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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

続・振り向けばイエスタディ532

「フィリピンと台湾の義勇隊員は良かぞッ、お前のところにも回してもらえるように上に掛け合ってみろ」建軍駐屯地の義勇兵激励会を終えて田原坂の激戦地跡の自宅までタクシーで帰った山中元3佐は日付がまだ変わっていないことを確認すると下甑島分屯基地に警備隊長として赴任している息子の山中1尉のスマートホンに電話した。
山中1尉は中学時代を全国有数の教育劣等県である沖縄で過ごすことになり、本土で受けた高校受験では私立の高校しか受け入れてもらえなかった。ところがその高校はサッカーの名門校で父親譲りの運動神経と指揮能力を発揮して頭角を現したが、当時はJリーグの創設期で高校も宣伝になるプロ選手を送り出そうと躍起になっていて大学志望の山中選手は放置されて受験に失敗、保険代りに受けていた航空自衛隊の新隊員課程に入ることになった。山中3佐としては自分と同じ航空機整備員にしたいと願っていた。(2度目の)ところがサッカーとラグビーを隔年で行う航空自衛隊球技大会での戦績不振の打開策として
航空教育隊がこれまでは野球一辺倒だった教育職の空士に両競技の経験者を採用することになって残されてしまったのだ。山中3佐は当然反対したが東京に単身赴任していたので声は届かず班長連中の巧みな勧誘に籠絡されて教育職になってしまった。すると部内幹部候補生を受験する時も教育職に指定されてそのまま父親の気も知らぬ後継ぎになると一時期、森田敬作3佐が第3術科学校で開講した警備課程に強い関心を持って幹部課程への入校を希望したことがある。その話を聞いた定年直前の山中3佐は「本気で戦争をする気か」と頭に冷水を浴びせた。航空機整備員にとっては整備するのが戦闘機、練習機、輸送機、救難機の何であっても航空機であれば仕事の相手であって操縦するパイロットと地上の住民の安全=生命を守るために万全を尽くすのが職務であって「我が国の平和と独立を守る」などと言う謳い文句は仕事の結果に過ぎない。それが今では息子の方が正解になってしまっている。下甑島は平時の自衛隊による対処の限界を世に示した1997年2月3日の中国人漁民不法侵入事件の舞台だけに慎重に対応しているようだ。
「フィリピンも使い物になりそうね。台湾人は日本人と変わらないだろうけど南洋の人間は今一つ信用できないんだよな」山中1尉からは警備の強化が長期化して隊員の疲労が深刻になっていると愚痴をこぼされているが、まだ隊員としての資質を気にするようなら大丈夫そうだ。それにしてもこの南洋人に対する不信感は沖縄の中学校での経験が原因なのかも知れない。山中元3佐は南西航空警戒管制隊本部で勤務していたから若い頃に本土の部隊で鍛えられた沖縄出身の空曹たちの郷土愛と後輩育成に取り組む熱意には感服していたが、中学校の教師たちは復帰時に本土から指導員として派遣されて来た教職員組合の活動家たちに当時の本土で吹き荒れていた受験戦争の不条理を吹き込まれて特別な受験勉強を否定していた。その癖、反戦平和に名を借りた反アメリカ軍反自衛隊と日本軍を断罪する洗脳教育には熱意を注ぎ山中少年には不信感しか与えなかったのだ。
「フィリピンは2011年の超大型台風の時に自衛隊の災害派遣に救われた恩返しがしたいって言う若者が多くて士気は高いな。英語は台湾人よりも得意みたいだ」「そりゃあ元はアメリカの植民地だからね」山中元3佐は自分では英語を話さなかったが、通訳しているフィリピン人の妻が現地語のタガログ語よりも主に英語を話していることは理解していた。その点、次に話した台湾人たちは中国語=広東語だった。
「今のところ外人部隊は陸上自衛隊が後方業務で使う予定みたいだけどウチの警備の維持のために必要だって言えば何とかなるかも知れんたい」「まてよ・・・」山中元3佐は山中1尉が前向きな反応を示すと逆に今日の宴席で西部方面総監部の幕僚たちから聞いた問題を思い出した。山中元3佐は陸上自衛隊の現在の制服、特に幹部のズボンと袖の金線が西南戦争の時の政府軍に見えて、そんな呪われた服装の人間と飲んで家に帰ると田原坂で亡霊たちが怒り狂っているように思えてならなかった。ところが今回は西部方面総監以下、フィリピン人や台湾人の義勇隊員たちも階級章を着けていない迷彩服だった。そんな快適な宴席で幕僚たちは石田内閣が外国人に武器を使用させる=戦闘に参加させることを否定しているため後方支援連隊で現在は予備自衛官に担当させている土木工事や資材管理、トラック輸送の補助などに当たらせると言っていた。
  1. 2023/06/29(木) 13:56:14|
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6月27日・ソ連軍機が海上自衛隊の輸送艦の目の前で墜落した。

昭和55(1980)年の6月27日に佐渡島の北方110キロを航行中の海上自衛隊の輸送艦「ねむろ」の目の前にソビエト連邦軍のツボレフ16バジャー(機種は爆撃機に分類されていても偵察機や電子戦機、哨戒機などに幅広く転用されている)が墜落する事故が発生しました。
この頃、野僧は地元の大学に入学したばかりでしたが事故報道の翌日には校門の前で赤地に白い文字で「革マル」と書いたヘルメットをかぶった学生運動の活動家たちが「自衛隊がソ連軍機を撃墜」と書いた看板を立ててガリ版刷りのビラを配っていました。
野僧は中学校の社会科の授業で日本の産業は原材料を輸入して加工した製品を輸出して成り立っていると習って以来、シーレーン防衛の重要性を深く認識して海上自衛隊を志望するようになりました。ところが自衛隊生徒の合格通知を父親に破り捨てられてしまい実家から最も遠い蒲郡高校に進学したものの海上自衛隊の航空学生と一般海曹候補学生を2次試験で失敗したため父親の命令で「絶対に行きたくない」と思っていた地元の大学に進学させられたのでした。したがって海上自衛隊志望は変っておらず受け取ったビラをその場で速読すると高校時代に購読していた雑誌「世界の艦船」で仕入れた知識で内容の誤りを指摘しました。
先ず「ねむろ」はアメリカ海軍から供与を受けた戦車揚陸艦の後継艦として昭和45(1970)年に就役して地元の渥美半島から命名された輸送艦「あつみ」の昭和50(1975)年に就役した3番艦でビラに書いてあるような戦闘目的の軍艦ではありません(2番艦は沖縄の日本返還の年に就役したので本部半島の「もとぶ」)。実際、武装は艦首部の40ミリ機関砲が1門だけで(あつみは前後2門)、ジェット機の飛行高度まで弾丸が届き、追いつくとは思えませんでした(その頃は海軍の哨戒機として使用していることは知らなかった)。そして海上自衛隊の輸送艦は硫黄島や父島への物資輸送を目的に建造されていて港湾施設が未整備の海岸でも接岸揚陸が可能なため小笠原諸島の離島への物資輸送に活躍していることを説明したのです。後に1993年7月12日の奥尻島津波地震や2000年の三宅島の噴火で活躍しましたが、大湊地方隊に所属していたため1995年1月17日の阪神淡路大震災では出番がなかったようです。また2005年に退役しているので2011年3月11日の東北地区太平洋沖地震の時には解体されていました。
この時は活動家たちも自分たちが講義に遅れそうだったため用件が終われば解放されましたが、後で蒲郡高校の先輩から「お前が右翼と判ると危険だから近づくな」と注意されました。確かに野僧が入学した年に共産党系の民主青年同盟の新入生が日没後に学生用駐車場で撲殺される事件がありましたが、大学構内への警察の立ち入りを制限する判例「愛知大学事件」の舞台だけに捜査は進んでいませんでした。ところで野僧は海軍少年でも右翼ではありませんでした。
結局、この事故は低高度でねむろに急接近したツボレフ16が操縦を誤って墜落したことをソビエト連邦軍が認め、むしろ周辺海域を捜索して収容した搭乗員の遺骸3体を返還したことに形式的ながら謝意を表したことが新聞で報道されて終息しましたが、野僧は危険な連中に顔を覚えられてしまいました。浜松基地の警備小隊長時代は公安警察に見せられた過激派の機関誌に宿敵として写真と階級・氏名が載っていましたが、その前に手配されていたのかも知れません。
  1. 2023/06/27(火) 14:42:03|
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続・振り向けばイエスタディ532

「我が国の防衛のために身命を賭して参戦してくれた勇士たちに敬意と感謝を表して・・・乾杯」「乾杯」「カンペイ(中国語の発音)」「ターガイ(フィリピンのタガログ語)」台湾人とフィリピン人の義勇兵たちの短期集中式新隊員課程が本格化する前、健軍駐屯地では西部方面総監の指示で激励会が開催された。ところが会話は英語とこれも西部方面総監の発案で招待された熊本市内在住の台湾人とフィリピン人の妻たちの通訳を介さなければならなかった。
「山中さんは航空の教育幹部でしたよね。だったら英語は得意でしょう」「何ば言っちょると。俺は肥後弁と標準語の二刀流たい」激励会には熊本県隊友会の実務責任者である山中元3佐も招待されていた。陸上自衛隊でも日米協同訓練やPKOなどで英語を使う機会は増えているが、パイロットと管制官の会話や飛行機の部品から整備機材と工具まで全て横文字の「航空自衛隊のようにはいかない」と言う自覚があるので半ば嫌味を込めて敬意を表してくる。下手すれば航空自衛隊の基本教練はアメリカ軍式に英語の号令をかけていると思っているのかも知れない。
山中元3佐は空曹時代は航空機整備員でアメリカ空軍の技術指令書=テクニカル・オーダー=TOの英文の単語を片仮名にしただけの直訳のJTOを使って仕事をしていた。おまけに容姿端麗なのでブルー・インパルスの列線整備員に抜擢されてウォークダウンと呼ばれる入場整列からプリタクシーチェックと言う機体の前で航空機整備員たちは蛸踊りと自嘲する手足と指を使った飛行前点検=ランナップの動作と敬礼で見送る誘導路へのタクシーアウトまでを披露していた。
当然、アメリカ空軍のサンダーバーズ、海軍と海兵隊のブルーエンジェルスの記録・広報映画を見て研究していたが解説はパイロットが翻訳していた。それでもパイロットにとって飛行中の英語は業務用語に過ぎず、会話は苦手な者が呆れるほど多い。ある日米協同訓練の時、Fー104でFー15に圧勝した防衛大学校卒の飛行隊長がアメリカ空軍の飛行隊長に「お前のFー15は猫に小判だな」と言ってやろうと「ユア・Fー15・イズ・キャット・ハズ・ゴールドマネー」と言ったが意味が通じなかったと言う逸話がある。構文の前にFー15を「エフ・ジューゴ」と言ったそうなので完全に意味不明だったはずだ。他のパイロットたちもアメリカ空軍のパイロットが「イーゴー」と言っているのがFー15の「イーグル」のことだと理解するのに時間を要したらしい。
「あんた若いね。幾つだい」「24歳だそうです」背広を着た隊友会の出席者たちが通訳を介する会話に疲れたのか知り合い同士で車座を作り始めたのを見て山中元3佐は逆に積極的に声をかけ始めた。こんな席でも隊友会として義勇兵を激励する任務を遂行しようとするところが山中元3佐らしい。勿論、英語ではなく通訳の名札を付けた人妻を介している。
「どうして日本を守るために義勇隊員を志願したんだね」義勇兵を義勇隊員と呼んだのは山中元3佐ならではのこだわりだが、熊本市内でも郊外の農家に嫁いでいるらしいフィリピン人の妻は違和感なく通訳したようで真顔になって山中元3佐が付けている英文の名札の「フォーマー・メジャー・オブ・JASDF(元航空自衛隊3佐)」と言う肩書を見ると姿勢を正した。
「子供の頃にナバオ市でペドリングに遭って日本のジエータイに救われました。それでジエータイに興味を持って調べ始めたら日本の女性の駐在武官に会って話をきくことができました。ペドリングと言うのは2011年の超大型台風17号のことです」妻の通訳を聞いて山中元3佐は少し酒で痺れた頭で記憶を呼び起こした。2011年であれば熊本地震の5年前だが、加倍政権がフィリピンの超大型台風に自衛隊の大部隊を派遣したことが思い出された。その時、普天間基地のVー22アスプレイが大活躍したことは小牧基地の第1輸送航空隊で勤務していた息子の山中1尉から聞いていたので熊本震災でも大いに期待していたのだ。
「フィリピンの女の駐在武官と言うと・・・モリヤ将補、元へ1佐のことか」「そうです。カーネル・カオリ・モリヤです」山中元3佐の中で意外な人脈がつながった。山中元3佐はモリヤ夫婦が離婚したことは知らないので教え子の妻と言うことになる。
「彼女は私の教え子の妻で帰国後は久留米市にある陸の幹部候補生学校の校長をしていたから見学に行って会ったことがあるよ。アイツには勿体ない美人だったが、頭も上だったようで妻は陸将補、アイツは2佐までだった」山中元3佐としては自分も定年2佐とは言え曹候学生の教え子のモリヤが部外課程で陸上自衛隊に転換して司法試験にまで合格しながら2佐で終わったことが残念でならず、現役中にはエリート・コースを歩んでいる妻と比較されて悔しい思いをしているのではないかと心配していた。それも亭主関白の肥後モッコスらしい気遣いではある。
「それって国際刑事裁判所の検察官のルテナンカーネル(2佐)・モリヤのことですか」「知ってるのかね」「はい、ズテルデ大統領がナバオ市長の頃、ヨーロッパの人権団体がデス・スクワットの麻薬組織の殺害を刑事告発しようとしてモリヤ検察官が現地調査に来たんですが必要な措置として告発見送りにしたそうです。僕たちは告発に反対する生徒のデモを計画したんですが、モリヤ検察官と会ったズテルデ市長が必要ない、勉強に励めと止めさせたんです」「アイツも大した仕事をやってたんだな」山中元3佐は嬉しくなって乾杯すると教育幹部に戻って談笑を続けた。
  1. 2023/06/27(火) 14:40:35|
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6月27日・謎のイタビア航空機墜落事故・事件が発生した。

1980年の明日6月27日に現在も真相が解明されておらず、そのミステリアスな展開から「ウスティカの悲劇」と呼ばれ、イタリアではオペラまで上演されているイタビア航空870便の墜落事故・事件が発生しました。
イタビア航空は1958年に設立され、1981年に運航停止になったイタリアの主に国内便を運航する航空会社でイギリス製の双発プロペラ機のデ・ハビラント104と4発プロペラ機の同114に始まり、1960年代は双発プロペラ機、1970年代になるとアメリカ製のジェット機のダグラスDC9、オランダ製のジェット機のフォッカー28など14機を運航していて、この事故・事件以前にも1960年10月14日にローマ発ジェノバ行きのデ・ハビラント114がエルバ島に墜落して乗客乗員11人全員が死亡、1963年3月30日にペスカーラ発ローマ行きの双発プロペラ機DC3がイタリア半島中央部のソーラ付近の山に墜落して乗客乗員8人全員が死亡、1973年1月1日にボローニャ発トリノ行きのフォッカー28がトリノ空港へ着陸中に墜落して乗客乗員42人のうち38人が死亡する事故を起こしていました。
この日の870便はイタリア半島北部のボローニャ発、コルシカ島北部のパリルモ行きのDC9で乗客77人と乗員4人が搭乗していました。現地時間の午後9時頃、航空管制レーダーがコルシカ島の北方空域を飛行中の870便に接近する未確認飛行物体を発見し、間もなくウスティカ島の北東25キロ付近のティレニア海に墜落したのを確認しました。
直ちに救助隊が現場海域に急行しましたが夜間の上、水深3700メートルだったので捜索は難航しました。それでも深海探査には実績があるフランスの協力を得て最終的に38人の遺骸とフライトレコーダーを含む機体の65パーセントを回収しました。
ところがその後、墜落原因を巡る複雑怪奇な謎が議論を加熱させることになったのです。先ず墜落直前に捕捉された航跡の正体について当時、リビア軍のミグ23が領空侵犯したためイタリア軍機が要撃して追跡すると別のリビア軍機が出現していたことが判明して「未確認飛行物体は空対空ミサイルではないか」との憶測が俎上にのぼり、発射したのが要撃したイタリア軍機なのかリビア軍機の反撃なのか、さらにリビア軍機の亡命を阻止するために後から出現したリビア軍機が発射したとの推理が過熱したのです(NATO軍の地対空ミサイル説まで登場した)。なおリビア軍機は7月18日になってイタリア南部のカラブリアに墜落しているのが発見されました。リビアに疑いが及ぶと機内後部のトイレに爆弾が仕掛けられたとするテロ説まで唱えられ、同年8月にネオ・ファシズム団体が起こしたボローニャ駅爆破事件によって犯人が置き換わりました。
機体の検証を含む事故調査委員会の原因究明でも結論が出なかったにも関わらずイタリアの司法はマスコミが強く主張していたイタリア軍機による空対空ミサイルの誤命中説を採用して空軍の上層部を刑事告発しましたが、公判を維持できるはずがなく全員が無罪になりました。するとマスコミは管制官が相次いで不審な突然死や自死を遂げていることから国家陰謀説にまで言及したのです。ここまでくると本気で考えていたのかが疑わしくなります。
  1. 2023/06/26(月) 15:42:23|
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続・振り向けばイエスタディ531

