材に総動員していて独自に取材する余力はなく、県庁や県警本部が公式発表しなかったため記事にできず東京への情報提供もできていなかった。その焦りがこの質問に表れているようだ。
「私は韓国の国内事情を説明する立場ではありませんが、対馬のレーダーサイトが韓国軍の地対地ミサイルで破壊されたのは政権交代後でした。それを考えると軍に対する政治統制が機能していない。末端まで徹底できていないのかも知れません」「やはり軍の一部の過激派の暴走ですね。有り難うございました」韓国のマスコミと協力して反日世論を扇動しているA日新聞としては適当な落とし処を作って印象を操作すれば十分だった。実は村山県知事は対馬から避難してくる島民を県内の過疎集落に受け容れた時、双木外務大臣から韓国軍では金大中政権以降、アメリカや日本との同盟関係の堅持を主張する軍人が根絶され、高級幹部から士官学校を終えたばかりの尉官まで親中親北朝鮮反米反日で思想統一されていると説明を受けていた。
「今回の大臣の帰宅は私的休暇だったんじゃあなかったんですか」同じ頃、東京の首相官邸では閣議を終えた双木外務大臣が記者たちの囲み取材を受けていた。双木外務大臣も自宅で全国区のニュースを確認していたので国営放送を含むテレビ各局が山口県での警護を過剰警備と批判的に報道していたことは知っている。しかし、移動中にスマートホンで視聴した報道バラエティー番組は断片的になり、どの程度の批判なのかは承知していなかった。東京のマスコミは山口県が韓国軍の暗殺要員の潜入を察知した村山県知事の判断で陸上自衛隊に警備への協力を依頼して万全な態勢を敷いていたことを知らないまま「地元選出の加倍首相が奈良県警の警備の不手際によって暗殺された怒りを万全の警備を誇示することで示そうとした」と勝手に解釈して報道していた。その一方でA日新聞の系列局の夜の報道バラエティー番組では常に皮肉を弄するキャスターが「加倍首相の暗殺に怯えた双木外務大臣が山口県知事に圧力をかけたのではないか」と話題を締め括っていた。その前には双木外務大臣が元防衛大臣であり、今も自衛隊内では多くの信奉者を有していることを説明しながら空港での人の盾や軽装甲機動車の警護、そして上空を飛行するAHー64攻撃ヘリコプターの映像を流していたので鵜呑みにした視聴者も少なくないはずだ。
「はい、そうです」「首相の公務出張でも警護に自衛隊を使いませんよ。それが攻撃ヘリまで飛ばして。いささか分不相応ではないですか」これは昨日の定例記者会見で立野官房長官が「現在の緊張状態の中では要人の警護は可能な限り厳重にする必要がある。今後は石田首相を含めて実施を検討する」と回答していたがこの記者は蒸し返すつもりらしい。
「当然、ヘリコプターや装甲車の燃料代は大臣が支払われるんでしょうね」「私は日本国の石田内閣の外務大臣であることが警護対象なのであって公的と私的の時間で立場が変わる訳ではありません。今回の帰宅中に警護に当たった警察や自衛隊は公的職務になります。したがって私費で弁償する理由はありません」マスコミにはかつての東京都知事が神奈川県内の私邸に公用車送迎させていることを「公費の無駄だ」と批判して辞任に追い込んだ戦果があるが、今、双木外務大臣を失う事態を生起させれば国家の危機を招来することは記者にも判っている。その時、記者たちがスーツのポケットに入れているスマートホンが一斉に着信を知らせた。
「大臣は山口県内に暗殺者が潜入していることをご存知だったんですか」「うん、情報としては聞いていた。秘書は自衛隊のヘルメットとボディ・アーマー・ベスト(防弾チョッキ)を着ていけと言ったんだがサイズが合わなかったんだ」「大臣には執務がありますからこの辺で」編集部からのメールで山口県知事の発表を知った記者たちが態度を変えると双木外務大臣はジョークで返した。そこで人垣の外から外務省の官僚秘書が取材の終了を宣言した。
- 2023/02/23(木) 14:29:20|
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2月13日に野僧にとっては「戦場漫画シリーズ」「インセクト」「セクサロイド」「ガンフロンティア」「男おいどん」「大四畳半物語」「聖凡人伝」「わだち」(=SFアニメは対象外)、一般的には「宇宙戦艦ヤマト」「銀河鉄道999」「キャプテンハーロック」などで青春時代を彩ってくれた漫画家の松本零士先生が亡くなったそうです。85歳でした。
野僧と松本作品との出会いは寺の叔父が毎週購読していた少年マガジンを読むようになり、小学校4年だった昭和46(1971)年から「男おいどん」の連載が始まったことでした。松本先生は小倉の高校を卒業して上京しているので「男おいどん」は本人がモデルなのでしょう。同じ四畳半の安アパートが舞台(メガネの大家の小母さんも同じ)でも毎回のように性的描写が入る「大四畳半物語」「聖凡人伝」は妄想だったのかも知れません。
中学生になるとテレビでは「宇宙戦艦ヤマト」の放送が始まりましたが「アルプスの少女ハイジ」の裏番組だったため見ることはなく、むしろ小学生の頃から陸軍少将の息子の祖父の影響をもろに受けた軍隊少年だったため「戦場漫画シリーズ」を熟読するようになりました。松本先生の父親は陸軍航空隊の搭乗員で、大刀洗基地で勤務している時に久留米で生まれ、敗戦後は夫婦の故郷の愛媛県に帰り、「アメリカ製の飛行機には乗らない」と航空自衛隊への入隊を拒否して野良仕事で生活した硬骨漢だけに当時の他の漫画家たちのような反戦臭がなく、何よりも登場する兵器が極めて正確に描写されていて、高校時代に熟読した松本先生のアシスタント出身の新谷かおる先生(キャプテンハーロックのヤッタラン副長のモデル)の「戦場ロマンシリーズ」と共に自衛隊での戦史研究につながりました。ただし、松本先生の「戦場漫画シリーズ」は後半になると未完成や量産化が間に合わず戦線投入できなかった兵器が登場して活躍する話が増えて真実味が薄れたのは残念でした。そんな機械へのこだわりは「銀河鉄道999」の蒸気機関車が客車用のC62なのにも現れています。他の漫画家であれば知名度が高いD51を貨物車用であることも知らずに使ったでしょう。
その一方で思春期の始まりでもあり、主人公のユキ7号が毎回、強制性交されかけて未遂で終わる「セクサロイド」に始まり、毎回、シヌノラがされてしまう「ガンフロンティア」、そして早名礼子が色っぽい「聖凡人伝」なども愛読するようになりました。しかし、松本先生の性交シーンは女性の体型が現実離れしている上、描写が抽象的で乳頭も描いていないなど性的興奮の発火剤にはなっても燃料にはなりにくい面がありました。またモデルは「美人漫画家の奥さんの牧美也子先生だ」と言われていましたが松本先生自身が「シーボルトの孫娘の楠本高子の写真を見て一目惚れした」と告白していました。
野僧は小浜の僧堂の秋托鉢で行った敦賀市で中心街の歩道をシンボルロードと呼んで「銀河鉄道999」や「宇宙戦艦ヤマト」の登場人物(アナライザーもあった)の銅像28体が展示してあるのを見ました。ただし、鳥取県の境港市の水木しげるロードに比べると縮小の度合いが強く、形状が複雑なだけに迫力・存在感が劣りました。硬軟両方の影響を与えていただいたことに感謝しながら冥福を祈ります。合掌

セクサロイド・ユキ7号の未遂シーン
- 2023/02/22(水) 14:22:40|
- 追悼・告別・永訣文
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「これが銃器を持った相手への対処方法なんですね」「これでも治安出動の許容範囲を守ったんだそうだ」「つまり我々も銃器を持った人間を制圧するには先制攻撃する必要があると言うことですか」陸上自衛隊のAHー64攻撃ヘリコプターが山間部の農道を逃走する暗殺要員の車両を破壊した現場を検証している山口県警の警察官たちは遺骸の写真を撮りながら話し合った。交通量が絶対数少ない山口県では国道を建設する優先順位が低いため政治家たちが補助金を獲得して国道よりもはるかに立派な県道や農道が全域に張り巡らされている。そんな隣町の農道では蛇行していた旧農道を直線化した時に生じた広い路側帯に停車していた逃走車両に接近して速度を落としたパトロールカーが銃撃を浴びせられて警察官2名が死亡した。K7短機関銃の9ミリ拳銃弾だった警察官とAHー64の30ミリ機関砲の暗殺要員の遺骸を見較べると人間の姿を留めているだけ警察官の方が救いがある。
「その点、パトの2人の意識は甘かった言わざるを得ません。いくら道交法適用除外の緊急車両になるにしても追跡するのにサイレンを鳴らしてパトランプ(警光灯)を点灯すれば速度を上げさせるだけでしょう。逃げ切れないと思えば攻撃してくる」「暗殺者と言う奴が判っていなかったんだな」今回、暗殺要員が任務を中止して逃走を図ったのは陸上自衛隊による双木外務大臣の警護が万全で歴戦の狙撃手を以ってしても暗殺は不可能と判断したからだ。特に講演会の会場では同じ射程距離のM24狙撃銃を持った自衛官を着弾地点=正面玄関付近に配置して発見すれば即座に射撃する態勢を採っていたことは完全に想定外だったはずだ。
「今回の警護を自衛隊にやらせたのは村山知事の英断でしたね」「我々には瀬戸内海シージャック事件以来、狙撃手は遠距離にいる犯人を制圧させる職務以外の発想はない。しかし、ケネディは元海兵隊の狙撃手に暗殺されたんだ。銃刀法の取り締まりだけで発砲事件を根絶できると考えるのは大間違いだな。村山知事はそれを認識していたようだ」1970年5月12日に発生した広島と松山を結ぶフェリー・ぷりんす号がライフル銃2丁と散弾銃にライフル弾80発と散弾250発を持った20歳の犯人に乗っ取られた事件では13日になって大阪府警から派遣された狙撃手が射殺したが、人権派弁護団によって狙撃手が殺人罪で刑事告発されたため警察ではタブー以上のアンタッチ(不可触)事項になってしまった。
一方、講演会場の警備に当たっている警察官たちは別の事態に対処していた。住宅街の一角にある公民館の前の車両1台分の幅の道路に数十人のデモ隊が集って来て玄関の正面で拳を突き上げて罵声を浴びせ始めたのだ。
