今年の大河ドラマ「どうする家康」は歪曲にもならない虚偽で塗り固められていて不快感しか覚えませんが、1つだけ感激したのが地元では知勇を兼ね備えた英傑とされながら東照神君・徳川家康公と戦って死んだため反逆者とされてきた鵜殿長照さんを登場させ、野僧の母校・蒲郡高校がある愛知県蒲郡市の知名度を全国区で上げてくれたことです。
そんな蒲郡市は昭和29(1954)年の明日4月1日に愛知県では15番目に市制に移行しました。「蒲郡(がまごおり)」と言う地名は北海道・沖縄を除く難読な地名ランキングに必ずエントリーされていますが、明治11(1878)年の郡区町村編制法の公布を受けて蒲形(現在の蒲郡高校の辺り)と西之郡(現在のボートレース場の辺り)の村名を合わせたもので明治24(1891)年に町制に移行しても維持されました。
野僧は岡崎市の矢作南小学校で三河武士の独立自尊の気風に染まりながら成長したので両親の出身地の東三河の百姓根性が全く肌に合わず、中学校の3年間で限界に達して広島県江田島にあった海上自衛隊生徒を受験したのですが父親に合格通知を破り捨てられて愛知県内の高校に進学することを強要されたため豊川(とよがわ=河川名)の流域から外れ、一駅でも遠い高校として蒲郡高校を選びました。
実際、蒲郡市は自宅=実家がある現世の三悪道=旧・一宮町と同様に宝飯郡に含まれていましたが江戸時代から宝飯郡の中心の豊川(とよかわ=地名)よりも岡崎藩や吉田藩(現在の豊橋市)との交流が盛んだった上、農漁業が並立し、岡崎と同様に浄土宗の寺院が多く曹洞宗王国の宝飯郡とは価値観・倫理観が異なるため分離意識が強く、市制移行時には蒲郡町と東隣で温泉地の三谷(みや)町、西隣の塩津村が合併して人口は48552人、さらに昭和37(1962)年には西隣の温泉地の形原町、翌年に同じく温泉地の西浦町と合併して81046人になりました(2023年2月1日時点で78348人)。
蒲郡高校に入学した時、地元出身の生徒は蒲郡と宝飯郡の気風の違いを「(宝飯郡の)百姓は隣りが種を播けば播き、水を撒けば撒き、刈れば刈るから何でも周りに合せるようになる。ところが(蒲郡の)漁師は命がけで漁に出るから百姓よりも勇敢だ。他人が網を入れている海では魚が獲れない。人と違うことが必然なんだ」と明快に語っていました。また地元出身の女子は「蒲郡の女は(宝飯郡の)農家の女房みたいに亭主に言われるままに働くことはしない。田畑で喰っていけなければ海岸で魚を捌き、それでも駄目なら温泉で仲居、綺麗なら芸者になって家族を喰わすのよ」とセーラー服の胸を張っていました。
蒲郡は静岡県西部の浜名湖北岸に次ぐ蜜柑の産地ですが、それを広めたのは我が蒲郡高校の前身(学科的にはつながっていない)の蒲郡農業学校です。そのため歴代市長は元生徒会長のOBばかりで野僧が生徒会長だった時には商店街の小母ちゃんまで「会長さん」と声をかけてきました。野僧がそんな蒲郡を気に入らないはずがなく、朝の登校時は東海道線の車窓から蒲郡の海が見えると心が湧き立ち、夕方の帰宅時に宝飯郡一宮町の山が目に入ると地獄の底へ堕ちて逝くような気分になりました。したがって海上自衛隊志望だった愚息1は蒲郡市内の三谷水産高校に進学させました。

我が国固有の領土の蒲郡市「竹島」
- 2023/03/31(金) 14:26:31|
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「無人の街を占領して意味があるのですか」「この港を確保しておけば専用の揚陸艦でなくても物資を陸揚げできるんだ。今朝、軍主力がウラジオストックを出撃した。間もなく日本の海空軍を全滅させて新潟に上陸する。そうなれば人数不足の陸軍は増援に向かわなければならなくなる。そこで一挙に北海道を占領するんだ」無人の網走市役所に本部を置いたロシア軍の上陸部隊は食料や弾薬が一向に届かないことに苛立ちを募らせていた。樺太の司令部には陸上自衛隊のAHー1攻撃ヘリコプターが出現して妨害レーダー波を発出していた偽装漁船が壊滅され、間もなく物資を積載していた3隻目と4隻目の大型フェリーが88式地対艦誘導弾によって撃沈されたことは報告している。その後もAHー1は市内の要所に配置していた戦車を攻撃して歩兵部隊に機銃掃射を浴びせてきた。
「司令部は食糧も届けるつもりがないようですね」「輸送機が全て撃墜されているからな。漁船を使っての運搬も日本の漁船はオホーツク海で操業していないから一網打尽だ」「兵士は空腹に耐えかねて店舗に残っている食料品を奪っているようです。そこを日本軍に狙われて甚大な損害が出ています」市長室のソファーに腰を下ろした指揮官と幕僚の議論も重苦しくなるばかりだ。2人も昨日の夕食に上陸させた車両に載せてあった携帯食を食べただけで、兵士たちのように探し回って略奪することもできず本当に空腹だった。そこに本部要員の若い女性の下士官が報告に来たが2人の不機嫌そうな顔を見て一瞬言葉に詰まった。
「空軍のレーダーサイトの占領に向かっていた中隊が指向式散弾地雷で車両を破壊された上に激しい銃撃を受けて大損害を出しています」航空自衛隊の網走分屯基地・第28警戒隊は市街地から北西6キロの海岸沿いの標高260メートルの山の上にある。上陸に先立って地対空ミサイルを撃ち込んでレーダーを破壊したので仕事がなくなった隊員は撤収したと考えて無血占領するつもりで1個中隊を派遣していた。その中隊には日本語の通訳を同行させて残っている携帯食=缶詰や医薬品、中でも風邪薬、撃沈された大型フェリーから泳いで上陸した兵士を着替えさせるために自衛隊の戦闘服を送るように命じてあった。食料や医薬品だけでなく着替えも届かないので風邪が流行り始めている。
「何故だ。空軍のレーダーサイトはドビナ(ロシアの地対地ミサイル)で破壊したんだろう」「あれは3日前なので逃げ遅れたんじゃあないですか。準備不足ですから取り敢えず撤退しましょう」下士官の説明に指揮官は重苦しさで圧縮していた怒りを爆発させた。この事態を予測していた下士官は敢えて茶化した幕僚の返事に救われたように表情を緩めるとロシア軍式に回れ左(左に回転する)をして退出していった。
「我が軍でも飛行機やレーダーを扱っている連中は技術屋気取りのひ弱な奴が多いですが日本の空軍は違うんですかね」「私もそのつもりでいたんだが・・・」やはり森田敬作定年2佐の警備改革の成果は海外にまでは広まっていないようだ。森田定年2佐としては航空自衛隊の基地の警備力が強化されていることが広まればゲリラに対する抑止力になるので宣伝に励んでいたが周囲からは売名行為と揶揄されただけでなく、司令部で広報を担当する監理部は航空自衛隊をソフトなイメージで売っているのでむしろ強面な警備は隠蔽していたのだ。
「監獄は無事に占領しました」数分後、同じ下士官が報告に来た。網走刑務所は元受刑者の伊藤一の小説「網走番外地」と高倉健主演の同名映画で観光名所になっているが、あれは別の場所に古い建物を移設した博物館だ。実際の刑務所は網走市の市街地の西側を流れる網走川のほとりにある。北海道知事の避難要請を受けて法務省は受刑者だけでなく所内で飼育しているブランド牛・網走監獄和牛も道南の刑務所と牧場に移送していて食料は入手できなかった。
「これでは兵士たちの不満が鬱積するばかりですね。日本へ行けばウクライナと同じように高級家電製品は奪い放題、食料は喰い放題、酒は飲み放題、女は犯し放題と言ってありましたから反動が恐ろしいです」「実際にサハリンにはソビエト連邦軍が実際にやった現場があるから兵士たちも信じているんだろう」今回の会話は下士官は女性として耳を塞ぎたくなったが、そこは職務として冷静を装って補足説明を始めた。
「それで刑務所には囚人服が残っているが着替えに使わないかと問い合わせています」「囚人服を兵士にか・・・」案の定、指揮官の顔は曇ってしまった。ロシアの囚人服はヨーロッパでは一般的な白黒に近い濃淡の灰色の横縞だが、日本では獄衣とも呼ばれる受刑者服は建物内での普段着の舎房衣は灰色の霜降りの上下、作業用の工場衣は脱走の機会があるので目立つ黄緑色の帽子と上下、パジャマは灰色と黒の縦縞の上下だ。
「名誉あるロシア連邦軍の兵士に囚人服を着せるのは・・・」「しかし、着替えは必要です」下士官は「どうせ捕虜になれば着ることになる」と喉まで出ていたが飲み込んだ。
- 2023/03/31(金) 14:24:53|
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昭和40年度が終わる昭和41(1966)年の明日3月31日に法務省が「日本の人口が1億人を突破した」と公式発表したそうです。
昭和40年度は日本の人口や社会構造を国が正確に把握するため5年に一度の10回目の国勢調査が実施されていて、前回の昭和35年度からコンピューターが導入されたものの当時は文字情報をパンチカードと呼ばれる紙テープに点の穴を開ける作業を必要としたため過去の手作業で4年かかっていた集計が3年半に短縮しただけでしたが、昭和40年度はマークカードに鉛筆で転記(共通一次試験で有名になったマークシート方式)するだけですむようになって1年半で完了できたそうです。しかし、その結果としての日本の人口は9920万9137人で1億人には届いておらず、何よりも当時の国勢調査を担当していた統計局は総理府の外局(=戦前は内務省、現在は総務省)でしたから法務省の出番はありませんでした。おそらく法務省が担当する外国人の移住者が7963人を超えたため合計で1億人を突破したのでしょう。
日本の国勢調査は645年の大化の改新の後に租税を割り当てる「班田収授法」の基礎資料として人口調査を行ったのが始まりで奈良時代には450万人程度だったと言われています。その後、徳川8代将軍・吉宗公が享保6(1729)年から6年ごとに弘化3(1846)年まで続けましたが、第1回が2606万5425人で以降は飢饉などによる大幅減を除けば3000万人台で推移したようです。
ところが明治政府は徳川吉宗公の国勢調査よりも70年以上遅い1801年から開始したイギリスの国勢調査を模倣することを検討し、明治12(1879)年には山梨県限定で試験的に調査を実施しましたが、江戸時代に檀家制度で住民を把握していた寺院から引き継ぎをせずに役人が戸籍を作成していたため時期尚早と言う結論になりました。その後、明治28(1895)年に国際統計協会から参加の誘いがあって翌年には衆議院と貴族院が国勢調査の実施を決議しましたが提案者・賛成者も何をするのかが判っておらず、根拠の法律が成立したのは明治35(1902)年で第1回の実施を予定していた明治38(1905)年は日露戦争の真っ最中で延期、10年後とした大正4(1915)年も第1次世界大戦で延期、結局、大正9(1920)年に第1回が実施されて日本の人口が5596万3053人であることが判りました。その後、5年ごとに実施されましたが「紀元は2600年、ああ1億の胸は鳴る」と奉祝歌で歌っている皇紀2600年=昭和15(1940)年の人口は7311万4308人でした。
1億人を突破してからは2010年の第19回の1億2805万7352人をピークに毎回100万人程度のペースで減少していますが、食料から燃料まで完全自給自足だった江戸時代が3000万人だったのですから、それがこの国土に見合った人口なのであって現役の勤労者が過去の勤労者の贅沢な生活を支える年金制度を縮小して死ぬまで働く社会に戻せば現在の人口減少はむしろ自然の摂理なのかも知れません。本気で人口を増やしたければ若い男性の精力と性欲を野僧世代の若い頃並みに増強する以外にありません。
- 2023/03/30(木) 14:34:38|
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同じ頃、北海道の網走では大型フェリーから上陸したロシア軍と陸上自衛隊の地上戦が始まっていた。前日、陸上自衛隊はロシア軍の輸送船団=艦隊を取り囲むように航行していた漁船からの同一周波数のレーダー波の放射と言う想定外の妨害によってオホーツク海上で撃沈することができず接岸させてしまった。するとロシアは迅速に戦車を上陸させて住民が避難して無人になっている網走市街の要所に配置した。一方、陸上自衛隊は空対空ミサイルに武装転換を終えたFー2が三沢基地を発進したのを受けて帯広駐屯地から北部方面航空隊第1対戦車ヘリコプター隊のAHー1を出撃させた。西部方面航空隊の第1戦闘ヘリコプター隊(部隊名が微妙に違う)は呂論島でも活躍したAH―64を運用している。このことでも陸上自衛隊が装備の優先順位を北部方面隊から西部方面隊に移したことが判る。
AH―1は網走港の沖に停泊していた妨害電波を発出する漁船団を全滅させ、返す刀で市内の戦車を次々に撃破していった。続いて遠軽演習場から第3地対艦ミサイル連隊が発射可能な88式地対艦誘導弾で攻撃して大型フェリーも全滅させた。しかし、ロシア軍は2隻目までの地上部隊を上陸させていて沖で撃沈された大型フェリーの兵士たちの大半も武装したまま泳いで陸に辿りついた。これが戦史でも度々感嘆されるロシア人の肉体の頑強さだった。
「よしよし、この袋詰めの菓子なら食べられるだろう」「缶詰があったが俺たちの缶切りで開けれらるかな」「今時の携行食はパック式だから缶切りなんて持っているのか」ロシア軍は撃沈された3隻目と4隻目に武器、弾薬、食料を積んでいたため輸送ヘリコプターによる補給を要請して到着を待ちかねていた。しかし、航空自衛隊が迅速に千歳基地の滑走路を修復したのでオホーツク海南部空域の制空権を奪い返されている。そのため前回の侵攻作戦で大多数を失った輸送ヘリコプターが危険を冒してまで投入される可能性は低い。つまり兵士たちはモスクワで大統領の「戦争の主導権を奪え」と言う政治的命令を受けた将軍たちが地図上で立てた作戦の陽動として北海道に送り込まれたが上陸しただけで目標は達成されたことになり、軍首脳の関心は日本海を超えて本州に侵攻する主力に移っているのだ。かつて日本海軍はミッドウェイ作戦に合わせて「アメリカ本土に侵攻する」と言う名目でアリューシャン列島のアッツ島とキスカ島を占領して陸海軍の守備隊を配置した。ところがミッドウェイ作戦が失敗すると海軍の軍令部や連合艦隊の関心は劣勢挽回と太平洋全域に及んでいた離島防衛に向かいアリューシャン列島の守備隊のことは忘れ去られた。今回の兵士たちも全滅を玉砕と言い替えて軍神・英雄に祀り上げられたアッツ島守備隊のような運命を辿るのかも知れない。
パーン、パーン、空腹に耐えかねて数少ないコンビニエンス・ストアで棚に放置してある商品の缶詰や菓子類を奪った兵士たちはガラスを割ったドアを出たところで狙撃された。網走市の市街地を包囲していた遠軽駐屯地の第25普通科連隊がロシア軍の地上部隊を攻撃し始めたのだ。網走市は全域が住宅地で駅前にも商店街と呼べるような地区はない。そのため食料を略奪しようにも住宅には残されておらず、仮に有っても腐っているので狙うのはスーパー・マーケットやコンビニエンスストアになる。したがって狙撃兵はそこで待っていれば葱を背負った鴨が現れると言う寸法だ。陸上自衛隊の戦闘はアメリカ軍のように連射で弾幕を張るのではなく精密照準による狙撃に近い。ロシア軍も広大な平原での防戦だった独ソ戦の前半には狙撃兵を重用したが、攻勢に転じたベルリンへの東部戦線では戦車による縦深突破戦術に徹していた。むしろ第2次世界大戦中2度のフィンランド侵攻では公認戦果だけでも542人を射殺したシモ・ヘイヘ少尉に代表される狙撃兵から多大な損害を受けている。
「これではウクライナの二の舞じゃあないか」「日本軍はひ弱なお坊ちゃまの寄せ集めだから2、3人殺せば逃げ出すって言ったのは誰だ」倒れた2人は胸部を射たれて即死していた。それを確認した兵士たちは吐き出すように出撃前に訓示した指揮官を罵り合った。
ロシアでは日露戦争を敗戦とは認めておらず、クロパトキン極東軍司令官が考えていたナポレオンを壊滅させた大陸奥部に引き込んでの焦土作戦に日本軍が乗らなかったため不利な条件で停戦・講和したと教えている。したがって日本軍の強さは教材になっていない。逆に終戦間際にソビエト連邦軍が満洲に侵攻すると日本陸軍最強と自称していた関東軍は日本人開拓民を捨てて敗走し、捕虜としてシベリアに抑留しても反抗することもなく家畜のように酷使されて多くが死んだ。これこそがロシア兵が習う日本軍の兵士=自衛官だった。
「そう言えば日本軍は全滅するまで突撃してくるんだろう。銃を構えておかないと危ないな」兵士の1人が聞きかじりの戦史の知識を持ち出した。乃木愚将が指揮した日露戦争の旅順要塞攻囲戦での反復突撃による正面攻撃は全滅しても補充して繰り返したが、今回は陸上幕僚長の指導によって持久戦術を採用しているので得意技の万歳突撃は実施しない。
- 2023/03/30(木) 14:32:55|
