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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

12月25日・比叡山延暦寺で天台座主と真言宗管長が対面した。

2011年の12月25日に比叡山延暦寺で平安時代初期以来1200年ぶりに天台宗の半田孝淳座主と真言宗の松長有慶管長が対面しました。
比叡山延暦寺の天台宗と高野山金剛峰寺の真言宗の反目・対立は日本佛教史の最大の謎とされていますが、現在まで伝承している理由としては唐で最先端の密教を学び恵果阿闍梨の允可を受けて帰国した真言宗の宗祖・弘法大師空海さまに唐では時代遅れになりつつあった妙法蓮華経を学問として習得して多くの経典を持ち帰った天台宗の宗祖・伝教大師最澄さまが僧侶としては上位でありながら礼を尽くして教えを請い、弟子となっても真摯に学ぼうとする態度に感銘を受けた弘法大師さまも惜しまず経典を貸し出して質疑に応答してきたにも関わらず真言密教の最高奥義である般若理趣経=大楽金剛不空真実三摩耶経だけは貸し出しを拒否したことだと言われています。
これについて野僧が奈良の幹部候補生学校から比叡山に修行体験に行った時、指導に当たった学僧は「伝教大師の頭脳の明晰さに恐れを為した空海が教義の奥義を奪われると太刀打ちできなくなると肝心の部分を秘匿した」と揶揄していたのに対して個人的に教えを受けた真言宗の高僧は「最澄さんが佛教を文章で学問として理解する人物だと見て取ったお太師さんが『煩悩を肯定する理趣経を知れば誤った方向に走りかねない』と危惧して敢えて先に進まなかった」と解説していました。
何にしてもそれから1200年間もこの2大教団は抗争こそ犯さなかったものの交流を持たず真言宗は本来の教義が山岳信仰による加持祈祷と天文・地質学、土木工学、薬学医学などの最新科学を網羅しているため分派を繰り返しながら発展を続け、天台宗は平安時代末期から鎌倉時代にかけて念佛門や禅門、法華門を派生させてきました。尤も比叡山の学僧たちは鎌倉佛教の祖師たちを「脱落者」と誹謗し、特に妙法蓮華経の勝手な理解で他の宗派を口汚く批判し、比叡山が密教も取り入れていることを堕落として敵対するようになった日蓮聖人には容赦がありませんでした。
さらに一向一揆を指揮する石山本願寺の攻城戦に苦慮した織田信長公によって比叡山が焼き討ちされても高野山は交渉による打開を図り、石山本願寺に与した荒木村重さんの家臣を匿っていることが発覚して軍を派遣されると本能寺の変が発生して難を逃れました。豊臣秀吉さんによる修験道の本山・根来寺攻めでは多大な損害を被りましたが徳川家康公の庇護を受けて宗教教団としては復興を遂げています。
それでも明治新政府が吹き荒れさせた神佛分離や修験道禁止などの廃佛毀釋の凶風には別々に防戦一方でした。明治政府=大日本帝国が佛罰を受けて77年間でこの国を滅亡させたことを思うとここで共同戦線を張って法力で政府を転覆させてもらいたかった。
松長管長は2008年から2010年まで全日本佛教会の会長を務めましたから公式の場での面識はあったはずで1200年間のわだかまりを解消することに努めたのでしょう。その後、半田座主も臨済宗妙心寺派の河野大通禅師を間において2012年から2014年に就任しています。
  1. 2023/12/25(月) 15:54:05|
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続・振り向けばイエスタディ708

「こちら日本国海上保安庁、君は現在日本のEEZ(=排他的経済水域)内を航行中である。経済水域内の航行は国海洋法条約で認められているが漁獲に関しては我が国の承認が必要である。これから本船が接舷するので許可証を提示するように。停船せよ」東シナ海では第7管区感情保安本部による日本のEEZ内に進入した中国の大船団への対応が始まっている。海上保安庁は開戦初頭に尖閣諸島周辺海域で海軍の巡洋艦の塗装を替えただけの中国海警の警備船の砲撃で巡視船を撃沈されているが今回は警備船の姿はない。しかし、韓国の艦艇が済州島方向から接近してEEZの境界線を航行している。
「こちらは日本国海上保安庁の巡視船・はしま、貴艦が航行している目的はなんだ」対応を開始するに当たって第7管区では最大で全長130メートル、5259総トン、ヘリコプター2機を搭載する巡視船・はしまが韓国艦艇の先頭艦に接近して警察官で言う職務質問を実施した。韓国は現在も外交上は友好国なのだ。
「こちら韓国海軍のコルベット艦・ポパイ、中国の漁船団が大挙して西海(=東シナ海)を東進していると言う情報を受けて監視のために出航した」巡視船では交信中、軍用艦の外観を確認したが、韓国海軍もアメリカ海軍や海上自衛隊のように艦首脇の舷側に描いてある艦の固有番号が有り合わせらしい塗料で消されている。何よりも主砲をこちらに向けている。このコルベット艦は旧式な全長88メートルのポハン(=浦項)級らしいが、主砲は76ミリ砲なので巡視船の20ミリバルカン砲よりも強力だ。それでも巡視船もバルカン砲を艦橋に照準していた。
「了解、貴国の漁船団も日本海を南下しているそうだからそちらには行かないでくれ。緊急事態が生起すれば救助活動の支援を仰ぐ可能性はある。その時はこの周波数で交信する」「了解」韓国海軍の艦艇の艦種別固有番号を確認したがやはりポパイと言うフザケた名前の艦は存在しない。やはり乗組員が集団脱走して艦名と隠蔽した上で出航したようだ。それに同調者が10隻いることになる。日本海を南下している漁船団には海軍軍人と思われる総舵手と軍用小銃を携帯した兵士が乗っているらしいから韓国軍の同調は組織的な暴動のようだ。このような相手を信用して外交交渉で解決しようと言う石田政権には自衛隊の方が暴動を起こすべきではないか。
「こちらは日本国海上保安庁、君は現在・・・」「我々は中華人民共和国の民間人の漁船である。新たな漁場を探すために日本のEEZ内を航行しているだけだ。漁獲は行わないので臨検を受ける義務はない」第7管区の巡視船艇25隻が100隻の漁船団を分担して割って入り、無線による通告に続いてマイク放送を始めると漁船は速度を緩めることなく総舵手ではない乗組員が設置してある放送装置で大音響の日本語の回答を流し始めた。それは25隻の巡視船艇全てに一斉だった。
「国連海洋法条約では当事国にEEZ内の警察権の行使を認めている。君たちが漁具などを携帯していれば漁獲が可能になる。それを確認するために接舷して確認したい」巡視船が無線でも再送しようとした時、中国漁船が回答してきた。
「東海(=東シナ海)は本来、我が中華人民共和国の大陸棚であり、日本の領海までは全面的に我が人民の所有物である。漁場の調査を日本海警に妨害される理由はない」先ほどは用意した台本を日本語が堪能な乗組員が朗読したらしく今回は東シナ海を東海、海上保安庁を海警と中国独自の用語になっている。それでも日本語力はかなりのものだ。
「停船しろ。これは合法的命令だ」「我々が日本の領海に入ってから強権を発動しろ。それまでの民間人の殺傷と所有物の破損は安全保障理事会常任理事国としての懲罰権に該当する犯罪行為だ」挑発的に回答しながら漁船は速度を上げた。その速度は萩保安署の高速巡視船よりも一世代前の高速巡視船以外の巡視船艇を凌駕している。
「領海内に入られては手遅れになる。マイクでの通告後、警告射撃を実施する」巡視船の船橋では船長が航海長に指示を与えた。やはり25隻と言う戦力を与えられているため藁をも掴むように陸上自衛隊のヘリを要請することは考えないらしい。
「海自の哨戒機から連絡、必要とあれば漁船の進路に爆雷を投下する。銃弾よりも損害は低いはずだ」「なるほど、奴らは能登沖の不審船でもやっていたな」これで決まった。
  1. 2023/12/25(月) 15:52:48|
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12月25日・ラジオで「ホワイト・クリスマス」が初演された。

1941年の明日12月25日にアメリカの3大ネットワークの1つNBCのラジオ番組「ザ・クラフト・ミュージック・ホール」の中でホストを務めていた人気歌手のビング・クロスビーさんが生で「ホワイト・クリスマス」を唄いました。ただし、この時の音源は残っていないそうです。
この曲は1940年の夏にロシア系の作詞・作曲家のアーヴィング・バーリンさんが滞在していたアリゾナ州ボルチモアのホテルのプール・サイドで一気に書き上げたと言われています。その時、歌詞と曲を筆記した秘書に「最高傑作」と宣言したそうです。
1941年のアメリカのクリスマスは現地月日の12月7日の日本海軍の真珠湾空襲によって翌12月8日にフランクリン・ルーズベルト大統領が対日宣戦布告したため日独伊三国同盟を結んでいたナチス・ドイツとイタリアが対米宣戦布告して太平洋方面とヨーロッパ戦線の二正面の戦争に突入してウィルソン大統領の巧妙な扇動に乗せられて第1次世界大戦に参戦したことを悔やんでいたアメリカ国民は沈痛な想いで迎えていました。
そんな中、クロスビーさんの甘い歌声に乗ってラジオから流れた「ホワイト・クリスマス」は「I’m dreaming of a white Crismas(私は夢見ている。白いクリスマスの) Just like the onces I used to know(かつて私が経験したのとそっくりな) where the treetops glisten(そこでは木々の頂きが輝き) and children listen(子供たちは耳を澄ませる) to hear sleigh bells in the snow(雪の中で響くソリの鈴の音を)」と言う郷愁を誘う歌で多くの聴取者の心に染みわたったようです。しかし、唄ったクロスビーさんはアメリカでは年末になると発売される讃美歌以外のクリスマス・ソングの1つに過ぎず、撮影中だったフレッド・アステアと共演するミュージカル映画「スイング・ホテル」の挿入歌と言う認識でした。実際、この歌はクリスマス・シーズンが終わると話題ならなくなり、映画の公開に合わせて発売された映画の挿入歌のレコードの6曲の中の1曲として収録されただけでその中の「ビー・キャッフル・イッツ・マイ・ハート」がヒットしたためシングル化されませんでした。
ところが映画公開後の10月末になると戦時下でもクリスマスの気配を感じ始めた市民の間で人気が急上昇して人気ラジオ番組「ユア・ヒット・パレード」でチャートの首位に立つとシングル化されて翌年まで11週間にわたり維持しました。また前線のアメリカ軍将兵向けのラジオ放送でもリクエストが殺到して癒しの曲として愛聴されました。
その後、この曲は年末になると人気に火が点く季節モノの定番になり、フリスビーさんは何度も新たに録音したシングルを発売して1945年と1946年、ベトナム戦争中の1969年とベイルートの平和維持軍司令部庁舎爆破事件やグレナダ進攻が起きた1983年にもチャート首位を獲得しています。さらにアンディ・ウィリアムスさんなどの多くの歌手がカバーしてヒットさせていますが全ての歌手のレコード・ミュージックテープ・CDなどの売り上げは1億枚を超えると推計されています。
  1. 2023/12/24(日) 14:31:03|
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続・振り向けばイエスタディ707

「来たな」「はい、韓国側はおそらく脱走兵ですから持ち出せた武器は小銃までですがこちらは正規軍なので何を持っているか判りません」福江島の第15警戒隊の特別警備部隊は海上自衛隊のPー1哨戒機が大船団を捕捉した時点では島内の要点への配備を終えていた。その間に日本海では韓国から出撃した漁船団と海上保安庁の高速巡視船の銃撃戦が始まったが、13ミリ機銃の方が威力に勝る上、飛来した陸上自衛隊のヘリコプターのドアガンによる機銃掃射で先行する船団はとりあえず撃破された。それでも間もなく対処が始まる中国の大漁船団は数が圧倒的に多く尖閣諸島周辺海域で海上保安庁の巡視船に衝突した漁船と同じく海軍の軍人が操舵しているようで戦闘行動に熟練している。然も韓国の国民の反日世論の勃興に同調した軍人の暴走とは違い正規軍として携帯式ミサイルなどの必要な武器を持っている可能性が高い。
「部隊配備、完了しました」結局、第15警戒隊はフィリピン人義勇隊員の増員を受けても1個中隊100名に満たない特別警備隊を152の島に分散配備する愚は犯さず、レーダーサイトと空港が所在する福江島を死守することを決定した。幸い全ての島の島民は前回の本間の警告を受けて西部方面隊が長崎県に退避勧告したのを受けて九州本土に避難している。西部方面隊が地方協力本部の広報官を派遣して独自に製作した呂論島の惨劇の解説番組を公開したことが効果を上げたようだ。これに長崎県は「島民の不安を煽る」と反対したが対馬市長の助言を受けた五島市長の英断で実施されて佐世保市の浮久島と寺島、南北松浦郡の14個の有人島も同調した。
「福江島以外の島を占領されれば西部方面隊が第1空挺団を派遣して奪還する方針に変わりはないからその拠点としての福江空港の確保はレーダーサイト以上の主要任務だ」「分屯基地は自隊警備隊に頑張ってもらうとして我々は上陸阻止と空港の警備に全力を上げます」分屯基地司令を兼務する第15警戒隊長の確認に副島1尉は淡々と答えたが、福江島は全周322.1キロで面積326.43平方キロメートル、人口も本来は3万3千人を超える日本で11番目に大きな島なので単独でも守り切れる島ではない。
今回、福江島守備隊は敵の主力は海上で撃破することを前提に討ち漏らした少数の漁船が着岸して乗組員が任務を継続することを想定している。そのため東シナ海側の遠望が利く箇所に監視所を設置して五島列島内の観光展望台から大型望遠鏡を移設した。敵の漁船を発見すれば着岸地点に車両に乗った隊員が急行する。
一方、空港は全周に指向式地雷クレイモアを全周に設置して空港ターミナルの屋上で遠隔操作する。合わせて屋上には陸上自衛隊から移管されたM2重機関銃も設置して少人数で空港を守る体制を第3術科学校警備課程室の指導を受けて整えた。
「1つ、気になっているのは先日の中国が民間機に兵員と武器弾薬を乗せてきた事件以降も中国の旅客機が全国の空港に就航していることです。緊急事態を宣言して福江空港に着陸を要求してきたらどうしますか」「航空局は福江空港を閉鎖して職員も避難してしまったが緊急時に備えて空自の移動管制隊が展開している。彼らなら自衛隊基地に着陸させて捕獲するなど適切に処置するだろう」「強行着陸してくれば射っても良いですか」「そこが問題だ。相手は民間機だからな・・・」高度な判断を求められて2佐の第15警戒隊長は回答しなかった。副島1尉はこの問題を先ほど福江空港の配備状況を確認に行ってターミナルビルの屋上から見回していて唐突に思いついたのだ。
これまで副島1尉は侵入阻止を空港警備と考えて航空基地では侵入者がなくなって補給処に在庫ができているクレイモアを取り寄せて全周に隙間なく設置した。次に侵入をゆるした敵に痛撃を加えるためのM2重機関銃を陸上自衛隊に要求してこれも入手した。確かに12.7ミリのM2重機関銃であれば旅客機を破壊・撃墜することは可能かも知れないが停戦後に犯罪に問われるような戦闘を部下に命じることはできない。
「あり得る話だから悩むな。その時はタイヤを狙撃して擱座させて取り囲むしかないだろう。武装した兵隊が下りてきたら重機関銃で銃撃して破壊すれば良い」「それではそうさせてもらいます」第15警戒隊長が考えていた通りの対処方法を口にしたため副島1尉は即座に了承した。これで責任はこの2佐が負うことになった。
  1. 2023/12/24(日) 14:28:59|
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12月24日・「きよしこの夜」が初演された。