「双木、戦争を止めろ」「お前は伊藤博文みたいに朝鮮半島を狙っているんだろう」デモ隊は大学生とその親と言った世代に分かれている。現在の状況を初代朝鮮総督として暗殺された伊藤博文に結び付けているところを見ると在日半島人の親子なのかも知れない。しかし、下関市内のコリア・タウンには暗殺要員の潜伏を警戒して警察官が配置されているから北九州や広島の在日半島人が出張してきた可能性もある。かつて加倍首相が友人の学校法人経営者の学校新設に便宜を図ったとする忖度問題を東京のマスコミが批判していた時、経営者との接点にされた夫人が下関市内で講演会を催すと北九州や広島の若者たちが妨害しようと出張して来た。ところが殺気立った強面(こわもて)な支持者たちが外で待ち構えていたので即座に退散した。
「君たちのデモは無届けだな」「これはデモじゃあない。双木が進める戦争に反対する人間がたまたま集っただけだ」警察官の指摘に中央で指揮を取っている若者が反論した。確かに隊列は組まず三々五々集まってきたが、集結してからは指揮者の音頭で罵声と動作を見事に合わせている。おまけに警察官との対話を若い参加者たちが交代でスマートホンで録画して、切れ目になるとメールを発信している。この様子では相手はインターネットではないだろう。
「昨日、双木外務大臣が山口県下関市内の自宅に帰りましたが、山口県では今日も県警だけでなく治安出動中の陸上自衛隊まで動員して戒厳令のような過剰警備が実施されているようです」案の定、夕方の全国区のニュースではこの話題をトップに持ってきた。AHー64による暗殺要員の処理は公式発表していないため触れなかったが、かえって加倍首相の暗殺と現在の武力衝突に過剰反応した山口県の暴走のような印象を演出している。
「だって双木さんは休暇でしょう。やり過ぎじゃあないですか」「加倍さんがあんなことになったから仕方ないでしょう」「見ていてかえって怖いですよ」陸上自衛隊の対応も取材を制限したため狙撃手の配置などの暗殺対策は紹介しなかったが、空港での双木外務大臣の姿を完全に封印した陸上自衛隊の人の盾や車列の最後尾の軽装甲機動車で機関銃を構えていた自衛官の映像を流した後は街頭インタービューで時間を浪費していた。それにしてもインタビューしている場所は本当に下関市内なのだろうか。下関市内の高層ビルは建ち並んではいない。
- 2023/02/22(水) 14:19:59|
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ヨーロッパではカソリックによる精神支配の時代だった中世が終わろうとしていた1677年の2月21日にカソリック的宗教哲学を真っ向から否定したオランダの哲学者・バールーフ・デ・スピノザさんが亡くなりました。44歳でした。
スピノザさんは1932年にアムステルダムでポルトガルのユダヤ教への信仰を反カソリックとする迫害から逃れてきた裕福な貿易商のユダヤ人家庭に生まれました。
幼いから頭脳明晰でユダヤ教の聖職者・ラビになるための英才教育を受けましたが、兄が早世したため家業を手伝うことになり高等教育は受けないまま成人しました。しかし、万事に欲得勘定で動く商人として獲得する金銭的な利益よりも人生のために全力を尽くす精神的な利益の方が大きいと達観して商人を止め哲学の道を歩み始めました。
当時の哲学は「信仰によってカミ=創造主の真理と一体化する」と説くスコラ哲学やカソリックによる精神支配の中の人間の本質論が主題でしたがスピノザさんはユダヤ教やカソリックの伝統的な宗教観には拘泥せずに「世界はどのように成り立っているのか」を徹底的に考察し、両者に共通する根本聖典の旧約聖書でカミ=創造主を独立した人格として天地を創造し、自分を信仰する特別な存在として人間を作って天地の恵みを与え、背いた時には厳しく罰しながらも従う時に慈しみを以て導くとする当時のヨーロッパ社会ではまだ絶対的真理とされていた解釈を敢然と否定したのです。そのため1656年にはアムステルダムのユダヤ人共同体から排斥されて過激な信者に殺害されそうになりました。
結局、オランダ国内各地を転々として1661年夏にアムステルダムの南西36キロのライデン近郊のレインスブルフに定住し、ここで後に著書「デカルトの哲学原理」となる考察を弟子たちに口述させています。さらに1663年夏には首都・スフラフェン・ハーグ近郊のフォーブルフに転居して「デカルトの哲学原理」を刊行しました。
ルネ・デカルトさんは1650年に亡くなったフランスの哲学者で、考える主体である自己=精神とその存在を定型化した「我思う、故に我あり」と言う命題が有名ですが、当時の人間社会の正義の基盤として倫理を形成していたスコラ哲学とは相容れないため批判の声が起きつつあったのです。
この著書は大きな反響を呼び、スピノザさんの哲学者としての地位を高めましたが保守的な人たちからは敵視されて政治的著書の発禁処分を受けて主著書とされる「エティカ・幾何学的秩序によって証明された」の出版を諦め、没して15年後に出版されることになりました。確かに「エティカ」では「カミが一切を人間のために創造し、またカミを崇敬させようと人間を創造したと考えること自体、偏見だ。この世界は信仰心が篤い人に対しても、不敬な人に対しても同じ生存の条件を形成しており、人間がカミを崇敬するように世界が成り立っているとは到底考えられない」と明言していて本人が出版に不安を感じたのも当然でした。実際、スフラフェン・ハーグ郊外のスフェへニンゲン=スケベニンゲンで亡くなると遺骨は破棄されて埋葬地不明になり、現在の墓所は記念碑になっています。それでも1970年代にはオランダで最高額の紙幣の肖像でした。
- 2023/02/21(火) 14:43:50|
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「そこの自衛隊、邪魔だ。どけ」「休暇の帰宅にしては過剰警備だろう」「大臣、これでは顔が写りませんよ」双木外務大臣が午後の民間航空機で宇部山口空港に到着すると空港ターミナルは迷彩服に鉄帽をかぶり、防弾チョッキを着て肩には自働小銃を吊った陸上自衛官が封鎖していた。空港には現在の政治家では最も注目を集めている双木外務大臣の東京では封印している素顔・本音を暴くことを狙うマスコミ関係者が詰め掛けていたが、大臣の身体を隠すように自衛官が立ちはだかるため苛立って罵声を浴びせていた。
「車に乗るところも撮らせないのか・・・」「徹底してるな。プッチンの時よりも厳戒態勢だ」ロビーから玄関前に横付けしている黒塗りの専用車に向かう経路にも長身の自衛官が肘の幅の短間隔で並び、小銃を控え銃(ひかえつつ=小銃を胸の前で斜めに構える姿勢)にしている。小銃には弾倉が装着してあるので実弾を装填している可能性もある。身長175センチの双木外務大臣よりも長身の自衛官を並べることで銃器による暗殺の標的になる頭部を見せないのだ。ベテラン記者は2016年にロシアのプッチン大統領が長門市の湯田温泉を訪問した時の中国地方の警察官を総動員した警備を思い出したが今回とは比較にならない。
「護衛の最後尾は装甲車だな。機関銃に実弾のベルトが着いている。マジで射つ気だ」双木外務大臣を乗せた専用車が下関市内の自宅に向かって走り出すと前後を警察のパトロールカーが挟み、その後ろに機動隊員を乗せた装甲バスが続き、最後尾には陸上自衛隊の軽装甲機動車がマスコミが作っている車列の動きを監視していた。軽装甲機動車の屋根からは自衛官が上半身を乗り出して前に向けた機関銃を構えているが、こちらに向ければ批判記事の材料になる。
「上では自衛隊のヘリコプターが見張っているな」「あれはAHー64じゃあないか、防府のヘリじゃあないぞ。何かあれば攻撃するつもりだ」大手新聞社は山口支局や下関出張所だけでなく福岡の支社からも記者を派遣しているがこれでは従軍記者になったような気分だ。
「こちら豊国ビル、異常なし」「間もなくVIP(=要人)が講演会場に到着する。狙撃するなら動き始めるタイミングだ」「了解、再度確認する」選挙運動として帰宅した双木外務大臣が支持者を集めて講演する「活動報告会」の会場の公民館にも陸上自衛官が配置されていた。下関市でも平成の大合併前の市街地にはそれなりにビルがあり、狙撃するには格好の射座(射撃する土手)になる。陸上自衛隊は公民館に面した800メートル以内に建つビルの窓を警戒して同じく有効射程距離800メートルのM24狙撃銃を持たせた狙撃手を配置している。さらに最も高いビルの屋上からは死角になる位置も確認していた。勿論、公民館の周囲も完全武装の自衛官で固めているが支持者も出入りする玄関付近だけは警察官に任せている。それでも支持者たちは「双木さんは重要人物だからこれくらいしてもらわないと困る」「加倍さんみたいなことになっては日本は終わりだ」と話し合いながら歩いて行くので双木外務大臣の存在感を再確認させる効果があり、選挙運動としてはマイナスではない。
「あれは手配の車と同じだな」「車種と年式、色は間違いない」「接近してナンバーを確認しよう」双木外務大臣が無事に入場して講演が始まる頃、巡回中のパトロールカーが下関市の市街地から外れて旧郡部に向かう田舎道を暴走する車両と擦れ違った。昨日、山口県警本部から「夜間の警邏中に手配している殺害された喫茶レストラン経営者の自家用車を発見しても単独では接触しないように」との指導があったがこれを放置する訳には行かない。運転の警察官は急停車して農道にバックで入って向きを変えると高速度で追跡を開始した。幸い山口県では道路建設利権が県内選出の政治家の選挙資金になっているため田舎道でも交通量に関係なく万全以上に整備されていて、対向車はないので高速道路並みの速度まで上げられる。
「おっと、これを忘れれば道交法違反だ」運転の警察官は無意識に道路交通法第2節39条から41条の緊急自働車にするため道路運送車両の保安基準を定める告示231条に基づきサイレンを鳴らし、警光灯を点灯してしまった。助手席の警察官も前に見えてきた手配車両に気を取られてサイレン音を響かせて走る日常的な光景に疑問を持たなかった。