「アテーン、ハッ(気をつけ)」「映画なんかで見ることがあるが中々決まってるな」西部方面総監部がある健軍駐屯地では時ならぬ英語の号令が響いていた。イギリスからの義勇兵志願者が自費で来日したのを受けてイギリス軍がオーストラリアに派遣していた輸送機をフィリピンと台湾経由で運行して志願者を連れてきたのだ。各国100名近い志願者のうちロシアとの戦闘を希望するイギリス人は東部方面隊、中国希望のフィリピン人と台湾人は西部方面隊に配置された。西部方面総監は早速始まった短期集中式新隊員課程を視察したが意外なほど慣れた英語の号令に感心しながら同行している防衛部長に声を掛けた。方面総監が視察にくれば訓練を中断して将官に対する部隊の敬礼を実施しなければならないが、その時も「アイズ、ハッ(頭、右)」と決めていた。ちなみに顔を受礼者に向けるこの号令は明治初期には「まなこ(眼)、右」と直訳していたが視線だけを向けてしまうため「顔、右」「面(おもて)、右」などとの比較検討の中で今の号令になったそうだ。
「はい、かなり練習に励みましたから」「そう言えば号令調整(号令の発声練習)が聞えていたな」防衛部長の説明に西部方面総監は納得したようにうなずいた。この英語の基本教練の号令はアメリカ軍の模倣だが、陸上自衛隊の駐屯地売店で売っている軍事英語ハンドブックに載っているので班長要員の陸曹も自習できる。ただし、ハンドブックの文章で「気をつけ」は「アテンション」と記述しているので「アテーン」を予令にして動令を「ハッ」で決めるのは「アン・オフィサー・アンド・ア・ジェントルマン(邦題『愛と青春の旅立ち』)」や「フルメタル・ジャケット」などの軍隊映画で学習したのかも知れない。
「明日からは執銃教練もやらせる予定ですが、義勇兵は戦闘には参加させないんですよね」「うん、後方支援連隊に配属することになる。沖縄戦における鉄血勤皇隊のような活躍を期待しよう」石田政権としては外国人に国内で武器を使用させることに難色を示す沢国家公安委員長や才藤法務大臣の意見を採用して拒否する方針だったが、イギリスの志願者は自費だったため手配が間に合わず、在日イギリス大使館が外務省と防衛省に手を回して体験入隊扱いで訓練を受けさせて予備自衛官に指定して招集することが決定している。
鉄血勤皇隊とは沖縄戦で女学校の生徒を看護・衛生要員として徴用したひめゆり部隊と同様に男子生徒を陣地構築や弾薬運搬、調理や通信伝令などの非戦闘業務に動員した学徒部隊だ。現在の沖縄では元鉄血勤皇隊でも前線の陣地よりもはるかに安全な司令部壕内での通信と伝令に当たっていた沖縄県知事が琉球大学の教授時代に「鉄血勤皇隊も戦闘に参加させられた」「日本兵に弾除けにされた」「竹竿に銃剣をつけて突撃した」などと虚偽の歴史を教え、それが史実化しているが、前線での体験者によれば「士官は生徒が武器に触れることも禁じたが、下士官や兵たちは『護身のために』と弾込めと射ち方を教えてくれた」「弾薬を運ぶと銃座の兵隊が全滅していたので仇討ちとして機関銃を射った」と語っていた。鉄血勤皇隊は戦闘に参加しなくても敵弾が飛び交う中、陣地の銃座に弾薬や食料を運んでいた。義勇兵たちもこの任務を果たしてくれれば確実に戦力になる。
「この義勇兵たちは妙に呑み込みが早いようですが、どちらも徴兵経験者なんですかね」「台湾には徴兵制があるがフィリピンにはないだろう」「勉強不足ですみません」防衛部長の独り言に近い評価と推理に西部方面総監が鋭く反応した。台湾では親中の国民党政権は民主化の名目で徴兵制の廃止を公約するが、政権交代すると中国が軍事的圧力を強めてくるため実現できず、むしろ4ヶ月間の教育兵役が実任務を伴う1年間に延長されている。フィリピンではコラリー・アキノ政権以降、中国人華僑の傀儡政権が続き、中国を仮想敵国とする軍備増強には否定的だった。とは言え西部方面総監も北部方面総監や北部航空方面隊司令官、前の西部航空方面隊司令官と防衛大学校の同期なので先日、勧奨退職した伊藤佳織候補生・元モリヤ将補、現ノザキ佳織とも前川原の同期だった。そのWACとしては出色の同期が防衛駐在官として赴任したフィリピンに興味を持って調べただけで特に勉強した訳ではなかった。一方、前の西部航空方面隊司令官の曽祖父は太平洋戦史に登場する有名な提督で、航空自衛隊の幹部候補生学校の戦史のミッドウェイ海戦の課題研究の討論会で同期たちは流石に曾孫の前で「アイツが悪い」とは言えず困ったらしい。市ヶ谷へ転属した前の西部航空方面隊司令官は今でも「祖父さんの汚名を雪ぎたい」と電話をかけてくる。
「確かに台湾軍とフィリピン軍が自軍の下士官に対中国戦を経験させたいと送り込んでくる可能性は否定できないな」「そうなると秘密保全には気をつけないといけません」「むしろ教訓を持ち帰ってもらえるように配慮した取り扱いを心がけてくれ」意外な指示に防衛部長が困惑しているとグランドでは陸曹が陸士を使って次の動作の展示を始めた。
「フォワード・マーチ、ハッ」どうやら「前へ進め」らしい。ハンドブックでは「フォワード・マーチ」としか記述していないので動令は自己判断でつけ加えたようだ。続いて陸曹は「ワン、ワン、ワンツー」と歩調を数え、「リズムカウント、ハッ」とやらかした。正解は「バイ・ザ・ナンバー」だ。
  1. 2023/06/26(月) 15:41:00|
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田舎の年寄りにマイナンバー・カードは無理だ。

先日閉会した国会ではマイナンバー・カードを巡る登録ミスや混乱の事例が次々に紹介されていましたが、カード作成の案内が届く度に問い合わせ窓口に電話して「インターネットやメールを利用していると人間の意図とは関係なく機械の勝手な判断基準で文書を削除されたり、受付を拒否されたりする。この程度の完成度しか持たない機械に公的業務を代行させるのには反対だ」「メールの不具合の問い合わせ先が中国になっていることがよくある。日本の公的情報の委託先は職員を含めて完全な国内企業なのか。それが証明されない限り登録には応じない」と連絡している野僧としては「やっぱりな」と納得し、それでも政府は健康保険のマイナンバー・カードとの統一を強行しようとしていることに強い危機感を覚えていました。
同様に可否の問い合わせもなく中央官庁と政府が勝手に決定し、国民に税金とは別に少なからぬ出費を強要することを当然視するように実施期日を命令し、スイッチを入れて番組が見られれば満足な一般の視聴者が頼んだ覚えがない新機能の宣伝と準備に関する情報を秒読み的に垂れ流し、実行された結果、かえって多大な迷惑を被った事例として2011年7月24日のテレビ電波の地上デジタルへの移行を思い出します。
結局、地上デジタルへの移行は都市部の若者の携帯電話の蔓延によって使用する電波が不足して今後のスマートホンの普及に対応できないと言う危機感を抱いた総務省の官僚がテレビの地上アナログの転用を考えたのですが、当地は携帯電話のアンテナが立っておらず、現在も携帯電話やスマートホンを保有していない野僧にはアナログの頃には視聴できた福岡県のフジテレビ系列とテレビ東京系列の局が映らなくなって情報が大幅に縮小された損失=不利益だけで得たモノ=受益は何もありません。
今回も都市部の地方自治体にとっては膨大な住民の情報を電子化することによる業務の効率化は極めて大きく、何よりも収入を否応もなく把握できるようになれば課税逃れを一掃できるので一刻も早く実現しなければならないのでしょうが、昨日、JR東日本で発生した電子トラブルのニュースを見て「それは絶対に無理だ」と実感しました。昨日の深夜に発生したJR東日本のシステム障害によってカードやスマートホン決済による切符の購入や乗車券の予約などが不可能になったそうですが、そのマスコミに影響=被害を訊かれている利用者は「普段、現金は持ち歩いていないのでsuicaを使えなくなるとどうしようもできなくなります」と答えていました。つまり都市部では現金を持ち歩かない生活が日常化していて、それが停止する事態を想定しないほど信用していると言うことになります。
確かに紙幣に描かれている人物の変更が発表された時、街角インタビューで感想を訊かれていた都市部の住人たちは「お金は使わないので関係ない」と答え、解説者も「予算や労力を考えれば今更必要ないでしょう」と語っていましたが、そんな別世界の住人と役所の勝手を自治会の集金のために毎月会合を開いている田舎に強要されてもついていけるはずがなく、地上デジタル移行の時のように腹が立つのを堪えながら耐え難きを絶え、忍び難きを忍んで寿命を縮めることになるのでしょう。長生きしても良いことはなさそうです。
  1. 2023/06/25(日) 14:50:49|
  2. 常々臭ッ(つねづねくさッ)
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続・振り向けばイエスタディ530

「日本軍が反転攻勢の準備を進めている」新潟のロシア軍の司令官・ステセリフ少将が極東軍管区司令部に悲痛な声で連絡してきた。ロシア軍ではウクライナ侵攻において絶大な威力を発揮した対人地雷・POM3を北海道東岸でも大量に散布していたが、緒戦では知識不足の陸上自衛隊に損害を与えてウクライナ軍と同様の効果があったものの制空権を確保している自衛隊はヘリコプターや無人偵察機に高精度の金属探知機を搭載して進軍経路を確認し始めた。そして金属製のPOM3を発見すると何故か起爆させずに接近して迅速に排除している。このため網走に続いて道東でもロシア軍地上部隊は風前の灯火になっていた。
「北海道から戦車100両を山形に上陸させて南下を開始した。どうして艦艇で阻止してくれなかったんだ」「日本海軍は主力艦を太平洋航路に派遣していて周辺海域には海防艦(地方隊所属の近海用護衛艦)しかいなかった。しかし、イギリス海軍が日本海に空母艦隊を派遣して日本海軍と協同で示威行動を開始している。だから我が軍の艦艇の行動も制約を受けているんだ。イギリスを怒らせたのは君たちだろう」「北朝鮮だ・・・」ステセリフ少将の批判に極東軍管区司令部の高級参謀は説明しながら反論した。ウクライナ侵攻の支援疲れで日本を巡る武力紛争には関心を示さなかったNATO諸国の中でイギリスが単独で本格的介入に踏み切ったのは現地取材に入っていた新聞記者2名のうち男性が対人地雷で死亡し、女性が拘束されて性的暴行を受けたことが世論に火を点けたからだ。2人が取材のために潜入したのは派遣されている新潟市郊外にある北朝鮮軍の宿営地の小学校だった。しかし、この口調では必ずしも同盟軍として一体化している訳ではないようだ。その点はウクライナ侵攻において常に危険な任務を命じられながら弾薬や食料の補給は後回しにされ、負傷しても衛生隊に無視・放置されたと言う民間傭兵会社に近く、自国民に代わって国家の軍事行動を担う英雄的恩人として国民の絶大な尊敬を集めているフランス外人部隊とは真逆だ。7月14日の革命記念日の軍事パレードで外人部隊が最後尾を歩くのも部隊の序列とは別に観衆が取り囲んで感謝の意を表するため隊列が維持できないことが大きい。
「それじゃあ戦力の増強も輸送機に限定されるんだな」「輸送機も日本空軍に撃墜されて機数が減っているから食料と弾薬が滞らないだけでも有り難いと思ってくれ」高級参謀の恩着せがましい言い方にステセリフ少将は怒りながらも補給が途絶えて悲惨な状況に陥っていたと聞いている北海道の上陸部隊を思って口にはしなかった。極東軍管区では中国の要請を受けて介入した日本への侵攻の「主導権を握れ」と言うモスクワからの内命を受けて本州の中央部の新潟に主力部隊を上陸させたが、日本海の制空・制海権を奪取した時点で増強するはずの後続部隊は弾道ミサイルが海上自衛隊のイージス護衛艦によって次々に撃破されて航空基地を破壊できずいまだに派遣できていない。それでも食料と弾薬だけは輸送機で新潟空港まで届いているが、陸上自衛隊の携帯式地対空ミサイルも加わって撃墜が相次ぎ、着陸を避けて上空からの物資投下でつないでいる状況だ。北海道では畑の馬鈴薯や玉蜀黍を収穫して飢えをしのいだらしいが、刈り残してあった新潟の米は広大な稲田で立ち枯れして朽ちていくのを放置していた。
「日本陸軍歩兵部隊のゲリラ戦によって我が軍の戦車や装甲車両の半数は破壊されている。稼働両数で言えばすでに新潟地域に展開している戦車連隊と互角だ。ここに北海道から増強されれば倍数の戦車と交戦することになる。そもそも我が軍の戦車はソビエト連邦時代のT-80だ。日本陸軍の90式や10式に比べれば1世代古い」「しかし、日本陸軍の戦車は実戦経験を持たないがTー80は歴戦の傑作戦車だ。日本軍の国産兵器は海軍のゼロ(零式艦上戦闘機)の時代から机上の論理で設計されているから数字上の性能は優れていても完成度では劣るのは知っているだろう。74式は油圧サスペンションで姿勢を自在に変えられるのが自慢だったが、キャタビラの脱落が頻発して自慢の機能は封印していた。その程度の高級戦車が幾らあっても車体、乗員共に実戦で鍛えられた我が軍の敵ではない」高級参謀の見解に知日派のステセリフ少将は半分は納得せざるを得なかった。帝国海軍の零式艦上戦闘機は敗戦後も日本では傑作機扱いされているが、海軍が要求した無理難題に等しい飛行速度や航続距離、運動性を実現するため設計技師の堀越二郎は軍用機には必要不可欠の防弾性を無視して機体を軽量化した。ただし、ソビエト連邦軍が仮想敵として研究していたのは満州の関東軍が運用していた中島飛行機の糸山英夫が設計した1式戦闘機・隼なので軍用機としての完成度は高い。つまりこれも机上で勉強した知識だった。
「せめてカモフ52を可能な限り配備してくれ。ウクライナでも威力を発揮しただろう」「カモフはそのウクライナで消耗した上、我が軍管区の手持ちは北海道で使い切ってしまった」ステセリフ少将の懇願も高級参謀は即座に拒否した。この調子では兵隊に続いて攻撃ヘリコプターまで北朝鮮からデビューしてから半世紀のミル24を派遣すると言い出しかねない。それでも映画「レッド・ダウン(邦題『若き勇者たち』)」や「ランボー3・怒りのアフガン」で有名になったミル24は強力な攻撃力に最小限の人員輸送力も兼ね備えた多用途機なので支障なく飛ばせる機体であれば使い道がないことはない。とは言え北朝鮮では日本で最低水準の島根県と大差がない国家予算の大半を弾道ミサイルと核兵器の開発に注ぎ込んでいるので整備に必要な部品を調達しているとも思えない。
  1. 2023/06/25(日) 14:49:41|
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防衛=軍事産業の国営化が世界の軍事常識な訳

国内の防衛産業を支援する生産基盤法の成立を受けて政府は事業継続が困難になった防衛産業の工場を国が買い上げて製造を継続するだけでなく、帝国陸海軍や外国軍の「工廠(こうしょう)」のように国が工場を建設して装備品を製造することも可能とする方針のようです。
軍直営の軍需工場だった工廠で陸軍は主に銃器と火砲、弾薬を製造していて当初は東京、大阪に建設されましたが地方分散を図って名古屋や小倉、南満州にも機能を移転・拡張して戦時中はミャンマーやボルネオ、スマトラ、ジャワにも建設しました。海軍は艦艇でも一般の造船とは異なる技術を要する潜水艦などの建造とドッグに入れての修理、搭載する艦砲や銃器、弾薬、魚雷、航空機の照準器や計器、さらに燃料などを製造していてドッグでの修理の関係で呉、横須賀、舞鶴、佐世保の各鎮守府内(大湊は修理工場)や広島県の広、愛知県の豊川、神奈川県の高座と相模、山口県の光、宮城県の多賀城、三重県の鈴鹿と津、静岡県の沼津、長崎県の川棚に所在しました。
陸軍は海軍に比べて戦車や車両などの工業生産品の調達には熱心ではなく、後に航空機を導入するようになってようやく連携を図るようになりました。一方の海軍はイギリスを中心とするヨーロッパ各国で建造した艦艇を使用して日本の造船技術を先導する役割を果たしていましたが、航空機に関しては出遅れの感は否めず日本の航空技術の最高峰・糸山英夫博士を擁する中島飛行機を陸軍に独占されたため机上の論理のみで軍用機に必要な総合力を理解しない堀越二郎くんを重用する後発参入の三重工の欠陥品を採用することになりました。
敗戦後の防衛産業は戦前戦中に国家総動員で多くの企業が陸海軍の兵器を大増産したのとは反対にマスコミが「兵器工場」「死の商人」と言うレッテルを貼り、労働組合の従業員が作業を拒否するなど参入すること自体に困難を伴い、戦前から武器や航空機、艦艇などを製造していた企業が技術と歴史の継承として製造を再開したのです。
ところが昭和42(1967)年の佐藤栄作首相による国会答弁で「武器輸出三原則」が確定したため日本の防衛産業は海外に製品を輸出することは事実上、禁止されて必要最小限の調達数しかない自衛隊への納入価格で工場の維持運営費に従業員の給与と企業収益(国産であれば開発費も)を回収しなければならなくなり、価格は極めて割高になりました。
防衛庁も開発費を企業の損失にさせないために競合する他国の同様の兵器に比べて性能や価格が落ちても国産を採用する軍事の常識を逸脱した対応を続けた結果、日本の防衛産業は競争力を身につけないまま御用産業化してきたのです。
このように決して儲からない事業では企業は需要=自衛隊の調達予定を越えた工場の製造施設や工作機械、材料の在庫、予備の部品、技術者などを維持することはできず、戦争準備の段階で大幅な調達数量の増加を要求されても対応できるはずがなく、ましてや戦時の大量の消費や装備品の損耗には輸入原材料の遮断も加わって為す術がありません。
ここまでおんぶ抱っこしているのならばいっそのこと防衛産業を国営=工廠にして利益を度外視した製造能力を確保することは防衛力の基盤構築として必要です。
  1. 2023/06/24(土) 15:16:35|
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続・振り向けばイエスタディ529