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「シュート(発射)したらエスケープ(回避)させろ」「ラージャ」中部航空方面隊指揮所はFー15とFー35に空対空ミサイル・AAM―9Xを一斉発射させると回避行動を指令した。航空自衛隊がこの戦闘に投入している戦闘機は続いて対艦攻撃を実施するFー2を加えれば現有戦力10個飛行隊の半数になる(タンゴは全滅した)。航空自衛隊はFー35をFー4EJの後継機にしたため在日アメリカ空軍の三沢基地に2個飛行隊を移駐させて機種転換したが、三沢基地のタンゴは築城基地、ヘッドは百里基地に移動させただけで保有するFー15の数合わせで対処するしかなかった。このため2個飛行隊の飛行群を持つことが必須条件だったはずの戦闘航空団のうち1個飛行隊の第83航空隊が第9航空団になったのと同様に百里基地の第7航空団と新田原基地の第5航空団も1個飛行隊になっている。本来であればアメリカ空軍が高価なFー15を買い揃えることができず不足する防空戦力を補完するためにFー16を導入したようにFー4EJの退役分をFー2で飛行隊を編制するべきなのだが、Fー2は開発費を相殺する必要からライセンス生産のFー15並みの高価格になっている。さらに内局の官僚が財務省の担当者に打診すると「開発予算を計上した時の使用目的と違う」と難色を示したため戦力の先細りを受け容れるしかなかったのだ。2023年から大幅に増額された防衛費で弱小化した戦力を回復して弾薬の備蓄で継戦能力を拡充させなければならなかったのだが、20数年かけて病的に痩せ細った戦力が簡単に回復するはずがなく、無理に太ればダイエットに対するリバウンドと言うものだ。
「ロシア機はエスケープしました」「強烈なフレア(熱源)を放射するミッソール(ミサイル)を発射しています」「電磁波でFー15は探知不能になっています」「ウチのミッソールが追いつきません」中部航空方面隊指揮所の指令を受けた防空指令所と戦闘機のパイロットから意外な報告が返ってきた。通常の空中戦では敵味方の相互が射程距離に入った時点で空対空ミサイルを射ち合い、生き残った者同士で機関砲によるドッグファイト=格闘戦を始める。それが発射することなく退避したのは航空自衛隊の空対空ミサイル・AAM―9Xの射程距離がロシア軍のRー73を上回っていることを理解した上でエンジンの熱を感知する誘導装置を幻惑させる対抗策を選択したに外ならない。おまけにレーダーに目潰しまで加えてきた。
「まるで準備万端整えていたみたいだな」「2017年にシリアでスホーイ22に向かって発射した9Xがフレアで回避されていますからロシアも対策に自信を持っているんでしょう」防衛部長の嘆きに兵器管制幹部の運用幕僚が答えた。ロシアの軍事産業は中国が自力で兵器を開発するよりもソビエト連邦時代にアメリカに対抗して基礎研究と技術開発を蓄積してきたロシアに投資する方が安価で確実であることを理解して以来、溢れるほどの資金を注ぎ込まれて驚異的な発達を遂げてきた。北朝鮮が発射を繰り返している弾道ミサイルも中国が入手したロシア製の実用試験と言う見方が西側の軍事関係者の間では常識になっている。
「こうなると今度はこちらがRー73に備えながらの戦いになるな」「おまけにロシア海軍の艦対空ミサイルは中国とは比べ物になりません」「取り敢えずFー2の護衛として突入させるしかないな」防衛部長は険しい顔で航空方面隊司令官を見たが無表情に見返していた。中部航空方面隊司令官はパイロットや兵器管制幹部、高射幹部などの運用職種出身ではないためかえって戦闘を傍観者的な視点で冷静に客観視できる面がある。
「自衛艦隊司令部から電話が入っています」「こちらは陸上総隊司令部からです」その時、コンソールの呼び出し音が同時に鳴り、パイロットと兵器管制幹部の運用幕僚がスイッチを押して出た。相手を聞いて航空方面隊司令官と幕僚長、防衛部長は2人の声を神経を集中させた。
「陸自は富士特科教導隊の12式SSMを新潟県内に配置している。射程距離に入った時点で攻撃可能だ。有り難うございます」「日本海に展開している海自のイージス護衛艦は弾道ミサイルに備えているが通常型の護衛艦の艦対空ミサイルなら射程は短いが発射できる。有り難うございます」どうやらどちらも援軍の申し出らしい。陸上自衛隊としては昨日、北海道でオホーツク海を南下してくるロシアの大型フェリーに発射した88式地対艦誘導弾が随伴している小型船の偽装レーダー波の妨害を受けて全弾が外れ、網走港に接岸して地上部隊を上陸させた失態を犯している。一方、海上自衛隊は那覇空港の滑走路の閉鎖によって潜水艦・どんりゅうが中国の大型フェリー4隻を撃沈したが表沙汰にはできず、今回の厚木基地のPー1と八戸基地のPー3Cによる攻撃は是が非でも戦果を挙げなければならないのだ。
「よし、Fー2に攻撃命令を出せ」「ラージャ」中部航空方面隊司令官の命令に防衛部長がパイロットの口調で答えた。真珠湾奇襲作戦であれば「・・―・・=モールス信号のト」を繰り返すト連符が打電されるところだ。タンゴの飛行隊長に「トラトラトラ」と言わせたかった。
- 2023/03/29(水) 16:10:01|
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敗戦後の学校教育や映画、ドラマ、小説などでは戦前の財閥は中世ヨーロッパの貴族のような社交と贅沢な生活にうつつを抜かし、労働者は徹底的に酷使・搾取されていた暗黒社会であったかのように歴史を歪曲していますが、大正にもならない明治44(1911)年の明日3月28日に戦後の労働基準法の原点と言うべき工場法が公布されました。
工場法はイギリスのジェームズ・ワッドが動力機械の蒸気機関を発明したことによる産業革命の結果、それまでの人間や馬や牛などの生物による動力では疲労回復や食事のための休息を必要としていた工業生産の連続稼働が可能になり、規模も家内事業から工場へと拡大したので蒸気機関に燃料の石炭を投入し、機械を操作し、作業をする人間が酷使されるようになりました。実際、1800年代前半のイギリスでは子供や女性も主に繊維工場に雇用されて1日12時間以上の労働を強いられていて、産業革命の伝播によってそれがヨーロッパ全土に拡大してカール・マルクスが共産党宣言や資本論で述べている「資本家による労働者の搾取」が事実として繰り広げられていたのです。
これに対して各地で労働争議が頻発するようになり、産業革命発祥の地として最も近代工業化が進んでいたイギリスでは火種の規模が大きいだけに国家としての危機意識が強く1833年に最初の工場法を制定して「9歳未満の児童の労働は禁止、9歳から18歳未満の児童・少年の労働時間は週69時間以内」の制限を加え、工場経営者の違法・脱法行為を取り締まるための監察官を設置しました。その後、工場法は1844年に「女性労働者の労働時間を18歳未満の若年労働者並みに短縮する」、1847年に「若年労働者と女性労働者の労働時間を1日当たり最高10時間に制限する」、1867年に「繊維工場だけでなく50人以上の工場を適用対象とする」、1874年に「週56時間労働の実現=月から金曜日が10時間、土曜日は6時間」と次々に改定されました。
一方、日本では明治14(1881)年に農商務省が内務省から独立したのを契機にヨーロッパの工場法の研究に着手して明治20(1887)年に工場経営者に対して「年少者の就業制限」「義務教育未修了者と非免除者を通学させる義務」「16歳未満の見習工に読書、習字、算術=読み書き算盤を教授する義務」などを課した法案を策定しましたが、業界から「有害無益な翻訳趣味」と反対されて国会に提出されることはありませんでした。ところが日清戦争の賠償金で八幡製鉄所をはじめとする近代的な大規模工場が建設されると工場労働者が急増し、明治30(1897)年に労働組合期成会が結成されたのを受けて政府も工場法の制定に動き始めましたが、利益追求に躍起になっている業界の反対は根強く、結局、日露戦争後の明治42(1909)年に提出した法案の修正案=妥協の産物が貴族院で可決されてこの日に公布されたのです。
それでも内容としては「常時15人以上の職工を使用する工場」を対象として「12歳未満の者の就業禁止」「15歳未満と女子の1日12時間以上の就業と午後10時から4時までの深夜就業の禁止」「業務上の傷病者や死亡者の遺族への扶養義務」「健康診断の実施」などが規定されていましたが業界の反発を受けて何度も骨抜きにされていきました。
- 2023/03/28(火) 14:23:57|
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「拙い、やはり数が違い過ぎる」「築城、全機スクランブル」「築城には1個飛行隊しか残っていません。韓国軍に備えて待機させています」「新田原は」「プラム(梅・第5航空団のコールサイン=仮称)は中国対処です」中部航空方面隊指揮所は小松基地のFー15の2個飛行隊に三沢基地から展開してきたFー35の2個飛行隊を加えた過去に経験がない大編隊でロシア軍を迎撃しているが相手はそれ以上の戦闘機を揃えている。東西冷戦末期にはアメリカとソビエト連邦では工業技術に大きな格差が生じていてミグやスホーイはFー15やFー16、Fー18の敵ではなくなっていた。ところがロシアはソビエト連邦時代に兵器を押しつけた東欧や中東の空軍が設計思想が全く違うアメリカ製の軍用機を使いこなせず、整備に使用する機材どころか工具まで買い揃えなければならないことを嫌ってロシアに開発を要求するようになり、中国の財政支援=先行投資を受けて次々に新型機をデビューさせるようになった。そのため現在のスホーイ35やミグ35はFー15と遜色はない。かつて航空自衛隊が空中戦訓練で仮想敵を勤める飛行教導隊・アグレッサーにスホーイ27を導入しようとしたが、あの時点でも「性能に大差がない」と言われていたから今では「凌駕している」可能性もある。下手すればナンバー35シリーズのFー35と同格のライバルではないだろうか。
「それでは先制攻撃しかないな。9X(AAMー9Xサイドワインダー)はR73よりも射程距離が1キロ長いはずだろう」「R73は正確な数値が公表されていないから実戦の検証で推定しているだけです」こちらでも指揮を委任されている中部航空方面隊司令部の防衛部長の苦し紛れの発案に戦闘機パイロットの運用幕僚が冷静に反論した。ロシアは熱心な売り込みにも関わらず西側諸国が決して導入しないため買い手の東欧や中東諸国への信頼確保として機体や搭載兵器の性能などは非公開にしている。
「しかし、防衛出動が下令されていませんから先制攻撃は警察権を超えてしまいます。その場合、攻撃命令の発令者の部長よりも実行したパイロットの方が重大な犯罪責任を問われることになります」続いて兵器管制幹部の運用幕僚が異論を挟んだ。昨日、樺太で地上部隊を乗船させてオホーツク海を南下していたロシアの大型フェリーの船団=艦隊を攻撃しようとしたタンゴのFー2が護衛のロシア軍戦闘機に全滅させられた。その結果、フェリーの船団は網走港に接岸して地上部隊を上陸させて無人の市内は占領された。当然、航空自衛隊が制空権を奪還したのを受けて陸上自衛隊の攻撃ヘリが攻撃を加え、夜間には遠軽と美幌演習場に潜伏している普通科連隊が夜襲をかけたが、この事態に至っても石田首相は防衛出動を決断していない。つまりタンゴのFー2が攻撃に成功していれば自衛隊法の武器の不正使用、刑法の大量殺人、船舶法、海上交通安全法その他諸々の法律違反で北部航空方面隊司令官以下が逮捕されることになった。ここまで深く考えるのは戦闘機パイロットにはできない兵器管制幹部の特性だ。
「そんなことを言っている・・・考えている場合じゃあない。殺るべき時に殺るのが航空作戦の鉄則だ。全弾命中させても敵機の半分しか落とせないんだ。それで編隊を崩せばミサイルのロックオンを外すことが出来るかも知れない。先ずは殺る」「よし、腹は切ってやる」「お前も一緒に3人で腹を切ろう」防衛部長の声が大きくなると背後から航空方面隊司令官と幕僚長が声をかけた。沖縄戦では第32軍司令官の牛島満大将と参謀長の長勇中将は自刃したが、高級参謀の八原博通大佐は「参謀は責任を負うべき立場ではない」「大本営に報告するのが責務である」と司令部壕を脱出して通信施設を探している間にアメリカ軍に捕獲された。その意味では防衛部長まで集団自決に加えた幕僚長は認識不足だ。
「ドラゴン、ゴールデン(6空団のコールサイン=仮称)、フロッグ、テイル(蛙、尾っぽ・F―35の飛行隊のコールサイン=仮称)、ファイヤー・ミッソール(ミサイルを発射せよ)」防衛部長は中部航空方面隊指揮所にあるレーダー・コンソールの席に着くと頭にヘッド・セットをはめてマイク・レシーバーを口に合せた。そして深く息を吸うと一気に命令を伝えた。
「ラージャ、ドラゴン・リーダー」「ラージャ、ゴールデン・リーダー」「ラージャ、フロッグ・リーダー」「ラージャ、テイル・リーダー」すると各編隊長は待ちかねていたかのように返事してきた。各編隊長も昨日のオホーツク海での惨劇の原因が空対空ミサイルを搭載せずに戦闘機に空中戦を臨み、先制攻撃を受けたことなのはヘッド(Fー2の飛行隊のコールサイン=仮称)のパイロットから聞いて知っている。そのため若しも中部航空方面隊指揮所が発射命令を下さなければ独断でミサイルを射たせるつもりだったのだ。
「オール・ドラゴン、ロックオンでき次第9Xを発射する」「ドラゴン002、ナンバー2ターゲットをロックオン」やはりパイロットたちもそのつもりだったようだ。自衛官たる者、戦いに臨んで「死にたくない」とは言わないがやはり「無駄死にはしたくない」。
- 2023/03/28(火) 14:22:10|
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「RQー4がロシア艦隊を捉えました」「間に合って良かった・・・」オホーツク海と東シナ海の戦闘が始まった日、航空総隊司令部には宇宙作戦隊から「日本の監視衛星と通信衛星に中国の物と思われる飛翔体が接近している」との警報を受け、続いて監視衛星を運用している内閣府から「監視衛星の映像が遮断した」と言う緊急事態の連絡が入った。そのため那覇基地と小松基地に展開している偵察航空隊のRQー4グローバルホークを発進させて監視を開始していた。グローバルホークは最高速度は347ノット=時速653.9キロと早くはないが上昇限度は通常のロシア軍の主力戦闘機・スホーイ35の飛行高度18000メートルを超える19800メートルであり、航続距離は22779キロと日本海や東シナ海の全域をカバーできる。前回、中国の輸送艦隊が奄美諸島に向かっている時に中国本土からの強力な電磁波と日本国内の電子通信企業で雇用されている中国系技術者の破壊工作によって全国同時のシステム・ダウンが発生したが、今回は日本側も対策を講じているので衛星の破壊と言う荒技を使ったようだ。しかし、前回ほど重大な影響は与えられないはずだ。
「ロシアの海軍と空軍は冷戦時代にはアメリカに対抗していた強力な軍だ。中国とは比べ物にならない」「日本人は日本海海戦の完全勝利で過小評価しているがユーラシア大陸を一周して疲れ切っていた敵を準備万端整えて待ち構えていれば完全勝利するのは当然だよ」「陸軍も満洲で辛うじて勝ちを拾った現実を忘れて無敵を気取るようになった日露戦争が昭和20年の敗戦に至る序曲だったな」総隊司令部指揮所ではスクリーンに映し出されたロシア艦隊の映像を見ながら防衛大学校の同期の総隊司令部の運用幕僚と陸海自衛隊の連絡官が話し合っていた。前回の第5航空軍のPー1が東シナ海で撮影した中国の輸送艦隊に比べてロシアの艦隊は規模が格段に大きい上、隊形も完璧だ。これだけで指揮官の能力と各艦の艦長以下の乗組員の操艦練度の高さが判る。航空レーダーの映像では前回の戦訓を踏まえて海上自衛隊の対潜哨戒機を阻止するべく多くの戦闘機が上空で護衛している。
「手順としては小松からFー35を発進させて三沢から来るFー2に艦隊を攻撃させる。次に厚木のPー1が残った艦艇を全滅させる・・・だったな」「問題はオホーツク海でFー2の半数が撃墜されたことだ。おまけにASMー3を搭載していたから残弾数はかなり心細くなったようだね」海上自衛隊の連絡官の指摘に運用幹部は気まり悪そうな顔でうなずいた。航空総隊としてはロシア軍の航空戦力の主力は大陸の日本海沿岸に配備されていると見ていて、本格的侵攻に備えて三沢基地のFー35の2個飛行隊を小松基地に展開させた。同時に百里基地のヘッド、築城基地のタンゴを里帰りさせてオホーツク海のロシア艦隊の動向に対処させる作戦計画だった。それが裏目に出たのは昨日のことだ。
