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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

私のニライカナイ1

私のニライカナイ1

「すいません、隣に座らせてもらってもいいですか」休暇から帰る名古屋発・沖縄行きの全日空の中で、私は若い女性から声をかけられた。顔立ちはその頃、東宝シンデレラガールとしてデビューした沢口靖子に似ているが言葉のアクセントはシマグチ(沖縄訛り)で観光客ではなさそうだ。
「揺れて怖くて」「どうぞ」私がうなづくと彼女は安心したように微笑み、空いていた私の隣の席に座りベルトを締めた。
この日は奄美付近に季節外れの台風があり、その上を越えて行くために機体は揺れ、小さなエアポケットを繰り返していた。
「私、砂川直美です」「マツノです」直美と名乗ったその女性は、黒目がちの大きな目で私の顔を見つめた。私は「ナオミ」と言う名前を聞いて一瞬、妹の「尚美」の顔を思い浮かべてしまったが彼女は「直美」だった。
「その制服は何なんですか?」直美は私が着ている航空自衛隊の制服を見ながら尋ねた。
「航空自衛隊です。那覇基地で航空機整備員をしています」私は「航空自衛隊=パイロット?」と言う毎度の質問の前に説明をした。
「私は、(国立)沖縄病院看護学校の学生です」直美はそう自己紹介した。
「看護学生?」「いいえ、看護課程を終えて保健婦養成課程に入っています」私は看護婦と保健婦の違いは判らなかったが、年齢が近いのは理解できた。
「それじゃあ、似たような仕事だ」「エッ?」「僕は飛行機の保健婦ですよ」「そうかァ、ハハハ・・・」直美が笑った時、旅客機がまた小さなエアポケットに入り、直美は「キャッ」と小さく悲鳴を上げた。
「マツノさんは怖くないんですか?」直美は大きな目で私の顔を見ながら訊いてきた。
「飛行機なんて一度飛んだらあとは降りるか落ちるかですよ。ジタバタしても仕方ない」「落ちる」と言う台詞に直美が怯えたような顔をしたので私は話を続けた。
「それに航空機整備員をしていると、このくらいなら大丈夫ってことは分かりますから」「それにしても落ち着いていて、すごいです」直美は頼もしげに私の顔を見た。
「マツノさんはお幾つなんですか?」「23ですよ」「ならば私より1つ上ですね」直美がそう言った時、今度は大きなエアポケットに入って機内に男女の悲鳴が上がった。そろそろ奄美上空、台風の真上を通過している。
「すいません、手を握っていてもらえませんか」直美が青い顔をしてすがるように訊いてきた。
「ラージャ(了解)」私は内心思わぬ役得に喜んだが、そんなことは億尾にも見せずにうなづいた。「安心・・・」直美は私の手を握り返しながらそうつぶやいた。
その後も機体は何度もエアポケットを繰り返したが、もう直美は怯えた顔はしなかった。私たちはそのまま手を握り合いながら自己紹介の続きのような会話をしていたが、そのうち直美が返事をしなくなった。見ると直美は私の肩に頭をもたれかけて眠っている。そして、知らぬ間に私も眠り、2人でもたれあったまま那覇空港まで眠ってしまった。
私のニライカナイ・砂川直美
「明日、那覇まで遊びに行くよ」あれ以来、直美から電話がかかって来るようになり、ある金曜日の電話で直美が嬉しそうにこう言った。直美の沖縄病院は沖縄本島中部の具志川市にあり、学生の身ではあまり那覇までは出てはこられないのだ。
「会える?」「うん」「よかったァ」私の返事に、電話口で直美が笑ったのが分かる。私は直美の真面目そうな顔に似合わぬ大らかな笑顔を思い浮かべた。

直美は友達と四人でやって来た。今夜はこの中の那覇市出身の子の実家に泊めてもらうのだと言う。
「こちらマツノさん」「ワー、はじめまして」私は思いがけず若い、元気な女の子に囲まれて喜びながらも、彼女らの遠慮のない興味津々と言う視線を浴びせられて困っていた。
「それじゃあ、直美先輩ごゆっくり」そのうちの2人の女の子が手を振り分かれていった。そして、1人だけ直美より少し年下と言う感じの女の子が残った。
「こちら昌美、私の後輩さァ」「マツノです」「はじめまして」直美が昌美と紹介したその子は、挨拶をしながらも何かを点検するような目で私を見ていた。私の行きつけの居酒屋・ウチナー屋へ入った。私と直美は泡盛=直美の故郷・宮古島の「菊之露」、昌美はまだ未成年と言うことでウーロン茶を飲んでいた。
私は前回の続きの自己紹介や仕事の話をし、直美からの質問に答え、昌美は聞き役に回っている。そして、直美は私との話の合間に時々、昌美と2人で何かを確認し合うようなことを繰り返していた。
2時間ほどした所で時計が9時を指し、直美は「そろそろ集合時間だ」と言った。これから先程の待ち合わせ場所にもう一度集まって、泊めてもらう家に行くのだと言う。
その時、直美が昌美を振り返って「どう?」と訊いた。
私は一瞬、何のことかわからず目で話し合っている2人の顔を見比べていた。すると昌美が「優しそうで、真面目そうで良いんじゃない」と答えた。
直美は安心半分、嬉しさ半分と言う笑顔で私の顔を見つめ、その横で昌美も微笑みながら「姉をよろしく」と言って頭を下げた。これは彼女姉妹の私に対する面接試験だったようだ。
ちなみに直美は7人姉妹の長女で、父親が「男の子ができるまで」と続けざまに子作りをしたため、6人姉妹の下が中学生の弟なのだそうだ。

「待った?」月に一度の待ち合わせ場所に、直美は早足でやって来る。そして、公園の入り口で待つ私の姿を見つけると、手を振って駈け出してくる。
「また、自転車?」「ウン」「大変でしょう」「いや、君に会えるんだから」「ハハハ・・・」私の返事に直美は素直に喜ぶ、そんな時は口をあけて空を見上げながら声を出して笑った。
那覇から直美がいる具志川市までは自転車で2時間はかかる。それを私は月1回やって来るのだ。真夏には日焼けで背中にTシャツの柄がプリントされた。
保健婦養成課程の学生である直美は実習や国家試験の勉強で忙しく、ゆっくりデートをしている時間もない。さらに姉妹で実家に仕送りもしている。
だからこうして学生寮の近くの公園の木陰のベンチに並んで座り、自動販売機で買った缶ジュースを飲みながら2時間ぐらい話しをするので精一杯だった。
直美は故郷・宮古島で医療過疎の問題に直面した経験から離島医療の仕事がしたくて看護婦を目指し、妹・昌美は自立した女になるために同じ道を選んだのだと言う。
「勉強、頑張ってる?」「うん、貴方は?」「悪戦苦闘中」「そうか、もう学生じゃあなくて仕事だもんね」直美はそう言うと大きくうなづいた。
直美の話は看護実習で行く色々な科や出会った患者さんの話で面白かったが、私の方は仕事の失敗談や人間関係の苦労話ばかりでどうも愚痴っぽくていけない。
「やっぱり自衛隊さんって厳しいな・・・」女々しい私の泣き言にも直美は大きな目でジッと見つめてパワーをくれる。
「(一緒に)頑張ろうね」1歳半下の直美だが7人姉妹の長女らしく、まるで姉のようだ。
「お茶しよう」直美の言葉に公園の入り口の自動販売機で買った缶ジュースを2人で同時に開けて飲む、そんなささやかなデートだった。

「マツノさん、私の名前って嫌い?」ある日、直美が訊いてきた。
「別に、何で?」「マツノさん、『直美』って呼ぶ時、変な顔をするんだよね」確かに私は「直美」と呼ぶ度に、妹「尚美」の顔が頭に浮かんで困っていた。
「僕の妹もナオミって言うのさァ、字は違うけどね」「ヘー」私の説明に直美は大きな目をさらに丸くした。
それからしばらくは妹「尚美」の強烈なキャラクターについての話で盛り上がった。直美は私の大袈裟な話(でも実話)を可笑しそうに聞いている。
「私が貴方と結婚したら、マツノナオミが2人になって、ややこしくなるね」「エッ」突然の直美の台詞に私は呆気に取られた。
「会った時、お互いに『ナオミさん』って呼びあったりして」私にはこの話が冗談なのか、本気なのか分からず曖昧に笑いながらうなづいているしかなかった。
「じゃあ、それまでに妹には嫁に行ってもらわないとね」「そうかァ、ハハハ・・・」私が無理してつけたオチに直美は天真爛漫に笑う。
ちなみに直美の姉妹は、上から直美、昌美、紀美、安美、里美、育美で、頭文字を並べると「生の野菜」になると笑っていた。
これ以来、直美は、「お兄ちゃん、ナオミだよ」と悪戯電話をしてくるようになってしまった。

その日は、海まで自転車に2人乗りで行き、泡瀬干潟の防波堤に並んで腰を下ろしていた。沖縄の海も、随分秋色が深まり風は心地よかった。
直美は髪を風に乱されることを気にしている。私はいつもの癖で歌を口ずさんでいた。
「誰もいない海 二人の愛を確かめたくって・・・」「ねェ、誰の歌?」私の歌に直美は興味深げに訊いてきた。
「南沙織さァ」「南沙織って沖縄の人さァ、初めて聞いたよ」直美はそう言うと続きを歌えと顎でリズムを取った。
「走る水辺のまぶしさ 息も出来ないくらい・・・好きなんだもの 私は今 生きている」「いい歌さァ」直美は何度もうなづいて感心してくれた。
「好きなんだもの 私は今 生きている」直美はそこだけを覚えたのか、また顎でリズムを取りながら口ずさんだ。そして、歌い終わると黙って頭を肩にもたげかけてきた。
私は黙って直美の肩に手をかけて海を見ていた。直美の肩が吐息に合わせて揺れている、私はその動きが自分の吐息と重なっていることを感じていた。
「キスするさァ」私はそう言うと直美の肩に掛けた手を引き寄せた。
「やっぱりマツノさんって、キスするのにもチャンと断るんだね」直美はそう言った後、そっと目を閉じた・・・直美の唇はさっき飲んだコーラの味がした。
いつもは話しが止まらない私たちには珍しく沈黙が続く、海から吹いてくる風が心地よかった。
「あっ、心拍数が上がってる」突然、直美は自分の手首で脈を測り始めた。
「流石は看護婦だなァ」私は急に愉快になり、直美が心から愛おしくて微笑みながら直美の横顔を見つめていた。それでもまだ直美は脈を測るのに一生懸命な振りをしていたが、やがて「グスン」と鼻をすすった。
「ありがとう」「そんなこと言われたら泣いちゃうよ」私の呟きにそう言って空を見上げた直美の頬は夕日で真っ赤に染まっていた。
私のニライカナイ・砂川直美
「もしもし、保健婦課程の砂川直美さんをお願いします」今日は私が電話をする番だった。
電話のオルゴールの向こうで直美を呼び出すアナウンスと「ありがとうございます」「マツノさんて言う人から」と話している声が聞こえてくる。
「もしもし」すぐに直美が電話に出た(と思った)。
「今晩は、元気?」「ウン」いつもは「貴方は?」と聞き返してくる直美が今日はそれを言わない。私はどことなくルズムが違うのが気になっていた。
「頑張ってる?」「ウン」ここからは自分からそれまでの出来事を嬉しそうに話しだす直美が今日は返事しかしない。それでも私は色々話しかけてみた。
「どうした?元気がないね」「ウフフ・・・」私の心配そうな声に突然、直美が笑い出した。
「私、昌美です、姉は今お風呂に入っています」電話で話していたのは妹の昌美だった。
「マツノさんって電話でも優しいんですね」昌美は感心したように言った。私の頭に直美よりも(次女らしく)少し気が強そうな昌美の顔が思い浮ぶ、それからしばらく昌美は直美が恥ずかしがるような内緒話を聞かせてくれた。
「姉は昔から勉強とバスケット部と家の手伝いに一生懸命で、男の人と付き合ったことなんてないんですよ」これは私には意外な話だった、直美はどちらかと言えば美人の部類だろう。初対面の時の無防備さは何だったのかとも思った。
「多分、マツノさんが姉の初恋ですよ」昌美の言葉は顔が見えないので本当か冗談かは分からない、ただ私は素直に感激した。
「それからファーストキスも」「ゲッ」絶句した私に昌美は可笑しそうに続けた。
「姉は何でも顔に出ますから・・・追求したら白状しました」私は寮で直美がどんな顔をしてたのかを想像してみた。いつもの全開の笑顔だろうか。
「ありがとう、お姉さんを大切にするよ」「お願いします。お兄さん」昌美にからかわれてこの内緒話は終わった。

ある日、私は風邪をひき熱を出していた。
「ゴメン、会うの1週間延期」私は、内務班(寮)の公衆電話から直美に電話した。
「どうしたの?」「風邪をひいて少し熱がある」「熱は高いの?」「37度チョッと」「そう、微熱だね」何だか衛生隊で問診を受けているような気分になってくる。
「薬は飲んだの?」「これぐらいの風邪、ガブガブとポカリを飲んで走れば汗をかいて治っちゃうよ」私が自衛隊式の治療法を言うと一瞬間を置いて直美が珍しく大きな声を出した。
「馬鹿!風邪は安静第一、消化のいい物を食べて大人しく寝てなさい」「はい」「まったく、そばにいたら見張ってるのに、わかった!」「はい」結局、私は「風邪なんて体の中からアルコール消毒をすれば治る」と言う先輩からの「飲みに行く」誘いも断り、直美の命令通り土曜日、日曜日を部屋で寝て過ごし、おかげで月曜日には体調も快復して仕事に支障はなかった。やはり持つべきは看護婦の彼女であった。
「飲みに行こう」と誘いに来た先輩は枕元で見張っている直美の写真を見つけて「沢口靖子か?(ブロマイドを飾るなんて)お前も意外にミーハーだな」と勘違いしていた。
ただし、デートは「風邪は治りかけが大事」と言う直美の心配で、さらに1週間延期されてしまった。

直美の国家試験が近づいて、デートはもちろん駄目、電話も直美がかけて来るのを待つようになった。
私は、せめてもと「夢に向かって頑張れ・返事は試験の後に」と言うイラスト付きのメッセージを書いたハガキを毎日送ったが、そんな時、沖縄民謡「十九の春」の「1銭2銭の葉書さえ 千里万里と旅をする 同じコザ市(具志川市はコザ市の隣)に住みながら 会えぬ此の身の切なさよ」の歌詞を口ずさみながら、「これって名曲だなァ」とシミジミと感心していた。

