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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

3月12日 東大寺・お水取り

明日3月12日は奈良・東大寺の「修二会(しゅにえ)」のお水取りです。
修二会と言うのは正式には「十一面悔過法(じゅういちめんけかほう)」と呼ばれ、太陰暦の2月1日から15日まで行われていた二月堂の本尊・十一面観音さまに過去の罪障を懺悔し、佛法興隆と天下泰安、万民和楽、五穀豊穣を祈る儀式=修行で、現在は太陽暦の3月1日から14日までの2週間になっています。
起源としては東大寺の開山・良弁僧正の弟子・全忠さんが笠置山での修行中に洞穴から兜率天に入り、そこで天人たちが十一面観音さまに懺悔している姿を見て下界でも行いたいと願い出たところ、「兜率天の1日は下界の400日に当たるため間に合わない」と言われ、そこで走って勤めることになったとのことです。記録に残っているところでは大佛開眼の752年には既に行われています。
この行を勤めるのは「練行衆(れんぎょうしゅう)」と呼ばれる11名の僧侶で、良弁僧正の命日である12月16日に華厳宗(東大寺は本山)の管長から発表されるそうです。
儀式に先立って新人の指導役は2月15日から、それ以外の練行衆は20日から東大寺戒壇院の庫裡で「別火(べっか)」と呼ばれる清めの合宿を勤めます。別火と言うのは火種(マッチ、ライターは勿論のこと)を用いることが許されず、火打ち石で別に火を点けることが由来です。その期間中にも21日は二月堂での入浴、23日には南天と椿の造花を作る「花拵え」、蝋燭の芯を作る「燈芯揃え」などが行われ準備も進んでいきます。
3月1日の本行に入ると先ず授戒(導師が戒律を示し、練行衆が保つことを誓う)があり、続いて木沓(きぐつ)に履き替えると開け放たれた内陣に駆け入り、須弥壇を3周回って本尊さまに礼拜し、内陣内の掃除と飾り付けを行います。
そこからは懺悔法要、読経と清掃、喫食、就寝の繰り返しですが、移動は全て駆け足です。
また5日と12日には東大寺の聖武天皇以降の過去帳が読み上げられますが、その中に「青衣の女人(しょうえのにょにん)」と言う名前もあるそうです。これは鎌倉時代にこの儀礼を勤めている時、青い衣を着た女性の幽霊が立ち「私の名を読み落としているぞ」と言ったため、僧侶が声をひそめて「青衣の女人」と言ったところ消えたそうです。このためこの名前は声をひそめて読むのが作法になっているそうです。
12日はいよいよ「お松明(おたいまつ)」と呼ばれるメイン・イベントになります。先ず、
呪師(しゅし)が須弥壇を回りながら水を撒き、印を結んで呪文を唱える儀式の後、堂司以下8人の練行衆がヘルメットのような「達陀帽(だったんぼう)」を被り、火の点いた松明と洒水器を持って堂内で踊り狂います。そして1人の童子(と言っても大人)が松明をかざして回廊を駆け上り、1人の練行衆が続き、火の粉をまき散らしながら二月堂の舞台を回るのです。これは本来、行のため堂に登る練行衆のための灯りで1日から毎日行われるのですが、12日だけ1回り大きな篭松明が使われるのです。
そして本当のフィナーレーである「お水取り」になります。お松明が終わった深夜に呪師が5人の練行衆を伴って蓮松明で照らされながら南側の石段を下り、若狭井と呼ばれる小屋に向かい、香水と呼ばれる水を汲んで堂内に戻ります。
この水は福井県(旧・若狭国)小浜市の若狭神宮寺で汲まれ、3月2日に「お水送り」と言う儀式が行われています。
以上は奈良・幹部候補生学校の時に東大寺で、小浜の僧堂の時に若狭神宮寺で聞いた話でした。
  1. 2014/03/11(火) 08:55:19|
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