「大体、国産の地対艦ミサイルをFー15に搭載できないのは何故なんだ」「加倍政権の時に搭載できるように火器管制装置の改修を計画したんだが当時の商売人政権は『国産ミサイルよりもアメリカ製を買え』と迫って常軌を逸した改修費を要求してきたんだ。そうなると財務省はFー15とFー2は使用目的が違うから2機種を取得しているんだろうと毎度の論法を弄して財務省に絶対服従の内局も反対に回って一巻の終わりだった」「そのツケを有事に生命で払わさせられてるんだな」海と空の同期の会話を聞いていた陸の連絡官は昨日の戦闘で第3地対艦ミサイル連隊の88式地対艦誘導弾がロシア軍の艦隊に随伴していた小型船が放射する同じ周波数のレーダー波によって誤誘導されて一発も命中せず、結局、網走港に接岸されて戦車と地上部隊を上陸させたことを思い出した。仮に第3地対艦ミサイル連隊が妨害対策を強化している12式地対艦誘導弾を使用していればこのような事態には陥らなかったかも知れない。そう思うと無念の歯噛みで最近は歯茎が弱くなった歯が折れそうになった。
「小松、全機スクランブル」「Fー35は航跡がハッキリしないから見失うな」「ラージャ」階下の防空指揮群が接続した入間基地の中部防空指令所の音声が総隊指揮所にも聞えてきた。スクリーンに映っているロシア軍の編隊は一目では数え切れない機数なので初動とは言え4個飛行隊で迎え討つしかないだろう。中部防空指令所は三沢基地の北部防空指令所からステルス機のFー35の機体がレーダー波をあまり反射しないため航跡の画像表示が不鮮明になることを助言されているようだ。中部航空方面隊の担当空域を拡大しているスクリーンの隅の山形県上空ではFー2の編隊がKCー767から空中給油を受けている。今飛んでいるヘッドの飛行隊長の話では古巣で再会した2個飛行隊でロシア艦隊に痛撃を与えて昨日死んだタンゴの飛行隊長と2人で「トラトラトラ=ワレ奇襲ニ成功セリ」を電文の替わりに絶叫するつもりだったらしい。そう言えばタンゴの飛行隊長は阪神ファンで「六甲おろし」が十八番だった。しかし、全弾命中させても日本海海戦や真珠湾空襲のような大戦果とは言い難い。
- 2023/03/27(月) 16:03:14|
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明治9(1876)年の明日3月28日に武士の特権であり義務でもあった帯刀を禁止することから「廃刀令」と呼ばれることが多い太政官布告第38号「大礼服並軍人警察官吏等制服着用の外帯刀禁止の件」が発布されました。
江戸時代の武士は東照神君・徳川家康公が定めた武家諸法度の第1条に「文武弓馬の道専ら相嗜むべき事」とあったため寛文3(1683)年に5代将軍・徳川綱吉公によって「文武忠孝を励まし礼儀を正すべき事」と改められてからも戦闘員としての覚悟を常に体現するため動きやすいように袴を穿き、何よりも打刀(うちがたな)と屋内用の脇差の二振りを帯びていました。時代劇に登場する奉行所務めの同心が袴を穿かず、護身用の打刀を一振りしか帯びていないのは身分が武士ではなく足軽だからです。
明治の政変によって武家諸法度が効力を停止して、明治2(1669)年の版籍奉還=廃藩置県で主従関係もなくって武士の実態も消滅したのですが、新政府の首脳はお飾りの公家を除けば大半は薩長土肥の下級武士だったので建前上は近代国家として身分制度を廃止することは決めても自分が放棄する気分にはならず、明治2年太政官布告第576号で一切の特権は認めなかったものの戸籍には「士族」と言う出自を記録するように定めました。これを受けて家の表札の横には「士族」と言う札を表示したようです。この「士族」は主君から俸禄を受けていた正式な武士で足軽は含まれません(足軽頭については上役の武士が地方役人になっていると温情で「士族」と記入されることも多かった)。
このように払拭するはずの身分制度の名残が社会に蔓延していると版籍奉還で武士を捨てたはずの「士族」が帯刀して街を闊歩するようになり、些細な揉め事が斬り合いに発展し、無礼をはたらいた平民を斬り捨てる時代錯誤な事件が散発するようになって、これを見越した島津藩士出身の森有礼さんが明治2(1869)年に「早く蛮風を除くべし」と廃刀を建議していたのですが下級武士出身の政府首脳たちが「廃刀をもって精神を削ぎ、皇国の元気を消滅させてはいけない」と反対して、それでも明治3(1870)年には一般人、特に任侠者や渡世人が武器として携帯することを禁止して、明治4(1871)年に髷を廃止する散髪に合わせて帯刀する義務・習慣を解除することを通達していました。
明治9(1876)年の太政官布告第38条は後に山口陸軍閥の長になる山県有朋さんが「従来、帯刀していたのは倒敵護身を目的としたが、今や国民皆兵の令が敷かれ、巡査の制が設けられ、個人が刀を佩びる必要は認められないので、速やかに廃刀の令を出して武士の虚号と殺伐の余風を除かれたい」と建議したことで断行されたのです。しかし、山県さんは毛利藩の足軽よりも下の中間組出身なので「士族」ではなく「刀を持ちたければ陸軍に入れ」と言う勧誘の方便に思えてしまいます。
それでも禁止されたのは刀を腰に差す帯刀だったためそれを逆手に取って腰には差さずに肩に担ぎ、袋に入れて手に提げ、中には直刀(ちょくとう=反りがない刀)を棒に収めた仕込み杖にして歩く者などが続出しました。結局、本当の廃刀令は昭和33(1958)年の「銃砲刀剣類所持等取締法」でした(敗戦直後にも同趣旨の勅令は出ている)。
- 2023/03/26(日) 15:16:53|
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「南方向から戦闘機の編隊が接近します」「南から・・・」ロシア軍は第3地対艦ミサイル連隊が展開している遠軽演習場を執拗に機銃掃射していた。おそらく陸上自衛隊が地域住民や環境団体の反対で公有地や私有地に陣地が構築できず演習場内に展開・待機しているとの情報を入手して偵察衛星などで重点監視していたのだ。その時、海岸付近にいる捜索・標定レーダー装置から指揮統制装置の連隊指揮所に連絡が入った。指揮統制装置は車高よりも深く地面に掘った壕に乗り入れ、上に厚く土嚢を積んであるので銃弾くらいなら問題はない。しかし、アンテナを露出している中継通信装置が破壊されて三沢基地の北部航空方面隊指揮所・防空指令所とは連絡が取れないのでこの編隊は彼我不明だ。
「ロシア軍機が逃げ始めました。自衛隊機のようです」続いてレーダー装置の若手幹部は興奮した声で報告してきた。国後島を発進したロシア軍機を疑っていた3科長と運用訓練幹部は安堵の溜息をついた。ただし、国後島に戦闘機が配備されていると言う情報は入手していない。
「自衛隊機がミサイルを発射しました・・・全機撃墜しました」おそらく三沢基地の防空指令所では「ビンゴ、ビンゴ」と連呼しているはずだ。これで航空自衛隊は先ほどロシア軍機に全滅させられたタンゴの仇を同じ手段で返り討ちにしたことになる。
「三沢の戦闘機が武装転換したんだろう」「随分早かったですね。流石は熟練した隊員の仕事です」3科長と運用訓練幹部は第3地対艦ミサイル連隊としては大きな被害を受け、戦死者も出ているのだが同じミサイルを取り扱う部隊として戦闘機の武装転換に要した時間を冷静に評価した。今回は爆弾と違って空対艦ミサイルのASMー3から空対空ミサイルのAAMー9Xへの転換だったため同じハードポイント(装着部)での交換で済んだ。
同じ頃、千歳基地では新千歳空港に着陸して滑走していた旅客機が爆発して飛散してきた部品の収容に着手していた。発進準備に当たっている飛行隊と装備隊武器小隊員、補給隊燃料小隊員を除く基地の全隊員が動員されて滑走路の清掃を開始した。
「大型機でなくて助かったな」指揮官の飛行場勤務隊長はパイロット同士で親しい第2航空団防衛部長と話し合っていた。爆発した旅客機は搭乗者数100人未満のリジョーナルと呼ばれる小型機だった。それでもジェット機では滑走中のタイヤのバースト(破裂)だけでなく金属片や固形物をエンジンが吸入して爆発するフォーリング・オブジェクト・ダメージ(FOD=異物吸入破損)の恐れがあるため滑走路の念入りな清掃を実施しなければならない。
「その小型機がここまで爆発したと言うことは事故や民間人の犯行ではないな」「軍用の爆発物と言うことか」防衛部長の見解に飛行場管理隊長は厳しい顔をした。爆発した位置は空港の北端と基地の南端が重なっている空港側の滑走路でも空港ターミナルの手前のノース・エンドのようだが平行した滑走路には1キロ程度の間隔があり、燃料の発火による事故や民間人が市販品を使って作った爆発物では不可能だ。
「それにしても北海道は道北と道東の道民を強制避難させているのに何で韓国への団体旅行を認めたんだろうか」飛行場勤務隊長はパイロットが作成する飛行計画を取りまとめて国土交通省航空局に提出するため民間航空機に関する情報を閲覧することも容易で、爆発した旅客機が所属する航空会社や運航の発注元も確認していた。
「どうやらA日新聞が避難生活で退屈している住民の気晴らしに安価な団体旅行を募集したらしい。元々北海道は戦時中に朝鮮半島で募集した小作人や炭鉱夫の残留者が多いから韓国旅行の人気が高いんだ」「それで誰かが千歳基地を狙ったんだな。軍が絡んでいるとなると日本人じゃあない。だから空港と基地の滑走路が別なのは知らなかったと言うところだ」防衛部長は情報も担当しているので今回の事件とは別に異常な兆候として情報を入手していたようだ。確かに日本人工作員が千歳基地の戦闘機を破壊しようとした時にはガソリンを格納庫に流し込んで放火しようとした。それに比べれば格段に本格的だ。韓国の空港関係者にも日本の国土交通省労組のような反日活動家がいれば貨物に爆発物を紛れ込ませることは可能だ。
「隊長、滑走路清掃完了しました。回収物の金属片はボルトが8個、金属断片が123個、ガラス片が大小96個でした。それとは別に犠牲者の指や歯、骨片も発見しましたので衛生隊に渡しました」そこに作業を監督していたAO(飛行場当直)のパイロットがフォローミー車(車体の屋根に「フォローミー=俺に着いてこい」の看板を掲げている)で戻ってきて報告した。
「これで滑走路は使用可能になった」「よし、緊急発進だ」「ロシア機は三沢が自前で仇討を終えました」防衛部長は肩から提げている無線機で防衛部運用班長に指示を与えるとすでに返り討ちは終わっていた。結局、千歳基地の滑走路は救難隊のUー125救難捜索機が最初の利用者になった。救難機に襲いかかったロシア軍機はCAPのFー15の4機が撃墜していた。
- 2023/03/26(日) 15:15:31|
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2001年の明日3月27日は明治以降の日本の戦争を主観に基づいて描いた軍国作家の代表・児島襄(のぼる)さんの命日です。
学徒出征で海軍(暗号解読担当)に入った経験から海軍を描いた作品が多い軍国作家の阿川弘之さんはある対談企画で某左翼系女流作家から「中国共産党は『児島襄さんは危険人物だ』と言っているけど貴方は『ただの流行作家』と思っているみたい」と言われて自尊心を傷けられたと述べていました。確かに阿川さんの「雲の墓標」「春の城(自伝的作品)」などの戦記小説や「山本五十六」「米内光政」などの伝記は読み物的要素が感じられてそれほど深刻にならずに読めますが、児島さんの作品は中学校の社会科の授業で「日本の産業は海運による輸出入で成立している」と習って以来の海軍少年だった野僧が初めて読んだ「戦艦大和」は妙に重々しく深刻で読後には考え込まなければなりませんでした。
しかし、幅広く戦史の知識を詰め込んだ頭で考え込むと児島さんの見解は主観に基づいて美化している点が多く、小学4年の時に父親が夜勤の日にだけ見ていた戦史アニメ「決断(原作・監修)」も自衛隊に入ってから見直すと必ずしも賛同はできませんでした。特に第17話「特攻隊誕生」で作戦の忌道・神風(シンプウ)特別攻撃隊を命じた大西滝治郎中将が自刃したことで許されるかのような描写は大間違いです。
児島さんは昭和2(1927)年に東京で生まれ、旧制・府立(当時は東京府だった)第1中学校、同・第1高等学校を経て東京大学法学部と大学院を卒業しましたが、大学在学中に極東軍事裁判を傍聴したことで教授に師事して外交史も学んだそうです。一部には「戦艦大和」は体験談だと思っている人もいますが年齢が合いません。
そして卒業後は共同通信に就職して外信部に勤める傍ら執筆活動を始め、やがて作家専業になると新聞や雑誌に長期連載されるようになりました。この頃の作品としては「太平洋戦争」「東京裁判」「戦艦大和」や「天皇(=昭和の陛下の前半生の伝記)」「大山巌」「日露戦争」「平和の失速・大正時代とシベリア出兵」「日本占領」「講和条約」「第2次世界大戦・ヒトラーの戦い」などがあり、「戦艦大和」で有名になっても(ただし昭和28=1958年公開の映画「戦艦大和」の原作は吉田満さんの「戦艦大和の最後」)、阿川さんとは違って必ずしも海軍にこだわってはいませんでした。
しかし、「決断」では全25話(最終回の26回は日本テレビ放送だけに読売の川上哲治監督のインタビューだった)のうち陸軍が7話、海軍が17話、終戦の決断が1話と極端に海軍に偏っている上、陸軍については緒戦のマレー突進作戦とシンガポール攻略、香港攻略、ジャワ攻略、バターン・コレヒドール攻略から終戦間際の硫黄島作戦まで跳んでいて、まるで「昭和には書くべきことがない」と嘆いていた司馬遼太郎先生と同様に対米英中戦争の陸軍には教訓とすべき決断がなかったかのような印象を与えていました。
それでも戦史の知識が詰まった頭で考えれば対米英中戦争の陸軍でもインパール独断撤退の佐藤幸徳師団長、降伏後の対ソ戦の樋口季一郎北方軍司令官、そして硫黄島を描いたのであれば沖縄戦も取り上げるべきだったのではないでしょうか。
- 2023/03/25(土) 13:11:22|
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「続いて射て」「はい、各中隊、次弾発射準備、レーダー装置(捜索・標定レーダー装置=JTPSーP15)は目標の現在地を各中隊に通報せよ」想定外の事態にも第3地対艦ミサイル連隊の対応は迅速だった。88式地対艦誘導弾の発射機の車両には6発の発射筒(現在は12式地対艦誘導弾の規格変更に合わせて断面は四角形)が搭載されていて連続発射が可能だ。
「探知位置1・2キロ直進」「データー入力完了、発射できます」「発射要領は前回と同じ。1中隊から5秒間隔、初弾発射5秒前、4、3・・・」3科長は運用訓練幹部と各中隊のやり取りを腕組みして聞いていたが、発射指令になると身をかがめて運用訓練幹部の前の映像画面に見入った。すると海上の目標を探知するため海岸近くに出ている捜索・標定レーダー装置の2代目73式小型トラック=パジェロから通報が入った。
「敵機来襲。北から戦闘機が14機、空自機を撃墜した編隊の半数と思われます」これはレーダーで捕捉したのではなく上空を通過する敵機を目撃しながらの通報らしい。つまり艦隊の攻撃に向かう第3航空団のタンゴを全滅させたロシア軍の戦闘機の編隊が地対艦ミサイルの発射を受けて展開地を特定し、破壊しようと来襲したのだ。
「構わん、射て」「初弾、秒読み続行、3、2、1、撃て」3科長の命令で運用訓練幹部は発射を指令した。同時に先程と同じ発射音が聞こえたが5秒後の続きはなかった。
「敵機接近」「銃撃を開始しました」「機銃掃射を受けています」通報を聞くまでもなく外からは聞き覚えがないジェット音と何度か聞いた航空自衛隊のバルカン砲とは違う普通の機関銃の発射音が響いていた。タンゴは空対艦ミサイルを搭載していたためロシア軍の空対空ミサイルに対抗できなかったが、こちらは空対空ミサイルを搭載しているので地上への攻撃は機関砲になる。ロシア軍の戦闘機の機関砲は西側の6本の銃身が回転しながら1分間に6000発の銃弾を発射するバルカン砲方式ではなく水冷式銃身1本の30ミリ機関砲なのだ。そのため発射音も陸上自衛官には聞き慣れているような気がする。
ババババ・・・ズーン、ズーン。無線の連絡が途絶えると外からは銃声と凄まじい爆発音が聞こえてきた。第3地対艦ミサイル連隊は陸上自衛隊なので航空自衛隊の高射群のようにミサイルに偽装網のバラキューダをかけるだけで本体を露出させておくような安易なことはせず、展開時には大型車体を埋設する壕を掘って念入りに偽装を施している。それでもミサイルが被弾して爆発すれば炸薬量は地対空ミサイルのPAC3の比ではないだけに無事では済まない。展開地全体に被害が及ばなかったのは車体を埋設して誘爆を防いだおかげだった。
「発射可能な中隊はあるか」「3中隊は予備ミサイル・装填機がやられただけで残り5発は発射できます」「そうか、速やかに機材を点検して報告しろ」運用訓練幹部の指示に3科長はうなずいたが、隣りで報告を受けている陸曹が声をかけてきた。