やがて国家試験が終わって初めて直美が1人、泊まりで那覇までやって来た。
「試験はどうだった?」「うん、多分・・・」そう言って直美はため息をついた。
「大丈夫さァ、君は看護婦さんになるために生まれて来たような人だもん」「うん」私は、励ましと褒め言葉のつもりだったが、なぜか直美は哀しそうな顔をする。私は「試験に自信がないのかなァ」と少し心配になった。
「ハガキ有難う、元気が出たよ」「あんなことしか出来なくてさ」「ううん」そう言うと直美はギュッと手を握ってくる。キスをしてから時々、直美はこうして私の体温を確かめようとするようになった。
その日、私たちは初めて2人で街を歩き、映画や食事、少しお酒も楽しんだ。ウチナー屋は2回目だったが、ママさんは前回、妹の昌美と3人で来たことを覚えていて
「今日は2人きりねェ、マツノ大喜び」とからかって祝福してくれた。ただ、この店には以前つき合っていた彼女とも来ていて、ママさんは私が両親や親戚から無理やり引き裂かれたことも知っている。後日、ママさんは1人で来た私に「マツノ、もう沖縄で女を泣かせたら許さないよ」と厳しい目で言った。
ウチナー屋から直美を国際通りより1本奥の通りにある観光ホテルへ送っていった。こんな時、私のナイチャー(本土の人)の顔は、ロビーでも観光客にしか見られず疑われなくて便利である。
直美の部屋は外の喧騒もなく薄暗く静かで、シングルなのでソファーは1つしかない。私がソファー、直美はベッドに座って話をしていた。
「私、八重山病院へ行ってもいいの?」直美は薄暗い部屋で私の顔を見つめながら訊いた。石垣島にある八重山病院に行くことは、「離島医療の仕事がしたい」と言う直美の夢を実現するための第一1歩になるはずだ。
「それが君の夢だったんだろう、頑張れよ」私は直美の顔を見つめながら答えた。
「うん・・・」と返事しながら、いつもは名前の通り真っ直ぐ私を見返す直美が視線を床に落とした。
本当は曹候学生課程を卒業し、3曹に昇任して1年、相変わらず上達しない仕事とそれを許さない人間関係に悩み、それを救ってくれている直美と遠く離れることは辛い。
「行かないでくれ」と膝間づいて縋りつきたいのが本心だった。
もう1つ、私は重荷を背負っていた。私には「沖縄の女性との結婚は許さない」と言う両親の厳命で、直美の前に愛し合っていた女性と有無を言わさず引き裂かれた心の傷があり、その痛み、恐れから直美に将来への約束も決心もできないでいた。
部屋の空気が重くなるような沈黙の中、私は何気なく腕時計を見た。時刻は十時を過ぎて
いる。そんな仕草を直美は怯えたような顔で見た。
「もう遅いね、明日迎えに来るよ」私は立ち上がり、ファーストキス以降の習慣「またねのキス」をしようと肩に手を伸ばすと直美がその手を握った。
「私、1人になるのは嫌!」直美の手と大きな目が私をとらえて離さない。私も若い男だ。直美から「1人で、1泊で那覇に来る」と聞いた時から、こんな期待を抱かなかった訳ではない。しかし、私の中の臆病がそれを許さなかったのだ。
私たちは黙って見つめ合っていた。それは武道の試合で相手への初手を探り合う時のような息詰まるような緊張感だった。
突然、直美の頬に涙が一筋零れ落ちた。その瞬間、私の中で何かが弾け散った。
私は黙って立ち上がると直美を抱き締めた。

2人、交代でシャワーを浴びてから直美は無口になった。ベッドに並んで座っていても、少し震えているのが伝わってくる。
「直美さん・・・」私の呼びかけに直美はギュッと唇をつぶってうなづいた。
私は黙って立ち上がると直美を抱きかかえてベッドに寝かした。そして、ゆっくりゆっくり、優しく優しく、深く深く直美を女にした。
私のニライカナイ・砂川直美
朝、目を覚ますと直美はもう起きていていつもの大きな目で私の顔を見ていた。
「どうした・・・」「まだ、貴方が私の中にいるみたい」心配そうな私の問いかけに直美はそう言って恥ずかしそうに微笑んだ。これは夢ではない。
朝の光で見た直美の裸身はやはり美しく、愛おしかった。

直美は国家試験に合格し、八重山病院に配属されることが決まり、私はお祝いにストップウォッチ機能がついた小型の腕時計を贈った。
それには「これからの時間も一緒に」と言う願いも込めたつもりだった。
「これでいつも一緒だね」今度は一緒に泊まったホテルの部屋で箱を開けて直美はブレスレットのように腕にはめて見せた。

直美が石垣島に出発する日、私は夜勤シフトだった。
「昼前の南西航空」と言う直美と私は、南西航空に隣接する基地のゲートで会った。基地の外れにあるゲートまで自転車で行き待っていると、やがて一台のタクシーが停まり、直美が下りた。直美は濃い色のブレザースーツを着て、初めて会った時と同じ鞄を提げ、今日は薄く化粧もしているようだ。
「今夜はシフトだから内線×××(職場)に電話しなよ」「うん。必ず電話する」ゲートのフェンス越しに手を握り合って話している私たちを中年の警備員の小父さんは映画かドラマでも観るような顔で見ていたが、聞き耳を立てているのは見え見えである。
「自衛隊さん、あっち向いてるからキスでもするさァ」小父さんはニヤッと笑うとそう言ってそっぽを向いてくれた。幸いほかに人影はない。私たちはお言葉に甘えた。
フェンスに頬と鼻が食い込んだが気にはならない。キスをしながら直美はまた「グスン」と鼻をすすった。
「彼女、どこへ行くんねェ?」「石垣島、八重山病院です」「それは遠いねェ、彼女、看護婦ねェ」「はい」直美を見送った私に小父さんは心から同情した顔をしてくれている。
「今は飛行機もあるし、また会えるさァ」小父さんの励ましにお礼を言って私は自転車にまたがった。

その夜、直美は職場に電話してきた。その時、私は丁度、整備作業が一段落して整備記録を書いている最中だった。
「遠くへ来ちゃった」「そんなことはないさ、声はいつもと同じだよ」「ウン」本当は今まで聞いたことがないほど直美の声は不安げだった。
「飛行機、長かったよ」「でも台風はいなかっただろう」「うん」いつもならこんな思い出話を喜ぶ直美だが声は不安そうなままだ。
「台風がいたら貴方が隣に座っていてくれそうだから、台風がいた方がよかったな」話題を変えて励まそうとした私の話にも直美はかえって哀しそうな声を出した。
「もうすぐ仕事が終わるから、そうしたら南に向かって『直美さーん』って呼ぶから、耳をすませておきなよ」「うん・・・グスン」私は冗談で笑わそうとしたが、直美はまた鼻をすすった。あんなに大らかで陽気だった直美が泣いてばかりいる。
「マツノちゃんも沖チョン(沖縄単身赴任者)かァ」短めに電話を切ると、本当に単身赴
任のクルーチーフが、冷やかしとも同情ともつかない顔で声をかけてきた。
「彼女、会いたいって泣いてただろう」先輩がからかってきたが図星、冗談にもならない。
「はい・・・」と返事をして私は一気に暗くなり、先輩は「シマッタ」と言う顔をした。

「マツノ3曹、電話」シフト明けの土曜日、当直空曹のアナウンスで呼び出された。
「砂川さんって女の子」当直空曹は曹候学生の3期先輩の加藤3曹だ。
「もしもし」いつものように電話に出ると、それは妹の昌美からだった。
「なぜ姉を引き留めてくれなかったんですか?」昌美は前置きなしで、いつになく厳しい口調で切り出した。私には返す言葉がない。深刻そうな会話を察したのか加藤3曹は黙って部屋を出て行ってくれた。
「『離島医療の仕事』は直美の夢だったんだろう」私は何とかそれだけを答えた。
「それは男の人の考え方です。姉は出発する朝まで貴方が引き留めてくれるのを待っていましたよ」昌美は電話口で泣いていた。
「マツノさんが姉に仕事を選ばせたんですよ」「でも、そのために頑張って来たんじゃないか」昌美の一方的な叱責に私は反論した。
「今の姉に好きな人以外の何がいるって言うんですか」昌美の言葉を聞いて、ウチナー屋のママさんの「もう沖縄で女を泣かせたら許さないよ」と言う言葉と厳しい顔が浮かんだ。結局、私の臆病と鈍感が、また大切な人に哀しい思いをさせてしまったのだ。
私の胸に、あの夜ホテルで直美が見せた哀しげな顔、寂しげな顔、決意した顔、そして私の胸で震えていた顔、痛みに耐えていた顔、朝に見せた恥ずかしそうな微笑がアルバムの写真をたどるように1つ1つ浮かんで消えていった。

直美の仕事が本格的に動き始めたところで、私は石垣島へ行くことにした。
「エッ、本当?」電話でこの事を提案すると、最近は疲れたような声をしていた直美が、久しぶりに元気な声になり、私には電話の向こうの直美の全開の笑顔が見えるようだった。
直美は病棟勤務になり、朝から夕方、夕方から深夜、深夜から朝の3交代勤務で、直美がまだ新米で休みが取れないため、この空いた時間と私の休みが上手く重なるようにしようと言うわけだ。
結局、深夜から朝8時半まで勤務して、翌日の朝8時に出勤するまでの1日の休みが私の休みに重なる週を選び、金曜日の最終便で石垣島へ行き、(翌週の準備のため)日曜日の昼には那覇へ戻ってくることにした。

春の観光シーズンにも何とか予約出来た民宿のオヤジさんに事情を話すと「八重山病院には俺もお世話になってるよ」と快く部屋で2人で過ごすことを許してくれた。
翌朝、私はロビーで新聞を読みながら待っていると9時過ぎに直美がタクシーで民宿に来た。白のポロシャツにGパンの直美は少し痩せたように見える。
「元気か?」「うん、貴方は?」「うん、頑張ってる?」「うん、貴方は?」こうして会っていても会話の出だしは電話と同じだった。
「朝飯は?」「病院で摘み食い、エヘヘ・・・」直美は照れ笑いをした。
「やァ、いらっしゃい」私たちの声が聞こえたのか、奥からフロントのカウンターにオヤジさんが出て来た。直美は少し恥ずかしそうな顔をしてお辞儀した。
部屋でシャワーを浴びた直美は、Tシャツに短パンに着替えている。
「夜勤明けだろう、寝ろよ」「でも・・・」直美は迷っているようだった。
「直美の寝顔を見たいしさァ」「もう、エッチ!ハハハ・・・」直美は少し唇を尖らせてから、全開の笑顔を見せてくれた。
「この笑顔に会いに来きている」私は心から救われていた。
「隣にいて・・・」シングルのベッドに横になると直美は大きな目で私の顔を見つめた。
言われるまでもなく私は添い寝をするつもりだ。
「ここが安心・・・」腕枕をすると直美は私の胸でそう呟いて、やがて寝息を立て始めた。

直美は昼過ぎまで眠った。
「こんなに睫毛が長かったのかァ」寝つかれない私は、カーテンを閉めた薄暗い部屋で直美の無防備な寝顔を見ながら過ごしていた。
腕枕をしている腕は些か痺れていたが、私が腕を外そうとすると直美はビクッとして、一瞬目覚めてしまうのだ。
私は、またしばらくは会えない直美の体温、体の弾力、唇の色、髪の匂い、吐息の音を忘れないようにと切実に願っていた(そう思いながらも若い男なりの欲望も感じていたが)。
何度か悪戯に額や頬にそっとキスをすると直美は眠ったまま笑った。

ある時、直美の方が「花いちもんめ」と言う映画を見るため本島にやってきた。
それは痴呆症(=認知症)の老人を描いた作品だったが、映画を食い入るように見ているその真剣な眼差しに直美の仕事に対する姿勢を感じ取った。
直美と始めて映画を見たのは国家試験が終わった後、1人で那覇に来た時だが、それは「刑
事物語・潮騒の歌」だった。
この映画は沢口靖子のデビュー作品でもあり、画面のセーラー服姿の靖子を見て隣を見ると同じ顔があるのには不思議な感じだった。
この時の同時上映は松田聖子と中井喜一の「プルメリアの伝説」でこちらは中井喜一を見て直美が隣を見ていた。

ある時、本島に来た直美が「赤十字病院へ行きたい」と言った。直美の離島から八重山病院に入院していた患者さんが赤十字病院に転院になったらしい。
空港からホテルに向かい、チェックインして荷物を預け、島から預かってきた小物が入った紙袋を持ってタクシーで沖縄赤十字病院へ向かったが、沖縄赤十字病院は漫湖の畔にあり、直美が見舞っている間、私は漫湖の周囲を歩いて時間を過ごした。
「お待たせェ」「もう良いの?」「うん、ありがとう」小1時間が過ぎた頃、直美が歩いてきた。島から預かってきた紙袋は病院に置いてきたのだが、代わりにお菓子をもらってきていた。
「病院には食事制限があるから、見舞いにお菓子をもらうと困る患者もいるのさァ」その患者さんも食事制限を受けているようで同室の患者からのお裾分けも看護師に取り上げられてしまうようだ。
「折角だから漫湖の周りを歩いてみよう」「うん、もう夕方だから暑くないさァ」そう言って手をつなぐと2人揃って歩き出した。
途中の公園のベンチに座り、あの頃と同じように自動販売機で買った缶ジュースを飲み、お菓子を頬張ると幸せな気分になった。