1818年の明日12月24日にオーストリアのオーベルンドルフの聖ニコラウス教会でキリスト教国ではカソリックとプロテスタントで共有する讃美歌、日本ではクリスマス・イブの定番曲の「きよしこの夜」が初演されました。
クリスマス・イブのミサで演奏・合唱する讃美歌が新たに作詞・作曲されることになったのは前日になって聖堂のオルガンの鞴(ふいご=空気袋)がネズミにかじられて音が出なくなってしまい雪が深くて修理の職人が来られないため当時、クラシックにも用途が広がっていたギターで伴奏することになり、その音色に合った楽曲を必要としたからです。
作詞のヨーゼフ・モールさんは2年前のクリスマス・イブに生まれた赤ん坊の祝福を依頼されて勤めた時、母子と家族の姿が聖書に描かれているイエスが生まれた情景と重なり、その感動を胸に教会に戻って数編の詩を書き上げていたので、その詩を歌詞に編集し直して聖堂のオルガン奏者のフランツ・クサーヴァー・グルーバーさんに渡して作曲を依頼したのです。ところがグルーバーさんは「自分はオルガニストであってギターの演奏はやらない」と断りましたがモールさんは「ギターの和音の1つや2つは知っているだろう」と質問し、「3つ知っている」と答えたので和音3つだけの簡単な曲を依頼しました。そのためグルーバーさんは1時間くらいで書き上げたそうです。
こうしてブッツケ本番に等しい状態でミサに臨み、モールさんがギターを弾きながらテノールを担当し、グルーバーさんがバス、女性歌手2人も加えた4重唱で披露しました。するとミサなので拍手喝采は起こらなかったものの参集者は深く感動してモールさんは自信を持ちました。数日後、ツィラータール村の皮手袋製造が本業のオルガン職人のカール・マウラッヒャーさんが修理に来て仕事の終わりにグルーバーさんが試演奏することになったためモールさんの提案で「きよしこの夜(=ドイツ語と英語の題名の邦訳は『静かな夜』)」を演奏すると感動したマウラッヒャーさんは譜面を書写して帰りました。それからマウラッヒャーさんは知人の歌い手や演奏家に譜面を配って広めるとツィラータール村では「天からの歌」と呼んで村人が歌い継ぐようになりました。
そうして10年が経過した頃、グルーバーさんは村で評判の美声の姉妹にこの歌を教え、
手袋を売るために街へ出た時には客引きに唄わせるようにしました。するとその歌を聞いたドレスデンを首都とするザクセン候国の音楽総監督が候王の前で披露するように依頼して王室主催の演奏会で姉妹が合唱すると候王はその年=1832年のクリスマス・イブに王宮で王家の前で唄うように命じました。
こうして「きよしこの夜」は作者不明の聖歌としてオーストリア帝国内や周辺国に広まりましたが1854年にプロイセン国王=後のドイツ皇帝のヴィルヘルム4世の耳に入ると「クリスマス行事では最初にこの歌を唄う」と定め、同時に作者を探すように命じたため調査団は遡るようにオーストリア国内を歩き巡り、やがてザルツブルグの聖ペテロ修道院の聖歌隊に入っていたグルーバーさんの息子に辿り着いて作詞・作曲者と成立した経緯が明らかになったのです。
  1. 2023/12/23(土) 14:45:40|
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続・振り向けばイエスタディ706

閣議室に防衛省・自衛隊中央指揮所から「中国の漁船の大船団が出航して東シナ海を東進して来る」と言う緊急情報が入ったのは「今回の武力衝突は終息する」と言う前提で築木(つずき)財務大臣が提起したロシア軍を制圧するために陸上自衛隊が破壊した新潟市中心部の復興予算の捻出方法と古泉法務大臣の自衛隊、警察、海上保安庁によるロシア軍、中国軍の将兵殺害の実態調査について長々と議論した後、上山外務大臣が中国とロシアに先立って行う韓国との外交交渉を説明し始めたところだった。中央指揮所では閣議に出席している大原防衛大臣に代わって宮谷防衛副大臣が指揮を執っている。
「Pー1が現場海域に到着しました。送ってきたレーダー情報を解析すると数は100隻を超えています」この説明に閣僚たちは中央指揮所でも見慣れた航空自衛隊の航空機の速度を表す線を引いた航跡ではなく海上自衛隊の海面を航行する船舶の存在を示す画像に切り替わった閣議室のモニター画面に注目した。確かに胡麻粒のような光の点が広がりながら西に向かっている。漁船であれば各々の漁場を目指して分散するはずだが指揮を受けている艦隊のように直進している。進路には福江島がある。
「海保の巡視船は何隻出ている」「第7管区の門司と福岡、唐津、佐世保、長崎の巡視船が25隻です。五島と長崎近海では乗組員に武装させた巡視艇が警戒に当たっています」西藤国土交通大臣の質問にもモニター画像の音声の海上自衛官は答えた。これで海上保安庁と海上自衛隊が連携して対処していることが判る。おそらく海上自衛隊は鹿屋基地のPー1哨戒機だけでなく佐世保地方隊でも護衛艦が待機しているのだろう。
「韓国の漁船も日本海を南下しています。進路から見て山口県の見島と島根県の隠岐島を襲撃するようです。こちらは仙崎と萩署の巡視船艇3隻が対処しています。岩国で待機しているPー8に発進を要請します」「Pー8って」「アメリカ海軍の哨戒機だ」画面の音声の説明にこの事態になっても防衛問題に関心を示さない閣僚が疑問を口にすると大原防衛大臣が苛立ったように説明した。
「Pー8からの情報が届きました。韓国の船団は10隻が先行して本体が続行する陣形を取っているようです」間もなく画面は対馬の西の日本海に替わった。こちらの光の点は中国の半数ほどだが、高速度の漁船10隻が先行して残る本体が遅れて続行している。その10隻の前を巡視船を示す航跡表示が遮るように横切ったのが判った。
「漁船の乗組員が銃を構えたようです」「こっちも呂論島の二番煎じか」「応戦させろ」画面の音声の担当者は海上保安庁の交信も傍受しているようで高速巡視艇が萩海上保安署と仙崎海上保安部、門司の第7巻管区海上保安本部に発信した報告を説明した。それを聞いた大原防衛大臣と西藤国土交通大臣が大き目の独り言を呟いた。
「韓国の漁民を殺したら外交交渉で解決できなくなるじゃない」停戦に向けた議題でぬるい安堵感が漂っていた閣議室に緊張感の冷気が吹き込むと上山外務大臣がただのヒステリー婆さんになったような金切り声を上げた。机の上には読み上げ始めていた外交交渉の日程表と説明資料が広げられ、拳を握った両手で押さえつけている。
「漁船から発砲して来ました。応戦するようです」「よし」「第7管区から防府の陸自13飛(陸上自衛隊第13飛行隊)に派遣要請が入りました」「アメリカ海軍は海上における警備行動に介入できないんだな」画面の音声の説明に西藤国土交通大臣は相槌を打ち、次の説明に大原防衛大臣が解説を加えた。
「大体、陸上自衛隊は海上における警備行動の対象外だろう」「ヘリが防府飛行場を発進しました。武装はドアガンとしてM2を1門」石田首相は苛立ってくると左手の指で唇を摘まむ妙な癖があるがそれは脳を刺激して思考するための仕草のようで唐突に発進を制止する理由を思いついた。しかし、陸上自衛隊も準備万端整えていたらしく設置に時間がかかるドアガン用の銃架にM2重機関銃も装着した上、下手すれば弾薬まで搭載して待機していたUHー1J多用途ヘリコプターは航空自衛隊の緊急発進並みの迅速さで発進して現場に急行した。M2重機関銃の口径は12・7ミリなので高速巡視艇の13ミリ機銃と大差はない。この水も漏らさぬ対応も非合法海外情報員・本間郁子が台湾海峡の金門島から発した中国の悪足掻きの警告の成果なのは言うまでもない。
  1. 2023/12/23(土) 14:44:32|
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ニュースセンター9時の初代キャスター・磯村尚徳さんの逝去を悼む。

12月9日に野僧が中学校に入学した昭和49(9174)年4月1日に始まったNHKの報道番組・ニュースセンター9時の初代メインキャスターだった磯村尚徳が亡くったそうです。94歳でした。
磯村さんは番組の編集長を兼務していたためそれまでのニュースで原稿を読むだけだったアナウンサーとは異なり(報道業界ではトーキング・マシーンと揶揄されていた)、解説や批評をニュースの流れで語り、個人的な感想まで付け加えていました。
それを見て父親は「ニュースを私物化している」と怒っていましたがNHKとしては海外では常識になっていたニュースを材料にして議論を楽しむ報道バラエティー番組の先駆けのつもりだったので視聴者の固定観念を打破できるまでは苦心惨憺だったのでしょう。
また磯村さんはパリ帰りのキザっぽさをあえて鼻にかけるところがあり、日本では見ないライト・グレーなど明るい色の襟の幅が極端に広いスーツを着ていたため新聞などの番組評で「象の耳のようだ」と皮肉を投げかけられていました。
磯村さんは昭和4(1929)年に東京で祖父は陸軍大将、父も陸軍中将の軍人の家庭に生まれました。小学校は皇室・皇族の学問所だった戦前の学習院の初等科でしたが、入学して間もなく父がトルコ駐在武官になったため現地のフランス人学校に転入して小学校時代の大半を過ごしました。ここでフランス語を完璧に習得したようです。
帰国後は学習院に復帰しましたが、旧制中学校だけは現在の都立戸山高校に入り、昭和20(1945)年7月10日に中部軍管区参謀副長だった父が山梨県上空でアメリカ軍に撃墜されて戦死しましたが敗戦後には新制の学習院大学に進学=復帰しています。
昭和28(1953)年に大学を卒業するとフランス語に堪能な人材を探していたNHKに入局し、新人でありながら東京報道局に配属されて翌年に外信部に移動するとハノイ(ベトナムはフランスの植民地だった)とカイロの特派員を経て昭和33(1958)年にヨーロッパ総局パリ支局の特派員になりました。
昭和37(1962)年に帰国すると日本式記者の見習いのように記者クラブや政治家の番記者を経験しましたが昭和41(1966)年からはワシントン支局長、昭和46(1971)年に帰国して外信部長に昇格、昭和49(1974)年から報道局副主幹を務めている時に前述の新たな報道バラエティー番組を企画している報道番組部長と報道局次長から依頼を受けて編集長を兼務するメインキャスターに就任したのです。
磯村さんは編集長として番組を編成する権限も与えられていたためそれまでのニュースの政治、経済の後に社会問題を取り上げる優先順位を打破して欧米の報道バラエティー番組式に視聴者の関心度の高さを基準にして時には番組冒頭でスポーツの結果を紹介することもありました。
ただし、それを形式的に模倣した後発の報道バラエティー番組が大した見識も有さないタレント的メインキャスターが「毒舌」を売り物にするなど低次元化しているのも確かで開拓者の磯村さんがどのような想いで今のテレビを見ていたのか・・・。冥福を祈ります。
  1. 2023/12/22(金) 11:36:47|
  2. 追悼・告別・永訣文
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続・振り向けばイエスタディ705

「目標は50隻を超えてるようだな」「こちらは仙崎の2隻と合わせても3隻、少し手に余ります」日清戦争の黄海海戦で連合艦隊司令長官・伊東祐亨中将が実施した縦列交差戦術のように10隻の漁船団の周囲を航行しながら銃撃を加えている高速巡視艇に岩国基地から発進したアメリカ海軍の対潜哨戒機から周辺海域の状況が届いた。
防衛省・自衛隊中央指揮所は鹿屋基地の海上自衛隊は東シナ海を東進して来る100隻以上の中国の漁船団と済州島から南下している韓国海軍の艦艇を担当しているため三沢基地から岩国基地に移動して待機していたPー8対潜哨戒機に発進を要請した。一方、第7管区海上保安部も九州地区の海上保安部と海上保安署が保有する巡視船と巡視艇は東シナ海に指向しているので日本海は山口県長門市の仙崎海上保安部とその隷下の萩海上保安署に一任していた。仙崎海上保安部には高速巡視艇以外に全長56メートルで335トンの小型巡視船と全長20メートルで23トンの固定武装がない近海用小型巡視艇しかない。今回は小型巡視艇も乗組員が64式小銃を携行して出動している。
「アメリカ海軍では海上における警備行動が適用されないから漁船に武力行使はできないな」「漁船が対空ミサイルを発射すれば正当防衛が成立しますが」アメリカ軍の場合は敵対行為と判断されれば警察官職務執行法ではなく交戦規定=ROEで攻撃が許されるのだが海上保安官はそんな軍事知識を持ち合わせていない。
「そうなると仙崎は防府の陸自のヘリの出動を依頼するように門司(第7管区海上保安本部)に要請するんでしょう」「門司が陸自に出動を要請するルートがあったかな」「海難事故でも経験がありませんね」第7管区海上保安部の担当海域ではヘリコプターの性能や海猿こと救難員の体力・技量の限界で対応できない時には福岡県芦谷基地の航空救難隊に出動を要請している。しかし、中国地方の日本海側は石川県の小松救難隊と芦谷救難隊の間が抜け落ちていて島根・鳥取県境の美保基地にも新設する必要がある。
「目標が射程距離内に入りました。相変わらず必死に逃げています」「停船を通告しろ」おそらく航空自衛隊のレーダーサイトが所在する見島に潜入する特殊部隊が乗っている先頭の漁船団も高速巡視艇の銃撃で次々に漁船が航行不能になると分散して逃走を図るようになり、追跡しながら銃撃するには時間を要するようになった。ただし、1隻を追跡している間に残りの漁船が見島に向かう囮戦法には要警戒だ。
「チョンソナラ(停船せよ)」通信員は何度も同じ通告を繰り返しているので片仮名の台本は必要なくなり、スラスラと韓国語で通告した。それにしてもこの光景は機銃の射撃を準備して追いかけている武装した船が「止まれ」と命じているようなもので喜劇の一場面に近い。それでも漁船では船尾に3人の乗組員が移動して小銃を構えているのが見える。韓国軍のK2小銃はアメリカ軍のM16のライセンス生産なので5・56ミリNATO弾だ。当然、射程距離は高速巡視艇の13ミリ機関砲とは比べ物にならない。
「しかし、乗組員が操舵室付近に集まっていると船体だけに命中させるのが難しくなりますね。側面なら目標が大きくなりますから何とかなりそうですが」「それじゃあ追いついて横からやるか」「構わん、射て」「了解、射撃用意」射手が遠隔操作の装置で射撃準備を進めながら呟くと航海長が海上保安官的に回答した。すると船長が戦時の対応の命令を下した。確かにこの1隻に無用の時間を掛けている間に他の漁船が見島に接近すれば取り返しがつかないことになる。
見島も村山山口県知事が佐渡島に倣って隊員の家族を含む全島民を避難させているので呂論島のような悲劇は起きないが、残った航空自衛隊員たちは芦谷基地・第3術科学校の教育職の隊員の増援を受けて見島守備隊として全島を警備している。見島は周囲19キロの小島だが対馬海流が洗う韓国側=西側の海岸線は断崖絶壁になっていて港があるのは東側と南側の2カ所だ。それでも韓国軍の特殊部隊であれば断崖絶壁を登攀して潜入することも容易なはずなので断じて接近させてはならない。
パパパパパ・・・、「何だ」「ヘリです。陸自のヘリが空から機銃掃射しました」射手が引き金に当たる発射スイッチを押そうとした時、黒い影が上空を通過して漁船の周囲に水柱が上がり、小銃を構えていた乗組員が海に投げ落とされた。
  1. 2023/12/22(金) 11:35:31|
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12月23日・A級戦犯・東條英機大将の死刑が執行された。

