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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

6月18日 沖縄戦でバックナー中将が戦死した。

1945(昭和20)年の明日6月18日に沖縄戦のアメリカ軍側最高指揮官・第10軍司令官であったサイモン・ボリバー・バックナー・ジュニア中将が戦死しました。
中将で戦死と言うのは第2次世界大戦のみならず世界戦史でも例がなく「最高位の戦死者」とされていますが、硫黄島で栗林忠道中将が自決ではなく戦死していれば同階級、さらに訣別電報を受信した直後、特別昇任させていますからそれ以降であれば大将でした(通説では突撃したが負傷し、敵に捕獲されないため拳銃で自決した)。
バックナー中将は1886年にケンタッキー州で生まれ、父は南北戦争の南軍側の将軍でした。それでもセオドア・ルーズベルト大統領の推薦を受けてウェストポイント・陸軍士官学校に入校しているのですから、戊辰戦争後、会津・長岡などの奥羽越列藩同盟出身者を不当に差別していた日本陸軍とは度量の差を感じざるを得ません(山本五十六海軍大将は長岡の出身です)。
太平洋戦争ではアラスカ軍司令官としてアリューシャン戦線に参加し、ダッチハーバー・アッツ、キスカの奪還作戦を指揮したと言うものの、アッツでは2番目の玉砕である山崎保代部隊の猛攻に苦戦し、逆にキスカでは撤退後のモヌケの殻の島に猛烈な艦砲・爆撃を加えた後から上陸し、不安に駆られた兵士が同士討ちで約100名も戦死する失態を演じてしまいました。それでも奪還には成功したので少将に昇任し、陸軍と海兵隊の混成部隊の第10軍が編成されるとハワイに赴き、中将に昇任しています。
沖縄戦を巡っては日本の大本営が台湾への侵攻の可能性を重視して、第32軍から第9師団を抽出して配置換えする愚策を犯しましたが、米軍の方も当初は台湾に侵攻させる予定だった第10軍を、欧州戦線のソ連軍の侵攻が予想よりも早かったため終戦を急ぐワシントンの政治的判断により、沖縄へ向けました。
また沖縄作戦の指揮官は当初、硫黄島など太平洋諸島での上陸作戦を指揮したホーランド・スミス海兵隊中将があてられる予定だったのが、スミスVSスミス騒動などで陸軍と対立し、太平洋方面軍内でも批判されていたためバックナー中将が任じられたのです。
この日、バックナー中将は日本軍を摩文仁に追い詰めたと言う自信からか、前線であった糸満・真栄里の高台に少数の随員と一緒に登り、立って視察中に砲撃を受けました。
その砲撃については野僧が独自に集めた証言とインターネットを含む研究者の間の定説では大きな違いがあります。後者ではバックナー中将の行動を察知した日本軍が高台に向けて砲撃を加え、第1野戦重砲連隊第2大隊第4中隊の石原正一郎大尉が指揮する96式15糎榴弾砲の砲弾が命中したと言う大尉自身の証言(現在、石原大尉は台湾に移動して沖縄戦には参加していないとされている)に基づく説や小野1等兵が小銃で狙撃したと言う説がありますが、野僧が聞いたのは高台の傍の洞窟壕内に潜んでいた日本兵が放った89式擲弾筒(てきだんとう)の擲弾がバックナー中将の足元で破裂したと言うモノです。
野僧が大尉の証言で疑問を感じるのは、15糎榴弾砲であれば射程は10キロ以上あり、これを証言にあるような2キロの至近距離に落下させるためには上方に高く撃ち上げなければならず、その分、命中率は落ちます。さらに当時の日本軍の配置では着弾点を確認して修正を指示する観測点、誤差を連絡する通信網は確保できず、狙い撃ちすることは不可能でしょう。そして砲弾の威力は爆風だけでなく破片の飛散が大きいので、えぐった石の破片がバックナー中将の胸に当たり戦死したが随員に怪我はなかったと言うのも現実的にあり得ません。また「小野1等兵による狙撃」説の方は厚生省の戦死者や生還者の名簿に該当する名前はないようです。やはり直径5センチの擲弾の破裂と言うのが真実ではないでしょうか。
バックナー中将は1954年になってから功績が評価され大将に特別昇任しています。この冷静な人物評価も戦死すれば一律に特別昇進させ(生前の階級・軍功などにより2階級、1階級は分かれる)、愚将・乃木まで名将に祀り上げてしまった日本陸軍とは雲泥の差です。
沖縄戦バックナー中将戦死地
1985年になってから建立された戦死地の慰霊碑
沖縄戦洞窟壕戦死地のすぐ傍にある洞窟壕の跡
  1. 2014/06/17(火) 10:05:01|
  2. 日記(暦)
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コメント

バックナー中将砲撃の件

私し、沖縄で遺骨収集している南埜安男ミナミノヤスオと申します。
石原正一郎大尉は沖縄戦時に台湾配属だった事が判明し、FC2、世界日報等から削除が進んでいます。出来たら、台湾(台南)異動だと付け加えて貰えれば幸いです。
擲弾筒の話は珍しいのですが、出典が有れば教えて下さい。
  1. 2022/04/02(土) 00:08:14 |
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  3. 南埜安男 #-
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