やがて漫湖の奥の豊見城村に入ったが、私は突然、見覚えのある風景に直面し立ちつくした。
「どうしたのさァ?」固まったように動かなくなった私を直美は怪訝そうな顔で覗き見る。
「俺、ここで死んだ・・・」「えっ?」私は幼い頃から同じ夢を繰り返し見ていた。
あの日、上衣を脱した海軍第3種軍装(鉄帽は被っておらず、脚は兵隊用の軍靴に脚絆だった)の私と汚れたブラウスにモンペ姿の若い母親、膝までの着物の5歳と3歳くらいの男の子の4人で民家の崩れた石垣の影に隠れていたのだ。集落は艦砲射撃と爆撃で破壊されて家屋はほとんど残っておらず、ただ集落の向うには藪があった。
その時、車両のエンジン音と英語の話し声が聞え、のぞくと数名のアメリカ兵が坂を登ってくるのが見えた。私は母親に「囮になるから藪に逃げ込んでアメリカ兵が通り過ぎるの待て」と指示し、怯えた母親の横でこちらを見ている子供の頭を撫で藪の反対側の坂道を登るように駆け出した。
走りながら「軍刀が邪魔だなァ」と思ったところで米兵の甲高い叫び声と機関銃の乾いた銃声が聞こえ、同時に背中に焼けた石を投げ付けられたような衝撃を感じ、突き倒されたように転がって仰向けになった。
そして見上げた青い空と白い雲、冷たく感じる背中、ハシャイだようなアメリカ兵の歓声、遠くなっていく意識・・・今、その場所を見つけたのだ。
「やっぱり貴方って沖縄のために命を捧げた人だったんだね」私の説明を聞いて直美は感激したように何度もうなづいた。普通なら「そんな馬鹿な」と笑われるような話を直美は真実として受け留めてくれたのだ。
「だって貴方と一緒にいると何だか安心できるし、ナイチャーやシマンチュウなんて関係なくなっちゃうのさァ」確かに私自身も親から逃れるために最も遠い任地を選んだのだが、初めて沖縄の地に降り立った時、空気そのものに包まれるような安らぎを感じ、愛知の実家に帰る以上の懐かしさを噛み締めたのだ。
そう言えば複雑に入り組んだ沖縄の街でも道に迷うことなく歩き回ることができ、難解なシマグチ(沖縄方言)もすぐにマスターした。今では島唄がカラオケの十八番なのだ。これも前世の経験が私の中で蘇っているのかも知れない。
「やっぱり、貴方って私と一緒になる運命なのさァ」直美が出した結論は、やや飛躍し過ぎのようだが、それも納得してうなづいた。
その夜、抱いている直美の顔があの時の母親に重なったが、それは単なる思い込みだろう。前世の私が住民である人妻とそんな関係になっているとは考えたくないのだ。

私の石垣島行きは4回で終わった(直美も2回、本島に来たが)。直美は欠員だった離島の診療所に転勤し、今までの日程では会えなくなったのだ。そして私が防府の教育隊に臨時勤務したのを境に次第に連絡が取れなくなっていった。

「盆、正月くらいは帰って来い」と親から「年末年始休暇の帰省」を命令してきた。こうなったら有無を言わさないのがウチの親だ。本当は「5月の連休も地元の神社の大祭にも帰ってこい」とうるさいのだ。
私は宮古島の直美の実家で沖縄式の正月を楽しみたいと思っていたが、そんな予定はキャンセルして帰省しなければならなくなった。
「ならば」と私は重大な決意をして帰省することにした。

長兄である伯父の意向を受けて父は私の沖縄の女性との交際を禁じ、父の顔色だけを伺う母は子供がそれに背くないように心がけている。したがって実家では私の沖縄での交遊関係、つまり女性と交際の話題は「危うきに近づかず」状態でタブーになっていた。
私は得度を受けた坊主として祖父の寺の年末の大掃除から新年の檀家さんの参賀の準備、年頭の挨拶回りまで修行僧のように時間を過ごした。このおかげで父の実家への年始の挨拶を逃れることができたが、寺にこもりっきりの私に父は不機嫌だった。
明日は沖縄に帰ると言う夜、母が夕食の片づけを終えて戻って来たところで、私は意を決
して切りだした。
「俺、沖縄に彼女がいるよ」母は驚いて私を見たが父はテレビを眺めたままだった。
「もう長いつき合いなんだよ。将来は結婚も考えてる」母は顔を強張らせた。
「何言ってるの、沖縄の彼女は駄目だって言ってあるじゃない」母がこう言うと父が私の顔は見ないで口を開いた。
「それは沖縄人の娘か?そんな国際結婚みたいなものが上手くいくはずがない」これは伯父の意見の請け売りである。母は父の顔を窺いながら私の顔を不満そうに見た。
「その子はどんな子なの?」母は座の重い空気を払うためだけに一応は訊いてきた。
「元気で明るい子です。23歳の保健婦さんだよ」私はホッとしながら話し始めた。
両親はしばらく直美の仕事と家族、生い立ちなどの私の説明を聞いていた。そこで母が「どこで働いているの?」と訊いた。
「八重山の離島の診療所で勤務しているんだ」私は直美の高い志を説明したくて正直に答えた。
「八重山と言うのは何処だ?」「石垣島や西表島の辺りだけど、そこの小さい離島だよ」「離れ島に飛ばされたのか?」父が声を荒立て母は不満そうに顔を歪めた。
「離島医療の仕事がしたくて希望して行ったんだ」私の説明も両親には言い訳にしか聞こえないようだった。父が言葉を続けた。
「そんな家庭的なことを考えない仕事優先の女は駄目だ」「沖縄の離島は無医村が多くて、そんな仕事がしたくて看護婦になったんだ。この辺りの若い女の子でこんな高い志を立てる人がいるか」私の説明にも父はさらに「女は結婚して家を守るものだ」「夫の仕事を支えるのが妻の役割だ」と母が保母になった時、「家事の手抜きは許さん」と命じた持論を語気も荒く言い始め、それで苦労しているはずの母も父に同調して説教を始めた。
「そんな仕事優先の子とつき合っちゃあ駄目だよ。だから沖縄の女の人は駄目だって言っていたでしょう・・・」そこで父が諭すように静かな口調で話し始めた。
「どうせ将来はないんだから深入りする前に手を切るんだな」これが結論だった。
予想された事態だったが「深入り前に」と言われても、それは手遅れだろう。
「直美は純潔(処女)を捧げてくれたのだ」と告白しようかと思ったが、それも無駄と覚
り、密かに両親に背き、故郷を捨てる決心をしていた。
ヒョッとすると私は薄笑いを浮かべていたのかも知れない。

突然、妹の昌美から電話があった。
「私も国家試験に合格しました」「おめでとう、もうそんな時期かァ」昌美と話すのは直美が本島に来た時、空港で見送った時以来だった。
「昌美はどこの病院になったんだい?」「私は沖縄病院に残ります」そう答えた後、昌美は「やっぱり都会が好い、私は姉ほどエラクはないんです」とつけ加えて笑った。
しばらくの雑談の後、突然、昌美が声を一オクターブ落とした。
「マツノさん、姉を許してやって下さい」「エッ」「姉も今、頑張っているみたいです」「ウン」私は直美から届いた島と職場の写真を思い出した。
「あんな素敵な人が幸せになれないはずがないさァ」この台詞には大分無理がある。すると昌美は、そんな私の本心を見抜いているかのように言葉を続けた。
「姉は多分、結婚はしないって言っています」「エッ?」思いがけない言葉だった。
「最初に好きになった人に、あんな愛され方したら、もう誰も愛せないって言っています」「それはどう言う意味?」私はまた何か直美を傷つけるようなことをしたのか不安になり問い返した。昌美は一呼吸を置いた後、こう付け加えた。
「マツノさんって、ただ愛すだけで、何も欲しがらないでしょう」「エッ?」「そんな愛し方する人、ほかにいないですよ」私はまだよく意味が分からないでいた。
昌美も「少し考えなさい」と言うように黙っている。
「でも、私はマツノさんみたいな人とつき合うのはコワいな」やがて昌美は少し意地悪そうな声でこう言って電話を終えた。

夏、私は部隊の野外訓練・現地研修で5度目の石垣島に行った。
石垣島には3泊して日程に余裕があり、真ん中の1日で私は直美が勤める離島へ行くことにした。「離島医療に励む彼女の激励ね、結構」指揮官は笑って単独行動を許してくれた。
朝、石垣港を出て、夕方、石垣港へ戻る1日1往復、片道2時間半の船旅だ。小さな船は外洋ではよく揺れる。有名な観光名所もない離島への便には観光客はなく、船内には数人の地元の人たちのほかは新聞や食料品などの荷物がほとんどだった。
「マツノさーん」直美は島の港まで迎えに来ていて、岸壁から大きな声で呼びながら手を振っていた。その姿に船員さんとお客さんが一斉に私の顔を見た。
「ニィニは砂川さんのお客さんねェ」「砂川さん、最近嬉しそうにしていたわけさァ」みんなは口々に私に話しかけ、お互いに噂し合った。
「本当に来てくれたんだァ」少し日に焼けた直美は久しぶりの全開の笑顔で抱きつこうと手を伸ばしたが、周囲を見回してその両手で私の手を握った。
港から直美が勤める診療所までは自転車で2人乗りだった。無医村であるこの島の診療所は広くはない島の中央にある役場の出張所の建物に同居しているのだ。
直美が診療室のエアコンを入れ、冷蔵庫から麦茶を出すと、私たちは保健婦と患者の席に
向かい合って座った。
「頑張ってるね」「うん、毎日充実しているよ」直美の顔には八重山病院にいた頃よりも自信と充実感があった。それは大きな目がパワーアップしていることでも分かる。
それからしばらくはお互いの近況と思い出を話していた。時折、島の人が小さな怪我や軽い病気でやって来て、直美は電話で医師の指示を仰ぎながら手当や薬を出していた。私はその度に廊下へ出て、そんな仕事ぶりを見ていた。
昼食は島一軒の食堂で食べた。そこでも直美は皆から声をかけられ、「彼氏ねェ?」と私のことを訊かれると、「私の大事な人さァ」と自慢そうな顔をした。
「ニィニ、砂川さんを嫁さんにしてもいいけど、ニィニがこの島に来ないと駄目さァ」突然、食堂の小父さんが言った。
「砂川さんが島にいなくなっては困るのさァ」昼間から泡盛を飲んでいるお客の小父さんもそれに同調した。私が顔を見ると直美は黙ってうなづいた。
私のニライカナイ・砂川直美
「私、貴方の赤ちゃんが欲しかったんだ」診療所に戻り、保健婦と患者の席に座ると直美がポツリと呟いた。
「何言ってるのさァ、看護婦さんが」「またそれを言う、私は看護婦の前に女だよ」直美は「相変わらず解ってないなァ」と呆れた顔をして私を見つめた。
「でも、そう言いながら、赤ちゃんが出来たら大喜びしてくれるんだよね、貴方って」直美は、そう言って今度は静かに笑った。
確かに何も解っていない、私の中の鈍感と臆病が治っていないことが腹立たしく、哀しくなった。そして、直美は私自身以上に私を解っていた。
「そろそろ(船の)時間だ」やがて直美が腕時計を見た。それは私が看護婦の国家試験の合格のお祝いに贈ったものだ。「使ってるよ」と直美は腕時計を見せた。
2人揃って立ち上がると手が届く距離だった。私は黙って直美を抱き締めた。懐かしい弾力、体温、髪の匂い、私はまだ直美の身体を覚えていた。腕は自然に背中に回って直美の顔を近づけ、唇はそのまま重なる。長い長いキスだった。

「時々、自衛隊の戦闘機が飛んで行くんだよ」港で船を待つ間、直美は空を見上げながら言った。
「それは台湾へのスクランブルだね」私はどうでもいいことを一生懸命説明している。そうしなければこの重い時間に耐えられなかったのだ。
「海はつながってるから流せば貴方に届くかなァ」「何を?」「何でもさァ」「それなら風に乗せればいいさァ」「そうかその方が早いね」そう言って直美が空を見上げて無理に笑った時、乗船が始まった。
「私、ずっと貴方が好きだよ・・・ありがとう」連絡船に乗り込む私に直美は顔を近づけてこう言った。大きな目は私の心の奥まで見通しているように見える。
「私は看護婦の前に女だよ」その時、私の胸に先ほどの直美の言葉が甦り、不思議な熱い
感情が噴き上がってきた。
「直美、迎えに来るまで待ってろ」気がつくと私は直美に向ってこう言っていた。
「エッ?何」しかし、丁度、吹かし始めた連絡船のエンジンの音にかき消されて私の声が直美には聞こえないようだ。直美は耳に手を当てた。
「迎えに来るから待っていてくれ」私は声を大きくして繰り返した。
「エッ?」直美は、それでもその言葉が信じられないような顔をしている。私は大股で引き返すと力任せに直美を抱き締めて、耳元でもう一度繰り返した。
「直美、待っていてくれ、結婚しよう」直美は一瞬、驚いたように体を固くしたが、すぐに「はい」と返事をして深くうなづいた。
波止場には用事のあるなしに関わらず大勢の島民が来ていて、年寄りが殆どの皆は私と直美の様子を驚きと好奇の目で眺めている。連絡船の船員さんも乗船を促すのを忘れて黙って私達を見ていた。
「じゃあ、また来る」「うん、待ってるよ」腕を解くと、私は連絡船に、直美は波止場に後ずさりした。直美は、笑顔と泣き顔の入り混じった不思議な顔で大きく手を振り始めた。
私が乗船し、船員が手摺の乗降口に鎖をかけると、やがて「ガクン」と言う衝撃とともに大きなエンジン音を立てて小さな連絡船は出港した。
私は、かぶっていた空色の帽子をとると頭の上で直美に向って思い切り振った。直美も波止場で飛び跳ねるようにして両手を振っていて、後ろでは島民たちが相変わらず噂をし合っている。
「やったな・・・」船が島の港を出て直美の姿が見えなくなると私は、長年の直美への想いに結論が出せたことの安心感と初めて親の意向に背いて自分の意思を通したと言う達成感とで胸が高鳴るのを抑えることができなかった。
これから先、那覇と離島と言う超遠距離恋愛をどう続けていくのか、直美の離島医療の仕事をどうさせるべきか、何より沖縄での結婚に反対している親と親戚をどうするのか、それは後で考えることにした。

「マツノさん、姉にプロポーズして下さったそうですね」本島に帰るとすぐに妹の昌美から電話があった。昌美はまだ国立沖縄病院にいるはずだ。
「姉から何だか夢を見ているようだから、現実かどうか確かめてって言われたんですよ」昌美の口ぶりは、真剣でありながら、どこか呆れているような軽さが感じられる。
「うん、お姉さんをもらいたい」私の返事に昌美は黙って一呼吸を置いて答えた。
「そうですかァ。有難うございます」それは何かが弾けたような声だった。
「姉は、いい奥さんになりますよ、妹の私が言うのも変ですけど」「それに姉はマツノさん一筋ですから」いつもはクールな昌美が珍しく一気にまくし立てる。
「うん、そう思ったから決めたんだよ」私は、あらためて喜びが込み上げてくるのを感じていた。ただ、その頃には少し冷静になり色々な問題を考えてもいたが。