「2中隊は射撃統制装置が被弾して中隊長以下が戦死した模様です。4中隊はミサイル発射機が被弾して5発全弾が爆発、1中隊は連絡がつきません。おそらく・・・」「14機が何度も機銃掃射を繰り返した割には被害が少なかったな。これも陣地構築と偽装を念入りに実施した成果だ」陸曹の沈痛な顔を見ながら3科長は強がりにも聞える評価を下した。
「発射した1発はやはり同様に誤誘導されました」「そうなるとウチのミサイルのレーダー波の周波数がロシアに漏れた経緯を究明しなければならないな。ロシアが知っているなら中国も知っているはずだ」「12式は妨害対策を強化していますからこの程度では支障なく命中するんじゃあないですか」運用訓練幹部の報告に3科長は問題の本質を口にしたが返事は意外にお気楽だった。88式地対艦ミサイルと12式地対艦ミサイルはミサイル本体に大差はないが電子装置は大幅に改良されている。3科長は富士学校特科教導隊に納品した製造メーカーの説明を聞いたが今回のような妨害を識別して目標を見失わない対策には絶大な自信を持っていた。
「まてよ・・・民政党政権の時に『12式は88式のようにロシアの脅威にならないのか』と言って内局の官僚に秘密資料を提出させたと聞いたことがあるぞ。ついでに比較するためと88式の資料も持ってこさせれば北方と西方の地対艦ミサイルの秘密情報が手に入る」「空自のレーダーの情報も中国に漏れて弱点を確認する飛行を繰り返していると聞いたことがあります。あり得ますね」妙な話題で盛り上がってところに3中隊から報告が入った。
「3中隊、機材点検完了、発射可能・・・人員は予備ミサイル・装填機に乗っていた2名が戦死しました」「3中隊発射準備」定型通り「人員機材異常なし」と報告できなかった中隊長の声もやはり沈痛だった。運用訓練幹部はそれを励ますように発射を指示した。
「準備よし」「秒読み開始、5、4、3、2、1、撃て」やはりこの1発も誤誘導された。それでも我が方の抵抗力が残存していることをロシア艦隊に知らしめることはできた。
- 2023/03/25(土) 13:08:31|
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「航空のFー2が全滅したようだな」「ロシアの戦闘機の空対空ミサイルの一斉射撃に殺られたそうです」航空自衛隊北部航空方面隊から知床半島に展開している改良ホークの第4高射特科群に国後島からのヘリコプターの地上部隊の空輸の迎撃とオホーツク海を南下するロシア艦隊の地対艦ミサイルによる阻止を要請された陸上自衛隊北部方面隊指揮所は上富良野駐屯地から北海道の北東の遠軽演習場に展開している第1特科団第3地対艦ミサイル連隊に88式地対艦ミサイルの発射命令を発令した。その時、第3地対艦ミサイル連隊も捜索・標定レーダー装置=JTPSーP15で独自に事態を把握して発射準備に着手していた。
「射程距離までどのくらいかかる」「最大で200キロですから大型フェリーの20ノットでは小一時間かかります」連隊長から発射統制を命じられた3科長が連隊指揮所でもある指揮統制装置=JTSQーW4で画像を注視している運用訓練幹部に声を掛けた。この88式地対艦ミサイルの200キロと言う射程距離は稚内から樺太の43キロ、知床から国後島の48・7キロをはるかに超えているためマスコミと野党から「攻撃用兵器だ」と批判された。それにしても沖縄や奄美のような群島や根室の北方領土ように離島があれば距離を具体化するのは容易だが、外海が広がるオホーツク海では地図上で示す以外に説明のしようがない。おまけに目標の航行速度の20ノットは時速37・04キロ、地図上の領海の12海里は22・224キロ、EEZ(排他的経済水域)の200海里は370・4キロと海上や航空と違ってメートル法しか馴染みがない陸上自衛隊には理解し難い。
「航空は救難隊が捜索を開始するようです。ロシア軍に制空権を奪われているのに命知らずなことです」「生き残ったパイロットを見殺しにはできないんだ。ロシア軍に救助されれば捕虜になってしまう。だから救う方も命を賭けて敵地に乗り込むんだ」捜索・標定レーダー装置=JTPSーP15からの連絡を受けて3科長と運用訓練幹部は複雑な感情を交えた口調で会話した。第3航空団のタンゴの編隊が撃墜された海域は千歳基地に続いて三沢基地の迎撃機の半数を失った現在ではロシア軍の制空権下にある。航空救難隊のパイロットは高々度での空中戦を専らにする戦闘機パイロットとは異なり、機体が海面の波飛沫を受け、山の稜線に沿って超低高度で飛ぶ超人的な飛行技量の持ち主だ。救難員=メディックは苛酷な陸上自衛隊の空挺とレンジャー、海上自衛隊の潜水を修了している精鋭中の精鋭だが、警察・消防・海上保安庁・山岳救助隊のような人命救助だけではなく、戦場に降下したパイロットを救助するため敵と交戦しながらの捜索・救命処置、搬送、離脱などの戦闘救難訓練も実施している。本当に命知らずなのだ。一方、陸戦法や海戦法では軍による負傷者収容処置は会戦終了後と規定されているが、救助活動中の軍用機を意図的に攻撃することは厳格に禁止されている。しかし、空戦には人道主義の制限を加える国際法そのものがない。今回は戦闘中の救助活動なのでロシア軍が救難機を撃墜しても戦争犯罪に問われることはないが、日本とロシアは公式に交戦状態を宣言していないので平時の国際法令で処罰することは可能だ。
「発射位置が探知されると戦闘機に空襲される恐れがある。時間があるならINS(慣性航法装置)のプログラミングは念入りにしろよ」「はい、一度、地上を大きく迂回して海上に出るようにプログラムさせました」88式地対艦ミサイルは航空自衛隊がFー1に搭載していた80式空対艦ミサイル=ASMー1を改良したミサイルで、地上では事前にプログラミングした経路を飛行し、海上に出ると本体のレーダーで探知しながら目標に向かい、最終段階では目標艦艇の迎撃を避けるために急上昇して高速度・急角度で落下する。したがってプログラミングの仕方次第では超低高度を谷に沿って飛行して敵のレーダー波を回避することも可能だ。
「よし、射程距離に入った。射撃開始」「第1中隊、初弾を発射せよ」「続いて5秒後に第2中隊、2弾目を発射せよ」「同じく5秒後に第3中隊、3段目を発射せよ」「その5秒後に第4中隊、4段目を発射せよ」「初弾発射5秒前、4、3、2、1、撃て」運用訓練幹部は3科長の指示を受けて各中隊に発射命令を伝達した。すると指揮所の外でシューと言うガスが噴出する音が聞こえ、続いてボーンと言う爆発音が空気を震わせ、それをそのまま引き摺るのように飛び去る音が聞えてきてそれが4回続いた。ただし、88式地対艦ミサイルの飛翔速度は時速1150キロなのでマッハには届かず音速突破の衝撃波は聞えない。
「第1弾、目標艦をレーダーが捕捉・・・何だ」「第2弾も同じく・・・ゲッ」「どうして・・・」順調に地上を迂回して海上に出た4発のミサイルはレーダーを始動して目標の大型フェリーを捕捉したはずだったが、各中隊の射撃統制装置は驚くべき事態を報告してきた。
「一緒にいる漁船が同じ周波数のレーダー波を放射してミサイルを誤誘導しています」「馬鹿な・・・何でこちらの周波数を知っているんだ」3科長と運用訓練幹部は凍りついて絶句した。
- 2023/03/24(金) 16:15:49|
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2009年の明日3月24日に我が一般曹侯補学生の最終第32期生の課程が修了しました。バブル期の募集難で入隊資格年限を引き上げたため崩壊後は一般(部外)幹部候補生に落ちた大卒者が急増して存在意義が失われたことも廃止の理由の1つのようです。
野僧は春日基地の西部航空警戒管制団司令部の人事部訓練班で勤務していた頃、頻繁に隣接する福岡駐屯地の陸上自衛隊第4師団司令部に通いましたが、すると「陸上幕僚監部で一般曹侯補学生の設立に関わった」と言う人物が色々な裏話を教えてくれました。
昭和50(1975)年に一般曹侯補学生課程が始まった当時は池田隼人政権の「所得倍増計画」による高度経済成長が第4次中東戦争を発端とする第1次オイルショックで停滞したものの自衛隊の募集難は一向に改善せず、地方連絡部(現在の地方協力本部)の広報官は街角で「兄ちゃん、良い身体しているね。自衛隊に入らない」と人買いのような声かけを繰り返していました。この慢性的募集難が今後も続くことを危惧した内局と陸海空幕僚監部は抜本的改善を図るため真剣な研究を始めたのです。
そこで問題になったのが自衛官の社会的評価が警察官や消防員、海上保安官に比べて格段に低いことで、その原因は「憲法違反」「税金泥棒」やベトナム反戦運動と言った批判的世論だけでなく「中卒で可」の入隊資格がほぼ全員が高校に進学する状態になっている中で低能な人間の集団であるかのような印象を与えていることに気づきました。陸海空曹のエリート教育のはずの自衛隊生徒にしても戦前の陸軍幼年学校を知る者が少数になっていたため中卒で就職して夜間高校に通っている勤労生徒と何も変わりませんでした。
さらに大量に募集する陸上自衛隊の新隊員の知的水準はかなり低く、3曹昇任試験の受験勉強ではそれほど向上せず、公務員として同格とされる警察の巡査長や消防副士長、2等海上保安士と比較するとかなり見劣りしていました。
そこで新隊員とは別枠に高校を卒業した者を募集・採用する課程として創設されたのが一般曹候補生学生です。そして都道府県の警察や消防と一緒に合格してもそれらを蹴って入隊するだけの魅力を与えるために2年間で3曹に昇任させることになりましたが、航空自衛隊では「仕事ができない3曹」は苛めの対象になり、「曹侯出身者を退職させれば新隊員の昇任枠が広がる」と言うデマが広まっていたため執拗な苛めが繰り広げられました。那覇基地の補給隊では曹侯学生が古参士長たちに「絶対に声を出すな」と言われて段ボール箱に押し込まれ、「入間行き」と言うラベルを貼られたため本当に輸送機に乗せられて、夕方になって「行方不明だ」と騒ぎになっているところに入間基地から「オタクの隊員がダンボールの中で泣いている」と連絡が入ったことがありました。おまけに野僧の頃は先輩たちが「曹侯の恥になるな」と苛め以上の厳しさで指導し、鍛えてくれました。
それでも野僧の同期には新機種・機材の導入でアメリカに留学した者が多く、ペトリオットの留学で史上最高の成績を取得して勲章を授与された逸材もいます。さらに救難隊のメディック=救難員、輸送機のロードマスター=空中輸送員などもかなりいて退職しなかった強兵(つわもの)の3分の1以上は部内選抜の幹部候補生で任官しました。
- 2023/03/23(木) 14:32:42|
- 自衛隊史
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「空自北空司令官の山藤です。ご無沙汰しています」「佐藤だ。本当に久しぶりだな。千歳が閉鎖になったと言う速報が入った後、ウチのPー3を三沢のFー2と交代させると言う連絡も入って状況が見えなくなっているよ」北部航空方面隊司令官にとって自衛艦隊司令官は防衛大学校の部活動の先輩の旧知の仲で、それだけに会話も単刀直入だった。
「千歳のFー15にエスコートさせようと思ったところにコリアンの旅客機の爆発で滑走路閉鎖になったので三沢のFー2を発進させました。するとパイロットから対艦攻撃の武装をしているんだからこのまま攻撃させろと意見具申がありまして、それを採用したんです」「それは拙くないか」自衛艦隊司令官の口調が部活動で技を指導している時のように厳しくなった。
「Fー2が対艦攻撃の武装をしているのならロシア軍の戦闘機に対処できないだろう。ASMー3じゃあミグ35やスホーイ35を落とせないぞ」「それはそうですがCAPしているFー15は4機だけなのでこれは国後からのヘリに対処させなければなりません」戦術判断の理由を説明しながら北部航空方面隊司令官はどちらが空将なのか判らなくなってきた。航空自衛隊の空中戦の訓練では操縦技量と体力や耐久力の限界を追及するように苛酷な旋回を繰り返しながら相手を捕捉してバルカン砲のトリガーを引く修練を繰り返している。これは陸上自衛隊が射撃よりも銃剣道を重要視する帝国陸軍の悪しき伝統から脱却できないのと共通しているが、その点、海上自衛隊は万事をアメリカ海軍式に改めているので空母艦載機の運用を通じて空中戦は空対空ミサイルの発射可能な位置を占めることから始まると認識しているようだ。
「相手は速度が遅い大型フェリーだ。Pー3を上空待機させて武装変換させたFー2を発進させても間に合うはずだ。根室のヘリについては陸の高射特科もいるのだから4機のFー15を付けてもらう手もある。手遅れになる前に指示するべきだろう」「はい、ご助言有り難うございました」自衛艦隊司令官の指導を助言と言い替えながら北部航空方面隊司令官がスクリーンの映像を見ると北海道上空で編隊を組んだFー2はオホーツク海に入ってロシア軍の戦闘機と交戦を開始する直前だった。階下の防空指令所からはガラス越しに兵器指令官たちが担当するパイロットにロシア軍の戦闘機の位置と距離を伝えている声が聞こえてくる。
「ロシアン・ターゲット(ロシア軍機目標)、AAM(空対空ミサイル)発射」「同じく」「同じく」「回避しろ」「逃げろ」「ベイル・アウト(緊急脱出)だ」次の瞬間、悲鳴のような報告が聞えてきた。自衛艦隊司令官が危惧したようにロシア軍は先ず空対空ミサイルを一斉発射してきたのだ。ロシア軍の空対空ミサイルの射程はR―60で8キロ、Rー73なら20キロから30キロと言われているので航空自衛隊が04式と呼んでいる最新型サイドワインダー・AAM9Xなら十分対抗できる。しかし、空対艦ミサイルのASMー3ではどうしようもない。
「タンゴ001、シンボル・ロスト(航跡喪失)」「タンゴ008もロスト」「タンゴ012もロスト」声で報告するまでもなく映像からFー2の航跡は消えていた。これでは昭和19年6月19日と20日のマリアナ沖海戦で日本海軍の艦載機を手当たり次第に撃墜した大戦果をアメリカ海軍が誇示した「マリアナの七面鳥撃ち」ならぬ「オホーツクの黒猫皆殺し(3空団の尾翼マークは黒豹)」だ。東シナ海で海上自衛隊がマレー沖海戦を再現したのとは逆の敗戦に北部航空方面隊指揮所は沈痛な空気が充満したが、それ以上に防空指令所ではAAMの発射を受けて急旋回や急降下によって必死に回避しようとするパイロットたちの唸り声と絶叫を聞いていた兵器指令官たちの悲嘆が深く機能停止しそうだ。そんな中で日頃から失意泰然・得意淡然を心がけている司令官だけは平静を保っていた。
「3高群に発射準備を指示しろ」「PAC2で何を」「ロシア軍機が射程距離内に入れば撃墜させろ。陸にもSSM(地対艦ミサイル)の発射準備を連絡しろ」「はい」北部航空方面隊司令官は茫然自失している幕僚たちに矢継ぎ早に指示を与え始めた。陸上自衛隊の第1特科団は88式地対艦誘導弾を装備していてオホーツク海方面からの侵攻に対処できる場所に展開している。惜しむらくは陸上自衛隊が北方重視と言うよりも偏重を転換して最新式の12式地対艦誘導弾を九州と沖縄に配備していることだ。
「ベイル・アウトしたのは何人だ」「現在確認できているのは5名、引き続き確認しています」「千歳救難隊からヘリなら発進可能なので救助に向かいたいと言ってきています」「CAP中のFー15をエスコートさせて捜索に当たらせろ」日露戦争で満洲軍総司令官の大山巌元帥は作戦指導は全て児玉源太郎総参謀長に任せて茫洋とした態度で過ごしていたが、児玉大将が同郷の乃木希典の窮地を救うために旅順に赴くと別人のように厳正な指揮を執り、周囲は日頃の態度が演技であることを思い知ったと言う。北部航空方面隊司令官はWAFたちが憧れるイケメンで温和な紳士だが、それも演技なのかも知れない。
- 2023/03/23(木) 14:30:59|
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「ロシア軍は戦闘機を多数、発進させています。エスコートは4機では足りません」「フォックスは全機スクランブル、ベア(2空団のコールサイン=仮称)もスクランブル・スタンバイ」八戸基地を発進したPー3Cがオホーツク海に入るとロシア軍は樺太の空軍基地から次々に戦闘機を発進させてきた。宗谷海峡と津軽半島が自衛隊によって封鎖されているためウラジオストックの太平洋艦隊の艦艇をオホーツク海に回航することができず制空権を確保することで地上部隊を乗船させた大型フェリーの安全を確保するつもりらしい。
「千歳ATC(管制隊)から通報、ランディング(滑走中)の民航機が爆発して滑走路が2本とも使用不能になりました」「何だって」そこに届いた防空指令所の報告に北部航空方面隊指揮所は凍りついた。兵器管制幹部の運用幕僚は全機スクランブルを発令した時に民間航空機が1機着陸態勢に入っていることは確認していたがこのような事態までは想定していなかった。
