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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

5月1日・エンパイア・ステート・ビルリングが完成した。

日本では昭和6年に当たる1931年の明日5月1日に1972年まで世界で最も高いビルディングの地位を堅持した102階・389メートルのエンパイア・ステート・ビルディングがニューヨーク市マンハッタン区の5番街に完成しました。
1930年と1931年はニューヨークの摩天楼が雨後の筍状態で1930年4月に71階・283メートルの40ウォールストリート(現在のトランプ・タワー)が完成すると5月下旬には77階・320メートルのクライスラー・ビルディングが完成していました。一方、当時の日本では大正8(1919)年に成立した市街地建設法によって東京、横浜、名古屋、京都、大阪、神戸の6大都市の建築物には100尺(30.303メートル)以下と言う高さ制限が課せられていたため大通り沿いに同じ高さのビルディングが揃う整然とした美観は形成されても摩天楼の高さを競い合う都市の活力は発揮されませんでした。尤も大正12(1923)年に発生した関東大震災では明治23(1890)年に浅草に建てられた9階まで煉瓦造りで、その上に木造3階建ての展望台が載っていた高さ39メートルの凌雲閣の上半分が折れて倒壊しましたから日本版摩天楼を建てていれば根こそぎ倒れて大惨事が起きたことでしょう。
エンパイア・ステート・ビルディングは40ウォールストリートやクライスラー・ビルディングと同じように建設当時に世界的に流行していたアール・デコ様式の装飾が頂部と下層部に施されています。一方、建物としては総床面積が20万4385平方メートルに及び6500個の窓と73基のエレベーター(貨物用6基を含む)、1860基の階段が設置されています。ただし、オフィス区画については1929年9月4日に始まった世界恐慌の影響で空室が大半の状態が1940年代まで続きエンプティー・ステート・ビルディング(空っぽの州のビル)と陰口を叩かれました。それでも86階と102階の展望台からの眺望はニューヨークを代表する観光名所になり現在も大いに存在感を発揮しています。
エンパイア・ステート・ビルディングに登ったと言えばキングコングですが、1933年版では複葉機の戦闘機に銃撃されています。2005年のリメイク版は見ていません。ところが1979年版では当時高さ世界一だった世界貿易センター・ビルディングに登り、AHー1ヘリコプターの銃撃を受けました。
世界貿易センター・ビルディングと言えば2001年9月11日にハイジャックされた旅客機が突入して倒壊しましたが、エンパイア・ステート・ビルディングも対日戦争が終結する直前の1945年7月28日の午前9時49分頃に濃霧の中、ニューヨーク州のニューアーク・リバティ飛行場に着陸しようとしたBー25爆撃機が79階の北側に衝突して機体がビル内に突入する事故が発生しています。79階では火災が発生し、機体から脱落したエンジンがエレベーターの扉を破壊したため80階にも類焼しましたが40分後には鎮火しました。またエレベーター・ケーブルが切断されてエレベーター・ガールを乗せたまま300メートル落下しましたが奇跡的に一命を取り留めました。半世紀以上前に世界貿易センター・ビルディングよりも頑丈なことを実証していました。
  1. 2024/04/30(火) 16:24:13|
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続・振り向けばイエスタディ808

「サイノ・ジャパニーズ・ウォー(日清戦争)をポーツマス条約のように決着させてはどうですか」日本が対馬を奪還し、韓国の現政権もそれを容認したことを受けて国際連合安全保障理事会ではアメリカとイギリスが停戦の仲介に乗り出した。
「つまり我がロシアと同様に勝敗、善悪は問わず停戦の条件だけを話し合うと言うことだね」ロシアの国連全権大使の補足説明に日本以外の大使たちは納得したようにうなずいた。日本では日清・日露戦争とワン・セットにして連戦したように思い込んでいるが、それは政治権力も握った山口陸軍閥が捏造して学校教育で広めた手前勝手な歴史観であって当事国である帝政ロシアを含むヨーロッパや仲介したアメリカでもポーツマス条約を単なる停戦条約と見ている。だから帝政ロシアが賠償金を支払わなかったのは至極当然だった。その点が日清戦争の下関条約とは全く違う。
「歴史的比喩としてサイ(清)と言う国名を使用したのだろうが皇帝と宦官(かんがん=去勢された官吏)に支配された暗黒の時代は我が中華人民共和国とは全く異質な国家であることを議論の前に確認しておきたい」続いて中国の国連全権大使が発言した。この口ぶりではアメリカの提案に反対するつもりはないようだ。
今日もノザキ元将補はアメリカの国連全権大使の直ぐ後ろの席で議論を見守っている。昨夜はニューヨーク市内の高級ホテルのレストランで政治担当次官と国連全権大使の3人で今日の作戦転換について話し合ったが、70歳代のアフリカ系女性の国連全権大使がノザキ将補を誘ったため政治担当次官は何度目かになる肉体関係を逃してしまった。ところが国連に出席する時の宿舎として岡倉が手配したマンションに帰宅すると政治担当次官が中で待っていた。合鍵は国連休会中に部屋を管理している岡倉が提供したようだ。アメリカやヨーロッパのマンションでは一般的に家具は備え付けだがこのマンションでは何故かダブルベッドだった。どうやら岡倉はノザキ佳織元将補をハニートラップに使うつもりらしい。実際、昨夜の政治担当次官は一度逃した獲物を捕食した獣のようにノザキ元将補の肉体を貪り、忘れかけていた絶頂=オーガズムに達してしまった。
「我が人民共和国としては日本がかつて植民地支配して多大な損益を与えた大韓民国に武力行使した戦争犯罪に等しい不正行為を当委員会の常任理事国として懲罰することを前政権に依頼されて武力を行使したんだが、現政権が日本軍による対馬島奪還を容認するのであればこれ以上、続ける理由はなくなる」中国の国連全権大使は出席者たちも忘れてしまっている日本への侵略行動の発端を持ち出してアメリカの提案に同意した。
この武力紛争の発端は韓国海軍の駆逐艦が海上自衛隊のPー1哨戒機を艦隊空ミサイルで撃墜しておきながら前政権が海上自衛隊側の攻撃に対する正当防衛と主張し、続いて敦賀湾の原発銀座に進路を取って日本海上のADIZを突破した韓国空軍のFー16に対領空侵犯措置で緊急発進した航空自衛隊の戦闘機が撃墜された上、脱出してパラシュート降下していたパイロットも射殺された。これらを「全て自衛隊側に原因がある」とした中国が安全保障理事会の常任理事国として懲罰すると言うのが大義名分だった。
「日本国の意見を聞きましょう」ここで議長が当事国として特別に出席している日本の国連全権大使を指名した。他の常任理事国と非常任理事国の出席者たちは険しい顔で注視している。常識的に考えれば日本は冤罪によって本来は侵略と呼ぶべき武力行使を受け、在日中国人による暴動で首都が大火災に見舞われた被害者であり、賠償を要求する権利があることは中国と盟友・ロシア、世界に増殖中の植民地を除く国際社会の共通認識だ。そのためなのか中国の国連全権大使は殺意を感じさせるような目つきで睨んでいる。
「日本国としましては中国の誤解が解消すれば誠に有り難い。幸い日中両国は外交関係を断絶していないので今後は以前にも増して友好を進展させるように努めたいと思います」日本の国連全権大使の流暢な英語での回答を聞いて出席者たちは口を開けて唖然としていた。自国ファーストの権利の争奪戦の舞台である国際連合で日本だけは遠慮がちに振る舞っているので和平を実現するために賠償は諦めたにしても謝罪を要求して非を認めさせるのは国民に対する責任のはずだ。結局、これも上山外務大臣が主導する石田政権の外交だった。それでも舞台に緞帳(どんちょう)が下り始めた。
別・ゆき「子連れ狼」より
  1. 2024/04/30(火) 16:23:08|
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4月30日・台湾で実習艦・松島が爆沈して221人が殉職した。

明治41(1908)年の明日4月30日の未明に台湾海峡にある渤湖諸島の馬公港で海軍兵学校35期生の東南アジア方面への遠洋航海で寄港・停泊していた実習艦・松島の後部弾薬庫が大爆発を起こして急速に沈没したため実習生33名を含む艦長以下221名が殉職する事故が発生しました。練習艦隊としては橋立との2隻編制でした。
防護巡洋艦・松島は同型艦の橋立、厳島との三景艦の1番艦=ネーム・シップで清国海軍の北洋艦隊の巨大戦艦・定遠と鎮遠に対抗するため日本の軍港に出入りできる限界の4278トンの艦体には無理がある32サンチ砲を搭載して日清戦争の黄海海戦では連合艦隊の旗艦を務めました。しかし、この巨砲は横に向けると砲身の重量で艦体が大きく揺れて操舵が困難になり、発射すると衝撃で横転しかねない厄介な代物で日本海軍は10年間でイギリス製の新鋭艦を導入したので日露戦争では哨戒と掃海に当たりました。したがって三景艦は松島が爆沈するまで遠洋航海の専用艦になっていました。
この事故で殉職した実習生は33名でしたが35期生は171名だったので橋立との2隻に分乗していたとすれば86名と85名になり50名以上は助かったことになります。逆に乗員の殉職者は188名で記録が残っている日清戦争時の松島の乗員数は355名なので半数は死亡していることになり、実習生を避難させることを優先したのかも知れません。この時、僚艦の橋立に乗り組んでいた永野修身大尉は大混乱に陥っていた艦内で冷静に指揮を執り、短艇=カッターを海面に下ろして救助に向かわせたと言われています。
航空自衛隊でもFー86F旭光が主力戦闘機だった頃には複座式の練習機がなかったため芦谷基地のTー1練習機でジェット機の操縦を習うと次の浜松北基地ではFー86Fでテイクオフ寸前まで加速して急減速する危険な滑走の練習を経て離陸することになりました。それでも常に教官が隣で見守っているとは言えイキナリの単独飛行ですから上空で操縦を誤れば即座に事故になり、ついウッカリも事故、判断に迷えば事故と墜落事故が頻発したのです。そのためこの頃の航空自衛隊では「パイロットが出世する第1条件は生き残ること」と言われていましたが実際に多くの有為な人材が殉職してしまいました(「将来の航空幕僚長」として殉職させないために輸送機のパイロットにした逸材もいた)。
首席の近藤信竹大将は生き残りましたが33名を喪った海軍兵学校35期生も前後の期では32期に「海軍兵学校が生んだ最高の天才」と呼ばれた堀悌吉中将(大角人事で予備役に編入された)に山本五十六大将と最低最悪の海軍大臣・嶋田繁太郎大将がいて33期には優秀な軍政家で敗戦後は実業家としても異才を発揮した豊田貞次郎大将と戦力に見合った作戦を指揮できず連合艦隊を消滅させた豊田副武大将、34期は山本大将の後任の連合艦隊司令長官・古賀峯一大将、37期でも井上成美大将と草鹿任一中将などの対米英中戦争の主要な人物が出ていて35期の殉職者でも大山巌元帥の長男=大山高少尉や巡洋艦当時の松島の艦長を務めたことがある瓜生外吉大将の長男=瓜生武雄少尉、ポーツマス会議で活躍した外交官の珍田捨巳男爵の次男=珍田重穂少尉が含まれていましたから歴史を変えた逸材が喪われた可能性も否定できません。
  1. 2024/04/29(月) 16:00:40|
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続・振り向けばイエスタディ807

「今度は五島列島かァ」「貴方と見に行った刑事物語3(スリー)の舞台になったところよね」数日後、朝山元3佐夫妻と一緒に入間基地から中部航空方面隊司令部支援飛行隊のUー2で福江空港に飛んだ。梢は北海道に続いて2回目、実は私も同様だ。搭乗申請は西部航空方面隊が担当したので福江空港に直行する。
「あれは沢口靖子のデビュー作だったよな」「貴方は夢中になっちゃって腹が立ったわ」余計なことを持ち出したため珍しく梢が焼き餅を焼いたことまで思い出させてしまった。あの頃の私は梢と全力投球で愛情のキャッチボールをしていたので焼き餅を焼かせることはなかったのだが、高校在学中に撮影に臨んだ沢口靖子のセーラー服姿には本気で見惚れてしまい隣りから話しかけられても気づかなかったのだ。
「モリヤ検事、朝山和尚、奥さま、遠路のご足労を煩わせまして・・・」「いいえ、妻を同行させていただきまして有り難うございました」福江空港では慰霊行事を担当する第4師団司令部1部の総務班長の2佐と福江島分屯基地の第15警戒隊の総務人事班長の1尉が出迎えていて先ず朝山元3佐が挨拶した。その背後には何故か法衣を着た坊主たちが並んでいる。今回も私と朝山元3佐は作務衣に黒の略威儀で追悼慰霊法要には法衣を着る予定だが、坊主たちは曹洞宗では改良服と呼ばれている小袖の略依に派手な金襴の絡子を掛けている。どうやらこれがOBの坊主軍団らしい。
「お願いしていた修験者は」「新義真言宗に要請していますからご心配なく。佐世保から海自の連絡船で来ることになっています」新潟の時はOBの修験者が自主志願してきたが今回はこちらから要請したので宗派の窓口が必要だったらしい。それにしてもお布施を支払えば「憲法が禁じる国家の宗教活動」として行政訴訟を起こされかねない。
「空港として再開するんだわ」「はい、幸い上陸した中国軍に施設を破壊されませんでしたから撤収した備品を元に戻して社員が帰れば空港は業務を再開できます」私と朝山元3佐がOBの坊主軍団との対面を終えると第15警戒隊の総務人事班長が先導して中央玄関に向かった。空港ターミナルのロビー内では航空会社の社員が多くの運送業者を指揮して貨物船で運んできて陸揚げした空港用備品を配置している。それを見た梢が昔の仕事を思い出して独り言を呟くと総務人事班長が答えた。
「自衛隊=国家の宗教行為は憲法違反」「自衛隊の漁民殺害を許さない」私たちが駐車場に停めていた第15警戒隊のマイクロバスを待っていると段ボール箱に白い紙を貼って作ったプラカードを持った黒いボタンの学生服のような法服を着た集団が取り囲んだ。どうやら島内のカソリック聖堂の神父たちのようだ。こんな時、宗教法人の経営を職業としているプロの坊主たちは無視を決め込むが、現役時代から弁護士として法廷での論争を生業(なりわい)にしていた私にはできない対応だ。私は隣で梢が小さくうなずいたのを確認するとプラカードを持たずに中央に立っている最年長の神父の前に歩み出た。それをOBの坊主軍団は唖然として見ていた。
「そもそも戦没者の慰霊行事は君たちカソリック教会を含む地元の宗教団体が担当するべき儀礼だ。しかし、君たちは島に帰ってもそれを実施する意向を示さないから我々が代行することになったんだ」「避難してきた漁民を無差別に殺害した自衛隊に慰霊する資格はない」どうやらこの団体は中国が主張し、日本では共産党が代弁している冤罪を神託として信じているようだ。かつてカソリック信者の長崎市長は「原爆の投下は日本が犯した罪に対するカミの罰だ」と発言したが今回も同じ論理で肯定するつもりらしい。
「トルーマンがカミの意思だと投下を命じた原爆は浦上天主堂を目標にしたが、五島列島ではカソリック教会が侵略者を招き入れるつもりなんだね」「宿を請えば屋根を貸すのが我々の務めだ」「臨月の妊婦を馬小屋に泊まらせたようにな」私のイエスの誕生に絡めた皮肉な反論に神父たちは目に敵意を灯らせた。すると朝山元3佐の妻が抗弁した。
「フランス北部のノルマンディー地方のカソリック教会にはその地域をナチスから解放したアメリカ軍の空挺部隊を記念するステンドグラスが飾られています。この島も第1空挺団が守ったんじゃあないですか」私と梢も戦争の史跡としてノルマンディーを観光したがその聖堂には寄らなかった。ただし、朝山元3佐夫妻も偶然だったそうだ。
空挺降下のステンドグラス空挺降下を記念するステンドグラス
  1. 2024/04/29(月) 15:59:01|
  2. 夜の連続小説9
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4月23日・笠谷幸生選手の逝去を悼む。

