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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

3月20日・明治天皇が断髪した。

1873(明治6)年の明日3月20日に明治天皇・睦仁さんが断髪しました。
日本では古来、髷は男根と同じ物と位置づけられていて、僧侶が髷を切り落として剃髪することは男性としての欲望を断つ=去勢と言う意味もあったようです。
また髷を晒すことは下半身が裸になるのと同じことになり、常に冠や烏帽子を被るか布などを巻いていて、位が高い者は寝る時も脱がなかったようです。ですから貴族や武士が人前で冠、烏帽子を奪われることは大変な恥辱だったのです。
それが廃れたのは戦国時代になって兜をかぶる機会が増え、蒸れる不快感から月代(さかやき)を剃るようになったためで、宮中では平安以来の風俗が固く守られていたのです。
この2年前の1871(明治4)年8月6日には散髪を許可する太政官令が布告されているのですが、外国人と接する機会が少ない庶民や地方の者には全く浸透せず、江戸時代の風俗のままでは欧米化と同じ意味の文明開化が進展しないと言う政府首脳の焦りから睦仁さんに率先して範を示してもらうことになったようです。
これに先立つ3月3日には昭憲皇后・美子(はるこ)さんが既婚の女性の作法であった黛(まゆずみ)と鉄漿(おはぐろ)を止めていますから、夫婦足並みを揃えての欧米化の宮中改革でした。これ以降の御真影は2人とも洋装になりました。
このうち黛と言うのは眉毛を剃り落して額に黒く書く風習ですが、旧家には最近でも守っている高齢の奥様がいて(額ではなく眉を書いていた)、早朝に訪ねて化粧前の顔を見ると腰を抜かしました。
鉄漿は揚子江(現在の長江)以南から東南アジアに見られる風習で、歯を強くする効果があると言う俗説もありますが、強い酢に鉄を溶かした液に五倍子粉(ふしこ=タンニン)を混ぜて作るため口の中は常に酸っぱく、鉄を舐めているように不快なものだそうですから美子さんは悦んで止めたのではないでしょうか。
ちなみに美子さんのことを宮中や神道では「昭憲皇太后」と呼んでいますが、これは大正3年4月1日に逝去された後、夫である睦仁さんが祀られている明治神宮に合祀する際、天皇が崩御された後の敬称でやってしまった結果です。面子にこだわって間違いを改めることができない事なかれ体質はやはりお公家さんの宗教です。
もう1つ余談ですが大正天皇・嘉仁さんは美子さんの子ではなく、愛妾の柳原愛子(なるこ)さんが生みました。昔ながらの能面風な顔立ちの美子さんに比べ愛子さんは今の基準で見ても美人に属すると思いますが、嘉仁さんは美子さんを実母と信じていたそうで、事実を知った時、強くショックを受けてしばらくふさぎ込んでいたそうです。
その嘉仁さんの奥さんは健康と才覚で選ばれた貞明皇后・節子(さだこ)さんです。節子さんも九条家の4女ながら妾の子であったため幼い頃、杉並区の農家に里子に出されて極めて逞しく育ち、「九条の黒姫」と仇名されていました。さらに女子学習院では津田梅子や石井筆子などの薫陶を受けたため昭和天皇の御兄弟は優秀で健康な方が多いと言われています。、
柳原愛子
柳原愛子さんです。
  1. 2014/03/19(水) 09:13:31|
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