「コリアンだったのか・・・」兵器管制幹部の運用幕僚が指揮所のレーダー・コンソールで民航機のデーターを確認すると韓国からの直行便だった。石田首相は国民の支持率が3分の1であっても日韓の友好関係の修復を明言している現政権に期待して外交関係を維持しているが、大多数の国民は前政権が推し進めた反日外交を支持していて軍の独断専行による武力行使も過激な抗議運動によって当事者の軍事法廷が開けない状況なのだ。それでも日本では新型コロナ・ウィルス感染症に渡航制限が解除されてからは韓国旅行が大人気で、中国の指示を受けた反日活動家が日本の旅行社の団体ツアーで貸し切りの千歳便に爆弾を仕掛けて基地機能の停止を図っても不思議はない。奴等にとっては一石二鳥=一挙両得なのだ。
「三沢、タンゴ、全機スクランブル、ヘッドは武装変換してスクランブル・スタンバイ」この事態に北部航空方面隊司令官から権限を委任されているの防衛部長が善後策を命じた。防衛部長は防衛大学校出身の戦闘機パイロットで戦闘航空団の飛行隊長から着任した。
「しかし、タンゴはASM(空対艦ミサイル)を搭載しています。エスコート・ファイター(護衛戦闘機)には無理があります」「ミサイルが邪魔ならオホーツク海で投棄させろ。AAM(空対空ミサイル)なしでもエスコートなしよりはましだ」すると防衛大学校の後輩になる戦闘機パイロットの運用幕僚が口を挟んだ。こちらはまだ操縦桿の感触が掌に残っているらしく機体重量が増大している戦闘機では空中戦が不利になることを心配している。
ミッドウェイ海戦では多くの哨戒機で捜索しながらアメリカ艦隊が発見できなかったため南雲艦隊はミッドウェイ島の航空基地を爆撃することを決定し、艦上爆撃機に陸用爆弾を搭載して発進準備を進めていた。すると想定外の位置で「アメリカ空母艦隊発見」の通報が入り、草鹿龍之介参謀長は艦船用爆弾への武装転換後の出撃を意見具申した。その作業中に日本側の護衛戦闘機に撃破された編隊からはぐれたアメリカ軍機の爆撃を受けて壊滅的大損害を出した。草鹿参謀長は一刀流の家元でもある武道家のため「攻撃は万全の一太刀で死命を決する」が持論で山口多聞第2艦隊司令官のように「陸用爆弾では致命傷は与えられないが飛行甲板に穴を開ければ着艦不能になる」と言う戦機に即応する発想は浮かばなかったのだ。この戦訓から海上自衛隊では「海軍士官に武道の一本勝負は有害」と課程教育から武道を一掃したが、航空自衛隊では継続しているのでまだ悪しき影響が顔を出すことがある。
「タンゴ001、ホット・スクランブル、ベクター010(飛行方位10度)、クライム・エンジェル010(上昇高度10000フィート=3048メートル)・・・エスコート・スピアー023(矛・海上自衛隊第2航空群のコールサイン=仮称)」「ラージャ、どうせなら俺たちがロシア艦隊を殺った方が手っ取り早くないか」「確かに・・・」スクランブルで三沢基地を発進したFー2のパイロットが意外なことを言ってきた。確かにオホーツク海のロシア艦隊は海上自衛隊のPー3Cで対処してFー2は日本海を新潟に向かって航行してくる主力艦隊を迎撃するためにASMー3を搭載している。それが千歳基地の滑走路閉鎖と言う不測事態を受けて代替えの護衛戦闘機にFー2を当てたのだが、対艦攻撃の準備を整えているのならこれを使えば護衛戦闘機は不要になる。先ほど運用幕僚は余計な意見を述べて反省したが、今度は防衛部長が自分の短慮を後悔することになった。
「タンゴ、エスコート・ミッション・キャンセル。コレクト(訂正する)・ミッション、アタック・ロシアン・フリート(ロシア艦隊を攻撃せよ)」「ラージャ」発進し終わったFー2の編隊に指令を与えて防衛部長は戦々恐々しながら司令官を振り返ったが苦笑してこちらを見ていた。むしろ隣りの席の幕僚長の方が怒っていた。
「自衛艦隊司令官には私から連絡しよう」「はい、お願いします」司令官の言葉を受けて副官がコンソールのダイヤルで自衛艦隊司令部の司令官につないでヘッド・セットを手渡した。
- 2023/03/22(水) 14:45:35|
- 夜の連続小説9
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明治41(1908)年の明日3月22日に現在では完全に死語になっていますが野僧が子供の頃には覗きや痴漢、つき纏いから強制性交などの変態嗜好の男を罵る俗語だった「出歯亀」の由来になった犯人による強▲殺人事件が発生しました。
事件は現在の東京都荒川区大久保の銭湯・森山湯の近くの空き地で電電公社(当時)の電話交換局長の妻が性的暴行を受けた上で殺害され、口に手拭を詰められた遺骸が発見されたもので、警察は女湯覗きの常習犯だった近所に住む植木職人の池田亀太郎▲(「さん」欠く)を3月31日に逮捕しました。
すると新聞はこの事件そのものよりも犯人の「出歯亀」と言う呼び名=仇名に着目して事件の代名詞として使い始めましたが、現存する手配写真でも厚い唇では覆いきれないような出っ歯が特徴的で「容姿と名前に由来する」と言われれば納得できます。その一方で逮捕後に新聞記者が近所の住人に仇名の由来を調査したところでは「やたらに人の話に口を挟む出しゃばりの亀太郎」の性格説や「興奮するとやたらに出刃包丁を持ち出す亀太郎」の素行説もあったようです。結局、植木職人と言う堅気の仕事は持っていても変態的行動は目に余っていたようで警察が1週間余りの捜査で逮捕に踏み切ったのは地域住民の証言が多数集まっていたからでしょう。
逮捕後は素直に取り調べに応じて犯行を認めていましたが、裁判に入ると証言を一転させて「自白は強要されたものだ」と無罪を主張しました。しかし、判決は無期徒刑=現在の無期懲役で控訴したものの有罪は覆らず結局13年間服役しました。ところが出所後は事件の顛末を講演して回って収入を得たようです。それにしても日本初の映画館の開業は明治36(1903)年10月1日なので池田亀太郎▲が出所した頃には庶民の娯楽はかなり発展していたはずですが、金を出してまで10数年前の強姦殺人事件の顛末を聴く好奇心は全く理解できません。むしろこちらの方が変質的=偏執的ではないでしょうか。
変態事件の代名詞になった「出歯亀」はその後の類似した事件に用いられることで意味が多様化して収拾がつかなくなっていきました。初期は好色な男性を意味していましたが、やがて幅広く色情狂的な覗きや痴漢、追跡などから池田亀太郎▲の事件の強制性交、強姦殺人を意味するようになり、それが変態的行為を強調するようになって遂には強姦殺人そのものを指す単語に変質したのです。
さらに文豪・森鴎外さんは人間の在りのままを描く自然主義文学が真実暴露と称して性的描写を多用することを揶揄して「出歯亀主義」なる造語を用いました。すると「出歯亀主義」は社会道徳の破壊を批判する言葉に発展して共産主義者や無政府主義者にも使われるようになりました。また変態的行為や性的暴行を意味する「出歯る」と言う動詞が流行するとそれが怪しい挙動を表すように拡大されて日常生活の中で「出歯ってるぞ」などと注意する言葉になって昭和の間は残っていたのです。
「出歯亀」的行為は現代でもストーカーや盗撮趣味、痴漢に強制性交として続いていますが単語が消えてしまったのは何故でしょう。
- 2023/03/21(火) 14:38:02|
- 日記(暦)
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「トップ(稚内のコールサイン=仮称)とエクストラ(番外地・網走=仮称)、コック(根室=仮称)に地対地ミサイルが着弾。損害、確認中」海上自衛隊の潜水艦・どんりゅうが東シナ海で中国の舟山軍港を出航した輸送艦隊を撃沈する直前、三沢の北部航空警戒管制団でも北海道のレーダー・サイトに対するロシア軍の地対地ミサイルによる攻撃を探知していた。
「移警(移動警戒隊)を陸の演習場に移動させておいて正解でしたね」「陸としては演習場に陣地を構築しているから見つかって標的にされれば迷惑だろうがな」階上の北部航空方面隊指揮所でスクリーンの映像を見ている司令官と幕僚長は安堵の表情を浮かべて話し合った。ロシア軍が参戦して冒頭に稚内と根室のレーダー・サイトが樺太と国後島から発射された地対地ミサイルによって破壊されたため千歳基地の第1移動警戒隊を稚内、入間基地の第2移動警戒隊を根室に展開させた。本来は三沢基地の早期警戒機・Eー2Dに担当させるべきだが尖閣諸島空域は海抜が低い沖縄諸島の地上レーダーでは探知能力が不十分なので主力はこちらに派遣している。移動警戒隊も平時には地上レーダーの修理中の代替え用として各航空方面隊に1個隊しか保有していないので(常駐している高知県の土佐清水や沖縄県の与那国島は別)破壊されれば後がない。そのため秘かに移動警戒隊を陸上自衛隊の演習場内に移動させたのだ。
「エクストラはレドーム(レーダーのドーム)全壊、復旧時期未定。ただし、弾道を探知した時点で退避したので人的被害はありませんでした」「そうか、無駄死にする必要はない。それで良い」階下の防空指令所からの報告を受けて司令官はユックリ深くうなずいた。航空自衛隊では昭和44年2月8日に小松基地のFー104J栄光が金沢市内に墜落してパイロットは無事に脱出したが巻き込まれた市民4人が犠牲になり、昭和46年7月30日の雫石上空で訓練飛行中の松島基地のFー86F旭光が全日空のボーイング727に追突された事故でもパイロットが生き残って乗員と乗客162名が死亡したことで国民の糾弾を受け、操縦不能になった機体からの緊急脱出を「臆病」と否定して殊更に死を恐れぬ蛮勇を誇示するところがある。それが警戒管制員にも波及していて対馬の海栗島に始まり、稚内と根室でもレーダーでミサイルを探知しても退避することなく位置を報告しながら爆死した。
「こうなるとロシアが上陸してくるな。CAP(戦術空中哨戒)中のフォックス(2空団のコールサイン=仮称)を根室空域に指向して輸送ヘリを迎撃させろ」「ラージャ、知床の陸に通知します」「そうだな。友軍相撃は拙い」北部航空方面隊司令部の防衛部長が指示を与えると運用幕僚が補足した。陸上自衛隊の第1高射特科群は根室半島に展開していた航空自衛隊の第6高射群が日本人工作員に全滅させられると恵庭駐屯地の1個中隊を知床半島に派遣した。しかし、改良ホークの射程距離では国後島は限界に近く、前回の輸送ヘリコプターによる攻撃でもロシア軍の早々の諦めに救われた面があった。今回はその戦訓を踏まえて輸送ヘリコプターで地上部隊を空輸する前に攻撃機によって高射特科部隊を攻撃するはずだ。それを阻止するには襟裳岬を基点にして空中哨戒しているFー15を指向するのが常道だ。
「自衛艦隊からオホーツク海の艦隊は八戸のPー3Cで対処すると言ってきました」「三沢のタンゴとヘッド(3空団のコールサイン=仮称)は日本海のロシア軍の主力に使えと言うことだな。タンゴ、ヘッド、対艦攻撃スタンバイ。フォックスを4機、海自をエスコート(護衛)させろ」続いて自衛艦隊司令部から直通連絡が入った。海上自衛隊が誇るPー1対潜哨戒機はアメリカ海軍が三沢基地にPー8ポセイドンを配備しているため厚木基地と鹿屋基地を優先していて那覇航空基地も受領したばかりだ。自衛艦隊にとって最大の脅威はウラジオストックから出撃してくるロシアの主力艦隊で、これには護衛戦闘機も随伴するはずなので先ず航空自衛隊のFー35を小松基地に展開させた穴埋めに百里基地と築城基地から三沢基地に里帰りしているF-2が先制攻撃を加え、続いて厚木基地のPー1が在庫を処分する戦術のようだ。
「それにしても海自も艦艇と航空機の2本柱だから予算配分が大変だよな」「ウチのPAC3とは予算規模が桁違いです」八戸基地の対潜哨戒機が旧式のPー3Cなのに気づいて北部航空方面隊司令部の幕僚たちは同情したように語り合った。冷戦構造崩壊後に中国はロシアから不要になったソビエト連邦軍の兵器を買い叩いて大量に購入して北朝鮮にも分け与えたが、悪夢の政権交代直前だった日本では韓国や台湾が中国の軍事的脅威の増大に対応して国防費を増額しているのを無視してマスコミが断定する「冷戦終結による軍縮が世界的気運」と言う虚偽報道に世論が誘導されてそれでなくても必要最小限だった自衛隊を大幅に縮小してしまった。それに対して石田政権は2022年のロシアのウクライナ侵攻で国民に危機意識が芽生えたのを好機として防衛予算の大幅増額を打ち出したが、本来は最優先するべき武器の定数増と弾薬や部品、燃料の備蓄量の増大ではなく隊舎の増設による個室化や給与・手当の増額による処遇改善=魅力化に浪費して真の意味での防衛力の強化にはならなかった。
- 2023/03/21(火) 14:36:30|
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「日本海軍の潜水艦が大型フェリーを撃沈」潜水艦・どんりゅうが中国軍上陸部隊の人員と装備を満載した大型フェリー4隻を撃沈したニュースは日本国内では通信衛星の破壊によって情報が届かずマスコミが報道することはなかったが、中国政府の発表によって世界を駆け巡った。
「日本海軍によって撃沈されたフェリーは我が国在住の日本人の希望者を送還するために運行していました」日本政府が通信衛星の破壊による情報通信網の遮断への対応に追われていることを見越して中国政府は一方的な虚構を流布し始めた。この記者会見には日本人の記者も参加を認められているが、それは日本の編集部へは連絡不能であり、日本人を参加させていることがこの会見の信頼性の確保するのに有効と言う中国的な計算が働いている。
「これが撃沈された大型フェリーの1つ、孔子号です。本来は上海と日本国内を結ぶ航路で運航していました。舷側に魚雷を受けて爆発したため急激な浸水で横転しました」「これって世越(セウォル)号の写真じゃあないのか」「うん、あのブリッジの形には見覚えがある」広報官がスクリーンに表示した画像を見てアジア人の記者たちは小声でささやき合った。2014年4月16日に発生した韓国の世越号沈没事故はアジア圏では大きく取り上げられたのでマスコミ関係者であればまだ鮮明に記憶している。やはり中国が自国民の大量虐殺と言う日本の凶悪事を周知・喧伝したいのはロシアの参戦によってウクライナ侵攻まで遡って共犯とする批判世論が高まっているヨーロッパのマスコミらしい。所詮、アジアは中華帝国の属領なのだ。
「日本政府には在中国の日本人を送還することは事前に通知していたのですか」「勿論、到着予定時間と運行航路を含めて具体的に通知しています」ヨーロッパ人の記者の英語の質問に若い男性広報官は流暢な英語で嘘を並び立てた。昔から「中国人は息をするように嘘をつく」と言われるが正にその通りだ。全く乱れがない。
「それで日本政府の回答は」「日本政府は我が国在住の日本人はスパイや工作員にされている危険性があるからと受け入れを拒否しました」この虚構で海上自衛隊の潜水艦が大型フェリーを撃沈した理由への伏線が引かれた。
「つまり日本政府は在中国の日本人も国家防衛法や国家情報法によって破壊工作やスパイ活動を始めるに違いないから入国を拒否したい。ところが強制送還されたから入国させる前に撃沈したと言うんですね」「私はそのようなことは言っていません。貴方の推測です。第一、我が国も日本と同様に二重国籍は認められていませんから正式に帰化していない限りは国家防衛法や国家情報法などの愛国義務は適用されません・・・それでも状況を見るとその可能性は否定できませんね。日本軍はロシア軍が合法的な武力行使であることを確認させるために日本人を爆撃機に同乗させているのを知りながら撃墜しました。今回は日本軍による武力弾圧で鎮まった在日外国人の反戦運動が再燃することを危惧してその前に海に沈めた。在り得る話です」広報官の英語の虚構答弁はますます流暢になってきた。この調子ではヨーロッパでの批判世論が反転して日本に向かって来かねない。これではオーストラリアのアポリジニの武器・ブーメランのようだ。ブーメランを日本で広めた昭和42年放送開始の特撮ドラマ「怪獣王子」には自衛隊式階級の国防隊レンジャー遊撃隊が活躍していた。
「大型フェリーに乗船していたと言う在中国日本人の名簿を公開してもらえませんか。日本国内で家族や親族、友人知人を探して取材したいんです」ここで日本人の記者が要望を口にした。この記者としては多くの国民を殺害した海上自衛隊の残虐行為を際立たせて国民の支持を破砕することが目的だったのだが広報官は顔を硬直させて黙り込んだ。