昭和23(1948)年の明日12月23日の深夜0時1分に極東軍事裁判で対米英戦争開戦時の内閣総理大臣のA級戦犯として審理を受け、吊首刑(デース・バイ・ハンギング)判決を受けていた東條英機大将の刑が1組=先として巣鴨プリズン内で執行されました。
現在も占領軍がこの日を選んだのは「当時の皇太子の誕生日なので天長節=天皇誕生日の祝日になってからも日本人にA級戦犯の罪を思い出させるためだ」と強弁する研究者がいますが日本国内で開廷された軍事裁判の記録として保管している横田基地憲兵隊の友人は「職員にクリスマス休暇を与えるために前日に片づけたのだろう」と言っていました。
また横田基地憲兵隊では執行された7人のA級戦犯の死に顔の写真を見せてもらいましたが、資料として保管されていた1946年10月16日に執行されたナチス・ドイツの10人(ヘルマン・ゲーリング元帥は前日に腹毒自死、マルティン・ボルマン秘書官は死亡後も行方不明として告訴・審理されて死刑判決を受けた)が恐怖と苦悶で顔を歪めていたのとは対象的に東條大将を含めて揃って穏やかな死に顔でした。
連合国では常に軍服姿で紹介される東條大将を「日本のアドルフ・ヒトラー」として憎悪の対象にしていましたが人物像については好嫌が極端に分かれます。例えば大佐の歩兵第1連隊長時代、入営してくる新兵の顔写真入りの履歴書を全て熟読して当日には営門で待っていて顔を見ただけで氏名を呼び、それぞれの家庭の事情を口にしながら「心配事があれば遠慮なく言いなさい」「辛いこともあるだろうが頑張れ」と声をかける温情溢れる逸話が残っています。また俸給日前に急な寒波が来ると私費で防寒具を買い集めて給与が安い階級が下の者から配り、会った兵隊が礼を言うと「風邪は引いていないか」と聞くだけだったと言われています。ただし、美談的逸話は大佐止まりで将官になってからの関東軍時代は暴走する部下を止めることなく大陸戦線の拡大に加担したと断罪されています。
何よりも東條大将が問題なのは極端に謹厳実直で偏狭な人間性で総理大臣に就任してからは政府が通達した倹約令を国民が守っているかを確認するために通勤の途中で街角のゴミ箱を開けて使える物が捨ててあると管轄の警察に捨てた者を調査させたと言う笑えない逸話があり、単に平和を求めただけの人物を腹心の内務大臣・安藤紀三郎中将が指揮する特別高等警察に摘発させて高齢でも徴兵して陸軍2等兵として迫害した懲罰徴兵や異論を唱えた士官を激戦地の最前線に送る懲罰左遷も事実として公式記録に残っています。
極東軍事裁判での東條大将は自分が死刑になることは覚悟していたようで自己弁護は放棄して国家としての日本の名誉を守るために連合国の罪を糾弾しながら天皇の戦争責任の打ち消しに全力を傾注していました。その一方で花山信勝教誨師の導きで浄土真宗に深く帰依するようになり、「我ゆくも またこの土地に かへり来ん 国に報ゆる ことの足りねば」「さらばなり 憂為の奥山 今日越えて 弥陀のみもとに 往くぞうれしき」「さらばなり 苔の下にて われ待たん 大和島根に 花薫るとき」「今ははや 心にかかる 雲もなし 心豊かに 西ヘぞ急ぐ」「散る花も 落ちる木の実も 心なき さそうはただに 嵐のみかは」と解ったような辞世を遺しています。
  1. 2023/12/21(木) 13:14:40|
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続・振り向けばイエスタディ704

「半減速」「半減速」「面(おも)かーじ、いっぱい」「面舵ですか」「面舵だ」韓国漁船団の進路から言えば右から左に横切った高速巡視艇では船長が減速と面舵=右折を命令した。すると舵を握っている操舵手が困惑したように確認してきた。銃撃の危険を察知しての回避行動であれば横切れば次は最大船速か取舵=左折で「三十六計逃げるに如かず」のはずだ。面舵では逆に敵に向かっていくことになる。
敵の進路を遮るのが日本海戦で連合艦隊が採用した「丁字陣形」だが、日清戦争の黄海会戦で伊東祐亨中将は艦隊を縦列で清の巨大戦艦と交差させた。
「面かーじ、いっぱい」操舵手は船長の確信に満ちた返事を聞いて復唱しながら舵を回した。数秒の間を置いて船体が大きく傾き左の窓から見えるほど波飛沫を上げて高速巡視艇は右に曲がった。船体が直って前進を開始すると右の窓からは前方の漁船の甲板で自動小銃を持った3人の乗組員たちが船首から舷側に移動しているのが見えた。
パパパパパ・・・。カン、カン、カン・・・。「来た」「応戦します」「よし、躊躇なくやれ」漁船の乗組員たちは位置を決めると自衛隊で言う膝射ちの姿勢で連射を始めた。銃口が高速度で点滅するように火焔を放ち、水面に水柱が立ち、続いて船橋の壁に弾丸が当たった嫌な音が響き始めた。どうやら漁船の乗組員たちは2001年12月22日に九州南西海沖で北朝鮮の工作船を追跡した巡視船が銃撃を受けた時、小銃弾がガラスを破り、壁にも穴を開けたのを見て「巡視船には防弾性がない」と学習しているようだ。しかし、あれから20年以上が経過しているのだから新造船は言うまでもなく使用している巡視船艇も防弾補強しているのは日本の常識だ。実際に銃撃を受けて乗組員に危険な状態が発生すれば予算を獲得する最高の根拠になる。この高速巡視艇も従来の近海用小型巡視艇では外洋での運用が困難で通常の巡視船の速度では追跡し切れなかったため開発・導入された。だから実際の最高速度は秘匿しているのだ。
「射撃の警告を実施」「了解」船長の指示に通信員はマイクを口元に向けると手元の台本で探した台詞の片仮名を韓国語風に読み上げた。
「バルフルウル・メンチュジャ(発砲を止めろ)・グラチャー・エミャン(さもないと)・チョンギョッ・チュガ(銃撃を加える)」この手順を踏んでいる間に高速巡視艇と漁船はすれ違いそうになった。すれ違ってしまうと前部甲板に設置してある機銃は発射できなくなる。それでも漁船からは発砲を続けてくる。船橋の防弾ガラスに何発も命中してミシミシと圧迫音が聞こえ始めた。
「機銃、射撃準備」「照準は手前の目標のエンジン部に変更しています」「装弾は維持しています」機銃を遠隔操作する機材の前の射手の報告を受けて航海長は船長に「射撃準備よし」と申告した。船長は固い表情で「射て」と低く呟いた。
「機銃、射撃よーい」「射撃よーい」「射て」「射て」パパパパパ・・・。遠隔操作なのでスイッチを押すだけだが号令は銃を使った射撃訓練と変わらない。巡視船に搭載されている6連装の銃身が回転しながら20ミリの銃弾を1分間に数千発発射するバルカン砲に比べれば迫力はないがそれでも漁船から射ってくる5・56ミリ小銃弾の倍以上の口径の機銃の発射音が響いてきた。
「エンジン部に命中」「操舵していた漁民は退避しました」「発火しました」すれ違って機銃の射角から漁船が外れた時点で射撃は終わる。航海長は船橋のドアを開けて甲板に出ると双眼鏡で見える漁船の状況を船長に報告した。
「臨検要員、小銃の用意ができました」「よし、お前たちは後部甲板からすれ違った目標を銃撃する」「あっちは5・56ミリ、こっちは7・62ミリ、射程距離と威力はこっちの方が上です」航海長が船橋に戻ると高速巡視艇は漁船団の後方を迂回する形で反転して再び接近を始めていた。航跡レーダーによれば1隻が破壊された僚船に接舷して乗組員を移乗させているようだが別の8隻は見島に向けて進行を続けている。今度は機銃で射てなくなった目標に64式小銃で仕上げを掛ける戦法だ。海上保安庁でも5・56ミリ弾の89式小銃への更新が始まっているが陸上自衛隊のように持ち歩く訳ではないので現場では「射程距離と威力が勝る64式小銃を維持するべきだ」と言う声も高い。
  1. 2023/12/21(木) 13:09:21|
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12月21日・ドイツ派遣潜水艦で唯一の伊8が帰還した。

昭和18(1943)年の明日12月21日に5回実施された潜水艦のドイツ派遣で唯一帰還した2回目の伊8が呉軍港に到着しました。
伊8は伊7潜水艦の2番艦で全長109.3メートル、基準排水量2231トンの大型潜水艦にも関わらず水上速度は23ノット、水中速度は8ノットと高性能でした。昭和9(1934)年に川崎造船所で起工され、昭和13(1938)年に竣工して横須賀の第2艦隊第2潜水戦隊に配属されました。昭和16(1941)年からは前年に移籍した第3潜水戦隊の旗艦を潜水母艦・大鯨から引き継いでいます。
対米英戦争開戦時は根拠地にしていたマーシャル群島のクェゼリン環礁から出撃してオアフ島付近で待機しましたが、一旦、クェゼリン環礁に戻った後、昭和17(1942)年1月からはアメリカ西海岸での哨戒任務に当たり3月に呉軍港に帰還して整備を受けました。整備修了後、横須賀軍港に寄って出航すると3日後に東京に初めての空襲が加えられたためBー24爆撃機を搭載してきた空母機動部隊の捜索を命じられましたが発見できませんでした。ところが途中で第3潜水戦隊司令が急病になったため横須賀に引き返すことになり、交代した司令を乗艦させてクェゼリン環礁に向かうとマーシャル群島のルオット島近海で日本海軍の1式陸攻に誤爆されて潜航不能になって呉軍港に引き返して修理を受けることになりました。おまけに修理が完了して佐伯港に移動すると今度は貨物船を徴用して武装した盤谷丸に衝突して再び呉軍港で修理を受けたのです。
その後は太平洋の島々の哨戒や威力偵察を実施しますが、ヒトラー総統から贈与される潜水艦を日本に回航する乗員を送るドイツ派遣を命ぜられて昭和18(1943)年3月に呉軍港に戻り、燃料タンクの拡張や魚雷発射管を居住区にするなどの改造を加えられて6月1日に燃料補給任務を負う伊10と特設潜水母艦・日枝丸と共に出航しました。
航路は昭和17(1942)年の第1回の伊30と同じくシンガポール経由で7月10日にインド洋で燃料補給を受けた後、伊10は引き返しました。そうして8月20日にモロッコ沖の大西洋・アゾレス諸島付近で出迎えのドイツ海軍の潜水艦U161と会合し、8月30日には水雷艇3隻の歓迎を受けて8月31日に占領下のフランス・ブレスト軍港に到着しました。ところがドイツ滞在中の9月8日に3国同盟の一員だったイタリアが連合軍に無条件降伏して何をやってもケチがつくようです。
10月5日にブレスト軍港を出撃してからは無線交信を傍受していた連合軍の厳戒の中を航行して12月5日にシンガポールに寄港しましたが、譲渡されたUボート・U1224=呂501は大西洋中央部でアメリカ海軍の空母艦載機に撃沈されました。
12月21日に呉軍港に帰還してからはインド洋に出撃して通商破壊任務に当たりましたが、敗戦後に撃沈した商船の乗員を甲板に救い上げながら虐殺する戦争犯罪を行ったとの嫌疑をかけられています(被疑者の艦長は降伏時に自決していたため嫌疑のみ)。
伊8の最期は沖縄戦で地上部隊が上陸する2日前の昭和20(1945)年3月30日に沖縄本島の東シナ海側でアメリカ海軍の駆逐艦に発見されて撃沈されました。
  1. 2023/12/20(水) 16:57:08|
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続・振り向けばイエスタディ703

「日本国海上保安庁から日本海、韓国呼称・東海を南下している漁船に告ぐ。君は現在、日本国のEEZ(排他的経済水域)内を航行している。国際連合海洋法条約によりEEZ内の航行権は妨げないが漁業資源の捕獲は我が国の承認を必要とする。今から接舷するので担当官に許可証を提示せよ」山口県萩市沖44・3キロの日本海に浮かぶ見島周辺では萩海上保安署の高速巡視艇が大挙して接近してきた韓国の漁船に対応していた。
「拳銃、点検」「拳銃点検よし」「弾薬」「弾薬よし」「弾倉、装填」「弾倉、装填よし」「拳銃収め」「拳銃、収め」「臨検要員、準備よし」船舶無線の国際標準周波数で英語、韓国語、日本語で臨検を通知した後、高速巡視艇はマイク放送しながら速度を落として接近を続けた。その間に船橋では臨検要員2名が武器の点検を実施した。2人は海上自衛隊と同様の防弾ヘルメットと救命胴衣を兼ねた防弾チョッキを装着している。
海上保安庁の拳銃は自衛隊が採用した「軍用拳銃・失格」の呼び声低いスイス製のザビエルP220の弾倉を複式にして装弾数を増やしただけのP228だ。P220の最大の欠陥は安全装置がないことでそれはP228も同様だ。もう1つのスライド部が野外の泥水や砂塵によって作動不良を起こす欠陥については海上ではそれほど問題にならないはずだ。ただし、北朝鮮の工作船の侵入事件を契機に創設された制圧専門の特殊部隊は指導を受けたアメリカ海軍の特殊部隊から装弾数が少ないことを指摘されて軍用拳銃(アメリカ軍は不採用)のスミス&ウェッソンのM5706を採用している。
「機銃を照準します」「よし」この巡視艇=30メートル級PCは沿岸部を航行する小型巡視艇=CLではなく全長32メートル、100トンの船体で最高速度は公式発表されている40ノットを上回る。そして前部甲板に設置されている13ミリ単装機銃は船橋で遠隔操作できるだけでなく照準すれば目標を自動追尾する機能もある。
「ストップ・ザ・シップ」「チョンソナラ(停船せよ)」「こちら日本国海上保安庁、停船を命じる」10数隻の漁船の船影が大きくなり各船に4人の男が乗っていることが確認できるようになると高速巡視艇はさらに速度を落として進路を塞ぐように舵を切った。
日本海海戦で連合艦隊はウラジオストクに向かって直進するパルチック艦隊の進路を塞ぐようには艦隊の縦列を作ったが、これは本来「丁字(ちょうじ)」と呼ばれていた。ところが海外のマスメディアは東郷平八郎司令長官の頭文字に重ねて「T字ターン」と呼んだ。今回は単船とは言えそれを再現しているようだ。
「漁民が銃を構えたぞ」「軍用の自動小銃だ」「臨検要員、退避」「伏せろ」臨検要員が甲板に出て漁船に渡すラッタル(簡易桟橋)の用意を始めるとマイク放送から叫び声が流れた。その声に漁船を確認すると横一列に船団の形を変えた漁船の船首では操舵手以外の乗組員が構える銃身がこちらを狙っていた。
「機銃、発射します」「待て、初弾発射後だ」海上自衛隊であれば砲雷長に相当する業務を兼務している航海長が許可を求めると船長は海上保安庁としての警察権の行使に必要な手順を尊重した。しかし、今回の事態が警告された時、西藤国土交通大臣が海上保安監に「発砲に躊躇するな」と指示したことは指揮系統を通じて伝わっている。連立与党の正大党から入閣している西藤国土交通大臣が国土交通省の官僚の海上保安庁長官だけでなく制服組のトップの海上保安監を同席させてこの指示を与えた真意は想像の域を出ないが、先日の中国の大型旅客機による侵攻に航空局の労組職員が組織ぐるみで加担したことで地に堕ちた国土交通省の信用を取り戻すためにはあえて汚れ役も引き受ける覚悟なのだと現場では理解している。
「舷側に衝突します」「最大船速」「最大船速」韓国の漁船団は陣形を広げながら側面に突っ込んでくる。2010年9月7日に尖閣諸島近海で巡視船に衝突した中国の漁船は船尾への追突ではなく燃料タンクに連接するエンジン部の舷側を狙っていた。つまり巡視船の破壊と横転・沈没を目的に操舵していたのであり、海軍の軍人らしい戦闘行動だった。今回も韓国の漁船は同じことを狙っているらしい。
ゴー。数秒後、エンジンが呻るように雄叫びを上げた。高速巡視艇はエンジンを停止しないで微速航行していたため操舵員の迅速な操作で急加速することができた。
  1. 2023/12/20(水) 16:55:47|
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12月20日・パパ・ブッシュ政権によるパナマ制圧作戦