バババババ・・・「手配車両が発砲、グッ・・・」間もなく幅が広い路側帯(=蛇行していた農道の痕跡)に停止した手配車両の助手席から男が下りて距離を詰めてきたパトロールカーに向かって短機関銃を連射した。弾丸は全弾がフロントガラスに命中して警察官2人は即死し、パトロールカーは道路を反れて刈り取りを終えた水田に突っ込んで横転した。
「手配車両は国道491号線を北上している。漁船を奪って逃亡するつもりかも知れない。発砲してくる以上、即座に処理しなければならない「了解、上から処理する」山口県警では下関市警察署から手配車両の発見と銃撃によって警察官が死亡したとの連絡を受けて上空で待機している陸上自衛隊のAHー64攻撃ヘリコプ―ターに処理を依頼した。それでオシマイだった。
- 2023/02/21(火) 14:41:09|
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昭和27(1952)年の明日2月21日に青森県津軽地区ではシリーズ化している朝鮮半島人の暴動・木造地区警察署襲撃事件が始まりました。
満洲事変以降、日本では兵力の急激な増強に迫られて全国の若者が一斉に徴兵されました。そのため労働力不足が蔓延し、中でも自作の食糧で栄養を十分に摂って成長したため身体強健で、土を取り扱うことに熟練している農民は兵士として重宝するので多くが出征して食料の増産が急務になっているにも関わらず農作業が滞る事態に陥っていました。これに対して政府は朝鮮半島で工場の労働者や農民を募集して送り込んだため都市部と農業地帯には半島人が大量に移住していたのです。
ところが日本が敗北して農家の若者たちが復員してくると大半の半島人は不要になりましたが、「約束の報酬を受け取っていない」「帰国の旅費を保証しろ」と虚言・妄言を弄して移住先に居座っただけでなく、「自分たちは日本の植民地支配の犠牲者だ」と事実無根の主張を強弁するようになり、占領軍も東京裁判の日本の罪を重くするのに利用したため「第3国人」と自称して日本の警察の捜査・逮捕を受けない治外法権を勝手に行使するようになっていました。
そんな中、2月21日に国家警察(当時はアメリカのFBIに相当する国家警察と州警察に当たる都道府県警察が並立していた)木造地区警察署が傷害事件で半島人2人を逮捕すると数十人の半島人が押し掛けて即時釈放を要求し、22日にも同様の行動を繰り返し、23日になると日本共産党が組織していた在日半島人による共産革命組織・祖国防衛隊の動員に応じた約70人が警察署を取り囲んで投石でガラスを割り、署内に乱入して警備の警察官と揉み合いになりました。当時、日本の警察官は「第3国人」に実力行使は許されておらず(禁止はされていない)好き勝手に暴れる半島人暴徒を身体を張って抑え、凶器や放火などを警戒しながら耐えていました。同時に国鉄木造駅(現在は巨大な目が光る遮光式土偶像が目印)を警備していた国家警察弘前地区警察署から派遣されていた応援要員11人が包囲され、携帯していた警棒を奪われる事件も発生しました。
こうなると青森市のアメリカ軍憲兵隊の出動を仰ぐ以外に解決策はなく当然、木造地区警察署は通報しましたが冬季のため降雪や凍結で道路事情が悪く、到着までに時間を要して事態を拡大することになりました。
しかし、津軽地区での半島人の暴動はこれに留まらず、むしろこれで発火したようで翌・昭和23(1948)年6月23日には五所川原市内の小学校の運動会で露店や屋台を経営する香具師と半島人が起こした暴力事件を発端として市内の女郎屋で報復の相談をしていた香具師6人を半島人が襲撃したことで双方が東北・北海道から多くの協力者を集めて一触即発・全面対決の事態に発展した大規模な抗争事件や昭和27(1952)年4月28日のサンフランシスコ講和条約の発効で日本が独立していた同年11月19日にも密造酒の摘発を行った五所川原税務署が半島人暴徒60人に占拠され、五所川原警察署に拘束されている半島人45人の釈放を要求した襲撃占拠事件などが続発しています。
- 2023/02/20(月) 15:16:10|
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「いよいよ恐れていた段階に踏み入ったようだな」山口県警では科学捜査班が持ち返った現場検証の資料を見た主要幹部たちが沈痛な言葉を口にしていた。衆議院の任期満了による選挙運動のための双木外務大臣の帰宅は政務だけでなく武力衝突の経過を勘案しながら決定されたため直前になって連絡を受けた。そんな中、発生した不法侵入と殺人事件は重大な事態を意味していた。科学捜査班が現場から秘匿スマートホンでデーターを交換して確定した結論によれば先ず手榴弾で死亡した1人の迷彩服と階級章から韓国海兵隊員と身元が特定できた。また壁に残っていた棒状の物体による擦過痕は支点となる位置から115センチ程度の長さと推定して韓国軍の最新式狙撃銃・K14と確定していた。そうなればK14の最大有効射程距離800メートルから狙撃しての暗殺と言う犯行手法が議事の前提になる。
「双木大臣は明日の午後に宇部空港に到着した後、2泊3日の日程で自宅の他に県庁や選挙事務所に出向き、公民館での講演会が3回予定されています。本当は対馬からの移住者との懇談も希望しておられましたが日程上の理由で中止されています。山口県内での移動には防弾ガラスの特別仕様の車両を手配しています」「選挙が近いとは言え危険を冒してまで帰宅しなければならないなんて政治家は大変な職業だ」「建物から車両、車両から建物の移動中が要注意だな」警備部長の説明に上級職国家公務員試験に合格したキャリア官僚の本部長と警察庁職員採用試験で入庁した準キャリアで実務を担当する警務部長が交互に答えた。
「被害者の自家用車がなくなっていますからそれで接近するのでしょう。車種と色、ナンバーで手配していますが現時点では発見できていません」「もう下関市内に潜入しているな。警邏(けいら=巡回)する派出所員に警告しておかないといかん」すると地域部長が警邏中の派出所の警察官が韓国軍兵士と遭遇する危険性を指摘した。おそらく韓国軍兵士たちは車中泊するはずだが、違法駐車であれば警察官が発見すれば必ず声をかける。
「問題なのは空港や自宅、選挙事務所、各公民館の停車位置を起点とする半径800メートル以内の区域の全てが要警戒対象地域になり、大臣が到着する前に射撃可能な場所を特定して監視要員を配置するのは不可能と言わざるを得ません」「半径800メートルとなると接近を阻止することも難しいな。第一、我が県警に移動する先々に警備要員を配置しておくだけの人間はおらん」「かと言って福岡県警や広島県警に協力を要請するには外務大臣の私的な帰宅では理由が弱い」ここで他の部長も議論に加わってきた。
「狙撃可能地点はSATの狙撃要員に確認させるにしても相手はプロ中のプロだからな」「しかし、人数不足を理解していることで狙撃の可能性を取捨選択させるようなことは絶対に許されん。狙撃手が『自分なら射てる』と思えばそこは要監視地点なんだ」本部長の発言に警務部長が強い口調で補足すると各部長は座ったままうなずいた。警察には「用意周到」「動脈硬化」と揶揄される陸上自衛隊と同様に無理のない計画を完璧に実施することを成果とする極めて日本的な気質があり、危険地点の選定を任された狙撃手が配置する人員の数を極限するため自己判断で削減する可能性がある。本来であれば日本の警察以上に経験を積み、実戦的訓練に明け暮れている韓国軍の狙撃手の能力を想定して双木外務大臣が身体を露出する瞬間が視認できる800メートル以内の全ての場所を射撃可能地点にするべきなのだ。
「君たちの立場は理解できる。しかし、今回は陸上自衛隊にも協力を要請させてもらった。これは私自身の判断だ」「山口駐屯地の陸上自衛隊にですか」山口県警内の全ての警察署から駐在所と派出所を除く警部以下の警察官を総動員して無理やり警備計画を策定すると本部長は県庁に赴いて村山県知事に報告した。すると意外過ぎる答えを投げ与えられた。実は本部長自身も人員不足の穴埋めに治安出動している陸上自衛隊を使うことを考えていたのだが、各部長が警察単独での対応を真剣に考えているのを見て口にできなかったのだ。
「私は君たちの強い責任感には絶大な信頼を寄せている。この決定がプライドを傷つけことも十分承知している。しかし、現在の危機的状況で双木大臣に危害が及ぶことは万が一にもあってはならないんだ。相手が犯罪ではなく戦闘を仕掛けてくる以上、対応するのは自衛隊だ。双木大臣には私から電話して承諾を得た。陸上自衛隊は人の盾を作って防護すると言っている」「双木大臣はそんな目立つ警護をお許しになったんですか」本部長の確認に村山知事はユックリうなずいた。日本の政治家は厳重な警護を「臆病」と思われることを嫌って新聞の写真やテレビの映像に写らない位置にまでしか近づかせないことが常識になっている。警察側も凶器は刃物を前提にしているため駆け寄れば間に合うと思い込んでいる。その点、双木外務大臣はアメリカ式に国家的な地位にある者は公私を問わず常に警護を受け、周囲に人の盾を構築してでも守られる責任があると認識しているようだ。
- 2023/02/20(月) 15:14:50|
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敗戦から半年経過した昭和21(1946)年の2月19日から昭和の陛下の「失意と虚脱にあえぐ国民を慰め励ましたいので日本全国を回りたい」との大御心による全国巡幸が始まりました。
しかし、行幸を受ける地域が「礼を失することはでいない」と辞退し、占領軍が「警護の責任が果たせない」と反対したため当初は日帰りになり、2月19日が川崎市と横浜市、20日は横須賀市でした。その後も2月28日と3月1日は東京都下(八王子市など)に2往復、3月25日は群馬県、3月28日は埼玉県(熊谷市など)、6月6日と7日が千葉県に2往復、6月17日と18日の静岡県に2往復と関東一円と近県から出られることができず早朝発・夜間着の往復と言う過密日程による陛下への負担が大きくなりました。