「沖縄に結婚したい女性がいる」私は親に電話をかけた。しかし、反応は冷ややかだった。
「それは駄目だって言ってあるでしょう」母は、最初から聞く耳も持たない。
「前の人で懲りたでしょう」母は数年前、「混血とは、清んだ血が濁ることだ」と言う父の長兄の独断としか言いようのない意向を受けて、アメリカ空軍の女性兵士と無理やり引き裂かれたことを持ち出した。
「何でそうなるんだよ」私が、なお食い下がろうとすると、母は追い打ちをかける。
「そんなことをして伯父さんと仲違いすれば、お父さんが困るんだよ」母は、ただ父の立場だけを強調する。これが私の家の絶対的ルールなのだ。
しかし、私は今回「親の恩よりも直美への愛を選ぶ」と親に背く覚悟をしていた。
「それじゃあ、もう愛知には帰らないから」私がそう言うと母は慌てて何かを言い返そうとしたが、私はそのまま電話を切った。

「地元の神社の大祭にぐらい帰って来なさい」と言う親からの葉書を無視して私は連休に直美の島へ行くことにした。
今度は前日の夕方の飛行機で石垣島に行き、あの民宿に1泊して、朝の連絡船で直美の島に渡り、直美の宿舎に1泊する予定だ。
私はハムやソーセージの加工品や缶詰、野菜に果物とインスタント食品などを石垣島のスーパーで山ほど買い込んで連絡船に乗った。
「二ィ二、砂川さんの旦那さんねェ?」今度は連絡船に乗り込んだ直後から同乗した小母さんから声をかけられた。もう噂は島中に行き渡っているようだ。
「ハイ、まだその手前ですけど」「砂川さん、島から連れて行ってしまうんねェ?」この話は前回、島に行った時も食堂で島の小父さんたちから言われたことがある。
「それはまだ判りません」「こんな離れ島に来てくれる保健婦さんなんて、中々いないんだよ」小母さんがそう言った時、隣に座っていたお爺さんが小母さんに声をかけた。
「砂川さんだって若いんだから、いつまでも1人と言うわけにもいかんじゃろう」お爺さんの言葉には少し嗜める響きがある。小母さんはそれが少し不満そうだった。
「そりゃあ、そうだけど」小母さんが黙るとお爺さんは遠い眼をしながら話を続けた。
「ニィニに島に来てくれって言ったって、島には仕事もないし・・・ニィニなら、砂川さんを幸せにしてくれそうじゃ」お爺さんの言葉に小母さんもうなづきながら私を品定めするように見はじめた。
「砂川さんは、いい娘さんだよ」「まったくだ、明るくて元気で優しくて」小母さんはお爺さんと口々に直美を褒めてくれた。
「はい、ありがとうございます」お礼を言いながらも私は、直美との結婚の前に乗り越え
なければならない問題の大きさを思った。

直美の宿舎は診療所に程近いコンクリート作りの1軒家、6六畳1間に台所とシャワーだけの小さなものだった。私は1人で本を読みながら直美を待っていた。
夕方、仕事を終えて「ただいまァ」と言いながら帰って来た直美は、そのまま私が持ってきた食材を使って、「今日は御馳走だ」とハシャギながら手際よく調理し始めた。考えてみると直美の手料理を食べるのは初めてだ。
「貴方が、シマナイチャーで助かるさァ」直美の料理はやっぱりチャンプルだった。
「野菜は島の人たちが入れ替わり差し入れてくれるから不自由しないのさァ」と言って直美は大皿に盛ったチャンプルを座卓の真ん中に置いた。
食器は1つずつしかないので、私は麺類用の丼ぶりでご飯を食べ、お茶は直美は湯のみ、私はコップで飲む。箸は割りばしを買ってきた。
「俺の分の食器も置いておかないとなァ」「うん、借りておけばよかったね」直美は申し訳なさそうに言いながらも嬉しそうにうなづいた。
「でも、食器を借りたりしたら島中に知れてしまうよ」「もう、手遅れさァ」今度は直美は可笑しそうに笑った、確かに連絡船に乗った所ですでにバレテいる。
昼過ぎには受診してきたお婆さんから、「旦那さん、来たねェ」と言われたそうだ。この島ではもう私のことは「旦那さん」で通っているようだ(気が早い)。
「だったら、明日は堂々と島の中を歩けるね」「うん、案内するよ」直美は別に気にする様子もなくアッケカランと返事した。
直美が麦茶のボトルを持って来て坐ると2人揃って「カッチーサビタン(いただきます)」と手を合わせる。
「マーサイねェ?」「イッペイマーサイビン」「よかったァ」直美はホッとした顔をした。直美のチャンプルはウチナー家で食べている味とは少し違ったが美味しかった。
「ところで俺が来ていること、宮古の家は知ってるの?」「もう昌美が言ってるよ、私の家では内緒は出来ないのさァ」そう言う直美の口にチャンプルが1箸入っていく、私は小さな箪笥の上に私の写真と並べて飾ってある家族の写真を見た。
祖父母に両親、7人姉妹弟の11人家族が勢揃いすると少なめのクラス写真のようだ。

「シマザケ、飲む?」直美は夕食後、洗い上げを済ませると泡盛の小瓶を取り出した。
「これも『旦那さんと飲め』って、近所の小父さんの差し入れさァ」直美は私の顔を見た。
「直美は?」「エヘヘヘ・・・飲む」直美は何故か恥ずかしそうに笑った。
「また、ストレート?体に悪いよ」直美は自分の水割りの準備をしながら声をかけた。
「宮古島へ行った時の『御通り』の練習さァ」私は近いうちに直美の実家に挨拶に行くつもりだった。その時には「御通り」と言う車座で泡盛の回し飲みをする宮古島の風習をしなければならないことは知っている。
「そうか、『御通り』かァ・・・」直美は少し困った顔をした。最近、時々電話してくる昌美の話では、中々帰れない直美に代わって昌美が帰省する度に私たちのことを家族に話していて、親も「一度、連れて来い」と言ってくれているらしい。
ただ、中学生になった弟だけは「直美ネェネ、お嫁に行っちゃうの?」と悲しそうにしていたそうだ。弟は幼い頃、大家族を支えて忙しく働く母を援けて直美が育てたのだ。
「ニィニができるのさァ」昌美の説明に弟もようやく明るい顔になったが、かえって妹たちの方が「エッ、ニィニ?」と興味深々と目を輝かせたとも言っていた。

「ハイムルブシ(南十字星)が見たい」私の希望で直美は街灯りもない夜道を懐中電灯を持って、集落の外れの高台まで連れて行ってくれた。
「ハブは?」「この島にはいないよ」「フーン」「宮古島にもいないんだよ」「フーン」そう言いながらも直美は足下を照らしてみせる。
「あれがハイムルブシさァ」直美は真南の水平線に1つ見える星を指差した。
「波照間島なら上の3つが見えるんだよ」「へー、いつか見たいなァ」「うん」今夜は満月に近く、夜空が明るくて折角のハイムルブシもあまりはっきりしない。ただ、ほろ酔いの頬に夜風が心地よい。
「この人をお嫁に下さい」私はハイムルブシに向って手を合わせて呟いた。
「エッ、何?」「ハイムルブシに直美をお嫁にくれってお願いしたのさ」「もう、ロマンチストなんだから、ハハハ・・・」私のキザな答えに直美は夜空を見上げながら嬉しそうに笑ったが、その後で「グスン」と鼻をすすった。
「ねェ、誓いのキスは?」私のリクエストに「それって宗教が違うんじゃあないのォ」と言いながら直美は黙って目を閉じる、今夜の直美の唇は泡盛の匂いがした。

宿舎に帰ると交代でシャワーを浴び、2人ともTシャツと短パンに着替えた。
「ごめん、蒲団もシングルが一組しかないんだ」直美は掛け布団を敷布団と並べて敷きながら謝った。ただ、狭い部屋はそれで一杯になる。
「一緒の布団に寝ようかァ」「もうエッチ、ククク・・・」直美は少し恥じらって笑う。
「だけど食器は兎も角、布団は揃えてと言うわけにはいかないね」「うん」「冬場は寝袋でも持って来るよ」そう言いながら私は、胸の中でいつまで直美はこの島に居させるのかを思い、直美も同じことを思ったのだろう、何も返事をしなかった。
部屋の灯りは私が消した。直美は先に布団で仰向けに寝ている。灯りを消すとどこかの家の酒宴の声が聞こえてきた。
「私、貴方に抱かれるのがコワい・・・」直美は天井を見ながらつぶやいた。
「コワい?」部屋に刺し込む月の光で、直美が大きな目を開いているのがわかる。
「私は、貴方に抱かれてしまったから、もうこれ以上あげられるものがないさァ」そう言うと直美は私の方に体を向けて大きな目でじっと見つめた。しばらく2人で見つめ合っていた。
「俺、まだ直美にもらいたいのがあるのさァ」「エッ?」直美は私の目を見返した。
「これからの時間さァ」「時間?」直美は戸惑っている。
「これからは一緒に生きていて下さい」そう言うと私は直美の布団に入り、首筋に腕をま
わして抱き締めた。
「でも私がこの島にいる間は離ればなれだよ・・・」「離れ離れは始めからさァ」「うん」直美も私に首筋に腕を回してくる。
「だからこうして会っている時は一生懸命に君を愛するのさァ」「うん、グスン」うなづきながら直美はまた鼻をすすった。口づけると今度は少し塩味がした。その夜、直美を心を込めて愛した。

翌朝は、早くから直美に案内されて島の中を歩き回った。とは言っても狭い島では集落の外はサトウキビ畑ばかりで、その向こうは海岸だ。
「このヘリポートは救急患者を自衛隊のヘリコプターで運んでもらう時に使うのさァ」集落のはずれの少し高くなった場所にサトウキビ畑のはずれにコンクリートで舗装し、丸にHと描かれたヘリポートがあった。
「貴方が乗って来れるなら、バンバン要請しちゃうのになァ」直美は大胆な冗談を言って悪戯っぽく笑い、私は呆れながら答えた。
「あれは陸上自衛隊のヘリだから駄目さァ」「そうなの?空を飛ぶのは全部航空自衛隊だと
思ってた」私はさらに呆れてしまった。
「でも、この間、緊急要請で離島へ行ったら、そのまま家族が乗り込んで来て困ったって
陸のヘリ隊の連中が言ってたよ」「そりゃいいね?それじゃあ、私が乗ってっちゃおう、ハハハ・・・」直美は相変わらず空を見上げて口をあけて笑う。私は「冗談じゃないよ」と思いながらもつられて笑った。
「あー、砂川さんの旦那さんだ」集落へ戻ると出会った子供たちが声をかけてきた。
「おはよう」「おはようございます」私たちが揃って声をかけると、子供たちも元気に返事した。すると、女の子の一人が私の顔を見上げながら言った。
「旦那さん、私が保健婦になるから、砂川さんをお嫁さんにしてもいいよ」「エッ?」私は驚いて女の子の顔を見た。眼のクリクリした賢そうな子だ。
「だったら勉強を一生懸命しないとね」「うん、砂川さんも勉強したの?」「うん、すごく頑張ってたよ」あわてて否定しようとする直美に代わって私が答えた。
「すごーい」子供たちは改めて直美に尊敬の眼差しを浴びせる。
「もう」「だってデートもしてくれなかったじゃあないか」私たちは小声で言い合った。

波止場で連絡船の出港を待つ間も話は続いた。しかし、今回は将来へ向けての相談だった。
「夏の休暇には、宮古島へ行きたい」「はい」「直美も帰れるかい?」「早目に申請しておけば大丈夫だと思うけど・・・いつ?」「お盆の時期は外してもらった方が間違いないね」「はい」直美は真顔でうなづいた。
「私の家は賑やかだよ」「そりゃ、十一人家族だからね」私が納得したつもりでうなづくと直美は話を続けた。
「それだけじゃないのさァ、みんな元気なのが揃っているのさァ」「何だかコワいな」「大丈夫、家族って信じ合える人の集まりだから、多い方が幸せなのさ」直美のこの言葉に「この人を選んでよかった」と私は心の底から思った。

私は石垣島で絵葉書を買い、親に短い手紙を書いた。
「彼女とは心から愛し合っています。プロポーズをして了解してもらいました。近いうちに向こうの親にも挨拶に行きます。もう、そちらが認める以外に道はありません」言葉は丁寧だったが内容は最後通告だった。やはり何の返事もなかった。

私は、お盆前にも親に「「沖縄で結婚したいと思います。その人は離島の診療所で勤務している保健婦で砂川直美さんと言います。お盆には帰らず、彼女の島(宮古島)へ行く予定です」と手紙を書いたが無視を決め込んでいるのか返事は来なかった。
ところが、すぐに母から「諦めさせる」相談を受けたと言う祖父から手紙が届いた、
「お前の人生はお前のものだ。お前が選んだ人なら、きっと素晴らしい人なんだろう。いつも親の言いなりだったお前が、自分の気持ちを曲げないでいることは痛快であり、頼もしくもある。応援してるから頑張れ。直美さんにもよろしく伝えてくれ」とあった。やはり、祖父は故郷における唯一の理解者なのだ。

「マツノさーん」宮古島空港のロビーで直美が待っていた。流石に地元へ帰るとリラックスしているのか直美は大柄のイラストがプリントされているピンクのTシャツにデニムのバミューダーパンツ、サンダルだった(妹たちと共用)。一方、私は一兆羅の夏用ブレザーにネクタイまで締めている。
「結婚のお願いに行くのだから」とあらたまればこう言う格好になるのがモリノ家式だ。
「すごい格好、初めて見たよ、別人みたい」「似合うか?」「うん、ハハハ・・・」直美のこの笑いは何なのかと考えながら並んで歩き出した。
「おトウが車で迎えに来ているのさァ」「ゲッ、いきなり?」「大丈夫だよォ」私の親が反対していることは直美、昌美経由で伝わっているはずだ。
「さて何と挨拶するべきか」、そんなことを悩み、挨拶の練習しながらだと歩調がゆっくりになった。すると、直美は先に立って駐車場に向かって早足で歩き出した。
冷房が効いた空港の建物を出ると汗が噴き出したが、それは暑さだけではないだろう。
「ハイサーイ」直美の父・砂川賀満さんは駐車場の奥に停めた年代物のワゴン車の前に立って待っていて、私たちの姿を見つけると大声で挨拶してきた。色は黒く、目は大きく、背は沖縄の人としては長身で、何より笑顔は全開だった。
「はじめまして、マツノです・・・」「暑いから、乗った乗った」父は挨拶もそこそこに冷房が効いた車に「乗れ」と勧めた。そして、運転席に座ってから「はじめまして」と言った、父はやはり直美の父だった。