4月23日に野僧が小学校4年の3学期だった昭和47(1972)年2月に開催された札幌冬季オリンピックの70メートル級ジャンプで優勝した笠谷幸生選手が亡くなったそうです。80歳でした。
小・中学生時代に見たオリンピックは強く心に刻まれるようで野僧は小学1年だったメキシコ市オリンピックではマラソンで2位になった君原健二選手(サッカーは野球好きの父親が見せてくれなかった)、昭和47(1972)年でも小学5年生のミュンヘン夏季オリンピックでは水泳100メートル平泳ぎの田口信教選手と100メートルバタフライの青木まゆみ選手、柔道70キロ級の野村豊和選手などがスポーツの英雄として今でもテレビの映像が目に浮かびます。ただし、モントリオール・オリンピックになると中学生で色気づいていたのでルーマニアの白い妖精・ナディア・コマネチ選手に夢中になる同級生たちの中で野僧だけは札幌オリンピックのジャネット・リン選手をオカズにしていました。
スケートリンクはあっても雪が降らない愛知県岡崎市では冬季オリンピックとは縁が薄いのですが、そんな中で初めて見るジャンプと言う競技で日本勢が表彰台を独占したことには男子児童が感激して研究成果を発表し合う(=知ったかぶりを楽しむ)校風で知識を充填すると校内の遊具場の滑り台で実技の研究を始めました。
ジャンプ競技にはスポーツでありながら飛距離とは別に審査員による採点が加わるため地元贔屓が公然化していて雑誌などによれば滑空姿勢と着地が「世界一美しい」と賞賛されているはずの笠谷選手もヨーロッパでのオリンピックや国際大会では優勝できていませんでした。そんな笠谷選手の滑空姿勢の特徴は踏み切る瞬間に頭が上がることを防ぐため意識的に顎を引いていてその結果、口を開けた状態で飛んでいました(滑空中の写真では笠谷選手だけ大口を開けていた)。また美しく着地するため兄の笠谷昌生コーチと共に着地を起点として滑空姿勢、踏み切り、滑走、発進までのフォームを組み立てて練習したそうです。そして美しい滑空姿勢を保つために意識的に脇を締めようと手首を外に曲げて掌を開いた状態で飛翔していました。これらを滑り台で練習したのです。
笠谷選手は昭和18(1943)年に北海道余市郡大江村(現在の仁木町)で生まれました。小学4年生から遊びとして兄について地元の社会人チームでジャンプを始めると大人と遜色がない飛跳を見せて「昌生に続いて2人目の神童が現れた」と地元で大評判になったそうです。昭和34(1959)年に余市高校に進学してからは早熟な天才として頭角を現しますが、昭和38(1963)年に同じ大会で日本人2人目の100メートル・ジャンパーになる実績を上げても飛跳距離だけではない競技のため昭和45(1970)年にチェコスロバキアの世界選手権で銀メダルを獲得するまで表彰台には上がれませんでした。一方、札幌オリンピックでは70メートル級では優勝しましたが90メートル級の2本目では乱気流でスキーが乱れて失速するように着地したのを鮮明に記憶しています。
選手以外では「マッサン」のニッカ・ウィスキーの営業マンとして活躍したそうですが、最高の広告塔だったのでしょう。「虹と雪のバラード」を唄って冥福を祈ります。
笠谷幸生確かに大口を開けて掌を広げている。
  1. 2024/04/28(日) 15:01:40|
  2. 追悼・告別・永訣文
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続・振り向けばイエスタディ806

「和尚は九州方面に出張する予定はありませんか」市ヶ谷地区で対馬の奪還が終結したことを聞いた私は敵味方双方の戦没者の慰霊のために久しぶりに浄土宗の寺に参ることにした。すると納所として勤めている朝山元3佐=蓮床(れんしょう)和尚が出迎えて即座に質問してきた。実は私も防衛省・自衛隊としては対馬奪還を今回の武力紛争の終着点としていることを聞いていてそれが達成された以上、戦場になった五島列島と甑島群島、対馬での現地調査を計画していたのだ。当然、秘書の梢も同行させる。
「秘書同行で計画しているけどまさか」「はい、そのまさかです。西部方面隊から前回の新潟での追悼慰霊法要をもう一度実施して欲しいと打診がありまして・・・」あれからも山中元3佐からは何度か問い合わせの電話が入っているが、自衛隊には九州人が多いのでOBの坊主や神職もかなりいるらしい。中には博多の曹洞宗の専門僧堂の堂長だった元1等空佐もいたそうだが、惜しむらくは十数年前に遷化していた。その堂長は駒澤大学から学徒出征で陸軍の航空機搭乗員になり、大刀洗飛行場から1式戦闘機・隼を駆って防空戦闘に当たっていたが、戦争末期には知覧飛行場で特攻要員として待機していて敗戦を迎えたそうだ。そんな人物が導師であれば敵味方双方の戦没者の魂魄も軍人として敬意をもって引導を受け入れ、素直に往生するはずだ。
「それでも熊本の隊友会が慰霊行事の準備を進めているはずだぞ」「それが切っ掛けなんです。熊本の隊友会から打診を受けたOBの坊さんが他のOBの坊さんに話を広めてその内の誰かが西部方面隊総監部に問い合わせたんです。そうなると実績がある我々に委託するのが陸の幕領の基本動作でしょう」退役するまで航空自衛隊の「勇猛果敢・支離滅裂」の気風が抜けず「ズーミング=音速突破の衝撃音」な言動が改まらなかった私に「陸の」と言われても返事に困ってしまう。確かに陸上自衛隊の幕領は安全第一=失敗しないことを最優先するので前例踏襲が基本動作なのは間違いない。
「秘書同伴が絶対条件で引き受けよう。九州は我が浄土宗の本流を守った聖地だからね」「そうですか助かります。私も鎮西派を学ぶ良い機会だと思って方丈さまにお願いしたんです」浄土宗鎮西派は法然坊源空上人が念佛停止(ちょうじ)の弾圧を受けた時、法脈を託された弁長上人が九州に逃れると地域の土豪たちの崇敬を集めて久留米に創建された善道寺を大本山にして広まった。鎌倉時代になると法然上人からの正統な法脈を受け継ぐ本流として関東でも篤く信仰を集め、現在の大本山・知恩院や関東大本山・増上寺も鎮西派の流れだ。その点では允可を受けていない末弟でも破戒の不祥事を弾劾されて連座したに過ぎない親鸞聖人を宗祖とする浄土真宗とは格式が違う。
「それなら奥さんも連れていきなさいよ」「秘書さんが同行されるならそうします」梢の提案に蓮床和尚も素直に同意した。蓮床和尚の奥さんには会ったことがないが在オランダ大使館の在外公館警備官だったことは聞いているので梢とも話が合うはずだ。
「例の修験者はどうするんだね」「それが携帯の電波が届かない山に籠ってしまって連絡が取れないんです」「それは困った。この間は彼の法力がなければ雇われ神職は生命が危なかった・・・九州にも英彦山や霧島、阿蘇山には修験者がいるだろうから手配してもらおう。この際、OBじゃあなくても良いだろう」そう言えば前川原の高良台訓練場にも佐賀県と福岡県の県境の背振山系と九重山系、阿蘇山系などで修行した修験道の史跡があった。陸上自衛隊のレンジャー経験者なら彼のように定年退官後に修験者に転身しても違和感はない。問題は戦前回帰の気運が顕著な陸上自衛隊が敗戦後に占領軍によって解除された明治5年の修験道廃止令が今も効力を持っていると思い込んで侮蔑することだが、そこは私と蓮床和尚が強く要求すれば押し切れそうだ。
「一つ問題なのは中国人の宗教ですが」「それは熊本の隊友会からも確認されたが長崎と福岡在住の中国系移住者に任せてはどうだろうか」「新潟の時の北朝鮮人のようにですね」私の回答を蓮床和尚は自然に理解した。やはり山中元3佐は次男なので家には佛壇がなく宗教的な儀礼に関わる機会が少ないため知識が不足しているようだ。
「もう1つ、福江島のカソリック教会はどうしましょう。自衛隊の防衛行動に文化財保護を名目に反対しましたからね」やはり共産党と一体化している宗教団体は始末が悪い。
  1. 2024/04/28(日) 14:59:30|
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4月28日・日本の独立回復記念日=サンフランシスコ条約が発効した。

昭和27(1952)年の明日4月28日は対米英中蘭仏戦争に敗北してアメリカが主導する連合国の統治下にあった日本が一部の社会主義圏以外の国際社会に戦争の終結を認められたサンフランシスコ条約が発効した独立回復記念日です。
昭和26(1951)年9月8日にサンフランシスコのオペラハウスで「日本国との平和条約」が審議されていた時、日本国内では朝日・毎日新聞を中心とする大手マスコミと社会党、共産党などの野党、さらに東京大学、京都大学を始めとする錚々たる大学の学者たちは吉田茂内閣が進めるアメリカを中心とする西側との講和を「単独講和」、ソビエト連邦や1949年10月1日に成立した共産党中国などの東側を含む講和を「全面講和」と呼んで反対し、独立を待望する国民・大衆の意思とは別に世論を2分させていました。おまけに条約の発効から4日後の5月1日には皇居前広場で血のメーデー事件が起こっています。しかし、1950年当時の国際連合の加盟国が60カ国に過ぎなかったことを考えれば49カ国もの国々が対象ならば大多数であり「単独講和」と言う呼称自体が虚偽です。
それを無視してアメリカとの交渉により独立を果たした吉田茂首相は立派でしたが日本のマスコミは単独講和反対の煽動に終始していたため講和条約に内容に関する情報は殆ど報道されず、現在も禍根を残す問題が盛り込まれてしまっています。
例えば日本の領域を北海道、本州、四国、九州と周辺の島々に限定され千島、小笠原、奄美、沖縄はアメリカとソビエト連邦による占領が継続されることになったのですが、択捉、国後、歯舞、色丹の4島が周辺の島々なのか千島なのかを明確にしないまま条約が締結されたためソビエト連邦が崩壊した現在も北方領土の問題は継続しています。尤もソビエト連邦はこの講和会議には出席したものの条約の無効を宣言して調印しなかったので原因は鳩山一郎(由紀夫の祖父)がやった日ソ共同宣言なのかも知れません。
また韓国は対米英中蘭仏戦争に日本の一員として参加した上、特に対抗運動も行なっていなかったため戦勝国とは認められず会議に出席することができませんでした。それでも李承晩大統領はアメリカに竹島の領有を強く要求しましたが最終的に拒否されたので火事場泥棒的に軍事境界線=李承晩ラインを引き、実力を以って占拠したのです。
さらにこの条約を受けての法務省の通達によって日本国内に在住している朝鮮人、韓国人、台湾人の日本国籍が失効し、在日外国人と言う不安定な状態になってしまいました。
ちなみにインドや一部の東南アジア諸国が講和会議への参加を拒否した理由は「日本を一方的に犯罪国として正当に獲得してきた権益まで剥奪することに反対する」と言うネール首相の見解によるものでした。
日本ではこの日についてマスコミが取り上げることはなく学校でも特に教えていませんが、記紀(=古事記と日本書紀)の記述だけが根拠の紀元節=建国記念の日を祝日にするくらいなら薩長土肥が作った大日本帝国が国家神道の「尊皇攘夷」の狂気で世界を見た結果、全てを敵視(日英同盟解消後にはイギリスとも戦っている)して不要な戦争を繰り返した挙句に77年間でこの国を滅ぼした大罪を反省する意義を含めて祝日にするべきです。
  1. 2024/04/27(土) 15:50:59|
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続・振り向けばイエスタディ805

翌日、自衛隊が役務調達したフェリーで西部方面隊が部隊を派遣すると対馬の奪還は完了した。先ずは第2施設群が艦対地ミサイルで橋桁に大穴が開いた万関橋を架橋・修復して上島と下島を結ぶ唯一の交通路を回復した。
海上自衛隊の護衛艦がフェリーを護衛したが国籍不明の潜水艦が攻撃可能な位置につきまとったため対潜哨戒機が威嚇用の爆雷を投下した。勿論、海上自衛隊はソナーのデータの解析で国籍や艦種は判っているが現時点では報告していない。
「対馬を奪還しました。今こそ停戦するべきです」「それは会って自分の口で報告するべきだな。現在の総理は画面を見ていると苛立つようになっているんだ」中央指揮所で西部方面総監から報告を受けて大原防衛大臣は首相官邸に向かった。双木官房長官には事前に連絡したが会って面談で説明するように指示された。
石田首相は海外訪問で成果を上げても国営放送でさえ「帰国すれば派閥の政治資金の問題が待っている」と水を浴びせるため支持率は微増するだけで自衛隊式に言えば地面を這う第4匍匐状態が続いている。大原防衛大臣は対馬奪還作戦の準備段階から閣議はモニター参加にしているので石田首相には直接会っていないが、海外では自衛隊の勇戦は高く評価されても国内では「憲法を無視した自衛隊の暴走」と徹底的に批判されていて特に選挙区の広島では「このままでは地上戦で敗北したロシアと北朝鮮が報復として弾道ミサイルを射ち込んでくる。目標は自衛隊の最高指揮官である石田首相の地元の広島だ」と2度目の被爆地になる危険性を高めていると市民の不安を煽っている。
「総理、先ほどお知らせしたように大原防衛大臣が対馬奪還の報告に来ました」「お忙しいところ申し訳ありません」大原防衛大臣は官房長官室に寄ると国際常識や防衛庁内の感覚とは隔絶した石田首相の認識を説明された後、双木官房長官と首相の執務室に向かった。そして案内の秘書官がドアをノックして少し開けると双木官房長官が先に入室して用件を説明した。すると石田首相はテレビで夕方の民間放送のニュースを見ていた。
「対馬を自衛隊が奪還したって・・・僕は自衛隊に防衛出動を命令していないぞ」石田首相はテレビをそのままにして顔だけを向けると皮肉な回答をした。確かに窮狸と化した中国が漁船の大船団で九州方面に侵攻して来ても石田首相は防衛出動を発令していない。むしろ支持率が急落した原因を「防衛費の倍増だ」と親交がある言論人に吹き込まれて打開策として自衛隊の治安出動と海上における警備行動を撤回して外交交渉による和平を上山外務大臣に一任する気になっている。その上山外務大臣はカソリックの信者らしくヴァチカンの教皇の言動を重視していてウクライナ情勢でも個人の意見として「これ以上、抵抗を続けて犠牲者を増やすより降伏も選択肢とするべきだ」と発言しながらパレスチナの戦闘ではこれまでの直接の関与を避けて傍観者的にイスラエルとイスラム教の両者の主張を調整してきた外交上の立場を放棄してヨーロッパのキリスト教国に没入している。そのためこれまでのように第三者的に見れば明らかにイスラエルに非がある残虐行為も批判することができず日本は存在意義を喪失している。
「防衛出動ではなく治安出動として不法侵入者、不法占拠者を逮捕し、武器を使用して反抗した者は警察権の行使として制圧しました」「これまでの延長です」「それをマスコミは批判しているんだ」大原防衛大臣の説明を双木官房長官が補足すると石田首相は相変わらず政治資金問題に熱弁を奮い始めたテレビに視線を戻して横顔で返事をした。
双木外務大臣が対応している内閣府記者クラブの記者たちの間では「石田首相が解散に踏み切れないのは選挙区内での有権者の支持率が極端に低く、落選することが現実味を帯びているから我が身を守るためにも選挙を先延ばしにしなければならないのだ」と言われている。広島選出の保守の政治家はソビエト連邦が崩壊しても北方領土の返還は放棄して支援するだけだった元首相や自社さ連立政権を画策しながら政権交代後は野党に加わった元警察官僚など腰が据わっていない変節漢が多いのは同じ理由だろう。
「現時点で韓国側の戦死は78名、負傷37名、捕虜は52名です」「戦争ではないから戦死ではなく死者だろう。捕虜ではなく拘束者だ」「しかし、死因は戦闘になりますが」「それも武力衝突だ」石田首相は大原防衛大臣の反論も横顔で聞いていた。
対馬・万関橋対馬・万関橋
  1. 2024/04/27(土) 15:49:44|
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4月27日・ヴェートーベンが「エリーゼのために」を作曲した。