すると「敗北した君主は亡命しなければ暗殺される」と危惧していた占領軍は訪問先の日本国民が熱烈に歓迎しながら礼節を失わないことに感心する一方で「生身の天皇を見せることが昭和21(1946)年1月1日の神格化を否定する勅書=(いわゆる)人間宣言を周知・徹底するのに有効である」と考えを改め積極的に推進するようになりました。
これを受けて巡幸は宿泊を伴う遠距離になり10月21日から23日の愛知県(豊橋市・岡崎市・矢作町、安城市、名古屋市、稲沢市、一宮市)、24日から26日の岐阜県を皮切りにして11月18日と19日の1泊2日の茨城県を挟んで昭和22(1947)年には6月4から15日は京都府・大阪府・和歌山県・兵庫県の関西圏、8月5日から19日は福島県・宮城県・岩手県・青森県・秋田県・山形県の東北一周、9月4日から6日の2泊3日の栃木県を挟んで10月7日から15日が長野県・新潟県・山梨県の甲信越、中1週間で10月23日から11月1日が福井県・石川県・富山県の北陸圏と陛下は41歳だったとは言えかなりの強行日程になりましたが、これも巡幸を待望する国民の声が全国で湧き起こったからでした。この福井県では初日の敦賀で宿泊された旅館で鰻を美味しそうに召し上がった様子が新聞で紹介されたためそれからは毎晩の鰻責めになりましたがお若かっただけに元気の素=スタミナ源になったようです。
さらに11月27日から12月11日に鳥取県・島根県・山口県・広島県・岡山県の中国地方一周、そして昭和23(1948)年は休止して昭和24(1949)年の5月18日から6月10日に福岡県・佐賀県・長崎県・熊本県・鹿児島県・宮崎県・大分県の九州一周、昭和25(1950)年の3月13日から29日に香川県・愛媛県・高知県・徳島県の四国一周、そして昭和26(1951)年は11月15日と16日が滋賀県、京都泊で18日と19日が奈良県、20日から24日が三重県と回り残しを埋め、昭和27(1952)年と昭和28(1953)年は休止して昭和29(1954)年の8月8日から23日に北海道を一周されてアメリカの占領下だった沖縄県を除く全国巡幸を完結されたのです。しかし、昭和の陛下にとって皇太子時代のヨーロッパ訪問で立ち寄って以来、苛烈・壮絶な戦火を受けた沖縄の実情を見ていないことは終生の心残りになり、崩御されるまで行幸の希望を口にしておられたそうです。
- 2023/02/19(日) 13:18:38|
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「韓国海兵隊の特殊部隊が潜入した」店長夫婦が殺害された喫茶レストランの現場検証は山口県警の科学捜査班も派遣されて多くの事実を確認した。先ず潜入方法は近海まで漁船などで接近し、そこからは船上で膨張させたゴムボートを使用したようだ。そのゴムボートは専用ビーチのシャワー小屋の中に隠してあり、まだ脱出=逃亡していないことが判った。次に人数は妻の体内から検出された体液で3名と判明し、それは室内に残されていた生活の痕跡でも確認された。そして銃器はゴミ箱に捨ててあった弾薬の空き箱から9ミリNATO拳銃弾を使用する短機関銃と7.62ミリ旧NATO弾を使用する狙撃銃であり、壁や床に残っていた傷から韓国製のK7短機関銃と同じくK14狙撃銃と推定された。つまり店長夫婦の自家用車で下関市内に入り、遠距離から双木外務大臣を狙撃して殺害する。逃亡時は警察との銃撃戦を制して帰りつき、隠しておいたゴムボートで脱出する計画だったらしい。それでも自家用車がなくなっているところを見ると計画は放棄していないようだ。
「和尚は外人部隊で韓国軍出身の兵士を知っているとか」「屯田め、口が軽いな」駐在所の警察官は現場検証を終えて駐在所に戻る前に加光寺に寄って傍樹和尚に話を聞いた。以前、屯田局員から「傍樹和尚はフランス外人部隊で韓国軍出身の兵士と一緒に戦った経験がある」と聞いていたのだ。こうして韓国軍の特殊部隊の潜入が確認され、陸上自衛隊とは別次元の残忍な一般市民の殺害を目の当たりにすると相手の実態を確かめないでいられないのだ。
「韓国軍出身者はどんな兵士でしたか」「血に飢えた狼だな。人を殺すことに躊躇がない。人を殺すだけじゃあない。女も当たり前な顔をして姦りまくる。アフガニスタンやイラクでは保護したはずの女を次から次に犯していた」傍樹和尚の説明に警察官は先ほど見てきた店主の妻の遺骸を思い出してしまった。博多の一流観光ホテルのフロント出身の妻は上品な美人で同世代の警察官も好意まではいかない好感を抱いていた。その妻はおそらく昨晩の閉店後に自宅に侵入した兵士たちに集団暴行を受け続けたようだ。韓国軍は朝鮮戦争で北朝鮮の内応者を捜索する時、疑わしい村の住人を皆殺しにしたが、その前に女性は別の餌食にした。それはベトナム戦争でもフォンティ・フォンニャット村やハム村ほか多くの集落で繰り返され、中でも韓国海兵隊は男性や老人子供を皆殺しにした後、女性を散々に凌辱してから殺害した。それはソビエト連邦軍が第2次世界大戦末期の満洲や樺太で日本人の開拓村を襲い、ロシア軍がチェチェンや南オセチア、そしてウクライナで繰り広げた犯罪行為と大差はない。
「そんな軍事裁判に告発されて有罪になる奴ばかりだからあまり一緒に働いたことはないんだ。警察がアイツらの相手をするのは止めておけ。犯罪者は罪の意識があるから警察を恐れるんだ。犯罪に快感を覚える野獣にとっては警察も獲物に過ぎない。特別職国家公務員の自衛隊さんが対抗できるとは思えないが少なくとも戦闘技術は身についている。アンタたちみたいに鉄砲を射たれて撃った相手を確認するような危険なことはしない。自衛隊なら銃声を聞けば先ずその場に伏せるんだ」この話はカンボジアPKOで高田晴行警部補が戦死した時に指摘された問題だ。日本の警察官は銃撃を受けると銃声の方向を見て発砲した人間を確認する悪癖がある。それは国内での殺傷事件の大半が刃物によるため銃器の危険性に対する認識が甘いことによる。加倍首相の暗殺事件でも要人警護の専門家の警視庁SPは背後の銃声に振り返って発砲者を探して加倍首相を守る行動は取っていなかった。
「韓国軍がこの山口県で何をするつもりかは知らないことにしておくが、警備は治安出動している陸上自衛隊に任せることだ。警察自慢のSATも所詮は警察だ。韓国軍に皆殺しにされるのは目に見えている」ここで傍樹和尚は腕時計を見た。夕日の傾き方で時間を計ったらしい。そろそろ夕方の鐘を打つ時間になるようだ。
「我々の組織では上からの命令を実行するだけで現場の意見を上にあげることは許されません。上が警護しろと言えば皆殺しにされても実行するしかないんです」「それは大変な仕事だね。運悪く殉職すれば供養は念入りに勤めるから安心して職務を遂行しなさい」警察官の嘆き節に冷ややかに答えて傍樹和尚は本堂の前の軒に吊った小ぶりな鐘に歩いていった。そして柱に打ってある釘から木槌を取ると両手の親指に挟んで合掌し、深く頭を下げた。
カーン、カン、カーン・・・腕時計を見ていた傍樹和尚が鐘を打ち始めた。その動作は自然で作務衣姿と見事に調和している。警察官には先ほどまでフランス外人部隊の軍曹の顔で韓国軍との戦闘を解説していた人物とは別人に見えていた。
「和尚、ウチは門徒ですが供養を頼みますよ」警察官は傍樹和尚が数声目の鐘を打った時、独り言を呟いて加光寺を後にした。短い山道を下っている間に鐘の打ち方が早くなり、道路に停めている軽自動車のパトロール・カーに着いた時には大中大の止めの3打になった。
- 2023/02/19(日) 13:17:14|
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野僧は警備小隊長時代に昭和45(1970)年8月19日に発生したハイジャック事件で全日空アカシア号を浜松基地に強制着陸させた時の資料を見る機会があって以来、対ハイジャック戦史の研究に励みましたが、これは1976年8月23日の制圧成功に慢心したエジプト軍の失敗例です。しかも敗因は政治的理由です。
事件は1978年の2月18日にキプロスの首都・ニコシアで開催中のアジア・アフリカ人民連帯機構代表者会議の会場がヨルダン人とクエート人のアラブ過激派2人に襲撃され、エジプト代表でアンワル・アッ=サダート大統領の盟友だった新聞社の社主を射殺して他の出席者を拉致したことから始まりました。キプロスは地中海のトルコの南に位置する島なのでエジプトからは対岸です。
犯行目的はイスラエルへの接近を深めるアッ=サダート政権に対する懲罰で、犯人たちは17人の人質を連れてニコシア国際空港に移動してキプロス政府と出国=逃亡の交渉を始め、旅客機の提供に同意したためキプロス政府の閣僚を含む6人の人質を解放しました。そうして犯人2人は提供された旅客機DC-8に人質11人と一緒に乗り込んで離陸させましたが行き先は決まっておらず、リビアやギリシャ、南イエメンには着陸を拒否され、燃料切れでジブチ国際空港に着陸したものの給油中の交渉でもリビアとアルジェリアに拒否され、やむなくニコシア国際空港に引き返すことになり、19日の午後5時50分に着陸しましたが、空港は装甲車が配置されるなど厳戒態勢が敷かれていて犯人は言うまでもなく人質も機外に出ることは許されませんでした。
一方、代表を殺されたエジプト政府は国内の裁判を受けさせることを強行に要求していてDCー8がニコシア国際空港向かうのに合わせて特殊部隊の兵員58人とジープ1両を載せたC-130輸送機が発進し、着陸して40分後に強行着陸したのです。この軍事行動をエジプト政府は「キプロス政府も承認している」と説明しましたが、キプロス政府は「アッ=サダート大統領に直接介入を拒否すると電話で通告した」と反論しています。