1989年の明日12月20日にパパ・ブッシュ政権が駐パナマ・アメリカン南方軍(中央アメリカとカリブ諸島、南アメリカを担当する)に「パナマ在住のアメリカ人の保護」「パナマ運河条約の保全」そして「マヌエヌ・アントニオ・ノリエガ・モレノ国家警備隊=国軍の最高司令官の身柄の拘束」を目的とする武力制圧「オペレーション・ジャスト・コース(大義名分作戦)」を命じました。
ノリエガ最高司令官は1981年に原因不明の飛行機事故で死亡したオマル・トリホス最高司令官の後任として1983年に国防と治安の担当する国家警備隊の最高司令官に就任して以来、中南米の裏社会と結びつき隣国・コロンビアの麻薬組織が海外に売り捌く際の仲介によって巨額の金を稼ぎながらアメリカの麻薬取締局の要請に応じて販売量を制限したため1978年から1987年まで連続して感謝状を贈られていました。
ところが1986年にアメリカ税関の主導で実施された麻薬取締作戦「オペレーション・チェイス」によって麻薬取引とマネーロンダリング(資金洗浄=不正な手段で手に入れた資金を合法的収益に偽装する)に関与していることが明らかになり、さらに1981年のトリボス前最高司令官暗殺の疑惑も浮上するとパナマ国内では反ノリエガ派が排斥運動を起こし、1987年には大統領がノリエガ最高司令官の解任を決定しましたが、逆に議会のノリエガ派によって大統領が解任決議を可決されました。
その一方でアメリカの麻薬密輸ルートになっているマイアミの裁判所がノリエガ最高司令官を告発するとロナルド・レーガン政権は「パナマに民主主義が建設されるまで」と期限を付けてパナマの在アメリカ資産の凍結とパナマ運河の通行料の支払い停止を通告しました。当然、パナマ政府も対抗措置として在パナマの外国資産の全面凍結を宣言しましたが国内の流通が滞って経済活動が停止状態に陥り、これに対してレーガン政権は「ノリエガが引退すれば告訴を取り下げる」との司法取引を持ちかけましたが拒否されました。
こうしてレーガン政権末期にパナマ制圧作戦が検討されましたが、実行する前に作戦立案に深く関わったパパ・ブッシュ副大統領の昇格就任が確実になったため次期政権に譲り、就任後は反ノリエガ派の候補者を大統領選挙に擁立して当選させたものの選挙を無効にされてノリエガ派の大統領が就任したためこの日に作戦を発動したのです。
作戦そのものは進攻ではなくパナマ国内に駐留するアメリカ南方軍が駐屯地を出てパナマ国家警備隊を制圧すると言う変則的なもので、アメリカ製の旧式の銃火器が中心の国家防衛隊に対してアメリカ軍はF―117ステレス攻撃機やAH―64攻撃ヘリコプターなどの最新鋭兵器を投入したので数日を経ずして首都・パナマ市は陥落しました。
ノリエガ最高司令官はバチカン大使館に逃げ込みましたが、アメリカ軍の特殊部隊が大音響のロック音楽などの心理的圧迫を加えて追い込むニフティ・パッケージ作戦で翌年1月3日に投降させて逮捕しました。その後はアメリカに送られて裁判を受け麻薬密輸の罪で懲役40年の判決を受け、2010年に出所すると今度はフランスでも服役し、2017年5月29日に帰国していたパナマで死亡しました。83歳でした。
  1. 2023/12/19(火) 14:37:51|
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続・振り向けばイエスタディ702

「今度は韓国艦かァ・・・」東シナ海の中国海軍の軍港からの航路に配置されていた海上自衛隊の潜水艦の内、どんりゅうは済州島沖に回航するように密命を受けていた。配置予定海域に接近してレーダーを海面に出したどんりゅうの艦内では「韓国艦隊の航跡を捕捉した」との報告を受けた艦長が重い声で呟いた。
どんりゅうは奄美諸島に向かっていた輸送艦隊を沖縄航空基地の対潜哨戒機が撃沈されて海上輸送能力を喪失した中国軍が近距離航路の大型クルーズ船を集めて出港した船団を撃沈している。その後の中国海軍の遺骸や装備品の回収作業が長期間・大規模だったことでかなり大規模な部隊を乗船させていたことが判明したが、中国側は「日本人から迫害を受けている在日中国人を帰国させるため」と言う口実を訂正していないで今回の大型旅客機の大編隊でも踏襲している。
「石田総理は韓国の大統領と話し合うって言ってるんでしょう。近いうちに外務大臣が韓国に行く予定だってニュースで見ましたよ」「今回も海上における警備行動とは別に人知れず沈めるんだ。終われば佐世保に寄港する」通信長は交代喫食の食堂で日本のテレビのニュースを見たらしい。今までは理解不能で不快感ばかりだった中国語の番組ばかりだったが日本に近づいてようやく入るようになったのだ。
それにしても石田首相は意識を失っている間に立野官房長官が臨時代理として準備を整えた新潟のロシア軍の制圧が終わり、続く中国の民間航空機による奇襲作戦も関西空港で自衛隊が破壊した2機以外は行方不明として決着をつけたのでマスコミが言う通り「事態を終息させる好機」と考えているようだ。結局、石田首相は韓国国内では日韓の武力衝突を前政権が「自衛隊側が敵対行動を取ったため反撃した」と説明した虚偽が信じられて反日感情が「怨」になって炎上していて軍内でも本格開戦を要求する将兵が大半派を占めてシビリアンコントロールが機能しなくなっていることを理解していないのだ。
それ以上に問題なのは佐世保で使用した魚雷を補充すれば調達・補給上の記録が残り、外部に漏れる危険性が極めて高いことだ。航空自衛隊のミサイルであればアメリカ空軍と共通しているので虚偽の使用実績を作って員数外を回してもらうことも可能だが海上自衛隊の魚雷は帝国海軍以来、世界最高水準の性能を誇る国産なので製造する防衛産業から運送業者、身内の補給部隊の隊員個々まで緘口令は徹底しなければならない。
「自衛艦隊司令部からの段取りでは海保(海上保安庁)の巡視船が中国漁船を臨検して武器等が発見されれば拿捕する。臨検を拒否すれば武器使用で拿捕する。武器を使用して抵抗すれば対潜哨戒機が参加して攻撃する。そこに韓国海軍が参戦してくればウチの出番だ。問題は日本海側でも韓国の漁船団が離島に迫っているらしいことだ」「第7管区では二正面作戦は無理でしょう。それでなくても手持ちの巡視船が少ないんですから」艦長の確認の説明に砲雷長が疑問を呈した。九州北部から山口県までを管轄する第7管区海上保安本部は担当海域に離島が点在するため装備する80隻の巡視船艇の内4隻を除けば近海用小型巡視艇だ。そのため今回も九州南部から奄美諸島の外洋を管轄するため多くの大型巡視船を保有する第10管区海上保安本部や海上自衛隊佐世保総監部の支援を仰ぐべきだが迎撃する戦力は秘密に属するので現場に伝達される情報も限定されて実情は判らない。海空自衛隊は必要最小限の防衛力でソビエト連邦=ロシア、中国と言う世界有数の軍事大国に対峙・対処してきたため必要によって融通を利かせる柔軟性が身についているが海上保安庁はお役所的縦割り意識が強いので不安ではある。
「相手は韓国海軍とは言え一応は軍用艦艇だ。反撃されて殺られないように回避行動は万全を尽くせ」「判りました。韓国海軍に撃沈されれば海上自衛隊の名折れです」艦長の指示には航海長を兼務している副長が答えた。韓国軍は朝鮮戦争で北朝鮮軍と死闘を繰り広げただけでなく軍事クーデターで政権を奪った陸軍が絶対的な権力を握っていて海軍は空軍よりも下位に甘んじている。実際、艦艇も性能も極めて性能が落ち、フリゲート艦・天安の沈没など設計上の欠陥が原因と明らかな事故が続発していて海上自衛隊も朝鮮半島有事に参戦すれば単独で制海権を確保する必要性を痛感している。尤も、北朝鮮軍はそれ以下で海軍の体を為していない。それが何故か敵に回されている。
  1. 2023/12/19(火) 14:36:14|
  2. 夜の連続小説8
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12月19日・家康公が松平から徳川に改姓して三河守になった。

永禄9(1566)年の明日12月19日に三河統一を終えた東照神君・家康公が朝廷に松平姓から徳川姓への改姓と従五位下・三河守を勅許されました。
愛知県岡崎市の伝承によれば松平氏は現在の愛知県豊田市の山間部の松平郷を治める土豪でしたが踊り念佛を広めながら旅をする時宗の遊行僧を逗留させて婿養子にしたのが後に安城城を攻略した岡崎・松平氏の初祖・松平親氏さまとされています。実際、徳川家の菩提寺の大樹寺の墓苑の奥には親氏さまから家康公まで松平8代の墓が並んでいます。
そんな西三河の豪族に過ぎなかった松平氏に突如として卓越した武将にして恩情に厚い領主の清康さまが生まれると瞬く間に三河一国を統一し、東は尾張の織田信秀さん(信長さまの父親)さんや西は駿河・遠江の今川義元さん、北は信濃にも勢力を拡大していた甲斐の武田信虎さん(晴信=信玄公の父親)の侵攻を寄せ付けず領有を確定したかに見えましたが所詮は戦国大名に過ぎず、天文4(1535)年12月5日の森山崩れで清康さまが乱心した家臣・阿部正豊に斬殺されると11歳の広忠さまでは松平家中で離反・策謀が相次いで治世が定まらず、天文18(1549)年に23歳で早逝すると同盟を結んでいた今川義元さまに乗っ取られて近代の植民地のような過酷な支配を受けました。その後、同盟の証の人質から広忠さまの死で今川義元さまの家臣にされていた家康公が桶狭間の合戦によって岡崎城を奪還すると2年後の永禄5(1562)年に織田信長さまと同盟を結び、今川氏に従属する東三河の牧野氏と合戦を繰り広げて三河統一を果たしたのです。しかし、松平氏はあくまでも武力で支配権を奪取した戦国大名であって領有することに正当性はなく、そこに不安を感じた家康公は朝廷による国主の勅許を得ようと政治的運動を始めました。
先ず岡崎生まれで旧知の京都の浄土宗・誓願寺(深草派の京都本山)の泰翁慶岳住職の紹介で五摂家筆頭の近衛前久さんに官位と任官の協力を依頼しました。これには巨額の工作資金を要したはずですが貧乏な三河でどのようにして捻出したのかは不明です。すると三河の土豪の松平氏では血統が卑しく宮中に出入りさせる官位や官職を与えることはできないと言う毎度の結論になりました。そこで家康公は持ち前の粘り腰を発揮して北関東出身の誓願寺の役僧に「遊行僧から松平氏に婿養子に入った初祖・親氏さんの出自は北関東の源氏の嫡流である新田氏につながる得川(とくがわ)氏の系譜の世良田氏」と証言させてこれを近衛さんに説明させました。それでも正親町天皇は「前例がない」と難色を示しましたが、そこは足利義晴さんを討った三好・松永一派が擁立した将軍・義栄さんを後押ししていた近衛さんが家康公を味方につけようと尽力して何とか承認されたのです。
この時、俵の藤太=藤原秀郷さまに代表される板東藤原氏の血統も重なっていることになりましたが「征夷大将軍は源氏」と言う前例に従って任官時に解消しています。それでも足軽・木下弥右衛門の息子の藤吉郎が関東に下向する公家が大政所と肉体関係を持って生ませた落とし種と言うことにして豊臣秀吉になったのに比べればまだ虚構は軽いでしょう。 また「得川」を「徳川」に変更した経緯は不明ですが風格が増したのは確かです。
  1. 2023/12/18(月) 14:56:33|
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続・振り向けばイエスタディ701