1810年の4月27日にルートヴィヒ・ヴァン・ヴェートーベンさんがピアノ曲の「エリーゼのために」を作曲したとされています。「エリーゼのために」はヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトさんの「トルコ行進曲」と並んでピアノを習っている子供がバイエルやメトローズなどの練習曲を終えて弾き始める定番曲です。
野僧は保育園児だった頃から小学校の高学年までピアノを習っていましたが家にはピアノがないため保育士の母親の練習用のオルガンを使っていてこの曲を習い始めた頃、先生から「オルガンでは鍵盤の強弱が身につかないからそろそろピアノを買って下さい」と言われて即座に止めさせられました。そのため習いかけで終わったこの曲には小学校の講堂に置いてあるグランドピアノで女子たちに教えられながら練習した哀しくも悔しい思い出が伴っています(タドタドしく弾けるようにはなった)。
また春日基地で幹部候補生では同期でも一般空曹候補学生では1期の大先輩が自宅に招いてくれた時、一緒に行った3期の先輩の同期がリビングにピアノが置いてあるのを見て「奥さんのために」と言って「エリーゼのために」から始まるピアノ曲メドレーを弾いたのです。奥さんは夢見心地でしたが3期の先輩の同期は高校時代にはキーボード奏者としてバンドに参加していたそうで(奥さんのリクエストで昭和フォーク名曲集も演奏した)、野僧もあのまま続けていれば同じような青春時代を満喫できたのでしょう。
「エリーゼのために」は短調の音が細かく揺れ動きながら和音を構成する音を順番に組み合わせることで愛らしい出だし(日本人の大半はこの部分しか聞いていない)と低音が連続する激しい主曲が絡み合う複雑な楽曲になっていますが、主曲とそれ以外の曲の対比が明確なため幅広い鍵盤を弾きこなすためある程度の手の大きさを必要とすること以外は弾くのは比較的容易なのだそうです(小学生の独学では無理があった)。
「エリーゼのために」はヴェートーベンさんが1808年に交響曲第6番(邦題では「田園」)を作曲する上で思い浮かんだ旋律を書き留めていたスケッチ帳の146ページに2行ほどの26小節の主旋律が記されていたのが確認できる最初の記録で(後にこのページは切り取られて現在はベルリン州立博物館に収蔵されている)、1810年になって2枚の紙におそらく2回に分けて全曲が書き上げられましたが、用いている紙は同年6月と8月に初演・発表した曲の楽譜と同じなので記入されている日付通りにこの年の春に作曲したと推定されています。その後、ヴェートーベンさんが作成した発表用の正式な楽譜は紛失してしまい現在は1867年にヴェートーベンさんのドイツ人研究者・ルートヴィヒ・ノールさんが出版した作品集に収録されている楽譜で演奏されています。
「エリーゼのために」はドイツ語の原題も直訳すれば「エリーゼのために(英語ならフォー・エリーゼ)」でヴェートーベンさんがエリーゼと言う女性に捧げた作品と思われますが、その女性については特定されていません。当時、ヴェートーベンさんが結婚を考えていたテレーゼ・マルファッティさんとする説が最有力ですが、「テレーゼをエリーゼに読み間違えた」とする説には無理があり、21世紀になっても新説が続出しています。
  1. 2024/04/26(金) 16:41:09|
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続・振り向けばイエスタディ804

尾浦の海水浴場に上陸した対馬警備隊は上陸用舟艇代わりのAAV7水陸両用強襲輸送車を装甲車にして対馬市内の制圧に向かった。AAV7は水陸両用なので鈍重だと思われがちだが最高速度は72キロで2003年のイラク侵攻の時にアメリカ海兵隊はペルシャ湾から上陸させてバグダッドまで1000キロ以上を自力で走行させている。
「海自の野郎は防衛省の施設だと思って遠慮なしに破壊しやがったな」「多少の修理で使える程度にしてくれると思ってたんですがね」対馬市内でも南側にある対馬駐屯地に着くと駐屯地司令を兼務している対馬警備隊長は目の前の光景に唖然としながら本部中隊長に苦情をぶちまけた。確かに上陸作戦に於いては反撃を根絶するために可能な限り徹底的に敵の戦力を破壊することが基本だが、韓国海軍特殊戦旅団からの派遣部隊が宿営していた駐屯地の隊舎は艦対地ミサイルで体育館から倉庫まで破壊尽くされていて子供の頃に戦争図書で見た空襲の惨劇が再現されているようだった。
「確かに新潟では北朝鮮の兵隊が潜伏している市街地を徹底的に破壊して後片づけを施設群にやらせているがウチの片づけを飯塚と小郡がやってくれるのか」「それはやってもらえそうですが、隊舎が建つまでグランドで野営しなければなりませんね」警備隊長の皮肉を真に受けた本部中隊長の返事にシラケ鳥が「ミジメ、ミジメ」と鳴きながら南の空へ飛んでいった。ちなみに西部方面隊は第5施設団隷下に福岡県の飯塚駐屯地の第2施設群と同県の小郡駐屯地の第9施設群を保有しているがどちらも北海道の第1施設団と同様に新潟の撤去作業には参加していない。
「グランド内でヘリに射殺された韓国兵の遺骸を22体確認できました」そこに衛生小隊長が直属上司の本部中隊長に報告に来た。一緒にいるので本部中隊長が警備隊長に報告する手間は省けるが警備隊本部の各主任たちには別に周知しなければならない、
「ウチの西部航空隊も遠慮しなかったようだな」「残敵掃討と言っていましたから動く物は相手構わず銃撃したんでしょう。山猫じゃあなくて良かったです」今度の本部中隊長の返事で警備隊長は占領していた韓国人たちが捕獲した対馬山猫を剥製にして韓国国内で売っていたことを思い出した。対馬山猫は日本の保護動物なので危害を加えられた経験がなく人間に会っても逃げることはなくなっているので捕獲は容易だったはずだ。むしろ目撃談はあっても学術的な確認例がない頭から尾までの全長が3メートルになる茶一色の対馬大山猫が捕獲されれば大発見だが韓国人では高値で売り出しかねない。
「対馬市内の捜索は順調に進んでいます」続いて第3主任が捜索状況の報告に来た。現在、対馬警備隊は対馬市内を3分割していて駐屯地周辺を本部中隊、佐須川で分割した佐須湾沿いを1から4小隊が捜索しているが海上自衛隊特別警備隊が確認している6カ所の宿営所では移住者が守備隊の銃器と弾薬を奪って反抗する義勇兵は捕縛して投降してきている。こうして迅速に対馬市の制圧が終われば次は下島全域の制圧に移る。
「フェリー・ターミナルの確認が終われば護衛艦を入港させて警務隊と福岡県警機動隊を上陸させましょう。彼らに対馬市内を任せれば我々は全域制圧に移行できます」北半分の上島では山岳地帯への降下で活動を危ぶまれた第1空挺団が流石の精鋭ぶりを発揮して迅速に編成を執ると西部航空隊と航空自衛隊の西部ヘリ空輸隊のCHー47輸送ヘリコプターで空輸してきた高駆動車を使って全島の集落を制圧しつつあるらしい。
「各フェリー・ターミナル、異常ありません。日没前の入港を願います」報告を終えて今後の活動方針を説明している第3主任が肩に提げている無線機が呼び出した。この声は厳原港に並ぶフェリー・ターミナルの捜索を担当している第3小隊長だ。早朝に始まった上陸作戦も自宅の庭のような場所を捜索しながら前進して廃墟と化した駐屯地に愕然としている間に日没を気にする時間帯になっていた。それでも各種文書に資器材から隊員の官品や下宿に置いていた私物品に至るまで全て本土に持って行ったので損害は建物だけだった。ついでに携行食の昼食は間違いなく食べていた。
「了解、海自に連絡するから入港を支援しろ」第3主任は目の前で警備隊長がうなずいたのを見て第3小隊長に指示を与えた。日没後では山と森林が大半の島内を移動することも危険になるので捜索は明日になるが制圧は時間の問題だ。
  1. 2024/04/26(金) 16:39:59|
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最近の古志庵サファリパーク

鹿と猿の群れを筆頭に猪、鴉(カラス)、梟(フクロウ)、蝙蝠(コウモリ)、鼬(イタチ)、穴熊、土竜(モグラ)、ヤモリなどが出没するサファリパーク(佛教的には「鹿野苑」と名乗りたい)の小庵でも動物たちの入れ替わりと新顔登場が起こっています。
先ずは集落全体では100頭を超えていた鹿の大群は秋の熊の出没を受けて小鹿4頭を残して姿を消していましたが年末の冷え込みで「熊が冬眠した」と見たのか野僧が入院している間に戻っていて春になって若草を喰いまくっています。こうなると遭遇するのは困りますが熊に鹿の天敵として気配くらいは現わしてもらいたくなります。
一方、猿の群れは例年には春と秋の彼岸で集落の墓所に参った人が残していった供物を狙って現れるのですが、墓を守っているお婆さんたちが軒並み介護施設に入ってしまったため参る人がいなくなり今年は姿を見せていません。畑も耕作休止になっているので秋に柿が実るまで姿を見せないかも知れません。
ところが猪は例年通りにウリボウが姿を現して耕作放棄している畑の草の根を掘って食べていました。この調子では筍が生え始めると小庵の周りを鼻で掘って一番美味しい土から頭を出す寸前を根こそぎ食べまくりそうです。
鼬は野良猫用の罠に引っ掛かって懲りたのか姿を見せなくなり、穴熊も典座(台所)で野僧が捕獲して市役所に引き渡したので野生動物として山奥に捨てられたまま戻って来ません。土竜は飼い猫が動きの遅い鼠と勘違いして捕まえてきましたが、今年は土竜がミミズなどを探してトンネルを掘る花畑に鹿よけの柵を作ったので猫が入れなくなったようです。
そんな中、今年の春は燕(ツバメ)が庵内の柱に作りかけて放棄していた巣に飛んでくるようになったので期待していたのですが、手は届かないものの飼い猫が近くの梁を歩き回るため中止したようです。さらに黒猫の音子(ねこ)が交通事故で死んでから黒色つながりで餌付けしている鴉夫婦が急速に野僧に慣れて以前は朝の鐘で飛んできても姿が見える間は電信柱の上や電線から下りてこなかったのが、最近は餌を器に入れて玄関に向かうと舞い下りる羽音がして立ち止まって振り返っても嬉しそうに2羽で分け合って食べています。手乗り鴉になるのも遠くないかも知れません。
そして最大の収穫は冬までは夜にしか姿を見せなかった狸が夕方の鐘を合図にまだ明るいうちに来るようになりました。餌は近所の人にもらった犬小屋の中でやっているので狸小屋になるのも近そうです。ところで先日、狸が犬科らしく「ワン」と鳴くのを初めて聞きましたが狂犬病の予防接種を打って鎖でつないでも下関市役所は飼い犬としての登録を受けつけないのでしょうか。一昨夜は庭に座って満月を見上げていました。
狸と言えば先日、一見狸に似た目の周りが黒い変な動物が庵内に侵入しました。その動物は玄関から猫用の通路を抜けて同居人の部屋へ現れたのですが、顔は狸よりも丸顔で異様に肥満体の全身は灰色で尻尾は黒と灰色のストライプでした。奥の納戸に逃げ込んだので同居人が追い出しましたが、明らかに運動不足の鈍い動作から見てペットとして狭いゲージなどで買われていたアライグマが巨大化したので捨てられて迷い込んだようです。
狸・24・4・24
  1. 2024/04/25(木) 16:38:18|
  2. 猫記事
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続・振り向けばイエスタディ803