直美の家は平良市の外れにあった。平良市農協に勤める父が建てたのか築十年ぐらいの鉄筋の平屋だ。11人家族が住むにはこじんまりしていて、裏はサトウキビ畑が広がっている。
「マツノさん、来たさァ」最初に車を降りた直美が玄関で大声をかけると家の中から、年
齢、性別バラバラの家族がぞろぞろ出てきて「こんにちは」「はじめまして」「ハイサーイ」
「ようこそ」「メンソーレ」と勝手に挨拶をした。昌美を除く5人の女の子が揃うと流石に圧巻だった。
「はじめまして、マツノです。本日は、お世話になります」私が挨拶をすると「スゴーイ、ちゃんとネクタイをしてる」と感心する妹、「わかったねェ、これが本土の正しい挨拶なんだよ」と教育する姉妹、「本当、真面目そうさァ」とささやき合う祖母と母。祖父と父、弟・賀真は女たちの勢いに圧倒されている。これが直美が言う「賑やか」な家族なのだ。

夜はモンチュウが集まって、砂川家の座敷2間の襖を外した部屋で宴会になった。
私を上座に座らせ、父と本家の主人が挟んだ。座敷には地元料理に揚げ物を盛った大皿が並んでいる。父の横には祖父、女性陣は部屋の反対の隅に向かい合う形で並んでいた。
「こちらマツノさん、直美をもらいに来たさァ」いきなり父が紹介した。家についてシャワーを勧められ、その間に母と直美は料理の準備、父は山羊をつぶすと出かけ、着替えた私は妹弟に近所を案内され、まだ、正式に結婚の申し込みをしていない。
「マツノさん、堅い話はなしで一言」挨拶もいきなりだった。
「はじめまして、マツノです」と言いかけたところで「ヒュー、ヒュー」と指笛が響き、「カリユシドォ(めでたい)」「乾パーイ」と声がかかり、酒盛りが始まった。
「マツノさん、この家では話は飲んでから」呆気に取られている私に父が耳打ちをした。
「マツノさん、シマザケ飲めるねェ?」本家さんが、背後に置いてあった丼ぶりと地泡盛「菊の露」の一升瓶を取ると、私の前に座りなおした。私は「いよいよ、御通りか」と覚悟を決めた。その時、直美が小母や妹たちに囲まれた中で心配そうに見ているのと目が合った。
「少しなら」とうなづくと、本家さんはニヤッと笑い、菊の露を私に渡すと、丼ぶりに注がせて一気に飲んで私に渡した。
「大丈夫、倒れても看護婦が付いているさァ」本家さんはそう言いながら私が飲んだ丼ぶりを隣に座って居る父に渡すようにうながした。
こうして全員がそれぞれ起点になった丼ぶりが何度も何度も回ってきて、それを全て飲ま
なければいけないのだ。
「御通り」は、いつ終ったのかは判らなかった。ただ私は、御通りを飲み遂げて身内として認めてもらえたようだった。
私は同じように酔っぱらった父と小父たちに囲まれて勝手な質問に答えていた。いつの間にか直美が心配そうな顔で隣に座っている。
「マツノさん、親御さんが反対してるってェ」「はい、すみません」父がいきなり痛い質問をしてきた。直美が顔を強張らせたのが分かった。
「親御さんは、直美の何が気に入らんねェ」「直美だからではなくて、沖縄の人だと遠いし、風習が違うんで親戚つき合いが出来ないと言うんです」私は酔っていて長い説明はしんどかったが、直美も隣でうなづいて聞いている。
「それでマツノさんは、どうするねェ」「親が変わるのを待つだけです。変わらなければもう愛知には帰りません」「ふーん」父はゆっくり深くうなづき一つ大きく息を吐いた。
「マツノさん、いっそシマンチュウにならんねェ」「エッ?」酔った頭では即答は出来なかった。
「でも、自衛隊には転勤があるんです」「それは仕事さァ、帰る所がこの家ならばいいのさァ」父の言葉に直美は私の顔を見て返事を待っている。
「はい、そうさせてもらえるなら私も沖縄を・・・直美を愛していますから嬉しいです」これは本心だった。自分たちの論理を通してしか世間を見ず、それにはめ込むことのみを絶対とする愛知の実家の考えには、もう付き合い切れないと思っていた。
「この人は沖縄料理が好きで、島唄も得意なシマナイチャーさァ」横から直美が言った。
「そうねェ、ヤギは食べれるねェ?」その言葉に小父が自分の前の山羊の刺身を盛った皿を差し出しながら訊いた。私は「はい」と返事をして箸をのばして数切れを食べ、「マーサイです」と言う私の返事に周囲の小父たちも感心したようにうなづいた。
突然、本家さんが私と直美の顔を見まわしながら訊いた。
「マツノさん、もう直美とは寝たねェ」直美が膝の上で手を握って下を向く。
「すみません」私も謝りながら下を向くと本家さんはニヤーッと笑った。
「そりゃあ、マツノさんが元気な証拠さァ、それじゃ、早く結婚しないといかんさァ」「エッ?」意外な台詞に今度は直美と私は顔をあげて本家さんの顔を見た。
「子供が先に出来たら困るさァ、親子続いて」「エッ?」横で父が慌てた顔をする。
「直美が出来たのも賀満が結婚する前、20歳の時なのさァ」「へーッ、道理で両親が若いわけだ」と私が父の顔を見ると今度は下を向き、なぜか直美もまた下を向いた。
「マツノさん、本当に直美をもらってくれるねェ」「はい、お願いします」本家さんの言葉に私がうなづくと、このやり取りに聞き耳を立てていた周りの小父たちが拍手をし、指笛を吹きはじめた。
それが合図になったかのように拍手が部屋中に広がり、口伝えで話が広がり、「カリユシドォ(めでたい)」「直美、よかったねェ」と言う声が起こり、私は呆気に取られていた。
「でも、酒の席でこんな大事なことを決めていいんですか」「だから本音が聞けるのさァ」父がうなづきながら答えると、直美が私の肩にすがりついて泣き出した。

台所で子供たちが食事をする声と音で目が覚めた。私は、まだ酒が残っている頭で昨夜のことを思い出してみた。
直美と結婚する話が決まって、出席者たちが帰ったり、酔いつぶれて勝手に寝転んだりし始めた頃、「直美ィ、もう俺んだよォ」と言って後ろから抱きつくと「こんなに酔っぱらちゃってェ」と引きずって蒲団まで連れてきてくれた・・・そこまでで終わり。
寝返りを打つと隣にその直美が寝ていた。
「ゲッ」私は必死に寝てからのことを思い返してみた。
「起きたねェ・・・」直美がぼんやり眼を開けた。直美は当たり前な顔をしている。
「俺、何もしていないよなァ?」私は急に不安になり訊いてみた。
「もう、何を言ってるのさァ、大丈夫だよ」直美は可笑しそうに笑った。
「喉乾いた?水取ってくるね」そう言うと直美は立ち上がって出て行った。
「ネェネ、おはよう」と台所から直美が母や妹弟たちと挨拶をする声が聞こえてきた。
「マツノさん、もう起きたねェ、おトウよりも強いさァ」と母の声が聞こえる。
「昨日のこと少しは覚えている?」戻って来て、まだボーと坐っている私の横に正座すると直美はコップを手渡して、少し心配そうな目で訊いてきた。
「うん、君はマツノ直美になるのさァ」私の答えに直美はホッとしてうなづいた。
「今日、入籍するのは?」「エッ」確かに「郵送で婚姻届をやり取りするよりは2人揃って手続きをしてこい」と言われ了解した覚えはある。
「うん、覚えてるよ」「本当にいいの?」「君は?」「私は貴方さえよければ安心さァ」直美は大きな目で私の目を覗き込んだ。私に迷いはなく、むしろそう願っていたのだ。
「僕と結婚して下さい」「はい」私の最終確認に直美はうなづいた。
その時、開けっ放しの廊下で母が「グスン」と鼻をすする音が聞こえ、忍び足で台所に戻っていくのが判った。

その日の午後、私と直美は、直美の本籍がある平良市役所に婚姻届を提出した。印鑑は自衛隊の躾で三文印を持って来ていた。
その時、私は自分の名前の振り仮名を「ノリヒト」ではなく「テンジン」と音読みにした。それは沖縄の風習に倣い、シマンチュウになるためのケジメのつもりだった。
「テンジンさん・・・」隣で直美は英単語を覚えるように何度も繰り返していた。そして、「マツノナオミが2人になったね」とポツリとつぶやいた。
市役所の売店で宮古島の絵葉書を買い、その場で「入籍しました。マツノテンジン、直美。
この島が妻の故郷です」とだけ書いて市役所の前のポストから両親と祖父宛に送った。

婚姻届を出した午後、私は砂川家の墓参りに行った。
「若いのに感心さァ」と祖父は私の申し出を褒めてくれた。
「お盆の前で助かるさァ」と掃除道具とお供物を渡しながら祖母が笑った。
「エーッ、草ボウボウねェ?」直美が困ったような声を出すと「大丈夫、おバァの仕事さ」と微笑んでうなづいた。
砂川家の墓は、家の裏手のなだらかな丘の中腹にある小ぶりな亀甲墓だった。朝からおバアが「仕事」をしたのだろう掃除が行き届き、花もまだ新しかった。
「砂川家は、中国からの渡来なんだよ」「フーン、それじゃあ直美の先祖は中国人かァ」「嫌?」「まるで国際結婚したみたいさァ」私は軽い冗談のつもりだったが、そう言った瞬間、親の反対で引き裂かれたアメリカ空軍の女性の顔が胸をよぎった。
「お墓まいりは本土と同じでいいのかなァ」「いいさァ」直美は簡単に答える。
そこで私は湯呑と花壺に水を入れ、墓の前にお供物を備え、沖縄式の線香に火を点けて寝かせた(立たない)。そして、ゆっくり舎利礼文と言うお経を上げた。
「これが私の旦那さんです」隣で手を合わせながら直美が呟いた。
「私もこの家の人になります、宜しくお願いします」私の言葉に直美は一瞬、驚いた目をしたが、「貴方と結婚出来てよかったァ」と言って涙を一筋流した。
先祖代々のお墓の前で不謹慎だとは思ったが、そのまま直美を抱き締めて口づけをした。誓いのキスだった。

「マツノさん、飲まんねェ」と夕食後、義父が1升瓶を取り出したが義母と直美に睨みつけられ、妹たちからもブーイングの嵐が起こった。
それで義父も今夜が「新婚初夜」だと言う事に気がついたようだ。
「そうか・・・頑張るさァ」義父が、よく判らない台詞を言って1升瓶を抱えて部屋に引っ込むとテーブルを囲んで義母と直美、妹たちが顔を寄せあって小声で話し始めた。
私は少し離れた席で賀真の飛行機に関する質問に答えていた。
「ニィニ、F―15イーグルとFー14トムキャットじゃあ、どっちが強いねェ?」「そりゃあ、Fー15さァ、艦載機は色々な制約があって設計に無理があるのさァ。だから航空自衛隊もFー15を選んだのさァ」「フーン」賀真は、感心しながら尊敬の眼差しで見てくれるが、私としては整備員としての能力不足に悩む日々だけに素直に喜べなかった。
その時、女たちの会話も佳境に入って来たようで声が少し大きくなった。
「マツノさん、優しいねェ」「うん」「夜も?」「エッ?」3女・紀美のマセタ質問にほかの妹たちも一斉に見て。直美は真っ赤になった。
年頃の賀真も、このリアルな「夜の話題」に興味津々、質問そっちのけで聞き耳を立てている。私は、これが直美の言う「隠し事が出来ない家族か」と納得していた。
「ネェネ、初めての時、痛かった?」「そりゃあ、体の一部が裂傷を負うんだから痛いさァ」直美の答えはやはり看護婦的だ。しかし、私はこんな冷静なことを言いながら、あの夜、私の胸で震えていた直美を思い出して苦笑いをした。

シャワーを浴びて寝室に入ると私の隣に直美の布団が敷いてあった。
「そうか、夫婦になったんだ」私は布団に座り直美の枕を眺めながら感激に耽っていた。
扉越しに台所から私に続いてシャワーを浴びた直美と義母の会話が聞こえてくる。
「また、離れ離れになるんだから思いっきり愛してもらうといいさァ」「うん、そうする」「そうか・・・」今度はワクワクしてきて、私は直美の枕を抱き締めて興奮していた。
すると直美が扉を開けて部屋に入って来た。黄色の綿の半袖パジャマが可愛い。
「何してるさァ・・・それ私の枕ァ」直美は私が抱き締めている自分の枕を見つけて呆れたような顔をしたが、そのまま黙って私の前に正座し、私も座り直した。
「テンジンさん」「はい」「不束者ですが、宜しくお願いします」そう言って直美は布団に両手をいた。今度は私の番だ。
「直美さん」「はい」「結婚してくれてありがとう」「はい・・・」私は蛍光灯の紐を引き電気を消すと直美の肩を抱き寄せて口づけをし、そのままゆっくりと押し倒した。差し込む月明かりが直美の大きな目に映っている。
「直美、愛してるよ」「私もだよ」抱き合って見つめ合いながらそんな言葉を交わした。私は掌で正式に自分のモノになった妻の体の弾力と温もりを確かめていった。やはり優しい、優しい私たちらしい新婚初夜になった。