その後、ニコシア国際空港では大統領自らが犯人と交渉し、東ヨーロッパへの亡命を認める合意が為されたのを無線で傍受していたエジプト軍は逃亡を阻止するべく作戦の実行を決定しました。
午後7時30分頃にC-130の後部扉を開いてジープを引き出すと兵員が乗り込んでDC-8に向かい、タラップを駆け上がってドアに発砲すると周囲で警護していたキプロス軍と銃撃戦になって約50分間続き、多くが死傷する中、数人が機内に突入しましたが予想外の激しい銃声に驚いた犯人は素直に降伏し、エジプト軍が投降したことでキプロスの警察に逮捕されました。大統領がいた管制塔にも数発が命中しました。
さらにC-130も攻撃目標になってミサイル弾で破壊されて、エジプト軍はC-130の搭乗員3人を含む15人が戦死し、両軍合わせて20人が負傷しました。
キプロス政府はエジプト政府の引き渡し要求を拒否して犯人を裁判にかけて死刑判決を下したものの無期懲役に減刑しています。
- 2023/02/18(土) 13:25:09|
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「簡易書留です。印鑑をお願います。サインでも良いですよ」その日、屯田局員は栗野地区でも海岸にある喫茶レストランに郵便物を配達していた。この喫茶レストランは海に突き出した小さな岬の一軒家で料理の味は勿論のこと店内からの眺望が素晴らしく、専用ビーチがあるため夏には常に満員なのだが晩秋の今は閑散としている。
「あ・・・郵便屋さんか」簡易書留を持って店内に入ると隣接する住居とのドアを開けて店長が出てきた。普段の営業時間には客がいなくても店長はカウンターで囲んだ調理場に立って食材の準備や調理器具の手入れに励み、快活で美貌の妻が雑事を担当している。40歳代前半の夫婦は福岡市内の観光ホテル内の洋食店とフロントで働きながら資金を貯め、ドライブで見つけたこの土地を購入して開店した。店長も接客業なので口下手ではなく妻と客の会話に参加して盛り上げているが今日は意識がこちらに向いていないように見える。
「シャチハタで良かったんだよね・・・どこにあるんだ」「確か奥さんはレジの引き出しに入れてますよ」「そうか・・・」屯田局員の助言に店長は何故か顔を強張らせて開けたままにしているドアに視線を送った。屯田局員も見ると廊下の奥で男の人影が身を隠したのが判った。それでも目が小さいので第三者には黒目の動きは見えなかったはずだ。
「有り難うございました。奥さんにもよろしくお伝え下さい」「うん・・・」店長が印鑑を押した簡易書留の受け取りを剥がして挨拶すると住居の奥から女性がすすり泣く声が聞こえてきた。それは聞き覚えがあるこの店の妻のものだった。
「すみませんが・・・」「用件が終われば早く帰りなさい」異常事態を察知した屯田局員は確認するためにトイレを借りようとしたが店長は厳しい顔で遮った。その口調からは危険を知らせているように感じた。そうなると素人の屯田局員は退散するしかない。今日は重中局員が担当して加光寺の傍樹和尚が言っていた危険を思い出しながら店のドアに向かって歩き出すと店長は見送ることなく住居のドアに入っていった。
「アウッ」その時、住居の奥から女性の喘ぎ声が聞えてきた。それは夫婦の営みでエレナが洩らず快感の呟きではなく、悲鳴を圧し殺した呻き声だった。つまり住居の中では妻が誰かに暴行を受けていることになる。これは駐在所に知らせなければならない。
「チッペオン・イブヒダ、コムチャンマ」屯田局員が簡易書留の受け取りをバイクの前に付けているカバンに入れてバイクにまたがると住居の玄関から出てきた見覚えがない男が冷たい口調で声をかけてきた。男は迷彩服を着て手には一見して軍用と判るナイフを握っている。屯田局員は韓国語が判らないの理解できないが「配達夫(郵便局員を見下した呼び名)だな。動くな」と言っている。それでも状況を見れば危機的事態であることは察知できた。
「何を言ってるのか判りません」屯田局員は無理に営業用スマイルを作るとカバンの底に隠しているMK3手榴弾を手に取った。そして傍樹和尚から習った通りに右手で手榴弾を握り、左手の人差し指で安全ピンを抜いた。しかし、迷彩服の男は日本の郵便局員が手榴弾を持っているとは思っておらず歩み寄ってくる。これ以上、近づかれればナイフの餌食になる。屯田局員がソフトボールのように下手で投げ渡すと男は安全レバーが外れてボールのようになった手榴弾を条件反射で受け取った。その間に屯田局員はバイクで走り去った。
「チュゴラァ(死ね)」ズーン。屯田局員がバイクで逃走すると男の叫び声が追い駆けてきて防弾チョッキを着ている背中にナイフが当たったのを感じた。そんな4秒後に爆発音と赤い爆風が脇を通り抜けていった。バックミラーで確認すると男の身体が吹き飛び、半長靴を履いた両脚が地面に立っていた。爆風が赤かったのは血吹雪だったようだ。確かに郵便局の防寒ジャケットの背中には血と肉辺が大量に付着していた。
「住居の玄関からナイフと手榴弾を持った男が出てきたので必死に逃げました。そうしたらナイフを投げてきて同時に爆発音が聞こえました」屯田局員はその足で駐在所に駆け込み、警察官にバイクを運転しながら考えた嘘を交えて証言した。これならば説得力があるはずだ。手榴弾の入手先を漏らせば危険を回避する方法を伝授してくれた生命の恩人の傍樹和尚に迷惑がかかる。今回も生きていられるのは傍樹和尚の加護に外ならない。
「逃走するのに2人を口封じしていったようだ」「この体液の量から見て奥さんは何度も凌辱を受けていますね」「女性を集団暴行するのは韓国軍の習慣みたいなものだ。やはり軍の特殊部隊が潜入したな」警察官は事件現場になった喫茶レストランで小伏警察署からの捜査員を待って住居内に入った。すると1階の居間では全裸に剥かれ、股間に白い体液が溢れた妻の遺骸が転がされていた。夫はそれを見せられていたようで居間の隅で膝を抱えた姿勢で額を射たれて死んでいた。日頃から親しくしていた駐在所の警察官は流石に直視できなかった。
- 2023/02/18(土) 13:23:46|
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2月14日に豊田自動織機の発明者で創業者の豊田佐吉さんの孫で自動車製造を始めた豊田喜一郎社長の長男にして豊田自動車工業と豊田自動車販売が合併させる一方でトヨタホームを創設した豊田章一郎社長が亡くなりました。97歳でした。
野僧は春日時代、トヨタ自動車宮田工場の開設記念式に出席した基地司令に随行して章一郎社長に会ったことがあります。その時、章一郎社長は「今の愛知県の若者は型にはまった発想しかできず革新性がない。その点、九州人の爆発力には大いに期待している」と挨拶されたため立食になって回ってこられた時に「私は岡崎出身です」と声をかけると「地元に引き篭らないようなら貴方は愛知県人でも別種だ」と答えられました。
章一郎社長は大正14(1925)年に喜一郎社長の長男として名古屋市東区白壁で生まれました。生家の近所には4歳年上のソニーの創業者・盛田昭夫社長が住んでいました。小学生になって間もなく喜一郎社長の赴任に同行して東京の小学校に転校すると叔父の昭夫さんの英才教育を受けるようになり、それは社長になってからも続きました。徴兵検査は理科系学生の兵役延期になり、昭和19(1944)年に名古屋帝国大学工学部に進学して自動車工学を学び、敗戦後の昭和23(1948)年に卒業しました。
卒業後は戦時下での学業に不安があったため東北帝国大学の大学院に進学して後に博士号を受けるほど研究に励み、食料不足から親戚が稚内で始めた蒲鉾工場での仕事なども経験して昭和25(1950)年に名古屋に戻って喜一郎さんの豊田自動車に入りました。そこでの最初の仕事は東京工業大学の教授の特許を用いている営繕課の住宅建設事業を独立させてユタカプレコンを創業し、これが後にトヨタホームに発展しました。
ところが昭和27(1952)年に喜一郎社長が57歳で急逝すると豊田自動織機から抜擢された石田退三新社長と次の社長になる昭夫叔父から一族経営の復活を目指す英才教育を受けることになりました。しかし、東京のマスコミは一族経営や世襲制を完全否定していますから人物紹介では愛知県の旧態依然の企業風土扱いでした。
その後は自動車を製造する豊田自動車工業と販売する豊田自動車販売が合併した巨大企業体・トヨタ自動車とグループ企業の経営者として日本で製造した全ての部品をアメリカで組み立てさせるノックダウン方式によって品質を維持しながら貿易不均衡を解消するなどの卓越した業績を重ね、バブル崩壊直後の1994年から1998年まで経済団体連合会の会長に就任するとトヨタが愛知県の企業であることを再確認させました。
バブル崩壊後、東京のマスコミは「アメリカ式の非情な合理化以外に好景気の再現はない」と断定的に報道して、それを鵜呑みにした多くの企業が敗戦後の高度経済成長の基盤だった企業内の人材育成や大企業が必要な部品や材料を供給する多くの中小工場を守る日本的企業風土を放棄して日本国内に社員と工場のリストラの凶風が吹き荒れましたが、トヨタ自動車は他の大手企業が安価な中国製の輸入部品に乗り換える中、傘下の中小工場に単価を引き下げさせて調達を継続し、社員も配置替えで雇用を維持したのです。心より敬意を込めて冥福を祈ります。とても小柄でしたから棺は小さいでしょう。
- 2023/02/17(金) 15:26:08|
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屯田局員の妻・エレナが中国地方の日本海側の某基地に行って3ヵ月が経っている。ロシアが北海道に侵攻しようとして失敗したニュースを見て祖父母は「エレナの手柄だ」と誇らしげだったが屯田局員は寂しさと欲求不満で眠られない毎日を送っている。しかし、それ以上に休日を利用して某基地まで出かけて会ったエレナから聞いた思いがけない話に悩んでいた。