パタパタパタ・・・、「おッ、アパッチだ。流石に早いものだな」地上で銃閃光を点滅させて発砲している韓国軍守備隊の義勇兵は射撃の技量が高くないらしく空挺隊員たちは射殺されることなく地上に降下している。尤もHK416は特殊部隊用なので銃身が短く命中精度が低い上、義勇兵が徴兵された時には国産のK2小銃を使ったはずなので取り扱いに不慣れなこともある。むしろ降下長が心配したように高い木の枝に引っ掛かる者が続出していた。その間に降下長は艦対地ミサイルで破壊された対馬駐屯地で残敵掃討に当たっている西部航空隊のAHー64に無線で情報を伝達していた。すると数分で姿を現して真横を通り抜けていった。
「そうだッ、その建物の屋上にいる」降下長は地上が近づいて着地地点を選びながら目標の集落に迫ったAHー64にも視線を送り、声援代わりに独り言を呟いた。
AHー64は前席が索敵と照準を担当する射撃手で攻撃時には後席の操縦手から操縦を譲られて位置や方向を自ら修正を加えることもある。今回はすでに義勇兵は屋上から逃走しているので搭載しているポッドのロケット弾で建物を破壊するつもりだ。幸い守備隊が宿営している建物は集落では唯一の鉄筋コンクリート3階建てなので全体が露出している。
スーン、降下長が運悪く山肌の森林の高い木の枝に引っ掛かった時、幾つか隔てた山の稜線越しに乾いた爆発音が響いてきた。すると驚いた鳥の群れがこちらに向かって飛んできた。木の枝にパラシュートが引っ掛かったまま宙吊りになっている降下長は避けようがなく顔の前で腕を合わせて鳥の衝突を防ぐしかなかった。鳥は固い嘴(くちばし)から突っ込んでくるので意外に危険なのだ。
「降下長、大丈夫ですか」「おう、お前たちは無事か」「銃撃を受けましたが命中した奴はいません。ただし、降下長を含めて26名が木に引っ掛かって宙吊りになっています」降下長がパラシュートを外す方法を思案していると下に部下が集まってきて声をかけた。
深い山の高い木は日光が上の方にしか当たらないため枝が張る位置が高く、その枝に引っ掛かると落ちれば3階の窓から程度の衝撃がある。しかも斜面なので上手く空挺式受け身を取れるかは判らない。かと言って下手に暴れれば枝が折れるかパラシュートが外れて心配している事態を自分で発生させることになる。
ノルマンディー上陸作戦の時、「オール・アメリカン」の部隊章で有名な第82空挺師団はナチス・ドイツ軍を陽動するために内陸のサント・メール・エグリーズに降下したが、スティール上等兵は高い聖堂の尖塔にパラシュートが引っ掛かり、部隊が地域を制圧する翌日まで宙吊りのままだった(映画「ロンギスト・デー」でも描かれた)。その歴史を記憶に残すため今でも聖堂には空挺部隊を描いたステンドグラスが3枚あるらしい。
「下りられそうですか」「幹に取りつけられれば何とかなるがな」「パラシュートを広げてトランポリンを作りますからコード(パラシュートの紐)を切って跳び下りてください」「それは良いな」下で声をかけている部内出身の2尉が妙案を口にした。パラシュートの布としての強度は折り紙付きでそれを屈強の空挺隊員たちが力を込めて広げればスポーツ用のトランポリンと遜色がない緩衝性を発揮するはずだ。降下長としてはこのまま宙吊りになっているよりも3階の窓から跳び下りる覚悟でコードを切るつもりだった。
「準備できました。何時でもどうぞ」「斜面はこちら側が下がっていますから転がるならどうぞ」降下長が見下ろしていると一番近くに降下したらしい隊員のパラシュートを持ってきて大きく広げると指揮している2尉以外の隊員が端を持って一辺5メートルほどの四角形を作った。ここに跳び下りるのだ。降下長はコードを切るまでもなく身体に固定しているベルトの留め金を外して落ちるつもりだった。空挺隊員の中には落ちれば確実に死ぬ高度よりも骨折ですんで痛い目に遭う訓練の方が恐怖を感じると言う者もいるが、銃撃を逃れて救われた生命を簡単に捨てることはできない。降下長は首を回して深く息を吸ってから胸の留め金を外してトランポリンの中央へ落ちていった。同時に背中を反らして引っ張っていた隊員たちは前につんのめって2度目は地面だった。
「上島の全集落を制圧しました。我が方に損害なし、敵は死亡12、負傷25、捕虜58」地上で編成を執った空挺部隊はUHー47が空輸してきた車両を使って任務を遂行した。
  1. 2024/04/25(木) 16:35:59|
  2. 夜の連続小説9
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続・振り向けばイエスタディ803

パタパタパタ・・・、「おッ、アパッチだ。流石に早いものだな」地上で銃閃光を点滅させて発砲している韓国軍守備隊の義勇兵は射撃の技量が高くないらしく空挺隊員たちは射殺されることなく地上に降下している。尤もHK416は特殊部隊用なので銃身が短く命中精度が低い上、義勇兵が徴兵された時には国産のK2小銃を使ったはずなので取り扱いに不慣れなこともある。むしろ降下長が心配したように高い木の枝に引っ掛かる者が続出していた。その間に降下長は艦対地ミサイルで破壊された対馬駐屯地で残敵掃討に当たっている西部航空隊のAHー64に無線で情報を伝達していた。すると数分で姿を現して真横を通り抜けていった。
「そうだッ、その建物の屋上にいる」降下長は地上が近づいて着地地点を選びながら目標の集落に迫ったAHー64にも視線を送り、声援代わりに独り言を呟いた。
AHー64は前席が索敵と照準を担当する射撃手で攻撃時には後席の操縦手から操縦を譲られて位置や方向を自ら修正を加えることもある。今回はすでに義勇兵は屋上から逃走しているので搭載しているポッドのロケット弾で建物を破壊するつもりだ。幸い守備隊が宿営している建物は集落では唯一の鉄筋コンクリート3階建てなので全体が露出している。
スーン、降下長が運悪く山肌の森林の高い木の枝に引っ掛かった時、幾つか隔てた山の稜線越しに乾いた爆発音が響いてきた。すると驚いた鳥の群れがこちらに向かって飛んできた。木の枝にパラシュートが引っ掛かったまま宙吊りになっている降下長は避けようがなく顔の前で腕を合わせて鳥の衝突を防ぐしかなかった。鳥は固い嘴(くちばし)から突っ込んでくるので意外に危険なのだ。
「降下長、大丈夫ですか」「おう、お前たちは無事か」「銃撃を受けましたが命中した奴はいません。ただし、降下長を含めて26名が木に引っ掛かって宙吊りになっています」降下長がパラシュートを外す方法を思案していると下に部下が集まってきて声をかけた。
深い山の高い木は日光が上の方にしか当たらないため枝が張る位置が高く、その枝に引っ掛かると落ちれば3階の窓から程度の衝撃がある。しかも斜面なので上手く空挺式受け身を取れるかは判らない。かと言って下手に暴れれば枝が折れるかパラシュートが外れて心配している事態を自分で発生させることになる。
ノルマンディー上陸作戦の時、「オール・アメリカン」の部隊章で有名な第82空挺師団はナチス・ドイツ軍を陽動するために内陸のサント・メール・エグリーズに降下したが、スティール上等兵は高い聖堂の尖塔にパラシュートが引っ掛かり、部隊が地域を制圧する翌日まで宙吊りのままだった(映画「ロンギスト・デー」でも描かれた)。その歴史を記憶に残すため今でも聖堂には空挺部隊を描いたステンドグラスが3枚あるらしい。
「下りられそうですか」「幹に取りつけられれば何とかなるがな」「パラシュートを広げてトランポリンを作りますからコード(パラシュートの紐)を切って跳び下りてください」「それは良いな」下で声をかけている部内出身の2尉が妙案を口にした。パラシュートの布としての強度は折り紙付きでそれを屈強の空挺隊員たちが力を込めて広げればスポーツ用のトランポリンと遜色がない緩衝性を発揮するはずだ。降下長としてはこのまま宙吊りになっているよりも3階の窓から跳び下りる覚悟でコードを切るつもりだった。
「準備できました。何時でもどうぞ」「斜面はこちら側が下がっていますから転がるならどうぞ」降下長が見下ろしていると一番近くに降下したらしい隊員のパラシュートを持ってきて大きく広げると指揮している2尉以外の隊員が端を持って一辺5メートルほどの四角形を作った。ここに跳び下りるのだ。降下長はコードを切るまでもなく身体に固定しているベルトの留め金を外して落ちるつもりだった。空挺隊員の中には落ちれば確実に死ぬ高度よりも骨折ですんで痛い目に遭う訓練の方が恐怖を感じると言う者もいるが、銃撃を逃れて救われた生命を簡単に捨てることはできない。降下長は首を回して深く息を吸ってから胸の留め金を外してトランポリンの中央へ落ちていった。同時に背中を反らして引っ張っていた隊員たちは前につんのめって2度目は地面だった。
「上島の全集落を制圧しました。我が方に損害なし、敵は死亡12、負傷25、捕虜58」地上で編成を執った空挺部隊はUHー47が空輸してきた車両を使って任務を遂行した。
  1. 2024/04/25(木) 16:35:24|
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4月24日・少女漫画雑誌「マーガレット」が創刊された。

昭和38(1963)年の4月24日に少年マガジンを出版していた講談社の「少女フレンド」、少年サンデーの小学館の「少女コミック」と並ぶ少女漫画雑誌「マーガレット」が集英社から発売されました(集英社の「りぼん」は小中学生が対象)。ただし、少年漫画雑誌のような週刊ではなく毎月5日と20日の月2冊=ほぼ隔週の発売でした。
野僧は母親の妹=叔母が岡崎市内に就職したため小学校1年まで社宅の我が家に下宿していて、大のマンガ好きだった叔母が毎回欠かさず買ってくる「マーガレット」を愛読しました。当時、マーガレットには少女漫画のスポーツ根性物語「アタック・ナンバーワン」が連載されていて母親の実家に帰省した時に叔父が買いためていた少年マガジンで読む「巨人の星」や「あしたのジョー」と合わせてスポーツ根性物語の金字塔をアニメよりも前に原作で読んでいました。ただし、「巨人の星」と「あしたのジョー」は梶原一騎先生原作ですが「アタック・ナンバーワン」は原作・作画共に浦野千賀子先生です。
この他にもマーガレットには題名と作者は失念しましたが「アタック・ナンバーワン」と同時進行で水泳(実写ドラマ「金メダルへのターン」とはストーリーが違った)のスポ根作品も連載されていて昭和48(1973)年から昭和50(1975)年にはテニス漫画の「エースをねらえ!」、昭和53(1978)年から昭和55(1980)年までの「第2部=新・エースをねらえ!」もマーガレットでした。
一般的に野僧と同世代の人たちは「アタック・ナンバーワン」を「巨人の星」「あしたのジョー」と同様にアニメで見ているので主人公の鮎原こずえを清く正しく美しくスポーツマン・シップにのっとり、「血の汗流せ、涙を拭くな」の体育会系女子だと思っていますが、原作では転地療養のため東京から富士見学園中等部に転校してきて早々に不良グループとの喧嘩に勝って親分に祭り上げられると体育館の横の空き地でゴーゴーの曲を流して踊りに興じ、それを注意したバレー部に不良グループで勝負を挑んで顧問の教員に才能を見出されたのです。この他にも東京での男性体験を自慢げに語る場面もありました。
そうして野僧は少女漫画でも抵抗なく読むようになったため中学・高校に入ると少年漫画と少女漫画では描いている恋愛の展開が全く違うことに気づき、女子の心理を研究するためには女性の作者の少女漫画を読むべきだと考えて下校時の列車の待ち時間に書店で立ち読みして面白かった単行本を買うようになりました。すると心理を研究するまでもなく2年では「(生徒会の)副会長が少女漫画を立ち読みしていた」、3年になると「会長が少女漫画を買っていた」と女子の間で評判になって少女漫画談議に花が咲くようになってしまいました。その頃、「マーガレット」では前述の「新・エースをねらえ!」、「少女フレンド」は「はいからさんが通る」や「生徒諸君」を連載していて、「新・エースをねらえ!」では宗方仁コーチが死んだ後を引き継いだ桂大悟コーチが永平寺で修行した僧侶で主人公の岡ひろみに坐禅や作務をやらせたため解説を求められました。一方、「はいからさんが通る」では主人公の花村紅緒の婚約者が伊集院忍陸軍少尉だったので軍隊の階級から役職、組織制度や軍服の種類を詳細に説明することになりました。
  1. 2024/04/24(水) 15:34:52|
  2. 日記(暦)
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続・振り向けばイエスタディ802

パパパーン、「何だ」「5.56ミリNATO弾ですね」その時、海水浴場から尾浦の集落に向かう海岸線の道路の先から短連射の銃声が聞こえてきた。本部中隊長は上陸すると尾浦の集落に情報小隊の斥候を出したので敵と遭遇したのかも知れない。しかし、陸上自衛隊の斥候は銃声で存在を暴露することになる発砲は極力避けるのが基本だ。発砲するのは至近距離で敵と遭遇した場合だが斥候のプロの情報小隊員にはあり得ない。
「韓国軍が持っているらしいHK416も5.56ミリNATO弾ですからどちらが発砲したのか判りません」「そうだな・・・どちらにても警戒を厳にしろ」「わかりました」警備隊長の指示を受けて本部中隊長は手に持っている小型無線で砂浜でゴムボートを待っている隊員たちに伝えた。とは言え砂浜の隊員たちにも銃声は聞こえたので分隊長の指揮で膝射ちの姿勢になって銃口を周囲に向けていた。
「ホンチュー01、こちらレコン02、送れ」「こちらホンチュー01、送れ」そこに斥候から本部中隊長に無線連絡が入った。銃声が聞こえてからやや間が空いているのは敵からの攻撃を受ける危険性が継続していたのかも知れない。
「こちらレコン02、道路脇の階段を登って志々岐神社を確認したところ境内からゴムボートを狙っている敵2名を発見しました。すでに射程内に入っているようなので独断で発砲して射殺しました」「だから短連射だったんだな」「はい、2名を同時に射殺しました。その後、境内を捜索して他に敵がいないことが確認できたので報告しました」「わかった。ご苦労」これで状況は判った。海上自衛隊特別警備隊の斥候によると対馬を占領している韓国軍守備隊では正規軍の海軍特殊戦旅団は言うまでもなく難敵だが、案内人として動員された移住者は敵対意識が希薄なのに対して対馬奪還に興奮して志願してきた義勇兵は士気が高く遭遇すれば間違いなく戦闘になると説明を受けている。狙撃するだけの技量を有するのはおそらく義勇兵だろう。
「レコン01、こちらホンチュー01、貴官たちの任務を斥候から偵察に変更する。したがって敵に遭遇すれば即座に発砲せよ」「それは威力偵察ではなくて会敵戦闘ですね」「その通り」本部中隊長の指示に斥候長はプロらしい確認をしてきた。
威力偵察は強行偵察とも言うが敵の存在や規模、行動を確認するためにあえて存在を暴露して攻撃させ、挑発的に武器を使用して反撃を誘う手法を指す。当然、敵を壊滅させることが目的ではないので武器の使用は限定される。
「ゴムボート第1陣、着岸しました。人員器材異常なし。直ちにしんしゅう丸に引き返して第2陣を運びます」「了解」本部中隊長が情報小隊先任陸曹の斥候長に指示を与え終わると無線機の通話を途切れさせる暇(いとま)もなく海岸から報告が入った。斥候が先制的に銃撃を加えなければ数隻のゴムボートは命中弾を受けて沖で沈没していたはずだ。乗員たちは完全武装の上に防弾チョッキと救命胴衣を重ね着しているので半長靴では泳ぎが妨げられ、浮力も十分には確保できなかった。かなりの者が溺れたはずだ。
「やばいなァ、大半の奴が木に引っ掛かっかるぞ。椎茸畑があるって言っても森の中じゃあないか」最後に飛び出した降下長はパラシュートが開いて落下速度が落ちると先に下りた隊員たちが山岳地帯に流されていくのを見て独り言を呟いた。
今日はこの空域には珍しく無風に近い降下日和だが地図上の確認では一面に椎茸畑が広がっているはずの上島は全面が森林に覆われていて着地する前にバラシュートや紐(コード)が枝に引っ掛かるのは間違いない。引っ掛かり方と位置によっては高い枝から落ちるような形になり、負傷を免れられないはずだ。
「あッ、銃閃光だ。やはり攻撃してくる義勇兵が配置されているんだな」さらに高度が下がってくると市街地の建物の屋上でオレンジ色の閃光が点滅したのが見えてきた。空挺隊員にとっても最も恐ろしい銃撃が加えられたのだ。
「蒼より青き大空」を降下中は身を隠す場所や手段がなく着地時の衝撃を軽減するため防弾チョッキを着用することもできない。つまり降下してくる標的にならざるを得ないのだ。1983年10月25日のグレナダ侵攻でアメリカ軍は空挺部隊を本格投入したが、地上からの銃撃によって想定外の犠牲を払うことになった。
  1. 2024/04/24(水) 15:33:18|
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4月24日・国鉄の順法闘争に首都圏国電暴動事件が生起した。

