fc2ブログ

古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

12月5日・ウォルト・ディズニーが誕生した。

1901年の明日12月5日にシカゴでウォルト・イライアス・ディズニーが誕生しました。野僧が保育園の頃に愛読していた偉人伝では、1966年没のウォルト・ディズニーと1968年没のヘレン・ケラーは唯二、存命の方でした。
伝記の後ろには保護者向けの解説があり、そこも読んでいたので詳しいのですが、ウォルトは大都市のシカゴで生まれたものの、両親が幼い頃にミズーリ州マルスリーヌへ移住して農場を経営することになり、そこで鳥や虫、花などの自然を友として育ったようです。農場の傍に走っていた鉄道の汽笛の音が大好きで、後年、大成功を収めて建てた邸宅に8分の1サイズの鉄道模型を走らせ、それに乗って遊ぶのが趣味と書いてありました(写真入りだった)。
また、幼い頃から絵が大変に得意で、小学校に入る頃にはスケッチを近所の人たちに売っていたそうです。その時期、父親が新聞販売業を始めたため、兄と一緒に朝3時半起きで配達を手伝うようになり(無給)、このため老齢になってからも「配達を寝過した夢を見る」と紹介されていました。
11歳の頃、カンザスシティーに引っ越したため、そこで絵画学校に入学して本格的に学ぶことができたそうです。
その後、再びシカゴに引っ越して、高校と一緒に夜間の絵画学校にも通っていたのですが、第1次世界大戦が勃発すると学校を退学して、兄と共に志願兵としてヨーロッパへ赴きました。しかし、ウォルトは若年であったため兵にはなれず赤十字社の衛生兵として負傷者の輸送に従事したようです。
1年後、終戦によって帰国し、カンザスシティーに戻りますが、新聞の漫画や広告のデザインなどの仕事で食いつなぎながら、1920年に友人のアイワークスと「ディズニー&アイワークス・カンパニー」を立ち上げたものの、ウォルト自身がアニメーターとして映画会社に採用されたためあえなく頓挫、そのままアニメの技術を磨きます。
アニメ映画が成功して仕事が入るようになると独立しますが、雑な経営のため倒産することを繰り返したようです。やがてハリウッドに進出しますが、ここでも同様のことになっています。その失意のどん底の中で自社のキャラクターとして以前、餌付けしていたネズミをヒントに描いたのがミッキーマウスです。
伝記では貧しいウォルト青年が仕事場に顔を出すネズミに餌を与え、次第に慣れて手の上で餌を食べるようになる情景が感動的に語られていましたが、近所の小母さんはネズミ捕りにかかったミッキーマウスを水に漬けて殺していました。
1955年、カリフォルニア州アナハイムにディズニーランドを建設し、日本でも金持ちが海外旅行で行く憧れの地になっていましたが、今では千葉県浦安市にも「東京」ディズニーランドがあります。
野僧は基本的にディズニーの映画は嫌いです。何故ならヨーロッパ人以外を描く時には、醜くさを強調していて、上目遣いの媚びるような表情は見ていて気分が悪くなります。
さらに実写映画でもアメリカの庶民的な自由さを賛美し、伝統文化を破壊する展開ばかりで、その低俗な文化に酔った馬鹿な大人が増えたことが日本人の劣化につながったように思われてなりません。そもそも真珠湾攻撃で日本軍が病院を攻撃したと言う史実に反する場面を描いていた「パール・ハーバー」もディズニー映画でした。
  1. 2013/12/04(水) 10:16:49|
  2. 日記(暦)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<2月19日・スミソニアン・レートが決定し、1ドル360円時代が終わった。 | ホーム | 第14回月刊「宗教」講座・一休さん特集>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバック URL
http://1pen1kyusho3.blog.fc2.com/tb.php/1203-ab890f2f
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)