「通信量が急増しました。黄海沿岸の北海艦隊の軍港から多数の漁船が一斉に出航するようです」台湾海峡の金門島で大陸の通信を傍受している本間郁子は早朝から急増した軍用無線ではなくスマートホンの通話を探知して自室で仮眠している長貞治(チャン・チャンヂー)中佐に電話で通報した。本間は数日前、中国の漁船が東シナ海での漁を終えると黄海沿岸の北海艦隊の軍港に向かってから動かないことと傍受している通話内容が軍の指示を伝えていると判断したことから「中国が漁船による侵攻準備に着手した可能性が高い」とニューヨーク・ワシントン経由で自衛隊に警報を与えている。
この時、機密に近い高度な防衛秘密が電波で太平洋を横断したことが問題になり、間もなく那覇基地の南西航空警戒管制団防空指令所と台湾空軍の防空指令所を結んでいるホット・ラインで直接通報できることになった。ただし、本間が日本人であることは秘匿しなければならず会話は中国訛りの英語か片言の日本語になる。
「早速、ホット・ラインでJASDFに通報します」「君の英語はネイテイブっぽいから上手く訛らせるんだぞ」「イェス・サァー」ワザとらしく訛らせた英語の返事に長中佐は苦笑したがニューヨーク暮らしが長い本間には切実な問題だった。航空自衛隊や海上自衛隊の英語は太平洋軍司令部があるハワイ訛りでイギリス英語に近い。そのためアメリカ本土式の巻き舌の発音では海外で習得した余所者の英語には聞こえないのだ。
「ハロー、デス・イズ・サンセット(南西防空指令所のコールサイン=仮称)・スピーキング」「ハロー、アイ・アム・テレサ・テン」「ゴクッ」本間が自衛隊から与えられた台湾軍の情報提供者のコールサインを名乗ると対応した兵器管制幹部が生唾を呑んだ音がレシーバーを通して聞こえた。やはり戦争が終わった気になっている日本政府=石田政権とは別に自衛隊では本間が伝えた漁船による侵攻を次の戦術として警戒しているようだ。特に南西航空方面隊は呂論島への侵攻を経験しているだけに真剣だ。
「東京へ伝言をお願いします」「ラージャ、ヒヤ・ユー・アー(どうぞ)」「現在、黄海沿岸の大陸海軍の軍港から多数の漁船が一斉に出航する兆候があります。通信量が急増して軍が介在している用語が確認できます」「ラージャ」本間としては台湾で「チャイナ」は自国の中華民国を指すため対岸の中華人民共和国を通称の「大陸」と呼んだのだが台湾人が直訳の「メインランド」に「ネービー」を付けるのを聞いたことがなかった。
「・・・ザッツ・オール(以上です)」「ラージャ、サンキュウ・マーム(=男性の『サー』に相当する女性に対する敬称)、コレクション(訂正)・テレサ」本間は東京に即報させるため手短に通話を終えたが兵器管制幹部は内容を重大に受け止めたようで個人的に感謝の意を表した。それでもテレサ・テンの丸顔をイメージされると全く似ていない。
「私、以前から気になっているんですが」「何だね」数時間後、急速に通話量が減少して漁船団=強襲艦隊が出港=出撃したらしいことを再び南西防空指揮所の別の兵器管制幹部に通報し終わって本間は長中佐に個人的見解を口にした。
「1274年と1281年にモンゴル帝国が日本に襲来した時、朝鮮王家も呼応して対馬と壱岐島に軍船を派遣して島民を大量虐殺したんです。韓国は現在も対馬を占領して返還する意向を示していない以上、敵と看做すべきでしょう。実際、アメリカでは中国系と南北半島系の移民団体は完全に一体化して日本に敵対行動を繰り返している。今回、韓国が同調して済州島から攻撃に加われば腹背の至近距離に敵が現れることになる」台湾に来ている本間は松山1佐と帖佐将補がその事態を予測して岡倉を派遣して間宮リンゾーも投入したことは知らない。間宮は岡倉が手配したアパートで高仁智少佐と繰り返し肉体関係を持ち、薬物に溺れさせる=性の奴隷にする一歩手前まで墜としている。
「そうか・・・了解」その時、長中佐の机の上の電話が鳴り、先程の本間と同様に短い会話で受話器を置いた。本間を見る目が軍人の厳しい色に変わっている。
「海上自衛隊の対潜哨戒機が約2百隻の漁船が黄海を東に向かっているのを確認したそうだ。さらに済州島から出撃した韓国海軍の艦艇10隻が合流する進路をとっているらしい。さらに韓国の漁船団が日本海の見島と隠岐島に向かっているのを別の対潜哨戒機が発見した」「見島にはレーダーサイトがあります」本間の指摘に長中佐もうなずいた。
  1. 2023/12/18(月) 14:54:50|
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12月18日・70年代革命闘争の発端・上赤坂交番襲撃事件

昭和45(1970)年の12月18日に70年代に吹き荒れた学生による共産革命運動を主導した過激派による武装闘争の発端と言うべき上赤坂交番襲撃事件が発生して横浜国立大学生の柴野春彦くんが日本の過激派としては初めて射殺されました。
事件の伏線は学生運動でも毛沢東主義を掲げる日本共産党革命左派神奈川県委員会=京浜安保共闘が昭和44(1969)年10月21日にアメリカ空軍横田基地に侵入して軍用機に爆弾を投げて災上・爆発させ、11月5日にもアメリカ海軍厚木基地で弾薬庫にダイナマイトを仕掛けた事件で12月8日に議長=最高指導者の川島豪くんが逮捕されたことでした。川島くんは高校まで受験勉強に励んできた優等生が大学内の流行に乗って参加した純粋なお人好しが多い中、学生運動を人民解放軍の前身と位置付けて武力闘争を指揮するカリスマ的指導者でした(出所後は汲み取り業者になった)。その川島くんが拘置所に面会に来た信奉者の幹部たちに「よど号事件を起こした赤軍派は何故、自分の釈放を日本政府に要求しなかったのか」と自分の奪還を示唆したため拘置所から裁判所を往復する護送車を襲撃する計画を立案したのです。しかし、武装した刑務官が同乗している護送車を襲撃するにはこれまでの爆弾やダイナマイトではなく拳銃や猟銃などの銃器が必要なので交番=派出所を襲撃して警察官が携帯している拳銃を奪うことを決定しました。
実行犯は柴野春彦くんをリーダーとして同じく横浜国立大学生の渡辺正則くん、川崎高校生の佐藤隆信くんの3人でビニールホースを被らせた鉄パイプと切り出しナイフ、千枚通しで武装して上赤坂交番を訪れると「自動車が故障したので迎えが来るまで待たせて欲しい」と勤務していた巡査に声をかけ、応対しようと立ち上がったところを鉄パイプで殴打して顔面を滅多打ちにしたため奥の待機室で物音を聞いた巡査長が扉を開けると中に押し入ろうとしていた柴野くんと鉢合わせになり、腰の拳銃に手を伸ばしたので蹴倒し、なお切り出しナイフで襲いかかってきたため警告しながら2発を発射、さらに巡査を殴り続けている2人にも発砲しました。その結果、柴野くんは即死、2人は足に命中してその場で逮捕されました。なお、巡査の拳銃も1発発射されていましたが本人は操作することが不可能な状況だったので暴行中に暴発したと判断されました。
ところが警視庁での記者会見でマスコミ関係者は事件の兇悪性は度外視して護身のための発砲と柴野くんの射殺を非難する質問を繰り返し、佐々淳行警務課長が「警察官の拳銃使用は正当である」と強弁したのを土田国保警務部長の発言として報道したため1年後の事件当日=昭和46(1971)年12月18日に自宅に送られてきた爆発物によって妻が爆死する事件が起きました。また佐々警務部長は昭和47(1972)年2月のあさま山荘事件の指揮を執った時、警察側の発砲を禁止して2名の殉職者を出しています(紛れ込んだ民間人1名も射殺された)。
そして武器の強奪に失敗した日本共産党革命左派過激派神奈川委員会は昭和46(1971)年2月17日に栃木県真岡市の銃砲店を襲撃して散弾銃9丁、ライフル銃1丁、空気銃1丁、銃弾2300発を奪いました。
  1. 2023/12/17(日) 15:32:14|
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続・振り向けばイエスタディ700

最近は不思議に平和な空気を取り戻したように感じる横田基地を一周して自宅に戻った。滑走路の反対側に建ち並ぶ官舎地区も灯火制限が解除されたのか入居している家の全ての窓に明るい光が灯り、中で家族が団欒を楽しんでいる光景が想像された。
「これはかなり過激だな。日本で溜めていた鬱憤をブチ撒けているみたいだ」「私もそう思うの」家に帰れば何時ものように一緒にシャワーを浴びて晩酌が始まる。泡盛と低カロリーのツマミを用意すると梢がパソコンで今日録画した佳織が出演しているアメリカの報道番組を見せてくれた。佳織は海外駐留アメリカ軍向けのAFNには頻繁に出演しているが最近は大手テレビ局も増えている。やはり大手テレビ局は軍人とその家族に限定されるAFNよりも視聴者の反応が大きく意を強くしているのかも知れない。
「実例としてマスコミと細菌学界を批判したのはインパクトを与える意味で有効なんだろうが『自分は佛教徒だから』と言ったのはアメリカのネオコン(狂信的キリスト教徒)に佛教の優位性を誇示しているように受け取られかねんぞ」「ヨーロッパでも日本の禅は宗教じゃなくて文化として受け入れられてたもんね」梢の見解は日本と韓国・中国の武力衝突が始まった頃、アムステルダムにある日本人の僧侶が経営する坐禅道場が在オランダの中国系・半島系の移民団体に破壊された事件を報じた地元マスコミの解説だ。移民団体としてはヨーロッパのキリスト教徒たちに異教徒の布教活動に反発させて反日世論を生起させるつもりだったようだが、アムステルダムにはイスラム教のモスクが完成して共存の意識が高まっていた上に中国の株式買収を受けていない地元マスコミが「日本の伝統的精神文化を伝える施設を破壊した暴挙」と批判したため逆効果だった。
「これが日本で報道されると自衛隊の元将官の暴走ってことになってしまうな」「貴方もシベリアから帰った時には日本で取り上げられたけど慎重に言葉を選んでいたから別人みたいだったわ」「あの時は大勢の日本人がシベリアで人質になっていたからな」おそらく梢は義父の最期を看取りに沖縄へ帰っていた時にオランダに帰った私が日本の在ヨーロッパの記者の取材を受けた新聞の記事を読んだのだろう。あの時はロシアの暴挙と非人道的な措置に蓄積させていた怒りが大炎上しそうだったが、一緒にシベリアに拘束されながら私一人が解放された立場を思いながら努めて慎重に発言した。勿論、職場である国際刑事裁判所でロシアの非合法な非人道的行為を告発するつもりだった。
「本当は佳織にホワイトハウスが日露戦争の時のセオドア・ルーズベルト政権のような停戦の仲介を提案させたいんだが世論の反発を買ってしまうと難しくなる」「アメリカのマスコミにも喧嘩を売ってるものね」日本では日露戦争に勝ったと思い込み、日本軍は慢心して大陸進出と対米戦争に突き進んだと教えているが、ヨーロッパの歴史ではロシア陸軍はヨーロッパ圏の主力部隊を容易にシベリア鉄道で極東に移動させることができた。海軍も日本海軍を上回る黒海艦隊が無傷で残っていてこれを派遣すれば連合艦隊を壊滅させることは可能だった。つまりポーツマス条約はルーズベルト政権の斡旋を帝政ロシアが受け入れて譲歩した停戦に過ぎず、東アジアの弱小国が世界最大の陸軍国と対等に戦ったことが評価されているに過ぎない。今回の武力紛争は当事国である日本が防衛出動を発令していないため公式な戦争とは認められず手続き上の停戦も難しいが、アメリカには安全保障会議の常任理国として中国とロシアが主張する懲罰行動を否定する決議を提案・可決させてもらいたい。当然、両常任理事国は拒否権を行使するだろうがそれは諦める。
「それじゃあ佳織には『あまり佛教徒であることを前面に出さない方が良い』って助言しておくわ」「それだけは気になるから頼む」30分の放送のCMをカットして28分に編集してインターネットに掲載した動画を見終わって冷めてしまったお湯割りの泡盛を呑みながら梢と感想を語り合った。それにしても元カノの恋女房が前妻と義姉妹の杯を交わしている不可解な人間関係は簡単には理解し切れない。
「そう言えば朝山蓮床(れんしょう)和尚から自衛隊OBの坊主を招集して慰霊団を編成するから指揮官を頼まれたんだった」「でも貴方は国家公務員でしょう」「自衛隊でもお布施をもらわなければ大丈夫だったよ」どうやら東北地区太平洋沖地震の後、茶山元3佐の船岡駐屯地・第2施設団OB会が実施した自主的災害派遣を坊主でやることになりそうだ。
  1. 2023/12/17(日) 15:30:38|
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12月16日・これぞ「自力更生」・中華国際航空機ハイジャック事件

1989年の12月16日に同志・毛沢東が抗日戦で補給を危ぶむ軍指導部に言明した「自力更生(自分で何とかせよ)」を実践したかのように乗員が自力で解決した中華国際航空機ハイジャック事件が発生しました。
この日、乗員23名と乗客200名が搭乗して北京を日本時間の午前11時に発進して上海・サンフランシスコ経由でニューヨーク行きの中華国際航空公司のボーイング747が同・午前11時40分頃に済南上空で「爆発物を所持している」と言う35歳の男にハイジャックされました。男は妻子と共に搭乗していて「自分は6月に発生した天安門前広場のデモに参加したため2ヶ月間身柄を拘束されていた。韓国に亡命したい」と主張しましたが、当時は韓国と中国には国交がなく盧泰愚政権は強行に拒否して緊急発進させた戦闘機に領空内への侵入を阻止させる措置を取ったため機長は日本に向かうことを決意して福岡空港に着陸許可を求めたのです。
一方、日本では航空自衛隊西部航空警戒管制団が公海上でハイジャック信号を探知して以降、重点監視を継続していて同・午後1時50分に済州島付近で進路を福岡方向に変更したため同時刻、築城基地からFー1戦闘機を緊急発進させて機体を確認するとハイジャック機として国際法に従って随伴し、同・午後2時11分にFー1戦闘機は航続距離が短いため交代した新田原基地のFー4EJ戦闘機の監視を受けながら日本の領空に進入しました(野僧は翌年に西部航空警戒管制団に配属されて資料を閲覧しました)。すると中華国際航空機は同・午後2時33分に「燃料の残量では40分程度しか飛行できない」として緊急着陸を要求してきました。
こうして同・午後2時57分に福岡空港に着陸すると機体は空港ターミナルの反対側にある航空自衛隊板付飛行場のエプロンに駐機しましたが、女性の客室乗務員が犯人に「韓国に着いた」と噓をついて「確認のため」と称して開けた搭乗ドアから突き落したため約10メートル下のコンクリートに落下して骨折などの重傷を負い、福岡県警に逮捕されてそのまま病院に搬送されました。犯人の妻子を除く乗客は給油と点検を受けた機体で日付が変わった深夜に北京国際空港に帰りましたが、犯人は入院・加療している上、政治亡命を主張しているため政治犯の引き渡しを禁じる逃亡犯罪人引渡法に該当して海部俊樹内閣は共産党中国の強硬な引き渡し要求との狭間で板挟みになりました。
結局、翌年から始まった湾岸戦争でも世界に醜態を晒した海部内閣は国際感覚など持ち合わせておらず、共産党中国側の「犯人は天安門事件とは別の容疑で拘束されている」と言う説明を信用して1990年4月20日に東京高等裁判所第5特別部が出した司法判断に基づいて4月28日に共産党中国に送還したのです。
その後、共産党中国は異例の公開裁判で犯人を審理して7月18日に北京中級人民法院が懲役8年、政治権利剥奪2年の判決を申し渡し、上訴しなかったため刑が確定して服役したと言われていますが、服役中に発症した病気が異常な早さで重篤化して死亡した天安門事件の犠牲者・劉暁波氏を見ても服役中に何があるか判らないのが共産党中国です。
  1. 2023/12/16(土) 15:48:26|
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続・振り向けばイエスタディ699