昭和48(1973)年の明日4月24日に国鉄労働組合=国労と国鉄動力車労働組合=動労(機関士の労働組合)が執拗に繰り広げる順法闘争に怒髪天を突いた利用者たちが首都圏の駅を占拠して施設や列車などを破壊した首都圏国電暴動事件が生起しました。
順法闘争と言うのは前年の春闘で線路が錆びるほど長期間にわたって列車の運行を停止させたストライキで国民の批判を浴びた国労と動労が昭和48(1978)年の春闘で採用したスト戦術で、これまでのストライキのように列車の運行を停止するのではなく運転安全規範などの法令を例えば運転士が線路上に鳥や小動物を見つければ「障害物を発見した」と事故防止の名目で緊急停止させ、カーブでは安全基準以上に大幅に減速する。保線員も必要性が不明な点検・修理を繰り返すなど殊更に厳格に順守することによって列車の運行に遅滞や混乱を発生させる姑息なものでした。しかし、通常のストであれば不可抗力に通勤不能になるため企業も社員に有給休暇などの処置を講じますが順法闘争では列車は運行しているため出勤停止にできず、それでいて社員は出勤・帰宅ともに遅延することになり通常のスト以上の不満と鬱憤を溜め込むことになりました。
そんな怒りに最初に火が点いたのは3月13日朝の高崎線の上尾駅などの数駅で順法闘争を原因とする運行ダイヤの乱れに怒った通勤客が暴れて駅の施設や列車を破壊したのです。この事件を受けて動労側も順法闘争を中止しましたが、労使交渉が一向に進展しないと4月に入って再開したため首都圏の列車の運行は大混乱しました。
さらに4月24日になると4月27日からの私鉄やバスを含めた交通ゼネストの先導を気取って順法闘争を強化したため出勤時間にも列車は大混乱していて通勤客たちが駅員に詰め寄る光景が各駅で頻発しました。それは終日続いて帰宅時間になると大宮駅では高崎線や東北線が60分から90分遅延して駅のホームや改札口、構内には列車を待つ帰宅客が溢れ、やがて一部の帰宅客が駅長室に乱入・占拠したのです。
この時は埼玉県警に警備出動を要請するのと並行して東武野田線やバスで帰宅の足を提供して鎮めましたが、赤羽駅でも高崎線と東北線が到着しないことに怒った帰宅客たちが騒ぎ始めて、定刻であれば午後7時35分に上野駅を出発する急行・津軽1号を「宇都宮駅まで各駅停車の普通列車扱いにする」と言う構内案内が午後8時過ぎになって流れた上、到着すると超満員で待ちかねていた帰宅客たちが乗車する余地はありませんでした。
これを切っ掛けに暴徒化した帰宅客たちが列車を手で押して揺らしながらガラスを割って運行不能になり、駅は京浜東北線への乗り替えを案内しましたが肝心の京浜東北線も信号機故障で運行停止になっていました。この暴動は上り列車の乗客の口コミで山の手線に波及して上野駅でも発車しない列車に痺れを切らした乗客が投石を始め、新宿駅では2万人及ぶ暴徒が駅を占拠して列車や施設を破壊しただけでなく放火に及び、それは渋谷駅、秋葉原駅、有楽町駅など38駅に広がり、警視庁機動隊でも鎮圧できずに翌日の午前7時まで騒乱は続きました。都内の病院では負傷者を乗せた救急車が長蛇の列を作りましたが、それでも国労と動労は首都圏以外では順法闘争を継続しました。
  1. 2024/04/23(火) 15:19:22|
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続・振り向けばイエスタディ801

「ジャンプ・スタンバイ」Cー130輸送機の機内では気圧差で空気が噴き出していく開放した側面ドアの前で空中輸送員=ロードマスターが降下長=アメリカ軍ではジャンプ・マスターにヘッドセットで受けたパイロットの指示を伝えた。
航空自衛隊は空挺部隊を搭乗させたCー130を飛行させるに当たり入間基地のECー1電子戦機を派遣して事前に韓国空軍の警戒レーダーに目潰しを加えようとしたが、統合幕僚監部はこの空域を熟知している海上自衛隊岩国航空基地のEPー3電子戦データ収集機に命じた。さらに潜入したまま監視を続けている海上自衛隊特別警備隊の斥候から「韓国海軍特殊戦旅団は対馬駐屯地から出ていない」と言う報告を受けて艦対地ミサイルを撃ち込んだ上、陸上自衛隊目達原駐屯地のAHー64対戦車ヘリコプターで残敵掃討して万全を期した。そのため対馬を南北に縦断して降下させることができる。
「降下よーい(用意)」「降下よーい」「降下よーい」・・・続いて降下長は10分前にハンモック式の座席から立ち上がって整列させていた隊員たちに降下準備を指示すると先ほどは装具を点検して「異常なし」と申し送ってきたのとは逆流で開傘フックを掛けたワイヤーを糸電話にしたように申し送っていった。
「降下5秒前」ロードマスターはドアの壁に両手を掛けて降下を準備している1番員と開傘フックの紐を掴んでいる降下長に掌の前に広げた指5本を示し、1本ずつ折って秒読みしていく。それに合わせて1番員は「コースよし、コースよし、よーい、よーい、よーい」と唱和しながら「降下」と叫んで飛び出した。後は1秒間隔で1人ずつ「降下」と言う叫び声を残して飛び出していく。アメリカ軍はこの時、「ジェロニモ」とアパッチ族の英雄(酋長ではない)の名前を絶叫するらしい。
降下していく隊員たちは「1こーか(降下)、2こーか、3こーか」と数えながら4秒後の開傘を待つが、パラシュートが開かずに細長く引きながら落下していくことを「狼煙(のろし)を上げる」と呼んでいる。アメリカ軍の空挺部隊には目の前を落下していく師団長の狼煙=パラシュートを咄嗟に鷲掴みにして命を救った兵隊の伝説(=実話らしい)があるが、体重に武器と装具を加えればかなりの重量になるので奇跡に近い。
「何とか北の端(はずれ)に着地できそうだな。低速飛行お見事でした」全員の降下を見届けた降下長は自分の開傘フックの紐をロードマスターに頼むと軽口を叩いた後、「降下」と叫んで飛び出していった。同時にCー130は対馬と釜山の中間に引かれている日韓のADIZを破らないように急旋回した。それを聞いていたロードマスターはドアを閉めるのは後回しにして機体の突起物にしがみついていた。
「着岸、上陸」同じ頃、下島の尾浦海水浴場では陸上自衛隊の新鋭輸送船=上陸強襲艦・しんしゅう丸から水陸両用強襲輸送車・AAV7が海岸に着上陸していた。ただし、AAV7の保有数は10両に満たないので後続部隊はゴムボートになる。
アメリカ軍のような上陸強襲艦があればホバークラフトの上陸強襲艇を使えるのだが予算が追い付かない。しんしゅう丸は帝国陸軍の船舶科の暁部隊が建造・運用していた特殊船=元祖上陸強襲艦・神州丸の名称を踏襲している。陸軍は大正から昭和初期の軍縮ムードの予算の奪い合いの中で軍用艦を建造することが海軍を利すると懸念して民間の船舶会社に管理と運行を委託したから商船のような名前を付けたのだった。
「長崎では水機連隊と一緒に上陸訓練に励みましたから成果が出ていますね」「本来は島で迎え討つ守備隊だから戦術が違うんだがな」「得意の山岳戦闘ですか」尾浦海水浴場に上陸して後続のゴムボートの到着を待ちながら対馬警備隊長は本部中長と雑談を交わした。ただし、山岳戦闘と言っても対馬は台地状の島なので標高差はあまりない。
日韓の武力衝突が激化すると北端の航空自衛隊海栗島分屯基地が襲撃を受けて対馬市長が全島民の避難を決断した。すると西部方面隊は「350名の隊員を島民不在の対馬の領土を守るための人柱にはできない」と対馬警備隊を第1・第2水上機動連隊が所在する相浦駐屯地に撤退させた。以来、対馬警備隊は「対馬奪還」を合言葉にして水上機動連隊と共に上陸強襲訓練に明け暮れてきた。その成果は五島列島の中通島への上陸で一部発揮されたが「今回こそが本番」と言う心意気で全隊員が臨んでいる。
  1. 2024/04/23(火) 15:18:08|
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4月23日・大型航空母艦の建造が中止されて「提督たちの反乱」が起きた。

第2次世界大戦後の1947年にアメリカは陸軍航空軍を分離独立させて空軍を新設したのと同時に陸海軍省に空軍省を統合した国防総省(現在も国防総省内には陸海空軍省が存在する=海兵隊は海軍省が統括している)や国家安全保障会議、中央情報局(CIA)を創設しました。ところが新たな国防態勢の中で海軍の空母機動艦隊と空軍の核兵器を搭載した戦略爆撃機のどちらを国家戦略の主体にするのかを巡って激しい論戦になり、1949年4月18日に起工していた大型航空母艦・ユナイテッド・ステーツの建造が明日4月23日に中止になったため「提督たちの反乱」と呼ばれる内部抗争に発展したのです。
ヨーロッパの主要国では第1次世界大戦において初陣を飾った航空戦力が航空機の発達によって急激に拡大することを見越して独立した空軍を創設したのに対して第1次世界大戦は対岸の火事に過ぎなかったアメリカではUボートに撃沈されたイギリスの豪華客船・ルシタニアでアメリカ人乗客128人が死亡したことを理由に参戦したこと自体をウィルスソン政権の策謀とする声が起こっていて空軍の新設などは論外でした。そんなアメリカ陸軍航空軍はようやく参戦した第2次世界大戦と対日戦争において国際戦争法に空戦条約がないことを利用して空軍独立を実現しようとナチス・ドイツや日本の都市部への無差別爆撃や原爆投下を実施したのです。一方、海軍にとっては分離独立した空軍と言っても陸軍の分派に過ぎず、戦果においても航空母艦機動部隊の確立・発展によって航空打撃力を発揮しているので空軍の必要性などは認めていませんでした。実際、太平洋戦線においては戦略爆撃機・Bー29が導入されるまで陸軍航空軍は日本本土に手が届かず、それも海軍がマリアナ諸島を攻略してようやく日本本土の都市空襲が可能になったのでした。
つまり空軍の戦略爆撃機では航続距離と言う制約があって全世界への支配権は確立できず、当時の新鋭爆撃機・B―36もレシプロのプロペラ機だったためジェット戦闘機には歯が立たないことは明らかで海軍の主張に理がありました(朝鮮戦争ではBー29爆撃機がソビエト連邦製のミグ15ジェット戦闘機に落としまくられた)。これに対して空軍・陸軍連合軍は国防長官を抱き込む政治的策略を巡らすとかつて海軍が空軍の戦略爆撃機の弱点をマスコミに暴露したのに倣って空母戦力拡張計画の問題点を広報しました。そんな中、国防長官が航空母艦・ユナイテッド・ステーツの建造を中止させたのです。
その後、海軍の将官=提督たちが次々に個人資格で国家戦略を巡る見解を発表し(今回も空軍の戦略爆撃機の弱点が中心)、さらに空軍と軍需産業、国防長官を含む国防総省高官との癒着を暴露して辞任すると議会が介入して統合運用に関する勧告が多数与えられて寄せ集めだった国防総省の機能の強化が図られました。折から勃発した朝鮮戦争では地上戦が主体だったため新型戦略爆撃機と空母機動艦隊の出番はありませんでした。
ユナイテッド・ステーツは完成していればガスタービン・エンジンとは言え基準排水トン数65000トン(75700トン)、全長331メートル(342メートル)、最大幅60.1メートル(77.7メートル)、搭載機数は推定で90から100機(84機)の()内の原子力空母・エンター・プライズと遜色がない巨艦でした。
  1. 2024/04/22(月) 15:31:51|
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続・振り向けばイエスタディ800

「げッ、攻撃が始まった」数日後、本土との連絡フェリーの停泊港がある厳原地区に陸上自衛隊のヘリコプターの編隊が襲来した。それに先立って対馬市内でも南部の対馬駐屯地付近に海上からミサイルが数発射ち込まれて爆発音が響き、小さな閃光や振動と共に黒煙が上がった。厳原地区に配置されている守備隊の隊員たちは港が見渡せる2階のベランダに出て状況を確認した。ただし、この建物も韓国軍の守備隊が宿営地にしていることは潜入した海上自衛隊特別警備隊の斥候が確認している。
「UHー1が1、2、3・・・9機にCHー47が4機、どうやら厳原(いづはら)港に降りるらしいな。特殊戦旅団は何故攻撃しないんだ。しなくても良いけど・・・」対馬では対馬空港に到着した韓国海軍特殊戦旅団が守備隊を名乗るようになると残留した移住者たちも遅れて渡航してきた義勇兵と一緒に編入された。ところが若い義勇兵たちは徴兵の経験がある上、ゲームやネット番組で日常的に軍事知識に触れているが日本人の家庭ではそのような禍々しい話題は嫌われるので無知に等しかった。そのため島内の案内の任務を果たす一方で新兵としての訓練と座学に明け暮れることになっていた。
「だったらこのまま捕まった方が良いな。世界最強の特殊戦旅団と言っても47名じゃあ山猫軍団には敵わないはずだ」「それに食料が届かないようじゃあ長続きはしないよ」移住者たちは当初こそ島内でも裕福な豪邸に押し入って置いてあった金品資産を強奪して韓国で売り捌いて金を稼いでいたが北海道に続いて新潟でもロシア軍が敗退すると海上自衛隊の護衛艦と海上保安庁の巡視船が対馬周辺に出没するようになって韓国船の日本の領海内への立ち入りを阻止するようになった。さらにその時期には島内に残してあった食料や田畑の収穫を食べ尽くして飢えるようになった。
そんな窮状に救いの手を差し伸べたのが在日の南北半島人の漁民たちだったが南の民団に所属している人間は「無理せずに降伏しろ」と勧めるが、北の総連の人間は「新潟で殺された同胞の恨みを晴らせ」「後の続いてお前も死ね」とけしかけてくる。どうやら対馬への移住者たちが南の出身であることを理解していないらしい。それにしても「怨」の精神文化は南北で共有しているはずだが南の方が損得の計算が働くようになっているのは自由主義社会だからかも知れない。
守備隊の移住者たちが降伏の相談を始めた頃、厳原港の波止場に着陸したUHー1多用途ヘリコプターから下りた1個分隊の隊員たちは周囲を警戒しながら離陸を見送った。そしてCHー47輸送ヘリコプターが下に吊ったまま着地させた高機動車に1名が駆け寄ると空中輸送員がフックとワイヤーを外すのを待って発進させた。
「ハンドハラ、降伏せよ」「ジョオハンイョングホン・ギョエグハンダ、抵抗すれば攻撃する」高機動車はハンドマイクで韓国語と日本語で交互に呼びかけながら勝手知ったる市街地を進行する。UHー1Jの最大搭乗者数は正副パイロット以外に11名なので1機当たり1個分隊、9機なら2個小隊=1個中隊で厳原地区を制圧するようだ。
「動くな、銃を置け」「鉄砲は持っていません。僕たちを保護して下さい」海上自衛隊特別警備隊の斥候が確認した厳原地区の守備隊宿営地に近づくと似合わない迷彩服を着た5人の中年男性が歩いてきた。5人とも手を上げずに掌を前に突き出している。
日本では「万歳」をする時に掌を内側に向けないと「降参」を意味すると指導される程両手を上げて降伏することは定着しているが韓国ではそれ程でもないらしい。その前に昔は選挙の当選祝賀で万歳三唱する時、候補者と妻は神妙に頭を下げたものだが最近は満面の笑顔で一緒に両手を上げているのは何故だろう。
「武器はどうした」道路上に伏せさせて身体検査をすると投降した中年男性たちは本当に丸腰だった。これには激烈な士気と冷徹な覚悟を以って乗り込んできた先遣隊の分隊長も呆気に取られてしまった。そこで最年長の男性に日本語で質問してみた。
「あの鉄砲は韓国海軍の特殊部隊が持ち込んで配ったんです。それでも数が足りないので外を見回りに行く人間だけが持つようにしていました。ところが何日か前から見回りに行った人間が行方不明になって鉄砲も一緒になくなりました」「なるほど」その時、上空を掠めるようにCー130輸送機が通過していった。上島への空挺降下だ。
  1. 2024/04/22(月) 15:30:40|
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国益を損なう上川陽子外務大臣のパレスチナ情勢への対応