基地から外出できないエレナの案内で某基地のBX=売店の喫茶店に入るとコーヒーとジャム紅茶を頼んだ。ロシア式ジャム紅茶は店長がエレナの好みを訊いて作るようになった特製品だが、WAFたちも試飲して大人気になり壁に貼ってあるメニューにも加えられていた。BXまで来る間にも擦れ違う隊員たちは厳正な敬礼をしてきたが、腕を組んでいるエレナを見て男子は嫉妬、女子は羨望の眼差しを送ってきた。今では某基地の人気者になっているらしい。
「私にジエータイの士官になれって言うのよ」エレナ好みの熱いジャム紅茶と何故か屯田局員の好みに合った温度と濃さのコーヒーが届くとエレナは匂いを嗅ぎながら話を始めた。
「アーミーでもネービーでもエア・フォースでも好きに選べるんだって。それで士官候補生学校はアーミーが福岡県の久留米、ネービーは広島県の江田島、エア・フォースは奈良に在ってどこも半年以上住めるんだって。奈良は面白そう」エレナの興味はあくまでも観光目的であまり真剣に考えていないようだ。確かに奈良に半年なら古寺巡りには十分だ。
「士官って幹部自衛官のことだね。お前を中に囲いたいって言うんだな」「私が今の仕事を辞めると秘密が漏れることが心配なのね」これは自衛隊としては常識的な対応だが屯田局員としては賛成する訳にはいかない。エレナはあくまでも屯田局員の妻であり、屯田家の嫁なのだ。今は祖父母や両親も日本に切迫する危機に家族の1人が貢献していることを「国民としての責任を果たせている」と理解を示しているが、自衛隊の幹部になれば農家の嫁としての務めは果たせなくなる。何よりも自宅から通勤可能なのは海上自衛隊の下関基地だけだが、掃海艇2隻だけの小さな基地に今の仕事のような部隊があるとは聞いたことがない。
「俺は郵便局を辞めるつもりはないからお前が自衛隊に入れば今みたいな別居生活が続くことになるぞ」「今みたいな・・・嫌よ。私、断る」エレナも現在の別居生活は受け容れられていないようで屯田局員の指摘に即座に反応した。自衛隊としては「現在のロシアとの武力衝突が続く間、エレナの語学力を確保したい」と言うのが主たる目的だが、秘密の保護と身柄の安全確保と言う一石三鳥の思惑もあった。したがって武力衝突=ロシアの軍事行動が収束するまで貴宅はできそうもない。ならば外出を許可してカー・ホテルにでも行かせて夫婦の営みを済まさせてもらいたい。最近、屯田局員の頬や額には吹き出物ができているのだ。まだ鼻血は吹いていないが間近でエレナを見ていると危ない。
「屯田くん、どうやら双木さんが帰ってくるらしい」「前に言っていた暗殺部隊の潜入ですね」エレナに会ってきた翌日、通常勤務の屯田局員が対馬からの移住者の集落に宅配便を届けるためにバイクを走らせていると栗野駐在所の警察官に呼び止められた。今日の警察官は自衛隊と同じフィリッツ・スタイルの防弾用ヘルメットをかぶってベストを着ているが、これは防弾チョッキではなく防刃用だと聞いている。この警察官とは中国が大量に運び込んだ拳銃を持った在日半島人に銃撃された時以来、妙な信頼関係ができて警備情報を教えて注意喚起してくれている。以前も下関市内に自宅があり、地元国立大学の教授を務める妻が住んでいる双木外務大臣を狙う韓国軍の暗殺部隊が潜入する可能性について注意を受けた。屯田局員はそれを真剣に受け止め、元フランス外人部隊の加光寺の傍樹住職に相談してフランス軍の防弾チョッキと防弾バイク用ヘルメットをもらった。その防弾チョッキを羨ましがった警察官は屯田局員がかぶっている防弾バイク用ヘルメットに気がついて「白バイ警察官用の研究材料にするから貸してくれ」と言って1週間ほど預かっていた。その期間中に双木外務大臣が帰宅していれば生命が危ないところだった。一方、郵便局では採用されず同じ地区を回っている重中局員も「重い」「熱い」と拒否した。それでも「日本の安全規格外だ」と使用禁止にならなくて助かった。
「呂論島では沖で漁船が銃撃で沈められて掏り替わった中国軍が上陸した。海上保安庁も常駐して監視している訳じゃあないから船の数が増減しなければ疑うことをしないんだ」「ここも漁港が多いですから危ないですね」屯田局員の返事に警察官は大きくうなずいた。屯田局員としても双木外務大臣が立野官房長官と共に日本と韓国、中国、ロシアの武力衝突への対応で主導的立ち場にあることは新聞やニュースで知っているので否定はできない。それでも傍樹住職は「韓国軍の残虐性は常軌を逸しているから素人は逃げろ。回避行動も無駄だ」と言っていた。万が一、潜入した暗殺団と遭遇すれば軍用ヘルメットと防弾チョッキの防護力を信じながら全速力で一直線に逃げるしかない。まだ持っているMK3手榴弾はどうしよう。

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- 2023/02/17(金) 15:24:40|
- 夜の連続小説9
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青森県八戸市を中心とする東北地方北部では2月17日から2月20日にかけて「朳(エンブリ)」と呼ばれる祭礼が行われます。なお「朳」の漢字としての読みは「エブリ」が正しいのですが地元では「エンブリ」と訛らせて呼んでいます。
野僧は中学生の頃から民俗学を研究していたため「朳」を知っていて、空曹時代の航空自衛隊総合演習で三沢基地に行った時には八戸市内の博物館や民俗資料館、図書館を回って色々調べました(記念にミニチュアの烏帽子も購入しました)。
「朳」は農耕馬の首の形を模して後頭部の毛を表わす飾りがつき、鶴や亀に松などの吉祥画を描いた巨大な烏帽子をかぶり、先端に鳴子板や金輪とつけた「ジャンギ」と言う棒を持った3人から5人の「太夫(たゆう)」と笛や太鼓、手平鉦などの楽器を演奏する囃子方(はやしかた)、囃子や田作り風景を詠った祝言の唄い手などの20人以上が組になって「藤九郎(とうくろう)」をリーダーに門つけしながら商店街や農家を回ります。この「ジャンギ」は田植えの前に水田をならし、音で雀や害虫を追い払う柄振(えぶり)=朳であり、呼称の由来と同時にこの儀式・祭礼が「田楽(でんがく)」から派生したことを示しています。
祭礼としては楽器の演奏と唄い手の歌唱に合わせて太夫がジャンギを地面に突き立て、前屈して烏帽子で地面を擦りながら踊りますが、「擂り始め」「中の擂り」「擂り納め」の3部構成で合間に「松の舞」「恵比寿舞」「大黒舞」などの祝舞(しゅくまい)や田植えを滑稽に演じる「田植え漫才」、曲芸風の「金輪切り」、厚化粧された子供=稚児の「エンコエンコ」などの余興舞が演じられます。また太夫の舞い方にはユックリした動きの「ながえんぶり」と早い動きの「どうさいえんぶり」の2種類がありますが、途中で「ごいわい唄」が入り、「神酒いただき」になる「ながえんぶり」もあるようです。また「どうさいえんぶり」用の烏帽子には5色の前髪ついていますが、「ながえんぶり」用にはありません(「藤九郎」用には花の飾りがつきます)。
そんな五穀豊穣を願う伝統祭儀の「朳」も明治初期には青森県が全国の府県に倣って発布した「門つけ・物乞いへの施し禁止令」に該当すると禁止されましたが明治14(1881)年に旧・八戸町内の長者山新羅神社の神事として復活され、明治30(1897)年からは同神社の相殿(=合祀)神の稲荷大神の神輿行列に随行するようになり、明治42(1909)年にそれまで小正月3が日=太陰暦の1月14日から16日だった日程が伊勢の神宮の祈年祭に合わせて現行の2月17日に改められました。現在も門つけに出発する前に長者山新羅神社に参詣しています。
野僧が津軽で調べた古文書では江戸時代には五穀豊穣と忌み祓いを祈願する田楽の社中が村々を回り、庄屋の家に宿泊したとありましたが、大名行列を銃撃して藩主の暗殺を企てるほど険悪だった南部藩と津軽藩の間で「朳」の交流が可能だったのかは不明です。津軽を含む東北地方北部に広く所在するイタコたちは下北半島の恐山の大祭に集っていましたから宗教行事は黙認されていたのかも知れません。
- 2023/02/16(木) 14:38:55|
- 日記(暦)
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最近の双木外務大臣は午後に開かれる定時記者会見で外務省の所管ではない内政問題まで質問されるようになっている。それは実務の決定権を持たない立野官房長官も同様で、マスコミは現在の危機的状況に主導的に対処しているのが石田首相や釜田防衛大臣ではなくこの2人であることを察知しているようだ。そのためマスコミ各社もスマートホンで質問を遠隔操作している若手ではなく自社の論調を左右させるだけのベテラン記者を参加させている。
「ロシアのキベンジャ国連大使は石田政権が自衛隊に与えた反撃能力を使ってウラジオストックを攻撃すると発言しましたが、あの決定は国民的議論どころか十分な説明もなく防衛予算の倍増と抱き合わせで強行されました。外務省は海外、特にロシアや中国、韓国などの周辺国に対してどのように説明したのでしょうか」意外に知られていないが自衛隊の海外派遣に関する法律は外務省が提出している。しかし、あの決定は防衛政策として防衛省の所管だった。この記者は勘違いしているのかも知れない。
「あの決定の後に韓国は海上自衛隊の対潜哨戒機を撃墜し、中国は海上保安庁の巡視船を撃沈して尖閣諸島で警察官を殺害した。そしてロシアは中距離弾道ミサイルと爆撃機による攻撃を加え、地上兵力による北海道の占領を画策した。それが周辺国の理解でしょう。自衛隊の反撃能力が脅威とはならないことを理解しているんです」この辛辣な皮肉に外国政府首脳へのインタビューとして勝手な情報を流布してきた記者たちは苦笑して聞き流すしかなかった。
「今回、佐渡市が4年前の対馬と同様に全島民の避難に踏み切りましたが、外務省がロシアから侵攻を受ける可能性について警告を与えたのではないですか」「島民の避難については外務省の所管事項ではないので私からの回答は控えさせてもらいます」双木外務大臣にしては珍しく官僚が用意したような回答に記者たちはかえって疑惑を抱いたような顔になった。勿論、双木外務大臣は立野官房長官が佐渡市長に全島民の避難を勧めるに当たって事前に協議したのだが、派閥の長である石田首相や佐渡島に残留する航空自衛隊の上司の釜田防衛大臣の頭越しだった上、蚊帳の外に置いたので関与を認める訳にはいかなかったのだ。