「ただいま」「おかえりなさい。今日も市ヶ谷だったの」「うん、古巣に帰るのは楽しいけど仕事がないのはな・・・」相変わらず私は検察官としての仕事がなく市ヶ谷地区の警務隊本部に通って北海道と新潟、呂論島での戦闘を司法警察として国内法で刑事告発する警務隊の提出書類の確認と言うよりも裁判に関する助言を与える雑談で時間を潰している。梢もオランダ時代に比べて活気を失った私を心配していた。
結局、法務省と最高検察庁は領土への侵攻を受ければ当然、防衛出動が発令されて日本国憲法第9条で放棄している戦争状態になり、2項で認められていない交戦権を行使する事態に陥ると考えていたようだ。そうなれば戦闘対応を規定した国内法がない以上、国際法=戦争法を根拠に告訴して公判を維持するしかなく、国際刑事裁判所の次席検察官としてその道に熟練しているはずの私を呼び戻したと言うことらしい。ところが現状は発令権者の石田首相が頑なに拒否したため自衛隊は大幅な制約を受けた治安出動による戦闘を強いられただけでなく停戦後には「違法行為を漏れなく告発する」と弁護士団体が強制起訴(指定弁護士が検察官を務める裁判)の準備を進めている。ならば私は辞職して自衛隊側の弁護士に戻るべきではないだろうか。
「自衛隊が戦闘で敵を殺すのを警察官職務執行法の正当防衛と緊急避難を逸脱しているって告発されたら出動した自衛官は全員が刑事被告人になってしまうよ。ワシは経験者だがな」夕食を終えて横田基地1周の散歩に出ても私の口から出るのはボヤキに似た愚痴が多い。昔、つき合っていた頃も梢には上達しない航空機整備員の仕事と24時間続く曹候苛めの愚痴ばかりを聞かせていたが、話し終わった時に膝立ちになって私の顔を胸に抱き締めると「泣きなさい」と言って号泣させてくれた。そんな情けない私の胸には曹候学生基礎課程の時に聴いた岩崎宏美の「聖母(マドンナ)たちのララバイ」が流れていた。
「佳織、大丈夫かしら」滑走路のサウス・エンド(南端)に差し掛かり、赤と緑のランウェイ・ライトを眺めながら唐突に梢が呟いた。横田基地の滑走路には元義父のノザキヤスト中佐がかつて何度も離着陸した足跡が残っている。ノザキ中佐が佳織の生母の伊藤典子と知り合ったのもこの基地だから何かの暗示を受けたのかも知れない。
「大丈夫って何か気になるニュースがあったのか」「佳織は今日もテレビの報道番組に出演して日本の戦争を解説していたんだけどかなり過激だったの」自衛隊を退役してアメリカに帰化した佳織はハワイの日系人協会の理事に就任したが、その後は佳織の祖父も従軍して戦死した日系人2世部隊・第442戦闘団の第2次世界大戦のヨーロッパ戦線における戦功と多大な犠牲を語りながら同じ東アジアからの移民でも中国系や朝鮮半島系とは祖国に対する忠誠心には格段の違いがあることを強調していた。さらにイギリスのブリティッシュ・ライフ紙がロシア軍に占領されていた新潟での潜入取材を敢行した記者の記事を掲載して戦争の実態が周知されるとアメリカの大手マスコミも追随してテレビ各局は特集番組を放送するようになった。当然、自衛隊の将官だった佳織には出演依頼が殺到しているようで梢はハワイ日系人協会のサイトで出演予定を確認してインターネットで録画してくれている。それにしても退役後も階級章を付けた迷彩服を着用して良いのだろうか。
「アメリカでは日米安保条約が存在していることさえ知らない国民が大半だから関心を引くためには反発を買うくらい過激な発言をするしかないんだろう」「でも日本の研究者が遺伝子解析で新型コロナが中国の細菌兵器である証拠を掴んだのにアメリカの研究者が黙殺したとか、専門外の情報まで暴露していて心配になっちゃったわ」新型コロナ・ウィルスが武漢にある中国人民解放軍の細菌兵器研究所から流出したことはヨーロッパの軍人の間では常識だったが、ジュネーブの世界保健機関=WHOが打ち消しに躍起になるとマスコミでは完全な報道統制が敷かれた。それでも私はモレソウダ首席検察官と相談して細菌兵器の使用ではなく危険物の管理を怠り、春節の海外渡航を制限しなかった重大な過失責任で告発するための研究を個人的に始めていたが、どこからか察知した国際刑事裁判所の上層部に禁止された。それでも後任のハリム・サド・カマドハーン大佐に資料を引き継ぐと非常に興味を持っていたので本来の細菌兵器の使用で告発する可能性はある。佳織が言う日本の研究者が確定した証拠を入手してオランダに送りたくなった。
  1. 2023/12/16(土) 15:46:59|
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12月16日・40日間だけの航空幕僚長・上田泰弘空将の命日

2013年の明日12月16日はマスコミの勝手な推測報道によって航空自衛隊の練習機・Fー86F旭光と全日空の最新鋭旅客機ボーイング727が岩手県の雫石上空で衝突した事故の冤罪の可能性もある責任を取って航空幕僚長に就任して40日間で辞職した上田泰弘空将の命日です。97歳でした。
上田空将の経歴は奇妙奇天烈で大正5(1916)年に熊本県で生まれ、昭和9(1934)年に陸軍士官学校第39期生として入営しました。同期には敗戦後最初の首相になった東久邇宮稔彦大将の長男・盛厚王や同日付で陸上幕僚長になった中村龍平陸将、南京百人斬りの冤罪で刑死した野田毅少佐、韓国陸軍参謀長になった李鍾賛大将などがいます。
昭和12(1937)年に士官学校を卒業すると新潟県新発田の歩兵第16連隊に配属されて「無類の戦さ上手」と謳われた宮崎繁三郎連隊長の薫陶を受け、昭和14(1939)年のノモンハン事件では帝国陸軍総崩れの中、1個連隊だけで孤塁を守り抜く経験をしています。対米英戦争中の昭和17(1942)年に陸軍大学校第58期に入校(同期には士官学校の同期の盛厚王や中村陸将の次の陸上幕僚長・曲壽郎陸将、2代後の航空幕僚長で統合幕僚会議議長になった白川元春空将がいた)して短縮課程で昭和19(1944)年に終了すると第51航空団の参謀として敗戦を迎えました。
敗戦後は昭和26(1951)年に警察予備隊に警察士長(=3佐に相当する)として入隊しましたが昭和29(1954)年に航空自衛隊が創設されると転換し、昭和33(1958)年に1等空佐に昇任してからは航空幕僚監部人事教育部が指定席になり、それ以外では西部航空方面隊防衛部長と昭和38(1963)年には何故か1等陸佐に任命されて武山駐屯地の第31普通科連隊長に就任しています。昭和39(1964)年6月に1等空佐に戻り、中部航空方面隊司令部付で7月に空将補に昇任して第3術科学校長、小牧基地に在った第3航空団司令、そして指定席の航空幕僚監部人事教育部長、昭和43(1968)年に空将に昇任して翌年に北部航空方面隊司令官、航空幕僚副長を経て昭和46(1971)年7月1日付で航空幕僚長に就任したのです。
ところが7月30日に発生した雫石事故ではマスコミが最新鋭のジェット旅客機ボーイング727と朝鮮戦争の老朽ジェット戦闘機のFー86F旭光では最高速度が時速1052キロと1105キロと大差はなく、然も松島基地の第4航空団所属のFー86F旭光が複座式がないため教官機と学生が操縦する機体が随伴しての訓練中だったことも認識せずに勝手な推測で批判記事を書き殴り、「ジェット戦闘機が旅客機を目標に攻撃訓練を実施して空中衝突した」と言う事実無根の原因が世間に広まって乗客乗員162名が全員死亡したのに対して航空自衛隊のパイロットが緊急脱出して生還したことを昭和44(1969)年2月8日に小松基地のF-104J栄光が金沢市内に墜落して女性4名が死亡しながらパイロットは生存した事故と重ね合わせて徹底的な非難を繰り広げました。
当時から航跡記録と交信音声の検証によって指導のため速度を落とした自衛隊機に全日空機が追突した可能性も指摘されましたがマスコミが許すはずがありませんでした。
  1. 2023/12/15(金) 15:13:04|
  2. 自衛隊史
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続・振り向けばイエスタディ698

「私の国家は中国に支配されているのですか」佳織のアメリカで進んでいる中国による政治工作の説明にインタビュアーは重い口調で質問した。これまでアメリカのマスコミは「中国の武力行使は日韓の軍事衝突に対する国連憲章に基づく安全保障理事会常任理事国としての懲罰行動であり、日本が防衛出動を発令していない以上、発動義務が生じる戦争ではない」と説明してきた。しかし、ノザキ佳織元将補が帰国して(実際は「帰化」だが)ハワイの日系人団体の理事に就任してからは事実上の戦争状態にあることを訴え、それを男女のイギリス人記者が現地取材した記事が証明した。2人の新聞社はアメリカでの事実の周知に積極的で英文だけにアメリカでも容易に転載できた。
「私は日本で石田首相が選挙区のマスコミの世論操作に妨害されて防衛出動を発令できないでいるのを歯噛みする思いで見てきましたが、まさかアメリカでもここまで中国の政治工作が進展しているとは思いませんでした。確かに貴方たちマスコミも株式を在アメリカの中国資本に買い占められて批判報道を封じられているのではないですか。香港問題でも報道はかなり弱かった。あの時、私はフィリピンの防衛駐在官だったから対岸で事態を注視しながら各国の報道を見比べていたけどイギリスに完全に負けていたわね」佳織の批判の矛先がマスコミに向いてインタビュアーはスタジオのカメラの横に立っているディレクターと目で話し合ったが生放送なので打つ手がない。
「それはマスコミに限らず学術の世界でも同様です」「と言うと」「日本では新型コロナ・ウィルスの細菌の遺伝子の解析を継続していますがその結果、アミノ酸の遺伝子の配列が自然界の発達では絶対にあり得ない人為的操作の跡が確認できて細菌学界に論文を発表したんです」「つまり新型コロナは中国の細菌兵器であることが証明されたんですね」「その通り」佳織は表情を重くしてユックリ深くうなずいた。
「当然、研究仲間であるアメリカの研究者たちにも結果を通知したんですが黙殺されたので再度問い合わせたんです。すると『興味がない』『面倒臭い』『流行遅れだ』と言う回答が返ってきました」思いがけない展開にインタビュアーは身を乗り出した。この方向で話題が進行すれば予定外の重大情報を提供できる。
「その時、研究仲間の1人がアメリカでも2020年4月に香港から亡命してきた閻麗夢(イェン・リーモン)博士が『新型コロナ・ウィルスは武漢の細菌兵器研究所から流出した』と発表したけど彼女は生命の危機に陥っていると助言してくれたそうです」「その発表はコロナ対策の陣頭指揮を執ったロバート・レッドフィールド・ジュニア博士も賛同しましたが確かに我々は取り上げなかった。しかし、それが中国の世論操作なのかは判りません」インタビュアーが否定しなかったためディレクターが険しい目で睨みつけた。
「尤もWHOや人権委員会、UNICEFを始めとするスイスにある国際連合の機関も完全に中国の支配下にありますからアメリカだけではないでしょう」「WHOは新型コロナを理由にしたパンデミック条約によって権限の強化を図っていますからね」ここでインタビュアーは逸らした話題をさらに遠ざけようと違う趣旨の質問をした。
「ゼネラル・ノザキはアメリカの内情に随分詳しいようですが日本からどのような想いで見ていたのですか」「私は中学生の時に日本へ帰りましたがインターナショナルに入学したのでアメリカ式の教育を受けました。大学もアメリカに留学しています。それでも留学中に母が病死したので高齢になっていた祖父母のために日本で働くことを決めて陸上自衛隊に入ったのです。そのおかげでアメリカ陸軍の指揮幕僚大学院に留学して太平洋軍司令部でも勤務することができました。そんな生活で私の中に半分流れているアメリカ人の血を自覚するようになって祖国としてアメリカを見詰めてきました。ただし、私はブディスト(佛教徒)ですからクリスチャンのように正義を先に立てるようなことはしません。因果応報、原因があるから結果が生じると考えます。だからアメリカの行動も是非を冷静に分析・評価して誤りを無理に正当化すのではなく原因を探求するのです」「アメリカも誤りを犯していますか」「9・11からの対イスラムの戦争は正当化できません。私は指揮幕僚大学院に留学していましたがアメリカの狂気を実感していました」このインタビューも大きな反響を呼び、インターネットで中国に籠絡された政治家たちの名前が公表された。
  1. 2023/12/15(金) 15:11:42|
  2. 夜の連続小説9
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所詮、防衛拠点整備は新手の公共事業なのか。

どう見ても本人の意志ではない岸田政権の防衛力増強の1つとして有事だけでなく平時にも自衛隊や海上保安庁が防衛行動や保安業務、災害対処などの活動拠点として整備する「特定重要拠点空港・港湾」の候補地32箇所が明らかになりました。今後、閣議決定を経て関係自治体への説明と協力要請を進める予定です。
空港については野僧が第83航空隊時代の演習でも離島の民間空港を基地として使用している設想(設定と想定を合体させた自衛隊用語)でエプロンに並べた戦闘機を那覇基地と民間空港の2つに分けてパイロットと整備員も別行動にしていました。それは西部航空警戒管制団での演習も同様で九州の民間空港(陸上自衛隊の分屯地が同居している)を使用していることにして実際はアメリカ海兵隊の岩国基地に戦闘機を派遣して分離運用を演練していました。つまり現在の航空基地の1本の滑走路では戦闘機を短時間で離陸させることは不可能なため有事には複数の空港に分散配置することが必要なので今回の施策が実行されれば即応能力は飛躍的に強化されるでしょう。
港湾についても護衛艦や巡視船が接岸して燃料補給や船体の整備を受けられる施設が増えれば海上保安庁に比べて北海道の余市基地、青森県の大湊基地、神奈川県の横須賀基地、京都府の舞鶴基地と新潟県の新潟基地、広島県の呉基地、長崎県の佐世保基地と鹿児島県の奄美基地、沖縄県の勝連基地と距離がある海上自衛隊も運用が楽になるはずです。
ただし、民間空港を航空基地にするには離着陸に必要な滑走路の長さや機体は軽くても高速度での着陸による衝撃に耐え得る強度だけでなく滑走路内では停止し切れないと管制官が判断した時に作動させる滑走路の端の航空機着陸拘束装置=バリアネットやアレスティングワイヤーを設置する必要があります。また海上自衛隊の護衛艦のエンジンはジェット燃料なので一般的な船舶の重油とは別にタンクを新設しなければなりません.
しかし、今回公表された「特定重要拠点空港・港湾」を見るとウクライナ侵攻によってロシアの軍事的脅威が存続していることが明らかになっても九州重視と言うよりも偏重を再検討した様子はなく、北海道では釧路空港と室蘭港が入っているだけで稚内方面からの侵攻に対処するため(千歳基地の予備飛行場としても)の旭川空港は入っていません。また偏重している九州・沖縄方面では既に航空自衛隊とアメリカ空軍の板付基地が併設されている福岡空港が入っているだけでなく沖縄県では民間機の離発着訓練場として3000メートルの滑走路を有する下地空港があるにも関わらず2000メートルの宮古空港を拡張することになっていて防衛力の強化に名を借りた公共事業の臭いが強烈に漂ってきます。
結局、岸田政権の防衛力の強化は自民党内で大声の発言力を持つ安倍政権の戦略的積極外交に傾倒しているタカ派議員たちに媚諂(こびへつら)っているに過ぎず、共産党中国の台湾侵攻への対応を名目に大幅増税を実現すればそれを使って新たな大規模公共事業を始めようとしているようです。それも朝日新聞のスクープによる中曽根派潰しの結果、本来は首相の芽がなかった宮澤喜一政権が成立したように安倍派潰しが完了して岸田政権と派閥=宏池会が盤石になれば何時投げ出しても不思議はありません。
  1. 2023/12/14(木) 14:44:34|
  2. 時事阿呆談
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続・振り向けばイエスタディ697