西側諸国の絶大な支援を後押しにしたウクライナ軍の反転攻勢を受けてロシア軍が撤退・敗走寸前まで追い詰められていた形勢を逆転させるために共産党中国がエルサレム・ガザ地区の中国系企業に商品に紛れ込ませて運び込んだ部品を現地工場で組み立てた多数の弾道ミサイルによって開戦したイスラエルとハマスの戦争は首謀者の目的を達成しつつありますが毎度の如く展開によって旧ソビエト連邦製の兵器を更新している世界最大の武器商人でもある共産党中国に莫大な収入を与えていることになりそうです。
現在、中東の紛争については第3者の立場で見ると明らかにイスラエルに非があります。ヨーロッパ諸国とアメリカが批判しているハマスの人質をしてもイスラエルは女性や子供を含むパレスチナ人文民を交換に刑務所から釈放しています。戦闘についてもイスラエルは非政府組織であるハマスの支持者を敵対者として武器を手に取らなくても攻撃対象にして事実上の無差別殺傷を繰り返しています。さらに国際連合の人道支援物資の搬入を阻害して戦国時代の羽柴秀吉の城攻めのような干し殺し、餓(かつ)え殺しを再現しているかのようです。これらは明白な戦争法違反であり、規模から言えば国際法廷で有罪が確定した旧ユーゴスラビアのスレブレニツァの大虐殺の犠牲者8000人を超えていてジェノサイド=集団殺害と断じても間違いないではないでしょう。
これについては西側ヨーロッパでも列強ではなかった中小の国は批判していますがドイツは「ナチス・ドイツが行ったジェノサイド=ユダヤ人大量虐殺を償う義務がある」とイスラエルへの支援を維持することを表明し、イギリスとフランスも「イスラエルを建国させた責任上、防衛には協力しなければならない」と戦争の本質が何であってもイスラエルに加担することを明言しています。
そして今回、4月1日にイスラエルがシリアの首都ダマスカスにあるイラン大使館を空爆してイランの国防軍である革命防衛隊のコッズ司令官以下7名の軍人と文民6名を殺害した報復としてイランが大量の爆装した無人機を発進させると「外交関係に関するウィーン条約」を破る戦争犯罪を行った加害者の立場もわきまえず報復しました。確かにユダヤ教とイスラム教は人間に対して創造主・ヤファウェとアッラーに対する罪を懲罰=報復する義務を課していますから必然的に報復合戦になるのです。
これまでの日本はイスラエルとは日独伊三国同盟を結んでいてもユダヤ人虐殺には与せずにシベリア鉄道で満州に逃れてきた数万人のユダヤ人を樋口季一郎中将の日本陸軍が上海まで送り届けた史実があり、イランともイギリスからの独立時、イギリス資本の石油施設を国有化したことへの報復としてペルシャ湾を海上封鎖されている中、出光丸が突破して石油を満載して帰った史実でどちらも日本に対して格別の親近感を抱いているためヨーロッパ諸国とは距離を置いて傍観者的立場を採り、時にはイスラム圏の代弁者としてヨーロッパに対して苦言を呈して来ました。ところが上川陽子外務大臣はカソリックの信者らしくヨーロッパのキリスト教国に同調してイスラエルに偏った言動を繰り返しています。これでは宗教戦争を止める第3者としての存在意義を放棄したのも同然です。
  1. 2024/04/21(日) 15:19:09|
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続・振り向けばイエスタディ799

「対馬を奪還する前に攻撃を加えなければなりません。そうなると当然、市街地や家屋に損害が及びます」数日後、陸の西部方面隊、海の佐世保地方隊、空の西部航空方面隊の幕僚たちが長崎市内の県の施設に移設されている対馬市役所に市長を訪ねた。
対馬の全周から潜入した海上自衛隊特別警備隊の斥候の報告では韓国海軍の特殊戦旅団は1個小隊程度が対馬駐屯地に駐留しているだけで各地区の守備隊は日本人女性と結婚した移住者と対馬奪還に歓喜した韓国南部からの義勇兵にHK416を配って編成されていることが判った。その守備隊も空域・海上封鎖による兵糧攻めが長期化しているのを見かねた日本本土の在日半島人の漁民が食料を瀬渡しして、その中に入っていた酒で酔い潰れて機能停止していた。したがって携帯式の地対空誘導弾や地対艦誘導弾を保有しているとすれば対馬駐屯地の特殊戦旅団だけで北半分の上島に降下すれば大した抵抗を受けることなく制圧は可能なはずだ。
「いよいよ奪還作戦ですか。我が島を海と空の自衛隊が封鎖すると言うお話を聞いた時から覚悟はしています。それでも新潟の市街地のような惨状になると島を捨てる島民が続出しそうで心配しています」対馬から避難した島民は県職員や学校教員が自衛隊による武力行使に反対している長崎県が受け入れを放棄したため九州、四国、中国地方の過疎地域に分散移住している。対馬市としては各地域の休耕地を借りて農業を再開している島民たちがそのまま定着してしまうことを危惧して島民同士の交流会などを企画しているが土を耕して種を蒔き、育てて収穫することが2回以上繰り返されると今の耕作地に対して愛着が湧くのはどうしようもない。そのため最近は菩提寺の住職や鎮守の神主たちに移住先を巡回させて祖先や郷土を守る意識を啓蒙してもらっている。
「新潟はロシア正規軍の機械化部隊が北朝鮮軍の歩兵を動員して占領していましたから攻撃にも相手を圧倒する火力を加える必要がありました。しかし、対馬は海軍の特殊戦旅団の1個小隊、50名弱以外は移住者と義勇兵ですからすでに特定している宿舎と陣地を破壊するだけです」「それでも韓国は徴兵制なので軍隊経験者ですが大丈夫ですか」「最近の韓国軍はインターネットによる内部告発が常態化していて規律は自衛隊よりも甘いようです」対馬市長の鋭い指摘には陸上の幕領が答えた。
かつての韓国軍は演習中に泥沼で擱座した戦車を周囲の同僚が状況を中断して救助することを禁じたため埋没して乗員4名が死亡した事故があったが、日本以上のインターネットとスマートホンの普及によって内部告発が常態化した上、「軍の民主化」と称する弱体化を進めていた左傾政権が保守派将校の一掃に利用したため軍の規律は緩み切ってしまい悲壮な覚悟で臨んでいた徴兵制度も高校の合宿所を経験している兵士にとっては単なる延長・再開に過ぎなくなっているようだ。
「それで何日くらいかかりそうですか」「先ず艦対地ミサイルで万関橋を破壊して南北の通行を遮断して攻撃ヘリで陣地を破壊、次に第1空挺団を上島に降下させて占領します。続いて対馬警備隊の先遣隊をヘリで下島に空輸して韓国軍と交戦、その間に水上機動連隊で主力を投入して奪還すると言うシナリオになっています」「そんなことを私に言っても良いんですか。重大な軍事秘密でしょう」対馬市長としては奪還に掛かる日数を確認して素人なりに島内で繰り広げられる戦闘の規模を推定するつもりだったのだが陸上の幕領は詳細に作戦計画を説明した。
「市長だからあえてお話ししました。あの時の英断があったから島民を人質にされることなく我々も冷静に対処できました」「何よりも市長の対応を北海道知事や新潟県知事が踏襲して上陸が予想される地域からの住民の避難を先行的に実施してくれたから我々も攻撃に専念することができました」「この武力紛争に勝利することができれば市長は最高の功労者です」「石田政権では評価されないだろうけどね」陸海空の幕領が代わる代わる日韓の武力衝突の緒戦の段階で全島民の避難を決断した対馬市長を賞賛したが石田政権に対する不信感で応えた。それには幕僚たちも内心では同感だった。
「空挺団には無事に陸地に降りられますように。山猫軍団には無事に再会できることを願っているとお伝え下さい」対馬市長の言葉に幕僚たちは手を差し出して固く握手した。
  1. 2024/04/21(日) 15:17:37|
  2. 夜の連続小説9
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次の韓国は文在寅以上の反日政権になるようだ。

現在の日本では韓国を対岸の不動の隣国であり、神話の天孫降臨は皇室が朝鮮半島から渡来したことを物語っていると解釈し、朝日新聞が主導するマスコミや学校教育では本来は朝鮮王朝からの委託だった統治を植民地支配と史実に反する罪科として自虐していますが、その対岸の隣国では4月10日に4年に1度の総選挙が実施されて3年半前の尹錫悦大統領の就任時と何ら変わらぬ国民の反日意識を明確に証明する選挙結果が出ました。
今回の総選挙結果は300議席の改選の内、尹政権の与党である「国民の力」は系列当選者を加えても114議席で逆に野党の「共に民主党」が系列当選者を加えると156議席と圧勝、さらに文政権下で相次いだ全国の裁判所の反日的判決を指揮した法務部長官の「祖国革新党」も12議席を獲得したのです。
日本では前任の文在寅大統領が保守本流の安倍晋三首相を敵視して海軍の最新鋭駆逐艦・広開土大王に艦隊空ミサイルの火器管制装置を照射させるほど深刻な事態に陥っていた後に登場した尹大統領の常識的な言動に過剰に期待して「韓国の国是が日韓を対岸の同盟関係に戻った」と誤解し、安倍政権の外務大臣として何一つ実行されない日韓合意を成立させたことを外交実績と誇示する岸田首相も同調して膝を屈して擦り寄っています。
しかし、尹大統領は文大統領が後継者を1人に絞り切れなかった「敵失」の結果、3分の1の得票率で当選したに過ぎず政権基盤は当初から脆弱で、反日に塗り固められた国民の意識に変化はなく今回の選挙の結果は任期満了を前に次の政権が国民の支持を集める「反日」を前面に押し出してくることの予告になりました。
日本では尹政権はアメリカや日本との友好関係を再生させたため経済的交流も活発化して景気も回復してきていると思い込んでいますが日本のバブル景気が崩壊して以降、韓国の経済は完全に中国に依存しているので親中を受け入れない政権には制裁的経済処置が加えられ、5年間での回復は困難なようです。
日本はイギリス式の議院内閣制なので与野党逆転の捻じれ状態の政治態勢は中々理解できませんが、国民が大統領を直接選ぶ国家においては立法府の国会に行政府の長の大統領を監視する機能を期待して与野党逆転にしていることは珍しくありませんが、基本的には政権と議会の多数派=与党が一致するのが自然な状態ではあります。
問題なのは今回の選挙結果が尹大統領の当選時と比率に変化がなく韓国の国民の「反日・反米・親中・臣従金王朝」の政治意識が固定化されていて1年半後の大統領選挙では間違いなく現在の野党が与党になることです。
ところが朝日新聞が主導する日本のマスコミは「隣国を仮想敵国とする国際常識」は伏せて「対岸の韓国とは兄弟のように友好でなければならない」と啓蒙し、「日本は韓国を植民地支配した」と贖罪意識を国民に課しているのです。そのため全斗煥政権以降の反日的政策を糊塗して「市民レベルの友好」を提唱しながら韓流ドラマやKポップのブーム化で主婦層や若者を日本以上に韓国を愛するように洗脳した成果なのか現在も西日本各地のデパートでは韓国物産展、県立や市立の博物館では朝鮮文化展が大盛況です。
  1. 2024/04/20(土) 15:48:40|
  2. 時事阿呆談
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続・振り向けばイエスタディ798

