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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

12月27日・虎ノ門事件が発生した。

1923(大正12)年の明日12月26日に虎ノ門事件が発生し、このため第2次山本権兵衛(やまもとごんのひょうえい)内閣は総辞職しました。
この日、摂政を務めておられた皇太子、後の昭和の陛下が貴族院議会に出席されるため自動車で宮城を出ようとしたところを、虎ノ門付近の群衆に紛れていた難波大助がステッキに仕込んだ散弾銃で狙撃したのです。
弾丸は窓ガラスを破りましたが摂政の宮に怪我はありませんでした。ただし同乗していた侍従長は軽傷を負ったようです。
犯人の難波大助は犯行直後に群衆から袋叩きにされていて、警察は逮捕よりも保護する状態だったそうです。
その後、大逆罪(当時の刑法にあった皇族に対する犯罪)で告訴され、大審院(現在の最高裁判所・大逆罪は最初からここで審理される)では皇室の権威を保つため、難波に罪を悔いる供述をさせた上で死刑の判決を出し、皇太子からの恩情で減刑する方針でしたが、難波が自分の正当性を主張し続けたため死刑にせざるを得ず、1年後の大正13年11月15日に執行されています。
この大逆罪は明治24年に来日していたロシア皇太子が警備の警察官・津田三蔵に斬りつけられて負傷した大津事件でも政府は適用しようとしたのですが、当時の司法当局は「法律を政治的に変造することはできない」と拒否し、傷害罪で無期徒刑(現在の無期懲役)にしたことがあります。
難波大助は共産主義者で、関東大震災後の社会不安や無政府主義者・大杉栄・伊藤野枝とその子供の3人(愛人関係なので夫婦ではない)が甘粕憲兵大尉に連行され拷問死した事件や高徳秋水への大逆事件などの無政府主義者、共産主義者への取り締まりに不満を抱き、犯行に及んだそうです。
難波大助は共産主義者と言いながら山口県選出の衆議院議員・難波作之進の息子で、中学校時代、帰郷した田中義一陸軍大臣(後の首相)の出迎えで沿道に駆り出されたことで反権力の意識が芽生えたそうです。他所の者なら「疲れたなァ」「馬鹿らしい」と不平不満を言って終わる話が、天下国家の問題になってしまうのは山口県人気質かも知れません。
事件後に父は議員を辞職し、自宅の門を江戸時代の蟄居の作法に則って交差させて縛った竹で閉じ、一切の食事をとらず餓死したそうです。
しかし、この後が極めて山口県的で、難波作之助の辞職で欠員になった議席を松岡洋祐が受け継ぎ、戦後は岸信介と佐藤栄作兄弟の選挙基盤になりました。
さらに犯行に使われたステッキ仕込みの散弾銃は伊藤博文が長州ファイブとしてイギリスに留学した際、入手して持ち帰った物だったそうです。
しかし、大学の刑法の講義で、現在はない大逆罪に1時限を使い、教授が熱弁を奮っていた理由、目的は理解できないままです。よほど皇室が嫌いだったのでしょう。
(ただし、難波大助の実家の話は地元で聞きました)
  1. 2013/12/26(木) 09:32:13|
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