それから3日間、朝から直美と弟・賀真の金槌姉弟を連れて海に行った。水着を持たない直美は黒のタンクトップの上にTシャツを着て短パンを穿いている。
「(ビキニの)水着を買おう」と言う私に直美は「もう、エッチ」と拒否したのだ。
私が賀真にクロールや平泳ぎを教えているのを妹に借りた麦藁帽子をかぶった直美は腿まで水に入ったり、砂に上がったりして眺めていた。
やがて私と賀真が水から上がって休憩をしにシートに行くと直美が女の子と話していた。私たちは邪魔をしないように数歩手前で立ち止った。
「砂川先輩じゃあないですか」「今は、マツノさんさァ」「エーッ、結婚したんですか?」「うん・・・」直美が海に私を探したので、「はーい」と女の子の後ろから大声で返事をした。
「あれが旦那さんさァ」直美は笑いながら私に手を振った。
「はじめまして」「ハイサイ」シマンチュウとナイチャーの挨拶が逆になって、女の子と私は顔を見合わせて笑った。
「こちらは高校の後輩の狩俣圭子さんさァ」「マツノです、妻がお世話になってます」「圭子は昌美と同級生さァ」「妹もお世話になっています」私の挨拶が可笑しかったのか直美と圭子、賀真までが大笑いした。

夕方は庭で賀真に少林寺拳法を教えた。賀真は、空手を習っていて剛法(突き・蹴り)はその癖が抜けず中々上達しなかったが、柔法(関節技)は呑み込みが早かった。
私に腕を捻じられて「痛い、痛い」と言いながら、次の技をリクエストしてくる。初心者向けの技を1通り練習して、縁側に腰をおろして休憩をすると丁度、夕食の支度を終えて直美が呼びに来た。その時、私と直美の顔を見まわしながら賀真が訊いてきた。
「ニィニ、ネェネと喧嘩する時も少林寺拳法の技を使うねェ?」「何言ってるのさァ、私たちは喧嘩なんてしないさァ」直美が反論した。
「そうだなァ、直美には柔道の寝技だな」と私が答えると「もうエッチ、ハハハ・・・」と笑い飛ばされた。やはり直美には勝てない。

私と直美が休暇を終えて帰る前夜、またモンチュウが集まって簡単な、しかし、心のこもった杯の会をやってくれた。
私のブレーザーとネクタイが役にたち、直美は淡い色のワンピースだった。きちんと化粧をした直美はいつもに増して美しく愛おしい。
私は直美の花嫁姿に感激で涙が止まらず、その涙に直美がもらい泣きをし、その涙に母も妹も小母たちも泣き、義弟になった賀真は一番泣いていた。
三三九度は泡盛で、末の妹・育美が泡(ダチ)瓶から注いでくれた。と言っても酒が入れば毎度のパターンで、結局は賑やかで楽しい宴会になったが、ただ、すっかり兄弟になれた賀真が「ニィニ、直美ネェネをよろしくお願いします」と酒を注ぎに来た時には、また泣いてしまった。
「マツノさんは、泣き上戸ねェ」モンチュウは呆れていたが仕方ないでしょう。

出発の朝、部屋で荷物をまとめている私に直美が小さな箱を見せた。
「オカァが指輪をくれたさァ」そう言いながら直美は箱の口を開いて見せた。そこには古びた紅色サンゴの指輪が入っている。
「素敵だね」「うん、私、小さい頃からオカァの指輪が欲しかったのさァ」そう言うと直美は顔の前に箱をかざし大切そうに眺めた。
「でも、那覇で一緒に選んで買おうと思ってたのになァ」「それは気持ちだけで十分さァ」私の残念そうな口ぶりに直美は首を振って微笑んだ。
「はめてみる?」そう言って私は直美の手から箱を受け取り、指輪を取り出した。
「サイズ、合うかな・・・」「バスケットやってたもんなァ」直美は心配そうに指輪をはめるため私がとった自分の左手を見る。私は直美の左手の薬指に指輪をはめたがサイズは丁度いいようだ。
「オカァが、本土へ行ったら助けてやれないから一緒に連れて行けってさ」直美はそう言いながら今度は自分の指にはめた指輪を眺めている。
「よく似合うさァ」「オカァの指輪・・・」私の言葉も耳に入らないかのように直美はそう繰り返しながらいつまでも指輪を眺めていた。私は値段や自分の好みよりも気持ちを喜ぶ直美がたまらなく愛おしかった。
「あッ、これ貰ったのは妹たちには内緒だった」突然、直美は思い出したように言い、隣で感激していた私は呆気にとられた。
「オカァ、6つも指輪を持ってないさァ」「そうかァ」指輪をはずしながらの直美の説明に私は納得した。確かに6人姉妹に同じように配るとすれば指輪が六個は要るはずだ。
直美は指からはずした指輪を箱に納めると、自分のショルダーバッグの中にしまった。

平良港から石垣港行きフェリーに乗り込む前、桟橋で直美は私の顔を見つめた。
「今度はいつ会えるの?」「10月に演習が終わったら代休で行けると思うよ」私がそう答えると直美は真顔で私の顔を見つめた。
「私の島が貴方の帰って来る家なの?」「それは・・・」私は直美の大きな目で見つめられて咄嗟に答えられなかった。2人の間に沈黙が流れる。重い空気を察して義母が助け船を出してくれた。
「そのうち、嫌でも一緒に暮らすことになるのさァ、笑って別れなさい」「ごめんね、泣いちゃいそうで・・・」そう言って直美は無理に笑顔を作ろうとする。
「失礼します」私は砂川家の人たちに断ってから直美を抱き締めた。直美は私に髪を撫でられながら胸で泣いている。私は妹たちの視線を背中に感じていた。
「そうか・・・もうそこが直美ネェネの家なのかァ」「でもネェネがこんなに泣き虫で、甘えん坊なんて知らなかったさァ」妹たちの台詞に家族は皆うなづいている。
「馬鹿、うるさい」私の腕の中で直美は文句を言ったが、その声はやはり涙声だった。

「お義兄さん、昌美です」休暇から戻ったその夜、昌美から電話があった。その日は、突然の前置きなしの入籍を上司、先輩、同僚に説明し、散々呆れられ、叱られ、励まされてクタクタだったが、昌美に「お義兄さん」と呼ばれて照れながらも嬉しかった。
「本当に急ですよね、うちの親はいつもそうなんですよ」昌美は何故か申し訳なさそうな声で、私は強烈な砂川家の面々を思い出して笑った。
「でも、私も立ち会えなくて残念だったなァ」「うん、昌美にも見て欲しかったなァ、直美はとても、とっても綺麗だったよ」「はいはい、御馳走様です」昌美は呆れた声で笑った。
「ところでお義兄さん、姉をいつまで島で勤めさせるんですか?」昌美は急に真面目な声になったが、実は私もそれを思案の最中だった。
「直美が納得できるまで頑張ってもらいたいね」すると昌美は厳しい声になった。
「お義兄さんは姉が必要じゃあないですか?」「エッ?」「本当に好きなら、一日でも早く一緒に暮らしたいって思うはずでしょう」「うん」私はようやく昌美の言葉の意味が理解できた。これは直美が看護学校を卒業し、八重山病院に赴任した時にも昌美から言われたことだ。
「俺が転勤になればどっち道、辞めてもらわなければならなくなる、今は直美の夢を一緒に見ていたいのさァ」「ふーん、私には解らないなァ」昌美は難しそうな声で答えた。

秋の演習が終わり、私は貯めていた代休を使って直美の島に行った。
「旦那さん、マツノさんを連れに来たねェ」連絡船の中で小父さんに訊かれた。
「いえ、まだです」すると小父さんは意外なことを言った。
「早く、嫁さんを迎えに来なきゃあ駄目さァ」隣で聞いていた小母さんもうなづいた。
「女は、いつでも好きな人のそばにいたいもんさァ」今度は小父さんがうなづいた。
「でも折角、頑張っている仕事を僕のために途中で止めさせるのは嫌なんです」私の話に小母さんが意外な話をした。
「マツノさんは砂川さんだった頃から、よく自衛隊の戦闘機の音がすると空を見上げて嬉しそうに何か言っていたのさァ」「ふーん」「私が何を言っているのか訊いたら、大事な人に伝言だって笑っていたのさァ」「ふーん」「それから、『台風が好き』って変なことを言うのさァ」「台風が?」「台風が旦那さんと会わせてくれたから、また連れて来てくれそうだってさァ」「はい・・・」小父さん小母さんの話で直美の本心を知り私は胸が熱くなった。
「旦那さんが、自分のために途中で止めさせるのが嫌なの以上に、ワシらのために折角、好きな人と結婚出来た砂川さんを一人ぼっちで引き留めるのは辛いのさァ」小父さんの温かい思いやりに満ちた「とどめ」の言葉に私は涙を止められなくなった。
波止場で涙目をしている私を見た直美は、「また何かに感激したでしょう、まったく泣き上
戸なんだから・・・」と言い当てた、鋭い嫁さんは恐ろしいものである。

私たちの遠距離新婚生活は半年で終わった。私は部隊の機種転換による航空機整備員の定員削減に伴って、3月に山口県の防府南基地に教育班長要員として転属することになり、直美は1月1日付で退職し、正月休暇で私が迎えに行った。
「あなたーッ」今回も直美は波止場で、全開の笑顔で手を振っていた。
「ただいまァ」私が船を下りると、最近は遠慮なく抱きついてくる。島の人たちも、そんな直美の姿を嬉しそうな顔で見ていた。
「流石に八重山は本島よりも暖かいね」「そう?」海の上はそれなりに風が冷たいが、こうして島に上がると八重山のティダ(太陽)は明るく暖かい。
「荷造りは終わったかい?」「うん、仕舞い過ぎて不自由してるよ。エヘヘヘ・・・」直美は「だって嬉しくて、待ちどおしくて」と付け加えた。
自転車の後ろに直美を乗せると波止場から宿舎に向けてこぎ出した。
「今夜、島の人が貴方と一緒に飲みに来いってさ」「えーッ、久しぶりに直美と・・・」私が続きを言わないと後ろで「もーう、エッチ、ハハハ・・・」と声を立てて笑った。腰に回した腕が突っ張ったことで、のけ反ったのが判る。
規則の関係で宿舎には退職の翌日までしか居られなかったが連絡船が再開する1月3日の午後までは島の人の家でもう1日を過ごした。
「砂川さんを島がお嫁に出すのさァ」波止場には島中の人が見送りに来てくれた。
「砂川さん、ありがとう」「御苦労さま」「元気でね」「お幸せに」島の花で作った花束を渡されて泣いている直美の隣でこんな言葉を聞いていれば・・・・当然、号泣した。

「私、これから何をしようかなァ」那覇のアパートに着いて直美の第一声はこれだった。直美は小学生以降、大きくなるにしたがって家の仕事を分担してきた。島での生活は忙しくはないものの緩々と常に仕事があった。アパート住まいも専業主婦も未経験だし想像もできないようだ。
「自動車の免許を取りに行こう」「エッ、自動車の?」直美は驚いた顔をして私を見返した。
「本土でも仕事をするんだろう、だったら免許がないと大変さァ」「そうか、本土かァ」直美は大きくうなづいて目を輝かした。
私のニライカナイ・直美
1月4日の仕事始めは訓練非常呼集で明けるのが航空自衛隊の恒例だ。早朝5時10分に電話が入り、私は布団から起き抜けてそのまま電話を取った。
「訓練非常呼集、オールジャパン・コックドピストル・0500」呼集系統の次の人に電話をかけ、同じことを伝えて振り返ると直美が立っていた。
「何?戦争?」直美は不安そうな顔をしている。
「訓練だよ、大丈夫」「訓練?」そう言えば非常呼集の話を直美にしていなかった。
私はいつものように着替えを済ませて3分、「それじゃあ、行って来る」と玄関に向かうと、不安そうな顔をしたまま直美がついてきた。私は靴を履いて振り返った。
「直美、キスさせてくれ」エッ?」「出撃の挨拶さァ」これは米空軍から伝えられた航空自衛官の暗黙のマナーだ。直美は黙って目を閉じた。
「行ってきます」キスを終えると私は踵を鳴らして気をつけで敬礼をし、玄関を開けて廊下、階段を駆け抜けた。自転車置き場で隣の旦那さんに会い、年頭の挨拶もそこそこに一緒に自転車をこぎ出した。
アパートの前の道路に出て振り返ると直美がベランダから、まだ不安そうな顔で見送っていた。私が投げキッスをすると、ようやく笑って投げキッスを返してくれた。
「新婚さんは熱いねェ」後ろからお隣さんがからかってきた。
基地からは飛行前点検を始めた戦闘機のエンジン音が早朝の空気に響き始め、道路には基地へ急ぐ制服を着た隊員の私有車が何台も通って行った。

2人の写真入りの年賀状を両親に送ったが返事はなかった。ただ、祖父から「母が『同じマツノナオミでも、妹の尚美よりも美人だ』と言っていた」と添えた手紙が届いた。

夜中に目を覚ますと、直美も目覚めていて私の顔を見つめていた。
「眠れないのか?」「うん、こうして目を覚ますと貴方が隣にいるのさァ」「それが結婚したって言うことさァ」「やっと結婚できたんだね」その時、アパートの前の道を通った車のヘッドライトが差し込んで直美の幸せそうな微笑みを暗い部屋に浮かび上がれせた。そんな愛おしさが私の体をイケナイ形に反応させた。
「直美・・・」私が腕を伸ばすと直美は「もう、エッチ・・・」と少し恥じらいながら溶け込んできて、いつまでも変わらぬ初々しさがさらにイケナイ事に拍車をかけた。しかし、この夜のことが思わぬ幸せを運んで来たのだった。

シマ正月(旧暦の正月が沖縄では休日になる)で昌美が遊びに来た。
「ネェネ、免許の勉強してる?」「うん、もうすぐ本免さァ」「やっぱりニィニさァ、普通の旦那さんなら、料理の勉強でもしろって言うところさァ」「だって直美の料理はマーサイさァ」「エヘヘヘ・・・」私たちが見つめ合って笑うと昌美は、「(イチャつくなら)もう、帰るよォ」と怒ったふりをして笑った。
「でも、ネェネは本土の料理は知らないさァ」「うん」直美は不安そうにうなづいた。
「俺、シマンチュウだからいいのさ、それに直美が作ってくれればそれで十分さァ」「うん」「やっぱり帰ろうねェ」また見つめ合って笑う私たちに昌美は唇を尖らせた。
「こんなんで、よく『ネェネに島で頑張ってもらいたい』なんて言えたものさァ」そう言うと昌美は少し意地悪な目で私の顔を覗き込んだ。
「うん、本当は傍にいて欲しかったのさ」「でしょう、正直にならなくちゃ」「それは昌美のおかげさ」「そうさァ、ウフフフ・・・」今度は私と昌美が見合って笑うと直美が「何?何ねェ?」と2人の顔を見まわして訊いた。しかし、どちらも答えないと直美は「夫婦と姉妹で秘密はいけないさァ」と膨れて見せた。
それを見て私と昌美はまた見合って笑った。この義妹も中々に楽しい。

