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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

4月25日・エルベの誓い

1945年の明日4月25日にドイツを流れるエルベ川岸・ザクセン州トルガウで米軍とソ連軍が出会いました。先ずはアメリカ軍側が陸軍第1軍の第69歩兵師団第273歩兵連隊第2大隊G中隊の哨戒隊とソ連側は馬に乗った1名の兵隊でした。続いて同連隊の1大隊の情報将校・ウィリアム・D・ロバートソン中尉たちがソ連軍の第1ウクライナ方面軍第5親衛軍の狙撃兵連隊の一部と出会ったのです。その後、旧東西ドイツの国境線の一部はエルベ川になっており、ここが連合軍とソ連軍の縄張りの境界線だったようです。
この時、撮影された両軍兵士が握手している写真が「エルベの誓い」として世界に配信され、東西冷戦・対立が深刻だった時代の教科書にも掲載されていました。
ソ連軍は4月16日の時点でベルリン占領を目的とする作戦を開始し、この25日には事実上の包囲を完了しており、ヨーロッパにおける第2次世界大戦の最終幕の主役の座はソ連のものになっていたことが判ります。
映画「PATTON(邦題・パットン大戦車軍団)」ではジョージ・スミス・パットン将軍が戦車軍団を率いてベルリンを目指して突き進む激闘の連続が後半の見せ場でしたが、実際にはソ連に先を越され、ソ連軍との戦勝パーティーで挑発的な毒舌を吐いたのには、そんな欲求不満があったのかも知れません。しかし、連合軍が出遅れたのにはナチスに降伏していたフランスの解放に手間取ったことが大きいでしょう。
亡命した敗軍の将・ド・ゴールはイギリスやアメリカの首脳と会談し、「自分こそが自由・フランスの指導者である」とアピールしながらフランス国内で抵抗しているレジスタンスに呼びかけるラジオ放送を行っていましたが、実際にはどれ程の戦果があったかのか疑わしく(放送を聴いていた一般市民は殆どなかったと言われています)、むしろナポレオンを尊敬していたヒトラーが占領政策についてフランス人のプライドを傷つけない配慮を命じていたため、実質的に同盟国=属国化していたのかも知れません。
実際、地中海の海軍基地に対する投降の呼びかけをフランス艦隊は拒否し、米英艦隊による威嚇に猛烈な反撃を行って壊滅させられています。
つまり戦後の東西冷戦構造を作った原因の1つはフランスが米英の足を引っ張ったことであり、それが戦勝国の一翼を担ったようなデカイ態度で国連の常任理事国になってフランス語を公用語にさせていること自体が厚顔無恥と言うべきでしょう。

  1. 2014/04/24(木) 09:36:25|
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