「ロシアが本州に攻めてくれば流石に石田首相は防衛出動を発令するでしょう。そうなればアメリカも日米安保条約を発動するんじゃあないですか」「現在もウクライナ侵攻の時と同様に武器・弾薬の無償供与を受けています」この説明は閣議での現実を直視しない石田首相の弱腰を示唆してているがNATOに加盟していなかったウクライナと同盟国の日本では立場が違う。双木外務大臣としては太平洋を横断する日本のタンカーと貨物船団の護衛や哨戒飛行でアメリカ海軍と海上自衛隊は一体行動を取っていて多くの戦果を上げていることを暴露したいくらいだ。双木外務大臣はロシアと中国、韓国で勤務する外交官たちに「ロシアが本州に侵攻すればアメリカは日米安全保障条約を発動して参戦する」と言う公式には表明しなかった可能性を噂として流させている。実際は逆にアメリカ政府から「日米安全保障条約が国際連合の紛争抑止と停戦仲介の機能の補完を目的にしているため中国とロシアが常任理事国の懲罰として加えてくる武力行使では議会の承認を得ることは難しい」との説明を受けていた。さらにアメリカでは石田首相が選挙区で開催した2023年の広島サミットで原子爆弾投下による惨状が国民に周知されたため加害者としての後ろめたさと同時に核戦争に対する恐怖心が蔓延していて核保有国のロシアや中国との軍事衝突を回避させようとする世論が勃興している。しかし、中国とロシアはそれを利用しているので適当に誤魔化すしかない。
「ロシアはウクライナ侵攻の時にも西側の軍事支援や自国領土への武力攻撃に対して限定的核攻撃で報復すると言明しながら実行しませんでした。あれで核保有国としての面子が丸潰れになった言う声が国内強硬派から上がっているようです。そうなると今回は否応もなく実行するしかない。だから広島に2回目の原爆が撃ち込まれる可能性が高い。と言う国民、中でも広島市民の不安を解消させる言葉をお願いできますか」この意味不明な質問もベテランの記者が発したので失言に誘い込む罠の臭いが濃厚に漂っている。与野党の現役の政治家の中では最高の頭脳の持ち主と評されている双木敏正外務大臣に記者風情が罠を仕掛けるとはかなり無謀だが意味不明なだけに怪しさが漂う。
「その論理でいけばウクライナで使わなかった核兵器を日本に使うことはできないはずです。ましてや広島の悲劇は2023年のサミットで世界中に知れ渡っている。そこに2度めの地獄絵図を再現することは核ボタンを預かる国家権力者として有り得ないことです」双木外務大臣としては「核攻撃を抑止するには核攻撃による報復以外にない」と考えているのだが、ここは罠にかからないために相手を刺激することなくすり抜けた。この綺麗事はマスコミ好みだったようで質問者を含めて追及は受けなかった。
- 2023/02/16(木) 14:37:50|
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2月5日に野僧の世代はNHKが毎回15分間の子供向け人形劇の「ひょっこりひょうたん島」「空中都市008」「ネコジャラ市の11人」を放送していた夕方の時間帯に全く趣が違う人形時代劇「新八犬伝」や「真田十勇士」でリアリティーとは別の存在感を堪能させられた人形作家の辻村寿三郎さんが亡くなったそうです。89歳でした。
辻村さんは昭和8(1933)年に満洲国の朝陽で生まれ、生後間もなく料亭を営む辻村家に養子に出されたため宴席で働く芸者の着物と所作を見ながら育ち、5歳頃からは割り箸を人型に組んで着物を着せて遊ぶようになったそうです。戦時下で料亭の経営が苦しくなった昭和19(1944)年に現在の広島市西区横川に引き揚げ、1年で養母の実家がある三次市に転居しますが、横川は4カ月後に投下された原子爆弾の爆心地から2キロほどだったので「そのまま住んでいれば死んでいた」と後年、辻村さんは語っています。
敗戦後は三次市内で手先の器用さを生かすべく裁縫士を目指して洋服店に就職しますが長続きせず、職を転々としている間に劇団の裏方になり、看板描きや衣装作りに励むようになりました。そんな中、昭和29(1954)年に養母が亡くなると広島公演で知己を得ていた前進座の看板役者の河原崎国太郎さんを頼って上京して小道具製作会社で働き始めますが、非凡な才能を見出した河原崎さんの推薦で淡路人形浄瑠璃劇団の人形座に入団して後の人間国宝・2代目桐竹紋十郎さんに師事することになりました。
そして27歳で人形造りを本業とすることを決心して独立すると昭和36(1961)年の第13回現代人形美術展で「八百屋お七」が入選し、昭和40(1965)年に原子爆弾で死んだ小学校の同級生兄妹をモデルにした「ヒロシマより心をこめて」を発表すると、その独特の作品に注目したNHKからマンネリ化していた夕方の人形劇の新企画「新八犬伝」の人形製作を依頼されたのです。
「新八犬伝」は幕末の戯作者・曲亭馬琴さんの南総里見八犬伝を下敷きにした昭和48(1973)年4月から昭和50(1975)年3月までの2年間、全464話の長編人形劇でしたが、坂本九さんの解説と主題歌にも独特の味わいがあったものの何よりも辻村さん(当時はジュサブローでした)の文楽的ではありながらより現代的な人形が仁義礼智忠信孝悌の8つの玉を持つ八犬士や伏姫、後に犬士の妻になる女性たち、里見義実、その忠臣の金腕大助=‘大(ちゅだい)法師、悪女・船虫などの個性や感情までも表現していて、中でも八犬士に祟る怨霊・玉梓の迫力には圧倒されましたが、その哀しみを秘めた表情に里見義実に美貌を見染められて妾にされながら猜疑心によって殺された恨みの深さを感じて目が釘付けになってしまいました。
一方、昭和50(1975)年4月から昭和52(1977)年3月まで全445話の「真田十勇士」は柴田錬三郎さんの原作ですが、野僧は中学生=受験生になっていたのであまり見ませんでした。それでも妖術で空中を引き飛ばされた女忍者・夢影の胸元が肌けて乳房が露わになる場面を見て1人で興奮したのは強烈に記憶に残っています。懐かしい思い出に感謝を込めて冥福を祈ります。合掌
- 2023/02/15(水) 13:44:55|
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「専制的自衛権の行使について検討するべきです」安全保障理事会でロシアの国連大使が核攻撃の可能性を示唆したことを受けて閣議は紛糾していた。双木外務大臣と立野官房長官は実行に移すか否かは別にして一方的な言い掛かりが逆に我が身に降りかかってくる危険性をロシアに学習させるために強硬な対応を採るべきだと主張し、逆に石田首相と釜田防衛大臣はロシアに攻撃の疑念を払拭させるために日本海に展開している海上自衛隊の艦隊を撤収できなければ大幅に縮小するべきだと反論している。
「ロシアが北海道への武力行使が常任理事国としての懲罰ではなくアイヌ民族への領土返還が目的だと明言した以上、それは侵略であって専制的自衛権の行使も容認されるはずです」「昨日の議事では中国も同調しました。アメリカに日米安全保障条約の発動を要請するべきです」最近はこの議論に関わったことが漏洩するとマスコミに袋叩きにされるため閣議と言いながら参加者は石田首相と立野官房長官、双木外務大臣と釜田防衛大臣の4人だけだ。それに海上保安庁が対処すれば西藤国土交通大臣、警察ならば沢国家公安委員長がゲスト出演する。
「専制的自衛権とはイスラエルが1981年6月7日にイラクが建設していた核兵器に転用可能な濃縮ウランを製造できる原子力発電所を攻撃して破壊したオペラ作戦後の国連への説明で主張した定義です」「あれは1986年になってイスラエルがフランスの技術協力で核兵器を保有していることが発覚して否定されただろう」「それはイスラエルが主張した立場の否定であって法概念としては必ずしも否定されていません」国際連合憲章では自衛権の行使は加盟国個別の権利として合法と明記されていて自衛隊法の規定でも踏襲しているが、「軍事的脅威」と判断した側が一方的に他国の領域に武力を行使する専制的自衛権となると判断の基準や侵略との区分が不明確なため法概念として確立していない。釜田防衛大臣の反論は自衛隊の行動に消極的な防衛官僚の見解の代弁だった。
「総理はまさか海上自衛隊を日本海から撤退させるおつもりですか」「・・・流石にそれはできないだろう。ロシアの弾道ミサイルを撃墜した実績がある」本当は超音速爆撃機・ツボレフ22バックファイヤ10機も撃墜したのだが海上自衛隊からの報告は立野官房長官と双木元防衛大臣にしか届いていない。日頃は自衛隊の粗探しに励む内局も業務多忙で、ロシア軍が放置している謎の集団墜落を追及している暇がないらしい。
「当然、日本海での航空自衛隊の対領空侵犯措置も通常通りで良いですね」「深追いしないように注意してくれ」「はい、防空識別圏から出るなと厳命しています」双木外務大臣の確認に石田首相が答えると釜田防衛大臣が返事をした。
「要するにお2人は東條内閣がハル・ノートを受け入れなかったから太平洋戦争が起こった。それを繰り返さないためには今回のロシアの疑念を払拭するべきだとお考えなんですね」「確かにアメリカがハル・ノートで要求していたことは大陸を満洲事変以前の状態に戻した上で日米の信頼関係を再構築するための施策を講じると言うもので満洲事変発生時に田中義一内閣が表明していた解決策に合致している。ところが東條英機は関東軍参謀長の首謀者の1人だったから当然、断固拒否するはずだ。しかし、今回のロシアの主張はそれとはまるで次元が違うでしょう」その後も脅しに屈したに外ならない自衛隊の最高指揮官の石田首相と文民統制の責任者である釜田防衛大臣は「本当に核攻撃されれば」「国民は戦争を望んでいない」と責任論だけを繰り返している。そこで痺れを切らした立野官房長官と双木外務大臣はあえて相手の立場を代弁することで議論に引き込もうと空しい努力を始めた。