3月に入り、転属の内示が出た頃、食事を終えてテレビのニュースを見ていると、片づけを終えた直美が私の前に正座した。
「テンジンさん」「はい」私が返事をすると、直美は大きな目で私を真っ直ぐに見ている。私も座り直して正対すると直美は真顔のまま口を開いた。
「赤ちゃんができたかも知れない」「本当?」「看護婦が言うのだから間違いないさァ」私の胸は突然のことで混乱した。避妊には気を付けていたつもりだったが強いて言えば夜中に目を覚ましてイケナイことをしたあの夜だけだ。しかし、私の胸にはそんなことなど、どうでもよくなるほどの感激が沸き上がってきた。直美と出会ってから今日までの事が思い浮かび、親子3人の暮らしを想った。
「直美さん」「はい」「ありがとう・・・」ここまで言って続きは出てこなかった。私が黙って抱き寄せると直美も泣きだした。
「お母さんは泣いちゃ駄目だ。泣き虫な子になるぞ」「うん」私の言葉に直美は私の胸でうなづいた。だが、私がさらに感激したところで「お父さんはいいの?」と呟いた。やっぱり直美には勝てない。

防府へ旅立つ日、那覇空港のロビーに、砂川家の10人家族が勢揃いして見送ってくれた。
宮古島からは朝一番の飛行機でやって来て、夕方の飛行機で帰る。この人数では宿泊代も馬鹿にならないのだ。昌美たち本島組も合流した。
「マツノさん、よろしくお願いします」両親と祖父母は私にお辞儀を繰り返していた。
「ニィニ、本土に遊びに行ってもいい?」「メンソーレ(いらっしゃい)さァ」義妹たちのお願いに私は義兄の顔をして答えたが、「旅費は自分持ちだよ」と直美が付け加えると手を叩きかけた義妹たちは本当にガッカリした顔をした。
「直美、立派な赤ちゃんを産むんだよ」母の心配はやはりお腹の子供のことだった。
「ニィニ、新婚生活が短くて残念だったね」昌美の言葉は図星、この義妹の鋭さは直美の上を行っている。
「あんたも7人産むんかねェ」「うん、もっと頑張るさァ」祖母の言葉に「負けないぞ」と言う顔で答えた直美に砂川家の人たちは応援するかのように一緒にうなづいた。
私は8人の子供を抱えた自分を想像して固まってしまった。やはり、この両親は凄い。
ところが賀真は、そんな家族から少し離れて黙っている。
「賀真。高校頑張れよ」私が呼び寄せて握手の手を差し出すと賀真は少し戸惑った顔で握り返してきた。賀真は姉たちの高校の後輩になっていた。
「ニィニ、ネェネを・・・」「大切にするさァ」「してもらってるさァ」賀真の台詞を途中から夫婦で引き取って返してやると、ようやく賀真は笑った。
こうして私たちは桜咲く防府へ転属した。

引っ越しの片付けが一段落した所で私たちは花見がてら近傍の温泉ヘ出かけた。
「気持ち好かったさァ」温泉初体験の直美は少し上気した顔で待合室に出てきた。
「お腹は大丈夫か?」「うん、この子も気持ち好かったってさ」待合室の自販機で牛乳を買って飲んでいた私が訊ねると直美はお腹をさすって見せた。直美は昨日買ったばかりの淡い色のマタニティ―を着てカーテガンを羽織っている。
「何だか長生きしそうな気がする」直美は衣類を袋にまとめながら呟いていた。
「それって医学的根拠はあるの?」「もう、何言ってるのさァ、ハハハ・・・」私の真面目な質問に直美は呆れながら笑って答えた。
そんな楽しげな姿を見ながら、待合室で休憩していたお婆さんが声をかけてきた。
「奥さん赤ちゃんがいるの?」「はい」お婆さんはまだ目立たない直美の腹を眺めた。
「奥さん、沢口靖子に似てるっちゃね」他の待合室でたむろしている年配のお客たちが直美の顔を見ながら言った。若手女優の沢口靖子の認知度は本土の方が高いようだ。
「似ているんじゃなくて同じ顔っちゃァ」「もっと美人じゃのう」「どうもありがとうございます」「キャハハハ・・・」私とお客たちの掛け合い漫才を横で聞いていた直美は照れていつも以上に可笑しそうに笑った。その全開の笑いに爺さん婆さんたちは呆気に取られていた。
「奥さん、いい赤ちゃんを産んで下さいね」「はい、頑張ります」お婆さんの励ましの言葉に直美は幸せそうに腹をさすっていた。

「防府南基地・第1教育群に転属しました」「子供が出来ました(予定日は11月)」と桜の下に立つ直美の写真入りの葉書を沖縄と愛知の両親と祖父に送った。
「綺麗な所だね、子供が生まれたら行くよ」と宮古島から返事が来た。
「教育の任務に精進せよ。曾孫を楽しみにしてるよ」と祖父から返事が来た。しかし、愛知の両親からは返事はなかった。我が親ながら頑固さには呆れるしかない。

私は夕方、学生たちと雑談して悩み、トラブルなどを探ってから隣接する官舎に帰宅する。そして、ジャージに着替えて、テレビのニュースを観ていると直美が夕食を出してくれるのだが、野菜が安い本土では、チャンプルは少し大盛りだった。
「カッチーサビタン」と二人で言って手を合わせた。その日、直美は定期診断で市内の産婦人科へ行ったはずだった。
「産婦人科で看護婦を募集していたのさァ」「うん」直美の目がいつもに増して光っている。
「だから診察の時、先生に『私は駄目か』って聞いて見たのさァ」「へッ?」直美は安定期に入った所で、仕事の再開を考えているようだ。
「そうしたら『初産ですからねェ』って言われたのさァ」もう、私は半分呆れている。
「『でも産婦人科は病気じゃないし、先生のそばの仕事なら安心』って言ったのさァ」確かにそうだ、直美らしい発想に今度は感心した。
「『考えておきます』だって、いい?」「訊く順番が逆だろう」「そうかァ、ククク・・・」直美はいつものように笑おうとしたが、御飯が口に入っていて全開にはできなかった。
「それで順調だって?」「うん、大き目だって」肝心の報告が一番後になってしまった。
「本土の御飯は美味しい」とよく食べるせいか、最近、直美は太り気味ではあった。

曹候学生基礎課程も大詰めの7月下旬、陸上自衛隊むつみ演習場で総合訓練が行われた。
「こんなお菓子も持っていくの?」出発前の夜、リュックサックに着替えや訓練用の小物を詰め込んでいる私の横で直美は荷物の中にビスケットや飴玉を見つけて笑った。
「それは間食さァ、山の中を走ったり這ったりするんだからね」「確かにカロリー補給は大切だよ、水分補給も十分にね」直美の指導に私もうなづいた。
「でも暑い中、大変だねェ、自衛隊ってワザワザ身体に悪いことをしているみたい」直美の意見は看護師的正論だが自衛隊的には同意できない。
「困難に立ち向かって打ち克つことが大切なんだよ」「ふーん」「その困難が大きければ大きいほど打ち克った自信も大きくなるんだ」「ふーん」私の体育会的な意見にスポーツウーマンである直美は少し考えていた。
「でも限界を超えては駄目だよ。もう倒れるって言う前に止めないと」「倒れるまでやるのも訓練なのさァ」私の反論に直美はまた難しい顔をした。
「あっ、動きだした」突然、直美が身体を起こして腹を見せた。薄いマタニティ―の腹がゆっくり膨らんだりへっ込んだりして形を変えている。
「ここエライ突っぱてるね」「そこは足だよ。蹴ってるのが判るんのさァ」私に腹をさすられながら直美は幸せそうに眼を閉じた。
「いい子で待ってろよ」私は腹に顔を近づけて話しかけてみた。
「よく動くから体育会系で、この子も自衛隊かなァ」「働き者の看護婦かも知れないよ」直美の意見に私の意見、これは反論ではない。2人で微笑みながらうなづき合った。
「留守の間に何かあったら遠慮しないで隣に頼まないとな」「うん、奥さんも判っていて、もう声を掛けてもらってるさァ」こんなところが官舎住まいの心強さであった。

紅葉の季節は暖房が必要になる季節でもある。
沖縄で所帯を持って防府に来た私たちは毎月の給料で厚手の服や毛布、そして暖房器具を買い、さらに出産準備も重なって、どこかへ遊びに行くような余裕はなかった。
「折角、本土に来たのにどこにも行けなくて残念だなァ」「仕方ないさァ。先ず家の中を整えないと寒さで凍えちゃうよ」沖縄育ちの直美は凍えた経験はないが寒さに向う季節でそれを実感しているようだ。
「せめて紅葉でも探しに行こう」「うん、ドライブだね」秋晴れの休日、私たちは山口市内へ紅葉を探しに出かけた。
紅葉した森を背景にした瑠璃光寺の五重塔の前で写真を撮り、ザビエル天主堂で写真を撮
り、雪舟庭で写真を撮って日帰りの観光は終わる。
「寒いね」「うん」そう言いながら手を握ると直美も握り返してきて手は温かくなった。でも通じ合っている心はもっと温かった。
私の二ライカナイ・直美
11月21日、朝から直美に陣痛がきた。その日は土曜日、連休初日になる。私は電話連絡の後、指示通り車で直美を産婦人科へ連れて行った。しかし、そこからが長かった。
「多分、大きな赤ちゃんですからしばらくかかりますよ」先生の言葉に直美は覚悟を決めたようだ。
「帰るけど大丈夫か?」病室で横になっている直美に声をかけると微笑んでうなづいた。
「まだ8人兄弟の最初の1人さァ」どうやら直美は本当に8人産むつもりらしかった。

翌22日の午後、秋の日差しが差す頃、我が子が生まれた。4070グラム、やはり大きな赤ん坊だった。
「ありがとう」分娩室からベッドに寝かされて出てきた直美の唇にキスをした。
「皆さん、手は握られますけどキスをされた方は始めですよ」若い看護婦さんが羨ましそうに言ったので「すみません」と私は頭を掻いたが直美は幸せそうな微笑みを浮かべた。
すぐに病院から宮古島に電話をした。
「4070グラムの男の子です、母子とも健康です」と言う私に「それは大きいねェ、直美には『御苦労さん』って言ってね。おめでとうございます」と答える義母の向こうで「カリユシドォ(めだたい)」「おめでとう」と大喜びする大家族の声が聞こえた。

病室に戻り、黙って直美の寝顔を見ていた。大好きな寝顔だが今日は触れるのもためらわれるような神聖なものを感じる。それと同時に父親になったと言う感激が胸に迫り、直美と生まれてきた我が子が愛おしく、いつもの泣き上戸になってしまった。
直美の寝息の音まで感動的な音楽のように聞こえ、窓からのカーテン越しの秋の日差しが天からの光に思えた。その時、私の頭に子供の名前が浮かんだ。
「マツノ光太郎」。私が卒業した小学校の先輩で第1回文化勲章を受章した物理学者・本多光太郎先生からいただくことにしたが良い名前だと思った。病室の机で紙に「マツノ光太郎」と縦に横に書いてみた。文字のバランスもいいようだ。
私が名前を書いた紙を眺めていると直美が目を覚ました。
「何を書いてるねェ?」「子供の名前さァ」直美はパッと目を輝かせた。
「見せて」紙を渡すと「マツノ光太郎か・・・」と言いながら由来を考えている。
「あッ、本多光太郎先生の名前をもらったな」「ピンポーン」直美は得意そうに笑った。我が家には小学校の卒業記念品である本多先生筆の「つとめてやむな」の額が飾ってあるのだ。
「本多先生の光太郎なら努力努力ね。貴方に借りた先生の伝記、すごく感心したさァ」直美も賛成なようだった。そこで私は小学校で歌っていた本多光太郎先生の歌を口ずさんでみた。
「努力、努力、努ォリョーク、ああ僕らの息子」直美は顎でリズムを取っていた。

夕方、産婦人科へ行くと直美は光太郎に母乳をやっていた。私が愛した直美の胸はもう光太郎のものになっていて、少し切ない気持で2人を見つめた。
「起きていて大丈夫か」「ゆっくり寝たから大丈夫だよ」確かにすっきりした顔をしている。
「お乳は出るのか?」「うん」直美の美しい胸は幾分、大きく張ったようだった。
「よく飲んで足りないかも知れないさァ」「それじゃあ、大きくなるな」私が心配半分、安心半分で言うと「元々が大きいからね」と直美が補足した。私は直美の顔を見た。その顔は優しく嬉しそうで、自信に満ちている。
「すっかり母親の顔をしてるなァ」私は少し不思議な気持ちだった。

光太郎の写真を祖父に送った手紙の返事には心配な事が書いてあった。
「最近、体調がすぐれない。しかし、こうして命がもう一世代先へ受け継がれたことが確かめられて安心した。その子は国の宝と心得よ。何があっても赤ちゃんは元気で」光太郎は両親には初孫のはずだが、それでも返事は来なかった。

「子供が生まれたら見に来る」と言う宮古島の両親との約束は中々果たせなかった。光太郎は晩秋に生まれたため、冬物を持たない宮古島の砂川家の人々を呼ぶことができなかったのだ。
私たちは季節が冬に向かうに従って、毎月、冬物の服や暖房器具、寝具を買いそろえ、今度はそれに光太郎のベビー用品が加わった。
その頃、私は来年、思うところがあって受験することを決意した海上自衛隊一般幹部候補生のための勉強をしていて、遅い風呂に入り、直美と光太郎が寝るダブルの布団の横に敷いた直美が島で使っていたシングル布団にもぐり込むのが日課になっていた。
「冷えるなァ、明日は雪かなァ」私が独り言をつぶやくと、隣で寝ている直美がパッと閉じかけていた目を開いて輝かせた。
「雪?初めてェ」直美は子供のように嬉しそうだ。
「雪って積もるの?」「俺が学生だった時は積もったね」「そう、積もるんだ。楽しみィ」「今夜は冷えるから光太郎の布団を気をつけないと」「うん」直美はうなづきながら光太郎の布団を手で確かめる。それを見て私が部屋の電気を消した。
「雪か・・・フフフ」隣で直美が1人で呟いていた。