「末広くん、北海道制圧作戦は順調なようだね」「これは統合幕僚長閣下自ら何事ですか」網走地区、道東地域のロシア軍の捜索と捕獲が順調に進んでいる中、北部方面総監に統合幕僚長から電話が入った。勿論、秘匿装置を介している。統合幕僚長は北部方面総監から陸上総隊司令官、陸上幕僚長を経由しての昇格だから旧知の仲ではあるが、防衛大学校の学閥に属さない東京大学卒なので特に親しい訳ではなかった。
「ロシア軍は極東方面の揚陸艦、輸送艦の大半を中国に売却した上、ウクライナ侵攻で輸送機、輸送ヘリを大量に失っているから2正面での上陸作戦は無理なんだ。その後もヨーロッパ方面から移動させている形跡はない」「おかげで助かっています」返事をしながら北部方面総監はウクライナ侵攻の緒戦でクリミア半島の軍港に停泊していたロシア海軍黒海艦隊の輸送艦がウクライナ軍のミサイル攻撃で撃沈されたニュースを思い出した。第1次日露戦争の時でさえロシア軍は北欧のバルト海からユーラシアとアフリカ大陸を周回させて極東までバルチック艦隊を増援に向かわせているのだから輸送艦が足らないとなれば派遣してくる可能性はあった。ところが北欧では隣国のフィンランドと対岸のスウェーデンがNATOに加盟して敵対国に加わったため黒海艦隊と同様にバルト海の艦隊を割くことはできず窮余の策としてオホーツク海航路のフェリーや千島離島航路の連絡船を徴用したようだ。ヘリコプターと輸送機は緒戦に投入しただけで在庫一掃だったらしい。
「それで君が持っている陸上自衛隊最強の戦力も温存される形になったんだが・・・」「そうなんです。私としては我が国への脅威を根絶するために敵の根拠地を占領したいと考えています」北部方面総監は統合幕僚長の言葉を遮って持論を披瀝した。すると統合幕僚長が電話口で苦笑した鼻息が聞えた。この様子では北方領土奪還作戦・アタッテクダケロ2×の存在を知っているのかも知れない。かつて自衛隊生徒から防衛大学校に進学した志賀北部方面総監が陸曹が陸士よりも多い階級構成が指揮系統を阻害すると決めつけて曹候補士の終身雇用契約を無視して一律に退職させた不当人事については緘口令が徹底していて他の方面隊の人事担当者でさえ知らなかった。それを思うと作戦計画の秘密保全が甘いようだが北部方面総監の思いつきによる研究に過ぎないので正式な防衛秘密には指定していない。
「末広くんは鹿児島出身だったよな。まるで山口県人のような発想をするんだな」「山口県とは薩長同盟を結びましたが仲良くはないですよ。あれは土佐の武器商人が商売のために内戦を起こそうと仲介しただけで鹿児島には足手まといでした」北部方面総監の返答に江戸っ子の統合幕僚長は苦笑の鼻息を繰り返した。確かに山口県=毛利藩は討幕派と佐幕派が藩内抗争を繰り広げた上、粛清と内乱まで起こしているので有能な人材は残っておらず、人脈で明治政府の中枢の座を占めると職権乱用を常習化して新国家を混乱させた。その点が島津斉彬が発掘して教育した人材を島津久光が政争の渦中に投入して実践経験を積ませた鹿児島県=島津藩とは違う。
「山口陸軍閥の長岡外史中将は日露戦争の時、日本の優勢が固まるとロシアが停戦交渉に応じると表明したのにつけ入って屯田兵で南樺太を占領したんだ。正規軍の第7師団は旅順要塞攻城戦に投入されてそのまま奉天会戦に転用されていたからその留守番まで使って侵略を拡大した。強烈な野心には恐れ入るよ」「あの時の第7師団長は薩摩っぽの大迫尚敏中将でした。優れた漢詩人で息子さんを旅順戦で亡くされ、学習院の院長を務めて全てにおいて乃木の上をいっておられるのですがネットなんかで『薩摩の乃木』と呼ばれているのを見ると腹が立ちます」日本陸軍の北海道の第7師団は屯田兵本部長・司令官から就任した初代師団長の永山武四郎中将も鹿児島県人なので熱い郷土愛が沸き起こってくるのかも知れない。
「君の職責を担えば北方領土を占領して脅威を根絶すると言う発想になることは理解するが、我が自衛隊の戦力はそこまで潤沢じゃあない」「と仰いますと」統合幕僚長の口調が業務用になったので北部方面総監は席に座ったまま姿勢を正した。
「現在の第7師団を新潟に派遣してもらいたい。青函フェリーで苫小牧港から酒田港まで輸送してそこからは自走で南下する」「青函フェリーには国後島まで運搬させるつもりでしたが」「国後島に近づけば地対艦ミサイルの標的になる。航空に事前に叩いてもらうつもりだったか」統合幕僚長は腹の中を見透かしているようだ。若しかすると次第に話が具体的になってきて困惑した北部航空方面隊司令官が東京の上層部に相談して、それを聞いた統合幕僚長が「これは好都合」とばかりに乗り出してきた可能性もある。まさしく「渡りに船」だろう。
「現在の青函フェリー5隻で運べる戦車は100両程度です。つまり7師団の保有数の半分しか運べません。離島の制圧には十分でもロシアが全力を挙げて増強してくる新潟では焼け石に水なんでは」「今後はロシアに日本海を横断させないから大丈夫だ」北部方面総監の遠回しの反論に統合幕僚長は自信をもって即答した。これは参戦した方が良さそうだ。
  1. 2023/06/24(土) 15:13:32|
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6月24日・伊52が大西洋で撃沈された。

昭和19(1944)年の明日6月24日にドイツに派遣された日本海軍の潜水艦・伊52が大西洋の水深4000メートルの海域でアメリカ海軍の空母艦載機に撃沈されました。
伊52は昭和18(1943)年に呉海軍工廠で竣工した最新鋭潜水艦で就役後は各鎮守府(海上自衛隊では地方隊)に配属されていた潜水艦を一元運用するために昭和15(1940)年に新編されていた第6艦隊で各種任務に当たっていました。
昭和44(1944)年3月10日に技術習得のためナチス・ドイツに派遣される技術者(富士電機、富士通信機製造、東京計器、日本光学、愛知時計電機が各1名、三菱重工が2名)の輸送とナイス・ドイツでの最新兵器の受領と運搬の任務を帯びてフランス北西部の大西洋沿岸のロリアン軍港に向けて呉基地を出港しました。
日本海軍がナチス・ドイツに潜水艦を派遣するのは5回目で、1回目は伊30が昭和17(1942)年4月11日に呉基地を出港して8月6日にロリアン軍港に到着しましたが帰路にシンガポール港でイギリス軍が残置した浮遊機雷に触れて沈没しました。2回目は伊8が昭和18(1943)年6月1日にナチス・ドイツから譲渡されたUボート・U1224を回航する乗員を乗せて呉基地を出港して8月31日にフランス最大のブレスト軍港に到着、帰路は駐ドイツ海軍武官を同乗させて12月21日に帰還を果たしました。しかし、U1224=呂501は大西洋中央部でアメリカ海軍の空母艦載機に撃沈されました。3回目はキスカ島方面で活躍した伊34が昭和18(1943)年10月13日に呉基地を出港しましたが暗号を解読して待ち伏せしていたイギリス海軍の潜水艦にマラッカ海峡で11月13日に撃沈されました。4回目は伊29が昭和18(1943)年11月5日に後任の駐ドイツ海軍武官や航空機と電波兵器の技術士官、海軍大学校のドイツ語教授など17名を同乗させて呉基地を出港し、翌年3月11日にロシアン軍港に到着しましたが18名を同乗させた帰路にフィリピン沖のバシー海峡でアメリカ海軍の潜水艦に7月26日に撃沈されました。ただし、技術士官1名がシンガポールから輸送機で帰国したためメッサーシュミット262のジェットエンジンとメッサーシュミット163の液体ロケットエンジンの設計図が日本に届き、橘花と秋水になりました。
伊52はシンガポールに寄港中にナチス・ドイツから技術供与の対価として請求された錫やモリブデン、タングステンなどの鉱物資源やアヘン、ニキーネなどの薬物、天然ゴムなどを大量に購入して搭載し、4月27日に出港しました。しかし、この時点でアメリカ海軍は伊52の行動を把握していて5月20日に大西洋に入り、6月4日に赤道を越えた頃には攻撃準備を整えて、6月23日に潜水艦用レーダーを設置するために大西洋上でUボートと接触した時の交信で位置を特定してスペイン沖で航行中の空母1隻と駆逐艦5隻の艦隊を派遣すると艦載雷撃機を発艦させて23日の午後11時20分と24日の午前1時に反復攻撃を加えたのです。
この時の模様は1997年放送のNHKスペシャル「消えた潜水艦伊52」で海中での全速力のエンジン音と爆発から圧壊までの実録音声が流れ、伊52に積まれていた駐ドイツ大使館の活動資金用の金塊を狙う探索会社が撮影した海底に横たわる艦体の映像が放送されたため非常なリアリティーをもって追体験しました。
  1. 2023/06/23(金) 15:43:06|
  2. 日記(暦)
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続・振り向けばイエスタディ528

北部航空方面隊から届いた資料によれば国後島の基地を発進したロシア軍のヘリコプターの道東上空の徘徊は距離が近いだけに想像以上の頻度だった。航空自衛隊は襟裳岬沖で第2航空団のFー15を空中待機させているが釧路演習場に配備している第2移動警戒隊のレーダー・J/TPSー102Aが捕捉できないほどの低高度で侵入されると要撃が間に合わず、知床半島に展開していた改良ホークや普通科中隊の携帯SAMで対処することになった。それで撃墜してもそれまでに通過した地域にはPOM3をばら撒いているので別海駐屯地の第3中隊に続いて帯広駐屯地から根釧台地全域に展開しようとした第27普通科連隊も大きな損害を被った。ただし、陸上自衛隊では1997年12月3日のオタワ条約で禁止されるまで保有していた自前の対人地雷以上の認識を持たず、本体の信管を踏まないように、信管につながるワイヤーを引っ掛けないように未舗装の道路では車両の轍を選んで歩き、不整地では足元に注意を払うことが対策で、人間の徒歩による地面の振動で起爆するPOM3には為す術(すべ)がなかった。
「移動は車両がなければ自転車にしろ」「つまり銀輪部隊ですね」北部方面隊から届いたPOM3の資料を熟読した旅団長は第3部長に対策を指示した。資料によればPOM3は本体とは別の電子信管=センサーが2足歩行の人間特有の振動を識別して起爆させるとある。つまり突撃路を啓開することを使用目的とする92式地雷原処理車のロケットや70式地雷原爆破装置では役に立たない。むしろ4足歩行の動物や車両などには反応しないのでそれを逆手に取ろうと言うのだ。
銀輪部隊は対米英中戦争の開戦前のフランスのナチス・ドイツへの降伏を受けて植民地のベトナムに進駐した作戦に始まり、緒戦のマレー半島南進やフィリピン戦線でも活躍した自転車に乗った部隊の愛称だ。昭和16年12月8日にマレー半島に上陸して部隊編成を整えた日本陸軍がシンガポールに向けて南進するのに物資を積んだトラックの輜重部隊と徒歩の歩兵の進撃速度の差が問題になった。すると当時の東南アジアではアジア人の体格に合っていて品質が良い日本製の自転車が普及していたから現地で調達して歩兵に使わせたのが始まりだった(通常は馬の指揮官も自転車に乗った)。すると自転車はトラックが通れない狭い道でも通過できて川も担いで渡ることができるので先行するようになり、やがて工兵も自転車に乗らせて先に道路や橋を整備してトラックを追いつかせるようになった。しかし、あくまでも現地調達による応用動作なので帝国陸軍が正式採用することはなく他の戦線で踏襲・模倣されることはなかった。
「と言っても現在のロシア軍は集落に潜伏しているだけで戦闘は発生していません」「時々、野生動物を銃で捕獲しているのを見つけますが、こちらに気がつくと逃げ出します」「畑でも同様です」「川で遡上してくる鮭を獲っていて熊に襲われた兵隊もいました」旅団長の妙案に一様に感心した後、若手の幕僚たちが現状報告で必要性を否定し始めた。道東のロシア軍は全域が自衛隊に奪還されているためラジオ放送の隠語などで事前連絡した地域にヘリコプターが最低限の物資を投下しているがそれも途絶えがちになっている。それでも中標津町周辺は北海道でも有数の馬鈴薯の産地であり、葉物野菜とは違って土中で保存が利くから食糧事情はそれほど悲惨ではない。それにしても川で羆に襲われた兵隊には同情してしまう。
「何時までもロシア軍を放牧しておく訳にはいかないんだ。そろそろ捕獲するか駆逐するぞ」若手の幕僚たちが自分の失言に気がついて一斉に黙ると旅団幕僚長が真意を代弁した。つまり第5旅団が反転攻勢に出るに当たっての対策と言うことだ。
「美幌から6(即応起動)連隊が北への退路を断ち、27普連と4普連が2戦車と共同で掃討作戦を展開する。道東の市街地と集落を漏れなく捜索して1人残らず見つけ出せ」「要するに治安出動として不法侵入者を逮捕しろと言われるのですね」旅団幕僚長の代弁を受けて1部長が補足した。ロシア軍が攻勢に出るか、激しく抵抗すれば戦闘として撃滅すれば良いのだが現状では不法侵入者以上の存在ではない。投降したロシア兵を帯広で取り調べている第121地区警務隊も戦争法に基づく捕虜ではなく不法入国、武器等の不法所持などの犯罪者として処理しているらしい。そうなると治安出動としての警察権の行使で対応せざるを得ない。
「ところで総監が言われていた北方領土奪還作戦はどうなりましたか」唐突に3部長が妙な話題を持ち出した。陸上自衛隊では防衛出動は作戦と部隊運用を担当する3部、3科の独壇場になるが治安出動では警察との綿密な調整が必要になるため1部、1科の果たす役割が大きくなる。その微妙な空気を読んで搔き乱そうとしたようだ。
「アタッテクダケロ2×(西暦の下二桁)のことか・・・あれは7師団と11旅団の担当らしい」質問には旅団幕僚長が答えた。北部方面隊としてはロシア軍が参戦すれば空挺部隊による道央への奇襲に続き、道北と道東から大軍で侵攻してきて迎え撃つ2個師団と2個旅団で壮絶な地上戦を繰り広げる作戦構想だった。ところがウクライナ侵攻で消耗した戦力は想像以上に脆弱で1個師団、1個旅団で十分に対応できる程度の部隊しか上陸させず、陸上自衛隊唯一の機甲師団と「士魂」を受け継ぐ1個旅団は宝の持ち腐れになってしまった。そこで方面総監が言い出したのが北方領土奪還作戦・アタッテクダケロ2×だ。実は防衛大学校の同期の北部航空方面隊司令官とは個人的に話をしているらしい(海上自衛隊の大湊地方総監は一般(部外)幹部候補生出身)。
  1. 2023/06/23(金) 15:41:42|
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天皇は先代=平成の天皇の過ちを国民に謝罪せよ。