「総理と防衛大臣は自衛隊に反撃の任務と能力を与えることには真摯に取り組んでおられましたが、あれは・・・」「あれが北朝鮮を想定していたことは皆知っているだろう。アメリカを後ろ盾にして自衛隊が弾道ミサイル施設を攻撃しても北朝鮮が報復できるはずがない。しかし、ロシアや中国となるとアメリカも躊躇するはずだ。私は被爆県人として全面核戦争の切っ掛けを作ることは絶対にできない」「やはり槍と盾の役割分担が日米安保条約の必要理由なんですよ」亡くなった加倍元首相や浜前防衛大臣兄弟であれば日米同盟に対する絶対的な信頼を担保してロシアの不当行為に断固たる対応を採り、それによってアメリカも当事者に引き込む外交戦略を展開するはずだ。それを立野官房長官は派閥で、双木外務大臣は県民性として学んでいるが、広島県民の池田勇人元首相が創設したエリート派閥・宏池会を劣化・堕落させた宮谷喜市元首相の門下生の石田首相と事実上の戦時下であっても取り巻きの防衛官僚に操られている釜田防衛大臣では立ち位置が大きくずれているようだ。危機感が微塵もないこの空虚な閣議を見ていると石田政権が推し進めた防衛力の強化には予算よりも戦時向けの政治的人材=軍政家の確保が先決だったのかも知れない。育成では間に合わなかった。
- 2023/02/15(水) 13:43:24|
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1月27日に1979年の大河ドラマ「草燃える」と1997年の「毛利元就」の原作者の歴史作家・永井路子さんが亡くなったそうです。97歳でした。
永井さんは大正14(1925)年に東京の本郷で生まれましたが、複雑な家庭の事情で母親の叔父の長女として入籍して現在の茨城県古川市で育ちました。戦時中に東京女子大学を卒業し、敗戦後は東京大学に再入学しています。卒業後は歴史学者の息子で後に本人も歴史学者になる男性と結婚し、同時期に小学館に入社して雑誌の編集を担当する一方で自分でも歴史小説を執筆するようになりました。
やがて司馬遼太郎さんや寺内大吉さんたちが発起人になって創刊した同人誌「近代説話」で歴史小説を発表するようになるとそれまでの史実に基づく男性中心の物語から妻が果たした役割に着目した展開がウーマンリブの風潮と合致して一躍人気作家になりましたが、本人の美貌に評論家や文芸雑誌の編集者が好意を抱いたことにも助けられたそうです。
そんな永井さんの作品は鎌倉時代初期の4人の人物を描いた「悪禅師(頼朝公の異母弟の阿野全成法師)」「黒雪賦(梶原景時さん)」「いもうと(北条政子さんの妹で全成法師の妻の保子)」「覇樹(北条義時さん)」を1つにまとめた「炎環」が大河ドラマ「草燃える」に、毛利元就さんを描いた「山霧・毛利元就の妻」が同じく「毛利元就」になっていますが、「草燃える」では鎌倉幕府の公式記録・吾妻鏡を読んでも頼朝公の存命中は「御台所」として時折登場するだけの北条政子さん(朝廷からこの名前を受けるまでの本名も不明)を鎌倉殿と対等な口を聞く女傑に仕立て上げ、演じていたのが岩下志麻さんと石坂浩二さんだっただけにその夫婦関係が強烈に印象づけられることになりました。「毛利元就」に至っては本名も判っていない正室に「おかた(大河ドラマでは美伊)」なる名前をつけて激励どころか指図するような場面を作っていましたが、毛利元就さんと言えば鎌倉幕府で謀略の限りを尽くした大江広元さんの末裔だけに武将としての指揮・采配よりも悪逆非道な罠で勢力を拡大したことには関与させていません。永井さんは作品を執筆するに当たり、独自に年表を作成して史実や人物の関係を正確に捉えるように注意していたと言われますが、「女性を活躍させる」と言う目的のためには史実は無視していたようです。
「草燃える」以降の大河ドラマでは永井さんの作品と同様に男性の業績を全て女性の手柄にした橋田壽賀子さん脚本の1981年「おんな太閤記」、1986年「いのち(実在しない戦時中の女医)」、1989年「春日局」を始め、1985年「春の波涛(女優第1号の川上貞奴)」、1994年「花の乱(足利義政さんの悪妻・日野富子)」、2002年「利家とまつ(前田利家さんの正室)」、2006年「功名が辻(山内一豊さんの賢妻)」、2008年「篤姫(13代将軍・徳川家定さまの正室)」、2011年「江(2代将軍・徳川秀忠さまの恐妻)」、2015年「花燃ゆ(吉田寅次郎の妹)」が放送されて「大河ドラマで歴史を勉強している」と公言している人たちに間違った知識=歴史観を与え、抗議の電話にNHKの担当者が「所詮はドラマですから」と答えるような次元が低い番組になってしまいました。果たしてその罪科を閻魔大王がどう裁くのか。
- 2023/02/14(火) 13:56:23|
- 追悼・告別・永訣文
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「ヒロシマを核攻撃!安保理でロシアが言明」安全保障理事会でロシアの国連大使が毎度の恫喝を披露すると日本の新聞各紙は13時間の時差で間に合わないはずの朝刊で大々的に報じた。ただし、記事は巨大な見出しを付した1面トップの割に発言内容の直訳とロシア軍が保有する核兵器の解説、8月6日の原爆式典での広島市長の演説と反核平和団体の主張の引用の数行だけで取材をした形跡はなかった。一方、テレビのニュースでは多少は色が着いていた。
「今朝は衝撃的なニュースからお伝えしなければなりません」アナウンサーは表情と口調で報道内容の印象を操作するが、今朝の男女のアナウンサーはすでに核兵器が広島に射ち込まれたかのような沈痛な面持ちで画面から睨みつけてきた。
「昨日の安全保障理事会でロシアのキベンジャ国連大使が日本はウラジオストックを攻撃する準備をしているとの認識を表明した上で実際に攻撃を受けた時には核兵器で報復する。目標は広島県の呉基地だと警告しました」「キベンジャ大使は呉基地を選ぶ理由として海上自衛隊が単独で使用していることを挙げています」2人のアナウンサーが交互にニュースを読み上げる間、画面では日本海に展開中の護衛艦隊とは無関係な海上自衛隊の広報映像を流していた。
「このニュースについて長年にわたり被爆地・広島で反核兵器の市民運動に取り組んでおられる信田昭造(しんだしょうぞう)さんに伺います。信田さんは2歳の時、広島市内の自宅で被爆されています。信田さん、おはようございます」「おはようございます」信田と呼ばれた白髪の老人は80歳を過ぎているはずだが身心ともに元気そうで淀むことなく挨拶を返した。面積が広い広島では「市内」と言っても爆心地とは限らないのだ。
「信田さんは被爆者として今回のニュースをどのように受け止めておられますか」「ロシアと中国はアメリカに3度目の原爆を使用させないための抑止力だと思ってきましたが、自衛隊が戦前の軍隊と同じ本性を露わしたから報復を受けるような事態になって非常に残念です」1970年代のフォーク歌手・本田路津子の原爆を題材にした反戦歌「死んだ少女」をもじったような名前の信田昭造は当時の反戦活動家と同様の反日米安保反自衛隊親中国親ソビエト連邦=ロシアの反戦平和を披瀝した。ここで若い女性アナウンサーがうなずきを繰り返しているところを見ると加倍政権の安全保障関連法案の審議中に国会前の反対デモに参加していた復活・反安保活動家の大学生だったのかも知れない。
「ここで首相官邸から出勤した石田首相の中継です」・・・「「総理、とうとうロシアが核兵器を使用する可能性を宣告しましたね」「ロシアは広島を狙うと明言しましたがどうされますか」「自衛隊にウラジオストックへの攻撃を命じているんですか」ここで画面は首相官邸の玄関ロビーからの中継に変わったが、記者たちの質問に顔を背けて歩いていた石田首相は最後の「ウラジオストック」の質問にだけは大きく首を振った。
「石田首相は広島選出ですが、信田さんは同県人として現在の日本政府の対応をどう思われますか」「石田首相は就任当初こそ広島人らしく反戦平和を口にしていたが、ウクライナ侵攻を口実にして加倍の軍拡路線とアメリカとの世界支配を継承してしまった。それを危険視した韓国と中国が制止しようとしたのにも自衛隊だけでなく警察や海上保安庁を使って攻撃した。だから今度はロシアまで日本に懲罰を加えてきたんだ。平和都市の広島を地元と口にするんだったら国際社会に加倍が犯した過ちを懺悔して平和国家に脱皮するべきでしょう」「なるほど・・・有り難うございました」「日本人は決してアメリカの戦争犯罪を許してはいない」「途中になりましたが次に元海上自衛隊自衛艦隊司令官の海将で軍事評論家の小川治三郎さんです。小川さん、おはようございます」今朝のニュースでは次の専門家も用意していて信田の熱弁は途中で遮った。放送法が課す政治的中立を保持するための予防措置でもある。
「小川さんは海上自衛隊では呉地方総監も務められましたが今回のロシアの予告を現実的な危機として受け留めておられますか」「毎度の恫喝でしょう。警告にもなっていない。呉を狙ったつもりが岩国に落ちればアメリカ軍基地への核攻撃になる。そうなれば全面核戦争だ」小川元海将の論理は明快で男性アナウンサーは納得したようにうなずいたが、女性アナウンサーは男性であれば舌打ちするような嫌悪感を顔に浮かべた。
「第一、ウラジオストックを攻撃するとすれば海自ではなく空自のFー2を使うはずです。残念ながら海自のトマホークは間に合わなかったと言うことです」「いわゆる反撃能力ですね」男性アナウンサーの相槌に女性アナウンサーが無表情に口を挟んだ。
「それでも広島市民は2度目の核被害を恐れています」「反核団体は反対と言えば核戦争は起こらないと思っているんだ、ならば広島の平和公園でロシアに向かって声の限りに反対と叫べば良い」小川元海将は「お題目のように」と例えたかったがテレビでの宗教批判は控えた。
- 2023/02/14(火) 13:55:07|
- 夜の連続小説9
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