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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

2月22日・爆弾(肉弾)3勇士が戦死した。

昭和7(1932)年の明日2月22日午前5時(攻撃開始)に、第1上海作戦で爆弾3勇士(朝日新聞は「肉弾3勇士」と報じた)と謳われた3人の兵士が戦死しました。
その3人とは久留米に駐屯していた独立工兵第19大隊の江下(えした)武二1等兵、北川丞(すすむ)1等兵、作江(さくえ)伊之助1等兵ですが、この戦闘で戦死した兵士は他にも多数いました。
戦後の日本人は「国民党軍は弱い」と言う先入観を持っていますが、蒋介石は第1次世界大戦で敗北したドイツ軍の軍人を顧問として招聘し本場仕込みの陣地戦の指導を受けていましたから、第1次世界大戦のヨーロッパ戦線そのままの深い塹壕に鉄条網を張り巡らし、地雷原を構築した堅牢な陣地で待ち構えていたのです。
日本軍は開戦当初、蒋介石軍の上海侵攻に大河内伝七中将が指揮する精鋭・海軍陸戦隊が防御に当たりましたが多勢に無勢、衆寡敵せずで苦戦しているところへ陸軍部隊が投入され、反抗を開始してこの陣地に遭遇したのです。
陸軍の戦術は第1次世界大戦において青島(チンタオ)のドイツ軍陣地攻撃で多大な犠牲を出しながら何の教訓も学んでおらず、日露戦争の旅順要塞攻撃そのままの肉弾戦を繰り返したようです。
日露戦争当時でも砲火力により敵陣地を破壊し、その上で撃ち漏らした鉄条網や地雷原を工兵が破壊するのが常識であったにも関わらずこの攻撃では爆破筒と言う先端に爆薬を装着した竿を抱えて突進し、敵陣地の鉄条網や地雷原に差し入れて破壊しようとしたのですが、この3人は退避する時間を確保するため長くしてある導火線を短く切り、本来は挿入後に行う点火を事前にして出発したそうです。
ところが先頭を走っていた北川1等兵に敵弾が命中して転倒、2人で前進している間に爆発し3人とも戦死したのです。戦果は不明ですが荒木貞夫陸軍大臣は戦時下の美談として華々しく発表し、他の戦死者は無視してこの3人だけが軍神に祭り上げられました。
これが前例になって太平洋戦争では敵戦車の前に爆薬を抱えて突っ込み、轢かれて破壊する地上版特攻戦法や有効射程数百メートルの機関銃を射ってくる敵陣地に銃剣を構えて駆け足で突進する万歳突撃が当たり前のように多用されることになったのです。
戦後になってこの3人のうち2人(苗字で判断)は被差別□□出身者であったとされ、「志願と言いながら強要があったのではないか」と言う推測に基づく批判が行われました。
そうなると従軍慰安婦の吉田清治のように捏造証言を広める奴が現れるもので、「指揮官が『あの連中は戦死してやっと日本国民に入れるのだ』と言っていた」との見てきたような証言も本になっています。こちらの相手は国内の□□解放運動ですから外交問題にはなりませんでしたが。
  1. 2014/02/21(金) 09:14:00|
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