今までのパターンで行けば東南アジアの皇室外交はタイ王国から始めるはずですが救国クーデターによって成立した現政権との接触を避けるためなのか今回はインドネシアを訪問しました。
インドネシアでは皇后が体調を整えるために静養したので2日目から本格始動し、インドネシアの独立に貢献した政治家や軍人、市民が埋葬されているカリバタ英雄墓苑に夫婦で献花しました。するとここでインドネシア独立戦争に参戦した残留日本兵の遺族と面会したようです。
インドネシア独立戦争では日本軍が武装解除した武器と弾薬を奪うため倉庫を襲撃して警備に当たっていた日本軍捕虜を殺害したのですが、倒れた日本兵が流れ出る血を指につけて壁に「インドネシアの独立を祈る」「インドネシア国民に栄光あれ」と書いていたことが新聞で大々的に報じられると日本軍捕虜たちが続々と脱走して革命軍に参戦したので現在もインドネシアでは親日家が非常に多いのです。これが残留日本兵で同様の史実はベトナムなどでもありました。
ところが平成の天皇は自分の代になって来日したオランダの前女王だけでなく1967年=戦後生まれの現在の国王が来日した時の宮中晩餐会の挨拶でも日本軍によってオランダのインドネシアの植民地支配が終わったことを謝罪しました。しかし、オランダの植民地支配は自分が快適な文化生活を送るためとは言え道路や鉄道、港湾施設、上下水の整備を進めたイギリスやフランスとは違って完全な奴隷扱いで、教育すら行わず過酷な労働を強いていたのです(日本軍が占領した時点でのインドネシアの識字率は東南アジアで最低だったと言われている)。そのため日本軍の進攻に際しては道案内や食料、宿舎の提供だけでなくオランダ軍に偽情報を流して混乱させるなど現地人が全面的に協力して上陸から9日間で降伏させました。
おそらく今の天皇も発言を聞く限り、先代=平成の天皇から教え込まれた先々代=昭和の陛下を戦争犯罪者として戦前の日本を軍国国家と全面的に断罪する自虐史観で東南アジアを見ていたようですが今回の面会でそれが過ちであることに気づいたはずです。
この他にも平成の天皇はインパール作戦の失敗で撤退してくる日本軍から強奪した武器でミャンマーの官公庁で業務の指導に当たっていた派遣職員や学校の教員、土木工事の現場監督などを無差別大量殺害したアウンサンの娘に日本による占領政策を謝罪していますが、東南アジアにおける日本の占領政策は近い将来の独立に向けた準備として政治組織と法令の制定、学校教育の普及、衛生医療機関の設置、道路網や農業用水、井戸の掘削などのインフラ整備と産業の育成を推進するもので独立運動が民族紛争化したアフリカと違って東南アジア諸国が日本の敗戦後に戦勝国による再植民地化を拒絶して相次いで独立を果たし、大きな混乱もなく国家を建設したのはその成果=証拠でした。
さらに平成の天皇は戦没者慰霊に熱心だったと言われていますが、その弔辞は常に国命・国運に殉じた英霊を哀れな犠牲者扱いして誹謗・侮辱するもので同じ文面をカリバタ戦没者墓苑で読めばインドネシアから失望と怒りの声が上がったことでしょう。
本来であれば昭和の陛下の崩御を以て敗戦に伴う謂われなき罪科も解消されるべきでしたが平成の天皇によって30年の長きにわたって延長されました。息子としてではなく後任としてその過ちを謝罪せよ。
  1. 2023/06/22(木) 13:52:15|
  2. 時事阿呆談
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続・振り向けばイエスタディ527

「ロシア軍は対人地雷を多用しますね」「この間の雪うさぎのラジオのニュースでも新潟に潜入取材していたイギリス人記者が宿営地のPOM3で死んだらしい」「POM3を使ってるとなると厄介だな」同じ頃、道東の根釧台地でロシア軍の掃討作戦を開始している第5旅団では国後島から飛来したヘリコプターが大量にばら撒いた対人地雷に苦慮していた。
中でもPOM3は従来の対人地雷のように人間が踏んだり、ワイヤーなどに引っ掛からなくても電子信管が振動に反応し、それを動物や車両などの機械と識別して作動する。そのため普通科が徒歩であれば戦車が先導しても人間に反応してしまう。作動すると円筒状の本体が1メートルから1.5メートルまで発射されて爆発し、1850個の金属片を16メートルの範囲に飛散させる。8メートル以内では防弾ヘルメットや防弾チョッキも貫通して戦死する可能性がかなり高い。POM3は埋設する必要がないので上空からばら撒けば十分なのだ。
「ウクライナ軍の反転攻勢でも地雷原に遭遇した部隊の損害が甚大で予定外の苦戦を強いられたらしいが、ウチもかなり苦労しそうだな」「70式では反応しない上、92式で誘爆させるのも困難なようです」「サミダレかァ、懐かしいな」陸上自衛隊は外国の陸軍では類似品を聞かない地雷排除装置を実用化している。それはロケットが長い爆索を引いて飛び、地面を擦ることで敵が陣地前面に埋設している対人地雷を起爆させる70式地雷原爆破装置で、西部方面隊では鎖を広げて飛んでゆく姿からサミダレと呼んでいるそうだ。一方、70式は射程距離が550メートルなので突撃線を啓開するには小銃や機関銃の弾丸が十分に届く地点(KP=キル・ポイント)まで接近する必要があり、起爆させる効果にも疑問が指摘されて新たに開発されたのが92式地雷原処理車だ。これは新型のロケット弾を73式装甲車に搭載した車両の名称だが、ロケット弾も大幅に改良されていて上空でパラシュートが開いて弾体後部から26個の爆薬が着いた500メートルほどの長さのワイヤーが引き出され、地上で爆発することで対人地雷を処理する言うものだ。これなら振動起爆式のPOM3本体は破壊できなくてもアンテナや電子信管などの精密部品を破壊できる可能性はあるはずだ。
「ロシア軍のヘリコプターの飛行経路は判っているのか」「航空の三沢に問い合わせました。撃墜したヘリも形見のように撒いていますからかなり広範囲になります」旅団幕僚長の質問には情報担当の2部長が答えた。旅団幕僚長としてはヘリコプターが通過した経路と地上部隊の活動地域が重なる範囲を排除作業の対象に指定するつもりらしい。
道東へのロシア軍の侵攻はヘリコプターによる空輸が中心だったため旅団司令部としても三沢基地の北部航空方面隊指揮所から防空情報の収集に努めてきた。現在は矢臼別演習場の野戦陣地で指揮活動を実施しているため問い合わせに対して襟裳岬のレーダーサイトから兵器管制幹部の伝令が車両で資料を届けに来て質疑応答していった。
「ヘリの搭乗員の捕虜もいたはずだが」「そちらは121警務隊に尋問を依頼していますが一切答えないようです」「流石に飛行士官ともなる度胸の座り方が違うようだな」敗戦後の日本では治安維持法を担当する特別高等警察が行った政治思想犯の摘発と拷問を民間人に対する職務権限がなかった陸軍の憲兵に押しつけているのでナチス・ドイツのゲシュタポのような悪者扱いされているが、実際は法令順守が徹底されていたため戦争中も捕虜を虐待する一般部隊を厳格に取り締まっていたのだ。その一方で日本軍ではアメリカ軍の都市への無差別爆撃を戦争犯罪と断定して捕虜にした搭乗員を処刑する事案が続発して敗戦後のB級戦犯の軍事裁判では命じた将校だけでなく実行した下士官兵まで有罪とされて死刑になっている。
「中越戦争の時、中国人民解放軍はもの凄い地雷排除をやったんだったよな」「兵隊を横一線に並ばせて弾が飛んでくる中を歩かせたって言う奴でしょう。我々には信じ難いですが実話のようです」「中国軍は朝鮮戦争でもアメリカ軍の弾薬よりも多い兵隊で突撃すれば陣地まで達することができるって実行したんだからあり得るだろう」唐突に副旅団長が質問し、3部長が答えると何故か怪しい表情を浮かべた。
「まさか、ウチでもやろうと言われるんでは・・・」「勿論、ロシア軍の捕虜でな」副旅団長が冷たい笑顔を作ったので周囲はジョークにするために笑ったが続出している戦死者と負傷者を思えば心のどこかで賛同していた。ロシアは1997年1月23日にオタワで締結された「対人地雷の使用・貯蔵・生産及び移譲の禁止並びに廃棄に関する条約」に調印していないので違法行為ではないが、日本のアイヌ民族に対する迫害への懲罰を口実に北海道に侵攻している安全保障理事会常任理事国としては非人道性が際立ち過ぎている。
「幸いにして北海道は知事が早めに住民避難を進めたおかげで住民の被害が出ていませんがウクライナのようにブービートラップまで仕掛けられれば大変なことになっていました」「ロシアはブービートラップ禁止条約は批准していますがこちらも守る気はないようですね」ブービートラップ禁止条約=「特定通常兵器使用禁止制限条約」が締結されたのは1980年10月10日なので調印・批准したのはまだ常任理事国としての自覚があったソビエト連邦だった。
  1. 2023/06/22(木) 13:50:33|
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名古屋の偉人・杉下茂投手の逝去を悼む。

6月12日に野僧が中学生だった昭和49(1974)年には与那嶺要監督が率いる「燃えよドラゴンズ」が「2度目」「30年ぶり」に優勝したためテレビを点ければ中日ドラゴンズの特集番組しか放送されていない中、昭和29(1954)年の中日ドラゴンズの初優勝の原動力になった大投手として「名古屋の偉人」になっていた杉下茂さんが亡くなったそうです。97歳でした。
野球嫌いの野僧も大学時代にコメディアンの相方としてスカウトされたことがあると言う丸眼鏡の柔和な風貌に好感を持ち、人物紹介の番組を見ていました。
杉下さんは大正14(1925)年に東京の中央区新川で大きな中華料理を営んでいた両親の二男として生まれました。父が50歳の時の息子だったため老齢に入った記憶しかなかったそうですがラジオで6大学野球の中継を聴いてスコアブックをつけるほどの野球好きで、休日には弁当を持って神宮球場に試合観戦に行っていたそうです。11
小学校の低学年になると3歳年上の兄とキャッチボールをするようになりましたが常にキャッチャーで投手としての才能は芽生えませんでした。4年生の2月に父親が病没すると母の実家がある神田の野球の名門小学校に転校したのです。ここで兄たちの草野球に参加しているところを勧誘されて野球部に入部することになりました。その後、旧制・帝京商業学校(現在の帝京中学・高校)に進学すると後に中日ドラゴンズの監督して再会することになる天知俊一監督の指導を受けましたが、当時は肩が弱く長身を活かして主に1塁手として選手生活を送ったようです。そして20歳になった昭和19(1944)年に徴兵で大陸戦線に出征すると野球経験者と言うことで手榴弾投擲競技会の選手にされましたが、軍隊の命令だけに「肩が弱い」とも言えず人一倍の訓練を繰り返した結果、肩が強くなったと言う信じ難い逸話が伝わっています。読売の沢村栄治投手は軍隊の手榴弾投擲で肩を壊したと言われているので投手用の肩でなかったことが幸いしたのかも知れません。
復員後はいすゞ自動車に入社して社会人野球に投手として参加すると最初の試合の球審は天知さんで肩が弱くて投手として使い物にならなかった杉下さんが強肩の速球投手に変身したのを目の当りにして驚愕したそうです。ところが6大学野球が再開されると都市対抗選手権終了後に退職して明治大学に入学しますが、弱体チームの投手では目ぼしい活躍はできず昭和24(1949)年に天知監督が就任した中日ドラゴンズに入団しました。
中日では大学時代に天知さんに教えられた伝家の宝刀・フォークボールと多彩な変化球を操って活躍し、1年目の昭和24(1949)年はチームが5位だったこともあり8勝でしたが1950年は27勝でチームの2位躍進に貢献し、1951年が28勝、1952年が32勝、1953年が23勝、1954年も32勝で天知監督を胴上げさせました。この年、天知監督は国鉄スワローズのエース・金田正一投手に中日打線が封じ込まれても杉下さんが国鉄打線を押さえれば勝機はあり、金田投手の登板に合わせて起用して7勝1敗で杉下さんの勝ちでした。
その後も1955年が26勝、1956年が14勝、1957年が10勝、1958年が11勝で10年連続の二桁勝利と通算215勝の偉業を達成しています。愛知県では追悼番組が放送されたのでしょう。野僧も冥福を祈ります。
  1. 2023/06/21(水) 13:59:55|
  2. 追悼・告別・永訣文
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続・振り向けばイエスタディ526

「サマロージ(動くな)」第2師団はいよいよ網走市の奪還に乗り出した。遠軽演習場に待機させていた第2戦車連隊が大半が住宅地の市街地を包囲すると道路網を低速で進攻し、その後に徒歩で続く第25普通科連隊の隊員が住宅の内部を捜索して地区単位で制圧を進めた。今日も上空からヘリコプターが投降を呼びかけているが、普通科の隊員たちにも航空自衛隊の語学要員が「動くな」「武器を捨てろ」「手を上げろ」のロシア語を片仮名で書いたカードが配られていた。
「いました。4名です」「生きていますが・・・かなり弱っています」市街戦の場合、ドアノブを動かすと部屋の中にいる敵に察知されてドアを銃撃される危険性が高いため足で蹴破るか、窓ガラスを破って手榴弾や音響閃光弾を投げ込むが、極寒の網走市では窓は二重の防寒サッシ、玄関も堅牢な二重構造のため鍵が掛っていなければロシア語を叫びながら開けている。
「庭に鹿をさばいた残骸がある。やはりこの家で生活していたんだな」1階のリビングルームのソファーとカーペットの上で横になっていたロシア兵たちは2人の自衛官が入ってきて銃口を向けても身体を起こすこともなく暗く濁ったような青い目で視線を向けただけだった。4人とも戦闘服ではなく住民が残していったくつろいだ私服を着ている。
「武器はないか」「この部屋には見当たりません」「銃は肌身離さず常時携帯するものだが・・・」「この様子では銃の重さが苦痛になったんじゃあないですか」陸曹の疑問に陸士長が答えた。遠軽駐屯地の第25普通科連隊は警察予備隊として配備された時には隊舎の建設が間に合わず、敷地として買収した種馬牧場の馬小屋で生活していた。冬の間中、隣接する演習場で繰り広げるスキー訓練では他の追随を許さず隊員たちには「風雪磨人」の異名が冠されている。そんな厳しい日常の中で若い陸士長は89式小銃を常時携帯することを苦痛に感じる時があるらしい。
「やはり手榴弾やナイフも持っていません」陸曹が銃を向けて陸士長が手早く身体検査をしたが、ポケットにはパック・ティッシュ以外何も入っていなかった。ロシアではティッシュ・ペーパーがあまり普及しておらず価格が日本の10倍するのでこの家の住人が置いていったパック・ティッシュを山分けして、5個パックの箱ティッシュを見つけると武器の代わりに抱えて愛用しているようだ。
「立て、並べって言うカードがありませんから困りましたね」「よし、お前はこいつらを見張ってろ。おかしな素振りを見せたら迷わず発砲して構わん。どうせロシア語じゃなければ通じないんだ。警告は不要だ。俺は武器を探してくる」「4人いますから場合によっては連射で良いですか」「うん、戦闘中だ。皆殺しにしろ」陸曹の指示に陸士長は小銃を構えたまま壁際に後退さった。ロシア兵たちは身体検査しているのでナイフも持っていないはずだが、4人を相手に腕力では勝てそうもない。陸士長は深く息を吐くと背中を反らして小銃を構え直した。89式小銃も64式小銃で欠陥とされていた切替軸部の操作が改善されておらず安全、連射、3点射(3発射つと引き金が戻る)、単射の切り替えには握把(グリップ)を放す必要がある(通常は人差し指で可能)。そのため陸士長はロシア兵との位置関係を考えて切替軸部を連射に合わせておいた。
「ウワー、ゲゲゲゲ、オエ、オエ、オエ、ゲー・・・」その時、廊下から陸曹の叫び声と激しく嘔吐する声が聞こえてきた。陸士長は多少のことには動じない陸曹のただならぬ様子に驚いたが、ロシア兵たちが嘲笑うような顔を見せたので警戒心を入れ直した。
「どうしましたか」「うん、浴場に人間の解体した遺骸がある。ここで食肉にしたんだ」ロシア兵たちに怪しい素振りがないことを確認して陸士長が声をかけると落ち着きを取り戻した陸曹が説明した。これまでも市街地に潜入した隊員たちから「解体されたロシア兵の遺骸を見た」と言う話は聞いていたが、その現場に立ち入ることになるとは思っていなかった。目撃した隊員たちによるとロシア兵は狩猟を嗜むらしく獲物の解体には手馴れていて、人間も腿や肩、背中などの筋肉が大きい部分の皮膚を綺麗に剥ぎ、骨が見えるまで削ぎ落していたらしい。その中で女性兵士の遺骸だけは尻や臍、乳房、性器などを抉り取って顔の周りに並べる猟奇性が見て取れたと言う。
ソビエト連邦軍は満州や樺太で襲撃した日本人開拓団の集落では生理がある年頃の女性を手当たり次第に凌辱した後に殺害したが、その手段は先に殺した夫や父親の遺骸の前で女性を犯し、溢れるほど体液を注ぎ込んだ性器に銃剣や棒を突き刺して殺したらしい。満州や樺太では進撃に追われていたため遺骸の解体にまで手が回らかったようだがソビエト連邦軍のロシア兵としては欲求不満だったのかも知れない。
「お前たち、舌舐めずりしなかったか・・・」陸士長は横になったまま唇を歪めた顔を向けているロシア兵たちが舌舐めずりしたような気がした。戦友の遺骸を解体して食べる経験をしたロシア兵にとっては敵である自衛官は良心の呵責を感じることなく食肉に加工できるはずだ。むしろ「栄養を摂っている自衛官なら美味かも知れない」などと恐ろしいことを考えているとすれば背筋が凍りつく。陸士長は発砲したくなる自分と戦いながら人差し指を伸ばして引き金を放した。
「よし、武器は玄関脇の台所にあった。小銃4丁と銃剣4本に弾薬1箱、実弾入り弾倉24本、手榴弾20個。ガスに水道、電気が止まっていては台所も無用の長物だったんだろう。雑然とした物置になっていたよ」「やはり小銃4丁は自分が門まで運びますから2曹はこいつらを何とかして下さい」「人喰い人種が怖くなったか・・・」陸士長の提案に陸曹は内心を見透かしたように答えた。捕虜は後から来るにトラックに乗せて簡易収容所にしている網走刑務所に運ぶことになっている。
クルド人民兵・イメージ画像(クルド人女性兵士の遺骸)
  1. 2023/06/21(水) 13:58:29|
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衆議院山口4区の補欠選挙は無駄どころか大迷惑だった。

