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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

4月26日・ゲルニカ爆撃

第2次世界大戦前の1937年の明日4月26日に北部スペイン・バスク地方のゲルニカが爆撃され、多数の死傷者が出ました(中国の南京虐殺並みに数字が躍っており、死者数は300人から2000人弱まで諸説がある)。
この爆撃はスペイン内戦の流れの中で起きましたが、野僧は中学時代にヘミングウェイの「For whom the Bell tolls(誰がために鐘は鳴る)」を読んで興味を持ち、高校時代にはフランコ総統の伝記などを読んで勉強しました。
スペイン内戦は1936年7月から1939年4月1日まで左派・人民戦線政府と右派・フランコの反乱軍(自称ではない)の間で行われ、人民戦線政府をソ連やメキシコ、ファシストであるフランシスコ・フランコ将軍の反乱軍はイタリアとドイツが支援していました。一方、当時のイギリスはファシズム融和政策を取っていたため中立=不介入で、隣国・フランスの左派政権は人民戦線を支援しましたが、内部対立で政権が崩落すると中立に転じました。
スペインでは第1次世界大戦後、極端な政治主張を持つ左右両派による政権の争奪戦が繰り返され、1931年には左派が政権を奪取して王を廃位させ共和制に移行しましたが、33年の総選挙では右派が勝利し、政局は混乱と膠着状態に陥っていたのです。
そんな1936年の総選挙で左派が再び勝利すると警察を使って右派の中心人物を暗殺するなど排除を始め、これを受けて将軍たちがクーデターを起こしたのです。
危険人物としてカタリナ諸島に左遷されていたフランコ将軍は植民地・モロッコで起こった反乱に呼応して合流、そこからスペイン本土に攻め込みました。すると左派による共産化に危機感を抱いていたカトリック教会、地主、資本家などが支持し、内戦はスペイン国内に拡大、深刻化していったのです。
やがて戦功を上げて名声を高めていったフランコが反乱軍の総司令官兼元首に選出されると、イタリアとドイツから軍需物資の提供だけでなく、部隊の空輸など作戦面での直接支援を受けるようになりました。
反乱軍は順調に北部を制圧し、バスク地方は完全に支配下に入っていたのですが、この日、ゲルニカはドイツから送り込まれた義勇軍・コンドル軍団の輸送機を改造した航空機24機によって無差別・絨毯爆撃を受けたのです。
その目的は「交通の要衝であったため前線への補給路を破壊しようとした」「人民戦線の焦土作戦と宣伝して批判する口実を作る」などの推測がされていますが、当時のゲルニカに人民戦線軍は存在しておらず未だに謎となっています。
第2次世界大戦においてアメリカ軍は日本への無差別爆撃で軍事施設がある地域を外して殊更に市街地を狙っていますが、敵の市民を殺傷することにキリスト教徒は何か美意識を感じているのでしょうか?確かに旧約聖書を見ても堕落した都市を老若男女の別なく丸ごと滅ぼす説話ばかりですから、それがカミの正義なのかも知れません。
余談ながらスペイン内戦は反乱軍の勝利に終わり、フランコは総統に就任したものの第2次世界大戦では中立を取ったため、戦後もファシスト政権が維持されました。
  1. 2014/04/25(金) 09:16:37|
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