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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

第21回月刊「宗教」講座・鈴木正三・起編

野僧が航空自衛隊に入って最初の体力測定で同期が体力測定で殉職し、半年後には浜松基地でブルーインパルスの墜落事故を目撃しました。赴任した那覇基地では離陸しようとしたTー33Aが滑走路の端のテトラポットに突っ込んで炎上し、さらに基地内に陸上自衛隊のヘリコプターが墜落する事故も目の当たりにしました。
さらに作業事故での殉職、相次いだ同僚の自死など不思議に野僧の周囲では人の死がつきまといました。
このことで野僧は「自衛官としての死」と言う疑問を抱き、帰省した折、師僧に問いました。する師僧は「人には死ななければならない時は確かにある。しかし、普通はないものだ。お前たち自衛官は死を直視するべき職業なんだろう」と言って坐禅と武道の修行を勧めました。
それからは言葉通りに少林寺拳法と坐禅に励み、帰省の度に師僧を訪ね、道を問うようになり、やがて師僧は「趣味の坐禅なら今のままでいいが、ここから先を知りたければ頭を剃れ」と言いました。
こうして野僧は自衛官のまま得度を受けましたが、師僧は「江戸時代に鈴木正三と言う三河武士出身の禅僧がいた。正三は『坊主よりも武士の方が修行になる。何故なら武士は常に生死のギリギリの処に身を置いているからだ』と言っている。お前も自衛官の仕事を修行と心得て精進せよ」と垂訓しました。
鈴木正三和尚は天正7(1579)年、愛知県豊田市から旧足助町にかけての山合いの地を領する徳川譜代の幕臣・鈴木重次の嫡男として生まれました。
2代将軍・秀忠に仕え、関ヶ原に向かう途上の真田父子が守る上田城攻めや大阪冬・夏の陣に参戦していますが、合戦に臨んでは槍を構え、相手の穂先に向かって突進すると向こうが怯んで、姿勢を崩して斃せたそうです。
正三和尚は天下が定まり、幕府の体制が確立していく中、将軍・秀忠の信任厚く、将来が約束されていたにも関わらず、42歳で突然に剃髪・出家し(これだけで家禄が没収されるような重罪)、全国を行脚しながら法隆寺などで修学し、45歳からは今の豊田市石平の千鳥山にあった自領で荒行に明け暮れました。正三和尚はこの時、健康を害しましたが肉食して快復したと言います。
以降、20年余りの長きにわたりこの地に留まり、61歳で「はらりと生死を離れ」大悟しました。
そこには石平山恩真寺と言う古刹があり野僧も訪れましたが、豊田市街から足助に抜ける途中の山深い静かな土地で、正三の分骨を納めた墓もあります。
64歳の時、島原で起きたキリシタンの反乱が鎮圧された後の幕府代官に弟の鈴木重成(正三が出家した後、秀忠の配慮で家督を継いだ)が就任したため、その宗教政策を援けるため3年間、同地に赴きました。
そこで正三和尚はキリシタンによって破壊された寺院を復興するとともに「破切支丹」と言う書物を著わし、佛教の立場からキリスト教の教義の矛盾を指摘して、多くの信者を転向させ、受け入れることに努力しました。
これは一向一揆などの宗教に起因する争乱の後には、過酷な弾圧により信者を根絶やしにすることが常識であった時代に於いては画期的なことであり、また寺院の建立は大規模公共事業による雇用機会の提供、資材の調達による経済効果も視野に入れた極めて合理的な政策でありました。
島原では後に実態に合わない石高の軽減を訴え、これが受け入れられないと自刃して諫言した鈴木重成、その善政を継いだ正三の実子で重成の養子・重辰とともに正三和尚を合わせた三柱を祀る鈴木神社が信仰を集めているそうです。
この時、正三和尚は佐賀・鍋島藩でも多くの藩士たちを教導し、後に武士道を学ぶ上での必読書になった「葉隠」にも多大の影響を与えていると言われています。
その後、正三和尚は七十歳で江戸に出て、幕臣や参勤で出府する各地の藩士に教えを与えました。そして、1655年6月25日、75歳の時に江戸の弟・鈴木重成の屋敷で遷化しました。
それでは正三和尚の教えとはどのようなものでしょう。その特色としては「俗世に生きることも修行」と言う在家佛教を唱えたことが挙げられます。
正三和尚が生きた時代は、江戸開府から幕藩体制が確立し、身分制度が形成されていく時期であり、そんな時代において「士農工商の生業(なりわい)も心のあり方一つで佛道修行即ち人格形成の道足り得る」と唱えたのです。
実際、「近代的な職業倫理の先駆け」として評価する欧米の研究者もあるそうです。
ある時、ある人が正三和尚に問いました。
「同じ位の人にして、僧と俗では、何れが修行の為に是ならんや(同じレベルの人なら出家者と俗人の日常では、どちらが修行になるのか)」正三和尚は答えます。
「大数を言わば、出家は諸手討ち、在家は片手打ちなり、在家は障うる縁多し、出家は碍うる縁少なし。しかれども今時の出家衆は、みな佛法嫌いなり。俗の半分も道にすく人なし。その上機だらりとして不義心多し。さて侍は主を持ち、機に張り合いあり、また天然と死を守る心あり。結局、今時は修行は俗がするなり。さりながら大真実の人にしては、出家の人、徳大いなり=一般論としては(剣術に例えれば)坊主は両手で、在家の人は片手で打つようなものだ。在家の人には修行の障害になることが多いが、坊主には少ない。しかし、今時の坊主たちは佛教が嫌いである。在家の人の半分も修行していないだろう。その上、やる気もなくダラリとしていて悪いことばかり考えている。その点、侍は主君に仕えていて気迫があり、常に(佛教の根源的な命題である)死を直視している。結局、今時は修行は在家の人がしているのだ。しかし、本当に悟りに近いのは出家の方なのだが(残念なことだ)」