下関市や長門市を選挙区とする山口4区では本年4月23日に安倍晋三首相が(海外の見解では台湾有事への介入に言及したため宗教2世を装った共産党中国の工作員よって)暗殺されて生じた欠員の補欠選挙が行われて下関市議会議員からの鞍替え候補者が当選しました。
ところが山口県では次回の衆議院選挙から3議席に削減されることが決定しているため有権者は「無駄だ」と白け切っていて、当選した元市会議員に対しては「使い捨てにされることが判っているのに馬鹿だ」と半ば同情、半ば嘲笑していました。
実際、下関市では安倍首相の父親の晋太郎議員は中選挙区を出身地である長門市を基盤にしていたので父親が下関市選出の衆議院議員で東京育ちの安倍首相と違って実際に高校まで地元で生活した林芳正外務大臣の方が「地元の政治家」と言う意識が強く、安倍首相が持病の悪化で首相を退陣した時には「病没した父親の二の舞になる」と参議院だった林議員と交代して解散がない安定した政治家生活を送るように勧める声が多かったのです。そのため安倍首相の悲報に涙しながらも選挙区削減によって国家に有為な政治家を失うことを避けるため「天が間引きしたのではないか」と声を潜めて噂し合っていました。
有権者がそんな意識で投票したのですから当選した元市会議員も当然、「任期は次の衆議院選挙まで」と分を弁えてく消ゆくツナギ役に徹しながらは候補者選定には遠慮すると思われましたが解散の噂が流れるのに合わせるように行われた自民党山口県連の候補者選定で元市会議員が何を勘違いしたのか身の程知らずな要求をしたのです。それは中国地区比例ブロックへの変更と言うそれでさえ過分な温情処置を拒否して林外務大臣に内定していた新たな山口3区からの出馬と言うものでした。つまり1年生にもならない新米議員の分際で東京大学を卒業してハーバード大学院に留学した驚異の頭脳で組織の腐敗・劣化による不祥事が発覚した多くの省の大臣を歴任して立て直しに辣腕を奮ってきた天才万能大臣を蹴落として擁立しろと言うのです。
これは流石に拒否されると今度は衆議院選挙の度に林議員と交代で山口3区と中国地区比例代表から出馬すると言い出してニュースで知った市会議員としての地盤だった当地でも有権者たちは「何さまのつもりだ」と怒っていました。
確かに中国地区比例代表では現在は6名でもこれまでの当選者は5名と6名のどちらかで、しかも次回は山口県だけでなく広島県と岡山県でも選挙区が1つずつ削減されるので比例代表の現職6名に選挙区の現職3名が加わることになり、名簿の順序を巡る熾烈な攻防が生起することは容易に想像できます。経験が乏しい元市会議員は9番目の席に当選確実でしょう。
おまけに補欠選挙に立候補した時、地元でも「あんな奴を選んでいたっけ」と言う声が上がるほど知名度と実績がない市議会議員を当選させるためにアッキー=安倍昭恵さんが「後継者」として応援したので今回も記者会見に引っ張り出されて苦渋に満ちた顔で質問を受けていました。
補欠選挙は公職選挙法第113条に基づいて実施されますが、安倍首相が2022年7月8日に暗殺されてから10ヶ月後まで欠員になっていたのです。同じ根拠法令の改定で定員が削減されることが決まっているのであれば特例措置として欠員のままにすることはできなかったのでしょうか。
  1. 2023/06/20(火) 15:17:11|
  2. 常々臭ッ(つねづねくさッ)
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続・振り向けばイエスタディ525

「この市街地にいるロシア軍に告ぐ、速やかに降伏せよ」網走市内に立て籠っているロシア軍の行動が急激に鈍化して、潜入している陸上自衛隊の目で見ても衰弱していることが明らかになった頃、第2師団は戦車を派遣して市街地を包囲した。そしてヘリコプターに搭乗した虚空自衛隊の語学要員が上空からロシア語で呼びかけた。
BGMに加藤登紀子の「百万本のバラ」を流しているのは札幌で自衛隊への慰問番組を放送している雪ウサギ=森田照子に「この歌はロシア兵の郷愁を誘うから聞かせると良い」と言うメールが届いたことで採用した。しかし、・コッポラ監督の「地獄の黙示録」ではベトナムの村落を攻撃するアメリカ軍のヘリコプターは士気を鼓舞し、村民の恐怖心を煽るためにワーグナーの「ワルキューレの騎行」を流していたがこちらの曲は流している方も物悲しくなる。
ロシア軍は市街地の商店や住宅に残っていた食料品を食べ尽くしてからは軍用小銃で鹿や熊などの野生動物を捕獲し、漁港に残っていた漁網や釣り具を使って魚を獲り、郊外の農地の作物を収穫して喰いつないでいた。自衛隊としては人間が生命を維持するために必要な行動を阻止することに多少の躊躇を覚えたが、ロシア軍が爆撃機や輸送機に日本人を人間の盾として同乗させた冷酷非情な戦闘手法を思い出して狙撃の対象にした。その結果、投降者が続出して最近は歩哨さえも配置しなくなっている。
「携SAM(携帯式地対空ミサイル)に警戒しろ」「ラージャ、フレア(赤外線誘導を幻惑させる発熱剤)発射準備良し」「放送を続けます」「よろしく」ヘリコプターは低高度で網走市内を巡回しているが生きている人間や動物の姿はなく、スーパーマーケットやコンビニエンスストアの前に放置されている戦死者の遺骸だけが目に入ってくる。その遺骸にはカラスや猛禽類が群がって内臓や肉片をついばんでいるが、ヘリコプーターのローター音と強いダウンバースト(下降気流)に驚いて飛び去って行く。その光景を上から見下ろすのは滅多にない体験だ。
「25普連の中隊長をやってる同期に聞いたんですけど先日、潜入した隊員が明らかに加工処理した人間の、それも女の遺骸を見たそうです。いよいよ人間を喰い始めたんじゃあないですか」「傍受した無線の声からロシア軍に女性兵士が同行しているのは確かです」副操縦士の話に語学要員が補足した。日本軍でもインパール戦線やガダルカナル島、ニューギニア、太平洋諸島などでは海上補給路を遮断されて飢餓に陥った日本兵が「死亡した戦友の肉を食べた」と数少ない生存者が証言している。また平時であっても1972年10月13日にラグビーの試合に出場する学生や家族を乗せてチリに向かっていたウルグアイ空軍の輸送機がアンデス山脈に墜落した事故では乗員乗客45名のうち16名が生還したが、草も生えない雪に覆われた岩場で72日間生きるには人肉を食べる以外になく世界に衝撃を与えた。
「そうなると食べるためにWAC(アメリカ陸軍と陸上自衛隊の女性隊員)を殺したのかな」「まさか・・・だとすれば降伏勧告が遅過ぎました」機長の疑問に副操縦士は深刻な顔で答えた。陸上自衛隊としては歩哨などの投降が続出していることからロシア軍の現地部隊も組織として降伏すると期待していたのだが指揮官にその決断はできなかったようだ。
日本では第1次日露戦争の奉天会戦の激戦を指揮していて負傷して意識を失いロシア軍に保護されて捕虜になった村上正路大佐は帰国後に軍内だけでなく郷里の山口県でも徹底的に蔑まれて失意のうちに死亡したが、同じく旅順要塞攻城戦では明治37年12月5日に203高地が陥落してそこを観測点とする砲撃で旅順港の太平洋艦隊が壊滅した後も戦死したコンドラチェンコ少将の後を引き継いだステッセリ少将は抵抗を続けたが、要塞内のペストの蔓延で明治38年1月1日に降伏した。するとステッセリ少将は降伏した罪で1908年=明治41年2月に軍事裁判にかけられ一度は死刑判決を受けたが翌年に禁固10年に減刑されて釈放後は茶を売って余生を送った。それだけでなくバルチック艦隊を率いてユーラシアとアフリカ大陸を周回したロジェストヴェンスキー大将も日本海海戦の敗戦責任を問われて軍事裁判で少将に降格され、ロジェストヴィンスキー大将の負傷後に指揮を引き継いだネボガトフ少将は降伏した罪で死刑判決を受け、後に禁固16年に減刑されたが獄中で発病して釈放直後に死亡している。ロシア軍にとって降伏は帝国陸海軍と同様に死に値する重罪なのだ。
「この調子では戦車を突入させるしかないですね」「奴らは携MAT(携帯式対戦車ミサイル)は持っていないのか」「主要な武器は大型フェリーと一緒に沈んだようです」「それで何をするためにここで頑張っているんだ」最後の一周を始めながら機長にはロシア軍の考えていることが判らなくなった。確かにロシア軍は本来、大型フェリーに満載した戦車や自走砲、装甲車を上陸させて網走を起点に道北を突破して旭川を制圧し、南下の気配を見せることで道央の部隊を引き寄せ、道東から上陸した部隊と連携を取りながら北海道の自衛隊を翻弄するはずだった。それが頓挫した以上、撤退させるしかないが輸送手段は新潟への侵攻に投入していて空きがない。だからと言って食料の補給さえも滞ってしまうと太平洋諸島の日本軍守備隊と同じ末路を辿るしかなくなる。ロシア語では「全滅」を美化した「玉砕」のような表現があるのだろうか。
  1. 2023/06/20(火) 15:15:49|
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小庵の猫たちの個性=猫は難しい動物だ。

野僧は在日アメリカ軍の憲兵隊で「担当者が交代した時には2週間、食事と排便の片づけ以外は放置してその後に訓練の相手をすれば命令に従うようになる」などの犬の心理学を学びましたが、猫に関しては欧米でも本格的な研究は進んでおらず、まだ血統による種族や毛の色と柄などによる分類学・統計学の段階のようです。
そんな中、日本の雑種猫の飼い主から提供を受けたサンプルの遺伝子とアンケート調査や行動テストで性格、気質、能力を評価した「猫の性質は遺伝と環境の2つの要因で形成される」と言う学説が提唱されて、その遺伝は毛の色と柄で表れているとしています。
学説では茶色地に黒の筋が入るキジトラは警戒心がやや強く、来客が来ると物陰に隠れることが多いが、心を開けば甘えるようになる。同じような縞柄でも茶色地に濃い茶色の筋の茶トラは8割が雄で猫にも人にも大らかで社交的、逆に遺伝子的に雌しかいない三毛は他の毛の色の猫よりも神経質で飼い主への愛着が強いとしています。
小庵で最初に飼った猫は黒猫の「音子(ねこ)」でしたが猫とは思えないほど賢く(亡き妻の魂魄が宿っていたと信じています)、明らかに人間の言葉を理解していて「若緒(=娘)を呼んで来い」と口頭で命じると庭に出て連れて帰り、「雨だから外出するな」と言えば自分だけでなく若緒まで制止して家で過ごしていました。若緒は灰色地のキジトラでしたが母親の音子に溺愛されながらも厳しく躾られれたため育ちの好い箱入り娘のような猫で人見知りすることなく誰にでも懐いていました。その若緒が野良の雌猫の発情期で集まってきた野良の雄猫に避妊手術を受けているため性別不明猫として追い回されて道路で事故死すると音子は若緒がいた場所を探して回った後、真冬だったにも関わらず墓前を離れず過ごすようになりました。
そこに捨て猫の保護活動をしている小母さんが置いていったのが同じ灰色地にキジトラの寿来(じゅらい)でした。寿来は小母さんの自宅で他の捨て猫に苛められていたようで音子が近づくと攻撃的な態度を取り、やがて音子が追い出そうとしたものの野僧が「縁があってウチに来たのだから娘として育ててくれ」と頼むと始めは行動範囲を明確に区分しながら次第に距離を詰め、最終的に母子のような関係になったのですが音子が再び姿を現した若緒を追い回した野良の雄猫を追って事故死していまいました。寿来の性格は学説に近いです。
野僧としては寿来が1匹になったため野良の黒猫を伽羅(きゃら)と名づけて飼おうとしたのですが全く懐かず、やがて寿来が追い出してしまいました。続いて町内のリゾートホテルの駐車場に棲みついていた黒猫を引き取り世果報(ゆがふ)と名づけましたが、これまた音子とは全く性格が違い妙に大らかに堂々と振る舞い、寿来も手に負えず新ボス猫になっています。
そして今は茶色地のキジトラの卯月(うづき)も加わっていますがコイツも若緒や寿来とは全く性格が違い、毛の色と柄が性質を表しているとは思えなくなっています。
この他にも腹が白いサバトラで野良なのに天寿を全うするまで主(おさ・ぬし)になっていた野良爺さんを筆頭に飼っていない猫が来ては去っていきますが飼い猫の定員は3匹までです。
朝倉文夫・産後の猫朝倉文夫作「産後の猫」
  1. 2023/06/19(月) 15:15:09|
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続・振り向けばイエスタディ524

「北海道か新潟のどちらかに絞るべきだ」「確かに2正面作戦は無理だ」シベリアのロシア極東軍管区司令部では参謀たちが激しい論戦を続けている。日本への侵攻が一向に進展しないことをモスクワに糾弾されている上層部がソビエト連邦時代と同じように「命令」をバラ撒いたのだ。
ロシアの日本侵攻は台湾の軍事占領による統一を公約にしている中国の現政権がアメリカが本格介入を明言する想定外の事態に直面したため矛先をフィリピンに振ったところ旧植民地に復活した親米政権の擁護には台湾以上に本気で、仕方なく在日アメリカ軍基地がない奄美諸島と九州に手を伸ばしたのだった。ところが一路一帯戦略を実現するため海軍戦力の強化を進めているはずの中国は航空母艦などの見栄えが良い艦艇ばかりに目を奪われ、揚陸艦や輸送艦などはロシアから買ったソビエト連邦時代の中古品ばかりで海上自衛隊が待ち受ける東シナ海を渡ることはできなかった。この事態に北京はウクライナ侵攻で欧米の目が届かないシベリア鉄道を使った支援の恩を返すように迫り、モスクワも日本の占領を苦境に陥っている経済を復興させる起爆剤にするべく主導的に参戦した。その自由主義圏では考えられない硬直した国家体制での封建的決定がロシアに東西両端での戦火を引き起こさせたのだ。
「大体、北海道は新潟侵攻に先立っての陽動作戦だったはずだ」「日本軍が北海道に集中配備している戦車を新潟に移動させないために先に一撃加えることになっていたな」やはりロシア軍にとっての主戦場は新潟のようだ。北海道に侵攻するには樺太と千島列島を拠点にするしかないが艦艇の移動や武器弾薬に限らず必要な物資を補給するには海路では宗谷海峡を通過しなければならず空輸に頼るしかない。樺太から北海道北岸に侵攻させた作戦では橋頭保を確保するための先遣隊を乗せたヘリコプターが全滅し、主力部隊はオホーツク海航路の民間貨客船を徴用したため接岸できる港は網走に限られ、人員と装備を上陸させる前に陸上自衛隊の地対艦ミサイルで撃沈された。国後島から北海道西岸へは輸送ヘリコプターが全滅すると離島航路の連絡船と言う情けない輸送手段しか確保できず、戦況はどちらも兵糧攻め状態になっている。それでも降伏を認めないのは日本の防衛力を過小評価しているモスクワの厳命だ。
「折角、北京の指令で日本のマスコミにヨーロッパの軍縮を過大宣伝させて軍を弱体化させたんだから、このまま主戦力を北海道に閉じ込めておいて海空路で戦力を増強した上で関東地方へ進攻するべきだ」「東京に迫ると横田と厚木の危機だとアメリカ軍が動き出しかねない。むしろ北上して仙台を押さえれば東北を占領できるだろう」どうやらモスクワの野心に従っているに過ぎない極東軍管区司令部には明確な戦略を持って日本への侵攻作戦を指揮指導している高級参謀はいないらしい。第1次日露戦争も帝政ロシアとしては満州と朝鮮半島の支配権の奪取が国家戦略で日本に食指を伸ばすつもりはなかった。ところが尊皇攘夷を旗印に政権を奪った明治政府の首脳陣は被害者妄想に捉われて国際情勢を見ていたため帝政ロシアの極東での軍備増強を日本への侵略・植民地化が目的と思い込んで開戦準備を進めた。それを知った皇帝・ニコライ2世は日本の懸念を払拭するために大幅な譲歩案を提示したが、戦争によって日本を手中に収めることを考えていたエヴゲーニイ・アレキセーエフ極東総督が握りつぶしたため開戦に至った。結局、あの戦争も帝政ロシアには必要性すらない飛ばっちりのようなもので戦いながら準備を始める羽目になった。日本には「大男、総身に知恵は回りかね」と言う古語があるが、巨大国家・ロシア連邦も遠方地域の現状は把握し切れず、痛みもあまり感じないようだ。
「しかし、新潟に送る戦車は確保できるのか。前回送るのだって苦労して搔き集めたんだぞ」「ウクライナで消耗してしまったからな」「2023年の対独戦勝記念式典の軍事パレードでTー34が1両だけだったのは何年経っても目に焼きついて消えないな」ナチス・ドイツが1945年に無条件降伏した翌日の5月9日にモスクワで開催される対独戦勝記念式典の軍事パレードではソビエト連邦時代から最新鋭の戦車や各種戦闘車両、車載式弾道ミサイルなどが観閲台のレーニン廟の前を通過するのが恒例だが、ロシアがウクライナに侵攻して1年後の2023年の式典では第2次世界大戦での主力戦車・Tー34が1両だけだった。欧米ではウクライナの「戦車の墓場」「地獄への回廊」と呼ばれる道路に破壊されたロシア軍戦車が並ぶ惨状が証明されたと報じられたがロシア政府は黙殺し、政府系マスコミは「第2次世界大戦の記憶を思い起こすため」と説明していた。しかし、軍人にとってはアフガニスタンの記憶が重なる出来事だったようだ。
「中国は日本に運ぶ船がないんだろう。ウチに回せと言ってやれ」「中国は世界中の航路から車両運搬船を集めているらしい。日本は港湾が整備されているから大型貨物船でも接岸できるのだそうだ」「中国は日清戦争で東郷平八郎に貨物船を撃沈されただろう。二の舞になる前にロシアに渡した方が良いって言ってやれ」ロシアにとって日露戦争で太平洋艦隊とバルチック艦隊を全滅させた東郷平八郎元帥は仇敵だが、日清戦争でイギリス船籍にしていた清国の兵士1100人と火砲14門を乗せていた貨物船が海戦法に基づく降伏命令に従わないため撃沈した事例は国際法の教材として敬意の対象になっている。逆に「乃木希典愚将は無用の大損害を出して戦力を消耗したので感謝されている」と言うのは単なる皮肉だろう。
  1. 2023/06/19(月) 15:10:54|
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日本社会もここまで!不同意性交罪が成立した。