翌日の土曜日はやはり雪だった。まず私がカーテン越しの雪明かりで目を覚ました。私は布団を出ると綿入れを着て窓際に行き、カーテンの隙間から外を確かめた。
「雪は?」後ろから直美が訊いてきた。
「ウン、積もってるさァ」そう言って振り返ると直美も布団から抜け出て何時になく慌ただしく綿入れを羽織ながら窓際にくる。
「ワーッ、本当だ。真っ白」官舎2階の部屋から見える山と家々の屋根の雪景色に歓声を上げた。その笑顔は寒さなど何処かに吹っ飛ばしているようだった。
その後、直美は近所の子供たちと雪ダルマ作りに挑戦し、作品の前で写真を撮り、「これが雪だよ。スゴイダロウ」と言うメッセージと共に宮古島へ送った。

家では光太郎の子守りが私の趣味だった。
休日は朝から、おび紐で光太郎を胸にくくり付けて、よく沖縄の子守歌を歌っている。
「大村(ウフムラ)うどぅんぬ かどなかい 耳ちり坊ーじぬ 立っちょんどォ・・・」の「ミミチリ坊主」や「ふく木ぬゥ 実あて泣ちょる ちょっちょい・・・」の「ちょっちょい子守唄」などが得意だったが、中でも「天からの恵み 受けてこの世界に・・・」と歌う「童神」は得意以上に愛唱歌だった。
「泣ちゅるようやー へいよー へいよー 大陽(ティダ)の光 受きてィ・・・」「貴方って本当にシマンチュウよりもシマンチュウなんだね」家事の手を止めて私の歌に合わせて口ずさみながら直美は感心したように言った。
「だって、光太郎はシマンチュウさァ」私の答えに直美は微笑みながらうなづいた。
「早く光太郎を宮古島に連れて行きたいな」「だけど飛行機の乗り継ぎがねェ・・・」福岡からは宮古島への直行便はない。気温差も大きい、水も変わる、それらに光太郎が耐えられるようになるまでは「お預け」と言うのが直美の意見だった。
「貴方の胸って、やっぱり安心出来るんだね」私の胸で眠った光太郎を覗き込みながら直美は感心したような顔で褒めてくれた。
「元は保母の息子だからね」「今もそうさァ」直美は私の皮肉な言い方に少し哀しそうな目で反論した。私は黙って光太郎の寝顔に視線を移した。
知らぬ間に妹が妊娠し、結婚して、光太郎よりも年上の従兄がいることを友人からの年賀状で知った。それを私は両親からの絶縁と受け止めていた。
直美が布団を敷くと私は優しく光太郎を手渡した。窓からの早春の日差しが暖かい。
「光太郎がおきたら梅でも探しに行こうか」「うん、梅かァ」直美は目を輝かせた。

「梅って沖縄の桜に似てるさァ」直美は近所の旧家の庭に梅を見つけると喜んだ。確かに小ぶりな花と濃い目の紅色が、本土の桜よりも沖縄の緋寒桜に似ている。
梅巡りをおえて官舎に戻ると、遊んでいた女の子たちが集まって来た。
「小父ちゃん、光ちゃん見せて」女の子たちはベビーカーを囲んで覗き込んだ。
「ごめんね、寝ちゃったんだ」と私が答えると一番年長の子が「静かにしなさいよ・・・シーッ」と唇に指を当ててほかの子を指導した。直美も6人姉妹の長女として同じことをしてきたのだろう、それを懐かしそうに見ていた。
「本当だァ、寝ちゃってる」みんな光太郎をおこさないように小声で話し合っている。
「おきないかなァ」「光ちゃん」中には小声で呼んでみる子もいる。
「こんな風に女の子は、いいお母さんになるのかァ」そんな様子を見ながら私は感動していた。私にとってその代表は、わが愛妻・直美なのだ。
「次は(直美みたいな)女の子が欲しいなァ」そう思って顔を見ると、その気持ちを感じとった直美も微笑んでうなづいた。
私の二ライカナイ・直美
春休み、賀真が1人で防府までやって来た。早いもので賀真は高3になる。先ずは学問の神様・防府天満宮への参拝や市内観光の後、家で夕食をとった。
光太郎は出歩いて疲れたのか横に敷いた子供布団でよく眠っている。
「ニィニ」「うん?」「俺、航空自衛隊に入りたいのさァ」私と直美は顔を見合わせた。直美の目は丸くなっている。私の目は点だ。
「どうしたんだ、いきなり」賀真と私、そして直美は3人真顔で見合った。
「俺、飛行機が好きなのさァ」「へー」私と直美は意外な話に顔を見合わせた。確かに以前行った賀真の部屋には飛行機のプラモデルが並んでいて、飛行機談義をしたことがあったが、きっかけはさらに意外なことだった。
「ネェネが看護学校を卒業した時、家に送ってきた荷物に『航空ファン』とか『航空情報』とか飛行機の雑誌が一杯入ってたのさァ。それを読んでいるうちに飛行機の仕事がしたくなったのさァ」「ふーん」私はうなづきながら直美の顔を見た。
「テンジンさんの仕事が知りたくて勉強していたのさァ」直美は何故かはにかんだ。
「看護学校の勉強もあったのに・・・」「ううん、貴方と一緒にいるみたいで元気が出たよ」「直美」「あ・な・た・・・」私は胸が熱くなって抱き締めようと直美の肩に手を伸ばした。
「だから、ニィニ!」私たちが2人の世界に入りかけると横から賀真が声をかけた。
「はい」慌てて返事をして私たちは下を向いたが、賀真は呆れた顔で2人を見ていた。
「航空自衛隊の仕事って面白いねェ?」「でっかい仕事さァ」私の声が思わず大きくなる。
「普通の仕事はお客さんを相手に給料のために働くさァ、航空自衛隊の仕事は空を相手に国のために働くのさ」私の演説のような話に姉弟は感心したように顔を見た。
「難しいさァ、ニィニはいつもそんなことを考えながら働いてるねェ」「うん」「ところでおトォ、おカァは何て言ってるねェ」私はまずそっちが心配だった。
「お前は1人だけの男の子だから遠くへ行かれちゃあ困るってさ」賀真は不満げだった。
「ネェネが、本土へ行っちゃって寂しいのかな」私の言葉に直美も複雑な顔をした。
「ネェネは幸せになってよかったって言ってるさァ」私たちは安心してうなづいた。
「まあ、航空自衛隊なら宮古島にもレーダーサイトがあるし、航空機整備って決めないで受けてみるのもいいかな」私の出した結論に姉と弟もうなづいて納得した。問題は「自衛隊反対」が根強い沖縄での自衛隊受験が進路を狭めることにならないかだ。
「あの子に自衛隊が務まるの」「直美の弟だから大丈夫さァ」賀真が帰った後の直美の問いかけに、私がそう答えると安心した顔でうなづいた。

3人で買い物に出た商店街の老舗呉服屋の前で直美が飾ってある浴衣を興味深そうに見ていた。間もなく基地の盆踊り大会があるのだ。
「直美、浴衣を買おう」「エッ?」直美はパッと目を輝かせて私の顔を見返した。昨年は妊娠中だったので諦めたが今年は是非とも直美の浴衣姿が見たい。
「だけど着方が分からないさァ」直美は浴衣を見ながらも首を振った。
「着方なんて習えばいいさァ、買おうよ」「もったいないさァ」直美は遠慮をするが目は相変わらず浴衣を見ている。そこで私は命令口調で選択を言い渡した。
「それじゃあ、ビキニの水着と浴衣どっちかを選びなさい」「エーッ、そんなのずるいさァ」直美は困った顔をして考え込んみ、私が腕の光太郎に「ビキニがいいなァ」と話しかけていると光太郎は訳も分からないまま笑った。
「本当に浴衣を買ってもいいの?」直美はそう言うと大きな目で私の顔を覗き込んだ。
「何だ、ビキニじゃあないの?」「当たり前さァ」直美はそう言いながら嬉しそうに、可笑しそうに笑った。大きな目が輝いている。
「よし、決まった」私はそう言うと先に立って店に入って行った。
「奥さん、似合いますよ」直美は幾つかの浴衣に袖を通した後、「長く着られる」と言う店の人の勧めもあり、少し地味な藍染めに朝顔の柄の浴衣を買った。
勉強家の直美は店で習った着つけを家でも練習して、その日のうちにマスターした。
「浴衣を買ってもらったよ」と直美の自慢をつけた写真入りの暑中見舞いを送ると、砂川家では「私も買ってェ」と妹たちから義父への「お強請り」の大合唱になったらしい。

しかし、この年の基地盆踊り大会は、海上自衛隊の潜水艦事故の影響で中止になり、直美は折角、買った浴衣を着られなかった。
8月、私は海上自衛隊の幹部候補生学校の1次試験に合格し、呉で2次試験を受験した。
「ただいまァ」夜、呉から帰宅すると直美が浴衣を着て出迎えてくれた。
「やっぱり貴方に見せたくてさァ」玄関から居間に来ると直美は和服に合わせた静かな笑顔で、その場でクルリと廻ってみせた。
「綺麗さァ、似合うさァ、色っぽいさァ、可愛いさァ、チュラカーギさァetc」私は思いつく褒め言葉を全て並べたが、それでも感激を表現し切れない。
「こんなに素敵なら、みんなに見せて自慢したかったなァ」「何言ってるのさァ」私の台詞に直美は照れたように笑ったが、それがまた堪らなく色っぽいのだ。私は、いつもとは違う魅力の妻を、いつもと同じ形で抱き締めて口付けをした。
「光太郎は?」「寝てるさァ」「だったら・・・」「もう、エッチ」「だって素敵なんだもん」私が手を浴衣の脇の下から胸に滑り込ませると、その仕草に直美が鋭い指摘をした。
「何だか着物の女の扱いに手慣れてるね」「ゲッ」「怪しい・・・」「ゲゲッ」結局、直美のこの一言で、その夜はここまでになってしまった。

曹候基礎課程が終了した頃、中隊長の小野沢1尉に呼び出された。
「マツノ3曹、体育学校の格闘課程に入校しないか?」「エッ?」「君は航空機整備からの職種転換だから教育職としては実績がない、いい経験になると思うんだがどうだ」教育隊の班長要員は皆、長距離走、武道、球技などの選手として華々しい成績を収めてきた人が多く、それが一種のハッタリとして学生教育での権威付けに使われている。それが私の班長としての弱点ではあった。
「でも、私は運動神経が悪いし、経験がありませんから・・・」「それでも少林寺拳法では結構活躍していたみたいじゃあないか」「はあ」確かに少林寺拳法では全自衛隊大会での優勝、沖縄県大会での準優勝など頑張ってはきた。
「まあ、子供さんが生まれたばかりだし奥さんにも相談してみろ。幹部候補生に行っても無駄にはならないと思うよ」「はい」小野沢1尉はいつもの温和な笑顔を見せてくれたが私はまだ迷っていた。

「それは行くべきよ」夕食後に相談すると直美は即答した。その気合の入った強い口調に隣の布団で眠っている光太郎がビクッと驚いた。
「でも、光太郎もまだ小さいしなァ・・・」私は光太郎の寝顔を見ながら呟いた。
「何言ってるのさァ、私は子供の時から母の子育てを手伝って来たんだよ、3ケ月ぐらいナンクルナイサァ」そう言うと直美は「ウンッ」と言う目で私を励ました。
直美の返事を聞いて私も入校することに決めたが、まだ考えることがあった。
「だったら宮古島に帰るか?」「そうかァ、その手もあったァ」光太郎をまだ宮古島の両親、妹弟たちに会わしていない。私の入校中に光太郎が1歳になることを考えると大家族で祝ってもらうのも一つの選択だった。
「でも、賀真は今年受験だから訊いてみないといかんなァ」「うん、賀真にね」確かにイケイケドンドンの砂川家では賀真の本音が忘れられる心配はある。
直美が電話をすると案の定、砂川家ではメンソ―レ・コールが巻き起こったようだった。もうその気になっているらしい両親に直美は賀真と代わるように頼んでいた。
「でも、アンタは受験でしょ、大丈夫?」ようやく賀真が出たらしい。
「うん、そりゃあ私たちは賑やかな中で勉強したのさ」「ううん、私も高校を卒業して長いからもう判らないよ」結局、賀真も砂川家の子でありメンソ―レだったらしい。そう言う直美も自分の経験からあまり心配はしていないようだった。
私たちは入校直前の土日に前後一日づつ休暇をつけて金曜日に宮古島へ帰省した。

ようやく宮古島の両親と祖父母、義妹、義弟たちに光太郎を合わせることができた。昌美は「交代勤務で帰れない」と言うことなので那覇空港で会って来た。
夜、座敷で祖父母、義父母と、なぜか高校生の賀真まで七人で泡盛を飲んだ。光太郎は叔母たちに遊んでもらい疲れたのか義母の横に並べた座布団でよく眠っている。
「ニイニ、自衛隊体育学校って何をするのさァ」間もなく一般空曹候補学生を受験する賀真が質問してきた。
「今回は格闘課程って拳法と棒術みたいな格闘技の指導者を養成するコースだよ」賀真にも判るように説明したつもりだが表現がいささか乱暴に思った。
「体育学校ってオリンピック選手がいる所ね?」「はい、あちらはそれ専門のコースですが」義父は自衛体育学校を少し知っているようだが、東京オリンピックの頃、沖縄はまだ本土復帰しておらずそれ以上詳しいことは判らないようだった。
仕方ないので私は円谷幸吉や三宅義信などの有名選手の名前を出して説明した。

月曜日の朝一番の飛行機で防府に戻ったが、直美と光太郎、両親まで空港に送ってくれた。
「賀真の受験勉強の邪魔にならないように気をつけてな」「ウチの子は賑やかな中で勉強するのさァ」「試験は来週だから、もう手遅れさァ」私の心配に両親だけでなく直美まで「心配ご無用」と笑って答えた。
「何にしろ、光太郎をよろしくお願いします」「ウチの初孫さァ」「なァ、光ちゃん」そう言って両親は代わる代わる直美の腕の光太郎の頭を撫でた。そして、両親がソッポを向いてくれたので光太郎を抱いたままの直美にキスをした。
私は官舎に戻り、翌週に朝霞の自衛隊体育学校へ入校した。その年はソウルオリンピックがあり、体育学校はいつも以上に非常に気合が入っていて教育職としての経験と言う以上に人生観そのものを変えるほどの経験ができた。
  1. 2014/04/18(金) 09:37:52|
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