「ゼネラル・ノザキ、自衛隊は独力でロシア軍の侵略を撃退しましたね。おめでとうございます」アメリカではノザキ佳織元将補が大手テレビ局の報道番組に出演してインタビューを受けていた。今日も服装は60歳まで着用を認められた陸上自衛隊の迷彩服だ。
「貴方の認識は間違っています」訊き手の男性インタビュアーに佳織は厳しい目で反論した。日本人であれば当然、英語で「どうも」に相当する曖昧な返事をして愛想笑いをすると思っていたインタビュアーは絶句してしまった。
「今回の戦争は中国が首謀者です。韓国の前政権を使って海上自衛隊の対潜哨戒機と航空自衛隊の緊急発進した要撃機を撃墜したことに始まり、北海道と新潟にロシア軍の地上部隊を侵攻させたのも中国の指令だったことは日本の自衛隊は非公式に把握しています。北朝鮮に人工衛星と称する弾道ミサイルで敦賀湾の原子力発電所を破壊させ、新潟に上陸したロシア軍に兵員を派遣したのも中国の命令です。これも自衛隊は証拠を握っています」佳織は質問を探しているインタビュアーに一方的に見解を投げかけた。
「何よりも北京から供給されている巨額の工作資金を使った在アメリカ中国系移民のロビー活動によって議会で日米安全保障条約の発動が阻止されていることが証明しています」「それも証拠を持っているのですか」「オフ・コース(勿論)」この佳織の返事は「自衛隊が組織として持っている」と言う意味で本人はワシントンの日本大使館で首席防衛駐在官の帖佐陸将補から機密資料を見せてもらっただけだ。
ニューヨークの自衛隊の非合法海外情報組織は中国の細菌兵器=新型コロナウィルス感染症の蔓延で海外渡航や国内移動が制限されている間も全米各地17カ所の総領事館の外交官と協力してアメリカ国内の中国系と南北の半島系の移民団体を調査していていた。中でも独自に構築した人脈を駆使して北京から振り込まれる局地戦の戦費と同程度の工作資金を把握すると団体幹部が接触する連邦議会の上下院議員や地方自治体の首長と地方議員の公的収支報告と政治活動での言動を個別に照会・検証してきた。さらに海外渡航が緩和されると本間を台湾に派遣して情報収集を再開させる一方で何故かロシア語にも堪能な松山1佐がアラスカに赴いてアメリカ軍の無線傍受施設・象の檻で傍受に当たっていた。
惜しむらくは加倍政権であればその情報を管(くだ)官房長官に報告して可能な対応を待つことができたが、石田政権では首相本人を信頼できず加倍派の立野官房長官や元防衛大臣の双木外務大臣に耳打ちすることしかできず全てが後手に回ってしまった。
「それでは日本では最早アメリカを同盟国とは見ていないのですね」「いいえ、私がかつて勤務した太平洋軍は可能な限り以上の支援を続けてくれました。軍事秘密に属しますから具体的には説明できませんが在日アメリカ海軍で勤務している私の娘も日本の防衛に協力できたと胸を張っています。それに兵器産業が中国系と半島系移民の労働者が日本への武器供与に反対して増産を妨害したのに毅然として対応してくれたから自衛隊は戦闘を継続できたんです。それを日本のマスコミが報じるかは判りませんが・・・多分しないでしょう」「それはどうも」予想外の佳織の賛辞にインタビュアーの方が期待していた相槌を打ってしまった。アメリカ人のインタビューではディベート式に一度批判を始めると攻勢に転じて主導権を奪おうと徹底的に糾弾し始めるが佳織の場合は落として抱き上げる日本式なのでベテランのインタビュアーも呼吸が掴めないでいる。
「それでもかつてガルフ・ウォー(湾岸戦争)の時、共和党政権は軍事費支援だけだった日本に『シヨウ・ザ・フラッグ(旗幟を鮮明しろ)』と参戦を求め、イラク戦争ではアフガニスタン侵攻の洋上補給を継続する日本に『ブーツ・オン・ザ・グランド(戦地に来い)』と地上部隊の派遣を強要しました。その意味では今回の戦争で日本がアメリカに同じことを要求すればどうしたのかに興味があります。加倍政権であれば当然と言う態度で要求したのでしょうけど石田政権は事実上の戦争に防衛出動を発令することすらできなかったのだから無理な話ですね」「ホワイトハウスも加倍政権でなくて助かったと言うことです」今度はアメリカを叩きながら日本政府を殴ったがインタビュアーがホワイトハウスを突き倒した。加倍政権は安全保障関連法として自衛隊法にアメリカが本土への攻撃を受けた時の派遣を盛り込んだ。その時点で日米安全保障条約は相互防衛に発展したのだ。
  1. 2023/12/14(木) 14:42:29|
  2. 夜の連続小説9
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「脱ゆとり」の成果だろう!日本の生徒の学力向上

OECD=経済協力開発機構が加盟37か国を中心に81か国の15歳の生徒69万人を対象に実施して日本では183校・6000人の高校1年生が参加した2022年の国際学力調査=PISAの結果が発表されました。日本は一貫して維持してきたトップレベルから急落した前回2018年(本来は3年に1度だが共産党中国の細菌兵器のため1年延期された)に比べて平均点が数学は前回の6位から5位に、科学的活用能力は前回の5位から2位に、そして前回は15位と関係者を愕然とさせた文章や図解を分析・評価する読解は3位に急上昇して今度は安堵させました。
この結果について文部科学省の担当者は「新型コロナ=共産党中国の細菌兵器による休校期間が他国に比べて短かったこと」と「在宅のオンライン授業でも子供の理解を容易にするために教員が献身的努力をしたこと」が理由と解説していましたが、我が子が「ゆとり教育」の犠牲になった親たちには前回のPISAの対象者は「ゆとり最終組」であり、今回は「脱ゆとり」の第1陣なのは判っているので、文部科学省の担当者の解説は日本の学校教育の大失策である「ゆとり教育」の実行犯としての責任逃れにしか見えません。
科学技術庁と統合されて文部科学省になる前の文部省は敗戦後、占領軍から戦前戦中の軍国教育の責任を問われ、再発防止を誓わされたことにつけ入って戦争末期に特別高等警察の思想犯の取り締まりが緩んだ大学でスターリンの第3インターナショナル=世界共産革命の工作員として養成された学生たちが入省して学校現場の日教組と協力して日本人を劣化させる教育を推進したのです。
それでも世の中は高度経済成長によって国民全体の収入が増加したため一般家庭の子供たちにも高校進学の機会が与えられ、やがて全入時代になると今度は大学進学が急速広まり、そうなると有名大学に人気が集中して受験戦争が勃発しました。当然、「良い大学に入るには良い高校から」と言う論理が働き、受験戦争は中学生と高校生の二段階になり、その期待に応えるべく日教組の組合員を含む教員たちは生徒を受験戦士する学校教育に邁進することになりました。確かに受験戦争で頭に詰め込む知識は無駄であっても大脳を鍛える効果があるのは間違いなく過酷な受験戦争を経験した日本人は世界でトップレベルの頭脳を有する国民になり、それが経済力を発展させました。
すると文部省は日教組の組合員たちの本音では「仕事がキツイ」と言う怠業の受験戦争批判を殊更に重大視して矢継ぎ早に対策を打ち出していったのです。野僧の世代で言えばそれまでの旧制大学の1期校と旧制高等学校の2期校の2回の受検で能力別に振り分けていた国公立大学の受験を一度にした共通1次試験が導入され、その後もセンター試験やら何やらが続きましたが日本人の上昇志向は止むことなく、そんな中で文部省が突如として打ち出したのが教育内容を大幅に削減した上、小学校1年と2年の「社会」と「理科」を「生活」に統合し、算数の円周率を3.14倍から3倍にするなど低レベル化する「ゆとり教育」でした。今では社会人になっている「ゆとり世代」はバブル世代と同様に能力不足を露呈していてあらゆる業界で在日中国人が暗躍する原因になっています。
  1. 2023/12/13(水) 15:32:29|
  2. 常々臭ッ(つねづねくさッ)
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続・振り向けばイエスタディ696

「お母さん、お父さんが近づいちゃあ駄目だって」照子が牛舎や別棟の叔父たちの家を回って全員を呼び集めて物干場に戻ると小学校の高学年になっている日和(ひより)が涙目になって胸に飛び込んできた。どうやら2階の自分の部屋から父の姿を見つけて駆け寄ると接近・接触を拒絶されたらしい。森田予備2曹としては我が子に死霊が憑依することを恐れたのだろうが札幌での避難生活の間、北海道各地で繰り広げられた戦闘のニュースを見て日和も子供なりの不安をつのらせていたのだ。そんな日和が父の無事な姿を見て爆発した喜びを身体で投げ渡そうとしたのを拒絶されて傷ついたのは当然だった。
「お父さんは戦争で死んだ人のお化けが着いてきているかも知れないって心配してるのよ。だから今からお祖父ちゃんと皆でお経を上げるの。日和も一緒に唱えてね」「お経ってギャーテーギャテーって言うのね。それでお化けがいなくなるの」「いなくなるように大きな声でね」「お化けか・・・」照子の説明に日和は首を傾げた。北海道の大自然の中で暮らしていると冷え込めば一夜にして森の色が変わり、雪と氷が溶けて日差しが元気を取り戻せば牧場が花畑になる大いなる存在の仕事を日常的に体験するため人間の亡霊などは怪奇現象にならない。だから照子も妖怪や怪物を含む「お化け」と表現した。
「謙作、お帰り」「無事に帰ったのね」「どこか怪我はしてないの」間もなく台所から母と叔母たちが出てきて住宅から来た子供たちと合流し、続いて牛舎から叔父たちが集まってきた。叔父や叔母たちは嬉しそうに声を掛けたが森田予備2曹は洗濯物を入れる籠を引っ繰り返して伏せた上に香炉と線香立て、灯明を並べた父の横で背を向けて黙っていた。
「見た通り謙作が無事に帰ってきたが、数多くの死を目の当たりにしたから死霊を連れてきたかも知れないと心配している。だから今から全員で般若心経を上げて線香を立てて死霊を祓うことにする。子供たちは最後の真言を大きな声で唱えなさい」「はい」祖父の説明に参列者たちは神妙な顔でうなずいた。それを確認した義父はポケットから取り出した100円ライターで灯明の蝋燭に火を点けて姿勢を正した。
「マカーハンニャーハラミータシンギョー(摩訶般若波羅蜜多心経)、観自在菩薩行探般若波羅蜜多時・・・」森田予備2曹の実家は父が次男なので佛壇はないが四国だけに帰省するとお遍路には頻繁に会い、札所の寺で唱えている般若心経は何度も耳にした。
「ギャーテーギャーテーパーラーギャーテーパラソーギャーテーボージソワカ(猲諦猲諦波羅猲諦波羅僧猲菩提薩婆訶)・・・」先ほど祖父が言った最後の真言になると子供たちも手を合わせて唱和を始め、先ず義父が線香を1本取って灯明で火を点けて香炉の中央に立てた。続いて義父に目で促された森田予備2曹も倣って合掌すると深く頭を下げた。そうして全員が参る間は真言の繰り返しになった。
「・・・ボージーソワカ ハンニャシンギョー(菩提薩婆訶 般若心経)。願以此功徳 平等施一切 同発菩提心 往生安楽国」最後に照子と日和、周作が参ると義父が振り返り、それに合わせて全員が般若心経を詠み切り、義父が回向した。
「ここで我らが屯田兵、森田謙作2等陸曹の無事の帰還を祝して万歳を行う。回数は気が済むまで。森田謙作2曹、万歳」「万歳」「万歳」回向を終えた義父は少し枯れた声で万歳の音頭を取った。参る時に帽子を取っていた森田予備2曹は再び45度の敬礼をしてこれを受けた。やがて日和と周作が駆け寄って両脇にしがみついたところで万歳は終わった。
「捕虜収容所でロシア兵たちに接してるとウチの隊員と何も変わらない普通の人間なのを思い知らされました。敵として殺したロシア兵たちも戦争が終われば普通の人間に戻るはずだった。俺があのまま冬季オリンピックに出場していればアスリートとして闘ったかも知れない。そう思うと彼らの無念な想いが背中に圧し掛かってくるような気がしてきたんです」「なるほど・・・」夕食を終えて居間で義父や叔父たちと酒を酌み交わすと誰からともなく日露戦争で屯田兵として樺太に出征して帰還した時の逸話になり、それに応えて森田予備2曹は真情を説明した。森田予備2曹が稚内の第3高射群の展開地で射殺した破壊工作員が教員だったことは事情聴取を受けた警務隊の陸曹から聞いたが春木予備3曹と携帯式地対空ミサイルで撃墜したミル26大型輸送ヘリコプターの乗員ついては何も分からない。2人で割ってもかなりの人数になるはずだ。
  1. 2023/12/13(水) 15:31:17|
  2. 夜の連続小説9
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12月13日・戦後日本の黒幕・安岡正篤の命日