平成に入って劣化著しい日本社会では結婚・夫婦・家庭そのものを否定する女性運動の活動家の国会議員が同様のマスコミと協力一致して性犯罪の成立要件のハードルを引き下げて刑法の規定が中退とは言え大学で法律を学んだ者には信じ難いほど安易になってきました。
野僧は大学時代、図書室にあった判例集で明治40(1907)年施行の刑法第176条の強制わいせつ「13歳以上の男女に対し暴行又は脅迫を以て猥褻行為を為したる者は6ヶ月以上7年以下の懲役に処す。13歳に満たない男女に対して猥褻行為を為した者亦同じ」、第177条の強姦罪「暴行又は脅迫を以て13歳以上の婦女を姦淫したる者は強姦罪と為し2年以上の有期懲役に処す。13歳に満たない婦女を姦淫したる者亦同じ」、第178条の準強制わいせつ及び準強姦「人の精神の障害その他の理由により抗拒不能にあるのを利用し、又は婦女を抗拒不能の状態に陥れてこれを姦淫した者は第176条に準ずる」の成立要件を研究し、法的に安全な性行為の権威になりました。当時の判例では社会通念上、性行為に及ぶことが予想される場所、時間、状況に女性が強制ではなく同行していれば合意と見做され、飲酒等で意識を失った場合でも合意の上で杯を重ね、歓談していれば第178条には該当しないとされていました。また強姦罪の被害者を婦女に限定しているのは男性の性器が勃起するのはその気になった=合意したからで勃起しなければ性行為は成立しないと言う現象のみを捉えた規定でした。また13歳未満の女子との性交は一律に不法行為とされています。
ところが近年ではジャーナリストを自称するニューヨークの高級バーの元ホステス(コール・ガール説もある)がテレビ局の重役と深夜まで飲酒してホテルに連れ込まれて肉体関係を持ったことを「強姦された」と顔と実名を晒して訴え出るとマスコミの全面支援で勝訴して、司法は常識的に感じる疑問を呈した人物まで精神的慰謝料の支払いまで命じました。
この結果、女性議員が主導して2017年に刑法第177条の強姦罪が強制性交罪「13歳以上の者に対し暴行又は脅迫を用いて性交、肛門性交又は口腔性交をした者は強制性交等の罪屠とし、5年以上の有期懲役に処する。13歳未満の者に対して性交等した者も同様とする」に改定されました。ここで肛門性交や口腔性交を具体的に加えたのは「女性器に男性器を挿入しなければ性行為ではない=強姦罪は成立しない」とする判例に対応したものですが乳房の間に男性器を挟む「(いわゆる)パイ擦りは良いのか」と言う俗な疑問が呈されました。
それが今回、刑法第176条が不同意わいせつ、第177条が不同意性交罪に変更することになり、不同意わいせつ罪では「暴行・脅迫」「心身の障害を発生させる」「アルコホール・薬物の使用」「睡眠・意識を不明瞭にする」「同意しない意思表明を妨げる」「恐怖・驚愕=パニック」「虐待の影響を利用する」「経済的影響力・社会的地位で強要する=本来のセクハラ」のマスコミが報じてきたニュースを網羅する8項の具体的手段が列挙されていいますが、極めて問題なのは「婚姻関係の有無に関わらず」と夫婦の営みにまで適用していることです。つまり今後は「姦らせろ」「どうぞ」又は「抱いて」「おう」の手続きを踏まなければならず、「いいだろう、オラオラ・・・」「いやーん、うっふーん」は不同意なので犯罪です。
  1. 2023/06/18(日) 15:33:54|
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続・振り向けばイエスタディ523

「ロシア軍の新潟侵攻は失敗だったな」「輸送力の維持を甘く見ていたんでしょう」防衛駐在官にサニーパイル記者に同行しての帰国を禁じられても杉本は「予想された結果」と言う様子で雑談を続けた。杉本も松山1佐を通じて日本海での海上自衛隊や航空自衛隊の戦況と北海道と新潟での陸上自衛隊の奮戦の様子は具体的かつ詳細に聞いているが、信頼するに足る情報なのであえて乗り込む必要性は感じていなかった。
開戦前の日ロの戦力比較ではロシア軍が本格的に介入すれば数日で航空自衛隊と日本海に配備されている海上自衛隊は全滅し、制空・制海権を確保したロシア軍は海空の経路で地上部隊を運搬・揚陸するはずだった。それからは戦車が広大な越後平野を縦横無尽に走り回って本州の中央山脈を突破して関東地方・首都圏に雪崩れ込むのも時間の問題だと思われていた。ところがロシア軍ではウクライナ侵攻で戦力の大半を消耗して軍備の回復に全力を注ぎ込んできたが、本来は中国との攻防戦を目的にしていた極東軍管区は関係改善を受けて後回しになっていた。さらに海上自衛隊の戦闘能力は神業の域に達していて日本人を恐怖に陥らせて戦意を喪失させるために射ち込んだ中距離弾道ミサイルはイージス護衛艦隊によって全弾撃破され、続いて爆撃機も全滅した。航空自衛隊も機数では圧倒的に不利だったもののロシア軍は熟練パイロットをヨーロッパ方面に優先配置していて低練度のパイロットしかいない上、部品の供給が滞って飛行訓練が不十分で互角以上の戦果を上げている。そして全力を投入して上陸させた地上部隊も補給が続かず、陸上自衛隊普通科部隊のゲリラ攻撃にアフガニスタンやウクライナの悪夢が甦っていた。ただし、アメリカではベトナム戦争での恐怖体験は映画やドラマで反戦運動に利用されたがロシアでは陸軍が教訓にした以外は封殺されている。
「自衛隊が反転攻勢に出ると言っても物不足、弾不足、油不足は深刻でしょう。何よりも人不足は何ともならない」「それが難題なんだよ」杉本のこの見解は輸送幹部の妻・本間の請け売りだ。普通科の松山1佐は兎も角として特科の杉本、高射特科の岡倉では整備や補給、輸送、糧食などの弱点を見逃しがちだが輸送幹部の本間は後方からの視点で分析するので、杉本が夫婦の雑談で学ぶことは多い。ところで新米のジュウゾーとリンゾーの陸上自衛隊での職種はまだ推理できていない。最近は戦時に普通科連隊を中核として特科大隊や施設中隊などを加えて編成する戦闘団を常態化した機動連隊が増えているので以前のように職種が個性にはならないのかも知れない。唯一の航空自衛隊の松本からは「空曹時代は飛行管理だった」と聞いた気がするが陸上自衛隊組には何をする職種なのか想像もできない。
「北海道に一極集中させている戦車を本州に返さないんですか」「それは幕(陸上幕僚監部)や総隊(陸上総隊)でも検討しているんだが青函連絡船以外に輸送手段がないから青森から陸路で南下させなければならない。それに要する燃料と時間を考えると北海道で最大限に活躍させる以外の選択肢はないようだ」「青函連絡船で新潟港に運ぶ、新幹線の輸送用車両を作って運搬すると言う奥手はありませんか」これも本間の意見の盗作だ。本間は航空自衛隊の第3術科学校輸送幹部課程に留学した経験がある下西教官にトラック輸送中心の陸上自衛隊輸送の枠に捉われない奇想天外な発想を教えられた。下西教官は国鉄の大規模ストが頻発した昭和35年から41年に陸上自衛隊第101施設大隊に実在した鉄道部隊の復活が持論だった。これも航空自衛隊の同期の「高射隊はナチス・ドイツ軍の列車砲のように鉄道で機動するべきだ」と言う意見を聞いて戦時輸送で鉄道が果たす役割を考えるようになったそうだが、これが実現していれば大型戦車の輸送が迅速になり、戦時の現在も物資の輸送量は十分に確保できる。その下西2佐は東北地区太平洋沖地震でも東北方面隊が単独で対処していた当初に「仙台空港の機能回復を最優先するべきだ」と強硬に主張したため道路網の尺取り虫のような土木工事による復旧以外の発想を持たない幕僚たちに嫌われて2佐で定年退官したらしい。
「石田政権は防衛産業の国営化などの施策を講じようとしたんだが、A日新聞が主導するマスコミが日本の軍国化と反対キャンペーンを展開して(アメリカのタイムズ誌の石田首相のインタビュー記事の見出しを誤訳させている)、それを立権民衆党の湧水が国会に持ち込むから支持率低下に悩む石田首相としては強行することができなかったんだ」「それで手遅れになったと言うことですね。弾薬庫と燃料タンクの増設や保管量の倍増は内局の職務怠慢で遅滞して手遅れ・・・自衛隊は足を引っ張られ放しですね」「大体、必要最小限にも届いていなかった防衛力を周辺国が軍拡を進めている中で軍縮したんだから試合放棄しても文句を言われる筋合いはありませんよ」経緯を日本で見ていた帖佐将補の解説に客観的傍観者の松山1佐と杉本が同調した。現在の自衛隊が直面している最大の問題は武器と弾薬の不足で、平時の調達分しか製造力を持たない納入企業は緊急調達の大幅増の発注を受けても原材料を輸入している海外の企業が増産に応じるはずもなく、在庫は経営上の損益になるため最小限しか確保しておらず戦闘による急激で膨大な消耗に追いつくはずがなかった。その点、海上自衛隊だけはアメリカ海軍から洋上で共通化が完璧な装備品の融通を受けている。
  1. 2023/06/18(日) 15:32:06|
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今回の摘発を機会に中国の軍事目的産業スパイの実態を認識しろ!

つくば市にある国立研究開発法人・産業技術研究所で勤務しながら高出力・高性能レーダーなどに使用する絶縁体の窒素ガスの研究データを持ち出して共産党中国の軍事産業に流していた軍事目的の産業スパイが摘発されたました。野僧は現役時代に副業でこの分野に関わっていたのでマスコミも単なる事件として報道していることに時代の流れを噛み締めました。やはりこれも安倍政権の功績でしょう。
バブルの狂乱景気が崩壊して日本経済が泥沼に沈んだ時、大企業は経済学者が提唱する「グローバニズム」を合言葉にして明治以来の日本的企業倫理を放棄して社内ではリストラの嵐を吹き荒れさせ、安価でも品質の信頼性が落ちる共産党中国からの輸入部品に切り替えて長年一体化してきた子会社との関係を断絶しました。これを受けて経済評論家と称する素性不明の言論人たちは「人件費が高く社会保険や年金負担が大きい日本に留まっていては倒産を待つだけだ。中国に進出すれば国営企業に準じた処遇を受けられ、優秀な人材を低賃金で雇うことができる。ただし、欧米の企業も関心を示しているから決断するなら今しかない」と強弁し、各種マスコミは企業誘致の宣伝媒体のように成功例ばかりを流し続けました。その結果、日本が誇る高度な工業技術は工場ごと共産党中国に流出しました。そうして現地社員が技術を習得すると根こそぎ同業の国営企業に転職して日本企業は経営破綻、気がつけば経済力が逆転していました。
同時に共産党中国は優秀な人材を日本の大学に留学させると卒業後も日本企業に就職することを条件に高度な最先端技術の研究に参加させ、やがて研究員の中でも抜群の能力を発揮して研究の中核的存在になって今回のように最高度の技術情報を自由に取り扱えるようにしたのです。これは日本の企業に就職してからも同様で、技術者に限らずあらゆる分野で共産党中国からの留学出身者が中核的存在になって気がつけば中国人抜きでは企業経営(東南アジアでは政府中枢でも)が成り立たなくなる事実上の乗っ取りが世界各地で横行しているのです。
この巧妙な産業スパイを最初に始めたのは韓国で、在日韓国人として日本人と同一資格で入学した大学で最先端技術を学んで日本企業の研究所に就職するとそこで知識を具体化・高度化した上で日本製品の弱点を見極めてから退職、帰国して韓国企業の家電製品に始まる各分野の製品・商品の高度化に大きく貢献したのです。これは音楽・芸能分野も例外ではありません。さらに在日朝鮮人を在日韓国人と偽って入学させて大学院修了後には中国経由で帰国して技術を流出させた事例もありました。
現在も共産党中国や韓国と姉妹都市提携を結んでいる地方自治体では交流職員と称して中国人や韓国人の職員を受け入れていますが、共産党中国が日本を含む在外中国人に国家=共産党が命じれば情報収集に当たることを義務付けた国家情報法が施行されたのは2017年、破壊活動を義務付けた国防動員法は2010年です。共産党中国の姉妹都市からの交流職員を受け入れている各地方自治体はスパイだけでなくテロリストに豹変する人物を雇っていることを自覚して万全の監視体制を敷く責任があります。特に下関市は共産党中国の青島だけでなく日本領事館前に戦時売春婦=(いわゆる)従軍慰安婦少女像を設置している韓国の釜山市とも姉妹都市提携を維持しています。早急に北九州市に吸収されて姉妹都市提携を破棄しましょう。
  1. 2023/06/17(土) 14:44:42|
  2. 常々臭ッ(つねづねくさッ)
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続・振り向けばイエスタディ522

「後はお任せします」「流石にこれは僕の一存では決められないからワシントンの閣下の意見を伺うことにする」ニューヨークの大手新聞社のサニーパイル記者からの「編集部が応諾した」と言う一方的な決定の電話を受けて杉本は松山1佐に報告した。
共産党支配の中国の侵出でアジア方面での諜報活動の強化を迫られたアメリカ軍の強い要望で秘密裏に陸軍中野学校出身者によって設立されたこの組織はかつては存在さえも制服の最上層部しか知らず、活動は外務省にすら秘匿していた。そのためこの組織で勤務している自衛官たちは書類上は自衛隊を退役し、日本でも戸籍を抹消されて別人としてアメリカで暮らしていた。当然、杉本や松本にも岡倉が杉村、本間が今田と名乗っているように別の本名がある。パスポートもアメリカで行方不明になった人物の遺失物を防衛駐在官が入手して改造していて偽名はその人物のものだ。ところが加倍政権になって外務省の体質が大きく変わり、「国家戦略」と言う発想・視点での情報収集が活発化すると「軍事情報はミリタリー・トゥ・ミリタリー(軍人同士)」と言う国際常識も導入されて非合法ではあっても公然の秘密になった。そのため新品の偽造パスポートを受け取った松山千秋1佐は女性自衛官の妻帯同で着任し、続いて配属された若手2人には趣味で付けた単なる呼び名を使っている。
「本当に行く気なの」「アイツとは雑誌記者としてつき合ってるんだ。ジャーナリストが断るのは不自然だろう」松山1佐が在ワシントン防衛駐在官の帖佐将補に面談の予約を入れると自分のパソコンの席に座った杉本に本間が歩み寄って声をかけた。日本では1994年12月6日にルワンダでの自衛隊の難民救援活動を取材するために小型機で現地に向かっていたフジテレビと共同通信の記者が墜落事故によって殉職して以降、マスコミ労組が危険地帯への記者の派遣を拒否するようになって社員のジャーナリストは安全地帯で高い金で買ったフリー・ジャーナリストの取材記事や海外の報道を検証することもなく記事やニュースにしている。その点、欧米のジャーナリストには「真実を伝える」美学=使命感が維持されていて「日本人の杉本が母国の戦火の取材に誘われて断るはずがない」と言うのが常識なのだ。
「東北の時みたいに私は連れて行ってくれないの」「あの時は危なかっただろう。俺は普通の自衛隊なら定年退官しているから知り合いに会う可能性は低いが、お前なら同期や部下に会っても不思議はない。富山まで10師団が展開しているから元の輸送隊(第10後方支援連隊輸送隊)が活動しているはずだ」杉本の指摘に本間は顔を強張らせた。日系アメリカ人の雑誌記者として東北地区太平洋沖地震の自衛隊の災害派遣の海外マスコミの取材団に潜入した時、本間は東北方面隊総監部の輸送幕僚として勤務していた輸送学校の恩師だった下西2佐と対面寸前の窮地に陥った。あの時は杉本の機転で気づかれずに済んだが、秘匿している身元を暴露されるのは避けなければならない。実際、本間は高校時代に純潔を奪われた男と偶然に台湾で再会した上、向こうが名前を呼んで記憶していることが判明したため私怨を込めて口封じした。下西2佐も危なく恩を仇で返すところだった。
「俺もお前と虎(1人息子の景虎)を先祖の墓参りに連れて行きたいのが本音だが、そこはグッと堪えるしかない。墓参りはお前が退役してから豊橋も一緒に3人で行こう」「貴方ってそんな考え方をする人じゃあなかったわ。氷以上のドライアイスみたいに冷たくて・・・」確かに出会った頃の杉本は人間としての感情を持っていないかのように冷淡で目的を達するためには媚薬を使って女性を篭絡し、冷酷に人の生命を奪い、長年の同志として夫婦同然の関係にあった女性まで殺害している。そこには過熱しない機械のような冷静な計算が働き、初心者だった本間を情報要員にするための冷徹な個人教授になっていた。つまり全てに「冷」がつく人間性だった。それがタイで暴漢に襲われて強制性交される寸前の本間を救ってからは保護者としての温もりを感じさせるようになり、肉体関係を持って押しかけ女房になってからは厚着している保温用の衣類を1枚ずつ脱がすように素肌の体温を確かめられるようになっている。それが今では郷土愛に祖先供養ときた。本間としては困惑を越えて呆気に取られるしかない。
「朱に染まれば赤くなるって言うだろう。お前の身体の温もりが凍りついていた俺の心を溶かしたんだ。良妻賢母と暮らしていれば駄目親父でもマイホーム・パパになると言うことだな」杉本の返事を聞いて感激した本間は息子にも教えていない本名で呼びそうになってしまった。それを誤魔化すためにこちらを向いた杉本の膝に腰を下ろして「貴方」と声を掛けた。すると杉本も背後から抱き締めたが胸の膨らみが乏しい本間では愛撫にはならなかった。いくら肩の力が抜けたと言っても流石に職場でのそれは行き過ぎだ。
「杉本くん、自衛隊は間もなく新潟と北海道で反転攻勢に出る予定だ。君の郷土愛は理解するが自衛隊は確実に戦況を把握しているからあえて情報収集に赴いてもらう必要はない」「ですよね。私も上司に禁じられたと言う口実が欲しかっただけです」その日の午後、松山1佐と日本大使館の防衛駐在官室で帖佐将補と面談した杉本はやはり冷静な説明を返した。やはり杉本が今やるべきことはニューヨークからの東海岸での対日参戦の世論喚起なのだ。
  1. 2023/06/17(土) 14:42:26|
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陸上自衛隊の小銃乱射事件の「再発」に思う。