「名簿は個人情報に属するので公開できません」「それは変でしょう。どちらにしても日本大使館には通知するんですよね。それでは大使館で確認しますから結構です」「現時点では大使館には通知しません。現在、日本は通信不能の状態に陥っているようです。したがって通信が回復してから正式に通知します」日頃は冷静な広報官が思いがけず馬脚を現してヨーロッパの記者たちは唇を歪めた笑顔を見合わせた。若い頃から官公庁や企業の記者クラブで勤務して編集部の遠隔誘導を受けながら発表内容を正確に送ることだけを習練してきた日本人の記者と違ってヨーロッパやアメリカの記者たちは真実を独自に探求する取材力を鍛えられている。ここでも一部の記者は自国の船会社の人脈から舟山軍港に4隻の遠洋航路の大型フェリーが集められたと聞き、交通渋滞の案内で陸軍部隊の車列が舟山軍港に向かって移動していると察知していた。だから海上自衛隊の潜水艦が撃沈したのは日本に上陸させる陸軍部隊を満載した輸送艦代わりの大型フェリーであることくらいは察しがついていた。今の関心事は「何人が犠牲になったのか」だが、下手に触れれば第2次世界大戦中の日本の大本営発表並みとは言え数少ない公式発表の機会さえも失いかねない。舟山軍港で確認すれば済む話だ。
- 2023/03/20(月) 15:32:19|
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海上自衛隊は中国海軍の軍港の沖に潜水艦を配置して監視に当たらせている。海上自衛隊でも潜水艦の行動は最高度の防衛秘密であり、細部は一切明らかにしないがこの潜水艦はそうりゅう級のどんりゅうだ。そうりゅう級は通常型では世界最大の2950トン、性能は中国が使っているソビエト連邦製の攻撃型原子力潜水艦を凌駕している。
「中国軍機が低空で接近、機種は小型ジェット機、攻撃機らし」「Yー8じゃあないのか。警戒が厳重になったな。いよいよ出撃だぞ」レーダー員の報告に艦長は副長を振り返って声をかけた。Yー8は中国軍の対潜哨戒機だがソビエト連邦軍が1957年に導入したアントノフ12輸送機に電子装置を搭載しただけの粗雑品なので性能はアメリカ海軍のPー8や海上自衛隊のPー1とは比べ物にならない。一方、航空自衛隊で言えば三菱の粗悪品・Fー1に相当する戦闘攻撃機は中国製のJHー7になるが、海軍も対艦攻撃用に保有しているらしい。
「低空では艦影を発見される危険があります。JHー7にはソナーがありませんから急速潜行しても大丈夫です」「下手に動けばかえって危ない。そのまま」「そのまま、ヨーソロ」副長の意見に艦長は首を振って指示を与えた。現在のどんりゅうは海面にレーダー・アンテナを出しているため深度が浅く、低空からでは黒い艦影を発見される危険性がある。しかし、艦長は海面が太陽光を反射しているので急速潜行によって不自然な波を立たせることを避けた。
「攻撃機は遠ざかります」「あの様子では攻撃する気だったな」艦長の独り言に操舵室の乗員たちは身震いした。自衛艦隊は太平洋で中国海軍の潜水艦を撃沈しているので教育資料として回収した乗員の遺骸や部品の画像を目にする機会がある。潜水艦の乗員同士では「潜航中に攻撃されるのも撃沈と言うのか」と茶化しているが明日は我が身なのだ。
「自衛艦隊司令部から入電、Z(ゼット)、以上です」「そうか・・・この一戦だな」艦長は通信員が手渡したバインダーの電文用紙にサインをすると独り言を呟いた。「Z」とは言うまでもなく秋山真之作戦参謀が旗旈信号の「Z」一旗に付与し、日本海海戦で連合艦隊旗艦・三笠に掲揚した「皇国の興廃この一戦にあり」を意味している。
「上海のがんりゅうと福州のげんりゅうにも同じ電文が届いているんでしょう。我々は舟山を出撃した艦隊を攻撃しろと言うんですね」「舟山には複数の大型フェリーが入港しましたからウチの仕事になります」艦長が通信員にバインダーを返すと副長と砲雷長が意見交換した。
「それにしても中国艦隊は前回と同様に那覇の5空群が対処する予定でしたが、我々に回ってきたのには何か理由があるのでしょうか」「那覇のウェザー(天候)はノー・クラウド(無雲)に近い晴天です。風はノースなので飛行に問題はありません」副長の疑問に気象も担当している航海長が答えた。乗員を必要最小限にしなければならない潜水艦の場合、気象は海中の潮流の状況だけなので専門の担当者を置くほどではないのだ。
「陸の上のことは海の上からでも判らないことがある。海の中では尚更だ。今はこの一戦を確実に遂行するだけだ」「はい、戦う仕事も経験しないと海上自衛隊の潜水艦乗りではありません」艦長の叱責にも似た指導に副長と砲雷長は姿勢を正した。
「攻撃地点に到着しました。推定航路から21マイル(=35キロ)」「機関停止」「機関停止」「魚雷4発、速度55(ノット)、発射準備」「魚雷4発、速度55、発射準備」航海長の報告を受けて艦長は淡々と指示を与えた。日本海軍の酸素魚雷は40キロを超える長射程距離、威力、速度、航跡に泡を曳かない隠密性などで世界最高・最強の魚雷と絶賛されたが海上自衛隊の魚雷もその伝統を引き継いで多くの優れた機能を持っている。40ノットで27ノーティカル・マイル(海里=50キロ)、55ノットで21ノーティカル・マイル(39キロ)の長射程も傑出しているが、入力したエンジン音を他の艦艇や囮音、海水の温度差によって生じる乱伝播の中で識別する精度は群を抜いている。
「前方に艦隊、大型艦が4隻、周囲に中型艦が10隻、航行速度18ノット」「やはり大型フェリーだな、速度が遅い」ソナー員の報告に艦長は深くうなずいた。先日、舟山軍港に入った大型フェリーは東アジア各地と上海や香港を結ぶ航路で使われている大型フェリーで新造船は含まれていなかった。したがって最高速度は20ノット前後のはずだ。
「目標4隻のエンジン音の探知・識別完了。音響データーを魚雷に入力します」「よろしい」艦長に報告しながらソナー員と砲雷員が手分けして18式魚雷の発射準備の最終段階を実施した。その後ろで砲雷長が腕組みをして確認していた。
「発射後、直ちに退避する。急速潜行、最大戦速、準備」「急速潜行、最大戦速、準備」「入力完了」「前部発射区画の乗員退避」「退避完了」「発射5秒前、4、3、2、1、今」矢継ぎ早な命令と報告に復唱を交えながら潜水艦・どんりゅうの戦闘任務が遂行された。
- 2023/03/19(日) 15:02:46|
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ズーンッ、嫌な音を立てて燃料車が爆発した。運転手は滑走路の中央に停めた車体から伸ばしたホースを左右に振りながら航空燃料を噴射し、コンクリートが十分に濡れたのを確認してから車体に振りかけて火を点けた新聞紙を投げつけた。航空燃料JP5の発火性はガソリンと灯油の中間に位置するため気化するガスまで爆発的に炎上する程ではないが、それでも一瞬のうちに燃え広がり、地面に放置したノズルから噴き出している航空燃料で滑走路は火の海になり、間もなくタンクが裂けるように爆発・炎上した。
「消防車は何をやっているんだ」海空自衛隊のエプロンは滑走路の中央にあるためケニー山城知事と話していた南西航空方面隊司令官と第9航空団司令、第5航空群司令は一部始終を目撃していた。爆風も浴びたが距離があるので熱くは感じなかった。
「今日はノース・ウィンドウ(北風)ですから消防車はノース・エンド(北端)です」「ターミナルが混んでいてタクシング(誘導路進入)できない民間機が進路を塞いでいるようです」航空方面隊司令官の呟きに第9航空団司令と第5航空群司令が答えた。航空機は向かい風で離陸するため滑走中の事故を想定して風上の滑走路の端で待機している。しかし、今はタクシー・ウェイに空海自衛隊機が並んでいるので旅客機が出発できず、消防車が滑走路に出る経路も塞がれて駆けつけるのが遅れているようだ。航空自衛隊のエプロンの隣りにある消防隊の前には退避した警備要員と女生徒がたむろしていて想定外とは言え出動の妨げになった。
「私は知らんぞ」「私もです。POL(燃料施設)には集合場所に使う許可をもらっただけで一緒に妨害しようなんて誘っていません」将官3人の視線に怒気を超えた殺気を感じたのか知事と女性教師は聞かれてもいない弁解を始めた。この状況では女生徒の反戦平和行動に刺激を受けた運転手が自衛隊の出撃を阻止しようと勝手に暴走した可能性も否定できない。
「知事、ここは危険ですから」「うん、消火活動の邪魔になってはいかん。消防車が到着すればすぐに消火は終わるだろう」気まずい雰囲気を察したのか警護の警察官が歩み寄って声をかけた。非常事態が発生した現場に居合わせれば県知事として自分の目で状況を確認するべきなのだが追及されては拙い事情があるのかも知れない。県知事は立ち上がると「生徒を連れて帰る」と説明した女性教師と別れてマスコミ関係者を引き連れて燃料施設に向かって歩き始めた。流石の県知事も空港内に公用車を呼び入れることはできないらしい。
「嘉手納の空軍と海軍に発進してもらわないと」「しかし、安保条約が発動されていない以上、アメリカ軍が中国軍を攻撃することはできないだろう」「中国軍が沖縄本島に向かっていると通報してはいかがですか」県知事一行が立ち去り、女性教師が女生徒たちが待っているエプロンに向かって取り残された形になった将官3人は立ち話で善後策を協議し始めた。中国軍は緒戦で輸送艦4隻を撃沈されているため今回は民間の大型フェリーで侵攻してくる。それが出撃したと確認されて海上自衛隊第5航空群に発進命令が下り、護衛として航空自衛隊第9航空団が随伴することになった。とは言え大型フェリーが接岸できる石垣島や宮古島が目標であれば西部航空方面隊の戦闘機に護衛させて鹿児島県の鹿屋航空基地から第1航空群のPー1対潜哨戒を呼んでいては手遅れになりかねない。
「実は我々は今回の防御壁を2段構えにしていましてウチのPー1が発進できなくても阻止する手立ては講じているんです」「そうですか・・・流石ですな」航空自衛隊の将官2人の焦りを見て取った第5航空群司令は本来は厳重な秘匿を要する作戦を僅かに漏らした。それがどのような作戦なのかは戦端が開かれなければ判らない。海上自衛隊は太平洋上で日本の貨物船航路を狙う中国海軍の潜水艦を何隻も撃沈し、日本海に展開させているイージス護衛艦隊は日本人の人質を同乗させたツボレフ22バックファイア爆撃機10機を撃墜しているがそれも陸からは見えない遠い海の上の出来事として揉み消している。今回もアメリカ海軍第7艦隊とは情報を共有しても統合幕僚監部や陸上自衛隊、航空自衛隊に伝わるかは不明だ。
「中国の宇宙飛翔体が我が国の監視衛星に接近してきます」「同じく通信衛星にも急接近しています」「明らかに地上の誘導を受けている模様」同じ頃、山口県山陽小野田市にある航空自衛隊宇宙作戦隊の宇宙レーダーでは宇宙空間で始まった戦闘を探知していた。以前、日本の衛星回線と地上での通信情報網が遮断されて社会活動が機能停止したことがあったが、あの時は証拠を提示して追及しても一切認めなかったものの明らかに中国本土からの強力な破壊電波と日本国内のインターネットとスマートホンの関連企業で働く中国人技術者による破壊工作が原因だった。しかし、今回は宇宙空間で衛星そのものを破壊するようだ。残念ながら宇宙作戦隊には宇宙空間を監視する能力はあっても衛星を誘導して衝突を回避し、接近してくる宇宙飛翔体を破壊する手段は保有していない。日本が衛星能力を喪失するのは時間の問題だ。
- 2023/03/18(土) 15:10:03|
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1883年の3月17日に世界を破滅に向ける呪いの宗教「共産主義」「弁証法的唯物論」の大悪魔・カール・マルクスの肉体が滅びました。
野僧は高校入学時の校内見学で県下有数の蔵書数を誇り、2箇所ある図書室に感動した一方で世界哲学全集が背表紙は日に焼けていながら新品同様なことを奇異に思って貸出簿を確認すると先輩が誰も借りていない=読んでいないことが判り、「卒業するまでに全巻を読破する」と言う目標を立てました。そうして2週間に1巻のペースで読み進んでいくと2年になった頃に「共産党宣言」になり、それを読み終えて「資本論」に入ったところで社会科の教師(後に母校の広島大学の教授になった)が「解説してやるからどこまで読んだか教えろ」と声をかけてきたのでいつもの流し読みができなくなりました。
カール・マルクス大悪魔は日本では11代将軍・徳川家斉公の時代の1818年にプロイセン王国=ドイツでもフランスとの国境に近いトーリアで富裕なユダヤ人弁護士の長男として生まれました。日本に限らずマルクス主義の信仰者は「資本家の搾取から労働者を解放する手段を説いた思想だ」と説明しますが、カール・マルクス大悪魔は富裕層の息子であり、日本共産党でも野坂参三さん、宮本顕治さんから不破哲三さん、志位和夫さんまでの歴代委員長も労働の汗を経験することなく大学で学んだ富豪の出身です。
1830年に中等教育学校に進学するとフランスでナポレオン皇帝失脚後に復権していたブルボン王朝が再び打倒される7月革命が発生し、その熱気の中で浮かれながら学生生活を送りました。続いて父親の職業を継ぐためボン大学で法律学を専攻しましたが、ここでも遊び呆けたため厳格な学風のベルリン大学に転学させられました。しかし、在学中に父親が死ぬと長男の責任として母親や妹の生活を支えようとすることなく放蕩生活を続け、勝手に「哲学者になろう」と方向転換したのです。
それでも大学に採用されるために提出した論文は内容が過激な上、文章表現が劣悪なため採用されず、家族で分与した資産で生活しながら新聞に投稿する文筆家になってここで社会主義者の編集者に出会ったことで後のマルクス主義を生みだす土壌が作られました。その後は無神論者・革命扇動家として指弾を受けながら次々に論文を発表し、1844年から14カ月間のパリ滞在中に共産主義を思索し、1849年に移住したイギリス・ロンドンで「資本論」を執筆して1866年に出版したのです。
野僧は「資本論」を読み終えて「資本家には良心が微塵もなく、搾取される労働者には苦痛しかない」と言う極端な人間観に疑問を感じて教師に訊いたのですが「マルクスがそう言っているからそうなんだ」と後に山口県人に吉田松陰(敬称不要)の論理破綻を指摘した時と同じ返事でした。マルクス主義では弁証法的唯物論と言う精神性を否定した物質的=科学的な現状認識で問題に対処するため人間としての正義を標榜する西側の指導者を打破することは容易でした。それがソビエト連邦、共産党中国の存立を可能にしましたが、所詮は150年以上前の机上の論理であり、資本家の良心による社員の福祉や社会への貢献の進展によって暴力革命によるマルクス主義社会の必要性は失われました。
- 2023/03/17(金) 15:39:30|
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「キャーッ、助けて」「危険だからこっちに来なさい」「動けないさァ」動き始めたFー15が迫ってくると仰向けに寝転がっていた女生徒たちは一斉に悲鳴を上げた。この位置と姿勢ではF100エンジンの凄まじいジェット音だけでなく小刻みな振動を背中に感じ、タイヤの軋みと大量に吸入する空気が引き裂かれるような感覚が身体を覆うのだ。司令たちの合図を見て退避し始めていた警備要員が声をかけたが女生徒たちは上半身を起こしたまま硬直していた。
「早く立て」「恐い、立たせて」警備要員が駆け寄って手を差し出すと女生徒は掴んだ腕を手繰るように抱きついてきた。それを見て他の警備員たちは脇の下に手を差し入れて立ち上がらせると背中を押して「走れ」と声をかけた。女生徒たちは無事にエプロンの隅に退避した。
「知事も腰が抜けて動けませんか」通り過ぎてゆくパイロットたちがキャノピー(=風防ガラス)越しに敬礼してくるので航空方面隊司令官は答礼していた。そうして航空自衛隊側のエプロンに並んでいた発進予定の全機が通過すると座ったまま動かないケニー山城知事に声をかけた。その傍らには「若い警備要員に犯された」と自己申告した女性教師が立っていた。
「私はここで戦争を防ぐ盾としての務めを果たしているだけだ」「私も同じです」知事と教師は両手で耳を抑えてFー15に続いて海上自衛隊側のエプロンから出てくるPー1のジェット音を防ぎながら質問に答えた。それにしてもこの2人は女生徒たちが人の地雷としての任務を放棄して警備要員が抱き起こしたことは問題にしていない。その点は常識的だ。
するとPー1のコクピットからも航空方面隊司令官に敬礼してきた。航空方面隊司令官はパイロット・スーツ(=飛行服)を着ているが海上自衛隊の作法で制服姿の第5航空群司令よりも上位者であることが判ったようだ。沖縄の自衛隊では最上位者ではある。