昭和58(1983)年の明日12月13日は自民党の歴代首相を門下生にして戦後の保守政治に多大な影響を与えたため「戦後日本の黒幕」と呼ばれた東洋思想家=陽明学者の安岡正篤(まさひろ)さんの命日です。85歳でした。
安岡さんは明治31(1898)年に大阪の資産家の4男として生まれました。高野山金剛峰寺の堀田真快403世座主は実兄です。明治37(1904)年に尋常小学校に入学した頃から四書「大学」の素読を始め、旧制中学校では歩きながら読書していて電柱に衝突し、牛に突き当たるほど熱中するとやがて旧柳生藩の重臣の儒学者から直接教えを受けることになりました。
旧制中学校を卒業すると東京在住の高知の士族・安岡家の養子になって上京し、旧制第1高等学校に入学して大正8(1919)年には東京帝国大学法学部に進学して天皇主権説を唱える保守派憲法学者の上杉慎吉教授に師事しました。大正11(1922)年の卒業記念に出版した「王陽明研究」は学生が執筆した本としては異例の反響を呼びました。
卒業後は文部省に入省したものの半年で辞して翌年から皇居内に設置された社会教育研究所の主事の懇請を受けて東洋思想の講義を行い、大正12(1923)年の関東大震災後の組織の改編によって25歳で学監兼教授と教育部長も兼務することになりました。
同年に東洋思想研究所を設立すると第1次世界大戦の終結に浮かれたヨーロッパで始まったデモクラシー(民主主義)のお祭り騒ぎが日本に波及したのを批判して伝統的日本主義を提唱し、拓殖大学東洋思想講座の講師になると「日本精神の研究」や「天子論及官吏論」を出版して華族や政治家、軍人、官僚に多くの心酔者を作りました。
昭和になるとヨーロッパ発のデモクラシーの影にマルクス主義の革命運動が潜んでいることを察知した日本政府は取り締まりに乗り出し、その思想の引き締めに日本精神を用いたため国家主義・国粋主義が発生してそれが軍国主義に発展しました。
そうなると安岡さんは日本精神の教祖として神輿に乗せられ、昭和2(1927)年に東洋思想を教育する金鶏学園を設立すると昭和6(1931)年には三井・住友財閥の出資でその思想の実践の場として埼玉県の日本農士学校と福岡農士学校を開設しています。
そのような思想・教育活動とは別に軍国主義が蔓延していた日本では安岡さんの名声を利用する者が後を絶たず、金鶏学園も出身者が閣僚になったことで政界進出の通過点扱いされるようになって安岡さん自身も政府中枢で働くように仕向けられていったのです。
敗戦後は占領軍によって金鶏学園や農士学校は軍国主義を普及させる教育機関と見做されて解散に追い込まれ、安岡さんは財産没収、公職追放の憂き目に遭いましたが、軍国主義のお先棒を担ぐ必要がなくなったのでかえって意気軒高、東洋思想の原点に返って占領軍によって強制されているアメリカ式民主主義に公然と反論し、昭和26(1951)年に吉田茂首相と対談してからは昭和30(1955)年以降の自由民主党の思想的指導者として吉田学校の門下生=後の宰相たちに東洋宰相論、帝王学を講話して保守政権の基盤を固めることに貢献しました。ただし、本人は「黒幕」と呼ばれることを嫌っていました。
  1. 2023/12/12(火) 14:41:10|
  2. 日記(暦)
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続・振り向けばイエスタディ695

「貴方、寒いのにどうして家に入らないの」「うん、塩じゃあ駄目だろうな」旭川の広橋牧場に帰った照子は普段通りの生活に戻っている。そんなある日、洗濯物を取り込もうと大きな籠を抱えて通用口から庭の物干場に出ると迷彩服の上に作業外衣=フィールド・ジャケットを着た森田謙作予備2曹が立っていた。足元には洗濯物が目一杯詰まっている演習バッグがあるが、その顔は日没が早い北海道の秋空を映したかのように暗かった。
「塩って何を言ってるの」「うん、敵を大勢殺したから死霊を家の中に入れることはできないんだ。葬式の後、玄関前で身体に塩をかけるだろう。あれをやっておこうかなと思ってね・・・」森田予備2曹の説明に照子は経験してきた戦闘の過酷さを実感した。平時の即応予備自衛官の招集訓練に出かける時の森田予備2曹は国営放送の大河ドラマで見る出陣する若武者のような雰囲気で「どうぞご無事で」「どうか手柄を」と見送る奥方の台詞を口にしたくなる。訓練を終えて帰ると燃え尽き症候群になってはいても満足感を噛み締めながら何時もより多めに夕食を食べて夜の営みは20歳代前半で初めて抱いた時のように激しく挑みかかってくる。それが今回は沈痛な暗い影が全身を覆っているようだ。
「それじゃあ塩を持ってくるから待っててね」「頼む」照子はプラスチック製のオレンジ色の籠を物干し竿の下に置くと通用口から中に戻っていった。通用口は土足でも入っている台所やトイレにつながっている。台所では母と叔母たちが夕食の支度に励んでいた。
「照子、洗濯物は」「まだね。早いと思ったわ」「何か用なの」母と叔母たちはそれぞれの仕事をやりながら分担したように一連の言葉をかけてきた。母は料理の責任者らしくガス・レンジにかけてある大きな鍋の前で調味料を片手に煮物の味を調整している。照子は母の味見の仕草を見て相談を持ち掛けることにした。
照子は小学校の高学年から台所を手伝うようになると味見の時、汁を小皿に注いで口にするように厳しく躾けられた。母は単に唾液が料理に入ることを嫌ったのではなく「人の口から出る吐息や唾液には魂や霊が混じり込んでいる。お玉杓子に口を付けると鍋の料理に憑り移る」と恐ろし気な説話で脅しをかけてきた。母が言うには人が死ぬと霊魂は口から抜け出て身体を離れるらしい。しかし、祖父の死に顔は口を堅く結んでいたので照子が質問すると「鼻も口につながっている」と誤魔化した。
「謙作さんが帰ってきたの」「それは気がつかなかったわね」「挨拶に来なかったよ」「大丈夫だったの」今度の母と叔母たちの台詞の分担は多少のブレがあった。すると母は照子の強張った顔を見て一歩前に出て姿勢を正した。
「謙作さん、何だって」「それが・・・戦争で敵を殺したから死霊を家に入れることはできない。だからお清めの塩を振りかけてくれって頼まれたの」「ふーん、余程のことがあったんだね」照子の説明に母が相槌を打つと叔母たちも揃ってうなずいた。
「お父さんを呼んでお経を上げてもらえば好いよ。香炉を持って行って謙作さんに線香を立てさせるの。勿論、お経は一緒に詠むんだよ」「あの人はお経が得意だから大丈夫ね」意外な提案に照子は相談相手の選択が正しかったことに満足した。塩でのお清めは本来、神道の風習なので熱心な佛教徒の広橋家にはそぐわない。牧場経営を生業とする広橋家では死んだ牛や番犬の動物供養は欠かさない。さらに牧場に進入した樋熊を射殺することもあるので佛間には特注で手に入れた動物の供養のための馬頭観音像を祀ってある。
「そうかァ、親父からは祖父さんが樺太から帰還した時には村中の万歳で出迎えたって聞いてるがな。自衛隊さんは出征もコッソリ、帰還もヒッソリなんだな」照子が居間で休憩している父に声をかけて事情を説明すると不満そうな顔で応諾した。確かに森田予備2曹の出征=出陣は普段の招集訓練と同じように出かけてそのまま稚内に派遣された。稚内にいたのは札幌で放送していた自衛隊応援のFM番組に航空自衛隊稚内分屯基地の隊員が「ハズがいるよ」と簡潔なメールで知らせてくれたのだ。
「俺は手柄、武勲だと思ってるが本人が気にしているならお経を勤めよう。家族全員でやるから集合させろ」父は佛壇の香炉と線香立てを両手に持つと照子に指示を与えて台所がある土間に向かって廊下を歩き出した。影になっている後ろ姿は肩を怒らせて板を踏む足音も荒く父が怒った時そのままだった。
  1. 2023/12/12(火) 14:40:05|
  2. 夜の連続小説9
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朝日新聞は中曽根派潰しの二番煎じを淹れている。

安倍晋三元首相が2022年7月8日に暗殺されてから1年半経っても後任の代表が決まらないできた自民党の最大派閥の安倍派を朝日新聞が盟友(?)の東京地方検察庁特捜部にも根回しして準備万端整えたスクープの二番煎じで潰しに掛かっているようです。
今回は政治資金パーティーの参加券をノルマ以上に売り上げた議員に収益を分配した(いわゆる)キックバック疑惑ですが知人の記者によれば「同じパーティー券を買うのなら実力者の点数稼ぎをするので実力者に金が集まる。これを叩けば自民党に大打撃を与えられる」と言っているので今回は安倍派の抹殺を目的にしているのでしょう。実際、朝日新聞はマスコミ他社にも情報を流布させているようで閣僚を含む有力議員の実名を挙げて疑惑を報道させて岸田政権と自民党執行部を崩壊させる嵐の前触れを演出しています。
このような朝日新聞が主導した政治スキャンダルと言えば長期政権になった中曽根康弘内閣が売上税に対する世論の離反で退陣した1989年のリクルート疑惑を思い出させます。当時の中曽根派も71歳だった中曽根前首相が再登板を模索していて後継者は確定しておらず、藤波孝生氏が最有力と目されながらも渡辺美智雄氏が割込みを図っていました。そんな中で発生したリクルート疑惑は仮に「値上がり確実」と言われていても不確定要素があるため判例上は贈賄の手段とは認められていなかった株式を使った資金提供でした。
この時も朝日新聞とテレビ朝日がスクープすると東京地方検察庁が「贈収賄罪で立件できる」と公言し、それを受けて他のマスコミ各社も一斉に後追い報道を始め、藤波氏を後継者から追い落とし、中曽根前首相を自民党から離党させただけでなくニューリーダーの安倍晋太郎外務大臣が癌で病死したため長期政権を維持しなければならなかった竹下登内閣を辞任に追い込み、中曽根派の端くれの宇野宗佑氏を首相にしたものの芸者を妾にした時の遣り取りを暴露されて退陣、クリーンなイメージだけで海部俊樹氏を引っ張り出してイメージ回復したところに湾岸戦争が勃発して逃げを打ち、「コイツだけは首相にしてはいけない」と言われていた宮澤喜一(敬称・肩書不要)を首相にする羽目になり、前評判通りの失策続きで日本を長期低落に引き摺り込みました。
中曽根政権と安倍政権で共通しているのは戦略的外交によって日本の国威を発揚したことです。中曽根政権では首相がアメリカのドナルド・レーガン大統領と個人的な信頼関係を結びサミットでもレーガン大統領の主張を補足するなど積極的に議論に加わってそれまでの日本とは一転した存在感を発揮するようになりました。特に中曽根政権ではそれまでの明治から連綿と続くヨーロッパの上流階級との社交を専らとする外交貴族を排してアメリカの軍事と一体化した戦略外交を学んだ新世代を重用して外務省内に巣喰っていたチャイナ・スクールやコリア・スクールなどの担当国の意向に盲従する売国的外交官も一掃したのです。それを継承した安倍政権も地球儀を俯瞰する外交を展開して共産党中国の一路一帯戦略への対抗を公然化する一方で宮澤政権が制定したPKO法の欠陥を是正するとアフリカの紛争にも自衛隊を派遣して国際社会における日本の地位を揺るぎないものにしました。それは日本の「戦争犯罪国」の烙印を維持したい朝日新聞が最も嫌う政治なのです。
  1. 2023/12/11(月) 15:04:11|
  2. 時事阿呆談
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続・振り向けばイエスタディ694

「鶴舞は死んだぞ」「えッ・・・」安川1尉は聡美から留守中の生活の説明を聞き終わると稲沢の実家に無事に帰還したことを報告するために電話をかけた。すると電話に出た父が前置き抜きで思いがけない言葉を投げかけた。
聡美から姉の鶴舞が「女優デビューする」と言い残して東京に出て行ったことを聞いて自分が命がけで任務を遂行している間にもアダルト業界は営業していて姉がそれに同調したことはある種の裏切りのように感じた。その姉が突然、死んだとなると原因を知らなければならない。生命を失うような持病はないはずだ。
「どうして・・・何があったんだ」「東京でタンクローリーがガソリンを撒き散らしながら暴走する事件があったのは知ってるか」「新聞は読んでいたから知ってるよ」父の確認に安川1尉は部隊行動を秘匿しながら答えた。群馬県側から前線に弾薬や燃料、食料を届けるトラックは安川1尉が指揮する県境守備隊の検問を受けるため運転手は新聞を手渡してくれていた。切り立った岩山の直下にある宿営地では新潟県側からの電波が途絶えてしまうとテレビは受信できないのでこの新聞と雑誌が唯一の情報源だった。新聞によれば東京都内では首都高速道路や主要幹線を暴走した燃料車が撒き散らしたガソリンに火が点いて大炎上したため路上の自動車だけでなく沿線に建ち並ぶ店舗などにも類焼したはずだ。
「奴等は同じ事件を名古屋でも起こすつもりだったらしいがこっちは警察が喰い止めた」「それは知らなかった」「ところが名古屋の弁護士団体は車両泥棒を制止するのに武器を使って射殺したのは違法だって裁判を起こすつもりらしい」父の話は地元ネタに逸れてしまった。確かに関東圏の新聞では東京での大惨事に全面を使っていて名古屋の事件は小さくも載っていなかった。名古屋の弁護団の偏った法廷闘争については鈴鹿山脈の高圧電線の高所作業中に銃撃を受けて犯人を射殺した岡野3曹の裁判で熟知している。
「それで鶴舞は銀座の大通りを走る車の中でイカガワシイ場面を撮影していて巻き込まれたらしい。炎上した高級車の助手席で遺骸が発見されたそうだ」最高の妻と暮らしていて希望すれば夫婦の営みができる安川1尉にはアダルトDVDを鑑賞する趣味はないが若い営内者がインターネットの有料アダルト・サイトを利用して高額の代金を請求された時、服務指導の参考資料として見せられたことはある。その時は色々な設定と展開を考える製作者の発想の豊かさと演じる女優と衆目環視の中で性器を奮い立たせる男優に感心しただけだった。しかし、別の若い隊員から岐阜分屯地に転地訓練に行って白井聡美と名乗る保育士を演じるAV女優を岐阜の金津園で抱いたと聞いて聡美の旧姓の芸名と実家に近い場所、かつての職業の役柄から姉ではないかと言う疑いを抱いていた。その若い隊員も長岡市内で対人地雷・POM3を作動させて戦死している。姉がその隊員にとって最初の、唯一の女性だったとすれば少しは許すことができる。
「事件からかなり経ってから愛知県警がDNAで鑑定するからサンプルを採取させてくれって言ってきたんだ。お母さんと名古屋の県警本部へ行って口の中の皮膚を取られたよ。それから鶴舞の部屋で髪の毛を拾っていったな」「警視庁は消火に当たっている消防隊員が野次馬の中から銃撃されて負傷したから現場の警備に人員を割かれて初動捜査は完全に出遅れたんだ。タンクローリーがガソリンを撒いたのも1キロや2キロじゃあ済まないから炎上した車両は百台単位じゃあなかっただろう。その中に残っていた遺骸を一体ずつ鑑定していったんだから早い位だ」父の口調がやや不満そうなのを感じた安川1尉は新聞で読んだ情報で警察・警視庁の立場を擁護した。実際、消防の銃撃の危険と隣り合わせの消火活動も対象範囲が長大に過ぎて効果が上がらず、ヘリコプターによる水の散布も頼りの陸上自衛隊は新潟方面に派遣して不在だったので万事が後手に回った。被害の惨状は東京大空襲の再現であり、弾道ミサイルを射ち込み、爆撃機で空襲を加えるのを遥かに超えていた。つまり中国はロシア軍よりも安上がりな方法で絶大な戦果を上げたのだ。
「それで姉貴の遺骨は帰ってきたのか」「担当は警視庁だから中々先に進まなくてな。お母さんはお前も死んでしまったらって怯えていたが無事な声を聞けば少しはm立ち直るだろう。代わるぞ」「和也」父から受話器を受け取ると母は絶叫した。どうやら母は傍で聞いていたらしい。その割には姉の説明=前置きが長かった。
  1. 2023/12/11(月) 15:03:01|
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