6月12日に陸上自衛隊の守山駐屯地と春日井駐屯地、岐阜分屯地の所在部隊が使用している岐阜市の日野射場で小銃乱射事件が「再発」して2名が死亡、1名が重傷を負いました。
「再発」と言うのは約40年前の昭和59(1984)年2月27日に山口市宮野下にある山口射場で発生した第17普通科連隊のカネノブシンイチ2士が日頃から馬鹿にされている鬱憤が爆発して「どうにでもなれ」と小銃を乱射して1名が翌日に死亡、3名に重軽傷を負わせて逃亡した事件があるからです。この時、野僧は曹候学生の卒業課程で防府南基地の第1教育群に入校していたため地元ローカル新聞とローカル・ニュースで情報を収集した上、数年後に防府南基地に転属して第17普通科連隊の隊員に話を聞いたので非常に詳しくなりました。
この事件で問題になったのはカネノブ2士が「立姿から寝射ち(航空自衛隊では警備職のみ実施する)」の射法のため立ったまま実弾を受け取って装弾した直後に横を向いて小銃を乱射した時、射撃指揮官が「その場に伏せ」と絶叫したことで被害の拡大は防げた反面、ジープを奪っての逃走を許す結果になったことでした。
このため野僧は射場では実弾入りの拳銃から手を離さず、不審な動きをすれば即座に発砲する覚悟で射撃指揮官や射場指揮官を勤めるようになり、その殺気は隊員たちにも伝わったようで硝煙にむせても「小隊長、咳をします」と断ってから咳き込んでいました。
次に問題になったのはカネノブ2士を指導していた営内班長の2曹が日誌を中隊事務室に提出していたところ隊員が不在中に立ち入った新聞記者がそれを読み、無断で持ち去って「情緒不安定であることを認識していた」とのスクープ記事にしたことです。
この記事が「精神障害者に実弾射撃を実施させていた」との批判を激化させる結果になったため第17普通科連隊は責任を営内班長1人に押しつけて「お前が余計なことを書いたからだ」と連日のように厳しく叱責した挙句に「兆候を察知していながら必要な報告と処置を怠った」との懲戒処分を下して自死に追い込んで2人目の犠牲者にしたのです。ちなみに日誌を無断で持ち去った新聞記者も公品横領(窃盗ではない)で告発されましたが「正当な取材活動」と言う手前勝手な主張が認められて事実上の無罪でした。
最近の陸上自衛隊は1月19日に東京都狛江市で90歳の老女が結束バンドで手首を縛られた事件で三重県の久居駐屯地の同じ第10師団の第33普通科連隊の3曹が逮捕されて、3月には元WACが演習中の天幕内での性的暴行で告発、さらに4月6日の沖縄県宮古島でのヘリコプター墜落事故で第8師団長や宮古警備隊長以下の多くの高級幹部を失っていますが今回の事態を予言していた人たちがいました。それは九州出身の陸上自衛隊のOBたちで、2018年3月末に更新された制服を見て「これじゃあ官軍たい。こげな制服ば着とると江藤(新平)さんや西郷(せご)どんの(乱に参加した藩士たちの)祟りがあるばい」と怒り狂っていたのです。
それにしても新入隊員を「自衛官候補生」などと仰々しく呼ぶのは止めましょう。「見習い隊員」「半人前自衛官」「自衛官予定者」で十分です。
  1. 2023/06/16(金) 15:14:00|
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続・振り向けばイエスタディ521

「ちょっと無理なんじゃあないか」「だよな、いくらロシアが血気にはやっても中国は乗らないだろう。アメリカを参戦させるための口実なのは見え見えだ」ニューヨークの自衛隊の非合法で必要最小限の情報機関では国務省で入手した情報について議論していた。防衛駐在官の帖佐将補もペンタゴンの友人からから耳打ちされたが「有難いこってす」と日本語で答えて苦笑したそうだ。
アメリカのマスコミは日本のように中立中道を標榜しながらイメージで偏向した政治主張を流布するのではなく共和党と民主党の支持政党や主戦と反戦の政治的立ち位置を明確にしている。そのため2023年に開催されたG7広島サミットでも原爆資料館に展示されている被爆直後の惨状を単に「原子爆弾の威力」として紹介したマスコミも多く、広島市が画策していた「罪の意識」をアメリカ国民に植え付けることはしなかった。そのため「核兵器はカミの正義を実現するために選ばれた国家のアメリカに与えられた偉大な力」と言う認識に変わりはなく、ロシアや中国が不正に核兵器を使用すれば懲罰を加えるのが今も変わらぬ国是だ。問題はG7広島サミットに出席しないで密室での議論を聞いていなかったロシアや中国が西側で核兵器を保有しているアメリカやイギリス、フランスが日本のマスコミが喧伝するように核兵器を人類の罪悪と信じ込んで「使用を放棄した」と誤解することだがそこまで愚かではないはずだ。
「それでもハワイでは日系移民の団体が日米安保条約の即時発動を要求する集会とデモを開催してかなり参加者が増えているようです。それがアメリカ本土で報道されないのが不思議ですが」杉本と岡倉の意見に松本が補足した。新潟出身の杉本は情報収集に全力を傾注して自宅でも陸上自衛隊輸送幹部の妻・本間郁子と独自の新潟奪還作戦・ベンセイシュクシュク2X(西暦の下二桁)の立案に励んでいる。作戦名としてはやや長い「ベンセイシュクシュク」が頼山陽が川中島の合戦で武田軍の奇襲を察知した上杉謙信が暗夜に妻女山を出て犀川を渡り、武田信玄の本陣前に進撃した故事を詠った「鞭声粛粛夜過河 暁見千兵擁大牙 遺恨千年磨一剣 流星光底逸長蛇」に由来することは言うまでもない。杉本は幼い頃、酔った祖父が呻るのを聞いて漢文は知らなくても詩吟として憶えていた。一方、松本はハワイの中国系移民の動向を探るため妻のユキエの家へ頻繁に帰るようになっていて陸上自衛隊を退役したモリヤ佳織将補がノザキ姓になってハワイの日系人協会の理事に就任して以来、これまで中国系や半島系の移民団体による反日集会に黙っていた日系移民に韓国と中国が日本に加えている武力行使と被害、現在のロシアの侵略の裏では中国が糸を引いていることを訴えて日米安全保障条約の発動に踏み切らないアメリカ政府に対する抗議運動を主導しているのを見ている。岡倉も前川原の同期である当時の伊藤佳織候補生を支援するため松本に全面協力していた。
「そうだな。アメリカ本土のマスコミに火を点ける方が現実的だろう。幸いイギリスの三流紙が新潟の現状を伝えた上、記者を殺害されている。この小さな怒りの火に油を注げば高齢化で思考が鈍っている大統領も流石に身の危険を感じるはずだ」「先ずは中国の支配下にあるサンフランシスコからだな」杉本の意見に岡倉が同調した。2人は世界の紛争地帯で一緒に危険を搔い潜ってきたイギリスの防諜機関・MI5と諜報機関・MI6の戦友のジェームスとイリヤが現役を引退して管理職兼教官になってからも交流を持っていて今回のブリティッシュ・ライフ紙の取材活動に関与したことを聞いている。このマスコミを利用した世論工作もイギリス直伝だった。
「それじゃあジュウゾーは杉本、リンゾーは杉村(岡倉の偽名)に付いて業務の実習と人脈の継承に当たれ。今田(こんだ=本間の偽名)は引き続き台湾情報、松本はハワイの情報だが日系人の動向にも目を配ってくれ」ここで妻の裕美1曹(最近、防衛駐在官を通じて昇任の連絡が入った)が淹れたコーヒーを飲みながら新聞を読んでいる振りをして議論を聞いていた松山1佐が総括した。本間は日本への侵攻が頓挫した中国が矛先を自分に向けてくるのではないかと危惧する台湾の実情を探るため我が子・景虎を連れて旅行者を演じて渡航している。裕美1曹はニューヨークに駆け落ちした皇女を強制性交の動画を撮影するために襲撃した中国系移民の暴漢を撃退させた実績からオランダに逃亡した皇后母子の護衛を打診されたが、自衛官として国を捨てたことが許せず断固拒否した。唐突な昇任は命令拒否を処遇の不満が理由と解釈した陸上自衛隊の上層部らしい対応だった。とは言え1等陸曹の階級章は届かないので2曹の階級章にマジックで線を入れただけでは興覚めだ。それでも久しぶりに制服を着て記念写真を撮った。
「日本のニーガタに取材に行くことになったんだがお前は詳しいか」岡倉がこの任務について最初に韓国語を学ぶために滞在したサンフランシスコにリンゾーを連れて赴くと杉本のスマートホンにニューヨークの大手新聞社の記者の友人から電話が入った。正に渡りに船だ。
「新潟は俺の出身地だ。何でも訊いてくれ」「オー、サンク・グッドネス(有難い)。お前を同行させるように編集部に申し入れよう」話が飛躍し過ぎた。これでは渡る船は競艇用のボート=ハイドロプレーンになってしまう。しかし、杉本には東北地区太平洋沖地震の自衛隊の活動を取材する外国記者団に潜入していた中国軍の諜報要員を監視するため本間と2人で帰国した実績がある。
  1. 2023/06/16(金) 15:12:31|
  2. 夜の連続小説9
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埼玉県のアイドル水着撮影会の中止に見る少数派の増長!

江戸時代から情報過疎が深刻な毛利領=山口県では全く報道されていませんが民主党の野田どじょう政権で内閣政務官や防衛大臣政務官を務めた県知事を頂く埼玉県では日本共産党県連の圧力で県営プールで開催するはずだった雑誌社主催のアイドルの水着撮影会が中止に追い込まれたそうです。埼玉県内に限らず首都圏の若者たちが楽しみにしていてアイドル女子たちも人気を獲得するチャンスと期待していたはずのイベントを中止させた理由を共産党県連は「女性が裸身を露出することは肉体を性欲に供することに他ならない。男女同権を進展させていくためには女性が男性の欲望の対象とされる行事は否定されなければならない」と説明しています。
確かに共産党は少子化の原因を収入や保育所の不足、企業の処遇と断定して政府に対して予算面での対策ばかりを要求していますが、いくらお膳立てを整えても男性が女性に欲情しなければ子造りは行われないことを判った上での確信犯なのは明らかです。むしろ知らない間に40歳になったとは言え相変わらずアイドル的風貌を維持している人妻で2児の母の吉良佳子参議院議員の水着と言わずヌード撮影会を開催すれば興奮して子造りを始める男性が出るかも知れません。美貌で売っていた民主党の山尾志桜里元議員の流出ヌードの例があります。
この共産党の綺麗事に徹した主張を聞いて思い出すのが遠い昔=昭和42(1967)年から昭和59(1984)年の美濃部亮吉東京都知事の公営ギャンブルの廃止です。美濃部都知事はマルクス経済学が専門でNHKの主婦層向けの経済解説番組で絶大な人気を博していたのですが、支持者はPTAの役員的なインテリ気取りの女性が中心で、その偏狭で硬直した主張に迎合して強行したのが競馬・競艇・競輪などの公営ギャンブルの廃止でした。昭和45(1970)年に大ヒットしたソリティ・シュガーの「走れコウタロー」の台詞の出だし「えー、このたび公営ギャンブルをどのように廃止するかと言う問題につきまして、慎重に検討を重ねてまいりました結果」は美濃部知事の記者会見での説明のパロディです。結局、美濃部都政は公営ギャンブルなどの収入源を放棄しながら自治労の都職員も甘やかして異常に高額な給与を与え、老人の医療費無料化などの人気取りに湯水のごとく予算を垂れ流したため巨額の財政破綻を来たして終わりました。
一方、埼玉県議会での共産党の議席数は92人中1割にも満たない6人に過ぎず決して県民の多数意見を代弁してはいないはずです。それがここまで増長しているのは平成に入ってマスコミが党勢が縮小傾向に陥った社会党や共産党を支援するため昭和の間は民主主義の基本原則としていた「多数決の原理」を強者の横暴などと揶揄し始め、いつの間にか「少数意見の尊重」が民主主義の理想と喧伝するようになり、それを当然視してその上に胡坐を掻いているのです。
その延長線上に今流行のLGBTがあり、それを「異常だ」「気持ち悪い」と思う多数意見はマスコミだけでなく政治や司法からも封殺され、身体障害者の運動会に人間の能力の限界を鑑賞するオリンピック以上の感動を覚えなければ許されない風潮が蔓延してしまいました。しかし、多数意見はそれが人間の自然な感情だから社会で共有されているのであって異端者が我が物顔で振る舞う暴挙が黙認されるのには限界があります。愛知県の東三河のような個性が否定される閉鎖社会は嫌ですが、やはり特異な個性は遠慮がちに主張しなさい。
  1. 2023/06/15(木) 13:55:19|
  2. 常々臭ッ(つねづねくさッ)
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続・振り向けばイエスタディ520

「しかし、使いようによってはアメリカ政府に米日安全保障条約を発動させる口実になるぞ」日米の憲兵士官の間でマーガリン中尉の評価が定まったところで憲兵隊長が思いついたように発言した。通訳はこの政治色を帯びた発言を部外者のエレナに聞かせることは控えたようで警務官の2尉に歩み寄って小声で翻訳した。
「確かに中国とロシアの核攻撃の脅威が迫っているとなれば在日アメリカ軍は反撃能力を保持しなければならない。自衛隊に核兵器を渡せない以上、我がアメリカ軍が介入するしかなくなる」すると次級者の少佐の憲兵士官が補足した。やはり日米安全保障条約に基づいて駐留している在日アメリカ軍の軍人としては盟友である自衛隊が日本国内で侵略軍と戦火を交えているのを傍観していなければならないのは耐え難い苦痛であり、屈辱なのだ。
「問題はこの耳よりな朗報をどのようにワシントンに伝えるかですね」「トウキョー・トゥー(東京にもです)」「そうか、横田にも報告しなければいけないな」警務官の2尉が相槌のように同調すると憲兵隊長は妙なボケをかました。確かに東京の横田基地にある在日アメリカ軍司令部にも報告しなければならないが、警務官の2尉にとっては市ヶ谷の警務隊本部を通じて防衛省、さらに首相官邸を意味していることは明らかだ。これがジョークなのか本気の勘違いなのかは判らない。ジョークであれば笑うのがマナーだが誰も反応しないので勘違いらしい。
「中国とロシアが核弾頭の弾道ミサイルと射ってくるってか」「目標も特定しています。選定基準は在日米軍基地がない大都市、北から札幌、仙台、名古屋、京都、大阪、広島、北九州、熊本・・・」「在日米軍はこれを日米安全保障条約を発動させる理由として利用するつもりらしい」その日の夜、海上自衛隊岩国警務隊から捕虜尋問調書が市ヶ谷基地の警務隊本部に届き、指揮所で目を通した釜田防衛大臣が首相官邸に赴いて立野官房長官と双木外務大臣に見せた。岩国警務隊は電子メールでの調書とは別に電話でアメリカ海兵隊岩国憲兵隊の見解を説明していてそれは各担当者が伝達ゲームしてきた。
「在日アメリカ軍の地上基地には核兵器用の弾薬庫は設置していない。持ち込める核兵器は空母に搭載している艦載機用ミサイルと戦略潜水艦のSLBMくらいだ」「爆撃機に搭載したまま上空待機と言う手もあるぞ」元防衛大臣の双木外務大臣と釜田防衛大臣の対談を立野官房長官は渋い顔で聞いていた。最近の石田首相は条件付き降伏と言う形での停戦を模索していて広島サミットで面識を得たG7以外の新興経済大国の首脳に公邸から個人的に電話をかけて仲介を要望していることを公邸の通信電波を監督している警備担当者から聞いている。そこに「広島が核攻撃の目標に入っている」と知れば無条件降伏を宣言しかねない。それだけでなく宮内庁長官からは天皇もオランダから皇后が送ってきたポール・マッキイトニー記者とオリビア・エルトンジョン記者の記事が載ったブリティッシュ・ライフ紙で破壊された新潟の写真を見て衝撃を受け、「新潟は先祖が眠る特別な土地だ」と早期停戦を求める皇后の訴えに応じて世界各国の王族に仲介を依頼していると報告されていた。つまり在日アメリカ軍にとっては在アメリカ中国系移民=華僑の政治工作によって阻止されている日米安全保障条約の発動を無理やり促す切り札も日本の国内事情では防衛努力を上部から崩壊させる不吉なカードと言われるスペードのエース、ババ抜きならジョーカーになりかねない。
「防衛省・自衛隊としてはそのマーガリン中尉とか言うパイロットの身柄はどうするつもりなのかね」「当初、アメリカ軍は言っていることは虚偽であり、特に軍事情報を持っている様子はないから不法入国者として文民警察に引き渡せと言っていたそうですが、日米安保を発動させる道具に使えるとなれば亡命希望者として在日米軍が引き受けると前言訂正したようです。おそらく同じようにペンタゴンに打診しているんでしょう」立野官房長官の質問に答えた釜田防衛大臣は父親似の悪人顔に複雑な表情を浮かべた。日米安全保障条約が発動されることへの期待と同時に万事アメリカまかせの無力感、政治・軍事の道具に使われることになった亡命者・ユーリイ・マーガリン中尉への同情も少しは混じっている。
「これだけ戦争として実態が拡散すればおそらくアメリカのマスコミも記者を派遣してくるでしょう。フリーの連中も大挙して押し寄せるはずです。自衛隊には戦況を悪化させないように奮戦を命じるべきです」「そうだな。ロシア軍の圧倒的戦力にウクライナ軍が怯むことなく徹底抗戦したから欧米が積極的に支援して反転攻勢に成功したんだ。自衛隊にも踏ん張ってもらわないといかん」「第1次日露戦争のように宣伝戦でも勝たなければいけません。それはお2人にまかせましたよ」日頃はオチをつけられている釜田防衛大臣が双木外務大臣、立野官房長官のお株を奪った。これこそ反転攻勢だった。日露戦争ではヨーロッパの軍事大国の帝政ロシアにアジアの近代化に着手して40年に満たない日本が勝てると思っている欧米のマスコミは皆無で、初戦の辛勝もロシア軍側の弁明だけを採用して、それが戦費の原資である戦時公債の売り上げに直結したのだ。今回は日本のマスコミに事実を報道させることから始めなければならないが、国内向けの宣伝戦は普通の国では必要ないから参考にする前例が見つからない。
  1. 2023/06/15(木) 13:54:08|
  2. 夜の連続小説9
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続・振り向けばイエスタディ519

