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古志山人閑話

野僧は佛道の傍らに置き忘れられた石(意志)佛です。苔むし朽ち果て、忘れ去られて消え逝くのを待っていますが、吹く風が身を切る声、雨だれが禿頭を叩く音が独り言に聞こえたなら・・・。

第24回月刊「宗教」講座・鈴木正三・結編「正三は死ぬとなり」

先ず鈴木正三和尚の特色ある教えをもう1つ語らせていただきます。
正三和尚は佛法を説くのに「謡(うたい)」を用いました。そのため辞書などで「鈴木正三」を引くと、禅僧ではなく謡曲の作者と紹介されていることがあります。
ちなみに一休禅師も能の始祖・世阿弥に禅を教え、自作と言われる作品を幾つか残しています。
謡と言うのは能の節をつけた台詞のことで、織田信長が好んだと伝わる「人間五十年 下天の内をくらぶれば 夢幻の如くなり 一度生を得て 滅せぬ者のあるべきか」の「敦盛」は有名です。
今でこそ歌舞伎も古典芸能として高尚な趣味のうちに入っていますが、元来は能や狂言を上流階層、歌舞伎が庶民の芸能とされていました。
まだ標準語がなかった江戸時代、武士たちが参勤交代で江戸に出府するにあたり、この謡を練習して上品な言葉づかいを身につけたと言われています。
ですから昔の時代劇俳優は台詞の節回しを身につけるため、能や狂言も勉強したそうですが、最近では大河ドラマに出てくる武士まで自分のことを「私」と言っていますから、「拙者」「それがし」「みども」などの自称まで死語になっていきそうです。
話が反れましたが正三和尚の謡は布教とは関係なく広く上演されたようで、その意味では現代のベストセラー作家か、歌謡曲の人気作詞家に近く、やはり当時の認識では禅僧よりも、謡の作者だったのかも知れません。
この手法を現代に当てはめてみると、例えば美空ひばりさんの「人生一路」や村田英雄さんの「皆の衆」「捨てて勝つ」などを正三和尚に聞かせれば、「我が意を得たり」と快哉を叫び、弟子たちに歌わせる情景も想像してしまいます。
ちなみにクレージーキャッツの植木等さんは、三重県の浄土真宗の寺院の息子さんですが、本当はとても真面目な方だったそうで、「スーダラ節」をレコーディングするのに「こんなふざけた歌を唄うのは嫌だ」と大変悩み、お父さん(浄土真宗のお坊さん)に相談したところ、「これほど人間の本質をとらえた歌はない」と絶賛して唄うことを勧められたそうです。
「わかっちゃいるけどやめられねェ」愚かな人間も、「南無阿弥陀佛」と念佛すれば、「スイスイスッタラタッタスラスラスイスイスーイ」と極楽往生できると言う訳です。
「日本一の無責任男」も万事を阿弥陀如来にお任せすれば、本人には何の責任はなく、お気楽に伸びやかに楽しく生きていけばよいのです。
ところで野僧は三重県のある山村の葬儀のBGMで非常に感心したことがあります。
そこでは今でも葬列を組んで村はずれまで歩くため、僧侶や棺を担いだ人が位置につくと葬儀屋の車のスピーカーから「仰げば尊し」が流れ始めたのです。
1番の「仰げば尊し 我が師の恩 教えの庭にも」は今、引導を受けた導師のことを言っているようですし、2番の「互いに睦みし 日頃の恩 別るる後にも やよ忘るな」は出席者への謝辞、3番の「朝夕慣れにし 学びの窓 蛍の灯 積む白雪」は慣れ親しんだ村への想いに聞こえました。
何よりも何回も繰り返される「いざさらば」は亡くなった方の惜別の辞のようです。
最近は趣味のロックやジャズ、フォークソングなどで説法をする坊さんも増えてきて、檀家さんを集めて本堂でコンサートを行っている情景が、ニュースなどで紹介されることもありますが、それには聞く人のセンスに上手く合うことが必要です。
住職の自己満足で寺の空気を破っているのでは心に響く説法にはなりません。
ここで本題の正三和尚が死について述べた言葉を紹介させていただきます。
「糞袋を何とも思わず打ち捨てること也。これを仕習うより別の佛法を知らず=この糞を作るだけの袋に過ぎないこの肉体を何とも思わず打ち捨てることである。このことを習うこと以外の佛法は知らない」
言い回しには正三和尚独特の癖がありますが、死を恐れず、むしろ自然のこととして受け容れ、身の危険を顧みずに何事かを為すことを佛法としているのです。
野僧は小浜の僧堂では下肥えを汲み取って畑に運ぶ作務が大好きでした。
何故なら下肥えの臭いを嗅ぎながら桶を担いでいると正三和尚の言う「人間は糞袋」を確認できるからです。
次に玄石と言う若い僧侶の臨終に際して、
「いつまで生きていても何の変りもない。むしろ1日も早く打ち捨てられることは好い事であろう。まずは今の命を突き破ることである。私もこの年まで生きてきたけれど、何も変わったことはない」
「(皆が高祖と仰ぐ)道元和尚も、まだまだ隙がある人だと思う。未だ悟り切った佛の境地ではなく、(執着があって)精神が自由になっていない」
「目的を達成できていないのは貴方1人ではないのだから、いつまでも生きようとすることも仕方のないことではないか。まずは少しで早く、この肉体を打ち捨てることこそ好い事であろう。ワシもそのうちいくぞ」
これは正三和尚が与えた引導ですが、病み衰えた肉体を持て余している野僧は非常に大きな共感を覚えます。
またこの中で正三和尚が道元について述べた一言は、道元への個人崇拝で凝り固まっている曹洞宗の坊主どもには「高祖禅師の否定」と受け取られたらしく、本来なら現代社会でこそ活かされるべき鈴木正三和尚の教えが、宗門の中では黙殺されていることの原因になっています。
最後に正三和尚の臨終の言葉です。
明暦元(1655)年、いよいよ重篤だと知った弟子が「最期の教え」を求めたところ、正三和尚はその弟子をハッタと睨みつけ、こう言い放ったそうです。
「何を言うか。30年間私が教えてきたことを受け留められなかったくせに、そんなことを言っているのか。正三は死ぬのだ(原文では「正三は死ぬとなり」)」
南無大強精進勇猛佛
鈴木正三鈴木正三像(恩真寺)
  1. 2014/10/01(水) 09:20:54|
  2. 月刊「宗教」講座
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