「陸の斥候ならひたすら息を潜めているんでしょうね」「存在の秘匿が原則だからな」2人を射殺した斥候は荷物を載せたボディ・ボードを引いて砂地の足跡を消しながら藪に駆け込むとウェット・スーツを脱いで半長靴を履き、武装を整えた。続いてボディ・ボードを藪の奥に隠すと海岸につながっている狭い道に向かった。
海上自衛隊の特別警備隊は1999年3月23日の能登半島沖不審船事件で初めて海上における警備行動を経験した海上自衛隊が不審船を臨検する専門要員を育成・確保する必要性を痛感して2001年に創設した。一般的には「アメリカ海軍のネービー・シールズを縮小・模倣した」と言われているが準備段階ではイギリス海兵隊を参考にした。そのため敵の存在や活動の兆候を探す陸軍式ではなく敵の勢力圏に潜入する海兵隊の斥候の戦闘的会敵対処を採用している。
「やはりヘッケラー・ウント・コック416だったな」「そうなると我々と同じ海軍の特殊部隊と言うことになりますが、ここまで簡単に射殺されると言うのは少し気が緩んでいませんか」波打ち際に斃れている遺骸までは足跡を踏んで接近した。遺骸の周囲は波が洗っているので自由に歩き回れる。先ず斥候長が暗視眼鏡で2人が肩に吊っている小銃を確認した。ヘッケラー・ウント・コックとはHKと頭文字にされているドイツ語の会社名だ。赤外線ビームを照射すれば刻印されている文字まで読めるのだが、このビームはかなり遠距離でも暗視眼鏡に探知されてしまう。
「酒の匂いがするな。対馬にはまだ酒があるのか」「そう言えばPー1の搭乗員の友人から聞いた話ですけど本土の在日半島人の漁民が沖で物資を瀬渡ししているのを見たことがあるそうです」「瀬渡しが好きな国民だな」「全くです」続いて斥候長は背中を射たれて仰向けに倒れている迷彩服の襟には下士(3曹)の階級章が縫い付けてある兵員の顔を注視するとかがんで臭いを嗅いだ。
加倍政権当時、韓国海軍の最新鋭駆逐艦・広開土大王が日本海の中央部で海上自衛隊のPー1に艦隊空ミサイルの火器管制装置を照射したのは前政権が北朝鮮の王室への貢ぎ物として国際連合が輸出を禁止している贅沢品を軍用艦で北朝鮮の漁船に偽装した貨物船に瀬渡ししていたためだと言われている。瀬渡し程度は全国の都市部で暴動を続発させた在日中国人に比べれば可愛いものだがバブル崩壊後も都会志向が改まることがない日本の若者に代わって田舎での肉体労働に従事してくれている中国系や半島系の若者たちが今回は敵対行為を働いてくれたようだ。
「この2人が戻らなければ仲間が探しに来るでしょう。海に沈めますか」「これから干潮になる。沖の方に沈めれば連れ去ってくれるが浅瀬では取り残される。取り敢えずやろう」斥候の意見を斥候長が承認すると斥候が両足を脇に抱えて斥候長が両脇に腕を差し入れて腰まで水につかって海中に沈めた。もう1人の兵長(士長)の階級章の兵員も同様に処理した。これで仮に海水が連れ去らなくても朝までは隠蔽できるはずだ。
「それではドローンを飛ばして下さい」斥候長は対馬市内の兵舎になっているらしい住居を見つけると秘匿電話で護衛艦に位置を指定した。今回の斥候の最大の眼目は占領部隊が携帯式地対空誘導弾を持ち込んでいるか否かだった。
韓国軍が現在使用している携帯式地対空誘導弾はイギリス製のジャベリン、フランス製のミストラル、国産の神弓だが、韓国政府の説明のように軍の反日行動が脱走兵による反乱ではなく軍内部の独断的派遣だとすれば離島防衛の必需品である携帯式地対空誘導弾を持っていないはずがない。本来であれば航空自衛隊の偵察航空隊のRQー4グローバルホーク無人偵察機を飛行させるべきなのだが北海道と新潟でロシア軍に全機撃墜されてしまった。その代わりとして航続距離を大幅に伸ばしたドローンで挑発するのだ。
ブーン、「来たな、もっと高度を下げろ」ブーン、「反応しませんね」「5名ほど迷彩服の男たちがいたはずだが」「韓国軍ならこの音でドローンの偵察だと考えるでしょう」斥候としては韓国軍がドローンによる偵察飛行にどのように対処するのかを確認するつもりだった。携帯式地対空誘導弾を保有していれば仮に使用しなくても外まで持ち出すはずだ。仕方なく窓から室内を確認すると全員が酔い潰れて熟眠していた。
  1. 2024/04/20(土) 15:47:23|
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4月19日・「器用貧乏」=万能な画家・宮永岳彦の命日

昭和62(1987)年の4月19日は先ず今も使用されているペンテル・クレヨンの箱蓋の絵、愛知県では松坂屋百貨店の宣伝ポスター、最近は「開運!なんでも鑑定団」で美人画が大人気の画家・宮永岳彦先生の命日です。78歳でした。
宮永先生は大正8(1919)年に静岡県磐田郡=現在の磐田市で生まれました。幼い頃から絵を描くことが得意だったので美術学校を志望しましたが東京ではなく名古屋市立工芸学校に進学しました。首席で卒業して名古屋の松坂屋百貨店本店で宣伝用ポスターを描くようになると確かなデッサン(水墨画を学んで手法を取り入れた)と洗練された色彩に裏打ちされた斬新なセンスと明るくモダンな感覚が大人気を博して他の企業からも注文が殺到して戦前の名古屋の街には宮永先生の絵が溢れるようになりました。
ところが名誉なことに戦争中に徴兵の年齢が来たため出征しましたが無事に敗戦を迎えると家族が移り住んでいた神奈川県秦野市の親の実家に戻り、松坂屋銀座店に転勤して宣伝用ポスターを首都圏、特に新宿区で発表することになりました。当然、宮永先生の傑出した画才は首都圏でも認められて宣伝用ポスターだけでなくペンテルのクレヨンの箱蓋の可愛らしい童画や雑誌・新聞の表紙と連載小説の挿絵も描くようになり、やがて「時代モノの岩田専太郎・現代モノの宮永岳彦」と並び評されるようになりました。さらに秦野市から銀座までの通勤に利用していた小田急電鉄から新型特急列車・ロマンスカーの車体の塗装デザインを依頼されて選定したオレンジバーミリオン(薔薇色)にシルバーグレー(銀灰色)のツートンカラーは現在も使用されています。
ところが51歳になった昭和45(1970)年頃、多岐にわたる作品群で「器用貧乏」と揶揄されていた画業を整理する一方で松坂屋を退職して油絵に専念することにしました。宮永先生が画家として一貫して追及したのは女性美(松坂屋の宣伝ポスターを含む)で中でも世界各国の民族衣装を着た女性像は見る者を魅了する魔力のようなものを発しています。宮永先生は「民族衣装はその民族が着なければ似合わない」を制作信条にしていて衣装を決めるとその民族の国の大使館に通ってモデル探しに励み、納得した女性が見つかるまでは一切手を着けませんでした。
こうして描いたROKUMEIKANシリーズを含む一連の作品群は高度経済成長期に入って豊かになった日本人の心を捉えて絶大な人気を獲得しました。宮永先生は常々「眼をつぶっていても名前を聞くだけで作品が浮かんでくるような絵描きでありたい」と語っていましたがその通りになったようです。
また宮永先生は熊谷守一先生、宮本三郎先生ほかが創設した「美術の価値を流派の新旧に置かず、皮相の類型化を排する」「具象・非具象を論じない」「流行によって時代を誤ることを極力避ける(宮永先生も60年代には流行していた抽象画に迷ったことがある)」「真に新たな価値を目指し、創造的な個性の発現を尊重する」「情実を排して新人を発掘し、これを積極的に世に送ることに努める」を信条とする二紀会(旧・二期会)の理事長に就任しています。野僧の祖父の甥が会員ですから書き加えました。
  1. 2024/04/19(金) 16:00:55|
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続・振り向けばイエスタディ797

「流暢な国語(=韓国語)のようだが我が国民にしては発音が不自然だな」「在日の移住者が日軍(自衛隊)に強制徴用されているんだろう。女だから終われば慰安婦にされてしまうぞ」数日後、海上自衛隊特別警備隊の斥候が対馬市のフェリー港がある厳原湾から少し外れた海岸にボディ・ボードで上陸するとヘルメットに迷彩服で完全武装している2人の男が立っていた。暗視眼鏡で男が肩に小銃を吊っていることが判った。
沖に停泊している海上自衛隊の護衛艦からは大き目の音量で福岡在住の在日韓国人の女性が録音した北海道に続いて新潟でもロシア軍が敗北し、中国の侵攻も大型旅客機の大編隊が全滅し、漁船も撃退されて失敗した戦況を放送している。このニュースは日本のマスコミが報じないため韓国の否定的報道が国際社会に流布されて、それをインターネットで視聴している日本の若者や主婦層に間でも「海上自衛隊が中国漁船を多数撃沈した」「離島に上陸した避難民を虐殺した」と言う虚偽情報が急速に広まっていた。
「こちらに向かって来れば殺るしかないな。俺が前の奴を殺る」「それじゃあ俺は後ろを引き受けます」今夜は太陰暦の1日、つまり新月の暗夜で人家がないこの海岸は漆黒の闇に包まれているが、2人が懐中電灯を使って歩いて来れば黒いウェット・スーツを着て砂浜に伏せて小銃を構えている2人や波打ち際から引き揚げて杭で固定してある荷物を載せたままの黒のボディ・ボードが見つかる可能性は高い。
「あの小銃を確認したいな。K2じゃあないみたいだ」「これと同じHK416でしょう。特殊部隊が使用しているはずです」「と言うことは特殊部隊が集団脱走したのか」「まさか・・・」暗視眼鏡の望遠機能を使って小銃を確認した斥候長が小声でささやくと同じ機能を使用した斥候が見解を述べた。
韓国軍の主力小銃は国産のK2だが海軍の特殊戦旅団は海上自衛隊の特別警備隊や陸上自衛隊の緊急即応部隊、さらに警察の特殊急襲部隊(SAT)と同じドイツのH&K(ヘッケラー・ウント・コック)社がアメリカ軍の依頼を受けて将校用のM4カービン銃を改修したHK416を使用している。HK416はアメリカ軍では国産偏重主義の軍産複合体によって本格的な導入は見送られたが、小銃に比べて全長が短く堅牢性が高いため特殊部隊用として限定的に採用された。その一方でアフガニスタンへの侵略でタリバーンが使用するソビエト連邦軍から捕獲したAK47の7・62ミリ弾に比べて威力が劣ると言う指摘を受けて7・62ミリ旧NATO弾を使用するHK417も開発されたがアメリカ軍や自衛隊は採用していない。
「むしろ対馬の占領が本気で絶対に守り抜く覚悟だと考えるべきだろう」「前政権はあえて特殊部隊を派遣したと言うことですね」韓国軍が対馬に侵攻した時点で政権は交代していたが、軍内では海空陸軍の前参謀長を国防部長官に就任させた前政権に対する忠誠心は衰えることはなく日本の加倍政権に脅威を感じていた中国に同調して武力衝突を画策した流れを受けて長年の悲願だった対馬占領を実行したのだ。保守派の現政権は中国と距離を置いてアメリカに接近しているが支持率は有権者の3分の1から上昇せず、「次の大統領選挙では反日反米親中の政権が復活する」と言うのが大方の予測なのだ。
「つまりスペシャリスト同士の戦いになりますね。狙撃しましょう」「その方が無難だな。テコンドー(跆拳道)を相手にするのにウェット・スーツは邪魔だからな」ゴム製のウェット・スーツは打撃技にはクッションになりそうだが下に迷彩服を着ているので動き易い訳ではない。おまけに足ヒレを外したマリン・シューズのままだ。
「俺は右を射つ」「判りました。左を狙います」暗闇の中で約3メートル間隔の影同士が動作で会話すると2人はHK416の銃口に取り付けてあるサイレンサー(制音器)を手で確認した。これを使えば銃声はマイク放送の音声で消されるはずだ。
続いて顔の暗視眼鏡を外して暗視用狙撃眼鏡を作動させた。画面の中の韓国兵は星空を影絵のように遮っている海上の護衛艦を指差して談笑している。間もなくこれが最期の会話になるとは思っていないはずだ。
「射撃用ー意、5、4、3、2、1、てーッ(撃て)」ブシュッ。斥候長が口の中で射撃号令をかけると同時に発砲して2人を射殺した。
  1. 2024/04/19(金) 15:58:56|
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4月18日・漱石先生の妻・夏目鏡子の命日

昭和38(1963)年の4月18日は「亭主関白」「夫唱婦随」が社会の常識になっていた間は「猛妻」「悪妻」と徹底的に批判されていながら夫婦が対等になった途端に明治期に理想の夫婦関係を実践していた先駆者として賞賛されるようになっている文豪・夏目漱石先生の鏡子夫人の命日です。85歳でした。
鏡子夫人はドイツ語を習得したことで譜代の福山藩士から明治政府の官吏になり、最終的には貴族院書記官長を務めた中根重一さんの娘なので義務教育の尋常小学校は通学してもそれ以降は自宅で家庭教師の教育を受けました。そのため若い頃から西洋文化に親しんできた中根さん好みの男女平等で自由闊達な家風が純粋培養されたのです。
日清戦争が終わった明治28(1895)年に東京帝国大学出身者にこだわりがあった中根さんが認めた夏目金之助さんと見合いをしましたが、鏡子さんは笑う時に口を隠す嗜みを知らず、歯並びが悪い口元を丸見えにしたのですが、金之助さんはそれを「開けっ広げで良い」と好感を持ち、鏡子さんも端正な容貌に魅せられてしまって明治29(1896)年に結婚すると熊本の第5高等学校に赴任しました。
ところがお嬢さま育ちの鏡子夫人は「家事は女中の仕事」と言う意識が改まっておらず、特に早起きが大の苦手だったので金之助さんは朝食を摂らずに出勤することも珍しくありませんでした。そのため朝から外食することになる金之助さんが「不経済だ」と叱責すると鏡子夫人は「眠いのを我慢して嫌々家事をするよりも、十分睡眠を取って気持ち良く家事をする方が経済的よ」と反論したそうです。その一方で鏡子夫人は最初の子供を流産したことでヒステリー状態に陥り、近所の神社の傍にある川の淵に身を投げて入水自死を図ったため金之助さんは鏡子夫人と手首を毛糸で結んで眠るようになりました。
鏡子夫人を批判する人たちはこの時のストレスが漱石先生の神経症の原因と指弾しますが、本当の原因は金之助さんが明治33(1900)年から単身でイギリスに留学して後に「最も不快なる3年間」と回顧する生活を送ったことでした。実際、この3年間で金之助さんは神経を病み、帰国後は家族に暴力を奮うようになりましたが、周囲の人たちが見かねて離婚を勧めると鏡子夫人は「私のことが嫌いで暴力を奮って(向こうが)離婚すると言うのならしますけど、今のあの人は病気だから私たちに暴力を奮うのです。病気なら治る甲斐もあるのですから別れるつもりはありません」と答えています。
この答えを見ても漱石先生と鏡子夫人の夫婦愛は強固で創作者として悩み多き生活を送っていた夫を支えると言うよりも巨大な包容力で抱え込んでいたことが判ります。そんな夏目家の日常は昭和2(1927)年から長女の婿の小説家が雑誌に連載した談話回想録「漱石の思ひ出」で明らかになっていますが(これも批判の原因になっている)、漱石先生の視線から語っているのが明治38(1905)年から連載を始めた「吾輩は猫である」です。この小説で鏡子夫人は飼い主・苦沙弥先生の「細君(=妻)」として登場しています。また翌年に発表した「坊ちゃん」には幼い「おれ」を優しくいたわってくれた女中の「清(キヨ)」が登場しますが鏡子夫人の本名もキヨでした。
  1. 2024/04/18(木) 14:11:46|
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続・振り向けばイエスタディ796