「馬鹿らしい。捕虜としての戦闘にしても稚拙だな。ロシア軍のパイロットの知的レベルが判ったことがこちらの戦果だ」マーガリン中尉の1回目の取り調べを終えた警務官の2尉はエレナを伴って捕虜収容所にしている隊舎を借りているアメリカ海兵隊の憲兵隊本部に赴いた。アメリカ海兵隊にもロシア語の通訳はいるが、日米安全保障条約が発動されていないので関与させてもらえなかったらしい。警務官の2尉は日本式な隊舎借用のお礼の後、証言内容を説明した。すると日本人の英語の通訳が翻訳したのを聞いた隊長以下の憲兵士官たちは嘲けるように大声で笑った。中には大口を開けてのけ反っている士官もいる。
「嘘の証言で相手を混乱させるのは捕虜としての戦闘手段の1つなんだよ」呆れるほど紳士的な自衛隊は兎も角としてヨーロッパ人の軍人にはチェチェンで住民を虐殺していたロシア軍を重ねてしまうエレナが困惑していると通訳が日本語で説明した。東條英機陸軍大臣が戦陣訓で「生きて虜囚の辱めを受けず」と通達するまでもなく明治の建軍以来、捕虜になるよりも死を選ぶことを強要されていた日本の陸海軍と違って外国軍では捕虜になるのは最前線にいた証明とされている。むしろ捕虜になって敵にジュネーブ第3条約が定める手厚い処遇を強要し、嘘の証言で状況判断を誤らせ、脱走することで捜索や警備の強化に兵力を割かせるのが捕虜の戦闘とされている。特に負傷兵は大袈裟に苦痛を訴えて「戦地にある軍隊の傷者及び病者の状態の改善に関する1948年8月12日のジュネーブ第1条約」に基づく正当な権利として治療と薬品の投与を要求するのだ。
「つまり核兵器による攻撃と言うのは」「あり得ない。中国とロシアはアメリカが広島サミットで核廃絶に転換したと思っているかも知れないが、我々にとってヒロシマで展示されている被爆地の惨状は我が軍が行使した力の強大さの証明であって、それが日本本土での地上戦を経験することなく対日戦争を終結させた制止力になったんだ」通訳を介した憲兵隊長の説明にエレナは2023年のG7広島サミットが迫った頃、テレビの広島局が制作する報道番組が「核廃絶の実現」一色になり、被爆者が「それだけを議題にするべきだ」と主張していたことを思い出した。しかし、現実にはウクライナへのロシア軍の侵攻、中でもロシアの大統領の核兵器による恫喝こそが先進7ヶ国と臨時に参加した新興経済大国が討議し、対策を打ち出さなければならない問題であり、予定外のウクライナの大統領の出席によって議論は一変した。
「大体、ロシアの核兵器はICBM(大陸間弾道ミサイル)はアメリカを狙って北シベリア、NATO向けのIRBM(中距離弾道ミサイル)はヨーロッパ南部で、アジアに配備しているIRBMは中国を狙ってモンゴルに接する中央シベリアだ。中国の弾道ミサイルは大半がチベットにあるから狙っているのはインドだろう。日本に向けて発射する準備を始めれば確実に探知できる」通訳の説明を聞いた日本語が理解できる海兵隊士官が話に加わってきた。これは日本では知られていないが国際社会では常識なので軍事秘密ではない。
「それでマーガリン中尉の亡命希望はどうしますか」通訳がエレナに掛かり切りになって会話が進まなくなった警務官の2尉が困ったように割って入ってきた。海上自衛隊の警務官はアメリカ海軍と同居している横須賀や佐世保、厚木などで勤務すると英会話に熟練するが、それ以外の基地しか経験していないと業務調整には自信が持てないのかも知れない。
「亡命希望と言っても特に手土産がないからな」「あのまま丸腰のスホーイ27に乗ってきても目新しい軍事秘密はありませんでした」「かえって怪しいな」通訳が警務官の2尉の質問を伝えると憲兵隊長と士官たちが議論を始めた。昭和51年9月6日にヴィクトル・ベレンコ中尉がミグ25で亡命してきた時は三木武夫内閣は崩壊寸前で9月15日に退陣している。その混乱につけ入るようにソビエト連邦はベレンコ中尉とミグ25の引き渡しを要求して軍事と外交の圧力をかけてきた。しかし、アメリカはかつてソビエト連邦に引き渡した亡命者が銃殺された悪しき前例を繰り返さないため即座に受け入れを決定した。勿論、軍事秘密の塊りと思っていたミグ25と言う手土産が魅力的だったのは間違いない。その点、マーガリン中尉はロシアが粛清する可能性は否定できないが、乗ってきたスホーイ27は脱出して海の藻屑と消え、仮に機体があっても偵察任務だったので空対空ミサイルや空対艦ミサイルなどの魅力的なオマケは付いていない。おまけに中国とロシアによる核攻撃などと虚言まで弄している。 
「一応はペンタゴンに連絡するが、平時の不法侵入者として日本の警察に引き渡すのが日本的処理だろう。広島拘置所に収監されれば本当に弾道ミサイルが飛んでくるのかも判る」「真剣に怯えるようなら少しは信じてやっても良いだろうがそれもないな」どうやら戦闘中の個人による投降や敵前逃亡を軍規違反としているアメリカ海兵隊としてはマーガリン中尉は亡命者ではなく脱走者と言う認識のようだ。それでも自衛隊だけでなく在日アメリカ軍までも混乱させる工作員と思われていないことは本人にとって幸運だろう。情報機関から送り込まれた工作員となれば政治と軍の中枢からの指令を受けているはずなので、スホーイ27やミグ25とは比べ物にならない最高度の情報の持ち主だ。取り調べも架空物語の世界になる。
  1. 2023/06/14(水) 15:36:28|
  2. 夜の連続小説9
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6月14日・世界で最も平和な領土紛争・ウィスキー戦争が終結した。

2022年の明日6月14日に49年半の長きにわたりカナダとデンマークが互いに相手の留守
中に軍や学者を派遣しただけで「世界史上で最も消極的で積極的な領土紛争」と評される通称「ウェイスキー戦争」が終結しました。
ウィスキー戦争は1973年12月17日にデンマーク領グリーランドとカナダのエルズミア島の間にあるネアズ海峡の領海の境界線が確定したことを発端とします。領海の境界線そのものは平和的な話し合いで決まったのですが、1984年にカナダの歴史学者のジャーナリストが北極海から大西洋への通路で氷山や流氷で閉ざされていることが多いこの海峡の境界線が面積1.3平方キロメートルの樹木が生えていない平板状の岩に過ぎない無人島のハンス島の真上を通っていると指摘したことで事態は急変しました。
地図上の線に過ぎない領海境界線とは違って周囲は断崖絶壁で強い海流のため接岸が困難でイヌイットが休憩所として上陸した以外に利用価値は全くないこの島でも「領土」となれば獲得しない訳にはいかず、先ず1984年にカナダ軍が上陸して国旗を立てて記念品としてカナディアン・ウィスキーのボトルを置いて帰りました。するとそのニュースにデンマークのグリーランド担当大臣が「領土奪還」とばかりに同年7月に上陸してデンマークの国旗と領有を宣言する看板を立ててドイツ北部一帯の蒸留酒のシュナップスのボトルを置いて帰りました。16
それからはデンマークの攻勢が続き、1988年に哨戒艇が接岸して国旗を立て直してケルン(人工の石積み)を積んで帰り、1995年にはグリーランドの最北端にあるアメリカ宇宙軍基地の連絡員とデンマークの地質学者が上陸して国旗を立て直しました。一方、カナダも2001年になって地質学者を派遣しましたが、デンマークは2002年と2003年にも哨戒艇を接岸させて国旗を立てて交換しました。
すると2004年にカナダの外務大臣が「カナダはいかなる北極圏の領土も放棄することはない」と発言したことで事態が先鋭化して2005年にカナダ軍が上陸して国旗を立ててイヌイット式の石積みを残し、、1週間後には国防大臣が上陸して外交問題化したのですが、デンマークが2週間後に対抗措置として哨戒艇の派遣を決定したことで協議が始まり、「9月中旬に話し合いを持ち、決裂した場合は国際司法裁判所に協同で提訴すること」で合意したのです。この点が竹島=独島の韓国や尖閣諸島の共産党中国との違いです。
結局、9月19日の話し合いで両国の大学の共同無人気象観測所を設置し、問題解決のための作業部会の提言を受けて島の中央を縦断する自然発生の岩の裂け目を国境とすることが決定して6月14日に合意文書に調印しました。
これまでカナダはアメリカ、デンマークはドイツとだけ国境を接していましたが、これで両国の間にも国境ができました。しかし、カナダとデンマークだったから紳士的に解決しましたが日ソ不可侵条約の1年間の破棄猶予期間を無視して停戦後に侵攻したスターリン書記長の暴挙を平然と継承しているロシアや史実歪曲の常習犯の韓国、「釣魚島は台湾の一部、だから中国領」と言う論理を押し通す共産党中国では始めから駄目です。
  1. 2023/06/13(火) 15:19:17|
  2. 日記(暦)
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続・振り向けばイエスタディ518

「希望する亡命先は日本なのか」「ニエート(いいえ)、ヴィクトル・ベレンコ中尉のようにアメリカを希望します」映像のマーガリン中尉の目に希望の光が灯ったように見えた。ヴィクトル・イヴァーノヴィチ・ベレンコ中尉は1976年9月6日に当時は最高度の軍事秘密だったソビエト軍の最新鋭戦闘機・ミグ25で函館空港に強行着陸してアメリカに亡命した防空軍のパイロットだ。
ベレンコ中尉の父親はヨーロッパ方面におけるナチス・ドイツ軍との戦闘でパルチザン(遊撃兵)として武勲を上げた軍曹だったが、2歳の時に両親が離婚して父親が再婚した継母に虐待されたため家を離れられる職業として軍人になったと言う(=就職家出)。ところが教官を務めるスゴ腕の戦闘機パイロットになると上層部の娘との結婚を強要されて家事をせずに浪費を繰り返す妻に悩まされることになった。このように個人の人生を上層部の勝手で踏みにじられる共産党と軍を嫌悪感を持って見直すと硬直した組織が腐敗し切っていることを実感して亡命を計画するようになった。そして第513戦闘航空連隊として配属されていたチュグエフカ基地を離陸して編隊飛行の訓練中に墜落を装って急降下すると海面スレスレの超低空で日本海を横断した。そして緊急発進してきた航空自衛隊のFー4EJを振り切って函館空港に強行着陸したのだ。ベレンコ中尉は亡命の4日後に羽田空港からノース・ウェスト機でアメリカへ渡ったが国防総省、国務省、CIA、FBIの監視下に置かれ、名前や住所を頻繁に変えながら現在も市民として生活しているらしい。
この若いマーガリン中尉が名前を知っていると言うことはソビエト連邦時代には「売国奴」「裏切者」扱いされていたベレンコ中尉は英雄視されなくても憧れの的になっているのかも知れない。しかし、ベレンコ中尉は1983年9月1日の樺太上空での大韓航空機撃墜事件では自衛隊が傍受・録音した戦闘機パイロットと地上指令所との交信通話を解読してソビエト連邦側に撃墜を認めさせることに大きく貢献して恩を返している。
「やはりロシアの軍人は世界最強の軍事大国・アメリカに憧れるものなのかね」「ニエート、今のアメリカは信用できません。しかし・・・」警務官の2尉の質問に明るくなったマーガリン中尉の顔が急に曇った。エレナとしてはマーガリン中尉の口調の変化を感情表現が複雑な日本語に翻訳するだけの自信はない。本人の顔を見ている警務官の2尉の洞察力に期待するしかなかった。
「日本にいては命が危ないんです。モスクワと北京は日本の占領が想定外に難航していることに苛立っていて打開策を協議しています」「なるほど・・・」「ヤ・ポニマユ」エレナは無意識に警務官の2尉の相槌まで翻訳してしまった。それを聞いたマーガリン中尉は真顔でビデオ・カメラを注視した。その目には先ほどの敵を探るような険しさではなく同情を帯びた厳しさがあった。
「我がロシア連邦軍に比べて中国軍の戦力はロシア製の兵器の模倣・複製が中心でベレンコ中尉が亡命に使ったミグ25のような代物ばかりです」「要するに最新技術を開発せずに実用化している機器を改良して寄せ集めたってことだな」「ダー」警務官の2尉は海上自衛官の割にはミグ25亡命事件に詳しいようだ。やはりロシア軍のパイロットを取り調べるに当たっての事前学習の教材として調べたのだろう。岩国基地であればアメリカ海兵隊憲兵隊でも資料を入手できるはずだ。
百里基地に運ばれたミグ25はアメリカ空軍の「ミグ屋」と呼ばれる情報分野に属する技術者と航空実験団の航空機整備員によってエンジン出力やレーダー探知能力を確認された後、バラバラに分解された。モリヤ元2佐の第1教育群時代の中隊長(幹部にした張本人)は航空機整備員の空曹としてこの作業に参加したが、「技術的には20年遅れでも大出力のエンジンで鉄板性の重い機体をマッハ3で飛ばす発想と技術には恐れ入った」と語っていた。兎に角、機体はジュラルミンなどの合金製ではなく屋外に放置すれば錆びるような鉄板で、自慢のエンジンのタービン・ブレード(圧縮翼)は数段しかなく「実質的にラム・ジェット」だったそうだ。
「そうなると東シナ海を突破して九州に侵攻することは不可能に近い。我がロシア連邦軍もウクライナ侵攻で消耗した戦力の回復が不十分なまま参戦した無理が表面化している」「なるほど」「ヤ・ポニマユ」エレナにも口調で警務官の2尉が沈痛な顔になっていることは判るが真正面で向き合っているマーガリン中尉は顔を同情一色にして結論を口にした。
「そうなると日本側が対抗手段を持たない攻撃手段としては弾道ミサイル、それも核弾頭を搭載したミサイルを在日アメリカ軍がない大都市に射ち込むしかない。札幌、仙台、名古屋、京都、大阪、神戸、広島、北九州、熊本」マーガリン中尉が列挙した目標に福岡が入っていないのは福岡空港の対面にあるアメリカ輸送空軍の板付基地を除外したからで、この説明が単にマーガリン中尉個人の見解ではないことを物語っている。
北九州=小倉は昭和20年8月9日に長崎で爆発した2発目の核兵器・プルトニウム爆弾の攻撃目標だったが前日の八幡空襲の黒煙で視界が遮られて投下地点が特定できずBー29ボックスカーは退避しながら第2目標の長崎に捨てた。しかし、今回は逃れられそうもない。
「だから通訳しているロシア人女性が広島在住なら早めに転居することを勧めます。ロシア連邦と中国共産党はG7広島サミットに参加していないから核兵器の使用を悪事と考える必要はないんです」突然、言葉を掛けられてエレナは絶句してしまった。あまりにも恐ろし過ぎる助言だ。
  1. 2023/06/13(火) 15:17:46|
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