「いよいよ戦争が始まるんですね」「あのパイロットたちは真珠湾に向かって空母を発進するゼロ戦を操縦している気分なんだろうな」「それは『永遠の0(ゼロ)』ですか」女性教師と知事は同行させてきたマスコミ関係者が出撃していくFー15とPー1の撮影に熱中しているのを見て冷めた会話を始めた。「永遠の0」は百田尚樹の小説とそれを原作にした2013年の冬休みの時期に公開された映画だが、百田自身は日頃の政治的発言から「右翼」と思われているためこの映画も「戦争賛美の有害作品」として生徒や児童に見ないように指導した教師が多かった。ところが実際は神風(しんぷう)特別攻撃隊を中心に戦争の愚かしさや残酷な実態を詳細に描いていることが判り、上映が終わってからレンタルDVDやインターネットでダウンロードして授業で視聴させる違法行為が横行したと言われている。この女性教師もその口かも知れない。どう見ても映画館で戦争映画を観賞するタイプとは思えない。
「ナハ・コントロール(那覇空港管制塔)、ディス・イズ・クラウン(第9航空団のコールサイン=仮称)001、リクエスト・ノーマル・テイクオフ(通常の離陸を要求する)、オーバー」今は北風のためタクシー・ウェイには南北に走る那覇空港の滑走路のサウス・エンド(南端)に向かってFー15とPー1が長蛇の列を作っていた。最初はクラウンの編隊長とエレメント(僚機)が滑走路に入って離陸を要求した。
「ラージャ(了解)、クラウン001、ノーマル・テイクオフ、オーバー」「何だ、あの燃料車は」「ラン・ウェイを封鎖しているぞ」管制塔が離陸許可を出した時、編隊長とエレメントは異様な光景を目の当たりにした。滑走路の中央に民間航空用の燃料車が侵入して停車したのだ。
「クラウン001、スタンバイ」「ラージャ、クラウン001、スタンバイ、オーバー」管制官も混乱しているようで通話の最後につける「オーバー(=日本語の通話では「送れ」)」を入れ忘れた。この声は国土交通省職員労組の組合員ではない。
「うわッ、何を始めるんだ。馬鹿、止めろ・・・」3000メートルの滑走路の中央付近なのでパイロットの超人的な視力でも停車した燃料車が何をやっているのかは判別できないが、コントロール・タワー(管制塔)の管制官は双眼鏡で状況を確認しているはずだ。無線から聞こえてくる管制官の声が引きつっていることで只ならぬ事態が発生していることは判った。
「エマージェンシー(緊急事態)、エマージェンシー、ナハ・エアポート(那覇空港)、クローズ(閉鎖)」前方の燃料車から火の手が上がり、巨大な炎が燃え上がるのと管制官が緊急事態を宣言するまでには数秒を要した。やはり「再度、状況確認をした」と言うよりも信じ難い事態に我が目を疑ったのだろう。どうやら燃料車から下りた運転手がホースを伸ばして航空燃料JP5(軍用はJP4)を散布して火を点けたのだ。現在の空港では旅客機への給油は地下のパイプのノズルに接続して行うため燃料車は離島便などの小型機用で搭載量はそれほど多くない。それでも滑走路を使用不能にするには十分だ。海上自衛隊那覇航空基地と航空自衛隊那覇基地は中国海軍輸送艦隊の出撃への初動対処を喪失してしまった。
- 2023/03/17(金) 15:37:30|
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後白河、後鳥羽、後醍醐の3悪帝に限らず憂き世=現実を知らない日本の天皇が政治に介入すると策謀を巡らして有力者同士の抗争を発生させて国家を分裂の危機に陥れることが常ですが、その中で卓越した統治行政能力を発揮した桓武天皇が延暦25(806)年の明日3月17日に崩御しました。69歳でした。
桓武天皇の政治能力の基盤になったのは父親の代からの「由緒正しくない」生い立ちでした。父親の光任天皇は天智天皇の7男の6男=孫で壬申の乱で勝利した天武天皇系が皇位を争奪している中では継承の対象外でした。しかも桓武天皇の母親は皇位継承の対象外であることを自覚していた光仁天皇が宮中官僚としての立身出世を願って結婚した百済の尚寧王の末裔の女性でした。このため平成の天皇は日韓ワールドカップに関するコメントでこの史実を持ち出して「韓国にはゆかりを感じている」と述べ、日本では黙殺したものの韓国では「皇室は韓国人の血を引いている」「日王が秘められていた事実を暴露」と大反響を呼びましたが、平城遷都1300年の記念行事でも同様の挨拶をしています。
ところが光仁天皇は皇位の争奪戦で有力な皇子たちが次々に殺害されていくのを傍観しながら酒に溺れる馬鹿を演じて生き残り、安全牌として聖武天皇の皇女を妃に迎えていたため神護景雲4(770)年に女帝で後継者がいない称徳天皇の遺命によって62歳で即位することになりました。しかし、それでも桓武天皇は母親の出自が低いため長男でも立太子は期待しておらず、皇女の義母が生んだ異母弟が皇位を継承するものと思っていましたが、毎度の権力争いで義母と異母弟が排斥されて同日に死亡したため立太子したのです。そして宝亀12(781)年に譲位を受けて即位して天応に改元しました。
日本史の授業で桓武天皇は「鳴くよ鶯、平安京」の794年に魑魅魍魎が徘徊し、怨霊鬼神が跋扈する魔都・平安京に遷都したことしか習いませんが、これは称徳天皇と道鏡禅師の不適切な関係に見られる僧侶の過剰な政治介入を遮断することが目的とされています。しかし、当初の長岡京(現在の京都府の平地の西部)では天災や疫病の流行、東北遠征の2度の失敗、さらに近親者の急死や重病が相次いだため遷都から10年目に風水学に基づき平安京に再遷都したのです。また東北遠征の2度の失敗を受けて年限式徴兵(「健児」と呼んだ)や後に武家となる騎馬軍団の創設などの軍制改革を行い3度目の坂上田村麻呂将軍が制圧しました(東北人としては許し難い)。さらに奈良佛教に替わる教義として天台宗・真言宗=平安佛教の導入などの数多くの国家事業を進めましたが、これらは若い頃に皇位継承を諦めて宮中官僚になるための勉学に励んだ成果と言われています。確かに末裔の桓武平家は合戦以外に能がない清和源氏に比べてはるかに政治力があります。
その一方で即位の翌日に実弟を立太子させながら平城天皇、嵯峨天皇、淳和天皇になる皇子が生まれると廃太子・流罪にして、食を絶って憤死させたため現在も東大寺二月堂のお水取りで鎮魂を祈願している怨霊になってしまいました。672年の壬申の乱も天智天皇が弟の大海人皇子=天武天皇に譲ると約束した皇位継承を実子の大友皇子=弘文天皇に変更したことで生起しましたが教訓にすることはできなかったのでしょうか。
- 2023/03/16(木) 14:30:11|
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ケニー山城知事は海上自衛隊と航空自衛隊のエプロンの境界線に座っていた。3人の将官は海上自衛隊と航空自衛隊の格納庫の間の道路でそれぞれの公用車を下り、境界線を辿るように県知事に歩み寄った。それを見て5メートル間隔で仰向けに寝転がっている女生徒たちを邪魔にならない位置まで運ぼうとしていた海と空の警備要員たちは後退って整列した。
その時、航空自衛隊のRRQー4無人偵察機が中国の輸送艦隊の出航を確認したため発進命令が下り、Pー1対潜哨戒機と護衛のFー15戦闘機が飛行前点検を始めた。エプロンの両側に轟くジェット音はかなり音程が違い合奏と呼ぶには耳障りだった。
「知事、お久しぶりです。今日は何事ですかな」「これは司令官閣下、悪いけど何を言っているのか聞こえないよ。エンジンを止めなさい」南西航空方面隊司令官は座って見上げている県知事に顔を近づけて声をかけたが耳に手を当てて惚けた表情を見せた。それを周囲を取り込んでいるマスコミ関係者がカメラで撮影し、竿で突き出したマイクで集音した。この人数では沖縄県内の全てのテレビ局と地元2大紙が来ているようだ。
「我々は沖縄を再び日本に戦争の舞台にさせることはできないんだ。アメリカは沖縄を朝鮮戦争に始まり、ベトナム戦争や中東での戦争の拠点にした。今回も日本との戦争を口実にして中国本土の台湾の脅威になる戦力を叩くつもりだろう」県知事の口ぶりでは日本と沖縄は別の国家らしい。この県知事は2019年の春節で大挙して来た中国の観光客が細菌兵器=新型コロナ・ウィルスを持ち込んで蔓延した時も「本土からの観光客が原因」と断定して日本政府が講じる対策や財政支援も「過失責任への代償」と当然視していた。
「我々は沖縄から奄美、東シナ海の安全を守るために行動しているんだ。それを妨害することは国家への背信行為に外ならない。直ちに中止しなければ県知事と言えども退去させなければならない」自身もパイロットの航空方面隊司令官は飛行前点検が最終段階になったことを察して問答を省略して通告した。すると県知事は皮肉に笑うと声量を上げて反論した。
「ここは自衛隊の基地内じゃあない。国土交通省には立ち入り許可を受けている。したがって自衛隊の強制排除は越権行為だ。私に手を出せば警護の警察官に阻止させるぞ」県知事の言葉に将官たちが確認すると県知事が座り込み、その背後に私服の警察官が立ち、女生徒たちが並んで転がっている位置はエプロンではなく国土交通省が管理する那覇空港のタクシー・ウェイ=誘導路だった。しかし、自衛隊機の発進を妨害していることに替わりはない。県知事は将官たちが黙って顔を見合わせると追い討ちをかけてきた。
「大体、君たちがやっていることは強制排除を名目にした性暴力じゃあないか。無抵抗の女生徒の身体に触って楽しんでいる。所詮は自衛隊も1995年9月5日に小学生を集団で暴行した海兵隊員や海軍軍属と同類の野獣なんだ。その一部始終はカメラに収めたからニュースで鑑賞したまえ」「そうよッ、自衛隊は嫌がっている生徒に抱きついて無理やり立たせたわ。私を立たせた時には後ろから胸を揉んだのよ。生徒たちにも同じことをやったはずよ」いつの間にか県知事の背後に来ていた引率の教師らしい中年女性が割り込んできた。座り込んでいる人物を立たせるのに脇の下に手を差し入れるのは普通の動作だが、若い隊員がこの中年女性の乳房を揉むとは考えにくい。ましてや事態は急を要しているのだ。
「私を犯している自衛隊のズボンの前が膨らんでるのを見たわ。性欲で興奮してたのよ」この教師も教職員組合の活動家らしく興が乗ると話に尾ひれがついて事実無根の断罪・糾弾に暴走するようだ。それは反基地デモでマイクを握っている活動家たちの演説を聞いていれば枚挙に遑(いとま)がない。それにしても乳房を揉んでいたことが「犯している」になっていた。
「若い隊員が貴女で興奮しますかねェ、私には無理だ」「確かに私も御免こうむります。妻一筋ですから」「君たちもか、私もだ」そこで第9航空団司令がバルカン砲のように痛烈な皮肉を浴びせ、第5航空群司令もASMー3空対艦ミサイルのように同調し、航空方面隊司令官が世界最強の通常爆弾GBUー43モアブに匹敵する結論を炸裂させた。
「判りました。我々は警告を与えました。ここから先は貴方たちの自己判断で行動して下さい。1つ、注意喚起しておくとこれから戦闘機と対潜哨戒機がタクシー・ウェイに出てラン・ウェイのエンド(端)に向かいます。轢かれても自己責任です。さらに発進する機体に傷をつける行為があれば自衛隊法95条の武器等の防護のための武器使用権限に基づいて発砲させてもらいます」「航空法75条でも危難の場合の防止措置は認められている。警護の警察官もよろしいかな。取材者も同様です」航空方面隊司令官と第9航空団司令が最終通告を行うと警護の警察官は困り切った顔をしてうなずいた。それを確認した第9航空団司令と第5航空群司令がその場で向きを変えて手を上げるとFー15とPー1が次々に走り出した。
- 2023/03/16(木) 14:28:56|
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参議院では当選以来、一度も登院していないガーシー議員=東谷義和議員が除名されましたが昭和43(1968)年の明日3月16日は敗戦後、日本国憲法によって設置された参議院において初めて除名処分を受けた小川友三(ともぞう)議員の命日です。63歳でした。
小川議員は大正10(1921)年に現在の埼玉県和須市で生まれ、母子家庭になったため14歳で東京に出ました。自己申告の経歴上は現在の明治薬科大学を卒業して東京の日暮里で薬局を開き、続いて淋病湿布と称する塗り薬を開発して製薬会社を始めました。多分、戦時中だったため薬物審査が機能していなかったのでしょう。
そうして金を手にすると政治家を目指すようになり、選挙があれば立候補するかつての羽柴某のような政治活動を始めましたが、詐欺罪で逮捕されて戦時下の昭和19(1944)年に帰郷しました。すると今度は単なる炭酸カルシウムを抗生物質と称して売り捌いて大金を得て、敗戦後の昭和22(1947)年に行われた統一地方選挙と新憲法の制定に伴う衆参両院選挙に出馬したのです(当時は重複立候補が許されていた)。
結果としては4月5日投票の加須市長選挙と埼玉県知事選挙は落選しましたが4月20日投票の参議院では親米博愛勤労党なる自作政党から立候補して全国区は上位50位が当選のところ78位でしたが「参議院は6年の任期で半数を3年ごとに改選する」との規定によって3年後に任期が満了になる50人を下位から加えたため当選してしまったのです。本人にとってこの当選は4月25日が投票日だった衆議院選挙に妻を立候補させてラジオの政見放送に勝手に割り込んで最初から最後まで「小川友三、小川友三・・・」と連呼し、立会演説中に友人に日本刀で斬りかかる暴漢を演じさせ、投票日直前には訃報を流すなどの話題作りに励んだ甲斐があったと言うものでした。
参議院では新聞に名前が掲載される質問主意書を連発し、首相指名選挙では必ずに自分に投票して「小川友三くん、1票」と結果を報告する議長の声をラジオで流して知名度を上げ、「議員バッチを紛失した」と言って大量に入手すると取り巻きに付けさせて小川友三議員を大量に発生させるなど滅茶苦茶な政治活動を展開していました。
ところが当時の参議院予算委員会は与野党同数でどちらにも所属しない小川議員が可否の決定権を握っていて、そんな昭和25(1950)年4月3日に1年生議員でありながら大蔵大臣に就任した池田隼人大臣を激しく批判する反対討論を行ったため野党が「否決される」と快哉を叫んだ直後の採決では一転、賛成したため可決されたのです。
この事態に激怒した社会党の議員がエレベータを待っていた小川議員を背負い投げで負傷させましたが参議院には除名決議が提出され、懲罰委員会では全会一致、4月7日の本会議では賛成108、反対10で可決されて史上初の除名処分になりました。除名から2カ月後の参議院選挙に出馬しましたが、当選する得票数には遠く及びませんでした。
その後、参議院では昭和26(1951)年3月29日の占領軍の朝鮮戦争への参戦と吉田内閣が進める西側諸国との講和を批判しながら共産革命を賞賛した共産党の川上貫一議員が2人目になりました。
- 2023/03/15(水) 13:55:04|
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「デモ隊が民航の燃料エリアに侵入しています」航空自衛隊の那覇基地と共に那覇空港に同居している海上自衛隊の那覇航空基地の第5航空群ではアメリカ軍の偵察機によって確認された中国海軍の輸送艦隊の出撃に備えてPー1対潜哨戒機全機の発進準備を整え、指揮所では司令以下が航空自衛隊偵察航空隊のRQー4グローバルホークが送ってくる映像を注視していた。そこに航空自衛隊が民間空港との境界線に配備している警備要員から無線連絡が入った。
「民航の燃料エリアは隣接していますから直ちに警備隊を派遣します」「間に合うかな。警備要員は仮眠中だろう」運用幕僚の意見に先任伍長は小さく首を振った。那覇空港の民間航空用燃料地区は数百メートルの間隔を開けて海上自衛隊の航空基地に隣接しているから徒歩でも数分で到達する。一方、夜間はエプロン=駐機場で待機している完全武装のPー1を警備するため武装した隊員を配置しているが昼間は内務班で仮眠させている。
「今なら格納庫で勤務している隊員を武装させる方が間違いない」「確かに・・・整備補給隊に連絡しよう」先任伍長の意見に運用幕僚と警備を担当する訓練幕僚も同意した。問題は警備要員には武器使用などの対応を十分に教育しているが航空機整備員たちは半ば素人だ。訓練幕僚は武装を銃火器ではなく警棒にさせた。
「空港からって・・・CAB(国土交通省航空局)は何をやってるんだ」黙っている司令の隣りで首席幕僚が呟いた。しかし、パイロットやTACCO=戦術航空士の幕僚たちは国土交通省労組の嫌がらせには慣れているので反応しなかった。国土交通省労組の嫌がらせは日中の武力衝突が始まって以来、むしろ悪質で執拗になっているのだ。
「デモ隊は制服を着た女子ばかりの高校生、中学生に引率の教師、総員100名程度です・・・新聞記者が同行しています」訓練幕僚が整備補給隊にエプロン地区の自隊警備隊の配備、基地隊に警備隊の編制を指示した時、航空自衛隊の警備要員から完全に想定外の続報が入った。