第4師団指揮所経由で第4飛行隊の意見具申を受けた西部方面隊は陸上総隊に韓国陸軍に人員と装備品の員数点検による脱走兵の戦力把握を要求するように申し入れた。しかし、他省庁との交渉は内局の担当なので「折角の保守政権も支持率は有権者の3分の1に過ぎない。これ以上窮地に追い込むことはできない」と言う外務省の説明に官僚は納得して引き下がってしまった。そうなると西部方面隊としては独自に次なる一手を講じなければならず珍しく事前調整=根回しがない作戦会議は白熱した。
「空挺を自由降下で潜入させてみよう」「しかし、対馬は東西18キロしかない上、あの空域は強風が吹いていながら急に止んだりするので着地地点が特定できません」「海上には護衛艦と巡視船がいるんだ。救助に不安はないだろう」西部方面隊としては第1空挺団普通科大隊を対馬に投入するに当たってはCー130輸送機にエスコート・ファイター=護衛の戦闘機を随伴させて南北82キロの対馬を縦断させる作戦だった。当然、日韓のADIZ に引っ掛かるので護衛の戦闘機は韓国空軍のスクランブル機に対処するためだ。当然、護衛艦の火器管制装置の照射でも威嚇するつもりだった。
「偵察要員の潜入は作戦の基本手順ですが移動方法が難問ですね」「対馬空域は韓国空軍の警戒レーダーの探知範囲内ですから接近すれば占領部隊にも情報が届くはずだ」「むしろ暗夜に沖の護衛艦からゴムボートで接近する方が秘匿性は高いかも知れない」作戦会議には海空自衛隊の連絡管も出席していて専門家の立場から意見を述べて会議の進行が手前勝手な方向に外れないように補備修正を加えている。
東北地区太平洋沖地震の災害派遣で初めて統合部隊が編成された時、航空自衛隊が輸送拠点として仙台空港の復興を最優先するように要求したが陸上自衛隊の幕僚たちにはその重要性が理解されず、道路の土砂の撤去・排除に多くの人員と器材を割いて尺取り虫のような作業進度に陥っていた。結局、仙台空港はアメリカ軍がトモダチ作戦で派遣した滑走路復旧専門部隊によって機能を回復して輸送拠点として力を発揮した。陸上自衛隊もその失敗を教訓として共有しているので専門家の意見には真摯に耳を傾けている。
「そうなると水上機動連隊の出番だな」「水上機動連隊って日本陸軍の暁部隊のような船舶輸送部隊じゃあないのか」「そちらが本業ですがアメリカ海兵隊的な上陸強襲作戦も担当します」「それは危ないね」3部の運用幕僚の意見に海上の連絡官が隣に座っている陸上の幕領に声をかけた。するとそれを耳にした航空の連絡官が否定的見解を口にした。当然、両隣りの陸上の幕僚たちは顔を険しくして注視した。
「危ないって何がだね」「私は沖縄で勤務している時、アメリカ海兵隊の上陸演習を見学したことがありますが、彼らの状況想定では事前に艦砲射撃と艦載機からの空爆で上陸地点を徹底的に破壊して上陸部隊は残存する敵からの抵抗に対処しながら占領することを任務にしています。だから海兵隊は海軍の一部なんです。その点、陸上の水上機動連隊では上陸前の艦砲射撃はおろか空爆も独自には実施できない。今後、海空と連携を図るにしてもその重要性をどこまで認識しているのか不安です。アメリカ海兵隊の士官の友人は『日米協同演習で陸上自衛隊は敵の陣地を火力で制圧する前に突撃したがる。パシフィック・ウォー(太平洋戦争)のバンザイ・アタック(万歳突撃・正しい突撃はアサルト)そのままだ』と言っていました」「今回は潜入だから火力の掩護は必要ないが・・・」「やはり我々は旅順要塞攻撃の乃木第3軍の反復突撃を美談とする帝国陸軍の考え方を受け継いでいるのかな」「銃剣道はそのための武道ですからね」航空の連絡官の厳しい説明に陸上の幕僚たちは重く反応し、海上の連絡官がトドメを刺した。
かつて海上自衛隊は帝国海軍の再現・復活を組織の気風としていたため「伝統墨守・唯我独尊」と揶揄されていたが、アメリカ海軍との連携が強まるにしたがって日米の海軍がアルフレッド・マハン少将の海洋戦略理論の兄弟弟子であることに気づき一体化に邁進するようになった。特に対米戦争で敗れた昭和の海軍に対しては否定的な視点から検証し、武道の一本勝負の発想が作戦指揮を誤る原因になったことを認め、訓練科目から廃止した。そこで困ったのが遠洋航海の海外でのレセプションで展示できなくなったことだが、そこは残り少ない部活動の愛好者で間に合わせている。
  1. 2024/04/18(木) 14:10:21|
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4月18日・日本の古代人=明石人の腰骨が発見された。

昭和6(1931)年の明日4月18日に兵庫県明石市の西八木海岸でアマチュア考古研究者の直良信夫さんが更新世=洪積世=250万年前から1万1700年前まで=大半は氷河期の堆積物の地層から露出している人間の腰骨を発見しました。
直良さんは鑑定のために人骨を東京帝国大学人類学教室の教授に送ると写真撮影や石膏模型を作成する一方で助手と連れて発見現場を訪れましたが、発掘や土壌調査などは行われませんでした。考古学界でも直良さんの人骨は関心を引きましたが、当時は日本列島への人類の居住を縄文時代以降とする学説が主流だったので、発見者が研究機関に属さないアマチュアで、発見が土壌からの発掘ではなく露出した状態の発見・採取だったことから「水死者の遺骨が打ち上げられた」「崖上の墓地から落ちてきた遺骨を拾ったに過ぎない」と否定され、形状の鑑定もせずに結論を出さないまま返却されたのです。
それでも直良さんは以前から「日本国内でも更新世の動物の化石が発見される以上、人類も居住していた」と考えていて、同年に同地域で発見した動物化石や石器を元に旧石器文化の存在を主張する論文を発表しました。さらに昭和7(1932)年には地元の化石収集家が発見した頭蓋骨の破片の図面と写真を教授に再度郵送しました。しかし、昭和11(1936)年に教授が病没したため考古学界や東京帝国大学では年代不明の人骨が発見された事実と石膏模型や写真の存在も忘れ去られていったのです。
そうして日本が戦争に突入すると東京大空襲=昭和20(1945)年5月25日の山の手空襲で直良さんの自宅付近にも焼夷弾が落ちて人骨を持ち出す暇もなく炎上してしまいました。10日後に鎮火して焼け跡を探すと一緒に保管していた石器類は見つかったものの人骨は発見できず焼失したのを確認することになりました。
ところが昭和22(1947)年になって新制・東京大学理学部人類学科の名誉教授が写真を発見したことで事態は急転しました。名誉教授は陳列棚に放置されていた石膏模型も見つけると早速、石膏模型を計測・鑑定しました。すると壮年男性の物ではあっても現代人とは異なり類人猿に近い特徴を有することが判明してシナントロプス(北京原人)やピテカントロプス(ジャワ原人)と同時代の原人の物であると学会で発表し(明石原人の名前の由来)、さらに「原人の時代よりも古い動物の化石と同じ地層で発見した」とする直良さんの証言からさらに古い原人の化石の可能性を提唱しました。
これを受けて同年に日本学術会議に「明石西郊含化石研究特別委員会」が設立されて10月20日から1カ月間にわたり発見現場の発掘調査を実施しましたが、「オブザーバー参加しか認めない」と言われたことに立腹した直良さんが参加を拒否したため実際の発見現場から西へ80メートルずれた場所を調査してしまい何も発見できずに終わりました(1985年と1997年に発見現場の再調査が行われた)。
その後、科学的分析が進められましたが現物が失われている上、腰骨の一部のため年代特定はできていません(「化石化していた=太古の人類」とする証言がある反面、形状的に縄文人以降の現代人と同類のホモ・サピエンスとする見解もある)。
  1. 2024/04/17(水) 14:19:12|
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続・振り向けばイエスタディ795

「ヘリでのビラの散布は次の段階にしましょう。中国製と違って韓国軍の携SAM(携帯式地対空誘導弾)はジャベリンとミストラル(フランス製)に神弓(韓国製・KPーSAM)、管理が甘くなっているとすれば旧式のジャベリンですがそれでもイギリス軍が実戦で使用した実績があります」発令に先立って第4師団指揮所経由で西部方面隊からの打診を受けた目達原駐屯地の第4飛行隊ではパイロットたちが反対していた。
北海道の網走や東岸の根釧台地一帯、新潟でも陸上自衛隊のヘリコプターが同様の任務を実施したがウクライナ侵攻を経験したロシア製の携帯式地対空誘導弾の発達は予想以上でフレアによる幻惑を回避する識別能力が備わっていて根釧台地では機体で地面を擦る寸前の急降下で切り抜けたと言う。新潟ではフレアで回避したが北方領土に配備されている部隊は主力がウクライナに派遣されているだけに装備も更新されているようだ。
「先ずは海自や海保の艦船で海上から放送してみる。海自の護衛艦からドローンを飛ばして反応を確かめる。それで携SAMを使わないようなら高高度から次第に高度を下げるのが手順だ」「空自の輸送機も空挺降下する高度では携SAMの射程内だと作戦を拒否したじゃないか。そんな危険空域で我々に宣伝目的の飛行をさせるのは納得できんぞ」常識的な手順を並べ始めたパイロットの横で別のペイロットが鋭い指摘を口にすると議論は止まってしまった。空挺降下は開傘する高度でHOHO(高高度降下高高度開傘)とHOLO(高高度降下低高度開傘)に区分されるが降下させる時、輸送機は高度2000メートル程度を維持している。それ以外にも携帯式地対空誘導弾の射程外になる8200メートルの高度から降下して空中で隊員が位置を選定して着地・潜入する自由降下もあるが対馬のような離島では海面に着水する惧れがあり今回は採用されなかった。
「その前に韓国政府が日本との交戦を否定してるなら陸軍に人員と装備を確認させるべきだろう」「なるほど・・・」パイロットたちがこの命令に不同意であることを見て取った飛行隊長はこの不満が組織への批判に向かわないように話を逸らせた。しかし、現場の人間が指摘しても外国軍に申し入れることはできない。
飛行隊長が防衛大学校を卒業して前川原駐屯地の幹部候補生学校に入校した頃には日韓候補生交流が継続されていて日本側が訪問する年だったのでソウル特別市の陸軍士官学校に行った。韓国軍の歓待ぶりは友好ムードを強烈に演出していたが、韓国語に堪能な一般(部外)課程の候補生によると韓国軍は仲間同士では自衛隊を嘲笑して口汚く侮蔑していたらしい。特に全国大会で連覇を続けている防衛大学校の少林寺拳法部が団体演武を披露すると跆拳道では腕に覚えがあるらしい候補生たちが会食会場から退出していった。冷静でいられないほどの敵意を抱いているようだった。
「確かに隊長が言われる通りです。師団司令部には発令の前に安全確認が先決だと回答しましょう。我々も携SAMさえなければ恐れるものではありません。何なら超低空で飛行してビラを手渡ししてやりますわ」隊長の狙い通り実現不能な本質論を持ち出されてパイロットたちが黙ってしまうと実務の窓口になっている副隊長が話を引き取った。
石田内閣では国内と国際社会で多くの問題が続発していてもマスコミと野党・立権民衆党が加倍派潰しを控えないため国家の安危がかかる防衛事態でさえ等閑(なおざり)にされている。日韓の防衛当局者同士の接触が途絶している以上、外務省に仲介を依頼するしかないが、石田首相の「外交交渉による解決」と言うマスコミ好みの方針を受けて夫唱婦随を政治信条にする上山外務大臣が韓国の管理責任を追及する意味を持つ要求を突きつけるはずがない。仮に依頼するのであれば双木官房長官になるが加倍政権では派閥の力学の関係で外交センスが欠落している石田首相を外務大臣にせざるを得なくなり(派閥の長として重要閣僚に任命しなければならないが国内担当の大臣では失策の禍根が大きい)、その間は管(くだ)官房長官が実務を取り仕切っていた。とは言え前任の外務大臣だった双木官房長官に対抗意識を剥き出しにしている上山外務大臣が介入を許すはずがなくここでも足を引っ張られることになるようだ。仮に武力衝突が終結した後、中国における人民裁判のような戦争責任を審理する特別法廷が開設されれば防衛行動を妨害し続けた石田首相と上山外務大臣がA級戦犯に連座するのは間違いない。
  1. 2024/04/17(水) 14:17:53|
  2. 夜の連続小説9
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4月17日・眉唾の日本初飛行達成者・徳川好敏中将の命日

昭和38(1963)年の明日4月17日に代々木練兵場で日本初の動力飛行機による飛行に成功したことになっている徳川好敏中将の命日です。78歳でした。
德川中将は姓でも判るように徳川一門でありながら「尊皇攘夷」を唱えていた裏切り者・水戸家の血筋ですが父は御三卿の清水家を継いで伯爵になっています。
德川中将はすでに幕府や藩が消滅していた明治17(1884)年に東京西早稲田の旧水戸藩下屋敷で生まれました。明治30(1897)年から高等師範学校(現在の筑波大学)の付属小学校、高等小学校、旧制中学校で学び、日露戦争の前年・明治36(1903)年に陸軍士官学校を15期生として修了しました。同期には皇族ながら敗戦時に前線部隊を説得して回った竹田宮恒久少将や敗戦時の参謀総長として降伏文書に署名した梅津美治郎大将、張作霖爆殺事件の計画立案者の河本大作大佐、おまけに203高地で戦死した乃木希典愚将の次男・保典少尉がいました。卒業翌年からの日露戦争では工兵少尉として緒戦の朝鮮半島と満州の境界線を突破する鴨緑江会戦で渡河作戦に当たっています。
明治42(1909)年に工兵大尉になると軍用軽気球研究会を発足させて明治43(1910)年に研究会の日野熊蔵歩兵大尉と共に飛行技術習得のためフランスに派遣されました。徳川大尉はアンリ・ファルマン飛行学校に入学してフランス国内限定の操縦免許を取得し、一方、日野大尉はドイツのヨハネスタール飛行場で操縦を学びました。そして徳川大尉はアンリ・ファルマン製複葉機、日野大尉はドイツのグラーデ単葉機を持ち帰り、12月14日に日野大尉が滑走・約60メートルの離陸に成功しましたが、本格的な飛行を知っている日野大尉は何も語らず、取材に来ていた新聞記者たちも機体が浮揚したことが飛行であると認識しませんでした。そのため12月19日に徳川大尉と日野大尉が本格的に飛行を披露すると新聞は「日本初飛行」と大々的に報道して先に飛んだ徳川大尉に「日本人で最初のパイロット」と言う栄誉を授与したのです。
その後は日本陸軍航空の先駆者として大正11(1922)年には少佐で所沢に開設されていた陸軍航空学校の教官になり、大正14(1925)年に宇垣軍縮に伴う陸軍の組織改革で航空科が新設されると航空兵中佐に転換し、改称された所沢陸軍飛行学校で研究部長に就任しました。大正15(1926)年に大佐に昇任すると昭和3(1928)年には長年の航空の発展に関する功績から父が1899年に財政的窮乏とそれに伴う訴訟沙汰で返上していた華族に列せられて男爵になりました。
しかし、昭和6(1931)年に少将で明野飛行学校長、昭和9(1934)年に所沢飛行学校長、昭和10(1935)年に中将、翌年に航空兵団長になったものの戦時色が濃厚になった昭和14(1939)年に予備役に編入されています。
実際、徳川中将は航空技術の研究では日野中佐に大きく水を開けられ、熱意を注いだ操縦技量においても世界中で通用する国際操縦免許を取得していた滋野清武フランス外人部隊大尉(第1次世界大戦に参戦した時の立場)とは勝負にならず、あくまでも表に立てておく看板であって実戦の役には立たなかったのでしょう。所詮は水戸家の血筋です。
  1. 2024/04/16(火) 15:08:50|
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