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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

3月10日・日本基督公会が設立された。

1872(明治5)年の明日3月10日に現在も横浜海岸教会(神奈川県庁の隣)として親しまれている教会堂を建設した日本最初のプロテスタント会派・日本基督公会が設立されました。
この公会は福音同盟会の流れですがプロテスタントと言う以外に特定の宗派に属さず、日本独自のキリスト教会派と位置付けている宗教学者もいます。
当初の日本人信徒は9名の青年と2名の中年男性だけで、アメリカ人のジェームス・ハミルトン・バラ牧師と共に(カトリックではないため「下で」とは言わない)公会の規約を起草し、翌年には東京に姉妹公会を設立しています。
ここで言う公会とは組織のことであり、建物としての教会は85年に完成し、その時に「横浜海岸教会」と言う名称が用いられることになりました。
ただし、この建物は1923年の関東大震災で焼失して、10年後の33年に再建を果たした現在の建物は戦災をまぬがれ、戦後は進駐軍兵士の賛美歌の会などに使用されました。
この公会はバラさんが仮の牧師を務めたもの、初代の稲垣信(あきら)牧師以降、全て日本人が就いていたことも特色になっています。
この創設期に集まった日本人信徒たちは「横浜バンド」と呼ばれ、キリスト教をカトリックと同義語にしていた日本で、プロテスタントを普及するのに貢献しました。
今ではキリスト教会の聖職者に神父と牧師がいることは知識としては知っているでしょう。
ただし、プロテスタントの教会にはカトリックのようなイエスやマリアの像やロシア正教のようなイコン(聖画)はなく、ガランとしたコンサート・ホールと言った感じです(十字架にもイエスの遺骸はついていません)。
この日本基督公会は戦後まもない1950年に解散し、日本キリスト教会に吸収されて横浜の海岸教会堂も同教会の所属になっています。
余談ながら明治以降、最初のカトリック聖堂が創建されたのも横浜で、こちらは1862(文久元)年に現在の中華街にあった外国人居留地に作られ、横浜天主堂の名で親しまれていましたが市街化にともない1906(明治39)年に山手へ移転しています。
おまけで言えば現在の日曜日を休みとする生活習慣は、旧約聖書でカミさんが6日間かけて天地を創造し、7日目に休んだことに由来し明治以降に広まりました。
それまでは寺院の「四九日(しくにち)」と言う4日、9日、14日、19日、24日、29日の5日ごとが休みだったようです。太陰暦は毎月30日に固定化されているため休日も確実にやってきました。
しかし、この記事で「公会」「教会」と使い分けている名称は、どちらも英語で言えば「church(チャーチ)」ですから、やはり日本語には馴染まないのかも知れません。
  1. 2014/03/09(日) 11:57:01|
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