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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

7月1日・愛知県岡崎市の市制記念日

明日7月1日は野僧の故郷・愛知県岡崎市の市制記念日です。岡崎が町から市に移行したのは98年前の大正5(1916)年のことで全国でも67番目のことでした。この日は野僧の誕生日でもあり、岡崎市内の小学校を卒業するまでは市制記念日で休みだったのです。
その後、野僧は中学生時代を過ごした愛知県宝飯郡一宮町(現・豊川市)で生徒、教師から執拗な嫌がらせを受け、生きながらにして三悪道(修羅・畜生・餓鬼)を経験しましたが、日本人の嫌な面、愚かな点を凝縮しているような愛知県でも(全国各地に移り住んだ経験からの実感)岡崎市と豊田市は別でした。
愛知県人が他県の人々に比べ格段に能力が劣るのは、人よりも先んじることで出る杭になることを懼れて自重する精神風土と個性を異端と同義語としてあげつらい、迫害する伝統がある上、教職員も過去や周囲と異なる内容を取り入れて問題が生じた時の責任追及を避けようと前例踏襲、基準厳守の教育しか行っていないことが大きいのです。
その点、岡崎市は天下の覇者・東照神君・徳川家康公の出身地であり、全国各地の譜代大名を量産した人材の宝庫であった堅忍自給・切磋琢磨の武士の気風は今も色濃く残っています。また豊田市は世界に冠たるトヨタ自動車の本拠地であり、企業として愛知県に人材がいないことを痛感し、全国各地から有能な人材を集め、社員の子弟が通う地元の学校への支援を充実し、ついにはトヨタの全寮制高等学校を創設しました。
岡崎市は野僧が育った西の矢作と防府で一緒になった女性自衛官の出身地の東の本宿では風景が全く違い、矢作は地平線が見える平野ですが、本宿は緑深い山間の地です。野僧は幼い頃から矢矧川越しに岡崎城を仰ぎ、自分が三河武士であるとの想いを燃え立たせて天下を夢見ていましたが、彼女は東名高速道路と国道1号線、名鉄電車を見ながら広い世界に憧れていたそうです。ちなみに野僧が小学校6年のNHKの大河ドラマは「国盗り物語」で、家康公を演じたは今年の「軍師官兵衛」と同じ寺尾聰さんでした
徳川家康公が生まれる前の岡崎・西三河は新興勢力・尾張の織田と強大な守護大名・駿遠の今川に挟まれ、期待の英邁な領主・松平清康が家臣の裏切りに遭って若死にした後は没落の一途を辿ったのですが、その落ち目の主家を支え、守っていたのが忠誠無比を謳われた三河武士です。
野僧も幼い頃から鳥居忠吉・元忠父子や本多平八郎忠勝、大久保彦左衛門などの物語などを聞いて育ちましたから比類なき忠誠心を植え付けられていたのですが、「主君のために」と言う想いに私心を挟まない三河武士の気風は主君を利用して自己の野心を実現する=主君を目的達成の道具とする毛利藩・山口県の主従関係とは全く違い、地元出身が多い防府南基地ではかえって誤解を招いてしまいました。
ただ、その三河武士が領民と共に激しい一向一揆を起こしたのですが、一揆の本拠地になったのも野僧の地元でした。岡崎では川を渡った東側の城下は浄土宗、西側は浄土真宗(地元では一向宗と言っていました)の熱心な信仰地域です。
  1. 2014/06/30(月) 10:08:05|
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