野僧も専業坊主になって以来、いわゆるプロの坊さんと言う人たちとつき合うようになって、まさしく正三和尚の嘆きそのままの苦悩を噛み締めていました。
坊さんたちは御佛の教え、出家者のあり様に純粋であろうとする野僧に「そんな固いことを言っていたら生活できない」などと「助言」してくれました。しかし、そんな言葉こそが野僧に「佛教の教えは純粋に守っていては生活できないような非現実的なものなのか」と言う疑問と苦悩を与えていたのです。
釋尊は全ての執着を捨てることで絶対的な安心を得ることができることを、その生涯を以て示して下さいましたが、その弟子の末裔であり、同じ道に生きているはずの坊さんたちは俗世の人たちと何の変わりもなく、欲望をかなえる喜びを幸せとしています。それは佛教の本質を僧侶自身が否定していることにほかならず、これを思えばまだ「やる気がない」と言うだけの正三和尚が羨ましいくらいです。
正三和尚は、こうも言っています。
「近年佛法に勇猛堅固の大威勢ありということを唱え失えり、ただ柔和になり、殊勝になり、無欲になり、人よくはなれども、怨霊となるようの機を修し出だす人なし。
いずれも勇猛心を修し出だし、佛法の怨霊となるべし=近年の佛教において『勇猛堅固の大威勢を持て』と言うことを聞かなくなってしまった。ただ柔和になり、殊勝になり、無欲(無気力)になり、お人好しにはなったけれども、執念深く怨霊となっても何かをやり遂げようとする気迫をもって何かを行う人はいない。皆さんは勇猛心を身につけて、佛教を追及する怨霊となるように」
今の日本人は坊さんに限らず、どの人もこの人も敵を作らぬように人当たりは柔らかく、表面的にはけな気で、大きな夢は持たず、お人好しにはなったけれども、それは自分に与えられている気楽さや豊かさを守ることのみを考えているのであって、社会のため、世界のために何かをしようとか、今、持っている現実的な利益を投げ捨ててまで何かを追及しようとか、志を抱き、夢を描くことはないようです。
世間を見渡せば年齢、地位などに関わりなく目先の利益、一時の快楽のためにちっぽけな悪事を働く者ばかりです。
「修行というは、強き心をもって修することなる間、出家よりも侍よきなり。その故は、まず主を持って機に油断なし。常に大小をさし働かし、すわと言う機、おのずから備わるなり。この機にてさえ用いられず、いわんや出家となり、機だらりとなりて、何の用に立たんや=修行と言うのは強い精神力をもって佛道を追求することであるから、坊主よりも侍の方が良いだろう。何故なら侍は主君に仕えることで緊張感を保って油断がない。常に抜く覚悟で刀を差している。坊主になってもこのような気迫はなく、ただダラリとしているばかりである。こんな連中が世の何の役に立つのか」
禅宗の坊さんの修行と言えば掃除が定番ですが、航空自衛隊も本当によく掃除をします。週に1回は3千メートルある滑走路に横並びになって歩いて小石を拾い、時には掃除機もかけます。また、航空機を整備する格納庫も床にモップをかけ、電子装置の整備をする作業室の床は塵1つ、埃すら許されません。
何故なら滑走路に小石などが落ちていれば高速度で大量の空気を吸入しながら滑走するジェット機のタイヤがパンクしたり、エンジンが異物を吸引して破損する(フォーリング・オブジェクト・ダメージ)ことがあるからです。
また格納庫の床に新しい油の染みや部品の欠片があれば機体の油漏れや破損を疑わなければならず、作業室では髪の毛1本が紛れ込んでも1箱数億円する装置が壊れ、航空機の機能が損なわれるからです。
確かに佛弟子・チュナ・パンダカのように「心の塵を一緒に拭い捨てよう」と掃除するのなら正しく修行ですが、ただ「古参(先輩)に怒られるから」「参拝者が見ているから」などと言う今の坊さんの掃除など、航空機を安全に飛ばし、パイロットの命を守ると言う航空自衛隊の必死の掃除に比べれば、「機だらりとして、何の用に立たんや」でしょう。
また、自衛隊では体育訓練中に隊員が殉職することがあります。
民間の人にとってスポーツはリクリエーションやストレス発散、健康維持のためのもので基本的には心地好さがともなうものでしょうから、自衛官が「死ぬまで体育をやる」と言うことそのものが理解できないかも知れません。
しかし、自衛官にとって身体を鍛えることは「任務に耐え得る頑健・強靭な身体を作り、維持する」、ハッキリ言えば「何時でも戦える体力を保持すること」を目的にしているのです。
ですから駆け足1つにしても、1秒でも早く走れれば敵を追い、敵から逃れることができると言う危機感を前提にすることになり、体育訓練に限らず全てに命掛け、これが正しく「すわと言う機、おのずから備わるなり」であります。
南無大強精進勇猛佛
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  1. 2014/07/02(水) 08:57:56|
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