「おそらく警備要員が阻止行動、排除行動を執れば性的暴行を受けたと主張するつもりなんでしょう。近づいただけでセクハラだって騒ぎ出しかねない」「そうなるとWAVEで対処した方が良いが100名を阻止するには人数が足りない」先任伍長と首席幕僚が話し合っていと「今、隊列を組んでいます」と続報が入った。
「黒塗りの高級車が到着しました・・・県知事です」「ケニーかッ」さらなる続報に今度は司令が一言を発して絶句した。ケニーとはケニー山城(やまき)沖縄県知事のことだ。ケニー山城知事は元コメディアンだが自民党の国会議員から那覇市長を経て沖縄県知事に当選・就任しながら辺野古への普天間基地の移設に反対するなど反自民党政権の政治姿勢を公然化していた前任者が癌に倒れた時、後継者に指名された人物だ。予想通り県知事に就任してからは中国を訪問して「琉球王国は中国の領土だった」と明言して今回の奄美諸島への侵攻の原因を作り、尖閣諸島の中国船の領海侵犯問題では海上保安庁の阻止行動を批判している。
「知事が先頭に立って歩き始めました。海上自衛隊のエプロンに向かいます」県知事のお出ましとなると基地司令が対応するしかない。那覇航空基地司令は海将補の第5航空群司令が兼務しているが航空自衛隊那覇基地は空将補の第9航空団司令でも基地内には空将の南西航空方面隊司令官が所在している。この極めて政治色が強い問題を場当たり的に対処するのは適切ではないのは明らかだ。司令が電話の受話器に手を伸ばすと先に呼び出し音が鳴った。
「ケニーは飛鳥田一雄になるつもりだな。私が会うから君はウチの基地司令と同行してくれ」やはり電話は南西航空方面隊司令官からだった。飛鳥田一雄は横浜市長だった昭和47年8月にアメリカ軍が相模原市にある補給廠で整備したM48戦車をベトナム戦争に再投入するため横浜市が管理する村雨橋を渡って輸送艦の桟橋に移動するのを市職員労組と人の盾を作って阻止した。この事件で知名度を上げた飛鳥田は市長在職のまま社会党委員長になっている。
「おまけに女子を盾に使うようです」「しかし、君のところのPー1も何時発進してもおかしくないんだろう。座り込みさせては厄介だぞ」「実力行使しなくても接近すればセクハラにされますから困ったものです。防衛のためにはセクハラ程度の批判は甘んじて受けるしかありません」南西航空方面隊司令官が何かを答えようとした時、警備の無線が騒ぎ出した。
「デモ隊が一列になってエプロンとタクシーウェイ(誘導路)の間を進んでいきます」「知事は中央です」「座りました」「排除します」無線が海上自衛隊の自隊警備隊からに替わったのを聞きながら第5航空群司令は官用車でエプロンに向かった。
「キャーッ、止めてェ」「この人、私の腕を掴んださァ」「胸に触ったよ」「腰に抱きついたわ」案の定、エプロンではセクハラ茶番劇がマスコミにテレビ中継されていた。おまけに女生徒たちは仰向けに寝転がって盾ならぬ人の地雷原になっていた。
- 2023/03/15(水) 13:53:52|
- 夜の連続小説9
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昭和62(1987)年4月1日の国鉄分割民営化に先立つ明日3月15日に国鉄二俣線が第3セクターによって天竜浜名湖鉄道(通称・天浜線)になりました。
東海道線の掛川駅から当時の天竜市(現在の浜松市天竜区)を経由して浜名湖の北岸を通って新所原駅を結ぶ国鉄二俣線は大陸進出を進める陸軍が山陽本線と接続されて東西の人や貨物の移動の大部分を担っていた東海道線が浜名湖の今切口の鉄橋を破壊されれば物流が停止して兵站が窮乏する事態を危惧して国鉄に対策を要求し、昭和15(1940)年に開通させた迂回路線でした。また野僧が高校から大学の時期には東海道線に乗り入れる豊橋駅発着の便もあり、通学時には「間もなく二俣線が発車します。停車する駅は二川、新所原、大森(ここから二俣線)・・・」と言う構内アナウンスが流れていました。そのため新所原駅には東海道線を跨ぐ架線路橋がありましたが現在は撤去されています。
現在の天竜浜名湖鉄道の路線距離は67.7キロで全線が単線、非電化ですが39駅を設置していて、天竜区の西鹿島駅では浜松市中心街に直結している遠州鉄道に乗り換え接続しています。その一方で遠江一宮駅と敷地駅の間の路線は袋井市を通過していながら市内に駅は存在しません。
国鉄分割民営化で第3セクター方式を採用した路線は民間鉄道会社に移行した後、新JRの経営の足枷・重荷になる赤字路線が大半で二俣線も最終の昭和61(1986)年の年間利用者数が9万9千人の空き列車状態でした。ところが民営後は地元自治体が「利用しなければ廃線になる」と言う危機意識を地域住民に周知徹底した上、駅を無人化(管理は駅前の商店街や自治会に委託した)、列車をワンマン方式1両にして合理化を進め、沿線に住宅地を分譲して固定利用者を増やし、フルーツ・パークや沿線企業の見学施設などを開業させて家族連れ客を誘致するなどの経営努力で利用者が激増して開業した昭和62(1987)年には20倍の198.3万人、昭和63(1988)年は213.5万人、1989年は220.7万人、1990年は234.3万人(最高数)、1991年は234.1万人と2000年までは200万人台を維持しましたが21世紀が始まった2001年は新型車両を導入したものの199.6万人と王台割れが生じ、それからは2002年は194.5万人、2003年は189.4万人、2004年が181.4万人と2年で10万人のペースで減少して2009年以降は150万人前後で推移しています。
天竜浜名湖鉄道の意外な魅力としては合理化を徹底していて昭和15(1940)年までの完成で築50年未満と比較的新しかった駅舎やホームを改築せずに修理に留めているため昭和の建築物が数多く残っていることです。野僧が浜松時代に住んでいた引佐郡細江町内(現在の浜松市北区細江町)だけでも西気賀駅の駅舎と気賀駅の駅舎とプラットホーム、気賀駅と岡地駅の間にある気賀町高架は国の有形文化財に指定されていて多くの駅舎がドラマや映画のロケなどに使用されているようです。線路の信号機も一般的な点灯式ではなく古い腕型の板が上下する方式が残っていて、まだ国鉄二俣線だった頃には蒲郡高校の鉄道研究会が撮影に出かけて写真を校内回覧冊子に掲載、文化祭で展示していました。
- 2023/03/14(火) 14:43:50|
- 日記(暦)
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「雪の進軍氷を踏んで どれが河やら道さえ知れず・・・」「おッ、雪うさぎの慰問ラジオが始まったぞ」森田予備3曹が稚内分屯基地で夕食を取っていると食堂ではFMラジオが流れていた。間もなくラジオから進軍ラッパの前奏に続いて軍歌「雪の進軍」が響いた。これは照子の慰問FMラジオ放送のオープニング・テーマだ。食事中の隊員たちは一斉に顔を上げて声が聴こえてくるスピーカーを見た。この分屯基地の航空自衛官たちは森田予備3曹と本名は明かさないDJの雪うさぎが夫婦であることは知っている。それでも分屯基地内限定にするように要望しているので重大な秘密を共有しているような気分を楽しんでいる。秘密保全の見返りに非公開の照子の写真を見せたので隊員たちが自らに課す守秘義務は強固だ。
「私たちの北海道を守って下さっている防人(さきもり)の皆さん、今日もお勤めご苦労さまです」「はい、服務中異常なし」雪うさぎの毎回の冒頭の辞に何人かの隊員は嬉しそうな声で返事をした。一方、森田予備3曹は自分への言葉として受け取っていた。
「今日のニュースはかなり厳しくて私も読むのが辛いです・・・」この番組では北海道庁と防衛省北海道地方協力本部が編集し、北部方面総監部、大湊地方総監部、北部航空方面隊の審査を受けているニュースから始まる。雪うさぎが所属・氏名・階級不明の自衛官の妻であることは明かしているのでこの率直な感情表現も共感を得ているようだ。
「今日の14時頃、防衛省がロシア軍が新潟への上陸作戦と同時に北海道への侵攻を、中国軍も九州から奄美・沖縄諸島に侵攻するための輸送艦隊の出撃準備を進めていると発表しました。なお、中国軍と樺太のロシア軍は海軍の揚陸艦ではなく民間の大型フェリーを使用するようです」ニュースの内容自体は現場でも口コミで広まっている情報だが公式に認められると覚悟を決め直さなければならない。それにしても防衛省が航空自衛隊やアメリカ軍の偵察機が察知した作戦準備の情報を公表したのは牽制する効果を狙ったにしても逆に焦らせて決行を早める結果にならないだろうか。まだ自衛隊には防衛出動が下令されていないのだ。
「ニュースは以上です。次は家族の皆さまからのメール紹介のコーナーです」「ウェン アイズ(アイ ワズの短縮) ヤング アンド レッスン トゥ ザ レイディオ(ラジオ)・・・=私は若い時、ラジオを聞きました」雪うさぎの番組では最近はカーペンターズの「イエスタディ・ワンス・モア」をこのコーナーのテーマ曲にしている。これは航空自衛隊のパイロットの妻が同級生だった夫と英語の勉強に聴いた曲としてリクエストしてきた。確かにラジオ番組には相応しい曲だが英語の歌詞の意味が理解できなければ単なる洋楽の懐メロに過ぎない。
「今日の最初のメールは少し遠いところからです。愛媛県在住の森田元2等空佐さんです。テ・・・雪うさぎ、ご苦労さん。慰問ラジオで前線の隊員たちを励ましてくれ・・・森田さんは私の義父なので本名を呼び捨てでした。森田さんは遠方に居住しているOBで、航空自衛隊に多大な影響を与えた人なので苗字と階級を紹介させていただきました」雪うさぎが説明するまでもなく警備職の隊員たちは崇拝する森田敬作定年2佐からのメールと聞いて姿勢を正していた。航空自衛隊では増加警衛の特別勤務につくので警備職に限らず森田定年2佐の影響を受けているようで森田予備3曹が息子と知っている隊員たちも視線を浴びせてきた。
「それではリクエストです。1971年の戦史アニメ『決断』の主題歌です。この歌は2020年の連続ドラマ『エール』の主人公のモデルだった古関裕而の作曲で、あのドラマでも紹介していた『高原列車は行く』の丘灯至夫の作詞です。ドラマでは古関は自分が作った軍国歌謡に共鳴した多くの若者が軍隊を志願して戦死したことを後悔していたと強調していましたが、本当はこの歌だけなくて自衛隊歌『この国は』や『君のその手で』、それに陸上自衛隊歌『栄光の旗のもとへ』や海上自衛隊歌『海を征く』も作曲していますから反自衛隊の活動家になった訳ではないんです。そう言えば航空自衛隊歌『蒼空遠く』は高山実の作品です」雪うさぎの解説は森田予備3曹も知らない知識なので愛媛の森田定年2佐とメールを交換して教えられたのかも知れない。森田予備3曹は子供の頃、父親と風呂に入り、散歩に出かけると「蒼空遠く」を聞かされて憶えてしまったが肝心な陸上自衛隊歌の方は聞いたことがない。
「知恵を巡らせ頭を使え 悩み抜け抜け男なら 泣くも笑うも決断一つ 勝って驕るな敗れて泣くな 男涙を見せぬもの・・・」この歌も森田定年2佐が愛蔵していた戦史アニメ「決断」を借りて見た時に聴いて憶えている。ところが今回は間奏を挟んで2番以降があった。
「辛い時には相手も辛い 攻めか守りか腹一つ 死ぬも生きるも一緒じゃないか 弱気起こすな泣き言いうな 伸るか反るかの時だもの」「右か左か戻るか征くか ここが覚悟の決めどころ 勝つも負けるも決断一つ 一度決めたら二の足踏むな 俺も征くから君も行け」食堂の空気が重くなり、全員が箸を置いて黙り込んでしまった。流した時間が拙かった。
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- 2023/03/14(火) 14:41:15|
- 夜の連続小説9
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「今度はかなり危ないな」稚内で第3高射群の警備に当たっている森田謙作予備3曹は仮眠所にしている第18警戒隊の隊舎で親しくなった警備職の空曹と配給を受けた缶ビールを飲みながら戦況を語り合っていた。稚内の展開地の警備は北海道知事による地域住民の道南への避難が指示されてからは大幅に縮小されて陸上自衛隊は市内を巡回して進入者を警戒するだけになっている。そのため航空自衛隊の隊員から航空総隊レベルの情報を聞いているが、ロシア軍は新潟への大規模な侵攻と並行して北海道へも地上部隊を上陸させる作戦の準備中らしい。
「偵空(偵察航空隊)のRQー4(グローバル・ホーク)が国後島に残った輸送ヘリコプターを終結させて、樺太ではオホーツク海周回のフェリーに兵員と戦車、装甲車を搭載しているのを撮影したそうだ」この空曹は第3術科学校警備課程の森田敬作定年2佐の教え子で神のように崇拝しているが、息子の森田予備3曹も緒戦で第3高射群の展開地に侵入しようとした日本人工作員を射殺していて父の魂を受け継ぐ警備の英雄として尊敬してくれている。
「そうなると網走港に接岸するな。網走は5旅団管内だが上陸部隊は旭川に向かう可能性が高いぞ。そうなると我が2師団は・・・」「アンタたちは北方(北部方面隊)混成団だろう」森田予備3曹が言いかけた見解の間違いを空曹が指摘した。稚内も第2師団の管内なので陸上自衛隊の組織に関する知識は持っているようだ。
「網走からは国道39号線で内陸を進むか、239号線をオホーツク海沿いに西に向かうはずだが、39号線なら美唄、239号線なら遠軽が迎え撃つな。稚内までは迂回しないだろう」流石は森田3佐の教え子だけあって空曹の研究は森田予備3曹の上を行っているが、戦闘の範囲はあくまでも基地警備に留まっているようだ。
「それでロシア軍が上陸すればアンタたちは第2師団に加わって戦うんだろう」「多分、師団司令部の警備だね」森田予備3曹は不満そうに答えながら1本目の缶ビールを飲み干した。森田予備3曹は本来、曹侯補士として名寄駐屯地の第3普通科連隊に配属されてバイアスロンの冬季オリンピックの選手が揃う連隊の大会でも上位の常連として活躍した。陸曹に昇任すれば冬季戦技教育隊に入校して修了後はオリンピックの強化選手になるはずだった。ところが自衛隊生徒=少年工科学校出身の北部方面総監が所属隊員の陸曹が陸士よりも多い階級構成を問題視して曹侯補士の一律退職を厳命したため照子の実家の牧場で働きながらの即応予備自衛官になったのだ。即応予備自衛官は師団司令部の警備と後方業務、戦闘による欠員の補充が任務なので、個人の能力や経験に関わりなく決められた枠内で使うのが陸上自衛隊の人事だ。旭川駐屯地の第52普通科連隊第2中隊に所属する即応予備自衛官の大半は第2師団出身だが現時点では戦時の人事異動は発令されていない。
「勿体ないね。このまま稚内で働いてもらいたいところだが、ウチもレーダーがやられてPAC3を射ち終われば撤収するはずだから時間の問題だろう」空曹も2本目の缶ビールを開けて口をつけると意外に弱気な現実を語った。確かに根室では展開中だった第6高射群が日本人工作員によって全滅させられ、第26警戒隊のレーダーも国後島からの地対地ミサイルで破壊されたため現在は入間基地から展開してきた第2移動警戒隊がJ/TPSー102移動レーダーで監視に当たっているが、これも破壊されれば襟裳分屯基地まで後退することになっている。網走分屯基地の第28警戒隊はロシア軍が上陸前に実施する地上戦力の掃討射撃で破壊されることを想定しているがレーダー波が発信できる間は踏み留まる覚悟らしい。森田定年2佐も空曹時代は警戒管制員だったが、あの強烈なプロ意識はそこで身につけたのかも知れない。しかし、そのまま陸上自衛隊に合流して地上戦闘に参加する気にはならないのだろうか。稚内から千歳基地まで後退するまでに幾つかの陸上自衛隊の部隊の陣地を通過するはずだ。根室から襟裳岬も同様で上陸して侵攻してくるロシア軍に背中を見せて追いかけっ子するくらいなら陸上自衛隊に加わる方が武人としての身の処し方ではないか。
「撤退手段は決まっているのか」「第1案は輸送ヘリで一っ飛び、ただし、一度では無理だから逃げ遅れる者がでる。残りは陸路だがJRの特別列車は無理だからバスにトラックになるな。私有車の方が早いが上は民間人と区分ができないから駄目だと言ってるらしい。俺たち警備は最後尾で追撃を阻止しながら逃げるんだ」やはり後退方法についても具体的に研究しているようだ。陸上自衛隊では国鉄労働組合によるストライキの頻発で物資輸送が停滞したため昭和35年に施設科の隊員に蒸気機関車の操縦を習得させた鉄道部隊が習志野駐屯地で設立された。鉄道部隊は災害派遣の救援物資の輸送や鉄道復旧工事などで活躍したが、機関車のデイーゼル化や電化に伴う新規取得が認められず昭和41年に廃止された。今も維持していれば大いに活躍させられるのに惜しいことをした。
- 2023/03/13(月) 15:17:40|
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